大型ベイウインドウは本来「親戚中が集まって座席が不足した時に補助席として使う出窓」ではない、「洗面台・洗濯機置場・脱衣場を通路と兼用」にした展示場の間取りはユニットバスを見て腐り・白蟻対策を話す為の作戦なのだ、と教えるべきなのになぜか教えない会社――「一条の工務店の家は完璧にすばらしい」の反証
[第719回]
「一条工務店の家はすべてにわたって完璧にすばらしい」「一条工務店の建物はすべてにおいて同業他社の建物よりすぐれている」「一条工務店の建物には問題点はまったくない」という寝言に対する反証
《29》 「からくり」をわかっている人間が中にいてもそれを教えない会社。教えようとすると妨害する会社? それでは売れない「浜松流」を非浜松・反浜松地域に強制したがる営業本部長
1993年5月、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の浜松での「研修」において、近藤路夫という名古屋南営業所の「所長」にならせてもらっていたらしい近藤路夫という男のいわば「常軌を逸した人間の寝言」に対する反証を述べてきたが、これまでは、建物の問題点や「地方向け商品」(より正確に言うと「浜松向け商品」)であることから都市圏の顧客に合わない部分などを述べてきたが、今回は、(株)一条工務店の会社経営者の姿勢が売りにくくしている部分を述べる。
(ア) 「親戚中集まった時に座席が不足した時、補助席として使える出窓」
2000年1月、ロンドンに行った時、どこだったか、ヒースロー空港からロンドン市街に行く地下鉄の空港から市街までの中間のホテルで泊まったのだが、ホテルの窓から外を見ていたところ、戸建住宅で(株)一条工務店が取り付けていた「ベイウインドウ」という大型の上から見ると台形の形の出窓と同じものがついている家があった。ホテルの周囲を歩いてみたところ、戸建住宅が並んでいる地域があり、そこにも、(株)一条工務店が「セゾン」と名付けていた建物につけていた「ベイウインドウ」と同じものがついている家が何軒もあったのだ。そして、それは決して「田舎くさい」「じじむさい」ことはなかった。
ところが、1992年、私が(株)一条工務店に入社した時、東京都江東区潮見のウッディランド東京に出展していた(株)一条工務店の東京展示場の建物についていた「ベイウインドウ」は「いかにも、田舎て感じ」と来場客から言われまくったのだった。そう言われるとそう見えてくる出窓だった。たしかに、「そう言われると」そう見えてくる出窓だったのだが、ロンドンの住宅で見ると、別に「田舎くさい」「じじむさい」という感じではなかったのだ。 なぜ、(株)一条工務店の建物で見ると「田舎くさい」「じじむさい」「ぱっとしない」「あか抜けない」「三流くさい」という感じに見えたのか。それは、ひとつには(株)一条工務店の本社(要するに「浜松の人間」「遠州人」)が東京の営業にこう話せと命令したものが間違っていたからである。
私が入社した1992年、東京展示場には、「主任」の宮崎さんが「リーダー」で新卒入社3年目の堀本・新卒入社2年目の沖田の他は入社1年目の人間ばかりだった。それで、入社直後の私は、この3人が展示場で来場客にどういう話をするか壁の影で聞いたのだが、沖田は来場客にこの出窓をこう話していたのだった。「大変大きくて実用性がある出窓で、正面の窓は通常の掃き出し窓と同じ高さがあるもので、頑丈にできていますから腰かけても大丈夫で、親戚中が集まった時に座席が不足した時には補助席として使うこともできます」と。
それを聞いて、その最後の部分、 「親戚中が集まった時には補助席として使うこともできます」というくだり、そんなの、浜松とかでならともかく、東京で家を建てる人が座席が不足するほど親戚中が集まることなんてそんなにないだろう・・・、たとえ、20年に1回か30年に1回あったとしても、家というものは20年に1回か30年に1回の時のために作るものではないだろう・・・と思ったのだが、東京や大阪の人間には理解できない人が少なくないと思うが、「地方」においてはあるらしいのだ。だから、浜松・掛川などにおいてはこの「トーク」は悪くないのだと思う。ところが、東京において言うとどうなるか。私も(株)一条工務店に入社したのだから、沖田は入社2年目であり、私は最初に住宅建築業の同業他社に入社したのはそれより2年前で、住宅建築業の会社に最初に入ったのは私の方が先とはいえ、(株)一条工務店では沖田の方が先からいるのだから、その話し方をしてみた方がいいのだろうか・・と思って話してみたことがあるのだが、すると、どうなるかというと、「そ~んなの、親戚中が集まるなんて、そんなことないわよお~お」と言われるのだった。「『親戚中が集まった時に補助席として使う出窓』なんて、そんなの要らないわよ。やっぱり、お宅は浜松ねえ」・・・とそう言われたのだった。私が言ったのではない、私が言われたのだ。それから、「こんな大きな出窓で雨戸がつかないとなると、防犯上、良くないわよねえ」というのも言われた。
その出窓がついている家をロンドンで見た時は悪くないと思ったのだが、それより以前に、浜松で見た時にも悪くないという印象を受けたことがあった。東京で見ると、「じじむさい」「田舎くさい」「ぱっとしない」「センス悪い」という印象を受けるものでも、浜松で見るとその地域の環境にちょうど合っていたりすることがあるのだ。だから、その大きなサイズの上から見ると台形の出窓は、最初の発祥がロンドンなのか他のヨーロッパの場所なのかはわからないが、ともかく、どこか、ヨーロッパの家についているものを(株)一条工務店の「遠州人」が見て、それを「浜松の家」に取り入れたのだろう。「浜松の家」でも使えると思ったのだろう。そこはいい。そこはいいのだけれども、その次の時点で「遠州人」の営業が「親戚中が集まって座席が不足した時には補助席として使える出窓」というフレーズを考えて見込客に話したのだろう。そこまではいいと思う。しかし、そこからが問題。それを「(株)一条工務店の遠州人」は遠州地方以外の地域の営業にも来場客・見込客に言うように強制したのである。その結果、東京展示場においては「そ~んなの、リビングルームで座席が不足するほど親戚中が集まるなんてことないわよねえ~え。うち、浜松で建てるのじゃないわよお。やっぱり、お宅は発想が浜松ねえ」とあきれた顔をして言われることになってしまったのだった。
こりぁ、そういう話し方をしてはいかんなあ~あ・・と私は思ったのだ。私が(株)一条工務店に入社直後、同社の『営業マニュアル』には、 「入社して1年間は、どんなことでも指示に従う」と書いてあったと思う。だから、私は、これはどうかな・・と思うことがあっても、指示に従い、『営業マニュアル』に書いてあることは、これはどうかなあと思うものがあっても、最初1年間はその通りやってみるものなのだろうと思って指示に従ったのだったが、ところが、そんな『営業マニュアル』の指示になんて従っていたのでは、「やっぱり、お宅は浜松ねえ」と言われることになって、契約してもらえる方向に進まない。だから、なんだかんだ言っても営業は売らないといけないのだから、売れることをしないといけない。そのためには、東京圏で売るためには、浜松・掛川の人に喜ばれる話し方ではなく、東京の人間に受け入れられる話し方をしないといけないと思うようになったのだ。又、「やっぱり、お宅は浜松ねえ」と言われないよう、不必要に「浜松の会社」というのを言わないようにしないといけないと思うようになったのだ・・・・が、ところが、そう考えた頃、東京展示場に浜松から営業本部長で兼任で名目上、東京営業所長ということになっていた天野隆夫が来て、入社1年目の営業社員に「もっと、『浜松の会社』というのを言った方がいいなあ」と言うので、「あんた、そりぁ、逆だろう」「あんた、それをやったら売れなくなるというのがわからんのか」と思ったのだが、天野隆夫はわかっていなかったようだ。わかっていなかっただけでなく、後から考えると「わかってたまるか」という信念を持っていた。天野隆夫は営業本部長で名目上、兼任の東京営業所長であったが、東京営業所長というのは東京営業所の営業成績が悪ければ責任を取らないといけない立場かというと、(株)一条工務店では営業所長は営業所の成績が悪くても責任は取らなくていい、営業所の成績が悪ければ個々の営業が責任を取れという会社だったので、「もっと、『浜松の会社』というのを言った方がいいなあ」なんてことを指示して、それで「もっと」売れなくなったら、それなら天野隆夫はそれに対して責任を取ってくれるのかというと取らない。責任は天野隆夫から「もっと、『浜松の会社』というのを言った方がいいなあ」と言われて、営業本部長の指示なんだからと思って指示に従って売れなくなった営業が取らされることになる。なんとも、無責任な営業本部長である。
1990年代初め、東京で営業している静岡県に本社のある会社として、静岡県清水市の菊池建設(株)https://www.kikuchi-kensetsu.co.jp/ と浜松市の(株)一条工務店 があった。私が小堀住研(株)に入社した1980年代終わり、住宅雑誌で住宅建築業の各会社について述べた一覧に掲載されていた論評では、菊池建設(株)は「発祥の地である静岡県清水市では今もぱっとしないが首都圏では好調」と書いてあったと思う。別の住宅雑誌には「『宮大工からここまで』と社長のことを言っている、というよりも、言わせている」と書いてあった。小堀住研(株)では小堀の「新 桂」というタイプで和風の高級住宅を建てようという見込客が菊池建設(株)と競合になることがあった。同じ営業所に勤務していた人が担当で、菊池建設(株)に勤めていた人で小堀住研(株)の高品質低価格タイプの「ハウス55」を建てようという見込客があって、なんで、自分の勤め先で建てないのだろう・・なんて話も出たが、その頃、菊池建設(株)は「和風の高級住宅の会社」であって、「ハウス55」のようなタイプのものがなかったようだ。菊池建設(株)は、1990年頃、「静岡県清水市ではぱっとしないが首都圏では好調」の会社だったのだが、(株)一条工務店と菊池建設(株)は「静岡県の木造の会社」という点は共通していても、菊池建設(株)は初代の社長は宮大工だったというのは嘘でもないらしいので、「宮大工からここまで」というのはまるまる嘘ではないのかもしれないが、なんだか「嘘でも百回言えば真実」みたいな調子で言いまくって首都圏で和風の高級住宅を建てようという人にアピールしたのに対して、(株)一条工務店は初代社長は電気工事店をやっていたらしくて「宮大工からここまで」とかそんな「お話」はなくて、菊池建設(株)は「静岡県清水市の宮大工から」というのを清水市近辺でではなく首都圏で売りにして浸透した会社だったのに対して、(株)一条工務店は静岡県浜松市でできて、浜松市近辺から東側は静岡県の中部・東部、西側は愛知県に伸びてという会社であり、1992年、(株)一条工務店の本社の研修の時に、どういう脈絡でだったか忘れたが、講師役で来ていた静岡県で所長だか課長だかだった花村さんに菊池建設(株)のことを話したところ、「え、東京ではあんな所なんて相手になんのお?」などと言われたことがあった。 (株)一条工務店で静岡県中西部で営業やっていた人にとっては菊池建設(株)というのは「格下の会社」だったのだが、ところが、東京圏においては菊池建設(株)は「比較的予算の出せる人で和風の高級住宅を建てたい人」に評価される会社だったのに対して、(株)一条工務店は「そんな会社、だ~れも聞いたことないでしょ、そんな会社」と言われる会社だった。 1990年前後の頃、静岡県清水市に本社があった菊池建設(株)と静岡県浜松市に本社があった(株)一条工務店は「静岡県に本社がある在来木造の会社」という点では共通していたが、静岡県においては(株)一条工務店は「一条さんはずいぶんと大きくなりましたねえ」と言われ「知らない人は誰もない会社」になっていたのに対して菊池建設(株)は(株)一条工務店の営業から「菊池建設なんてあんなとこ」と見下される会社・格下に見られる会社であったのに対し、東京圏においては菊池建設(株)は「和風のいい家を作る会社」として和風の高級住宅を建てようという人から高く評価されていたのに対し、(株)一条工務店は「そんな会社、知ってる人なんてだ~れもないわよ。ぜ~んぜん知らない」と言われバカにされる会社で、静岡県における会社の評価と東京都における会社の評価がこの2社は逆だったのだ。ところが、(株)一条工務店の近藤路夫ら静岡県中西部・愛知県といった(株)一条工務店が高く評価してもらえる地域でドカンと一発ダンピング販売して売っていた営業は、自分達が(株)一条工務店が高く評価してもらえる地域でダンピング販売しているから売れているということを自覚する能力・姿勢・謙虚さが完全に欠落しており、「そんな会社、知ってる人なんて誰もないわよ。ぜ~んぜん知らない」と言われバカにされる会社であった東京都・神奈川県において名古屋近辺において坪49万5千円で売っていたものを坪55万円で売らせるという悪だくみを働いていた。1990年前後、そして、1990年代初め、商品の内容も、菊池建設(株)は「清水市では相変わらず不振だが首都圏においては好調」と住宅雑誌に書かれていたように、首都圏の見込客に受けるようにと考えられた商品であったのに対して、(株)一条工務店の商品はあくまでも浜松・掛川の人間が売りやすいように売れやすいように考えられた商品だったのだ。
それでも、東京の江東区潮見のウッディランド東京に展示場を作ったのは当初は「アンテナショップ」として将来、東京に進出する時のためのアンテナだったらしいが、そこに勤務して営業をやる者としては、アンテナショップだから売れなくていいというわけにはいかない、(株)一条工務店の基本給なんて本当に少ないのだから歩合給を取れないのでは困るのであり、なんとか売らないといけない、と考えると、その「浜松・掛川向け商品」をどうすれば東京圏の人間に受け入れてもらえるかを考えて、東京圏の人間に受け入れられる話し方をしないといけないのであった。ところが、営業本部長で普段は東京にいない、「渋谷ていったら小岩の東の方だらあ。ぼく、東京は詳しいんだから」「新宿といったら平井の北の方だら。ぼく、良く知ってるだろ」とか言いまくる男が、東京展示場に来て、「もっと、『浜松の会社』というのを言うようにした方がいいなあ」と、それやったら売れなくなるちゅうのがわからんのか・・ということを命令するのだった。
そして、私が福島県いわき市の営業所に赴任した1年目だったか2年目だったか、1993年か1994年だったと思うが、浜松から、樹脂製のけっこうカネのかかっていると思われる素材に書き込まれた「売れない営業のグチ10箇条」なるものが各営業所に送りつけられてきて、そこには「浜松流はここには合わない」というのが「売れない営業のグチ10箇条」だと書かれていたのだった。それを、営業所の事務所の壁に必ず貼れと「遠州人」が命令してきたのだった。要するに、東京展示場で、ベイウインドウを「親戚中が集まった時に座席が不足した時には補助席として使える出窓」なんて言ったのでは、「やっぱり、お宅は浜松ね~え」と言われて馬鹿にされるというのは眼に見えているのであり、そういう言い回しはやめた方がいい、他の表現をするようにした方がいいと私が言うと、営業本部長の天野隆夫が怒るのだった。「もっと言わないとだめだ」と。天野隆夫という男は名前の通り性格がアマノジャク(天野邪鬼)であり、私が実際にやってみてその経験のもとに、浜松では「親戚中が集まった時に座席が不足した場合に補助席として使える出窓」という言い回しをすると受けるかもしれないけれども、東京圏ではその言い回しはやめた方がいいと理解して、実際の経験を踏まえてそれを言っているのに、そう言われると余計に意地になって、「親戚中が集まった時に補助席として使える出窓ともっと言うようにしろ」と言い出すのだった。アマノジャク(天野邪鬼)とつきあうと疲れる。「遠州人」が相当のカネをかけて作った樹脂製の「売れない営業のグチ10箇条」というのは、いわきの所長のK野さんなんて、あんまり本気にしておらず、貼れと言うのなら逆らうとうるさいから貼っておけというくらいの調子で事務所の壁に貼っていたが、年間営業成績で全国1位をとったこともあるK野さん自身、「浜松流」なんかで営業やっていなかったし、「浜松流はここには合わない」と口に出しては言わなかったが、実際問題として「浜松流はここには合わない」と間違いなく認識していたはずで、いわきにおいては「いわき流」でやって営業成績を残していた。「売れない営業のグチ10箇条」というのを見て、いわき地区の工務課の某さんが「これって『売れない営業のグチ10箇条』というよりも『一条工務店の特徴10箇条』て感じだねえ」とぼそっと言っていたのだが、実際そうだった。浜松の営業が浜松でやった方法というのは、それは浜松では売れるやり方であったかもしれないが、他の地域においてはそのやり方が合う場合もあれば合わない場合もあるわけである。ところが、「遠州人」というのは頑固というのか、身勝手というのか、「浜松流」を非浜松地域にまで押しつけたがるのである。そういう人というのは「逆らうとうるさい」というのを、いわきの所長のK野さんなどは知っていたのか・・、いわき地区はもともとが(株)一条工務店南福島という共同出資会社をいわき市の材木屋の猪野建材という会社と浜松市の(株)一条工務店が作って運営していた地域だったので、それで、「浜松流」の影響が幾分小さい地域だったということもあったのだろうけれども、「浜松流はここには合わない」と口には出さないで、実際には「いわき流」を実行していて「浜松流」なんてやっていなかったのだ。そんなのやったら売れなくなるって、知っていたのだった。
落合が中日の監督に就任した時、「すべての選手に『オレ流』を発揮してもらいたい」と言ったが、その「オレ流」というのは我儘とかいう意味ではなく、ひとからこうしろと言われたものを守るのではなくすべての選手が自分自身でどうやればいいか考えてやるという意味であり、自分自身で考えて行動する能力の人間の集合体の組織と、そうではなく、ひとから命令されて命令された通りしかできない人間の団体とでは、前者の組織の方が強いと考えていいと私は思うのだが、ところがどっこい、「浜松流」をそれが成果が出るかでないかにかかわらず押しつけたがる「ほとんどビョーキ」の「遠州人」が(株)一条工務店には相当数いたのであり、そして、その人達というのは、その「浜松流」でやらされて成果が出なかったという場合には責任をとるのかというと絶対に取らない。成果が出なかった時には「浜松流」を強制されてその為に成果が出なかった人間の方に責任を取らそうとするのである。だから、そんな人間の言うことは「ほどほどに」聞いておいておかしいと思っても反論を口にしないように気をつけないといけない会社だった。そして、会社のためを思って、自分自身の経験をもとに「そうじゃないですよ。ここでは・・・ですよ」なんて入社前半の頃の私みたいに正直に口に出して言うと苛められるという、そういう会社だった。・・なんだか、ちっぽけな会社・・・。また、「遠州人」というのはいったい何様なんだろう、いったい何様!?!
まず、デザイン上のものについては、これは「好みの問題」というのがどうしてもある。好みでないのなら好みでないものを無理に採用することはない。大型のベイウインドウは大型であるから実用的なところもあるかもしれないが、同時に雨戸がつかないので防犯上良くないと思う人もいるかもしれない。実際問題として、家族何人もで暮らしておればいいけれどもそうでない場合、昼間、雨戸を開けてガラス戸だけの状態で外出してよいのか、外出するたびに雨戸は閉めるべきなのか、外出するたびに雨戸を閉めて帰宅すると雨戸を開けるという生活をしたならばめんどうであるとともに逆に雨戸が閉まっているか開いているかで在宅かどうかわかってかえって防犯上良くないか、雨戸は最初から開けない方がいいのか、そういうことを考えると、どうしたものだか困ってしまうし、いっそのこと、最初から雨戸なんてつけなければ閉めるかどうか迷うこともないかとか。ともかく、大型のベイウインドウというのは、雨戸が付かないとともに、正面のガラス戸は引き違いで掃き出し窓ほどの大きさがあるので、出窓でも金属製で作られた格子の部分が多い出窓などより防犯上良くないということはないかと心配する人はある。そういうことはあるとしても、(株)一条工務店が展示場につけていた大型のベイウインドウが東京展示場では来場客から評判があまり良くなかったのは、それは、ひとつには「親戚中が集まった時に座席が不足した時に補助席として使える出窓」とか、そういう言い回しをするから、だから、「うち、浜松で建てるのじゃないって言ってるのにわからないのお~お!」と言われ、評判が悪くなるのだったと思う。ベイウインドウそのものがどうかとは別に「浜松流」に問題があったのだ。「親戚中が集まって座席が不足した時に補助席として使える出窓」とかそういう言い方をするから「イナカの出窓」に見えるのであって、浜松の人間はそういう使い方をしていたかもしれないがロンドンの人間はそんな使い方はしていなかったはずだし、そのベイウインドウが最初に作られたのがロンドンかどうかはわからないが、ロンドンと浜松ではおそらくロンドンでの方が先に作られたはずで、「浜松の出窓」をロンドンの人間が真似したわけではないはずなのだ。なおかつ、そう言うと、「浜松流はここには合わない」というのは「売れない営業のグチ10箇条」だと高いカネかけて樹脂製の表示板まで作成して配布して「浜松流」をなんとしても非浜松地域に強制してやろうと「遠州人」は考えるのだがその「遠州人」根性に問題があったのである。
(株)一条工務店が「セゾン」というタイプの建物につけていたベイウインドウは、(株)一条工務店の展示場で「遠州人」が強制した東京都では逆効果になる「営業トーク」を聞いた上で見ると「田舎くせえ」て感じに見える出窓であったが、一条オリジナルの人間が強制する「トーク」を聞かずにロンドンの住宅で見ると、ちっとも田舎くさくない出窓だったのだ。だから、その出窓がいいか悪いか、その出窓がその場所に受け入れられるかどうかとは別の問題として、自分達の所では安い価格でダンピング販売している「遠州人」の浜松向けトークの強制に問題があったのであるが、それを「遠州人」にやめさせようとしても困難であったのだ。なにしろ、「空の広さは浜松の広さと同じだ」「太陽・月・星といった天体は浜松を中心として回転している」と心の底から信じている人たちだったのだから。うかつに「地球は太陽のまわりを回転しているのであって、浜松というのはその地球の中の日本の一部分であって、浜松を中心として回転してるのとは違いますよお~お」などと言おうものなら「遠州人」は激怒する。(株)一条工務店という会社にいるのなら(今はいないから言ってもいいのだけれども)、そういう「虎の尾」は踏まない方がいいのかもしれない。「虎の尾を踏むと大変だ」。「はいはい、太陽・月・星といったすべての天体は浜松を中心として回転しております。へえへえ」と言っておいた方がこの会社において生きていくには良かったのかもしれない・・・が、私の場合、なにせ、性格が正直なもので、そう言おうと思っても、つい、「それでも地球はまわっている」と言いたくなってしまって失敗するのだった。
※ 「それでも地球は動いている」・・・・たとえどのような圧迫をうけてもそれは真理だというときにいうことば。ドイツの劇作家ベルト・ブレヒトの戯曲によると、ガリレオは地動説をとなえたため捕らえられて宗教裁判にかけられた。拷問にかけられ、もし地動説を撤回しなければ死刑に処するぞといわれて、ついに公衆の面前でその誤りであることを誓言したが、そのとき彼のくちびるはかすかに動いて「それでも地球は動いている」といったという。
( 折井英治編『暮らしの中の故事名言辞典』1970.4.15.集英社 )
沖田は浜松出身だが早稲田大学卒だったはずで、早稲田大学に行くために東京で4年間生活したのなら、「太陽・月・星といった天体は浜松を中心として回転している」・・ということではないという宇宙の真理を学んだのではないか・・と私は思ったのだったが、(株)一条工務店に多く(株)一条工務店のオーナー経営者が好きな「生まれも育ちも遠州浜松で最終学歴は高卒というような人」と同じではなかったと思うが、それでも、話すことを聞くと、やっぱり、遠州人だなというところはあった。「アタマが浜松」という「病気」を百パーセントは克服できていなかったのではないか。富山県の会社の社長が富山県人は雇いたくないと言って問題になったことがあるが、「地方」の会社の経営者で、あえて地元でない人間を採用してやっていこうと考える人の気持ちはわかる! 言い方にもよるのかもしれないが、富山県のその会社は問題視されて謝罪したようだが、私は富山県人がだめとは思わないけれども、あえて、他県出身の人を採用しようという姿勢はむしろ開明的だったのかもしれない。「『遠州地方』(もしくは、静岡県中西部および愛知県)という後進国の外資系企業」たる(株)一条工務店に勤めて、「遠州人」優先主義・浜松中心主義にもううんざりした者としては(うん〇まみれのザリガニで「うんざり」)、富山県の人間がだめとは思わないけれども、他県出身の人間をあえて採用しようという姿勢は新鮮で開明的に見える。
(イ) (株)一条工務店の展示用では、なぜ「洗面台・洗濯機置き場・脱衣場」は「通路と兼用」になっていたか、教えない不親切な「一条オリジナル営業」
(株)一条工務店という会社は同業他社にいた経験のある従業員を敵視する会社だった。同業他社にいたことがある人間といえども、今は自社の従業員であるはずで、そのくらいのことが理解できないのかと思うのだが、1993年、松戸展示場に三重県から来た工務課のJさんが「三重県の展示場に、元警察官という人が中途入社で入ったことがあったんだけど、みんなで苛めまくって、結局、やめてしまったんだよ。『この野郎、思い知れえ』て調子で」と話していたことがあったが、同業他社にいたことがあるという従業員を見ると、その調子で「この野郎、思い知れえ」て気持ちになるということなのだろうか?・・・。同業他社のいい所は特許でもないものはどんどんと取り入れればいいと思うし、同業他社にいた者から情報を得られることだってあるのだからそれを活かせばいいと私などは思うのだが、ところがどっこい、「遠州人中心主義」の(株)一条工務店ではそうはいかない。なんかしらんけど、他社がやっていたものとなると、意地でもやりたくないとか考え出すようだった。特に、営業本部長の天野隆夫という男は名前の通り、性格がアマノジャク(天野邪鬼)であり、「変ってるなあ~あ」と思わされることが何度もあった。小堀住研(株)の展示場の事務所においては、その営業所の営業の間で、「・・で◇◇が建てている家、あれ、なかなかいいなあ」とか、「☆☆が・・ということをやってるようだけれども、あれはいいよねえ」とかいった話をすることがあった。それが何かよくないことだとかいう認識はまったくなかった。その近隣で他社が建てている住宅のデザインがいいということなら、その後、自社で建てる場合に参考にして、自社でそれを活かしたものを建てればいいことである。他社がやっているものでいいものがあれば、自社でもやればいいのである。だから、そういう話をして情報交換するというのは営業にとっても会社にとっても有益なもので、それがいかんという発想を持つ者は誰もなかった。ところが、(株)一条工務店という会社は難儀なところのある会社で、他社がどこで建てている建物はなかなかいいと思ったとか、どこそこの展示場にあった何はいいと思うとか、住宅雑誌に載っているどこそこの何は使いやすそうだとかそういう話を展示場の事務所でうかつにすると、営業本部長の天野隆夫から「そんなこと言うなら、よそに行けよお」と言われるのだった。(株)一条工務店というのはそういう会社だったのだ。まったく、なんとも偏狭というのか、心が狭いというのか、(株)一条工務店という会社は難儀な会社だった。ひとつには、小堀住研(株)はその頃まで「小堀住研は大卒しか採らない会社です」「ミサワあたりは高卒の営業が多い会社ですが、小堀の営業は大卒の営業です」と言い(さらに「ミサワの営業と小堀の営業では、営業は営業でも営業が違う」とも社内では言っていた。私も入社する前、「ミサワの営業」と「小堀の営業」は性質が違うという印象を受けていた。1960年代後半、私が小学生の時に、親が小堀住研(株)で在来木造の家を建てた時も、私の親も「小堀の営業」は「大卒の営業」だけあって「高卒の営業」の「ミサワの営業」なんかとは違うという印象を受けたようだった。「大卒しか採らない会社」に入社してみるとなぜか実際には高卒の人もいたようで、またその本来いないはずの高卒の人間がえらそうにしているということで「小堀住研は大卒しか採らない会社です」と言われて入社した「大卒」の人間は怒っていたのだが、たしかに、「小堀の営業」は「大卒の営業」というイメージでやっていたのに対して「ミサワの営業」は「高卒の営業」という印象の営業だった)、「営業というのは頭の悪い人間はだめな仕事なんだ」と言っていたのに対し、(株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫が「営業はアホがええんや、アホが」「営業は頭をモヒカン刈りにしてるヤツとか、暴走族みたいなクルマに乗ってるヤツとか、女の子のスカートめくりにいくやつとか、そういうのが営業には向いてるんや、営業には。そういうのんがお客さんに喜ばれるんや、そういうのんが」と言い、「営業というのは学校でてない人間が気さくでお客さんに喜ばれるんや。ぼくなんかも学校でてないから、だから、気さくで人間味があって人に好かれるんや。どや、そう思うやろ。思いますと言え!」という会社だった(さらに、「おい、思わないのか。ぼくが『思いますと言え』と言ってるんだから『思います』と言えよ。おい、ぼくの命令がきけないのか」と営業本部長の天野隆夫が言って無理矢理「思います」と言わされる会社だった)。もしかすると、そのあたりの違いが影響していたかもしれない。小堀住研(株)が「大卒しか採らない会社」「小堀の営業は大卒の営業」と言っても、東大とか京大とかそういう大学ではなく、どちらかというとあまり頂点ではない方の大学卒の人が多かったのだけれども(又、配属されると、なぜか本来はいないはずの高卒の人もいたのだけれども)、それでも、やっぱり、「大卒の営業の会社」と「営業はアホがええんや、アホが」という会社との違いが、もしかすると、そのあたりに出ていたかもしれない。最近、「小学校みたいな大学とか幼稚園みたいな短大とか」が大量にできていて、そんな大学・短大なんて何の価値があるかと言う人もいるのだけれども、たとえ、そんな大学でも出てきた人はそうでない人と違うなあと思う時もあるのです。同業他社のものを見て、たとえ他社のものでも、いいものはいいと言えばいいじゃないか、何が悪いんだと考えるか、他社のものは決してほめてはいけないという偏狭な姿勢か、そのあたりに違いが出ていた可能性もあります。そして、他社がどこで建てている建物はなかなかいいと思ったとか、どこそこの展示場にあった何はいいと思うとか、住宅雑誌に載っているどこそこの何は使いやすそうだとかそういう話を展示場の事務所でうかつにすると、「そんなこと言うなら、よそに行けよお」と言う営業本部長の天野隆夫という男は心の狭い思考の硬い名前の通りアマノジャク(天野邪鬼)でなんとも難儀な男であった。
1992年、東京都江東区潮見のウッディランド東京(今はない)にあった東京展示場では「洗面所 兼 洗濯機置場 兼 脱衣場」にはキッチン側と玄関ホール側に出入口が2ヵ所あって「通路と兼用」にしていました。最初、見た時には、「あ、こういうやり方もあるんだ・・」と思ったのですが、ところが、(株)一条工務店の展示場はどの展示場に行っても、その「洗面所兼洗濯機置き場兼脱衣場」を「通路と兼用」にするという間取りになっており、それはひとつのやり方ではあっても他にも間取りの取り方はあるわけで、又、その「洗面所兼洗濯機置き場兼脱衣場を通路と兼用にする」というやり方をいいと思う人もあればあまりいいと思わない人もあり、実際に住んでいただくお家の間取りにおいても「洗面所兼洗濯機置き場兼脱衣場を通路と兼用にする」という方法をとったお宅もあったのですが、親戚の家でその間取りを見てそれをあまりいいと思わない方には、(株)一条工務店のそういう間取りを見ると、「出えたあ~あ! 一条特有、洗面所を通路と兼用にするてヤツ! いつものやつ! 出えたあ~あ!!! うっわあ~あ!」とか言って嫌がるというのか、嫌悪感を表明する人もあったのです(私、これ、「原文の通り」言われたことがあるんですからね。私が言ったのじゃないですよ、言われたのですからね)。こう言うと、「一条オリジナル浜松流」は怒るのですが、怒るのならそう言った見込客、親戚・友人宅でその間取りの家を見てそう思ってそう言った人に怒ってもらいたいものなのですが、ところが、「一条オリジナル浜松流」は毎度のことながら言った人に怒らないで言われた人間に怒るのです。「言った人」というのはたいていが見込客であるのに対して、「言われた人」はたいていが従業員ですから、だから、従業員相手にした方が怒りやすいから怒りやすい相手に怒るのでしょうけれども、怒られた側からすれば、自分が言われた側なのになんで怒られなければならんのかと理解に苦しみます。
1980年代後半、小堀住研(株)に在籍した時、松戸市で建てられた方ですが、御主人が「洗面所と脱衣場が同じ部屋だと、娘が風呂に入る時に洗面所を使えない」と言われ、それで、「洗面所」と「洗濯機置き場 兼 脱衣場」の間に間仕切りを設けて別の部屋にしたということがありました。うちの父親ならそんなことは考えないでしょうけれども、そういうことを考えることのできるお父さんもあるようです。
(株)一条工務店でも、私が担当させていただいたお宅で、叔父さんが同居しているというお宅で、中学生だったか高校生だったかの娘が入浴中に叔父さんに洗面所を使われるのを嫌がるという娘があったようです。その叔父さんは何もおかしなことをされるわけでもないのでしたが、「年頃」の娘にとっては、入浴中に「洗面所兼脱衣場」に男性がいるということ自体に抵抗があったようで、いてもいいのは弟と父親までが限度で叔父さんは許容範囲外だったらしい。お母さんが「一条さんのユニットバスは扉がアクリルで姿がうつるから」と言われたのですが、姿がうつるといっても、透明ではなく曇りのもので見えるわけではないのですが、「お年頃だから、姿がうつるだけでも嫌なんですって」ということでした。男性の気持ちからすれば、透明で丸見えならともかく、曇りのアクリル板に姿がうつったとしても、それがどうしたて感じで、むしろ、浴室を使用中か使用していないかわかっていいのではないかと思ったのですが、「お年頃だから」ということでした。我が家の補修のリフォームをリフォーム屋に頼んだ時、リフォーム屋の担当者が女性だったので、私はこれを訊いてみたのです。男性の気持ちとしては、透明で丸見えになるというのならともかく、たとえ人影がうつっても、曇りガラスだったり曇りのアクリル板であったりした場合、たとえ人影が時としてうつってもそれがどうしたて感じなのだけれども、女性の気持ちとして気になるものなのでしょうか? と。それに対して彼女が言ったのは「中学生や高校生くらいなら気になるのじゃない。ハタチくらいになったらそれほど気にならなくなる」というものでした。そうなのかな。浴室の出入口の扉は、(株)一条工務店は私が入社した1992年頃は上から下まで曇りのガラス扉、そのうち、アクリル板で曇りのものにしましたし、他の会社でもそうしている所が少なくないと思いますが、「お年頃」の娘のいる家庭などでは、たとえば、上半分を曇りのアクリル板にして下半分は突板(つきいた)にするとか、もしくは、その前に水に濡れても大丈夫な素材のカーテンを1枚入れるとか、脱衣スペースと洗面台のスペースの間に間仕切りを入れるかカーテンを入れるか、そういう方法も選択肢として考えるようにした方がいいのではないかと思います。「人影がうつっても、別にそのまま見えるわけでもないのに、それでどうしたっての」というのはそれは「男の気持ち」であって、家というのは(それこそ「一条オリジナル」のおっさんにはなかなか理解できないでしょうけれども)「男の気持ち」で作るものとは違うはずです。
小堀住研(株)では「フィットネスルームのある家」というのを売りにしたものを出していましたが、他の会社でも「フィットネスルームのある家」というものを作っている所はありました。脱衣場の隣あたりに3帖ほどの「フィットネスルーム」を設けた家というのが小堀のその商品のプラン集には掲載されていたと思いますが、運動選手ならともかく、そうでもない人間が3帖分の「フィットネスルーム」を設けるという余裕があったなら他の部屋を広くしたいわ・・・と思われることもあるかと思います。しかし、たとえば、私にしても、体重を定期的に測りたいと思っても、体重計を置く場所がなかったり。最近では、体脂肪率も出る体重計なんてのもあります。そういうものを整理して置くスペースを1帖分、それも無理なら半畳分確保するとか、「洗面所兼洗濯機置き場」が脱衣場だということにして、脱衣場というものを実質設けていない家があるのですが、脱衣場ということで1帖分設けて、そこに脱衣用の棚と体重計を置くとか、そのくらいならそう難しくもないのではないか。あるいは、ルームランナーとかぶら下がり健康機とか、そもそも、家を建てる時点で柱と柱の間に鉄棒を設置しておけば、それで懸垂できるはずで、ぶら下がり健康機なんて買わなくていいのではないか。渋谷駅の東に東急文化会館というのがかつてあって、そこに東急レックスという映画館があり、何を見に行ったかというと『あしたのジョー』〔⇒《ニコニコ動画―アニソン(213)劇場版 あしたのジョー 美しき狼たち》https://www.nicovideo.jp/watch/nm12897062 〕。その際、東急文化会館の東のあたりのビルに「センタースポーツ」https://www.center-sp.co.jp/ec/ というボクシングの練習用具を販売している店があるのを知ったのですが、サンドバックなんてのも置いてあった。将来、自分の家を建てる時には洗面所の脇に「脱衣場兼フィットネスルーム(ミニ室内運動場)」を設けて、そこにサンドバックを置けないものか・・なんて考えたことがありました(ひとさまの家は建てても、自分の家なんて建てれませんでしたけれどもね)。脱衣場を「洗面所兼洗濯機置き場」と分ける場合、たいてい、脱衣場は「洗面所兼洗濯機置き場」より浴室の側に設けると思うのですが、「フィットネスルーム(ミニ屋内運動場)」の場合、そうではなく、「洗面所兼洗濯機置き場」から浴室と逆の側に設ける方法というのもあると思うのです。その場合、「フィットネスルーム(ミニ屋内運動場)」は、もしも、「フィットネスルーム(ミニ屋内運動場)」として利用しないようになったならば、納戸として使うことができるはずです。
最初に見たのは小堀住研(株)のカタログでだったと思うが、戸建住宅用のサウナ風呂が掲載されていたのを見て、これはいいなあ・・と思ったのだけれども、しかし、1帖分の大きさのサウナ風呂をとりつけたとしても、1坪(浴槽1帖分、洗い場1帖分)か1.25坪(浴槽1帖分、洗い場1.5帖分)の浴室と洗面台・洗濯機置場・脱衣場を合わせて1坪とでは、それほどくつろげないのではないか、とも思うようになったのだ。1993年に(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所に赴任したが、いわき市というと、いわき湯本温泉♪ いわき湯本温泉は「温泉湧出量日本一」の温泉であり、「日本三大名湯のひとつ」と言われる・・というのか、JR「湯本」駅の脇にそう書かれたでっかい看板が出ていたのだ。あと2つはどこかというと、有馬温泉(兵庫県)と道後温泉(愛媛県)らしい。しかし、この「日本三大なんとか」てのはけっこういいかげんなところがある。全国的に有名なところ2つと自分のところと合わせて「日本三大なんとか」にしているものがけっこう多い。「日本三大名湯」にしても、草津温泉(群馬県)を入れる説・下呂温泉(岐阜県)が入る説もあるらしく、宮城県出身の人が言っていた話では宮城県の鳴子温泉も似たようなことを言っていたというのだ。だから、この「日本三大なんとか」てのはあんまりあてにはならない(常磐自動車道の茨城県北茨城市から福島県いわき市に入ってすぐの所に「ここは首都圏 いわき」なんて書いたでっかい看板が建っていたがあれはもっとあてにならない。 国道49号で、いわき市と郡山市の中間付近、北に曲がると小野町というあたりに「美人発祥の地」なんて書いた看板もあったが、それはさらにあてにならない(^^)/)・・・けれども、いわき湯本温泉はなかなかいいよ(^^♪ 湯本駅の近くに「みはこの湯」という銭湯みたいな感じで入れる温泉もあるし、おねーちゃんが腰蓑つけてフラダンスを踊るので有名なスパリゾートハワイアンズは宿泊しなくても1回いくらだったか忘れたがで入浴できる。フラダンスも一回くらい見て悪くないと思う。下卑たおっさんが見るものかと思ってたらそうでもない。家族連れとか社員旅行とかで来た人が子供と一緒に見ている。おねーちゃんの踊りが終わると、客席からも舞台にあがってもらって、社員旅行で来た一行では「部長さん」とかが舞台に上がらされて恥ずかしそうにフラダンスを踊らされてたり、アベックで来てべたついてるのもいるけれども、一般には健康的な施設だと思う。駅前には温泉が出るオブジェもある。(もっとすごいのは、駅前の土産物屋には男性の性器の形をした飴なんて売っていたが、一回、買ってみたいような気もしないでもないが、買っても、それ、しゃぶるのも抵抗あるので買わなかったが、置いてあるだけでも、なんかすごい!!!)(福島県浜通りはなかなかいい所でしたが、福島第一原発事故は大変残念です。)いわき市・双葉郡には鉱泉旅館なんてのも何軒かある。それぞれに、何に効用があるというのが違うらしい。観光ホテルやスパリゾートハワイアンズ・みはこの湯は湯本駅の西側だが、東側には「各敷地に温泉が出る分譲地」で1993年9月に(株)一条工務店の建築中現場で屋根屋が墜落して死亡した草木台なんて所もあり、東京あたりの人間が別荘として買った場合には「温泉が出る」というのは魅力的だが、地元の人が住む場合には「別に、温泉要らないけどね」という人がけっこう多い。いわき湯本温泉は硫黄分が多いらしく、家庭の風呂にひくと家が傷みやすいらしい。いわき に行った際、せっかく温泉地に赴任したのだから、温泉を利用して腰痛を治そうかなんて考えて、それで私はけっこう、温泉のつかり方・湯治のしかたとかいった本も読んだし、サウナの入り方なんてのも学習したのだ。それで・・だ。サウナ風呂というのは、サウナ風呂だけ入っても、だめとは言わんが効果は大きくないらしいのだ。まず、普通に風呂の洗い場で体をきれいに洗い、そして、温浴、浴槽につかって体を温める。次に、体をタオルで拭いて水滴をとり、サウナに入り発汗する。そして、サウナを出ると、今度は水風呂に入って皮膚を刺激し、水風呂を出ると、休憩所、浴室から出て、少々、休憩をとる。そして、また、サウナに入って発汗し、その後、水風呂に入り、水風呂から出ると、休憩所というのか、脱衣場兼休憩所か、もしくは、露天風呂があればその露天風呂の岩にでも腰かけて休憩をとる。サウナだけでなく、温浴用浴槽と水風呂用浴槽、それに休憩所が必要になるのだ。スパリゾートハワイアンズとかそうでなくても、スーパー銭湯・健康センターとかならそれができる。ところが、家庭用サウナなんてつけても、まず、温浴用の浴槽と水風呂用の浴槽と2つ浴槽を用意できる家てそれほど多くないと思うのだ。温浴が終わった後、湯を抜いて水を貯めて水風呂にするか、もしくは、水風呂につかるのはあきらめてシャワーで全身に水をかぶることで水風呂の代用とするか。それで、温浴→サウナ→水風呂 までやったとして、次は休憩をとるのだが、手ぬぐいを股のあたりにかけて座って休憩をとる場所というのは、家庭にあるか? ・・・というと、脱衣場だろうけれども、その脱衣場が(株)一条工務店の展示場みたいに「洗面台・洗濯機置場・脱衣場兼通路」だったりすると、あまり長く占拠すると通りにくくて他の家族が困る。だから、サウナを設置するような場合は「通路と兼用」はやめた方がいいと思う。で、家庭用サウナ風呂を設置する場合は、脱衣場は、やはり、少々広めに取りたい。・・でも、ここまで考えると、何も、家にサウナをつけなくても、ハワイアンズでなくても、健康センター・スーパー銭湯・サウナ風呂といった所に行った方が、広々としていていいのじゃないか・・・て気もしないでもない。ジャグジーくらいなら、ユニットバスにジャグジーの機能だけつけるということもできるので、それほどたいそうでもないが、それにしても、別に家庭の風呂につけんでも、健康センター・スーパー銭湯て所に行った方がいいてことないか・・て気もしないでもない。でも、家庭用サウナをとりつけるとか、それもひとつの選択肢としてはありじゃないか。もっとも、東京圏なんかでは土地の値段も高く、ともかく、最低限のものだけある家を取得するだけでも大変で、サウナどころやないわ・・・て場合もあるのは事実なのだが。
(株)一条工務店の第一設計部の人間にプランニングをさせると、洗濯機置き場は必ず洗面所に持ってくるのですが、洗濯機というのは洗面所に置かないといけないという決まりでもありますか? ないでしょ。なんで、必ず、洗面台の隣に洗濯機置き場を配置するのですか。小堀住研(株)のプラン集でも、それ以外の住宅会社のプラン集でも、洗濯機は洗面所に洗面台の隣に置くプランもあれば、そうではなく、キッチンに洗濯機を置くというプランもありました。主婦業・家事として考えると、炊事と洗濯は同時におこなうことができた方が効率的と考えると、キッチンに洗濯機を配置する選択肢もあるわけです。洗濯物をどこに干すのか、庭に干すのか、2階もしくは3階のベランダに干すのか、屋上に干すのかによっても洗濯機の場所は変わってくると思いますが、庭に干すのであれば、洗濯機は靴なりサンダルなりを履いてでた土足のスペースに置く方法もあります。 3階建てで屋上に干す場合だと、浴室の脇に洗濯機を置いたとして、そこから屋上のペントハウスまで、ダムウェーターをつけるという方法を考えていいかもしれません。ガルバリウム鋼板の屋根材にしたがる設計担当がいますが、ガルバリウム鋼板が悪いとは言いませんが、それならいっそのこと、金属防水にして屋上を使えるようにした方がいいてことないか・・なんて思ってみたりもするのです・・が、同様に、ダムウェーターをつけるのなら、いっそのこと、戸建用のエレベーターつけた方がいいてことないかと思ったりもします。昔から「水回りを上にあげちゃいかん」なんて言いますが、今では2階にキッチンやトイレ・浴室のある家は珍しくもありません・・・が、木構造の3階建てで3階に浴室や洗濯機を配置するのは、そこまでやって大丈夫か・・と少々不安を感じます。フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ は平気で3階にユニットバスでもない浴室を作り、平気でFEP防水での屋上を施工していますが、構造に責任をとる意思のない会社のやることにはものすごく不安を覚えます。「2階にユニットバスによる浴室」まではいいとしてフリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計士(さま)」と自称するしろうとが平気でやる「3階にユニットバスでない浴室」というのは私が設計担当なら避けたいと考えます。使い勝手から今では2階にトイレや浴室、キッチンを配置するのは珍しくも何ともありませんが、水漏れを起こしにくいようにという点から考えると「水回りはできるだけ上に上げない方がいい」というのは間違いということではないのですから。1階か2階に洗濯機を置いて3階建の上の屋上で洗濯ものを干すのなら、洗濯した物を持って実質4階である屋上まで上がるのは大変ですから、エレベーターかダムウェーターかどっちかあって良さそうに思います。
※ クマリフト ダムウェーターhttps://www.kumalift.co.jp/product/dumbwaiter/
そして、最近は、乾燥機兼用の洗濯機というのが出てきていますが、1990年頃は乾燥機は洗濯機と別でした。最初、乾燥機なんて贅沢品・・なんて思ったのですが、そうでもない。三流以下企業で安月給でこきつかわれて仕事が忙しいときっちり干してる時間がなかったり。もうひとう、「洗濯槽」を設けるという場合もあります。「洗濯槽」というのは、手洗いをしたいものを洗う槽です。我が家なんかは、手洗いする必要があるものは洗面台で洗うか、さもなくば、浴室でバケツに水を入れて洗っていますが、洗濯槽があると便利という考え方もあります。洗濯槽には、手洗いしたい洗濯ものを洗う洗濯槽というのと、もうひとつ、靴を洗うための洗濯槽というのもありえます。靴てどこで洗うのか。洗面台でなんて洗いたくないし、風呂の洗い場で洗うものでもないし、庭か玄関先に散水栓を設置してそれで洗うのか。バケツに水を入れて外で洗うのか。
まず、洗面台・洗濯機・脱衣場という3つはセットであると決まっているものではないはずなのです。私が子供の頃、住んでいた家は、洗面所は風呂場の中にあって洗濯機置き場と脱衣場が同じ部屋でした。小学校の4年の時、小堀住研(株)で建てた家では、洗面所と脱衣場が同じ部屋で、洗濯機は「サービスヤード」と図面には記載していたスペース、ダイニングキッチンから外に出るまでの間に、靴を履いて出る屋内の部屋を設置して、そこに洗濯機は置いていました。「サービスヤード」にあったのは洗濯機の他、ガス給湯器・ガス釜、それに勝手口から出る際の靴脱ぎ場。我が家は「玄関」というのはお父さんとよその人の出入口で、家族はみんな、勝手口から出入りするものでした。隣の家はどこで建てた家かわかりませんが、隣家も似たような感じで、靴なりサンダルなりを履いて出る屋内空間があって、洗濯機もそこにあったような気がします。我が家も隣家も洗濯ものは庭に干していたということもありますが。その後、住んだ「アパート」の場合、洗濯機は屋内に置くアパートと部屋の外、通路部分に置くようになっていたアパートとベランダに置くようになっていたアパートがありました。ともかく、「洗濯機は洗面所で洗面台の隣」と決まっているものではないはずなのですが、ところが、(株)一条工務店の展示場では必ず「洗面所兼洗濯機置き場兼脱衣場」と3つがセットになっていて、それが「通路と兼用」になっていました。そして、(株)一条工務店の第一設計部の人間の頭は洗面台と洗濯機置き場と脱衣場というのは3つがセットという固定観念がこびりついており、その他の発想というのをさせるのは相当困難でした。
私は、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫からインテリアコーディネーターhttps://www.interior.or.jp/examination/ic/ の資格を取ってもらいたいと言われたので、慶應大学商学部の出身者としてのマーケティング的発想・経済学的認識とインテリアコーディネーターの有資格者としての知識・能力とを合わせて、それらの能力のある人間にさせるような業務につかせようということであろうと考え、自分が勤めた会社の上役が取ってくれと言うものは何としても取らないといけないと考え、そして、会社という所においては、上役が10のことをやってくれと言えば10やる人もおれば、10やってくれと言われても7しかやらない人もおり、10やってくれと言われると12か13やる人もいるので、私はインテリアコーディネーターを取ってくれと言われたのであればインテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストhttps://www.interior.or.jp/examination/ks/ を取ろうと考えて、その両方の試験に合格して登録しました。両方とも受験前に思ってより大変な試験でした。ところが、合格すると、総務部長の天野雅弘と栃木県南部営業所長の木下から「インテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)も、ぼくらはどんなにしても通らないのに、あんたは何の努力もしていないのに、簡単に通る。ずるい! 卑怯だ!」などと言われたのです。会社の上役が、営業本部長が取ってくれと言うから、だから、大変な思いをして取得したのに、なんで、「ずるい」だの「卑怯だ」だのと総務部長から言われなければならないのでしょうか。そんなこと言うのなら、取ってくれと言わなければいいのです。違いますか。取ってくれと言って、それで大変な思いをして取らせておいて、「ずるい」だの「卑怯だ」だのと言う人間の方こそ、「ずるい!」「卑怯だ!」と言われる必要があるのと違いますか。 私は相当のことをやって大変な思いをしてやっと通ったのであって、「簡単に」なんて通ってませんし、ましてや「何もしないのに」通るわけありません。ある人材紹介会社の担当者が「キッチンスペシャリストなんてシステムキッチンの販売員の資格だ」などと言っていましたが、この資格を持って販売員をやっても悪いことはありませんが、キッチンスペシャリストは基本的にはキッチン設計をする人の資格でしょう。けっこう合格は大変です。フナッシーてのは船橋市非公認キャラクターだそうで、なんで「非公認」かというと、船橋市公認キャラクターとして「ふなえもん」てのがいるみたいなのですが、「ふなえもん」はこの際どうでもいいのですが、キッチンスペシャリストの公認のテキストブックに『キッチンスペシャリストハンドブック』と『キッチンスペシャリスト設備ハンドブック』というのがあるのですが、その企画:キッチンスペシャリストハンドブック編集委員会『キッチンスペシャリストハンドブック』(1991年3月第3版 日本住宅設備システム協会)に、[6]キッチン設備機器の知識 という章があって、そこに、(1)電気・ガス・水道の基礎知識、(2)シンク・水栓金具、(3)加熱調理機器、(4)冷凍冷蔵庫・食器洗い機・食器乾燥機、(5)換気用機器が掲載されているのに続き、 (6)洗濯機・乾燥機が掲載されているのです。最初、見た時、なんで、キッチンに洗濯機・乾燥機が・・・と思ったのですが、システムキッチンというのは、あるシステムのもとに部材を構成して設計して作っていくというのが本来のシステムキッチンで、「一条工務店オリジナル」の「システムキッチン」なんてのは、あれは天板(カウンター)がひと続きになっていてオプションでいくらかの変化は加えることができるという「簡易型システムキッチン」と言われるもので、システムキッチンでないというわけではないとしても、本来のあるシステムのもとに部材を構成してキッチン設計をして作るというシステムキッチンとは少々違うのです。その本来のシステムキッチンにおいては、洗濯機・乾燥機もシステムキッチンを構成する部材としてあり、システムキッチンの一部分として洗濯機・乾燥機を組み込むという選択肢もあるのです。実際には、冷蔵庫もそうですが、システムキッチンとして組み込んだ場合、冷蔵庫や洗濯機の寿命は、おそらく、システムキッチンの寿命や家の寿命よりも先に来ると思われ、その際にも、そのシステムキッチンに組み込むように作られた冷蔵庫や洗濯機・乾燥機を買うのかという問題もあり、組み込むのがいいかどうかという問題もあるかと思いますが、ともかく、洗濯機・乾燥機は冷蔵庫などとともにシステムキッチンを構成する部材のひとつとされていますし、組み込まないとしても、キッチン設計において、冷蔵庫や洗濯機・乾燥機はどうするのか、別に用意するとしても、どの場所に配置するのかというのは、キッチン設計における課題のひとつです。洗濯機・乾燥機は洗面所に洗面台の隣にあっても悪くありませんが、キッチンにあっても悪くないのです。又、脱衣場と洗濯機で1部屋でも悪くないはずで、脱衣場は浴室の隣にないと困るでしょうけれども、洗面所は必ず浴室の隣にないといけない理由はありません。洗面所が浴室と離れた場所にあってもいいはずです。・・・ところが、(株)一条工務店の第一ワンパターン設計部は「洗濯機は洗面所に配置するもので洗面台の隣にあるもの」という固定観念から離れることができません。
東京展示場で、「洗面所・洗濯機置き場・脱衣場」が1部屋になっていて、なおかつ、キッチン側と玄関ホール側の2方向に出入口があって「通路と兼用」にされていたのを、入社2年目の沖田(男。当時、20代。浜松出身。早稲田大卒)が来場客に話すのを聞いていたところ、沖田は「洗面所なんてのはいつも使うという場所ではありませんから、通路と兼用にすると場所を有効に使えるということで、通路と兼用にしているのです」と説明していたのです。そうかな・・・? そう思う人もあるかもしれません。そう考えるお宅もあるかもしれません。しかし、洗面所は洗面所として取りたい、通路と兼用は嫌だと思う人もいるでしょうし、むしろ、脱衣場を洗面所と分けたい人もいるでしょうし、洗濯機置き場を洗面所と分けたい人もいるのではないかと思います。(「洗面所・洗濯機置き場・脱衣場を通路と兼用」という間取りを見ると「出えたあ~あ! 一条工務店の得意のヤツ。出えたあ~あ!!!」とか言う人もいます。本当にいます。)
(株)一条工務店の住宅展示場は、ある1つの展示場がその間取りになっていたというのなら、それは間取りの取り方のひとつとしていいでしょうけれども、どこの展示場にいっても「洗面所・洗濯機置き場・脱衣場」がセットで「通路と兼用」になっていたのです。沖田は「洗面所なんてのはいつも使うという場所ではありませんから、通路と兼用にすると場所を有効に使えるということで、通路と兼用にしているのです」と本気でそう考えていたのか、便宜上、来場客にそう言っていただけなのか。おそらく、本気でそう考えていたのでしょう。なぜなら、来場客にそう話すだけではなく、私など沖田より後で(株)一条工務店に入社した従業員にも同じように言っていましたから。
決して沖田だけが悪いんじゃないですよ。(株)一条工務店の比較的古くからいる従業員は誰もが沖田が話していたように話していたのです。しかし、結論を言うと、それは違うと思いますよ。「洗面台・洗濯機置き場・脱衣場」の3つを1部屋にして、それをキッチン側と玄関ホール側の両側に出入口を設け、洗面台の背後の方向にユニットバスへの出入口を設けるという間取りの取り方は、それはひとつの方法、ひとつの選択肢としてはありとしても、他にも選択肢はいくつもあるのであって、(株)一条工務店の展示場がどこにいってもその方法を取っていたのは、「それが間取りの取り方として大変すばらしいから」ではないはずですよ。それなら、どういう理由なのか? (株)一条工務店が売りにしていたのは、「在来木造で構造材はムク材の国産材を使用している建物である」という点で、「地方」の人および都市部の住人でもそういう趣向の強い人を主たる客層と考える建物で、その上で、在来木造の建物として、地震に強い、そして、腐り・白蟻に強い・・というのが売りであったはずなのです。その「腐り・白蟻に強い」という話をしたかったわけです。そのために、キッチンの床下収納庫のところで、床下を見てもらって、基礎を高くとって床下換気口を広く大きく向かい合わせの位置にとって床下の通風をきっちりと取れるようにしていますということを言うのとともに、浴室はユニットバスにした方が造成バスよりも腐り・白蟻に対しては良く、そして、人工乾燥によって杉の並柱(なみばしら)は含水率を下げて、加圧注入という方法で防腐防蟻剤を1階部分の構造材は真壁和室の桧の役柱(やくばしら)の他はすべての構造材を注入しているのです・・・といった話をしたかった、ということでしょう。そのために、廊下から洗面所・脱衣所に入ってそこから浴室に入る間取りでは、廊下から洗面所をちらっとのぞいただけで通りすぎてしまう来場客も出てくるのに対し、「洗面所を通路と兼用」にした間取りであれば、浴室のすぐ横を必ず通ることになって浴室から腐り・白蟻の話をするようにしやすい、ということで、「洗面所を通路と兼用」という間取りにすべての展示場がなっていた、というそういうことだと思いますよ。
私は、実際に建てて住んでいただく家でどうするかということでは、「洗面台・洗濯機置き場・脱衣場」がワンセットの1室で「洗面所・洗濯機置き場・脱衣場」が「通路と兼用」という間取りは、それはひとつの方法として、ひとつの選択肢としてはあるとしても、他にも方法はあり、ひとそれぞれではあるものの私が建てるのであれば、私の家ならばその「通路と兼用」というのはあまり好きではありませんが、「在来木造の会社で、腐り・白蟻に強い」というのが「売り」の会社であって、その話をするように持っていきたい、そのためには洗面所の前を素通りされたくない、必ず、ユニットバスのすぐ横を通るようにしたいということで、その作戦として「洗面台・洗濯機置き場・脱衣場を通路と兼用」という間取りにすべての展示場をする、というのは、その住宅建築業の会社としての作戦というのは、それは悪くないと思います。
問題は・・・・。そのカラクリをほとんどの従業員が知らなかった、という点です。それがわかっておれば、「なんで、一条の展示場て、どの展示場に行っても、『洗面所が通路と兼用』なんだろうなあ。もっと、いろいろなやり方の展示場を作った方がお客さんにも喜ばれるのになあ」とか考えることもなく、その場所において、もっと徹底して腐り・白蟻の話に持っていくようになったでしょう。なんで、(株)一条工務店の古くからいる営業、「一条オリジナル」の営業は新しく入ってきた人にそのカラクリを教えないのでしょうか? なんでだと思いますか? 私自身にしても、このカラクリに気づくまで何年かかかったのですよ。その何年かかかっても、それでも気づかない人だっていると思うのです。なぜ、きっちりと会社として従業員にそのあたりを説明しないのでしょうか。なんでだと思いますか? もしかして「ベンチがアホやから」かな? そうかもしれませんね。少なくとも、私がここで述べたことを、きっちりと従業員に説明して話しておけば、なるほどと思った従業員には、その後の展示場アプローチにプラスになるはずなのですが、ところが、それを教えてない・説明しない。なんで? 自分だけがわかっておれば「トップセールス」になれるけれども、他の従業員に教えて他の従業員が今よりも売れるようになったら自分が「トップセールス」でなくなるから??? それなら、その「トップセールス」て人は教えなくてもいいけれども、自分自身は営業をやらなくなった「所長」とか「部長」とかそういう人もいるのだから、そういう人が教えればいいのと違うのですか? 今、ソフトバンクホークスの監督をやっている工藤が、横浜DeNAの投手だった時に、何だったか週刊誌に書いていたけれども、工藤が西武ライオンズに入団してすぐの頃、先輩投手の東尾に何だったか変化球の投げ方を教えてくださいと頼んだところ、東尾から「なんで、そんなもん、教えんといかんねん」と言われたそうな。西武ライオンズの中心投手であった東尾からすれば、有望新人投手の工藤は強烈なライバルであり、ライバルにそういうものを教えるということは、それは自分の職を失うことにつながりかねない、自分の収入を失うことになる・・ということであり、「なんで、そんなもん、教えんといかんねん」と言ったというように、なんで、わざわざ、自分が仕事を失うようなことをせんといかんねん! ということだったらしい。しかし、工藤はその週刊誌で述べていたが、「私は今はDeNAの若手投手に誰にでも何でも教えています」と書いていて、それは東尾が言ったことが間違っているということではなく、投手としては高齢に属する方の選手になった今現在の自分は若手投手をライバルとは考えていないからですということだった。ですから、「なんで、そんなもん、教えんといかんねん」と思う人が教えたくないと思うのなら、それはそれでいいのかもしれませんが、別にライバルではないという立場の人だっているはずですから、会社として、 ↑に私が述べてきたことくらい、会社としてきっちりと教えればいいと思うのですが、なんで教えないのか・・・というと、やっぱり、「ベンチがアホやから」なのでしょうか??? なぜ一条工務店の展示場では「洗面所兼洗濯機置き場兼脱衣場が通路と兼用」になっているのか、そのカラクリをきっちりと教えればいいと思うのでしたが、教えない。 教えることのできる能力のある人がいなかったのかもしれませんが、愚かだと思いますね。
建物がいいかどうかとは別に、それはどういうことでそうなっているのか・・・というカラクリをきっちりと従業員に説明しておくべきで、きっちりと説明すれば営業しやすいはずなのに、この会社の経営者はなぜか教えないという(株)一条工務店の変なところ・・についてはまだまだあります。次回も、もう少しそのあたりを述べます。
(2019.9.21.)
★ (株)一条工務店の浜松営業はどんな連中か。
【1】 (株)一条工務店の浜松の営業とはどういう連中か【1/ 】+遠州人の特徴 「渋谷て言ったら、小岩の東の方だらあ」 「東京駅から大手町駅に行くにはタクシーに乗るのが一番だらあ」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_1.html
【2】 (株)一条工務店の浜松営業とはどういう連中か【2/ 】ダンピング浜松・名古屋。浜松は東なのか西なのか。「悪くないと思った」と言うと気に入らない人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_2.html
【3】 「浜松でいいもの」は東京人に?プレカット工場はプレカットせず出荷した? 住友林業は機械プレカットしているのに、「『住友林業はプレカットしてないでしょ』でそれだけで売れる」と言い張る浜松流オリジナル営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_3.html
【4】 集成材vsムク材。対住友林業は楽勝か難敵か https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_4.html
★ 「一条工務店の建物は完璧にすばらしい」「一条工務店の建物には問題点はまったくない」の反証
反証1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_5.html
【C】-4 《1》 床下換気口の真上の位置に柱が載っている。
《2》 柱の下に基礎がない。
《3》 筋交いと換気扇の穴の位置がぶつかり、筋交いを切断している。
反証2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_6.html
【C】-5 《4》 筋交いが片方の向きばかり。
《5》 寸法違いの丸太梁をそのまま入れる。工務課が工務課として機能していない。
反証3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_7.html
【C】-6 《6》 断熱材の室内側防湿層を破る。
《7》 断熱材の入れ方不適切。
《8》 やっていないのにカタログに書かれている「エアーフローシステム(壁体内換気)」
反証4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_8.html
【C】-7 《9》 ヘルメット非着用・吊荷真下作業・無資格者玉掛作業。
反証5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_9.html
【C】-8 《10》 「施工ミス」「施工不良」「間違った施工」と浜松の営業が言い、会社が作成したアルバム帳に写真入りで記載されている小さい束石の施工を東京都でやっている。大きい束石でも端に床束が載る。床束が束石から浮いている。
反証6-1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_11.html
【C】-9 《11》-1 擁壁と基礎のとりあい について工務課(工事担当)が打合せを拒否。(株)一条工務店の東京工務課は深基礎ができないの?
反証6-2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_12.html
【C】-10 《11》-2 深基礎の見積もりを計上し、深基礎の施工のはずが、どうも、そうなっていなかった可能性が小さくない。
反証7 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_1.html
【C】-11 《12》 地盤調査・地盤補強は要ると言いたいのか要らないと言いたいのか。ある時を画して正反対を平気で言う会社。
反証8 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_2.html
《13》「一条の家は完璧にすばらしい」の反証8.嘘の多い会社。土台は自社で注入してない。見学会限定の大道芸他
反証9 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_4.html
《14》 出過ぎた口きく設計、学んだ者に学んでいない者に服従しろと言う本部長
反証10 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_bb94655b33.html
《15》 「引き抜き抵抗力」による「箱型筋交いプレート」は「せん断抵抗力」による「プレート型筋交いプレート」より、なぜ、いいのか? 質問しても答えてくれない先輩社員、質問すると営業本部長に「報告」されて「よそに行けよ」と言われる会社。
《16》 一条工務店の建物の床下には木屑がいっぱい。煙草の吸殻もあった。
反証11 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_5.html
《17》「坪いくら」で契約させ、「施工面積」にどこまで入れるかは拡大し放題。契約時、「他社で契約するために解約する場合は契約金は返金しない」という文言を知らさずに署名捺印させる会社。
反証12 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_7.html
《18》ひとの追客中見込客を横取りして放置する「一条の土台を築いてきた人たち」、それに加担する営業本部長
反証13 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_6.html
《19》浜松のインテリア館で購入を検討していいのは「静岡市から名古屋市まで」の人が限度。「遠州人」の世界観で運営される工務店とインテリア館。
反証14 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_8.html
《20》「決定権者を見抜く」ヤツと「誘導する」ヤツには住宅は頼みたくない。
反証15 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_9.html
《21》「他社に対して見当はずれな誹謗中傷をする下品な会社」
反証16 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_10.html
《22》 親戚の契約は、(株)一条工務店ではさせられない。-RC造の地中梁を解体屋が無断で撤去。設計ミスで軒のない家を施主の承諾なく建てる。解体屋は隣家の塀も壊す。従業員の親戚の家には初めての大工・職人。引継ぎ営業は「めんどうくさいですから」と施主宅に行って言い、住宅金融公庫を高い金利で借りさせ葉とする。一条インテリアでエアコンとカーテンレールを頼むと、一緒に頼んだから問題はないかというとそうではない。
反証17 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201908article_5.html
《23》 立ち入ると鼻やのどが苦しく眼が痛くなる家
《24》 「集成材はムク材の1.5倍強い」と自分は集成材を構造材とする会社の営業ではなくムク材を構造材とする会社の営業なのに言いまくる男の会社の家
反証18 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201908article_7.html
《25》 「客宅に行ってインタホンを押すと隠れる」ヤツの作る家と、「ドアを開けると閉めさせないように足をつっこむ」ヤツの作る家。
《26》 浜松の展示場は新しくてきれい、東京展示場は古くて汚くて床鳴りがする。
反証19 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201909article_1.html
《27》 バルコニーの防水の方法は《シート防水+人工芝》でないと絶対にだめだと教えながら、「シート防水」(「防水シート+人工芝」)とFRP防水では「なぜ」「どのように」《シート防水++人工芝》の方がいいのですか・・なんて質問してはいけない会社
反証20 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201909article_3.html
《28》 「譜代」の所長がいる営業所には経験のある設計を担当させ、新人営業だらけの営業所には新人設計を担当させる会社。
反証21ー1 〔今回〕
《29》(ア)大型ベイウインドウは本来「親戚中が集まって座席が不足した時に補助席として使う出窓」ではない、と従業員に教えるべきなのになぜか教えない会社。
(イ)「洗面台・洗濯機置場・脱衣場を通路と兼用」にした展示場は、ユニットバスを見て腐り・白蟻対策を話す為の作戦だ、と従業員に教えるべきなのになぜか教えない会社
反証21ー2
《29》(ウ)
・・・
☆ 佐野展示場の新人類1
[第664回]自分に該当するものがなければ営業所ごとの報告を止める男はどうしたものか-やったことないことは【4】https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201901article_9.html
[第665回]平日の来客を粗末にする営業・他の従業員に労働契約外の業務をさせる男、「聖教新聞」の押売り!https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201901article_10.html
[第686回]職場でアダルトビデオを見る男と、DVDプレーヤー付パソコンをアダルトビデオで試す男。職場の新人類現象https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_6.html
[第417回]トヨタの車に乗らない理由―「朝来て『おはよう』と言うと同時におっぱいもみもみい」のネッツトヨタ栃木https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201606article_2.html
[第214回]職場で他の従業員からカネを騙し取るのは「営業力」だろうか?【上】新聞代、人が買った切手、飲み会代金https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_2.html 【1】
[第547回]深奥山 方広寺(浜松市)と信教の自由の侵害【3】忘年会の金を払わない男、人に立替させようとする姑息男https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html (イ)
☆ (株)一条工務店「お客様相談室」の「責任者」とはどういう人間か
【1/3】浜松独善主義の会社、宅建業法違反を要求する店長次長、軽犯罪法違反を従業員にさせて自分はやらない店長他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_9.html
【2/3】「契約前は何でもできますと言って、契約後は適当に建ててしまえ」というのは営業上何かプラスになるのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_10.html
【3/3】 (株)一条工務店「お客様相談室」の「責任者」とはどういう人間かー真面目に対応せず人を誹謗中傷https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_11.html
☆ コーヒー出すにはどういうお盆
【1/2】《商学部的発想+インテリアコーディネーター》を生かせない会社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_5.html
【2/2】東武船橋店で見たイタリア製2点とHCで見た天然木2点https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_6.html

A03 地球の歩き方 ロンドン 2019~2020

暮らしの中の故事名言辞典 (1967年)

キッチンスペシャリストハンドブック

快適スパ・リゾート (JTBの旅ノートPLUS)
「一条工務店の家はすべてにわたって完璧にすばらしい」「一条工務店の建物はすべてにおいて同業他社の建物よりすぐれている」「一条工務店の建物には問題点はまったくない」という寝言に対する反証
《29》 「からくり」をわかっている人間が中にいてもそれを教えない会社。教えようとすると妨害する会社? それでは売れない「浜松流」を非浜松・反浜松地域に強制したがる営業本部長
1993年5月、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の浜松での「研修」において、近藤路夫という名古屋南営業所の「所長」にならせてもらっていたらしい近藤路夫という男のいわば「常軌を逸した人間の寝言」に対する反証を述べてきたが、これまでは、建物の問題点や「地方向け商品」(より正確に言うと「浜松向け商品」)であることから都市圏の顧客に合わない部分などを述べてきたが、今回は、(株)一条工務店の会社経営者の姿勢が売りにくくしている部分を述べる。
(ア) 「親戚中集まった時に座席が不足した時、補助席として使える出窓」
2000年1月、ロンドンに行った時、どこだったか、ヒースロー空港からロンドン市街に行く地下鉄の空港から市街までの中間のホテルで泊まったのだが、ホテルの窓から外を見ていたところ、戸建住宅で(株)一条工務店が取り付けていた「ベイウインドウ」という大型の上から見ると台形の形の出窓と同じものがついている家があった。ホテルの周囲を歩いてみたところ、戸建住宅が並んでいる地域があり、そこにも、(株)一条工務店が「セゾン」と名付けていた建物につけていた「ベイウインドウ」と同じものがついている家が何軒もあったのだ。そして、それは決して「田舎くさい」「じじむさい」ことはなかった。
ところが、1992年、私が(株)一条工務店に入社した時、東京都江東区潮見のウッディランド東京に出展していた(株)一条工務店の東京展示場の建物についていた「ベイウインドウ」は「いかにも、田舎て感じ」と来場客から言われまくったのだった。そう言われるとそう見えてくる出窓だった。たしかに、「そう言われると」そう見えてくる出窓だったのだが、ロンドンの住宅で見ると、別に「田舎くさい」「じじむさい」という感じではなかったのだ。 なぜ、(株)一条工務店の建物で見ると「田舎くさい」「じじむさい」「ぱっとしない」「あか抜けない」「三流くさい」という感じに見えたのか。それは、ひとつには(株)一条工務店の本社(要するに「浜松の人間」「遠州人」)が東京の営業にこう話せと命令したものが間違っていたからである。
私が入社した1992年、東京展示場には、「主任」の宮崎さんが「リーダー」で新卒入社3年目の堀本・新卒入社2年目の沖田の他は入社1年目の人間ばかりだった。それで、入社直後の私は、この3人が展示場で来場客にどういう話をするか壁の影で聞いたのだが、沖田は来場客にこの出窓をこう話していたのだった。「大変大きくて実用性がある出窓で、正面の窓は通常の掃き出し窓と同じ高さがあるもので、頑丈にできていますから腰かけても大丈夫で、親戚中が集まった時に座席が不足した時には補助席として使うこともできます」と。
それを聞いて、その最後の部分、 「親戚中が集まった時には補助席として使うこともできます」というくだり、そんなの、浜松とかでならともかく、東京で家を建てる人が座席が不足するほど親戚中が集まることなんてそんなにないだろう・・・、たとえ、20年に1回か30年に1回あったとしても、家というものは20年に1回か30年に1回の時のために作るものではないだろう・・・と思ったのだが、東京や大阪の人間には理解できない人が少なくないと思うが、「地方」においてはあるらしいのだ。だから、浜松・掛川などにおいてはこの「トーク」は悪くないのだと思う。ところが、東京において言うとどうなるか。私も(株)一条工務店に入社したのだから、沖田は入社2年目であり、私は最初に住宅建築業の同業他社に入社したのはそれより2年前で、住宅建築業の会社に最初に入ったのは私の方が先とはいえ、(株)一条工務店では沖田の方が先からいるのだから、その話し方をしてみた方がいいのだろうか・・と思って話してみたことがあるのだが、すると、どうなるかというと、「そ~んなの、親戚中が集まるなんて、そんなことないわよお~お」と言われるのだった。「『親戚中が集まった時に補助席として使う出窓』なんて、そんなの要らないわよ。やっぱり、お宅は浜松ねえ」・・・とそう言われたのだった。私が言ったのではない、私が言われたのだ。それから、「こんな大きな出窓で雨戸がつかないとなると、防犯上、良くないわよねえ」というのも言われた。
その出窓がついている家をロンドンで見た時は悪くないと思ったのだが、それより以前に、浜松で見た時にも悪くないという印象を受けたことがあった。東京で見ると、「じじむさい」「田舎くさい」「ぱっとしない」「センス悪い」という印象を受けるものでも、浜松で見るとその地域の環境にちょうど合っていたりすることがあるのだ。だから、その大きなサイズの上から見ると台形の出窓は、最初の発祥がロンドンなのか他のヨーロッパの場所なのかはわからないが、ともかく、どこか、ヨーロッパの家についているものを(株)一条工務店の「遠州人」が見て、それを「浜松の家」に取り入れたのだろう。「浜松の家」でも使えると思ったのだろう。そこはいい。そこはいいのだけれども、その次の時点で「遠州人」の営業が「親戚中が集まって座席が不足した時には補助席として使える出窓」というフレーズを考えて見込客に話したのだろう。そこまではいいと思う。しかし、そこからが問題。それを「(株)一条工務店の遠州人」は遠州地方以外の地域の営業にも来場客・見込客に言うように強制したのである。その結果、東京展示場においては「そ~んなの、リビングルームで座席が不足するほど親戚中が集まるなんてことないわよねえ~え。うち、浜松で建てるのじゃないわよお。やっぱり、お宅は発想が浜松ねえ」とあきれた顔をして言われることになってしまったのだった。
こりぁ、そういう話し方をしてはいかんなあ~あ・・と私は思ったのだ。私が(株)一条工務店に入社直後、同社の『営業マニュアル』には、 「入社して1年間は、どんなことでも指示に従う」と書いてあったと思う。だから、私は、これはどうかな・・と思うことがあっても、指示に従い、『営業マニュアル』に書いてあることは、これはどうかなあと思うものがあっても、最初1年間はその通りやってみるものなのだろうと思って指示に従ったのだったが、ところが、そんな『営業マニュアル』の指示になんて従っていたのでは、「やっぱり、お宅は浜松ねえ」と言われることになって、契約してもらえる方向に進まない。だから、なんだかんだ言っても営業は売らないといけないのだから、売れることをしないといけない。そのためには、東京圏で売るためには、浜松・掛川の人に喜ばれる話し方ではなく、東京の人間に受け入れられる話し方をしないといけないと思うようになったのだ。又、「やっぱり、お宅は浜松ねえ」と言われないよう、不必要に「浜松の会社」というのを言わないようにしないといけないと思うようになったのだ・・・・が、ところが、そう考えた頃、東京展示場に浜松から営業本部長で兼任で名目上、東京営業所長ということになっていた天野隆夫が来て、入社1年目の営業社員に「もっと、『浜松の会社』というのを言った方がいいなあ」と言うので、「あんた、そりぁ、逆だろう」「あんた、それをやったら売れなくなるというのがわからんのか」と思ったのだが、天野隆夫はわかっていなかったようだ。わかっていなかっただけでなく、後から考えると「わかってたまるか」という信念を持っていた。天野隆夫は営業本部長で名目上、兼任の東京営業所長であったが、東京営業所長というのは東京営業所の営業成績が悪ければ責任を取らないといけない立場かというと、(株)一条工務店では営業所長は営業所の成績が悪くても責任は取らなくていい、営業所の成績が悪ければ個々の営業が責任を取れという会社だったので、「もっと、『浜松の会社』というのを言った方がいいなあ」なんてことを指示して、それで「もっと」売れなくなったら、それなら天野隆夫はそれに対して責任を取ってくれるのかというと取らない。責任は天野隆夫から「もっと、『浜松の会社』というのを言った方がいいなあ」と言われて、営業本部長の指示なんだからと思って指示に従って売れなくなった営業が取らされることになる。なんとも、無責任な営業本部長である。
1990年代初め、東京で営業している静岡県に本社のある会社として、静岡県清水市の菊池建設(株)https://www.kikuchi-kensetsu.co.jp/ と浜松市の(株)一条工務店 があった。私が小堀住研(株)に入社した1980年代終わり、住宅雑誌で住宅建築業の各会社について述べた一覧に掲載されていた論評では、菊池建設(株)は「発祥の地である静岡県清水市では今もぱっとしないが首都圏では好調」と書いてあったと思う。別の住宅雑誌には「『宮大工からここまで』と社長のことを言っている、というよりも、言わせている」と書いてあった。小堀住研(株)では小堀の「新 桂」というタイプで和風の高級住宅を建てようという見込客が菊池建設(株)と競合になることがあった。同じ営業所に勤務していた人が担当で、菊池建設(株)に勤めていた人で小堀住研(株)の高品質低価格タイプの「ハウス55」を建てようという見込客があって、なんで、自分の勤め先で建てないのだろう・・なんて話も出たが、その頃、菊池建設(株)は「和風の高級住宅の会社」であって、「ハウス55」のようなタイプのものがなかったようだ。菊池建設(株)は、1990年頃、「静岡県清水市ではぱっとしないが首都圏では好調」の会社だったのだが、(株)一条工務店と菊池建設(株)は「静岡県の木造の会社」という点は共通していても、菊池建設(株)は初代の社長は宮大工だったというのは嘘でもないらしいので、「宮大工からここまで」というのはまるまる嘘ではないのかもしれないが、なんだか「嘘でも百回言えば真実」みたいな調子で言いまくって首都圏で和風の高級住宅を建てようという人にアピールしたのに対して、(株)一条工務店は初代社長は電気工事店をやっていたらしくて「宮大工からここまで」とかそんな「お話」はなくて、菊池建設(株)は「静岡県清水市の宮大工から」というのを清水市近辺でではなく首都圏で売りにして浸透した会社だったのに対して、(株)一条工務店は静岡県浜松市でできて、浜松市近辺から東側は静岡県の中部・東部、西側は愛知県に伸びてという会社であり、1992年、(株)一条工務店の本社の研修の時に、どういう脈絡でだったか忘れたが、講師役で来ていた静岡県で所長だか課長だかだった花村さんに菊池建設(株)のことを話したところ、「え、東京ではあんな所なんて相手になんのお?」などと言われたことがあった。 (株)一条工務店で静岡県中西部で営業やっていた人にとっては菊池建設(株)というのは「格下の会社」だったのだが、ところが、東京圏においては菊池建設(株)は「比較的予算の出せる人で和風の高級住宅を建てたい人」に評価される会社だったのに対して、(株)一条工務店は「そんな会社、だ~れも聞いたことないでしょ、そんな会社」と言われる会社だった。 1990年前後の頃、静岡県清水市に本社があった菊池建設(株)と静岡県浜松市に本社があった(株)一条工務店は「静岡県に本社がある在来木造の会社」という点では共通していたが、静岡県においては(株)一条工務店は「一条さんはずいぶんと大きくなりましたねえ」と言われ「知らない人は誰もない会社」になっていたのに対して菊池建設(株)は(株)一条工務店の営業から「菊池建設なんてあんなとこ」と見下される会社・格下に見られる会社であったのに対し、東京圏においては菊池建設(株)は「和風のいい家を作る会社」として和風の高級住宅を建てようという人から高く評価されていたのに対し、(株)一条工務店は「そんな会社、知ってる人なんてだ~れもないわよ。ぜ~んぜん知らない」と言われバカにされる会社で、静岡県における会社の評価と東京都における会社の評価がこの2社は逆だったのだ。ところが、(株)一条工務店の近藤路夫ら静岡県中西部・愛知県といった(株)一条工務店が高く評価してもらえる地域でドカンと一発ダンピング販売して売っていた営業は、自分達が(株)一条工務店が高く評価してもらえる地域でダンピング販売しているから売れているということを自覚する能力・姿勢・謙虚さが完全に欠落しており、「そんな会社、知ってる人なんて誰もないわよ。ぜ~んぜん知らない」と言われバカにされる会社であった東京都・神奈川県において名古屋近辺において坪49万5千円で売っていたものを坪55万円で売らせるという悪だくみを働いていた。1990年前後、そして、1990年代初め、商品の内容も、菊池建設(株)は「清水市では相変わらず不振だが首都圏においては好調」と住宅雑誌に書かれていたように、首都圏の見込客に受けるようにと考えられた商品であったのに対して、(株)一条工務店の商品はあくまでも浜松・掛川の人間が売りやすいように売れやすいように考えられた商品だったのだ。
それでも、東京の江東区潮見のウッディランド東京に展示場を作ったのは当初は「アンテナショップ」として将来、東京に進出する時のためのアンテナだったらしいが、そこに勤務して営業をやる者としては、アンテナショップだから売れなくていいというわけにはいかない、(株)一条工務店の基本給なんて本当に少ないのだから歩合給を取れないのでは困るのであり、なんとか売らないといけない、と考えると、その「浜松・掛川向け商品」をどうすれば東京圏の人間に受け入れてもらえるかを考えて、東京圏の人間に受け入れられる話し方をしないといけないのであった。ところが、営業本部長で普段は東京にいない、「渋谷ていったら小岩の東の方だらあ。ぼく、東京は詳しいんだから」「新宿といったら平井の北の方だら。ぼく、良く知ってるだろ」とか言いまくる男が、東京展示場に来て、「もっと、『浜松の会社』というのを言うようにした方がいいなあ」と、それやったら売れなくなるちゅうのがわからんのか・・ということを命令するのだった。
そして、私が福島県いわき市の営業所に赴任した1年目だったか2年目だったか、1993年か1994年だったと思うが、浜松から、樹脂製のけっこうカネのかかっていると思われる素材に書き込まれた「売れない営業のグチ10箇条」なるものが各営業所に送りつけられてきて、そこには「浜松流はここには合わない」というのが「売れない営業のグチ10箇条」だと書かれていたのだった。それを、営業所の事務所の壁に必ず貼れと「遠州人」が命令してきたのだった。要するに、東京展示場で、ベイウインドウを「親戚中が集まった時に座席が不足した時には補助席として使える出窓」なんて言ったのでは、「やっぱり、お宅は浜松ね~え」と言われて馬鹿にされるというのは眼に見えているのであり、そういう言い回しはやめた方がいい、他の表現をするようにした方がいいと私が言うと、営業本部長の天野隆夫が怒るのだった。「もっと言わないとだめだ」と。天野隆夫という男は名前の通り性格がアマノジャク(天野邪鬼)であり、私が実際にやってみてその経験のもとに、浜松では「親戚中が集まった時に座席が不足した場合に補助席として使える出窓」という言い回しをすると受けるかもしれないけれども、東京圏ではその言い回しはやめた方がいいと理解して、実際の経験を踏まえてそれを言っているのに、そう言われると余計に意地になって、「親戚中が集まった時に補助席として使える出窓ともっと言うようにしろ」と言い出すのだった。アマノジャク(天野邪鬼)とつきあうと疲れる。「遠州人」が相当のカネをかけて作った樹脂製の「売れない営業のグチ10箇条」というのは、いわきの所長のK野さんなんて、あんまり本気にしておらず、貼れと言うのなら逆らうとうるさいから貼っておけというくらいの調子で事務所の壁に貼っていたが、年間営業成績で全国1位をとったこともあるK野さん自身、「浜松流」なんかで営業やっていなかったし、「浜松流はここには合わない」と口に出しては言わなかったが、実際問題として「浜松流はここには合わない」と間違いなく認識していたはずで、いわきにおいては「いわき流」でやって営業成績を残していた。「売れない営業のグチ10箇条」というのを見て、いわき地区の工務課の某さんが「これって『売れない営業のグチ10箇条』というよりも『一条工務店の特徴10箇条』て感じだねえ」とぼそっと言っていたのだが、実際そうだった。浜松の営業が浜松でやった方法というのは、それは浜松では売れるやり方であったかもしれないが、他の地域においてはそのやり方が合う場合もあれば合わない場合もあるわけである。ところが、「遠州人」というのは頑固というのか、身勝手というのか、「浜松流」を非浜松地域にまで押しつけたがるのである。そういう人というのは「逆らうとうるさい」というのを、いわきの所長のK野さんなどは知っていたのか・・、いわき地区はもともとが(株)一条工務店南福島という共同出資会社をいわき市の材木屋の猪野建材という会社と浜松市の(株)一条工務店が作って運営していた地域だったので、それで、「浜松流」の影響が幾分小さい地域だったということもあったのだろうけれども、「浜松流はここには合わない」と口には出さないで、実際には「いわき流」を実行していて「浜松流」なんてやっていなかったのだ。そんなのやったら売れなくなるって、知っていたのだった。
落合が中日の監督に就任した時、「すべての選手に『オレ流』を発揮してもらいたい」と言ったが、その「オレ流」というのは我儘とかいう意味ではなく、ひとからこうしろと言われたものを守るのではなくすべての選手が自分自身でどうやればいいか考えてやるという意味であり、自分自身で考えて行動する能力の人間の集合体の組織と、そうではなく、ひとから命令されて命令された通りしかできない人間の団体とでは、前者の組織の方が強いと考えていいと私は思うのだが、ところがどっこい、「浜松流」をそれが成果が出るかでないかにかかわらず押しつけたがる「ほとんどビョーキ」の「遠州人」が(株)一条工務店には相当数いたのであり、そして、その人達というのは、その「浜松流」でやらされて成果が出なかったという場合には責任をとるのかというと絶対に取らない。成果が出なかった時には「浜松流」を強制されてその為に成果が出なかった人間の方に責任を取らそうとするのである。だから、そんな人間の言うことは「ほどほどに」聞いておいておかしいと思っても反論を口にしないように気をつけないといけない会社だった。そして、会社のためを思って、自分自身の経験をもとに「そうじゃないですよ。ここでは・・・ですよ」なんて入社前半の頃の私みたいに正直に口に出して言うと苛められるという、そういう会社だった。・・なんだか、ちっぽけな会社・・・。また、「遠州人」というのはいったい何様なんだろう、いったい何様!?!
まず、デザイン上のものについては、これは「好みの問題」というのがどうしてもある。好みでないのなら好みでないものを無理に採用することはない。大型のベイウインドウは大型であるから実用的なところもあるかもしれないが、同時に雨戸がつかないので防犯上良くないと思う人もいるかもしれない。実際問題として、家族何人もで暮らしておればいいけれどもそうでない場合、昼間、雨戸を開けてガラス戸だけの状態で外出してよいのか、外出するたびに雨戸は閉めるべきなのか、外出するたびに雨戸を閉めて帰宅すると雨戸を開けるという生活をしたならばめんどうであるとともに逆に雨戸が閉まっているか開いているかで在宅かどうかわかってかえって防犯上良くないか、雨戸は最初から開けない方がいいのか、そういうことを考えると、どうしたものだか困ってしまうし、いっそのこと、最初から雨戸なんてつけなければ閉めるかどうか迷うこともないかとか。ともかく、大型のベイウインドウというのは、雨戸が付かないとともに、正面のガラス戸は引き違いで掃き出し窓ほどの大きさがあるので、出窓でも金属製で作られた格子の部分が多い出窓などより防犯上良くないということはないかと心配する人はある。そういうことはあるとしても、(株)一条工務店が展示場につけていた大型のベイウインドウが東京展示場では来場客から評判があまり良くなかったのは、それは、ひとつには「親戚中が集まった時に座席が不足した時に補助席として使える出窓」とか、そういう言い回しをするから、だから、「うち、浜松で建てるのじゃないって言ってるのにわからないのお~お!」と言われ、評判が悪くなるのだったと思う。ベイウインドウそのものがどうかとは別に「浜松流」に問題があったのだ。「親戚中が集まって座席が不足した時に補助席として使える出窓」とかそういう言い方をするから「イナカの出窓」に見えるのであって、浜松の人間はそういう使い方をしていたかもしれないがロンドンの人間はそんな使い方はしていなかったはずだし、そのベイウインドウが最初に作られたのがロンドンかどうかはわからないが、ロンドンと浜松ではおそらくロンドンでの方が先に作られたはずで、「浜松の出窓」をロンドンの人間が真似したわけではないはずなのだ。なおかつ、そう言うと、「浜松流はここには合わない」というのは「売れない営業のグチ10箇条」だと高いカネかけて樹脂製の表示板まで作成して配布して「浜松流」をなんとしても非浜松地域に強制してやろうと「遠州人」は考えるのだがその「遠州人」根性に問題があったのである。
(株)一条工務店が「セゾン」というタイプの建物につけていたベイウインドウは、(株)一条工務店の展示場で「遠州人」が強制した東京都では逆効果になる「営業トーク」を聞いた上で見ると「田舎くせえ」て感じに見える出窓であったが、一条オリジナルの人間が強制する「トーク」を聞かずにロンドンの住宅で見ると、ちっとも田舎くさくない出窓だったのだ。だから、その出窓がいいか悪いか、その出窓がその場所に受け入れられるかどうかとは別の問題として、自分達の所では安い価格でダンピング販売している「遠州人」の浜松向けトークの強制に問題があったのであるが、それを「遠州人」にやめさせようとしても困難であったのだ。なにしろ、「空の広さは浜松の広さと同じだ」「太陽・月・星といった天体は浜松を中心として回転している」と心の底から信じている人たちだったのだから。うかつに「地球は太陽のまわりを回転しているのであって、浜松というのはその地球の中の日本の一部分であって、浜松を中心として回転してるのとは違いますよお~お」などと言おうものなら「遠州人」は激怒する。(株)一条工務店という会社にいるのなら(今はいないから言ってもいいのだけれども)、そういう「虎の尾」は踏まない方がいいのかもしれない。「虎の尾を踏むと大変だ」。「はいはい、太陽・月・星といったすべての天体は浜松を中心として回転しております。へえへえ」と言っておいた方がこの会社において生きていくには良かったのかもしれない・・・が、私の場合、なにせ、性格が正直なもので、そう言おうと思っても、つい、「それでも地球はまわっている」と言いたくなってしまって失敗するのだった。
※ 「それでも地球は動いている」・・・・たとえどのような圧迫をうけてもそれは真理だというときにいうことば。ドイツの劇作家ベルト・ブレヒトの戯曲によると、ガリレオは地動説をとなえたため捕らえられて宗教裁判にかけられた。拷問にかけられ、もし地動説を撤回しなければ死刑に処するぞといわれて、ついに公衆の面前でその誤りであることを誓言したが、そのとき彼のくちびるはかすかに動いて「それでも地球は動いている」といったという。
( 折井英治編『暮らしの中の故事名言辞典』1970.4.15.集英社 )
沖田は浜松出身だが早稲田大学卒だったはずで、早稲田大学に行くために東京で4年間生活したのなら、「太陽・月・星といった天体は浜松を中心として回転している」・・ということではないという宇宙の真理を学んだのではないか・・と私は思ったのだったが、(株)一条工務店に多く(株)一条工務店のオーナー経営者が好きな「生まれも育ちも遠州浜松で最終学歴は高卒というような人」と同じではなかったと思うが、それでも、話すことを聞くと、やっぱり、遠州人だなというところはあった。「アタマが浜松」という「病気」を百パーセントは克服できていなかったのではないか。富山県の会社の社長が富山県人は雇いたくないと言って問題になったことがあるが、「地方」の会社の経営者で、あえて地元でない人間を採用してやっていこうと考える人の気持ちはわかる! 言い方にもよるのかもしれないが、富山県のその会社は問題視されて謝罪したようだが、私は富山県人がだめとは思わないけれども、あえて、他県出身の人を採用しようという姿勢はむしろ開明的だったのかもしれない。「『遠州地方』(もしくは、静岡県中西部および愛知県)という後進国の外資系企業」たる(株)一条工務店に勤めて、「遠州人」優先主義・浜松中心主義にもううんざりした者としては(うん〇まみれのザリガニで「うんざり」)、富山県の人間がだめとは思わないけれども、他県出身の人間をあえて採用しようという姿勢は新鮮で開明的に見える。
(イ) (株)一条工務店の展示用では、なぜ「洗面台・洗濯機置き場・脱衣場」は「通路と兼用」になっていたか、教えない不親切な「一条オリジナル営業」
(株)一条工務店という会社は同業他社にいた経験のある従業員を敵視する会社だった。同業他社にいたことがある人間といえども、今は自社の従業員であるはずで、そのくらいのことが理解できないのかと思うのだが、1993年、松戸展示場に三重県から来た工務課のJさんが「三重県の展示場に、元警察官という人が中途入社で入ったことがあったんだけど、みんなで苛めまくって、結局、やめてしまったんだよ。『この野郎、思い知れえ』て調子で」と話していたことがあったが、同業他社にいたことがあるという従業員を見ると、その調子で「この野郎、思い知れえ」て気持ちになるということなのだろうか?・・・。同業他社のいい所は特許でもないものはどんどんと取り入れればいいと思うし、同業他社にいた者から情報を得られることだってあるのだからそれを活かせばいいと私などは思うのだが、ところがどっこい、「遠州人中心主義」の(株)一条工務店ではそうはいかない。なんかしらんけど、他社がやっていたものとなると、意地でもやりたくないとか考え出すようだった。特に、営業本部長の天野隆夫という男は名前の通り、性格がアマノジャク(天野邪鬼)であり、「変ってるなあ~あ」と思わされることが何度もあった。小堀住研(株)の展示場の事務所においては、その営業所の営業の間で、「・・で◇◇が建てている家、あれ、なかなかいいなあ」とか、「☆☆が・・ということをやってるようだけれども、あれはいいよねえ」とかいった話をすることがあった。それが何かよくないことだとかいう認識はまったくなかった。その近隣で他社が建てている住宅のデザインがいいということなら、その後、自社で建てる場合に参考にして、自社でそれを活かしたものを建てればいいことである。他社がやっているものでいいものがあれば、自社でもやればいいのである。だから、そういう話をして情報交換するというのは営業にとっても会社にとっても有益なもので、それがいかんという発想を持つ者は誰もなかった。ところが、(株)一条工務店という会社は難儀なところのある会社で、他社がどこで建てている建物はなかなかいいと思ったとか、どこそこの展示場にあった何はいいと思うとか、住宅雑誌に載っているどこそこの何は使いやすそうだとかそういう話を展示場の事務所でうかつにすると、営業本部長の天野隆夫から「そんなこと言うなら、よそに行けよお」と言われるのだった。(株)一条工務店というのはそういう会社だったのだ。まったく、なんとも偏狭というのか、心が狭いというのか、(株)一条工務店という会社は難儀な会社だった。ひとつには、小堀住研(株)はその頃まで「小堀住研は大卒しか採らない会社です」「ミサワあたりは高卒の営業が多い会社ですが、小堀の営業は大卒の営業です」と言い(さらに「ミサワの営業と小堀の営業では、営業は営業でも営業が違う」とも社内では言っていた。私も入社する前、「ミサワの営業」と「小堀の営業」は性質が違うという印象を受けていた。1960年代後半、私が小学生の時に、親が小堀住研(株)で在来木造の家を建てた時も、私の親も「小堀の営業」は「大卒の営業」だけあって「高卒の営業」の「ミサワの営業」なんかとは違うという印象を受けたようだった。「大卒しか採らない会社」に入社してみるとなぜか実際には高卒の人もいたようで、またその本来いないはずの高卒の人間がえらそうにしているということで「小堀住研は大卒しか採らない会社です」と言われて入社した「大卒」の人間は怒っていたのだが、たしかに、「小堀の営業」は「大卒の営業」というイメージでやっていたのに対して「ミサワの営業」は「高卒の営業」という印象の営業だった)、「営業というのは頭の悪い人間はだめな仕事なんだ」と言っていたのに対し、(株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫が「営業はアホがええんや、アホが」「営業は頭をモヒカン刈りにしてるヤツとか、暴走族みたいなクルマに乗ってるヤツとか、女の子のスカートめくりにいくやつとか、そういうのが営業には向いてるんや、営業には。そういうのんがお客さんに喜ばれるんや、そういうのんが」と言い、「営業というのは学校でてない人間が気さくでお客さんに喜ばれるんや。ぼくなんかも学校でてないから、だから、気さくで人間味があって人に好かれるんや。どや、そう思うやろ。思いますと言え!」という会社だった(さらに、「おい、思わないのか。ぼくが『思いますと言え』と言ってるんだから『思います』と言えよ。おい、ぼくの命令がきけないのか」と営業本部長の天野隆夫が言って無理矢理「思います」と言わされる会社だった)。もしかすると、そのあたりの違いが影響していたかもしれない。小堀住研(株)が「大卒しか採らない会社」「小堀の営業は大卒の営業」と言っても、東大とか京大とかそういう大学ではなく、どちらかというとあまり頂点ではない方の大学卒の人が多かったのだけれども(又、配属されると、なぜか本来はいないはずの高卒の人もいたのだけれども)、それでも、やっぱり、「大卒の営業の会社」と「営業はアホがええんや、アホが」という会社との違いが、もしかすると、そのあたりに出ていたかもしれない。最近、「小学校みたいな大学とか幼稚園みたいな短大とか」が大量にできていて、そんな大学・短大なんて何の価値があるかと言う人もいるのだけれども、たとえ、そんな大学でも出てきた人はそうでない人と違うなあと思う時もあるのです。同業他社のものを見て、たとえ他社のものでも、いいものはいいと言えばいいじゃないか、何が悪いんだと考えるか、他社のものは決してほめてはいけないという偏狭な姿勢か、そのあたりに違いが出ていた可能性もあります。そして、他社がどこで建てている建物はなかなかいいと思ったとか、どこそこの展示場にあった何はいいと思うとか、住宅雑誌に載っているどこそこの何は使いやすそうだとかそういう話を展示場の事務所でうかつにすると、「そんなこと言うなら、よそに行けよお」と言う営業本部長の天野隆夫という男は心の狭い思考の硬い名前の通りアマノジャク(天野邪鬼)でなんとも難儀な男であった。
1992年、東京都江東区潮見のウッディランド東京(今はない)にあった東京展示場では「洗面所 兼 洗濯機置場 兼 脱衣場」にはキッチン側と玄関ホール側に出入口が2ヵ所あって「通路と兼用」にしていました。最初、見た時には、「あ、こういうやり方もあるんだ・・」と思ったのですが、ところが、(株)一条工務店の展示場はどの展示場に行っても、その「洗面所兼洗濯機置き場兼脱衣場」を「通路と兼用」にするという間取りになっており、それはひとつのやり方ではあっても他にも間取りの取り方はあるわけで、又、その「洗面所兼洗濯機置き場兼脱衣場を通路と兼用にする」というやり方をいいと思う人もあればあまりいいと思わない人もあり、実際に住んでいただくお家の間取りにおいても「洗面所兼洗濯機置き場兼脱衣場を通路と兼用にする」という方法をとったお宅もあったのですが、親戚の家でその間取りを見てそれをあまりいいと思わない方には、(株)一条工務店のそういう間取りを見ると、「出えたあ~あ! 一条特有、洗面所を通路と兼用にするてヤツ! いつものやつ! 出えたあ~あ!!! うっわあ~あ!」とか言って嫌がるというのか、嫌悪感を表明する人もあったのです(私、これ、「原文の通り」言われたことがあるんですからね。私が言ったのじゃないですよ、言われたのですからね)。こう言うと、「一条オリジナル浜松流」は怒るのですが、怒るのならそう言った見込客、親戚・友人宅でその間取りの家を見てそう思ってそう言った人に怒ってもらいたいものなのですが、ところが、「一条オリジナル浜松流」は毎度のことながら言った人に怒らないで言われた人間に怒るのです。「言った人」というのはたいていが見込客であるのに対して、「言われた人」はたいていが従業員ですから、だから、従業員相手にした方が怒りやすいから怒りやすい相手に怒るのでしょうけれども、怒られた側からすれば、自分が言われた側なのになんで怒られなければならんのかと理解に苦しみます。
1980年代後半、小堀住研(株)に在籍した時、松戸市で建てられた方ですが、御主人が「洗面所と脱衣場が同じ部屋だと、娘が風呂に入る時に洗面所を使えない」と言われ、それで、「洗面所」と「洗濯機置き場 兼 脱衣場」の間に間仕切りを設けて別の部屋にしたということがありました。うちの父親ならそんなことは考えないでしょうけれども、そういうことを考えることのできるお父さんもあるようです。
(株)一条工務店でも、私が担当させていただいたお宅で、叔父さんが同居しているというお宅で、中学生だったか高校生だったかの娘が入浴中に叔父さんに洗面所を使われるのを嫌がるという娘があったようです。その叔父さんは何もおかしなことをされるわけでもないのでしたが、「年頃」の娘にとっては、入浴中に「洗面所兼脱衣場」に男性がいるということ自体に抵抗があったようで、いてもいいのは弟と父親までが限度で叔父さんは許容範囲外だったらしい。お母さんが「一条さんのユニットバスは扉がアクリルで姿がうつるから」と言われたのですが、姿がうつるといっても、透明ではなく曇りのもので見えるわけではないのですが、「お年頃だから、姿がうつるだけでも嫌なんですって」ということでした。男性の気持ちからすれば、透明で丸見えならともかく、曇りのアクリル板に姿がうつったとしても、それがどうしたて感じで、むしろ、浴室を使用中か使用していないかわかっていいのではないかと思ったのですが、「お年頃だから」ということでした。我が家の補修のリフォームをリフォーム屋に頼んだ時、リフォーム屋の担当者が女性だったので、私はこれを訊いてみたのです。男性の気持ちとしては、透明で丸見えになるというのならともかく、たとえ人影がうつっても、曇りガラスだったり曇りのアクリル板であったりした場合、たとえ人影が時としてうつってもそれがどうしたて感じなのだけれども、女性の気持ちとして気になるものなのでしょうか? と。それに対して彼女が言ったのは「中学生や高校生くらいなら気になるのじゃない。ハタチくらいになったらそれほど気にならなくなる」というものでした。そうなのかな。浴室の出入口の扉は、(株)一条工務店は私が入社した1992年頃は上から下まで曇りのガラス扉、そのうち、アクリル板で曇りのものにしましたし、他の会社でもそうしている所が少なくないと思いますが、「お年頃」の娘のいる家庭などでは、たとえば、上半分を曇りのアクリル板にして下半分は突板(つきいた)にするとか、もしくは、その前に水に濡れても大丈夫な素材のカーテンを1枚入れるとか、脱衣スペースと洗面台のスペースの間に間仕切りを入れるかカーテンを入れるか、そういう方法も選択肢として考えるようにした方がいいのではないかと思います。「人影がうつっても、別にそのまま見えるわけでもないのに、それでどうしたっての」というのはそれは「男の気持ち」であって、家というのは(それこそ「一条オリジナル」のおっさんにはなかなか理解できないでしょうけれども)「男の気持ち」で作るものとは違うはずです。
小堀住研(株)では「フィットネスルームのある家」というのを売りにしたものを出していましたが、他の会社でも「フィットネスルームのある家」というものを作っている所はありました。脱衣場の隣あたりに3帖ほどの「フィットネスルーム」を設けた家というのが小堀のその商品のプラン集には掲載されていたと思いますが、運動選手ならともかく、そうでもない人間が3帖分の「フィットネスルーム」を設けるという余裕があったなら他の部屋を広くしたいわ・・・と思われることもあるかと思います。しかし、たとえば、私にしても、体重を定期的に測りたいと思っても、体重計を置く場所がなかったり。最近では、体脂肪率も出る体重計なんてのもあります。そういうものを整理して置くスペースを1帖分、それも無理なら半畳分確保するとか、「洗面所兼洗濯機置き場」が脱衣場だということにして、脱衣場というものを実質設けていない家があるのですが、脱衣場ということで1帖分設けて、そこに脱衣用の棚と体重計を置くとか、そのくらいならそう難しくもないのではないか。あるいは、ルームランナーとかぶら下がり健康機とか、そもそも、家を建てる時点で柱と柱の間に鉄棒を設置しておけば、それで懸垂できるはずで、ぶら下がり健康機なんて買わなくていいのではないか。渋谷駅の東に東急文化会館というのがかつてあって、そこに東急レックスという映画館があり、何を見に行ったかというと『あしたのジョー』〔⇒《ニコニコ動画―アニソン(213)劇場版 あしたのジョー 美しき狼たち》https://www.nicovideo.jp/watch/nm12897062 〕。その際、東急文化会館の東のあたりのビルに「センタースポーツ」https://www.center-sp.co.jp/ec/ というボクシングの練習用具を販売している店があるのを知ったのですが、サンドバックなんてのも置いてあった。将来、自分の家を建てる時には洗面所の脇に「脱衣場兼フィットネスルーム(ミニ室内運動場)」を設けて、そこにサンドバックを置けないものか・・なんて考えたことがありました(ひとさまの家は建てても、自分の家なんて建てれませんでしたけれどもね)。脱衣場を「洗面所兼洗濯機置き場」と分ける場合、たいてい、脱衣場は「洗面所兼洗濯機置き場」より浴室の側に設けると思うのですが、「フィットネスルーム(ミニ屋内運動場)」の場合、そうではなく、「洗面所兼洗濯機置き場」から浴室と逆の側に設ける方法というのもあると思うのです。その場合、「フィットネスルーム(ミニ屋内運動場)」は、もしも、「フィットネスルーム(ミニ屋内運動場)」として利用しないようになったならば、納戸として使うことができるはずです。
最初に見たのは小堀住研(株)のカタログでだったと思うが、戸建住宅用のサウナ風呂が掲載されていたのを見て、これはいいなあ・・と思ったのだけれども、しかし、1帖分の大きさのサウナ風呂をとりつけたとしても、1坪(浴槽1帖分、洗い場1帖分)か1.25坪(浴槽1帖分、洗い場1.5帖分)の浴室と洗面台・洗濯機置場・脱衣場を合わせて1坪とでは、それほどくつろげないのではないか、とも思うようになったのだ。1993年に(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所に赴任したが、いわき市というと、いわき湯本温泉♪ いわき湯本温泉は「温泉湧出量日本一」の温泉であり、「日本三大名湯のひとつ」と言われる・・というのか、JR「湯本」駅の脇にそう書かれたでっかい看板が出ていたのだ。あと2つはどこかというと、有馬温泉(兵庫県)と道後温泉(愛媛県)らしい。しかし、この「日本三大なんとか」てのはけっこういいかげんなところがある。全国的に有名なところ2つと自分のところと合わせて「日本三大なんとか」にしているものがけっこう多い。「日本三大名湯」にしても、草津温泉(群馬県)を入れる説・下呂温泉(岐阜県)が入る説もあるらしく、宮城県出身の人が言っていた話では宮城県の鳴子温泉も似たようなことを言っていたというのだ。だから、この「日本三大なんとか」てのはあんまりあてにはならない(常磐自動車道の茨城県北茨城市から福島県いわき市に入ってすぐの所に「ここは首都圏 いわき」なんて書いたでっかい看板が建っていたがあれはもっとあてにならない。 国道49号で、いわき市と郡山市の中間付近、北に曲がると小野町というあたりに「美人発祥の地」なんて書いた看板もあったが、それはさらにあてにならない(^^)/)・・・けれども、いわき湯本温泉はなかなかいいよ(^^♪ 湯本駅の近くに「みはこの湯」という銭湯みたいな感じで入れる温泉もあるし、おねーちゃんが腰蓑つけてフラダンスを踊るので有名なスパリゾートハワイアンズは宿泊しなくても1回いくらだったか忘れたがで入浴できる。フラダンスも一回くらい見て悪くないと思う。下卑たおっさんが見るものかと思ってたらそうでもない。家族連れとか社員旅行とかで来た人が子供と一緒に見ている。おねーちゃんの踊りが終わると、客席からも舞台にあがってもらって、社員旅行で来た一行では「部長さん」とかが舞台に上がらされて恥ずかしそうにフラダンスを踊らされてたり、アベックで来てべたついてるのもいるけれども、一般には健康的な施設だと思う。駅前には温泉が出るオブジェもある。(もっとすごいのは、駅前の土産物屋には男性の性器の形をした飴なんて売っていたが、一回、買ってみたいような気もしないでもないが、買っても、それ、しゃぶるのも抵抗あるので買わなかったが、置いてあるだけでも、なんかすごい!!!)(福島県浜通りはなかなかいい所でしたが、福島第一原発事故は大変残念です。)いわき市・双葉郡には鉱泉旅館なんてのも何軒かある。それぞれに、何に効用があるというのが違うらしい。観光ホテルやスパリゾートハワイアンズ・みはこの湯は湯本駅の西側だが、東側には「各敷地に温泉が出る分譲地」で1993年9月に(株)一条工務店の建築中現場で屋根屋が墜落して死亡した草木台なんて所もあり、東京あたりの人間が別荘として買った場合には「温泉が出る」というのは魅力的だが、地元の人が住む場合には「別に、温泉要らないけどね」という人がけっこう多い。いわき湯本温泉は硫黄分が多いらしく、家庭の風呂にひくと家が傷みやすいらしい。いわき に行った際、せっかく温泉地に赴任したのだから、温泉を利用して腰痛を治そうかなんて考えて、それで私はけっこう、温泉のつかり方・湯治のしかたとかいった本も読んだし、サウナの入り方なんてのも学習したのだ。それで・・だ。サウナ風呂というのは、サウナ風呂だけ入っても、だめとは言わんが効果は大きくないらしいのだ。まず、普通に風呂の洗い場で体をきれいに洗い、そして、温浴、浴槽につかって体を温める。次に、体をタオルで拭いて水滴をとり、サウナに入り発汗する。そして、サウナを出ると、今度は水風呂に入って皮膚を刺激し、水風呂を出ると、休憩所、浴室から出て、少々、休憩をとる。そして、また、サウナに入って発汗し、その後、水風呂に入り、水風呂から出ると、休憩所というのか、脱衣場兼休憩所か、もしくは、露天風呂があればその露天風呂の岩にでも腰かけて休憩をとる。サウナだけでなく、温浴用浴槽と水風呂用浴槽、それに休憩所が必要になるのだ。スパリゾートハワイアンズとかそうでなくても、スーパー銭湯・健康センターとかならそれができる。ところが、家庭用サウナなんてつけても、まず、温浴用の浴槽と水風呂用の浴槽と2つ浴槽を用意できる家てそれほど多くないと思うのだ。温浴が終わった後、湯を抜いて水を貯めて水風呂にするか、もしくは、水風呂につかるのはあきらめてシャワーで全身に水をかぶることで水風呂の代用とするか。それで、温浴→サウナ→水風呂 までやったとして、次は休憩をとるのだが、手ぬぐいを股のあたりにかけて座って休憩をとる場所というのは、家庭にあるか? ・・・というと、脱衣場だろうけれども、その脱衣場が(株)一条工務店の展示場みたいに「洗面台・洗濯機置場・脱衣場兼通路」だったりすると、あまり長く占拠すると通りにくくて他の家族が困る。だから、サウナを設置するような場合は「通路と兼用」はやめた方がいいと思う。で、家庭用サウナ風呂を設置する場合は、脱衣場は、やはり、少々広めに取りたい。・・でも、ここまで考えると、何も、家にサウナをつけなくても、ハワイアンズでなくても、健康センター・スーパー銭湯・サウナ風呂といった所に行った方が、広々としていていいのじゃないか・・・て気もしないでもない。ジャグジーくらいなら、ユニットバスにジャグジーの機能だけつけるということもできるので、それほどたいそうでもないが、それにしても、別に家庭の風呂につけんでも、健康センター・スーパー銭湯て所に行った方がいいてことないか・・て気もしないでもない。でも、家庭用サウナをとりつけるとか、それもひとつの選択肢としてはありじゃないか。もっとも、東京圏なんかでは土地の値段も高く、ともかく、最低限のものだけある家を取得するだけでも大変で、サウナどころやないわ・・・て場合もあるのは事実なのだが。
(株)一条工務店の第一設計部の人間にプランニングをさせると、洗濯機置き場は必ず洗面所に持ってくるのですが、洗濯機というのは洗面所に置かないといけないという決まりでもありますか? ないでしょ。なんで、必ず、洗面台の隣に洗濯機置き場を配置するのですか。小堀住研(株)のプラン集でも、それ以外の住宅会社のプラン集でも、洗濯機は洗面所に洗面台の隣に置くプランもあれば、そうではなく、キッチンに洗濯機を置くというプランもありました。主婦業・家事として考えると、炊事と洗濯は同時におこなうことができた方が効率的と考えると、キッチンに洗濯機を配置する選択肢もあるわけです。洗濯物をどこに干すのか、庭に干すのか、2階もしくは3階のベランダに干すのか、屋上に干すのかによっても洗濯機の場所は変わってくると思いますが、庭に干すのであれば、洗濯機は靴なりサンダルなりを履いてでた土足のスペースに置く方法もあります。 3階建てで屋上に干す場合だと、浴室の脇に洗濯機を置いたとして、そこから屋上のペントハウスまで、ダムウェーターをつけるという方法を考えていいかもしれません。ガルバリウム鋼板の屋根材にしたがる設計担当がいますが、ガルバリウム鋼板が悪いとは言いませんが、それならいっそのこと、金属防水にして屋上を使えるようにした方がいいてことないか・・なんて思ってみたりもするのです・・が、同様に、ダムウェーターをつけるのなら、いっそのこと、戸建用のエレベーターつけた方がいいてことないかと思ったりもします。昔から「水回りを上にあげちゃいかん」なんて言いますが、今では2階にキッチンやトイレ・浴室のある家は珍しくもありません・・・が、木構造の3階建てで3階に浴室や洗濯機を配置するのは、そこまでやって大丈夫か・・と少々不安を感じます。フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ は平気で3階にユニットバスでもない浴室を作り、平気でFEP防水での屋上を施工していますが、構造に責任をとる意思のない会社のやることにはものすごく不安を覚えます。「2階にユニットバスによる浴室」まではいいとしてフリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計士(さま)」と自称するしろうとが平気でやる「3階にユニットバスでない浴室」というのは私が設計担当なら避けたいと考えます。使い勝手から今では2階にトイレや浴室、キッチンを配置するのは珍しくも何ともありませんが、水漏れを起こしにくいようにという点から考えると「水回りはできるだけ上に上げない方がいい」というのは間違いということではないのですから。1階か2階に洗濯機を置いて3階建の上の屋上で洗濯ものを干すのなら、洗濯した物を持って実質4階である屋上まで上がるのは大変ですから、エレベーターかダムウェーターかどっちかあって良さそうに思います。
※ クマリフト ダムウェーターhttps://www.kumalift.co.jp/product/dumbwaiter/
そして、最近は、乾燥機兼用の洗濯機というのが出てきていますが、1990年頃は乾燥機は洗濯機と別でした。最初、乾燥機なんて贅沢品・・なんて思ったのですが、そうでもない。三流以下企業で安月給でこきつかわれて仕事が忙しいときっちり干してる時間がなかったり。もうひとう、「洗濯槽」を設けるという場合もあります。「洗濯槽」というのは、手洗いをしたいものを洗う槽です。我が家なんかは、手洗いする必要があるものは洗面台で洗うか、さもなくば、浴室でバケツに水を入れて洗っていますが、洗濯槽があると便利という考え方もあります。洗濯槽には、手洗いしたい洗濯ものを洗う洗濯槽というのと、もうひとつ、靴を洗うための洗濯槽というのもありえます。靴てどこで洗うのか。洗面台でなんて洗いたくないし、風呂の洗い場で洗うものでもないし、庭か玄関先に散水栓を設置してそれで洗うのか。バケツに水を入れて外で洗うのか。
まず、洗面台・洗濯機・脱衣場という3つはセットであると決まっているものではないはずなのです。私が子供の頃、住んでいた家は、洗面所は風呂場の中にあって洗濯機置き場と脱衣場が同じ部屋でした。小学校の4年の時、小堀住研(株)で建てた家では、洗面所と脱衣場が同じ部屋で、洗濯機は「サービスヤード」と図面には記載していたスペース、ダイニングキッチンから外に出るまでの間に、靴を履いて出る屋内の部屋を設置して、そこに洗濯機は置いていました。「サービスヤード」にあったのは洗濯機の他、ガス給湯器・ガス釜、それに勝手口から出る際の靴脱ぎ場。我が家は「玄関」というのはお父さんとよその人の出入口で、家族はみんな、勝手口から出入りするものでした。隣の家はどこで建てた家かわかりませんが、隣家も似たような感じで、靴なりサンダルなりを履いて出る屋内空間があって、洗濯機もそこにあったような気がします。我が家も隣家も洗濯ものは庭に干していたということもありますが。その後、住んだ「アパート」の場合、洗濯機は屋内に置くアパートと部屋の外、通路部分に置くようになっていたアパートとベランダに置くようになっていたアパートがありました。ともかく、「洗濯機は洗面所で洗面台の隣」と決まっているものではないはずなのですが、ところが、(株)一条工務店の展示場では必ず「洗面所兼洗濯機置き場兼脱衣場」と3つがセットになっていて、それが「通路と兼用」になっていました。そして、(株)一条工務店の第一設計部の人間の頭は洗面台と洗濯機置き場と脱衣場というのは3つがセットという固定観念がこびりついており、その他の発想というのをさせるのは相当困難でした。
私は、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫からインテリアコーディネーターhttps://www.interior.or.jp/examination/ic/ の資格を取ってもらいたいと言われたので、慶應大学商学部の出身者としてのマーケティング的発想・経済学的認識とインテリアコーディネーターの有資格者としての知識・能力とを合わせて、それらの能力のある人間にさせるような業務につかせようということであろうと考え、自分が勤めた会社の上役が取ってくれと言うものは何としても取らないといけないと考え、そして、会社という所においては、上役が10のことをやってくれと言えば10やる人もおれば、10やってくれと言われても7しかやらない人もおり、10やってくれと言われると12か13やる人もいるので、私はインテリアコーディネーターを取ってくれと言われたのであればインテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストhttps://www.interior.or.jp/examination/ks/ を取ろうと考えて、その両方の試験に合格して登録しました。両方とも受験前に思ってより大変な試験でした。ところが、合格すると、総務部長の天野雅弘と栃木県南部営業所長の木下から「インテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)も、ぼくらはどんなにしても通らないのに、あんたは何の努力もしていないのに、簡単に通る。ずるい! 卑怯だ!」などと言われたのです。会社の上役が、営業本部長が取ってくれと言うから、だから、大変な思いをして取得したのに、なんで、「ずるい」だの「卑怯だ」だのと総務部長から言われなければならないのでしょうか。そんなこと言うのなら、取ってくれと言わなければいいのです。違いますか。取ってくれと言って、それで大変な思いをして取らせておいて、「ずるい」だの「卑怯だ」だのと言う人間の方こそ、「ずるい!」「卑怯だ!」と言われる必要があるのと違いますか。 私は相当のことをやって大変な思いをしてやっと通ったのであって、「簡単に」なんて通ってませんし、ましてや「何もしないのに」通るわけありません。ある人材紹介会社の担当者が「キッチンスペシャリストなんてシステムキッチンの販売員の資格だ」などと言っていましたが、この資格を持って販売員をやっても悪いことはありませんが、キッチンスペシャリストは基本的にはキッチン設計をする人の資格でしょう。けっこう合格は大変です。フナッシーてのは船橋市非公認キャラクターだそうで、なんで「非公認」かというと、船橋市公認キャラクターとして「ふなえもん」てのがいるみたいなのですが、「ふなえもん」はこの際どうでもいいのですが、キッチンスペシャリストの公認のテキストブックに『キッチンスペシャリストハンドブック』と『キッチンスペシャリスト設備ハンドブック』というのがあるのですが、その企画:キッチンスペシャリストハンドブック編集委員会『キッチンスペシャリストハンドブック』(1991年3月第3版 日本住宅設備システム協会)に、[6]キッチン設備機器の知識 という章があって、そこに、(1)電気・ガス・水道の基礎知識、(2)シンク・水栓金具、(3)加熱調理機器、(4)冷凍冷蔵庫・食器洗い機・食器乾燥機、(5)換気用機器が掲載されているのに続き、 (6)洗濯機・乾燥機が掲載されているのです。最初、見た時、なんで、キッチンに洗濯機・乾燥機が・・・と思ったのですが、システムキッチンというのは、あるシステムのもとに部材を構成して設計して作っていくというのが本来のシステムキッチンで、「一条工務店オリジナル」の「システムキッチン」なんてのは、あれは天板(カウンター)がひと続きになっていてオプションでいくらかの変化は加えることができるという「簡易型システムキッチン」と言われるもので、システムキッチンでないというわけではないとしても、本来のあるシステムのもとに部材を構成してキッチン設計をして作るというシステムキッチンとは少々違うのです。その本来のシステムキッチンにおいては、洗濯機・乾燥機もシステムキッチンを構成する部材としてあり、システムキッチンの一部分として洗濯機・乾燥機を組み込むという選択肢もあるのです。実際には、冷蔵庫もそうですが、システムキッチンとして組み込んだ場合、冷蔵庫や洗濯機の寿命は、おそらく、システムキッチンの寿命や家の寿命よりも先に来ると思われ、その際にも、そのシステムキッチンに組み込むように作られた冷蔵庫や洗濯機・乾燥機を買うのかという問題もあり、組み込むのがいいかどうかという問題もあるかと思いますが、ともかく、洗濯機・乾燥機は冷蔵庫などとともにシステムキッチンを構成する部材のひとつとされていますし、組み込まないとしても、キッチン設計において、冷蔵庫や洗濯機・乾燥機はどうするのか、別に用意するとしても、どの場所に配置するのかというのは、キッチン設計における課題のひとつです。洗濯機・乾燥機は洗面所に洗面台の隣にあっても悪くありませんが、キッチンにあっても悪くないのです。又、脱衣場と洗濯機で1部屋でも悪くないはずで、脱衣場は浴室の隣にないと困るでしょうけれども、洗面所は必ず浴室の隣にないといけない理由はありません。洗面所が浴室と離れた場所にあってもいいはずです。・・・ところが、(株)一条工務店の第一ワンパターン設計部は「洗濯機は洗面所に配置するもので洗面台の隣にあるもの」という固定観念から離れることができません。
東京展示場で、「洗面所・洗濯機置き場・脱衣場」が1部屋になっていて、なおかつ、キッチン側と玄関ホール側の2方向に出入口があって「通路と兼用」にされていたのを、入社2年目の沖田(男。当時、20代。浜松出身。早稲田大卒)が来場客に話すのを聞いていたところ、沖田は「洗面所なんてのはいつも使うという場所ではありませんから、通路と兼用にすると場所を有効に使えるということで、通路と兼用にしているのです」と説明していたのです。そうかな・・・? そう思う人もあるかもしれません。そう考えるお宅もあるかもしれません。しかし、洗面所は洗面所として取りたい、通路と兼用は嫌だと思う人もいるでしょうし、むしろ、脱衣場を洗面所と分けたい人もいるでしょうし、洗濯機置き場を洗面所と分けたい人もいるのではないかと思います。(「洗面所・洗濯機置き場・脱衣場を通路と兼用」という間取りを見ると「出えたあ~あ! 一条工務店の得意のヤツ。出えたあ~あ!!!」とか言う人もいます。本当にいます。)
(株)一条工務店の住宅展示場は、ある1つの展示場がその間取りになっていたというのなら、それは間取りの取り方のひとつとしていいでしょうけれども、どこの展示場にいっても「洗面所・洗濯機置き場・脱衣場」がセットで「通路と兼用」になっていたのです。沖田は「洗面所なんてのはいつも使うという場所ではありませんから、通路と兼用にすると場所を有効に使えるということで、通路と兼用にしているのです」と本気でそう考えていたのか、便宜上、来場客にそう言っていただけなのか。おそらく、本気でそう考えていたのでしょう。なぜなら、来場客にそう話すだけではなく、私など沖田より後で(株)一条工務店に入社した従業員にも同じように言っていましたから。
決して沖田だけが悪いんじゃないですよ。(株)一条工務店の比較的古くからいる従業員は誰もが沖田が話していたように話していたのです。しかし、結論を言うと、それは違うと思いますよ。「洗面台・洗濯機置き場・脱衣場」の3つを1部屋にして、それをキッチン側と玄関ホール側の両側に出入口を設け、洗面台の背後の方向にユニットバスへの出入口を設けるという間取りの取り方は、それはひとつの方法、ひとつの選択肢としてはありとしても、他にも選択肢はいくつもあるのであって、(株)一条工務店の展示場がどこにいってもその方法を取っていたのは、「それが間取りの取り方として大変すばらしいから」ではないはずですよ。それなら、どういう理由なのか? (株)一条工務店が売りにしていたのは、「在来木造で構造材はムク材の国産材を使用している建物である」という点で、「地方」の人および都市部の住人でもそういう趣向の強い人を主たる客層と考える建物で、その上で、在来木造の建物として、地震に強い、そして、腐り・白蟻に強い・・というのが売りであったはずなのです。その「腐り・白蟻に強い」という話をしたかったわけです。そのために、キッチンの床下収納庫のところで、床下を見てもらって、基礎を高くとって床下換気口を広く大きく向かい合わせの位置にとって床下の通風をきっちりと取れるようにしていますということを言うのとともに、浴室はユニットバスにした方が造成バスよりも腐り・白蟻に対しては良く、そして、人工乾燥によって杉の並柱(なみばしら)は含水率を下げて、加圧注入という方法で防腐防蟻剤を1階部分の構造材は真壁和室の桧の役柱(やくばしら)の他はすべての構造材を注入しているのです・・・といった話をしたかった、ということでしょう。そのために、廊下から洗面所・脱衣所に入ってそこから浴室に入る間取りでは、廊下から洗面所をちらっとのぞいただけで通りすぎてしまう来場客も出てくるのに対し、「洗面所を通路と兼用」にした間取りであれば、浴室のすぐ横を必ず通ることになって浴室から腐り・白蟻の話をするようにしやすい、ということで、「洗面所を通路と兼用」という間取りにすべての展示場がなっていた、というそういうことだと思いますよ。
私は、実際に建てて住んでいただく家でどうするかということでは、「洗面台・洗濯機置き場・脱衣場」がワンセットの1室で「洗面所・洗濯機置き場・脱衣場」が「通路と兼用」という間取りは、それはひとつの方法として、ひとつの選択肢としてはあるとしても、他にも方法はあり、ひとそれぞれではあるものの私が建てるのであれば、私の家ならばその「通路と兼用」というのはあまり好きではありませんが、「在来木造の会社で、腐り・白蟻に強い」というのが「売り」の会社であって、その話をするように持っていきたい、そのためには洗面所の前を素通りされたくない、必ず、ユニットバスのすぐ横を通るようにしたいということで、その作戦として「洗面台・洗濯機置き場・脱衣場を通路と兼用」という間取りにすべての展示場をする、というのは、その住宅建築業の会社としての作戦というのは、それは悪くないと思います。
問題は・・・・。そのカラクリをほとんどの従業員が知らなかった、という点です。それがわかっておれば、「なんで、一条の展示場て、どの展示場に行っても、『洗面所が通路と兼用』なんだろうなあ。もっと、いろいろなやり方の展示場を作った方がお客さんにも喜ばれるのになあ」とか考えることもなく、その場所において、もっと徹底して腐り・白蟻の話に持っていくようになったでしょう。なんで、(株)一条工務店の古くからいる営業、「一条オリジナル」の営業は新しく入ってきた人にそのカラクリを教えないのでしょうか? なんでだと思いますか? 私自身にしても、このカラクリに気づくまで何年かかかったのですよ。その何年かかかっても、それでも気づかない人だっていると思うのです。なぜ、きっちりと会社として従業員にそのあたりを説明しないのでしょうか。なんでだと思いますか? もしかして「ベンチがアホやから」かな? そうかもしれませんね。少なくとも、私がここで述べたことを、きっちりと従業員に説明して話しておけば、なるほどと思った従業員には、その後の展示場アプローチにプラスになるはずなのですが、ところが、それを教えてない・説明しない。なんで? 自分だけがわかっておれば「トップセールス」になれるけれども、他の従業員に教えて他の従業員が今よりも売れるようになったら自分が「トップセールス」でなくなるから??? それなら、その「トップセールス」て人は教えなくてもいいけれども、自分自身は営業をやらなくなった「所長」とか「部長」とかそういう人もいるのだから、そういう人が教えればいいのと違うのですか? 今、ソフトバンクホークスの監督をやっている工藤が、横浜DeNAの投手だった時に、何だったか週刊誌に書いていたけれども、工藤が西武ライオンズに入団してすぐの頃、先輩投手の東尾に何だったか変化球の投げ方を教えてくださいと頼んだところ、東尾から「なんで、そんなもん、教えんといかんねん」と言われたそうな。西武ライオンズの中心投手であった東尾からすれば、有望新人投手の工藤は強烈なライバルであり、ライバルにそういうものを教えるということは、それは自分の職を失うことにつながりかねない、自分の収入を失うことになる・・ということであり、「なんで、そんなもん、教えんといかんねん」と言ったというように、なんで、わざわざ、自分が仕事を失うようなことをせんといかんねん! ということだったらしい。しかし、工藤はその週刊誌で述べていたが、「私は今はDeNAの若手投手に誰にでも何でも教えています」と書いていて、それは東尾が言ったことが間違っているということではなく、投手としては高齢に属する方の選手になった今現在の自分は若手投手をライバルとは考えていないからですということだった。ですから、「なんで、そんなもん、教えんといかんねん」と思う人が教えたくないと思うのなら、それはそれでいいのかもしれませんが、別にライバルではないという立場の人だっているはずですから、会社として、 ↑に私が述べてきたことくらい、会社としてきっちりと教えればいいと思うのですが、なんで教えないのか・・・というと、やっぱり、「ベンチがアホやから」なのでしょうか??? なぜ一条工務店の展示場では「洗面所兼洗濯機置き場兼脱衣場が通路と兼用」になっているのか、そのカラクリをきっちりと教えればいいと思うのでしたが、教えない。 教えることのできる能力のある人がいなかったのかもしれませんが、愚かだと思いますね。
建物がいいかどうかとは別に、それはどういうことでそうなっているのか・・・というカラクリをきっちりと従業員に説明しておくべきで、きっちりと説明すれば営業しやすいはずなのに、この会社の経営者はなぜか教えないという(株)一条工務店の変なところ・・についてはまだまだあります。次回も、もう少しそのあたりを述べます。
(2019.9.21.)
★ (株)一条工務店の浜松営業はどんな連中か。
【1】 (株)一条工務店の浜松の営業とはどういう連中か【1/ 】+遠州人の特徴 「渋谷て言ったら、小岩の東の方だらあ」 「東京駅から大手町駅に行くにはタクシーに乗るのが一番だらあ」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_1.html
【2】 (株)一条工務店の浜松営業とはどういう連中か【2/ 】ダンピング浜松・名古屋。浜松は東なのか西なのか。「悪くないと思った」と言うと気に入らない人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_2.html
【3】 「浜松でいいもの」は東京人に?プレカット工場はプレカットせず出荷した? 住友林業は機械プレカットしているのに、「『住友林業はプレカットしてないでしょ』でそれだけで売れる」と言い張る浜松流オリジナル営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_3.html
【4】 集成材vsムク材。対住友林業は楽勝か難敵か https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_4.html
★ 「一条工務店の建物は完璧にすばらしい」「一条工務店の建物には問題点はまったくない」の反証
反証1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_5.html
【C】-4 《1》 床下換気口の真上の位置に柱が載っている。
《2》 柱の下に基礎がない。
《3》 筋交いと換気扇の穴の位置がぶつかり、筋交いを切断している。
反証2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_6.html
【C】-5 《4》 筋交いが片方の向きばかり。
《5》 寸法違いの丸太梁をそのまま入れる。工務課が工務課として機能していない。
反証3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_7.html
【C】-6 《6》 断熱材の室内側防湿層を破る。
《7》 断熱材の入れ方不適切。
《8》 やっていないのにカタログに書かれている「エアーフローシステム(壁体内換気)」
反証4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_8.html
【C】-7 《9》 ヘルメット非着用・吊荷真下作業・無資格者玉掛作業。
反証5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_9.html
【C】-8 《10》 「施工ミス」「施工不良」「間違った施工」と浜松の営業が言い、会社が作成したアルバム帳に写真入りで記載されている小さい束石の施工を東京都でやっている。大きい束石でも端に床束が載る。床束が束石から浮いている。
反証6-1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_11.html
【C】-9 《11》-1 擁壁と基礎のとりあい について工務課(工事担当)が打合せを拒否。(株)一条工務店の東京工務課は深基礎ができないの?
反証6-2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_12.html
【C】-10 《11》-2 深基礎の見積もりを計上し、深基礎の施工のはずが、どうも、そうなっていなかった可能性が小さくない。
反証7 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_1.html
【C】-11 《12》 地盤調査・地盤補強は要ると言いたいのか要らないと言いたいのか。ある時を画して正反対を平気で言う会社。
反証8 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_2.html
《13》「一条の家は完璧にすばらしい」の反証8.嘘の多い会社。土台は自社で注入してない。見学会限定の大道芸他
反証9 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_4.html
《14》 出過ぎた口きく設計、学んだ者に学んでいない者に服従しろと言う本部長
反証10 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201905article_bb94655b33.html
《15》 「引き抜き抵抗力」による「箱型筋交いプレート」は「せん断抵抗力」による「プレート型筋交いプレート」より、なぜ、いいのか? 質問しても答えてくれない先輩社員、質問すると営業本部長に「報告」されて「よそに行けよ」と言われる会社。
《16》 一条工務店の建物の床下には木屑がいっぱい。煙草の吸殻もあった。
反証11 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_5.html
《17》「坪いくら」で契約させ、「施工面積」にどこまで入れるかは拡大し放題。契約時、「他社で契約するために解約する場合は契約金は返金しない」という文言を知らさずに署名捺印させる会社。
反証12 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_7.html
《18》ひとの追客中見込客を横取りして放置する「一条の土台を築いてきた人たち」、それに加担する営業本部長
反証13 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_6.html
《19》浜松のインテリア館で購入を検討していいのは「静岡市から名古屋市まで」の人が限度。「遠州人」の世界観で運営される工務店とインテリア館。
反証14 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_8.html
《20》「決定権者を見抜く」ヤツと「誘導する」ヤツには住宅は頼みたくない。
反証15 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_9.html
《21》「他社に対して見当はずれな誹謗中傷をする下品な会社」
反証16 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_10.html
《22》 親戚の契約は、(株)一条工務店ではさせられない。-RC造の地中梁を解体屋が無断で撤去。設計ミスで軒のない家を施主の承諾なく建てる。解体屋は隣家の塀も壊す。従業員の親戚の家には初めての大工・職人。引継ぎ営業は「めんどうくさいですから」と施主宅に行って言い、住宅金融公庫を高い金利で借りさせ葉とする。一条インテリアでエアコンとカーテンレールを頼むと、一緒に頼んだから問題はないかというとそうではない。
反証17 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201908article_5.html
《23》 立ち入ると鼻やのどが苦しく眼が痛くなる家
《24》 「集成材はムク材の1.5倍強い」と自分は集成材を構造材とする会社の営業ではなくムク材を構造材とする会社の営業なのに言いまくる男の会社の家
反証18 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201908article_7.html
《25》 「客宅に行ってインタホンを押すと隠れる」ヤツの作る家と、「ドアを開けると閉めさせないように足をつっこむ」ヤツの作る家。
《26》 浜松の展示場は新しくてきれい、東京展示場は古くて汚くて床鳴りがする。
反証19 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201909article_1.html
《27》 バルコニーの防水の方法は《シート防水+人工芝》でないと絶対にだめだと教えながら、「シート防水」(「防水シート+人工芝」)とFRP防水では「なぜ」「どのように」《シート防水++人工芝》の方がいいのですか・・なんて質問してはいけない会社
反証20 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201909article_3.html
《28》 「譜代」の所長がいる営業所には経験のある設計を担当させ、新人営業だらけの営業所には新人設計を担当させる会社。
反証21ー1 〔今回〕
《29》(ア)大型ベイウインドウは本来「親戚中が集まって座席が不足した時に補助席として使う出窓」ではない、と従業員に教えるべきなのになぜか教えない会社。
(イ)「洗面台・洗濯機置場・脱衣場を通路と兼用」にした展示場は、ユニットバスを見て腐り・白蟻対策を話す為の作戦だ、と従業員に教えるべきなのになぜか教えない会社
反証21ー2
《29》(ウ)
・・・
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暮らしの中の故事名言辞典 (1967年)

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