加茂家住宅(掛川市)(2) 座敷、広縁・濡縁、廊下交差箇所の納まり。「差鴨居」「本鴨居」「胴梁」―加茂家住宅・加茂花鳥園見学【4/7】

[第776回]
  加茂花鳥園 見学の4回目にして、加茂家住宅の2回目です。
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  庄屋さんの家であったということですが、庄屋でも大きい方の庄屋だったからか、「庄屋といえども農家」であるとしても、「農家であっても庄屋」で、しかも、大きい方の庄屋だったからか「庄屋といえども農家」の家屋にしては、武家の家屋にいくらか近いような印象を受けました。屋根は現在では瓦屋根ですが江戸時代は草葺きだったということですが、屋根はそうでも、その他の部分で、「農家といえども武家に近いような家屋」という印象を私は受けました。
  この家屋は、南東を向いて建てられているようですが、その東よりに土間から入る出入口があり、↓
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西よりに車寄せがある「正玄関」がある。↓
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  現在は屋根は瓦屋根で2階があるけれども、江戸時代は2階はなく、屋根は草葺きだったということですが、それにしても、こういう「車寄せ」がある「玄関」 ↑ というものがあるのは、「庄屋といえども農家」であっても、いくらか「武家に近い農家」だったのか、という感じがします。

  土間から西側を見ると、畳敷きの座敷が何部屋も続いているのが見えます。 ↓
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現地で聞いた話では、「車寄せ」から入って左側(西側)の部屋は、主として客間として使われた部屋だったというのですが、その来客には絵師もいたらしく、 ↑ の写真にも、絵がかかっているのが見えます。
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↑ の内側はどうなっているかというと、↓
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↑ 車寄せのある玄関を入ってすぐに畳敷きの10畳の和室があるのですが、これは、単なる「玄関ホール」ではなく、来客がない時には居室としても使うことができて、かつ、右側の10畳の部屋、その右の5畳の部屋、左側の10畳の部屋、さらに左の10畳の部屋と続き間にして、広間として使用することもできるようにと考えたものではないでしょうか。
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本鴨居です。 私は、子供の頃、鴨居というのは、付け鴨居のものだと思っていた。 (株)一条工務店で福島県いわき市 の営業所に勤務した時に、見込客のお宅にお邪魔した時、「この家は本鴨居でできている家なんです」と「ちょっと自慢」みたいに言われて見せてもらい、こういうやり方があるんだあ・・とその時に実物を見て、その時から、本鴨居というものを知ったのですが、「戦後型木造」「筋交い式木造」では、地震・台風などの横方向の力に対しては柱・土台・梁で囲まれた四角形に斜めに筋交いを入れて三角形にすることで揺れに対抗する方法ですが、「戦前型木造」「貫式木造」では、貫(ぬき)とともに、柱の上の「上屋梁」と柱の中ほどより上くらいの位置に柱に刺さる「胴梁」もしくは「差鴨居」による「二段梁」にする「鳥居式」の構造でラーメン効果を発揮させるというものだったわけです。杉山英男『地震と木造住宅』(1996.7.10.丸善)で説明されていますが、この「二段梁」というのは一般的な用語かと思ったら、杉山英男が『地震と木造住宅』で仮に呼んだ用語のようですが、筋交い式木造であれば、梁は柱の上の位置にあるだけであるのが、貫式木造(「貫(ぬき)+胴梁(差鴨居)」の木造)では、柱の中ほどより少し上の高さにも梁がついているのです。 「戦前型木造」の和室では、鴨居の高さが高くないので、背の高い人は和室に入る時に鴨居で頭を打つということがあったようですが、鴨居の高さがあまり高くないのは、それは、戦前の人間は戦後の人間に比べると背が高くなかったからその高さに合わせて作られていたからということもあるかもしれませんが、それだけではなく、「貫(ぬき)+胴梁(差鴨居)」による木造 の場合は、柱の上の方にもうひとつ梁を入れてもラーメン効果はそれほど得ることはできず、柱の中ほどに近い場所に入れてこそ、ラーメン効果を期待できるので、それで、あまり高い位置には胴梁(差鴨居)を入れるわけにはいかなかった、ということがあるようです。
  「差鴨居」と「本鴨居」はどう違うのか。 「差鴨居」というのは、柱の中ほどに差すから「差鴨居」という名前なのでしょう。「本鴨居」というのは、おそらく、胴梁(差鴨居)の下側に溝を掘ったものが、それが本物なのだ、という趣旨で「本鴨居」と言ったのではないでしょうか。 たしかに、付け鴨居を見慣れた者が「本鴨居」を見ると、「なんか、すげえ~え!」て感じがします。 しかし、筋交い式木造と貫式木造では、杉山英男は、「筋交い式木造」≒「戦後型木造」、「貫式木造」≒「貫式木造」として、「戦後、強くなったものとして、『女性と靴下』といったことが言われるけれども、もうひとつ、木造住宅というものをあげたい」と発言していたが、それは「筋交い式木造」の普及によって、戦前型の貫式木造よりも木造住宅は強くなった、ということを言っていたようですが、しかし、貫式木造の側からの反論もあるようで、貫式木造と筋交い式木造では筋交い式木造の方が強いと言う時、それは、どういう貫式木造とどういう筋交い式木造を比較して言っているのか? という問題があるというのです。 たしかに、木質プレハブのメーカーのカタログを見ると「在来木造の何倍強い」といったことが書かれていたと思いますが、その場合、「在来木造の何倍強い」と言う時に、いったい、どういう「在来木造」と比較して言っているのか・・という問題が出てくるのですが、同様に、筋交い式木造は貫式木造よりも強いという話において、いったい、どういう貫式木造とどういう筋交い式木造を比較して言っているのか、という問題が出てきます。 細い土壁の下地でしかないような貫(ぬき)しか入っていないような貧弱な貫式木造を比較対象として言っているのではないのか、と言うのです。 たしかに、貫(ぬき)というと、土壁の下地にはいっているような細いものという印象がどうしてもあるのですが、まず、とりあえず、奈良の東大寺に行って、南大門とか大仏殿の貫(ぬき)を見ると、ええ~え? これが「貫(ぬき)」なのお~お? て感じがします。そんじょそこらに梁(はり)よりよっぽど太い材が貫(ぬき)として入っているのです。 又、構造材の性質から考えて、軸組構法において、横方向の揺れを支えるためには、斜め材を入れる「トラス式(ブレース式)」、面を貼りつける「面式(版式)」、接合部を剛にして固める「ラーメン式」のうち、「ラーメン式」は鉄を素材とする場合、コンクリートを素材とする場合は可能でも、木を構造材として建てる建物では難しいのではないかと言われてきたのですが、最近では、SE構法と言って、木造の軸組構法でのラーメン式の建物というのが出てきており、それは、集成材と金物を使用して接合部を剛にする方法だというのですが、もしも、柱と梁の接合部を剛にすることでラーメン式木造が可能だということならば、柱と梁の接合部だけでラーメン効果を求めるよりも、柱と梁の接合部だけでなく、柱の中ほどより少々上あたりに胴梁(差鴨居)を取りつけ、それ以外の場所に貫(ぬき)を柱に通して固める方が、より大きなラーメン効果を期待できるのではないか・・とも考えられます。 又、「戦前型木造」「戦後型木造」という表現がいいのか、という問題もあります。最近では、ハウスメーカーと言われる所が建てる在来木造の建物は、たいていが「筋交い式木造」ですが、「貫式木造」は新しく建てられることはないのか、というとそうではなく、地方に行くと、今でも貫式木造で建てている大工さんはいるようですし、「戦前型木造」=「貫式木造」、「戦後型木造」=「筋交い式木造」という捉え方は必ずしも正しいとは言えないように思います。
   それで・・・、「胴梁」「差鴨居」「本鴨居」という用語ですが、「胴梁」というのは柱の上の「上屋梁」と別に柱の胴の部分にとりつく梁だから「胴梁」で、「差鴨居」は柱の中ほどに差さる鴨居なので「差鴨居」ということでしょうけれども、鴨居というのは、敷居とセットになる、横に引く建具の溝のことのはずで、「胴梁」には、その下部に溝がついていない場合もありうるわけですが、「差鴨居」となると、言葉の意味として、下部に溝がついているものということになるはずです。 「本鴨居」になると、これは、「付け鴨居」を意識した用語で、胴梁の下に溝を掘るのが本来なのに、鴨居の溝の部分だけを付けた「付け鴨居」という、「どっちかというとニセモノ」みたいなニュアンスの言葉である「付け鴨居」に対して、これこそ本物ですよお~お・・という用語が「本鴨居」・・という感じです。 しかし・・・。 たとえ、胴梁を入れる《「貫+胴梁」式木造》であっても、その胴梁の下に溝を掘る「本鴨居」よりも、建物本体の構造材である梁と建具の開閉のための鴨居とは分けた方が合理的ということはないのか? もともと、在来木造はそれほどきちきちした構造ではなく、木という素材もそれほどきちきちした素材ではなく、ある程度、伸びたり縮んだり曲がったりもしながら、全体として悪くない状態を保っていく・・という構法のはずですから、本体の構造材と建具の上下の溝は分けておいた方がいいということはないのか? 建具の溝は本体の構造材とは分けて、建具の溝だけを調整すれば建具の開閉がうまくいくようにできるようにしておいた方が、その方がいいのではないのか・・と思ったりもしたのです。 もっとも、それを地方の「本鴨居」を誇りに思っている人に言っても、なかなか受け入れられないかもしれませんが、本体の構造材と建具の枠を一緒にしない方が合理的ではないのか・・という点から考えると、胴梁の下部に溝を掘る本鴨居式が必ずいいとは限らないようにも思えます。


  「正玄関」を入った位置の10畳の和室の左側(西側)に、やはり、畳敷きの10畳の部屋が2間続いてありますが、その南側(正確には南東側)に、廊下(広縁)とさらに外側に、濡れ縁 があります。↓
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↑ ここで、気づいた点として、まず、畳敷きの部屋、和室の南側には、広縁があるか、濡れ縁があるか、どちらか・・ということが、都会の家屋には多い・・というのか、私が子供の頃に住んでいた家では、南側の東側にその家では最も主要な和室があって、その南に廊下(兼、広縁)があり、南側の西側には茶の間としての和室があって、茶の間の南側には建物の外側に濡れ縁(縁側)があったのです。私が小学生の途中まで住んだ家はそうなっていたし、親戚の家に行っても、廊下(広縁)があるか、濡れ縁(縁側)があるか、どちらか・・という家が多かったように思います。
  しかし、広縁と濡れ縁はどちらか片方でないといけないという決まりがあるわけでもない。 たとえば、岐阜県高山市の飛騨の里 に移築されている旧田口家住宅、元、建っていた場所は、現在の住居表示では、岐阜県下呂市金山町卯野原、かつての地名は益田(ました)郡東村卯野原 という飛騨でも美濃に近い飛騨 に建っていた代々、名主を務めたという家の建物では、座敷の南側に、畳敷きの広縁とでもいうスペースがあって、その外側に雨戸があり、雨戸の外側に、建物の構造としては内部になるが、建具の位置からすると外側に位置に板敷きの縁側がある、という造りになっています。〔⇒[第757回]《飛騨の里-旧田口家。縁側内側に雨戸、仏間ある部屋の右に床。裏口入学は「思考が柔軟」か? 「両親離婚した」らえらいか? 長方形の囲炉裏、続き間にできる柔軟性のある間取り。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_8.html 〕
  加茂家住宅は静岡県掛川市、遠江、遠州地方の真ん中より東くらいの場所に建っており、飛騨の里に移築されている旧田口家住宅とは、建っている場所も違います。 旧田口家住宅は、飛騨地方の中では美濃寄りとはいえ、やっぱり、飛騨で、けっこう寒いし雪も降る地域であったのに対して、加茂家住宅は、遠州地方ですから、結論として「あったかい地方」の家ですが、広縁(廊下)があってさらに濡縁があるというのも、実物を見ても、なかなかいいと思います。

  少々、話がそれてしまいますが、この「あったかい地方」という表現は、私は、特に誉め言葉でもけなし言葉でもなく使っているのですが、実は、人によっては、少々、馬鹿にしたような意味合いで使う人もあるようなのです。1990年代前半、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に在籍した時、入社して1ヵ月少々経った頃の浜松での研修で、遠州地方の営業所の所長をやっていた某さんが、「7割くらい本気で3割くらい冗談みたいな言い方」で話してくれたのが、「浜松とかこのへんはな。だいたい、あったかい地方だから。あったかい地方というのは、気候があったかいだけじゃなくて、そういう場所に住んでる人間というのは、一般に、頭の中味もあったかいんだわ・・・。要するに、あんまり、賢くないんだわ」なんて、にやにやしながら話してくれたのでした。当人もその遠州地方の人間だったはずですが、そういう話でした。 昔から、「頭寒足熱」なんて言いまして、足、特に足の裏は暖かくした方が血のめぐりがよくなり、健康にいいとされるのに対して、頭は涼しい方がいいとされるのですが・・、気候が温暖で「あったかい」地方というのは、住んでいる人間も「頭の中味もあったかい」ようになるものなのかどうか・・・、はたして、そういう相関関係があるのかどうか、自分自身も遠州人らしい某さんの説では「浜松みたいに気候があったかい地方の人間というのは、頭の中味もあったかい人間が多いんだわ」ということでしたが、それはジョークなのか、それとも、なんらかの相関関係があるものなのか・・・と思っていたら、その後、1990年代、福島県いわき市の営業所に移動すると、またもや、いわき人が「このへんは気候があったかいもんだから、このへんの人間は頭の中味もあったかいんだ。要するに、バカなんだよ。浜松の人間と一緒なんだ」なんて、これも、いわき生まれのいわき人が言うのでした。 気候と頭の中味の相関関係・・て、それ、ほんまかいやあ? ・・と思ったのですが、今もって、その気候と頭の中味の相関関係という説がもっともなのか、違うのかよくわからないのですが、どうなのでしょうね。 いわきの人間の場合は、自分たちはえらいんだとかそういうことを言うのを喜ばない土地柄、カッコつけるのを喜ばない土地柄で、地域によってはその場所を自慢したがる地域というのもあれば、それほどたいしたことないことを自慢したがったりカッコつけたがったりする人が多い地域というのもあるのですが、いわき市および福島県浜通り地区の場合はそうではなく、むしろ、「あんまり、頭はよくないもんですからねえ」と実際に頭がいいか悪いかにかかわらず言う人が多く、自分がカッコつけないだけでなく、カッコつけたがる人間をあまり喜ばない土地柄であり、それで、「このへんの人間てのは、気候があったかいだけに、頭の中味もあったけえんだよ♪」なんてその土地の生まれの人間が自分で言って喜んでいた、ということもあるかもしれません・・が、「気候と頭の中味の相関関係」というものが、はたして、あるものなのか、そんなことを言って面白がっている人がいるだけなのか・・・、今もってよくわからん・・・。

  それで・・・、この加茂家住宅においては、正玄関より西側の、主として客間として使われてきた和室の南側に廊下(広縁)があるとともに、↑ の写真を見ていただくとわかるように、その外側に、濡れ縁 もあるのです。 こういうのも悪くないと思います。 (株)一条工務店という会社は、「浜松でいいものは、日本全国どこでもいいに決まってるんだ。浜松でいいものは、東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。こんな常識がわからんのかあ」と叫ぶ人、そういう変な「常識」を持っている人、変な「常識」に「精神汚染」されている人が営業所長になっている会社で、「浜松でいいものでも、浜松以外の地域でもいいというものもあれば、他の地域では評価されないというものもあるはずです」と言うと激怒される・・から、なんか、逆らうとうるさいから、もう、「は~い、はい、はい、はい。そうです、そうです」とでも言っておいた方が、うるさくなくていいか・・みたいな会社。 又、中卒高卒優先主義の会社ですから、中卒高卒の人が「雪は黒い」と言えば、「はい、はい、雪は黒いです、雪はくろうございます」と言っておいた方が、うるさくなくていい、という会社。ほんま、苦労しまっせえ~え・・という会社、疲れる会社でしたが、そんなに、遠州地方中心主義を押し通したいのならば、この加茂家住宅あたりも見学に来て、縁側の作り方として、広縁か濡れ縁か・・という選択だけではなく、広縁を設置した上でその外側に濡れ縁も設ける・・という手法だってあっていいと思うし、そのあたりは考えないものなのか・・・と思うのですが、遠州人一般がどうかはわかりませんが、「(株)一条工務店の遠州人」というのは「気候があったかいだけあって頭の中味もあったかい」のかどうか・・、そういう発想がでてこないようでした・・・。

  ↑ の廊下(広縁)の板の貼り方ですが・・・、
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↑  私が子供の頃、住んでいた家の廊下は、↑ 図の左のような貼り方をしていました。 最近の住宅建築業の会社が施工する廊下・広縁の板の貼り方も、たいてい、左の貼り方でしょう。 小堀住研(株)でも、(株)一条工務店でも、左の貼り方にしていましたが、加茂家住宅ではそうではなく、↑ 図の右の貼り方です。
  岐阜県高山市の日下部家住宅(日下部民芸館)でも、この加茂家住宅と同様の床板の貼り方でした。〔⇒[第707回]《本床・押板床・塗回し床・釣り床・・7か所それぞれ特色のある日下部民芸館の床の間。廊下が垂直に交差する部分の床板の施工—日下部民芸館(高山市)3》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_2.html 〕 加茂家住宅や日下部家住宅で見られる、幅の広い板を部屋側から外に向けて貼る手法というのは、これは、この幅の板を用意できるのかという問題もあるのかもしれませんが、用意できるものなら、これもなかなかのものではないか。 たしか、小堀住研(株)に入社1年目に、営業課長が「普通は、廊下でも広縁でも、その廊下が伸びる方向に床板も長い方向に貼るものだ・・と教えられたと思うのですが、↑ の加茂家住宅の廊下(広縁)など見ても、必ずしも、長い方向(廊下の通行する方向)に板の長い方向を貼ると決まっているものでもない。但し、この幅が広い床板は、今は経年によりかなり傷んできてはいるようですが、もともとは、けっこういいものだったのではないか。けっこういい板を木の目を魅せながら貼るということで、この貼り方になったのではないでしょうか。

  それから、加茂家住宅の廊下(広縁)では、木の目が部屋側から外に向かう方向に板が貼られているのですが、はたして、こういう場合、どちら向きに貼るのが適切なのか。 加茂家住宅の場合は、南東を向いて建てられているらしいのですが、一般に、和室前の広縁というのは南側ですから、木は太陽の方向に延びるものだと考えると、木の目は南の方に向いて、ここでは部屋側から外に向かうように貼るのが自然になるでしょう。 外から人を招き寄せる方向に貼るべきか、その逆がいいのか、という問題では、これは人によって説も違うようなのですが、玄関では、外から人を招き寄せるように外から中に向かうように木の目がなるように貼るべきだ、という説があるようなのですが、2階はどうかというと、窓から入ってくる人間というのは泥棒だから、泥棒を招き寄せる必要はないので、2階の場合は中から外に向かうように貼るべきなのだ、という説があるらしい。 それなら、1階の玄関以外の場所はどうか。 ↑ の場合は、廊下 兼 広縁 ですが、広縁の外に濡れ縁があり、そこから前の庭の部分に出入りすることは想定されているはずで、庭に出た人間が入ってきても泥棒ではないわけですから、招き入れても悪いことはないはずですが、そうなると、木は太陽の方に向かって伸びるものだからという考え方と、人を招き入れるようにという考え方は相容れないことになってきます。 部屋中から見ると、部屋中から外に向かう方が、外から部屋中の方向に木の目が貼られているよりも、気分はいいのではないかという気がします。部屋の中からこの床板を見た場合を考えると、中から外へ木が伸びるように木の目を配置した方がいいのではないかと思います。

  小屋組みの垂木についても、どっちを上にするべきなのか、という問題があり、高田秀三編『これだけは知っておきたい 住宅の設計と施工の知識』(鹿島出版会)によると、木は下から上へと伸びるものだから、外側の低い側に木の元口側(根っこの側)、内側の高い側に木の末口側(こづえの側)を持ってくるのが当たり前だという説と、そうではなく、建物を大黒柱を幹とした木だと考えると、垂木というのは幹から伸びている枝のようなものなのだから、外側(低い側)に末口側、内側(高い側)に元口側を持ってくるものだという説と、両方の説があるらしい・・・が、理屈を聞くと両方とももっともそうな感じがしてくる。
  柱というのは、木が生えていたように、木の下側(元口側、根っこの側)を下、木の上側(末口側、こづえの側)を上にして設置するもので、それを逆にすると、逆柱(さかばしら)と言って縁起が悪い・・と言われてきたのですが・・、しかし、考えようによっては、木が生えていたのと同じように、根っこの側を下、こづえの側を上に設置すると、木口面から水分を吸うことが考えられるのに対して、逆に建てたなら、あまり、吸わないのではないか。それなら、逆柱に立てた方が、水分を吸わないので、かえっていい・・などということはないのだろうか・・など考えたのですが、それでも、気持ちの問題として、「木は切られてから第二の人生を生きる」なんて考えると、はえていた状態と逆向きに立てるというのは、なんだか、その柱がかわいそうな印象を受けます・・が、集成材の場合では、もともと、どっちが上になっていたか下になっていたかなんて考えずに貼り合わせているでしょうから、それを考えると、ムクの柱を使用する場合でも、あえて、上下を逆に立てた方が水分を吸いにくいのでその方が腐りにくい・・ということはないのか・・とか考えてみたりもします。

  そして、廊下が直交する場合、交わる部分をどう納めるか。「納まり」のしかたとして、加茂家住宅では何通りかのものが見られました。↓
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↑ 上の写真は、南側(南東側)に和室が何部屋も並んでいる、その一番西の部屋の西側の南北方向とその突き当りです。 下の方は、突き当りの2畳の部屋の西側の廊下ですが、こちらは、直交する部分で斜めに「納まり」を作っています。
  もうひとつは、南西の和室の南西側で廊下(広縁)が直交する部分で、先の写真をもう一度、掲載しますと、↓
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↑ クリックすると大きくなるので、この写真の奥の方を見てください。 ここは、広縁側(南側)の方を優先して貼ったようです。

  他にも、
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↑  これは、芸が細かい(^^♪  この貼り方は、大阪府豊中市の「旧羽室家住宅」においても見ましたが〔⇒[第767回]《「旧羽室家住宅」訪問。畳敷の広縁、直交する廊下の長尺板組合せ、雪見障子。今もある「タンネ」。千葉工大は中学校行くな!》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_18.html 〕、芸が細かいところ、「どんなもんじゃい」と施工した大工さんが言っとるのじゃないか・・てそんな感じがします。
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・・・と、廊下が交差する場所の「納まり」のつけかたも様々です。

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  その部分で使用している床板が幅の広いものを使用しているのか狭いものを使用しているのか、によっても異なるでしょうし、又、来客が立ち入る場所か、もしくは、主として家族が使用する場所でも床の間がある和室のそばであるのか、「楽屋裏」のような場所かによっても異なるのでしょう。

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↑  南側の西よりの部屋とその西の庭園です。 加茂家住宅では、南側の前庭とは別に、西側の庭園、北側の池がある庭と、それに、家屋で四方を囲まれた中庭の3つのプライベートな庭が設けられていますが、↑ の庭園は、前庭とは隣接した場所でも、異なった雰囲気を持つ庭園になっています。


  ↑ の手書きの図ですが、フリーハンドで書いています。私は、このフリーハンドによる図というものに、けっこう、自信も持っているし、けっこう、気に入っているのです。 ところが、2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ にいた時、アフター課の山本大輔(男。当時、20代前半)が、私が業者さんに示す図をフリーハンドで書いていたところ、「定規を使って書いてください」とその業界で自分の何十倍も勤めてきた者に向かって「命令」するので、おかしなヤツだな、と思ったことがありました。山本大輔はフリーダムアーキテクツデザイン(株)では幹部社員だったらしいが、それが幹部社員だというのでは・・と思いました。 もしも、フリーハンドの図で気に入らないということならば、建築屋ならば、CADで作成するか、そうでなければ、せめて、T定規でも使用して書く・・ということならわかりますが、小学校の子が使うような、スーパーか小学校の近くの文房具屋で売ってる小学生向けの三角定規で山本は書いていたのですが、建築屋なら「小学校の子が使う三角定規」ではなく、せめて、建築屋が使う製図用の定規を使用するべきですし、「小学校の子が使う三角定規」なんてものを使って書いて、それが値打ちがあるように思っているその認識というのは理解に苦しみます。 私は山本が小学生向けの三角定規で書いた図より、よっぽど優秀な図をフリーハンドで書く自信があります。私は、フリーハンドで作成する図の書き方というものを、いくつかのルーツで学んできました。
1つは、1980年代後半、山本が産まれるより前、小堀住研(株)の松戸営業所で営業課長の I さんから教えてもらった方法で、I さんも、それは I さんのオリジナルというわけでもなく、営業の仕事をしていた時に、お客さんから競合会社の営業が書いてきたという図面を見せてもらって、それを取り入れたものだったらしい。
2つ目は、キッチンスペシャリスト試験の製図試験は、平面図と展開図ともうひとつ、パースか仕様表か何かが出題されたと思うのですが、フリーハンドで作成せよというもので、これに合格するために、ずいぶんと練習したものです。
3つ目は、ハウジングエージェンシーが開催した「フリーハンドパース講習会」に出て教えてもらったものです。これは、講師の方から言われたのは、目の前にお客さんがいる所で、話をしながら、手元で書いていくというものです。
4つ目は、(株)一条工務店に在籍した時に、建築現場で大工さんと話をしていると、大工さんが、そのへんにある木っ端か段ボールに鉛筆で走り書きで書いて、こうだと説明してくれたものですが、それで十分にわかるのです。それに対して、「うちはCADで図面を作ってますから」と「CADで」と言うわりに、たいした内容ないじゃないの・・という業者さんもいたのです。今ではパソコンは、どの程度かはさておき、使うのが普通になりましたが、1990年代の後半までは、使う人もあれば使わない人もあったのですが、その頃、「そのへんの広告の紙の裏か、コピー用紙にでも、シャープペンシルで、ちょいちょいと書けば、それで十分にわかる」ということができる人間と、たいしたことがない話をするのに、わざわざ、パソコンを「ちんちょろりん♪」とか音を立てて立ち上げて、もったいつけて説明する。しかも、客宅でそれをやろうとして、うっかり、パソコンに入っていたヌード写真なんてのがお客さんの奥さんの目の前でパソコン画面に出てきた・・なんてこともやったりとか・・、パソコンを使用して説明して悪いことはないのですが、あんまり、意味のないことをやる人がいました。パソコンは文房具であり、その文房具を使用することでより良い説明ができるのなら使用すればいいが、木っ端か段ボールに鉛筆で走り書きすれば十分に説明できるものなのに、それより内容が劣ることをパソコンを「ちんちょろりん♪」とか音たてて立ち上げて説明する・・というのは、どうかな・・という印象を受けた。
5番目は、吉田正毅『棟梁に学ぶ家づくり』(連合出版)で、大工の吉田正毅さんが書いていた図がフリーハンドによるもので、小学校の子が使う小学生向けの三角定規で書くよりも、フリーハンドで書いた方がよっぽど優秀な図が書けるのだ。
6番目は、愛知産業大学の建築学科のスクーリングの際に学んだものだが、「建築製図」という授業でも、図の書き方を指導されるのではなく、M先生から言われたのは、「図面というのは、絵なんだ」と。 「平面図というのは、上から見た絵なんだ」と。だから、わかりやすいように絵を描くというのが、製図なのだ、と。だから、フリーハンドで書いた方がわかりやすい絵が描けるのなら、フリーハンドで描いていいのです。 フリーハンドの図と「いいかげん」とは同じではなく、別物です。山本はそのあたりを理解できないようでしたが、私はフリーハンドで描く練習を相当してきており、山本大輔が定規を使って書くものより優秀な図をフリーハンドで描く自信があります。 但し、私は、フリーハンドで図を書く練習を相当やってきましたから、けっこう、自信を持っていますが、山本大輔は私と同程度の練習はしていないでしょうから、そういう人は、《山本が使う「小学校の子が使う三角定規」》ではなく、「建築屋が使用する三角定規とその他の製図用具」を使用して書いた方がいいかもしれません。ひとつには、日本の「建築の専門学校」というのが良くないと思います。私は、日本の「建築の専門学校」というのは、全部、ぶっつぶした方がいいのではないのか、と思っているくらいです。山本が「建築の専門学校」で教えられたものが、あまり、内容が良くないのではないか、とも思われます。「建築の専門学校」で講師をやっている人間自身がよくわかってないのではないか、よくわかってない者が「建築の専門学校」の講師をやっているのではないか、と思うのです。
  2005年、千葉県のリフォーム会社の(株)ウッディホームhttps://www.woodyhome.com/ にいた時、船橋店の古田部(男。当時、50代)が、同社の「インテリアプランナー」の資格を持っていた女性の某さんが作成した図面に、「ドラフターがないからできないけど、ドラフターがあれば、俺ならもっといいものができる」などと寝言を言うので、「ここがロドスだ、ここで跳べ」なんて言葉があるが、このおっさんは、おそらく、ドラフターがあったなら、その時はその時で何か他の何かがないからできないけど・・と言いだすだろうなあ、と思ったことがあった。
※ 「ここがロドスだ、ここで跳べ」・・・なによりも実際にやって見せよということ。イソップ物語にある寓話で、五種競技の選手が、外国に遠征して帰ってきてから「ロドス島に行ったときには、オリンピックの優勝者でもかなわないほどの幅跳びのレコードをたてた。うそだと思ったら聞いてみよ」と吹きまくった。すると、ひとりの男が、「それが真実なら何も聞いてみる必要はないさ。ここがロドスだ、ここで跳んでみたまえ」といった。大ぼらを吹く人間は、人にたずねたり見たりして確かめられないことだと、自分のことをひどく自慢するものだ。そんなとき、このことばによってひやかす。
( 折井英治編『暮らしの中の故事名言辞典』1970.4.15.集英社 )
  古田部は二級建築士の資格を持っているというのが自慢で売りにしていたが、あんまり、値打ちのない二級建築士である。小堀住研(株)の松戸営業所にいた時に、営業課長だった I さんは、一級建築士の資格を持っていたけれども、だから、古田部のように「ドラフターがあれば書けるんだけど・・」なんてことは言わない。1980年代の後半、小堀住研(株)では、「設計」の職種の人間にはドラフターは用意していたが、営業の職種の人間にはドラフターは用意しておらず、展示場の事務所にはドラフターはなかったが、ないならないで、I さんは、コピー用紙を事務机の上にセロテープで貼って製図用の三角定規できっちり図面を作成していたドラフターがなければ事務机ででも、T定規がなければ製図用の三角定規で、ケント紙とかがなくてもコピー用紙にでも、製図用のテープがなければセロテープででも使用して、それで、十分に「設計担当」が書いた図面に劣らないものを作成していたのだ。それが営業だろうが、それが! 古田部だって(株)ウッディホームでは営業だったはずだが、営業のくせして営業的ではない。 私は I さんのそのやり方を学んだ。それを学んだ私から見ると、古田部は「俺は二級建築士として・・」だの「ドラフターさえあれば・・」だのぶーたらぶーたら言うばかりで、結局、あんた、できないということでしょ・・ということになるよなあ・・・と思ったし、そう思ったのは私だけではないはずだ。ドラフターがない状態で、事務机の上にセロテープでコピー用紙を貼って製図用の三角定規で図面を作成するか、フリーハンドで作成するかした上で、「ドラフターがあったら、もっときれいにできるけれども、ないから、この程度のものだ」と言うのならわかるが、ともかくも、「インテリアプランナー」の某さんは1つ図面を作成したのに、古田部は「ドラフターがないから」と理由をつけて1つも作らずにぶーたらぶーたら言って、何言うとるんじゃ、と私は思ったし思う人はあったようだ。 そもそも、その2005年の時点で、すでに、建築屋には「ドラフター」なんてないのだ。設計はCADを使用するようになって、しかも、私が小堀住研(株)に入社した1980年代後半においては、設計が手書きで図面を作って、それをCADの係がCAD図面にしたものだが、2005年においては、手書きで書いたものをCADの係がCAD図面に変えるのではなく、最初からCADで図面を作るようになっていたのだ。「ドラフターさえあれば」なんて言っても、ないのだ、もう、ドラフターは。 建築会社には、もう、ドラフターなんてない時代に「ドラフターさえあれば・・」なんてそういうことを言っているようでは、「時代遅れの人」と評価される可能性がある。パソコンが普及しだした頃、ワードを使用する理由として「汚い読みにくい字で書いたものでは上司は読んでくれません」などと書いてあったものがあったのだが、私は「汚い読みにくい字」ではなくボールペンで書いて「わかりやすい読みやすい字」で書くことができたし、それは最初から書けたのではなく、「わかりやすい読みやすい字」を書く練習をしてかけるようにしたのだ。だから、「汚い読みにくい字で書いたものでは上司は読んでくれません」というのは、私にとっては「ワードを学習する理由」にはならなかったのだが、ともかく、パソコンを使わないというわけにはいかない世の中になってきたので、パソコンの練習もやり、ワードについても、サーティファイのワード2級まで合格した。そのうち、パソコンで文書を打ち込む方が普通みたいにしていると、手書きで書くことの方がめんどうになってきたりもしたが、手書きで文書を書けないわけではない。私はサーティファイのワード2級まで合格したが(と思ってたら、「バージョンアップ」なんてされてしまって前バージョンで覚えたものは、どこにあるやらわからんようになってしまったが)、手書きでは「汚い読みにくい字では上司は読んでくれません」なんて字しか書けないわけではなく手書きでも「わかりやすい読みやすい字」を書く能力がある。もし、古田部がCADの練習もしてCADで作図した上で「ドラフターで描く方が俺は得意なんだけど」と言うのなら、この人はそういう人かと評価されるかもしれないが、「ドラフターがないからできないけどドラフターがあったら」と言うのでは、ドラフターは今は建築会社にはないのだから、結局、この人はできない人なんだ・・ということになる。 ドラフターなんて、もう、建築屋にないのに、何を言ってるの、何を・・・と古田部の寝言を聞いて、思う人は思っていたはずだ。まず、(株)ウッディホーム においては古田部は「営業」だったはずで、営業というのは、ドラフターがなかったらなかったでなんとかする・・というのが営業のはずで、「・・がないからできないけど」と言うのは、それは営業ではないはずだ。「ドラフターがないからできないけど」とか言うおっさんというのは、営業の仕事につきながら「私は営業ではありません」と言っているようなものだ。
  私は、 AutoCADで建築CAD検定2級に合格した。試験はAutoCADで合格したが、ポリテクセンター千葉の建築CAD科ではJw cad も学んだ。だから、CADで図面を作成すれば、「どうだ、すごいだろお~お」となるかというと、そんなものではないと思っている。内容のないものをCADで打ち出したからいいでしょみたいな態度よりも、むしろ、そのへんの木っ端なり段ボールなりに、鉛筆でちょいちょいと書いて、「こうすればいいんだよ」と言って説明して、「なるほど。そうか」とわからせる方が、むしろ、値打ちがあるし、それはわかっている人であるからできることのはずだ。 2000年頃、(株)一条工務店の栃木県の佐野展示場にいた時、見込客で、どこそこのメーカーが持ってきた図面は手書きだった、とバカにするような言い方をした人がいたので、この人はそんなこと思うのか・・と思ったことがあった。栃木県佐野市といえば・・佐野ラーメン♪ 、『ラーメン発見伝』にも登場する。武田のおやじの『ラーメン どきゅん』のラーメンは量が多いことから、完食しないうちに麺が伸びてしまう。それを解消するには・・ということで、あらかじめ、加水率高めの麺を使えば・・と藤本さんが提案・・という場面で、その加水率高めの麺の代表としてだったか、佐野ラーメンが出ていたと思う。(逆だったっけ? たしか、高めの方だったと思う。) そして、佐野ラーメンというと、「青竹手打ち」の店なんてのがあって、道路から見える所で、青竹で、うんしょ、うんしょ、うんしょ、うんしょと麺をこねてるところが見える。それを実演して見せる。 ラーメンなら「手打ち」をありがたがるくせして、住宅建築の図面だと機械打ちの方をありがたがるというのも、変な話・・と思いませんか? だが、現実にそういう人もいるようだった。
  ましてや、「小学校の子が使う小学生向けの三角定規」なんてものを使って書くのが値打ちがあるみたいに思っている山本流というのは、建築屋の認識としておかしい。彼は幹部社員らしいから、幹部社員さんの言うことはきかないといけないのかもしれないが、あんまり・・・いいとは・・思わんなあ・・。
  図面というのは、愛知産業大学の建築学科のM先生が言われたように、絵であり、フリーハンドで描いた方がいい絵が描けるのならフリーハンドで描いていいのだ。むしろ、うかつに定規で線を引くと、定規で線を引いたからには、厳密に正確な図であるんだろうなあ・・と要求される危険がある。フリーハンドで描いている限り、これは説明のための絵ですよ・・ということで、直接関係のない細かい部分まで正確だとは言ってませんよ、と言えるのだが、うかつに定規で線を引くと、それを言えなくなってしまい、必要ない部分まで厳密なものを作成しないといけないことになりかねない。そのあたりを考えて、どういう図を書くか、どういう絵を選択するか決めるのが営業的判断力である・・・が、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の幹部社員は、そのあたりを理解できないようだった。

  ・・次回、加茂家住宅の3回目を掲載します。

 (2020.7.6.)

☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html 
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。〔今回〕 
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_2.html
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html 

日本の家 (2) 中部 - 藤井 恵介, 和田 久士
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地震と木造住宅 - 杉山 英男
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これだけは知っておきたい住宅の設計と施工の知識 - 高田 秀三
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