飛騨の里- 旧田中家。チョウナで整えた柱。「車椅子可」の内容は様々。年寄おぶり「親孝行」ぶる男。「捕手の力」を無視する営業本部長。土間の「おえ」、板貼の「でい」。

[第752回]高山シリーズ6回(19) 飛騨の里2
  吉澤政己『日本列島民家の旅(6) 中部1 東海・中央高地の住まい』(1996.4.30.INAX出版)に掲載の「中部地方の民家所在地1」を見ると、岐阜県の飛騨地方では、重要文化財に指定されている「民家」は、
吉島家・日下部家・松本家という高山の町家と、高山市丹生川町(旧 丹生川村)の農家の荒川家、それに『民家村の旅』所収民家旧所在地として、旧田中家と旧田口家が載っている。旧田中家と旧田口家は、飛騨の里に移築されている。。
  《ウィキペディアー飛騨民俗村》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E6%B0%91%E4%BF%97%E6%9D%91 によると、飛騨の里 に移築されている「民家」で、重要文化財に指定されているのは、
旧田中家・・・高山市中切町から高山市冬頭町 に移築されたものを移築。
旧若山家・・・高山市荘川町(旧 荘川町)の北部、白川村に近い地域に建っていた。
旧田口家・・・現 下呂市金山町卯野原 にあった民家。
旧吉真家・・・現 飛騨市河井町角川 にあった。
の4家屋で、
 旧西岡家・旧新井家・旧富田家・旧道上家・旧前田家・旧中上家の6家屋と飛騨の里の外、飛騨民俗村のエリアにある旧野首家の計7家屋が、岐阜県指定重要文化財に指定されており、
 旧八月一日(ほづみ)家が高山市指定重要文化財の指定、
 飛騨の里の外、飛騨民俗村のエリア、旧野首家の山側にある旧高山測候所(山岳資料館)が登録有形文化財の指定を受けているらしい。
※ 飛騨の里HP http://www.hidanosato-tpo.jp/top.html

  何に指定されていてもいなくても、それはどこかの誰かが何らかの基準で指定したものであるから、そういった指定を受けていないものでも、自分が価値があると思えば価値があるもののはずで、ひとの評価による指定を見て、高い評価の指定を受けていたら一生懸命礼賛して、そうでなければ無視するなどという、いわば、「建築家ぶりっこ」みたいな態度、先に「有名建築家」というものが指定されていて、そういう人が設計したというものならば、一生懸命、礼賛して、そうでなければ無視するという態度、「建築史」とか建築士のテキストとかそういう本に載っているものなら評価するが、そうでなければ無視するというような態度というのは、そんな態度をとる「建築家ぶりっこぶりっこ」みたいな態度というのは、これは結論として、アホの態度であり、そんな態度は取りたくない・・・と思うが、しかし、飛騨の里の場合は、そこにある建築物の数が半端ではなく、一度にすべてを見学することは不可能、もしくは、すべての前を一巡りすることならできても、外から中からじっくりとなめるように見て吟味検討するということは無理です。
  それなら、どこに時間をかけるべきなのか? それで、とりあえず、今回については、重要文化財の指定を受けている旧田中家と旧若山家、それに、時間が残れば、旧田口家・旧吉真家を見学する、という方針を取ることにしました。 重要文化財の指定を受けているものという決め方は本来的ではないとは思いますが、「仮に」「今回は」そうしました。決して、「建築家ぶりっこぶりっこシンドローム」もしくは「世界の丹下健三のエピゴウネンになりたいなりたいなりたいわ症候群」の真似をしたいわけではありません。

  飛騨の里でもらったリーフレットを見ると、どこをどう見るかについて、「おすすめコース」として、「15分コース(ちょっと派)」「30分コース(ふつう派)」「1時間コース(ゆったり派)」なんて書いてあります。
  「15分コース(ちょっと派)」では、五阿弥池を中心として、旧田中家・旧西岡家・旧富田家を回ることができ、このコースなら「車椅子でも安心して回れます」と書いてあるのだが、15分でこの「コース」をまわったならば、ひととおり歩いただけで、3家屋については、「立ち寄った」というだけで、家に帰ったら何も覚えてない・・といったところではないかと思う。

  それから、「15分コース(ちょっと派) ・・・(車椅子でも安心して回れます)」という記述ですが、誤解のないように補足しますと、一般に「車椅子でまわれる」というのは、押してくれる人がいた場合には車椅子でもまわれるということで、自分で横の輪をまわして進んでもまわれるということとは少々違うということは理解しておいた方がいいと思います。自分自身が足を骨折して車椅子に乗ったことがあり、又、高齢の母を車椅子に座らせて押した経験のある者として言わせていただくと、車椅子というのは基本的には平地を移動するようにできており、坂を登る場合、自分で輪をまわして進もうとすると油断していると背後にひっくりかえるおそれがあります。
  一般に、階段はなく、車椅子の車輪の幅はあるという通路を「車椅子でも回れます」と表現しているものを多く見ますが、坂道の場合、歩いて登れる傾斜と車椅子で登る、もしくは、降ることのできる傾斜は同じではない。実際に車椅子に乗って移動した経験、車椅子を押した経験のない人にはこのあたりをわかっていない人がいます。我が家の近所にも、けっこう急な坂がありますが、歩く場合には特に問題なく歩いていますし、クルマも走っていますが、車椅子では難しい。自分で動かして下ろうとすると急スピードで転がって落下し、輪を押さえて止めようとしても止まらないでしょうし、輪をまわして登ろうとしても登れません。押して登ろうとしても男性でもきついし、下る場合、バックで徐々に下がることになりますが、落ちないように押さえるのに相当力が要ります。ある程度以上の勾配の坂は車椅子では危険です。
  車椅子は重いものと軽いものがあり、クルマのトランクに積んで移動する場合は軽いものの方がいいのですが、自分で輪をまわして進むのならば、むしろ、重いものの方が背後にひっくり返る可能性は小さい、軽いものの方がひっくり返りやすいのではないかと思います。。 又、車椅子を押してくれる人がいる場合でも、急な坂を押して進むのはけっこう力が要りますし、坂を下りる場合は、車後ろに下がることで坂を下りるのが基本ですが、急な坂が長く続く場合には、ささえるにはけっこう力が要ります。押してもらっている人はそれを感じていない場合もあるかもしれませんが、押している者としては、坂を下りる時、もし、そこで押している者の方が体調に異変をきたすようなことでもあればどうなるのだろうか、と不安を感じることがあります。
  こういったリーフレットやガイドブックに「車椅子可」と書かれている場合、それは、自分で横の輪をまわして進む場合でも「可」なのか、それとも、誰かに押してもらう場合は「可」なのか。誰かに押してもらう場合でも、坂はゆるやかなものだけなのか、かなり急な坂もあるのか。そのあたりは、書いている人によってまちまちで、自分が車椅子を使ったことがない人、実際に身内の人間を車椅子に乗せて押した経験のない人が書いている場合もあります。「車椅子可」と書かれている場合、実際にどうかは現地で個々に確認した方がいいと思います。 飛騨の里の「15分コース」の場合、入口から五阿弥池に沿って六地蔵のあたりまでは平地で、自分で輪をまわして進むのでも大丈夫ではないかと思いますが、旧田中家の前あたりに行くには少々坂もあったように思いますから、実際に車椅子が必要な人は、「安心してまわれます」かどうかは、現地で自分自身で「自己判断」で決めるようにした方がいいでしょう。

  「30分コース(ふつう派)」は、旧新井家・旧中薮家・旧若山家・旧田中家・旧西岡家・旧前田家・旧田口家・旧八月一日(ほづみ)家・旧道上家・旧吉真家・旧富田家と、11家屋を30分でまわろうというもので、30分÷11 は何分になるかというと、1家屋あたり3分もかけられない、それも、移動時間を計算に入れないでの話ですから、これだけまわるということは、実質、何も見ない、実質、何も理解しないで一周まわりましたというものになります。
  「1時間コース(ゆったり派)」になると、《飛騨の里を一周する。》というもので、ともかく、一周するだけならば、1時間あれば一周できるでしょうけれども、建築探偵団として建築をじっくり見よう・理解しようとするならば、1時間で一周なんてしたならば、とても、「ゆったり」と見学はできません。 建築探偵団としてではなく、自然環境のいい所を散歩しようということなら、それぞれの時間、特に、「1時間コース」で「ゆったり」まわることはできますから、それも悪くはありませんが、建築を見学するのなら、基本的には1家屋あたり最低でも1時間以上はそこにいるようにするべきだ、と私は思います。
  リーフレットに書かれている「15分コース」「30分コース」「1時間コース」というのは、ともかく、一周、お散歩するのに要する時間のことであって、建築探偵団がその家屋を理解する場合の時間ではありません。一度、お散歩コースの「1時間コース」で一周した上で、どこを重点的に見学しようかと検討するということならいいかと思いますが、1時間で一周しても、ほとんど頭に入らないでしょう。
  それで、今回は、旧田中家住宅です。↓ 五阿弥池のほとりから少々坂を登ったはずで、車椅子を自分で横の輪をまわして進む場合は旧田中家の前まで行くのは無理だと私は思います。 後ろから押す場合も気をつけて押す必要があり、「安心して」というほど余裕はないと思います。車椅子の人で無理と思った人は「自己判断」で途中で断念するなりした方がいいと思います。

  大阪府箕面市の阪急「箕面(みのお)」駅から箕面大滝に行く滝道の途中に、元A級戦犯の日本船舶振興会会長だった笹川良一氏が母親をおぶった姿の像が建っており、「『わしはこんなに親孝行やねんぞお。おまえらも親孝行せえよお、ええなあ、親孝行せえよお』と言いたい言いたい言いたい人の像」ですが、母が90を過ぎるまで生きてくれたおかげでわかるようになったものがありますが、実際問題として、年寄というのは人前でおぶられるのを嫌がります。私だってそう若くなくなってしまった今、車椅子を折りたたんでクルマのトランクに入れて、母をクルマに乗せてクルマを運転して行き、トランクから車椅子を降ろして母を乗せて車椅子を押して進み、又、車椅子を折りたたんでトランクに載せて母を座席に乗せて、又、・・・ということを繰り返すくらいなら、歳をいって体重が軽くなった年寄をおぶって階段登るなりエレベーターに乗るなりしてレストランなり何なりに入った方がよっぽど楽なのです。それでも、年寄がおぶられるのは嫌がる、特に人前でおぶられるのは嫌がるので、それで、車椅子を何度もクルマのトランクから出したり入れたりして、それを広げたり畳んだりして、その車椅子に乗せて押します。 それを、笹川良一はわざわざお母さんをおぶってみせて「『わしはこんなに親孝行やねんぞお。わしはえらいねんぞ、わしはわしは、わ、し、はあ~あ。おまえらもこのわしみたいにえらいえらいえらいえらい人間を見習って親孝行せえよお、このわしみたいに親孝行せんとばちあたるぞ、ええなあ、わかっとんねんなあ、ええなあ』と言う人間」を演じているのですが、高齢のお母さんをダシに使って身勝手なことやっている親不孝者の像だと断定していいと思います。
  だいたい、金毘羅神社の階段なんて、年寄おぶって登ったら危ないでしょうが。そのくらいのこともわからんのか、と思いますが、そういう危険を冒してでも、「わしは親孝行やねんぞ、このわしは。どうじゃ、えらいじゃろ。こら、このわしをほめんかい、こら。このわしのように親孝行せえよお、親孝行せえよお、ええか、わかっとんのんか。親こっこっこ、親コッコッコ、親こっこっこ、クォ~ッ、クォ~ッ、クォ~ッ、クォ~ッツ!」という像です。本当に高齢者や身障者を大事にしたいと思うなら、あんなアホな真似はやるべきではありません。「わしは親孝行やねんぞ、わしはわしは、わ、し、はあ~あ!」と言いたい言いたい症候群の親不孝者の真似なんてやるべきではありません。それから、箕面市の滝道にある「笹川良一が『親孝行』している姿の像」ですが、あれ、作るのけっこうおカネかかっていると思うのですが、競艇ですって首くくって母親を泣かせた男のカネが化けたものなのでしょうか・・・。

  ・・・で、旧田中家です。↓
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  旧田中家住宅は、現地での説明書きとリーフレットによると、
17世紀末~18世紀初(元禄年間) 大野郡三枝郷中切村(現 高山市中切町)で建てられ、
1800年代中頃(文化年間) 大野郡灘郷冬頭村(現 高山市冬頭町)に、飛騨の国学者で薬種商の田中屋4代目の田中大秀(たなか おおひで)が移築して、田舎(でんしゃ)(小作を管理する建物)として使用し、後に庶子を住ませた建物と言われているらしい。
  高山市中切町とは・・・、川上川が宮川に合流するちょっと手前あたり、川上川の北西側、高山清見道路と高山国府バイパスのジャンクションのあたり、久美愛病院が転居したあたり。 高山市冬頭町は、川上川の北西側が中切町だが南東側が冬頭町。高山バイパスと東街道(県道158号)が分岐する所からその2道にはさまれた地域など、南側は高山バイパスと県道158号、北側は川上川と宮川にはさまれた地域・・くらいに考えていい・・・かな?  こんな言い方で、高山に10年間に8回訪問した者にはなんとかわかるが、一度も行ったことがない人にはわからないかもしれないが、その時は、ヤフー地図でもグーグル地図でもライブドア地図でも見てちょうだい。

  昭和46年(1971年)12月、重要文化財に指定され、移築を機会に当初建築されたもとの形に復元修理された、というものらしい。
《切妻板葺き石置き屋根で、正面右側にひさしをつけた簡素な建物です。》
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↑ たしかに、右側に庇がついている。 庇の下は、今は、屋根材の榑(くれ)や薪が置かれているが、そういった用途に使用されていたのでしょうか。↓
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  子供の頃、「小学〇年生」という漫画雑誌を購読していて、そこに掲載されていた漫画に、板の屋根に石を置いた家が描かれていたが、その頃、大阪市で住んでいた家は瓦屋根で近所の家も木造の家は瓦の屋根で、普通は瓦屋根のものと思っていて、たまに鉄筋コンクリート造の家があってそういう家は何も載ってない「ぺったんこ屋根」(陸屋根)だったが、石を置く家というものを見たことがなかったのだが、飛騨民俗村の旧野首家住宅、そして、この旧田中家住宅は「板葺き石置き屋根」になっている。
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↑ 石が屋根の上に置かれています。

  入口の上にのみ、竹で横樋が設けられていて、雨の時、もしくは、積雪の後、屋根の雪が融けて水となって屋根を流れてきた時に、出入りする人にかからない配慮がされていますが、↓
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↑ ・・が、これは、中切町で建てられた時からのものか、冬頭町に移転された時からのものか、それとも、飛騨の里に移築されて設けられたものなのか、いずれなのでしょう。縦樋はないが、中央部が高くて両側が低くなるように竹を設置されているので、中央部を通ればぬれずにすむようになっています。

  旧田中家住宅は、重要文化財に指定されていて、国学者で薬種商の田中屋の4代目の田中大秀が、中切町にあった建物を田舎(でんしゃ)(小作を管理する建物)として冬頭町に移築して使用した建物だということで、特に豪華な建物ではない。
  正面の右寄りにある出入口を入るとすぐに「どうじ」(土間)があって、その奥が少し低くなっていて、「まや」(馬屋) ↓。
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  少々気になったのが、現地の間取り図ですが、
  「まや」を(馬屋・BARN)と書かれていたのですが、岩崎民平・小稲義雄監修『新英和中辞典』(研究社)には
barn (名詞)1.(農家の)納屋、物置き、[米国で]家畜の小屋、車の小屋。
  2.[米国で]電車車庫(carbarn)
と出ています。barn の場合は、《[米国で]家畜の小屋》ということで、「まや(馬屋)」が barn でいいのかもしれませんが、
 「どうじ」を(土間・ENTRANCE)と書かれていたものについては、ENTRANCEと土間は、ちょっと違うのではないか。『新英和中辞典 第三版』には、
entrance (名詞)1.入口、戸口、玄関。2.・・・
とありますが、「どうじ」は入口と言えば入口かもしれませんが、玄関とは違う。「どうじ」は「土間」と近いでしょうけれども、土間と《入口、戸口、玄関》とも違うように思うのです。それなら、どう書けばいいのか、というとなかなか難しいかもしれませんけれども、どうも、「どうじ(土間)」をENTRANCEと書かれると、違うように思います。

 「どうじ」は左に広がっていて、その続きに「おえ」という「囲炉裏(いろり)」がある部屋がありますが、旧田中家住宅では、囲炉裏のある「おえ」も土間です。↓
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  2013年に白川村に行き、何軒かを見学させてもらったのですが、その1軒で、構造材が黒い色をしているのは、囲炉裏のすすで黒い色になったもので、着色したものではないと聞き、そうかいなあ・・と思ったのですが、今回、高山市大新町の日下部家住宅(日下部民芸館)・吉島家住宅を見て、いくらなんでも、これは囲炉裏のすすだけではこの色にならないだろうなあと思ったのですが、日下家住宅や吉島家住宅の吹き抜け部分の見える・魅せる構造材は漆で着色したものだったらしいとわかった。さて、この旧田中家住宅は、日下部家住宅・吉島家住宅のような豪商の家ではなく、田舎(小作を管理するための建物)だったということで「簡素な建物」ではあるのですが、↑ の黒くなった構造材は、はたして、「囲炉裏のすす」で黒くなったものなのか、それとも、意図的になんらかの着色をしたものなのか? 囲炉裏のすすの色であったとしても、これだけ、均一に黒くはならないのではないか、囲炉裏の上や周囲だけでなく、囲炉裏の位置から遠い場所でも黒い色になっているということは、やっぱり、何らかの方法で着色されたものではないだろうか? ・・と思ったのですが、さて、皆さん、どう思われますでしょうか? 

  「おえ」は(居間・LIVING ROOM)と書かれているのですが、現在の日本語で近いものとしては「居間」になるのでしょうけれども、LIVING ROOM というと、まるまるはずれているわけではないかもしれませんが、どうも、しっくりしません。
  1960年代後半、我が家が・・というのか、私は小学生だった時、うちの親が大阪府で小堀住研(株)で在来木造で新築した際、平面図に、「ダイニングルーム」「リビングルーム」と書かれていたので、小学生だった私が「ダイニングルームて何?」と尋ねたところ、姉が「台所のことや」と言い、「リビングルームて何?」と尋ねると「応接間のことや」と言うので、「ああ、そうか」とその時は「納得した」のでしたが、今現在では「ダイニングルーム」「リビングルーム」という言葉は日本語に膾炙してきていますが、「ダイニングルーム」は台所ではなく食堂で、台所は「キッチン」で、「リビングルーム」は応接間を兼ねる家もあるでしょうけれども、応接間というよりも、日本語ですと、居間の方が近いでしょうか。1960年代後半まで我が家が住んでいた家は、茶の間があって、L型になった部屋に炊事場とダイニングテーブルを置いた場所があったのですが、台所と食堂は一続きでしたので、その両方をその頃の我が家では「台所」と言っていたのです。その隣の茶の間は畳敷の部屋で、仏壇を置いていて、「楽屋裏」なんて言っていましたが、茶の間が居間で、板張りの「洋間」は玄関を入ってすぐの場所にありましたが、それは応接間であって居間ではなかったのです。私が小学生の前半まで、1960年代前半まで住んでいた家は、もともと、自営業をやっていた人が建てた家を、中古住宅として購入したものだったようで、自営業をしていた人にとっては玄関を入ってすぐの位置に応接間が必要だったようで、その家を購入した我が家は、父は会社員であって自営業者ではありませんでしたが、そのまま、玄関を入ってすぐの板張りの「洋間」を応接間として使っていたのです。ですから、小堀住研(株)の設計が書いたという図面を見て、「リビングルーム」「ダイニングルーム」と書かれたものを見ると、「リビングルーム」は応接間で、「ダイニングルーム」は台所のことだ、と姉は思ったようでした。しかし、リビングルームと応接間は違うし、ダイニングルームと台所も違います。小堀住研(株)は「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言い・・・といっても誰が言っていたかというと自分で言っていたのですが、「設計力の会社」とか「小堀ならではのデザイン」とか言っていたのですが・・これも誰が言っていたかというと自分で言っていたのでしたが、言うからには、自分が設計図に書いたものの意味が顧客が十分に伝わっているかを見ないといけなかったはずでしたが、その後、私が自分自身が住宅建築業の会社に勤めてみると、どうも、十分に見れていなかったように思います。その時の営業担当者(後の営業部長)は設計担当者のことを「新進気鋭の設計士」と持ち上げ、また、うちの父親というのはそういうことを言われるとのせられやすい男でしたので、同じように「新進気鋭の設計士」などと言っていたのでしたが、「新進気鋭の」みたいな努力がまったくなかったわけではありませんが、自分が書いた図面が意図するもの、どういうつもりでそういう内容の図面にしたのか、ということが顧客にきっちりと伝わっているかどうかを見る能力という点においては、必ずしも優秀ではなかったのではないか。これは、その会社によっても負担割合は異なるかもしれませんが、主として設計担当の仕事ではなく、営業担当者に比重のある仕事だと思います。もっとも、営業担当者だけの仕事でもなく、設計担当と営業担当の両方の仕事のはずですが、その時の小堀住研(株)の営業担当+設計担当にはその能力が十分ではなかったようです。
  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ はもっとひどい。野球にたとえれば、設計はピッチャー、営業はキャッチャーのようなものであり、「野球は頭でやるもんや」てなもんで、「キャッチャーは片目でピッチャーの投げる球を見ながら、片目でバッターを見なきゃいかん」とか野村のじいさんが言うとったようで(インターネットのYouTube に入っていた動画を見ると、実際、楽天にいた時の嶋捕手は、ピッチャーの方とバッターの方を交互に見ているのが映っていて、そのテレビ番組の出演者は「あ、ほんとに両方を見てますね」と言っていたが)、戸建住宅建築業においても、営業は設計が何を書いているかを片方で見るとともに、片方で顧客の方を見なきゃいかんはずで、それができるのは営業であって設計ではなく、(株)一条工務店のバカ設計にそんなものできるわけがない(株)一条工務店のヘボ設計にできるのは、二級建築士の製図試験に出るような、課題として条件が設定されていて、それに対しての図面を書くという能力があるかないかであり、そんなもの。その程度のことしかできない。人にもよるかもしれないが、もともと、(株)一条工務店の第一設計部なんてそんなもの。それでは顧客の満足する図面はできない。そうではなく、営業が「捕手の力」を発揮してこそ、顧客が満足する家ができる。ところが、(株)一条工務店という会社では、営業本部長の天野隆夫が「営業は設計にはどんなことでも従え」「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」「営業は口きくな」などと命令した。これでは仕事にならない。「バカでも入れる私大の建築学科」出たばかりの右も左もわからん新卒入社の若造・若ねーちゃん「の言うことはどんなことでも服従しろ」などと営業本部長が言うのですが、そういう文句を誰に言うかというと、十年選手の営業に言うのです。野村克也のじいさんは、生涯年収は50億円ほどもあったらしく、「わしぁ、貧乏やからな」とか言いながら、選手時代はリンカーンなんてクルマに乗って、監督になるとベルサーチの時計なんて腕にはめとって田園調布の家に住んどった・・・て、どこが貧乏やねん、どこがあ!?!? て感じだが、正真正銘貧乏な者がそのエセ貧乏のじいさんの書いた本を相当買って読んで、ベルサーチの腕輪はめてるじいさんを印税で相当もうけさせてしまったのだが、その野村のじいさんが書いていたが、ヤクルトの古田が選手兼任監督になった頃、ヤクルトのキャンプを見に行くと、捕手の古田が新人投手に「ストライクさえ入れば、あとは俺が何とかするから」と言っていたのを聞き、どこかで聞いた台詞だと思った、と書いていた。野村がかつて投手に言った文句だった。「ストライクさえ入れば、あとは俺が何とかする」と。私は1992年に(株)一条工務店に入社した時から、設計は新人ばかりまわされてきた。普通、新人の設計は営業所長とか経験のある営業の仕事をやり、新人の営業には経験のある設計をまわすものではないかと思ったし、小堀住研(株)では新人の営業の入社1棟目は新人の設計ではなくある程度経験のある設計が担当し、新人の設計の入社1棟目はある程度経験のある営業の担当の仕事をやるように配慮されていたが、(株)一条工務店では所長とかは経験のある設計に自分の担当の仕事をさせて、新人の設計は新人の営業に押しつけていた。そんなおかしな所長があるか!?! と思ったのだが、(株)一条工務店ではあったのだ。〔⇒[第718回]《経験のある設計を「譜代」の所長の営業所の担当に、新人設計を遠隔地で新人営業だらけの営業所の担当にする会社――「一条工務店の建物は完璧にすばらしい」の反証》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201909article_3.html 〕私には入社以来、新人の設計ばかりまわされ、そして、設計でも工事担当でも何でも、新人は俺の所にまわしてこい、俺がめんどう見てやる、経験のある者は所長とかの仕事をさせろ、(株)一条工務店の所長だの「一条工務店の土台を築いてきた人たち」だのと称する連中とかいうのは、すべてそんな連中である、所長とか「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している連中には経験のある設計をまわせ、新人は俺が引き受けて「ストライクさえ入れば、あとは俺が何とかする」、俺が何とかしてやるという姿勢でやってきた。普通は、営業本部長ならば、そうやってきた人間に対しては、「ありがとう」なり「申し訳ない」なり何なり礼を言うものだと思う。そうでなければ、営業本部長とは言えないし、そんな営業本部長なんていない方がよっぽどいい。ところが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は、三流以下の設計でも「捕手の力」で他社の一流の設計に劣らない図面を書かせてやる! という気概を持って仕事をしてきた者に向かって何といったかというと、このウルトラドアホは「営業は設計にはどんなことでも従え」「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」「営業は口きくな」などという口をきいたのだ。私が「相当めんどうみてきてあげたのですよ」と言うと、なんと、「余計なことすんなあ!」などと言って怒鳴りつけられたのだ。「ベンチがアホやから野球ができん!」とでも言うしかない。(株)一条工務店という会社は、天野がアホやから仕事にならん!!! 野村克也が楽天の監督をしていた時、田中将大が打たれた後、試合後、「もっと、捕手の言うことをきかんか」と言ったという記事が出ていたが、本来なら、(株)一条工務店の営業本部長ならば、ヘボ設計部に対して、「もっと、営業の言うことをきかんかあ!」と言うべきものを、このウルトラフーリッシュは、逆、言いやがったのである。初代社長の義理の弟で、20代の若い頃に浜松でちょろっと「特別扱いの営業」やったことがあるというだけの男が、そういう口をきいたのである。こういう男が営業本部長やっているようでは、そういう会社はいいことはないと思う。まともな家はできない。野村克也が書いていたが、金田正一は捕手がサインをだしても、「うん、わかった」と言ってそのサインと逆めがけて投げたそうな。全盛期の杉浦というのはものすごいピッチャーで、バッターがこういう球を投げてくるだろうと予想しているところにまさにその球を投げても、それでも打てない、というピッチャーだったというのだが、そんなピッチャーは少ないというのだ。これは、その後、(株)一条工務店である程度以上、営業の経験のある人、何人かに話したことだが、「私は、住宅建築業においては、野球にたとえれば、設計は投手で営業は捕手のようなものだと思うが、一条工務店に『捕手の能力』なしで、投手の力だけで抑えることができる(顧客が満足できる図面、他社と比較しても魅力を感じてもらえて契約してもらえる図面を作成できる)能力のある設計がいったい何人いるか、というと、たいしていないと思いますよ。『捕手の力』があればなんとかなる人はいても、投手だけの力でやっていける設計なんて、たいしていないと思いますよ」と言ったところ、「そうだ、そうだ。たいしていてないはずだと誰もが言った。(株)一条工務店の営業本部長は経験のある営業なら思っていることと正反対のことを言い、正反対のことをやっていたのだった。そういう男が(株)一条工務店では営業本部長になって営業の邪魔をしていたのだった。まさに、「ベンチがアホやから野球ができん!」状態に営業本部長がしようとしていたのだった。

  正面から見て「おえ」の左側に「でい」という「おえ」より高くなった板張りの部屋がありますが、「おえ」は板貼りの床の上ではなく土間になっていて、囲炉裏の周りにむしろが敷かれているということは、農作業の途中にでも、着替えずとも囲炉裏の周りでくつろげえるようにという配慮から土間になっているということなのでしょうか。
  手前の衝立は、たまたま置かれているのではなく、囲炉裏の周囲への風除けらしい。

  その手前に見える床下収納庫みたいのは ↓ 、「ムロ」と言い、
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↑ 《 一定の温度での貯蔵、乾燥防止などの効果があります。冬の寒さが厳しい飛騨では、凍結によって野菜などが腐るのを防ぐ貯蔵庫として利用されました。》というものだったらしい。
 「ムロ」は(Cellar)と訳されていますが、『新英和中辞典 第三版』では、
cellar (名詞)1.地下室、穴倉《食料品、特にぶどう酒の貯蔵所》。
 2.ぶどう酒の貯蔵。
 3.[イギリスにて]《都市住宅の》石炭貯蔵庫。
となっていますが、cellar の方が広い空間の印象があるように思いますが、これは比較的近いかな・・。
 現代の床下収納庫は1階の床の下の部分、基礎の高さの部分に設けますが、「ムロ」は地面より下に設けるので、現代の床下収納庫とは別の効果があったでしょう。
  
  「でい」の「北側」になるのか、正面から見て奥の側に神棚が設けられています。↓
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この点については、[第741回]《日下部民芸館7-飛騨の神棚はその下を通るのが一般的なのか。地域にあった神棚という姿勢のない一条工務店の東京の営業。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html で述べましたが、旧田中家住宅の神棚は、東北地方の家の神棚などに比べると、そう大きくありません。高山市大新町の日下部民芸館(日下部家住宅)の神棚や、飛騨の里に移築されている旧若山家住宅の神棚は、神棚の下を通るようになっている・・というのか、その下を通るようになっている場所に神棚を設けられていましたが、旧田中家住宅ではそうではありません。

  これまでから、昔からの建物で、↓
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↑ のような表面になった柱などを見て、これはどういう仕上げ方をして、こういう表面になったのだろうかと思ってきたのです。・・・思いませんか? 平鉋による鉋掛けではこういう表面になりませんよね。(株)一条工務店のプレカット工場にある「超仕上げ鉋盤」という、鉋の方を固定して柱を動かして鉋掛けする機械で鉋掛けしても、平鉋と同じようなものです。どうすればこういった「自然な風合い」にできるのか・・。 その答えが旧田中家住宅にありました。↓
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↑  「チョウナ」で仕上げたもののようです。 今、こういう「風合い」の表面にしようと思っても、なかなか、できませんね。

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  ↑↓ 旧田中家住宅は、あくまでも、田舎(小作を管理する建物)で、現地の説明書きに書かれているように《簡素な建物》であるものの、けっこう太い木で組まれています。屋根の棟木・垂木は縄でくくりつけられているようです。↑ ↓
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  「おえ」の西側? 正面に向かって「おえ」の左側に、「でい」があり、その北? 正面に向かって「でい」の奥に「ぶつま」があり、「ぶつま」に仏壇が置かれています。↓
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↑ [第738回]《日下部民芸館4-欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html でも述べましたが、旧田中家住宅でも、仏壇は「ぶつま」の中央の位置に配置されています。

  「でい」「ぶつま」はともに、板貼りの部屋になっています。
  西側? 正面に向かって左側は窓がないように見えますが、現在、閉められているのであって、現地の間取り図を見ると窓があることになっており、外から見ても窓があるのがわかります。↓
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  「でい」は、(座敷・ROOM)と現地の間取り図には書かれているのですが、私の感覚では、「座敷」というのは畳敷きの和室という印象ですが、旧田中家住宅では畳敷の部屋は存在しませんので、この家で「座敷」というとここになるのかもしれません。 しかし、ROOM というのは、『新英和中辞典 第三版』では、
room (名詞)1.へや、室。
 2.[複数で]組の部屋、下宿べや、借間。 
 3.へやにいる人々、集合した人々。
 4.a)場所、場席。あき場所。 b)余地、機会、余裕。
と出ていますが、「へや、室」だと、どんな部屋でも ROOM になってしまいますから、他に何かないか・・・とも思いますが、「でい」を「座敷」というのも、まったく違うわけではないとしてもぴったりでもないように思うのですが、ROOM になると、それでは説明したことにならないのではないか・・・。 とはいえ、それなら、英語でどの言葉が合うのか、難しいところなのかもしれません。

  「おえ」が「でい」より「うえ」、「でい」より「うえ(上)」の部屋で、語源は「うえ(上)」か、「でい」は人が「でいり(出入り)」する部屋かと思ったら、そうではなく、「おえ」の方が人が出入りする部屋で、「でい」の方が「おえ」より高い場所の部屋でした。

  「おえ」の奥に、やはり、土間の部屋があって ↓ 、「にわ」という部屋名になっています。「にわ」と言っても屋内です。
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↑ 「にわ」と言っても庭園ではなく、現地の間取り図にも、(作業場・WORK ROOM)と書かれています。
  『新英和中辞典 第三版』でも、
work room (名詞)仕事べや、作業室。
となっており、作業場ですと、work room でいいかな、と思いますが、それでも、「にわ」を work room と訳したのでは、見当違いではないとしても、本来の意味の半分くらいしか訳せていないような感じがします。それなら、どう表現すればいいのかというと、思い当たるものがありませんが、こういった「古民家」の部屋名の英訳というのは難しいですね。

  現在は閉められていますが、北側? 正面から見て裏側からも出入りできるように、引違扉がついています。今は開閉しないようになっていますが、↑ の絵が壁にかけられている右側に引違扉があるようです。裏側の外から見ると、↓
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  正面から見て「にわ」の左側に、「東ねま」という板貼りの部屋 ↓ 、
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「東ねま」の、正面から見てさらに左側に「西ねま」という板貼りの部屋があります。↓
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↑ この2室には窓はありません。 外から見ても、↓
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↑ 窓はありません。 「東ねま」「西ねま」は、もっぱら、就寝の時に使用した部屋ということでしょうか。
  現地の間取り図には、(寝室・BED ROOM)と書かれていましたが、たしかに、寝室でしょうけれども、しかし、『新英和中辞典 第三版』を見ると、
bed room (名詞)寝室。
と書かれてはいるのですが、だから、「ねま」⇒「寝室」⇒「BED ROOM」という三段論法が成り立つのかというと・・・、BED ROOM と言われても、ベッドを置いて寝たわけではありませんから、どうも、違和感があります。

  正直な気持ちとして、何も、こんな物置きみたいな部屋に寝なくても、「おえ」で寝ればいいのではないのか?・・なんて思ったのですが、実際の利用法としては、「ねま」で就寝してもいいけれども、「ねま」は納戸のように使用して、就寝するのは「おえ」で就寝するという利用法でも良かったか。実際、「ねま」には長持が置かれていたのでしたが。もしくは、家族が何人かいたならば、「ねま」で就寝する者と「おえ」で就寝する者とがいた、ということもあるか?

  「いろり」は、英語では何と言うべきか? 研究社辞書編集部編『新リトル和英辞典』をひくと、「いろり」は、
a (sunken) hearth
<(a)round> a fireplace
と出ています。 逆に、英和辞典で引くと、
sunken(動詞)sink の過去分詞。
(形容詞)1.沈没した、水底の、水浸しの、沈下した;地面より低い
 2.<目など>くぼんだ、<ほおなど>やせこけた
hearth (名詞)炉床;炉辺(fireside)、家庭;火床。
fireplace (名詞)いろり、壁炉、ファイアプレース、炉床(hearth)
と出ています。 旧田中家住宅には、「いろり」は「おえ」と「にわ」の2か所にありますが、現地の間取り図では、
「いろり」は、いずれも、「HEATER」。
  ヒーター? う~ん、違うことはない・・・でしょうけれども、どうも、ぴったりではないような。
『新英和中辞典 第三版』でひくと、
heater (名詞)ヒーター、加熱器;暖房装置。
  「いろり」をheater というのは、違うことはないのでしょうけれども、どうも、違和感というのか「ぴったりでない感」というのかがあります。

  旧田中家住宅の右手前に「榑(くれ)小屋」があります。↓
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↑ [第739回]《日下部民芸館5ー榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」で積雪に工夫の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html でも述べましたが、板葺きの屋根の屋根材には、クリ・ネズコなどが使用されたようで、それを「榑(くれ)」と言って保存した小屋が「榑小屋」だったらしい。

  旧田中家住宅の左手前に、「釣瓶井戸(つるべいど)」があります。↓
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↑  《 容器で水をくみあげる井戸の一つ(くるまいど)がこれです。ポンプ井戸ができるまで多くはこの方法で井戸の水をあげていました。 つるべは普通木製の桶ですが、古くはかわら製であったといわれ、和名抄に「・・・・
  現代では、ブリキ製のものもあり、堀井戸が発生するとともに、つるべによって水をあげる方法がはじめられました。》
と現地の説明書きに書かれていましたが、「地方」の人には井戸というと「ポンプ井戸」を発想する人が多いのかもしれませんが、私は大阪で生まれて東京圏で過ごしてきましたので、むしろ、井戸というと、「くみあげる井戸」という印象がありました。私が子供の頃、住んでいた大阪市東住吉区の家には井戸がありましたが、上水道が通っていて、普段は上水道の水で生活していましたので、井戸があっても、井戸の水を利用するのは庭(というほど広い庭でもないけれども)に水撒きをする時くらいでした。その際も、「木製の桶」「瓦製の桶」「ブリキ製の桶」といったものはありませんでしたから、プラスチック製のバケツだったか金属製のバケツだったかににロープをくくりつけて井戸の中に入れて引っ張っていましたが、けっこう深くて、手間がかかりました。「めんどくせ~え」て感じでした。もう、井戸というのは、今日においては前世紀の遺物なのか・・みたいに思っていましたら、(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所に勤務すると、自分が担当の家にしても他の営業が担当の家にしても、井戸を使ってきた家、そして、建て替えてからも井戸を使おうというお宅はいくらでもあり、そして、そういう「井戸」というのは、私が子供の頃にやったような、バケツにロープをくくりつけて井戸の中に落として、一生懸命、ひっぱりあげるという大変な思いをして水をくみあげる「井戸」ではなく、普通の上水道と同じように家屋内の水道管に接続して、屋内の水道栓をひねると普通に水がでてきたのでした。え? 井戸というから、一生懸命、バケツで水を引っ張り上げるのかと思ったら、全然、井戸らしくないというのか、相当便利だったのです。
  《容器で水をくみあげる井戸の一つ(くるまいど)がこれです。》なんて言われても、都市圏で育った者にとっては、井戸ってそういうものと違うのお? て感覚で、むしろ、「地方」の人間の方が「井戸」というと上水道直結で普通に水道栓をひねれば水が出るもので、いったん、設置すると水道代も要らないし、便利で快適♪ て感じで、「井戸」というものの感覚が都市圏の住人と「地方」の住人で大きく違うのではないかと思います。 福島県浜通り地区など「井戸」が使える所に住んでみたい・・なんて考えたこともありましたが、原発事故による放射能汚染により、福島県浜通り・中通り地区はそんな感じではなくなってしまいましたね。
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( ↑ 飛騨の里。 )

※ 岐阜県HP 旧田中家住宅https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/kenzobutsu/kyutknaka.html
高山市HP 旧田中家住宅https://www.city.takayama.lg.jp/kurashi/1000021/1000119/1000847/1000848/1000853.html

  次回は、旧若山家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html

  (2020.3.4.)

☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光曜山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。〔今回〕
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html 
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html

☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 

☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html 
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html

☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht 
日本人の心理 (岩波新書 青版) - 南 博
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民家村の旅 (INAX album (17)) - 大野 敏
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東海・中央高地の住まい―日本列島民家の旅〈6〉中部 1 (INAX ALBUM) - 吉澤 政己, 入澤企画制作事務所
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私の教え子ベストナイン (光文社新書) - 野村 克也
私の教え子ベストナイン (光文社新書) - 野村 克也
《 私がヤクルト監督を退いた後のこと、テレビのスポーツニュース「キャンプ便り」のコーナーで、ヤクルト沖縄浦添キャンプのブルペンが映っていた。若い投手の投球を受けた捕手・古田のあのカン高い声が音声に流れた。
「ストライクさえほうれば、あとはオレがなんとかするから」
どこかで聞いたフレーズ。「ああ、ワシのセリフの使い回しや」と思った。
  それからの古田の活躍はご存じの通り。・・・「私の教え子ベストナイン」捕手部門は古田である。・・》
( 野村克也『私の教え子ベストナイン』2013.9.20.光文社新書 ↑ )

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