飛騨の里6-旧若山家住宅(4)荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。

[第756回]高山シリーズ6回 飛騨の里6 旧若山家住宅(4)
  飛騨の里 に移築されている旧 若山家住宅の4回目です。
  階段で2階に上がりますと、合掌造の骨組みが見えます。↓
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↑ 合掌造の屋根というのは、見た目、切妻屋根と似ているのですが、↓
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(1) 切妻屋根と合掌造はどこが違うのか・・、屋根の規模が大きくて小屋裏に部屋を設けていて、それが何階分もあるということなのか・・というと、それだけではないのです。
 切妻屋根の場合、洋小屋組なり和小屋組なりの組み方で直下階の上に小屋組を設け、小屋組の構造の上に屋根を設置していきますが、↑ の写真を見ていただくとわかるように、合掌造の場合は、両側から「合掌」するように木材が組み合わされたものが、それが主たる構造であり、その内部で何階かあるものについて、床と床を支える柱があったとしても、「合掌」こそが建物を支える構造であり、その点が、外観では切妻屋根と似ていても、構造は違うのです。
  ↑ 2階から3階を支える柱の木材よりも、「合掌」の木材の方がずっと太いものが使用されていますでしょ。 「洋小屋組で切妻屋根」「和小屋組で切妻屋根」の場合、棟の部分で垂木が合わさっているものの、垂木で小屋組を支えているわけではなく、洋小屋組・和小屋組で支えているので、片流れ屋根や切妻屋根でも中央で合わさるのではなく、片方の勾配が急で他方が緩やかな棟が一方に偏った切妻にするということも可能だけれども(それでも、中央で合わさった方が強いでしょうけれども)、それに対して、合掌造は「合掌」して中央で合わさることで成り立つ構造ですから、片流れや棟が一方に寄った切妻にすることはできないことになります。
  飛騨の里HPの「旧若山家」http://www.hidanosato-tpo.jp/hdsmap.html には《 合掌屋根全体をささえる梁は叉首(さす)と呼ばれ、2階の床から計4本が斜めに入り、叉首の下方には「きざはし」という段組をつけて階段がわりに用いました。》と出ており、洋小屋組・和小屋組が支える屋根の屋根材を受ける部分である「垂木」ではなく、合掌の部分の主たる構造材である「梁」であり「叉首(さす)」らしい。

(2)現地の説明書き、【合掌造の歴史が刻まれた家】には、《 合掌屋根は梁の下端を鉛筆状に尖らせ、桁にピンポイントで載せただけの構造です。これは横からの力には弱いものの、雪による大きな垂直荷重を受けるのに強く、山が強風をさえぎってくれる飛騨では大変合理的な造りでした。》と書かれているのですが、「合掌」で合わさっている木材を「垂木」ではなく「梁」と考えているようです。
  その下端が「桁にピンポイントで載せただけの構造」というのは、どういうものを言っているのかと思ったのですが ↓ 、
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↑ たしかに、下端を意図的に細くしてあります。

(3) 旧若山家住宅は、荘川村でも北より、白川村との境目に近い場所に建てられたもので、荘川村の合掌造りと白川村の合掌造りの両方の要素を持った建物だということですが、そんなこと言われても、「はあん、そうかいなあ」と納得したような気持ちになっても、どこが荘川村様式でどこが白川村様式なのか、合掌造研究家でもないとなかなかわかりません・・・が、現地の説明書き、【合掌造の歴史が刻まれた家】には、
《 荘川の民家は、荘川造りといわれる鼻小屋のついた寄棟(よせむね)・入母屋(いりもや)造りの民家が多く、旧若山家は荘川唯一の切妻造りの建物でした。2階から上へ登る階段「キザハシ」)となっているムコウザスは、切妻屋根では必要のない、寄棟屋根の骨組みです。旧若山家は荘川造りから切妻合掌造りへと移り変わる歴史を物語る建物なのです。・・・》
と書かれている。
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↑ たしかに、2階から3階に上がる階段として利用される木材だけでなく、階段としての使用は想定されていない木材が何本か、「合掌」とは垂直の方角に設置されている。

(4) 古い家だと、よく、「この家は釘を1本もつかわずに建てられているんです」とかいった話が出てくる。又、大工に対する悪口のひとつとして「叩き(たたき)大工」というものがあって、これは、継手(つぎて)・仕口(しぐち)といった木をかみ合わせる加工ができず、何でも釘を打ってとめようとする大工のことを言う悪口らしいのだが、合掌造というのはどうなのか・・と思って見ると、1階部分の柱・梁といったものは継手・仕口といったかみ合わせで造られているのだが、「合掌」の部分については ↓
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↑ 縄でしばって固定されている。「ひもでくくった」ような取り付け方・・というのは、それで大丈夫なのか? というと、長年、それで建って存在してきたからには大丈夫なのかと思うが、縄でしばった状態での施工というのがあるんだなあ・・と思って見てきました。
  飛騨の里HPの「旧若山家」http://www.hidanosato-tpo.jp/hdsmap.html には《 また釘は貴重品であったこともあり合掌造りは釘を一切使わず建てられています。梁や柱はネソ(まんさくの若木)と茅縄で縛られ、弾力性があり、かつ緩まないという点で釘よりも優れた方法です。》と出ています。

(5) 合掌造の構造材は何の木なのだろうか、と思ったのですが、飛騨の里HPの「旧若山家」http://www.hidanosato-tpo.jp/hdsmap.html には《旧若山家で用いられている木材はスギが最も多く、次にヒノキ材で他にクリヒメコマツカツラなどがみられます。 》と出ています。

《 2階から上は主にカイコの飼育場として活用しました。下では手間のかかる若い蚕を育て、無事成長した蚕は上に移しました。》とある。

  《 かつて若山家は土地の名士で、建物は広く立派な造りです。正面外側は柱の上部から腕木を出して小板を張った棚を持つ「船枻 (せがい)造り」としています。 これは名主層以上にしか許されないものでした。》
とある。
※ コトバンクーせがい造り https://kotobank.jp/word/%E3%81%9B%E3%81%8C%E3%81%84%E9%80%A0-1350965
  日下部家住宅(日下部民芸館)でも「せがい造り」という言葉は出てきたのですが〔[第735回]《日下部民芸館(高山市)の架構は「男性的」か。和室は座って見学すべし、建築はじっくり時間をかけて見学すべし》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html 〕、文章で言われても、どれのことを言っているのかわかりにくい。
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( ↑ 日下部家住宅(日下部民芸館) )
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( ↑ 飛騨の里 旧若山家住宅。 )
  これのことかな・・と思われるものが見つかりました。 わかりましたか?

 「囲炉裏(いろり)」の四面ですが、「おえ」の「いろり」の四方には「よこざ」「かかざ」「きゃくざ」「きじり」と書かれています。「よこざ」はその家の主人、「かかざ」は主婦の座で、「きゃくざ」は客人、「きじり」は子供たちの場所だというのです。
  そういえば、私が小学校の4年の時、1960年代後半でしたが、父と一緒に山陽方面に旅行した時ですが、同じように親と子とで旅行している人を見かけましたが、そういう人は、たいてい、電車の中では子供に窓側に座らせて、通路側に座った親は窓側の子供と一緒に窓から外を見て子供に見聞を広めさせようとしていたのですが、ところが、うちの父親だけは、常に自分が窓側に座ろうとしたのです。小学校4年生だった私は父も窓側に座って外を見たいのだろうと最初は思っていたのでしたが、ところが、行きは大阪駅から乗った特急で宮島口で下車したのですが、父は窓側の席に自分が座り、あまり外は見ないで、直前に指定席を取ったことからグリーン車しか座席を取れず、「こういう席はわしのようなえらい人間しか乗ったらあかん席なんや」とかそういうことばかり言っていました。小学生の時の私は電車好きでしたので、窓から外も見たかったけれども電車の中も見たかったのでそれはそれでいいみたいに思っていたのですが、帰りは、広島駅から特急「みどり」だったかに乗って大阪駅まで乗ったのですが、父は自分が窓側の席に座って、そして、発車すると同時に週刊誌を広げて読みだしたのでした。週刊誌を読むのなら私に窓側に座らせてくれればいいのに、よその親子は誰もが子供に窓側に座らせているのに、なぜ、うちの父親は週刊誌を読むのに断固として自分が窓側の席に座ろうとするのか・・と思いました。親子で旅行している人を見かけると、子供に窓側に座らせて親は通路側に座って一緒に窓から外を見ているという親子が多かったが、なぜ、うちの父親はいつも自分が窓側に座ろうとして、そして、窓側の席で週刊誌を読むのだろうか、自分も外を見たいから自分が窓側に座るのならともかく、週刊誌を読むのなら通路側でもいいだろうから私に窓側の席に座らせてくれればいいのに、と思ったのでした。小学生の時の私は「電車好き」の子供でしたので、特急の車内というのはこうなってるんだあ・・というのを見るのも好きではあったのですが、さすがにずう~っと通路側に座っているのはあきてきますし、なんで、この人は週刊誌を読むのに窓側に座るのかと思っていたら、そのうち、週刊誌を閉じて窓側の席で寝だしたのでした。寝るのなら通路側の席でもいいだろうが、出張で電車に乗ってるのではなく観光旅行に行くのに電車に乗ってるのに、何も窓側の席で寝ることないだろうが・・と思ったのでしたが、それから50年ほど経ってその理由がわかりました。父は「上座」に座っていたつもりだったのです。だから、窓側に座りたいと思った小学校4年の時の私の方が間違っていたのでした。しかし、私からすれば、見聞を広めるために旅行に連れて行ってもらったはずでしたから、窓側の席で週刊誌を読むおっさんの通路側の席でずうう~っと何もしないで座っているのならば、別にそんな旅行に行くことなかったような感じがしないではないのです。 行った先でも、父は「それ、時間ない、時間ない。それ行け、てってけてってけてってけてってけ」と言って速足で一周するだけでしたし、今、考えると、あのおっさんと一緒に旅行するのなら、別に行くことなかったな・・と思います。
  1970年代、北野高校の1年の時、「地理」のH先生が、「地理の勉強というものはやな」と最初に語りだして言われたのは、「地理の教科書を読むとか、そういうのもいかんことはないけれども。まず、新聞を見て、コーヒーの広告で、『MJB』なんて書いてあるのを見て、そのまま、何とも思わんもんもおるかもしれんけれども、そうではなくて、Mて何やろ、Jは何やろ、Bは何やろ・・と考えることが大事や。知ってるか? MJBコーヒーというのは、コーヒー豆の産地の頭文字なんや。Mはモカ、Jはジャワ、Bはブラジルや。新聞の広告を見ても、こういったことを考えるという頭があるかどうか。そのあたりが地理の勉強や。それから、きみらの中で、阪急の石橋駅から十三(じゅうそう)駅までの間に、藁ぶきの家が3軒あるの、知っとるか。電車に乗っても、窓から外を見て、『あ、あそこにあんなものがある』『ここにこういうものがある』と興味を持って見るというのが、それがまず、地理の勉強や。だいたい、日本のサラリーマンは出張で電車に乗った時、いったい、何しとる? 週刊誌読んどるやろうが。情けない! せっかく、普段と違う場所に行ったんやから、窓から外、見とけ! そうすれば、『あ、あそこにあんなものがある』、『あ、あれは何だろう』と気づいておもしろいんや。週刊誌なんて見る必要があったら家に帰ってから読んだらええやろうが。電車中で読まないかんもんやないやろ。せっかく、出張で普段と違う場所に行ったのに、まったく、日本のサラリーマンというのは、なんで、週刊誌なんて読むのやろうなあ」という話だった。あ、まさにそれ、うちの父親だ! と思ったものだった。せっかく、お金だして旅行に行ったのに、なんで、特急の座席で父親の方が窓側の席に座って子供に通路側に座らせて、窓側の席に座った者が週刊誌読むんだ? と思ったのだったが、父としては、自分が上座に座ったつもりで、目下の者に通路側に座らせてやってやってやってやったった、という意識だったようだった。
  私が20代になった時だが、下の姉がダンナと一緒に大阪府の我が家に来たことがあったのだが、食事の際、ダイニングルームで、父は長方形のテーブルの端の側、庭へ出入りできる掃き出し窓の手前の補助席みたいな位置に、「そしたら、わし、ここに座ろかあ」と言って座り、長辺の一番いい席を義兄に座らせて、その隣に義兄の嫁である私の姉に座らせるので、父の正面の位置のやはり補助席みたいな場所に座らされた私は、なんで、この人、補助席みたいな場所にわざわざ座って、一番いい席を義兄に譲るのだろうなあ・・・と不思議に思ったのだったが、後から、考えてみると、あれは、あのおっさんは、上座に座ったつもりだったようだった。 玄関から入ってきて一番奥の位置の席・・・というのが、後ろは掃き出し窓の「窓際」席、すぐ後ろが庭という席で、あまりいい席ではないように思ったのだが、父はそこを上座だと思ったようで、それで、わざわざ、座りやすい席を義兄に譲って、自分がその「上座」に座り、末席に私を座らせたようだった。そういうおっさんやった。
  北野高校のH先生の話を聞き、「地理」は大学入試では社会科の受験科目に選ばなかったけれども、そういった学習をした者として、父のような会社員にはなりたくないと思い、せっかく、「地理」に限らず、そうやって勉強してきたのに、経済学部や商学部なんかに行って会社員になんかなってしまったら、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのにそれが無駄になってしまう、何のために勉強してきたのかわからなくなってしまう・・と思い、経済学部・商学部・経営学部だけは首をもがれても行かされたくないと思ったものだった・・・が、行かされてしまった。父は言うのだった。「会社っちゅうところに勤めるのを嫌がる者というのは、モラトリアム人間病という病気です。慶應大学医学部の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生がそうおっしゃってる。甘ったれておってはならんぞ、チャンコロっ! 甘ったれておってはならぬぞ、このチャンコロめがこのチャンコロっ! てってこっこてってて~い! てってこっこてってて~い! てってこっこテッテテッテらったらったらったらあ~あ! 撃ちてしやまん! い~ちおく、火の玉あ~あ! とってちってたあ~あ!!! どんがん、ドンガラガッタちゃちゃちゃちゃちゃあ~ん♪ 欲しがりません、勝つまでは! すべてをすべてを会社のために、すべてをすべてを親コッコッコのために、すべてをすべてをわしのために、捧げ尽く~す! とってちってたあ~あ! 会社っちゅうところに勤めるのを嫌がる人間というのは病気であ~る! 慶應大学の小此木啓吾先生がそうおっしゃっておるのでR! とってちってたあ~あ!!!」と。 そうやって、私は小学校1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきた努力の成果はすべて奪い取られた。 それが、「よこざ」「かかざ」「きゃくざ」「きじり」・・・といったものである。だから、私はそういうものが嫌いなのだ。
   「あんた、わしのようなエライえらいエライえらい、特別に特別にえらいお父さんを持って、あんた、幸せやねえ~え。世の中には、カス親! もおれば、ダメ父! もおるわけやけれども、その点、あんたは特別に特別に特別に特別にえらいエライえらいエライえらいエライ! というお父さんを持て、あんたほどこの世で幸せな人間はおらんのやで。わかっとんねんなあ、チャンコロっ! わかっとんのんか、このチャンコロっ!」と言うのだった。 そうやって、毎度、「きじり」に座らせられてきた者としては、そういう、「上座」だの「下座」だのちった考え方は好きになれない。自分が親になったら、自分の子供にはそういうことはやりたくないと思ったものだった。神様は、すべての人間を平等にお造りになったはずだった・・と思っていたのだった・・・が、どうも、その私の認識が間違っていたようだった。父は言うのだった。「天の神様は、この世の人間をはっきりと2つに分けて御造りになっておるのであ~る。わかっとんのんか、チャンコロ!」と。「世の中はやなあ、わしいみたいな賢明で沈着冷静で判断力に優れておって優秀な優秀な人間ばっかしでもあかんし、あんたあのようなカスのクズのカスのクズの人間ばっかしでもあかんわけや。わしのような人に命令したり号令かけたりするのが得意の人間と、あんたあのような、常に命令されて号令かけられて、せえっせせっせ、せえっせせっせと働くのが向いている人間と、世の中には両方の人間がおらんといかんわけや。天の神さまは大変賢明なお方であるからしてやなあ、生まれる時点で人間をはっきりと2つに分けて御造りになったわけや。民族でもそうやろ。ドイツ人とかアメリカ人とかは人に命令して人を服従させるのが使命の民族、チャンコロは服従するのが向いておって常に服従するのが向いている民族。わしとかM川先生(父の「親友」の医者屋)(当時、大阪府豊中市在住。「金沢大医学部卒」と自称していたが疑わしい)とかはドイツ人でアメリカ人なんや。それに対して、あんたはチャンコロなんや。これは生まれる時点で神さまがそう決めて御造りになったものであって、それを買えようなどと思っても変えることはできないし、変えようなどと考える不心得者を天の神様は決してお許しにはならんのや。わかっとんのんか、このチャンコロめが、このチャンコロ、浪商!!! おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけどもやなあ、たとえ、北野高校に行ってもおまえは浪商やねんぞ、この浪商めが、この浪商!!! おまえは浪商の階級なんじゃ、この浪商!!! わかっとんのんか、この浪商!!! たとえ、北野高校に行ってもおまえは浪商じゃこの浪商めが!!! それに対して、わしは天高(天王寺高校)で慶應やねんぞ、このわしはあ!!! わしはドイツ人で慶應やねんぞ、わしは、わしは、わ、し、はああ~あ! 階級の違いを忘れるな、民族の違いを忘れるな! このチャンコロ、この浪商めが!!! よくも産まれおってからに、この浪商、このチャンコロっ!!!」と。毎日毎日、朝昼晩とそう言われてきて、そして、「階級の違いを忘れるな!」に対して、「階級の苦しみを忘れるな!(不忘階級苦)」、「民族の違いを忘れるな!」に対して「民族の恨みを忘れるな!(不忘民族恨)」、そして、「天の神様は、人間を支配する民族と支配される民族に分けて御造りになっておるのであって、それを変えようとするものを決して決してお許しにはならぬぞ、チャンコロっ!」に対しては「造反有理、革命無罪!(反逆には理由がある。反逆は正しく抑圧は間違っている。革命は無罪である!)」が対応するようになった。「起て! 奴隷となるな、我が人民。 我らの血肉で築こう、新たなる万里の長城を! お叫びあげて、いざ、闘わん! 起て、起て、起て!」(中華人民共和国国歌。ロバート=ペイン『毛沢東』角川文庫 所収)と常に思うようになった。「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない!」(ルドルフ=フォン=イェーリング『権利のための闘争』に引用されたカントの言葉)。 ・・・ということで、実際に卒業した高校は明星高校で実際に行った大学は同志社だったはずなのに「わしは天高(天王寺高校)で慶應やねんぞ、わしは、わしは、わ、し、はあ。おまえとは違うねんぞ、おまえは浪商で拓殖じゃ、この浪商めがこの浪商!!!」と言い続けてきたおっさんのおかげで、わたしは、何よりも、「上座」とか「下座」とかいうものが嫌いなのだ!!! だから、「よこざ」「かかざ」「きゃくざ」「きじり」なんてものも、申し訳ないけれども、好きになれん・・・。 それから、電車中で週刊誌、読むやつというのも嫌いなんだ、それも女性の裸の写真の載ってるようなのを読むドイツ人というのが!!! 「高級な民族」だか何だかしらんが、そういう人間見ると、ああ、「日本のサラリーマン」だなあ、という印象を受ける・・・のだが、こういうことを言うと、慶應内部進学小此木啓吾、「ゆりかごから墓場まで慶應的精神空間から外に出れない症候群」小此木啓吾から「モラトリアム人間病」とか「自我が確立されていない」とか「外罰的性格」とか「未成熟」とか「なんとかかんとかシンドローム」だの「なんちゃらかんちゃら症候群」とか「診断」されることになるので、実に恐ろしい! 小此木啓吾の「モラトリアム人間病」理論というのは、要するに「見る前に跳べ!」(Look if you like, but you will have to  leap!)という、ファシズムが台頭してきた時代に、それに同調することにためらう者に対して言った文句そのままであり、ファシズムに加担することにためらう者を「モラトリアム人間病」と「病気」扱いして「治療」と称して「人間による人間の加工」をおこなおうとするものである。いかにも、「ゆりかごから墓場まで慶應」(from cradle to tomb)の人間が主張しそうなことである。彼等、内部進学はそういう態度のことを「独立自尊」とか「福沢精神」とか「リベラル」とか「自我が確立されている」とか「福沢精神を身に着けている」とか「スマート」とか「アイデンティティーを持っている」とか「現実的」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか、さらには「ギャルにもてもて」とか言うのである。最後のやつは「似た者同士」のしょーもないやつがくっついとるだけ! だと思うけれども。 「ゆりかごから墓場まで慶應的精神空間から外に出れないシンドローム」小此木啓吾なら、「よこざ」「かかざ」「きゃくざ」「きじり」といった区別なのか差別なのかは大喜びするだろうし、自分たち内部進学は「上座」に座るもので「外部の者」は「きじり」にでも座らせてもらえばありがたいと思え・・というよりも、「外部の連中」は「うまやどうじ」か「うまや」にでもおらせてもらえば御の字とか思うておるのであり、床の上に「外部の者」があがろうと思うことがおそれ多い! といったのが慶應内部進学の認識であり、小此木啓吾など心の底からそう思っていたであろうし、そういう人間が考え出したのが、「モラトリアム人間」論であり、その他の、なんちゃらかんちゃらシンドローム、なんだもんだ症候群・・といった「ビョーキ」シリーズである。2003年、やっと、あの男が死んでくれたのでまだしも助かった・・が、いずれ、内部進学で同類がまた出てくることだろう。くわばら、くわばら・・・・。もっとも、 「会社に勤めるのを嫌がる人間というのは、モラトリアム人間病という病気です」という小此木啓吾モラトリアム人間病理論からいくと、小此木啓吾こそ、「会社ちゅうところ」に勤めるのを嫌がって「病院」とか大学とかに慶應大学医学部助教授として勤めた人間であり、小此木啓吾こそ、重症、筋金入りの「モラトリアム人間病」の「患者」「病人」であるはずである。「精神安定剤」の大量投与とかやってメロンメロンにするとか、ロボトミーとかで大脳を破壊するとか、「入院療法」として逮捕監禁し、「カウンセリング」「心理療法」として言いくるめ・精神支配・マインドコントロールをおこない人格改造をおこなう必要があることになる。小此木啓吾はおのれこそ「モラトリアム人間病」の重症患者であるという事実を自覚できていないようで、「病識がない」という状態であったのだが、「揺り籠から墓場まで慶應的精神空間から外に出れない症候群」の重症の「患者」「病人」であるとともに、小此木啓吾こそ重症の「モラトリアム人間病」であるわけである。そのあたり、「おのれをそっちのけで勝手なこと言いまくる症候群」が小此木啓吾だったのだ。
  私は住宅建築業の会社に長く勤めてきたが、そういった「上座」だの「下座」だのといったものが嫌い、家族は誰もが同じ位置にいて同じように生活するべきだという考えの人は、だから、「和風」の家は嫌なんだ、という人がいて「洋風」の家にしたいという人がおり、だから、和室は作りたくないという人もおり、畳の部屋は作っても欲しいけれども、床の間とかはない方がいい! というのもいたし、いるはずである。 父は、「わしなんかは、ひとに号令かけるのが得意。あんたはひとから号令かけられることがうれしい! あんたは、ひとから号令かけられることに、快感を感じる人間なんや、あんたは。うれしいうれしい、号令かけてもろうて、うれしい、チャンコロ。よろこべよろこべ、よろこべ、チャンコロ。喜べ、チャンコロ。喜べ、チャンコロ!」と言い続けてきたものだったが、私はそういうのは好きではなく、むしろ、映画『サウンドオブミュージック』で、家庭を軍艦の上みたいにしてしまった男の家庭を、逆に、常に家族に歌声のある家庭にしようというそういう思想の方が好きだった。だから、その意味で私も「和風」の家は嫌いだったのだ。ともかく、毎日毎日、「ちゃんころチャンコロちゃんころチャンコロ」言われる家というのは嫌いだったのだ。 母が子供の頃に行っていたが今はなくなった大阪市天王寺区にあったキリスト教系の幼稚園で、母の家に「おなごし」さんとして来ていた人で母と最も仲が良かったらしい12歳くらいの女性が、毎日、幼稚園が終わる頃に迎えてに来ていたらしいのだが、ある時、もう終わったかと思って行くと、まだ、「お遊戯」をしていたのを見て、その「おなごし」さんが、一度、帰ろうと帰りかけたところ、シスターが「◇◇さん、帰らないで。どうして帰るんですか。帰らないで。一緒にやりましょう」と言って、一緒に「お遊戯」をやった、ということがあったらしい。母は90を過ぎても、まだ、その時のことを思い出して、うれしかったと話す。シスターが、相手が「ごりょんさん」(奥さん)であるか「おなごし」さんであるかなんて何の関係もない、人間は誰もが平等であり、「天の神さま」は「人間を分けて御造りになっておる」のではなく、「天の神さま」はすべての人間を等しく愛されて等しくお造りになっているのであり、「ごりょんさん」であるか「おなごし」さんであるかなんてことは、シスターには何の関係もない、という態度を取ってくれた、ということが何よりうれしかった、らしい。「民族の違いを忘れるな、階級の違いを忘れるな」とは、そのシスターは言わなかったらしい。「クリスチャン」にも様々な「クリスチャン」があるようである。
※ 《YouTube-The Sound Of Music:The Hills Are Alive》https://www.youtube.com/watch?v=SRfgfKQQ8cs
《YouTube-Edelweiss》https://www.youtube.com/watch?v=aVAbPf2Ge8g
  ・・・で、その「よこざ」「かかざ」「きゃくざ」「きじり」というのが、↓
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・・である。
  「上座」だの「下座」だのという話が出るのが嫌だから、だから、「和風」の家は避けて「洋風」にしたい、「畳の部屋」は設けても床の間は作りたくない、ダイニングテーブルはどちらが「上座」だか「下座」だかないように、丸テーブルにしたい・・という人はいるし、実は私も、自分が妻と子を持ち、家を持つならば、そうしたいと思っていた・・・が・・・。『イタリア的恋愛マニュアル』というイタリア映画では、小児科医が他人の子供ばかり見ていて、ふと気づくと自分に子供がなく、妻は自分から離れていった・・という男の話が最後にある。なんだか、身につまされるような話である。「滅私奉公」を繰り返してきたあげく・・・。
※ イタリア的恋愛マニュアル http://domino-moviewreviewcomedy.blogspot.com/2008/05/blog-post_14.html
  丸テーブルなら、どちらが「上座」も「下座」もないから丸テーブルの方がいい、と考える人はいるのだけれども、丸テーブルというのは、部屋はたいていが四角形なので、相当広い家で相当広い部屋ならいいが、そうでなければ、使いにくいところがあるようだ。なにより、ひと様の家を作るお手伝いの仕事はずいぶんとやったが、自分の家は満足なものを持てずにいる・・・。

  最近の中国(大陸の中華人民共和国)は、今も「中国共産党」という名称の党が政権を握っているわりに、社会主義なのか資本主義なのかわからないような経済体制の国になってきているようだが、かつて、戦後しばらくの時期においては、「孔子を批判せよ」といったことが言われたものだったが、最近はあまり聞かなくなってしまったようだ・・。

   旧若山家住宅は、昔の農家はたいていそうであるように、屋内にトイレはない。
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↑ の右手前にある小屋。
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↑ が「便所」である。
「べんじょ」は「Outhouse」という英語があてられている。『新英和中辞典 第三版』(研究社)には、
outhouse (名詞)1.=outbuilding.
 2.《米国で》屋外便所
outbuilding (名詞)《農場の》離れ家《納屋・鳥小屋など》
と出ている。
《 糞尿は以前は売買された貴重な肥料であった。当建物の内部は大きく2つに仕切られ、表側(母屋側)で用を足し、裏側の戸より入って糞尿を取り出した。大量に貯える為、口径2メートルを超える大きな桶が埋められていた。》そうな・・・。

  それで、屋根のてっぺんにある ↓
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↑ これが何だろうなあ、この横にぴゅっと出てるの・・と思ったのだが、白川村との境目に近い荘川村で造られて、白川村様式と荘川村様式の折衷様のような合掌造だというのが関係あるのだろうか・・と思って、飛騨の里の他の合掌造の建物を見てみると、これまで、いくつかの合掌造の建物を見学してきたが気づかなかったのだが、他のものにもあるのだ・・・が、何だろうなあ・・・。

  そういえば、合掌造りの屋根の萱(かや)だが、きれいに先端がそろっているが、あらかじめ、寸法を決めて切断してとりつけたとしても、こんなにきれいにそろうものなのだろうか・・・と思っていたら、屋根の萱を刈る「ヤネバサミ」というのがあったようだ。
  また、合掌造りの屋根の萱を構造材にくくりつけるためのでっかい針、「ハリ」もあったようだ。

  「ブーフーウー」の『三匹のこぶた』のお話で、ブーが作ったのは「藁葺き」の家だったはずですが、「藁葺き」と「萱葺き」は「藁(わら)」と「萱(かや)」の漢字は似ていますが、「藁(わら)」と「萱(かや)」は違うのか? 
  「建築用語集ー茅(葺き)(かや:ぶき)、藁(葺き)(わらぶき)」http://www.kenchikuyogo.com/111-ka/033-kaya.htm にそれが出ていました。《ススキのことを茅(かや)といい、ススキで葺いた屋根を茅葺きという。また、麦の穂のことを麦藁といい、麦の穂で葺いた屋根を藁葺きという。》そうです。ススキを使った屋根が「かや葺き」で、麦わらをつかった屋根が「わら葺き」だったんですね。ひとつ、賢くなりました(^^)/  「ブーフーウー」では、ブーが作った藁の家は狼に簡単に吹き飛ばされてしまいますが、実際には、「わら」なり「かや」なりを屋根に使った家というのは、屋根の重量は相当あると思われますから、そう簡単には吹き飛ばされないのではないか・・と思います。煉瓦造が木造より強いかというと、煉瓦の組積造は地震などには必ずしも強くないという説もあるようですし、「ぶーふーうー」は「まあ、漫画だから」てことで・・・。
※ 《YouTube-狼なんかこわくない Who's Afraid of the Big Bad Wolf》https://www.youtube.com/watch?v=CuiadOwqyQ0

  [第745回]《高山別院の光曜山照蓮寺。農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html で引用した「飛騨の民話 千鳥格子(ちどりごうし)(高山市荘川町軽岡峠)」の話は、この旧若山家の内部に説明書きがある。 「千鳥格子」は見た目は枡目の格子だが、単なる枡格子ではない。相欠きにした角材をはめ合わせるだけなら難しくはない、そのかみ合わせが交互になるように組み合わせたのが「千鳥格子」なのだが、はたして、かみ合わせを交互にしてはめ込むということが可能なのか? それをやってのけた大工棟梁がいたらしく、それが千鳥格子だった。 匠館の東側に枡格子があるが、あれは「相欠き」ではめ合わせたもので千鳥格子ではない、高山別院の耐震補強は高山の特色である千鳥格子に由来する枡格子を入れたものだが、鉄製のものであり、枡目にはなっているが、角材を交互にかみ合わせたというものではない。旧若山家住宅にある説明書きに掲載されている写真では、実際にかみ合わせが交互になっている格子の写真が載っている。

※ 飛騨の里HP http://www.hidanosato-tpo.jp/top.html
飛騨の里 旧若山家 http://www.hidanosato-tpo.jp/minka/mnkmain2.html
高山市HP 旧若山家住宅 https://www.city.takayama.lg.jp/kurashi/1000021/1000119/1000847/1000848/1000856.html
岐阜県HP 旧若山家住宅https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/kenzobutsu/kyuwakayama.html

  次回は、旧田口家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html

  (2020.3.9.)

☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光曜山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。〔今回〕
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_9.html
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html

☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 

☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html 
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html

☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht 


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