天満天神社(川崎市幸区東古市場)【1/3】下平間・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。

[第764回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度まいり・第51念-1
  前回、川崎市幸区下平間 の「下平間 天満天神社」に参拝しましたが、その続き・・というわけでもないが、川崎市幸区東古市場 の「天満天神社」に行きます。
  JR南武線「鹿島田」駅から東に進み、「下平間天満天神社」に参拝した後、さらに東に行き、「下平間」交差点府中街道(国道409号)を横断します。
右手、正面の2つに分岐する交差点、「下平間住宅前」交差点の股の間の部分に大衆食堂があって、何十年か前、幸区に住んでいた時、何度かそこで食事をしたのですが、見あたらないようですね。 向こうの方、右手に「オリンピック」というスーパーがありますが、あれは前からあり、今もあるようです。 ↓
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  左手、古市場郵便局は昔からありますが、建物はかつてのものとは変わったみたいです。↓
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  「下平間」交差点を渡り、直進します。↓
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↑  地図を見ると、「下平間」交差点を渡った後は、道の進行方向の角度が少々変わったようで、東北東に進む感じです。
  「下平間」交差点を過ぎてすぐ、右に曲がる道があります。
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↑ 様子から考えて、かつては、川だったのではないかという感じで、この道を進めば、東古市場の天満天神社のすぐ横に行くのですが、ここでは、直進する方の道を選ぶことにしました。
   なぜ、直進するかというと、かつて、この付近に住み、この付近の道を通った者として、今、どうなっているか見ておきたい所がけっこうあるからです。この交差点の左のあたりに食べ物屋があって、そこの子供に出前を取ってそれが到着したのを見て、常連客らしいおっさんが、「よそのもの食べさせずに、自分の所のものを食わせればいいだろうが」と言っていたことがありました。自分の所が客に出しているものばかりを自分の子供に食べさせていたのでは、同じようなものばかり食べさせることになるからでしょうか。 客に丼物を運ぶ際、嫁さんが、お盆を使わずに腹に抱えて運んでいたので、そういうのはどうかなあ・・と思ったけれども、まあ、俺が食べる食堂なんてその程度のものなのかもしれない、と思ったものでした。その程度のことを嫌がっていたのでは、《「高級料亭」で食べる「高級な人間」》はどうかか知らんが、私なんかは食べる所がなくなると思った・・が、その店はもう見あたりません。

  直進すると、左手に、「川崎セツルメント診療所 川崎医療生活協同組合」が見えます。↓
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※ 川崎セツルメント診療所 https://kawasaki-settlement.jimdofree.com/
今は昔、教学社から発行されていた大学別過去問シリーズの「東大 文科」の大学案内の所に、東大にはどんなサークルがあるか、として、「川崎セツルメント」というのが載っていて、「セツルメント」て何だろう? 「川崎セツルメント」て何だろう? と思ったことがありましたが、川崎セツルメント診療所が、この川崎市幸区の「下平間」交差点から中に入ったあたりにあります。
  「セツルメント」とは、「コトバンク セツルメント」https://kotobank.jp/word/%E3%82%BB%E3%83%84%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88-87441 を見ると、
《 宗教家や学生などによる社会の下層に属する人々に対する社会事業の一つ。 主として宗教的,教育的立場からなされるものが多い。
 その事業内容はさまざまであるが,一般に,保育,学習,クラブ,授産,医療,各種相談などがある。 1884年,ロンドンでケンブリッジ,オックスフォード大学の学生らが A.トインビーを中心として労働者たちの教育にあたったトインビー・ホールがこのセツルメント活動の最初である。 日本でも外国人宣教師によって明治時代に始められたが,片山潜が 1897年にキングズレー・ホールを中心に活動したのを一般に始めとする。その後この活動は社会主義運動とともに活発化し,1925年東京本所に東京帝国大学の学生セツルメントが生れ,学生による活動のさきがけとなった。》
《 1. 解決。決着。
2 宗教家や学生が、労働者街やスラムに定住して、住民との人格的接触を図りながら、医療・教育・保育・授産などの活動を行い、地域の福祉をはかる社会事業。また、その施設や団体。隣保事業。セッツルメント。》
と出ている。
  《宗教家や学生が》、《労働者街やスラムに定住して、住民との人格的接触を図りながら》だそうだが、私はこの近所に住んどったんだよ。高級住宅街でないのはわかるが、「スラム」とまでいうほどではなかったと思うのだが。ただ、「慶應の学生が、なんで、あんな所に住んでるのお?」と言われたことはあったし、就職の際、人事部の人から「あんな所に住んでるの」なんて言われたことがあったが、それでも、父からは「贅沢すんなよ、チャンコロ! 贅沢してはならぬぞ、チャンコロ!」と、毎日毎日言われ続けた。
  うちの母親は「親には、息子には所有権という権利があります」と言うておった。「所有権」があるそうだ。だから、父は、夏休み・春休みなど、自分が勤めている会社の工場に私が働きに行くことに勝手に決めてきた。「日本の労働基準法では、親が未成年の子供がどこに勤めるということを決めてはならないことになっているはずや」と言ったのだが、母は「それは、未成年の子供の場合でしょうがあ。あんたはハタチを過ぎたんやから、親に権利があるはずや。親には息子に対しては所有権という権利があるんやからなあ!」と言うのだった。父は「そうや、そうや。その通りや」と言い、そして、「あんた、あしたからうちの会社の工場に働きに行くことに『決めてきた』」と「決めてきた」のだった。阪急宝塚線「石橋」駅(2019年10月からだったか、「石橋 阪大前」駅と名称を変更したようだ)で同じ中学校から同じ北野高校に行って大阪大法学部に行ったKと会ったことがあり、Kが「どこ、行ってきたん?」と言うので、正直に「父親の勤め先の工場にアルバイトに行ってきた」と言うと、Kはバカにしたように(Kはバカにしたつもりはなかったかもしれないが)「へえ~え。そんなもん、あんのお」と言い、Kがそう言うので私も「どこに行ってきたん?」と訊くと、Kは「阪大の図書館に行って法律の本を読んできた」と言うのだった。それだけ、家庭によって条件は違ったのだ。Kは阪大に入学して5年目に(旧型)司法試験に合格して弁護士になった。司法試験合格者の氏名が掲載された新聞を父は私の所に送ってきて、それとともに「K村くんの爪の垢を飲みなさい」と書いてきて、さらに電話してきて、「郵便で送ったんついたかあ」と言い、「K村くんのうちに行って、『爪の垢を分けてください』言うてお願いしてきなさい。そんで、それを飲みなさい。わかったかあ」と言うので、「はあ、わかりました」と言うと、「『はあ、わかりました』とは何や! その答え方は。K村くんのうちに行って、『爪の垢を分けてください』とお願いしてこいとわしが命令しとるんやろうが。わかっとんのんか、チャンコロ、このチャンコロっ! わかっとんのんか?」と言うのだった。「おい、わかっとんのんかと言うとるんじゃ、このチャンコロ。わかっとんのんかて。」と言うのだったが、川村みたいなあんなけっこうな条件を揃えてもらって、それで落ちるようならよっぽどどうかしている。私が化粧品屋の工場で冷房なんてきかない場所で汗まみれになって乳液を作っていた時に、K村は冷房のきいた図書館で座って法律の本を読んでいたのではないか! 冷房のきいた部屋で法律の本を読んでいた者が司法試験に通って、冷房なんてきかない工場で汗まみれになって乳液作っていた者は通らない、というのは当たり前のことである。それが「民族の違い」というもののようだった。「民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな!」と父は言うのだったが、川村もまた、父と一緒で「ドイツ人」だったのかもしれない。「ドイツ人」は私が汗まみれになって乳液作っていた時に、冷房のきいた部屋で椅子に座って法律の本を読んでいた。その結果、「天の神さま」は法律の本を読んでいた者には司法試験合格という御褒美をくださり、乳液作っていた者には、当然、そんなものに通るわけはなかった。「天の神さま」というのはそういうお方だったのだ。「アーメン」。川村の爪の垢を煎じて飲めば、私も川村みたいなけっこうな条件を与えられたのならば、爪の垢でもち〇ぽの垢でも喜んで飲んだわ、ほんま。それだけ、家庭の違いがあった。
  父親がいなかったならば、たとえ、生活のためにアルバイトをするにしても、比較的学業に影響が少ないものを選んでやることもできたが、私には父親があったので、「決めてきたっ!」と言って、学業にダメージが出るようなものを「決めてきた」のだった。昨年だったか一昨年だったか、「ブラックバイト」と言って、大学生のアルバイトで夏休みなどに一時的にやるものではなく継続的にやるアルバイトで、あらかじめ、「試験の直前などには、シフトを増やすということはしない」という約束で始めたにもかかわらず、試験の直前にシフトを増やしたりといった使用者があった、といった記事がヤフーニュースに出ていたが、父は、たとえ、アルバイトでもそういうアルバイトは自分がこれまでに学んできたものを壊すことになる、そういうアルバイトは学業にダメージを与えるというものを選び、年末の試験の直前とかそういう時期に特にアルバイトの予定を新たに入れるようにした。「ブラック」という言葉を「不正」「不良」「悪質」という意味で使用するのは、それは白人が黒人を卑しめることで使用した表現だと、映画『マルコム=X』ではマルコム=Xはその表現を否定しており、たしかに、なぜ、白は清潔で正しいのか、なぜ、黒は汚れていて間違っているのか、それは白人の世界観に考え方が支配されていることによるものだ、というのは言われてみるとそういう傾向もあるかもしれないが、現実に「ブラックバイト」という言葉が使われていて他に妥当な表現がないので、仮に「ブラックバイト」という言葉を使うが、父の勤め先の工場に私は一時的にアルバイトに行ったことがあったが、夏休みなどに一時的にではなく、大学の夜間に行っている人で昼間に継続的に勤務していた人が来ていたが、そういう人には、夜間、大学に行く予定になっている時間には残業をさせないように配慮するとかしており(そのかわり、夏休みなどに一時的に来るアルバイトよりは時給は高いが正社員よりは給料は低かったはず)、その点では、夜間の大学に行く人には悪くない勤め先だったのではないかと思うが、そこの会社で役員にならせてもらっていた私の父の場合は、息子には、そこでアルバイトを入れられたのでは学業にダメージを受けるというところをねらうようにアルバイトを「決めてきたっ」のだった。私は、父に「年間、いくら、自分で稼いでお金を用意してほしいのか言ってもらえませんか」と言ったのだが、そうすれば、年にいくらアルバイトで稼ぐとしても、一番、学業にダメージを受けない時期に受けない内容のアルバイトをすることもできたのだが、ところが、父は「わしは、あんたにいくら稼いでくれなんて言うつもりはまったくない人間やねん。わしは聖人でやなあ、わしは、あんたにアルバイトでいくら稼いでこいなんてまったく言わん人間なんや」などと言い、そして、「決めてきたっ」と私がダメージを受けるものを決めてくるのでした。要するに、「わしは聖人で、あんたにアルバイトでいくら稼いでこいなんて一切言わん人間やねん」と言いたい人間で、なおかつ、「決めてきたっ」と言って私がダメージを受けるところでアルバイトをさせたかったのです。そして、「先月と今月はあんたはアルバイトの収入があるんやからやなあ、そこからアパート代と光熱費と交通費はあんたが出しなさい」と言って出させたのです。だから、先に、これこれの費用の分はあんたがアルバイトで稼いで出してくれと先に言ってくれれば、自分で学業に一番ダメージがない時間帯・季節を選んでやっていける職種、及び、将来の仕事にいくらかなりとも役立つかもしれない職種でアルバイトを捜したのですが、うちの父親はどんなに言っても、「わしは聖人なんやあ言うとるやろうが。わしは聖人で、あんたにいくら負担しろなんて一切言わん人間なんやて言うとるのにからにわからんのか、このチャンコロっ!」と言うのでしたが、「聖人」で「ドイツ人」というのは、「わしは聖人で、あんたにアルバイトでいくら稼いでこいなんて一切言わん人間やねん」と言った上で、「あんた、あしたからうちの工場にアルバイトに行くことに、決めてきたっ!」と言って決めてきて、それで、「あんた、そのアルバイト代から、☆☆と△▽の費用を出しなさい」と言って出させるというそういう人間だったのです。そういう人のことを「聖人」で「ドイツ人」と言うのでした。アルバイトで月あたりいくら稼ぐというのでは学習時間が取れないという場合、住んでいる所をそれまでより安い家賃の所に引越せば、その差額分、アルバイトをしているのと同じことになるという考え方もできます。実際、川崎市幸区のアパートでは月1万2千円でしたが、最初は横浜市港北区でそれより高い所に住んだのですが、引越したことで家賃分は、はっきりとした金額は忘れてしまいましたが、月2~3万円ほど浮いたはずなので、月2~3万円生活費が安くなり、又、最初は、東京―大阪間の往復には新幹線を使いましたが、途中から夜行バスを使用するようにしたので、そこでもいくらか浮いたはずで、食べる物も、昼、日吉で食事する時は生協食堂のカレー、今日もカレー、昨日もカレー、明日もカレーで、最初はおいしいと思ったカレーもそのうち、嫌になってきたが、大衆食堂に入ってもできるだけ安い物安い物を食べるようにしていましたし、ほかほか弁当で買って食べる時には、のり弁当⇒のり弁当⇒さけ弁当⇒のり弁当⇒のり弁当⇒さけ弁当⇒のり弁当⇒のり弁当⇒さけ弁当⇒・・・ と、安い方の2つでローテーションしていました。「のり弁当」というのはお弁当のうちで一番安いもののことを言うものだと思い込んでいたのですが、『築地魚河岸三代目』という漫画に、海苔屋の話が出てきて、「海苔」というのは大変いい素材だけれども、食事の際には、どうも、脇役にされることが多い素材で、海苔屋としては大いに不満を感じるもので、「海苔」を脇役ではなく主役とした弁当を作ろうとして考えられたものが「のり弁当」なのだ、と出ていたのを見て認識を改めたのですが、私が食べてきた「のり弁当」は「海苔が主役の弁当」ではなく、ほかほか弁当の店で売っているお弁当の中で一番安いものを言いました。そうやって節約しても、それでも、父は「もっと安うせえ。もっと安うせえ。甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ。甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ」と言うのでしたが、実際のところ、今から考えれば、あんな情けない生活を送らされるなら、「大学」なんて行かない方が絶対に良かった。
  父の「親友」の医者屋のM川の同僚の医者屋でK田というおばはんがいたのですが、K田はバカ息子をバカ大学2つも行かせたそうで、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯めたカネで私立金権裏口関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に入れたM川と同僚だけあって似た者同士でしたが、そのK田が「高校は義務教育じゃないんだから、あんたが高校に行ったのは余計やわ」と私に言うのでした。それを聞いて、M川が「そうや、その通りや。きみなんか、北野高校に行くことないんや。きみは中学校を出たら働かんといかん人間のはずなんや。それを高校に行ったというのは甘ったれとるからなんや。ましてや、きみは大学には行くべきではない人間なんや」と言い、それを聞いて父は「そうや。その通りや。ええ~えこと言いはる。ほんま、その通りや」と言い、私に「おまえは、高校には行くべきではない人間なんや。それをおまえが北野高校に行ったというのは、おまえが甘ったれとるからなんや。おまえは高校には行ってはいかん人種なんや。義務教育であればしかたがないからおまえでも中学校には行かせてやらんとしかたがないけれども、おまえは高校には行ってはいかん人間なんや。それを北野高校に行きよったというのは余計なんじゃ。お前は高校には行ってはいかん人間のくせしてからに高校にいきおったんや。ましてや、おまえは大学になんて言う必要ないんや。おまえは大学行かんでええんじゃ、おまえは」と言い、それを聞いて、M川が「そうじゃ。お父さんのおっしゃる通りじゃ」と言い、K田が「高校は義務教育じゃないんやから、だから、うちの息子なんてそれを2つも大学に行かせてもらっているということは、一生懸命勉強せんといかんいうことや。あんたは高校行かんでもええものを高校に行ったんであって、ましてや、あんたは大学なんて行くべきではないんや」と言い、M川もまた、「そうや、その通りや。うちの息子なんて裏口入学で行っとるんやから、それだけ、一生懸命、勉強せんといかんいうことなんや。きみは大学には行くべきではないいうこっちゃ。わかったかあ!」と何度も言われたものでした。K田のバカ息子はバカ大学2つ行き、M川のドバカ息子は私立金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯めたカネで裏口入学させてもらったから、「だから、一生懸命、勉強せんといかんし、勉強させてやらんといかんいうことなんや」という結論になり、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきて、旧帝大系国立大学に最終的に通るかどうかはともかく十分通る可能性がある成績を取れるようになった私は「おまえは、高校行ったのは余計なんじゃ。おまえが北野高校に行ったというのは甘ったれとるから北野高校に行ったんやぞ。お~ま~え~は~あ、高校行くなちゅうんじゃ、チャンコロ! チャンコロは高校行くなちゅうんじゃ、チャンコロ! おまえは北野高校に行ったと思っておるかもしれんけれども、たとえ、北野高校に行ってもそれでもおまえは浪商なんじゃ、この浪商めがこの浪商! おまえはたとえ北野高校に行ってもそれでもおまえは浪商であってやなあ、浪商は高校行かんでええんじゃ、この浪商めが浪商チャンコロつ!」ということになるようでした。それが「医者屋民族」の「常識」だったのです。
  「この世の中というものはな。ひとに命令し、ひとに号令かける人間ばっかしでもあかんし、ひとから命令されて号令かけられて、せえっせせっせ、せえっせせっせと働く人間ばっかしでもあかんのや。両方の人間がおって世の中は成り立つわけや。それで、天の神さまというお方は大変賢明なお方であって、人間を2つにはっきりと分けて御造りになっておるのである。わしいとかM川先生とかは常にひとに命令して常にひとに号令かけなければならないと天の神さまから命じられてこの世に生まれてきた民族。あんたは、常にひとから命令されて常にひとから号令かけられるのが向いている民族。それが適材適所ちゅうものなんや。わしやM川先生はドイツ人で、あんたはチャンコロの民族なんや。これは神さまがお決めになってくださったことであって、それを変えようと思っても絶対に変えることはできないし、変えようとする不心得者を天の神さまは決してお許しにはならんのや。わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんかチャンコロっ!」と父は、毎日毎日、私の眼とか鼻を指で突き刺すようにして言うのでしたが、それで、私は言ったのです。「それなら、大学みたいなもの、行かなくていいですから」と。「別に、大学なんて行かなくても、どうでもしますし、そもそも、慶應みたいなものに行かされる筋合いありませんから。慶應みたいなもんに行かされるために、これまで、他の人間が遊んでいる時も勉強してきたのと違いますから」と。実際、もし、あの時に慶應大学を辞めさせてもらっていたならば、自分でお金を稼ぎながら行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行くことができたし、それで成功したか否かにかかわらず、自分自身としての人生を生きることができたでしょう。ともかくも、「決めてきたっ」と言って、学業にダメージを受けるアルバイトを決めてこられる苦しい生活よりもよっぽどいい生活を送れたでしょう。世の中には「医者屋民族」というものがいて、おのれのドバカ息子には「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯めたカネで裏口入学させて、返す刀で真面目に努力してきた人間の大学進学を妨害する人たちというのが存在するのですが、私立金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ というのは、裏口入学⇒薬漬け・検査漬け・毒盛り⇒裏口入学⇒薬漬け・検査漬け・毒盛り⇒裏口入学⇒薬漬け・検査漬け・毒盛り という輪廻で成り立っている「大学」であり、それは《「医者屋民族」の「医者屋民族」による「医者屋民族」のための「大学」》であり、患者にとっては、もしくは、一般国民にとっては害こそあれ益のない存在、「反社会的勢力」であると断定すべきものでしょう。
  北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子は「私は両親が離婚したから」と「両親が離婚した」というのを何より自慢にする女だったが、「両親が離婚した」ことで父親がなかった旧姓S野礼子もまた、「決めてきた」と学業にダメージが出るようなものを「決めて」こられることもなかっただろう。そういう女が「私は両親が離婚したから」と「両親が離婚した」というのを自慢しまくってきたのだった。弁護士やっている人間を見ると、ろくなのいないなあ・・と思うことが多いのだが、私が工場で乳液作らされていた時に、冷房のきいた部屋で座って法律の本を読んでいたようなそんな連中ばかりだから、だから、ろくなのいないのかもしれない。裁判官もそうだろう。
  そうやって、私に無断で「決めてきた」工場に行かされると、父の部下だった工場長のMさんから、「あんた、東京でどんなとこ、住んどんねん? あんたやったら、最低でも月10万円以上はする所に住んどるんやろ。どや、いくらの所に住んどるねん?」と言われ、「月1万2千円です」と正直に答えたところ、「アホぬかせ! そんなもん、東京で、今、月1万2千円なんて、そんな所なんて、あるわけないだろうが! うちの、息子、同志社大学に行っとるんやけども、京都ででも月6万5千円やぞ。『風呂つきの所でないと嫌じゃ~い』言いよるから、風呂付の所に住ませとるんやけど、京都ででも、そんなけ、かかるんやぞ。あんたなんか、当然、風呂付の所に住んどるんやろうが。それが、月1万2千円やなんて、そんなおかしな話があるかあ! 嘘つくな! わかってるんやからなあ」と言われたのだが、嘘なんてついていない。だいたい、なんでわかるんだよお!!! 本当に、月1万2千円の所に住んでいたのだ。そのかわり、自宅に風呂のない家が多い場所だったから、銭湯もあっちこっちにあった(今は、それほどないようだけれども)。「嘘なんてついてませんよ」と言ったのだが、「ええかげんにせえ。嘘つくな、言うとるんじゃ。あんたなんかが、月1万2千円やなんて、そんな所に住んでるなんて言うて誰が信じるか! 嘘ついたらいかん」と言うのだったが、嘘なんてついていない。本当に月1万2千円の所に住んでいたのだ。それでも、父は「こいつのおかげで、カネかかってしょうないわ、ほんまにもう、生まれてこなければよかったのに生まれおってからに、このチャンコロめが、このチャンコロっ!」と言うのだった。
  昼は慶應の生協食堂で、140円のカレーライスを食べることが一番多かったのだが、そうすると、父は言うのだった。「おまえ、贅沢すんな、贅沢を! 140円のカレーライスやなんて、おまえがそんな贅沢なもん、食うてええのか、おまえが! もうちょっと安いものにしなさい、もうちょっと安いものに。贅沢すんな、贅沢を!!!! このチャンコロっ! 贅沢は敵だあ! 撃ちてしやまん! い~ちおく、火の玉あ! とってちってたあ~あ!」と。しかし、どんなに捜しても、140円の生協食堂のカレーライスよりも安いものは見つからなかった。
  父は「あんた、新幹線で帰るのなら、新幹線の中で弁当食うたらええ。あんたはとんかつ弁当にしなさい。わしは、いつも、ウナギ食うんやけどな」と言うのだった。もし、新幹線の車内で食事をするのなら、「あんたはとんかつ弁当や」などと決めなくても、食べる人間がいいと思うものを買って食べればよさそうなものだと思ったのだが、就職後、東京駅の駅弁売り場で見てわかった。東京駅の駅弁売り場で売っている駅弁の中で、とんかつ弁当が一番安いのだった(鰻弁当が一番高かった)。それで、父は「あんたはとんかつ弁当がええ」とそう「決めたった」のだった。
  東京駅の八重洲口から夜行バスで大阪まで帰った時、父は「夜行バスやなんて、おまえなんかがそんな贅沢なもん、乗ってええのか、チャンコロっ! 贅沢すんな、チャンコロ。贅沢すんな、チャンコロ! 贅沢すんな、言うとるんじゃチャンコロっ! チャンコロが夜行バスなんて乗ってええのか、チャンコロ! チャンコロは贅沢すんな、言うとるんじゃ、チャンコロっ!」と言うのだったが、東京―大阪間の交通費を私は調べたのだが、高い方から、
飛行機 ⇒ 新幹線 ⇒ 在来線各停 ⇒ 夜行バス(昼間も同等の料金)
だった。新幹線の普通車と夜行の急行「銀河」号のB寝台は同じくらいだったと記憶している。
その中で、一番安い夜行バスでも「おまえなんか、夜行バスなんて乗ってええのか、チャンコロ。チャンコロは贅沢すんな言うとるんじゃ、チャンコロ!」と父は言うのだったが、夜行バスより安い交通手段は見つからなかった。「民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! チャンコロっ!」と父は言うのだったが、夜行バス「ドリーム号」よりも安い交通手段がない以上、それよりも安くしようとすると、東京から大阪まで夜行バスに乗ったが、大阪行きではなく京都行きに乗って、京都駅から大阪府の自宅まで歩くか、もしくは、その時は、帰る日の昼は日吉の食堂でチキンライスを食べて、夜と大阪についた日の朝食は抜いたのだが、昼もぬくか・・なにかそういう方法しか思い浮かばなかった。
  「てってこっこ、てっててえ~い♪ てってこっこ、てっててえ~い♪ てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ! 撃ちてしやまん、い~ちおく、火の玉あ~あ! とってちってたあ~あ! 親こっこっこ、親こっこっこ、親こっこっこ、クォ~っ、クォ~っ! すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために、すべてをわしのために、ささげ尽く~す! とってちってたあ~あ! 生まれてこなければよかったのに生まれてきた、という罪をつぐなうために、すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために! とってちってたあ~あ! どんがん、どんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃあ~ん♪じゃあ~あ!〔⇒《YouTube-《軍歌》軍艦マーチ("Gunkan māchi "~March "Man-of-War"~)with Eng/Sub》https://www.youtube.com/watch?v=A75AQgDBtJI 〕 」と言うのだったが、「そんなに嫌な子供なら産まなければ良かったのと違うのですか」と言ったことがあったのだが、「アホ言うな。おまえが生れなければ良かったのに生まれたんじゃろうが。おまえが生れたのがいかんねんぞ。わかっとんのんか。産んだもんが悪いのとは違うねんぞ、産まれたおまえが悪いねんぞ。心得違いを起こすでないぞ、チャンコロ、ろすけ、イタコ、ぷえるとりこ!!!」と言うのだった。
  慶應の学生で、仕送りの額をいくら送ってもらっているか、何人かにきいてみたが、私より少ない人間は誰もなかった。私が仕送りをしてもらっていた金額を聞いて、「よく、そんな額で1か月生活できるなあ」と言う者もいた。それでも、私にとっては「贅沢」だったようだ。父の勤め先の工場長だったMさんは課長で、父は常務取締役だったが、父の勤め先の場合は、常務は課長や係長よりも給料は安い会社だったらしい。父が他界した時、「遺品」を見ると、ソープランドに行った記録を逐一「日報」につけとった。ソープランドに行くおっさんというのは世の中には珍しくもないかもしれないが、日報なんてつけるかなあ・・と思ったが、おっさんはつけとった。それは「必要経費」だったのだろう。「生まれてこなければよかったのに生まれおってからに。このチャンコロめが、この浪商があ!」と父は言うのだったが、父にとってはソープランドは「必要経費」であり、私が生まれなければよかったのに生まれてきおったことで、ソープランドに行く経費が不足してしまったのかもしれない。大変申し訳ないことをしたようだ。
  北野高校https://www.osaka-c.ed.jp/kitano/ の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(1970年代後半当時、20代。北野高校⇒神戸大文学部卒。)は「私は両親が離婚したから」と、親が離婚したということを最大の自慢にしていたが(結婚というものは、基本的にはこの人と一生一緒にやっていこうということでするものだが、それでも離婚する人というのは、その人にはその人で事情があったのだろうから、その離婚によって何か迷惑をこうむったとかでなければ、特に文句を言う必要もないことだ・・とは思うが、しかし、逆に、自慢するものでもないと思うのだが、時々、自慢する人というのがいるようだが、それは違うと思うぞ。自慢するものとは違うと思うぞ)、「両親が離婚した」ことで母親の方についていった旧姓作野礼子にとっては、父親があるということは「ものすごくあんたは恵まれているのよ」と言うのだったが、もしも、父親がなければ、私は日本育英会奨学金を受給して、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行き、つきたいと思う仕事につくことができたが、父親があったために、行きたい大学に行くことができず、行きたい学部に行くこともできず、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくないと小学生の時から思っていた学部に暴力と強制と脅迫で行かされた。進学については父親なんてない方が絶対に良かった。
  父親があるから、毎日毎日、「てってこっこてってて~い♪ てってこっこてっててえ~い♪ てってこっこてっててって、らったらったらったらあ~あ♪」とか言われるのだった。「人間はなあ。それぞれに、適性というものがあり、適材適所というものがあるわけや。わしなんかは、人に号令かけるのが得意で向いてるんや。あんたは常に号令かけられるのが向いている民族で階級なんや。それが適材適所ちゅうもんなんや。わしはドイツ人の民族で慶應の階級、あんたは、チャンコロの民族で浪商の階級なんや。わしは、ひとに号令かけるのが得意。あんたは号令かけられることが何よりもうれしい。世の中は、この2種類の人間がおって成り立っておるわけや。あんたは号令かけられることに快感を感じる人間なんや。どや、うれしいやろ、チャンコロっ! そ~れ、てってこっこてっててえ~い♪ てってこっこてっててえ~い♪ てってこっこてっててって、らったらったらったらあ~あ! 撃ちてしやまん! い~ちおく火の玉あ! とってちってたあ~あ! じゃあ。どや、うれしいやろ、チャンコロ! 『うれしいです』と言わんか、チャンコロ」と言うので、「私はうれしくないですけれども。私はそんなこと言っていただかなくてけっこうなんですけれども」と言ったのだが、「何、言うとるんじゃ、チャンコロっ! チャンコロは号令かけられることを喜ぶ民族なんじゃ。おまえはチャンコロでやなあ、チャンコロは号令かけられることがふさわしい民族で、チャンコロは号令かけられることが何よりもうれしいんじゃ。喜ばんか、チャンコロっ! 喜べチャンコロ、喜べチャンコロ、喜べ喜べチャンコロちゃんころ!」「わしはあんたが号令かけられることを喜ぶもんやから、わしは只管、あんたを喜ばせてやろうという気持から号令かけてやってやってやってやったっとんねんで。喜べよ。わかっとんのんか、チャンコロっ! 喜べチャンコロ、喜べチャンコロ、喜べ喜べ喜べ喜べチャンコロっ! 喜ばんかチャンコロっ! とってちってたあ~あ!」と毎日毎日言うのだったが、父親がいなければそんなこと言われなくてすんだと思う。
  旧姓作野礼子は私が1浪の時、「私なんかは、両親が離婚したから、浪人なんてさせて欲しいなんて絶対に言えなかったわ」などと言うのだったが、しかし、それを言うのなら、私だって旧姓作野礼子に言わせてもらっていいはずだ。「私なんか、もしくは私の姉なんか、あんたみたいに神戸大の文学部なんて、たとえ、行きたいと思っても、そんなもの、絶対に受けさせてもらえなかったわ!」と。「女の子が大学なんか行くことあらへん」とも言うとった。父は旧姓作野礼子には言わないが姉には言うとった。それから、むしろ、父は、私が何とか現役で通りたいと思っていた高校3年の時、「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい!」とそう言いおったのだった。私が高校1年に入った時、野球部に入ったところ、「野球部の監督を怒鳴りつけてや~る」と言い、それで、無理だと思って辞めたのだったが、その際、「野球やるなら浪商に行けえ!」と意味不明なことを行っていたが、北野高校の1年の時の担任のO先生が「北野高校の場合は、運動部に在籍した生徒とそうでない生徒とでは、進学成績に変わりはない」という話をされたし、野球部の卒業生で京大・阪大などに進学した人は何人もあった。実際、私の1年上の学年の人で、3年の11月までラグビー部で活動していて京大医学部に現役で合格した人もいたし、野球部はまだ7月の大阪府大会までだが(大阪府大会で優勝すれば8月までになるが、実際には優勝というのはそう簡単ではないので、7月までになる)、ラグビー部は3年の11月か12月まで活動して、それで、京大や阪大、あるいは東大に現役で何人も通っていた。橋下徹が北野高校3年だった時には、ラグビー部は全国大会にまで出場して2つ勝って、3つめにラグビーの強豪 伏見工業と1月に花園ラグビー場で試合をして善戦したものの負けたが、父はその新聞記事を見て「えらいなあ、えらいなあ。北野高校の生徒がラグビーもやってからに、えらいなあ、えらいなあ」とか言っていた。〔 スポーツ学校の運動部のやつが、高校3年の1月に花園ラグビー場でラグビーやっていても、彼らは入学試験か就職試験を受けているようなもののはずだが、スポーツ入学で大学に行くわけでもない進学校の生徒が、スポーツ高校のやつと同じように、3年の1月に花園ラグビー場でラグビーやってるというのは、それは「文武両道」とか言って「えらい」とほめるものなのかそうではなくアホなのか・・・、もしかして、アホちゃうか・・て感じもしないでもないが・・・(笑) 〕 私には「野球部の監督を怒鳴りつけてやる」とか言っておいて、橋下徹などには「えらいなあ。北野高校の生徒でラグビーもやるとはほんまにえらいなあ」とか言っていた。このおっさん、いったい何なんだと思った。高校1年の時に私が野球部に入った時には、「北野高校の場合は、運動部に在籍した者でも進学成績はそうでない者と変わらない」という話をしたのだが、そうすると、父は「そういうやつは、みんな、浪人や」と言うので、「そうじゃないようですよ。浪人した人もいるようだけれども、現役で通った人もいるようですよ」と言ったのだが、「嘘や。嘘に決まってる。運動部におったようなヤツで京大や阪大に通ったなんていうのは、みんな、全員、浪人に決まってる。うちは浪人なんてさせるつもりはありません。甘ったれなさんな」と言うのだったが、それで「野球部の監督をどやしつけたる」とか言うので、それでもうどうしようもないと思った辞めたのだったが、ところが、私はなんとか現役で大学に通りたいと思って学習していた3年の時になると、今度は私が1年に入学してすぐの時とは正反対に、「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい!」と言うのだった。何とか現役で通りたいと思って努力している息子に、「あんた、浪人しなさい」なんてそんなこと言う親があるか!?! と思ったが、あったのだ。我が家にあったのだ。旧姓作野礼子は「両親が離婚したから」父親はいなかったはずであり、高校3年の時に何とか現役で通りたいと思って学習しているまさにその時、「あんた、浪人しなさい」なんて言われることもなかったであろう
  それで、実際に浪人してみると、「電卓、でんたっくう~う」と言って電卓を持ち出して、「あんたが浪人したおかげで、予備校代が◇万円、入学試験の願書代が〇円、受験料が◇円、切手代が〇円、封筒代が☆円、受ける時のホテル代が〇円、交通費が☆円・・・で、合計、☆☆円の損をわしはあんたにさせられた」と言うのだった。あんた、私が高校3年の時には「あんた、浪人しなさい」などと言ったのと違うんかい、と思ったが、「あんたが浪人したおかげで、わしは、☆☆万円の損をさせられた」と言うのだった。毎日毎日、言うのだった。それなら、せめて、「あんた、浪人しなさい」なんて言わないでもらいたいと思ったものだったが、高校3年の時には「あんた、浪人しなさい」などと言って、それで、浪人してしまうと、「おまえが浪人しおったおかげで、わしは☆☆万円の損をさせられたんじゃ、おまえのおかげでおかげでおかげで」と言うのだった。旧姓作野礼子は父親からそういうことを言われたことはないはずだ。なにしろ、旧姓作野礼子は「両親が離婚した」ので父親がいなかったのだから。北野高校というのは行きたいと思って行った学校だったので、合格した時はうれしかったが、卒業して何年かして考えると、そういい学校ではなかったなあ、と思うようになった。それならどこに行けばよかったかというとそれもよくわからないが、ともかく、北野高校の教諭やっている人だから、そう悪いことは言わないのではないか・・とか思い込んでいたのは間違いだった。勝手なことばかり言いまくってきやがった。特に旧姓S野礼子はいったい私に何の恨みがあったのかと思う。「殺してやりたいくらい」といっても殺すわけにはいかないが、あの女に対してはそのくらいの気持ちである。
  自分の「両親が離婚した」かどうかにかかわらず、自分が浪人させてもらえたかどうかにかかわらず、高校の教諭が浪人中の者に向かって、「私なんか、浪人したいと思っても絶対にさせてもらえなかったわ」とか言うというのは、それは高校の教諭の態度としておかしいと思う。実際問題として、慶應大学には最初から現役で通るということは考えておらず「1浪で慶應大に入れた」ということを英雄みたいに思っていてそんな感じで言う男もいたのだ(慶應は内部進学とそういう連中の巣窟である)。そういう人間も世の中に入るのに、北野高校の場合は「約半分は現役で通って約半分は1浪で通り、2浪以上の人も何人かはある」だったが、高校3年生に「だから、現役で合格できるよう努力しなさい」と言うのならまだわかるが、すでに浪人してしまった人間に、そんなこと言っても、「だから、どうすればいいの?」ということになってしまうではないか。頑張って何とかできることなら言えばいいが、どんなに努力しても、もうどうすることもできないものを責めてもしかたがないではないか。 それも、自分が高校2年の時に担任だった生徒にだけ言うということは、この女に担任持たれたら損だということになる。この女は、「現役で大学に行く人間なんてほとんどいなくて、1浪して大学に行くのが当たり前」の高校卒で「俺なんかはきっちりと1浪で通った」とか言って自慢している慶応大あたりにいっぱいいるヤツにはなぜそれを言わないのか? なぜ、自分が担任もった生徒にだけ、浪人中に言って苛めるのか??? これから努力してなんとかなるものなら言えばいいが、すでに浪人してしまった人間に、なんで、おまえは浪人したんだ・・と責めても、もう、どうしようもないのであり、どうしようもないことを責めて苛めてどうするのか? と思うが、「両親が離婚した」性格のいがんだ女は、何とかしようと思ってももうどうもやりようがないことを責めて苛めたかったようだ。
   私が高校3年の時、母が父と離婚すると言い出した。旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」と言いまくり、「両親が離婚した」自分は「両親が離婚し」ていない人間よりもエライと主張するのだったが、そうでもないと思う。「両親が離婚した」娘の場合、すでに離婚しているのだから、なおさら、離婚するとかしないとかいう話は出てこないだろう。それに対して「両親が離婚し」ていない者の場合は、「離婚する」と言い出す可能性があるのである。私の母は私が高校3年の時をねらって言い出した。そして、「こいつ、お父さんと一緒で男やから、将来、女を泣かせよる。こいつ、男やからやっつけてやらんといかん」と言って、箒とか持って、私が家で学習中、私にボコボコ殴ってきたものだった。そのくらいなら、まだいいが、「こいつ、現役で大学に通ったら、思いあがった人間になって女を泣かすから、浪人した人の方が謙虚な人間になるから、こいつ、絶対に大学落としたる、こいつう! こいつめ、勉強すんな、こいつう~う!」と言って、背後から体をつかんで後ろにひっくり返したり、その上で、箒とかでボコボコ殴ってきたりしたものだった。そのくらいならまだいいが、私が使用している部屋の電気のブレーカーを洗面所にあったブレーカーで落として照明がつかないようにして、「こいつ、勉強させてなるものかあ、こいつう~う!」と言い、部屋に入ってきて、背後から掴んでひっくり返そうとするので、「出ていってちょうだい」と言って、外に出そうとすると、「うわああ~あ、こいつ、私を階段から突き落とそうとしたあ~あ。この男。母親を階段から突き落としよるう」と叫び、それに対して、「離婚する」とか言うてた父親が、「こいつめえ」と言って同調する。高校から帰ってくると、インタホンのソケットを抜いてインタホンが鳴らないようにして、家のすべての雨戸を閉めて、玄関も勝手口も閉めて鍵をかけて入れないようにする。その上で、学校に電話して、「息子が帰ってきませんね~ん!」と言う。なぜ、母がそういうことをするのかというと、「こいつ、男やから、将来、女を泣かせよる。男をやっつけてやらんといか~ん!」と言うのだった。さらに、「こいつ、体の血を全部抜いて入れ替えてやろうと思うんや」と母は言うのだった。なぜ、私の体の血を抜きたいのかというと、「こいつ、お父さんの血が入っているからいかんのや、こいつ。こいつ、やっつけてやらんといかん、こいつ」と言うのだった。さすがに、血は抜かれずにすんだが、私の父親と母親はそういう親だった。そして、母は言うのだった。「北野高校の進学説明会の時に先生が言われるには、家庭では、『なごやかな雰囲気』にしてもらうのが受験にもいいという話やった。そやから、うちなんか最高やいうことや」と。そして、箒もって、「こいつめえ。勉強すんなあ~あ!」と叫んで殴りかかってくるのだった。「両親が離婚した」家庭ならば、そういうこともなかったのではないか? 旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」と「離婚し」ていない人間よりもエライと主張するのだったが、エライかえらくないか知らんが、「両親が離婚した」家庭よりも「両親が離婚し」ていない家庭が常に有利とは限らない、ということくらい理解できないというのは、それは「両親が離婚した」女の欠陥だったと言わざるをえない・・が、「両親が離婚した」女といえども、旧姓作野礼子みたいな人間ばかりではないと思う。 「両親が離婚した」のでなくても、むしろ、「離婚し」ていないからこそ、夫婦で問題が発生することだってある、ということをわかっている人も「両親が離婚した」人にはいると思うが、旧姓作野礼子はそのくらいのことも理解できていない女だった。
   毎年、父は正月になると、姪にお年玉をやるために、わざわざ、大阪から千葉県まで新幹線で行っていたが、「お年玉というのは、『今年もどうぞよろしくお願いいたします』と挨拶に来た者にあげるものであって、挨拶に来たわけでもない者にお年玉をあげるためにわざわざ行くことないのと違いますか」と私は言ったのだが、「あげたいねえ~ん♪」と父は言うのだった。そう行った直後に私に「贅沢すんなよ、贅沢してはならぬぞ、チャンコロ! 贅沢してはならぬぞ、おまえはこのチャンコロめがチャンコロ!」と言うのだった。姉は私にも「Y子とお話させてあげようか」などと言ったことがあったのだが、「お話」してもいいけれども、「お話させてあげようか」まで言われて「お話」させてもらわんでもええよ、と思ったものだった。「Y子とお話すると癒されるわあ~あ」てそれではまるで「猫カフェ」みたいである(笑)。父は、「猫カフェ」ではなく、「鹿せんべい」みたいに姪にお年玉をやりに大阪から東京まで新幹線代を払って行っていたのだった。「贅沢すんなよ、贅沢を」と私に言った後で。そうやって、「猫カフェ」か「鹿せんべい」みたいな扱いを受けるというのは、子供にとってもうれしいことではないのではないか・・と思ったが、「鹿せんべい」をやりたい男にとっては、そんなことは関係ないことだったようだった。父親はあった方がいいとは限らないと思う。
  私が幼稚園児だった時、私の親はお年玉を、いったん、くれた。「いったん」である。親戚のおじさん・おばさんからももらった。ところが、父は「あんた、そのお年玉、使ったらもったいない」と言うのだった。我が家は同級生や近所の子供と比較して、「あれ、欲しい」などと言ってもなかなか買ってもらえない家庭だった。よその家に遊びに行って、よその子供が持っていて私は持っていないというものはいっぱいあったが、逆は少なかった。「贅沢してはいけません」と母親から言われてきたし、父親も言っていた。よその子供は買ってもらえるけれども、私は買ってもらえないというものが多かったのだが、お年玉をもらったから、これで欲しいものをどれか帰る♪・・と思ったのもつかの間、父は「あんた、それ、使ったらもったいないから貯金しなさい」と言うのだった。「嫌や。せっかくもらったのに、取られるのは嫌や」と、さすがに子供でも抵抗した。ところが、父は「違うねん、違うねん、取られるのとは違うんや。貯金というものはやなあ、取られるのとは違って、銀行が預かって利子がついて得するねん」と言って話をすり替えようとしたのだった。定期預金というものは銀行に盗られるのではなく、銀行が預かって利子がつくということくらい、幼稚園児でも知っていた。しかし、父がやろうとしていたことはというと、私がもらった「お年玉」を取り上げて私の名前で貯金をさせて、それを何年か後に、「あんた、それで、勉強のもんを買いなさい」と言って、「勉強のもん」を、そのお年玉がなければ親がカネを出して買うところのものを買わそうとそういう魂胆だということくらい、わからなくてどうする。だから、「貯金しなさい」などという主張をきいたのでは「取り上げられる」のと同じなのだ。だから、子供も必死である。普段、よその子供は買ってもらえるものを私は買ってもらえないことが多かったが、お年玉をもらったからにはそれで欲しいものをどれか買える♪ と思ったら、それまで取り上げようと父はしたのだった。それは嫌だと私は頑張ったのだったが、すると、常に父につく上の姉がさりげなく横に寄ってきて「あんた、違うねんて、貯金ていうのは取られるのとは違うねん。この子、貯金の意味がわかってないんや、この子」とか言い出した。父は「ほらほらほら。しっかりしたお姉さんが言いはった。ほらほら。えらいえらいお姉さんが言いはったがな。しっかりしたお姉さんも言いはるようにやなあ、貯金というのは取られるのとは違うねん。銀行が預かって利子がついて得するねん」と言うのだが、貯金というものは銀行が盗るのではなく銀行が預かって利子がついて何年か後に返ってくるなんてことは子供でも知っていた。結局、父とその同盟者の姉に押し切られて、お年玉は親からもらったものも親戚のおじさん・おばさんからもらったものも全額、貯金させられて、5年後、満期になると、父は「あんた、それをまた、5年の定期預金に入れなさい」と命令して、また「貯金」させられた。それが、10年後にどうなったか、どうも記憶がはっきりしないのだが、幼稚園児が欲しいと思ったものを買わせてもらったのでないことは間違いない。10年後、16歳の時に、幼稚園児が欲しいものを買わせてもらってもうれしくもなんともないし、16歳の時にその貯金がどうなったか記憶がない。そもそも、幼稚園児にとっては大金でも大人にとってはたいした金額ではないのであり、取り上げられるお年玉なら、最初からもらわない方が良かった。親戚のおじさん・おばさんからお年玉をもらった時、母は「ありがとうと言いなさい」と言い、私は「ありがとう」と言ったのだが、一時的に私の手元に来ても、すぐに取り上げられて、結局、私が欲しい物を買うのには使わせてもらえないようなものなら、私にとってはちっともありがたくない。それは、結局、親が使ったのだから、「ありがとう」と言うのなら親が言えばいいことで、子供は子供が欲しいものを買わせてもらえるわけでもなく、一時的に自分の手元にあってもすぐに親に取り上げられるのだから、そんなものに「ありがとう」と言う必要はなかったように思う。旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がなかったから」とそれが最大の自慢で、しばしば口にして自慢するのだったが、「両親が離婚したから」「父親がなかった」娘は、私みたいに、いったん、「もらった」はずのお年玉を取り上げられるという経験もなかっただろう。「若い時の苦労は買ってでもしろ」とか言う人があり、父は私に毎日のようにそう言いまくっていたが、いったん、「もらった」かのように見えたお年玉を、「くれた」人に「ありがとう」と言ったにもかかわらず、全額取り上げられる経験というのは、それは「いい経験したねえ」とかいうものではなく、そんな経験なんてしない方がいいように思う。私が親の立場なら、そんな経験は子供にさせたくない。いったん、渡したものを取り上げるくらいなら、そんなお年玉なんて最初から渡さない方がいいと思う旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」と「両親が離婚した」者は「両親が離婚し」ていない者よりも常に苦労してきてエライ人間でほめてもらう権利があると確信していたが、「両親が離婚した」娘は「お年玉」を一時的に持たされて「ありがとう」と言わすだけ言わされて、それを全額取り上げられる、というそういう経験もしたことはないだろう。そういう経験がないというのはうらやましい限りである。
  私が「お年玉」と称していったん受け取ったものを「貯金」と称して全額を取り上げた父は、私が20代の時には、姪に「Y子にお年玉やりたいね~ん」と言って、新幹線でわざわざ千葉県まで姪に「鹿せんべい」やりに行っていた。そういうおっさんやった。
  私は父親がなければ、自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行って、やりたいと思う勉強をして就きたいと思う仕事に就くことができた。「絶対に通ったか」ということならば、そもそも、東大でなくても京大でも阪大でも、ともかく、ある程度以上てごわい所を受けるからには「絶対に」などというものは、ない!
  「ぼくはゆうゆうと通った」とか言うヤツがたまにあるが、それは嘘だ。私が慶應大学の学生であった時、東大病院に勤めて医者屋をしていた男F山が「ぼくがぎりぎり通ったとか、ぼくがまぐれで通ったとか思ってるのかあ? このぼくは東京大学理科三類に現役でゆうゆうと余裕をもって通ったんだぞお。おまえは二浪もして、それでも東大に通らなくて慶應にしか行けなかった最低の落ちこぼれだろうがあ! ぼくときみとでは人間が違うんだ。ぼくはエリート中のエリートで、きみは二浪しても東大に通らなくて慶應にしか通らない最低のカスだろうが! ぼくときみとでは能力も違えば人格も違うんだ。自覚しなさい。自分は慶應にしか通らない最低のカスだと自覚しろ! わかってんのかあ!」と言われたのだった・・・が、これを聞いて、私は疑問に思った。まず、F山は私よりも8歳ほど年上だったが、F山が大学に入学した頃も私が大学を受験した頃も、京都大・大阪大・神戸大は通った人にも落ちた人にも、入試で何点取れていたか、出身高校に伝えていたので、出身高校の3年の担任の先生に尋ねれば、通った場合も落ちた場合も自分が何点取ったかわかったのだが、東大は合格発表で通ったか落ちたかはわかったが、出身高校に何点だったかを伝えるということをしなかったので、通った場合も落ちた場合も何点だったかはわからなかったのだ。だから、もしも、F山が理科三類に現役で通ったとしても、何点で通ったかはわからなかったはずで、「このぼくはぎりぎり通ったんじゃないんだぞお。このぼくは理科三類に余裕をもって優秀な成績で通ったんだぞお」と大声で言うのだったが、たとえ、F山がそう思っていたとしても、F山が思っているだけのことで、実際にどうだったかはわからないはずだった。もうひとつは、私の出身高校の北野高校は京大・阪大には何人も通る高校だったが東大に行く人は多くない高校で、東大の理科三類に進む人はあまりない高校だったが、「友達の友達はみな友達だ」というわけでもないが、「知り合いの知り合い」で東大の理科三類に進学した人と会ったこともあり、そういう人とF山は雰囲気が違ったのだ。そして、何よりも、私は2年も浪人してしまったことで学んだものがあるのだが、それは「入学試験というものは合格最低点よりも1点でも多くとればいいことで、それ以上多く取っても意味はない」という認識で、それを「ゆうゆうと通った」とか言われても、「ああ、そうですか」てなもので、入試はハードルであって棒高跳びではないので、棒高跳びならば高く飛ぶことに意義はあっても、ハードルは高く飛んでも意味はないのであり、合格最低点より何点多く取ったと言われても、そんなものに価値はないのであり、むしろ、「高く飛ぶ」ことを考えていたならば、むしろ、それは「勝負弱さ」である! と認識していたので、「変なことを言う男だなあ」と思ったのだった。本人が「ぼくは東京大学理科三類に現役で入って東大医学部を卒業したんだぞお~お!」と何度も言うので、本人がそう言うのならそうだろうと最初は思っていたのだったが、変なことを言うものだ・・と思うようになったのだが、後に聞いた話では、F山は「T京大学医学部卒」で東京大学医学部付属病院で医者屋として勤務していたが、卒業した大学は「T京大学医学部」ではあるけれども「東京大学医学部」ではなく「帝京大学医学部」だった。要するに、私立金権裏口医学部卒の男だった、私立金権医学部という「全体が裏口入学」の所を出た男だった・・。まあ、そんなもんだな、「このぼくは東京大学理科三類に現役でゆうゆうと余裕をもって通ったんだぞお! わかってんのかあ~あ!」と何度も何度もひとに怒鳴りつけるような男というのは、そういう類がけっこう多い。東大の場合には入試の点数を教えてくれなかったので、通った場合も落ちた場合も何点だったかわからなかったが、京大・阪大の場合は入試の点数を教えてくれたので、合格の場合は「ゆうゆうと通った」か「ぎりぎり通った」か、落ちた場合も「ぎりぎりで落ちた」か「けっこう点差があって落ちた」かわかったが、実際の試験で結果としての点数では「ゆうゆうと通った」点数で通ったという人はいたかもしれないが、それは受けた後でのことで、試験日まで、もしくは、試験が終わるまでは、決して「ゆうゆうと」ではなかったと思うのだ。もしも、「このぼくは、落ちる可能性なんてぜんぜんなかったんだぞお」などとF山が言ったようなことを試験日までに思っていたならば、その認識は「勝負弱さ」であり「落ちる方の要素」だと私は思う。 東大理科三類に限ったことではなく、ともかく、「ある程度以上手ごわい所」を受けるならば、「絶対に」などということはない! のであり、「絶対に通る」などということはない! と認識しているならば、その部分は「通る方の要素」がそこにひとつあるということで、「このぼくは落ちるなんてことは絶対にない」とか思っているならば、その部分において「落ちる方の要素」がそこにひとつあるということだと私は認識している。それで、だ。何学部であれ、東大とか京大とかそういう大学に行こうとしたならば、「絶対に通る」などということはありえないことで、落ちる可能性だったあっただろうけれども、ともかくも、父親がなければ、私は、行きたい大学の行きたい学部の通る可能性は十分にあったし、落ちたとしても、それならこうしようと自分で「納得いく」とまで納得いかないとしても、自分でこうしようと判断した所に行くことができたであろう。
   私は慶応大の商学部を人よりも年齢をいって卒業したので、就職には苦労したが、父は「知らんで、知らんで。わしはあんたの勤め先みたいなもん、知らんで、知らんで。うちの会社はあんたみたいなもん、絶対に採らんからな。あんたの勤め先みたいなもん、わしは知らんで」と言うのだった。「そやった。このおっさんはこういうおっさんやった」。 私が父親だったならば、自分が「エライさん」でなくて、自分が頼めるツテなんて何もなかったとしても、それでも、こういう所に応募してみたらどうだろうかとか、こういう所ならどうかとか、一緒に考えるものだと思うし、自分自身の経験から、「こういうこともあるよ」と教えることのできるものもあると思うし、それが父親というものではないかと思うのだが、「知らんで、知らんで。わしは、あんたの勤め先みたいなもん、知らんからなあ」と言うので、「そやった。このおっさんはそういうおっさんやった」と思ったものだった。 そして、そのうち、「一流企業」ではないけれども、来てもらいたいという会社が出た。そして、さらに別の会社から来てもらいたいようなことを言われた。そうすると、父はこう言ったのだった。「よっしゃ。そしたら、わしが、どっちがええか、決めたるわあ」と。「知らんで、知らんで。わしはあんたの勤め先みたいなもん、知らんで、知らんで」と言っていた男がそう言ったのだ。
  「要りませんけれども」「決めて要りませんけれども」と私は言ったのだが、「何、ぬかすんじゃ、チャンコロっ! この誰よりも誰よりも特別に特別にえらいえらいエライえらいこのわしが、決めたると言うてやってやってやってやったっとんねんぞ。このわしが。このドイツ人のわ、し、があ~あ! んが、んが、んがあ!!!」と。「そやった、このおっさんはこういうおっさんやった」。なかなか雇ってもらえる所がないというと、「知らんで、知らんで。わしはあんたの勤め先みたいなもん、一切知らんで」と言い、来てくださいと言ってもらえる所が出てきた、それも複数でてきたとなると、「よっしゃ、そしたら、どっちにするか、わしが決めたるわあ」と言ってしゃしゃり出てくる。「そやった、そういうおっさんやった。このおっさんはそういうおっさんやった」。「両親が離婚した」から「父親がなかったから」とそんなものを自慢する女は、父親からそういう態度を取られた経験もないだろう。「人生、何事も経験や」と言う人がおり、うちの父親が何度も私に言うとったが、なかなか雇ってもらえる所がないという時には「知らんで、知らんで。わしはあんたの勤め先みたいなもん、一切、知らんで」と言って、来てくださいと言ってもらえる所が複数出てきたとなると、「よっしゃ、そしたら、どっちがええか、わしが決めたるわあ」などと言われる経験なんて、そんな経験なんてしたくもない。そんな経験しない方がいい、と思う。
  父は私に言うのだった。「結婚でもそうやからな。思いあがってはならぬぞ、チャンコロ! おまえの結婚相手はわしが決めたるわあ。そやからやなあ、おまえは、女とつきあう前に、わしの所に女を何人か用意して連れて来い。そやなあ、女をとりあえず、10人ほど、わしの所に連れてこ~い! そしたら、このエライえらいエライえらいドイツ人のこのわしが、こいつにせえ! 言うて決めたるから、そいつとつきおうて結婚せえ! もしも、その中にわしのお眼鏡にかなう女がおらんかったら、『みんな、あか~ん』言うたるから、そしたら、また、おまえが女を十人のど用意してわしの所に連れてこ~い。そんで、その中にもええのんがおらんかったら、また、『みんなあか~ん』言うたるから、そしたらまた、おまえが女を十人ほど用意して連れてこ~い。甘ったれとってはならんぞ、甘ったれとっては。思いあがるなよ、チャンコロ。つきおうてから連れてくるのと違うねんぞ、つきあう前に連れてくるねんぞ。わしに無断で女とつきあうような甘ったれた真似をしてはならぬぞ、チャンコロ! わかっとんねんな、チャンコロ! そういうことは大事なことや。そういう大事なことは、わしいとかM川先生(父の「親友」の医者屋。当時、大阪府豊中市在住)とか、そういうエライえらいドイツ人が決めるものなんや。あんたにとって、結婚相手はわしとかM川先生とかいったドイツ人に決めてもらうのが、それがあんたにとって何よりの幸せいうものなんや。おまえが決めるのとは違うねんぞ、チャンコロ。おまえは決める役とは違うねんぞ、浪商! 浪商の分際で慶應のこのわしと同じやと思うてはならんぞ、浪商! チャンコロの分際でドイツ人のわしとかM川先生とかと一緒やなんぞと思いあがってはならんぞ、チャンコロ。おまえの結婚相手はわしとかM川先生とかのドイツ人が決めることで、チャンコロのおまえが決めるものとは違うねんぞ、チャンコロ!」と言うのだった。旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」と親が離婚したということを最大の自慢にしていたが、「両親が離婚した」娘で母親の方についていった女は、「あんたの結婚相手はわしが決めたるから、そやから、わしの所に女を何人か用意して連れてこ~い。その中にええのがおるかどうか、わしが見て決めたるわあ」などと父親から言われることもなかったであろう。その点では「両親が離婚した」人間の方がはるかに恵まれているのは絶対に間違いない!!!
  「世の中には、カス親もおればダメ父もおるわけやけども、あんたはわしのようなエライえらいエライえらいエライえらいドイツ人のお父さんを持って、あんた、幸せやねえ~え。『お父さんのおかげで私は幸せです』と言いなさい、チャンコロっ!」と言うのだったが、あのおっさんがいなければ、私は自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に合格できた可能性は十分にあったが、たとえ、落ちることがあっても、自分で考えてここなら行こうかと自分で判断した所に行くことができたと思う。旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」と言い、「あなたのように立派なお父さんを持っていたのとは私は違うから」と言い、父はそれを聞いて、「ええ~えこと、言いはる。さすがは北野高校の先生だけのことはある。立派な人やあ~あ。ええ先生や」とか言うて喜んでいたが、あの女、いったい私に何の恨みがあったのかと思う。
  父は「わしはドイツ人やねんぞお。ドイツ人。おまえはチャンコロの民族でわしはドイツ人の民族、即ち、常にひとを支配し命令し号令かけなければならないと天の神さまから命じられて生まれた民族なんじゃ。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と。〔⇒《YouTube-Richard Wagner(リヒャルト=ワグナー): Ride of the Valkyries(ワルキューレの騎行) (Berliner Philharmoniker, Daniel Barenboim(ダニエル=バレンボイム))》https://www.youtube.com/watch?v=P73Z6291Pt8 〕〔バレンボイムはユダヤ人だったと思うのだが、そのバレンボイムが人種差別主義者リヒャルト=ワグナーの曲の中でも、特に、「ワルキューレの騎行」なんて平気で演奏しているというのは・・・、まあ、バレンボイムなんてその程度の男だろう・・・〕 「わしは英雄やねんぞお、わしは英雄。わしは英雄でヒットラー総統やねんぞお」とも言っていたが〔⇒《YouTube-交響曲第3番《英雄》(ベートーヴェン)(カラヤン。ベルリンフィルハーモニー管弦楽団》https://www.youtube.com/watch?v=GKFStVrKNU4 〕、毎日毎日、そう言われてきて・・・「ドイツ人」というものが嫌いになった。母は、父と一緒にウィーンに行ってニューイヤーコンサートに行ったのがよかったと言い、「あんたも、一度、ニューイヤーコンサートに行くといいわ。いいよお~お」と言うのだが、仕事で行ってくれと言われればしかたなしに行くが、「ドイツ」及び、ドイツ人の民族であるオーストリアには、身銭切ってまで行きたいという気持にはならないしなれない。「おまえはロスケじゃ」「おまえはイタコじゃ」「おまえはチャンコロじゃ」と毎日毎日言われてきたので、その結果、ロシアとイタリアと中国にはなぜか親しみを覚えるようになった。
「おまえはロスケじゃ」⇒《 YouTube-ロシア語】ヴォルガの舟歌 (Эй, ухнем) (日本語字幕) (レオニード=ハリトノフ、赤軍合唱団》https://www.youtube.com/watch?v=b4jxCRfHwd4 
  毎日毎日、「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と言われ続けてきたので、それに対して、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」、「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と思うようになった。「天の神さまは、ひとを支配する民族、ひとに命令する民族と、ひとに命令される民族、号令かけられる民族を、産まれる時点ではっきりと2つに分けてお造りになっておるのであって、それを変えようなどと考える者を決してお許しにはならぬぞ、チャンコロ」と毎日毎日言われてきたので、それに対しては「造反有理(反逆には理由がある。反逆は正しく、抑圧は間違っている。)」「革命無罪(革命は無罪である)」と思うようになった。
不忘民族恨、不忘階級苦。
造反有理、革命無罪・・・と。
  ・・・で、この付近だが、まあ、普通に考えて、「高級住宅街」ではないし、一般には「相当の金持ち」が多い所ではなさそうだし、かつて私が住んでいたのだから、それは間違いないとして、しかし、「スラム」なんて言うほどではなかったと思うのだが、ともかく、川崎セツルメント診療所は、ここにある。

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 ↑ これは、梅か桜か?・・・と思ったが、桜の開花はまだだろうから、それから考えると、梅・・かな・・。

  そして・・・、↓
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↑ うれしい♪ 「越の湯」がまだあるではないか(^^♪ (^^♪ (^^♪
住んでいたアパートにここより近い場所にも銭湯はあったが、この銭湯にも何度か来たことがあるのだ。父の勤め先の工場の工場長だったMさんは「あんたなんか、当然、風呂つきの所に住んどるんやろ」とか言うのだったが、住んどるかいな、そんなもん。そして、銭湯てけっこういいんだよ♪ 別に、大学生が「風呂付の所」なんか住まなくても、近所に銭湯がある場所ならば、銭湯に行く方がいいくらいだ。
  1階に「エイコー」というスーパーがあったが、それは「まいばすけっと」という店になっているようだ。
  この「越の湯」に入浴に行った時、この手前に「ゲームセンター」があって、インベーダーゲームなんてのを店の前に置いていた。それがまた、近所の子供を対象としていたようで、インベーダーゲームといっても、大人用の店ならば、1回100円が普通だった時代に、1回10円でできたのだ。それで・・・、風呂に入る前だったか入った後だったか、何気なしに、そのインベーダーゲームをやると、めきめきと上達したのだ♪ そのうち、近所の子供が寄ってきてのぞきこみ、「うわあ~あ、また、(画面が)変わったあ。うまいなあ。すごいなあ。すご~い♪ なんで、そんなにできるんだろう。すご~い♪」と称賛してくれたのだ・・・が、褒められてるのかどうか、なんかよくわからなくなったのだが、子供だから、たぶん、本気で称賛していたのだと思う・・・が、だから、エライかアホかはよくわからん。子供用に設定されているようなものを本気になって喜んでやる大学生というのも、いいかどうかわからんが、1回10円でできるインベーダーゲームというのは、たとえ、つぎ込んでも、破産することはないから「健康的」なお遊びともいえる。 一度、店主が、暖かい缶コーヒーをおごってくれたことがあったのだが、1回100円のゲームならともかく、1回10円のゲームやってる者が100円の缶コーヒーをおごってもらっていいのかなあ・・と思ったが、「いい」と店主が言うのだから、よかったのだろう・・。
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 ↑ は、「越の湯」「まいばすけっと」の前から今、来た方を見た写真だが、この右側あたりにその「ゲームセンター」はあったのだが、それも、もう閉店したようだ。

  この交差点、「古市場」交差点の手前右手(すぐ↑の写真なら左手)に食べ物屋があって、何度か食べたのだが、それも、もう見あたらない。個人でやっている店ならば、息子なり娘なりが継がなければなくなってしまうのはしかたがないのかもしれないが、なんだか寂しい。

  「古市場」交差点の南側のカドにセブンイレブンがあったが、それは今もあるようだ。 そのセブンイレブンに、1984年の2月だったか、雪が積もった日の真夜中に買い物に行って、雪道に財布が落ちているのを見つけ、セブンイレブンの向かいに交番があったことから届けたところ、けーさつ漢に、まるで、「犯人」みたいな扱いを受けて、こんちくしょう! 届けるのじゃなかった! という気持になった、ということがあった。せっかく、親切で届けたのに、その態度はないだろうが、と思ったそれを、[第94回]《落し物は届けるな、犯罪捜査に協力するな! ~ 警察の恐怖(1)―川崎市の警察と いわき市の警察》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201204article_7.html 《1》 で述べたが、その「幸警察署 古市場交番」がこの古市場交差点の北側にある ↓ である。
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※ 幸警察署 交番案内https://www.police.pref.kanagawa.jp/ps/55ps/55mes/55mes510.htm
↑  「くっそお~お! 元あった場所に戻してきてやろうか、こんちくしょう!!!」と思ったものだった。
けーさつには特に必要ない限り、関わらん方がいいようだ。落とし物なんて、届けない方がいい・・と思うが、その頃は私も20代前半でよくわかっていなかった。
  そもそも、けーさつ漢が、犯罪の捜査なんてやっている時に、うかつにその近くに寄っていって、「この中」なんてものに入ってしまうと、「謎はすべて解けた! 犯人はこの中にいる」とか言いだしよった時に、「この中」にいたならばどうなるか? 
「犯人は、あんただよお~お!!!」なんて言われて、「ええ~え????」なんてことになる可能性がある。だから、「この中」に入らないよう、十分に注意しないといけない。

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   それからすでに25年ほど経っているから、だから、今、そこにいる人とその時にいた人は別人だろうけれども。 無人の交番が多いようだが、ここを通った時も、中に人がいる気配はなかった。小学生の時、「もし、道で襲われるようなことがあれば、交番に駆け込めばおまわりさんが助けてくれる」なんて小学校の教師が教えよったように思うのだが、駆け込んでも無人の交番で、「御用の方はこの電話で☆☆警察署におかけください」なんて書いて電話機がある・・なんてそんな交番に駆け込むくらいならば、まだしも、コンビニに駆け込んだ方が、ともかくも、そこに誰か「人」はいる! ・・と思っていたら、別れ話がこじれた女性がコンビニに駆け込んだら、コンビニの中まで追いかけてきて殺された・・なんてニュースがヤフーニュースに昨年だったか一昨年だったか出ていたが、ともかくも、コンビニなら誰か人はいるが、交番は落とし物を届けると犯人扱いされるが、「助けてえ」と駆け込んでも誰もいない場合が多いようだ・・・。
  今、自分が撮ってきた写真を見て気づいたのだが、この古市場交番は感心なところが1点ある。 それは、最近の交番は、「交番」と書かず、「POLICE」とも書かず、「KOBAN」なんて記載している交番が多いのだが、「KOBAN」では、それでは「猫に小判」の「こばん」ではないか。「こうばん」と読めないでしょうが。「こうばん」と呼んで欲しいのならば、「KOUBAN」か、それとも、
 _
KOBAN のどちらかではないかと思うのだ。
もしも、外国人、特に英語圏の外国人にわかってもらおうということならば、KOBAN よりも、POLICE とでも記載した方がいいと思うのだが、ところが、KOBAN と「猫に小判」を書いている交番が大変多い。
それを、この古市場交番は、2階に「KOBAN」と記載するとともに、1階の入口脇に、
「 神奈川県
  幸警察署古市場交番
  POLICE  」

と記載している。 この入口脇の表示をもうひとまわり大きく記載されておればその方がいいと思うが、ともかくも、「KOBAN」だけでなく、「古市場交番」と「POLICE」という記載もある、という点は評価したい。

   この「古市場」交差点の交番の向かいの側に、裸の女性の像があるのだが、↓
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「希望の朝」と書いてあるのだが・・・、裸の女の像がなんで「希望の朝」なのか?
ブロンズ像というのは、彫ったり刻んだりして作るものではなく、石膏をこねてその型にブロンズとなる液体の金属を流し込んで、冷えて固まった頃に石膏の枠をぱかっとはずして作るものなので、そういうものを「彫刻」「彫刻家」と呼ぶのが妥当なのかどうか迷うところなのだが、なんだか、日本の「彫刻家」というのか、なんで、街中に裸の女の像を並べたがるのか、なんかようわからん。
  ちなみに、バチカン市国のサンピエトロ寺院に、「信徒の接吻により足先が光るようになった」というペテロの像があるのだが、たしかに、つきでた片足の先だけ光っていたけれども、その「信徒の接吻により光るようになった」というのは、それは、たぶん、違うと思う。
なぜ、違うかというと、↑ の「希望の朝」でも見てみるといいのだが、裸の女の像だと、たいてい、乳首の先だけ光っている。これは「信徒の接吻により光るようになった」のか? 夜な夜な、接吻するおっさんがいたのか? ・・・というと、違うと思う。そうではなく、こういうブロンズ像というのは、足先であれ乳首の先であれ、出っ張った部分というのはてかてかと光るようになり、引っ込んだ部分は埃もたまるしくすんだようになるのだと思う。 だから、サンピエトロ寺院のペテロ像の足先がてかてか光っているのは「信徒の接吻により」ではないと思う。そのお話は、「真実の口」が「嘘つき者が手を入れると食いちぎられる」とか、トレビの泉に「後ろ向きで硬貨を投げ入れるとまたローマに来ることができる」とか、ナポリのカステルデツローヴォ(卵城)の「基礎には卵が埋まっている」とか、そういうお話と同じく、「お話」だと思う。しかし、たとえ、お話でも、キリスト教の信者にとっては大事な像であり、1997年1月、「日本人」のおばさんが、その「信徒の接吻で光るようになった」というペテロ像の足先をつかんで、写真撮影禁止の堂内で記念写真を撮っているのを見たが、ああいうことはやめてほしいと思う。 ああいうことは良くない。あまりにも無神経だと思う。

   「古市場」交差点を右折して進む。 左手の電気店で冷蔵庫を買ったことがあったのだが、その電気店は今もあった。なつかしい・・気もしたが、だからと言って、何か買う予定もないのに訪ねてもしかたがないが、何十年か前にその付近に住んだ者にとっては、今もあるのはうれしい。
   逆に、「古市場」交差点を右折してすぐのあたりに、「和洋中華」と書いた食べ物屋があって、そこでも何度か食べたのだが、それは見あたらない。個人の店の場合、息子なり娘なりが継がなければなくなるのはしかたがないのかもしれないが、そこで食べたことのある者としては、少々寂しい。

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 ↑ 「古市場第一児童公園」を左に見てそのまま進みます。
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  川崎市バスの「天満天神社前」バス停にたどり着きます。 ↑ の写真では、左側、向こうに進むと、次は「東古市場」バス停で、その向こうで右折して国道1号を南に走り、川崎駅に行きます。 右側の車線のバスは、上平間営業所まで行く。 上平間営業所からまだ向こう、東急東横線の「元住吉」と「日吉」の間の「木月4丁目」バス停を通って、「井田営業所」まで行くバスがかつてあって。それに乗って「木月4丁目」まで行って、「木月4丁目」から慶應大学の日吉キャンパスまで歩いたことがあったが、今、川崎市バスの路線図の「上平間営業所」のもの〔川崎市バス 上平間営業所路線図http://www.city.kawasaki.jp/820/cmsfiles/contents/0000008/8524/20190401H.pdf 〕を見ると、「川崎駅」を出て「東古市場」から「天満天神社前」を通って「上平間営業所」に行くバスで、「木月4丁目」に行くものはないように見える。
  1980年代のことだが、この川崎市バスで、川崎駅の方に向かう時、途中に川崎市立幸高校があり、この高校はかつては川崎市立商業高校だった。その商業高校の女生徒でバスの運転手にバス停でもない所で手を振るやつがいたのだ。すると、運転手はバス停でもない場所にバスを停めて乗せてやりよるのだった。その片方で、私がバス停で待っていると、乗りたいというように車道に近い場所にいても、2台続けて「乗車拒否」して行ってしまった、ということがあった。そんなバスだった。もしかすると、上平間営業所まではすぐだから、運転手は、短い区間に乗る人間なんてないだろうと決めつけたのかもしれないが、その時、私は定期券を持っていたのだ。定期券を持っている者は、短い区間で乗り継いでもバス代が変わるわけではない。そうでなくても、上平間営業所は分岐点だから、たとえ、余計にバス代がかかっても、上平間営業所で乗り換えようという客だってあったはずだ。それを、バス停で待っている客がいるのに、そのまま走りすぎる運転手というのは、いかがなものかと思う。何度も乗ったバスだけれども、その点についてはいい印象はない。
※ 《ウィキペディア―川崎市立幸高校》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%B8%82%E7%AB%8B%E5%B9%B8%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1

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  ↑ 左奥の林の中が、(川崎市幸区東古市場の)天満天神社 である。 『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.12.20.(株)鎌倉新書)には「古市場の天満天神社」という表現がされているが、「川崎市幸区古市場」と「川崎市幸区東古市場」は隣接しているのだが、天満天神社は、住居表示では、川崎市幸区東古市場83 にあるようだ。

一応、社務所があって、宮司さん兼 管理者が住んでいるようだが、何をしているのかはわからない。

  次回は、「(川崎市幸区東古市場の)天満天神社」、天満天神社の本体の部分について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html

  (2020.3.24.)

下平間天満天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
東古市場の天満天神社【1/3】下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社まで。〔今回〕
 〃 【2/3】 東古市場の天満天神社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
 〃 【3/3】 御幸公園 ほか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html

★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html 
新町天満宮(千葉市中央区) 
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html

東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html

神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。〔今回〕
2.二度移転した天満天神社と梅。厳重そう東芝小向工場と不十分な一条工務店・日本産業の「いいかげんそう」工場 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html

静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html 
モンダイの弁護士―弁護士って、ほんとうに「人権を守る正義の人」なのか!? (別冊宝島Real (028))
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東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之
東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之
《 ここで、よい先生や塾を選ぶにはどうすればいいかのヒントです。 いきなりですが、ほとんどの先生にはあまり期待するべきではありません。・・・・》
( 柴田孝之『東京大学機械的合格法 アップグレード版』2003.3.20.日本実業出版社 ↑ )
  柴田孝之の言うことはもっともだと思う。 たしかに、北野高校の国語科教諭の旧姓S野礼子の授業は、「古文」はともかく、「現代国語」なんて、結論を言うと「勝手なことばっかりやってるだけ」だった。 又、旧姓作野礼子は「現代国語の勉強は、問題集なんてやってもしかたがありませんから」と言ったがそんなことはない。私は2浪の時、学燈社から出てきた「現代国語 難問がわかる本」だったかそんな感じの名前の問題集を最初から最後までじっくりとやって、それで、現代国語の点数は飛躍的に伸びた。それだけでではないが、それとともに、模擬試験の答案が返却された時に、それを模範解答と照らし合わせて、どこがどういうことで間違えたかひとつ一つ吟味するようにしたことと、その2つで、2浪の時は、国語については相当高得点を取れるようになり、共通一次試験も、187点。なんとも情けないことに、なんで、こんなもの間違えたか、正答できたはずなのにという間違いを現代国語で1つ、古文で1つしてしまった。満点とれた問題だった。それでも、「国語」については9割3分5厘の得点、その頃は「数学1」は誰でも満点だから満点で当たり前として、この2つの科目については共通一次試験は、とりあえず、それだけ取れれば「問題なかった」と考えていいと思う。東大の2次試験も、他の科目がどうかはさておき、「国語」に限っては、東大の受験生の中でも悪くない方の点数を取れたと思っている(点数は教えてもらえないので、はっきりと何点かはわからないが)。特に現代国語には自信があった。「現代国語なんて日本語だからやってもやらなくても差はつかない」なんて言う人がいたが嘘である。そんなことはない。(但し、京大の工学部・理学部あたりを受験する人で、数学1~3、物理1・2.化学1・2と英語に学習時間を多く費やしたいという人で、すべての科目について均等に力を注ぐことはできないので、それで、「現代国語」については「致命傷は防ぐ」というくらいの点数でいい、と考えて、その意味合いで「現代国語なんて日本語だからやらなくてもそれなりにできる」と判断して高校の授業以外は「一切やらない」、その分の時間を数学・物理・化学と英語にまわすという作戦を取った人については、その作戦はあながち間違いではないかと思うが。「やってもやらなくても一緒」などというのはそれは違う。)
  だから、「問題集なんてやってもしかたがない」なんて嘘である。旧姓S野礼子は何もわかっていない。それから、「高校の現代国語の学習には、特定の作家の小説をすべて読破するのがいい」と旧姓作野礼子は高校1年の最初に言ったのだが、それで、私は高校1年の「現代国語」の教科書の最初の方に『聖書の中の女性たち』の「ヴェロニカ」の話が掲載されていた遠藤周作の本を大部分読んだのだが、読んで悪いということはないとしても、高校の現代国語の学習と大学受験の現代国語の対策としては、あそこまで読まなくても良かった、あれだけの労力・時間を費やすのなら他にその労力・時間を費やした方が良かったのではないか・・と思う。旧姓作野礼子は、男女共学でも「男なら大阪府最難関高校だが、女は無試験で入れる」北野高校に入って、女性でも合わない人もいるようだが、「男なら入学できていない高校」にうまく合う人がいて、旧姓作野礼子はうまく合ってそれで神戸大文学部に入ったようだが、「男なら北野高校に合格できていないが女だから入れた人で、その高校にうまく合った女生徒が神戸大に合格する勉強法」と、「男で北野高校に入学できる学力があって入学して、入学時の学年順位そのままで3年まで行って、その順位のまま合否が決まるのならば京都大学に行けるという順位で入学した男子生徒がきっちりと京都大学に入学する方法」は別だ。「男なら入れない高校だが女だから入れた人が神戸大に合格する勉強法」はわかっていても、「京都大学には何人も通っているが東大にはそれほど進学していない高校から東大に合格する方法」もわかっていなかった。「私は両親が離婚したから」と「両親が離婚した」というのを自慢しまくる方法、というのは熟知していてやりまくったようだったが、迷惑である。
  北野高校というのは行きたいと思って行った高校だったから、合格した時はうれしかったが、いい所もあったとは思うが、あの女が教諭としていた、という点においては、最悪・最低・最凶の学校だった。そもそも、「入学時の学年順位のまま3年まで行って、その学年順位のまま合否が決まるのならば、十分、京都大学に行ける」という生徒を入学させて、それを「関関同立くらい」に行かせて、「大学はどの大学に行ったかで人間の値打ちが決まるのではない。良かったじゃないか」とか言うような教諭というのは、それは「良かった」か?  「大学はどの大学に行ったかで人間の値打ちが決まるのではない」という誰もが否定できない一般論でもって、《「十分、京大に行ける成績」の生徒を入学させて「関関同立くらい」に行かせてしまう高校》なんて、そんな私立なら経営が成り立たないような学校を肯定できるか? それを公立だから親方日の丸みたいにやっていた、というのが、それが北野高校が一時期、進学成績が低迷した理由のひとつだ、と私は思っている。 《「十分、京大に行ける成績」の生徒を入学させて、試験に出ないようなものばかり大量に勉強させて「関関同立くらい」に行かせてしまう高校》というのがいい高校か? いいことあるか! ふざけんな!!! 「両親が離婚した」なんておかしなことを自慢すんな!!!
  (2020.3.24.) 

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