飛騨の里。凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に帰り夫と妊活3人目女に殺された水子供養。

[第751回]高山シリーズ6回(18) 飛騨の里1
  飛騨の里に到着。さて・・・、
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↑ ↓は、飛騨の里の入口ですが、この入口の建物自体が、「旧◇◇家」の建物を移築したもの。↑ ↓
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↑ 飛騨の里の入口の建物、横から見たもの。

※ 飛騨の里HP http://www.hidanosato-tpo.jp/top.html
 《ウィキペディアー飛騨民俗村》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E6%B0%91%E4%BF%97%E6%9D%91

  飛騨の里の入口を入るとすぐに池があります。「五阿弥池」と言いますが、これは、飛騨の里として、古民家を移築した民家園が開設される時に作られた池なのか、それとも、前々からここにあった池なのか、どちらなのだろうとずっと思ってきたのですが・・・、
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《五阿弥池は昭和6年(1931年)につくられました。》と現地の説明書きに出ていました。1931年というと、満州事変の年です。飛騨の里のオープンは、
1959年(昭和34年)飛騨民俗村 開設
1971年(昭和46年)飛騨の里 オープン
《 昭和30年代、御母衣ダムにより水没する合掌造り民家の矢篦原家(やのはらけ)住宅が横浜市の三渓園に移築されるなど、次々と貴重な民家が移築されていくことに対し、地元で保存していく考えで開業した施設である。 》(《ウィキペディアー飛騨民俗村》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E6%B0%91%E4%BF%97%E6%9D%91 )
・・・ということですから、五阿弥池がつくられた1931年は、飛騨の里がオープンした1971年よりも、飛騨民俗村が開設された1959年よりも前、戦前です。 《高山盆地で一番広い灘三千石といわれた灘郷の水田地帯(上岡本、下岡本など)へ供給する水を貯える貯水池としてつくられたもので、現在も農業用水として利用されています。・・》という池で、飛騨の里の敷地内にあって飛騨の里の来訪者にとっては「憩いの池」になっているけれども、飛騨の里のために作ったというわけでもないらしい。
  前回の訪問は8月ですから、当然、五阿弥池には氷なんて張っていませんが、この1月の訪問時においては、↓
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↑ 池のかなりの部分に氷が張っています。全面に氷が張っているわけではなく、
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「バッタリ小屋」の下の所では水が上から落ちてきて水の流れがあるからか、凍っていない部分があり、水鳥が泳いでいます。
  五阿弥池をぐるっと一周まわって「バッタリ小屋」の付近に行くと、
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↑ 先ほどは池で泳いでいた水鳥が、地面の上で寒そうに小さくかじかんでいました。
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↑ 雪の塊ではありません。 白い鳥が、小さくなっている姿です。

  1月に訪問時は、当日も前日も晴れていましたので、五阿弥池は表面が凍っている部分の方が多いものの、「バッタリ小屋」の下のあたりなど、凍っていない部分もあったのですが、2月に訪問時は前日に雪が降ったことから、五阿弥池の表面は全面が凍っており、凍った所の上に雪が載っている部分もありました。 ↓
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  この飛騨の里が設けられた場所は、元々は、松倉城(まつくらじょう)があった場所だそうで、土塁の跡が部分的に残っています。 ↓
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↑  「松倉城 大手第三土塁跡」
《 土塁は、敵や動物の侵入を防ぐため、地面を掘ってその土を盛り上げてつくられた砦です。
  松倉城の大手口(正面)の第三門土塁は、上部の幅0.9m、長さ約20mあったといわれています。そのほとんどは貯水池(五阿弥池)をつくる時に壊されました。目の間にある土塁は、残っている一部分で約50mあります。
  当時は、土塁の中間を開けて、蔵屋敷に通じる道として使用しました。この屋敷内には米蔵があり、米を運ぶために開けていたといわれています。》
と現地の説明書きに書かれています。
  《ウィキペディアー松倉城(飛騨)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%80%89%E5%9F%8E_(%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E5%9B%BD) には、
《 1579年(天正7年)、飛騨の国人 姉小路頼綱(あねがこうじ よりつな)が築城し、居城を桜洞城から移した。
自綱は羽柴秀吉に対抗すべく越中富山城主佐々成政と手を組んだが、そのため1585年(天正13年)に、秀吉から三木討伐の命を受けた越前大野城主金森長近が飛騨に侵攻しこれを制圧した。この戦いで難攻不落を誇った松倉城は味方の裏切りで落城し、その後金森氏の管理下に置かれ改修が行われたが、1588年(天正16年)、高山城築城により廃城となった。 》
と出ている。 
  姉小路頼綱とは何者かというと、《ウィキペディアー姉小路頼綱》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%89%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E9%A0%BC%E7%B6%B1 には、
《 姉小路 頼綱(あねがこうじ よりつな)は戦国時代・安土桃山時代の武将、大名。飛騨姉小路氏の当主。父は姉小路良頼(嗣頼)。妻が斎藤道三の娘であるため、織田信長とは相婿の間柄になる。》
《 元々は飛騨守護京極氏の一族で家臣だった三木(みつき)であり、戦国時代に守護の支配が緩むと祖父三木直頼は益田郡を拠点に飛騨国南部に勢力を伸ばした。頼綱も元服当初は三木自綱(みつきよりつな)と名乗っていた
  父三木良頼は飛騨全土の支配者としての名分を得べく飛騨国司姉小路家(古川・小島・向の姉小路三家に分かれる)の名跡奪取を目論み、将軍足利義輝や関白近衛前嗣に運動した結果、弘治4年(1558年)1月に従五位下飛騨守(飛騨国司)の官位を得た。 》
・・・飛騨守護の京極氏の一族で家臣の三木(みつき)氏が、飛騨国司 姉小路(あねがこうじ)家の名跡を奪取し、三木頼綱が姉小路頼綱を名のったが、織田信長死後、羽柴秀吉と柴田勝家・織田信孝・佐々成正らとの戦いにおいて、佐々成正と組むが、羽柴秀吉の傘下に入った金森長近が飛騨を攻めた際、佐々成正から援軍はなく滅び、金森長近が松倉城を改修するものの、高山城が築かれるとともに廃城になった、という城らしい。

  飛騨の里 には、古民家とされる建物がいくつも移築されているだけでなく、お地蔵さんや観音さんもいらっしゃいます。↓
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「六地蔵」
お地蔵さんて、なんで、「六地蔵」なのだろう? 「四天王」なんて仏さんもいるが、地蔵さんは、なぜ、6なのか?
飛騨の里の説明書きには、
《 六地蔵は、現世と冥土の境に立ち、人々を守ってくださる地蔵菩薩です。
 釈迦の後、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの無仏の世界に住んで、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)で迷い苦しんでいる人々を救ってくださいます
 地蔵信仰はすでに平安後期(1150年頃)から貴族の間で流行していましたが、庶民の間に広まったのは江戸時代(1620年頃)からだといわれます。
 この六地蔵は昔、高山市宗猷寺町の宗猷寺火葬場道に祀られていたもので、建立は1740年頃です。
 一途に使者の冥福を祈った人々の心情がこめられています。 》
と書かれている。
※ 宗猷寺については⇒[第467回]《東山遊歩道(9)宗猷寺》 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html

  地蔵菩薩というのは、竹中信常監修『教育まんが おじぞうさま』(大道社)所収の竹中信常「地蔵さまのおはなし」には、
《 仏教の中心人物は仏さまですが、そのつぎに大切なのは菩薩さまです。菩薩というのは仏になるための修業をしている方がたのことで、観音、勢至(せいし)、文殊、普賢(ふげん)などたくさんおいでになります。阿弥陀仏、大日如来、薬師如来なも以前は菩薩として修業し、いろいろの約束(誓願)を果たして仏になったのであります。 菩薩もめいめいが誓いを立ててそれを果たして、仏になろうと修業しているのです。 たとえば観音さまは人びとの苦しみを救おうという誓い、文殊さまは人びとが正しい知恵を持つように誓っております。ところが地蔵さまは、この世の中のすべての人を極楽に送り届けるということを仏になるためにお約束されました。しかし、この地上には次から次へと人間が生まれてくるので、いつまでたってもこれを全部救うことはできません。ですから、ほかの菩薩がめいめいの誓いを果たして仏になってしまっても、地蔵さまだけはこの世に人間が生まれてくる限り、永久に仏になることができないわけです。ほかの菩薩たちが頭に冠をかぶり、胸に瓔珞(ようらく)(宝石をつなげた飾り)を下げたりしているのに、地蔵さまだけはただの坊さんのようなころもを着て袈裟をかけ、頭もまるめ、一切の飾りを身につけていないのは、いつまでもこの世で修業している気持をあらわしています。》
と出ています。
《 この世というものは仏教では六道、つまり六とおりの世界のことをいいます。 地獄(苦しみの世界)・餓鬼(むさぼりの世界)・畜生(あさましい心の世界)・修羅(争いの世界)・(普通の人間の世界)・(やさしい平和な世界)の六とおりの世界がいろいろと組み合わさってできあがっているので、ある時は争い、ある時は苦しみ、ある時は笑いあって人びとは生活しているのです。・・・》
 六地蔵が、なぜ、6なのかというと、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道で6ということだったのですね。

  村上重良『日本の宗教』(1981.3.20.岩波ジュニア新書)には、
《 (平安後期には)末法思想を背景に、弥勒と地蔵の信仰が普及しました。弥勒菩薩は・・・
   地蔵はもともとインドの大地の神でしたが、仏教にとりいれられ、仏滅後、弥勒が下生(げしょう)するまでの無仏の時代に、修行僧の姿で衆生(しゅじょう)を救う菩薩とされました。そのため地蔵は僧形で現わされ、浄土教や末法思想と結びついて、地獄の責め苦から亡者を救い出す慈悲の菩薩として信仰されました。中世には、地蔵は、この世と地獄の境に立つとされることから、境(サヘ)の神の信仰と結びつき、村はずれの辻に石の地蔵が建てられるようになりました。地蔵はやさしい童顔の僧形で現わされることから、子どもの守護神ともされました。》
と出ています。
  ↑ の六地蔵は、飛騨の里のホームページの「民間信仰」「路傍の神仏」http://www.hidanosato-tpo.jp/hdsmap.html に出ている地図では、(1)六地蔵。 五阿弥池から新井家住宅の方へ行く道が分かれる所にあります。


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馬頭観音地蔵菩薩
六地蔵の方を向いて少し右手に、馬頭観音と地蔵菩薩が並んで座しています。
左が馬頭観音で、右が地蔵菩薩です。

  高橋良和 指導『教育まんが かんのんさま』(大道社)所収の高橋良和「観音さまのおはなし」には、
《 ・・観音ということばですが、音を観ると書きます。また観世音ということばなどをよくみますと、世音(せおん)を観ると解釈されます。この世音というのは、世のなかの声、いいかえますと、人間の苦しみ、なやみなどという、世のなかの出来ごとをよく観るということで、この場合の観るという意味は、よく感じるとか、よく聴くとかいうことの意味になります。
  でありますから、世のなかの苦しみをとり除くために、あたたかいお慈悲を垂れてくださるということなので、その苦しみをとり去る働きが、観音菩薩の働きであるといえましょう。
  こういった働きから、観音さまには、いろいろと名がつけられたので、人びとを救ってくださるための慈悲の姿のあらわれと思います。》
《 観音さまは、大衆と結びつく働きから、ほかの仏さまや、菩薩さまのように、一つの名前では信仰する人が承知しなかったのです。
  そこでいろいろな名前がつけられました。どれくらいその名前があるのか記してみますと、
◇ 聖観音  この観音さまは、正観音ともいいます。観音さまといいますと、ほとんどが聖観音さまでありますが、・・・・
◇ 十一面観音  この観音さまは、頭の上の方に顔が十一あるのです。これは人間の欲望に十一あるので、それをとりのぞいて、十一の極楽に生まれるようにお救いくださるという意味であります。・・・
◇ 千手観音  観音さまの背中の方からたくさんの手が出ている観音さまのことをいいます。・・・千本の手があれば、それだけ仕事が多くできますから、それとおなじように観音さまの手もたくさんあればあるほど、人びとの苦しみを救うことができるという意味であります。
◇ 馬頭観音(ばとうかんのん)  観音さまはみなやさしい顔でありますのに、この馬頭観音はこわい顔をしています。そして頭の正面に白い馬の頭をいただいています。なぜこわい顔をしているのでしょうか、それには大きなわけがあります。と申しますのは、人間のなかでも、やさしい顔をしておればいうことを聞く人もありますが、いうことを聞かない人には、逆におこってみることも一つの方法でしょう。
 観音さまもおなじことで、このようなおこった顔をして、ほんとうの仏のお心をしらしめようとされたためであります。馬頭観音さまもこ自分の心のなかの欲望をあらわして、それを焼きつくすために、このようないつくしみに満ちた観音さまを、いかりの姿であらわしたものといえます。この観音さまで名高いのは、九州の筑紫観世音寺の観音さまが、巨大な木で刻まれています。
◇ 如意輪観音  人間の苦を救うのはもちろんですが、出世の功徳(くどく)をもっている観音さまで、普通一面六臂(ぴ)の姿が多いのです。顔が一つで、腕が六つあるということです。・・・
◇ 不空羂索観音(ふくうけんざくかんのん)  この観音さまは大きなおなさけをもって、すべてのわずらわしさをとりさり、すべての人びとのねがいを満足さすということから、その名がおこったといわれます。普通の姿は三つの顔、三つの目、四つの腕、あるいは六つの腕という姿です。・・・
◇ 准てい観音(じゅんていかんのん)  この観音さまは人間の生命のことをつかさどる観音さまといえます。その姿は二つの腕、四つ、六つ、八つ、十、十二、十八、三十二、八十二などがあり、千手観音さまとよく混同されます。
  このほかに三十三観音さまといわれますが、これは観音さまが三十三の姿になってあらわれ、救済されることをあらわしたもので、西国三十三所という、観音さまの霊場ができたのもそれがためです。》
と出ています。
  「馬頭観音」ですが、《 人間のなかでも、やさしい顔をしておればいうことを聞く人もありますが、いうことを聞かない人には、逆におこってみることも一つの方法でしょう。 観音さまもおなじことで、このようなおこった顔をして、ほんとうの仏のお心をしらしめようとされたためであります。》ということならば、「ばとう観音」の「ばとう」というのは、もしかして、「罵倒」だったということはないか。時として、人を罵倒することで、「仏のお心をしらしめようとされた」という「罵倒観音」の「ばとう」という音が馬の頭の「馬頭」に字が変わって、そこから、《頭の正面に白い馬の頭をいただいています》という姿になった・・ということは、ありえないことではないように思うのですが、どうでしょうか。

  現地の説明書きには、
《 右の地蔵菩薩は歩行者の無事、家内安全を祈っています。
  左の馬頭観音馬頭明王馬頭大士とも)は六観音の一尊(いっそん)で、観音の怒りを現わし、頭上に馬頭をいただいた人面馬冠の姿です。
  馬はすべての悪をくじき、降伏させる力を現わしたものです。
  民間では馬の守護神として祈る風習もあり、江戸時代に広く信仰されていました。
  新井家は県道288号 河合、清見線間にありました。江戸末期に先代の広之助が、同家裏山の道のほとりに地蔵菩薩と馬頭観音を建立しました。同家とともに寄贈をえてこの地に建立されました。》
とある。《 民間では馬の守護神として祈る風習もあり、江戸時代に広く信仰されていました。》という部分ですが、東京都府中市の府中競馬場の北側に馬頭観音があり〔⇒[第661回]《大國魂神社【6/6】「仕事人の神社」東照宮・北を向く天神社、御旅所。府中競馬場のアルバイトの想い出》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201901article_6.html 〕、馬霊塔とともに競馬場のすぐ横にあるということは、競馬に出場した馬を供養する観音ということなのか・・、しかし、馬頭観音というのは「頭上に馬の頭をいただいた姿の観音」のことで、馬の神さんということではなかったはずだが・・と思ったのでしたが、飛騨の里の馬頭観音の説明書きに《民間では馬の守護神として祈る風習もあり》とあるように、馬つながりで、馬の守護神にもなったのでしょう。

  村上重良『日本の宗教』(1981.3.20.岩波ジュニア新書)には、
《 平安後期には、観音(観世音)信仰もさかんになりました。観音とは、観ることの自在な者という意味で、衆生を観て自在に救う菩薩とされ、さまざまに形を変えた姿であらわされます。観音信仰は、法華経でも説かれており、その章は「観音経」として普及しました。日本では、飛鳥時代以来、現世利益神として信仰され、奈良時代には大和国の長谷寺、近江国の石山寺、筑紫観世音寺など、平安時代には京との清水寺、武蔵国の浅草寺(せんそうじ)(浅草観音)などの観音を本尊とする寺院がつくられました。平安中期には、さまざまな観音を合わせて、衆生を救う菩薩として信仰する、三十三観音などの信仰がさかんになりました。京都の三十三間堂(蓮華王院)は、この信仰から後白河法皇が建てたものです。平安後期には、西国三三カ所の観音霊場の巡礼が流行しました。また観音の補陀落浄土も広く信仰され、観音を本地仏とする熊野の那智(飛滝〔ひろう〕権現)は、観音浄土とされました。ただ一人で、熊野から南へ船をこぎ出して海上で果てる、補陀落渡海の行を行う僧もあらわれました。》
と出ています。
  飛騨の里のホームページの「民間信仰」「路傍の神仏」http://www.hidanosato-tpo.jp/hdsmap.html に出ている地図では、六地蔵の近く、
(2)地蔵・馬頭観音 の場所にあります。

  そして、少し、場所が離れますが、地蔵菩薩です。↓
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↑  私が子供の頃、住んでいた所の近所にも、こんな感じのお地蔵さんがいらっしゃったように思うのですが、このお地蔵さんも、道端に建立されたお地蔵さんだったようです。現地での説明書きには、
《 地蔵菩薩は、歩行者の無事や家内安全など、あらゆる願いをききいれてくださいます。また、苦しんでいる人々を救ってくださるので、広く信仰されてきました
  親しみを込めて「お地蔵様」「お地蔵さん」と呼ばれ、日本全国で祀られています。
  この地蔵菩薩は、明治31年(1898年)に高山市南西にある山田街道(現 市道)の道端に建立されました。街道の拡張工事により、寄贈を受け、この地に移されました。》
と書かれています・・・が、飛騨の里のどこだったか、飛騨の里のホームページの「民間信仰」「路傍の神仏」http://www.hidanosato-tpo.jp/hdsmap.html に出ている地図では、地蔵が(7)(15)(17)とあと3か所あるのですが、(7)だったように思うのですが、(15)の可能性もあるような。(17)ではないと思うのですが。再度、訪問することができれば、また、確認してきたいと思います。

  竹中信常監修『教育まんが おじぞうさま』(大道社)所収の竹中信常「地蔵さまのおはなし」には、
《 仏教はいうまでもなく今から約2500年前、インドで釈尊がお説きになった教えです。当時、インドでおこなわれていた宗教はバラ門教でした。釈尊は当時の人びとに自分の新しい教えを説くために、必要に応じてバラ門教の神々を引用いたしました。大黒天、毘沙門天、吉祥天、辨財天など、仏教の神で「天」の字のつくのは大体バラ門教の神だったのを仏教の中にとり入れたものです。 地蔵もその一つで、もとはバラ門教のプリテビ、つまり「地天」――大地の神だったのです。これが仏教にとり入れられて、インドの古い言葉、梵語(ぼんご)でクシチ・ガルプハという名になりました。クシチは「地」、ガルプハは「胎」または「子宮」という意味です。胎は子どもをはらむところ、つまりすべてのものをはぐくみ育てる働きがあります。ですからこれをつなげて「地蔵」――つまり大地のようにすべてのものをその中に包みこんで平等に育てるものという意味になりました。
  地蔵さまはその名前のとおり、母のように小さい子どもをいつくしみ育て、立派な人になるように守って下さる菩薩なのです。このように地蔵さまと子どもとは切っても切れぬ間柄にあるのです。子育て地蔵、子持ち地蔵、はらみ地蔵、腹帯地蔵、延命地蔵、世継ぎ地蔵など、みんな子どもに深いかかわりを持っています。とくに水子地蔵は近頃 水子供養がさかんになってか、方々のお寺に建立されるようになりました。日の目を見ずに闇から闇に葬られる水子の霊をなぐさめるために建てられるのですが、地蔵さまにとっては、大人たちの不注意や気ままから水子にされた子どもこそ、何にもましてかわいそうであわれなものと思われていることでしょう。・・・ 》
と出ています。

  1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に在籍した時、嫁と子どもがあるのに、他の女性にはらませたらしく、その女性(当時、20代前半)から(株)一条工務店の営業所(住宅展示場)に、何度も何度も電話がかかってきた、ということがありました。私が電話をとって、その男性Sさん(当時、20代後半)に言うと、「いないと言え」と言うのですが、しかし、まず、そういう電話を取るのは私の仕事ではないし、ましてや、いるのに「いない」と言うのは私の仕事ではないはずでした。会社に私用の電話がかかってきても、それをとるのは私の仕事ではないし、私と(株)一条工務店との労働契約には、他の従業員の私用の電話をとるという作業は含まれていません。ですから、私用の電話をとってもらった場合には、まず、「すいません」の一言は言わないといけない。
  (株)一条工務店の福島県いわき市の営業所(展示場)には、第一設計部の春田靖(男。当時、20代なかば)に「佐藤さん」という女性から、朝から晩まで何度も何度も電話がかかってきて、そして、設計の職種の春田は電話をとらないので、かつ、営業の職種の従業員では、その時、その営業所(展示場)に勤務していた営業職の中では年齢は私より若い人はいたけれども、(株)一条工務店での社歴は私が一番浅かったので、私が電話をとることが多く、その「佐藤さん」という女性からの仕事とは関係のない電話をずいぶんと何回もとって取り次いであげたものだった。普通、私用の電話が勤務時間中にかかってきて取り次いでもらった場合、「すいません」なり「申し訳ありません」なり何なり言うもののはずであるが、ところが、””「バカでも入れる私大の建築学科」卒の者はお殿様””という意識があるのか、””「設計」はお殿様””という意識があるのか、春田靖という男は「すいません」の一言を言ったことが一度としてない。そもそも、会社の電話というものは、会社の仕事のためにあるもので、原則として会社の仕事と関係のないものでかけるものでもかけられるものでもないはずなのだ。会社の電話に勤務時間中にかけても良いのは、親か兄弟か親族が、親・兄弟・祖父母などが危篤だとか死亡したとか、交通事故などで大怪我をしたとか、隣家が火災で自宅が延焼したとか、子供が誘拐されたとか、何かそういった緊急事態の場合で、かける人間も親か配偶者、兄弟・息子・娘などの親族に限るはずである。もしくは、私のような営業の場合は、夜、相当遅い時刻まで客宅に行って営業活動をしていたので、帰宅後に連絡しようとしても、いったい何時に帰宅するかわからないので、それで、親戚の結婚式に出てもらいたいという連絡をするために、自宅にかけても出ないからということで、母が一度、営業所(展示場)の電話に相当気兼ねしてかけてきたことがあったが、そういうものは認められてよいであろうし、認められるべきであるけれども、春田靖に「佐藤さん」がかけてきた電話はおよそそのようなものではない。春田靖にとって、「佐藤さん」という女性は「かのじょ」だといわき地区の従業員は言っていたが、結婚した相手ではなく配偶者ではなかったはずで、配偶者になっていない「彼女」は、勤務時間中に職場に会社の電話に電話してよい対象ではないはずであり、また、その回数が多すぎるし、どう考えても緊急の用事でかけてきているものとは考えられない。所長は春田靖にきっちりと注意するべきであり、又、春田靖に「佐藤さん」が毎日毎日、何度も何度もかけてくる電話をとるのに労を払わされてきた私に(株)一条工務店の経営者は謝罪する必要があったはずである・・・が、今日に至るまで、一言として「申し訳なかった」なり「すいません」なりの言葉がない。これはどう考えてもおかしい。 そして、春田靖はその「佐藤さん」と結婚したのかというとしなかった。そうではなく、他の女性と結婚した。ということは、私は春田靖から、その時、配偶者でないだけでなく、結婚相手でもない女からかかってきた電話を、毎日毎日、何度も何度も、朝から夕までとらされた・・ということになる。もしも、他の女と結婚するというのなら、春田靖は「どうも、すいませんでした」の一言くらいは言うものではないかと思ったが、一言もなかった。この男の親というのはいったいどういう教育をしてきたのか、春田靖という男の親というのはいったい何やってる人間なのか・・と思ったのだが、中学校の校長先生だそうだ。なるほどなあ~あ・・と思った。なるほど、「中学校の校長先生」の息子というのはそういう態度を取るものなのか。なるほど~お・・と思った。そんな教師には習いたくないものである。又、そんな教師に子供をもたれたくないものである。
  そして、Sさん(男。当時、20代後半)に、「妊娠したようだ」ということで電話してきたらしい女性からの電話もまた、何度もとらされたが、Sさんから「申し訳ない」「すいません」という言葉は、結局、一言としてなかった。春田靖に「佐藤さん」がかけてくる電話に比べれば、その回数は少なかったとはいえ、回数が多いか少ないかよりも、悲壮な声でかけてくる女性の電話をとるのは、なんともつらかった。せめて、はらませたのならば、電話に出るくらいのことはしたらどうなのか。電話に出て自分が対処するべきではないのか。そのような電話を、なぜ、営業所(展示場)の他の従業員に取らせるのか。 (株)一条工務店の所長、および経営者は、なぜ、そういった電話に対して、「せめて、自分が電話に出ろ」と言わないのか。その女性にはらませたのは私ではないのだ。私がはらませたのではないのに、なぜ、私が何度も何度も、その悲壮な女性の声を聞かないといけないのか。
  2001年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野展示場に小山展示場に所属していた営業社員の縁故入社で小嶋という男(当時、40代前半)が中途入社したが、小島は明らかに異常な人間で、営業としてあまり優秀ではないが経験が長い「高木のおっさん」(男。当時、50代)の隣に小嶋の席を設けたにもかかわらず、営業補助として来ていた女性(当時、30歳)の隣に勝手に席を移動し、横から手を伸ばして尻をなでる。日曜日の午後、最も来場客が多い時間帯に、自分の所の展示場の目の前の玄関の目の前の駐車スペースに小嶋のクルマを斜めどめして2台分占拠して来客が停められないようにする。展示場の営業時間内に、ガラス扉1枚へだてた部屋に、来客がいつ来るかわからないという事務所で、パソコンのDVDでアダルトビデオをとどろきわたる大音量で視聴する。日曜、展示場の玄関で受付をしている営業補助の女性の所に行って何かしたらしく、大声をあげさせる。それら、明らかに営業妨害であり、さらに、玄関の目の前にクルマを停めていたことについて、10年選手の私が、他の場所にクルマを移動させてくれと言うと、「なんでえ~え」などと言ってすごむ。縁故で入れた人間は、他の展示場にいるからいいのかもしれないが、そういう人間を入れられた展示場の私にとっては営業妨害もいいところだったのだ。そして、さらに、勤務時間内に、(株)一条インテリア の担当女性 旧姓 須藤雅美(女。当時、20代後半。)に、事務所内で尻をなでたようで、女性が「いやあ~あ! お尻さわったああ~あ!」と絶叫。もはや、これは職場ではない。
  ところが、総務部長の天野雅弘が、私にこういったのだ。「須藤が嫌がってないのだから、別に、尻さわったっていいじゃないか」と。「『いやあ~あ』と大声で言っているのですが」と私が言うと、総務部長の天野雅弘はこう言ったのだ。「尻さわられて『いやあ』と女が言ったということは、『うれしい』てことじゃないか。『嫌よ嫌よもいいのうち』というのがわからんのか、おまえはあ! 何、考えとんじゃ、おまえはあ~あ!」と。それで、私は言ったのだ。「なんで、『いや』と言ったら『うれしい』になるんですか。『いや』といったら『いや』という意味でしょ。うれしいのなら『うれしい』と言えばいいでしょ」と。ところが、総務部長の天野雅弘は「『《いやよ、いやよ》もいいのうち』と言うだろうが。そんなこともわからんのか、おまえはあ。常識で考えろ。女が『いやあ』と言ったということは『いい』ということじゃないか」と言うのだった。私が「何を言ってるんですか。『いい』なら『いや』と言わずに『いい』と言えばいいでしょう。『いや』と言った以上は『いや』という意味でしょう」と言うと、天野雅弘は「なんでじゃ。須藤が『いやあ』と言ったというのが、嫌だから嫌だと言ったかどうか、おまえ、わかるのか」と言うので、「わかりますよ。そのくらい」と言ったのだ。
  実際問題として、職場内・勤務時間内に、女性社員の尻をなでて、「いやあ~あ、お尻さわったあ~あ」と大声あげさせるというのは、それは、職場環境破壊であり、業務妨害であって、「いやよいやよもいいのうち」だか何だか知らんが、天野雅弘が言うように旧姓須藤雅美が「うれしいから、『いやあ~あ』と叫んだ」ということならば、小嶋だけではなく旧姓須藤雅美もまた職場環境破壊・業務妨害の実行犯であることになる。その女が嫌がっていたか喜んでいたかなんてことは大きな問題ではない。職場内・勤務時間内に、女性社員の尻をなでて大声上げさせて職場秩序を乱した、職場環境を破壊した、業務妨害をした、ということが大きな問題なのである。もしも、「うれしい」のに「いやあ~あ」と大声あげたということならば、その女性もまた、職場環境破壊・業務妨害をおこなった、ということになる。もしも、旧姓須藤雅美(当時、20代後半。その後、結婚して、小林雅美。その後、さらに離婚したかどうかは知らん)が「うれしい」のに「いやあ~あ!」と職場で大声あげたということで、なおかつ、職場でおかしな男性社員から尻なでられて大声あげたいという女で、そうしたいということならば、旧姓須藤雅美が「セクシュアルハラスメント」の加害者ということになる。実際、旧姓須藤雅美は、須藤が言うには前職で勤めていた(株)ネッツトヨタ栃木https://www.netztochigi.co.jp/  の栃木県足利市の営業所において、「前いたネッツトヨタなんて、朝、来て、『おはよう』と言うと同時に、おっぱいもみもみい~い、てそれが普通ですよお。同意の上だからいいんですけどお。私もつかみにいってましたしい」と言い、それだけではなく、佐野展示場にいたもうひとりの元クルマ屋の高木義夫(男。当時、50代なかば。創価学会員)(「高木のおっさん」)が「俺は会社の女の尻をさわりたいんだあ~あ」と叫び、「俺が前いた、トヨタカローラなんて、会社に行くと、俺は会社中の女の子の尻をなでまわしてたぞ。俺は会社の女の尻をさわらないと会社に来たという気持になれねえんだ」と言い、それに応じて旧姓須藤雅美が「そうそう。それが普通よお~お。会社である以上、それが常識よ、それが会社の常識!」などと言って職場環境破壊をおこなっていたのだった。旧姓須藤雅美は、小嶋から尻をなでられて大声あげて叫んだ時は、その時は、天野雅弘が言うような「いやよいやよもいいのうち」などというものではなく、実際に「いや」だから「いやあ~あ」と言ったのだが、しかし、全体としては、旧姓須藤雅美は会社の職場環境破壊とセクシュアルハラスメント行為の加害者であって被害者ではないのである。又、栃木県南部の「副所長」(という肩書で実際の仕事は営業所長)であった木下(男。当時、40代前半)は「女性がいいと言えばいいのだから、須藤がいいと言っている以上、この職場では女性の尻はさわっていいんだ」などと発言したが、性別としての女性が「いい」と言う権利などないのである。もしも、旧姓須藤雅美が「いい」のならば、勤務時間外に職場外に行ってやることである。「副所長」の木下は、私に「あんたが、小嶋に注意しろ」と言っていたにもかかわらず、その後、会社の経営者から、逆のことを言われたらしく、今度は私に「あんたは、女性社員が職場内勤務時間内に男性から尻をなでてもらう権利を侵害した。これはセクハラだ」などと言いだしたのである。なおかつ、私が木下に「木下さん、あなたが「副所長」としてこの地域の会社の責任者として私に小嶋に注意しろと言われましたよね。違いますか」と言うと、木下は「ぼくは、高卒だから、そんなこと言われても、わかるわけがない! ぼくは高卒だ!」と言ってふんぞりかえったのである。私は「高卒であっても、『副所長』としてこの地域の責任者になっている人ですよね。この人は高卒だから一線の営業の仕事はできても管理する仕事は無理だということで副所長になっていないという人ではなく、高卒だけれども副所長の仕事ができる人だということで副所長になっている人ですよね。違いますか」「高卒だからこの人は一線の営業はできても管理者としての仕事は無理だということで副所長になっていない人なら『ぼくは高卒だからわからない』と言ってもいいかもしれませんが、木下さんは高卒だけれども副所長の仕事ができるということで副所長になっている人ですよね高卒であろうが、その役職についたのであればその役職の人間としての役割を果たしていただかないといけませんね」と言ったのだが、木下は「そんなこと言われても、ぼくは高卒だ。そんなもの、わかるわけがない。ぼくは高卒だから、そんなこと言われても、できるわ~けがない。常識だ」と言ったのだった。(株)一条工務店はそういう男が栃木県南部の「責任者」になっていたのだった。(株)一条工務店という会社は、前々から、その役職に就く時には「学歴で人を差別してはいかんだろうがあ」と言いながら、いったん、その役職につくと「ぼくは高卒だから、そんなもの、できるわ~けがない。ぼくは高卒だから、そんなもの、わかるわ~けがない」と言ってふんぞり返るという、そういう人間を役職につけるのが大好きな会社であり、その卑怯者の二刀流、ダブルスタンダードは、おそらく、経営者がそういうように言えと指示した可能性が高いと思われる。
  旧姓須藤雅美は総務部長の天野雅弘が言ったような「いやよいやよもいいのうち」などというものではなく、そして、成人した会社員が、職場で大声で「嫌~あ」と叫んだからには、その発言には責任を持つべきであり、「うれしい」のに「いや」などと言わないでもらいたいものであり、「うれしい」のなら「うれしい」と言うべきであろう。
  私が「わかりますよ、そのくらい」と言ったのは、実際にその場におればわかることだから「わかりますよ、そのくらい」と言ったのだが、ところが、(株)一条工務店の総務部長の天野雅弘は「なんで、わかるんじゃ。おまえ、そんなに女の気持ちがわかるのか。おまえ、何人、女を知っとるんじゃ」などと言ったのです。私が「どういうことですか。そういう発言は私に対する人権侵害ですよ」と言ったのだが、総務部長の天野雅弘は「なんでじゃ。おまえが、女がほんとに嫌がってるかどうかわかると言うから、きいてやってるんだろうが。何人、女を知っとるんじゃ。答えろ! 何人、女、知っとるんじゃ」と。こういうのが総務部長だったのです、(株)一条工務店という会社は。程度の低い会社であり、程度の低い総務部長です。「セクシュアルハラスメント」というものは女性だけが被害者になるものではない。(株)一条工務店の営業本部長で初代社長の大澄賢二郎の義理の弟の天野隆夫は「女の子は、何かあるとすぐに辞めてしまうから、だから、気を使って気を使ってしてやらないといけないんだ。その点、男には何を言ってもいいんだけれどもな」と私に言ったのだが、しかし、天野隆夫は「男には何を言ってもいい」と思っていたらしいが、しかし、私の方では何を言われてもいいなどとは思っていないし、私は天野隆夫に何を言われてもいいなどと言った覚えはない。そもそも、女性社員には男性社員とは異なって「気を使って気をつかって」してもらう権利などというものがあるという天野隆夫の主張はおかしいし、「男には何を言ってもいい」などというのもおかしいのであり、天野隆夫は「男には何を言ってもいい」と思って私に無礼な口をききまくっていたようだったが、私はそのようなものを認めた覚えはないし、決して認めてはならないものである。 男性に対する「セクシュアルハラスメント」ということは成り立つことであり、発生している。ただ、私は「セクシュアルハラスメント」、特にその略語としての「セクハラ」という言葉が、あまりにもいいかげんな使い方をされて、その用語が使われることで、かえって物事の理解を妨げているように思われるので、それで、その用語はできるだけ避けていたのだが、天野雅弘の発言は男性である私に対する「セクシュアルハラスメント」でもあった。
  はっきり言います。何人もの女性と性交をする経験を持ったとしても、女性の気持ちを理解する能力は身につきません。(株)一条工務店の私が在籍した営業所(展示場)に、同じ営業所(展示場)に所属した男性従業員Sさんが、嫁も子供もあるのに、他の女性をはらませて、はらんだ女性が悲壮な声で営業所(展示場)に「勤務時間中に大変申し訳ありませんが、◇◇さんはおられますでしょうか」と言って電話してきたその電話を取って、その悲壮な声を聞いたのは私であり、その女性をはらませた男ははらませただけで、「いないと言え」と言って絶対に電話に出なかったのであり、電話に出なかった男はその女性の悲壮な声を聞いていないのです。私はあの声を聞いて、そういう行為はするべきことではないと思いました。はらませた男が女性と性交をした経験を持ったとしても、それで女性の気持ちをわかるようになったかというと、理解できるようにはなっていないと思います。(株)一条工務店の総務部長の天野雅弘は「だから、おまえが、女が『いやあ』と言った時、嫌なのかうれしいのかわかると言うから、だから、おまえは何人の女とやったのかときいてるのだろうが。答えろ! 女の気持ちがわかると言うからには、相当何人もの女とやった経験があるのだろうから、だから、何人の女とやった経験があるのか、と訊いてやってるんだろうが」と何度も言うのでした。そして、私が「どうして、そういう話になるのですか」と言っても、「だから、女の気持ちがわかるとおまえが言うのだから、何人の女とおまえは今までやったのかときいてやってるんだろうが。答えろよ、何で答えないんだ!」と言い張ってきかなかったのです。そして、私が「そういう発言は、私に対する人権侵害ですよ」と言っても、「なんでじゃ。なんで訊いたらいかんのじゃ。おまえが、女がほんとに嫌がってるのかどうかわかると言うから、何人の女とやった経験があるんじゃと訊いとるのだろうが。なんでいかんのじゃ」と言ってきかなかったのです。そういう男が(株)一条工務店の総務部長なのです。(株)一条工務店というのはそういう会社だった。今も、たいして変わっていないと思います。この会社の体質はそう簡単には変わりません。
  (株)一条工務店の嫁も子供もあるのに、他の女性をはらませて、その女性から電話がかかってくると、「いないと言え」などと言い、そもそも、そういう電話をとるのは私の仕事ではないのであり、「いないと言え」などという口をきかれる理由はないのですが、そういう男性が「女性の気持ちを理解できる」かというとそうではないはずです。総務部長の天野雅弘は、何人もの女性と肉体関係を持てば「女の気持ちがわかる」と言うのでしたが、それは違うと思いますよ。その前に、天野雅弘に「何人の女と経験あるんじゃ。答えろ!」とか言われた男の気持ちを理解できていない総務部長は、たとえ、「一族」であっても総務部長の職につくべきではないと思いますよ。
  その(株)一条工務店の嫁と子どもがあるのに他の女性にはらませた男性みたいな行為は私は今まで一度としてやったことはない。だから、私には水子供養などというものは関係ない、と思ってきた。
  しかし、そうでもないのではないかと思うようになった。私は、高校は進学校だったので、たとえば、高校のある英語の先生で「女性のことが気になってしかたがない、などということになると、もうだめね。もう、伸びない。Lという字を見ると座っているところを思い浮かべ、Iという字を見ると立っている姿を思い浮かべる、などとそういう状態になったらもうだめ。もう、成績は伸びない」と言う人がいたが、今から考えると、そこまで考えなくても、もっと自然体でいいのではないかと思うのだが、高校の頃は自分でもそんな感じに思っていて、高校生が女性とつきあうなんて考えられなかった。そして、浪人してしまったのでその状態が高校卒業後も続いた。私の父親は私は「あんたの結婚相手はわしが決めたるわあ。おまえが、女とつきあう前に、女を何人か用意してわしの所に連れてこい。おまえが、女を何人か用意してわしの所に連れてこい。そしたら、それをわしが見て、その中にわしのお眼鏡にかなう女がおったら、『こいつにせえ』言うたるから、そいつとつきおうたらええ。その中にええのが一人もおらんかったら、『みんな、あか~ん』言うたるから、その時はまた、何人かの女を連れてこ~い。そしたらまたその中からええのがおるかどうか決めたるわあ。その中にもええのがなかったら、また、『みんな、あか~ん』言うたるから、また何人か、女を用意して連れてこ~い。そしたら、その中からまたええのがおるかどうか見たるわ。そうやって決めたらええ。それがあんたのためになることや。あんた、わしみたいなえらいえらいお父さんをもって幸せやねえ~え。そうやって、わしが決めたるさかいな」と言うので、「要りません」「けっこうです」と言ったのだが、ところが、父は「何を言うとるんじゃ、何をお。このわしが、決めたると言うてやってやってやってやったっとんねんぞ。わかっとんのんか。甘ったれとってはいかんぞ、このチャンコロ! 甘ったれるなよ、このチャンコロ、ろすけ、イタコ、ぷえるとりこ!!! おまえが決めるのとは違うねんぞ、このわしが決めるねんぞ、このわしが。世の中のことは何でも何でも知ってる、えらいえらいえらいえらい、謙虚けんきょケンキョ謙虚な人間でやなあ、百戦錬磨、海千山千で、精神的に安定した、風が吹こうが嵐が来ようがび~くともしない、いらいらしてきたいらいらしてきた、人格が優秀で、そのへんの並のお父さんとは桁が違う優秀なお父さんのこのわしが決めてやってやってやってやったってやろうと言うてやってやってやってやったっとんねんぞ。感謝せんか、このチャンコロ、このイタコ、このロスケめが、このチャンコロ、この浪商! わかっとんのんか。わしはドイツ人やねんぞ、わしはあ。わしはおまえとは民族が違うねんぞ、このわしは。わしはドイツ人でおまえはチャンコロやねんぞ。わしは慶應でおまえは浪商やねんぞ。わかっとんのんか、この浪商! わかったとんのんか、チャンコロっ! おまえが決めるのとは違うねんぞ。わかっとんのんか。よもや、このわしに無断で女とつきあうようなのぼせあがった真似はやっとらんやろうなあ。つっけあがるなよ、チャンコロっ! つけあがるなよ、この浪商! 民族の違いを忘れてはならぬぞ、チャンコロっ! 階級の違いを忘れてはならぬぞ、この浪商! わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロ、この浪商! おまえは浪商でチャンコロやねんぞ、このチャンコロ浪商! わしは慶應でドイツ人やねんぞ。民族の違いをゆめゆめ忘れるでないぞ、この浪商チャンコロっ!」と何度も何度も言うのだった。・・・で、毎日毎日、そう言われているうちに・・・、お嫁さんなんて要らんわ・・とふと思うようになってしまった。
  あくまでも、「ふと」だったが、あの父親がいる限り、まともな結婚はできない、という状態だった。その父親が他界したのは私が31歳、32歳の誕生日を迎える直前だった。そのすぐ後で(株)一条工務店に入社したのだった。そして、「子供があるんだから」と「子供」を大義名分に先に帰るやつ、そいつの仕事をやらされたりといったことがずいぶんとあった。そして、(株)一条工務店という会社は、仕事をする上においては、子供のある人間は「子供があるんだから」と先に帰って、みんなの仕事を子供のない者に押しつけておきながら、給料を受け取る時には、「子供のある人間は役に立つんだから」などと言って「家族手当」と称して子供のない者・独身の者よりもずいぶんと高い給料を盗るのだった。そうやって、「子供がある」者に仕事を押しつけられて、「婚活」できずにいたことにより、そうでなければ私にもできた可能性のある子どもができなかったのである。だから、そいつら、「子供」を大義名分にして私に仕事を押しつけて先に帰ったやつらに、そうでなければ産まれたかもしれない私の子供は殺されたのである。そいつらに私の子供は水子にされたのである。1992年、(株)一条工務店で、東京展示場(江東区潮見)にいた時、服部(男。当時、20代後半)が「嫁」を口実に昼過ぎに出てきた時も(株)一条工務店は午前10時から出勤した扱いにした。1993年、進藤(男。当時、20代後半)が「子供」を口実に昼過ぎに出てきた時も(株)一条工務店は午前10時から出勤した扱いにした。それに対して、高齢の母がいて、朝、出かけようとしても、「もうちょっとおればいい」とか言ってぐずったりして出れなかったりして、私が5分未満の遅刻をしたところ、(株)一条工務店は給料をへつった。これはおかしい。これは二重の意味でおかしい。ひとつは、「子供」や「嫁」を大義名分にして昼過ぎに出てきたやつには遅刻していないという扱いにして、高齢の母のためにほんのわずか遅れた者には遅刻だとして給料を引くという「不公平な態度」「公平性の欠如」は会社としておかしい。そして、もうひとつは、勤務時間外の労働に時間外手当を支払っていない会社が、4分や5分、遅れたからといって給料を引くというのはおかしい、もし、4分や5分遅れたから給料を引くというのなら、何時間も時間外労働しているものに対して、きっちりと時間外賃金を支払わないといけないはずである。時間外手当の支払いをちょろまかしている会社が、3分だ4分だ遅刻したと給料を引くというのはおかしい。 そもそも、浜松市が「防潮堤の費用」と称して受け取った300億円というのは従業員・元従業員に対する時間外手当の未払い分を貯め込んだカネの一部分なのであり、そのようなものを受け取る浜松市長の鈴木康友という男は、いったいどこの学校出てるんだ!?! というと、慶應大学のア法学部なのだが、そんな法学部はアホウ学部と言うしかないであろう。遵法精神のかけらでもあれば、そのようなカネは受け取れないはずである。
  2011年、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産)に、社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)の嫁の河野利華(女。当時、40代前半)の友人だとして縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)は、「子供があるんだから」と「子供」を大義名分にして、自分がそれに対して報酬をもらっている仕事を残して定時に帰り、それを担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせて、そして、まだふさわしい相手にめぐりあうことができずにいる人間から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供が欲しいと思いながら子供ができずにいる人間から「妊活」の時間を奪って滝口が担当の仕事をさせて、そして、まさにその時間に、「定時に帰った滝口恵」はオットと「妊活」(性交)をやって3人目をはらんで産んだ。いわば、その3人目の子供は、まだふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供はまだできない人間から「妊活」の時間を奪ったことによりできた子供であり、滝口の3人目の子供はひとの子供を殺して産まれたような子供であった。 いわば、その子供のために、まだふさわしい相手とめぐりあうことができずにいるも者にそうでなければできていたかもしれない子供が殺された、結婚はできたが子供はまだできない人間のそうでなければできていたかもしれない子供が殺されたのである。私は、滝口恵とそのオットと滝口の子供のおかげで、私にできていたかもしれない子供を殺されて水子にされたのである。私にできていたかもしれない子供なのに水子にされたかわいそうな子供のために、お地蔵さんに手を合わせてきた。お賽銭も入れようと思ったが、飛騨の里のお地蔵さんは、前に賽銭箱らしきものが置かれていても入らないようになっていたのでそれは入れようがなかったが、厳粛に手を合わせて、水子にされてしまったのを防ぐことができずに申し訳ないと、水子にされた子供に謝り、お地蔵さんに、その子供の悔しい思いを何とか晴らしてください、とお願いしてきた。お地蔵さんというのは、《大地のようにすべてのものをその中に包みこんで平等に育てるもの》である。だから、自分だけ「子供」を大義名分にして、おのれがその仕事に対して報酬を受け取っている仕事を残して定時に帰り、それを担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせて、おのれが3人目をはらむ行為をするために、ひとの「婚活」や「妊活」の時間を強奪する鬼畜女とそのオットと子供は、お地蔵さんが守る対象ではないはずであり、そんな連中を守るならば、その連中のおかげで水子にされてしまった子供を守る役割を果たしていないことになる。

  さて、1月には、五阿弥池のほとり、寒い中、鳥がちじこまっていたのだが、2月には、↓ なんてのがいた。
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↑ これは、何だあ~あ? 最初、猪かと思ったのだ。体つきからして、猪かと思った。もっとも、猪というものをはっきりと見たことがないので、よくわからない。 熊ではないと思った。色は熊みたいな色だけれども、熊でも子熊ならこのくらいの大きさかもしれないが、熊ならば、首がもっと短いと思うのだ。 猪にしては牙がない、と思った・・のだが、雌の猪か、それとも、まだ子供で牙がそれほどはえていない猪なのか? それとも、野豚といったものだろうか。そんなに狂暴な感じではなく、草をつっついていたので、草食動物だと思われた。
  何だろう、あれは・・と思ったが、近づいて見て、襲われても困るので、どうしたものかと思っていると、後ろから来た年配の夫婦が「鹿だね」と話していたので、鹿なのか・・・と思った。それで、鹿ならまあいいか・・と思って、見学予定にしていた旧若山家住宅の方に進んだのだったが・・、しかし、鹿は奈良公園で見たし、カモシカは下北半島の恐山菩提寺で「天然もの」を至近距離から見たが、↑ は奈良公園にいるような鹿とは違うし、恐山で見たカモシカとも違う。そのいずれでもない。・・・やっぱり、鹿ではないような気がする、熊にしては首が長いし、鹿にしては首が太いし・・・、それなら、何だろうか?  野豚というのはありそうな気もするが・・・、何だろう。 わかる人いたら教えて・・・。

  次回、旧田中家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html

  (2020.3.1.)

☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光曜山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里にて。凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。〔今回〕
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html 
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html

☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 

☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html 
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html

☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht 


教育まんが かんのんさま - 高橋良和
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日本の宗教 (岩波ジュニア新書) - 村上 重良
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企業と人権 (日本労働法学会誌 (78号)) - 日本労働法学会
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権利のための闘争 (岩波文庫) - イェーリング, Jhering,Rudolf Von, 淳一, 村上
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