「木の神」公智神社(西宮市山口町)参拝【2/2】社殿、室町期の建物らしい神輿殿(旧釈迦堂)、竹籠業者守護・塩津神社、境内摂社末社。神社はそこで時間を過ごしてこそ。森林が少なくなってしまった公智神社の周辺。「子供」帝国主義女とその擁護者は反社会的勢力。「子供」を大義名分にする我儘女は子供の為にならない。

[第781回]
  「木の神さま」「ククノチのかみ」を祀る公智神社(クチじんじゃ、コウチじんじゃ)参拝の2回目です。

西側が高く、東に南北に流れる小川があって、さらに東に有間川というもう少し大きな川が南北に流れているという地形の場所で、東から鳥居をくぐって入るようになっています。
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↑ 公智神社の正面の東西の通りを「宮前通り」と言うようです。
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↑ 公智神社のすぐ東の小川の名前と橋 ↑ の名前を「記憶」してきたのですが忘れてしまった。「記録」してくるべきでした。
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↑ 左の縦書きには「旧県社 式内社 公智神社」と書かれ、右の石碑には「懸社 公智神社」と掘られています。
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↑ が拝殿で、《昭和49年(1974年)に改築され》たものらしい。 「木の神さま」の社殿ですが、鉄骨造か? と思われる建物です。

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↑ 左が拝殿、中が幣殿で《昭和49年(1974年)に改築され》たもの。右は本殿なのか? 
本殿は《文政年間(1818~1830年)に再建されたもの》ということですが・・・。
「文政」というとどういう時期かというと、文化・文政の年号の時代に「化政文化」というものが起こった時代の後半、「文政の改革」が行われた時代。「文政の改革」とは、
「コトバンク 文政の改革 大辞林第三版の解説」https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E6%94%BF%E3%81%AE%E6%94%B9%E9%9D%A9-377542 によると、
《1827年(文政10)から29年にかけて関東の農村を対象として幕府が行なった改革。小農の没落による無宿人・渡世人の横行に対し、取り締まりを強化するとともに、数か村をたばねて組合村をつくり、村落支配の動揺をくいとめようとした。》
「文政」の前後、どういうことがあったかというと、
1787年~1793年 寛政の改革
1789年「火縄く(1789)すぶるバスチーユ」
      フランス革命
1811年 佐久間象山 生まれる。
1804年~1829年 化政文化・・文化・文政時代の江戸中心の町人文化。
1818年~ 文政
1822年 上杉鷹山 没。
1827年~1829年 文政の改革
~1830年 文政
1830年 吉田松陰 生まれる。
1831年 孝明天皇 生まれる。
      十返舎一九 没。
1833年~1836年 天保の大飢饉
1840年~「人は死を(1840)かけ抵抗す」
      アヘン戦争
1841年~1843年 天保の改革
1848年「一番弱い(1848)いぞ、団結せよ」
     『共産党宣言』
1858年「嫌でごわす(1858)とムラビヨフ」
      愛琿(アイグン)条約
1868年 大政奉還・明治維新
  大政奉還・明治維新の40年ほど前、江戸時代の後半の後半頃の建物、外国の事件ですとフランス革命の20年ほど後の時代の建物・・・ということですが・・・、
↑ のものを見ても、そんな感じはしません。 な~んでか?・・・というと、見えるのは「覆殿」《拝殿・覆殿・社務所は昭和49年(1974年)に改築され》たという、その「覆殿」で、江戸時代の後半の後半、十返舎一九が『東海道中膝栗毛』とか書いていたような時代に建てられたものは、その「覆殿」の中にある、ということで、外から見える建物は1974年、野村克也のじいさんが、前後期制のパリーグで前期優勝して、後期優勝の阪急をプレーオフで3勝2敗で破ってリーグ優勝した1973年の翌年、巨人のV9が1973年で途切れてセリーグでは中日が優勝したが、日本シリーズではパリーグ優勝のロッテ、「走れ、走れ」の金田野球のロッテが日本シリーズを制した1974年に建てられた「覆殿」らしい。
  「覆殿」「覆屋」としてこれまで私が見たものでは、
(1) 千葉市花見川区幕張町の子守(こまもり)神社の本殿の覆屋〔⇒[第413回]《子守神社(こまもりじんじゃ)と摂社 天神社(千葉市花見川区) 参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html 〕は、屋根は普通の屋根ですが、壁はガラスなのかアクリルなのか、透明のもので、外から本殿が見えるようになっていました。
(2) 栃木県佐野市の春日丘山惣宗寺(いわゆる「佐野厄除け大師」)の境内には、佐野東照宮があり、これは、かつて、徳川家康の遺骸を駿河の久能山から日光に移す際に佐野で一泊したということから設けられたものらしいのですが、覆屋がありましたが、たしか、屋根と柱だけで、側面は見えました。 
(3) 今では静岡県浜松市に属するようになった、浜松市北区の 深奥山方広寺 にある七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野が祀られる)には、「前屋」があって前屋の後ろに「覆屋」があり、覆屋の屋根の下に本体の重要文化財に指定されているらしい七尊堂の建物があったが、前屋の中に入ることができて、そこから本体の七尊堂の建物は見えました。〔⇒[第557回]《深奥山方広寺(浜松市)と信教の自由侵害【13】七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html 〕
(1)~(3) の覆屋・覆殿は、その中の本体の建物を、ある程度以上、外から見えたのですが、公智神社の本殿は、覆殿だけが見えて、本殿そのものは見えない。 「建築探偵団」としては、もうちょっと、なんとかならなかったのか・・という気持になります。
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↑ 拝殿の左手前側(南側)から見たもの。
右が拝殿、左奥に本殿の覆殿があり、その間に幣殿があるのですがこの写真では見えないですね。

  公智神社の「御本社」の右側には摂社がいくつも配置されており、左側には社務所が建ち、社務所の左に「石庭」があります。 公智神社内の建物では、「旧神輿殿」が室町時代の建立と推測されているらしく、西宮市指定文化財となっているらしいのですが、神社というものは宗教施設ですから、社殿よりも「旧神輿殿」を優先して考えるべきではないと思われることと、神社は「全体の雰囲気を味わう」ということが第一で、「・・指定文化財」とされているものだけで見るべきではないと思いますので、「旧神輿殿」に真っ先に行くということはしません。

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  ↑ 「御本社」の右隣(北側)、左が 八幡神社、その右奥が 禊稲荷 です。
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  ↑  左が禊稲荷。 その右は「禊所」のようです。
その手前に、
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  ↑ (左)金刀比羅神社、(中)皇太神社、(右)恵比須神社
 左の金刀比羅はコンピラさん、「コンピラふねふね♪」のコンピラさんですね。元A級戦犯の笹川良一さんがわざとらしくお母さんをおぶってみせて、「わしぁこんなに親孝行やねんぞお。わしはこんなに親孝行な人間でえらいんやぞ。おまえらも親孝行せえよお、親孝行やがな、親孝行せんとばちあたるぞ、わしみたいに親孝行せんとお」とパフォーマンスやったとかいう香川県の琴平町の金刀比羅宮。ダシに使われたお母さんはいい迷惑でしょうね。
  『全国 凄い! ご利益神社150選』(2017.6.1.ダイアプレス DIA Collection )には、
《 (金刀比羅宮〔香川県仲多度津郡琴平町〕の)御祭神の大物主神は、蛇に変身したという伝承がある水や海の神です。そのため、ガンジス川に住むワニを神格化した仏教の守護神で、蛇のような長い尻尾を持つ「クンピーラ」と同一視されました。これが転訛し、「こんぴら」となったという説があります。・・》
と出ています。
  右の恵比須は「えべっさん」、「商売繁盛で笹もってこ~い」の神さん。毎年、ちっとも優勝しない阪神タイガースでも甲子園球場にお客さんを呼び込んでくださる阪神タイガースの球団経営者にとっては大変ありがたい神さん。
 真ん中の 皇太神社とは何なんだ・・というと、
《Weblio辞書 神明神社》https://www.weblio.jp/content/%E7%9A%87%E5%A4%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE には、
《 神明神社(しんめいじんじゃ)は、天照大御神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社である。神明社(しんめいしゃ)、神明宮(しんめいぐう)、皇大神社(こうたいじんじゃ)、天祖神社(てんそじんじゃ)などともいい、通称として「お伊勢さん」と呼ばれることが多い。》と出ている。
要するに、「伊勢の内宮」、アマテラスさんですが、「皇太神社」という表現ですと、「皇室」の「皇」の字が入っているところから、イメージとして、天皇崇拝につながる要素が強そうなイメージを受けます。

  禊所の右(北)に、
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塩津神社
塩津神社とは、何の神さんなんだ? ・・・というと、現地の説明書きには《 滋賀県伊香郡塩津町に鎮座す・・ 》と書かれている。伊香郡塩津町・・というと、JR北陸本線と湖西線が合わさる所、琵琶湖の北東側で、インターネットで検索すると、なんと、今は塩津まで長浜市に含まれるようになってしまったらしい。「しまった」なんて言うと否定的な表現だが、私の感覚では、木之本あたりまでならともかく、いいか悪いかの問題じゃなくて、塩津は塩津であって長浜じゃない・・て感覚なのだが、なんだか、「平成の大合併」で、「ええ~え! そんな所まで◇◇市になったのお~お???」という合併が全国にいっぱいあって、なんかもう、「なんでもあり」みたいな印象。合併して広い市になることでのメリットもあるのかもしれませんが、地名を言ってどのあたりかと思い浮かぶものとしては、「ええ~え?」て感じがする市が全国にいっぱいできました。
  その近江塩津の塩津神社から勧請したのが公智神社の摂社の塩津神社らしい。

( ↑ 滋賀県長浜市西浅井町塩津浜 の 塩津神社。)
※ 《ウィキペディアー鹽津神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BD%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE
滋賀県神社庁 塩津神社 http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=1289
  滋賀県長浜市西浅井町塩津浜の塩津神社の祭神は、塩椎翁 らしいが、塩椎翁というと、『古事記』では、海幸彦と山幸彦の兄弟が、互いに、普段と逆のことを一度やってみようとした時、山幸彦が海幸彦から借りた釣針を魚に持ち去られて、海幸彦からそれを返せと求められても返すことができずに途方に暮れていた時に、山幸彦を助けたおじいさんだった。
《 ここにその弟〔火遠理命 ほおりのみこと、山幸彦〕、泣き患(うれ)ひて海辺に居ましし時に、塩椎(しほつちの)神来て、問ひて曰ひしく、「何(いか)にぞ虚空津日高(そらつひこ)の泣き患ひたまふ所由(ゆゑ)は。」といへば、答えて言(の)りたまひしく、「我と兄と鉤を易へて、その鉤を失ひつ。ここにその鉤を乞ふ故に、多くの鉤を償へども受けずて、『なほその本(もと)の鉤を得む。』と云ひき。故、泣き患ふぞ。」とのりたまひき。》
( 『古事記』倉田憲司校注 1963.1.16.岩波文庫。 )
と、困った山幸彦の所にやってくる爺さん。
《 塩椎神・・・潮路を掌る神の意であろう。書紀には塩土老翁とある。》
( 『古事記』〔倉田憲司校注 1963.1.16.岩波文庫。〕の倉田憲司の注。 )
  そして、
《 ここに塩椎の神、「我(あれ)、汝(いまし)命(みこと)の為に善き議をなさむ。」と云ひて、すなはち无間勝間(まなしかつま)の小舟(をぶね)を造り、その船に載せて、教へて曰ひしく、「我(あれ)その船を押し流さば、差暫(ややしま)し往(い)でませ。味(うま)し御路(みち)あらむ。すなはちその道に乗りて往でまさば、魚鱗(いろこ)の如(ごと)造れる宮室(みや)、それ綿津見(わたつみの)神の宮ぞ。その神の御門(みかど)に到りましなば、傍(かたへ)の井(い)の上(へ)に湯津香木(ゆつかつら)あらむ。故、その木の上に坐さば、その海(わたの)神の女(むすめ)、見て相識(あいはか)らむぞ。」といひき。・・・ 》
( 『古事記』倉田憲司校注 1963.1.16.岩波文庫。 )
《 无間勝間(まなしかつま)・・・目が堅くつまった竹籠の小舟。書紀には無目籠とある。今もヴェトナムでは細い竹で編んだお椀型の小舟が用いられている。》
《 味(うま)し御路(みち)・・・よい潮路。書紀には可怜小汀(ウマシオバマ)とある。》
( 『古事記』〔倉田憲司校注 1963.1.16.岩波文庫。〕の倉田憲司の注。 )
  塩椎神は、山幸彦のために、目がつまった竹籠の小舟を造った神さんというところから、竹籠の神さまということになったらしい。
  戸部民夫『日本の神様がわかる本』(2005.1.5. PHP研究所)によると、塩椎神は、宮城県塩釜市の鹽竈神社などでも祀られているようで、漁業・海上安全・製塩業などの神徳があるとされるらしい。
※ 《ウィキペディアー鹽竈神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BD%E7%AB%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE
鹽竈神社 HP http://www.shiogamajinja.jp/

  『これだけは知っておきたい神社入門』(2007.7.27.洋泉社MOOK)には、
《 鹽竈(しおがま)神社(宮城県塩竃市)の祭神、塩椎神(しおつちのかみ)(塩土老翁 しおつちのおじ)は海幸彦・山幸彦の神話の中に登場する。
  山幸は邇邇芸命(ににぎのみこと)の御子で、神武天皇の祖父にあたる人物(神)である。兄の海幸が海での漁に才能があったのに対し、山での猟に才能をもっていたが、ある日、兄に互いの道具を換えてみようと言った。ところが、どちらも獲物は捕れず、山幸は兄の釣針さえなくしてしまった。元の釣針を返せと海幸に迫られ、山幸が海岸で悄然としているところに現れたのが塩椎神である。塩椎神は山幸に海神(わたつみ)の宮へ行って、海神の娘に相談するといいことを教え、行き方まで伝授した。
  『日本書紀』では、高天原から降臨してきた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)(邇邇芸命)によい土地があることを教えたといい、また、即位前の神武天皇にも東方に都するにふさわしい場所があることを教えたとも記している。こうした神話から、塩椎神は導きの神の性格をもっていたことが知られる。》
とある。 さらに、
《 鹽竈神社の所伝によると、この神は土地の人びとに製塩を教えたのだとされる。すなわち、産業型の開拓神ということができよう。》とある。宮城県塩釜市の鹽竈神社の場合は、塩椎神はその名前から製塩業の神になったようだが、滋賀県の近江塩津の塩津神社の場合は、湖の近くであっても海の近くではないので、製塩とは関係はなさそうだ。 近江塩津(おうみ しおづ)という地名と塩椎神(しおつちのかみ)の名前が近いことから、「塩椎神(しおつちのかみ)」が「塩津の地の神」として、その地域の神社の神さんに認定されたのか・・・。

  塩椎神が、山幸彦のために、竹籠の小舟を造ったという話が『古事記』にあるところから、竹籠の神さまとして祀られているとして、なぜ、ここに竹籠の神さまがおられるのか・・・。
  「さくらやまなみバスで行く やすらぎの奥西宮・山口町ぶらあるき」に、公智神社の北側に光明寺という浄土宗の寺があり、その前(東)の小川にかかる橋の名前が駅前橋と言い、「駅前橋」という名前は、かつて、三田駅から有馬温泉まで走っていた有馬線の「有馬口」駅がそのあたりにあった名残りだという話が載っているのですが、そこに、
《 有馬口駅は、かつてJR三田駅から有馬温泉までを結んでいた鉄道の駅で、1943年に廃止されましたが穀類や特産の竹籠、寒天を運ぶのに役立っていました。・・・》
と出ており、かつては、この付近で、竹籠が特産品として作られていたことから、竹籠業者の守護神として塩津神社が建立されたらしい。
  「さくらやまなみバスで行く やすらぎの奥西宮・山口町 ぶらあるき」には、公智神社から南東の方角に、山口町郷土資料館があり、《山口町の代表的な産業であった寒天、竹かご、和紙の技法などを紹介しています。》と出ています。
※ 西宮山口 山口町郷土資料館 https://nishinomiya-yamaguchi.jp/?p=24102

( ↑ マーカーの位置が、山口町郷土資料館。 )

  塩津神社の右(北)に「旧神輿殿」があり、その右(北)に、
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天津神社
  天津神社とは・・・、もしかして、天津丼の神さま? 
ヒガシマル醤油 ちょっとどんぶり 天津飯2P×5個
ヒガシマル醤油 ちょっとどんぶり 天津飯2P×5個
・・・なわけないわなあ・・。
  《ウィキペディアー天津神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE によると、《 「天津神社」は「天津神の社」という意味であり、いずれかの天津神を祀る神社に天津神社という社名がつけられていることが多い。よって祭神は一定ではなく、それぞれの神社も直接の関係はない。》らしい。
公智神社HP の 「ブログ 境内紹介 天津神社」http://kuchijinja.jp/post/144 には、
《 御祭神: 瀬織津比賣神・速間都比賣神・気吹戸主神・速左須良比賣神・大山咋命・市杵島姫命・底筒男命・仲筒男命・神功皇后・菅原道真・孝徳天皇他十一神(表筒男命・豊受大神・活津日子根命・熊久須毘命・多紀理比賣命・市杵嶋毘賣命・多紀都毘賣命・水速女命・津咋見命・軻遇突智命・火産霊神)》と出ていますが、なんか、無名の神さんが多いようだけれども、わかるのは、
大山咋(オオヤマクイ)・・・滋賀県大津市の日吉大社の神さん。
市杵島姫(イチキシマヒメ)・・・宗像(むなかた)三神の二番目で、弁財天と習合。箕面山瀧安寺(大阪府箕面市)や厳島神社(広島県)・江の島神社(神奈川県)などで祀られる。
底筒男(ソコツツノオ)・仲筒男(ナカツツノオ)・神功皇后・・・底筒男・仲筒男と上筒男(ウワツツノオ)の住吉三神と神宮皇后は住吉大社の神さん。なぜか、上筒男(ウワツツノオ)が抜けていると思ってよく見ると、「表筒男」が「他十一神」の中に存在している。なぜ、「表筒男」が底筒男・仲筒男より軽く扱われているのかは不明。
菅原道真・・・ご存じ、冤罪を晴らす神様・怨念を晴らす神さまの横綱。
孝徳天皇・・・中大兄による蘇我入鹿謀殺事件(乙巳の変)の後に、皇極天皇が譲位の後に即位した皇極天皇の弟。 有馬温泉を訪ね、公智神社の東のあたりで宿泊したというお話があるらしい。
豊受大神・・・伊勢神宮外宮の神にして、食事係の神さん。
多紀理売(タギリヒメ)・・・宗像三神の一番目。実際問題として二番目のイチキシマヒメに比べると存在感が薄い。
多紀都毘売(タキツヒメ)・・・宗像三神の三番目。二番目のイチキシマヒメに比べると存在感が薄い。
津咋見命(ツクイミのみこと)・・・《ウィキペディア―忌部神社 (吉野川市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%90%89%E9%87%8E%E5%B7%9D%E5%B8%82) に、《『古語拾遺』天照大神の天岩窟幽居の段に、天日鷲(アマヒワシ)命とともに穀(かじ)の木を植えて木綿 (ゆう)を作ったことが見えるが、天日鷲命の子神で大麻比古神社の祭神「大麻比古神」の別名とする伝えもある》と出ており、徳島県吉野川市の忌部神社の祭神8柱のうちの1柱らしい。星野之伸『宗像教授伝奇考』という漫画に忌部さんという登場人物が出てくるが、忌部さんの祖先と関係あるのか・・?
火産霊神・・・ホノカグツチノ神。伊邪那岐と伊邪那美が神を創出した際、火の神を産んだ伊邪那美の陰部を焼いて伊邪那美を死に至らしめた神。
水速女(ミズハノメ)・・・《ウィキペディア―ミズハノメ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%85%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%83%A1 によると、《日本における代表的な水の神(水神)》らしい。
瀬織津比賣神・速間都比賣神・気吹戸主神・速左須良比賣神・活津日子根命・熊久須毘命・軻遇突智命・・・この7神は、ようわからん。 少なくとも、天津丼の神さんではないだろう。なぜか、イチキシマヒメは、イチキシマヒメとしてと「他十一神」の中とで重複している。

  さて、塩津神社と天津神社の間の前あたりにあるのが、「旧神輿殿」です。↓
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↑ 「西宮市指定文化財」に指定されているだけあって、公智神社の境内の建物の中では、最も建築としてのオーラを感じます。 「昭和49年(1974年)3月20日 市指定」らしい。
  《 社蔵の古図をみると、本殿を中心にして向かって右に釈迦堂、左に観音堂を配し、それぞれ東面して建っている。 釈迦堂が神輿殿と呼ばれるようになったのは明治以降のことである。》
と現地の西宮市教育委員会による説明書き、に書かれている。 観音堂は見当たらないが、本殿の右にあった「釈迦堂」が、明治維新の後の神仏分離令の際に「神輿殿」と変わったのではないか。
  《 建立年代は明らかでないが、室町末期であろう。》と書かれているが、たしかに、最近の建物感がする拝殿とは違って、「年季もの」という印象を受ける。
  《 桁行三間、梁間二間方形の堂で、柱間は横板羽目、正面中央間に両引戸、南側面前の間に片引戸を建つ。》と書かれています。↑ の写真を見ると、たしかに、正面(東面)の中央に両引戸があります。左側側面(南面)はというと ↓
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↑ 「南側面」の「前の間」に《片引戸を建つ》と書かれているように、南側面の手前側に片引戸があります。 北側側面も見ましたが、北側側面には片引戸はありません。
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  ↑ 《 面取方柱(1:10)、舟肘木(下端面取)など、時代の特色をよく示している。》と書かれていますが、↑ の写真を拡大してよく見ますと、たしかに、舟肘木の下端に面取りがあるのが見えます。
  《 また化粧隅木が真束にほぞ差納めとなっているのは、屋根がはじめ、宝形造であったことを物語っている。》
「真束(しんづか)」とは、
《 小屋組みの真ん中の束。杵束(きねづか)。》
《 小屋組みの真ん中で、棟木を支える柱のこと。束立て構造(和小屋)、トラス構造(洋小屋)のどちらの場合でも、この部分に位置する材は、この呼び名となる。トラスの場合には、棟木のほか登り梁、方杖を受け、陸梁を吊るもので、引っ張り力を受ける。また、束立て構造の場合には、棟木のみを受けるため棟束とも呼ばれる。》
( 「Weblio辞書 真束」https://www.weblio.jp/content/%E7%9C%9F%E6%9D%9F#:~:text=%E3%81%97%E3%82%93%20%E3%81%A5%E3%81%8B%20%EF%BC%BB0%EF%BC%BD%20%E3%80%90%E7%9C%9F,%E6%9D%B5%E6%9D%9F%EF%BC%88%E3%81%8D%E3%81%AD%E3%81%A5%E3%81%8B%EF%BC%89%E3%80%82 )
「隅木」とは、
《  寄せ棟や入母屋屋根が45度に取り合うとき、そこに入れる部材のこと。》
( 「タクミホームズ 建築用語集 隅木(すみぎ)」http://www.kenchikuyogo.com/213-su/019-sumigi.htm )

  「御本社」の左側に社務所があり、その左側(南側)に、「石庭」があります。↓
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   ここは、神社らしいなあ・・・と思ったのは、それとともに、また、来たいなあと思ったのは、社殿がどうということよりも、
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↑ ベンチがある。・・・それがどうした、と思う人もあるかもしれませんが、やっぱり、神社というものは「拝殿の前で、賽銭入れて二礼二拍手一礼したら、さっさと帰ってちょうだい」もしくは「拝殿の前で賽銭いれたら、帰りに授与所で何か買って、それすんだらさっさと帰ってちょうだい。それが正しい参拝です」というような、そういう姿勢のものではないと思うのです。神社というものは、そこで、しばらく時間を過ごし、そこで、「神さま」とともに人生・生活を考える時間を持って帰途につくものだと思うのです。
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↑ トイレがある。・・・それがどうした、と思う人もあるかもしれませんが、トイレがないと、小便したくなったために、さっさと帰ろう・・ということになってしまう。神社というものは、そこでしばらく時間を過ごしてこそ神社だとすると、小便したくなってもトイレを借りることができれば、そこで長く時間を過ごすことができる。
  大阪府高槻市の上宮天満宮には、かつて、1970年代後半に訪ねた際にはベンチがあったはずなのですが、最近、行くとベンチがなくなっていた。かわりにかつてはなかった授与所ができていた。又、石段を登った小山の上に社殿があるのですが、石段の下の位置に賽銭箱が設けられた。何段もある石段を登らなくても賽銭を入れられるように配慮した、ということのようですが、参拝もしていないのに賽銭だけ入れる必要ないのじゃないかと思いましたし、石段を登るのが大変だから下から拝むのなら、別にどうしても賽銭を入れないといけないというものでもないでしょう。かつてはトイレもあったと思ったのですが、なくなりました。かわりに、防犯カメラが設置されました。なぜ、防犯カメラが設置されたかというと、「不良」の中学生だか高校生だかによる賽銭泥棒のために放火されて社殿を焼失したということがあり、再建後、防犯カメラを設置したということでしたが、賽銭狙いの「不良」による放火があったので、今後はそういったことを防止するためだという事情があったのはわかりましたが、しかし、神社という所は、神さま以外の者に見張られたくはないものですね。上宮天満宮の「経営者」は神社の「正常化」を実現したつもりだったようですが、《「順路」を設けて、拝殿で賽銭入れて、摂社末社も一周まわって賽銭入れたら授与所に寄って何か買って、それがすんだらさっさと帰ってちょうだい、それが「正常化」された参拝のしかたですよお、防犯カメラがあちらこちらについて見てますよお》というのが、それが「正常化」なのか?・・・というと、違うように思うのです。そんな神社なら、別にもう行く必要ないのじゃないか、と思ったのです。別に、防犯カメラで見張られるために行くのなら、行く必要ないし、神社というのは賽銭払ってもいいけれども「賽銭払いに行く場所」、それが「正常」という理解をするべきではないと思うのです。上宮天満宮(高槻市)は30年ほどぶりに行って、なんだか、がっかりして帰ってきたのです。
  それに対して、ここは、ベンチがあり、トイレがある。ものすごいものがあるのではないのですが、そこでしばらく時間を過ごせば、小便をしたくなる場合もあるし、子供なら「そのへんでやっとき」ということもあるかもしれないが、大人の場合、男性で人が見ていなくても、神社という場所で立小便するわけにもいかないから、「だから、早く帰ろう」と考えるのではなく、そこにトイレがあれば、その場所で長く時間を過ごせると思うのです。 ベンチがあれば、そこに座って時間を過ごせますし、トイレがあれば小便をしたくなったから帰ってしまうということもない。それだけのものでも、設置されている神社と撤去されてしまった神社とでは大きな違いがあるように思います。 神社としては、トイレを設置すれば、掃除もしないといけなくなるし、水道代もかかる・・でしょうから、だから、拝観料金を求められない寺社の場合には、「施設利用料」のつもりで賽銭は必ずいくらか入れてくるか、授与所で何か購入してくるかするように私はしている。
※ [第630回]《上宮天満宮(高槻市)参拝【2/10】絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
  上宮天満宮で防犯カメラが設置されたというのは、賽銭泥棒を目的にした「不良」に放火されたということがあったからという事情があったようですが、他方で、「困った人」を排除するべきかというと、宗教施設としてそれもいかがなものかとも思うのです。『新約聖書』の「福音書」では、イエスは「なぜ、あなたは罪人や取税人と過ごすのか」と問われ、「健康な人には医者は要らない」と言い、自分は「正しい人」のために使わされたのではない、と語るが、宗教施設というのは、「この上もなくすばらしい人」で「お金をいっぱい払ってくれる人」だけ来てくださいということにしてしまったら、それは宗教施設としては自殺行為でしょう。だからといって、賽銭泥棒は認めるべきではないし、放火も困りますが、防犯カメラまで設置して、しかも、防犯カメラで見張ってますよと大きな看板まで掲げるという上宮天満宮(大阪府高槻市)の姿勢には、なんだか、悲しいなあ・・と思いました。
※ 上宮天満宮(大阪府高槻市)については、
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html

  昨年だったか、ヤフーニュースで見たと思うのですが、西日本のどこの神社だったか、60代だったかの人が賽銭泥棒をしたのを宮司さんが捕まえたという記事が載っていて、宮司さんは「もし、『すいません』と言って返されたなら、そのまま、帰っていただこうと思っていたけれども、逃げられたので追いかけて捕まえることになってしまった。悲しい結末になってしまいました。盗られる前に声をかければよかった」と話しておられる動画がでていました。良心的な人だなという印象を受けました。
  今は昔、1980年代前半ですが、東京都大田区の日本キリスト教団田園調布教会で、バザーの前日に無断で教会に入ってきて2階の和室の押入れで寝ていた人がいたそうで、それを牧師のT橋泰二さんが「いびきの音がする」と気づいて押入れを開けて見たところ、酔っぱらったおっさんが寝ていたそうで、高橋牧師さんはどうしたかというと、「抜き足、差し足、し~のび足で私は階段を降りましてね~え、そして・・、電話で110番通報を、したんですねえ~え」と得意がって話しておられたので、この人、なんか、牧師としてはちょっと違うのではないのか・・・と思ったことがありました。その酔っ払いのおっさんは何をしていたのかというと、押入れの中で寝ていたというだけですから、私はその場にいて見たわけではないけれども、別に110番通報までする必要なかったのではないのか、単に、「ちょっと、お父さん、お父さん。そんな所で寝てもらったら困りますがな」とでも言えばそれでよかった問題と違うのか・・という気がします。 又、ヨーロッパの教会、特に有名な教会は教会堂に入るのは誰でも特に断らずに入ることができます。同じように思って、田園調布教会の教会堂にそのおっさんは入ってきたのかもしれない。「へ~え、教会てこうなってんのかあ」とか思いながら、そのうち、階段があったので「2階はどうなってんだろう」と思って上がったところ、畳敷の部屋があり、多少、酒が入って眠気がしたので、押入の中で寝てしまった・・・というだけのことと違うのか・・という感じがしないでもありません。黙って押入れの中まで入られたのでは困るとしても、警察まで呼ばないといけない問題だったのかなあ・・と思いますし、何より、高橋牧師さんの話を聞いた時、「この人、牧師といっても、ヴィクトル=ユーゴ―の『レ・ミゼラブル』に出てくる司教さんとはえらい違いやなあ」・・と思ったのです。『レ・ミゼラブル』に登場する司教は、十年を超えて刑務所に入っていたというジャン=バルジャンが街にやって来て、きちんと宿泊料は払うから泊めて欲しいと宿屋で頼んでも追い出された時に、司教の家に訪ねて来た時、司教はジャン=バルジャンに「私はあなたの名前も知っています。あなたの名前は『私の兄弟』という名前です」と話して泊めて、しかも、宿泊させてもらった男が司教が持っていた銀の食器を盗んで逃げても、警察官に捕まって連れてこられた際、「それは私がこの人に差し上げたものです」と言い、「いいですか。これは、あなたがこれから真面目に生きていくために必要なものとして差し上げたのですからね」と言って渡す・・・という、まあ、そこまでやらなくてもいいとは思いますが、「抜き足、差し足、し~のび足♪ 私はそうやって階段を降りまして・・・、そして、電話で110番通報を、したんですねええ~え」と牧師調の話し方で得意がって話すというのは、それはちょっと違うのではないのか。 昨年、賽銭泥棒を捕まえたという宮司さんは、「『すいません』と言って返されたなら、そのまま、帰ってもらおうと思ってましたが、逃げられたので追いかけて捕まえることになってしまいました。盗られる前に声をかければよかった。悲しい結末になってしまいました」と話されたのですが、どういう宗教であるかにかかわらず、宗教の仕事に携わる人として、日本キリスト教団田園調布教会の牧師の高橋泰二さんのその姿勢というのは、なんだかなあ~あ・・・と思ったものでした。
  高橋さんは、「大口のお客さん」「太客」かと思われるおばあさんでも来られると、「ああ~あ、◇◇すああ~あん♪」と大きな声で叫んで、牧師の黒い服をマントのようにスーパーマンか黄金バットかのようにひるがえして、風をまいて飛んでいくのです。片方で、続けて行っていた私がしばらく行かずに、しばらくぶりに行った時に、こちらから「こんにちわ」と挨拶すると、「あ」と一言だけ口にしてあごを上下に1センチほど下から上に動かした・・というそれだけ・・・。普通、こちらから「こんにちわ」と挨拶しているのですから、「ああ、〇〇さん、ひさしぶりですね。元気にしてられましたか」くらい言ってもいいのではないのか、それが牧師の仕事と違うのか、「元気にしてられましたか」という一言を言うのにいったいいくらカネかかるのか・・・と思ったのですが、そうでなくても、「こんにちわ」と人から言われて「こんにちわ」も言わないバカがあるか!・・と思いましたが(何が「あ」じゃ、何が! 牧師なら他に何か言う文句あるだろうが!)、日本キリスト教団田園調布教会の牧師の高橋泰二さんという人はそういう人でした。それにしても「わかりやすい男」やなあ・・・と思います。「大口(おおぐち)のお客さん」「太客(ふときゃく)」のばあさんがやってくると、遠くにいても「ああ~あ、◇◇すああ~ああん♪」と声を裏返して叫んで、牧師服をマントのようにスーパーマンか黄金バットのようにひるがえして風をまいて飛んでいく。私なら、「来たければ来てもいいけれども、来なくてもいいよ」という態度をはっきりと取る。酔っ払いのおっさんには、「抜き足、差し足、し~のび足♪・・・で、私は階段を降りまして・・、そして、電話を取って、こそお~っと110番通報をして警察に連絡したんですねええ~ええ!」と得意がって話す。「わかりやすい男」やなあ、ほんまにい( 一一) と思いました。
  高橋泰二さんの息子は私と同年代でしたが、慶應義塾高校なんて行って、慶應義塾高校から慶應大学医学部に行ったようでしたが、誰も口に出しては言わなかったけれども、それっておかしいと思いませんか? 牧師の給料て、信者が払った献金から出ているのですよね。慶應義塾高校なんてカネのかかる私立高校に牧師の息子が行くっておかしくないですか。『聖書』の「福音書」では、イエスが「働き人が生活の糧を得るのは当たり前である」と語り、「職業としての宗教」を真面目におこなう者が生活費を得るのは当然のことだと語る場面がありますが、他方、『レ・ミゼラブル』の司教は「牧師が金持ちであるのはおかしい」と語ります。信者の献金から給料もらっていた男の息子が、その献金払ってくれた人で、学力は合格できる水準に達していても、慶應義塾高校なんて行かすことはできない人はあったはずなのです。信者の献金から給料もらっていた男が息子を慶應義塾高校なんて行かすというのは、どう考えてもおかしいのではないか。そんな教会に献金なんて払うというのは、それは反社会的行為ではないか。又、慶應大学は経済学部・商学部・法学部・文学部については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の大学で、「早稲田大学と慶應大学なら早稲田大学よりも慶應大学の方が学費はかなり安い」という大学でしたが、工学部⇒理工学部は経済学部・商学部・法学部・文学部よりずっと高く、医学部になると経済学部・商学部・法学部・文学部の倍くらいかかり、しかも、6年間行かないといけない学部でしたから、関西医大とか帝京大医学部とかのような私立金権裏口医大みたいに多額の「寄付金」は払わなくても行けますが、それでも、「私立大学の中では安い方」だけれども「国立大学よりは高い」慶應大経済学部・商学部・法学部・文学部よりずっと学費がかかる学部である慶應大医学部に行かせるというのは、高橋牧師さんが牧師の給料をもらっているその源泉である献金を払ってくれた信者でも、息子が慶應大医学部に合格できる学力があっても慶應大医学部になんて行かすことはできないという人は多かったはずなのに、牧師の息子が大威張りで慶應義塾高校を卒業した後、慶應大医学部に行っていたというのは・・・、私にしても、父親から「うちは医学部になんか、行かすような金持ちとは違います。うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われてきた者としては、「しまった、息子を慶應義塾高校だの慶應大医学部だのに行かすような男が牧師になってる教会になんて、たとえ、1円でも献金なんて払うべきではなかった」という気持になります。慶應大学でも商学部は慶應大の社会科学系学部の中では内部進学の人間の割合が比較的少ないらしく、内部進学の教授はそれが面白くないらしいのですが、それに対して経済学部は3人に1人以上が内部進学だそうで、それが医学部になると4割が内部進学らしい。・・・東大病院(東京都文京区の東大本郷キャンパスの中にある東京大学医学部付属病院)は、名前は「東京大学医学部付属病院」、略称「東大病院」だけれども、実際に診察しているのは東大医学部卒の医者とは決まっておらず、東大医学部帝国主義の植民地である私立金権裏口医学部卒の「医者」が「診察」しているらしく、それって不当表示と違うのか、ジャロに言うたった方がええことないか? とか思うのですが、それに対して、慶応病院というのは慶應大医学部卒の医者が多いとかいう話を聞いたことがあるのですが(それほど絶対的に確かな情報やないけどな)、しかし、刑事事件の鑑定とかになると、慶應大卒の医者って、たいてい、権力寄り・体制寄りでしょ。大学の体質から考えて、「財界寄り」という印象は強いけれども、京大は「反骨の学風」とか言いますが、慶應にはそういうのはまったくありませんでしょ。骨なし大学でしょ。小此木啓吾なんてファシズムそのものでしょ。やっぱり、慶應の内部進学が4割もいるような医学部の「医者」というのはそうなるのかなあ・・という感じがします。そんな医学部に息子を行かす牧師の給料にするための「献金」なんて払うのは反社会的ではないのか・・・と思うと、そんな教会なんて行かない方がいいのかもしれない・・という気持になりますね・・。慶應義塾高校なんて、入試の難易度とは別に、「特定の層の人しか行かない学校」に息子を行かせたがる男というのも、学費の金額がどうと別に、そういう人間性の男か・・という印象を受けます。
  だいたい、私なんか、すぐ近くにいても無視されるのに、「太客(ふときゃく)」らしいばあさんの姿が遠くに見えると、「◇◇すあああ~あん♪」と声を裏返して叫んで牧師服をマントのようにひるがえして風をまいて飛んでいく・・というそのあたり、「それが、牧師のすることか!」と考えるべきか、「いかにも牧師らしい」と考えるべきか。 どっちかようわからんけど、そんな牧師屋さんの「説教」なんてカネ払って聞いても「しゃあない」ように思う。

  それで・・・、公智神社の社殿に向かって左手前あたりの建物に宮司さんは住まれているようなのですが、そうだよなあ、やっぱり、お寺の住職が住む「本坊」とか、神社の宮司さんの住む家とかは寺とか神社とかの内部か隣接した場所かのものだよなあ、と思ったのです。なぜ、そういうことを思ったかというと、日本キリスト教団田園調布教会の「牧師館」というのが、教会堂とは離れた場所、同じ東京都大田区田園調布だけれども、徒歩で10分くらいかかる別の場所にあって、しかも、「牧師館」の方が駅に近い、教会堂は東急電鉄の東横線・目黒線の「田園調布」駅から歩いて10分ほどの所でしたが、「牧師館」の方は「この漫才で田園調布に家が建つ」というフレーズで語られる田園調布の田園調布駅から徒歩5分以内の戸建住宅!・・・なんてのにお住まいだったのです。あんなけっこうな「牧師館」に住めるのなら・・・、俺も牧師になれば良かったかなあ・・・という気持になるような「牧師館」・・・て、そりぁ、牧師館じゃなくて、「牧師の社宅」だろうが、「牧師の社宅」・・・。 教会堂のすぐ脇に住んでこそ、「牧師館」であって、教会堂から徒歩10分ほどの場所で、田園調布駅から徒歩5分以内の戸建・・・なんて、そりぁ、「牧師の社宅」であって「牧師館」とは「ち~が~う~だ~ろ!!! 違うだろ、違うだろ、違うだろお~お!!!」〔⇒《YouTube-このハゲ~ 豊田真由子》https://www.youtube.com/watch?v=vGMd4AdES6Y 〕・・・て思いますね。思いませんか? 「田園調布駅から徒歩5分以内の戸建住宅」なんて、あんなけっこうな社宅に住ませてもらえるのなら、「俺も牧師になればよかったなあ・・・」なんて気になってきますね・・・。「この漫才で田園調布に家が建つ」の変形、「あのデタラメ説教で、田園調布の戸建に住める」。「ええなあ、うらやましいなあ。わしぁ貧乏やからな。わしぁ日陰の月見草」・・とでも言いたくなる。
  日本キリスト教団田園調布教会には「慶應の先生も来られてますよ」という話だったが、「塾風教徒キリスト派」みたいな人が来ていたのでしょう。実際には「塾風教徒」のくせして「キリスト教徒」「クリスチャン」のふりをしたがる「キリスト教徒ごっこ」をやりたがる『「ごっこ」の構造』の人が。「一木一草に塾風が宿る」みたいな大学の《「塾風」が許す範囲内でのみ「キリスト派」》・《学問は塾風の婢》みたいな人が。慶應義塾高校に息子が入る時も、その先生に「◇◇すああ~ああん♪」と声を裏返して叫びながらマントひるがえして飛んで行ってお願いしたのだろうか? ・・・一般の信者が息子をそこに行かそうと思っても、息子の学力は合格できる水準に達していても、学費を出せないから行かすことができないような学校に、信者の献金から給料もらってる牧師が息子を行かせていいのか? ・・・という気持になりますが、もしかすると、高橋さんとしては、私みたいなプロレタリアートが払ったわずかな献金からもらったカネで行ったのではなく、どこやらの社長とか会長とか「患者」を薬漬けにして稼いだ医者屋とかが払った献金からもらったカネで行ったのだから、貧乏人からどうこう言われる筋合いはまったくない・・・とか思うておったかもしれん。「天国の沙汰もカネしだい」・・・てとこか・・・。その息子が慶應大医学部を出てどんな医者になったかしらんが、そんな医者屋に診てもらいたくはないなあ。「類は友を呼ぶ」でそういう医者に診てもらいたい♪ と思う人もその人の同類の人でいるのだろうけれども、慶應の内部進学の人で公立高校の人間、公立高校出身の人間というのはドジンだと思っている人はそういう人間同士の方がいいでしょうから内部進学の医者屋にかかりたいでしょうけれども、私はそういう「類」ではないので、そんな医者屋には診てもらいたくないものだと思う。こういうことを言うと、黙らせたいと考える人間が出てくるようだが、『新約聖書』の「福音書」には、イエスに、弟子を黙らせてください、と要求する人がいた時、イエスは「この人たちが黙れば、石が叫びだすだろう」と言う場面があったが、同様に、私が黙れば石が叫ぶであろう。
※ 日本キリスト教団田園調布教会については、
1. 魅力のある街(東京圏)。田園調布はどこまでか。態度の悪い不動産屋にへつらうな。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_1.html
2. 放射線状道路の扇の要の位置の田園調布駅はおしゃれ http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_2.html
3. 放射線状道路の扇の要の位置の広場。 独特のデザインの田園調布駅 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_3.html
4. 居住環境を考えた田園調布の街並み。居心地のよい宝来公園 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_4.html
5  日本基督教団 田園調布教会(1) 高すぎる樹木、鎧をかぶったみたいな教会堂、倉庫みたいな建物 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_5.html
6.  同 (2) 跳ね返す素材、教会堂は重厚である必要があるか。「セコム、必要ですか」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_6.html
7.  同 (3) 牧師館がなぜ教会堂の脇にないのか。遮る扉の玄関扉 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_7.html
8.  同 (4) 「ああ、無情」 「太客」vs「どうでもいい来場者」vs「酔っ払い」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_8.html
9.  同 (5) バザーの際の違和感。 新教会堂ファサードは・・・みたい http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_9.html
10. 同 (6) パイプオルガン・ハンドベルと偶像崇拝・惑溺 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_10.html
11.台(うてな)人体実験と精神医学ファシズム 吉益脩夫 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_11.html
12.今は見当たらない「矢野一郎邸」と「旧人見純一画室」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_12.html
13.カトリック田園調布教会と聖フランシスコ修道院 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_13.html
14.日本福音ルーテル田園調布教会、事故物件田園調布警察署 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_14.html 

   公智神社は、ククチという一族が氏神を祀ったのが始まりらしく、『古事記』には、木の神として「クク ノ チ の神」が登場しているが、もともと、ククチという一族の祖先を『古事記』が「クク ノ チ の神」として記述したのか、それとも、ククチ一族の氏神と「木の神」とされる「ククノチの神」は別だったが、後に習合したのか、それはわからないが、公智神社がある場所は、かつては、背後の山も、有間川が南北に流れる谷を隔てた東側の今は北六甲台という住居表示になった地区も、樹木に覆われた山で「木の神さま」が鎮座しておかしくないような場所だったのでしょう。
  しかし、公智神社の背後の森林「公智神社・光明寺林」「景観樹林保護地区」に西宮市で指定されているらしく、又、「公智神社社叢」「西宮市指定天然記念物」に指定されているらしいのですが、しかし、この付近の航空写真を見ると、↓

↑ と、森林は大きく失われています。 高速道路が通ってインターチェンジができると便利になる面もあり、実際、私は「西宮北」インターチェンジからクルマで行ったので比較的行きやすかったのですが、一方で、インターチェンジのすぐそばには、「阪神流通センター」という倉庫群ができて、又、公智神社のすぐ北、光明寺の東には、「ラブホテル」もできた。地元だと人の目があるが、高速道路で少々離れた場所ならという人向けに高速道路のインターチェンジのすぐそばというのは「ラブホテル」には好立地なのか。 そして、神戸市北区から西宮市の北西部・宝塚市にかけてはゴルフ場がずいぶんと多い。 ゴルフ場が絶対に悪いとまでは言わないが、あまりのも多すぎるのではないか。「北六高台」という住居表示になった地区は、かつて、公智神社があった場所らしく、もともとは森林だったと思われますが、今では造成された宅地になり、航空写真で見ると ↑ 、もはや、樹木に覆われた地域ではなくなったようです。 公智神社の背後(西)の森林の向こう側に「阪神流通センター」という倉庫群があり、その倉庫群までが西宮市山口町 で、その西に有野川が南北に流れていて、そのあたりから西が神戸市北区有野町 になっているというのは、今は「阪神流通センター」という倉庫群の場所としてならされた場所が、かつては森林で山口町と有野町を分ける境だったのではないか。 ごくわずかの部分だけを「景観樹林保護地区」「市指定天然記念物」と指定して保護して、その周囲の広い部分を伐採して樹林とは正反対のものにしてしまい、「木の神さま」だけが箱庭のような場所に残っている・・というのは、どうだろうなあ・・という気がしました。 「阪神流通センター」にしても、北六甲台の造成地にしても、もうちょっと森林を残すとか、なんとかならなかったのかなあ・・という気がしました。
  江戸時代までは、土地の所有権について、今のようにはっきりとはしていなかったはずです。寺社の場合、どこまでがその寺や神社の範囲なのか、特に市街地ではなく森林に囲まれたような場所にある寺社は、どこまでが敷地なのかと言っても、はっきりとここまでと決まっていなかったのではないか。それが、明治維新の後、広めに敷地と認められた寺社と狭めになった所があったと思われます。明治維新の際に、佐幕側についたか討幕側についたかで、寺社の扱いも変わったらしい。上野の寛永寺なんてのは佐幕側についた寺の典型だが、そこまでいかなくても、佐幕側についた寺社は狭め、討幕側についた寺社は広めに認められたような傾向があるようだ。イタリアの小説、トマージ=デ=ランペドゥーサ『山猫』(小林惺訳 岩波文庫)をもとにしたルキノ=ヴィスコンティ監督のイタリア映画『山猫』では、シチリア島の伯爵が教会の牧師に「教会は次の時代にも生き残らないといけない。次の時代に生き残るため、教会は我々貴族を見捨てるだろう」と語る場面があったが、政変の際にうまく生き残って広い敷地を確保した寺社とそうでもない寺社があるようだ。大阪府箕面市の瀧安寺は佐幕側についたということもあって、箕面大滝に到る道とその周囲は「箕面公園」になり瀧安寺は寺の建物とその周囲に限定されたが、周囲は箕面公園として保存されたので、寺の敷地ではなくても自然環境は守られた。私が、ここは敷地が広すぎると思ったのは、静岡県浜松市北区の深奥山方広寺深奥山方広寺(静岡県浜松市北区)は、もともと、半僧坊という半分が僧で半分は妖怪・「物の怪」・妖精・魔物・というものを祀ったお堂だったものが、周囲の谷合・森林を敷地として占拠しているが、本来はあそこまで寺の敷地ではないのではないか。 もしかすると、公智神社は、あまり広く敷地を確保できなかった方の神社だったのかもしれない。公智神社の敷地の範囲が特に今より広くなくてもいいが、「景観樹林保護地区」(公智神社・光明寺林)はもう一回り広くても良かったのではないか・・・という感じがします。又、「北六甲台」も、もう少し、森林を残せなかったか・・という感じがします。
※ 深奥山 方広寺(静岡県浜松市北区)については、
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_4.html
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_8.html
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_10.html
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_14.html 
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_15.html
※ 《YouTube-予告編#1】山猫 (1963) - バート・ランカスター,アラン・ドロン,クラウディア・カルディナーレ 原題:IL GATTOPARDO/THE LEOPARD https://www.youtube.com/watch?v=Rckrf7GdWzQ


  公智神社は、電車の最寄駅というと、神戸電鉄三田線「田尾寺(たおじ)」駅。 今回、駅から歩いていませんが、公智神社HP の「交通案内」http://kuchijinja.jp/access には《 田尾寺駅から東に15分 》と書かれており、おそらく、そのくらいでしょう。その中間くらいの交差点から少し南に「いかり」有野店があります。
  「いかり」はスーパーにしては高いが、けっこういいものを置いている。 雁屋 哲が、かつては、エンゲル係数が小さいほど文化的な生活を送っていると言われたが、今は逆ではないかと述べていたが、そうかもしれないと思う。 エンゲル係数というのは生活費における食費の割合で、食費は最低限必要だとすると、ほとんど食費に費やされる生活というのは、文化的な生活を送れていないことを意味すると考えられたが、最近ではそうではなく、食事をいいかげんなものにして、それ以外のものにカネを使う生活と、きっちりとした質のいい食事を採る者とでは、きっちりとした質のいい食事を採る者の方が文化的であり、エンゲル係数が大きい者の方が文化的な生活を送っている傾向があるのではないか、と言うのだ。
  「いかり」は関西圏、特に阪急沿線の店で、高いが比較的いいものを多く置いている店であり、たとえば、千葉県船橋市の我が家の近所のスーパーで「特別栽培米」を買いたいと思っても、ほとんど置いていない。それに対して、「いかり」で置いている米は特別栽培米が多い。もしも、特別栽培米がそうでない米の3倍も4倍もするということなら考えるが、特別栽培米がそうでない米より高いといってもわずかの差であり、それなら、農薬の使用が少ない特別栽培米を食べるようにした方が健康にいいはずで、米に限ったことではなく、そういう基準で食品は選んでいくべきだと思うのだ。私が、現在、居住している千葉県船橋市では、「マミーマート」では特別栽培米は置いていないようだが、JR「船橋」駅の北口の東武百貨店船橋店の地下では特別栽培米を置いていた・・が、そう多くない。東武百貨店船橋店の地下ではイーストフード無使用のパンを置いていたが、高いがおいしかった。 関東には「いかり」はないが、比較的品質のいいものを多く置いている店としては、「生協」が品質がいいもの、あるいは「正直な表示の商品」を置いていることが比較的多いと思う。その逆が「業務スーパー」で、「業務スーパー」は安いけれども、「いいものを安く売っている」のではなく、「もともと、品質が劣る安いものをそれなりの値段で売っている」のであり、「業務」用とは「プロの目利きによる食材」とかいう意味ではなく「どうせ、客が食うんだあ~あ」の方の「業務」用である。

  「高いもの」イコール「いいもの」ではないと私は思う。私は「高級料亭」「高級料理店」というものが好きではない。20歳の時、うちの父親が「わしが連れていってやってやると言うておるからには行くもんや」と何度も何度も言うので、根負けして、しかたなしに嫌々行った大阪市南区(現在は、中央区)の宗右衛門町の「高級料亭」のHで、うちの父親は「わかっとるか。この店はなあ。このわしのようなエッライえっらいエッライえっらい人間だけが入ることを許される店であって、おまえのようなチャンコロは入ってはいかん店やねんぞ。もしも、おまえが、この店に来て入れてもらおうとしても、『出ていってちょうだいんか』言われてつまみだされるぞお~お」と言うので、そんな店なんて入りたくもないわ! と思ったものだった。だから、そんな所なんて行きたくないとはっきりと言っただろうが! と思ったのだ。「どうじゃ、ほっぺた落っこちるやろ。おまえなんか、こんなうまいもん、食うたことないやろ」と父は言うのだったが、たいしておいしいとも思わなかった。そのうち、握り寿司が出てきたのだが、それを口に入れようとすると、父は「おい! おまえ、今、いったい何ちゅうことをしたんや、おまえは」「いったい、なんちゅうことをするんや、おまえはあ」と言うので、何かいかんことしたかな、と思うと、「今、お前が口に入れただけでも、それ、2万円以上すんねんぞ。おまえなんかがそんなもん、食うてええんか、おまえなんかが! いったい何ちゅうことをするんじゃ、こいつはあ!」と言うのだった。だ~から、そんな店なんて行きたくありません! と何度もはっきりと言うたじゃろうが、何度も何度も!・・・その時、口に入れた握り寿司1貫の半分で2万円以上するとすると、カッパ寿司とかの回転寿司では、1食に1皿に2貫載ってるものを10皿少々食べるとして、切りのいい数字で10皿と考えるなら、1貫の半分で2万円だと仮定すれば、2貫で8万円、10皿だと、8万円/皿×10皿=80万円・・て、そりぁ、いわゆる「ぼったくり」というものと違うんかい? そういう「高級料亭」というのは、食べ物を食べさせているのではなく、「どや。この店はなあ、おまえなんかは入ったらいかん店やねんぞ。おまえのようなチャンコロは入ったらいかん店やねんぞ。わしのようなドイツ人しか入ったらいかん店やねんぞ。おまえなんか、入らせてもらおうなんて思うても、絶対に入れてもらえん店やねんぞ」と言いまくり、「ああ、ええ気分になった、ええ気分になった」とか言いたいおっさんを喜ばす店であったのだ。又、うちの父親がそういうことを言うと、仲居のおばさんがそれに「合いの手」入れるのだったが、今から考えると、私はなんであのおばさんにあんなこと言われにゃならんのかと思うのだが、そういうおっさんのニーズを満たす店であった。『美味しんぼ』にも、そんな感じの店がしばしば登場するが、そんな店は私は好きになれない。 「この店は◇◇さんのようなエッライえっらいエッライえっらいお方しか入れん店なんですわあ」と言ってやれば、賞味期限切れであろうが段ボールであろうが犬の肉でもミミズの肉でも大喜びして食うようなおっさんのための店だったのではないかと思う。どうも、大阪の宗右衛門町というのは、そういう類の店がけっこうあったようだ。船場吉兆なんてのもその類だったのではないか。そんな所の食事は、いくら高くても健康にいいとは思えない。
  慶應大学に在学して日吉に住んでいた時、昼飯は慶應大学の生協食堂で140円のカレーライスを食べることが一番多かった。日吉台学生ハイツに共同浴場があったが、銭湯などと違って、浴室そのものを営業している店ではないので衛生管理が十分でなかったのか、日吉台学生ハイツで「いんきん」なのか「たむし」なのかを移されて日吉の皮膚科にかかったことがあった。又、何が理由なのかわからないが、腕のあたりも皮膚炎になったことがあり、その際、最初、日吉の慶應大学の医療センターに行って日吉の皮膚科を教えてもらったのだが、日吉の慶應大学の医療センターの女医さんが慶應大医学部卒の人なのか、自分が出た大学の学生だからと思うのか、「あんた、下宿して生活してるわけだけど、食べるものなんて、きっちりと食べてるの」と言い、「昨日の昼は何を食べたの」と言うので、「生協食堂の140円のカレーライスを食べました」と言うと、「きょうは?」と言うので、「きょうも生協食堂の140円のカレーライスを食べました」と言うと、「何、やっってんの。毎日毎日、140円のカレーライスなんてばっかり食べてちゃだめよ。食べるものはきっちりしたものを食べないと。だから、こんなもの、なるのよ。いい? 食べるものはもっときっちりとしたものを食べるのよ。いいね」と言ってくれた、ということがありました。この話をうちの父親にしたところ、「おまえなんかが140円のカレーライスなんて、そんな高いもん、食うてええんか、チャンコロ! 贅沢すんな、チャンコロ、チャンコロの分際で140円のカレーライスなんて食うな、チャンコロ! チャンコロはもっと安いもんにせえ、チャンコロ! 140円のカレーライスやなんてそんな贅沢なもん、食うな、チャンコロ! 民族の違いを忘れるな、チャンコロ! 階級の違いを忘れるな! チャンコロはもっと安いもんでええんじゃ、チャンコロ! チャンコロの分際で140円のカレーライスなんて贅沢じゃ、チャンコロ! もっと安いものにしなさい、もっと安いものに!!!」と言われたのだったが、生協食堂の140円のカレーライスよりも安い食事はどんなに捜してもなかった。昼食は毎日食べずに、2日に1回にするということも考えたが、どうしても、お腹がすいて食べてしまった。私はそういう生活をしてきたので、だから、「えっらいエッライえっらいエッライ人間」の「ドイツ人」が食べるような高級料亭などというものは好きになれないし、「チャンコロはこういう店には入ったらいかんねんぞ」と毎日言われてきたので、『美味しんぼ』に出てくる高級料亭なんて入りたいなんてまったく思わないし、「おまえなんか、入ったらいかん店やねんぞ」と言われるような店なんてもとより入りたくもないが、しかし、その片方で、慶應大学の医療センターの女医さんが言ってくれたように、食べるものは無理をしてけちらないで、きっちりとしたものを食べるように努めるべきで、いいかげんなものを食べて病気になって治療費をかけるくらいなら、きっちりとしたものを食べるようにした方が、結果として費用はかからないことになるはずだ、と思う。
  1981年、うちの父親が「いらいらっとしたから仕送り、送るのやめたってん」と、突然、仕送りを送ってこなかった時があり、1週間ほど、水だけ飲んで生活したという時があった。どこか、自動販売機の下に硬貨でも落ちてないかと思って日吉の街を歩き回ったところ、ある自販機の下に50円玉が落ちていて、道に腹ばいになって腕をつっこんでそれを引っ張り出して、財布に残っていた10円玉と合わせて、80円のメロンパンを買って食べたのだが、その時のメロンパンのおいしかったこと♪ 今まで食べてもので、あれほどおいしいと思ったものはなかった。まさにその時、日吉の不二家というけっこう高いレストランから、同じ日吉台学生ハイツに住んでいた、兵庫県の甲陽学院高校から1浪で東大の文科一類に行き、法学部に進んで、国家公務員1種試験に合格して外務省に就職が決まったという加藤という男が出てきた。私が食べる物が無くて、道に腹ばいになって自販機の下から50円玉を引っ張り出してメロンパンを食っていた時、カネのかかるわたくし立の甲陽学院高校を出て、浪人なんてしてからに東大に行って、東大在学中は、私みたいに肉体労働のアルバイトなんてしないのは当然のこと、家庭教師や塾の講師のアルバイトもしないで、それで国家公務員1種試験に通って外務省に行ったという、まさに、「モラトリアム人間病にかかっているからアルバイトを嫌がる人間」、「間違いなくモラトリアム人間病という病気」の男が、おのれで働いて生活費を稼いでいないのに、不二家なんて高いレストランで当たり前みたいに食事をして出てきた。「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」といううちの父親が毎日毎日私に私の顔を指さして眼を指で突きさすようにして言い続けた文句を実感した。「民族の違い」「階級の違い」を実感した。その時、私の頭の中では、ロシア民謡の「ドビヌーシカ」の音楽が鳴っていた。まさに、「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」という事態を身をもって実感した。ロシア革命の後、アメリカ合衆国に亡命したドン=コサック合唱団の指揮者セルゲイ=ジャーロフが「ああ、ロシアに帰りたいなあ。ロシアの居酒屋で一杯やりたいよ。アメリカ(合衆国)の金ぴかの御殿みたいなレストランにはあきあきした」と語った・・と何だったかのレコードジャケットに書かれていたのを読んだが、まさに、「高級レストラン」などというのは「加藤みたいなやつ」が入る店、「加藤みたいなやつ」の階級・民族の人間が入る店であり、おそらく、加藤もうちの父親と同じく「ドイツ人」だったのだろうと思うが、私はうちの父親が言うには「チャンコロでロスケの民族」らしいので、その「ロスケの民族」といたしましては、そんな高いレストランなんて肌が合わない。しかし、「この店は特別にえらい人しか入ってはいけない店なんです」と言えば喜ぶおっさんに段ボールや賞味期限切れを「高級料理」と称して出しているような「高級料亭」なんてもので食事をするのが健康にいいとは思わないし、大学生がおのれが生活費を稼いで生活しているわけでもないのに高いレストランで食事をするのがいいとも思わない、「加藤みたいなやつ」がいいとは思わないが、その片方で、慶應大学の医療センターの女医さんが言ってくれたように、食べるものは無理をしてけちらないで、きっちりとしたものを食べるように努めるべきで、いいかげんなものを食べて病気になって治療費をかけるくらいなら、きっちりとしたものを食べるようにした方が、むしろ、結果として費用はかからないことになるはずだ、と思う。
※ 《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
  その後、三田の専門課程に行くと、慶應大学の三田キャンパスの近くに慶應女子高というのがあってそこの高校生が慶應大学の生協に来ているのを見かけることがあったのだが、ある時、その慶應女子高の生徒の群れの1人が財布から100円玉だか50円玉だかをコロコロと落とし、それが棚の下だかに転がり込むと、驚いたことに簡単に「見捨てよう」などとそのバカ女は言ったのだった。なるほど、「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」という毎日毎日言われてきた文句は正しかったようだ。慶應女子高の生徒というのはうちの父親とかうちの父親の親友の医者屋のM川などと同じく「ドイツ人の民族」だったようだ。たしかに、慶應女子高女というのは、私とは「民族が違う」のであり「階級が違う」のだった。 「捨てる神あれば拾う神あり」と言うがまさにその通り。道に落ちている物を拾っておのれの物にすると、厳密には占有離脱物横領罪になったと思う。置いてある自転車に乗っていくのはいかんとしても、どう見ても「捨ててある」自転車なんて乗っていっても、むしろ、資源の有効利用・環境保護に貢献しているようなものと違うのか・・・と私は昔は思っていたのだが、そういう自転車でも乗って行くと占有離脱物横領罪になるらしく、難解重大犯罪を検挙しても検挙1件で終電に乗って帰って来たサラリーマンのおっさんが終バスなくなったあと思って「捨ててある」ように見えた自転車に乗って帰ろうとしたのを「検挙」しても検挙1件であり、けーさつ漢にとっては、終バスがなくなった時刻に駅に着いたサラリーマンがいた、目の前に「放置自転車」がある!・・となると、検挙件数を稼ぐチャ~ンス♪ だとかいう話だが、それから考えると、自販機の下から50円玉を拾うなどというのは占有離脱物横領罪で検挙されるおそれがある危険な行為だったかもしれないが、しかし・・・、「見捨てよう」などといっておのれが稼いだカネでもないものを簡単に「見捨てる」慶應女子高女と、拾って1週間ぶりにメロンパンを食う男とでは、どっちの「民族」が評価されるか、どっちの「階級」が評価されるべきか、どちらがけしからんか?  これは「慶應心理学」なら慶應内部進学が絶対に正しい、慶應内部進学は常に「正常」で「常識」だと「診断」することであろうし、そういう「見捨てよう」とか言うような女のことを「慶應心理学」は「独立自尊の精神がある」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「福沢精神を身に着けている」とか「思考が柔軟」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「診断」するらしいのだが、その「診断」から考えると日本の企業というのは、よっぽどバカと違うかという感じがするのだが、「心理学」によるとそういう「診断」になるらしいのだ。「それって、おかしくないですかあ?」などと言おうものなら「自我が確立されていないからわざわざ無理して逆らってそういうことを言うのだ。自我が確立されていたらそういうことは言わないはずだ」とか「アイデンティティーを持っていないということですね」とか「独立自尊の精神を持たないからそういうことを言うということですね」とか「受験勉強の悪影響だと思います」とかなんとかかんとか、さらには「そういうことを言っているようでは勤め先ないぞ」とか脅迫されたり・・・「心理学」にかかると何を言われるやらわからん。結論を言うと「心理学」というのは「支配者の学問」「権力者の学問」「体制側の学問」であり、私らのような無産市民にとって役に立つ学問ではないわけで、うかつにかかわると、「なんたらかんたらシンドローム」とか「なんじゃもんじゃ症候群」とか「診断」され、「治療」と称して「人間による人間の加工」をされる危険があるから、うかつに関わらんようにした方が絶対にいいであろう! 小此木啓吾「おまえはそんなにえらいのか」症候群・小此木啓吾「レッテル製造」シンドローム・「小此木啓吾型揺り籠から墓場まで慶應的精神空間から外に出れない症候群」(from cradle to tomb)からどんなレッテル貼られるやら、もう、怖いこわい怖いこわい!!! 怖いわ、こわいわ、怖いわ、こわいわ! 「慶應心理学」が「心理学用語」を駆使して何か言ったとしても、それは結論として「内部進学は間違っていても正しい」というのを「心理学用語」なる寝言戯言を使用して表現しただけのことでしかない。違うと思うか? ちっとも違わんぞ・・・。

   2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも、2013年11月に正式に倒産〕に、社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人だということで縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)が、その「業務スーパー」(「業務用に買う人が多いスーパー」という意味ではなく、「業務スーパー」という名称の店)は安いと喜んで「業務スーパー」で好んで買っていたようだったが、滝口恵のオットは船橋市内で飲食店に勤めていたらしいが、この女のオットが勤めていた店では食事はしたくない。『らーめん発見伝』で、「ラーメンマニアキング」の藤本さんが「業務用食材」なんて使っているか? 使ってないでしょう。  「安いけれども品質が悪い」「もともと、質が悪いから値段も安いものを多く置いているのであって、品質がいいものを安く売っているわけではない」という店を好む女のオットが勤めている飲食店なんて、そんな所で食事をしたのでは身体を悪くする
  新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川新二は、「縁故入社の滝口」を特別扱いして、滝口のために一般従業員を犠牲にし、一般従業員に滝口が担当で滝口が報酬を盗っている仕事を、労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせて滝口恵とその子供と滝口のオットとに尽くさせたが、縁故入社の新入社員のために、それより前からいる一般従業員に労基法違反をしていいわけではない。労働基準監督署と労働基準監督官は「労基法違反を取り締まっているふりをして取り締まらない」という作業を繰り返すことで不良企業と不良企業の不良経営者を守ろうと日夜努力しているが、不良企業の不良経営者の守護神たる労働基準監督署および労働基準監督官がどういう態度を取ろうが労基法違反は言葉の通り違反であり、労働基準法違反は犯罪である。又、報酬は実際にその仕事をした人間に支払うべきもので、滝口恵以外の従業員に滝口恵が担当で滝口恵が報酬を盗っている仕事をさせて、報酬は滝口恵にくれてやるというのは、それは会社のあり方としておかしい。
  そして、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川新二は「滝口さんは、子供があるんだから、子供がある人間は子供のない人間にめんどうみてもらうのが当たり前じゃないかあ」と非常識な暴言を吐いたが許しがたい。まだ、ふさわしい結婚相手とめぐりあうことができずにいる人間、結婚はできたが子供が欲しいと思いながらできずにいる人間は、すでに結婚相手とめぐりあうことができて、子供もできた、という人間の犠牲にならされて当たり前じゃないかあという長谷川新二の主張は非常識であり、反社会的であり許しがたい。長谷川新二のこの発言と滝口恵のこの身勝手我儘な行動に加担する団体は、すべて、「反社会的勢力」と判断されるべきであろう。
  長谷川新二は「滝口さんの二番目の子供はダウン症なんだ。ダウン症の子供がいるんだから、子供のない人間に何でもやってもらうのが当たり前だろうが! 子供のない人間は滝口さんのために尽くすのが当然だろうが! 子供のない人間は、子供がないのが悪いんだ! 子供のない人間は子供がないのが悪いんだから、子供のある者のために何でも尽くして当たり前だろうがあ!」と暴言はきまくった。
  長谷川が「嫁の友人」とはいえおかしな従業員を新入社員として入れたことで、現実に、一般従業員が迷惑しているのであり、従業員から不満の声が出ていたにもかかわらず、「働かない社長」がこういった暴言をはきまくるというのは「保護義務違反」でもあり、こういった会社はどうなったかというと・・⇒つぶれた。 それが直接の原因でなくても、社長がそういう姿勢であれば、それは「つぶれる要因」のひとつである。私は倒産の際の「債権者会議」に際しての書類を見たが、「東日本大震災の影響で物資が入らなくなり」などと書いていたが嘘である。東日本大震災の影響は、むしろ、東日本における建築業界においては「特需」のようなもので、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)に「物資が入らなくな」ったのは、経営者が滝口恵や大竹加代子などの縁故従業員には賃金をきっちり払っても私などには未払い賃金があり、業者には買掛金を払わずに、その金額も半端なものではなかったようで、その結果、倒産したのであり、ひとつには、社長の長谷川新二が先物取引に手を出していて、しばしば先物取引の業者が会社にも来ていたが、それで損を出したのではないのか? という疑いがあるのだが、会社の経営者は従業員に対して公平である必要があり、「嫁の友人」を特別扱いして、「嫁の友人」とその子供とオットのために、一般従業員とその家族を犠牲にするというその態度では、それは好ましい社長の態度とは言えない。社長としての職責を果たしているとは言えない。
  滝口恵の子供の1人がダウン症になったというのは、それは母親と父親とに原因がある。滝口恵は健康に対する配慮が欠落している人間であり、その姿勢・態度・行動が子供を病気にならせたのである。
(1) その1つが「業務スーパー」という「もともと、品質が良くない物を扱っているから安いのであって、品質がいいものを安く売っているわけではない」という店を好むという性質・性格がある。私は正直な性格なので、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の事務所で滝口恵が「業務スーパーて、なんで、あんなに安いんだろ」などと言うので、「業務スーパーは、いいものを安く売っているのではなく、もともと、安い物を売っている店でしょう。一般のスーパーで置いている物と『業務スーパー』で置いている物の成分表示を見て見比べると、『業務スーパー』で売っている物は添加物を多く使用している物が多い。『業務スーパー』の『業務』というのは『プロの目利き』『プロならではの食材』とかいう意味ではなく、『どうせ、客が食うんだあ』の方の『業務』用だ。他に店がない場所で1回、2回買うのならともかく、あんな店の物ばっかり買って食べていたのでは絶対に健康に良くない」と言ってあげたところ、私がせっかく親切で言ってあげたのに、露骨に機嫌の悪い顔をして見せた。この人には言ってあげない方がいいらしいな、と思った。滝口恵の子供の1人がダウン症になったというのは、それは「親の因果が子に報いた」ものである。母親が「品質が悪いので、その分、値段も安い」というものを大喜びして買って食べる・食べさせるということをしているから、だから、ダウン症に子供がなった、と考えられる。直接の因果関係を証明するのは簡単ではないかもしれないが、少なくとも、親のそういう姿勢が子供に悪影響を及ぼしているのは間違いないはずだ。
  住宅建築業が扱う「住」は衣食住のうちの一分野であり、住宅建築業に携わりたいと思うなら、「衣」「食」にもまた関心を持ち、より良い衣食住を目指す姿勢を持ちたいもので、滝口恵のようにその姿勢を持ってたまるかという信念を持っている人は住宅建築業には携わらない方がいい
 (2) 「電波」「電磁波」「有害電磁波」という3つの言葉があるが、これは基本的には同じ意味で、有用性から言う場合は「電波」と言い、有害な面を主に述べる場合には「有害電磁波」という言葉を使う。 電気製品を使えば、多かれ少なかれ、電波は発生するもので、今の世の中では、電波を発生するものをまったく使用しないで生活するのは難しくなってきている。しかし、
《1》「電波」「電磁波」が相当強いものと、
《2》身体に接して使用するものは電磁波の影響を強く受けることになるので、できる限り使用しない方がいい。もうひとつの基準は、
《3》相当、電磁波が強いものでも、それを使用しないで生活するのは難しいものについては、かわりのものがなければやむをえないとしても、電磁波が発生しないもので代替品がある場合には電磁波を使用しないものの方を使用するようにした方がいい。
この3つの基準から考えて、たとえば、携帯電話なんてのは《2》の体に接して使用するものなので、できれば固定電話を使用するようにした方が健康にはいいだろうけれども、携帯電話をまったく使用しないで生活するのは難しい世の中になってきた。パソコンも電波は発生しているはずだが、パソコンを使わないというのも今の生活では難しくなってきたし、今もパソコンでこの文章を打ち込んでいる。《3》の基準でパソコンを使用しないのは難しいとしても、たとえば、電磁調理器、IHクッキングヒーターなんてのは使わなくても、ガス式コンロで調理はできるはずだ。 《2》の体に接して使用するものとしては、電気髭剃りは私は使用しないで、二枚刃カミソリでヒゲは剃っている。 《1》と《3》の基準から、相当、電磁波が強く、かつ、それを使用しなくても他のものがあるというものに電子レンジというものがある。 電子レンジは電磁波を発生する大きさが大きい。 だから、電子レンジではない方法で調理できるものは電子レンジではない方法を取った方がいいし、それでも電子レンジを使用するのなら、作動中は近くにいないようにした方がいい。電波なんて感じないという人もいるようだが、私は電子レンジが作動中と停止する際、不快感をはっきりと感じるのだ。2011年4月、「縁故の滝口恵」は中途入社すると早々に「電子レンジを買おう」などと言いだし、私が、電子レンジは健康に悪いのでそういうことはやめてもらいたいと言っても先輩社員の言うことを無視して、勝手に買ってきた。それだけではなく、私は、電子レンジが作動する時、停止する時に不快感をはっきりと感じるのでやめてもらいたいと言っているのに、はっきりとそう言っている私がすぐ近くにいる時に、平気で私の発言を無視して電子レンジを作動させた。先輩社員からきっちりと言われても無視してきかない傲慢で素直さがない態度の人間をあえて新入社員として採用しないといけない理由があるとは思えないのに新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)は採用した。新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川新二は「保護義務違反」でもあります。 そうやって、衣食住の健康に配慮しない母親の態度が、その子供をダウン症にならせたのである。はっきりと直接の因果関係があるかないかにかかわらず、母親のそういう態度が子供の健康にマイナスになった、というのは間違いないことである。
(3) 2011年3月11日に東日本大震災が発生し、福島第一原発事故が起こり、放射性物質が東日本を中心に撒き散らされた。特に、事故直後においては、植物は上空から降ってくる放射性物質をかぶっている可能性が考えられた。 2011年5月、私は、母の日には、毎年、母親にカーネーションを買っていたが、2011年5月は買わないことにした。ところが、滝口恵は、平気で鉢植えのものを、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の昼休みに購入してきた。実際には、鉢植えの植物でもハウス栽培のものもあり、ハウス栽培のものなら放射性物質をそれほど被っていない可能性もあるが、販売されている時に、どこでどのように栽培されていたかといったことは明示されていない。そして、滝口恵がそれでも買いたいなら買うなとは言えないが、放射性物質をかぶっている可能性もある物を購入したのなら、それは会社で会社の業務に使用するものではないのだから、会社の事務所内に持ち込むべきものではないはずである。だから、私は先輩社員として、滝口恵に、放射性物質をかぶっている可能性も考えられる鉢植えのカーネーションを会社の事務所内に持ち込まないでもらいたいと言ったのだが、ところが、ここまでの人間はあまりないと思うのだが、先輩社員から注意されても、この女は絶対に注意をきかない女だった。
  (1)はまだしも滝口とその子供の問題ですが、(2)(3)は他の従業員に影響を及ぼすものであり、自分の親くらいの年代で、経験年数から考えてもその業界で自分の何十倍も経験があるその業界のベテランの先輩社員から注意されても無視して、注意をきかない、素直さがない、その仕事に対する謙虚さがない、その人が入社することで他の従業員が迷惑するような人、その自覚が完全に欠けている人、そういう「異星人」というのか「新人類」というのかのバカ女を、たとえ、嫁の友人だからといって、何もわざわざ縁故入社で入れなくてもいいはずで、滝口恵を縁故入社させたという点において社長の長谷川新二と嫁の河野利華は職権濫用と言わざるをえません。
  放射性物質が空気中に存在し、鉢植えのものには放射性物質をかぶった可能性があるものがあると考えられている時期に、会社の業務で使用するものでもない鉢植えを事務所内に持ち込み、大きい電磁波を発先させる電子レンジの使用はやめてもらいたい、電磁波を感じないという人もいるかもしれないが私は電子レンジを作動するとはっきりと不快感を感じるのでやめてもらいたいはっきりと言っている先輩社員がすぐ脇にいてもおかまいなしに信念持って作動させる新入社員の女には、社長の長谷川新二はきっちりと注意しないといけないはずで、それを滝口恵に何ら注意しない社長の長谷川新二と嫁の河野利華は「保護義務違反」であり債務不履行責任を問われる問題です。
  この(1)~(3)を見てもわかるはずだ。「業務スーパー」・電磁波・放射性物質と、どう考えても健康にいいとは思えないものを、次から次へと持ち込み、自分だけではなく会社の他の従業員にまで悪影響を与えていたのだ。滝口恵の2番目の子供がダウン症になった原因はそのあたりにある。「親の因果が子に報いた」のである。親ならば、もっと、健康に配慮した衣食住を考えるべきである。又、「健康に配慮した衣食住」というものを考える意思がないような者は住宅建築業の仕事にはつかないでもらいたい。
  健康に配慮しない女から産まれた結果としてダウン症になった子供というのは、その子供がダウン症になったのはその女が縁故入社した会社の先輩社員が悪いのか。そうではないはずだ。(違うだろ、このボケえ!!! 違うだろ、違うだろ、違うだろ、このボケえ!!!!!!」〔⇒《YouTube-このハゲ~ 豊田真由子》https://www.youtube.com/watch?v=vGMd4AdES6Y 〕 ) 「子供」を大義名分にして自分の我儘を通そうとする「反社会的勢力」の女はその子供のために決してならない。 《「健康に配慮しない症候群」の女とその女のオットのおかげでダウン症になったという子供》のおかげで、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の一般従業員とその家族が犠牲にされて健康と生活を破壊されるというのはそれはおかしい。滝口恵が非常識で社会性のない人間だということはよくわかったが、滝口のオットもまた、自分の嫁と子供が新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の従業員に迷惑をかけてきたのだから、「どうも、いつも、迷惑をかけて申し訳ありません」の一言くらいあっていいはずだが、非常識で社会性のない女のオットはその女を男に変えたような男であったのか、「いつも迷惑かけて申し訳ありません」という一言が今日に至るまでない。その頃、滝口のオットは千葉県船橋市の飲食店に勤めていたということだったが、自分の嫁が子供の健康を配慮せずに子供を病気にならせて負担を他人さまに負わせて迷惑をかけているのに、「すいません」の一言も言えないような男、それを認識できていないような男が勤める飲食店では食事はしたくないものである。
  滝口恵は「子供」を大義名分に掲げて、滝口恵が担当で滝口恵がその仕事に対して報酬を盗っているものを、担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせて、滝口恵は定時に退社して、そして、他の従業員が労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働で滝口の担当の仕事・滝口が報酬をもらっている仕事をさせられているまさにその時に、滝口恵は滝口恵のオットと「妊活」(性交)をやって3人目をはらんで産んだのだった。その3人目の子供というのは、産まれる時点から人を犠牲にして産まれた子供であり、産まれる時点から呪われて産まれた子供である。滝口恵とそのオットは、「健康に配慮してたまるかシンドローム」の親の子供に産まれたがために2番目の子供をダウン症にならせ、3番目の子供は、まだふさわしい結婚相手とめぐりあうことができずにいる人間・結婚はできたが子供を欲しいと思いながらできずにいる人間と犠牲にして産まれた子供、ひとの「婚活」「妊活」に時間を奪ってその時間に滝口恵とそのオットが「妊活」(性交)をして産まれた子供いわば、人の子供を食い殺すことによって産まれた子供であり、産まれる時点からして「反社会的勢力」として産まれてきた子供だった。滝口恵の3番目の子供はその子供がこの世に存在することがなにより「反社会的勢力」である。
  公智神社の神さまは「木の神さま」。 「木の神さま」は、もちろん、木質系建築業に携わる従業員を守ってくださる神さまのはずで、木質系建築業の会社の不良経営者や不良経営者と組んで、一般従業員に労基法違反をさせて、一般従業員とその家族を犠牲にした者の守護神ではないはずである。 賽銭も多めに入れて念入りに参拝してきたので、きっと、神さまは不良経営者と縁故人間とそのオット・その子供に苛められ不当な扱いを受けた者の思いを理解してくださることだろう。

※ 公智神社HP http://kuchijinja.jp/
《ウィキペディア―公智神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%99%BA%E7%A5%9E%E7%A4%BE
西宮山口 公智神社 https://nishinomiya-yamaguchi.jp/?p=422
フェイスブック 公智神社 https://ja-jp.facebook.com/kuchijinja

  (2020.7.16.)

☆ 「木の神さま」ククノチノカミ 公智神社(兵庫県西宮市山口町下山口)参拝
1.ククノチノカミ とは。公智神社の由来。公智神社への道。
2.社殿・塩津神社・神輿殿・境内摂社末社。神社はそこで時間を過ごしてこそ。森林が少なくなってしまった公智神社の周辺。〔今回〕
企業と人権 (日本労働法学会誌 (78号)) - 日本労働法学会
企業と人権 (日本労働法学会誌 (78号)) - 日本労働法学会
美味しんぼ (101) (ビッグコミックス) - 雁屋 哲, 花咲 アキラ
美味しんぼ (101) (ビッグコミックス) - 雁屋 哲, 花咲 アキラ
「じつは 切れやすい子や 問題を起こす子と 話してみると、添加物をたくさん食べている子供が多かった」(安倍司)》
「なんで、そこまで 食 を軽視するんや」(難波)》
( 雁屋哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ 101 食の安全』2008.3.5.小学館 ビッグコミックス ↑ )
もしも、IH調理器を使っていたなら―家族の命の損得勘定を - 俊介, 船瀬
もしも、IH調理器を使っていたなら―家族の命の損得勘定を - 俊介, 船瀬
《 神経細胞に電磁波を当てるとカルシウムイオンが溶出する――。これは証明されている現象です。磁場強度(ガウス)と振動数(ヘルツ)を組み合わせるとリチウム、ナトリウム、カリウムなどのイオンに、前述の「サイクロトロン現象」を起こすのです。これら電磁波によるエネルギーがイオンの運動エネルギーに移行したことを意味します。
  つまり、細胞内部のカルシウムイオンなどが電磁波エネルギーを吸収して、らせん運動回転を始め、細胞膜を越えて溶出していくのです。これは、電磁波により神経細胞が損傷を受けたり、破壊されることを示します。そして、これは脳(中枢神経)の損傷につながります。脳が電磁波エネルギーで損傷を受ければ、さまざまな精神異常、行動異常が起きるのも当然といえましょう。・・・》
( 船瀬俊介『もしも、IH調理器を使っていたなら』2010.11.3.三五館 ↑ )
緊急改訂版 〔原子力事故〕自衛マニュアル (青春新書プレイブックス) - 事故・災害と生活を考える会, 桜井淳
緊急改訂版 〔原子力事故〕自衛マニュアル (青春新書プレイブックス) - 事故・災害と生活を考える会, 桜井淳
《 原子力事故が発生したら、外に干してある洗濯物はすぐに取り込まなければいけません。そしてビニール袋などに入れ、家のすみなどに保管しておくということは、前にお話ししたとおりです。・・・
  ではその後、これをどう処理すればいいのでしょうか。
  そのポイントは、以下の三点です。
(1)自治体等に持っていき、放射能検査をしてもらう
(2)ひどく汚染されているようなら、「汚染物質」として廃棄・処理してもらう
(3)ごく軽度の汚染なら、よく洗えば使用できる
  事故後すぐに取り込んだのなら、さほど重度に汚染しているということはないでしょう。しかし、油断は禁物です。・・・
  以上のことは、洗濯物だけでなく、自転車、鉢植え、サンダルなど、緊急に外から家の中に取り込んだものすべてについていえます。・・・ 》
( 桜井 淳(きよし)監修『緊急改訂版〔原子力事故〕自衛マニュアル』(2011.4.15.青春出版社 青春新書 ↑)

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