「帝国大学の学士様御用達」だっただけに、入りやすいと言い難いアプローチと入口の学士会館(神保町)。ソ連映画をハリウッドに持って行きたい?

[第704回]神保町界隈【2/3】
  東京都千代田区の神田神保町交差点を南北に通っているのが「白山(はくさん)通り」。前回、公開した「名曲喫茶 白十字(はくじゅうじ)」は白山通りの西側、神保町交差点とJR「水道橋」駅の間にある。
 神保町交差点の南東側には「名曲喫茶 さぼうる」「名曲喫茶 さぼうる2」。↓
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「さぼうる」というのは、付近の大学の学生が講義をさぼってこの喫茶店で時間を過ごすという意味で「さぼうる」かと思ったらそうではなく、『散歩の達人 東京喫茶 首都圏123軒』(2019,3,1、交通新聞社)によると、≪店名の「さぼうる」は、イタリア語で「味」という意味だとか。≫というのだが、しかし、下位英一・坂本鉄男編『大学書林 イタリア語小辞典』(1962.大学書林)をひいてみると、
sapore (男性名詞) (食物の)味、風味、塩梅;(文章などの)味、味わい。
と出ている。 sapore を音にしてひらがなで表記すると「さうる」で「ほ」に〇で、「ほ」に濁点の「ぼ」ではないと思うのだ。となると、実際は、もともとは大学生が講義をさぼってこの店に来るので「さぼうる」という店名にしたが、あまりにももろだということで、イタリア語の「さぽうる」だということにした・・・なんて・・ありそうな感じがしないでもない。
  神保町交差点の南西のカドに岩波書店があり、その中に岩波ホールがある。岩波書店の南に救世軍本営。今は救世軍本営のビルの上層階には有斐閣が入っている。その西に有斐閣のビルがある。救世軍本営の南に集英社、その南に小学館。小学館の南に共立女子大。共立女子大の白山通りを挟んだ東側の向かいにあるのが「学士会館(がくしかいかん)」である。
  白山通りは南に進むと皇居の大手濠に至る。西側には毎日新聞のビルがある。受けても通らんだろうなあと思いながら、毎日新聞社に応募の願書を出しに行ったビルがそこにある。円筒形の筒みたいのが両端にあるが、外から見ると、あれはいったいなんじゃらほい? と思うが、エレベーターホールである。北に行くと、JR「水道橋」駅の東側でJR中央線をくぐり、さらに北に進むと西側に東京ドームがある。「春日町」交差点で東西の「春日通り」と交わる。さらに北に行くと、Y字型に2手に道が分かれる。北西の方が「白山通り」だが、白山神社の南に行くのは北東の方の通り。かつて、孫文がそこで語ったいう話の白山神社は東から西に入るが、「白山通り」は白山神社の前を通る通りかと思うとそうではなく、東から白山神社の参道が入る南北の道は、東大の農学部の前から「本郷通り」と分岐して白山神社の東側を通る「旧白山通り」のようだ。旧白山通りと白山通りはすぐ北の「千石駅前」交差点で合流する。都営三田線「千石(せんごく)」駅の近くに、かつて、「三百人劇場」というのがあって、「ソ連映画のつどい」だったか、まだ、ソビエト連邦があった時代、まだ、DVDなんてものが世間にない時代、三百人劇場で上映されたことがあり、ロシア語の学習のつもりで通ったことがあったが、何年前だったか三百人劇場はなくなってしまった。さらに白山通りを北に行くと、JR山手線「巣鴨」駅。
  その時、三百人劇場に見に行った「ソ連映画」のひとつが↓ 『ジプシーは空に消える』
《ニコニコ動画―ジプシーは空に消える その1 字幕》https://www.nicovideo.jp/watch/sm8279337
《 「バカと利巧じゃどっちが賢い?」
「バカ(дурак)の方さ。疑いを持たんからな
智恵がありぁ、悲しみも多い」
・・・・・
「朝は早く起きろ。夕暮れは嫌でもやってくるからな。
・・・いずれ、死ぬ時がくるさ」 》
↑ その時、聞いた時はそれほどに思わなかったが、今、聴くと、名言だなあと思う(^^)/
インターネットで検索すると、ゴーリキー『マカール=チュードラ』を基にした作品らしい。
※ дурак 《口語的》ばか者。あほう。(井桁貞俊編『コンサイス露和辞典 第4版』1983.第6刷 三省堂)
  最近ではDVDを比較的簡単に購入できるようになったので、DVDを視聴することで語学の学習に役立てることもできるので、三百人劇場までせっせと通わなくても外国の映画を見ることができるようになった・・・けれども、ロシア語の学習のつもりでDVDで旧ソ連の映画を見ていたのだが、『罪と罰』と『ジプシーは空に消える』の両方で登場人物が口にする単語、「дурак(ドゥラーク)《口語的》ばか者。あほう。」は覚えたけれども、だからといって、それでロシア語を話せるようになったわけでもないし、ましてや、それがメシの種につながるわけでも・・ないわ。
  三百人劇場に「ソ連映画のつどい」シリーズを見に行った時、三百人劇場のトイレに入った時、その出入口付近で話しているおっさん2人がいて、その片方が「このくらいのものなら、ハリウッドあたりに持っていっても十分に通じるよ」とか言うておったのだ。「何をアホなこと、言うとんねん」と思ったのだ。「資本主義の害悪」を受けていない映画というものをソビエト連邦は作ろうとしてきたのではないのか。「ハリウッドあたりに」なんて持って行ってどないすんねん? ・・と思ったのだ。文化的にアメリカ合衆国の物真似やりだしたら、「社会主義」ソ連はもう終わりではないのか。その時、上映されたのは、『モスクワは涙を信じない』。たしかに、その時の「ソ連映画」シリーズで上映されたものの中では「アメリカ的」な映画だったかと思う。しかし、だ。そもそも、なんで、「ハリウッドあたり」になんて持って行かなきゃならんのだ? 今は映画館で上映されていなくても、DVDを購入するなりレンタルビデオ屋で借りるなりして映画を見ることができるのだが、イタリア映画は芸術作品として作られており、そして、イタリア人はそれに対してオペラの上映に対して批判するごとく映画に対しても批判をするようだ。それに対して、「アメリカ映画」というのはその多くはイタリア映画と比べて芸術的にレベルが低い。そして、中には『ジェロニモ』であったり『マルコムX』であったり決して体制的でない映画もあるのだけれども、『オクラホマ』『サウンドオブミュージック』『南太平洋』とか、あるいは『アラモ』とか『黄色いリボン』とか、どう考えても、アメリカ合衆国の国策宣伝映画であろうものが少なくない。映画『追憶』の中で、映画が政治権力からその内容に干渉を受ける話が描かれているが、それに抵抗する人もいたのだろうけれども、アメリカ映画、特に、「ハリウッドあたり」の映画というのはアメリカ合衆国の国策宣伝映画の製造所、もしくは、国民に対する愚民政策としての「3S」(スポーツ・スクリーン・セックス)のひとつとしてのもの。だから、「ソ連映画」は、そうならないようにという努力がなされ、ロシアの文化的伝統を活かそうと努力し、『ジプシーは空に消える』のような「資本主義社会における儲け主義」に毒されない芸術的な作品と、『罪と罰』のようにロシアの作家の文学作品の映画化とがあり、同時に、逆に『シベリア物語』のようにソビエト連邦の国策宣伝の性格をいくらかもつものがあり、その一方で『モスクワは涙を信じない』のような「アメリカ映画」の影響を受けたのか受けようとしたのかのような作品とが混じっているのが「ソ連映画」で、三百人劇場で上映されたものは「硬派」のものが主だったのではないかと思うのだが。「ハリウッドあたりに持っていっても通じる」とか、その発想は理解しがたい。そのおっさんというのが何者だったのか。「映画評論家」なのか「ハリウッド映画かぶれのおっさん」だったのか。単なる「そのへんのおっさん」だったのか。いずれにしても、なんで、「ソ連映画」を「ハリウッドあたり」に持っていきたがるのか、理解しがたい。「そのへんのおっさん」なら三百人劇場なんて「知る人ぞ知る」映画館に行くのではなく、「そのへんのおっさん」が行くような「そのへんの映画館」に行っていただろうから、「そのへんのおっさん」ではないのだろうけれども。「自我が確立されている慶應ボーイ」なら“ 慶應らしく ”「にっかつロマンポルノ」でも見に行っただろうし、その上でそれを「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか言うだろうし・・、それから「ギャルにもてもて」とか。

  『モスクワは涙を信じない』くらいなら、ハリウッド映画と比較してもらってもいいかもしれないが、『ジプシーは空に消える』とかを「ハリウッドあたりに」なんて「持って行って」もらいたくないものだ。
※ 《ニコニコ動画―ジプシーは空に消える その5》https://www.nicovideo.jp/watch/sm8279781
  1980年代前半、慶應大学のステューデントカウンセラーズというサークルにいた時、大阪教育大付属高卒の某とオペラ『トスカ』について話していたところ、横にいた開成高校卒のMが、Mには何も話していないしMは関係ないのに横から「そんなもの、何の価値があるんだ」と口出してきたことがあった。開成高校など私立6年制高校卒の者からすれば「大学入試に出るものは価値がある、入試に出ないものは価値がない」という確固たる基準があって、オペラ『トスカ』なんて試験に出ない⇒ゆえに、価値がない・・となるようだった。私立6年制受験校卒の人間というのはそういう思考なんだなあと思った・・のだが、もう1人、似たことを言う男がいた。その男は慶應義塾高校卒の男で、慶應義塾高校など慶應内部進学からすると、「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」ということになるようだ。内部進学の人間からすると、入試に出題されようがされまいが、高校までの科目で扱うとしてもたとえ試験にない科目で扱うものでもおかまいなしに、自分たち内部進学が知らないもの・自分たち内部進学の者ができないものは何でも「受験勉強」なのだ。おそらく、『ジプシーは空に消える』もまた、開成高校卒のヤツとか慶應義塾高校卒のヤツにとっては「そんなもの、何の価値があるんだ」ということになるだろう。彼らには『ジプシーは空に消える』よりも、ハリウッド映画の方が向いているのかもしれないし、にっかつロマンポルノの方がもっと向いているのかもしれない・・。「聖なるものをイヌにやるな、真珠をブタに投げてやるな。おそらく、彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直ってかみついてくるであろうから」という『聖書』の文句は真理である。文化的に価値のあるものはブタ人間やイヌ人間にはやらない方がいいようだ。

  たしかに、「にっかつロマンポルノ」とか見に行く「慶應ボーイ」というのは「3S」のうちの「セックス」に思考を支配されているわけで、その上で思考を支配された状態を「思考の柔軟さ」とかほめられてその気になっているのであり、そういう人間というのは、社会を変革しようなんてことを考えることはなくなる。だから、専制的支配者・非民主的政治家からすればそういう人間が多くなると統治しやすい・・・ということである。そんな人間になることを嫌がる人間を「モラトリアム人間病」と内部進学 小此木啓吾が「診断」して「治療」と称して「人間による人間の加工」をしようとするのも、その非民主的政治家・専制的支配者の政治的小道具のひとつであろう。
  
  さらに北に行き、都営三田線「西巣鴨」駅の上あたりからは名称が「中山道」に変わるようだ。1984年、都営三田線「板橋本町」駅から徒歩で行ったあたりにあった除草剤散布の会社W商会で国鉄の線路や変電所・府中競馬場などに除草剤散布の仕事にアルバイトで行ったことがある。「除草剤を撒いていると、『薬がかかったじゃないか。健康に害があるのじゃないか』とか言われることがあるけれども、そういう時は、『この薬は草に効く薬で人間に害がある薬ではありませんから』と言ってください」と言われたが、そのわりにその会社の正社員の人は30くらいの年齢ですでに白髪の人が多かった。1ヶ月ほどやっただけだったが、あんまり長くやらない方がいい仕事だったかもしれない。
  同じ北野高校の卒業生や東京で知り合った東大・東工大などの学生や慶應大の学生で私みたいにアルバイト漬けやってるけど者はいなかった。なんで、私だけこんなにアルバイトばっかりやらなきゃならないのかと思ったが、「アルバイトを嫌がる人間というのは、働くのを嫌がるモラトリアム人間病という病気にかかっているのであ~る。慶應大学の小此木啓吾先生というエライ先生がそうおっしゃってる! とってちってたあ!」と父は言うのだったが、その小此木啓吾が慶應大医学部の学生の時にそんなにアルバイト漬けやっていたかというと、やっていないはずだ。ということは、小此木啓吾こそモラトリアム人間病にかかっていた「病人」だったということだ。おのれこそ、モラトリアム人間病のくせしやがってからに、勝手なことばっかり言いまくり、「精神医学」的レッテルを製造し、おのれのことは棚に上げてひとに貼りまくる「レッテル製造症候群」小此木啓吾というのは、「幼稚舎から慶應」らしいが、それだけあって、独善的な野郎である。同じ高校から京大・阪大に行った者、東大に行った者、慶應大に行った者で私みたいにアルバイト漬けやっていた人間なんてどこにもなかったが、そいつらは「働くのを嫌がるモラトリアム人間病」と違うのかというと、よその息子の場合は違うらしい。「心理学」なんていいかげんなものだ。インターネットで見ると、小此木啓吾は慶應大学を定年になった後、慶應より定年の年齢が高い私立大学の講師になったものの、「なにかと慶應に帰りたがる」と学生の間で評判が悪かった・・らしい。なるほど、《「揺り籠から墓場まで慶應的精神空間から外に出れないシンドローム」患者 小此木啓吾》だけあるわ。なるほど、なるほど・・・。小此木啓吾こそ、薬漬け療法(「化学療法」)、逮捕監禁療法(「入院療法」)、強制労働・労働搾取療法(「作業療法」)、言いくるめ・洗脳・マインドコントロール療法(「心理療法」「カウンセリング」)その他「なんでもやってみようの精神」で「療法」と名づければ何でも「治療」になるという姿勢で「治療」されるべきだったのではないか。まず、「こいつの頭の中、いったいどないなっとるんや」てことで、撲殺療法(「ロボトミー」その他「精神外科」)で頭を切り開く・・というのは最近では否定的になってきているので、この小此木啓吾という勝手な男の頭の中、いったいどうなっとるんじゃてことでCTスキャンで脳を撮影して調査してやるべきだったのではないか。そもそも、小此木啓吾というのは《「ひとにばっかり、えらそうな口ききやがってからに。おのれはそんなにえらいんか」症候群》の重症患者であったのはこれは間違いないことで、「入院療法」で座敷牢に叩きこんで出てこないようにしてやった方が国民の為だったのだが、勝手な本ばっかり書きまくって印税で儲けまくって、2003年9月、73歳でやっと他界してくれた。この男の墓には二度と甦ってこないように大きな石でも載せて封印しておくのがいいだろう。「会社ちゅうところ」にも《「『役員室』と名づけた座敷牢に入ってもらってそこから出てこないようにしてもらった方がありがたい人」症候群》の「患者」がいる。かつ、この「病気」の「患者」には「病識がない」人が多い。この「病気」は簡単には治らない。

   さて、今回は、「学士会館」。
  「学士会館」とは何ぞや?  帝国大学の学士様がお使いになる会館なのか? それなら、東大のそばにあっても良さそうな感じがするが、本郷ではなく、神田麹町3丁目 にある。東京建築探偵団+増田彰久『スーパーガイド 建築探偵術入門―東京、横浜の西洋館230を追跡する』(1986.9.25.文春文庫)によると、
竣工年・・・・昭和3年(1928年)
設計者・・・・高橋貞太郎、佐野利器
≪ 競技設計による当選案。設計者高橋貞太郎は恩賜(天皇から贈ること)の銀時計をもらった建築家である。この建物の用途は、学士様のクラブ・ハウス。この種の建築を倶楽部建築と呼ぶが、たいてい外観を地味にして内装は豪華、そしてなぜかビリヤード・ルームがつくというのが定法(じょうほう)のようになっている。≫
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( ↑ 学士会館。 北西側から見たもの。)
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( ↑ 学士会館。 南西側から見たもの。)




( ↑ 「 i 」マークが学士会館。 )
  学士会館HP の「学士会館について」https://www.gakushikaikan.co.jp/info/ には、≪ 現在では一部施設を除いて一般利用が可能となり、会員以外の多くの方々にご愛用いただいております。≫とある。「学士会」の会員のための施設だが、会員でない者でも使える部分があるらしい。《ウィキペディア―学士会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%A3%AB%E4%BC%9A によると、≪一般社団法人学士会(がくしかい)は、日本の社団法人。旧帝国大学系大学の出身者等を主な会員とする、大学の枠を超えた一種の同窓会組織である。≫そうで、今は、ともかく「大学」と名のつく所を卒業すると「◇◇学士」ということになるが、学士会の場合は≪東京大学、京都大学、東北大学、九州大学(旧九州芸術工科大学を含む)、北海道大学、大阪大学(旧大阪外国語大学を含む)、名古屋大学及びその前身の帝国大学、(旧)京城帝国大学、(旧)台北帝国大学出身の学士≫(《ウィキペディア―学士会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%A3%AB%E4%BC%9A )を言うらしい。あくまで、旧帝大であって、一橋大・東京工大・神戸大・慶應大・早稲田大はだめということだ・・・が、≪ 現在では一部施設を除いて一般利用が可能となり、会員以外の多くの方々にご愛用いただいております。≫(学士会館HP の「学士会館について」https://www.gakushikaikan.co.jp/info/ )ということなので、東大落ちても利用させてもらうことは可能だということである。まあ、「ええなあ、うらやましいなあ」「わしぁ日陰の月見草やあ」なんて言わなくても、別に無理に使わせてもらわなくても、レストラン・宴会場・ホテルといったものは、ほかにもあるけどね・・・。1980年代後半、千代田区に本社があったコンピュータ関連の会社の入社式をここでやったように思うのだが、人事総務部に東大卒の人がいたけれども、人事総務部長が「うちの会社はねえ、昔から東大とはつきあいがありまして・・」なんて言っていたが、どうも、それは信用できる話ではなかったようだが、東大卒の人がひとりでもおれば利用料金を払って使わせてもらえるということなのか・・とも思ったが、別にいなくても今は使わせてもらえるらしい。
※ 学士会館HP https://www.gakushikaikan.co.jp/
学士会館HP 「学士会館について」https://www.gakushikaikan.co.jp/info/
  学士会館HP の「学士会館について 学士会館の建築」https://www.gakushikaikan.co.jp/info/ には、
≪ 建築推進の中心となったのは、日本の耐震工学を確立した佐野利器氏。設計者は彼の門下生でもあり、 日本橋高島屋や帝国ホテル新館などを手掛けた高橋貞太郎氏です。旧館を尊重するかのように一歩後退して建つ5階建ての新館は、1937(昭和12)年9月20日に増築開業いたしました。総工費は約60万円。設計者は藤村朗氏です。≫とある。
※ 《ウィキペディア―佐野利器》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%87%8E%E5%88%A9%E5%99%A8
《ウィキペディア―高橋貞太郎》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E8%B2%9E%E5%A4%AA%E9%83%8E
  ウィキペディアによると、「佐野利器」という方のお名前「利器」は「りき」ではなく「としかた」と読むらしい。高橋貞太郎は「たかはし ていたろう」でいいらしく、その高橋貞太郎設計の建物としては、私が今まで見た行ったことのある建物としては、目黒区の東大の駒場キャンパスの西のあたり、小田急線「東北沢」駅の東の河合塾駒場校の東のあたりにある旧前田侯爵邸(元 近代文学館)。こりぁ、すごい建物だなあと思っていたのだが、もっと昔の人の設計かと思ったら、1892年6月26日 - 1970年10月1日(日清戦争の2年前に生まれて、大阪万博の年、大阪万博終了の半月後くらいに他界)の高橋貞太郎の設計、なんと万博の年まで生きとった人の設計やった。学士会館と同じ1928年(昭和3年)、「ひどく不合理(1925)、治安維持法」の治安維持法制定1925年の3年後、満州事変1931年の3年前の建物らしい。日比谷公園の向かいの帝国ホテルは、愛知県犬山市の明治村に玄関ホール部分が移築されたかつてのフランク=ロイド=ライト設計の帝国ホテルはものすごいものだったのに、今の帝国ホテルの建物は愛想もくそもない建物になってしまった・・・と思っていたのだが・・・、その「愛想もくそもない建物」の方の帝国ホテル新本館(1970年)の設計者が学士会館(千代田区神田麹町)や旧前田侯爵邸(目黒区。東大駒場キャンパスの西、河合塾駒場校の東)の設計者である高橋貞太郎らしい。前田邸と帝国ホテル新本館とではずいぶんと印象が違うが、ウィキペディアが嘘を書いているのでないなら、同一人物の設計らしい。

   西側の白山通りに面して、北よりと南よりに出入口がある。
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↑ 南よりの出入口の脇に金属製のプレートが貼られている。↓
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↑ 畏れ多くも「登録有形文化財」なのだ。
   「佐野利器」は「りき」だとばっかり思っていたら「としかた」らしいが、「森田療法」というもうひとつよくわからん「精神療法」の森田正馬は「せいま」だと思っていたのだが、これも違うらしく、《ウィキペディア―森田正馬》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E6%AD%A3%E9%A6%AC によると「まさたけ」と読むらしい。どないしてそない読めるんや?・・とも思うが、どうも、「北勝海(ほくとうみ)」みたいな読み方する人名が時々ある。
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学士会館の↑の入口の右脇に、「東京大学発祥の地」の碑がある。↓
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↑ 東大て、文京区本郷でできたんやなかったんか? 湯島聖堂の所の昌平坂学問所を基にして本郷の加賀前田家屋敷の跡地に造られたんと違ったんか? ・・・と思ったのだが、学士会館の南側の入口の右脇に↑の「東京大学発祥の地」の碑があって、その左横に説明書きが金属製の板で立っているが、それによると、1877年(明治10年)に東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学ができたそうで、創立時は法学部・文学部・理学部・医学部の4学部だったが、そのうち、法学部・文学部・理学部の3学部が神田錦町3丁目、この地にあったらしい。その後、1885年(明治18年)〔1985年(昭和60年)阪神タイガース 優勝・日本一の年 の100年前〕までに本郷への移転が完了したというものらしい。
  出入口はもうひとつ、北よりにもある。↓
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北よりの入口を入ってすぐのホールはステンドグラスなのか、なかなか魅力的そうなものが外からも見える。 ↓
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↑ 中に入って見たい気もしたが、「帝国大学の学士様」でない者が入っていいのかどうかわからなかったので、つまみだされたら嫌なのでやめた。 今は昔、1980年だったと思うが、父が大阪の宗右衛門町の「高級料亭」らしいHに連れて行ってやってやってやると言うので、「要りません」「行きたくありません」と何度も言ったのだが、「わしが連れて行ってやってやってやると言うておるからには行くべきや」としつこく言うので言ったところ、父は「ええか、わかっとんのんか。この店はなあ。おまえみたいなもんが入ってええ店と違うねんぞ。わしいみたいなエッライえっらいエッライえっらいエッライえっらいエッライえっらい人間だけが入ることを許された店やねんぞ。おまえみたいなチャンコロが入ってええ店とは違うねんぞ。もし、おまえが、この店で食事しようなどと思うて一歩でも入ろうとしたならば、たとえ、席があっても『いっぱいです』と言われるか、さもなくば、『出て行ってちょうだいんか』言われてつまみだされるぞお~お」と言うのだった。それを聞いて、そんな店なんて、入りたくもないわ・・と思ったものだった。そんな店は「女たらし」が何より得意の「ギャルにもてもてのKOボーイ」とでも行けばいいだろう。何しろ、「わしぁ、日陰の月見草やからな」・・・・・。プロレタリアートとしてはそんな店なんて、頼まれても入りたくもない。実際、私は「行きたくない」「けっこうです」「行きたくありません」と何度も言ったのだ。この学士会館は同館のホームページを見ると、今は「帝国大学の学士様」でなくても利用できるらしいが、なんか、そういうややこしそうな所なんて、あんまり好きじゃないから、だから、前まで行って退散した。ロシア民謡「ドゥビヌーシカ」は日本では「仕事のうた」という訳名がつけられているが、その「日本語訳」の方で「イギリス人は利巧だから水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う。それは仕事のうた(ドゥビヌーシカの歌を)」。「ドゥビヌーシカ」とは樫の木の棍棒のことで、ヴォルガ川の船曳人夫が船を曳く際に縄をくくりつけて曳いたのがドゥビヌーシカ、樫の木の棍棒だったらしい。「ドゥビヌーシカ」が耳元で常に鳴っている者としては、「高級料亭」などというもの、「このわしのようなエッライえっらいエッライえっらい人間だけしかこの店は入れんねんぞお~お」ということにすると、アホが大喜びして高いカネ払って食いに来て、「この店の料理をおいしいと思う人間が食通」で「この店の料理を理解できない人間は食を知らん人間なんや」と吹き込めば、賞味期限切れであろうが、犬の肉でもミミズの肉でも段ボールでも、一生懸命、礼賛してくれる・・・というそういうおっさん連中の店・・・なんて肌が合わん。
※ 《YouTube-ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕) 》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
《YouTube-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY
  高橋貞太郎が設計した建物というのは、この学士会館、それに2代目の帝国ホテル、そして、駒場の旧前田公爵邸(旧近代文学館)。近代文学館は、建築の仕事になんてついていないし建築の仕事につくなんて思わなかった時に「これはいい建物だなあ」と思ったものだが、残りの2つ、学士会館と2代目帝国ホテルは、いずれも、「意図的にもったいぶる性格の建物」の要素がありそうに思える。「帝国大学の学士様しかはいっちゃいかん建築」「えらいエライえらい人しか泊まらせてもらえないホテル建築」と、「日陰の月見草にとってはなんか感じ悪いなあ建築」である。だから、そう思って見ると、悪いとは言わんが、「なんか、入りにくそう」て感じのアプローチの建築・・のように感じませんか? もっとも、帝国ホテル・ホテルオークラ・ホテルニューオータニを「高級ホテル御三家」とか言ったらしいが、今では、ホテルニューオータニの海浜幕張店なんてのは「宗教右翼」倫理研究所(=倫理法人会)のおっさんどもでも集会やっとるらしいし、帝国ホテルもうちの親戚の娘でも帝国ホテルの結婚式場で結婚式あげよったから、今では「たいしたことない」のかもしれんけども・・・。しかし、カネがあるとかないとかの問題ではなく、たとえ、カネがあっても、やっぱり、「日陰の月見草」にとっては肌が合わない。ロシア革命の際にロシアからアメリカ合衆国に渡ったドン=コサック合唱団の指揮者セルゲイ=ジャーロフが「ああ、ロシアに帰りたいなあ。ロシアの居酒屋で一杯やりたいなあ。アメリカ(合衆国)の金ぴかの御殿みたいなホテルにはあきあきしたよ」と語った・・とロシア民謡のレコードジャケットに書いてあったのだが、「ロシアの居酒屋」で出る酒というのは、もしかして、「うかつに飲むと4日酔いするウオッカ」かもしれないわけで、そんなもの、うかつに飲めないのだが、まあ、しかし、「あなたが最も好きな歌は?」と言われると、「ドゥビヌーシカ」と答えたい者としては、帝国ホテルとか学士会館とかそういう「わしのようなエライ人間しか入ったらあかんねんぞ。おまえなんか、入ったらあかんねんぞ」と言われそうな場所というのは、やっぱり、肌が合わんな。カネがあるかないかにかかわらず。「たとえ、カネがあってもベンツだのロールスロイスだのフェラーリテスタロッサだのなんて、乗りたいという気持ちにはならん。外車でも、フィアットのチンクエチェント(ルパン三世の乗ってるクルマ)なんかだと、『いいかな♪』とか思うけど・・・」というのと同系統の発想。まあ、フェラーリテスタロッサなんて買うカネはないけどな。フィアットのクルマは日本で売っているものもあるものの、チンクエチェントは日本では売ってないようだし。

  この建物は、窓の意匠に特徴があるようだ。↓
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↑窓の意匠がなかなか凝っているが、壁もけっこう凝っている。↓
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  次回は、「周恩来ここに学ぶ」碑 ・ 『親切な物理』でおなじみの研修学館跡・九段下ビル跡https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_1.html

   (2019.7.5.)

★ 神保町界隈
1.名曲喫茶でなくなった「名曲喫茶 白十字」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_5.html
2.「帝大学士様向け」だけあって入りにくいアプローチと入口の学士会館。〔今回〕
3.「周恩来ここに学ぶ」碑 ・『親切な物理』でおなじみの研修学館跡・九段下ビル跡https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_1.html


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