飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? 命名にセンスのない経営者の会社。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。
[第753回]高山シリーズ6回(20) 飛騨の里3、旧若山家住宅(1)
飛騨の里 の3回目は、旧若山家住宅です。

( ↑ 旧若山家住宅。正面に向かって左側から見たもの。 )

( ↑ 旧若山家住宅。正面に向かって右側から見たもの。 )

( ↑ 旧若山家住宅。正面に向かって右側から見たもの。 )
吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)には、
《 民俗村の中心は、なんといっても合掌造りの若山家(高山市立飛騨民俗館)である。若山家はもと白川郷の荘川村にあったもの。荘川村に残る合掌造りとしては唯一のものだったが、昭和45年(1959年)、みぼろダムの建設にともなって湖底に沈む運命になったため、高山市が譲り受けて移築した。
間口17メートル、奥行18メートル、高さ16.5メートル、建坪330平方メートルで4階建て(一部5階建て)という和製ビルである。・・》
と書かれているが、たしかに迫力がある。 飛騨の里には合掌造りの建物がいくつか移築されているが旧若山家住宅はその中でも大きい方の建物である。
もっとも、高山市に飛騨民俗村ができたのが、1959年(昭和34年)、飛騨の里ができたのが1971年(昭和46年)で、吉野準『飛騨への旅』は飛騨の里がまだオープンする前に発行された本なので、民家園としての飛騨の里が今のようにできていない時代に書かれたもので、《若山家(高山市立飛騨民俗館)》と書かれているが、「飛騨民俗館」というのは飛騨の里がオープンするより前のことのようです。
大野敏(さとし)『民家村の旅』(1993.8.30.INAX出版)には、「高山市立飛騨民俗村」(飛騨の里と飛騨民俗村の両方について)を
《 (高山市立飛騨民俗村は)昭和34年(1959年)、ダム建設により水没する運命にあった若山家住宅を移築復原し、飛騨民俗館としたことに始まる。その後、飛騨民俗館上手の松倉山麓に、飛騨地方各地から民家や関連施設を移築復原して「飛騨の里」をつくった。また民俗館も山岳資料館を含め4件に拡張された。これらを総合して飛騨民俗村が成立した。
飛騨の里は、五阿弥池を中心にしたゆるい斜面に17件の民家(管理施設含む)および板倉、稲架(はさ)小屋、木挽(こびき)小屋、和紙漉(すき)小屋などの関連施設13件を配した大規模な民家村である。・・・・》
と述べられており、旧若山家住宅は、飛騨民俗村・飛騨の里が作られるに至るにおいて、重要な役割を果たした建物でもあるようです。
旧若山家住宅で、最初にまず気づくのは・・・・、[第739回]《日下部民芸館5ー榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」で積雪に工夫の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html 、[第745回]《高山別院の光曜山照蓮寺。農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html でも写真を掲載して述べたように・・・、


↑ 「軒下をお通りください。屋根からの落雪にご注意ください。
Please walk under the roof. Watch out for falling snow. 」
と掲示が出ています。 2月に訪問した時は、前日に雪が降っただけでしたのでそれほど多くの積雪量ではなかったのですが、もっと何日も続いて雪が降った場合には、これだけ大きな屋根に積もった雪が脇に落下してきたとすると、そこに埋没してしまえば、「天は我々を見放したかあ~あ」とか言う間もないかも・・・。一方で、屋根から雪が落ちてくる瞬間を、一度、見てみたい気も・・なんていうのは不謹慎か・・・?

現在、右寄りの「まやどうじ」・「こうまや」という名称の部分から中に入っており、その奥には「うまや」(馬屋・BARN)があります。↓

「まやどうじ」の奥に「うまや」があって、「まやどうじ」の右に「こうまや」がありますが、「こうまや」は「仔馬屋」か?
旧田中家住宅では「まや」となっていたものが、旧若山家住宅は「うまや」と表記されていますが、同じものではないでしょうか。↓


↑ 「まや」「うまや」は少々低くなっていますが、
《 うまや Umaya STABLE
牛馬等の家畜用の部屋。藁を家畜に踏ませ、糞尿をまぜて堆肥を作った。 》
と書かれています。 それで、少々、低くなっていてこういう造りになっているのか・・とは思ったものの、常に糞尿を踏んでその上にいるというのは、「牛馬等」といえども、少々、かわいそうな環境のような気も。その点、「こうまや」は「まやどうじ」と同じ環境の場所ですから、仔馬の方が待遇は良かった、ということでしょうか。 それとも、あくまでも、藁を家畜に踏ませるだけで、「糞尿をまぜて」というのは他の場所で混ぜるのか・・・。それとも、奥の低くなっている部分に藁を入れて、そこに糞尿をさせて、普段はその手前の他の地面と同じ高さの所に牛馬がいるようにさせ、時々、奥の部分を踏ませるというようにした、ということなのか・・・。
「うまや」の英訳を、間取り図では「BARN」で、説明書きでは「STABLE」になっているのですが、『新英和中辞典 第三版』(研究社)では、
stable (名詞)1.a)馬屋、馬小屋、《時には》牛小屋 b)厩舎(きゅうしゃ):《ある厩舎に属する》競走馬、…所有馬。
2.[しばしば、複数形で]馬屋の手入れ、馬匹の世話など、 3.馬丁 4.《俗語で》同じマネージャーの下で働く人たち。
barn (名詞)1.《農家の》納屋、物置き;《米国で》家畜の小屋、車の小屋。
2.《米国で》電車車庫(carbarn)
と出ており、どっちにしても、馬小屋、家畜小屋ということですね。
「まやどうじ」の左側に「どうじ」(ENTRANCE)があります。もともとは、「まやどうじ」は「うまや」「こうまや」に出入りする際の出入口で、人が出入りするのが「どうじ」だったのでしょうか。但し、今現在は、↓

↑ の板貼りになっている部分が「どうじ」ではないか。
「どうじ」は「土(ど)のち(地)」という意味か。それとも、「道(どう)」(通り道)の地(場所)か? 「まや」「うまや」は文字通り、「馬屋」で、「まやどうじ」は「馬屋のどうじ」ということかな・・・。
もしかすると、最初は、↑ の部分は板貼りではなく、ここも土間で、人の入口と馬の入口を分けていたのが、後に、人の入口の部分も板貼りにして縁のようにして使い、出入口は「まやどうじ」を馬も人もそこから入るようにした、ということなのか?
「どうじ」は語源としては、《地面が「土(ど)」である路地》から来た言葉かという感じがするのですが、旧若山家住宅においては、踏み石の所で履物を脱いで、そこから入る場所を板貼りだけれども、「どうじ」と呼んだのか?
大野敏『民家村の旅』(1993.INAX出版)によると、《 シャシ前につくドジ(土間)は正式な出入口で、》とあります。「うまやどうじ」と「どうじ」は、この家屋ではどちらからでも入ることはできるのですが(今は見学者は「うまやどうじ」の方から入り、「どうじ」は外から見学します)、「どうじ」の方が「正式な出入口」、「うまやどうじ」が勝手口で「どうじ」が玄関・・? というわけでもないかもしれませんが、いくらか近いものだったのでしょうか。
「どうじ」の正面から見て左側は「えん」。

↑ 間取り図には「えん」は(縁側・VERANDA)と書かれているのですが、縁側はわかりますが、VERANDA は、『新英和中辞典 第三版』(研究社)では、
veranda、verandah (名詞)《屋根のついた》ベランダ、縁側(=[米国では]porch )
と出ており〔アクセントは第2音節〕、バルコニーはというと、
balcony (名詞)バルコニー《階上から外に張り出した露台》;《劇場用語で》《英国では》2階さじき《dress circle の上》。《米国では》==DRESS CIRCLE
と出ている。旧若山家住宅の間取り図は、入口付近の「重要文化財 旧若山家住宅 平面図」と内部の【合掌造りの歴史が刻まれた家】の解説の中の平面図と2つあるのだが、「重要文化財 旧若山家住宅 平面図」では「えん(縁側 VERANDA)」と書かれているものが、【合掌造りの歴史が刻まれた家】では「えんげ Veranda」となっており、片方では「えん」、もう片方は「えんげ」となっている。 「えん」⇒「えんげ」⇒「えんがわ」 と変化したのだろうか?
現地の平面図で、片方が「えん」、もう片方に「えんげ」と書かれているだけでなく、大野敏『民家村の旅』(1993.INAX出版)に記載の平面図には「エンバ(エンゲ)」と書かれているのです。「エンバ」は《「えん」の場所》で「えんば」でしょうか。それなら、「げ」は何だろう? ・・
バルコニーとベランダはどう違うのかというと、小堀住研(株)では「正式な建築用語としてではありませんが、小堀住研(株)では、足のあるものをベランダ、足がなくて壁面から外に出ているものをバルコニー、というように仮に使い分けています」と1980年代後半に新卒入社した際の新卒社員研修の際に講師役の従業員が説明してくれたのでしたが、たしかに、英和辞典を開いてみると、バルコニーというのは歌劇場などで壁面から張り出しているようなもの、及び、屋外でもそういうものを主として言うような感じです。ベランダについては、その上に屋根があるかないかにかかわらず、足のついたものをベランダと言うことに仮にしていたのですが、英和辞典で意味を調べてみれば、たしかに、ベランダとバルコニーなら、足のある方がベランダで足のないのがバルコニー・・というのは、かなり、おおざっぱというのか荒っぽい分け方ではあるものの、間違いではない感じはします。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では、足があろうがなかろうが・・というよりも、1階の上に載っているものをバルコニーと言い、アルミで建材メーカーの既製品として作られているものをベランダと言っていたのですが、これは、「ベランダ」と言うよりも「バルコニー」と言う方が浜松の「いなかもの」にとっては「おしゃれ」で「なうい」「はいから」て感じがするから、だから、「バルコニー」と言うことにしたのではないか・・と思われますが、バルコニーの《階上から外に張り出した露台》という意味とは少々違うような感じがします・・・が、こういうことを言うと、またもや、営業本部長の天野隆夫から「そんなこと言うなら、エスバイエルに行けよお」などと言われることになりますから、「見えても見ざる、聞こえても聞かざる、言うべきことでも言わざる」「目立たず騒がず」が(株)一条工務店という会社で生きていく道ですから、言わない方がよろしい・・・が、どうも、性格が正直にできているもので、「バルコニーて、一条がつけているものとは本来はちょっと違うように思うんだけどなあ~あ」などと、何かの拍子にぽろっと口にしてしまいそうで、又、営業本部長の天野隆夫に言うと天野隆夫は《「そんなこと言うなら、エスバイエルに行けよお」と言いたくてしかたがない症候群の「患者」「病気」》ですから、「精神安定剤」の大量投与でもしてやってめろんめろんにするとかしないと「この病気は治らない」と思われますので(「精神医学」が「精神安定剤」の大量投与によって「患者」をめろんめろんにして「治療した」と称しているものは、それはロボトミーによって廃人化・無効化して「問題行動」を起こさないようにして「治療した」と言っているのと同様、単にめろんめろんにして廃人化・無効化しただけであって「治療した」のとは違うと思うのですけれども)、だから、言わない方がいいとしても、本来の veranndah、balcony の意味はこういうものだから、それから考えると、これはこちらの表現の方がいいということはないだろうか・・とか従業員の間で議論しても、それは、お互いに知識・認識を向上させるのに役立つことだから、何ら問題はないはず・・・なんて思って口にしたことはあったのですが、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ という会社は、油断して話していると、いったいどこに「草」がおるやらわからん。 「王の目」「王の耳」みたいなやつ、普段は一般従業員として勤務しながら営業本部長に「情報」を送る「草」もいるし、おのれだけ好かれようと率先して吠えかかる「イヌ」もいるし〔それがまた、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫という男はそういう人間が好きなんだわ、そういう人間のカスが〕、また、「浜松流」を真似るのが正しいと信じていて自分自身で考える人間を嫌う独立自尊の精神に欠ける「サル」もいるしで・・・、(株)一条工務店という会社はうかつな口はきけない会社でした。「草」は所長より権力もっとるようだし、事実に反する「情報」を送られても、それが「遠州好み」の「情報」であれば、この会社では事実の方が間違っていることにされてしまうしなあ。なんか、疲れる会社やった、ほんま・・・。・・あと、経営者の好みのタイプとか、所長の好みのタイプとかいう「ひまわり」なんてのもいたな・・・。別名、「長嶋みたいなやつ」てのが。野村のじいさんも晩年になって気が弱くなって、巨人寄りの発言が出たり、「長嶋を批判したのは、あれは受けるために言うたことやった」とか言い訳しだしたり、そういうのは情けないな。そういうのを見ると、このじいさんは他界するのがワンテンポ遅かったか? なんてこと思ったりもする。
下井英一・坂本鉄男編『大学書林 イタリア語小辞典』(1962.初版、1995.第195版 大学書林)を見ると、イタリア語では、
balcone (男性名詞)バルコニー、露台。
veranda (女性名詞)ベランダ、縁側。
・・ということは、「バルコニー」は(株)一条工務店の使用法でいいのか? それは、バルコーネなのか、バルコニーなのか。ベランダは「縁側」でいいということなのか?
「サバとは、魚へんにブルー」の長嶋茂雄が好きな英語と同様(もしかすると、会うなり「See You Again.(シィ―、ユー、アゲイン)」の原辰徳と同様? 〔それにしても、「野村ひく野球はゼロ」と野村のじいさんが言うておったように、原だってそんなものだと思うのだが、ひとの失敗を何度も何度も、あっちやらこっちやらで言いまくって書きまくってする野村のじいさん、よっぽど、原が気に入らなかったのか・・?(笑)?〕)、「遠州人」の(株)一条工務店のオーナー経営者が好きなフランス語では、
balcon (男性名詞)バルコニー;(バルコニー、窓の)手すり;2階・3階正面桟敷。
veranda (女性名詞)ベランダ、縁側。
やはり、バルコンは、2階もしくは3階の正面桟敷のように柱なしで出っ張った部分を言うようだから、小堀住研(株)が「バルコニー」を足のないものを言っていたというのは妥当だったのかという感じで、ベランダ⇔縁側 は正しいのか?
ドイツ語では、ロベルト=シンチンゲル・山本明・南原実共編『現代独和辞典』(1980年。第719版 三修社)によると、
Balkon (男性名詞)バルコニー;二階さじき席、正面さじき席(劇場の)
Veranda(女性名詞)ベランダ、縁側。
いずれも、アクセントは第2音節。
ドイツ語でも、バルコーンは、壁からつきだしたさじき席で、小堀住研(株)が足のないものをバルコニーという分類にしていたのは妥当みたいで、そして、ベラーンダ⇔縁側 みたいだが・・。
デンマーク語では、
balkon(名詞)バルコニー、露台。〔古城健志・松下正三編『デンマーク語日本語辞典』1995.2.28.大学書林〕
veranda (通性名詞)ベランダ。〔《ウィクショナリー日本語版 veranda 》https://ja.wiktionary.org/wiki/veranda〕
ロシア語では、井桁貞敏編『コンサイス露和辞典 第4版』(1977.第4版 三省堂)によると、
балкон 1.《建築学で》露台、バルコニー、テラス。 2.《劇》階上正面の桟敷。
веранда 1.ヴェランダ。前廊。 2.大きな園丁。
いずれも、アクセントは第2音節。
結局、ヨーロッパ系の言語では、微妙に違う部分があっても、全体としては共通しているみたいな感じか・・。
「露台」とは、新村出編『広辞苑 第二版』(1969.岩波書店)によると、
ろだい 露台 1.屋根のない台。バルコニー。 2.紫宸殿と仁寿殿との間の板敷で、舞を奏する所。屋根はない。 3.演舞のために設けた屋根のない床張の台。
・・とある。
バルコニーは、「劇場の2階・3階の桟敷席」系の意味だと小堀住研(株)が使用していた外壁から突き出た足のないものという意味が妥当で、露台として、「屋根のない台」系で考えると、(株)一条工務店が1階の上の設けていた「バルコニー」というのか「ベランダ」というのかに近いかもしれない。 辞書をひくと、ヨーロッパ系の言語では、ベランダ⇔縁側 で良さそうな言語が多いようだが、日本語化した「ベランダ」という言葉と日本語の縁側が同じ意味だと言われると、どうも、違和感がある。
「えん」「縁側」というのは、バルコニーでないのははっきりしているが、ベランダというのともちょっと違うように思ったのだが・・・、ベランダ⇔縁側 でいいのだろうか。 veranda でないなら、英語でどう表現すればいいのか。英和辞典・仏和辞典・独和辞典など見ると、veranda⇔縁側 でいいみたいなのだが、しかし、それでも、日本の縁側とイギリス語veranda、verandah 、フランス語のbalcon、ドイツ語のBalkon は同じではないように思うのだが、それなら、どう言えばいいのか。もともとのveranda、verandah は辞書を見ると「縁側」と書かれていても、日本語化した「ベランダ」は「縁側」とは別のものを言っている。日本語化した「ベランダ」が本来のものと違うものを言っているのだろうか?
(株)一条工務店では、縁側を、屋内にあるものを「ヒロエン(広縁)」、屋外につけるものを「ヌレエン(濡れ縁)」と呼び分けていただ、これはこの表現でいいと思う。「えん」「縁側」はどっちなのか? これは、けっこう難しい。人によって使い方は違うのではないかと思うが、私は、屋内にある「広縁」と屋外の「濡れ縁」の両方を「縁側」と言っていいのではないか・・というより、私は子供の頃からそう呼んできた・・というよりも、子供の頃に住んでいた家では、8帖の和室の南側に「廊下」があって、その廊下の東に突き当たりに家屋から突き出した形で便所があって、「廊下」を西に行った所に茶の間(兼仏間)があった。茶の間の南に濡れ縁があって、その濡れ縁を「縁側」と呼んでいた。「廊下」の北の8帖の和室はその家では一番の座敷であり床の間もある部屋だったが、その南側にあった「廊下」は「広縁」でもあったのではないかと思うし、そのような使い方をしていたが、あくまでも、「廊下」と呼んでいて、「広縁」とか「縁側」とは言わず、「縁側」は茶の間の外についていた濡れ縁のことを言っていた。この「廊下」は和室の広縁の役割もしていたが、他方で東側の便所と西側の茶の間を結ぶ廊下でもあった。
これは、私が子供の頃、大阪市東住吉区で住んでいた家でのことだが、1990年代、(株)一条工務店で福島県いわき市に勤務した際、福島県浜通り地区および茨城県北部の人と話をすると、「広縁」と言わないということもないが、福島県浜通り地区および茨城県北部の人は、「ろうか」と言う方が一般的だった。屋内の中廊下も「ろうか」と言うが、畳敷の和室の前、主として南側にある板貼りの部分を、他の部屋につながっていなくても「ろうか」と呼んでいた。
地方によって部屋の呼び名は異なることがあるようだが、飛騨の里の旧若山家住宅では屋内の縁側を「えん」と呼ぶようだ。それを英語にしろと言われても、どないすりぁええねん・・て感じがする。veranda は「苦肉の策」みたいな訳かと思う。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は、初期の商品名に「セゾン エスポワール」とか「セゾン リヴェール」とか「アパートみたいな名前」をつけていたが、「フランス語の名前にするとおしゃれな感じがする」という「いかにも浜松のイナカモンの発想」て感じの命名やった・・・と言うと、怒られるのだ、営業本部長に。「うちの会社が嫌ならよそに行けばいいだろうがあ」とか「そんなこと言うなら、エスバイエルに行けよお」とか言われるのだが、なんで、そんな話になる・・と思うが、言っても通じない。だから、うかつなことは口にできない。しかし、それでもやっぱり、「アパートみたいな名前」を「おしゃれ」とか「はいから」とか思ってる遠州人の感覚というのは、東京圏か関西圏の住人にすると、「なんか、イナカくせえ・・」て感じがする・・が、それを言うと怒られるから黙っていた方がいいが、そういう「見ても見ざる、聞こえても聞かざる、言ってあげた方がいいことでも言わざる」という会社というのは、なんだか情けない会社だなあ・・と思いました。そう思いませんか?
小堀住研(株)の会社名は、初代の名字が「小堀」で、「住研」は「住宅を単に建てるのではなく、研究して建てる」という意味で、二代目の中島昭午がテレビの広告に出て「住研とは」とか言っていた。「住宅を研究する」会社は「単に、住宅を建てる」会社よりも上だと言いたいという名称で、小堀住研(株)が考えた言葉だったと、1980年代後半に新卒入社した際、新卒社員研修で講師役の従業員から言われた。しかし、その頃から、不動産屋で「☆☆住研」という会社名を名のる所が出てきた。小堀住研(株)としては、「住宅を単に建てるのではなく、研究して建てる」という意味で命名した名称で、「なんか、程度の低いそのへんの不動産屋」にその名称を名のられたくないところだったと思うのだが、「小堀住研」は商業登記していても、「住研」は商標登録したわけでもなかったはずで、「人相の悪い不動産屋のおっさん」に「住研」という言葉を会社名・店名に使うなと言うわけにもいかなかったのではないかと思う。だから、「住研」の部分を改称しても悪くはなかったかと思う。JRというのは、どうも、駅名のつけ方に傲慢なところがあり、京都の京福電鉄が広隆寺の目の前の駅に「太秦(うずまさ)」という駅名をつけていたのに、京福電鉄の駅なら「太秦」のひとつ西側の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」の北あたりに山陰本線(「嵯峨野線」)に新しく駅を作ってその駅名に「JR帷子ノ辻」ではなく「太秦(うずまさ)」なんて駅名をつける。一般に、駅名というのは先につけた方が優先ではないのかと思うが、国鉄⇒JR はそういう遠慮はしないようだ。それなら、京福電鉄はどうしたかというと、「太秦(うずまさ)」だった駅を、名称を改めて「太秦広隆寺(うずまさ こうりゅうじ)」と改称。かえって、「広隆寺の目の前の駅ですよお」とアピールする名称にできたみたい。 京福電鉄だけではない。なにしろ、JR西日本というのは、国鉄が「分割民営化」された時、JR西日本の社長になったおっさんが「饅頭の切り方と羊羹の切り方は切り方が違う。うちの饅頭は餡(あん)(黒字路線)が少ない。誰だ、こんな切り方をしたのは!」とおっしゃったそうで、そこから、赤字路線を黒字路線化しようと、福知山線を複線電化して「JR宝塚線」と命名し、阪急宝塚線・伊丹線の客をぶんどり、山陰本線の京都よりの部分も複線電化して嵯峨野線と命名、福知山線は尼崎で事故を起こすような高速運転。まさに「仁義なき戦い」で餡(あん)を増やした・・のだが、福知山線に同線が複線電化される前は無人駅だった「中山寺」駅があったが、これが複線電化して「仁義なき戦い」で福知山線を快速が走るようになると快速停車駅に変身。「中山さん」と言われる真言宗の中山寺が阪急宝塚線「中山」駅のすぐ北にあるのだが、阪急の駅名が「中山」でJRの駅名が「中山寺」だとJRの方が中山寺に近いのかと誤解されてしまう・・と考えたか、阪急は宝塚線「中山」駅を「中山観音」駅に改称。 傲慢な駅名のつけ方はJRだけではない。京都市地下鉄烏丸線が開通すると、それまで、京阪本線に「五条」駅・「四条」駅があったのに、おかまいなしに、京阪「五条」「四条」駅とは離れた場所に京都市地下鉄烏丸線に「五条」「四条」駅を開設。特に「四条」駅は阪急京都線「烏丸」駅と同じ場所に違う駅名で設置。京都市地下鉄「四条」駅と阪急京都線「烏丸」駅の関係については、阪急京都線は四条通の地下を走っているから「四条」と言えば、「西院」「大宮」「烏丸」「河原町」と全部「四条」になってしまうし、京都市地下鉄烏丸線は烏丸通の地下を走っているから「烏丸」とすれば、これも全部が「烏丸」になってしまうから、だから、しかたがないといえばしかたがないかもしれないが、京阪としては、京阪本線の方が先に「五条」駅・「四条」駅を設置しているのに、どあつかましくも、ずいぶん離れた場所に京都市地下鉄が「五条」「四条」駅を開設・・すると、京阪はそれまでの「五条」駅を「清水五条(きよみず ごじょう)」駅に改称、清水寺に行くならここが便利♪ とアピールしたような駅名。「四条」駅は「祇園四条」駅に改称。なかなか、やるではないか・・て感じがする。そういう対応をできないところが、小堀住研(株)の経営者の頭の足らないところ。「小堀」という名前は、中島とか増田とか高田とか大野とかいったようなどこにでもある名前とは違うのだ。滋賀県出身で名字が「小堀」で戸建住宅建築業の会社で「いきな和風住宅が得意」となると、「小堀遠州と関係あるのか」と客の側で勝手に思ってくれる名前なのだ・・・から、その名前は残しておいた方がいいはずだった。「住研」は「そのへんの人相の悪い不動産屋のおっさんの会社」が名のることが多くなってしまったからには、そちらは改めて、たとえば、「住宅研究建築所」か「住宅建築」か「住宅建築研究」か、もしくは「株式会社 小堀の住まい」とか何かそういった名称に改めていいとして、「小堀遠州と関係あるのか」と客の側で勝手に思ってくれる名称の「小堀」は残しておくべきなのに、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい2代目の中島昭午が会社名からその「小堀」を取り除きたかったのか、「小堀」を会社名から取り除き、主としてツーバイフォー工法で建てているわけでもないのに、「エスバイエル(S×L)」などというツーバイフォー(2×4)工法の会社かと間違えられそうな名称に改名してしまい・・・、そして、どういう会社名にすれば顧客に受け入れられるかという思考よりも「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかが先代の名字を会社名から取り除きたいという方を優先して会社名を変更した会社は、あっという間にボロボロになって株価はどんどこ下がり、・・つぶれた・・というよりも「アホの二代目」が意図的につぶした。京福電鉄が「太秦」⇒「太秦広隆寺」、阪急が「中山」⇒「中山観音」、京阪が「五条」⇒「清水五条」、「四条」⇒「祇園四条」と改名したのとは大違い。やっぱり、アホはあかんなあ・・て感じがする。
・・それから考えると、「セゾンエスポワール」「セゾンリヴェール」の「アパートみたいな名前」の方がましか? ・・というと、どっちもどっちみたいな感じがするが、なんか、センスの悪い経営者が日本にはいっぱいおるようだ・・・。
(株)一条工務店は、その後、「エスポワール」「リヴェール」を取り除いて「セゾン」という商品名にしたが、その「西武みたいな名前」は静岡県中西部・愛知県では良かったらしいが東京圏では評判悪かった。「西武ではないのに西武みたいな名前」というのは「トヨタ自動車(株)と関係ないのに豊田商事」みたいな印象で、その地域で「セゾン」というと西武という印象が強くない地域か(株)一条工務店がその地域で相当建てて評判が定着した地域においてはよくても、1990年代初めにおいては東京圏においては「浜松の聞いたことない工務店」でしかない会社が「西武ではないのに西武みたいな名前」を商品名につけたのでは、「胡散臭い会社」とアピールしているようなものだったが、「遠州人」は自分たちが営業やっている地域、静岡県中西部・愛知県で良ければ箱根の関より東で営業やる人間がやりにくくてもいっこうにかまわない・・という信念を持っていた。
(株)アイダ設計 は請負での建築と建売の両方をやっている会社で今では請負の方が多くなったらしいが、かつては建売の方が多い会社だったが、設計事務所から発祥の会社とは思えないのに「・・・設計」という会社名を名のっているのはなぜかと思っていたが、会社の各部署を、それぞれ、形式上、別会社にしていた時期があったが、上場を考えて、逆にひとつにまとめようとして、その際、どの会社名の会社にまとめるのがいいかという問題で、「アイダ設計」という設計部門の会社にまとめたということらしい。なるほど、そこはよく考えていると思う。各部署で異なる会社名を名のっていた会社がどの部署の名前を会社全体の名称にすると顧客に受け入れられるかと考えて、「・・設計」がいいという判断をした、というのはそれは間違っていなかったであろう。 住友林業(株)は、もともとは林業の会社だったが、今では林業分野と戸建住宅分野の2本立てで(今では、ほかに、不動産も少々扱っているらしいが)、「住友林業の家」で住友林業の林業分野から供給した材木を使用しているわけでもないらしいが、あえて、林業分野と戸建住宅分野を別会社にすることはないということもあるかもしれないが、「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」よりも「◇◇林業」の方が在来木造の会社としては「いい木を使っているのではないか」とか「木に詳しいのではないか」とか顧客が勝手に連想する名称であることから、「住友林業」という名称を名のっている、ということがあるだろう。 ・・で、なんで、(株)一条工務店は「工務店」なんだ?・・と1992年に東京展示場に在席した営業の間では言われていた。たしかにそうだとは思ったが私が最初に口にしたのではない・・・が、(株)一条工務店という会社には《自分が私に言ったくせに、「〇〇さんが・・・て言ってましたあ」とふれまわる人間症候群》の「患者」「病人」がいたので、これも、私が言ったことにして営業本部長に「御注進」していたヤツがいた可能性はあるが、東京圏で営業やる上においては、最近では(株)一条工務店も知名度が大きくなったが、1990年代初め、東京圏ではまったく無名で認知されていない会社であった時代においては、「工務店」を名のったのでは、「いかにも浜松の工務店」という印象で「静岡県で建てるのならともかく、東京圏で建てるのに、何を物好きに静岡県の”工務店”で建てなきゃならんのだ」という印象を与える会社名だった。なんで、「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」「◇◇林業」「△△設計」ではなく「工務店」なんだ?・・というと、今では都市圏においては家はハウスメーカーで建てる方が普通で、「工務店」というと「大手ハウスメーカーの下請けやってるか、リフォームやる会社」と思っている人が少なくないという状況になってきたが、「地方」においては、「家は木造で建てるものだ」「家は国産材でムク材で建てるものだ」という意識が都市圏よりもはるかに強く、かつ、「家は大工さまに頼んで建てるものだ」という意識が今もある地域においては、「大工さま」の集合体が「工務店」であり、それに対して、「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」という会社名は「プレハブみたい」という印象を与える名前、東京などで建てるならよくてもその地域には合わないのではないかという印象を与える名前で、「××工務店」の方が「地方」においては受け入れられやすい、という場合が多かったからである。だから、(株)一条工務店は、静岡県中西部・愛知県で営業しやすいように、「東京圏では営業しにくい会社名」をつけたのだ。すべてにおいて、静岡県中西部・愛知県中心主義の会社だった。そして、他の地域を犠牲にしてでも静岡県中西部・愛知県を優先・優遇しようという信念の会社であるとともに、そういう地域の営業を増長させるのが趣味の経営者の会社だった。
(おまけ) 「遠州好み」という言葉には2通りの意味がある。
1.古田織部が好んだという意味の「織部好み」、千利休が好んだという意味の「利休好み」と同じく、小堀遠州が好んだという意味の「遠州好み」、
2.遠州人の好みに沿った・・という意味。
(株)一条工務店の「セゾン」「百年」というのは2の方の「遠州好み」にできていた。だから、浜松・掛川の営業は自分の営業所の来場客・見込客の好みに沿った商品を売ることができたのに対して、東京展示場においては、来場客から「何、これ? 田舎の家みたい」とかしばしば言われることになった。
1.の意味の「遠州好み」はドイツ人建築家のブルーノ=タウトさんの好みとかなり共通するのではないかと思う。群馬県高崎市に少林山 達磨寺というお寺があって、その敷地内にかつてブルーノ=タウトさんが住んだという平屋の建物 洗心亭がある。(株)一条工務店の佐野展示場に勤務していた時、週休日に見学に行ったのだが、豪華な建物ではなく大きな建物でもないが、たしかに、ブルーノ=タウトさんが好みそうな建物で、「タウト好み」であるとともに、おそらく、1.の意味での「遠州好み」でもあるのではないかと思った。2.の意味の「遠州好み」ではない。
「タウト好み」は1.の意味の「遠州好み」と共通する部分があるのではないかと思う。2.の意味の「遠州好み」は「タウト好み」とはあまり共通しない・・・と思う。・・たぶん・・。
※ 少林山 達磨寺 HPhttp://www.daruma.or.jp/
〃 少林山とブルーノ・タウト http://www.daruma.or.jp/bruno/index.html
〃 洗心亭 http://www.daruma.or.jp/access/facility_seishintei.html
次回、旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
(2020.3.6.)
☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光曜山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。〔今回〕
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html
☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html
☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht

民家村の旅 (INAX ALBUM) - 大野 敏

飛騨の合掌造り 棟梁一代記 - 家柄木 清光

小堀遠州 綺麗さびの極み (とんぼの本) - 小堀 宗実, 熊倉 功夫, 磯崎 新

建築とは何か (SD選書 95) - ブルーノ・タウト, 篠田 英雄
飛騨の里 の3回目は、旧若山家住宅です。

( ↑ 旧若山家住宅。正面に向かって左側から見たもの。 )

( ↑ 旧若山家住宅。正面に向かって右側から見たもの。 )

( ↑ 旧若山家住宅。正面に向かって右側から見たもの。 )
吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)には、
《 民俗村の中心は、なんといっても合掌造りの若山家(高山市立飛騨民俗館)である。若山家はもと白川郷の荘川村にあったもの。荘川村に残る合掌造りとしては唯一のものだったが、昭和45年(1959年)、みぼろダムの建設にともなって湖底に沈む運命になったため、高山市が譲り受けて移築した。
間口17メートル、奥行18メートル、高さ16.5メートル、建坪330平方メートルで4階建て(一部5階建て)という和製ビルである。・・》
と書かれているが、たしかに迫力がある。 飛騨の里には合掌造りの建物がいくつか移築されているが旧若山家住宅はその中でも大きい方の建物である。
もっとも、高山市に飛騨民俗村ができたのが、1959年(昭和34年)、飛騨の里ができたのが1971年(昭和46年)で、吉野準『飛騨への旅』は飛騨の里がまだオープンする前に発行された本なので、民家園としての飛騨の里が今のようにできていない時代に書かれたもので、《若山家(高山市立飛騨民俗館)》と書かれているが、「飛騨民俗館」というのは飛騨の里がオープンするより前のことのようです。
大野敏(さとし)『民家村の旅』(1993.8.30.INAX出版)には、「高山市立飛騨民俗村」(飛騨の里と飛騨民俗村の両方について)を
《 (高山市立飛騨民俗村は)昭和34年(1959年)、ダム建設により水没する運命にあった若山家住宅を移築復原し、飛騨民俗館としたことに始まる。その後、飛騨民俗館上手の松倉山麓に、飛騨地方各地から民家や関連施設を移築復原して「飛騨の里」をつくった。また民俗館も山岳資料館を含め4件に拡張された。これらを総合して飛騨民俗村が成立した。
飛騨の里は、五阿弥池を中心にしたゆるい斜面に17件の民家(管理施設含む)および板倉、稲架(はさ)小屋、木挽(こびき)小屋、和紙漉(すき)小屋などの関連施設13件を配した大規模な民家村である。・・・・》
と述べられており、旧若山家住宅は、飛騨民俗村・飛騨の里が作られるに至るにおいて、重要な役割を果たした建物でもあるようです。
旧若山家住宅で、最初にまず気づくのは・・・・、[第739回]《日下部民芸館5ー榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」で積雪に工夫の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html 、[第745回]《高山別院の光曜山照蓮寺。農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html でも写真を掲載して述べたように・・・、


↑ 「軒下をお通りください。屋根からの落雪にご注意ください。
Please walk under the roof. Watch out for falling snow. 」
と掲示が出ています。 2月に訪問した時は、前日に雪が降っただけでしたのでそれほど多くの積雪量ではなかったのですが、もっと何日も続いて雪が降った場合には、これだけ大きな屋根に積もった雪が脇に落下してきたとすると、そこに埋没してしまえば、「天は我々を見放したかあ~あ」とか言う間もないかも・・・。一方で、屋根から雪が落ちてくる瞬間を、一度、見てみたい気も・・なんていうのは不謹慎か・・・?

現在、右寄りの「まやどうじ」・「こうまや」という名称の部分から中に入っており、その奥には「うまや」(馬屋・BARN)があります。↓

「まやどうじ」の奥に「うまや」があって、「まやどうじ」の右に「こうまや」がありますが、「こうまや」は「仔馬屋」か?
旧田中家住宅では「まや」となっていたものが、旧若山家住宅は「うまや」と表記されていますが、同じものではないでしょうか。↓


↑ 「まや」「うまや」は少々低くなっていますが、
《 うまや Umaya STABLE
牛馬等の家畜用の部屋。藁を家畜に踏ませ、糞尿をまぜて堆肥を作った。 》
と書かれています。 それで、少々、低くなっていてこういう造りになっているのか・・とは思ったものの、常に糞尿を踏んでその上にいるというのは、「牛馬等」といえども、少々、かわいそうな環境のような気も。その点、「こうまや」は「まやどうじ」と同じ環境の場所ですから、仔馬の方が待遇は良かった、ということでしょうか。 それとも、あくまでも、藁を家畜に踏ませるだけで、「糞尿をまぜて」というのは他の場所で混ぜるのか・・・。それとも、奥の低くなっている部分に藁を入れて、そこに糞尿をさせて、普段はその手前の他の地面と同じ高さの所に牛馬がいるようにさせ、時々、奥の部分を踏ませるというようにした、ということなのか・・・。
「うまや」の英訳を、間取り図では「BARN」で、説明書きでは「STABLE」になっているのですが、『新英和中辞典 第三版』(研究社)では、
stable (名詞)1.a)馬屋、馬小屋、《時には》牛小屋 b)厩舎(きゅうしゃ):《ある厩舎に属する》競走馬、…所有馬。
2.[しばしば、複数形で]馬屋の手入れ、馬匹の世話など、 3.馬丁 4.《俗語で》同じマネージャーの下で働く人たち。
barn (名詞)1.《農家の》納屋、物置き;《米国で》家畜の小屋、車の小屋。
2.《米国で》電車車庫(carbarn)
と出ており、どっちにしても、馬小屋、家畜小屋ということですね。
「まやどうじ」の左側に「どうじ」(ENTRANCE)があります。もともとは、「まやどうじ」は「うまや」「こうまや」に出入りする際の出入口で、人が出入りするのが「どうじ」だったのでしょうか。但し、今現在は、↓

↑ の板貼りになっている部分が「どうじ」ではないか。
「どうじ」は「土(ど)のち(地)」という意味か。それとも、「道(どう)」(通り道)の地(場所)か? 「まや」「うまや」は文字通り、「馬屋」で、「まやどうじ」は「馬屋のどうじ」ということかな・・・。
もしかすると、最初は、↑ の部分は板貼りではなく、ここも土間で、人の入口と馬の入口を分けていたのが、後に、人の入口の部分も板貼りにして縁のようにして使い、出入口は「まやどうじ」を馬も人もそこから入るようにした、ということなのか?
「どうじ」は語源としては、《地面が「土(ど)」である路地》から来た言葉かという感じがするのですが、旧若山家住宅においては、踏み石の所で履物を脱いで、そこから入る場所を板貼りだけれども、「どうじ」と呼んだのか?
大野敏『民家村の旅』(1993.INAX出版)によると、《 シャシ前につくドジ(土間)は正式な出入口で、》とあります。「うまやどうじ」と「どうじ」は、この家屋ではどちらからでも入ることはできるのですが(今は見学者は「うまやどうじ」の方から入り、「どうじ」は外から見学します)、「どうじ」の方が「正式な出入口」、「うまやどうじ」が勝手口で「どうじ」が玄関・・? というわけでもないかもしれませんが、いくらか近いものだったのでしょうか。
「どうじ」の正面から見て左側は「えん」。

↑ 間取り図には「えん」は(縁側・VERANDA)と書かれているのですが、縁側はわかりますが、VERANDA は、『新英和中辞典 第三版』(研究社)では、
veranda、verandah (名詞)《屋根のついた》ベランダ、縁側(=[米国では]porch )
と出ており〔アクセントは第2音節〕、バルコニーはというと、
balcony (名詞)バルコニー《階上から外に張り出した露台》;《劇場用語で》《英国では》2階さじき《dress circle の上》。《米国では》==DRESS CIRCLE
と出ている。旧若山家住宅の間取り図は、入口付近の「重要文化財 旧若山家住宅 平面図」と内部の【合掌造りの歴史が刻まれた家】の解説の中の平面図と2つあるのだが、「重要文化財 旧若山家住宅 平面図」では「えん(縁側 VERANDA)」と書かれているものが、【合掌造りの歴史が刻まれた家】では「えんげ Veranda」となっており、片方では「えん」、もう片方は「えんげ」となっている。 「えん」⇒「えんげ」⇒「えんがわ」 と変化したのだろうか?
現地の平面図で、片方が「えん」、もう片方に「えんげ」と書かれているだけでなく、大野敏『民家村の旅』(1993.INAX出版)に記載の平面図には「エンバ(エンゲ)」と書かれているのです。「エンバ」は《「えん」の場所》で「えんば」でしょうか。それなら、「げ」は何だろう? ・・
バルコニーとベランダはどう違うのかというと、小堀住研(株)では「正式な建築用語としてではありませんが、小堀住研(株)では、足のあるものをベランダ、足がなくて壁面から外に出ているものをバルコニー、というように仮に使い分けています」と1980年代後半に新卒入社した際の新卒社員研修の際に講師役の従業員が説明してくれたのでしたが、たしかに、英和辞典を開いてみると、バルコニーというのは歌劇場などで壁面から張り出しているようなもの、及び、屋外でもそういうものを主として言うような感じです。ベランダについては、その上に屋根があるかないかにかかわらず、足のついたものをベランダと言うことに仮にしていたのですが、英和辞典で意味を調べてみれば、たしかに、ベランダとバルコニーなら、足のある方がベランダで足のないのがバルコニー・・というのは、かなり、おおざっぱというのか荒っぽい分け方ではあるものの、間違いではない感じはします。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では、足があろうがなかろうが・・というよりも、1階の上に載っているものをバルコニーと言い、アルミで建材メーカーの既製品として作られているものをベランダと言っていたのですが、これは、「ベランダ」と言うよりも「バルコニー」と言う方が浜松の「いなかもの」にとっては「おしゃれ」で「なうい」「はいから」て感じがするから、だから、「バルコニー」と言うことにしたのではないか・・と思われますが、バルコニーの《階上から外に張り出した露台》という意味とは少々違うような感じがします・・・が、こういうことを言うと、またもや、営業本部長の天野隆夫から「そんなこと言うなら、エスバイエルに行けよお」などと言われることになりますから、「見えても見ざる、聞こえても聞かざる、言うべきことでも言わざる」「目立たず騒がず」が(株)一条工務店という会社で生きていく道ですから、言わない方がよろしい・・・が、どうも、性格が正直にできているもので、「バルコニーて、一条がつけているものとは本来はちょっと違うように思うんだけどなあ~あ」などと、何かの拍子にぽろっと口にしてしまいそうで、又、営業本部長の天野隆夫に言うと天野隆夫は《「そんなこと言うなら、エスバイエルに行けよお」と言いたくてしかたがない症候群の「患者」「病気」》ですから、「精神安定剤」の大量投与でもしてやってめろんめろんにするとかしないと「この病気は治らない」と思われますので(「精神医学」が「精神安定剤」の大量投与によって「患者」をめろんめろんにして「治療した」と称しているものは、それはロボトミーによって廃人化・無効化して「問題行動」を起こさないようにして「治療した」と言っているのと同様、単にめろんめろんにして廃人化・無効化しただけであって「治療した」のとは違うと思うのですけれども)、だから、言わない方がいいとしても、本来の veranndah、balcony の意味はこういうものだから、それから考えると、これはこちらの表現の方がいいということはないだろうか・・とか従業員の間で議論しても、それは、お互いに知識・認識を向上させるのに役立つことだから、何ら問題はないはず・・・なんて思って口にしたことはあったのですが、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ という会社は、油断して話していると、いったいどこに「草」がおるやらわからん。 「王の目」「王の耳」みたいなやつ、普段は一般従業員として勤務しながら営業本部長に「情報」を送る「草」もいるし、おのれだけ好かれようと率先して吠えかかる「イヌ」もいるし〔それがまた、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫という男はそういう人間が好きなんだわ、そういう人間のカスが〕、また、「浜松流」を真似るのが正しいと信じていて自分自身で考える人間を嫌う独立自尊の精神に欠ける「サル」もいるしで・・・、(株)一条工務店という会社はうかつな口はきけない会社でした。「草」は所長より権力もっとるようだし、事実に反する「情報」を送られても、それが「遠州好み」の「情報」であれば、この会社では事実の方が間違っていることにされてしまうしなあ。なんか、疲れる会社やった、ほんま・・・。・・あと、経営者の好みのタイプとか、所長の好みのタイプとかいう「ひまわり」なんてのもいたな・・・。別名、「長嶋みたいなやつ」てのが。野村のじいさんも晩年になって気が弱くなって、巨人寄りの発言が出たり、「長嶋を批判したのは、あれは受けるために言うたことやった」とか言い訳しだしたり、そういうのは情けないな。そういうのを見ると、このじいさんは他界するのがワンテンポ遅かったか? なんてこと思ったりもする。
下井英一・坂本鉄男編『大学書林 イタリア語小辞典』(1962.初版、1995.第195版 大学書林)を見ると、イタリア語では、
balcone (男性名詞)バルコニー、露台。
veranda (女性名詞)ベランダ、縁側。
・・ということは、「バルコニー」は(株)一条工務店の使用法でいいのか? それは、バルコーネなのか、バルコニーなのか。ベランダは「縁側」でいいということなのか?
「サバとは、魚へんにブルー」の長嶋茂雄が好きな英語と同様(もしかすると、会うなり「See You Again.(シィ―、ユー、アゲイン)」の原辰徳と同様? 〔それにしても、「野村ひく野球はゼロ」と野村のじいさんが言うておったように、原だってそんなものだと思うのだが、ひとの失敗を何度も何度も、あっちやらこっちやらで言いまくって書きまくってする野村のじいさん、よっぽど、原が気に入らなかったのか・・?(笑)?〕)、「遠州人」の(株)一条工務店のオーナー経営者が好きなフランス語では、
balcon (男性名詞)バルコニー;(バルコニー、窓の)手すり;2階・3階正面桟敷。
veranda (女性名詞)ベランダ、縁側。
やはり、バルコンは、2階もしくは3階の正面桟敷のように柱なしで出っ張った部分を言うようだから、小堀住研(株)が「バルコニー」を足のないものを言っていたというのは妥当だったのかという感じで、ベランダ⇔縁側 は正しいのか?
ドイツ語では、ロベルト=シンチンゲル・山本明・南原実共編『現代独和辞典』(1980年。第719版 三修社)によると、
Balkon (男性名詞)バルコニー;二階さじき席、正面さじき席(劇場の)
Veranda(女性名詞)ベランダ、縁側。
いずれも、アクセントは第2音節。
ドイツ語でも、バルコーンは、壁からつきだしたさじき席で、小堀住研(株)が足のないものをバルコニーという分類にしていたのは妥当みたいで、そして、ベラーンダ⇔縁側 みたいだが・・。
デンマーク語では、
balkon(名詞)バルコニー、露台。〔古城健志・松下正三編『デンマーク語日本語辞典』1995.2.28.大学書林〕
veranda (通性名詞)ベランダ。〔《ウィクショナリー日本語版 veranda 》https://ja.wiktionary.org/wiki/veranda〕
ロシア語では、井桁貞敏編『コンサイス露和辞典 第4版』(1977.第4版 三省堂)によると、
балкон 1.《建築学で》露台、バルコニー、テラス。 2.《劇》階上正面の桟敷。
веранда 1.ヴェランダ。前廊。 2.大きな園丁。
いずれも、アクセントは第2音節。
結局、ヨーロッパ系の言語では、微妙に違う部分があっても、全体としては共通しているみたいな感じか・・。
「露台」とは、新村出編『広辞苑 第二版』(1969.岩波書店)によると、
ろだい 露台 1.屋根のない台。バルコニー。 2.紫宸殿と仁寿殿との間の板敷で、舞を奏する所。屋根はない。 3.演舞のために設けた屋根のない床張の台。
・・とある。
バルコニーは、「劇場の2階・3階の桟敷席」系の意味だと小堀住研(株)が使用していた外壁から突き出た足のないものという意味が妥当で、露台として、「屋根のない台」系で考えると、(株)一条工務店が1階の上の設けていた「バルコニー」というのか「ベランダ」というのかに近いかもしれない。 辞書をひくと、ヨーロッパ系の言語では、ベランダ⇔縁側 で良さそうな言語が多いようだが、日本語化した「ベランダ」という言葉と日本語の縁側が同じ意味だと言われると、どうも、違和感がある。
「えん」「縁側」というのは、バルコニーでないのははっきりしているが、ベランダというのともちょっと違うように思ったのだが・・・、ベランダ⇔縁側 でいいのだろうか。 veranda でないなら、英語でどう表現すればいいのか。英和辞典・仏和辞典・独和辞典など見ると、veranda⇔縁側 でいいみたいなのだが、しかし、それでも、日本の縁側とイギリス語veranda、verandah 、フランス語のbalcon、ドイツ語のBalkon は同じではないように思うのだが、それなら、どう言えばいいのか。もともとのveranda、verandah は辞書を見ると「縁側」と書かれていても、日本語化した「ベランダ」は「縁側」とは別のものを言っている。日本語化した「ベランダ」が本来のものと違うものを言っているのだろうか?
(株)一条工務店では、縁側を、屋内にあるものを「ヒロエン(広縁)」、屋外につけるものを「ヌレエン(濡れ縁)」と呼び分けていただ、これはこの表現でいいと思う。「えん」「縁側」はどっちなのか? これは、けっこう難しい。人によって使い方は違うのではないかと思うが、私は、屋内にある「広縁」と屋外の「濡れ縁」の両方を「縁側」と言っていいのではないか・・というより、私は子供の頃からそう呼んできた・・というよりも、子供の頃に住んでいた家では、8帖の和室の南側に「廊下」があって、その廊下の東に突き当たりに家屋から突き出した形で便所があって、「廊下」を西に行った所に茶の間(兼仏間)があった。茶の間の南に濡れ縁があって、その濡れ縁を「縁側」と呼んでいた。「廊下」の北の8帖の和室はその家では一番の座敷であり床の間もある部屋だったが、その南側にあった「廊下」は「広縁」でもあったのではないかと思うし、そのような使い方をしていたが、あくまでも、「廊下」と呼んでいて、「広縁」とか「縁側」とは言わず、「縁側」は茶の間の外についていた濡れ縁のことを言っていた。この「廊下」は和室の広縁の役割もしていたが、他方で東側の便所と西側の茶の間を結ぶ廊下でもあった。
これは、私が子供の頃、大阪市東住吉区で住んでいた家でのことだが、1990年代、(株)一条工務店で福島県いわき市に勤務した際、福島県浜通り地区および茨城県北部の人と話をすると、「広縁」と言わないということもないが、福島県浜通り地区および茨城県北部の人は、「ろうか」と言う方が一般的だった。屋内の中廊下も「ろうか」と言うが、畳敷の和室の前、主として南側にある板貼りの部分を、他の部屋につながっていなくても「ろうか」と呼んでいた。
地方によって部屋の呼び名は異なることがあるようだが、飛騨の里の旧若山家住宅では屋内の縁側を「えん」と呼ぶようだ。それを英語にしろと言われても、どないすりぁええねん・・て感じがする。veranda は「苦肉の策」みたいな訳かと思う。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は、初期の商品名に「セゾン エスポワール」とか「セゾン リヴェール」とか「アパートみたいな名前」をつけていたが、「フランス語の名前にするとおしゃれな感じがする」という「いかにも浜松のイナカモンの発想」て感じの命名やった・・・と言うと、怒られるのだ、営業本部長に。「うちの会社が嫌ならよそに行けばいいだろうがあ」とか「そんなこと言うなら、エスバイエルに行けよお」とか言われるのだが、なんで、そんな話になる・・と思うが、言っても通じない。だから、うかつなことは口にできない。しかし、それでもやっぱり、「アパートみたいな名前」を「おしゃれ」とか「はいから」とか思ってる遠州人の感覚というのは、東京圏か関西圏の住人にすると、「なんか、イナカくせえ・・」て感じがする・・が、それを言うと怒られるから黙っていた方がいいが、そういう「見ても見ざる、聞こえても聞かざる、言ってあげた方がいいことでも言わざる」という会社というのは、なんだか情けない会社だなあ・・と思いました。そう思いませんか?
小堀住研(株)の会社名は、初代の名字が「小堀」で、「住研」は「住宅を単に建てるのではなく、研究して建てる」という意味で、二代目の中島昭午がテレビの広告に出て「住研とは」とか言っていた。「住宅を研究する」会社は「単に、住宅を建てる」会社よりも上だと言いたいという名称で、小堀住研(株)が考えた言葉だったと、1980年代後半に新卒入社した際、新卒社員研修で講師役の従業員から言われた。しかし、その頃から、不動産屋で「☆☆住研」という会社名を名のる所が出てきた。小堀住研(株)としては、「住宅を単に建てるのではなく、研究して建てる」という意味で命名した名称で、「なんか、程度の低いそのへんの不動産屋」にその名称を名のられたくないところだったと思うのだが、「小堀住研」は商業登記していても、「住研」は商標登録したわけでもなかったはずで、「人相の悪い不動産屋のおっさん」に「住研」という言葉を会社名・店名に使うなと言うわけにもいかなかったのではないかと思う。だから、「住研」の部分を改称しても悪くはなかったかと思う。JRというのは、どうも、駅名のつけ方に傲慢なところがあり、京都の京福電鉄が広隆寺の目の前の駅に「太秦(うずまさ)」という駅名をつけていたのに、京福電鉄の駅なら「太秦」のひとつ西側の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」の北あたりに山陰本線(「嵯峨野線」)に新しく駅を作ってその駅名に「JR帷子ノ辻」ではなく「太秦(うずまさ)」なんて駅名をつける。一般に、駅名というのは先につけた方が優先ではないのかと思うが、国鉄⇒JR はそういう遠慮はしないようだ。それなら、京福電鉄はどうしたかというと、「太秦(うずまさ)」だった駅を、名称を改めて「太秦広隆寺(うずまさ こうりゅうじ)」と改称。かえって、「広隆寺の目の前の駅ですよお」とアピールする名称にできたみたい。 京福電鉄だけではない。なにしろ、JR西日本というのは、国鉄が「分割民営化」された時、JR西日本の社長になったおっさんが「饅頭の切り方と羊羹の切り方は切り方が違う。うちの饅頭は餡(あん)(黒字路線)が少ない。誰だ、こんな切り方をしたのは!」とおっしゃったそうで、そこから、赤字路線を黒字路線化しようと、福知山線を複線電化して「JR宝塚線」と命名し、阪急宝塚線・伊丹線の客をぶんどり、山陰本線の京都よりの部分も複線電化して嵯峨野線と命名、福知山線は尼崎で事故を起こすような高速運転。まさに「仁義なき戦い」で餡(あん)を増やした・・のだが、福知山線に同線が複線電化される前は無人駅だった「中山寺」駅があったが、これが複線電化して「仁義なき戦い」で福知山線を快速が走るようになると快速停車駅に変身。「中山さん」と言われる真言宗の中山寺が阪急宝塚線「中山」駅のすぐ北にあるのだが、阪急の駅名が「中山」でJRの駅名が「中山寺」だとJRの方が中山寺に近いのかと誤解されてしまう・・と考えたか、阪急は宝塚線「中山」駅を「中山観音」駅に改称。 傲慢な駅名のつけ方はJRだけではない。京都市地下鉄烏丸線が開通すると、それまで、京阪本線に「五条」駅・「四条」駅があったのに、おかまいなしに、京阪「五条」「四条」駅とは離れた場所に京都市地下鉄烏丸線に「五条」「四条」駅を開設。特に「四条」駅は阪急京都線「烏丸」駅と同じ場所に違う駅名で設置。京都市地下鉄「四条」駅と阪急京都線「烏丸」駅の関係については、阪急京都線は四条通の地下を走っているから「四条」と言えば、「西院」「大宮」「烏丸」「河原町」と全部「四条」になってしまうし、京都市地下鉄烏丸線は烏丸通の地下を走っているから「烏丸」とすれば、これも全部が「烏丸」になってしまうから、だから、しかたがないといえばしかたがないかもしれないが、京阪としては、京阪本線の方が先に「五条」駅・「四条」駅を設置しているのに、どあつかましくも、ずいぶん離れた場所に京都市地下鉄が「五条」「四条」駅を開設・・すると、京阪はそれまでの「五条」駅を「清水五条(きよみず ごじょう)」駅に改称、清水寺に行くならここが便利♪ とアピールしたような駅名。「四条」駅は「祇園四条」駅に改称。なかなか、やるではないか・・て感じがする。そういう対応をできないところが、小堀住研(株)の経営者の頭の足らないところ。「小堀」という名前は、中島とか増田とか高田とか大野とかいったようなどこにでもある名前とは違うのだ。滋賀県出身で名字が「小堀」で戸建住宅建築業の会社で「いきな和風住宅が得意」となると、「小堀遠州と関係あるのか」と客の側で勝手に思ってくれる名前なのだ・・・から、その名前は残しておいた方がいいはずだった。「住研」は「そのへんの人相の悪い不動産屋のおっさんの会社」が名のることが多くなってしまったからには、そちらは改めて、たとえば、「住宅研究建築所」か「住宅建築」か「住宅建築研究」か、もしくは「株式会社 小堀の住まい」とか何かそういった名称に改めていいとして、「小堀遠州と関係あるのか」と客の側で勝手に思ってくれる名称の「小堀」は残しておくべきなのに、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい2代目の中島昭午が会社名からその「小堀」を取り除きたかったのか、「小堀」を会社名から取り除き、主としてツーバイフォー工法で建てているわけでもないのに、「エスバイエル(S×L)」などというツーバイフォー(2×4)工法の会社かと間違えられそうな名称に改名してしまい・・・、そして、どういう会社名にすれば顧客に受け入れられるかという思考よりも「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかが先代の名字を会社名から取り除きたいという方を優先して会社名を変更した会社は、あっという間にボロボロになって株価はどんどこ下がり、・・つぶれた・・というよりも「アホの二代目」が意図的につぶした。京福電鉄が「太秦」⇒「太秦広隆寺」、阪急が「中山」⇒「中山観音」、京阪が「五条」⇒「清水五条」、「四条」⇒「祇園四条」と改名したのとは大違い。やっぱり、アホはあかんなあ・・て感じがする。
・・それから考えると、「セゾンエスポワール」「セゾンリヴェール」の「アパートみたいな名前」の方がましか? ・・というと、どっちもどっちみたいな感じがするが、なんか、センスの悪い経営者が日本にはいっぱいおるようだ・・・。
(株)一条工務店は、その後、「エスポワール」「リヴェール」を取り除いて「セゾン」という商品名にしたが、その「西武みたいな名前」は静岡県中西部・愛知県では良かったらしいが東京圏では評判悪かった。「西武ではないのに西武みたいな名前」というのは「トヨタ自動車(株)と関係ないのに豊田商事」みたいな印象で、その地域で「セゾン」というと西武という印象が強くない地域か(株)一条工務店がその地域で相当建てて評判が定着した地域においてはよくても、1990年代初めにおいては東京圏においては「浜松の聞いたことない工務店」でしかない会社が「西武ではないのに西武みたいな名前」を商品名につけたのでは、「胡散臭い会社」とアピールしているようなものだったが、「遠州人」は自分たちが営業やっている地域、静岡県中西部・愛知県で良ければ箱根の関より東で営業やる人間がやりにくくてもいっこうにかまわない・・という信念を持っていた。
(株)アイダ設計 は請負での建築と建売の両方をやっている会社で今では請負の方が多くなったらしいが、かつては建売の方が多い会社だったが、設計事務所から発祥の会社とは思えないのに「・・・設計」という会社名を名のっているのはなぜかと思っていたが、会社の各部署を、それぞれ、形式上、別会社にしていた時期があったが、上場を考えて、逆にひとつにまとめようとして、その際、どの会社名の会社にまとめるのがいいかという問題で、「アイダ設計」という設計部門の会社にまとめたということらしい。なるほど、そこはよく考えていると思う。各部署で異なる会社名を名のっていた会社がどの部署の名前を会社全体の名称にすると顧客に受け入れられるかと考えて、「・・設計」がいいという判断をした、というのはそれは間違っていなかったであろう。 住友林業(株)は、もともとは林業の会社だったが、今では林業分野と戸建住宅分野の2本立てで(今では、ほかに、不動産も少々扱っているらしいが)、「住友林業の家」で住友林業の林業分野から供給した材木を使用しているわけでもないらしいが、あえて、林業分野と戸建住宅分野を別会社にすることはないということもあるかもしれないが、「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」よりも「◇◇林業」の方が在来木造の会社としては「いい木を使っているのではないか」とか「木に詳しいのではないか」とか顧客が勝手に連想する名称であることから、「住友林業」という名称を名のっている、ということがあるだろう。 ・・で、なんで、(株)一条工務店は「工務店」なんだ?・・と1992年に東京展示場に在席した営業の間では言われていた。たしかにそうだとは思ったが私が最初に口にしたのではない・・・が、(株)一条工務店という会社には《自分が私に言ったくせに、「〇〇さんが・・・て言ってましたあ」とふれまわる人間症候群》の「患者」「病人」がいたので、これも、私が言ったことにして営業本部長に「御注進」していたヤツがいた可能性はあるが、東京圏で営業やる上においては、最近では(株)一条工務店も知名度が大きくなったが、1990年代初め、東京圏ではまったく無名で認知されていない会社であった時代においては、「工務店」を名のったのでは、「いかにも浜松の工務店」という印象で「静岡県で建てるのならともかく、東京圏で建てるのに、何を物好きに静岡県の”工務店”で建てなきゃならんのだ」という印象を与える会社名だった。なんで、「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」「◇◇林業」「△△設計」ではなく「工務店」なんだ?・・というと、今では都市圏においては家はハウスメーカーで建てる方が普通で、「工務店」というと「大手ハウスメーカーの下請けやってるか、リフォームやる会社」と思っている人が少なくないという状況になってきたが、「地方」においては、「家は木造で建てるものだ」「家は国産材でムク材で建てるものだ」という意識が都市圏よりもはるかに強く、かつ、「家は大工さまに頼んで建てるものだ」という意識が今もある地域においては、「大工さま」の集合体が「工務店」であり、それに対して、「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」という会社名は「プレハブみたい」という印象を与える名前、東京などで建てるならよくてもその地域には合わないのではないかという印象を与える名前で、「××工務店」の方が「地方」においては受け入れられやすい、という場合が多かったからである。だから、(株)一条工務店は、静岡県中西部・愛知県で営業しやすいように、「東京圏では営業しにくい会社名」をつけたのだ。すべてにおいて、静岡県中西部・愛知県中心主義の会社だった。そして、他の地域を犠牲にしてでも静岡県中西部・愛知県を優先・優遇しようという信念の会社であるとともに、そういう地域の営業を増長させるのが趣味の経営者の会社だった。
(おまけ) 「遠州好み」という言葉には2通りの意味がある。
1.古田織部が好んだという意味の「織部好み」、千利休が好んだという意味の「利休好み」と同じく、小堀遠州が好んだという意味の「遠州好み」、
2.遠州人の好みに沿った・・という意味。
(株)一条工務店の「セゾン」「百年」というのは2の方の「遠州好み」にできていた。だから、浜松・掛川の営業は自分の営業所の来場客・見込客の好みに沿った商品を売ることができたのに対して、東京展示場においては、来場客から「何、これ? 田舎の家みたい」とかしばしば言われることになった。
1.の意味の「遠州好み」はドイツ人建築家のブルーノ=タウトさんの好みとかなり共通するのではないかと思う。群馬県高崎市に少林山 達磨寺というお寺があって、その敷地内にかつてブルーノ=タウトさんが住んだという平屋の建物 洗心亭がある。(株)一条工務店の佐野展示場に勤務していた時、週休日に見学に行ったのだが、豪華な建物ではなく大きな建物でもないが、たしかに、ブルーノ=タウトさんが好みそうな建物で、「タウト好み」であるとともに、おそらく、1.の意味での「遠州好み」でもあるのではないかと思った。2.の意味の「遠州好み」ではない。
「タウト好み」は1.の意味の「遠州好み」と共通する部分があるのではないかと思う。2.の意味の「遠州好み」は「タウト好み」とはあまり共通しない・・・と思う。・・たぶん・・。
※ 少林山 達磨寺 HPhttp://www.daruma.or.jp/
〃 少林山とブルーノ・タウト http://www.daruma.or.jp/bruno/index.html
〃 洗心亭 http://www.daruma.or.jp/access/facility_seishintei.html
次回、旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
(2020.3.6.)
☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光曜山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。〔今回〕
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html
☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html
☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html
☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html
☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht

民家村の旅 (INAX ALBUM) - 大野 敏

飛騨の合掌造り 棟梁一代記 - 家柄木 清光

小堀遠州 綺麗さびの極み (とんぼの本) - 小堀 宗実, 熊倉 功夫, 磯崎 新

建築とは何か (SD選書 95) - ブルーノ・タウト, 篠田 英雄
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