東京発「のぞみ」で品川駅到着直前席を離れ品川駅発車後も戻ってこないおばさんには不安。記憶の不確かさ
[第687回]
「のぞみ」で東京・品川から京都・新大阪まで乗車する場合、及びその逆向きの場合、自由席で品川駅から乗車すると座れる場合と座れない場合があり、京都駅から乗車すると座れない場合があるのに対し、東京駅から乗車する場合、新大阪駅から乗車する場合は座れる場合が多いが、発車間際に飛び乗ったりすると座れないこともあるし、窓側の席には座れないということがある。窓側で自分自身が満足のいく席に座りたいと思えば、早めに行って列の前の方で乗車するようにすれば窓側の席に座れることが多い。指定席をあらかじめ購入するとその時刻に行かないといけないのに対し、自由席で乗ればその制約がないので自由席の方がいい面もあり、往復すると自由席と指定席の差額はそれなりの額になる。
この2月、それで、自由席券を購入して、東京駅で出ている掲示を見た上で、余裕を持って乗れる「のぞみ」号の自由席に乗り2人席の窓側の席に座って発車を待っていたところ、発車間際に隣席におばさんが来て座った。そこまでは何の問題もない。ところが、気になったのは、品川駅に到着直前にそのおばさんはカーディガンなのかマフラーなのかわからないが上着だと思うのだが、1枚座席に置いて席を離れたのだ。
品川駅に到着直前である。何も物好きに品川駅に到着の直前に席を離れなくても、便所に行きたいなら東京駅を発車する前に行ってすませてから乗車するか、もしくは品川駅を発車して品川駅で乗車した乗客の動きが一段落してからにすれば良さそうなものだし、もし、電話をかける必要があり、電車は電車で少しでも早い電車に乗車したかったということなら、せめて、品川駅を発車して品川駅で乗車した乗客の動きが一段落してからデッキに行けば良さそうなものであるし、そうではなく、少しでも早い電車に乗らないと名古屋・京都・新大阪で下車した後の用事に遅刻しそうだといった事情があって、しかも、電話は電話で少しでも早くかけないと相手が怒るといった事情でもあったのなら、おばさんが東京駅で乗車して座ってすぐに「のぞみ」号は東京駅を発車したのだから、発車してすぐにデッキに行って電話して品川駅に到着する前に戻ってくれば良さそうなものである・・・のだが、東京駅を発車してしばらくは何もせずにそのまま座っていて、品川駅に到着直前になって席を離れたのだ。
おばさんは東京駅を発車する直前に乗り込んで座ると、しばらくはそのまま座っていて、品川駅に到着直前に席を立ってどこかに行き、そして、品川駅から乗車する人たちが動き回っている間は戻ってこなかったのである。 おかげで、私は品川駅から乗車した人達から、「隣り、いいですか」と何人もから言われ、まさか、マフラーなのかカーディガンなのかわからんが1枚だけ座席において東京駅から乗車した人が品川駅で下車したということもないだろうと思い、「私の連れではないのですが、どこかに行かれたようで、戻って来られるのではないかと思います」と言って、私の親戚でも知り合いでも何でもない人のために、何度も何人もに断ってあげたのだ。頼まれたわけでもないし、「隣り、いいですか」と訊かれた場合、私は別に「いい」んだけどなあ・・・と思うのだけれども、それでも、ともかく、「私の連れではないのですが、どこかに行かれたようで、戻って来られるのではないかと思います」と言ってあげたのだ。 しかし、品川駅から乗車した人からすれば、まさか、東京駅から乗車した客が品川駅に到着する前に席を離れてどこかに行くとは思わないものだから、混んだ自由席の車内で私が2席を占拠しているかのように見えたようだったし、実際、そんな感じに見えたのではないかと思う。おばさんが席に置いて行ったものも紺色の衣類でマフラーなのかカーディガンなのかわからないが、女物とはっきりわかるものではなく、男物の衣類にも見えないことはない物だったから、余計に私が込んだ車内で私が必要もないのに2席を占拠しているかのように見えたのではないかと思う。なんか、はた迷惑なおばさんだなあと思ったが、まあ、しかたがない・・・と思ったし、旅行して電車に乗れば隣や前後に座る人にもいろいろな人がいるものだ。
ところが・・・・。品川駅を発車しても、おばさんはなかなか戻ってこない。別に戻ってこなくても私はかまわないのだけれども、それだと、それまでに「隣り、いいですか」と私に尋ねた人、特に座れずに立っている人に私は嘘をついたことになってしまうし、混んだ自由席で2席を私が占拠しているかのように見えてしまう。迷惑な話である。
そのくらいならまだいいのだけれども。 そのうち、不安を感じ出した。東京駅を発車間際に乗り込んできて通路側の席に座り、しばらくはそのまま座っていて、よりによって品川駅に到着する直前に席を立ってどこかに行き、品川駅を発車してもなかなか戻ってこない、席の上にはマフラーなのかカーディガンなのかわからないが紺色の衣類が1つ巻かれて置かれている。これは、もしかして、もしかしたらどうしようか・・・・と不安を感じたのだ。
もしも、だ。もしも、「う〇こ」をしに電車内のトイレに行っていたとしても・・・。もし、「う〇こ」したいのなら、私なら東京駅を発車する前に駅のトイレでする。電車内のトイレはあくまでもやむをえない時のためのもので、可能ならば電車内のトイレではなく駅のトイレを使用するものだ。私ならそうするが私の常識は、おばさんにとっても常識ではないことはしばしばあることだ。だからこそ、おばさんなのだ。そんなことで、常識に反するなどと言っても、おばさんには通じないということは重々承知している。 しかし、もし、乗車してから「う〇こ」したくなったとしても、それならそれで、せめて、品川駅を発車して品川駅で乗車した人達の動きが一段落してからにしてはどうだろうか。隣席の人間に、品川駅から乗車した人達が「ここ、いいですか」と何人もが何度も尋ねるということくらいわかるだろうけれども、そういう事態になることはわかってもそうならないようににして隣席の人間に迷惑かけないようにしたい方がいいと思いいうことは、おばさんに対しては「わかる」でしょうなどと言ってもわからんだろ。それはしかたがないとあきらめるしかない。なにしろ、相手はおばさんなのだから。 しかし、品川駅を出てしばらく経つまで待てなかった、緊急事態だった可能性だってないとは言えない。しかし、だ。それならそれで、東京駅を発車したならすぐに「う〇こ」しに行って、品川駅に到着するより前に戻ってくればいいし、品川駅に到着するまでに「う〇こ」が完結せず品川駅に着いてから終了したとしても、さっさと戻ってくればいいではないか。ところが、まさに品川駅に到着直前に席を離れ、そして、品川駅に着き、品川駅を「のぞみ」が発車してもしばらく戻ってこなかったのである。どう考えても「う〇こ」にしては時間が長すぎるし、そんなに、タイミング良くというのか、タイミング悪くというのか、ピンポイントのようにその時刻に「う〇こ」したくなって、「う〇こ」を終えるまでもそんなにタイミング良くなのか悪くなのかかかるものだろうか。
何も、「う〇こ」と決まったわけではない。タバコを吸いに行っとったのかもしれんし、デッキで電話していたのかもしれん。しかし、煙草にしても電話にしても、何であったとしても、何も品川駅に到着直前に席を離れ、品川駅を発車してしばらく経っても戻ってこないというそういうタイミングで煙草を喫うことないだろうし、電話しなくてもいいのではないかと思える。よほどでなければそんなタイミングで「う〇こ」しなくてもいいのと違うか。あまりにも、奇妙なタイミングである。
私が不安を感じたのは、おばさんが席を離れた理由が「う〇こ」であるのか電話であるか煙草であるかそれ以外であるかが気になって不安を感じたのではない。そんなことはどうでもいい。もしも、である。東京駅を発車直前に乗車することで窓側ではなく通路側の席に座り、品川駅の到着直前に座席に紺色の衣類を1枚丸めて置いて席を離れ、品川駅を発車してもしばらく戻ってこないというのが、その衣類の内側に小型の時限爆弾でも入っていて、おばさんは品川駅でとうに下車していて、品川駅と新横浜駅の間で品川駅を十分に離れたというあたりでドカ~ン!!! と爆発する・・・・なんて、まさかそんなことないか??? ・・・とそれを私は不安に思ったのだ。 おばさんが「う〇こ」が良く出たか出なかったかなんてことにはまったく感心はない。
車掌に連絡した方がいいのだろうか? と思った。 車掌に連絡するとしても、たまたま、車掌が通路を通ってくれればいいが、そうでなければ、どうやって連絡するのか? 自由席に1人で乗っているからこちらも席を離れるとその間に誰かに座られてしまうかもしれないし、荷物を置いて席を離れると、特別な貴重品は持っていないとしても荷物が心配でもある。 もし、おばさんが衣類を置いて席を離れたのではなく、おっさんが衣類を置いて席を離れたということならば、ひとの物を無断でさわるのは良くないとしても、「危険を避けるためにやむをえない」という状況であれば事情は別であるから、その衣類の内側に時限爆弾のように見えるもの・・・といっても、こちらはそういう「専門家」でもないので、「時限爆弾のように見えるもの」というのはどういうように見えるのかようわからんけれども、ともかく、衣類だけなのか衣類の内側に何か不審なものがあるか見るということだって考えられないことはない。しかし・・・。おばさんであろうがおばはんであろうが、下着類ではなくカーディガンかマフラーか何かであったとしても、男性が女性の衣類をさわるわけにもいかない。・・・こういったことを考えると、まさに、「よくできている」「できすぎている」のだ。 テレビの刑事ドラマのオープニングでこういう場面が出てこないか? 隣席の男がこういった点に不安を覚えながらも、どうしたものか迷っていると、まさに、ドカ~ン!・・・・次の瞬間には、「ぴーぼーぴーぼー」という救急車の音がして、その次には、病室の前あたりで、刑事が話す場面に移行。死者や怪我人の家族が「ひどい。うちの子がいったい何をやったと言うんですか」と泣く・・・という場面が続く。「刑事さん。犯人を絶対につかまえてください」とか訴える女性。たいてい、そういう場面の役は女性なのだ、刑事ドラマでは。・・・・そういう展開になったら、一番被害を受けるのは隣の席にいる私ではないか! ドカーンとなった時、私と通路との間にそれがあるということは、片方は開かない窓だし、逃げられない。多摩川の鉄橋の上あたりで爆発した時には、破片とともに多摩川の水の中に落下して、その時には「海行かば水漬くかばね」でも歌いながら死んでいくか・・・・とか言う前に死んどるのと違うんかい?
考えてみ。 ↑のように、自分は席を離れやすいように通路側に座るためを考えると、東京駅では発車間際に乗って方が通路側の席にすわることになりやすい。衣類を座席において離れれば、「う〇こ」か電話か煙草か・・・という理由にできる。男がやれば、「なんや、あのおっさん。不審な動きしてからに、爆弾でもしかけたなんてことないやろなあ」と思って、置いて行った衣類を見て、「なんじゃ、こりぁあ。爆弾ちがうんかい!?!」となって未然に防がれるところを、おばさんとはいえ女が衣類を巻いて置いて行くと、不審に思っても、その衣類を改めにくい。 品川駅到着直前に席を離れて、自分はさっさと品川駅で下車し、そして、電車は品川駅を発車して、そのうち、新横浜につきそう・・・となっても戻ってこないとは。まさに、テレビの刑事ドラマのオープニングみたいなものではないか。「ドカンと一発♪」・・・・とかなってからでは遅い! あのおばさんとはこれまでに会ったことはないと思うが、向こうは俺を知っていて、なぜか恨みを持っていた・・・・とかあったのだろうか? それとも、『名探偵コナン』に登場する「黒づくめの組織」の一員か? ・・・あれは漫画としても、そもそも、本当に犯罪やろうとしたなら、わざわざ目立つ「黒づくめのユニフォーム」なんて着ることがおかしい・・としても、オウム真理教の残党か、ISの日本支部か、狙うなら俺なんか狙わずに安倍晋三でも麻生さんでも狙ってくれ・・なんて言うと怒られるかもしれんが、ともかく俺なんか狙うな!!! わしぁ、貧乏人じゃ。わしぁ、日陰の月見草じゃ! ほんまやで、ほんまにほんまやで。
実際問題として、地下鉄サリン事件の被害者になった人だって、「まさか」と思っていたのではないかと思うのだ。ところが、現実に地下鉄サリン事件は起こったのだ。だから、新幹線爆破事件なり新幹線サリン事件なりが私の隣席で起らないとは限らないのだ。 車掌に連絡するにはどうしたらいいのか? 飛行機なら各座席にスチュワーデスに連絡するボタンがついているが新幹線にはない。 非常停止ボタンなんてプラスチックの透明のフタがついた赤いボタンが電車のところどころにあったような気もするが、そういう非常停止ボタンを押して非常停止させたとして、停まった瞬間におばさんが「う〇こ」から帰ってきたとすると、人騒がせでしかないことになってしまわないか? しかし、本当に新幹線爆破事件か新幹線サリン事件かが起こってからでは遅いのだ!!!
・・・で、どうなったかというと、品川駅と新横浜駅の中間より新横浜駅に近いかというあたりまで行ったあたりでおばさんは戻ってきたのだ。 で、私は言ったのだ。 「何人もの人から『こちらの席、いいですか』と言われたので、『戻ってこられるようですよ』と言っておきましたからね」と。本当はそれよりも「時限爆弾か時限サリン発生装置でもその衣類の内側にあるのと違うかと心配しましたよ」と言いたかったのだが、そこまで言うのもどうかと思ったので、それで、「何人もの人から『こちらの席、いいですか』と言われたので、『戻ってこられるようですよ』と言っておきましたからね」と言ったのだ。そう言えば、もし、私が言われた側ならば、「そうでしたか。どうも、すいませんでした」と言うだろう。おばさんも、そんな感じのことを言うだろうと思ったのだ。そうでも言ってもらえば、それ以上、どうこう言ってもしかたがない。・・・・ところが、口がきけない人だったようだ。何も言わないのだ。
普通、↑のような状況があった後、「何人もの人から『こちらの席、いいですか』と言われたので、『戻ってこられるようですよ』と言っておきましたからね」と隣席の人間から言われれば、「そうでしたか。どうも、すいませんでした」と言うものだと思うのだが、おばさんは言わない。そのあたりがおばさんなのかもしれないし、そんなことで腹立てていたのでは、電車に乗れないからしかたがない。 しかし、だ。 おばさんは岐阜羽島駅を通過する付近でもまたもや、「う〇こ」に席を立ったのだ。厳密には「う〇こ」に行ったのかどうかはわからない。しかし、それにしても、何度も「う〇こ」するおばはんやなああ・・・と思ったが、「う〇こ」か電話か煙草かはわからんわけだから、わからないものを断定するべきではないだろう。 しかし、だ。「う〇こ」か電話か煙草かは何でもいいけれども、すでに、品川駅に到着直前に席を立って、品川駅を発車後もしばらく戻ってこなかったことにより、隣席の人間は「ここ、いいですか」と何人もから言われてわずらわしい思いをしているのだから、しかも、それを隣席の人間から言われているのだから、今度、席を立ってどこかに行って戻って来る時には、マフラーなのかカーディガンなのかわからないが紺色の衣類1枚だけ置いて行くのではなく、もう少し、「戻ってきますよお」とわかりやすいようにして席を離れるべきではないかと思うのだが、またもや、品川駅到着直前に席を離れて品川駅を発車してからしばらく戻らなかった時のような離れ方をして行ったのだった。はた迷惑なおばさんやなあ・・・と思ったが、それゆえに「おばさん」なのだから、しかたないのかもしれない。口がきけない人であるだけでなく、耳も悪くて聞こえなかったのかもしれない。席が他に空いていたらこちらが移動して席を変わったところだが、あいにく、けっこう混んでいて空いている席は見当たらなかったので移動できなかった。
( ↑ 「京都」駅 停車中の「爆破されるか? サリン散布されるか? と心配した のぞみ」 )
冤罪事件と言われる事件の記録を読むと、検察側証人として、その犯人だと疑われた人を見たと主張する人がいて、しかし、実際にはその場にはいなかった、というケースがある。 そういう「証人」というのは、「警察シンパ」か「警察ファンクラブ」みたいな人というのがいて、警察がこの人間を犯人にでっち上げてやろうとすると、その「警察のでっち上げにせっせと協力したい症候群」みたいな人(その多くは「読売」の読者ではないかと思う)が「世の為ひとのために」やっているような意識で意図的に偽証しているのだろうと思っていたのだ・・・・が、中にはそういう人もいるかもしれないが、そうではないケースもあるようだと、今回の↑のおばさんのおかげでわかった。 私は真剣に車掌に連絡した方がいいのではないかと思ったのだ。車掌に連絡して、「隣席のおばさんが紺色の衣類を1枚ぐるっと巻いて座席において、品川駅に到着直前に席を離れて、しばらく戻ってこないのですが、この衣類の内側に爆破装置か毒薬の噴出装置か何かないか調べてもらえませんか」と言うべきかと考えたのだ。その際、「どんな感じの人でしたか?」と尋ねられても、そんなもの、よりによって品川駅に到着直前に席を離れて、品川駅を発車してしばらくしても戻ってこないという「不審」と考えれば不審な行動をとったことで気になりだしたのであって、そうでなければ、隣の席にどんなおばさんが座ろうがいちいち気にしてないので、特徴なんてはっきり覚えていなかった。「覚えている」と思っていたのは「40代くらいのおばさん」というもの。「40代前半くらい」でも、けっこう若そうに見える人もいるのだけれども、《「40代前半くらい」で「若そうな感じの人」》ではなく《「40代くらい」で「おばさん」》だったというものだった。
そのくらいの条件の人なんて、世の中にはいっぱいいるから、だから、本当に犯罪の容疑者だとしても、それだけの条件では捜し出すのは簡単ではないだろうが、その条件についてはけっこう自信があった。しかし、品川駅と新横浜駅の中間あたりで、おばさんは席に戻って来たのだが、その記憶は間違っていた。そうではなく、60代後半の後半くらいか。そのくらいのおばさんだった。自分が、昨日か一昨日までハタチくらいだったような気がしているものの実際にはけっこう歳をいってしまった今、ひとの年齢がわからなくなってしまったということもあるが、それにしても、記憶していた印象の年齢と実際とはまったく違った。だから、最初から「この人、いくつくらいかなあ」と思って見ていたならまだしも、特別気にせず、単に「見かけた」だけという場合、「警察シンパ」とか「警察ファンクラブ」会員で「警察のでっち上げに協力したくてしたくてたまらない症候群」のおっさん・おばはんとかでなくても、「普通の人間」でも「かなり実証的姿勢のある方の人」でも、「たまたま、見かけた」というような記憶というのは、意図的に偽証していなくてもあまりあてにならないものだ、と思った。
それにしても、あのおばさんは、結局、東京駅を発車直前に乗り込んで、東京駅を発車してからしばらくはそのまま座っていて、よりによって品川駅に到着直前に席を離れて、品川駅を発車してからしばらくは戻ってこずに、いったいどこに行って何をしていたのだろうか? 「う〇こ」していたのでも電話かけていたのでも煙草すっていたのでも、私にとってはそんなことはどうでもいいことなのだが、せめて、品川駅を発車してからにしてもらいたかったし、やっぱり、隣席の者から、「何人もの人から『こちらの席、いいですか』と言われたので、『戻ってこられるようですよ』と言っておきましたからね」と言われたら、「ああ、そうでしたか。どうも、すいませんでした」くらい言うのが礼儀ではないかと思うが、今もって、なんでわざわざ、品川駅到着直前に席を離れて、品川駅を発車してからしばらく戻ってこないというそういう紛らわしい期間に席を離れなければならなかったのか、「う〇こ」にしても電話にしても煙草にしても、他の期間でも良かったのではないのか? と思うし、そういう「不審」な動きをしたのでは、隣席の人間が不安を感じて車掌に連絡するということにならないか、とか考えないのか? とも思うが・・・・、そのあたりが、おばさん! なのかもしれません・・・が、又、今もって、あのおばさんは「口のきけない人」だったのか「聴力の悪い人」だったのかそうではないのかもわからないのだが、実際問題として、おばさんの行き先が「う〇こ」か電話か煙草かなんてことは私にはどうでもいいことだが、置いていった衣類の内側に時限爆弾かサリンその他の毒ガスの発射装置があるとかそういったことでもないのか、という点については相当心配したし相当不安だった。
[第477回]《新幹線に乗ると思いだすこと-おばはん帝国主義に隣に乗られるのは苦痛で恐怖。おばはんの「治療」は困難》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_6.html で述べたように、20代の時には、東京駅から新大阪駅まで「ひかり」に乗車した際、赤ん坊を連れた子供帝国主義女に隣の席に乗られて往生した経験があった。
新幹線の自由席に1人で座る場合、3人掛け席に座るか2人掛け席に座るかという問題だが、3人掛け席に2席空けて座るより、2人掛け席に1席空けて座った方が、3人連れの人にはいいと思って2人掛け席の窓側に座るようにしてきたが、おばさんに隣に座られる危険を考えると3人掛け席の窓側に座った方がいいという考え方もある・・・・が、[第477回]《新幹線に乗ると思いだすこと-おばはん帝国主義に隣に乗られるのは苦痛で恐怖。おばはんの「治療」は困難》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_6.html の時に私が座っていた席は、たしか、3人掛け席の窓側席だった。
(2019.3.30.)
≪ 「ところで、高橋さんはずいぶんお元気そうですが、おいくつですか?」
「八十二ですよ。ははは、元気そうに見えても、あっちこっちガタがきおって、耳は遠くなる、目は霞むで、もう長いことはありませんなあ」
浅見を気に入ったのか、喋り方がガラリと陽気になった。
「そんなことはないでしょう。だって、この写真を見て、すぐにあの男の人だって分かるくらいなのですから、目も耳もしっかりしているじゃありませんか?」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、そんなにはっきり見えるわけではないのです。幸次郎よりはいくぶんましだが、若い頃のようなわけにはいかんです。眼鏡をかければええのだが、近頃は面倒くそうて、出歩くのに不便でなければ、構わんと思っておるのだが」
「そうすると、高橋さんは若い頃は近眼だったのですか?」
「ああ、いまでも近眼は治らんですよ。それに老眼が重なるのだから・・・・。遠近両用眼鏡いうのを作ってもろうたが、あれもけっこう厄介なもんでしてな、階段を降りたり登ったりする時にしょっちゅう蹴躓く(けつまずく)もんで、面倒くそうてかなわんのです」
「しかし、この人の顔をよく憶えておられましたねえ」
「ああ、それですか。それは顔の細かいところはよう憶えておらんですよ。しかし、そういう見掛けない人は特別ですからな。全体のその、恰好っていうか、雰囲気というのか、そういうもので憶えておるのです。それに、登山帽を被った人と一緒となると、これはもう、ごく珍しいことですのでな。間違いありませんよ。刑事さんが、この写真の人と違うかと言った時、すぐに間違いないと思うたのです」
やれやれ――と浅見は思った。この老人の頭には、もはや防波堤にいた男の顔として、この写真の顔が鮮明に記憶されてしまったにちがいない。第一、車の中の人間が帽子を被っていたとしても、それが登山帽であるかどうか見見わけがつく筈がないではないか。 ・・・・ ≫
( 内田康夫『「首の女(ひと)」殺人事件』2014.徳間文庫 新装版 ↑ 1989年10月徳間文庫)
≪ 彼はそういって、彼の身辺の書物の山を、あちらこちら発掘していたが、やがて、一冊の古ぼけた洋書を掘りだしてきた。
「君、これは読んだことがありますか、ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』という本ですが、この『錯覚』という章の冒頭を十行ばかり読んでごらんなさい」
私は、彼の自信ありげな議論を聞いているうちに、だんだん私自身の失敗を意識しはじめていた。で、言われるままにその書物を受け取って、読んでみた。そこには大体次のようなことが書いてあった。
かつて一つの自動車犯罪事件があった。法廷において、真実を申し立てると宣言した証人の一人は、問題の道路は全然乾燥してほこり立っていたと主張し、今一人の証人は、雨降りあげくで、道路はぬかるんでいたと証言した。一人は、問題の自動車は徐行していたと言い、他の一人は、あのように早く走っている自動車は見たことがないと述べた。また、前者は、その村道には人が二、三人しかいなかったと言い、後者は、男や女や子供の通行人がたくさんあったと陳述した。この二人の証人は共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、なんの利益があるはずもない人々であった。
私がそれを読み終るのを待って明智はさらに本のページをくりながらいった。
「これは実際あったことですが、今度は、この『証人の記憶』という章があるでしょう。その中ほどのところに、あらかじめ計画した話があるのですよ。ちょうど着物の色のことが出ていますから、面倒でしょうが、まあちょっと読んでごらんなさい」
それは左のような記事であった。
(前略)一例をあげるならば、一昨年(この書物の出版は1911年)ゲッティンゲンにおいて、法律家、心理学者及び物理学者よりなる、或る学術上の集会が催されたことがある。したがってそこに集まったのはみな綿密な観察に熟練した人たちばかりであった。その町には、あたかもカーニヴァルのお祭り騒ぎが演じられていたが、この学究的な会合の最中に、突然戸がひらかれて、けばけばしい衣裳をつけた一人の道化が飛び込んできた。見ると、その後から一人の黒人がピストルを持って追いかけてくるのだ。ホールのまん中で、彼らはかたみがわりに、おそろしい言葉をどなり合ったが、やがて、道化の方がバッタリ床に倒れると、黒人はその上におどりかかった。そして、ポンとピストルの音がした。と、たちまち彼ら二人とも、かき消すように室(へや)を出て行ってしまった。全体の出来事が二十秒とはかからなかった。人々はむろん非常に驚かされた。座長のほかには、誰一人、それらの言葉や動作が、あらかじめ予習されていたこと、その光景が写真に撮られたことなどを悟ったものはなかった。で、座長が、これはいずれ法廷に持ち出される問題だからというので、会員各自に正確な記録を書くことを頼んだのは、ごく自然に見えた(中略、このあいだに、彼らの記録がいかに間違いにみちていたかを、パーテイジを示してしるしてある)。黒人が頭に何もかぶっていなかったことを言いあてたのは四十人のうちでたった四人きりで、ほかの人たちは、中折(なかおれ)帽子をかぶっていたと書いたものもあれば、シルクハットだったと書くものもあるという有様だった。 着物についても、ある者は赤だと言い、あるものは茶色だと言い、あるものは縞だと言い、あるものはコーヒー色だと言い、その他さまざまな色合いが彼のために発明された。ところが、黒人は実際は、白ズボンに黒の上衣(うわぎ)を着て、大きな赤のネクタイを結んでいたのである。(後略)
「ミュンスターベルヒが賢くも説破した通り」と明智(小五郎)ははじめた。「人間の観察や人間の記憶なんて、実にたよりないものですよ。この例にあるような学者たちでさえ、服の色の見分けがつかなかったのです。私が、あの晩の学生たちも着物の色を思い違えたと考えるのが無理でしょうか。・・・・・ 」
( 江戸川乱歩『D坂の殺人事件』 〔 江戸川乱歩『明智小五郎事件簿1』2016.集英社文庫↑ 所収〕 「新青年」1925.1月増刊号 )
「のぞみ」で東京・品川から京都・新大阪まで乗車する場合、及びその逆向きの場合、自由席で品川駅から乗車すると座れる場合と座れない場合があり、京都駅から乗車すると座れない場合があるのに対し、東京駅から乗車する場合、新大阪駅から乗車する場合は座れる場合が多いが、発車間際に飛び乗ったりすると座れないこともあるし、窓側の席には座れないということがある。窓側で自分自身が満足のいく席に座りたいと思えば、早めに行って列の前の方で乗車するようにすれば窓側の席に座れることが多い。指定席をあらかじめ購入するとその時刻に行かないといけないのに対し、自由席で乗ればその制約がないので自由席の方がいい面もあり、往復すると自由席と指定席の差額はそれなりの額になる。
この2月、それで、自由席券を購入して、東京駅で出ている掲示を見た上で、余裕を持って乗れる「のぞみ」号の自由席に乗り2人席の窓側の席に座って発車を待っていたところ、発車間際に隣席におばさんが来て座った。そこまでは何の問題もない。ところが、気になったのは、品川駅に到着直前にそのおばさんはカーディガンなのかマフラーなのかわからないが上着だと思うのだが、1枚座席に置いて席を離れたのだ。
品川駅に到着直前である。何も物好きに品川駅に到着の直前に席を離れなくても、便所に行きたいなら東京駅を発車する前に行ってすませてから乗車するか、もしくは品川駅を発車して品川駅で乗車した乗客の動きが一段落してからにすれば良さそうなものだし、もし、電話をかける必要があり、電車は電車で少しでも早い電車に乗車したかったということなら、せめて、品川駅を発車して品川駅で乗車した乗客の動きが一段落してからデッキに行けば良さそうなものであるし、そうではなく、少しでも早い電車に乗らないと名古屋・京都・新大阪で下車した後の用事に遅刻しそうだといった事情があって、しかも、電話は電話で少しでも早くかけないと相手が怒るといった事情でもあったのなら、おばさんが東京駅で乗車して座ってすぐに「のぞみ」号は東京駅を発車したのだから、発車してすぐにデッキに行って電話して品川駅に到着する前に戻ってくれば良さそうなものである・・・のだが、東京駅を発車してしばらくは何もせずにそのまま座っていて、品川駅に到着直前になって席を離れたのだ。
おばさんは東京駅を発車する直前に乗り込んで座ると、しばらくはそのまま座っていて、品川駅に到着直前に席を立ってどこかに行き、そして、品川駅から乗車する人たちが動き回っている間は戻ってこなかったのである。 おかげで、私は品川駅から乗車した人達から、「隣り、いいですか」と何人もから言われ、まさか、マフラーなのかカーディガンなのかわからんが1枚だけ座席において東京駅から乗車した人が品川駅で下車したということもないだろうと思い、「私の連れではないのですが、どこかに行かれたようで、戻って来られるのではないかと思います」と言って、私の親戚でも知り合いでも何でもない人のために、何度も何人もに断ってあげたのだ。頼まれたわけでもないし、「隣り、いいですか」と訊かれた場合、私は別に「いい」んだけどなあ・・・と思うのだけれども、それでも、ともかく、「私の連れではないのですが、どこかに行かれたようで、戻って来られるのではないかと思います」と言ってあげたのだ。 しかし、品川駅から乗車した人からすれば、まさか、東京駅から乗車した客が品川駅に到着する前に席を離れてどこかに行くとは思わないものだから、混んだ自由席の車内で私が2席を占拠しているかのように見えたようだったし、実際、そんな感じに見えたのではないかと思う。おばさんが席に置いて行ったものも紺色の衣類でマフラーなのかカーディガンなのかわからないが、女物とはっきりわかるものではなく、男物の衣類にも見えないことはない物だったから、余計に私が込んだ車内で私が必要もないのに2席を占拠しているかのように見えたのではないかと思う。なんか、はた迷惑なおばさんだなあと思ったが、まあ、しかたがない・・・と思ったし、旅行して電車に乗れば隣や前後に座る人にもいろいろな人がいるものだ。
ところが・・・・。品川駅を発車しても、おばさんはなかなか戻ってこない。別に戻ってこなくても私はかまわないのだけれども、それだと、それまでに「隣り、いいですか」と私に尋ねた人、特に座れずに立っている人に私は嘘をついたことになってしまうし、混んだ自由席で2席を私が占拠しているかのように見えてしまう。迷惑な話である。
そのくらいならまだいいのだけれども。 そのうち、不安を感じ出した。東京駅を発車間際に乗り込んできて通路側の席に座り、しばらくはそのまま座っていて、よりによって品川駅に到着する直前に席を立ってどこかに行き、品川駅を発車してもなかなか戻ってこない、席の上にはマフラーなのかカーディガンなのかわからないが紺色の衣類が1つ巻かれて置かれている。これは、もしかして、もしかしたらどうしようか・・・・と不安を感じたのだ。
もしも、だ。もしも、「う〇こ」をしに電車内のトイレに行っていたとしても・・・。もし、「う〇こ」したいのなら、私なら東京駅を発車する前に駅のトイレでする。電車内のトイレはあくまでもやむをえない時のためのもので、可能ならば電車内のトイレではなく駅のトイレを使用するものだ。私ならそうするが私の常識は、おばさんにとっても常識ではないことはしばしばあることだ。だからこそ、おばさんなのだ。そんなことで、常識に反するなどと言っても、おばさんには通じないということは重々承知している。 しかし、もし、乗車してから「う〇こ」したくなったとしても、それならそれで、せめて、品川駅を発車して品川駅で乗車した人達の動きが一段落してからにしてはどうだろうか。隣席の人間に、品川駅から乗車した人達が「ここ、いいですか」と何人もが何度も尋ねるということくらいわかるだろうけれども、そういう事態になることはわかってもそうならないようににして隣席の人間に迷惑かけないようにしたい方がいいと思いいうことは、おばさんに対しては「わかる」でしょうなどと言ってもわからんだろ。それはしかたがないとあきらめるしかない。なにしろ、相手はおばさんなのだから。 しかし、品川駅を出てしばらく経つまで待てなかった、緊急事態だった可能性だってないとは言えない。しかし、だ。それならそれで、東京駅を発車したならすぐに「う〇こ」しに行って、品川駅に到着するより前に戻ってくればいいし、品川駅に到着するまでに「う〇こ」が完結せず品川駅に着いてから終了したとしても、さっさと戻ってくればいいではないか。ところが、まさに品川駅に到着直前に席を離れ、そして、品川駅に着き、品川駅を「のぞみ」が発車してもしばらく戻ってこなかったのである。どう考えても「う〇こ」にしては時間が長すぎるし、そんなに、タイミング良くというのか、タイミング悪くというのか、ピンポイントのようにその時刻に「う〇こ」したくなって、「う〇こ」を終えるまでもそんなにタイミング良くなのか悪くなのかかかるものだろうか。
何も、「う〇こ」と決まったわけではない。タバコを吸いに行っとったのかもしれんし、デッキで電話していたのかもしれん。しかし、煙草にしても電話にしても、何であったとしても、何も品川駅に到着直前に席を離れ、品川駅を発車してしばらく経っても戻ってこないというそういうタイミングで煙草を喫うことないだろうし、電話しなくてもいいのではないかと思える。よほどでなければそんなタイミングで「う〇こ」しなくてもいいのと違うか。あまりにも、奇妙なタイミングである。
私が不安を感じたのは、おばさんが席を離れた理由が「う〇こ」であるのか電話であるか煙草であるかそれ以外であるかが気になって不安を感じたのではない。そんなことはどうでもいい。もしも、である。東京駅を発車直前に乗車することで窓側ではなく通路側の席に座り、品川駅の到着直前に座席に紺色の衣類を1枚丸めて置いて席を離れ、品川駅を発車してもしばらく戻ってこないというのが、その衣類の内側に小型の時限爆弾でも入っていて、おばさんは品川駅でとうに下車していて、品川駅と新横浜駅の間で品川駅を十分に離れたというあたりでドカ~ン!!! と爆発する・・・・なんて、まさかそんなことないか??? ・・・とそれを私は不安に思ったのだ。 おばさんが「う〇こ」が良く出たか出なかったかなんてことにはまったく感心はない。
車掌に連絡した方がいいのだろうか? と思った。 車掌に連絡するとしても、たまたま、車掌が通路を通ってくれればいいが、そうでなければ、どうやって連絡するのか? 自由席に1人で乗っているからこちらも席を離れるとその間に誰かに座られてしまうかもしれないし、荷物を置いて席を離れると、特別な貴重品は持っていないとしても荷物が心配でもある。 もし、おばさんが衣類を置いて席を離れたのではなく、おっさんが衣類を置いて席を離れたということならば、ひとの物を無断でさわるのは良くないとしても、「危険を避けるためにやむをえない」という状況であれば事情は別であるから、その衣類の内側に時限爆弾のように見えるもの・・・といっても、こちらはそういう「専門家」でもないので、「時限爆弾のように見えるもの」というのはどういうように見えるのかようわからんけれども、ともかく、衣類だけなのか衣類の内側に何か不審なものがあるか見るということだって考えられないことはない。しかし・・・。おばさんであろうがおばはんであろうが、下着類ではなくカーディガンかマフラーか何かであったとしても、男性が女性の衣類をさわるわけにもいかない。・・・こういったことを考えると、まさに、「よくできている」「できすぎている」のだ。 テレビの刑事ドラマのオープニングでこういう場面が出てこないか? 隣席の男がこういった点に不安を覚えながらも、どうしたものか迷っていると、まさに、ドカ~ン!・・・・次の瞬間には、「ぴーぼーぴーぼー」という救急車の音がして、その次には、病室の前あたりで、刑事が話す場面に移行。死者や怪我人の家族が「ひどい。うちの子がいったい何をやったと言うんですか」と泣く・・・という場面が続く。「刑事さん。犯人を絶対につかまえてください」とか訴える女性。たいてい、そういう場面の役は女性なのだ、刑事ドラマでは。・・・・そういう展開になったら、一番被害を受けるのは隣の席にいる私ではないか! ドカーンとなった時、私と通路との間にそれがあるということは、片方は開かない窓だし、逃げられない。多摩川の鉄橋の上あたりで爆発した時には、破片とともに多摩川の水の中に落下して、その時には「海行かば水漬くかばね」でも歌いながら死んでいくか・・・・とか言う前に死んどるのと違うんかい?
考えてみ。 ↑のように、自分は席を離れやすいように通路側に座るためを考えると、東京駅では発車間際に乗って方が通路側の席にすわることになりやすい。衣類を座席において離れれば、「う〇こ」か電話か煙草か・・・という理由にできる。男がやれば、「なんや、あのおっさん。不審な動きしてからに、爆弾でもしかけたなんてことないやろなあ」と思って、置いて行った衣類を見て、「なんじゃ、こりぁあ。爆弾ちがうんかい!?!」となって未然に防がれるところを、おばさんとはいえ女が衣類を巻いて置いて行くと、不審に思っても、その衣類を改めにくい。 品川駅到着直前に席を離れて、自分はさっさと品川駅で下車し、そして、電車は品川駅を発車して、そのうち、新横浜につきそう・・・となっても戻ってこないとは。まさに、テレビの刑事ドラマのオープニングみたいなものではないか。「ドカンと一発♪」・・・・とかなってからでは遅い! あのおばさんとはこれまでに会ったことはないと思うが、向こうは俺を知っていて、なぜか恨みを持っていた・・・・とかあったのだろうか? それとも、『名探偵コナン』に登場する「黒づくめの組織」の一員か? ・・・あれは漫画としても、そもそも、本当に犯罪やろうとしたなら、わざわざ目立つ「黒づくめのユニフォーム」なんて着ることがおかしい・・としても、オウム真理教の残党か、ISの日本支部か、狙うなら俺なんか狙わずに安倍晋三でも麻生さんでも狙ってくれ・・なんて言うと怒られるかもしれんが、ともかく俺なんか狙うな!!! わしぁ、貧乏人じゃ。わしぁ、日陰の月見草じゃ! ほんまやで、ほんまにほんまやで。
実際問題として、地下鉄サリン事件の被害者になった人だって、「まさか」と思っていたのではないかと思うのだ。ところが、現実に地下鉄サリン事件は起こったのだ。だから、新幹線爆破事件なり新幹線サリン事件なりが私の隣席で起らないとは限らないのだ。 車掌に連絡するにはどうしたらいいのか? 飛行機なら各座席にスチュワーデスに連絡するボタンがついているが新幹線にはない。 非常停止ボタンなんてプラスチックの透明のフタがついた赤いボタンが電車のところどころにあったような気もするが、そういう非常停止ボタンを押して非常停止させたとして、停まった瞬間におばさんが「う〇こ」から帰ってきたとすると、人騒がせでしかないことになってしまわないか? しかし、本当に新幹線爆破事件か新幹線サリン事件かが起こってからでは遅いのだ!!!
・・・で、どうなったかというと、品川駅と新横浜駅の中間より新横浜駅に近いかというあたりまで行ったあたりでおばさんは戻ってきたのだ。 で、私は言ったのだ。 「何人もの人から『こちらの席、いいですか』と言われたので、『戻ってこられるようですよ』と言っておきましたからね」と。本当はそれよりも「時限爆弾か時限サリン発生装置でもその衣類の内側にあるのと違うかと心配しましたよ」と言いたかったのだが、そこまで言うのもどうかと思ったので、それで、「何人もの人から『こちらの席、いいですか』と言われたので、『戻ってこられるようですよ』と言っておきましたからね」と言ったのだ。そう言えば、もし、私が言われた側ならば、「そうでしたか。どうも、すいませんでした」と言うだろう。おばさんも、そんな感じのことを言うだろうと思ったのだ。そうでも言ってもらえば、それ以上、どうこう言ってもしかたがない。・・・・ところが、口がきけない人だったようだ。何も言わないのだ。
普通、↑のような状況があった後、「何人もの人から『こちらの席、いいですか』と言われたので、『戻ってこられるようですよ』と言っておきましたからね」と隣席の人間から言われれば、「そうでしたか。どうも、すいませんでした」と言うものだと思うのだが、おばさんは言わない。そのあたりがおばさんなのかもしれないし、そんなことで腹立てていたのでは、電車に乗れないからしかたがない。 しかし、だ。 おばさんは岐阜羽島駅を通過する付近でもまたもや、「う〇こ」に席を立ったのだ。厳密には「う〇こ」に行ったのかどうかはわからない。しかし、それにしても、何度も「う〇こ」するおばはんやなああ・・・と思ったが、「う〇こ」か電話か煙草かはわからんわけだから、わからないものを断定するべきではないだろう。 しかし、だ。「う〇こ」か電話か煙草かは何でもいいけれども、すでに、品川駅に到着直前に席を立って、品川駅を発車後もしばらく戻ってこなかったことにより、隣席の人間は「ここ、いいですか」と何人もから言われてわずらわしい思いをしているのだから、しかも、それを隣席の人間から言われているのだから、今度、席を立ってどこかに行って戻って来る時には、マフラーなのかカーディガンなのかわからないが紺色の衣類1枚だけ置いて行くのではなく、もう少し、「戻ってきますよお」とわかりやすいようにして席を離れるべきではないかと思うのだが、またもや、品川駅到着直前に席を離れて品川駅を発車してからしばらく戻らなかった時のような離れ方をして行ったのだった。はた迷惑なおばさんやなあ・・・と思ったが、それゆえに「おばさん」なのだから、しかたないのかもしれない。口がきけない人であるだけでなく、耳も悪くて聞こえなかったのかもしれない。席が他に空いていたらこちらが移動して席を変わったところだが、あいにく、けっこう混んでいて空いている席は見当たらなかったので移動できなかった。
( ↑ 「京都」駅 停車中の「爆破されるか? サリン散布されるか? と心配した のぞみ」 )
冤罪事件と言われる事件の記録を読むと、検察側証人として、その犯人だと疑われた人を見たと主張する人がいて、しかし、実際にはその場にはいなかった、というケースがある。 そういう「証人」というのは、「警察シンパ」か「警察ファンクラブ」みたいな人というのがいて、警察がこの人間を犯人にでっち上げてやろうとすると、その「警察のでっち上げにせっせと協力したい症候群」みたいな人(その多くは「読売」の読者ではないかと思う)が「世の為ひとのために」やっているような意識で意図的に偽証しているのだろうと思っていたのだ・・・・が、中にはそういう人もいるかもしれないが、そうではないケースもあるようだと、今回の↑のおばさんのおかげでわかった。 私は真剣に車掌に連絡した方がいいのではないかと思ったのだ。車掌に連絡して、「隣席のおばさんが紺色の衣類を1枚ぐるっと巻いて座席において、品川駅に到着直前に席を離れて、しばらく戻ってこないのですが、この衣類の内側に爆破装置か毒薬の噴出装置か何かないか調べてもらえませんか」と言うべきかと考えたのだ。その際、「どんな感じの人でしたか?」と尋ねられても、そんなもの、よりによって品川駅に到着直前に席を離れて、品川駅を発車してしばらくしても戻ってこないという「不審」と考えれば不審な行動をとったことで気になりだしたのであって、そうでなければ、隣の席にどんなおばさんが座ろうがいちいち気にしてないので、特徴なんてはっきり覚えていなかった。「覚えている」と思っていたのは「40代くらいのおばさん」というもの。「40代前半くらい」でも、けっこう若そうに見える人もいるのだけれども、《「40代前半くらい」で「若そうな感じの人」》ではなく《「40代くらい」で「おばさん」》だったというものだった。
そのくらいの条件の人なんて、世の中にはいっぱいいるから、だから、本当に犯罪の容疑者だとしても、それだけの条件では捜し出すのは簡単ではないだろうが、その条件についてはけっこう自信があった。しかし、品川駅と新横浜駅の中間あたりで、おばさんは席に戻って来たのだが、その記憶は間違っていた。そうではなく、60代後半の後半くらいか。そのくらいのおばさんだった。自分が、昨日か一昨日までハタチくらいだったような気がしているものの実際にはけっこう歳をいってしまった今、ひとの年齢がわからなくなってしまったということもあるが、それにしても、記憶していた印象の年齢と実際とはまったく違った。だから、最初から「この人、いくつくらいかなあ」と思って見ていたならまだしも、特別気にせず、単に「見かけた」だけという場合、「警察シンパ」とか「警察ファンクラブ」会員で「警察のでっち上げに協力したくてしたくてたまらない症候群」のおっさん・おばはんとかでなくても、「普通の人間」でも「かなり実証的姿勢のある方の人」でも、「たまたま、見かけた」というような記憶というのは、意図的に偽証していなくてもあまりあてにならないものだ、と思った。
それにしても、あのおばさんは、結局、東京駅を発車直前に乗り込んで、東京駅を発車してからしばらくはそのまま座っていて、よりによって品川駅に到着直前に席を離れて、品川駅を発車してからしばらくは戻ってこずに、いったいどこに行って何をしていたのだろうか? 「う〇こ」していたのでも電話かけていたのでも煙草すっていたのでも、私にとってはそんなことはどうでもいいことなのだが、せめて、品川駅を発車してからにしてもらいたかったし、やっぱり、隣席の者から、「何人もの人から『こちらの席、いいですか』と言われたので、『戻ってこられるようですよ』と言っておきましたからね」と言われたら、「ああ、そうでしたか。どうも、すいませんでした」くらい言うのが礼儀ではないかと思うが、今もって、なんでわざわざ、品川駅到着直前に席を離れて、品川駅を発車してからしばらく戻ってこないというそういう紛らわしい期間に席を離れなければならなかったのか、「う〇こ」にしても電話にしても煙草にしても、他の期間でも良かったのではないのか? と思うし、そういう「不審」な動きをしたのでは、隣席の人間が不安を感じて車掌に連絡するということにならないか、とか考えないのか? とも思うが・・・・、そのあたりが、おばさん! なのかもしれません・・・が、又、今もって、あのおばさんは「口のきけない人」だったのか「聴力の悪い人」だったのかそうではないのかもわからないのだが、実際問題として、おばさんの行き先が「う〇こ」か電話か煙草かなんてことは私にはどうでもいいことだが、置いていった衣類の内側に時限爆弾かサリンその他の毒ガスの発射装置があるとかそういったことでもないのか、という点については相当心配したし相当不安だった。
[第477回]《新幹線に乗ると思いだすこと-おばはん帝国主義に隣に乗られるのは苦痛で恐怖。おばはんの「治療」は困難》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_6.html で述べたように、20代の時には、東京駅から新大阪駅まで「ひかり」に乗車した際、赤ん坊を連れた子供帝国主義女に隣の席に乗られて往生した経験があった。
新幹線の自由席に1人で座る場合、3人掛け席に座るか2人掛け席に座るかという問題だが、3人掛け席に2席空けて座るより、2人掛け席に1席空けて座った方が、3人連れの人にはいいと思って2人掛け席の窓側に座るようにしてきたが、おばさんに隣に座られる危険を考えると3人掛け席の窓側に座った方がいいという考え方もある・・・・が、[第477回]《新幹線に乗ると思いだすこと-おばはん帝国主義に隣に乗られるのは苦痛で恐怖。おばはんの「治療」は困難》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_6.html の時に私が座っていた席は、たしか、3人掛け席の窓側席だった。
(2019.3.30.)
≪ 「ところで、高橋さんはずいぶんお元気そうですが、おいくつですか?」
「八十二ですよ。ははは、元気そうに見えても、あっちこっちガタがきおって、耳は遠くなる、目は霞むで、もう長いことはありませんなあ」
浅見を気に入ったのか、喋り方がガラリと陽気になった。
「そんなことはないでしょう。だって、この写真を見て、すぐにあの男の人だって分かるくらいなのですから、目も耳もしっかりしているじゃありませんか?」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、そんなにはっきり見えるわけではないのです。幸次郎よりはいくぶんましだが、若い頃のようなわけにはいかんです。眼鏡をかければええのだが、近頃は面倒くそうて、出歩くのに不便でなければ、構わんと思っておるのだが」
「そうすると、高橋さんは若い頃は近眼だったのですか?」
「ああ、いまでも近眼は治らんですよ。それに老眼が重なるのだから・・・・。遠近両用眼鏡いうのを作ってもろうたが、あれもけっこう厄介なもんでしてな、階段を降りたり登ったりする時にしょっちゅう蹴躓く(けつまずく)もんで、面倒くそうてかなわんのです」
「しかし、この人の顔をよく憶えておられましたねえ」
「ああ、それですか。それは顔の細かいところはよう憶えておらんですよ。しかし、そういう見掛けない人は特別ですからな。全体のその、恰好っていうか、雰囲気というのか、そういうもので憶えておるのです。それに、登山帽を被った人と一緒となると、これはもう、ごく珍しいことですのでな。間違いありませんよ。刑事さんが、この写真の人と違うかと言った時、すぐに間違いないと思うたのです」
やれやれ――と浅見は思った。この老人の頭には、もはや防波堤にいた男の顔として、この写真の顔が鮮明に記憶されてしまったにちがいない。第一、車の中の人間が帽子を被っていたとしても、それが登山帽であるかどうか見見わけがつく筈がないではないか。 ・・・・ ≫
( 内田康夫『「首の女(ひと)」殺人事件』2014.徳間文庫 新装版 ↑ 1989年10月徳間文庫)
≪ 彼はそういって、彼の身辺の書物の山を、あちらこちら発掘していたが、やがて、一冊の古ぼけた洋書を掘りだしてきた。
「君、これは読んだことがありますか、ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』という本ですが、この『錯覚』という章の冒頭を十行ばかり読んでごらんなさい」
私は、彼の自信ありげな議論を聞いているうちに、だんだん私自身の失敗を意識しはじめていた。で、言われるままにその書物を受け取って、読んでみた。そこには大体次のようなことが書いてあった。
かつて一つの自動車犯罪事件があった。法廷において、真実を申し立てると宣言した証人の一人は、問題の道路は全然乾燥してほこり立っていたと主張し、今一人の証人は、雨降りあげくで、道路はぬかるんでいたと証言した。一人は、問題の自動車は徐行していたと言い、他の一人は、あのように早く走っている自動車は見たことがないと述べた。また、前者は、その村道には人が二、三人しかいなかったと言い、後者は、男や女や子供の通行人がたくさんあったと陳述した。この二人の証人は共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、なんの利益があるはずもない人々であった。
私がそれを読み終るのを待って明智はさらに本のページをくりながらいった。
「これは実際あったことですが、今度は、この『証人の記憶』という章があるでしょう。その中ほどのところに、あらかじめ計画した話があるのですよ。ちょうど着物の色のことが出ていますから、面倒でしょうが、まあちょっと読んでごらんなさい」
それは左のような記事であった。
(前略)一例をあげるならば、一昨年(この書物の出版は1911年)ゲッティンゲンにおいて、法律家、心理学者及び物理学者よりなる、或る学術上の集会が催されたことがある。したがってそこに集まったのはみな綿密な観察に熟練した人たちばかりであった。その町には、あたかもカーニヴァルのお祭り騒ぎが演じられていたが、この学究的な会合の最中に、突然戸がひらかれて、けばけばしい衣裳をつけた一人の道化が飛び込んできた。見ると、その後から一人の黒人がピストルを持って追いかけてくるのだ。ホールのまん中で、彼らはかたみがわりに、おそろしい言葉をどなり合ったが、やがて、道化の方がバッタリ床に倒れると、黒人はその上におどりかかった。そして、ポンとピストルの音がした。と、たちまち彼ら二人とも、かき消すように室(へや)を出て行ってしまった。全体の出来事が二十秒とはかからなかった。人々はむろん非常に驚かされた。座長のほかには、誰一人、それらの言葉や動作が、あらかじめ予習されていたこと、その光景が写真に撮られたことなどを悟ったものはなかった。で、座長が、これはいずれ法廷に持ち出される問題だからというので、会員各自に正確な記録を書くことを頼んだのは、ごく自然に見えた(中略、このあいだに、彼らの記録がいかに間違いにみちていたかを、パーテイジを示してしるしてある)。黒人が頭に何もかぶっていなかったことを言いあてたのは四十人のうちでたった四人きりで、ほかの人たちは、中折(なかおれ)帽子をかぶっていたと書いたものもあれば、シルクハットだったと書くものもあるという有様だった。 着物についても、ある者は赤だと言い、あるものは茶色だと言い、あるものは縞だと言い、あるものはコーヒー色だと言い、その他さまざまな色合いが彼のために発明された。ところが、黒人は実際は、白ズボンに黒の上衣(うわぎ)を着て、大きな赤のネクタイを結んでいたのである。(後略)
「ミュンスターベルヒが賢くも説破した通り」と明智(小五郎)ははじめた。「人間の観察や人間の記憶なんて、実にたよりないものですよ。この例にあるような学者たちでさえ、服の色の見分けがつかなかったのです。私が、あの晩の学生たちも着物の色を思い違えたと考えるのが無理でしょうか。・・・・・ 」
( 江戸川乱歩『D坂の殺人事件』 〔 江戸川乱歩『明智小五郎事件簿1』2016.集英社文庫↑ 所収〕 「新青年」1925.1月増刊号 )
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