天満天神社(東古市場)参拝【2/3】二度移転した天満天神社と梅。厳重そう東芝小向工場と不十分な一条工務店・日本産業の「いいかげんそう」工場

[第765回]冤罪を晴らす神様・菅原道真・怨念を晴らすお百度まいり・第51念-2
  JR南武線「鹿島田」駅から、「下平間」交差点・「古市場」交差点を経て、幸区東古市場の天満天神社に来ました。↓
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住所・・川崎市幸区東古市場83

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↑ 鳥居を枠として撮影した、ここしばらく、けっこう気に入っている「額縁撮り」の手法での撮影です。

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  ↑  この付近に住んでいた時は、前は何度も通っていたのですが、それほど関心はなかったので、社殿の建物がどうなっているかもよく見ておらず、前から見える建物ひとつが社殿だと思っていたのですが、横にまわって見ると、 拝殿+幣殿(石の間)+本殿 の3部形式になっています。 「石の間造」という言葉と「権現造」という言葉があって、「権現造」は、徳川家康を東照大権現として祀った日光東照宮の形式としての名称ですが、宮城県の大崎八幡宮は、日光東照宮よりも大崎八幡宮の方が先に建てられているということから、後に建てられた日光東照宮からきた名称である「権現造」という表現を避けて「石の間造」と言っているらしい。しかし、建築の先か後かということなら、「拝殿+幣殿(石の間)+本殿」の三部形式の作りは、京都の北野天満宮の方がさらに前のはず。北野天満宮は棟が8あるということから「八棟造り」という名称で呼んでいるけれども、「拝殿+幣殿(石の間)+本殿」の三部形式になっている。
  「石の間造」と「権現造」は同じものと考えていいのか? それならば、↑ の川崎市幸区東古市場 の 天満天神社も、「拝殿+幣殿(石の間)+本殿」の三部形式でできているので、「権現造」と呼んでいいのか?
  「石の間造」というのは、「拝殿+幣殿(石の間)+本殿」の三部形式でできているもののことだと考えていいかもしれませんが、「権現造」となると、それだけではなく、「きんきらきん」という装飾がされているものを言うべきではないか。大崎八幡宮(宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1)は残念ながら訪問したことはないのですが、写真で見る限り、けっこう、「きんきらきん」なところがあるように見えるので、その点では、「権現造」と言っていいところを、なんで、わしとこよりも後でできた東照宮からきた名称を名のらんとあかんねん・・というところで「石の間造」を名のっているらしいが、東照宮より前にできたか後にできたかということとは別の問題として、「拝殿+幣殿(石の間)+本殿」の三部形式ではあるけれども、「きんきらきん」ではないので、(また、すべての神社が日光東照宮みたいに「きんきらきん」にできるわけでもないし、)「権現造」ではなく、「拝殿+幣殿(石の間)+本殿」の「石の間造」と呼んだ方がいいのではないか。
  しかし、「石の間造」は、拝殿と本殿の間に「石の間」があるものを言うとすると、↑ の写真を見てもわかるように、間の「幣殿」は、拝殿と本殿をつなぐ渡り廊下のような造りになっていて、屋根はあっても、床は「石の間」になっているかというと、なっていないと思うのです。 さらにしかし、それを言うならば、上野東照宮は、最近、改修してその後どうなったかわからないけれども、かつて、二度ほど訪問したのですが、「拝殿+幣殿」の部分に右横から入らせてもらうことができたのですが、幣殿の部分は板の床が貼られずに「石の間」になっていたかというと、そうではなく、幣殿の部分も板の床があったのです。 ですから、幣殿の部分に板の床が貼られずに「石の間」になっていないものも、「石の間造」と呼んでいる、もしくは、呼んでしまっているようなところがあるのではないかと思います。
  神社の「◇◇造り」というのは、いっぱいあって、それぞれの神社が自分のところの社殿の作りを「◇◇造り」と言っていて、全部把握しようとするときりがないようなところがあり、高校の「日本史年表」だったか「日本史地図」だったかに掲載されていたのは、神明造・大社造・住吉造・春日造・日吉造・八幡造・流造・権現造の8つだったが、それ以外の「◇◇造」というのは、この8つのどれかにアレンジを加えたようなもの、というのが多いように思います。
※ 大崎八幡宮 http://www.oosaki-hachiman.or.jp/

  社殿の左側に、「天満天神社由来」の石碑が建っていて、↓
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その左にも鳥居が見えます。↓
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↑  摂社・末社があるのかと思って見ると、そうではなく、「菅原道真公御神忌千三百年記念 天神の庭」と書かれています。

  「天満天神社由来」の石碑によると、
《 ・・・安政二年江戸大地震に折損した初期の鳥居に刻まれた年号や古い文献より、約三百数十年前、古市場農民二十数戸の尊い浄財により村の氏神として建立されたものと推定される。当時の所在地は、多摩川大橋の上流約五十米の中央河川敷にあり、幕府領であったが、
   明治以後、府県制の制定により東京府荏原郡矢口村古市場となり、上台東部台地に一千余坪の神域を有し、萱葺の神社ではあったが、境内には松杉の老木が生い繁り、尚毎年十二月二十五日には有名な古市場天神の「市」が開かれ、近郷より集まる者多く盛況を極めた。しかし、社会の進展に伴い大正三年を最後に終止することとなった。
   明治45年(1912年)4月、神奈川県御幸村に編入され、毎年の洪水で荒廃した神社の大改修と境内の整備を行い、大正4年(1915年)10月遷宮祭を執行した。現本殿前の大銀杏は当時篤志信者より奉納された記念樹であり、大きな樟は紀元2600年記念に国より拝受したものである。
   大正9年(1920年)12月、多摩川大改修のため、神社も村の中心地に移転し整備された。
昭和16年(1941年)1月、大東亜戦争による東芝工場拡張のため、余儀なく現在地に移転した。
   昭和37年(1962年)、度重なる移転で老朽化した本殿・社務所を、古市場全長有志の浄財により新たに建立し、遷宮祭を盛大に執行した。尚この度移転した鳥居は、大正12年(1923年)の大震災で折損し補修してあったが、末永く保存すべく旧社跡に移転復元し、更に社の由来を後世に伝えるため記念碑を設立したものである。 》
と書かれている。
「多摩川大橋」というのは御幸公園の東、国道1号が多摩川を横断する橋が多摩川大橋である。↓

17世紀、江戸時代頃、 古市場農民により村の氏神として建てられた。多摩川大橋上流約50mの中央河川敷にあった。
1912年  神社の大改修。
1920年  多摩川大改修のため、神社を村の中心地に移転。
1941年  東芝工場拡張のため、現在地に移転。
1962年  本殿・社務所を新築。
という経緯らしい。 最初は、村の氏神だったものが、なぜ、菅原道真を祀る天神社になったのか・・というと、それは書かれていないが、明治維新政府が、日本各地の神社で、あくまでも、村の氏神であって、特に何の神さまというものはなく、農民が建立したのならば、一般に天候と豊作・家内安全の神だったりしたもので、『古事記』『日本書紀』に登場する神とかを祀っているわけでもなく、稲荷・恵比寿・天神・伊勢・住吉・熊野・白山といった「全国的チェーン展開」している神社の系列でもない神社を、それらのどれかに割り振ったという際に、農民が作った神社だから、天神が比較的近いかということで、天神社になった・・ということ・・かな?  やはり、ここの場合、「天神社」ても「天満神社」でもなく「天満天神社」という名称になっているというのは、もともとは「村の氏神」であり、あえて言えば「天神社」だった神社が菅原道真も祀るようになって、「菅原道真=天満」+「天神社」=「天満天神社」 となった・・・という可能性は考えられるのではないか。
   しかし、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.12.20.(株)鎌倉新書)の「全国天満宮めぐり」には、
《  このように何故隣接する町に天満天神社が二つ有るのか不思議である。 「多摩川の洪水の時に上流から天神様が流れ着いた」という古くからの言伝えと多摩川の蛇行の変遷とを考えると、わずかに理解できる。・・》
と書かれているので、そこから考えると、明治維新後に、明治維新政府による国家神道推進政策の過程で「村の氏神」の神社を「全国チェーン」の神社のどれかに割り振った際に「天神」に割り振られた・・ということでもなく、それよりも前から「天神社」だったのか?

  1941年、東芝工場の拡張により移転して現在地に来たということだが、この近くの 東芝 小向(こむかい)工場は、
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( ↑ 東古市場の側からの撮影。 )

↑ けっこう敷地面積は広いので、天満天神社がそのどのあたりにあったのかはわからない。川崎市幸区古市場の東側は幸区東古市場で、川崎市バスのバス停の名称も「天満天神社前」の東隣は「東古市場」だが、小向工場は、(株)東芝のホームページの(株)東芝小向事業所https://www.toshiba.co.jp/contact/guide/map/komukai_com.htm には、 住所は、神奈川県川崎市幸区小向東芝町1 と書かれており、古市場・東古市場ではなく、工場名・事業所名も「小向(こむかい)」となっているように、幸区小向(こむかい)の地域に建っている部分が大きかったように思われるので、天満天神社の比較的、現在地に近い部分にあったか・・。
↑ 30年以上前、私がこの付近に住んでいた頃も、出入口には警備員の詰め所があって、従業員が入る際には、必ず、社員証を提示して入っているのが見えた。 私の父の勤め先の工場などではそこまでのことはやっていなかった。入ってすぐのあたりにたいてい従業員がいたということもありますが。
 (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ とその工場部門の(株)日本産業の山梨県上野原市の工場では、出入口が2か所あったが、工場が稼働している日に警備員がいないというのはしかたがないとしても、工場が休みの日でも警備員もいないし、誰かが当直でいるわけでもなかった。

2002年、出入口は2か所あって、片方は、休業日は門扉を閉めていたはずだが、他方には門扉も何もなかった。それでいて、その内側に御影石を建築地に送るように梱包したものがパレットに載った状態で、棚に何段もに積まれていて、たまに、休みの日にクルマで前を通った時、近くの子供が中に入ってローラーボードで遊んでいるのを見たことがあった。あれでは、もしも、ローラーボードで遊んでいる子供が、積んであるものにぶつかって上から積荷が落下したりしたならば大怪我をする可能性がある。そうなると、工場の責任者は、業務上過失傷害罪に問われることになるだろう。だから、私は親切心から、”工場長”で「主任」で「安全衛生管理者」になっていた渡邊(男。当時、30代)に「とりあえず、出入口の部分にロープを張って、『関係者以外立入禁止』という札を出すというくらいしておいた方がいいのと違いますか。もしも、休みの日とか夜間とかに、近所の子供でも入ってきて怪我したといったことがあった場合、業務上過失傷害罪で問われるとかそういう可能性もあるのと違いますか」と言ってあげたのだ。ところが、私がせっかく親切心から言ってあげたのに、渡邊は「そんなこと、言われたって、ぼくは高卒なんだから、そんなもの、なんとかできるわ~けがない!」と言ってふんぞりかえるのです。「高卒でも工場長なんでしょ」と言ったのだが、「そんなの、僕が成りたいと言ってなったんじゃないですよ」と言うのだ。それで、「しかし、『高卒だから私には無理です』と言って断ったのではなく、工場長になったのでしょ」と言ったのだが、「そんなこと言ったって、僕は高卒なんだから、そんなもの、わかるわ~けがない! そんなもの、できるわ~けがない!」と言ってふんぞりかえるので、こいつはだめだわ・・と思いました。せっかく、ひとが親切で言ってあげているのに、こういう口をきくというのでは、親切で言ってやっても言ってやる価値がない。工場の事務所の壁には札が貼られているのです。「安全衛生管理者 渡邊◇◇」と。 そう書かれた札がかかっているということは、それはどういうことを意味するか? そのあたりを考えてみるべきなのです。 その札は、要するに、この工場で死人がでたり重傷者が出たりした場合には、業務上過失致死罪・業務上過失傷害罪で問われるのはこいつですよお~お!!! ということを言っているはずです。その時には、(株)一条工務店・(株)日本産業の経営者は逃げますからね。たいして権限もない人間・それほどたいした役職でもない人間に責任押しつけますからね。1993年の9月だったか、福島県いわき市草木台の(株)一条工務店の建築現場で、屋根屋が墜落して死亡した際、業務上過失致死罪で書類送検されて、「いわき民報」に固有名詞まで掲載されたのは、ほとんど権限なんてないヒラの工事担当者のAさんであって、実際に安全対策をおこたった本社の工事部の責任者とかではなかったのです。(株)一条工務店の実際に権限のある本社の工事部の人間というのはずるいのです。私はいわき労働基準監督署に「Aさんなんて、ほとんど権限ないですよ。Aさんじゃなくて、もっと他に責任を問われる必要がある人がいるのと違うのですか」と言ったのですが、「本社にいる人が全国すべてのものを見ることはできませんから」とそんなことを言ったのです。各地にいる工事担当でこれは危険だから改善するべきだと提言してもちっともきいてもらえないようなそんな人間が責任を問われることになったのです。それが(株)一条工務店・(株)日本産業と労基署のやり口ですからね。私はそれを知っていたから、だから、親切で渡邊に言ってあげたのです。ここで事故が発生した時には、業務上過失致死罪・業務上過失傷害罪に問われるのはあなたのはずですよ、だから、とりあえず、あなたの権限内でもできることはやっておいた方がいいと思いますよと、まあ、なんで俺はこんなに親切なんだろう、なんで俺はこんなにお人よしなんだろうと思いながら言ってあげたのです。もし、そこで死人が出たり重傷者が出た時に、「そんなもの、僕は高卒なんだから、知ったことじゃない」なんてその時に言ってもだめですからね。「ぼくは高卒だから、できるわけがない」と本当にそう思っているのなら、「だから、僕には工場長は無理ですから、他の人にならせてください」と先に上役に言った方がいい。そうではなく、「工場長」になって「安全衛生管理者」になったならば、「ぼくは高卒なんだから」なんて言っても、それは通じない。だから、私は親切で言ってあげているのに、ひとの親切を無にするような男、どうしようもないわ! と思いました。そんな工場が「AQ認証取得」とか言い、「ISO9001取得工場」と書かれたでっかい看板を、上野原の工業団地では他の会社の工場はどこもがその工場に来るトラックの駐車スペースも合わせて敷地を確保しているのに(株)一条工務店・(株)日本産業の工場だけが搬入搬出で来て待機しているトラックは路上駐車させて、路上駐車しているトラックの上にかかげていたのです。「ISO」というのは、「いいかげん(I)そう(SO)」の略でしたっけねえ・・・。

  今回、国道1号の側から見なかったので、今はどうかわかりませんが、かつて、東芝小向工場には、国道1号の側から見ると、屋上に、レーダーが載っていました。鎌田慧『日本の兵器工場』(1983.10.15.講談社文庫)では「5.ミサイル、コンピュータ・メーカー」として、「日産自動車・荻窪工場<ロケット、ミサイル>」「日本アビオトロニクス・横浜製作所<バッジ・システム、射撃管制装置>」とともに、「東京芝浦電気・小向工場<レーダー、PGM>」が述べられており、同書掲載の「日本の兵器工場一覧」には、東京芝浦電気の小向工場・堀川町工場・日野工場・青梅工場・鶴見工場の名前があって、そこでの製品は「HF、VHF、UHF通信機、航法用レーダー、71式着陸誘導装置、データ・リンク(F-104)、GCA(地上管制進入装置)、気象レーダー、航空機用コンピュータ他各種機器」が作られていると出ています。小向工場が川崎市幸区小向東芝町 で、堀川工場が川崎市幸区堀川町 の住所になっています。
  PGMとは、《ウィキペディアーPGM》https://ja.wikipedia.org/wiki/PGM には、いくつも、ずらずらと出ているが、《PGMホールディングス - 遊技機メーカー平和 (パチンコ)傘下のゴルフ場運営会社。》ではないだろう。《 誘導爆弾 (Precision―guided munitions) 》のことか?  鎌田慧『日本の兵器工場』(1983.10.15.講談社文庫)には《 ・・日本最大の総合電機メーカーである東京芝浦電気(資本金1046億円、従業員6万2600人)は、未来兵器PGM(精密誘導兵器)の開発メーカーでもある。・・》と出ている。
  鎌田慧『日本の兵器工場』(1983.10.15.講談社文庫)は、1979年に書かれたもので、文庫本として発行されたのが1983年だが、《小向工場には2700人の労働者がいるのだが、このうち1100人はテレビの生産に従事、残りの1600人ほどが無線、レーダーなどの仕事に従事している。》らしい。
  《東芝は戦時中、陸軍用無線機の量産工場でもあった。》と出ており、天満天神社が移転することになったのは、そういう軍需工場であったからか・・。
  なるほど、警戒が厳重なのはもっともです。 この付近に住んでいた時、ここの工場でレーダー作っているんだなあ・・と思って見ていたのですが、天満天神社が移転したのも、戦中に「大東亜戦争による東芝工場拡張のため」であったということで、戦中から戦後を通じての兵器工場だったようです。
  川崎駅の西口近くにあった東芝の堀川町工場(川崎事業所)は、今はなくなったようですね。

  片方で(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ ・(株)日本産業の工場が「いいかげんそう」で実際にいいかげんなのは、軍需品を作っていなくても、問題があります。いいかげんな工場が取得できてそれが宣伝に使われる「ISO9001」といういかさまも問題があります。出入口にロープ1本張って「関係者以外立入禁止」という札を立てるだけにいったいいくらカネがかかるのか? そんなものをけちってどうするのか? 「コストとリスクを比較考量して」考えた時、そのコストはリスクに比べてはるかに小さいはずである。 私が(株)一条工務店に入社してすぐの時、営業本部長の天野隆夫は「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。慶應大学の卒業生がうちの会社に来てくれるのかと思った」と言って喜んでくれたはずだったが、そのわりにその「慶應大学の出身の人」を活用してくれない。司馬遼太郎『関ケ原(上・中・下)』(新潮社)には、石田三成は「三成に過ぎたるものが2つあり。島の左近と佐和山の城」と言われ、堅固な佐和山城とともに「三顧の礼」を尽くして家臣として迎えた島左近はそう言って高く評価されていた・・が、司馬遼太郎は、石田三成はそうやって優秀な家臣を獲得する能力という部分では豊臣秀吉を思わせるものがあるが、秀吉と違うところは、せっかく獲得した家臣のその能力を十分に活用できたとは必ずしも言い難いというところである・・と述べていたが、(株)一条工務店・(株)日本産業の経営者というのも、「一流大学」卒の人間を採用できてもそれを活用する能力というものが欠落していたのかもしれない・・というよりも、間違いなく欠落していた。「まったく、人の使い方を知らん経営者だ」と何人もの従業員が口にしていた会社であり、「ベンチがアホやから」状態の会社だった、と判断せざるをえない。まあ、「ベンチがアホやから」状態の会社というのは、日本にはけっこうあるようだけれども・・・。

   「おっさんが大好きな司馬遼太郎の『歴史小説』とNHK大河ドラマ」というのは、それは、
(1) 「真偽が不確かな俗説をかき集めたお話」であり、
(2) 「戦前・戦中の天皇を中心とする人物中心の国史」の系列をひく「必ずしも常に天皇を中心とはしない人物中心に日本史」であり、中学生の初めくらいまで私もけっこう好きだったのだが、それは「お話」であって「歴史」とは別のもので、むしろ、「歴史」を理解するには妨げになる危険のあるものだ、と高校以降においては認識するようになった。
(3) 司馬遼太郎などの「歴史小説」やNHK「大河ドラマ」といった「人物中心の日本史」が好きな「おっさん」というのは、その話に没頭した時、自分はどの位置にいると考えているかという問題がある織田信長とか豊臣秀吉とか徳川家康とか武田信玄とか上杉謙信とか、そんな「武将」になったみたいに勝手に思って喜んでいるあほくさいおっさんが多いのだが、普通に考えて、その頃に人間で「武将」だった人間よりも、百姓だったり足軽だったりした人間の方がずっと多いのであり、あんたが「武将」のわけないだろうが・・ておっさんが勝手に変な妄想もって喜んでいるケースが少なくないのだが、その姿というのは・・、言うと怒るようだけれども、あんまりかっこいいものではない。2001年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野営業所にいた時、佐野営業所にいた「高木のおっさん」(男。当時、50代。創価学会員)が「俺は、大河ドラマとかああいうの好きなんだ。自分がその人物になった気持ちで見るんだ」とか言っていたので、この人、やっぱり、あんまり賢くないなあ・・と思った。
  又、島左近については、相当高く評価されていた人物だ、ということになっているものの、いったい、どんな功績を残した人間なのか・・というと、どうも、はっきりしないらしい。坂本雅央 監修・戦国歴史研究会著『戦国武将伝 島左近』(2008.6.23.PHP研究所)の「第四章 左近に連なる軍師の系譜」には、
《 ・・軍師と称えられる武将や名軍配ぶりに関しては、疑問が多いといわれる島左近もそのひとりで、軍師としてどこでどんな戦果をあげたのかとなると、わかっていないのだ。
  左近は「三成に過ぎたるものがふたつあり。島の左近と佐和山の城」といわれるほど、三成にとっては欠かせない名軍師であったとされる。
  だが、本当に天才的な軍師だったのだろうか。
  関ケ原の合戦での左近の勇猛さ、奮戦ぶりは、敵の黒田長政隊の武将たちの語り草となり、誰ひとり左近のいでたちを記憶していないほど、恐怖で直視できなかったという。だが、関ケ原の合戦以外で、左近が目立った武勲をあげたという記録はない。それどころか、なかには関ケ原の合戦までは無名に近かったという説さえある。そのため、三成が左近を破格の待遇で起用したのは、その武勲を評価してのことではなく、可能性に賭けたのではないかともいわれる。》
と出ているが、「ベンチがアホやから」状態の会社は日本にけっこうあるようだ、というのは事実として認識せざるをえない・・・かな。

  鳥居の左側に梅の木があるようです。 ↓
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↑ 訪問時、3月3日でしたが、もう少し前に訪問した方が、この梅の木はきれいだったかもしれません。

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 ↑ 右寄りの建物が「社務所」で、30年以上前、私がこの付近に住んでいた頃からあったと思ったが、「天満天神社由来」の石碑によると、1962年築のものらしい。かつて、付近に住んでいた頃は、特に気にしていなかったが、「社務所」の建物に人が住んでいるのはわかったが、宮司さんの格好した人がいて、「ブア~、プア~、プア~ア♪ かしこみい~い、かしこみい~い申す~う。(シャッシャカシャア)」なんてやってるのは見たことがなかった・・が、おられるのだろう。 御守りとかお札とか御朱印とかそういうものは用意されていないようだ。だいたい、千葉県からこの神社にわざわざ行くような人間なんて、私くらいなのかもしれない。

  蛇足かもしれんが、地図を見ていたところ、川崎市幸区の国道1号(第二京浜)と府中街道(国道409号)が交差する「遠藤町」交差点の南西側と、JR「川崎」駅の北、「ラゾーナ川崎プラザ」の北のあたりに、「女躰神社」なる神社があると出ているのだが・・・、「女躰神社」て、いったい、どんな神社やねん?・・・と思ったが、インターネットで検索すると、川崎駅北側の方の「女躰神社」について、「御朱印・神社メモ 女躰大神(女躰神社)」https://jinjamemo.com/archives/post-15670.html に、
《 地形多摩川の辺りのため、降雨のたびごとに多摩川の土砂堆積し、田畑への冠水甚だしく洪水の都度流域が変化し、常に大きなる災害を蒙り、遂に農耕が不可能な状態になりました時、一人の女丈夫水中に身を投じ、一身を犠牲に供せられし、その真心によりその後は大いなる災害もなく、住民漸く安堵し、農耕に励むことが出来ました。
 これも女丈夫の偉大なる御徳の御陰と敬慕し、その偉業を称え又後世に伝えるため、多摩川辺りの俗称『ニコニコ松』の下に一祠を建立して、その御霊をお祀りしました。》
と出ていた。そういう神社らしい。

   次回は、天満天神社の東、御幸公園と御幸公園梅林 など https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html

   (2020.3.26.)

下平間天満天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
東古市場の天満天神社【1/3】下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
 〃 【2/3】 東古市場の天満天神社。 〔今回〕
 〃 【3/3】 御幸公園 ほか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html

★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html 
新町天満宮(千葉市中央区) 
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html

東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html

神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅。出入の厳重そうな東芝小向工場と管理不十分な(株)一条工務店・(株)日本産業の「いいかげんそう」工場 〔今回〕
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html

静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html 
わかりやすい天神信仰―学問の神さま
わかりやすい天神信仰―学問の神さま
《 同じく憤怒の相をとられるものに、柘榴天神があります。『天神縁起』の霊験談のなかに現れる説話によったもので、『元享釈書』とか『十訓抄』などの諸書にも同じ内容が出てきます。
  略説しますと、延暦寺の第十三世座主・法性房尊意が夏の夜、不意に妻戸を叩く音がしたので開けてみると、菅公の霊が現れ、わが身の憂愁を述べられた。喉が乾いている様子なので柘榴をすすめたら、それを妻戸に吐きかける。すると火焔になって妻戸に燃えついたので、洒(しゃ)水の印を結ぶとたちまち収まった。その焼け損じの妻戸は、いまも本坊に残っている――という説話です。
  その火焔を吐いているお姿が、柘榴天神というわけで、謡曲の『雷電』もこれを素材としています。・・・》
( ↑『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』1994.12.20.(株)鎌倉新書 ↑ 「天神信仰の誕生」「荒人神」より )
  他人の子供を取って食い殺し、自分の子供は大事にしていたカリテイモ(鬼子母神)を戒めるために、釈迦がカリテイモ(鬼子母神)の子供を取り上げたところ、カリテイモは心を改めたが、その際、人肉のかわりにと釈迦が柘榴の実を与えた・・とかいうお話があったと思うのですが、どうも、柘榴というのは、そういうところでよく登場するようです・・・。
 (2020.3. .)
日本の兵器工場 - 鎌田 慧
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島左近―仁義の智将 (戦国闘将伝) - 戦国歴史研究会
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