加茂家住宅(掛川市)(5)窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵・土蔵ー加茂花鳥園訪問【7/7】
[第779回]
加茂花鳥園の7回目、加茂家住宅の5回目です。
加茂家住宅は、西よりの座敷では天井を貼っていますが、東よりの土間の部分とその西の「おえ」などの部分では天井は貼らず、架構を見せる・魅せる造りになっています。↑ 梁が黒い色合いになっているのは、これは竈の灰によるものではなく、漆か何かで着色されたものではないでしょうか。
↑ 池の左手に見える土蔵は、どちらの側から見ても風景に調和して、いい景観をかもしだしているのですが、この土蔵は明治になってから建てられたものらしい。
↑ の土蔵の裏側・・というのか、どちらが表でどちらが裏というわけでもないでしょうけれども、花菖蒲園とは逆側です。
池の東側、主屋の北東側の建物 ↑ は、今は、池や庭園を見る東屋(あずまや)のようになっていますが、もともとは味噌蔵だったらしい。
主屋の前の前庭から見て右側の長い建物は、今は農具が展示されているが、かつては米蔵だったらしい。↓
↑ 「梁(はり)」と「桁(けた)」はどう違うのか。どっちが「梁」でどっちが「桁」なのか。 けっこう、悩むものだが、坂本功『木造建築を見直す』(岩波新書)では、京都の三十三間堂を例にして説明されているが、三十三間堂の仏さんがいらっしゃる部分が「母屋」で、その周囲の人が歩いて参拝する部分が「庇」。そして、母屋の部分の長方形の短い辺は、両側の柱とその間にかけられた「梁(はり)」のセットで成りたっていて、その「柱+梁+柱」のセットがいくつも並び、その「柱+梁+柱」と「柱+梁+柱」をつないでいるものが「桁(けた)」らしい。 加茂家住宅の米蔵も平面としては細長い長方形だが、 ↑ の写真を見て、それを思い出した。短い辺が「柱+梁+柱」で、長い辺は、短い辺の「柱+梁+柱」を「桁(けた)」でつないだもの・・ということでしょう。
米蔵と前庭の間 ↓
「建築探偵団」としては、↓ のようなところが気になります(^^)/
↑ 今なら、「羽子板ボルト」とか「両引き(ボルト)」とか ↓ 使用するところでしょうけれども、そんな金物なんて使わない時代の建物ですから、↑ 。
タツミ Zマーク表示金物 羽子板ボルト SB-F2 280mm 50入
両引きボルト M16×700ミリ (Z) 認定品 両ネジボルト
「ぼ、ぼ、ぼくらは建築探偵団、勇気~りんりん、るりの色。望みに燃える呼び声は、朝焼け空にこだまする~♪ ぼ、ぼ、ぼくらは建築探偵団♪」
※ 《YouTube-少年探偵団の歌(テレビ原音)》https://www.youtube.com/watch?v=98smURw4ig0
さて、前庭から見て右寄りの土間の部分への出入口と左寄りの車寄せのある「正玄関」との間の座敷の前庭側ですが、↓
↑ 座敷から前庭が見えるようにしつつも、そこから出入りはできないように格子が設けられています。
野村克也のじいさんが「理由のないことをするな」と選手に言った、特に捕手に言ったというのですが、建築においても「理由のないことをするな」というのは戒めとして心に持っておくべきものだと思うのです。「理由のないこと」をしたがる「建築家」とか「デザイナー」とか「設計士(さま)」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とかいうのが、わんさといますからね・・、ほんと。
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豊中の同じマンションに住んで、私のクルマで球場に行く。江夏は運転免許を持っていないので、私が運転手である。帰りもまた私のクルマで帰って来る。
それは、特にどうということもなかった。問題はそのあとだ。江夏はクルマの中からずっと野球の話をしてくる。マンションに着いてお互いの部屋に分かれても、しばらくすると江夏が私の部屋にやって来る。そして野球談議がはじまる。
話題は、たいてい配給の話だった。
「あの場面で、カーブを要求したのは、どういう根拠だったのか」
「あの時、ストレートを投げさせて打たれたが、なぜ打たれたと考えるか」
「あの一球の根拠は」
私も野球の話なら飽きるということのない人間だから、それにきちんと答える。いつの間にか話が長くなり、夜が明けはじめることもしばしばだった。
江夏は酒を一滴も飲まない。私もほとんどやらない。大の男が酒も飲まずに、朝まで「あの一球がどうした、こうした」と語り合うのだから、知らない人が見たら、さぞかし奇妙に思えただろう。
マンションだけではなかった。遠征の宿舎でも、江夏は、毎晩のように私の部屋にやって来ては、一球の根拠を問いただしてゆく。私も少々つき合いきれないと思うこともあった。
しかし、江夏と野球談議を交わしたことは、私にとっても意義があった。一つひとつの配給の根拠を、しつこいほどに追及する投手がいるのは正直驚きだった。・・・・
江夏は投手にしては珍しく、一球ごとの根拠にこだわる男だった。なぜ、その球を要求したのか。自分はこう考えるが、お前はどう考えるのか。しつこいほど私に食い下がってきた。江夏が食い下がってきたのは、彼から見て、私も一球ごとの根拠を重く見る、同じ野球観の持ち主に思えたからだろう。
「目をつぶってストレートを投げさせたんだ。やっぱり投手は、気合が大事だ」
いつもそんな答えをする捕手だったら、江夏が毎日のように、野球談議を仕掛けてくることはなかっただろう。
(野村克也『壁 試練だけが人を成長させる』2017.3.30.KKベストセラーズ ワニ文庫 )
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それで・・・、家の窓の格子だが、「根拠のあること」「理由のあること」をやっているものと、「理由のないこと」「根拠のないこと」をやっているものとがある。 ↑ の加茂家住宅の格子は、「根拠のあること」「理由のあること」をやっていると思う。
縦桟が主であるが、縦桟の間隔は広い。 その代わりにところどころに横桟がある。 これは、縦桟ばかりで間隔が狭いと、部屋の中から前庭を見たいと思っても見えにくいからでしょう。 間隔が広い縦桟だけであれば、子供や犬などはそこから入れてしまう可能性がある。だから、部屋から前庭が見えるようにして、なおかつ、出入りはできないようにということで、間隔が広めの縦残を主として、とこどどころに横桟を入れた、ということでしょう。 逆に、横桟を主として、ところどころに縦桟を入れるとどうかというと、横桟を主としたのでは、こういう格子の横桟には埃が溜まりやすい。又、埃だけではなく、横桟は雨がかかった時に、縦桟よりも傷みやすい。 だから、横桟が主で縦桟も入れるというものではなく、縦桟が主で横桟をところどころに入れる・・という施工にしたものだと思われます。
それに対して、「理由のないことをするな」と野村のじいさんに言ってもらった方がよさそうな「建築家」「デザイナー」「設計士(さま)」「いっきゅうけんちくしい~い」とかいうのは、ゴマンといます。わんさといます。うんとこさ います。
《1》 2005年、チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ の建設部に入社した際、人材開発部の友常が、入社までに、できれば、チムニー(株)の店舗をいくつか見てきてもらいたいと言うので、「花の舞」の八重洲店、「ファーストグルメ」の平井店、「チムニー」の千葉駅西口店、それに「はなの舞」と「炎」のどこだったか忘れてしまったかの店に行って、食事をしてわずかに酒を飲んできました。 後に、友常は、「◇◇店を見てきてくださいと言ったのに、なぜ、他の店を見に行ったんですか。社会人として、それではいけませんでしょ。今後は気をつけてください」などと言ったが、友常はそういうことは言っていないはずです。友常は、あくまでも、「できれば」「何店か」見てきてもらいたいと言ったのであり、私の住居から比較的近い場所で、どこにあるということは言ったものの、その店を見てきてもらいたいとは一言も言っていない。又、もしも、はっきりと、どこの店を見てきてもらいたいと言うのであれば、それは入社後に給料を払った上で見に行かせるべきもので、「できれば」見てきてもらうといい、ということならば入社前に給料払わずに「希望」を述べてもいいとしても、はっきりと、どこの店と指定して、見て来いと言うのであれば、その行為に対しては賃金を払わないといけないはずです。ですから、友常は、
(1) 自分は、あくまでも、どこに店がありますと店の場所を紹介はしたけれども、どの店を見てきてくださいとは一言も言っていないにもかかわらず、それなら、どこを見に行ってみようと考えて見に行った者に対して、後から「◇◇店を見て来てくださいと私は言ったでしょう」などと言うのはおかしいのであり、自分が実際に言ったことと異なることを言ったと後から言うというのは、友常こそ、社会人として良くないでしょう。友常こそ、反省しなければいけません。
(2) 又、友常は「人材開発部」に所属していたのですから、「できれば」、うちの会社の店をどこか見てきてください、と希望を言うくらいなら、報酬を払わずに希望を言うことはできても、はっきりと、どの店を見てきてくださいとまで指定したのであれば、それに対して報酬を支払わないといけない、ということくらいは理解できていないとおかしい。 それを理解できていない男の方が、社会人として気をつけないといけないはずです。そのくらいのことも理解できないようでは、「人材開発部」に所属する従業員としては、スキルの点で問題があります。
それで、チムニー(株)の会社名と同じ名称の「チムニー」という店は「洋風居酒屋」というコンセプトで、店内に「料理用の煙突の飾り」が設置されているというのが特徴だったのですが、実際には、居酒屋というのは、和風の居酒屋が多く、多いだけではなく、「居酒屋というのは和風のもの」というイメージがあり、「洋風居酒屋」というのは、なかなか難しいところがあった。又、千葉駅西口の店では「日本酒ソムリエがいる店」だったかを売りにしていたのですが、私は、酒はあまり飲まないし飲めないのですが、住宅建築業の会社に長く勤めてきましたので、地鎮祭・上棟式で日本酒をお施主様に用意してもらったりしたのですが、その際、あまり、酒を飲まないお施主様だと、「日本酒て、どういう銘柄のものがいいのですか」とかきかれたこともありました。特に、これはだめというものはないはずですが、小堀住研(株)におりました時、私が担当のお宅の地鎮祭に出席する際、「奉献」と書いた熨斗紙をつけて日本酒を持参するように上役から言われて、展示場の近くの酒屋に行ったところ、酒屋の奥さんは、「地鎮祭なら、松竹梅がいいでしょうか」と言われたのでしたが、その理由としては、おめでたい行事には「松竹梅」というのは名称がいい、というところからだったようです。 しかし、実際、飲んでみると、あまり、酒を飲まない人間の味覚ですが、松竹梅というのは私はあまりおいしいとは思わないのです。それなら、何がいいのかというと、よくわからない。 雁屋哲原作・花咲アキラ 画『美味しんぼ』の日本酒についての稿や、船瀬俊介『買ってもいい 食卓編』(カッパブックス)とかを見ると、日本酒には、さまざまなものがあって、又、日本酒の場合は大手酒造メーカーのものがいいわけではなく、むしろ、地方の造り酒屋のものの方が「本物の酒」を造っている場合が多く、大手酒造メーカーのものには米・こうじ以外もの入った「まがいもの」が多いらしいが、その意味で純粋な酒でなくても、私が上棟式の時などに飲ませてもらったものでは、「會津誉 甘口」というのが飲みやすく、これまで、飲んだ日本酒の中では、唯一、おいしいと思った。考えてみると、お施主様にも酒をよく飲む人とそれほど飲まない人がいて、それほど、飲まない人からすると、酒呑みの集まりというのは苦手らしいのだ。ところが、「地方」にいくと、何かと酒がでる・・なんて場がある。そういう際に、まったく飲まないわけにもいかないという時、酒がそれほど強くない人、それほど酒を飲まない人でも飲める日本酒・・ということで、そこのお施主様は「会津誉 甘口」というのを選ばれて出されたようだった。なるほど、そういうことを配慮されたんだなあ、よく考えて選ばれたんだなあ、と思ったものでした。〔 「名張毒ぶどう酒事件」というものが過去にあったが、なぜ、「ぶどう酒」なのかというと、町内の集まりで酒を出すのに、男は日本酒を飲むとして、女性用にぶどう酒を用意したが、そのぶどう酒に毒が混入されて死者が出た、という事件だったらしい。その際も、ぶどう酒の方が酒が強くない人でも飲めるだろうということで、女性用にぶどう酒が用意されたらしい。福島第一原発事故の影響が気になりますが、「会津誉 甘口」はあまり酒を飲まない・飲めない人間にとっては、比較的飲みやすい酒だったと思います。〕 それで、私は、「チムニー」の千葉駅西口店は「日本酒ソムリエがいます」というコピーを掲げていたので、「酒が強くない人間にも飲める甘口の酒で、できれば、添加物のない酒を」と希望してみたのですが、「日本酒ソムリエ」がいるわりには、こちらの希望の意味すらもわかってもらえないようでした。だから、そのうち、めんどうになって、「何でもいいです」ということにして、食事して帰りました。 「酒が強くない人間にも飲める甘口の酒で、できれば、添加物のない酒を」と言って、それに対して、「それなら、・・などはいかがでしょうか」という返事が出てこない・・ということは、たいした「日本酒ソムリエ」ではない・・と思いますよ。
「美味しんぼ(おいしんぼ) アラカルト -じっくり味わうー酒 2017.1月」(2017.1.2.小学館)の「第5話 日本酒の実力<5>」では「酒処澤村」の主人が推薦の日本酒がいくつかでていて、甘口の酒としては、岐阜県・白木恒助商店の「達磨正宗」https://www.daruma-masamune.co.jp/ が「甘口なので、食前酒としてもいいし、食後に楽しむにもいいんだ。」として紹介されている。 私はこの酒を飲んだことはないので実際にどうかはわからないが、「会津誉」の製造元の ほまれ酒造(株)のホームページhttps://www.aizuhomare.jp/ を見ても、「商品販売」https://www.aizuhomare.jp/ec/ のところで、検索するための欄に、「味わいで絞り込む」として「芳醇 」「フルーティ」「 甘口」「 辛口」の選択枝が出ており、「甘口」にチェックを入れて「検索」すればいくつかのものが出てくるし、「日本酒ソムリエ」ならば、「酒が強くない人間にも飲める甘口の酒で、できれば、添加物のない酒を」と言われて、「◇◇などはいかがでしょうか」というお勧めが出てくるかとおもったが、「チムニー」千葉駅西口店では何らしかるべき返答はなかった。
「ファーストグルメ」というのは、名称からするとファーストフードの店みたいな感じがしますでしょ。 実際に平井店(今は、もう、ない)に行ってみると、外観は、マクドナルドか、ミスタードーナツか、ケンタッキー・フライド・チキンか、モスバーガーか・・みたいな外観の店舗だったのです。 中に入って見ても、やっぱり、マクドナルドか、ミスタードーナツか、ケンタッキーフライドチキンか、モスバーガーか・・という感じのしつらえの店だったのです。店員の制服もそんな感じの服です。ところが、そこで出てくる食事の内容というと、無茶苦茶ボリュームのある肉料理で、値段から考えると高くないかもしれないけれども、これでは、軽食を想定して入った客は面くらいだろうなあ・・と思いました。それで、入社して最初の日に、友常が「見てきましたか」と言うので、それを言ったのです。「ファーストグルメ」はそこで出される食事は悪くないと思いますが、ファーストフードの店という感じではありませんね・・と。これは、私は、問題点として指摘したのです。これでは、ファーストフードを期待して入店した客は面食らうし、ボリュームのある肉料理を食べたい客はファーストフードの外観と店名を見て入店しないのではないか。もう少し、そこで提供する料理と店名・店のしつらえ・外観を一致させるようにした方がいいのではないか・・ということを私は指摘したのです。 ところが、私がせっかく指摘したのに、友常は「いいでしょう。あれ」などと言うので、「こいつ、アホや」と思いました。そう思っていると、「ファーストグルメ」は平井店ともう1か所どこだっけに続いて、神奈川県に大船店を作ったのですが、大船店に行くと、店長が「なかなか、苦しいですよお」と言うので、そうだろうなあ・・と思いました。大船店の店長が言うのは、ひとつは、「ファーストグルメ」には夏向きのメニューがなく、友常はボリュームのある料理をそう高くない値段で提供しているから、だから、「いいでしょう」と言うのだが、ボリュームのある肉料理を比較的安い値段で提供する店であっても、そこまで、ボリュームのあるものを食べたいと思っていない客には不向きであるし、夏場になると、多くの人間は食事の量は少なめになり、ボリュームのある肉料理よりも、それこそ、単純に「冷やし中華はじめました」の方がよっぽど受けたりします。そのくらい、わからんかなあ~あ・・・と思っていたら、建設部の会議で、社長の和泉さんが「フォースとグルメはどうもうまくいかんなあ。なんで、だろうなあ」などと言うので、「なんで」か、この人、わからんのかあ? この人、法学部卒であって商学部卒・経済学部卒ではないとしても、それでも関大でも「大卒」なのに、ほんとにわからんのかあ~あ? ・・と思った、ということがありました。1980年代、阪神タイガースがCクラスを毎年続けていた頃、ラジオの野球中継で、アナウンサーが「きょう、試合前に球団の人と話していましたら、『どうも、今年は甲子園球場のお客さんの入りが良くないんですよお。いったい、どうしてでしょうねえ』と言ってました」と言ったところ、解説者の江本孟紀が「はあ~あ。『いったい、どうしてでしょうねえ』なんて、球団の人が言ってましたかあ~あ? そんなこと言いますか、そんなこと。ぼくは、なんで、お客さんの入りが悪いか知ってますよ、ぼくは。そんなもん、いくらなんでも、ここまでボロクソに負けまくったらもう、いいかげん、見に行くの、嫌になりますよ。いくらなんでも、ここまで、ボロクソに負けまくったら! わかりませんかねえ、このくらいのことが。『いったい、どうしてでしょうか』なんて言ってましたかあ? はあ。 案外、球団の中にいる人というのはわからんもんかもしれませんねえ。教えてあげましょうか。なんで、お客さんの入りが悪いか」と発言。さすがは江本やなあ~あ・・・、ええこと言うわ、ほんま・・・と思ったものでしたが、そんな感じ! 和泉さんは、まがりなりにも社長なのに、関大とはいえ法学部卒とはいえ社会科学系学部の大学卒なのに、こんなこともわからんのか。 「どうしてだろうなあ」て、あんた、本気でそんなこと言ってるのお?!? ・・・と思ったものでした。そのうち、3店舗作ったところで、「ファーストグルメ」は居酒屋としては得意分野ではないということで、さっさと撤退してしまいましたが、やることやらずに撤退するくらいなら最初からやらなきゃいいのに・・・てところです。やっぱり、関大しか出てないような男はあかんいうことか?!? ・・・と解釈するべきかどうかわからんが、ともかく、「そんなこともわかりませんかねえ、そんなことも」・・という感じだった。又、わからんならわからんで、とりあえず、実際にその店で働いている人間に意見をきくということくらいやってみれば、そうすれば、大船店の店長も「うちは夏のメニューがありませんから」ということを言っていたわけで、まず、それだけでも改善してみればいいと思うのだが、それもしないで、人材開発部の友常は「いいでしょう、あれえ」などとアホなこと言っていたのであり、社長の和泉さんも同様であり、これが、居酒屋のチェーン店の社長なのかあ?・・て感じでした。
「炎」という居酒屋の店があって、昼間は食事の店にしている店舗が多かったのですが、チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ は、最初、ジャスコ〔現 イオン(株)https://www.aeon.info/ 〕が作った店だったらしいが、それを静岡県の食品会社の米久(株)https://www.yonekyu.co.jp/ が株を買ってその子会社になり、さらに、米久(株)がキリンビールhttps://www.kirin.co.jp/〔キリンホールディングス(株)〕 の子会社になったことから、キリンビールの孫会社になったが、キリンビールが作った会社ではないので、キリンビールの孫会社とはいえキリンビールのいいところがチムニー(株)にあるかというと、あまりないという会社だったらしいが、キリンビールの孫会社だということから、キリンビールの缶コーヒーの刻まれている炎のマークをもとに、名づけた店名が「炎」だったらしい。しかし、キリンビールの缶コーヒーでは、それまで、缶コーヒーの缶というと、平らな物で、何か、面白いことをやって顧客に関心をもってもらうことはできないかと考え、缶のデザインだけではなく、凹凸を缶に設けて手触りからして違うようにすると面白いのではないか・・と考え、それは高くつくのではないかとも思われたが、大量にその缶を使うなら比較的安くできるということも調べて実行した・・というあたり、さすがはキリンビールか・・と思えるとともに、キリンビールの缶コーヒーは、炎のデザインを缶に刻んだとしても、名称は「炎」ではなく、色合いも様々なもので、夏場、冷たい缶コーヒーを飲みたいと思った場合でも、缶に刻まれているデザインは炎のデザインであっても、暑さ・熱さをイメージしない缶にできていた。 それに対して、チムニー(株)の店は名前からしてはっきりと「炎」であり、橙色(炎色)で店舗の外観はデザインされており、冬場はいいとしても、夏場、「炎」の店を見ると、「なんか、いかにも暑苦しい」という印象があった。・・・ そうはいっても、缶コーヒーの場合は、色合いは様々で、もともとは、青系統が多いらしいが、最近では、無糖のものは黒で、それ以外は様々な色が使われているが、居酒屋の場合は、外観の色合いに赤を使うという伝統のようなものがあって、それを変えにくいということもあったようです。しかし、チムニー(株)の「炎」の店舗の外観は赤色ではなく橙色(炎色)ですし、それにしても、冬は良くても、夏場、見ると、「いかにも、暑苦しい」。比較的涼しくなった夜、居酒屋として見る場合はまだしも、昼間は食事の店として営業している店舗が多いが、夏、昼間に見ると、「いかにも、暑苦しい」。 それを、わかっていて、それでも、こう変えた方がいいというものを思い浮かばないから、その状態でやっているのか、それとも、「いかにも、暑苦しい」という外観だということに気づいてもいないのか・・・というと、これもまた、和泉さんも他の従業員も気づいておらず、人材開発部の友常も、当然、気づいていなかった。それでは、いかんのではないか。それこそ、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」てなもので、問題点が1つあれば必ず負けになるというものでもないのだけれども、それでも、会社の経営者たるもの、たとえ、今は買っていても、問題点があるならあるで、それに気づいていないといけないのではないか・・・と思ったが、和泉さんは気づいていないようだった。関大法学部しか出てないようなおっさんではあかんいうことか・・・と解釈するものか、他の解釈をした方がいいのか。どっちにしても、「わかりませんかねえ。そんなことも」という状態だった。江本は「教えてあげましょうかねえ」と言っていたのだが、私も教えてあげましょうかねえ・・とも思ったのだが、和泉さんは、何か言うとすぐに怒りだすので、「さわらぬ神に祟りなし」と従業員誰もが思っていて、黙っていた方がいい・・と思う人間の割合が大きかったようだった。私は、受け入れられるような言い方で話してあげよう・・ということを考えたのだが、おそらく、無理だったと思う。 友常が「居酒屋というのはレベルの低い業界ですから」と言っていたが、たしかにそうかもしれない。私が大学生であった頃、1980年頃は、居酒屋というと、「庄屋」というのが誰もが思い浮かぶ店だったが、ふと気づくと、庄屋のシェアはずいぶんと小さくなっていた。 チムニー(株)に、元・庄屋の従業員だったという人がいたのだが、聞くところによると、庄屋の社長というのは、気分がよくないと従業員の頭めがけて灰皿を投げつけるそうで、それも、プラスチックのあたってもたいしたことないような灰皿ではなく、石とかの硬い灰皿を頭めがけて投げつけるそうで、かつ、それをよけると怒るという話だった。社長がそういうことをしているようでは、そんな会社は「長い目で見るならばハリコの虎」というのか・・・、ふと気づくと、居酒屋における庄屋のシェアはずいぶんと小さくなっていた。
そして、「花の舞」。「はなの舞」と「花の舞」という読みは一緒でひらがなか漢字かの違いの2種類の店舗がチムニー(株)にはあったのですが、「はなの舞」が一般店で、「花の舞」は「はなの舞」より高級志向店という設定だったのですが、「花の舞」八重洲店というJR「東京」駅から八重洲側に出てまっすぐ進んだあたりにある店を、入社前に見に行ったのです。ところが、
(1) まず、第一に、どこから入るのか、入口がわかりにくい。 雑居ビルの中にあるのですが、それならそれで、案内表示の看板のひとつくらいだしたらどうなのか。 実際には、周囲はオフィス街であり、リピーターの客が多いようで、そのため、どこから入るのかわかりにくくても、一度、入店したことがある人なら、迷わずに入れるので、かつ、オフィス街の食べ物屋としては、値段と内容を比較すると悪くない方なので、少々、入口がわかりにくくても、それでも、客は入っていた。しかし、「勝ちに不思議の勝ちあり」である。 今、客が入っているからそれでいいということではなく、今、客が入っているうちに、問題点は解消する方向での努力をするべきではないのか。それがなされていなかった。
(2) そして、これが問題。 「花の舞」は「民家風」のデザインの店なのだが、「民家風」だということで、鉄筋コンクリート造、もしくは、鉄骨造の雑居ビルの中に出店して、内装工事を行って営業するのだが、その内装だが、「民家風」「古民家風」だとして、向う側は壁であって格子なんか機能上は必要ない場所に格子を設けたりしていたのだった。 ところが、その格子が横桟。 なんで、横桟にすんの?・・・
その横桟に埃がいっぱいたまっていた。飲食店にしては不衛生なことである。花登筺『銭の花』で、伊豆熱川に嫁に行った加代は、大阪の母親に喜んでもらおうと思って、嫁ぎ先の山水館は、馴染みの湯治客を扱うだけの小さい宿屋であったのを「熱川でも大きい方の旅館で」と書いた手紙を送ったところ、母は、かつて、南地楼の時代の馴染みの糸商の旦那に話し、食通でもある糸商の旦那は、それならと「家族みんなで行く」と加代に手紙を送り、そして、糸商の家族みんなで熱川までやってきたが、糸商の嫁や孫は山水館の貧弱な建物を見て、「何、これえ。木賃宿じゃないの。こんな所、泊まるの嫌や」と不平を言いまくった。ところが、糸商の旦那はそれを聞いて、「おまえら、ええかげんにせんか! わしが子供の頃の糸商は、この旅館よりずっと小さい店やった。それを、先代が苦労して努力して大きいしはったんや。苦労して努力して大きいしはった先代が贅沢すると言いはるのならわしは何も文句は言わん。そやけど、おまえら、生まれた時から大きい糸商で生まれたのであって、おまえらは糸商を大きいするために何の努力もしとらんだろうが。糸商を大きいするために何の努力もしとらん、丁稚よりえろうないおまえらが、こんな宿屋では嫌やとか何とかぬかすのなら、わしは承知せんぞお。嫌なら、わし一人でここに泊まるから、おまえら、みんな、今すぐ、帰れえ!」とどやしつけた。加代の義妹の春江は階下でそれを聞き、「お義姉さん、私、あのおじいさん、大好き」と言う。 内湯に入らせてもらうように頼んできた福原屋の風呂に糸商の嫁や孫が入りに行った後、加代は糸商の旦那の所へ行き、「申し訳ございません」と謝るが、糸商の旦那は「加代さん、あんた、何を謝るんや。あんた、何も悪いことしとらんやろ。見てみ。この部屋、ほんとに掃除が行き届いておって、塵ひとつ落ち取らん。板の間はきれいに磨かれとる。どんなに見事な座敷であっても、掃除を怠って埃だらけの所に泊まらされたのでは、それは失礼や。それに対して、この部屋は、誠意をもってとことんきれいに掃除された部屋や。誠意をもって尽くしとる。あんた、何も悪いことしとらんやろ」と話す。これは、たしかにその通りだ、正論だ・・・と思うのです〔⇒《YouTube-銭の花 細うで繁盛記 旅館山水館》https://www.youtube.com/watch?v=jlipoy1IH4U 〕・・・が、しかし、何屋にしても、従業員の数が必ずしも十分に多いわけではなく、又、客が多い時もあり、そうなると、必ずしも十分に掃除をしてきれいにすることができないという場合も出てくるのです。 従業員の数は決して十分ではない店で、埃が溜まったりしないように、ということを考えると、又、同じ手間をかけても掃除しやすいように、できるだけ短い時間で労力をかけずに掃除をしてきれいにできるようにと、その点から考えると、余計な桟はない方がいいし、もし、装飾として格子を設けるとしても、縦桟にしておいた方が、横桟よりも埃は溜まりにくいのです。そのくらい、普通に考えれば誰でもわかりますでしょ。だから、本物の「民家」「古民家」の建物を見ると、その多くは縦桟で格子はできているのです。
チムニー(株)の「はなの舞」「花の舞」「炎」といった店は、「古民家風」であり、「高山風」らしいのですが、それで、私は岐阜県高山市まで行って、高山の日下部家住宅(日下部民芸館)・吉島家住宅・宮地家住宅・松本家住宅・平田記念館・飛騨民俗考古館といった、公開されている民家を見学してきました。高山市の飛騨の里に移築されている民家も何軒か見てきました。 公開されていない「民家」でも、道路から見える部分は見えますから、見てきましたが、「花の舞」八重洲店みたいな横桟が入った家なんて、ありません。 日下部家住宅(日下部民芸館)では、玄関の上の部分だけで、広い横桟が入った部分がありますが、「花の舞」八重洲店みたいに、狭い間隔で何本も横桟を入れたような家は見つかりません。 なぜ、狭い間隔で横桟を入れた家がないかというと、それは、横桟だと埃がたまりやすく、掃除がしにくいことと、縦桟に比べて横桟は雨がかかったような時に水が溜まって傷みやすいからでしょう。だから、基本は縦桟なのだと思います。なんで、「花の舞」八重洲店は、わざわざ、横桟にしたのか?
おそらく、「デザイナー」の先生様がそんなことを思いついたのでしょう。実際の「民家」「古民家」は縦桟が多いから、変わったことやろうとして、それで、思いついたのが横桟だった・・・というそんなところでしょう。 実際の「民家」「古民家」では、なぜ、横桟ではなく縦桟なのか? ということをなぜ考えないのか? まさに、「理由のないことをするな」というものですが、その「理由のないこと」を「デザイナー」の先生様はやるのです。「1000万円越プレーヤー」らしい「デザイナー」の先生様はやるのです。 バッカじゃなかろかルンバ♪〔⇒《 野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 〕て感じです。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区。発祥は関西。社内公用語は大阪弁〕https://www.freedom.co.jp/ はホームページに「世界でただひとつの家」というコピーを入れています・・・が、そのわりに、外観デザインというと、「箱、はこ、ハコ」しかできない。なぜ、できないかというと、自称「設計士(さま)」とやらに造形力が乏しいからでしょう。 「箱、はこ、ハコ」が絶対に悪いとは言いませんが、特別にいいとも思いません。何より、「ぺったんこの屋根」と「屋根って感じの屋根」であれば、普通に考えて「屋根って感じの屋根」の方が雨仕舞はいいわけで、わざわざ、雨仕舞が悪いことをやる必要があるとは思えない。建築の美しさと言うのは、構造の美しさを主としたものとするべきで、構造を考えた際にマイナスになるようなことをして、それで、デザインが良かったとしても、それは絵画や彫刻なら良くても建築としていいものとは言えないでしょう。 そして、「世界でただひとつの家」というのは、より本来的なものを追い求めた結果として、「世界でただひとつの家」ができあがったというのならいいと思いますが、そうではなく、過去の工人がこういうことをすると問題がでるからやらない方がいいとやらなかったことをわざわざやり、過去の工人がこうした方がいいと判断してやってきたことと反対のことをやることで、「世界でただひとつの家」、その意味としては「バッカじゃなかろかルンバ♪・・の家」、あるいは、「いくらなんでも、こんなおかしなことやる人間なんて、普通、ないぞお~お・・の家」の家をせっせと造る・・・というのは、そういう「世界でただひとつの家」というのは、私は感心しませんね。 そういう「バッカじゃなかろかルンバ♪・・の家」「いくらなんでも、こんなおかしなことやる人間なんて、普通、ないぞお~お・・の家」をわざわざ作りたがるおっさん・にーちゃん・おばさん・ねーちゃんというのは、フリーダムアーキテクツデザイン(株)だけではなく、建築業界にはけっこういるのです。 何より、「世界の丹下健三」大先生なんてのが設計なさった東京カテドラル聖マリア大聖堂なんてのは、竣工時から雨漏れしたそうですし。又、そういう話を聞くと、私なら、たとえ、どんなにおえらい先生であろうとも、竣工時から雨漏れするような建物というのは困りもので、もしも、絵画や彫刻であるならば、作成者が芸術家きどりで好き放題のものを作ってもいいかもしれないが、建築の場合は、構造と機能を満たした上で、その上でデザインもいいものを作ってこそ建築であり、竣工時から雨漏れがする建物というのを設計して「世界の丹下健三」様じゃあ~あ・・などとおっしゃられても、「ああ、そうですか」とでも言うしかない・・・と思うのですが、ところがどっこい、「バカでも入れる私大の建築学科」卒とか「無試験ヨーコーで入れる建築の専門学校卒」とかいう人とかの場合は私とは逆で、「世界の丹下健三」が「雨漏れのする建物」を設計したとなると、自分もまた、「雨漏れのする建物」を設計すれば、「世界の丹下健三のエピゴウネンのエピゴウネン」になれるのではないか♪・・なんて考えるようでした。 なんか、「建築家」て、よっぽどバカじゃなかろか・・て感じがします。何より、「建築の専門学校」というのは、全部、ぶっつぶした方が社会のためではないのか、という気がします。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士(さま)」というのは、なぜ、「設計士(さま)」などという日本にありもしない「資格名もどき」を名のるのか? 日本には、一級建築士・二級建築士・木造建築士や1級建築施工管理技士・2級建築施工管理技士とかの国家資格はありますし、かつては国家資格だったが今は民間資格となったインテリアプランナー・インテリアコーディネーターといった民間資格はありますが、「設計士(さま)」なんてそんな資格は国家資格でも民間資格でもないのです。 又、フリーダムアーキテクツデザイン(株)には「設計士(さま)」なんてそんな職種名はないのです。 なぜ、ありもしないものを名のりたがるのか? 答えははっきりしています。要するに、「いっきゅうけんちくしい~い」と名乗ることで「ひとに言うことをきかす」という権威主義的態度を取りたいのですが、ところが、その「いっきゅうけんちくしい~い」の資格試験に通らない。だから、「設計士(さま)」とか「なんとかアーキテクト」とか、そういう捏造したような名称を名のるのです。バッカじゃなかろかルンバ♪・・て感じがします。 だいたい、「いっきゅうけんちくしい~い」と名乗りたがる症候群・「いっきゅうけんちくしい~い」と叫べばひとは言うことをきくと信じ込んでるシンドローム・・みたいな人というのが、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人とか「無試験ヨーコーで入れる建築の専門学校(卒)」の人とかには、あまりにも多い! そういう人を相手にしてると、なんだか、年中「バッカじゃなかろかルンバ♪」て歌ってなきゃならんみたいになってしまう。
チムニー(株)の、それまで、多くの「民家」「古民家」が窓の格子には縦桟にしてきたものは、縦桟にした方が横桟にするよりも、雨がかかって傷むことも少なく、何よりも埃がたまりにくい・・ということで縦桟にしてきたのに、それを「理由のないことをするな」というID野球の精神に反することやって、わざわざ、埃がたまりやすい横桟にして、それで、「デザイナー」「1000万円プレーヤーの先生」になっている。(しかし、そんなおっさんが「1000万円越プレーヤー」であることを考えると、どう考えても私の給料は安すぎたな・・) もっとも、そういう「バッカじゃなかろかルンバ♪」をやれば「1000万円越」の給料もらえるのなら、「ここは大人になって」「バッカじゃなかろかルンバ♪」でもやったろうかい・・と思う人間が出たとしても不思議はないかもしれない・・・が、その「バッカじゃなかろかルンバ♪」の横桟て、飲食店・居酒屋にとってプラスになるか?・・・というと、私はならないと思うがなあ・・・。 不潔でしょ。不衛生でしょ、飲食店にとっては。そう思いませんか? ・・そのあたり、どうせ、日本で「デザイナー」とか「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか「設計士(さま)」とか自称するヤカラというのは、その程度のバカばっかりなんですから、ですから、社会科学系学部卒の社長および経営者は、そのあたりをよく見て、「バッカじゃなかろかルンバ♪」をさせないようにしないといけない。 ところが、「花の舞」八重洲店は、「バッカじゃなかろかルンバ♪」をやっていた。
加茂家住宅では、縦桟であるが、間隔を広く取ったのは、座敷から前庭を見ることができるように、あまり細かい桟にはしなかった、かつ、粗い縦桟ではそこから出入りされてしまうおそれがあるので、ところどころに横桟を入れたが、横桟の方を主にしたのでは横桟に埃がたまり不衛生であるし、横桟が多いと、雨に濡れて場合に傷みやすいので、それで、横桟の方を主とするのではなく縦桟の方を主とした・・・と、「理由のあること」をやっていたわけです。それに対して、チムニー(株)の「花の舞」八重洲店では「理由のないことをするな」というID野球の精神に反して、「理由のないこと」をやって、それが「デザイナー」のすること♪・・・みたいに思っておったのです。「バッカじゃなかろかルンバ♪」と思います。 実際、その店舗で働く人に意見をきいてみるといいと思うのです。横桟にすれば埃が溜まりやすく掃除が大変だ・・・なんてことは、誰でもわかりますよ。わからないのは「デザイナー」くらいのものです。そういう「理由のないことをするな」という認識で建築をやる人間と、わざわざ、「理由のないこと」をやりたがる人間とでは、「理由のないことをするな」という認識をきっちりと持っている人間の方が絶対に上だと思います・・・が、わからんやつが多いようです。
《2》 そして、1990年代末、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野営業所でのこと。
1980年代後半から1990年代にかけて、小堀住研(株)では、「高品質低価格」の「企画住宅」の「ハウス55」に、「ブラウン」「グレイッシュ」という寄棟屋根のタイプとともに、「ライブリー」という切妻屋根でアーリーアメリカンスタイルの洋風住宅があった。カタログには、「ライブリー」では、窓に枡格子(十文字の格子)が入ったものの写真が掲載されていて、けっこう人気があった。しかし、松戸営業課の課長だったUさん、I さんとも、実際に検討する契約客には、その格子はあまり進めなかった。お客様がどうしても入れたいと言われるのなら、それでも断るということはないが、基本的には勧めず、又、取り付ける場合には、「これ、入れると、中から外を見る時に格子が邪魔になって見ずらいですよ。 外から見る分にはいいですけれども、中から外を見る場合はうっとおしいですよ」ということを説明して、それでもつけたいと言われる場合にはつける、というようにしていた。 私も、最初、カタログで見て、良さそうに思ったのだが、そう言われるとそうかな・・と思った。
1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では、大型のベイウインドウというものが同社の「洋風」の展示場にはついていた。これを、浜松出身の人は「親戚中が集まって座席が不足した時には補助席の代わりにもなる」と説明していたのだが、浜松の住人にはその説明のしかたでいいのかもしれないが、東京展示場の来場客にそういうことを言うと、「そんなの、親戚中が集まることなんてないわよ。そういうことを言うというあたりが、なんか、いかにもいなか、いかにも浜松て感じ」と言われるのだった。だから、そういうことは東京の展示場においては言ってはいけない・・・のだが、ところが、「遠州人」はそれを言わせたがったのだった。
その《「いかにも浜松」「いかにもイナカ」って感じのベイウインドウ》というのは、実は、浜松生まれではないようなのだ。2000年1月、ロンドンに行って、ヒースロー空港からロンドン市街に地下鉄に乗った途中あたりの場所のホテルで宿泊したのだが、ホテルの窓から外を見ていると、付近にその「いかにも浜松て感じの出窓」であるベイウインドウがついた戸建住宅が建っていたのだ。それで、翌朝、ホテルから外に出て歩くと、ホテルの窓から見えた家だけでなく、そこから少し歩いたあたりには、その「いかにも浜松の出窓」というベイウインドウがついた戸建住宅がいっぱい建っていたのだった。しかも、(株)一条工務店の家で見ると「いかにも浜松」「いかにもイナカ」という印象のものだったのが、不思議なことに、ロンドンで見ると、別段、「いなかくさい」ということはなかったのだ。ロンドンで見ると、「浜松の匂いがぷう~んぷんする」なんてこともなかった。なんとも、不思議なことだった。なぜ、(株)一条工務店の展示場で見ると、「いなかくせえ~え!」て感じがしてしまうのだろうか。ひとつには、「浜松流」の話し方というものに原因があるだろう。「親戚中が集まった時には補助席としても使える出窓」などと話すように「浜松流」は教えるのだが、ロンドンの住宅では「親戚中が集まった時に補助席として使う」という前提でその出窓はつけられていたわけではなかったのだ。「浜松流」の解釈でつけるから「浜松流」になってしまうのであって、ロンドンにあるベイウインドウを見て、それを取り入れるのなら、別に「いかにも浜松て感じ!」とか「なんか、イナカの匂いがぷうんぷんする出窓」とかいうことはなかったはずだ。
それで、その出窓には、「アーリーアメリカンスタイル」の小堀住研(株)の「ハウス55 ライブリー」と同様の枡格子がついていたのだ。ただ、これについては、枡格子をはずすこともできたはずだが、枡格子をはずすなら、それなら、普通の掃き出し窓にするか、もしくは、普通の出窓にするかした方が良さそうな感じだった。 枡格子がついた上から見ると台形の出窓だからそのベイウインドウになったようなところもあったのだ。
(株)一条工務店が「セゾン275S1」というタイプに取り付けていた、本来は浜松生まれではなく、ロンドン生まれなのかヨーロッパの他の場所が最初の発祥かはわからないが、ともかく、浜松とロンドンならおそらくロンドンの方が先であろうと思われるベイウインドウは、枡格子がついていて、これも、「アーリーアメリカンスタイル」の「小堀ハウス55 ライブリー」の枡格子と同じく、外から見ると枡格子はついていた方が見栄えはするであろうけれども、部屋中から外を見た場合には、枡格子はない方が見晴らしは良かったわけで、何も言わない人もいたかもしれないが、私などは、枡格子はある方が外から見た見栄えはするけれども、中から外を見た場合には枡格子はない方が見晴らしはいいでしょう、ということは話した上でどうするか決めてもらっていた。それが良心的態度だと思っていた。
ベイウインドウの枡格子はあった方が用心はいいのではないかと思う人もあったようだが、細い格子は、意図的に破損しようと思えばできたはずなので、ないよりは破損するための手間はかかるとしても、それほどは防犯上役立つというものではなかったと思われる。逆に、火災か何かで脱出しないといけないという場合には、それほど頑丈なものではないので、本当にそこから脱出しないといけない場合には、入居者の手で破壊して脱出するということもできるでしょう。
↑「浜松流」なのか「ロンドン流」なのかの大型「ベイウインドウ」。 ↑ こんな感じ・・。
それに対して・・・、アルミサッシ、もしくは樹脂サッシで、窓を細かく分けた窓の場合には、アルミのサッシの場合も、樹脂のサッシの場合も簡単に破壊することはできないので、防犯上、役立つであろうけれども、同時に、中から外へ脱出しようとした場合にも妨げになる。その部分から外に脱出するのは不可能でしょう。 私は、そういう格子入り窓のことを《「精神病院」式窓》と呼び、そういう窓でできた建物のことを「精神病院」建築と呼んでいる。 中に幽閉された「患者」が脱出しようとしても、格子によって窓からの脱出はできないようにできている。刑務所と「精神病院」は似たところがあるが、刑務所は高い塀に囲まれているのに対して「精神病院」はそうではないので、「刑務所の塀」は道路から見えても「刑務所の窓」は塀に遮られてあまり見えない場合が多いのに対し(どうしても見たければ、府中刑務所の北側の道に歩道橋が1か所あり、その歩道橋から刑務所の中・・といっても運動場? 部分と向こうの方にある建物の外観が見えることは見える・・・が、見たからだから何やねん・・てところもある)、《「精神病院」の窓》は公道からでも見える場合が多い。公道から一般人が見た時には、ある程度以上、関心を持って見るのでなければ、単に視野の一角に入っていたという程度では、幽閉された「患者」がそこから脱出できないように格子を入れたにもかかわらず、それが外の一般市民にはわかりにくいように「デザイン化」されたもの、それが「精神病院」建築・「精神病院」式窓というものである。いわば、デザインという衣の下に鎧を隠したような建築である。 実は、1999年から2000年代初めにかけて、(株)一条工務店は、この 「精神病院」式窓というものを、「サービス」ということで「セゾン」という名をつけた「洋風」タイプにけっこう取り付けたのだった。
↑ この絵でわかってもらえるだろうか。 左のものは、ハンドルをくりくりまわすことで窓を回転させて開閉する。 右のものはそうではなく、レバーをはずすと手動で片開きで開閉する。 一般に、左の方が値段は高く、おしゃれ・・・みたいな感じがするかもしれないが、このハンドルをくりくりまわして開閉する窓というのは、1つだけならまだいいのだが、↑ の図のように、細かいものがいっぱいついていると、開けたり閉めたりするのが大変。 だから、全部は開けないで、基本的には閉めた状態だが、そのうちのいくつかを開けることもある・・という使い方をするものだ。
このタイプの窓は、アルミ製のものでも、樹脂サッシのものでも、枠が太く、格子ではなく窓枠なので、もしも、火災が発生してここから脱出しようとしても、まず、無理です。 又、枠が太いので、同じ面積で、単なる引違の窓と比べると、中から外を見ようとした場合は、枠がわずらわしくて外を見にくい。
通風もまた、自然の風を入れようとするのなら、全体についての単なる引違窓の方が、広い面積を開けることができて、通風をはかることができる。
この窓の特徴として、枠があるので、この場所から外に出ようと思っても無理。 要するに””「精神病院」建築”””の窓です。 外から見ると、一見、かっこいいように見えても、実は、こういう窓しかないようであれば、中から外に出ようとしても出れない。人を幽閉するための部屋にはもってこいの窓・・・ということになります。
右側の図はどういうものかというと、左側のものと窓の面積は同じで、左側と同じく片開ですが、左側はハンドルをくりくりまわすことで開閉するのに対して、右側はレバーでロックをはずすと、手動で押して開ける片開です。 一見、左側の方がおしゃれです・・・が、この部分で通風をはかろうと思ってすべての窓を開けていた時に、急に雨が降ってきた、大急ぎで閉めよう・・とすると、右側は、まだしも、手前に引いてレバーを閉めるだけであるのに対して、左側はハンドルをくりくりまわすという作業をいくつもやらないといけない。 早く閉めないと雨が入り込んでくるのにと思っても、ハンドルをくりくりまわしてしめるタイプはけっこう閉めるのに時間がかかる。 だから、左図のタイプのもので、すべての窓を開けていた時に、急に雨が降り出して、大急ぎで全部のものを閉めようとすると、ハンドルをくりくり、くりくり、くりくり、栗栗、庫裏庫裏、九里九里・・・とまわしていると、なんだか、いらいらしてきて、そのうち、ハンドルをぶっ壊してしまったりとか・・ありそうな・・そんな窓です。↑ の右図のものも、いくつもに分かれていますから、開けたり閉めたりはけっこうめんどうですが、それでも、レバーをはずして押すだけですから、ハンドルをくりくり、栗栗、庫裏庫裏、九里九里まわすよりは時間はかからない。 ハンドルをくりくり、栗栗、庫裏庫裏、九里九里まわす小窓の集団というのは、おしゃれのように見えて、開閉するのに手間と時間がかかって、大急ぎで閉めなきゃならないとか大急ぎで開けたいとかなると、もう、いらいら、イライラ、いらいら、イライラ・・・。なんか、精神衛生によくない窓て感じ・・・。
「適材適所」ということをうちの父親はしょっちゅう言っていました。「人間には、向き不向き、適材適所ちゅうもんがあるんや」と。「わしなんかは、自分ではやらずに人に号令かけるのが向いている民族で、あんたは号令かけられてせえっせせっせ、せえっせせっせとやるのが得意でうれしい民族」とか言うてました。「私、うれしくないですけど・・」と言っても、「何、言うとるんじゃ。適材適所じゃ、適材適所。わしは号令ける民族で、あんたは号令かけられるのが何よりうれしい、号令かけられることに快感を感じる民族やねん。喜ばんか!」などと言うので、「私、快感なんて感じませんけど」と言いましたが、それでも、「民族の違いちゅうもんや、それが」とか言ってききませんでした。うちの父親というのはそういう「民族」の男でした。うちの父親というのは、そういうおっさんだったのです。私からすれば、「わしは、自分ではやらずに人に号令かけるのが得意の民族やねん」とかいう「民族」というのは好きになれない「民族」で、「自分ではやらずに人に号令かけるのが得意の民族」なんて者は存在しなくていいと思っているのです。
ともかく、そういう「適材適所」という言葉ですが、もともとは材木から出てきた言葉のようです。 いい木とか悪い木とかいうのではなく、それぞれに適した場所がある、という考え方です。 木だけではなく、建築には、それぞれの部材に「適材適所」というものがある。 窓もそうです。値段の高いものが常にいいとは限りません。 ↑ のような、一定の面積がいくつもに分かれている窓というのは、まず、暗い! 枠がいっぱいあることから、全体が1枚の窓になっているものの引違に比べて、暗い。 それから、自然の通風を取ろうとした場合に、開けたり閉めたりするのに手間がかかる。 全体が1枚の引違の窓であれば、1枚を開けるか閉めるかだけですが、それに対して、いくつもの小窓を開けたり閉めたりするのは、大変な労力がかかる。
それなら、↑ の図のような小窓に分かれた窓というのは、何の長所もないのかというと、そうではなく、外観デザインがこういう窓が向いている場所があるということ。 内部については、明るさをそれほどは必要としない場所で、窓の開閉をそれほど頻繁にはしない場所、通風をはかるにしても、すべての窓を開けるのではなく、2枚か3枚程度まで開ける程度で、その場所からの出入りはしないという前提の場所に設けるのなら悪くはない、というものです。
そういう場所というのはあるのか? ↑ の図のような小窓いくつもに分かれたようなものが向いている場所というのはあるのか。 あります。 ロンドンのハイゲート墓地というと、カール=マルクスの墓がある場所として知られていますが(「これまで、哲学者は世界をただ解釈してきただけである。しかし、大事なことは、それを変えることである」という、マルクス『フォイエルバッハに関するテーゼ』の最後の部分の文句が刻まれた石碑が建っている)、そこから少々歩いた住宅地にフロイト記念館があります。 精神分析家のシグモンド=フロイトが、ナチスの迫害から逃れるため、ウィーンからロンドンに移ってきて住んだ家を公開しているものですが、なかなか素敵な家ではありますが、そのあたりの住宅地の他の家と比べて特別な家というわけではありません。その付近の戸建住宅としては普通の家です。 フロイト記念館という名称がつけられていますが、博物館として建てられた建物ではなく、フロイトが住んだ「普通の家」を公開しているものですが、その家にあったのです。 玄関は左右の中央部にあり、玄関を入った向こう側から手前に登る階段がついていて、踊り場が階段の中間にあり、そこで向きを変えて登るようになっていますが、踊り場は、道路から見て、左右の中央部の中2階あたりの高さにありますが、その踊り場に、↑ のような小窓にいくつもに分かれた窓がありました。 階段ですから、そこで読書をすることはなく、歩くことができる明るさがあれば良く、特別明るい必要はない。 小窓を開けて風を入れることはあっても、全開までする必要はない。又、その部分から出入りする予定もない。 そういう場所に向いているものでした。 そういう場所に設けると、外から見て、「けっこうおしゃれ」なものでした。 なるほど、こういう場所につけるといい窓か・・と思いました。
それに対して、向かない場所というのもあります。 戸建住宅の居室においては、もしも、南東・南西など、2方向が外に面した部屋で、南側には引違いの掃き出し窓を大きく取り、別の側で道路に面した道路からよく見える場所に、おしゃれな感じで、こういった小窓がいっぱいある窓を設けるのなら悪くないと思います。 しかし、道路から見えないような場所に小窓ばっかりに分かれた窓というのは、機能的ではないし、向きません。 その部屋が南東・南西の2方向が外気に面するのなら、2方向とも大きく開く窓にした方が風が通り抜けるのですが、片方は、開閉面積が少々狭くなってもいいから、外から見て「おしゃれ~ぇ!」て感じがするのがいい♪ という場合は、設けてもいいと思います。
しかし、東西方向に何部屋も取ることができる、比較的面積が広い家において、東西方向の中央部の部屋、南側にしか窓がなく、東側・西側は内壁か別の部屋という場合ですと、そういう部屋の南側に、↑ のような「小窓ばっかりに分かれた窓」を取り、その部屋はそれしか窓がないとなると、その部屋は、せっかく南に面した部屋なのに、暗い! うっとおしい! 結論として、刑務所か「精神病院」みたいな部屋になります。いわば、「座敷牢」です、「座敷牢」。
そんなおかしな部屋、作るバカないだろう・・・なんて思うと、あるのです。1999年、(株)一条工務店において、栃木県佐野市の南部で建てられた某様邸がそれだったのです。 うわっ・・・、こんなアホなこと、普通、やらんだろう・・ということがされていた。 そのお宅は、比較的、予算を出せる方の方だったようで、又、敷地もその地域の方として広い方だったようですが、それだけに、東西方向に長い家を建てることができた。東西方向に長い家ということは、南に面した部屋を多く取ることができる家ということですが、東西方向に長い家では、中間において、南側のみが外に面した部屋というのが出てくるわけで、もしも、↑ のような小窓いくつもに分かれたような窓を設けるのなら、南東か南西か、2方向に窓が取れる部屋か、できれば、南東か南西か2方向が外に面していて、なおかつ、その部屋の東か西が長くて、窓が東か西に2つ取ることができるという部屋で、その片方だけを ↑ のような小窓いくつもに分かれた窓にすれば、その部分は外から見て「けっこう、おしゃれ~♪」になる可能性が考えられます。 それに対して、南のみに窓がある東西方向で中央部の部屋で、↑ のような小窓いくつもに分かれた窓を作り、それしか、その部屋には窓がない! ・・という部屋にしてしまうと、わざわざ、カネのかかる窓にして、「暗い!」「うっとおしい!」「閉鎖的!」「まるで、刑務所か『精神病院』みたい!」という部屋になるのですが、それをやっていた。バッカじゃなかろかルンバ♪ という感じでしたが、営業担当者は、栃木県の所長の五十嵐さんの「お気に入り」の上岡くん(男。当時、40代前半)でしたが、彼が営業担当のお客さんはかわいそうだなあ・・と思ったものでした。
小堀住研(株)の新卒社員研修でも、(株)一条工務店の中途入社社員の新入社員研修の時にも、「先輩営業の担当の入居者の所に連れて行ってもらうとわかると思いますが、面白いことに、営業担当ごとに契約客は似ているんです」と言われました。 そういうことはあると思いますが、(株)一条工務店で10年超、仕事をして思ったのは、もうひとつ、営業担当ごとに、入居者の家が似ている・・という点です。 設計担当ごとに似ているのではなく、営業担当ごとに似ているのです。 設計担当者ごとによる違いというのもあるかもしれませんが、それよりも、営業担当者ごとによる違いというものの方が顕著にある。 そして、この人に営業担当されたお客さんはかわいそうだなあ~あ・・・と思う営業担当者がいる。栃木県佐野市の営業所にいた上岡くんはそれだったのです。 なんで、こういうことをするかなあ~あ・・・と思いました。
まず、彼は勤務態度・仕事に対する姿勢が良くない。私が佐野市の展示場に移った時、彼は「前年契約棟数0棟」だった・・にもかかわらず、「前年契約棟数0棟」の男が、広くもない佐野展示場の事務所にゴルフバッグを置いていた。又、週休である水曜日に、自宅から嫁が電話してきて、「うちのはおりますでしょうか」と言うが、「きょうは上岡さんはお休みのはずですが」と言うと、「あら。おかしいですね。仕事だと言って出ましたけど」と言うので、「それなら、お客様のお宅に直行されたのかもしれませんね。私は朝9時30分頃から展示場におりますが、きょうはお会いしていませんので、お客様のお宅に直行されたのかもしれません」と話したのだが、翌日になると、朝、遅刻してきて、自分の倍も在籍している先輩社員に、背後から蹴りかかって、「この野郎! 会社に来てないなぞ、言いやがってからに、おかげで、出社してないのが嫁にばれたじゃねえか。どうしてくれるんだ、この野郎!」などと言って殴りかかってくる。 何を怒ってるのかと思うと、どうも、彼は、嫁には休日出勤だと言って家を出て、実際にはスナックのホステスと一緒に旅行に行ったらしい。それを嫁は知らないものだから、何の用事でかわからないが、会社に電話をしてきた。私は「お客様のお宅に直行されたのかもしれません」と言ったし、嫁には休日出勤だと言って家を出たが会社には出勤していないということは、お客様宅に直行したということか・・と私は考えたのだが、嫁はそうは考えなかったらしい。嫁の方が彼の「人間性」をよく知っていたようだ。嫁には彼はお客様宅に直行したということではないとわかるらしい! それで、翌日、遅刻してきて、自分の倍ほど在籍している先輩社員がすでに勤務についている者に、背後から蹴りかかり、つかみかかりしたのでした。そういう男が、栃木県地域の所長だった五十嵐さんの「好みのタイプ」の従業員だったのです。五十嵐さんて、「浜松流」とは違って、自分自身も非浜松地域の栃木県で努力して営業の仕事をしてきた人だけあって、「浜松流」の所長よりずっとまともな人かと思っていたら、なんか、そのあたりを見ると、実際問題として「高卒の所長だけあって、アホやんけ!」・・て感じでした。違うと言うのならどこが違うのか説明してもらいたいものだ。すでに仕事についている最中に、遅刻してきた者から背後から蹴りかかられたり、つかみかかられたりして何度も怪我させられた者に、謝罪もない所長、「保護義務違反の(株)一条工務店」の保護義務違反の所長がえらそうな口きくな!!!
やっぱり、そういう仕事に対しての真面目さに欠ける従業員というのは、まず、住宅・建築について学ばないので、どういう場所にそれが向いているのか向いていないのか、といったことを、私が ↑ に指摘したようなことを自分が担当のお客様に説明する能力がない。 それなら、プランを決めるのは営業だけが担当するものではなく、設計と営業が担当するものなのだから、設計担当がきっちりと対処すればいいのではないのか・・・と思う人もあるかもしれないが、彼は「爆発力がある」人間で少しでも何か気に入らないと「暴れる」ので、設計担当も彼に逆らえない、逆らわない。だから、「この人に営業担当されると、担当された契約客はかわいそうだなあ」という家ができる。
又、上岡くんは前職がクルマ屋らしく、前職クルマ屋という人には、住宅・建築について学ぶ意欲が乏しい人が多いが上岡くんにもそういうところがある。営業本部長の天野隆夫は「営業は頭のない人間がええんや、頭のない人間が。営業は学校でてない勉強なんてせんようなやつが向いてるんや、営業には」と言っていたのだが、上岡くんも「『自分の名前を書くことができれば合格』と言われる私立高校のスポーツ入学」だそうで、まあ、そういう人は、仕事についても、「スポーツマン」だけあって体力系なので先輩社員に背後から蹴りかかったり殴りかかったりということはしても、住宅・建築について学習するかというと、まあ、せんわなあ・・・。(株)一条工務店の営業本部長は「そういう人間がええんや、そういうのんが。そういう人間がお客さんに喜ばれるんや、そういう人間が」とかいう考え方だそうだが・・・、そういう人が営業担当すると、「この人に担当されたお客さんはかわいそうだなあ」という家ができる。
上岡くんの場合、もうひとつ、「人間性の問題もある」と思うのだ。丸亀製麺では、ネギと天かすは取り放題にしているが、だからといって、ネギと天かすばっかり山盛りにしてうどんを食べるとおいしいというものでもないはずなのだ。 ネギとか天かすというのは、薬味であり、ほどほどに入れて食べるのがおいしいはずで、「取り放題」となると、人間の気持ちとして、少々多めに入れたくなるものだが、「少々多め」くらいならいいが、時々、ネギと天かすばっかり山盛りにしている人を見かけるのだが、「それ、かえって、おいしくないのじゃないか」と思ったりするのだが、そういう人がいる。上岡くんが営業担当の家というのは、それに似ている。
そのお宅が建てられた時、(株)一条工務店では、「洋風」の「セゾン」、和風の「百年」を、それぞれ、いくつかのグレードに分けて、このグレードのものなら、これを何か所まで取り付けることができます・・というようにしていたのだ。そうすると、何か所まで取り付けることができる・・となっておれば、「付けなきゃ損」みたいに思う人も出てくる。しかし、付けても付けなくても値段は一緒であれば、「どちらかといえば」付けることにしようというくらいならばわかるのですが、それを付けることでかえって使いにくくなるという場合にまで付けたくなる人も出てくる。 そういう場合に、営業担当者は「余計な物をつけてかえって使いにくくなったり、かえって格好悪くなったりする場合もあります。差額なしでつけられるからといって、付けない方がいいようなものを無理してつけるというのは、むしろ、良くないと思います」ということをお施主様に言うべきで、私は言っていましたし、私が担当したお客様は説明すると、「そうだね」と理解されました。ところが、「ネギと天かすは取り放題」となると、うどん よりもネギと天かすの方が多いのと違うんかい・・てくらい、ネギと天かすを山盛りに取る人というのがいるように、そんな感じの家を造る人がいるのです。上岡くんが担当した佐野市の某さんのお宅というのがそれだった。まるで、「『ネギと天かす山盛りうどん』みたいなもので、そんなことしたら、かえっておいしくないのではないのか・・という感じの家」だった。
(株)一条工務店でも、「営業担当ごとに契約客は似ている」と従業員の間で言われていて、その理由は「朱に交われば赤くなる」「営業がお客様を◇◇にしている」とも言われ、そして、「類は友を呼ぶ」とも言われていたのです。そのお客様の場合、そのどれであったのかはわかりませんが、自分が勤めている会社が建てる家で、あんな無茶苦茶な家を建てているというのは、どうも、うれしくありませんでした。最近は「大学」というものの数が多くなり、「大卒」の数も多くなったのですが、実は栃木県地域の所長の五十嵐さんは、大学新卒の従業員から「頭、悪いなあ~あ」とバカにされているところがあったのです。私が馬鹿にしていたのではありませんよ。私は、むしろ、五十嵐さんは、そんなに悪い人ではないように思っていたし、(株)一条工務店の営業についての考え方は私と五十嵐さんとは共通しているものが多いと感じていたし、非浜松地域で仕事をしてきた人だけあって「浜松流はここには合わない」と考えている所長だったし、福島県中通り地区の所長で「大澄社長の腰巾着」と従業員の間で言われていた片山が五十嵐さんのことを「天野部長の腰巾着」と言っていたが、私は五十嵐さんはそんなに「腰巾着」というような感じの人ではないと思っていたし「腰巾着」と言われるべき人間は五十嵐さんより他にいると思っていたし、(株)一条工務店の所長の中では真ん中より上の所長ではないかと思っていたのですが〔といっても、「(株)一条工務店の所長の中では真ん中より上」なんていうのは、「う〇こ の中では比較的臭くない方の う〇こ」と言っているようなもので、あんまりほめていることにならないけれども〕、上岡くんみたいな程度の低い営業、特に、勤務態度の良くない従業員・仕事に対する姿勢が良くない従業員を「お気に入り」にするなどというあたりは、「やっぱり、高卒の所長だけあって、あんまり賢くねえなあ」という印象を受けます。
その場所に、「ハンドルでくりくりまわして開閉する小窓だらけの窓」をとりつけることに「理由」があるのか、むしろ、そういうものをその場所にはつけない方がいい「理由」があるのに、その「ハンドルでくりくりまわして開閉する小窓だらけの窓」という本来なら差額をプラスしないといけないものを、差額なしで付けられることになっているから、その場所にはつけない方がいいという「理由」があるのにつけているのか? 上岡くんの場合は、後者をやるのです。そのあたりに彼の「人間性」が出ています・・・が、それは、その場所にそれを付けるのがふさわしいのかどうか、という視点、「理由のないことをするな!」という点から見て、正反対のことをやっていたわけです。
その頃、(株)一条工務店では、某様邸が建てられた「グレード」では、マトア(マトアのことを「ソロモンマホガニー」などとカリモク家具が言い、それを(株)一条工務店が真似て「ソロモンマホガニー」などと言っていたが、マトアとマホガニーは別物で、生物学上の種も違う。「ソロモンマホガニー」などと言うとソロモン諸島産のマホガニーかと思いそうだがそうではなく、マトアはマトアであってマホガニーでないのに、マホガニーではない木を「ソロモンマホガニー」などと言うのは、あまりいいとは思わない。『美味しんぼ(おいしんぼ)』でヒラタケをシメジと言って売っていることについて登場人物が「ヒラタケはヒラタケでおいしいのに、ヒラタケをシメジなんて言わないで、ヒラタケはヒラタケとして売るべきだ」と発言する場面があったが、同様に、マトアは何も悪い木ではないのだから、マトアはマトアと言った方がいいと思う)のムクの腰板を、何メートルまで差額なしでつけられるというものもあったが、これもまた、「ナチュラル色」と呼んでいた黄土色に近い明るい色合いのものを使う場合ならまだいいが、こげ茶の腰板を使用する場合には、あまり長い距離にこの腰板を貼ると、高級品を貼ったからよくなるというものでもなく、かえって部屋が暗くなってしまうので、こげ茶のものの場合にはあまり長い距離は貼らない方がいいのだが、ところが、某様邸では、それもやっていたのだ。せっかく、広い敷地があって、予算もある程度以上だせる人だったのに、なんで、あんな家にしてしまうかなあ~あ・・・と思う家になっていた。
静岡県掛川市原里 の加茂家住宅の家族と小作人の出入口の左側の桟は、その場所にふさわしいものはどういうものかという視点で見て「理由のあること」をやっていた、ロンドンのフロイト記念館(旧 シグモンド=フロイト邸)では、小窓だらけの窓を階段の中間の踊り場の位置に設けることで、「適材適所」の配置をして、「理由のあること」をやっていたのに対して、「花の舞」八重洲店では、横桟をつけたのでは埃がたまって不衛生になるのは目に見えているのに「デザイナー」がそれをやるという「理由のないこと」をやり、(株)一条工務店では、栃木県佐野市の某様邸で、そんなもん、南側だけが外に面した部屋でつけてどないすんねん・・と思うことを、「理由のないこと」をやったのだった。 野村のじいさんは「わしぁ、貧乏やからな」とか言いながら、実際には田園調布の住人でヴェルサーチの腕輪はめてヴェルサーチの服きていたようなじいさんで、そんなじいさんが書いた本を貧乏人が何冊も買って読んで印税をじいさんにくれてやったのは、なんか、してやられたような気がしないでもなかったが、「理由のないことをするな」、「あの場面で、カーブを要求したのは、どういう根拠だったのか」「あの時、ストレートを投げさせて打たれたが、なぜ打たれたと考えるか」「あの一球の根拠は」と常に考えるという姿勢は、建築においても必要なことであり、野村じいさんはその点でもっともなことを言っていると思う。
↑ は、北側の明治になってから増築された部分の南側、中庭に面した廊下の中庭側。 悪くはないが、少々、弱弱しくて心もとないような感じがしないでもない。
※ 加茂花鳥園HP http://kamoltd.co.jp/
加茂花鳥園HP 庄屋屋敷加茂荘 http://kamoltd.co.jp/shisetsu/kamoso
( ↑ マーカーが、加茂花鳥園。 )
(2020.7.11.)
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。〔今回〕
壁 (ワニ文庫) - 野村 克也
プロ野球 勝てる監督・使える選手―ゼニを稼げる男と稼げない男の頭と体の使い方 - 江本 孟紀
レビットのマーケティング思考法―本質・戦略・実践 - セオドア レビット, Levitt,Theodore, 坤, 土岐, DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部
精神医療と人権〈1〉日本収容所列島 (1984年) - 戸塚 悦朗, 広田 伊蘇夫
加茂花鳥園の7回目、加茂家住宅の5回目です。
加茂家住宅は、西よりの座敷では天井を貼っていますが、東よりの土間の部分とその西の「おえ」などの部分では天井は貼らず、架構を見せる・魅せる造りになっています。↑ 梁が黒い色合いになっているのは、これは竈の灰によるものではなく、漆か何かで着色されたものではないでしょうか。
↑ 池の左手に見える土蔵は、どちらの側から見ても風景に調和して、いい景観をかもしだしているのですが、この土蔵は明治になってから建てられたものらしい。
↑ の土蔵の裏側・・というのか、どちらが表でどちらが裏というわけでもないでしょうけれども、花菖蒲園とは逆側です。
池の東側、主屋の北東側の建物 ↑ は、今は、池や庭園を見る東屋(あずまや)のようになっていますが、もともとは味噌蔵だったらしい。
主屋の前の前庭から見て右側の長い建物は、今は農具が展示されているが、かつては米蔵だったらしい。↓
↑ 「梁(はり)」と「桁(けた)」はどう違うのか。どっちが「梁」でどっちが「桁」なのか。 けっこう、悩むものだが、坂本功『木造建築を見直す』(岩波新書)では、京都の三十三間堂を例にして説明されているが、三十三間堂の仏さんがいらっしゃる部分が「母屋」で、その周囲の人が歩いて参拝する部分が「庇」。そして、母屋の部分の長方形の短い辺は、両側の柱とその間にかけられた「梁(はり)」のセットで成りたっていて、その「柱+梁+柱」のセットがいくつも並び、その「柱+梁+柱」と「柱+梁+柱」をつないでいるものが「桁(けた)」らしい。 加茂家住宅の米蔵も平面としては細長い長方形だが、 ↑ の写真を見て、それを思い出した。短い辺が「柱+梁+柱」で、長い辺は、短い辺の「柱+梁+柱」を「桁(けた)」でつないだもの・・ということでしょう。
米蔵と前庭の間 ↓
「建築探偵団」としては、↓ のようなところが気になります(^^)/
↑ 今なら、「羽子板ボルト」とか「両引き(ボルト)」とか ↓ 使用するところでしょうけれども、そんな金物なんて使わない時代の建物ですから、↑ 。
タツミ Zマーク表示金物 羽子板ボルト SB-F2 280mm 50入
両引きボルト M16×700ミリ (Z) 認定品 両ネジボルト
「ぼ、ぼ、ぼくらは建築探偵団、勇気~りんりん、るりの色。望みに燃える呼び声は、朝焼け空にこだまする~♪ ぼ、ぼ、ぼくらは建築探偵団♪」
※ 《YouTube-少年探偵団の歌(テレビ原音)》https://www.youtube.com/watch?v=98smURw4ig0
さて、前庭から見て右寄りの土間の部分への出入口と左寄りの車寄せのある「正玄関」との間の座敷の前庭側ですが、↓
↑ 座敷から前庭が見えるようにしつつも、そこから出入りはできないように格子が設けられています。
野村克也のじいさんが「理由のないことをするな」と選手に言った、特に捕手に言ったというのですが、建築においても「理由のないことをするな」というのは戒めとして心に持っておくべきものだと思うのです。「理由のないこと」をしたがる「建築家」とか「デザイナー」とか「設計士(さま)」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とかいうのが、わんさといますからね・・、ほんと。
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豊中の同じマンションに住んで、私のクルマで球場に行く。江夏は運転免許を持っていないので、私が運転手である。帰りもまた私のクルマで帰って来る。
それは、特にどうということもなかった。問題はそのあとだ。江夏はクルマの中からずっと野球の話をしてくる。マンションに着いてお互いの部屋に分かれても、しばらくすると江夏が私の部屋にやって来る。そして野球談議がはじまる。
話題は、たいてい配給の話だった。
「あの場面で、カーブを要求したのは、どういう根拠だったのか」
「あの時、ストレートを投げさせて打たれたが、なぜ打たれたと考えるか」
「あの一球の根拠は」
私も野球の話なら飽きるということのない人間だから、それにきちんと答える。いつの間にか話が長くなり、夜が明けはじめることもしばしばだった。
江夏は酒を一滴も飲まない。私もほとんどやらない。大の男が酒も飲まずに、朝まで「あの一球がどうした、こうした」と語り合うのだから、知らない人が見たら、さぞかし奇妙に思えただろう。
マンションだけではなかった。遠征の宿舎でも、江夏は、毎晩のように私の部屋にやって来ては、一球の根拠を問いただしてゆく。私も少々つき合いきれないと思うこともあった。
しかし、江夏と野球談議を交わしたことは、私にとっても意義があった。一つひとつの配給の根拠を、しつこいほどに追及する投手がいるのは正直驚きだった。・・・・
江夏は投手にしては珍しく、一球ごとの根拠にこだわる男だった。なぜ、その球を要求したのか。自分はこう考えるが、お前はどう考えるのか。しつこいほど私に食い下がってきた。江夏が食い下がってきたのは、彼から見て、私も一球ごとの根拠を重く見る、同じ野球観の持ち主に思えたからだろう。
「目をつぶってストレートを投げさせたんだ。やっぱり投手は、気合が大事だ」
いつもそんな答えをする捕手だったら、江夏が毎日のように、野球談議を仕掛けてくることはなかっただろう。
(野村克也『壁 試練だけが人を成長させる』2017.3.30.KKベストセラーズ ワニ文庫 )
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それで・・・、家の窓の格子だが、「根拠のあること」「理由のあること」をやっているものと、「理由のないこと」「根拠のないこと」をやっているものとがある。 ↑ の加茂家住宅の格子は、「根拠のあること」「理由のあること」をやっていると思う。
縦桟が主であるが、縦桟の間隔は広い。 その代わりにところどころに横桟がある。 これは、縦桟ばかりで間隔が狭いと、部屋の中から前庭を見たいと思っても見えにくいからでしょう。 間隔が広い縦桟だけであれば、子供や犬などはそこから入れてしまう可能性がある。だから、部屋から前庭が見えるようにして、なおかつ、出入りはできないようにということで、間隔が広めの縦残を主として、とこどどころに横桟を入れた、ということでしょう。 逆に、横桟を主として、ところどころに縦桟を入れるとどうかというと、横桟を主としたのでは、こういう格子の横桟には埃が溜まりやすい。又、埃だけではなく、横桟は雨がかかった時に、縦桟よりも傷みやすい。 だから、横桟が主で縦桟も入れるというものではなく、縦桟が主で横桟をところどころに入れる・・という施工にしたものだと思われます。
それに対して、「理由のないことをするな」と野村のじいさんに言ってもらった方がよさそうな「建築家」「デザイナー」「設計士(さま)」「いっきゅうけんちくしい~い」とかいうのは、ゴマンといます。わんさといます。うんとこさ います。
《1》 2005年、チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ の建設部に入社した際、人材開発部の友常が、入社までに、できれば、チムニー(株)の店舗をいくつか見てきてもらいたいと言うので、「花の舞」の八重洲店、「ファーストグルメ」の平井店、「チムニー」の千葉駅西口店、それに「はなの舞」と「炎」のどこだったか忘れてしまったかの店に行って、食事をしてわずかに酒を飲んできました。 後に、友常は、「◇◇店を見てきてくださいと言ったのに、なぜ、他の店を見に行ったんですか。社会人として、それではいけませんでしょ。今後は気をつけてください」などと言ったが、友常はそういうことは言っていないはずです。友常は、あくまでも、「できれば」「何店か」見てきてもらいたいと言ったのであり、私の住居から比較的近い場所で、どこにあるということは言ったものの、その店を見てきてもらいたいとは一言も言っていない。又、もしも、はっきりと、どこの店を見てきてもらいたいと言うのであれば、それは入社後に給料を払った上で見に行かせるべきもので、「できれば」見てきてもらうといい、ということならば入社前に給料払わずに「希望」を述べてもいいとしても、はっきりと、どこの店と指定して、見て来いと言うのであれば、その行為に対しては賃金を払わないといけないはずです。ですから、友常は、
(1) 自分は、あくまでも、どこに店がありますと店の場所を紹介はしたけれども、どの店を見てきてくださいとは一言も言っていないにもかかわらず、それなら、どこを見に行ってみようと考えて見に行った者に対して、後から「◇◇店を見て来てくださいと私は言ったでしょう」などと言うのはおかしいのであり、自分が実際に言ったことと異なることを言ったと後から言うというのは、友常こそ、社会人として良くないでしょう。友常こそ、反省しなければいけません。
(2) 又、友常は「人材開発部」に所属していたのですから、「できれば」、うちの会社の店をどこか見てきてください、と希望を言うくらいなら、報酬を払わずに希望を言うことはできても、はっきりと、どの店を見てきてくださいとまで指定したのであれば、それに対して報酬を支払わないといけない、ということくらいは理解できていないとおかしい。 それを理解できていない男の方が、社会人として気をつけないといけないはずです。そのくらいのことも理解できないようでは、「人材開発部」に所属する従業員としては、スキルの点で問題があります。
それで、チムニー(株)の会社名と同じ名称の「チムニー」という店は「洋風居酒屋」というコンセプトで、店内に「料理用の煙突の飾り」が設置されているというのが特徴だったのですが、実際には、居酒屋というのは、和風の居酒屋が多く、多いだけではなく、「居酒屋というのは和風のもの」というイメージがあり、「洋風居酒屋」というのは、なかなか難しいところがあった。又、千葉駅西口の店では「日本酒ソムリエがいる店」だったかを売りにしていたのですが、私は、酒はあまり飲まないし飲めないのですが、住宅建築業の会社に長く勤めてきましたので、地鎮祭・上棟式で日本酒をお施主様に用意してもらったりしたのですが、その際、あまり、酒を飲まないお施主様だと、「日本酒て、どういう銘柄のものがいいのですか」とかきかれたこともありました。特に、これはだめというものはないはずですが、小堀住研(株)におりました時、私が担当のお宅の地鎮祭に出席する際、「奉献」と書いた熨斗紙をつけて日本酒を持参するように上役から言われて、展示場の近くの酒屋に行ったところ、酒屋の奥さんは、「地鎮祭なら、松竹梅がいいでしょうか」と言われたのでしたが、その理由としては、おめでたい行事には「松竹梅」というのは名称がいい、というところからだったようです。 しかし、実際、飲んでみると、あまり、酒を飲まない人間の味覚ですが、松竹梅というのは私はあまりおいしいとは思わないのです。それなら、何がいいのかというと、よくわからない。 雁屋哲原作・花咲アキラ 画『美味しんぼ』の日本酒についての稿や、船瀬俊介『買ってもいい 食卓編』(カッパブックス)とかを見ると、日本酒には、さまざまなものがあって、又、日本酒の場合は大手酒造メーカーのものがいいわけではなく、むしろ、地方の造り酒屋のものの方が「本物の酒」を造っている場合が多く、大手酒造メーカーのものには米・こうじ以外もの入った「まがいもの」が多いらしいが、その意味で純粋な酒でなくても、私が上棟式の時などに飲ませてもらったものでは、「會津誉 甘口」というのが飲みやすく、これまで、飲んだ日本酒の中では、唯一、おいしいと思った。考えてみると、お施主様にも酒をよく飲む人とそれほど飲まない人がいて、それほど、飲まない人からすると、酒呑みの集まりというのは苦手らしいのだ。ところが、「地方」にいくと、何かと酒がでる・・なんて場がある。そういう際に、まったく飲まないわけにもいかないという時、酒がそれほど強くない人、それほど酒を飲まない人でも飲める日本酒・・ということで、そこのお施主様は「会津誉 甘口」というのを選ばれて出されたようだった。なるほど、そういうことを配慮されたんだなあ、よく考えて選ばれたんだなあ、と思ったものでした。〔 「名張毒ぶどう酒事件」というものが過去にあったが、なぜ、「ぶどう酒」なのかというと、町内の集まりで酒を出すのに、男は日本酒を飲むとして、女性用にぶどう酒を用意したが、そのぶどう酒に毒が混入されて死者が出た、という事件だったらしい。その際も、ぶどう酒の方が酒が強くない人でも飲めるだろうということで、女性用にぶどう酒が用意されたらしい。福島第一原発事故の影響が気になりますが、「会津誉 甘口」はあまり酒を飲まない・飲めない人間にとっては、比較的飲みやすい酒だったと思います。〕 それで、私は、「チムニー」の千葉駅西口店は「日本酒ソムリエがいます」というコピーを掲げていたので、「酒が強くない人間にも飲める甘口の酒で、できれば、添加物のない酒を」と希望してみたのですが、「日本酒ソムリエ」がいるわりには、こちらの希望の意味すらもわかってもらえないようでした。だから、そのうち、めんどうになって、「何でもいいです」ということにして、食事して帰りました。 「酒が強くない人間にも飲める甘口の酒で、できれば、添加物のない酒を」と言って、それに対して、「それなら、・・などはいかがでしょうか」という返事が出てこない・・ということは、たいした「日本酒ソムリエ」ではない・・と思いますよ。
「美味しんぼ(おいしんぼ) アラカルト -じっくり味わうー酒 2017.1月」(2017.1.2.小学館)の「第5話 日本酒の実力<5>」では「酒処澤村」の主人が推薦の日本酒がいくつかでていて、甘口の酒としては、岐阜県・白木恒助商店の「達磨正宗」https://www.daruma-masamune.co.jp/ が「甘口なので、食前酒としてもいいし、食後に楽しむにもいいんだ。」として紹介されている。 私はこの酒を飲んだことはないので実際にどうかはわからないが、「会津誉」の製造元の ほまれ酒造(株)のホームページhttps://www.aizuhomare.jp/ を見ても、「商品販売」https://www.aizuhomare.jp/ec/ のところで、検索するための欄に、「味わいで絞り込む」として「芳醇 」「フルーティ」「 甘口」「 辛口」の選択枝が出ており、「甘口」にチェックを入れて「検索」すればいくつかのものが出てくるし、「日本酒ソムリエ」ならば、「酒が強くない人間にも飲める甘口の酒で、できれば、添加物のない酒を」と言われて、「◇◇などはいかがでしょうか」というお勧めが出てくるかとおもったが、「チムニー」千葉駅西口店では何らしかるべき返答はなかった。
「ファーストグルメ」というのは、名称からするとファーストフードの店みたいな感じがしますでしょ。 実際に平井店(今は、もう、ない)に行ってみると、外観は、マクドナルドか、ミスタードーナツか、ケンタッキー・フライド・チキンか、モスバーガーか・・みたいな外観の店舗だったのです。 中に入って見ても、やっぱり、マクドナルドか、ミスタードーナツか、ケンタッキーフライドチキンか、モスバーガーか・・という感じのしつらえの店だったのです。店員の制服もそんな感じの服です。ところが、そこで出てくる食事の内容というと、無茶苦茶ボリュームのある肉料理で、値段から考えると高くないかもしれないけれども、これでは、軽食を想定して入った客は面くらいだろうなあ・・と思いました。それで、入社して最初の日に、友常が「見てきましたか」と言うので、それを言ったのです。「ファーストグルメ」はそこで出される食事は悪くないと思いますが、ファーストフードの店という感じではありませんね・・と。これは、私は、問題点として指摘したのです。これでは、ファーストフードを期待して入店した客は面食らうし、ボリュームのある肉料理を食べたい客はファーストフードの外観と店名を見て入店しないのではないか。もう少し、そこで提供する料理と店名・店のしつらえ・外観を一致させるようにした方がいいのではないか・・ということを私は指摘したのです。 ところが、私がせっかく指摘したのに、友常は「いいでしょう。あれ」などと言うので、「こいつ、アホや」と思いました。そう思っていると、「ファーストグルメ」は平井店ともう1か所どこだっけに続いて、神奈川県に大船店を作ったのですが、大船店に行くと、店長が「なかなか、苦しいですよお」と言うので、そうだろうなあ・・と思いました。大船店の店長が言うのは、ひとつは、「ファーストグルメ」には夏向きのメニューがなく、友常はボリュームのある料理をそう高くない値段で提供しているから、だから、「いいでしょう」と言うのだが、ボリュームのある肉料理を比較的安い値段で提供する店であっても、そこまで、ボリュームのあるものを食べたいと思っていない客には不向きであるし、夏場になると、多くの人間は食事の量は少なめになり、ボリュームのある肉料理よりも、それこそ、単純に「冷やし中華はじめました」の方がよっぽど受けたりします。そのくらい、わからんかなあ~あ・・・と思っていたら、建設部の会議で、社長の和泉さんが「フォースとグルメはどうもうまくいかんなあ。なんで、だろうなあ」などと言うので、「なんで」か、この人、わからんのかあ? この人、法学部卒であって商学部卒・経済学部卒ではないとしても、それでも関大でも「大卒」なのに、ほんとにわからんのかあ~あ? ・・と思った、ということがありました。1980年代、阪神タイガースがCクラスを毎年続けていた頃、ラジオの野球中継で、アナウンサーが「きょう、試合前に球団の人と話していましたら、『どうも、今年は甲子園球場のお客さんの入りが良くないんですよお。いったい、どうしてでしょうねえ』と言ってました」と言ったところ、解説者の江本孟紀が「はあ~あ。『いったい、どうしてでしょうねえ』なんて、球団の人が言ってましたかあ~あ? そんなこと言いますか、そんなこと。ぼくは、なんで、お客さんの入りが悪いか知ってますよ、ぼくは。そんなもん、いくらなんでも、ここまでボロクソに負けまくったらもう、いいかげん、見に行くの、嫌になりますよ。いくらなんでも、ここまで、ボロクソに負けまくったら! わかりませんかねえ、このくらいのことが。『いったい、どうしてでしょうか』なんて言ってましたかあ? はあ。 案外、球団の中にいる人というのはわからんもんかもしれませんねえ。教えてあげましょうか。なんで、お客さんの入りが悪いか」と発言。さすがは江本やなあ~あ・・・、ええこと言うわ、ほんま・・・と思ったものでしたが、そんな感じ! 和泉さんは、まがりなりにも社長なのに、関大とはいえ法学部卒とはいえ社会科学系学部の大学卒なのに、こんなこともわからんのか。 「どうしてだろうなあ」て、あんた、本気でそんなこと言ってるのお?!? ・・・と思ったものでした。そのうち、3店舗作ったところで、「ファーストグルメ」は居酒屋としては得意分野ではないということで、さっさと撤退してしまいましたが、やることやらずに撤退するくらいなら最初からやらなきゃいいのに・・・てところです。やっぱり、関大しか出てないような男はあかんいうことか?!? ・・・と解釈するべきかどうかわからんが、ともかく、「そんなこともわかりませんかねえ、そんなことも」・・という感じだった。又、わからんならわからんで、とりあえず、実際にその店で働いている人間に意見をきくということくらいやってみれば、そうすれば、大船店の店長も「うちは夏のメニューがありませんから」ということを言っていたわけで、まず、それだけでも改善してみればいいと思うのだが、それもしないで、人材開発部の友常は「いいでしょう、あれえ」などとアホなこと言っていたのであり、社長の和泉さんも同様であり、これが、居酒屋のチェーン店の社長なのかあ?・・て感じでした。
「炎」という居酒屋の店があって、昼間は食事の店にしている店舗が多かったのですが、チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ は、最初、ジャスコ〔現 イオン(株)https://www.aeon.info/ 〕が作った店だったらしいが、それを静岡県の食品会社の米久(株)https://www.yonekyu.co.jp/ が株を買ってその子会社になり、さらに、米久(株)がキリンビールhttps://www.kirin.co.jp/〔キリンホールディングス(株)〕 の子会社になったことから、キリンビールの孫会社になったが、キリンビールが作った会社ではないので、キリンビールの孫会社とはいえキリンビールのいいところがチムニー(株)にあるかというと、あまりないという会社だったらしいが、キリンビールの孫会社だということから、キリンビールの缶コーヒーの刻まれている炎のマークをもとに、名づけた店名が「炎」だったらしい。しかし、キリンビールの缶コーヒーでは、それまで、缶コーヒーの缶というと、平らな物で、何か、面白いことをやって顧客に関心をもってもらうことはできないかと考え、缶のデザインだけではなく、凹凸を缶に設けて手触りからして違うようにすると面白いのではないか・・と考え、それは高くつくのではないかとも思われたが、大量にその缶を使うなら比較的安くできるということも調べて実行した・・というあたり、さすがはキリンビールか・・と思えるとともに、キリンビールの缶コーヒーは、炎のデザインを缶に刻んだとしても、名称は「炎」ではなく、色合いも様々なもので、夏場、冷たい缶コーヒーを飲みたいと思った場合でも、缶に刻まれているデザインは炎のデザインであっても、暑さ・熱さをイメージしない缶にできていた。 それに対して、チムニー(株)の店は名前からしてはっきりと「炎」であり、橙色(炎色)で店舗の外観はデザインされており、冬場はいいとしても、夏場、「炎」の店を見ると、「なんか、いかにも暑苦しい」という印象があった。・・・ そうはいっても、缶コーヒーの場合は、色合いは様々で、もともとは、青系統が多いらしいが、最近では、無糖のものは黒で、それ以外は様々な色が使われているが、居酒屋の場合は、外観の色合いに赤を使うという伝統のようなものがあって、それを変えにくいということもあったようです。しかし、チムニー(株)の「炎」の店舗の外観は赤色ではなく橙色(炎色)ですし、それにしても、冬は良くても、夏場、見ると、「いかにも、暑苦しい」。比較的涼しくなった夜、居酒屋として見る場合はまだしも、昼間は食事の店として営業している店舗が多いが、夏、昼間に見ると、「いかにも、暑苦しい」。 それを、わかっていて、それでも、こう変えた方がいいというものを思い浮かばないから、その状態でやっているのか、それとも、「いかにも、暑苦しい」という外観だということに気づいてもいないのか・・・というと、これもまた、和泉さんも他の従業員も気づいておらず、人材開発部の友常も、当然、気づいていなかった。それでは、いかんのではないか。それこそ、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」てなもので、問題点が1つあれば必ず負けになるというものでもないのだけれども、それでも、会社の経営者たるもの、たとえ、今は買っていても、問題点があるならあるで、それに気づいていないといけないのではないか・・・と思ったが、和泉さんは気づいていないようだった。関大法学部しか出てないようなおっさんではあかんいうことか・・・と解釈するものか、他の解釈をした方がいいのか。どっちにしても、「わかりませんかねえ。そんなことも」という状態だった。江本は「教えてあげましょうかねえ」と言っていたのだが、私も教えてあげましょうかねえ・・とも思ったのだが、和泉さんは、何か言うとすぐに怒りだすので、「さわらぬ神に祟りなし」と従業員誰もが思っていて、黙っていた方がいい・・と思う人間の割合が大きかったようだった。私は、受け入れられるような言い方で話してあげよう・・ということを考えたのだが、おそらく、無理だったと思う。 友常が「居酒屋というのはレベルの低い業界ですから」と言っていたが、たしかにそうかもしれない。私が大学生であった頃、1980年頃は、居酒屋というと、「庄屋」というのが誰もが思い浮かぶ店だったが、ふと気づくと、庄屋のシェアはずいぶんと小さくなっていた。 チムニー(株)に、元・庄屋の従業員だったという人がいたのだが、聞くところによると、庄屋の社長というのは、気分がよくないと従業員の頭めがけて灰皿を投げつけるそうで、それも、プラスチックのあたってもたいしたことないような灰皿ではなく、石とかの硬い灰皿を頭めがけて投げつけるそうで、かつ、それをよけると怒るという話だった。社長がそういうことをしているようでは、そんな会社は「長い目で見るならばハリコの虎」というのか・・・、ふと気づくと、居酒屋における庄屋のシェアはずいぶんと小さくなっていた。
そして、「花の舞」。「はなの舞」と「花の舞」という読みは一緒でひらがなか漢字かの違いの2種類の店舗がチムニー(株)にはあったのですが、「はなの舞」が一般店で、「花の舞」は「はなの舞」より高級志向店という設定だったのですが、「花の舞」八重洲店というJR「東京」駅から八重洲側に出てまっすぐ進んだあたりにある店を、入社前に見に行ったのです。ところが、
(1) まず、第一に、どこから入るのか、入口がわかりにくい。 雑居ビルの中にあるのですが、それならそれで、案内表示の看板のひとつくらいだしたらどうなのか。 実際には、周囲はオフィス街であり、リピーターの客が多いようで、そのため、どこから入るのかわかりにくくても、一度、入店したことがある人なら、迷わずに入れるので、かつ、オフィス街の食べ物屋としては、値段と内容を比較すると悪くない方なので、少々、入口がわかりにくくても、それでも、客は入っていた。しかし、「勝ちに不思議の勝ちあり」である。 今、客が入っているからそれでいいということではなく、今、客が入っているうちに、問題点は解消する方向での努力をするべきではないのか。それがなされていなかった。
(2) そして、これが問題。 「花の舞」は「民家風」のデザインの店なのだが、「民家風」だということで、鉄筋コンクリート造、もしくは、鉄骨造の雑居ビルの中に出店して、内装工事を行って営業するのだが、その内装だが、「民家風」「古民家風」だとして、向う側は壁であって格子なんか機能上は必要ない場所に格子を設けたりしていたのだった。 ところが、その格子が横桟。 なんで、横桟にすんの?・・・
その横桟に埃がいっぱいたまっていた。飲食店にしては不衛生なことである。花登筺『銭の花』で、伊豆熱川に嫁に行った加代は、大阪の母親に喜んでもらおうと思って、嫁ぎ先の山水館は、馴染みの湯治客を扱うだけの小さい宿屋であったのを「熱川でも大きい方の旅館で」と書いた手紙を送ったところ、母は、かつて、南地楼の時代の馴染みの糸商の旦那に話し、食通でもある糸商の旦那は、それならと「家族みんなで行く」と加代に手紙を送り、そして、糸商の家族みんなで熱川までやってきたが、糸商の嫁や孫は山水館の貧弱な建物を見て、「何、これえ。木賃宿じゃないの。こんな所、泊まるの嫌や」と不平を言いまくった。ところが、糸商の旦那はそれを聞いて、「おまえら、ええかげんにせんか! わしが子供の頃の糸商は、この旅館よりずっと小さい店やった。それを、先代が苦労して努力して大きいしはったんや。苦労して努力して大きいしはった先代が贅沢すると言いはるのならわしは何も文句は言わん。そやけど、おまえら、生まれた時から大きい糸商で生まれたのであって、おまえらは糸商を大きいするために何の努力もしとらんだろうが。糸商を大きいするために何の努力もしとらん、丁稚よりえろうないおまえらが、こんな宿屋では嫌やとか何とかぬかすのなら、わしは承知せんぞお。嫌なら、わし一人でここに泊まるから、おまえら、みんな、今すぐ、帰れえ!」とどやしつけた。加代の義妹の春江は階下でそれを聞き、「お義姉さん、私、あのおじいさん、大好き」と言う。 内湯に入らせてもらうように頼んできた福原屋の風呂に糸商の嫁や孫が入りに行った後、加代は糸商の旦那の所へ行き、「申し訳ございません」と謝るが、糸商の旦那は「加代さん、あんた、何を謝るんや。あんた、何も悪いことしとらんやろ。見てみ。この部屋、ほんとに掃除が行き届いておって、塵ひとつ落ち取らん。板の間はきれいに磨かれとる。どんなに見事な座敷であっても、掃除を怠って埃だらけの所に泊まらされたのでは、それは失礼や。それに対して、この部屋は、誠意をもってとことんきれいに掃除された部屋や。誠意をもって尽くしとる。あんた、何も悪いことしとらんやろ」と話す。これは、たしかにその通りだ、正論だ・・・と思うのです〔⇒《YouTube-銭の花 細うで繁盛記 旅館山水館》https://www.youtube.com/watch?v=jlipoy1IH4U 〕・・・が、しかし、何屋にしても、従業員の数が必ずしも十分に多いわけではなく、又、客が多い時もあり、そうなると、必ずしも十分に掃除をしてきれいにすることができないという場合も出てくるのです。 従業員の数は決して十分ではない店で、埃が溜まったりしないように、ということを考えると、又、同じ手間をかけても掃除しやすいように、できるだけ短い時間で労力をかけずに掃除をしてきれいにできるようにと、その点から考えると、余計な桟はない方がいいし、もし、装飾として格子を設けるとしても、縦桟にしておいた方が、横桟よりも埃は溜まりにくいのです。そのくらい、普通に考えれば誰でもわかりますでしょ。だから、本物の「民家」「古民家」の建物を見ると、その多くは縦桟で格子はできているのです。
チムニー(株)の「はなの舞」「花の舞」「炎」といった店は、「古民家風」であり、「高山風」らしいのですが、それで、私は岐阜県高山市まで行って、高山の日下部家住宅(日下部民芸館)・吉島家住宅・宮地家住宅・松本家住宅・平田記念館・飛騨民俗考古館といった、公開されている民家を見学してきました。高山市の飛騨の里に移築されている民家も何軒か見てきました。 公開されていない「民家」でも、道路から見える部分は見えますから、見てきましたが、「花の舞」八重洲店みたいな横桟が入った家なんて、ありません。 日下部家住宅(日下部民芸館)では、玄関の上の部分だけで、広い横桟が入った部分がありますが、「花の舞」八重洲店みたいに、狭い間隔で何本も横桟を入れたような家は見つかりません。 なぜ、狭い間隔で横桟を入れた家がないかというと、それは、横桟だと埃がたまりやすく、掃除がしにくいことと、縦桟に比べて横桟は雨がかかったような時に水が溜まって傷みやすいからでしょう。だから、基本は縦桟なのだと思います。なんで、「花の舞」八重洲店は、わざわざ、横桟にしたのか?
おそらく、「デザイナー」の先生様がそんなことを思いついたのでしょう。実際の「民家」「古民家」は縦桟が多いから、変わったことやろうとして、それで、思いついたのが横桟だった・・・というそんなところでしょう。 実際の「民家」「古民家」では、なぜ、横桟ではなく縦桟なのか? ということをなぜ考えないのか? まさに、「理由のないことをするな」というものですが、その「理由のないこと」を「デザイナー」の先生様はやるのです。「1000万円越プレーヤー」らしい「デザイナー」の先生様はやるのです。 バッカじゃなかろかルンバ♪〔⇒《 野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 〕て感じです。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区。発祥は関西。社内公用語は大阪弁〕https://www.freedom.co.jp/ はホームページに「世界でただひとつの家」というコピーを入れています・・・が、そのわりに、外観デザインというと、「箱、はこ、ハコ」しかできない。なぜ、できないかというと、自称「設計士(さま)」とやらに造形力が乏しいからでしょう。 「箱、はこ、ハコ」が絶対に悪いとは言いませんが、特別にいいとも思いません。何より、「ぺったんこの屋根」と「屋根って感じの屋根」であれば、普通に考えて「屋根って感じの屋根」の方が雨仕舞はいいわけで、わざわざ、雨仕舞が悪いことをやる必要があるとは思えない。建築の美しさと言うのは、構造の美しさを主としたものとするべきで、構造を考えた際にマイナスになるようなことをして、それで、デザインが良かったとしても、それは絵画や彫刻なら良くても建築としていいものとは言えないでしょう。 そして、「世界でただひとつの家」というのは、より本来的なものを追い求めた結果として、「世界でただひとつの家」ができあがったというのならいいと思いますが、そうではなく、過去の工人がこういうことをすると問題がでるからやらない方がいいとやらなかったことをわざわざやり、過去の工人がこうした方がいいと判断してやってきたことと反対のことをやることで、「世界でただひとつの家」、その意味としては「バッカじゃなかろかルンバ♪・・の家」、あるいは、「いくらなんでも、こんなおかしなことやる人間なんて、普通、ないぞお~お・・の家」の家をせっせと造る・・・というのは、そういう「世界でただひとつの家」というのは、私は感心しませんね。 そういう「バッカじゃなかろかルンバ♪・・の家」「いくらなんでも、こんなおかしなことやる人間なんて、普通、ないぞお~お・・の家」をわざわざ作りたがるおっさん・にーちゃん・おばさん・ねーちゃんというのは、フリーダムアーキテクツデザイン(株)だけではなく、建築業界にはけっこういるのです。 何より、「世界の丹下健三」大先生なんてのが設計なさった東京カテドラル聖マリア大聖堂なんてのは、竣工時から雨漏れしたそうですし。又、そういう話を聞くと、私なら、たとえ、どんなにおえらい先生であろうとも、竣工時から雨漏れするような建物というのは困りもので、もしも、絵画や彫刻であるならば、作成者が芸術家きどりで好き放題のものを作ってもいいかもしれないが、建築の場合は、構造と機能を満たした上で、その上でデザインもいいものを作ってこそ建築であり、竣工時から雨漏れがする建物というのを設計して「世界の丹下健三」様じゃあ~あ・・などとおっしゃられても、「ああ、そうですか」とでも言うしかない・・・と思うのですが、ところがどっこい、「バカでも入れる私大の建築学科」卒とか「無試験ヨーコーで入れる建築の専門学校卒」とかいう人とかの場合は私とは逆で、「世界の丹下健三」が「雨漏れのする建物」を設計したとなると、自分もまた、「雨漏れのする建物」を設計すれば、「世界の丹下健三のエピゴウネンのエピゴウネン」になれるのではないか♪・・なんて考えるようでした。 なんか、「建築家」て、よっぽどバカじゃなかろか・・て感じがします。何より、「建築の専門学校」というのは、全部、ぶっつぶした方が社会のためではないのか、という気がします。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士(さま)」というのは、なぜ、「設計士(さま)」などという日本にありもしない「資格名もどき」を名のるのか? 日本には、一級建築士・二級建築士・木造建築士や1級建築施工管理技士・2級建築施工管理技士とかの国家資格はありますし、かつては国家資格だったが今は民間資格となったインテリアプランナー・インテリアコーディネーターといった民間資格はありますが、「設計士(さま)」なんてそんな資格は国家資格でも民間資格でもないのです。 又、フリーダムアーキテクツデザイン(株)には「設計士(さま)」なんてそんな職種名はないのです。 なぜ、ありもしないものを名のりたがるのか? 答えははっきりしています。要するに、「いっきゅうけんちくしい~い」と名乗ることで「ひとに言うことをきかす」という権威主義的態度を取りたいのですが、ところが、その「いっきゅうけんちくしい~い」の資格試験に通らない。だから、「設計士(さま)」とか「なんとかアーキテクト」とか、そういう捏造したような名称を名のるのです。バッカじゃなかろかルンバ♪・・て感じがします。 だいたい、「いっきゅうけんちくしい~い」と名乗りたがる症候群・「いっきゅうけんちくしい~い」と叫べばひとは言うことをきくと信じ込んでるシンドローム・・みたいな人というのが、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人とか「無試験ヨーコーで入れる建築の専門学校(卒)」の人とかには、あまりにも多い! そういう人を相手にしてると、なんだか、年中「バッカじゃなかろかルンバ♪」て歌ってなきゃならんみたいになってしまう。
チムニー(株)の、それまで、多くの「民家」「古民家」が窓の格子には縦桟にしてきたものは、縦桟にした方が横桟にするよりも、雨がかかって傷むことも少なく、何よりも埃がたまりにくい・・ということで縦桟にしてきたのに、それを「理由のないことをするな」というID野球の精神に反することやって、わざわざ、埃がたまりやすい横桟にして、それで、「デザイナー」「1000万円プレーヤーの先生」になっている。(しかし、そんなおっさんが「1000万円越プレーヤー」であることを考えると、どう考えても私の給料は安すぎたな・・) もっとも、そういう「バッカじゃなかろかルンバ♪」をやれば「1000万円越」の給料もらえるのなら、「ここは大人になって」「バッカじゃなかろかルンバ♪」でもやったろうかい・・と思う人間が出たとしても不思議はないかもしれない・・・が、その「バッカじゃなかろかルンバ♪」の横桟て、飲食店・居酒屋にとってプラスになるか?・・・というと、私はならないと思うがなあ・・・。 不潔でしょ。不衛生でしょ、飲食店にとっては。そう思いませんか? ・・そのあたり、どうせ、日本で「デザイナー」とか「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか「設計士(さま)」とか自称するヤカラというのは、その程度のバカばっかりなんですから、ですから、社会科学系学部卒の社長および経営者は、そのあたりをよく見て、「バッカじゃなかろかルンバ♪」をさせないようにしないといけない。 ところが、「花の舞」八重洲店は、「バッカじゃなかろかルンバ♪」をやっていた。
加茂家住宅では、縦桟であるが、間隔を広く取ったのは、座敷から前庭を見ることができるように、あまり細かい桟にはしなかった、かつ、粗い縦桟ではそこから出入りされてしまうおそれがあるので、ところどころに横桟を入れたが、横桟の方を主にしたのでは横桟に埃がたまり不衛生であるし、横桟が多いと、雨に濡れて場合に傷みやすいので、それで、横桟の方を主とするのではなく縦桟の方を主とした・・・と、「理由のあること」をやっていたわけです。それに対して、チムニー(株)の「花の舞」八重洲店では「理由のないことをするな」というID野球の精神に反して、「理由のないこと」をやって、それが「デザイナー」のすること♪・・・みたいに思っておったのです。「バッカじゃなかろかルンバ♪」と思います。 実際、その店舗で働く人に意見をきいてみるといいと思うのです。横桟にすれば埃が溜まりやすく掃除が大変だ・・・なんてことは、誰でもわかりますよ。わからないのは「デザイナー」くらいのものです。そういう「理由のないことをするな」という認識で建築をやる人間と、わざわざ、「理由のないこと」をやりたがる人間とでは、「理由のないことをするな」という認識をきっちりと持っている人間の方が絶対に上だと思います・・・が、わからんやつが多いようです。
《2》 そして、1990年代末、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野営業所でのこと。
1980年代後半から1990年代にかけて、小堀住研(株)では、「高品質低価格」の「企画住宅」の「ハウス55」に、「ブラウン」「グレイッシュ」という寄棟屋根のタイプとともに、「ライブリー」という切妻屋根でアーリーアメリカンスタイルの洋風住宅があった。カタログには、「ライブリー」では、窓に枡格子(十文字の格子)が入ったものの写真が掲載されていて、けっこう人気があった。しかし、松戸営業課の課長だったUさん、I さんとも、実際に検討する契約客には、その格子はあまり進めなかった。お客様がどうしても入れたいと言われるのなら、それでも断るということはないが、基本的には勧めず、又、取り付ける場合には、「これ、入れると、中から外を見る時に格子が邪魔になって見ずらいですよ。 外から見る分にはいいですけれども、中から外を見る場合はうっとおしいですよ」ということを説明して、それでもつけたいと言われる場合にはつける、というようにしていた。 私も、最初、カタログで見て、良さそうに思ったのだが、そう言われるとそうかな・・と思った。
1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では、大型のベイウインドウというものが同社の「洋風」の展示場にはついていた。これを、浜松出身の人は「親戚中が集まって座席が不足した時には補助席の代わりにもなる」と説明していたのだが、浜松の住人にはその説明のしかたでいいのかもしれないが、東京展示場の来場客にそういうことを言うと、「そんなの、親戚中が集まることなんてないわよ。そういうことを言うというあたりが、なんか、いかにもいなか、いかにも浜松て感じ」と言われるのだった。だから、そういうことは東京の展示場においては言ってはいけない・・・のだが、ところが、「遠州人」はそれを言わせたがったのだった。
その《「いかにも浜松」「いかにもイナカ」って感じのベイウインドウ》というのは、実は、浜松生まれではないようなのだ。2000年1月、ロンドンに行って、ヒースロー空港からロンドン市街に地下鉄に乗った途中あたりの場所のホテルで宿泊したのだが、ホテルの窓から外を見ていると、付近にその「いかにも浜松て感じの出窓」であるベイウインドウがついた戸建住宅が建っていたのだ。それで、翌朝、ホテルから外に出て歩くと、ホテルの窓から見えた家だけでなく、そこから少し歩いたあたりには、その「いかにも浜松の出窓」というベイウインドウがついた戸建住宅がいっぱい建っていたのだった。しかも、(株)一条工務店の家で見ると「いかにも浜松」「いかにもイナカ」という印象のものだったのが、不思議なことに、ロンドンで見ると、別段、「いなかくさい」ということはなかったのだ。ロンドンで見ると、「浜松の匂いがぷう~んぷんする」なんてこともなかった。なんとも、不思議なことだった。なぜ、(株)一条工務店の展示場で見ると、「いなかくせえ~え!」て感じがしてしまうのだろうか。ひとつには、「浜松流」の話し方というものに原因があるだろう。「親戚中が集まった時には補助席としても使える出窓」などと話すように「浜松流」は教えるのだが、ロンドンの住宅では「親戚中が集まった時に補助席として使う」という前提でその出窓はつけられていたわけではなかったのだ。「浜松流」の解釈でつけるから「浜松流」になってしまうのであって、ロンドンにあるベイウインドウを見て、それを取り入れるのなら、別に「いかにも浜松て感じ!」とか「なんか、イナカの匂いがぷうんぷんする出窓」とかいうことはなかったはずだ。
それで、その出窓には、「アーリーアメリカンスタイル」の小堀住研(株)の「ハウス55 ライブリー」と同様の枡格子がついていたのだ。ただ、これについては、枡格子をはずすこともできたはずだが、枡格子をはずすなら、それなら、普通の掃き出し窓にするか、もしくは、普通の出窓にするかした方が良さそうな感じだった。 枡格子がついた上から見ると台形の出窓だからそのベイウインドウになったようなところもあったのだ。
(株)一条工務店が「セゾン275S1」というタイプに取り付けていた、本来は浜松生まれではなく、ロンドン生まれなのかヨーロッパの他の場所が最初の発祥かはわからないが、ともかく、浜松とロンドンならおそらくロンドンの方が先であろうと思われるベイウインドウは、枡格子がついていて、これも、「アーリーアメリカンスタイル」の「小堀ハウス55 ライブリー」の枡格子と同じく、外から見ると枡格子はついていた方が見栄えはするであろうけれども、部屋中から外を見た場合には、枡格子はない方が見晴らしは良かったわけで、何も言わない人もいたかもしれないが、私などは、枡格子はある方が外から見た見栄えはするけれども、中から外を見た場合には枡格子はない方が見晴らしはいいでしょう、ということは話した上でどうするか決めてもらっていた。それが良心的態度だと思っていた。
ベイウインドウの枡格子はあった方が用心はいいのではないかと思う人もあったようだが、細い格子は、意図的に破損しようと思えばできたはずなので、ないよりは破損するための手間はかかるとしても、それほどは防犯上役立つというものではなかったと思われる。逆に、火災か何かで脱出しないといけないという場合には、それほど頑丈なものではないので、本当にそこから脱出しないといけない場合には、入居者の手で破壊して脱出するということもできるでしょう。
↑「浜松流」なのか「ロンドン流」なのかの大型「ベイウインドウ」。 ↑ こんな感じ・・。
それに対して・・・、アルミサッシ、もしくは樹脂サッシで、窓を細かく分けた窓の場合には、アルミのサッシの場合も、樹脂のサッシの場合も簡単に破壊することはできないので、防犯上、役立つであろうけれども、同時に、中から外へ脱出しようとした場合にも妨げになる。その部分から外に脱出するのは不可能でしょう。 私は、そういう格子入り窓のことを《「精神病院」式窓》と呼び、そういう窓でできた建物のことを「精神病院」建築と呼んでいる。 中に幽閉された「患者」が脱出しようとしても、格子によって窓からの脱出はできないようにできている。刑務所と「精神病院」は似たところがあるが、刑務所は高い塀に囲まれているのに対して「精神病院」はそうではないので、「刑務所の塀」は道路から見えても「刑務所の窓」は塀に遮られてあまり見えない場合が多いのに対し(どうしても見たければ、府中刑務所の北側の道に歩道橋が1か所あり、その歩道橋から刑務所の中・・といっても運動場? 部分と向こうの方にある建物の外観が見えることは見える・・・が、見たからだから何やねん・・てところもある)、《「精神病院」の窓》は公道からでも見える場合が多い。公道から一般人が見た時には、ある程度以上、関心を持って見るのでなければ、単に視野の一角に入っていたという程度では、幽閉された「患者」がそこから脱出できないように格子を入れたにもかかわらず、それが外の一般市民にはわかりにくいように「デザイン化」されたもの、それが「精神病院」建築・「精神病院」式窓というものである。いわば、デザインという衣の下に鎧を隠したような建築である。 実は、1999年から2000年代初めにかけて、(株)一条工務店は、この 「精神病院」式窓というものを、「サービス」ということで「セゾン」という名をつけた「洋風」タイプにけっこう取り付けたのだった。
↑ この絵でわかってもらえるだろうか。 左のものは、ハンドルをくりくりまわすことで窓を回転させて開閉する。 右のものはそうではなく、レバーをはずすと手動で片開きで開閉する。 一般に、左の方が値段は高く、おしゃれ・・・みたいな感じがするかもしれないが、このハンドルをくりくりまわして開閉する窓というのは、1つだけならまだいいのだが、↑ の図のように、細かいものがいっぱいついていると、開けたり閉めたりするのが大変。 だから、全部は開けないで、基本的には閉めた状態だが、そのうちのいくつかを開けることもある・・という使い方をするものだ。
このタイプの窓は、アルミ製のものでも、樹脂サッシのものでも、枠が太く、格子ではなく窓枠なので、もしも、火災が発生してここから脱出しようとしても、まず、無理です。 又、枠が太いので、同じ面積で、単なる引違の窓と比べると、中から外を見ようとした場合は、枠がわずらわしくて外を見にくい。
通風もまた、自然の風を入れようとするのなら、全体についての単なる引違窓の方が、広い面積を開けることができて、通風をはかることができる。
この窓の特徴として、枠があるので、この場所から外に出ようと思っても無理。 要するに””「精神病院」建築”””の窓です。 外から見ると、一見、かっこいいように見えても、実は、こういう窓しかないようであれば、中から外に出ようとしても出れない。人を幽閉するための部屋にはもってこいの窓・・・ということになります。
右側の図はどういうものかというと、左側のものと窓の面積は同じで、左側と同じく片開ですが、左側はハンドルをくりくりまわすことで開閉するのに対して、右側はレバーでロックをはずすと、手動で押して開ける片開です。 一見、左側の方がおしゃれです・・・が、この部分で通風をはかろうと思ってすべての窓を開けていた時に、急に雨が降ってきた、大急ぎで閉めよう・・とすると、右側は、まだしも、手前に引いてレバーを閉めるだけであるのに対して、左側はハンドルをくりくりまわすという作業をいくつもやらないといけない。 早く閉めないと雨が入り込んでくるのにと思っても、ハンドルをくりくりまわしてしめるタイプはけっこう閉めるのに時間がかかる。 だから、左図のタイプのもので、すべての窓を開けていた時に、急に雨が降り出して、大急ぎで全部のものを閉めようとすると、ハンドルをくりくり、くりくり、くりくり、栗栗、庫裏庫裏、九里九里・・・とまわしていると、なんだか、いらいらしてきて、そのうち、ハンドルをぶっ壊してしまったりとか・・ありそうな・・そんな窓です。↑ の右図のものも、いくつもに分かれていますから、開けたり閉めたりはけっこうめんどうですが、それでも、レバーをはずして押すだけですから、ハンドルをくりくり、栗栗、庫裏庫裏、九里九里まわすよりは時間はかからない。 ハンドルをくりくり、栗栗、庫裏庫裏、九里九里まわす小窓の集団というのは、おしゃれのように見えて、開閉するのに手間と時間がかかって、大急ぎで閉めなきゃならないとか大急ぎで開けたいとかなると、もう、いらいら、イライラ、いらいら、イライラ・・・。なんか、精神衛生によくない窓て感じ・・・。
「適材適所」ということをうちの父親はしょっちゅう言っていました。「人間には、向き不向き、適材適所ちゅうもんがあるんや」と。「わしなんかは、自分ではやらずに人に号令かけるのが向いている民族で、あんたは号令かけられてせえっせせっせ、せえっせせっせとやるのが得意でうれしい民族」とか言うてました。「私、うれしくないですけど・・」と言っても、「何、言うとるんじゃ。適材適所じゃ、適材適所。わしは号令ける民族で、あんたは号令かけられるのが何よりうれしい、号令かけられることに快感を感じる民族やねん。喜ばんか!」などと言うので、「私、快感なんて感じませんけど」と言いましたが、それでも、「民族の違いちゅうもんや、それが」とか言ってききませんでした。うちの父親というのはそういう「民族」の男でした。うちの父親というのは、そういうおっさんだったのです。私からすれば、「わしは、自分ではやらずに人に号令かけるのが得意の民族やねん」とかいう「民族」というのは好きになれない「民族」で、「自分ではやらずに人に号令かけるのが得意の民族」なんて者は存在しなくていいと思っているのです。
ともかく、そういう「適材適所」という言葉ですが、もともとは材木から出てきた言葉のようです。 いい木とか悪い木とかいうのではなく、それぞれに適した場所がある、という考え方です。 木だけではなく、建築には、それぞれの部材に「適材適所」というものがある。 窓もそうです。値段の高いものが常にいいとは限りません。 ↑ のような、一定の面積がいくつもに分かれている窓というのは、まず、暗い! 枠がいっぱいあることから、全体が1枚の窓になっているものの引違に比べて、暗い。 それから、自然の通風を取ろうとした場合に、開けたり閉めたりするのに手間がかかる。 全体が1枚の引違の窓であれば、1枚を開けるか閉めるかだけですが、それに対して、いくつもの小窓を開けたり閉めたりするのは、大変な労力がかかる。
それなら、↑ の図のような小窓に分かれた窓というのは、何の長所もないのかというと、そうではなく、外観デザインがこういう窓が向いている場所があるということ。 内部については、明るさをそれほどは必要としない場所で、窓の開閉をそれほど頻繁にはしない場所、通風をはかるにしても、すべての窓を開けるのではなく、2枚か3枚程度まで開ける程度で、その場所からの出入りはしないという前提の場所に設けるのなら悪くはない、というものです。
そういう場所というのはあるのか? ↑ の図のような小窓いくつもに分かれたようなものが向いている場所というのはあるのか。 あります。 ロンドンのハイゲート墓地というと、カール=マルクスの墓がある場所として知られていますが(「これまで、哲学者は世界をただ解釈してきただけである。しかし、大事なことは、それを変えることである」という、マルクス『フォイエルバッハに関するテーゼ』の最後の部分の文句が刻まれた石碑が建っている)、そこから少々歩いた住宅地にフロイト記念館があります。 精神分析家のシグモンド=フロイトが、ナチスの迫害から逃れるため、ウィーンからロンドンに移ってきて住んだ家を公開しているものですが、なかなか素敵な家ではありますが、そのあたりの住宅地の他の家と比べて特別な家というわけではありません。その付近の戸建住宅としては普通の家です。 フロイト記念館という名称がつけられていますが、博物館として建てられた建物ではなく、フロイトが住んだ「普通の家」を公開しているものですが、その家にあったのです。 玄関は左右の中央部にあり、玄関を入った向こう側から手前に登る階段がついていて、踊り場が階段の中間にあり、そこで向きを変えて登るようになっていますが、踊り場は、道路から見て、左右の中央部の中2階あたりの高さにありますが、その踊り場に、↑ のような小窓にいくつもに分かれた窓がありました。 階段ですから、そこで読書をすることはなく、歩くことができる明るさがあれば良く、特別明るい必要はない。 小窓を開けて風を入れることはあっても、全開までする必要はない。又、その部分から出入りする予定もない。 そういう場所に向いているものでした。 そういう場所に設けると、外から見て、「けっこうおしゃれ」なものでした。 なるほど、こういう場所につけるといい窓か・・と思いました。
それに対して、向かない場所というのもあります。 戸建住宅の居室においては、もしも、南東・南西など、2方向が外に面した部屋で、南側には引違いの掃き出し窓を大きく取り、別の側で道路に面した道路からよく見える場所に、おしゃれな感じで、こういった小窓がいっぱいある窓を設けるのなら悪くないと思います。 しかし、道路から見えないような場所に小窓ばっかりに分かれた窓というのは、機能的ではないし、向きません。 その部屋が南東・南西の2方向が外気に面するのなら、2方向とも大きく開く窓にした方が風が通り抜けるのですが、片方は、開閉面積が少々狭くなってもいいから、外から見て「おしゃれ~ぇ!」て感じがするのがいい♪ という場合は、設けてもいいと思います。
しかし、東西方向に何部屋も取ることができる、比較的面積が広い家において、東西方向の中央部の部屋、南側にしか窓がなく、東側・西側は内壁か別の部屋という場合ですと、そういう部屋の南側に、↑ のような「小窓ばっかりに分かれた窓」を取り、その部屋はそれしか窓がないとなると、その部屋は、せっかく南に面した部屋なのに、暗い! うっとおしい! 結論として、刑務所か「精神病院」みたいな部屋になります。いわば、「座敷牢」です、「座敷牢」。
そんなおかしな部屋、作るバカないだろう・・・なんて思うと、あるのです。1999年、(株)一条工務店において、栃木県佐野市の南部で建てられた某様邸がそれだったのです。 うわっ・・・、こんなアホなこと、普通、やらんだろう・・ということがされていた。 そのお宅は、比較的、予算を出せる方の方だったようで、又、敷地もその地域の方として広い方だったようですが、それだけに、東西方向に長い家を建てることができた。東西方向に長い家ということは、南に面した部屋を多く取ることができる家ということですが、東西方向に長い家では、中間において、南側のみが外に面した部屋というのが出てくるわけで、もしも、↑ のような小窓いくつもに分かれたような窓を設けるのなら、南東か南西か、2方向に窓が取れる部屋か、できれば、南東か南西か2方向が外に面していて、なおかつ、その部屋の東か西が長くて、窓が東か西に2つ取ることができるという部屋で、その片方だけを ↑ のような小窓いくつもに分かれた窓にすれば、その部分は外から見て「けっこう、おしゃれ~♪」になる可能性が考えられます。 それに対して、南のみに窓がある東西方向で中央部の部屋で、↑ のような小窓いくつもに分かれた窓を作り、それしか、その部屋には窓がない! ・・という部屋にしてしまうと、わざわざ、カネのかかる窓にして、「暗い!」「うっとおしい!」「閉鎖的!」「まるで、刑務所か『精神病院』みたい!」という部屋になるのですが、それをやっていた。バッカじゃなかろかルンバ♪ という感じでしたが、営業担当者は、栃木県の所長の五十嵐さんの「お気に入り」の上岡くん(男。当時、40代前半)でしたが、彼が営業担当のお客さんはかわいそうだなあ・・と思ったものでした。
小堀住研(株)の新卒社員研修でも、(株)一条工務店の中途入社社員の新入社員研修の時にも、「先輩営業の担当の入居者の所に連れて行ってもらうとわかると思いますが、面白いことに、営業担当ごとに契約客は似ているんです」と言われました。 そういうことはあると思いますが、(株)一条工務店で10年超、仕事をして思ったのは、もうひとつ、営業担当ごとに、入居者の家が似ている・・という点です。 設計担当ごとに似ているのではなく、営業担当ごとに似ているのです。 設計担当者ごとによる違いというのもあるかもしれませんが、それよりも、営業担当者ごとによる違いというものの方が顕著にある。 そして、この人に営業担当されたお客さんはかわいそうだなあ~あ・・・と思う営業担当者がいる。栃木県佐野市の営業所にいた上岡くんはそれだったのです。 なんで、こういうことをするかなあ~あ・・・と思いました。
まず、彼は勤務態度・仕事に対する姿勢が良くない。私が佐野市の展示場に移った時、彼は「前年契約棟数0棟」だった・・にもかかわらず、「前年契約棟数0棟」の男が、広くもない佐野展示場の事務所にゴルフバッグを置いていた。又、週休である水曜日に、自宅から嫁が電話してきて、「うちのはおりますでしょうか」と言うが、「きょうは上岡さんはお休みのはずですが」と言うと、「あら。おかしいですね。仕事だと言って出ましたけど」と言うので、「それなら、お客様のお宅に直行されたのかもしれませんね。私は朝9時30分頃から展示場におりますが、きょうはお会いしていませんので、お客様のお宅に直行されたのかもしれません」と話したのだが、翌日になると、朝、遅刻してきて、自分の倍も在籍している先輩社員に、背後から蹴りかかって、「この野郎! 会社に来てないなぞ、言いやがってからに、おかげで、出社してないのが嫁にばれたじゃねえか。どうしてくれるんだ、この野郎!」などと言って殴りかかってくる。 何を怒ってるのかと思うと、どうも、彼は、嫁には休日出勤だと言って家を出て、実際にはスナックのホステスと一緒に旅行に行ったらしい。それを嫁は知らないものだから、何の用事でかわからないが、会社に電話をしてきた。私は「お客様のお宅に直行されたのかもしれません」と言ったし、嫁には休日出勤だと言って家を出たが会社には出勤していないということは、お客様宅に直行したということか・・と私は考えたのだが、嫁はそうは考えなかったらしい。嫁の方が彼の「人間性」をよく知っていたようだ。嫁には彼はお客様宅に直行したということではないとわかるらしい! それで、翌日、遅刻してきて、自分の倍ほど在籍している先輩社員がすでに勤務についている者に、背後から蹴りかかり、つかみかかりしたのでした。そういう男が、栃木県地域の所長だった五十嵐さんの「好みのタイプ」の従業員だったのです。五十嵐さんて、「浜松流」とは違って、自分自身も非浜松地域の栃木県で努力して営業の仕事をしてきた人だけあって、「浜松流」の所長よりずっとまともな人かと思っていたら、なんか、そのあたりを見ると、実際問題として「高卒の所長だけあって、アホやんけ!」・・て感じでした。違うと言うのならどこが違うのか説明してもらいたいものだ。すでに仕事についている最中に、遅刻してきた者から背後から蹴りかかられたり、つかみかかられたりして何度も怪我させられた者に、謝罪もない所長、「保護義務違反の(株)一条工務店」の保護義務違反の所長がえらそうな口きくな!!!
やっぱり、そういう仕事に対しての真面目さに欠ける従業員というのは、まず、住宅・建築について学ばないので、どういう場所にそれが向いているのか向いていないのか、といったことを、私が ↑ に指摘したようなことを自分が担当のお客様に説明する能力がない。 それなら、プランを決めるのは営業だけが担当するものではなく、設計と営業が担当するものなのだから、設計担当がきっちりと対処すればいいのではないのか・・・と思う人もあるかもしれないが、彼は「爆発力がある」人間で少しでも何か気に入らないと「暴れる」ので、設計担当も彼に逆らえない、逆らわない。だから、「この人に営業担当されると、担当された契約客はかわいそうだなあ」という家ができる。
又、上岡くんは前職がクルマ屋らしく、前職クルマ屋という人には、住宅・建築について学ぶ意欲が乏しい人が多いが上岡くんにもそういうところがある。営業本部長の天野隆夫は「営業は頭のない人間がええんや、頭のない人間が。営業は学校でてない勉強なんてせんようなやつが向いてるんや、営業には」と言っていたのだが、上岡くんも「『自分の名前を書くことができれば合格』と言われる私立高校のスポーツ入学」だそうで、まあ、そういう人は、仕事についても、「スポーツマン」だけあって体力系なので先輩社員に背後から蹴りかかったり殴りかかったりということはしても、住宅・建築について学習するかというと、まあ、せんわなあ・・・。(株)一条工務店の営業本部長は「そういう人間がええんや、そういうのんが。そういう人間がお客さんに喜ばれるんや、そういう人間が」とかいう考え方だそうだが・・・、そういう人が営業担当すると、「この人に担当されたお客さんはかわいそうだなあ」という家ができる。
上岡くんの場合、もうひとつ、「人間性の問題もある」と思うのだ。丸亀製麺では、ネギと天かすは取り放題にしているが、だからといって、ネギと天かすばっかり山盛りにしてうどんを食べるとおいしいというものでもないはずなのだ。 ネギとか天かすというのは、薬味であり、ほどほどに入れて食べるのがおいしいはずで、「取り放題」となると、人間の気持ちとして、少々多めに入れたくなるものだが、「少々多め」くらいならいいが、時々、ネギと天かすばっかり山盛りにしている人を見かけるのだが、「それ、かえって、おいしくないのじゃないか」と思ったりするのだが、そういう人がいる。上岡くんが営業担当の家というのは、それに似ている。
そのお宅が建てられた時、(株)一条工務店では、「洋風」の「セゾン」、和風の「百年」を、それぞれ、いくつかのグレードに分けて、このグレードのものなら、これを何か所まで取り付けることができます・・というようにしていたのだ。そうすると、何か所まで取り付けることができる・・となっておれば、「付けなきゃ損」みたいに思う人も出てくる。しかし、付けても付けなくても値段は一緒であれば、「どちらかといえば」付けることにしようというくらいならばわかるのですが、それを付けることでかえって使いにくくなるという場合にまで付けたくなる人も出てくる。 そういう場合に、営業担当者は「余計な物をつけてかえって使いにくくなったり、かえって格好悪くなったりする場合もあります。差額なしでつけられるからといって、付けない方がいいようなものを無理してつけるというのは、むしろ、良くないと思います」ということをお施主様に言うべきで、私は言っていましたし、私が担当したお客様は説明すると、「そうだね」と理解されました。ところが、「ネギと天かすは取り放題」となると、うどん よりもネギと天かすの方が多いのと違うんかい・・てくらい、ネギと天かすを山盛りに取る人というのがいるように、そんな感じの家を造る人がいるのです。上岡くんが担当した佐野市の某さんのお宅というのがそれだった。まるで、「『ネギと天かす山盛りうどん』みたいなもので、そんなことしたら、かえっておいしくないのではないのか・・という感じの家」だった。
(株)一条工務店でも、「営業担当ごとに契約客は似ている」と従業員の間で言われていて、その理由は「朱に交われば赤くなる」「営業がお客様を◇◇にしている」とも言われ、そして、「類は友を呼ぶ」とも言われていたのです。そのお客様の場合、そのどれであったのかはわかりませんが、自分が勤めている会社が建てる家で、あんな無茶苦茶な家を建てているというのは、どうも、うれしくありませんでした。最近は「大学」というものの数が多くなり、「大卒」の数も多くなったのですが、実は栃木県地域の所長の五十嵐さんは、大学新卒の従業員から「頭、悪いなあ~あ」とバカにされているところがあったのです。私が馬鹿にしていたのではありませんよ。私は、むしろ、五十嵐さんは、そんなに悪い人ではないように思っていたし、(株)一条工務店の営業についての考え方は私と五十嵐さんとは共通しているものが多いと感じていたし、非浜松地域で仕事をしてきた人だけあって「浜松流はここには合わない」と考えている所長だったし、福島県中通り地区の所長で「大澄社長の腰巾着」と従業員の間で言われていた片山が五十嵐さんのことを「天野部長の腰巾着」と言っていたが、私は五十嵐さんはそんなに「腰巾着」というような感じの人ではないと思っていたし「腰巾着」と言われるべき人間は五十嵐さんより他にいると思っていたし、(株)一条工務店の所長の中では真ん中より上の所長ではないかと思っていたのですが〔といっても、「(株)一条工務店の所長の中では真ん中より上」なんていうのは、「う〇こ の中では比較的臭くない方の う〇こ」と言っているようなもので、あんまりほめていることにならないけれども〕、上岡くんみたいな程度の低い営業、特に、勤務態度の良くない従業員・仕事に対する姿勢が良くない従業員を「お気に入り」にするなどというあたりは、「やっぱり、高卒の所長だけあって、あんまり賢くねえなあ」という印象を受けます。
その場所に、「ハンドルでくりくりまわして開閉する小窓だらけの窓」をとりつけることに「理由」があるのか、むしろ、そういうものをその場所にはつけない方がいい「理由」があるのに、その「ハンドルでくりくりまわして開閉する小窓だらけの窓」という本来なら差額をプラスしないといけないものを、差額なしで付けられることになっているから、その場所にはつけない方がいいという「理由」があるのにつけているのか? 上岡くんの場合は、後者をやるのです。そのあたりに彼の「人間性」が出ています・・・が、それは、その場所にそれを付けるのがふさわしいのかどうか、という視点、「理由のないことをするな!」という点から見て、正反対のことをやっていたわけです。
その頃、(株)一条工務店では、某様邸が建てられた「グレード」では、マトア(マトアのことを「ソロモンマホガニー」などとカリモク家具が言い、それを(株)一条工務店が真似て「ソロモンマホガニー」などと言っていたが、マトアとマホガニーは別物で、生物学上の種も違う。「ソロモンマホガニー」などと言うとソロモン諸島産のマホガニーかと思いそうだがそうではなく、マトアはマトアであってマホガニーでないのに、マホガニーではない木を「ソロモンマホガニー」などと言うのは、あまりいいとは思わない。『美味しんぼ(おいしんぼ)』でヒラタケをシメジと言って売っていることについて登場人物が「ヒラタケはヒラタケでおいしいのに、ヒラタケをシメジなんて言わないで、ヒラタケはヒラタケとして売るべきだ」と発言する場面があったが、同様に、マトアは何も悪い木ではないのだから、マトアはマトアと言った方がいいと思う)のムクの腰板を、何メートルまで差額なしでつけられるというものもあったが、これもまた、「ナチュラル色」と呼んでいた黄土色に近い明るい色合いのものを使う場合ならまだいいが、こげ茶の腰板を使用する場合には、あまり長い距離にこの腰板を貼ると、高級品を貼ったからよくなるというものでもなく、かえって部屋が暗くなってしまうので、こげ茶のものの場合にはあまり長い距離は貼らない方がいいのだが、ところが、某様邸では、それもやっていたのだ。せっかく、広い敷地があって、予算もある程度以上だせる人だったのに、なんで、あんな家にしてしまうかなあ~あ・・・と思う家になっていた。
静岡県掛川市原里 の加茂家住宅の家族と小作人の出入口の左側の桟は、その場所にふさわしいものはどういうものかという視点で見て「理由のあること」をやっていた、ロンドンのフロイト記念館(旧 シグモンド=フロイト邸)では、小窓だらけの窓を階段の中間の踊り場の位置に設けることで、「適材適所」の配置をして、「理由のあること」をやっていたのに対して、「花の舞」八重洲店では、横桟をつけたのでは埃がたまって不衛生になるのは目に見えているのに「デザイナー」がそれをやるという「理由のないこと」をやり、(株)一条工務店では、栃木県佐野市の某様邸で、そんなもん、南側だけが外に面した部屋でつけてどないすんねん・・と思うことを、「理由のないこと」をやったのだった。 野村のじいさんは「わしぁ、貧乏やからな」とか言いながら、実際には田園調布の住人でヴェルサーチの腕輪はめてヴェルサーチの服きていたようなじいさんで、そんなじいさんが書いた本を貧乏人が何冊も買って読んで印税をじいさんにくれてやったのは、なんか、してやられたような気がしないでもなかったが、「理由のないことをするな」、「あの場面で、カーブを要求したのは、どういう根拠だったのか」「あの時、ストレートを投げさせて打たれたが、なぜ打たれたと考えるか」「あの一球の根拠は」と常に考えるという姿勢は、建築においても必要なことであり、野村じいさんはその点でもっともなことを言っていると思う。
↑ は、北側の明治になってから増築された部分の南側、中庭に面した廊下の中庭側。 悪くはないが、少々、弱弱しくて心もとないような感じがしないでもない。
※ 加茂花鳥園HP http://kamoltd.co.jp/
加茂花鳥園HP 庄屋屋敷加茂荘 http://kamoltd.co.jp/shisetsu/kamoso
( ↑ マーカーが、加茂花鳥園。 )
(2020.7.11.)
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。〔今回〕
壁 (ワニ文庫) - 野村 克也
プロ野球 勝てる監督・使える選手―ゼニを稼げる男と稼げない男の頭と体の使い方 - 江本 孟紀
レビットのマーケティング思考法―本質・戦略・実践 - セオドア レビット, Levitt,Theodore, 坤, 土岐, DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部
精神医療と人権〈1〉日本収容所列島 (1984年) - 戸塚 悦朗, 広田 伊蘇夫
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