「一条の建物は完璧」の反証4.「工事で人が死んだ家」はいい家か?-一条工務店の浜松営業【8/ 】

[第695回]
【C】-7
 (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の1993年5月の「研修」・・といっても、あんなものは研修と呼ぶ価値はない、時間と労力の無駄であり、講師役で来ていた名古屋南営業所の近藤路夫は内容のない話を得意がって講釈していたのであり、あの1日分についての近藤は給料タダ盗りで社会人として良心的と言えないものであったし、参加者はあんなバカ話を聞いてあげなきゃならない筋合いはないはずだったが、その際、近藤路夫が発言した「一条工務店の建物はすべての面にわたって完璧にすばらしい」という寝言に対して反証を述べて来たが、「反証」であり、かつ「悪くない」ではなく「すべての面にわたって完璧にすばらしい」「同業他社と比較して各段に優れている」だのなんだのという基準に対する「反証」であるから、そこまでものすごい高い基準を否定するものを1つでもあげれば反証をあげたことになるわけで、そんなものは同社に在籍している従業員・在籍していた従業員からすれば簡単なことだった。もしその程度の「反証」すらあげることができなかったなら、それは真面目に仕事に取り組んでいない証拠であろう。その「反証」をすでに7点あげたので「反証」としては十分だろうし、「反証」である以上は「例示」でよく「列挙」する必要はないわけで、そもそも、(株)一条工務店の問題点を「列挙」しようなんて考えたなら、ブログで10回やそこらで収まるものではない・・のだが、もう少々、「反証」をあげる。

《9》 ヘルメット非着用・吊荷真下作業・無資格者玉掛作業
 1992年、(株)一条工務店に入社して1ヶ月目くらいの時、東京都江東区の東京営業所(展示場)で主任になっていた「一級建築士の宮崎さん」(男。当時、30代前半)が、上棟の作業に出るかと言うので、それは入社すぐの従業員として経験のために手伝いに行くかという話かと思ったのだが、そうではなく、(株)一条工務店では、上棟の日には、営業の社員が朝から作業服を着て作業に参加して大工とともに上等の作業をおこなっていた。なんで、そんなことするのお? と思ったのだが、そうやっていた。1960年代後半、私が小学校の3年から4年にかけての時、私の親が在来木造の会社だった小堀住研(株)で家を建てた時、上棟式として、親戚を呼んで、建物の内部でお食事会みたいなものをやったことがあったが、その際、小堀住研(株)の営業は夕方に背広を着てそこに来たのであり、大工と一緒に作業なんてやっていなかった。小堀住研(株)は、その後、木質パネル構法での施工が多くなったが、木質パネル構法の場合は、在来木造と違って、棟より先に構造壁ができてしまうし、「上棟」に該当するものがないので、上棟式はやりようがなく、当然、営業はないものに参加はしなかった。
  地鎮祭はする施主によりする人はしたので、参加したことはあった。千葉県茂原市で地鎮祭に参加した時、JR「茂原」駅からタクシーに乗って建築地の前まで行ったのだが、建築地の前の道でお施主さんの子供が2人遊んでいたのだが、タクシーの運転手はそれに向かって「どけえ」みたいな調子でクラクションを鳴らしたので、「なにすんねん!」と思ったが遅かった。私は「なにすんねん!」と思ったが、お施主さんも驚いたようで、「いったい、誰が来たのかと思ったら、〇〇さんかよお」と「ちょっぴり皮肉」みたいに言われたが、お施主さんも「どけえ」みたいにクラクションを鳴らしたのはあくまでもタクシーの運転手であって私ではないということはわかっていたし、地鎮祭に来てくれたものであるし、それ以上は言わなかったが、「なにすんねん!」て鳴らし方であった。私は、そこで、お施主様宅や建築地までタクシーに乗る場合、目の前までではなく一筋手前で降りるようにして、一筋手前から歩くようにした方がいい場合がある、と学んだ。2011年、新華ハウジング(有)〔千葉市中央区。2013年に正式に倒産〕で「工事責任者」を自称していた植草英二(男。当時、30代なかば)が「ぼく、営業やったことないですけど、やったことなくっても営業で~きま~すもお~おん!」と無神経な文句をヌ~ケヌケデブデブと何度も何度も大きな声で叫びまくっていたが、実際に営業をやった者がおのれが痛い目にあって身につけたものを「やったことない」ない者がなぜ「できる」のか理解に苦しむ。「営業やったこと」ある者なら、まず、「やったことない」者がそういう発言を口にするというのは実際にその仕事をしてしてきた者に対して失礼であると認識して、たとえ、できそうだと思うことがあっても、そういう文句をヌケヌケと口にしないものだと思うが、そういうデリカシーがないからデブになるのか、デブは平気で「ぼく、営業やったことないですけど、やったことなくったって、営業で~きま~すもお~おん!」と叫びまくっていた。私が採用担当者なら、中小企業なら採用する際も贅沢は言えないかもしれないが、こういう人間は「採用しない側」に評価する要素であるのは間違いない。
  (株)一条工務店は、お施主様に、担当大工・工事担当・営業担当とそれ以外の上棟参加者に御祝儀を渡してくださいと「お願い」していたが、担当の営業はもらってもいいとは思ったものの、その日だけ手伝いに行った営業社員がそういうものをもらっていいのだろうかと思ったのだが、(株)一条工務店は片方でお施主様には「上棟に参加した人間にご御祝儀を渡してください」と要求しながら、参加する営業社員には「会社の勤務時間中に会社の仕事をしたことに対して御祝儀を受け取るというのはおかしい」と言ってそれを(株)一条工務店が取り上げていた。まさに「二刀流」の主張であった。もし、「会社の勤務時間中に会社の仕事をしたことに対して御祝儀を受け取るというのはおかしい」のであれば、(株)一条工務店はお施主様に対して、そう言って御祝儀を辞退するべきであったはずで、お施主様には(株)一条工務店がはっきりと御祝儀を払ってくださいと要求した上で、それを会社が横取りするというのは理屈に合わない。「会社の勤務時間中に」といっても、「労基法違反の一条工務店」では、「営業本部長の天野隆夫が『労働基準法は守らないというのが一条工務店の会社の方針だ』と明言する(株)一条工務店」においては、必ずしも勤務時間中ではないし、上棟においても、比較的遠い場所に行った場合は間違いなく時間外に無賃労働をしているのであるが、それでも、「会社の勤務時間中に会社の仕事をしたことに対して御祝儀を受け取るというのはおかしい」と言って会社が取り上げ、その上で「一条会」というものを作って、そのカネで忘年会などをやり、従業員の親などが他界したという場合はそこから香典を払えと命令していた。従業員が香典を払うかどうかはその従業員が決めることであって会社に命令されるものではないはずであるし、会社が従業員の親などが他界した時に香典を払うということなら、お施主様からいただいた御祝儀から払うものではなく、(株)一条工務店が会社として払うべきものであろう。お施主様からすれば、御祝儀というものは、担当の営業担当に対しては、この人はよくやってくれたという気持ちからすることもあれば、中には「こんちくしょう」とか「この野郎」と思いながら渡すこともあるかもしれないが、ともかく、なんらかの気持ちとともに渡すもので、担当の大工や工事担当には、これから、よろしくお願いしますという気持ちから渡すもので、あくまでも、御祝儀はその従業員に渡しているのであって、会社に渡したのではないのである。施主は会社に渡した覚えはないものを、それを(株)一条工務店は会社としてとりあげるというのは施主の気持ちを踏みにじるものであろう。
  1990年代、福島県浜通り地区では、設計の春田靖は「一条会」の「会費」を払わず、その論拠として、(株)一条工務店は上棟には工事担当者と営業には参加して御祝儀をもらうように命令しているが、設計に参加しろとは言っておらず、営業はお施主様からいただいた御祝儀を会社に渡してそれを「一条会」としてその費用で忘年会などを開催してそれに参加しろと命令しているが、設計は営業が会社に渡したお施主様からの御祝儀で飲み食いすればいいと会社が言っているのだから、設計は人のカネで飲み食いするのが当然であるというものだった。せこい男である。この男のこういう何かとせこい根性、どこから来たのか、この男の親というのは何やってた人間なのか・・と思ったら、中学校の校長先生だと聞いたので、それで、「たかるの専門」みたいな根性が親子ともども身に着いたということか。多くの人間はそういうのはおかしい、そもそも、上棟の時にお施主様からいただく御祝儀と忘年会などとは直接につながるものではなく、忘年会をその地域の従業員が集まってやるのなら、忘年会などは会社からやれと命令される筋合いのものではないのでありそれを命令している(株)一条工務店はおかしいし、もしも、(株)一条工務店が会社として命令してさせたものであればそれに参加したことに対して会社は給料を払わないといけないことになるのだが、ともかく、「一条会」の会費を月いくらと払う場合も、営業と工務課(工事担当)は払って設計は払わないというのはおかしいし、お施主様からいただいた御祝儀をそれにあてるのであれば、設計だけ上棟に参加して柱を運んだりする労力を提供しないというのはおかしい。だから、浜通り地区の所長であったKさんが「おい、春田、おまえら、これからは会費を払うようにしろよ。それが嫌なら、設計の者も上棟に参加して御祝儀もらうようにしろ」と言ったのだが、すると、「中学校の校長先生みたいにせせこましい根性の春田」は、「そんなことしたら、その時間の分だけ仕事ができなくなって、図面の作成が遅れますからね。いいですね」などとあつかましくも言ったのだった。最近は「弁護士」なんてのがずいぶんとえらそうにしているが、母などに聞くと、戦前は弁護士のことを「代言人」と言い、けなし言葉として「三百代言」という言葉もあり、屁理屈ばっかりこねる子供がいると、「弁護士になれえ!」と、「嘘つきは泥棒の始まり」みたいな表現として言ったらしい。「屁理屈こねるばっかりの子供は『そのうち、弁護士になるぞお』」と言われたものだった、というのだが、その考え方を採用するならば、春田は弁護士になればよかった?・・・ということにもなるだろう。上棟に参加すれば、その時間をとられるから、その分、仕事ができなくなると言うのであれば、それは設計だけではなく営業だってそうである。まるで、「設計は営業のために図面を書いてあげている」みたいな認識であり発言であるが、そういう主張がまかり通るのであれば、それなら、「営業は設計のために契約をとってあげている」ことになるはずである。小堀住研(株)の千葉支店で、工事課の誰やらが「俺たち工事課の人間が工事管理をやってやらなきゃ、営業は契約取れないんだから」と言った人があったらしく、それに対して、営業課長の某さんは「何を言ってやがる。そんなこと言うのなら、営業が契約取ってやらなきゃ、工事課の人間は工事管理の仕事できないじゃないか」と言ったが、その通りである。(株)一条工務店の第一設計部は思い上がっている。「設計」と称する「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間は営業に機嫌を取ってもらい、タダ飯・タダ酒をふるまってもらう権利があるみたいに思っており、何より同社の経営者がそう思わせようと必死になっているが心得違いも甚だしい。そもそも、春田がけっこう早い時刻に退社していることを私は知っているし、勤務時間中に休憩とっていることも春田がけっこう楽な勤め方をしていることを私は知っているし、勤務時間中にも、「佐藤さん」という女性から春田に朝から晩まで何度も何度も会社に電話がかかってきて私はその電話を毎日毎日何度も何度もとってとりついであげてきたのであり、 「佐藤さん」からの電話を春田に取りついでやるのは本来私の仕事ではないし、私は「佐藤さん」が春田にかけてくる私用電話をとりつぐ行為についての給料は(株)一条工務店からも春田靖からもその父親からも「佐藤さん」からももらっていないはずであるし、春田は「勤務時間中の私用」をすでに相当やってきたはずであり、とりあえず、上棟に出たから仕事ができないと言うのなら、その「勤務時間中の私用」をやめるべきであろう。営業は、上棟に参加したことで、その週はその分だけ時間が足らなくなれば、勤務時間外にも休日にも働いてきたのである。そうやって苦労して契約いただいたお客様の仕事を設計はさせてもらってきたのである。「設計は営業のために図面を書いてあげている」みたいなその口のきき方・認識は思い上がりであり、嫌なら書かなくてもいいよ・・とでも言って仕事をとりあげてやって方がいいかもしれない。設計やっている人間が春田のような認識をしているのであるならば、それなら、設計に設計やってもらわなくても、設計は適当にそのへんで遊んでおればいい、「佐藤さん」からの電話に出て時間つぶしておればいい。俺が営業兼設計でやるから、そんな役立たずの「設計」なんて要らない・・と思ったし、K野所長も似たことを思っていたようであるし、他にも同様に思った人は何人かいるはずである・・が、なぜか、(株)一条工務店のオーナー経営者というのは、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を増長させるのが趣味! ・・だったのだ。普通、会社の経営というのは趣味でやるものではないと思うのだが、(株)一条工務店の経営者というのは「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を増長させるのが趣味で生きがいだったのだ。「バッカじゃなかろかルンバ♪」と思ったが、「なかろか」ではなく、間違いなくバカだった。どうしようもないバカだったのだ。そもそも、普通、学校の先生の息子というのは東大とか京大とかに行くものと違うのか・・と思うのだが、春田は東洋大の建築学科などというものに厚かましくも行って卒業させてもらっていたが(そんな先生に教えられたのでは成績下がってしまうんちゃうかあ~あ・・て感じがするのだが)、私などは高校を卒業する頃、父親から「うちは工学部になんか、行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言われ、「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と言っても、母から「100%絶対に通るわけじゃないでしょうが。落ちる可能性だってゼロではないでしょう。落ちる可能性がたとえほんのわずかでもあるからには工学部なんか受けてはいかんでしょうが。甘ったれなさんな、あんたはあ」と言われ、工学部なんて受けさせてもらえなかった。東大の理科一類に通ったか、京大の工学部建築学科に通ったかという話なら、それは「手ごわい」相手を受けるなら、誰しも「絶対に通る」などというものはありえないし、通ったかどうかはわからないとしても、ともかく、国立大学の建築学科というくらいなら、間違いなく行けた可能性が高い大学はあったが、それでも私は「工学部になんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな。とってちってたあ~あ!」と言われたものだった。東洋大なんて私立大学においては工学部は法学部・経済学部・文学部より学費はずっと高いはずであり、又、私の父親なんぞは私が高校3年の時、「そんなもん、東大か京大かそうでなくても国立大学か慶應・早稲田くらいなら大学行けばいいけれども、しょーもないわけのわからん私立大学なんか行くようなやつなんて、大学行くことあらへん。そんな甘ったれたやつなんて、全員、自衛隊に入れたったらええねん。甘ったれるな」と言っていた。又、「東大にでも行くというのなら、東大でなくても慶應か早稲田にでも行くのなら東京で下宿してでも大学に行けばいいけれども、わけのわからんアホ大学に行くのに、下宿までして行くことあらへん。何考えとんのんじゃ」と言っていたが、春田は静岡県の出身だということだが、東洋大は東京都にあり、東洋大の建築学科みたいなもんに行くのに、東京で下宿して行くというのは、よっぽど、親は金持ちだったということか。中学校の校長先生というのは金持ちで給料高いようだな。そんなに金持ちの息子なら、「一条会」の会費くらい払えばよさそうなものだが、それを払わずに「ひとのカネで飲み食いしないと気がすまない症候群」というのは、なんともまったくもってミミッチイ男である。「中学校の校長先生」なんて職業やると、そういう根性が身に着くのだろうか。結論を言うと、そんな殿様商売のヘボ設計なんて、いなくていいのではないか。そう思わないか?

  それで。(株)一条工務店で上棟に営業の従業員が参加していたことを説明するために、ちょっぴり横道にそれた話をするつもりでけっこうそれたかもしれないが、その上棟には住友林業の営業は夕方に背広を着て顔を出していたようだが、(株)一条工務店の営業は作業服を着て朝から大工と一緒に作業をしていた。最初、なんで、営業がそんなことするのだろうかと思ったが、そこから学ぶものもあるし、むしろ、上棟の日に、大工などが朝から作業をしているのに、その工事現場の担当営業が背広着て見物する方がおかしいのではないかという見方もある。 大工の中には、(株)一条工務店では営業が上棟の手伝いに行くものだから、営業は大工の下働きだと思うようになる人もいるようだったが、そう思われるくらいなら手伝わない方がいいのだが、「一緒に作業をした仲間」になることで話ができるようになる場合もある。又、都市部の人間の感覚では「なんで、営業が作業するのか」と思うかもしれないが、「地方」に行くと、上棟の日になると、お施主様の親戚などの人間が呼ばれ、呼ばれた者は、御馳走になりに呼ばれるのではなく、作業服着てやってきて、大工並みに働く・・という地域もあり、福島県で建てていただいたあるお宅では「作業は一条工務店の仕事ですから、やらないで見ててください」と言っても、「そんなこと言っても、ここらではやっちゃうんだよ」とお施主様から言われたということがあったのだが、お施主様の親戚が朝から作業服を着て働いているのに、担当営業が、大工ではないから大工と同じだけは役立たないのはそれはしかたがないとしても、夕方に背広着て顔出すというわけにもいかなかった。だから、営業が上棟に手伝いに参加するのはいいと思うが、片方で、「設計」と称する「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間は上棟に参加しなくていい、建築現場に行って他の従業員が重い物を運んでいても、「設計」と称する「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間はシャープペンシルより重い物は決して持ってはならない、とする(株)一条工務店のオーナー経営者の認識は根本的におかしい。

  1992年、その上棟に、東京圏の工事現場で参加した時だった。上棟の作業についている大工は過半数の人間がヘルメットをしていなかった。大工以外の作業参加者もヘルメットをしていない者が多かったのだ。私は、(株)一条工務店に入社するより前に、ガードマン(警備員)の仕事を交通誘導警備を2社・施設警備を1社でやったことがある。新帝国警備保障では、警備業法で定められている4日間の研修の時に、「工事現場に行って、ヘルメットをしていない人がいたならば、『ヘルメットをしてください』と言ってください。ガードマンは安全を守るのが仕事です」と言われた。なんで、(株)一条工務店の工事現場では作業員がヘルメットをしていないの? ゼネコンの工事現場では、毎朝、2人が向かい合って、「ヘルメットはよいか」「よーし」、「あごひもはよいか」「よーし」とやっている。なんで、(株)一条工務店の上棟作業の工事現場では作業員がヘルメットをかぶっていなかったのか? 近藤路夫は「一条工務店はすべてにわたって絶対的に万全にいい」と言うのだが、ヘルメットをしないで上棟の作業をおこなっている会社が、「すべてにわたって絶対的に万全にいい」て、どういうこと???
  さらに。新帝国警備保障の研修では、「建築現場の三大事故というものが言われますが、重機事故・落下物・墜落の3つがそれです」と教えられ、  「重機で物を吊っている時は、吊っている物の真下に入ってはいけない、というだけでなく、重機の作業半径内が立入り禁止です。この点、勘違いをしないでください」と言われた。大手ゼネコンの工事現場に行くと、看板が立っていて、「作業半径内立入禁止」と書かれていた。しかし、(株)一条工務店の上棟作業の工事現場では、作業半径内はもとより、吊荷の真下で大工や手伝いの営業が作業をしていたしさせられていた。
  私は、「一級建築士の宮崎さん」に、「ヘルメットをかぶっていない人がけっこういますけれども、ヘルメットは着用するようにした方がいいのと違いますか」と言ったのだが、一級建築士は「そんなの、ヘルメットなんて、そんなの要らないよお」と言い、「そんなの、工事現場で怪我したらだめなんて言われたら作業なんてできねえよ~お」と言うのだった。そして、「一級建築士の宮崎さん」自身も、(株)一条工務店の上棟作業の工事現場で怪我していた。
  結論を言うと、工事現場ではヘルメットをするべきである。但し、戸建住宅の新築の工事現場でも、上棟作業などの時はヘルメットをするべきであるが、ほぼ完成して、引き渡しまで幾日もないというくらいの状況になると、作業をするとしても仕上げの作業であり、そういう ほぼ完成の住宅などでヘルメットをしていると、そのヘルメットを完成した建物の内装にぶつけて傷つけてしまうということもあるので、そういう場合は、ヘルメットは着用しないといけないような作業をすることがあった場合に着用できるようにそばに置いておけば、そうでない作業の時は着用せずにやっていいだろう。ゼネコンの工事現場だからヘルメットをしないといけないが、戸建住宅ならやらなくていいなどという理屈はない! 又、営業本部長の天野隆夫から「会社によってそれぞれの考えがあるんだから、『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の会社の方針だ。労働基準法を守った方がいいと思うのなら、『労働基準法は守らない』という一条工務店の会社のルールを守る意思がないということなんだから、会社辞めろお!」と言われたことがあるが、当然のことながら、日本国の法律に反するような「会社のルール」などというものは「最初から無効」であり、また、「労働基準法は守らない」というのが「会社のルール」だと主張したいのなら、それならそれで、就業規則に明記するべきであり、就業規則に規定のないものを天野隆夫が「会社のルール」だと主張することは認められないが、たとえ、就業規則に明記しても、日本国の法律に違反する条文はいくら就業規則に規定しても「最初から無効」である。「建築現場で人が死んでもかまわない」というのを「一条工務店のルール」だとし、「一条工務店の工事現場ではヘルメットは着用しない」というのを「一条工務店の会社のルール」だと主張したいのかもしれないが、それは通じないし、通じてはならない。又、1992年、(株)一条工務店に入社した年、東京展示場には「就業規則」と書かれた冊子があって「主任」で「展示場リーダー」の宮崎さんが持っていたが、その表紙には「営業所長以外、閲覧厳禁」と大きく書かれていたのである。そもそも、《「営業所長以外閲覧厳禁」の就業規則》などというものを就業規則とは言えないし言わない。ところが、(株)一条工務店という会社は、「『労働基準法は守らない』という会社のルールが一条工務店にはある」と主張してそれがまかり通ると思っていた経営者の会社であり、表紙に「営業所長以外閲覧厳禁」と大書きした一般従業員が見ることができないような「就業規則」と称するものが就業規則として通じると思っている経営者の会社だった。
  又、重機(レッカー車)で荷を吊って動かしている時には、「作業半径内立入禁止」が原則であるが、ゼネコンの工事現場、ビル建築の場合には敷地が広いことが多く、「作業半径内立入禁止」にできる工事現場が多いのだけれども、戸建住宅の場合には、敷地が狭く、「作業半径内立入禁止」とされてしまうと、結論としてレッカー車を使用しての作業はできないことになってしまう場合が少なからずある。とりあえずは、吊荷の真下には入らないように、下で誰かが作業している場合には、その真上は吊荷が通らないようにするというくらいの工夫はするべきではないか・・・と思うのだが、(株)一条工務店の工事現場では、吊荷の真下で大工や営業が作業をしていたし、平気でその真上を吊荷が移動していた。1993年、福島県いわき市での上棟作業に参加した時、せめて、吊荷が自分の真上を通る時くらいは吊荷を見て、いざという時には逃げられるようにと思って見ていたら、先輩社員から「こらあ。吊荷なんか見るなあ! 上から吊荷が落ちて来ておまえが死のうが半身不随になろうが、会社はいっこうにかまわんのじゃあ! 吊荷なんか見るな、こらあ!」と言われた。えらい会社に入ったもんだ・・・と思った。福島第一原発などの作業員は、危険な作業をおこなっているが、その分、給料は高いはずであるが、(株)一条工務店の営業は「こらあ。吊荷なんか見るなあ! 吊荷が上から落ちてきておまえが死のうが半身不随になろうが、一条工務店はいっこうにかまわんのじゃあ~あ!」と言われ、その通りの作業をさせられて、それでいて給料はちっとも高くないのだった。安い給料でこき使いやがって、そうやって貯め込んだカネから、(株)一条工務店は浜松市に「防潮堤の費用」と称して300億円の寄付をおこない、慶應大a法学部卒の鈴木康友が大喜びした、ということである。鈴木康友が大喜びして受け取ったそのカネは従業員・元従業員の給料をへつり、安全対策費をへつって貯め込んだカネから出たものである。昔から「慶應の法学部には不定冠詞のaがつく」と言われるが、a法学部 鈴木康友はこの程度のこともわからないのだろうか。
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(↑山科けいすけ『C級サラリーマン講座』第682回。「ビッグコミック」2019.4.25号 所収)
  上棟の作業の時、軍手をしていない人が少なくないと思ったのだが、これは少々事情は違うようだ。江東区亀戸の城東マイホームセンターという総合住宅展示場(今はなくなった)に(株)一条工務店が新展示場を建築する際に手伝いに行った時に、釘を打つ際に自分が右手で持つ玄翁(げんのう)〔(株)一条工務店では「玄翁(げんのう)」と言う人が多かったので私もその言い方をするようになったのだが、「金槌(かなづち)」「とんかち」のことである。〕で左手の指を打ってしまったことがあり、「いってえ~え」と思って顔をしかめていたところ、大工のSさんから、「軍手してたんじゃない?」と言われ、軍手をして釘を打つ作業をすると、指先の感覚が鈍るので、自分の右手が持つ玄翁で自分の左手の指を打ったりしやすくなる、そういう場合には軍手はしない方が自分の右手が持つ玄翁で自分の左手の指を打つようなことはしにくい、ということを教えてもらった。だから、軍手はした方が安全とは限らない。物を運ぶような場合は軍手をした方がいいかと思うが、釘を打つような時は軍手はしない方がいいようだ。
  重機(レッカー車)が吊っている吊荷の真下で作業をさせる会社は(株)一条工務店だけではない。2014年、東京都墨田区の川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ が三菱地所レジデンス(株)のマンション新築工事をおこなっていた工事現場では、川口土木建築工業(株)の元受けの工事監督から、鉄の塊を重機(レッカー車)で吊っている真下で作業をするように命令されて、それは危険だと思いやりたくなかったが、無理矢理させられた。この川口土木建築工業(株)という会社(本社:埼玉県川口市)の工事現場では、おそらく、遠くないうちに死人が出るであろう。

  新帝国警備保障では、研修の時に、「建築現場に行った際、『お~い、そのクルマ動かしてくれえ』とか頼まれる場合がありますが、決して運転しないでください。新帝国警備保障はあくまでもガードマンを派遣しているのであって、クルマの運転をするということにはなっていませんから、クルマの運転をして、それでぶつけたとか事故を起こしたとかいうことがあっても責任は負えません。もし、『運転免許もってるか』と尋ねられたら、持っている人でも『運転免許は持ってません』と答えてください。決して運転してはいけません」と言われたものだった。派遣されて建築現場に行き、派遣元が仕事として契約していない行為をして、それで事故を起こした・事故にあったという場合には困るので、そういう行為はしないでくれということだった。ところが、2001年、(株)一条工務店の栃木県佐野市の営業所では、営業補助として来ていたパートタイマーの女性Yさん(当時、30歳)に、ベテランの「高木のおっさん」(男。当時、50代)が「高木のおっさん」が担当の工事現場に行くのに事務所に忘れてきたものがあったから持ってきてくれと電話してきて、会社としてはクルマの運転は業務としてしないということで来ていた人にクルマで持ってこさせるということをした。そういう人はクルマの任意保険は自分で入っているはずだが、「日常・レジャー」「通勤通学用」「業務用」の3種類のうち、通勤に使うが業務には使わないという場合は「通勤通学用」で入るはずであり、そのクルマで業務用にクルマで「高木のおっさん」の現場に運転していって、その過程で事故を起こしたとなった時には保険では出ないはずだが「高木のおっさん」は何とかするのか? 私が「高木さん、Yさんは展示場で営業補助をするために来てもらっている人なんですから、高木さんの用事でクルマで呼ばないでください」と言ったところ、「高木のおっさん」(創価学会員)は、「なんだと、てめえ、この野郎!」と言ってつかみかかってきた。「高木のおっさん」のこの行為は暴行罪に該当するが、ところが、(株)一条工務店は会社のルールに反した「高木のおっさん」につき、私に「営業補助の女性を高木がクルマで来るように呼んだことをとがめた」と非難したのである。どうしようもない会社。
  新帝国警備保障の研修では「工事現場に行った際、クルマの運転とともに、やらないよう気をつけてもらいたいものとして玉掛作業があります。レッカー車で物を吊って動かす時、レッカー車を運転するためには、普通自動車運転免許ではなくレッカー車の免許を持っていないといけません。これは誰でもそう思うのですが、レッカー車を運転する方だけでなく、レッカー車が吊る吊荷をくくりつける作業は、これは見ていると、なんかできそうに見えたりするのですが絶対にやってもらっては困ります。工事現場に行くと、『お~い、それ、くくってくれえ』とか言う人があったりするのですが頼まれてもやってはいけません。吊荷をくくりつけるには、玉掛技能者の資格が必要なのです。玉掛技能者の資格を持っていない人が吊荷をくくりつける作業をすると違反ですからね。たとえ、頼まれてもやってはいけません」と言われたものだ・・が、ところが、(株)一条工務店の上棟現場では、玉掛技能者の資格を持っていない人間がその作業をやっていたのだ。ええのか、そんなことして・・? と思ったのだが、やっていた。「一級建築士」はそれを見てもいかんと言わなかっただけでなく、「あれ、いいんですか」と言っても、「いいよ、そんなの」と言うのだった。

  ヘルメットの方だが、1993年9月、(株)一条工務店の 福島県いわき市草木台のK様邸の工事において、屋根屋が屋根から墜落して頭部を打撲して死亡する事故があった。 いわき労働基準監督署から(初代)社長の大澄賢二郎が呼ばれ、そして、大澄賢二郎は「社長として、これまで、従業員に危険な状況で作業をさせてきて申し訳ない」と言ったのかというと、そうではなく、「なんで、俺がそんなもの、労基署から呼ばれなければならないんだ!」と言って怒ったというのだ。直接本人から聞いたのではないが、従業員の間ではそう伝わっている。ちなみに、1996年8月、大澄賢二郎の息子で(株)一条工務店の関連会社で損害保険を扱う代理店の会社であった(株)日信の社長になっていたらしい大澄隆史(男。当時、20代)が「女を刃物で刺し殺して官憲に追われ逃げる」という、まさに『水滸伝』の登場人物「呼保義 宋江(こほうぎ そうこう)」そのまんまの行為をやり、懲役20年の刑に処せられることになった時、父親で社長の大澄賢二郎は「バカ息子のおかげで従業員にまで嫌な思いをさせて誠に申し訳ない」と言ったかというとそんなこと言うわけがないのであり、「相手が悪い!」とそう言ったらしい。これも直接本人から聞いたことではないが、確かそうな所からの情報である。大澄という男はどうもそういう男のようだ。
  それまで、「そ~んなの、建築現場で怪我するなんて、当たり前じゃあ~ん! 工事現場で怪我したらだめなんて言われたんでは、工事なんてで~きないよお~お」と言っていた会社、新帝国警備保障でガードマンの仕事についたことがある私が「ヘルメットくらいした方がいいということはありませんか」と言っても、「ヘルメットなんてしなくていいって」と言っていた会社が、社長の大澄賢二郎が労働基準監督署から呼ばれると、突然、「安全こそ一条のポリシー」と、それまでとは正反対のことを言いだした。あきれた。この節操のなさはいったい何? まあ、労基署というのは、不良企業の労働基準法違反を必死で守る存在のようでいて、さすがに人が死ぬとちょっとは働くようだ・・が、しかし、いわき地域の夕刊紙「いわき民報」に、工事担当のAさんの名前が書類送検されたとしてフルネームで掲載されたが、Aさんは工務課に所属してそのいわき市草木台のK様邸の工事担当であったとはいえ、特に工事の作業について権限があったわけでもなく、私が「ヘルメットくらいした方がいいということはありませんか」と言っても絶対にきいてくれなかった会社 (株)一条工務店は、Aさんが行ってもやはり絶対にきいてくれなかったはずであり、会社に安全対策を提言しても経営者から嫌われるだけでどうもしてもらえないヒラの従業員だけを書類送検するというのは、それはおかしいのではないか、と私は思った。だから、私は、いわき労働基準監督署に行って、「Aさんなんて、ほとんど、権限なんか持たせてもらっていませんよ。書類送検するのならAさんではなく、(株)一条工務店の本社にいる人間でもっと他に送検されなければならない人間がいると思いますよ」と言ったのだが、労働基準監督官は、「本社にいる人が全国のすべての工事現場を見ることはできませんから」と言うのだったが、それはその地域にいる人間に安全対策について権限がある場合のことであって、それぞれの地域にいる工事担当者に権限なんて持たせてたまるかという姿勢の会社において、責任だけその地域にいるヒラの従業員に負わせるというのは、どうも、納得のいかない話だから、た。
  ともかく、社長の大澄賢二郎がいわき労働基準監督署に呼ばれて行くと、突然、それまでとは正反対のことを言いだして、「安全こそ一条のポリシー」とかナマ言いやがってからに、「上棟の時も、必ず、ヘルメットをしろ」と言い出し、「一条工務店」と書いたヘルメットを用意して、各地の従業員に配布した・・ということは、やっぱり、ヘルメットはしないといけなかったのであり、近藤路夫が「一条工務店の建物は、構造にしても内装にしてもすべてにわたって、完璧にすばらしい」「絶対的にいい」とか寝言を言っていた時期というのは、「安全こそ一条のポリシー」と言い出す前、社長の大澄がいわき労働基準監督署に呼び出される前のことであったから、(株)一条工務店が社長が労基署から呼ばれた後の基準からすれば、なってないものだったわけだ。

  さらに。1993年10月頃、この事故の後、「本社の工事部のえらい人」という大川(男。当時、20代後半)が、福島県いわき市の営業所にやってきて、工務課(工事担当)の従業員などを前にして、こう言ったのだ。「これからは、高い所に登る時にはヘルメットをしないといけないということだ」と。・・・あきれた。「本社の工事部のえらい人」というのは、実際に事故があって死人が出たというのに、ま~だ、こんなこと言うのか!?!?! 「ち~が~う~だ~ろ!」 そうではないはずだ。ヘルメットというものは、「高い所に登る時」にするものではなく、工事現場の敷地に一歩でも立ち入る時にはするべきものであるはずだ。但し、ほぼ完成した戸建住宅のような「工事現場」ではその限りではないが。ともかく、構造段階の工事現場であれば、ヘルメットは「高い所に上がる時には」ではなく、「工事現場の敷地に一歩でも立ち入る時には」するべきものである。なぜなら、ヘルメットというものは、「高い所」から墜落した時のためだけにするものではなく、落下物があった時のためのものでもあるのである。「高い所」に上がる時にヘルメットをする、そうでない時はしないというのでは、落下物に対応できないことになる。このくらいのことも「本社の工事部のえらい人」というのはわかっていないのか・・・とあきれた。それが(株)一条工務店の「本社の工事部のえらい人」だったのだ。「それは違いますよ」と言いたかったのだが、言うとまたもや、営業本部長の天野隆夫から「余計なこと言うなあ」とか「おまえは口きくな」とか言われるのは眼に見えていたので言わなかった、又、言えなかった。こうやって、従業員にだんだんと口をきかなくさせる、口をきけなくさせるというのが(株)一条工務店という会社だった。

  レッカー車には吊荷について重さに制限がある。そのレッカー車によっては、制限を超えた重量の物を吊り上げると、「危険です、危険です」と音声が叫ぶクルマがあったのだが、そういう音声が聞こえると、いったん、吊荷を地べたに降ろし、いくらか重量を減らして吊るようにするべきところのはずだったが、ところが、(株)一条工務店の工事現場では、吊荷は降ろすことなく、工事担当者が「うるせえなあ、まったくうう」と叫ぶのだった。 「いいんですか」と工事担当に言ったこともあったのだが、うるさがられるだけだった。

  「玉掛(たまかけ)」という作業、レッカー車が荷を吊る際に、ロープでくくりつけ、レッカー車の運転手に、「上げてくれ」「降ろしてくれ」、「こちらに動かしてくれ」と合図を送る作業は、その玉掛技能者という国土交通省の国家資格を持つ者でないとやってはいけないことになっている。それを、持たない者に(株)一条工務店はさせていたのである。
  1990年代なかば、いわき市中央代鹿島の上棟作業をおこなっていた工事現場で、下で作業をやっていた大工の上に吊荷の梁が落下して、その大工が大怪我をしたということがあった。その大怪我をした大工のことを考えると、もっと強く言うべきであったとは思うが、もっと強く言うと私の方がもっと苛められたであろう。そこのお施主様は「私は、地鎮祭もやり、今日の朝も無事に工事がおこなわれますようにと神棚に拝んできたのに、どうしてこんなことになるのでしょう」と嘆かれたが、大怪我をした大工だけでなく、お施主様にとっても災難である。誰が、自分の敷地で職人に大怪我して血を流してくれと頼んだ!?!  (株)一条工務店と契約する際には、十分に安全に気をつけて工事はやってもらうという前提で契約したはずなのだ。 その工事現場の営業担当は「アルツハイマー」と言われ、都合が悪くなると「アルツハイマー」に逃げる佐藤さん(男。当時、40代)だったが、向かいの家の人が出てきて、気をきかせて、「救急車、呼びましょうか」と言って呼んでくれたのだが、営業担当のS藤さん(霊友会会員)に、「救急車、呼んでくれたあのお宅にも、工事前に挨拶に顔出してるのでしょ」と言うと、「行ってねえ」と言うのだった。私は自分が担当の家で、工事前に近隣に挨拶に行かなかったケースは1軒もないのだが、行かない営業がいるらしく、どうも、工事前に近隣に挨拶に顔を出さない営業が担当の家では事故などが多いようである。
  そして、そのすぐ後くらいに、(株)一条工務店では、工務課と営業の従業員は全員が玉掛技能者の資格を取ってくれということになり、3日間の講習(2日の学科講習と1日の実技講習)を受けて、取得することになった・・ということは、1993年、近藤路夫が「一条工務店の建物はすべてにわたって完璧にすばらしい」「一条工務店の建物には問題点はどこにもまったくない」と叫んだ頃の(株)一条工務店の建物は、玉掛技能者の資格がないとやってはいけない作業を無資格者がやり、いつ事故が起こって怪我人が出てもおかしくないというそういう建物であったということだ。

  いわき市草木台の工事現場では屋根屋が屋根から墜落して頭部を打撲して死亡したのに対し、いわき市中央台鹿島の工事現場では、吊荷の下にいた大工は大怪我をしたが命は助かったのはまだしもであったが、(株)一条工務店の安全対策不備は明らかであった。
  草木台のK様は、普段、東京にいる人だったので、事故があった時、それを知らなかったというのだが、(株)一条工務店は知らせたのか知らせなかったのか? 知らなかったならいいというものではない。私は知らずにその工事現場を見に行き、草木台の分譲事務所の人から「一条さん、大変でしたねえ」と言われて知ったが、隠してもいずれわかる。私が施主なら、自分の家の工事で人が死んだなどというのは嫌である。転んで膝をすりむいたとかいう程度なら気をつけてくださいねですむかもしれないが、死亡事故や血を流す大事故は勘弁ねがいたいし、使う段に困る家ではないからいいだろうとかいう問題ではない。又、ドライなことを言うようだが、その土地で工事の時に人が死んだ家は売ろうとした時に評価が下がるか売れにくい可能性が考えられる。(株)一条工務店は施主にその分について責任を取るのか? 取ったのか? 私が施主なら、構造と関係のない場所、内装でできばえがあまり良くないというものなら我慢もするとしても、自分の家の工事で自分の敷地で人が死んだというのはやめてもらいたいものだ。少々の施工ミスより大きな問題である。死んだのが施主や施主の家族ではないからいいというものではない。
  (株)一条工務店の工事現場で死者が出たり、大怪我する人が出たというのは「たまたま」ではない。安全対策がいいかげんだからそうなったのだ。そんな建物を「完璧にすばらしい」「問題点はまったくない」と言うか? 私が施主なら、その工事で人が死んだ家は責任とって(株)一条工務店で買い取ってもらいたいと言いたい。
  (2019.4.17.)

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