「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証14-「決定権者を見抜く」ヤツと「誘導する」ヤツには住宅は頼みたくない。

[第711回] 一条工務店の浜松営業とはどういう人間か【19/  】
「一条工務店の建物は同業他社と比べてすべての面にわたって完璧にすばらしい」の反証
《19》「決定権者を見抜く」という家庭を破壊する一条オリジナル「浜松流」営業 + 「誘導する」という精神的に青く傲慢な一条オリジナル営業
  もしも、こいつの言うような営業がこの会社の営業であるならば、その会社では建てたくないな・・・と思う営業というのがいる。  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ には、「二世帯住宅」というと「昔ながらの農家型三世代同居」のことだと思っている人がいて、1980年代なかばくらいから旭化成などが言い出した都市型の新しいタイプの「二世帯住宅」というものを信じられないという人がいた。1990年代、福島県いわき市の営業所にいたS藤K二さん(男。当時、40代。霊友会会員)なども、「そんなもの、親と同居するのが嫌だとか言うようなバカ嫁は言ってきかせてやらんといか~ん」とか言うので、困ったおっさんやな・・と思ったものだったが、「そんなこと建築屋が言うものと違いますよ」と教えてあげようと思ってもきくひとと違ったので、どうしようもなかった。 東京都江東区潮見のウッディランド東京に出展していた東京展示場は「セゾン275S1」「三世代がゆったり伸び伸び住める家」と入口に書かれていたので、旭化成などが言い出した新しいタイプの「二世帯住宅」のひとつの例かと思って入場する人があったが、入ってみて、そうではなく、《「地方」型・農家型の三世代同居住宅》であったので、入る前と入ってからの意識のギャップが大きかったようで、「これ、二世帯住宅なんですかあ~あ?」と言う人がけっこうあった。二世帯住宅にもいろいろあるわけで、「地方」に行くと今も「地方型二世帯住宅」というのか「農家型二世帯住宅」というのかを建てる人・住む人はあり、住んで悪いことはないし、どちらがいいと決まったものでもないのだが、「旭化成などが言い出した新しいタイプの都市型二世帯住宅」を期待した人からすると、「これが、二世帯住宅なのお~お」と言いたくなり、言うようだった。言われたことをそのまま言うと、またもや、「遠州人」から「そういうことを言うからいかんのだあ~あ」と怒られるのだったが、毎度、「言った人」に怒らずに「言われた人間」に怒るというのが「遠州人」の特徴だった。
  見込客がその会社で契約するかどうか、それは「会社の評価」「商品の評価」とともに、「人の評価」が関係する。中でも営業についての「人の評価」は大きいと思う。もっとも、だからと言って、突然、ナザレのイエスかゴータマシッダルタになれと言われても無理であり、せいぜい「並」か「並の下」くらいの人間だと自分では思っている者としては、「並」か「並の下」くらいの人間なりに誠意をもってやるしかない。心理療法家のカール=ロジャーズは、自分自身を特別の人格者とかは考えていなかったようだが、 「自己一致」という考え方を主唱し、「実際の自分自身と自分が思っている自分とができるだけ一致した状態」であるものを「自己一致」、そうではなく自分が思っている自分と実際の自分とが一致していない状態を「自己不一致」と言い、実際にはなかなか完全に「自己一致」した状態にはなれないのだけれども、できるだけ「自己一致」した状態の方が人間として能力も発揮できるし、有意義な人生を送ることもできる・・と考えた。私は若い頃、心身医学・心理学(反心理学)に関心があった者であり、カール=ロジャーズの「自己一致」という概念であるとか、禅の言葉で言う「平常心 是 道(へいじょうしん これ どう)」とか「あるがまま」といった考え方には共感するものがあった。ともかく、自分なりにそういったものを考え、自分なりの考えを持とうとする姿勢というのはプラスに評価されていいものではないかと思う。

  (株)一条工務店の営業で、こいつが営業担当であったなら俺なら契約は断るな・・と思った人間というのが何人かいる。特に、お客様に対する営業の姿勢という点において、少なくとも私としてはその人の考え方は根本的に間違っていると判断せざるをえないという人間が2人いた。
  1人は、1992年、新卒入社で入り、浜松の営業所にいたが本人の希望で1992年8月の途中に東京展示場に転勤させてもらってきた小野田くん(男。当時、20代前半)で、もう一人は2001年、栃木県小山市の展示場にいて、2003年には佐野展示場に移った鈴木(男。当時、30代)である。特に、鈴木は浜松の本社での研修に、研修を受講する側ではなく講師の役で呼ばれて行ったというのだから、誰に講師を頼むかを決めていた人間というのは、いったいどこを見ているのか、眼が顔についてるのかという気がする。
((ア))  1992年8月に本人の希望で浜松の営業所から東京営業所(展示場)に転勤させてもらってきた小野田くんは、来るなり、「俺、こっちで見込客がないから客をとらないといけないんだ」と称して、前からいる東京展示場の営業を無視して来場客を接客しまくったのだが、普通、おのれの都合で転勤させてもらった者は行った先では接客順は最後に入るものだ。そのあたりを注意できないというあたりが東京営業所の「リーダー」の「一級建築士の宮崎さん」の甘いところであり、リーダーシップという点において不足するところだった。営業本部長でカッコ付で東京営業所長になっていた天野隆夫(「所長 <天野隆夫>」)は、私が営業所長になっている人がその営業所に在籍している営業所と「所長 <天野隆夫>」となっていて実際には役職が低い人が「リーダー」になっている営業所では、東京営業所のように「主任」の人が「リーダー」の営業所は「所長」が「リーダー」である営業所に対して見込客のバッティングをした時など弱いので損だという話を他の従業員に話したのを誰やらから「報告」(密告)を受けて、「この営業所は所長がいない営業所だと言ったそうじゃないか。ぼくがここの営業所長なんだぞ」と私に文句を言ったのだが、もし、営業所長であるなら、小野田くんにもきっちりと「自己都合で転勤させてもらった者は行った先では接客順は最後に入るのが常識だろ」と注意するべきであり、それができない男が「この営業所は所長がいない営業所だと言ったそうじゃないか。ぼくがここの営業所長なんだぞ」などという口をきくのは不当であろう。
  小野田くんは「浜松で平松所長の隣の席にいました」と言うのだったが、根本的な問題として、小野田くんは「通算契約棟数全国2位」の人の隣の席に入社以来座らせてもらってきたということらしかったが、「通算契約棟数全国2位の人」と、「通算契約棟数全国2位の人の隣の席に座っていた通算契約棟数ゼロ棟の人間」とは同じではない・・という「基本のき」を理解できていなかった。私は、一度だけ、平松さんには平松さんがやっている構造アプローチを実演して見せてもらったことがあるが、その時には、変なことをしている人という印象はなかったのだが、小野田くんが言う「平松所長のやり方」というのは、どうも、変だった。ひとつには営業本部長の天野隆夫は実績のある人に教えてもらった・・という人間に「他の者にも教えてやって」と言うことがあったようで、その結果、伝言ゲームを実行した者の教える内容はもとの人が話したものとは似て非なるものになってしまっているという場合があるようだった。入社以来通算契約棟数ゼロ棟の小野田くんが自分と同年代の営業に「営業のやり方を教えてやる」という口のきき方を何度もしたのを聞いたが、私は浜松の営業所長だった平松さんは、そんなにおかしな人という印象はなかったのだけれども、隣の席に新卒新人を配属されたのなら、たとえ、学歴は高卒の人であったとしても(株)一条工務店の営業としては努力してきた人なのだから、やはり、言うべきことは言わないといけなかったのではないか。「通算契約棟数2位の人間の隣に座らせてもらったとしても、『通算契約棟数2位の人間』と『通算契約棟数2位の人間の隣に座らせてもらった人間』は別なんだぞ」と教えないといけなかったのではないか。
  「創業地の浜松の営業所に勤務させてもらって通算契約棟数ゼロ棟の小野田くん」は、自分と同年代で同じ頃に入社した従業員に「営業のやり方を教えてやる」(原文の通り)という口をきくことが何度もあったので、あれでは言われた方は気分が悪いだろうなあと思ったものだが、言っている方にはその自覚はなかったようだ。さすがに10歳以上年上の私にはその文句は言わなかったが、意識としてはそういう感じの意識であったのではないか、浜松に配属してもらって通算契約棟数ゼロ棟の人間は。(株)一条工務店という会社における「浜松の人間の傲慢さ」を浜松の営業所で学んできたようだった。「通算契約棟数2位だったらしい平松さん」は「自分が『通算契約棟数2位の人間』の隣の席に座らせてもらったからと言って、又、「『通算契約棟数2位の人間』から教えてもらったものがあったとしても、そういう機会を持つことなく自分自身で考えて努力してきた者に向かって、『営業のやり方を教えてやる』というような口をきくものとは違うんだぞ」と、それをなにより新人に教えてやるべきであったはずで、それを教えることができなかったという点においては平松さんはマイナスの評価を受けてもしかたがないだろう。
《 ・・イチローをあんなタイプにしてしまったのは、オリックスの監督だった仰木彬が悪い。「鉄は熱いうちに打て」とはよく言ったもので、若い時にしっかり人間形成や基礎を作らないと、ああいう身勝手な人間になってしまう典型といっていい。
  オリックスが負けて、イチローがヒットを打った試合後のバスで仰木監督に「おまえはそれでいいんだ。勝ち負けは俺が責任取るから、おまえは自分のことをやれ」と言われ、イチローは「その時にこの人のために頑張りたいという思いが芽生えた。レギュラー1年目で20歳の選手になかなか言えることではない」と心酔したそうだ。
  この話を聞いた時に仰木らしいと思った。・・・》
《 森に「清原をあんなふうにしてしまったのは、おまえが悪い」と直接言ったことがある。「俺は関係ないよ」と否定していたが、高校から入ってきた清原を、しっかり教育しておけば、あんなことにはならなかったはずだ。・・》
( 野村克也『イチローの功と罪』2019.7.24.宝島社新書)
  東京営業所(展示場)では週に1回、営業社員でミーティングを持っていたが、「浜松流」を自分は学んできたと思っている小野田くんは、それは違うと思うよと言ってあげてもきかないし、言う気もなくなった。
  小野田くんは自分が感じたこと・自分が考えたこと・自分が体験して学んだことを述べるのではなく、「浜松流」から吹き込まれたことを得意になって話していたのであり、小野田くんが絶対に正しいと信仰していた「浜松流」の教えを「教えてやる」という意識で話していたので、「それは違うよ」と言ってあげてもきかないし、言うと怒るし、あほくさいからそういう人には言わなくなった。
  中でも、彼が私に向かって言ってきたのは、「『決定権者を見抜く』て知ってますか。その見込客の家族では誰が『決定権者』なのかを見抜いてその人にアプローチして気に入ってもらうのが営業は大事なんですよ」と。彼は得意がってそう吹聴するのだった。建物の構造がどうであるかにかかわらず、こいつが担当なら絶対にその会社では契約したくないものだと思った。
  私は、家であれ他の商品であれ、その「決定権者を見抜く」というそういう態度を取るヤツというのが一番嫌いなのだ。私の母も、そういう態度をとる営業に対して今も怒っているのだ。1960年代後半、私が小学生であった時、大阪府にて、その頃は「ミサワホームなんかと違って木造の会社」だった小堀住研(株)で在来木造の家を建てた時、小堀住研(株)の営業担当者(後の営業部長)は小野田くんが言うところの「決定権者を見抜く」というのを実行して、そして、父の言うことばっかり聞いて建ててしまったのだ。母はそれから50年ほど経って今も怒っているし、私も、自分たちが住む家を、いい家を作りたいと思っていろいろと言ったのに、すべて却下された、そして、それ以上にいいものができたのならともかく、変なことされた(いい所がないということではないけれども)。その体験をして実感している者としては、その「決定権者を見抜く」ということをするヤツというのは嫌いなのだ。(株)一条工務店の浜松の営業所の平松さんがそういうことを教えていたのなら、他でいいところはあるとしても、その点については心の底から軽蔑する。住宅というものは、たとえ、ダンナが稼ぎ手で嫁さんは専業主婦であったとしても、だからと言って、ダンナさえ良ければいいというものを建てるべきではないはずなのだ。それを「決定権者を見抜く」などという気色悪い文句を平気で口にするヤツ。そういう人間には家の建築は頼みたくないものだ。
  1970年代後半、北野高校2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)もまた、その「決定権者を見抜く」ということをやっていた女だった。高校の教諭として親に加担した方がいいか生徒についた方がいいかというそういう思考をする女だったのだ。それで、この女は高校の教諭は親に加担した方が正解と判断して親についたのだ。私はそれが高校の教師のすることか?!?と思ったし、私はあの女に人生を捻じ曲げられた。あの女にとってはそれが高校教諭として正しい判断だったようだ・・・が、私はそういう態度をとる人間というのが嫌いなのだ。
  1970年代後半、YMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからない職種の藤井という男(男。当時、50くらい? 自称「早稲田大学政経学部卒」だがおそらく詐称と思われる)はもっとひどい。「ぼくらは、きみらの親からカネもらって仕事しているのであって、きみらからは1円もカネもらってないんやからな。だから、ぼくらはきみらの親のために働く義務はあるけれども、きみらのために働く筋合いはまったくないんやからな」と、この男ははっきりとそう発言したのだ。何人もを前にして。それを聞いて私の父親は喜んだのだ。「そうや、その通りや。ええ~えこと言いはる♪」と。しかし、私が親ならば「そのアホは相手にすんな!」と息子に言うだろう。たとえ、予備校にその授業料を支払ったのが親であって生徒でなかったとしても、親は予備校に生徒のために役立ってもらうために払ったのであって、生徒に「きみらのために働く筋合いはまったくない」などと公言するようなヤツにくれてやった覚えはないのである。
  住宅建築業の営業向けに何社かの「トップセールス」や営業部長などが話したものをビデオにして売る会社というのがあったようで、2001年、(株)一条工務店は営業社員に東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)の「トップセールス」というおっさんと、積水ハウス(株)の営業部長というおっさんの話をビデオで見せたのだが、そこで、積水ハウス(株)のおっさんは、「男性と女性は引き合うところがありますから、だから、お客様が夫婦で来場された時には、名刺は御主人にではなく奥様に渡すようにします」と発言したので、え? え? え?・・・と思ったことがあった。小堀住研(株)の新卒社員研修の時、名刺は誰に渡すかという問題について、「名刺は御主人に渡すもので、間違っても奥さんに渡してはいけない。但し、奥さんも働いて稼いでいるような夫婦の場合には、御主人に名刺を渡すとともに奥様にも名刺を渡すようにした方がいい場合がある」と教えられたもので、「間違っても嫁はんに名刺を渡したりするなよ」と言われたものだったが、積水ハウス(株)のおっさんは、「間違ってもやるなよ」ということをやれと言っていたのだった。栃木県の営業社員が集まった場で、営業所長の五十嵐さんが、栃木県の営業で最も営業成績を残していた西那須野営業所のAさんに、「Aさんはどうしてる?」と訊いたところ、Aさんは「私は名刺は御主人に渡します」と話し、所長の五十嵐さんが「それはどうして?」と訊くと、「男というのは、やきもち焼きなものですから、男性の営業が自分に名刺を渡さずに嫁さんに名刺を渡したりしたのでは気分を害しますから」と言うのだったが、そうだよなあ・・と思ったものでした。1980年代後半の小堀住研(株)の新卒社員研修の時の話でも、名刺は基本的にはダンナに渡すが、嫁さんにも渡した方がいいという場合があるということだったのだが、たとえ、名刺はダンナにだけ渡したとしても、それでも、家というものはそこに住む誰もが納得して喜んでこそ家であり住宅であるはずなのだ。「決定権者を見抜く」とか言っている男というのは、そのあたりの認識がおかしい。
  小堀住研(株)にいた時、ある見込客はいつも奥様だけが打合せに顔を出し、御主人は顔を出されることはなく、電話をしてご主人が出られても、「ちょっと待ってください」と言って奥様に換わられるので、どういうことなのだろうと思っていたら、建て替える土地・建物は奥様が奥様の父親から相続したもので、御主人は働いているけれども年収は多くなく、建て替える費用もかなりの部分を奥様が父親から相続したもので出される予定だったらしく、だから、奥様が「どういうようにするといいと思う?」と尋ねても、御主人は「俺は住ませてもらえばそれでいいから」と言って、絶対にどういう家にしたいとかどうしてほしいということは言われなかったというのだ。それを聞いて、どう考えたものだろうなあと思ったのだが、たとえ、そういう場合でも、そこに住む人、誰もが喜べるものにしないといけないのではないか、 「決定権者を見抜く」というようなせせこましい浅知恵を働かせるようなことはするべきではないのではないか、と思うのだ。
  父はよく言っていた。「わしほど謙虚な人間はおらんねんぞ、わしほどお。わっしのような謙虚な人間の言うことは、みんながみんなが絶対服従、みんながみんなが絶対服従♪」とそう毎日毎日言っていた。そういうのを「謙虚」と言うのだろうか? と思ったのだが、「心理学」によるとそうなるらしい。「世の中はな、ひとに命令したり号令かけたりするのが得意の民族と、ひとに命令されてせえっせせっせ、せえっせせっせと働くのが得意でうれしい民族とがおるわけや。どっちか片方ではいかんのや。それで、賢明なる天の神さまは人間を2種類に分けてお造りになったのであ~る。わしなんかはひとに号令かけるのが得意の民族、あんたあ~あなんかは号令かけられることを喜ぶ民族。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と、毎日毎日、私の鼻の頭のあたりか眼のあたりを指さしながら叫ぶのであった。父は「あんたはチャンコロと一緒で号令かけられるのが何よりうれしいねん。てってこっこてっててって、らったらったらったらあ~あ♪ 撃ちてしやまん! い~ちおく火の玉あ! とってちってたあ~あ!!! どや、うれしいやろ、チャンコロ!」と毎日毎日、言っていた。父は私は「号令かけられることを喜ぶ民族」「号令かけられることに快感を感じる民族で階級」と「教えてやってやってやってやったってんねん」と言うのだったが、ちっともうれしくなかった。「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と思ったものだった。父は「すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために。それがあんたのためなんや。あんたは、すべてをわしのために捧げ尽くすというのが、それがあんたにとっての一番の幸せちゅうもんなんや。すべてをすべて王わしのために、すべてをすべて王わしのために。とってちってたあ~あ!♪!♪!」と叫ぶのだったが、そういう考え方というのが私は嫌いなのだ。そうではなく、家庭というものは、すべての人間が自らの十字架を背負い自らの人生を生きて、自らの人生を生きる家族が調和する共同体であるべきではないだろうか。そのためには、住まいというものも、誰がその費用の多くを出すかにかかわらず、そこに住む人間全員が喜べるようなものにしないといけないはずで、決して、「決定権者を見抜く」などという態度はとってはいけないはずであるのだ。「決定権者を見抜く」ということを建築会社の担当者がやって建てた家というのは「家相が悪い」と私は思う。「決定権者を見抜く」という小野田くんが言うようなことを営業担当者がやった、私が小学校の時に小堀住研(株)で建てた家はどうなったかというと、その頃、「ミサワなんかと違ってきっちりとした木造の家を建てています」と言っていた「小堀で家を建てた」というのが「中の上」くらいのサラリーマンとしては「ステータス」であった家は、その時代の家としてはきっちりと建てられていたが、最初、5人で住んだ家は、そのうち、上の姉が結婚して出て行き、下の姉も結婚して出て行き、私が大学に行く時に出て行き、母は「5人で住んだのに、ひとりひとりと出て行って2人になってしまった」と言い、そして、「すべてをすべてをわしのために」と叫び続けた父も他界して、とうとう、母ひとりになってしまった(父が他界した後、私は大阪に戻って一緒に住むと言ったのだが、母は「あんたみたいなもん、こんといてえ」と言って拒否したのだが)。そのあたり、やっぱり、「決定権者を見抜く」ということをして建てられた家というのは「家相が悪かった」のと違うかという感じがする。「すべてをわしのために。すべてをわしのために」と言っていた父が「決定権者を見抜く」ということをした営業担当と建てた家は、最初、5人で住んだ家から1人出て行き、2人出て行き、3人出て行きして、だんだんと人が減っていった・・というのは、「決定権者を見抜く」ということを営業がやったことが関係していないとは言えない。そういう家はたとえ「ハウス(house)」(家)であったとしても、「ホーム(home)」(家庭)ではない。ハウスを作ってもホームを破壊するような営業と家は建てたくないものだ。
  だから、私は住宅に限ったことではないが、そういう「決定権者を見抜く」などというそういう発想をする住宅建築業の会社の従業員というのは嫌いなのだ。浜松の営業所にいた平松さんはその時点で「通算契約棟数2位」だったらしいが、たとえ、通算契約棟数2位の人が言うことでも1位の人が言うことでも、私はそんなものを良いと認めるつもりはない。営業戦略としていいと思わないし、たとえ、そういうやり方の人が営業成績を伸ばすようなことがあったとしても、私が見込客の立場ならば、そんな人間が営業担当ならばそういう会社とは契約はしない! したくない! こんなことは小野田くんには言っても理解しないだろうし、「何、言ってんですか。平松所長の言うことですよ」とか言うだろうけれども、誰が言おうが何の関係もない。私はそういう営業が嫌いだし、そういう思考をする人間が嫌いなのだ。
  1992年に私が(株)一条工務店に入社する少し前まで東京展示場にいてけっこう売れていたらしい営業の高橋さん(男。当時、30くらい)が、私が入社する少し前に福岡県の営業所に転勤で移ったのだが、その後、高橋さんが営業担当だった入居者の松戸市の某さんから家についての苦情の電話がかかってくることが何度かあった。私は営業担当とどういうことがあったか知らなかったので、「高橋さんはいますか」と言われて、「高橋は、今、福岡県の営業所に転勤で移りました」と説明した後、高橋さんが営業担当だった入居者らしいとわかったので、「ちょっとだけ持ち上げておこう」と考えて、「栄転で移ったのですが」と話したところ、「栄転かなんか知らんが、よそにとってどうかは知らんが、うちの家にとっては最低の営業で、最低の人間で、人間のカスだあ!!!」と怒られた、ということがあった。何があったのか、何が原因でそこまで怒られたのかはよくわからない。 ・・が、私が見込客の立場なら、「決定権者を見抜く」というそういう思考をする男というのは、よその人間にとってどうなのかは関知するつもりはないし、その営業が「売れる営業」なのか「売れない営業」なのかも関知したいと思わないが、ともかく、私はそういう男とは契約したくないのだ。そういう人間が嫌いなのだ。あっち行ってほしいのだ、そういう人間というのは。 高橋さんと松戸市のSさんとはどういうことがあったのか知らないので何とも言えないが、高橋さんのかわりに入居者から怒鳴りつけられてあげた私に「すいません」か「ごめん」か何か一言あっていいようにも思ったのだが、それがないのが「一条オリジナル」の特徴であった。

  東京都江東区潮見にあった東京展示場にいた時には、他の営業が来場客と話をしているのを壁の向こう側や階段の上などで聞いて、どんな話をしているか聞いてみたものだったが、小野田くんが来場客と話をしているのを聞くと、「大工に頼む時はね・・・」というフレーズが矢鱈と多い。誰も大工(個人大工)に頼むなんて言ってないのに・・というよりも、浜松でなら地縁血縁で個人で大工やっている人がいるということもあるかもしれないが、東京で、きょうび、「大工に頼む時には・・」なんて言われても、家1件を建てる個人大工というのを知っている人というのが多くないわけだが、大工(個人大工)に頼むなんて何も言ってないという人に向かって、矢鱈と「大工に頼む時にはね・・」と言いまくっていたのだが、なんか、変ったやつやな・・と思って聞いていたのだが、今から考えると、あれは、東京で住宅の契約をもらうためにはどうすればいいかというところから出てきた話し方ではなく、「浜松流」の物真似をしていた、浜松でそういう話し方をしている人間がいて、それの物真似をしていたということらしい。
  もうひとつ、「よそは・・」「よそはね・・・」というフレーズが多い。「よそ」っていったいどこのこと言ってんだ? なんか、変なこと言うやつだな・・とも思ったのだ。実際には「よそ」という名前の住宅建築業の会社なんて、ないのだ。東京で、実際に、建てている工事現場など見ても、小野田くんの言う「よそ」に該当するようなことをしている所というのはあまりなかった。「よそ」って、どこのこと言ってんだ? と思ったのだが、これも、浜松でそういう話し方をする人の物真似をしていたようだ。だから、小野田くんに、「『よそ』って、どこのことを言ってるの?」と尋ねても、「『よそ』って言ったら『よそ』でしょうが」と言ってふくれるのだ。これは小野田くんに限ったことではなく、(株)一条工務店という会社においては、そういう言い回しをする人は多かった。ベテランの「木南さん(仮名)」に、「『よそ』ってどこのこと言ってるんですか」と尋ねたら、「『よそ』ったら、よそぉ~お♪」と言い、「よそ」という名称の会社のことのようで、(株)一条工務店という会社においては、(株)一条工務店と「よそ」という名称の架空の会社との2社しかこの世にはない・・みたいな世界観の話をする人というのがけっこう多かった。「木南さん(仮名)」は「おしゃべり好きおじさん」で「物知りおじさん」であり、住宅について、これ、どうしたものだろう・・と言う時、「困った時の木南さん(仮名)」と言われ、訊くと嫌がらずに教えてくれる人で、本人も「重宝しますでしょ」「なかなか便利でしょ」などと本気か冗談かわからないような調子で言うのだったが、時々、不正確な話・知ったかぶりもあり、「外国に行きますとね・・・」などと言うので、 「『外国』ってどこのことですか?」と言うと、「『外国』ったら外国ぅ~う♪」と言うので、「一条浜松流オリジナルアプローチ」が「『よそ』はね・・・」と言う「よそ」という名称の架空の会社の話と同様、「外国」という名称の架空の国の話なんだとわかった。「木南さん(仮名)」が「外国に行って、食べ物がよくわからないという時、とりあえず、マクドナルドに入るといいんですよ。マクドナルドは万国どこでもメニューは一緒ですからね。もっとも、フィレオフィッシュがあるのは日本だけですけどね」と言うので、そうかな? と思い、私は、ロンドンに行っても、パリに行っても、ミラノに行っても、わざわざ、マクドナルドに入って食べてみたが、ロンドンでもパリでもミラノでもサンレモでもフィレオフィッシュはメニューにあった。フィレオフィッシュを毎度食ってきた。「フィレオフィッシュがあるのは日本だけ~」というのは「木南さん(仮名)」が作った話で嘘だった。小野田くんの言う「よそはね・・・」という「浜松流オリジナル」の物真似らしい言い回しの「よそ」もまた、実際に自分で他社を見てきた上で話しているのではなく、「フィレオフィッシュがあるのは日本だけですけどね」みたいなものだったのだ。
  小野田くんは自分と同年代の人間に「営業のやり方を教えてやる」という口のきき方をしていたのだが、《「通算契約棟数ゼロ棟」の人間がそういう口をきいてはいかん》というのが「営業のやり方 その1」のはずだがなあ~あ・・と思いつつも、言うと怒るので黙っていたのだが、小野田くんの言うところの「平松所長のやり方」というのは、時々、お客さん相手に「ふふん、ふん」と鼻をならすというのがあったのだが、あれは何だろう? と思ったのだが、どうも、「平松所長」の物真似をしていたようだった・・・のだが、私は平松さんに、一度だけ、平松さんの「構造アプローチ」を実演して見せてもらったことがあったのだが、そんなことはしていなかったと思ったのだ。なんか、自分でオリジナルのものを挿入しておいて、「平松所長のやり方」と言っていたのだが、どうも、あまり、見込客に対してぺこぺこしたのではなめられてよくないということで精神的に優位に立つために、「ふふん、ふん」と鼻をならしてみせるということをやっているつもりだったようだが、物真似しかできない20代前半の若造のすることではないように思ったが、 「『浜松流』以外の人間の言うことはきいてはならない」と浜松で「浜松流オリジナル」から教えられてきたようだったので、それは違うと思うぞと思っても、言うと機嫌が悪いので、あほくさいから言うのはやめた。遠藤周作が『狐狸庵閑話』だったかにふざけて書いていたのだが、「女性にもてる」ためにはどうすればいいだろうか・・と考えて、「女性にもてる」と言われていた小説家の柴田錬三郎を観察したところ、柴田錬三郎は女性と話すと、時々、「ふふん、ふん」と鼻を鳴らすことがある、なるほど、あれが女性にもてるコツか、これだっ!♪!・・と思い真似てみたところ、どうも、「女性にもてる」ようだ・・・、それを柴田錬三郎に話したところ、「おまえ、あれは、あの頃の俺は蓄膿で鼻がつまってたから、鼻をならしてたんじゃないか」と言われた・・という本当か嘘か作り話かわからん話を書いていたのだが、小野田くんの「ふふん、ふん」というのはそれとあんまり変わらんことをやっていたような感じがした。
  これを言うと「浜松流オリジナル」は怒ると思うが、「浜松流オリジナル」は新人にあんまり変なことは教えない方がいいと思う・・し、現実のお客さんと「浜松流」の物真似とでは現実のお客さんの方を優先して考えるべきではないかと思ったのだが、「浜松流」の物真似をするのが生きがいの人間にそれを言うと怒るので、あほくさいから言うのはやめた。
  小野田くんは「よそはみんな、間取りの話や値引きばっかりで契約とってる。構造の話をお客さんにするのは一条工務店だけですから」と言うので、「『よそ』って、いったいどこのことを言ってるの? そんなことないよ」と教えてあげたのだが、そうすると、「〇〇さん、そんなこと言うなら、エスバイエルに行けばいいでしょう」などと言うので、このアホには教えない方がいいわ、と思った。私が在籍した時、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)・・・→(株)ヤマダエスバイエルホーム⇒(株)ヤマダホームズ 〕では、「新桂」という完全自由設計の高級志向タイプと「ハウス55」という「高品質低価格」タイプの企画住宅との2本立てで、他に高価格帯限定で在来木造とツーバイフォー工法(枠組壁構法)でも建てていたが、「新 桂」は「費用は出してもらいますが、出してもらえばどこよりもいいものを作ります」という趣旨のものであり、たとえば、松戸展示場にいた時、ある会社のオーナー社長の家で和風で作りたいというケースで住友林業(株)と競合になった時、小堀住研(株)は1億4千万くらいの見積、住友林業(株)は1億くらいの見積で、プランの内容では小堀住研(株)だったが予算では住友林業(株)の予算くらいに収めたいということだった、というもので、最終的には小堀住研(株)で契約して建てられた、ということがあったが、他社と競合になった時、小堀住研(株)の方が高いことが多かった。そんなもので、魅力あるプランを提示して高くてもその金額を出そうという気持ちになってもらうようにしていた「新 桂」で「値引きの話ばっかり」なんてしたのでは契約にならないし、「新 桂」というのは、新たにプランニングしていって、それに対して見積もりを出すというもので、もともと、「定価」とか「メーカー希望価格」とかいうものがあるわけではないので、「値引きの話」なんてやりようないし、それは最終的に出して見積より「・・だけ頑張らせていただきます」と言うくらいのものだった。企画住宅の「ハウス55」というのは「プラン売り」でこのプランでいくらという表示をプラン集にはしていたが、「高品質低価格」、「その内容にしては低価格」「その金額にしては高品質」を「売り」にするものだから、最初に提示している金額が「高品質低価格」になるように低めの金額を提示していた。その頃、「値引き幅が大きい」と言われていたのはダイワハウスで、ダイワハウスは何百万と引くのが普通と言われていたが、「ハウス55」はもともと、利益率がそれほど高くない商品だったのでそういうひき方はやりようがなかった。おそらく、その頃のダイワハウスは最初に提示する金額を高めの金額を提示してそこから大きく引いて契約にもっていくという作戦をとっていたのに対して、小堀住研(株)の「ハウス55」は「高品質低価格」として最初から低めの金額を提示していたので、そこからひくと言ってもそれほど大きくはひきようがなかった、ということでしょう。そして、木質パネル構法というのは新しい構法だということで、それを理解してもらわないと契約にたどりつかないということで「構造アプローチ」は重視されていた。 だから、小野田くんは固有名詞まで出して「エスバイエルなんかは、間取りの話と値引きの話ばっかりしている」とお客さんにも話したりしていたが、私が親切のつもりで「そんなことないよ」と教えてあげると「そんなこと言うならエスバイエルに行けばいいでしょう。一条工務店に勤めたなら、『エスバイエルは間取りの話と値引きの話ばっかりしている』と言うべきでしょう」と言って怒るのだったが、さらに、小野田くんは「〇〇さんはエスバイエルにいた時、値引きの話ばっかりやってたんでしょう」と言うので、「やってないよ。そんなもの」と教えてあげても頑固できかない。そういう同業他社に対して、特に東京においては(株)一条工務店はエスバイエル(株)とは競合になることはあんまりなかったにもかかわらず、競合にあまりならないような会社に悪口雑言罵詈讒謗中傷を浴びせるというのが「一条オリジナルアプローチ」らしかったのだが、そういうのは良くないなあ~あ・・と思ったが、言うと怒るので、こいつ、うるさいからもう黙ってよ・・と思うようになった。私は、同業他社の展示場を何社かのぞいてみたが、小野田くんが言うような「間取りの話と値引きの話ばっかりやってる」会社なんてどこもなかった。又、「構造アプローチをやってるのは一条工務店だけで、構造の話をする会社は他にはない」というのも嘘で、たいていの会社は構造の話をしている。そういうすぐばれる嘘というのはつかない方がいいと思ったのだが、言うと怒るし、それが「平松所長のやり方」だと言うので、平松さんてそんなやり方やってたかなあ・・・? と疑問に思ったのだが、「直弟子」が言うのならそうだったのかもしれないが、あんまりいいとは思わんな。 (株)一条工務店には同業他社から転職で入社した人は何人もいたのだが、そういう人にこの話をすると、誰もが「『間取りと値引きの話ばっかりやってる』なんて、そんなことないですよ」と言い、「『構造アプローチはやらない』なんてことないですよ。やってますよ」と誰もが言うのだった。同業他社の経験がある人間は、(株)一条工務店が「研修」で教えているらしいそういう嘘を見抜く(たいてい、わかると思うし、わかる方が普通だと思うのだが)ので、それで、(株)一条工務店には同業他社にいた人間が嫌いという「オリジナル営業」がいたようだ。「浜松流オリジナル」は新卒入社社員に嘘を教えるのはやめた方がいいと思うのだが、嘘を教えるヤツも問題があるが、嘘を教えられて、それで、実際を見るのではなく教えられた嘘の方を大事にして信仰する男というのもどうかと思う。まがりなりにも、「大学」というものを卒業した人間なら、もっと、「事実を事実として見て判断する」という姿勢があっていいのではないかと思ったのだが、今は「小学校みたいな大学」「幼稚園みたいな短大」がいっぱいあり、そういう姿勢がまったくない「大卒」というのが今はいる。そういう人を見ると、私などは高校卒業時に東大を落ちたところ、父親から「高校は義務教育ではないのだから、おまえは高校に行ったのは余計じゃ。ましてや、おまえは大学には行くべきではないんじゃ、チャンコロ!」と耳鳴りがするほど言われたものだったが、「きょうび、こんな人までが、『大卒』なんだなあ」と思った。
  小野田くんがお客さんにも他の従業員にも言いまくっていた「構造の話をするのは一条工務店だけで、よそはみんな、間取りの話と値引きの話ばっかりで、構造の話をするのは一条工務店以外にはない」という大嘘だが、その何年か後、ベテランの「木南さん(仮名)」に話したことがあるのだが、「木南さん(仮名)」が言うには、「それは違いますよ。『構造の話をするのは一条工務店だけ』じゃないんです。『構造の話しかしないのは一条工務店だけ』なんです。似てるようでも違いますよ。他の会社も構造の話はしてますよ」と言うので、「あ、そうか・・」と思ったのだった。 「構造の話をするのは一条工務店だけ」ではなく「構造の話しかしないのは一条工務店だけ」だったのだが、それを「平松所長の直弟子」という小野田くんは取り違えて理解して、その取り違えた理解をお客さんにも話し、東京営業所の他の営業にも「営業のやり方を教えてやる」と称して言いまくっていたのだったのだ。私は浜松の営業所の平松さんの話を直接聞いた時は変な人だと思わなかったのだが、小野田くんの話を聞いていると、なんか変なこと教えてるなあ・・・と思ったのだが、この違いというのはどこに原因があったのだろうか。今もそれははっきりわからないのだが、ともかく、「浜松流オリジナル」が新人に教えている話というのは嘘が多すぎる。かつ、その嘘を得意になって拡大再生産する新人がいていいかげんな話が広まっていたようだ。


((イ))  もうひとり、こいつには頼みたくないと思ったのが、1990年代終わりから2001年にかけては栃木県南部では一番条件がいいとその付近の営業誰もが言っていた小山展示場に勤務させてもらっていて、その後、2003年には佐野展示場に勤務していた鈴木(男。当時、30代)である。 浜松の本社でおこなわれた「研修」に研修を受講する側ではなく講師役に呼ばれて行ったと言っていたので、こんなヤツを講師に呼ぶのかとあきれた。
  小山展示場でだったが、鈴木は「お客さんを『誘導する』というのが大事なのだけども・・」と言い、他の営業について「△△はその『誘導する』というのが、どうも、できてない」などと言っていたので、この人が担当なら俺なら契約したくないな・・と思ったものだった。
  「決定権者を見抜く」という思想と「お客さんを『誘導する』」という思想というのは、これは、いずれも、住宅の営業がかかる可能性のあるビョーキだと私は思っている。ビョーキである。キルケゴールは『死にいたる病』という作品を書いているが、ここではキルケゴール『死にいたる病』の内容は関係ないが、題名の方、病でも「死に至る」ようなかなり重大なビョーキである。

  鈴木が言う「誘導する」と似たことをする営業はいる。東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕http://www.10kai.co.jp/ にいた時のことだ。不動産屋では、アットホームという会社が、各不動産屋の所有している土地・建物、各不動産屋が売り主から売却を依頼された土地・建物についてのチラシを有料で定期的に不動産屋に配っていたのだが、千葉県市川市の国道14号沿い、国道14号の北側で、整形の土地で相場よりいくらか安そうな値段で出ていた物件があったので、良さそうだなと思ったが、何か理由があるということはないかと思い、とりあえず、ゼンリンの住宅地図を見てみると、ゼンリンの住宅地図ではガソリンスタンドになっていた。なるほど。ガソリンスタンドというのは地下に相当の深さまでガソリンのタンクが埋まっているので、その後もガソリンスタンドとして使用するか、そうでなければ、ガソリンスタンドの事務所を建てて使用していた所に店舗を設けて、ガソリンのタンクが埋まっていた場所は駐車場にして使用するか、もしくは、逆に、地下の相当深くまでガソリンタンクが埋まっていた所に地下階を設けたビルにするか、そういう使い方をするのならいいが、ガソリンタンクが埋まっていた場所に戸建住宅を建てて住もうとかいう場合には相当の地盤補強をする必要が考えられ、その費用はかなりのものになる見通しが考えられる。だから、使用法に制約がある土地だということで、相場よりいくらか安い値段で売りに出ていたようだったが、我が家の近所でも、ガソリンスタンドだった所の跡がコンビニになっている所があるが、事務所があったところを店舗として使用し、ガソリンタンクが埋まっていた時は駐車スペースにするという使い方をしているが、そういう使い方をするのなら相場よりいくらか安く買えるので「お買い得」であるが、そうではなく、安いと思って買って戸建住宅を建てようなどと考えると、地盤補強に相当の費用がかかって、「相場より安い」土地でもそれ以上にカネがかかる結果になる。私が「いいかと思いましたが、ガソリンスタンドの跡地ですね。戸建住宅を建てるには向かないですね」と言ったところ、東海住宅(株)として登録していた宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)で「政令使用人」で「店長」の「大友のおばさん」は何と言ったかというと、「何、言ってんのよお。そんなもの、黙って売ってしまえばいいでしょお~お。あんた、何、考えてんのよお」・・・と、おばさんはそう言ったのだった。それでは宅地建物取引業者ではなく詐欺師と変わらないことになるはずだが、「不動産屋なんてそんなもの」と考えるべきなのか、そうではなく、「しろうとさん」がおかしなものをつかまされないようにアドバイスをしてそれに対する報酬をいただくというのが宅地建物取引業者であり、業者としてけしからん発言と考えるべきなのか、私はけしからんと思うのだが、「下品なおばはん」と私とは見解が異なったようだった。
  千葉県の印西市の「木下」は「きのした」ではなく「きおろし」と読む。JR常磐線の我孫子駅から分岐する成田線の沿線なのだが、JRでも総武線や常磐線ではなく支線の沿線で、総武線・常磐線の沿線に比べて価格は安めだが、上野から常磐線を経由して我孫子駅から成田線に乗り入れる快速があり、上野からそれほどかからずけっこう便利で、福島第一原発事故より前においては自然環境もいい所で、「ねらい目かもしれない」という所だったのだが、2008年、東海住宅(株)は、そこで「土地付き建物」というのか「建物付きの土地」というのかの売却を依頼され、そして、「大友のおばさん」が担当して仲介で売った・・のはいいが、買主から「床が傾いている」といった苦情が入り、内容証明郵便が届き、裁判にまでなったようだ。そういうのは、裁判で勝てばいいというものではないと思うのだ。不動産業者というのは、「しろうとさん」が誤解しないようにきっちりと説明をして売るもので、どうせ、おばさんのことだから、「黙って売ってしまえばいいでしょおお~お」てやり口で売ったのではないかと思うのだが、そんなやり方で売って、もともと、かなり安い金額で出ていたので、建物の値段は入っていなかったのではないのかとも思うのだが、買った人は(建物+土地)だと思っていたのなら、それは業者として誤解させて売ったわけで、好ましい売り方と言えないでしょう。おばさんはそういうやり口が好きみたいで、又、東海住宅(株)の80代の会長は「不動産業は女性がいい」とか言ってそういうおばさんが好きだったようだ・・・が、私はそういうやり方はいいとは思わない。宅地建物取引士の更新講習の時、講師の弁護士が「私が弁護士になった時、『弁護士というのは<さむらい>(士)なんだ。<さむらい>というのは<武士は食わねど高楊枝>と言うように、たとえ、それがカネになっても、たとえひもじくても、それでも、やっちゃいかんことはやらないというのが、それが<さむらい>(士)なんだ』と教えられました。宅地建物取引主任者も宅地建物取引士という『さむらい』(士)になったのですが、ぜひ、それを心がけていただきたい」と話されたが、「黙って売ってしまえばいいでしょおお~お」というおばさんというのは、それは「おばさん」としては正しい「おばさん道」を歩んでいるのかもしれないが、「さむらい」としてはいいと言えないでしょう。
  2005年、千葉県で5店舗ほど持つリフォーム屋の(株)ウッディホームhttps://www.woodyhome.com/  にいた時、船橋店の遠藤(男。当時、50代)は市川市で、はっきりと傾いている家に8百何十万の金額でリフォーム工事を受注し、洗面台から何から何まで住設機器を取り替えさせ、柱の横にもう1本柱を添えたとしてもそれが傾いている家の補強にはほとんど役に立たないだろうと思われるのに、役に立たないと思われる補強もどきにもカネをかけさせ、工事途中に施主から「遠藤さん、私、この家を見て、どうも、傾いているように思うんだけど」と言われて、遠藤は「傾いてませんよ。ぜんぜん。ちっとも傾いてませんよ。どこが傾いてるんですか」などとカマトトやった、ということまであった。社長の細木は「遠藤くんが高額物件の契約をとった。高額物件の遠藤くんだ」と大喜びしていたが、はっきりと肉眼で傾いているのがわかる家に8百何十万ものカネをかけて住設機器を新しく入れ替えるのならば、それなら、たいして大きい家でもないのだから、あと少しだせば、アイダ設計あたりなら新しい家を建てることができるのではないか、と思われたのだが、事務所に戻って、遠藤に「遠藤さん、遠藤さんは『傾いてませんよ』と言っていたけれども、あの家、間違いなくはっきりと傾いてますね」と言ったところ、「だから、どうなの。黙ってればいいことじゃないの」と言うのだったが、その後、東日本大震災が来たが、あの家が倒壊したかどうかは見に行っていないのでわからないが、倒壊しなかったとしてもさぞかし怖かったことだろう。「傾いてませんよ」と言って、効き目のない補強もどきをやったり、傾いて倒れかけの家の住設を総入れ替えさせたりして8百何十万円もかけさせるというのは、それは刑法上の詐欺にはならないのかもしれないが、しかし、実質的に詐欺ではないかと思う。きっちりと、「◇◇さん、うちはリフォーム屋ですから、やれと言われればさせていただきますが、失礼かもしれませんが、この家、傾いてますよ。正直なところ、この家に住設機器を総入れ替えしてお金をかけるというのは、もったいないのではないかという気がします。もう少し出せば、比較的安い所でなら解体して新築できるのではないかと思えますが、今、建て替えまではしないで住みたいということなら、今、使えるものはそのまま使って、どうしようもないものだけ取り替えるということにしてはどうでしょうか」と言う方が良心的だと思うが、そうすると、契約してもらえる金額は相当下がっただろう。社長は傾いて倒れかけの家に8百何十万もかけさせてリフォームさせれば喜ぶだろうし、「宗教右翼」倫理研究所(=倫理法人会)の会員としては、それが「倫理」だと言いたいだろうけれども、そういうのっていいのだろうか? 魂を売ってカネもらったようなものではないのか。それが「倫理」なのか?
 2000年頃、(株)一条工務店の栃木県小山市の展示場にいて、2003年には佐野展示場に移った鈴木(当時、30代)の言う「お客さんを『誘導する』」というのも、これらに似たものである。私は、(株)一条工務店において、最初から最後まで条件の悪い展示場に入れられて、後半はその条件で条件の良い展示場にいる人と合わせた平均を上回る成績を残してきた、自分が在籍する展示場では他の人より優秀な営業成績を残してきた、ということを誇りに思っているが、鈴木が言うような「誘導する」というやり方で契約はとっていない。私は「誘導」しようとするヤツが嫌いだし、「誘導」したくないし「誘導」されたくないのだ。
  私はもともとが「セラピスト」「心理学者」で「哲学者」である。「セラピスト」「心理学者」として「誘導する」というような行為はやるわけにはいかない。心理療法家カール=ロジャーズは「クライアント中心療法」という手法を主張し、それによると、クライアントが自ら自分自身のありようを見つけ、クライアントが自ら答えを出すもので、カウンセラーはそれを助けるものである、と。住宅建築業の営業は、お客様にとっての住宅に関する「カウンセラー」であるべきで、「カウンセラー」は「誘導する」などということはやってはいけないのである。
  しかし、「心理学者」「セラピスト」ならともかく、営業の場合は、契約してもらわないといけないのであり、「お客様が自ら決定する」という結果、「自ら」他社に「決定する」という結果になったならどうするのか、それでは営業にならないではないか、と思う人もいるのではないかと思う。
  私はそれは心配いらないと考えている。「住宅の営業」でも「建築の住宅」ではなく「不動産の住宅」の場合は、自社の物件よりも他社の物件の方がその顧客に向いていると思えば、他社の持っている物件を売ることもできるが、「建築の住宅」の場合は他社の建物を売るわけにはいかない。だから、あくまで、《「自社の建物・商品を使って、自社の建物・商品を通してお客様の求めるものを実現する」ためのカウンセラー》である。その姿勢でやれば、その分だけその顧客の求めるものに近づく。営業のその姿勢は、見込客に対しての売り物のひとつである。顧客に対して建物だけ売っているのではない。営業の「カウンセラー」としての能力・「コンサルタント」としての能力もまた売っているのである。「カウンセラー」の能力のない営業とは、「営業は営業でも営業が違う」つもりである。「カウンセラー」で「コンサルタント」である者としては、「誘導する」という鈴木の言う手法は邪道であり、害がある。
  もっとも、「カウンセリング」にもいろいろなやり方をする人がある。「言いくるめ」「マインドコントロール」を「カウンセリング」と主張するような「心理学者」もいるようだが、私はここではそういうものを「カウンセリング」とは言っていない。そうではなく、あくまでも、「クライアント中心」でクライアントが自ら決定するのを援助するのが「カウンセラー」だという「カウンセリング」を「カウンセリング」と「カウンセラー」とここでは言っている。
  但し、「カウンセラー」として、「自社の建物を通してそのお客様の求めるものを実現する」という方法だと、「自社の建物を通して」だと実現できない、他社の建物を通してだと実現できるという場合も出てくるのではないか、と言う人もいるかもしれない。たしかに、そういうケースもないとは言えない。しかし、だ。そういうものを無理に契約をとらないといけないのだろうか。いわば、そういうケースというのは、野球にたとえれば、ストライクゾーンをはずれた球を打てと言っているようなものではないか。《「カウンセラー」として、「自社の建物を通してそのお客様の求めるものを実現する」という方法だと、「自社の建物を通して」だと実現できない、他社の建物を通してだと実現できるという場合》というのは、そういうのは打たなくても、ストライクゾーンの球を間違いなく打つようにした方が良いのと違うか。野球で「一流打者」というのは3割打てば「一流打者」と評価される・・ということは、すべての打席ですべての球をヒット打たなくても「一流打者」になることはできるということだ。住宅建築業の営業が、全国でも優秀だと評価される営業になろうとしたならば、《「自社の建物を通してそのお客様の求めるものを実現する」という方法だと、「自社の建物を通して」だと実現できない、他社の建物を通してだと実現できるというケース》まで契約をとらなくても、《「自社の建物を通してそのお客様の求めるものを実現する」という方法》で、十分、野球で言うところの「3割バッター」になれるのではないかと思うのだ。
  落合が「『一流投手が投げる会心の球』なんて、そんなもの、誰だって打てるわけないんだから、打たなくていいんですよ。失投をどれだけ逃さずに打つことができるか、それが大事なんです。それではだめだなんて言われても、そんなもの、『プロの一流投手の投げる会心の球』なんてそんなもの、誰だってヒット打てるわけないんですから」とラジオの野球解説で話していたことがあったが、 「一流投手の投げる会心の球」みたいなケースを契約とれなかったら・・なんて心配するより、「ストライクゾーンの球をきっちりと打つ」ことを考えた方がいいと思うのだ。その為には、「誘導する」などという邪道を考えるよりも、「自社の建物・自社の商品を通して、そのお客様の求めているものを実現する」「営業は、お客様が自ら自分が求めているものを見つけるためのカウンセラーである」という認識・姿勢でやった方が良心的であるだけでなく、営業の作戦としても正しいと思うのだ。「誘導する」と主張して、それを自分がやるだけでなくひとに教えようとしていたやつを、本社の「研修」に研修を受講する側ではなく講師として呼んだ人間というのは、そういう「誘導する」営業が好きな人間だった可能性は低くないと思う。私はそういうのは好きではないのだが。
  「決定権者を見抜く」とか言うヤツが担当で作る家とともに、「誘導する」と主張するヤツが担当で建てる家というのも、私は「完璧にすばらしい」家ではないように思う。・・ここまで考えませんでしたか?

  (2019.7.24.)


★ (株)一条工務店の浜松営業はどんな連中か。
【1】 (株)一条工務店の浜松の営業とはどういう連中か【1/ 】+遠州人の特徴 「渋谷て言ったら、小岩の東の方だらあ」 「東京駅から大手町駅に行くにはタクシーに乗るのが一番だらあ」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_1.html

【2】 (株)一条工務店の浜松営業とはどういう連中か【2/ 】ダンピング浜松・名古屋。浜松は東なのか西なのか。「悪くないと思った」と言うと気に入らない人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_2.html

【3】 「浜松でいいもの」は東京人に?プレカット工場はプレカットせず出荷した?  住友林業は機械プレカットしているのに、「『住友林業はプレカットしてないでしょ』でそれだけで売れる」と言い張る浜松流オリジナル営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_3.html

【4】 集成材vsムク材。対住友林業は楽勝か難敵か https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_4.html

★ 「一条工務店の建物は完璧にすばらしい」「一条工務店の建物には問題点はまったくない」の反証
反証1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_5.html
【C】-4 《1》 床下換気口の真上の位置に柱が載っている。
《2》 柱の下に基礎がない。
《3》 筋交いと換気扇の穴の位置がぶつかり、筋交いを切断している。

反証2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_6.html
【C】-5 《4》 筋交いが片方の向きばかり。
《5》 寸法違いの丸太梁をそのまま入れる。工務課が工務課として機能していない。

反証3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_7.html
【C】-6 《6》 断熱材の室内側防湿層を破る。
《7》 断熱材の入れ方不適切。
《8》 やっていないのにカタログに書かれている「エアーフローシステム(壁体内換気)」

反証4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_8.html 
【C】-7 《9》 ヘルメット非着用・吊荷真下作業・無資格者玉掛作業。

反証5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_9.html
【C】-8 《10》  「施工ミス」「施工不良」「間違った施工」と浜松の営業が言い、会社が作成したアルバム帳に写真入りで記載されている小さい束石の施工を東京都でやっている。大きい束石でも端に床束が載る。床束が束石から浮いている。

反証6-1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_11.html
【C】-9 《11》-1 擁壁と基礎のとりあい について工務課(工事担当)が打合せを拒否。(株)一条工務店の東京工務課は深基礎ができないの? 

反証6-2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_12.html
【C】-10 《11》-2 深基礎の見積もりを計上し、深基礎の施工のはずが、どうも、そうなっていなかった可能性が小さくない。

反証7 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_1.html
【C】-11 《12》 地盤調査・地盤補強は要ると言いたいのか要らないと言いたいのか。ある時を画して正反対を平気で言う会社。

反証8 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_2.html
《13》「一条の家は完璧にすばらしい」の反証8.嘘の多い会社。土台は自社で注入してない。見学会限定の大道芸他

反証9 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_4.html
《14》 出過ぎた口きく設計、学んだ者に学んでいない者に服従しろと言う本部長

反証10 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_bb94655b33.html
《15》 「引き抜き抵抗力」による「箱型筋交いプレート」は「せん断抵抗力」による「プレート型筋交いプレート」より、なぜ、いいのか? 質問しても答えてくれない先輩社員、質問すると営業本部長に「報告」されて「よそに行けよ」と言われる会社。
《16》 一条工務店の建物の床下には木屑がいっぱい。煙草の吸殻もあった。

反証11 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_5.html「坪いくら」で契約させ、「施工面積」にどこまで入れるかは拡大し放題。契約時、「他社で契約するために解約する場合は契約金は返金しない」という文言を知らさずに署名捺印させる会社。

反証12 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_7.html
ひとの追客中見込客を横取りして放置する「一条の土台を築いてきた人たち」、それに加担する営業本部長

反証13 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_6.html
浜松のインテリア館で購入を検討していいのは「静岡市から名古屋市まで」の人が限度。「遠州人」の世界観で運営される工務店とインテリア館。

反証14 〔今回〕
「決定権者を見抜く」ヤツと「誘導する」ヤツには住宅は頼みたくない。

反証15 ・・・

☆ 佐野展示場の新人類1
[第664回]自分に該当するものがなければ営業所ごとの報告を止める男はどうしたものか-やったことないことは【4】https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201901article_9.html
[第665回]平日の来客を粗末にする営業・他の従業員に労働契約外の業務をさせる男、「聖教新聞」の押売り!https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201901article_10.html
[第686回]職場でアダルトビデオを見る男と、DVDプレーヤー付パソコンをアダルトビデオで試す男。職場の新人類現象https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_6.html
[第417回]トヨタの車に乗らない理由―「朝来て『おはよう』と言うと同時におっぱいもみもみい」のネッツトヨタ栃木https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201606article_2.html
[第214回]職場で他の従業員からカネを騙し取るのは「営業力」だろうか?【上】新聞代、人が買った切手、飲み会代金https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_2.html 【1】
[第547回]深奥山 方広寺(浜松市)と信教の自由の侵害【3】忘年会の金を払わない男、人に立替させようとする姑息男https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html (イ) 

☆ (株)一条工務店「お客様相談室」の「責任者」とはどういう人間か
【1/3】浜松独善主義の会社、宅建業法違反を要求する店長次長、軽犯罪法違反を従業員にさせて自分はやらない店長他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_9.html
【2/3】「契約前は何でもできますと言って、契約後は適当に建ててしまえ」というのは営業上何かプラスになるのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_10.html
【3/3】 (株)一条工務店「お客様相談室」の「責任者」とはどういう人間かー真面目に対応せず人を誹謗中傷https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_11.html

☆ コーヒー出すにはどういうお盆
【1/2】《商学部的発想+インテリアコーディネーター》を生かせない会社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_5.html
【2/2】東武船橋店で見たイタリア製2点とHCで見た天然木2点https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_6.html

家族の政治学
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テレーズ・デスケルウ (講談社文芸文庫)
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カール・ロジャーズ入門―自分が“自分”になるということ

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イチローの功と罪 (宝島社新書)
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