谷保天満宮【4/5】神楽殿・筆塚・梅。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者

[第685回] 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第49念-4
   拝殿の前の鳥居の前から拝殿と逆を向くと見えるのが「神楽殿」(国立市登録有形文化財・建造物)です。↓
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( ↑ 神楽殿。 北側から見たもの。 )
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( ↑ 神楽殿。 東側から見たもの。 )




( ↑ 赤の鳥居マークが 谷保天満宮 神楽殿。 )
  国立市HP 「市登録有形文化財」http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/soshiki/Dept08/Div03/Sec01/gyomu/0061/0062/0067/0071/1463551215518.html#a6 によると、
≪ 菅公千年式年大祭を記念して、大鳥居と大灯籠等と共に明治35(1902)年に建造されました。それ以前の神楽殿は、拝殿に向かって右手に建っており、附の棟札はこの旧神楽殿のものです。 ・・・・ ≫
ということらしい。 1902年というと、「ロシアに行くを知ってか(1904)、兵隊さん」の日露戦争開始の年の1904年の2年前。
   1902年にこの位置に神楽殿が建てられるより前は神楽殿は拝殿の右にあったということは、かつて、甲州街道が段丘の下を通っていたという時代においては、街道からこの神楽殿が今は建っている場所を通って拝殿に至る経路が参道だったということでしょうか。

  神楽殿の方を向いて左側、谷保駅の方から来て甲州街道に面した鳥居から入って南下して階段を下りて来て左の位置に「筆塚」ともうひとつ碑があります。↓
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〔 ↑ 少し間隔をあけて2つ並んでいるものの右側(東側) クリックすると大きくなるので大きくして見てください。手前に鶏が何羽もいるのが見えます。 ここの何羽もいる鶏のうちの2羽がつつきあいをして喧嘩していたのを見ましたが、鶏同士で喧嘩することはあっても、人間が通りかかっても人間に襲いかかてこないところを見ると、やっぱり、エサやってるのでしょうね。「一流企業」の従業員みたいなものでしょう。エサをもらうと言うこときくようになるのでしょう。私らが勤めてきた三流以下企業だと、ろくにエサ払わずに言うことだけきかそうとしますから、だから、問題が出てくるのですね。〕
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〔 ↑ 少し間隔をあけて2つ並んでいるものの左側(西側) 〕
  谷保天満宮HP の「季節の祭事」http://www.yabotenmangu.or.jp/schedule.html によると、1月25日に「筆供養」がおこなわれるらしい。
  最初、谷保駅の方から来て甲州街道に面した鳥居から入り坂を下り階段を降りてきて、すぐ左、↑の2つの写真の下の方が筆塚かと思ったのですが、そのさらに東側に「筆塚」とはっきりと彫られた石碑が建っているので、↑の上の写真の方が筆塚なのでしょう。 ・・・・そうなると、下の写真の方、神楽殿を右・拝殿を左に立って見て左側の碑は何なのだろう?
※ 谷保天満宮HP 「境内案内図」http://www.yabotenmangu.or.jp/guidemap.html




( ↑ 旗マークの位置あたりに、↑の上の方の写真の「筆塚」と彫られた石碑が建っています。石碑に向かってその左の位置に↑の下の方の写真の碑があります。

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↑  本殿の南端の前の梅。 クリックすると大きくなるので大きくして見てください。桜と違って梅の場合は、比較的近づいて見た方がきれいに見えるところがあります。 写真では近づけないので、かわりに、クリックして大きく拡大して見てください。
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↑  本殿の南側にある石碑と梅。 石碑は何を刻んであるのかよくわからない。
〔 撮影は、3月8日 〕

   社務所の窓ガラスに古い新聞が貼られていましたが、明治41年、有栖宮威仁親王が自動乗用車奨励として「遠乗会」でこの谷保天満宮まで足を運んだという記事でした。 そこから、谷保天満宮は「交通安全発祥の地」となったらしい。
※ 谷保天満宮HP 「交通安全発祥の地」http://www.yabotenmangu.or.jp/safety.html

   社務所のガラスに教育勅語全文が書き出されて貼られていましたが、天神・天満・北野・菅原系神社と教育勅語は何の関係もない。 関係はなく、国民の思想良心の自由を妨げるもので、親子・夫婦などの自然な情愛を妨げるものとしてすでに否定されたものである「教育勅語」を復活させようとするような掲示は感心しない。
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( ↑ 谷保天満宮 社務所のガラスに貼られていた「教育勅語」を推奨する文章。 )
   最近、比較的若い人でも、「『親ニ孝ニ』と親孝行しましょうとか、『夫婦相和シ』と夫婦は仲良くしましょうとか、『兄弟ニ友ニ』と兄弟姉妹は仲良くしようとか、もっともなことを言っているのであって、何も悪いものではないと思う」とか非常識なことを言う人がいますが、根本的な問題として、「親孝行せえよお」とか「夫婦は仲ようせえよお」とか「兄弟は喧嘩すんなよ」とか、そんなことは天皇へーかに言われることと違うし、「国」「国家」「政府」がそのような問題に口出すことがおかしいのです。 何も、夫婦はもめろよとかそんなこと言ってるのではないのです。「夫婦は仲よおせえよお」とか天皇へーかに言われる問題と違うし、「政府」とか「国」とか「国家」とかが口出す問題でもないのです。そのあたりを理解できないというのは、ハタチを過ぎた人間としては情けない。
  又、戦中世代であったった私の父は、「『親に感謝』じゃ、『親に感謝』。 わしに感謝せえよお。わしにじゃわしにい。わしにわしに、わしにい~い! んが、んが、んがァ~あ! とってちってたあ~あ! わしに感謝せんとバチあたるぞお、わしに感謝せんとバチあたるぞお~お。 とってちってたあ~あ! どんがんどんがらがったちゃちゃちゃちゃちゃ~あん♪〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ) 》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕」と毎日毎日、私の鼻か眼の位置を指さして叫んでいましたが、初めに聞かされた時は、そんなおかしな話があるか! と思ったのです。なんやねん、このパチンコ屋みたいなおっさ~ん! とも思いました。 まず、おかしいのは、本来、「感謝する」とか「感謝しろ」とかいう日本語は行為に対して「感謝する」「感謝しろ」というもののはずなのです。 ですから、親が子の為になる何かをやってくれた時にその行為に対して「感謝する」「感謝しろ」というのは、(「感謝せえよお、感謝せえよお」といちいち恩着せがましい態度をとらないと気がすまないというその卑しい根性がいいとは思いませんが、)そういうケースがあるのはわかりますが、他方、子供が親の為に何かをやることだってあるわけで、その時には親が子供がやってくれたその行為に「感謝する」ということだってあるはずなのです。ところが、戦前戦中世代の父は「『親に感謝』じゃ。とってちってたあ~あ!」と言うばかりで、子供が親のために何かをやったり、親が子供にマイナスになる行為をした場合に子供が我慢してもそれについて親が子供に感謝すべきだとは絶対に言わないのです。最初、勝手なおっさんやなあ~あ・・と思っていたのですが、それが「教育勅語の思想」だったのです。又、親が子供のためになることを何かやったということでなくても、ともかく、親が子供のために何もやってなくても「親に感謝」せえよおと言うのです。、おかしいと思いませんか? まず、日本語としておかしいでしょう。違いますか?  親がやった何らかの行為に対して「感謝せえよお」ではなく、「親に感謝」せえよお、「親であることに対して感謝せよお」と言う、わけわかんないよ! と長年思ってきたのですが、山住正己『教育勅語』(朝日選書)を読んで、ああ、父が言っていた「親に感謝」「わしに感謝」せえよお、というのは、あれは「教育勅語の思想」だったんだ、とわかりました。 普通、日本語で「感謝する」「感謝しろ」というのは行為に対してのもののはずなのですが、「教育勅語の思想」においてはそうではなく、「親であること」に対して「感謝せえよお」と言うもの、感謝すべき行為を親がやったからその行為に対して感謝しろと言うのではなく、「親であること」に対して「感謝せえよお」というものなのです。 この点を理解していないと、俺がこのおっさんのためにしてあげたことだって相当あるはずなのに、自分がしてもらったことについては「当たり前です! やってもらって当然です! 甘ったれなさんな!」とか言いまくってからに、な~にが「親に感謝せえよお」じゃ、なにが「とってちってたあ~あ!」じゃ、まったくつくづく勝手なおっさんやな~あ・・・ と思うことになるのです。 「教育勅語の思想」においては、親が感謝すべき行為を子供にやったからその行為に「感謝しろ」と言っているのではなく、むしろ、子供にとっては迷惑な行為を繰り返してもそれでも「親であること」に対して「感謝せえよお。わしに感謝せえよお。わしに感謝せんとバチあたるぞお。とってちってたあ!」と言うのです。「教育勅語の思想」というのはそういうものなのです。 歴史の歯車を力で逆向きにまわしてやろうとするような人達 というのがいます。1980年代前半、中曽根臨教審の委員として教育勅語を復活させようとたくらんだ慶應義塾の塾長(当時)の石川忠雄もその1人です。(慶應はこういう右翼・反動が多いですね。)石川忠雄は内部進学だけあって「戦後民主主義教育」のいいところを見につけてきていない人間なのです。(慶應の内部進学の教授というのは、「戦後民主主義」と言われる教育のいいところを、「そういうものは受験勉強だ。害があるんだ」と言いますが、この人たち、かわいそうな教育受けてきてるなあ、と思いました。かわいそうな人たちだなあと思います。)
   「生まれなければ良かったのに生まれてきたという罪をつぐなうために、すべてをわしのために捧げ尽く~す! 生まれなければ良かった者を産んでやあってやって、やあってやって、やあってやって、育ててやあってやって、やあってやって、やあってやってきたという恩に報いるために、すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために。とってちってたあ~あ!」と父に毎日毎日言われ続けてきました。父はともかくひとの顔、眼とか鼻とかを指さして話すというのが好きな男でしたので、私は、毎日毎日、眼とか鼻とかを指さされて、「わしは聖人やねんぞお、わしはあ。わしは聖徳太子やねんぞお、わしはあ。わしはヒットラー総統やねんぞお、わしは、わしは、わ、し、はあ~あ!」「世の中にはカス親もおれば、ダメ父もおるわけやけれども、あんたは、わしのようなヒットラー総統のようにえらいえらいえらいえらいスーパーマンのお父さんを持って、あんた、幸せやねえ~え。あんた、うれしいねえ~え」と毎日毎日、言っていました。 「あんたは、わしのことを『普通のお父さん』みたいに思ってきたかもしれんけれども、違うねんぞ。知ってたか?」と言うのでした。「わしはスーパーマンやねんぞ、わしは。知ってたか?」と言うのでしたが、知らんかった。パーマンかと思うとった。 今から思うと、言ってやれば良かったなあと思うのです。「空、飛ぶのですか?」と。 スーパーマンなんでしょ。スーパーマンなら空を飛んだらいいじゃないですか。(私らは「普通の人間」ですから空飛んだりしませんけどね。)「何、言うとるんじゃ、おまえはあ」と怒るでしょうから、「スーパーマンなんでしょ。スーパーマンなのに、空、飛ばないのですか?」と言ってやると、「アホぬかせ。飛ぶわけないやろうが、そんなもん。」と言うでしょうから、「はあ、スーパーマンだけれども、空は飛ばないのですか。 で、悪と闘うのですか?」と言うと、これもまた、「何を言うとるんじゃ、おまえはあ。なんで、そんなもん、わしが闘わんといかんのじゃ。ええかげんにせんか」と言うでしょうから、「はあ・・・。スーパーマンだけれども、空は飛ばない、悪と闘うわけでもないということですか。 で、スペシウム光線は出すのですか?」と言うと、「ええかげんにせんか、おまえはあ。そんなもん、出すか、ええかげんにせんか!」と言うでしょう。「スペシウム光線出すのはウルトラマンですから、だから、スペシウム光線は出さないということですか。なるほど。しかし、空を飛ぶわけでもない、悪と闘うわけでもない、スペシウム光線も出さないスーパーマンというと、要するに、そのへんのおっさんとほとんど一緒のスーパーマンということですね」と言えばよかった。「何、言うとるんじゃ、おまえはあ。ええかげんにせえよお!」と言うでしょうけれども、しかし、「空を飛ぶわけでもない、悪と闘うわけでもない、スペシウム光線も出さないスーパーマン」というと、要するに「そのへんのおっさんとほとんど変わらないスーパーマン」てことですわなあ・・・。そうでしょ、違いますか? 父はプラスチックの透明の箱をタンスの上に載せて、何やらようわからん祭具をそこに入れて、毎日毎日、両手を合わせて手はそれに向かって、顔は私の方を向いて、「親孝行せえよお、親孝行せえよお。わしに親孝行せえよお、わしに親孝行せえよお。わしに、わしに、わしに、わしに。すべてをわしのためにすべてをわしのために。まんまんまんまんまんまんまんまんまんまんま~あん!」と呪文を唱えていたのですが、要するにそれが「教育勅語の思想」というものです。 父がやっていたあの「親孝行せえよお、親孝行せえよお、親孝行せえよお~お。まんまんまんま~ん!」てのをやると、いくらかなりとも「ストレス解消」に役立つようですが、やってる者は「ストレス解消」に役立つかもしれないけれども、こぶとり爺さんのコブと一緒で、される側はされるたびにその分ストレスが貯まることになります。 私が大学生であった時、父は「いらいらっとしたらかけたんねん」と言って、「いらいらしてんねん」と言って毎日電話してきました。「わしが一番精神的にしっかりしてんねんぞお。わしが、わしが、わ、し、が。んが、んが、んがぁ~あ!」と言って。「何の用事ですの?」と言うと、「用事は別にないねん。今、いらいらしてるから、だから、かけたってん」と言うので、「はあ、用事はないんですか? そしたら切りますよ、よろしいね」と言うと、「何、言うとるんじゃ、何を。 用事はないんやけど、いらいらしたからかけたったんじゃ。感謝しろお!」と言うのですが、「はあ、そりぁ、どうもすんませんねえ。 で、用事はないということですから、切りますよ。よろしいね」と言うと、「何、言うとるんじゃ、何をお。ええかげんにせんか。電話をしてやってやってやってやってやあってやってやったったんやろうが。このチャンコロめが、ええかげんにせんか。チャンコロ!」と言うのですが、「しかし、用事ないんでしょ。 なんか、用事あるんでしたら、それを言うてもらえませんか」と言うのですが、「そやから、いらいらしとるんじゃ、いらいらいらいらいらいらいらいら。もう、いっらいっらいっらいっら」と言うので、「はあ、そうですか。そしたら、座禅でもされたらどうですか」と言ったのですが、「何、言うとるんじゃ。おまえはあ。なんで、座禅みたいなもん、せんといかんのじゃ、ええかげんにせえよお、このチャンコロ! ええかげんにせんか!」と言うのです。 それで、「座禅が気に入らんのなら、それやったら、般若心経の写経でもされたらどうですか」と言うと、「なんで、そんなもん、せんといかんのじゃ。このチャンコロめが。ええかげんにせえよ。ええかげんにせえよ。ええかげんにせえよ!」と言うのです。「讃美歌でも歌ったらどうですか」と言うと、「なんで、そんなもん、歌わんといかんのじゃ。ええかげんにせんか、チャンコロ!」と言うのです。 それで、「そしたら、柔軟体操でもするとか。もしくは、温泉にでもいってゆっくりされるとか。 温泉に行くのがたいそうならスーパー銭湯とかでも行かれたらどうですか」と言ったのですが、「なんで、そんなもん、行かんといかんのじゃあ」と言うのです。「はあ、そしたら、王貞治はスランプになるとバットの素振りを何回も何回も繰り返して気持ちを落ち着けたとかいう話がありますから、バットの素振りとかされたらどうですか。野球のバットでなかったら剣道の竹刀でもいいかもしれませんね」と言うと、「ええかげんにせんか。このチャンコロめが、チャンコロ。ええかげんにせんか。いらいらしたからかけったったんじゃ。今、いらいらしとるんじゃ、いらいらいらいら」と言うので、「ですから、ストレス解消に役立ちそうなものを言ったのですが、お気に召さないようなら、ご自分で何か気に入るものをされたらどうですか。私が思いつくのはそんなものですから、それで気に入らないということなら、私に電話されてもどうにもならないということですから、私にかけないで、たとえば、『いのちの電話』とかそういう所にかけてみたらどうですか」と言ったのですが、「なんで、そんな所にかけんといかんのじゃ、このわしが。わしはドイツ人やねんぞ、ドイツ人。わかっとんのんか。わしとM川先生とT子さんとM尾さんはドイツ人でおまえはチャンコロやねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ!」と言うのです。父の親友の医者屋のM川(ドバカ息子を金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを自慢するおっさん)と兄弟3人の中で常に父に加担する上の姉と父の部下で父の言うことをきくということで昇進させてもらったらしいM尾さんの3人が「ドイツ人」で「常にひとを支配するための民族」だそうで、私が「チャンコロ」で「常にひとから支配されるために神さまから作られた民族」だそうです。「そうですか。 そしたら、そういう『支配されるための民族』で『劣った民族として神さまから作られた民族』だというわたくしめなんかに電話していただいてもお役に立てませんから、切らせていただきますよ。よろしいね。」と言うと、「何を言うとるんじゃ、何をお。ええかげんにせんか。電話してやってやってやってやったたったんじゃ、チャンコロに。感謝しろ、チャンコロぉ! ええかげんにせんか、ええかげんにせんか、ええかげんにせんか、チャンコロ!」と言うので、「で、いったい、どうしろと言われるのですか。 私にできることはあまりないと思いますので、ドイツ人の所に電話していただいた方がよろしいかと思いますけれども」と言うのですが、不思議なことに「ドイツ人」は「ドイツ人」にではなく「チャンコロ」のところに電話する方が「ストレス解消」には役立つようでした。 父が「いらいらっとしたからかけたったんじゃ」と言って電話するのは私の所だけだと思っていたのですが、下の姉の所にも電話していたようで、下の姉もまた、「あの人の電話、かなわないねえ~え。『いらいらっとしたからかけたったんじゃ』と言ってかける方はそれでストレス解消になるのかもしれないけれども、かけられた側はその分、ストレスが貯まるんやからねえ」と言うので、あんたがストレスが貯まると言うのなら、私ら貯まりに貯まりまくってるわと思いました。 教育勅語というものを広めたい、教育勅語というものをひとに押しつけたいという人というのがいますが、そういう人というのは、言ってみればこんなものです。「いらいらっとしたからかけたったんじゃ」と言ってひとに電話する人。プラスチックの箱に向かって両手を合わせて顔は私の方を向いて「親孝行せえよお、親孝行せえよお、わしに親孝行せえよお、わしにじゃぞわしにじゃぞ。わしに親孝行せんとバチあたるぞ、わしに親孝行せえよおせえよお。まんまんまんまんまんまんまんま~あん!」とひとの顔を見ながら呪文をとなえると、たぶん、それでいくらか「すっとする」のだと思います・・・・が、それをされるたびに、こちらはその分だけストレスが貯まるのです。 誰かひとに「こらあ。親孝行せんとバチあたるぞ。親孝行せえよお。親孝行せえよお!」と言いまくると、それでいくらか「すっとする」という人がいるわけで、自分はそれで「すっとする」ものだから、ますます、「教育勅語をひとに押しつける活動」をしてやろうという気持ちになるわけですが、それをされた側はその分ストレスが貯まることになります。迷惑な話ですよ、迷惑な話。そういうのが「教育勅語をひろめましょう運動」です。おのれが親孝行をするのではなくひとに「こらあ、親孝行せんかあ」と言ってやるのがそれがストレス解消に役立つからやっているというそういう卑しい根性の人が「教育勅語をひろめましょう運動」をやっているのです。「戦前は教育勅語というものがあったから良かったが、戦後、それがなくなったから、家庭や社会に問題が出てきた」とかそういうことを言う人というのは、ひとには「親孝行せえよお、親孝行せえよお」と言いまくっても自分には言いませんからね。「親孝行せえよお、親孝行せえよお。親孝行せんとバチあたるぞお、バチあたるぞお。まんまんまんまん・・」とは自分には言いませんからね、そういう人は。そういうのが「教育勅語」というものです。  世の中には、「親孝行」というものを、自分ができるだけのことをやろうとする人と、ひとに「親孝行せえよお、親孝行せえよお」と言うのが何より好き! という人と、2つのタイプの人間がいまして、この後者のタイプのひとが好むものが「教育勅語」です。 「ちっぽけな人間」が好むもの、ということです。 そういうのは、菅原道真の思想と何か関係あるのかというと、まったく何の関係もありませんからね。

   次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html 、梅林・稲荷社・参集殿・第六天神社・・・

   (2019.3.15.)

★ 谷保天満宮(国立市)参拝
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者 〔今回〕
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html

★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市) 〔今回〕

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html


京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
教育勅語 (朝日選書)
朝日新聞社出版局
山住 正己

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