高山駅から飛騨の里へ後半。玄関が前に出た家の構成。文学散歩道。井上靖碑と雪に被われた山脈。旧野首家。高山エコハウス。

[第750回]高山シリーズ6回(17)
  「高山駅から飛騨の里へ」の後半です。新装になった高山駅の西口(「白山口」というものすごい名称の側。「乗鞍口」でない側。)で出て、ロータリーを突き進み、高山市文化会館の北を西に行き、高山市文化会館の西側の道を南に進むと、西に高山市立南小学校が見え、さらに南に直進すると、県道158号(白川街道)にぶつかり、正面に高山グリーンホテルと飛騨物産館があり、そこの信号を渡り、右手に玄興寺を見ながら西に進み、苔川を玄興寺橋で渡り、橋を渡ってすぐ左折して進むと、県道41号(高山バイパス)にぶつかり、信号を渡って少しだけ北に戻り、田んぼの真ん中の道を西に直進。四つ辻をそのまま直進すると・・・
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という道を進むことになります。

  この付近のお宅、一般のお家なので全体写真は載せません。又、詳細な場所は載せません。立派な家ですが、玄関部分が前に出ています。最近の都市部の住宅ではあまりやりませんが、「地方」では玄関の部分だけ、3尺程度前に出すということをやることがあります。家相では、玄関は張りが吉、欠けは凶とされていますから、それがひとつの理由でしょう。又、「来客はここから入ってください」という意思表示である場合もあるかもしれません。1990年代、(株)一条工務店で、福島県いわき市で勤務していた時、私が担当で建てていただいた方から、「インタホンなんてつけても、誰が押してくれるかわからない」と言われ、「玄関なんてあっても、玄関から入ってくれない人が多いから」なんて言われたことがあった。営業の仕事で訪問する人間は玄関から訪ねるのですが、そうではなく、親戚だとか近所の人とかは、玄関から訪ねないで、広縁の所に来て、そこから「お~い」と声かけるという人が多くて、「『ちょっと、玄関から入ってよ』と言っても、『やんだ、そんなの』と言ってきいてくれない」という場合が多いというのだ。都市圏の人間にとっては考えられないことだが、「地方」ではそういうことは珍しくないようなのだ。いわき市でも、最近の新築の家ではなく昔からの家で、玄関が前に突き出ている家を見たが、玄関が前に出ている家というのは、それはひとつには「訪問したい人は、ここから入ってちょうだい」という意思表示で玄関を前に突き出しているのではないのか? なんてことを思った。
  1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた第一設計部の春田靖(男。当時、20代。東洋大建築学科卒。静岡県出身。)が「玄関が前に出ているのは変です」と客に言ってしかたがなかった。いわき市で比較的昔から建っている家を見ると、玄関が前に出た家は少なくなかったが、変かどうかというと、それはその家によって違う。又、見る人間の感覚によっても感じ方は違う。 都市圏で生まれ育った者は玄関だけ前に出た家をそれほど見たことがないので、特にいいと思わない人が多いかもしれないが、「地方」では珍しくもないし、「玄関が前に出ていない家」にも外観デザインのいい家とそうでない家があるように、「玄関が前に出た家」にも変な家もあるかもしれないが変ではない家もある。自分の未熟な感覚で「玄関だけ前に出ているのは変です」と決めつけて客に言うという態度はあまりいいと思えない。
  (株)一条工務店は「浜松発祥の地方の会社」でありながら、その「玄関部分が前に出た造り」をやりたがらないところがあったが、なぜなのか。それは、玄関部分だけ前に出すと、前に出した部分について、1間(6尺)の幅で引違扉をつけると、横方向に耐力壁が取れないからか、などと思ったのだ。もしくは、1間(6尺)の幅で引違扉をつけて、その両側に半間(3尺)ずつ壁を設けると前に出た玄関部で2間(12尺)も幅を取ることになり、その両側の部屋の間取りを取りにくいという点があるかと思った。
  もうひとつは、玄関部分を前に出したいと希望される方というのは、和風の外観で建てたいという人が多いのだが、玄関部分を1間(6尺)だけ前に出したのでは、幅が1間(6尺)だけの部分に屋根をかけた場合、その屋根の見栄えがあまり良くない、もう少し幅があってこそ屋根の見栄えがするが、それほど広い幅を玄関部分に取れないという家が多い、ということが理由かと思ったのだ。
  この点について、今回、述べようと考えたのだが、過去に公開したものをふりかえってみると、すでに、
⇒[第562回]《高山駅から飛騨民俗村まで[下]ー高山5回【13/15】玄関が出た家は変か? 苦労は売りにするものか?》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html で述べていた。
  過去に述べたものを、同じことをもう一度述べる必要はないかもしれないが、今回、気づいたのは、ここの家では、玄関を前に出して、前に出た部分について、引違扉部分だけが前に出ているのではなく、その両側に少しずつ壁がある、という点です。↓
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↑ 引違扉の両側、手前側は3尺(半間。910mm)の幅まではないが、壁が設けられているのです。(株)一条工務店では「幅が3尺ないと耐力壁にはなりませんから」と会社から言われて、多くの従業員がお客様にそう言っていたのです。しかし、知らない従業員が多かったようですが、(株)一条工務店の「セゾン275S1」「百年275S1」といった家は、1階天井高が2m75cmと高いというのが「売り」であったわけですが、筋交いという斜め材を耐力壁に入れた場合には「筋交いは、ある程度、斜めになっていないと耐力壁としては役立たない」のであり、「筋交いは、ある程度、斜めになっていないと耐力壁として認められない」のです。ここで、「役立たない」と「認められない」という2通りの表現で書きましたが、微妙に意味は違います。建築基準法では、木構造の場合、3階建て以上の場合には「構造計算」をして建てることが義務づけられているのに対して、2階建て・平屋建ての場合は「構造計算」はしなくてもよいことになっています。この「構造計算」をする場合に、筋交いという斜め材の耐力壁の場合には、幅に対して高さがあまり高いと耐力壁として「認められない」のです。結論として、(株)一条工務店が「セゾン275S1」「百年275S1」で建てていたような、1階の天井高が275cmの高さの場合には、幅が3尺(910cm)の所に入れた筋交いは耐力壁とは「認められない」はずです。但し、「認められない」といっても、3尺の幅の場合には高さは何センチまででであれば「認められる」というその高さを少々超えたという場合、「構造計算の上では耐力壁として認められない」ということで、実際にはまったく役立たないというわけではなく、役立つ度合いが小さくなるということです。ですから、幅が3尺の所に筋交いを入れる場合、1階天井高が275cmもあると、その筋交いは構造計算の上では耐力壁とは「認められない」けれども、実際にはまったく役立っていないというわけではないわけです。しかし、(株)一条工務店の営業は会社から幅3尺はないと耐力壁として役に立ちませんからとお客様に言っていたけれども、実は、(株)一条工務店の家は1階の天井高が高く、1階部分は高さがあったことから、最初から、幅3尺では「構造計算の上では」耐力壁とは認められないものだったのです。
  (株)一条工務店はそういうものを普段から建てていたのです。ですから、幅が3尺の所に入れた筋交いでも、それほど効きは良くなかったはずで、それを幅が3尺ではなく幅2尺のところに筋交いを入れたとしても、それは、幅3尺の所に入れた筋交いよりさらに効きが悪いということであって、「全く何の効果もないわけではない」ということですし、幅3尺でも「構造計算上は」耐力壁とは認められないものだったのです。建築基準法の上で、「耐力壁」として「認められない」としても、まったく「役立たない」ということではない。いくらかは役立っている、ことになります。しかし、1階天井高275cmの家で幅3尺の所に入れた筋交いは、構造計算の上では耐力壁として「認められない」としても、「全く役立たないわけではない」として、それをさらに幅2尺の所に入れたとすると、相当立ってしまった筋交いというのは、それでも「ないよりはいい」かもしれませんが、「全く役立たないわけではない」としても「全く役立たないわけではないとしても、ほとんど役立たない」ということになるかもしれません。
  筋交い式木造ではなく、貫式木造であれば、斜め材を入れることで横方向の力に耐えるのではなく、「貫(ぬき)」によって柱を固定することで横方向の力に耐える構法ですから、筋交いが立つとかどうこういう問題はないので、3尺より狭い幅でも可能ではないのか、といったことを考えたのですが、それよりも、筋交い式木造でも、耐力壁として認められるのは筋交いだけではなく、合板を土台・柱・梁にかけて貼り付けるという方法があり、合板(もしくは、OSB〔オリエンテッド ストランドボード〕)など面のものを貼り付けるという方法であれば、構造計算の場合も、高さが240cm程度の天井高の場合には幅2尺以上で耐力壁として「認められる」ことになったはずですから、もしも、玄関を前に出したいという場合には、引違扉の両側に2尺ずつの壁を設けて、そこに合板(もしくは、OSBなど)を打ちつけることで耐力壁とするという方法があるはずだ、と気づいたのです。
  なぜ、(株)一条工務店は気づかないのか・・というよりも、なぜ、春田靖は「『バカでも入れる私大の建築学科』出て新卒入社したその日から設計はお殿様」という態度を取り続けてきたにもかかわらず、そのお殿様がこういったことに気づかないのか・・・。お施主様のために希望を満たす家を作ろうという意欲が不足しているからか? 「バカでも入れる私大の建築学科」でると意識が殿様になってしまって、考えないようになるのか?
  もうひとつ。耐力壁線として考えた場合、3尺以内は同じ耐力壁戦として考えることができるはずなのです。ですから、3尺だけ玄関部を前に出しても、3尺後ろの部分と同じ耐力壁線として考えることは可能のはずなのです。但し、それでも、前に出た部分に耐力壁はあった方が望ましいでしょうけれども、考えられないことではないはずです。
  ↑ の家は、よく見ると、前に3尺(半間)ではなく4尺5寸(0.75間)出ていて、さらにその前に柱を立てて、1間前に出た所に屋根をかけています。だから、玄関部の屋根が大きくかかって、この面の表情を作っています。0.75間(4尺5寸)前に出ると、前に出た部分はその背後の部分とは別の耐力壁線と考えるしかありませんが、このお宅の場合は、両側に2尺ずつの壁を取って、そこに「貫を入れる」ということをした貫式木造かと思ったのです。もし、貫式木造ではなく筋交式木造の場合でも、両側に2尺ずつ取った壁の部分に合板を打ちつけるようにすれば、合板ならば筋交いより狭い幅の部分でも耐力壁として役立つことになりますから、引違扉の両側に2尺ずつ取った壁に合板を打ちつけた耐力壁で壁倍率を確保する、ということはできるし、玄関が前に出た家で引違扉の両側に2尺ずつの壁があると、見た目もいいものになると思われた・・のでした。
  しかし、さらに、現地では、両側に2尺ずつの壁があって、その部分に貫を入れた貫式木造かと思い、筋交式木造でも合板を打ちつければ同様にでくるであろうと思ったのでしたが、撮らせてもらってきた写真をよくみると、手前側は2尺ですが向こう側の壁は3尺あるみたいなのです。筋交式木造で玄関部だけ前に出して、1間(6尺)の幅に引違扉を設けて片側だけ3尺の壁を設けて、他方には壁なしというのは、見た目が不釣り合いで良くないと思えたのですが、ところが、片側には3尺の壁を取って筋交いを入れて、他方は2尺の壁にしておく、という方法もあったのです。3尺と2尺ならば、よくよく見るとわかるでしょうけれども、ちょっと見ただけではそこまで気づかない人の方が多いと思われます。このお宅が貫式木造なのか筋交式木造なのかはわかりませんが、どちらの構法の場合でも、このやり方があったのか、特に、筋交式木造で玄関を前に出す場合にはこのやり方があったか、と思いました。(株)一条工務店の第一設計部の人間というのは、春田靖みたいに「『バカでも入れる私大の建築学科』卒の人間は新卒入社したその日からお殿様」という(株)一条工務店の扱いに胡坐をかいているから考えつかないのか、センスが悪いから考えつかないのか。 (株)一条工務店は「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間と第一設計部の人間を増長させすぎです。増長させるから、だから、そうでなければ考えることを考えられなくなるのです。 「地方が得意」の会社ならば、玄関を前に出したいという希望の人は少なくないはずですから、このあたりも考えれば良さそうですが、「新卒入社したその日からお殿様」の扱いにされた「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間というのは、考えようという姿勢がなくなるのでしょう。
  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の「『バカでも入れる私大の建築学科』卒の人間」と「第一設計部」(設計の職種の人間)、特に新卒入社の人間に対する殿様待遇は限度を超えています。

  そもそも、東洋大なんて行くような人間が、なぜ、工学部に行くのか、私はそれが理解できない。東洋大みたいなもんに行くような甘ったれたやつが、なぜ、高校に行くのか、私はそれが理解できない。そんな学校に行くような人間が義務教育でもないのに高校に行く必要はないはずだ。中学校出て働くべきだ。
  私は子供の頃から、母親から「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をしてつきたい仕事につけるようにと思うから、だから、無理矢理でも勉強させようとするものなんや」と言われて、そうなのだろうと思い、同級生が遊んでいる時も勉強したものだった。それで、最終的に通るかどうかはともかく、ある程度以上の大学に行ける可能性は十分あるというところまでいったが、ところが、父親は「おまえが決めるのと違うねんぞ。わしが決めるねんぞ。甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ! おまえは、生まれなければよかったのに生まれてきた人間でやなあ。その生まれなければよかったのに生まれてきたという罪をつぐなうために、すべてをすべてをわしの為にささげ尽く~す。すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために!」と言い、「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言い、私が「国立大学の場合は、何学部でも学費は一緒のはずや」と言ったのだが、母は「何を甘ったれてますのん、あんたはあ。百パーセント絶対に国立大学に通るとは限らんでしょうがあ。たとえ、0.1%でも落ちる可能性がないとは言えない以上は、国立大学でも工学部なんて受けてはいかんでしょうがあ。甘ったれなさんな」と言い、父は「てってこっこ、てってて~い♪ てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ! すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために、わしのために。わしのために。わし、わし、わし、わし。とってちってたあ~あ!」と言い、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくないと小学校の低学年の時から思っていた学部に暴力と脅迫と強制で行かされてしまった。「とってちってたあ~あ」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になるくらいに言われ続けて。
  父は「東大とか京大とか行くようなもんは大学に行ったらいいし、行くべきやけれども、そんなもん、法政やたら専修やたらなんたらなんてそんな学校に行くようなやつなんて、大学行くことあらへん。そんなやつ、高校行かずに自衛隊に入ったらええ。専修だの国士館だの明治だの法政だのなんてそんな学校行くやつなんて、自衛隊に入れるべきや、自衛隊に」と言っていた。「義務教育でもないの、そんなやつ、学校行く必要ないはずや。自衛隊に入れ、自衛隊に」と言っていたものだ。私が高校を卒業する年に東大を落ちた後、父は「おまえは高校行ったのは余計なんじゃ、このチャンコロっ! 高校行くなちゅうんじゃ、おまえは! 高校は義務教育ではない以上はおまえは高校には行くべきと違うんじゃ、このチャンコロ、ロスケ、イタコ、プエルトリコ! この浪商! 高校行くなちゅうんじゃ、おまえは! このロスケいたこチャンコロっ! 高校行くな、おまえは。おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけどなあ、おまえは北野高校に行ってもそれでもおまえは浪商なんじゃ! この浪商めが! 浪商は高校行くなちゅうんじゃ、この浪商! 生まれてこなければよかったのに生まれおってからに、この浪商! 高校行くなちゅうんじゃ、こ~の、浪商! 浪商は高校行かんでもええんじゃ、この浪商!」と毎日毎日、私の顔を指さして言いまくったものだった。父は言うのだった。「おまえは慶應に行ったと思うておるかもしれんけども、おまえはほんまは拓殖で浪商なんじゃ、おまえは! わかっとんのんか、拓殖、この浪商! わしはおまえとはちごうて慶應やねんぞ。わしは慶應! 一緒にすんなよ、この浪商!!!」と。父が行った大学は同志社だったはずなのだが、父が言うには「ほんまは慶應」だそうなのだ。それで、私は「ほんまは浪商」らしいのだ。私は「浪商の民族」だそうで、父は「慶應の民族」らしいのだ。高校も明星高校から同窓会の案内状が何度も来ていたはずだったのだが、「わしは天高(天王寺高校)じゃ。わしは天高」と言うのだったが、実際に卒業したのは明星高校だったらしい。なにしろ、母の兄(伯父)が、正真正銘、明星高校から早稲田大学に進学して、明星高校で一緒にいたというのだから。それにしても、言われてみると、たしかにうちの父親というのは慶應みたいな感じのする男だった。「いかにも慶應」て感じがした。私は慶應大学の卒業証書をともかくもらったけれども、あんまり「慶應タイプ」ではないし、たとえば、(株)一条工務店にいた時、ある見込客から「どこの大学を出られたのですか」ときかれて、正直に「慶應の商学部を卒業しました」と言うと、「あんまり、慶應て感じしませんね。東大かと思ってました」と言われたことがあったが、そんなもので、私は慶應大学の卒業証書はもらったけれども、あんまり「慶應タイプ」ではないのに対して、それに対して、父は慶應は大学も小学校から高校までもどれも行ったことはないのだけれども、「人格が慶應」であり、「いかにも慶應」て感じの人間だったのだ。おそらく、「民族が慶應」「慶應の民族」だったのではないか。「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と私は父親から毎日毎日言われてきたものだったが、その「慶應の民族」というやつが私は嫌いだった。「民族の違いを忘れるな」と言われると「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」、「階級の違いを忘れるな」と言われると「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と思ったものだった。その「ほんまは慶應」が毎日毎日、私に言うのだった。「おまえはほんまは浪商やねんぞ、おまえは浪商。この浪商めが、チャンコロ! チャンコロは高校行くな、チャンコロ! 浪商は義務教育でもないの高校行くなちゅんじゃ、この浪商めがこの浪商!」と。
  それから考えると、東洋大みたいなもんに行くようなウルトラ甘ったれたやつなんて、絶対に高校に行くべきではないはずなのだ。「高校は義務教育ではないのやから義務教育でない以上、行くべきではない」はずである。それを、春田靖はな~にをウルトラ甘ったれて高校行って、さらには東洋大なんてカネのかかる私立大学に、静岡県の人間なのに東京で下宿までして行っているのか? 父は「東大にでも行くというのなら、東京で下宿してでも行けばいいけれども、もしくは、慶應か早稲田にでも行くのなら東京で下宿してでも行く値打ちはあるけれども、そんなもん、法政だの専修だの明治だの国士館だの獨協大だの帝京大だの、ポン大だの東洋大だの駒沢大だのなんだのなんて、そんなアホでも行けるような学校に行くのに下宿してまで東京の大学に行く必要あらへん。家から通える地元の大学に行けばええことや。甘ったれとったらいかん、甘ったれとっては。」と言っていた。その点については私もそう思っていた。
  それも、国立大学なら何学部でも学費は一緒であるが、私立大学の場合は工学部は法学部・経済学部・商学部・文学部より学費はずっと高いはずであり、私立大学でもせめて早稲田大の理工学部とかにでも行くのなら、少々学費が高くても、理工学部に行きたかったということならなんとか行かせてやろうということもあるかもしれないけれども、なんで、東洋大みたいなもんに行くようなウルトラ甘ったれた人間を工学部に、それも、静岡県の人間が東京で下宿させてまで行かさなければならないのか? 自衛隊に入れ、自衛隊に!!! と言うべきはずである。私はそれが一番わからないのだ。それが一番!!!
  父の「親友」で医者屋やっていたM川という男は、ドバカ息子を私立金権裏口関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させた、というのを自慢にしていた。「わしは思考が柔軟なもんやから、そんで、息子は裏口入学なんじゃ。そのあたりがきみとは違うところなんじゃ。どうじゃ、わかったかあ」と私は父の「親友」の医者屋から言われた。なんで、私立金権裏口医大に裏口入学が「思考が柔軟」なのかさっぱりわからんかった・・・が、又、努力して実力で国立大学に行こうとしている者が、なんで、私立金権裏口入学に自慢されなければならないのか、さっぱりわからんかった。「わからんのか。そのあたりが、きみとわしとの違いなんじゃ。わしは思考が柔軟じゃから息子は裏口入学なんじゃ」と何度も言われたものだった。なんで、「思考が柔軟」なら裏口入学しなきゃならんのか? そんなに「思考が柔軟」ならその「柔軟な思考」を生かして狂徒大学医学部でも頭狂大学理科三類でもさっさと現役で実力で通って行けば良さそうなものなのに、なんで、「思考が柔軟」な人間が裏口入学なんて汚らわしいものをしなきゃならんのか? さっぱりわかりまへ~ん! と思ったものだったが、そのドバカ息子を私立金権裏口関西医大に裏口入学させた男は、医者屋であり、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯め込んだカネが関西医大への寄付金に化けたのであるが、春田靖というのは静岡県の人間が東京の私立大学の工学部なんて下宿してまで行くような金持ちの息子だったのか? 薬漬け・検査漬け・毒盛りして儲ける材料となる「カネのなる木」のごとき「患者」を所有していた医者屋の息子だったのか?  そうではなく、父親は中学校の校長先生だったというのだ。中学校の校長先生というのは、無茶苦茶給料高いということのようだ。中学校の校長先生に給料払いすぎと違うのか? 中学校の先生の給料はもうちょっと引き下げた方がいいのと違うのか?!? 又、私が知っている人では、北野高校の物理のF先生の娘は私と同学年だったが、天王寺高校から現役で京大の医学部に行ったと聞く。父の知り合いの豊中高校の某先生の息子は北野高校から現役で大阪大学医学部に合格して行った。学校の先生の息子・娘て京大とか阪大とか東大とかに行くもんと違うのか? 学校の先生というのは、中学生や高校生に教えるのが仕事であり、教えるのが仕事ならば、自分の息子にも教えることができるはずで、東大は東大でも東京大学ではなく東洋大学なんて、そんなものに行くような「学校の先生の息子」なんてそんな学校の先生なんてあるか? そんな先生に習ったら成績下がってしまうのと違うか??? その先生はいったい何を教えていたのか? その先生に習ったら成績下がりそうだな。なんで、息子を東洋大みたいなものに行かすような男が学校の先生やってるんだ? 学校の先生なら自分の息子はせめて国立大学くらいに行かすものと違うのか? そんな人間が学校の先生やっていていいのか??? まったくつくづく、摩訶不思議なことが世の中にはあるものだ・・・と思う。
  私なら、東洋大の工学部建築学科なんて、そんなもの、行きたいなんて思ったことは一度もないし、そんなものに行かなければならないような事態に万に一つでもなったなら、その時は切腹でもするしかない・・くらいに思っていた。もし、建築学科に行くなら東大か京大か、最低でも国立大学の建築学科に行ったと思うが、私が、東洋大の工学部建築学科に行きたいなんて、およそ、口にすることはできなかったし、たとえ、口にしても、うちの親は「おまえ、ちょっと、頭おかしいのと違うかあ」と言ったはずであり、およそ、そんなもの、行かせてもらえる可能性はなかった。 私の感覚では、東洋大の建築学科なんて行く人間・行った人間というのは、もうちょっと恥ずかしそうにするものと思えたが、ところが、春田靖は、なんだかずいぶんと高そうなオフロードカーに勤務外で乗っており、そして、(株)一条工務店という会社では、「バカでも入れる私大」の建築学科卒の人間は新卒入社したその日からお殿様になり、中途入社で入った人間は、営業本部長の天野隆夫から「設計にはどんなことでも服従しろ」とか言われるのだった。 ふざけんな! ええかげんにせえよ、ほんま。 そもそも、「バカでも入れる私大の建築学科」なんて、東洋大の建築学科なんて行くようなヤツなんて、高校行くな! そんなやつ、自衛隊に入れ、自衛隊に入れたったらええねん、自衛隊に!!! 甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては!!! ドバカ息子を東洋大の建築学科に入れるような「中学校の校長先生」というのも、自衛隊に入れ、自衛隊に!!! 甘ったれるな!!! 息子を東洋大の工学部建築学科なんて行かすような男なんぞ「中学校の校長先生」なんてなるな! 自衛隊に入れ、自衛隊に! ウルトラ甘ったれるな!!!

  この道をさらに進むと、
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↑ 水車があるのは、「茶房 和雑貨 松倉山荘」。《 山野草が咲き乱れる庭が自慢のみやげ店兼和風喫茶。手染めのタペストリーなどの作家ものの和小物が充実している。併設の喫茶室では、焼き餅が入った特製ぜんざい600円や、飛騨牛カレーセット700円などの軽食が味わえる。》(『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』2014.5.1.JTBパブリッシング)ということだが、《12月下旬~3月上旬は休業》ということで、どうも、私が入りたいと思うと休みであることが多い。


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  ↑ 「彫刻」の向こう側を左折して「文学散歩道」を行くか、左折せずに直進して、三差路を左に進むかだが、今回は左折して「文学散歩道」を行くことにした。 まっすぐ行った方が飛騨の里に行くこと自体には近いのだが、土の道を歩いてみたかったので「文学の小径」を今回は行った。

  この「文学散歩道」とその駅に近い側にある旧野首家住宅・郷倉、山岳資料館、飛騨合掌苑については、2017年の訪問時、
[第594回]旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
[第595回]旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
[第596回]山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
[第597回]飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
[第598回]「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
に公開しましたが・・・、
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旧野首家住宅 は、前回の訪問時は11月でしたので内部も見学できましたが、「冬季休館」だそうで、1月は外観は見えますが内部には入れません。
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旧野首家住宅「管理事務所」

  「文学散歩道」といっても、ところどころに、高山・飛騨と多少なりとも関係のある文学者の文章を刻んだ石碑が立っているということなのですが、1月、雪が降っている時とか前日に降った時とかは、雪があると自覚して進みますが、当日も前日も雪も雨も降っていないという日は、つい油断しがちですが、水たまりは凍りますので油断禁物です。↓
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↑ クマは、たぶん、出ないだろう・・・と思い込んで通ったけれども・・・、今回は出なかったけれども、出たらどうしたらいいのでしょうか。「クマ出没、注意」なんて書かれても、出会った時、いったい、どない注意せえちゅうねん・・・。 「あしたのために、その1。 ジャブ」・・・「左肘を脇から離さない心がけて、えぐりこむようにして、撃つべし、撃つべし、撃つべし!」なんてやったらかえってあかんやろうし。どないせえちゅうねん。

   11月頃、秋の高山は紅葉がとてもきれいでしたが、冬の高山は、雪が降ると高山の雪景色がきれいですが、雪が降っていない日、前日も雪は降っていないという時でも、「文学散歩道」を歩くと、井上靖の碑 ↓ に、
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↑ 「冬になると、山脈という山脈は雪に覆われ、町は隅々まで 飛騨の貌を持ち、優しい人情に〇められる」
「日本列島のほぼ中央に位置し、フンザ、ギルギットと竝ぶ、世界の山の街・高山。 登山家の背の美しく見える 静かな山の街 高山」
と書かれているが、その石碑を見て後ろを振り向くと・・・・↓
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↑ これを見ることができただけでも、冬に高山に来て良かった♪ て感じがします。 夏はもちろん、秋でも ↑ の姿、遠くの山脈が雪をかぶった姿は見ることはできません。冬に ↑ を見てこそ、井上靖の碑に書かれている文句が理解できます。

  このあたりは、「松倉風致地区」。↓
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↑ 風致地区に指定されている地域らしい。

  それにしても・・・、↓ は何かというと、
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↑ 「崇教真光」の本部のはずだが、なんとも、でっかい建物が建っているものだ・・・。

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飛騨合掌苑は休館中。補修中だったようだ。また、泊まりたいと思った宿舎なので、開館を待ちたい。

( ↑ 飛騨合掌苑。 )

  「飛騨高山テディベアエコビレッジ」、《築150年の合掌造り家屋を改装したミュージアム。約100年前に作られた貴重なベアをはじめ、約1000体のテディベアを展示している。結婚式をあげるペア―ズチャペルは、恋愛のパワースポットとして注目を集める。》(『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』2014.JTBパブリッシング)の所で「飛騨の里通り」に合流し ↓ 、
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 「飛騨の里通り」を歩み、飛騨の里を目指しますと・・・、左手に ↓
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「飛騨高山 森のエコハウス」というのがあります。
《高山市HP 森のエコハウス》https://www.city.takayama.lg.jp/kurashi/1000024/1000130/1001296/1001301.html を見ると、《「飛騨高山」の広大な森林から生産される木材と木質資源を最大限に活用し、地域の気候風土にマッチした木造エコ住宅の提供を基本コンセプトにエコモデル住宅を設計しました。》と出ています。
・・・・が、そこに恐ろしい貼り紙が・・・・、↓
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「Beware of Bears!
  注意 有熊出没!
 目撃情報 被害防止対策はこちら(「高山市 熊」で「検索」)
 設置者 高山市(0577-32-3333) 」
・・・・で、注意しろ言われましてもやねえ、その「有熊出没」てのに出くわした時、どない注意したらよろしいねんやろ。どないせえ、ちゅうのん? 「死んだふり」とか「木に登る」とか・・・なんてやってもあかんいうし。 「あしたのために、その3。 クロスカウンター」なんてやっても、相手の方が強そうやし・・・。逃げても、相手の方が、足は速そうやし。
  その「有熊出没」てのが出てきた時のイメージて、⇒《YouTube-ゴジラのテーマ》https://www.youtube.com/watch?v=wr3Ehj3wycY て感じか。もしくは、《YouTube-ムソルグスキー:交響詩 《はげ山の一夜》》 https://www.youtube.com/watch?v=0r_-yanhzS4 て感じか・・・・。
   クマ・・なんて、出たらいややな。タヌキならいいけども。シカくらいならいいけども。
もしも、クマと出くわしたら、「モスラ~やっ、モスラ~♪」とでも歌うかあ~あ・・・・。⇒《YouTube-Mothra's Song [モスラの歌] 1992 Music Video (HD)》https://www.youtube.com/watch?v=zDfy6IEulTw
「モスラ~やっ、モスラ~♪」て、効果あんのんかい・・・?

   シカと出会ったらシカたない、クマと出会った時には「モスラ~やっ、モスラ~♪」と歌うかあ・・・とか思いながら歩くと、すぐに、飛騨の里に着く。↓
DSC07658.JPG

坂を登って行くと、↓
DSC07662.JPG
↑ 飛騨の里 の入口、

 クマとは出会わなかった。良かった・・・と思うが、しかし、飛騨の里の中で出会わないという保証はない。飛騨の里の中もまた、自然がいっぱい・・だから、健康的といえば健康的だが・・・、獣が山から降りてくる可能性はないとは言えない・・・というよりも、2月に訪問した際、クマではないが、なんだろ・・て動物と遭遇したのだ。まあ、草を食っとったから草食動物なのだろうけれども・・・。

  次回、飛騨の里にて-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html

  (2020.2.29.)

☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光曜山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。〔今回〕
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html 
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html

☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 

☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html 
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html

☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht 

地震と木造住宅 - 杉山 英男
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棟梁が語る家造り―損な買物をしないために - 吉田 正毅
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氷壁 (新潮文庫) - 靖, 井上
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