高山の食堂。飛騨牛重は後で「食べた」感が出る。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。

[第762回]高山シリーズ6回(29)
【A】  内田康夫は『風の盆 幻想』で、「登場人物の内田康夫」が浅見光彦と一緒に高山に行った際、鍛冶橋の近くのラーメン屋で、飛騨牛ラーメンを注文したところ、硬くてまずかった・・と書いていたのだが、その店がどこなのかはわからない。その件について、[第591回]《内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山[2]高山ラーメンー高山シリーズ第5回【2/15】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html で述べたが、 味覚は人それぞれなので、内田康夫は正直に書く作家だと思うが、本の著者紹介に掲載されている写真は40代の写真ではないかと思うが、50代の時の作品も60代の時の作品も70代の時の作品も、本のカバー見返しには40代の写真が掲載されているので、年配の人にとっては硬かった・・という場合もあるだろう。又、実際に硬かったとしても、店の方でも改善して、今ではそうではないという場合もあるかもしれない。 ひとつには、飛騨牛というのは高級食材だと思うのだが、ラーメンというのは一般には庶民料理であり、又、東京の銀座とかそういう「エライ人」が行く高級料亭と違って、高山に来る観光客というのは多くは「普通の人」だと思うので、「普通の人」が出そうと思うお金を考えると、飛騨牛でも牛筋の部分を使用するとか、そうなると、処理のしかたにより、「硬~い!」ということになる可能性もあるかもしれない。

  鍛冶橋のすぐ西にある店、「飛騨高山 中華そば 鍛冶橋」 ↓ は、私は、高山に最初に来た時だったか二度目の時だったか、ここで、飛騨牛ラーメンを食べておいしいと思ったのだが、内田康夫が「かた~い」「まず~い」と言ったのがここなのか別の店なのかはわからないが、立地がいいということもあると思うが、今回、また、入店して、今度は「飛騨牛重」2030円を注文して食べた。
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( ↑ 飛騨高山 中華そば 鍛冶橋。 )
   2000円を超す食事で、「元祖 飛騨牛重」というから、ものすごいものが出てくるのか・・と思ったが、けっこう待って、出てきたのは、ごはんの上に小型のサイコロ型の肉がいくつか載ったもの。肉の塊の他に載っていたものはたいしたものはなかったと思う。 これが2000円を超す料理なのか? と思ったのだが、食べてみると、悪いとは言わんが、「飛騨牛重」というものものしい名称の料理かな・・と思ったのだった・・・が、店を出て、しばらくしてみると、たいして量はなかったような気がしたのだが、十分に満腹感があり、「食べた感」があった。そして、高山の街を歩くと、「飛騨牛・・」と書かれた店があっちやらこっちやらに出ているが、それらを見ても、「飛騨牛の料理は今回はもうこれでいいなあ」という気持になった。だから、食べている時は、それほどものすごいものを食べたような気はしなかったけれども、食べ終わってしばらくすると、それなりのものを食べたようなそんな気持ちになる食事だった。それから考えると、悪くないものだったのか・・・? と思ったが、評価はもう一度くらい食べてみないと何とも言えない。
   いいとは思えなかったのが2点。店員のにーちゃんがピアスをしていた。 関係ないみたいかもしれないけれども、私は好きではない。2月11日に亡くなった野村のじいさんも、「茶髪、長髪、ヒゲはいかん」と言うとったが、私はそれに追加して、「茶髪、(男の)長髪、ヒゲ、それに男のピアスはいかん」と、別に教育係ではないから言う必要もないのだろうけれども、他の人がどう思うかは知らんが私はいい印象は受けない。
   もうひとつ。 私は酒やビールは注文せず、食事だけだったが、店員のひとりが、他の客の所にジョッキに入ったビールを運ぶ際に、せっかくとってがついているのに、冷えたビールのジョッキの本体を手でつかんで運んでいた。あれはいいとは思えない。 ワイングラスはどこを持つべきか? 客の側でわかっていない人がいるのはしかたがないが、提供する方の店の人間、および、建築屋(キッチン関係も扱うわけだから)は、わかっているべきである。ワインは温度の影響で味が低下する場合があるのだから、だから、脚のあるグラスに入っているのであり、ワイングラスは脚の部分を持つべきである。しかし、客の側でわかっていない人がいたとしても、これは多少はしかたがない・・が、それを提供する店、及び、建築屋、特に住宅を扱う建築屋がわかっていないというのは悲しいし、哀しい。2010年12月、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕(2013年11月に正式に倒産。)の忘年会の際、N村設計事務所のおっさん、名刺に「建築家のつくる家」と三井ホームの「建築家とインテリアコーディネーターのつくる家」というコピーのパクリのコピーを入れて、氏名の下に「一級建築士」と入れた中村のおっさんが、ワイングラスのボウルの部分をぐわっと鷲掴み!・・なんや、このおっさん! 建築屋がいったい何という持ち方をするのか!?!( 一一)( 一一)( 一一)・・と私はそれを見てびっくりしたのだったが、そのあたりを見ると、N村のおっさんというのは自称「建築家」だけあって、建築屋ではなかった、ということだったのかもしれない。東京カテドラル聖マリア大聖堂というのは「建築家 世界の丹下健三」の設計だというのだが、入口の扉は日に焼けて雨に打たれて変色していた。建築屋ならば、常に日に当たり雨にあたる場所に扉を設ける場合には、本物の木の扉は避けて、木調のものがいいと施主が言うのならば、見た目は木調であるが実際には木でないものをつけるとか、本物の木の扉をつける場合には、少々中に引っ込んだ位置につけるか、もしくは前に庇を設けるかして、日にあたる度合い、雨に濡れる度合いを小さくする工夫をするものだが、ところが、「建築家 世界の丹下健三」が担当するとそういうことはまったく関係ない、そういうことはまったく考えない。「建築家 世界の丹下健三」のやることというのは建築屋ならしろうとのやることと一緒である。さらに、「建築家 世界の丹下健三」設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂というのは、竣工したその日から雨漏れがしたというのだが、建築屋の建物なら、「ぶっ壊して建て替えろ!」と言われるところだが、ところが、「建築家 世界の丹下健三」設計となると、それが「名建築」と評価されることになる。なんか、「建築家」てけっこうな身分でんなあ・・て感じがする。だから、N村設計事務所のおっさんにしても、私なんかは建築屋の仕事をしてきたので、ワイングラスというものは脚を持つべきものであって、ボウルの部分をグワッと鷲掴みにするなんてのは、それは一般のお施主さんでそういうことをする人が中にいたとしても、それはしかたがないかもしれないけれども、まがりなりにも建築屋の仕事をしている者がそんな持ち方をするのは極めて恥ずかしいことである・・と思って来たのだったが、N村のおっさんが、グワッとボウルの部分を鷲掴みにするというのは、それだけ、N村のおっさんは、建築屋ではなく「建築家」だったということだったのかもしれない。・・もしかして、「建築家」てアホと違うか・・と思うことがあるのだが、「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」と言えば「ひとは言うことをきく」と思い込んでいる人「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」と言えば、言うことをきいてもらう権利があるみたいに思っている人、というのが自称「建築家」、自称「いっきゅうけんちくしい~い」には甚だ多い。 それが「建築家」だと思っている人というのがいるのかもしれないが、「ヒゲはやせば建築家」と同様、「ワイングラスを脚の部分を持たずにボウルを鷲掴みにすると建築家」とかいう思想というのは、これは人によって考え方の違いというのももしかするとあるのかもしれないけれども、私はあまりいいとは思わない。食べ物屋の店員は、ジョッキに入ったビールを運ぶ際に、とってがついているのに本体をつかんで運ぶというのは、私はそれはあまりいいとは思わない。
  飛騨牛重の方は、食べている時はそれほどおいしいとも思わなかったのだが、不思議なことに、今、思い出してみると、悪くなかったような気がしてくるのだ。だから、最低、もう一度は食べてみないと、評価はできない。
  N村設計事務所のおっさんは、真っ赤なスポーツカーに乗って、ちょっと変わった帽子かぶって、そして、ワイングラスを普通の人間なら脚の部分を持つものをあえてボウルの部分をグワッと鷲掴み・・とすると、よっ、さすが「建築家」!!! と称賛してもらえると思っておったのかもしれんが、「ヒゲはやすと建築家」とか「ヒゲはやすとラーメン屋」とかいうのと同様、私はそういうのはいいとは思わない。ワイングラスは脚の部分を持つべきだと、キッチンスペシャリスト資格保持者として認識している。
キッチンスペシャリストハンドブック - キッチンスペシャリストハンドブック改訂編集委員会, 産業能率大学出版部, 産能大学出版部=
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  ひとによっても感じ方は違うのかもしれないが、「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか言えば「ひとは言うことをきく」とか思ってるような人間というのは、私はそういう ↓ は好きではない。それは民主主義に反する精神態度であるからだ。
権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム (有斐閣選書 (697)) - 曽良中 清司
権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム (有斐閣選書 (697)) - 曽良中 清司

   「中華そば 鍛冶橋」の「飛騨牛重」は、食べている時はそれほどのものという感じはしなかったのだが、食後しばらくしてみると、《「ああ、食べたなあ」感》というのがでてきたのだ。  《「ああ、食べたなあ」感》とともに、《「飛騨牛は、今回はもういいなあ」感》を覚えて、それで、翌日の昼は、飛騨牛の料理ではなく、もっとあっさりしたものにしよう・・という気持になり、高山の街で無料でもらえる「飛騨高山観光MAP ぶらり高山 高山で見る 食べる 買う」を見たところ、「飛騨産そば100% 限定十割そば」「高山駅前 飛騨産そば 飛騨」の「十割山菜ざるそば」がおいしそうに思えた。《 飛騨産100%のそばに地物山菜と季節の山菜天ぷらを添えた素材にこだわった贅沢な一品 2100円」というのがおいしそうに見えたのだ。 それで、飛騨の里から帰ってきて、濃飛バスセンターを出るバスの出発時刻までの間に、↓ の「手打ち うどん そば 飛騨」に入った。
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↑ 麺類の店が2軒、並んでいるが、奥が「手打ち うどん そば 飛騨」で、手前は「飛騨 らーめん うどん そば 栄屋」である。今回は奥の方、「手打ち うどん そば 飛騨」の方に入った。

( ↑ 「手打ち うどん そば 飛騨」 )
   朝、ホテルを出る時には、「飛騨高山観光MAP ぶらり高山 高山で見る 食べる 買う」を見て、昼はこの「高山駅前 飛騨産そば 飛騨」で「十割山菜ざるそば」を食べよう・・と思ったのだったが、ところが、飛騨の里に行って帰ってきた頃、この店で何を食べるつもりだったか忘れてしまった。それで、店に入ったところ、「鍋焼きうどん」がおいしそうだったので、それにした。1050円だったかな・・・。そのくらいだったと思う。おいしかった(^^♪  せっかく、飛騨に来たのだから、「飛騨産そば100%」のそばを食べよう♪ と朝は思ったことを店に入った時は忘れてしまったのだった、まあ、「鍋焼きうどん」もおいしかったから、まあ・・いいか。 「飛騨牛入り鍋焼きうどん」というのもメニューにあるらしかったが、それだと、単なる「鍋焼きうどん」より1,000円アップになるらしい。飛騨牛は前日に「中華そば 鍛冶橋」で「飛騨牛重」を食べたのがまだ印象に残っていたので、「飛騨牛入り鍋焼きうどん」ではなく単なる「鍋焼きうどん」にしてが、おいしかった。飛騨牛というのは、高山の街を歩くと、あちらこちらに「飛騨牛」と書いた看板を見るのだが、これは高級食材だと思うのだ。だから、「貧乏人は麦飯を食え」みたいなもんで、わたしらは食ったらあかんとかいうそこまでのものではないが、どちらかというと「ごちそう」の方のものだと思うので、毎回、食べる必要はないし、毎回、食べてもありがたみがなくなるのではないかと思う。 店を出てバスに乗ってから、「あ、『山菜ざるそば』を食べるのだった」と思いだしたが、「まあ・・・いいか」とも思ったのだ。だから、『山菜ざるそば』は次回以降、来た時に食べることにする。

  2月の訪問時に夕食を食べたのが、↓
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「生そば うどん きくのや(喜久之家)」

( ↑ 高山市花里町 「きくのや(喜久之家)」 )
  最初、ここでではなく、他の場所で食べるつもりで歩いていたのだが、ふと、目に入ったのだ。店頭に出ている品書きの「にしんそば」という文句が。 在東京圏関西人、「日本とは東京のことである」と思っとる「東京もん」の認識でいくと、在日関西人としては、東京圏で生活していて不服に思うのが、東京の蕎麦屋には「にしんそば」がない! という点だ。「にしんそば」がメニューにある店がまったくないわけではないが、少ない。大阪で育った者としては、「そば」というと一番のごちそうのそばは「にしんそば」である。「にしんそば」は大阪ではなく京都が発祥だという話があるらしいが、発祥はどうかにかかわらず、京都でも大阪でも関西の蕎麦屋では「にしんそば」はメニューにあるのが普通。阪急電鉄の駅のプラットホームの一角とかにある「阪急そば」でも「にしんそば」はメニューにあってけっこうおいしい♪  それが、東京圏の蕎麦屋ではないことが多いのだ。 おお! 高山の蕎麦屋では「にしんそば」があるではないか(^^♪(^^♪(^^♪ と感激して、これは食べないわけにはいかない・・と思って入って食べたのだ。 やはり、高山は「東京もん文化圏」か「関西文化圏」かと、どちらかと無理にでも2分するならば、間違いなく「関西文化圏」の地域だ。《「にしんそば」ある文化圏》なのだ。東京のイナカモンの文化圏ではない!
  ・・但し、一人前に店舗を構えている「そばや」で「にしんそば」を食べると、どうも、期待しすぎて・・・「こんなものだったかなあ?」なんて思うこともある。 ひとつには期待しすぎるところがあるのかもしれない。京都に行った時も、何か所で「にしんそば」を食べたのだが、「にしんそば」は「京都が本場」と言われるので、「京都のにしんそば」は「大阪のにしんそば」よりもうまいものか・・と期待したのだが、まあ、絶対的にだめとか言うつもりはないが、それほどでもなかった。ひとつには、「東京もん」は「関西人」として京都も大阪も神戸も和歌山も奈良も、摂津も河内も一緒くた、街中も郊外も一緒くたにして「関西人は・・」とアンチ関西の態度をとるのだが、特に「慶應タイプ」にはそういう人間が多いのだが、ところが、「関西」と言っても京都と大阪で違いはあるし、摂津と河内でも違いはあるし、街中と郊外とでも違いはあるのだ。東京のイナカモンはそれを認めてなるものか! という態度を取る。特に慶應のイナカモンはそういう態度を取るのだが、関西も関西人も、それぞれ違うのであり、もしかすると、大阪生まれで大阪で育った私にとっては「大阪型にしんそば」と「京都型にしんそば」では「大阪型にしんそば」の味の方に味覚の好みができてしまっているのかもしれない。
  もうひとつ、「阪急そば」の「にしんそば」が、これが駅構内の蕎麦屋でありながら、これがけっこううまいんだわ(^^♪ だから、駅構内の店とかではない一人前に店を構えている蕎麦屋の「にしんそば」というと、それよりもずっとおいしい「にしんそば」を期待してしまうのだが・・・、これまでも、「あれ、こんなものだっけ?」と思った経験が何度もあった。
  それで、高山の「きくのや」の「にしんそば」はどうだったかというと、「にしん」はおいしかった。 しかし、「そば」の方は、悪いとは言わんが、食べた時の印象は、「こんなものなのかなあ・・」という印象だった。私の場合、「にしんそば」というものに対する期待度が高いからかもしれないけれども。
  店頭の暖簾を見ると、丼ものも扱っているらしいのだが、食べたかったのは「にしんそば」である。浄土真宗は、本願寺派が西日本、大谷派が東日本と別れ、高山には大谷派の高山別院光曜山照蓮寺 があり、高山別院でない光耀山照蓮寺もあり、この「高山シリーズ6回」で雪が積もった写真を掲載した市立西小学校の南側の不遠寺も真宗大谷派だが、本願寺派の寺は見たことがない。高山は、本願寺派と大谷派の分け方としては大谷派の地域、東側に属したらしいのだが、しかし、浄土真宗が本願寺派と大谷派に分けられた時期においては「東側」に属したとはいえ、関西系文化圏であって、《「にしんそば」ある文化圏》だから、これは食わにゃならん!  ただ、ご飯もの と違って麺類は、満腹感がない傾向があるので、東京でそばを食べる際には、サイドメニューで、「カツ丼(小)」もしくは「カツ丼(ミニ)」、「天丼(小)」もしくは「天丼(ミニ)」、「山菜丼(小)」もしくは「山菜丼(ミニ)」、「卵丼(小)」もしくは「卵丼(ミニ)」がセットになった「セットメニュー」というのがある店が多いのだが、この「きくのや」には「セットメニュー」はないようだった。「にしんそば」1食分と丼もの1食分の計2人分を食べるほど若くはないし、運動選手でもない。高齢の母を食事に連れて行くと難儀なのは、私は若いと思い込んでいるという点である。だいたい、90を過ぎたおばあさんの息子が10代のわけないのだ。ところが、10代か20代のラグビー選手か何かと勘違いしているような所があって、自分は1人前を頼むとともに、私に「あんた、若いんやからもっと注文しなさい」とか言って、それで押し切られて1.5人分とか、あるいは「大盛り」とかを、おばあさんがそう言うなら今回は・・とか思って注文すると、こちらは普段より多い量を食べて、「ああ、食べたなあ~あ」と思っているところに、母は自分が注文したものを3分の1も食べずに、それを私に渡して、「残り、あんた、食べなさい」と言うのだが、こちらは10代か20代のラグビー選手ではないのであり、「文武両道系」とはいえ「文治派」であり、「スポーツ専業型武断派」と違うのであり、そんなに食べれないのだ。「いいよ」と言うと、「甘ったれなさんな、あんたはあ。戦争中は食べたいと思っても食べられへんかったんやで。甘ったれなさんな。食べなさいんか!!!」と言うのだ。「それなら、自分が食べたらどうよ」と言うと、「多いやんか」と言うのだ。「それなら、どうして、注文したの」と言うと、「食べたいでしょうが」と言うのだ。どうも、おばあさんは、メニューに掲載されている写真とか見ると食べたい気持ちになるけれども、実際にそれが運ばれてくると、たいして食べれないらしい。だから、「あと、あんた、食べなさい」と言うのだが、こちらだってそう若くなくなってしまったのに、頭がラグビーでできているわけでもないのに、2人前以上も食えるわけないのだ。これは拷問だ。奈良の西大寺だったかで、強飯式だかいうのがあって、ご飯茶碗に山盛りのごはんを盛って、「もっと食ええ」と無理矢理食べさせるという儀式があるとかどこかで見たが、なんか、そんな感じ。「甘ったれなさんな、あんたは。戦争中は食べたいと思っても食べられへんかったんやで。わかってんのか」とか言うのだが、今、「戦争中」と違いますがな。むしろ、高脂血症・高コレステロール血症で内科に通ってるんやがな。食べる量を制限するように医者から言われている者に、「もっと食べなさいんか。甘ったれなさんな」と言われるのだ。「戦争中は食べたいと思っても食べられへんかったんやで」などと言うので、「それなら、自分が食べたらどうよ」と言うと、「多いでしょうが」と言うのだ。おばあさんと一緒に食事をするのは大変だ。大阪府箕面市の阪急「箕面(みのお)」駅から箕面大滝に至る滝道の滝に向かって右手に、元A級戦犯で船舶振興会会長の笹川良一がお母さんをおぶっている像というのが建っているのだが、あそこは道と違うのか? 道にあんなもの作っていいのか? それとも、道のように見えるがあの場所だけ笹川家の所有地なのか? とか思うが、どちらにせよ、無理矢理、食わされることを考えると、高齢になって体重が軽くなったおばあさんをおぶるなんて、おばあさんは人前でおぶられるのは嫌がるが、おぶる方は楽なもんだ! と思う。〔競艇ですって首くくって母親を泣かせた男のカネで、《「わしぁ、親孝行やねん。わしを見習わんかい、わしを、わしを~お」とか言いたい症候群のおっさんの像》なんて作りたくてしかたがない、というその精神構造は、あまり立派なものとは思えない。〕・・それで、それと同じく、「にしんそば」1人前と丼物を1人前、計2人前まで食べる食欲はなかったので、「にしんそば」1人前にした・・のだけれども、食べた後、麺類の場合にはご飯ものと違って満腹感がなくて、《「まだ、何か食べたい」感》がある場合が多いのだけれども、そうでもなかった。ということは、食べている時は、それほどいっぱい食べたという感じではなかったけれども、汁というのかスープというのかが、けっこう内容があるものだった、ということかな・・と思ったのだ。
  これまで、麺類でも、食べた後、「腹持ちがいい」「満腹感がある」麺類として、山梨県の上野原市で食べた「ほうとう」がある。「ほうとう」というのは、うどん とどう違うのか、うどん でないわけではないようだが、「ほうとう」という名称のうどんなのだと思う。山梨県人が言うには、「山梨県は米はとれないけれども、野菜はとれる。それで、腹持ちのいい麺類の料理を作ろうということで武田信玄が作った」という料理が「ほうとう」だというのだった。もっとも、「武田信玄が作った」というのは、たぶん、違うと思うけれども。山梨県では、なんだか、何でも「武田信玄が作った」になるみたいなところがある。だから、実際には「武田信玄が作った」のではなく「山梨県の誰かが作った」のだと思うが、「ほうとう」は「野菜を多く入れた・腹持ちのいい麺類の食事」らしく、麺類だから満腹感がないということはないようだ。・・それと同じでもないかもしれないが、「きくのや」の「にしんそば」は、「にしんそば」だけでは、食べた後、満腹感、《「食べた」感》がないかなあ~あ・・と食べる前は思ったのだったが、そうでもなかった。お湯とたいして変わらん汁にそばと具を入れたような蕎麦屋も東京圏にはあるのだが、そうではなく、汁もそれなりのものだったのか・・と思ったが、そうかどうか判断するだけの「食通」でもないので、そこまではわからない。
   「生そば うどん きくのや(喜久之家)」は、国分寺通りの南側、飛騨国分寺より西、高山駅の東側を南北に走る道との交差点よりすぐ東のあたりにある。「にしんそば」の値段は、500円を超えて1000円未満ではっきりとは忘れてしまったが、写真にも写っている店頭の品書きには、「にしん そば うどん 880円」と書かれているようだ。 「にしん うどん」なんて注文している外国人の客がいたが、「にしん」・・ときたら、「にしんそば」でしょうよ・・・と私などは思う。「にしん うどん」というのは、どうも、違和感がある。「にしん」の甘煮はそばと合うのであって、うどん と合うのではないと思う。やっぱり、「にしん」は「にしんそば」だと私は思うな・・・。

     
  [第591回]《内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山[2]高山ラーメンー高山シリーズ第5回【2/15】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html でも述べた、「焼きそば ちとせ」が、「生そば うどん きくのや(喜久之家)」のすぐ西にある。 「ちとせ」のメニューは焼きそば ばかりではなく、ラーメンもあるようなのだが、ここに入ると、焼きそばが食べたくなる。 2月、昼、また、ここで肉焼きそば を食べた。高山に行った時には、前に入った店ではなく、入ったことがない別の店を試してみたいと思っていくのだが、どうも、国分寺通りを歩くと、ここに入ってしまう。なぜか、吸引力があるのだ。
  前回までは、注文を席で聞いて持ってきてくれたのだが、今回、食券の自動販売機ができてそれで購入するようになり、そして、食後、客が自分で食器を洗い場の前まで持って行ってくれということに変わった。 人それぞれなのだろうけれども、私は前の方が良かった。前は「飛騨牛肉焼きそば」と書いてあったような気がしたが、「飛騨」の字がなくなった、単なる「肉焼きそば」に変わったような気がしたのだが、気のせいか・・?

( ↑ 高山市花里町 「焼きそば ちとせ」 )


【B】 1月に訪問した時は、晴天だった。遠方の山脈が雪をかぶった姿は美しかった。 バスが走る経路は、中央高速道には雪はなく、松本から西、しばらくも、道路に雪はなかった。しかし、アルピコ交通交通上高地線(旧 松本電鉄)の「新島々(しん しましま)」駅より西、高山市の丹生川より東の間には、道路にも雪があった。〔⇒[第734回]《高山訪問。雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html 〕
  さらに、2月の訪問時は、当日に雪が降りだした。それでも、高山市の市街は平地なので、雪景色がきれいで、降ったばかりの雪の上を歩くのは特に困難でもなく、夏場、大雨の時に水がたまった道を歩くよりもよほど歩きやすかった。しかし、自分で運転するのではなく、濃飛バスの運転手が運転したのだが、松本市の「新島々」よりも西、高山市の丹生川よりも東の区間、特に、平湯付近の積雪と降雪は平地より多く、大丈夫かなあ・・という感じだった。実際には大丈夫だったが、バスも下り坂では徐行運転をしており、これは、積雪地に慣れないドライバーがうっかり来ると危ないなあという印象を受けた。
  松本市の「新島々」より西から、高山市の丹生川より東の区間、「アルプス街道 平湯」「平湯バスターミナル」https://www.nouhibus.co.jp/alps/ の前後は、↓ のような具合だった。松本よりの側から、
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これより「アルプス街道 平湯」「平湯バスターミナル」
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「アルプス街道 平湯」「平湯バスターミナル」を出て西に向かうが・・・
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  まあ、旧 丹生川村、現在の高山市丹生川町でも、荒川家住宅とか丹生川支所とかのあるあたりから西は、それほど坂はないから大丈夫かと思うけれども、平湯の前後は、大丈夫かいなあ・・て気持ちになる。

  都市部と高速道路しかクルマの運転をしたことがない人間が、「地方」に行って運転すると面食らうことがある。私は、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で、福島県に5年間、勤務してわかったことがあるのだが、まず、
(1) 都市圏においては、「国道」とか「都道」「府道」「県道」というのは、ある程度以上、広さもあり、クルマで走りやすい道だが、「地方」に行くと、「県道」でもいろいろな県道があるが、「国道」ならそういいかげんな道はないだろう・・・などと思ったら、甘い!
  「地方」では、「国道」でも、ある程度、それが期待できるのは1桁か2桁の国道の場合で、3桁の国道の場合は、実際問題として行ってみないとどんな道かわからない。 3桁の国道を、「国道だから、そう無茶苦茶な道ではないだろう」なんて思って走り出すと、最初はよくても、そのうち、急勾配になり大きなカーブも増えて、山を登ったり降りたりで、そのうち、川のそばを走りだすと、これって、道というよりも、「単に堤防の上」と違うのか・・みたいな所になり、落ちたらどないなんねん・・と不安を感じながら徐行して走り、さらには、ふと気づくと走っているすぐ横を川の水が流れていたり・・、これは道路は道路でも、農道というよりも、あぜ道、もしくは、登山道、もしくは、けもの道と違うんかい・・、はたして、俺は生きて帰れるだろうか・・とか思い出す・・というそんな「国道」が現実にあるのだ!  だから、「地方」の3桁の国道というのは初めて行く人間には要注意である。

(2) 「川の堤防の上」が道になっているという所は、東京圏でもあることはあるが、そういう「道」の場合、普通は左側が川で右側がある程度低いとかいう場所だと、ガードレールくらいは両方にあるのではないか、片方が川で、他方はなだらかに低くなっているという場所なら、せめて、川の側くらいにはガードレールくらいあると思うのだ・・・が、都市圏ではそうでも、「地方」に行くと、そんな「常識」は通じない。そんな「常識」は都市圏における「常識」であって「地方」では「常識」ではない。だから、危なそうと思えば早めに行くのはあきらめるか、ともかく、「道路地図に載ってる道路だから大丈夫だろう」とかそんな認識ではだめで、自分自身で、どうだろうか・・と常に考える姿勢が必要である・・と思う。それが、「地方」で生きていく道・・というか、「地方」の道を走る上での心がけである。 「地方」は都会よりも大自然に近いのだ。

(3) 大雨、台風の時、道が冠水していた時、冠水しているとはいえ、鉄道の下をくぐるアンダーパスとかではなく、単に周囲よりも少々低いという所だから、ここは、ギアをセカンドにして、途中で止まらずに一気に通り抜ければなんとかなるだろう・・・なんて思うと、甘い! 福島県に行く前、千葉県で、道路が冠水していた時、「ギアをセカンドにして、途中で止まらずに一気に通り抜ければなんとかなるだろう」という方法で切り抜けたことが何度かあったのだ。ところが、1993年だったか1994年だったか、福島県いわき市にて、あれは台風の時だったか、秋頃だが、アパートの駐車場のすぐ北の川が「ものすごい」という話だったので、南から迂回して行くことにして、かつ、「ややこしい細い道」とか「裏道」とかを通るのは危ないと考えて、県道14号(いわき石川バイパス)を東に行き、県道20号(陸前浜街道)、かつては国道6号だった道を北上するというルートをとろうと考えた。ところが、県道14号(いわき石川バイパス)と県道20号との交差点、地図で見ると「下船尾」と書かれた交差点付近に近づくと、道路が冠水しているようなのだ。これは、うかつにクルマを止めてエンジンを切らずに、ギアをセカンドにして冠水部分を突っ切った方がいいだろう・・・と考えて左折し、県道20号(新しくバイパスができる前は、国道6号と言っていたはずの道)に入ったところ・・・・。 クルマの正面側は見渡す限り、池!!! こりぁいかん! と思ったものの、どうしたらいいのか。 ある程度、前に走ると、クルマの左手に空き地・更地があるのが見えた。よし、そこで方向転換させてもらって元の所に戻ろうと考えてハンドルを切ったところ、ガ~ン! と強い衝撃を受けた。クルマのタイヤの半分より少し上くらいまである泥水の下に歩道との間の縁石があってそれにぶつかったらしい。 後に、その際に、ホイールキャップがはずれて水中に失ったことがわかった。又、その際、ホイールキャップの内側、ホイール部分に傷がついたこともわかった。 これでは戻れない。ともかく、行くところまで行くしかない・・と思って進んだが、生きた心地はしなかった。もしかして、そのうち、ますます、水は深くなって、クルマも動かなくなって、ドアも開かなくなって命も失う・・なんてことないのか・・・と思った。だからといって、その場でクルマを乗り捨てて、ドアから脱出して、膝より高いが腰よりは低いと思われる水中をを歩いて逃げようと思っても、うかつにドアを開けると水が車内に入ってくることが予想される。ともかく、クルマが動くからにはクルマの中にいた方がいいのではないかと考えて進み、途中、右手に曲がる道があり、その右に曲がると、いわき市草木台という少々高さのある分譲地の方に行くので、そちらに行けば冠水していないのではないかと思って草木台の方に進んだが、そこから展示場に行くのもまた大変だった。
  いわき市平尼子町 にあったJTいわきハウジングパークの中にあった(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の営業所(展示場)に行くと、来ていない人の方が多かった。特に、所長は、従業員には何も言わずに、自分はさっさと欠席していた。 普通、所長ならば、天候がそういう事態である時には、従業員の自宅に電話を入れて、「今日はこの天候ではクルマで移動するのは無理だし、バスも動かないだろうから、全員、休みにして自宅にいるようにしよう」と伝達するものではないか・・と思ったのだが、所長のKさんは自分だけ休んで、この後、私と会った時には、「なんだ、おまえ、あんな日に会社に出勤したのか。バカか、おまえは」などと言うのだった。いくら、自分が担当として多く売っても、それは営業担当者としての能力、営業担当者としての仕事をしたということで、天災の時に、どう対処するかといったことについて、自分だけ守って自分が所長になっている営業所の従業員に的確な指示を出さないのでは、それでは所長の仕事をしていることにならないではないか。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の総務部長の天野雅弘は「所長の仕事は売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」と言うのだったが、それなら、所長の役職手当、タダどりではないか!  又、天災の時に、どう対処したものか、的確に判断してその地域の従業員に指示するという仕事は「所長の仕事と違います」と言うのなら、それなら誰の仕事なんだ? 「所長の仕事と違います」と言うのなら、それなら誰の仕事なのか、明確にしておくのが会社の経営者の仕事のはずである。それは、総務部長の仕事と違うのか?
   私は子供の頃から、父親から「サラリーマンというものは、地震が来ようが台風が来ようが、電車が走ってなかろうが、電気も水道も止まっていようがそんなことは関係なく、どないしても会社に出勤するものだ」と教えられてきた人間だった。だから、リゲインのように、川を泳いででも、壁をよじ登ってでも行かないといけないものか、と思って行ったのだった。何を言うとるか・・とか思いながら、その影響を受けていた。
※ 《YouTube-24時間戦えますか?》https://www.youtube.com/watch?v=VHYFDipo5Kc
  その結果、雨でも台風でも行かなければと思い、冠水してクルマのタイヤの中心より高い所まで水がつかっている道を走り抜けて出勤したが、所長は、所長ならば、自分が所長になっている営業所の従業員に、「きょうは無理だから出勤しないで自宅に待機することにしよう」と電話は通じたのだから電話で連絡するものではないかと思ったが、自分だけさっさと休みにして、誰にも連絡せず、半分以上の従業員はさっさと休みにしていた。「会社のために、死んでも働く。会社のために捧げ尽く~す。とってちってたあ~あ!」と毎日毎日、耳鳴りがするくらいに言われてきて、会社に勤めると、そんなことしていない人の方が多かった。
  私は、そこまでして働いた会社、そこまでやって尽くした会社に裏切られた。
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( ↑ 横山光輝『水滸伝 第2巻』2006.4.10.潮出版社 )
( 『水滸伝』の ↑ の男は「黄信(こうしん)」 )
  クルマのタイヤの真ん中より上まで冠水している道を走ってまで出勤することはなかったと思うし、その際に、水中で縁石にぶつかって失ったホイールキャップの代金、縁石にぶつけて傷ついたホイールの修理の費用は(株)一条工務店は出してくれず、私が個人で負担した。そこまでやることはなかった、と後で思ったが、それでも、そこまでして会社のために尽くしてきた者には、使用者は、この人はそれだけ、会社のためを思って働いているんだと理解してくれるだろう・・と思っていたが、(株)一条工務店の使用者はそういう使用者ではなかった。そうではなく、ろくでもない人間ばっかり大事にする使用者だった。
  その結果、最後は嫌がらせで工場勤務をさせられて、何十キロというものを朝8時から深夜12時過ぎまで連日、運ばされて、膝と肘を痛め、今も治らない。そして、そういう過酷な勤め方をしてきたこともあって、昨年、2019年、胆嚢炎で手術をすることになり、胆嚢を失った。胆嚢は摘出しても生きていけるらしいが、それでも、生まれてから何十年と一緒に生きてきた相棒を失ったのである。「やらずぶったくり」の会社とその使用者のために「会社のために捧げ尽くす」ということをやったその報いがそれだった。
  実際のところ、「24時間戦うのは、しんどい」・・・。 ⇒《YouTube-リゲイン TVCM|2014 すみれ「どーなっとるんだ」篇 「3、4時間」篇》https://www.youtube.com/watch?v=1TbzRq6QmWE ・・とそのくらいに考えて勤めた方がいい会社だったかもしれない。1993年、千葉県松戸市の営業所(展示場)に勤務していた時、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の営業本部長で松戸営業所長を兼任していた天野隆夫が、「なんで、休みの日に休むんだ」などと言ったことがあった。(当然、労基法違反。 労基法違反は犯罪です!) 「はあ?」・・・、実際のところ、「休みの日」と言っても、その「休みの日」に何かやって遊んでいるのではない。 「休みの日」というのは、洗濯物を洗濯機で洗濯したり、ワイシャツをクリーニング屋に持って行ったり、革靴を磨いたり・・そういうことをやるだけで一日は終わっていた。もし、「休みの日」に休むなと言う天野隆夫の「命令」の通りやれば、1日余計に働くことで1日分余計に成果が出るかというとそうではない。革靴を磨く時間がなくなる、ワイシャツをクリーニング屋に出す時間がなくなる・・・等々となるだけなのだ。ところで、営業本部長の天野隆夫は、「遠州弁とタガログ語のバイリンガル」だったのだが、なぜ、タガログ語を話せるようになったのか? はっきりしている。私たち、営業社員が、契約してもらえるかもらえないかにかかわらず、深夜まで走り回って営業活動をしていたまさにその時、フィリピン人女性ネイティブスピーカーからマンツーマンでタガログ語講座を受講しとったからであろう。それ以外に何がある? そんな会社に滅私奉公をして、膝と肘を痛め、胆嚢を失った。「身体髪膚之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり」と言うではないか。不良企業に勤めて、体を壊すばかりで、そこまでやって尽くした者に報いようとしないクズ経営者とその取り巻きだけが得をするそんな会社に尽くすのは間違っていたようだ。

  さらにその後、1995年だったかと思うが、いわき市鹿島町飯田 の展示場で、契約客の「仕様打ち合わせ」(「色あわせ」)をおこなった後、すでに、展示場の背後の道は冠水しており、はたして、自宅まで無事に帰れるだろうか・・という状況だった。「仕様打ち合わせ」などでなかった従業員は先に帰宅していたが、私は、進行中の「仕様打ち合わせ」の途中で帰るわけにはいかず、「仕様打ち合わせ」が終わった時点では、展示場の背後の道は冠水し、前の道も、ところどころで冠水した状態だったようだ。 そこに、浜松の本社から、若造が電話してきたのだ。もう、残っている従業員は少なく、普段はその展示場ではない別の展示場に勤務している私が電話をとると、「いわき市勿来の◇◇様という工事現場で、ブルーシートがめくれているとこちらに電話が入ったのですが、工務課(工事担当)の人はいますか」と。「本日は、日曜日でございまして、工務課は全員がお休みです」とお答え申したところ、若造は「それなら営業担当の人はいますか」と言うので、「営業担当者は、もう帰宅しております」とお話ししたところ、「それなら、あなた! あなた、ブルーシートがめくれているのをなおしに行ってください」などと言うのです。それで、「こちらは、只今、避難命令が出ておりまして、展示場の横の道も相当深く浸水しておりまして、従業員用駐車場まで歩いて行くのも大変で、そこから私の自宅まで運転して帰れるかどうか微妙な状況にあるのです。勿来まで行ってくださいと言われても無理な話であり、命あってのものですから、お断りします」と申し上げました。 「浜松のことしかわからない若造」が、年齢も自分よりずっと上で、社歴も私の方が古い、その若造の方が社歴は浅いであろうと思われるのに、自分よりも年齢も上で、自分よりも社歴も古いと思われる者に向かって、「それなら、あなた! あなた、ブルーシートのめくれをなおしてきてください」などと生意気に言うというあたり、そのあたりが「遠州人」の特徴と言えます。まさに、「浜松根性」です!!! 「遠州人」というのは実にそういう人間が多い!!! 「そうですか・・・。それなら・・、まあ・・、まあ、いいですう・・・」とか言いおったのですが、後から、あの若造に言ってやればよかったな・・と思ったのです。「私ではなく、あなた! あんたこそ勿来まで行って、ブルーシートがめくれているというのを直してきてください。あなた、今すぐ、行ってきてください!」と。「平成の大合併」によって、面積の広い市が全国にいくつもできたことにより、今では、いわき市よりも面積の広い市はいくつも出現しましたが、その頃は、いわき市は全国で一番面積の広い市でした。ですから、同じいわき市内とはいえ、いわき市鹿島町飯田 から いわき市勿来 まではけっこう距離があるのです。いわき市鹿島町飯田 から いわき市勿来 まで、道が冠水しまくっている最中に行けと言うのならば、浜松から行けばいいでしょう。いわき市鹿島町飯田から行けるのならば浜松からでも行けるでしょう。 何をひとに「それなら、あなた! あなた、行ってきてください」などと生意気な口をきいているのか。その若造に言ってやればよかった、しまった・・と後で後悔した。「あなたこそ、今すぐ、行ってきてください。浜松からでも行けるでしょう」と言ってやるべきだった。そもそも、台風と大雨であちらこちらが冠水しているという時に、ブルーシートがめくれているなんて、それがどうした!!! そんな電話をしてくるのがおかしいのだ!!! その「浜松の若造」は、まず、口のきき方からしておかしい。自分より歳も上なら社歴も自分より長い可能性が大きい者に向かってその口のきき方はおかしいし、たとえ、自分より年下の人間にでも、又、自分より社歴の浅い人間に対してでも、「そうですか・・・。それなら・・、まあ・・、まあ、いいですう・・・」ではないだろう。言うべき文句は、「非常識なことを言いまして、すいません」か「申し訳ありません」だろうが。どんな教育受けてきてるんだ!?! どんな親の教育うけてきているのか、および、どんな社員教育受けてきているのか?!?  (株)一条工務店の総務部長は何やってるんだ?!? 仕事してないのか?!? 「本社の非常識な若造を指導するのは総務部長の仕事と違います」とか言うのか!?! (株)一条工務店のオーナー経営者というのは、そういう白痴の若造を増長させるのが「趣味」である! 「遠州人」のやることというのは、あつかましいばかりで、この会社、(株)一条工務店は従業員に対する保護義務に違反しますむしろ、「あちらこちらで道が冠水しているというようなそんな時に、たかだか、ブルーシートがめくれているなどというようなことのために、無理して行ってはいけません」と指示・指導するのが会社の使用者の役割です。勝手なことばっかり言う「遠州人」は、ひとにばかり言うのではなく、自分がやってみるべきでしょう。
   新聞・テレビのニュースによると、1993年だったか1994年だったか、台風での大雨の際、私がクルマのタイヤの中心より上まで冠水している道を走り抜けて出勤したその日、(株)一条工務店のいわき市の営業所で、いわき市の隣の営業所のH田さんは私と同じように冠水した所をクルマで通り抜けようとして水中でクルマが動かなくなってずぶぬれになって脱出し、クルマを廃車にした日、私と同じようにクルマで冠水した道に入り、水にクルマが浮き上がって道を流され、道から川にでて、さらに川から海に流されて死亡した男性が1人あったそうです。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ などという不良企業のために尽くすと命をなくすおそれがあります。私だって、その人みたいになった可能性はあったのです。そういう経験を過去にした者に向かって、「それなら、あなた、あなた、これからすぐに勿来の◇◇様邸まで行ってブルーシートをかけなおしてきてください」などと、よくも、若造、勝手なことを抜かしたものである。まさに、「遠州人根性」!!!  「他の人間を犠牲にしてかまわないから、遠州人だけ得することなら、どんなことでもやらまいか!」という「やらまいか精神」であった。
  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の初代社長の大澄賢二郎が主唱したそうで、(株)一条工務店は「防潮堤の費用」と称して、浜松市に300億円の寄付をして、浜松市長で慶応大ア法学部卒の鈴木康友と、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故の後、静岡県産茶葉の放射線量検査を拒否した静岡県知事の川勝平太の2名がそれを大絶賛したらしいが、そのカネの一部分は、実質、私のカネだ!!! その300億円というのは、本来、従業員にもっときっちりと賃金を払うべきものを払わずに貯め込んだカネの一部分であろうが!!! 従業員の安全対策をきっちりと取るのを拒否して貯め込んだカネだろうが!!! そんなものを平気で受け取る浜松市長の鈴木康友、及び、それを大絶賛する静岡県知事の川勝平太。この2名、そういう態度を取るのなら、この2名もまた、私がやったように、膝より上まで冠水している道路に突っ込ませてやるべきではないか!!!

  それで、「地方」での勤務、「地方」でクルマを運転する経験は、↑ のように私は経験してきた。しかし、寒冷地・積雪地での運転の経験はないので、そういう者は、↑ の写真のような、平湯付近などの道は、冬場は避けた方が良さそうだな・・・と思った。鉄道で行くか、雪道の運転に慣れているドライバーが運転するスタッドレスタイヤ装着のバスに乗っていくか、どちらかにした方がよさそうだ・・と思った。

  今回の高山訪問は、ここまで・・。 御覧いただき、ありがとうございます。

  (2020.3.20.)

  ところで・・・。
  新型コロナウイルスによる「自粛」で営業が厳しい業種が続出してきているというのだが。
一方で、マスク製造の業界にとっては、特需みたいなもののはずだが・・。
相変わらず、マスクは在庫切れしているというのは、な~んでか?
 もうひとつ。最近では、使い捨ての紙マスクが主流になってきたが、私が子供の頃は、マスクというと、布製のもので再使用していたはずだが、なんで、布製のものを洗濯してまた使うという話が出ないのかと思うのだが、そう思いませんか? 
  (2020.3.22.)

☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光曜山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html 
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。 〔今回〕

☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 

☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html 
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html

☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht 

野村の遺言 - 克也, 野村
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この記事へのコメント

王島将春
2021年12月27日 20:21
はじめまして。福井市在住の王島将春(おうしままさはる)と言います。聖書預言を伝える活動をしています。

間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イラン・スーダン・リビアが、イスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前に、キリストに悔い改めて下さい。ヨハネの黙示録6章から19章を読めば分かりますが、携挙に取り残された後の7年間の患難時代は、苦痛と迫害の時代です。患難時代を経験しなくても良いように、携挙が起きる前に救われてください。

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