「旧羽室家住宅」訪問。畳敷の広縁、直交する廊下の長尺板組合せ、雪見障子。今もある「タンネ」。千葉工大は中学校行くな!

[第767回]
  大阪府豊中市曽根西町 の「旧羽室家住宅」(国登録有形文化財)を見学させてもらった。最寄駅は阪急宝塚線「曽根」駅。「曽根」駅から西に進んでそれほどかからない。 この場所は、昔は原田城という城があった場所の一部で、
「原田城跡」としては「豊中市指定史跡」、
「旧羽室家住宅」としては「国登録有形文化財」
に指定されたようだ。今は、土日の午後、正午から午後4時まで、誰でも無料で見学させてもらえるようになっているようです。
  曽根駅の北口から西に進むと、「原田しろあと館 ⇒」として表示が出ており、 ↓ 迷わず行けます。
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  ↓ ↓ ↓
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  ↓ ↓ ↓
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右手前は東隣のマンションへの入口。


  南と西が道路に面した南西の角地で、現在は南面の東よりから入るようになっているが、↓
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もともとの住宅としては、西側の道路からスロープをあがるようになっているのですが、 ↓ 、
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↑ 現在では、こちらの経路は利用されていないからか、残念ながら、かなり、荒れてしまっています。
西側の道路からスロープをあがっていった右側、北西部に北側から玄関に入るようになっています。↓
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この玄関の東隣にもうひとつ、出入口があり、来客用と家族用の出入口を分けて作るという工夫がされている。

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( ↑ 南面。 )
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( ↑ 「離れ」部分、南面。 )

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↑ 1階、二間続きの和室ですが、よく考えてあると思ったのは、↑ 写真では左側が南ですが、南側の広縁は向こう側の「サンルーム」へつながる廊下でもあり、床の間の左側に付書院を設けて廊下側に付書院の部分を出っ張らせると、「サンルーム」への出入りに支障が出ますから、床の間の左に付書院を設けることはせず、8帖の部屋の西側に、床の間と棚を並べる場合、6尺幅の床と棚を設けるのか、7尺五寸の床と4尺五寸の棚を設けるのかという問題で、ここでは棚を4尺5寸幅として、床の部分の幅を広くした上で、左寄りの部分の奥の壁を斜めにして、付書院の代わりにようにしている、という点です。床の左端の部分を斜めにしたのは、その後ろの部分に「サンルーム」へ出入りする扉があるからということもありますが、床の間の左端の部分を斜めにしてそこに障子を入れたことで、和室から見ると、一見、付書院があるかのように見えます。

  広縁側の障子は、下がガラスの「雪見障子」、もしくは「猫間障子」になっています。
私も、住宅建築業の業界に勤めてすぐの頃、「雪見障子」と「猫間障子」はどう違うのか、どっちがどっちだっけ? と頭を悩ましたものですが、『新感覚の和風住宅』(1985.2.1.講談社)所収の小林盛太「和風の良さを見直そう」に、紙障子の種類が出ています。
下の方が板になっている紙障子は「腰付き障子」
中央にガラスの部分があるものが「額入り障子」、
上が紙障子で下が襖(ふすま)のものは「柳障子」
「水腰(みずごし)障子」というのは、「腰付き障子」の逆で、《腰板のない障子》。今現在の感覚で言うと、「普通の障子」のこと。
  小林盛太「和風の良さを見直そう」では、「猫間障子」を、
《 猫間障子 紙張り障子の一部に透明ガラスをはめ、ガラス面の内側に、すり上げ・片引きなどの小障子を付けたものです。庭を眺められるようにしたので、雪見障子ともいわれています。》と書いてありますが、絵では、移動するのが「猫間障子」で、下半分がガラスで上半分が紙障子と固定されているものが「雪見障子」という絵が描かれています。
「雪見障子」と「猫間障子」はどう違うか?
(1) 「猫間障子」というのは、紙障子の部分を、猫が前足でちょいと動かすように横にスライドさせることができるもののことで、下の方の紙障子を上にスライドさせて積もった雪を見ることができるものを「雪見障子」と言うのか、それとも、
(2) 下の方の紙障子を上にひょいと上げて、下を猫が潜り抜けられるようになっている障子、もしくは、もともとの言葉の意味はそうでも、今では紙障子をひょういと上にあげることができるが下の部分にはガラスがはめ込まれていて猫は通れないけれども、もし、ガラスが無ければそこを猫が通り抜けられるようなそんな障子が「猫間障子」で、下がガラスで上が紙障子で固定されているものが「雪見障子」なのか?
(3) 下の方の紙障子を上にスライドして上げるか、もしくは、横にスライドして動かすかできるものを「猫間障子」とも「雪見障子」とも言うのか?
何冊かの本を調べ、インターネットで検索しても、結論として、3種類の説があるようです。
↑ の写真の「旧羽室家住宅」の和室の障子は、(1)の定義のしかたですと「雪見障子」、(2)の定義のしかたですと「猫間障子」、(3)の定義のしかたですと、「雪見障子」であり「猫間障子」である、ということになります。
『新感覚の和風住宅』(講談社)の小林盛太「和風の良さを見直す」では、絵で描かれているものでは、(2)の定義のしかたの絵が描かれており、文章での説明書きでは(3)の定義のしかたのものが書かれています。
ややこしいなあ・・と思ったのですが、「ややこしい」理由としては、定義のしかたに3通りの説があるから「ややこしい」ということがあったようです。 ・・ほんま、ややこしい・・・。
  「縦繁格子」「横繁格子」というのは、縦の格子の数が多いのが「縦繁格子」横の格子の数が多いのが「横繁格子」。 「方形に荒く組んだもの」が「荒組障子」。これは、わりとわかりやすい。

  [第757回]《飛騨の里-旧田口家。縁側内側に雨戸、仏間ある部屋の右に床。裏口入学は「思考が柔軟」か? 「両親離婚した」らえらいか? 長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html でも述べましたが、岐阜県高山市の飛騨の里に移築されている、かつては現在の下呂市金山町 にあった旧田口家住宅 では、一番外側に板貼りで屋外との間には建具のない縁側があり、↓
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その内側に畳敷きの縁がありますが、「ヒロエン(広縁)」というと桧縁甲板とワンパターンで決まっているのではなく、(株)一条工務店みたいに「WPC加工の桧縁甲板」しか考えられないものではないわけで、この「旧羽室家住宅」では、「広縁」の部分は幅は4尺5寸あるものの、一番、庭に近い1尺5寸幅の部分は板貼りにして、その内側、和室側の部分3尺幅は畳敷にしてあります。↓
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↑ 「そうだよなあ、こういうやり方があるよなあ」と思ったものです。「単細胞の一条工務店」「ちょっとでも変わったことをやろうとすると文句を言われる一条工務店」が「自由設計」とか「何でも自由になります」とか言いたがるのは言行不一致です。やっぱり、住宅建築業の会社というのは、「自由設計」とか「注文住宅」というと、さまざまな手法をこなせてこそ、「自由設計」であり「注文住宅」と言えるはずです。それができないのは、設計の能力不足である場合もありますが、営業担当者の考え方・姿勢の問題もあると思います。工事管理の仕事を経験した人には、工事担当者の能力の問題だと言う人もあります。

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  ↑ は、上の床の間部分の写真の逆側ですが、ここでも、「そうだよなあ、こういうやり方があるよなあ」と思ったのです。(株)一条工務店は、襖の引違戸を開けると、中棚があって、上に枕棚というワンパターンで、ちょっとでも違うやり方を嫌がる会社でしたが、建具を開けた内側に棚があるのと、そうではなく、建具自体が上下に別れているのと、これはどちらがよりいいとか悪いとかいうものではないわけです。

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  ↑ これは、1階、南東の「離れ」部分の床の間ですが、床の左手前にが切ってあるようで、茶室としても使えるように配慮されているようです。「離れ」と言っても、完全に別棟になっているわけではなく、廊下でつながっており、「本体」部分からは、この「離れ」の部分の北西側から西に入ってくるようになっているので、床の間は東側に配置されており、床の間の右側から光が入る「逆床」になっていますが、ここでも、床の間の作り方について、「そうだよなあ、こういうやり方があるよなあ」と思ったものでした。 都市型のこういう住宅の和室を見ると、(株)一条工務店の建物というのは、あれは、やっぱり、「地方」型の「農家の家」だなあと実感します。(株)一条工務店の家というのは「地方」ではけっこう人気があったのですが、「農家」でなくても「農家」とつながりがあるような「地方」の人には受け入れられても、都市型の家と見比べると、(株)一条工務店の家というのは都市部の感覚で見ると、「あか抜けてないなあ」と思います。建てる場所が「地方」であれば、なおかつ、営業担当者が同社に私がいた頃の私のようにある程度以上良心的な営業担当者であれば、悪くないものはできたでしょうけれども、都市圏のこういう家と見比べると、住宅についてのセンスというのか、思想というのかに大きな差があります。
  ↑ の「離れ」部分の和室は、炉を切ってあるのが見え、茶室を意識した部屋であることもあるのでしょうけれども、長押が細いですね。上の方に掲載した「主屋」部分の和室でも、長押は細いですが、これは太いものを入れることができなかったからではなく、「数寄屋風」というのか、意図的に細いものを選んでいるのです。 1993年5月、(株)一条工務店の名古屋南営業所の所長だった近藤路夫さんという人が「何でも太いものがいいに決まってるんだ。こんな常識もわからんのかあ」と言われたのですが、わかりませんね。近藤さんが「常識」だと思っているものが非常識なのです。実際のところ、私は近藤路夫さんを見て、(株)一条工務店はこんな人を営業所長にならせているのか、これはいかんなあと、まず何よりも、近藤路夫さんを営業所長にならせているということが非常識だと実感しました。

  「主屋」の北東側で廊下が「離れ」の側からの廊下と垂直に交わっているのですが、その部分ですが、↓
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↑ 芸の細かいところ・・・というのでしょうか。[第737回]《 本床・押板床・塗回し床・釣り床・・7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工—日下部民芸館(高山市)3 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
岐阜県高山市の日下部家住宅(日下部民芸館)では、↓
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↑ という施工がされていました。いずれも、最近のハウスメーカーの住宅では、こういう施工はなかなか見ませんね。

  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ が施工するならば、下記のどちらかでしょう。↓
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設計担当と「コーディネーター」(別名「工事ねーちゃん」)、及び、営業担当によっては、片方の廊下を長手方向を廊下の方向にそろえて、他方を廊下の進行方向と垂直に貼るようにするかもしれませんが、私はそれはいいとは思いません。もしも、「旧羽室家住宅」のような貼り方か「日下部家住宅」(日下部民芸館)のような貼り方ができないのならば、せめて、↑ の2つのどちらかでしょう。

  ひとつには、最近の床材メーカーの床材というのは、↓ のように、
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↑ 床が完成した後に上から見ると、長い板が何枚か並べて貼られているように見えるけれども、実際には、それよりも幅の広い合板の上に長尺の板が貼られている製品というのが多く、「ナラ」とか「サクラ」とか「シオジ」とか言ってもそれは一番表面のもののことで、その下には別の樹種の木による合板があるという床材が多く、それゆえに、↑ の「旧羽室家住宅」の床や「日下部家住宅」(日下部民芸館)のような貼り方をしようと思ってもなかなかやりにくい、ということもあるかと思います。

  ところで。 長尺の板になっている床材を1枚1枚、根太に貼りつけていく方法と、床が完成した後に上から見ると長尺の板が1枚1枚貼られているかのように見えるけれども実際にはそれよりも幅の広い合板の上に長尺の板が貼られた床材を根太に貼って行く方法と、どちらがしっかりしていてどちらが床鳴りがしにくいか? どちらだと思いますか?
  1992年に(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に私が入社した時には、(株)一条工務店は、1枚1枚分かれた長尺の板を貼っていて、「『よそ』は見た目は長尺の板でも実際には合板の上に薄い長尺の板が貼られた床材を使っているのに対して、一条工務店は実際に1枚1枚分かれた長い床材をひとつひとつ根太に貼るという施工をしているので、それだけ床がしっかりして、床鳴りがしにくいのです」と教えられて、そうお客様に話すように言われ、「へえ~え、そうなんだあ」と思ってお客様にそう話したのです。ところが、それから何年か後、(株)一条工務店は幅の広い合板の上に細長い長尺の板を貼った床材を使用するようになり、「え? それだと、1枚1枚貼る施工と比べて床鳴りがしやすいのではないのか?」と思ったら、「合板の上に長尺の板をあらかじめ貼った床材の方が、合板の上に貼られているのでしっかりして床鳴りもしにくくなります」などと、恥知らずにも「通達」に書いて送りつけてきたのでした。はあ? なんか、ちょっと前まで言うとったことと正反対やんけ!!! はあ~あ??? いったい、どっちやと言いたいねん?!?!?
  ぼけっと聞いてると、どっちも一理ありそうに聞こえるのですが、それまで言っていたことと正反対のことを、ある時、突然、平気で言い出すという会社って・・・・、いったいどんな会社やねん?!?!?  そう思いませんか?
どんな会社かというと・・・、まあ、そういう会社だったのでしょうねえ・・・・。

  リビングルームの床もまた、
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↑ 組み合わせた、凝った貼り方の床になっています。

  杉山英男『地震と木造住宅』(丸善)で、今後の木構造の建物の移り変わりについて、
1.在来木造(軸組構法の木造)・枠組壁工法(ツーバイフォー工法)・木質パネル構法といった木を構造材にする異なる構法があるが、その内容が近づいていくのではないか。それぞれ、異なる構法であり同じになるということはないが、他の構法の長所を取り入れることで、内容が近づいていくと思われる。
2.いずれの構法も、プレハブ化(工業化)が進んで行くと思われる。
という2点の予想が述べられていますが、実際、そうだと思います。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/  は、構造についてのカタログに「プレカットとプレハブ、似た言葉ですが意味は全然違います」などと書いていましたが、嘘です。 「プレカット(pre-cut)」の「プレ(pre)」は「あらかじめ」「前もって」という意味の接頭辞で、「カット(cut)」は切ることで、建築現場よりも前にあらかじめ、構造材を切って工事現場に運び組み立てるという意味です。英語の「プレカット」の意味としては、機械で切っても手加工でも、工事現場よりも前に、他の場所で切って運んで組み立てるならば「プレカット」ということになり、その意味では、大工が「下小屋」で手加工で、継手・仕口といったものをノミで加工して運んでも「プレカット」と言えることになりますが、現在、一般に「プレカット」というのは「機械プレカット」、工場で機械加工した構造材を工事現場に運んで組み立てることを言っています。 「プレハブ」は、「プレファブリケーション(pre-fabrication)」「プレファブリケイト(pre-fabricate)」を略した日本語です。「プレ(pre)」は「プレカット」の「プレ」と同じく、「あらかじめ」「前もって」という意味で、「ファブリケイト(fabricate)」は形作るという動詞、「ファブリケイシォン(fabrication)」はその名詞で、工場生産の度合いが大きい住宅のことを「工業化住宅」、もしくは「プレハブ住宅」と言ったのであり、工場生産の度合いが大きいということは、そのこと自体は、良いとも悪いとも言えません。工場生産の度合いが大きくていいものができるのなら大いにけっこうなことで、現場施工の度合いが大きくていいものができるのならそれも大いにけっこうなことであり、いいとか悪いという意味はありません。ところが、新聞紙上などでも、湾岸戦争の時でしたが、「多国籍軍のプレハブ造りをおこなうくらいならいいのではないか」などという主張をした人がありましたが、この場合の「プレハブ」というのは仮設小屋のことであって、「工場生産の度合いが大きい住宅」の意味ではない。本来、「プレファブリケイト」「プレファブリケイシォン」というのは仮設小屋の意味ではありませんし、高級品か安物かという意味もありません。ところが、湾岸戦争の時もそうですが、東日本大震災の後でも、「被災者のためのプレハブ造りに・・」などという記事が新聞に掲載されたことがありましたが、掲載された写真など見ると、それは、構法としては「プレファブリケイション」「プレファブリケイト」の住宅ではなく在来木造の構法によるものでした。本来、「プレファブリケイト」「プレファブリケイシォン」という言葉には「安物」とか「仮設」とか言った意味合いはまったくないのですが、略語としての「プレハブ」という言葉が「安物」「仮設」の意味合い、ニュアンスで使用されることがけっこうあることから、「プレファブリケイション」「プレファブリケイト」の住宅を建てている住宅建築会社はこの「プレハブ」という用語をあまり使用しなくなり、変わって「工業化住宅」といった言葉を使うこともありましたが、これもまた、「工業化住宅」という言葉が「プレハブ」につながり、「プレハブ」という言葉に「安物」「仮設」のイメージがついてしまったことから「工業化住宅」という言葉もあまり使わなくなりました。それとともに、「工業化住宅」というならば、在来木造も枠組壁工法(ツーバイフォー工法)もまた、相当、「工業化」がされてきていますので、もはや、「工業化住宅」という言葉を使用する意味があまりなくなってきた、ということもあるでしょう。
  杉山英男は、在来木造も枠組壁工法(ツーバイフォー工法)も、「プレハブ化」してきており、今後はその度合いがさらに進むであろう、と述べています。(株)一条工務店は、木構造の研究者だった杉山英男の写真と文章をカタログに掲載したりして、杉山英男の研究成果を取り入れているかのように見せているものの、勝手なところでだけ、名前と顔を使っているようなところがあります。「プレカットとプレハブは言葉は似ていますが意味はまったく違います」という(株)一条工務店のカタログに書かれていた文章は間違いです「プレカットはプレハブ(プレファブリケイション、プレファブリケイト)の一種です」。但し、「あらかじめ、前もって、形作る度合いだ大きい住宅」というのが「安物住宅」「仮設住宅」という意味ではないのと同じく、「プレカットによる在来木造住宅」もまた「安物の在来木造住宅」「仮設の在来木造住宅」という意味ではない。
   そういえば、2002年、(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業の山梨県上野原市の工場 ↓ に、

「東京大学の先生と生徒」という一行が、「木材の乾燥度合いの測定実験」に「来られた」ということがあったのですが、その一行、何やったかといいますと、ゴムボールを持参して、粉塵も多い工場内で、壁にボール投げつけてキャッチボールやって遊んで帰りました。彼らはいったい何をやりに来たのか? 
バカ大学の生徒でおかしなのがいたのかもしれない、とも思ったのですが、教員が来ていたはずなのです。教員が来ていたならば、バカ大学の生徒が、その工場の従業員が働いている横で、粉塵もある工場内で壁や柱にボールぶつけて遊ぶというのはこれは大学生として非常識ですし、それを注意しない教員というのは、それは大学教員と言うに値しないと思われますが、その大学の大学名ですが、私の聞き間違いではないはずですが、「とうきょうだいがく」という名前、漢字で書くと「東京大学」という大学だったはずです。よほどのバカの学生とアホの教員で成り立つ大学なのでしょうか?  「東京大学て国立の東京大学ですか?」と私は工場長の渡邊に尋ねたのですが、「そうです」ということでしたから、その「国立の東京大学」から上野原市の工場にいらっしゃった先生と生徒様の御一行が、ゴムボールを持参して工場内で壁や柱にボールをぶつけてキャッチボールやっとったのですが、あれが「木材の乾燥の検査」なのでしょうか? なんや、おもろい検査があったもんでんなあ、ほんまに。「東京大学」というのはなんともユニークな大学でんなあ、ほんま・・・。そう思いませんか???
  「T京大学」でも「帝京大学」なのかというとそうではなく、「東大」でも「東洋大学」なのかというとそうではなく、「とうきょうだいがく」、漢字で書くと「東京大学」だったはずです。 倉庫までやってきて、鉄骨造の工場で柱などの防火材として吹き付けてある鉱物繊維(ロックウールか?)めがけてゴムボールぶつけて、剥落しかけているものを剥落させたりしていたのですが、あれが「木材の乾燥度合いの検査」なのでしょうか? おもろい検査もあったもんでんなあ。さぞかし、優秀な先生様なんでしょうかねえ・・・。ほんと。

  その「東京大学の先生と生徒さん御一行」というのは、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/  の工場部門の(株)日本産業の山梨県上野原市の工場の倉庫にきて、それぞれのお施主様のお宅に出荷するべくパレットの上に載せて用意されている住設機器めがけてゴムボール投げつけたりしていたのですが、今から思うと、遠慮なんかしないで、きっちりとその”先生様とやら”に苦情を言わせていただくべきだったと思います。東大の工学部建築学科なのか、農学部の何学科になるのか、林業・木材を扱う学科なのか、ともかく、大学の教授なのか准教授なのかが来ていたはずで、その一行が、お客様のお宅の工事現場に送るように用意されている住設機器めがけて「わざわざ持参したボール」を投げつけるというのは、これは、「もってのほかの行為」であり、そういうことを平気でする者、及び、そういう行為をする者に一言として注意しない教員というのは、そういう者は、建築の仕事、および、建築の研究の仕事に携わる資格はない! と考えるべきでしょう。日本国民として、そういう大学教員にはきっちりと注意してやるべきでした。但し、おそらく、(株)一条工務店の経営者というのは、自社で契約していただいたお客様のお宅の工事現場に送るべく用意された住設機器めがけてボール投げつけるアホウとその引率者に苦情を言うのではなく、そのアホウに苦情を言った者に制裁を加えるでしょうし、それが(株)一条工務店の経営者というものですが、そんなことは何の関係もない。「ベンチがアホやから」状態の会社のアホが悪いのです。アホの仲間入りするべきではないはずです。 こういうことを言うと、もしかすると、営業本部長の天野隆夫あたりから、「ボールくらいぶつけたからって、どうこうなるもんじゃないだろうがあ~あ! 何考えてんじゃ、おまえはあ~あ!」と言って怒鳴りつけられるかもしれませんが、その可能性は高いと思いますが、そのボールを住設機器めがけてぶつけたからといって、それで壊れないからいいとか悪いとかいう問題とは違うのです。(株)一条工務店の建築現場で、「上にあがるのに靴を履き替えるのは、どのくらいから履き替えるべきでしょうか」と(株)一条工務店に入社して1年目に同社で比較的長く仕事をしていた大工さんに質問したことがあったのですが、「従業員は根太を貼ったら土足であがらないでほしいなあ。お客さんは根太くらいなら土足であがってもしかたがないけれども。お客さんでも、たとえ、下地の床でも床板を貼ったら靴は履き替えてもらいたいな」というのが返事でした。(株)アイダ設計https://www.aidagroup.co.jp/ では、2014年、行徳店の店長になっていた小川くん(男。当時、20代?)が、すでに、下地の床板とはいえ、ほぼすべての部屋に貼った家に、「靴を履き替えてあがるような所はまったくないから」と言うので驚いた、ということがありました。小川くん自身は経験も浅くて認識も浅い人だったからということもあったかもしれませんが、小川くんの父親というのは私より5歳ほど年下だったらしいのですが、同社で土木部長になっていたということでしたので、(株)アイダ設計というのは、低価格ながらも一定以上のレベルのものを作ろうと相当の努力と工夫をしており、又、販売においても、かつての某一条工務店みたいにどうやって売るかの工夫は営業に押しつけて会社としての努力をしない会社ではなく、「売るための工夫」を会社としておこなっている会社であるというその点は私は評価しているのですが、その「土木部長」という人の息子がそんな認識をしているような会社では家は建てたくないものだなあ、そんな人を「土木部長」にならせているような会社では高く評価できないなあ、と思いました。下地の床の上に土足であがったとしても、別にそれで家が壊れるとかいうことはないでしょう。しかし、そうであったとしても、従業員が、たとえ、下地の床であっても、自社が作っている「自社で契約してくれたありがたいお客様の家」という作品の上に平気で土足であがる、土足で踏みつけるというその神経が理解できない。そんな意識で家を作っていたのではいい家はできないでしょう。1992年に、(株)一条工務店に入社して1ヵ月目だったか2か月目だったかの中途入社社員の研修に講師役で来た掛川営業所の所長だった近藤正夫さんが「一条工務店に勤める前にやっていた仕事で、ある取引先の工場に行った時、相手から会うなり、『おまえ、今、いったい、何やった?!?』と言われたことがあったんです」と話したことがありました。「おまえ、今、いったい何やった?」と言われても、特別なことしていないつもりだがなあ・・と考えて考えてしたところ、その工場の事務所に来る途中、工場の敷地内に、その工場で作っている物の材料が地面に置かれていて、通行するのに、その上を歩いてきたのに気づいた。それは、別に、踏んだからといって壊れるような物でもなかったけれども、そこの工場の人間に対して、そこで作っている物の材料を踏みつけるというのはそれは失礼であり、その会社で何かを買ってもらおうとか何かの仕事をもらおうとして来る者が、事務所に入る途中で、材料を踏みつけてくるというのは、「おまえ、今、いったい何やった?!?」と言われてしかたがない行為だった、そういうことに配慮する気持ちを持たないといけないと思ったという話でした。(株)一条工務店・(株)日本産業の上野原市の工場の倉庫に、わざわざ、ゴムボールを持参して、倉庫に置かれていたお施主様宅の工事現場に送るべくパレットに載せて用意されている住設機器めがけてボールをなげつけるアホとそれを注意しないバカ教員の大学というのは、その「東京大学」という名前の大学というのは、あんまり、レベルの高い大学ではなさそうに思います。その「先生さま」というのは、どういうおえらい先生様なのか知りませんが、そんな人間、建築に係る仕事にはついてもらいたくないですね。教育に係る仕事にもついてもらいたくない。私が教員ならば、ゴムボールを持参して、住設機器めがけて投げつけた男には、「◇◇さん、きょうは帰ってください」と言って、その場で帰らせますね。たとえ、住設機器にあてなくても、横で働いている人がいる場所に、ゴムボール持ってきて壁にであれ柱にであれ投げつけて遊ぶやつ、そんな人間を連れてくるということが非常識です。「東京大学」というその国立大学は、そんな「新人類」だか「異星人」だかの教員を雇っているというのは、それは大学としておかしいのではないか。その社会常識の欠ける教員を平気で大学教員として採用している「東京大学」という大学というのは、それは、大学としてあまり高く評価できないのではないか・・・。そう思いませんか? こういうことを言うと、またもや、営業本部長の天野隆夫から「なんでいかんのじゃあ!」とか言って怒鳴りつけられる可能性が十分あるでしょうけれども。「なんでいかんの」か、そのあたりもわからないようなアホが(株)一条工務店の営業本部長になっているというその点が「いかんのじゃあ」!!! ということです。

  ・・それで、「東京大学」というアホ大学のバカ学生とアホ教員のことはさておき・・・、↑ 「旧羽室家住宅」や日下部家住宅(日下部民芸館)の床の写真のような、床の貼り方というのは、「プレハブ化」が進むと、なかなか、見れなくなってしまいそうですね・・・。

  私が北野高校に入学してそれほど経たない時、父の友人で大阪府のある高校の教諭をされていた方から、「東大よりも京大の方が上やと思う」と言われたことがありました。その理由として「京大は北野高校とか天王寺高校とか公立高校の出身の人間が多いのに対して、東大の学生は私立高校ばっかりや」という話でした。慶應の教授先生は北野高校が大嫌いで、講義の最中にマイクに向かってひとの出身校の悪口を固有名詞をあげて言う人がいたのですが、「北野高校の人間というのはねえ。高校でも大学でも、私立よりも国公立の方がいいと思ってませんか」とおっしゃるのです。「北野高校の人間というのは、『どうして、私立だったらいいんですかあ』なんて言うでしょ。バカか! 私立だということは、いいってことじゃないか。そんな常識もわからんのかああ!!! まったく、どうかしてんじゃないか!」とマイクに向かってお怒りになるのでしたが、そう言われると、「せえ~んせえ~え。どうして、『私立だってことは、いいってこと』というのが『常識』なんですかあ~あ? せえ~んせえ、わっかりませえ~えん!!!」と言いたくなるのでしたが、逆らうとうるさそうでしたので言いませんでしたが、今もって、なんで、「私立だってことはいいってことじゃないか」という発言・認識が、なぜ「常識」なのか、さっぱりわっかりませええ~えん!!! ・・で、むしろ、慶應大学に来ていた開成高校とかの出身の人を見ると、まあ、開成高校卒で浪人した上で東大受験を回避して一橋受けてそれも落ちて慶応大に入ったなんて男というのは開成高校の人間の中では「落ちこぼれ」、「や~い、落ちこぼれええ! 悔しかったら東大に通ってみろお~お!!!」と言ってやるべき人間だったのかもしれませんが、それでも、ともかく、慶応大の入試には合格したわけですが、そのわりに、頭の中味がない・・という印象の人間が多かったように思います。これは、私は断言していいと思うのですが、公立進学校の出身者と私立6年制受験校の出身者では、「人にもよる」ということは間違いなくあるとは思いますが、全体として見るならば、私立受験校出身の人というのは、「入学試験ではそれなりの点数を取ったにしても、そのわりに中身がない」人が多い。断言していいと私は思っています。私が北野高校に入学してすぐの頃、父の知り合いの公立高校の教諭だった方から「東大よりも京大の方が上やと思う。東大は、今は私立高校出身者ばかりや」と言われた時点では、私は公立も私立も関係ないと思っていたのですが、今は「東大よりも京大の方が上やと思う。東大は、今は私立高校出身者ばかりや」という意味がわかります。私立高校出身者に占拠された東大は、今では夏目漱石や森鴎外、久米正雄や亀井勝一郎がいた頃の東大とは別の大学になってしまったのではないか、という印象を受けています。
   「北野高校の人間というのは、『どうして、私立だったらいいんですかあ』なんて言うでしょ。バカか! 私立だということは、いいってことじゃないか。そんな常識もわからんのかああ!!! 北野高校の人間というのは、どうかしてんじゃないか!」とおっしゃった慶應の先生というのは、まあ、だいたい、そういうことを言う人というのは内部進学なのですが、彼ら慶應内部進学というのはね、骨のあるような学問はなんでもかんでも「受験勉強だ。害があるんだ」と言うのです。塾風適応主義のことを「独立自尊」と彼らは言うとるのです。塾風適応主義のことを「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか「思考が柔軟」とか言うておるのです。福沢諭吉は「実学」と「虚学」という言葉を使いましたが、森川英正『日本経営史』では、森村組に応募して「語学と簿記は得意ではありません」と言って不採用にされた村井保固という人に福沢諭吉が「実業家を志す者が、語学と簿記は得意ではありませんとは、そのあたりの支度ができていないとは言語同断だ」と言って叱ったという話が出ていますが、だからといって、福沢諭吉は文学や哲学が「虚学」で簿記や語学が「実学」だと言ったわけではないはずです。そうではなく、福沢諭吉は実業家を志す者は語学や簿記の支度ができていないといけないとは言ったけれども、だからといって文学や哲学に価値がないなどと言ったのではなく、文学や哲学にも「虚学」のものもあれば「実学」のものもあるのであり、社会を変革し進歩させるような文学・哲学は「実学」であり、人間の心を閉ざして進歩を押しとどめるような文学・哲学を「虚学」だと考えたと思われます。それに対して、慶應内部進学の教授助教授というのは、社会と人間のありかたに疑問を呈するような文学・社会と人間のあり方を進歩させようとするような哲学を「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」と決めつけ、「虚学」と考えていいようなもの、いわば、「刺繍に花をつけたすような」文学・哲学を「が~あくもん!」と叫んで評価する、というそういう人が多い。社会と人間のあり方に疑問を呈するような文学・社会と人間のあり方を進歩させようとするような哲学を「受験勉強だ。害があるんだ」と決めつけ、「刺繍に花をつけたす」ようなものを「が~くもん」と叫んで喜び愛好し、社会と人間のあり方に疑問を呈するような文学・社会と人間のあり方を進歩させようとするような哲学とは関わらないようにしようとする態度のことを「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか「福沢精神」とか言いよるわけだ。それって逆と違うのか? なんて思うのだが、「それって逆と違うのか」なんて言おうものなら「慶大生らしくないぞ」とか「独立自尊の精神がない」とか「自我が確立されていない」とか「アイデンティティーがない」とか「思考の硬さが気にかかります」とか「モラトリアム人間病にかかっている」とか「慶應心理学」に「診断」されることになる。怖いわあ~あ・・・。ほんま、怖いわあ~あ・・・。
  公立進学校がすべてにわたっていいかというと、私はそうも思っていないのですが、しかし、私立6年制新興受験校・慶應内部進学と比べれば、公立進学校の方が全体として見ればどちらかと言うといいかもしれないな・・・と思っています。「東京大学」という大学の学生と教員がやってきて、工場の倉庫内で壁にボールぶつけてキャッチボールやりよった・・というのを見ると、「東京大学」というのは、もしかして、日本一のバカ大学と違うのか?・・・・という感じがしますし、そういうのを見ると、「京大の方が東大よりも上やと思うで」と言われた人の発言は、そうだったかもしれないなあ・・という気持になります。


   南側に、リビングルームと「サンルーム」・二間続きの和室を並べ、食堂はそれより北にあり、リビングルームや二間続きの和室と比べて自然光が入りにくい位置にあることからだと思いますが、
DSC07857.JPG
↑ 天窓がとられています。 今では、天窓のある家というのはそれほど珍しくなくなったかもしれませんが、この家が建てられた頃から、私が子供の頃、1960年代くらいまでは、天窓がある・・というのは、すごい! て感じでした。

   「旧羽室家住宅」は1937年(昭和12年)、「いくさ長引く(1937)、日中戦争」、日中戦争開始、盧溝橋事件の1937年に竣工したものですが、現在では、住宅の柱などにいい木材としては、桧、そうでなければ、ヒバ、杉といったものがあげられますが、「NPO法人とよなか・歴史と文化の会」の方なのかが説明してくださったのですが、「羽室家住宅」の場合は、柱などは、栂(つが)を使用されているらしい。それは、最初の入居者の羽室廣一さんというのはどういう人かというと、住友金属工業(株)の役員のひとりだったそうで、桧を使用するカネがなかったわけではなく、建築された頃、一時的に、造林されている柱材の桧・杉などよりも「栂(つが)」の方が高く評価された時期があったらしく、桧・ヒバ・杉といったものを使用するカネがなかったからではなく、意図的に栂を使用して建てたらしい。

  1937年に竣工の建物というと、その前後、建てられた建物にはどういうものがあるか。
1923年(大正12年) フランク=ロイド=ライト「帝国ホテル」(現在は、玄関ホール部分が、明治村)
1925年(大正14年) 「田園調布の家」(大川邸)〔江戸東京たてもの園〕
1925年(大正14年)竣工。 東大 本郷 安田講堂。
1928年(昭和3年)  高橋貞太郎「学士会館」(東京、神田神保町)
1932年(昭和7年)  ウィリアム=メレル=ヴォーリズ「同志社 アーモスト館」
1937年(昭和12年) 「旧羽室家住宅」(大阪府豊中市)
1942年(昭和17年) 前川圀男自邸。 〔江戸東京たてもの園〕
1959年(昭和34年) ル=コルビュジェ「国立西洋美術館」
1961年(昭和36年) 前川圀男「東京文化会館」。
  江戸東京たてもの園にある「大川邸」(「田園調布の家」)より後、前川圀男自邸より前の建築。 神田神保町の学士会館とか同志社アーモスト館よりちょっとだけ後の建築・・・なんてので、わかったようなわからないような。
  「国登録有形文化財」というと、東大 安田講堂と同じ・・・なんて言うと、だから、どうなのか、かえってわからなくなるか・・・。

   かつて、この付近に、原田城の北城と南城があって、「旧羽室家住宅」と東側のマンションが建っている土地と南・西の道路とそれに面する家屋何軒かがその原田城の北城の場所だったらしい。 
DSC07838.JPG
↑ 南西側の道路に近い庭の部分、原田城北城の土塁の跡だそうな・・・・。

  この付近は、かつて、箕面有馬電気軌道⇒阪急電鉄 の宝塚線が開通した後に開発された住宅地で「松籟園(しょうらいえん)」と言った地域らしい。今では、周囲の住宅は「旧羽室家住宅」よりも敷地面積の狭い家が多いのですが、羽室廣一さんがここに家を建てた時点では、2区画買って建てたらしいけれども、今でも、分譲地で2区画買って建てる人はあると思いますが、住友金属工業の役員でも、他より無茶苦茶広い敷地の家ということでもなかったらしい。

※ 豊中市HP 「旧羽室家住宅」https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunkazai/touroku_bunkazai/touroku08.html
※ 《 土曜日・日曜日の正午から午後4時 》(豊中市HP https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunkazai/shisetsu/haradajyouato_hamur.html )の間、庭と1階部分を無料でさせていただくことができます・・・が、クラシック音楽の演奏会がリビングルームで開催されたり・・、悪いとは言いませんが、少々、感覚が違うような印象もないでもありません。

  こういうお宅というのは、「民家」だと思うのだが、しかし、世間では「古民家」のことを「民家」という言い方があり、「民家」と言うと「古民家」を思い浮かべる人もあるが、大正の元号の時代のフランク=ロイド=ライトの旧帝国ホテルよりも後の建物、昭和の元号になってからの住宅ですが、やっぱり、「民家」ですよねえ・・・。

  阪急宝塚線「曽根」駅界隈もずいぶんと変わりました。 1960年代~1980年代にかけて、阪急宝塚線は、神戸線・京都線に比べて、「カーブが多いからスピードが出せない」と言って、急行は十三(じゅうそう)駅から石橋駅までノンストップだったわりに時間がかかったが、かつては単線非電化だったJR福知山線が複線電化されて通勤路線化した今では、急行は、十三と石橋の間で豊中と蛍池にも停車するものの、かつて十三・石橋間ノンストップだった時期よりもずっと所要時間は短い。 なんだ、やればできるんじゃないか・・て感じ。やっぱり、競合路線がない区間と競合路線ができた区間とでは大きな違いが出るようです。
DSC07833.JPG
↑  かつては地上にあった曽根駅も高架になりました。

  「旧羽室家住宅」は曽根駅の西側にありますが、曽根駅の北よりを東に行く道は ↓
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↑ この道は昔からありましたが、こんなに広い道ではありませんでした。
↑  の右手のビルの1階に「タンネ」という喫茶と軽食の店があります。↓
DSC07832.JPG

↑  1980年前後から「タンネ」という名前の店はこの付近にありましたが、このビルはなく、独立した建物だったような気がします。
前々から思っていたのですが、「タンネ」てどういう意味なんだ? ・・どういう意味なんだろう、て思いませんか?
今回、この店で食事をして、わかりました。「タンネ」とは、ドイツ語の「タンネ」。日本語に訳すと樹木の「モミ」
「お~、タンネンバウム、お~、タンネンバウム~♪」という唄。
日本語だと、「も~みの木~、も~みの木~♪ 繁るは~、もみの木~♪」という唄に出てくる「タンネンバウム」の「タンネ」。
※ Tanne (女性名詞)モミ。
 Tannenbaum (男性名詞)モミの木。
( ロベルト=シンチンゲル・山本明・南原実共編『現代独和辞典』三修社 )
※ 「タンネ」HP http://www.sone-tanne.com/
  別の歌詞だと、「卑怯者~、去らば去れ! 我らは赤旗守る~♪」という「赤旗の歌」というのがあり、
さらにその替え歌で、
「 民衆の足、国鉄は~♪」
「金持ちは、飛行機に~♪ 乗るぞ、我らは国鉄に~♪」なんて替え歌もあり、さらには、
「民衆の女、パンパンは~♪」なんてのもあった・・・とインターネットに出ていたが、
森鴎外『青年』には夏目漱石がモデルの平田附石という男が「日本に持ってくると何でも小さくなる。ニーチェも小さくなる。イプセンも小さくなる。・・・」と語る場面があった。「イプセンは、最初、ノルウェイの小さいイプセンだったが、後にヨーロッパの大きいイプセンになった。しかし、日本に来ると小さいイプセンだ」と。もしかして、「もみの木の歌」も「赤旗の歌」を日本に持ってくる時に、この歌も小さくなって「モミの木の歌」になったのか、「赤旗の歌」を「人畜無害化」(別名「骨抜き」)したものが「モミの木の歌」だったのか?・・と思ったらこれはそうでもなくて、もともと、「モミの木の歌」だった、「モミの木の歌」の方が先にあったようで、「赤旗の歌」が作詞されて、それが「モミの木の歌」の節に合わせて歌われるようになったというもの、「モミの木の歌」の方がオリジナルらしい。
※ 《YouTube-O Tannenbaum(モミの木) - The Roger Wagner Chorale(ロジェ―=ワグナー合唱団)  もみの木》https://www.youtube.com/watch?v=4b20nKt-m1U
《YouTube-赤旗の歌」》https://www.youtube.com/watch?v=jMf-qLljzNg
そういえば、1989年、小堀住研(株)に入社してすぐ、大阪駅の南側、目の前、今はなくなった旭屋書店本店の隣の隣にあった本社での研修に参加する際、東京駅を午後11時半くらいに出た「大垣行普通」に乗ったところ、通勤電車以上の混雑で、1か月少々の研修に参加するための荷物を持って、つり革もない電車に、一晩、大垣まで立って行き、大垣から西明石行に乗り換えて行ったところ、東京から大阪までの交通費は出してもらえないものだと思ってそうしたのでしたが、研修が始まると、小堀住研(株)の総務課長の某さんが「東京から来た人には交通費を出します」と言うので、当然、誰もに「新幹線普通車指定席」の料金を支給するのか、「新幹線普通車自由席」の料金を支給するのかどちらかであろうと思いこんでいたら、千葉工大のやつには新幹線代を払いながら、私には「普通に乗ってきたんだろうが。普通に乗ってきたのに新幹線代もらおうなんて、あかんあかん! ズルしたらいかんだろうが! ズルするな! 新幹線に乗ったら新幹線代を出すけども、普通車に乗ってきたら普通運賃しか出さんのが当然だろうが!」などと言われた。私は「ズル」なんてしていない。千葉工大のヤツこそズルしているはずだ。私が大学に進学する時には父親から言われたものだ。「わかっとんのんか、チャンコロっ! 高校は義務教育とは違うんやからおまえは高校には行くべきではないんやぞ。それをおまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれとるからやねんぞ。高校行くなちゅうんじゃ、おまえは、このチャンコロっ! チャンコロは高校行くなちゅうんじゃ、チャンコロこの浪商! おまえは北野高校に行ったと思っておるかもしれんけれども、たとえ北野高校に行ってもおまえは浪商じゃ、この浪商めがチャンコロ! 浪商は高校行くなちゅうんじゃ。ましてや、義務教育でないからにはおまえは大学には行くべきではないんやぞ。おまえは。義務教育ではない以上はおまえは大学には行くべきではないんやぞ。わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロ!!!」と毎日毎日言われたものだった。それから考えると、「千葉工大のやつなんて、義務教育であろうがなかろうが、中学校行ったのは余計じゃ! ウルトラ甘ったれるな!!!」ということになるはずである。私が慶應大学の学生であった時、日吉では、昼は生協食堂のカレーライス140円を食べることが一番多かったが、すると、父から言われたものだった。「おまえなんかが140円のカレーライスなんて、そんな贅沢なもん、食うてええのか、チャンコロ! チャンコロが140円のカレーライスなんて食うてええのか、チャンコロ。贅沢すんな、チャンコロ。もっと安いもんにせえ。おまえはもっと安いもんを食え、チャンコロっ!」と。何度も何度も言われ続けたが、生協食堂の140円のカレーライスより安いものはどんなに捜してもなかった。昼食は2日に1回、2日に1回は昼食なしにしようかと考えて抜いた時もあったが、お腹がすいてどうしても食べてしまった。千葉工大のヤツというのは、おそらく、そういう時も、私なんかよりもずっといいものを食っていたのではないか。ある日、突然、仕送りを停止されて、1週間、水しか飲まずに過ごしたこともあった。道の自動販売機の下あたりに50円玉か100円玉でも落ちてないか捜してまわり、ついに、50円玉が自動販売機の下の奥の方に落ちているのを発見して、道路に這いつくばって手を伸ばして引っ張り出し、財布に残っていた硬貨とその50円とを合わせて自販機でメロンパンを買って食べた時のあのメロンパンほどおいしいものはなかった。千葉工大のヤツはそんな経験なんてないだろう。「ズルするな、千葉工大!」、大学行くな千葉工大! 高校行くな千葉工大! 中学校行くな千葉工大! ウルトラ甘ったれて中学校行くな千葉工大!!!
   私は「ズル」なんかしていない。小堀住研(株)の総務部はこの件について謝罪するべきである。千葉工大なんか行ったやつこそ「ズル」であろうが!!! 千葉工大のヤツなんて高校行くな! 高校は中学校まで勉強した者が行く所で、大学は高校まで勉強した者が行く所だ。千葉工大建築学科のヤツ・東洋大建築学科のヤツなんか義務教育であろうがなかろうが中学校行くな! ウルトラ甘ったれるな!!! ましてや、千葉工大のヤツが新幹線なんて乗るな! 歩け! 千葉工大! 千葉工大のヤツなんて東京から大阪までおのれの足で走って行け! もしくは太平洋泳いで行け、千葉工大!!! 高校行くなちゅんじゃ千葉工大! 千葉工大だの東洋大だの行くようなウルトラ甘ったれたヤツなんて中学校行くな! 甘ったれるな!!!・・・と思う。
会社は従業員に公平であるべきである。会社は従業員に公平でないといけない。それを、小堀住研(株)は千葉工大のヤツには新幹線代を出して、私には普通運賃しか出してくれない。千葉工大には新幹線に乗せて私には通勤電車並みに混んでいる大垣行普通で一晩立ちっぱなしで行く運賃しか出してくれない、というそちらこそ「ズル」であろうが!!!
私は思ったものだった。
「千葉工大は、新幹線に~♪ 乗るぞ、我らは、夜行普通に~♪
 卑怯者~、新幹線に~♪ 乗れよ、我らは普通に乗るぞ~♪ 」
と。
  (2020.3.31.)
新感覚の和風住宅 (Home life) - 講談社
新感覚の和風住宅 (Home life) - 講談社
地震と木造住宅 - 杉山 英男
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政治と精神医学―ソヴェトの場合 - S.ブロック, P.レダウェイ, 秋元 波留夫
政治と精神医学―ソヴェトの場合 - S.ブロック, P.レダウェイ, 秋元 波留夫
箱庭 (講談社文庫) - 内田康夫
箱庭 (講談社文庫) - 内田康夫
《 「・・・逆心理療法みたいな何かね。・・・何ていうのか、精神をコントロールしてしまう方法があるみたい。・・・」》
《 「私はこの病院の理事長だ。あんたの不法侵入に対して、いかようにも処分の方法を講じることができる」
「つまり警察を呼ぶこともできるというわけですか、結構ですね。ついでに不法監禁のほうも告発したらいかがです?」
「処分の方法は、何も警察に頼むばかりとはかぎらんだろう」
「なるほど、得意の心理療法ですか。それともロボトミーの手術でも試みますか。・・・」 ・・ 》
( 内田康夫『箱庭』 2004.文芸春秋より刊行。2013.2.15.徳間文庫 ) 

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