飛騨の里8-旧 吉真家住宅。入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。

[第758回]高山シリーズ6回[25] 飛騨の里8
【A】旧吉真(よしざね)家住宅。
  飛騨の里 に移築されている重要文化財に指定されている建物は、旧田中家住宅・旧若山家住宅・旧田口家住宅と、もうひとつは、旧吉真(よしざね)家住宅です。↓
DSC08261.JPG
DSC08264.JPG
↑   雪が積もった姿は美しいのですが、建築探偵団としては、雪が少々積もった姿も見たいものの、雪で隠されてしまった部分が見えないのは残念でもあります。雪がある時と雪がない時と両方の時に見学に来ればいいのでしょうけれども、すべての場所に複数回訪問することができるわけでもありません。 旧 吉真家住宅の雪が覆っている屋根ですが、屋根の「こぐち面」は見えているので、「萱葺き」かな・・と思うのですが、飛騨民俗村・飛騨の里HP http://www.hidanosato-tpo.jp/top.html では、その通り、「萱葺き」の家屋に分類されています。

↑  《 吉真家は 吉城(よしき)郡 小鷹狩(こたかり)郷 角川(つのがわ)村(現 飛騨市河井町角川)にあった家です。 安政5年(1858年)の角川地震によりほとんどの民家が全壊した中、約1メートル前方にすべり、梁が一本折れただけで崩壊を免れたこの家を、同郷 保(ほ)村から購入して移築したと言われ、建物にある傷跡は解体した材を川で流して運んだ時の鳶口(とびぐち)のあとです。》
と現地の説明書きに書かれているのですが・・・、残念ながら、この書き方は、意味がわかりにくい。
  どこがわかりにくいかというと、住所が2か所書かれているのですが、
吉城郡小鷹狩郷 角川村(現 飛騨市河合町角川) と
吉城郡小鷹狩郷 保村
の2つです。
  1858年、「嫌でごわす(1858)とムラビヨフ」愛琿(あいぐん)条約、ロシアのシベリア提督ムラビヨフが、それまで、清とロシアとはネルチンスク条約でスタノボイ山脈のあたりを国境としていたものを、アムール川より北をロシア領として、ウスリー川とアムール川にはさまれた地域(沿海州)は「両国民雑居の地」とすることにした、という条約で、この2年後の北京条約では沿海州もまたロシア領とするということになった。もともと、清の皇帝というのは女真族(女直族)、もしくはマンジュ族(満洲族)の出であり、満洲(「東北地区」)の東部から沿海州にかけてがマンジュ族のもともとの出身地であったものを、その地域をこの愛琿条約・北京条約でロシアが清朝から奪い取った、という条約だった・・・はずだが、その1858年に飛騨地方に角川(つのがわ)地震という地震があったらしい。
 岐阜県HP の「飛越地震(1858年 安政5年)」https://www.pref.gifu.lg.jp/kurashi/bosai/shizen-saigai/11115/siryou/hietsujishin.html には、
《 安政年間(1854〜1860)は、全国的に地震の多い年であった。しかも、マグニチュード6から8クラスの大地震が毎年のように起こった。美濃・飛騨にかけて起こった特筆すべき地震だけでも前後数回に及んでいる。・・・》
《 ・安政5年2月26日に起きた飛越(ひえつ)地震(角川地震)
マグニチュード7.0〜7.1。飛騨北部・越中での被害が大きく、飛騨ではこわれた家709軒、死者203人に及んだ。山崩れが各地で起き、越中西街道が不通となり米、魚、塩など運送要路が断たれた。富山では常願寺川の上流がせき止められ、後に決壊した。》
と出ている。
  「角川地震によりほとんどの民家が全壊した中、約1メートル前方にすべり、梁が一本折れただけで崩壊を免れたこの家」は、角川地震の時、小鷹狩(こたかり)郷 角川(つのがわ)村(現 飛騨市河井町角川)にあったのか、吉城郡小鷹狩郷 保村にあったのか。 
《同郷保村から購入して移築した》のは、
(1)「吉城郡小鷹狩郷角川村(現飛騨市河井町角川)に」かつて「あった家」を「保村から購入して」飛騨の里に「移築した」のか、それとも、
(2)「保村から購入して」角川村に「移築して」、角川村(現 飛騨市河合町角川村)にあったものを飛騨の里に移築したのか。
この書き方では、どちらなのか不明確です。

  さらに・・・。 大野敏『民家村の旅』(1993.8.30.INAX出版)には、
《 旧所在地――
岐阜県吉城郡河合村角川(安政期に上手の元田から移したと伝える)》
と出ており、「元田」という3番目の地名が登場してきました。
  大野敏『民家村の旅』(1993)の文章から考えると、最初にあったのが「元田」で、飛騨の里に移築される直前にあったのが吉城郡川井村角川、現在の住居表示では飛騨市河井町角川 ということのようですが、「元田」と「保村」は同じなのか、別なのか? 

  とりあえず、飛騨の里に移築される直前にあった場所かと思われる「 飛騨市河井町角川(つのがわ)」(吉城郡小鷹狩郷角川村) とはどういう場所かというと、

↑ ビッグローブブログが2019年6月頃だったかにシステムが変わって、良くなったか悪くなったかわからないが、地図の縮尺を選べなくなってしまったのだが、↑ の地図だけでは、いったいどこなのかわからない。 縮尺を大きくというのか小さくというのか、広範囲が表示されるように変更するとだいだいわかる。
  ヤフー地図なりグーグル地図なりで検索すると、岐阜県飛騨市には、「河合町(かわいちょう)角川(つのがわ)」という地名と、「河合町元田(げんだ)」と「河合町保(ほ)」いう地名が見つかった。
  河合町角川(つのがわ)は、どういう場所かと言うと、地図で見ると、JR高山本線の特急停車駅である「飛騨古川」から北に、「杉崎」「飛騨細江」「角川」と3つめに「角川」駅があり、「飛騨細江」駅と「角川」駅の間にけっこう大きそうなトンネルがあるのだが、大まかに、そのトンネルより南側が飛騨市古川町で、トンネルより北側が飛騨市河井町、「角川」駅の少し北で小鳥川が西から宮川に合流しているのだが、その合流地点の北西側に河合小学校があり、西から北東に流れる小鳥川の南側の部分少々と、小鳥川と宮川にはさまれた北西側の部分とが「河合町角川」のようだ。

  「河井町元田(げんだ)」はというと、河井町角川よりも小鳥川の上流、小鳥川に沿って走る国道360号を上流側に登って行った所にあり、何があるかというと、地図には、「飛騨かわい牧場」「元田神社」「元田の大いちょう」「天生精機」「元田簡易郵便局」という名称が出ている。大阪の生まれで東京の大学に行って東京で勤めたけれども転勤で福島県に行って福島県で5年間、暮らした経験のある者としての判断を言わせていただくと、こういう3桁の国道というのは、「国道だからそんな無茶苦茶な道じゃないだろう。クルマで十分走れる道だろう」なんて予想していくと、予想がはずれる場合がけっこうある。そういう「国道」のひとつではないのかな・・て気がする。走っているうちに、道幅がだんだん狭くなって、これは国道ではなく農道ではないのかなんて思っているうちはまだよくて、そのうち、けもの道ではないかなんて思い出して、そのうち、単に川の水が流れているすぐ横の河原を走ってるだけと違うのかなんて状況になり、農道でもない、これは登山道と違うのかなんて道で、はたして俺は生きて帰れるのだろうかなんて思い出す・・・というそんな体験を福島県でしたことのある者としては、うかつに自分のクルマで行かないで、行くなら地元のことをよく知っている運転手の運転するタクシーに頼んだ方がいいかとか思う・・・が、さらに、うかつにタクシーを降りてタクシーに帰られてしまうと、帰ろうと思っても「流しのタクシー」なんてあるわけないし「タクシー乗り場」なんてあるわけないし、電話かけてタクシーを呼ぼうとしても公衆電話なんて見つからない可能性が大きいだろうし、コンビニなんてなさそうだし、ましてやスターバックスコーヒーなんてあるわけないし、携帯電話は「圏外」の可能性もあるし、まさか、クマなんて出ないだろうなあ・・とか考えだして、付近の農家に「納屋でも軒下でもいいですから一晩おらせてもらえませんか」なんて頼むと夜中に包丁をとぐ音がして・・・とか、なんかありそう・・・なんて所かどうかは行ったことがないからわからないが、地図を見る限り、「簡易」とついても「郵便局」があるらしいから、よそ者が入ってきたからといって、「村の人たちが包丁もって総出で襲ってくる」とかいうようなことは、そんなことはない・・・と思う。たぶん・・。 


  「河井町保(ほ)」は「元田(げんだ)」の隣あたりにあるのかというと違うようだ。そうではなく、「河井町保(ほ)」は、「元田(げんだ)」の西より、元田簡易郵便局の西のあたりで、小鳥川に沿ってさらに上流にさかのぼっていったあたり、小鳥川に沿って走る県道360号をさらに上流に行くと、天生谷川と小鳥川が合流するが、小鳥川の方を遡って行くと、「河合町保(ほ)」のあたりに行く。国道360号は天生谷川の方に沿って西に行き、小鳥川沿いには飛騨朝霧街道(県道75号)という道があるようだ。小鳥川を遡って行くと、「小鳥川ダム」というのがあって、「小鳥川ダム管理事務所」というのがダムの脇にあるようだ。ダムの上流側(南側)は小鳥川が湖のようになっていて、東側に県道75号(飛騨朝霧街道)、西側に県道478号(清見河合線)が走り、東側の県道75号沿いに、小鳥川ダム公衆トイレがあるようだが、その南あたりで、県道478号はダム湖を離れて東に行き、西側の県道75号を南に行くと、「下小鳥ダム湖畔公園」「水没移住記念公園 ふるさとの森」といったものがあるらしい。ダム湖の上流側で、ダム湖は2つに別れ、南東側は小鳥川とそれに沿って走る県道478号(清見河合線)が南下して高山市清見のあたりに行く。 西に別れた方は、川の名称は栗ヶ谷川となる。最近、東海北陸自動車道というトンネルだらけの自動車道ができたが、高山市清見から白川郷に行く途中、「高山清見」インターチェンジと「白川郷」インターチェンジの間に「飛騨河合パーキングエリア」が上下線ともあるが、その「飛騨河合パーキングエリア」があるのが、この飛騨市河井町保(ほ)の小鳥川ダムの上流側のダム湖が南東側と西側に別れた西側のダム湖の上流側が、「湖」ではなく「川」という感じになった栗ヶ谷川の北側にあるようだが、地図をいくら見ても、パーキングエリアはあって「飛騨河合パーキングエリア」の場所のすぐ近くに一般道はあっても、東海北陸自動車道から一般道に出入りできるインターチェンジは「河井町保」にはないようだ。県道478号(清見河合線)からダム湖が2つに分岐するあたりで分岐して西に行く道路はあるようだが、県道ではなく、地図を見ると、「河井町保」で山のふもとで止まっているようだ。 内田康夫の推理小説あたりだと、殺人事件の被害者の遺体が投げ捨てられたダム湖として登場しそうな・・なんて言うと地元の人に怒られるかもしれないけれども、行ったこともないのに言うのはなんだが、きっと、自然環境はいい所ではないかと思うが、ダム湖の脇なんてのは、夜間なんかはひとりでいると気色悪いような場所かもしれない・・が、「河合漁業生産組合」という名称も地図に見えるので、ダム湖での漁業もおこなわれているのだろう。


  ヤフー地図なりグーグル地図なりで見ると、「河井町角川」「河井町元田」「河井町保(ほ)」は「飛騨市河井町・・」ではあるものの、異なる場所で、小鳥川が宮川に合流する付近にあるのが「河井町角川」で、それより上流(西側)に「河井町元田」があって、さらに上流(南側)に「河井町保(ほ)」があるようです。

  「河井町保(ほ)」というあたりにダムができてダム湖に水没した地域があるということは、この吉真家住宅も、「河井町保(ほ)」から飛騨の里に移築されたのか?
   飛騨の里HP の「旧吉真家」http://www.hidanosato-tpo.jp/hdsmap.html には、
《 安政5年(1858)の角川地震(飛越地震)の後、当時の当主だった礎左ヱ門が小鳥川上流約13kmにある集落「保」から移築したものです。》と書かれているので、「河井町保(ほ)」で小鳥川にダムができてダム湖の下に水没するから飛騨の里に移築されたというわけではなく、1858年の角川地震(飛越地震)の際に、多くの家屋が倒壊したにもかかわらず、「全壊」でも「半壊」でもなく「一部損壊」で残ったこの家を「河井町角川」に移築して使用してきたものを、再度、飛騨の里に移築した、というもののようだ。
  もっとも、そうなると、「河井町元田(げんだ)」と『民家村の旅』に書かれているのは何だろう・・・。「河井町保」から「河井町元田」に移されて、さらに「河井町角川」に移されたものを飛騨の里に移築したのか、それとも、『民家村の旅』の筆者が「河井町保」を「河井町元田」と間違えて記載しただけなのか? 間違えて記載したのなら、「河井町元田」という地名が出てきたのはどうしてなのか?

※ 飛騨民俗村・飛騨の里HP http://www.hidanosato-tpo.jp/top.html
 〃 旧吉真家 http://www.hidanosato-tpo.jp/hdsmap.html

DSC08268.JPG
DSC08267.JPG
  ↑ 吉真家住宅では、入ってすぐの土間を、現地の平面図では「どうじ」ではなく「ろうじ」と表記されているが、大野敏『民家村の旅』(1993.)では、「どじ」と書かれている。
  又、縁側を「えん」「えんげ」ではなく、「えげ」と表記している。

  旧若山家住宅などでは、「でい」(座敷)と寝室の「ちょうだ」では、「ちょうだ」の方が奥にあったが、旧吉真家住宅では、「でい」(座敷 ROOM)の方が奥にあって、「ねどこ」(寝室 BED ROOM)の方が手前にあるようだが、大野敏『民家村の旅』では、現地の平面図では「ねどこ」となっている部屋と「でい」と書かれている部屋の2室をいずれも「デイ」と表記している。
  大野敏『民家村の旅』(1993)には、
《 なおニワおよびデイは現在板の間になっているが、本来は土間であったらしい。》とある。

  現地の平面図 ↑ には、正面から見て左側の通りに2本、右側の通りに3本、「ノゾキ柱(ムカイ柱)」が入っているように書かれている。「ノゾキ柱(ムカイ柱)」とはいったい何なのか? 残念ながら、今回は、旧田中家住宅・旧若山家住宅に重心を置いて見学することにして、旧田口家は軽くざっと見る程度、旧吉真家は外観と入口から中をのぞく程度に見る時間しか取れなかったので、「ノゾキ柱(ムカイ柱)」がどれか捜して、どうなっているのかよく見る時間は取れなかったが、飛騨の里でもらったリーフレットによると、《 木の股を利用した柱 》だそうだ。
大野敏『民家村の旅』(1993.)には、
《 むかい柱は樹木の又の部分を巧みに利用したもので、高い方に敷桁を載せ上屋桁を受け。低い方は下屋桁を受ける。同じように自然の曲がりを巧みに利用したものに「チョウナ梁」がある。チョウナ梁は一本で上屋桁と下屋桁を結ぶ便利なもので、見た目も非常にダイナミックである。 又柱およびチョウナ梁の2種類の巧みな架構法を見ることができるのはありがたい。また、上屋柱を繋ぐ差鴨居の先端が貫状になって柱を貫通し、下屋柱まで貫く点も見逃せない。》
と出ている。

DSC08269.JPG
↑ 旧 吉真家住宅。 「まや」(馬屋 BARN)

  大野敏『民家村の旅』(1993.)には、
《 広間型の平面や入母屋造の妻面を大きくとる点は富山県の民家に通じるものがあり、
 又柱の構法は福井県の民家に類似するなど、北陸の民家との関係が深い。 
民家の地域性を考える上で大変貴重な家である。》
と出ている。


【B】 車田(くるまだ) ↓
DSC07785.JPG
DSC08259.JPG
  ↑ 《 車田(くるまだ)は、高山市松之木町と新潟県佐渡市北鵜島だけに残っており、全国でも珍しい田植えが行われる田です。 伊勢神宮に献上する神饌米(神社や神棚に供える米)を作る田といわれ、車輪の形のように苗を植えたので、「車田」と名づけられたようです。》
《 現在も松之木町では、平野家によって県指定重要無形民俗文化財の車田が伝承されています。》
とある。 松之木町というと、新宿から高山行の濃飛バス・京王バスが平湯から丹生川に来て、丹生川で左折してきて、松之木町の大八賀神社の北側を通り過ぎたあたりのY字路で北側に曲がるあたり、そのあたりのはずだが、バスの窓から外を見ていても、又、大八賀神社に行った際にも、松之木町の車田というのは見ることはできなかったから、松之木町では、すべての田を車田にしているというわけでもないようだ。 《平野家によって県指定重要無形民俗文化財の車田が伝承されています》というのが、松之木町のどのあたりなのかはわからない。大八賀神社より西の 日の出天満神社は高山市日の出町になるようだ。
※ 日の出天満神社などについては⇒[第457回]《日の出天満神社(高山市松之木町)参拝 + なぜか場所によって運転が大きく違う高山のドライバー。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
大八賀神社などについては⇒[第458回]《大八賀神社(おおはちがじんじゃ)(高山市松之木町)参拝-高山シリーズ第4回≪2≫》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html

( ↑ マーカーが大八賀神社。 ↑ の地図で、右の方(東より)と左の方(西より)にY字路があり、真ん中あたりに南に道が伸びるT字路があるが、右のY字路が「松之木町東」交差点、中のT字路が「松之木町中」交差点、左のY字路が「松之木町西」交差点。松之木町というとこのあたりのはずだが・・・。 )
  ↑ 上の写真が1月、雪が降っていない時のもので、下の方が2月、前日に雪が降って積もった状態のもの。 どちらの景観がいい悪いということはないが、見比べて両方見るのもいいものだ・・。
  ↑  の写真で車田の横に写っている合掌造の家は白川村の加須良という所から移築されたらしい旧西岡家住宅 のはず。
※ 飛騨の里HP 「旧西岡家」http://www.hidanosato-tpo.jp/minka/mnkmain3.html
  高山市松之木町とともに、車田が残っているという新潟県佐渡市北鵜島というのはどのあたりかというと、ヤフー地図・グーグル地図などで検索して見ると、北鵜島という島があるわけではなく、佐渡島の北部、北西側が海という地域。内田康夫『佐渡伝説殺人事件』に、願(ねがい)という集落や地図を見るとその北の鷲崎にあるらしい「賽の河原」などのすぐ南あたりらしい。
※ 《ファミリー劇場 浅見光彦ミステリー3 佐渡伝説殺人事件》https://fami-geki.com/detail/index.php?fami_id=00613
《TBSチャンネル 佐渡伝説殺人事件》http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0008/
  『風魔の小次郎』とかの漫画家 車田正美 の名字は、この車田からきたものなのか?
※ 《ウィキペディアー車田正美》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8A%E7%94%B0%E6%AD%A3%E7%BE%8E


【C】 飛騨の里から東の方角に見える雪をかぶった山脈
DSC07780.JPG
DSC07787.JPG
( ↑ 飛騨の里から東の方に見える雪をかぶった山脈。 1月。)
DSC08271.JPG
( ↑ 飛騨の里から東の方に見える雪をかぶった山脈。 2月。)
  温暖地に住む人間が、自分が住む場所より寒い所に、スキーをしに行くわけでもないのに何も冬場に行くことないかというと、高山はそうではありません。高山の「まちなみ」の雪景色は夏場とは違った風情がありますが、それとともに、飛騨の里あたりは高山市の「まちなみ」より西にあって西側が高く東が低い地形で、東の向こうの方に見える山脈が雪をかぶった状態で見えるのが大変きれい。夏とは異なる姿が見えます。秋は秋で紅葉がきれいですが、冬の姿もなかなかのものです。↑

【D】 さるぼぼバス 「飛騨の里」バス停付近
DSC08272.JPG
  ↑  2月、前日に雪が降った日の写真。 雪が降っている当日より、翌日くらいの方が路面に降った雪が凍るので、クルマの運転は要注意ではないかと思うが、「さるぼぼバス」の運転手は慣れているのか、私なんかと違ってそれほど苦労せずに運転していた。 但し、平湯から高山駅までの間は、新宿~高山間の濃飛バスは、その区間に慣れているであろう運転手も相当慎重に運転していたので、温暖地で生まれ育ったドライバーは、冬季にマイカーで行くというのは、それこそ、「慎重に」判断した方が良さそうだ。私なら冬季以外ならマイカーもありかと思うが、冬季はマイカーは選択肢にないな・・・。自分自身が寒冷地で生まれ育ったか、仕事で寒冷地に長く勤務して慣れているということなら話は別だけれども。
  高山市での濃飛バスが運行する「路線バス」、新宿ー高山・飛騨古川、名古屋ー高山、大阪・京都ー高山、金沢ー白川郷ー高山 などの長距離バスと違って、近距離の「路線バス」と別に、「さるぼぼバス」と「まちなかバス」と名付けられたバスが運行している。「さるぼぼバス」の「さるぼぼ」は「猿の赤ちゃん」という意味の飛騨地方の象徴みたいなキャラクターだが ↓
DSC07502.JPG
( ↑ JR「高山」駅の東口前、土産物店「おおたか」の店頭の「さるぼぼ」 )
「さるぼぼバス」と「まちなみバス」はどっちがどっちだったか・・なんて思ったが、そう難しくはない。 高山駅の東口から南に行って、飛騨天満宮のあたりから東に行って、陣屋前から煥章館のあたりへ、「古い町並み」の東の方を北上して、日下部民芸館の南を西に行って、また北上して宮地家住宅のまだ北のあたりで西に曲がって宮川を渡ると南下して、国分寺通りを西に行って飛騨国分寺の南を通って・・という高山の「まちなみ」をぐるっと周るのが「まちなみバス」。 要するに、高山の「町並み」を走るから「まちなみバス」だ。
  JR「高山」駅の東口から飛騨の里などに行くのが「さるぼぼバス」。 なんだ、そう難しくないじゃん・・。何事もわかれば難しくなくなるわけだ。
※ 高山市HP 「まちなみバス」路線図・「さるぼぼバス」路線概略図https://www.city.takayama.lg.jp/kurashi/1000023/1000126/1004686.html
  飛騨の里に行く、飛騨の里から乗るのは「さるぼぼバス」の方。 1時間に2本あって、何時でも同じ時刻に発車する予定になっているので、十分使えるバスだと思う。
  高山駅から飛騨の里までの間は、歩きながら周囲を眺めるのもいいし、途中の飛騨民俗村の旧野首家住宅・山岳資料館などあるし、文学の道 からの景色もいいし、途中にも、飛騨高山美術館とかもあるのだが、「歩けない距離ではないが往復とも歩くには距離がある」という距離だと思う。だから、1月も2月も、飛騨の里への行きは歩いて、帰りはバスに乗ったのだが、行きか帰りかどちらか片方は歩いて他方はバスに乗る、というくらいが「ちょうどいい」かな・・て感じ・・・が私はした。

 (2020.3.13.)

  民家園には、
1.その地域の「古民家」を移築して公開しているもの。・・飛騨の里(高山市)、野外博物館合掌造民家園(白川村)、房総風土記の丘(千葉県印旛郡栄町)、いわき市暮らしの伝承郷(福島県いわき市)など。
2.古くからの建物が残っていた場所で、そのまま保存して公開しているもの。・・大内宿(福島県会津郡下郷村)など。
3.全国から「古民家」を移築して公開しているもの。・・・日本民家集落博物館(大阪府豊中市)
4.「民家園」としての施設ではないが、「古民家」も何棟かあるもの。・・・三渓園(横浜市磯子区)、明治村(愛知県犬山市)、江戸東京たてもの園(東京都小金井市)
5.1と3の中間のもの。・・日本民家園(神奈川県川崎市)
といった違いがあるようです。
※ 飛騨の里 http://www.hidanosato-tpo.jp/top.html
野外博物館合掌造民家園 http://www.shirakawago-minkaen.jp/
房総風土記の丘 http://www2.chiba-muse.or.jp/MURA/
いわき市暮らしの伝承郷 http://www.denshogo.jp/
大内宿 http://ouchi-juku.com/
日本民家集落博物館 https://www.occh.or.jp/minka/
⇒[第697回]《服部緑地内 日本民家集落博物館 訪問。服部緑地の桜は見ごろを過ぎた》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201904article_10.html
三渓園 https://www.sankeien.or.jp/
明治村 https://www.meijimura.com/
江戸東京たてもの園 https://www.tatemonoen.jp/
日本民家園 http://www.nihonminkaen.jp/
  大阪府豊中市の服部緑地にある日本民家集落博物館は、民家園としては古くからあるもので、日本全国の「古民家」を移築して見てもらおうということで作られた施設らしく、大阪府や隣接県から移築したものもありますが、けっこう離れた他県から移築してきたものもあります。場所が大阪であり、ここに来れば全国の「古民家」を見ることができると思って来場する人が見込める場所だったのでしょう。
  それに対して、飛騨の里や白川村の野外博物館合掌造民家園の場合は、飛騨地方のものを移築しており、これは、このまま、放置したのでは、地元の価値のある建築物が他県に持ち去られてしまうことになるという危機感から、地元の歴史的建築物は地元で保存して公開しようということから作られたものらしい。
  川崎市立日本民家園は、最初は、川崎市の伊藤家の建物が横浜市磯子区の三渓園に移築されるという話が出て、それは地元で保存したいといったたりから日本民家園が作られたが、今では他県からの建物も相当あるようです。
  大内宿は、もともと、宿場であった所で、残っている建物を保存して、「大内宿」として見学もできるようにしている。
  《 時代の流れの中で、活力を失った古い町並を保存・活用して、町の再生を図ることを、我が国で最初に考え、実行したのが「妻籠宿」である。白川郷で盛んに皆が口にする「売らない、貸さない、壊さない」を最初に標ぼうしたのも妻籠宿なのだ。まさしく町並保存の先駆的存在として歴史に残る街だが、その裏では多くの先人が町並保存に尽力したことを忘れてはならない。・・・ 》
( 文:米山淳一・写真:森田敏隆『歩きたい歴史の町並 「重要伝統的建造物群保存地区」全86ヵ所』2010.4.1.JTBパブリッシング)
  という考え方は大いにもっともなことです。 (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ が浜松市倉松町4040の「浜松本社」の入口、国道1号のバイパスから南に入ってきてすぐの場所に、合掌造りの家を移築して置いていますが、住宅建築業の会社である自社の従業員でも内部を見学させてもらえるわけでもなく、単に、会社の入口に置いて看板かわりとして利用しているだけで、なんだか、精神的に貧困という感じがします。イナカモンで教養水準が低い経営者は、そういうことをするのか、という感じです。 たしかに、合掌造の家というのは見栄えがしますが、しかし、もし、「古民家」をどこかから移築してくるのならば、合掌造の家を1棟だけ移築してくるのではなく、地元の遠州地方の古くからの家やそれ以外の地域の家を何棟か移築した上で、倉松町4040なんて、浜松市でも市街地から離れていて、自家用車なら国道1号バイパスからすぐでも、電車の駅からは遠く、バスの便もないなんて所に配置するのではなく、もっと交通の便のいい場所に設けて、世間一般に公開した上で、「文化事業にも貢献しています」とアピールすれば会社の評価を上げることにもつながったでしょうけれども、内陸部で寒冷地・積雪地の建物である合掌造の家を1棟だけ、温暖地の海辺の街である浜松の海に近い場所に移築しても、なんだか、あの建物はかわいそうだなあ・・という印象を受けるだけで、「イナカモンのすること」はスマートじゃないなあ・・て印象を与えるだけです。ああいうのはいいとは思えない。
  高村光太郎の詩に「ぼろぼろな駝鳥」というものがありますが、(株)一条工務店に買われて浜松市倉松町4040に移築された「合掌造の家」というのは、アフリカから買い取られて日本に連れてこられた「ぼろぼろな駝鳥」みたい。もしくは、「赤い靴~、履~いてた、女の子~。異人さんに連れられて行~っちゃった」というようなそんな感じ。なんだか、物悲しいというのか、哀れな感じがします。
⇒《YouTube-♪赤い靴 - Akai Kutsu|♬赤いくつ はいてた 女の子♫【日本の歌・唱歌】》https://www.youtube.com/watch?v=MMFkZSKlASM
《 ぼろぼろな駝鳥
何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長すぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだろうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えているぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。》
( 『日本の詩歌 高村光太郎』1974.9.10.中公文庫 所収。)
いわば、高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」が買い取られてアフリカから日本に連れてこられたみたいに、内陸部の雪の降る国から浜辺の温暖地に1棟だけ買い取られて連れて来られたのが、(株)一条工務店の「浜松本社」の前の「合掌造の家」だったのだ。オーナー経営者の傲慢な精神がそこに見えるだけのものでしかない。
  ああいうのを見ると、やはり、もともと、建っていた場所にそのまま保存するか、それができないならば、地元の民家園なり地元の公共的施設で保存して公開するようにした方がいいのではないか、という気持になる。
  しかし、他方で、「地元の古民家」と言っても、「地元の人」からすれば、「あんなの、見てもしようがねえ。うちの家と一緒だあ」なんて思う人もいるのではないかと思うのだ。(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、いわき地区のメンバーと「社員旅行」として大内宿に見学に行ったのだが、「こんなの、見てもどうしようもねえ。うちの家とちっとも変わんねえ。これ、見たければうちの家、見ておけばいいことだあ」なんて言う人もいたのです。福島県でも浜通り地区と会津地方とではいくらかは違いはあるかもしれませんが、それにしても、そう変わらない家に住んでいる人もおれば、自分はそうではなくても親戚に「古民家」と言えば言えなくない家に住んでいる人がいたりします。そういう人にとっては、「別に見てもしかたねえ」という気持になるのではないか。
   それを考えると、「古民家園」というのは、「地元の家」ばかり集めるのではなく、「地元の家」を他県の民家園への移築を認めるかわりに、その県の「古民家」を自分の所の民家園に引き取るという「トレード」みたいなことでもして、多少は他県のものがあった方が地元の人が見に行く場合には興味を引くのではないか、とも思えるのです。この場合ですが、個人が趣味で集めるようなもの・・→(株)一条工務店の「浜松本社」の前の「合掌造の家」みたいのは、そういうものは避けて、公共的存在と認知されている民家園同士で話をして、他県のものを互いに持つようにした方が、「地元の人」は来るのではないか、とも考えられます。
  「地元の建物」ばかりの「民家園」でも、飛騨の里などの場合は、高山は「ブランド地名」であり、他県や外国からの来訪者は多く、他県や外国から高山市の飛騨の里などに来る人は、多くの人が、飛騨地方のものを見たいと思ってきていますから、そういう施設には、「明治村」は基本的には「明治」の元号の時代のものを集めるという方針を立てたからには、ライトの旧帝国ホテルは別扱いとして、基本的には「明治」の元号のものにするとしないと、特色を失ってしまうことになるのと同じく、飛騨地方のものに限った方がいいでしょう。大阪の日本民家集落博物館など、大都市のものの場合には、他県からのものも多少は配置した方が来場客にも喜ばれ、又、移築してくる民家にも存在価値があるかとも思えます。その家に住んできた人としては、先祖代々の家を譲渡するとしても、せめて、地元に保存してもらって、自分たちもいつでも見ることができるという方がいいかもしれませんが、他方で、その建物を来場者が評価して興味を引くかどうかという点から考えると、高山のような「ブランド地名」の場所なら他県や外国から人が来るけれども、「ブランド地名」でない場所では、民家村に移築しなければ古くからの建物が解体されて消えてしまうから、とりあえず、移築した・・というだけでは、その民家園の運営が厳しくなる可能性も考えられます。
  高山の人間というのは、けっこう賢いのではないかと思うことがありました。けっこううまくやっているのではないか。そもそも、温泉地でもなく、お風の施設なんてまったくない極めて「健康的」な街であって、それでいて人は来る。福島県いわき市の営業所にいた時、いわき市生まれの人から「このへんの人間、バカだからだめなんだあ」という言葉を何度も聞いた。実際、いわき市暮らしの伝承郷は、いわき市中央台 といういわき市の住人にとってはわかりやすいし、いわき市の中央部で不公平のない場所なのかもしれませんが、他県から行こうとする者にはわかりにくい場所です。いわき市暮らしの伝承郷 というのは、あれは「地元の住民」に来場してもらおうと考えて作ったものなのか、それとも、他県、特に都市圏の住人に見学に来てもらおうと考えてのものなのか? もしかして、「さあ、どっちでしょうねえ」とか作った人自身が言うようなものではないか? 「な~んも考えとれへん」てことないか? 私が運営するのなら、「地元の人」にも来てもらい、他県からの人、特に都市圏から来る人にも関心を持ってもらって来てもらえるように、「都市圏を中心とする他県から来る人の方に重心を置きながら地元の人にも来てもらえる施設」と考え、「都市圏を中心とする他県からの人」6割、「地元の人」4割くらいで考えて作りますね。その場合、あのいわき市中央台というのか、いわき市鹿島というのかのあの場所は、どう考えても、9割以上は「地元の人」を想定した場所であり、他県からの来場者を想定していない場所です。高山市には、他県からの来訪者が乗って行けないことはないけれども、主として地元の人が乗ることを考えた濃飛バスの路線があるとともに、「さるぼぼバス」「まちなみバス」というのはそうではなく、「さるぼぼバス」は地元の人も乗るだろうけれども、他県・外国からの来訪者の方が多いだろうと考えてのもので、「まちなみバス」は他県からの観光客と地元の人間の生活路線と両方を想定したものになっている。特に「まちなみバス」は、地元の人間だけが乗っていたのでは成り立たないかもしれない路線を他県・外国からの観光客にも乗ってもらうことでそのバス路線を採算が成り立つものにして地元の人間も利用している。そのあたり、高山の人間た、けっこう賢いのではないか・・と思ったのに対して、いわき市の営業所にいた時、私はいわき市の住人というのは、気持ちの優しい親切な人が多い土地だと思ってその点は好きだったのですが(もちろん、どこに行っても、ひとにもよりますよ)、しかし、「このへんの人間、バカだからだめなんだあ」と地元の人間が自分で言うのは、いわき市暮らしの伝承郷 の作り方など見ても、正直なところ、実際、そうかもしれまへんなあ!・・なんて思わないこともないのです。そのまま、解体してしまったのではもったいない・・と思われるものを移築して保存するのはいいとしても、市のお金で保存するだけ・・というのでは、その施設がもたなくなる可能性があるのではないか。それを考えると、もう少し、他県からの、特に、隣接県ではなく、都市圏からの来場客を呼び込める場所というのを考えた方が良かったのではないのか、「そういうことを考える頭はなかったのか?」なんて言うと、「だから、このへんの人間、バカだもん」とか言うでしょう、いわきの地元の人間は。居直っちゃだめでしょうがあ・・と思うのです。そのあたり、いわき市の昔からの住人と話をすると、「ここは何もねえ。どうしようもねえ」とか言う人間が多かったが、「なんで、そんなこと言うの」と何度も思ったものでした。そんなこと言ってるからだめなんだよ。そんなこと言ってるから、だから、原発なんて危険極まりないものを作られてしまうんだよ! ・・と正直なところ、思いました。昔、花登筺の『銭の花』という小説、テレビでは『細うで繁盛記』として放映された話で、大阪の南地楼という高級料亭を築いた ゆう の孫娘の加代が伊豆熱川の旅館に嫁に行き、馴染みの湯治客しか来ない旅館 山水館に、東京からも大阪からも新しいお客さんに来てもらおうと言うのに対し、熱川の人間は「バカか。熱海や伊東ならともかく、馴染みの湯治客でもない者がこの熱川に東京から来るわけないだろうが。ましてや、大阪からなんて来るわけないだろ。どうかしてるんじゃないか」とバカにするが、加代は「いいえ、来ていただきます。東京からも大阪からも必ず来ていただきます」と言う・・というくだりがあったが、福島県の人間は、そのあたり、ちょっと考えた方が良かったのではないか・・と思った。原発事故が起こって放射能汚染が発生するよりも前に。
  片方で、地元の価値のある建物は他県に移築するのではなく地元で保存して公開する方がいいという面があり、基本的にはそれは正論だと思うのですが、地元で公開しても、地元の人間にはたいして珍しくもない、他県に移築してこそ、他県の人間にとって興味のあるものになる・・という場合もある。そして、その施設の運営のしかたですが、いわき市の暮らしの伝承郷というのは、あれは地元の人間に来てもらおうと考えた施設なのか、他県から、特に都市圏から来てもらおうと考えての施設なのか・・、そのあたりを運営者が自分自身できっちりと認識してやらないと、どっちという認識なしに始めたのでは、じり貧になって運営しきれなくなる・・なんてこともありうるように思います。

  (2020.3.13.)

  次回は、高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html

☆ 高山シリーズ
☆高山シリーズ第6回 2020年
1.雪山が車窓から見える東京から高山へのバス。長良川が見える高山から大阪へのバス。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_5.html
2.日下部民芸館1 吉島家住宅に比べて「男性的」とは? 「せがい造」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
3.日下部民芸館2 床の間と付書院。付書院は床の間のすぐ横からか手前からか。付書院部分の広縁はどうなるか。縦格子は良くても横桟は不衛生・・て飲食店経営者はわからんのか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
4.日下部民芸館3 7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
5.日下部民芸館4 欄間・釘隠し・仏間、魅力的な窓からの雪景色。「いなか」と「いなかくさい」は同じでない。会社の新人類・会社のビョーキ人間。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_3.html
6.日下部民芸館5 榑葺屋根と金属材屋根。「金属屋根+雪止め+樋」の家。頑丈なアーケード。高山駅の平な屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_4.html
7.日下部民芸館6 雪景色の庭と雪のない庭。和風も考えられるシャンデリア。棟木の丸太梁。思いのほかごつい土蔵の扉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_5.html
8.日下部民芸館7 飛騨地方の神棚は、その下を通るのが一般的なのか。及、施主の希望を無視して神棚もどきをつけた(株)一条工務店の東京の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_6.html
9.吉島家住宅1 杉玉があるのが吉島家。じっくり見ると日下部家住宅より「女性的」かもしれない・・かな。卯建と似てるが異なる火垣。男が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲む「おばさん帝国主義」。
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_7.html
10.吉島家住宅2 「女性的」は架構でけでない。床の間。長押が床脇の内部まで周っている床脇。みやびな色の釣り床。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_8.html
11.吉島家住宅3 「茶室風」「数寄屋風」「京風」な感じが全体に感じられる吉島家住宅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_9.html
12.高山別院の方の光曜山照蓮寺。 農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_10.html
13.高山別院でない方の光曜山照蓮寺。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_11.html
14.護国神社+『まれに見るバカ女との闘い』、雪かきする女性に敬意を表したい。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_12.html
15.筏橋、中橋、「高山の夜」碑、山岡鉄舟立像、高山陣屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
16.高山駅から飛騨の里までの前半。西小学校、苔川。「木の国 飛騨」「古い町並み 高山」を売りにしつつ「新しい木質建材」も利用。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_14.html
17.高山駅から飛騨の里までの後半。飛騨民俗村から文学の小径を通り、飛騨の里へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_15.html
18.飛騨の里1-凍った五阿弥池と鳥。六地蔵、馬頭観音。不明な動物。「子供」を名分に定時に帰りオットと妊活やって3人目産んだ女とそのオットに殺された水子を供養する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_1.html
19.飛騨の里2-旧田中家住宅。土間の「おえ」、板貼りの「でい」。「捕手の力」を無視する営業本部長。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_2.html
20.飛騨の里3-旧若山家住宅(1)迫力ある巨大な合掌造。「えん」はベランダ? ではないが・・。「まやどうじ」「こうまや」「どうじ」「えん」。命名にセンスのない経営者の会社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_3.html
21.飛騨の里4-旧若山家住宅(2)「おえ」「すえのでい」「なかのでい」。仏間と神棚。「やったことない」ことはできるか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_4.html
22.飛騨の里5ー旧若山家住宅(3) だいどこ・うすなか・みんじゃ・ちょうだ。「水屋」には3通りの意味があった。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_6.html
23.飛騨の里6ー旧若山家住宅(4) 荘川村様式の合掌造の特徴とは。「せがい造」とは。上座・下座ができてしまう「和風」の家。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_7.html 
24.飛騨の里7ー旧田口家住宅 縁側の内側に雨戸、長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。奥に仏間のある部屋の右手に床の間。「両親が離婚した」などと自慢する高校教諭ははた迷惑。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html
25.飛騨の里8ー旧吉真家住宅 入母屋の妻面を大きく取る萱葺の家。車田。雪をかぶった山脈がきれい。〔今回〕
26.高山の町並にて(1)—「和風のドーマー」は違和感なく存在する。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_10.html
27.高山の町並にて(2)—高山の雪景色・無人の駅前交番・さるぼぼ・冬ならでは、吊るされた柿。入居者が引越する日に中を見せろと言う非常識な営業を指導しない所長。「指名手配犯」と似ている男というのは通報すべきか否か・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_11.html
28.高山の宿泊施設。 最新のホテルは、もう一回り低い高さにできないか。浜松に本社のチェーンは利用に抵抗を感じる。フィレオフィッシュはミラノにもパリにも高山にもある。研修に一人だけ遅刻してきて平気な浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_12.html
29.高山の食堂数か所。飛騨牛重は後で「食べた」感が出てくる。降雪時、平湯付近の道路は雪が積もる。保護義務違反の会社に尽くしたバカの話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_13.html

☆ 高山シリーズ第1回 2013年
上 [第202回]飛騨天満宮、松本家住宅他https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 [第203回]「天神」考察。居酒屋はいいかげんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 [第204回]高山市の白山神社。高山市役所https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html 

☆ 高山シリーズ第2回 2014年
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
(2)同(2) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
(3)同(3)浸透桝で雨水処理 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_11.html
(11)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_12.html
(12)同3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_13.html
(13)同4 喫茶ばれん、質屋の入口から逃げる裁判官 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのかhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_16.html
〔(16)~(20)の前提、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前で敬意を表した慶應日吉(新)図書館について https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はライトの設計でなければ価値はないか? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_18.html
(17)同2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_19.html
(18)同3 マーケティング的発想のない店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_20.html
(19)同4 店のコンセプトが理解できない建設部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_21.html
(20)同5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_22.html 
(21)飛騨総社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_23.html

☆高山シリーズ第3回 2015年
1.藤井美術民芸館  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_3.html
4.高山市政記念館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_9.html
9.飛騨国分寺、「和風ドーマー」、二重サッシ他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_11.html

☆高山シリーズ第4回 2016年
1.日の出天満神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
2.大八賀神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_17.html
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_26.html
15.新装「高山駅」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_4.html

☆高山シリーズ第5回 2017年
1.内田康夫『風の盆 幻想』と巡る高山(1)喫茶店「ロスト」を探す https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_5.html
2. 同 (2)高山ラーメン https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_6.html
3. 同 (3)「K病院」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_7.html
4. 同 (4)高山市役所 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_8.html
5.旧 野首(のくび)家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_9.html
6.旧 新宮村 郷倉 ほか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201710article_10.html
7.山岳資料館(旧 高山測候所)、飛騨民俗村とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_1.html
8.飛騨合掌苑 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_2.html
9.「飛騨民俗村 文学散歩道」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_3.html
10.飛騨高山美術館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_4.html
11.名古屋から高山へ「ワイドビュー飛騨」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_5.html
12.高山駅から飛騨民俗村へ[上]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_6.html
13. 同 [下]https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_7.html
14.新上野橋から三福寺橋、山小屋て、なぜ洋風なの? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_8.html
15.「旧 吉城郡細江村の民家」(熱田神宮内) http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_9.ht 

民家村の旅 (INAX ALBUM) - 大野 敏
民家村の旅 (INAX ALBUM) - 大野 敏
歩きたい歴史の町並 重要伝統的建造物群保存地区 全86カ所 (楽学ブックス―文学歴史 13) - 米山 淳一, 森田 敏隆
歩きたい歴史の町並 重要伝統的建造物群保存地区 全86カ所 (楽学ブックス―文学歴史 13) - 米山 淳一, 森田 敏隆
佐渡伝説殺人事件 (角川文庫) - 内田 康夫
佐渡伝説殺人事件 (角川文庫) - 内田 康夫

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック