下平間天満天神社(川崎市幸区)参拝。ずいぶん変わった鹿島田駅周辺。「タウン」とか「シティ」とか言いたがる人。東京弁を「標準語」だと認めさせようとする茶碗のかけらのような東京人。

[第763回] 冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第50怨。
  川崎市幸区 には、天神社が2つある。その片方の近所に作成者は住んでいたことがあるのだが、もう片方も、JR南武線「鹿島田(かしまだ)」駅方面に行く際に通る道の脇にあるので知っていてもおかしくはなかったはずだが、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.12.20.(株)鎌倉新書 )に掲載されている「全国天満宮めぐり」の「神奈川・天満天神社」に、《 川崎市南部には「天満天神社」が二社鎮座している。古市場と隣町の下平間の神社がそれである。・・》と出ているのを見るまで、下平間天満天神社の方は特に気づかなかった。ひとつには、入口が狭くて、参道を進んだ奥に社殿があるということが理由としてあったかと思う。 古市場の方の天満天神社は、川崎市バスのバス停の名称も「天満天神社前」であり、鹿島田駅からアパートまで歩いた時にはその前を何度も通っており、西側の公園にあった公衆電話ボックスから電話をかけたのはいいが、そこに忘れ物をして、届けてくれた人があって、警察に取りに行ったなんてこともあり、そこにあるのはよく知っていたが、その頃は、神社についてそれほど関心はなかったので、天満天神社というからには、菅原道真を祀っているのかな・・くらいにしか思っていなかった。 それと、天神社か天満神社ならわかるのだが、「天満・天神社」と、「天満」と「天神」が神社名に両方入っているというのは、どうしてなんだろう・・と思ったのだが、今もってその理由はわからない。川崎市バスに乗っても、「てんまんんてんじんじゃまえ」と車内放送されたが、なんで、「てんまじんじゃ」でも「てんじんじゃ」でもなく「てんまんてんじんじゃ」なんだろう?・・・と思ったのだが、「てんまんてんじんじゃ」と言うのは、川崎市幸区東古市場の「天満天神社」と川崎市幸区下平間の「下平間天満天神社」の他には知らない。
  それほど離れていない場所に天神社が2つあるだけでなく、いずれも、「天満天神社」という名称。「天満宮」「天神社」なら普通名詞・一般名詞だが、「天満天神社」になると固有名詞だろう。「下平間天満天神社」と、「(東古市場の)天満天神社」があるというのは、この2つは、どちらかが主でどちらかが御旅所のようなものなのか、それとも、同じ神社の飛び地なのか・・? と考えても、この2つがこういう関係にあると明確に記載されたものは見つからない。現地に行って見ると、由緒書の石碑があり、下平間の方は「下平間天満天神社」と書かれているのに対し、東古市場の天満天神社は、あくまでも「天満天神社」であり、もともとは、東古市場にあった方が「天満天神社」の本体で、下平間の方が支店のように後からできたものが独立したのか?

 もしかすると、もともとは、そこは川だったのかな・・と思われる道が東古市場の天満天神社の西にあるのだが、その道をたどっていった所に他方があるのかというと、そうではなく、少々、ずれている。

  この2020年2月、かつて、その近所に住んでいたこともある2社、「下平間天満天神社」と「(東古市場の)天満天神社」の2社に参拝した。比較的近くにあって名称が似ているが、ひとつの神社だと書かれたものがあるわけでもないので、ここでは、今回は、JR南武線「鹿嶋田」駅に近い「下平間天満天神社」について述べて、次回、「(東古市場の)天満天神社」について述べることにしたい。

  「(東古市場の)天満天神社」に行こうとすると、JR南武線「鹿島田(かしまだ)」もしくはJR横須賀線「新川崎」から歩くか、もしくは、JR・京浜急行「川崎」駅から出ている川崎市バスに乗って「天満天神社前」で下車するか。神社の参拝というのは、その神社のいくらかは手前から歩いていくのが王道だと仮定して、ひとつ手前の「東古市場」で下車して歩いても遠くはないが。 あるいは、都営浅草線「西馬込」から国道1号を走るバスに乗って、御幸公園の東のあたりのバス停、なんだっけ・・で降りるか・・のはずだ。「はずだ」というのは、何十年か前、その近所に住んでいた頃、そうだったので、たぶん、今でもそうだと思う。そのあたりは変わっていないと思う。たぶん。最寄駅というと、南武線「鹿島田」だが、東古市場の天満天神社は鹿島田駅から歩くと20分ほどかかる距離にあり、最寄駅といってもすぐ近くではない。

  「下平間天満天神社」の場合は、JR南武線「鹿島田」駅から近いので、今回、鹿島田駅から行った。南武線「鹿島田」駅に行くにはどこで乗り換えたらいいか、というと、南はJR「川崎」駅、北に行くと、東急東横線「武蔵小杉」、東急田園都市線「溝の口」。 最近、JR横須賀線に「武蔵小杉」駅ができたので、千葉県内の総武線快速と乗り入れている横須賀線「武蔵小杉」で南武線に乗り換えて「鹿島田」駅で下車して行った・・・が、ふと気づいたのだ。俺は前からアホと違うかいなあ、アホと違うかいなあと思っていたが、やっぱり、アホやったのではないか、と。 横須賀線「武蔵小杉」駅というのは、相当、無理して作った駅・・というのか、その場所に駅を作ること自体は特に「無理して」というわけでもないが、東急東横線「武蔵小杉」とJR南武線「武蔵小杉」は交差している所に駅があるので、別に無理して作られた駅でもないのだが、横須賀線「武蔵小杉」駅というのは、もともとは品鶴貨物線(品川と鶴見の間ということで、「品鶴貨物線」)で、武蔵小杉よりも南のあたりで曲がって南武線の西側を南下していた路線の横須賀線に、南武線の駅だと「武蔵小杉」と「向河原」の真ん中あたりに駅を作ったもので、それを「武蔵小杉」だと無理無理言い張った・・みたいな駅なのだ。東京駅の京葉線ホームというのは「ほとんど有楽町」みたいな場所で、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の「遠州人」というのは不思議な人種で、浜松から新幹線で東京駅まで来ると、東京メトロ東西線「木場」駅の前にあった(株)一条工務店の東京事務所に行く時には、新幹線の「東京」駅から東京メトロ東西線「大手町」駅までタクシーに乗ろうとするのだが、新幹線「東京」駅から京葉線「東京」駅までは平気で歩くのだ。変わった民族やなあ・・と思ったものだったが、

「新幹線の東京駅から東西線の大手町駅までは遠くありませんからタクシーに乗ることはありませんよ」といくら言ってあげても、「なんでら。タクシーに乗るのが一番いいらあ」と言ってきかない。親切のつもりで、「タクシーに乗る必要はないと思いますよ。歩けばいいと思いますよ」と言ってあげても、「なんでら。なんで、タクシーに乗ったらいかんら」と言ってきかない。もう、いいかげん疲れるから、「乗りたきゃ乗れば」て感じ。そんなにタクシーに乗りたいのなら、むしろ、おもしろいからタクシーに東京駅から大手町駅まで乗せてやった方がいいのかもしれない・・が、それでいて、普通に考えて、新幹線の東京駅からは東京メトロ東西線「大手町」駅までよりよっぽど距離があると思われる京葉線「東京」駅までは当たり前みたいに歩くのだ。なんとも、「遠州人」というのは不思議な民族である。横須賀線「武蔵小杉」駅もまた、京葉線「東京」駅とは成立の過程は違うものの、似たところがあって、東急東横線「武蔵小杉」とJR南武線「武蔵小杉」は同じ場所の駅だけれども、JR南武線「武蔵小杉」とJR横須賀線「武蔵小杉」は、なが~い通路で無理矢理結びつけたもので ↓ 、

( ↑ マーカーは南武線の「武蔵小杉」駅。 )
↑  今では、前に「タワーマンション」なんてのがいっぱい建っているJR横須賀線の「武蔵小杉」駅なんて、あんなもの、「半分、向河原(むかいがわら)」みたいなものなのだ。だから、東急東横線「武蔵小杉」とJR南武線「武蔵小杉」の間の乗り換えは「別にたいしたことない」けれども、横須賀線「武蔵小杉」と南武線「武蔵小杉」の乗り換えは大変なのだ。結論として、横須賀線に乗ってきて南武線「鹿島田」駅付近に行きたいのならば、「武蔵小杉」というまやかしくさい名称の駅で乗り換えるよりも、南武線「鹿島田」駅のすぐ西にある駅名は別の駅になっている「新川崎」駅で下車して「鹿島田」駅方向に歩いた方がよっぽど楽なのだ。かつて、そのあたりに住んでいてその付近は何度も通ったことのある人間が、何をやってるのか・・と思った。やっぱり、アホやったんかいなあ・・と。

( ↑ マーカーは南武線「鹿島田」駅。 )
↑ あの横須賀線「武蔵小杉」駅のホームから南武線「鹿島田」駅の北行ホームまで歩いて、さらに高架を登って降りてして南武線の南行きホームまで行く大変さを考えると、「新川崎」駅で降りて「鹿島田」駅まで歩く方がよっぽど楽♪ かつて、「新川崎」で乗ったり降りたり何度もしたことのある人間なのに、何をアホなことやったのかと思う。

  南武線「鹿島田」駅の名称の「鹿島田(かしまだ)」の地名の由来は、昔、この土地にお殿様が住んでいらっしゃって、「おい、菓子はまだか、菓子はまだか」とおっしゃったことから「菓子まだ」、その「かしまだ」にいつしか「鹿島田」という字があてられた・・・というのは嘘で、《ウィキペディアー鹿島田》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%94%B0 によると、《 鹿島神社に寄進する神田に由来する。》《鹿島大神 鹿島田2丁目に立地する。「鹿島大神社」「鹿島神社」とも称される。「鹿島田大神社」は近年地図などに見られる表記であり、縁起からみれば誤用ともいえる。主祭神は鹿島大神(武甕槌神)香取大神(経津主神)。本地佛は釈迦座像。鹿島田幼稚園を併設。創建は鎌倉時代とされる。元々は現在の新川崎駅ホーム北端に位置する場所に小高い丘があり、そこに鹿島神社があったが、新鶴見操車場の敷地となり、建設工事のため現在地に移設された。》と出ている。

↑ 「鹿島大神社」。 新川崎駅は何度も利用したが、こんな所に神社があったというのは知らなかった。↑ の地図を見ると、「新川崎」駅の南西側に「慶應義塾大」があることになっているが、慶應の日吉キャンパスは、今は昔、千葉方面から総武線快速+横須賀線に乗ってきて「新川崎」で降りて日吉キャンパスまで歩いて通っていた人もいたけれども、教養課程の日吉キャンパスも、理工学部の矢上(やがみ)キャンパスも新川崎駅のすぐ脇ではない。かつては、新川崎駅の脇になんて「慶應義塾大学の何か」なんてなかった。
  この新川崎駅の脇に書いてある慶應大学というのは慶應の何なのか? インターネットで検索すると、「新川崎タウンキャンパス」http://www.k2.keio.ac.jp/ というものだそうで、《 新川崎先端研究教育連携スクエアでは、産学官連携の拠点として、最先端の研究や教育活動を推進し、「新産業・新事業の振興」、「社会・地域への貢献」を柱とする複数の事業を展開しています。》なんて書いてある・・・てことは、「産学官」癒着の構図の拠点てこと??? いかにも慶應らしいのお~お・・・『慶應義塾 悪の構図』????・・・なんて言うと怒られるか・・・。
  別に「新川崎タウンキャンパス」なんて言わなくても「新川崎キャンパス」で良さそうなものだが、「タウン」とか「シティ」とか言いたがるあたりが、「なんか、イナカくせえ」「イナカモンくせえ」て感じがするあたりも、「慶應的」だしなあ。今は昔、1980年代だが、東急東横線「日吉」駅の西側の山村書店本店に、「慶應義塾大学鉄道研究会編」だという『シティ電車』なんて名称の本が置かれていた。なんか、「イナカくせえ」「イナカモンくせえ」て感じがした。慶應の人間というのは、何かと「シティ」とか「シティボーイ」とか言いたがる。そのあたりが、いかにも「イナカくせえ」「イナカモンくせえ」て感じがした。福沢諭吉は「『イナカモノ』という言葉には2通りの意味がある。田舎の生まれとか、田舎の住人とか、田舎出身とかいう意味での『いなかもの』というのは、それは別に悪いことはない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのは、これはいけない」と語ったというのだが、そういう何かと「シティ電車」とか「シティボーイ」とか言いたくて言いたくてしかたがないシンドローム という人間というのは、それは「精神面がイナカモノ」に該当するのではないか・・と思ったのだが、ところが、そういう人間こそが、「独立自尊」とか「福沢精神」とか「自我が確立されている」とか「思考がスマート」とか「世の中を知っている」とか「人間を知っている」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか、さらには「ギャルにもてもて」とか言いまくりよるのである。どうかしてんじゃないのか・・て気になったものだが、こういうことを言うと、「思考の硬さが気にかかります」とか「自我が確立されていない」とか「独立自尊の精神がない」「アイデンティティーがない」とか「外罰的性格である」とか「未成熟」とか「わざわざ無理して逆らっている」とか何とかかんとか何たらかんたらくんたらこんたら言われることになる。だから、自称「シティーボーイ」に逆らうとうるさいから、関わらんようにした方がいい。なにしろ、彼らはそういう態度のことを「独立自尊」とか「自我が確立されている」と子供の頃から観念的に教えられてきた人たちであり、それって逆と違うのか? とか疑問を持ち、自分自身でそういう問題について考え自分の思ったこと・自分で考えたことを述べようとする者は「独立自尊の精神に欠けている」「自我が確立されていない」・・のだとこれも観念的にそういう思想を叩き込まれてきた人たちなのだから。
  『聖書』には「彼らは、口では『主よ』『主よ』と叫ぶがその心は私を遠く離れている」という言葉があり、又、「みだりに神の名を唱えてはならない」という言葉もあるのだが、みだりに福沢諭吉の名を唱えるのが好きな人間というのが慶應義塾の関係者には大変多いように思った。彼らは「福沢精神」と叫ぶのが大好きだが、福沢諭吉の著作や福沢諭吉の伝記など1冊も読んでいない人間で、単に慶應の内部進学の学校に行ったということで「福沢精神を身に着けている」とか主張するのだったが、なんとも安っぽい「福沢精神」もあったものである。 「独立自尊」とはどういう態度のことを言うべきか? それは、まず、「独立自尊とはどういう態度のことと考えるべきか」と自分自身で考える・・というそこから「独立自尊」は始まるのではないか、と私は思ういい学校であるかろくでもない学校であるかにかかわらず、特定の学校に入学したら「独立自尊」とか、卒業したら「独立自尊」なんて、そんなおかしな独立自尊があるか! と思うのだが、こういうことを言うと、「独立自尊の精神がない」とか「自我が確立されていない」とか、あるいは「慶應らしくない」とか悪口雑言罵詈讒謗を浴びせられることになる。そういう状況を「福沢精神」とか「塾風」とか「独立自尊」とか言うらしいのだが、アンドレ=ジッドが『ソビエト紀行』において、「今のソ連(スターリン政権の時代のソ連)においては、もしも、レーニンが生きていたならば、レーニンですらもシベリア送りにされるか強制収容所に入れらることになるかもしれない」といったことを述べていたが、「今のソ連」というところを「今の慶應義塾」と置き換え、「レーニン」を「福沢諭吉」と置き換えるならば、慶應義塾にそのまんま当てはまるのではないのか? ・・と思ったものだったが、こういうことを言うと、「みだりに福沢諭吉の名を唱える」のが好きな人たちから「独立自尊の精神に欠けている」とか「自我が確立されていない」とか「わざわざ無理して逆らっている」とか「未成熟」とか「外罰的性格」とか「なんちゃらかんちゃら何たらかんたらくんたらこんたらシンドローム」とか「診断」され、「治療」と称して「人間による人間の加工」がされる危険があるから、怖いこわい怖いこわい!!! ほんと、怖いこわい怖い!!!

〔 慶應の「タウンキャンパス」というのは「新川崎タウンキャンパス」だけではないらしい。地図を見ていたところ、川崎市川崎区の京浜急行電鉄大師線の「小嶋新田」駅の北東のあたりに、「慶應大学殿町タウンキャンパス」https://www.tonomachi.keio.ac.jp/ja/ なんてのがあった。何やってる所なんだ、こんな海に近い場所で・・・と思って見ると、「研究活動について」https://www.tonomachi.keio.ac.jp/ja/research/ という稿で、「なんや、このチャラ男はあ!」て感じの男の写真が出ていたが、宮田浩章というおっさんで教授だそうだ。「教室・講座」http://www.med.keio.ac.jp/education/departments/index.html を見ると、「医療政策・管理学教室」だそうだ。こちらの方は別の写真だが、なんや、大学というよりも、安もんのホストクラブにでもおりそうな感じやな・・・て印象がした。こういうのを「慶應タイプ」と言うのかもしれん・・・。こういうのを「慶應心理学」は「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「福沢精神を身につけている」とか「診断」するのかもしれん。「アイデンティティーを持っている」とか言うのかもしれん。こういうのを批判すると「モラトリアム人間病にかかっている」とか「自我が確立されていない」とか「アイデンティティーを持っていない」とか「未成熟」とか「外罰的性格」とか「受験勉強の悪影響」とか「診断」されることになるのかもしれん。怖いわあ、「心理学」にかかわると何を言われるやらわからん。ほんま、怖いわあ~あ。「医療政策・管理学教室」て何やろ。国民を身体的・精神的に「医療」的に管理して統制し加工する研究でもやっとるのやろか・・・。そういう研究をやってる「教室」なのか? 安倍公房『第四間氷期』(新潮文庫)にそんな感じのが出てたよなあ。それやろか・・・。怖いわあ、ほんま・・。 まあ、こういう ””チャラ男”” はどっちにしても、私なんかとは別のタイプの人間のようだ・・・・。茶髪ならぬ銀髪というのは、そういうのは「普通の職場」なら通らんのじゃないかと思うのだがな。野球選手ですら、野村のじいさんは「茶髪・長髪・ヒゲはいかん!」と言うとったのになあ。ホストクラブか何かと間違えとるのとちゃうか・・て感じがせんでもない・・・が、教授先生らしいから、きっと私なんかよりずっと「えらい人」なのだろう。女性にとっては私なんかと結婚するよりもこの ””チャラ男”” と結婚する方が間違いなくずっと幸せやろ・・・。(2020.5.20.) 〕

   それで、昔は・・といっても、おじいさんとおばあさんが川で洗濯をしていた頃の昔ではなく、1980年代、全自動洗濯機とともに二槽式洗濯機も使われていた頃の昔のことだが、鹿島田駅と新川崎駅の付近に高層ビルなんてそんなものはなかった。 鹿島田駅の前に北野書店という書店があったように思う。そこの棚に置かれていた「朝日ジャーナル」を手にとって見ていたところ、どう見ても、「日本人に見えるのに英語を話す奇妙な人」が、私に、「新川崎駅に行くにはどう行けばいいか」と英語できくので、「なんやねん、日本人のくせして英語で話しやがってからに、ここは日本だ、日本語で話せ!」という気持になって、あんまり親切に教えてあげなかった、ということがあった。似た経験として、東急東横線の「菊名」駅の渋谷方面行きホームでだったと思うが、アメリカ合衆国人かな? という感じの白人が、駅の売店で百円するかしないかくらいのものを買おうとして、店員が話す日本語では金額を理解できず、とりあえず、持っているお金のうち、一番大きな金額のものを出せばいいだろうと1万円札を出して、店員が途方にくれていた、というのを見たが、私は「英語が話せる」とまでの能力はないが、ともかくも「高校までエリート」だったので、「それはあまりにも大きい金額の札です。これは〇円ですから、もっと小さい硬貨で払えます」というくらい、教えてあげることはできたのだったが、テレビで「ヴィッキーさんのワンポイント英会話」なんて日本人を馬鹿にした番組を見たことがあって、それは、「ヴィッキーさん」という思いあがった白人のアメリカ合衆国人男性が、日本のどこかの街に行って、そこを普通に歩いている日本人に、「英語で話してください」と言って無理矢理、英語で話させようとするという日本人を馬鹿にした番組であり、この「ヴィッキーさん」とかいうやつ、私の所に来ないかなあ、こいつ、私の所に来たならば、 「ここは日本だ。日本語で話せ!」と日本語で言ってやるのになあ・・と思ったもので、たとえ、そのくらいならば、英語で話すことができたとしても、「ここは日本だ。日本語で話せ!」と言ってやりたい気持ちで、英語で説明してあげることができても、無視して傍観していた、ということがあった。
  しかし、その後、十年以上後、ヨーロッパに旅行すると、イタリア人やフランス人や、そして、イギリス人が、英語もフランス語もイタリア語も十分には話せない日本人の旅行者に対して親切で、こちらがわかるようにわかるような英語で話してあげようとしてくれた、ということがあり、私も、自分がわかるのならば、もっと親切に話してあげればよかった、と後から後悔したということがあった。あの鹿島田駅の前の北野書店の所で、新川崎駅へはどう行けばいいか、と私に尋ねた見た目は日本人みたいだった男性は、ハワイかどこかに移住した人の2世か3世だったのかもしれない。だから、見た目は日本人と変わらなくても日本語は話せない人だったのかもしれない。もっと、親切に説明してあげればよかったのに・・と思うが、もう遅い。
  「ヴィッキーさんのワンポイント英会話」みたいな無礼な外国人には親切に話してあげる必要はない。
「フランス人は英語を話せても英語で話してくれない」という話は嘘で、実際にはフランスに行くと、フランス人は相手が日本人だと思うと英語で話してくれる人は多いのだが、「フランス人は英語を話せても英語で話してくれない」という話はそれは「イギリス人に対して」ではないかと思う。そこはフランスである以上は、イギリス語で話してイギリス語で答えてもらえるのが当然ということではない、という意味ではないか。金大中が韓国の大統領であった時に日本の総理大臣の小泉純一郎と会談をした際、金大中は語学が相当できる人で日本語は日本人と変わらないくらいに話せる人だったが、それでも、韓国の大統領と日本の総理大臣が会談をするのに日本語で話をするというのは適切ではない、ということで韓国の言葉で話してそれを通訳が訳した、とニュースに出ていたのを読んだことがある。韓国に行くと、当たり前みたいに日本語で話して、日本に来るアメリカ合衆国人に対しては、一生懸命、へたくそな「英語」と名付けられたイギリス語、もしくはアメリカ合衆国語を話そうとする「日本人」というのは、なんとも情けない。又、「東京もん」は、関西の人間が東京に来て関西の言葉を話すと怒るくせして、アメリカ合衆国人が東京に来てアメリカ合衆国の言葉を話すと、一生懸命、アメリカ合衆国の言葉を話そうと努力する。この奴隷根性。その「慶應タイプ」はどうにかならんもんか、と思うのだが、「慶應タイプ」はそういう態度を自慢にしている。なんとも、哀れな「日本人」。東京もんの卑しい奴隷根性。まさに、東京はアメリカ合衆国の植民地みたいな土地だな・・と思ったものだった。そもそも、 「東京もん」というのは、関西人が「東京弁」と言うと、「『標準語』だろうがあ」と言って怒り、「東京弁」のことを「標準語」と言わそうとするのだが・・・、だいたい、「・・・じゃねえかよお」とか「かったるい」とかそういう東京圏でしか使われない言葉が「標準語」なわけないだろうが! 「標準語」というのは日本全国どこでも通じるような言葉として考えられた、テレビのニュースでアナウンサーが話しているような言葉のことを言うのであって、東京もんが使っている「・・・じゃねえかよお」なんて、そんな言葉は「標準語」ではないのである・・が、ところが、こういうことを言うと「東京もん」は怒るのだ。何を怒るのかようわからんのだが。日本の東京以外の地域の人間には、東京弁を「標準語」だと無理に認めさせようとするくせしてからに、アメリカ合衆国人が東京でアメリカ合衆国の言葉を話すと、へいこらしてそれを真似ようとする。なんとも、みじめな「日本人」、哀れな「日本人」。
  東京に来て、東京もんのそういう無礼な態度に不快感を覚えた関西人は、それまで、特に阪神ファンでもなかったのに、そこで、突如、愛国心にめざめて、熱烈な阪神ファンになったり。あるいは、阪神の縦じまの帽子を買ってきて、東京圏でそれを被って歩いたり・・とか。実は、鹿島田駅の近くで、阪神タイガースの帽子を被って歩いてるにーちゃんを見かけたことも私はある♪
⇒《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE
  新宿の京王百貨店5階の阪神タイガースコーナーに特に用事もないのに行ったり・・・。
※ 阪神タイガースショップ https://hanshintigers.jp/goods/shop/5.html
  そういえば、かつて、1980年代から1990年代、阪神タイガースが毎年、Cクラスを続けた時期、中山ラマダという漫画家が書いていた話だが、プロ野球のシーズン終盤、テレビのアナウンサーが街の人たちに優勝チームの予想をきくという番組で、「今年はどこが優勝すると思われますか」とアナウンサーが尋ねたのに対し、何らためらうことなく、「阪神!」と。「はあ~あ? 阪神は、今、最下位ですよお。阪神は残り全勝したって優勝は無理ですよお。なんで、阪神なんですかあ」と言うアナウンサーに、「じゃかましいわあ! たとえ、最下位でも、それでも、阪神が優勝するんじゃ、ボケえ! 阪神はなあ、阪神はたとえ最下位でも、たとえ、全敗したってそれでも阪神は優勝するんじゃあ!!!」と叫ぶという話が出ていたのが・・・、そんな感じ・・・!(^^)!

《 根付の国
頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の掘った根付の様な顔をして
魂をぬかれた様にぽかんとして
自分を知らない、こせこせした
命のやすい
見栄坊な
小さく固まって、納まり返った
猿のような、狐のような、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人 》
( 高村光太郎「道程」より。 『日本の詩歌 高村光太郎』1974.9.10.中公文庫 所収。 )
 「ヴィッキーさんのワンポイント英会話」なとというのは明らかに日本人に対する侮辱である。プッチーニのオペラ『蝶々夫人』というのを、日本を場所にしたオペラだと喜んでいる人がいるが、あれも、どう考えても日本人を馬鹿にしているとしか思えない、「国恥オペラ」と言うべきであろう
  日本のどこかの街に「ヴィッキーさん」という軽薄そうなアメリカ合衆国人の白人男性が押しかけていって、道を歩いている普通の日本人に、いきなり、「英語で話してください」と強要する・・という、いわば、「国恥番組」である。そんな「ヴィッキーさん」みたいなヤツには、それこそ、「ここは日本だ。日本語で話せ」と日本語で言ってやればいいことだが、そうではない人には、もしも、わかるのであれば、英語ででも説明してあげるようにした方がいいと今は思う。・・鹿島田駅前のその北野書店は・・、もう、なかった・・・が、帰宅後、インターネットで検索すると、前、あった場所から移転したということであって北野書店がなくなったわけではなく、道を隔てた向かいのビルの2階にあるらしい。

  JR南武線「鹿島田」駅 ↓
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↑ かつて、私が川崎市幸区に住んでいた時は、鹿島田駅の改札は2階ではなく地上にあって、↑ のような高架橋はなかった。

  鹿島田駅を出た正面は、↓
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↑ 今では、1~2階はショッピングセンターで3階から上はマンションなのか・・と思われるが、かつて、二槽式洗濯機が使われていた頃の昔は、ここには、東芝タンガロイ という会社の工場があった。「タンガロイ」て何のことなんだろうなあ・・・とここを通るたびに思っていた。
  《ウィキペディア―タンガロイ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%82%A4 には、
《「タンガロイ」は、炭化タングステンとコバルトなどの粉末とを焼結して作った焼結炭化物合金(Tungsten + Alloy)の意である。》と出ている。
《 元は1929年に現在の東芝の前身である芝浦製作所と東京電気が日本初の超硬合金を開発したことに始まり、それを「タンガロイ」と称して市販したのが始まりとされている。1934年に両者が共同で出資した「特殊合金工具株式会社」を設立(これが創業年と見なされている)。
  1937年、特殊合金工具は大井電気と合併して「芝浦マツダ工業」となり、同社の特殊合金工具製作所となった。1942年、芝浦製作所・東京電気ととも合併し、「東京芝浦電気(東芝)」となり、同社の特殊合金工具製作所となる。
  戦後、過度経済力集中排除法に伴い、1950年に東芝から分社化して「タンガロイ工業」として設立(これが設立年と見なされている)。その後1958年に「東芝タンガロイ」に社名を変更。主力である切削工具の他に、耐摩耗用工具や電子製品関連部品などの製造・販売を行ってきた。
  永らく東芝グループの企業であったが、東芝本体の事業分野との関わりが比較的薄いという背景もあり、2004年にMBOによりグループから独立し社名も「タンガロイ」と改める。この独立の際に株主構成が大幅に変わり、東証一部の上場基準を満たさなくなったため、上場廃止となった。
  2006年7月に同じく大手の工具製造メーカーであるオーエスジーと資本・業務提携を行った(2008年に解消)。 2008年にオランダの超硬工具メーカー、IMC(インターナショナル・メタルワーキング・カンパニーズB.V.)が全ての株式を買収し、同社の傘下に入った。 2010年4月1日付で、本社および本店所在地を神奈川県川崎市から福島県いわき市にあるいわき工場へ移転した。》
ということらしい。 今では、タンガロイ株式会社は本社も いわき市の好間(よしま)工業団地、常磐高速道路の いわき中央インターチェンジを出てすぐの所にあるらしい。 作っている物の性質から考えても、鹿島田よりも、福島県南東部あたりの方がいいのかもしれない。いわき市の人間には「ここは何もねえ。ここは何にもねえところだ。どうしようもねえ」と言いまくる人間が多かったが、タンガロイ(株)がいわき市の好間に工場を移転したように、いわき市は東北地方といっても雪はほとんど降らないし、高速道路は常磐自動車道が通っていて東北道よりもすいていて、好間の工業団地などはイーターチェンジを出てすぐの場所で、それほど急な坂もないし、東北とはいえ、「東京から最も近い東北」であり、工場を誘致するにしても、「東京から遠い方の東北」より条件はいいはずだし、荷物をトラックで運ぶにしても、坂と雪のある地域と違って、雪はほとんど降らないし、坂もたいした坂はないという場所は、その分だけ荷崩れしにくいわけで、それだけ、条件はいいはずであり、なんで、「ここはどうしようもねえ」とかそういうことを言いまくるのか。そんなこと言ってるからだめなんじゃないのか・・といわき市にいた時に思ったし、今も思う。そんなこと言うからだめなんだよ! 「ここはどうしようもねえ所だ」とかそんなことを言うから、もともとはそんなに悪い場所でもないのに、だめになってしまうんだよお!!!
  (株)一条工務店 は、山梨県の上野原市に「西東京工場」と称した工場を作っていたが、自分が住んだことのある地域をあまり悪くは言いたくないのだが、上野原は夏は暑くて冬は寒いし、特に、冬は雪が降る地域で、なおかつ、坂がある。中央自動車道の上野原インターチェンジから遠くはないが、工業団地に入るまでの間の坂はけっこう勾配もあり、雪と坂がある。 冬、雪が降った時、東京や大阪なら雪が降っても、たいてい、夕方になると融けているし、何年かに一度の大雪なんてあっても2日後くらいには融けるが、山梨県ではそうはいかない。朝、雪が降ると、東京都の八王子市あたりでは夕方には融けていても、山梨県に入った上野原市では夕方には凍っている。いったん、凍ったが最後、春まで融けない。ハンマーで叩いても割れない。お湯なんてかけたらかけたお湯が凍る。何がうれしゅうて、わざわざ、そんな土地に工場を作りたがるのか。東京都と神奈川県と山梨県の境目の山梨県というのは、東京都・神奈川県よりも最低賃金法で規定される最低賃金が安い。工場のあり方や労働条件を取り締まる行政機関は東京都・神奈川県に比べて貧弱である。土地の値段も東京都・神奈川県よりも安い・・というそんなところから上野原市に工場はできたのだろうけれども、それは「安物買いの銭失い」というものであろう。 「工場」といっても、半分は機械プレカット工場で、半分は住宅設備機器の流通センターで、日本国内のメーカーから購入した住設機器や中国から購入した御影石、イタリア・スペインから購入したタイルなど、そういったものを荷造りしなおして、日本国内の各工事現場へ配送している場所であり、何がうれしゅうて、外国から船で運んできたものを、わざわざ、内陸部の山梨県まで持って行って、またもや、そこから海辺の地域も含めて各地に配送するのか。外国から船で運んできたものを、1軒分ごとに梱包しなおして配送する場所ならば、港に近い場所にその配送センターを持てば良さそうなものだ。なぜ、内陸部に作るのか?  冬場、雪が降り、降ると凍る地域では、雪が降ると、作業の予定を変更して大急ぎで雪かきの作業をしないと凍ってしまうとその場で作業ができなくなってしまう。雪の降らない地域に工場を持てば、そんな作業は要らないわけで、その分の人件費がかからないはずだ。雪が降り凍る地域はそれだけ、作業効率が悪いということだ。雪が降り坂がある地域は、それだけ、トラックが荷崩れを起こす可能性が大きいわけで、それだけ、商品の破損率が高くなるわけだ。なぜ、わざわざ、そういう場所に工場を作りたがるのか? マカ不思議・・まったく、「遠州人」の考えることはわけわからん。 その点、タンガロイ(株)はいわき市の好間工業団地に作った、というあたりは、目の付け所は悪くないのではないかな・・と思う。原発事故による放射能汚染の影響がどうでるかはこれは「想定外」だったかもしれないが、それを別にすれば、いわき市の好間工業団地は、雪はほとんど降らないし・坂もたいした坂はないし、クルマでの交通の便は常磐自動車道のいわき中央インターチェンジの目の前だし、福島県の商業港では最大の小名浜港にも遠くないし、磐越自動車道でも国道49号ででも中通り方面にも行けるし、磐越自動車道で新潟・北陸方面にも行ける。東北の中では最南部で東京からも遠くない。上野原みたいな、夏は暑くて冬は寒いという場所では、冬場は防寒着を着ても寒い場所では作業効率も悪くなるが、いわき市は夏はそれほど暑くなく冬はそれほど寒くはないという場所であり、夏は暑いわ冬は寒いわという場所よりも作業効率もいいはずだ。そのあたりを見て、どこに工場を作るか判断力のある経営者の会社と、「な~んも考えとれへん」会社とでは差が出る。「ベンチがアホやから」状態の会社にばっかり勤めてきて、実際のところ、疲れたわ、ほんま・・・。

  駅前に北野書店は今は見あたらない・・と思ったが、
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↑ のローソンの場所だったのではないかと思うが、なくなってしまったのかあ~あ・・と思って、帰宅後、インターネットで検索すると・・・、今も「北野書店」は存在し、↑ のローソンのビルの3階に本社事務所があって、向かいのかつては東芝タンガロイの工場だった場所にできた商業ビル「ルリエ新川崎」の2階に店舗は入ったらしい。⇒ 北野書店HP「アクセス」http://kitanobook.co.jp/i/store.html

  南武線「鹿島田」駅の改札口は2階になったようで、そこを出て地上に降りると左折して進みます。↓
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↑ かつてに比べて背の高い建物が増えたように思えます。
  かつて、鹿島田に、「鹿島田の塩せんべい」という店と「花見せんべい」という店の2軒、地元の煎餅屋があって、鹿島田駅から府中海道の方に歩き出してすぐくらいの場所に、そのどっちだったかがあったと思ったのですが、残念ながら見つかりませんでした。

  背後を振り返ると、↓
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↑ この閉塞感、どう思いますか?
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↑ 昔は、こんな巨大な高層ビルなんてなかったが・・・。
なんだか、鹿島田が鹿島田ではないみたいな・・・・。

  右手(南側)に横浜銀行 鹿島田支店を見ながら東に進み、さらに左手(北側)に川崎信用金庫鹿島田支店を見て ↓ 東に進みますと、
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・・・、左手(北側)に、下平間天満天神社 の入口が見えてきます。↓
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両側のビルが前からこれだけの高さだったかどうかは記憶がはっきりしないが、細い所の奥に社殿がある神社だから、たいして気にもしないで前を通り過ぎていたのではないかと思う。


 石碑には「天満天神社」と書かれている。↑
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  直進すると鳥居があり、鳥居をくぐると、左手に手水舎、正面に社殿があり、社殿の右に「社務所 兼 下平間町内会集会所」 がある。
※ 下平間町内会 http://saiwai-chouren.jp/member/25_info.html

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↑ 手水舎・・・ではあるが、水は出ないから、手水舎の形だけ・・・。

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↑ 社殿


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↑ 「社務所 兼 下平間町内会集会所」と梅の木

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↑ 「下平間天満天神社由来」の石碑。
《 ・・当社の由来については、創立年代は不詳であるが「新編武蔵風土記稿」に、「当社は村の北方にあり、前に鳥居が立ち、社前に拝殿あり、神体は木の座像にて長さ一尺二寸余、社辺に松樹数株あり、小倉村無量院の別当なり」と記されている。
  また、下平間の旧家に伝わる古文書(弘化三年記)によると、
「武州多摩郡谷保村天神社伝記に、延喜三年二月二十五日 父君 菅原道真公 筑紫にて薨去(五十九歳)なされたと聞き三男 道武公 悲嘆のあまり、父君の尊像を自ら模刻し孝道の誠を尽くされた。その後、道武公その尊像を供奉し、谷保村に来たり一社を草創した。
 この道武公 当地縣主 上平貞盛の女を娶り一子を得、その子を 菅原道英 と号す
 それより六世の孫 津戸三郎為守、菅原道真公 の尊像を供奉し、当地(下平間)に来住し一社を建立する。

と記されており当初は一氏族の、氏神としての社格が強かったようでありますが、年月が経つにつれ、下平間の鎮守として祀られるようになり村民の信仰を集め現在に至っている。
  また、江戸時代の再建と思われる社殿は第二次世界大戦の末期、昭和20年4月15日の川崎大空襲によりことごとく焼失し、かつての面影はない。
  しかし、昭和40年9月氏子の寄進により、現在の社殿が再建された。》
と書かれている。
  谷保村に一社を草創したというのは、それはこの天満天神社のことではなく、谷保天満宮のことか? 谷保天満宮? を草創した菅原道武の子の菅原道英の六世の孫の津戸為守 が「当地」に来住して一社を建立した・・というのが、この下平間天満天神社の由来か? という話なのか・・・。
  「天神社」「天満神社」ではなく「天満天神社」と言うのは、もともと、天候の神であった天神を祀っていた神社に、菅原道真も祀るようになったので、それで、菅原道真+天神 ということで、「天満+天神社」なのかな? と思ったが、この石碑の「由来」に書かれている「下平間の旧家に伝わる古文書」の内容によれば、そうではなく、最初から菅原道真を祀った社ということのようである。

  「下平間天満店神社由来」の石碑によれば、《 鎮座地 川崎市幸区下平間51番地 》。 JR南武線では「鹿島田」のひとつ北側の駅が「平間」だが、このあたりは、最寄駅としては鹿島田の場所でも、住居表示としては「下平間」である地域があり、ここも、「下平間」のようだ。 

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↑ 「社務所 兼 下平間町内会集会所」の前の梅。
撮影日は、2020年(令和2年)3月3日だが、もう少し前の方が、この梅の木はきれいだったかもしれない。

  しかし、それにしても・・・。
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↑ なんで、「下平間天満天神社由来」の石碑と梅の木の目の前にクルマを停めるかなあ~あ・・・・と思ったのだけれども・・・、社務所でなんか日本古来の音楽の音がするから、下平間町内会の人がそこで趣味の集まりをやっているのかもしれない。そこに来た人なのか。 町内会の集会所に趣味の集まりで来た人にとっては、この場所は駐車場みたいなもの・・なのかもしれないけれども、町内会の人にとっては、そもそも、このくらいの規模の神社に、わざわざ、千葉県から参拝に訪ねて行く人間の方が間違っているのかもしれないけれども、クルマを停めてはいかんとまで言うつもりはないが、しかし、神社の境内というのは「神聖であるべき場所」のはずで、クルマは停めてはいけないことはないとしても、もうちょっとなんとかならんのか・・と思う・・がなあ・・・。

  この付近にかつてあったはずの店は、今、見あたらない店が多い。横浜銀行鹿島田支店は昔からあるけれども。その隣あたりの CoCo一番屋は昔はなかったように思うが今はある。

  次回は、「(東古市場の方の)天満天神社」。

  (2020.3.23.)

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  私が小学生の頃、1970年前後、学研から「科学」「学習」という月刊誌が出ていて、その「科学」の方に、その頃、新しく登場したものについて、毎号、ひとつずつ、解説がされていて、「ジャンボジェット機」「高速道路」、そして、「高層ビル」が取り上げられていた。
 「高層ビル」の長所として、上に室面積を取ることで、地上に空きを確保できる、高層ビルでなければ地上は建物がひしめくところが、高層ビルにより、地上に公園ができたりして環境が良くなる。地震にもけっこう強い(但し、「地震に強い」としても、高層ビルは柔構造として揺れながら建物を維持するというものなので、内部に置かれている家具や内部にいる人間が無事かどうかは別問題らしい)。問題点としては、高層ビルの周囲には予想外の風が吹くことがある・・といったことが述べられていた。しかし、↑ の写真など見ると、「高層ビル」ができたことで地上に空間が確保されたか? というとそうではなく、↑ の写真で見るかぎり、むしろ、地上では閉塞感があるように見える。
   (2020.3.24.)

  次回、東古市場の天満天神社へ、下平間交差点、古市場交差点から天満天神社へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html

下平間天満天神社 〔今回〕
東古市場の天満天神社【1/3】下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
 〃 【2/3】 東古市場の天満天神社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
 〃 【3/3】 御幸公園 ほか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html

★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html 
新町天満宮(千葉市中央区) 
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html

東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html

神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
下平間天満天神社(川崎市幸区) 〔今回〕
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)
1.下平間交差点、古市場交差点から天満天神社へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.東古市場の天満天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html

静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html 

告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
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ウラルの核惨事 (ジョレス・メドヴェージェフ、ロイ・メドヴェージェフ選集) - ジョレス・メドヴェージェフ, 佐々木洋, 名越陽子
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生物学と個人崇拝――ルイセンコの興亡 (ジョレス・メドヴェージェフ ロイ・メドヴェージェフ選集) - ジョレス・メドヴェージェフ, 佐々木洋, 名越陽子
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日本航空・悪の構図 (1982年) - 安藤政秀と取材集団R
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