高山陣屋の長押が内側まで周る床脇とそうでない床脇。少年期の山岡鉄舟像、赤い中橋。演歌「高山の夜」は実状に合わない。

[第748回]高山シリーズ6回(15)
  2011年に最初に高山に行った時、宮川を見て、「あれ、なんで、南から北に向かって流れてるの?」と思ったものだが、下呂とかそのあたりでJR高山本線に沿って南北に流れている飛騨川は北から南に流れているのが、高山の宮川は南から北に流れている。高山の少し南・・といっても今は高山市に属しているが飛騨一之宮のあたりに分水嶺があって、南に流れる飛騨川と北に流れる宮川が南北に別れるようだ。何度か高山に行って、今では宮川が北に向かって流れるのに違和感は無くなった。その宮川にかかる橋は、北から南に並べると、
桜山八幡宮の前(西)にあるのが、宮前橋という加圧注入木材を使用した橋。・・→[第355回]《宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html
日下部民芸館の南、江名子川が宮川に合流する所の橋、
西側が国分寺通り・東側が安川通り、橋の欄干に「手長」「足長」がいる鍜治橋・・→[第358回]《山桜神社 と火の見櫓、 古い町並み美術館-山下清原画展、高山昭和館、鍛冶橋の手長足長(高山市)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html [14]鍛冶橋の手長・足長
山桜神社の東のあたりにあるのが、柳橋・・・→[第590回]《内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山[1]喫茶店「ロスト」を探すー高山シリーズ第5回【1/15】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
「スーパーホテル 飛騨高山陣屋」の北、高山郵便局の南の道を東に行った所、飛騨高山街の博物館の南の道を西に行った所の筏橋
陣屋のすぐ東の赤い中橋
となる。その南というと、
杉箇谷神明社の西の橋
までなく、その南は、
松本家住宅の少し南、飛騨天満宮の少し南の東のあたりの橋
になる。地図を見ても橋の名称が書かれていないのは、何と言う橋かわからんので、もし、今後、行くことがあってわかったら書き加えたい。
ともかく、桜山八幡宮の西の木を欄干に使っている橋が宮前橋、国分寺通り・安川通りの手長・足長が橋の欄干にいる橋が鍛冶橋、その南に橋が2つあって、その南が赤い中橋・・・と、宮前橋・鍛冶橋・中橋の3つはわかるようになった。柳橋は緑の橋で、中橋は赤い橋。その間の筏橋は欄干は普通の白い色だが横から見ると欄干の下の部分が赤い。
  
  「スーパーホテル 飛騨高山陣屋」の北、高山郵便局の南の道を東に行った所、飛騨高山街の博物館の南の道を西に行った所の筏橋が ↓
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↑  《 その昔、筏橋は味噌買い橋といった。宮川の川西に住んでいる人達が川東の味噌屋へ味噌を買いにいくとき渡った橋である。
当時は杉の平角を筏形に組んだ橋であった。文政二年(1819年)7月、向町組(本町)をはじめ最寄りの12組の協力を得て新しい橋に架け替え、筏橋と命名したという。》という説明書きがある・・・が、↑ の橋が19世紀の前半の建造の橋なのかあ? そうではなく、19世紀前半に架け替えた時に「筏橋」と命名して、その後、もう一度くらい新しいものに架け替えた、てことはないのかな? けっこう新しそうに見えるのだけれども・・・。


  筏橋の南、高山陣屋のすぐ東の赤い橋が「中橋」↓
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↑ 赤い色をしているので、城山公園の照蓮寺の前あたりから見た時、見晴らしがいいとはいえ、どれが何やらわからないところが、この中橋だけは赤い色をしているので、あれが中橋か・・とわかる。↓
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( ↑ 「城山公園の照蓮寺」の前あたりから見た高山市街地の風景。
⇒[第746回]《高山別院でない方の光曜山照蓮寺。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html  )

  中橋の北西側に、「高山の夜」という歌の石碑が建っている・・けれども、↓
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↑ これは、「しいの 実」という男性歌手が歌ったそうで、《ウィキペディアーしいの 実》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%AE%E5%AE%9F によると、
《デビュー当初から岐阜を音楽活動の拠点とし、「四十八滝飛騨国府」「わたしの飛騨古川」「高山の夜」など飛騨地方の歌を数多くリリース。「高山の夜」はレコードやCDなどを合わせた累計で30万枚以上を売り上げ、1981年にはビクターレコードヒット賞を受賞した。》
というもので、「しいのみ」かと思ったら、そうではなく「しいの みのる」で男性らしい
  しかし、「はせべ ゆかり・安江登志美 作詞」というその歌詞は、「命を賭けた女の恋が うるむネオンに にじんで消える 高山の夜」なんていうものだが・・・、皆様ご存じのように、高山というのは大変健康的な街でして、「木の国 飛騨」「古い町並 高山」「伝統的建造物群保存地区の さんまち・大新町」に「飛騨地方の民家を集めた飛騨の里」に「飛騨高山美術館」とか、そういったものの街であって、「伝統的建造物群保存地区の高山」に「うるむネオン」なんて、そんなもの、ないのだ! ないものを歌詞にしてうとうてもあかんで。ほんと、高山というのは健康的な街である。観光地でありながら、お風の店なんてないし、お水の店にしてもスナックが1軒か2軒あったかなあ・・いう程度で、実に健康的。飛騨牛とか高山ラーメン・飛騨そばとか朴葉味噌とか、さるぼぼ とか、ともかく、出てくるもの出てくるもの、ともかく、「健康的」なのだ。だから、「うるむネオンに にじんで消える 高山の夜」なんて、嘘を言うたらあかんで。ネオンなんてあるかいな、そんなもん。「伝統的建造物群の街」で売ってるのに、ネオンなんて作ったら高山の「売り」がだめになってまいまっせ。だから、ネオンなんてありません。
※ Uta-Net 動画+ https://www.uta-net.com/movie/2942/
  それに・・・、「こんな夜更けはひとりきりが とてもせつない 恋の城山 高山の夜」なんて言うけれども、その城山にクマが出るいいますがな。クマでっせ、クマ。タヌキやないで、クマやで、クマ。 そんなクマの出るような山に、「とてもせつない」とか言うて、「ひとりきり」で「夜更け」に登ったら危ないで、ほんま。やめとき。せめて、昼にしとき、城山に行くのは。クマに出会ったら、人間、「とてもせつない」とかそんなこと言うてる場合やのうなるで、ほんま・・・。
  だから、この「高山の夜」という歌は、高山に実際に行ったことのない人は、そうかいなあ~と思う人もいるかもしれんけども、実際に行ったことのある者からすると、実状に合ってない。
  それに、実際に歩いてみると「命を賭けた女の恋が」とかいうけれども、この街では20代くらいの女性の姿を見ることがあまりないのだ。朝市で売ってる「農家のかかさま」はもうちょっと歳いってるし、若い女性というと、神社の巫女さんかホテルのフロントかコンビニのレジか濃飛バスセンターかくらいでしか見たことない。高校生の女の子は時々見かけるが、その上くらいの年代の女性というのを見かけることが少ない。大学・短大があまりない町だから、大学・短大に行く人は他の市町村・都道府県に行くのかもしれんが、「命を賭けた女の恋」なんてするような年代の女性というのをあまり見かけない街なんだわ。だから、「高山」というのは「ブランド地名」だから、高山に行ったことのない人には受けるかもしれん歌だが、行ったことのある者には、この歌はあかんと思う。悪いけど、あかんな、この歌詞は。
  「しいの実」というのは「しいのみ」と読むと女性の芸名みたいだけれども、「しいの 実」と書いて「しいの みのる」と読むそうで、男性歌手らしい。
  「赤い中橋 宮川も 別れせつない」というあたりは、たしかに「赤い中橋」があって宮川が流れていて、帰ろうとする頃になると、高山という街に「別れ」が「せつない」ような気持ちになって、また来たいなあという気持になる街ではあるけれども、他は実状に合ってないな。実状に合ってないような歌は、申し訳ないけども、ええとは思えんな。

  飛騨をその場所とした演歌には、竜哲也「奥飛騨慕情」なんてのがあったらしく、飛騨の里に行く道の途中に「竜哲也慕情館」というのがあるが、あれは、やってるのかなあ・・・て感じなのだが、「やってる」のかどうなのだろう?
※ 《YouTube-奥飛騨慕情/竜鉄也【公式】》https://www.youtube.com/watch?v=c_qKXOFVOI0

  中橋の西の「高山の夜」石碑のさらに西に立っているのが山岡鉄舟
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・・・で、山岡鉄舟というと、どういう人かというと、”「幕末の三舟」のひとり” と言われるが、これは「浅井長政の3人の娘の結婚相手て、長女が豊臣秀吉のメカケで、あと2人の1人が徳川秀忠で、あとひとりは・・・、え~と、誰だっけ?」とか、「建築の世界三大巨匠て、旧帝国ホテルとかカウフマン邸(落水荘)とかグッゲンハイム美術館とかのフランク=ロイド=ライトと、国立西洋美術館のル=コルビュジェと・・・、え~と、あともうひとり、誰だっけ?」みたいに、2人が有名であと1人が誰だっけ? (もしくは、かつて、「花のたま〇んトリオ」なるものがおって、田原の「た」、マッチの「ま」、そして、「きん」て誰だっけ、きんどーさんじゃないよなあ、誰だっけ? みたいな)・・・じゃなくて、「幕末の三舟」と言われた人物で、「勝海舟と、え~と、あと2人、◇◇☆舟と△△〇舟だけど、え~と、誰だっけ?」の2人のうちのひとり♪ ・・・なんて言うと、せっかく立像たてた人に怒られるかもしれんが、実際問題として、勝海舟は、幕末、徳川家の家臣として、西郷隆盛と会談をして、江戸を戦火にさらさずに開城したという人で、明治以降においては、福沢諭吉から『やせ我慢の説』において、勝海舟と榎本武揚の2名は、徳川の幕臣であったはずなのに、佐幕と討幕の戦いに討幕側が勝って明治維新政府ができると、自分が仕えていた徳川幕府を倒した明治維新政府の要職にさっさとつかせてもらっているが、あまりにも節操がなさすぎるのではないかと批判され、福沢諭吉は『やせ我慢の説』を書物として世間に出版するとともに、勝海舟・榎本武揚の2名に送りつけて返答を求めたが、2人のどちらからも返答はなかった、という男で、子母澤寛の小説『勝海舟』を基にして1974年のNHKの大河ドラマ(戦後版「(必ずしも天皇を中心とはしない)人物中心の日本史」)になったが前年の司馬遼太郎『国盗り物語』や前前年の吉川英治『新平家物語』ほどは人気なかった、という男というのは多くの人間が知っているが、勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟の3人で「幕末の三舟」と言うというお話はけっこうあっちこっちに出ているのでどこかで耳にするか目にするかしている人が多いのではないかと思うものの、山岡鉄舟・高橋泥舟の2人については、「幕末の三舟」のひとりというのは知ってるけど、何やった人なのかなんて、そんなん知らんわ。語呂が良かったから入れただけちゃうのん? みたいな印象が現実にある。・・立像作った人には悪いけども。
※ ちなみに、「浅井三姉妹」、浅井長政と市の3人の娘の嫁ぎ先というのは、《ウィキペディアー浅井三姉妹》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E4%BA%95%E4%B8%89%E5%A7%89%E5%A6%B9 にも出ているが、
茶々⇒淀殿 ・・・豊臣秀吉
初・・・・京極高次
江・・・・徳川秀忠
で、豊臣・徳川と比べて、京極高次は影が薄いように見えなくもないが、実は木下さんとか三河の山奥から出てきた松平さんとかより”名門”のはずなのだが、もしくは、川の支流の枝川(えだがわ)⇒えがわ⇒得川⇒とくがわ⇒徳川 ではないかという説もある徳川さんとかより”名門”のはずなのだが、それでもやっぱり、『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵の上役が京極さんだったっけ・・くらいの京極さんというのは、現実問題として豊臣・徳川と比べると「影が薄い」・・・かな・・・。
※ 「建築の世界三大巨匠」は、フランク=ロイド=ライトさん、ル=コルビュジェさん、それに、ミース=ファンデルローエさんです・・が、やっぱり、3人目の知名度は世間一般では低いわなあ。 「建築家」業界にいる人は別として、日本では、外国人の「建築家」としては、「桂離宮を称賛して日光東照宮をボロクソに言うた」ブルーノ=タウトさんとか(高山の長瀬旅館もタウトさんは好きじゃなかったみたい)、岩崎邸とか三井倶楽部とかニコライ堂とかの設計に携わったジョサイヤ=コンドルさんとかの方が有名だよね。 ついでに、「建築家」業界にいる人は「世界の丹下健三」と言うと誰もが水戸黄門の印篭見せられたみたいに「はあはあ~あ」と「言うことをきく」義務があるみたいに思っているおっさんが多いのだが、そんな義務なんて、そんなもん、ないで、そんなもん。世間では「丹下健三」というと「なんか有名みたいな感じする」てところだが、実際問題として、「姓は丹下、名は左膳」の丹下左膳か、もしくは丹波哲郎と間違えている人もいるのじゃないか・・と思うよ。「建築家業界」にいるおっさんというのは、自分の世界観を非業界人にまで押しつけようとするおっさんが多いけれども、そういうの、良くないと思うよ。
  それで、高橋泥舟はさておき、山岡鉄舟とは何やった人なのか、及び、山岡鉄舟は高山とどう関係あるのか、という点だ。《ウィキペディアー山岡鉄舟》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%A1%E9%89%84%E8%88%9F には、《 天保7年(1836年)6月10日、江戸本所に蔵奉行・木呂子村の知行主である小野朝右衛門高福の四男第五子として生まれる。母は塚原磯(常陸国鹿島神宮神職・塚原石見の二女。先祖に塚原卜伝)。 9歳より久須美閑適斎より神陰流(直心影流)剣術を学ぶ。弘化2年(1845年)、飛騨郡代となった父に従い、幼少時を飛騨高山で過ごす。弘法大師流入木道(じゅぼくどう)51世の岩佐一亭に書を学び、15歳で52世を受け継ぎ、一楽斎と号す。また、父が招いた井上清虎より北辰一刀流剣術を学ぶ。 》と出ている。 山岡鉄舟は江戸で生まれた人間だが、父が飛騨群代となったことから、9歳から高山で過ごしたという人だったのだ。それで、高山市に立像があり、かつ、父が飛騨郡代になったことから高山に来たということで、高山陣屋の向かいあたりの場所に立像があるということか。↑ の立像だが、そのあたりを言われて見ると、山岡鉄舟の像だというが、高山で少年期を過ごしたということからか、少年の像のようだ。
  《高山市 飛騨高山ゆかりの人物「山岡鉄舟」の足跡をたどる》http://kankou.city.takayama.lg.jp/2001483.html によると、山岡鉄舟の父は飛騨郡代として高山に赴任し、山岡鉄舟も高山陣屋に住んでいたらしい。山岡鉄舟の両親は高山で他界し、宗猷寺に山岡鉄舟の両親の墓があるらしい。〔⇒[第467回]《東山遊歩道(9) 宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html》〕 又、少年の頃の山岡鉄舟が宗猷寺に遊びにいった際のエピソードもあるという。
   父親は小野朝右衛門高福で、その四男だったらしいが、後に山岡家の養子になったことから、山岡鉄舟と名乗ることになったらしい。それで、山岡鉄舟とは何をやった人かというと、剣術が相当できた人らしく、書道も優秀で山岡鉄舟の書というものがけっこう残っているらしい。
  山本おさむ という漫画家の『そばもん』という蕎麦屋を扱った漫画の外伝、『そばもん 外伝 駿府のそば』では、かつて、静岡の蕎麦屋に「幕末の三舟」が訪ねて、徳川家の侍どもがその店で蕎麦を食っておきながら代金を払わず、そのツケを払うカネがないと言って、3人で書を書いてこれをツケの代わりにしてくれと要求したという話がでていた。蕎麦屋としてはそんなもので蕎麦代のかわりなんて言われたらたまらんなあ・・と思ったら、その後、さらに徳川慶喜がその蕎麦屋で蕎麦を食って、「三舟が書いていったのなら、私も書こうではないか」と言い出し、蕎麦屋の親父が「困ります。どこのどなた様か知りませんが、ツケは困ります」と言うと、徳川慶喜は蕎麦代はきっちり払った上で品書きを書いていった・・らしい・・が、この話からいくと、何やった人かというと、実質「食い逃げ」やんけ・・・てことになる・・・。静岡市の安田屋という蕎麦屋には今も山岡鉄舟の書があるらしい。
※ しずおか味な店 安田屋本店 https://ajinamise.eshizuoka.jp/e1883268.html
  安田屋本店https://naf1800.gorp.jp/
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↑ 《 江戸無血開城・徳川家の存続。 幕末期にこの事に力を尽くしたこの三人は「幕末の三舟(さんしゅう)」として知られている。
彼等もまた、徳川家幕臣だったので、駿河藩の役人として駿府に移住していたのである。
 勝(勝海舟)は新政府との渉外面を担当として駿府と江戸とを往き来し、
 高橋(高橋泥舟)は田中城(藤枝)を預かって地方奉行を 》
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↑ 《 山岡(山岡鉄舟)は幹事役として、藩政に重きをなしていた。》
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↑ 《 「世話になったな。親父」
「たまったツケを払わねばならんが・・・」
「へい!! 待っておりました」
「俺達は役職ばかりは重いが 金には縁がなくてなあ。 すまんがこれで払わせてくれ」
「へ・・・?」 》
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↑ 《 「これで勘弁しろ、親父」
 「ええ~!?」 》
〔 山本おさむ with 神田ゆう『そばもん外伝 駿府のそば』 『漫画 昔の美味いもん ~戦国時代から明治時代まで~』(2019.11.9.リイド社)所収。 〕
漫画昔の美味いもん~戦国時代から明治時代まで~ (SPコミックス ポケットワイド)
漫画昔の美味いもん~戦国時代から明治時代まで~ (SPコミックス ポケットワイド)
  《ウィキペディアー山岡鉄舟》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%A1%E9%89%84%E8%88%9F には、
《 安政4年(1857年)、清河八郎ら15人と尊王攘夷を標榜する「虎尾の会」を結成。文久2年(1862年)、江戸幕府により浪士組が結成され、親友の中條金之助とともに取締役となる。文久3年(1863年)、将軍・徳川家茂の先供として上洛するが、間もなく清河の動きを警戒した幕府により浪士組は呼び戻され、これを引き連れ江戸に帰る。・・》
《 慶応4年(1868年)、新たに設立された精鋭隊歩兵頭格となる。江戸無血開城を決した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、3月9日官軍の駐留する駿府(現静岡市葵区)に辿り着き、伝馬町の松崎屋源兵衛宅で西郷と面会する
2月11日の江戸城重臣会議において、徳川慶喜は恭順の意を表し、勝海舟に全権を委ねて自身は上野寛永寺に籠り謹慎していた。海舟はこのような状況を伝えるため、征討大総督府参謀の西郷隆盛に書を送ろうとし、高橋精三(泥舟)を使者にしようとしたが、彼は慶喜警護から離れることができなかった。そこで、鉄舟に白羽の矢が立った。
この時、刀がないほど困窮していた鉄舟は、親友の関口艮輔に大小を借りて官軍の陣営に向かった。また、官軍が警備する中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と大音声で堂々と歩行していったという。》
と書かれている。 「江戸城無血開城」は、勝海舟と西郷隆盛の会談で実行されたと言われるが、それに先立ち、駿府に赴き西郷隆盛と会談したのが山岡鉄舟で、
《 明治維新後は、徳川家達に従い、駿府に下る。6月、静岡藩藩政補翼となり、清水次郎長と意気投合、「壮士之墓」を揮毫して与えた。また、幕臣の救済事業である牧之原台地開墾の責任者である中條金之助に茶の生産を助言する。》
という人だったらしい。
   なんで、ここに「幕末の三舟」の1人の像があるのだろうか、それも、3人の中で一番有名な勝海舟ではなく、知名度が高くない方の2人のひとりの山岡鉄舟の像があるのか、と思ったのだったが、山岡鉄舟が少年期に高山で過ごした、それも、父親が飛騨郡代として高山の陣屋に赴任して陣屋に住んだことから、その前あたりの位置に、少年期の像が立っているということらしい。

  さて、みなさん、民法における「心裡留保」なんてご存じでしょうか。 《高山市 飛騨高山ゆかりの人物「山岡鉄舟」の足跡をたどる》http://kankou.city.takayama.lg.jp/2001483.html を見ると、  
《 鉄舟が11歳のとき、一人で宗猷寺に遊びに行って寺の大鐘を眺めていたら、和尚に「その鐘が欲しければあげましょう」と言われたので、早速仲間の若者たちを集めて寺に向かい、大勢で寺の鐘を降ろそうとしました。和尚は冗談で言ったことだったのですが、それを詫びても鉄舟は頑として聞き入れず、父がとりなしてようやく落着した、というエピソードが残っています。》
なんて話が出ています。 これはよい題材ですな。「心理留保」とは、民法第93条に規定があり、
《 民法 第93条 意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。》というもので、
《 さて、その心裡留保というのは何なのかというと、意思表示の表意者が表示行為に対応する真意のないことを知りながらする単独の意思表示をいいます。これをもう少しわかりやすくいうと、たとえば「このサンドイッチを売ってください」という申込みの意思表示をしたそのときに、その「売ってください」という表示作為に対応する真意がないことです。本当はほしくないのにそれを隠して「これをください」と言ってしまう。しかも、それは本心ではないというのをわかっていながらそういう意思表示をしてしまうわけです。簡単に言えば、わかっていながら嘘の意思表示をすること、それが心裡留保です。または嘘までいかなくても、たとえば「君が試験に受かったら俺のバイクをあげるよ」とか、本当はそんな気は全然ないのに、ついつい話の中で冗談で言ってしまうこともあるかもしれません。
  このような場合は、本人は本心と違うとわかっているけれども、相手方にしてみれば本気にしてしまったりします。たとえば、「俺のバイクを君にあげるよ」と言われたら、「え、本当、ありがとう」と本気にして期待してしまう。相手のそんな期待を保護しようというので、この心裡留保は本人が自分で違うとわかっていたのに言ったのだからそれは仕方がない。。ということです。・・・・》
( 伊藤 真(いとう まこと)『伊藤 真(いとう まこと)の民法入門 第6版ー講義再現版』2017.9.30.日本評論社)
・・・ということは、「その鐘が欲しければあげましょう」と言うてしもうたら、本心ではあげるつもりはなかったとしても、「心裡留保」として、言われた者がもらえると期待感は保護される・・ということか? なるほど~お・・・・。もっとも、契約書をかわしたわけでもないから、「そんなん、知ら~ん」と坊さんが言い張れば、法的にはどうもできんことになるか・・・。 山岡鉄舟としては、「あげる」と言うたからにはもらってええんやろうが、大人が子供に嘘つくとはけしからん・・と思ったのか・・・。
  1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の福島県浜通り地区の営業所にいた時だが、訪問したお宅で、「一条工務店の所長さん、Kさんて今もおられるんですか」と言われ、「はい、おりますが」と言うと、「一条工務店てあんな人しか所長になる人ないんですか。一条工務店て、よっぽど、人材が不足してるんですね」と言われたことがあった。何があったかというと、そのお宅に私より前に所長のKさんが訪問したことがあったらしいのだが、Kさんは、帰りがけに、そこの家の女の子(小学校に入ったばかりくらいか)に、「今度、来るときはアイスクリーム買ってくるからねえ~え」と言って帰り、次、来た時にはその約束のアイスクリームを買ってこなかった。さらに、その時、帰る時にもまた、「今度、来る時にはアイスクリーム買ってくるからねえ~え」と言って、次回、またもや、買ってこなかった。親としては、まだ、契約したわけでもなく、アイスクリームを買ってもらえるという権利があるわけでもないが、子供に「アイスクリームを買ってくるからねえ」などと言ったのなら、言った以上は買ってきてもらいたい。買ってくる気がないのなら、子供にそんなこと言わないでもらいたい。親にならば、「今度、・・・を買ってきますよ」などと言って買ってこなかったとしても、「ああ、この人は嘘つきなんだな」と思うだけのことだが、子供にそんなこと言わないでもらいたい、というのだ。なるほど。まあ、私なんか、うちの父親にそれをいったい何回やられたことかと思うのだが、母親としては子供にそんなことしないでもらいたい、そんなことするために来るのなら来ないでもらいたい、という気持だったようだ。あのおっさんも、片方で営業として年間全国1位の成績をあげたりするおっさんだが、片方で困ったことをやるもんだ、困ったおっさんだなと思ったものだった・・・が、これも、「心裡留保」の問題として考えることができるかと思う。「契約書残したわけでもないだろ」なんて思うと、信用を失うことになる。だから、買ってくるつもりもないなら、そんなことは言わないものだ。困ったおっさんだ。
 (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に応募した際、「ビーイング」に掲載されていた求人広告には、「売れて売れて困っています」だの「一条工務店の展示場の来場客数は他社と比べて群を抜いています」だのなんだのかんだのと、よくもまあ、そこまで嘘っぱちを言うものだと思うものを書き連ねていた。「ノルマはまったくありません」とも書いてあったが、入社すると「ノルマはないがガイドラインがある」などと、どこの政治家の詭弁じゃ~い・・てことを言い出した。よく言うわ♪ と思ったものだったが、これも、「心裡留保」だろうか? ジャロに言うたろかと思った人間は少なくないのではないか。・・・で、私、言うてやりました。ジャロに。そうすると、「求人広告の場合は、商品などの広告とは違って、採用までの間に面接がありますから、面接で労働条件についての話がされている可能性がありますから、ジャロが言う対象にはならないのです」などと言われた。はあ? これを(株)一条工務店の従業員何人かに話しましたところ、「それなら、求人広告にはいったいどんな嘘を書いてもいいということか?!?」と誰もが言いました。ジャロって何ジャロ? ジャロとはそんな所なのですよ・・・。これも、「心裡留保」の例でしょうか・・・・。
  《 ただ、その相手が(「俺のバイクを君にあげるよ」という発言について)「こいつ、こんなに気前がいいわけがないよ」と、ちゃんと本心を見抜いて譲る気がないことを知っているという場合もあります。このように、相手が知っているか、知ることができたというときには、例外として無効になります。》(伊藤真『伊藤真の民法入門 第6版ー講義再現版』2017.9.30.日本評論社) ということですが、(株)一条工務店の求人広告なんて、どうせ、嘘ばっかり買いとるんじゃろ・・・とこの会社に在籍したことのある従業員なら思うかもしれませんが、そうでない人間なら、いくらなんでも、活字にして印刷して求人雑誌として発行されたものにはそんな無茶苦茶な嘘は書かんだろう・・と考えるでしょう。だから、《 ただ、その相手が(「俺のバイクを君にあげるよ」という発言について)「こいつ、こんなに気前がいいわけがないよ」と、ちゃんと本心を見抜いて譲る気がないことを知っているという場合もあります。このように、相手が知っているか、知ることができたというときには、例外として無効になります。》ということにはならないはずです・・・が、「求人広告の場合には、広告の内容と違っても、採用されるまでの間に面接があってそこで採用条件について話をされる可能性がありますから」という言い訳により、実質、求人雑誌・求人広告にはどんな嘘を書いてもいい・・ということになっているようです。ジャロって何ジャロ。求人広告って、そんなもんなんジャロかあ???
  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で、1993年に契約いただき、千葉県市原市で建てていただいたY様はリビングルームに実際に薪を燃やす暖炉を設置したいという希望で、契約前に「一条工務店では暖炉を設置することはできるでしょうか」と質問され、営業担当の私は(株)一条工務店の各部門に問い合わせて「できます」ということを確認して契約いただいたのですが、(株)一条工務店より前に在籍した小堀住研(株)ではそのような場合、暖炉なら暖炉で、あらかじめ、会社としてカタログも用意されていて、設計課・工務課の方からこのようなものはどうでしょうかと提案したのですが、(株)一条工務店の場合には、営業がカタログを取り寄せた上でこういうものをつけてほしいと言えば、設計で間取りに入れて、積算部はそれの見積もりを出すということでしたので、それで、私が暖炉のカタログを取り寄せていたところ、営業本部長の天野隆夫が「おまえ、いったい、何やってるんだ」と言うので、「Yさんが暖炉を取り付けたいと言われるので、暖炉のカタログを取り寄せているんです」と言ったところ、営業本部長の天野隆夫は何を言ったかというと、「なんで、そんなもの付けなきゃいかんのだ。『うちでは暖炉はつけられません』と言って、建ててしまえばいいだろうが」と言うのです。私は「契約前に、『暖炉はつけられますか』ときかれて、それで『つけられます』と答えて契約してもらったんです」と答えたのですが、すると、天野隆夫は「だから、契約前に『暖炉はつけられますか』と質問されて、『つけられます』と答えたんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。それで、今は契約してもらったんじゃないか。今は契約してもらって契約金として100万円振り込んでもらったんだろうが。契約書に署名捺印してもらって契約金を100万円振り込んでもらったんだから、『うちでは暖炉はつけられません』と言って適当に建ててしまえばそれでいいだろうが。何考えてんだ、おまえはあ!」と怒鳴りつけられたのです。「そんなわけにはいきませんでしょ」と私は言いました。すると、天野隆夫は「なんで、そんなわけにいかんのじゃあ。もう契約してもらって100万円振り込んでもらったんだから、暖炉をつけられないのなら解約すると言うのなら100万円もらっておけばそれでいいことだろうが。何、考えとるんじゃ、おまえはあ!!!」と怒鳴りつけられたのです。それでは詐欺じゃないですか。契約前に「・・はできますか」と言われて「できます」と答え、それならお願いしようと契約書に署名捺印してもらって契約金100万円を振り込んでもらい、振り込まれたとおもうと、「うちでは暖炉はできませんから」と言って解約してくれと言うのならともかく、「適当に建ててしまえばいいだろうが。それではだめだと言うのなら、100万円振り込んでもらってるんだから、100万円もらっておけばいいことだろうが。何、考えとるんじゃ、おまえはあ!!!」と天野が言うのでしたが、それでは、まさに「振り込め詐欺」でしょうが! 私が、体を張って営業本部長からY様の家を守ったことにより、Y様宅にはリビングルームには予定通り、暖炉が設置されて完成し入居されましたが、営業担当者によっては営業本部長の天野隆夫からそのようなことを言われて、言われたように実行するヤカラもいたのではないかと思います。「何、考えとんじゃおまえはあ」というその文句は天野隆夫こそ言われなければならない文句であったはずです。営業本部長の天野隆夫は、むしろ、そのような詐欺師の態度のことを「営業力」とか考えていたのではないでしょうか。その類の営業にとっては、客が「・・・はできますか」と質問した時に、「できます」と答えたとしても、それは「心裡留保」であって最初からやるつもりはない。契約書に署名捺印して契約金を振り込めば、「うちではできませんからと言って適当に建ててしまえ」という態度を取るということを最初から考えていたわけです。・・・で、こういうのを「心裡留保」と言うべきなのか・・・、むしろ、「詐欺!」と言う方が適切ではないかと思いますし、(株)一条工務店で営業をやっていた人でも、誰もが営業本部長の天野隆夫みたいなことを考えていたわけではなく、私と同じく、契約前に「・・はできますか」ときかれて「できます」と答えて契約してもらったからには万難を排してそれは実行しなければならない、それが営業だと考えていた人だっていたわけで、そういう人にこの天野隆夫の話をすると、「それでは、詐欺だっぺえ」と言うのでした。初代社長の義理の弟の天野隆夫は20代の頃に浜松で「特別扱いの営業」をちょろっとやっただけの男でしたが、営業としての天野隆夫はまさにその「詐欺だっぺえ!」ということを最初からやるつもりであったということでしょう。それは「心裡留保」だということは、たとえ、契約後、やるつもりはなかったとしても、契約前に「できます」と言った以上はやらなければならないはず。しかし、契約書にはそれは書かれていないから、「できませんと言って建ててしまえばいいだろうが」ということになるのか? それとも、「(株)一条工務店なんて浜松の不良企業は、契約前に『・・・はできます』と言って契約しても、契約書に署名捺印して契約金を振り込んだが最後、『・・・はうちではできませんから』と言って『適当に建ててしまえ』ということになる、というのは、これは日本人の常識であるから、だから、《その相手が(「俺のバイクを君にあげるよ」という発言について)「こいつ、こんなに気前がいいわけがないよ」と、ちゃんと本心を見抜いて譲る気がないことを知っているという場合》と同様、無効になるのか。その場合、契約が無効になるのか、契約だけ有効なのか? ・・・こういうのを「心裡留保」と言う・・のか? ・・
  
  山岡鉄舟の像の道路を隔てた南側に高山陣屋がある・・・が、陣屋の前の広場が「陣屋前朝市」の場所である。↓
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↑ 最初、「朝市」なんて言うから、地元の人でないと買いにいっちゃいかんのではないかとか、築地魚河岸みたいに早朝、ひとが寝ている時間に起きて行かなきゃだめなのじゃないかとか、あるいは、逆に地方の純朴な農家のかかさまが自分の所で取れた農産物を売りにきて、それを都会のずるがしこいのが来て地方の人が騙されるなんてことはないのか・・・とか思ったのだが、どうも、違うみたい。
  宮川沿いと陣屋前の2か所で「朝市」は開かれるようだが、「朝市」といっても午前3時頃に行かなきゃだめというわけではなく、陣屋前は正午過ぎころまでやっている。そもそも、高山陣屋という観光名所の前でやっているので、「朝市」で買い物をするつもりでなくても、高山陣屋に行こうとして前を通ると、自然とのぞくようになり、結果として何か買うかどうかはさておき、別にそんなに気難しく考えなくても、普通の店をのぞくのと同じように見ることができて、買いたければ買うこともできる。・・・農家のかかさまが売っているという話だったが・・、落ち着いて考えてみると、自分の所の畑のものを売っているというのは嘘ではないかもしれないが、しかし、「農家のかかさま」なんて言っても、実際問題として、毎日、陣屋前で屋台で売ってる商売人と違うんか~い・・・て気がしないでもない。客あしらいもうまい。百姓というより商売人やろうが、客対応、相当慣れとるやんけ・・て気がしないでもない。というよりも・・・、「朝市」というより、陣屋という観光地の前の屋台の店と違うんかい・・て感じがしないでもない・・なんて言って夢を壊さない方がいいかもしれないが、少なくとも、「朝市」と思って地元の人間か特殊な人間でないと買い物できない場所ではないようです。
  吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)には、《朝市は、陣屋前広場と下三之町・宮川べりの二ヵ所に立つ。八百屋らしい店がほとんどない高山では、新鮮な野菜類を求めるために無くてはならない存在である。・・》と書かれているが、たしかに、「八百屋」というのは高山で見たことはないが、しかし、今は、スーパー形式の店は高山にもあるようで、「朝市」でないと野菜類を買えないということもなさそうです。むしろ、昼頃に行くと、観光屋台みたいな感じがして、買うかどうかはさておき、のぞいている人間の方も観光客の方が多いし・・これって、「朝市」ていうものなのかなあ・・・などとふと思ったり。

  そして、高山陣屋 ↓
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↑ 訪問したのは、2月11日、旗日なので旗がでているらしい。
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  高山陣屋の訪問は2回目です。前回、2015年に訪問したのは、
[第352回]高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
[第353回]高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
で公開しましたが、9月だったと思うのです。前回は、そう寒い季節ではなかった。今回は2月の訪問で、前日、雪が降って道にも雪が残っていることでもあり、足元は寒かった。
  陣屋の内部の通路は畳が敷かれています。日下部家住宅(日下部民芸館)でも、階段を上がり切ったスペースが畳敷だったりしましたが、ひとつには、関西や東京などより冬場は寒い地域なので、通路にあたる部分にも、板張りではなく畳を敷いているということがあるのかもしれません。
  しかし、前回、9月に訪問した時は、靴を脱いで靴下のままであがっても寒さは感じなかったのですが、2月においては畳敷きでも寒い・・ということからの配慮なのか、スリッパが用意されていて、畳の上でもスリッパで通ってかまいませんと係員の方から言われたのです。しかし、やっぱり、畳敷きの所にスリッパで通るということには抵抗を感じます。
  畳敷の通路部分をスリッパを履いて通ることにも抵抗を感じるのですが、それとともに、
各部屋の内部には立入できない部屋と立ち入ってもいい部屋があるのですが、
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↑ のような場所では、通り過ぎるのではなく、畳の上に実際に座ってみてこそ、その部屋の雰囲気を味わえるようなところがあると思うのですが、他の人が誰もがスリッパを履いて歩いている部屋に直に座るということには抵抗を感じます。
  今回の陣屋訪問は、大広間・御座の間の床の間と付書院の位置、付書院を床の間のすぐ横から手前にかけて設けるべきなのか、床の間のすぐ横には設けずに、床の間の手前の横の位置に設けるべきものなのか、この高山陣屋の大広間・御座の間の場合は、床の間のすぐ横には付書院はなくて、床の間の手前の横に付書院があった、と思い、それを、もう一度、見て確認したいと思って、今回はそこだけを見たいと思っての訪問でしたので、他の場所についてはそれほど時間をかけるつもりにはしていなかったのですが、畳を敷いた和室で立ち入っていい部屋というのは、やはり、その部屋の雰囲気を味わうためには、スリッパで入るものではなく、そして、畳の上に座ってみてしばらく時間をすごしてこそ、その部屋の雰囲気を味わうことができる、ということを考えると、少々、寒いとはいえ、スリッパで畳の上にあがるというのはどうかなと思いました。又、外国人の来訪者の方もあるわけで、畳の上はスリッパであがるものではない、ということを、せっかく、日本に来てもらった人にはわかってもらうようにした方がいいのではないか、とも思ったのです。しかし、それにしても、日下部家住宅(日下部民芸館)ではそれほど寒いとは思わなかったのですが、陣屋では足元が寒い・・というよりも冷たい。だから、その点ではスリッパであがっていいというのは助かるというのはその通りでしたが、スリッパであがっていいことにするのなら、スリッパで通る部分にカーペットを敷いて、カーペットを敷いた部分のみはスリッパで通ってよろしい、ということにしてはどうだったのかと思います。いかがでしょうか。
  それともうひとつ、使用済みのスリッパを重ねないでほしいのです。重ねるとスリッパの底の汚れがスリッパの足の側についてしまい、不衛生です。その点、なんとかならないものかと思いました。
  今、自分が撮ってきた写真を見て気づいたのですが、「湯呑所」の畳ですが、縁のない畳が使われていますね。

   床の間の左側の付書院は、床の間のすぐ横から手前にかけて設けるべきなのか、それとも、床の間のすぐ横には設けず、床の間の手前の横の部分にのみ設けるべきなのか。この問題については、[第736回]《日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか?》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html で述べましたのでそちらを御覧ください。

  床の間の上には長押はまわさしませんが、床脇棚の上には長押をまわすべきか、長押は床脇棚の手前で止めて、落とし掛けだけにするべきものか。住宅雑誌などに掲載されている最近のハウスメーカーの住宅の床の間では、床脇棚の上まで長押をまわし、その下に落とし掛けがある場合が多いのに対し、歴史的建築物を見にいくと、床脇棚の上は落とし掛けのみで長押は床脇棚の手前で止めている場合が多いように思いましたが、[第743回]《吉島家住宅2-「女性的」は架構だけでない。床の間と長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html で述べましたが、高山の吉島家住宅の床の間の床脇棚では、長押と落とし掛けでは、落とし掛けの方が長押よりも高い位置にあって、長押が床脇の部分の中にまで入ってまわっていたのでしたが、高山陣屋でも、
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↑ の部屋のように、床脇棚の部分で長押より落とし掛けが高い位置にあって、長押が床脇の内側まで入ってまわっている施工が見られます。すべての部屋がそうなのかというと、そうではないようで、↓
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↑ こちらの部屋では、長押は床脇棚の上に施工されていますが、床脇の内側には入っていません。

  高山陣屋の特徴かと思っていたのですが、日下部家住宅の床の間でも、床の間の床柱にその部屋の一般柱と同材・同寸法のものを使用しており、床の間の床柱に特別の柱を使わない、というのは高山では床の間の作り方として、一般的な施工だったのでしょうか。

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↑ 吹き抜け部分の架構を見比べてみると、日下部家住宅や吉島家住宅の架構の木材の色というのは、それぞれ、「魅せる」ことを考えて塗装して造られたものなんだな、というのがわかります。↑ は高山陣屋でも「台所」ですから、それほどは「魅せる」ことを考えていないかもしれませんが・・・、それでもやっぱり、担当した棟梁は考えたでしょうね。見えるようにしてある以上は「魅せる」ことは考えたでしょうね。

  内田康夫の推理小説では、殺人事件が発生したという場合、動機は何なのか、怨恨なのか利害関係なのか、という点と、それに、犯行をおこなうにおいて、なぜ、その場所が選ばれたのか・・といったことが吟味されており、不自然感がなく、登場人物の浅見光彦が「旅と歴史」という雑誌のルポライターであるだけあって、実際に現地に行って取材した上で書かれており、いいかげんな観光ガイドブックより内田康夫の小説の方がよっぽどその地域を知るのに役立つようなところがあり、そして、個人商店とか、実際にモデルがあるらしい店が登場するものの、そういう店では人は殺されず、人が殺されるのはたいていが観光地とか公共施設とか、そこで人が殺されたという小説が書かれたからといって特に商売の上でマイナスになるようなことはなさそうな場所が選ばれている場合が多いとともに、もしも、犯人であったなら、犯罪を完遂しようとしたなら、どういう場所を選ぶかといったことを考えて書かれています。
  それに対して、「時刻表を見ただけで書いた小説」が多いのが西村京太郎で、殺人事件がおこなわれた場所として、有名観光地が選ばれていても、単に有名観光地だから無名の場所よりもいいだろうということで選ばれただけで、その場所がその犯罪を実行するのに適した条件であるかどうかといった吟味はされていない。西村京太郎の『高山殺人事件』だったかでは、陣屋前の朝市で、人を刺し殺すという事件が発生という話が出てきますが、実際には、もしも、人を刺し殺そうと考えたならば、陣屋前朝市というのは、場所としてふさわしい場所ではないでしょう。まず、人を刺し殺すのならば、相当、人が混雑していて、誰がやったかわかりにくい場所か、もしくは、逆に人がほとんどいない場所か、どちらかのはずで、陣屋前朝市というのは、常に「適度に人がいる」という場所ですから、目撃者がでやすい。又、逃げようとした時、「さんまち」の伝統的建造物群保存地区などと違って前の道は北側の道も南側の道もクルマの通る道であり、信号もあり、道を横切りにくい。又、ここでも適度に人がいる場所なので、走って逃げようとするとひとにぶつかる。どう考えても、人を刺し殺すにはふさわしい場所ではないように思う。西村京太郎の推理小説を、私が「時刻表を見ただけで書いたような小説」と思っても、そういうものが好きな人もいるらしいのだが、とりあえず、陣屋前朝市というのは、犯人の立場に立って考えると、人を刺し殺すにはあまり適切な場所ではない・・・と思う。
※ 岐阜県 高山陣屋 https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/27212/


  次回は、高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html

  (2020.2.28.)

☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光曜山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 〔今回〕
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html 
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html

☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 

☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html 
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html

☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht 

新感覚の和風住宅 (Home life) - 講談社
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伊藤真の民法入門 第6版 - 伊藤 真
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