夏、犬にやってはならないこと・4つ+1.太陽がもろにあたるベランダに犬を放置すること。それをひとのせいにする人は、職場の仕事もひとのせいにする。

[第786回]
  夏、犬にやってはならないこと。 インターネットでヤフーの画面に出ていた。
《ヤフーニュース 犬に絶対NGな『暑さ対策』4選! その間違い行動が愛犬の死を招くことも・・・? わんちゃんほんぽ》 
https://article.yahoo.co.jp/detail/013e62272e85f84b46d9cd50f9d546436d32cf83
1.散歩にあまり行かない。
《 ・・暑い季節の散歩はワンちゃんに辛い思いをさせてしまうからと考えてのことだと思いますが、「散歩に行かない」という対策は決して良くはありません。
人間にもいえることですが犬の場合も同様で、ある程度の運動を毎日させるようにしなくてはいけません。
また、散歩に行くというのは犬にとって気分転換になります。そのため、部屋である程度動いているからといって散歩に行かないとストレスを溜め込むことになり、神経質になってしまったり、元気がなくなってしまいます。》
2.涼しすぎる環境のみに居させる
《 暑いときは涼しい場所にいるほうが安全かもしれませんが、ずっと居るとなると体に良くありません。そのため犬の暑さ対策として、涼しすぎる環境のみに居させるということは絶対NGな暑さ対策です。》
3.冷たい食べ物や飲み物ばかり与える
《 暑い日に冷たいものを食べることは嬉しいことかもしれませんが、食べ過ぎてしまうとお腹が冷え過ぎてしまいます。
そうなると下痢の症状をおこすリスクが高まり、暑さ対策のつもりが脱水症状を起こしてしまうかもしれません。・・》
4.日除け対策として服を着させる
《 日除け対策として服を着させるのも絶対NGな暑さ対策です。人間の場合は日焼け防止のために長袖の服を着たり帽子を被ることもありますが、ワンちゃんの場合だと逆効果です。
元から毛が生えていることや人間よりも基礎体温が高いため余計に熱を溜め込んでしまい熱中症のリスクが高まります。・・》
  「ポチパパ チャンネル」の動画を見ると、ポチパパの北村さんが、紀州犬の「北斗くん」にブラッシングをして、余計な毛をとることで「衣替え」して、犬としては夏向けの毛皮に変えるのが映っています。〔《YouTube-紀州犬北斗くんの衣替え 俺ブラッシング苦手やねん》 https://www.youtube.com/watch?v=eTxrjIZy2q0 〕 服を着せるのではなく、ブラッシングで余計な毛を取り除くのは夏向けになっていいのかもしれません。 「ポチパパ チャンネル」では、秋田犬の「大吉くん」(「大ちゃん」)が、首回りだけライオンのタテガミみたいに毛が残って、それと、しっぽの先だけ毛が残り、他は刈られて、なんだか、ライオンみたいなかっこしていますが、あれも、首回りだけ残して、夏向けに刈ったのか? ・・・どうか・・?〔 《YouTube-大吉くんトリミングしましたDog Rescue A&R》https://www.youtube.com/watch?v=wssha4D0ztI  〕 ポチパパさんがやってることだから、たぶん間違ってないのでしょうけれども、なんだか、ライオンみたい・・(^^)/  ポチパパさんの動画を見ると、よくここまで我慢してやるものだと思い、俺ならここまではできんだろうなあと頭が下がる思いがするものが多いのですが、しかし、時々、これって、もしかして、単にふざけてるだけちゃうんかあ? て感じのものもないでもなくて、大吉くんの「ライオンカット」も、なんじゃ、こりゃあ? ・・て(^^)/ ええんかいやあ~あ・・(^^)/ て感じが・・・

  今は昔、もう、30年ほど前、たしか、川崎市の溝ノ口か、横浜市の青葉区あたりだったように思うのですが、交通誘導のガードマンの仕事に行っていた時、道路をアスファルト舗装してすぐの所に、犬を散歩に連れてきた人がいて、犬は人間と違って靴を履いていないので、アスファルト舗装は終わった後とはいえ、靴を履いていない犬にとっては熱いようで、犬が嫌がってアスファルト舗装をしたばかりの所に行くのを嫌がっていたのですが、飼主が、無理矢理、引っ張って、アスファルト舗装したばかりの所を歩かせたのを見ました。念のため、お断りしておきますが、その時、交通誘導のガードマンの仕事でその場所に行っていましたが、そのアスファルト舗装の工事の交通誘導の仕事ではありません。その付近での別の工事での仕事です。もしも、こちらが、はっきりと、そのアスファルト舗装の工事の仕事でそこに行っていたのなら、飼主に、「今、アスファルト舗装をしたばかりですから、ワンちゃんには足が熱いかもしれません」と飼主に、一言は言ってあげたと思いますんが、付近の工事でそこにずっといましたからその場所をアスファルト工事をしたのを見て知っていましたが、こちらはその工事を行っていた者ではないので、又、飼主は、アスファルト舗装工事をやったばかりというのは見ればわかるはずでしたから、余計な口出しして、かえって、不快に思われても良くないかと思って言いませんでしたが、アスファルト舗装の工事をやったばかりの所を犬に歩かせるというのは、あれは犬がかわいそうだと思います。人間は靴を履いていますから、アスファルト舗装をやったばかりの上を歩いても、足をやけどすることなく歩けますが、犬は靴を履いていませんから、あれはかわいそうだと思います。

  《 涼しすぎる環境のみに居させる 》というのはよくないらしい・・・けれども、他方で、暑い場所に放置するというのも、やっぱり、いかんみたいです。
  1990年代前半、(株)一条工務店 の福島県いわき市の営業所におりました時、同じ営業所にいた「佐藤のじいさん」(男。当時、40代)が、総合住宅展示場のはす向かいのアパートに住んでいたのですが、夏、飼い犬をベランダに放置して、暑いさなか、日射に照らされまくって脱水症状を起こし、部屋中に入れてもらえず、死んだ・・・・というのか、「殺した」のと違うんかい? ・・「やっていること」から判断すると「殺した」ようなものです。 子供をクルマの中に置いて、パチンコやって、帰ってきたら子供が死んでた・・なんてニュースが時々ありますでしょ。「なんで、パチンコなんかのために」と言う人があるかと思いますが、私はパチンコはやりませんから、パチンコやらなくても生きて行けますが、パチンコやる人にとっては、生きていくのに何が大事かといって、パチンコなしでは人生はありえない・・というおっさんがいるのです。いいとか悪いとか言っても、その人にとっては、パチンコというものはものすごく大事なものなのです。しかし、だからと言って、子供は大事ではないというつもりはなかったと思うのですが、片方で、足利事件の被害者になった女の子は、お父さんがパチンコに行くのについていって、お父さんは子供をまったく見ていなかったわけではなく、パチンコをしながら、近くで遊んでいるのを見ていたらしいけれども、ふと、気づくと見当たらないから、どこに行ったと探しまわったが見つからなかった・・ということらしく、そういった被害に合わないようにと思えばクルマの中にいてもらった方がいいか・・と思う人もいるのかもしれません。 「佐藤のじいさん」は、パチンコやってる間に犬を「殺した」わけでもなく、普段、ベランダと2階の部屋の間の窓を開けていたのを、その時は閉めていて、犬はベランダで日に照らされて、死にそうになっていても、屋内に入ることができずに死んだ・・・て、それ、犬じゃなくて子供なら、犯罪やぞ・・・てものです。

  今は昔、1960年代なかば、私が小学校1年の時、父の会社の社員旅行で小豆島に行くのに一緒に連れてもらって行ったことがありました。母は父と一緒に行った高校生だった下の姉と私の3人のために水筒のお茶を入れ、それと別に、子供はお茶がなくて喉が乾くとかわいそうだからと子供用の鉄腕アトムの絵が描かれたごく小さい水筒にお茶を入れて私に持たせました。 ところが、大阪の弁天埠頭に行き、弁天埠頭から小豆島に行くフェリーボートに乗ろうとすると、会社の人たち(男女)は誰も水筒を持ってきていませんでした。もし、喉が乾いたら、どこかの売店でジュースでも買って飲むか、水道の水でも飲めばいいだろう、水筒を持って行くよりもそうした方が、水筒1本、荷物が減ると考えたのだと思います。ところが、船に乗ると、下の姉は、会社の人たちに、「お茶、どうぞ」と言って、片っ端からお茶を入れて配ってまわったのです。しかし、我が家は会社の社員旅行に一緒に行かせてもらった・・といっても、費用を出してもらって行ったのではなく、我が家の人間の分は我が家で費用を出して行ったのであり、姉は給仕係とか添乗員として会社の人から報酬をもらって同行したのではないのです。もしも、「すいません。お茶を少し分けてもらえませんでしょうか」と頼んできた人に、1杯わけるのなら、悪くはないと思いますが、頼まれもしないのに、頼んでいない相手に「お茶、どうぞ」と入れてまわるとどうなるか・・・というと、お茶をもらった人は、この人たちは自分たちのためにお茶を持ってきたのだ・・と思うようになってしまったようです。だから、自分たちだけがお茶を水筒に入れて持ってきているという場合、そのお茶を他の人に分けていいかどうかは、相手がどう受け取っているかを見て判断しないといけないのです。下の姉は高校1年生でしたから、わからないようならば一緒にいる父親がそれを教えないといけない・・・が、教えることのでいるようなおっさんではなかった。そのおっさんの方こそわかっていなかった。
  そして、2泊3日の3日目、小豆島の旅館を出る時、下の姉は「それじゃあ、旅館で水筒にお茶を入れてもらっていこう」と、そんなこと、口に出して有言実行しなくても黙って入れてもらえばいいのに口にしたところ、会社のある男性社員が「お茶なんて、入れてもらわんでもええ」と横から口出したのです。なんで、この人がそんなことを言うのだろうか? ・・と小学校1年生は思いました。 なんで? そう思いませんか? 下の姉は、あくまでも、私たち家族3人のために、お茶を入れてもらっていこうと考えたのであり、その人は関係ないはずなのです。ところが、往路で船の中で、会社の人たちに「お茶、どうぞ」と配ってまわったために、お茶をもらった人は、「この人たちは、自分たちのために、お茶を持ってきている人たちなんだ」と思ってしまったのです。だから、その男性は「お茶なんて要らん。お茶なんて、入れてもらわんでもええ」などと口出したのです。
  下の姉もまた、そんなこと言われても無視して入れてもらえばいいのに、「ええ~え? 要りませんかあ~あ?」などと間抜けたことを言って、そして、「普通の水筒」にお茶を入れてもらうのをやめて、「それじゃあ、〇〇ちゃんの小さい水筒にだけ入れてもらうことにしよう」と言い、それを聞いて、その会社の男性社員は「ああ、そのくらいでええ」などと言ったのですが、なんで、この人がそんなことを言うのか、と思いました。姉も、それに気づくべきですが、気づいていなかったのでしょうか。私が持っていた鉄腕アトムの絵が描かれたごく小さい水筒にだけお茶を入れてもらうことにしました。
  そして、小豆島から大阪の弁天埠頭までのフェリーボートに乗ると、2日目の夜に一緒に花火をして遊んでくれたお姉さん(ハタチ過ぎくらい?)が私に「お茶、ちょうだい」と言うので、一緒に遊んでくれたお姉さんが言うことなので、喜んで分けてあげたのです。しかし、子供は一緒に遊んでくれたお姉さんの求めだからと喜んで分けてあげたかもしれませんが、そのお姉さんの方はそれではいけません。子供でも、2つか3つ程度違う兄弟しかいない子供なら、小学校1年生にとってはハタチ過ぎのお姉さんというのは、ものすごい年上に感じるでしょうけれども、私の場合は上の姉と11違いましたから、ハタチ過ぎのお姉さんも上の姉よりさらにもうちょっと上くらいの感覚だったのですが、子供はそう思ったとしても、その女性社員は、すでにハタチを過ぎて会社勤めをしている社会人であり、そして、父の勤め先は化粧品会社で、そのお姉さんというのは美容部員さんでしたから、美容部員さんというのは、言っちゃなんだが、あんまり頂点ではない方の高校卒でいなかから出てきて勤めた・・という人が多く、あんまりいい学校でてない人ですが、それでも、美容部員という仕事は営業ですから、特に、営業の仕事についている者は、小学校1年の子供が持っているものを「それ、ちょうだい」などとは言ってはいけないのですその女の上役はそれを注意しないのか? その女の上役て、いったい誰なんだ?・・というと、うちの父親だったのですよ。私ならば、自分の部下にあたる人がそういうことをしようとしたならば、「△△さん、子供が持っているものは取り上げないでもらえないかな」と注意します。それが、父親の役割であるだけでなく、その女性社員の上役としての会社の役職上の仕事です。高校卒で入社したハタチ過ぎくらいの「言っちゃなんだが、あんまり賢くないおねーちゃん」には、それはいけませんよ、と教えてあげないといけません。
  それを見て、そのおねーちゃんの上役であるうちの父親はどうしたか? 「ちょっと、それ、貸してんかあ」と言って、私から鉄腕アトムの絵が描かれたごく小さい子供用の水筒をとりあげて、「配給、配給。お茶の配給です、お茶の配給♪」と言ってチャラけて、別にお茶を欲しいと言っていない人にまで、片っ端からお茶を入れてまわったのです。今から考えると、あの男、アホです。「私は今までからあの人のことを『特別に賢い』とかいうようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった」・・・。
  そして、私が「喉かわいた。お茶欲しい」と言うと、父は「ないねん。お茶、もうないねん」と言うのです。私が肩からかけて持ち運んだ水筒のお茶なのに、私が1滴も飲まないうちに、「もう、お茶ないねん」・・・て、「私は今までからこの人のことを『特別に賢い』というようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった」・・・。
  父は「売店に行って、ジュースこうたろ」と言って、船の売店に行ったのですが、小豆島から弁天埠頭まではそれほど長くないからか、売店は閉まっていました。父は「弁天埠頭についたらこうたる」と言って私に弁天埠頭まで我慢させることにしました。
  しか~し。 弁天埠頭につけばジュースを買ってもらえると小学校1年生は思ったのですが、その認識はあまりにも甘かった。弁天埠頭につくと、父は「バスきてる、バスきてる。弁天町の駅に着いたらこうたる」とそう言って、さらに我慢させて、国鉄(現 JR)大阪環状線「弁天町」駅のプラットホームまで行きました。
  そして、弁天町駅のプラットホームに行くと、「電車きた、電車来た。天王寺の駅に着いたらこうたる」と父はそう言ったのです。大阪環状線はかつては「国電」と言われた通勤路線で、5分も経たないうちに次の電車は来る路線です。だから、「電車きた、電車きた」と父は言ったのですが、大阪環状線は、その時だけではなく、たいてい、いつでも、「電車きた、電車きた」という状態になるのです。 小学校1年の時の私は、その時、電車が来たというのは運が悪かったと思ってしまったけれども、そうではなかった。父は最初から分かっていたと思います。大阪環状線は、いつだって、すぐに電車は来るということを大人は知っているのです。
  そして、天王寺駅につくと、もうそろそろ、どうなるか話の結末を予想される方もあるかと思いますが、「電車きてる、電車きてる。南田辺の駅に着いたらこうたる」と、父はそう言ったのです。いくらなんでも、あんまりやあ・・・と、いくら子供でも思いました。天王寺駅は阪和線の始発駅です。今では、JRの阪和線から紀勢線に乗り入れる特急「くろしお」は京都駅もしくは新大阪駅始発で、大阪環状線の西側を経由して天王寺駅から阪和線に入り、和歌山駅から紀勢線に入りますし、阪和線の快速は京橋駅もしくは大阪駅から大阪環状線の西側を経由して天王寺駅から阪和線に入りますが、その頃は、紀勢線に直通の特急「くろしお」・急行「きのくに」も、阪和線の快速、「直行」と名づけられた区間快速も「普通」(各駅停車)も、すべて、天王寺駅始発でしたから、そういう櫛型ホームのターミナル駅には、いつだって「電車きてる」のです。なおかつ、ターミナル駅では「電車きてる」としても、その電車の停車時間は長く、なかなか、発車しないのです。それは子供でも知っていました。ですから、阪和線の各駅停車に乗ってもなかなか発車しないので、私は「まだ、発車しないから、ジュース買って」と訴えましたが、父は「もう、出る。もう、出る。」「もう、発車するがな。もう今すぐ発車するがな」と言いまくりました・・が、なっかなか発車しないのです。天王寺駅の各停は。
  そして、やあっと発車して2つ目の南田辺駅に到着しました。もう、ここから家までは歩くだけで、「電車きてます」も「もう出る、もう出る」もないはずだ・・と思ったのです・・・が、そうすると、父はこう言ったのです。「もうすぐ、家です。もうすぐ、家」と。「喉かわいた。死にそうだ」と子供は言ったのです。「もうすぐ、家ですと言ってますでしょ。わかりませんのんか。もうすぐ、家です、もうすぐ、家」と。 結局、私は、自分が肩からさげていった水筒の水を「会社の人」にすべて奪われて、小豆島から弁天埠頭に向かう船のなかから、「売店に行ってジュースこうたろ」と言われて騙されて、家まで我慢させられたのでした。
  こんなことする人、あんまりないと思うがなあ~あ・・・と思いました。この人、なんで、こんなこと、するかなあ~あ・・・と思いました。こんなことやって、何か楽しいかなあ~あ・・とも思いました。近所の子供、幼稚園・小学校の同級生でも、親にそんなことされた者は知りません。そんなことを親にされたのは、私くらいのものです。なんで、この人、こういうことをやろうとするんだろうか・・と思いました。 今ならもうひとつ、この人、いったいどんな育ち方したんだろうなあ~あ? とも思います。「親の顔が見たい」と言っても、実物については母親である祖母は私が子供の頃は同居していましたから、父の母親の顔は何度も見ていますが、父の父(祖父)は私が産まれるよりも前に他界していますので、写真でしか見たことはありませんが、「親の顔が見たい」と言っても実物を見たいのではなく、この人、いったい、どこからそういうことをやろうという気持になったのか、とあきれたのです。
  健康についての考え方はその時代によって変わることがあるようで、今では「熱中症にならないよう、脱水症状を起こさないように、水分補給をまめにしましょう」なんて言っていますが、その頃は、逆に、「夏場は水分を多くとるとばてるから、水分はあまり採らないようにした方がいい」と言われていました・・・が、人間の体が、その頃の人間は今の人間と逆にできているわけではないはずで、あれ、悪くすると、「熱中症」だか「脱水症状」だかで死に至ったということだって、可能性としてあったと思われます。

  そして、私が20歳の時、うちの父親、「もうすぐ、家です」と言ったおっさんは、こう言ったのです。「あんたには、世の中の他の親とはちごうて、あんたが欲しいと言ったものは、いつでも何でも、どんな時でも、何でも何でも何でも何でも、ええもんばっかし、いつでも、こうてきて、やあってやって、やあってやってやあってやってやってやってやってやってきてやったったから!」と・・・( 一一)( 一一)( 一一)
  そう言いやがったのです。さすがに、20歳の時の私はそれには「違う。絶対に違う!」と言い返しました。この男、何をぬかすか! とあきれました。 幼稚園の時も小学校の時も、同級生が親から買ってもらったというものを見せてもらって、自分も欲しいと思っても、欲しいと言っても買ってもらえないことが多く、逆はほとんどありませんでした。父と何かを買いに行くと、たとえば、私は小学校5年から近視になってしまったのですが、最初に眼鏡を作りに行った時、大丸の眼鏡売場に母と一緒に行くと、店員が「レンズはどういうレンズにされますか」と言った時、母は「フレームは特に高級品でなくてもいいですけれども、できるだけ近視が進まないように、レンズはいいレンズを入れてください」と言い、5種類ほどあったレンズで上から2番目の値段のものを選んだと記憶していますが、次に、父と一緒に作り変えに行くと、父は「安いのん、やふいのん。やふいのんがええ。一番、やふいのんにしてください。やっふ~いのん♪ どうせ、こいつの眼なんか、すぐに悪なるねん。一番やふいのんがええ、一番やっふ~いのん♪」と言って、フレームはそれまでのものを使って、レンズはやはり5種類ほどあった中の一番安いものにされました。父は、いつでも、一緒に何かを買いに行くと、私には「こいつのは、一番安いのんがええ、一番やふいのんが」と言いまくってきたのです。まさか、自覚がないわけないはずです。その時だけではありません。うちの父親は、いつでも、常に「やっふいのんがええ、やっふいのんが」と私には言いまくってきたのです。
  それを、「あんたには、世の中の他の親とはちごうて、あんたが欲しいと言ったものは、いつでも何でも、どんな時でも、何でも何でも何でも何でも、ええもんばっかし、いつでも、こうてきて、やあってやって、やあってやってやあってやってやってやってやってやってきてやったったから!」と言うので、いくらなんでもよく言うわ! と思い、「絶対、違う。それは絶対に違う」と事実に即して言いました・・・が、そうすると、うちの父親はなんと言ったかというと、「はあん。こいつ、こんなこと言いよりますわ。難儀やなあ、こいつはあ。わしはこの世に他には絶対に見当たらないという聖人であって、こいつには、子供の頃から、何でも何でもどんなもんでも、ええもんばっかし、何でも何でもこうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってきたのであって、こいつは、よそとはちごうて、子供の頃から、どんなもんでも、何でも何でもええもんばっかし、何でも何でもこうてきてもらってやってもらってきた人間やのにからに、こんなこと言いよる。これは、こいつ、間違いなく、ビョーキや! こいつ、ビョーキやからこういうことを言いよるんや。クスリ、飲ませたらんとあかん、こいつに。それも、大量に飲ませたらんとあかん! クスリだけやのうて、電気ショック! とか、ロボトミー! とか、そういうのんを、こいつにやったるべきや。このわっしのようなエッライえっらいエッライえっらい、誰からも敬われるキリストのような聖徳太子のようなヒットラー総統のようなドイツ人のお父さんをもって、この世のどの子供よりも恵まれて、この世のどの子供よりも贅沢させてもらってきた男が、こういうことを言うというのは、これは間違いなくビョーキや。ロボトミーやったるべきや、ロボトミー! 電気ショックやったるべきや、電気ショック! こいつに電気ショックやったらんといかん、こいつに! いらいらしてきたあ~あ! わしは聖人であって、常に気持ちが落ち着いた、精神的に安定した、神のような人間やのにからに、いらいらしてきたあ~あ! こいつのおかげでいらいらしてきたんや、こいつのおかげでや! イライラしてきた、イライラしてきた、イライラいらいらイライラしてきた、してきた、してきた、してきた、してきた。いらっこイライラちゃっちゃっちゃ♪ いらっこイライラちゃっちゃっちゃ♪」と、そう言ったのです。 フィデル=カストロがキューバのバチスタ政権から「死刑」を宣告された時、「私を死刑にせよ。そんなことは問題ではない。歴史が私に正義を宣告する」と語ったといいますが(フィデル=カストロ『わがキューバ革命』)、電気ショックでも、ロボトミーでも、何でもやってもらおうじゃないか! 「歴史が私に正義を宣告する」・・と思いました。うちの父親は、そういうおっさんでした。
わがキューバ革命 (1961年) (新しい人間双書) - フィデル・カストロ, 池上 幹徳
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現代の医療被害 (1978年) - 青年医師連合
現代の医療被害 (1978年) - 青年医師連合
  なんで、年中、いつでも、「いらいらしてきたあ。いらいらしてきたあ」といつでもイライラいらいらいイライラしているおっさんが、「わしほど精神的に安定した、気持ちの落ち着いた、心の広い、聖人のような人間」なのかようわからんのだが、うちの父親が言うには「おまえが悪いんじゃ。おまえのおかげでわしはイライラしとるんじゃ。お前が産まれたのがいかんのじゃ」ということだったようなのですが、しかし、私の記憶では、私が産まれて最初に物心がついた時、あのおっさんは、すでに「イライラ」しとった、と思うのだ・・が、こういうことを言うと、「電気ショックとか、ロボトミーとかやって、こいつにわからせたらんといかん」とかいうことになるのだろう。
   そういうおっさんを見て、「会社ちゅうところでは、わしほどエライ人間はおらんねんぞ、わしほど。わしは、およそ、会社っちゅうところでは、このわしほどエライ人間はおらんねんぞ」と毎日言っていましたので、それで、大学卒業後に勤めるのなら、ともかく、「会社ちゅうところ」でない所に勤めるようにしたい、と思いましたが、そうすると、またもや、うちの父親は「会社ちゅうところに勤めるのを嫌がる者は、モラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらいエライえら~い♪という先生が、そうおっしゃってる」と言うようになったのです・・・が、それならば、まさにその小此木啓吾こそ、慶應大学医学部助教授として、「大学」という所と「病院」という所に勤めていたのですから、「会社ちゅうところに勤めるのを嫌がるモラトリアム人間病という病気」の人間であったはずなのです。それこそ、「電気ショックとかロボトミーとかやったるべきや」というその基準をあてはめて、小此木啓吾に、電気ショックとかロボトミーとかやってやればよかったのではないでしょうか。
  ・・・私、世の中で、「今、生きている人間」と「少し前まで生きていた人間」で、誰が嫌いといって、小此木啓吾ほど嫌いなものはない! 地獄へ落ちろ、小此木啓吾!  地獄で苦しめ、内部進学独善主義小此木啓吾!!!

  そのおっさんが、よく、言っていたのです。「朕思うに、我が皇祖こ~そ~はあ、親に孝に、親に孝に、親に孝に、親に孝にじゃ。わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしに、わしに、わしに、わしに、わしにわしにわしにわしにい! んが、んが、んがあ~あ!!!」と。「教育勅語」というのは、そういうものですよ、そういうもの。だいたい、あのおっさん、自分の親が生きている間は、そんなこと、一言も言わずに、自分の親は2人とも他界した、息子はいる♪ と思うと、突然、「朕思うに、我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにじゃわしにい、んが、んが、んがあ!」と言いまくるというのは、あれはどう考えても「ずっこい」と思う。 私、今でも、その文句が耳元でわんわんうなっているのです。「朕思うに、我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに、わしに、わしに、わしに。わしにわしにわしにわしに。んが、んが、んがあ!」という文句が。
教育勅語 (朝日選書) - 山住 正己
教育勅語 (朝日選書) - 山住 正己
天皇制 (東大新書 (6)) - 清, 井上
天皇制 (東大新書 (6)) - 清, 井上
  さらに、私が慶應大学に在学中、うちの父親は、「あんた、新幹線の中で弁当食うのなら、あんたはとんかつ弁当がええ、とんかつ弁当が。わしは、いつも、新幹線でウナギ弁当食うんやけどな。あんたは、とんかつ弁当や」と言うので、なんで、ひとが食べるものを決めるのだろうか、実際に食べる人間が食べたいものを買って食べればいいのと違うのか・・・と思ったものでしたが、後に東京駅および新大阪駅の弁当売り場で見て、その理由がわかった。東京駅および新大阪駅の弁当売り場では、ウナギ弁当が一番高くて、とんかつ弁当が一番安かったのです。「ぜいたく、すんなよ、チャンコロ!」「ぜいたく、してはならんぞ、チャンコロ!」「わかっとんのか、チャンコロ!」と、うちの父親は、毎日毎日、私の眼を指で突きさすように指さして言い続けました。「贅沢は敵だあ!」「欲しがりません、勝つまでは!」「とってちってたあ~あ!」と毎日毎日言われてきました。
  うちの父親は私に電話をしてきて、「お父さんは、軍国主義の時代の犠牲者です」などと言うので、あんた、よう言うなあ、あんた、被害者やのうて加害者やろうが! あんた、私に「とってちってたあ~あ!」と言い続けてきただろうが。あんた、私に「贅沢は敵だあ!」「会社のために、ささげ尽く~す。木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたあ~あ!」「どんがん、どんがらがった、茶ちゃちゃ茶ちゃあ~あんじゃああ~あ♪ とってちってたあ~あ!」と私に毎日毎日言ってきただろうが。あんた、被害者じゃなくて加害者だろうが! 何、言ってんだ、あんた私に毎日「とってちってたあ~あ」とか言いまくってきただろうが・・と思いましたが、私に対して「贅沢は敵だあ」というその姿勢・その態度をとってきて、近所の子や幼稚園の同級生や小学校の同級生が買ってもらえていたものでも私には買ってもらえないというのはいつものことでしたが、それでいて、私がハタチになると、「あんたには、世の中の他の親とはちごうて、あんたが欲しいと言ったものは、いつでも何でも、どんな時でも、何でも何でも何でも何でも、ええもんばっかし、いつでも、こうてきて、やあってやって、やあってやってやあってやってやってやってやってやってきてやったったから!」と言い、「はあん。こいつ、こんなこと言いよりますわ。難儀やなあ、こいつはあ。わしはこの世に他には絶対に見当たらないという聖人であって、こいつには、子供の頃から、何でも何でもどんなもんでも、ええもんばっかし、何でも何でもこうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってきたのであって、こいつは、よそとはちごうて、子供の頃から、どんなもんでも、何でも何でもええもんばっかし、何でも何でもこうてきてもらってやってもらってきた人間やのにからに、こんなこと言いよる。これは、こいつ、間違いなく、ビョーキや! こいつ、ビョーキやからこういうことを言いよるんや。クスリ、飲ませたらんとあかん、こいつに。それも、大量に飲ませたらんとあかん! クスリだけやのうて、電気ショック! とか、ロボトミー! とか、そういうのんを、こいつにやったるべきや。」と言うようになったのですから、あのおっさんの方こそ、「入院療法」(=逮捕監禁)・「薬物療法」(=薬漬け)・「作業療法」(=強制労働・労働搾取)・「心理療法」「カウンセリング」(=言いくるめ・精神支配・マインドコントロール)・「精神外科」(=撲殺療法)とかやってやると、もしかして、「ちょっとはマシになるかもしれん」て感じがしないでもありません・・・が、もう、死んでまいよった・・。

  それで・・・・、犬でも人間でも、今でも昔でも、夏場、水分を採らさず、暑い中、我慢を続けさせると、死んでしまう・・ということはあります。
  もしも、人間を、夏場、太陽があたって暑いベランダに放置して家中に入れないようにしたとすると・・・、大人ならば、そうなると、そのベランダの下は庭なのか道なのかわかりませんが、飛び降りた時に、少々、怪我をする可能性があったとしても、2階のベランダくらいからなら飛び降りて、たとえ、どっか打撲するか捻挫するかしても、命を守る方が大事ですからそうするでしょう。
  子供の場合、判断がつかずに、そのまま、その場所にいて死亡する可能性もあるでしょうけれども、子供は口をきけますから、ベランダから隣人なりに助けを求めることができる場合もあるでしょう。
  犬は口をきけないし、ベランダの手すりを越えようとしても、「佐藤のじいさん」が飼っていた犬は小型犬なので、ベランダの手すりを超えることはできなかったのではないか。

  犬を殺しても、犬は人ではないので、刑法上、殺人罪にはなりません。 しかし、他人が飼っている犬を殺すとどうなるかというと、やっぱり、犬は人ではないので殺人罪にはなりませんが、日本の刑法では器物損壊罪になるはずです。 だから、あの野郎、ええかげんにせえよお! あのバカ女、許せん! ・・と思ったけれども、人間に手を出して殺人罪とか傷害罪とかにされたのではたまらん・・ということで、その許せんやつが飼っている犬だか猫だかに、毒入りのエサを食わせて死なす・・・なんてことをする人、もしくは、犬が死んだという時、もしかして、毒入りのエサを食わされたのとは違うのか、という感じがするようなケースもないではないのです・・が、犬は人ではないから殺人罪にはなりませんが、器物損壊罪になるらしい。
  もっとも、我が家の敷地内に勝手に入ってきて、苗木を踏みつけたり、庭に糞をしたり、車庫に置いている物(有用)の上にしょんべんして使い物にならなくしたりしていく近所の飼い猫をふんずかまえて、「器物損壊」やったら器物損壊罪になるというのなら、それなら、その猫が我が家の物を器物損壊するのはいっこうにかまわないというのは、それはおかしいのではないのか、とも思うのですが、どうも、猫の飼主というのは、犬の飼い主が、犬が散歩中によその家の庭に侵入して庭に置いてあった物を壊したなら弁償しないといけないと考えるのに対して、猫の飼主は、飼い猫を放し飼いにして、放し飼いにしている猫がよその庭や車庫に勝手に侵入して、よその家の物を器物損壊しても、「それはしかたがない」とか考えている人が多いようで、そうであるから、私は、動物としての犬も猫も嫌いではないが、飼主については、犬の飼い主よりも猫の飼主というものが、あまり好きではないのです。なんで、「猫の飼主」は私の物を猫に器物損壊させる権利があるのでしょうねえ・・・。

  私の母親は「親には息子に対しては『所有権』という権利がある」と言っていたのですが、息子の方では「所有権」なんてものは親にないと思っていたのでしたが、母としては「あんたの体はあんたが自分で産んだのとは違うやろうが。親に産んでもらったからには産んだ者に所有権があるはずや」と言っていました。なんだか、う〇こ みたいですね。う〇こ と一緒でひりだした者に「所有権」というものがあるそうです。
  そうなると、ひりだしたのは母親の方ですから、「所有権」てのは母親にあって父親にはなさそうですが、うちの父親は「子供というのは種を植えた者に権利があるんや」と言うのでした。「茄子(なすび)でも胡瓜(きゅうり)でもそうやろ。女は単なる畑であって、男が種を植えたことでその種が芽を出したわけや。畑が芽を出したのとは違うんや。そんで、種が芽を出したら育てるのは畑の役目じゃ。甘ったれとってはいかんぞ、子供ちゅうもんは畑が育てるもんやねんぞ、畑に育てる義務があるんやぞ。心得違いを起こすなよ。甘ったれとってはいかんぞ。それで、畑が育てて芽が大きくなって実を結ぶようになったら、その実は種を植えた者に権利があるわけや。畑に権利があるのとは違うんや。ましてや、茄子に権利があるわけがないんや。わかっとんのか、この茄子(なすび)! 心得違いを起こすなよ、チャンコロ!」と毎日毎日、私の眼を指で突きさすようにして言っていました。このうちの父親の見解に賛成の説と反対の説があるようで、1970年代後半、父の親友の医者屋のM川(男。当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住)は父と同じく「子供ちゅうもんは女が育てるもんじゃ。そんで、大きくなったら父親が命令するもんなんじゃ」と言っていましたが、厚生労働省は正反対の説で「子育てをしない男を父親とは言わない」と大きく書いたポスターを公共機関などに貼っていました。もし、父親が相当忙しい仕事についていて母親が専業主婦という家庭などでは、時間的には母親の方が子供に接する時間が長くてもかまわないと思いますが、それでも父親は母親とともに子供を育ててこそ父親であり、「子供ちゅうもんは女が育てるもんなんじゃ」などといううちの父親や医者屋のM川のような認識の男を「父親とは言わない」と私は思います・・が、うちの父親や医者屋のM川などはそうではなく「子育てをしない男を父親とは言わない」などと言う人間というのは「甘ったれとるからそういうことを言うんじゃ。甘ったれとるからじゃ」「つけあがっとるからそういうことを言うんじゃ」ということになるそうです。
  う〇こ説によると「所有権」は母親にあるそうで、茄子説によると種を植えた者に権利があるそうで、どっちにしても茄子には何の権利もないそうです・・・が、とりあえず、日本の刑法では、う〇こ説によるか、茄子説によるかにかかわらず、親が子供を殺したという場合には、う〇こ だから母親がう〇こ をどうしようが勝手というわけにもいかず、母親が自分の子供を殺せば殺人罪になりますし、茄子だから父親に権利があるわけで、茄子の所有者が茄子をどうしようが勝手というわけにもいかず、父親が自分の子供を殺せば殺人罪になります。しかし、犬の場合は、他人が飼っている犬を殺すと器物損壊罪になるのですが、飼主が自分が飼っている犬を殺したとしても、犬は人ではないから殺人罪にならないとともに、他人の物を壊したわけではないので器物損壊罪にもならない。でも、なんか、変だと思いませんか? 他人の飼っている犬を殺してはいかんが、自分が飼っている犬なら殺してもいいって、なんか変じゃないですか? 人間なら、自分の子供だから殺してもいいということにはならないのですが、犬なら他人が飼っている犬なら器物損壊罪だが自分が飼っている犬なら、何も問題ないって、なんか変だと思いませんか?

  他人が飼っている犬を殺したら、器物損壊罪になるとすると、あまりにもうるさく吠えてうるさい犬をなんとかしてくれと言っても、「犬は吠えるものですよ」とか居直って対処しない飼主とかがいますと、そうかい、それじゃあ、「犬は、ひとがくれるエサならいいエサでも悪いエサでも食べるものですよ」ということで、毒入りのエサでも食わせたろうかい・・と考える人もいるようなのです。
  しかし・・・。 近所迷惑な飼主はいますが、なおかつ、犬もまた飼主に似て、根性悪いとしても、飼主と同様に根性がう〇こでできてる犬だからといって、毒殺までするというのは、それはちょっと・・・・という時におすすめ・・・していいのかどうかわからんのが、「カラムーチョ」。 ポチパパチャンネルの動画によると、保健所の職員にカラムーチョを食べさせられた犬が怒って、食べさせた職員にのみ吠えかかるということから、精神疾患だと言われたが、それは犬が精神疾患であるのではなく、カラムーチョなんて人間が食べるのならいいけれども、犬に食べさせたら犬は怒るわ・・・という話が出ていたのだ・・・・が〔《YouTube-保健所【怒】カ○ムー○ョ食べさせ脳障害と判定し譲渡外になった犬 Animal Rescue Nursing》https://www.youtube.com/watch?v=a9ISK4_r42M 〕、我が家の庭に不法侵入してくるどこやらの飼い猫、「かわいい」「かわいい」となでるのは自分の所でやって、糞は我が家の庭にさせて、我が家の車庫に置いてある物(有用)の上にしょんべんさせて「器物損壊」させ、我が家の庭の苗木を踏みつけて「器物損壊」させても平気な飼主の猫。あの猫に、カラムーチョ、食わせたろうかい、カラムーチョ♪♪♪
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  もしくは、我が家の車庫の入口に、超特大のう〇こ していった犬・・と思う、まさか、人ではないと思うが、監視カメラでもつけて、後を追跡して、どこの犬かつきとめて、その犬に、カラムーチョ、食わせたろうかい、カラムーチョ♪♪♪ ・・・とか思わんこともないが、なんか、大人げないような気もするし、その前に、暇でもないから、考えるくらいは考えるけれども、実行するほど暇じゃない・・・という結果になる。しかし、よその庭に不法侵入を平気でさせている飼い猫がカラムーチョ食わされたからと言って、飼主が文句を言うのなら、それは筋違い(すじちがい)であろう。 『元・阪神』(廣済堂)によると、元・阪神の仲田幸治投手は、アメリカ合衆国人の男性と日本人の女性との間のハーフらしいが、沖縄には米軍基地に来たアメリカ合衆国人と日本の女性との間にできたハーフの子供がいるが、仲田幸治氏はそういうことではなく、お母さんがアメリカ合衆国にいた時に結婚した男性の子供で、離婚して沖縄に帰ってきたらしいが、沖縄では、ハーフの子供に対して抵抗があり、仲田幸治さんが子供の頃、高校生から苛められてボコボコにされた、ということがあったが、そうすると、お母さんの再婚相手の日本人の男性、実の父親ではない義理の父親が、義理の子供を苛めた高校生を逆にボコボコにした上で、その高校生と息子を高校生の親の所に連れていって、「俺はおまえの息子をこんなにした。しかし、おまえの息子は俺の息子をこんなにした。なんか、文句あるか?!?」と言ったというのだ・・・・が、もしも、我が家の庭に不法侵入して糞していく猫、我が家の車庫に置いていた物(有用)にしょんべんして使い物にならなくした猫にカラムーチョ食わせてやったとか、我が家の車庫の入口にばかでかいう〇こ していった犬にカラムーチョ食わせたからと言って、それで飼主が文句言うのなら、それは筋違いではないか。カラムーチョ食わされたからって「なんか、文句あるか!?!」と言ってやるべきではないか。 カラムーチョ食わされたくらいで、ガタガタ言うな!・・・て、ほんま、カラムーチョ、食わせたろか、ほんまあ・・・と思うのだが、なんか、一生懸命、それやるというのは、なんか、大人としてわびしいような気もしないでもない・・・し、よその犬にカラムーチョやるくらいなら自分で食った方がよさそうにも思うし・・・するが。
  もしくは、逆に、「えぞしかジャーキーしかジャーキー」〔《YouTube-夏本番!エゾ鹿ジャーキー祭り PART2》https://www.youtube.com/watch?v=ZuavGyuUGLA 〕・・・の猫用というのがあるのかどうか知らんが、そういうものをあの猫にやって手名付けて近づいてきたところを捕獲してボコボコをした上で、飼主の所に連れていって、「俺はお前の猫をこんなにした。しかし、おまえの猫はうちの物をこんなにした。なんか、文句あるか!」と言ってやる方がいいか・・・と思わんこともないのだが、あんまり、まめじゃないので、そこまでやるのは、めんどくさい・・・・と思うと、長年にわたって、あのどこの飼い猫かわからんがどう考えても飼い猫どもは、我が家の領土を侵犯し続けてきて、時々、「爆弾」を落として行ったのだった。ほんま、カラムーチョ、食わせたろか、カラムーチョ!!!
  もしくは、エゾしかジャーキーしかジャーキーの猫用・・があるのかどうか知らんが、そういうものであのどこやらの飼い猫を餌付けした上で捕獲して、スタンガンで「電気ショック療法」やったるとか、木刀とかバットとかで特に頭部めがけてボコボコにするという「精神外科療法」やったるとかした上で、飼主に「治療費」を請求するというのはどうか? 健康保険組合に請求してもいいか? 人じゃないからだめか・・・?
※ なお、ポチパパ 動画で、ポチパパ=北村さんが、「東大阪」と犬に言う場面があり、関西以外の人は、おそらく、何のことを言っているのかわからないと思うのですが、大阪府の東大阪市は、かつて、布施(ふせ)市・河内市・枚岡市の3市が合併して東大阪市になり、東大阪市の西よりは布施市だったわけです。近鉄奈良線・大阪線が分岐する駅が布施(ふせ)駅。

( ↑ マーカーは、近鉄奈良線・大阪線「布施(ふせ)」駅。 )
「東大阪」⇒「布施(ふせ)」⇒「伏せ」・・・て意味やった・・て、人間が、相当考えてやっとわかった・・というものを、そんなん、犬がわかるんかい? ・・というと、「課長くん」は「東大阪」と言われて「伏せ」やってるところが、なんともすごい♪

 (株)一条工務店のいわき市の営業所 ↓ に、

( ↑ 福島県いわき市平尼子町3。 JTいわきハウジングパーク がかつてあった所。今は、スーパー「マルト」がある。)
「佐藤のじいさん」がつれてきていた、なんか、飼主に似た、へえへえ・・て感じの、なんか、飼主に似て根性が卑しそうな犬、あれにも、カラムーチョ食わせたったらよかったか・・・
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・・とか思わんこともないが、その前に死んでまいよった、というのか、飼主が夏にベランダに犬を出しっぱなしにして「殺した」。「殺した」のだと思いますよ。刑法上は、飼主が自分が飼っている犬を殺したとしても、犬は人ではないから殺人罪にはならないとともに、他人が飼っている犬を殺したなら器物損壊罪になっても、自分が飼っている犬を殺した場合には器物損壊罪にならないようだけれども、そうであったとしても、飼主は自分が飼っている犬の健康は配慮するべきもので、自分が飼う犬の健康を配慮できないなら飼うべきではないはずだということから考えると、「殺した」のだと考えるべきでしょう。

   日本の刑法では、他人が飼っている犬を殺すと、器物損壊罪になるにもかかわらず、自分が飼っている犬なら殺しても、何ら罪にならない・・というのは、どうも、なんだか・・という気もするのです。 しかし、日本では犬を食べる人は少ないけれども、ウサギは、かつては食用にされたし、今でもウサギを食べる地方はあるようで、牛や馬は食用でない場合でも、乗馬用の馬とか、乳牛用の牛とか、ペットではない場合が多いけれども、ウサギはペットである場合と食用である場合があり、豚も食用にされることが多いが、最近では、ミニ豚というのが、ペットのように買われたりするらしいが、ともかく、どんな動物でも、ペットとして飼っている人からすれば、食用にする人というのは残酷に思えるかもしれないが、最初から食用にしている人からすれば、それが普通であり、人間は生き物の命を頂いて生きているのであり、食用に買っていた動物を殺して何が悪いかということになるでしょう。
   ですから、犬でも、食用に犬を食べる国もあるらしいので、そういう国で犬を殺して食べたとしても、それは、日本で、食用の牛や豚や鶏を殺して食べるのと同じ意味でしょうけれども、ペットとして飼っている犬を、こういうことをやると死ぬ、ということをやって「死なせた」という場合、他人が飼っている犬にやったら器物損壊罪で、自分が飼っている犬にやったら何でもない・・・というのは、それは何だか・・という気がします。

  犬を簡単に死なす人って、
(1) 子供ならそういう扱いにはしないが犬だからそういう扱いにしたのか、それとも、
(2) 犬と同様に子供でもそういう扱いにするのか。 ・・どちらなのか・・・。
(3) 自分の犬や自分の子供なら大事にするが、ひとの子供・ひとの親ならどうでもいいのか・・・。
「佐藤のじいさん」の場合は、おそらく、(3)でしょう。 自分⇒自分の子供⇒自分の犬⇒ひとの子供・ひとの親 というように優先順位が変わるのでしょう。 

   それで・・・・、「佐藤のじいさん」は、しばらくして、こう言ったのです。「誰か、窓開けて部屋中に入れてやればいいのになあ~あ。かわいそうだよなあ。誰も入れてやらないなんて」・・・・て、はあ? はあ~あ??? 
   あんたが、飼ってる犬だろうが、あんたが飼ってる犬。 あんたが飼ってる犬を、誰が部屋中に入れるんだよ、部屋中に入れるのなら、あんたしかおらんだろうが、あんた。
   その発言は不愉快だった。 どこが不愉快かというと、同じ営業所にいる人間に対しての態度と、その発言は共通するものだったから。仕事する上においても、同僚に迷惑かけても、「おら、知らね」・・・と逃げるのです、この人は。 しかも、いわき地区の従業員には、「佐藤のじいさん」のそういう態度の被害にあった者、私などに対して、自分は「佐藤のじいさん」と別の営業所(展示場)にいてそれほど被害を受けずにいて、それで「佐藤さんはアルツハイマーだからしかたがない」とか言って「勝手なじいさん」を擁護する人がいっぱいいたのです。それは、おかしい。 「アルツハイマーだから」という理由で、ひとに迷惑かけても、「おら、知らね」「おめえが悪いんだ」とか言って逃げる権利がある、という主張はおかしい。
  自分が、夏場、犬をベランダに放置して、ベランダと部屋との間の戸を閉めて、暑い中、放置して「死なせた」「殺した」というのを、「まったく、誰か、中に入れてやればいいのに、かわいそうなことするよなあ」・・・て、あんたが飼主だろうが、あんたが。何を他人事みたいに言ってんだよ! 

   自分が飼ってる犬を「死なせた」としても、犬は人ではないから殺人罪ではなく過失致死罪でもなく、ひとが飼ってる犬を殺したならば器物損壊罪だが、自分が飼ってる犬を「死なせた」場合も「殺した」場合も、器物損壊罪にはならない・・・ということは、ひとの子供を、夏の暑いさなかに、日光に照らされて高温になっている場所から出れないようにして「死なせた」なら、殺人罪か、そうでなくても過失致死罪か何かになり、ひとの犬なら、器物損壊罪になるところを、自分が飼ってる犬なら何もない・・・というのは、なんか変だな・・という感じがしないでもない。
   それ以上に、自分が飼ってる犬を自分の不注意で「死なせた」にもかかわらず、「誰か、中に入れてやればいいのになあ」などと言って、ひとのせいにする男というのは、職場においても、同じ調子で、同僚のせいにします。 私はそれに気づいたので、被害にあったことのある同僚として、あの犬も私と同じ扱いをされて殺されたということか・・・と思って、「佐藤のじいさん」の発言を不愉快に思ったのでした・・・。

  勝手な時だけ「アルツハイマー」になるというのも、それも、どう考えても「ずるい」ですしね。

  「不要・不急の外出は控えましょう]と言っている最中にパチンコに行く人て、なんで、パチンコなんて行かなきゃならんのだ・・と思う人もあるようだが、私はパチンコはやらないからパチンコやらなくてもどうということはないのだが、パチンコやる人にとってはパチンコというものは相当重要なものであって決して「不要・不急」ではない・・のだと思う、たぶん。夏、クルマの中に子供を置いてパチンコやって子供を熱中症だか熱射病だか脱水症状だかで死なせたというニュースがあると、なんで、そんなバカなことをするのかと思う人がいるが、他方、子供を連れてパチンコ屋には行って、子供をそのへんで遊ばせた状態でパチンコやると、その間に子供がどこかに行ってしまわないかという不安もあるわけで、それならクルマの中に置いておいた方が・・と思った人もいたのではないか、と思う。
  うちの父親は、子供をパチンコ屋の駐車場内のクルマの中に置いてパチンコやってる間に子供が熱中症だか熱射病だか脱水症状だかで死亡したというニュースがあると、「アッホなやつもおるもんや。世の中にはやなあ、このわしいみたいなエッライえっらいエッライえっらいキリストのような聖徳太子のようなヒットラー総統のような英雄でドイツ人のお父さんもおれば、カス親! もおれば、ダメ父! もおるということや。おまえは、このわしいのような英雄のお父さんをもったということを心の底から感謝せえよ、チャンコロ! わしは英雄やぞ、英雄、au やねんぞ、au(https://www.au.com/)。英雄のこのわしに感謝せんとバチあたんぞ、この英雄のこのわしにい! 感謝の気持ちをもてえ!」とか言っていた。〔⇒《YouTube-カラヤン指揮 ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調作品55『英雄』 第1楽章》https://www.youtube.com/watch?v=64RRk9O4BWI 〕が、自分もまた、子供をパチンコ屋の駐車場に停めたクルマの中に置いて熱中症だか脱水症状だかで死亡させた親とたいして変わらないことをやった、という自覚が完全に欠落していた。
  夏の暑いさなかに、犬を直射日光がもろにあたるベランダに出しっぱなしにして、部屋中に入れないように戸を閉めて、それで熱中症だか日射病だか熱射病だか脱水症状だかで死なせておいて、それで、「誰か、中に入れてやればいいのになあ。かわいそうなことするなあ」などととぼけて見せて、あんたやろうが、あんた、「中に入れてやればいい」て、あんたが中に入れなきゃならん人間だろうが・・ということを口にするおっさんというのは、自分が持っていた水筒のお茶を取り上げられた上で、「水、飲みたい」「本当に苦しい」と訴えても訴えても断固として拒否されて、もしかすると、死に至った可能性だってないわけではない者としては、いい印象を受けない。

  勝手な時だけ「アルツハイマー」になって逃げるというのも、いい印象を受けない。(株)一条工務店で見られた「二刀流」としては、
1.「学歴によって人を差別してはいかん」などと言って高い役職につきたがり、それで役職につくと「ぼくは高卒なんだから、そんなものわかるわけがない」「ぼくは高卒なんだから、そんなものできるわけがない」と言って居直る「一条二刀流」、
2.自分を高く評価してもらいたいと思うと「建築専門学校卒」だと言い、建築の専門学校は4年制大学に匹敵する学歴だと主張しながら、責任ある対応を求められると「ぼくは高卒なんだから」と、専門学校は学歴ではない、ということにする「一条二刀流」、
3.「女として見られるのはうれしくない」とか勝手なことを言いながら、同時に何かあると「女」に逃げ込む卑怯者の「女流一条二刀流」。これらとともに、
4.「年上の者に向かってなんだ」「先輩には先輩に対しての態度というものがある」とか何とかえらそうな口をきくものだから、「この人、よっぽどエライ人なのか」と勘違いする人が続出、新入社員や転勤で来た人には「佐藤のじいさん」を「相当えらい人」みたいに勘違いして、後から、「やられた」「だまされた」「このボケのじいさん、えらそうな口きくから、よっぽどエライ人かと思った」などと言う人が続出するという、《「アルツハイマー型」の「二刀流」》・・というのは、これは絶対にズルイ! と思うのだ。
  こういった「二刀流」が見られた。ひとつには、(株)一条工務店の経営者がそういった「二刀流」に対して、「せめて、どちらかにしろ」と言うのではなく、逆に「二刀流」を推奨しているから、だから、「二刀流」使いがいっぱい出てくる、という面もあったと思う。
 「アルツハイマー型二刀流」の「佐藤のじいさん」は、新卒入社していわき市の営業所に配属された某くんに、「ん~ん。◇◇くんは、おめえは俺の若い頃にそっくりだあ」などと言い、言われた側が「ええ~え・・・」と絶句した・・という、まさに『C級サラリーマン講座』にあった話そのまんま をやった、とも聞いたのだが・・・、まあ、よく言うと思うわ・・・・。言われた側は相当ショックだったそうな・・・・。

 [ 夏、犬にやってはならない行為。]
 夏の昼間、太陽の光がもろにあたるベランダに犬を放置して、部屋中に入れないようにしておくこと。
 及び、 それで犬が死んだ時、それを、ひとのせいにすること。


  (2020.8.10.)

  (株)一条工務店の「佐藤のじいさん」に完全に欠落していたものがある。それは、犬をベランダで日干しにして殺した・・というのは住宅建築業の会社に勤める者として情けないこと・恥ずかしいことだという認識である。 犬を飼いたいという人は、これから家を建てようという人にはけっこうあるはずなのだ。だから、犬を外で買うのか家の中で飼うのか、いずれであれ、犬が快適に過ごせて人間も快適にすごせる家・・というのは住宅建築業の会社に勤める者にとっては課題のはずだ。東京圏・関西圏などと違って福島県のような所では、犬は外で飼う方が普通で、都市部のマンションで家中で飼っている人とは事情は違うと思うが、アパート住まいで犬を飼って殺してしまったというのは、犬を飼う配慮を十分にできていなかったということで、住宅建築業の仕事につく者にとっては恥のはずだが、その意識がない。あのじいさんにそれを期待しても無理だろうとは思うが、そういう意識がないというのは・・、まあ、その程度の人だったのだろう。
  (2020.11.2.)

  ところで・・・。 「佐藤のじいさん」が飼ってる犬、あれ、飼主に似て感じ悪い、気色の悪い犬だ、いっちょ、懲らしめてやれ・・と考えて、おいしい飲み物に下剤でも入れて飲ませて下痢させてやれば、じいさんの家で下痢便を出しまくりよるだろう・・・と考えて実行したとすると、これは傷害罪になるかというと、犬は人ではないので傷害罪にはならない。しかし、それならやっていいのか? 犬を殺してしまうと、殺人罪にはならないが器物損壊罪になる。 犬に怪我をさせると傷害罪にはならないが、片足切断とかになると器物損壊罪になる・・か。しかし、捻挫したくらいならそのうち治るであろうから、もしくは、単なる下痢くらいならそのうち治るであろうから、治ったなら、なんら、「器物」は損壊されていないことになる・・ということは器物損壊罪にはならないということか?
  実は、もう昔の話なので言うが、1980年代、「大学生」だった頃、アパートの家主が犬を飼っていたのだが、毎度、出入りするたびに、その犬の遊び相手になってかわいがっていたのだ・・・が、ある夕方、犬というのは鼻が相当すぐれているが眼は悪いので、視覚でではなく嗅覚で判断する・・と小学校の頃に読んだ本に書いてあったわけで、だから、夕方でも夜でも暗い時間帯でも犬は人を判断できるはずだ・・と思っていたのだが、何を間違えたのか、そのアパートの住人、家主さんに、毎月、家賃を払っている住人で、毎度、その犬の遊び相手になってきた俺様に対して、「わんわんわんわん」と、突如、飛び出して吠えかかってきよったのだ。なんじゃ、こいつめえ、俺様に吠えかかるとは何事だ!!・・と思い、ポカンと一発、殴ってやったのだ・・・が、後から考えると大人げなかったとは思うが、インターネットで検索すると、飼主とかトレーナーで「犬の教育」のつもりで犬を殴る人とか、犬を「リード」で叩く人とかあるらしい。ポチパパ 北村さんは、そういうことはすべきではないと思うとYouTube で述べておられるが、実際にやる人はあるらしい。なんじゃ、こいつめ! と思って、ポカンと一発殴ってやったら、暴行罪になるか・・というと犬は人ではないので暴行罪にはならない・・が、器物損壊罪になるかというと、別に壊れてないから、器物損壊罪にもならないであろう・・とは思うが、もしも、殴ったことが原因で犬の体に障害が出たならばどうか? その場合は器物損壊罪になるのか。それならば、飼主が「犬の教育」というつもりで、「言うことをきかす」ために、犬を殴ったり、「リード」で犬の鼻先をたたいたり、クレートの中の犬を引っ張ってクレートの網にノズル部分をつっこませてぎゅうぎゅう引っ張るなどするのはいいのか?・・というと、たとえ、それで犬が障害を受けることになっても、犬は人ではないので傷害罪にはならないし、たとえ、障害を負わせようと死なそうと、その「器物」は飼主の所有物であるから、週刊誌で見たように思うのだが、星野仙一は、ベンチで陶器のコップを叩きつけて割るなどすることがしばしばあったそうで、球団職員が安全のためを考えて少々叩きつけても割れないプラスチックのコップにこっそりと変えておいたところ、叩きつけても割れないので、「なんだ、これは」と怒りよった・・というが、物に当たる方が間違っているはずなのだが、自分が所有する陶器のコップを叩きつけて割っても、それはあまりほめられる態度ではないとしても、自分の所有物を壊しても器物損壊罪にはならない・・・のと同じく、自分が所有している犬に、殴りつけて障害をおこさせても、殺しても、自分が所有する「器物」を「損壊」しても器物損壊罪の構成要件には該当しない・・ということか。
  あの「佐藤のじいさん」の飼ってた犬、飼主に似て感じ悪い、「へえへえ」て感じで、かわいげのない犬で、一度、懲らしめてやろう、それが「本人のため」というのか「本犬のため」であると考えて、クルマのトランクに押し込めて福島県浜通り地区の山中にクルマで行ってトランクから出して、山の太い木に鎖でくくりつけて、一昼夜経ったら回収しにこよう・・・と考えていたところ、「佐藤のじいさん」のビョーキ、「わたし、忘れるんですよねえ。これはしかたがないことなんです! 文句言っちゃいけません!」と自信もって胸張って言うという手法が移った・・として、山中に犬を鎖でくくっておいたのを忘れた・・・ために、死んでまいよった・・・とすると、これは器物損壊罪になるのか? ・・・それならば、飼主である「佐藤のじいさん」が、夏場、あっつい暑いあっつい暑いさなかに、犬をベランダに出して窓の鉤をかけて中に入れない状態にして長時間放置したがために犬が死によった・・・とすると、犬は人ではないので殺人罪には該当しないとして、飼主が殺した場合には器物損壊罪にも該当しない・・・ということは、あの犬、飼主に似て感じ悪いな、いっちょ、こらしめてやれ・・と考えて「懲らしめる」つもりが死んでまいよった・・という場合は器物損壊罪で、飼主が同じことやると、何らとがめはうけない・・・ということか。保護責任者遺棄罪になるかというと、犬は人ではないので、これも該当しない。・・しかし、飼主以外が、このバカ犬、俺様に吠えかかるとは何事だと、ポカンと殴ったら、たいしたことないつもりが、障害を負うことになってしまったという場合、あの感じ悪い犬、いっちょ、懲らしめてやろうと思って山中につないで放置したら死んでしまったとなると、器物損壊罪になるが、飼主が「犬の教育」と称して犬を殴ったりリードで叩いたり、クレートの中の犬をひっぱってノズルを網につっこませて苦しませたりということをやるのは飼主の自由であり、夏場、暑いあっつい暑いあっついさかりに、ベランダに放置してベランダに面した掃き出し窓に鍵をかけて、犬を殺した・・というと、飼主の所有物を壊しても何の問題もないのと同様、星野仙一が陶器のコップを壁に投げつけて叩き割っても「燃える男、星野」とか言ってほめてもらえるのと同様に、なんらとがめはうけない・・・・て、なんか変じゃないか・・・。そう思いませんか?
伊藤真の刑法入門 - 伊藤 真
伊藤真の刑法入門 - 伊藤 真
  夏の暑いさなかに犬をベランダに出して掃き出し窓に鍵かけて入れないようにしておいたのを「忘れてた」ということで犬を殺してしまうおっさん、私が外出中に俺様あてにかかってきた電話や訪問してきた人間を、「ああ、忘れちゃったあ」ですます男というのは、これは、ポカンと一発殴っていいかな? あのじいさんの頭なんて殴っても、もともと壊れているから、器物損壊罪にはならない・・と思うが、難儀なことに、犬じゃなくてあれでも人間だから、暴行罪になるか・・・
  大学の体育会系の人、スポーツ学校の運動部の人には「殴るというのはスポーツの基本だ。殴っちゃだめなどとわけのわからんことを言うやつがいて困ったもんだ」とか言う人が多く、特に慶應大学の体育会の教授は必修科目の「体育理論」という講義で、「特に女子バレーが激しいんだけれども、男性のコーチが女子選手の髪の毛をつかんでコートの中をひきずりまわすんだよ。これがスポーツというものなんだ♪ それをやってこそ、スポーツなんだよ♪」とマイクに向かって叫んでいたのだが、やっぱり、慶應て程度低いなあ・・・とそれを聞いて思ったもので、その教授は「殴らないスポーツなんてあるわけないじゃないか。殴るというのはスポーツの基本の基本じゃないか。殴っちゃだめえ・・なんて言うやつがいるが、スポーツすんなってことだよ、そんなやつは。『殴ったから怪我したじゃないか』なんてこと言うやつがいるが。バカか! 殴ってるんだから怪我するのは当然だろうがあ! 一回、病院に入院しろってんだあ!!!」と叫ばれたものだったが、おえらい教授先生だそうだが、さすがに慶應の教授だけあって「ほとんどビョーキ」て感じがした。〔前々から思ってるのだが、暴行罪・傷害罪というのは親告罪ではないはずなのだが、なんで、あの教授は逮捕されないのだろうか? そう思いませんか? 〕私はその人とは正反対の考え方をずっとしてきた。「殴らないスポーツであってこそスポーツであり、殴って強くなるとは思えないが、もしも、殴って強くなるのなら強くならなくたっていいじゃないか」と考えてきた。何であれ、「人民内部の矛盾の解決は、批判・自己批判・説得・討論・学習といった民主的な方法でのみ解決できるものであって、闘争という手段でしか解決できない敵味方間の矛盾の解決のしかたとは異なるのである」と毛沢東主席も『毛沢東語録』で述べておられるごとく、又、『毛沢東語録』には「殴らない、怒鳴らない」「婦人をからかわない」「捕虜を虐待しない」・・といったことが書かれているが、これはどこにおいても共通するものであると思ってきた・・・・けれども、「佐藤のじいさん」だけは、このおっさんは口で言ったのでは理解しない、5・15事件の時、犬養毅が「話せばわかる」と言ったという話があるが、「話せばわかる」人だけではない、「佐藤のじいさん」は話しても絶対に理解しない。この人は「殴られないとわからない人だ」とわかった。だから、それでも、慶應の体育会みたいな考え方はしたくないが、会社という所においては「こいつは殴られなきゃわからん人間だ」という気持になる相手もある・・ということを理解した。しかし、「殴る役」をさせられるのは嫌なので、「殴る役」はやるなら誰か他の人にやってもらいたいと思い、「佐藤のじいさん」とはできる限り同じ営業所(展示場)には配属されたくない・・・と思ってきたのだが、ところが、(株)一条工務店という会社は、嫌がれば嫌がるほど、嫌がることをさせたがる会社であり、そういうじいさんを私と同じ展示場にな~んとかして配属しようと必死になってきた。 
  しかし、それにしても、夏の暑いさなかに犬をベランダに出して掃き出し窓に鍵かけて入れないようにしておいたのを「忘れてた」ということで犬を殺してしまうおっさん、私が外出中に俺様あてにかかってきた電話や訪問してきた人間を、「ああ、忘れちゃったあ」ですます男というのは、これは、口で言ったのでは絶対に理解しない、ポカンと一発殴るかしないと絶対に理解しないが、ポカンと殴ったらだめか? 犬は殺してもよくて、その殺犬犯のおっさんが、私が外出中に俺様あてにかかってきた電話や訪問してきた人間を、「ああ、伝えるの忘れちゃったあ」ですますのはまったく問題ないのか??? せめて、「申し訳なかった」なり「ごめん」なり「すいません」なり何か言うものと違うのか・・・と思うのだが、 「佐藤さんはアルツハイマーだからしかたがない」などと言って擁護する人が何人もいたのだが、自分は別の展示場にいるので「佐藤のじいさん」の被害にあわないと思ってそういうことを言ってじいさんを擁護する人、それで「アルツハイマーの人」に思いやりを示しているつもりの人、それで「人道家ぶりっこぶりっこ」やってるつもりの人がいっぱいいたのだが、そういう人間は、自分がその「アルツハイマー」と同じ展示場に勤務しないで勝手なこと言うのではなく、一度、私のようにその「アルツハイマー」と同じ展示場に勤務して、どれだけ大変か経験してみろ!!! 私の苦労を一度味わってみろ!!! だいたい、「アルツハイマーだからしかたがない」などという主張をしたいのなら、とりあえず、「医師の診断書」を会社に提出しろ!!!  本当に「アルツハイマー」なのかと思って、私はアルツハイマーおよび認知症についての本なども読んだのだが、あれは「アルツハイマー」ではなく、「単にずるいだけ!」と違うのか? ・・という感じがするのだが・・・というより、おそらく、あれは「単にずるいだけ」だったのではないか・・・。それを、自分は他の展示場に勤務していて直接その人の被害にあうことがあまりないものだから、同じ展示場に勤務させられてその「アルツハイマーもどき」の被害にあっている人間に向かって「佐藤さんはアルツハイマーだからしかたがない」などと勝手なことを言って「人道家ぶりっこぶりっこしたがる人間シンドローム」の「患者」がいた・・ということだと思う。
アルツハイマー病 (岩波新書) - 黒田 洋一郎
アルツハイマー病 (岩波新書) - 黒田 洋一郎
  (2020.11.15.) 

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