「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証13-浜松のインテリア館で購入を検討していいのは「静岡市から名古屋市まで」の人が限度。「遠州人」の世界観で運営される工務店とインテリア館。
[第710回] 一条工務店の浜松営業とはどういう人間か【18/ 】
「一条工務店の建物は同業他社と比べてすべての面にわたって完璧にすばらしい」の反証
《19》 浜松インテリア館では、お客様に家具を買わせるわけにはいかない。 浜松中心主義・「アタマが浜松」の人間からは、離れた地域の人間は買物はできない。
少し前、富山県のなんとかいう会社の経営者が、富山県人はだめだと言って他県出身者を採用したいと言い、なんだか問題になったことががありましたが、あれは言い方が良くなかったのではないかと思います。私は富山県人がどうなのかはよく知りませんが、「地方」の県においては、その県で生まれて育って他の地域を知らないという人ばかりで運営していると、ごく小さい会社の時代は良くても、ある程度大きな会社になってくるとうまくいかない時が出てくるのではないかというように思うのです。富山県のその会社の経営者は、おそらく、自分自身が富山県人だったのではないか。それで、他県出身の人とか、富山県の生まれであっても他県で暮らした経験のある人とかにも入社してもらって、多様な発想で会社を運営したいということだったのではないか。それならば、決しておかしな発想ではないはずですが、かなり、強調した言い方で、かつ、自分自身もその県の出身だったことから、遠慮のない言い方をしたことから問題になったということかな・・と私は思っています。1999年だか2000年だか、ラジオの野球中継を聞いていましたら、解説者の板東英二が「最近ねえ、『野球はアタマでやるもんや』とか言いすぎですよお。だいたいねえ、そんなもん、野球みたいなもんやってる人間が頭使うのん、得意なわけないでしょうが。頭使うのん、嫌いやから野球みたいなもん、やってんねんがな。頭使うのん、得意やったら野球みたいなもんやらんと、もっと他の仕事やってるわ」・・なんてて言うので、そりぁ、たしかに、人間は頭を使うのが得意の人間と体を動かすのが得意の人間がいて、運動選手というのは体を動かすのが得意な人間だから運動選手になっているのだけれども、「そこまで言わんでも・・」てところかもしれないけれども、板東英二の場合は自分自身も元野球選手であることから、笑いをとろうということで、そういう言い方をしたということでしょう。富山県の会社の経営者も、おそらく、自分自身も富山県人であったということから、富山県人についてかなり遠慮のない言い方をしたということではないのかなという印象を私は受けています。
潮見敏隆『法律家』(’岩波新書)は、今となってはかなり古い本なので今現在にあてはまらない部分もあるかもしれませんが、裁判官・検察官・弁護士のあり方について述べた本で、そこで、裁判官に東大法学部出身者が多く、なおかつ上級審の裁判官になればなるほど東大法学部出身者の割合が大きくなるという問題について、それは学閥として東大法学部出身者が優遇されているからなのか、そうではなく、東大法学部出身者に優秀な人間が多いから上級審の裁判官に東大法学部出身の人間が多いのであって別に学閥として優遇されているとかいうことではないのか、この問題について、著者は、たとえ、東大法学部出身の人間に優秀な人間が多いから裁判官に、それも上級審の裁判官に東大法学部出身の人間が多かったとしても、国民全体のこととを考える仕事である裁判官にあまりにもひとつの大学の出身者の占める割合が大きいというのは、それは好ましいとは言えないということはないか、と指摘されていました。
国家公務員の「キャリア」は、やはり、東大法学部出身の人間が多く、これも、仮に東大法学部出身の人間に優秀な人間が多いからそうなっているのであったとしても、それでも、あまりにも特定の大学の出身者の占める割合が大きいようでは、「思考が一定してしまう」「発想に多様性がなくなる」といったことを言う人もあるようで、慶應の先生が東大法学部卒で国家公務員の人から「ぜひとも、慶應の人に国家公務員になっていただきたい」と言われましたと講義の中で言われたことがあったのですが、そうは言っても、片方で、慶應大卒で国家公務員なんかになると、「官庁は東大法学部卒で入庁しないと、慶應大卒とかで入ったのでは犬か猫がいるのと一緒」とかいうお話もあったりしますので、そのあたりは思案のしどころかもしれませんが、たとえ、その大学の出身者に優秀な人が多かったとしても、あまりにも特定の大学の出身者ばかりで構成されていたのでは、「思考が一定してしまう」「発想に多様性がなくなる」といったことはあるかもしれません。1980年代前半、三越で岡田社長のしょーもないことしい事件があった時だが、これも、三越という会社が慶應大出身者の占める割合があまりにも大きいというのが背景にあるということはないか、その大学がいいか悪いかと別の問題として、あまりにも特定の大学の出身者の占める割合が大きいというのは良くないのではないかとか言う人もあった。
早稲田大学を創設した大隈重信は佐賀県の出身で、「地方の若い者は、生まれた県でそのままその県の学校に行って成人して暮らしていくというようなことではなく、大学は東京か関西の大学に行って、生まれ故郷とは異なる環境で暮らすという経験を持つべきだ」と言い、その考えのもとに早稲田大学を作った・・そうで、だから、早稲田大学の学生は昔から慶應大学などに比べて地方出身者が多いと言われるが、そういう面もあるかと思います。
2002年、山梨県に住んでいた時、「朝日新聞」の日曜版に載っていた話だが、山梨県のワインメーカーの女性の社長の話として、山梨県はブドウの産地とされてきたが、かつては、日本のブドウは山梨県産のものも他県産のものも、ブドウそのものとして食べるにはいいが、ワインは作れないと言われていたらしい。それを、その女性の社長は、ぜひ、作ってみようではないかと考えて、最初は「そんなもの、できるわけないだろうが」とバカにされていたが、作ることができた・・というのだ。日曜版でその女性の社長は「革新的なことができるのは、『若者・ばか者・よそ者』だと言われているけれども、自分は、山梨県に来た時、それほど『若者』ではなかったけれども、『ばか者』で『よそ者』だった。だから、できたと思う」と語っていた。地元で生まれて地元でずっと暮らしてきた人には、地元の人間の発想が凝り固まっていて、その発想・観念から自由になれないという場合があるのではないか。だから、大隈重信の言うように、若い頃に一度は生まれ育った所と異なる所で暮らす経験を持った方がいいということもあるだろうけれども、他府県から来た人間の発想というものを取り入れるという姿勢も必要ではないかと思う。(株)一条工務店で福島県いわき市に勤務した時、風光明媚で(原発事故がなければ)自然環境もいいしここはいい所だなあ・・と思ったのだけれども、ところが、地元の生まれの人と話すと、「だめだ、こんな所は。いわきは何にもねえ所だ。何にもねえ。どうしようもねえ所だ」などと言う人が多かったのだ。「どうして、そんなこと言うの。いい所じゃないの」と思ったのだけれども、地元で生まれ育った人には、その土地の良さというのがわからん場合というのがあるのではないかと思う。(だから、原発みたいな危険極まりないものを作られてしまったのかもしれない。)福島県浜通り地区も、もっと、若いうちに一度は他の都道府県で暮らした経験のある人間や他府県から来た人間の発想を取り入れるということをすれば、原発みたいなものを作られずにすんだのかもしれない。一般に、住宅建築業の営業というのは地元のことを理解している人間の方が有利なはずなのだが、常にそうと決まったものでもない。私は1994年に、いわき市でもいわき市三和町のいわきと郡山の中間付近の方に契約していただいたが、その方と折衝していた時、同じ営業所のいわき市生まれの人から、「おめえ、あんな場所の人間が一条工務店で契約するわけないだろうが」と言われたのだ。それは、地縁血縁が強い地域というのは「大工さま」の知り合いがあって、(株)一条工務店がいいと思ってもらえたとしても、それでも、地縁血縁が切れるということは難しいので、いわき市でも新しい分譲地とか比較的市街地とかなら(株)一条工務店などで契約してもらえる可能性があっても、平田村との境目に近いようなあたりでは「一条工務店で契約してもらえるわけないだろうが」・・・といわき市の生まれの人は思ったらしい。・・しかし、私は契約してもらえた。それは、地元の生まれの人はいわき市でも市街地とそうでない地域の違いというのが頭にあって、ここは地縁血縁の「大工さま」しか建てない地域だという固定観念ができていたのだが、大阪の生まれで東京からいわきに行った私にはそういう観念はなく、「市街地ならともかく」なんて言われても、東京からいわきに行った人間から見ると、いわきの街なんて「市街地」じゃない所ばっかりだったのだ。だから、特に先入観もなく対応した結果、契約してもらえたのだ。だから、地元の人間だから地元の事情を知っていて有利な場合もあるが、地元の人間だから地元の人間の先入観で見てしまうという場合もあるのではないかと思う。
だから、富山県人がだめだとは私は思っていないけれども、富山県の会社の経営者が「その県で生まれ育った人間ばかりで運営するのではなく、他府県出身者にも入社してもらって多様な発想で会社を運営していきたい」として、意図的に他府県出身者も採用しようという考えであったのなら、それはおかしな発想ではないと私は思う。
岩手県に本社があって岩手県と北海道で住宅建築業をやっている日本住宅(株)https://www.nihonjutaku.co.jp/ という会社は、人材紹介会社の人が言うには「岩手県の会社で岩手県で勤務する人でも、あえて東京など他の都道府県の人に岩手県に来てもらってやっていこうという考えの会社なんです」ということだった。それで、今となっては10年以上前だが、人材紹介会社の人から応募しませんかと誘ってもらったことがあったのだが、「他の都道府県出身者にも何人かは来てもらって多様な発想で会社を運営したい」ということなら、その発想は悪くないとは思ったけれども、しかし、私の場合は、「地方に本社のある住宅建築業の会社」というのは(株)一条工務店でもう飽き飽きしていたし、「地方」の人間は東京などに出て働いた方が給料が高いということで東京などに出て働くのに、何がうれしゅうて「浜松という後進国の外資系企業」に勤めにゃならんのだ・・・というのも骨身にしみて理解していたし、私の場合は、東京圏に住んでいて東北地方で勤務したこともある人間であったとしても、もともとは関西人であり、しかも、父親の先祖は九州の出で関西より西の出の家系であり、東京か関西に本社がある全国企業に勤めて、何年か後に一時的に岩手県に勤務してほしいと言われたということならともかく、最初から岩手県に本社があって勤務地も岩手県という会社に勤める理由はないと判断したし、なにより、人材紹介会社の人から電話がかかってきて、それに応対している際、お断りするために「岩手県」という地名を口にしたのでも、それでも、高齢の母が「岩手県なんかに行ってしまう」と言って横で泣くのであり、私自身も、「地方に本社のある住宅建築業の会社」で「(株)一条工務店よりまだ小規模な会社」というのは、「この歳になってまで勤める気持ちはありません」ということでお断りしたのだが、それでも、「先方が〇〇さんのことを大変気に入っておられまして」と人材紹介会社の人間が言うので、根負けして、そこまで言われるのなら、同じ業界で勤める以上は今後もどこかで何らかの縁があるかもしれないことだから礼儀として直接会ってお断りしようと考えて会うと、今度は、何が気に入らないのか知らないが、人材紹介会社の人間に私について悪口雑言を浴びせたということがあり、この会社はいったい何なんだ・・と思ったということがありました。「お見合い」にしても、断る時に、あんたのどこが気に入らないなんて言うものじゃないと言いますでしょ。会社が人を採用する場合も、採用する相手になら、この部分は直してほしいというのは言ってもいいが、不採用にする人に、「あんたのどことどこが気に入らんのじゃ」なんて言うものではないし、そういうことを言うのなら、言われた側だって、「おまえこそ、どことどことどことどことどことどことどことどこがウルトラ気に入らんのじゃ」と言っていいことになりますし、ましてや、私はこの会社には応募してないのです。「岩手県に本社のある会社で、岩手県と北海道が営業範囲」という会社に、「もともと関西人で父親の先祖は九州という関西より西の出で、今は何の因果か東京圏に住んでいる」という人間で、「地方発祥で地方に本社のある会社」「浜松という後進国の外資系企業」はもうけっこう! と骨身にしみて感じた者として、それよりも、「岩手県」という地名が出るだけで高齢の母が泣くのでお断りしたのですが、断っても断っても「先方が〇〇さんを大変気に入っておりまして」と言われても、勘弁してほしいと思ったが、そこまで言われるのなら会うだけ会って直接お断りしようと考えたが、応募もしていない人間に、悪口雑言罵詈讒謗を浴びせるというのでは、その会社、いったい何なんだと思いました・・・が、それはそれとして、「岩手県の会社で岩手県で勤務する人でも、あえて東京など他の都道府県の人に岩手県に来てもらってやっていこうという考え」というのは、それは悪くはないし、その人材紹介会社の人が「ぼくだったら、岩手県に行って勤めてみようと考えますけれども」と言われたのだが、その人は私より若かったということもあると思うのですが、若い時期にあえて生まれ故郷でもない地方の県に勤務してみようという人がいた場合には、「地元の会社は地元の人間がいい」と決めつけるのではなく「他県出身の人間にも来てもらって多様な発想で会社を運営したい」という考えは悪くないと思います。もし、地元で人を採用できなくなるようなことがあったために他の都道府県から雇おうとしているということでないのならば。
それに対して、(株)一条工務店の場合は、名古屋南営業所(展示場)の「所長」にならせてもらっていた近藤路夫が「浜松でいいものは、日本全国でこでもいいに決まってるんだ。八寸角の大黒柱は東京でも大阪でも絶対にいいんだ。二間続きの和室は敷地面積20坪の土地でも延床面積30坪の家でも絶対に必要なんだ。こんな常識がわからんのかあ!」と絶叫するのでしたが、《「遠州人」の常識は世間の非常識》なのです。「浜松でいいものは、日本全国でこでもいいに決まってるんだ。八寸角の大黒柱は東京でも大阪でも絶対にいいんだ。二間続きの和室は敷地面積20坪の土地でも延床面積30坪の家でも絶対に必要なんだ。こんな常識がわからんのかあ!!!」と言う「ほとんどビョーキ!!!」というのか「アタマが浜松」というのか「浜松中心主義」「浜松中心天動説」の人が幅をきかせている会社でした。「浜松中心天動説」の人に「『空の広さの一部分は浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは正しい。しかし、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うならばそれは間違っている」と言うと怒るのですよ。怒られてまでねえ~え、「そうじゃないんですよお、井戸の外には浜松とは異なる世界があるんですよお~お」なんて教えてあげることないと思うし、何より教えるとますます怒りますから「遠州人」(あくまで、「(株)一条工務店の遠州人」ですが)はできるだけ相手にしない方がよろしい。彼ら「遠州人」(「(株)一条工務店の遠州人」)は「空の広さは浜松の広さと同じだ」と信じており、「地球の陸地の7割は浜松でできており、残りの2割はフィリピンでできていて、残った1割は磐田・島田・掛川といった静岡県中西部や豊橋・岡崎や名古屋といった愛知県でできていて、東京や大阪などはとるに足らない」と信じており、その信仰は間違っているとか言われるとひきつけをおこすのです。
(株)一条工務店はグループ会社として(株)一条インテリア という会社を持っていた。さらに、「ビーイング」に掲載されていた求人募集とかにはスペインのバルセロナに(株)一条ヨーロッパという会社を持っているように書かれていた。そして、(株)一条ヨーロッパは、イタリア製のタイル・スペイン製のタイルやヨーロッパ製の家具などを直輸入し、浜松や栃木の工場の敷地内に設けたインテリア館でそれらの家具を契約者に販売している・・・と言っていた。しかし、そのわりに、(株)一条ヨーロッパの仕事を誰がしているとかいう話はなく、バルセロナに誰が言ったとか、バルセロナから誰が帰ってきたとかいう話はないので、どうしてだろう・・・と思い、ベテランの某さんに尋ねてみたところ、某さんは「そんなの、一条ヨーロッパなんてそんな会社、最初からありませんよ」と言うのだった。はあ? はあ~あ? 「しかし、カタログに『(株)一条ヨーロッパ(バルセロナ)』と書いてありますよね。私が応募した時に見た『ビーイング』にも書いてありましたよ」と言ったところ、「書いてあっても、ないものはありませんよ」と言うのだ。「まったく、ないのですか」と言うと、「まったく、最初からありませんよ」と。「それなら、その『バルセロナ』という地名はどこから出てきたんですか」と言うと、「オリンピックがバルセロナであったから、だから、一条ヨーロッパはどこにあることにするかという時に、オリンピックがあったことだし、バルセロナがいいんじゃないかて、そんなとこでしょ」と。はあ? はあ~あ? 「しかし、ですよ。普通、全国で何人もの営業がいたならば、中にはいいかげんなことを言う人間だっているかもしれない・・ということならあるかもしれませんが、普通、カタログとか求人雑誌とかに、まったくないようなものを『(株)一条ヨーロッパ(バルセロナ)』なんて活字として印刷するなんて、そんなことしますかあ~あ?」と言ったのだが、「だから、普通の会社じゃないでしょうよ。一条工務店は。いったい、何年、この会社にいるんですか」と言うのだった。どうも、そういうものだったらしい。その「一条ヨーロッパがヨーロッパで購入して日本に送った」ということになっていたヨーロッパ製の家具というものが、浜松市倉松町の(株)一条インテリアのインテリア館にあった。〔ちなみに、「一条工務店」という名称も「木造住宅ひとすじ(一条)という意味で一条工務店」なんて言っているが、実際はそうではなく、京都の三条通りに「税金対策」としての幽霊会社を作ったことがあって、その幽霊会社の名前を「三条通りにあるから三条工務店にするかあ」「三条工務店なら一条工務店の方がいいのと違うかあ」・・てことで「一条工務店」とつけたのが始まり・・というのが正しいらしい。〕 「(株)一条ヨーロッパ(バルセロナ)」というのはイカサマらしいが、ヨーロッパから輸入したという家具はけっこういいものだった。「しかし、浜松のインテリア館にヨーロッパ製の家具とかありましたよね。あれはどうしたんですか」と言うと、「だから、パリ-ダカール ラリーに一条工務店が後援して車体に『一条工務店』と書いたトラックに乗って走ったフランスの家具屋のおっさんがいたでしょ。あのおっさんがヨーロッパの見本市(メッセ)で買う時に、一条工務店向けのものも一緒に買って日本に送っていたんですよ。それがインテリア館にあったんです。バルセロナの駐在所にいる一条の社員が買ったんじゃないんですよ」ということだった。よく、そこまで嘘つくよなあ~あ・・・とあきれた・・・が、家具は悪いものではなかった。但し、2000年頃になると、栃木工場内のインテリア館に行っても、カリモク家具https://www.karimoku.co.jp/ の家具はあっても、ヨーロッパ製の家具というのを見ることはなかったので、もう、「パリ-ダカール ラリーに出ていたフランスの家具屋のおっさん」が買って日本に送るというのはもしかするとやめたのかもしれない。
※ 《ウィキペディア-ダカール・ラリー》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC
「『(株)一条ヨーロッパ』という名前の会社を持ち、スペインのバルセロナに駐在所を持って、ヨーロッパ製の家具を現地で買って日本に送っている」というお話は嘘だったらしいのだが、しかし、実際は「(株)一条工務店が後援して『パリ-ダカール ラリー』に出ていたフランスの家具屋のおっさん」がヨーロッパの見本市(メッセ)で自分の所向けに買う時に(株)一条工務店向けの分も家具を買って日本に送っていた・・のであっても、浜松の本社・工場の脇にあったインテリア館に置かれていたイタリア製とかの家具はなかなかいいものだった。だから、私なども、契約客を浜松の工場に案内した際、インテリア館に案内し、購入してもらえば、決して悪くないものを購入してもらえるだろうと考えたし、従業員も購入できたはずなので、もし、それなりの家を持てた時には、何か買いたいという気持ちにもなった・・・のだが、実は別の問題点があったのだ。「やっぱり、浜松の会社はあかん」・・・てのを実感させられた。
※ 千葉県の「幕張メッセ」という「メッセ」とはどういう意味か、「・・・がさかんな所」を言う「・・のメッカ」という「メッカ」はサウジアラビアの都市でイスラム教の聖地のメッカことだが、「メッセ」は「メッカ」とは違うが・・と思っていたのだが、「メッセ」というのは「見本市」を意味するようだ。「メッセ」と「メッカ」はまったく別。
1993年1月に契約いただいた千葉県市原市のY様は、リビングルームに実際に薪を燃やす暖炉を設けたいという希望だった・・が、実際に暖炉が設置されるまでにその件についてどういういきさつがあったか、[第680回]《「契約前は何でもできますと言って、契約後は適当に建ててしまえ」というのは営業上何かプラスになるのか?》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_10.html で述べた。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫という男はなんとも” ユニークな男 ”である。契約前に「・・・はできますか」と質問されて、「できます」と答え、いったん契約したなら「『うちでは・・・はできませんから』と言って建ててしまえ」と営業本部長が言う会社というのは「完璧にすばらしい」だろうか? 1989年、小堀住研(株)では、その天野隆夫が口にしたようなことは、そういうことは絶対にやってはいけない、と研修で教えられたものだが、こういうことを言うと天野隆夫は激怒するだろうし、「エスバイエルがいいならエスバイエルに行けよお」と言うだろうけれども、しかし、私はその頃の名称でエスバイエル(株)がそんなにいい会社とは思っていなかったが、しかし、その部分限定では小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)が研修で教えていたことの方がまっとうだと思うし、天野隆夫の言うことは無茶苦茶だと思うし、それは(株)一条工務店においてもその時の天野隆夫の発言のようなことは絶対にやってはいけないことだと今も思っている。しかし、私が営業担当だったから、天野隆夫から「契約した以上は、『うちでは・・・はできませんから』と言って適当に建ててしまえ」と言われて、そういう反社会的な対応に対して「そんなわけにいきませんでしょ」と拒否し体を張って契約客の家を営業本部長から守ったが、営業担当によっては天野隆夫から言われて言われた通りやる人間もいたのではないかと思う。そういう会社が「完璧にすばらしい」か・・・というと、そうは言えないと思う。
1989年、小堀住研(株)の松戸展示場にいた時、課長の I 井が「格下の会社に勤めると、営業でも自分の心が責められるような営業をさせられることになる」と話したことがあったのだが、小堀住研(株)がそんなに「格上」かどうかはさておき、1993年、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫が言った「契約前に『・・・はできますか』と質問されたなら、『できます』と答えて、いったん契約したなら『うちでは・・・はできませんから』と言って建ててしまえばいいだろうが」という発言は、まさに「格下の会社に勤めると、営業でも自分の心が責められるような営業をさせられることになる」というものに該当する発言だった・・・が、しかし、営業の仕事はお客様のためになることをやってその報酬をいただくというのが基本だけれども、もしも、お客様のためにならないことが自社の利益になるというようなことがあった場合、そういう時にどうするのか、そこでどうしても利益が欲しいという場合、そういう場合であれば、それでもお客様を犠牲にして目先の利益をあげるというのはいいとは言えないだろうけれども、そういう場合ならば、「少なくとも気持ちはわかる」話なのだが、この1993年前半、天野隆夫の発言は、お客様のためにならないとともに(株)一条工務店のためにもならないものをやれと言っていたものであり、会社の利益につながるわけでもないのにそういうことをやりたがる・させたがるというのは、それは天野隆夫という男の品性がそういうものだから、だから、それが利益になるかならないかにかかわらず、そういった行動をとりたがる・とらせたがるということだったと思われる。こういうことを言うと天野隆夫は「一条工務店のやり方が気に入らないならよそに行けよお」と言い出すのだが、(株)一条工務店のためにならないやり方が「一条工務店のやり方」であるわけがない。それは、あくまでも「天野隆夫のやり方」であって、 「貧困なる精神」から出てきたその人のやり方でしかないものを「一条工務店のやり方」などと言うのはやめた方がいいだろう。
Y様邸の工事が始まった時、私は福島県いわき市の営業所に勤務していたので、工事の状況は上棟の時のみしか見ることができなかったが、その頃は、地べたで梁に柱をつっこんで釘を打ち込んで落ちないようにして「梁+柱・柱」という状態でレッカー車で吊って降ろして柱を土台のホゾ穴の上に載せてその状態で上からカケヤでぽんぽこ叩いて柱のホゾをホゾ穴に入れるという作業をしていた。あれ、途中で柱が落ちたりしないのだろうか・・と心配したりもしたが、「大工」や「工務課」とかがいいと言うのならいいのかな・・と最初は思っていたのだが(「いっきゅうけんちくしい~い」てのはあまりあてにならんとして)、そのうち、(株)一条工務店では、会社としてそのやり方はだめだと言うようになったので、やはり、良くなかったということだろう。その際だが、1階の管柱を1か所、「梁+柱・柱」としてレッカー車で吊ってから、大工が、「あ、逆だった」と言い、「まあ・・・、いいわ。いい!」と言ったことがあったのだ。何が逆だったか。芯持ち材のムクの柱は乾燥させる時、「芯引き」「背割り」と言って柱の中心に通るように切り込みを入れ、乾燥していった時にその「芯引き」「背割り」の部分が開いていくが他での割れはあまり出ないようにするのです。1992年、(株)一条工務店に入社した年、私より古くから在籍する従業員に、「これは木造では常識です」と言われ、そうかいなあ~あ・・・と思ったものの、しかし、それではお寺とか神社の柱って、なんで、「芯引き」「背割り」がないのだろうか・・???・・なんて思ったのですが、小川三夫『宮大工と歩く奈良の古寺』( 文春新書)を読むと、 「芯引き」「背割り」というのを入れるようになったのはそう昔々からではなく、法隆寺とか東大寺とかが建てられた頃はそういうものは入れていなかったそうで、それなら割れはでなかったのかというと、出てもそのうち締まっていってくっついたというのです。まあ、お寺とか神社のふっとい柱と戸建住宅の柱と一緒というわけにもいかないでしょう。我が家の補修工事をした時、壁の中を開いて見たところ、ムクの柱が見事に割れていたということがあり、その補修作業をしていた大工は「いや、これは縦に割れているのですから大丈夫です」なんて言ったのですが、ええかげんなこと言うなよお~お、もちろん、横に割れていたのではえらいことやけどもやなあ・・・、縦に割れているとしても完全に真っ二つというのはこれは・・・大丈夫かいやあ~あ・・と思ったが今も住んでいるが、そういうのを見ると、「芯引き」「背割り」は入れておいた方が良さそうに思う。その「芯引き」「背割り」は柱のどちら側になるように柱は立てるべきなのか、という問題がある。外周部分の柱と両側が家屋の内部という柱でも事情は違うだろうけれども、一般に、外周部分の柱というのは、「背割れ」「芯引き」は外側になるように入れる。それを、杉の管柱(くだばしら)を1本、「背割り」「芯引き」が内側を向いた状態で梁にとりつけた状態でレッカー車で吊り、「あ、逆だった・・・。まあ・・・、いいわ。いい!」と大工は言ったのだった。「いい」のか? 「いい」のだろうか???
「芯引き」「背割り」(と言ったり「背割れ」と言ったり)の部分は、柱が乾燥するとその部分が開いていくので、室内側に「芯引き」「背割れ」があってその上に石膏ボードもしくは合板を貼り付けてビニルクロス(もしくは紙クロス・布クロス)を石膏ボードもしくは合板に貼った場合、石膏ボードもしくは合板の継ぎ目が「芯引き」「背割り」のところにあると、その上のクロスを引っ張り、クロスの割れにつながる場合がある。だから、この点において「芯引き」「背割り」は外側になるように柱は立てた方が好ましいと思われる。しかし、全体が屋内にある柱なら、どちらかに「芯引き」「背割り」はあるわけであり、どうしても、片側は「芯引き」「背割り」の部分で石膏ボードもしくは合板の継ぎ目は引っ張られることになる。又、それなら外側ならいいのか。柱の外側には、その頃の(株)一条工務店は「防火サイディング」(窯業系サイディング)の「直貼り」として柱の外に「防水透湿シート」を貼ってその外側に「防火サイディング」(窯業系サイディング)を貼っていたが、1990年代後半に入って防水の上から「直貼り」をやめ、柱に縦胴縁を打ち付けてそれに「防火サイディング」(窯業系サイディング)をとりつけるようにしたが、「芯引き」「背割れ」が外側であったとしても、やっぱり、「芯引き」「背割り」が開くとともに、その部分が両側にひっぱられるということはありそうだった。私は建築学科卒とかではなかったので、そのあたりについてそれほどよくわかっているわけではなかったので、「大工」が「いい」と言うからにはいいのだろうか・・・? とか思ったりもしたのだが、それでも、やっぱり、「あ、逆だった」と気づいたのなら、「逆」のままではなく、柱1本だけの手間なら「逆」でないように入れ直してほしいものだと心の中では思っていたのだが、工事担当が何も言わない以上は、契約時の営業担当が言うべきではないのかな・・・というよりも言うと営業本部長の天野隆夫から「おまえは黙れ」「おまえは口きくな」と怒鳴りつけられるだろうな・・・と思い、言わなかったのだが、しかし、それでもやっぱり、「あ、逆だった」と思ったのなら、そのまま入れてしまうのではなく、「逆」でないように正してほしかったように思う。 「工務課」(工事担当)が何も言わない以上はいいのかと工事担当に遠慮したのと、言うと天野隆夫から「おまえは黙れ」「おまえは口きくな」と天野隆夫から怒鳴りつけられるだろうと思われたこととともに、大工というのはプライドの高い職種で、その家の担当大工が「いい!」と言い切ったのに、それを「大工さん、それは入れ替えてもらわないと」と大工でない者が口出して機嫌を悪くされてもどうかと思ったということもあったのだが、そういう場合、どうしたものだろうか。
そういう場合だが、「完璧な工事」というのはなかなか難しいとは思うのだが、どこまでをいいとするのか、どういうものは訂正してもらわないといけないのか、そのあたりを(株)一条工務店の「工務課」「工事担当」はわかってないのではないか。「工務課」の人間でも十分に経験を積んだ人間とまだ経験の浅い人間もいるだろうけれども、担当者個人が経験が浅かったとしても、会社としてどうすべきかという指針があっていいように思うのだ・・・が、ないのだ、(株)一条工務店には。福島県いわき市の営業所にいた時に、所長のK野さんが「工事担当が職人に使われている」と指摘していたが、そうだと思う。個々の仕事については実際にその作業をやっている職人の方が工事担当より詳しく知っているという場合はあるだろうけれども、それでも、こういう場合にはどうというものが工事担当はあっていいと思うのだが、「職人に使われている」というのか「職人のアシスタント」みたいな状態だったのだ。20代の若いにーちゃんの工事担当とええおっさんの大工だと、若いにーちゃんは自分の親くらいの人にえらそうに言うことはないと思うが、しかし、別に「えらそうに言う」ことはないが、ひとつひとつの作業について、工事担当者として思うものがあれば言うべきだと思うのだが、単なる「職人のアシスタント」でしかなかったのではないか。私は今でも、「芯引き」「背割り」が「逆」だった柱については気になっているのだが、それは担当の大工が「いい」と言ったように致命傷になるようなものではないと思うのだが、それでもやっぱり、「逆」のものをそのままにしないで「逆」でないようにしてほしいなあ・・・という気持ちである。私は今でも気になっているし、そういう場合、大工が「いい」と断言したものを「よくない」と言うにはかなりの論拠が求められそうんいも思うが、論拠があるとかないとかよりも、自分で「あ、逆だった」と思ったなら、そう思いながらそのままにしないでもらえないかと思ったのだ・・・が、こういうことを考えたのは契約時の営業担当だった私だけで「工務課」(工事担当)はそんなことまったく気にしていない、「職人に使われている」のが「工務課」だみたいな意識でいたのではないか。その状態は「完璧にすばらしい」というものではないように思うのだ。
(株)一条工務店が、地べたで、柱を梁に入れて釘を打ち込んで仮止めして「梁+柱・柱」の状態でレッカー車で吊って、それを土台のホゾ穴に入れるという方法は禁止としたのは、それは、1993年9月に福島県いわき市草木台で屋根屋が墜落して頭部を打撲して死亡する事故があり、労働基準監督署に初代社長の大澄賢二郎が呼ばれてから、それまで、「そ~んなの、工事現場で怪我するなんて常識じゃあ~ん」「現場で怪我したらだめなんて言われたら、工事なんてで~きねえよお~お」と言っていたのを、「安全こそ一条のポリシー」と突然それまでと正反対のことを言いだした(よく、言うわ・・て感じ)ということで、安全面からだったが、安全面からだけでなく、《地べたで、柱を梁に入れて釘を打ち込んで仮止めして「梁+柱・柱」の状態でレッカー車で吊って、それを土台のホゾ穴に入れるという方法》であると、地べたで梁に柱を入れる時、その梁はどちらが外側かわかりにくいので、↑のように柱の向きを間違えて入れてしまうということがありうるが、柱を1本、1本、土台に立てていき、その上に梁を載せる方法であれば、柱の向きを間違えるということはまずないという点もある。柱は「梁+柱・柱」という状態にしてレッカー車で吊って土台の上に設置するという方法の方が手間はかからないかもしれないが、1本、1本、確認しながら柱を立てるようにした方がいいだろう。
2000年頃、栃木県栃木市の工事現場で、上棟の時、柱を土台に立てようとしたところ、土台にホゾ穴が掘られていなかったということがあり、その工事現場の大工は即座に「柱のホゾを切り落とせ」と言ったので私は驚いたということがあった。柱はホゾとホゾ穴で土台に取り付けられてこそ安定するのであり、柱のホゾを切り落として土台の上に載せただけでは地震などで揺れを受けた時にその柱は土台から落ちてしまうことになる。入居後、何年か後に柱が腐り・白蟻の被害を受けて入れ替えないといけないというような場合に、ホゾ穴にホゾを入れて立てることができないので、土台の上に載せて金物で固定するという方法を選択するというのならまだしも、新築の時点で「柱のホゾを切り落とせ」という発想は、それは良心的な建築会社の発想ではないと思えた。私が営業担当の工事現場であれば「大工さん、余計な手間がかかって申し訳ないけれども、1か所だけだから、ノミでホゾ穴を作ってもらえませんか」と言ったと思うが、しかし、その工事現場は私が営業担当の工事現場ではなく、「工務課」(工事担当)は新卒入社2年目くらいの人間だったと思うが、営業担当は私より歳は若いが(株)一条工務店の在籍年数は私より古い人で「工務課」の経験もある人であり、その営業担当がその場にいて何も言わないので、その工事現場の営業担当よりも在籍年数が短い者が(と言っても、その時点で、栃木県にいた営業60人ほどのうち、営業所長を別にすればその工事現場の営業担当は古い方から3番目で私は5番目だったのだが)口出すこともないかと思って言わなかったが、やっぱり、新築する時点で柱が土台のホゾ穴に柱のホゾを入れて立てられるのではなく、土台の上に載っているだけという施工はいいとは言えないように私は思うし、機械プレカットをおこなう際に土台にホゾ穴を1か所開けられていない所があったとしても、だからと言って、即座に「柱のホゾを切り落とせ」と考えるそういう発想をする大工というのは、それは大工なのだろうか? 職業として大工をやっていたとしても、そういう人を大工と言うべきだろうか?・・それをその場で見ていて、何も言わない・何も感じない男を「工務課」とか「工事担当」と言うのだろうか? ・・と思うのだが、(株)一条工務店では言うらしい。誰が悪いのかというと、基本的には機械プレカットをおこなう時の図面にホゾ穴の場所を書き落とした者に問題があるのだろうけれども、上棟の何日か前に土台を基礎にすえた時に、ホゾ穴がきっちりとあけられているかどうか確認しなかった大工にも責任はないことはないはずだ。そういう場合にも、柱を土台に1本、1本立てていくやり方の方が、「あれ、ホゾ穴がないぞ」と気づいて、どうするかそこで考えることができるから、やはり、「梁+柱・柱」と取り付けてからレッカー車で吊って土台に立てるのではなく、1本、1本、柱を土台に立てていく方法の方がいいと思う。 《柱を土台に1本、1本立てていくやり方の方が、「あれ、ホゾ穴がないぞ」と気づいて、どうするかそこで考える》と言っても、普通は土台にホゾ穴がなければホゾ穴をあけるもので、柱のホゾの方を切り落とすものではないと思うし、どちらにするか考えるものでもないように私は思うのだが、(株)一条工務店では違うらしい。又、その工事現場の仕事は、大工が施主から直接請けた仕事ではなく、(株)一条工務店が請けた仕事であるのだから、土台にホゾ穴があけられていなければ柱のホゾを切り落とすのがその大工の流儀であったとしても、(株)一条工務店の工事であるからには、即座に「柱のホゾを切り落とせ」と言うのではなく、その現場に(株)一条工務店の工事担当者が来ているのだから、工事担当に「おい、ホゾ穴が開いてないが、どうする?」と訊くべきであったはずだ。それを、即座に「ホゾを切り落とせ」と大工が言うというのは、普段から(株)一条工務店の「工務課」(工事担当)は「職人のアシスタント」か「職人の下働き」くらいにしか見られていなかったということだろう。そう見られないためにも、「大工さん、ちょっと待って」と言わないといけないと思うのだが、もし、その工事現場の担当の営業がGさんのように10年も在籍している私よりも在籍年数の長い人ではなく入社1年目か2年目くらいの人であったなら、工事担当も新卒入社2年目かそこらの人間だったことですし、私は自分が営業担当でない工事現場でも、「大工さん、余計な手間をかけさせて申し訳ないけれども、1か所だけのことだから、柱のホゾを切り落とすのではなく、土台にホゾ穴をノミで作ってもらえませんか」と一言は言ったと思います・・・が、そうすると、おそらく営業本部長の天野隆夫から呼びつけられて「余計なことすんなあ!」と怒鳴りつけられたことでしょう。しかし、「余計なこと」しているのは誰だろうか? 柱のホゾを切り落としている人間、柱のホゾが切り落とされるのをその場で見ながら何も言わない人間の方ではないのだろうか? 柱のホゾが切り落とされるのを見ながら何も言わない人間というのは、「何も言わない」という行為をしているのであり、それが「余計なこと」ではないだろうか?土台のホゾ穴に柱がホゾを入れて緊結されるのではなく、単に土台の上に載っているだけという家を「完璧にすばらしい」と言えるかというと、私は少なくとも「完璧にすばらしい」とは言えないと思う・・が、こういうことを言うと、「遠州人」は「そういうことを言うからいかんのだあ~あ」と激怒するだろうけれども、私が施主の立場なら、土台にホゾ穴とホゾで柱が緊結されるのではなく柱のホゾを切り落として土台の上に柱が載っているだけという家を「完璧にすばらしい」と言いまくるような家というのは建てたくない。
「遠州人」が「浜松ではこのやり方でうまくいってるんだから、他でもこのやり方でいいはずだ」と決めつけるやり方というのは、実際には非浜松ではうまくいかない場合が多い。ところが、「遠州人」というのは非浜松ではうまくいかないやり方を押しつけたがるのだ。1993年だったか1994年だったか、「売れない営業のぐち十箇条」と書いたけっこう高そうな材質のものに印刷したものを(株)一条工務店浜松は全国の営業所に送りつけてきてそれを事務所に貼れと言ってきたのだが、「売れない営業のぐち十箇条」のひとつとして「浜松流はここには合わない」と書かれたものがあったのだが、その「浜松流はここには合わない」というのは「きっちりと自覚しておかないと売れなくなる十箇条」に入れるべきものだと思うがな・・と思ったのだが、いわき市の営業所のK所長などは「浜松流はここには合わない」と口に出して言わないけれども、最初から「浜松流」なんかでやっていなかったし、やるつもりもなかったようだ。「浜松流」でやって売れずに困っている営業は「浜松流」でやるべきなのか、「売れるやり方」でやるべきなのか、そこのところをよく考えてみた方がいいと思う。
私が東京展示場にいた時、「浜松流」から「工事現場見学会をやって浜松工場への工場見学会に行ってもらえば、両方に行ってもらった人はたいてい契約になる」と教えられたのだ。それで、そういうやり方をこの会社はやっているのかと思い、自分を雇ってくれた会社のやり方ならそうすべきだろうと思ってやったのだが、ところが、「浜松流」の指示の通りやっても契約にならないのだ。・・それで、こりぁ、「浜松流」の言う通りやっていたのでは契約にならんな、「浜松流」は多少は参考にしても、東京では東京の「流」でやらないとだめだな・・・と思うようになったのだ・・・が、そう思うに至った人間というのは「浜松流」としては面白くないらしい。それで、「売れない営業のぐち十箇条 浜松流はここには合わない」なんてけっこう高そうな材質のものに印刷したものを全国の営業所に送りつけてきた(けっこう、カネかかっていると思う)のだと思うが、そういう「浜松流」の態度こそ「売れない会社の特徴十箇条」と違うのか・・なんて言うと怒るだろうけれども、経営者はそのあたりを考えてみた方が利口じゃないかと思ったが、「無理ですよ。なにしろ、バカが経営してますから」と言われる会社だった(言ったのは私ではない)からしかたないのかもしれない。
千葉県市原市のY様は、工事現場見学会には行っていただいたが、二世帯というのか三世代で住んでいただいたY様には息子夫婦(といっても私より年上の「息子」だが)は工場見学会に行かれるより前に契約いただいた。そして、浜松の工場に工場見学会に契約後に行っていただくとともに、浜松のインテリア館で家具を見ていただき、イタリア製だったと思うのだがヨーロッパからの輸入の家具、たしか、ネストテーブルだったように思うのだが他のものだったかもしれないが、購入していただいたのだ。支払いは建物が出来上がった後に届けて、それからでいいということで、代金はその時点では支払っていないが、施主本人は「購入した」と認識された。
ところが、だ。それから2ヶ月ほど後だったか、(株)一条インテリアの浜松の女性社員から私の所に電話がかかってきて、施主が「購入した」輸入のネストテーブルはすでに売約済みのものだった、と言うのだ。そんなおかしな話があるか!
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! 浜松のインテリア館で購入を申し込む時点において、きっちりと何度も念を押して確認して申し込んでいるのだ。それがなんで「売約済み」だったなどという話になるんだ!
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そもそも、だ。「ダブルブッキング」したというのであれば、それならそれで、どっちが優先なのだ??? 「先に他の人が申し込まれていました」と(株)一条インテリア浜松 の女性社員は言うのだが、私の立場からすれば、もしくは私が担当で浜松のインテリア館にお連れした施主の立場からすれば、どっちが先だったかなんてわからないのだ。こっちが先なのに、静岡県中西部・愛知県の営業が契約客をインテリア館に連れて行って、お客さんが「これ、いいねえ」と言われたが「売約済み」の札がついていたという時、(株)一条インテリアの担当者に、「これ、売約済みだったと担当の営業に電話して言って。俺のお客さんは大事なお客さんだから」とか言って、私がお連れしたYさんより先に「売約済みだった」と言わせたのと違うのか?!?!?・・・という気がする。しないか? しないなら、(株)一条工務店という会社がどんな会社かわかっていない人間である。現実に、東京に住んでいて浜松で建てるという人が、今は東京で住んでいるし東京展示場のあるウッディランド東京にも仕事でしばしば行くことだしするから東京展示場で話を進めようとして東京展示場に来られて折衝しかけた見込客を、「そのお客さんは土浦営業所で担当します」と言ってまったく何の関係もないのに、東京に住んでいて浜松で建てると言う人を土浦営業所で横取りしようとした営業所長(田中義一)もいたのである。〔⇒[第709回]《「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証12-ひとの追客中見込客を横取りして放置する「一条の土台を築いてきた人たち」、それに加担する営業本部長。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_7.html 〕もとより、「遠州人」はずるい・こすい・汚い・えげつない・根性ババである!!!
(1)普通に考えて、東京都・神奈川県で坪55万円で売らされていた「セゾン275S1」というタイプを浜松・掛川では坪48万円、名古屋では坪49万5千円でダンピング販売してきたやつらである。
(2)「一条工務店は昔からテレビ広告などは一切せず、いいものを作れば売れるという考えのもとで広告代にお金をかけるよりも品質のいいものを作ろうという姿勢でやってきた会社なんです」などと研修でナマ言いやがってからに、その実、静岡県西部・愛知県ではドカンと一発、テレビ広告やりまくりだった!!!という会社なのだ。汚いのだ、「遠州人」は。根性がう〇こでできているのだ、「遠州人」は!!! 何しよるやらわからんのだ、「遠州人」は!!!
(株)一条工務店では、工場見学会に参加した人には、標準仕様では床柱は「黒檀集成材」(集成材の表面四方に黒檀を貼り付けたというもの)だが「花梨ムク材」を「サービス」として、工場見学会の時に床柱の倉庫でそれを自分で選んでもらう、花梨(かりん)以外の床柱は差額をプラスする必要があるが、紫檀・黒檀・タガヤサン・ブビンガほかの床柱を選ぶ人も自分自身でどの床柱にするか選ぶことができる・・としていたのだが、ところが、工場の床柱の倉庫に行くと、「これ、いいな」と思ってもすでに誰かが先に選んでそこに「営業所名:◇◇営業所 施主氏名:☆☆△△ 営業担当:鉄野木造」とか書いて貼ってある・・という場合がある。そういう時は、しかたがないから、まだ選ばれていない床柱から選ぶしかない・・・のだが、ところが、営業担当によっては、自分が担当のお客様が2つか3つ、いいと思うものがあって、そのどれにするか決めかねている時、2つか3つにシールを貼って2つなり3つなりを「確保」しておいて後からそのどれかに決めさせようなんてことをするヤカラがいると聞いたことがある。さらには、お施主様と一緒に床柱を選んで「営業所名:◇◇営業所 施主氏名:☆☆△△ 営業担当:鉄野木造」とシールを貼りつけたはずなのに、それが、ない! どうも、他の営業が担当の他の客にその床柱が使われてしまったみたいだ・・・なんてことがあると聞いた。どうも、自分が担当の契約客の着工が早い場合に、床柱の倉庫に行って、「これがいい♪」と思った床柱にすでに他のお施主様と営業担当者の名前が書いたシールが貼りつけてあった場合に、それをはがして新たに自分が担当のお施主様の名前と自分の名前を書き込んだシールを貼り付けて、着工・上棟が早い自分が担当の施主の家に使ってしまい、「先にシールを貼ってあったと思いますよ」と苦情を言われた時には、「え、そんなの貼ってなかったですよ。もしかして、いいかげんな貼り方したからはがれたのと違いますか」とかすっとぼけるということをするヤツがいる・・という話を聞いたことがある。「天知る、地知る、我知る、汝知る」という言葉がある。私ならば、そういうことをやろうと思えばできたとしても、それでもやらない。「できない」ではなく、できても「やらない」。だから、私が担当の契約客にはそういう営業に担当してもらいたいという人が多く、私が担当の契約客にもそういうことはやれたとしてもやらないという人が多い。ところが、「類は友を呼ぶ」「朱に交われば赤くなる」という法則があって、その営業の担当のお客さんはその営業と似た人が多いようだ・・・というケースというのが現実にある。(株)一条インテリアの浜松インテリア館でも、この床柱選びの話と同様のことをしてやろうと考えた営業所長がいた可能性は、少なくとも可能性として否定できない。
先にほかの営業が担当の契約客が申し込んだ家具を、自分が連れてきたお客さんが見て、「これ、いいねえ。なんとかならないの」とか言われると、先に申し込んだお客様に「あれ、すでに他のお客さんが申し込まれてましたあ」と言えと、「俺のお客さんは大事なお客さんだから」とか(株)一条インテリアに指示する・・なんて、十分ありそう・・・というのか、あっておかしくない話なのだ、(株)一条工務店という会社では。そういう連中なのだ、《「一条の土台を築いてきた人たち」と自称している人たち》というのは!!!
特別にどうというのでなくても、人間の心理として、普段から顔を合わせている人間とそうでない人間となら、普段から顔を合わせている人間の要望を優先したいと思う人間がいても、そのくらいなら人間の心理としてわからないこともない。 しかし、そのくらいは人間の心理として少しくらいならそういうことがあってもそれほど強くは責められないかもしれない・・・と思うかもしれないが、しかし、たとえば、私が福島県いわき市の営業所に移動した時、福島県浜通り地区には「業務課」(ローン担当)は在籍しておらず、茨城県の水戸営業所にいたF(女性。当時、20代)が茨城県とともに福島県浜通り地区も担当していた。茨城県の「営業所長」は前回も登場した、東京に住んでいて浜松で建てようという見込客を東京営林局に勤めている人を自分が東京営業所にいた時に1人契約して建ててもらったことがあるからと理由をこじつけて東京営林局に勤めている人はすべて土浦営業所が担当すると主張した男である田中義一で(株)一条工務店では「譜代」の所長と言われていた。福島県浜通り地区の「所長」のK野さん(男。当時、50代)は、もともと、猪野建材といういわき市の材木屋にいた人で、猪野建材が浜松の(株)一条工務店とともに(株)一条工務店南福島という共同出資会社を作る時に(株)一条工務店南福島に所属し、その後、猪野建材と(株)一条工務店が共同出資会社を解消して猪野建材は「やまとホーム」という会社をいわき市に作り、(株)一条工務店は(株)一条工務店としていわき市・浜通り地区に出展した時に、(株)一条工務店の方に移った人で(株)一条工務店としては「外様」の「所長」だと言われていた。なるほど。茨城県と福島県浜通りを担当する「業務課」(ローン担当)は茨城県の営業所に駐在させるのか、なるほど・・と思っていたら、次の年、新卒入社1年目の女性社員K内を福島県郡山市の営業所に「業務課」(ローン担当)として駐在させ、郡山市の営業所にいるK内に福島県中通りとともに浜通り地区も担当させた。なるほど。今度は「譜代」で「大澄社長の腰巾着」と言われる片山が「所長」の営業所に「業務課」(ローン担当)をおいてそれに「外様」の所長の浜通りも担当させるということか・・・と思っていたら、その郡山に駐在のK内が私が営業担当の契約客の住宅金融公庫において重大なミスを犯した・・・、それを[第681回]《(株)一条工務店「お客様相談室」の「責任者」とはどういう人間か【3/3】真面目に対応せず人を誹謗中傷》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_11.html で述べた。 「外様」と言われた人が「所長」であった福島県浜通り地区は、1993年は「譜代」の人が「所長」であった茨城県に駐在したローン担当が担当し、1994年はやはり「譜代」で「大澄社長の腰巾着」と言われた人が「所長」であった福島県中通り地区に駐在したローン担当が担当し、そして、福島県中通り地区にいたローン担当は「譜代」「社長の腰巾着」が所長の中通りが地区の営業が担当の契約客にではなく「外様」の人が所長の浜通り地区の営業の私が担当の契約客 双葉郡楢葉町で建てていただいた I 様邸において重大なミスをした。K内が重大なミスをしたのが「譜代」の片山が担当の営業所の営業が担当のお客様にではなく「外様」のK野さんが担当の浜通りの営業所の私が担当のお客様でだったというのは、これは「たまたま」か? 「たまたま」ではないと思うぞ。
人間の心理として、普段から顔を合わす人間の担当のものをいくらかなりとも優先してしまうということなら、人間としてあることかもしれない。だから、私なんかも、設計や工務課の人間には、普段から特別に何もなくても会話をするように心がけたが、その程度ですまないケースもあるのだ。私が入社した1992年においては、(株)一条工務店は「完全自由設計で、契約後にプランの打合せをおこなってお客様の要望に沿った設計をします」と言っていたものの、設計担当者が東京にいなかったのだ。どこでもそうかというと違う。浜松や名古屋には設計担当はいたのだ。浜松や名古屋の営業は、設計担当と直接に顔を合わせて打合せもできたのに対し、東京の営業はFAXと電話での打合せしかできず、東京圏のその場所がどういう所かもわからない「東海人」の設計担当にプランニングをされていたのだった。
それだけではない。1992年、(株)一条工務店の東京営業所は、名古屋南営業所に在籍していた第一設計部のK川という何年か経験のある設計が担当していたはずだったが、1993年に入った頃から経験のあるK川は名古屋南営業所の営業が担当の契約客の担当にして、ファックスと電話でしか打合せのできない東京営業所の営業の契約客は新卒入社1年目の人間が担当にされてしまった。やりやがったな、名古屋南営業所の近藤ローオ!
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! 自分の所の営業所には経験のある設計を担当させて、ファックスと電話でしか打合せのできない東京営業所には新卒新人を担当にまわしやがったな! 根性う〇この「遠州人」めが!!!
(A) 東京都で坪55万円のものを名古屋では坪49万5千円でダンピング販売し、
(B) 浜松・掛川・名古屋ではマンホールのフタみたいなでっかい束石で施工しているのに東京都ではピンコロという小さい束石での施工にしやがってからに〔⇒[第696回]《「一条の建物は完璧」の反証5.束石は小さいと床束ははずれるか?他-一条工務店の浜松営業【9/ 】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_9.html 〕
(C) 東京の営業には「研修」で「一条工務店は昔からテレビ広告は一切やらずに、いいものを作れば売れるという方針でやってきた会社なんです」と嘘を教えやがってからに、自分の所にだけテレビ広告をドカンと一発♪ やりやがってからに、近藤ローオ!!!


(D)それではまだまだ飽き足らず、自分の所には経験のある設計を担当させて、東京営業所の営業には新卒新人を押しつけやがったな! 覚えておれよ、この恨み、簡単に忘れてもらえるなどとは思うなよ、近藤ローオ!!!
もうひとつ、(株)一条工務店は初代社長の大澄賢二郎が『水滸伝』が好きで「梁山泊の精神」と言って「暴れる人」「爆発力のある人」というのが好き! という伝統があったのだ。実際に、1996年8月、消費税が10月頭から上がるから、なんとしても9月末までに契約を稼がないといけないという住宅建築業の会社としてはまさにかき入れ時に、初代社長 大澄賢二郎の息子で損害保険を扱う関連会社の(株)日信の社長になっていたらしい大澄隆史(男。当時、20代)が「刃物で女を刺し殺し、官憲に追われ逃げる」という、まさに『水滸伝』の登場人物「呼保義 宋江(こほうぎ そうこう)」そのまんまを実行して逮捕され懲役20年の有罪判決を受けるというまさに「梁山泊の精神」を実行したくらいである。
1998年途中に栃木県佐野市の展示場に移ったが、佐野展示場にいた上岡(男。当時、40代前半)は「爆発力がある」(所長の五十嵐さんの言葉)男だった。要するに「気に入らないことがあると暴れる」のだ。だから、新卒入社1年目で第一設計部のO澤などは怖がって、私などの担当のお客様の仕事を後にまわして上岡の担当の仕事を優先していた。私も、午前中、会社で仕事をしていると遅刻してきた上岡からいきなり背後から蹴りかかられたりつかみかかられたりしたということが何度もあり、何度も怪我させられたのだが、上岡は所長の五十嵐さんと経歴が似ている(最終学歴:底辺の方の高校卒、前職:クルマ屋、建築・住宅関連の資格:なし)ということで「五十嵐所長のお気に入り」であり、本人もそれを自覚していたことからやりたい放題だった。又、上岡は佐野警察署暴力団ともつながりがあったようだ。私などは「文武両道系の文治派」と自分自身を考えており、ともかく、究極的には文治派だったので、文治派である者としては、「自分の名前を書くことができれば合格と言われた私立高校の野球スポーツ入学」だったらしい「体育会系」から、背後からいきなり蹴りかかられたりつかみかかられたりというのは勘弁願いたかったし、そういうのを放置するのは会社として「保護義務違反」のはずだが、もとより、(株)一条工務店という会社は「梁山泊の精神」と言って「男ちゅうもんは何かあった時にはおのれの腕でやりあって勝負するもんじゃい」という初代社長大澄賢二郎の教えというものがある会社だったので、どうしようもなかった。そういう、「爆発力がある」男の担当のお客様は優先されるという会社というのは、それはあんまりいい会社ではないように思うのだが、(株)一条インテリアで私が担当のY様が選んで「購入した」(と少なくともY様は認識していた)家具も、静岡県・愛知県あたりの「爆発力がある」ヤツが(株)一条インテリアに「圧力」をかけて、「先に契約していて売約済みだった」と私に言わせた・・・ということは、可能性としてないとは言えない。そうだと決まっているものでもないのだろうけれども、しかし、「そうじゃありません」と言われても、違うと言い切れるものではないのだ。特に、普段からそんな感じの会社においては。
ついでに、私が栃木県佐野市の営業所に移って比較的すぐの頃だったように思うのだが、所長の五十嵐さんから「巨人になれ」などと言われたことがあったのだが、これまで、ずいぶんといろいろなことをこの会社では我慢してきたものだが、いくらなんでもこれだけは絶対に許せ~ん! な~んで、巨人みたいなもんにならんといかんのじゃ、巨人みたいなもんに。汚い巨人・不潔な巨人・卑劣な巨人・諸悪の根源の巨人! びびんちょかんちょの巨人! この発言だけは何があっても絶対に許せ~ん!
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※ 《YouTube-松山で流れるくたばれ読売(東京音頭)ヤクルトラッキー7 20190416 》https://www.youtube.com/watch?v=8qAPp3RbB7s
私は(株)一条インテリアの担当者に言ったのだ。「それは、静岡県か愛知県のどこかの営業所長が、その家具を自分の担当の契約客が欲しがっているから、だから、東京営業所の営業の担当客には『すでに売約済みでした』と言えと言ったということですか」と。(株)一条インテリアの担当は「そうじゃないです」と言うので、さらに言ったのだ。「名古屋南営業所の近藤ローオさんから言われたのですか。近藤ローオさんが、俺の担当の客にその家具はもらうから、だから、東京営業所の営業には『すでに売約済みでした』と言えと言ったということですか」と。(株)一条インテリアの担当者は「いえ、違います」と言うので、さらに「それなら、誰なんですか? 土浦営業所の田中義一さんですか?」と。「誰なのか教えていただけませんか。インテリアの担当として言えないようなら、私の方から、そういうことはやめてくださいとその営業所長に言いますから」と。しかし、「いえ、誰でもありません。先に申し込まれていたんです」と言うのだ・・けれども、だ。私の立場からすれば、たとえ、本当に、誰か他の営業が担当のお客様が私が担当のY様よりも先に申し込んでいたとしても、それを信じないといけない理由はないのだ。信じてもらえなかったとして、それは信じてもらえないことをしている(株)一条インテリアの方が悪い。そうでしょ、違いますか?
(株)一条インテリアの担当の女性の上役らしい男性社員が電話に出て、「もし、どうしてもお客様に納得いただけないようでしたら、私がお客様のお宅に謝りにいきます」と言うのだったが、しかし、誰だったか忘れたが、その男性に謝ってもらってもしかたがない。もっとも、「私がお客様の所に謝りに行きます」と言うだけでも、[第681回]《(株)一条工務店「お客様相談室」の「責任者」とはどういう人間か【3/3】真面目に対応せず人を誹謗中傷》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_11.html で述べた「お客様相談室」の「責任者」だという田中義昭よりはずっとまともであったけれども。田中義昭と比べてまともであっても、相当レベルの低い相手と比べての話であって、ほめたことにはならないが。
(株)一条インテリアの担当者は、もしかすると、私が相当しつこいと思ったかもしれないが、しかし、営業担当というのは自分が担当の契約客と会社との間の位置にいる人間であり、それでも究極的にはどちらの側にいるかというと会社の側の人間ではあるけれども、こういう場合には会社に対しての契約客の代弁者であり、千葉県の千葉市よりまだ遠い側から浜松までわざわざ行ってもらって購入してもらったはずのものを「すでに他の方に売約済みでしたあ」と言われて、「はい、そうですか」なんて言うわけにはいかない。簡単に「はい、そうですか」などと言ったのではアホだ。営業担当としては、たとえ、最終的にはあきらめるにしても、そう簡単に引き下がってはいけない。
そして、私が「もし、他の営業所の営業が担当のお客様の方が先に申し込まれていたとして、それならそれで、少し待ってもいいから同じものを用意してもらうということはできないのですか」と言ったのですが、(株)一条インテリアの担当者は「それが、ヨーロッパから輸入しているもので、船で送るので相当の時間がかかりますし」と言うので、「私が担当のYさんは、今、プランの打合せをやりかけたところですから建物の完成までは少しありますので、同じものを注文してそれまでに届くようにしてもらうということはできないのですか」と言ったのですが、「もし、同じものがあれば時間はかかっても送ってもらうということもできるのですが、同じものはないのです。たとえ、待ってもらっても、同じものは買えないのです」と言うのです。
それで、だ。今回の大きな問題としての第一。
1. (株)一条インテリアは、ヨーロッパ製の家具でなかなかいいものをインテリア館に置いていたけれども、しかし、それを問題なく販売するための最低限の販売能力というものが備わっていなかった。「普通の家具屋」の店と比べて、置いている商品は悪い物ではなかったとしても、販売の能力においては「浜松のレベル」だった・・ということだ。「浜松のレベル」とは失礼な・・と怒るヤツが出てくるかもしれんが、それなら違うとでも言うのかよお!
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! 違うのならどこが違うか言ってみやがれってんだ。実際、そうだろうが!
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もし、外国からの輸入家具を買おうと思ったのなら、今では完全に崩壊した「ブランド家具の大塚家具」とかで買うようにした方がよかったみたい・・・。今の大塚家具は「もうあかん」みたいだが、かつての大塚家具なら、少なくとも(株)一条インテリアよりはずっと確かだっただろう。
そして、もうひとつ大きな問題がある。 私が「それで、私が担当のYさんには、どうしてもらえばいいと言われるのですか」と言ったところ、「ですから、もう一度、浜松のインテリア館に来てもらって選び直してもらうようにしていただければ」と、(株)一条インテリア浜松 の担当の女性社員はそう言いおったのだ。「アタマが浜松」の人間の発想・「『東は静岡市、西は名古屋市まで』がこの世界だという世界観の人間」というのはそういうものだったのだ。
「あのねえ。Yさんは、浜松の住人じゃないんですよ。千葉県の県庁所在地の千葉市よりもまだ遠い所から浜松まで行って選んでもらったんですよ。千葉市よりまだ遠い所の人に、もう一度、浜松まで行けと言われるのですか」と、私は言いました。ところが、それに対して、「はい。もう一度、インテリア館に来ていただいて選び直してもらえば」と、いけしゃあしゃあと言うのです。(株)一条インテリアの「遠州人」は。
・・・「遠州人」と口きくの、もう、嫌になった。「アタマが浜松」の人間とつきあうの、もう、嫌になった。
今回の大きな問題点その2. (株)一条工務店浜松 のグループ会社の (株)一条インテリア浜松 の従業員というのは、「アタマが浜松」であり、「東は静岡市、西は名古屋市」の範囲で生きている人間であり、相手もそういうものだと思い込んでいる。そういう世界観の人間の口からは「もう一度、浜松まで来てもらって・・・」なんて文句が平気で出てくるのである。
「浜松まで行く」ということを、あまりにも気軽に考えており、かつ、あまりにも簡単に口にする。まさに「遠州人」の特徴だ。
(株)一条工務店は私が入社した1992年頃までは「浜松工務店が大きくなった」というもので、「浜松工務店にしてはたいしたもの・・かもしれん」という会社だったが、その後、全国企業になってやっていこうという会社ならばこうしていかないと・・・ということをまったくやらない。依然として浜松工務店の体質を続けようとそれに固執する。 「ですから、もう一度、浜松のインテリア館に来てもらって選び直してもらうようにしていただければ」という言葉が、東京より東側に住んでいる客に対して平気で口に出るというあたりは、そのあたりはやっぱり、「遠州人で運営される(株)一条インテリア」の問題点がそこに出た、と考えていいと思います。営業は、全国を考えて会社を運営するべき人間もおれば、その地域限定で勤務する人間だっているでしょうし、工事担当者もそうかもしれません。しかし、(株)一条インテリアの人間というのは、販売する相手は静岡県中西部・愛知県の人間だけではないのですから、それを考えると、「遠州人」がいて悪いとは言いませんが、非遠州人も意図的に採用して勤務してもらうようにしないと、「発想が浜松」になってしまうでしょう。そのあたり、(株)一条工務店と(株)一条インテリアの経営者は、「富山県人」でない人を意図的に採用しようとした富山県のなんとかいう会社の経営者の爪の垢でも煎じて飲むべきです・・・が、飲まんだろうな、永遠に。
1992年、私が(株)一条工務店に入社した年、東京展示場にいた新卒入社2年目というO田(男。当時、20代前半。浜松出身。早稲田大学卒らしい)が展示場で来場客に話をするのを聞いていたところ、リビングルームの大型の上から見ると台形の形状のベイウインドウを「これは頑丈で、腰をかけても大丈夫というものです。親戚中が集まって椅子がたらないというような時には補助席のかわりにもなります」なんて話していたので、そりぁ、浜松ではそういう使い方をする人もあるのかもしれないが、東京で「親戚中が集まった時」のためにベイウインドウを作る人ってあんまりないだろう・・と思ったし(株)一条工務店ではそう言うものなのかと思って、一度、沖田の言い回しを真似て言ってみたこともあったのだが、そうすると、「そんなの、親戚中が集まるなんてないわよねえ~え」と予想した通りのことを言われてしまったし、「補助席のかわりにするベイウインドウなんて、やっぱり浜松て感じするわ。田舎ねえ。いかにも浜松て感じ」と言われてしまったのだった。こういうことを言うと、「遠州人」は「そういうことを言うからいかんのだあ~あ!」と怒るのだが、しつこいようだが、私が「言われた」のであって私が「言った」のではないのだ。 そういう来場客の言葉を聞いた上で見ると、なんだか「浜松ウインドウ」というのはイナカくせえなあ、浜松にあると似合うのかもしれんが東京ではなあ~あ・・・という気がしてくるのだった・・・が、2000年、ロンドンに行った時、ロンドンで泊まったホテルはヒースロー空港とロンドンの市街の中間のあたりの場所だったのだが、時間がある時にホテルの周囲を歩いて見ると、ロンドンのそのあたりの戸建住宅には、(株)一条工務店がリビングルームにとりつけていたのとそっくりのベイウインドウがついた家がいっぱいあったのだ。しかも、ちっとも「イナカくさい」ことはなかったのだ。なんか、「遠州人」の言い回しを聞くと、「イナカくせえ」て感じがしてくる、「なんか、浜松のニオイがぷうんぷんしてくる!」ベイウインドウ、「親戚中が集まった時に補助席にするための出窓」、《「浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ、それになんちゃらエレクトロニクスがある大都市である」とかなんとか得意がって言うのを聞かされそうなベイウインドウ》( 一一)だったのだが、ロンドンの街で見るとちっとも「イナカくさい」ことはなかったのだ。 (株)一条工務店が「セゾン275S1」というタイプのリビングルームにつけていた大型のベイウインドウというのは、(株)一条工務店が「浜松の家」につけたものをロンドンの住宅が真似たのか、ロンドンの住宅にあったものを(株)一条工務店が「浜松の家」に取り入れたのかというと、最初に考え出されたのがどこでかはわからないが、ロンドンの家と「浜松の家」とではロンドンの方が先だと思うのだ。「浜松の家」についているベイウインドウを見ると、「うわっ、いかにもイナカて感じする、この出窓! 親戚中集まった時の補助席にする出窓でしょ」とか言われる出窓で、「浜松向け」て印象を受けるのだが、もともと、その出窓は「『浜松の家』で親戚中が集まった時に補助席にする」という目的の出窓ではないのだ。 ロンドンの家のベイウインドウを見て思った。 「遠州人」の「展示場アプローチ」は浜松で営業やるのでなければ真似てはいかんな! と。 「浜松流はここには合わない」というのを再確認しなきゃいかんな、と。
「一条工務店の家はすべてにわたって完璧にすばらしい」と近藤ローオは言うのだったが、しかし、(株)一条インテリアに置かれていた輸入家具というのは置かれていた家具自体はなかなかいいものだったが、それを販売する能力が拙劣、いわば「浜松レベル」だった。決して「完璧にすばらしい」などというものではなかった。
かつ、浜松のインテリア館の(株)一条インテリアの従業員は「遠州人」であり、「東は静岡市、西は名古屋市までしか視界にない人間」であり、東京より東側から浜松まで行って購入を申し込んだ人間に平気で「もう一回、浜松のインテリア館まで来てもらって」と平気で口にする人間であった。
Y様からは、この件については「もう、いいです」と実に不快だという態度を表明された。実際、(株)一条インテリアの家具は「もう、いい」。 この場合、「もう、いい」という意味だが、『憂国のラスプーチン』に、元外務省の佐藤優がモデルの憂木護(ゆうき まもる)という登場人物が小渕恵三の部下に対する話し方で、「ご苦労!」と「お疲れさん」という2つの似ている言葉があるが、「ご苦労!」というのは、「おまえ、もういいよ。おまえはもういい!」という意味で、本当にねぎらいの意味での「お疲れさん」というのとは似ているようで意味は正反対だと書かれていたのだが、(株)一条工務店のインテリア館の家具は「もう、いいです」というのは、当然のことながら、「ご苦労!」「おまえ、もういいよ。おまえはもういい!」という方である。
もう一回、浜松のインテリア館に行って、再度、選んでもらい購入を申し込んでもらったとしても、またもや、もう一回、同じことをされる可能性は十分あったのだ。だから、私は思った。浜松のインテリア館でなかなかいい輸入家具を置いていても、「東は静岡市、西は名古屋市くらい」の範囲の住人でなかったら買わない方がいい。「もう一度、浜松のインテリア館に来てもらって」と言われて、どうしようかな・・と思えるのは「東は静岡市、西は名古屋市くらい」までが限度ではないかと思うからだ。そういう世界観の人間が運営しているのが(株)一条インテリアだったのだ。置いているものはけっこういいものであっても、対応できる能力はせいぜい「静岡県中西部から愛知県」の間が限度だったのだ。
もうひとつ。栃木工場(栃木県の石橋町)の敷地内の栃木インテリア館の場合は、工場見学会で一通り工場を見てまわり、その後、床柱の倉庫に行って床柱を選んでもらったその後でインテリア館に行く流れになっていて、けっこう歩いて疲れたところにインテリア館があり、そこにソファとかがあるため、工場見学会に行った人はインテリア館のソファに座って休息をとっていた・・・のだが、そのソファは売り物なのだ。いつも、思うのだが、家具屋に置いてあるソファって、座ってみないとどんなものかわからないから買えないのだから座っていいものなのか、それとも売り物だから座ってはいけないものなのか、と迷うのだが、一般的には、買おうかどうしようかと検討している人が座り心地をためすために座るのは座っていいと思うのだが、そうではなく、休息のために座るのはいかんと思うのだ。ところが、(株)一条工務店の工場見学会では、一通り、工場をまわり、さらに床柱の倉庫で床柱を選んだ後でインテリア館に行くので、ちょうど、座って休憩とりたい気分の時で、そこにソファがあると、多くの人間が休憩のために座りたくなるのだ。・・で、多くの工場見学会参加者がインテリア館のソファに座って休憩をとっていたのだ。私はそれを何度も見てきたし、工場見学会に参加した人に、そこに座らないでくださいと言うのは言いにくく、たとえ、自分が連れていったお客様に座らないようにしてもらったとしても、他の営業・他の営業所が連れていった人は何人もが座っているはずだ。だから、私は自分が担当のお客様には、それまで、工場見学会の時に、何人もの人に休憩用として使われてきた中古のソファを新品の値段で買わせるということはやりたくなかった。現実にそれは工場見学会の時に何度も休憩用の椅子として使われてきた「中古」なのだから。「中古」を売るのなら中古の値段で売るべきで、中古を新品の値段で買わせるべきではないと思うからだ。
(2019.7.21)
★ (株)一条工務店の浜松営業はどんな連中か。
【1】 (株)一条工務店の浜松の営業とはどういう連中か【1/ 】+遠州人の特徴 「渋谷て言ったら、小岩の東の方だらあ」 「東京駅から大手町駅に行くにはタクシーに乗るのが一番だらあ」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_1.html
【2】 (株)一条工務店の浜松営業とはどういう連中か【2/ 】ダンピング浜松・名古屋。浜松は東なのか西なのか。「悪くないと思った」と言うと気に入らない人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_2.html
【3】 「浜松でいいもの」は東京人に?プレカット工場はプレカットせず出荷した? 住友林業は機械プレカットしているのに、「『住友林業はプレカットしてないでしょ』でそれだけで売れる」と言い張る浜松流オリジナル営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_3.html
【4】 集成材vsムク材。対住友林業は楽勝か難敵か https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_4.html
★ 「一条工務店の建物は完璧にすばらしい」「一条工務店の建物には問題点はまったくない」の反証
反証1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_5.html
【C】-4 《1》 床下換気口の真上の位置に柱が載っている。
《2》 柱の下に基礎がない。
《3》 筋交いと換気扇の穴の位置がぶつかり、筋交いを切断している。
反証2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_6.html
【C】-5 《4》 筋交いが片方の向きばかり。
《5》 寸法違いの丸太梁をそのまま入れる。工務課が工務課として機能していない。
反証3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_7.html
【C】-6 《6》 断熱材の室内側防湿層を破る。
《7》 断熱材の入れ方不適切。
《8》 やっていないのにカタログに書かれている「エアーフローシステム(壁体内換気)」
反証4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_8.html
【C】-7 《9》 ヘルメット非着用・吊荷真下作業・無資格者玉掛作業。
反証5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_9.html
【C】-8 《10》 「施工ミス」「施工不良」「間違った施工」と浜松の営業が言い、会社が作成したアルバム帳に写真入りで記載されている小さい束石の施工を東京都でやっている。大きい束石でも端に床束が載る。床束が束石から浮いている。
反証6-1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_11.html
【C】-9 《11》-1 擁壁と基礎のとりあい について工務課(工事担当)が打合せを拒否。(株)一条工務店の東京工務課は深基礎ができないの?
反証6-2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_12.html
【C】-10 《11》-2 深基礎の見積もりを計上し、深基礎の施工のはずが、どうも、そうなっていなかった可能性が小さくない。
反証7 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_1.html
【C】-11 《12》 地盤調査・地盤補強は要ると言いたいのか要らないと言いたいのか。ある時を画して正反対を平気で言う会社。
反証8 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_2.html
《13》「一条の家は完璧にすばらしい」の反証8.嘘の多い会社。土台は自社で注入してない。見学会限定の大道芸他
反証9 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_4.html
《14》 出過ぎた口きく設計、学んだ者に学んでいない者に服従しろと言う本部長
反証10 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_bb94655b33.html
《15》 「引き抜き抵抗力」による「箱型筋交いプレート」は「せん断抵抗力」による「プレート型筋交いプレート」より、なぜ、いいのか? 質問しても答えてくれない先輩社員、質問すると営業本部長に「報告」されて「よそに行けよ」と言われる会社。
《16》 一条工務店の建物の床下には木屑がいっぱい。煙草の吸殻もあった。
反証11 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_5.html「坪いくら」で契約させ、「施工面積」にどこまで入れるかは拡大し放題。契約時、「他社で契約するために解約する場合は契約金は返金しない」という文言を知らさずに署名捺印させる会社。
反証12 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_7.html
ひとの追客中見込客を横取りして放置する「一条の土台を築いてきた人たち」、それに加担する営業本部長
反証13 〔今回〕
浜松のインテリア館で購入を検討していいのは「静岡市から名古屋市まで」の人が限度。「遠州人」の世界観で運営される工務店とインテリア館。
反証14 ・・

法律家 (岩波新書 青版 751)

毛沢東語録 (平凡社ライブラリー)
《 マルクス主義者は問題を見る際、問題の部分だけでなく、全体をも見なければならない。井戸の中の蛙が「空の広さは井戸と同じだ」というなら、それは間違っている。空の広さは井戸どころではないからだ。蛙がもし「空の一部分の広さは井戸と同じだ」というなら、それは正しい。事実に合っているからだ。 》
( 毛沢東<日本帝国主義とたたかう戦術>(1935.12.27.) 『毛沢東語録』和田武司・市川宏訳 河出書房新社 所収
「 浜松の中の蛙が『空の広さは浜松と同じだ』と言うなら、それは間違っている。空の広さは浜松どころではないからだ。蛙がもし『空の一部分の広さは浜松と同じだ』というなら、それは正しい。事実に合っているからだ。 」

東京インテリアショールームガイド

宮大工と歩く奈良の古寺 (文春新書)
「一条工務店の建物は同業他社と比べてすべての面にわたって完璧にすばらしい」の反証
《19》 浜松インテリア館では、お客様に家具を買わせるわけにはいかない。 浜松中心主義・「アタマが浜松」の人間からは、離れた地域の人間は買物はできない。
少し前、富山県のなんとかいう会社の経営者が、富山県人はだめだと言って他県出身者を採用したいと言い、なんだか問題になったことががありましたが、あれは言い方が良くなかったのではないかと思います。私は富山県人がどうなのかはよく知りませんが、「地方」の県においては、その県で生まれて育って他の地域を知らないという人ばかりで運営していると、ごく小さい会社の時代は良くても、ある程度大きな会社になってくるとうまくいかない時が出てくるのではないかというように思うのです。富山県のその会社の経営者は、おそらく、自分自身が富山県人だったのではないか。それで、他県出身の人とか、富山県の生まれであっても他県で暮らした経験のある人とかにも入社してもらって、多様な発想で会社を運営したいということだったのではないか。それならば、決しておかしな発想ではないはずですが、かなり、強調した言い方で、かつ、自分自身もその県の出身だったことから、遠慮のない言い方をしたことから問題になったということかな・・と私は思っています。1999年だか2000年だか、ラジオの野球中継を聞いていましたら、解説者の板東英二が「最近ねえ、『野球はアタマでやるもんや』とか言いすぎですよお。だいたいねえ、そんなもん、野球みたいなもんやってる人間が頭使うのん、得意なわけないでしょうが。頭使うのん、嫌いやから野球みたいなもん、やってんねんがな。頭使うのん、得意やったら野球みたいなもんやらんと、もっと他の仕事やってるわ」・・なんてて言うので、そりぁ、たしかに、人間は頭を使うのが得意の人間と体を動かすのが得意の人間がいて、運動選手というのは体を動かすのが得意な人間だから運動選手になっているのだけれども、「そこまで言わんでも・・」てところかもしれないけれども、板東英二の場合は自分自身も元野球選手であることから、笑いをとろうということで、そういう言い方をしたということでしょう。富山県の会社の経営者も、おそらく、自分自身も富山県人であったということから、富山県人についてかなり遠慮のない言い方をしたということではないのかなという印象を私は受けています。
潮見敏隆『法律家』(’岩波新書)は、今となってはかなり古い本なので今現在にあてはまらない部分もあるかもしれませんが、裁判官・検察官・弁護士のあり方について述べた本で、そこで、裁判官に東大法学部出身者が多く、なおかつ上級審の裁判官になればなるほど東大法学部出身者の割合が大きくなるという問題について、それは学閥として東大法学部出身者が優遇されているからなのか、そうではなく、東大法学部出身者に優秀な人間が多いから上級審の裁判官に東大法学部出身の人間が多いのであって別に学閥として優遇されているとかいうことではないのか、この問題について、著者は、たとえ、東大法学部出身の人間に優秀な人間が多いから裁判官に、それも上級審の裁判官に東大法学部出身の人間が多かったとしても、国民全体のこととを考える仕事である裁判官にあまりにもひとつの大学の出身者の占める割合が大きいというのは、それは好ましいとは言えないということはないか、と指摘されていました。
国家公務員の「キャリア」は、やはり、東大法学部出身の人間が多く、これも、仮に東大法学部出身の人間に優秀な人間が多いからそうなっているのであったとしても、それでも、あまりにも特定の大学の出身者の占める割合が大きいようでは、「思考が一定してしまう」「発想に多様性がなくなる」といったことを言う人もあるようで、慶應の先生が東大法学部卒で国家公務員の人から「ぜひとも、慶應の人に国家公務員になっていただきたい」と言われましたと講義の中で言われたことがあったのですが、そうは言っても、片方で、慶應大卒で国家公務員なんかになると、「官庁は東大法学部卒で入庁しないと、慶應大卒とかで入ったのでは犬か猫がいるのと一緒」とかいうお話もあったりしますので、そのあたりは思案のしどころかもしれませんが、たとえ、その大学の出身者に優秀な人が多かったとしても、あまりにも特定の大学の出身者ばかりで構成されていたのでは、「思考が一定してしまう」「発想に多様性がなくなる」といったことはあるかもしれません。1980年代前半、三越で岡田社長のしょーもないことしい事件があった時だが、これも、三越という会社が慶應大出身者の占める割合があまりにも大きいというのが背景にあるということはないか、その大学がいいか悪いかと別の問題として、あまりにも特定の大学の出身者の占める割合が大きいというのは良くないのではないかとか言う人もあった。
早稲田大学を創設した大隈重信は佐賀県の出身で、「地方の若い者は、生まれた県でそのままその県の学校に行って成人して暮らしていくというようなことではなく、大学は東京か関西の大学に行って、生まれ故郷とは異なる環境で暮らすという経験を持つべきだ」と言い、その考えのもとに早稲田大学を作った・・そうで、だから、早稲田大学の学生は昔から慶應大学などに比べて地方出身者が多いと言われるが、そういう面もあるかと思います。
2002年、山梨県に住んでいた時、「朝日新聞」の日曜版に載っていた話だが、山梨県のワインメーカーの女性の社長の話として、山梨県はブドウの産地とされてきたが、かつては、日本のブドウは山梨県産のものも他県産のものも、ブドウそのものとして食べるにはいいが、ワインは作れないと言われていたらしい。それを、その女性の社長は、ぜひ、作ってみようではないかと考えて、最初は「そんなもの、できるわけないだろうが」とバカにされていたが、作ることができた・・というのだ。日曜版でその女性の社長は「革新的なことができるのは、『若者・ばか者・よそ者』だと言われているけれども、自分は、山梨県に来た時、それほど『若者』ではなかったけれども、『ばか者』で『よそ者』だった。だから、できたと思う」と語っていた。地元で生まれて地元でずっと暮らしてきた人には、地元の人間の発想が凝り固まっていて、その発想・観念から自由になれないという場合があるのではないか。だから、大隈重信の言うように、若い頃に一度は生まれ育った所と異なる所で暮らす経験を持った方がいいということもあるだろうけれども、他府県から来た人間の発想というものを取り入れるという姿勢も必要ではないかと思う。(株)一条工務店で福島県いわき市に勤務した時、風光明媚で(原発事故がなければ)自然環境もいいしここはいい所だなあ・・と思ったのだけれども、ところが、地元の生まれの人と話すと、「だめだ、こんな所は。いわきは何にもねえ所だ。何にもねえ。どうしようもねえ所だ」などと言う人が多かったのだ。「どうして、そんなこと言うの。いい所じゃないの」と思ったのだけれども、地元で生まれ育った人には、その土地の良さというのがわからん場合というのがあるのではないかと思う。(だから、原発みたいな危険極まりないものを作られてしまったのかもしれない。)福島県浜通り地区も、もっと、若いうちに一度は他の都道府県で暮らした経験のある人間や他府県から来た人間の発想を取り入れるということをすれば、原発みたいなものを作られずにすんだのかもしれない。一般に、住宅建築業の営業というのは地元のことを理解している人間の方が有利なはずなのだが、常にそうと決まったものでもない。私は1994年に、いわき市でもいわき市三和町のいわきと郡山の中間付近の方に契約していただいたが、その方と折衝していた時、同じ営業所のいわき市生まれの人から、「おめえ、あんな場所の人間が一条工務店で契約するわけないだろうが」と言われたのだ。それは、地縁血縁が強い地域というのは「大工さま」の知り合いがあって、(株)一条工務店がいいと思ってもらえたとしても、それでも、地縁血縁が切れるということは難しいので、いわき市でも新しい分譲地とか比較的市街地とかなら(株)一条工務店などで契約してもらえる可能性があっても、平田村との境目に近いようなあたりでは「一条工務店で契約してもらえるわけないだろうが」・・・といわき市の生まれの人は思ったらしい。・・しかし、私は契約してもらえた。それは、地元の生まれの人はいわき市でも市街地とそうでない地域の違いというのが頭にあって、ここは地縁血縁の「大工さま」しか建てない地域だという固定観念ができていたのだが、大阪の生まれで東京からいわきに行った私にはそういう観念はなく、「市街地ならともかく」なんて言われても、東京からいわきに行った人間から見ると、いわきの街なんて「市街地」じゃない所ばっかりだったのだ。だから、特に先入観もなく対応した結果、契約してもらえたのだ。だから、地元の人間だから地元の事情を知っていて有利な場合もあるが、地元の人間だから地元の人間の先入観で見てしまうという場合もあるのではないかと思う。
だから、富山県人がだめだとは私は思っていないけれども、富山県の会社の経営者が「その県で生まれ育った人間ばかりで運営するのではなく、他府県出身者にも入社してもらって多様な発想で会社を運営していきたい」として、意図的に他府県出身者も採用しようという考えであったのなら、それはおかしな発想ではないと私は思う。
岩手県に本社があって岩手県と北海道で住宅建築業をやっている日本住宅(株)https://www.nihonjutaku.co.jp/ という会社は、人材紹介会社の人が言うには「岩手県の会社で岩手県で勤務する人でも、あえて東京など他の都道府県の人に岩手県に来てもらってやっていこうという考えの会社なんです」ということだった。それで、今となっては10年以上前だが、人材紹介会社の人から応募しませんかと誘ってもらったことがあったのだが、「他の都道府県出身者にも何人かは来てもらって多様な発想で会社を運営したい」ということなら、その発想は悪くないとは思ったけれども、しかし、私の場合は、「地方に本社のある住宅建築業の会社」というのは(株)一条工務店でもう飽き飽きしていたし、「地方」の人間は東京などに出て働いた方が給料が高いということで東京などに出て働くのに、何がうれしゅうて「浜松という後進国の外資系企業」に勤めにゃならんのだ・・・というのも骨身にしみて理解していたし、私の場合は、東京圏に住んでいて東北地方で勤務したこともある人間であったとしても、もともとは関西人であり、しかも、父親の先祖は九州の出で関西より西の出の家系であり、東京か関西に本社がある全国企業に勤めて、何年か後に一時的に岩手県に勤務してほしいと言われたということならともかく、最初から岩手県に本社があって勤務地も岩手県という会社に勤める理由はないと判断したし、なにより、人材紹介会社の人から電話がかかってきて、それに応対している際、お断りするために「岩手県」という地名を口にしたのでも、それでも、高齢の母が「岩手県なんかに行ってしまう」と言って横で泣くのであり、私自身も、「地方に本社のある住宅建築業の会社」で「(株)一条工務店よりまだ小規模な会社」というのは、「この歳になってまで勤める気持ちはありません」ということでお断りしたのだが、それでも、「先方が〇〇さんのことを大変気に入っておられまして」と人材紹介会社の人間が言うので、根負けして、そこまで言われるのなら、同じ業界で勤める以上は今後もどこかで何らかの縁があるかもしれないことだから礼儀として直接会ってお断りしようと考えて会うと、今度は、何が気に入らないのか知らないが、人材紹介会社の人間に私について悪口雑言を浴びせたということがあり、この会社はいったい何なんだ・・と思ったということがありました。「お見合い」にしても、断る時に、あんたのどこが気に入らないなんて言うものじゃないと言いますでしょ。会社が人を採用する場合も、採用する相手になら、この部分は直してほしいというのは言ってもいいが、不採用にする人に、「あんたのどことどこが気に入らんのじゃ」なんて言うものではないし、そういうことを言うのなら、言われた側だって、「おまえこそ、どことどことどことどことどことどことどことどこがウルトラ気に入らんのじゃ」と言っていいことになりますし、ましてや、私はこの会社には応募してないのです。「岩手県に本社のある会社で、岩手県と北海道が営業範囲」という会社に、「もともと関西人で父親の先祖は九州という関西より西の出で、今は何の因果か東京圏に住んでいる」という人間で、「地方発祥で地方に本社のある会社」「浜松という後進国の外資系企業」はもうけっこう! と骨身にしみて感じた者として、それよりも、「岩手県」という地名が出るだけで高齢の母が泣くのでお断りしたのですが、断っても断っても「先方が〇〇さんを大変気に入っておりまして」と言われても、勘弁してほしいと思ったが、そこまで言われるのなら会うだけ会って直接お断りしようと考えたが、応募もしていない人間に、悪口雑言罵詈讒謗を浴びせるというのでは、その会社、いったい何なんだと思いました・・・が、それはそれとして、「岩手県の会社で岩手県で勤務する人でも、あえて東京など他の都道府県の人に岩手県に来てもらってやっていこうという考え」というのは、それは悪くはないし、その人材紹介会社の人が「ぼくだったら、岩手県に行って勤めてみようと考えますけれども」と言われたのだが、その人は私より若かったということもあると思うのですが、若い時期にあえて生まれ故郷でもない地方の県に勤務してみようという人がいた場合には、「地元の会社は地元の人間がいい」と決めつけるのではなく「他県出身の人間にも来てもらって多様な発想で会社を運営したい」という考えは悪くないと思います。もし、地元で人を採用できなくなるようなことがあったために他の都道府県から雇おうとしているということでないのならば。
それに対して、(株)一条工務店の場合は、名古屋南営業所(展示場)の「所長」にならせてもらっていた近藤路夫が「浜松でいいものは、日本全国でこでもいいに決まってるんだ。八寸角の大黒柱は東京でも大阪でも絶対にいいんだ。二間続きの和室は敷地面積20坪の土地でも延床面積30坪の家でも絶対に必要なんだ。こんな常識がわからんのかあ!」と絶叫するのでしたが、《「遠州人」の常識は世間の非常識》なのです。「浜松でいいものは、日本全国でこでもいいに決まってるんだ。八寸角の大黒柱は東京でも大阪でも絶対にいいんだ。二間続きの和室は敷地面積20坪の土地でも延床面積30坪の家でも絶対に必要なんだ。こんな常識がわからんのかあ!!!」と言う「ほとんどビョーキ!!!」というのか「アタマが浜松」というのか「浜松中心主義」「浜松中心天動説」の人が幅をきかせている会社でした。「浜松中心天動説」の人に「『空の広さの一部分は浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは正しい。しかし、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うならばそれは間違っている」と言うと怒るのですよ。怒られてまでねえ~え、「そうじゃないんですよお、井戸の外には浜松とは異なる世界があるんですよお~お」なんて教えてあげることないと思うし、何より教えるとますます怒りますから「遠州人」(あくまで、「(株)一条工務店の遠州人」ですが)はできるだけ相手にしない方がよろしい。彼ら「遠州人」(「(株)一条工務店の遠州人」)は「空の広さは浜松の広さと同じだ」と信じており、「地球の陸地の7割は浜松でできており、残りの2割はフィリピンでできていて、残った1割は磐田・島田・掛川といった静岡県中西部や豊橋・岡崎や名古屋といった愛知県でできていて、東京や大阪などはとるに足らない」と信じており、その信仰は間違っているとか言われるとひきつけをおこすのです。
(株)一条工務店はグループ会社として(株)一条インテリア という会社を持っていた。さらに、「ビーイング」に掲載されていた求人募集とかにはスペインのバルセロナに(株)一条ヨーロッパという会社を持っているように書かれていた。そして、(株)一条ヨーロッパは、イタリア製のタイル・スペイン製のタイルやヨーロッパ製の家具などを直輸入し、浜松や栃木の工場の敷地内に設けたインテリア館でそれらの家具を契約者に販売している・・・と言っていた。しかし、そのわりに、(株)一条ヨーロッパの仕事を誰がしているとかいう話はなく、バルセロナに誰が言ったとか、バルセロナから誰が帰ってきたとかいう話はないので、どうしてだろう・・・と思い、ベテランの某さんに尋ねてみたところ、某さんは「そんなの、一条ヨーロッパなんてそんな会社、最初からありませんよ」と言うのだった。はあ? はあ~あ? 「しかし、カタログに『(株)一条ヨーロッパ(バルセロナ)』と書いてありますよね。私が応募した時に見た『ビーイング』にも書いてありましたよ」と言ったところ、「書いてあっても、ないものはありませんよ」と言うのだ。「まったく、ないのですか」と言うと、「まったく、最初からありませんよ」と。「それなら、その『バルセロナ』という地名はどこから出てきたんですか」と言うと、「オリンピックがバルセロナであったから、だから、一条ヨーロッパはどこにあることにするかという時に、オリンピックがあったことだし、バルセロナがいいんじゃないかて、そんなとこでしょ」と。はあ? はあ~あ? 「しかし、ですよ。普通、全国で何人もの営業がいたならば、中にはいいかげんなことを言う人間だっているかもしれない・・ということならあるかもしれませんが、普通、カタログとか求人雑誌とかに、まったくないようなものを『(株)一条ヨーロッパ(バルセロナ)』なんて活字として印刷するなんて、そんなことしますかあ~あ?」と言ったのだが、「だから、普通の会社じゃないでしょうよ。一条工務店は。いったい、何年、この会社にいるんですか」と言うのだった。どうも、そういうものだったらしい。その「一条ヨーロッパがヨーロッパで購入して日本に送った」ということになっていたヨーロッパ製の家具というものが、浜松市倉松町の(株)一条インテリアのインテリア館にあった。〔ちなみに、「一条工務店」という名称も「木造住宅ひとすじ(一条)という意味で一条工務店」なんて言っているが、実際はそうではなく、京都の三条通りに「税金対策」としての幽霊会社を作ったことがあって、その幽霊会社の名前を「三条通りにあるから三条工務店にするかあ」「三条工務店なら一条工務店の方がいいのと違うかあ」・・てことで「一条工務店」とつけたのが始まり・・というのが正しいらしい。〕 「(株)一条ヨーロッパ(バルセロナ)」というのはイカサマらしいが、ヨーロッパから輸入したという家具はけっこういいものだった。「しかし、浜松のインテリア館にヨーロッパ製の家具とかありましたよね。あれはどうしたんですか」と言うと、「だから、パリ-ダカール ラリーに一条工務店が後援して車体に『一条工務店』と書いたトラックに乗って走ったフランスの家具屋のおっさんがいたでしょ。あのおっさんがヨーロッパの見本市(メッセ)で買う時に、一条工務店向けのものも一緒に買って日本に送っていたんですよ。それがインテリア館にあったんです。バルセロナの駐在所にいる一条の社員が買ったんじゃないんですよ」ということだった。よく、そこまで嘘つくよなあ~あ・・・とあきれた・・・が、家具は悪いものではなかった。但し、2000年頃になると、栃木工場内のインテリア館に行っても、カリモク家具https://www.karimoku.co.jp/ の家具はあっても、ヨーロッパ製の家具というのを見ることはなかったので、もう、「パリ-ダカール ラリーに出ていたフランスの家具屋のおっさん」が買って日本に送るというのはもしかするとやめたのかもしれない。
※ 《ウィキペディア-ダカール・ラリー》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC
「『(株)一条ヨーロッパ』という名前の会社を持ち、スペインのバルセロナに駐在所を持って、ヨーロッパ製の家具を現地で買って日本に送っている」というお話は嘘だったらしいのだが、しかし、実際は「(株)一条工務店が後援して『パリ-ダカール ラリー』に出ていたフランスの家具屋のおっさん」がヨーロッパの見本市(メッセ)で自分の所向けに買う時に(株)一条工務店向けの分も家具を買って日本に送っていた・・のであっても、浜松の本社・工場の脇にあったインテリア館に置かれていたイタリア製とかの家具はなかなかいいものだった。だから、私なども、契約客を浜松の工場に案内した際、インテリア館に案内し、購入してもらえば、決して悪くないものを購入してもらえるだろうと考えたし、従業員も購入できたはずなので、もし、それなりの家を持てた時には、何か買いたいという気持ちにもなった・・・のだが、実は別の問題点があったのだ。「やっぱり、浜松の会社はあかん」・・・てのを実感させられた。
※ 千葉県の「幕張メッセ」という「メッセ」とはどういう意味か、「・・・がさかんな所」を言う「・・のメッカ」という「メッカ」はサウジアラビアの都市でイスラム教の聖地のメッカことだが、「メッセ」は「メッカ」とは違うが・・と思っていたのだが、「メッセ」というのは「見本市」を意味するようだ。「メッセ」と「メッカ」はまったく別。
1993年1月に契約いただいた千葉県市原市のY様は、リビングルームに実際に薪を燃やす暖炉を設けたいという希望だった・・が、実際に暖炉が設置されるまでにその件についてどういういきさつがあったか、[第680回]《「契約前は何でもできますと言って、契約後は適当に建ててしまえ」というのは営業上何かプラスになるのか?》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_10.html で述べた。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫という男はなんとも” ユニークな男 ”である。契約前に「・・・はできますか」と質問されて、「できます」と答え、いったん契約したなら「『うちでは・・・はできませんから』と言って建ててしまえ」と営業本部長が言う会社というのは「完璧にすばらしい」だろうか? 1989年、小堀住研(株)では、その天野隆夫が口にしたようなことは、そういうことは絶対にやってはいけない、と研修で教えられたものだが、こういうことを言うと天野隆夫は激怒するだろうし、「エスバイエルがいいならエスバイエルに行けよお」と言うだろうけれども、しかし、私はその頃の名称でエスバイエル(株)がそんなにいい会社とは思っていなかったが、しかし、その部分限定では小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)が研修で教えていたことの方がまっとうだと思うし、天野隆夫の言うことは無茶苦茶だと思うし、それは(株)一条工務店においてもその時の天野隆夫の発言のようなことは絶対にやってはいけないことだと今も思っている。しかし、私が営業担当だったから、天野隆夫から「契約した以上は、『うちでは・・・はできませんから』と言って適当に建ててしまえ」と言われて、そういう反社会的な対応に対して「そんなわけにいきませんでしょ」と拒否し体を張って契約客の家を営業本部長から守ったが、営業担当によっては天野隆夫から言われて言われた通りやる人間もいたのではないかと思う。そういう会社が「完璧にすばらしい」か・・・というと、そうは言えないと思う。
1989年、小堀住研(株)の松戸展示場にいた時、課長の I 井が「格下の会社に勤めると、営業でも自分の心が責められるような営業をさせられることになる」と話したことがあったのだが、小堀住研(株)がそんなに「格上」かどうかはさておき、1993年、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫が言った「契約前に『・・・はできますか』と質問されたなら、『できます』と答えて、いったん契約したなら『うちでは・・・はできませんから』と言って建ててしまえばいいだろうが」という発言は、まさに「格下の会社に勤めると、営業でも自分の心が責められるような営業をさせられることになる」というものに該当する発言だった・・・が、しかし、営業の仕事はお客様のためになることをやってその報酬をいただくというのが基本だけれども、もしも、お客様のためにならないことが自社の利益になるというようなことがあった場合、そういう時にどうするのか、そこでどうしても利益が欲しいという場合、そういう場合であれば、それでもお客様を犠牲にして目先の利益をあげるというのはいいとは言えないだろうけれども、そういう場合ならば、「少なくとも気持ちはわかる」話なのだが、この1993年前半、天野隆夫の発言は、お客様のためにならないとともに(株)一条工務店のためにもならないものをやれと言っていたものであり、会社の利益につながるわけでもないのにそういうことをやりたがる・させたがるというのは、それは天野隆夫という男の品性がそういうものだから、だから、それが利益になるかならないかにかかわらず、そういった行動をとりたがる・とらせたがるということだったと思われる。こういうことを言うと天野隆夫は「一条工務店のやり方が気に入らないならよそに行けよお」と言い出すのだが、(株)一条工務店のためにならないやり方が「一条工務店のやり方」であるわけがない。それは、あくまでも「天野隆夫のやり方」であって、 「貧困なる精神」から出てきたその人のやり方でしかないものを「一条工務店のやり方」などと言うのはやめた方がいいだろう。
Y様邸の工事が始まった時、私は福島県いわき市の営業所に勤務していたので、工事の状況は上棟の時のみしか見ることができなかったが、その頃は、地べたで梁に柱をつっこんで釘を打ち込んで落ちないようにして「梁+柱・柱」という状態でレッカー車で吊って降ろして柱を土台のホゾ穴の上に載せてその状態で上からカケヤでぽんぽこ叩いて柱のホゾをホゾ穴に入れるという作業をしていた。あれ、途中で柱が落ちたりしないのだろうか・・と心配したりもしたが、「大工」や「工務課」とかがいいと言うのならいいのかな・・と最初は思っていたのだが(「いっきゅうけんちくしい~い」てのはあまりあてにならんとして)、そのうち、(株)一条工務店では、会社としてそのやり方はだめだと言うようになったので、やはり、良くなかったということだろう。その際だが、1階の管柱を1か所、「梁+柱・柱」としてレッカー車で吊ってから、大工が、「あ、逆だった」と言い、「まあ・・・、いいわ。いい!」と言ったことがあったのだ。何が逆だったか。芯持ち材のムクの柱は乾燥させる時、「芯引き」「背割り」と言って柱の中心に通るように切り込みを入れ、乾燥していった時にその「芯引き」「背割り」の部分が開いていくが他での割れはあまり出ないようにするのです。1992年、(株)一条工務店に入社した年、私より古くから在籍する従業員に、「これは木造では常識です」と言われ、そうかいなあ~あ・・・と思ったものの、しかし、それではお寺とか神社の柱って、なんで、「芯引き」「背割り」がないのだろうか・・???・・なんて思ったのですが、小川三夫『宮大工と歩く奈良の古寺』( 文春新書)を読むと、 「芯引き」「背割り」というのを入れるようになったのはそう昔々からではなく、法隆寺とか東大寺とかが建てられた頃はそういうものは入れていなかったそうで、それなら割れはでなかったのかというと、出てもそのうち締まっていってくっついたというのです。まあ、お寺とか神社のふっとい柱と戸建住宅の柱と一緒というわけにもいかないでしょう。我が家の補修工事をした時、壁の中を開いて見たところ、ムクの柱が見事に割れていたということがあり、その補修作業をしていた大工は「いや、これは縦に割れているのですから大丈夫です」なんて言ったのですが、ええかげんなこと言うなよお~お、もちろん、横に割れていたのではえらいことやけどもやなあ・・・、縦に割れているとしても完全に真っ二つというのはこれは・・・大丈夫かいやあ~あ・・と思ったが今も住んでいるが、そういうのを見ると、「芯引き」「背割り」は入れておいた方が良さそうに思う。その「芯引き」「背割り」は柱のどちら側になるように柱は立てるべきなのか、という問題がある。外周部分の柱と両側が家屋の内部という柱でも事情は違うだろうけれども、一般に、外周部分の柱というのは、「背割れ」「芯引き」は外側になるように入れる。それを、杉の管柱(くだばしら)を1本、「背割り」「芯引き」が内側を向いた状態で梁にとりつけた状態でレッカー車で吊り、「あ、逆だった・・・。まあ・・・、いいわ。いい!」と大工は言ったのだった。「いい」のか? 「いい」のだろうか???
「芯引き」「背割り」(と言ったり「背割れ」と言ったり)の部分は、柱が乾燥するとその部分が開いていくので、室内側に「芯引き」「背割れ」があってその上に石膏ボードもしくは合板を貼り付けてビニルクロス(もしくは紙クロス・布クロス)を石膏ボードもしくは合板に貼った場合、石膏ボードもしくは合板の継ぎ目が「芯引き」「背割り」のところにあると、その上のクロスを引っ張り、クロスの割れにつながる場合がある。だから、この点において「芯引き」「背割り」は外側になるように柱は立てた方が好ましいと思われる。しかし、全体が屋内にある柱なら、どちらかに「芯引き」「背割り」はあるわけであり、どうしても、片側は「芯引き」「背割り」の部分で石膏ボードもしくは合板の継ぎ目は引っ張られることになる。又、それなら外側ならいいのか。柱の外側には、その頃の(株)一条工務店は「防火サイディング」(窯業系サイディング)の「直貼り」として柱の外に「防水透湿シート」を貼ってその外側に「防火サイディング」(窯業系サイディング)を貼っていたが、1990年代後半に入って防水の上から「直貼り」をやめ、柱に縦胴縁を打ち付けてそれに「防火サイディング」(窯業系サイディング)をとりつけるようにしたが、「芯引き」「背割れ」が外側であったとしても、やっぱり、「芯引き」「背割り」が開くとともに、その部分が両側にひっぱられるということはありそうだった。私は建築学科卒とかではなかったので、そのあたりについてそれほどよくわかっているわけではなかったので、「大工」が「いい」と言うからにはいいのだろうか・・・? とか思ったりもしたのだが、それでも、やっぱり、「あ、逆だった」と気づいたのなら、「逆」のままではなく、柱1本だけの手間なら「逆」でないように入れ直してほしいものだと心の中では思っていたのだが、工事担当が何も言わない以上は、契約時の営業担当が言うべきではないのかな・・・というよりも言うと営業本部長の天野隆夫から「おまえは黙れ」「おまえは口きくな」と怒鳴りつけられるだろうな・・・と思い、言わなかったのだが、しかし、それでもやっぱり、「あ、逆だった」と思ったのなら、そのまま入れてしまうのではなく、「逆」でないように正してほしかったように思う。 「工務課」(工事担当)が何も言わない以上はいいのかと工事担当に遠慮したのと、言うと天野隆夫から「おまえは黙れ」「おまえは口きくな」と天野隆夫から怒鳴りつけられるだろうと思われたこととともに、大工というのはプライドの高い職種で、その家の担当大工が「いい!」と言い切ったのに、それを「大工さん、それは入れ替えてもらわないと」と大工でない者が口出して機嫌を悪くされてもどうかと思ったということもあったのだが、そういう場合、どうしたものだろうか。
そういう場合だが、「完璧な工事」というのはなかなか難しいとは思うのだが、どこまでをいいとするのか、どういうものは訂正してもらわないといけないのか、そのあたりを(株)一条工務店の「工務課」「工事担当」はわかってないのではないか。「工務課」の人間でも十分に経験を積んだ人間とまだ経験の浅い人間もいるだろうけれども、担当者個人が経験が浅かったとしても、会社としてどうすべきかという指針があっていいように思うのだ・・・が、ないのだ、(株)一条工務店には。福島県いわき市の営業所にいた時に、所長のK野さんが「工事担当が職人に使われている」と指摘していたが、そうだと思う。個々の仕事については実際にその作業をやっている職人の方が工事担当より詳しく知っているという場合はあるだろうけれども、それでも、こういう場合にはどうというものが工事担当はあっていいと思うのだが、「職人に使われている」というのか「職人のアシスタント」みたいな状態だったのだ。20代の若いにーちゃんの工事担当とええおっさんの大工だと、若いにーちゃんは自分の親くらいの人にえらそうに言うことはないと思うが、しかし、別に「えらそうに言う」ことはないが、ひとつひとつの作業について、工事担当者として思うものがあれば言うべきだと思うのだが、単なる「職人のアシスタント」でしかなかったのではないか。私は今でも、「芯引き」「背割り」が「逆」だった柱については気になっているのだが、それは担当の大工が「いい」と言ったように致命傷になるようなものではないと思うのだが、それでもやっぱり、「逆」のものをそのままにしないで「逆」でないようにしてほしいなあ・・・という気持ちである。私は今でも気になっているし、そういう場合、大工が「いい」と断言したものを「よくない」と言うにはかなりの論拠が求められそうんいも思うが、論拠があるとかないとかよりも、自分で「あ、逆だった」と思ったなら、そう思いながらそのままにしないでもらえないかと思ったのだ・・・が、こういうことを考えたのは契約時の営業担当だった私だけで「工務課」(工事担当)はそんなことまったく気にしていない、「職人に使われている」のが「工務課」だみたいな意識でいたのではないか。その状態は「完璧にすばらしい」というものではないように思うのだ。
(株)一条工務店が、地べたで、柱を梁に入れて釘を打ち込んで仮止めして「梁+柱・柱」の状態でレッカー車で吊って、それを土台のホゾ穴に入れるという方法は禁止としたのは、それは、1993年9月に福島県いわき市草木台で屋根屋が墜落して頭部を打撲して死亡する事故があり、労働基準監督署に初代社長の大澄賢二郎が呼ばれてから、それまで、「そ~んなの、工事現場で怪我するなんて常識じゃあ~ん」「現場で怪我したらだめなんて言われたら、工事なんてで~きねえよお~お」と言っていたのを、「安全こそ一条のポリシー」と突然それまでと正反対のことを言いだした(よく、言うわ・・て感じ)ということで、安全面からだったが、安全面からだけでなく、《地べたで、柱を梁に入れて釘を打ち込んで仮止めして「梁+柱・柱」の状態でレッカー車で吊って、それを土台のホゾ穴に入れるという方法》であると、地べたで梁に柱を入れる時、その梁はどちらが外側かわかりにくいので、↑のように柱の向きを間違えて入れてしまうということがありうるが、柱を1本、1本、土台に立てていき、その上に梁を載せる方法であれば、柱の向きを間違えるということはまずないという点もある。柱は「梁+柱・柱」という状態にしてレッカー車で吊って土台の上に設置するという方法の方が手間はかからないかもしれないが、1本、1本、確認しながら柱を立てるようにした方がいいだろう。
2000年頃、栃木県栃木市の工事現場で、上棟の時、柱を土台に立てようとしたところ、土台にホゾ穴が掘られていなかったということがあり、その工事現場の大工は即座に「柱のホゾを切り落とせ」と言ったので私は驚いたということがあった。柱はホゾとホゾ穴で土台に取り付けられてこそ安定するのであり、柱のホゾを切り落として土台の上に載せただけでは地震などで揺れを受けた時にその柱は土台から落ちてしまうことになる。入居後、何年か後に柱が腐り・白蟻の被害を受けて入れ替えないといけないというような場合に、ホゾ穴にホゾを入れて立てることができないので、土台の上に載せて金物で固定するという方法を選択するというのならまだしも、新築の時点で「柱のホゾを切り落とせ」という発想は、それは良心的な建築会社の発想ではないと思えた。私が営業担当の工事現場であれば「大工さん、余計な手間がかかって申し訳ないけれども、1か所だけだから、ノミでホゾ穴を作ってもらえませんか」と言ったと思うが、しかし、その工事現場は私が営業担当の工事現場ではなく、「工務課」(工事担当)は新卒入社2年目くらいの人間だったと思うが、営業担当は私より歳は若いが(株)一条工務店の在籍年数は私より古い人で「工務課」の経験もある人であり、その営業担当がその場にいて何も言わないので、その工事現場の営業担当よりも在籍年数が短い者が(と言っても、その時点で、栃木県にいた営業60人ほどのうち、営業所長を別にすればその工事現場の営業担当は古い方から3番目で私は5番目だったのだが)口出すこともないかと思って言わなかったが、やっぱり、新築する時点で柱が土台のホゾ穴に柱のホゾを入れて立てられるのではなく、土台の上に載っているだけという施工はいいとは言えないように私は思うし、機械プレカットをおこなう際に土台にホゾ穴を1か所開けられていない所があったとしても、だからと言って、即座に「柱のホゾを切り落とせ」と考えるそういう発想をする大工というのは、それは大工なのだろうか? 職業として大工をやっていたとしても、そういう人を大工と言うべきだろうか?・・それをその場で見ていて、何も言わない・何も感じない男を「工務課」とか「工事担当」と言うのだろうか? ・・と思うのだが、(株)一条工務店では言うらしい。誰が悪いのかというと、基本的には機械プレカットをおこなう時の図面にホゾ穴の場所を書き落とした者に問題があるのだろうけれども、上棟の何日か前に土台を基礎にすえた時に、ホゾ穴がきっちりとあけられているかどうか確認しなかった大工にも責任はないことはないはずだ。そういう場合にも、柱を土台に1本、1本立てていくやり方の方が、「あれ、ホゾ穴がないぞ」と気づいて、どうするかそこで考えることができるから、やはり、「梁+柱・柱」と取り付けてからレッカー車で吊って土台に立てるのではなく、1本、1本、柱を土台に立てていく方法の方がいいと思う。 《柱を土台に1本、1本立てていくやり方の方が、「あれ、ホゾ穴がないぞ」と気づいて、どうするかそこで考える》と言っても、普通は土台にホゾ穴がなければホゾ穴をあけるもので、柱のホゾの方を切り落とすものではないと思うし、どちらにするか考えるものでもないように私は思うのだが、(株)一条工務店では違うらしい。又、その工事現場の仕事は、大工が施主から直接請けた仕事ではなく、(株)一条工務店が請けた仕事であるのだから、土台にホゾ穴があけられていなければ柱のホゾを切り落とすのがその大工の流儀であったとしても、(株)一条工務店の工事であるからには、即座に「柱のホゾを切り落とせ」と言うのではなく、その現場に(株)一条工務店の工事担当者が来ているのだから、工事担当に「おい、ホゾ穴が開いてないが、どうする?」と訊くべきであったはずだ。それを、即座に「ホゾを切り落とせ」と大工が言うというのは、普段から(株)一条工務店の「工務課」(工事担当)は「職人のアシスタント」か「職人の下働き」くらいにしか見られていなかったということだろう。そう見られないためにも、「大工さん、ちょっと待って」と言わないといけないと思うのだが、もし、その工事現場の担当の営業がGさんのように10年も在籍している私よりも在籍年数の長い人ではなく入社1年目か2年目くらいの人であったなら、工事担当も新卒入社2年目かそこらの人間だったことですし、私は自分が営業担当でない工事現場でも、「大工さん、余計な手間をかけさせて申し訳ないけれども、1か所だけのことだから、柱のホゾを切り落とすのではなく、土台にホゾ穴をノミで作ってもらえませんか」と一言は言ったと思います・・・が、そうすると、おそらく営業本部長の天野隆夫から呼びつけられて「余計なことすんなあ!」と怒鳴りつけられたことでしょう。しかし、「余計なこと」しているのは誰だろうか? 柱のホゾを切り落としている人間、柱のホゾが切り落とされるのをその場で見ながら何も言わない人間の方ではないのだろうか? 柱のホゾが切り落とされるのを見ながら何も言わない人間というのは、「何も言わない」という行為をしているのであり、それが「余計なこと」ではないだろうか?土台のホゾ穴に柱がホゾを入れて緊結されるのではなく、単に土台の上に載っているだけという家を「完璧にすばらしい」と言えるかというと、私は少なくとも「完璧にすばらしい」とは言えないと思う・・が、こういうことを言うと、「遠州人」は「そういうことを言うからいかんのだあ~あ」と激怒するだろうけれども、私が施主の立場なら、土台にホゾ穴とホゾで柱が緊結されるのではなく柱のホゾを切り落として土台の上に柱が載っているだけという家を「完璧にすばらしい」と言いまくるような家というのは建てたくない。
「遠州人」が「浜松ではこのやり方でうまくいってるんだから、他でもこのやり方でいいはずだ」と決めつけるやり方というのは、実際には非浜松ではうまくいかない場合が多い。ところが、「遠州人」というのは非浜松ではうまくいかないやり方を押しつけたがるのだ。1993年だったか1994年だったか、「売れない営業のぐち十箇条」と書いたけっこう高そうな材質のものに印刷したものを(株)一条工務店浜松は全国の営業所に送りつけてきてそれを事務所に貼れと言ってきたのだが、「売れない営業のぐち十箇条」のひとつとして「浜松流はここには合わない」と書かれたものがあったのだが、その「浜松流はここには合わない」というのは「きっちりと自覚しておかないと売れなくなる十箇条」に入れるべきものだと思うがな・・と思ったのだが、いわき市の営業所のK所長などは「浜松流はここには合わない」と口に出して言わないけれども、最初から「浜松流」なんかでやっていなかったし、やるつもりもなかったようだ。「浜松流」でやって売れずに困っている営業は「浜松流」でやるべきなのか、「売れるやり方」でやるべきなのか、そこのところをよく考えてみた方がいいと思う。
私が東京展示場にいた時、「浜松流」から「工事現場見学会をやって浜松工場への工場見学会に行ってもらえば、両方に行ってもらった人はたいてい契約になる」と教えられたのだ。それで、そういうやり方をこの会社はやっているのかと思い、自分を雇ってくれた会社のやり方ならそうすべきだろうと思ってやったのだが、ところが、「浜松流」の指示の通りやっても契約にならないのだ。・・それで、こりぁ、「浜松流」の言う通りやっていたのでは契約にならんな、「浜松流」は多少は参考にしても、東京では東京の「流」でやらないとだめだな・・・と思うようになったのだ・・・が、そう思うに至った人間というのは「浜松流」としては面白くないらしい。それで、「売れない営業のぐち十箇条 浜松流はここには合わない」なんてけっこう高そうな材質のものに印刷したものを全国の営業所に送りつけてきた(けっこう、カネかかっていると思う)のだと思うが、そういう「浜松流」の態度こそ「売れない会社の特徴十箇条」と違うのか・・なんて言うと怒るだろうけれども、経営者はそのあたりを考えてみた方が利口じゃないかと思ったが、「無理ですよ。なにしろ、バカが経営してますから」と言われる会社だった(言ったのは私ではない)からしかたないのかもしれない。
千葉県市原市のY様は、工事現場見学会には行っていただいたが、二世帯というのか三世代で住んでいただいたY様には息子夫婦(といっても私より年上の「息子」だが)は工場見学会に行かれるより前に契約いただいた。そして、浜松の工場に工場見学会に契約後に行っていただくとともに、浜松のインテリア館で家具を見ていただき、イタリア製だったと思うのだがヨーロッパからの輸入の家具、たしか、ネストテーブルだったように思うのだが他のものだったかもしれないが、購入していただいたのだ。支払いは建物が出来上がった後に届けて、それからでいいということで、代金はその時点では支払っていないが、施主本人は「購入した」と認識された。
ところが、だ。それから2ヶ月ほど後だったか、(株)一条インテリアの浜松の女性社員から私の所に電話がかかってきて、施主が「購入した」輸入のネストテーブルはすでに売約済みのものだった、と言うのだ。そんなおかしな話があるか!






そもそも、だ。「ダブルブッキング」したというのであれば、それならそれで、どっちが優先なのだ??? 「先に他の人が申し込まれていました」と(株)一条インテリア浜松 の女性社員は言うのだが、私の立場からすれば、もしくは私が担当で浜松のインテリア館にお連れした施主の立場からすれば、どっちが先だったかなんてわからないのだ。こっちが先なのに、静岡県中西部・愛知県の営業が契約客をインテリア館に連れて行って、お客さんが「これ、いいねえ」と言われたが「売約済み」の札がついていたという時、(株)一条インテリアの担当者に、「これ、売約済みだったと担当の営業に電話して言って。俺のお客さんは大事なお客さんだから」とか言って、私がお連れしたYさんより先に「売約済みだった」と言わせたのと違うのか?!?!?・・・という気がする。しないか? しないなら、(株)一条工務店という会社がどんな会社かわかっていない人間である。現実に、東京に住んでいて浜松で建てるという人が、今は東京で住んでいるし東京展示場のあるウッディランド東京にも仕事でしばしば行くことだしするから東京展示場で話を進めようとして東京展示場に来られて折衝しかけた見込客を、「そのお客さんは土浦営業所で担当します」と言ってまったく何の関係もないのに、東京に住んでいて浜松で建てると言う人を土浦営業所で横取りしようとした営業所長(田中義一)もいたのである。〔⇒[第709回]《「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証12-ひとの追客中見込客を横取りして放置する「一条の土台を築いてきた人たち」、それに加担する営業本部長。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_7.html 〕もとより、「遠州人」はずるい・こすい・汚い・えげつない・根性ババである!!!
(1)普通に考えて、東京都・神奈川県で坪55万円で売らされていた「セゾン275S1」というタイプを浜松・掛川では坪48万円、名古屋では坪49万5千円でダンピング販売してきたやつらである。
(2)「一条工務店は昔からテレビ広告などは一切せず、いいものを作れば売れるという考えのもとで広告代にお金をかけるよりも品質のいいものを作ろうという姿勢でやってきた会社なんです」などと研修でナマ言いやがってからに、その実、静岡県西部・愛知県ではドカンと一発、テレビ広告やりまくりだった!!!という会社なのだ。汚いのだ、「遠州人」は。根性がう〇こでできているのだ、「遠州人」は!!! 何しよるやらわからんのだ、「遠州人」は!!!
(株)一条工務店では、工場見学会に参加した人には、標準仕様では床柱は「黒檀集成材」(集成材の表面四方に黒檀を貼り付けたというもの)だが「花梨ムク材」を「サービス」として、工場見学会の時に床柱の倉庫でそれを自分で選んでもらう、花梨(かりん)以外の床柱は差額をプラスする必要があるが、紫檀・黒檀・タガヤサン・ブビンガほかの床柱を選ぶ人も自分自身でどの床柱にするか選ぶことができる・・としていたのだが、ところが、工場の床柱の倉庫に行くと、「これ、いいな」と思ってもすでに誰かが先に選んでそこに「営業所名:◇◇営業所 施主氏名:☆☆△△ 営業担当:鉄野木造」とか書いて貼ってある・・という場合がある。そういう時は、しかたがないから、まだ選ばれていない床柱から選ぶしかない・・・のだが、ところが、営業担当によっては、自分が担当のお客様が2つか3つ、いいと思うものがあって、そのどれにするか決めかねている時、2つか3つにシールを貼って2つなり3つなりを「確保」しておいて後からそのどれかに決めさせようなんてことをするヤカラがいると聞いたことがある。さらには、お施主様と一緒に床柱を選んで「営業所名:◇◇営業所 施主氏名:☆☆△△ 営業担当:鉄野木造」とシールを貼りつけたはずなのに、それが、ない! どうも、他の営業が担当の他の客にその床柱が使われてしまったみたいだ・・・なんてことがあると聞いた。どうも、自分が担当の契約客の着工が早い場合に、床柱の倉庫に行って、「これがいい♪」と思った床柱にすでに他のお施主様と営業担当者の名前が書いたシールが貼りつけてあった場合に、それをはがして新たに自分が担当のお施主様の名前と自分の名前を書き込んだシールを貼り付けて、着工・上棟が早い自分が担当の施主の家に使ってしまい、「先にシールを貼ってあったと思いますよ」と苦情を言われた時には、「え、そんなの貼ってなかったですよ。もしかして、いいかげんな貼り方したからはがれたのと違いますか」とかすっとぼけるということをするヤツがいる・・という話を聞いたことがある。「天知る、地知る、我知る、汝知る」という言葉がある。私ならば、そういうことをやろうと思えばできたとしても、それでもやらない。「できない」ではなく、できても「やらない」。だから、私が担当の契約客にはそういう営業に担当してもらいたいという人が多く、私が担当の契約客にもそういうことはやれたとしてもやらないという人が多い。ところが、「類は友を呼ぶ」「朱に交われば赤くなる」という法則があって、その営業の担当のお客さんはその営業と似た人が多いようだ・・・というケースというのが現実にある。(株)一条インテリアの浜松インテリア館でも、この床柱選びの話と同様のことをしてやろうと考えた営業所長がいた可能性は、少なくとも可能性として否定できない。
先にほかの営業が担当の契約客が申し込んだ家具を、自分が連れてきたお客さんが見て、「これ、いいねえ。なんとかならないの」とか言われると、先に申し込んだお客様に「あれ、すでに他のお客さんが申し込まれてましたあ」と言えと、「俺のお客さんは大事なお客さんだから」とか(株)一条インテリアに指示する・・なんて、十分ありそう・・・というのか、あっておかしくない話なのだ、(株)一条工務店という会社では。そういう連中なのだ、《「一条の土台を築いてきた人たち」と自称している人たち》というのは!!!
特別にどうというのでなくても、人間の心理として、普段から顔を合わせている人間とそうでない人間となら、普段から顔を合わせている人間の要望を優先したいと思う人間がいても、そのくらいなら人間の心理としてわからないこともない。 しかし、そのくらいは人間の心理として少しくらいならそういうことがあってもそれほど強くは責められないかもしれない・・・と思うかもしれないが、しかし、たとえば、私が福島県いわき市の営業所に移動した時、福島県浜通り地区には「業務課」(ローン担当)は在籍しておらず、茨城県の水戸営業所にいたF(女性。当時、20代)が茨城県とともに福島県浜通り地区も担当していた。茨城県の「営業所長」は前回も登場した、東京に住んでいて浜松で建てようという見込客を東京営林局に勤めている人を自分が東京営業所にいた時に1人契約して建ててもらったことがあるからと理由をこじつけて東京営林局に勤めている人はすべて土浦営業所が担当すると主張した男である田中義一で(株)一条工務店では「譜代」の所長と言われていた。福島県浜通り地区の「所長」のK野さん(男。当時、50代)は、もともと、猪野建材といういわき市の材木屋にいた人で、猪野建材が浜松の(株)一条工務店とともに(株)一条工務店南福島という共同出資会社を作る時に(株)一条工務店南福島に所属し、その後、猪野建材と(株)一条工務店が共同出資会社を解消して猪野建材は「やまとホーム」という会社をいわき市に作り、(株)一条工務店は(株)一条工務店としていわき市・浜通り地区に出展した時に、(株)一条工務店の方に移った人で(株)一条工務店としては「外様」の「所長」だと言われていた。なるほど。茨城県と福島県浜通りを担当する「業務課」(ローン担当)は茨城県の営業所に駐在させるのか、なるほど・・と思っていたら、次の年、新卒入社1年目の女性社員K内を福島県郡山市の営業所に「業務課」(ローン担当)として駐在させ、郡山市の営業所にいるK内に福島県中通りとともに浜通り地区も担当させた。なるほど。今度は「譜代」で「大澄社長の腰巾着」と言われる片山が「所長」の営業所に「業務課」(ローン担当)をおいてそれに「外様」の所長の浜通りも担当させるということか・・・と思っていたら、その郡山に駐在のK内が私が営業担当の契約客の住宅金融公庫において重大なミスを犯した・・・、それを[第681回]《(株)一条工務店「お客様相談室」の「責任者」とはどういう人間か【3/3】真面目に対応せず人を誹謗中傷》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_11.html で述べた。 「外様」と言われた人が「所長」であった福島県浜通り地区は、1993年は「譜代」の人が「所長」であった茨城県に駐在したローン担当が担当し、1994年はやはり「譜代」で「大澄社長の腰巾着」と言われた人が「所長」であった福島県中通り地区に駐在したローン担当が担当し、そして、福島県中通り地区にいたローン担当は「譜代」「社長の腰巾着」が所長の中通りが地区の営業が担当の契約客にではなく「外様」の人が所長の浜通り地区の営業の私が担当の契約客 双葉郡楢葉町で建てていただいた I 様邸において重大なミスをした。K内が重大なミスをしたのが「譜代」の片山が担当の営業所の営業が担当のお客様にではなく「外様」のK野さんが担当の浜通りの営業所の私が担当のお客様でだったというのは、これは「たまたま」か? 「たまたま」ではないと思うぞ。
人間の心理として、普段から顔を合わす人間の担当のものをいくらかなりとも優先してしまうということなら、人間としてあることかもしれない。だから、私なんかも、設計や工務課の人間には、普段から特別に何もなくても会話をするように心がけたが、その程度ですまないケースもあるのだ。私が入社した1992年においては、(株)一条工務店は「完全自由設計で、契約後にプランの打合せをおこなってお客様の要望に沿った設計をします」と言っていたものの、設計担当者が東京にいなかったのだ。どこでもそうかというと違う。浜松や名古屋には設計担当はいたのだ。浜松や名古屋の営業は、設計担当と直接に顔を合わせて打合せもできたのに対し、東京の営業はFAXと電話での打合せしかできず、東京圏のその場所がどういう所かもわからない「東海人」の設計担当にプランニングをされていたのだった。
それだけではない。1992年、(株)一条工務店の東京営業所は、名古屋南営業所に在籍していた第一設計部のK川という何年か経験のある設計が担当していたはずだったが、1993年に入った頃から経験のあるK川は名古屋南営業所の営業が担当の契約客の担当にして、ファックスと電話でしか打合せのできない東京営業所の営業の契約客は新卒入社1年目の人間が担当にされてしまった。やりやがったな、名古屋南営業所の近藤ローオ!


(A) 東京都で坪55万円のものを名古屋では坪49万5千円でダンピング販売し、
(B) 浜松・掛川・名古屋ではマンホールのフタみたいなでっかい束石で施工しているのに東京都ではピンコロという小さい束石での施工にしやがってからに〔⇒[第696回]《「一条の建物は完璧」の反証5.束石は小さいと床束ははずれるか?他-一条工務店の浜松営業【9/ 】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_9.html 〕
(C) 東京の営業には「研修」で「一条工務店は昔からテレビ広告は一切やらずに、いいものを作れば売れるという方針でやってきた会社なんです」と嘘を教えやがってからに、自分の所にだけテレビ広告をドカンと一発♪ やりやがってからに、近藤ローオ!!!



(D)それではまだまだ飽き足らず、自分の所には経験のある設計を担当させて、東京営業所の営業には新卒新人を押しつけやがったな! 覚えておれよ、この恨み、簡単に忘れてもらえるなどとは思うなよ、近藤ローオ!!!
もうひとつ、(株)一条工務店は初代社長の大澄賢二郎が『水滸伝』が好きで「梁山泊の精神」と言って「暴れる人」「爆発力のある人」というのが好き! という伝統があったのだ。実際に、1996年8月、消費税が10月頭から上がるから、なんとしても9月末までに契約を稼がないといけないという住宅建築業の会社としてはまさにかき入れ時に、初代社長 大澄賢二郎の息子で損害保険を扱う関連会社の(株)日信の社長になっていたらしい大澄隆史(男。当時、20代)が「刃物で女を刺し殺し、官憲に追われ逃げる」という、まさに『水滸伝』の登場人物「呼保義 宋江(こほうぎ そうこう)」そのまんまを実行して逮捕され懲役20年の有罪判決を受けるというまさに「梁山泊の精神」を実行したくらいである。
1998年途中に栃木県佐野市の展示場に移ったが、佐野展示場にいた上岡(男。当時、40代前半)は「爆発力がある」(所長の五十嵐さんの言葉)男だった。要するに「気に入らないことがあると暴れる」のだ。だから、新卒入社1年目で第一設計部のO澤などは怖がって、私などの担当のお客様の仕事を後にまわして上岡の担当の仕事を優先していた。私も、午前中、会社で仕事をしていると遅刻してきた上岡からいきなり背後から蹴りかかられたりつかみかかられたりしたということが何度もあり、何度も怪我させられたのだが、上岡は所長の五十嵐さんと経歴が似ている(最終学歴:底辺の方の高校卒、前職:クルマ屋、建築・住宅関連の資格:なし)ということで「五十嵐所長のお気に入り」であり、本人もそれを自覚していたことからやりたい放題だった。又、上岡は佐野警察署暴力団ともつながりがあったようだ。私などは「文武両道系の文治派」と自分自身を考えており、ともかく、究極的には文治派だったので、文治派である者としては、「自分の名前を書くことができれば合格と言われた私立高校の野球スポーツ入学」だったらしい「体育会系」から、背後からいきなり蹴りかかられたりつかみかかられたりというのは勘弁願いたかったし、そういうのを放置するのは会社として「保護義務違反」のはずだが、もとより、(株)一条工務店という会社は「梁山泊の精神」と言って「男ちゅうもんは何かあった時にはおのれの腕でやりあって勝負するもんじゃい」という初代社長大澄賢二郎の教えというものがある会社だったので、どうしようもなかった。そういう、「爆発力がある」男の担当のお客様は優先されるという会社というのは、それはあんまりいい会社ではないように思うのだが、(株)一条インテリアで私が担当のY様が選んで「購入した」(と少なくともY様は認識していた)家具も、静岡県・愛知県あたりの「爆発力がある」ヤツが(株)一条インテリアに「圧力」をかけて、「先に契約していて売約済みだった」と私に言わせた・・・ということは、可能性としてないとは言えない。そうだと決まっているものでもないのだろうけれども、しかし、「そうじゃありません」と言われても、違うと言い切れるものではないのだ。特に、普段からそんな感じの会社においては。
ついでに、私が栃木県佐野市の営業所に移って比較的すぐの頃だったように思うのだが、所長の五十嵐さんから「巨人になれ」などと言われたことがあったのだが、これまで、ずいぶんといろいろなことをこの会社では我慢してきたものだが、いくらなんでもこれだけは絶対に許せ~ん! な~んで、巨人みたいなもんにならんといかんのじゃ、巨人みたいなもんに。汚い巨人・不潔な巨人・卑劣な巨人・諸悪の根源の巨人! びびんちょかんちょの巨人! この発言だけは何があっても絶対に許せ~ん!




※ 《YouTube-松山で流れるくたばれ読売(東京音頭)ヤクルトラッキー7 20190416 》https://www.youtube.com/watch?v=8qAPp3RbB7s
私は(株)一条インテリアの担当者に言ったのだ。「それは、静岡県か愛知県のどこかの営業所長が、その家具を自分の担当の契約客が欲しがっているから、だから、東京営業所の営業の担当客には『すでに売約済みでした』と言えと言ったということですか」と。(株)一条インテリアの担当は「そうじゃないです」と言うので、さらに言ったのだ。「名古屋南営業所の近藤ローオさんから言われたのですか。近藤ローオさんが、俺の担当の客にその家具はもらうから、だから、東京営業所の営業には『すでに売約済みでした』と言えと言ったということですか」と。(株)一条インテリアの担当者は「いえ、違います」と言うので、さらに「それなら、誰なんですか? 土浦営業所の田中義一さんですか?」と。「誰なのか教えていただけませんか。インテリアの担当として言えないようなら、私の方から、そういうことはやめてくださいとその営業所長に言いますから」と。しかし、「いえ、誰でもありません。先に申し込まれていたんです」と言うのだ・・けれども、だ。私の立場からすれば、たとえ、本当に、誰か他の営業が担当のお客様が私が担当のY様よりも先に申し込んでいたとしても、それを信じないといけない理由はないのだ。信じてもらえなかったとして、それは信じてもらえないことをしている(株)一条インテリアの方が悪い。そうでしょ、違いますか?
(株)一条インテリアの担当の女性の上役らしい男性社員が電話に出て、「もし、どうしてもお客様に納得いただけないようでしたら、私がお客様のお宅に謝りにいきます」と言うのだったが、しかし、誰だったか忘れたが、その男性に謝ってもらってもしかたがない。もっとも、「私がお客様の所に謝りに行きます」と言うだけでも、[第681回]《(株)一条工務店「お客様相談室」の「責任者」とはどういう人間か【3/3】真面目に対応せず人を誹謗中傷》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_11.html で述べた「お客様相談室」の「責任者」だという田中義昭よりはずっとまともであったけれども。田中義昭と比べてまともであっても、相当レベルの低い相手と比べての話であって、ほめたことにはならないが。
(株)一条インテリアの担当者は、もしかすると、私が相当しつこいと思ったかもしれないが、しかし、営業担当というのは自分が担当の契約客と会社との間の位置にいる人間であり、それでも究極的にはどちらの側にいるかというと会社の側の人間ではあるけれども、こういう場合には会社に対しての契約客の代弁者であり、千葉県の千葉市よりまだ遠い側から浜松までわざわざ行ってもらって購入してもらったはずのものを「すでに他の方に売約済みでしたあ」と言われて、「はい、そうですか」なんて言うわけにはいかない。簡単に「はい、そうですか」などと言ったのではアホだ。営業担当としては、たとえ、最終的にはあきらめるにしても、そう簡単に引き下がってはいけない。
そして、私が「もし、他の営業所の営業が担当のお客様の方が先に申し込まれていたとして、それならそれで、少し待ってもいいから同じものを用意してもらうということはできないのですか」と言ったのですが、(株)一条インテリアの担当者は「それが、ヨーロッパから輸入しているもので、船で送るので相当の時間がかかりますし」と言うので、「私が担当のYさんは、今、プランの打合せをやりかけたところですから建物の完成までは少しありますので、同じものを注文してそれまでに届くようにしてもらうということはできないのですか」と言ったのですが、「もし、同じものがあれば時間はかかっても送ってもらうということもできるのですが、同じものはないのです。たとえ、待ってもらっても、同じものは買えないのです」と言うのです。
それで、だ。今回の大きな問題としての第一。
1. (株)一条インテリアは、ヨーロッパ製の家具でなかなかいいものをインテリア館に置いていたけれども、しかし、それを問題なく販売するための最低限の販売能力というものが備わっていなかった。「普通の家具屋」の店と比べて、置いている商品は悪い物ではなかったとしても、販売の能力においては「浜松のレベル」だった・・ということだ。「浜松のレベル」とは失礼な・・と怒るヤツが出てくるかもしれんが、それなら違うとでも言うのかよお!




もし、外国からの輸入家具を買おうと思ったのなら、今では完全に崩壊した「ブランド家具の大塚家具」とかで買うようにした方がよかったみたい・・・。今の大塚家具は「もうあかん」みたいだが、かつての大塚家具なら、少なくとも(株)一条インテリアよりはずっと確かだっただろう。
そして、もうひとつ大きな問題がある。 私が「それで、私が担当のYさんには、どうしてもらえばいいと言われるのですか」と言ったところ、「ですから、もう一度、浜松のインテリア館に来てもらって選び直してもらうようにしていただければ」と、(株)一条インテリア浜松 の担当の女性社員はそう言いおったのだ。「アタマが浜松」の人間の発想・「『東は静岡市、西は名古屋市まで』がこの世界だという世界観の人間」というのはそういうものだったのだ。
「あのねえ。Yさんは、浜松の住人じゃないんですよ。千葉県の県庁所在地の千葉市よりもまだ遠い所から浜松まで行って選んでもらったんですよ。千葉市よりまだ遠い所の人に、もう一度、浜松まで行けと言われるのですか」と、私は言いました。ところが、それに対して、「はい。もう一度、インテリア館に来ていただいて選び直してもらえば」と、いけしゃあしゃあと言うのです。(株)一条インテリアの「遠州人」は。
・・・「遠州人」と口きくの、もう、嫌になった。「アタマが浜松」の人間とつきあうの、もう、嫌になった。
今回の大きな問題点その2. (株)一条工務店浜松 のグループ会社の (株)一条インテリア浜松 の従業員というのは、「アタマが浜松」であり、「東は静岡市、西は名古屋市」の範囲で生きている人間であり、相手もそういうものだと思い込んでいる。そういう世界観の人間の口からは「もう一度、浜松まで来てもらって・・・」なんて文句が平気で出てくるのである。
「浜松まで行く」ということを、あまりにも気軽に考えており、かつ、あまりにも簡単に口にする。まさに「遠州人」の特徴だ。
(株)一条工務店は私が入社した1992年頃までは「浜松工務店が大きくなった」というもので、「浜松工務店にしてはたいしたもの・・かもしれん」という会社だったが、その後、全国企業になってやっていこうという会社ならばこうしていかないと・・・ということをまったくやらない。依然として浜松工務店の体質を続けようとそれに固執する。 「ですから、もう一度、浜松のインテリア館に来てもらって選び直してもらうようにしていただければ」という言葉が、東京より東側に住んでいる客に対して平気で口に出るというあたりは、そのあたりはやっぱり、「遠州人で運営される(株)一条インテリア」の問題点がそこに出た、と考えていいと思います。営業は、全国を考えて会社を運営するべき人間もおれば、その地域限定で勤務する人間だっているでしょうし、工事担当者もそうかもしれません。しかし、(株)一条インテリアの人間というのは、販売する相手は静岡県中西部・愛知県の人間だけではないのですから、それを考えると、「遠州人」がいて悪いとは言いませんが、非遠州人も意図的に採用して勤務してもらうようにしないと、「発想が浜松」になってしまうでしょう。そのあたり、(株)一条工務店と(株)一条インテリアの経営者は、「富山県人」でない人を意図的に採用しようとした富山県のなんとかいう会社の経営者の爪の垢でも煎じて飲むべきです・・・が、飲まんだろうな、永遠に。
1992年、私が(株)一条工務店に入社した年、東京展示場にいた新卒入社2年目というO田(男。当時、20代前半。浜松出身。早稲田大学卒らしい)が展示場で来場客に話をするのを聞いていたところ、リビングルームの大型の上から見ると台形の形状のベイウインドウを「これは頑丈で、腰をかけても大丈夫というものです。親戚中が集まって椅子がたらないというような時には補助席のかわりにもなります」なんて話していたので、そりぁ、浜松ではそういう使い方をする人もあるのかもしれないが、東京で「親戚中が集まった時」のためにベイウインドウを作る人ってあんまりないだろう・・と思ったし(株)一条工務店ではそう言うものなのかと思って、一度、沖田の言い回しを真似て言ってみたこともあったのだが、そうすると、「そんなの、親戚中が集まるなんてないわよねえ~え」と予想した通りのことを言われてしまったし、「補助席のかわりにするベイウインドウなんて、やっぱり浜松て感じするわ。田舎ねえ。いかにも浜松て感じ」と言われてしまったのだった。こういうことを言うと、「遠州人」は「そういうことを言うからいかんのだあ~あ!」と怒るのだが、しつこいようだが、私が「言われた」のであって私が「言った」のではないのだ。 そういう来場客の言葉を聞いた上で見ると、なんだか「浜松ウインドウ」というのはイナカくせえなあ、浜松にあると似合うのかもしれんが東京ではなあ~あ・・・という気がしてくるのだった・・・が、2000年、ロンドンに行った時、ロンドンで泊まったホテルはヒースロー空港とロンドンの市街の中間のあたりの場所だったのだが、時間がある時にホテルの周囲を歩いて見ると、ロンドンのそのあたりの戸建住宅には、(株)一条工務店がリビングルームにとりつけていたのとそっくりのベイウインドウがついた家がいっぱいあったのだ。しかも、ちっとも「イナカくさい」ことはなかったのだ。なんか、「遠州人」の言い回しを聞くと、「イナカくせえ」て感じがしてくる、「なんか、浜松のニオイがぷうんぷんしてくる!」ベイウインドウ、「親戚中が集まった時に補助席にするための出窓」、《「浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ、それになんちゃらエレクトロニクスがある大都市である」とかなんとか得意がって言うのを聞かされそうなベイウインドウ》( 一一)だったのだが、ロンドンの街で見るとちっとも「イナカくさい」ことはなかったのだ。 (株)一条工務店が「セゾン275S1」というタイプのリビングルームにつけていた大型のベイウインドウというのは、(株)一条工務店が「浜松の家」につけたものをロンドンの住宅が真似たのか、ロンドンの住宅にあったものを(株)一条工務店が「浜松の家」に取り入れたのかというと、最初に考え出されたのがどこでかはわからないが、ロンドンの家と「浜松の家」とではロンドンの方が先だと思うのだ。「浜松の家」についているベイウインドウを見ると、「うわっ、いかにもイナカて感じする、この出窓! 親戚中集まった時の補助席にする出窓でしょ」とか言われる出窓で、「浜松向け」て印象を受けるのだが、もともと、その出窓は「『浜松の家』で親戚中が集まった時に補助席にする」という目的の出窓ではないのだ。 ロンドンの家のベイウインドウを見て思った。 「遠州人」の「展示場アプローチ」は浜松で営業やるのでなければ真似てはいかんな! と。 「浜松流はここには合わない」というのを再確認しなきゃいかんな、と。
「一条工務店の家はすべてにわたって完璧にすばらしい」と近藤ローオは言うのだったが、しかし、(株)一条インテリアに置かれていた輸入家具というのは置かれていた家具自体はなかなかいいものだったが、それを販売する能力が拙劣、いわば「浜松レベル」だった。決して「完璧にすばらしい」などというものではなかった。
かつ、浜松のインテリア館の(株)一条インテリアの従業員は「遠州人」であり、「東は静岡市、西は名古屋市までしか視界にない人間」であり、東京より東側から浜松まで行って購入を申し込んだ人間に平気で「もう一回、浜松のインテリア館まで来てもらって」と平気で口にする人間であった。
Y様からは、この件については「もう、いいです」と実に不快だという態度を表明された。実際、(株)一条インテリアの家具は「もう、いい」。 この場合、「もう、いい」という意味だが、『憂国のラスプーチン』に、元外務省の佐藤優がモデルの憂木護(ゆうき まもる)という登場人物が小渕恵三の部下に対する話し方で、「ご苦労!」と「お疲れさん」という2つの似ている言葉があるが、「ご苦労!」というのは、「おまえ、もういいよ。おまえはもういい!」という意味で、本当にねぎらいの意味での「お疲れさん」というのとは似ているようで意味は正反対だと書かれていたのだが、(株)一条工務店のインテリア館の家具は「もう、いいです」というのは、当然のことながら、「ご苦労!」「おまえ、もういいよ。おまえはもういい!」という方である。
もう一回、浜松のインテリア館に行って、再度、選んでもらい購入を申し込んでもらったとしても、またもや、もう一回、同じことをされる可能性は十分あったのだ。だから、私は思った。浜松のインテリア館でなかなかいい輸入家具を置いていても、「東は静岡市、西は名古屋市くらい」の範囲の住人でなかったら買わない方がいい。「もう一度、浜松のインテリア館に来てもらって」と言われて、どうしようかな・・と思えるのは「東は静岡市、西は名古屋市くらい」までが限度ではないかと思うからだ。そういう世界観の人間が運営しているのが(株)一条インテリアだったのだ。置いているものはけっこういいものであっても、対応できる能力はせいぜい「静岡県中西部から愛知県」の間が限度だったのだ。
もうひとつ。栃木工場(栃木県の石橋町)の敷地内の栃木インテリア館の場合は、工場見学会で一通り工場を見てまわり、その後、床柱の倉庫に行って床柱を選んでもらったその後でインテリア館に行く流れになっていて、けっこう歩いて疲れたところにインテリア館があり、そこにソファとかがあるため、工場見学会に行った人はインテリア館のソファに座って休息をとっていた・・・のだが、そのソファは売り物なのだ。いつも、思うのだが、家具屋に置いてあるソファって、座ってみないとどんなものかわからないから買えないのだから座っていいものなのか、それとも売り物だから座ってはいけないものなのか、と迷うのだが、一般的には、買おうかどうしようかと検討している人が座り心地をためすために座るのは座っていいと思うのだが、そうではなく、休息のために座るのはいかんと思うのだ。ところが、(株)一条工務店の工場見学会では、一通り、工場をまわり、さらに床柱の倉庫で床柱を選んだ後でインテリア館に行くので、ちょうど、座って休憩とりたい気分の時で、そこにソファがあると、多くの人間が休憩のために座りたくなるのだ。・・で、多くの工場見学会参加者がインテリア館のソファに座って休憩をとっていたのだ。私はそれを何度も見てきたし、工場見学会に参加した人に、そこに座らないでくださいと言うのは言いにくく、たとえ、自分が連れていったお客様に座らないようにしてもらったとしても、他の営業・他の営業所が連れていった人は何人もが座っているはずだ。だから、私は自分が担当のお客様には、それまで、工場見学会の時に、何人もの人に休憩用として使われてきた中古のソファを新品の値段で買わせるということはやりたくなかった。現実にそれは工場見学会の時に何度も休憩用の椅子として使われてきた「中古」なのだから。「中古」を売るのなら中古の値段で売るべきで、中古を新品の値段で買わせるべきではないと思うからだ。
(2019.7.21)
★ (株)一条工務店の浜松営業はどんな連中か。
【1】 (株)一条工務店の浜松の営業とはどういう連中か【1/ 】+遠州人の特徴 「渋谷て言ったら、小岩の東の方だらあ」 「東京駅から大手町駅に行くにはタクシーに乗るのが一番だらあ」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_1.html
【2】 (株)一条工務店の浜松営業とはどういう連中か【2/ 】ダンピング浜松・名古屋。浜松は東なのか西なのか。「悪くないと思った」と言うと気に入らない人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_2.html
【3】 「浜松でいいもの」は東京人に?プレカット工場はプレカットせず出荷した? 住友林業は機械プレカットしているのに、「『住友林業はプレカットしてないでしょ』でそれだけで売れる」と言い張る浜松流オリジナル営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_3.html
【4】 集成材vsムク材。対住友林業は楽勝か難敵か https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_4.html
★ 「一条工務店の建物は完璧にすばらしい」「一条工務店の建物には問題点はまったくない」の反証
反証1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_5.html
【C】-4 《1》 床下換気口の真上の位置に柱が載っている。
《2》 柱の下に基礎がない。
《3》 筋交いと換気扇の穴の位置がぶつかり、筋交いを切断している。
反証2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_6.html
【C】-5 《4》 筋交いが片方の向きばかり。
《5》 寸法違いの丸太梁をそのまま入れる。工務課が工務課として機能していない。
反証3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_7.html
【C】-6 《6》 断熱材の室内側防湿層を破る。
《7》 断熱材の入れ方不適切。
《8》 やっていないのにカタログに書かれている「エアーフローシステム(壁体内換気)」
反証4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_8.html
【C】-7 《9》 ヘルメット非着用・吊荷真下作業・無資格者玉掛作業。
反証5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_9.html
【C】-8 《10》 「施工ミス」「施工不良」「間違った施工」と浜松の営業が言い、会社が作成したアルバム帳に写真入りで記載されている小さい束石の施工を東京都でやっている。大きい束石でも端に床束が載る。床束が束石から浮いている。
反証6-1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_11.html
【C】-9 《11》-1 擁壁と基礎のとりあい について工務課(工事担当)が打合せを拒否。(株)一条工務店の東京工務課は深基礎ができないの?
反証6-2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_12.html
【C】-10 《11》-2 深基礎の見積もりを計上し、深基礎の施工のはずが、どうも、そうなっていなかった可能性が小さくない。
反証7 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_1.html
【C】-11 《12》 地盤調査・地盤補強は要ると言いたいのか要らないと言いたいのか。ある時を画して正反対を平気で言う会社。
反証8 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_2.html
《13》「一条の家は完璧にすばらしい」の反証8.嘘の多い会社。土台は自社で注入してない。見学会限定の大道芸他
反証9 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_4.html
《14》 出過ぎた口きく設計、学んだ者に学んでいない者に服従しろと言う本部長
反証10 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_bb94655b33.html
《15》 「引き抜き抵抗力」による「箱型筋交いプレート」は「せん断抵抗力」による「プレート型筋交いプレート」より、なぜ、いいのか? 質問しても答えてくれない先輩社員、質問すると営業本部長に「報告」されて「よそに行けよ」と言われる会社。
《16》 一条工務店の建物の床下には木屑がいっぱい。煙草の吸殻もあった。
反証11 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_5.html「坪いくら」で契約させ、「施工面積」にどこまで入れるかは拡大し放題。契約時、「他社で契約するために解約する場合は契約金は返金しない」という文言を知らさずに署名捺印させる会社。
反証12 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_7.html
ひとの追客中見込客を横取りして放置する「一条の土台を築いてきた人たち」、それに加担する営業本部長
反証13 〔今回〕
浜松のインテリア館で購入を検討していいのは「静岡市から名古屋市まで」の人が限度。「遠州人」の世界観で運営される工務店とインテリア館。
反証14 ・・

法律家 (岩波新書 青版 751)

毛沢東語録 (平凡社ライブラリー)
《 マルクス主義者は問題を見る際、問題の部分だけでなく、全体をも見なければならない。井戸の中の蛙が「空の広さは井戸と同じだ」というなら、それは間違っている。空の広さは井戸どころではないからだ。蛙がもし「空の一部分の広さは井戸と同じだ」というなら、それは正しい。事実に合っているからだ。 》
( 毛沢東<日本帝国主義とたたかう戦術>(1935.12.27.) 『毛沢東語録』和田武司・市川宏訳 河出書房新社 所収
「 浜松の中の蛙が『空の広さは浜松と同じだ』と言うなら、それは間違っている。空の広さは浜松どころではないからだ。蛙がもし『空の一部分の広さは浜松と同じだ』というなら、それは正しい。事実に合っているからだ。 」

東京インテリアショールームガイド

宮大工と歩く奈良の古寺 (文春新書)
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