戸建住宅で北側に書斎を設けることができるケース。及、「津田沼ザ・タワー」はなぜ北側に大きな窓を取るのが許されるのか?

[第733回]
   戸建住宅を建てるにおいて、どちらの方位に道路がある土地が良いかという問題。それに、どの方位に面した部屋が良いかという問題について述べる。
   道路の方位については、都市部と「地方」においても事情は異なる。「地方」において、敷地面積が一反(いったん)(300坪)の土地に建てるというような場合では、道路が北にあっても、ぐるっと回って南側の玄関から家に入るというケースは珍しくない(分譲地で70坪程度の敷地でそれをやる人もいるが、私はそれはどうかと思うが、福島県あたりでは「入口は南」という考え方が相当強い人が少なからずおられるようだ)。それに対して、東京圏・関西圏では、1990年前後、私が小堀住研(株)に在籍した頃、東京圏での住宅都市整備公団の分譲地は50坪台のものが多かった。「地方」でも、1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で福島県いわき市の営業所に勤務した頃、いわき市中央台飯野・いわき市中央台鹿島といった地域整備公団の分譲地は70坪台というものが多く、そういう土地を買った人は、「うちは土地が狭いから」と言われ、東京から行った人間は「うちは土地が狭いから」などと言われると、「土地は狭いから」と言われるのなら「30坪くらいかな」とか「20坪少々かな」とか考えがちだが、いわき市の人間の感覚では「そんなの、30坪の土地なんてそんな所に家が建つんですかあ」というもので、いわき市の住人の感覚では100坪切ったら「うちは土地が狭いから」ということになるようだった。いい所だなあと思ったものだ。原発事故による放射能汚染さえなければ、そんな所に住みたいものだと思ったものだ。1992年、(株)一条工務店で神奈川県の営業所長だったTさんから「東京で家を建てるというのが間違っている」と言われ、「それなら、どこで建てればいいのですか」と訊いたところ、「浜松だ。家を建てるのなら浜松で建てるべきだ。東京でなんて建てるのが間違っている。東京で家を建てようなんて考えるから狭い敷地に建てなきゃならなくなるんだ。私も浜松で建てようと考えている」と言われ、なるほど、浜松とかで建てれば、東京圏で建てるよりも同じくらいの価格で東京圏よりもずっと広い敷地を買えて、悠々と好みの家を建てて住めるということかあ~あ・・・とも思ったが、神奈川県で営業やっている人に「東京(東京圏)で家を建てるのが間違っている」と言われても、東京圏の営業所(展示場)の所長をやっている人から「東京(東京圏)で家を建てるのが間違っている」なんて言われてもなあ~あ・・・・、それ、お客さんに言うわけにいかんでしょうが、と思ったものでした。Tさんには自分の営業所に所属の人間でもないのにいろいろと教えてもらったのですが、その発言はお客さんに対する場合のことではなく、浜松出身で神奈川県に勤務していたTさん個人の自分が建てるのならという本音だったのでしょう。実際、「地方」でも本当のへき地とか離島とかいうと生活に大変なところがあるかもしれませんが、県庁所在地の都市とか、もしくは浜松(静岡県)・いわき(福島県)のような県庁所在地に劣らない人口の市などは、けっこう住みやすいところがあるように思います・・が、「東京で家を建てるのが間違っている」とまで東京圏の営業所の所長さんに言われてしまいますと、それはちょっと・・・と思いました・・・(^^)/ Tさん、その時、ちょっと酒のんで少々よっぱらっとったような気もしますけどね・・・(^^)/  〔考えてみると、その時、Tさんは藤沢営業所にいた「高木のおっさん」(男。創価学会員)のことを「うちのトップセールスの高木くん」と言ったのだが、その時は特に気にしなかったのだが、その後、2001年、その「高木のおっさん」が私がいた栃木県佐野市の展示場に転勤してきて一緒になったのだが、「トップセールス」どころか、「え? この人、これでこの会社で5年以上、営業やった人なのお?」て感じがした。実際問題、「高木のおっさん」のことを「うちのトップセールスの・・」などと言っていたのは、やっぱり、間違いなくTさんは酔っぱらっていたと思う・・な(^^)/ 〕
  2008年、千葉県八千代市に本社がある東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ では、花見川店の店長になっていた「大友ゆうこりん」(仮名)(女。当時、50代)から「千葉県とか東京都とかで家を建てる人で50坪以上の土地に建てる人なんてあるわけないでしょう。あんた、そんなこともわからないのお」などと言われたのだが、しかし、私は小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも千葉県や東京都や埼玉県で契約して建ててもらってきたが、いずれも、50坪以上の土地に建てた人ばかりであって、50坪未満の土地に建てた人というのは1軒もなかった。「千葉県とか東京都とかで家を建てる人で50坪以上の土地に建てる人なんてあるわけないでしょう。あんた、そんなこともわからないのお」などと言われても、そんなもの、わかってたまるか! 東海住宅(株)は「建築もやっているけれども、売買の不動産が中心で、建築は建築条件付きの土地を売った相手か建築条件のない土地を仲介して買ってもらった人か、もしくは中古住宅が建っている土地付建物を仲介で買ってもらった人に建て替えてもらうといったケースがほとんどで、建築そのものの契約は少ない」という会社で、東海住宅(株)が分譲した建築条件付きの土地というのは40坪台のものが多かったということもあるだろうけれども、それよりも、私が小堀住研(株)に在籍した時、研修で「精神面が貧困なやつというのは安い物は売れても高額物件は売れない」と言われたのだが、「大友ゆうこりん」(仮名)はそれに該当したと思う。「精神面が貧困なやつ」であったから40坪台以下のものしか売れなかったのである。「ゆうこりん」(仮名)は「オットが小堀住研で設計課長をやってました」というのが「売り」で、「もう、その話、前に聞いたよ」て感じのことを「オットが小堀住研で設計課長やってましたから」と何度も何度も繰り返し繰り返し言うのだったが、それだけ何度も言われると、「英語など『覚える科目』の学習は繰り返し繰り返し反復学習するのが効果があります」と、昔、紀伊国屋書店だったかどこかでリンガフォンの販売やっているおねえさんから言われたかなんかだったと思うのだが、たしかに反復学習の効果はあってその文句は耳にへばりつくように覚えた・・・が、しかし、「小堀住研で設計課長をやっていた」のはあくまでも「オットが」であっておばさんがではないのであり、「オットがヤクルトスワローズの監督やってました」とか「オットがインドネシアの大統領やってました」とか言ってテレビに出ていたおばさんと一緒で、「あくまで、『オットが』でしょ。あなたじゃないでしょ」という感じがした。はっきりとそう言ってあげた方が本人のためだったかもしれないが、たぶん、言ってあげてもきかなかったのではないかと思う。もし、本当に小堀住研(株)で設計課長を自分がやっていた人間ならば、「千葉県や東京都で家を建てる人で、50坪以上の土地に家を建てる人なんてあるわけないでしょ」とは言わないはずである。小堀住研(株)で建てていた家では敷地は50坪未満のものもないことはなかったが50坪以上のものの方が圧倒的に多かったのだから。あるよ、いくらでも、あったよ、いくらでも。私は建ててもらったよ。「ゆうこりん」(仮名)は「ましてや、100坪以上の土地に建てる人なんて千葉県や東京では、どこにもいるわけないでしょうよ。そんなこともわからないの」などと言うのでしたが、いるよ、私は、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも建ててもらったよ。「あんたが、そういう人に相手にしてもらえないだけでしょ」とはっきりと言ってあげた方が良かったか・・と思わないこともないが、言ってあげてもきかない人だった、と思う(おばさんに言うのは、しんどい! おばさんとつきあうと疲れる。リゲインなんて飲んでも役に立たん)。むしろ、なんで、その「小堀住研で設計課長をやっていた」という「オット」は教えてやらないのか・・とも思ったが、「オット」だけあって、言ってもきかない女だと骨身にしみて理解していたから教えなかったのかもしれない。
  ・・で、その「オットがヤクルトスワローズの監督やってました」とか「オットがインドネシアの大統領やってました」とかいうおばさんのことは置いといて・・・。まず、都市圏においても、田中御殿とかそういう家は別として、「普通の分譲地」、かつての住宅都市整備公団が分譲した50坪台の広さの土地とか、東海住宅(株)が分譲して販売していた40坪台の分譲地とかの場合だが、道路はどちらの方位に道路がある土地の評価が高いか。
  私が1992年に宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格試験に合格して、合格後、「実務経験に代わる講習」を受講した際のテキストである建設省建設経済局不動産業課監修『宅地建物取引主任者 資格登録に係る実務講習 通信テキスト(1) 平成4年(1992年)版』(1992.10.不動産近代流通化センター)に所収の宅地建物取引業者が顧客の土地を査定する際に使用してくださいとして掲載されている「宅地条件格差表(大都市圏版)」を見ると、「(3)前面道路の方位」として掲載されているものを、評価の高い方から並べると、
南東角地  +15
南西角地  +13
南北二方路 +11
南      +8
東西二方路  +6
北東角地   +5
北西角地   +3
東      +2
西      +1
北       0
・・これが、「(大都市圏版)」ではなく、「(標準版)」になると、
南東角地  +12
南西角地  +10
南北二方路  +8
東西二方路  +6
南      +5
北東角地   +5
北西角地   +3
東      +2
西      +1
北       0
・・となり、「(大都市圏版)」に比べて「(標準版)」は全般に差が小さく、「南」と「東西二方路」との順位が入れ替わっている。
  実際に建てる場合には、不動産の査定における評価と別に、建て主がどういう使い方をするかによっても好ましい条件かどうかは変わってくる。都市圏において、「都市型の二世帯住宅」・・「地方型の昔ながらの三世代同居住宅」(別名「一条工務店型二世帯住宅」)ではなく、「都市型二世帯住宅」(別名「旭化成型二世帯住宅」、(株)一条工務店のオリジナル営業が「そんなおかしな家、あるけえ。そんなおかしな家に住みたいなんぞというバカ嫁は言ってきかせてやらんといか~ん」と言う家。)を建てたいというような場合には、南東・南西・北東・北西か方位にはそれほどこだわらず、ともかく、二方道路、できれば角地の二方道路がいいという人が多いのではないか。 商売をやっている人、店舗併用住宅・医院併用住宅などでは、角地でも悪くはないが、むしろ、南北か東西かの二方路がいいという人もいるのではないか。住宅を建てる前に隣接地に挨拶に顔を出しておこうと思い、隣の土地の所有者が医者だというような場合、営業日(診療日)に行って業務を妨げない方がいい・・などと思って休業日(休診日)に行くと・・・いねえんだよ、これが・・・てことがあったのだが、「医者の家に休診日に行くとたいてい留守だ」という説があって、なんでも、休診日に家にいると、本当に命にかかわるというのならともかく急患でもないのに診察日診察時間に来ればいいものを「診てください」と押しかけてくる「モンスターペアレンツ」もしくは「バカママ帝国主義」みたいのがいっぱい来て休みが取れなくなってしまう・・・というので意図的に出かけて留守にするという話があるのだ・・が、実際にそうであるのかないのか、ともかく、商店併用住宅とか医院併用住宅とかの場合は、角地がいいか二方路がいいか、世間一般には、南東・南西の角地の方が評価は高くても、南北か東西かの二方路の方がいいという人もあるのではないか、と思う。
  まあ、そんなもので、建主がどういうものを建てたいと考えているかによっても、向いている土地の道路づけは変わってくるのだけれども、一般に南に面している土地の評価の方が北に面している土地よりも高く、角地は一方路よりも評価は高い、というのが基本である。

  「前面道路の方位」と別に、各部屋の向きという問題もある。一般に南向きの部屋の評価が高く、次いで東向きの部屋の評価が高い。私が小学生から中学生・高校生にかけて学習していた部屋は西に腰窓・南に掃き出し窓があってその先がベランダになっていたが、南の窓は掃き出し窓であるので、西向きに机を配置して学習していたのだが、午後には、西側正面から日がさして、そういう西日が入る窓に向かって学習するというのは拷問みたいなところがあり、根性で頑張って学習したが・・・、今から考えると、そういう所で「根性」を発揮するよりも、もっと条件のいい方位に向かって快適な条件で学習して、その「根性」は別の方向に発揮した方が良かったのではないか・・という気がする・・のだが、1960年代後半、小堀住研(株)で建てた時の設計担当および営業担当者には、片方で「デザインの小堀」といってデザインなどにおいて工夫をこらした部分もあったが、そのあたりの工夫に欠けていたようにも思う・・が、うちの父親が建築会社の言いなりになるような男だった、ということにも原因があったかもしれない。
  1980年代、その小堀住研(株)に入社すると、小堀住研(株)の「営業知識マニュアル」というTQC本部営業部会編集の冊子に書いてあったのだ。「南向きの部屋が常にいいとは限りません」と。さらに、「西向きの窓に向かって学習や読書は適さない」とも書いてあったように思う。1960年代に建てた時の小堀住研(株)の設計担当および営業担当(のちの営業部長)はそういうことを学習していなかったのか・・とも思うが、営業担当は入社してすぐの時期だったそうだが、それにしても営業課長も同行して来ていたようであり、会社としての契約なのだから、そのあたりの配慮が不足していたのは評価できない。今から考えると、あの家の図面というのは、我が家の土地と家族構成に合わせて作った図面ではなく、過去に作った図面を「お宅のためにうちの設計に作らせましたあ」と言って持ってきたのではないか・・、それをうちの父親はアホなものだから、そんなものをありがたがって、実際には南西の角地であって、山の中腹であることから道路との高低差があり、南東と北西が道路との高低差が小さく、特に南東が一番高低差が小さい土地なので、普通なら南東あたりから入って南面の東よりか東面の南寄りに玄関を設けるのが一般的な土地なのに、「西道路の家の図面」を我が家の土地に落とし込んだものを持参してきて、そのまま、建てさせたのではないか・・という感じがする。だから、北西と南東では南東の方が高低差が小さいのに北西から階段を登って上がるようにされてしまったし、南西の角地なのに玄関が北面にあるという、悪く言う人の表現だと、「まるで質屋の玄関みたい」な家にされてしまった。
(この「質屋の玄関みたい」という表現は、何年か前、その北摂地区の市で、耐震補強をおこなうのならば市でいくらか援助するというチラシが入っていて、補強工事を行う場合は市にある工務店に依頼するのが条件ということだったので、比較的近くの工務店のおっさんに見に来てもらった時、その工務店の社長は約束の時刻に遅刻してきて、遅刻してきた男がいきなり「おしっこ、おしっこ」(原文の通り)と言ってトイレを貸せと要求し、トイレを借りた後、「ここの家は、質屋の玄関みたいな家でんなあ」と訪問した客宅でぬけぬけとそういう口をきいた、その表現である。実際にそうであってもなくても、私が営業であれば、見込客の家に行って見込客に向かって「この家、質屋の玄関みたいな家でんなあ」などとそういう無礼な口はきかないし、初めて訪問する家に行くならば、訪問の前に小用はすませておくもので、初めて訪問した家に行っていきなり「おしっこ、おしっこ」て、こいつ絶対にアホや! と思ったし、そういう人間が社長の会社にはたとえわずかな工事でも発注するのは反社会的であると考えて、その工務店とは、その後、かかわらないことにした。)
  1960年代に小堀住研(株)で建てた家は悪いところばかりということではなく、工夫がされているところもあるのだけれども、「デザインの小堀」というだけに「デザイン重視」はできたばかりの頃には、前の道路を通る人から「いやあ、こんな家に住んでみたいわあ」などと言われることがあったくらいだったが、「新進気鋭の設計士」と営業担当が紹介した設計担当は「新進気鋭」(もしかして、別名「若造の新人」?)だけあって、デザインに力を入れる能力はあっても、実際に家族がそこで住んで生活した場合の住みやすさという点についての配慮が十分とは言い難かったのではないか、と思う。但し、これは「新進気鋭の設計士」が悪かったとは限らない。設計よりも営業に責任がある可能性もある。私は小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも、入社直後の研修で、研修の講師役の従業員から「先輩社員が契約した人を見ると、たいてい、その営業担当によってお客さんが似てるんですよ」と教えられた。人間には相性のようなものがどうしてもあるので、その営業担当者によって契約客というのは「似ている」というのだった・・・が、自分自身が住宅建築業の会社に長く勤めて、できてきた家を見せてもらってくると、お客さんも「似ている」かもしれないが、それぞれの営業担当ごとに建てられた家もまた「似ている」ということに気づいた。できた家が「設計担当ごとに似ている」のではなく「営業担当ごとに似ている」のだ。そして、(株)一条工務店においては、「この人に担当されたお客さんはかわいそうだなあ~」と思う営業がいる、ということも実感した。私は、すべてにおいて完璧に成功したとは言えないかもしれないが、他の営業との比較においては、決して悪くない方の営業だった、と思っている。引き渡しの時、「おかげさまでいい家ができました」と何人ものお施主様から言ってもらったが、それは一般的な挨拶として言うこともあるかもしれないが、実際に自分を担当として契約してくれたお施主様のために最大のことをやろうと努力してきたのであり、他の営業との比較においては悪くない方であったつもりであり、悪くない方であったはずである。
  家のプランニングにおいて、プランニングは設計がやるもので営業がやるものではないと思っている人がいるが、それは間違いである。野村克也の本によると、野球においては「捕手の力」が大きいそうだが、住宅の設計においても「捕手の力」(営業の力)は相当大きい。 特に、(株)一条工務店においては、私が入社した1992年には東京圏に「設計」がいなかった。浜松・名古屋には設計がいて、地元にいる人間と顔を合わせて話をして進めたのが、東京圏においては名古屋にいる設計が書いた図面をFAXで送ってきてそれに電話で話をするという進め方であり、その点で大手ハウスメーカーには一歩も二歩も劣っていた。さらに、1992年の後半においては、名古屋南営業所においては、名古屋南営業所の営業が担当の図面はある程度以上経験のある設計が担当して、東京圏の営業が担当の契約客の図面は新卒入社1年目の新人に担当させるということまで(株)一条工務店はやった。〔⇒[第718回]《経験のある設計を「譜代」の所長の営業所の担当に、新人設計を遠隔地で新人営業だらけの営業所の担当にする会社――「一条工務店の建物は完璧にすばらしい」の反証》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201909article_3.html 〕 そして、1993年4月後半に入社したT(男。当時、20代なかば。明治大学建築学科卒、自称「大成パルウッドで設計2年、住友不動産ホームで営業1年の経験」)は「経験者」とはいえ、バカ大学の建築学科を卒業して大成パルウッドで2年、設計をやったという経験年数の男で、若いにもかかわらず性格が偏屈で扱いにくく、それを私が苦労して我慢して書かせたのだった。その後も、(株)一条工務店の設計は若い人間が多くて経験の多くない者が多く、他社の設計と比べて必ずしも実力がある方ではなく、特に、私が入社1年目においては、名古屋南営業所の営業所長の近藤路夫は名古屋南営業所にいた設計担当者2名のうち経験がある者を自分の所の担当として新人を東京圏の営業の契約客の担当にまわしたが、その後、私が「ふと気づくと、その地域の営業の中では経験がある方」になった頃には、私には一貫して新人をまわされるということになった。よくやってくれるもんだ、と思ったが、そのうち、「わしぁ、日陰の月見草」てなもんで、むしろ、ヘボ設計・新人設計をリードして一流設計に負けない図面を書かせる・・ということにやりがいを感じるようになった・・・のだったが、ところが、1998年、営業本部長の天野隆夫から呼びつけにされて、苦労して工夫して新人をリードして経験がある設計に劣らない図面を書かせようとしていたことについて、「余計なことすんなあ!」と怒鳴りつけられた。何を言ってやがる、と思ったが、それが(株)一条工務店の営業本部長だったのだ。(株)一条工務店の営業本部長というのはそういう人間がなっていたのである。「余計なこと」やっていたのは営業本部長の天野隆夫の方である。天野隆夫こそ、「余計なことすんなあ!」と怒鳴りつけられる必要があったはずである。アホが営業本部長やっている会社というのは、会社にとってあんまりいいことないと思う。必ず、いずれ、その影響は出るはずである。
  何年か前、ヤフーニュースで見たのだが、中日ドラゴンズの建山捕手が新人の小笠原投手の投球に怒ったという記事が出てきたのだが、「おまえ、いったい何やってんのお」「おまえ、そんなことなら、もう、ひとりで全部やれよ。」「おまえ、責任もって間違いなく最後まで投げろ」と言ったそうだが、建山捕手としては、野球の試合は9回まで抑えなければならないもので、後半も抑えることができるように、前半はともかく抑えればいいというものではなく、相手の打者に、後半に打席がまわった時に前半の打席での残像が残っていてそれを基に後半を抑えることができるように前半の投球は組み立てないといけないのに、自分が前半だけともかく抑えればいいという投球で、それで最後まで投げるのならともかく、そうではなく、後半は他の投手に代わってもらい、その結果として、代わった投手が苦労して打たれることになった、捕手がそのあたりも考えてサインを出しているのに、捕手を無視し捕手の言うことをまったくきかない、新人のくせして捕手を無視して自分勝手に投げまくるのであれば、「おまえ、ひとりで勝手にやれ」「最後までひとりで投げろ」ということになった、らしい。私は、1997年、入社1年目の長谷川恭子(女。当時、20代。日本女子大家政学部卒)が設計担当としてやっていた時、その建山捕手と同じような気持ちになったのだ。ある程度以上経験のある営業の私が、新人の設計のためにこれだけ苦労してやっているのに、その態度はいったい何だ、と思ったし、又、そうさせていたのがいわき地区の設計で入社6年目の春田靖(男。当時、20代。東洋大学建築学科卒)と入社3年目の松本(男。当時、20代。横浜国立大学建築学科卒。)の2名だった。営業本部長の天野隆夫は春田靖と松本に「余計なことすんなあ!」「おかしなことすんなあ!」と叱る必要があったはずである。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫(男。最終学歴:中卒。当時、40代後半。)の思考・行動は常に病的であり、天野隆夫は仕事の邪魔である。
  ひとつには、『味いちもんめ』という板前を描いた漫画に、新宿の「割烹藤村」に、それまで「男の世界」だった板前に、板前の娘でどうしても家の料理屋の跡を継がないといけないといって板前になりたいと若い女性が入ってきた時の話が出てきて、常連客のはなし家(落語家)の円鶴師匠が「雰囲気が変わるだろう」と言い、「女の子がいると華やかでいいですね」と言う伊橋に「違うよ、そういう意味とは」と言い、はなし家の世界でも板前の世界と同じくもともとは男ばかりの業界だったが、それまで、男ばかりだった世界に若い女性が入ってくると、周りの男が変に意識してペースを崩す、ということを言っているのだと話す。「割烹藤村」においても、その女性について尋ねられた伊橋が「渡邊なんかよりいいくらいですよ」と後輩の板前の渡邊より優秀なくらいだと言うと、板長の熊野さんが「そうじゃないだろ。あれは、渡邊が変に意識してペースを崩していたんだ」と話す。それまで、「男性の仕事」であったものに女性が入ると、その女性がどうかという問題と別に、周囲の男性が「ペースを崩す」という問題がある。春田靖と松本の2名は「ペースを崩す」ということではなく、対応がおかしくなっていた。しかし、そのあたりだと、男性従業員の方に問題がありそうに思えるかもしれないが、そうとも限らない。落ち着いて見ていると、「なぜか、その女性が入ると、それまでは特別にどうということのなかった男性が変な行動を起こす」という女性というのがいるのである。私は最初はわからなかったが、長谷川を見て、「あれっ」と気づいた。本人が意識してそうしていたのか無意識にそうなっていたのかどちらなのかは判明しないが、「なぜか、その女性が入ると、それまでは特別にどうということのなかった男性が変な行動を起こす、という女性」に該当するのではないか、ということに気づいた。私以外にも気づいた人間はいると思う。天野隆夫は気づく能力のない人間であるから金輪際気づかないであろうし、(株)一条工務店の経営者は「アホばかり」であるから気づかないであろうけれども、私は気づいた。
  ・・ともかく、そういうヘボ設計をリードして一流の設計に劣らない図面を造らせるという作業をできる営業とそうでない営業とではできる家に差が出る。そういう「捕手の力」を発揮できる営業、常に成功したとは言えないかもしれないが少なくとも「捕手の力」を発揮しようという姿勢のある営業、入社以来、新人ばっかりまわされてきてそれを努力して工夫して仕事してきた営業には、本来なら営業本部長なら「ありがとう」の一言くらい言うべきものを「余計なことすんなあ!」などという口をきくような男が営業本部長になっている会社においては、「その程度の家」ができてしまう可能性というものが考えられる。 家は設計の力だけでできるのではない。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」だの「営業は口きくな」だのと発言したが、断言するが、そんなことでは絶対にいい家はできない。天野隆夫がいる限り、(株)一条工務店はいい会社にはならない。「捕手の力」を軽視する住宅建築会社はだめである。
  「設計は営業に機嫌をとってもらうのが当たり前だ」と考えている春田靖や長谷川恭子など(株)一条工務店のアホ設計・ヘボ設計を見ると、そういうアホは一度、営業を経験させるといいのではないか・・とか考えてみたりもする。もしくは、建築現場でいくらか働かせてみるといいのではないかとも思ったのだが(真人間になるよう、「シベリア送り」にして肉体労働につかせるといいのかもしれない・・)、建築現場に行って、もし、何か重いものを何人かで持とうとして苦労していたとすると、職人でなくても、工務課・工事課でなくても、お客さんではなく従業員である以上は、一緒に持つか、もしくは、周囲の物をよけて運びやすくするか何か手伝うもの、「お客さんでないからにはなんなりとするもの」であり、実際、私はそうしてきたはずである・・・が、春田靖という男は建築現場に行っても「設計はシャープペンシルより重い物は絶対に持ってはならない」という戒律を持っている男であり絶対に持たない。長谷川恭子もまたその類である。長谷川と一緒に図面の打ち合わせをやった後、展示場の戸締りを私がやって事務所に戻ったところ、長谷川は一緒に仕事をしていた先輩社員のすでに(株)一条工務店では「ベテラン」に属していた私が戸締りをやっていてもおかまいなしに事務所に戻って、理由も必要もないのに事務所に来ていた松本と一緒に遊んでいたのである。いい家を作ろうとおもったら、まず、そんな「設計」ではだめだろう。建築現場に行ったら、たとえ、職人でなくても工務課・工事課でなくても、お客さんじゃなくて従業員ならば、他の者が重い物を運ぼうとして苦労していたのなら、自分も一緒に持つか、そうでなければ、まわりの物をどかせて運びやすくするとか、何なりと協力するものと違うのか? 展示場で一緒にお客様との打ち合わせをやった者が展示場の戸締りをやっているのに、自分だけ事務所に戻って、その女に会いに来ている男と遊んでいるというのは、それは建築会社の従業員の姿勢としておかしいのではないのか? ・・と思うのだが、営業本部長の天野隆夫によると「なんで、いかんのじゃあ」ということになるらしいのだが、「なんで、いかんか」ではなく、「誰がいかんか」であれば、間違いなく営業本部長の天野隆夫が「いかん」のである。天野隆夫は(株)一条工務店という会社の癌である。
   春田靖や長谷川恭子を見て、こんな態度の設計ではだめだな・・と思ったし、こんなやつは建築会社の従業員と言うに値しないとも思ったのだが、それから考えて、「設計」という職種だけやった人間というのはだめで、営業の経験もないと設計はだめではないかと思ったのだが、そう思って、営業と設計が分かれておらず、同じ人間が「設計兼営業」もしくは「営業兼設計」でやっているフリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ はその点でいいのではないか・・と思ってみたのだが、やっぱり、それもだめみたいだった。本人がどういう意識でいるかという問題がある。自分を「設計兼営業」と考えているか、「営業兼設計」と考えているか、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計兼営業」はそうではなく、自分たちのことを「設計士(さま)」と考えていて、アフター課の阿諏訪にいたっては「お客さんの家とは違います。設計士の家です」とまで発言。そういう思いあがった殿様意識では、そういい家はできない。結論として、フリーダムアーキテクツデザイン(株)が設計しているようなその程度の家しかできない、ということになる。阿諏訪の場合は高校を卒業した後、建築の専門学校に行き、専門学校を修了した後、設計事務所に就職して、さらに、自分で設計事務所を作ってやったものの倒産させた・・らしいが、「お客さんの家と違います。設計士(さま)の家です」などというそんな認識・そんな思想だから、つぶれたのであろうと私は思う。「お客さんの家とは違います。設計士の家です」という阿諏訪のような意識でいるからつぶれたのである。そうではなく、「設計の家とは違います。お客さんの家です」ときっちりと認識しないといけない。そうでなかったら、フリーダムアーキテクツデザイン(株)が「お客さんの家とは違います。設計士(さま)の家です」などと阿諏訪のようなことを会社として考えているのであれば、フリーダムアーキテクツデザイン(株)もまた、阿諏訪の設計事務所と同様に倒産することになる可能性がある。実際には「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」といったもので、同業他社がそれ以上になってないことから結果として「負け組」にならず「勝ち組」の方に入っているというようなケースも日本の会社にはあるわけで、「つぶれる要素」を持ちながらも他の面で良い点があるか同業他社がそれ以上になってないかということから存続している会社というのはあるのだが、「つぶれる方の要素」であるのは間違いないはずである。自分の設計事務所をつぶしておきながら、その後、雇ってもらって勤めた会社でもまた、「つぶれる要素」「つぶした原因」を実行しようという男もまた困ったものである。ちょっとは学習した方がいいのではないかと思う。フリーダムアーキテクツデザイン(株)はそういう認識でいると倒産するということを阿諏訪が実地で体験しているのであるから、それは参考にするべきもののはずである・・・が、ところが、「建築専門学校卒」と称している自称「設計士(さま)」というのはなかなか理解しねえんだわ、これが! そういう人間に、そういうものではないんだよ、とわからせるというのはこれは大変難しい。実際のところ、私は日本の「建築専門学校」というのは全部つぶした方が世のため人のためではないのか、と思っているくらいなのだが、どうも、日本の「建築専門学校」というのは変な「教育」やっているように思う。日本の「建築専門学校」というのは、そもそも、教えている人間がおかしい、教えている人間がひとに教える前に自分自身が教育される必要がある、自分が教育される必要がある人間が教えている、というのが理由かもしれない。ともかく、「設計事務所」を名のっているフリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計兼営業」なのか「営業兼設計」なのかは、「営業もやる設計」であるから、(株)一条工務店の「バカでも入れる私大の建築学科」出たばかりの人間は「入社したその日から殿様」と認識しているヘボ設計よりはマシかと期待したのだが、そうではなかった。フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計兼営業」というのは、多くが、《「設計士(さま)」と自称したがる症候群》・《「設計士(さま)」と呼んでほしいほしいシンドローム》の相当重症の「患者」・《「一級建築士」を「一流建築士」のニュアンスで言いたいという「三流一級建築士」になりたいが一級建築士の試験に通らないものだから「設計士」などというありもしない資格もどきを名のりたがる症候群》であり、「このビョーキは簡単には治らない」もので、これを治そうとすると、交通事故にあって頭を強打するか、もしくは、「精神外科」「ロボトミー」とかで大脳を破壊するとか「薬づけ療法」(化学療法)で人格を破壊するとか、なんかそういうことでもやらない限り、「このビョーキは治らん」のではないか・・という感じがした。「病識がない」というのが何より問題だが、自覚させるのは大変難しい。フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計兼営業」は「営業でもある設計」かと思ったらそうではなく「営業がいない設計」だったのだ。「おまえ、いったい、何やってんのお」と中日ドラゴンズの建山捕手のように怒ってくれる営業がいない設計だったのだ。たしか、フリーダムアーキテクツデザイン(株)のホームページに「営業がいないから、その分、安くできます」とかいった文句が書かれていた記憶があるのだが、そんなこと言っているからだめなんだよ。(株)一条工務店の大工で「営業なんて余計なやつがいるから、だから、高くつくんだよ」などと営業に向かって言う大工がいたのだが、おまえ、そこまでえらそうな口きけるほど大工として立派な仕事してんのか? と言いたいところだが、個人大工というのは「営業がいない」のではなく大工が営業の仕事もしているのであり、分業しているか一人の人間が両方やっているかの違いであるフリーダムアーキテクツデザイン(株)もまた、設計でもある人間が営業もやっていたのであって、「営業がいない」のではなく営業と設計を同じ人間が担当していた、ということであったはずである。むしろ、「営業がいないから、その分、安くできます」などと、営業という職種の人間の仕事をどうでもいい仕事のように記載するというあたり、フリーダムアーキテクツデザイン(株)が「捕手のいない投手」のような設計が図面を作っている会社であるという会社の欠陥を示しているものだった、と言えるであろう。

  それで。 一般に土地の評価は、宅地建物取引業者が「査定」をする場合の「土地価格査定マニュアル」の「宅地条件格差表(大都市圏版)」「宅地条件格差表(標準版)」では、↑に書いたように、一般に、「前面道路」については、南東角地⇒南西角地⇒南北二方路⇒南道路、もしくは、東西二方路・・と南に道路がある土地の評価が高く、評価が低いのは、北道路⇒西道路⇒東道路⇒北西角地⇒北東角地・・・ と、北道路は評価が低い。もっとも、南でも、敷地延長とかつっこみ道路とかだとその分だけ評価は下がるので、そうでない北道路の方が評価が高い場合もある。
  「前面道路」ではなく、南が低く北が高くなっている地形がいいのか、北が低く南が高い地形がいいのかというと、家相・地相の上では、
《 また、丘陵地などを造成した土地で、敷地が傾斜している場合は、北が高く、南がいくぶんなだらかに傾斜しているような土地が最高である。ついで西がわずかに高く、東、東南、南にかけて平坦になっている土地もよい。この逆、つまり東、東南が高く、北や西に向けてなだらかに開けている土地はあまり吉相とはいえない。》
( 鶴野晴山『よい家相・よい部屋相』1989.6.10.KKロングセラーズ <ムック>の本 )
《 北が高く南に低い丘陵地帯は、宅地としてはAクラスに属し、家相でも吉となっている。なぜなら、日当たりがすこぶるよく、丘陵であるために風通しもよいからだ。
 ・・・
  では、中腹はどうか。背に高い北の斜面、前は低い南の斜面という状態だが、結論から先にいうと、これがベストである。中庸であることは、宅地についても大事で、何事につけ偏りすぎというのは避けたい。丘陵の中腹は日当たり、風通し、眺望ともに過不足がない。適度なのだ。
  家相では、南に面した丘陵地のように宅地の前が低く、後ろが高くなっている場所を「晋土(しんど)」といっている。これとまったく逆の地形は「楚土(そど)」と呼ばれているが、由来はもちろん、中国の晉と楚の国からきている。》
( 小林祥晃(さちあき)『家相のわかる本』1987.10.10.廣済堂ブックス )
《 風水では、四方位に神々が住んでいる土地が最高といわれています。住居やその他の建物は「四神相応」と呼ばれる環境に建築することが家相の大切な基本原則であるとされています。これによって無病息災、富貴繁栄をもたらされます。四神とは北の玄武神、南の朱雀神、東の青龍神、西の白虎神です。四神がそれぞれの方位を守護するとされています。
 四神相応の土地
 ・北に山や丘陵、高台、神社仏閣がある。
 ・南に海や湖、官公庁街や市街地がある。土地がなだらかに開けている。

 ・東から東南にかけてなだらかに開けている。河川などの流水がある。
 ・西に大きな道や飲食街や商店街がある。西が高くなっている。
・・・・
 家を新築するとき、引っ越しを考えたときなどはこうした土地が理想です。もし、これらの条件が全て当てはまらなくても吉相の土地はあります。
 吉相の土地
 ・東から東南にかけてなだらかに低くなっている地形
 
 ・東か南に道路がある地形。
 ・北に高い山や建物がある地形。 》
( 高島易断所本部編集『平成31年(2019年)神宮館運勢暦』 )
・・・とある。

  戸建住宅のプランニングをする際、一般に、南に面した部屋を多く取りたいと考える人が多い。片方で玄関は南か東に取りたいと考える人も多い。しかし、玄関を南に取れば、そうでない場合に比べて南側の部屋が1部屋少なくなることにもなる。マンションで東西に長い建物の場合、北側に通路をとって、北側の通路から入るようになっているものが多いのは、マンションの場合は東西に長い建物では、東・西の2面は隣家との間の壁であり、南と北にしか窓はとれないわけで、そうなると、南にベランダを設けて、掃き出し窓でベランダに出られるようにしたい。となると、通路は北にとって、北側から入るようにしたい・・という結果になることが多い。
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↑ は、我が家の2階窓から南側を撮影したものだが、左のマンションなどはその例であろう。南側にベランダを設けて、南側の居室から掃き出し窓でベランダに出ることができるようにして、北側に通路を設け、北から出入りするようにしたもののようである・・・が、その北側に東西に設けた通路が屋外に開放型であり、なおかつ、ずいぶんと明るい照明をその通路に設けているため、北側の戸建住宅の住民からすれば、南側に照明塔を設置されたのとあまり変わらない結果となっており、北側の戸建住宅の住民からすれば迷惑なことであるこのマンションの設計者はそのあたりも考えて設計するべきであったはずだが、周囲の住民の居住環境なんか知ったもんかというマンション設計者というのが時々いるのだが、そういう姿勢というのは感心できるものではない。
  「周囲の戸建住宅の住民のことなんて知ったものかマンション」のことは、少々置いておいて、南東の角地、もしくは南西の角地の場合、玄関の方位としては南側の方が、家相の上では良いことになるであろうけれども、あえて、北に玄関を持っていった方が南に面した居室を多く取ることができる。先日、大阪府豊中市の「旧羽室家住宅」(国登録有形文化財)を見学させてもらったのだが、南西の角地の敷地であるが、西道路の側から主要なアプローチをとり、家の北西部の北面に玄関を設けて作られていて、南に、応接室の南の「サンルーム」と2間続きの和室を2組設けられており、1階には南に面した部屋が計5部屋作られていたが、なるほど、北西部に玄関を持っていってこそのものだった。「地方」の人間には、「そんなおかしな作り、あるけえ」と思う人が多いかもしれないが、それは「地方」の発想、「農家型発想」であり、「都市近郊住宅」においては、南西の角地において、あえて南ではなく北西部に玄関を持っていくことで南側に多くの部屋を取るという選択はありである。こういうことを(株)一条工務店で言うと、「そんなおかしなことあるけえ」くらいならまだいいのだが、「そんなこと言うならエスバイエルに行けよお」とか営業本部長の天野隆夫から言われることになる。《何が何でも都市圏の住人に「地方型」というのか要するに「イナカ型住宅」を建てさせたい建てさせたい症候群(別名「『イナカモン根性』シンドローム」)》の経営者の会社においては、うかつなことを言えない。

  「南に面した部屋を多く取りたい」と考える人は多いのだけれども、だからといって、すべての部屋を南に面して取るということは一般にできない。 そこで、ものは考えよう・・・として、小堀住研(株)のTQC推進本部営業部会編集の『営業知識マニュアル』には、必ずしも、南に面した部屋が常に良いとは限らない・・という話が掲載されていたのである。
  ひとつは、「常に南からの光が入る南面の部屋というのは、子供には良くても年寄にとっては健康にいいとは必ずしも言えない」という説。実際、家相の上では、「北西は主(あるじ)の座」とされており、家族みんながくつろぐ部屋を南に設けるとして、二世帯で住むような場合、親夫婦の部屋というのは南に面した部屋ではなく、「主(あるじ)の座」である北西に持っていくのがいい、という考え方がある。
  もうひとつ。「子供部屋」が南に面した部屋というのがいいのかどうか。もし、南にだけ窓がある部屋に子供部屋を取ったとすると、子供が勉強する際、窓に向けて机を置くことになりやすい。そうなると、子供が勉強している時に親が部屋に入る際、子供の背中の方から部屋に入ることになる。それがいいのかどうか・・・。そうではなく、部屋に入る際、机に向かって勉強している子供の背中側から入るのではなく、横から入るようになる配置の方がいいということはないのか・・・という説がある。そうなると、どちら向きの部屋がいいのか、部屋の入口はどちらに設けるのがいいのか・・・。
  そして、今回の最主要テーマ。 書斎とか、学習・読書・執筆をする部屋の窓はどちらを向いているのがいいのか。西に向いた窓では、午後の西日は強すぎて、西面の窓に向けた机に向っての学習は拷問のようなものである・・・というのは、私自身が経験してよくわかる。今から考えると、よく、あんな悪い条件で頑張ったものだと感心する。東に窓がある部屋がいいのか? 小学校から高校まで、一般には、午前から昼過ぎまでは学校に行っていて、自宅で学習するとなると午後の場合が多く、窓から直接に日が入るのは西面ということになり、東の窓からは直接に日が入らないから、まぶしすぎるということにはなりにくい。しかし、逆に、朝から昼過ぎまでは学校に行っていてそこにいない人間のために、午前中なら日が入る部屋をあてがうのはもったいないということはないか。そして、夏休みとかになると、午前中もそこにいることになり、「夏の暑い日」となると、「午前中のまだ暑くなりきらないうちに勉強しなさい」ということになり、東の窓から日が差す時間帯に、その直射日光に向かって学習するということになる。
  ・・・こういったことを考えると、案外、いいのが北向きの部屋だというのである。北側の窓というのは、一日を通じて窓から入る光の強さにあまり差がないので、読書や学習・執筆には向いているというのだ。だから、書斎とか、子供部屋でも、北西・北東の部屋で机は北に向けて配置する・・というのはありではないか・・・といったことが書かれていたのだ。こういうことを(株)一条工務店でうかつに口にすると、「そんなこと、言うのならエスバイエルに行けよ」と営業本部長の天野隆夫から言われることになるのだが、よくわからんのは、私は、小堀住研(株)の『営業知識マニュアル』に掲載されていた話でも、小堀住研(株)ではあてはまるが他社、(株)一条工務店ではあてはまらないというものもあるかもしれないが、小堀住研(株)でもそれ以外の住宅建築業の会社でも、(株)一条工務店においてもあてはまるというものもあるはずで、私は、書斎や読書・学習・執筆をする部屋はどちらを向いた部屋がいいかとかいったこういう話は小堀住研(株)であてはまっても(株)一条工務店ではあてはまらないというものではなく、どの建築会社で建てる場合においても共通する問題であると考えていたのだが、ところがどっこい、たとえ、どこの建築会社で建てる場合においてもあてはまるものであっても、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫にかかると「そんなこと言うならエスバイエルに行けよ」ということになってしまうのだ。難儀な会社やでえ、ほんま。ほんまに難儀やでえ、ほんま・・・。
  ついでに言うと、1980年代後半、私は小堀住研(株)に入社した直後の新卒社員研修で、「革靴を履く時は、必ず靴ベラを使用してはくこと。靴ベラを使わず、つま先を地面にコンコンと叩きつけて履くとかはしてはいけません。革靴をかかとを踏んで履くなどはもってのほかです。」と教えられ、これはどこの住宅建築業の会社においても共通するものだと思い込んでいた。又、「お客様の家に行って框を上がる場合には、後ろを向いて上がるのではなく、前向きで框を上がった上で、そこで向きを変えて自分の靴を自分で揃えた上で中に入らせてもらうものです。三和土で後ろ向いて上がるというのはいけません。」と教えられて、これもまた、どこの住宅建築業の会社においても共通するものだと思い込んでいた。ところが、(株)一条工務店に入社してみると、1993年、名古屋の八事営業所で営業成績があがっていなくて松戸営業所に転勤してきた松下という男(当時、30代前半)は、客宅に行くと、三和土で後ろ向いて後ろ向きで框を上がるので、こんな営業あんのか・・・と思ったのだが、営業本部長の天野隆夫は「松下くんは十年選手だぞお」と言うのだったが、「十年選手」で後ろ向きで框を上がるような男って、いったい何なんだ・・と思ったものだった。そして、福島県いわき市の営業所に行くと、けっこう在籍年数が長いらしい佐藤K二さん(男。当時、40代前半)から「革靴を履くのに、靴ベラを使ってはくなんて、おまえみたいなそんなおかしな革靴の履き方する人間なんて、おら、生まれて初めて見た。そんなおかしな革靴の履き方があるかあ!」と言って怒られたのだ。「ちょっと、こっち来い」と言われて展示場の事務所の三和土の所に行くと、「H田くんの靴を見てみろ」と言われ、そのH田さん(男。当時、20代後半)の靴が脱いであるのを見ると、イブサンローランのブランドもののけっこう高そうな革靴が、まったく磨かれることなく汚い感じで、しかも、かかとを踏んでスリッパみたいな履き方で、その常にかかとを踏んでいるのが靴に型がついて残っていたのだった・・が、S藤賢二さんはそれを指して、「ほら、よく見てみろ。革靴というものはH田くんのように、こういう具合に履くものなんだ。このように、あらかじめ、かかとを踏んでスリッパみたいに履いておけば、おまえみたいに靴ベラ使って履く必要はなくなるんだよ。おまえみたいに靴ベラ使って革靴履くやつなんて、おら、生まれて初めて見た。そんなおかしな革靴の履き方があるけえ! それはプレハブの革靴の履き方だ。木造の営業なら木造の革靴の履き方をするもんだ。H田くんみたいにかかとを踏んでスリッパみたいに履くのが木造の革靴の履き方というもんだ。よく反省しろ!!!」と言って怒られたのだ。さらに、「お客さんの家に行って中にあげてもらう場合に、正面向きで框を上がってそこで向きを変えて自分が脱いだ靴を自分でそろえてから中にはいるなんて、そんなおまえみたいなおかしな框の上がり方があるかあ! 靴というものは、そこの奥さんに揃えさせるもんだ。それが営業の常識だ。自分が脱いだ靴を自分で揃えるなんて、それはプレハブの営業の靴の脱ぎ方だ。木造の営業なら、脱いだ靴はそこの奥さんに揃えさせるもんだ。脱いだ靴をそろえないなんていうバカ嫁は言ってきかせてやらんといか~ん。自分が脱いだ靴を自分で揃えて中に入るなどというプレハブの框の上がり方なんて、木造の営業は絶対にやっちゃいかんのだ。木造の営業なら木造の框の上がり方をしなきゃいかんのだあ!!!」と言って怒られたのだ・・・が、せっかく買った革靴をかかと踏んで履くなんて、なんか、嫌だなあ・・と思い、又、お客さんの家に行って框を上がるのに自分が脱いだ靴を脱ぎ散らかして上がってそこの奥さんに揃えさせるなんて、人間としてのマナーとして、そんなことさせられるのなんて嫌だなあ~あ・・・と思ったものだったが、それが「木造の革靴の履き方」「木造の框の上がり方」だったらしいのだ。ところが、である。1993年、千葉県の松戸営業所にいた時、営業本部長で松戸営業所長を兼任していた天野隆夫が客宅に同行してくれたことがあったのだが、ところが、営業本部長の天野隆夫は革靴を「木造の革靴の履き方」「一条の革靴の履き方」ではなく「プレハブの革靴の履き方」「エスバイエルの革靴の履き方」をしており、かつ、客宅に行くと「木造の框の上がり方」「一条の框の上がり方」をするのではなく、「プレハブの框の上がり方」「エスバイエルの框の上がり方」をしていたのだ。あれあれあれえ~え? 天野隆夫は(株)一条工務店の営業本部長なのに、なんで、「木造の革靴の履き方」「木造の框の上がり方」をしないんだあ~あ????
   さらには、1992年、東京都江東区潮見にあったウッディランド東京にあった東京展示場(その後、ウッディランド東京はなくなり、前半分がヤマダ電機潮見店になり、後ろ半分がマンションになったが、さらにその後、ヤマダ電機潮見店もなくなったようだ)で、新卒入社1年目の橋本薫(男。当時、20代前半。日体大卒)が展示場来場客を接客した後、その来場客が帰る際、展示場の玄関の框の上に立って、両手を体の後ろで組んで、あごを突き出して、水飲み鳥みたいに前におじぎして、「どうもっ」と言って見送っていたので、その「どうもっ」という言葉は営業の挨拶としては良いとは言えないし、水飲み鳥みたいな姿勢であごを突き出して、両腕を後ろで組んで挨拶するというのも、それも営業の挨拶のしかたではないはずで、それで、その時、私も入社したばかりだったので、たとえ、同業他社で少しは経験があるとはいえ、その会社では入社したばかりの者が自分より年下の相手であっても、「教える」というようなことをするのはおこがましい、どんなに些細なことでも「教える」ということは自分自身がそこの会社である程度以上の実績を残してからにした方がいいと考えていたのだが、それでも、気づいていて黙っているというのは不親切であり、気づいたのなら黙っているのではなく口に出して言ってあげる方が親切というものであろうと思い、それで「橋本さん、ぼくらもエスバイエルに入社してすぐの時に研修で言われたことなのだけれども(おそらく、一条工務店でも同じように研修で教えていることではないかと思うのだけれども)、お客さんを見送る時におじぎをする場合には、両手を後ろに組んでおじぎをするのではなく、手は体の横に置いておじぎをするもので、そうした方がいいと思いますよ」と親切のつもりで教えてあげたのだった。
ドリンキングバード 水飲み鳥 平和鳥
ドリンキングバード 水飲み鳥 平和鳥
私としては、お客様を見送る際に挨拶する時は、両手は体の横に置いておじぎをするもので、両手を体の後ろに組んであごを突き出して水飲み鳥みたいに前傾して「どうもっ」と言うなんてそんな挨拶の仕方はどこの住宅建築業の会社においてもおかしい、と思い込んでいて、(株)一条工務店でも新卒社員研修で小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)と同様のことを教えていたであろうと思い込んでいたのだった。ところが、そうすると、日体大卒の橋本薫は「〇〇さん、そんなこと言うのならエスバイエルに行けばいいでしょ。一条工務店には一条工務店のやり方というものがあるんですからねえ」とそう言ったのだ。その時は、それを聞いて、ひとがせっかく親切で言ってあげたのに、こいつ、こういうことを言うやつだったのか、もう言ってやらんわ・・・と思ったのだ。それが、日体大卒の「体育会系の礼儀作法」というものなのか、「さわやかスポーツマンシップ」というものなのか、ひとがせっかく親切で言ってあげたのに、そんな態度を取るのなら、もう言うたらんわ、もう二度と言うたらんわ、もう・・・と思ったのだった・・が、ところが、いわき市の営業所に行って、「木造の革靴の履き方」「木造の框の上がり方」というのを教えられて、それで、もしかして、(株)一条工務店では浜松での新卒社員向け研修において、お客さんを見送る際には、両腕を後ろで組んで、あごを突き出して、水飲み鳥みたいに前傾して、「どうもっ」と言うというのが、それが「浜松流」でそれが「木造の挨拶のしかた」「一条の挨拶のしかた」と教えていたのかもしれない・・と思い、そうであったならば、橋本薫くんにずいぶんと申し訳ないことをしてしまった・・・と心の底から反省したのだった・・・が、工場見学会などで浜松に行くことがあり、個別に契約客を浜松の工場に案内して、その後、浜松市のJR「天龍川」駅の南側の展示場にも案内したことがあって、その際に浜松の営業が接客しているのを横で見かけ、浜松の営業がお客さんに話しているのが耳に入ったこともあったのだが、浜松の営業というのはいいかげんなことを言うヤカラだとあきれたものだった・・が、それが「浜松流木造の営業のやり方」だとすると、その「デタラメ言い」が「浜松一条流」ということになるわけで、「一条工務店に入社した以上は」「浜松一条流」には逆らってはならない・・ということになったのだが、ところが、「浜松一条流」の営業がやることを見ていても、「浜松一条流」の営業でも、橋本薫くんがやっていたような、両手を後ろで組んで、あごを突き出して、水飲み鳥みたいに前傾して、「どうもっ」と言うというような、そんな挨拶はしていなかったのだ。両手を後ろで組んであごを突き出して水飲み鳥みたいに「どうもっ」と言うという挨拶の仕方をしていたのは橋本薫くんひとりだけだったのだ。そうなると、どれが「浜松一条流」なのか、どれが「木造の挨拶のしかた」「一条の挨拶のしかた」なのか、何がなんやらわからなくなってしまうのだが、1993年、やはり、営業本部長で松戸営業所長を兼任していた天野隆夫が松戸展示場において、4~5月のゴールデンウィークの時など多くの来場客があった時だったか、すべての営業が接客して来客の相手をする者がいなかった時、営業本部長の天野隆夫が接客した来場客が少しだけあったのだが、その際、来場客が帰る時、営業本部長の天野隆夫は、両腕を後ろに組んで框の上であごを突き出して水飲み鳥みたいに前傾して「どうもっ」と言うという「木造の挨拶のしかた」「一条工務店の挨拶のしかた」をしていたかというとそうではなく、「プレハブの挨拶のしかた」「エスバイエルの挨拶のしかた」をしていたのだった。なんでえ~え? 天野隆夫は(株)一条工務店の営業本部長なのに、なんで「プレハブの挨拶のしかた」「エスバイエルの挨拶のしかた」するのお? な~んでえ~え??? どうして、「木造の挨拶のしかた」をしないのお~お? なんで、「一条工務店の挨拶のしかた」をしないんだあ~あ??? と思ったものだった。不思議でしかたがない。天野隆夫は自分自身に自分で言うべきである。「そんな、エスバイエルの革靴の履き方やりたいのならエスバイエルに行けよ、おまえはあ」「エスバイエルの框の上がり方をやりたいのなら、エスバイエルに行け、おまえはあ」「エスバイエルの挨拶のしかたをやりたいのなら、エスバイエルに行け、おまえはあ」と、天野隆夫はそう自分自身に言わないといけないはずだった。なんで、言わないのだあ? なんでだあ????? 天野隆夫は(株)一条工務店をやめてエスバイエル(株)に行くべきであろうが。「一条の革靴の履き方」ではなく「エスバイエルの革靴の履き方」をやりたい人間であり、「一条の框の上がり方」ではなく「エスバイエルの框の上がり方」をやりたい人間であり、「一条工務店の挨拶のしかた」ではなく「エスバイエルの挨拶のしかた」をやりたいという人間なのだから。なんで、エスバイエル(株)に行かずに(株)一条工務店の営業本部長やってるんだあ??? なんかもう、わけわかんないよ、まったく!!!!!

  それで、だ。私としては、
1.「常に南からの光が入る南面の部屋というのは、子供には良くても年寄にとっては健康にいいとは必ずしも言えない」という説。実際、家相の上では、「北西は主(あるじ)の座」とされており、家族みんながくつろぐ部屋を南に設けるとして、二世帯で住むような場合、親夫婦の部屋というのは南に面した部屋ではなく、「主(あるじ)の座」である北西に持っていくのがいい、という考え方がある。
2.「子供部屋」が南に面した部屋というのがいいのかどうか。もし、南にだけ窓がある部屋に子供部屋を取ったとすると、子供が勉強する際、窓に向けて机を置くことになりやすい。そうなると、子供が勉強している時に親が部屋に入る際、子供の背中の方から部屋に入ることになる。それがいいのかどうか・・・。そうではなく、部屋に入る際、机に向かって勉強している子供の背中側から入るのではなく、横から入るようになる配置の方がいいということはないのか・・・という説がある。
3. 書斎とか、学習・読書・執筆をする部屋の窓はどちらを向いているのがいいのか。西に向いた窓では、午後の西日は強すぎて、西面の窓に向けた机に向っての学習は拷問のようなものである・・・というのは、私自身が経験してよくわかる。今から考えると、よく、あんな悪い条件で頑張ったものだと感心する。東に窓がある部屋がいいのか? 小学校から高校まで、一般には、午前から昼過ぎまでは学校に行っていて、自宅で学習するとなると午後の場合が多く、窓から直接に日が入るのは西面ということになり、東の窓からは直接に日が入らないから、まぶしすぎるということにはなりにくい。しかし、逆に、朝から昼過ぎまでは学校に行っていてそこにいない人間のために、午前中なら日が入る部屋をあてがうのはもったいないということはないか。そして、夏休みとかになると、午前中、その直射日光に向かって学習するということになる。案外、いいのが北向きの部屋だというのである。北側の窓というのは、一日を通じて窓から入る光の強さにあまり差がないので、読書や学習・執筆には向いているというのだ。だから、書斎とか、子供部屋でも、北西・北東の部屋で机は北に向けて配置する・・というのはありではないか・・・・というのは、小堀住研(株)の『営業知識マニュアル』に掲載されていたものであっても、これはどこの住宅建築会社で建てる場合にはあてはまってもどこで建てる場合にはあてはまらないというものではなく、どこの住宅建築会社においても言える話である・・と考えていたのだ。

  又、
1.の「北西は主(あるじ)の座」というのは、小堀住研(株)の『営業知識マニュアル』だけではなく、たとえば、高島易断所本部編集『平成31年(2019年)神宮館運勢暦』に掲載の家相盤(「家相八方位吉凶一覧」)でも、北西45度の西より15度(「戌」の方位)では《門、玄関、納戸、床の間、主寝室は吉。神仏を祀るは大吉。》とあり、北西45度の北より15度(「亥」の方位)では《・・・納戸、床の間、主寝室は吉。神仏を祀るは大吉。》とあります。どの本で読んだか、読んだ本が、今、捜しても見つからないのですが、「北西は主の座」というのは家相について述べた本で読んだはずで、実際、北西に主人夫婦の部屋を持ってきている古くからの家はありますし、そうしたいとお施主様から言われたこともあります。
3. の書斎は北方位がいい、子供が学習する机は北向きが良いという説については、小林祥晃(さちあき)『住まいのパワーで運をつかむ 小林祥晃の 家相 我が家の秘伝集』(1993.7.15.廣済堂出版 廣済堂ブックス)に、
《 ・・・”北”は落ち着く方位です。だから、ここにいるだけで落ち着いて勉強ができるようになります。
  私が中学生のときに、父が私のために作ってくれた勉強専用部屋は、勉強専用だけあって、北向きに作りつけの机があるだけで、窓から直射日光が差し込むこともない素っ気ない部屋でした。
  けれどもしばらくすると、この部屋に入るだけで不思議と「勉強するゾ」という気が湧いてきて、半年後には成績もアップし、性格の面でも「落ち着きが出てきた」といわれるようになりました。
  私のまわりで話を聞いても、大学の教授や研究職などの頭をよく使う職業の人は、北に書斎を持っている人が多くいます。 ・・・》
  鶴野晴山『よい家相・よい部屋相』(1989.6.10. KKロングセラーズ <ムック>の本 )に、
《 ・・とくに、神聖な方位のためあつかいのむずかしい北方位も、書斎には大吉相となる。さらにそれが主人の十二支方位にあれば、よりプラスの作用がはたらく。ただし、毎日使用することが前提条件である。
  北方位の書斎は、従業員や部下に対して、強力なリーダーシップがとれるようになり、指導力がそなわる。部下の強力な支持も得られるので人間関係も向上する。
  また北東方位の書斎は、新しいアイデアがつぎぐちと生まれ、つねに新しいことに対して挑戦する意欲がわき、豊富なアイデアを生かして仕事は成功する。・・・ 》
とあります。
  だいたい、この小堀住研(株)の『営業知識マニュアル』というのは、全国の営業課長でQC委員になった人、何人かが集まって、自分が読んだ本から得た知識を自分自身が営業活動をおこなった経験を踏まえて書いた冊子であり、ネタ元をはっきりと記載していたものとそうでないものがありましたが、たいていのものに元ネタの本があって、その元ネタの本というのは、小堀住研(株)が発行したものではなく、小堀住研(株)の誰かが書いたものでもなく、世間一般に書物として販売されているものであり、どこかの特定の住宅建築会社向けの本というわけではないのであり、当然、他の住宅建築偉業の会社においても「使える」ものが多いはずでした・・・・が、ところがどっこい、(株)一条工務店の営業本部長にかかったが最後、そういうものが「エスバイエルのやり方」になってしまうようでした。なんだか、(株)一条工務店の営業本部長というのは、扱いが難しくて、困ったものでした。

   それで、自分自身が「一条の革靴の履き方」「一条工務店の框の上がり方」「一条工務店の挨拶のしかた」をせずに、「エスバイエルの革靴の履き方」「エスバイエルの框の上がり方」「エスバイエルの挨拶のしかた」をしてきたくせして、自分には「そんな革靴の履き方するのならエスバイエルに行けよお」「そんな框の上がり方をするのならエスバイエルに行けよお」「そんな挨拶のしかたするのならエスバイエルに行けよお」と言わず、ひとには世間一般向けのものを話しても「そんなこと言うのならエスバイエルに行けよお」と言ってしかたがない人間であった(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫というアマノジャク(天野邪鬼)については、疲れるからちょっと横に置いといて・・、というのか、床下収納庫にでもなおしておいてその上に何か重いものでも置いておいて・・・、床下収納庫よりも、むしろ、地下室にでも収納した上で、封印にその上に重い石でも載せておいて・・・。
  私がここで述べたかったのは、「北向きの書斎」及び、「北側の窓に面した学習用の机」というものです。これ、北側の窓からの光は決して強すぎない、まぶしいということはなく、一日を通じてその強さに大きく差がない、という長所があり、又、子供室で北向きに座っている子供に、その部屋に親が入る場合、背中側からではなく横の位置から入ることになる場合が多く、その点で良い・・・というのはわかったのですが・・・・、しかし、実際に北向きに書斎を設ける、もしくは学習用・読書用・執筆用の机を北側の窓に向けて置くということができるか・・というと、実はけっこう難しいのです。
  なぜか。 都市圏のたいていの戸建住宅は、南に大きく窓を取り、どれだけ広く庭を取れるかはさておき、広いか狭いかはともかく、南側に庭を取ろうとします。南側の庭への出入りは南に面した掃き出し窓からおこないます。 それに対して、北側には窓はあってもそれほど大きい窓ではなく、北側を通れるようにしていても、そう頻繁に通行はしない場合が多く、風通しのための窓はあっても、北側隣地との境界からそれほど距離がない北側の窓から北側を見ると、たとえ、民法に規定のある1m以上という距離をあけていても、北側隣家の庭が見える、もしくは、北側隣家の窓に面する、ということになってしまいがちなのです。 そうなると、建築基準法およびその施工例・施行規則といったものに規定がなくても、マナーとして北側に大きい窓を取ってその窓に向けて机を設置して北の窓に面した机に向かって長時間いるというのは、北側の隣家としてはうれしいものではないことになります。 もっとも、ルールではなくマナーというものをどこまで守るべきかという問題もあるのですが、たとえ、北側隣家からはっきりと苦情を言われなかったとしても、1mほど向こうは隣家の庭で、その向こうに隣家の南窓が見えるという所に座って読書・学習・執筆するというのは、あまり快適ではないと思います。

  マナーかルールか。マナーというのは守らなくてもいいものなのか。「週刊朝日」2020.1.31.号掲載の「スペシャル対談 内館真紀子×北の富士勝昭」で、
《 内館  白鵬はあんなエルボーみたいな「かちあげ」とは言えないようなことをやめれば、もっと愛されるのに。
北の富士  たしかに、かちあげじゃないですよね。彼のはね。・・・もう手段を選ばない。・・・ 》
と出ているのだが、
〔 「ダメ押し」というのも、倒れかけの相手に念を押して倒れさせる、そのままでも土俵を出ると思われる相手を押して出すのを「ダメ押し」と言うならわかるが、白鵬がやっていることはすでに土俵を出た相手に攻撃しているのであり、「ダメ押し」ではないはずだ。〕
どうも、「日本出身力士」であれば「マナー」としてやらないようなことを白鵬をはじめとしてモンゴル力士はやることがしばしばあるように思える。稀勢の里と優勝争いをしていた鶴竜が、終盤、横綱―大関の対戦で立会の変化というのはマナーとしてありえないという認識の稀勢の里に対して、横綱の鶴竜が立ち合いに変化をして勝って優勝した、ということもあったが、そういう「日本出身力士」なら「マナー」としてやらないことを白鵬を筆頭にモンゴル力士は「ルールではないのだからいいはずだ」という姿勢でやっているという点で「日本出身力士」はその分だけ条件が不利みたいなところがあったと思うのだ。 白鵬の「エルボー攻撃」というのは、あれはすでに「マナー」ではなく「ルール」違反だと私は思うがな。ボクシングでも肘打ちは反則で減点もしくは反則負けの理由とされるのに、相撲で肘打ちが認められるというのはどう考えてもおかしいし、相撲という格闘技は相手が土俵に倒れたか土俵から外に出たならそれ以上は攻撃しないという非常に紳士的な格闘技であり、又、他の格闘技と比べてもその点で危険の少ない格闘技のはずなのに、白鵬だけはすでに土俵を出て力を抜いている力士に攻撃を加えるということをしばしばおこなってきている。運動選手である力士の中でも運動神経が優れている白鵬が他の力士、特に稀勢の里など「日本出身力士」ならそこで攻撃を止めるものを、止めず、さらに一発ならまだしも、さらに二発か三発攻撃を加える・・というのは、どう考えてもわざとやっているとしか思えない。それを注意できない竹葉山は親方と言うに値しないが、きっちりとペナルティーを課すことのできない相撲協会もどうかしている。
  で、白鵬の肘打ちは「マナー」違反ではなく「ルール」違反だと私は思うのだが、相撲協会は「マナー」として良くないが「ルール」違反ではないことに無理無理しているようで、それなら、それをやると糾弾される「日本出身力士」と平気でやって認められている白鵬とでは、条件に差があるわけで、そんな八百長みたいなことで何度も優勝したようなやつに親方になられてたまるもんか・・・という気がするが、親方には親方株を取得して日本人国籍も取得したならならせるのはしかたがないとしても、相撲協会の高い役職にはついてもらいたくないものだ。
  相撲の話はさておき、建築においても、「ルール」としては建築基準法や建築基準法施工例・施行規則、それに市町村の条例や建築協定に反しないとしても、「マナー」としてそれはいいのだろうか・・・と思うような建築を見ることがある。「ルール」にないものをそこまで要求されることはないはずだというようなことを要求してくる隣家も時としてあり、そこまで要求されてもきく筋合いはないわなあ・・というケースもあるのだが、「マナー」としてこれはいくらなんでも品がないのではないかと思えるケースもある。2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の榎本(男。当時、30くらい)が「設計兼営業」担当で東京都府中市のどこそこで建てた(どこそこで・・というのは、私は正確な住所を知っているが、入居者の方が今もそこに住まれているので、府中市より後の住所については「どこそこ」ということにしておく)お宅は、なんとも品がない家だった。「品がない」というのは私の感想である。せっかく、地べたのある家を取得しているのに、整形のいい土地なのに、地面をすべてモルタルで覆ってしまって、そんなことするのなら戸建住宅に住んだ価値がほとんどないのと違うのか・・ということをやっていた。アフター課として、そのお宅に「1年点検」に訪問した時、約束の時刻に「遅刻の常習犯の榎本」が半時間以上も遅刻してきたため、その家の前の道路上に長時間おらされることになってしまったのだが、北側隣家の住人から、市役所の職員かと間違えられて「この家、違法でしょ。そうでしょ」と訴えられたのだが、私にそう言われても立場上、「そうですよね」と言うわけにもいかず困ったということがあった。違法ではなかったはずだが、「ルール」には違反していなくても、どう考えても「マナー」に反した設計の家であった、と思う。あまりにも品がなさすぎる。決して狭くない整形の土地に建てるのに、なんで、あんなおかしなことやらないと気がすまないのか。「世界でただひとつの家」というコピーをフリーダムアーキテクツデザイン(株)はホームページに入れているが、「こんなおかしなこと、普通はやらんぞお~お」という「世界でただひとつの家」というのは、そういうのは私はいいとは思わないが、どうも、この会社の自称「設計士(さま)」が設計した家にはそういうものが多い。府中市のどこそこの家の場合、東道路で長方形の整形のいい土地で土地面積も狭くなく、普通に建てればいい家ができる土地であったにもかかわらず、地べたはすべてモルタルを敷いて土の部分をなくしてしまうわ、南側に広く窓を取れる部屋なのに窓を小さくして人工照明の生活にしてしまうわ、アホちゃうか・・て感じがしたが、特に、北側は民法の規定ぎりぎりの隣地境界から50cmしか話さずに、総2階で東の端から西の端までことごとく建ててしまう・・ということをやっていたのであり、たとえ、建築基準法などに違反していない、「ルール」に違反していなくても、「マナー」から考えて、普通はこんなことやらんがなあ~あ・・ということをやっていた。だから、たとえ、「ルール」違反でなくても、北側隣家としては「違法じゃないのか」という気持になる家であったし、もし、私が北側隣家の人の息子であったなら、地縄張りでもやった際に、「もうちょっと、どうか考えてもらえませんか」と交渉するなどしたと思う。それにしても、品の無い建築だったと思う。まるで「白鵬の肘打ちみたいな家」だった。(「白鵬の肘打ち」は私はすでに「ルール」違反だと思っているし、「ルール」違反であるからには暴行罪・傷害罪の対象であるとも思っているのだが、なじかは知らねど相撲協会は「マナー」違反であっても「ルール」違反ではないことにしているらしいので、相撲協会の見解によれば、あれは「マナー」違反でも「ルール」違反ではなく、「ルール」違反でないからには勝つためにはやって悪くないはずだというモンゴル力士の認識と親方が親方ではない宮城野部屋では、「マナー」違反だといくら言っても、白鵬はきく気持ちなどさらさらない、なんで「ルール」違反でないことをやってはいかんのだ、わけのわからんこと言うなとでも思っているのだろう。) 府中市のどこそこの某邸の担当の榎本は、おそらく、マンション住まいの人間ではないかと思う。摩訶不思議なことに、自分はマンション住まいの人間なのに戸建住宅の仕事をやりたがる自称「設計士(さま)」というのが時々いるのである。マンション住まいの人間、一時的にではなく生まれてから一貫してマンション住まいで今後ともマンション住まいの予定の人間は戸建住宅の設計の仕事につかずにマンションの内装設計か雑居ビルの店舗などの内装設計の仕事をやればいいのではないのかと思うのだが、ところが、なぜか、マンション住まいの人間のくせして戸建住宅の設計をやりたがる人間というのがいるのだ。よく言われることだが、そういう「マンション住まいの人間」に戸建住宅の設計をさせると「マンションみたいな間取りにする」という傾向がある。府中市どこそこの某様邸もまた、「マンションみたいな間取り」というのか、戸建住宅なら、自然な採光や自然な風通しというものを考えて設計するものだし、大地の恵みといったことも考えて設計するもの、せっかく地べたのある家に住むのに土の部分を完全になくしてしまう、それならマンションに住めばいいだろうが・・というような家、この「設計担当者」は戸建住宅の設計はやらずにマンションの内装設計か地下店舗の設計でもやらせるようにした方が本人のためにも施主のためにもいいのではないか・・と思われる家だった。
  それで、↓ みたいのはどうだろうか?
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建築基準法・建築基準法施工例・建築基準法施行規則や民法の規定には反していないはずであるし、市町村の条例や建築協定に特に禁止するものがなければ、「ルール」には反していないことになる。しかし、南側と北側は同じではないはずなのだ。南側に大きく窓を取ってもそれをいけないと言う人はまずないはずだが、北側に南側と同じような大きな窓を取るか、もしくは腰窓でもその窓に向けて机を配置して、北側隣地に向かって座って読書する・学習する・執筆するというのは、北側隣家として「うれしくない」ものであろうし、「ルール」に違反していないから悪くないはずだ・・・とか、「白鵬のエルボー攻撃みたい」なことを言うのが良いことだろうか・・・。もっとも、どのくらいが「マナー」違反かというのは難しいところもあるのだが、しかし、そんなことしなくても、十分にいい間取りの家を建てることができる敷地なのに、わざわざ、北側隣地との境界から50cmぎりぎりの位置に東の端から西の端まで総2階で建てるというまるで北側隣家に嫌がらせやるために建てているみたいな「府中市どこそこの家」みたいなことしなくてもいいのではないか・・・と思うのだ。「ルール」か「マナー」か、それは「マナー」として好ましくないという範囲なのかどうか・・・といったことを別としても、いくら、北側の窓からはいる光は一日を通じてその強さが大きく変わらないとか、北側からの光は柔らかく、読書や学習・執筆に向いているとはいえ、その北側のまどからすぐ向こうは、たとえ、民法で目隠しを設けないといけないとされる1mを超えた距離が隣地境界まであったとしても、隣家の窓とはちあわせであったり、隣家の庭が丸見えであったりする窓に向かってというのは、ここちよくないものだ。1階の場合には、民法の規定にかかわらず、隣地境界線上に目隠しになるもので、視線は遮るが光は通すようなものをを設置するという方法もあるが、その場合には、1mほど前に目隠しができることになる。2階の場合には、まさに隣家の2階の窓とごっつんこ、隣家の庭を見通す窓に面して読書なり学習なりすることになり、居心地の良いものではないと思う。
  では、北側の窓に面した書斎、北側の窓に面して机を設置した学習室というのは、実際に実現はできないものなのか?
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↑ のように、「南下がり」の地形、北が高く南が低い地形で、北側隣地は自分の所の土地より1階分くらい地盤面が高いというような土地の場合では、1階の北側に書斎を設けても、北側の窓に合わせて机を設置してその机に向かって継続的に座り読書・学習・執筆しても、北側隣家は文句は言わないであろうし、北側隣家の窓と顔を合わせることもないし、北側隣家の庭を見ることにもならないが、しかし、北側の窓からの採光は一日を通じてその強さが大きく変わらない、北側の窓からの採光は光が強すぎるということはない・・としても、十分な採光が得られない可能性も考えられる。
  そうなると、北に面した書斎とか、北側の窓に向けて設置した机に向っての読書・学習・執筆というのは実際には実現しにくいものなのか? ・・そうではなく、こういうケースなら、北側の書斎、北窓に向けて机を設置しての読書・学習・執筆ができるというケースがある。↓
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↑ のようなケース。 「北下がり」、北が低く南が高いという地形で、道路づけは「北道路」もしくは「北西の角地」「北東の角地」というケース。 北側の隣家の建物との間には北側隣家の庭だけではなく道路があって、こちらの北側の窓から北側隣家の窓までの距離がある。かつ、「北下がり」でこちらの1階が北側隣家の2階、こちらの2階の窓は北側隣家の2階の上の屋根くらいの高さになるというケース。この場合ならば、2階の北側に書斎を設ける、もしくは、北側の窓にそって机を配置して読書・学習・執筆の場所としても、真殿正面は北側隣家の屋根であり、机を隔てた椅子に座ったなら、座った位置から見える正面は北側隣家の屋根であり、北側の窓のそばに立っても北側隣家の庭がある程度は見えても距離がある。こういうケースならば、北側の書斎、北側の窓にそって机を配置して北窓に向かっての読書・学習・執筆というのはありうる。2階でその正面を遮る建物がないので北窓といえども光はけっこう入り、しかも、「北側の窓から入る自然光は一日を通じてその強度に大きな差がない」「北側の窓から入る自然光は南・西・東からの光と異なり、直射日光で強すぎるということがない」という北窓の長所をフルに発揮する。
  こういう地形というのを、私は1980年代終わりに小堀住研(株)に在籍した時、千葉県船橋市の北東部で契約していただいたお宅で1軒、もう1軒は2010年、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)〔建設業〕が千葉県東金市で分譲地の1区画を購入した土地で見た。ところが、新華ハウジング(有)は、そういう土地にはそういう土地の立地条件を活かした家を建てれば良さそうなものなのに、北東の角地で南東部で東道路と高低差がほとんどないので、そちらから玄関へのアプローチをとるというのが一般的で、南側にカースペースを設けて北に建物を寄せて建てれば南側に庭が残り、南側の部屋に南からの光が十分に入るという土地であったのに、それをわざわざ、北にカースペースを持ってきて建物を南に寄せてしまい、しかも、敷地と高低差のある北の道路から階段で上がって北側の玄関から入るという、「バッカじゃなかろかルンバ♪」というプランニングで建てていた。アホちゃうか・・・て感じやった。最初に見た時、これはひでえ~え・・と思い、「構造現場見学会」の時、昼から社長の長谷川が来るということなので、長谷川が来たらそのあたりを話そうと思っていたところ、「午後になって」社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)が「ジーパンはいて」、「黒のベンツに乗って」、嫁と子供と一緒に、「アイスクリームをかじりながら」やってきたのだが、来るなり、「い~いねえ~え」などと言いだしたので、あきれた。こりぁあかんわ、社長がこれではあかんわ・・と思った。長谷川は戸建住宅を建てる木構造の工務店の社長でありながら、おのれは海浜幕張のマンションに住んでいた。木構造(在来木造もしくは枠組壁工法〔ツーバイフォー工法〕)で建てている工務店の社長がなぜマンションに住むのか? わけわかんない・・が、マンション住まいの人間には戸建住宅の特徴というものが実感として理解できないようだった。
  「北道路・北下がり という立地に合った家」を「これでどうだあ~あ!」とアピールするように建てれば、見込客に与える印象もいいはずだったが、そういったことを考える頭とセンスが「マンション住まいの男」にはなかったようだった。 小堀住研(株)にいた時、船橋市北東部の北下がり・北東の角地で建てていただいた方は、その時は不動産会社に勤務だったが元・ミサワホームの営業をやっていたという方だっただけに自分でもこの立地にはどういう建物を建てるのがいいか・・といったことを考える人で、「北側に書斎」は設けられなかったが、2階の北面の窓からの景観を活かしたいといったことを言われた。そういうことを考える人には、少なくとも、新華ハウジング(有)が東金市のどこそこで建てた家みたいな「マンション住まいの社長」が喜ぶ「わざわざへんてこりんなことして使いにくくした家」よりはいい家ができる。

   ・・・さて。 北側の書斎、北側の窓にそって配置した机に向っての読書・学習・執筆をするように作ったプラン・間取りが適した土地というのがどういうものか、↑ を見ていただいてご理解できたのではないかと思う。 こういうことを考えると、一般には、南道路の土地の方が北道路の土地よりも評価が高く、南下がりの土地の方が北下がりの土地よりも評価は高くても、北道路で北下がりの土地というのも悪くないかもしれない、そういう土地でこそ、2階の北側に書斎を設けると「ちょうどいい」書斎ができる、読書・学習・執筆スペースとして「ちょうどいい」場所ができる・・と思うと、そういう北道路・北下がりの土地というのが魅力的にも思えてくるものだ。そう思いませんか?


  ところで。 ↓ の右側の巨大な岩山をどう思いますか?
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↑ 右側の巨大な岩山の方です。 「津田沼 ザ・タワー」と称して、習志野市谷津1丁目15、JR「津田沼」駅の南側、モリシアビルの南に、現在、建造中のものですが、敷地の地盤面から160mを超える高さがあり、「一人前に、山」です。

  我々、船橋市南東部の住居系用途地域の住民は南側正面にこのような岩山を人工的に造られなければならない筋合いはありません。このようなものを造ってもらっては困ります。
  ・・が、それと別の問題として、この岩山は北側の住居系用途地域の住民からすれば「南側、海側を塞ぐ巨大な遮蔽物の岩山」ですが、内部は「マンション」だという話で、すでに「完売した」そうで、その巨大な箱の中に人がぎっしりと住む予定だというのです・・・が、 ↑ の写真を見てください。この巨大な岩山が「マンション」だとすると、このマンションは、なんで、北側にこんなに大きな窓を傍若無人にクソどあつかましくも開けているのでしょうか? 普通、戸建住宅なら北側にこのような大きな窓をとって北側の住宅の窓を見たり、北側の住宅の庭を見下ろしたりなんてことはしませんよ!  この「マンション」の住民は、なにゆえに北側にここまで大きな窓をいくつも取れるのですか? なぜ、この「マンション」の住民は、北側の住宅の窓を南から平気で見るのですか? 建築基準法に禁止されてないからいいと主張するのですか? もしかして、この「津田沼 ザ・タワー」の北側の窓というのは《「白鵬のエルボー攻撃みたいなマンション」の「白鵬のエルボー攻撃みたいな窓」》ということですか???

  私の手元にあるデジカメで、望遠機能を最大にして撮影すると、↓ のようになる。
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↑ 撮影に使用したのは特別のカメラではなく、ヤマダ電機で買った、普通のデジカメである。これよりも、もっと大きく拡大できる機能のデジカメも普通に売っている。 私が持っている普通のデジカメでこのように写るということは、もっと機能の良いカメラ、もしくは望遠鏡では、この「津田沼 ザ・タワー」の窓から我が家の2階の窓の中まで見える可能性が大きい。しかも、何室もあるわけだから、すべての入居者が比較的良心的な人であるとは限らない。北側の窓から望遠鏡で正面の本来ならその「マンション」の土地よりずっと高い所なのにその「マンション」の部屋と同程度の高さかそれよりも低い位置にされてしまった家の2階の窓の中をのぞく人間だって出てきておかしくない。なんで、そんなことされなきゃならないの??? この「マンション」の事業者ていったい何さま??? この「マンション」の購入者て、いったい何さま???
  私の方は、2階の南側の窓から南の方を見ても、写真を撮影しても特に文句を言われる筋合いはないはずだ。2階の窓から見て南側隣家で見えるのは屋根だし、それより南は空であったはずである。空を見て文句を言われる筋合いはない。空の絵を描いても、空の写真を撮影しても悪いことはないはずである。
  我らの共有の空を占拠する者がある日、突然、出現したとして、本来、我が家の2階の窓から南側は、南下がりの立地においては、南側は空であり、空を見て文句を言われる筋合いは誰からもないし、空の写真を撮って悪いはずもない。しかし、その南側の空に勝手に「一人前に、山」を人工的に造って、そこに「窓」を設けて、その位置からこちらを望遠鏡でのぞいたり、こちらを望遠機能付きのカメラで撮影したりするような行為については許されるものではないはずなのだ。100m以上も低い位置の者が、160mもの人工構築物を作ってそこから人の家の窓を覗き見るなどということは許されてよいはずがないのである。違いますか???
  しかも、我が家は北側にも窓はあり、北道路なので北側から道路を見ることもあるが、道路の向こうに向かいの家の庭が見えるので、北側の窓から向こうを長時間見るということはしていない。「ルール」ではないが、「マナー」として、北側の向かいの庭はあまりじろじろとは見ない方がいいと考えるからである。それに対して、↑ の「津田沼 ザ・タワー」の北側の窓はいったい何だ????? これだけの巨大なものを「マンション」だとして作れば、北側に居室があり北側の窓に面した部屋に住む人間もでてきそうであるが、なにゆえに、北側にこのような大きな窓を設けているのだろうか? 戸建住宅なら普通はやらないことをやっているのだが、この「白鵬のエルボー攻撃みたいな窓」というのは、これは「ルール」に違反していないから「何の問題もない」とでも主張するのだろうか??? なんだか、この「マンション」、「白鵬みたいなやつ」だな、まったく。
  ところで。「マンション」は相撲と同じではないのだ。このような巨大な岩山を人工的に造って、しかも、北側にも大きな窓を作ってその北側の家の2階の窓から中をのぞきこんだり、北側の家の庭を見下ろしたりするのを認めてよいなどと法律がなっているのなら、それはその法律が不適切であり、適切なように法律を改正する必要があるはずである。違うか? 法律が不備であるのなら、法律を整備する必要がある。
  習志野市都市計画課は、このような巨大な非常識な岩山を人工的に造らせないように条例を整備し、用途地域ごとの規定ももっときっちりと整備しておくべきものであったはずで、それを怠っていた習志野市都市計画課の職員は税金泥棒ということになる。習志野市は都市計画課が都市計画課として機能していなかった、ということである。
  それから、法律や条例がないならば、ひとの家の窓を、巨大な岩山の北側の窓からのぞいてよいというものではないはずであるし、巨大な岩山の北側の窓から足元に踏みつけるようにして、北側の戸建住宅の庭を見下ろしてよいというものではないはずである。それにもかかわらず、この「津田沼 ザ・タワー」という人工の巨大な岩山はひとの家の窓をのぞきこみ、ひとの家の庭を上から踏みつけるように見下ろすことになりそうである。このようなことが許されてよいのだろうか? どう考えても、このようなことは許されてはならないもののはずである。習志野市役所は、なにゆえにこのような非常識なものを建てさせているのか???

 もしも、すぐ隣の家であっても、できれば、窓の位置はずらして設けるなどした方がいいと思うのだが、もしも、自分の家から10mかそこら離れた場所に建つ建物からならば、その建物のあり方について、どこまで言えるかという問題もあるだろう。しかし、何㎞か離れた場所に建造されるものから覗き見られるとは、戸建住宅を建てた人・戸建住宅を購入した人はよもや考えなかったはずである。その「よもや考えなかった」ことが「津田沼 ザ・タワー」によってされようとしているのである。
  どういう方法で阻止することができるか。もしも、阻止できないならそれならそれで、何らかの補償はしてもらわないといけないはずであるし、何の補償もなしにすませてやろうと考えているのなら、なんともふてえやつらである。事業主の名前は三菱地所レジデンス(株)・三井不動産レジデンシャル(株)・野村不動産(株)で、代表事業者は三菱地所レジデンス(株)らしい。 こういうものをやめさせようとするならば、『華氏911』みたいなことでもないとやめさせられないのだろうか・・・?
「テロリスト」がアメリカを憎む理由
「テロリスト」がアメリカを憎む理由
↑ のような方法をとる人が出ない限り、「やったもん勝ち」で「三菱ての」は造るのだろうか???

  戸建住宅であれば、北側隣家の南の窓から屋内をのぞきこむような窓、北側隣家を庭をのぞくような窓を設けるのは「マナー」違反であり、普通はやらないものである。それを、「津田沼 ザ・タワー」はなにゆえにそれを平気でやっているのか? 「三菱ての」はそういう「マナー」に反することを平気でする会社の名称なのか???
  このブログを読んでくださった皆さん、ぜひ一緒に考えてください。お願いします。

  (2020.1.24.)

☆ 習志野市「津田沼 ザ・タワー」(工事中)の横暴!!! について、
「哲建ルンバ」
[第455回]《戸建住民の居住環境悪化を招く 都心でもない場所での高層マンション建築に受忍義務があるのか? 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201905/article_3.html
[第463回] 高層マンション「津田沼ザ・タワー」による居住環境破壊。商業地域に住居マンションは不当。勝手に自然改変https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_8.html
[第464回]「津田沼ザ・タワー」は下品で野蛮。事業者・設計者・開発行為事業者でない者になぜ問合せさせようとする? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_9.html
[第465回] 商業地域の容積率を悪用する「津田沼 ザ・タワー」。及、都市計画しない習志野市都市計画課 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_10.html
[第466回]「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場
「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_11.html
[第467回]「津田沼 ザ・タワー」宅地建物取引業の票。ももんがあのような茶碗のかけらのような野蛮な高層マンション https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_1.html
[第468回]「津田沼ザ・タワー」事業者名票枠外に別の問合先記載は不適。地下鉄をありがたがる人と高層マンションをありがたがる人https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_3.html
[第469回]「本人訴訟の一般人には相当大きく安全側に要求し、弁護士にはよほどのことがないと」の裁判所書記官の対応と、「三菱」「三井」「野村」の言うことならきくのか? 独立自尊の精神に欠ける習志野市建築指導課!https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_4.html
[第470回]都市計画法による用途地域の趣旨を守るために建築基準法の規定があり、逆ではない。マンション屋の為の都市計画課なら存在価値はない。岩山マンションによる環境悪化・財産価値低下に補償することもせずに「意見の違い」など認められない。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_5.html
[第471回]船橋市各所から見た「津田沼 ザ・唯我独尊タワー」船橋市各所から南方に岩山として眺望を妨げ、同類が建てば通風も妨げると思われる「津田沼 ザ・タワー」。なにゆえ、市民はこのような遮蔽物を人工的に造られねばならぬのか!?! https://tetsukenrumba.at.webry.info/201908/article_1.html
[第474回] 権威主義 千葉工大教授 山本明氏の欺瞞+習志野市「仲よし幼稚園跡地事業」計画の無能。専用住宅業者に売却する土地を習志野市は商業地域として売って良いのか? 准教授 倉斗綾子氏の無能。「津田沼 ザ・タワー」は夜、光る外壁にする必要は何かあるのか?―「津田沼 ザ・タワー」について。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201911/article_1.html
[第478回] 富士山のそばに人工的岩山を造られても国民は文句は言えないか? 夜空を照らす照明塔岩山マンションははた迷惑。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_1.html
[第479回] 3階建か4階建の建物を前提に規定された数字を160mを超える岩山建造に適用は不適切。権威づけ神輿の建築学科教授山本明氏・倉斗綾子氏はこの程度のこともわからないのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_3.html
[第480回] 夜、光る「津田沼ザ・タワー」の設計者の発想は異常。及、マンションの開放型廊下の照明は近所迷惑。夜を奪う明るさの街灯まで必要か。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_4.html
[第482回]「津田沼 ザ・タワー」の「容積率緩和」適用は制度の趣旨に反する。「仲よし幼稚園跡地活用事業」「審査委員」の選定は八百長か。商学部経営学部系教員を選考委員に入れないのは、八百長計画に異議を唱えさせないためなのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_6.html
[第483回]「津田沼ザ・タワー」の侵害に「権利意識の欠如」状態になってはならない。「相互主義の原則」として習志野市の商店での買い物は控えましょう。「言ってもだめよ」はファシズム傾向と理解せよ! 「専門家」信仰は山本明氏のような権威主義者の思うツボ!https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_8.html

☆他に、高層ビル・高層マンションの問題について
☆ 「船橋プラウドタワー」(千葉県船橋市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第5回]2月 といえば、確定申告!・・・・船橋税務署 駅から遠すぎるよお・・・・https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201102article_2.html の終わりの部分。

☆ 「千里タワー」(大阪府豊中市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第122回]野蛮な 千里タワー。大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由https://tetsukenrumba.at.webry.info/201302/article_1.html
[第419回]箕面教会(箕面市)見学【2/5】府道から箕面教会。北川原公園・箕面川の紅葉はきれい。高層ビルは野蛮https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_3.html
「慎腹風呂愚」
[第471回]新装「高山駅」。周囲の景観との調和を考えた建物だが。及、屋根とは何かわかっていない建築会社についてhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html

☆ 「ロジュマン千里中央」(大阪府豊中市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第456回]上新田天神社(大阪府豊中市)参拝4 神社を背後から見下ろす下品な高層マンション 他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html

☆ 「コスモフレスタ箕面」(大阪府箕面市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第197回]日本キリスト改革派神港教会・カトリック六甲教会・神戸松蔭女子学院 と 安藤忠雄「六甲の集合住宅」
https://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html

☆ 「ジオミューズレジス」「ジオタワーミューズフロント」「ジオタワーミューズガーデン」(大阪府高槻市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第634回]上宮天満宮参拝【6/10】天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
[第638回]上宮天満宮参拝【10/10】北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html 
で述べました。 

野村の遺言
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できる男の靴(シューズ)学 (ゴマセレクト)
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よい家相・よい部屋相―幸せを呼ぶ家づくり・吉相に変える部屋づくり (ムックセレクト)

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週刊朝日 2020年 1/31 号 [雑誌]
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