高山城址 城山公園の光「耀」山照蓮寺。書院造風の本堂(重文)というが雪でよくわからん。太鼓堂はユニーク。
[第746回]高山シリーズ6回(13)
なんともややこしいことに、岐阜県高山市には「照蓮寺」という名前の寺が2つあって、両方とも真宗大谷派であり、山号も「光よう山」。しかも、「平成の大合併」で無茶苦茶広い市になった高山市の端と端にあるのならともかく、歩いてそれほど遠くない場所、南北に800mくらいの距離という場所にあるわけで、実にややこしい。『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』(2014.JTBパブリッシング)では、北側、安川通りから北に入った所にある「光曜山 照蓮寺」を「高山別院」と表記し、南側、高山城址の城山公園の北の方、護国神社の南側(山側)にある方を「照蓮寺」と書いていますが、「高山別院」もまた「照蓮寺」であり、実にややこしい。
その「光曜山照蓮寺」の「高山別院の方」を前回、述べましたが、今回は「高山別院でない方の光耀山照蓮寺」です。
照蓮寺の「高山別院でない方」は、
《 電源開発KKの御母衣ダム建設により湖底に沈むことになったため、》当時の行政区画で荘川村中野(現在、高山市荘川町中野)から、《昭和35年(1960年)に高山の城山公園に移されたのである。》(吉野準『飛騨への旅』1970.創元社)。
《かつては、現在の高山別院の照蓮寺と同一の寺だったが、今は区別するために中野照蓮寺とも呼ばれている。》(『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』2014.5.1.JTBパブリッシング)というが、現在では、今は高山市になった高山市荘川町中野にあるわけではない。
荘川村は、庄川の流域にあって、飛騨地方では、高山市の飛騨一之宮のあたりから北に宮川が流れ、富山県に入ると神通川と名前を変えて富山湾に注ぎ、久々野のあたりから南に飛騨川が流れ、飛騨川は木曽川に合流しますが、飛騨地方でも西の方では、庄川が北に流れて白川村を経て富山県に入り、富山湾に注ぎますが、旧荘川村より南側では、長良川が南に流れているのですが、地図で見ると宮川と飛騨川は「あとちょっとでくっつきそう」ですが、庄川と長良川はその間に「ひと山」あるようです。郡上八幡や美濃白鳥といったあたりの「奥美濃」地方は、岐阜・大垣・羽島などの西美濃や中津川・恵那あたりの東美濃とはかなり違い、むしろ、飛騨の方に雰囲気は近いのではないかと思えないこともないのですが、飛騨ではなく美濃になっているのは、庄川と長良川の間に「ひと山」あるというあたりが理由なのかな? なんて地図を見て思いました。
「宮川+飛騨川」の流域と庄川の流域とでは、その間には「ひと山もふた山も」あるように思ったのですが、「平成の大合併」の際、荘川村は同じ庄川の流域である白川村とくっつくのではなく高山市とくっついたようです。くっつくのなら強大な方にくっついた方がいいという判断なのか、庄川流域として白川村とくっついても、知名度では「白川村」の方が上なので、荘川村が白川村とくっついても埋没してしまうと判断したのか、もしくは、ダム湖の底に水没することになる地域の住民の転居先が旧高山市域が多かったからなのか、実際にどうだったのか、よくわかりませんが、今は荘川村は高山市の方とくっついて、高山市荘川町 になったようです。悪いとは言いませんが、丹生川村とか国府町とかが高山市とくっついて高山市の一部分になった、というと、なるほど、近いものなあ・・と思うのですが、荘川村まで高山市と言われると、「え、そこまで・・」という気がしないでもありません。さらに、乗鞍岳の西半分が高山市になったなんて言われると、なんかこう~、これも悪いとは別に言いませんが、なんだか、違和感があります。今では岐阜県高山市と長野県松本市が隣接するようになったようですが、乗鞍岳の西側が高山市で東側が松本市て、ほんと、悪いとは言いませんが、なんと言いましょうか、どうも、「気持ちの整理がつかない」みたいな感覚があります。
かつての荘川村中野とは高山市荘川町のどのあたりなのだろうと思ったのですが、高山市荘川町中野 という地名は今も存在し、御母衣ダムでできた御母衣湖の西側の地域のようです。さらに、荘川村中野で再建される前、「照蓮寺」ではなく「正連寺」と称していた時、白川郷の鳩ケ谷にあった、というのですが、白川村鳩ケ谷というと、合掌造りで有名な岐阜県大野郡白川村の、荻町より少し北のあたり、白川村の村役場があるあたりが大野郡白川村鳩谷(はとたに)ですが、鳩ケ谷というのは、白川村鳩谷(はとたに)のあたりを言うのでしょうか、それとも、別の場所なのか・・・。
護国神社の西側の坂道を登りますと ↓ 、

↑ 左右に道が分かれますが、左に行くと「二の丸児童遊園地」があって、殿様の騎馬武者姿で立っておられるような絵が描かれています。右に行くと、「号砲平」、あずまやがあるようです。 どちらからまわっても、城山公園、旧高山城址を巡ることはできるようですが、訪問した2月11日は前日に雪が降って積もっており、雪の翌日に初めて行く山岳部に行って、「天は我々を見放したかあ~あ」・・・なんてことになっても困る。・・いや、それよりも、護国神社の左の端(東の端)に表示が出ていたのだが、2019年、護国神社の背後の公園に、クマが現れた・・・というのだ。タヌキならでてもいいが、シカならシカたないとしても、サルが出たらさっさとサルとして、クマなんて出たら・・クマってしまうがな・・なんて言ってる場合じゃないのだ。クマというのは「クマのプーさん」の縫いぐるみみたいな存在ではなく猛獣なのだ。だから、山岳部に立ち入るのなら、天候のいい日で、他にも周囲に人がそれなりにいるような時でないと、クマなんて出たら、ほんと、クマっちゃ~う~なあ~あ♪ なんて言うてる場合じゃないんだわ・・・・。
それで・・・、とりあえず、右側の道を行くと ↓ 、

↑ この、光耀山 照蓮寺の門前だが、吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)には「照蓮寺 門前」として、石やら樹木やらがある庭園のような写真が掲載されているのだが、ところが、雪でそれらが埋まっていたというだけではないと思うのだ、今は駐車場みたいになっている。
『アイじゃぱん31 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1.るるぶ社)には、
《 1253年(建長5年)に白川郷に創建された古刹。御母衣ダムの建設で水没した荘川村から高山城二の丸跡に移築されたもの。・・》
と出ている。護国神社のあたりが高山城の三の丸で、この照蓮寺のあたりが二の丸だったということらしい。


↑ 《 本堂以外に見るべきものとしては、天正2年(1574年)建築の 勅使門、建武元年(1334年)鋳造の梵鐘、享保10年(1725年)建築の太鼓堂などがある。》(吉野準『飛騨への旅』1970.創元社)という《天正2年(1574年)建築の 勅使門》というのは ↑ のことなのか、それとも他の門が別にあるのか? 勅使門ならば、私のような庶民は通っちゃいかんのだろうが、そうだから、この門の正面は閉められていて、横の勝手口みたいな小さい出入口から入れてもらえた、ということなのだろうか。吉野準『飛騨への旅』1970.創元社)に掲載されている写真では、正面の部分も開けられていて通らせてもらえそうに見えるが。
↑ 左の石碑には、「光耀山 照蓮寺」と書かれている。 あれ? 高山別院の照蓮寺とこの城山公園の照蓮寺は、どちらも「光曜山 照蓮寺」だと思っていたが、この城山公園の照蓮寺は「光耀山 照蓮寺」と石碑に書かれている。あれ?
高山別院の方はというと、

( ↑ 「高山別院の方の照蓮寺」の門。 )
↑ 高山別院の照蓮寺の門の額には「光曜山」と書かれている。一字、文字が違うようだ。
寺の内側に入ると、左手に鐘楼 ↓

↑ 高山の寺というのは、大きな鐘楼がある寺が多いが、それらから比較すると大きい方ではない・・が、《 本堂以外に見るべきものとしては、天正2年(1574年)建築の直視紋、建武元年(1334年)鋳造の梵鐘、享保10年(1725年)建築の太鼓堂などがある。》(吉野準『飛騨への旅』1970.創元社)の《建武元年(1334年)鋳造の梵鐘》が ↑ か。
そして、正面に ↓


↑ 吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)には、
《 連想ゲームではないが、白川郷と言えば合掌造り、とくるのがおおかたのイメージであろう。もちろん、それでまちがいではない。しかし、白川郷には、合掌造りのイメージとはおよそかけ離れた不思議な存在が一つあったのである。光耀山照蓮寺という古い書院造り風の寺のことだ。
・・・
城山の中腹にある照蓮寺の門をくぐると、正面に書院造り風の本堂(重要文化財)がある。建立は、室町時代の永正元年(1504年)。浄土真宗の本堂としては、最古のものだといわれる。また、寺で書院造りというのが珍しい。書院造りとは、この時代に始まった武家住宅の様式である。勾配のゆるやかな屋根の形は、合掌家屋とくらべて対照的。優美な曲線をえがきながら、ゆるやかに伸びきっている。そこには<寺>という言葉から受けるマッコウ臭い感じが全く見あたらないのである。
幅広い濡縁に囲まれた本堂の中は、7間四方の畳敷き。広いけれどもやはり住宅風の造りである。仏壇はずっと後方に押しやられて、礼拝の座が大半を占めている。これは、一つには、住職とできるだけ多くの信徒たちが文字通り膝をつき合わせて話ができるようにという配慮らしい。対話の座でもあったわけである。》
と書かれている重要文化財に指定されている「本堂」が ↑ 、《一本の大杉を使って建てられたと伝わる書院造の本堂》と現地の説明書きに書かれているものなのだが、たしかに、《合掌家屋とくらべて対照的》で《勾配のゆるやかな屋根の形は、・・・優美な曲線をえがきながら、ゆるやかに伸び切っている》。
やはり、「雪の高山」は風情があるものの、建築探偵団としては、雪の時にどのようになるかを見ることはできても、建物そのものは雪がない時の方がどういうものかわかりやすい。 また、雪のない時にもう一度、来るといいかもしれない。
「栩(とち)葺形銅板葺き(とちぶきがたどうばんぶき)」と現地の説明書きに書かれているが、雪の積もった屋根が栩(とち)なのか銅板なのかは見てもわからない。現地の説明書きに出ている写真を見ると、先端が銅板葺きではないかという感じだが。
《 ところで、このみやびやかな美しさはどこからきたものであろうか。飛騨のはずれの山奥に東山文化の枠を集めた建物がつくられたのは、まことに不思議なことといわねばなるまい。あるいは、当時、白川郷には京風の文化が存在したのかもしれない。
しかし、それを推定させるようなものは、この寺以外には何もない。照蓮寺が建立されてから80年ほど後、白川郷一帯には未曾有の大地震がおそったことがある。このとき、部落はほとんど全滅したが、照蓮寺だけが難をのがれている。当時存在していた京文化は照蓮寺だけを残して消え去ったのかもしれない。 》と吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)には書かれているのだが、高山の町屋では、吉島家住宅など「京風」というのか「数寄屋風」「茶室風」というのかの要素があると思うし、陣屋の造りなどにもあか抜けたものがあると思うのだが、京風のものは周囲に見られず、「東山文化の粋を集めた建物」が周囲とは異なるというのは飛騨でも白川郷や庄川流域のことを言っているのではないか。
外から見て、本堂よりも気になった建物が ↓

これ ↑ は何だろうか?

内部に入って見ると、↓

↑ 《 本堂以外に見るべきものとしては、天正2年(1574年)建築の 勅使門、建武元年(1334年)鋳造の梵鐘、享保10年(1725年)建築の太鼓堂などがある。》(吉野準『飛騨への旅』1970.創元社)という「太鼓堂」が ↑ ということか。
ところで、太鼓堂、もしくは、鼓楼というのは神社にあるものということはないか? ここは寺だったはずだが・・と思ったのだが、鐘楼がなくて鼓楼があるのではなく、鐘楼もあるのだ。 [第659回]《大國魂神社【4/6】手水舎・随神門・鼓楼・宝物殿・神楽殿。「軍艦多摩慰霊碑」、慰霊はあくまで慰霊で》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201901article_4.html で述べたが、東京都府中市の大國魂神社に行った時、神社のはずなのに鐘楼のようなものがあるが・・と思ってよく見ると、鐘ではなく太鼓だった、鐘楼ではなく鼓楼だった・・ということがあった。この「高山別院ではない方の照蓮寺」には、鐘楼と鼓楼の両方があるということ??? あって悪いということもないかもしれないが、寺というと鐘楼はあっても、鼓楼は初めて見た・・・。
照蓮寺の開基は「嘉念坊 善俊」。 《 1588年(天正16年)、光曜山照蓮寺の移転後も、正蓮寺開基善俊の墓と本堂が残り、「照蓮寺掛所心行坊」として存続する。》(《ウィキペディアー照蓮寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A7%E8%93%AE%E5%AF%BA という本堂と「善俊の墓」を御母衣ダムの建設により荘川村中野の照蓮寺の場所が湖底に沈むことになって高山市の城山公園に移したということで、その本堂が ↑ の写真では雪に覆われて見えにくいが、重要文化財に指定されている「書院造り風」という建物で、「善俊の墓」が、本堂に向かって左側、鐘楼よりも本堂の側にある ↓


・・ということか。
吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)には、《 広いけれどもやはり住宅風の造りである。仏壇はずっと後方に押しやられて、礼拝の座が大半を占めている。これは、一つには、住職とできるだけ多くの信徒たちが文字通り膝をつき合わせて話ができるようにという配慮らしい。対話の座でもあったわけである。》と書かれているが、「拝観と御朱印はしばらく休ませていただきます。」と書かれた貼り紙があった。吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)では、「拝観料 100円」、『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』(2014.JTBパブリッシング)では「拝観料 200円」と書かれているのだが、1970年から2014年まで、44年のうちに、100円から200円に変わったのだろうけれども、今回は門より内側へは1円も払わないけれども入らせてもらえたが、かつては「拝観と御朱印はしばらく休ませていただきます。」というのは、拝観料を払えば本堂の内部も見学させてもらえた、ということなのかもしれない。 200円というのは、拝観料としては安いと思うのだ。今回、見回すと、本堂は重要文化財に指定されているということだが、本堂にしても太鼓堂にしても、かなり、痛んできているように思う。拝観料をもう少し高くしてもいいから、それで維持管理に費用をかけた方がいいのではないか、と思った。特に夏場などは「さんまち」というあたりは人出がかなりあるが、そこから城山公園の方には、少々、坂道を登ることになるからか、それほど多く人は来ないのかもしれないが、「京風の」「書院造り風」と言っても、このままでは、朽ちてしまいそうで心配だ。
吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)には、
《 もう一つ、この寺で見落としてならないものがある。千重(せんよ)のツツジと呼ばれる古木だ。白川郷から寺といっしょに移植されたもので、樹齢約800年と推定される。
昔、平家の落武者が白川郷にかくれ住んだとき、この千重のツツジをながめながらわびしさに堪えたという話が伝わっている。・・》
と出ているのだが、どれのことかわからなかった。
《明治時代の心霊研究者で、映画『リング』に登場する伊熊博士のモデルになったといわれる、福来(ふくらい)友吉に関する個人資料館。・・》(『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』2014.JTBパブリッシング)、《高山出身の超心理学者・福来友吉(ふくらいともきち)博士の研究資料や遺品を展示。博士は1910年(明治43年)に初めて念写(透視現象)の実験を行った。館内には超能力者が念写したという月の裏側の写真など、不思議な現象の資料を数多く紹介している。》(『アイじゃぱん31 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』2004.3.1.るるぶ社)という「福来博士記念館」が、「城山公園の方の照蓮寺」の前あたりにあるということだったが・・・、『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』2014.JTBパブリッシング)には《照蓮寺のすぐそばにある、小さな平屋建の資料館》と書かれているが、うかつに「心霊研究に生涯をかけた博士の軌跡」なんて見学に行って、「なにか、よお~おかい」なんて言って妖怪が出てきたりしたら困るな・・とか思ったが、出てくるかどうか以前にどの建物のことかよくわからなかった。照蓮寺には、「福来博士記念館は高山市国府町・・に移転しました」と出ていたから、移転したのだろう。
2011年発行の『アイじゃぱん31 飛騨高山・奥飛騨・白川郷』(るるぶ社)には、福来博士記念館の入場料金は、「200円(照蓮寺と共通)。」と書かれている。それが、2014年発行の『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』(JTBパブリッシング)では、福来博士記念館は「入館無料」で、照蓮寺は「拝観200円」に変わっている。そして、この2020年、福来博士記念館は国府町に引越したらしい。
浄土真宗の照蓮寺にとっては、「心霊研究」「念写」「超能力」といったものは、一般的には相容れないはずなのに、なぜ、2011年の時点で、照蓮寺と「心霊研究」の展示館が入場料金が「共通」だったのか。近所にあるだけ、ということなら、神社の裏にキリスト教の教会があったりすることは珍しくもないことだし、あることだと思うが、入場料金を浄土真宗の寺の拝観料と「心霊研究」「念写」「超能力」の展示館とが「共通」ということだと、浄土真宗の寺の方が衰退することになるのではないか・・・と思ったのだが、城山公園の方の照蓮寺は、どうも、さびれた感じがする。「城山公園の照蓮寺」にとっては、福来博士記念館が国府町に転居した、というのは良かったのではないかと思う。 「心霊研究」「念写」「超能力」といったものがいい悪いということとは別の問題として、浄土真宗とは相容れないはずなのに、それがセットになっているというのは、本来的ではなかった、と思うからだ。だから、両方にとって、分かれて良かったと思う。
「城山公園の方の照蓮寺」は高山城址の中腹というが、まだまだ上がありそうな感じだったが、雪山に登って「天は我々を見放したかあ~あ」なんてなっても困るし、クマなんて出てきたらクマってしまうしするので、照蓮寺より上には行かなかったが、それほど無茶苦茶坂を登ったようにも思わなかったが、けっこう見晴らしはいい♪・・・が、もう少し上には「あずまや」とかあるらしいので、もしかすると、そこからは展望が開けるようになっているのかもしれないが、照蓮寺付近からは、樹木の隙間から見ることになるので、完璧な展望ではない・・が、

↑ どれが何か、いまひとつ、よくわからないが、「赤い橋」は高山陣屋のすぐ東側で宮川にかかる「中橋」だと思う。

( ↑ 中橋。 )
どうも、今回の写真は写りが良くないように思ったが、撮影の条件の設定を間違えたかもしれない。ひとつの可能性として、前夜、日没後に撮影するために、「手持ち、夜景」に設定して、その後、元に戻し忘れて撮影してしまった可能性が考えられる。
「クマのプーさん」と出会うことはなかった。よかった(^^)/
次回は、護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
(2020.2.24.)
☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光「耀」山照蓮寺。〔今回〕
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html
☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html
☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht

親鸞 (岩波新書 青版 853) - 野間 宏

歎異抄入門 (カッパ・ブックス) - 本多 顕彰

出家とその弟子 (新潮文庫) - 百三, 倉田
なんともややこしいことに、岐阜県高山市には「照蓮寺」という名前の寺が2つあって、両方とも真宗大谷派であり、山号も「光よう山」。しかも、「平成の大合併」で無茶苦茶広い市になった高山市の端と端にあるのならともかく、歩いてそれほど遠くない場所、南北に800mくらいの距離という場所にあるわけで、実にややこしい。『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』(2014.JTBパブリッシング)では、北側、安川通りから北に入った所にある「光曜山 照蓮寺」を「高山別院」と表記し、南側、高山城址の城山公園の北の方、護国神社の南側(山側)にある方を「照蓮寺」と書いていますが、「高山別院」もまた「照蓮寺」であり、実にややこしい。
その「光曜山照蓮寺」の「高山別院の方」を前回、述べましたが、今回は「高山別院でない方の光耀山照蓮寺」です。
照蓮寺の「高山別院でない方」は、
《 電源開発KKの御母衣ダム建設により湖底に沈むことになったため、》当時の行政区画で荘川村中野(現在、高山市荘川町中野)から、《昭和35年(1960年)に高山の城山公園に移されたのである。》(吉野準『飛騨への旅』1970.創元社)。
《かつては、現在の高山別院の照蓮寺と同一の寺だったが、今は区別するために中野照蓮寺とも呼ばれている。》(『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』2014.5.1.JTBパブリッシング)というが、現在では、今は高山市になった高山市荘川町中野にあるわけではない。
荘川村は、庄川の流域にあって、飛騨地方では、高山市の飛騨一之宮のあたりから北に宮川が流れ、富山県に入ると神通川と名前を変えて富山湾に注ぎ、久々野のあたりから南に飛騨川が流れ、飛騨川は木曽川に合流しますが、飛騨地方でも西の方では、庄川が北に流れて白川村を経て富山県に入り、富山湾に注ぎますが、旧荘川村より南側では、長良川が南に流れているのですが、地図で見ると宮川と飛騨川は「あとちょっとでくっつきそう」ですが、庄川と長良川はその間に「ひと山」あるようです。郡上八幡や美濃白鳥といったあたりの「奥美濃」地方は、岐阜・大垣・羽島などの西美濃や中津川・恵那あたりの東美濃とはかなり違い、むしろ、飛騨の方に雰囲気は近いのではないかと思えないこともないのですが、飛騨ではなく美濃になっているのは、庄川と長良川の間に「ひと山」あるというあたりが理由なのかな? なんて地図を見て思いました。
「宮川+飛騨川」の流域と庄川の流域とでは、その間には「ひと山もふた山も」あるように思ったのですが、「平成の大合併」の際、荘川村は同じ庄川の流域である白川村とくっつくのではなく高山市とくっついたようです。くっつくのなら強大な方にくっついた方がいいという判断なのか、庄川流域として白川村とくっついても、知名度では「白川村」の方が上なので、荘川村が白川村とくっついても埋没してしまうと判断したのか、もしくは、ダム湖の底に水没することになる地域の住民の転居先が旧高山市域が多かったからなのか、実際にどうだったのか、よくわかりませんが、今は荘川村は高山市の方とくっついて、高山市荘川町 になったようです。悪いとは言いませんが、丹生川村とか国府町とかが高山市とくっついて高山市の一部分になった、というと、なるほど、近いものなあ・・と思うのですが、荘川村まで高山市と言われると、「え、そこまで・・」という気がしないでもありません。さらに、乗鞍岳の西半分が高山市になったなんて言われると、なんかこう~、これも悪いとは別に言いませんが、なんだか、違和感があります。今では岐阜県高山市と長野県松本市が隣接するようになったようですが、乗鞍岳の西側が高山市で東側が松本市て、ほんと、悪いとは言いませんが、なんと言いましょうか、どうも、「気持ちの整理がつかない」みたいな感覚があります。
かつての荘川村中野とは高山市荘川町のどのあたりなのだろうと思ったのですが、高山市荘川町中野 という地名は今も存在し、御母衣ダムでできた御母衣湖の西側の地域のようです。さらに、荘川村中野で再建される前、「照蓮寺」ではなく「正連寺」と称していた時、白川郷の鳩ケ谷にあった、というのですが、白川村鳩ケ谷というと、合掌造りで有名な岐阜県大野郡白川村の、荻町より少し北のあたり、白川村の村役場があるあたりが大野郡白川村鳩谷(はとたに)ですが、鳩ケ谷というのは、白川村鳩谷(はとたに)のあたりを言うのでしょうか、それとも、別の場所なのか・・・。
護国神社の西側の坂道を登りますと ↓ 、

↑ 左右に道が分かれますが、左に行くと「二の丸児童遊園地」があって、殿様の騎馬武者姿で立っておられるような絵が描かれています。右に行くと、「号砲平」、あずまやがあるようです。 どちらからまわっても、城山公園、旧高山城址を巡ることはできるようですが、訪問した2月11日は前日に雪が降って積もっており、雪の翌日に初めて行く山岳部に行って、「天は我々を見放したかあ~あ」・・・なんてことになっても困る。・・いや、それよりも、護国神社の左の端(東の端)に表示が出ていたのだが、2019年、護国神社の背後の公園に、クマが現れた・・・というのだ。タヌキならでてもいいが、シカならシカたないとしても、サルが出たらさっさとサルとして、クマなんて出たら・・クマってしまうがな・・なんて言ってる場合じゃないのだ。クマというのは「クマのプーさん」の縫いぐるみみたいな存在ではなく猛獣なのだ。だから、山岳部に立ち入るのなら、天候のいい日で、他にも周囲に人がそれなりにいるような時でないと、クマなんて出たら、ほんと、クマっちゃ~う~なあ~あ♪ なんて言うてる場合じゃないんだわ・・・・。
それで・・・、とりあえず、右側の道を行くと ↓ 、

↑ この、光耀山 照蓮寺の門前だが、吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)には「照蓮寺 門前」として、石やら樹木やらがある庭園のような写真が掲載されているのだが、ところが、雪でそれらが埋まっていたというだけではないと思うのだ、今は駐車場みたいになっている。
『アイじゃぱん31 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.3.1.るるぶ社)には、
《 1253年(建長5年)に白川郷に創建された古刹。御母衣ダムの建設で水没した荘川村から高山城二の丸跡に移築されたもの。・・》
と出ている。護国神社のあたりが高山城の三の丸で、この照蓮寺のあたりが二の丸だったということらしい。

↑ 《 本堂以外に見るべきものとしては、天正2年(1574年)建築の 勅使門、建武元年(1334年)鋳造の梵鐘、享保10年(1725年)建築の太鼓堂などがある。》(吉野準『飛騨への旅』1970.創元社)という《天正2年(1574年)建築の 勅使門》というのは ↑ のことなのか、それとも他の門が別にあるのか? 勅使門ならば、私のような庶民は通っちゃいかんのだろうが、そうだから、この門の正面は閉められていて、横の勝手口みたいな小さい出入口から入れてもらえた、ということなのだろうか。吉野準『飛騨への旅』1970.創元社)に掲載されている写真では、正面の部分も開けられていて通らせてもらえそうに見えるが。
↑ 左の石碑には、「光耀山 照蓮寺」と書かれている。 あれ? 高山別院の照蓮寺とこの城山公園の照蓮寺は、どちらも「光曜山 照蓮寺」だと思っていたが、この城山公園の照蓮寺は「光耀山 照蓮寺」と石碑に書かれている。あれ?
高山別院の方はというと、

( ↑ 「高山別院の方の照蓮寺」の門。 )
↑ 高山別院の照蓮寺の門の額には「光曜山」と書かれている。一字、文字が違うようだ。
寺の内側に入ると、左手に鐘楼 ↓

↑ 高山の寺というのは、大きな鐘楼がある寺が多いが、それらから比較すると大きい方ではない・・が、《 本堂以外に見るべきものとしては、天正2年(1574年)建築の直視紋、建武元年(1334年)鋳造の梵鐘、享保10年(1725年)建築の太鼓堂などがある。》(吉野準『飛騨への旅』1970.創元社)の《建武元年(1334年)鋳造の梵鐘》が ↑ か。
そして、正面に ↓


↑ 吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)には、
《 連想ゲームではないが、白川郷と言えば合掌造り、とくるのがおおかたのイメージであろう。もちろん、それでまちがいではない。しかし、白川郷には、合掌造りのイメージとはおよそかけ離れた不思議な存在が一つあったのである。光耀山照蓮寺という古い書院造り風の寺のことだ。
・・・
城山の中腹にある照蓮寺の門をくぐると、正面に書院造り風の本堂(重要文化財)がある。建立は、室町時代の永正元年(1504年)。浄土真宗の本堂としては、最古のものだといわれる。また、寺で書院造りというのが珍しい。書院造りとは、この時代に始まった武家住宅の様式である。勾配のゆるやかな屋根の形は、合掌家屋とくらべて対照的。優美な曲線をえがきながら、ゆるやかに伸びきっている。そこには<寺>という言葉から受けるマッコウ臭い感じが全く見あたらないのである。
幅広い濡縁に囲まれた本堂の中は、7間四方の畳敷き。広いけれどもやはり住宅風の造りである。仏壇はずっと後方に押しやられて、礼拝の座が大半を占めている。これは、一つには、住職とできるだけ多くの信徒たちが文字通り膝をつき合わせて話ができるようにという配慮らしい。対話の座でもあったわけである。》
と書かれている重要文化財に指定されている「本堂」が ↑ 、《一本の大杉を使って建てられたと伝わる書院造の本堂》と現地の説明書きに書かれているものなのだが、たしかに、《合掌家屋とくらべて対照的》で《勾配のゆるやかな屋根の形は、・・・優美な曲線をえがきながら、ゆるやかに伸び切っている》。
やはり、「雪の高山」は風情があるものの、建築探偵団としては、雪の時にどのようになるかを見ることはできても、建物そのものは雪がない時の方がどういうものかわかりやすい。 また、雪のない時にもう一度、来るといいかもしれない。
「栩(とち)葺形銅板葺き(とちぶきがたどうばんぶき)」と現地の説明書きに書かれているが、雪の積もった屋根が栩(とち)なのか銅板なのかは見てもわからない。現地の説明書きに出ている写真を見ると、先端が銅板葺きではないかという感じだが。
《 ところで、このみやびやかな美しさはどこからきたものであろうか。飛騨のはずれの山奥に東山文化の枠を集めた建物がつくられたのは、まことに不思議なことといわねばなるまい。あるいは、当時、白川郷には京風の文化が存在したのかもしれない。
しかし、それを推定させるようなものは、この寺以外には何もない。照蓮寺が建立されてから80年ほど後、白川郷一帯には未曾有の大地震がおそったことがある。このとき、部落はほとんど全滅したが、照蓮寺だけが難をのがれている。当時存在していた京文化は照蓮寺だけを残して消え去ったのかもしれない。 》と吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)には書かれているのだが、高山の町屋では、吉島家住宅など「京風」というのか「数寄屋風」「茶室風」というのかの要素があると思うし、陣屋の造りなどにもあか抜けたものがあると思うのだが、京風のものは周囲に見られず、「東山文化の粋を集めた建物」が周囲とは異なるというのは飛騨でも白川郷や庄川流域のことを言っているのではないか。
外から見て、本堂よりも気になった建物が ↓

これ ↑ は何だろうか?

内部に入って見ると、↓

↑ 《 本堂以外に見るべきものとしては、天正2年(1574年)建築の 勅使門、建武元年(1334年)鋳造の梵鐘、享保10年(1725年)建築の太鼓堂などがある。》(吉野準『飛騨への旅』1970.創元社)という「太鼓堂」が ↑ ということか。
ところで、太鼓堂、もしくは、鼓楼というのは神社にあるものということはないか? ここは寺だったはずだが・・と思ったのだが、鐘楼がなくて鼓楼があるのではなく、鐘楼もあるのだ。 [第659回]《大國魂神社【4/6】手水舎・随神門・鼓楼・宝物殿・神楽殿。「軍艦多摩慰霊碑」、慰霊はあくまで慰霊で》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201901article_4.html で述べたが、東京都府中市の大國魂神社に行った時、神社のはずなのに鐘楼のようなものがあるが・・と思ってよく見ると、鐘ではなく太鼓だった、鐘楼ではなく鼓楼だった・・ということがあった。この「高山別院ではない方の照蓮寺」には、鐘楼と鼓楼の両方があるということ??? あって悪いということもないかもしれないが、寺というと鐘楼はあっても、鼓楼は初めて見た・・・。
照蓮寺の開基は「嘉念坊 善俊」。 《 1588年(天正16年)、光曜山照蓮寺の移転後も、正蓮寺開基善俊の墓と本堂が残り、「照蓮寺掛所心行坊」として存続する。》(《ウィキペディアー照蓮寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A7%E8%93%AE%E5%AF%BA という本堂と「善俊の墓」を御母衣ダムの建設により荘川村中野の照蓮寺の場所が湖底に沈むことになって高山市の城山公園に移したということで、その本堂が ↑ の写真では雪に覆われて見えにくいが、重要文化財に指定されている「書院造り風」という建物で、「善俊の墓」が、本堂に向かって左側、鐘楼よりも本堂の側にある ↓


・・ということか。
吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)には、《 広いけれどもやはり住宅風の造りである。仏壇はずっと後方に押しやられて、礼拝の座が大半を占めている。これは、一つには、住職とできるだけ多くの信徒たちが文字通り膝をつき合わせて話ができるようにという配慮らしい。対話の座でもあったわけである。》と書かれているが、「拝観と御朱印はしばらく休ませていただきます。」と書かれた貼り紙があった。吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)では、「拝観料 100円」、『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』(2014.JTBパブリッシング)では「拝観料 200円」と書かれているのだが、1970年から2014年まで、44年のうちに、100円から200円に変わったのだろうけれども、今回は門より内側へは1円も払わないけれども入らせてもらえたが、かつては「拝観と御朱印はしばらく休ませていただきます。」というのは、拝観料を払えば本堂の内部も見学させてもらえた、ということなのかもしれない。 200円というのは、拝観料としては安いと思うのだ。今回、見回すと、本堂は重要文化財に指定されているということだが、本堂にしても太鼓堂にしても、かなり、痛んできているように思う。拝観料をもう少し高くしてもいいから、それで維持管理に費用をかけた方がいいのではないか、と思った。特に夏場などは「さんまち」というあたりは人出がかなりあるが、そこから城山公園の方には、少々、坂道を登ることになるからか、それほど多く人は来ないのかもしれないが、「京風の」「書院造り風」と言っても、このままでは、朽ちてしまいそうで心配だ。
吉野準『飛騨への旅』(1970.創元社)には、
《 もう一つ、この寺で見落としてならないものがある。千重(せんよ)のツツジと呼ばれる古木だ。白川郷から寺といっしょに移植されたもので、樹齢約800年と推定される。
昔、平家の落武者が白川郷にかくれ住んだとき、この千重のツツジをながめながらわびしさに堪えたという話が伝わっている。・・》
と出ているのだが、どれのことかわからなかった。
《明治時代の心霊研究者で、映画『リング』に登場する伊熊博士のモデルになったといわれる、福来(ふくらい)友吉に関する個人資料館。・・》(『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』2014.JTBパブリッシング)、《高山出身の超心理学者・福来友吉(ふくらいともきち)博士の研究資料や遺品を展示。博士は1910年(明治43年)に初めて念写(透視現象)の実験を行った。館内には超能力者が念写したという月の裏側の写真など、不思議な現象の資料を数多く紹介している。》(『アイじゃぱん31 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』2004.3.1.るるぶ社)という「福来博士記念館」が、「城山公園の方の照蓮寺」の前あたりにあるということだったが・・・、『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』2014.JTBパブリッシング)には《照蓮寺のすぐそばにある、小さな平屋建の資料館》と書かれているが、うかつに「心霊研究に生涯をかけた博士の軌跡」なんて見学に行って、「なにか、よお~おかい」なんて言って妖怪が出てきたりしたら困るな・・とか思ったが、出てくるかどうか以前にどの建物のことかよくわからなかった。照蓮寺には、「福来博士記念館は高山市国府町・・に移転しました」と出ていたから、移転したのだろう。
2011年発行の『アイじゃぱん31 飛騨高山・奥飛騨・白川郷』(るるぶ社)には、福来博士記念館の入場料金は、「200円(照蓮寺と共通)。」と書かれている。それが、2014年発行の『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』(JTBパブリッシング)では、福来博士記念館は「入館無料」で、照蓮寺は「拝観200円」に変わっている。そして、この2020年、福来博士記念館は国府町に引越したらしい。
浄土真宗の照蓮寺にとっては、「心霊研究」「念写」「超能力」といったものは、一般的には相容れないはずなのに、なぜ、2011年の時点で、照蓮寺と「心霊研究」の展示館が入場料金が「共通」だったのか。近所にあるだけ、ということなら、神社の裏にキリスト教の教会があったりすることは珍しくもないことだし、あることだと思うが、入場料金を浄土真宗の寺の拝観料と「心霊研究」「念写」「超能力」の展示館とが「共通」ということだと、浄土真宗の寺の方が衰退することになるのではないか・・・と思ったのだが、城山公園の方の照蓮寺は、どうも、さびれた感じがする。「城山公園の照蓮寺」にとっては、福来博士記念館が国府町に転居した、というのは良かったのではないかと思う。 「心霊研究」「念写」「超能力」といったものがいい悪いということとは別の問題として、浄土真宗とは相容れないはずなのに、それがセットになっているというのは、本来的ではなかった、と思うからだ。だから、両方にとって、分かれて良かったと思う。
「城山公園の方の照蓮寺」は高山城址の中腹というが、まだまだ上がありそうな感じだったが、雪山に登って「天は我々を見放したかあ~あ」なんてなっても困るし、クマなんて出てきたらクマってしまうしするので、照蓮寺より上には行かなかったが、それほど無茶苦茶坂を登ったようにも思わなかったが、けっこう見晴らしはいい♪・・・が、もう少し上には「あずまや」とかあるらしいので、もしかすると、そこからは展望が開けるようになっているのかもしれないが、照蓮寺付近からは、樹木の隙間から見ることになるので、完璧な展望ではない・・が、

↑ どれが何か、いまひとつ、よくわからないが、「赤い橋」は高山陣屋のすぐ東側で宮川にかかる「中橋」だと思う。
( ↑ 中橋。 )
どうも、今回の写真は写りが良くないように思ったが、撮影の条件の設定を間違えたかもしれない。ひとつの可能性として、前夜、日没後に撮影するために、「手持ち、夜景」に設定して、その後、元に戻し忘れて撮影してしまった可能性が考えられる。
「クマのプーさん」と出会うことはなかった。よかった(^^)/
次回は、護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
(2020.2.24.)
☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光「耀」山照蓮寺。〔今回〕
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html
☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html
☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht

親鸞 (岩波新書 青版 853) - 野間 宏

歎異抄入門 (カッパ・ブックス) - 本多 顕彰

出家とその弟子 (新潮文庫) - 百三, 倉田
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