高山別院の光曜山照蓮寺。農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。

[第745回]高山シリーズ6回(12)
  なんともややこしいことに、岐阜県高山市には、真宗大谷派の寺で「光曜山照蓮寺」という名前の寺が2つある。『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』(2014.JTBパブリッシング)では、高山市鉄砲町6番地、国分寺通りを東に進み、鍛冶橋で宮川を渡ると通りの名称が安川通りに変わり、正面に大雄寺が見えるが、その大雄寺の方、東に向かって進むと、途中、左側(北側)に見えてくる照蓮寺を「高山別院」と表記、高山市堀端町8、高山城址、城山公園、護国神社の山側(南側)の照蓮寺を「照蓮寺」と表記している。 しかし、国分寺通り・安川通りを大雄寺の方を向いて歩いていって左手に見えてくる「高山別院」は寺の名前は何と言うのかというと、照蓮寺で山号は光曜山。どちらも寺の名前は光曜山照蓮寺で、どちらも真宗大谷派。ややこしいことこのうえない。
  なぜ、こうなったのか・・・と、何冊もの本を読んでやっとわかった。もともとは同じ寺だったのだ。 親鸞の直弟子で後鳥羽天皇の第12皇子にあたるという嘉念坊善俊が、親鸞の没後、白川郷の鳩ケ谷で「正蓮寺」を建立。三島将監が弟で正蓮寺の第8世の明教とともに勢力を拡張するが、内ケ島氏との争いで、正蓮寺は焼き討ちにあい、三島将監は戦死、明教は逃亡する。明教の子で第10世の明心は内ケ島氏と和睦し、白川郷中野に寺を復興し、名称を「光曜山 照蓮寺」と改称する。三木(みつぎ)氏の後、飛騨の領主となった金森長近は照蓮寺の勢力をおそれ、高山城下、現在の高山市鉄砲町の高山別院がある場所に「照蓮寺」を移転させる。移転後も白川郷中野に正蓮寺開基善俊の墓と本堂が残り、「照蓮寺掛所心行坊」として存続し、明治の初め頃、「照蓮寺」と改称する。白川郷の中野に照蓮寺があり、高山市に高山別院の照蓮寺があるという状態だったが、1961年(昭和36年)、御母衣ダムの建設のため、白川郷の中野の照蓮寺が水没することになり、高山市堀端町、高山城址、城山公園の北の方に移転した。その結果、元あった白川郷の中野と移転した高山市との両方にあった光曜山照蓮寺が、2つとも高山市に存在するようになってしまった・・ということらしい。
  曹洞宗の本山というと永平寺のような気がしたが、横浜市鶴見区に総持寺があって鶴見大学なんて坊さんの学校もある。総持寺と永平寺だと永平寺の方がブランドも~ん♪ て感じがするけれども、曹洞宗としては永平寺と総持寺の2つを「大本山」としているらしい。永平寺は道元が福井県の山の中に作った道場だというのはわかるが、横浜市鶴見区はどう関係あんねん・・というと、総持寺はもともとは、石川県の能登半島、石川県鳳至郡門前町にあったらしいが、1898年(明治31年)に火災にあい、その時に、これからは東京近郊が日本の中心になると見たのか、横浜市鶴見区に移転したらしい。しかし、移転していった元の場所では寺はなくなったのかというとそうではなく、総持寺祖院として今も寺はある。それと似た感じ・・でもないかもしれんが、総持寺は鶴見区に移転した後、元あった場所は総持寺祖院になったのに対し、照蓮寺は金森長近の指示で高山に移転したが、元の場所もまた「照蓮寺祖院」ではなく「照蓮寺」として存続したが、ダム工事のためにその地域が水没することになり、飛騨地方の中心都市としての高山に移転したということらしい。その結果、高山市に同じ真宗大谷派の寺で山号も寺の名前も同じ光曜山照蓮寺という寺が2つできてしまった・・ということらしい。
※ 高山市鉄砲町の高山別院・・・
《ウィキペディア―真宗大谷派高山別院照蓮寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%88%A5%E9%99%A2%E7%85%A7%E8%93%AE%E5%AF%BA
高山市堀端町の照蓮寺・・・
《ウィキペディアー照蓮寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A7%E8%93%AE%E5%AF%BA

  ややこしいのだが、「高山別院の方の光曜山 照蓮寺」は、国分寺通りを東に進み、鍛冶橋で宮川を渡り、安川通りと通りの名称が変わって、そのまま東に進むと正面に大雄寺が見えるが、大雄寺まで行かず、途中、左手(北側)に「高山別院の方の光曜山照蓮寺」が見えてくる。↓
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 ↑ 右の札には「真宗大谷派 高山別院」と書かれているので、こちらの寺は「真宗大谷派 高山別院」であって「光曜山照蓮寺」ではないのか・・と思いそうになるがそうではない。
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 ↑ 「光曜山」と書かれた額がかかっている。 「御坊」と書かれた提灯がかかっているが、《ウィキペディアー真宗大谷派高山別院照蓮寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%88%A5%E9%99%A2%E7%85%A7%E8%93%AE%E5%AF%BA には、《1692年(元禄5年)、第6代藩主金森頼時が出羽国上山藩に転封され飛騨国は一国全て公儀御料(天領)となる。寺領は安堵されたが、後ろ楯を失った「照蓮寺」は一気に衰退する。さらに宣心の死後、照蓮寺と末寺に軋轢が生じたこともあり、衰退の一途をたどる。 1703年(元禄16年)、照蓮寺第十七世の一乗はこの事態を打開するため、「照蓮寺」を本山に献上し、本山の掛所「高山御坊」となる。》、別称として「高山御坊」「飛騨御坊」とも言うように出ている。 《現在も「御坊さま」と呼ばれ地域の人々に広く親しまれている。》(『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』2014.JTBパブリッシング)
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( ↑ 鐘楼。)
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( ↑ 本堂。 左手前の石碑には「嘉念坊善俊上人」と書かれている。)


  高山別院というのは、浄土真宗でも、真宗大谷派である。浄土真宗には何派というのが、真宗教団連合として十派あり、それ以外に、「お東さん騒動」で離脱した派があり、それ以外にもあるらしいが、真宗教団連合に加わっている十派の中で、一番ややこしいのが、本願寺派と大谷派で、何がややこしいかというと、西本願寺と東本願寺というのはどちらも本願寺で、しかも、大谷本廟と大谷祖廟は親鸞の墓所ということだが、本願寺派と大谷派の両方に「大谷」があるわけで、
西本願寺(本願寺)ー大谷本廟(西大谷)ー北御堂(津村御堂)-築地本願寺 が本願寺派で、
東本願寺(真宗本廟)-大谷祖廟(東大谷)ー南御堂(難波御堂) が大谷派だというのだが、
どっちも本願寺でどっちも大谷やんけ・・・て感じがするのだ・・が、西本願寺ー大谷本廟 が本願寺派で、東本願寺ー大谷祖廟 が大谷派だというのだ、ややこしいことこの上ない。で、高山の「高山別院」「飛騨御坊」「高山御坊」というのは大谷派なのだ。で、本願寺派の寺でそれに該当するものは・・・というと、高山には見当たらない。な~んでか・・と、最初、思ったのだが、それは、今は昔、本願寺派は西日本、大谷派は東日本というように本願寺を分けた、というところに原因があるのだろう。その街に本願寺派の寺と大谷派の寺が普通に並存しているのは、京都と大阪と東京だけのようだ。で、今の感覚だと、高山というのは東日本か西日本かというと西日本ではないかという感覚になるのだが、2つに分けられた時点では高山は東日本の方に属したようなのだ。だから、真宗大谷派の高山別院はあっても、それに該当する浄土真宗本願寺派のものは見当たらないということらしい。もっとも、今では、人の移動もあるし、《ウィキペディアー真宗大谷派》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE#%E5%88%A5%E9%99%A2 を見ると、京都・大阪以外の西日本にも真宗大谷派の寺はあるらしい。
※ 《ウィキペディアー浄土真宗》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97

  東京では、本願寺派の築地に築地本願寺(築地別院)があるが、大谷派のそれに該当する寺はないのかというと、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺を名のっている台東区西浅草という浅草と上野の真ん中より浅草よりみたいな場所にある寺が大谷派の東京での別院だったらしいが、「お東さん騒動」で離脱したらしい。「お東さん騒動」ていったい何だったのか、と思うが、《ウィキペディアーお東さん騒動》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%9D%B1%E9%A8%92%E5%8B%95 を見ても、今一つよくわからないのだが、「弥陀の本願によりて念仏いたすのともがらの、我が弟子、ひとの弟子という争論のさふらふらんこと、もてのほかの子細なり。親鸞は弟子ひとり持たず候」だったかいう文章が『歎異抄』にあったはずだが、現実には「我が弟子、ひとの弟子という争論」はなかなかなくならないのかもしれない。・・・が、『歎異抄』というのは、いいこと書いてあると思う。

  『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』(2014.JTBパブリッシング)には、
《 高山別院の庫裏は、国府町の豪農であった杉下家の主屋を移築したもので、2階が寺宝館として公開されている。・・・》
と出ているのだが、豪農の主屋を移築したような建物てどれだろうか・・・と思って、これまでからこの高山別院に来た時にまわりを見まわして、どれのことだろうなあ~あ・・・と思案してきたのだが、寺務所で尋ねてわかった。
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↑ 本堂の左手(西側)のこの建物のことらしい・・・が、外観は豪農の主屋という感じはしない。
  お願いして内部も見せていただいたのだが、↓
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《国府町の豪農であった杉下家の主屋を移築したもの》と『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』(2014.JTBパブリッシング)には書かれているのだけれども、「国府町の豪農であった杉下家の主屋」をそのまま移築して利用しているというわけではなく、正確には「杉下家の主屋」で使われていた部材を使用して建てられた、というものらしい。

  吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)には、
《市内大門町に、もう一つの照蓮寺がある。天正13年(1585年)、高山城主の金森長近が一向一揆対策のため白川郷から高山に照蓮寺を招致したのがそれである。まぎらわしいので、普通は城山の方を”照蓮寺”、もう一つを”高山別院”と呼んでいる。高山別院の方は、たび重なる火災のためコンクリートの寺になってしまった。》
と出ており、《ウィキペディアー高山別院照蓮寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%88%A5%E9%99%A2%E7%85%A7%E8%93%AE%E5%AF%BA には、
《 「照蓮寺」は、高山に移転以降、数回にわたり焼失と再建を繰り返す。
1955年(昭和30年)、放火により堂宇を焼失する。
1964年(昭和39年)、堂宇を再建する。 》
と出ている。
  たしかに、「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」にしては、なんで、木造じゃないの? て感じがしないでもない。高山の町屋は隣と近接して建っていて、なおかつ、外部も木でできているので、火災が発生してしまった時に延焼しやすいという弱点があるようだが、しかし、高山別院の場合、本堂は隣の建物とそう近接しているわけでもないのに・・・とも思ったのだが、1955年の焼失は放火によるものだったらしい。
  《コンクリートの寺になってしまった》と吉野準氏は『飛騨への旅』(1970.創元社)で書いているが、寺や神社の建物というのは、木造で建てられたものに比べて、鉄筋コンクリート造や鉄骨造のものというのは、どうも、味気ない・・と私も思ってきたのだが、愛知産業大学の建築学科で鉄骨造や現代建築について学んでみて、建築探偵団としては、完全にそうとも言えないとも思うようになった。鉄骨造や鉄筋コンクリート造で建てられたものの場合においても、意匠・デザインの点においては伝統的なものを残して建てるのか、それとも、日本の寺の外観・意匠・デザインというものは木造の構造とともに作られてきたものなので、鉄骨造や鉄筋コンクリート造で建てる場合においては、また、別の外観・意匠・デザインというもので建てられるべきなのか。そのあたりを、どう考えて作られたか、という工夫があるかどうか、といったものを見るのもまた、建築探偵団としては興味がひかれるものである。
  高山別院の照蓮寺の場合、場所が「木の国 飛騨」で「古い町並 高山」であるという点で、なんで、木造じゃないんだ・・と考えがちではあるのけれども、
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↑ の格子。これ、前はなかったようなのだ。
[第459回]《 飛騨国分寺から鍛冶橋、高山別院照蓮寺をへて東山白山神社へ-東山遊歩道(高山市)前半を歩く(1)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html に掲載した写真では、本堂は工事中だったが、その時におこなっていたのかもしれません。 耐震補強工事として格子が入れられたらしいが、トグル型制振装置とかそういうものだと寺として見た目が味気ないということから、高山にゆかりの「千鳥格子」を入れての補強になったらしい。

  この「千鳥格子」とは何なのか・・・。 飛騨の里の旧若山家住宅に「飛騨の民話」としてその説明書きがありました。
《 飛騨の民話
 千鳥格子(高山市荘川町軽岡峠)
六厩(むまい)の里では、ある年 大勢の大工をやとって寺を建てた。棟梁はそのころ二人とない立派な腕の飛騨工(ひだのたくみ)某という人であった。村ではそのころ地獄谷の金山が当たってたいへんな金が入った。山には木があまるほどあり、資金もできたので、村の有力者の庄兵衛さんや喜十郎さんたちが発起で寺を建てることになったのである。秋になるとこんな山奥によくもこんな寺ができたもんだ、と驚くような立派な寺が建てられた。
 「小鳥(おどり)白川六厩のお寺
   こけらぶきとは知らなんだ」
と歌われるようになった。この寺の建築中棟梁の工(たくみ)は、村の出入り口である軽岡峠(かるおかとうげ)を何度となく超えたが、二里あまりのけわしい峠道に一軒の家も一つの辻堂もなかった。工は、峠の頂上に辻堂を建てたら、どんなに人助けとなるだろうと考えた。また春の新緑によく、ことに秋の紅葉の美しさは飛騨中におよぶところがないと言われたこの峠道に、辻堂ひとつないのは、なんとなく物足らないことであった。工は寺の建築中の暇をみては、余り木で小さな辻堂の木取りをしていた。寺の落成式がすんでから、工は峠の頂上に辻堂を建てた。それから長い年月が過ぎ去った。六厩のお寺は歌だけ残って建物は焼けてしまった。
  峠の辻堂はいつまでも旅人の友として残った。この堂の格子戸は世にもめずらしい千鳥格子で、峠を通って休む人は誰でも感心して「飛騨工の千鳥格子」と呼んでいた。ちょっと見るとなんでもないようであるが、ひのきの角棒を互い違いに組んで、少しのすきまもなく、写真に見られるような格子がくめるであろうか。それはおそらくできないことで、この格子を組むには何かトリックがなければならない。
  明治初年のころ、高山の名工、岡田甚兵衛という人がこれを聞き、何とかして千鳥格子を組んでみたいと思い、現地に行って調べたがどこを見ても一分のすきもなく、くるいも見当たらない。なんとかならないものかと無理に押したり、たたいたりしているうちにとうとう格子の一部を破壊してしまった。名工のことだからそのトリックはすぐ分かり、高山に帰って組み立てたのが、空町の助六橋近くの稲荷堂に現存している格子である。
   小島千代蔵「飛騨の伝説」
   斐太中央印刷(株)・昭和56年11月1日  》
そういう由緒の格子をデザインとして取り入れたのが高山別院照蓮寺の耐震補強としての格子らしい・・・が、「千鳥格子」とはどういうもののことなのか、枡格子とは違うのか?  「千鳥」とは、星野晶一閲序・橋場信雄著『建築用語辞典』(1970.第一版、1992.第46版 理工学社)では、
《 ちどり《千鳥》 zigzag. 左右に互い違いに配置すること。》
《 ちどりうち《千鳥打》 左右互い違いに打つこと。》
と出ている。 枡格子のことを言っているのではなく、枡目の格子であるが、《桧の角棒を互い違いに組んで》というところを「千鳥格子」と言っているようだ。
  ヤフー地図などで捜すが、「空町」も「助六橋」もどこかわからない。

( ↑ 飛騨の里 )

  高山の街を歩いてみると、格子がある場合、縦の桟が多いが、枡の格子も見ることはある。
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日下部民芸館 入口の左側。カンジョウバという部屋の外側。


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匠館

枡の格子のことを千鳥格子と言うのではない。枡目かどうかではなく、角材が互い違いに組まれていたという点が重要のようだ。

   在来木造でも、土台・柱・梁の内側に枡格子を入れるとそれは構造上、いくらかなりとも強度を増すことが期待できるでしょう。窓の外側に縦の格子を入れるのは、防犯上、役立つとしても、横桟の場合には、普通に考えて、横の桟には雨が溜まるので木製の物は腐りやすいし、金属製のものなら錆びやすいという結果になるのではないか。それを考えるならば、縦桟にした方がいいだろう、又、縦桟ならそれほど汚れないところが、横桟ならば、桟に埃が溜まることが考えられる。誰が掃除するのか? 誰がやるにしても、掃除は楽な方がいいし、掃除しやすい造りになっている方がいい・・・と普通の建築屋ならば考える。ところが、建築屋ではなく、「建築家」とか「デザイナー」とか「設計士(さま)」とか「なんちゃらアーキテクト」とかわけわからん名称を名のりだしたり、あるいは、ヒゲはやすとかそういうことで「ひとに言うことをきかす」ということをやろうとしだした男もしくは女というのは、そのあたりを理解できなくなるらしい。そもそも、「ヒゲはやすと建築家」というその発想、いったいどっから考えついたのか、「ヒゲはやすとラーメン屋」というのもなんでかようわからんのだが、とりあえず、ヒゲそれ、ヒゲを!!! 「茶髪、長髪、ヒゲはいかん」と野村のじいさんに「建築家」「デザイナー」「設計士(さま)」とか勝手に名のってるやつも言うてもろたらよかったのかもしれん。すばらしいデザインを実現したいから、とか何とか口実をつけたがるだろうけれども、 「すばらしいデザイン」というものは、構造もすぐれていて、機能上も役立つもので、経済性も悪くないというもので、なおかつ、デザインが優れたものであってこそ「すばらしいデザイン」と言うのであって、構造上、無茶苦茶だったり、機能上、「使えたもんじゃない」とか、経済性の上から「誰がそんなカネ出すねん、おまえ、出すんか?」というようなものだったり・・というのは、それは「すばらしいデザイン」とは言わない・・はずだが、それを理解できない無能力者のことを「建築家」とか「デザイナー」とか「設計士(さま)」とか言うらしいのだ。結論として、「アホやんけ!」という連中のことである。
[A]  チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ では、「花の舞」八重洲店の内装に、わざわざ、横桟を入れて、飲食店なのに、そこに埃がたんまりと溜まっていた・・・が、横桟なんて必要もないのに入れるからそうなるんじゃないか・・てわからんかなあ・・と思うのだが、関大法学部しか出とらん社長にはわからんのだろうなあ・・・。私にはひと目で分かったことが。
  チムニー(株)の人材開発部の友常は「あれ、いいでしょお~お」などと言っていたのだが、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」で、ある部分でマイナスの要因をかかえていても、他の部分でプラスの要素があるから、結果として客が来ている・・という場合があるわけで、その時、「客が来ているからだから問題点はない」と考えてはいけないはずなのです。たとえ、その時は客が来ていても、それでも、問題点はないか考えて、問題点があれば、他の部分でプラスの要素があるから客が来てくれている間に、問題点の対策をとるべきなのです。普通に考えて、飲食店で食事をするテーブルのすぐ脇に必要もない横桟があってそこに埃がい~っぱい溜まっている、いかにも不潔!!! て、そんな店、「いいでしょお~お。あれえ」なんてチムニー(株)の人材開発部の友常みたいなアホなこと、言いますか? 普通は言わんと思うがなあ、普通は。横桟は埃が溜まりやすく、店員がいっぱいいるのならともかく、そうではなく、けっこう忙しいのだから、掃除に手間がかからないように、たとえ、桟を飾りでつけるにしても縦桟にしてもらえないか・・とか、そういうことくらい、普通は考えるもんと違うんかい・・と思うのだが、三流以下企業にばっかり勤めてきてしまったが、三流以下企業の経営者というのは「普通」でない場合があるようだ。
[B]  チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ の建設部の会議で、社長の和泉さんが、「ドアとか、ほんと、よく壊されるんだけど、どうすれば壊されないですむだろう」と言い、特に、女性用トイレのドアがよく壊されるという話だったが、男性であれ女性であれ、なぜ壊されるのか、どうすれば壊されないか・・について、社長の和泉さんは、「まあ、頑丈に造るしかないのだろうけどなあ」などと言っていたが、それしか思い浮かばんか??? 私はそれ以外にも2つは知ってますよ、私は。わかると思うのだが、わからんのかな。
  今は昔、阪神タイガースが毎年Cクラスを低迷していた頃、野村のじいさんがまだヤクルトスワローズの監督にもなっていなかった頃のこと、ラジオの野球中継で、アナウンサーが「阪神の球団の職員の人が、『今年は甲子園球場のお客さんの入りが良くないんですよ。いったい、どうしたんでしょうねえ』と言ってました。」と話したところ、解説者の江本孟紀が「はあ~あ。球団の人が、そんなこと、言ってましたかあ。ぼくは、何でお客さんの入りが少ないか、知ってますよ、ぼくは。そりぁ、いくらなんでも、こんなけ、ボロクソに負けまくったら、もう、いいかげん、見に行くの嫌になりますよ、もう、いいかげん! わかりませんかねえ~え。案外、球団の中にいるとわからんもんなんかもしれませんね、中にいると。一度、教えてあげましょうかねえ。」と発言。さすが、江本はいいこと言う♪ と思った。・・思いますよね(^^)/
  和泉さんは、なぜ壊されるか、どうしたら壊されないか・・、「頑丈に作るしかないんだろうけど」と言うのだったが、それしか思い浮かびませんかあ、社長のくせしてわからんのか、社長という役職につくとわからんようになるのか、どっちなのか・・・。
(1) まず、心理学上の思考をしてみることです。居酒屋というのは「壊していい店」なのか? 店の側では「壊してもいいよ」とは考えていないのですが、ヨッパラーの場合はファミリーレストランとかと違って「居酒屋」というのは「壊していい店」と思っている場合があるのです。そこでです。「壊されても多少はしかたがない」という店の路線でいくのか、それとも、「壊してはいけない店」路線でいくのか、そこのところを、まず、店の経営者は経営者の意識としてどっちなのか、はっきりさせる必要があります。
  「壊されても多少はしかたがない店」路線でいくのなら、「これを壊してちょうだい、こっちは壊さないでね」みたいに、安くて、壊しても誰も怪我しないようなもので「壊していいもの」をあらかじめ、用意しておき、壊されてはいけないものと区別しておく、というのが手ですね。「壊されても多少はしかたがない店」路線でいくのなら。
  そうではなく、「壊してはいけない店」路線でいくのなら、ここの店は「壊してはいけない店」なんですよ・・とアピールする造りにしておくべきなのです。まず、壊す人とか落書きする人がいたならば、さっさと補修する。人間の心理として、部分的に壊れていたり汚れていたりすると、壊していいんだな・・と考えがちです。ですから、この店はそうじゃないんですよ、と意思表示するために、壊されたところ、汚されたところは、早急に補修する。
  そして、最初から「きっちりと作る」ということが大事です。「きっちりと」と言っても、建築は地べたに作る場合でもチムニー(株)の「はなの舞」「花の舞」「炎」「チムニー」といった店舗の内装にしろ、精密機械ではないので、精密機械のような厳密さまでは無理としても、「きっちりと作る」ということです。きっちりと作られたしつらえの店を見ると、「この店は、壊してはいけない店なんだな」と思いますでしょ。愛知県犬山市の明治村にある旧帝国ホテルの建物は、中に喫茶と軽食の店がありますが、あの建物を見て、「壊していい店」とはたいていの人間は思いませんでしょ。そこまではいかなくても、「きっちりと作る」ようにする。そうすれば、壊される可能性は小さくなるはずです。最初からいいかげんに作られていると、人間の心理として、「なんだ、これは」と思い、「最初から、こんな造りにしているということは、『壊していい店』なんだな」と考えがちです・・・というよりも、「いいかげんな造り」にしているということは、「ここは、壊していい店なんですよ」とそう思ってもらおうという造りにしているということです
  2005年ですが、「はなの舞」柏店が完成した時、私は建設部の従業員として、仕上がり具合を見ましたが、机と何だったか、隙間が無茶苦茶大きく開いており、これは手直ししてもらうべきだと考えたのですが、入社してまだ1か月経っていませんでしたので、私が直接に業者に言っていいか、それとも、建設部長から言う方がいいか、建設部長だった大木さん(男。当時、50くらい?)に、それを話したのです。ところが、大木さんは「居酒屋はいいかげんでいいんだ」と言うのです。それが、「壊される原因」です。わかりませんかね。造作があっちやらこっちやら、隙間だらけ。いかにも、いいかげんな造りですよお~お・・という店だと、「壊していい」とその造作がアピールしているのですよ、ヨッパラーにそれに対して、きっちりと、隙間はないはずのところはきっちりと隙間はないように作っておけば、人間、「ここは『壊してはいけない店』かなあ」と考えるのです。「壊してもいい店」路線でいきたいのなら大木さんの姿勢でやればいいでしょうけれども、建設部の会議の際の社長の和泉さんの発言を聞いていると、「壊されたくない」路線のつもりに受け取れます。いったい、どっちなのか? 「壊されたくない」路線でいくのなら、大木さんのような認識・姿勢ではだめです。社長の和泉さんは、このくらいのこと、わからんのでしょうかねえ・・・と思うのですが、わからんのかな・・。その程度の人なのか?
  建設部長の大木さんはこの程度のこともわからないのか、それとも、「業者に言えない」人なのか。どちらにしても、建設部長ならそれではいけないはずです。建設部長が「業者に言えない」ようなら部長やめた方がいいのではないか。建設部長ならば、「普通の建築ならないような隙間だらけ」の店というのは、ヨッパラーにとっては「壊していい店」感を覚える店だ・・と思う感性くらいないとおかしいのではないか。なんで、そういう感性がないのか? もしかして、「アホやから」か?
(2) そして、もうひとつは、マーケティング的発想から考える、ということです。「居酒屋を利用する客」と考えるのではなく、「居酒屋で食事をして酒を適度に飲んで楽しみたい客」と「酒のんで物を壊したい客」とは別だと考えてどちらに来てもらいたいのか、という思考が必要です。「酒が好き」と称する人でも、1989年7月に小堀住研(株)の千葉支店の支店長にならせてもらった渡邊士直などは、「いたって酒の好きな人間」と自称していたのですが、実際に酒の出る場になるとほとんど酒を飲まないのです。それなら何が好きなのかというと、「酒の場だろうが」と言って女性社員の尻をなでまわすのが好きなのです。そういう人間だったのです。彼は実際には酒はほとんど飲まないのです。そういう「酒が好き」という人間と、『美味しんぼ』とか『味いちもんめ』とか『夏子の酒』とかに登場する、本当にうまい酒を飲みたいという人とは「酒が好き」と称する点は一緒でも実質は全然違います。「居酒屋の客」とひとくくりに考えるのではなく、ウォンツとしては「居酒屋」が求められていても、ニーズとしては別の場合があるはずなのです。
   どっちみち、すべての客を自分の所の店で取るということはできないのですから、それならば、比較的いい客に来てもらって、扱いにくい客はよその店に行ってもらうようにした方がいいのです。まず、社長の和泉さんは「壊されたくない」路線で行きたい旨の発言を会議でしているのですから、それならば、 「壊さない客」「飲んでも壊さない客」「壊すために飲むのではない客」に来てもらうようにして、「飲むと壊す客」はよその店に行ってもらうようにするべきなのです。(よそで壊そうが何しようが知ったことではないでしょ。)そのためにも、「きっちりと作る」ということは必要です。造作から、この店は「飲んで壊す人の店じゃないんですよ」とアピールするべきなのです。「普通なら隙間なんてないはずのところが、無茶苦茶大きく開いている」なんてのを見ると、「ああ、この店は居酒屋だから、壊されることを前提にいいかげんに造っているんだな」と思い、デストロイヤーが集まってくるようになります。
  「きっちりと作る」には、いいかげんな工事ではなく、建築屋としてプライドのある施工をする・・という意味だけではなく、もうひとつ、「建築としてまともなものを造る」というのもあります。「はなの舞」のどの店だったか、梁として使用されていた「野物」「松丸太」を、店の内装で縦にして設置している店があり、それで、私はチムニー(株)の「デザイナー」の男性に「普通、木造建築で、松丸太をこのように縦にしては使わないですね」と言ったのですが、私としては「そうですよね」という返事が返ってくると思い込んで言ったのですが、ところが、「デザイナー」は何と言ったかというと、「この、曲がっているところがいいんですよお~お」と。びっくりしました。もうちょっと、木造建築についてわかっている人が「デザイナー」やってるのかと勘違いしていました。柱というのは、建物自体の荷重や家具やそこで生活する人間の重さとか雪が積もった時の積雪の荷重など、上から下にかかる荷重を受けますから、まっすぐな材がいいのです。桧が柱にいいと言われるのは、桧は圧縮・引っ張り・曲げ・せん断の4種類の力にいずれにも強いが特に圧縮に強いという点が柱に向いていると言われますが、それとともに、桧や杉はまっすぐに伸びる木なので柱として使うのに向いているとされるのです。杉は「まっすぐ」の「すぐ」が「すぎ」に変化して「杉」という名称になったという説もあるようですが、桧や杉は「まっすぐに伸びる木」だということで柱に向いているのです。柱は曲がっていてはよくないのです。それに対して、梁は事情は違います。梁の場合には、横にして使い、上からの荷重を受けますから、上に凸に曲がったものを梁に入れると、まっすぐなものよりも強度を発揮するのではないかと考えられたのです。松などは桧・杉よりも曲がって生育しやすい木ですが、松は「ねばりがある」とされるとともに、上に凸になるように入れることで、まっすぐな梁よりも強度を発揮すると考えて特に最上階の梁に入れられることが多かったのです。 「はなの舞」「花の舞」「炎」といった店は「民家風」「木造民家風」のしつらえ・内装の店ですが、たとえ、鉄筋コンクリート造か鉄骨造の雑居ビルの一部を借りて運営する店舗の内装であっても、こういった木造建築の基本を押さえた内装にしてあれば、来店した人も、きっちりと作ってあるとわかります。それに対して、木造建築の構造としてありえないことを内装にやっていると、その点で「いいかげんな店」という印象を与え、その分だけ、「壊していい店」感がしてきます。「丸太梁の使い方なんて、どうせ、知らない人間の方が多いだろう」なんて、もしも、思っていたのなら、その認識がまず客を馬鹿にしています。建築関連の仕事をしている人間が来るかもしれませんし、都市部で育った人間は「民家風」の「古民家」なんて前時代のもので知ってる人間なんてないと思っているかもしれませんが、「地方」出身の人間には、実は今も実家はそんな建物だとかいう場合はあるのです。そういう人が見れば、「なんだべ、これはあ」と思います。そういう「民家」に住んでる人間を馬鹿にしたような造りというのは、それだけ、「いいかげん」感を与えます。
  「高山風」とか言っていたようですが、高山で横桟の入っている建物があるか、というと「厳密には、まったくないことはない」。どこにあるかというと、日下部民芸館(日下部家住宅)の入口の上にあります。↓
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しかし、日下部民芸館(日下部家住宅)の入口の上の横桟は間隔が広いですね。「花の舞」八重洲店みたいな細かい横桟の家、いかにも「埃がたまりますよお」て造りの横桟の家なんて、ここ10年間で8回、高山に行きましたが、見たことありませんからね。なおかつ、枡格子は知らんみたいなのです。「飛騨の民話」の千鳥格子も。
  そして、たしか、横須賀中央店が完成した時だったと思うのですが、私が店舗を見に行くと、テーブル席とその横の通路との間に、しきりの板が取り付けられており、店長の男性が「これ、やめてほしいんですよ」と言うのでした。なぜ、「やめてほしい」かというと、テーブルと通路との間に衝立を造られると「料理や飲み物を出しにくい」というのが1点。そして、その位置に衝立を建てることで「個室化」するというのです。「個室化すればするほど、客質は悪くなりますからね」と。いわゆる「連れ込み居酒屋」とか「連れ込み料理屋」なんて言われる店があるようですね。そういう店というのは、店の中の個室で、何をどたばたやっていようが、店員は関知しない・・というそういう店があるらしい。花登筺の『銭の花』に、石島という加代の姉の和子の夫がそういう店を利用しているようだという話が出てきます。テーブル席と通路との間に衝立を立てると、完全な個室ではないけれども、「個室化」がいくらか進むことになり、その分だけ、「客質が低下する」らしいのです。私は入社して1か月も経っていない時ですが、それでも、店長は教えてくれた、というのか、建設部の者に、そのあたりを考えて作ってくれと要望していたのです。なんで、前々からいる社長で建設部の責任者の役員を兼任していた和泉さんとか、建設部長の大木さんは、そのあたりの話を聞いていないのか? 何年もそこに勤めていて、聞いていない・知らないというのはおかしいのではないか・・と思うのですが、その人にとってはそれが普通だったようです。
  ですから、「飲んで壊す」ことを目的に来店する人・「連れ込みホテル」に準じた居酒屋と思って来店する人ではなく、静かに飲食を楽しみたいという客に来てもらいたいと思ったならば、そういうしつらえにするべきなのです。
(3) そして、何より、入社して1か月も経っていない私が、店長からそのあたりの話を聞いているのに、何年も勤めている社長の和泉さんが知らないというのはなぜなのか? ひとつには、和泉さんは何かあると、すぐにかんんしゃくを起こして怒り出すから、だから、誰もが怖がって何も言わなくなるのです。「触らぬ神に祟りなし」と考えて、誰もが言わなくなるのです。社長としてそれは情けない・・と思いませんか? 社長というのは、社内社外の情報を少しでも多く把握する努力をするべきではないのですか? そのためには、他の人には話さないが社長になら話すという人が増えた方がいいはずで、「触らぬ神に祟りなし」と思って「言うべきことでも言わざる」と多くの従業員が思うようになったら・・・というのか、和泉さんの場合は私以外のたいていの従業員はそうなっていたのですが、それは哀しいことだと思います。「私以外の」とはどういうことかというと、私の場合は、この人は、すぐに癇癪を起して怒りだす、怒る必要もないようなことに怒り出す困った人だと思っていましたが、会社を良くしたいという気持がない人でもなく、良くしたいという気持はある人のようだとも思っていたので、聞こうという気持になってもらえる工夫を私がしよう・・かな、と思っていたのです、私だけは。でも、聞きたくなかったのかもしれませんから、聞きたくなかったのなら、知らずにそのまま進むのでしょう。だめなままで。
[C] チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ は、「はなの舞」「花の舞」「炎」など「民家風」の内装の居酒屋と、成功していなかったけれども、「チムニー」という「洋風居酒屋」とがあり、そして、「ファーストグルメ」という店名の酒ではなく食べ物が主の店を出していたのです。ところが、平井と大船ともう1店どこだっけ・・・を出してもうまくいかない。これも社長の和泉さんが建設部の会議で、「ファーストフードは、得意分野じゃないから。どうも、うまくいかないなあ。どうすればいいのだろうなあ」などと言うので、あんた、わからんのお~お? と思った、ということがありました。 プロ野球のラジオの中継で、かつて、毎年、Cクラスを続けていた頃の阪神タイガースの球団職員の人が「どうも、最近、甲子園球場のお客さんの入りが悪いんですよ。いったい、どうしてなんでしょうねえ」なんて言っていた・・・て、「はあ~あ。『どうしてなんでしょうねえ』なんて言ってましたか。なんでか、わからんのでしょうかねえ。ぼくは知ってますよ、ぼくは。そりぁ、いくらなんでも、こんなけ、ボロクソに負けまくったらもう、いいかげん、見に行くの、嫌になりますよ。もう、いいかげん~ん!!!」と。それと似てますよ。わかりませんかねえ、こんなことが。
  まず、採用されて最初に出勤する前に、人材開発部の友常が、チムニー(株)の店舗をいくつか、見てきてくださいと言うので、私は、「花の舞」の八重洲店、「チムニー」の千葉駅西口店、「ファーストグルメ」の平井店、それに「はなの舞」のどこだったかに行って実際に飲食してきたのです。平井の「ファーストグルメ」は、これはどうなんだろうなあ・・と思ったのですが、ところが、人材開発部の友常は、私が「どうなんだろうなあ」と思ったのを聞こうともしないで、「あれ、いいでしょおお~お」と勝手に「いい」と断定して自己満足していたのです。「いい」かな?
(1) まず、「ファーストグルメ」という店の名称がいいのかどうか。それから、店の外観やしつらえがその店の内容に向いているのかどうか。もしくは、逆に、店の外観やしつらえにその店で出している食事の内容が向いているのかどうか。そのあたりを考えてみるべきです。「な~んも、考えとれへん」というのが実状だったはずです。ほんと。それで、「なんで、うまくいかないんだろうなあ」などと社長の和泉さんが言っていたのです。社長の和泉さんが「なんで、うまくいかないんだろうなあ」などと言っているのに、人材開発部の友常は「いいでしょお~お」などと勝手に断定していたのです。そんなことだから、うまくいかないんだよ!!!
  人材開発部の友常が「いい」と勝手に思い込んだのは、それは、チムニー(株)という会社は、1984年にジャスコ⇒イオン の出資の居酒屋としてできた会社で、キリンビールの孫会社ということになっていたが、それは、静岡県の食材会社のなんだっけ、思い出した、米久(よねきゅう)(株)https://www.yonekyu.co.jp/ がチムニー(株)の株を取得して親会社になり、米久(株)がキリンビールの子会社になったことで、結果としてキリンビールの孫会社になったというもので、ジャスコが筆頭株主ではなくなった後もジャスコとつながりがあることから、食材がジャスコから入ることで、多店舗に比べて、割安な値段で供給できる、というのが強みで、「ファーストグルメ」という店も、「ファーストフード」の店にしては出る食事の内容が「いいでしょお~お」と友常は言うのでしたが、まさにその点にこそ、問題点があったのです。
〔 《ウィキペディアー米久》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E4%B9%85 を見ると、さらにその後、米久(株)は、キリンビールから三菱商事に株が譲渡され、さらに、伊藤ハムと経営統合されて、《持株会社「伊藤ハム米久ホールディングス」が設立され》、その完全子会社になったらしい。《ウィキペディアーチムニー(居酒屋)》 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%83%BC_(%E5%B1%85%E9%85%92%E5%B1%8B) を見ると、チムニー(株)は、ジャスコ⇒イオンが作ったけれども、業績不振で米久(株)に売却した会社で、その米久(株)がキリンビールの子会社になったことからキリンビールの孫会社になったが、その後、米久(株)は、チムニー(株)の株をアメリカ合衆国の投資ファンドのカーライルグループの投資会社「エフ・ディー」に売却し、その時点で、私が在籍した2005年に「ジャスダックに上場した」と言って喜んでいて、「へえ、この程度の会社でも『上場企業』なのかあ」なんて思ったものだったが、その上場は廃止されて非上場になり、さらに、酒類専門チェーンの(株)やまや が過半数の株を取得した、らしい。なんだか、筆頭株主は、イオン⇒米久⇒エフディー⇒やまや と、あっちやらこっちやらに売られ売られてきたような会社のようだ。(株)やまや は、《やまやはイオングループの一社であるため、広い意味では16年ぶりにイオングループに復帰したことになる。 》ようで、「一周まわって元の位置~♪」・・てこと・・・? それだけ、買い取った会社が簡単に手放すということは、たいして重視されてないということなのか・・? 〕
  「ファーストグルメ」という名称は、マクドナルド、モスバーガー、ケンタッキー・フライド・チキン、ミスタードーナツなどそういう店と同様の店かと思わせる店名であり、店の外観も内装もそういったマクドナルドかモスバーガーかのような外観でしつらえで、店員の制服もそういうものだったのです。ところが、出てくる食事の内容はハード。ボリュームのあるもので、およそ、「ファーストフード」ではないのです。ファーストフードの店をやりたかったのか、それとも、ボリュームのある肉料理を出す店をやりたかったのか、いったいどっちなのか? そのあたりを、まず、社長は自分がどっちのつもりだったのか、はっきりとさせる必要があります。  「相当ボリュームのある食事を比較的安い値段で出す店」ということなら、それは悪くないと思いますが、それならば、店名もそのような名称にして、店の外観や内装もそのようなものにするべきです。店の名称や外観・内装をファーストフードのものにするのならば、そこで出すものもまた、ファーストフードの内容にするべきです。そのアンバランスというのか、不一致な点が、客にとまどいを起こさせており、ファーストフードを期待してきた人も違和感を覚え、ボリュームのある食事を食べたいと思った人は他に入った、ということが考えられます。
(2)
 そして、私は入社する前からこういった点に気づいていたにもかかわらず、人材開発部の友常が「あれ、いいでしょおお~お」などとアホなことを言っていたのです。そんなこと、言ってるようなことだからだめなんだよ!!!
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( ↑ 無敵の芹沢名言10ー第3言
「いいものなら売れるという考え方は捨てろ」 )
( ↑ 「ビッグコミック スペリオール」2020年2月28日号 )
(3) そして、「メニューに夏向きのものがない」という点。「冷やし中華、始めました」とかやると、案外、良かったかもしれんよ(^^)/ 
 大船店の様子を見てきてくれと言われて行くと、店の前で店長が通行人に、一生懸命、サービス券を配っているのです。ところが、あんまり、人は入っていない。「苦しいですよ、特に、夏は、うちのメニューは夏向きじゃないですから」と店長は言う。そうですよね。普通、社長ならそのあたり、気づいて当然ですよね。なんで、社長の和泉さんはその程度のこともわからんのでしょうかねえ。「今年は、甲子園球場のお客さんの入りが良くないんですよお。いったい、どうしたんでしょうかねえ」と阪神の球団職員の人が言ってました、と言われて、江本孟紀が「はあ~あ? わかりませんかねえ~え。ぼくはなんでか知ってますよ、なんでか。わからんのでしょうかねえ。そんなもん、いくらなんでも、ここまで、ボロクソに負けまくったらもう、いいかげん、見に行くの、嫌になりますよ、もう。いくらなんでもお」と発言したように、まさに、そんな感じ。 社長の和泉さんは「なんでかなあ。ファーストフードの店、うまくいかんなあ。どうしてだろうなあ」などと建設部の会議で何度も口にするのでしたが、「わかりませんかねえ。こんなことが」・・・と思いました。あんた、もしかして、アホとちゃう~う? と思いましたが、言うと怒るでしょうけれども、それでも、なんとかしたいという気持はある人だと私は思ったので、何とかする方法を聞かせてあげたい・・と思ったのでしたが、聞くのは嫌だったのかもしれませんね。ですから、チムニー(株)は上場廃止したようですが会社は今もあるものの、「ファーストグルメ」という飲食店は廃止しましたね。そんな、言ってみれば、最初からだめになる方法で始めて何ら対処せずにやめてしまうのなら、そんなことなら最初からやらなきゃいいのに、よっぽどアホみたいやなあ・・・・て感じでした。
  「冷やし中華 はじめました」でも何でも、ともかく、「夏向きのメニュー」というものを、何か考えた方が良かったと思いますよ。夏のくそ暑い時に、「どうも、食欲もわかんから、今回はファーストフードくらいにしてすませておくかあ~あ」とか思って「ファーストグルメ」という店に入ったら、そこには、無茶苦茶ボリュームのある肉料理しかメニューにない!!! て、「なんだ、この店は」と思うのじゃないですか。そのくらい、わからんかなあ~あ・・と思うのですが、メカケのおばはんの言うことはきいても私の言うことはきかん男・・はどうしようもないなあ・・と考えるべきだったのか・・・。会社をよくしようという気持が全然ない人でもなかったと思うのだが、残念です。  
   ・・・自分の会社の店を「高山風」だとチムニー(株)の経営者は思っていたらしいのですが・・・、高山が迷惑するんじゃないか・・て気がしないでもない・・・。

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↑ 高山別院照蓮寺の門を横から(正面から見て左側から)(西側から)見たもの。正面側から見た印象と横から見た印象は少々違う。門の内側を駐車スペースとしているので、クルマが通行できるように門の脇に塀はなく、真横から見える。

  今回、訪問した時は1月も2月もそれほど寒くはなかったのですが、高山別院照蓮寺のトイレの水道を見ると ↓ 、
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↑ のように断熱材が相当堅固にまかれていますので、冬場、寒い時は相当の寒さになるということなのかもしれません。

  高山別院の鐘楼のまわりは参拝者用駐車場になっているのですが・・・、
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↑ 「落雷注意」か? まわりが平坦な所、この高山別院の鐘楼のようにまわりは駐車場で建物はないという場合、雷が落ちるのは周囲より背の高い建物なので、雷雨の時にはその建物の下にいてはだめだ・・ということか? そういえば、内田康夫『はちまん(下)』では、ゴルフ場で雷雨が降ってきた時、キャディーさんが「木の下にいてはだめ~」と叫んでいるのを無視して木の下で雨宿りをしたおっさんが落雷で焼死した、という話が載っていたが、鐘楼に雷が落ちる危険があるということかあ? ・・・なんて思ってよく見ると、「落雷注意」ではなく「落雪注意」だった。
「落雪注意
ここは落雪のおそれがありますので駐車できません。
    高山別院 」
と書かれている。行った時は雪は積もっていなかったが、積雪があった後は、鐘楼のすぐ近くにクルマを停めると、鐘楼の屋根の上から雪の塊が落ちてくることがある、ということか。
  同様の注意喚起の表示は飛騨の里の旧若山家住宅でも見た。↓
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↑ 飛騨の里 旧若山家住宅
「 軒下をお通りください。屋根からの落雪にご注意ください。
Please walk under the roof. Watch out for falling snow. 」
  高山市総和町、西小学校の南側の不遠寺でも、↓
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↑ 高山市総和町 不遠寺
「  落雪注意
  ここから中へ入らないでください。」


  《高山市 高山別院寺宝館》http://kankou.city.takayama.lg.jp/2000002/2000026/2000218.html によると、寺宝館の見学は、午前9時~午後3時 らしい。

  《ウィキペディアー真宗大谷派》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE には、《 2017年(平成29年)4月26日、東本願寺の職員2人に、過去数年間サービス残業(多い時で月130時間以上)をさせていたとし、未払いの残業代約660万円を支払ったことを明らかになった。2人は寺の研修施設「同朋会館」に宿泊する門徒の世話を担当する「補導」と呼ばれる職員で、寺によると、1973年(昭和48年)に「補導」には残業代を一切支払わないとする違法な取り決めをしていた[122][123]。また全国の教務所でも、残業時に必要な労働基準法第36条に基づく労使協定(三六協定)を結ばずに、職員に違法な残業を行わせていたこと、本山宗務所の残業についても労使協定を結んだ「真宗大谷派職員組合」が、協定が法的効力を持つために必要な「労働者の過半数で組織する労組」に該当しないため、本山の残業も労基法に抵触している可能性があること、2016年(平成28年)12月に、本山を管轄する京都下労働基準監督署から「臨検」と呼ばれる任意の立ち入り調査を受け、職員の労働時間を適正に管理していないとして、行政指導を受けたことが明らかになった。》と出ている。
  私が三流以下企業にばっかり勤めてきたからか、私は今までなんとも情けない「サービス残業」をやりまくってきた・・というのか、させられまくってきた。東本願寺は「サービス残業」の賃金を払ったようだが、私なんか、ちっとも払ってもらってない (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は、初代社長の大澄賢二郎が「お世話になった浜松に恩返しをしたい」などとまるで浜松市以外の都道府県・市町村には世話になってないみたいな文句を言って、浜松市に300億円を「防潮堤の費用」と称して行政に「寄付」したらしく、浜松市長で慶應大学ア法学部卒の鈴木康友が大喜び、2011年に福島第一原発事故の直後、静岡県産茶葉の放射線量検査を拒否して人によってはそれが原因で「不誠実な商品」である静岡県産農産物は買わない・食べない方がいいと考えた人も出たかもしれない川勝平太が大絶賛したようだったが、そのカネはどうやって生じたカネなのか? まがりなりにも、市長とか知事とかになっている人間なら考えないとおかしいはずである。そのカネは労基法違反の「サービス残業」させまくって、本来なら払っていないといけないカネを払わずにため込んだカネであろうが。そのカネの「おすそわけ」を浜松市は「おもてなし♪」してもらったわけじゃないか。鈴木康友はさすがは慶応大ア法学部卒だけあって、そのあたりの認識が欠落している人間のようだ。浜松市が「防潮堤の費用」だか何だかいう名目で「寄付」してもらったそのカネは、本来なら俺のカネである!!! 俺たち、従業員・元従業員のカネを浜松市が掠め取ったのである。鈴木康友、違うというのならどう違うのか、ぜひとも説明してもらいたいものである。

  次回は、13.高山別院でない方の光「耀」山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html

  (2020.2.23.)

☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。〔今回〕
13.高山別院でない方の光「耀」山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html 
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html

☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 

☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html 
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html

☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht

歎異抄 (岩波文庫 青318-2) - 金子 大栄
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レビットのマーケティング思考法―本質・戦略・実践 - セオドア レビット, Levitt,Theodore, 坤, 土岐, DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部
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美濃・飛騨の伝説 (1979年) (日本の伝説〈34〉) - 長倉 三朗, 早船 ちよ
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