「大卒しか採らない会社」と言っていて底辺の高校卒の人がいた状況が顧客の評価を下げた小堀住研(株)。会社のレベルが下がると従業員も低く見られることになる。銀行から「要らない人間」を送り込まれてゴミ箱になった会社は「おまえはすでに死んでいる」状態。自社で契約してくれる客を茶化して喜ぶ貧困な精神の男―学歴は言わない方がいいと思った例(1)自分の経験1
[第788回]
今回は、営業、もしくは、営業以外の職種でも、お客様を相手にする仕事をしていて、自分の経歴、特に学歴を言うべきか言わないべきか、という問題。言わない方がいいと思った例をそれぞれについて述べます。
【A】自分自身の学歴を言って失敗したと思った例。
《1》お客様の息子と同じ大学だという場合。
1989年のことでした。小堀住研(株)の千葉県松戸市の営業所(展示場)に勤務していた時のことですが、茨城県取手市に在住の見込客のお宅に訪問してお話をしていたところ、どうも、そこの御主人は早稲田大学を卒業して、青山学院あたりかと思ったのですが他の私立大学の教授をされている方だったようで、御子息も早稲田大学卒で、大学院は早稲田の大学院ではなく慶應の大学院に行っているようなことを言われたのです。
※ 小堀住研(株)は相談役になっていた初代社長の小堀林衛が1989年に他界した後、1990年に初代社長の「甥っ子」と言っていたが実際には「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい2代目の中島昭午がエスバイエル(株)と名称を変更して会社名から「小堀」を取り除いた後、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とかアホなことを言いまくり書きまくりした結果・・・つぶれた。そのつぶれた会社をヤマダ電機が「いぬき」で買い取り(株)ヤマダエスバイエルホームとなり、ヤマダ電機が同様に買い取った「リフォームのナカヤマ」のリフォーム部門と合わせて、(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ になったようだ。ヤマダ電機としては、マイナスのイメージしかない「エスバイエル」という名称は要らない名称であるので〔又、ツーバイフォー工法(2×4)でもないのにエスバイエル(S×L)とツーバイフォー工法を印象させる名称でもあるし〕さりげなく消去し、「小堀の家」という中島昭午が捨てた名前は、かつて、関西圏を中心に「高級住宅の小堀」「小堀ならではの家」として高く評価された名前であり、又、小堀遠州と関係あるのかあ・・と客の側で勝手に考える名称でもあるので、復活させたようだが、中島が一度、自分でドブに捨てたものをヤマダ電機がもう一度拾おうとしても、簡単ではなさそうですし、又、木質パネル構法というのは、「安物の構法」ではなく「建物を箱として一体化させて耐震性・耐風性を確保する合理的な構法」であったはずですが、中島昭午が安物ですよおと売り込んだことからついた安物イメージを払拭するのは簡単ではなさそうです。 長浜北高校の応援部のホームページのコメント欄に、中島昭午のことを「そうそうたるメンバー」などと書いていた人がいましたが、「会社をつぶしたアホの2代目」を「そうそうたるメンバー」とは笑止です。
〔 2020年6月、中島昭午が「亡くなっていた」というブログなのか何なのかがインターネットに出ていたが、インターネットの情報というのは、いいかげんな情報も中にはあるが、年齢から考えて他界してもおかしくない年齢だろう。迷惑をかけた従業員・元従業員・入居者につぐなうことなく野垂れ死にしたか・・・ 〕
それで。私は、普段は、自分の学歴というのは基本的にはこちらからは言わないことにしていたのですが、息子が慶應の大学院に行っていると言われたので、私が尋ねたわけでもないのに言われたので、それで、「慶應の大学院に行かれているのですか。私も、大学院ではありませんが、大学は慶應です」とお話ししたのです。 これは、私が大学生であった時に、我が家に来た三井信託銀行の某支店の支店長が、うちの父親が、私を「慶應大学に行ってますねん」と言ったところ、「私も慶應です」と言い、うちの父親はアホですから、そう言われて喜びよったのです。それを見ていたので、それで、息子が早稲田大学を出て慶應の大学院に行っていると自分から言うような親には、「私も慶應です」と息子は大学院でこちらは大学であっても、それで何があるというわけではなくても、何かの縁だということで、1%でも喜んでもらえるのではないかと思って言ったのです。そういうことがなければ、自分の学歴なんて言いません。
だいたい、日本の大学で、慶應と早稲田という2つの大学は、聞かれもしないのに大学の名前を言いたがる学生が矢鱈と多い大学で、1980年代、横浜市港北区日吉の慶應大学日吉キャンパスのすぐ南にあった日吉台学生ハイツの食堂で食事をしていたところ、少し離れた席に、桃山学院高校卒で慶應大の商学部に在学していた井上という男とその連れ2人の3人連れがいて、そいつらが何を話していたかというと、「女なんて、慶應の名前さえ出せば、いくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、『これが眼に入らぬか』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」と、そいつらはそう話していたのです。なんて、程度の低い人間どもなんだ・・と思いました。おまえらは、学校の名前以外に取り柄ないのか? ・・とも思いました。こんな連中と一緒の学校になんて行かされたくないなあ、とも思いました。小学校の1年から、同級生が遊んでいる時も、ずっと努力して勉強してきたのに、なんで、こんな連中の行く大学になんか行かされなければならないのか、と思いました。うちの母親は私が嫌いで、私が高校3年の時、「こいつ、現役で大学に通ると思いあがった人間になって、女を泣かせよる。こいつ、東大に現役で通ると思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落してやらんといかん。こいつ、絶対に落したるう~う!!!」と言って、夜、私が家で学習していると、うしろから服をつかんで背後にひっくり返したり、箒でボコボコ殴りつけたり、私が使用している部屋の電気を洗面所にあったブレーカーを落として照明がつかないようにして学習できないようにしたり、さらには、高校から帰ってくると、インタホンのソケットを抜いてならないようにして、雨戸はすべて閉めて、外灯も消して、家に入れないようにして、さらに、その上で高校に電話をかけて、「息子が帰ってきませんねん」と言うと・・・、そういったことを、ありとあらゆることをやったものでしたが・・・(うちの母親は私が小学校の低学年の時から「私は血圧が・・」「私は心臓が・・」とか言いまくっていましたが、だから、弱弱しいと思う人もあるようでしたが、「こいつう。絶対に落したるう」とか言ってひっくり返したりとかする時というのは相当力強いですからね。女性は弱いとは決まっていませんし、何よりも、母親にとっては息子というのは、どんなにぎったぎたにやっつけてもやっつけ返される心配は絶対にない絶対安心・絶対安全な相手ですから、やっつけ放題ですからね)、そして、北野高校の先生というのは、まがりなりにも高校の先生ならば、生徒の親がそういうことをやっているのなら、そういう親をなんとかしようと協力してくれてもいいのではないか・・と思ったのでしたが、それが高校の先生の仕事と違うのかと思ったのでしたが、そういう期待は期待する方が間違っており、そうではなく、北野高校の教諭というのは、むしろ、生徒を悪者にすることでそういう親に加担することで自分を守ろうとする連中でした。高校の教諭というのは、あいつら、いない方がいいのではないか、と私は今は思っています。又、あいつら、無能のくせして、なんで、あんなにえらそうにしているのか、とも今は思います。私は、努力して学習して東大に合格して行ったら思いあがった人間になるとは思えなかった。私が高校3年の時、「こいつ、現役で東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落してやらんといかん」と言って、毎日毎日、背後から箒でボコボコ殴ったり、服をつかんで後ろにひっくり返したり、私が使用している部屋のブレーカーを落として照明がつかないようにしたりといったことを繰り返した母は、私が、むしろ、慶應の人間の方が思いあがっている人間は多い、慶應の人間の方こそ、「女なんて、慶應の名前さえ出せば、いくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、『これが眼に入らぬか』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」などと言う人間がいっぱいいる、ということを実際に桃山学院高校卒の井上とその連れの3人が話していたことを母に言ったところ、母はどう言ったかというと、「私、そういう人、好き♪ 私、そういう人、ものすごい好き♪ 私、そういう人、だ~いすき~い~♪ べ~ろべ~ろべえ~え!!!」と・・・そう言ったのでした。
むしろ、慶應の方が「女たらしの大学」という印象があった。まず、「慶應ボーイ」という言葉からして「なんや、鼻の下の長いにやけた・・」という印象があります。少々前、千葉県船橋市を選挙区としていて衆議院議員になっていた藤田みきお は「永田町の女たらし」と言われていた、と週刊誌などに掲載されていましたが、まさに「慶應」⇒「女たらし」というイメージが昔からありました。実際、慶應に行くと、それは決して根も葉もない話ではありません。私は慶應大学のそういう学生を見て、ここの大学に行ってこういう「反社会的勢力」の仲間にはなりたくないなあ・・と思ったものでした。
高校のクラブのOBでも、東大に行った人が思いあがっているという印象はなかった。又、現役で大学に進学した人間が思いあがった人間で浪人した人間が謙虚かというとそうも思わなかった。東大に行った人間というと、夏目漱石・森鴎外・久米正雄・亀井勝一郎・正岡子規・阿部次郎・・といった人が思い浮かぶが、阿部次郎が思いあがっているか、亀井勝一郎が思いあがっているか、阿部次郎が「女を泣かせよる」か、亀井勝一郎が「女を泣かせよる」かというと、そうは思えなかった。

新版 合本 三太郎の日記 (角川選書) - 阿部 次郎
むしろ、「慶應タイプの女たらし」の方こそ、「女を泣かせよる」という印象があった、慶應の方が両腕いっぱいにカネと女をだかまえて生きる「ブタ商人の大学」・・・という印象があった。 実際、慶應大学に行くと、大学から慶應大学に入学した人には、片方で理由もなく東大をけなすことが「愛塾」みたいに思っていて実行して得意がる準内部進学みたいな人もいたが、そうではなく、こういうことを言うと「そうそう。本当にそうですよ」と言う人が何人もいた。だから、少数派だけれども、慶應の「女たらし」を得意がるような体質をいいようには思っていないという男性および女性というのは大学から入った人間にはいたのです。 身近にもそんな感じの人がいたはずだったのだが、うちの母親はきかなかった。そうやって、そして、高校を卒業する年、東大の試験に落ちた。「男というものは現役で大学に合格すると思いあがった人間になって女を泣かせるから、浪人させた方がええ」と言って、高校3年の時に私に必死のパッチで妨害を加えた母は、私が浪人すればそれで気が済んだかと思うとそうではなく、浪人してもその姿勢は変わらなかった。
慶應の人間、特に内部進学の人間は、慶應という学校に行くと「独立自尊」と言いたがるが、そもそも、いい学校であれろくでもない学校であれ、特定の学校に行けば独立自尊だなどと、そんなおかしな独立自尊があるわけがない。普通に考えて、「女なんて、慶應の名前さえ出せば、いくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、『これが眼に入らぬか』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」などと口にするようなそんな大学の名前しか取り柄がないような男が独立自尊なわけないだろうが! そんなおかしな「独立自尊」があるか! むしろ、東大の学生や出身者と話をすると、「男性を大学の名前でしか考えないような女性は嫌なので」と言う人が多かった。そういう大学の名前しか取り柄のない男、何かと大学の名前を言いまくりたがる男が多い大学というのが、日本の大学では慶應と早稲田というのが双璧だった。「女なんて、慶應の名前さえ出せば、いくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、『これが眼に入らぬか』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」などと口にするようなそんな大学の名前しか取り柄がないような男のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」と「診断」するようだったが、それって逆と違うのか? と私は思ったのだが、なんで、大学の名前しか取り柄のない人間、大学の名前より他に自分自身について見てもらいたいものがあると言えない人間が、なんで、「自我が確立されている」なんだ? おかしいじゃないか・・と思ったのだが、「心理学」、特に「慶應心理学」によるとそういうヤカラが「自我が確立されている」と「診断」されるらしかった。

狂気の思想―人間性を剥奪する精神医学 (1975年) - トーマス S.サズ, 広田 伊蘇夫
( ↑ トマス=サズ『「精神医学」という狂気の思想』新泉社 )
又、大学の名前を書いたトレーナーというのが大学生協で売っていて、私などは、必要がある場所においては大学の名前は言ってもいいだろうし、言わないといけない時もあるだろうけれども、又、ラグビーとかサッカーとか団体でおこなう運動競技をやる場合にどちらのチームの選手かわかりやすいようにユニフォームを着るというのはいいだろうけれども、そうでもないのに、大学の名前を書いたトレーナーなんて着る人間の気持ちがわからない、「ブランド」というのは、かつて、牧場で牛などに飼主が自分の所有する牛だとわからせるために押した烙印・焼き印を「ブランド」と言ったものであり、日頃から必要もない場所・時において、大学の名前を書いたトレーナーなんて着て烙印・焼き印を押されたがる人間、いわば、それは独立自尊とは逆ではないのかと思われる人間が多い大学というのが慶應と早稲田の2つだった。
・・・もっとも、川崎市幸区のアパートに住んでいた時、近所のおばさんが「KYOTO SANGYO UNIVERSITY」だったか「KYOTO INDUSTRIAL UNIVERSITY」だったか書かれたトレーナーを着ていたのを見たことがあり、このおばさん、川崎市の住人なのに息子を京都産業大なんて行かせていて、息子が買ってきたトレーナーを喜んできてるんだなと驚いたことがあったのだが、かつて、「ぴあ」という雑誌があって、「はみだし ゆう と ぴあ」という読者投稿欄があり、そこに「学内でしか着れないのが日大のトレーナー。矢鱈と学外で着たがるのが早稲田のトレーナー」と書いてあったのだが、このおばさん、京都産大のトレーナーを学外で喜んで着てるんだな、このおばさんにとっては、京都産大でも息子が行ったというのがうれしかったんだなあ、と思ったことがあった。
私などは、うちの父親の親友の医者屋のM川とK田から、「高校は義務教育やないんやから、あんたなんか、高校には行くべきではないんや。それを北野高校に行ったというのは、きみが甘ったれとるからなんじゃ」と言われ、うちの父親はそれを聞いて大喜びして、「そうじゃ。お~ま~え~はあ~あ、高校行くな、チャンコロ!!! 高校行ったのは余計なんじゃ。おまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれとるからやねんぞ! 高校、行くな、チャンコロ! チャンコロは義務教育でない以上は高校には行くべきではないんやぞ。ましてや、おまえは大学には行ってはいかんねんぞ!」「おまえが大学に行きたいと言うのは、それはお前が甘ったれとるからであって、おまえが思いあがっておるからやねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ! わかっとんのか、浪商!」と何度も何度も言われたものだったが、かつ、うちの父親は親友で医者屋のM川とその同僚のK田がそういうことを言うのを聞いて大喜びしておきながら、M川のドバカ息子は「患者」を薬漬け・毒盛りして貯めたカネで私立金権関西医大に裏口入学した、K田の息子はバカ大学を2つも行った、という点については「高校は義務教育ではないのやから行くべきではないはずで、ましてや、大学には行ってはいかん」という私に言いまくった基準を適用せずに、逆に「M川先生の息子さんは関西医大に裏口入学やねんぞお~お。おまえとは違うねんじ、お前とは。チャンコロとは違うねんぞ、チャンコロとは。わかっとんのか、チャンコロ! 裏口入学した人の爪の垢を煎じて飲めえ、このチャンコロっ!」と言い、「なんで、裏口入学したらエライんですかあ~あ?」と言うと、「わからんのか、そんなことも、おまえはあ、このチャンコロっ! 裏口入学ちゅうことは、思考が柔軟やから裏口やちゅうことなんじゃ。そんなこともわからんのか、おまえは、このチャンコロ、ロスケ!」と言い、K田のバカ息子が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯めたカネでバカ大学を2つも行ったという点については「K田先生の息子さんは、おまえとはちごうて2つも大学に行ってはるねんぞ、2つも」と言うのだった。なんで、自分の息子なら「義務教育でないからには高校には行くべきではないはずで、おまえが北野高校に行ったというのは、それは甘ったれとるから北野高校に行ってんぞ、わかっとんのか、チャンコロ! わかっとんのか、ロスケ!」であって、よその息子なら、医者屋の息子でちっとも勉強せんかったやつが、私立金権裏口関西医大に行ったり、バカ大学2つも行ったりするのが「思考が柔軟」なのか、さっぱりわからんかったが、それが「民族の違い」「階級の違い」というものだったようだ。

医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
私ならばその地域で一番の公立の高校に行っても「義務教育ではない以上は高校には行ってはいかんのにからに、あんたが北野高校に行ったのは余計で、それは余ったれてるからそんな学校に行ったんや」という「診断」になり、「医者屋の民族」に生まれたバカ息子は「患者」を薬漬けにして貯めたカネで裏口入学するというのが「思考が柔軟」でそれが「社会正義のため」だということになるらしい。「医者屋の民族」と私とはそれだけ、扱いに違いがあった、うちの父親は私の顔を指さして「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と毎日言い続けたが、「医者屋の民族」と私とにはまさにそれだけの「民族の違い」「階級の違い」というものがあった・・のだが、ところが、「心理学」では「親というものは、自分の息子のことをよその息子よりも、いいようにいいように思うものですから」という「理論」「学説」「研究結果」があった。その「心理学」の「学説」というのは私自身の経験から考えると事実に反するように思うのだが、こういうことを言うと「自我が確立されていないから、わざわざ逆らってそういうことを言うのですね」「モラトリアム人間病にかかっているからそういったことを言うようになるのです」その他、なんたらかんたらと「心理学」から「診断」されることになる。その「診断結果」に基づいて「治療」と称して「人間による人間の加工」をされる可能性もある。 「医者屋の民族」のドバカ息子は「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯めたカネで私立金権関西医大に裏口入学し、バカ大学2つも行ったりして、それが「思考が柔軟やちゅうことなんじゃ」という「診断」になるが、私の場合はその地域で一番の公立高校に実力で行っても「それは甘ったれとるから行ってんぞ」という「診断」になり、「ましてや、おまえは大学には行ってはいかんねんぞ」という「診断」になるようだったのだ。それが「心理学」というものだった。うちの父親がK田とM川から教えられた理論によると、K田の息子はバカ大学2つ行く権利があり、M川のドバカ息子は私立金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯めたカネで裏口入学する「当然の権利」があるのに対して、私は「高校は義務教育ではない以上は行くべきではない」のであって公立の北野高校に行ったのは「甘ったれとるから」であり、「ましてや大学には行ってはいかん」ということで、うちの父親は毎日毎日そう叫んでいたのだったが、片方で、バカ息子を川崎市幸区から京都の京都産大みたいなもんに行かせて喜んでいるおばさんがいるんだ・・と思い、「世の中いろいろ、人間いろいろ」なんだなあ、家庭にもいろいろな家庭があるものなんだなあ~あ・・・と、しみじみと思ったものだった。
私の場合は、うちの父親から毎日毎日そう言われてきたものだったが、ところが、このおばさんは、息子が京都産大なんて「大学」に行って、それを喜んで京都産大の名前の入ったトレーナーを着てるんだあ・・と驚いた。うちの父親は私が高校3年の時、「東大に行くというのなら、東京で下宿してでも行くべきやし、下宿は嫌やなどと言って甘ったれておってはいかんけれども、東大でなくても慶應か早稲田に行くのなら下宿してでも行ったらええと思うけれども、そんなもん、法政やたら明治やたら専修やたらポン大やたら何やら、そんなおかしな私立大学に行くようなやつなんて、下宿してまで大学に行く必要あらへん。そんなやつ、自衛隊に入れたるべきや、自衛隊に! たとえ、私立大学に行くにしても、アホ大学は大阪にもいっぱいあるんやから、法政やたら明治やたら専修やたらポン大やたら、そんなアホの行く大学に行くようなやつなんて下宿してまで行かんでもええ。地元の大学に家から通って行けばええことや」と言っていたし、さらには、「あんた、京大に行くのなら家から通えよ。甘ったれておってはいかんぞ、甘ったれておっては。大阪から京都まで電車で通えばええ」と言うのだった。大阪府の住民でも、京都府との境目の大阪府である三島郡島本町とか阪急京都線沿線の京都よりとかに住んでいる人で自宅から京大に通う人はあったが、我が家は阪急でも京都線の沿線ではなく宝塚線のまだ支線の箕面線の沿線であり、我が家の近所から京大に行った人は誰もが下宿して行っていて自宅から京大に通っていた人なんて誰もなかったし、我が家から京大までは片道2時間以上はかかったはずだが、それでも、うちの父親は「甘ったれておってはいかんぞ。甘ったれておっては。京大なら電車で毎日通えばええことや」と言い、それを聞いて、何が何でも東大に行かないといけないと思ったものだった。うちの父親は「東大でなくても、慶應か早稲田なら下宿してでも行けばいいし、行く値打ちはあると思うが」と言っていたはずだったが、種々様々な妨害を受けて、実際に、慶應に行かされてしまうと、今度は、「あんたが家から通える大学に行かずに慶應に行ったおかげでわしは相当の損をさせられた」と言い、「それなら、やめますよ。もともと、慶應なんて行きたいと思ったことは一度もないし、行きたくもありませんから、やめますよ。行きたくないですよ、慶應みたいなもん。行きたいと思ったことなんて一度もないですよ、慶應みたいなもん」と言ったのだが、そうすると、「あんた、おかしいのと違うか」と言ってやめさせてもらえなかった。それに対して、川崎市幸区のアパートの近所で見たおばさんというのは、どう見ても、金持ちには見えなかったし、社会的地位のある人というようには見えなかったのだが、それでも、バカ息子を、京都産大程度の私立大学なら東京圏にいくらでもありそうなものなのだが、それを、わざわざ、京都で下宿させてまで行かせて、しかも、親としてそれを喜んでおるらしい・・・というのを見て、「世の中いろいろ」で「家庭もいろいろ」なんだなあ・・・と思ったものだったのだが、京都産大のトレーナーを着て外を歩くのなら、慶應や早稲田のトレーナーを着て外を歩く方がマシ?・・・かなとも思ったのだが、なんか、どっちもどっち・・・という感じだった。そういうのを見て、私は、必要もないのに、きかれもしないのに大学の名前を言う人間というのはいいように思えなかったのだ。
しかし、営業の仕事について、お客様が自分の息子が早稲田大を卒業して慶應の大学院に行っていると自分から言われた・・というそういう場合においては、三井信託銀行の支店長が「私も慶應です」と言ったのを聞いてうちのアホな父親は喜びよったのを見ていたので、それで、「慶應の大学院に行かれているのですか。私も大学は慶應です」とお話ししたのでした。ところが・・・。
ところが、そこのダンナは、「ゼミはどこのゼミに入ってましたか」とか、「どういう先生の講義を受けられましたか」とかそういったことを矢鱈ときくので、この人は何だろうなあ・・・と不思議に思ったのでしたが、その家を退去して、取手駅からJR常磐線の電車に乗ってから・・・「あ・・」と気づいたのでした。学歴詐称だと思われていたのです。 30代で三井信託の支店長やっている人ならば、「私も慶應です」と言えば、「さすが♪」とか言ってアホなおっさんは喜びよったのですが、小堀住研(株)で営業やっている人間が「私も慶應です」と言っても、学歴詐称だろう・・とおっさんは思い、それで、「ゼミはどのゼミに入ってましたか」「どういう先生の講義を受けられましたか」とか矢鱈と詮索してきたのでした。言うんじゃなかった・・・。 私は学歴詐称ではなく実際にそこを卒業したのですから、慶應の商学部の教授の名前くらい知っているわけですから自分が履修した講義の教授の名前を言えばよかったのではないかと思われる人もあるかもしれませんが、尋問されて答えなければならない筋合いのものでもないし、そこまで疑われるなら、別に無理に信じてもらわなくてもけっこうです。
そういえば、夏休みに箱根の三井系の保養所で泊りがけでの「雑務」(ひとに話すと、「下男」と言われるのですが)のアルバイトをやったことがあるのですが(なんで、私だけがこんなことをさせられなければならないんだ、と思いながら絶望的な気持ちでやりました。夏休みの後、少人数の授業で助教授が、夏休みの間、何やってたかときかれたので、泊まり込みで保養所の「雑務」の仕事を夏休みの最初から最後までやってました、と言うと、「きみ、そんなこと、やってたら、勉強できんだろう」と言われたのですが、実際、そうでした)、従業員向けの保養所ですから、「雑務」やっている人間というのはあくまでも「雑務」であって「接客」の仕事はないはずでしたが、ところが、そういう保養所を利用するような客というのは、言っちゃなんだが三井でも程度の低いのが多く、食事の際にビールでも欲しいという場合はあらかじめ言っておいてもらうということだったと思うのですが、それでも、後から欲しいという人があり、持って行ってくれと言われたので持って行ったところ、「おい、にーちゃん。どこの大学やあ」とかからんでくるおっさんがいて、「慶應大学です」と言うわけにいかないので黙っていたのでしたが、そういう場合の答え方を一緒に「雑務」のアルバイトに来ていた神奈川大の学生が教えてくれたのですが、そういう時には「東横線沿いのK大学」と言うといいそうです。「東横線沿いのK大学です」と言えば、そういうおっさんというのは調子に乗って、あのおっさんがどこの大学卒かというと、ぴったしカンカンで言うと法政かそこらでしょうから、「そうか。神奈川大か」と言いよったでしょうから、「そんなところです」と言って、「御主人さんはどちらの大学でてられるのですか」と言ってやれば、「俺か。俺は法政や」とか得意になって言いよったでしょうから、「そうですかあ。私なんか、そんな大学なんて、たとえ、行きたいと思っても絶対に行かせてもらえませんでしたよお。すごいですねえ。すごい、すごい♪ さすがですよ、さすが、さすが、さっすっがっ♪ すごいすごい、さすがさすが、すごいすごいすごいすごい♪ さぞかし努力されたんでしょうねえ」とか言ってやれば、「そうかあ。努力したもんなあ」とか言って、「ビールは届いたばかりで、まだアルコールは飲んでないはずなのに酔っ払い」は喜んで言いよったでしょうから、そう言ってやればよかった、しまった・・・と後から思ったものでした。「私なんか、そんな大学なんて、たとえ、行きたいと思っても絶対に行かせてもらえませんでしたよお」というのは嘘じゃないですからね。法政なんてそんな「大学」、行きたいとも受けたいとも一度も思ったことはありませんが、たとえ、行きたいと思っても、「アホか。おまえ、頭おかしいのと違うか」と言われるだけのことで、絶対に受けさせてもらえませんでしたからね。ほんと、そんな大学にふんぞり返って行く人なんて、心の底から「すごい、すごい、すごい、すごい」と思っていましたから。そう言ってやればよかった。その「まだアルコールは飲んでないはずなのに酔っ払い」のおっさんに、いちいち、どういう大学に行っておりまして・・などと説明しなきゃならない筋合いはないのと同様、早稲田大卒で青山学院かそこらかなという感じの私立大学の教授(か助教授か)やっているらしいおっさんに、尋問されて、この人とかあの人とかの講義を履修しましたあ・・とか説明させられる筋合いはないし、もしも、「東横線沿いのK大学ですう」と言えば喜ぶのならそう言ってやればよかっただけのことだったのです。何なら、「御主人さんはどちらの御出身ですか」と言ってやって、「さすがですね、さすがさすが♪ すごいですねえ、すごいすごいすごいすごい♪」と言ってやれば、茶化されたと思わずにほめられたと思いこんで喜びよるのなら、そう言ってやってもよかったし。(あんまりそういうことするのは好きじゃないのだけれども。)
「東横線沿いのK大学」というのは、日吉の慶應と白楽もしくは東白楽が最寄駅の神奈川大学があり、大学はどこかときかれた時には「東横線沿いのK大学」と言うというのは保養所の「雑務」に来ていた神奈川大の学生から聞いたことですが、会社という所に勤めるといろいろな人からいろいろな技を教えてもらえることがあります。 2006年、(株)エイブルhttps://www.able.co.jp/ では、千葉支店の「次長」にならせてもらっていた門倉(男。当時、30代)から、「すごいですねえ~え。すごい、すごい♪ さすがですよ、さすが、さすが、さ、す、がっ♪ さすがさすが♪ すごいすごい♪」と客に言って茶化しておきながら、ほめられたみたいに相手が思って喜ぶのを見て心の中で馬鹿にする・・・という「手法」を教えてもらいました。門倉はそれを得意技にしていたのですが、できるものかどうか、自宅で部屋に縫いぐるみでも前においてやってみると、別段、難しいものでも何でもなくて、簡単にできます。「すごいですねえ、すごいですよ、すごいすごい♪ さすがですねえ、さすが、さすが、さっすっがっ♪ すごいすごい♪ さすがさすが♪」と言って茶化すだけですからね。特別にものすごい難易度の技術を必要とするわけでもなんでもないのです。やる気になったらできますよ。曲がりなりにも、自分の会社に利益を払ってくれるお客様を相手にやるのがいいかどうか、という問題で、私ならあまりやりたくないから誰でも彼でもにはやらないことを門倉は客や自社の従業員を相手に日常的にやっているという違いだけです。
2006年、(株)エイブルの海浜幕張にあった店(「海浜幕張で唯一の不動産屋」だったが、オフィスビルの上の方の階にあった海浜幕張WBG店は、その後、閉店した)に来場された、習志野市に住んでいて、習志野市のJR「津田沼」駅前にある千葉工大に息子が入学して、息子が一人暮らしをしたいと言うからということで、アパートを借りにこられたお母さんとその息子に、門倉(男。当時、30代)は「千葉工大ですかあ。すごいですねえ、すごい、すごい、すごい、すごい♪ さすがですよお、さすが、さすが、さすがさすがさすが♪ さすがですよ、さすが♪ すごいですよ、すごいすごい♪」などと言い・・・、また、始めやがったかと私は思って見ていたのだったが、そのお母さんはそんなことを言われて、それでその時は喜んでいたのだったが、その2人が帰られて、門倉も帰ってから、店長のOが私に「東大にでも通ったというのなら、『すごいですよ』とか『さすがですねえ』とか言われても、まあ、わかるが、千葉工大みたいなもんに行ったようなヤツを『すごいすごい』とか『さすがですよ、さすが』とか言われてもなあ~あ」と言うのだったが、実際そうだと思う・・・し、私なんかは大学に行く時、うちの父親から「あんた、京大に行くのなら家から通うべきやで」と、大阪府北部の阪急宝塚線の支線の箕面線沿線から京都線の終点の「京都河原町」駅で降りてさらにバスに乗って「百万遍」の手前の「京大前」下車の京大、京都でも長岡天神とか桂とか「大阪府の茨木・高槻の続きみたいな京都」ではなく、八坂神社とか円山公園とか「マルーンカラーの阪急」の駅から徒歩圏の京都でもなく、下加茂神社と銀閣の間くらいの場所の相当ディープな京都、丑の刻まいりで皆さんおなじみの貴船神社方面に行く叡山電鉄の「出町柳」駅より東の京都まででも自宅から通えと言われたものだったが、それを、習志野市に住んでいて習志野市の千葉工大に行くのに、一人暮らしをしたいと千葉工大みたいなもんに行くようなバカ息子のためにアパートを借りようと考える親て、何なんだろう・・・と実は心の中で思ったのだけれども、しかし、たとえ、そうであっても、まがりなりにも、自分の会社の店を利用してアパートを借りて仲介手数料などを払ってくれるお客様に対して、門倉のその態度は何だろうか、心の中では「千葉工大みたいなもん、行きやがって」とか思いながら「さすがですねえ、さすが、さすが♪ すごいですよ、すごいすごい♪」などと言いまくって、相手に「茶化されているのにほめられたみたいに思わせる」という行為をする根性の卑しい男。 月2回刊行の「ビッグコミック スペリオール」に連載中の倉田よしみ ・あべ善太 原案・久部緑郎 ストーリー協力・花家(神保町) 取材協力『味いちもんめ 継ぎ味』「第42話 秋のB面」に、↓




↑ という会話が出ている。
( 「ビッグコミック スペリオール」No.821 第34巻第19号 2020.9.25.小学館↓ 所収。↑)
![ビッグコミックスペリオール 2020年19号(2020年9月11日発売) [雑誌] - ビッグコミックスペリオール編集部, 森高夕次, 水上あきら, 奥浩哉, 乃木坂太郎, くずしろ, 香川愛生女流三段, 松浦だるま, 色白好, 山本亜季, 福満しげゆき, 久部緑郎, 河合単, 石神秀幸, 玉井雪雄, ゆずき暎, 林マキ, 押見修造, 原克玄, 森田賢吾, 津村マミ, とがしやすたか, sacco, 倉田よしみ, あべ善太, 西原理恵子, 二階の窓, 石川優吾, 内澤旬子](https://m.media-amazon.com/images/I/61nuKihVzqL.jpg)
ビッグコミックスペリオール 2020年19号(2020年9月11日発売) [雑誌] - ビッグコミックスペリオール編集部, 森高夕次, 水上あきら, 奥浩哉, 乃木坂太郎, くずしろ, 香川愛生女流三段, 松浦だるま, 色白好, 山本亜季, 福満しげゆき, 久部緑郎, 河合単, 石神秀幸, 玉井雪雄, ゆずき暎, 林マキ, 押見修造, 原克玄, 森田賢吾, 津村マミ, とがしやすたか, sacco, 倉田よしみ, あべ善太, 西原理恵子, 二階の窓, 石川優吾, 内澤旬子
「金は有り余ってるから」などと言う客に、この成金親父はなんなのだろう・・と思う伊橋(↑の絵の右)に、谷沢さん(↑の絵の左)は、たとえ、そうであってもなくても、曲がりなりにも自分の所の店を利用してくれて、自分の所の店にお金を払ってくれて、そのおかげで自分たちも給料をもらっている、その相手に対して、論拠もなく「きっとろくでもない商売をしてるんですよ。」とか「成金オヤジの典型だね!!」といったことを、たとえ、相手に向かってではなく楽屋裏で仲間内でにしても、そういうことは言うものではない、と谷沢さんがたしなめたのです。門倉は、曲がりなりにも(株)エイブルで「次長」にならせてもらっていたようですから、まったくだめではなかったのかもしれないけれども、そうであったとしても、曲がりなりにも自分の会社の店を利用してアパートを借りてくれて仲介手数料などを払ってくれる人に対して、そういう卑しい態度を取るというのは、(株)エイブルの経営者がそれをいいと思っているのかどうかは知らんが、たとえ、「不動産屋というのは程度が低いもの」であったとしても、それでも、その卑しい態度というのは感心できません。 だから、この「すごいですねえ、すごいすごい♪ さすがですよ、さすがさすが♪」という手法は門倉から教えてもらったものだけれども、私は無暗には使いません。・・というより、ほとんど使いません。基本的には使いません。そこが私と誰にでも日常的に使う門倉との違いです。この言い方自体は、自宅の部屋で縫いぐるみでも向かいに置いて言ってみると、簡単にできます。難しいところなんて何もありません。縫いぐるみがかわいそうなので、あまりやりたくなくなりますけれども。
もっとも、小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」のはずで、それは私が入社した1980年代後半に始まったことではなく、1960年代後半に我が家が小堀住研(株)で在来木造の家を建てた頃からすでに「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と言いまくっていたし、新卒社員研修の時にも、本社ビルでの全体研修でも講師役の人が「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社です」と明言したし、営業系(営業・人事・総務・経理)社員の合宿研修の際にも、講師役のTQC推進本部営業部会課長の川崎が「昔から、小堀住研の営業は大卒の営業で、ミサワあたりは高卒の営業が多い会社ですが、小堀の営業とミサワの営業では質的な違いがあります。営業という職種の社会的位置づけが小堀住研とミサワでは違います」と発言し、そして、小堀住研(株)の新卒の応募用の会社案内にだったように思うのですが、「採用実績校」として、「神戸大学・新潟大学・関西大学・甲南大学」だったか、そんな書き方がされていたと記憶しています。神戸大と地方国立大学と関関同立のどこかと甲南大と、要するに、東大・京大以外の「十大国立大学」から1つ・地方国立大学から1つ・関関同立から1つだったか2つだったか・関西地方の関関同立の次くらいの私立大を1つ掲載されていたのです。 だから、私はそのくらいの大学の卒業生の勤め先だと思って応募して入社したはずだったのです。ところが、入社式の後、新卒入社した人の出身大学を聞くと、え?・・・・新潟大卒の人が1人、立命館大卒の人が1人、関西大卒の人が1人いましたが、他は、言っちゃなんだが、聞いたことない私立大学ばっかり・・で、「技術系」には建築の短大卒の人もいた。「技術系」では千葉工大卒なんてやつもいた。千葉大工学部ならまだしも、千葉工大卒なんてのまで勤めている会社だったのお??? ・・と思ったものでした。
さらに、配属されてみると、松戸営業二課の課長だった石井さん(男。当時、30代)は「中央工学校卒」で大卒ではなかったが、それは一級建築士の資格を持っている人だったから、「大卒に準ずる」ことにしたということかと思ったのでしたが、正真正銘高卒の人もいたのです。さらには、7月に支店長として赴任してきた渡邊士直(男。当時、40代)は底辺の高校卒の痴漢人間であり、なんで、この男がここにいるのお?!? ・・・と理解に苦しみました。「大卒しか採らない会社」で応募資格は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」か「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」の会社に、なぜ「底辺の高校卒」の渡邊士直がそこにいるんだ? 「裏口入学」か?
渡邊士直は私に「小堀住研の契約書には請負契約と書いてあって、請負契約というものは、お客さんからお金をもらって家を建てるという契約なんだから、これやるのに材料いりますから、材料代くださいとお客さんに言って買ってもらって建てる契約なんだ」などとわけのわからんことを言うので、あきれて、「はい、はい、はい、はい」と言って逃げたのですが、逃げると追いかけてくるのです。民法の上での契約というのは自由にその内容を決めることができるもので、典型契約として、民法に規定されているものがあっても、それぞれの契約は典型契約そのままではないのであり、戸建住宅建築業の会社、特に個人大工ではなくハウスメーカーの場合には、契約書には「請負契約書」と書かれていても、実際には請負契約と売買契約が合体したような契約であり、小堀住研(株)と客との契約は、小堀住研(株)から物を買う契約とそれを使って家を建てる契約が合わさった契約であり、その程度のことも理解できていない人で学歴としては底辺の高校卒の痴漢人間の人が「大卒しか採らない会社」の応募条件は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」である職種で採用実績校は「十大国立大学」・地方国立大学・関関同立・関関同立の下という会社に、なぜ、そこにいるのだ?!? ・・と思ったし、そんな人に、「それは違うんですよ、それはね・・」などと程度の低いことを説明してあげるのは私の仕事ではないはずでした。
又、小堀住研(株)の就業時間は、営業は午前10時から午後6時で、これは1日8時間とその時期における1週あたりの時間制限の46時間ぎりぎりのものであったが、渡邊士直は支店勤務の自分自身の始業時刻の午前9時00分に千葉支店に来社するように何度も要求し、かつ、時間外手当を支払わなかった。労働基準法違反は犯罪であり、賃金未払いという問題とともに、刑事上の責任も当然のこととしてある。法律上の問題とともに、なぜ、小堀住研(株)が営業の始業時刻を設計課や工事課・工務課よりも1時間後にしていたかというと、工事課などは昼間に工事をおこなっている工事現場を見て回るのが仕事であるのに対して、戸建住宅建築業の営業は、夜にお客様宅に訪問して商談することがあり、又、住宅展示場も、午前10時頃から午後6時頃まで開けている会社が多いが、どちらかといえば昼前から午後にかけての来場客の方が多い業界であり、仕事の内容に合わせてそうしていたのです。テレビの野球中継を見ていたところ、解説者の江川が「中5日で投げている先発投手が中4日で投げると調子が悪いとか言われますが、そういうものなのでしょうか」ときかれて、「朝、普段、起きている時間よりも2時間早く起きると、起きても体の調子は普段と同じように動きませんでしょ。プロ野球の投手が、普段、中5日で投げている投手が中4日で投げるというのはそれと同じようなものです」と答えたことがあるが、住宅建築業の営業というものは、「夜討ち朝駆け」などと言われても実際には「夜討ち」が中心であって早朝の仕事というのはあまりない仕事であり、それを普段よりも早い時刻に来させるというのは、それは、わざわざ、業務を妨害しているものでした。
特に、渡邊士直が在籍した千葉支店はJR「千葉」駅の前のビルに入居していて、渡邊士直はそのすぐ近くに住んだようでしたが、住宅展示場は、総武線沿線に市川・船橋・千葉幸町といずれも千葉駅より西側にあり、それと常磐線沿線に松戸と柏にあったのですが、特に、同じ千葉県とはいえ、常磐線沿線と総武線沿線は別の地域であり、松戸と柏に普段勤務している者が千葉駅の東口にあった千葉支店まで行かされるのは「出張」のようなものだったのです。会社は日本国の法律を守らないといけませんし、国民は日本国の法律を守らないといけません。 労働基準法は実体規定と罰則規定からなりますが、刑法と違って実体規定と罰則規定が別の条文に規定されていますが、これは、労働基準法の実体規定については労働者と使用者の両方が守らないといけないもので、罰則規定については使用者のみに適用されるものということで分けられています。労働者・従業員には罰則規定は適用されませんが、実体規定は労働者・従業員も守る義務があるものです。労働基準法に規定されている労働時間制限に違反しての労働は、使用者には処罰規定が適用されなければなりませんが、従業員もまた、違法な時間外労働をおこなうということは違法行為を行っていることになります。 又、労基法違反の時間外労働を従業員にさせた場合、違法ということでの刑事罰は使用者には適用されなければなりませんが、民事上の問題としては、違法な時間外労働であっても時間外賃金を払わないといけません。勘違いしている使用者がいますが、住宅建築業の営業の場合、「基本給+歩合給」という給与制度にしている場合が多く、歩合給を払っているのだから時間外賃金は払わなくていいと思いこんでいる使用者がいますが、そうではありません。但し、使用者から時間外に働いてくれとはっきりと指示された場合には時間外手当は払われないといけませんが、使用者がはっきりと明示の指示はしていないとしても、その業務を遂行していくには時間外労働をせざるをえない状況であったという場合や、戸建住宅建築業の営業のように、時間外に働かないと契約につなげるのは極めて困難という場合に、はっきりと上役が指示しなかったからということで、従業員が勝手にやったのだからと時間外賃金を払わなくてもいいことにできるかというのは大いに問題があります・・が、契約につなげるための営業活動を時間外におこなったというものについては、従業員が上役から指示されずに自主的にやったとしても、それに対する報酬は歩合給で払っているのだというのは、一応、理屈として考えられますが、上役が指示していないのかというと、実際には指示していますし、特に新人や比較的経験が浅い営業担当者の場合には、小堀住研(株)であれば課長が指示をして時間外に働かせています。営業活動については歩合給を支払っているから時間外手当はなしというのは、本来、労働基準法の考え方から通じないはずですが、働いている従業員としては、「まだ、我慢もできる」というのか、歩合給につながるのだからと考えて我慢するということもできますし、相当体力的にきつい場合も、身近にいる課長が自分も同様に働いている場合や、営業担当者の補助として課長も時間外に働いてくれているという場合には、労基法違反ではあっても、「課長の気持ちはわかる」と考えることもあります。しかし、渡邊士直の場合は、千葉支店に、特に松戸や柏の営業所に勤務している従業員を早出残業で呼びつけるということがあまりにも頻繁であり、又、それは、何ら業務上の必要性がないものであり、千葉支店所属の営業社員は渡邊の態度に閉口していたのです。
かつ、渡邊士直は、赴任すると、それまで、支払われていなかった展示場勤務の「営業補助」の女性社員に時間外手当を支払うようにしたのですが、それもおかしな話で、女性には時間外手当を払って男性の営業には時間外手当を払わないというのは、どういう屁理屈なんだ・・ということになります。又、展示場勤務の「営業補助」の女性社員は、基本的には時間外労働はしないという前提での仕事であり、そういう性質の仕事であって、時間外に何をしていたのか、ということを考えて、もし、営業課長が時間外に働かせていたのならば、会社として時間外に働いてもらうという前提にしていない人に時間外に働かせるのはやめるように指示するべきものであったはずなのです。そして、どれだけ、時間外に働いたかという時間数について、自己申告をもとに支払ったようですが、小堀住研(株)はその何年か前にタイムカードというものを撤廃したのですが、「タイムカードを撤廃した」というと、従業員を信頼した「Y理論」に基づく経営か・・・と思いそうですが、実際には時間外賃金を払いたくないから、その証拠を隠滅したのです。「営業補助」の女性社員の場合は、営業のように歩合給を受け取ることはありませんから、その理由でも、時間外に働いたならば時間外賃金は支払われるべきですが、もともと、展示場の「営業補助」の女性社員というのは展示場勤務の営業の「補助」の仕事で、「営業補助」の女性社員の終業時刻が来れば、そこから後に仕事があったならば、営業の男性社員がやるという前提だったのです。それを、「なぜ、営業補助の人に時間外に働かせているのか」と課長にきくこともせず、時間外賃金を女性にだけ払うというのは、なぜ、そういうことをするのかというと、実際問題として、低学歴の店長がよくやることですが「女の機嫌をとる」というやつでしょう。そういう人は他の会社でも見ます。 (2008年、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕https://www.10kai.co.jp/ の花見川店の店長の「人相と目つきの悪い田中」(男。当時、60歳)も、おばさんの機嫌をとる、ということをやりたがりました( 一一) ) 各展示場の「営業補助」の女性社員については、基本的には時間外労働はないという前提での仕事で、そういう前提での仕事だけに給与の金額も高くなかったはずですし、渡邊士直は千葉支店長に就任してから、毎週、各展示場の「営業補助」の女性社員までも千葉支店まで呼びつけにしていましたが、各展示場の「営業補助」の女性社員というのは「お留守番」も仕事のうちになっており、「お留守番」の人を呼びつけたのでは「お留守番」にならなくなってしまうのですが、「支店長の命令」と言って「言うことをきかせる」ということを業務上の都合よりも優先するという態度は、「底辺の高校卒のおっさん」が支店長になった場合の「常に従業員に無理矢理にでも言うことをきかせるようにしないと不安だというシンドローム」がそこにも出ているのですが、会社として「営業補助」の人は「お留守番」の意味もあって配置しているのに、それを支店に呼びつけにして、会社が費用を出して出店している住宅展示場を無人にするというのは、それは会社のためにならない行為です。
女性社員の勤務状態について配慮するのならば、QCサークルというものについて考える必要がありました。QCサークルというのは、「従業員が自主的にやるものだから、QCサークルについては賃金は支払われない」と言うのですが、「自主的にやる」なんて言っても実際には会社が指示してさせているのであり、労基法違反の時間外労働について時間外賃金を支払わないことの口実に「QCサークル」を利用しているだけでした。展示場勤務の「営業補助」の女性社員にもQCサークルに参加させて、深夜まで残らせていたのですが、1989年頃においては、女性の夜10時以降の労働は違法とされていましたが「QCサークルだ」と言えば違法でなくなるわけではないはずなのです。 合法か違法かと別の問題として、女性社員でも男性と同じ条件で働いている人が営業をやっている人が自分の判断で、なかなか会えないが夜遅い時刻ならいるという人の所に行くということならばわからないこともありませんし、そういう勤務をする女性も現実にいますが、QCサークルという何が何でも深夜にやらないといけないわけではないものを、営業社員というのは生活が夜型なものだから、夜遅い時間に実施して、女性の深夜労働は違法とされていた時代において平気で深夜労働をさせるというのは問題があります。 その頃は柏営業所に勤務していて翌年だったかに松戸営業所の課長に昇進したらしい犀川(男。当時、30代。日大芸術学部卒)は千葉支店の営業では最も多い営業成績を残していたようでしたが、そのあたりについてまったく配慮のない男で、そのあたりを見ると、営業成績という点では優秀な成績を残したとしても、やっぱり、ニチゲーの男だなあという印象を受けましたし、営業としては優秀でも管理者としてはあまり期待できない人だという印象を受けました。支店長というのは、本来、こういったことに配慮するのが支店長の仕事のはずなのですが、「底辺の高校卒」の渡邊士直さんにそれを期待しても無理です。
労働基準法は日本国の法律ですから、守るのが基本であって守る方向で努力してもらわないと困るのですが、「労基法で規定されている労働時間を超えた労働で会社が動いている」という会社というものが現実にあるようなので、そういう会社で、いきなり、労基法と就業規則で規定されている労働時間制限を超えて働いてはならないということにすると、「会社が動かなくなる」おそれがあるかもしれませんが、そうであったとしても、まず、動くように支店長などの役職の人間は努力しないといけませんし、そういう努力をするのが支店長や東部営業本部長の仕事であって、逆をやるのが仕事ではないはずなのです。営業の就業時間というのは、午前10時から午後6時だったわけですから、それを、普段の勤務場所よりも移動時間に相当長くかかる場所に1時間早く来いというようなことを頻繁にされるということは、いわば、「普段、中5日で投げている先発投手」に「中4日」「中3日」で頻繁に登板させるようなものであり、それがどうしても必要だという場面ならば、プロ野球にたとえるならば、杉浦・稲尾の日本シリーズ4連投とかいうのは、それで日本シリーズに勝ったとしても、登板過多が投手生命を縮めたのではないかと言われ、そういうのは好ましくないとしても、野村のじいさんが南海ホークスの監督で唯一パリーグ優勝した1973年の阪急とのプレーオフでは、第1戦に最後にリリーフした江本が第3戦では先発して完投勝ちし、さらに第5戦では、最後の最後、9回裏、2死から登板して代打 高井を三振に打ち取ったというように、プレーオフや日本シリーズ、もしくは、優勝するかしないかがかかった1試合とかで多少の無理をして登板するというのはエースなればこそのものでもあるでしょうけれども、渡邊士直が千葉支店の従業員にさせたのは、レギュラーシーズンでそこまでの重要性もない試合で、「普段、中5日で投げている先発投手」に「中4日」「中3日」で頻繁に登板させるようなものであり、営業妨害以外の何ものでもなかった。
渡邊は自分がそういうことをやっているということに自覚がなかったのか・・と思ったのですが、自覚がなかったのではなく、そうではなく、意図的に従業員に対する嫌がらせとしてやっていたようです。なぜなら、松戸営業所に勤務している営業社員には、千葉支店に普段の始業時刻よりも1時間前の時刻に来いと言いながら、同時に、千葉支店のすぐそばに住んでいる自分が松戸営業所に来る時には、朝、とりあえず、千葉支店に顔を出して出勤したということにした上で、「勤務時間内」に千葉から松戸まで移動するということをやったのです。普通に考えて「ずるい」でしょ。松戸営業所の人間に千葉支店に来させる時には始業時刻よりも1時間前に千葉支店に来いと言って、自分は松戸営業所に自分の始業時刻よりも1時間前に行くのではなく、自分が住んでいる所の近くの千葉支店に、自分の始業時刻の少し前くらいにいったん顔を出して出勤したということにして、それから、「勤務時間内」に松戸営業所まで移動する・・て、そんなことする人、あんまりないと思うがなあ~あ・・・ということを毎度やっていたのです。 住宅建築業の会社にもタイプがあり、多くの「ハウスメーカー」は都市型の会社で、小堀住研(株)は木質系とはいえ木質パネル構法が主で、沖縄県以外の全国で建てていたとはいえ都市部中心の会社で、(株)一条工務店などは千葉県でも千葉市より東・南の方が強いくらいであるのに対し、小堀住研(株)は同じ木質系であっても、千葉県でも北西部の方が中心だったのです。同業他社でも、たとえば、やはり、都市型のスウェーデンハウス(株)は千葉支店を千葉市ではなく船橋市に置いていたはずで、小堀住研(株)は千葉支店を千葉市中央区のJR「千葉」駅の東口のビルに置いていましたが、住宅展示場は、市川市・船橋市・千葉市幸町と総武線沿線の松戸・柏の5カ所で、千葉支店というのは常磐線とは別の沿線の総武線沿線のそれも3展示場のうちの一番東の展示場のさらに東側にあって、特に常磐線沿線の展示場や常磐線沿線展示場に勤務する者が行くには便利の悪い場所だったのですが、本来、支店長というのは、自分が実際に移動してみて、そういったことを理解して、長い目で見て、支店をスウェーデンハウス(株)のように船橋市に置くとか、小堀住研(株)自体がその後に実施したようですが、総武線沿線と常磐線沿線を分けて松戸市に松戸支店を設けて常磐線沿線は松戸支店の管轄にするとか、そういったことを考える仕事であり、支店を移転させたり新設したりするのは簡単ではないとしても、支店での営業会議というのは、営業が参加しておこなうものですから、渡邊だけの都合に合わせさせて・・というより、営業社員に対しての嫌がらせとしてわざわざ営業の始業時刻よりも1時間早い時刻に実施するのではなく、営業の始業時刻に実施するか、もしくは、移動時刻を考えて、午後1時からおこなうとか、もしくは、5カ所の展示場のうちの総武線沿線3カ所の一番東の千葉幸町展示場よりまだ東にある千葉支店でおこなうのではなく、たとえば、総武線と東武野田線が合わさる駅である船橋駅なり総武線と武蔵野線の合わさる駅である西船橋駅なりの近くで会場を借りておこなうとか、そういったことを考えるのが支店長の仕事のはずでしたが、「底辺の高校卒の痴漢人間」の渡邊士直さんにはそういった仕事を期待するのは無理な話・・・ということは、渡邊士直さんを支店長にならせるのは間違いだ・・ということになります。それにしても、自分は千葉支店のすぐそばに住んで、自分が松戸営業所に行く時には自分の始業時刻の少し前に千葉支店に顔を出して出勤したということにした上で、「勤務時間内」に松戸営業所まで移動して、松戸営業所の従業員には、松戸営業所の営業の始業時刻よりも1時間前に千葉支店まで来いと要求するというのは、それは「どう考えても、ずっこい」と普通の人間は考えるし、普通、そんなやり口する人間、あんまりおらんだろう~お・・・と思うのですが、そのあたりが「底辺の高校卒」のおっさんの特徴なのです。私が支店長になっていたならば、各営業所の従業員が働きやすい条件を整えようと努力するのは当たり前と考えますし、自分が松戸営業所に行く時には、自分の始業時刻より少し前に、いったん、千葉支店に顔を出して「出勤した」ということにして、「勤務時間内」に千葉から松戸まで移動することにして、それでいて、松戸営業所に勤務している従業員には、始業時刻よりも1時間前に千葉支店に来させてやろうというのは、そういう態度は支店長としてもってのほか、支店長というのは、従業員が働きやすい条件を整えるのが仕事であるはずで、従業員を困らせるのが仕事ではないはずと考えます・・・が、「底辺の高校卒」のおっさんの支店長の場合はそういう思考ではなく、「俺は支店長なんじゃ」ということを常に示さないとおれない症候群・・であり、自分が支店長になっている地域の従業員を困らせて、それに服従させるということで、自分が支店長なのだということを示したいという強迫観念のようなものがあったのです。これは「底辺の高校卒のおっさん」を支店長などにならせると、時々、起こる現象です。・・ということは、そういう人を支店長にならせるべきではない、ということです。
松戸営業課の課長だった石井は、学歴としては高卒の人でしたが、中央工学校という建築の専門学校に行って一級建築士の資格を取得していたということで「技術系(4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人)に準ずる」という扱いで入社したようでした。しかし、管理者的能力というものは、本来は社会科学系学部(法学部・経済学部・商学部)卒の者が発揮するべきもので、「技術系(4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人)」というのは、学んできた内容は建築・土木といった技術面に比重があるのですが、4年制大学の場合は、高校までに学んできた一般教養と大学で学んだ一般教養から《「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」に準ずる》と考えていいことにしていたのではないかと思います。しかし、一級建築士の資格を持っているからということで《「技術系(4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人)」に準ずる》ということで入社したとしても、結局、管理者的能力という点においては、<《「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」に準ずる》にさらに準ずる>ということになるのです。石井は「親切で優しい」と千葉支店の従業員から言われていたのですが・・、片方で契約客に「家相と気学の専門家」の所に一緒に行ってもらいたいと言われて行った時にはその「家相と気学の専門家」から「この人には気をつけた方がいいですよ」と言われたこともあったのです。私はその「専門家」から言われた時、特別の意味はないだろうと思いこんだのですが、そうでもなく、さすがに「家相と気学の専門家」だけあって、初対面でもよく人を見ていたなあと今は思います。 「親切で優しい」というのは嘘ではなく、一級建築士の資格を持っていて設計事務所で設計の仕事をしていたこともあるというだけあって建築について他の営業課長よりよく知っているし、自分はやっても人に教えるのを嫌がるような人もいるのですが石井さんの場合は嫌がらずに親切に何でも教えてくれる人で、私も石井さんから教えてもらって身につけたものは相当あるのですが、片方で・・・、自分が松戸営業所の事務所で言っていたことを私が言っていたと他で話したりしていたようです。 たしかに、「この人には気をつけた方がいいですよ」というところがありました。そして、<《「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」に準ずる》にさらに準ずる>だけあって、私ならきっちりと支店長に言うべきものを言わない・言えない人でした。石井は、松戸営業所の事務所で「あの渡邊さんが来てから、毎週毎週、週の初めに千葉支店まで早朝に呼びつけられて、まったく、たまったもんじゃないなあ」とぼやいていたのです。実際、そうなのです。渡邊は、毎週、週の初めに、早朝に早出残業で千葉支店まで呼びつけて嫌がらせをするというのを「支店長の権利」と思っていたらしいのですが、労働基準法と就業規則からそれは違法であり、違法である以上は渡邊は「支店長の業務命令」と言うのですが、違法であるものは「もとより無効」であり、又、渡邊が「支店長の命令」だと言うことで嫌がらせをするのは「業務」とは言い難く、「業務命令」と認められるか疑問です。私は、石井が「あの渡邊さんが来てから、毎週毎週、週の初めに千葉支店まで早朝に呼びつけられて、まったく、たまったもんじゃないなあ」とぼやくので、私は「それ、課長から言ってもらえないですか」と言ったのです。 自分が「まったく、たまったもんじゃないなあ」と言っているのですから、それを課長として、理解できていない支店長に説明するべきであったはずです。
1989年6月まで、7月より東京支店の本社機能の部署に異動した長谷川さんが支店長だった時も、月に2回、始業時刻より1時間早く千葉支店に出社させられて、それも負担だったのですが、それも、業務課長の江間は「法政大学の法学部」出てるときかれもしないのに自分から言う男でしたから、法学部卒だと言うのなら、「労働基準法と就業規則から考えても、1時間の早出残業は違法ですから、せめて、9時からではなく10時からにするか、もしくは、月に2回、昼礼をするということにして午後1時からにしてはどうでしょうか」と言うべきであったはずですが、江間は「法政の法学部」ではなく「放精の呆学部」なのか、単に「大学卒」の肩書を取得するためだけに法学部を出た男であって法学部で何か学んできた人間ではない役立たずでしたから、江間に何か期待するのは期待するだけ無駄だったようです。渡邊が千葉支店に来る前においても、千葉県は総武線沿線と常磐線沿線は同じ県でも別の地域であり、月に2回でも早朝に千葉支店まで呼ばれるのは負担だったのです。私が支店長ならば、赴任すればまずそのあたりを把握して、その上で各営業所の営業課長に意見を聞いた上で、どうすべきか考えます。具体的には、千葉支店に全員が来てもらうのは月に1回でいいことで、それも違法である早出残業で来させるのではなく、昼礼として月に1回だけ午後1時に集まるということでいいでしょう。営業会議は月に2回でいいことで、片方は千葉支店ではなく千葉県の営業所があった、松戸・柏・市川・船橋・千葉の中央部で会場を借りるか、そうでなければ、不公平のないように順繰りに各展示場で実施するようにした方がいいでしょう。そうでなければ、営業会議は月に1回にして、各展示場(営業所)ごとに営業会議を週に1回実施して、支店長が順番にそれに参加するようにすればいいでしょう。なぜ、支店長が展示場に出向かないのか、というと、朝から普段より遠い場所に行くのが嫌だからでしょうけれども、支店長のために仕事があるのではなく仕事のために支店長がいるはずですから、仕事の妨害する支店長ならいる価値はないことになります。こういったことを考えるのが支店長の仕事であって、支店の従業員により負担がかかるようにして従わせることで「支店長の命令」をきかせてやった、ということにするのが支店長の仕事ではないはずです。
YouTube で「ポチパパ チャンネル」という犬の愛護活動をやっている北村さんという人の動画があって、けっこうおもしろく見せてもらっているのですが、犬が飼主の言うことをきくかどうか試したければ、水溜まりの上で「すわれ」と言ってやれば、普通、そんな所で座るのは嫌なものだけれども、飼主に従順になった犬はそんな命令でもきくというのです。又、いったん、与えた「おやつ」を犬が喜んで食べようとした時に、喉の奥まで入った時点で「出せ」と命令すると、飼主の言うことをきくようになっている犬はどんなに苦しくても吐き出すそうです。渡邊が千葉支店の従業員に対してやろうとしたのはそれです。あえて、業務上はマイナスにこそなれ必要のないことで、仕事を遂行する上で負担になるようなことを要求してさせることで「支店長の命令」をきかせた、ということにしたかったのです。なんとも貧困な精神構造ですが、「底辺の高校卒」の人を「◇長」といった役職につけると、そういう人はしばしばこういう行動を取ります。もっとくだけた表現にすると「ちっぽけな野郎だなあ」ということですが、そういう人はいます。私は、その時点ではそこまで読み取れなかったが、渡邊士直さんという人はそういう困った姿勢の人、そういう精神構造の人で、「精神医学」用語で表現すると「このビョーキはそう簡単には治らない」ということになります。
「底辺の高校卒のおっさん」を支店長などにならせると、こういうことをしたがるということがあるようです。いわば、犬に、必要もないのに水溜まりの上で「おすわり」しろと命令したり、喉の奥まで入れた食べ物を苦しい思いをして吐き出せと命令して吐き出させるような、そういうことを命令してさせることで、「支店長の命令」を従業員がきくということを確認したい、というそういう人間だったようです。「一流大学」卒の管理者なら一般にやらないことを、「底辺の高校卒のおっさん」はやります。渡邊さんはそれだったようです。小堀住研(株)は「うちは一部上場ですから」と言っていたのだが、「底辺の高校卒のおっさん」が支店長になれば、「底辺の高校卒のおっさん」が「一部上場企業の支店長」になるかというとそうではなく、小堀住研(株)の支店長というのは「底辺の高校卒のおっさんがつく役職」になっていた。
しかし、従業員というものは犬ではないし、支店長というものは、従業員が業務を遂行しにくくしてそれに従わせるという仕事ではなく、従業員が働きやすい環境を整えることで成果が出るように尽くすのが支店長という役職についた人間の仕事のはずなのです。だから、私は、石井さんに「『千葉県は総武線沿線と常磐線沿線とは実質別の地域で、千葉支店は5つの展示場のうち、総武線沿線の3つの展示場の一番東の展示場よりまだ東側の場所にあって、特に総武線沿線の展示場に勤務している従業員が行くのは大変なのです。又、支店長の就業時間は午前9時からですが、展示場に勤務の営業社員の始業時刻は午前10時からで1時間遅いのです。始業時刻が1時間遅い従業員に、そこまで行くのに相当の労力と時間がかかる場所に普段よりも1時間前に行かせるというのは相当負担がかかることですから、それを、毎週、来させようというのはやめていただけませんか』と課長から言ってもらえませんか」と言ったのです。渡邊さんは他の人間よりも理解力が劣っていますが、そうでない人でも、それまでとは異なる支店に赴任すると、その地域のことが十分に理解できていないという場合があります。ですから、その地域の実状を説明して教えてあげるべきなのです。私が営業課長であったなら言いました。それが営業課長の仕事です。ところが、石井さんはそれを言えない。松戸営業所の事務所内ではしばしばぼやくものの、言うべきことを言えない。それを言えないのでは課長と言えないではありませんか・・と思うのですが、「一級建築士の資格を持っていて設計事務所に勤めて設計の仕事をやっていたこともある」というだけに、そういう経験がない人よりも図面を作成する能力などは優れていて、又、嫌がらずに教えてくれる人ではあったのですが、他方において、「4年制大学の社会科学系学部(法学部・経済学部・商学部)卒の人」であれば、管理者としてそういうことをきっちりと言うのが仕事だと認識するところを、そういった認識が欠落しており、課長ならば、新任の支店長には、その県の事情はこうなんですよときっちりと説明をして、そういうことをしてもらっては困るのですと言わないといけないものを言えない。そのあたりを見ると、建築の技術面については大学は出ていなくても「大卒に準ずる」能力があっても、支店長が黙っていてもそういったことを理解できる人でないならば、課長がそのあたりをきっちりと言うという能力には欠けていた、そのあたりについては「やっぱり、高卒の人かな」という人でした。片方で親切なところもあり、私は石井さんからけっこういろいろと教えてもらって身につけたものがあるので残念ですが、片方で「やっぱり、高卒の人かな」と思わざるをえない部分もありました。
7月1日からの辞令だったはずですが、会社という所においては辞令を受けたらさっさと移動するべきものですが、渡邊士直はそれを7月の下旬になってやっと千葉支店に赴任した。渡邊士直がいつ転勤を聞いたのかわからないが、一般的には、移るのが遅すぎる。
やっと赴任したと思ったら最初にやったことというと、女性社員の尻を何人もの前でなでまわして「男性がさわりたいと思うお尻をしているということは大変いいことだねえ」と発言した、というのも、これも「支店長の業務命令」だとしてそういう行為を働くことで、従業員が「底辺の高校卒の渡邊士直」の言うことに従うということを示したかった、といった意識でもあったか・・というのは考え過ぎか。それは単に品性下劣・社会常識の欠如というものか。「底辺の高校卒」であるとともに、その高校、どんな高校だったんだ、そういう教育をやっている高校か・・という印象を受けますが、それとともに、前職はあまりガラのいい勤め先ではなさそうと思われます。これは、思う方は悪くないのです。思われるようなことをやっている人間に責任があります。クルマ屋か不動産屋お風の店か? あまり、品のいい所には勤めていないはずです。それを考えると、「高級住宅の小堀」として「営業動作の徹底」「同業他社とはマナー の違い」と言う小堀住研(株)とは矛盾します。
最近、駅に「痴漢は犯罪です」と大きく書かれたポスターが出ていますが、電車内で「こそっと」「おずおずと」女性の尻を触る男がいると犯罪で、会社で何人もの人間が見ている前で堂々と「男性がさわりたいと思うお尻をしているということはいいことだねえ」などと言って女性社員の尻をなでまわす「底辺の高校卒の男」がいると、「社内におけるスキンシップ」などと言って擁護する人間が小堀住研(株)には何人もいたのですが、そんな「スキンシップ」はありません。電車中で女性の尻をさわるおっさんは「スキンシップ」をとっているのか? 普通、そうは認められないでしょう。それを小堀住研(株)の社長の中島昭午は渡邊士直に認めようとしていたのです。渡邊士直は、とりあえず、さわりたかったら、そういうお店にでも行った方がいいのではないか。小堀住研(株)では「渡邊さんの場合は信念もってやってる」と言われていたのですが、オウム真理教から殺された横浜弁護士事務所の坂本堤弁護士は死刑に反対の立場だったらしいが、殺害されたことが明らかになった時、横浜法律事務所の同僚の弁護士が「もしも、今、彼と話すことができたら、『坂本くん、きみはこんな目にあわされても、それでも死刑に反対するかい』ときいてみたい」と話していたのが新聞にでていましたが、私は「保安処分」というものについては反対の立場でしたが、渡邊士直さんは「俺は今後も間違いなく絶対に女性社員の尻をなでまわすが、中島社長から許可されてやっとるんじゃあ」と明言したのですが、そういうものを「信念もってやる」人というのは、保安処分の対象として考える必要があるのではないのか? ・・と渡邊士直さんを見ると思えないこともありません。実際、この人は自分でも言っているように、穏便に「治療」しようと思っても困難です。又、そういうものを「許可」する社長というのも、「ほとんどビョーキ」ですね・・・。

保安処分と精神医療 (1980年) - 青木 薫久
渡邊士直は「俺は、会社の女である限り、いつでも、誰でも、好きな時に好きなだけ、尻をなでまわしていいと中島社長から認められとるんじゃ」と明言したのですが、中島昭午にそのようなことを認める権利はなく、逆に、社長には渡邊士直のような習癖・性癖の人間を取り締まる義務があり、中島昭午は社長の義務を果たしていなかったということで、その結果、どうなったかというと、社長の義務を果たしていなかった中島昭午は、会社をつぶし、社長の地位を失った・・・。そうやって社長の地位を失った人を「気の毒」とか言いたがる人がたまにあるようですが、そういう受け取り方は間違いです。 (中島昭午のような)「溺れかけたイヌに手を差し伸べてはならない。むしろ、ぶんなぐって沈めてしまう必要がある」。

企業と人権 (日本労働法学会誌 (78号)) - 日本労働法学会
1990年1月だったか2月だったかにも、締め日直前に、東部営業本部長の増田和二が千葉支店に来るから、翌朝9時までに全員千葉支店に来いと、前日の夜6時過ぎに渡邊士直が電話をしてきたことがあったのですが、私が松戸営業課長であれば、
「営業は、向う1週間くらいの予定を立てて動いているのです。前日の夜、終業時刻を過ぎた時刻に、いきなり、そういうことを言うのはやめていただけませんか。工事課出身の支店長でもこのくらいのことはわかると思いますが、営業課の経験がある支店長なら私が言わなくても普通はわかると思いますが、営業はお客様が最優先であり、営業活動を妨害するのが支店長の仕事ではなく東部営業本部長の仕事でもないはずです。特に、今はどういう時期かというと締め日の直前であり、営業は誰もが大変忙しく働いています。何が何でも明日でないといけないという用事でないのならば、締め日の後に来ていただくようにするべきですし、締め日前に千葉支店に来たいということならば、各展示場に勤務している営業社員や営業課長に来いとは言わないで、東部営業本部長に千葉支店を見ていただいて、支店長がお相手していただけばいいことでしょう。東部営業本部長というのは、日本を東部・中部・西部と3地域に分けて、東の部分についての営業本部長ですから、営業成績が上がるように努力するのが東部営業本部長の仕事のはずで、わざわざ、締め日直前に、それも、前日の夜に突然、電話をして、各展示場の始業時刻よりも1時間前に、各展示場までの通勤時間よりも1時間以上長くかかる場所に来いというのは、それは営業妨害以外の何物でもありませんね。支店長になっている方ならば、当然、このくらいのことは理解できていないといけないはずで、支店長ならば、東部営業本部長に『すいません。せっかくですが、今、締め日直前ですから、来ていただくのは締め日の後にしていただけませんか』と言わないといけませんね。もしくは、締め日直前に何が何でも千葉支店に来たいということならば、千葉支店に普段からいる人だけで応対するようにするべきです。これは営業課長が言わなくても、支店長になっている方ならば理解できて当然のことと思いますが、そうお願いできますか。又、東部営業本部長の普段の勤務場所は東京の新宿で、千葉支店がある千葉まではけっこうかかりますから、もしも、千葉支店に所属の全員と顔合わせをするために来ていただくのなら、午前9時でなくても、もう少し後の時刻に来ていただくようにした方がいいでしょうから、そのように考えていただけますか」
と言います。言うと「怒りよる」かもしれませんが、当たり前のことを言われて怒る方が間違っているのです。それを言えないようでは営業課長としての価値はないことになります。小堀住研(株)に入社する前、大学の4年生であった時に、東京の丸の内にあった中国銀行に会社訪問で行ったことがあり、その際、三井銀行から顧問として来られていたMさんが、御自分も慶應大学卒だということで、中国銀行とは直接関係のない話も聞かせてもらったのですが、Mさんは三井銀行に入行してから、会社としてこうあるべきだ・こうでないといけないはずだと思ったことを口にして嫌われたこともあったそうで、「友人から『おまえ、どうせそんなにたいして高い給料もらっているわけでもないのだから、そんなこと言って嫌われなくたっていいじゃないか』と言われたけれども、私はそうは考えなかった。会社のためを思って、それは違うぞと思ったら言わにゃいかん。『どうせそんなに高い給料もらっているわけでもないのだから』会社のためを思って嫌われるようなこと言って馬鹿見ることないじゃないかと考えるのではなく、『どうせそんなに高い給料もらっているわけでもないのだから』会社のためを思って、それは違うぞと思ったら言わせてもらおうではないか、と私はこう考えた」と言われたのだ。三井銀行は大企業だけあってか、「それで、嫌われもしたし、左遷もされましたよ」と言われたのだが、結局、けっこう昇進されたようで、定年後も、外国の銀行から顧問で来てほしいと言われて行かれていたようだった。Mさんが言われたように、会社員というものは、会社の為を想って、それは違うぞと思ったら言わにゃいかんはずだ。営業課長として言わないといけないことを言えない言わないようでは営業課長としての価値がないことになる。
・・但し、「小堀の課長なんて、普通の会社なら主任か副主任くらいのもんだ」と小堀住研(株)の従業員の間で言われていたし、又、「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人がその賞を受賞しているかでその賞の値打ちが決まる」と述べていたが、小堀住研(株)の場合、どのような人が部長や支店長になっているかという視点で見ると、小堀住研(株)の部長や支店長というのは「主任か副主任くらいのもの」であったと思う。しかも、その実質「主任か副主任くらいのもの」でしかない人が、おのれをふくらませて、「言うことをきく」ようにさせようとして、バブルの役職を保持しているようなケースというのが決して少数派ではないようだった。
入社直後の本社での新卒社員研修に次長の肩書をもらっていた前野和彦が講師役で1コマ話したのだが、この程度の人が「次長」なのか・・と思ったのだが、小堀住研(株)はその程度の人しかいない会社なのか・・と思ったのだが、前野の場合はそういう問題ではなく、太陽神戸銀行から出向で来た人間で、技術系の能力はなく営業の能力もないことから「総務部」の所属として、そして、銀行から出向ということで「横滑り」ではなく、銀行にそのままいた場合の役職よりもジャンプして「次長」になったということだったようだ。銀行から出向で来ていた人というのは取締役の半分・監査役の半分だけかと思ったらそうではなく、それより下にも「総務」などに銀行での役職よりジャンプした役職をつけてもらって在籍していた男というのが複数いたようだった。
入社式の直後の立食パーティーで、太陽神戸銀行から出向で来た常務取締役で来るなり西郡営業本部長になった大野が「小堀住研は無借金経営です。銀行から人が来ているのは人材が不足しているから来ているのであって、借金があるから来ているのではないんです」と私に言ったのだが、「ほんとかあ~あ?」と思ったものだった。1人くらいならともかく、取締役の半分・監査役の半分が銀行から来ている人間というのは、やっぱり、銀行に対して何かあると考えるのが一般的ではないか。「人材が不足しているから来ているんです」と言われても、それまで銀行にしか勤めてきていない人間が住宅建築業の会社にやってきて、いきなり、東部営業本部長などになってやっていけるのか? ・・・というと、実際はどうかというと、富士銀行からやってきていきなり東部営業本部長になり、「また、銀行から何もわかってないやつが来たか」と従業員に言われ、「東部営業本部長、アタマ、ぼけてる」と言われていた増田和二は(断っておくが、私が「言った」のではなく、私は「聞いた」のである)、締め日直前に、前日の夜にいきなり展示場の事務所に電話を入れて、千葉支店まで営業社員の始業時刻よりも1時間前に普段の通勤時間よりも1時間以上長くかかる場所に来いと言うなどして営業妨害やったのである。増田和二は富士銀行で2年ほどどこかの支店の支店長をちょろっとやった経験がある男だったようだが、富士銀行でもそんなことをやっていたのか? 富士銀行の上役は支店長がそんなことをやっているのを認めていたのか? 中国銀行に会社訪問で行った時には、Mさんから、「銀行というのは、どれだけ契約をあげたか、どれだけ、口座を作ってもらったかというのを、締め日前なんかは上から厳しく言われる所で、特に、支店長なんてのは、のどから手が出るくらいに欲しいものですよ」と言われたものだが、小堀住研(株)では、千葉支店に締め日直前に営業妨害しに早朝に来ると言い出した増田和二という男は『有価証券報告書』を見ると、富士銀行でどこやらの支店の支店長を2年ほどやったということになっていたのだが、その経歴は嘘かあ??? それとも、富士銀行では契約をあげること・口座を作ってもらうことは大事だと考えていたが、小堀住研(株)の契約なんてどうでもいいと考えていた、ということかあ??? そうでなかったら、締め日直前に、前日の夜に突然電話をして、翌日の早朝に、展示場勤務の営業に始業時刻よりも1時間前に、普段の勤務場所よりも1時間以上長くかかる場所に来いというようなことは言わないはずだ。『有価証券報告書』に掲載されていた経歴というのは詐称だったのかあ??? 富士銀行は小堀住研(株)をつぶすための人材を送り込んでいた、ということなのか???
さくら銀行〔(太陽+神戸)+三井〕+住友(平和相銀含) が合併して三井住友銀行になった時、週刊誌に載っていた話だが、さくら銀行の行員が「うちの頭取は何を考えてるんだ」と怒っていたそうで、さくら銀行(太陽神戸+三井)と住友銀行が合併して従業員を3分の2に減らす・・・ということは、さくら銀行の行員を半分辞めさせるということか・・と 。それに対し、「いや、そうではありません。どちらの人に残ってもらうということではなく、優秀な人に残ってもらいます」と経営者は言うのだが、同じことだろうが、さくら銀行の行員と住友銀行の行員なら住友銀行の行員の方が優秀なのは間違いないのだから、「優秀な人に残ってもらう」ということは、結局、さくら銀行の行員を半分クビにするということになるだろうが・・という話だった。そして、合併後、元さくら銀行の行員と元住友銀行の行員が一緒に会議をしたりすると、元住友銀行の行員から「よう、そんなことで商売やってはりまんなあ」という言葉がでた・・・ということだった。富士銀行(現 みずほ銀行)から出向で来て住宅建築偉業の経験などまったくなく、大学も東北大の法学部卒の増田和二がいきなり東部営業本部長になったが、慶應大経済学部卒で三井銀行に勤めてきたMさんなら「銀行というのは、どれだけ契約をあげたか、どれだけ、口座を作ってもらったかというのを、締め日前なんかは上から厳しく言われる所で、特に、支店長なんてのは、のどから手が出るくらいに欲しいものですよ」と考えるものを、富士銀行(現 みずほ銀行)から来ていた増田和二は、↑ のようなことをやった、まるで「契約なんか要りません」と言っているようなことをやったのである。「よう、そんなことで商売やってはりまんなあ」と富士銀行(現 みずほ銀行)に言ってやるべきかもしれない。 ・・実際、その頃も、富士銀行は「何かといばっている」「何かと待たせる」など他の銀行に比べて一般顧客の評判は悪かった・・が、それにしても、締め日直前に ↑ のようなことを富士銀行ではやっているのか? 富士銀行はそういうことをする人させる人を支店長にならせているのか? ・・もし、そうなら、まさに「よう、そんなことで商売やってはりまんなあ」・・という感じがする。
「石井さんは営業課長ですよね。営業課長ならば、『今、締め日直前であり、営業社員は誰もが必死で働いています。締め日直前に、前日の夜に電話をして、いきなり、翌日の早朝に始業時刻よりも1時間前に千葉支店まで来いというのは非常識です。支店長から東部営業本部長に、《営業社員全員と顔合わせをしたいということならば、締め日の後にしてください、何が何でも締め日前に来たいということならば、千葉支店に普段からいる人間だけとの顔合わせにしてください》と言って下さい』と言っていただけませんか」と言いたいところでしたし、本来は石井は私からそう言われなくても、「今、締め日直前であり、営業社員は誰もが必死で働いています。締め日直前に、前日の夜に電話をして、いきなり、翌日の早朝に始業時刻よりも1時間前に千葉支店まで来いというのは非常識です。支店長から東部営業本部長に、『営業社員全員と顔合わせをしたいということならば、締め日の後にしてください、何が何でも締め日前に来たいということならば、千葉支店に普段からいる人間だけとの顔合わせにしてください』と言って下さい」と言うべきものであったはずですが、この人に言ってもだめだ、と思い、石井には言わず、翌日、増田さんに私が直接言うことにしましたが、私が言おうとすると、渡邊士直が「ごらあ。おまえ、黙れえ! ごらあ!」と言ってつかみかかってきた。渡邊の行為は暴行罪に該当しますが、さらに、渡邊は「石井~。石井~。こいつをやめさせろお」と叫び、石井は私が礼儀をつくして増田に話をしているのを実力行使で妨害したのです。本来、営業課長として自分が言わないといけないことを、技術系の部分の能力は「大卒に準ずる」能力があっても、社会科学系学部卒の人間の能力、課長としての能力については「高卒の人」でしかない石井に代わって私が増田に話をしようとしているのに、暴力でそれを妨害するというのはもってのほかですが、そのあたりも、「高卒の人」の限界か・・という感じがしました。
富士銀行から出向できて、住宅建築業について何かわかっているわけでもないのに、いきなり、東部営業本部長になった増田和二は『役員四季報』や『有価証券報告書』によると東北大法学部卒だということだが、東北大というのは旧帝大だということで東大・京大・阪大の仲間だと思っている人がいるが、元福島県民にして仙台などに行ったこともある者として言わせてもらうと、旧帝大というのは嘘ではないとしても、むしろ、東北大は福島大・山形大・岩手大の仲間・・という性質の方が強いと思う。実際には両方の性質があるかと思うが、増田和二など見ると、東大・京大・阪大の仲間ではなく、福島大・山形大・岩手大の仲間の方だろうなあ・・という感じがする・・というのか、↑ に述べたようなことなんて、福島大・山形大卒の人間でも、普通、そんなことやらんぞお!!! ・・と思う。 慶應大学であるサークルにいた時、宮城県出身の男と福島県出身の女が、2人会うと東北大のことを「まったく、東北のいなかもんは、東北大みたいな落ちこぼれの行く大学をいいみたいに思ってからに、バカじゃないのお」と2人で言い合っていたが、たしかに、増田和二など見ると東北大なんて国立大学と言えるのか・・という感じがする。慶應の先生で、講義の中で言われた話だが、ある会社の東北大卒の人から、「もっと慶應大学の人に来てもらいたい」と言われ、「慶應大学の人は優秀ですから」と言われたので、「いや、東北大などの国立大の人も優秀でしょう」と言うと、「いや、人にもよるのですが、大学に入る時点までで燃え尽きた伸び切ったパンツのゴムみたいな人もいるんです」と言われたそうだ。増田和二など見ると、たしかに、「伸びきったパンツのゴム」なのかもしれないし、国立大の中ではたいして難関でもない、特に増田和二の年代においては入りやすい大学だったはずの東北大に合格した時点で「燃え尽きた」という男だったのかもしれない。さらに言えば、1970年代後半、大阪府のY予備校で、講師で京都の私立大学の教授だという方が「私らの年代の人間で、『最近の若い者は』とか言うやつがいますけれども、そんなの気にする必要ないですからね。私は東大の文学部を卒業したんですけれども、私らの時代は法科万能主義と言って、国立大学でも難しいのは法学部で、文学部で試験で落ちる人間がいたのは東大と京大だけで他は落ちる人間なんていなかったんですよ。法学部にしても、東大・京大あたりは難しかったけれども、東北大なんて誰でも通ったんですよ」と言われたことがあったが、そういう時代の東北大卒の男だったようだ。大学の合格者発表の頃、「サンデー毎日」が旧帝大(北海道大・東北大・東大・名古屋大・京大・阪大・九州大)と東京工大・一橋大・神戸大で「十大国立大学」として、「十大国立大学」の合格者数とか書いていたが、増田和二なんか見ると、東北大なんてのを「十大国立大学」に入れるのは適切ではないだろう・・という気持になる。関西人としては、東北大は除外して、かわりに大阪市大あたりでも入れるとかした方がふさわしいように思う。いずれにしても、入社式直後の立食パーティーの際、太陽神戸銀行から出向で来て常務取締役・西部営業本部長になった大野が「銀行に借金があるから来ているんじゃないんです。人材が不足しているから来ているんです」と発言したのだが、もしも、そうだとすると、富士銀行(現 みずほ銀行)から来て常務取締役・東部営業本部長にならせてもらっていた増田和二の行動はあまりにもお粗末( 一一) 仕事の邪魔・営業妨害するために銀行から来ていたとしか言いようがない! 私より高い給料を盗っていたはずだが、給料泥棒もいいところであった。
小堀住研(株)というのは、1990年前後頃、取締役の半分・監査役の半分だけかと思ったらそうではなく、それより下の人間でも、そのまま銀行にいたらヒラで十分くらいの人間が「次長」とかにジャンプして来ていたわけで、その銀行で「こんなやつ、うちでは要らんなあ」と思われた人間がゴミ箱のように小堀住研(株)にほうりこまれてきていたのだった。「ゴミ箱とはなんだ」と怒るのは筋違い(すじちがい。「すじかい」ではなく「すじちがい」)である。実際、ゴミ箱じゃないか。↑ のようなことをやって営業妨害やっている人間をゴミと言って何か悪いか? ゴミと言われて文句言えるのか? ・・百歩譲って、中には、ゴミではなく「ちょっとはマシ」な人間もいたとしても、それはあくまでも銀行の人間として「ちょっとはマシ」ということであって住宅建築業の会社で「ちょっとはマシ」ではない。 又、「ちょっとはマシ」な人間にしても、その人間の忠誠心は銀行の方をむいていて小堀住研(株)の方を向いていない。 なにより、小堀住研(株)に最初から入った人間よりも、銀行から出向で行った方が上の役職につかえてもらえて得♪・・・という状態になっていたというのは、最初から小堀住研(株)に入った人間としてはおもしろくない状態であったはずである。・・各銀行が自分の所では要らない人間を送り込んでゴミ箱みたいにされていたというその状態自体、小堀住研(株)は、すでに、「おまえは、すでに、死んでいる」という状態だった・・・のかもしれない。・・で、実際、その後、それほど経たないうちに小堀住研(株)の会社名から「小堀」を取り除いたエスバイエル(株)は・・⇒つぶれた。
元銀行といっても、20代で銀行に就職したが肌が合わないなどで転職したという人がいるのは別にいいが、そうではなく、銀行から出向で来ている人が取締役の半分・監査役の半分にも達しているという会社は、それより下は関係ないかと思うとそうではなく、それより下にも銀行から出向で来ている人がいる可能性があり、特に「総務」は、「一族」の人間で「技術系の能力はなく、営業としては使い物にならないから総務」という総務がいるのと同様、「技術系の能力はなく、営業の能力もないから総務」であって総務の能力があるから総務ではない人であり、そういう人は「一族」と一緒、「社長のメカケ」と一緒で「特別扱い社員」であり、最初からその会社に入社した人間より優遇される特権階級従業員であり、かつ、それらの特権階級従業員というのは、その会社に尽力・貢献したからその役職に就かせてもらったわけでもなく、銀行にしても、銀行が「人材」が余っているわけでもないはずであり、その銀行で必要な人は自分の所に置いておくはずであり、自分の所では要らない人間を送り込んだ「ゴミ箱」の状態にされた会社というのは、その時点で、すでに「おまえはすでに死んでいる」状態の可能性がある。最初からその会社に入社した人間が努力して苦労して尽くしても報われない、銀行の人捨て場、銀行のゴミ箱の会社の可能性がある。ひとつの目安として、取締役の半分・監査役の半分が銀行出身というのは、「すでに、レッドゾーン」と考えるべきなのかもしれない。
※ 《 [Fist of the North Star] お前はもう死んでいる (You are already dead)》https://www.youtube.com/watch?v=-kPII561-GY
小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」のはずで、採用実績校は東大・京大以外の「十大国立大学」、地方国立大学、関関同立、関関同立のすぐ下くらいの私立大学・・という会社のはずだったのですが、そのわりに入社してみると、高卒の人がいて、「大卒」の人といっても、東大・京大以外の「十大国立大学」、地方国立大学、関関同立、関関同立のすぐ下くらいの私立大学・・ではなく、それよりずうっと下の大学卒の人だらけ・・・というのは、この会社、いったいどうなってるんだあ? と首を傾げさせられることだらけでした。千葉支店の設計課長の乾(いぬい)さんは、乾さんに作成してもらった図面は、大変よくできていて、たいしたものだなあと「感動した」し、設計としてのお客さんとの応対もいいと思ったし、どこやらの設計事務所の若造みたいに実力もないのにカッコばかりつけるというようなことはなかったし、「設計士さまヅラ」してやろうというような態度もなかったし、住宅建築業の設計と営業の関係について乾さんが言うことももっともだと思ったが、出身大学はというと、東海大学の工学部建築学科だ・・というので、え? 東海大卒の人が設計課長なのお~お? ・・と驚いた。 小堀住研(株)の設計課長というと、少なくとも国立大学か早稲田大の建築学科卒くらいの人がなっているものかと思っていたら、東海大学卒の人が設計課長なの??? 石井が言うには、小堀住研(株)が在来木造から木質パネル構法にシフトした時に、一級建築士の資格を持っていたような人が大量に辞めたということがあった、というのだが、それにしても・・・という感じだった。我が家が1960年代に小堀住研(株)で在来木造の家を建てた時、営業担当者は新人で関西大法学部卒だったが、課長が同行してきていて、課長は神戸大卒だった・・ということだったが、そういう人って、いったいどこに消えたんだあ??? ・・・ひとつの可能性として、世の中には学歴詐称する人なんてゴマンとおり、「神戸の大学」を神戸大学みたいなニュアンスで言う人、「京都の大学」を京都大学みたいなニュアンスで言う人というのもけっこういるのだけれども、うちの親というのは、そういうのを信じやすい人間で、特に父親は、普通、会社員を何年かやれば、学歴詐称する人間なんていっぱいいるということを学ぶはずだと思うのだが、ちっとも学んでいない男だったから、だから、実際は違う話を信じ込んでいたという可能性はある。しかし、それならそれで、会社案内だったかに、採用実績校として、東大・京大以外の「十大国立大学」、地方国立大学、関関同立、関関同立のすぐ下くらいの私立大学・・のように書いてあったはずなのだが、あれは何なのだ??? 「大卒しか採らない会社」と言っても社長の学歴は「長浜北高校卒」と『役員四季報』にも『有価証券報告書』にも書かれていたので、「初代の甥っ子」ということになっていた「社長は特別」なのだろうと思っていたのだが、それ以外にも高卒の人間がいっぱいいるというのは、どういうことなんだ? しかも、その高卒の人間がでかいツラしているというのはどういうことなんだ??? 「いやあ~あ、ほんとに外面ばっかりいい会社だなあ」・・とある従業員がつぶやいたことがあったのだが、これはどこの会社でも「内輪を見れば骨がある」ところはあるとしても、この会社、いったい何なんだ・・・と思っていたら、東京支店自由が丘営業課の営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎にいたっては、東京電機大卒だというので、はあ? 小堀住研(株)てそんな大学卒の人を採用してたのお~お??? と思った。
小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」で「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というのが応募条件であったはずで、採用実績校は東大・京大以外の「十大国立大学」から1つ・地方国立大学から1つ・関関同立から1つだったか2つだったか・関関同立のすぐ下とされる甲南大・・が記載されていた会社だったはずで、なんで、こういう支店長に適性のない人が支店長になっていたのか・・・。もしも、それでも、彼を支店長にならせるのであれば、会社として、ここで述べたような行為を渡邊がやらないように配慮しないといけないはずだったのです。ひとつには、各支店に業務課長という男性が1人配属されていたのですが、業務課長というのは本社ならば人事・総務・経理に該当するものを各支店でおこなうのが業務課でその課長のはずであり、支店長には、「営業系(営業・人事・総務・経理・)」で入社して営業の職種で勤務して営業課長から支店長になる人と、「技術系(設計・工事・工務・アフターサービス)」で入社して設計課長・工事課長・工務課長などから支店長になる人がいて、「営業系」からなる人は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であるはずで、支店を運営するための学問を大学で学んできた人のはずでしたから、労働基準法はどうなっているかとか、労務管理論や労働経済学などそういったことを学んできた人のはずですが、「技術系」の人は「4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人」というのが応募条件でしたので、建築・土木については学んできていても、労働法・会社法や労務管理論・労働経済学などは学んでいないという人もいるわけで、そのために、業務課長として「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」が配属されていたはずだったのですが、ところが、1989年6月まで千葉支店の業務課長だった江間という男は法政大学の法学部卒だと自分で言っていたのですが、「こんな法学部あるかあ」て男だった。YouTubeで見ていたところ、玉置通夫というスポーツ評論家が、かつて、南海ホークスの監督だった鶴岡が、「大学卒」の野球選手に「おまえ、大卒て本当かあ」とか言い、なんで、この人、こんなこと言うのだろうと思ったら、野球選手には「大卒」の野球選手と高卒の野球選手がいたが、高卒の野球選手が「大卒」の選手に気後れしないようにと思って、野球選手で「大卒」なんてたいしたことないんだから引け目感じることないんだぞと言いたかったらしいと思ったそうで、それで、鶴岡監督に「それなら、監督は何学部でてられるんですか」ときくと、「俺は法政の経済学部だ」と言うので、「ええ~え。嘘でしょう。野球学部と違うんですかあ」と言うと、「いや、経済学部だよ」と言っていたという話を視聴したが〔 《 スポーツ講座「南海ホークス蔭山監督の急死」玉置通夫さん2016年12月8日》https://www.youtube.com/watch?v=KYJvzcYqEr0 〕、江間にも言ってやった方が良かったのではないかと思っている。「おまえ、法政の法学部出たなんて言ってるが、実際は呆学部だろう」と。「営業の始業時刻は午前10時からなんですから、千葉支店に来させる場合に午前9時に来させたのでは労基法と就業規則に違反しますから、せめて、午前10時からにするか、そうでなければ午後1時からにするかした方がいいと思います」と言うのが業務課長の仕事のはずです。私は、もともと、会社という所に勤めたならば人事総務関係の仕事につきたいと考えていた人間でしたが、もしも、私が、各支店における人事・総務・経理に該当する業務課の課長になっていたならば、私は支店長になっていた人にそれをきっちりと言ったでしょう。言われて喜ぶ人と怒る人があるかもしれませんが、たとえ怒る人があっても、それを言わないなら業務課長の価値がないことになります。、職務怠慢なのか無能なのか、両方なのか、江間も7月から業務課長になった越智も、業務課長としての仕事をしなかった。私が1990年4月に東京支店自由が丘営業所に転勤した時も、3月31日に言って4月1日から赴任してくれと言うので、「居住地を変更しないと通勤できない場所への転勤を、きょう言って明日から赴任してくれというのはおかしいでしょ」と言ったのだが、千葉支店業務課長の越智も東京支店業務課長の江間も何ら対処しなかった。そんなおかしな「法学部」があるか!?! と思うのだが、江間が法政大学法学部卒だというのは誰から聞いたかというと、江間がきかれもしないのに自分から言ったのだが、法学部卒なら、法学士ならば、「居住地を変わらないと通勤できない場所への転勤をきょう言って明日から赴任しろというのは不当であり、人権侵害である」ということくらいは、理解できていないといけないはずであり、又、渡邊士直は1989年7月1日からという辞令を受けておきながら、千葉支店に赴任したのは7月下旬になってからだったということは越智も江間も良く知っていたはずであり、会社というものは従業員に公平でないといけないはずであり、私に対する不当な転勤のさせかた、民法上、「信義則違反」に該当するが、人権侵害の転勤のさせ方に何ら対処しようとしない越智および江間という男は業務課長として値打ちはないと判断せざるをえない。 もし、そうでないと言いたいのなら、どう違うというのか、ぜひとも説明してもらいたいものである。
又、渡邊士直は、営業課に会社から支給された手当を渡邊が使用するということもおこなった。渡邊は「なんでいかんのじゃあ」とか言えばそれで通じると思っていたようだが、各営業課に支給された手当は各営業課に渡さないといけないもので、それを支店長が使ったのでは横領である。この程度のことも理解できないような人がなっていた小堀住研(株)の支店長というのは「普通の会社ならせいぜい主任か副主任」だった。
又、渡邊士直は「売上を伸ばす方法がある」と言って、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」の「大安売り」みたいなチラシを新聞折込で入れたのだが、私は松戸営業課の課長の石井に、こういうチラシはおかしいのではないか、こういうチラシを入れたのでは、その時、「ハウス55」の売上がいくらか出るということがあっても、長い目で見ると、「安物の会社」というイメージが広まるのとともに、「ハウス55」というのは、あくまでも「高品質低価格」の商品であって「ともかく安い」というタイプの商品ではないのに、「ともかく安い」というイメージを広めたのでは、むしろ、今後のことを考えると、売りにくくなるということが考えられないか、(「底辺の高校卒」の)渡邊さんなんかが判断してやっていいことではないのではないか・・と話したのだが、石井は「東部営業本部に許可を得てやってるんだから」と言うのだったが、その「東部営業本部」て誰なんだというと、東部営業本部長というのは、富士銀行から1年前に出向で来たばかりの増田和二で、出身大学は東北大の法学部であり、私がここで述べたようなことは、学部としては商学部・経営学部で扱う問題であるが増田和二は法学部卒で、私は大学を卒業するまで法学部と経済学部・商学部・経営学部というのはそれほど違わないものかと思っていたのだけれども、実際に会社という所に勤めてみるとそうではなく、法学部と「経済学部・商学部・経営学部」の違いは相当大きい、又、私の場合は結果として「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」のような商学士として卒業したが、会社という所に勤めてみると、会社という所においては、案外、「純粋法学部」や「純粋経済学部」「純粋商学部」よりも「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」の方がいいのではないか、と思えるものを感じた。それでなのか、慶應大学では「学部を横断した新学部を作ろう」ということで藤沢に新しい学部を2つ作ったようだが、藤沢の2つがどうかはよくわからないが、会社という所に勤める場合においては、案外、「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」というのは悪くないのかもしれないと思っている。その商品はどういうコンセプトの商品なのか、その商品はどういう層に売れるものなのか・・といったことを考えるのは「商学部的発想」であり、法学部卒の人でもそういう感覚をある程度身に着けている人も中にはいるかもしれないが、「銀行にずっといたような人」の場合はそういう感覚・思考がない人の方が多いように見受けられるし、増田和二にはそういうものは最初からないし、そういうものを身に着けようという姿勢などまったくないし、そういうものを身に着けようとするには頭が老化しすぎていた。増田和二は、これまで勤めてきた会社というと銀行であって、銀行でどこやらの支店の支店長を2年ほどやっただけという人が許可したといっても、それは、あくまでも、「自分が無視されなかったかどうか」を見ただけであって、私のように、こういうチラシを入れると、その時の売上にプラスになるかどうかとともに、ある程度、長い目で見て、その会社と商品のイメージがどうなるか・・といったことを考えて、それは入れていいチラシなのか好ましくないのか、入れてもいいがそのままではなく多少変更したものにするべきなのか・・といったことを考えた上で「許可した」のではないのです。 「自分が無視されなかったかどうか」だけしか見ていない、銀行から出向で「二度のお勤め」で来た人が許可したからといって、石井はそれで「問題ないんだ」と言うのだが、大いに問題はあるはず で、それこそ、私が言うことは無視することができたとしても、お客さんがどう受け取るかは無視するわけにはいかないはずであり、それを無視するとどうなるかというと、その結果・・・「小堀住研(株)→エスバイエル(株)」は・・⇒つぶれた。



( ↑ 雁屋哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ(おいしんぼ)』「ラーメン戦争<8>」
『美味しんぼ(おいしんぼ) [情熱のラーメン編]』1999.8.6.小学館 My First BIG 所収。)

美味しんぼ 情熱のラーメン編 (My First Big) - 雁屋 哲, 花咲 アキラ
渡邊は、「大安売り」みたいなチラシを新聞折込で入れると売れるという観念を持っていたようですが、一回ならば、「小堀ハウス55」という「高品質低価格」として評価されている商品がその期間だけ普段より安く買えるということで、その期間の売上が上がることは期待できたとしても、
(1)「高級住宅志向」の「新 桂」と「高品質低価格」の「ハウス55」の2本立てになっていた会社で「高品質低価格」タイプのみの広告を入れるとそのイメージが広まり「高級住宅志向」の「新 桂」の客層を失うことになる。
(2)「大安売り」チラシは、「安物ですよお」アピールチラシでもあり、あくまでも「高品質低価格」タイプの商品であって「ともかく安い」というタイプの商品ではない「ハウス55」を「ともかく安い」タイプの商品のようにアピールすると、結局、これまでよりも安い価格帯の客層を相手にしないといけないことになり、安い価格でしか売れなくなってしまう。「高品質低価格」タイプの「ハウス55」も、これまでの客層を失い、これまでより安い客層が「ハウス55」の客層になってしまう。
住宅建築業は景気の動向の影響を受けにくい業界と言われてきたが、景気が良くなったり悪くなったりしている状況ならば、景気のいい時期は金利があがり、景気が悪くなると金利が下がることで住宅を建てる人の量は大きく変わらないことになると言われていたが、景気回復のためといって住宅金融公庫などの金利を下げるという政策を続けた結果、逆に「需要の先食い」をしたようになってしまい、長期的に低迷することになった、と言われるが、それと似たところがあって、「大安売り」といったチラシは1回だけならば、それまでのその会社のその商品のイメージをもとに「割安」で買えるという期待からの見込客を得ることができても、何度もおこなうと、「割安」ではなく「安物」イメージが定着することになり、本来のその商品の価格より安い価格帯の客層がその商品の客層になってしまい、それが原因で売れにくくなる、売りにくくなる、ということが考えられる。実際、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)はそうなったのではないか。
慶應大学の商学部卒の者というのは、こういったことを考えるための人材であったはずで、その点において「底辺の高校卒の痴漢人間」と同じ扱いにされる理由はないはずだった。(こういった思考が完全に欠落している人間がなんで支店長だの東部営業本部長だのになってるんだ? ・・と思ったのだが、そういう会社だった・・から⇒つぶれた・・) 私は松戸営業課長の石井さんに、このチラシ入れはおかしいと言ったのだが、石井さんは「東部営業本部長(の増田和二)の許可を得ているから問題ない」と言うのだったが、そのあたりは「やっぱり、高卒の人だなあ」という感じだった。自分の顔を立ててくれたかどうかしか見ていない銀行から来て2年目の認知症と違うのかという感じのじいさんが許可したとしてもだめです。その人は自分の顔を立ててくれたかどうかしか見ていないし、それだけの能しかない人なのですから。小堀住研(株)には私がここで述べたようなことを考える人間はいなかったのか・・というと、いなかったようで、その時の契約をあげるためだけの「安売り」チラシを入れることの弊害など考える人間がいない会社はどうなったか・・・というと、⇒つぶれた・・( 一一)( 一一)( 一一)

レビットのマーケティング思考法―本質・戦略・実践 - セオドア レビット, Levitt,Theodore, 坤, 土岐, DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部
花登筺『銭の花』のテレビ『細うで繁盛記』で加代の祖母で高級料亭「南地楼」を築いた ゆう が「加代ちゃんなあ、店の格というのは上げるのは大変やけど、下がる時は簡単に下がるもんだすでえ」と語る場面があったが、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)は、渡邊の「安売りチラシ」に続き、それまでやらなかった「胡散臭い不動産屋」と提携しての建売およびそれの「大安売り」チラシ、さらには社長の中島昭午が財界誌などに出て「最低価格帯のカテゴリーキラーをめざす」と発言するなどあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくることでせっかく何年もかけて築いた「高級住宅の小堀」のイメージとその客層「小堀ファン」を容赦なくドブに捨てて安物イメージを広め・・・そしてどうなったかというと・・⇒つぶれた・・アホや・・( 一一)( 一一)( 一一)
※ 《YouTube-銭の花 細うで繁盛記 旅館山水館》https://www.youtube.com/watch?v=jlipoy1IH4U&pp=QAA%3D
慶應大学の商学部の先生で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の卒業生ばかりという会社に勤めると、なかなか経験を積む場もなく実力を発揮する場がないのに対して、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身の人間がほとんどいないという会社に勤めた方が経験を積む場もあれば実力を発揮する場もあってかえっていいところがあると言われる方があり、その話をうちの父親にしたところ、「その通りや。うちの会社なんかでも、東大・京大や慶応・早稲田なんかの出身の人間がもしも入社したら、社内で競争なんか何もあれへん。競争するなら他の会社の人間と競争してくれ、というものや」と言うのだった・・・が、しかし、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりという会社に勤めて競争して競争に勝てばいいし、競争に負けたとしてもそれはしかたがないとして、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者なんていないというような会社に勤めて、そういう所に勤めた方が実力を発揮する場があっていい・・なんて思って、それで、高卒や五流大学卒の人間との競争に負けたのでは元も子もないわけで、競争であるからには絶対に勝つという保証はないのではないか・・と思い、それをうちの父親に話したのだが、うちの父親は「そんなもの、東大・京大や慶応・早稲田の出身の人間が、高卒や五流大学卒のやつなんかと競争して負けるなどということは、天地がひっくり返っても絶対にありえないことだ」と言うのだった・・・が、もしも、ひっくり返ったらどないしてくれんねん・・とも思ったものだった・・・が、小堀住研(株)に勤めてその理屈がわかった。
「こういうチラシを入れると、その時の売上にプラスになるかどうかだけを考えるのではなく、ある程度以上、長い目で見て、その会社と商品のイメージにどういう影響を与えるか・・といったことを考えて、それは入れていいチラシなのか好ましくないのか、入れてもいいがそのままではなく多少変更したものにするべきなのか・・といったことを考えた上で判断する人間」同士での競争ならば、その競争に勝つこともあれば負けることもある。しかし、私のように、そういったことを考える人間、「4年制大学の経済学部・商学部卒の人」ならばそういうことを考えるのが仕事であると認識している者と、渡邊士直のようにそんなこと考える意志など最初からない人間や増田和二のように自分の顔を立ててくれたかどうかしか考えない人間との競争であれば、「競争にならない」。本来、支店長というのは、こういったことを考える能力のある人が支店長になるべきもので、渡邊士直さんのような問題外の人がなる仕事とは違うはずですが、それでも、小堀住研(株)ではそういう人でなっている人がいたわけですから、それならば、その上の東部営業本部長にそういった判断能力のある人を配置しないといけないはうですが、ところが、富士銀行のどこやらの支店の支店長を2年ほどやっただけという人で銀行から出向できた隠居爺さんみたいな人、住宅建築業については何もわかっていない人を東部営業本部長にならせて、あくまで、「自分の顔を立ててくれたかどうか」ということだけをチェックして「許可」している。そんなことでは、うまくいかんだろう。そんなことでは、悪くするとそのうち会社はつぶれるぞお~お・・・と思うと・・⇒思いのほか、さっさとつぶれた・・( 一一)
「こういうチラシを入れると、その時の売上にプラスになるかどうかということだけではなく、ある程度以上、長い目で見て、その会社と商品のイメージがどうなるか、それが会社と商品のイメージにどういう影響を与えることになるか・・といったことを考えて、それは入れていいチラシなのか好ましくないのか、入れてもいいがそのままではなく多少変更したものにするべきなのか・・といったことを考えた上で判断する人間」とまったくそういう思考がない人間とでは、長い目で見るならば、量的な違いではなく質的な違いがある。たしかに、競争も何も「勝負にならん」ということがよくわかった。但し、「競争も何も勝負にならん」のだが、あまり下の会社に行くと、それ以外の問題があって、「あまり下の会社に行くとかえって良くない」ということがあるということも知った。小堀住研(株)というのは「そう下の方ではない会社」と私は思いこんでいたのだったが、その認識は正しくなかったのかもしれない。
「松下幸之助は自分は小学校しか出ていない人間だったが、一流大学卒の従業員を使った」と称賛されるのだが、そんなことは当たり前のことと違うのか・・・と私は大学卒業までは思っていたのだった。又、田中角栄は最初に大臣になった時、「私は小学校しか出ていない人間ですが皆さんは優秀な大学を卒業されて入庁された方たちであり、私は皆さんを尊敬しております」と挨拶して就任した官庁の職員を持ち上げ、国家公務員キャリア出身の大臣よりも歓迎されたという話を読んだことがあるが(そういった「松下幸之助のお話」とか「田中角栄のお話」とかいうのが、いったいどこまで本当のことなのかはよくわからないが)、自分が小学校しか出ていなくても、「一流大学」卒の人間を使うというのは、その立場になれば当たり前のことではないかと思ったのだが、ところが、実際に会社という所に勤めてみると、自分が高卒だったり中卒だったりするおっさんというのは、「一流大学」卒の人間というのを「活かしてたまるか」という信念もっていたり、そうでなくても、もとより、その人には使えなかったり・・ということが多い。 イタリア映画『昨日・今日・明日』で、ツバメがロースルロイスをぶつけて故障させてしまった女が、通りがかりの男に「ロールスロイスってだめなクルマなのでしょうか」と言うと、「そうではありません。乗り手の使い方によりますよ」と言うという場面があった。 「松下幸之助は自分は小学校しか出ていない人間だったが、一流大学卒の従業員を使った」というのは、当たり前ではなかったのだ。高卒中卒のおっさんが経営者の会社では、高卒中卒くらいの人の方がその会社には合うという場合もあるようなのだ。小堀住研(株)に応募・入社する際、社長の中島昭午は高卒だということは『会社四季報』『役員四季報』や『有価証券報告書』を見て知っていたが、パナソニックで松下幸之助が小学校しか出ていなくてもそれは「社長は特別」というのと同じく、小堀住研(株)で社長が高卒であっても「社長は特別」なのだろうと思いこんでいたのだったが、しかし、どうも違ったようだ。 小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」と言いまくってきたのだが、初代の小堀林衛という人は自分は高卒でも大卒の人間を使おうという姿勢があったのかもしれない。しかし、2代目の中島昭午になると、むしろ、「底辺の高校卒の痴漢人間」の渡邊士直などの方が中島にはよかったのかもしれない。初代は大学卒の人間を使おうとしたのかもしれないが、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい2代目の中島昭午はそうではなかったようだ。・・そうなるとどうなるかというと・・、そういう会社になる・・ということだろう。「そういう会社」とはどういう会社かというと・・⇒つぶれた・・・そういう会社だった・・・( 一一) ・・まあ、思いのほか、そういう会社は日本に多くあるのかもしれないけれども・・・・。
「底辺の高校卒」で営業やって営業成績を残したという人には、会社が良くなることよりも、自分自身のその時の営業成績をあげることの方を重視する人が少なくない。契約は多く上げた方があげないよりもいいのだけれども、多く契約を獲得したとしても、中には、「その後、ぺんぺん草の1本もはえないようにむしり取る」ような契約の取り方をする人というのもいるのです。安物だと売り込むようなチラシを新聞折込で入れられると、片方で、そのタイプの見込客の来場があるかもしれないけれども、他方において高額物件の見込客を失うことになるおそれもある、ということは考えないといけないはずですが、もともと、安い価格帯の層しか自分自身が取れないという人には、そういうことに平気な人もいます。私は、自分が大学を卒業するまで、大学まででやっていることが会社という所において役に立つものなのかどうかよくわからなかったのだが、実際に勤めてみると、その差は相当大きいと実感した。
私は小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」で「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースに応募して採用されたと認識していて、採用実績校は《「十大国立大学」・地方国立大学・関関同立・関関同立のすぐ下くらいの大学の人の勤め先》と考えていて、その認識によれば、20代後半で営業やっている人間に慶應大卒の人間がいても悪くないはずでしたが、ところが、片方で、「大卒しか採らない会社」で応募条件は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で採用実績校は《「十大国立大学」・地方国立大学・関関同立・関関同立の少し下》という会社のはずなのに、なぜか、「底辺の高校卒」の痴漢人間の渡邊士直が支店長になっていたのであり、渡邊だけではなく、千葉支店で最も営業成績が良かった犀川は「私、早稲田の建築でてますから」と客宅で言う男だったらしいが実際はニチゲー(日大芸術学部卒)で、東京支店自由が丘営業課の「近藤すしいち」(仮名)は近大経済学部卒で、自由が丘営業課の課長にならせてもらっていた高橋賢一郎に至っては東京電機大卒だった・・・、なんか話が違う・・・という会社で、「底辺の高校卒・ニチゲー卒・近大卒・東京電機大卒の人の勤め先」・・と考えると、そういう会社の人間に「私も慶應です」と言われると、こいつ、学歴詐称だな・・と思って、「は? ゼミはどこのゼミでしたか」「どういう先生の講義を履修しましたか」などと言いたくなったようでした。私は《「十大国立大学」・地方国立大学・関関同立・関関同立の下の大学卒の人の勤め先の会社》の「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースの仕事についていたつもりで、「小堀の営業は大卒の営業で、ミサワの営業とは質が違います」という仕事についていたつもりだったのですが、底辺の高校卒の痴漢人間・「早稲田の建築でてます」と詐称するニチゲー卒・近大経済学部卒・東京電機大卒という人がいっぱいいる勤め先・・と考えると、そんな会社の人間で慶應大卒の人間なんているわけないだろうが・・と思われたようでした。
私などは、「うちは大学院になんか行かすような金持ちとは違います。大学院に行きたいというような人間というのは、モラトリアム人間病という病気にかかっている人間です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いえら~いという先生がそうおっしゃってます。モラトリアム人間病は治療せんといけません。クスリ飲まして、電気ショックとかやったらんといかん、電気ショック、電気ショック、電気ショック、電気ショック・・」と毎日のように言っていたのですが、その取手市在住の早稲田大卒で青山学院かそんな所らしい私立大学の教授かやっていたおっさんの息子は早稲田大しか出てないくせしてからに慶應の大学院に行っていたということですから、間違いなくモラトリアム人間病という病気のはずであり、電気ショックやって治療してやらんといかん病人でしたし、その親父の方も早稲田大卒で早稲田か慶應かの大学院に行って大学教員になっていたようですから、やはり、電気ショックやったらんといかん人間だったはずですが、私は学歴詐称なんてやってないのに、そういう人に、そんな口をきかれたのでした。犀川と一緒にすんな・・・とも思いましたが、ひとつには、小堀住研(株)が「大卒しか採らない会社」と言いながら高卒の人間を採用して、そして、新卒入社で入った大卒の人間は、「大卒しか採らない会社のはずなのに、高卒の人間がいる」ということ、さらに、「高卒の人間がえらそうにしている」ということを怒っていたのですが、そういういいかげんな採用をするから、だから、早稲田大卒のモラトリアム人間病のおっさんにまで、そういう口をきかれることになってしまったようでした。
それ以来、小堀住研(株)でも他の会社においても、たとえ、そのお客様が慶應大卒・早稲田大卒か息子が慶應大学・早稲田大学もしくはその大学院に行っているという場合でも、「私も慶應です」ということは言わないようにするようにしました。三井信託銀行に勤めて30代で支店長やっていたならば言うと客のおっさんは喜ぶケースでも、小堀住研(株)に勤めていたのでは言ってはいけないことだったようでした。小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社なんですう」とずいぶんと前から言いまくってきた会社でしたが、入社してみると、なぜか「底辺の高校卒」の人がいた、という会社で、それではいかんのではないか、それではうまくいかないのではないか、片方で「大卒しか採らない会社なんです」と言いまくることで、「嘘でも百回言えば真実」のようにしていこうとしながら、他方において、その条件からはずれた人を平気で採用していたわけで、客の印象として、「(渡辺士直みたいな)底辺の高卒のおっさんの会社」という印象になっていたのかもしれません。それでは「下の方に収束していく」要素であり、又、「大卒しか採らない会社です」と言いまくりながら、かつ、採用実績校は「神戸大学・新潟大学・関西大学・甲南大学」だったかそういう書き方をして募集して採用しておきながら、それではうまくいかんだろう・・・と思っていたら・・・⇒つぶれた。
それから、私はその「底辺の高校卒の痴漢人間」のおっさん渡邊士直から、「俺は支店長なんじゃ。俺は支店長だから、俺は、いつでも好きな時に好きなだけ、おまえに土下座させる権利があるんじゃ」と言われたのですが、渡邊士直にそんな「権利」など当然ないし、私は渡邊士直と同じコースに応募して入社した人間ではないし、どういう入社のしかたをしたとしても、渡邊にそういう口をきかれる筋合いはありません。小堀住研(株)は、底辺の高校卒の渡邊士直が私にそういう口をきいたということについて、きっちりと謝罪しなければいけないはずですが、今日に至るまで謝罪はありません。渡邊は「俺は中島社長から、『いつでもおまえに土下座させる権利』というものを認められとるんじゃ」と言うのでしたが、「底辺の高校卒の痴漢人間の渡邊士直」は渡邊が言う話によれば、従業員から「天プラばっかりの高卒昭午」と言われていた「会社をつぶしたアホの2代目」の中島昭午から「おまえに土下座させる権利」なるものを認められたそうですが、私は中島昭午にそのようなものを認めた覚えはありませんから、中島はもとよりありもしない「権利」を渡邊士直に認めていたのであり、そのようなものを認めたという中島昭午は、社長・代表取締役としてやってはならないことをおこなっていたのであり、きっちりと私と小堀住研(株)の従業員に対して謝罪をしてもらわないといけませんが、今日に至るまで中島から謝罪がありません。
私は富士銀行から出向できていた常務取締役の増田和二から密室に連れ込まれた上で、「東北大しか出てない増田和二」(富士銀行では自分の所では要らないと判断して小堀住研(株)に送り込まれたのか、小堀住研(株)の従業員の間では「ま~た、銀行から何もわからんヤツが取締役で来るのか」と言われてきた取締役の1人で、まだ、それほどの年齢ではなかったのではないかと今になると思われるが風貌もやることもぼけが始まったかと思われる印象で「頭、ぼけてる」と小堀住研(株)の従業員から言われていた)と「底辺の高校卒の痴漢人間の渡邊士直」と「松戸営業課長の高卒の石井」の3人に囲まれて、「俺は中島社長から、会社の女の尻をなでまわす権利を認められとるんじゃあ。おまえは、俺に、会社の女の尻をなでまわしたらいかんなどと言ったのだから、会社の業務命令に反したことを言うとるんじゃ、おまえはあ! 俺はおまえにいつでも好きな時に好きなだけ、土下座させる権利があるんじゃ。おれはおまえにいつでも好きな時に好きなだけ土下座させる権利というものを中島社長から許可されとるんじゃ。土下座しろ、ごらあ! 土下座して、『今後は支店長が女性社員の尻をなでまわすのをいかんとは絶対に申しませんから、どうか、お許しくだしませ』と泣いて頼め! ごらあ! 土下座しろと業務命令しとるんじゃ、ごらあ! 土下座して『今後は支店長が女性社員の尻をなでまわすのをいかんとは決して申しませんからお許しください』と泣いて謝罪しろお! 『今後は絶対に支店長様が女性社員の尻をなでまわすのをいかんとは申しませんからお許しくださいませ』と土下座して言えと業務命令しとるんじゃあ。おまえは業務命令がきけんのかあ! ごらあ!」と長時間にわたって3人に取り囲まれて怒鳴りつけられたのですが、これは刑法上、暴行罪に該当する違法・有責な行為です。私は、できるだけ、物事は穏便にしたいと考えて我慢を続けてきたのですが、「中島社長から許可されてやっとるんじゃあ」と渡邊士直は明言したのですから、社長の中島昭午は保護義務違反であるだけではなく、暴行罪についての共犯もしくは共同正犯なり何なりになるはずです。又、富士銀行(現 みずほ銀行)の経営者は、自分の会社が小堀住研(株)に派遣した人間がそういう行為をおこなったのですから、富士銀行(現 みずほ銀行)の経営者も責任があるはずです。そもそも、富士銀行(現 みずほ銀行)は自分の所が出資している会社に、増田和二のような人間を派遣して出資先の会社をつぶして、富士銀行にどういうメリットがあるのか、理解に苦しみます。
「会社をつぶしたアホの2代目」の中島昭午は従業員から「天プラばっかりの高卒昭午」と言われていたのですが、これはどういう意味か。「天プラ」というのはどういう意味か、『美味しんぼ』のコラムに雁屋哲が書いていたのですが、天婦羅(てんぷら)というのは「衣(ころも)がついている」のです。今は「大学」というものがいっぱいできて、大学生といってもエリートというわけでもありませんが、かつて、大学も大学生も少なくて、大学生はエリートであったという時代があり、そういう時代においては、「将来の日本を背負って立つ大学生」を大事にしないといけない、という風潮があって、学割なんてのもそういうところから出てきた制度のようで、大学生というものが優遇されたので、又、今の大学生は制服なんて着ているものは応援団か空手会かそういうややこしそうというのか怖そうというのかの人くらいですが、かつては、大学生は制服を着ていたので、それで、実際には大学生じゃないのに制服だけあつらえて、帝国大学などの制服を着て、大学生として優遇してもらおうとするヤカラがいたらしい。そういうニセ学生を「衣(ころも)を着ている」ということで「天婦羅(てんぷら)」「天婦羅学生」と言ったらしい。小堀住研(株)の「会社をつぶしたアホの2代目」の中島昭午が従業員から「天婦羅ばっかりの高卒昭午」と言われていたのは、中島昭午の最終学歴は「長浜北高校卒」ということだったはずだが、これは「有価証券報告書」とか東洋経済新報社から発行されていた「役員四季報」に掲載されていたことだからそのはずだが、中島昭午は会社の社報などに「『俺は一国一城の主(あるじ)になるんや』という叔父の言葉に動かされて、向学の志に燃えていた私は大学進学をあきらめた」などと書きまくっていたのだが、ボケえっと聞いてるともしかすると「はあん、そうかいなあ」と思う人も中にあるかもしれないけれども、落ち着いて考えてみるとそれは変な話で、中島昭午は初代社長の小堀林衛の「甥っ子」と言っていたが実際は「メカケの子」らしいと言われていて、小堀林衛は中島昭午の叔父だと言っていたが実際は叔父ではなく父親だったらしいと言われているのだが、叔父であれ父親であれ、会社を作ってやっていこうということであったとして、それで、なんで、息子か甥かが大学進学をやめなければならないんだ? むしろ、「一国一城の主(あるじ)になる」のなら、慶應の経済学部・商学部か一橋の経済学部・商学部か神戸大の経済学部・経営学部か、滋賀大の経済学部でも同志社の経済学部か商学部でも、そういう所に行くか、もしくは建築業をやるのなら、どこかの大学の建築学科か土木学科に行っておいた方がいいのではないのか? 法隆寺宮大工棟梁だった西岡常一さんは祖父から農業高校に行くように言われたそうで、大工にとっては建築学科よりも農業高校で農林業と木材について学んでおいた方がいいという考えだったらしいが、その考えからすれば、木質系建築会社をやろうということならば、建築学科と農学部で木材関係を扱う部門とどちらがいいかということになるでしょうけれども、世間では農学部卒よりも建築学科卒の方が木質系でも建築会社では評価は高そうに思えます。 ともかく、「一国一城の主(あるじ)」になるのなら、むしろ、余計に、社会科学系学部か建築学科かどちらかの大学に行っておいた方がいいのではないのか? 言うことが矛盾してないか? 又、父親ならまだしも、叔父が自営業を始めるからといって、なんで、大学進学をやめなければならないんだ? 結局のところ、行ける大学がなかったから行かなかっただけ・・なのに、「『一国一城の主(あるじ)になるんや』という叔父の言葉に動かされて、向学の志を捨て、大学進学をあきらめた」とかなんとかかんとか勝手なことを社報などに書きまくる・・・というので、それで、「天婦羅(てんぷら)ばっかり」と言われていたのだった。なんか、「言った者勝ち」みたいになんだかんだ言う人というのが、世の中、いっぱいいるのだが、中島昭午も、言うにしてももうちょっとうまいこと言った方がいい・・・というより、余計なこと言うからかえっていかんのであり、余計なこと言わない方がいいと思うのだが、そういうことを言いたがる、言わないとおれない・・というあたりが「高卒の社長や」というところだった・・・とも言われていたのだった。
うちの会社では、この職種については、こういう経歴の人を採用してやっていきます・・・と言ったならば、その条件は守らないといけない。その条件をはずれた人でも、その条件を満たす人に実質的に劣らない人だから採用するという場合は、その条件をはずれているけれども採用していいか、個々に慎重に吟味して判断しないといけない。小堀住研(株)は、「小堀ならではの家」というものを建てて、「小堀で家を建てた」というのがステータスになるということで、それを喜ぶような層に評価される会社として伸びてきたが、そのために、「小堀の営業は大卒の営業です」ということにして、「ミサワあたりの営業とは営業の格が違います」という姿勢を取ってきたはずだった。「大卒しか採らない会社」という場合の「大卒」というのは、「国立大学か関関同立くらいまで」の「4年制大学の社会科学系学部卒の人」というのを「大卒」と言っていたはずだったのだ。ところが、その条件をはずれた、「底辺の高校卒の渡邊士直」や「東京電機大卒の高橋賢一郎」や「近大卒の近藤すしいち」(仮名)・「ニチゲー卒の犀川」などを採用したことから、そのスタイルそのものが相当崩れた。
片方で、「大卒しか採らない会社」と言いまくり、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」かつ「普通自動車第1種免許取得者」が応募条件であり、その場合の「4年制大学」というのは「国立大学か関関同立くらい」を想定した「大学」であったはずで、そういう会社だと思って入社したのに、配属されると高卒の人がいて、しかも、その高卒の人間がえらそうにする。又、たとえ、高卒の人間と大卒の人間を「同じ扱い」にされるとしても、その場合は、「高卒5年目」と「大卒1年目」が同じ扱いのはずなのに、「高卒1年目」と「大卒1年目」が同じ扱いのようにされてしまい、高校卒業からの年数では自分よりも後で高校を卒業している人間から、「おまえ」とかいう口のきき方をされ、なんで、こいつに「おまえ」呼ばわりされなければならないのだ? ・・という気持になる。私も思いましたよ。「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というコースの募集に応募して採用されて入社したのに、なんで、自分より年下の高卒の人間に「おまえ」呼ばわりされなきゃならんのだと思いましたよ。私はひとよりも年齢をいって大学を卒業したので、慶應大学の就職部の方に相談したことがあったのですが、その際、「人より年齢をいっているという点で不利でしょうけれども、採用されることになった場合には『慶應大学商学部の卒業生として採用』になる」と言われ、そうだろうなあと思っていましたので、小堀住研(株)で自分より年下の本来はいるはずがない高卒の人間からえらそうな口をきかれても、「慶應大学商学部の卒業生として採用」された者が高卒の人間の言うことやることに腹を立てたのでは大人げないと思ってずっと我慢してきたのです。
さらに、「大卒しか採らない会社」のはずなのに、なぜか「専門学校卒」と称する人がいて、私は住宅建築業界に勤めてから、ハウジングエージェンシーが実施のインテリアコーディネーター試験2次試験対策講座やキッチンスペシャリスト製図試験対策講座のほか、フリーハンドパース講座などに参加しましたし、宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の試験を受けて合格する際には日建学院が実施した無料の模擬試験自己採点会にも参加させてもらいましたし、Winスクールの建築CAD科にも通いましたが、それらで得たものはけっこうあるのですが、それは「学歴」ではないのと同じく、建築の専門学校というのもそれらと同様のもののはずで、「学歴」というのは中学校・高校・大学・短大・大学院のことを言うのであって専門学校は学歴ではありませんから、「専門学校卒」と称している人というのは、私がハウジングエージェンシーやWinスクールで学んだものがあるのと同様にそこで学んだものはあったとしても、「学歴」としては「高卒」になるはずなのです。 又、浪人して予備校に通って学習し、高校卒業時よりも模擬試験の成績は相当いい成績を取れるようになったものの、結局、高校卒業時に通った所と同じ大学に行くことになってしまったあ・・・あ~あ・・なんて人もいますが(私だって、慶應なんかに行かされるのなら浪人なんてしなくても高校卒業時に通った、と思う。「思う」といっても実際に受けていないからには受けていたらどうなったかわからないとしても、それでも、慶應に行かされるのなら浪人なんてする必要はなかった)、浪人中に学習して身に着けた学力は、その後、役に立つこともあるかもしれないけれども、予備校は学歴にならないし、浪人して学力をつけたとしてもそれは学歴にはならないのです。浪人は予備校に行かないといけないことはなく、宅浪という方法もありますが、予備校に行った場合とともに宅浪で学力をつけても、どんなに浪人中、努力したとしても、浪人自体は学歴にはならない。専門学校というのは、本来、それと同様のもののはずなのです。
又、「高卒」だとすると、私より前に小堀住研(株)に入社したから自分の方が先輩みたいなツラしたがる人がいましたが、高校でてからの年数で考えれば、私は大学卒業までに職業経験は相当あるわけですから、私の方が「先輩」のはずなのです。
専門学校というのは看護婦さんの養成所である看護学校とかはその資格を取得することに重心がある学校なので、資格を取得してその専門職に就くことになるが、建築関係においては、専門学校というのは技術習得所ですから、大学受験予備校が学歴にならない、浪人中に学力が相当向上したとしても予備校・浪人は学力はついても学歴にはならない、又、建築関連のセミナーを受講して何らかの能力を身に着けても、能力はついても学歴ではないのと同じく、専門学校は学歴ではないはずだったが、ところが、「専門学校卒」と称する人間がいて、「建築の専門学校」には2年のものと3年のものがあるようですが、「専門学校卒」だと言って、それが「大卒」と同じだという態度を取ろうとする。これではいけないはずだが、管理者に対処する能力がない。2年制や3年制の専門学校を「卒」だという人間というのは、これは大卒と一緒だと言いたいのか、高卒と一緒だと言いたいのか、短大卒と一緒だと言いたいのかというと、大卒と一緒だと主張したいらしいのだが、それでは、大学卒で入社した人間は何のために大学卒で入社したのかわからないことになる。だから、大卒で入社した人間は、「あいつ(「専門学校卒」の人間)、何でいるんだ」と言って不満を口にしていた。単にいるだけではなく、高卒で入社した人間が同じ年やその人間より先に高校を卒業して大学に行った人間の先輩のツラをしているから、それなら、「大卒しか採らない会社」ではなく「高卒の会社」ではないか、ということになり、話が違うじゃないか、ということになっていた。
又、これは小堀住研(株)だけではなく、住宅建築業の業界における「建築の専門学校」を「卒」だと称している人のずるい点として、私は2008年にポリテクセンター千葉の建築CAD科に半年通い修了証をいただいたのですが、これはポリテクセンター千葉の先生が言われるには「建築の専門学校が2年でやっている内容を半年でやる」というものだったようですが、ところが、本来は「学歴」ではない「専門学校」を「卒」だと称したがる人間は、「ポリテクセンターの建築CAD科修了」については「学歴」と認めてたまるかという態度を取るのです。なんだか、「建築の専門学校」を「卒」だと称する人間というのは身勝手な連中です。
さらに、1990年、東京支店に転勤した時、東京支店の支店長の高倉から聞いたのだが、千葉支店長にならせてもらっていた「底辺の高校卒の痴漢人間」の渡邊士直が私を「使いにくいやつだ」などと高倉に言ったらしいのですが、どうも、渡邊士直は勘違いしていたように思われるのですが、私は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というものに応募して採用されたのであって、「底辺の高校卒」の人のコースに応募して採用されたのではないし、ましてや「底辺の高校卒の痴漢人間」の人のコースに応募して入社したのではありませんから、渡邊に使われる筋合いはないのです。
小堀住研(株)は、片方で、「大卒しか採らない会社」なのに高卒の人間を採用し、又、高卒なのか何の扱いなのか不明の「専門学校『卒』」という人間を採用することで不満が溜まっていた。だから、従業員が不満を溜めずに働けるようにという点から考えると、この職種はこういう経歴の人を採用しますと言ったなら、その条件は基本的に守らないといけないはずで、小堀住研(株)のようにそれを平気で破っていてはいけいないのです・・・が、その条件を破ってしまうことによる弊害はもうひとつあったが、それは、「小堀住研は大卒しか採らない会社です」「小堀住研の営業は大卒の営業で、ミサワホームあたりの高卒の営業とは営業が違います」という姿勢をとり、はっきりとそう明言してきたはずで、その場合の「大卒」というのは「国立大学か関関同立くらい」の「法学部・経済学部・商学部」卒という大卒のことであって、「高卒と変わらない大卒」のことではなく、「バカでも入れる私大の建築学科」のことでもなかったはずなのに、それをまぜてしまったことから、「小堀住研は大卒しか採らない会社」でその場合の「大卒」というのは「高卒と変わらない大卒」ではなく「バカでも入れる私大の建築学科」のことではなく「国立大学か関関同立くらいの大学」の「法学部・経済学部・商学部」卒の人のことを言うというスタイルが崩れてしまった、という点だ。 もともと、近大経済学部卒の「近藤すしいち」(仮名)とか東京電機大工学部建築学科卒の高橋賢一郎とかは、「大卒」といっても《「国立大学か関関同立くらい」の「法学部・経済学部・商学部」卒という大卒》という大卒ではなく、《「国立大学か関関同立くらい」の「法学部・経済学部・商学部」卒という大卒》というスタイルの営業をやろうと思っても無理な人だったが、そういう人をまぜて採用したことから、《「国立大学か関関同立くらい」の「法学部・経済学部・商学部」卒という大卒》の人間までがそのスタイルの営業をやりにくくされてしまっていた。
だから、この職種はこういう人を採用しますと言ったなら、そう簡単にその条件を大きくはずれた人をその職種に採用してはいけないはずだったのだ・・・が、小堀住研(株)の経営者は、そのあたりを理解できていなかったようであり、それが、早稲田大を卒業して青山学院あたりかと思われる大学の教授(か助教授か)をやっていて息子が早稲田大を卒業して慶應の大学院に行っているという取手市のおっさんに、こちらは学歴詐称なんてやってないのに、詐称しているかのような口のきき方をされてしまうことになった原因にもなった。「会社をつぶしたアホの2代目」の中島昭午は、おのれが「衣(ころも)」をまとう努力している暇があったら、こういうことを少しは考えたらどうかと思うのだが、考える頭がない人間だから、会社をつぶした、ということであろう。ひとつのやり方として、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」と高級住宅志向の「新 桂」は売り方も違うので、事業部を分けて担当者を分けるという方法もあったと思うが、そういったことを考える頭のない経営者だったのかもしれないし、そういったことを考える頭のない経営者の会社だったからつぶれたのかもしれない。
(2020.9.10.)
ついでに・・・・、向かいのおっさんが、窓あけて大きな音たてて手を叩くので、何事かと思ったら、巨人の岡本がヤクルト戦でスリーランホームランを打ったのだった。うぜえ~え・・・。窓あけて手を叩くな! 手を叩くなら窓しめろ! 窓あけて野球の中継見たければ手を叩くな! うるさい!

世の中、何が嫌いというて巨人ほど嫌いなものはない、という人間が向かいに住んでるということを、百回に一回くらいは考えてみろ、このクソ巨人ファンめが、こん畜生!!!
・・・と思ったら、中山しょこたん のソロホームランと青木のツーランホームランでヤクルトが3対3の同点に追いついた(^^♪ 俺も、手たたいたろか・・と思ったが、同じレベルになるのは良くない・・・と思うのでやめとこ・・(^^)/
・・・と思っていたら、中山しょこたん がさらにタイムリーヒットでヤクルトが1点勝ち越し(^^♪ ・・まあ、1回くらいなら、窓開けて手たたいてみるのも悪くないか・・(^^)/ (^^♪ (^^♪ (^^♪・・と思ったら、ま~た、中澤がホームラン打たれて追いつかれやがった・・・・( 一一)
しかし、テレビもラジオも視聴しなくても、巨人に点が入ると向かいから手を叩く音が聞こえてくるというのは、便利というのか不快指数が上昇するというのか、なんというのか・・・・と思っていたら、また、手を叩く音が聞こえたと思ったら・・・、7回裏、今度はなんと、近藤ムが岡本ゴムにソロホームラン打たれてリードされやがった。・・ヤクルトはいつからこんなに弱くなったんだあ・・・


(2020.9.11.)
☆ 最初、「学歴を言って、言わない方が良かったと思った話」を自分の経験2例・ひとを見て思ったもの3例を1回にまとめて公開しましたが、相当長くなったので、分けた方が見やすいと考えて、3回に分けました。前段の話と合わせると4回に分かれたことになります。
(前段) 「社長が歌う演歌集」を会社のカネで出す会社・「バカでも入れる私大の建築学科」卒を清原化させたい症候群の経営者の会社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202005article_3.html
自分の経験[1] 「大卒しか採らない会社」と言っていて底辺の高校卒の人がいた状況が顧客の評価を下げた小堀住研(株) 〔今回〕
自分の経験[2] よっぽど自分はえらいみたいに思っている不動産三田会の不動産屋のじいさん https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_2.html
ひとを見て思った話[1]「ラーメンは地球を救う」みたいなことを言わそうとする営業課長。
[2]「東京大学経済学部卒」なんて履歴書をその地域の家全体にポスティングなんてやめた方がいいと思うぞ。
[3]ポン大の建築学科でてるのよお(あんたとは違うのよお)・・なんて不動産屋のおばさんに言われても・・・
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_3.html
今回は、営業、もしくは、営業以外の職種でも、お客様を相手にする仕事をしていて、自分の経歴、特に学歴を言うべきか言わないべきか、という問題。言わない方がいいと思った例をそれぞれについて述べます。
【A】自分自身の学歴を言って失敗したと思った例。
《1》お客様の息子と同じ大学だという場合。
1989年のことでした。小堀住研(株)の千葉県松戸市の営業所(展示場)に勤務していた時のことですが、茨城県取手市に在住の見込客のお宅に訪問してお話をしていたところ、どうも、そこの御主人は早稲田大学を卒業して、青山学院あたりかと思ったのですが他の私立大学の教授をされている方だったようで、御子息も早稲田大学卒で、大学院は早稲田の大学院ではなく慶應の大学院に行っているようなことを言われたのです。
※ 小堀住研(株)は相談役になっていた初代社長の小堀林衛が1989年に他界した後、1990年に初代社長の「甥っ子」と言っていたが実際には「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい2代目の中島昭午がエスバイエル(株)と名称を変更して会社名から「小堀」を取り除いた後、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とかアホなことを言いまくり書きまくりした結果・・・つぶれた。そのつぶれた会社をヤマダ電機が「いぬき」で買い取り(株)ヤマダエスバイエルホームとなり、ヤマダ電機が同様に買い取った「リフォームのナカヤマ」のリフォーム部門と合わせて、(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ になったようだ。ヤマダ電機としては、マイナスのイメージしかない「エスバイエル」という名称は要らない名称であるので〔又、ツーバイフォー工法(2×4)でもないのにエスバイエル(S×L)とツーバイフォー工法を印象させる名称でもあるし〕さりげなく消去し、「小堀の家」という中島昭午が捨てた名前は、かつて、関西圏を中心に「高級住宅の小堀」「小堀ならではの家」として高く評価された名前であり、又、小堀遠州と関係あるのかあ・・と客の側で勝手に考える名称でもあるので、復活させたようだが、中島が一度、自分でドブに捨てたものをヤマダ電機がもう一度拾おうとしても、簡単ではなさそうですし、又、木質パネル構法というのは、「安物の構法」ではなく「建物を箱として一体化させて耐震性・耐風性を確保する合理的な構法」であったはずですが、中島昭午が安物ですよおと売り込んだことからついた安物イメージを払拭するのは簡単ではなさそうです。 長浜北高校の応援部のホームページのコメント欄に、中島昭午のことを「そうそうたるメンバー」などと書いていた人がいましたが、「会社をつぶしたアホの2代目」を「そうそうたるメンバー」とは笑止です。
〔 2020年6月、中島昭午が「亡くなっていた」というブログなのか何なのかがインターネットに出ていたが、インターネットの情報というのは、いいかげんな情報も中にはあるが、年齢から考えて他界してもおかしくない年齢だろう。迷惑をかけた従業員・元従業員・入居者につぐなうことなく野垂れ死にしたか・・・ 〕
それで。私は、普段は、自分の学歴というのは基本的にはこちらからは言わないことにしていたのですが、息子が慶應の大学院に行っていると言われたので、私が尋ねたわけでもないのに言われたので、それで、「慶應の大学院に行かれているのですか。私も、大学院ではありませんが、大学は慶應です」とお話ししたのです。 これは、私が大学生であった時に、我が家に来た三井信託銀行の某支店の支店長が、うちの父親が、私を「慶應大学に行ってますねん」と言ったところ、「私も慶應です」と言い、うちの父親はアホですから、そう言われて喜びよったのです。それを見ていたので、それで、息子が早稲田大学を出て慶應の大学院に行っていると自分から言うような親には、「私も慶應です」と息子は大学院でこちらは大学であっても、それで何があるというわけではなくても、何かの縁だということで、1%でも喜んでもらえるのではないかと思って言ったのです。そういうことがなければ、自分の学歴なんて言いません。
だいたい、日本の大学で、慶應と早稲田という2つの大学は、聞かれもしないのに大学の名前を言いたがる学生が矢鱈と多い大学で、1980年代、横浜市港北区日吉の慶應大学日吉キャンパスのすぐ南にあった日吉台学生ハイツの食堂で食事をしていたところ、少し離れた席に、桃山学院高校卒で慶應大の商学部に在学していた井上という男とその連れ2人の3人連れがいて、そいつらが何を話していたかというと、「女なんて、慶應の名前さえ出せば、いくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、『これが眼に入らぬか』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」と、そいつらはそう話していたのです。なんて、程度の低い人間どもなんだ・・と思いました。おまえらは、学校の名前以外に取り柄ないのか? ・・とも思いました。こんな連中と一緒の学校になんて行かされたくないなあ、とも思いました。小学校の1年から、同級生が遊んでいる時も、ずっと努力して勉強してきたのに、なんで、こんな連中の行く大学になんか行かされなければならないのか、と思いました。うちの母親は私が嫌いで、私が高校3年の時、「こいつ、現役で大学に通ると思いあがった人間になって、女を泣かせよる。こいつ、東大に現役で通ると思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落してやらんといかん。こいつ、絶対に落したるう~う!!!」と言って、夜、私が家で学習していると、うしろから服をつかんで背後にひっくり返したり、箒でボコボコ殴りつけたり、私が使用している部屋の電気を洗面所にあったブレーカーを落として照明がつかないようにして学習できないようにしたり、さらには、高校から帰ってくると、インタホンのソケットを抜いてならないようにして、雨戸はすべて閉めて、外灯も消して、家に入れないようにして、さらに、その上で高校に電話をかけて、「息子が帰ってきませんねん」と言うと・・・、そういったことを、ありとあらゆることをやったものでしたが・・・(うちの母親は私が小学校の低学年の時から「私は血圧が・・」「私は心臓が・・」とか言いまくっていましたが、だから、弱弱しいと思う人もあるようでしたが、「こいつう。絶対に落したるう」とか言ってひっくり返したりとかする時というのは相当力強いですからね。女性は弱いとは決まっていませんし、何よりも、母親にとっては息子というのは、どんなにぎったぎたにやっつけてもやっつけ返される心配は絶対にない絶対安心・絶対安全な相手ですから、やっつけ放題ですからね)、そして、北野高校の先生というのは、まがりなりにも高校の先生ならば、生徒の親がそういうことをやっているのなら、そういう親をなんとかしようと協力してくれてもいいのではないか・・と思ったのでしたが、それが高校の先生の仕事と違うのかと思ったのでしたが、そういう期待は期待する方が間違っており、そうではなく、北野高校の教諭というのは、むしろ、生徒を悪者にすることでそういう親に加担することで自分を守ろうとする連中でした。高校の教諭というのは、あいつら、いない方がいいのではないか、と私は今は思っています。又、あいつら、無能のくせして、なんで、あんなにえらそうにしているのか、とも今は思います。私は、努力して学習して東大に合格して行ったら思いあがった人間になるとは思えなかった。私が高校3年の時、「こいつ、現役で東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落してやらんといかん」と言って、毎日毎日、背後から箒でボコボコ殴ったり、服をつかんで後ろにひっくり返したり、私が使用している部屋のブレーカーを落として照明がつかないようにしたりといったことを繰り返した母は、私が、むしろ、慶應の人間の方が思いあがっている人間は多い、慶應の人間の方こそ、「女なんて、慶應の名前さえ出せば、いくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、『これが眼に入らぬか』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」などと言う人間がいっぱいいる、ということを実際に桃山学院高校卒の井上とその連れの3人が話していたことを母に言ったところ、母はどう言ったかというと、「私、そういう人、好き♪ 私、そういう人、ものすごい好き♪ 私、そういう人、だ~いすき~い~♪ べ~ろべ~ろべえ~え!!!」と・・・そう言ったのでした。
むしろ、慶應の方が「女たらしの大学」という印象があった。まず、「慶應ボーイ」という言葉からして「なんや、鼻の下の長いにやけた・・」という印象があります。少々前、千葉県船橋市を選挙区としていて衆議院議員になっていた藤田みきお は「永田町の女たらし」と言われていた、と週刊誌などに掲載されていましたが、まさに「慶應」⇒「女たらし」というイメージが昔からありました。実際、慶應に行くと、それは決して根も葉もない話ではありません。私は慶應大学のそういう学生を見て、ここの大学に行ってこういう「反社会的勢力」の仲間にはなりたくないなあ・・と思ったものでした。
高校のクラブのOBでも、東大に行った人が思いあがっているという印象はなかった。又、現役で大学に進学した人間が思いあがった人間で浪人した人間が謙虚かというとそうも思わなかった。東大に行った人間というと、夏目漱石・森鴎外・久米正雄・亀井勝一郎・正岡子規・阿部次郎・・といった人が思い浮かぶが、阿部次郎が思いあがっているか、亀井勝一郎が思いあがっているか、阿部次郎が「女を泣かせよる」か、亀井勝一郎が「女を泣かせよる」かというと、そうは思えなかった。

新版 合本 三太郎の日記 (角川選書) - 阿部 次郎
むしろ、「慶應タイプの女たらし」の方こそ、「女を泣かせよる」という印象があった、慶應の方が両腕いっぱいにカネと女をだかまえて生きる「ブタ商人の大学」・・・という印象があった。 実際、慶應大学に行くと、大学から慶應大学に入学した人には、片方で理由もなく東大をけなすことが「愛塾」みたいに思っていて実行して得意がる準内部進学みたいな人もいたが、そうではなく、こういうことを言うと「そうそう。本当にそうですよ」と言う人が何人もいた。だから、少数派だけれども、慶應の「女たらし」を得意がるような体質をいいようには思っていないという男性および女性というのは大学から入った人間にはいたのです。 身近にもそんな感じの人がいたはずだったのだが、うちの母親はきかなかった。そうやって、そして、高校を卒業する年、東大の試験に落ちた。「男というものは現役で大学に合格すると思いあがった人間になって女を泣かせるから、浪人させた方がええ」と言って、高校3年の時に私に必死のパッチで妨害を加えた母は、私が浪人すればそれで気が済んだかと思うとそうではなく、浪人してもその姿勢は変わらなかった。
慶應の人間、特に内部進学の人間は、慶應という学校に行くと「独立自尊」と言いたがるが、そもそも、いい学校であれろくでもない学校であれ、特定の学校に行けば独立自尊だなどと、そんなおかしな独立自尊があるわけがない。普通に考えて、「女なんて、慶應の名前さえ出せば、いくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、『これが眼に入らぬか』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」などと口にするようなそんな大学の名前しか取り柄がないような男が独立自尊なわけないだろうが! そんなおかしな「独立自尊」があるか! むしろ、東大の学生や出身者と話をすると、「男性を大学の名前でしか考えないような女性は嫌なので」と言う人が多かった。そういう大学の名前しか取り柄のない男、何かと大学の名前を言いまくりたがる男が多い大学というのが、日本の大学では慶應と早稲田というのが双璧だった。「女なんて、慶應の名前さえ出せば、いくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、『これが眼に入らぬか』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」などと口にするようなそんな大学の名前しか取り柄がないような男のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」と「診断」するようだったが、それって逆と違うのか? と私は思ったのだが、なんで、大学の名前しか取り柄のない人間、大学の名前より他に自分自身について見てもらいたいものがあると言えない人間が、なんで、「自我が確立されている」なんだ? おかしいじゃないか・・と思ったのだが、「心理学」、特に「慶應心理学」によるとそういうヤカラが「自我が確立されている」と「診断」されるらしかった。

狂気の思想―人間性を剥奪する精神医学 (1975年) - トーマス S.サズ, 広田 伊蘇夫
( ↑ トマス=サズ『「精神医学」という狂気の思想』新泉社 )
又、大学の名前を書いたトレーナーというのが大学生協で売っていて、私などは、必要がある場所においては大学の名前は言ってもいいだろうし、言わないといけない時もあるだろうけれども、又、ラグビーとかサッカーとか団体でおこなう運動競技をやる場合にどちらのチームの選手かわかりやすいようにユニフォームを着るというのはいいだろうけれども、そうでもないのに、大学の名前を書いたトレーナーなんて着る人間の気持ちがわからない、「ブランド」というのは、かつて、牧場で牛などに飼主が自分の所有する牛だとわからせるために押した烙印・焼き印を「ブランド」と言ったものであり、日頃から必要もない場所・時において、大学の名前を書いたトレーナーなんて着て烙印・焼き印を押されたがる人間、いわば、それは独立自尊とは逆ではないのかと思われる人間が多い大学というのが慶應と早稲田の2つだった。
・・・もっとも、川崎市幸区のアパートに住んでいた時、近所のおばさんが「KYOTO SANGYO UNIVERSITY」だったか「KYOTO INDUSTRIAL UNIVERSITY」だったか書かれたトレーナーを着ていたのを見たことがあり、このおばさん、川崎市の住人なのに息子を京都産業大なんて行かせていて、息子が買ってきたトレーナーを喜んできてるんだなと驚いたことがあったのだが、かつて、「ぴあ」という雑誌があって、「はみだし ゆう と ぴあ」という読者投稿欄があり、そこに「学内でしか着れないのが日大のトレーナー。矢鱈と学外で着たがるのが早稲田のトレーナー」と書いてあったのだが、このおばさん、京都産大のトレーナーを学外で喜んで着てるんだな、このおばさんにとっては、京都産大でも息子が行ったというのがうれしかったんだなあ、と思ったことがあった。
私などは、うちの父親の親友の医者屋のM川とK田から、「高校は義務教育やないんやから、あんたなんか、高校には行くべきではないんや。それを北野高校に行ったというのは、きみが甘ったれとるからなんじゃ」と言われ、うちの父親はそれを聞いて大喜びして、「そうじゃ。お~ま~え~はあ~あ、高校行くな、チャンコロ!!! 高校行ったのは余計なんじゃ。おまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれとるからやねんぞ! 高校、行くな、チャンコロ! チャンコロは義務教育でない以上は高校には行くべきではないんやぞ。ましてや、おまえは大学には行ってはいかんねんぞ!」「おまえが大学に行きたいと言うのは、それはお前が甘ったれとるからであって、おまえが思いあがっておるからやねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ! わかっとんのか、浪商!」と何度も何度も言われたものだったが、かつ、うちの父親は親友で医者屋のM川とその同僚のK田がそういうことを言うのを聞いて大喜びしておきながら、M川のドバカ息子は「患者」を薬漬け・毒盛りして貯めたカネで私立金権関西医大に裏口入学した、K田の息子はバカ大学を2つも行った、という点については「高校は義務教育ではないのやから行くべきではないはずで、ましてや、大学には行ってはいかん」という私に言いまくった基準を適用せずに、逆に「M川先生の息子さんは関西医大に裏口入学やねんぞお~お。おまえとは違うねんじ、お前とは。チャンコロとは違うねんぞ、チャンコロとは。わかっとんのか、チャンコロ! 裏口入学した人の爪の垢を煎じて飲めえ、このチャンコロっ!」と言い、「なんで、裏口入学したらエライんですかあ~あ?」と言うと、「わからんのか、そんなことも、おまえはあ、このチャンコロっ! 裏口入学ちゅうことは、思考が柔軟やから裏口やちゅうことなんじゃ。そんなこともわからんのか、おまえは、このチャンコロ、ロスケ!」と言い、K田のバカ息子が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯めたカネでバカ大学を2つも行ったという点については「K田先生の息子さんは、おまえとはちごうて2つも大学に行ってはるねんぞ、2つも」と言うのだった。なんで、自分の息子なら「義務教育でないからには高校には行くべきではないはずで、おまえが北野高校に行ったというのは、それは甘ったれとるから北野高校に行ってんぞ、わかっとんのか、チャンコロ! わかっとんのか、ロスケ!」であって、よその息子なら、医者屋の息子でちっとも勉強せんかったやつが、私立金権裏口関西医大に行ったり、バカ大学2つも行ったりするのが「思考が柔軟」なのか、さっぱりわからんかったが、それが「民族の違い」「階級の違い」というものだったようだ。

医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
私ならばその地域で一番の公立の高校に行っても「義務教育ではない以上は高校には行ってはいかんのにからに、あんたが北野高校に行ったのは余計で、それは余ったれてるからそんな学校に行ったんや」という「診断」になり、「医者屋の民族」に生まれたバカ息子は「患者」を薬漬けにして貯めたカネで裏口入学するというのが「思考が柔軟」でそれが「社会正義のため」だということになるらしい。「医者屋の民族」と私とはそれだけ、扱いに違いがあった、うちの父親は私の顔を指さして「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と毎日言い続けたが、「医者屋の民族」と私とにはまさにそれだけの「民族の違い」「階級の違い」というものがあった・・のだが、ところが、「心理学」では「親というものは、自分の息子のことをよその息子よりも、いいようにいいように思うものですから」という「理論」「学説」「研究結果」があった。その「心理学」の「学説」というのは私自身の経験から考えると事実に反するように思うのだが、こういうことを言うと「自我が確立されていないから、わざわざ逆らってそういうことを言うのですね」「モラトリアム人間病にかかっているからそういったことを言うようになるのです」その他、なんたらかんたらと「心理学」から「診断」されることになる。その「診断結果」に基づいて「治療」と称して「人間による人間の加工」をされる可能性もある。 「医者屋の民族」のドバカ息子は「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯めたカネで私立金権関西医大に裏口入学し、バカ大学2つも行ったりして、それが「思考が柔軟やちゅうことなんじゃ」という「診断」になるが、私の場合はその地域で一番の公立高校に実力で行っても「それは甘ったれとるから行ってんぞ」という「診断」になり、「ましてや、おまえは大学には行ってはいかんねんぞ」という「診断」になるようだったのだ。それが「心理学」というものだった。うちの父親がK田とM川から教えられた理論によると、K田の息子はバカ大学2つ行く権利があり、M川のドバカ息子は私立金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯めたカネで裏口入学する「当然の権利」があるのに対して、私は「高校は義務教育ではない以上は行くべきではない」のであって公立の北野高校に行ったのは「甘ったれとるから」であり、「ましてや大学には行ってはいかん」ということで、うちの父親は毎日毎日そう叫んでいたのだったが、片方で、バカ息子を川崎市幸区から京都の京都産大みたいなもんに行かせて喜んでいるおばさんがいるんだ・・と思い、「世の中いろいろ、人間いろいろ」なんだなあ、家庭にもいろいろな家庭があるものなんだなあ~あ・・・と、しみじみと思ったものだった。
私の場合は、うちの父親から毎日毎日そう言われてきたものだったが、ところが、このおばさんは、息子が京都産大なんて「大学」に行って、それを喜んで京都産大の名前の入ったトレーナーを着てるんだあ・・と驚いた。うちの父親は私が高校3年の時、「東大に行くというのなら、東京で下宿してでも行くべきやし、下宿は嫌やなどと言って甘ったれておってはいかんけれども、東大でなくても慶應か早稲田に行くのなら下宿してでも行ったらええと思うけれども、そんなもん、法政やたら明治やたら専修やたらポン大やたら何やら、そんなおかしな私立大学に行くようなやつなんて、下宿してまで大学に行く必要あらへん。そんなやつ、自衛隊に入れたるべきや、自衛隊に! たとえ、私立大学に行くにしても、アホ大学は大阪にもいっぱいあるんやから、法政やたら明治やたら専修やたらポン大やたら、そんなアホの行く大学に行くようなやつなんて下宿してまで行かんでもええ。地元の大学に家から通って行けばええことや」と言っていたし、さらには、「あんた、京大に行くのなら家から通えよ。甘ったれておってはいかんぞ、甘ったれておっては。大阪から京都まで電車で通えばええ」と言うのだった。大阪府の住民でも、京都府との境目の大阪府である三島郡島本町とか阪急京都線沿線の京都よりとかに住んでいる人で自宅から京大に通う人はあったが、我が家は阪急でも京都線の沿線ではなく宝塚線のまだ支線の箕面線の沿線であり、我が家の近所から京大に行った人は誰もが下宿して行っていて自宅から京大に通っていた人なんて誰もなかったし、我が家から京大までは片道2時間以上はかかったはずだが、それでも、うちの父親は「甘ったれておってはいかんぞ。甘ったれておっては。京大なら電車で毎日通えばええことや」と言い、それを聞いて、何が何でも東大に行かないといけないと思ったものだった。うちの父親は「東大でなくても、慶應か早稲田なら下宿してでも行けばいいし、行く値打ちはあると思うが」と言っていたはずだったが、種々様々な妨害を受けて、実際に、慶應に行かされてしまうと、今度は、「あんたが家から通える大学に行かずに慶應に行ったおかげでわしは相当の損をさせられた」と言い、「それなら、やめますよ。もともと、慶應なんて行きたいと思ったことは一度もないし、行きたくもありませんから、やめますよ。行きたくないですよ、慶應みたいなもん。行きたいと思ったことなんて一度もないですよ、慶應みたいなもん」と言ったのだが、そうすると、「あんた、おかしいのと違うか」と言ってやめさせてもらえなかった。それに対して、川崎市幸区のアパートの近所で見たおばさんというのは、どう見ても、金持ちには見えなかったし、社会的地位のある人というようには見えなかったのだが、それでも、バカ息子を、京都産大程度の私立大学なら東京圏にいくらでもありそうなものなのだが、それを、わざわざ、京都で下宿させてまで行かせて、しかも、親としてそれを喜んでおるらしい・・・というのを見て、「世の中いろいろ」で「家庭もいろいろ」なんだなあ・・・と思ったものだったのだが、京都産大のトレーナーを着て外を歩くのなら、慶應や早稲田のトレーナーを着て外を歩く方がマシ?・・・かなとも思ったのだが、なんか、どっちもどっち・・・という感じだった。そういうのを見て、私は、必要もないのに、きかれもしないのに大学の名前を言う人間というのはいいように思えなかったのだ。
しかし、営業の仕事について、お客様が自分の息子が早稲田大を卒業して慶應の大学院に行っていると自分から言われた・・というそういう場合においては、三井信託銀行の支店長が「私も慶應です」と言ったのを聞いてうちのアホな父親は喜びよったのを見ていたので、それで、「慶應の大学院に行かれているのですか。私も大学は慶應です」とお話ししたのでした。ところが・・・。
ところが、そこのダンナは、「ゼミはどこのゼミに入ってましたか」とか、「どういう先生の講義を受けられましたか」とかそういったことを矢鱈ときくので、この人は何だろうなあ・・・と不思議に思ったのでしたが、その家を退去して、取手駅からJR常磐線の電車に乗ってから・・・「あ・・」と気づいたのでした。学歴詐称だと思われていたのです。 30代で三井信託の支店長やっている人ならば、「私も慶應です」と言えば、「さすが♪」とか言ってアホなおっさんは喜びよったのですが、小堀住研(株)で営業やっている人間が「私も慶應です」と言っても、学歴詐称だろう・・とおっさんは思い、それで、「ゼミはどのゼミに入ってましたか」「どういう先生の講義を受けられましたか」とか矢鱈と詮索してきたのでした。言うんじゃなかった・・・。 私は学歴詐称ではなく実際にそこを卒業したのですから、慶應の商学部の教授の名前くらい知っているわけですから自分が履修した講義の教授の名前を言えばよかったのではないかと思われる人もあるかもしれませんが、尋問されて答えなければならない筋合いのものでもないし、そこまで疑われるなら、別に無理に信じてもらわなくてもけっこうです。
そういえば、夏休みに箱根の三井系の保養所で泊りがけでの「雑務」(ひとに話すと、「下男」と言われるのですが)のアルバイトをやったことがあるのですが(なんで、私だけがこんなことをさせられなければならないんだ、と思いながら絶望的な気持ちでやりました。夏休みの後、少人数の授業で助教授が、夏休みの間、何やってたかときかれたので、泊まり込みで保養所の「雑務」の仕事を夏休みの最初から最後までやってました、と言うと、「きみ、そんなこと、やってたら、勉強できんだろう」と言われたのですが、実際、そうでした)、従業員向けの保養所ですから、「雑務」やっている人間というのはあくまでも「雑務」であって「接客」の仕事はないはずでしたが、ところが、そういう保養所を利用するような客というのは、言っちゃなんだが三井でも程度の低いのが多く、食事の際にビールでも欲しいという場合はあらかじめ言っておいてもらうということだったと思うのですが、それでも、後から欲しいという人があり、持って行ってくれと言われたので持って行ったところ、「おい、にーちゃん。どこの大学やあ」とかからんでくるおっさんがいて、「慶應大学です」と言うわけにいかないので黙っていたのでしたが、そういう場合の答え方を一緒に「雑務」のアルバイトに来ていた神奈川大の学生が教えてくれたのですが、そういう時には「東横線沿いのK大学」と言うといいそうです。「東横線沿いのK大学です」と言えば、そういうおっさんというのは調子に乗って、あのおっさんがどこの大学卒かというと、ぴったしカンカンで言うと法政かそこらでしょうから、「そうか。神奈川大か」と言いよったでしょうから、「そんなところです」と言って、「御主人さんはどちらの大学でてられるのですか」と言ってやれば、「俺か。俺は法政や」とか得意になって言いよったでしょうから、「そうですかあ。私なんか、そんな大学なんて、たとえ、行きたいと思っても絶対に行かせてもらえませんでしたよお。すごいですねえ。すごい、すごい♪ さすがですよ、さすが、さすが、さっすっがっ♪ すごいすごい、さすがさすが、すごいすごいすごいすごい♪ さぞかし努力されたんでしょうねえ」とか言ってやれば、「そうかあ。努力したもんなあ」とか言って、「ビールは届いたばかりで、まだアルコールは飲んでないはずなのに酔っ払い」は喜んで言いよったでしょうから、そう言ってやればよかった、しまった・・・と後から思ったものでした。「私なんか、そんな大学なんて、たとえ、行きたいと思っても絶対に行かせてもらえませんでしたよお」というのは嘘じゃないですからね。法政なんてそんな「大学」、行きたいとも受けたいとも一度も思ったことはありませんが、たとえ、行きたいと思っても、「アホか。おまえ、頭おかしいのと違うか」と言われるだけのことで、絶対に受けさせてもらえませんでしたからね。ほんと、そんな大学にふんぞり返って行く人なんて、心の底から「すごい、すごい、すごい、すごい」と思っていましたから。そう言ってやればよかった。その「まだアルコールは飲んでないはずなのに酔っ払い」のおっさんに、いちいち、どういう大学に行っておりまして・・などと説明しなきゃならない筋合いはないのと同様、早稲田大卒で青山学院かそこらかなという感じの私立大学の教授(か助教授か)やっているらしいおっさんに、尋問されて、この人とかあの人とかの講義を履修しましたあ・・とか説明させられる筋合いはないし、もしも、「東横線沿いのK大学ですう」と言えば喜ぶのならそう言ってやればよかっただけのことだったのです。何なら、「御主人さんはどちらの御出身ですか」と言ってやって、「さすがですね、さすがさすが♪ すごいですねえ、すごいすごいすごいすごい♪」と言ってやれば、茶化されたと思わずにほめられたと思いこんで喜びよるのなら、そう言ってやってもよかったし。(あんまりそういうことするのは好きじゃないのだけれども。)
「東横線沿いのK大学」というのは、日吉の慶應と白楽もしくは東白楽が最寄駅の神奈川大学があり、大学はどこかときかれた時には「東横線沿いのK大学」と言うというのは保養所の「雑務」に来ていた神奈川大の学生から聞いたことですが、会社という所に勤めるといろいろな人からいろいろな技を教えてもらえることがあります。 2006年、(株)エイブルhttps://www.able.co.jp/ では、千葉支店の「次長」にならせてもらっていた門倉(男。当時、30代)から、「すごいですねえ~え。すごい、すごい♪ さすがですよ、さすが、さすが、さ、す、がっ♪ さすがさすが♪ すごいすごい♪」と客に言って茶化しておきながら、ほめられたみたいに相手が思って喜ぶのを見て心の中で馬鹿にする・・・という「手法」を教えてもらいました。門倉はそれを得意技にしていたのですが、できるものかどうか、自宅で部屋に縫いぐるみでも前においてやってみると、別段、難しいものでも何でもなくて、簡単にできます。「すごいですねえ、すごいですよ、すごいすごい♪ さすがですねえ、さすが、さすが、さっすっがっ♪ すごいすごい♪ さすがさすが♪」と言って茶化すだけですからね。特別にものすごい難易度の技術を必要とするわけでもなんでもないのです。やる気になったらできますよ。曲がりなりにも、自分の会社に利益を払ってくれるお客様を相手にやるのがいいかどうか、という問題で、私ならあまりやりたくないから誰でも彼でもにはやらないことを門倉は客や自社の従業員を相手に日常的にやっているという違いだけです。
2006年、(株)エイブルの海浜幕張にあった店(「海浜幕張で唯一の不動産屋」だったが、オフィスビルの上の方の階にあった海浜幕張WBG店は、その後、閉店した)に来場された、習志野市に住んでいて、習志野市のJR「津田沼」駅前にある千葉工大に息子が入学して、息子が一人暮らしをしたいと言うからということで、アパートを借りにこられたお母さんとその息子に、門倉(男。当時、30代)は「千葉工大ですかあ。すごいですねえ、すごい、すごい、すごい、すごい♪ さすがですよお、さすが、さすが、さすがさすがさすが♪ さすがですよ、さすが♪ すごいですよ、すごいすごい♪」などと言い・・・、また、始めやがったかと私は思って見ていたのだったが、そのお母さんはそんなことを言われて、それでその時は喜んでいたのだったが、その2人が帰られて、門倉も帰ってから、店長のOが私に「東大にでも通ったというのなら、『すごいですよ』とか『さすがですねえ』とか言われても、まあ、わかるが、千葉工大みたいなもんに行ったようなヤツを『すごいすごい』とか『さすがですよ、さすが』とか言われてもなあ~あ」と言うのだったが、実際そうだと思う・・・し、私なんかは大学に行く時、うちの父親から「あんた、京大に行くのなら家から通うべきやで」と、大阪府北部の阪急宝塚線の支線の箕面線沿線から京都線の終点の「京都河原町」駅で降りてさらにバスに乗って「百万遍」の手前の「京大前」下車の京大、京都でも長岡天神とか桂とか「大阪府の茨木・高槻の続きみたいな京都」ではなく、八坂神社とか円山公園とか「マルーンカラーの阪急」の駅から徒歩圏の京都でもなく、下加茂神社と銀閣の間くらいの場所の相当ディープな京都、丑の刻まいりで皆さんおなじみの貴船神社方面に行く叡山電鉄の「出町柳」駅より東の京都まででも自宅から通えと言われたものだったが、それを、習志野市に住んでいて習志野市の千葉工大に行くのに、一人暮らしをしたいと千葉工大みたいなもんに行くようなバカ息子のためにアパートを借りようと考える親て、何なんだろう・・・と実は心の中で思ったのだけれども、しかし、たとえ、そうであっても、まがりなりにも、自分の会社の店を利用してアパートを借りて仲介手数料などを払ってくれるお客様に対して、門倉のその態度は何だろうか、心の中では「千葉工大みたいなもん、行きやがって」とか思いながら「さすがですねえ、さすが、さすが♪ すごいですよ、すごいすごい♪」などと言いまくって、相手に「茶化されているのにほめられたみたいに思わせる」という行為をする根性の卑しい男。 月2回刊行の「ビッグコミック スペリオール」に連載中の倉田よしみ ・あべ善太 原案・久部緑郎 ストーリー協力・花家(神保町) 取材協力『味いちもんめ 継ぎ味』「第42話 秋のB面」に、↓




↑ という会話が出ている。
( 「ビッグコミック スペリオール」No.821 第34巻第19号 2020.9.25.小学館↓ 所収。↑)
![ビッグコミックスペリオール 2020年19号(2020年9月11日発売) [雑誌] - ビッグコミックスペリオール編集部, 森高夕次, 水上あきら, 奥浩哉, 乃木坂太郎, くずしろ, 香川愛生女流三段, 松浦だるま, 色白好, 山本亜季, 福満しげゆき, 久部緑郎, 河合単, 石神秀幸, 玉井雪雄, ゆずき暎, 林マキ, 押見修造, 原克玄, 森田賢吾, 津村マミ, とがしやすたか, sacco, 倉田よしみ, あべ善太, 西原理恵子, 二階の窓, 石川優吾, 内澤旬子](https://m.media-amazon.com/images/I/61nuKihVzqL.jpg)
ビッグコミックスペリオール 2020年19号(2020年9月11日発売) [雑誌] - ビッグコミックスペリオール編集部, 森高夕次, 水上あきら, 奥浩哉, 乃木坂太郎, くずしろ, 香川愛生女流三段, 松浦だるま, 色白好, 山本亜季, 福満しげゆき, 久部緑郎, 河合単, 石神秀幸, 玉井雪雄, ゆずき暎, 林マキ, 押見修造, 原克玄, 森田賢吾, 津村マミ, とがしやすたか, sacco, 倉田よしみ, あべ善太, 西原理恵子, 二階の窓, 石川優吾, 内澤旬子
「金は有り余ってるから」などと言う客に、この成金親父はなんなのだろう・・と思う伊橋(↑の絵の右)に、谷沢さん(↑の絵の左)は、たとえ、そうであってもなくても、曲がりなりにも自分の所の店を利用してくれて、自分の所の店にお金を払ってくれて、そのおかげで自分たちも給料をもらっている、その相手に対して、論拠もなく「きっとろくでもない商売をしてるんですよ。」とか「成金オヤジの典型だね!!」といったことを、たとえ、相手に向かってではなく楽屋裏で仲間内でにしても、そういうことは言うものではない、と谷沢さんがたしなめたのです。門倉は、曲がりなりにも(株)エイブルで「次長」にならせてもらっていたようですから、まったくだめではなかったのかもしれないけれども、そうであったとしても、曲がりなりにも自分の会社の店を利用してアパートを借りてくれて仲介手数料などを払ってくれる人に対して、そういう卑しい態度を取るというのは、(株)エイブルの経営者がそれをいいと思っているのかどうかは知らんが、たとえ、「不動産屋というのは程度が低いもの」であったとしても、それでも、その卑しい態度というのは感心できません。 だから、この「すごいですねえ、すごいすごい♪ さすがですよ、さすがさすが♪」という手法は門倉から教えてもらったものだけれども、私は無暗には使いません。・・というより、ほとんど使いません。基本的には使いません。そこが私と誰にでも日常的に使う門倉との違いです。この言い方自体は、自宅の部屋で縫いぐるみでも向かいに置いて言ってみると、簡単にできます。難しいところなんて何もありません。縫いぐるみがかわいそうなので、あまりやりたくなくなりますけれども。
もっとも、小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」のはずで、それは私が入社した1980年代後半に始まったことではなく、1960年代後半に我が家が小堀住研(株)で在来木造の家を建てた頃からすでに「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と言いまくっていたし、新卒社員研修の時にも、本社ビルでの全体研修でも講師役の人が「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社です」と明言したし、営業系(営業・人事・総務・経理)社員の合宿研修の際にも、講師役のTQC推進本部営業部会課長の川崎が「昔から、小堀住研の営業は大卒の営業で、ミサワあたりは高卒の営業が多い会社ですが、小堀の営業とミサワの営業では質的な違いがあります。営業という職種の社会的位置づけが小堀住研とミサワでは違います」と発言し、そして、小堀住研(株)の新卒の応募用の会社案内にだったように思うのですが、「採用実績校」として、「神戸大学・新潟大学・関西大学・甲南大学」だったか、そんな書き方がされていたと記憶しています。神戸大と地方国立大学と関関同立のどこかと甲南大と、要するに、東大・京大以外の「十大国立大学」から1つ・地方国立大学から1つ・関関同立から1つだったか2つだったか・関西地方の関関同立の次くらいの私立大を1つ掲載されていたのです。 だから、私はそのくらいの大学の卒業生の勤め先だと思って応募して入社したはずだったのです。ところが、入社式の後、新卒入社した人の出身大学を聞くと、え?・・・・新潟大卒の人が1人、立命館大卒の人が1人、関西大卒の人が1人いましたが、他は、言っちゃなんだが、聞いたことない私立大学ばっかり・・で、「技術系」には建築の短大卒の人もいた。「技術系」では千葉工大卒なんてやつもいた。千葉大工学部ならまだしも、千葉工大卒なんてのまで勤めている会社だったのお??? ・・と思ったものでした。
さらに、配属されてみると、松戸営業二課の課長だった石井さん(男。当時、30代)は「中央工学校卒」で大卒ではなかったが、それは一級建築士の資格を持っている人だったから、「大卒に準ずる」ことにしたということかと思ったのでしたが、正真正銘高卒の人もいたのです。さらには、7月に支店長として赴任してきた渡邊士直(男。当時、40代)は底辺の高校卒の痴漢人間であり、なんで、この男がここにいるのお?!? ・・・と理解に苦しみました。「大卒しか採らない会社」で応募資格は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」か「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」の会社に、なぜ「底辺の高校卒」の渡邊士直がそこにいるんだ? 「裏口入学」か?
渡邊士直は私に「小堀住研の契約書には請負契約と書いてあって、請負契約というものは、お客さんからお金をもらって家を建てるという契約なんだから、これやるのに材料いりますから、材料代くださいとお客さんに言って買ってもらって建てる契約なんだ」などとわけのわからんことを言うので、あきれて、「はい、はい、はい、はい」と言って逃げたのですが、逃げると追いかけてくるのです。民法の上での契約というのは自由にその内容を決めることができるもので、典型契約として、民法に規定されているものがあっても、それぞれの契約は典型契約そのままではないのであり、戸建住宅建築業の会社、特に個人大工ではなくハウスメーカーの場合には、契約書には「請負契約書」と書かれていても、実際には請負契約と売買契約が合体したような契約であり、小堀住研(株)と客との契約は、小堀住研(株)から物を買う契約とそれを使って家を建てる契約が合わさった契約であり、その程度のことも理解できていない人で学歴としては底辺の高校卒の痴漢人間の人が「大卒しか採らない会社」の応募条件は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」である職種で採用実績校は「十大国立大学」・地方国立大学・関関同立・関関同立の下という会社に、なぜ、そこにいるのだ?!? ・・と思ったし、そんな人に、「それは違うんですよ、それはね・・」などと程度の低いことを説明してあげるのは私の仕事ではないはずでした。
又、小堀住研(株)の就業時間は、営業は午前10時から午後6時で、これは1日8時間とその時期における1週あたりの時間制限の46時間ぎりぎりのものであったが、渡邊士直は支店勤務の自分自身の始業時刻の午前9時00分に千葉支店に来社するように何度も要求し、かつ、時間外手当を支払わなかった。労働基準法違反は犯罪であり、賃金未払いという問題とともに、刑事上の責任も当然のこととしてある。法律上の問題とともに、なぜ、小堀住研(株)が営業の始業時刻を設計課や工事課・工務課よりも1時間後にしていたかというと、工事課などは昼間に工事をおこなっている工事現場を見て回るのが仕事であるのに対して、戸建住宅建築業の営業は、夜にお客様宅に訪問して商談することがあり、又、住宅展示場も、午前10時頃から午後6時頃まで開けている会社が多いが、どちらかといえば昼前から午後にかけての来場客の方が多い業界であり、仕事の内容に合わせてそうしていたのです。テレビの野球中継を見ていたところ、解説者の江川が「中5日で投げている先発投手が中4日で投げると調子が悪いとか言われますが、そういうものなのでしょうか」ときかれて、「朝、普段、起きている時間よりも2時間早く起きると、起きても体の調子は普段と同じように動きませんでしょ。プロ野球の投手が、普段、中5日で投げている投手が中4日で投げるというのはそれと同じようなものです」と答えたことがあるが、住宅建築業の営業というものは、「夜討ち朝駆け」などと言われても実際には「夜討ち」が中心であって早朝の仕事というのはあまりない仕事であり、それを普段よりも早い時刻に来させるというのは、それは、わざわざ、業務を妨害しているものでした。
特に、渡邊士直が在籍した千葉支店はJR「千葉」駅の前のビルに入居していて、渡邊士直はそのすぐ近くに住んだようでしたが、住宅展示場は、総武線沿線に市川・船橋・千葉幸町といずれも千葉駅より西側にあり、それと常磐線沿線に松戸と柏にあったのですが、特に、同じ千葉県とはいえ、常磐線沿線と総武線沿線は別の地域であり、松戸と柏に普段勤務している者が千葉駅の東口にあった千葉支店まで行かされるのは「出張」のようなものだったのです。会社は日本国の法律を守らないといけませんし、国民は日本国の法律を守らないといけません。 労働基準法は実体規定と罰則規定からなりますが、刑法と違って実体規定と罰則規定が別の条文に規定されていますが、これは、労働基準法の実体規定については労働者と使用者の両方が守らないといけないもので、罰則規定については使用者のみに適用されるものということで分けられています。労働者・従業員には罰則規定は適用されませんが、実体規定は労働者・従業員も守る義務があるものです。労働基準法に規定されている労働時間制限に違反しての労働は、使用者には処罰規定が適用されなければなりませんが、従業員もまた、違法な時間外労働をおこなうということは違法行為を行っていることになります。 又、労基法違反の時間外労働を従業員にさせた場合、違法ということでの刑事罰は使用者には適用されなければなりませんが、民事上の問題としては、違法な時間外労働であっても時間外賃金を払わないといけません。勘違いしている使用者がいますが、住宅建築業の営業の場合、「基本給+歩合給」という給与制度にしている場合が多く、歩合給を払っているのだから時間外賃金は払わなくていいと思いこんでいる使用者がいますが、そうではありません。但し、使用者から時間外に働いてくれとはっきりと指示された場合には時間外手当は払われないといけませんが、使用者がはっきりと明示の指示はしていないとしても、その業務を遂行していくには時間外労働をせざるをえない状況であったという場合や、戸建住宅建築業の営業のように、時間外に働かないと契約につなげるのは極めて困難という場合に、はっきりと上役が指示しなかったからということで、従業員が勝手にやったのだからと時間外賃金を払わなくてもいいことにできるかというのは大いに問題があります・・が、契約につなげるための営業活動を時間外におこなったというものについては、従業員が上役から指示されずに自主的にやったとしても、それに対する報酬は歩合給で払っているのだというのは、一応、理屈として考えられますが、上役が指示していないのかというと、実際には指示していますし、特に新人や比較的経験が浅い営業担当者の場合には、小堀住研(株)であれば課長が指示をして時間外に働かせています。営業活動については歩合給を支払っているから時間外手当はなしというのは、本来、労働基準法の考え方から通じないはずですが、働いている従業員としては、「まだ、我慢もできる」というのか、歩合給につながるのだからと考えて我慢するということもできますし、相当体力的にきつい場合も、身近にいる課長が自分も同様に働いている場合や、営業担当者の補助として課長も時間外に働いてくれているという場合には、労基法違反ではあっても、「課長の気持ちはわかる」と考えることもあります。しかし、渡邊士直の場合は、千葉支店に、特に松戸や柏の営業所に勤務している従業員を早出残業で呼びつけるということがあまりにも頻繁であり、又、それは、何ら業務上の必要性がないものであり、千葉支店所属の営業社員は渡邊の態度に閉口していたのです。
かつ、渡邊士直は、赴任すると、それまで、支払われていなかった展示場勤務の「営業補助」の女性社員に時間外手当を支払うようにしたのですが、それもおかしな話で、女性には時間外手当を払って男性の営業には時間外手当を払わないというのは、どういう屁理屈なんだ・・ということになります。又、展示場勤務の「営業補助」の女性社員は、基本的には時間外労働はしないという前提での仕事であり、そういう性質の仕事であって、時間外に何をしていたのか、ということを考えて、もし、営業課長が時間外に働かせていたのならば、会社として時間外に働いてもらうという前提にしていない人に時間外に働かせるのはやめるように指示するべきものであったはずなのです。そして、どれだけ、時間外に働いたかという時間数について、自己申告をもとに支払ったようですが、小堀住研(株)はその何年か前にタイムカードというものを撤廃したのですが、「タイムカードを撤廃した」というと、従業員を信頼した「Y理論」に基づく経営か・・・と思いそうですが、実際には時間外賃金を払いたくないから、その証拠を隠滅したのです。「営業補助」の女性社員の場合は、営業のように歩合給を受け取ることはありませんから、その理由でも、時間外に働いたならば時間外賃金は支払われるべきですが、もともと、展示場の「営業補助」の女性社員というのは展示場勤務の営業の「補助」の仕事で、「営業補助」の女性社員の終業時刻が来れば、そこから後に仕事があったならば、営業の男性社員がやるという前提だったのです。それを、「なぜ、営業補助の人に時間外に働かせているのか」と課長にきくこともせず、時間外賃金を女性にだけ払うというのは、なぜ、そういうことをするのかというと、実際問題として、低学歴の店長がよくやることですが「女の機嫌をとる」というやつでしょう。そういう人は他の会社でも見ます。 (2008年、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕https://www.10kai.co.jp/ の花見川店の店長の「人相と目つきの悪い田中」(男。当時、60歳)も、おばさんの機嫌をとる、ということをやりたがりました( 一一) ) 各展示場の「営業補助」の女性社員については、基本的には時間外労働はないという前提での仕事で、そういう前提での仕事だけに給与の金額も高くなかったはずですし、渡邊士直は千葉支店長に就任してから、毎週、各展示場の「営業補助」の女性社員までも千葉支店まで呼びつけにしていましたが、各展示場の「営業補助」の女性社員というのは「お留守番」も仕事のうちになっており、「お留守番」の人を呼びつけたのでは「お留守番」にならなくなってしまうのですが、「支店長の命令」と言って「言うことをきかせる」ということを業務上の都合よりも優先するという態度は、「底辺の高校卒のおっさん」が支店長になった場合の「常に従業員に無理矢理にでも言うことをきかせるようにしないと不安だというシンドローム」がそこにも出ているのですが、会社として「営業補助」の人は「お留守番」の意味もあって配置しているのに、それを支店に呼びつけにして、会社が費用を出して出店している住宅展示場を無人にするというのは、それは会社のためにならない行為です。
女性社員の勤務状態について配慮するのならば、QCサークルというものについて考える必要がありました。QCサークルというのは、「従業員が自主的にやるものだから、QCサークルについては賃金は支払われない」と言うのですが、「自主的にやる」なんて言っても実際には会社が指示してさせているのであり、労基法違反の時間外労働について時間外賃金を支払わないことの口実に「QCサークル」を利用しているだけでした。展示場勤務の「営業補助」の女性社員にもQCサークルに参加させて、深夜まで残らせていたのですが、1989年頃においては、女性の夜10時以降の労働は違法とされていましたが「QCサークルだ」と言えば違法でなくなるわけではないはずなのです。 合法か違法かと別の問題として、女性社員でも男性と同じ条件で働いている人が営業をやっている人が自分の判断で、なかなか会えないが夜遅い時刻ならいるという人の所に行くということならばわからないこともありませんし、そういう勤務をする女性も現実にいますが、QCサークルという何が何でも深夜にやらないといけないわけではないものを、営業社員というのは生活が夜型なものだから、夜遅い時間に実施して、女性の深夜労働は違法とされていた時代において平気で深夜労働をさせるというのは問題があります。 その頃は柏営業所に勤務していて翌年だったかに松戸営業所の課長に昇進したらしい犀川(男。当時、30代。日大芸術学部卒)は千葉支店の営業では最も多い営業成績を残していたようでしたが、そのあたりについてまったく配慮のない男で、そのあたりを見ると、営業成績という点では優秀な成績を残したとしても、やっぱり、ニチゲーの男だなあという印象を受けましたし、営業としては優秀でも管理者としてはあまり期待できない人だという印象を受けました。支店長というのは、本来、こういったことに配慮するのが支店長の仕事のはずなのですが、「底辺の高校卒」の渡邊士直さんにそれを期待しても無理です。
労働基準法は日本国の法律ですから、守るのが基本であって守る方向で努力してもらわないと困るのですが、「労基法で規定されている労働時間を超えた労働で会社が動いている」という会社というものが現実にあるようなので、そういう会社で、いきなり、労基法と就業規則で規定されている労働時間制限を超えて働いてはならないということにすると、「会社が動かなくなる」おそれがあるかもしれませんが、そうであったとしても、まず、動くように支店長などの役職の人間は努力しないといけませんし、そういう努力をするのが支店長や東部営業本部長の仕事であって、逆をやるのが仕事ではないはずなのです。営業の就業時間というのは、午前10時から午後6時だったわけですから、それを、普段の勤務場所よりも移動時間に相当長くかかる場所に1時間早く来いというようなことを頻繁にされるということは、いわば、「普段、中5日で投げている先発投手」に「中4日」「中3日」で頻繁に登板させるようなものであり、それがどうしても必要だという場面ならば、プロ野球にたとえるならば、杉浦・稲尾の日本シリーズ4連投とかいうのは、それで日本シリーズに勝ったとしても、登板過多が投手生命を縮めたのではないかと言われ、そういうのは好ましくないとしても、野村のじいさんが南海ホークスの監督で唯一パリーグ優勝した1973年の阪急とのプレーオフでは、第1戦に最後にリリーフした江本が第3戦では先発して完投勝ちし、さらに第5戦では、最後の最後、9回裏、2死から登板して代打 高井を三振に打ち取ったというように、プレーオフや日本シリーズ、もしくは、優勝するかしないかがかかった1試合とかで多少の無理をして登板するというのはエースなればこそのものでもあるでしょうけれども、渡邊士直が千葉支店の従業員にさせたのは、レギュラーシーズンでそこまでの重要性もない試合で、「普段、中5日で投げている先発投手」に「中4日」「中3日」で頻繁に登板させるようなものであり、営業妨害以外の何ものでもなかった。
渡邊は自分がそういうことをやっているということに自覚がなかったのか・・と思ったのですが、自覚がなかったのではなく、そうではなく、意図的に従業員に対する嫌がらせとしてやっていたようです。なぜなら、松戸営業所に勤務している営業社員には、千葉支店に普段の始業時刻よりも1時間前の時刻に来いと言いながら、同時に、千葉支店のすぐそばに住んでいる自分が松戸営業所に来る時には、朝、とりあえず、千葉支店に顔を出して出勤したということにした上で、「勤務時間内」に千葉から松戸まで移動するということをやったのです。普通に考えて「ずるい」でしょ。松戸営業所の人間に千葉支店に来させる時には始業時刻よりも1時間前に千葉支店に来いと言って、自分は松戸営業所に自分の始業時刻よりも1時間前に行くのではなく、自分が住んでいる所の近くの千葉支店に、自分の始業時刻の少し前くらいにいったん顔を出して出勤したということにして、それから、「勤務時間内」に松戸営業所まで移動する・・て、そんなことする人、あんまりないと思うがなあ~あ・・・ということを毎度やっていたのです。 住宅建築業の会社にもタイプがあり、多くの「ハウスメーカー」は都市型の会社で、小堀住研(株)は木質系とはいえ木質パネル構法が主で、沖縄県以外の全国で建てていたとはいえ都市部中心の会社で、(株)一条工務店などは千葉県でも千葉市より東・南の方が強いくらいであるのに対し、小堀住研(株)は同じ木質系であっても、千葉県でも北西部の方が中心だったのです。同業他社でも、たとえば、やはり、都市型のスウェーデンハウス(株)は千葉支店を千葉市ではなく船橋市に置いていたはずで、小堀住研(株)は千葉支店を千葉市中央区のJR「千葉」駅の東口のビルに置いていましたが、住宅展示場は、市川市・船橋市・千葉市幸町と総武線沿線の松戸・柏の5カ所で、千葉支店というのは常磐線とは別の沿線の総武線沿線のそれも3展示場のうちの一番東の展示場のさらに東側にあって、特に常磐線沿線の展示場や常磐線沿線展示場に勤務する者が行くには便利の悪い場所だったのですが、本来、支店長というのは、自分が実際に移動してみて、そういったことを理解して、長い目で見て、支店をスウェーデンハウス(株)のように船橋市に置くとか、小堀住研(株)自体がその後に実施したようですが、総武線沿線と常磐線沿線を分けて松戸市に松戸支店を設けて常磐線沿線は松戸支店の管轄にするとか、そういったことを考える仕事であり、支店を移転させたり新設したりするのは簡単ではないとしても、支店での営業会議というのは、営業が参加しておこなうものですから、渡邊だけの都合に合わせさせて・・というより、営業社員に対しての嫌がらせとしてわざわざ営業の始業時刻よりも1時間早い時刻に実施するのではなく、営業の始業時刻に実施するか、もしくは、移動時刻を考えて、午後1時からおこなうとか、もしくは、5カ所の展示場のうちの総武線沿線3カ所の一番東の千葉幸町展示場よりまだ東にある千葉支店でおこなうのではなく、たとえば、総武線と東武野田線が合わさる駅である船橋駅なり総武線と武蔵野線の合わさる駅である西船橋駅なりの近くで会場を借りておこなうとか、そういったことを考えるのが支店長の仕事のはずでしたが、「底辺の高校卒の痴漢人間」の渡邊士直さんにはそういった仕事を期待するのは無理な話・・・ということは、渡邊士直さんを支店長にならせるのは間違いだ・・ということになります。それにしても、自分は千葉支店のすぐそばに住んで、自分が松戸営業所に行く時には自分の始業時刻の少し前に千葉支店に顔を出して出勤したということにした上で、「勤務時間内」に松戸営業所まで移動して、松戸営業所の従業員には、松戸営業所の営業の始業時刻よりも1時間前に千葉支店まで来いと要求するというのは、それは「どう考えても、ずっこい」と普通の人間は考えるし、普通、そんなやり口する人間、あんまりおらんだろう~お・・・と思うのですが、そのあたりが「底辺の高校卒」のおっさんの特徴なのです。私が支店長になっていたならば、各営業所の従業員が働きやすい条件を整えようと努力するのは当たり前と考えますし、自分が松戸営業所に行く時には、自分の始業時刻より少し前に、いったん、千葉支店に顔を出して「出勤した」ということにして、「勤務時間内」に千葉から松戸まで移動することにして、それでいて、松戸営業所に勤務している従業員には、始業時刻よりも1時間前に千葉支店に来させてやろうというのは、そういう態度は支店長としてもってのほか、支店長というのは、従業員が働きやすい条件を整えるのが仕事であるはずで、従業員を困らせるのが仕事ではないはずと考えます・・・が、「底辺の高校卒」のおっさんの支店長の場合はそういう思考ではなく、「俺は支店長なんじゃ」ということを常に示さないとおれない症候群・・であり、自分が支店長になっている地域の従業員を困らせて、それに服従させるということで、自分が支店長なのだということを示したいという強迫観念のようなものがあったのです。これは「底辺の高校卒のおっさん」を支店長などにならせると、時々、起こる現象です。・・ということは、そういう人を支店長にならせるべきではない、ということです。
松戸営業課の課長だった石井は、学歴としては高卒の人でしたが、中央工学校という建築の専門学校に行って一級建築士の資格を取得していたということで「技術系(4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人)に準ずる」という扱いで入社したようでした。しかし、管理者的能力というものは、本来は社会科学系学部(法学部・経済学部・商学部)卒の者が発揮するべきもので、「技術系(4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人)」というのは、学んできた内容は建築・土木といった技術面に比重があるのですが、4年制大学の場合は、高校までに学んできた一般教養と大学で学んだ一般教養から《「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」に準ずる》と考えていいことにしていたのではないかと思います。しかし、一級建築士の資格を持っているからということで《「技術系(4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人)」に準ずる》ということで入社したとしても、結局、管理者的能力という点においては、<《「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」に準ずる》にさらに準ずる>ということになるのです。石井は「親切で優しい」と千葉支店の従業員から言われていたのですが・・、片方で契約客に「家相と気学の専門家」の所に一緒に行ってもらいたいと言われて行った時にはその「家相と気学の専門家」から「この人には気をつけた方がいいですよ」と言われたこともあったのです。私はその「専門家」から言われた時、特別の意味はないだろうと思いこんだのですが、そうでもなく、さすがに「家相と気学の専門家」だけあって、初対面でもよく人を見ていたなあと今は思います。 「親切で優しい」というのは嘘ではなく、一級建築士の資格を持っていて設計事務所で設計の仕事をしていたこともあるというだけあって建築について他の営業課長よりよく知っているし、自分はやっても人に教えるのを嫌がるような人もいるのですが石井さんの場合は嫌がらずに親切に何でも教えてくれる人で、私も石井さんから教えてもらって身につけたものは相当あるのですが、片方で・・・、自分が松戸営業所の事務所で言っていたことを私が言っていたと他で話したりしていたようです。 たしかに、「この人には気をつけた方がいいですよ」というところがありました。そして、<《「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」に準ずる》にさらに準ずる>だけあって、私ならきっちりと支店長に言うべきものを言わない・言えない人でした。石井は、松戸営業所の事務所で「あの渡邊さんが来てから、毎週毎週、週の初めに千葉支店まで早朝に呼びつけられて、まったく、たまったもんじゃないなあ」とぼやいていたのです。実際、そうなのです。渡邊は、毎週、週の初めに、早朝に早出残業で千葉支店まで呼びつけて嫌がらせをするというのを「支店長の権利」と思っていたらしいのですが、労働基準法と就業規則からそれは違法であり、違法である以上は渡邊は「支店長の業務命令」と言うのですが、違法であるものは「もとより無効」であり、又、渡邊が「支店長の命令」だと言うことで嫌がらせをするのは「業務」とは言い難く、「業務命令」と認められるか疑問です。私は、石井が「あの渡邊さんが来てから、毎週毎週、週の初めに千葉支店まで早朝に呼びつけられて、まったく、たまったもんじゃないなあ」とぼやくので、私は「それ、課長から言ってもらえないですか」と言ったのです。 自分が「まったく、たまったもんじゃないなあ」と言っているのですから、それを課長として、理解できていない支店長に説明するべきであったはずです。
1989年6月まで、7月より東京支店の本社機能の部署に異動した長谷川さんが支店長だった時も、月に2回、始業時刻より1時間早く千葉支店に出社させられて、それも負担だったのですが、それも、業務課長の江間は「法政大学の法学部」出てるときかれもしないのに自分から言う男でしたから、法学部卒だと言うのなら、「労働基準法と就業規則から考えても、1時間の早出残業は違法ですから、せめて、9時からではなく10時からにするか、もしくは、月に2回、昼礼をするということにして午後1時からにしてはどうでしょうか」と言うべきであったはずですが、江間は「法政の法学部」ではなく「放精の呆学部」なのか、単に「大学卒」の肩書を取得するためだけに法学部を出た男であって法学部で何か学んできた人間ではない役立たずでしたから、江間に何か期待するのは期待するだけ無駄だったようです。渡邊が千葉支店に来る前においても、千葉県は総武線沿線と常磐線沿線は同じ県でも別の地域であり、月に2回でも早朝に千葉支店まで呼ばれるのは負担だったのです。私が支店長ならば、赴任すればまずそのあたりを把握して、その上で各営業所の営業課長に意見を聞いた上で、どうすべきか考えます。具体的には、千葉支店に全員が来てもらうのは月に1回でいいことで、それも違法である早出残業で来させるのではなく、昼礼として月に1回だけ午後1時に集まるということでいいでしょう。営業会議は月に2回でいいことで、片方は千葉支店ではなく千葉県の営業所があった、松戸・柏・市川・船橋・千葉の中央部で会場を借りるか、そうでなければ、不公平のないように順繰りに各展示場で実施するようにした方がいいでしょう。そうでなければ、営業会議は月に1回にして、各展示場(営業所)ごとに営業会議を週に1回実施して、支店長が順番にそれに参加するようにすればいいでしょう。なぜ、支店長が展示場に出向かないのか、というと、朝から普段より遠い場所に行くのが嫌だからでしょうけれども、支店長のために仕事があるのではなく仕事のために支店長がいるはずですから、仕事の妨害する支店長ならいる価値はないことになります。こういったことを考えるのが支店長の仕事であって、支店の従業員により負担がかかるようにして従わせることで「支店長の命令」をきかせてやった、ということにするのが支店長の仕事ではないはずです。
YouTube で「ポチパパ チャンネル」という犬の愛護活動をやっている北村さんという人の動画があって、けっこうおもしろく見せてもらっているのですが、犬が飼主の言うことをきくかどうか試したければ、水溜まりの上で「すわれ」と言ってやれば、普通、そんな所で座るのは嫌なものだけれども、飼主に従順になった犬はそんな命令でもきくというのです。又、いったん、与えた「おやつ」を犬が喜んで食べようとした時に、喉の奥まで入った時点で「出せ」と命令すると、飼主の言うことをきくようになっている犬はどんなに苦しくても吐き出すそうです。渡邊が千葉支店の従業員に対してやろうとしたのはそれです。あえて、業務上はマイナスにこそなれ必要のないことで、仕事を遂行する上で負担になるようなことを要求してさせることで「支店長の命令」をきかせた、ということにしたかったのです。なんとも貧困な精神構造ですが、「底辺の高校卒」の人を「◇長」といった役職につけると、そういう人はしばしばこういう行動を取ります。もっとくだけた表現にすると「ちっぽけな野郎だなあ」ということですが、そういう人はいます。私は、その時点ではそこまで読み取れなかったが、渡邊士直さんという人はそういう困った姿勢の人、そういう精神構造の人で、「精神医学」用語で表現すると「このビョーキはそう簡単には治らない」ということになります。
「底辺の高校卒のおっさん」を支店長などにならせると、こういうことをしたがるということがあるようです。いわば、犬に、必要もないのに水溜まりの上で「おすわり」しろと命令したり、喉の奥まで入れた食べ物を苦しい思いをして吐き出せと命令して吐き出させるような、そういうことを命令してさせることで、「支店長の命令」を従業員がきくということを確認したい、というそういう人間だったようです。「一流大学」卒の管理者なら一般にやらないことを、「底辺の高校卒のおっさん」はやります。渡邊さんはそれだったようです。小堀住研(株)は「うちは一部上場ですから」と言っていたのだが、「底辺の高校卒のおっさん」が支店長になれば、「底辺の高校卒のおっさん」が「一部上場企業の支店長」になるかというとそうではなく、小堀住研(株)の支店長というのは「底辺の高校卒のおっさんがつく役職」になっていた。
しかし、従業員というものは犬ではないし、支店長というものは、従業員が業務を遂行しにくくしてそれに従わせるという仕事ではなく、従業員が働きやすい環境を整えることで成果が出るように尽くすのが支店長という役職についた人間の仕事のはずなのです。だから、私は、石井さんに「『千葉県は総武線沿線と常磐線沿線とは実質別の地域で、千葉支店は5つの展示場のうち、総武線沿線の3つの展示場の一番東の展示場よりまだ東側の場所にあって、特に総武線沿線の展示場に勤務している従業員が行くのは大変なのです。又、支店長の就業時間は午前9時からですが、展示場に勤務の営業社員の始業時刻は午前10時からで1時間遅いのです。始業時刻が1時間遅い従業員に、そこまで行くのに相当の労力と時間がかかる場所に普段よりも1時間前に行かせるというのは相当負担がかかることですから、それを、毎週、来させようというのはやめていただけませんか』と課長から言ってもらえませんか」と言ったのです。渡邊さんは他の人間よりも理解力が劣っていますが、そうでない人でも、それまでとは異なる支店に赴任すると、その地域のことが十分に理解できていないという場合があります。ですから、その地域の実状を説明して教えてあげるべきなのです。私が営業課長であったなら言いました。それが営業課長の仕事です。ところが、石井さんはそれを言えない。松戸営業所の事務所内ではしばしばぼやくものの、言うべきことを言えない。それを言えないのでは課長と言えないではありませんか・・と思うのですが、「一級建築士の資格を持っていて設計事務所に勤めて設計の仕事をやっていたこともある」というだけに、そういう経験がない人よりも図面を作成する能力などは優れていて、又、嫌がらずに教えてくれる人ではあったのですが、他方において、「4年制大学の社会科学系学部(法学部・経済学部・商学部)卒の人」であれば、管理者としてそういうことをきっちりと言うのが仕事だと認識するところを、そういった認識が欠落しており、課長ならば、新任の支店長には、その県の事情はこうなんですよときっちりと説明をして、そういうことをしてもらっては困るのですと言わないといけないものを言えない。そのあたりを見ると、建築の技術面については大学は出ていなくても「大卒に準ずる」能力があっても、支店長が黙っていてもそういったことを理解できる人でないならば、課長がそのあたりをきっちりと言うという能力には欠けていた、そのあたりについては「やっぱり、高卒の人かな」という人でした。片方で親切なところもあり、私は石井さんからけっこういろいろと教えてもらって身につけたものがあるので残念ですが、片方で「やっぱり、高卒の人かな」と思わざるをえない部分もありました。
7月1日からの辞令だったはずですが、会社という所においては辞令を受けたらさっさと移動するべきものですが、渡邊士直はそれを7月の下旬になってやっと千葉支店に赴任した。渡邊士直がいつ転勤を聞いたのかわからないが、一般的には、移るのが遅すぎる。
やっと赴任したと思ったら最初にやったことというと、女性社員の尻を何人もの前でなでまわして「男性がさわりたいと思うお尻をしているということは大変いいことだねえ」と発言した、というのも、これも「支店長の業務命令」だとしてそういう行為を働くことで、従業員が「底辺の高校卒の渡邊士直」の言うことに従うということを示したかった、といった意識でもあったか・・というのは考え過ぎか。それは単に品性下劣・社会常識の欠如というものか。「底辺の高校卒」であるとともに、その高校、どんな高校だったんだ、そういう教育をやっている高校か・・という印象を受けますが、それとともに、前職はあまりガラのいい勤め先ではなさそうと思われます。これは、思う方は悪くないのです。思われるようなことをやっている人間に責任があります。クルマ屋か不動産屋お風の店か? あまり、品のいい所には勤めていないはずです。それを考えると、「高級住宅の小堀」として「営業動作の徹底」「同業他社とはマナー の違い」と言う小堀住研(株)とは矛盾します。
最近、駅に「痴漢は犯罪です」と大きく書かれたポスターが出ていますが、電車内で「こそっと」「おずおずと」女性の尻を触る男がいると犯罪で、会社で何人もの人間が見ている前で堂々と「男性がさわりたいと思うお尻をしているということはいいことだねえ」などと言って女性社員の尻をなでまわす「底辺の高校卒の男」がいると、「社内におけるスキンシップ」などと言って擁護する人間が小堀住研(株)には何人もいたのですが、そんな「スキンシップ」はありません。電車中で女性の尻をさわるおっさんは「スキンシップ」をとっているのか? 普通、そうは認められないでしょう。それを小堀住研(株)の社長の中島昭午は渡邊士直に認めようとしていたのです。渡邊士直は、とりあえず、さわりたかったら、そういうお店にでも行った方がいいのではないか。小堀住研(株)では「渡邊さんの場合は信念もってやってる」と言われていたのですが、オウム真理教から殺された横浜弁護士事務所の坂本堤弁護士は死刑に反対の立場だったらしいが、殺害されたことが明らかになった時、横浜法律事務所の同僚の弁護士が「もしも、今、彼と話すことができたら、『坂本くん、きみはこんな目にあわされても、それでも死刑に反対するかい』ときいてみたい」と話していたのが新聞にでていましたが、私は「保安処分」というものについては反対の立場でしたが、渡邊士直さんは「俺は今後も間違いなく絶対に女性社員の尻をなでまわすが、中島社長から許可されてやっとるんじゃあ」と明言したのですが、そういうものを「信念もってやる」人というのは、保安処分の対象として考える必要があるのではないのか? ・・と渡邊士直さんを見ると思えないこともありません。実際、この人は自分でも言っているように、穏便に「治療」しようと思っても困難です。又、そういうものを「許可」する社長というのも、「ほとんどビョーキ」ですね・・・。

保安処分と精神医療 (1980年) - 青木 薫久
渡邊士直は「俺は、会社の女である限り、いつでも、誰でも、好きな時に好きなだけ、尻をなでまわしていいと中島社長から認められとるんじゃ」と明言したのですが、中島昭午にそのようなことを認める権利はなく、逆に、社長には渡邊士直のような習癖・性癖の人間を取り締まる義務があり、中島昭午は社長の義務を果たしていなかったということで、その結果、どうなったかというと、社長の義務を果たしていなかった中島昭午は、会社をつぶし、社長の地位を失った・・・。そうやって社長の地位を失った人を「気の毒」とか言いたがる人がたまにあるようですが、そういう受け取り方は間違いです。 (中島昭午のような)「溺れかけたイヌに手を差し伸べてはならない。むしろ、ぶんなぐって沈めてしまう必要がある」。

企業と人権 (日本労働法学会誌 (78号)) - 日本労働法学会
1990年1月だったか2月だったかにも、締め日直前に、東部営業本部長の増田和二が千葉支店に来るから、翌朝9時までに全員千葉支店に来いと、前日の夜6時過ぎに渡邊士直が電話をしてきたことがあったのですが、私が松戸営業課長であれば、
「営業は、向う1週間くらいの予定を立てて動いているのです。前日の夜、終業時刻を過ぎた時刻に、いきなり、そういうことを言うのはやめていただけませんか。工事課出身の支店長でもこのくらいのことはわかると思いますが、営業課の経験がある支店長なら私が言わなくても普通はわかると思いますが、営業はお客様が最優先であり、営業活動を妨害するのが支店長の仕事ではなく東部営業本部長の仕事でもないはずです。特に、今はどういう時期かというと締め日の直前であり、営業は誰もが大変忙しく働いています。何が何でも明日でないといけないという用事でないのならば、締め日の後に来ていただくようにするべきですし、締め日前に千葉支店に来たいということならば、各展示場に勤務している営業社員や営業課長に来いとは言わないで、東部営業本部長に千葉支店を見ていただいて、支店長がお相手していただけばいいことでしょう。東部営業本部長というのは、日本を東部・中部・西部と3地域に分けて、東の部分についての営業本部長ですから、営業成績が上がるように努力するのが東部営業本部長の仕事のはずで、わざわざ、締め日直前に、それも、前日の夜に突然、電話をして、各展示場の始業時刻よりも1時間前に、各展示場までの通勤時間よりも1時間以上長くかかる場所に来いというのは、それは営業妨害以外の何物でもありませんね。支店長になっている方ならば、当然、このくらいのことは理解できていないといけないはずで、支店長ならば、東部営業本部長に『すいません。せっかくですが、今、締め日直前ですから、来ていただくのは締め日の後にしていただけませんか』と言わないといけませんね。もしくは、締め日直前に何が何でも千葉支店に来たいということならば、千葉支店に普段からいる人だけで応対するようにするべきです。これは営業課長が言わなくても、支店長になっている方ならば理解できて当然のことと思いますが、そうお願いできますか。又、東部営業本部長の普段の勤務場所は東京の新宿で、千葉支店がある千葉まではけっこうかかりますから、もしも、千葉支店に所属の全員と顔合わせをするために来ていただくのなら、午前9時でなくても、もう少し後の時刻に来ていただくようにした方がいいでしょうから、そのように考えていただけますか」
と言います。言うと「怒りよる」かもしれませんが、当たり前のことを言われて怒る方が間違っているのです。それを言えないようでは営業課長としての価値はないことになります。小堀住研(株)に入社する前、大学の4年生であった時に、東京の丸の内にあった中国銀行に会社訪問で行ったことがあり、その際、三井銀行から顧問として来られていたMさんが、御自分も慶應大学卒だということで、中国銀行とは直接関係のない話も聞かせてもらったのですが、Mさんは三井銀行に入行してから、会社としてこうあるべきだ・こうでないといけないはずだと思ったことを口にして嫌われたこともあったそうで、「友人から『おまえ、どうせそんなにたいして高い給料もらっているわけでもないのだから、そんなこと言って嫌われなくたっていいじゃないか』と言われたけれども、私はそうは考えなかった。会社のためを思って、それは違うぞと思ったら言わにゃいかん。『どうせそんなに高い給料もらっているわけでもないのだから』会社のためを思って嫌われるようなこと言って馬鹿見ることないじゃないかと考えるのではなく、『どうせそんなに高い給料もらっているわけでもないのだから』会社のためを思って、それは違うぞと思ったら言わせてもらおうではないか、と私はこう考えた」と言われたのだ。三井銀行は大企業だけあってか、「それで、嫌われもしたし、左遷もされましたよ」と言われたのだが、結局、けっこう昇進されたようで、定年後も、外国の銀行から顧問で来てほしいと言われて行かれていたようだった。Mさんが言われたように、会社員というものは、会社の為を想って、それは違うぞと思ったら言わにゃいかんはずだ。営業課長として言わないといけないことを言えない言わないようでは営業課長としての価値がないことになる。
・・但し、「小堀の課長なんて、普通の会社なら主任か副主任くらいのもんだ」と小堀住研(株)の従業員の間で言われていたし、又、「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人がその賞を受賞しているかでその賞の値打ちが決まる」と述べていたが、小堀住研(株)の場合、どのような人が部長や支店長になっているかという視点で見ると、小堀住研(株)の部長や支店長というのは「主任か副主任くらいのもの」であったと思う。しかも、その実質「主任か副主任くらいのもの」でしかない人が、おのれをふくらませて、「言うことをきく」ようにさせようとして、バブルの役職を保持しているようなケースというのが決して少数派ではないようだった。
入社直後の本社での新卒社員研修に次長の肩書をもらっていた前野和彦が講師役で1コマ話したのだが、この程度の人が「次長」なのか・・と思ったのだが、小堀住研(株)はその程度の人しかいない会社なのか・・と思ったのだが、前野の場合はそういう問題ではなく、太陽神戸銀行から出向で来た人間で、技術系の能力はなく営業の能力もないことから「総務部」の所属として、そして、銀行から出向ということで「横滑り」ではなく、銀行にそのままいた場合の役職よりもジャンプして「次長」になったということだったようだ。銀行から出向で来ていた人というのは取締役の半分・監査役の半分だけかと思ったらそうではなく、それより下にも「総務」などに銀行での役職よりジャンプした役職をつけてもらって在籍していた男というのが複数いたようだった。
入社式の直後の立食パーティーで、太陽神戸銀行から出向で来た常務取締役で来るなり西郡営業本部長になった大野が「小堀住研は無借金経営です。銀行から人が来ているのは人材が不足しているから来ているのであって、借金があるから来ているのではないんです」と私に言ったのだが、「ほんとかあ~あ?」と思ったものだった。1人くらいならともかく、取締役の半分・監査役の半分が銀行から来ている人間というのは、やっぱり、銀行に対して何かあると考えるのが一般的ではないか。「人材が不足しているから来ているんです」と言われても、それまで銀行にしか勤めてきていない人間が住宅建築業の会社にやってきて、いきなり、東部営業本部長などになってやっていけるのか? ・・・というと、実際はどうかというと、富士銀行からやってきていきなり東部営業本部長になり、「また、銀行から何もわかってないやつが来たか」と従業員に言われ、「東部営業本部長、アタマ、ぼけてる」と言われていた増田和二は(断っておくが、私が「言った」のではなく、私は「聞いた」のである)、締め日直前に、前日の夜にいきなり展示場の事務所に電話を入れて、千葉支店まで営業社員の始業時刻よりも1時間前に普段の通勤時間よりも1時間以上長くかかる場所に来いと言うなどして営業妨害やったのである。増田和二は富士銀行で2年ほどどこかの支店の支店長をちょろっとやった経験がある男だったようだが、富士銀行でもそんなことをやっていたのか? 富士銀行の上役は支店長がそんなことをやっているのを認めていたのか? 中国銀行に会社訪問で行った時には、Mさんから、「銀行というのは、どれだけ契約をあげたか、どれだけ、口座を作ってもらったかというのを、締め日前なんかは上から厳しく言われる所で、特に、支店長なんてのは、のどから手が出るくらいに欲しいものですよ」と言われたものだが、小堀住研(株)では、千葉支店に締め日直前に営業妨害しに早朝に来ると言い出した増田和二という男は『有価証券報告書』を見ると、富士銀行でどこやらの支店の支店長を2年ほどやったということになっていたのだが、その経歴は嘘かあ??? それとも、富士銀行では契約をあげること・口座を作ってもらうことは大事だと考えていたが、小堀住研(株)の契約なんてどうでもいいと考えていた、ということかあ??? そうでなかったら、締め日直前に、前日の夜に突然電話をして、翌日の早朝に、展示場勤務の営業に始業時刻よりも1時間前に、普段の勤務場所よりも1時間以上長くかかる場所に来いというようなことは言わないはずだ。『有価証券報告書』に掲載されていた経歴というのは詐称だったのかあ??? 富士銀行は小堀住研(株)をつぶすための人材を送り込んでいた、ということなのか???
さくら銀行〔(太陽+神戸)+三井〕+住友(平和相銀含) が合併して三井住友銀行になった時、週刊誌に載っていた話だが、さくら銀行の行員が「うちの頭取は何を考えてるんだ」と怒っていたそうで、さくら銀行(太陽神戸+三井)と住友銀行が合併して従業員を3分の2に減らす・・・ということは、さくら銀行の行員を半分辞めさせるということか・・と 。それに対し、「いや、そうではありません。どちらの人に残ってもらうということではなく、優秀な人に残ってもらいます」と経営者は言うのだが、同じことだろうが、さくら銀行の行員と住友銀行の行員なら住友銀行の行員の方が優秀なのは間違いないのだから、「優秀な人に残ってもらう」ということは、結局、さくら銀行の行員を半分クビにするということになるだろうが・・という話だった。そして、合併後、元さくら銀行の行員と元住友銀行の行員が一緒に会議をしたりすると、元住友銀行の行員から「よう、そんなことで商売やってはりまんなあ」という言葉がでた・・・ということだった。富士銀行(現 みずほ銀行)から出向で来て住宅建築偉業の経験などまったくなく、大学も東北大の法学部卒の増田和二がいきなり東部営業本部長になったが、慶應大経済学部卒で三井銀行に勤めてきたMさんなら「銀行というのは、どれだけ契約をあげたか、どれだけ、口座を作ってもらったかというのを、締め日前なんかは上から厳しく言われる所で、特に、支店長なんてのは、のどから手が出るくらいに欲しいものですよ」と考えるものを、富士銀行(現 みずほ銀行)から来ていた増田和二は、↑ のようなことをやった、まるで「契約なんか要りません」と言っているようなことをやったのである。「よう、そんなことで商売やってはりまんなあ」と富士銀行(現 みずほ銀行)に言ってやるべきかもしれない。 ・・実際、その頃も、富士銀行は「何かといばっている」「何かと待たせる」など他の銀行に比べて一般顧客の評判は悪かった・・が、それにしても、締め日直前に ↑ のようなことを富士銀行ではやっているのか? 富士銀行はそういうことをする人させる人を支店長にならせているのか? ・・もし、そうなら、まさに「よう、そんなことで商売やってはりまんなあ」・・という感じがする。
「石井さんは営業課長ですよね。営業課長ならば、『今、締め日直前であり、営業社員は誰もが必死で働いています。締め日直前に、前日の夜に電話をして、いきなり、翌日の早朝に始業時刻よりも1時間前に千葉支店まで来いというのは非常識です。支店長から東部営業本部長に、《営業社員全員と顔合わせをしたいということならば、締め日の後にしてください、何が何でも締め日前に来たいということならば、千葉支店に普段からいる人間だけとの顔合わせにしてください》と言って下さい』と言っていただけませんか」と言いたいところでしたし、本来は石井は私からそう言われなくても、「今、締め日直前であり、営業社員は誰もが必死で働いています。締め日直前に、前日の夜に電話をして、いきなり、翌日の早朝に始業時刻よりも1時間前に千葉支店まで来いというのは非常識です。支店長から東部営業本部長に、『営業社員全員と顔合わせをしたいということならば、締め日の後にしてください、何が何でも締め日前に来たいということならば、千葉支店に普段からいる人間だけとの顔合わせにしてください』と言って下さい」と言うべきものであったはずですが、この人に言ってもだめだ、と思い、石井には言わず、翌日、増田さんに私が直接言うことにしましたが、私が言おうとすると、渡邊士直が「ごらあ。おまえ、黙れえ! ごらあ!」と言ってつかみかかってきた。渡邊の行為は暴行罪に該当しますが、さらに、渡邊は「石井~。石井~。こいつをやめさせろお」と叫び、石井は私が礼儀をつくして増田に話をしているのを実力行使で妨害したのです。本来、営業課長として自分が言わないといけないことを、技術系の部分の能力は「大卒に準ずる」能力があっても、社会科学系学部卒の人間の能力、課長としての能力については「高卒の人」でしかない石井に代わって私が増田に話をしようとしているのに、暴力でそれを妨害するというのはもってのほかですが、そのあたりも、「高卒の人」の限界か・・という感じがしました。
富士銀行から出向できて、住宅建築業について何かわかっているわけでもないのに、いきなり、東部営業本部長になった増田和二は『役員四季報』や『有価証券報告書』によると東北大法学部卒だということだが、東北大というのは旧帝大だということで東大・京大・阪大の仲間だと思っている人がいるが、元福島県民にして仙台などに行ったこともある者として言わせてもらうと、旧帝大というのは嘘ではないとしても、むしろ、東北大は福島大・山形大・岩手大の仲間・・という性質の方が強いと思う。実際には両方の性質があるかと思うが、増田和二など見ると、東大・京大・阪大の仲間ではなく、福島大・山形大・岩手大の仲間の方だろうなあ・・という感じがする・・というのか、↑ に述べたようなことなんて、福島大・山形大卒の人間でも、普通、そんなことやらんぞお!!! ・・と思う。 慶應大学であるサークルにいた時、宮城県出身の男と福島県出身の女が、2人会うと東北大のことを「まったく、東北のいなかもんは、東北大みたいな落ちこぼれの行く大学をいいみたいに思ってからに、バカじゃないのお」と2人で言い合っていたが、たしかに、増田和二など見ると東北大なんて国立大学と言えるのか・・という感じがする。慶應の先生で、講義の中で言われた話だが、ある会社の東北大卒の人から、「もっと慶應大学の人に来てもらいたい」と言われ、「慶應大学の人は優秀ですから」と言われたので、「いや、東北大などの国立大の人も優秀でしょう」と言うと、「いや、人にもよるのですが、大学に入る時点までで燃え尽きた伸び切ったパンツのゴムみたいな人もいるんです」と言われたそうだ。増田和二など見ると、たしかに、「伸びきったパンツのゴム」なのかもしれないし、国立大の中ではたいして難関でもない、特に増田和二の年代においては入りやすい大学だったはずの東北大に合格した時点で「燃え尽きた」という男だったのかもしれない。さらに言えば、1970年代後半、大阪府のY予備校で、講師で京都の私立大学の教授だという方が「私らの年代の人間で、『最近の若い者は』とか言うやつがいますけれども、そんなの気にする必要ないですからね。私は東大の文学部を卒業したんですけれども、私らの時代は法科万能主義と言って、国立大学でも難しいのは法学部で、文学部で試験で落ちる人間がいたのは東大と京大だけで他は落ちる人間なんていなかったんですよ。法学部にしても、東大・京大あたりは難しかったけれども、東北大なんて誰でも通ったんですよ」と言われたことがあったが、そういう時代の東北大卒の男だったようだ。大学の合格者発表の頃、「サンデー毎日」が旧帝大(北海道大・東北大・東大・名古屋大・京大・阪大・九州大)と東京工大・一橋大・神戸大で「十大国立大学」として、「十大国立大学」の合格者数とか書いていたが、増田和二なんか見ると、東北大なんてのを「十大国立大学」に入れるのは適切ではないだろう・・という気持になる。関西人としては、東北大は除外して、かわりに大阪市大あたりでも入れるとかした方がふさわしいように思う。いずれにしても、入社式直後の立食パーティーの際、太陽神戸銀行から出向で来て常務取締役・西部営業本部長になった大野が「銀行に借金があるから来ているんじゃないんです。人材が不足しているから来ているんです」と発言したのだが、もしも、そうだとすると、富士銀行(現 みずほ銀行)から来て常務取締役・東部営業本部長にならせてもらっていた増田和二の行動はあまりにもお粗末( 一一) 仕事の邪魔・営業妨害するために銀行から来ていたとしか言いようがない! 私より高い給料を盗っていたはずだが、給料泥棒もいいところであった。
小堀住研(株)というのは、1990年前後頃、取締役の半分・監査役の半分だけかと思ったらそうではなく、それより下の人間でも、そのまま銀行にいたらヒラで十分くらいの人間が「次長」とかにジャンプして来ていたわけで、その銀行で「こんなやつ、うちでは要らんなあ」と思われた人間がゴミ箱のように小堀住研(株)にほうりこまれてきていたのだった。「ゴミ箱とはなんだ」と怒るのは筋違い(すじちがい。「すじかい」ではなく「すじちがい」)である。実際、ゴミ箱じゃないか。↑ のようなことをやって営業妨害やっている人間をゴミと言って何か悪いか? ゴミと言われて文句言えるのか? ・・百歩譲って、中には、ゴミではなく「ちょっとはマシ」な人間もいたとしても、それはあくまでも銀行の人間として「ちょっとはマシ」ということであって住宅建築業の会社で「ちょっとはマシ」ではない。 又、「ちょっとはマシ」な人間にしても、その人間の忠誠心は銀行の方をむいていて小堀住研(株)の方を向いていない。 なにより、小堀住研(株)に最初から入った人間よりも、銀行から出向で行った方が上の役職につかえてもらえて得♪・・・という状態になっていたというのは、最初から小堀住研(株)に入った人間としてはおもしろくない状態であったはずである。・・各銀行が自分の所では要らない人間を送り込んでゴミ箱みたいにされていたというその状態自体、小堀住研(株)は、すでに、「おまえは、すでに、死んでいる」という状態だった・・・のかもしれない。・・で、実際、その後、それほど経たないうちに小堀住研(株)の会社名から「小堀」を取り除いたエスバイエル(株)は・・⇒つぶれた。
元銀行といっても、20代で銀行に就職したが肌が合わないなどで転職したという人がいるのは別にいいが、そうではなく、銀行から出向で来ている人が取締役の半分・監査役の半分にも達しているという会社は、それより下は関係ないかと思うとそうではなく、それより下にも銀行から出向で来ている人がいる可能性があり、特に「総務」は、「一族」の人間で「技術系の能力はなく、営業としては使い物にならないから総務」という総務がいるのと同様、「技術系の能力はなく、営業の能力もないから総務」であって総務の能力があるから総務ではない人であり、そういう人は「一族」と一緒、「社長のメカケ」と一緒で「特別扱い社員」であり、最初からその会社に入社した人間より優遇される特権階級従業員であり、かつ、それらの特権階級従業員というのは、その会社に尽力・貢献したからその役職に就かせてもらったわけでもなく、銀行にしても、銀行が「人材」が余っているわけでもないはずであり、その銀行で必要な人は自分の所に置いておくはずであり、自分の所では要らない人間を送り込んだ「ゴミ箱」の状態にされた会社というのは、その時点で、すでに「おまえはすでに死んでいる」状態の可能性がある。最初からその会社に入社した人間が努力して苦労して尽くしても報われない、銀行の人捨て場、銀行のゴミ箱の会社の可能性がある。ひとつの目安として、取締役の半分・監査役の半分が銀行出身というのは、「すでに、レッドゾーン」と考えるべきなのかもしれない。
※ 《 [Fist of the North Star] お前はもう死んでいる (You are already dead)》https://www.youtube.com/watch?v=-kPII561-GY
小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」のはずで、採用実績校は東大・京大以外の「十大国立大学」、地方国立大学、関関同立、関関同立のすぐ下くらいの私立大学・・という会社のはずだったのですが、そのわりに入社してみると、高卒の人がいて、「大卒」の人といっても、東大・京大以外の「十大国立大学」、地方国立大学、関関同立、関関同立のすぐ下くらいの私立大学・・ではなく、それよりずうっと下の大学卒の人だらけ・・・というのは、この会社、いったいどうなってるんだあ? と首を傾げさせられることだらけでした。千葉支店の設計課長の乾(いぬい)さんは、乾さんに作成してもらった図面は、大変よくできていて、たいしたものだなあと「感動した」し、設計としてのお客さんとの応対もいいと思ったし、どこやらの設計事務所の若造みたいに実力もないのにカッコばかりつけるというようなことはなかったし、「設計士さまヅラ」してやろうというような態度もなかったし、住宅建築業の設計と営業の関係について乾さんが言うことももっともだと思ったが、出身大学はというと、東海大学の工学部建築学科だ・・というので、え? 東海大卒の人が設計課長なのお~お? ・・と驚いた。 小堀住研(株)の設計課長というと、少なくとも国立大学か早稲田大の建築学科卒くらいの人がなっているものかと思っていたら、東海大学卒の人が設計課長なの??? 石井が言うには、小堀住研(株)が在来木造から木質パネル構法にシフトした時に、一級建築士の資格を持っていたような人が大量に辞めたということがあった、というのだが、それにしても・・・という感じだった。我が家が1960年代に小堀住研(株)で在来木造の家を建てた時、営業担当者は新人で関西大法学部卒だったが、課長が同行してきていて、課長は神戸大卒だった・・ということだったが、そういう人って、いったいどこに消えたんだあ??? ・・・ひとつの可能性として、世の中には学歴詐称する人なんてゴマンとおり、「神戸の大学」を神戸大学みたいなニュアンスで言う人、「京都の大学」を京都大学みたいなニュアンスで言う人というのもけっこういるのだけれども、うちの親というのは、そういうのを信じやすい人間で、特に父親は、普通、会社員を何年かやれば、学歴詐称する人間なんていっぱいいるということを学ぶはずだと思うのだが、ちっとも学んでいない男だったから、だから、実際は違う話を信じ込んでいたという可能性はある。しかし、それならそれで、会社案内だったかに、採用実績校として、東大・京大以外の「十大国立大学」、地方国立大学、関関同立、関関同立のすぐ下くらいの私立大学・・のように書いてあったはずなのだが、あれは何なのだ??? 「大卒しか採らない会社」と言っても社長の学歴は「長浜北高校卒」と『役員四季報』にも『有価証券報告書』にも書かれていたので、「初代の甥っ子」ということになっていた「社長は特別」なのだろうと思っていたのだが、それ以外にも高卒の人間がいっぱいいるというのは、どういうことなんだ? しかも、その高卒の人間がでかいツラしているというのはどういうことなんだ??? 「いやあ~あ、ほんとに外面ばっかりいい会社だなあ」・・とある従業員がつぶやいたことがあったのだが、これはどこの会社でも「内輪を見れば骨がある」ところはあるとしても、この会社、いったい何なんだ・・・と思っていたら、東京支店自由が丘営業課の営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎にいたっては、東京電機大卒だというので、はあ? 小堀住研(株)てそんな大学卒の人を採用してたのお~お??? と思った。
小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」で「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というのが応募条件であったはずで、採用実績校は東大・京大以外の「十大国立大学」から1つ・地方国立大学から1つ・関関同立から1つだったか2つだったか・関関同立のすぐ下とされる甲南大・・が記載されていた会社だったはずで、なんで、こういう支店長に適性のない人が支店長になっていたのか・・・。もしも、それでも、彼を支店長にならせるのであれば、会社として、ここで述べたような行為を渡邊がやらないように配慮しないといけないはずだったのです。ひとつには、各支店に業務課長という男性が1人配属されていたのですが、業務課長というのは本社ならば人事・総務・経理に該当するものを各支店でおこなうのが業務課でその課長のはずであり、支店長には、「営業系(営業・人事・総務・経理・)」で入社して営業の職種で勤務して営業課長から支店長になる人と、「技術系(設計・工事・工務・アフターサービス)」で入社して設計課長・工事課長・工務課長などから支店長になる人がいて、「営業系」からなる人は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であるはずで、支店を運営するための学問を大学で学んできた人のはずでしたから、労働基準法はどうなっているかとか、労務管理論や労働経済学などそういったことを学んできた人のはずですが、「技術系」の人は「4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人」というのが応募条件でしたので、建築・土木については学んできていても、労働法・会社法や労務管理論・労働経済学などは学んでいないという人もいるわけで、そのために、業務課長として「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」が配属されていたはずだったのですが、ところが、1989年6月まで千葉支店の業務課長だった江間という男は法政大学の法学部卒だと自分で言っていたのですが、「こんな法学部あるかあ」て男だった。YouTubeで見ていたところ、玉置通夫というスポーツ評論家が、かつて、南海ホークスの監督だった鶴岡が、「大学卒」の野球選手に「おまえ、大卒て本当かあ」とか言い、なんで、この人、こんなこと言うのだろうと思ったら、野球選手には「大卒」の野球選手と高卒の野球選手がいたが、高卒の野球選手が「大卒」の選手に気後れしないようにと思って、野球選手で「大卒」なんてたいしたことないんだから引け目感じることないんだぞと言いたかったらしいと思ったそうで、それで、鶴岡監督に「それなら、監督は何学部でてられるんですか」ときくと、「俺は法政の経済学部だ」と言うので、「ええ~え。嘘でしょう。野球学部と違うんですかあ」と言うと、「いや、経済学部だよ」と言っていたという話を視聴したが〔 《 スポーツ講座「南海ホークス蔭山監督の急死」玉置通夫さん2016年12月8日》https://www.youtube.com/watch?v=KYJvzcYqEr0 〕、江間にも言ってやった方が良かったのではないかと思っている。「おまえ、法政の法学部出たなんて言ってるが、実際は呆学部だろう」と。「営業の始業時刻は午前10時からなんですから、千葉支店に来させる場合に午前9時に来させたのでは労基法と就業規則に違反しますから、せめて、午前10時からにするか、そうでなければ午後1時からにするかした方がいいと思います」と言うのが業務課長の仕事のはずです。私は、もともと、会社という所に勤めたならば人事総務関係の仕事につきたいと考えていた人間でしたが、もしも、私が、各支店における人事・総務・経理に該当する業務課の課長になっていたならば、私は支店長になっていた人にそれをきっちりと言ったでしょう。言われて喜ぶ人と怒る人があるかもしれませんが、たとえ怒る人があっても、それを言わないなら業務課長の価値がないことになります。、職務怠慢なのか無能なのか、両方なのか、江間も7月から業務課長になった越智も、業務課長としての仕事をしなかった。私が1990年4月に東京支店自由が丘営業所に転勤した時も、3月31日に言って4月1日から赴任してくれと言うので、「居住地を変更しないと通勤できない場所への転勤を、きょう言って明日から赴任してくれというのはおかしいでしょ」と言ったのだが、千葉支店業務課長の越智も東京支店業務課長の江間も何ら対処しなかった。そんなおかしな「法学部」があるか!?! と思うのだが、江間が法政大学法学部卒だというのは誰から聞いたかというと、江間がきかれもしないのに自分から言ったのだが、法学部卒なら、法学士ならば、「居住地を変わらないと通勤できない場所への転勤をきょう言って明日から赴任しろというのは不当であり、人権侵害である」ということくらいは、理解できていないといけないはずであり、又、渡邊士直は1989年7月1日からという辞令を受けておきながら、千葉支店に赴任したのは7月下旬になってからだったということは越智も江間も良く知っていたはずであり、会社というものは従業員に公平でないといけないはずであり、私に対する不当な転勤のさせかた、民法上、「信義則違反」に該当するが、人権侵害の転勤のさせ方に何ら対処しようとしない越智および江間という男は業務課長として値打ちはないと判断せざるをえない。 もし、そうでないと言いたいのなら、どう違うというのか、ぜひとも説明してもらいたいものである。
又、渡邊士直は、営業課に会社から支給された手当を渡邊が使用するということもおこなった。渡邊は「なんでいかんのじゃあ」とか言えばそれで通じると思っていたようだが、各営業課に支給された手当は各営業課に渡さないといけないもので、それを支店長が使ったのでは横領である。この程度のことも理解できないような人がなっていた小堀住研(株)の支店長というのは「普通の会社ならせいぜい主任か副主任」だった。
又、渡邊士直は「売上を伸ばす方法がある」と言って、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」の「大安売り」みたいなチラシを新聞折込で入れたのだが、私は松戸営業課の課長の石井に、こういうチラシはおかしいのではないか、こういうチラシを入れたのでは、その時、「ハウス55」の売上がいくらか出るということがあっても、長い目で見ると、「安物の会社」というイメージが広まるのとともに、「ハウス55」というのは、あくまでも「高品質低価格」の商品であって「ともかく安い」というタイプの商品ではないのに、「ともかく安い」というイメージを広めたのでは、むしろ、今後のことを考えると、売りにくくなるということが考えられないか、(「底辺の高校卒」の)渡邊さんなんかが判断してやっていいことではないのではないか・・と話したのだが、石井は「東部営業本部に許可を得てやってるんだから」と言うのだったが、その「東部営業本部」て誰なんだというと、東部営業本部長というのは、富士銀行から1年前に出向で来たばかりの増田和二で、出身大学は東北大の法学部であり、私がここで述べたようなことは、学部としては商学部・経営学部で扱う問題であるが増田和二は法学部卒で、私は大学を卒業するまで法学部と経済学部・商学部・経営学部というのはそれほど違わないものかと思っていたのだけれども、実際に会社という所に勤めてみるとそうではなく、法学部と「経済学部・商学部・経営学部」の違いは相当大きい、又、私の場合は結果として「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」のような商学士として卒業したが、会社という所に勤めてみると、会社という所においては、案外、「純粋法学部」や「純粋経済学部」「純粋商学部」よりも「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」の方がいいのではないか、と思えるものを感じた。それでなのか、慶應大学では「学部を横断した新学部を作ろう」ということで藤沢に新しい学部を2つ作ったようだが、藤沢の2つがどうかはよくわからないが、会社という所に勤める場合においては、案外、「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」というのは悪くないのかもしれないと思っている。その商品はどういうコンセプトの商品なのか、その商品はどういう層に売れるものなのか・・といったことを考えるのは「商学部的発想」であり、法学部卒の人でもそういう感覚をある程度身に着けている人も中にはいるかもしれないが、「銀行にずっといたような人」の場合はそういう感覚・思考がない人の方が多いように見受けられるし、増田和二にはそういうものは最初からないし、そういうものを身に着けようという姿勢などまったくないし、そういうものを身に着けようとするには頭が老化しすぎていた。増田和二は、これまで勤めてきた会社というと銀行であって、銀行でどこやらの支店の支店長を2年ほどやっただけという人が許可したといっても、それは、あくまでも、「自分が無視されなかったかどうか」を見ただけであって、私のように、こういうチラシを入れると、その時の売上にプラスになるかどうかとともに、ある程度、長い目で見て、その会社と商品のイメージがどうなるか・・といったことを考えて、それは入れていいチラシなのか好ましくないのか、入れてもいいがそのままではなく多少変更したものにするべきなのか・・といったことを考えた上で「許可した」のではないのです。 「自分が無視されなかったかどうか」だけしか見ていない、銀行から出向で「二度のお勤め」で来た人が許可したからといって、石井はそれで「問題ないんだ」と言うのだが、大いに問題はあるはず で、それこそ、私が言うことは無視することができたとしても、お客さんがどう受け取るかは無視するわけにはいかないはずであり、それを無視するとどうなるかというと、その結果・・・「小堀住研(株)→エスバイエル(株)」は・・⇒つぶれた。



( ↑ 雁屋哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ(おいしんぼ)』「ラーメン戦争<8>」
『美味しんぼ(おいしんぼ) [情熱のラーメン編]』1999.8.6.小学館 My First BIG 所収。)

美味しんぼ 情熱のラーメン編 (My First Big) - 雁屋 哲, 花咲 アキラ
渡邊は、「大安売り」みたいなチラシを新聞折込で入れると売れるという観念を持っていたようですが、一回ならば、「小堀ハウス55」という「高品質低価格」として評価されている商品がその期間だけ普段より安く買えるということで、その期間の売上が上がることは期待できたとしても、
(1)「高級住宅志向」の「新 桂」と「高品質低価格」の「ハウス55」の2本立てになっていた会社で「高品質低価格」タイプのみの広告を入れるとそのイメージが広まり「高級住宅志向」の「新 桂」の客層を失うことになる。
(2)「大安売り」チラシは、「安物ですよお」アピールチラシでもあり、あくまでも「高品質低価格」タイプの商品であって「ともかく安い」というタイプの商品ではない「ハウス55」を「ともかく安い」タイプの商品のようにアピールすると、結局、これまでよりも安い価格帯の客層を相手にしないといけないことになり、安い価格でしか売れなくなってしまう。「高品質低価格」タイプの「ハウス55」も、これまでの客層を失い、これまでより安い客層が「ハウス55」の客層になってしまう。
住宅建築業は景気の動向の影響を受けにくい業界と言われてきたが、景気が良くなったり悪くなったりしている状況ならば、景気のいい時期は金利があがり、景気が悪くなると金利が下がることで住宅を建てる人の量は大きく変わらないことになると言われていたが、景気回復のためといって住宅金融公庫などの金利を下げるという政策を続けた結果、逆に「需要の先食い」をしたようになってしまい、長期的に低迷することになった、と言われるが、それと似たところがあって、「大安売り」といったチラシは1回だけならば、それまでのその会社のその商品のイメージをもとに「割安」で買えるという期待からの見込客を得ることができても、何度もおこなうと、「割安」ではなく「安物」イメージが定着することになり、本来のその商品の価格より安い価格帯の客層がその商品の客層になってしまい、それが原因で売れにくくなる、売りにくくなる、ということが考えられる。実際、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)はそうなったのではないか。
慶應大学の商学部卒の者というのは、こういったことを考えるための人材であったはずで、その点において「底辺の高校卒の痴漢人間」と同じ扱いにされる理由はないはずだった。(こういった思考が完全に欠落している人間がなんで支店長だの東部営業本部長だのになってるんだ? ・・と思ったのだが、そういう会社だった・・から⇒つぶれた・・) 私は松戸営業課長の石井さんに、このチラシ入れはおかしいと言ったのだが、石井さんは「東部営業本部長(の増田和二)の許可を得ているから問題ない」と言うのだったが、そのあたりは「やっぱり、高卒の人だなあ」という感じだった。自分の顔を立ててくれたかどうかしか見ていない銀行から来て2年目の認知症と違うのかという感じのじいさんが許可したとしてもだめです。その人は自分の顔を立ててくれたかどうかしか見ていないし、それだけの能しかない人なのですから。小堀住研(株)には私がここで述べたようなことを考える人間はいなかったのか・・というと、いなかったようで、その時の契約をあげるためだけの「安売り」チラシを入れることの弊害など考える人間がいない会社はどうなったか・・・というと、⇒つぶれた・・( 一一)( 一一)( 一一)

レビットのマーケティング思考法―本質・戦略・実践 - セオドア レビット, Levitt,Theodore, 坤, 土岐, DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部
花登筺『銭の花』のテレビ『細うで繁盛記』で加代の祖母で高級料亭「南地楼」を築いた ゆう が「加代ちゃんなあ、店の格というのは上げるのは大変やけど、下がる時は簡単に下がるもんだすでえ」と語る場面があったが、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)は、渡邊の「安売りチラシ」に続き、それまでやらなかった「胡散臭い不動産屋」と提携しての建売およびそれの「大安売り」チラシ、さらには社長の中島昭午が財界誌などに出て「最低価格帯のカテゴリーキラーをめざす」と発言するなどあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくることでせっかく何年もかけて築いた「高級住宅の小堀」のイメージとその客層「小堀ファン」を容赦なくドブに捨てて安物イメージを広め・・・そしてどうなったかというと・・⇒つぶれた・・アホや・・( 一一)( 一一)( 一一)
※ 《YouTube-銭の花 細うで繁盛記 旅館山水館》https://www.youtube.com/watch?v=jlipoy1IH4U&pp=QAA%3D
慶應大学の商学部の先生で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の卒業生ばかりという会社に勤めると、なかなか経験を積む場もなく実力を発揮する場がないのに対して、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身の人間がほとんどいないという会社に勤めた方が経験を積む場もあれば実力を発揮する場もあってかえっていいところがあると言われる方があり、その話をうちの父親にしたところ、「その通りや。うちの会社なんかでも、東大・京大や慶応・早稲田なんかの出身の人間がもしも入社したら、社内で競争なんか何もあれへん。競争するなら他の会社の人間と競争してくれ、というものや」と言うのだった・・・が、しかし、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりという会社に勤めて競争して競争に勝てばいいし、競争に負けたとしてもそれはしかたがないとして、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者なんていないというような会社に勤めて、そういう所に勤めた方が実力を発揮する場があっていい・・なんて思って、それで、高卒や五流大学卒の人間との競争に負けたのでは元も子もないわけで、競争であるからには絶対に勝つという保証はないのではないか・・と思い、それをうちの父親に話したのだが、うちの父親は「そんなもの、東大・京大や慶応・早稲田の出身の人間が、高卒や五流大学卒のやつなんかと競争して負けるなどということは、天地がひっくり返っても絶対にありえないことだ」と言うのだった・・・が、もしも、ひっくり返ったらどないしてくれんねん・・とも思ったものだった・・・が、小堀住研(株)に勤めてその理屈がわかった。
「こういうチラシを入れると、その時の売上にプラスになるかどうかだけを考えるのではなく、ある程度以上、長い目で見て、その会社と商品のイメージにどういう影響を与えるか・・といったことを考えて、それは入れていいチラシなのか好ましくないのか、入れてもいいがそのままではなく多少変更したものにするべきなのか・・といったことを考えた上で判断する人間」同士での競争ならば、その競争に勝つこともあれば負けることもある。しかし、私のように、そういったことを考える人間、「4年制大学の経済学部・商学部卒の人」ならばそういうことを考えるのが仕事であると認識している者と、渡邊士直のようにそんなこと考える意志など最初からない人間や増田和二のように自分の顔を立ててくれたかどうかしか考えない人間との競争であれば、「競争にならない」。本来、支店長というのは、こういったことを考える能力のある人が支店長になるべきもので、渡邊士直さんのような問題外の人がなる仕事とは違うはずですが、それでも、小堀住研(株)ではそういう人でなっている人がいたわけですから、それならば、その上の東部営業本部長にそういった判断能力のある人を配置しないといけないはうですが、ところが、富士銀行のどこやらの支店の支店長を2年ほどやっただけという人で銀行から出向できた隠居爺さんみたいな人、住宅建築業については何もわかっていない人を東部営業本部長にならせて、あくまで、「自分の顔を立ててくれたかどうか」ということだけをチェックして「許可」している。そんなことでは、うまくいかんだろう。そんなことでは、悪くするとそのうち会社はつぶれるぞお~お・・・と思うと・・⇒思いのほか、さっさとつぶれた・・( 一一)
「こういうチラシを入れると、その時の売上にプラスになるかどうかということだけではなく、ある程度以上、長い目で見て、その会社と商品のイメージがどうなるか、それが会社と商品のイメージにどういう影響を与えることになるか・・といったことを考えて、それは入れていいチラシなのか好ましくないのか、入れてもいいがそのままではなく多少変更したものにするべきなのか・・といったことを考えた上で判断する人間」とまったくそういう思考がない人間とでは、長い目で見るならば、量的な違いではなく質的な違いがある。たしかに、競争も何も「勝負にならん」ということがよくわかった。但し、「競争も何も勝負にならん」のだが、あまり下の会社に行くと、それ以外の問題があって、「あまり下の会社に行くとかえって良くない」ということがあるということも知った。小堀住研(株)というのは「そう下の方ではない会社」と私は思いこんでいたのだったが、その認識は正しくなかったのかもしれない。
「松下幸之助は自分は小学校しか出ていない人間だったが、一流大学卒の従業員を使った」と称賛されるのだが、そんなことは当たり前のことと違うのか・・・と私は大学卒業までは思っていたのだった。又、田中角栄は最初に大臣になった時、「私は小学校しか出ていない人間ですが皆さんは優秀な大学を卒業されて入庁された方たちであり、私は皆さんを尊敬しております」と挨拶して就任した官庁の職員を持ち上げ、国家公務員キャリア出身の大臣よりも歓迎されたという話を読んだことがあるが(そういった「松下幸之助のお話」とか「田中角栄のお話」とかいうのが、いったいどこまで本当のことなのかはよくわからないが)、自分が小学校しか出ていなくても、「一流大学」卒の人間を使うというのは、その立場になれば当たり前のことではないかと思ったのだが、ところが、実際に会社という所に勤めてみると、自分が高卒だったり中卒だったりするおっさんというのは、「一流大学」卒の人間というのを「活かしてたまるか」という信念もっていたり、そうでなくても、もとより、その人には使えなかったり・・ということが多い。 イタリア映画『昨日・今日・明日』で、ツバメがロースルロイスをぶつけて故障させてしまった女が、通りがかりの男に「ロールスロイスってだめなクルマなのでしょうか」と言うと、「そうではありません。乗り手の使い方によりますよ」と言うという場面があった。 「松下幸之助は自分は小学校しか出ていない人間だったが、一流大学卒の従業員を使った」というのは、当たり前ではなかったのだ。高卒中卒のおっさんが経営者の会社では、高卒中卒くらいの人の方がその会社には合うという場合もあるようなのだ。小堀住研(株)に応募・入社する際、社長の中島昭午は高卒だということは『会社四季報』『役員四季報』や『有価証券報告書』を見て知っていたが、パナソニックで松下幸之助が小学校しか出ていなくてもそれは「社長は特別」というのと同じく、小堀住研(株)で社長が高卒であっても「社長は特別」なのだろうと思いこんでいたのだったが、しかし、どうも違ったようだ。 小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」と言いまくってきたのだが、初代の小堀林衛という人は自分は高卒でも大卒の人間を使おうという姿勢があったのかもしれない。しかし、2代目の中島昭午になると、むしろ、「底辺の高校卒の痴漢人間」の渡邊士直などの方が中島にはよかったのかもしれない。初代は大学卒の人間を使おうとしたのかもしれないが、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい2代目の中島昭午はそうではなかったようだ。・・そうなるとどうなるかというと・・、そういう会社になる・・ということだろう。「そういう会社」とはどういう会社かというと・・⇒つぶれた・・・そういう会社だった・・・( 一一) ・・まあ、思いのほか、そういう会社は日本に多くあるのかもしれないけれども・・・・。
「底辺の高校卒」で営業やって営業成績を残したという人には、会社が良くなることよりも、自分自身のその時の営業成績をあげることの方を重視する人が少なくない。契約は多く上げた方があげないよりもいいのだけれども、多く契約を獲得したとしても、中には、「その後、ぺんぺん草の1本もはえないようにむしり取る」ような契約の取り方をする人というのもいるのです。安物だと売り込むようなチラシを新聞折込で入れられると、片方で、そのタイプの見込客の来場があるかもしれないけれども、他方において高額物件の見込客を失うことになるおそれもある、ということは考えないといけないはずですが、もともと、安い価格帯の層しか自分自身が取れないという人には、そういうことに平気な人もいます。私は、自分が大学を卒業するまで、大学まででやっていることが会社という所において役に立つものなのかどうかよくわからなかったのだが、実際に勤めてみると、その差は相当大きいと実感した。
私は小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」で「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースに応募して採用されたと認識していて、採用実績校は《「十大国立大学」・地方国立大学・関関同立・関関同立のすぐ下くらいの大学の人の勤め先》と考えていて、その認識によれば、20代後半で営業やっている人間に慶應大卒の人間がいても悪くないはずでしたが、ところが、片方で、「大卒しか採らない会社」で応募条件は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で採用実績校は《「十大国立大学」・地方国立大学・関関同立・関関同立の少し下》という会社のはずなのに、なぜか、「底辺の高校卒」の痴漢人間の渡邊士直が支店長になっていたのであり、渡邊だけではなく、千葉支店で最も営業成績が良かった犀川は「私、早稲田の建築でてますから」と客宅で言う男だったらしいが実際はニチゲー(日大芸術学部卒)で、東京支店自由が丘営業課の「近藤すしいち」(仮名)は近大経済学部卒で、自由が丘営業課の課長にならせてもらっていた高橋賢一郎に至っては東京電機大卒だった・・・、なんか話が違う・・・という会社で、「底辺の高校卒・ニチゲー卒・近大卒・東京電機大卒の人の勤め先」・・と考えると、そういう会社の人間に「私も慶應です」と言われると、こいつ、学歴詐称だな・・と思って、「は? ゼミはどこのゼミでしたか」「どういう先生の講義を履修しましたか」などと言いたくなったようでした。私は《「十大国立大学」・地方国立大学・関関同立・関関同立の下の大学卒の人の勤め先の会社》の「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースの仕事についていたつもりで、「小堀の営業は大卒の営業で、ミサワの営業とは質が違います」という仕事についていたつもりだったのですが、底辺の高校卒の痴漢人間・「早稲田の建築でてます」と詐称するニチゲー卒・近大経済学部卒・東京電機大卒という人がいっぱいいる勤め先・・と考えると、そんな会社の人間で慶應大卒の人間なんているわけないだろうが・・と思われたようでした。
私などは、「うちは大学院になんか行かすような金持ちとは違います。大学院に行きたいというような人間というのは、モラトリアム人間病という病気にかかっている人間です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いえら~いという先生がそうおっしゃってます。モラトリアム人間病は治療せんといけません。クスリ飲まして、電気ショックとかやったらんといかん、電気ショック、電気ショック、電気ショック、電気ショック・・」と毎日のように言っていたのですが、その取手市在住の早稲田大卒で青山学院かそんな所らしい私立大学の教授かやっていたおっさんの息子は早稲田大しか出てないくせしてからに慶應の大学院に行っていたということですから、間違いなくモラトリアム人間病という病気のはずであり、電気ショックやって治療してやらんといかん病人でしたし、その親父の方も早稲田大卒で早稲田か慶應かの大学院に行って大学教員になっていたようですから、やはり、電気ショックやったらんといかん人間だったはずですが、私は学歴詐称なんてやってないのに、そういう人に、そんな口をきかれたのでした。犀川と一緒にすんな・・・とも思いましたが、ひとつには、小堀住研(株)が「大卒しか採らない会社」と言いながら高卒の人間を採用して、そして、新卒入社で入った大卒の人間は、「大卒しか採らない会社のはずなのに、高卒の人間がいる」ということ、さらに、「高卒の人間がえらそうにしている」ということを怒っていたのですが、そういういいかげんな採用をするから、だから、早稲田大卒のモラトリアム人間病のおっさんにまで、そういう口をきかれることになってしまったようでした。
それ以来、小堀住研(株)でも他の会社においても、たとえ、そのお客様が慶應大卒・早稲田大卒か息子が慶應大学・早稲田大学もしくはその大学院に行っているという場合でも、「私も慶應です」ということは言わないようにするようにしました。三井信託銀行に勤めて30代で支店長やっていたならば言うと客のおっさんは喜ぶケースでも、小堀住研(株)に勤めていたのでは言ってはいけないことだったようでした。小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社なんですう」とずいぶんと前から言いまくってきた会社でしたが、入社してみると、なぜか「底辺の高校卒」の人がいた、という会社で、それではいかんのではないか、それではうまくいかないのではないか、片方で「大卒しか採らない会社なんです」と言いまくることで、「嘘でも百回言えば真実」のようにしていこうとしながら、他方において、その条件からはずれた人を平気で採用していたわけで、客の印象として、「(渡辺士直みたいな)底辺の高卒のおっさんの会社」という印象になっていたのかもしれません。それでは「下の方に収束していく」要素であり、又、「大卒しか採らない会社です」と言いまくりながら、かつ、採用実績校は「神戸大学・新潟大学・関西大学・甲南大学」だったかそういう書き方をして募集して採用しておきながら、それではうまくいかんだろう・・・と思っていたら・・・⇒つぶれた。
それから、私はその「底辺の高校卒の痴漢人間」のおっさん渡邊士直から、「俺は支店長なんじゃ。俺は支店長だから、俺は、いつでも好きな時に好きなだけ、おまえに土下座させる権利があるんじゃ」と言われたのですが、渡邊士直にそんな「権利」など当然ないし、私は渡邊士直と同じコースに応募して入社した人間ではないし、どういう入社のしかたをしたとしても、渡邊にそういう口をきかれる筋合いはありません。小堀住研(株)は、底辺の高校卒の渡邊士直が私にそういう口をきいたということについて、きっちりと謝罪しなければいけないはずですが、今日に至るまで謝罪はありません。渡邊は「俺は中島社長から、『いつでもおまえに土下座させる権利』というものを認められとるんじゃ」と言うのでしたが、「底辺の高校卒の痴漢人間の渡邊士直」は渡邊が言う話によれば、従業員から「天プラばっかりの高卒昭午」と言われていた「会社をつぶしたアホの2代目」の中島昭午から「おまえに土下座させる権利」なるものを認められたそうですが、私は中島昭午にそのようなものを認めた覚えはありませんから、中島はもとよりありもしない「権利」を渡邊士直に認めていたのであり、そのようなものを認めたという中島昭午は、社長・代表取締役としてやってはならないことをおこなっていたのであり、きっちりと私と小堀住研(株)の従業員に対して謝罪をしてもらわないといけませんが、今日に至るまで中島から謝罪がありません。
私は富士銀行から出向できていた常務取締役の増田和二から密室に連れ込まれた上で、「東北大しか出てない増田和二」(富士銀行では自分の所では要らないと判断して小堀住研(株)に送り込まれたのか、小堀住研(株)の従業員の間では「ま~た、銀行から何もわからんヤツが取締役で来るのか」と言われてきた取締役の1人で、まだ、それほどの年齢ではなかったのではないかと今になると思われるが風貌もやることもぼけが始まったかと思われる印象で「頭、ぼけてる」と小堀住研(株)の従業員から言われていた)と「底辺の高校卒の痴漢人間の渡邊士直」と「松戸営業課長の高卒の石井」の3人に囲まれて、「俺は中島社長から、会社の女の尻をなでまわす権利を認められとるんじゃあ。おまえは、俺に、会社の女の尻をなでまわしたらいかんなどと言ったのだから、会社の業務命令に反したことを言うとるんじゃ、おまえはあ! 俺はおまえにいつでも好きな時に好きなだけ、土下座させる権利があるんじゃ。おれはおまえにいつでも好きな時に好きなだけ土下座させる権利というものを中島社長から許可されとるんじゃ。土下座しろ、ごらあ! 土下座して、『今後は支店長が女性社員の尻をなでまわすのをいかんとは絶対に申しませんから、どうか、お許しくだしませ』と泣いて頼め! ごらあ! 土下座しろと業務命令しとるんじゃ、ごらあ! 土下座して『今後は支店長が女性社員の尻をなでまわすのをいかんとは決して申しませんからお許しください』と泣いて謝罪しろお! 『今後は絶対に支店長様が女性社員の尻をなでまわすのをいかんとは申しませんからお許しくださいませ』と土下座して言えと業務命令しとるんじゃあ。おまえは業務命令がきけんのかあ! ごらあ!」と長時間にわたって3人に取り囲まれて怒鳴りつけられたのですが、これは刑法上、暴行罪に該当する違法・有責な行為です。私は、できるだけ、物事は穏便にしたいと考えて我慢を続けてきたのですが、「中島社長から許可されてやっとるんじゃあ」と渡邊士直は明言したのですから、社長の中島昭午は保護義務違反であるだけではなく、暴行罪についての共犯もしくは共同正犯なり何なりになるはずです。又、富士銀行(現 みずほ銀行)の経営者は、自分の会社が小堀住研(株)に派遣した人間がそういう行為をおこなったのですから、富士銀行(現 みずほ銀行)の経営者も責任があるはずです。そもそも、富士銀行(現 みずほ銀行)は自分の所が出資している会社に、増田和二のような人間を派遣して出資先の会社をつぶして、富士銀行にどういうメリットがあるのか、理解に苦しみます。
「会社をつぶしたアホの2代目」の中島昭午は従業員から「天プラばっかりの高卒昭午」と言われていたのですが、これはどういう意味か。「天プラ」というのはどういう意味か、『美味しんぼ』のコラムに雁屋哲が書いていたのですが、天婦羅(てんぷら)というのは「衣(ころも)がついている」のです。今は「大学」というものがいっぱいできて、大学生といってもエリートというわけでもありませんが、かつて、大学も大学生も少なくて、大学生はエリートであったという時代があり、そういう時代においては、「将来の日本を背負って立つ大学生」を大事にしないといけない、という風潮があって、学割なんてのもそういうところから出てきた制度のようで、大学生というものが優遇されたので、又、今の大学生は制服なんて着ているものは応援団か空手会かそういうややこしそうというのか怖そうというのかの人くらいですが、かつては、大学生は制服を着ていたので、それで、実際には大学生じゃないのに制服だけあつらえて、帝国大学などの制服を着て、大学生として優遇してもらおうとするヤカラがいたらしい。そういうニセ学生を「衣(ころも)を着ている」ということで「天婦羅(てんぷら)」「天婦羅学生」と言ったらしい。小堀住研(株)の「会社をつぶしたアホの2代目」の中島昭午が従業員から「天婦羅ばっかりの高卒昭午」と言われていたのは、中島昭午の最終学歴は「長浜北高校卒」ということだったはずだが、これは「有価証券報告書」とか東洋経済新報社から発行されていた「役員四季報」に掲載されていたことだからそのはずだが、中島昭午は会社の社報などに「『俺は一国一城の主(あるじ)になるんや』という叔父の言葉に動かされて、向学の志に燃えていた私は大学進学をあきらめた」などと書きまくっていたのだが、ボケえっと聞いてるともしかすると「はあん、そうかいなあ」と思う人も中にあるかもしれないけれども、落ち着いて考えてみるとそれは変な話で、中島昭午は初代社長の小堀林衛の「甥っ子」と言っていたが実際は「メカケの子」らしいと言われていて、小堀林衛は中島昭午の叔父だと言っていたが実際は叔父ではなく父親だったらしいと言われているのだが、叔父であれ父親であれ、会社を作ってやっていこうということであったとして、それで、なんで、息子か甥かが大学進学をやめなければならないんだ? むしろ、「一国一城の主(あるじ)になる」のなら、慶應の経済学部・商学部か一橋の経済学部・商学部か神戸大の経済学部・経営学部か、滋賀大の経済学部でも同志社の経済学部か商学部でも、そういう所に行くか、もしくは建築業をやるのなら、どこかの大学の建築学科か土木学科に行っておいた方がいいのではないのか? 法隆寺宮大工棟梁だった西岡常一さんは祖父から農業高校に行くように言われたそうで、大工にとっては建築学科よりも農業高校で農林業と木材について学んでおいた方がいいという考えだったらしいが、その考えからすれば、木質系建築会社をやろうということならば、建築学科と農学部で木材関係を扱う部門とどちらがいいかということになるでしょうけれども、世間では農学部卒よりも建築学科卒の方が木質系でも建築会社では評価は高そうに思えます。 ともかく、「一国一城の主(あるじ)」になるのなら、むしろ、余計に、社会科学系学部か建築学科かどちらかの大学に行っておいた方がいいのではないのか? 言うことが矛盾してないか? 又、父親ならまだしも、叔父が自営業を始めるからといって、なんで、大学進学をやめなければならないんだ? 結局のところ、行ける大学がなかったから行かなかっただけ・・なのに、「『一国一城の主(あるじ)になるんや』という叔父の言葉に動かされて、向学の志を捨て、大学進学をあきらめた」とかなんとかかんとか勝手なことを社報などに書きまくる・・・というので、それで、「天婦羅(てんぷら)ばっかり」と言われていたのだった。なんか、「言った者勝ち」みたいになんだかんだ言う人というのが、世の中、いっぱいいるのだが、中島昭午も、言うにしてももうちょっとうまいこと言った方がいい・・・というより、余計なこと言うからかえっていかんのであり、余計なこと言わない方がいいと思うのだが、そういうことを言いたがる、言わないとおれない・・というあたりが「高卒の社長や」というところだった・・・とも言われていたのだった。
うちの会社では、この職種については、こういう経歴の人を採用してやっていきます・・・と言ったならば、その条件は守らないといけない。その条件をはずれた人でも、その条件を満たす人に実質的に劣らない人だから採用するという場合は、その条件をはずれているけれども採用していいか、個々に慎重に吟味して判断しないといけない。小堀住研(株)は、「小堀ならではの家」というものを建てて、「小堀で家を建てた」というのがステータスになるということで、それを喜ぶような層に評価される会社として伸びてきたが、そのために、「小堀の営業は大卒の営業です」ということにして、「ミサワあたりの営業とは営業の格が違います」という姿勢を取ってきたはずだった。「大卒しか採らない会社」という場合の「大卒」というのは、「国立大学か関関同立くらいまで」の「4年制大学の社会科学系学部卒の人」というのを「大卒」と言っていたはずだったのだ。ところが、その条件をはずれた、「底辺の高校卒の渡邊士直」や「東京電機大卒の高橋賢一郎」や「近大卒の近藤すしいち」(仮名)・「ニチゲー卒の犀川」などを採用したことから、そのスタイルそのものが相当崩れた。
片方で、「大卒しか採らない会社」と言いまくり、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」かつ「普通自動車第1種免許取得者」が応募条件であり、その場合の「4年制大学」というのは「国立大学か関関同立くらい」を想定した「大学」であったはずで、そういう会社だと思って入社したのに、配属されると高卒の人がいて、しかも、その高卒の人間がえらそうにする。又、たとえ、高卒の人間と大卒の人間を「同じ扱い」にされるとしても、その場合は、「高卒5年目」と「大卒1年目」が同じ扱いのはずなのに、「高卒1年目」と「大卒1年目」が同じ扱いのようにされてしまい、高校卒業からの年数では自分よりも後で高校を卒業している人間から、「おまえ」とかいう口のきき方をされ、なんで、こいつに「おまえ」呼ばわりされなければならないのだ? ・・という気持になる。私も思いましたよ。「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というコースの募集に応募して採用されて入社したのに、なんで、自分より年下の高卒の人間に「おまえ」呼ばわりされなきゃならんのだと思いましたよ。私はひとよりも年齢をいって大学を卒業したので、慶應大学の就職部の方に相談したことがあったのですが、その際、「人より年齢をいっているという点で不利でしょうけれども、採用されることになった場合には『慶應大学商学部の卒業生として採用』になる」と言われ、そうだろうなあと思っていましたので、小堀住研(株)で自分より年下の本来はいるはずがない高卒の人間からえらそうな口をきかれても、「慶應大学商学部の卒業生として採用」された者が高卒の人間の言うことやることに腹を立てたのでは大人げないと思ってずっと我慢してきたのです。
さらに、「大卒しか採らない会社」のはずなのに、なぜか「専門学校卒」と称する人がいて、私は住宅建築業界に勤めてから、ハウジングエージェンシーが実施のインテリアコーディネーター試験2次試験対策講座やキッチンスペシャリスト製図試験対策講座のほか、フリーハンドパース講座などに参加しましたし、宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の試験を受けて合格する際には日建学院が実施した無料の模擬試験自己採点会にも参加させてもらいましたし、Winスクールの建築CAD科にも通いましたが、それらで得たものはけっこうあるのですが、それは「学歴」ではないのと同じく、建築の専門学校というのもそれらと同様のもののはずで、「学歴」というのは中学校・高校・大学・短大・大学院のことを言うのであって専門学校は学歴ではありませんから、「専門学校卒」と称している人というのは、私がハウジングエージェンシーやWinスクールで学んだものがあるのと同様にそこで学んだものはあったとしても、「学歴」としては「高卒」になるはずなのです。 又、浪人して予備校に通って学習し、高校卒業時よりも模擬試験の成績は相当いい成績を取れるようになったものの、結局、高校卒業時に通った所と同じ大学に行くことになってしまったあ・・・あ~あ・・なんて人もいますが(私だって、慶應なんかに行かされるのなら浪人なんてしなくても高校卒業時に通った、と思う。「思う」といっても実際に受けていないからには受けていたらどうなったかわからないとしても、それでも、慶應に行かされるのなら浪人なんてする必要はなかった)、浪人中に学習して身に着けた学力は、その後、役に立つこともあるかもしれないけれども、予備校は学歴にならないし、浪人して学力をつけたとしてもそれは学歴にはならないのです。浪人は予備校に行かないといけないことはなく、宅浪という方法もありますが、予備校に行った場合とともに宅浪で学力をつけても、どんなに浪人中、努力したとしても、浪人自体は学歴にはならない。専門学校というのは、本来、それと同様のもののはずなのです。
又、「高卒」だとすると、私より前に小堀住研(株)に入社したから自分の方が先輩みたいなツラしたがる人がいましたが、高校でてからの年数で考えれば、私は大学卒業までに職業経験は相当あるわけですから、私の方が「先輩」のはずなのです。
専門学校というのは看護婦さんの養成所である看護学校とかはその資格を取得することに重心がある学校なので、資格を取得してその専門職に就くことになるが、建築関係においては、専門学校というのは技術習得所ですから、大学受験予備校が学歴にならない、浪人中に学力が相当向上したとしても予備校・浪人は学力はついても学歴にはならない、又、建築関連のセミナーを受講して何らかの能力を身に着けても、能力はついても学歴ではないのと同じく、専門学校は学歴ではないはずだったが、ところが、「専門学校卒」と称する人間がいて、「建築の専門学校」には2年のものと3年のものがあるようですが、「専門学校卒」だと言って、それが「大卒」と同じだという態度を取ろうとする。これではいけないはずだが、管理者に対処する能力がない。2年制や3年制の専門学校を「卒」だという人間というのは、これは大卒と一緒だと言いたいのか、高卒と一緒だと言いたいのか、短大卒と一緒だと言いたいのかというと、大卒と一緒だと主張したいらしいのだが、それでは、大学卒で入社した人間は何のために大学卒で入社したのかわからないことになる。だから、大卒で入社した人間は、「あいつ(「専門学校卒」の人間)、何でいるんだ」と言って不満を口にしていた。単にいるだけではなく、高卒で入社した人間が同じ年やその人間より先に高校を卒業して大学に行った人間の先輩のツラをしているから、それなら、「大卒しか採らない会社」ではなく「高卒の会社」ではないか、ということになり、話が違うじゃないか、ということになっていた。
又、これは小堀住研(株)だけではなく、住宅建築業の業界における「建築の専門学校」を「卒」だと称している人のずるい点として、私は2008年にポリテクセンター千葉の建築CAD科に半年通い修了証をいただいたのですが、これはポリテクセンター千葉の先生が言われるには「建築の専門学校が2年でやっている内容を半年でやる」というものだったようですが、ところが、本来は「学歴」ではない「専門学校」を「卒」だと称したがる人間は、「ポリテクセンターの建築CAD科修了」については「学歴」と認めてたまるかという態度を取るのです。なんだか、「建築の専門学校」を「卒」だと称する人間というのは身勝手な連中です。
さらに、1990年、東京支店に転勤した時、東京支店の支店長の高倉から聞いたのだが、千葉支店長にならせてもらっていた「底辺の高校卒の痴漢人間」の渡邊士直が私を「使いにくいやつだ」などと高倉に言ったらしいのですが、どうも、渡邊士直は勘違いしていたように思われるのですが、私は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というものに応募して採用されたのであって、「底辺の高校卒」の人のコースに応募して採用されたのではないし、ましてや「底辺の高校卒の痴漢人間」の人のコースに応募して入社したのではありませんから、渡邊に使われる筋合いはないのです。
小堀住研(株)は、片方で、「大卒しか採らない会社」なのに高卒の人間を採用し、又、高卒なのか何の扱いなのか不明の「専門学校『卒』」という人間を採用することで不満が溜まっていた。だから、従業員が不満を溜めずに働けるようにという点から考えると、この職種はこういう経歴の人を採用しますと言ったなら、その条件は基本的に守らないといけないはずで、小堀住研(株)のようにそれを平気で破っていてはいけいないのです・・・が、その条件を破ってしまうことによる弊害はもうひとつあったが、それは、「小堀住研は大卒しか採らない会社です」「小堀住研の営業は大卒の営業で、ミサワホームあたりの高卒の営業とは営業が違います」という姿勢をとり、はっきりとそう明言してきたはずで、その場合の「大卒」というのは「国立大学か関関同立くらい」の「法学部・経済学部・商学部」卒という大卒のことであって、「高卒と変わらない大卒」のことではなく、「バカでも入れる私大の建築学科」のことでもなかったはずなのに、それをまぜてしまったことから、「小堀住研は大卒しか採らない会社」でその場合の「大卒」というのは「高卒と変わらない大卒」ではなく「バカでも入れる私大の建築学科」のことではなく「国立大学か関関同立くらいの大学」の「法学部・経済学部・商学部」卒の人のことを言うというスタイルが崩れてしまった、という点だ。 もともと、近大経済学部卒の「近藤すしいち」(仮名)とか東京電機大工学部建築学科卒の高橋賢一郎とかは、「大卒」といっても《「国立大学か関関同立くらい」の「法学部・経済学部・商学部」卒という大卒》という大卒ではなく、《「国立大学か関関同立くらい」の「法学部・経済学部・商学部」卒という大卒》というスタイルの営業をやろうと思っても無理な人だったが、そういう人をまぜて採用したことから、《「国立大学か関関同立くらい」の「法学部・経済学部・商学部」卒という大卒》の人間までがそのスタイルの営業をやりにくくされてしまっていた。
だから、この職種はこういう人を採用しますと言ったなら、そう簡単にその条件を大きくはずれた人をその職種に採用してはいけないはずだったのだ・・・が、小堀住研(株)の経営者は、そのあたりを理解できていなかったようであり、それが、早稲田大を卒業して青山学院あたりかと思われる大学の教授(か助教授か)をやっていて息子が早稲田大を卒業して慶應の大学院に行っているという取手市のおっさんに、こちらは学歴詐称なんてやってないのに、詐称しているかのような口のきき方をされてしまうことになった原因にもなった。「会社をつぶしたアホの2代目」の中島昭午は、おのれが「衣(ころも)」をまとう努力している暇があったら、こういうことを少しは考えたらどうかと思うのだが、考える頭がない人間だから、会社をつぶした、ということであろう。ひとつのやり方として、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」と高級住宅志向の「新 桂」は売り方も違うので、事業部を分けて担当者を分けるという方法もあったと思うが、そういったことを考える頭のない経営者だったのかもしれないし、そういったことを考える頭のない経営者の会社だったからつぶれたのかもしれない。
(2020.9.10.)
ついでに・・・・、向かいのおっさんが、窓あけて大きな音たてて手を叩くので、何事かと思ったら、巨人の岡本がヤクルト戦でスリーランホームランを打ったのだった。うぜえ~え・・・。窓あけて手を叩くな! 手を叩くなら窓しめろ! 窓あけて野球の中継見たければ手を叩くな! うるさい!



・・・と思ったら、中山しょこたん のソロホームランと青木のツーランホームランでヤクルトが3対3の同点に追いついた(^^♪ 俺も、手たたいたろか・・と思ったが、同じレベルになるのは良くない・・・と思うのでやめとこ・・(^^)/
・・・と思っていたら、中山しょこたん がさらにタイムリーヒットでヤクルトが1点勝ち越し(^^♪ ・・まあ、1回くらいなら、窓開けて手たたいてみるのも悪くないか・・(^^)/ (^^♪ (^^♪ (^^♪・・と思ったら、ま~た、中澤がホームラン打たれて追いつかれやがった・・・・( 一一)
しかし、テレビもラジオも視聴しなくても、巨人に点が入ると向かいから手を叩く音が聞こえてくるというのは、便利というのか不快指数が上昇するというのか、なんというのか・・・・と思っていたら、また、手を叩く音が聞こえたと思ったら・・・、7回裏、今度はなんと、近藤ムが岡本ゴムにソロホームラン打たれてリードされやがった。・・ヤクルトはいつからこんなに弱くなったんだあ・・・



(2020.9.11.)
☆ 最初、「学歴を言って、言わない方が良かったと思った話」を自分の経験2例・ひとを見て思ったもの3例を1回にまとめて公開しましたが、相当長くなったので、分けた方が見やすいと考えて、3回に分けました。前段の話と合わせると4回に分かれたことになります。
(前段) 「社長が歌う演歌集」を会社のカネで出す会社・「バカでも入れる私大の建築学科」卒を清原化させたい症候群の経営者の会社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202005article_3.html
自分の経験[1] 「大卒しか採らない会社」と言っていて底辺の高校卒の人がいた状況が顧客の評価を下げた小堀住研(株) 〔今回〕
自分の経験[2] よっぽど自分はえらいみたいに思っている不動産三田会の不動産屋のじいさん https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_2.html
ひとを見て思った話[1]「ラーメンは地球を救う」みたいなことを言わそうとする営業課長。
[2]「東京大学経済学部卒」なんて履歴書をその地域の家全体にポスティングなんてやめた方がいいと思うぞ。
[3]ポン大の建築学科でてるのよお(あんたとは違うのよお)・・なんて不動産屋のおばさんに言われても・・・
https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_3.html
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