親戚の契約は(株)一条工務店でさせるわけにはいかない。――RC造の地中梁を無断で撤去。設計ミスで軒のない家を施主の承諾なく建てる。解体の際に隣家の塀も壊す。従業員の親戚の家には初めての大工・職人。「めんどうくさいですから」と施主宅に行って言うやつ・・――「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証16

[第713回]
  「一条工務店の家はすべてにおいて完璧にすばらしい」の反証 1993年5月頃までに知ったもの・経験したものを中心に述べてきたが、これまで述べてきたもののうち、いくつかは今現在は改善されているのだが、会社の姿勢については簡単には変わるとは思えない。「一条工務店の家はすべてにおいて完璧にすばらしい」の反証 をあげろと言われるなら他にもいっぱいあるのだけれども、 「完璧にすばらしい」という主張についての反証である以上、ひとつでもあげれば反証をあげたことになるし、中には、問題点ではあるが他社にもありうる話というのもあるのだが、「完璧にすばらしい」というそこまでの主張に対する反証であると、他社にでもある話であっても「完璧にすばらしい」の反証であれば反証として成り立つことになる。今、現在、問題点をあげるのなら、むしろ、1993年5月頃までのものより、むしろ、それより後の方を上げた方がいいのかもしれないが、1995年5月に名古屋南営業所の「所長」だった近藤路夫が「一条工務店の建物はすべての面にわたって完璧にすばらしい」などと事実に基づかない発言をおこなったことに対して、1993年5月頃までの「一条工務店の家はすべてにおいて完璧にすばらしい」の反証をおこなってきたが、反証をあげればきりはないのでほどほどにしておこうかと思うが、今回は「一条工務店では親戚の家を契約させるわけにはいかない」という話である。

(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の浜松営業とはどういう人間か。
「一条工務店の建物は同業他社と比べてすべての面にわたって完璧にすばらしい」の反証
《22》 親戚・友人・知人には(株)一条工務店ではもう契約させることはできない。
  親戚・友人から、仕事をもらえるというのはありがたい話である。しかし、自分自身が経営者である場合には、自分自身が責任を持って・誠意ある態度で仕事を遂行すればいいのだけれども、自分自身が経営者ではなく雇われて仕事をしているという場合にはそうもいかない場合がある。すでにできあがった物を販売しているような場合に、社員の知り合いということで割引価格で購入できるというような場合なら特に問題はない。住宅建築業の場合で雇われて仕事をしているという場合、その場合でも自分が営業担当として対応できるという場合には、その会社の営業社員でも、良心的な人もあればそうと言い難い人もいるような時、自分自身が担当するので他の営業が担当する場合よりもきっちりと対応できることが期待できる・・・と考えがちで、私も最初はそう思っていた。しかし、その観測は甘いということを実際に住宅建築業の会社 複数に勤務して思うようになった。
(1) 最悪のケースとして「カネだけ盗って仕事せずに逃げられる」という可能性。新華ハウジング(有)〔建設業。千葉市中央区。〕は2013年11月に正式に倒産したが、私は未払賃銀の債権を有していたのだが、民法上、「先取特権」という制度があり、賃銀債権は他の債権より優先的に弁済を受けることができることになっている。この際、私は自分の「甘さ」を痛感した。倒産申請をしたらしく、債権を有する者は指定の弁護士にその債権について申請してもらいたいということになっているという情報をつかんだので、この会社に勤務した際に知り合ったある業者にも教えてあげたのだ。親切心から。ところが、実は先方の方が先に情報をつかんでいた。先方の方が先に情報をつかんでいたにもかかわらず、私は親切心で教えてあげたのだが先方は私に教えてあげようとは考えなかった。理由ははっきりしている。先方の債権は請負により仕事をしたがそれに対する報酬をもらっていないということでのものであるのに対し、私の方の債権は賃銀債権であり、賃銀債権には先取特権があり、そういう相手に教えると自分の取り分が少なくなるからということだろう。私は、もともとは、「世間知」にすぐれた方ではなかったと思うが、何度も痛い目にあって少しは賢くもなり厳しくもなったつもりでいたのだが、しかし、私のそれらの「人生経験」は労働者・勤労者・従業員としてのものであり、自営業で仕事をしたことはなかったので「自営業者の厳しさ」というものは知らなかった。そこで、ひとつ、勉強させてもらった・・とはいえ、20代くらいなら、「勉強させてもらった」と思ってその後の人生を生きればいいのかもしれないが、「人生70年」と考えても「人生80年」と考えても間違いなく中間を過ぎてしまった者としては「勉強」ばっかりしてられない。
  ともかく、賃銀債権はその他の債権に優先される「先取特権」というものがあるので、いくらかは取得できるかと思ったのだが、これも認識が甘かった。賃銀債権よりもさらに優先される「先取特権」として税金というものがあるらしいのだ。税金と倒産申請のために裁判所と弁護士に支払うカネを払うと残りは0円です・・・と。いかにも、怪しい。それでいて、社長の親はけっこう大きい家に住んでいるのだ。それは会社の物ではなく個人の物だと主張するらしいが、そもそも、日頃から会社のカネと社長の個人のカネというのをそんなに厳密に分けていなかったはずの会社が、なぜ、そんな所で突然厳密に分けだすのか。 そもそも、倒産の原因だが、少し前まで社長の長谷川はかなり調子のいいことを言っていたはずなのだが、それが、なぜ、突然、倒産する方向で進むのか。普段から、業者に対する支払いを、支払い期限を過ぎても平気でいて、社長の長谷川の子分の植草が「ああ、あの業者は支払いが遅れてもやる業者ですから、いっこうに大丈夫ですよ」などと、相手はかんかんに怒っているのにそういうことを平気で口にしていたのだが、「大丈夫ですよ」と思っていても相手はそう考えていないわけで、そのうち、そんないいかげんな業者の仕事はやらないということになる可能性は最初から考えられたと思う。それもあるが、社長の長谷川は先物取引に手を出しており、私は「『ナニワ金融道』なんかを読むと、『しろうとが先物取引に手を出して儲けようというのは、それは、しろうとがボクシングのリングに上がって世界チャンピオンとボクシングをするようなもので、勝てるわけがない』と出ていましたが、大丈夫ですか」と言ったことがあるのだが、長谷川は「そう? 俺、儲けてるよ」とか言っていたのだが、それで失敗したのではないのか・・という気がするのだが。そうでないと、市原市五井に支店を出すとか言って土地を購入したはずだったのに、購入したはずの土地をそれを売却すると突然言い出したりというのはおかしいのだ。債権者会議の資料を見ると、「東日本大震災の影響で資材の入手が困難になり・・」などと書かれていたが、そんなものは絶対に嘘だ。むしろ、東日本大震災の影響で建築業界は「特需」とまでいかないかもしれないが、復興のための仕事ができてプラスにこそなれマイナスにはなっていないはずで、資材が手に入らなくなったというのは、それは東日本大震災の影響ではなく、業者に支払うべきものを払わないから売ってもらえなくなったのだろう。裁判官というのは一般の会社員と比べれば決して安くない給料をもらっているはずなので、こんなことはいちいち指摘しなくても、倒産申請においては、おかしな点は指摘するものかと思っていたらそうではないようだった。 社長の長谷川は会社の倒産申請、個人としての破産申請のために裁判所に来るに際しても、倒産する会社の破産する男にしてはいい服を着て裁判所に来て、払えるものは1円もないと言う相手に対して、普通、人間として「すいません」なり「申し訳ありません」なりの一言くらい言うものではないかと思うのだが、一言としてそういう発言はなく、終始、にやにやにやにやしていた。「してやったり」というところか。新華ハウジング(有)〔建設業〕とともに倒産させたビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕の代表取締役を倒産の少し前に実際には仕事をしていない形式上離婚した嫁に替わっているのだが、なぜ、そのようなことをしたのか。代表取締役だった自分を「退職」ということにして「退職金」として「会社のカネ」を個人に移したとかいうことと違うのか? 労働基準法違反については我慢して訴えずにいる労働者は少なくないのだが、しかし、それはその会社が存続してその後も従業員として多くないとしても給料を払ってもらえる場合のことで、払うものを払わずに社長ヅラするような男に遠慮することはないはずだ。だから、私も千葉労働基準監督署に卑怯者を訴えた・・が、労働基準監督署および労働基準監督官というのは、不良企業の不良経営者をなんとしても守ろうとするために存在しているようだ。千葉労働基準監督署の労働基準監督官 佐野は、「社長の居場所もわかりませんから」などと言うので、労働基準監督署といえども警察であり、労働基準監督署が「社長の居場所もわかりません」と言うのなら、私が捜してくるのは大変でも警察なら捜すのはそれほど大変ではないだろうから捜してくれば良さそうなものなのにそういう言い訳をしてきたのだが、債権者会議に長谷川が来ていたので、千葉労働基準監督署に電話を入れて、「長谷川の居場所がわからないから対応できないと言われていましたが、今、東京地裁に長谷川犯罪者が来ていますから逮捕してください」と訴えたのだが、ところが、それでも、「ですから、その件については取り上げないことに決めましたから」などと言うので、「なんで、取り上げないというのが認められるのですか」と言ったのだ。佐野は「証拠がそろわない」などと言うので、「私が証拠です。私が証言します」と言ったのだが、それでも、「この件は取り上げないことに決めました」と言い張り、 「『取り上げないことに決めました』て、勝手に決められても困るんです。起訴しないなら検察審査会に訴えますよ」と言ったところ、千葉労働基準監督署の労働基準監督官 佐野は「検察審査会というのは送検されたものを起訴しない場合のことで、これは送検していませんから、検察審査会には訴えられませんねえ」とひとを馬鹿にしたように言って居直るのだった。労働基準監督署と労働基準監督官は労働者の敵である!
  この件についてこれ以上述べると話がそれるので、この件については別の機会に述べるとして、2013年、債権者会議の際、長谷川が裁判所に提出した倒産申請の書類には、負債はこれだけあります・・という一覧が書かれていたのですが、これも、裁判官というものは日本の多くの会社員と比べて決して安くない方の給料をもらっているのですから、いちいち、債権者の側が指摘しなくても、おかしなものは裁判所として指摘するものではないのかと思っていたのですが、極めていいかげん。私が持っていることになっている債権の金額も適切と言えないし、それぞれの人の持つ債権額についても、信用できるとは言えません。その中で、契約客に対する債務がありましたが、夫婦で費用を出して家を建てるということで、夫に対して500万円、妻に対して500万円の債務があると記載されていたのです。私は、それまで、倒産申請の書類として裁判所に提出されたもので、裁判所がそれを認めたというものは信用できる内容のものだろうと思い込んでいたのですが、そうではありません。しかし、仮に、その書類の通りであったとすると、新華ハウジング(有)(といっても実際は代表取締役の長谷川新二ですが)はその夫婦合わせて1000万、カネだけもらってそれに対応する仕事をせずに逃げた・・ということになります。日本航空が「100%減資」などという人を馬鹿にしたことをして、そのおかげで財産を失ったとか、東京電力が福島第一原発事故で株価がドカンと下がって財産を失ったとか、そういう人もいるでしょうけれども、新華ハウジング(有)で契約して倒産時に夫婦で1000万円失ったという人というのは、最初から新華ハウジング(有)で建てようと考えていた人ではなく、最初はアイダ設計(株)https://www.aidagroup.co.jp/ に行って検討していた人で、それをアイダ設計(株)の長嶋(男。2011年当時、30代後半くらい?)という従業員が「私の知り合いでアイダ設計より安くやる工務店がありますから」というようなことを言ったらしく、新華ハウジング(有)に連れてきて契約させたというものだった。私は、程度の低い営業がいるんだなあと思って見ていたのだが、そういうことをやったアイダ設計(株)の男というのは、ヒラかせいぜい「ヒラのひとつ上」くらいの人間だろうと思って見ていたのだがそうではなかったらしく、長嶋はアイダ設計(株)では「部長」だったそうで、倒産申請の書類によるとその人に1000万円を失わせておきながら、その後も解雇されることもなく降格されることもなく「部長」であり続けています。世の中には、こういう「長嶋みたいなやつ」というのがいますから、気をつけないといけません。新華ハウジング(有)の社長の長谷川新二は、おのれの会社で在来木造や枠組壁構法(ツーバイフォー工法)で建てていたにもかかわらず、自分自身はマンション住まいで、しかも、戸建住宅を大成パルコンで建てようかと検討していたのでした。「パルコンていいねえ~え」とか言うとったという話です( 一一)。それでいて、私に「親戚の契約とってきてよお」などと言うので、この男、そういう性格なんだなと思いましたが、もしも、「親戚の契約とってきてよ」などという長谷川の言うことを聞いて親戚に契約させるなんてことしていたなら、えらい目にあったところです。アイダ設計(株)の店にアイダ設計(株)で建てようかと検討して訪ねた人でアイダ設計(株)の長嶋から新華ハウジング(有)を紹介されて新華ハウジング(有)で契約してカネを払った人と同じ目に合わされた、という可能性があります。長谷川新二の嫁の河野利華(女。当時、40代前半)の母親が住んでいる家は一部分は会社の倉庫にしていたのですが、しばしば、会社に顔を出して従業員に仕事に口出していた河野利華の母親は「私は関係ない」「この家は私の家で会社と関係ない」と勝手な主張をしているのですが――それまで、会社に顔を出して、自分はこの会社の経営者だという態度で従業員に仕事に口出していた女が、突然、「私は関係ない」などと言い出したのですからね。そういう女にはその態度に見合った対応をする必要があるように思いませんか――私は新華ハウジング(有)の机の引き出しに入れていた私の私物を持ち去られて失っているのです。長谷川新二に返すように再三にわたって請求しましたが無視されています。実力行使で個人の私物を持ち去って許されるのなら、相互主義の原則を適用しても悪くないような気もしないではありませんか。ともかく、新華ハウジング(有)などという会社で親戚・友人に契約させたなら、カネだけ盗られて逃げられる・・という危険は十分にある、ということを認識しないといけません。信用できないのは経営者であって働いている従業員の質が悪いということではありませんので、10万円程度のリフォームであれば、実際に仕事をする人間を見て、あいつが作業をするのなら悪くないかと判断して頼むという選択はあるかもしれませんが、高額の契約は危険です。

  デュマ=フィス『椿の花の女』(『椿姫』)(永田千奈訳 光文社古典新約文庫)には、マルグリット=ゴーティエが他界した後、高利貸しがマルグリットの家具を競売して利益を得るのを見て、「私」が述べる言葉が出ている。  
《商人の神と泥棒の神は同じという昔の教えは正しいと言えよう。》・・と。
そんな感じの「会社の経営者」が日本には現実にけっこういる。

  ある程度大きい所の場合はつぶれることはないかというと、ないとは言えませんが、新華ハウジング(有)よりはつぶれる可能性は大きくない・・でしょう。小堀住研(株)が1990年にエスバイエル(株)に名称を変更したすぐ後くらい、証券屋のおっさんが「エスバイエルの株を買いませんか、上がりますよ」と言ってきたと母が言うので、「はあ?」「ええか、あんな問題だらけの会社?」と思ったら、どんどこ株価は下がり・・・、そして、つぶれた。「証券屋のおっさん」てどこに眼ついとんねん! と思ったものでした、2011年3月、福島第一原発事故の直後、大和証券の千葉支店の男が、新華ハウジング(有)〔千葉市中央区〕に来て社長の長谷川に「今、東電の株を買うと株価が上がって儲かりますよ」などと言ったので、「こいつ、絶対、アホや!」と思った。電鉄会社の株を買うのに、何かいいことがあった時に買うよりも事故があって株価が下がった時に買った方が後に上がることが期待できますよお・・というならありそうにも思えるが、原発事故の影響なんてそんなに簡単に回復するものではないのであり、実際、東電の株価はその時よりもさらにどんどこ下がっていった。その大和証券の若造てのはアホと違うか?・・と思ったが、「違うか」ではなく間違いなくアホだろう。原発事故の直後、「今、東電の株を買ったら上がりますよ」て、いったいどこからそういう発想が出てくるのか・・( 一一)?( 一一)?( 一一)
  それで、エスバイエル(株)がつぶれても、ヤマダ電機が「いぬき」で買い取って(株)ヤマダエスバイエルホームにして、その後、「リフォームのナカヤマ」を買収したリフォーム部門と合わせて(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ にしたのですが、こういうケースだと、「つぶれた」としても、契約客にとっては買収した会社がその契約の内容は継承するでしょうからそれほど大きな被害にはならないでしょう。会社はつぶれなくても、家というものは「住むために道具」という性質とともに財産でもあり、「小堀で家を建てた」というのがステータスであった時期もあった小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)で頑張って建てた施主からすると、2代目社長の中島昭午が「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とかあっちやらこっちやらで言いまくって書きまくってされたのでは、すでに建てた家までが「小堀の家」の値打ちが下がってしまって、「土地付き建物」として売却して買い替えようと考えた場合、売値が下がってしまって迷惑である。

(2)  しかし、自分が経営者ではなく雇われて仕事をしている場合、親戚・友人・知人に契約させると、転職したいと思った場合にも転職しにくい、ということになります。この会社にずっといるというつもりだから、親戚・友人・知人に契約させたとしても、解雇される可能性だったありますでしょ。今となっては何十年か前、「産経新聞」に掲載されていた話ですが、「自分は優秀だから解雇されることはない」とか思っている人とか、「あいつは言いなりになる性格だから辞めさせられるが、俺はそんなに言いなりになったりしないから大丈夫」とか思っている人とか、「あいつは何かと逆らう人間だが俺は会社に従順だから辞めさせられることはない」とか思っている人がいるが、そんなことはない。そんな認識は滑稽で、実際に調べてみると、実際には、さまざまな人が解雇の対象になっており、絶対に大丈夫などという人なんてどこにも存在しない、と書かれていた。自分が解雇されても、親戚・友人・知人の契約はその後も有効なのです。そういうことを考えると、親戚・友人・知人の契約なんて、させない方がいいのじゃないかと思えます。ところが、自分からは「うちで契約してよ」なんて一言も言っていないのに、住宅建築業の会社に勤めているのなら、あんたに頼もう・・というように話をされることがあるのです。ひとつには、1980年代後半、小堀住研(株)に入社した時の入社後の新卒社員研修の際に、副社長のKさんが「住宅建築業の業界は、業界は成熟している。会社は未成熟」と話したことがありましたが、この言葉の意味は、住宅建築業の業界は、需要は安定していて無くなることはないが飛躍的に増えることも考えにくい、供給の方もすでに需要を満たすだけの会社は存在している、という意味で「業界は成熟している」。それに対して、会社は、どの会社がというのではなく、全般に「未成熟な会社」が多い業界だ、ということです。私はそれを聞いた時にはそうなのかどうかわからなかったが、実際にその業界に勤めて、住宅建築業の業界というのは、本当に「未成熟な会社」が多い業界だと思うようになりました。それも、特定の会社が未成熟というのではなく、全般にそういう傾向があり、しかも、1980年代後半、小堀住研(株)に入社した時から30年も経ちますが、30年経ったら30年分、成熟しても良さそうに思えて、ちっとも「成熟」しない。どうも、そういう「業界」です。ところが、他業界に勤めている人はそういうことを知らない。だから、「見てくればっかりいい会社」に勤めていると、この会社で契約させると危ないのではないかとそこに勤めている人間の方が心配していても、そう思わない人がいるのです。
  自分自身の家の契約なら話はまた別です。自分自身の契約ならば、契約しても、会社がまともに対応しないようなら、解約する、もしくは、「解約するぞ!」という姿勢で臨むということもできますが、親戚・友人・知人の場合は、自分自身が当事者ではないので、それはいくらなんでもひどい、「遠慮なく、強く言っていいよ」と言っても、遠慮して言わない場合が少なくない。(株)一条工務店で従業員として在籍中に契約して、完成までに辞めたというのか辞めさせられたというのかという人もあったようですが、そうなると、「契約者」「施主」はもう会社に遠慮なんてしません。工事にいいかげんな所があると・・というのか、ある会社ですから、それまで、「所長」だと言ってえらそうにしていた男に「おい、◇◇さんよ。いったい、これ、どうしてくれんだよお!」・・と・・、そりぁ、なりますよね。「この野郎!」てものです。

(3)  1992年、私の姉夫婦が家を建て替えようかと言い出したのです。その頃は、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ という会社の施工の問題点はけっこう見ていたのですが、会社の内容という方はまだわかっていない部分が多かった。それにしても、私は定年までこの会社で歩むつもりでいましたので、頼んでもらえるものならという気持ちもありました。しかし、 「間違いのない家づくり」と称するアルバム帖を展示場の机に置いて、こういう施工ではだめでこのように施工しないといけないんだと説明している会社が必ずしもその好ましい方の施工をしていないというのを自分自身の目で見て知っていましたし、「大手ハウスメーカーのうちの1社というのならともかく、東京圏で家を建てるのに住宅建築会社は何社もあるのに何も物好きに浜松工務店で建てなくても・・」とも思っていました。2001年、私が東京展示場に入社する前年まで東京展示場にいた浜松の本社の西尾と話をした時、彼が「私も東京展示場にいた時は、何らかの形で『地方』とつながりがある人でないと契約してもらうのは難しかったですね」と言うので、そうだよなあと思ったということがありましたが、最近は状況はその頃と同じではありませんが、1992年頃の(株)一条工務店の東京展示場においては、契約してもらえる可能性のある人というのは、
<1> 浜松など「地方」の出身で、「地方」で建てるか東京で建てるか迷った末、東京で建てることにしたという人。こういう人は「地方」の家と東京の家の折衷様のようなものを建てることが多い。
  もしくは、東京に住んでいて浜松など「地方」で建てる人。[第709回]《「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証12-ひとの追客中見込客を横取りして放置する「一条の土台を築いてきた人たち」、それに加担する営業本部長。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_7.html で述べた浜松出身で東京営林局に勤めていたが退職後、浜松で家を建てて住もうということで、それまで職場としてきたウッディランド東京の中にある東京展示場に来られたが、かつて東京展示場にいてその時点では土浦営業所の所長だった田中義一が、過去に東京営林局に勤めていた人に1件だけ契約して建ててもらったことがあるということを″大義名分”として東京営林局に勤めている人はすべて土浦営業所の担当にすると主張して横取りした上で長く放置してぶっつぶした方のように、東京に住んでいるが浜松など(株)一条工務店の評価が高い「地方」の出身で、「地方」で建てたいという人。こういう見込客を横取りされたのでは東京展示場では契約は取れないことになってしまう。そもそも、東京展示場に来場される客を契約取りたいのならば、田中義一は土浦営業所に転勤せずに東京展示場にその後も勤務するべきで、東京展示場に来場された客を土浦が横取りするのなら「相互主義の原則」として土浦展示場に来場された客を東京展示場の営業に渡すべきだろう。こういう場合、東京営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫は田中義一の方に「所長」の肩書を付与していたという理由から必ずためらわずに田中の方に加担するのであったが、そんな男をたとえ兼任でも「東京営業所長」と言えるかというと、普通はそんな男を「東京営業所長」とは言わないし言えないはずである。
<2> 江東区・江戸川区などの狭小敷地での建替えで、延床面積20坪程度、敷地も狭く、大手ハウスメーカーの規格住宅ではその延床面積のものはないか、延床面積30坪未満は施工しないというもので、規格プランというものはない(株)一条工務店でなら対応できた、というケース。小堀住研(株)では営業の評価は粗利益(粗利 あらり)を基に計算されていたし多くの大手ハウスメーカーはそうだったのではないかと思うのだが、(株)一条工務店は大きくても小さくても高くても安くても1棟あたりで評価されていたので、大手ハウスメーカーでは、営業は粗利益額である程度以上の実績を残さないといけないので、実際問題として、そんなちっさい家を苦労して建てても・・となるところを(株)一条工務店では営業は20坪の家でも50坪の家と同じ評価になったので、「20坪キラーの木南さん(仮名)」(男。当時、40代)などはこれがけっこう得意だったようだ。
 1992年においては、「リーダー」の宮崎さんが「30坪未満の建物は、工務課が工事管理が大変だから、契約取らないで」と言って、浜松・掛川では契約可であるものを東京展示場においては契約禁止にしてしまい、そのケースに該当した私が担当して接客した文京区の某さんは、ある程度以上検討いただしていたが、宮崎さんの指示に従って私は追客を断念した。それに対して、服部(男。当時、20代後半)は服部が接客した20坪台の見込客について「リーダー」の宮崎さんからは「20坪台の建物は工務課が現場を管理するのが大変だから契約取らないで」と言われていても、宮崎さんに言うと「契約取らないで」と言われるが、兼任営業所長の天野隆夫に言うと「そんなこと言わずにともかく契約とれ」と言うというのがわかっているから、だから、天野隆夫に話して「宮崎さ~ん♪、天野部長が、この20坪のお客さん、契約とれなんて言うんですよお~お。困っちゃいましたあ。いったい、どうしたらいいでしょうかねえ~え。どうしたらいいと思いますか、宮崎さん」などとナマ言って(な~にが、「いったい、どうしたらいいんでしょうかねえ」だ、なにが「困っちゃいましたあ」だ、なにが! ちっとも困ってないだろうが!!! そういうように持っていけば「リーダー」の宮崎さんは「部長がいいって言ったってだめ」と言えない人だとわかっているからそういう持って行き方をしたのだろうが、このカマトト野郎!!)契約した。私が「リーダー」の宮崎さんの指示に従って追客を断念した文京区の方は、再度、来場され(ということは私の接客は悪くなかったということでもある)、玉城(男。入社1年目。当時、30代前半)が担当で契約した。私は、「リーダー」の指示に従うと損だと思えば「リーダー」を飛ばしてその上に話をして通してしまうという服部の手法は会社員としてやってはいけないことだと考えて、泣く泣く有望見込客を捨てたことで1棟失くして1棟分マイナスの評価を受け、服部は営業本部長の天野隆夫と組んで「リーダー」の指示を破ったことで1棟契約を取り1棟分プラスの評価を得た。この会社はこういうことが多すぎる。
<3> 東京圏でも、私が担当で契約いただいた千葉県市原市のYさんや、私が問合せの電話を取ってカタログなど送り来場を促して来場され、来場された時に橋本薫(男。新卒入社1年目。当時、20代前半)が担当して契約いただいた神奈川県相模原市のS野さん、大手ハウスメーカーでは電話での問合せは、その時点で「引き合い」と考え、カタログを送ってほしいと言われて住所・電話を聞いたなら、郵便代を使って送るのではなく持って行くもので(郵送してくれと言われたから郵送したのでは、その時点で、持って行った同業他社に一歩遅れる)、そこから営業活動は始まるのだが、その頃の(株)一条工務店は電話での問合せでカタログを送ってほしいと言われると、持っていかない、郵送で送る、電話をとって郵送した者は担当ではなく、来場されて接客した者が担当という変なことをしていて、その為、有望見込客の電話を私が取りカタログなども送ったものの、橋本が接客して契約したのだが、普通、私が電話をとって、その電話の対応が悪くなく、カタログなど郵送した際の内容も悪くなく、来場を促すものを送ったことで来場して、その人を接客させてもらって契約に至ったのなら、電話を取りカタログなど郵送して来場を促しそれも成功して契約したのなら、それまでやった営業に「S野さん、契約になりました。どうも、ありがとうございます」という一言くらい言うのが営業という仕事をする者の常識のはずだが、橋本はそれを一言も言わなかった・・だけでなく、契約前に服部に一度同席してもらったということで服部には「どうもありがとうございます」と言ったのだ・・ということは、私には「おまえには世話になっとらんわ!」と言って喧嘩売ってるようなものだ、こいつ、よくもそこまでやるもんだな・・と思った・・という相模原市のS野さんのように、東京圏でも千葉市よりも東・南、神奈川県でJR相模線沿線くらいから西、埼玉県でも川越市など浦和・大宮よりも北・東・西で、それよりも東京よりに住んでいた人が分譲地を買って建てた、東京の内側から外側に出て行ったという人ではなく、もともと、その場所に住んでいたという人で、兼業農家の人か、5月に上棟された「リーダー」の宮崎さんが担当で契約された埼玉県川越市の某さんのように、その時点では農家ではなく、分譲地に建てる人だけれども、浦和・大宮より東京に近い側から浦和・大宮より東京から遠い側に出ていった人ではなく、浦和・大宮よりも東京から遠い側にもともといた人。
この3タイプだったと思う。姉も義兄もこの3タイプのいずれでもなかった。
  どこに頼むかは別として、姉夫婦が住んでいた家はそう無茶苦茶古いわけでもなく、建て替えるかどうかは決めかねていたようでした。もっと、休日をきっちりととれる会社ならば、親戚の家の話は休日にこっそりとすることもできたのですが、なにしろ、「『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の会社の方針だ」と営業本部長の天野隆夫が言う会社で、勤務日は夜遅くまで働いており、週休日の前日になると、天野は「なんで、休みの日に休むんだ!」などと言う男で、だいたい、「休みの日」と言っても、週1日の週休というのは、服の洗濯をして、靴を磨いて、ワイシャツなどをクリーニング屋に出して出していたものを受け取って、クルマの掃除をして・・といったことをやると、もうその1日は終わりで、週休の日に何かやって遊んでいるわけではなく、そんな時間などないのです。 天野隆夫は私に「休みの日、いったい、何やってんねん。独身やったら、暇で暇でしゃあないやろ」とバカにした口調・びくpぃで言いましたが、ちっとも暇ではありません。むしろ、夫婦で暮らしていると役割分担をすることができて、1人分でも2人分でもやることは一緒というものを2人で分担してやれば、その分だけ時間を空けられる場合があるくらいです。週1日の休みを「なんで、休みの日に休むんだ!」と言って週休を取らさないようにして、休日出勤手当は払わないようにすれば、その分だけ、営業活動が進んで成果が出るだろうと天野隆夫は考えたようですが、週休の1日を奪われるとどうなるかというと、洗濯をしたり靴を磨いたりする時間が奪われるということであり、汚い服でも着ざるをえない、磨かれていない靴でも履かざるをえない・・ということになるということで、営業活動にプラスになるものではありません・・・がそういうことをやりたがる男でありそういう会社でした。
  ですから、親戚の家の話については休みの日にやるということは、やろうと思ってもできなかったのです。だから、仕事日に話もして、工事現場の案内も仕事日に案内しました。
  女の兄弟というのは難儀だなあと思ったこともあります。男の兄弟ならば、「俺はこの会社に勤めてはいるけれども、・・という点ではいいかもしれないけれども、・・・という問題もあるんだよ。それは頭に入れておいてくれな」ときっちりと言えるのですが、施主は義兄ですが、自分の勤め先を義理の相手にあんまりボロクソに言いたくないところもあり、それで、姉は私と義兄の間にいる存在であるのでうまく話してもらえれば・・と考えたのですが、ところが、どうも、女性は結婚すると、あくまでも、「そのダンナの嫁」という立場になってしまうようで、「パパに言って」と言うのでした。だから、そのパパに言いにくいから、あんたに話しているのでしょうよ・・・と思っても、それでも、「だから、パパに言って」と言うのでした。「パパ」に全幅の信頼を置いていたようで、なんでも、「パパ」に言わせたいようでした。女の人はそうなのだろうか・・と思ったりもしましたが、施主が義理の関係というのもやりにくいものでした。

   1992年の秋くらいから、どうしようかと言い出したのでしたが、(株)一条工務店の東京展示場では、週に1回、各営業が自分が追客中の見込客の進捗状況を発表していたのですが、私は、最初は無警戒に正直に話していたのでしたが、ある時、なぜ、その人が契約してもらえないか・・という問題について、どの方についてだったか、予算から考えて(株)一条工務店は少々高いということがあるということを話した所、服部(男。当時、20代後半。中途入社1年目)が「『高い』なんて言うということは、〇〇さんがお客さんに一条の家のことをきっちりと説明できてないからそういうことを言うということだ」などと言い出し、私が「そういうことではなく、予算から考えて少々厳しいという話ですよ」と言っても、服部が「だから、一条の家をいいと思ってくれたら高いなんて言わないのに、そう言うということは〇〇さんの説明が悪いということだ」と言い張り、まともに話をしても話が通じないので、それで、この「営業会議」は害がある、ここでは本当の話は表に出さない方がいいようだなと思うようになった、ということがありました。
  たとえ、どんなにいい物でも、それを購入するだけのお金がないから出せないということはあるのです。住宅営業の基本的な認識として「ボロ家に住んでいる人間が建て替えるのではない。たとえ、新しい家に住んでいても、建て替えるカネの出せる人間が建て替えるのだ」という話があります。実際、もともと、1軒の家だった所を不動産屋が2分割して2軒の建売住宅にして売りに出していたところ、2軒とも買ってぶっ壊して新しい家を建てたというケースを見たことがあります。佐藤時夫『工務店の「営業テクニック」―建設業ポケット実務シリーズ(5)』(1990.11.1.日本コンサルタントグループ)には、
《 感度の悪いセールスマンは、新築・建て替えをする建主は家が古いから建て替えるもの、と考える。
  そこで古い家ばかり飛び込む。「コンニチワ。〇〇建設です。建て替えの計画はありませんか」。「そんな計画なんてないわよ」。建て替え計画を口にされたその家の奥さんは、さぞセールスマンに嫌味を言われたと思い込み”イヤなセールスマン”と嫌う。古い家に行って、建て替えを言われた当人が、気持ち良く返事をするはずがない。建築後数百年も経ち、古さに値打ちがある場合は別である。当人は古い家が好きでそれに住んでいるのではない。古い傾いた家に住んでいなければならない理由があって住んでいるわけだ。それを古いからどうの、ということはお節介以外の何ものでもない。・・・》
と書かれているが、古い家に住んでいる人間が建て替える人間とは限らず、古い家でも傷んだ家でも住まざるをえない人間だっているのであり、仮に、(株)一条工務店がどんなにすばらしい家を建てるとしても、その予算を出せない者にとってはしかたがないのです。
  1999年、栃木県にて仮契約して検討してもらったものの解約してひとまわり安い所で契約された方から、「本当は一条さんで〇〇さんに担当してもらって建てたかったのですけれども、でも、うちはお金がないからしかたがないんですよ。〇〇さんが悪いのと違いますよ。営業所長さんに私が電話をして『決して、営業の〇〇さんが悪いのと違います』と言いましょうか。実際のところ、営業の人にしても、やっぱり、安い所の人というのはその程度の人ですよ。〇〇さんなんかと比べたら格下の人ですよ。でも、うちはしかたがないんですよ」と言われたことがありました。これは、「良さをきっちりと説明してないから」とかそういう問題と違うのです。服部はそれを理解できない。
  東京展示場(江東区潮見)に在籍した時にも、江東区のマンションに住まれていた方で土地を買って戸建住宅を建てようと検討されていたEさんに、浜松まで工場見学会に行っていただき、工場見学会では相当気に入ってもらえたようですが、最後、「建売の家とかも見に行ったのですが、不動産屋は『あそこも悪くないですよ』とか言うのですが、悪いんですよ。はっきり、悪いですよ、一条さんと比べたら。そんな建売の家なんて買いたくないんですけどれどもね。でも、うちは土地と建物と両方を購入しないといけないから、もしも、土地があって建物だけ手に入れればいいということなら、今すぐ、一条さんと契約しますよ。でも、無理なんですよ。どんなに頭を絞って考えても。だから、とりあえず、建売住宅を購入して住んで、うちの子供が大きくなった時に、一条さんでか他の所か請負で建てている所でもっといい家に建て替えることができたら、まあ、それでいいか、と思って建売の家を購入しようかという考えになったんですよ。それしかないんですから」と言われた。
  橋本薫(男。20代前半。新卒入社1年目)が契約してもらった相模原市のS野さんから問合せの電話を受けたのは私で、カタログを送ってほしいと言われたならば、小堀住研(株)でならば電話を取った者が即座に持参して営業活動を始めるというのが鉄則だったかし小堀住研(株)に限らず多くの住宅建築業の会社においてはそうだったのではないかと思う。ところが、(株)一条工務店という会社は変わった会社で、「電話でカタログを送ってほしいと言われた場合に持参してはいけない」という”ルール”があったのだ。それで、私は、できる限り、来場してもらえるようにと内容を工夫してカタログを送付した。しかし、営業がカタログを送るからには、ともかく、「カタログセット」を宅急便なり定形外郵便なりでそれだけで送るのではなく、送り状にも文章に工夫をして、何を入れるかにも工夫をして、来てもらえるようにという思いをこめて送るのだから、持参するのではなく郵送するにしてもすでにそこで営業活動は始まっているのである。それで、S野さんはそのすぐ後で来場され、来場された時に接客したのが橋本だった。やっぱり、気を配って電話に応対し、細心の配慮のもとに心をこめて送付物を選び郵送して、その結果、来場された・・ということは、基本的にはそこまでやった者の担当にするのが妥当ではないのかと思ったのだが、(株)一条工務店では、そこまでやった者の担当ではなく、そこまでやって来場されたなら、来場された時に会った営業の担当としていた。「会社のルール」がそれならしかたがないとは思ったが、それにしても、その見込客が契約されたならば、契約された時には、橋本はそこまでやった者に「S野さん、契約いただきました。どうも、ありがとうございます」という一言くらいは言うのが営業であり社会人としての礼儀ではないかと思うのだが、浜松での「研修」でそういうことは言うなと教えられてきたのか、橋本はそういった文句を一言として言わなかった。それだけではなく、服部(男。中途入社1年目。当時、20代後半)に、契約までに、一度、同席して協力してもらったことがあったということで、橋本は服部には礼を言ったのだ。これだと、「おまえには世話になっとらんわ!」と言って私に喧嘩を売っているようなものであるが、そういう態度を取れと浜松で「研修」されてきたのかどうか、橋本はそういう態度を取ったのだった。橋本は日体大卒らしいが、そういう態度のことを「さわやかスポーツマンシップ」とか「体育会系の礼儀」とか言うのかもしれない。そのS野さんは、相模原市の兼業農家で土地はあり、これは(株)一条工務店で建ててもらって悪くない人だと思った。野球でヒットを打てるかどうかと言っても、ストライクゾーンに球が来ていないのにヒットを打てと言われても簡単ではないのだ。それに対して、S野さんは間違いなく(株)一条工務店のストライクゾーンのお客さんだったのだ。そのS野さんが浜松に工場見学会に行かれた同じ時に工場見学会に行ってもらったのが千葉県流山市の某さんで、工場見学会に参加してもらった印象は良かったのだが、なかなか契約にはならなかった。理由ははっきりしている。今、住んでいる家を売却して、今よりも広い土地を購入してそこに建てようという計画だったが、思い通りの土地がなかなかないし、今、住んでいる家と土地をいくらで売れるかというと、これも思い通りの値段で売れるというものではなかった。相模原市のS野さんが契約になって、流山市の某さんがなかなか契約にならなかったというのは、これは営業が悪いのではない。買い替えというのは簡単ではないのだ。2000年代、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕にいた時、分譲マンションを売却して、東海住宅(株)で建築条件付き土地を購入して東海住宅(株)で戸建住宅を建てたという方があったが、東海住宅(株)のような「不動産屋兼建築条件付きなど中心の建築屋で売買の不動産の方に比重がある会社」で元の家を売却して建築条件付き土地を買って建てるというケースだとうまくいく場合がある。その場合も、売る方のマンションは高めで売りたいのはやまやまだが、高めの値段で出して売れないと困るので安めの値段で出して売却して買い替えるという方法を取った。(株)一条工務店の方が東海住宅(株)と比べればいい家を建てているというのは、それは東海住宅(株)の人間が知っていることだが、しかし、(株)一条工務店にはこのケースの東海住宅(株)のようなそれまでに持っている不動産を売却してその売却金額と合わせて土地と建物を販売するというノウハウを会社として持っていない。だから、買い替えの人の場合には、建築請負業のみの会社が契約にたどりつけるかどうかは、その点において難しい所がある。同じ時に工場見学会に行ってもらった相模原市のS野さんが契約になって流山市の某さんが契約にたどりつかなかったというのは、その点に違いがある。誰しも無限大に資産や年収があるわけではないので、「中の上」くらいの価格帯で建てている会社においては、予算の上でまとまらないことがあり、買い替えの場合には妥当な買い替えの土地が見つからないということからまとまらないことがある。十分に土地があるS野さんのような人が契約になって、買い替えの人になかなか契約してもらえないというのは、営業が悪いというのではないはずだ・・・・が、「遠州人」は営業が悪いことにしたいようだ。それが「遠州人」根性というものなのだろう。小堀住研(株)では「有望見込客」という言葉を日本語の通常の意味で「有望な見込客」という意味と別に「土地あり・2年以内」の見込客を「有望見込客」と定義づけていたが、それは請負で建てている住宅建築業の会社にとっては「土地あり」の人とそうでない人とでは契約に結びつく可能性は大きく違い、たとえ、どんなに人間的にすばらしい人でもお金のない人は家は建たないのとともに、建てる土地が決まっていない人に契約してもらうのは建築地がはっきりと決まっている人に契約してもらうのとは条件は大きく違うからであり、この点は、やはり、請負で建てていた(株)一条工務店もまた同様であったはずで、前職の経験が「芸が身を助ける」こともあれば逆の場合もあり、1990年代、福島県いわき市の営業所では、不動産屋から転職で入社したK野T夫さん(男。当時、40代)は不動産屋の経験があり、実際、経験がない者より不動産業についてわかっている部分もあった(し私も協力してもらったことがあったのだ)が、それだけに、どうも、他の営業なら土地のある人を中心に追いかけるところを土地のない見込客の方を追いかけてしまうところがあり、所長の方のK野T男さん(男。当時、50代)がよくそれを指摘していた。K野T夫さんは自分で自覚していなかったのではなく、「俺は土地なし客は追いかけないようにしている」と口では言っていたのだが、自分ではそう言うかもしれないが、やっていることを見ると、いわきの営業の中で最も土地なし客を追いかける営業は間違いなくK野T夫さんだった。K野T夫さんに限らず、どうも、元不動産屋の人というのは「土地なし客」を追いかけたがる傾向があるように思われ、前職で身に着けた「芸は身を助ける」ことも時としてあるけれども、逆にマイナスになる場合もあるようだった。なぜ、土地なし客を中心に追いかけてはいけないかというと、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕http://www.10kai.co.jp/ のような売買の不動産業の方が中心で分譲地も持ち建築条件付き土地を買ってくれた人や建築条件のない土地を仲介で買ってくれた人などに自社で建てる建築の部隊を持っているというタイプの建築会社や、アイダ設計(株)のような今は請負で建てる比率の方が大きくなったらしいがもともとは土地と建物とセットで売る会社で、魅力的な分譲地を多く持って土地のない人に土地を世話して建ててもらうというシステムのある会社ならば、それはその会社の得意の分野なのだからいいだろうけれども、(株)一条工務店というのは基本的には「土地を持っている人に建物を建ててもらう」という会社なのだから、自社の得意分野の見込客を中心に追客せずに苦手分野の人を中心に追いかけたのでは成果は出にくくなるのは当然で、又、「まん中より高めの会社」は土地と建物の両方を購入しないといけない人を追客すると、結果として「一条さんで建てたいのだけれども、うちは予算がないから」ということになる可能性もあるので、だから、いわきの営業所長のK野さんはそれをやっちゃだめだと言っていたのだ。そういう「土地を買って戸建住宅を建てたい」という人には、建物の内容について気に入ってもらえたとしても、それでも話はなかなかまとまらないということは珍しくも何ともない。
  ラジオの野球中継を聞いていたところ、解説者の落合が「そんなもの、一流投手の投げる会心の球なんて、誰だってヒット打てるわけないんだから、そんなもの、打たなくていいんですよ。そんなもの、誰だってヒット打てるわけないんだから」と言っていたが、「一流投手の投げる会心の球」を打たなくてどうするんだというと、「失投を逃さず打つ」というのだ。相模原市のS野さんは(株)一条工務店の営業にとっては野球のバッターに例えれば「逃さず打たないといけない球」だったわけだが、私が入社1年目の東京展示場にはそういう「ヒットを打てる可能性のある球」がなかなか来場されなかったのだ。 家庭科の実習で来た高校生の女の子を相手にどうやって契約しろってんだよお! 建築専門学校の先生から見学してこいと言われて、それを大義名分にしてデートで来たにーちゃんにどうやって契約してもらえってんの?!? 林野庁・東京営林局が運営する施設だということで見学に来たらしい霞が関の官庁の役人のおっさん連中を相手にどうやって契約してもらえっての!?! 彼らは家を建てようという気持ちで来場しているのではないのだ。もっと安い物ならば、買うつもりなく来店しても「何気なしに買っちゃった」ということもあるかもしれないが、家というのはそんな感じで買ってもらえるものとは違うのだ。 「一流投手の投げる会心の球」ならまだしも、ボール球ばっかり、そんなのばっかり相手にさせられて・・・、実際のところ、疲れた・・・。
  1990年代、私が福島県いわき市の営業所に転勤した後、(株)一条工務店の経営者は、私が入社1年目に在籍した東京都江東区潮見にあった東京展示場(名称変更して、「東京東展示場」)は、有望な見込客の来場が少ない展示場としては条件の悪い展示場だと判断して、私が入社1年目にはそこに最大で13人も営業を押し込められて、小さいπ(パイ)を13人で奪いあっていた所に、平日は無人にして週末だけ近隣の展示場から1人だけ詰めるということにしたそうで、そうした結果、私たちが13人で奪いあったπ(パイ)を独り占めした男は、結果として”トップセールス”になったらしい。よくやってくれると思う。(株)一条工務店の経営者がやることはいつもこの調子である。 セブンイレブンとかローソンとかファミリーマートとかのコンビニを見ると、店員は2人か3人いることが多いように思うが、もしも、同じ店舗で、店員(営業)を26人配属して営業活動をさせた場合と、店員(営業)を2人で営業活動をさせた場合では、26人も配属されたのでは、少ないπを奪い合えば1人あたりの売上は小さくなるのは当然で、1人では運営しにくいとしても2人くらいで運営(営業)した場合は1人あたりの売上は26人で営業やった場合よりも、「1人あたり」で考えるとずっと多くなるのは当たり前である。(株)一条工務店の経営者はいわばそういうことをやっていたのである。そういうことをやって、13倍も配属された人間に、「なんで売れんら」「なんで売れんら」とか言いまくってきたのである。自分自身はやらない人間が。
  東京展示場にいた服部(男。当時、20代後半)は、営業会議の際、ひとの見込客について、予算の上から考えて見通しは厳しいという人に、「それは〇〇さんが一条の良さをきっちりと説明してないから、だから、高いなんて言うんだ。一条の良さをきっちりと説明していれば高いなんて言わないはずだ」とわあわあ言うのを得意にしていたのだが、それはまったくあてはまらないのだが、こいつ、いいかげんにしろよと相当気分を害していたのだけれども、又、「展示場リーダー」の宮崎さんは「リーダー」ならば服部にきっちりと注意するべきはずであるのに、なんで服部に注意しないのか、注意できないようでは「リーダー」として合格と言えないのではないかとも思ったのだが、私はともかくも《「旧帝大系国立大学か早慶」出身者として入社した者》として高卒で入社した人の暴言にいちいち腹を立てるのは大人げないと思ってずっと我慢をしてきていたのだが、彼は少々限度を超えていたようだった。

   姉夫婦の家を建て替えるかどうかということも、実際に建て替えるのかどうかも決めていなかったので、どうなるかわからないものを、あまり、言いたくなかったので、控えめに、「うちの兄弟がどうしようかということを考えているらしいので、話をしています」というくらいに話しておいたのです。それ以上は、はっきりと決まるまで、できるだけ表に出さないようにしたいと考えていました。
  12月になり、住宅建築業の会社は新年から価格を改定する場合があり、年末までに契約しておけば、施工するのは新年後でも年末までの価格でやるので、もしも契約延期もしくは契約取りやめになった場合には契約金は返金しますからということで契約だけしてもらうようにという話が会社から言われたのですが、そういうケースもあるかもしれませんが、姉夫婦の家の場合には、その時点では、どうするのかまだ決めていませんでしたし、まったく、他人なら、契約だけしてもらえれば、年末までの価格での契約になり、新年後、取りやめになったなら契約金は返金しますということも言えますが、親戚の場合には、そういうことは言いたくないし、言いにくい立場でした。又、会社という所においては、親戚の契約というのは、かえって、やりにくい面もあり、「建てるのかどうかも決めていないのに契約だけしておく」というようなことはやりたくなかったのです。ところが、服部(男。当時、20代後半。中途入社1年目)が「〇〇さん、△△さんは契約だけしてくださいと言えば契約してもらえるのと違いますか」と個人的に言ってきて、私が「まあ、兄弟だからね・・」と言ってはぐらかしても、「契約してもらえばいいじゃないですか。どうして契約してもらわないんですか」と相当しつこく、こいつ、危ないやつだな・・と警戒した、ということがありました。
  彼は入社1年目、東京展示場で彼だけが契約を多くあげていたのでしたが、その原因としては↑で述べたようにずるいところもあったのですが、彼が展示場で来場客と話をするのを壁の後ろなどで聞いていても、特別のことを話しているわけでもないのでしたが、後に考えて見ると、「営業的運動神経」とでもいうのでしょうか、同じことを話すにしても、どのタイミングで話すか話さないか、といった瞬時の判断力といったものが、彼は優れていたように思うのです。相撲のテレビ中継で、その頃だったか、今の理事長の北勝海が小錦に勝った相撲で、どの間合いで出るのか、どの間合いで引くのかという瞬時の判断力というのか運動神経というのか、そのあたりが北勝海は優れていたのではないかと感じた相撲があったのですが、服部の場合、同じことを話すにしても、そのあたりの判断力というのが他の者より優れていたのではないかという感じがしました。彼は自営業者の息子だったようで、もしかすると、サラリーマンの息子の私なんかとはそのあたりが違ったのかもしれません。その点において、(株)一条工務店の営業の仕事をするにおいて、彼は私のある部分において「師匠」ともなったわけです。この点において私は彼を評価しており、決して否定しませんし、そもそも、「弟子」が「師匠」をほめるということは「師匠」をほめることによって「師匠」から学んだ自分をほめていることにもなります。その点はいいと思うのですが、しかし、他方において、親戚に契約してもらうかもらわないかというのは、これは大変デリケートな問題であり、それを、無神経・無縁慮に土足で口出してきて、契約してもらわないのはおかしいというような圧迫を加えてくるという態度というのは、そういう無神経で傍若無人な態度、デリカシーのない態度というのは、あまり好感の持てるものではなく、「こいつ、危ない男だな」と警戒心を持たされることになりました。 私に警戒心を持たせることになる態度を取ったというのは、彼にとっては、そういう傍若無人な態度が「積極的」であるかのように受け取られて契約してもらえるという場合もあったのかもしれませんが、その時の私のように警戒されて、その時の私は「警戒した」という程度でしたが、それが嫌われる場合、そういう態度を取らなければ契約してもらえた人にそれが原因で契約してもらえなくなるというケースだってあると思われます。

(4)  私は、服部がそういう態度をしつこくとり、さらに、私が拒否しているのに執拗に個人的に迫ってくるので、なおさら、「契約だけしてもらう」ということはさせたくなかったのです。ところが、営業本部長の天野隆夫(男。当時、40くらい?)が、「その人、契約だけ、とりあえず、しておいてもらえよ」と言ってきたのです。それで、私は「『建替えないことにした場合には契約金は返金しますということで契約だけしておいてもらう』ということは、兄弟ですから、言えばしてもらえると思いますが、逆に、まだ、はっきりと建て替えるかどうか決めかねているのに、親戚の契約を『契約だけしておいてもらう』ということをしてもらうと、『なんだ、建てないのに、親戚に形だけ契約したということにしてもらってからに』ということになりませんか」と話し、会社という所において、他の従業員との関係も考えると、親戚の契約については、はっきりと建てることが決まってからにした方がいいと思いますということを言ったのでした。しかし、営業本部長の天野隆夫は「そんなこと、絶対にないよ。そんなの、『親戚に建てないのに契約だけしてもらって』なんて言うような人間はうちの会社にはいないから。もし、いたら、この僕が『そんなこと、言うもんじゃない』と言ってやるから。そんなことは絶対にないって、この僕が保証するから、な。そんなこと言われることは絶対にないとこの僕が保証するし、万一、そんなこと言うやつがいたら『そんなこと言うもんじゃない』とこの僕が怒ってやるから。だから、契約だけしてもらうようにしろ」・・・・と、営業本部長にして東京営業所長兼任の天野隆夫はそう言ったのです。はっきりと。「原文の通り」ですからね「原文の通り」。
  それで、ともかく、12月後半、契約をしてもらいました。ところが・・・・。
  会社の同僚などで、「実際には建てないのに、形だけ親戚に契約してもらって」とか文句を実際に言う人間がいたかというと、1名を除いて言う人間はありませんでした。なぜなら、1992年年末に、「建て替えることになるか、建て替えないかまだわからないが」ということで契約してもらいましたが、実際には、新年になって1ヶ月くらいのうちに、建て替えることに決定して、敷地調査や地盤調査をおこない、鉄筋コンクリート造の建物がたっていたことから、それを建て替えるにはどうすればいいかといった検討や、付近の川が大雨の時に増水して前の道が冠水することがあることから地盤面を高くしたいといった検討をし、解体の見積もりをとったり、浜松まで工場見学会に行って床柱を選んだりといった作業に入り、建築するという前提で住宅金融公庫の申込もおこない、建築する方向での作業をおこなっていましたから、だから、親戚に契約してもらえていいなあと思う人間はいたかもしれないけれども、「実際には建てないのに、形だけ親戚に契約してもらって」などと言う人間なんてないし、あるわけなかったのです。実際に建てるのですから。
  ところが。5月に入った頃でしたか、ただひとり、営業本部長で東京営業所長・松戸営業所長兼任の天野隆夫が「おまえ、△△さんの家、解約してもらえよ。実際には建てないのに、1棟、余計に契約があがっていると見せるために、親戚に頼んで契約してもらったんだろうが。契約金の100万円は返してやるから今すぐ解約してもらえ」と言ってきたのです。私が「親戚の家ですから、はっきりとどうすると決めてからでないと」と言っているのに「(『なんだ、建てないのに、親戚に形だけ契約したということにしてもらってからに』なんて言う人間が出るなんて)そんなこと、絶対にないよ。そんなの、『親戚に建てないのに契約だけしてもらって』なんて言うような人間はうちの会社にはいないから。もし、いたら、この僕が『そんなこと、言うもんじゃない』と言ってやるから。そんなことは絶対にないって、この僕が保証するから、な。そんなこと言われることは絶対にないとこの僕が保証するし、万一、そんなこと言うやつがいたら『そんなこと言うもんじゃない』とこの僕が怒ってやるから。だから、契約だけしてもらうようにしろ」と何度も執拗に私に言って強く迫った営業本部長にして東京営業所長・松戸営業所長兼任の天野隆夫が言ってきたのです。はあ?・・・はあ~あ・・・・? 
 ( 一一) ( 一一) ( 一一) ( 一一)
  こんな営業所長あるかあ~あ?   こんな営業本部長あるかあ~あ?( 一一)?( 一一)?
   「はあ? すでに敷地調査も終わり、地盤調査も終わり、解体の見積もりも取って、床柱も選んでもらい、今、住宅金融公庫の申込をやって、プランの打合せをおこなっているんですよ。いけませんか?」と私は言ったのですが、ところが、営業本部長の天野隆夫は「だから、解約してもらえつってっだろうが。建てないような家の契約とるなってんだ。おまえはあ!」と言うのです。「建てるんですよ。今、住宅金融公庫の申込やって、図面の打合せやってるんですよ」と言ったのですが、それでも、天野隆夫は「解約してもらえ」と言うのでした。
   それで、私は姉夫婦のところに行って、「どうも、(株)一条工務店の会社が解約してほしいらしくて、営業本部長が、契約金は全額返すから解約してもらってこいと言うので、これまで手間かけて申し訳ありませんが、解約して、どこか他で建ててもらえませんか」と頭を下げてお願いしたのです。しかし、姉夫婦としては、すでに、そこまでに(株)一条工務店とともに相当の労力をついやして、その段階まで来ているのであり、「別に、何も解約なんてしなくていいよ。うちは一条工務店で建てるつもりで進めてるんだから」と言い、私が「お願いだから、解約して、よそで建ててもらえませんか。一条工務店なんかで建てていいことないと思うから」と言っても、「いいよ。そんなこと言わなくても」と言ってとりあってくれない。これが、親戚・友人の契約の難儀なところです。もしも、自分自身の契約であるならば、営業本部長にそういう口まできかれて、な~にがうれしゅうて、東京圏で建てるのに無名でどこの馬の骨かわからん浜松工務店に頼まにゃならんのですか!?! そういう口まできかれて、それでも建ててあげなければならない筋合いなんてないし、そんな会社になんで家1件分の利益をくれてやらなきゃならんのですか?!? そうでしょ。 ところが、困ったことに、親戚・友人の契約というのは自分自身の契約と違って、ふざけんな! なんで、そんな会社で建ててやらなきゃならんのだあ! ! と思っても、自分自身が契約の当事者ではないので、解約できないのです。
   (株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫が「そんなこと、絶対にないよ。そんなの、『親戚に建てないのに契約だけしてもらって』なんて言うような人間はうちの会社にはいないから。もし、いたら、この僕が『そんなこと、言うもんじゃない』と言ってやるから。そんなことは絶対にないって、この僕が保証するから、な。そんなこと言われることは絶対にないとこの僕が保証するし、万一、そんなこと言うやつがいたら『そんなこと言うもんじゃない』とこの僕が怒ってやるから。だから、契約だけしてもらうようにしろ」と言うので、それで、義兄にも無理をきいてもらって、まだ、どうするのか決定していないのに先に契約してもらったわけですが、それを、まさに「そんなこと、絶対にないよ。そんなの、『親戚に建てないのに契約だけしてもらって』なんて言うような人間はうちの会社にはいないから。もし、いたら、この僕が『そんなこと、言うもんじゃない』と言ってやるから。そんなことは絶対にないって、この僕が保証するから、な。そんなこと言われることは絶対にないとこの僕が保証するし、万一、そんなこと言うやつがいたら『そんなこと言うもんじゃない』とこの僕が怒ってやるから。だから、契約だけしてもらうようにしろ」と言った当人がそんなことを言ってきたのです。私は、実際問題として、解約してどこか他で建ててほしいと思いました。建物の内容がいいか悪いかとは別の問題として、こういう信用できない男が営業本部長になっている会社、初代社長の義理の弟だか知らんが、こういう信用できない、おのれの信用なんてへのつっぱりほどの値打ちもないと自ら宣言するような男が、その会社の上から2番目だかのグループにいるらしい会社では、建てない方がいいと判断したのです。建物の内容がいい悪いはこの際関係ありません。人間の尊厳の問題として、こういう態度をとられてまでそんな会社で建てることないと思うのです・・・・が、自分自身の契約なら、断固として解約することはできるのですが、親戚・友人の契約というのは、「解約してもらえませんか」とお願いしても、「いや、何も解約する理由なんてないよ」と言われると、どうもできないのです。そうすると、(株)一条工務店とその営業本部長はますますつけあがるのです。
   (株)一条工務店の営業本部長に「信頼される態度」を期待するのは八百屋で魚を求めるようなものである!!!
  「(株)一条工務店の営業本部長が言うことは信用できない」ということがよくわかりました。 又、「(株)一条工務店で親戚・友人を契約させるのは要注意である」ということも、わかりました。

  (株)一条工務店のような《『C級サラリーマン講座』みたいな会社》に勤めると、”宇宙人”みたいな人を見ることがあります。それにしても、なんと言いましょうか、「レベルの低い会社」と驚くことの連続でした。 それとともに、管理する立場につかせてもらっている人がアホですから、だから、「特別に賢い」とかでなくても普通の人間なら見えるものがアホには見えないことがあるらしく、そして、たとえ、《『C級サラリーマン講座』みたいな会社》に勤めていても、私は「宇宙人」みたいなことはしていないわけですから「宇宙人」扱いされる筋合いはないはずですが、ところが、《『C級サラリーマン講座』みたいな会社》に勤めて、「宇宙人」がそのへんにいるのを我慢して勤務してくると、この会社で管理する立場につかせてもらっているアホから、「宇宙人」と一緒にされてしまうことが、あるようでした。
  森川英正『日本経営史』(1981. 日経文庫)には、
《 高等教育機関の卒業生、すなわち「学卒」者を管理者的人材として採用し、さまざまな社内キャリアを経験させた後、ミドルおよびトップ・マネジメントに就任させるのは、今日にいたるまで一貫して変わらぬ大企業の人事慣行です。それを学歴偏重として批判するのは当たりません。特定の大学の卒業生だけを、能力・適性とは関係なしに採用したり、優遇したりするなら、学歴偏重のそしりを受けてしもしかたがないが、「学卒」者の持つ教養・学識を経営戦力として活用しようとする意図自体に間違いはありません。現場の経験主義的熟練からだけでは管理者的人材は育たないのです。・・》
( 森川英正『日本経営史』1981.日経文庫)
と出ているのですが、私は大学生であった頃には、実際にそうであるのかないのか、わからなかったのです。しかし、(株)一条工務店みたいな「会社に異星人がやってきた」みたいな会社、『C級サラリーマン講座』みたいな会社 に勤めてみると、そして、実際に、高卒の営業所長というものを見てくると、この森川英正『日本経営史』(1981. 日経文庫)の指摘はその通りだなあと思うようになりました。
同書には、
《 ・・同じ専門経営者でも、教育水準の高い人が低い人よりも、トップ・マネジメントとしてふさわしいと思います。ただし、これも原則論ですから、松下幸之助や本田宗一郎の例をつきつけられたところで、別に困りません。》
と述べられているのですが、それもその通りで、たとえ、低学歴の人でも、本当に管理者としての能力があるという人であるのならば、低学歴の人だからという理由で絶対に管理者になってはいけないということはないでしょう。しかし、(株)一条工務店などで見るかぎり、「だめだな~あ・・・」という人が現実に多い。
  (株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は「『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の会社の方針だ」と何人もの前で発言。実際問題として、厳密には労働基準法を完全に守れていないという会社というのはけっこうあると思うのだが、しかし、「『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の会社の方針だ」と営業本部長が何人もの前で公言する会社というのは、それは多くないと思うぞ。そういう遵法精神の欠如というものがある。さらに、私が入社した1992年においては、(株)一条工務店の東京展示場の事務所の「リーダー」の宮崎さんの机の引き出しに「就業規則」のファイルが入っていたのだが、その「就業規則」の表紙には「営業所長以外閲覧厳禁」と書いてあったのだ。 「営業所長以外閲覧厳禁」などという「就業規則」を就業規則とは言わないし、就業規則というものは、あらかじめ、すべての従業員に周知されていてこそ就業規則で、就業規則の条文がどうなっているのか従業員が確認したいと思っても「営業所長以外閲覧厳禁」などと言って見せてもらえないようなものは、そういうものは就業規則と認められないし、もし、なんらかの争いになった場合においても、就業規則の何条にどう書かれているとか使用者側が主張してもそのような主張は通らない。そのあたりの遵法精神の欠如・法的認識の欠陥というものが(株)一条工務店の経営者にはあった。
  私が入社した時、「保証人」2名に「保証書」に署名・捺印してもらうよう求められたが、(株)一条工務店は「親戚であること」というのはまだしも、「女性は不可」などと言うので、頼む相手に苦労した。今から思うと、「田中真紀子さんでもだめですかあ?」と言ってみるとよかったかとも思うのだが、どうだろうか。その時は誰だったかはっきり覚えていないが、私が2級建築施工管理技士の資格を取得した時、私の合格証書には「国土交通大臣 林寛子」と書かれていて、林寛子て誰やねん? タレントで林寛子ていたと思ったが、あれが国土交通大臣だったかあ??? ・・あれえ?・・と思ったものだが、そうではなく、その時、国土交通大臣になっていた扇千景の本名が林寛子だったらしい。で、 「『国土交通大臣 林寛子』さんでもいけませんかあ~あ?」と言うてみてもよかったかとも思う。そのあたり、どうも、現在の日本における法的常識から離れているように思える。
※ 《ウィキペディア―林寛子(タレント)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%AF%9B%E5%AD%90_(%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88)
《ウィキペディア―扇千景》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%87%E5%8D%83%E6%99%AF
  そういうこともあるが、「視力」という問題がある。この場合、「視力」とは遠方の細かい字を読めるかどうかという「視力」ではなく、物事が見えるかどうか。ひとの本性を見抜けるかどうかという「視力」である。2001年、栃木県南部営業所の「副所長」(という役職名で役割は「所長」と同じ)になった木下(男。当時、40代前半)が、「そんなもの、面接で1時間ほど会っても、それでどんな人かなんてわからんだろ」などと言うので、ああ、この会社はそういう人が面接やってるんだ、そういう人が営業所長になってるんだ・・・と思ったものでした。私は大学を卒業する時点では会社という所に勤めた場合には人事総務関係の仕事につくことを考えていましたが、最初に正社員型で勤務した会社では人事総務部にいましたが、そこでの課長からは「人事というのは面接をやると、その面接で会った40分かそこらの時間の間にどういう人間かを見抜かないといけないんだ。それが人事の仕事で、それができないようなら、おまえ、何をやってんだ、ということになる」と教えられたものでした。「そんなもの、面接で1時間ほど会っても、それでどんな人かなんてわからんだろ」と胸張って言うのなら、何もそういう人が面接を担当することないのと違うか・・と思ったものでした。そういう「視力」という問題もあります。
  1998年、栃木県の営業所長になっていた五十嵐さん(男。当時、50くらい?)は、各展示場の営業に、五十嵐さんが在駐していた栃木県の石橋町の展示場に、毎日の終わりに「日報」を書いてFAXで送信しろと言っていたのでした・・・が。まず、「夜、9時過ぎまでは仕事できるはずだ」と五十嵐さんは言い、たしかに、戸建住宅建築業の営業というのは、「5時から男」と言って〔⇒《YouTube-中外製薬 グロンサン》https://www.youtube.com/watch?v=Yu_qbkXlgj4  〕、昼間、勤めに行って家にいない人の所に行くよりも、夜、勤め先から帰ってきて家にいる人の所を訪問した方が効果はあるわけで、夜8時半くらいまでなら訪問できるのではないか、夜9時くらいまでなら電話はできるのではないか・・というものでしたが、しかし、だからといって、「夜9時過ぎてからFAXを送れ」と言ってしまうと、FAXには送信時刻が印字されることになり、(株)一条工務店は1週40時間・1日8時間の労働基準法上の労働時間制限に違反しているということの証拠をそこに残すことになるわけであり、私が営業所長ならそういうことはやらないなあ・・と思ったのですが、それをやるのが五十嵐さんでした。
  1998年、11月頃でしたか、宇都宮市の地方振興整備公団の分譲地の販売に際して、現地事務所の付近に詰めて、(株)一条工務店のカタログ一式を渡して、土地購入の申し込みに来た人にアプローチをするという「当番」を栃木県の全展示場に順番が振り当てられたのでしたが、佐野展示場は私を含めて営業は5人でしたが、そのうち、S藤さん(男。当時、30代なかば)が「そんなの、行く人間なんて〇〇さんしかいないじゃないか」と言うので、S藤さんはもう辞めるつもりでいるということなのだろうか、と思ったのでしたが、そうではなかった。そうではなく、栃木県でも南西部の佐野市の佐野展示場に勤務している者からすると、宇都宮は遠い。佐野市か足利市・栃木市くらいでの分譲地ならともかく、宇都宮市のような遠隔の場所まで行って、遠隔地の分譲地を申込に来た人にアプローチしても、そんな場所まで行くだけでも大変で、日曜日に行くとその日は佐野展示場で接客できないことになるし、行きたいと思う人間なんてないわけで、それを宇都宮市まででも行こうという気力を持つような人間なんて、佐野展示場にいる人間ならば、私くらいで、他の人間はそんな気力はない、と言いたいようでした。私だって、実際問題として宇都宮まで行きたいとは思わなかったが、それで、私は所長の五十嵐から言われたと言った「リーダー」の武田(男。当時、30代なかば)に、「これは、権利のようなものなのですか、それとも義務のようなものなのですか」と尋ねた。栃木県の各営業所から交替で詰めなければならないという義務のようなものであるのなら、佐野展示場でも誰かが行かないといけないだろうけれども、そうではなく、そこに申込に来た人にアプローチできるという権利のようなものだということならば、遠隔地の佐野から行かなくても、宇都宮市内もしくは石橋町とか宇都宮市に近い市町村の展示場にいる営業が行けばいいことで、佐野展示場に1日分の権利があるというのなら、そういう「権利」は近い場所の展示場の人に進呈してもいいのではないか、と思ったのでした。「リーダー」の武田さんは私用でその日は休む予定だということで、他の人間も、行きたくないようなことを言うので、しかたなしに私が行きました。結果としては、申込に来た人から契約は出ませんでしたが、栃木県でも佐野市あたりの人と県庁所在地の宇都宮市あたりの人では気風も違いますし、佐野から足利・栃木といったあたりは昔からの街の流れですが、小山あたりは東北本線・東北新幹線の駅のある街で「東京から近い」という性質があり、宇都宮の場合には、東京からの距離は遠いのですが県庁所在地だけあって、佐野近辺よりも全般的に年収が多いようでした。そのあたりを、実際に見込客と接することで実地に学ぶことはできました。モノグサやって行かない、佐野展示場にいた方が佐野市の見込客をつかめるのに宇都宮まで行って遠方の見込客なんて持たされてもかえって迷惑・・と考えて、自分だけの都合で行かない人は、実地にそういう体験をすることもなかったでしょう。又、他の展示場の営業と2人でそこに詰めたのですが、それが縁で知り合いにもなりますし、彼はああいうやり方をするのか・・といったものを見ることもあります。だから、そのあたり、「ものぐさ」ではない精力的に努力する人間だと私は見てもらえていいはずでしたが、「視力」のない五十嵐さんには「見えない」ようでした。
  そこまではまだいいのです。佐野から宇都宮まではけっこうかかる。だから、最初、平日の夜に訪問をしたのですが、佐野から宇都宮まで往復するだけで大変であり、行っても留守の場合もある。宇都宮まで訪問するのに、毎日の夜を費やしていたのでは、佐野市近辺のお客様を訪問できなくなってしまう。それで、日曜日を1日つぶして、宇都宮市の分譲地で会った方のお宅の訪問にその1日をまわすことにしたのです。日曜、1日はつぶれましたが、その1日で、その分譲地で記名してもらった人の家にはだいたい一通り訪問できました。
  ところが。その際、私が送信した「日報」について、五十嵐さんがけちをつけてきたのです。「なんで、平日に訪問しないで、日曜に訪問したんだ。日曜は展示場で来客を接客する日だろうが」と。そういうことは、私よりも日曜に休んで遊びに行ってる営業に言うべきではないかと思いますけれども、ね。平日の夜に宇都宮まで、毎日毎日、行っていたのでは、佐野市近辺の見込客の所に行けなくなってしまうのです。五十嵐さんは自分自身で努力して営業の仕事をしてきた人なのですから、そのくらいのことはわかると思ったのですが、どうも、わからんようです。 宇都宮市の分譲地にわざわざ行って1日、分譲地に詰めたのは、それにより宇都宮市の見込客と接する経験を持てたということはあるが、佐野展示場の人間が誰もが遠い宇都宮まで行くことを嫌がっていたが、会社から1展示場1人行けと言ってきているのに誰も行かないのではいけないと思って、私が会社のためを思って行ったのに、それをこういう対応をされたのでは、行くべきではなかったことになりますね。そのあたりのことを理解できる人が営業所長になるべきですが、(株)一条工務店は理解できない人が営業所長になっていたのです。
  そして、日報に、訪問先と訪問先の間に時間が空いていると変ないちゃもんをつけてきて、「この時間、パチンコやってたんだろ」などと言うのでした。あきれました。私、小学校に行く前、近所の神社の夜店のパチンコをやったことがありますが、それ以来、パチンコというものをやったことは一度もない人間なんですよ。人間、人の顔を見て、この人はパチンコをやる部族、この人はパチンコはやらない部族と、顔を見てわかるはずなんですよね。小学校に入学する前に近所の神社の夜店のパチンコをやって以来、パチンコというものをやったことは一度もない人間に向かって、「おまえ、この時間、パチンコをやってたんだろ。わかるんだからな」て・・・、そういう口をきいたのです。「おまえ、バカだな。わかるんだからな」と言ってやればよかったかもしれません。あきれました。
  ちなみに、夜、お客様宅に行って事務所に戻ってきた時、事務所には自分のほかは誰もいない・・という時、他の営業がお客様宅に行って事務所にはいないのか、それとも、さっさと帰って家族団らんやっていて事務所にはいないのか、私はわかりましたよ。又、夜、他の従業員が外から帰ってきたという場合でも、お客様宅に行って帰ってきたのか、それ以外のどこかに行って帰ってきたのか、ある程度以上、私はわかりましたよ。ところが、五十嵐さんは、私よりも(株)一条工務店での在籍年数が長く、私よりも通算契約棟数も多い人だったはずですが、わからんようです。この人に「日報」を送っても意味ないなあ・・・と思いました。
  「日報」に関しては、その後、佐野市だったか田沼町だったか(田沼町も今は「平成の大合併」で佐野市の一部になりました)の見込客宅に行くと、「あがってあがって」と言われて、ソファに座って話をしていると、私より少し若いくらいの一人暮らしらしい男が、いきなり、私の股間に手を伸ばしてきて、振り払っても振り払っても股間に手を伸ばしてきて、驚いて帰ったということがありました。その件については「日報」に書いて送信したのですが、まがりなりにも営業所長ならば、五十嵐さんは「大丈夫だったか」という一言くらいあってもいいのではないかと思いましたが、何も言いませんでした。「ああ、この人はそういう人なんだな」と思いましたし、二重の意味で、「この人に日報を送っても意味ないな」と思いました。所長の五十嵐さんからは「おい、大丈夫だったか」といった言葉は一言もありませんでしたが、かわりに、五十嵐さんが在駐した石橋町の展示場に勤務していた営業社員何人かから、「〇〇さん、ホモに襲われたんだってええ~え・・・」と言われ、何人もから大笑いされました。笑いごとじゃないんですからね、当事者にとっては。「笑うな!」と言ったのですが、「笑うな!」と言っても笑うのです、そいつらは。いやあ、びっくりしました・・・が、「保護義務違反の(株)一条工務店」は「日報」を毎日送信させておきながら、従業員が危険な立場に立たされても、営業所長は知ったことないという態度であったのです。
  小堀住研(株)は私が入社した1980年代後半まで「大卒しか採らない会社」と言っていたのです。私が応募した時の求人票には「応募資格」として「営業系(営業・人事・総務・経理等)・・・4年制大学の法学部・経済学部・商学部出身者。 技術系(設計・工事・工務・アフターサービス等)・・・4年制大学の建築学科・土木学科出身者。」と書かれていたのです・・が、そのわりに入社すると高卒の人がいたのでしたが、ともかくも、「大卒しか採らない会社」と言うだけは言っていたのです。「株はバクチや」なんて言いますよね。「『大卒しか採らない会社』と言っていた会社」の展示場の事務所では、その「株はバクチや」というバクチ、株の話がけっこう出ていました。「くそお、◇◇の株が下がっちまったあ」とかいう話が。それに対して、営業本部長の天野隆夫が「営業は頭のない人間がええんや、頭のない人間があ。ぼくなんかも学校出てないから、だから、気さくで人間味があってそういう所がお客さんに好かれるんやあ」とかそういうことを言いまくっている(株)一条工務店においては、展示場の事務所においては、バクチはバクチでも、株の話なんて出ません。かわりに、パチンコの話が日常的にでます。「大卒しか採らない会社」と言いまくる会社の営業と、「営業は頭のない人間がええんや」「営業は大学なんて出てない人間の方がお客さんは喜ぶんや」と営業本部長が年中言っている会社の営業とでは、展示場の事務所でする「バクチ」の話でもそれだけ、差があったのです。私はそれを見て、同じ「バクチ」やるにしても、株のバクチやる方が、人間としていいのではないか・・・という感想を持ちました。私は「大卒しか採らない会社」の営業と「営業は中卒か高卒がいいと営業本部長が言う会社」の営業と、その2社の営業の違いを見て、たとえ、「バクチ」やるにしても、「株(のバクチ)をやる営業」にはなっても「パチンコ(のバクチ)をやる営業」にはなりたくないもんだなあ・・と思ったのです。 ところが、五十嵐さんは「パチンコやる営業の会社」に勤めていると、誰もが「パチンコやる営業」に見えるらしいのです。「あんたやろうが、それはあ。一緒にすんな!!!」と言ってやれば良かったかもしれません。
  ・・・ちなみに、足利市街をクルマで走っていますと、2階部分にでっかく「三つ葉葵」の紋、「ズが高い、控えおろう!」とか言われそうに、でっかい「三つ葉葵」の紋がかかった店があって、「この店、いったい、何の店なんだろう?」と思い、クルマを停めて見たところ・・・・、そこは、「パチンコ 徳川」・・でした。・・なんか、すごい!!! と思いましたが、パチンコ屋って、時々、そんな店ありますよね・・・。

  1990年代、福島県いわき市の営業所にいました時、どういう件でだか忘れてしまいましたが、浜松の本社に電話をして本社の人間と話をした時、浜松の本社の若造が、「給料の他にも、業者からいろいろともらってるでしょうから」などと発言したので、「俺はそんなもの、もらってないよ」と思い、会社の仕事を通じて「業者」から「袖の下」なるものを相当もらっている営業が中にいると知りましたが、私は、自分が手配しても、苦労してやりくりして家を建てようとしている自分を担当として契約してくれたお施主様の仕事を業者に依頼するのに、そんなものをもらおうなどとは考えたこともなかった。それを、考えたこともなかった者に向かって、「業者からもいろいろもらってるでしょうし」などという傍若無人な発言をするのが「(株)一条工務店の遠州人」でした。それとも、石ノ森章太郎の『ホテル』では、日本のホテルではホテルマンはチップはもらわないことにしているが、アメリカ合衆国ではホテルマンは客からチップはもらうのが普通であり、チップはホテルマンの収入の一部分になっているという話が出ていたが、(株)一条工務店では、本社の人間がそういうことを言うということは、営業は業者から「袖の下」をもらうのが「常識」なのか? それなら、そうとはっきりと言ってもらいたいものだ、と思ったものでしたが、はっきりと言わないのが(株)一条工務店でした。

  『C級サラリーマン講座』みたいな会社に勤めて、『C級サラリーマン講座』みたいな男に上役になられると、「自分と一緒にされてしまう」ことがあるようですが、迷惑なことです。
  1992年の9月頃でしたか、墨田区の押上のあたり、京成電鉄本線の線路のすぐ脇の所で建て替えた見込客があったのですが敷地は20坪ほどでした。東京展示場の「リーダー」だった宮崎さんは営業でありながら元工務課であったことから営業の立場ではなく工務課の立場に立った発言をすることが多く、「30坪未満の家は工務課が大変だから契約とらないで」「3階建は工務課が大変だから3階建の契約は取らないで」と言い、それでは、もともと、東京の営業は浜松・掛川で坪48万円、名古屋で坪49万5千円で売っている物を坪55万円で売らされているのに、何坪の家でも契約可能で広い敷地で建てる人が多い浜松・掛川など、3階建ても建築が認められていてJR「浜松」駅の近くとかで3階建てを契約して建てている浜松・掛川などの営業に比べてますます不利じゃないかと思ったのですが、ところが、私はそれは不公平だと思っても、「リーダー」の指示は守った上で、それは不公平と違いますかと言うなら言うようにしたのに対し、東京展示場にいた服部(男。当時、20代後半)は「リーダー」の宮崎さんに言うと「30坪未満の契約は工務課が大変だから契約は取らないで。そういうお客さんは追わないで」と言うが営業所長を兼任していた営業本部長(その時点の役職名は「次長」)の天野隆夫に言うと「そんなこと言わずに取れ」と言うというのがわかっているから、だから、先に天野隆夫に話をして「宮崎さ~ん。天野次長が・・の20坪のお客さん、契約取れなんて言うんですよお。困っちゃいましたあ。いったいどうしたもんでしょうかねえ~え」などと言うという手口に出た。上役の次長から「契約取れ」と言われたものを主任の宮崎さんが「次長が取れと言っても取らないで」とは言えないというのを見越して、自分のすぐ上の「リーダー」で主任の宮崎さんを飛ばして次長の天野隆夫に先に話をしてから宮崎さんにそれを言うという手を使ったのだ。会社員としては自分のすぐ上の役職の人間を飛ばしてその上の人間に話をして通すというのは禁じ手のはずだが、服部はそれをやる男だったのだ。私は文京区で敷地20坪くらいという見込客があったが宮崎さんの指示に従って追客を断念し、その方は後に再来場して玉城(男。当時、30代前半。入社1年目)が担当で契約した。私は会社のルールを守ったことで有望見込客を1棟失い、服部は会社のルールを破って1棟契約を取った。(株)一条工務店の経営者はそういうルールを守らない男が大好きなようだ。
  しかし、服部がそうやって会社のルールを破って20坪の契約を取ったことから、「リーダー」の宮崎さんも、「もう、20坪の契約も現実に取ってるから、取るなて言えなくなっちゃった」と言って、30坪未満の見込客を追うなと言わなくなった。そういう頃に、押上で20坪くらいの敷地に20坪くらいの建物を建てる見込客が来場されて私が接客したのだった。東京展示場の営業会議の際に、私は、元工務課の宮崎さんとしてはそれでも20坪程度の敷地に延床面積20坪程度の家を建てるという契約は取ってもらいたくないという気持ちでいるらしいことを知っていたので、そして、「リーダー」の宮崎さんは営業でありながら工務課の方の立場に立った言動が多すぎるという点についてはいかがなものかと思っていましたが、それでも、自分自身もそれほど実績があったわけでもないらしいのに、新人をいっぱいくっつけられて、その大変な状況で、入社以来ずいぶんと世話になってきていましたので、それで、「この方は、敷地20坪程度で、建てる建物も延床面積20坪程度のものですが、もし契約してもらえて建ててもらえれば京成電鉄の線路のすぐ横ですから建築中にも電車から見えて一条工務店の宣伝にもなるでしょうから、追客させてください」と言いました。
  ところが、それからしばらくして、営業本部長(その頃の役職名は「次長」)の天野隆夫から「京成の線路のすぐ横で建てるお客さんを、この人は京成の線路のすぐ横だから一条の宣伝になっていいわとか、契約してもらえたわけでもないのに言ってたそうじゃないか。契約してもらえたわけでもないのに、何、考えとんじゃ、おまえはあ!」と言って怒鳴りつけられた。「私、そんなこと言ってないですよ。私、契約してもらえたわけでもないのに、京成の線路のすぐ横だから一条の宣伝になっていいわなんて、そんなこと言ったこと一度もないですよ」と言いましたが、天野隆夫は聞く耳を持たないようで、「だから、おまえは、考え方が甘いから契約してもらえたわけでもない見込客のことを、契約してもらえたみたいに思って、京成の線路の横だから一条の宣伝になっていいわと契約してもらえたみたいに思っていたということだろうが! 何、考えとんじゃ、おまえはあ!」と言ってきかないのでした。ハインリヒ=ラッカー『転移と逆転移』(岩崎学術出版社)なんて本も出ていますが、人間の質が悪いと自分自身の姿をひとに見るということがあるようです。「あんたとは違うわ、あんたとは! あんたと一緒にすんな!」とでも言ってやれば良かったかもしれません。「この方は、敷地20坪程度で、建てる建物も延床面積20坪程度のものですが、もし契約してもらえて建ててもらえれば京成電鉄の線路のすぐ横ですから建築中にも電車から見えて一条工務店の宣伝にもなるでしょうから、追客させてください」と「京成の線路のすぐ横で建てるお客さんを、この人は京成の線路のすぐ横だから一条の宣伝になっていいわとか、契約してもらえたわけでもないのに言ってた」とでは表現は似ているようで意味がまったく違います。「この方は、敷地20坪程度で、建てる建物も延床面積20坪程度のものですが、もし契約してもらえて建ててもらえれば京成電鉄の線路のすぐ横ですから建築中にも電車から見えて一条工務店の宣伝にもなるでしょうから、追客させてください」という発言は私は東京展示場の営業会議の時に一度話しただけで、その時には天野隆夫は在籍していなかったのですから、誰か、その時に在籍した東京営業所の営業の中で、その発言を意味合いを変えて天野隆夫に伝えた人間のカスがいるということです。天野隆夫は営業本部長(その時点での役職名は「次長」)で名目上、兼任の東京営業所長だったのですから、そういう人の発言を意味をねじまげて「次長」にたれこむ男の方に「おかしな真似はやめろ」と注意するべきであったはずですが、ところが、天野隆夫はそういうひとの発言を意味をねじまげて「次長」にたれこむような男というのが好き♪ だったようです。

(5) 自分自身の家を自分が営業担当として契約するということは、それだけ、自分の家を自分が建てたいと思うように建てることができる、というメリットがあります。私が担当させてもらったお宅で、奥様のお父さんが左官屋さんだったという方があり、(株)一条工務店が頼んでいた左官屋もよく知っている方であったということもあり、自分の家の仕事は自分でやりたいはずだということでやっていただいたということもありました。 小堀住研(株)に入社して1棟めの契約をいただいた方に、契約の時、「〇〇くんも、いっぱい契約とってお金を稼いで出世して、いずれ、うちなんかよりずっと大きい家を建ててくれなあ」と言っていただいたのですが、その後、今に至るまで建てることはできずにおります。どうも、安い給料の会社に勤めて、毎日毎日、毎年毎年、滅私奉公を続けた者は、ひと様の家を建てるお世話はさせてもらえても自分の家を建てることはできずに、いつか死んでいくのかもしれません。私が担当させていただいたお宅の方は、ぜひ、その家を大事にしていただきたいように思います。もちろん、お施主様の家ですが、それを完成させるために、私も努力したのですから。
  親戚・友人の家を自分が担当して契約するという場合のメリットとして、他の営業が担当して契約する場合よりも良心的に、その人の事情を知る者として対応できるという点があります。ところが・・・・。陰湿な性格の男が営業本部長になっている会社においては、それも阻害されます。
  姉夫婦は、(株)一条工務店で私を営業担当として契約してくれましたが、「(株)一条工務店と契約」するのが主だったのか、私と契約する方が主だったのかというと、私と契約する方が主であったわけです。だから、契約してくれたのです。親戚関係を基に契約してくれた以上は、その誠意に報いなければなりません。
  (株)一条工務店という会社は、「営業担当者によって差が大きい会社」と言われています。2000年前後、栃木県佐野市の営業所にいた時、見込客から「一条工務店は建物がいいのではなく、営業がいい」「一条工務店は他の会社とは営業の格が違う」と言ってくれた人がありました。しかし、そう言ってくれた人は誰を見てそう思ったかというと私を見て思ったのであり、(株)一条工務店の営業を全員とまでいかなくても、栃木県地域の営業の過半数でも、どんな人たちか確認して言ったのではないのです。もっとも、そう言っていただいた方というのは、予算の上で(株)一条工務店で建てることはできず、他社で契約されてしまったので、ほめていただいたとしても、そのまま喜ぶわけにもいかないのですけれども。 栃木県佐野市の営業所にいた所長の五十嵐さんの「好みのタイプ」だったらしい(いわば、「ひまわり」「長嶋みたいなやつ」⇒《YouTube-松山で流れるくたばれ読売(東京音頭)ヤクルトラッキー7 20190416 》https://www.youtube.com/watch?v=8qAPp3RbB7s )上岡(男。当時、40代。最終学歴:高卒。住宅・建築関連の資格:なし。在籍年数:私の半分)が営業担当で建てられたS藤さんというお施主様宅を見て、このお施主様はかわいそうだなあ・・と思ったことがありました。精神的に貧困な営業が担当した家は「精神的に貧困な家」が建ちます。(株)一条工務店ではこのグレードのものにはこういうものを何か所まで「サービス」でつけます。その当時、S藤さんが契約された(株)一条工務店でも高いグレードのタイプでは、リビングルームなどにマトアの腰板を相当広い範囲で取り付けることができ、又、窓にハンドルをまわして開閉するタイプの格子入りの小窓がいくつも集まった出窓をつけることができたのですが、なんでも、高いものをつければいい家ができるのではありません。腰板は「ナチュラル色」という黄色っぽい色の場合はまだいいのですが、こげ茶系のものをあまりにも広い範囲につけると部屋が暗くなります。又、格子入りの窓は外から見ると格好よく見えることがあっても、中から外を見ると視野が妨げられてうっとおしい。ハンドルをまわして開閉する小窓がいくつもあるという窓は開閉に手間がかかり、夏場など換気と通風をはかろうとする場合に不便です。急いで操作すると壊してしまう可能性もあります。火災が発生したというような場合、小窓がいくつも集まったという窓からは脱出できません。「刑務所の塀」は外から見ることは誰でも簡単にできますが「刑務所の建物の窓」がどうなっているか見るのは簡単ではありませんが〔(株)一条工務店の初代社長大澄賢二郎のドバカ息子で(株)日信の社長になっていたらしい大澄賢史はそのために刑務所に入った?・・わけでもないだろう。たぶん。〕「精神病院」の窓は道路からでも見える場合が多いので一度見てみるといいと思いますが、装飾を施してあるように見せて実は中から脱出できないように小窓がいくつもあるように作られたり窓に格子がはいったりしている場合が多い。上岡が担当した佐野市のS藤さんはけっこう費用をかけた家を建てられたはずですが、そのわりにあまりいい家になっていない。広い家なので東西に居室が3部屋並んでいたが、その真ん中の部屋は南側のみにしか窓はなく、その窓に格子の入ったハンドルで回転させる小窓の集積した窓をつけたため、せっかくいい土地なのに採光が悪く通風も悪く、リビングルームから外を見た眺望も悪い。ダイニングルームなどは濃いこげ茶色の腰板を壁一面に取り付けたためにせっかくいい土地なのに暗い部屋になってしまっている。もしも、オプションで取り付けるとそれなりの金額になるものを、そのタイプだと「サービス」でつけられるということになっていると、ともかく、どこかにつけなければ損という発想でつけるからそうなってしまうのです。「ご飯大盛無料です」という飯屋でも、そう若くなくなってしまった者としては、別段、運動選手でもなく、外で体を動かして働く仕事でもない者として、健康診断でコレステロール値が高め・中性脂肪値が高めなので食べ過ぎに注意しましょうと言われている者として、私は「けっこうです」と遠慮させていただいくことが多い。自分にとって最適の量を越えて大盛食ってもしかたないでしょ・・と思うのだが、「大盛無料」なら食わなきゃ損・・て感じで食って体調悪くする人みたいな、そんな感じの家が上岡が営業担当の佐野市のS藤様邸だった。我が家の近くの丸亀製麺では、ネギと天カスは取り放題になっているけれども、だからといってネギと天カスばっかり食いまくってもしかたがない・・ということで「取り放題」にしているのだと思う・・が、それでも「取り放題」だと多めに取って食べたくなるのが人間の気持ち・・と思うけれども、あくまでも「多め」だとわかるのだが、見ていると、ネギと天カスを山盛り入れて持って行く人がいる。いくらなんでもやり過ぎだろう~、うどんにおけるネギてのは薬味であって、丼にてんこ盛りにネギを入れて持って行くおっさんて、あんた、そんなことしたらかえっておいしくないよ・・とか思ったりもするが、ひとのことは放っておこうと思うから他人にどうこう言わないけれども、しかし、あんた、いくらなんでも・・て人を見かけることがある。天カスてのは天婦羅を揚げる時のカスだけれども、カスといってもいい油を使った天カスはけっこうおいしいし、丸亀製麺の天カスは決して悪くないと思うのだけれども、これも、あんた、いくらなんでも・・て思うような人を見ることがある。メニューによっては天カスを入れない方がおいしいメニューもあるはずだが、それもおかまいなしに天カス丼みたいにしている人がいるのだが、それ、かえっておいしくなくなるよお~お・・て思うことがあるが、ひとのことはほっとこ・・・と思うが、上岡が営業担当だった佐野市のS藤さん宅は、いわば、そんな感じ・・というのか、それ以上、もしくはそれ以下。 「ネギと天カスは取り放題」となると、食べるうどんにとっての適量をはるかに超えて、そんなことしたらかえっておいしくないでしょ・・て感じの「ネギ天かす丼」みたいにしてしまう人みたいな、いわば、そんな感じ。端で見ていて、あんまりおいしくなさそう・・て感じのネギ天カス丼みたいなそんな家。私が営業担当なら、もし、「ナチュラル色」の腰板ならば部屋全面につけてもいいけれども、こげ茶の腰板の場合にはつける範囲を絞るなど考えないとかえってよくないことになるので、そのあたりをお施主様に話をします。格子が入った小窓をハンドルでクリクリまわして開閉する小窓がいくつも集まった出窓というのは、外から見るとおしゃれに見える場合がありますが、リビングルームのつけると、特に窓が2方にあって片方には大きな掃き出し窓がある部屋の他方につけるという場合はまだいいのですが、1面にしか窓がないという部屋につけると「刑務所みたいな部屋」になります。佐野市のS藤様邸はそうなっていたのです。「刑務所みたいな部屋」もしくは「精神病院みたいな部屋」になっていたのです。そういう窓はおしゃれにのように見えて実際には有害無益なのか? そうではなく、使いようなのです。ロンドンの郊外の住宅地に「フロイド記念館」(シグモンド=フロイトがかつて住んだ家)があり、2000年に見学してきましたが、そこでは、建物の中央部に格子の入った小窓がいくつもある出窓があり、まさにS藤様邸がリビングルームにつけたような窓があったのですが、その内部はどうなっていたかというと、階段を向う側から手前に来て折返して逆側に進む階段の折返しの踊り場の部分にその格子の入った小窓が集積した出窓が付けられていたのです。階段の中央部分の踊り場ですから、階段は通行できる明るさがあればよく、階段で読書することはないでしょうし、窓も常に大きく開く必要もない、そういう場所につけられていたのです。「適材適所」というのでしょうか、S様邸のように、高いものを「サービス」でつけられるとなると、その場所にそれをつけるとかえってよくないという場合でもつけないと気がすまないという営業が担当した家のお施主様はかわいそうですね。中には「設計」が図面は作るのだから営業担当は関係ないなどと思っている人もいるかもしれませんが、とんでもない。 「設計」は投手・「営業」は捕手のようなもので、もしも、「捕手」が何の努力もしなくても「打ち取る」(お客様が満足できるいいプランを作成する)ことができる「投手」(設計)が(株)一条工務店にいっぱいいるとでもいうのなら話は別かもしれませんが、実際はそれには程遠いし、 (株)一条工務店に限ったことではなく、「捕手」の能力なしでいい図面のできる「投手」(設計)というのは世間一般で見ても少ない。たとえ、ヘボピッチャーでも「わしぁ、日陰の月見草・・」とか言いながらでも、「捕手」はなんとか苦労して工夫していい図面を書かせる努力をしないといけないし、時には「捕手」がマウンドにあがって「投手」のかわりに「投げる」ということも(株)一条工務店のような会社では求められることがある。 「フロイド邸(フロイド記念館)」の設計をした人はその格子の入った小窓が集積した出窓の使い方を知っていたのであり、(株)一条工務店のS藤邸を担当した者は理解できていなかったということで、設計担当も責任がないわけではありませんが、営業担当により大きく責任があります。
   1990年代、福島県いわき市の展示場におりました時、福島県中通り地区の「所長」で「大澄社長の腰巾着」と言われていた片山(男。当時、40代?)は、中通り地区の見込客で和風外観で建てる人に、契約だけさせて、「いわき市に和風の展示場ありますから、行っていわきの営業に説明してもらってきてください」とでも言って、契約客をいわき市の私がいた展示場に大量に送りつけるというのを得意技にしていました。なおかつ、「所長」の片山がそういうことをするのを見てそれを真似る入社1年目の営業というのも中通り地区に相当いました。私は誰が営業担当であっても、その営業のお客様という性質もあるとしても、(株)一条工務店のお客様でもあり、自分の勤める会社の契約客は粗末にしてはいけないと思って誠意をもって接客し、片山にはこういう人が来られましたよと毎度きっちりと連絡してきたのですが、普通、住宅建築業の営業というものは、自分が担当の契約客が他展示場に見学に行って他の営業に接客・対応してもらったならば、「どうも、ありがとうございます」と接客・対応してくれた営業にお礼を言うもので、言わないならば、今後はあいつの契約客はほっぽらかしにしてやろうか・・ということにもなりかねません。私は片山から再三再四に渡って礼儀に反する態度を取られまくりましたが、それでも、「片山の客」ならどうでもいいかもしれないが「(株)一条工務店の客」でもある以上は粗末にするわけにはいかないと考えて、怒りをこらえて毎度毎度誠意をもって接客・応対してきたのですが、ある契約客が、その後、電話を入れてきて、「郡山の展示場の片山という男が担当で契約したのだけれども、あの片山という男は、いったん、契約したが最後、まったく何もしない男だ。あんなやつを担当で契約したのは失敗だった。いわきの展示場に行った時に説明してくれたあの人(私のこと)なら真面目に仕事してくれると思うから、いわきの展示場のあの人に担当を変わってもらってほしい」と言ってきた人があったようです。実際、この人が担当で契約したお客さんはかわいそうだなあ・・と思う営業はいます。
  [第548回]《深奥山 方広寺(浜松市)と信教の自由の侵害【4】黒門。営業は自分で考える物+協力を求め契約になるなら》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_4.html の《4》(B)(オ)でも述べましたが、福島県浜通り地区の所長だったK野さんは、いわき地区の営業担当と一緒に見込客宅に行き、見込客から「ここに建てようと思う」と言われた土地を見せられ、その部分はそれほど広くはなくその土地に建てようとして図面を描く限り「愛想もくそもない図面」(お施主様が言われたという言葉)しかできず、どこの住宅建築会社も「愛想もくそもない」図面ばかり持ってきていたが、K野さんは現地に行って周囲を見まわし、そして、その見込客に「◇◇さ~ん、ここにある納屋なんだけんども、見たところ、まだ新しくて、壊すのはなんとももったいないように思うんだけども、もし、この納屋を壊して、納屋が立っている土地とこっちの土地と合わせて両方の土地を使って建てたとすると、けっこういい家ができると思うんだけんども、どんなもんだろうねえ~え」と提案し、お客さんも担当営業も「目からウロコ」の想いで感動し、契約に至ったということもあり、そのあたりの柔軟な思考・発想の転換などについてはすばらしいものがある営業で、こういったところは営業成績の上でもプラスになるでしょうしお施主様にとってもプラスになるものでしたが、片方で、「手を抜くところは抜く」ところもあり(営業は1棟契約してもらえばそれでいいというものではなく、ある程度以上の契約数を求められますから、これも絶対的に悪いということでもないのですが)、工務課の女性社員 W邊S子(当時、20代)の親が(株)一条工務店で契約した時、営業が自分の家や親の家を契約した場合には担当は自分になるが、工務課の従業員の親の場合には担当は所長になると(株)一条工務店はしていたので、K野さんが営業担当となっていたのだが、ところが、W邊と話をすると、従業員とはいえ、工務課に在籍して営業をやっていない従業員は営業なら知っていることを知らないことが多く、なおかつ、W邊が私に質問したりするのを聞いて、「え、こんなことも知らないの?」と思うこともあったとともに、「え? 所長はこんなことも説明してないの?」と思うことがありました。K野さんは年間全国1位の営業成績を残したこともある優秀な営業でしたし、私が担当の契約客がK野さんがいた展示場に見学に行かれた時にK野さんが接客してくれて、「この間、◇◇の展示場に行ったところ、所長のK野さんが接客してくれましてね。・・・・と言われたんですよお」といった話を聞かせてもらうことがあり、そういう話を聞くと、よく考えて話してるなあ~あ・・と感心するものがあり、全国1位の成績を残したりするだけのことあるなあ・・と感心するものもありました・・・が、W邊の親の家など見ると、もし私が営業担当ならばもっときっちりと説明してあげているはずなのになあ~あ、と思うところもありました。
   担当者が新人だと不安を覚えるお客様もおられますが、非新人でも新人よりよっぽど問題があるような人もいます。大手ハウスメーカーの場合には、担当者がどうであるかにかかわらず、担当営業のお客様という面もあるとしても、会社のお客様であるということで、「担当者がどうであるかにかかわらず、会社としての対応」をする会社があります。私の知人で、自宅を(株)一条工務店で建て、アパートを旭化成で建てたという人がありましたが、(株)一条工務店は担当者がだめならだめであるのに対し、旭化成は担当者が新人であっても会社としての対応をするので担当者が新人でよくわかっていない人でも特に問題はなかった、ということでした。(もっとも、だから、旭化成の方がすべてに渡って良かったかというとそういうことでもなく、「旭化成は、自分の所は大手だということで、えらそうにしている」といったようなこともあったようですが。)
   実の兄弟であれ義理の兄弟であれ、兄弟の家を契約してもらうメリットとして、自分自身が営業担当で契約することで、営業担当の仕事の部分については、私が責任もってきっちりとやります・・と約束し、実行することができる・・・・はずでした。だから、義兄に契約してもらい、契約後作業を進めたのでした。ところが・・・・。

  (株)一条工務店には「ビーイング」の求人広告を見て応募して採用されましたが、その際の求人広告には「転勤はありません」と書かれていたのです。但し、私の場合は、慶應大学商学部卒の卒業証書を取得した時から、あるのは「総合職」「全国社員」としての採用か不採用のどちらかで、「一般職」「地域限定社員」としての採用というものは希望してもないと思っていましたし、慶應大学卒の人間として採用された以上は、いずれは他の地域、あるいは他の国に赴任してもらえないかという話が出る可能性はあるものと思っていましたし、「一般職」「地域限定社員」の処遇にされても困るとも思っていました。しかし、1993年10月半ばより、まだ、入社2年目において、福島県いわき市の営業所に転勤してくれと言われたのは、それは想定外でした。戸建住宅建築業の場合、その地域と密着してこそ成果のでる仕事ですから、そう頻繁に転勤したのではそれが原因で成果が出なくなることが考えられますし、転勤は所長・支店長などになってからではないかと考えていました。入社時、30代に入っており、独身でしたので、結婚するまでは転勤は困る。結婚したならば転勤して他の場所に行くことがあってもいいが、結婚するまではそうしばしば居住地を変わっていたのでは成るものも成らなくなると考えていました。戸建住宅建築業の場合は、ある程度以上は継続して同じ場所にいないと仕事にならない仕事なので、入社してしばらくは転勤はないだろうと思って入社したのでした。そういった個人的事情を配慮しない会社の態度と、私の場合には慶應大学商学部卒の卒業証書を取得した時から、あるのは「総合職」「全国社員」としての採用か不採用のどちらかで、「一般職」「地域限定社員」としての採用というものは希望してもないと思っていたし、「一般職」「地域限定社員」の扱いにされては困ると考えていたとはいえ、それでも、「転勤はありません」という「ビーイング」の求人広告での記載を完全に無視した対応については首をかしげるものがありました。しかし、営業本部長の天野隆夫から「〇〇くんの場合は慶応大学卒の人ですから、他の人と違っていろいろな場所を経験してもらおうと思いまして」と言われ、そういうことであればとも思いましたし、又、実際に経験してみると、営業としても、営業所長なり支店長なりの役職についた場合を考えても、一線の営業として、1か所しか知らないという人と、そうではなかく複数個所の経験がある人であれば、間違いなく複数個所の経験のある人の方が実力があるのであり、それも、年齢も若く、社歴も浅いうちに転勤を経験して、それまで知らなかった場所での営業経験を積むのが有効で、1か所のみで長く経験を積み、さらには1か所のみで「実績」まで残してしまうと、思考の源がその1か所のみになってしまうおそれもあり、営業所長・支店長といった役職についてから転勤するのではなく、一線の営業の時、それも比較的社歴の浅い時の転勤の方が「総合的」視点・「複層的」視野で物事を見て考えることができるようになると思えるようになりました。  「空の広さは浜松の広さと同じだ」と思っている人を見ると、一度、浜松という井戸から離れた場所で勤務する経験をさせてあげるといいのではないかと思ったりもしましたが、低学歴の人で、浜松という井戸で長く勤務した人に、年齢もある程度以上、社歴もある程度以上の年数になって井戸から外に出したところで、「井戸の外」が「井戸の中」とは異なるのを見ても、それで、「世の中には井戸の中とは異なる世界があるんだなあ」とそれまでの自分の「井戸の中の蛙的思考」を改心するのではなく、「井戸の中の世界が正しく、井戸の外は間違っている」と考えるようになるだけ! だと(株)一条工務店でそういう人を見て思いました。井戸から外に出して外の世界を知るのは比較的若いうち・比較的社歴の浅いうちでないと効果は小さいと思われます。
  「揺り籠から墓場まで慶應」「幼稚舎から慶應」の小此木啓吾は慶應大学医学部助教授を定年で退職した後、慶應よりも定年の年齢が高い私立大学に講師だかで行ったらしいが、「何かと慶應に帰りたがる」と学生の間で人気が悪かったとインターネットに出ていましたが、さもありなん!・・て感じがします。小学校・中学校・高校・大学と慶應で勤め先も慶應として暮らしてきた「揺り籠から墓場まで慶應的精神空間から外に出れないモラトリアム人間症候群」の小此木啓吾としては、慶應という井戸から外に出ると息が苦しくなる、悪くするとひきつけ起こして口から泡でも吹く・・という状態になってしまうのかもしれません。「内部進学は殿様」というのは慶應にいてこそ主張してまかり通るものであり他大学に行くと他大学の人間はそんなこと知らないわけで、その「内部進学は殿様」という彼ら内部進学の人たちの頭では「常識」が通じない異次元世界というものが小此木啓吾には理解できなかったのでしょう。小此木啓吾からすると「内部進学は殿様」というのが「常識」であり、その小此木の「常識」が通じない世界というのは「非常識」な世界、小此木啓吾としては「なんとか症候群」「なんちゃらシンドローム」「なんとかかんとか人間」と「病名」をつけてやりたい衝動にかられる問題だったのでしょう。

   入社2年目での居住地を変わる転勤というのは想定外ではありましたが、それはそれで経験になったのでいいとするとしても、契約客については、まず、千葉県市原市のYさんの家は(株)一条工務店が独自に設定した「施工面積」で間違いなく65坪以上になる予定で、 (株)一条工務店では、「施工面積」65坪以上(延床面積としては62坪以上くらいか)の家については営業の評価は2棟契約の扱いとしており、2棟目が計上されるのは竣工・引き渡し後とされていたため、途中で他の営業に担当を引き継がせたのでは、「2棟分」の扱いの契約を取得したのに、1棟分、奪われることになってしまうのであり、それは理不尽と思われました。

   2棟分の契約を1棟分、奪われるという点は別としても、Yさんの家の仕事はやりがいがある内容の仕事であり、最後までやりたかったし、町田市のUさんの家の仕事にしても途中でひとに担当してもらうというのではなく自分で最後まで責任をもって担当したかった。特に、小堀住研(株)の場合には、営業担当者が転勤したり退職したりした場合には、営業課長が引き継いだのに対し、(株)一条工務店では営業が転勤した場合には、転勤前の営業所での契約客は新人に引き継がせることにしていたのであり、ただでさえ何かと危ない会社で営業担当が私だからなんとか補ってやってきたものを、新人に引き継がせるということには不安を感じました・・・が、YさんやUさんは、人間関係ができてきていたとしても、もともと、展示場に来場されて出会ったお客様であり、親戚などではありませんが、姉夫婦の家については、これは親戚であり、義兄としては嫁の弟が担当するということで契約したのであり、そうでない人間が担当するということで契約したのではないのです。
  (株)一条工務店では、会社として、営業が転勤した場合に、転勤前の営業所で契約いただいた契約客を、転勤後も担当するのか、転勤後は転勤前の営業所に在籍する営業に営業担当を引き継がせるのかについて、基準を設けており、「200km以内」の場合は、営業所を移っても引き継がずにそのまま担当するとされていたのです。これは会社の規定として文章になって全国の営業所に置かれていたものです。但し、実際には、それは目安であって、「200㎞」を越えても越えなくても、個々に営業担当者が自分がやった方がいいと思うか、引き継いでもらいたいと思うかで振り分けられていたのです。
  営業本部長の天野隆夫が、義兄の家を新人に引き継がせると言うので、それで、私は2つのことを言ったのです。
<1> 実の兄弟ならばまだいいけれども、義理の兄弟の家を、自分が営業担当として責任もってやるということで契約してもらったのに、それを自分が営業をやらないというのは具合が悪いんです、と。他の家はまだしも、義兄の家だけは転勤後も私に担当させてもらえませんか、と。
<2> 会社の規定では、「200㎞以内」の場合には引き継がずにそのまま担当すると明記されていますが、義兄の家からいわき市の営業所までは「実際にクルマで走った距離」で見て「ぎりぎり、200㎞以内」だったし、「直線距離」で見ると「間違いなく200㎞以内」だったのです。だから、「転勤については会社にも都合があるとしても、会社の規定から考えると義兄の家は引き継がずにそのまま担当することになっていますね」と話したのです。
  ところが、天野隆夫は、「それなら、転勤先は いわき じゃなくて原町にする。原町なら間違いなく200㎞を越える」と言い出したのです。これでは、嫌がらせと言うしかありません。民法では、第1条第3項「権利の濫用は、これを許さない。」と「権利の濫用」の禁止を規定している。会社には人事権があるとはいえ、それは会社を運営する都合の上で人事権を行使することが認められているのであり、嫌がらせで転勤させるということは「権利の濫用」として認められない。
※ 《WIKI BOOKS-民法第1条》https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B0%91%E6%B3%95%E7%AC%AC1%E6%9D%A1
  こういうことをする会社、親戚の家について営業本部長が「契約してもらえ」と言い、会社にとっても利益になることだと思って契約してもらうと、親戚の家の営業担当を他の者にさせるための転勤をさせる、というそんな会社では、親戚の者に(株)一条工務店で契約させるわけにはいかない。もしも、(株)一条工務店で建てたいと言うのなら、「それなら、私がいない営業所にいって他の営業と契約してくれ」と言うべきだと考えるようになりました。そう考えるのが妥当でしょ。違いますか?
  義兄に契約させる際、私が営業担当として業務を遂行するという前提で、そういう条件なら契約させてもいいかと判断して契約してもらったが、義兄の家の計画から私を遠ざけるために遠方に転勤させて、入社1年目の新人を担当にさせる、というそういうことをやる会社は信用できない。
  会社のためをも思って、うかつに義理の関係の兄弟に自分が営業担当で(株)一条工務店で契約させると、それが原因となって親戚関係に支障をきたすおそれがあるので、自分が営業担当として親戚関係に契約させるのは(株)一条工務店に在籍している場合には避けた方が良さそうです。

(6) そして、私が転勤後、義兄の家の作業においては、(株)一条工務店は大きな過失もしくは故意ではないかとも思われる行為をいくつもおこなった。すでに(株)一条工務店がその地域に進出して年数があり定着している地域と違って、スタッフがそろっていない・職人が定着していないということもあったし、何もわざわざそんな会社に頼まなくても、その地域である程度以上継続して建ててきて定着している会社に頼めば良かったのではないのか、ということもあるのだが、しかし、まず、個々の「失敗」「ミス」がどうこうの前に、 「従業員の親戚の家」に対する(株)一条工務店という会社の姿勢というものがあった。
  1994年、福島県相馬市で建てられたW様邸(原町展示場。M担当)のお宅で、工事にミスが多く、引渡時にお施主様からクレームを受けたことがあった。私は実際にそのお宅を見たが、たしかに、新築完成時にこれではというものがあった。その際だが、「お客様相談室」の「責任者」の田中義昭(⇒[第681回]《(株)一条工務店「お客様相談室」の「責任者」とはどういう人間か【3/3】真面目に対応せず人を誹謗中傷 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_11.html )がW様邸に行った際に、「一条工務店では、昔から、従業員や従業員の親戚の家には、初めての職人を担当させるようにしてきています」と発言したのだ・・・( 一一)。 やりやがった。私の義兄の家には「初めての職人」に担当させるようにしたのだ、(株)一条工務店は。
  「従業員自身の家とか従業員の親戚の家とかには初めての職人を担当させるようにする」という話はお話としてはあったわけだが、そういうのは、オーナー社長とかその親戚の営業本部長とかの家とその親戚の家のことだと思っていたのだ。ところが、(株)一条工務店ではそうではなく、一般入社で入った私の姉夫婦の家に「初めての職人」を集中的に配置しやがった。
片方で、福島県いわき市では、所長のK野さんが自宅を(株)一条工務店で建てたが(平屋の和風でなかなかいい家ができていた)、担当の大工は、その地域においては、この人ならまず大丈夫だろうと言われていた大工が担当していた。
  姉夫婦の家は、営業担当の私を担当からはずすためみたいな転勤をさせてはずした後、入社して半年も経たない松田(男。当時、20代後半)を担当にし、設計担当は設計の仕事は大成パルウッドで2年ほどやったそうで初めてということではないようだが(株)一条工務店では入社1年目の堤は東京地区にはその時期には他にいなかったからしかたがないとしても、大工は一条の仕事が姉夫婦の家が1軒目の大工をまわした。その大工は途中で仕事をほっぽり出して他の所に行ったようで長く工事現場を空けた。さらに、私は自分自身が契約の家については工事中も問題がないか定期的に見てまわったし、いわき市の営業所に移ってからも、東京圏に帰ってきた時には工事中の姉夫婦の家を見にいったりもしたので知ったのだが、クロスを貼る下地のボードを貼るボード屋は「ボード屋の仕事が初めてのボード屋」だったようだ。誰しもその仕事について1番目というのはあるのだけれども、「ボード屋の仕事が初めてのボード屋」というのは、それって、「しろうと」とたいしてかわらんのと違うのか・・てことになるのだが、そういう配置だった。
  「彼らが言っていることを聞くのではなく、やっていることを見るべきだ」。(株)一条工務店は、すべての従業員に対して「従業員や従業員の親戚の家には、初めての職人を担当させるようにしてきています」ということでもないようだった。私が福島県いわき市の営業所の赴任する少し前、福島県浜通り地区の所長だったK野さんが(株)一条工務店で自宅を建築したが、和風の平屋でなかなかいい家ができていたが、いわき地区で仕事をしている大工では、経験もありまず間違いないと言われる人が担当していた。だから、「一条工務店は従業員の親戚の家には新人の大工や職人をまわすことにしている」という田中義昭の発言は、私の姉夫婦の家には適用されたが福島県浜通り地区の所長のK野さんの家には適用されなかったわけだが、(株)一条工務店は「従業員の家には新人の大工・職人をまわすことにしています」という田中の発言は、それはオーナー社長とかの家のことではなく、一般従業員の親戚の家に「初めての職人」をまわすようにしていたのだった。小堀住研(株)に在籍した時、大阪府で、私の親がかつて小堀住研(株)で建てた家の屋根の補修工事をしたようだが、その際に来た工事担当者が持っていた書類には「従業員関係 ・・」という表記があり、「きっちりとした仕事をするように」という表記が書かれていたというのだ。実際に、仕事の内容が他と比べてどうだったのかはよくわからないが、書類には従業員の親の家なので普段以上にきっちりとした仕事をしてくださいと工事担当者の持つ書類に書かれていたらしいのだが、それに対して、(株)一条工務店の場合には、私の姉夫婦の家に(株)一条工務店の仕事が初めての大工・ボード屋の仕事が初めてのボード屋など配置したのだった。それでは、ほんのわずか、社員割引として見積額より引いてもらっても割が合わない。

(7) 姉夫婦の家の建築工事において、(株)一条工務店がおこなったことは、それは、「建築は出来合いの物を売るのとは違うので中には失敗もあるものだ」とか「建築は精密機械とは違うので余り細かいことまで言われてもしかたがない」とかそういった性質のものとは違う。そして、それらの多くは、営業担当が私なら避けることができたものだった。
(ア) 設計担当の堤(男。当時、20代なかば)は年齢が若いわりに人間的に気難しく扱いにくい男だった。営業本部長の天野は「営業なら採用しなかったが設計だから採用した」と言っていたが、設計は「投手」で営業は「捕手」だとすると、「投手」が少々我儘でも「捕手」はそれを苦労して工夫してリードしていい図面を書かせるように努力しなければならない。「へぼピーしかいないような会社」で入社以来、苦労して工夫してやってきて、そのうち、「二流投手」を指導することにやりがいを感じるようになった・・がそれを喜んでいいかどうかはわからない。
  いわき市の営業所に転勤してくれと言われた時、姉夫婦の家を松田(男。当時、20代後半。中途入社1年目)に引き継がせると営業本部長の天野隆夫が言うので、松田なんかにあの人間的に気難しい堤をリードできるのか・・と疑問に思ったが、やっぱり、できなかったようだ。
  「マンション住まいの人間に戸建の家の設計をさせるとマンションみたいな家を設計する」という話がある。堤にもそういうところがあった。又、私は高校生の時、建築学科に行きたがる人間というのは「パッパしたやつ」というのが多いという印象があり、あまりいいように思っていなかったが、堤にもそういうところがあった。私は、(株)一条工務店に入社以来、見込客宅に行くことがあると、その近所で過去に(株)一条工務店が建てた入居者宅を調べて、前の道から外観を見るという作業を続けてきた。それに対して堤はそういう「地道な努力というのが苦手なタイプ」だった。もっとも、私だって「得意」とか言われると困るのだが、それはやるべきことだと思ってやってきたがやらない人はやらない。内田康夫の小説は、「推理小説」とはいえ日本全国をたどる「旅と歴史」が背景にあり、よく取材されていると思うのだが、「売れっ子作家」だっただけに多作の年には中には内田康夫自身が足を運んでいなかった場所もあるらしいが、その場合でも、編集部のスタッフがかわりにその場所を訪れて取材し、作者の内田康夫はそれを参考にして執筆したというものがあったようです。『薔薇の殺人』(1994.10.25.角川文庫)の内田康夫「自作解説」で、
《 ・・・当時の角川書店の担当編集者だった郡司聡氏との話の中で、宝塚をテーマにした長編を書く企画が出たときに、ふとその短篇を踏み台にすることを思いつきました。目次を見てお分かりのとおり、第一章のタイトルに「名探偵は居候」がそのまま使われています。
  じつは、作中の「緒方聡」はこの郡司聡氏がモデルになっています。・・・・
 この作品では、さも知っているような顔で宝塚のことを書いていますが、じつは僕は宝塚歌劇団の舞台をナマで観たことがただの一度もありません。衛星放送では、かなり熱心に舞台中継を観るし、ぜひ一度、実物を観たいと思いながら、こんなオジンが行くと摘まみだされそうな気がして、二の足を踏んでいるのです。
  それだけならまだしも、兵庫県宝塚市そのものも取材しないまま、この作品を書いたのですから、かなり無責任なことではありました。言い訳がましくなりますが、そのときは、宝塚取材を予定して京都まで行っていながら、たしか『「紫の女」殺人事件』のゲラ校正が終わらず、ホテルでカンヅメになってしまって、宝塚取材は郡司氏に任せたというのが真相だったと思います。・・》
と出ています。自分自身で足を運んで取材する方が望ましいのでしょうけれども、それができない時には編集部の担当者にかわりに取材してもらってそれを利用するという方法もあるようです。(株)一条工務店の設計担当者もまた、営業の方がよく知っているものもあり、職種の性質として営業の方が動ける面もあり、営業のそういう能力と知識・認識を利用すればいいと思うのですが、「五流大学の建築学科卒」の人間は営業の言うことは聞いてはならないという使徒信条でも持っているかのような人間がおり、堤もそんな部分があったように思います。三流以下の人間の発想・認識です。愚かなことです。
  戸建住宅建築業の業界においては、営業は「動き回るのが仕事」であるのに対して設計は図面を描くのが仕事であって「設計は営業ほど動けない」し、(株)一条工務店でも営業については個人のクルマを会社が賃貸契約を結んで勤務時間中会社が借りてそれを元の所有者である営業に勤務時間中業務用に貸しているという扱いにしてガソリン代など会社が支払っていたが、設計については公共交通機関を利用して通勤するという前提であったはずだ。だから、設計の人間が営業の人間ほどは、過去に建てた家を見てまわることができないというのは、それはしかたがないといえばしかたがない面もあったが、それならば、そこから得た情報というのを営業が持っているのだから、営業からの情報を尊重するべきだが、ところが、堤は偏屈であり、営業の言うことをきかなかったのだ。姉夫婦の家は敷地も十分な広さがある整形の土地であったが、希望の間取りにしようとすると、東西方向の幅が少し不足した。私はひとつの方法として、南北方向と東西方向の軒の長さを変える、東西方向だけ軒の長さを短くするという方法があることを提示した。これは、東京都町田市の小田急「玉川学園」駅の近くで過去に(株)一条工務店で建てられたお宅がその方法をとっており、私は実際に前の道まで行って見てきて、「これなら悪くないな」と思った上で言ったのだ。ところが、堤はそういうものを見ていない。「軒の長さを変えると外観が変になる」と堤が主張するので、「軒の長さを変えた家を知っているけれども、変じゃないと思うよ」と私は言ったのだが、まだ20代のなかばなのに偏屈な男はきかないのだ。私は、東京展示場の「リーダー」だった宮崎さんから、会社のルールとして、寄棟屋根で軒の長さを南北方向と東西方向で変えるというのは可だと聞いており、かつ、私はそのルールのもとに建築した入居者宅として町田市の「玉川学園」駅近くのお宅で寄棟で軒の長さを2方向で変えたお宅を外から見てきて、決しておかしな外観になっていないのを確認してきたのだった。その上で私は堤に「軒の長さを変えて建てた家あるよ」とも言ったのだが、堤は「だめ」と言うので、会社としてこれはやっていい、これはやってはだめという基準については、営業の職種の従業員は「設計」を通じて会社に問い合わせるしかないので、それで、その時点では入社1ヶ月未満の堤が言うことでも、それは会社が設計に伝達したルールで、会社が、寄棟屋根で軒の長さを東西方向と南北方向で変えるのは不可と変更したのかと思ったのだ。ところが、後から考えると、そうではなかった。マンション住まいの男で戸建住宅の居住経験という基礎体験に乏しく、かつ、「パッパした人間」「建築家ぶりっこ」で性格が偏屈であった堤は、戸建住宅の居住性を無視してでも堤が考える「かっこよさ」を優先したかった、ということで、それは会社のルールではなかったようだ。私が設計ならば、会社のルールと施主のための2つをもとに設計をしてその上で格好もいいものを作ろうと考えるが、そうではなく、堤は会社のルールと別に堤のルールを「設計」という職種での経験3年未満で20代の男が入社して1ヶ月も経たないうちから独断で創設したようだった。この点について、もしも、寄棟屋根で東西方向の軒の出と南北方向の軒の出の長さを変えると格好が良くないと「バカでも入れる私大の建築学科」卒の「設計士ぶりっこ」「建築家ぶりっこ」が主張するのではなく施主がそう思うのならば、[第326回]《マンション住人は戸建住宅のどういうところを理解できないか。軒と雨戸はなぜ必要か。軒の出は配置図の基礎》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_4.html でも述べたことだが、ひとつの方法として、寄棟ではなく切妻の屋根にするという方法がある。 寄棟屋根というのは、基本的には四方に同じだけ軒の長さが出ているものだが、切妻屋根の軒は、もともと、南北方向(平〔ひら〕面)に長く東西方向(妻〔つま〕側)は南北方向よりも短くできているのです。(屋根というものは基本的には雨や風を防ぐためのものであり、その意味を理解せずにわざわざへんてこりんなもの最上階の上に載せている「建築家ぶりっこ」が時々いますが、そういうものは感心しませんが、寄棟と切妻はいずれも雨風を防ぐためには適した形状とされ、あえて言えば、寄棟は四方に均等に強いのに対し切妻は方向性があるが、切妻は妻面に換気ガラリを設けることで寄棟よりも夏場の小屋裏の熱気を外に出しやすいと言われ、どちらも構造上は好ましい屋根形状とされます。)切妻にしてもそれでもまだ収まらないならば、東西方向の屋根の出を通常より短くしても、もともと、ヒラ側とツマ側の比率というのが絶対的に決まっているわけでもないので、妻側を通常より短めにしても目立ちません。そういう方法もあるのですが、「マンション住まいの人間」で「パッパしたところのある人間」で「建築家ぶりっこ」で「バカでも入れる私大の建築学科卒」で「『設計』という職種での勤務経験が3年未満」という男はそういうことを考えつかないのです。もっとも、「捕手の力」というのは住宅建築においても大きく、こういう発想は「設計」よりも「営業」(「捕手」)が考えつくことが多いもので、営業本部長の天野隆夫は「営業は口きくな」とか「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」とか何度も言いましたが、そんな姿勢ではまともな家はできません。むしろ、「もっと、捕手の言うことをきかんか!」と「設計」に言わないといけません。(株)一条工務店の営業本部長はアホです。(株)一条工務店の営業本部長の言うことなんてきいていたのではまともな家はできませんし、仕事になりません。 又、私は町田市の小田急「玉川学園」駅近くの入居者宅の外観を見た上で、寄棟で軒の長さを東西方向と南北方向で変えた作りは決して変ではないと実物を見た上で言っていたのに対して堤は実物を見ずに「軒の長さを変えたら格好が悪い」と頑固に主張していたので、内田康夫は多作の年には自分自身で現地を取材することができずに小説を書いたことがあるらしいが、その際には編集部のスタッフにかわりに取材してもらってその取材内容を尊重して小説を書いたようですが、営業がかわりに見てきているのですからそれは尊重するべきであり、それでも自分自身の眼で見ないと確信がもてないということなら、そのお宅だけでも自分自身で足を運んで見て来るべきで、それをせずにデタラメを主張している若造の言うことにはなんでも服従しろと言う営業本部長は家づくりのためには害があります。  この件については、私がまだ営業担当者であった時期に話が出て、保留になった状態で松田に引き継ぎました。

(イ)  松田について、「なんだ、こいつは」と最初に気づいたのは、姉夫婦と松田を合わせて、ともに図面打合せをおこなった時です。2階の間取りについて、こうしてはどうかというもので、1階のキッチンのコンロの真上に寝室が来てしかも就寝する場所がコンロの真上になるようになったので、姉が「あ、これじゃ、コンロの真上になりますね」と言ったところ、入社して半年も経たないしろうとの松田が「そんなの、大丈夫ですよ。今の家は耐火性能が優れてますからコンロの真上で寝てもいっこうに問題ないですよ」などと、ひとの家だと思うとそんなことを平気で口にしたのでした。それも、まがりなりにも先輩社員であるその施主の弟の私がすぐ横にいるのに、です。こいつ、こういうことを言う人間なんだ、と思いました。私は小堀住研(株)に入社1年目においてそういう口はきいたことはない。(株)一条工務店に入社1年目においても2年目においてもそういう口はきいたことはない。まず、家づくりというものは、安全な住まいというものを前提に考えるべきもので、そのためには、1階で火災が発生した場合に火が2階に燃え移らないようにする工夫が必要ですが、同時に、もしも、火災が上に上がることがあっても最悪の事態は避けるという工夫もまた必要です。ですから、片方で天井に石膏ボードなど不燃材料・難燃材料を使用するなどして火災が上階に上がらない工夫は必要ですが、同時にコンロの真上で就寝しなくてもいいように間取りを考える工夫もまた必要です。入社したばかりで経験もなく学習もしていない男が何を思い上がって出過ぎた口をきくのかとあきれました。(株)一条工務店においては、1998年、福島県いわき市の営業所で第一設計部に配属された新卒入社1年目の長谷川恭子(女。20代前半。三流私大家政学部卒)が、「そういうのは私は感心しないですね」などとのぼせあがった口をきくので、お客様が帰られた後、「おまえ、さっき、いったい、何、言った?」と注意しようと思ったところ、第一設計部の春田靖(男。当時、20代後半。東洋大建築学科卒)が展示場の事務所に来ていて、長谷川は春田靖の後ろに隠れて私に発言させないようにした、ということがありました。先輩社員として、これは言わないといけない、と思った時に、それを言わさないようにしてやろうと画策するアホウがこの会社には時々いたのです。松田が何もわかっていないくせに、出過ぎた口をきいた時も、営業本部長の天野隆夫が同席していて、もし、私が後からでも松田に、「おまえ、あれはどういうつもりで言ったんだ」と問いただしたならば、営業本部長の天野隆夫は私に「おまえ、口きくな」とか「よけいなこと言うなあ」とか怒鳴りつけたでしょう。営業本部長として注意するべき相手は逆のはずなのですが、逆のことをするのが(株)一条工務店の営業本部長でした。 敷地も狭く延床面積も小さい家しか建てられないという場合に、コンロの真上の2階で就寝するようにするしか間取りのとりようがないという場合もあるでしょう。そういうケースにおいて、今の家は耐火性能が優れていますから、いいことにしましょうか・・・というのはありうる話です。しかし、姉夫婦の家は敷地の面積も東京圏で建てる人にとっては十分にある土地であり、延床面積もそれなりのものを建てる計画であり、あえて、コンロの真上で寝なければならないような家ではなかったのです。小堀住研(株)の「ハウス55」という企画住宅(「規格住宅」という言葉もありますが、小堀住研(株)では、「このような住まい方はどうでしょうか」という企画をする住宅・・という意味で「企画住宅」と言っていました)はプラン集にあるものから適したプランを選んでそれに修正を加えてその家の間取りを作っていくという方法のものでしたが、中にキッチンの上に寝室のあるプランもあったらしく、それを建てられたお宅でキッチンから火災が発生したものの、真上の部屋で寝ておられて御主人が無傷で脱出されたということで、「ハウス55」の耐火性能に感謝された・・ということがあった、と新卒社員研修の際に教えてもらったのでしたが、「ハウス55」の場合は、中には延床面積がそれほど広くないプランもあり、キッチンの真上に寝室がくるようになっていたものもあったということのようですが、そのお話は、研修の際には、課長のMさんが「そこの御主人はハウス55の耐火性能に大変感謝されたんです」といい話として話をしたのですが、しかし、片方でキッチンの真上で就寝するようなプランになっていたという点はマイナスの評価でしょう。人間のやることに完全・完璧はありません。たとえ、どんなに耐火性能がいい家でもキッチンの真上で就寝しないようにプランニングするのが好ましいはずです。「ハウス55」の場合は、中には延床面積面積が広くないプランもありますから、そういうもので、やむをえないケースもあったかもしれません。しかし、福島県あたりで建てる人と話をすると、「うちは土地が狭いから」と言われ、「何坪くらいですか」と尋ねると、「100坪しかないんですよ」なんて言われることがしばしばありましたが、そういう方から見ると姉夫婦の家の敷地は狭いでしょうけれども、東京圏の分譲地で建てる人にとっては狭くない方であり、その地域においては十分な広さの整形の敷地に狭くない延床面積で建てるのに、わざわざ、コンロの真上で寝なければならないようなプランニングをするやつというのはアホです。 もうひとつ、たとえ、耐火性能に優れている家だから結果として問題がなかったとしても、それでも、コンロの真上で寝るようになっている家というのは「家相が悪い」ということになります。(株)一条工務店は、私の姉夫婦の家、義兄の家に「家相が悪い」家を建てるのはやめてほしいんですよね。松田は、最初に姉夫婦と合わせた時にそういう発言・・暴言を言い、まず、その時点から、こいつ、大丈夫か・・と心配しました。

(8) 松田には、さらにあきれたことがありました。今は住宅金融公庫というものは無くなりましたが、その頃は、住宅ローンはまず住宅金融公庫というのが普通で、かつ、景気の悪化にともない、全期間固定金利であった住宅金融公庫は、申込時によって、毎回、金利が下がることが多かった。だからと言って、いつまでも待っていたのではいつまで経っても家は建たなくなってしまいますが、できることなら低めの金利で申し込みたいところで、申し込んだものを辞退して申込直すこともできましたから、住宅建築業の会社はお施主様のために、可能な範囲で低い金利の時に申し込んで建てるようにしていました。ところが、私が勤務していた福島県いわき市の営業所に、「引き継ぎの営業」になった松田(男。当時、20代後半)が電話してきて何を行ったか!! 松田はこう言ったのです。「住宅金融公庫の申込ですが、今回の申込の方が金利が安いんですけど、申込やりなおすの、めんどうくさいですから、前回の高い方の金利でそのままやろうと思うんですけど、どうでしょうか」と。・・・・あきれた! こいつ、ここまで腐った人間だとは思わなかった。
  住宅建築業の営業は、個々の契約客に対してきっちりとした対応をしたいものだが、同時に、1件契約もらえればそれでいいというものではなく、多数の契約をいただきたいという点もあり、その両方を同時に実現するというのが難しい。そのため、ある程度、経験を経た営業が手を抜ける部分で抜くというのはある程度やむをえないところもあるかとも思う。しかし、入社1年目に、自分が努力して契約してもらったわけでもないお客様に契約後の営業担当の役割をさせてもらって、それで手を抜いてはいけない部分で手を抜くバカがあるか! 私などは、小堀住研(株)で最初に自分が営業担当として契約してもらった時はうれしくて、その方のためにはどんな努力もしたいと思ったものだし、(株)一条工務店で最初に契約してもらった時もまた、自分を担当として契約してくれた人のためには最大限の努力をしたいと思ったものだった。それに対して、松田は自分が努力して契約してもらったわけでもなく、他の人間の契約客に契約後の営業担当という役割を未経験者なのにさせてもらって、それで言うに事欠いて、「めんどうくさいですから」とは・・、あきれた。「めんどうくさい」ならやめてしまえ!
  ひとつには、小堀住研(株)では営業が転勤したり退職した場合にはその契約客の営業担当は営業課長が引き継いだのに対して、(株)一条工務店では入社したばかりの新人に担当させることが多かったが、それが良くないのではないかと思う。家1軒建てる契約をいただくというのは大変なことで、特に入社1棟目の契約というのは大変である。(株)一条工務店に入社1年目に藤沢営業所の所長だった千葉さんから、「入社1棟目の契約というのは本当に大変なものなんだ。2棟目も大変だけれども、1棟目よりは楽だ。3棟目はさらに楽になる。同じ1棟契約してもらうにしても、10棟以上契約してもらったことのある人間が1棟契約してもらうのと最初の1棟を契約してもらうのとではわけが違う。その1棟目をこなした人間というのは、そこからさらに努力すれば2棟目も契約してもらうことができる。0はいくらたしても0だが、1は努力して増やせば2になり3になる」と話してもらったことがあった。その1棟目の契約という大変なものを自分自身で努力してしてもらったという試練を経ていない人間に、契約後の営業担当という役割をさせると、契約と契約客というものを軽く見てしまうのではないか。 契約後の営業担当という役割は、自分自身で努力して1棟以上契約してもらった経験のある者にのみおこなうことが認められる作業ではないか。 この人が営業担当ならと思って契約した人に、それまでに自分自身で努力して1棟でも契約してもらった経験のない新人を契約後の営業担当という立場につけるというのは、それは契約してくれた人に対して失礼ではないだろうか。
  住宅金融公庫は固定金利制であり、申し込んだ時の金利が返済が終わるまで続きます。金利が変れば総返済額が変り、その金額は決して小さくありません。この件について、いわき市の営業所の営業に、松戸展示場で引き継ぎの営業になった新人がこんなことを言ってきましたよ・・と話したところ、「『金利の差による返済額の差額分をおまえが払え』とそいつに言ってやれ」と言われたが、まさにその通りである。
  そもそも、住宅金融公庫の契約は施主と住宅金融公庫との間での契約であり、申込も施主がするものである。住宅建築会社が申込を代行していることが多かったが、それはあくまでも「サービス」で代行していた、もしくは、申込を代行することで何パーセントかでも他の住宅建築会社に契約が行かないようにしようとしていたのであり、住宅建築会社が代行しなければならないというものではないのである。だから、松田が「めんどうくさいですから」と言うのなら、施主が自分で申込をしなおしてもいいし、私が週休日に親戚として個人的にかわりに申込の作業をやっても良かったのである。そもそも、「めんどうくさいですから」と言うのなら、別に「めんどうくさい」と言うような人間に契約後の営業の作業をしてもらわなくてもけっこうなのだ。 私は松田に「住宅金融公庫は申込時の金利が最後まで続くもので、金利によって返済額が変るもので、たとえ、『めんどうくさい』と思ってもどこの住宅建築会社でも、お施主さんのために申込をしなおしているもので、『めんどうくさい』と言うほど手間のかかるものでもないんだから、そんなこと言わないで」と言ったところ、松田は「そうですか。はい、わかりました」と言って電話を切ったので、「はい、わかりました」と言ったからにはわかったのだろうと思ったのだ。ところが・・・
  私は、姉の所に電話を入れて、松田がこういう非常識なことを言ってきたが、住宅金融公庫の金利は固定金利であり、申込時の金利が返済完了まで続き、総返済額に大きく影響するもので、住宅建築会社の人間は施主のために金利が最も有利な申込期間に申し込んで建築しようとするもので、それを「めんどうくさい」などと言うバカはないので、「そんなこと言わないで、申込しなおしてくれと言ったから」と言い、「まさか、申込しなおさずにそのままやりましょうなどと言ってこないと思うけれども、もしも、言ってきても、きくことないから」と話したのだが、ところが、あきれたことに、松田は私から「住宅金融公庫は申込時の金利が最後まで続くもので、金利によって返済額が変るもので、たとえ、『めんどうくさい』と思ってもどこの住宅建築会社でも、お施主さんのために申込をしなおしているもので、『めんどうくさい』と言うほど手間のかかるものでもないんだから、そんなこと言わないで」と言われて、「そうですか。はい、わかりました」と答えたにもかかわらず、その後、姉夫婦の所に行って、「めんどうくさいですから、住宅金融公庫は申込しなおさずにすでに申し込んだものでやりましょう」(原文の通り)と言ってきたというのだ。あきれた。新人が「めんどうくさいですから」と口にするということ自体、あきれたことだが、先輩社員に「めんどうくさいですから」と電話してくるのもあきれたが、それ以上に、「住宅金融公庫は申込時の金利が最後まで続くもので、金利によって返済額が変るもので、たとえ、『めんどうくさい』と思ってもどこの住宅建築会社でも、お施主さんのために申込をしなおしているもので、『めんどうくさい』と言うほど手間のかかるものでもないんだから、そんなこと言わないで」と私から言われて、「はい、わかりました」と返事しておきながら、平気で施主の所に行って「めんどうくさいですから」と言うというその態度にあきれた。 こいつ、相当ふてえ野郎だな! と思った。また、たとえ、言うにしても、他の表現を考え出すのではなく、そのまんま、「めんどうくさいですから」と言ったというのだが、あきれた。仕事が「めんどうくさい」のならそんな人は辞めてもらった方がいいのではないかと思った。最初、私は、新人の松田が引き継いだ時、もし、うまくいかない時は私が姉夫婦との間に立ってうまくいくように協力しようと思ったものだったが、松田が次から次へとやることを見て、人間の質が悪く、そういう協力をする理由のない人間だと判断した。

(9) RCの地中梁を撤去してしまう。 軒が敷地からはみ出す図面で承認させ、地縄張りで判明して、施主の承諾なく勝手に「軒カット」で建ててしまう。
  解体業者・外構業者というのは、世間にあります。しかし、建築・土木の仕事をしていない人間にとっては、それぞれの業者がどういう業者なのかわかりません。だから、建て替えをする人は、それまでの家の解体や外構工事も合わせて建築会社に依頼するのです。建築会社はそれぞれの業者からいくらかの「バック」を受け取ることが多いけれども、「バック」を受け取っていてもいなくても自分が紹介した業者がやることには責任があるはずであり、責任の取れないような者を紹介するわけにはいかないはずです。「バック」という言い方だと、袖の下か裏口入学みたいな印象を受ける言葉ですが、その建て替え工事全体を管理する仕事を請け負うということで、責任を負い、直接に仕事をするのはそれぞれの業者であっても、業者に連絡をとり問題なく作業が進むように管理する仕事をおこなうわけですから、管理料としていくらかは取得してもいいのではないかと思います。
  但し、1993年頃の(株)一条工務店の場合は問題があった。その頃、小堀住研(株)では、解体・外構や水道の道路からの取り出し工事など、実際に工事をするのはそれぞれの業者であっても、お客様に出す見積もりは「小堀住研(株)」という名前で出していた。そして、それぞれの業者は業者の見積額に1割載せた金額で出しており、その1割を小堀住研(株)に渡していた。1割もらっている以上は小堀住研(株)の工事課はそれぞれの工事業者がきっちりと工事をするかどうか、工事課の仕事の一部分として管理したし責任も負った。それに対して、(株)一条工務店はそうではなく、解体・外構などの業者を紹介した場合、東京事務所工務課の主任の高須は「お施主さんのやる仕事ですから、知ったことじゃありません」と明言し、見積書はそれぞれの業者の名前の見積書で「(株)一条工務店」という名前での見積書ではなく、それでいて、1割、業者から取っていた。全体を管理し責任を負う者が1割取るのであれば、取る理由があるかと思うが、「知ったことじゃありません」と言うようなやつに1割も渡す理由があるようには思えない。
  業務推進室長→社長の山本庄一さんは、「一から営業やって取った契約じゃないんだから」いくらか紹介した建築会社に渡していいだろうとおっしゃるようでしたが、その理由でならば、1割というのは多すぎるのです。責任はあくまでも紹介された業者がすべてを負い、(株)一条工務店には責任はないと主張したいのなら、1割は多すぎます。その頃、企画室課長で後に総務部長になった天野雅弘が「住宅の利益は不動産業では3%プラス6万円が限度とされているように、それを基準にすれば、2000万円の契約をもらったとしても、66万円しか利益がないわけで、そこから給料を払わなきゃならんのだから」とか勝手なことを言っていたのだが、アホか! 住宅でも「不動産の住宅」と違って「建築の住宅」が「3%プラス6万円」しか利益をとってないわけないだろうが!! 小堀住研(株)は営業の歩合給の部分を「粗利益(あらり)の何パーセント」としていたのに対し、(株)一条工務店は高い家でも安い家でも1棟あたりいくらという計算にしていたが、これは営業に会社が1棟あたりどれだけ儲けているか従業員に対してよりわかりにくくしてやろうという作戦のひとつだったようだ。「3%プラス6万円」しか利益を取ってないわけないだろうが!! で、片方で企画室課長→総務部長の天野雅弘が「3%プラス6万円程度しか利益はないんだから」とかいくらなんでもそこまで行ったらすぐばれるだろうがという嘘を従業員に言いながら、他方において、業務推進室室長→社長の山本庄一が業者に「一から営業やって契約してもらった契約じゃないんだから、利益の中から1割くらいはよこせ」とか言うというのは、この2つの主張を並べただけでも矛盾したことを言っているのが明白である。建築会社が「3%プラス6万円」しか利益をもらってないわけないのだが、もしも、「3%プラス6万円」にプラスちょびっとくらいの利益率だったとすると、そこから「1割くらいよこせ」なんて要求されたのでは赤字になるのは明らか!!! 普通に計算すればわかることで、小学生でもわかる! よく言うよなあ~あ・・とあきれた。
  又、山本庄一さんは「一から営業やって取った契約じゃないんだから、利益の中から1割くらい渡していいだろう」と言うようでしたが、普通、業者は元請けの建築会社に「利益の中から」渡すのではなく、見積もり金額に「載せる」のです。 業者の意識としては、住宅建築業の会社からの紹介のお客さんというのは、住宅建築業の会社との関係で契約する人で、住宅建築業の会社から紹介をもらえないようになってはいけないので、無茶苦茶な仕事をするわけにはいかないが、それだけに、他と契約する可能性は小さい人だということで、特に安い見積もりを出す必要のない人と考えているはずです。
  ともかく、元請けの住宅建築業の会社が紹介した解体業者や外構業者がやったことに対しては、元請けの会社は「バック」を受け取っていようがいないが、見積書の会社名が元請けの会社の名前になっているかそれぞれの解体や外構の業者の名前になっているかにかかわらず、責任がないとは言えないはずなのです。まったく責任を取りたくないなら紹介するべきではないはずなのです。
  微妙なのは、質の良くない営業で、その会社の展示場や店舗に来場した見込客を自分が知っている工務店に紹介してそこで契約させるなんてことをするヤカラが時としているらしいのですが。他の業者を紹介するというのも、それも、3通りあります。第一のケースとして、私が(株)一条工務店に在籍した時に、新築してもらった入居者の方に、その方の親の家を修理をしたいと頼まれて(株)一条工務店は自社で建てた建物でない建物のリフォームはやっていなかったので、(株)一条工務店で仕事をしていた大工さんを「紹介」したということがありましたが、そういうのは問題はなと思うのです。施主もあくまで営業が個人的に「親切で」紹介したと思っていますし、その大工さんはすでに家の工事を担当した人で知っている人です。工務課から紹介してもらって紹介したのであり、(株)一条工務店のその地域の従業員は誰もが知っていますし、「バック」なんて1円ももらってません。あくまで、「親切」で紹介したものですからね。第二のケースとして、それに対して、(株)一条工務店の展示場に来場された方に「私の知っている工務店で建てれば一条工務店で建てるより安くできますよ」とか言って契約させてバックをもらうヤカラがいるらしいのです。これも、微妙なのは、(株)一条工務店は価格帯としては「中の上」くらいの価格帯、「クルマで言えばクラウンくらいの価格帯」の会社で、その価格帯の建物は建てられないがひと回り安い価格帯の建物なら建てることができるという人だってあるわけで、そういう人に紹介するというのは許容範囲か否かというと、私はそういうケースでも紹介すべきではないと思いますが、「いいじゃないか」と考えるおっさんというのがいたようなのです。私はバックをもらうのがいいかどうかと別の問題でそういうことをする人というのは嫌いです。入社1年目、東京都江東区潮見の展示場は本当に厳しい条件だった。来場者はそれなりにあっても観光客の割合が大きく、予算があろうがなかろうが、ともかく建てる可能性のある人なら最後の最後までなんとか契約してもらおうと食らいついたものだったが、それを、たとえ、予算が厳しめの人だからという理由があったとしても、それを他社に紹介してバックをもらおうというその姿勢は私としてはともかくそういう姿勢が許せなかった。しかし、それにしても、そのおっさんが紹介したのは、現実に(株)一条工務店よりも安めで建てている工務店だったようで、(株)一条工務店では建てられないがひと回り安い会社でなら建てることができるという人がいるのは事実ではあるのです。それに対して、これはいかんだろうがというのが3番目のケース。2011年、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)〔建設業。2013年11月に正式に倒産〕にアイダ設計(株)https://www.aidagroup.co.jp/ の長嶋という男が、アイダ設計(株)の店に来場された方を紹介して契約させた。そして、新華ハウジング(有)は倒産した。倒産の際、債権者会議の時に倒産申請の資料を見ると、アイダ設計(株)が紹介したその契約者には、新華ハウジング(有)は夫に500万円、妻に500万円の債務が残っていると記載されていたのです。私は裁判官というのは決して安くない給料をもらっているのだし、そういう書類に記載されたものがもっともなものか怪しいものか審査するものと思い込んでいたのですが、そうではなく、書類が一通り書かれていると、どうも認めてしまうらしい。私が同社に持っていた賃金債権についても実際の金額と異なる金額が書かれていましたが、相当いいかげんなものです。相当いいかげんなものですが、仮にそれを前提に考えたとすると、アイダ設計(株)が「アイダ設計で建てるより安くできる工務店を紹介します」と言って紹介して契約させた会社が倒産して、夫婦で合計1000万円、踏み倒したわけです。100万円じゃないですよ、1000万円ですよ。アイダ設計(株)で建てられないと言っていた人から1000万円、踏み倒したんですよ。で、これに対して、紹介したアイダ設計(株)は責任をとるべきなのか、取る必要はないのか? かなり、微妙ですが、ともかくも、アイダ設計(株)としては従業員にそういうことをしてもらっては困るはずなのです。はっきりと、アイダ設計(株)の見積書を出して契約してもらった仕事について下請け業者がやったことならアイダ設計(株)は責任を持たないといけませんが、あくまでも、アイダ設計(株)の従業員の長嶋という男が紹介したものであって、アイダ設計(株)が「会社として紹介」したのではないのです・・・が、たとえ、そうであっても、もしも、ヒラの従業員が紹介したというのであれば、アイダ設計(株)としても、「弊社の従業員がとんでもないことをして申し訳ございませんが、会社として紹介したものではありませんので・・」ということにもなるかもしれませんが、「弊社の従業員」でもヒラの従業員がやったことならまだしも、私は、最初、その長嶋という男(当時、30代後半くらい?)はヒラかせいぜい「ヒラのひとつ上」くらいの人間だろうと思っていたのですが、そうではなく、なんとも、びっくらこっこしたことに! 「部長」だったらしいのです。「部長」がそんなことするかああ~あ?!?!? と思うのですが、やりよったのです。そうなると、アイダ設計(株)に責任はないとは言えなくなるのではないか、たとえ、従業員が個人としてやったことだとしても、アイダ設計(株)の店に行った人を紹介したのですし、「部長」が紹介したのであってヒラが紹介したのではない以上は、アイダ設計(株)は会社として責任はないとは言えなくなるのではないか。少なくとも、そんな男を「部長」にならせていた、という点においてアイダ設計(株)の経営者には責任があるはずだ。住宅建築業の会社の従業員には、時として「長嶋みたいや」て類がいますからこれから家を建てようという人は要注意です。経営者もまたそういう従業員には要注意・・というのか、そのあたりを見抜くのが経営者の仕事だと思いますけどね・・。私が入居者の方に(株)一条工務店で仕事をしていた大工さんを紹介したのは、それは工務課の人間からあの人にこういう仕事を頼んでいいかと了承を得た上で紹介したもので、施主も(株)一条工務店を通しての契約ではないと理解して、あの人なら悪くないのではないかと思ってのものでしたが、結局、実行することはなくなったようでしたが、その場合、問題が発生しても(株)一条工務店が責任を負うものではないがまず大きな問題は発生しないだろうというものでした。それに対して、(株)一条工務店の展示場に来場された方をおのれの知り合いの工務店に紹介して契約させてバックをとった元不動産屋のおっさんとか、アイダ設計(株)の店に来場された方をつぶれる工務店に紹介したアイダ設計(株)の「部長」とかは、これは問題があるでしょう。問題があるけれども、問題が発生した場合に元の会社は責任をとるべきなのかどうなのかとなると、「微妙」であり、「微妙」であるからこそややこしいところもあります。
  それで、解体工事とか外構工事というのは、これは建て替えに際して、当然、出てくる問題であり、(株)一条工務店の東京事務所(東京都江東区木場)の工務課の主任の高須は「それはお施主さんがやることです。一条工務店で建ててほしいのなら、お施主さんが解体して、お施主さんが外構工事もやって、ここに建ててくださいと建てられるように用意するものです」と発言したのだが、そういう殿様商売では契約してもらえる人は本当に少なくなりますし、そもそも、「お施主さんがやることです」などと言われても、お施主様自身が解体業者だとか外構業者だとか、そうでなくても職人でそういった関連の業者に知りあいがあるという人なら「お施主さんがやることです」と言われてできるかもしれませんが、多くの人間にはそんな知り合いなんてありませんし、そんな知り合いなんてないからこそ、住宅建築業の会社に全体をお願いしているわけです。
  (株)一条工務店の経営者は、営業に対して、「それで、契約できんなら契約してもらわなくていいらあ。営業が契約してもらえなくて困るだけだら」とか言うわけです。なんか、無茶苦茶言うとるみたいな感じですが、そういうことを平気で言うのです。片方で、住宅展示場には、うちに仕事をさせてくださいと言ってくる解体業者とか外構業者とかがあるのです。誰に言うかというと営業に言うわけです。(株)一条工務店の工務課は「知ったことじゃありません」と明言するのですから。「知ったことじゃありません」とはよく言うなあと思いますが。それで、建て替えの場合には、それまで、建っている家を解体しないと新しい家は建てられませんから、しかたなしに営業が解体業者を施主に紹介して解体の契約をしてもらう。外構工事もまた、営業が外構業者を施主に紹介して外構工事の契約をしてもらうことになります。しかし、特に外構工事はそうですが、建物本体の工事と外構工事とは、完全に離れてた場所でのものならともかく、一体となってのものの場合が多いのです。それを工務課の人間に「知ったことではありません」と言われたのでは・・・というよりも、そういう文句を言う住宅建築会社というのは(株)一条工務店くらいではないかと思うのですが・・、何もそんな所に頼まなくても他にも住宅建築業の会社はいっぱいあるのではないか・・・ということになってきます。そもそも、工務課の人間が「知ったことではありません」と言うようなそんな会社に、なぜ、1割もくれてやらなければならないのでしょうか?

  もし、解体・外構についても「(株)一条工務店」という名前で見積書も出して、工事についても(株)一条工務店として管理するのなら、「1割よこせ」と言ってもそれはわかります。業者に「一から営業やったわけじゃないんだから、その分、自分の所のとる利益を減らしてもいいじゃないか」と言っても実際にはそうではなく「載せる」でしょうけれども、たとえ、「載せる」ことになっても、その1割は意味があります。それに対して、(株)一条工務店の名前を出さずに、「単に紹介しただけ」では1割とるというのは「取り過ぎ」でしょう。そもそも、たとえ、1円でももらわなかったとしても、「単に紹介しただけ」だから知りませんというわけにはいかないと思うのです。「単に紹介しただけだから知りません」と言いたければ紹介すべきではないでしょう。かつ、建て替えの人に対して、解体業者を紹介もせずに、「解体はお施主さんのやることですから」と東京事務所工務課の主任の高須みたいなことを言っていたのでは、解体業者を知っている施主なんてほとんどいませんから、家は建たないことになるのです。
  結果として、「営業が個人として紹介した」みたいになってしまうのです。営業にも、(株)一条工務店に入社する前に土木関係の会社に勤めていた人とか、外構屋を自分がやっていた人とか、前職の会社では営業ではなく工事課の仕事をしていたのでその地域の職人や工事業者をよく知っているとか、工務店の息子だからその縁でその地域の業者を知っているとか、そういう人も中にはいるでしょう。しかし、そうでない者はどうすればいいのですか。結局、その営業所にいる他の営業が「使っている」業者に依頼することになるのですが、その業者がもともにやってくれる業者かどうか、まともにやらない業者ならばその後は頼めませんから、業者の立場からすれば、その後も仕事を欲しいと思えばいいかげんなことをするわけにはいかないでしょうけれども、もしも、工事の内容が不適切であったとすると、どうなるのか? どうすればいいのですか? 「営業が個人として紹介した」と言われても、会社の業務についてやっているのですし、営業はたいした給料はもらっていませんから、問題が生じたとしても、責任とれなんて言われても取れません。
  又、(株)一条工務店は、「営業が個人として紹介した」ような状態にさせておきながら、それでいて、(株)一条工務店に1割よこせと要求するのです。おかしいですね。業者には言う人があったのです。「なんで、会社に渡すんですか。営業さんにあげるのと違うのですか」と。実際、業者からすれば、どの業者に仕事をまわすか決める人間に渡した方がいいわけで、その業務について何もしない遠方の浜松の人間にやってもしかたないのです。そうでしょ。(株)一条工務店の経営者は「従業員が勤務時間中に仕事としてやったことに対して、業者からカネをもらうというのはおかしい」などと言って、だから、浜松の人間にカネよこせと主張するのですが、なんで、「知ったことじゃありません」だの「工務課はまったく何の関係もありませんから」だのと言うヤツに1割も渡さないといけないのでしょうね。だいたい、「従業員が勤務時間中に仕事としてやったことに対して、業者からカネをもらうというのはおかしい」という理屈もおかしいんですよね。営業はその仕事を勤務時間内にやっているのではないのです。勤務時間外に時間外賃金なしでやったり休日出勤して休日出勤手当なしでやったりしているのであって、「勤務時間内に」なんてやってないのです。そうは言っても、そういうところで、相当高額の「バック」をもらうというのは、私は良心が咎めましたし、それで問題になってもかなわんと思ったので、昼飯おごってもらったというくらいはありますが、その程度のものはまあいいのではないかと思いましたが、自分を担当として契約してくれたお施主様が、目の前で、予算について頭をかかえて考えている姿を見ていて、高額の「バック」をもらうという気持ちにはなれませんでした・・・が、中には(株)一条工務店の給料よりも高い金額を「バック」で稼いでいたような営業もいたという話は聞いています。私があほくさいと思ったのは、普通、会社の経営者・管理者というものは、私のように、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)とまでいかないとしても、他の者がどうであるかにかかわらず、自分はそんなところで高額のバックを業者からもらったりはしないんだという姿勢で仕事に従事する者と、その逆の者とは、見抜いてそれを評価するものだと思っていたのですが、(株)一条工務店の経営者や管理者はそうではないのです。『C級サラリーマン講座』みたいな会社では、『C級サラリーマン講座』に登場する”宇宙人”みたいな人間を平気で採用すると、真面目に勤務して、滅私奉公をして会社に尽くしてきた私のような者までも”宇宙人”と同等の扱いにしてしまうのです。「ベンチがアホやから野球ができん!」と思ったことは何度もありましたが、思っても言わずに我慢して会社に尽くしてきましたが、尽くす価値のない経営者の会社でした。
※ 《ウィキペディア-伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%AF%E5%A4%B7%E3%83%BB%E5%8F%94%E6%96%89
  福澤諭吉は、元幕臣の勝海舟と榎本武揚の2名が、明治維新政府で平気な顔で高官についていることに対し、『やせ我慢の説』という書簡を送りつけるとともにそれを公表し、元幕臣でありながら、自分が仕えた徳川幕府を倒した維新政府に平気な顔で高官として就任するというのはいかがなものか、佐幕と討幕の戦いにおいて命を落とした者も何人もいたにもかかわらず、それを指揮した者が生きながらえただけでなく、討幕側の高官に平気で就任しているというのはあまりにも節操がないのではないか、と糾弾するが、そのあたり、福沢諭吉は自分は政府の高官につきたいとか思ったことはチョイともないとか『福翁自伝』で述べていたものの、実際には役職につこうと働きかけたこともあったとかいう話だけれども、それにしても、そういうあまりにも節操のない態度はいかんのではないか、と勝海舟と榎本武揚に対して質問状を送り付けそれを公開したというあたり、福沢諭吉という人はたいしたものだなあと思うし、そのあたりに、「福沢ぼれ」とでもいった気持ちを持つ人が少なからずいるのだと思う。そういった節操のある精神の人間とその逆の人間というのは、見ておればわかると思うのだが、ところが、(株)一条工務店の経営者というのはそのあたりについての「視力」がない連中だったのだ。

  小堀住研(株)は、解体にしても外構にしても「小堀住研(株)」の名前で見積書を出して、その見積金額の1割を小堀住研(株)で取るかわりに、全体について小堀住研(株)の工事課が管理し、問題があった時には小堀住研(株)で責任を持つとしていたのです。それならわkるし、そうすべきです。営業担当者によっては、施主の予算を節約するために、その1割を減らすために、業者の名前での見積もりで契約してもらう人というのもいたのですが、それで問題がおこらなければいいのですが、もし、何か問題がおこったら、誰がどう責任をとるのか? だから、必ず、小堀住研(株)の名前での見積もりを出して1割もらうようにしておかないといけないとしていたのです。
  (株)一条工務店の経営者は、1割よこせと言いながら、それでいて、見積書は業者の名前での見積書で、「業者と施主との契約」にしていたのです。これは卑怯です。カネだけ取って責任は取らないでおこうというやり口です。形式として、「営業が紹介した」みたいな形式にされていたのですが、営業は問題がおこらないように最大限の配慮はすべきですが、それでも問題が発生した時、責任とれなんて言われてもとれません。又、工事の内容については、工事課・工務課という部署は会社としてその部門の仕事を専門としてやっている部署ですが、営業個人はそれらの分野に詳しい人も中にはいるかもしれませんが、そうでない人の方が圧倒的に多いのです。
   丸山穂高という元維新の会のアホ議員が、わざわざ国後島で「戦争するしかないと思いませんか」と発言しただけでなく、「女、買うんだあ」とか叫んで、夜、外に出て行こうとしたとかいう事件があり、その際、元外務省の佐藤優氏が、「戦争するしかないと思いませんか」という発言も問題があるが、それ以上に大きな問題として、国後島はロシア連邦はロシア連邦の領土であると主張している場所で日本政府としてはそこは日本の領土であってロシア連邦の統治がおこなわれるのは不適切であると主張している場所であり、そこに、「ビザなし訪問」という極めて微妙な形式での訪問をしているのであり、もしも、訪問者がロシア連邦の刑法に違反するようなことをそこでおこなってロシア連邦の警察に逮捕されるなどということになった場合、日本政府としてはロシア連邦がそこでロシア連邦の刑法に基づいて司法権を実行するのは不当であると言わざるをえない立場にあり、そうなっては大変困るのであり、そういう事態は絶対に避けないといけないのであり、訪問者は最新の配慮をしないといけない立場であった・・にもかかわらず、「女、買うんだあ」と叫んで泥酔状態で、夜、外に飛び出そうとしたというのは、これは国会議員として非常識このうえないものだ、と指摘していたが、まさにその通りだろう。「ビザなし訪問」というのはガラス細工のような繊細で細心の注意をして対応しないといけないものだ、という。
   (株)一条工務店において、解体工事や外構工事を「営業がお施主様に業者を紹介した」という形でおこなっていたのは、これは「ビザなし訪問」みたいな感じ、極めて危なっかしい、細心の注意を払って極めて気を配っておこなわないといけない、というものだったのだ。もしも、問題が出た時に誰が責任を取るのか。業者に責任はあるのは間違いないとしても、(株)一条工務店に責任はないとは言えないはずだ・・・が、見積書に「(株)一条工務店」という名前を入れずに業者の名前で見積書を出させて「業者と施主との契約」という形式に(株)一条工務店がさせていたのは、(株)一条工務店は「カネはよこせ。責任はとらんぞ」という姿勢をとっていた、ということであろう。それがまかり通るかどうかは別として、そういう態度を会社がとっているものについては、営業担当は、まさに、「ビザなし訪問」のごとく、ガラス細工を扱うかのように細心の注意を払って対応しないといけないものだったのだ。私は、姉夫婦の家の契約について、私自身が営業担当としてやるならば、なんとか、問題なく進行させられるのではないかと思ったが、新人の松田にやっていけるか不安を感じた。小堀住研(株)に入社1年目の私は住宅建築業についてはわかっていなかったが、わかっていない新人だけにひたすら一生懸命やったし、(株)一条工務店に入社1年目もそうだった。松田もまた、新人としてそういう姿勢で仕事をするとしても、それでも新人に引き継ぎの営業をさせることには不安があったのだが、ところが、松田は「新人としての真面目に取り組もうという姿勢」が完全に欠落している男だった。松田には「ガラス細工を扱うような最新の注意」「ビザなし訪問のような極めて気を配った慎重な対応」が求められる解体や外構工事についての対応は無理だった。

  姉夫婦の家は、
<1> 鉄筋コンクリート造(RC造)の平屋建ての上に在来木造で2階を増築した家が建っていて、それを建て替えようというものだったのだが、鉄筋コンクリート造は相当頑丈にできていて、RC(鉄筋コンクリート造)の地中梁が地表より下に埋まっていた。どこで切断して新しく建てるものにどう接続するのかという問題があった。この場合、RC造(鉄筋コンクリート造)といっても、レスコハウス・宇部ハウス・大成パルコンなどのような「コンクリート系プレハブ」「PC(プレキャストコンクリート造)」ではない。建築会社は京成建設だったと思うが、平屋だが本格的なビル建築のRC造の建物が建っていたのだ。
<2> もうひとつ、付近は、川が増水して前面道路が冠水することが過去にあった場所で、そういう事情があったことから、地盤面をもとの地盤面よりいくらか上げたいと考えていた。
  この条件で、どのように進めればいいか、誰に聞けばわかるか。誰が知っているか。こういう時に、大手ハウスメーカーであれば、会社のどの部署にきけばいいというものがあるのです。ところが、浜松工務店の(株)一条工務店にはそういうものがなかった。それまででも、1992年12月に契約してもらった町田市のUさんが、廊下で懸垂ができるように鉄棒をつけたいと言われた際、鉄棒てどこで売ってるんだろう? どのようにつけるものだろう・・・と考えたのですが、東京営業所長・松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫にきけば、誰にきけばいいと指示してくれるだろうと思って尋ねたところ、はぐらかすようなことばかり言われて、なんで、そういう対応をするのかと思ったことがありましたが、要するに自分が知らないとうるさがってそういう対応をする男だったようでした。
  私は、まがりなりにも、年間何百棟か建てている会社ならば、こういった場合にはどうというものについての蓄積があって、それを担当している部署があるものだろうと思い込んでいたし、小堀住研(株)では完全自由設計の「新桂」では、顧客がこんなことをしたいという希望があれば喜んだものでしたが、(株)一条工務店は「完全に自由設計」と称していながら、少しでも変わったことをしようとすると、逆に営業本部長の天野隆夫が嫌がったのでした。私は、入社して、「一条の家は、完全自由設計で構造に問題があることをやってくれというのでなければ、何でもできる」と「一級建築士の宮崎さん」から言われて、そういうものだと思ってしまったため、小堀の「新桂」と同様に、顧客が独創的なことをやってほしいという希望があってそれを実現しようとすると会社は喜ぶものだろうと思いこんだのですが、理解に苦しんだことに営業本部長は嫌がったのでした。そんなことでは、「単純で面白みのないレベルの低い家」しかできなくなるぞと思ったのでしたが、実際、(株)一条工務店は「おもしろみのない家」「ありきたりの家」「独創性のない家」のことを「間違いのない家づくり」と言ってはぐらかしていたところがありました。
  東京事務所の工務課の人間はわからないということで、もとより、東京事務所の工務課に期待するのが無理というものでしたが、それなら、誰が知っているか、解体屋のM興業は「壊すしか能のない人間」だそうで・・・というのか、無茶苦茶言っているようで実際に解体屋というのは「壊すことに能力のある人間」だけれども「壊すしか能のない人間」なので、きいてもしかたがないとして、基礎屋が知っているかというとそうでもないようでしたし、外構屋が知っているわけでもなし、本社にいた、日大建築学科卒で、東大名誉教授で明治大農学部教授だった杉山英男先生の研究室に(株)一条工務店から派遣されて行ったこともあった平野さん(男。当時、30代)が知っているのではないかと「一級建築士の宮崎さん」が言うので、平野さんに問い合わせたところ、(株)一条工務店が実施した地盤調査では「べた基礎」の判定が出ていたことと合わせて考えて、既存のRC造(鉄筋コンクリート造)のRC(鉄筋コンクリート)の地中梁を残してその上を解体して、残した地中梁に(株)一条工務店が作るべた基礎と既存の地中梁とを緊結して施工するのがいい、と言われ、その方針で私は進めていたのでした。ところが、福島県いわき市の営業所に転勤してくれと言われ、それで、それまでの経緯と「鉄筋コンクリート造(RC造)の建物のRC造の地中梁を残してその上の部分を解体し、(株)一条工務店がべた基礎を作ってそのべた基礎を既存のRCの地中梁に緊結する」という方法でおこなうという予定を、東京圏の設計担当の堤・東京事務所工務課の高須・解体屋の光たか興業・営業の引継ぎ担当の松田、それに「ぼくが松田くんと一緒に営業担当というということで問題ないようにやっていくようにするから」と明言した営業本部長で松戸営業所長兼任の天野隆夫に話して、そのようにやってもらうように念を押すようにして、それでいわき市の営業所に移動したのでした。
  普通、いくらなんでも、ここまで念を押して頼んだら、それも何人もに頼んだら、営業の引継ぎ担当者・設計担当者・工務課担当者・解体屋、そして、何よりも営業本部長に念を押して説明して頼んでいったなら、その指示に反することをやるなんて思いませんでしょ。ところが、それを信用してはいけないのが(株)一条工務店だったのでした。あきれました。
  いわき市の営業所にいて、姉から電話をもらって知ったのでしたが、 (株)一条工務店が紹介した解体屋の光たか興業は、なんと、私が念を押してかんで含めるように説明して了解したはずの話を無視して、地中梁まで撤去してしまったというのでした。解体屋は依頼されていないものを解体したのでは、これは器物損壊罪の対象になるはずです。これを壊して撤去してくださいと頼まれたものを解体するから解体屋の仕事をしたということになるのであって、壊してくれと頼まれていないものを壊したのでは、刑法上、器物損壊罪です。民事上は損害賠償の対象になるはずです。(株)一条工務店もまた、(株)一条工務店が紹介してさせた解体屋がやったことには当然のことながら責任があります。
  ところが、 (株)一条工務店は何と言ったかというと、「一条工務店の契約と違いますから」と、そう言ってしらばっくれたというのです。「一条工務店の契約と違う」と言っても、建て替えをする者にとっては、解体と新築の両方がセットで建て替えであり、(株)一条工務店にその両方を依頼したところ、解体はこの業者にやってもらってくださいと解体屋を(株)一条工務店が紹介したのですから、「一条工務店がやった仕事と違いますから知りません」などという(株)一条工務店の言い分は認められないはずです。小堀住研(株)もそうでしたがたいていのハウスメーカーは、解体もまたその会社の名前で見積を出して契約しており、その会社が責任をもっておこなっていましたが、(株)一条工務店はそうではなく解体屋の名前で見積を出させて契約させていたのでしたが、しかし、たとえそうであっても、もしも、(株)一条工務店に責任があるのではなく解体屋に責任があるものだということならば、(株)一条工務店が紹介して依頼した解体屋がやったことですから、(株)一条工務店が責任をとるのではなく解体屋に責任をとらせるというのならば、それならそれで、(株)一条工務店が解体屋に話さないといけないはずです。 
  そもそも、私は、営業の引継ぎ担当の松田だけでなく、設計担当・工務課担当・解体屋、それに営業本部長の天野隆夫に念を押して確認して依頼してきたのに、それらの人間は何を聞いていたのか?!? 誰にきけばわかるかと私が苦心して努力して何人もにきいて、「一級建築士の宮崎さん」から本社にいる杉山英男教授の研究室に派遣されて行ったこともあるらしい平野さんがわかるのではないかと言われて平野さんにきき、資料を送って平野さんに検討してもらったのも、すべて無駄にされてしまったのです。 工務課担当の高須は、おそらく、例によって「工務課の仕事と違いますから知ったことじゃありません」とか思っていたのでしょう。私はそういう無神経で無責任な者に機嫌ばっかりとってあげないといけない(株)一条工務店という会社の状況というのはいいとは言えないと思いましたけれども。設計が担当の仕事ではないといっても自分が担当している家の工事の進行に何の関係もないとは言えないはずです。そもそも、営業本部長の天野隆夫は「ぼくが、責任もって間違いないようにするから」と明言したのでしたが、この男の「ぼくが間違いないようにやるから」という言葉ほど信用できないものはなかった!!!

  さらに、(株)一条工務店はそれ以外にもおかしなことをした。解体した後に、「地縄張り」と言って外壁の中心線にひもを張ると、そのまま建てたのでは軒が敷地から出てしまうことが判明したというのです。私が東京営業所・松戸営業所にいた時から、東西方向にもう少しあれば思い通りの間取りにできるのだが・・という話は出ていたのですが、軒がない家にされたのでは嫌なのでそうならないように・・・ということでプランニングに思案していたという時点で引き継いだので、軒をカットすることなく敷地内に入るようにプランニングされて、それで間取りは決定して進めたはずでした。それなのに、なぜ、解体して、地縄張りをすると、その時点で、軒が敷地から外に出るなどということが判明するのか?!?  それは設計担当者のミスであったのですが、誰が悪いかというと、それを仕事としてやっているのにミスした者が悪いはずです。(株)一条工務店は営業本部長の天野隆夫が「営業は、設計にはどんなことでも服従しろ」と命令して人権侵害の奴隷的服従を強制しましたが、天野隆夫が「設計には機嫌取って機嫌とってひたすら機嫌とって服従しろ」と命令されたのですが、その結果、「設計はやりたい放題」で、施主の家は無茶苦茶してもいいという権利があるみたいに思うようになったようでした。「『バカでも入れる私大の建築学科でたばっかり』の人間はエライのだから営業の職種の人間には機嫌をとってもらう権利がある」ように堤は思っていたようでしたし、堤よりも営業本部長の天野隆夫がそう指示したのでしたが、エライのならばエライ人のようにきっちりと仕事をしてもらいたいものです。ちっともエライ人間としての仕事をせずに、「機嫌取ってもらう権利」ばかりを主張するのはやめてもらいたいものですが、ところがどっこい! 「バカでも入れる私大の建築学科」というのは「バカでも設計は機嫌とってもらう権利がある」と「教育」しているみたいです。イヴァン=イリッチは『脱学校の社会』(東京創元社 現代社会科学叢書)で、学校による「教育」がかえって弊害になる場合があることを指摘していますが、実際問題として、「バカでも入れる私大の建築学科」と「バカでも入れる建築専門学校」というのは全部ぶっつぶした方が世の為ひとの為ではないのかという気がします。
  ここで、ひとつ、思い出したものがあります。一般に「マンション住まいの人間に戸建住宅の設計をさせるとマンションみたいな間取りにする」という話があります。堤は「マンション住まいの人間」だったと思われます。入社の際の面接で「持家ですか」と訊きたがる面接担当者がいるのですが、これは、今現在は厚生労働省では「面接でするべきではない質問」と規定しているようですが、いい悪いと別に、なぜ、そんなものを訊きたがるのか疑問です。それに対して、戸建住宅建築業の会社においては、それまで、どんな家に住んできた人か、という点について、私が経営者もしくは採用担当者であれば、尋ねてみたいですね。戸建住宅に住んだことがあってマンションに住んだこともあるという人ならば、両方の長所短所がわかるということもあるかもしれませんが、マンションにしか住んだことがないという人間には戸建住宅の事情はわからないと思うのです。たとえ、ちっぽけな家でも戸建住宅に住んできた者とそうでない者とでは明らかに違いがあります。そもそも、マンション住まいの人間、それも、生まれてからずっとマンション暮らしという人間は、マンションの仕事をすれば良さそうなのに、なんで、戸建住宅の設計の仕事をやりたがるのか? そのあたりが不思議なのです。
  堤は、姉夫婦が「軒がないのでは」とそれは困ると言った時、「今の家は、窓のサッシがきっちりしていますから、軒はなくてもそれで窓から雨が入り込むとかいうことはありません。」「それに、軒がないから風がもろに窓ガラスにあたることがあっても、風でガラスがしなるということはあっても、風で窓ガラスが割れるということはまずありませんから」などと言ったのでした。そうかあ? もし、割れたらどうしてくれるんだあ? なんか、いいかげんなこと言うやつだなと思ったものでした。
  もしも、アルミサッシはぴったりとしまって隙間から雨が入り込むことはない・・・としても、軒の役割というのは、窓をしめた状態で雨が窓から入り込まないようにするだけではないのです。軒があれば、夏の高い太陽の位置では日差しをさえぎり、冬の低い位置の太陽の位置では日差しが部屋の中まで入ることになる場合があり、梅雨時など、少々の雨なら、軒が長ければ窓を閉めなくても過ごすことができるが、軒のない家では少しでも雨が降り出すと大急ぎで窓を閉めないと部屋中に雨が入り込みます。そもそも、「軒の長さが75cmと他社より長く軒をとっています」というのが(株)一条工務店の「売り」だったはずで、その自分の会社の「売り」を否定するようなことを言ってもらっては困るのです。
  そして、「アルミサッシはぴったりとしまるから隙間から雨が入り込むことはない」かというと、そうとも言い切れません。1995年にいわき市で建てていただいたT様宅で、入居後に出窓の部分のサッシの溝に雨が入ってきて室内側にあふれそうになると言われた方があり、身に行くと実際にそんな感じでした。これは(株)一条工務店の建物だけに限った問題でもなく、アルミサッシというのは、アルミという素材はぴたっと隙間なく閉められるという性質があるものの、それは両側、横方向の話であり、上下には、まったく完全に隙間なくしてしまったのでは窓は動かないのです。だから、隙間はあるのです。但し、レールの部分で工夫をして、簡単に室内側に雨が入らないようにして、たとえ、レールの内側に雨が少々入ることがあっても、すぐに外側に出るようにレールにところどころ穴があけられているはずです。いわき市のT様宅は、それなのに、なぜ、室内側に雨があふれそうになったかというと、出窓でない部分は軒があるので上からの雨は軒が防ぎ、横風で窓にかかる雨だけが入り込むのに対し、出窓の部分というのは出窓の出は軒の出より短いものの、出窓の出っ張りの部分だけ軒が短いことになり、その分だけ雨がかかりやすく、それとともに風の向きがその窓の方向に吹きやすい場所でもあったようでした。出窓のサッシの上下の空きを当初よりも小さ目にすることで対応したのでしたが、「アルミサッシはぴったりとしまるから隙間から雨が入り込むことはない」という堤の認識は間違いです。堤はその時点で20代なかば、本人の話によると、明治大学の建築学科卒で大成パルウッドで設計を2年、住友不動産ホーム〔現・住友不動産(株)の戸建住宅部門〕で営業を1年やったという話でしたが、その通りだとして、設計と営業と合わせてたかだか3年しか経験のない男にしては断定的な口をききすぎです。おのれにそこまで断定的な口をきけるだけの実力があるのかどうか、考えてみた方がいいでしょう。
  私は、住宅というものは「施主の家」ですから、施主の希望を最大限に満たす家を設計するのが設計の仕事であり、営業の仕事についてみると、実際には設計が作っている部分もあるが営業が作っている部分もあり、野球にたとえれば「設計はピッチャー。営業はキャッチャー」のようなところがあり、「捕手の力」によっていい家ができたりそうでないものができたりするということを実感しましたが、ともかく、ピッチャーにしても、たしか、山田久志が『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)で書いていたが、俺は一流投手だからみんなが俺の言うことをきくのが当たり前だとか、俺は一流投手だからみんなが俺に合わせるのが当然だとかそんなことを思っているようなピッチャーは一流投手じゃない、と。一流投手というものは、一流投手であればこそ、他の人間の気持ちも考えてやるものだと言うのです。ところが、戸建住宅建築業の業界においては、「バカでも入れる私大の建築学科」出たばっかりという男(もしくは女)で、自分は「設計士さま」だからひとは自分の機嫌をとって自分の言うことにはデマカセでも無茶苦茶でもきくのが当然だと思っているヤカラというのが時としているのです。そういうヤカラには、そうじゃないんだぞということを営業その他の職種の人間は教えてやらないといけないのです。ところが、(株)一条工務店という会社においては、営業本部長の天野隆夫が「設計にはどんなことでも服従しろ」「営業は口きくな」「営業は設計にはどんなことでも従え」と命令して、「バカでも入れる私大の建築学科でたばかり」の人間を増長させるのを趣味としていたのでした。”趣味”です。それが会社のためになるのならともかく、まったくなりません。個人の”趣味”を会社の利益より優先させるのはやめてほしいものですが、それをやるのが(株)一条工務店と(株)一条工務店の営業本部長でした。
  私は、その頃、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫がそこまでアホとは思っていなかった。認識が甘かった。アホはアホでも超弩級のアホだったのだが、そこまでとは思わなかった。建築学科は、東大とか京大とかでは工学部に、早稲田大では理工学部に所属していますが、東京芸大では美術学部に建築学科があり、工学部・理工学部系の建築学科と芸術学部・美術学部系の建築学科が日本にはあります。芸術学部・美術学部にある建築学科があり、それは建築は芸術・美術でもあるという認識なのですが、そうは言いましても、絵画や彫刻とは建築は性質は同じではありません。机の上に載る程度の彫刻、広隆寺の弥勒菩薩像くらいの大きさの彫刻ならば、世間一般に評価されなくても、彫刻家が信念もっていいと思うものなら作ってもいいでしょう。ピカソの絵というのが、あれは名作なのか「無茶苦茶描いてるだけ」なのか今もよくわからんのですが、部屋中に入る程度の大きさの絵ならば、名作であるか「無茶苦茶描いてるだけ」であるかにかかわらず、画家がいいと思うものを描けばいいでしょう。しかし、建築はそれではいけないはずです。なにより、画家とか彫刻家というのは、作品を造る時点ではそれは自分のもので、購入したいと思う人が出て売却が決まって初めてひと様のものになるのですが、住宅の建築は施主の敷地に施主の建物を作るわけであり、「建築家」だの「芸術家」だのになったつもりで勝手なものを作ってもらっては困るのです。もしも、「設計」と称する若造でそのあたりを理解できていない者がいたならば、営業はそうじゃないんだぞということをわからぜてあげないといけません。施主のためにも、「設計」のためにも。優秀な設計というものは施主にとって使える家でデザインもいい家で構造も優れている家を設計するもので、施主のためにならないものを作るのが優秀な「設計士さま」ではないのであり、そのあたりをはき違えてはいけません。
  ところが。小堀住研(株)に入社1年目、千葉支店の設計課長の I さんに設計を担当してもらった松戸市の I 様邸の図面を千葉支店に受け取りに行った際、設計課長の I さんが「もう少しでできあがるから、それでいいか見てくれ」と言うので、「私は入社してまだ半年も経っていない者ですから、設計課長がいいと思われたものなら私が見ていいとか悪いとか言うことはありません」と言ったところ、設計課長の I さんから、「そうじゃないだろ。たとえ、入社して半年経っていないとしても、それでも自分が営業担当のお客さんの図面ならば、たとえ、設計課長が書いた図面であっても、それでも、営業として、それがお施主さんの要望を満たしているかどうか、使いにくいということはないかどうかといったことを営業として見て、この部分はお施主さんの希望を満たしていないのではないかとか、営業として見てここは使いにくいということはないかと思うものがあったなら、それを設計に指摘しないといけない。設計は、営業から指摘された時に、お施主さんはこうしてほしいと言ったのにあえてそうしなかった場合には、なぜ、そうしなかったのか、もしもそうしたならば、どういう不具合があるからそうしなかったのかということを説明するはずだ。もしも、使いにくいように見えてたということがあったなら、設計としては、なぜ、そうしたのか、なぜ、そうするしかなかったのかというものがあるはずだから、それを説明するはずだ。その説明を聞かないといけない。もしも、営業から指摘されて、なぜ、そうしたのかという説明をすることができない設計ならば、それは説明できない設計が悪い。説明できないような図面を設計が書いているのならば、説明できないようなものを書くやつが悪いんだから遠慮することはない。どんどんと指摘してやるべきだし、指摘しないとだめだ。それは自分が入社して半年経っていなくても関係ないし、設計担当が設計課長であっても何の関係もない」と言われたものだった。これは大いにもっともなことで、その時から、私はそういうものだと思ったし、小堀住研(株)ではあてはまるが他の会社ではあてはまらない会社もあるという性質のものではなく、基本的にはどこでもあてはまるもののはずだと思った。今もそう思っている。
  ところが、世の中にはそう考えていない人間というのがいるらしいのだ。2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/〔本社:東京都中央区。発祥は関西。社内公用語は大阪弁?〕で、アフター課の阿諏訪(男。当時、40代前半。「建築専門学校卒」、前職は設計事務所)が「施主の家と違います。設計士の家です」などと言うので、あきれた。この人にそれは違いますよと教えてあげようと思っても、相当厳しいなと思った。「建築専門学校卒」で前職は「設計事務所」とかいう人には、阿諏訪のような「施主の家と違います。設計士の家です」という思想というのか信念というのかを植え付けられた人間というのが時々いるのです。そういう人に、「設計士の家と違います。施主の家です」という真理を教えてあげようと思っても、頑固で相当難しい。 まず、「建築専門学校」という所は、そこで教えているヤツが根本的に物の考え方を間違えているのではないか! 「建築専門学校」というのは、すべてぶっ潰した方が日本の国民のためではないか。だいたい、私は高校時代に思ってものですが、建築学科に行きたがる人間には、「精神的にパッパしたやつ」てのが多くて、「施主のための家」ではなく「設計担当のデマカセのための家を施主のカネで作る」のが設計の権利みたいに思っているヤカラというのがおり、そういう「パッパしたやつ」にその精神面を入れ替えるというのは簡単ではないのです。
  姉夫婦の家で、解体して、地縄張りをしたところ、軒が敷地からはみ出ることがわかった・・・という話ですが、ひとつの可能性として、施主、義兄と姉は、軒のない家は困ると認識していて、それを言っていたので、設計担当は当然理解したと私は認識していたのでしたが、それは甘かったのではないか。そうではなく、(株)一条工務店の設計の堤は、フリーダムアーキテクツデザイン(株)のアフター課の阿諏訪みたいに「施主の家と違います。設計の家です」みたいな思想を持っていた、という可能性は否定できない。だから、施主が軒のない家は困りますとはっきりと言っていても、堤が「今の家は軒はなくてもいいんです」という思想を持っていると、「バカでも入れる私大の建築学科卒」の人間には施主の意思を無視する権利がある・・みたいに思っていた・・という可能性は十分に考えられる。営業はそういう「設計」には、「おまえ、そういうものとは違うんだぞ」とわからせてやらないといけないし、それが営業の仕事のはずです。松田にそれができたかというと、最初からやる意思はなかったのではないか。おそらく、「めんどうくさいですから」とか思っていたのではないか。
  しかし、施主が依頼していないものを作るのが「設計」の権利、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間の権利とか堤は思っていたかもしれないし、「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」と営業本部長の天野隆夫は人権侵害の発言をしばしばしていたのだが、しかし、施主からすれば、施主が依頼していないものを作られたのでは、それは契約違反のはずで、契約通りのものを作ってもらうか、そうでなければ、目的と達することができない度合に応じて損害賠償を求めるか、どちらかというのが、民法の考え方ですね。フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「建築専門学校卒」の阿諏訪なら、「設計士(さま)の家ですから」と言うでしょうけれども、日本の民法は阿諏訪のようなそういう主張を認めていないのです。

  それで、(株)一条工務店の解体屋がRC造の地中梁を依頼していないのに撤去してしまった。いわき市の営業所の人にも話したのですが、「RCの地中梁なんて、造るには相当お金がかかってるはずなのに、それを撤去してしまったのか」と驚いていました。そういうことを(株)一条工務店と(株)一条工務店の解体屋はやったのです。解体屋というのは「壊すしか能のない人間」かもしれないが「『壊す』ということについては能力のある人間」「『壊す』ことについてのプロ」であるはずで、「壊す」ことについてのプロというのは、「この部分は壊さないようにしてこの部分を壊してください」という要望を満たしてこそ解体屋のプロであって、ここは壊さないでくださいという所まで壊したのではそれでは解体屋にならない。(株)一条工務店は、他のハウスメーカーと違って(株)一条工務店は「(株)一条工務店」として解体の見積もりを出すのではなく解体屋の名前で見積もりを出しているので、(株)一条工務店には解体屋がやったことには責任はない、解体屋と施主の間の問題だと言いたいようでしたが、その解体屋を誰が紹介したのか、誰がその解体屋にやらせてくれと言ったのかというと(株)一条工務店が言ったのですから、解体屋に責任があるのならそれならそれで、(株)一条工務店がその解体屋に責任をとらさないといけないはずなのです。ところが、(株)一条工務店はその責任を放棄するのです。義兄は勤務先がゼネコンであり、勤務先の関係で解体屋を捜すということも選択肢としてあったようなのですが、「全体を(株)一条工務店に頼んだ方がうまくいくだろう」ということで、「(株)一条工務店の解体屋」に頼んだのです。もし、施主が(株)一条工務店と関係のない解体屋に個人的に頼んだのなら、「個人的に頼まれたからにはその解体屋に言ってください」ということもあるかもしれませんが、《「全体を(株)一条工務店に頼んだ方がうまくいくだろう」ということで「(株)一条工務店の解体屋」に頼んだ》にもかかわらず、それに対して、「一条工務店の仕事と違いますから」と言って責任放棄しようとする態度は良心的ではなく、それは通じないことでしょう。
  たとえ、地中梁を撤去しても、それでも構造上問題のない家ができるとしても、地中梁を撤去したことにより、その分だけ、地盤面が下がってしまうのです。もともと、その地域は、川の増水で道路か冠水することがある地域でしたので、元の地盤面よりいくらか高くしたいという希望で計画を立てていたはずなのです。それなのに、地中梁を撤去してそのまま建てたのでは、地中梁を撤去した分だけ、地盤面が元の地盤面より低くなってしまうのでした。だから、作るには相当お金のかかる地中梁を依頼されていないのに撤去したことについて、(株)一条工務店も(株)一条工務店が手配した解体屋もいずれも責任をとらないとしても、せめて、地盤面がもとの高さより低くならないように、その分、土を入れる費用くらいは(株)一条工務店と解体屋で負担して土を入れて、もとの地盤面より低くはならないようにするというその程度の責任は(株)一条工務店はとる義務があるはずです。
 
  私は、姉にそれを(株)一条工務店に言うように電話で言ったのです。ところが、いわき市から電話で言うと、「なんか、『すぐにやらないと工事が遅れますから』と言って、今、もう、なんか、バリバリバリとやってるよ」と言うのです。「バリ、バリ、バリと」というのは、それは、「ランマー転圧」と言って、基礎を作る前に、その下の土を固めるために、「バリ、バリ、バリ」と音をたてながら機械で固める作業のことですが、「そんなもの、一条工務店がミスして地中梁を撤去して、地盤面も下げたのに、下がった地盤面をもとに工事を進められたのではたまったもんじゃないでしょ。それに、軒がはみ出るのはどうすると言ってるの?」と言うと、「『軒をカットして建てますから』、『すぐに始めないと工事が遅れますから』と言って、もう、工事やってるよお」と言うのです。「そんなこと、勝手にやられちゃだめでしょ。すぐに、工事を中止するように言って」と言ったのですが、「言ったけど、『遅れますから、遅れますから』と言って工事やってるよお」と言うのでした。施主が言ってもきかないのならば、私が言うというのも選択肢としてあったはずですが、私が言うと、営業本部長の天野隆夫が「おまえは口きくなと言ってるだろうが。おまえは口きくな、おまえはあ!」と言うのでした。なんで、そういう口をきかれなければならないのでしょうね。天野隆夫こそ、「おまえは口きくな」と言われる必要があるのではないでしょうか。そもそも、天野隆夫は「ぼくが間違いなく問題ないようにやるから」と言ったにもかかわらず、なぜ、このような無茶苦茶やられているのでしょうか?!?

  たとえ、いったん、「図面決定」したものを、またもや、作り変えないといけない手間がかかったとしても、それは施主が悪いのではなく、ミスした設計が悪いのですから、余計な時間をかけてでも作り変えるしかないはずなのです。 (株)一条工務店と(株)一条工務店の解体屋がミスをしたからには、まず、そのミスについて、こういう対処をしたいと思いますので、それで納得いただけませんか・・・という話をして、工事を進めるのはそれからのはずです。とりあえずは、(株)一条工務店として、地中梁を撤去してしまったことにより、地盤面が低くならないように、その分、土を入れる費用は(株)一条工務店が負担をして入れるべきで、それでいいにしてもらえませんでしょうか・・と言うのならまだわからないこともありません。しかし、「『工事が遅れますから、遅れますから』と言ってバリバリ(ランマー転圧を)やってる」というのは、それは、まともな業者の作業とは言えません。また、東京事務所工務課の主任の高須は「解体と外構はお施主さんがやることであって、工務課は知ったことじゃありませんから」と言うのでしたが、「知ったことじゃない」と言うわりには解体屋が「ミス」(なのか故意なのか・・)をして、指示と異なることをやって地中梁を撤去してしまったことを既存のこととして進めようとしてそれに加担しているのですから、言っていることが矛盾しているように思えます。

  (株)一条工務店の東京事務所工務課は、「工事が遅れますから、遅れますから」と言って、施主の意思に反して、かつ、(株)一条工務店の専門部署の判断に反して、地中梁を撤去してしまったという問題を無視し、軒が敷地に入らないという問題を施主の意思をきくことなく勝手に「軒をカットして建てます」と工事業者の(株)一条工務店が勝手に決めて工事を進めたにもかかわらず、工事途中において、「一条の仕事は初めて」という大工が、工事現場を放置して抜けて(・・・てことは、他からの仕事をその間、やっていたということか)、長期間、工事をストップしたということがあった。 「工事が遅れますから、遅れますから」と言った以上は送れないようにやらないといけないはずだが、(株)一条工務店の東京事務所工務課は自分が工事を遅らせる方は平気らしい。

(10) 隣家の塀を壊す。
  さらに。(株)一条工務店の解体屋 光たか興業は、解体工事において、道路との間の塀が隣家の道路との間の塀とつながっているのに、それを切断することなく引っ張って解体しようとして、隣家の塀も壊してしまった。・・・解体屋というのは「壊すしか能のない人間」かもしれないが、同時に「壊す」ことについてはプロなんだから、隣家の塀とつながっている塀を切断せずに引っ張れば隣家の塀も壊してしまうという、そのくらいわかるはずだが、プロにしてはおそまつな仕事だった。
  このことを、いわき市の営業所で、ベテランの「木南さん(仮名)」(男。当時、40代)に話したところ、「木南さん(仮名)」は「それは、隣家との境目をカッターで切って、それから引っ張れば良かったのですけれども、解体屋としては、カッターで切ってから引っ張るよりも、切らずに引っ張って隣家の塀も一部分壊してしまって、それから隣家の塀の壊れた部分を補修するようにした方が作業が楽だから、だから、そうやるのがあたりまえですよ。それが常識。もしも、隣家の塀を壊されたくないのなら、営業の〇〇さんが最初から解体屋に、隣家の塀を壊さないように、境目の部分を先にカッターで切って、それから引っ張るようにして解体してくださいとお願いしておかないといけないんですよ。言っておかない〇〇さんが悪い」と、なんだか、私が悪いみたいに言われてしまった。
  「(株)一条工務店の解体屋」というのは、「隣家との境目を『カッター』で切断して、それから壊す部分を引っ張って解体するという方法は手間がかかるから、隣家の塀も壊してしまって、隣家の壊れた部分を後から補修する方が楽だからいい」という非常識な考え方を「常識」「当然」と考えているらしいということをその時に知ったので、その後は、私は自分が担当のお宅でそのような状態の所はないかどうか見て、もし、同様の状態の時には念を押して、隣家の塀や建物は壊さないようにお願いしますと言うようにした・・のだけれども、しかし、建築屋の営業から「隣家の塀は壊さないように、先にカッターで境目を切断してから壊す部分を引っ張るようにしてくださいね」と念を押さないと、そうでなければ隣家の塀を壊すというのは、それは「常識」かあ??? それが「当然」かあ~あ??? 違うと思うぞお~お! そんなもの、言わなくても、それをプロの仕事としてやっている人間なら、隣家の塀は壊さないように、隣家との境目の部分をカッターで先に切断して、壊す部分を引っ張っても隣家の塀までは壊さないように配慮して解体するというのが、プロの解体屋としての「常識」で「当然」と違うのかあ~あ?!? なんで、隣家の塀までぶっ壊すのが「常識」で「当然」なんだあ~あ? なんだか、(株)一条工務店のオリジナル従業員の認識というのは、非常識な「常識」でできているもんだ。私は、隣家の塀までぶっ壊すというのは、そんなものは「常識」ではないと思うし、「当然」でもないと思うぞお~お!!!
  そして、隣家から抗議を受けた際にも、営業の引継ぎを担当したはずの松田は何もしなかったようだ。「めんどうくさいですから」ということだったのだろう。「めんどうくさい」のなら、引継ぎ担当を最初からやるな!!! ・・と私よりも営業本部長の天野が言うべきことだと思うのだが、天野も「めんどうくさい」のか言わないようだった。私は、松田が営業の引継ぎの担当1件を、カウントされる資格はないと思っている。仕事してないのだから。もし、「相当の経験と実力のある人が担当して、肝心な部分はやるけれども、抜くところは抜く」という対応をした場合か、もしくは、「新人だから至らない部分もあるけれども、一生懸命やる」という姿勢だったか、そのどちらかであったならば、特に、「新人だから至らない部分もあるけれども、一生懸命やる」という姿勢であったなら、できるだけ暖かい目で見てあげてほしいと親戚に頼むということもありえただろうけれども、松田の場合には、 「新人でわかっていない所だらけでありながら、同時に、『抜いていいところを抜く』のではなく、抜いてはいけない所も徹底して抜く」のであり、真面目さが欠けており、どんなに無理しても弁護する理由が見当たらなかった。
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《 また、山崎はアドバイスするだけでなく、やるべきことをやっていない選手や全力を尽くしていない選手をよく叱ってくれる。いつだったか、ある若手に平手打ちをくらわしているのを目撃したことがあった。
「なにを怒っているんだ?」
 私が尋ねると、山崎は答えた。
若いくせに手を抜いているんですよ。一所懸命やっていない。全力疾走を怠ったり、スライディングすべきところをしなかったり、怠慢なプレーが目立ったからです」
 手を上げるのは決してほめられたことではないが、山崎の正義感、責任感の強さがそうさせたのだと私は理解している。 》
( 野村克也『野村再生工場』2008.8.10.角川oneテーマ21 )
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(11) インテリアカーテンレール。エアコンにぶつかる。平気で「切ります」と言う無神経男。
  たとえ、至らない部分があっても、一生懸命やっているなら弁護側にまわるところを、およそ、弁護する気持ちになれない・・・という男は他にもいました。1993年、5月、松戸展示場に入社してきた「秋元だったか秋山だったか」(男。当時、20代後半)は、新潟大卒だという話でしたが、しっかりした感じではなく、「こいつ、駅弁とはいえ本当に国立大学でてきたのかあ?」という印象でした。実際のところ、地方国立大学卒の人には、地方大学だけれども国立大学卒だけのことはあるという人と、そうではなく、こんな人、国立大卒と言う値打ちはないなあ~あ・・という人とあると私は思っていますが、彼は後者でした。
  1993年5月だったと思いますが、(株)一条工務店の営業本部長で松戸営業所長を兼任していた天野隆夫が、私が追客中だった松戸市で居住中の家を総3階建てに建て替えて二世帯住宅にしようと計画されていた方のお宅に私が訪問するのに、「秋元だったか秋山だったか」を連れて行けと言うので、私は「この人は、今、なかなか、うまく進んでいない人ですから勘弁してください。この人はひとりで行かせてください。どこか一緒に行ってもらってもいいような他のどこかを考えますから」と言ったのですが、ところが、天野隆夫が「いいから、連れて行けって。ぼくが連れて行けって言ってるんだ。ぼくが連れて行けと言っている以上連れていけよ」と言って、無理矢理連れて行かされたということがありました。天野隆夫は「彼はクルマの運転は相当できるそうだから、彼にクルマは運転してもらって」というので、「秋元だか秋山だったか」のクルマに乗って行きました。
  ところが、まず、アポなしで訪問したのですが、大成パルウッドの営業が来ることになっているので、その時間は話はできないが、大成パルウッドの営業は2時間くらいで帰ると思うので、その後なら話はできる、ということでしたので、2時間、待つことにしました。ところが、「それじゃ、そろそろ、2時間になるから、家の近くまでクルマで行って待とう」と言い、他社の営業とかちあわないように、いくらか離れた場所で、そのあたりがいいだろうという場所を私が指し示して、「そのあたりに停めて」と言ったのですが、ところが、「秋山だか秋元だったか」はアホというのか、ヌケサクというのかで、言われても言われても指示をきけない。「どこですか」と言うので、「そこでいいよ。そこで停めて」と言っても、「どこ、どこ」と言って走る。こいつ、いったいどこが「クルマの運転は慣れていて相当できる」なんだと思いましたし、そもそも、クルマの運転技術の問題じゃなくて、「そのあたりで停めて」と指示しているのに、ひとの言うことをきけない、素直さがない、「競合メーカーの人間とかちあいたくないから」と言ってるのに、わざわざ、目の前に出て行く。こいつ、絶対にアホや! と思いました。
  そして、客宅に行くと・・・。この見込客は、松戸展示場に来場された時から、「総3階建てで二世帯住宅に作り変えたいと考えているので、ツーバイフォー工法で考えている」とはっきりと言われ、そのメーカーも「大成パルウッドと三井ホームを考えていたけれども、三和ホームの人間がうちの話も聞いてほしいと言ってきたので聞くことにした」とはっきりと言われたのでした。そこに、私が「一条工務店でも三階建ては可能で、浜松の工場内で在来木造の三階建て耐震実験もおこないました」という話をして、ともかくも、それなら話は聞こうということにはしてもらったものの、これははっきりとは言われませんでしたが「(契約確率) 大成パルウッド:70%、三井ホーム:29%、三和ホーム:1%、問題外:一条工務店」といった感じでした。なぜ、ツーバイフォー工法で1位の三井ホームが本命ではなく、本命は大成パルウッドで、三井ホームが対抗馬なのかという点ですが、おそらく、大成パルウッドと何らかの関係のある会社に勤めておられたのではないかという感じでした。ですから、「大穴ですらない」立場からの逆転を狙うというのは、これはかなり厳しいものでした。それをなんとか逆転する方法はないものか・・と考えていたのですが、どうも、思いつくものがなかったのです。そこで、それでも、ともかく訪問して・・というところに、わけのわからん新人をつけられるというのは負担だったのです。
  小堀住研(株)に入社1年目、最初に配属された松戸営業一課の課長のUさんが「おまえは本当に優秀だなあ」と私に、にやにやしながら、どうも、百パーセントは本気ではない感じで言うので、どういう意味なのだろうなあ・・と思ったことがあったのですが、私が入社する前にUさんが課長の営業課に中途入社で入った人で、Uさんとしては扱いに困った人がいたらしかったのです。教えても覚えが悪いし、見た目も悪いし、お客さんからも苦情を受けるし・・という話でしたが、私はその人と直接会ったことはないので、そうであったのかどうかはわかりませんが、その人と比べて「本当に優秀だなあ」という話でしたが、なんだか、ほめられたのかそうでないのかわからないような言い方でした。
  その話は、比較する相手のレベルが低いから・・ということだったようですが、(株)一条工務店の「秋山だか秋元だったか」を見て、その人の話を思い出しました。「秋山だか秋元だか」と比べたら小堀住研(株)に入社1年目の私はたしかに「優秀」だったと思います。但し、特別にものすごくほめるほどのものでもなく、比較する相手のレベルが低すぎるのです。客宅で、見込客からの話に私がどう答えたものかと思っていると、「秋山だか秋元だか」が横からトンチンカンなことを言いだしたので、こいつ、いいかげんにしてくれよ・・と思い、黙るように合図を送ったのでしたが、先輩社員の訪問に同行させてもらっておいて、突然、横からトンチンカンなことを言いだし、先輩社員から黙るように合図をされても、それでもきかないのです。このバカはどうしようもないなと思いましてたし、普通の人間ならまだしも、見通しのつかない見込客宅に、こういう筋金入りのバカを連れて行けという営業本部長というのは、営業本部長と言うには不適切な人と考えるしかないのではないか、普通はこういうバカは連れて行けとは言わないものではないかとも思いました。「秋山だか秋元だったか」と比べると、たしかに、小堀住研(株)に入社1年目の私は間違いなく絶対に優秀でした。
  私は、小堀住研(株)の1年目、Uさんに同行させてもらって客宅に行った時も、「・・を出せ」と言われると「はい」と言って出し、「これ、持っておけ」と言われると持ち、巻き尺ではかるから、「そっち持て」と言われると持ちして、アシスタントとしては役立ったはずです。それに対して、「秋山だか秋元だか」はアシスタントとしても役立たないだけでなく害がある。仕事の邪魔である。先輩社員の訪問に同行してもらうのならば、まず、一番大事なのは「先輩社員の仕事の邪魔をしない」ということのはずだが、「秋山だか秋元だったか」は明らかに「仕事の邪魔」なのです。横から、突然、トンチンカンなことを言いだされたのにはびっくりしました。かつ、黙るように合図を送っても、合図を送られたことも理解できない。困ったやつをつけられたものだと思いました。
  それだけだったらまだいいんですよ。それだけではないのです。営業本部長の天野隆夫から逆に私が文句を言われたのです。「おまえが秋山くん(秋元くんだったか?)を同行させたために、秋山くん(秋元くんだか)が一条工務店の家を売る自信がなくなったと言っているじゃないか。反省しろ。おまえが悪いんだ!」と。なんで、そんなことを言われなければならないんだ? 私が「このお客さんは、軌道に乗っていない人なので、かんべんしてください」と言っているのに、ヌケサクを無理矢理連れて行かされて、私が「そのあたりに停めて」とクルマを停めるのに最適と思える場所を指示しても、私の指示をきかず、競合メーカーの営業とかちあいたくないと思って、「止めて。行かないで」と言っても私の指示は絶対にきかずに、わざわざ、競合メーカーの営業の前に出て行く。客宅で、先輩社員が話をしている最中に、横からトンチンカンなことを言いだし、黙るように合図を送っても指示をきかない。そういうアホを無理矢理連れて行かされて負担をかけられて、おまけに、「おまえが悪いからだろうが」と言われた。それなら、もう、連れていきませんから。私が連れて行きたいと言って連れて行ったのと違うんです。私が「このお客さんは困ります。誰か他の人の所にしてください」と言っているのに、それを天野隆夫が無理矢理そこに連れて行かせたんです。それで、「おまえのおかげで・・」だのと言われるようなら、もう、二度と連れて行きませんから。
  1993年、6月頃だったか、営業本部長の天野隆夫から「秋山くん(秋元くんだったか)に、一条の家を売る自信があるかときいたら、『自信ありません』と言ったぞ。おまえのせいだ。よく、気をつけろ!」と言われたのだ。なんで、私のせいなのだ? 「なんで、私が悪いんですか?」と言ったところ、天野隆夫が「おまえが、一条の家はろくでもない家でとても売れたもんじゃないと教えたんだろう」と言うのでしたが、私は秋元だか秋山だったかにそんなことを教えたことは一度もないので、「私、そんなこと、言ってませんよ」と言ったのだ。ところが、天野隆夫は「一条はガラスが悪いから売れないと教えたそうじゃないか」と言うので、私は「秋山さん(秋元さん)に窓ガラスの話をしたことなんて、私、一度もありませんよ」と実際に一度もないから、ないと言いました。ところが、「秋山くん(秋元くんだったか)は、おまえから一条はガラスが悪いから売れたもんじゃないと教えられたと言ってたぞ。おまえのおかげで新人が一条の家を売る自信がなくなったんじゃないか。これで、辞めたらおまえのせいだぞ。よく、気をつけろ、おまえはあ!」と言って怒鳴りつけられたのだ。しかし、私は秋山だったか秋元だったかにそんなこと言ったことは一度もないのだ。なにより、天野隆夫は「おまえのせいで、新人が一条の家を売る自信がなくなって辞めたらどうしてくれるんだ」などと言うのでしたが、天野隆夫のせいで私が(株)一条工務店という会社に対して不信感を覚えて辞めたらどうしてくれるんだ?!? と言いたいところでしたが、もしも、本当にそう言うと、「辞めればいいら。辞めれば」と天野隆夫は言ったでしょう。そういう男です、天野隆夫という男は。そもそも、私はその時点で入社2年目にさしかかったばかりであり、なんで、入社2年目に入ったばかりの人間がそこまで1年目の人間に気を配ってやらないといけないのか、そこまで私に1年目の人間に気を配らせたいのなら、私を営業所長にして所長の手当てを払ってもらいたいところです・・・が、それは嫌らしいのです。たしか、松戸展示場においては、入社2年目の後藤(男。当時、20代後半)が、展示場で接客した人が、「積水ツーユーホームの展示場がペアガラスを使っているのを見て、あれはいいなあと思った」と言ったと話した際に、「積水ツーユーホームはペアガラスを売りにしていて、けっこう、それに魅かれる人がいるみたいだね」と展示場の事務所で言ったことがあったと思いますが、もしかすると、秋元だったか秋山だったかはそれを横で聞いたかもしれませんが、実際、積水ツーユーホームともう1社どこだったかペアガラスを「売り」にしていた会社があって、来場客はかなりそれに魅力を感じたようで、普通ガラスを「標準仕様」にしていたその頃の(株)一条工務店は「お宅は普通ガラスが標準なんですか」と言われることがありました。だから、それにどう対処するかを考えないといけなかったのです。1992年、東京展示場にいた沖田(男。当時、入社2年目。浜松出身。早稲田大卒らしい。当時、20代前半)は、「そういう時は、『それじゃ、うちでペアガラスにして建てましょう』と言ってうちで契約してもらって、窓ガラスだけオプションでペアガラスにしてもらうとか。それで契約してもらったりします」と言っていたのでしたが、しかし、それは沖田が浜松出身だからそう思ったのであって、(株)一条工務店の評価が高い浜松・掛川においてはそのやり方で通じたでしょうけれども、「(株)一条工務店がいいけれども、窓ガラスだけ、ペアガラスがいい」と考えてくれている人が相手ならばそれでいいとしても、「(株)一条工務店がいいけれども」という部分のない人、東京で家を建てるのに何を物好きに浜松工務店で建てなきゃならんのかと思っている人で「ペアガラスがいい」とペアガラスを売りにしている他社の展示場を見て思った人にはそれではだめです。まず、(株)一条工務店は「普通ガラスが標準仕様で、窓ガラスの部分については何の配慮もない」と思われるとマイナスで、(株)一条工務店は、その頃、三協アルミの防音断熱雨戸というなかなかいい雨戸を標準仕様としていましたので、(株)一条工務店は「普通ガラスが標準仕様」というのではなく、「普通ガラス+防音断熱雨戸が標準仕様」なのだということをきっちりと言うべきだったでしょう。その上で、「夜は雨戸を閉めた方が・・」という表現を「浜松流」はするのでしたが、その言い方だと、「都会では昼間、雨戸のない状態が大事なんですよ」と言われてしまいます。我が家は防音断熱雨戸みたいないい雨戸はついていませんが、夏場、日差しが強い時などは、直射日光があたる面は在宅しても雨戸をしめています。都会では防音断熱雨戸は意味はないということはないのです。都会でも防音断熱雨戸は役立ちます。ところが、(株)一条工務店は「浜松流」の営業トークを東京圏で話させたくて話させたくてたまんないので、それで、浜松・掛川では通じても東京圏では通じない表現をさせたがることになりますが、「浜松流」営業トークは東京圏では通じませんが、防音断熱雨戸は東京圏においても役立つものだったのです。そのあたりを「浜松流」ではなく東京圏流の表現で話すことは必要でした。それから、窓ガラスというのは、ペアガラスと普通ガラスの2つしかないのではなく、他にもいろいろと種類がありますし、ペアガラスというのは「防音と断熱において・普通ガラスよりはいい」というもので、防音が目的ならば防音サッシの方が防音機能は優れていますし、他にもローEガラスとかなんとかガラスとかいったものがいっぱいあります。安全性ならば強化ガラス(自動車の側面の窓のガラス)の方が全体にかかる力に対しては強くて普通ガラスより割れにくく割れても粒状になるので安全で、合わせガラス(自動車の正面の窓のガラス)はガラスがフィルムに貼りつけられていて割れても飛び散らないために普通ガラスより安全であるのに対し、ペアガラスは1つのサッシに2枚のガラスが入っているので防音と断熱の機能は「普通ガラスよりはいい」けれども、割れにくいわけではないので安全性が優れているわけではありません。普通ガラスでも(株)一条工務店が標準仕様としていた3mmの厚さの普通ガラスを5mmの厚さのものに変えると、厚い分だけでも防音性能は3ミリのものより良くなりますし、厚い分だけ割れにくくもなります。そのあたりも話をして、その顧客に対するコンサルタント・住宅に関するカウンセラーとして対応することにより、この会社は標準仕様では普通ガラスだけれども、オプションで他のガラスにすることも可能らしいし、こちらの人の方がガラスについてもよく知っているようで、こちらの営業さんと一緒に家を作った方がいい家ができそうだ・・・と思ってもらうことができれば、他社でペアガラスを「売り」にしている展示場を見てそれをいいと思ったとしても、だから、そちらで決まりということではなく、窓ガラスの問題についてもこちらに相談してもらえるようになる・・・という可能性が期待できたと思います。特に、相手方競合メーカーの営業が、展示場にペアガラスをつけているということで「これはいいですよお」とアピールはするけれどもそれだけの能力の人間である場合には、こちらは「コンサルタント営業」であるから営業としてのコンサルタント能力の勝負になれば《「いいですよお」と言うだけ営業》はコンサルタント能力の勝負にはついてこれないはずだ 。これは入社2年目までの私が考えたことであり、秋山だか秋元だかも入社1年目でも自分で何か考えれば良かったのです。私は入社1年目に何でもかんでも先輩社員にこうすればいいなどと教えてもらえませんでした。自分で考えたのです。手取り足取り教えてくれる先輩社員なんていませんでした。私が入社した1992年の東京展示場は、「リーダー」の宮崎さんだけが多少は経験があったらしく、他は、新卒入社3年目の堀本・新卒入社2年目の沖田がいて、それ以外は新卒入社1年目か中途入社1年目かのどちらかの人間ばかりで最大で合計13人もいたのです。なんで、秋元だか秋山だかはそこまで手取り足取り先輩社員に教えてもらう権利を主張するのでしょうか。それも、入社2年目に入ったばかりでしかない者にそこまで要求するのでしょうか。(株)一条工務店の営業本部長が私にそこまで要求するのなら、そこまで要求する相手に該当する役職、即ち、営業所長にならせて所長の役職手当てを払ってもらいたいものでした。秋山だか秋元だかは、まがりなりにも国立大学卒だと言うのなら、売り方も自分で考えてやってみたらどうでしょう。私はそこまで先輩社員から教えてもらっていませんし、そもそも、入社1年目に先輩社員に同行なんてさせてもらっていませんし、同行させてもらうのが妥当な先輩社員というものが営業所にいませんでした。天野隆夫は営業本部長兼松戸営業所長ならば、勝手なこと言っている秋山だか秋元だかを叱るべきだったはずですが、「あさっての方向めがけての攻撃」を私に加えてきたのでした。いい迷惑です。
  秋元だか秋山だかはニコチン中毒で、一日中、展示場の事務所で私の隣の席で煙草を吸い続け、嫌煙家の私は気分が悪くなってきた。私は自分自身は生まれてから今日に至るまで煙草は1本として吸ったことはない人間ですが、最近、会社において、禁煙が厳しく言われることが多くなり、煙草を吸わない人の立場も配慮して吸う人にはそこまで厳しく言わなくてもいいのではないかと思ったりしている者ではあるのですが、秋山だか秋元だかの場合は、明らかにニコチン中毒で出勤してから退社するまで、一日中、私の隣の席でまったく遠慮もなく煙草を吸い続ける人間でしたので、いくらなんでも、そこまで無遠慮に喫煙するというのは職場のマナーに反するのではないかと思ったのでしたが、そういう意識は欠落している男でした。そのうち、私は秋山だか秋元だかの煙草の受動喫煙のおかげで喉がおかしくなって咳が出てきたのでしたが、そうすると、秋山だか秋元だったかは、驚いたことに、「どうしたんですか。大丈夫ですか。気をつけた方がいいですよ」などと言い出したので、こいつ、天才的なアホだなと思ったものでした。おまえの煙草のおかげでこっちは咳が出てるんだよ、おまえの煙草のおかげで!
  さらに。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は、展示場に来た時、日曜祝日などで来場客が多く、その展示場の営業誰もが接客しているといった時には、営業本部長だから何もせずに座ってくつろぐのではなく、営業本部長であっても、お茶を入れて接客中の営業に持って行くということをする人でした。それだけではなく、展示場の事務所の炊事場で、来客に出した茶碗を洗ったり、さらには炊事場の排水溝の掃除までやる人だったのですが、営業誰もが接客中という場合にはそれはやってもらってもいいと思いますが、もし、事務所に特に何もしていない営業の従業員がいるのなら、営業本部長に茶碗を洗わせるのではなく、営業社員が茶碗は洗うようにするべきでしょう。松戸展示場の事務所において、接客から戻った私が、昼頃、食事をしていて、ふと見ると、炊事場で営業本部長の天野隆夫が茶碗を洗っていて、片方で、秋山だったか秋元だったかが何もせずにくつろいでいたので、秋山だか秋元だったかが私の後ろを通りがかった時に腕をつっついて、「おい」と言って営業本部長の方を指したのですが、普通、そう言われると、「はい」と言って営業本部長の所に行って、「私がやります」と言うものだと思ったのですが、秋山だか秋元だかは「はあ、なんですかあ~あ」と言うので、あきれた。さらに、秋山だったか秋元だったかと同じ頃に入社した、やはり、入社1年目の木下にも同様に言ったのですが、木下もまた、「なんですかあ」と言って無視した。これじゃあなあ、と思った。(株)一条工務店の初代社長の大澄賢二郎は「一条工務店は大企業になった。人みたいなもん、求人広告さえ出せばいくらでも採用できる」と発言していたらしいのですが、どういう人を採用していたかというと、営業本部長が茶碗を洗っていても平気でくつろいでいる男、接客から戻って来て食事をしている先輩社員からそれを指摘されても、それでも、「はあ、何ですかあ~あ」と言うような男、そういう「人みたいなもん、いくらでも採用できる」ということを自慢にしていたのでした。自慢することではないと思うのですが、自慢していたのです。私が洗ってもいいのですが、秋山だか秋元だかはすでに食事は終わっていたし、木下もそうだったのに対して、私は食事中でしたので、たかだか2年目でしかない者が先輩ヅラすることもありませんが、先輩だとかいうことではなく、食事中の者があえてそれを中断して茶碗を洗わなくてもすでに食事がすんでくつろいでいる新人がいるのですから、新人が茶碗を洗えばいいはずでした。秋山だか秋元だったかに行っても「はあ。なんですかあ」と言われ、木下に行っても「何ですかあ」と無視され、その後、又、秋元だか秋山だかが私の後ろを再度通った時、再度、肘をつっついて、「おい。あれ」と言って、営業本部長が茶碗を洗っている方を指したのでしたが、秋元だか秋山だかは「何ですかあ。さっきから、いったい何なんですかあ~あ!」と逆に文句を言うのでした。それで、しかたなしに、私は食事を中断して、営業本部長(その時点では役職名は「次長」)の所に行って、「次長、私がやります」と言ったのですが、天野は「いいよ。食事してるんだろ。食べてればいいよ」と言ってくれたのでした・・・が、すでに食事を終わって何もしていない入社1年目の人間で、営業本部長が茶碗を洗っているのに、それを先輩社員から言われても、「何ですか。さっきからいったい何なんですかあ~あ!」と言う男、こいつはアホだなと思いました。営業能力としてもアホですが、国立大学卒と言うに値しない。
  さらに。(株)一条工務店は、1993年から、住宅金融公庫申込代行無料キャンペーンというのを始めたのですが、これは問題にならないか・・・と私は憂慮したのですが、やっぱり、問題になりました。1996年、住宅金融公庫から苦情を受けたようです。住宅金融公庫の申込は、建築会社は「予定」の会社名を書いて、建物の延床面積なども「予定」のもの、融資金額も「予定」のもので申し込むことができて、申し込んだ後に変更することができたのですが、住宅金融公庫としては、基本的にはどこで建てるのか、どういうものを建てるのかを決定してから申し込んでくださいという建前にしていたのです。ですから、契約前の方でも申込を無料で代行しますよお~お・・・と口頭で言うくらいならまだしも、「住宅金融公庫申込代行キャンペーン」と印刷した冊子を大量に刷って配られたのでは、それで申込をして申し込み後の変更を大量にされたのでは、住宅金融公庫としてはうれしくなかったのです。その申込をしましょうと秋山だったか秋元だったかが見込客にしたようですが、ところが、その説明が悪くて、松戸展示場に奥さんがかなり怒った調子で電話をしてきたということがあったのです。電話をとった私は、とりあえず、話を聞いてなだめて、それは特に心配される必要はない旨を説明した上で、秋山だったか秋元だったかから電話させて説明させますということにして電話を切ったのでした。私がきっちりと話をしたから話は途切れずにつながったのであって、いいかげんな対応をすればそこで話は切れたはずです。ところが、「ありがとうございます」くらい言うものですが、アホは言える人間じゃない。それだけではなく、営業本部長の天野隆夫から「なんで、秋山くん(だか秋元くんだか)のお客さんと話をするんだ」と怒鳴りつけられたのです。「話をしたということではなく、お客さんが話されるから、それに対して答えただけですよ。その上で、『秋元(だか秋山だか)に電話させて説明させます』と言ってつないだんですよ」と言いましたが、ところが、天野隆夫は「ひとの客に話すな、おまえはあ。おまえは、電話をとって、電話の相手がいなければ、ただひとこと、『いません!』とだけ言ってガチャーンと電話を切れ」と言うのです。「そんなわけにいきませんでしょ」と言いましたが、天野隆夫は「なんでじゃ。『いません!』とだけ言ってガチャーンと切れ。いいか、ガチャーンとだぞ、ガチャーンと切れ。わかったなあ。ガチャーンと切れよ!」と言って怒鳴りつけるのでした。「お客さんが電話の向こうで話しているのに、それを無視して、ガチャーンと切るわけにいきませんでしょ」と言ったのですが、天野隆夫は「ガチャンと切れと言ってるんだ。ぼくがガチャンと切れと言ってるのにおまえはぼくの言うことがきけないのか、おまえは。いいか、ガチャーンと切れよ、ガチャンとだぞ、わかったなあ。たとえ、お客さんが電話の向こうで話していてもおかまいなしに、ガチャーンと切れよお! わかったなあ! 反省しろ、おまえはあ!」と言い、私は天野から怒鳴りつけられたのでした。何を反省するのやらさっぱりわかりません。天野隆夫が事務所を出て行った後、その場にいた人たちから、「ひどいですねえ~え。〇〇さんは本当によく我慢しますねえ。たとえ、上役であっても、人間、言っていいことと悪いことがありますよ。秋山さん(だったか秋元さんだったか)の説明が悪いからお客さんが怒って電話してきたんじゃないですか。それを〇〇さんがきっちりと説明したから、だから、話が途切れずにつながったんじゃないですか。もし、〇〇さんがきっちりと説明しなかったら、このお客さんはとうに切れてますよ。それを、いくらなんでもあの言い方はないでしょう。たとえ、次長(天野隆夫のその時点での役職)であったとしても、人間、言っていいことと悪いことがありますよ。〇〇さん、ちょっとは言い返してもいいと思いますよ。従業員は奴隷じゃないですよ」と言われました・・・が、天野隆夫は従業員は自分の奴隷だと思っていて、かつ、私は何を言っても我慢する人間だと思っていたのでした・・・が、私は我慢はしていましたが、それを認めた覚えはなかったのですが、天野隆夫は自分にはそういう態度をとる「権利」があると思っていたようでした。今もおそらくそう思っていることでしょう。
〔⇒[第329回]《「他の営業への電話はガチャンと切れ」・「労基法は守らないのが方針」他―会社による違いと認めて良いか?》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_7.html 【9】〕
  私は、(株)一条工務店の前、小堀住研(株)で営業の仕事をしましたが、その前はコンピュータ関連の会社で人事総務部にいて採用の仕事にもついていました。もし、私が採用担当であったなら、秋山だか秋元だかは不採用です・・・が、その頃の(株)一条工務店は「人みたいなもん、いくらでも採用できる」会社ではないはずで、なかなか、思い通りの人は採用できない会社においては、「こんなやつ、採用したくないなあ」と採用担当者が思うことがあってもそれでも採用するということはあり得ることですから、その判断で採用されることはあっても、私は、秋山だったか秋元だったかを最初に見た時は、あまり採用したくない方の人という印象でした。「採用したくない方の人」という判断の論拠としては、「新潟大卒だというわりに国立大学卒としてのものがない」という点が理由でした。営業としては「ぬけてる」。国立大卒くらいの人ならば、たとえ、営業として売れなかったとしても、基礎的な学力がある人はそちらで使えるという場合があり、私にしても、大学生の時、郵便局の窓口の仕事をアルバイトでやったことがありますが、その際、隣のおねえさんから、正社員として勤めている者は間違えることは少ないけれども、アルバイトの人が来ると、お客さんにお釣りを多く渡したり少なく渡してしまったりということが多少あって、その日の終わりに手元の金額を計算するといくらか合わないということがあるのだけれども、あなたはまったく間違えない、さすがだねえとほめてもらったことがありましたが、国立大学卒の人間ならそういった事務処理能力といったものがあれば、たとえ、営業として成果を出せなくても他の職種で・・ということもありうることですが、秋山だか秋元だかにはそれは期待できそうにない。国立大学卒でありながら国立大学卒の人間としての能力を期待できない・・というのは、採否においてはマイナスの判断材料でした。そのあたり、(株)一条工務店という会社は、理解に苦しむところもあって、1993年頃、「東大出のプロゴルファー志望」という男と「東大出の弁護士志望」という男を、従業員の扱いにして、実際には仕事をしていないにもかかわらず給料をくれてやって、「うちの会社にも東大出の人間がいるんですよお」ということにしていたのですが、なんだか、バカなことをやるもんだなあと思ったものでした。たとえ、東大でてもその会社で働く気持ちのない人間なんて従業員にしてもしかたがないし、「東大出の弁護士志望」なんて掃いて捨てるほどいるし、「東大出でないけれども在学中に司法試験に通った弁護士」なんてのもいるし、「東大法学部卒の弁護士にろくなのいない」なんて説もあるし、東大のゴルフ部の主将をやっていたという義なんとかくんというのも、東大のゴルフ部にいるとその中ではゴルフは優秀かもしれないが、世の中には「東大出の女」というへんてこりんな職業やってる菊川怜なんてのもいるけれども、一般に「東大出のプロゴルファー」なんて職業はないのであり、ゴルファーになるならば、「東大出のゴルファー」との競争ではなく「ゴルファー」との競争で生きていかないといけないのであり、それまでの自分の人生において「東大出の」の部分とゴルフの部分で、どちらにより努力をしてきたのか、片方を捨てないといけないとなった時、どちらがより捨てられないかということを考えてみた時、どう考えても「東大出の」の方を捨てられないはずであり、それを考えると、「東大出のプロゴルファー志望」なんてそんなアホなものやめろよ・・と私の弟なら言ってやったところですが、そういうのをかかえていました。私が経営者か採用担当者ならば、有名大学卒ならいいというものではなく、その大学の卒業生としての値打ちがある人かどうか、その人が自分の所の会社に入って役立ちそうかどうか、といったことを見て判断します。「国立大学卒だけれども、それに見合う能力はなさそう」という人の場合、「高卒で高卒の能力だろう」という人ならば採用される場合でも不採用の判断をする可能性があります。そのあたりが、(株)一条工務店の経営者は何を考えてるのかわからんところがありました。もしかすると、「な~んも考えとれへん」かったかもしれません。

  先輩社員の客宅訪問に同行させてもらっておきながら、横から突然、トンチンカンなことを言いだしたり、先輩社員から黙るように合図をされてもきかなかったり、先輩社員が言ってもいないことを聞いたと営業本部長に話したのか営業本部長の方の創作なのかわからないが、いずれにしても、売れない理由をひとのせいにしたり、ニコチン中毒で職場で朝から晩まで一日中煙草を吸って隣席の者の健康を害したり、営業本部長が茶碗を洗っているのを見て平気で何もせずにくつろいでいたり、それを先輩社員から指摘されても「さっきから、いったい、何なんですかあ~あ」と逆に文句を言ったり・・・と、そのあたりを見ても、どう考えても、「国立大学卒で20代も後半の人間」ではありませんね。中卒か高卒でそれなら採用する可能性もあっても、「国立大学卒で20代後半」でそれでは私が採用担当なら不採用です・・・けれども、秋山だか秋元だかはそう思わなかったらしい。
  秋山だったか秋元だったかは、この人は辞めてもらっていいなあと思ったことがある。それは、秋山だか秋元だったかが入社してすぐ後に入社した男性(当時、20代後半)を、採用する時は営業本部長の天野隆夫と2年目の進藤(男。当時、20代後半)とが「いいなあ。あれは」とか言って採用しながら、入社後、あれは良くないと言い出して嫌がらせをして辞めさせたということがあったのだが、その際に秋山だか秋元だったかも同調していたのを見たからだ。その男性は、◇日に面接で松戸展示場に来ることになっている・・という数日前の日曜日に、「下見に来た」と言って客として来場したのだ。それを見て、私は「この人はなあ~あ・・」と思ったのだが、接客順でその人に接客する順番だった進藤はその人が帰った後、「いいなあ。あれはあ」などと言い、営業本部長の天野隆夫がそれを聞いて「そうかあ」と言い、採用したのだが、私は進藤が言うのを聞いて、こいつ、何も見えてないなあ・・と思ったものだった。私は慶應大学商学部で労務管理論・労働経済学・労働法などを学び、それと別に心理学・カウンセリングなども学習してきた人間で、前職として人事総務部で採用の仕事に従事していたこともある人間なので、高卒だったか中卒だったかの進藤と同じということはないけれども、たとえ、高卒だったか中卒だったかであっても、あれが見えないか・・・と思ったものだった。まず、その何日か後にその場所に面接で行くというような展示場に客として下見に行くというのが非常識だというのが、20代も後半になってわからんのか。私は大学4年の時、ある会社から会社説明会に来ませんかと電話をもらって行ったところ、説明会ということで、最初は人事部の若手社員による説明だったのだが、そのうち、「きょう、たまたま、うちの人事部長が在籍していましたので、一度、人事部長と会っていただいて、ききたいことがあったら遠慮なく尋ねてみてください」と言われ、「面接ではありませんので、気楽に」と言われたのだが、いくら、「面接ではありませんので」と言われても、その時点ではまだ応募もしていない立場であったとしても、それでも、その会社の人事部長と応募する可能性がゼロではない人間とが顔を合わせる以上は、「面接ではない」わけないじゃないか、やっぱり、事実上、「面接みたいなもの」だろうが・・と思ったものだった。そこの会社に応募して、◇日後に面接でその場所に行くことになっていて、もし、採用されたならそこに勤めることになる・・・という者がその場所に、「下見に」と称して「客として」行くとどうなるか? 「面接ではありませんから」と言っても、そこで会った人間を通じて自分の方の情報は会社に伝わると考えるべきだろう。純粋に「客として」などということはありえない。だから、私は自分がそこに面接で行くことになっているという場所、あるいは採用されたならそこに勤務することになるであろうという場所の場合には、「下見に」行く時は入場するようなことはせず、ある程度離れた場所から、できればクルマの中から、あそこかと場所を確認するにとどめるようにした。又、住宅建築会社で展示場の状況をどうしても見てみたいという場合には、その場合には、採用された場合に勤務することになる展示場とか、面接に行くことになっている展示場とかではなく、ある程度離れた場所、基本的には他県の展示場に行くなあ、私なら。さらに、私ならば、自分が採用されたなら勤務することになる展示場、面接で行くことになっている展示場を見たいと思ったなら、その場合は面接で行った時に、「展示場を見せていただくことはできますか」と言って見せてもらうようにするな。決して、「客として」行くようなことはしないな。従業員として応募する者は、もはや、その場所には「客として」行ってはいけないはずなのだ。ところが、その人は「客として」来た。そして、革靴をそろえずに框を上がった。それだけでも、客商売の営業としてはマイナスの評価だが、それだけではない。住宅展示場に勤務している営業としては、「客として」来られて、靴をそろえずに框を上がられると、営業がその靴をそろえないといけないことになるのだ。
  住宅展示場にきったない靴はいてくる主婦がいるが、男でも汚い靴を履いて来てそろえずに框を上がる男はいいとは思わないが、女性でおのれの靴をそろえずに框を上がる女というのは、それは女か? ・・・という気がする。まだしも、外套ならともかく、靴というのは肌が接する衣服であり、男性の営業は靴をそろえずに框を上がられてしまうと、それを揃えないといけないことになるのだ。女が靴をそろえずに脱ぎ散らかして框を上がると、男性の営業は、いわば下着に近いような服である靴を手で持ってそろえないといけないことになり、男にそういうことをさせる女というのは、その女は女なのか?・・・と見られることになる。そういうことはしない方がいい。そうではなく、自分が脱いだ靴は自分できっちりとそろえて框を上がる人を見ると、その分だけその人の評価は上がる。おのれの評価を下げるようなことはしない方がいいと思う。
  自分が何日か後に面接で行くことになっている展示場に、「下見に」と称して「客として」行って、なおかつ、靴をそろえずに框を上がった男。その靴は私がそろえたのだが、採用されたなら、先輩・・・というほどでもないとしても、ともかくも、先輩社員になる従業員にそれをそろえさせるという行為は、はたして、これから応募しようという人間がやるべき行為だろうか・・・。 まだ、20代後半ながら、どうも、暗い印象がしたが、それよりも、これから面接で行くことになっている場所に「下見に」と称して「客として」行くというのは非常識であり、框を上がるのにおのれの靴をそろえずに上がる、それを先輩社員にそろえさせる、帰りに見るとおのれの靴をそろえてもらったのはわかるはずだが、「申し訳ありませんでした」の一言もない・・・というあたりだけでも、それは不採用の判断材料であり、進藤は何をいったい、「いいなあ~あ、あれはあ」なんだ、アホか、こいつ・・・と思ったし、営業本部長の天野隆夫は進藤には「どうだった? いいと思ったか?」と尋ねて、進藤は「いいですよお、あれはあ」とバカ言っていたのだが、人事総務部に勤務して採用の仕事をしたこともある私には天野隆夫は一言もきかなかった。俺に訊いてくれれば・・・と思ったが天野隆夫は慶應大学商学部卒で労務管理論や労働経済学・労働法などを学んできた私には絶対にきかない男だった。そして、進藤の意見を聞いて、天野隆夫はその人を採用し、入社した。ところが、入社して2週間も経たないうちに、「あれはだめだ」と進藤が言い出し、天野隆夫が同調して、そして、いったん、採用した人を、解雇が合法と認められるような非行があったわけでもないのに、嫌がらせをして退職に追い込んだ。私は、面接でその人が来るという時点でならば、私が判断するならば不採用の人だと思ったが、しかし、営業本部長の天野隆夫が進藤の意見をきいて採用と決定して入社させた以上、いったん、入社した人は、誰であれ、解雇に該当する非行があったというのでなければ解雇するようなことは誰であれできないことであり、やってはならないことであり、天野隆夫が進藤らに同調させておこなった嫌がらせには加担するわけにはいかない、と判断した。慶應大学商学部の卒業生として、会社としてそのような嫌がらせによる退職に加担するわけには絶対にいかない。ところが、高卒だか中卒だかの進藤は、もともと、その程度だからしかたがない・・というような言い訳は認めるわけにはいかないけれども、それでも、高卒だか中卒だからしいのだが、ところが、「国立大学卒」の秋山だか秋元だかもまたそれに同調していたのだった。これでは、国立大学卒だという値打ちはない! と判断された。これでは、「国立大学卒」と称している高卒か中卒の人とたいして変わらない。そもそも、秋山だか秋元だったかは、その嫌がらせをされて退職させられた男性は、その人は辞めさせられてしかたない人と決めつけていたようだが、それなら、おまえはどうなんだ? ということになる・・・という基本の「き」が理解できていないようだった。アホや! ひとにそういう態度をとるならば、その物差しはおのれにもあてはめられる可能性があるということくらいは理解するべきで、その程度も理解できないような人間が「国立大学卒」とはチャンチャラおかしい! 税金泥棒もいいところである。私は、会社という所は、採否を決める時は慎重にひとを見て判断すべきであり、いったん、採用した人は会社として役立てるべく努力しないといけないもので、解雇事由として認められるような非行があったというわけでもないのに、嫌がらせをして辞めさせるというようなことは決してあってはならないものであると認識している。そして、進藤や秋山だったか秋元だったかのように、もしも、そのような行為に加担するならば、その態度は自分自身にも適用されてしまう危険があるものであり、そうであるからこそ、決して、そのような動きに加担してはならないものである、とも認識している。ところが、国立大学卒だという秋山だか秋元だかは、厳しい基準を適用すれば不採用にされたはずの人間なのに、その自覚にかけており、片方で、嫌がらせをされて退職に追い込まれる人がいた時には、それに加担していたのだった。それを見た時、私は、この男は辞めてもらってもいいと思ったのだ。天野隆夫は、「おまえのおかげで、秋山くん(秋元くんだったか)が、一条の家を売る自信がないと言うようになったんだぞ。おまえのせいだぞ」と言って、そういう勝手な男の戯言きいて、私が悪いことにしようとしたが、私は、会社というものは、いったん、採用した人は、会社として責任をもって役立てるようにすべきもので、簡単に辞めさせていいものではないと認識しているが、しかし、いったん、採用されて入社した人に対して、その人に嫌がらせをして辞めさせようとするような動きに平気で加担するような男については、別に辞めてもらってもいいと思っているのだ。秋山だか秋元だかは、いったん採用されて入社した人でも、他の従業員が気に入らないと思えば嫌がらせをして辞めさせていいという動きに加担したのだから、その物差しはもしも厳しい採用基準であったならばおのれも不採用にされたはずの秋山だか秋元だかにもあてはめられても不服は言えないことになるはずなのだ。

  秋山だか秋元だかは、私が福島県いわき市の営業所に転勤したすぐ後くらいに、インテリア担当に変った。「一条工務店の家を売る自信がない」と本人が言うから、だから、インテリア担当に変らせた、ということらしい。なおかつ、「一条の家を売る自信がない」と秋山だか秋元だかが言ったのは私が悪いそうだ、営業本部長の天野隆夫が言うには。おのれの努力が足らないのを、ひとのせいにするようなアホを採用すんなよなあ、まったくう! と思うのだが、そういう会社だったようだ。 ひとのせいにすればいいのなら、私だって誰かのせいにしてやりたいところだが、そういう態度はよくないと思うからそういう態度は取らなかったのだが、黙って我慢していると、いくらでも、勝手なことをされる会社だった。
  それで・・・。ニコチン中毒で朝から晩まで煙草を吸い続ける男が、はたして、客商売ができるのかとも思ったのだが、ところが、姉夫婦の家の照明・カーテン・エアコンなどの打合せの時には、秋山だか秋元だかは1本として煙草は吸わなかったというのだから、なんだ、やればできるのか・・ということは、私が隣にいた時には朝から晩まで煙草を吸い続けて私の健康を害したというのは、それはそれだけ私が軽く見られていたということか・・・。

  秋山だか秋元だかは、「地方国立大学とはいえ国立大学卒だというけれども、そのわりに、これで、国立大学卒なのお~お?」て感じがした。それが、姉夫婦の家のインテリア担当としても出た。(株)一条工務店のインテリア部門、(株)一条インテリア では、カーテンレールとして自然木を使ったものを、魅力的なインテリアとして展示場にも入れ、推奨していた。ところが・・・・。
  姉夫婦の家では、これも(株)一条インテリアに頼んだエアコンを壁面につけようとすると、エアコンとその自然木のカーテンレールとがぶつかってエアコンをとりつけられない、という事態になったようだ。そういうことがないようにと思って、エアコンも電気屋で買ってつけるよりも(株)一条インテリアでつけた方がいいと思って頼んだのに。 なるほどと思った。地方国立大学卒の人には「国立大学卒だけのことはある」という人と、「駅弁とはいえ国立大学卒だというわりに・・」という両方の人がいる。前者の人間ならば、基礎的学力は高卒や中卒の人よりあるし、入社までに身に着けていない能力でも入社後に学習して身につけるという期待ができるのに対し、後者の人はそれを期待できない。秋山だか秋元だったかは後者だったのだ。だから、前者の人間ならば、エアコンをつけた時に、カーテンレールとぶつかることはないか・・と建築学科等卒でなくても考えるものだが、秋山だか秋元だかは考えない人間だったのだ。「一流大学」卒の人間の能力というのは、その大学で学んできたものからくる認識もあるが、大学に入学するまでに身に着けた基礎学力からくる学習能力というものがある。私は建築学科卒ではないが、(株)一条工務店の少なくとも過半数の設計担当よりは設計の能力はあると思っているが、それは建築会社に勤めてから見につけたものだ。そういう学習能力というのを期待できる人とそうでない人がいるわけだった。
  義兄が「とりつけられないじゃないか。いったい、どうしてくれるんだ」と言ったところ、秋山だったか秋元だったかはこう言ったというのだ。「切ります」と・・・・( 一一)( 一一)( 一一)・・・・。
  「ち~が~う~だ~ろ、このボケぇ!!!」とでも言うべきか・・・。秋山だか秋元だかがカーテンレールの位置とエアコンの位置を考えずに受注したことで、自然木のカーテンレールとエアコンがぶつかって、両方はそのままはつけられないという事態になったわけです。施主はそれに苦情を言ったのです。「いったい、どうしてくれるんだ」と。そう言われたならば、言うべき文句は「切ります」じゃないでしょ。「すいません」もしくは「申し訳ありません」でしょ。秋山だか秋元だかは、口のきき方がわかっていない。カーテンレールの方を切るか、エアコンの取り付け位置を変更するか何かしないと、そのままではつけられないというのは施主はわかっているのです。わかった上で、「どうしてくれるんだ」と言った以上は、それに対する返事は、まず、「すいません」か「申し訳ありません」かでしょう。義兄は「切られてたまるか。この自然木の丸棒のレールが良くてほかのカーテンレールより高いけれどもこれをつけたんじゃないか。『切ります』とは何だ」と言ったというのですが、秋山だか秋元だかは「切るしかないから『切ります』と言ったのに」とか思っていたのではないでしょうか。「切るしかない」ものを契約させる担当がおかしいのです。それを義兄は指摘したわけで、それに対しては、まず、「申し訳ありません」か「すいません」か言うべきものなのですが、ところが、秋山だか秋元だかの発想はそうではなく、「一条オリジナル」みたいな発想で、「切るしかない」以上は施主は我慢するのが当然・・・みたいな意識でいたのではないでしょうか。そのあたりの思考がおかしい人が売れなかったとしても、それは私のせいじゃないですからね。ひとのせいにするのはやめてほしいですね。秋山だったか秋元だったかは、ニコチン中毒が急になおったわけでもないだろうが、私の隣の席に座っていた時は朝から晩まで煙草を吸い続けたが、(株)一条インテリアで仕事をするようになってからは、客の前では一切煙草は吸わないようにしたらしい・・・けれども、その点は(株)一条インテリアは「社員教育」したのだろうけれども、自分の方がミスをして、自然木の丸棒カーテンレールとエアコンがぶつかるように受注しておいて、「どうしてくれるんだ」と施主から言われたそういう時には、ともかく、「すいません」「申し訳ありません」と言うべきで、その後に、「そうは言いましても、今からですと、・・・というようにするか、・・・というようにするかいずれかの方法しか考えられませんが、どちらかの方法を選んでいただくわけにはいきませんでしょうか」と言えば、施主だって、今さらどうしようもないということはわかっているのだから、「しようがないなあ。それじゃあ・・・」ということになるはずだったのだ。それを、「申し訳ありません」と言うべきところで、「切ります」と切ってあたりまえみたいにアホが言うから、だから、余計に施主は怒るのだった・・・が、それを理解できない男が(株)一条インテリアにインテリアについての知識があるわけでもないのに(株)一条工務店グループはならせていたのだった。

  義兄に(株)一条工務店で契約させると、こんな感じ・・・。だから、もう、まっぴらごめん・・て思うようになった。それなら、自分自身が契約するのはどうかというと、2000年だったか小山展示場に営業として勤務していた鈴木(男。当時、30代。2003年には佐野展示場に勤務)が小山市で自宅を(株)一条工務店で建てたが、鈴木の場合には、自宅を(株)一条工務店で建てても転勤させられるということはないようだった・・・・が、私が(株)一条工務店で家を建てて住もうとすると、その契約を解除できないという段階になったところを見計らって転勤させられる・・・なんて可能性は十分にありそうに思える。そういう嫌がらせとしての転勤は、これは日本の法律では、「人事権の濫用」として無効と評価されるものだが、無効だと主張しようとすると裁判所に訴えないといけないことになり、日本の裁判所というのは法律論理よりも不良企業に味方をするのが裁判所の役割と思っているような裁判官がゴマンといる所であり、法律論理としては無効であっても実際に裁判をした時に裁判官がどういう対応をするかはわからない。そういうことを考えると、(株)一条工務店に勤めているならば、(株)一条工務店では家は建てない方がいいのではないか、他社で建てるか、もしくは建売の家かマンションを買うかした方がいいのではないか・・という気がする・・・が、(株)一条工務店の営業の仕事をしている人間が住友林業(株)の展示場に行って、「住友林業で家を建てたいんですけどお」と言ったとして、受け付けてもらえるかどうか。警戒されるか・・・。

  いずれにせよ、(株)一条工務店の名古屋南営業所の「所長」だった近藤ローオは、「一条工務店の家は、すべての面にわたって完璧にすばらしい」と嘘を吐いたのだが、実際問題として、親戚の家の契約は、(株)一条工務店ではごめん蒙りたい。↑のようなことをされて、まだ、親戚に(株)一条工務店で契約させたのではアホである。もしも、親戚で(株)一条工務店で建てたいと言う者がいたならば、「どこか、私がいない展示場に行って、他人の営業と契約して建てて」と言うだろう。
 親戚の契約は、蒙御免! である。

(12) 姉夫婦の家が竣工・引き渡しとなった後、営業本部長の天野隆夫と会った際、天野隆夫は「お姉さんの所、問題なくできたか?」などときいたのです。それで、私は、
「RC造の地中梁を残して解体して、それにべた基礎を緊結して施工する予定でしたが、解体屋に地中梁まで撤去されてしまいました。その結果、これまでより地盤面を高くしたかったのに、逆に低くされてしまいました」
「設計のミスで、そのままでは敷地に建物が入らないので軒を短くして、その結果、軒のほとんどない家にされてしまいました」
「解体屋は、塀を壊す時に隣の家の塀まで壊しました」
「大工は一条の仕事が初めての大工で、工事途中にいなくなって、その結果、ずいぶんと長いこと工事現場を何もせずに放置されました。ボード屋はボード屋が初めてのボード屋でした」
と言いましたが、すると、天野隆夫は「工事というものは、すべてが成功するというものじゃないから」などと言ったのですが、↑に述べてきたようなことは、「工事というものは、すべてが成功するというものじゃないから」というものとは別の性質のもののはずです。
  1992年ころ、(株)一条工務店は「坪いくら」で契約というもので、契約時には、建築する図面も決まっておらず、決まっていないものに対しては、それについて総額でいくらという金額も出ていないという状態での契約で、これは建設業法違反のはずですが、そういう「坪いくら」の契約ではなく、きっちりと図面を作成して、この設計図書の内容で総額いくらと金額を出しての契約であったならば、RC造の地中梁を残してそれにべた基礎を緊結して建てるということになっているのに地中梁を撤去してしまったとか、軒の長さは75cmですと仕様書に書かれているだけでなく、個別の設計図書にも75cmと明記されているのに、そのままの軒の出では敷地に入らないからと勝手に軒をカットして建ててしまったのでは、それでは契約違反ではないか・・ということになる問題のはずなのです。言い方の問題としても、松田は「めんどうくさいですから」と(これ、原文の通り)施主のところに言いに行ったというのですが、「めんどうくさいですから」と施主に言う営業というのを何とも思わない営業本部長というのは、いったいどういう人間なんだ? ということになります。
  それとともに、今、疑問に思うのですが、私は、最初、引継ぎ担当の松田・解体屋の光貴興業・設計の堤・インテリア担当の秋山だったか秋元だったかの態度・対応というのは、これは、未熟で至らない従業員がいて、営業本部長兼営業所長の天野隆夫が「ぼくが問題ないようによく見るから、だから、心配しないで安心して」と言っておきながら、実際には、ちっとも「問題ないようによく見る」という行為をしなかったということと解釈したのでしたが、もしかすると、実際はそうではなく、私は(株)一条工務店の営業の中で最も問題の多い人間に頼んでしまった、という可能性もあると思うようになりました。たとえば、[第680回]《「契約前は何でもできますと言って、契約後は適当に建ててしまえ」というのは営業上何かプラスになるのか?》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_10.html で述べた千葉県市原市のY様宅のケースなど、営業本部長の天野隆夫が、契約する時には、何でもできますと言って契約して、契約したなら、「うちではそれはできませんから」と言って適当に建ててしまえ・・と指示したのであり、私だから、「そんなわけにはいきませんでしょ」と抵抗して、お施主様の家を営業本部長から守ったの出したが、ところが、松田などは私のように営業本部長からお施主様宅を守る意思も気概もないので、それで、施主の家まで行って「めんどうくさいですから」と言ったりしたのではないのか。松田に「めんどうくさいですから」と言わせたのは営業本部長の天野隆夫と違うのか?・・と思えてきたのです。
  RC造の地中梁を残してその上を解体するということについて、ベテランの某さんは「もしかすると、解体屋としては、地中梁だけ残して、その上だけ解体するというのは技術的に難しいから、だから、地中梁ごと解体したのと違いますか」と言うのでしたが、その可能性はありそうにも思えます。しかし、それならそれで、私が話をした時点では、地中梁を残してその上だけ解体するのは技術的に難しいといったことは光貴興業はまったく言わなかったのですから、私が話した時点ではそうすると言っておきながら後で態度を変えるというのも変です。 そのあたりですが、私がいわき市の営業所に転勤した後に、解体屋は引き継ぎ担当の松田もしくは営業本部長兼営業所長の天野に、「これ、地中梁だけ残すというのはけっこう難しいんですけど、地中梁もとってしまってはいけませんでしょうかねえ」とでも言い、それに対して、天野隆夫が「いいじゃないの。なんで、いかんの」と言い、光貴興業が「いえ。最初の営業の〇〇さんからそうしてくれと言われてたんですけど」と言ったのに対して、天野隆夫が「いいよ。そんなの。〇〇の言うことなんて」と言って天野隆夫が指示して地中梁まで撤去させ、かつ、その時に「〇〇に言うと、なんで地中梁を撤去するんだと言うから黙ってろな」と指示した・・・という可能性はこれは十分にありそうに思えます。天野隆夫と言う男はそういう人間です。そんな人間の言う「ぼくが責任もって問題のないようにするから、だから、安心して」という、よく言うわて感じの文句を信じてしまった私がバカだった。
  さらに、地縄張りをすると、軒の長さをそのままにしたのでは敷地からはみ出すことが判明した時も、「軒をカットします」と施主の考えを無視して建築会社が勝手に決めて、さらに、地中梁を撤去されたことから地盤面を高くしたかったのに低くされたことも無視して、「遅れます、遅れます。早く工事を始めないと遅れます」とおのれが間違えたのを棚に上げて言って、「バリバリバリ」とランマー転圧を始めて、基礎工事に入り建ててしまった・・というあたりも、営業本部長の天野隆夫が「やってまえ~え!」と命じてやらせた、市原市のY様邸の場合は、営業担当の私が体を張って営業本部長からお施主様の家を守ったのに対し、姉夫婦の家は営業本部長から守る者がいなかった・・・ということと違うのか? それは可能性として小さくないのではないか・・と、今は私は見ています。

   (2019.8.26.)


★ (株)一条工務店の浜松営業はどんな連中か。
【1】 (株)一条工務店の浜松の営業とはどういう連中か【1/ 】+遠州人の特徴 「渋谷て言ったら、小岩の東の方だらあ」 「東京駅から大手町駅に行くにはタクシーに乗るのが一番だらあ」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_1.html

【2】 (株)一条工務店の浜松営業とはどういう連中か【2/ 】ダンピング浜松・名古屋。浜松は東なのか西なのか。「悪くないと思った」と言うと気に入らない人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_2.html

【3】 「浜松でいいもの」は東京人に?プレカット工場はプレカットせず出荷した?  住友林業は機械プレカットしているのに、「『住友林業はプレカットしてないでしょ』でそれだけで売れる」と言い張る浜松流オリジナル営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_3.html

【4】 集成材vsムク材。対住友林業は楽勝か難敵か https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_4.html

★ 「一条工務店の建物は完璧にすばらしい」「一条工務店の建物には問題点はまったくない」の反証
反証1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_5.html
【C】-4 《1》 床下換気口の真上の位置に柱が載っている。
《2》 柱の下に基礎がない。
《3》 筋交いと換気扇の穴の位置がぶつかり、筋交いを切断している。

反証2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_6.html
【C】-5 《4》 筋交いが片方の向きばかり。
《5》 寸法違いの丸太梁をそのまま入れる。工務課が工務課として機能していない。

反証3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_7.html
【C】-6 《6》 断熱材の室内側防湿層を破る。
《7》 断熱材の入れ方不適切。
《8》 やっていないのにカタログに書かれている「エアーフローシステム(壁体内換気)」

反証4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_8.html 
【C】-7 《9》 ヘルメット非着用・吊荷真下作業・無資格者玉掛作業。

反証5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_9.html
【C】-8 《10》  「施工ミス」「施工不良」「間違った施工」と浜松の営業が言い、会社が作成したアルバム帳に写真入りで記載されている小さい束石の施工を東京都でやっている。大きい束石でも端に床束が載る。床束が束石から浮いている。

反証6-1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_11.html
【C】-9 《11》-1 擁壁と基礎のとりあい について工務課(工事担当)が打合せを拒否。(株)一条工務店の東京工務課は深基礎ができないの? 

反証6-2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_12.html
【C】-10 《11》-2 深基礎の見積もりを計上し、深基礎の施工のはずが、どうも、そうなっていなかった可能性が小さくない。

反証7 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_1.html
【C】-11 《12》 地盤調査・地盤補強は要ると言いたいのか要らないと言いたいのか。ある時を画して正反対を平気で言う会社。

反証8 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_2.html
《13》「一条の家は完璧にすばらしい」の反証8.嘘の多い会社。土台は自社で注入してない。見学会限定の大道芸他

反証9 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_4.html
《14》 出過ぎた口きく設計、学んだ者に学んでいない者に服従しろと言う本部長

反証10 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_bb94655b33.html
《15》 「引き抜き抵抗力」による「箱型筋交いプレート」は「せん断抵抗力」による「プレート型筋交いプレート」より、なぜ、いいのか? 質問しても答えてくれない先輩社員、質問すると営業本部長に「報告」されて「よそに行けよ」と言われる会社。
《16》 一条工務店の建物の床下には木屑がいっぱい。煙草の吸殻もあった。

反証11 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_5.html
《17》「坪いくら」で契約させ、「施工面積」にどこまで入れるかは拡大し放題。契約時、「他社で契約するために解約する場合は契約金は返金しない」という文言を知らさずに署名捺印させる会社。

反証12 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_7.html
《18》ひとの追客中見込客を横取りして放置する「一条の土台を築いてきた人たち」、それに加担する営業本部長

反証13 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_6.html
《19》浜松のインテリア館で購入を検討していいのは「静岡市から名古屋市まで」の人が限度。「遠州人」の世界観で運営される工務店とインテリア館。

反証14 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_8.html
《20》「決定権者を見抜く」ヤツと「誘導する」ヤツには住宅は頼みたくない。

反証15 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_9.html
《21》「他社に対して見当はずれな誹謗中傷をする下品な会社」

反証16 〔今回〕
《22》 親戚の契約は、(株)一条工務店ではさせられない。-RC造の地中梁を解体屋が無断で撤去。設計ミスで軒のない家を施主の承諾なく建てる。解体屋は隣家の塀も壊す。従業員の親戚の家には初めての大工・職人。引継ぎ営業は「めんどうくさいですから」と施主宅に行って言い、住宅金融公庫を高い金利で借りさせ葉とする。一条インテリアでエアコンとカーテンレールを頼むと、一緒に頼んだから問題はないかというとそうではない。

☆ 佐野展示場の新人類1
[第664回]自分に該当するものがなければ営業所ごとの報告を止める男はどうしたものか-やったことないことは【4】https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201901article_9.html
[第665回]平日の来客を粗末にする営業・他の従業員に労働契約外の業務をさせる男、「聖教新聞」の押売り!https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201901article_10.html
[第686回]職場でアダルトビデオを見る男と、DVDプレーヤー付パソコンをアダルトビデオで試す男。職場の新人類現象https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_6.html
[第417回]トヨタの車に乗らない理由―「朝来て『おはよう』と言うと同時におっぱいもみもみい」のネッツトヨタ栃木https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201606article_2.html
[第214回]職場で他の従業員からカネを騙し取るのは「営業力」だろうか?【上】新聞代、人が買った切手、飲み会代金https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_2.html 【1】
[第547回]深奥山 方広寺(浜松市)と信教の自由の侵害【3】忘年会の金を払わない男、人に立替させようとする姑息男https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html (イ) 

☆ (株)一条工務店「お客様相談室」の「責任者」とはどういう人間か
【1/3】浜松独善主義の会社、宅建業法違反を要求する店長次長、軽犯罪法違反を従業員にさせて自分はやらない店長他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_9.html
【2/3】「契約前は何でもできますと言って、契約後は適当に建ててしまえ」というのは営業上何かプラスになるのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_10.html
【3/3】 (株)一条工務店「お客様相談室」の「責任者」とはどういう人間かー真面目に対応せず人を誹謗中傷https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_11.html

☆ コーヒー出すにはどういうお盆
【1/2】《商学部的発想+インテリアコーディネーター》を生かせない会社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_5.html
【2/2】東武船橋店で見たイタリア製2点とHCで見た天然木2点https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_6.html
C級さらりーまんビジネス英会話講座 (Big comic books)
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《 今日も残業ですか?
 Are you workinng overtime again?
 ● work overtime(~クゥヴァタィム)で「残業する」という意味。》
( 山科けいすけ・浦出善文『C級さらりーまん ビジネス英会話 講座』2002.3.20.小学館 ↑)
工務店の営業テクニック (建設業ポケット実務シリーズ)
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転移と逆転移 (1982年) (現代精神分析双書〈第2期 第9巻〉)
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脱学校の社会 (現代社会科学叢書)
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薔薇の殺人 (中公文庫)
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