旧近藤家長屋門・「ゆらぎ地蔵」・ゆらぎ地蔵前の池跡と飯山満緑地公園の池(船橋市)。「飯山満」の由来。高層岩山マンションは横暴!

[第706回]
  東葉高速鉄道「飯山満(はさま)」駅の南側に学校法人 船橋学園 東葉高校という高校があり、その入口に由緒ありげな長屋門が鎮座している。↓
旧近藤家長屋門1 .JPG
旧近藤家長屋門6 .JPG
旧近藤家長屋門7 .JPG

( ↑ マークは東葉高校の場所です。 )
  船橋地名研究会・滝口昭二(しょうじ)編著『滝口さんと 船橋の地名を歩く』(2014.8.20.崙書房出版)の「18 上飯山満を訪ねる」を見ると、
《 東葉門(国登録有形文化財)
 東葉高速の高架線の南沿いの道を西へ少し歩いて南に曲がると小字の「ゆるぎ松」です。200メートルほどで、右に東葉高校の門が見えます。「東葉門」と名付けられたこの校門は飯山満の大地主であった近藤四郎左衛門家の長屋門です。
  近藤家はここを入口にして東葉高校の敷地全部が屋敷だったといいますが、いま残っているのはこの長屋門だけです。間口11間、奥行2間半あり、明治中頃の建築といわれています。
  近藤家は高野の名主でこの地域の惣代名主や下野牧の牧士も勤めました。》
と出ている。 東葉高校は今は共学になったようですが、何年か前までは女子高で、その前身は、JR総武線の「東船橋」と「船橋」の中間より「東船橋」よりの総武線の線路に近い場所にあり、船橋女学校だったかそんな名前だったはずです。1992年に我が家が船橋市に引っ越してきた時には、あったかなあ~あ・・・と思ったのですが、2000年頃には新しいきれいな建物が建っており、東葉高速鉄道が開通したのはいつだっけ・・? と思って《ウィキペディア―東葉高速鉄道》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%91%89%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%89%84%E9%81%93 を見ると、1996年4月だったようで、東葉高速鉄道が開通して「飯山満」駅ができた時には、飯山満駅から南に歩くと、そこにこの長屋門もあり、東葉高校もありました。その時は校名は東葉高校でしたが女子校でした。母は「この高校の敷地を通り抜けさせてもらえば(我が家は)飯山満駅から近道になるんだけどな」なんて言っていたのですが、大学ならともかく、女子高の中を通り抜けてのはちとまずいんでねえの・・・と思ったものでした。2000年頃は女子高だったので飯山満駅との間の道は女の子がいっぱいでしたが、いつからか、残念ながら?・・・共学になったのはいつだっけ? というと、《ウィキペディア―東葉高校》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%91%89%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1 を見ると2005年からのようです。
1996年 東葉高速鉄道 開業。「飯山満」駅できる。
  〃   船橋学園女子高校、東葉高校と改称し現在地に移転。
2005年 東葉高校、共学になる。
・・・ということのようで、東葉高速鉄道が開通して「飯山満」駅が近くにできるのに合わせて移転し校名も変更したというあたり、なかなか、考えてますな。旧近藤家長屋門は、移築したのではなく、この地に屋敷があった近藤家の長屋門を《東葉高等学校が近藤家の屋敷跡に移転するのにあたり修復され》(《ウィキペディア―東葉高校》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%91%89%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1 )たらしい。
  この長屋門は国登録有形文化財に指定されている由緒ある建物なので、おもむろに見学して写真も撮らせてもらいたいと思ったものの、なにしろ、「元女子高」ですから、平日、女の子たちがいる所にカメラ持って行って「変態」扱いされても困りますよね・・・。そこで、人畜無害な建築探偵団といたしましては、女の子たちのいない時に・・・て、なんかいじけた子みたいですが、土曜日の午後に行って撮影させてもらってきました・・・のが今回の写真です。
   南側の県道船橋我孫子線(通称「ふなとり線」)の「吹上」交差点から東に進む道、船橋整形外科の南の道を東に進むと、左に「東葉高校 南門」と書いた札が立っており、「東葉門」と額のかかっている長屋門と別の入口があるようですが、東葉高校HPの「施設・設備」https://toyohs.ed.jp/schoollife/facility/ に掲載の図を見ると、元近藤家長屋門の東葉門の方が「正門」らしい。今は共学で、男子生徒の姿も見ることがありますが、イメージとして「元女子校」なので、やっぱり、「建築探偵団は安全第一」で、カメラ持たない時は、平日、飯山満駅に公道通って行くのに女の子たちがそのへんにいても、こっちだって駅に行くのですから気兼ねすることはないはずですが、「カメラ持って女子高のあたりをうろつく」というのは、「なんか、いかにも怪しい」て感じしますし、ましてや、「長屋門の写真、撮りたくってえ」なんて言うと、ますます怪しい、いかにも怪しい・・・なんてことになりかねないので、「建築探偵団 心得 その1 建築探偵団は常に安全第一を考えるべし」、「瓜田に靴を入れず」「李下に冠を正さず」、土曜の午後か日曜・祝日にということで、土曜の午後に行きました。何しろ「安全第一」ですから(^^)/・・・。
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( ↑ 旧近藤家長屋門。 左手前から見たもの。)
旧近藤家長屋門3 .JPG
( ↑ 旧近藤家長屋門。 左向こう側から見たもの。)
  この「東葉門」と今は名づけられた元近藤家長屋門ですが、東葉高校が名称変更してこの場所に移転した際に、象徴となるような建築物としてこの付近の豪農の家の長屋門を移築したのか・・と、最初、思っていたのですが、船橋地名研究会・滝口昭二(しょうじ)編著『滝口さんと 船橋の地名を歩く』(2014.8.20.崙書房出版)によると、移築したのではなく、東葉高校の敷地がもともとは近藤家の敷地で、長屋門は元からこの場所にあったもので、近藤家の建物で、唯一、この長屋門を「東葉門」と名付けた正門として保存した、というものらしい。
※ 《ウィキペディア―東葉高等学校》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%91%89%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1

  杉山英男『木造住宅は地震に強いか』(講談社 ブルーバックス)・『地震と木造住宅』(丸善)は、「昔の建物は良かったのに、最近の建物は・・・」なんてことを言う人が時々あるが、それは正しくない、「昔の建物は良かった」と思う人は、「昔の建物」で今残っている建物、即ち、豪農の家とか豪商の家、上級武士の家とかそういう「昔の建物」を見てそう思っているのであって、水飲み百姓のあばら家なんてのを見て思っているのではない、水飲み百姓のあばら家なんてのはたいていがつぶれてなくなっているのに対し、「今の家」というのは相当いいものもなってないものも見ることができるのであり、その上で、「昔のいい建物」と「今のそれほど良くない建物」を比較して言っているのであって、「昔の建物」はすべていいなどということはない、ということを述べられていたが、この「元近藤家長屋門」もまた、名主の家の長屋門であったわけです。
 この付近の家の表札を見ると、「近藤」さんというお宅が見えますし、南側の道からこの長屋門の近くを通って飯山満駅に行く道に入る所は、西側に墓地があって東側に馬頭観音がある所ですが、墓地の墓石を見ると、けっこう大きいお墓に「近藤」さんの名前が見られます。
馬頭観音 .JPG
( ↑ 南側、県道船橋我孫子線(通称「ふなとり線」)「吹上(ふきあげ)」交差点から東に進む道より、「東葉門」(旧近藤家長屋門)の方に行く道の東側の「馬頭観音」 )

  今はどうなのか、今後はどうなるのかわかりませんが、東葉高校の前身の船橋女学校というのは、地元の人が言うには、あまりお勉強のできる子の行く学校ではなかった・・らしい。でも、私はここの女の子はけっこう好きなのです。どこがかというと、今となっては10年以上前、母がまだ歩けた時、飯山満の駅から我が家まで行く道がわからず、下校途中の東葉高校の女の子に道を尋ねたらしいのですが、そうすると、「わたし、一緒に行ってあげる」と言って、途中まで一緒に行ってくれたというのです。「そんなのいいよ。あなた、今、学校から家に帰ろうとして駅まで来たんでしょ。また、元に戻ることになるでしょ」と言っても、「大丈夫。一緒に行ってあげる」と言って年寄に付き添ってくれたらしい。もう、その女の子はとうに卒業したでしょうけれども、それでも、ここの女の子を見ると、高齢の母に親切にしてくれたんだなあという思いがします。ついでに、東京都港区三田の慶應大学の西あたりにある女子校、慶應女子高とかいう学校のやつてのは、なんか、かわいくない! いったい、どうすれば、慶應女子校の女生徒みたいなかわいくない娘に育てられるのか・・と思う。それに比べると、ここの高校の女の子はかわいらしい・・・と思う。ほんと(^^)/。

  長屋門については、このブログでも、これまで、
旧高木家長屋門(東京都狛江市 「狛江市立古民家園」)・・・[第347回]旧高木家長屋門[狛江市立古民家園・下]と狛江駅前公衆便所・・じゃなく交番。遠州人のタクシー利用法https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_2.html
塩川正十郎邸長屋門(「布施の長屋門」)(大阪府東大阪市→大阪府豊中市 服部緑地内「日本民家園」)・・・[第697回]服部緑地内 日本民家集落博物館 訪問。服部緑地の桜は見ごろを過ぎたhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_10.html
で写真入りで公開しておりますので、ご覧ください。

  船橋地名研究会・滝口昭二(しょうじ)編著『滝口さんと 船橋の地名を歩く』(2014.8.20.崙書房出版)には、この「東葉門」(「元近藤家長屋門」)の近くにある「ゆるぎ地蔵」が掲載されています。↓
ゆるぎ地蔵4 .JPG
( ↑「ゆるぎ地蔵」のお堂。)
《 昔ここの地蔵の前の榊樹のある辺りに大きな松がありました。根元が浮き上がっていたので少しの風でも揺らいでいたそうで、それで「ゆるぎ松」と呼んでいました。これが枯れたのを惜しみ、享保8年(1723)頃に高幢庵にいた木食観信に頼んで地蔵を造ってもらったそうです。今 薬円台の高幢庵墓地の木食観信の墓の隣にある「木っぱ地蔵」はその松の残材から造ったといわれますが、作風が異なるなど疑問もあるようです。高さ1.72メートルで、一本の松の木から出来ています。市指定文化財になっています。ゆるぎ地蔵の後の高台に八幡社があります。》(船橋地名研究会・滝口昭二編著『滝口さんと 船橋の地名を歩く』2014.8.20.崙書房出版)
  お堂はそれほど大きなお堂ではありませんが、中を見ると、地蔵さんはけっこう大きなお地蔵さんがいらっしゃいます。

  この「ゆるぎ地蔵」のお堂の背後に登って行く小径があるのですが、八幡社があるらしい。 で、この「ゆるぎ地蔵」のお堂の前に、池だったのか、大雨の時には池になるのかという地形の中島らしき場所に祠があります。↓
弁天と元池 .JPG
↑ これは何を祀っている祠だろうか。 池の中島に祠があるということは、弁天さんか厳島神社の分祀か・・・なんて思いそうですが、祠を見ると、蛇の絵が描かれた色紙が貼られていましたので、このあたりに大きな蛇がいて、その蛇を祀った祠だったということか・・・と思ったのでした。 しかし、船橋地名研究会・滝口昭二(しょうじ)編著『滝口さんと 船橋の地名を歩く』(2014.8.20.崙書房出版)を見ると、
《 地蔵の前の低地に池の跡があります。中央は弁天様です。この池の脇にあった榎の根元の辺りから水が湧き出ていて、戦前はよく消防団が底を浚っていたそうですが、昭和20年代の頃に水が枯れてしまったといいます。》
と出ています。 もともとは蛇を祀っていた祠でも、池の中央に祠があると、後から弁天様を祀るようになる、ということもありそうにも思えます。

  この少し南に飯山満緑地公園がありますが、飯山満緑地公園の低い方に、こちらは今も水のある池があって、こちらにもその池の中ほどに島があります。↓
飯山満緑地公園の池 .JPG
かつては、「ゆるぎ地蔵」の前も飯山満緑地公園の池↑に似たような状態だったのでしょうか。船橋市では、夏見運動公園の東の、今は運動公園やプールの駐車場として使われている場所の近くにも湧水が出ているらしい所があります。

  ちなみに、「飯山満」は「いいやま みつる」ではなく、「はさま」か「はざま」かです。「さ」に濁点がつくのかつかないのか。東葉高速鉄道HPの飯山満駅http://www.toyokosoku.co.jp/station/hasama を見ると「Hasama Sta.」と出ており、「はさま」と濁らないようですが、千葉銀行の支店は「はざま支店」https://sasp.mapion.co.jp/b/chibabank/info/0062/ と濁点がつきます。どっちが適切なのか?
  船橋地名研究会・滝口昭二編著『滝口さんと 船橋の地名を歩く』(2014.8.20.崙書房出版)には、
《 「はさま」は通常「挟間」で「飯山満」と表記する例はほかになく、大変、珍しい地名です。》と書かれています。もともとは、「挟間」か「狭間」であったものが、「飯(めし)が山のように満ちる」という喜ばしい漢字を充てたのでしょうか。松戸市のJR「新松戸」駅のそばに総武流山電鉄「幸谷(こうや)」駅がありますが、「幸谷」は「荒野」か「荒谷」に「幸い」という喜ばしい字を充てたのか? 福島県会津若松市の北に喜多方市がありますが、城下町の会津若松の北の方にあるという意味での北方に喜ばしい漢字を充てて「喜多方」かな? 日本には、「北野」という地名はけっこう全国にあるが、東野・西野・南野はあまりない。これは京都の北野天満宮を勧請した天神社がある場所に「北野」という地名がついたという場合もあるかもしれないが、それだけではないのではないか。もしかすると、飢饉で人が死亡した時、餓死者の遺体が転がった所を飢餓野、もしくは「汚い野」「汚れた野」で「汚野」にしたが、それではあんまりだということで「喜びが多い野原」という字で「喜多野」にしたが、さらにそのうちそれもめんどうになって一番ありきたりの「北野」になった、東野・西野・南野にはそういう命名のものはなく、単に東の野原・西の野原・南の野原から命名されたものだけなので、それで「北野」の地名は東野・西野・南野よりも多い・・・なんてこと、ありそうな気もしないでもない。大阪市の福島は、もともとは「飢餓島」だったのを「福島」に改めたという説もあるらしいから、「飢餓野」か「汚野」が「喜多野」になってさらにありきたりの「北野」になり、さらにその付近の一般的な社に「京都の北野天満宮から勧請した」というお話まで付加した・・・なんてものもありそうな気がしないでもない。「飯山満」も「挟間」か「狭間」に喜ばしい字を充てて「飯(めし)が山と満つる」という「飯山満」になった・・ということはありそうな気がする・・のだが、それなら、他の場所にもそういう命名があっても良さそうだが、船橋地名研究会・滝口昭二編著『滝口さんと 船橋の地名を歩く』(2014.8.20.崙書房出版)では《「飯山満」と表記する例はほかになく、大変、珍しい地名です》と書かれている。
  飯山満の西側の「駿河台」は、なんだか、「不動産屋が分譲地に適当につけたような地名」みたいな地名ですが、船橋地名研究会・滝口昭二編著『滝口さんと 船橋の地名を歩く』(2014.8.20.崙書房出版)を見ると、実はそうでもないらしく、
《 「駿河台」は、昭和62年(1987年)2月1日に実施された第5期住居表示表示事業でセンター低設定された町名ですが、その根拠は明治19年ごろに設定された小字地名からきていて、・・・。また小字の駿河台もこの地域に伝えられた伝承からきているようです。
 さらにこの駿河台という地名は上飯山満村中野木(現 中野木)とこれに隣接する五日市村(宮本)に同じ小字がありそれぞれに異なった伝承があるという面白さがあります。それぞれの伝承は次のようです。
(1)上飯山満(中野木)の「駿河台」
 駿河大納言(徳川忠長)の家来であった人が主人忠長改易後移り住み、この地で富士を眺め、故郷の駿河国を偲んだので、駿河台という地名となった。
(2)宮本(五日市)の「駿河台」
 弘治3年(1557)頃 千葉親胤の家来の宮内駿河が、この地に立てこもって戦死したことから駿河台というようになった。》
というので、「不動産屋が適当に分譲地につけた地名」というわけではないようです・・・が、駿河大納言がどう、千葉なんとかさんの家来の宮内駿河がどうというお話は、それは後からつけられたお話と違うのかな・・・という印象がしないでもありません。

  東葉高校「東葉門」(「元近藤家長屋門」)は、電車の最寄駅は東葉高速鉄道「飯山満(はさま)」駅。JR総武線「東船橋」駅から「飯山満駅」行きの船橋新京成バスも出ています。 南側の東西の道路に「飯山満二丁目自治会館」というバス停があり、これは、JR「津田沼」駅の北口とJR「東船橋」駅の間を走る習志野新京成バスのバス停ですが、1時間に1本程度しか便がないので必ずしも便利ではありません。

  さて、↓の写真を見てください。これは、飯山満と駿河台2丁目との境目付近の道から南側を撮影したものですが、
津田沼ザタワー2 .JPG
↑ 巨大な岩山が人工的に造られつつあります。これ、何だと思いますか? JR「津田沼」駅の南側のかつてはダイエーが入っていたモリシアセンターのビルの南側、住居表示としては習志野市谷津 に建てられつつある「津田沼 ザ・タワー」という高層マンション(開発行為事業者:三菱地所レジデンス。事業者:三菱地所レジデンス(株)・三井不動産レジデンシャル(株)・野村不動産(株)。設計・施工:(株)フジタ )です。我が家もこの付近の住人も、北が高く南が低くなって海まで平野になった地形の場所を購入して住んでいるのに、海側に人工的に岩山を造られつつあるのです。こんな理不尽なことがあるでしょうか。三菱だか三井だか知りませんが横暴です。 今回は、「元近藤家長屋門」の見学がテーマですので、傍若無人な岩山マンションの横暴については別の稿で述べることにしますが、日本の人口は増えていないのに、このような岩山マンションが次々と造られて日本の国土が改変されているというのは納得いきません。その岩山が造られることで影響を受ける人間の範囲は相当広いはずなのに、「説明」は半径50mだか100mだかの範囲ですませて、「やったもん勝ち」みたいに建てて売ってしまうというやり口も陰湿な印象を受けます。

☆ 習志野市「津田沼 ザ・タワー」(工事中)の横暴!!!
「哲建ルンバ」
[第455回]《戸建住民の居住環境悪化を招く 都心でもない場所での高層マンション建築に受忍義務があるのか? 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201905/article_3.html
[第463回] 高層マンション「津田沼ザ・タワー」による居住環境破壊。商業地域に住居マンションは不当。勝手に自然改変https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_8.html
[第464回]「津田沼ザ・タワー」は下品で野蛮。事業者・設計者・開発行為事業者でない者になぜ問合せさせようとする? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_9.html
[第465回] 商業地域の容積率を悪用する「津田沼 ザ・タワー」。及、都市計画しない習志野市都市計画課 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_10.html
[第466回]「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_11.html
[第467回]「津田沼 ザ・タワー」宅地建物取引業の票。ももんがあのような茶碗のかけらのような野蛮な高層マンション https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_1.html
[第468回]「津田沼ザ・タワー」事業者名票枠外に別の問合先記載は不適。地下鉄をありがたがる人と高層マンションをありがたがる人https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_3.html
[第469回]「本人訴訟の一般人には相当大きく安全側に要求し、弁護士にはよほどのことがないと」の裁判所書記官の対応と、「三菱」「三井」「野村」の言うことならきくのか? 独立自尊の精神に欠ける習志野市建築指導課!https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_5.html

☆他に、高層ビル・高層マンションの問題について
☆ 「船橋プラウドタワー」(千葉県船橋市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第5回]2月 といえば、確定申告!・・・・船橋税務署 駅から遠すぎるよお・・・・https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201102article_2.html

☆ 「千里タワー」(大阪府豊中市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第122回]野蛮な 千里タワー。大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由https://tetsukenrumba.at.webry.info/201302/article_1.html
[第419回]箕面教会(箕面市)見学【2/5】府道から箕面教会。北川原公園・箕面川の紅葉はきれい。高層ビルは野蛮https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_3.html
「慎腹風呂愚」
[第471回]新装「高山駅」。周囲の景観との調和を考えた建物だが。及、屋根とは何かわかっていない建築会社についてhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html

☆ 「ロジュマン千里中央」(大阪府豊中市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第456回]上新田天神社(大阪府豊中市)参拝4 神社を背後から見下ろす下品な高層マンション 他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html

☆ 「コスモフレスタ箕面」(大阪府箕面市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第197回]日本キリスト改革派神港教会・カトリック六甲教会・神戸松蔭女子学院 と 安藤忠雄「六甲の集合住宅」
https://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html

☆ 「ジオミューズレジス」「ジオタワーミューズフロント」「ジオタワーミューズガーデン」(大阪府高槻市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第634回]上宮天満宮参拝【6/10】天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
[第638回]上宮天満宮参拝【10/10】北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html
で述べました。

  (2019.7.13.)

滝口さんと船橋の地名を歩く
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異議あり!臨海副都心 (岩波ブックレット)
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