日下部民芸館(高山市)の架構は「男性的」か。和室は座って見学すべし、建築はじっくり時間をかけて見学すべし。
[第735回]高山シリーズ6回 日下部民芸館1
岐阜県高山市訪問は、ここ9年間の間に8回。「すっかり高山通」になったか・・というと、そこまではなりません。
2011年、最初の訪問は、夜行のバスで行って高山のホテルでは宿泊せずに翌日の夕方のバスで帰ってくるというもの。そんな「準日帰り」みたいな行き方で行けるんかい・・と思うと、行けることは行けるけれども、せっかく、高山まで行ったのにそんな往復のしかたはもったいない。夜行で行くと、バスの車窓からの風景が見えない、帰りも、せいいっぱい高山にいて、暗くなりかけに高山を出るバスに乗ったのでは帰りも車窓からの景色があまり見えない。又、新宿を夜11時過ぎだったかに出る夜行のバスだと、片道の所要時間が5時間半で、濃飛バスの現在の時刻表https://www.nouhibus.co.jp/highwaybus/shinjuku/ で見ると、
新宿西口22:55 ⇒高山 濃飛バスセンター4:35
最初にこのバスで高山に行ったのは2011年でしたが、その頃はJR高山駅は今の駅舎ではなく、「昔ながらの木造駅舎」で、朝4時半についても、駅前にそんな時刻から開いている喫茶店とか食べ物屋なんてあるかというと、吉野家とかすき家とか松屋なんて高山にはない(・・というよりも、「飛騨牛」が売り物の土地ではアメリカ合衆国産とかオーストラリア産の牛肉の牛丼屋というのは流行らんのかもしれんが)し、《(朝市は)八百屋らしい店がほとんどない高山では、新鮮な野菜類を求めるために無くてはならない存在である。》なんて、吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)には書かれているのだが、八百屋てなかったかな・・というと、今ではスーパーマーケットであるのかないのかはわからないがそれに近い形式の店もあるわけで、八百屋ではないにしても常設店舗で野菜を売っている店はあるのだが、最初の訪問の時、朝5時前について、東京でバスに乗る前にコンビニで買ったお弁当を駅の待合室で食べたものの、その後、どうしよ・・、コンビニなんてあんのか? というとそれはある。駅前にファミリーマートがある。今もあるし、安川通りにセブンイレブンがある。他に、ヤマザキデイリーストアとか、コンビニはところどころにある。特に、駅前にファミリーマートがあるので、朝4時半についても、お茶の一杯も飲めないなどということはない。しかし、日下部民芸館とか吉島家住宅とかを見学したいと思っても、当然、朝4時半には開いていない。飛騨の里も朝4時半には開いていない。だから、午前4時35分に高山に着いても、どうすんの・・・・という面もあることはあるけれども、治安が悪い所でもないので、特に初回の訪問者は、ここはどういう街なんだろうか・・とか思いながら、早朝の街を歩くというのも悪くはなかった・・・が、その日の夕方に出るバスに乗って帰るとなると、その間の時間に行ける所は限定される。その1回目の訪問で訪ねたのが、とりあえず、「高山の民家」というと、日下部民芸館と吉島家住宅・・・かな、と思ってその2軒に行った。まず、日下部民芸館と吉島家住宅の前まで行って、駅付近から歩いていける場所だと確認し、それから、夜は神社は訪問する所ではないかもしれないが(朝日新聞出版から出ている『ほんとうにあった怖い話(ほん怖)』に掲載の寺尾玲子さんの話によると、神社は昼は祈りの場だが夜は呪いの場になる神社があるらしい)、早朝ならいいだろうし、入れてもらえるだろうと思って、桜山八幡宮に行き、飛騨の里に行き、その後、飛騨国分寺と日下部民芸館・吉島家住宅に行き、さらに飛騨民俗考古館に行ったところで時間オーバーになって帰ってきた。考えてみると、短い時間によくそれだけ行ってきたものだと思うが、やっぱり、一泊はした方がいいと思うようになり、2回目以降の訪問では1泊はしている。
今回は、まず、日下部民芸館(旧 日下部家住宅)です。↓


このブログには、2回目以降の訪問について、公開しています。1回目の訪問時に日下部民芸館と吉島家住宅に訪ねたのですがこのブログには公開はしませんでした。 その時に撮影させてもらった写真は手元にあるけれども、訪問時の印象が薄れてしまっているので、やはり、訪問直後にブログにはその印象を公開するべきであり、今回、その日下部民芸館・吉島家住宅を2度目の訪問をしたものをここに公開したい。但し、二回目の訪問をすると、一度目の訪問の時の印象をさらに強めるかというと、必ずしもそうではない。一度目の訪問の時の方が感動が強いという場合もあります。
吉澤政己『日本列島民家の旅(6) 中部1 東海・中央高地の住まい』(1996.4.30.INAX出版)では、「吉島家住宅・日下部家住宅」とこの2家が一緒に論じられており、吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)でも「飛騨の代表的町屋建築 日下部家・吉島家」としてこの2家が一緒に述べられているのだが、日下部民芸館〔旧 日下部家住宅〕と旧吉島家住宅〔1970年発行の吉野準『飛騨への旅』(創元社)では「高山市特産館」と出ているが、最近、発行されたガイドブックには「高山市特産館」という表現はなく、現地にもそういう表記はない〕という重要文化財に指定されている隣同士に並んでいる2つの民家について、るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん31 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.31.1.JTB)に
《(日下部民芸館は)隣の吉島家住宅に見られる女性的な美しさに対して男性的な力強い造りが特徴。》
と出ており、『楽楽 飛騨高山・白川郷・上高地』(2014.4.15.JTBパブリッシング)にも、
《 日下部家が骨太の木組みの豪快さから男性的といわれるのに対し、吉島家は内部の梁や桁、束などからなる立体格子が優美で繊細な印象を与えること、高窓から差し込む光によって陰影が生まれ柱や鏡戸の木目が美しく見えることなどから、女性的な建物といわれている。》
と出ているのだが、その「男性的」とか「女性的」というのはどういうことなのだろうか・・・と思ったのですが、2011年に実際に日下部民芸館・吉島家住宅の両方に行って見てみたところ、その「男性的」「女性的」という表現が最適な表現かどうかはわからないけれども、なるほど、こういうもののことを言っているのか・・・とわかったのです。
しかし。一度、訪問してそう思ったものを、再度、訪問するとさらに確信を持つとは限りません。1998年にゴシック建築の代表と言われるミラノ大聖堂(ミラノのドゥーモ)に訪問して、なるほど~、こういうものを「ゴシック」と言うのかあ、「百聞は一見に如かず」と言うがまさにそうだなあ・・・と思ったのでしたが、ところが、2001年、少し前に火災にあったパリのノートルダム寺院に行って見ると、パリのノートルダム寺院もまた「ゴシック建築の代表」と言われていたのですが、ところが、パリのノートルダム寺院とミラノ大聖堂とではどちらも「ゴシック建築の代表」と言われているものの、ずいぶんと違うのです。いったい、どっちが「ゴシック」なんだ・・・。2か所に行ってみたために、かえってわからなくなってきた。 さらに、桂離宮というのは「数寄屋建築の代表」と言われており、桂離宮に行ってみると、なるほど、こういうものが数寄屋かあ~あ・・・という気持になりますが、数寄屋にはワビ・サビといった数寄屋だけではなく、「きれいサビ」と言われるような数寄屋もあって、それが西本願寺の飛雲閣と金沢の成巽閣だというのですが、飛雲閣は普段は「非公開」ですが西本願寺に行って飛雲閣の周囲を塀のまわりからなめまわすように見て回ると端っこの方がちょっぴり見えたり、御影堂の縁のところから屋根のあたりが見えたりするのですが、そのあたりを見て、成巽閣は公開されているので見学できますが、成巽閣の本領は外よりも中で、数寄屋と言われるのは2階の方で、「すごい」と感動する所があるものの、桂離宮と成巽閣とではずいぶんと差があります。両方が数寄屋だとすると、数寄屋ていったい何なんだ・・・ということになってきます。慈照寺の東求堂は「書院造の代表」と言われており、慈照寺に行って東求堂を見た後に桂離宮を見ると、なるほど、書院造と数寄屋造りというのは、こういうものなのかあ~あ・・・と思ったりするのですが、ところが、そこでやめておけばよかったのかもしれないものを、成巽閣とか見ると、いったい数寄屋て何なんだ・・・・という気持になってきます。修学院離宮は桂離宮と成巽閣とどっちに近いかというと桂離宮の方に建物は近そうに思えますが、庭と建物との関係の作り方はまったく違います。
それで、セットのように述べられる建物・街というと、
「桂離宮と修学院離宮」、
「馬籠(まごめ)と妻籠(つまご)」、そして、
高山の「日下部家と吉島家」
ですが、日下部家が「男性的」で吉島家が「女性的」というのは、2011年に訪問した時には、なるほど、「百聞は一見に如かず」と言うが、たしかに、そういえばそうかもしれない・・・と思ったのでした・・・・が、困ったことに、今回、二度目の訪問をして見たところ、そうかなあ~あ・・・なんて思ってしまったのです。困ったものです。
それで・・・、実は、1月に2回目の訪問をした後、2月に3回目の訪問をしたのです。こういった建築見学は訪問すると、その後、すぐに何らかの文章にしておかないと、「忘れてしまう」ということがあります。これは、愛知産業大学の建築学科のレポート作成の際、「作成のコツ」だったかで書かれていた先生があり、そして、自分自身が「現代建築論」という科目で、何人かの建築家の設計した建物を実際に見に行って論じよという課題のレポートを作成すべく、先にその何か所かを訪問して、その後、文章にまとめようとしたところ、何か所も見てまわって、その時には感じていたもの・思ったものがあったものの、何か月か経ってしまうと、「印象が変化してしまう」のです。だから、「何人かの建築家の作品を何か所かを見てそれについて論じよ」という課題の場合には、先に全部見てまわってから文章にするのではなく、1か所か2か所、訪問したなら、とりあえず、いったん、それを文章にして、その後、その「何か所か」をすべて訪問して文章にしたならば、その後、全体について調整する・・というようにした方がいいようだ、と思いました。そういうこともあり、なおかつ、誰にも読んでもらえない文章を書くというのはつらいものがありますし、書くだけ書いて埋もれさせるのももったいない、ということもあって、このブログで公開しているようなところもあります。1月に訪問した後、即座に文章にして公開すればよかったのですが、もうひとつのブログの方で緊急に公開したい内容のものがあったということもあり、後回しにしていると、自分で撮ってきた写真がどこのものだったかもわからなくなってしまった。なにしろ、旧日下部家住宅(日下部民芸館)というのは、座敷がいっぱいあって床の間がいっぱいある家であり、その時は、ああ、こうなっていたんだあ~あ・・・と思っても、少しでも経つと、なんだかわからなくなってしまう。それで、時間を取って再度行ってきたのです。おかげで、今では日下部民芸館の間取りは完全に頭の中に入りました。
江名子川の底を掘り下げる工事と日下部民芸館・吉島家住宅の前の道のU字溝を深くする工事がおこなわれていました。↓

[第286回]《宮地家住宅 下、平田記念館 高山シリーズ第2回(9)、隣家と近接した建て方について。大雨の影響。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html の時みたいに大雨が降った場合に側溝から水があふれ出るということがないようにという配慮と、かつ、側溝の部分も美しくしようということでの工事のようです。
左手前が日下部民芸館(日下部家住宅)。その北隣が吉島家住宅。その向こうに飛騨そば「紀文」の看板が見えます。

1月に訪問した時は晴れており、雪も雨もなかったのですが、2月に訪問時には↓


↑ 「ゆ~き~は、降る~♪」て状態。 降ってる時というのは、あんまり地面は滑らないようです。むしろ、降った翌日あたりは、ずるずる滑ったり、雪なんて降ってない状態の時になめてると残った水が凍っている所があったりします。 温暖地に住んでいる人間が、わざわざ、物好きに、寒い季節に雪の降る地域に行くことないのと違うのか・・てことはありません。雪景色の高山は雪のない高山とはまた違った趣があります・・・が、建築探偵団としては、雪の降る街には雪の降る季節にもまた行ってみてこそ建築探偵団ではあるのですが、あまり、雪が降っていると、↑のように、せっかく写真をとっても雪の写真を撮ってるみたいで建物がどないなっとるのやらわからんがな・・てことにもなりかねません。

入口を入ってすぐ、「ろじ」の上のあたりの架構です。↓


8年半ほど前に訪問した1回目と1月に訪問した2回目、そして、2月に訪問した3回目を合わせ考えると・・・、まず、第一に、「まあ、なんと、床の間がいっぱいある家だこと・・・」なんて、そんな感想ではいかんのかもしれんが、それが第一。
そして、旧吉島家が「女性的」で旧日下部家(日下部民芸館)が「男性的」と言われるというものですが、3回目の訪問で、再度、「そうかもしれない」と思った。但し、「男性的」とか「女性的」という表現は、見当はずれではなく、「当たらずと言えども遠からず」の表現かもしれないが、ぴったりの表現でもないかもしれない。 その「男性的」「女性的」というものは、どのあたりを言っているのか。↑の架構の写真2枚だとわからないと思います。 ↓ の角度から見たものだとわかるのではないでしょうか。


1月の訪問では、日下部民芸館と吉島家住宅を、それぞれ、約1時間ずつ費やして見学したが、2月の訪問では、日下部民芸館に約2時間、そこにいた。私が小学校4年の時、父と一緒に宮島に行ったことがあったのだが、あのおっさんは、名所旧跡・史跡といった所に行くと、「それ行け、それ行け。時間ない、時間ない~い。てってけ、てってけ、てってけ、てってけ」と速足で歩きまわって駅に戻り、特急に乗ると電車の中で窓側の席で週刊誌を読む。せっかく、普段と違う所に行ったのだから窓から外を見てればいいのにと思っても、「窓側の席で週刊誌を読む」というのが習慣の男だった。週刊誌を読むのなら私に窓側の席に座らせてくれればいいのに、と思ったのだが、今から考えると、週刊誌を読むのに、なんで、窓側の席に座りたがったのかというと、おそらく、窓側の席が「上座」だと思っていたのだと思う。だから、自分が「上座」の窓側の席に座って、子供を通路側の席に座らせて、自分が窓側の席で週刊誌を読んだのだろう。そういうおっさんだった。その「急げ、急げ、急げ、急げえ。時間ない、時間ない~い。てってけ、てってけ、てってけ、てってけ」と速足で通り過ぎるという訪問のしかたでは得るものは大きくない。 1か所にじっくりと時間をかけていてこそ、理解できるものがあると思う。
1992年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の東京展示場(江東区潮見にあったウッディランド東京にあった。今はウッディランド東京はない。)で、新卒入社3年目のH本(男。当時、20代後半)が、和室で来場客に「どうぞ。座って見てください。和室というものは座って見るものですから」と話していたことがあったが、それは一理あると思う。しかし、堀本の場合は、そういう言い回しで座らせようとしていたのであり、来場客は座らせた方が長居することになり、話を長くできて契約につながりやすいと考えてのものだったが、そういう浅ましい考え方はどうかと思う。堀本は「お茶は、座ってから出すのではなく、座らせるためにお茶を出すのです」とそう浜松の研修で教えられたらしく、新卒入社・中途入社して間がない者に話していたのだったが、それもどうかと思う。私が東京展示場で来場客に展示場で使用している部材を見ながら説明していた時、中途入社1年目のO村くん(男。当時、20代後半)が堀本が言っていた「お茶は座った人に出すのではなく、座らせるために出す」という考え方のもとにお茶を持参してきて、「お茶を入れましたから、まあ、座ってお茶飲んでください」と言って、横から口出してきて無理矢理座るように持っていったため、せっかく、熱心に話を聞いてくれていた人だったのに、その話が中断されることになってしまったということがありました。住宅展示場では、せっかく、そこに実物があって、実物をそこで見ながら話をしているのに、その実物から遠ざけてテーブルに向かって座らせてしまう、というのはそれは作戦として考えても得策ではないように思います。さらに、「お茶いれましたから、まあ、座って飲んでください。まあ、まあ、まあ」と言って、お茶で無理やり座った人というのは、お茶を飲み終わると、「さあ。お茶飲んだことだから行くかあ」と言って立ち上がってしまうのです。「お茶で座らせるのです」という堀本説というのは、あれは、あんまり、良くないと私は思いますね。大阪府箕面市の阪急箕面線「箕面」駅前にある千鳥屋箕面店では、何年も前から、どういう物を売ってるかな・・と思って見ようと店内に一歩でも入ると、「どうぞ、お茶、入れましたから」とお茶と千鳥屋の和菓子1切れを持ってきて「どうぞ。どうぞ」と言って無理矢理食べさせようとするのですが、そうやって、和菓子を出されて食べたからには買わずに帰りにくい・・というように持って行こうとしているわけですが、そのやり方は、むしろ、感じ悪い。私は、千鳥屋箕面店は毎回必ずそれをやるとわかったので、それで、逆に千鳥屋箕面店では買わなくなった。けっこういい和菓子を置いているのに、あの下品な売り方はむしろ店の格を落とすように思います。(株)一条工務店のH本が浜松の研修で教えられたらしい、その「座った人にお茶を出すのではなく、座らせるためにお茶を出す」というやり方は、「お茶で座らせる」というやり方で座った人はお茶を飲み終わったら立って帰ってしまうということとともに、その浅はかな態度が来場客にわかってしまっており、かえって良くないということはないか、とその時も思ったが、それが「会社の方針」ならしかたがないかと思ったのでしたが、やっぱり、それはかえって良くないと思いますよ。そういうのを「浅智慧」と言うのではないでしょうか。「浅智慧」であり「浅はか」だと思います。「品の無い営業」「品の無い程度の低い会社」と評価されてしまう危険があるやり方ではないのか、それが営業上、マイナスになることもあるのではないか、とその時、思ったのですが、その時、私が感じたものを同様に感じた来場客は間違いなくあったのではないでしょうか。すでに座って話をしている場合には、お茶を持ってこない、ということもありましたし、「座った客にはお茶は持って行かず、立って話している客にはお茶を持って行って座らせる」という「一条浜松流」というのは下品だと思います。「釣った魚にはエサはやらない、というのが一条のポリシーですよね」と東京展示場にいた服部(男。当時、20代後半。中途入社入社1年目。)本気か冗談かわからない調子で言っていたことがあったが、「座った客には茶は出さない。立っている人には座らせるために茶を出す」という「一条浜松流」というのはあんまりいいとは思えません。私が見込客の立場なら、「下品な会社だなあ」と思い、マイナスの評価ですね・・・。
それで・・・、「お茶入れましたから」とか言って「お茶で座らせる」という「一条浜松流」の「浅智慧」はあんまりいいとは思わないし、又、「和室というのは座った状態で見るものですから、座って見てください」と言って、まず、自分が座っちゃう・・・という堀本流もまた、結局、「先に自分が座っちゃう」なんてことしても、自分だけ座って来場客は座ることなく行ってしまうことになることが少なくないわけで、それもまた「浅智慧」だったと思います・・・・が、「和室というのは座って生活する場ですから、和室は座った状態で座った状態の眼の高さから見るものです」というのは、それ自体は間違いではないと思います。・・・で、日下部家住宅(日下部民芸館)においても、東道路から入口を入った「ろじ」の右手(北側)、「おいえ」「なかのおいえ」「台所」と続く畳の部屋で、「おいえ」の部分に座り、囲炉裏がある「台所」の部屋に囲炉裏の周囲、あっち側に座り、こっち側に座りして時間を過ごしました。畳の部屋に座って見まわすと、たしかに、「男性的」と言われればそうかもしれない・・・という気がします。「男性的」という表現が最適かというと、「当たらずと言えども遠からず」であっても「遠からずと言えども当たらず」ではないかという気もしますが、最適な表現というのが思い浮かばないので「男性的」と表現した人がいたのでしょう。そうかもしれない・・・という気がしてきます。

↑ 「台所」の「自在鉤」がかかっている「囲炉裏」の部分。
この後、飛騨の里に行き、「旧田口家住宅」を見学したのですが、旧田口家は飛騨地方でも南飛騨、現 下呂市金山町卯野原にあった庄屋を務めた家らしく、特徴のひとつとして、囲炉裏が長方形になっているというのを見ました。それまで、囲炉裏というのは正方形のものだと思い込んでいたのですが、旧田口家の囲炉裏は長方形。それに対して、↑ 日下部民芸館(旧日下部家住宅)の囲炉裏は正方形になっています。見比べてこそわかる・・ということを実感しました。
↓ が飛騨の里 旧田口家住宅(現 下呂市金山町卯野原 にあった家)の囲炉裏です。

↑ 飛騨の里 旧田口家住宅の囲炉裏。長方形になっている。
旧田口家については、別稿で述べます。
《 日下部家住宅は、吉島家住宅の南隣にある。当家は、生糸の卸業を営んで発展した。もとの屋敷は、現在の屋敷の向かいにあり、明治8年(1875年)の大火後移転し、住宅を建設した。建築年代は板絵図から明治12年(1879年)とわかる。
主屋は、2階建の切妻造の建物で、屋根形式や平面構成は吉島家住宅と似ているが、表構えは大屋根の軒をせがい造とし、大戸口上に隅切の与力窓(よりきまど)を作るなど、より変化に富んだ意匠となっている。
内部の見所は、土間と土間側の居室が一体となった吹き抜けの大空間で、内法の少し上に太い梁組を架け、梁上の桁行には角材の桁を置き、小屋束を立て、みごとな意匠をみせる。小屋材まですべて台鉋で丁寧に仕上げられ、漆拭きされている。 》
( 吉澤政己『日本列島民家の旅(6) 中部1 東海・中央高地の住まい』1996.4.30.INAX出版 )
1875年(明治8年)というと、「岩波ほど大きくない明六社」明六社設立の1873年(明治6年)の2年後、「岩魚(いわな)、ごっそり、千島樺太交換条約」の1875年(明治8年)千島樺太交換条約でサハリンはロシア領・千島列島は全島日本領となった年。交換するというのも、理屈から考えるとおかしな話なんだけれどもね・・・。 建築年代という明治12年(1879年)は何があった年か、《ウィキペディアー1879年》https://ja.wikipedia.org/wiki/1879%E5%B9%B4 を見ると、イプセン『人形の家』が初演された年、プーシキンの小説をもとにしたチャイコフスキーのオペラ『エフゲニー=オネーギン』が初演された年・・だそうだ。
この日下部家などの構造材の色あいというのは、どうして出たものなのか、囲炉裏の煙が立ち上って自然と木に色がついたのか・・、民家(「古民家」と言うべきかもしれませんが、今もそういう家に住まれている方もおられることを考えると、「古民家」は失礼か、「古」は「古臭い」「時代遅れの」という意味ではなく「古典的価値のある」という意味の「古」だから、決して失礼ということはないか・・とか思案して、「民家」と表現したり「古民家」と表現したりしていますが)にはそういうケースもあるようですが、これはそれだけではこういう色にはならんのではないか・・・とか思ってきたのですが、吉澤政己『日本列島民家の旅(6) 中部1 東海・中央高地の住まい』(1996.4.30.INAX出版)によると、《漆拭き》によるものだったようです。
《小屋材まですべて台鉋で丁寧に仕上げられ、漆拭きされている》ということは、この架構は単に構造材であるだけでなく、最初から「見せる」「魅せる」ことを想定して造られていた、ということなのだろう。
「せがい造」て何なんだ・・、「コトバンク せがい造」https://kotobank.jp/word/せがい造-1350965 を見ると、《東日本の町家は,〈せがい造〉(側柱の上部から腕木をのばして棚をつくる)で持ち出した深い軒と勾配の緩い軽快な石置き屋根が外観を特徴づける。 》、「コトバンク 船枻造り(読み)せがいづくり」https://kotobank.jp/word/船枻造り-307055 には、《柱の上部から腕木を出して支える棚をもつ民家のつくり。》と出ています。
「与力窓(よりきまど)」とは、「コトバンク 与力窓」https://kotobank.jp/word/与力窓-406819 には、《太い格子を横にとりつけた窓。江戸時代、長屋などの道に面した側につけた。》と出ています。
旧吉島家住宅とそんなに違ったかな・・・と思い、道に面した側の両方が写っている写真 ↓ を見ると、

↑ 右手前が旧吉島家住宅、右奥が旧日下部家住宅(日下部民芸館)。 現地で見た限りでは、道に面した外観にそこまで大きく違うようには感じなかったのですが、この写真で見比べると、日下部家住宅の方が、いくらか、軒の出が深いかもしれません。・・こういう比較をしたり、細部を見たりする際は、雪は降ってない時の写真の方が見やすいですね・・・。
今回は、旧日下部家住宅(日下部民芸館)の第1回。次回、日下部家住宅(日下部民芸館)の第2回では、「いやあ・・、なんとも、床の間がいっぱいある家やなあ」という床の間と座敷を中心に見ていきたいと思います。
次回、日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
(2020.2.12.)
☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? 〔今回〕
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光「耀」山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html
☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html
☆高山シリーズ第4回 2016年
☆☆☆☆高山シリーズ第4回
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_9.html

高山・奥飛騨・白川郷・上高地 (楽楽―中部)

東海・中央高地の住まい―日本列島民家の旅〈6〉中部 1 (INAX ALBUM)

マナーイズマネー―礼節足りてビジネスを知る (ゴマセレクト) - 三井物産広報室
岐阜県高山市訪問は、ここ9年間の間に8回。「すっかり高山通」になったか・・というと、そこまではなりません。
2011年、最初の訪問は、夜行のバスで行って高山のホテルでは宿泊せずに翌日の夕方のバスで帰ってくるというもの。そんな「準日帰り」みたいな行き方で行けるんかい・・と思うと、行けることは行けるけれども、せっかく、高山まで行ったのにそんな往復のしかたはもったいない。夜行で行くと、バスの車窓からの風景が見えない、帰りも、せいいっぱい高山にいて、暗くなりかけに高山を出るバスに乗ったのでは帰りも車窓からの景色があまり見えない。又、新宿を夜11時過ぎだったかに出る夜行のバスだと、片道の所要時間が5時間半で、濃飛バスの現在の時刻表https://www.nouhibus.co.jp/highwaybus/shinjuku/ で見ると、
新宿西口22:55 ⇒高山 濃飛バスセンター4:35
最初にこのバスで高山に行ったのは2011年でしたが、その頃はJR高山駅は今の駅舎ではなく、「昔ながらの木造駅舎」で、朝4時半についても、駅前にそんな時刻から開いている喫茶店とか食べ物屋なんてあるかというと、吉野家とかすき家とか松屋なんて高山にはない(・・というよりも、「飛騨牛」が売り物の土地ではアメリカ合衆国産とかオーストラリア産の牛肉の牛丼屋というのは流行らんのかもしれんが)し、《(朝市は)八百屋らしい店がほとんどない高山では、新鮮な野菜類を求めるために無くてはならない存在である。》なんて、吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)には書かれているのだが、八百屋てなかったかな・・というと、今ではスーパーマーケットであるのかないのかはわからないがそれに近い形式の店もあるわけで、八百屋ではないにしても常設店舗で野菜を売っている店はあるのだが、最初の訪問の時、朝5時前について、東京でバスに乗る前にコンビニで買ったお弁当を駅の待合室で食べたものの、その後、どうしよ・・、コンビニなんてあんのか? というとそれはある。駅前にファミリーマートがある。今もあるし、安川通りにセブンイレブンがある。他に、ヤマザキデイリーストアとか、コンビニはところどころにある。特に、駅前にファミリーマートがあるので、朝4時半についても、お茶の一杯も飲めないなどということはない。しかし、日下部民芸館とか吉島家住宅とかを見学したいと思っても、当然、朝4時半には開いていない。飛騨の里も朝4時半には開いていない。だから、午前4時35分に高山に着いても、どうすんの・・・・という面もあることはあるけれども、治安が悪い所でもないので、特に初回の訪問者は、ここはどういう街なんだろうか・・とか思いながら、早朝の街を歩くというのも悪くはなかった・・・が、その日の夕方に出るバスに乗って帰るとなると、その間の時間に行ける所は限定される。その1回目の訪問で訪ねたのが、とりあえず、「高山の民家」というと、日下部民芸館と吉島家住宅・・・かな、と思ってその2軒に行った。まず、日下部民芸館と吉島家住宅の前まで行って、駅付近から歩いていける場所だと確認し、それから、夜は神社は訪問する所ではないかもしれないが(朝日新聞出版から出ている『ほんとうにあった怖い話(ほん怖)』に掲載の寺尾玲子さんの話によると、神社は昼は祈りの場だが夜は呪いの場になる神社があるらしい)、早朝ならいいだろうし、入れてもらえるだろうと思って、桜山八幡宮に行き、飛騨の里に行き、その後、飛騨国分寺と日下部民芸館・吉島家住宅に行き、さらに飛騨民俗考古館に行ったところで時間オーバーになって帰ってきた。考えてみると、短い時間によくそれだけ行ってきたものだと思うが、やっぱり、一泊はした方がいいと思うようになり、2回目以降の訪問では1泊はしている。
今回は、まず、日下部民芸館(旧 日下部家住宅)です。↓

このブログには、2回目以降の訪問について、公開しています。1回目の訪問時に日下部民芸館と吉島家住宅に訪ねたのですがこのブログには公開はしませんでした。 その時に撮影させてもらった写真は手元にあるけれども、訪問時の印象が薄れてしまっているので、やはり、訪問直後にブログにはその印象を公開するべきであり、今回、その日下部民芸館・吉島家住宅を2度目の訪問をしたものをここに公開したい。但し、二回目の訪問をすると、一度目の訪問の時の印象をさらに強めるかというと、必ずしもそうではない。一度目の訪問の時の方が感動が強いという場合もあります。
吉澤政己『日本列島民家の旅(6) 中部1 東海・中央高地の住まい』(1996.4.30.INAX出版)では、「吉島家住宅・日下部家住宅」とこの2家が一緒に論じられており、吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)でも「飛騨の代表的町屋建築 日下部家・吉島家」としてこの2家が一緒に述べられているのだが、日下部民芸館〔旧 日下部家住宅〕と旧吉島家住宅〔1970年発行の吉野準『飛騨への旅』(創元社)では「高山市特産館」と出ているが、最近、発行されたガイドブックには「高山市特産館」という表現はなく、現地にもそういう表記はない〕という重要文化財に指定されている隣同士に並んでいる2つの民家について、るるぶ社国内編集局 企画・編集『アイじゃぱん31 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.31.1.JTB)に
《(日下部民芸館は)隣の吉島家住宅に見られる女性的な美しさに対して男性的な力強い造りが特徴。》
と出ており、『楽楽 飛騨高山・白川郷・上高地』(2014.4.15.JTBパブリッシング)にも、
《 日下部家が骨太の木組みの豪快さから男性的といわれるのに対し、吉島家は内部の梁や桁、束などからなる立体格子が優美で繊細な印象を与えること、高窓から差し込む光によって陰影が生まれ柱や鏡戸の木目が美しく見えることなどから、女性的な建物といわれている。》
と出ているのだが、その「男性的」とか「女性的」というのはどういうことなのだろうか・・・と思ったのですが、2011年に実際に日下部民芸館・吉島家住宅の両方に行って見てみたところ、その「男性的」「女性的」という表現が最適な表現かどうかはわからないけれども、なるほど、こういうもののことを言っているのか・・・とわかったのです。
しかし。一度、訪問してそう思ったものを、再度、訪問するとさらに確信を持つとは限りません。1998年にゴシック建築の代表と言われるミラノ大聖堂(ミラノのドゥーモ)に訪問して、なるほど~、こういうものを「ゴシック」と言うのかあ、「百聞は一見に如かず」と言うがまさにそうだなあ・・・と思ったのでしたが、ところが、2001年、少し前に火災にあったパリのノートルダム寺院に行って見ると、パリのノートルダム寺院もまた「ゴシック建築の代表」と言われていたのですが、ところが、パリのノートルダム寺院とミラノ大聖堂とではどちらも「ゴシック建築の代表」と言われているものの、ずいぶんと違うのです。いったい、どっちが「ゴシック」なんだ・・・。2か所に行ってみたために、かえってわからなくなってきた。 さらに、桂離宮というのは「数寄屋建築の代表」と言われており、桂離宮に行ってみると、なるほど、こういうものが数寄屋かあ~あ・・・という気持になりますが、数寄屋にはワビ・サビといった数寄屋だけではなく、「きれいサビ」と言われるような数寄屋もあって、それが西本願寺の飛雲閣と金沢の成巽閣だというのですが、飛雲閣は普段は「非公開」ですが西本願寺に行って飛雲閣の周囲を塀のまわりからなめまわすように見て回ると端っこの方がちょっぴり見えたり、御影堂の縁のところから屋根のあたりが見えたりするのですが、そのあたりを見て、成巽閣は公開されているので見学できますが、成巽閣の本領は外よりも中で、数寄屋と言われるのは2階の方で、「すごい」と感動する所があるものの、桂離宮と成巽閣とではずいぶんと差があります。両方が数寄屋だとすると、数寄屋ていったい何なんだ・・・ということになってきます。慈照寺の東求堂は「書院造の代表」と言われており、慈照寺に行って東求堂を見た後に桂離宮を見ると、なるほど、書院造と数寄屋造りというのは、こういうものなのかあ~あ・・・と思ったりするのですが、ところが、そこでやめておけばよかったのかもしれないものを、成巽閣とか見ると、いったい数寄屋て何なんだ・・・・という気持になってきます。修学院離宮は桂離宮と成巽閣とどっちに近いかというと桂離宮の方に建物は近そうに思えますが、庭と建物との関係の作り方はまったく違います。
それで、セットのように述べられる建物・街というと、
「桂離宮と修学院離宮」、
「馬籠(まごめ)と妻籠(つまご)」、そして、
高山の「日下部家と吉島家」
ですが、日下部家が「男性的」で吉島家が「女性的」というのは、2011年に訪問した時には、なるほど、「百聞は一見に如かず」と言うが、たしかに、そういえばそうかもしれない・・・と思ったのでした・・・・が、困ったことに、今回、二度目の訪問をして見たところ、そうかなあ~あ・・・なんて思ってしまったのです。困ったものです。
それで・・・、実は、1月に2回目の訪問をした後、2月に3回目の訪問をしたのです。こういった建築見学は訪問すると、その後、すぐに何らかの文章にしておかないと、「忘れてしまう」ということがあります。これは、愛知産業大学の建築学科のレポート作成の際、「作成のコツ」だったかで書かれていた先生があり、そして、自分自身が「現代建築論」という科目で、何人かの建築家の設計した建物を実際に見に行って論じよという課題のレポートを作成すべく、先にその何か所かを訪問して、その後、文章にまとめようとしたところ、何か所も見てまわって、その時には感じていたもの・思ったものがあったものの、何か月か経ってしまうと、「印象が変化してしまう」のです。だから、「何人かの建築家の作品を何か所かを見てそれについて論じよ」という課題の場合には、先に全部見てまわってから文章にするのではなく、1か所か2か所、訪問したなら、とりあえず、いったん、それを文章にして、その後、その「何か所か」をすべて訪問して文章にしたならば、その後、全体について調整する・・というようにした方がいいようだ、と思いました。そういうこともあり、なおかつ、誰にも読んでもらえない文章を書くというのはつらいものがありますし、書くだけ書いて埋もれさせるのももったいない、ということもあって、このブログで公開しているようなところもあります。1月に訪問した後、即座に文章にして公開すればよかったのですが、もうひとつのブログの方で緊急に公開したい内容のものがあったということもあり、後回しにしていると、自分で撮ってきた写真がどこのものだったかもわからなくなってしまった。なにしろ、旧日下部家住宅(日下部民芸館)というのは、座敷がいっぱいあって床の間がいっぱいある家であり、その時は、ああ、こうなっていたんだあ~あ・・・と思っても、少しでも経つと、なんだかわからなくなってしまう。それで、時間を取って再度行ってきたのです。おかげで、今では日下部民芸館の間取りは完全に頭の中に入りました。
江名子川の底を掘り下げる工事と日下部民芸館・吉島家住宅の前の道のU字溝を深くする工事がおこなわれていました。↓

[第286回]《宮地家住宅 下、平田記念館 高山シリーズ第2回(9)、隣家と近接した建て方について。大雨の影響。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html の時みたいに大雨が降った場合に側溝から水があふれ出るということがないようにという配慮と、かつ、側溝の部分も美しくしようということでの工事のようです。
左手前が日下部民芸館(日下部家住宅)。その北隣が吉島家住宅。その向こうに飛騨そば「紀文」の看板が見えます。

1月に訪問した時は晴れており、雪も雨もなかったのですが、2月に訪問時には↓


↑ 「ゆ~き~は、降る~♪」て状態。 降ってる時というのは、あんまり地面は滑らないようです。むしろ、降った翌日あたりは、ずるずる滑ったり、雪なんて降ってない状態の時になめてると残った水が凍っている所があったりします。 温暖地に住んでいる人間が、わざわざ、物好きに、寒い季節に雪の降る地域に行くことないのと違うのか・・てことはありません。雪景色の高山は雪のない高山とはまた違った趣があります・・・が、建築探偵団としては、雪の降る街には雪の降る季節にもまた行ってみてこそ建築探偵団ではあるのですが、あまり、雪が降っていると、↑のように、せっかく写真をとっても雪の写真を撮ってるみたいで建物がどないなっとるのやらわからんがな・・てことにもなりかねません。

入口を入ってすぐ、「ろじ」の上のあたりの架構です。↓


8年半ほど前に訪問した1回目と1月に訪問した2回目、そして、2月に訪問した3回目を合わせ考えると・・・、まず、第一に、「まあ、なんと、床の間がいっぱいある家だこと・・・」なんて、そんな感想ではいかんのかもしれんが、それが第一。
そして、旧吉島家が「女性的」で旧日下部家(日下部民芸館)が「男性的」と言われるというものですが、3回目の訪問で、再度、「そうかもしれない」と思った。但し、「男性的」とか「女性的」という表現は、見当はずれではなく、「当たらずと言えども遠からず」の表現かもしれないが、ぴったりの表現でもないかもしれない。 その「男性的」「女性的」というものは、どのあたりを言っているのか。↑の架構の写真2枚だとわからないと思います。 ↓ の角度から見たものだとわかるのではないでしょうか。


1月の訪問では、日下部民芸館と吉島家住宅を、それぞれ、約1時間ずつ費やして見学したが、2月の訪問では、日下部民芸館に約2時間、そこにいた。私が小学校4年の時、父と一緒に宮島に行ったことがあったのだが、あのおっさんは、名所旧跡・史跡といった所に行くと、「それ行け、それ行け。時間ない、時間ない~い。てってけ、てってけ、てってけ、てってけ」と速足で歩きまわって駅に戻り、特急に乗ると電車の中で窓側の席で週刊誌を読む。せっかく、普段と違う所に行ったのだから窓から外を見てればいいのにと思っても、「窓側の席で週刊誌を読む」というのが習慣の男だった。週刊誌を読むのなら私に窓側の席に座らせてくれればいいのに、と思ったのだが、今から考えると、週刊誌を読むのに、なんで、窓側の席に座りたがったのかというと、おそらく、窓側の席が「上座」だと思っていたのだと思う。だから、自分が「上座」の窓側の席に座って、子供を通路側の席に座らせて、自分が窓側の席で週刊誌を読んだのだろう。そういうおっさんだった。その「急げ、急げ、急げ、急げえ。時間ない、時間ない~い。てってけ、てってけ、てってけ、てってけ」と速足で通り過ぎるという訪問のしかたでは得るものは大きくない。 1か所にじっくりと時間をかけていてこそ、理解できるものがあると思う。
1992年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の東京展示場(江東区潮見にあったウッディランド東京にあった。今はウッディランド東京はない。)で、新卒入社3年目のH本(男。当時、20代後半)が、和室で来場客に「どうぞ。座って見てください。和室というものは座って見るものですから」と話していたことがあったが、それは一理あると思う。しかし、堀本の場合は、そういう言い回しで座らせようとしていたのであり、来場客は座らせた方が長居することになり、話を長くできて契約につながりやすいと考えてのものだったが、そういう浅ましい考え方はどうかと思う。堀本は「お茶は、座ってから出すのではなく、座らせるためにお茶を出すのです」とそう浜松の研修で教えられたらしく、新卒入社・中途入社して間がない者に話していたのだったが、それもどうかと思う。私が東京展示場で来場客に展示場で使用している部材を見ながら説明していた時、中途入社1年目のO村くん(男。当時、20代後半)が堀本が言っていた「お茶は座った人に出すのではなく、座らせるために出す」という考え方のもとにお茶を持参してきて、「お茶を入れましたから、まあ、座ってお茶飲んでください」と言って、横から口出してきて無理矢理座るように持っていったため、せっかく、熱心に話を聞いてくれていた人だったのに、その話が中断されることになってしまったということがありました。住宅展示場では、せっかく、そこに実物があって、実物をそこで見ながら話をしているのに、その実物から遠ざけてテーブルに向かって座らせてしまう、というのはそれは作戦として考えても得策ではないように思います。さらに、「お茶いれましたから、まあ、座って飲んでください。まあ、まあ、まあ」と言って、お茶で無理やり座った人というのは、お茶を飲み終わると、「さあ。お茶飲んだことだから行くかあ」と言って立ち上がってしまうのです。「お茶で座らせるのです」という堀本説というのは、あれは、あんまり、良くないと私は思いますね。大阪府箕面市の阪急箕面線「箕面」駅前にある千鳥屋箕面店では、何年も前から、どういう物を売ってるかな・・と思って見ようと店内に一歩でも入ると、「どうぞ、お茶、入れましたから」とお茶と千鳥屋の和菓子1切れを持ってきて「どうぞ。どうぞ」と言って無理矢理食べさせようとするのですが、そうやって、和菓子を出されて食べたからには買わずに帰りにくい・・というように持って行こうとしているわけですが、そのやり方は、むしろ、感じ悪い。私は、千鳥屋箕面店は毎回必ずそれをやるとわかったので、それで、逆に千鳥屋箕面店では買わなくなった。けっこういい和菓子を置いているのに、あの下品な売り方はむしろ店の格を落とすように思います。(株)一条工務店のH本が浜松の研修で教えられたらしい、その「座った人にお茶を出すのではなく、座らせるためにお茶を出す」というやり方は、「お茶で座らせる」というやり方で座った人はお茶を飲み終わったら立って帰ってしまうということとともに、その浅はかな態度が来場客にわかってしまっており、かえって良くないということはないか、とその時も思ったが、それが「会社の方針」ならしかたがないかと思ったのでしたが、やっぱり、それはかえって良くないと思いますよ。そういうのを「浅智慧」と言うのではないでしょうか。「浅智慧」であり「浅はか」だと思います。「品の無い営業」「品の無い程度の低い会社」と評価されてしまう危険があるやり方ではないのか、それが営業上、マイナスになることもあるのではないか、とその時、思ったのですが、その時、私が感じたものを同様に感じた来場客は間違いなくあったのではないでしょうか。すでに座って話をしている場合には、お茶を持ってこない、ということもありましたし、「座った客にはお茶は持って行かず、立って話している客にはお茶を持って行って座らせる」という「一条浜松流」というのは下品だと思います。「釣った魚にはエサはやらない、というのが一条のポリシーですよね」と東京展示場にいた服部(男。当時、20代後半。中途入社入社1年目。)本気か冗談かわからない調子で言っていたことがあったが、「座った客には茶は出さない。立っている人には座らせるために茶を出す」という「一条浜松流」というのはあんまりいいとは思えません。私が見込客の立場なら、「下品な会社だなあ」と思い、マイナスの評価ですね・・・。
それで・・・、「お茶入れましたから」とか言って「お茶で座らせる」という「一条浜松流」の「浅智慧」はあんまりいいとは思わないし、又、「和室というのは座った状態で見るものですから、座って見てください」と言って、まず、自分が座っちゃう・・・という堀本流もまた、結局、「先に自分が座っちゃう」なんてことしても、自分だけ座って来場客は座ることなく行ってしまうことになることが少なくないわけで、それもまた「浅智慧」だったと思います・・・・が、「和室というのは座って生活する場ですから、和室は座った状態で座った状態の眼の高さから見るものです」というのは、それ自体は間違いではないと思います。・・・で、日下部家住宅(日下部民芸館)においても、東道路から入口を入った「ろじ」の右手(北側)、「おいえ」「なかのおいえ」「台所」と続く畳の部屋で、「おいえ」の部分に座り、囲炉裏がある「台所」の部屋に囲炉裏の周囲、あっち側に座り、こっち側に座りして時間を過ごしました。畳の部屋に座って見まわすと、たしかに、「男性的」と言われればそうかもしれない・・・という気がします。「男性的」という表現が最適かというと、「当たらずと言えども遠からず」であっても「遠からずと言えども当たらず」ではないかという気もしますが、最適な表現というのが思い浮かばないので「男性的」と表現した人がいたのでしょう。そうかもしれない・・・という気がしてきます。

↑ 「台所」の「自在鉤」がかかっている「囲炉裏」の部分。
この後、飛騨の里に行き、「旧田口家住宅」を見学したのですが、旧田口家は飛騨地方でも南飛騨、現 下呂市金山町卯野原にあった庄屋を務めた家らしく、特徴のひとつとして、囲炉裏が長方形になっているというのを見ました。それまで、囲炉裏というのは正方形のものだと思い込んでいたのですが、旧田口家の囲炉裏は長方形。それに対して、↑ 日下部民芸館(旧日下部家住宅)の囲炉裏は正方形になっています。見比べてこそわかる・・ということを実感しました。
↓ が飛騨の里 旧田口家住宅(現 下呂市金山町卯野原 にあった家)の囲炉裏です。

↑ 飛騨の里 旧田口家住宅の囲炉裏。長方形になっている。
旧田口家については、別稿で述べます。
《 日下部家住宅は、吉島家住宅の南隣にある。当家は、生糸の卸業を営んで発展した。もとの屋敷は、現在の屋敷の向かいにあり、明治8年(1875年)の大火後移転し、住宅を建設した。建築年代は板絵図から明治12年(1879年)とわかる。
主屋は、2階建の切妻造の建物で、屋根形式や平面構成は吉島家住宅と似ているが、表構えは大屋根の軒をせがい造とし、大戸口上に隅切の与力窓(よりきまど)を作るなど、より変化に富んだ意匠となっている。
内部の見所は、土間と土間側の居室が一体となった吹き抜けの大空間で、内法の少し上に太い梁組を架け、梁上の桁行には角材の桁を置き、小屋束を立て、みごとな意匠をみせる。小屋材まですべて台鉋で丁寧に仕上げられ、漆拭きされている。 》
( 吉澤政己『日本列島民家の旅(6) 中部1 東海・中央高地の住まい』1996.4.30.INAX出版 )
1875年(明治8年)というと、「岩波ほど大きくない明六社」明六社設立の1873年(明治6年)の2年後、「岩魚(いわな)、ごっそり、千島樺太交換条約」の1875年(明治8年)千島樺太交換条約でサハリンはロシア領・千島列島は全島日本領となった年。交換するというのも、理屈から考えるとおかしな話なんだけれどもね・・・。 建築年代という明治12年(1879年)は何があった年か、《ウィキペディアー1879年》https://ja.wikipedia.org/wiki/1879%E5%B9%B4 を見ると、イプセン『人形の家』が初演された年、プーシキンの小説をもとにしたチャイコフスキーのオペラ『エフゲニー=オネーギン』が初演された年・・だそうだ。
この日下部家などの構造材の色あいというのは、どうして出たものなのか、囲炉裏の煙が立ち上って自然と木に色がついたのか・・、民家(「古民家」と言うべきかもしれませんが、今もそういう家に住まれている方もおられることを考えると、「古民家」は失礼か、「古」は「古臭い」「時代遅れの」という意味ではなく「古典的価値のある」という意味の「古」だから、決して失礼ということはないか・・とか思案して、「民家」と表現したり「古民家」と表現したりしていますが)にはそういうケースもあるようですが、これはそれだけではこういう色にはならんのではないか・・・とか思ってきたのですが、吉澤政己『日本列島民家の旅(6) 中部1 東海・中央高地の住まい』(1996.4.30.INAX出版)によると、《漆拭き》によるものだったようです。
《小屋材まですべて台鉋で丁寧に仕上げられ、漆拭きされている》ということは、この架構は単に構造材であるだけでなく、最初から「見せる」「魅せる」ことを想定して造られていた、ということなのだろう。
「せがい造」て何なんだ・・、「コトバンク せがい造」https://kotobank.jp/word/せがい造-1350965 を見ると、《東日本の町家は,〈せがい造〉(側柱の上部から腕木をのばして棚をつくる)で持ち出した深い軒と勾配の緩い軽快な石置き屋根が外観を特徴づける。 》、「コトバンク 船枻造り(読み)せがいづくり」https://kotobank.jp/word/船枻造り-307055 には、《柱の上部から腕木を出して支える棚をもつ民家のつくり。》と出ています。
「与力窓(よりきまど)」とは、「コトバンク 与力窓」https://kotobank.jp/word/与力窓-406819 には、《太い格子を横にとりつけた窓。江戸時代、長屋などの道に面した側につけた。》と出ています。
旧吉島家住宅とそんなに違ったかな・・・と思い、道に面した側の両方が写っている写真 ↓ を見ると、

↑ 右手前が旧吉島家住宅、右奥が旧日下部家住宅(日下部民芸館)。 現地で見た限りでは、道に面した外観にそこまで大きく違うようには感じなかったのですが、この写真で見比べると、日下部家住宅の方が、いくらか、軒の出が深いかもしれません。・・こういう比較をしたり、細部を見たりする際は、雪は降ってない時の写真の方が見やすいですね・・・。
今回は、旧日下部家住宅(日下部民芸館)の第1回。次回、日下部家住宅(日下部民芸館)の第2回では、「いやあ・・、なんとも、床の間がいっぱいある家やなあ」という床の間と座敷を中心に見ていきたいと思います。
次回、日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
(2020.2.12.)
☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? 〔今回〕
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光「耀」山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html
☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html
☆高山シリーズ第4回 2016年
☆☆☆☆高山シリーズ第4回
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_9.html

高山・奥飛騨・白川郷・上高地 (楽楽―中部)

東海・中央高地の住まい―日本列島民家の旅〈6〉中部 1 (INAX ALBUM)

マナーイズマネー―礼節足りてビジネスを知る (ゴマセレクト) - 三井物産広報室
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