大鐘家【4/6】床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域に押しつける一条工務店。会社の為に協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店
[第795回]
大鐘家住宅(静岡県牧之原市)見学の4回目です。 「民家」というと我が家でも「民家」ですし、最近、ハウスメーカーが建てた家も「民家」なので、江戸時代に建てられたという重要文化財とかに指定されているような「民家」を言いたい場合には「古民家」と言った方がいいかとも思うのですが、「古民家」という言い方ですと、「古くさい」とか「前時代の」という印象を持たれてしまうおそれもあります。今もそういう家に住んでいる方もあるわけで、今も住める家ですから、そういう意味では「古民家」ではなく「民家」と表現した方が良さそうにも思えるのですが、「古くさい」という意味ではなく、「古典的な」という意味での「古民家」というものを、静岡県のもの、特に遠州地方の「古民家」を何軒か見てみたい、と思ってきました。
特に、床の間・床脇の造りや、神棚の造りについては、これが正しいとか間違っているとかいう性質のものではなく、それぞれの地域によって、伝統的なやり方というものがあるわけで、他の地域の人間が見ると変だと思っても、その地域の人間にとってはそれがその地域のやり方だという場合があります。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ という会社は、《何かと「浜松流」「遠州好み」を非遠州地域に押しつけないとおれないシンドローム 》の重症患者が大変多い会社でした。念のため、ここで言う「遠州好み」というのは、「古田織部が好んだ」という「織部好み」、「千利休が好んだ」という「利休好み」のように、「小堀遠州が好んだ」という意味での「遠州好み」という意味ではなく、「遠州地方(静岡県西部)の人間の好みを日本全国に押しつけないとおれない症候群」のことを言います。
床の間と床脇の造りもそんなところがあったのです。 それで、遠州地方の「古民家」、「時代遅れ」とかいう意味ではなく「古典的」という意味の「古民家」の床の間・床脇はどうなっているのか・・・、誰でも見学させてもらえるお宅が何軒かあるので、ぜひ、見せていただきたいと思ってきたのです。

大鐘家住宅では、長屋門をくぐって入った位置から見て ↑ 、一番左側の部屋に床の間があります。↓

↑ 10畳の部屋の奥、10畳の部屋の長い方、2間半分、すべてが床の間と床脇で、中央が床(床の間)で、左右に床脇があり、左側の床脇の左に付書院があります。
『新感覚の和風住宅』(1985.2.1.講談社)所収の 小林盛太「和風住宅の構成とディテール 和風のよさを見直そう」には、
《 部屋の床の間の位置によって「本勝手(ほんかって)」と「逆勝手(ぎゃくかって)」の名称があります。 本勝手は、向かって左に床の間と付け書院、右に床脇棚を設けています。逆勝手は、本勝手と反対の配置で右に床の間と書院が付きます。
また、床の間に入る光線の方向により、床の間に向かって左の書院窓から採光するものを「本床」、右から採光するものを「逆床」といいます。・・・》
と出ていますが、大鐘家住宅の床の間は、床の左右に床脇があるとはいえ、棚があるのは右側で、左に付書院がありますから、「本勝手」で、この部屋は、両側に広縁があってその外側は両側に庭園があり、部屋の採光は両側から採れますが、

( ↑ 床の間に向かって右側、「小堀遠州庭園」。)

( ↑ 床の間に向かって左側、長屋門の側の庭園。)
左側の付書院からの採光が床の間の採光としては主であると考えると「本床」ということになるでしょう。
東京都港区のJR「田町」駅から慶應大学三田キャンパスの方に向かう「慶應仲通り」という人専用の細い道があって、「田町」駅の方から慶應大学の方に向かって歩くと、途中、左側にぐいっと曲がる箇所があって、そこで左に行くと慶應大学、右に曲がる細い道を行くと戸板短大と、あとどこだったか女子大か女子短大かあったように思うのですが、女子大生らしき女性が前を歩いているのを見ると、雰囲気でどちらに行くかわかるという説があって、一説には、ブサイクなやつはみんな左に行くという話があったのですが・・・、その左に曲がった方の道の南側に、半地下と中2階とに道に面した側に通路があって、そこに面してテナントが入るビルがあって、けっこうおしゃれなビルだと思っていたのですが、その頃は建築関係の仕事につくと思っていなかったのですが、後に建築業界に勤めて、さらに愛知産業大学の通信課程の建築学科に入学させてもらい、建築図書館というのが三田の建築会館にあると愛知産業大学の先生に教えてもらって調べたところ、その慶應仲通りの南側にあったビルが建築会館でした。

( ↑ 東京都港区三田 建築会館。)
建築会館は南側から見ると、右隣が読売理工医療福祉専門学校で「一級建築士・二級建築士 最短 近道」だったか書かれた大きな垂れ幕がかかっているビルでしたが、その左のビルが建築会館で、「これはなかなか・・」と思ったのは、南側と北側の2方道路の土地に建てられたものですが、南側の外観と北側の慶應仲通りに面した側の外観とでは、外観の印象がまったく違う。2方道路の土地に建てる場合でも、角地の場合では、両方の面が見えるので、2方が見えるという前提でのデザインを考えることになりますが、南北もしくは東西の2方に道路があるという土地に建てる場合には、むしろ、「二毛作建築」とでも言いましょうか、「え? これがあの建物の裏側なの?」というデザインにするという「面白味」があり、同じ建物で別の性質を発揮させるということもできます。建築会館は名前の通り、「建築会館」だけあって、そういう工夫がされた建物で、さすがは「建築会館」だったんだなあ・・と思いました。建物で南北もしくは東西の2方道路の敷地で「二毛作建築」という手法があって、その例として三田の「建築会館」が「なかなか・・」と思ったのですが、庭にも建物の両側に異なる2種類の庭を用意した、「二毛作庭園」とでもいった方法が考えられます。庭の場合には、南北か東西かではなく、南と西・南と東とかで異なるタイプの庭にするという方法もあり、又、途中にしきりの塀を設けて異なるタイプの庭を設けることもありますが、この大鐘家住宅では主屋をはさんで南北で異なるタイプの庭園が設けられており、こういう庭の設け方もいいなあ・・と思いました。
この「本床」という言葉も2通りの意味があるようで、小林盛太「和風住宅の構成とディテール 和風のよさを見直そう」(『新感覚の和風住宅』〔1985.2.1.講談社〕所収)には、
(1) 《 本床(框床) もっとも本格的な床の間です。角柱の床柱を使用し、床框を取り付け、一段高くした床表面に畳を敷き、框は蠟色(ろいろ)(黒色)の漆塗りにします。畳の代わりに薄べりを敷いたり、板を張ったものもあります。落とし掛けは長押より一段高く、柱と同材を用いるのが本式です。》
(2) 《 ・・床の間に入る光線の方向により、床の間に向かって左の書院窓から採光するものを「本床」、右から採光するものを「逆床」といいます。》
・・・と「本床」について、2通りの意味があることが書かれています。
大鐘家住宅の床の右側の床脇棚ですが ↓ 、

上に引違の収納があり、違い棚があって、違い棚の右側の低い方の下に収納があります。 小林盛太「和風住宅の構成とディテール 和風のよさを見直そう」(『新感覚の和風住宅』〔1985.2.1.講談社〕所収)には、「床脇棚のいろいろ」として60種類の棚とその名称が出ていますが、大鐘家住宅の床脇棚は、「袋(ふくろ)」という名称のものになるようです。
インターネットで検索すると、床脇棚の種類については、
《京町家改修用語集 床脇とは》http://sugiitakunn.blog.shinobi.jp/%E3%81%A8/%E5%BA%8A%E8%84%87%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%EF%BC%88%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8F%E3%81%8D%E3%80%80%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%85%A5%20%E7%A8%AE%E9%A1%9E%EF%BC%89
にもその種類が、
「袋棚(ふくろだな)」については、《京町家改修用語集 袋棚(ふくろだな)とは?》http://sugiitakunn.blog.shinobi.jp/%E3%81%B5/%E8%A2%8B%E6%A3%9A%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%EF%BC%88%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%81%A0%E3%81%AA%EF%BC%89 に出ています。

新感覚の和風住宅 (Home life) - 講談社
床の間の左側は ↓

付書院の広縁側はどうなっているかというと、↓

付書院を床の間の横から手前まで設けるのか、床の間のすぐ横には付書院はなしで床の間の手前の部分に付書院がつくようにするべきなのか、これも、どちらが正しいのだろうか・・・と、ずいぶんと考えたのですが、有名建築物・歴史的建築物の床の間を何軒か見てきた結果、どちらが間違っているというわけではなく、両方のやり方がある・・とわかりました。
あえて言えば、付書院の外側が出窓のように屋外に出っ張っている場合ならどちらでもいいのですが、廊下・広縁に出っ張っている場合には、その廊下が広くて付書院が出っ張っても十分に通れる広さがあるか、それほど広くなくて付書院が出っ張った部分が通りにくい状態か、そこを通り抜けて別の方に行き来する場所か、それとも、そこでどん詰まりか・・といったことで、通り抜けて曲がるようになっている場所ならば、床の間のすぐ横は廊下に出っ張らさない方が通りやすく、そこで行き止まりの場合ならば、床の間のすぐ横を出っ張らさないようにしても、その部分だけ中途半端な空間が廊下側にできるので床の間のすぐ横から付書院が出るようにすることが多いように思えます。
大鐘家住宅の付書院は床のすぐ横から出ています。
床の左側は「床脇」なのか「床の間の一部」なのか、その間に床柱があるということは左側も「床脇」と考えることもできるかもしれませんが、その左に付書院があり、床柱が右側は下から上まであるのに対し、左側の床柱は途中で切れているところを見ると、「床脇」なのか、結論として、そういう造りのようです。

大鐘家住宅は、土間の部分では野物の梁が縦横に井桁のように組まれているのが見えて、その芸術的とも言える組み方に感動しますが、座敷には天井が貼られており、床の間がある部屋は竿縁天井になっていますが ↑ 、床刺しにならないよう、竿縁の「竿」は床の間と並行する方向で入れられています。
さて、床柱にどういう柱を使うかについて、基本的には3種類、考えられます。
(1) その家の通常の構造柱とは異なる、特殊な樹種の柱、もしくは、特殊な細工をした柱を使用する。
(ア) 紫檀・黒檀・鉄刀木(たがやさん)など天然木の角材を使用する、
(イ) 北山杉絞り丸太 など、飾りとしての細工がされた柱を使う、
(2) その家の通常の柱と同材だが、通常の柱よりも太いものを使う。
(3) その家の通常の柱と同材で、同寸法のものを使う。
・・・この3種類のやり方があります。最近のハウスメーカーの戸建住宅においては、(1)で(ア)か(イ)のどちらかであることが多いと思います。有名建築物・歴史的建築物においても(1)の施工はあります。 (ア)でどしっとした床柱が入っている所もありますが、茶室などでは、ひょろよろ~って感じのものが入っていることが多いように思います。
(2)のやり方の家屋としては、私が見学に行った建物では、栃木県宇都宮市の旧篠原家住宅は1階で商売をしていた家で2階に座敷があり床の間がありましたが、一般の構造柱は欅を使用していましたが、床柱は大黒柱を兼ねていて、他の柱と同じ樹種の欅だけれども、他の柱よりも太いものになっていました。
※ 《ウィキペディアー篠原家住宅》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%AF%A0%E5%8E%9F%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85
床の間の柱に、一般の柱とは異なる樹種のものを使ったり、ひと回り太いものを使ったりしないといけないと決まっているわけでもなく、(3)のやり方としては、岐阜県高山市の陣屋の床の間や、静岡県掛川市原里の加茂家の床の間は、一般の柱と同じものを床の間の柱にも使用していました。どれが正解というものでもなく、それぞれのやり方があると考えていいと思います。
※ 高山陣屋⇒[第352回]《高山陣屋(群代官所)[1]床の間。「真向き兎」の釘隠し。朝市。~高山シリーズ第3回(2)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
[第748回]《高山陣屋の長押が内側まで周る床脇とそうでない床脇。少年期の山岡鉄舟像、赤い中橋。演歌「高山の夜」は実状に合わない。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
※ 加茂家住宅⇒[第777回]《加茂家住宅(掛川市)(3)床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵―加茂花鳥園【5/7】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_2.html
ここで、問題は、
(1) 床柱と長押がぶつかる部分では、
(ア) 長押は床柱の前まで来るように施工するべきなのか〔↓の図の一番上〕、
(イ) 長押は床柱の手前で止めて、床柱を下から上まで見せるように施工するべきなのか〔↓の図の中〕、
という点。 もうひとつは、
(2) 床の部分については、落しかけを長押よりも少し高い位置に設けて長押は床の上には来ないようにしますが、
(ア) 床脇棚の部分については、落しかけだけで長押は来ないように、床脇棚の手前で長押は止めるべきなのか〔↓の図の一番下〕、
(イ) 床脇棚の上まで長押がまわるように施工するべきなのか、
という点です。

↑ この図で、上が(1)(ア)、中が(1)(イ)、下が(2)(ア)の施工です。
この場合ですが、床柱にどういうものを使ったかによっても変わってくるでしょう。(3)のその部屋の他の構造柱と同樹種同寸法のものを床の柱にも使用して、床脇棚の上も長押がまわるようにしたならば、床の柱の部分だけ長押が柱の前に来ないというのは変でしょう。その場合は長押は床柱の前まで来るように施工するものでしょう。掛川市の加茂家住宅ではそうなっていましたし、岐阜県高山市の陣屋の床の間もそうなっていました。
問題は(1)と(2)の場合です。
「長押(なげし)」というのは、今は和室の装飾材になっていますが、坂本功『木造建築を見直す』(岩波新書)によると、もともとは構造材で、柱だけが立っていたのでは、地震・台風などで横方向の力が加わると簡単に倒れてしまいますから、倒れないように、柱と柱をつないで固定する方法が考えられたのですが、柱に穴をあけて木材を通して固定するのが「貫(ぬき)」で、柱の片側から長い板を押しつけて固定するのが「長押(なげし)」だったのです。

木造建築を見直す (岩波新書) - 坂本 功
そのルーツから考えると、長押は柱の前までくるのが本来のように思えますが、しかし、床柱でも、それこそ、茶室の床柱とか、京都の曼殊院の茶室とかの床柱なんてのは、ひょろよろ~お・・て感じで、およそ、建物を支えるような柱ではなく、生け花の木か草みたいなものですから、長押がどうであるかにかかわらず、建物を支える機能なんて最初からありません。 もしも、その建物の他の構造柱と同じものを床柱にも使用しているのなら、その床柱は構造材でもあるわけですから、長押を押しつけて固定して建物を支えるというのもわかりますが、飾りでしかない柱というのは、いわば、生け花の木だか草だかみたいなものですから、長押が手前で止まってもおかしくないでしょう。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では、「全国どこでも浜松流」が信念ですから、住宅展示場も「浜松流」でできてまして、床柱と長押がぶつかる部分では長押の方が床柱の前まできていたのですが、福島県浜通り地区や茨城県北部では、床柱は下から上まで見せる(魅せる)のが普通なのです。だから、私が担当させてもらった福島県いわき市で建てていただいた某さんは、(株)一条工務店の展示場の床の間を見て、「これは変だよお、いくらなんでもお」と言われたのです。「これでは、床柱がかわいそうだよ」と。 それが、いわき市や福島県浜通り地区・茨城県北部の大部分の人の感じ方だったのです。
この件については、私は相当調べたのです。住宅雑誌に掲載されている和室の写真を見ると、長押が床柱の前までくる施工の写真の方が多かったけれども、長押が床柱の手前で止まっている施工のものもありました。
地域による違いというのがあり、どうも、東北地方では床柱を下から上まで見せる施工の地域が多いようですが、東北ならどこでもということでもないようです。東京から西〔ということは、浜松およびその周囲の遠州地方も〕は長押を床柱の前まで持ってくる施工の地域が多いようでした。
そして、床の上は落しかけがあって長押はないものですが、有名建築物・歴史的建築物の床の間を見ると、床脇棚の上には落とし掛けだけの施工と、落しかけの上に長押がまわっている施工と、2通りの施工があるようでした。
(株)一条工務店の住宅展示場の施工は、もちろん、「浜松流」「遠州流」ですから、床脇棚の上まで長押がまわり、長押と床柱がぶつかる箇所では長押が床柱の前までくるという施工でした。 要するに、大鐘家住宅の床の間のような施工です。↓


大鐘家の建つ牧之原市、旧 榛原郡相良町 は昔の国の名で言うと遠江です。 要するに、(株)一条工務店は全国の住宅展示場で、遠州型の床の間と床柱を施工していたのです。そのあたりについて、都会の人間には、たいして気にしない人もいると思いますが、福島県のような「地方」にいくとそうはいきません。 たとえ、施主がよくても、親戚や近隣の人がやってきた時に見て、「なんだべえ、これはあ!」と言われます。 「地方」においては、床の間や神棚というのは相当に大事なものなのです。
私の場合は、いわき市の営業所に赴任してすぐの頃の契約客のOさんから言われて、上に述べたように住宅雑誌などを相当に調べ、工事担当に、長押を床柱の手前で止める施工ができるか尋ねたところ、(株)一条工務店の場合は床柱を工場で機械プレカットしているので、長押が前にくる施工の場合は床柱とかみあわせる部分で床柱を削るので、削ってから言われても困るが、あらかじめ、先に言ってもらえば、工場に削らないように言って、長押を床柱の手前で止めて床柱を下から上まで見せるように施工することはできる、と言われ、又、私より前からいわき市の営業所に勤務している営業何人かに尋ねたところ、福島県生まれの人、福島県でずっと営業をやってきた人は誰もが、「いわき では、床柱を下から上まで見せるようにするんだ。あらかじめ、工場に言っておけば、そういう施工にできるから、みんな、そうしてもらってるよ」ということでした。それ以来、私は、自分が担当の契約客には、床柱と長押はどちらを優先するか、「福島県や茨城県北部では床柱を下から上まで見せて、長押は床柱の手前で止める施工をすることが多いようですが、(株)一条工務店の本社がある浜松とか、地域によっては長押を床柱の前まで持ってくる地域もありますが、どちらの施工にしますか」と、必ず、尋ねて確認するようにしました。 そうすると、たいていの人は、地元のやり方である床柱の方を下から上まで見せる施工にしてもらいたいと言われ、それを設計担当に念を押し、「コーディネーター」にも念を押すようにしました。
ところが・・・、いわき市で建てていただいたO様宅が建築中に、(株)一条工務店でK野T夫さん(男。当時、40代)が担当で契約したという契約客の方が来られて、「誠に申し訳ないのだけれども、うちは一条工務店で契約して、今、建てているところなのですが、お宅の家の和室を見せていただけませんか」と言われたそうで、「いいですよ」と言って見てもらったところ、「なんだ、この家はきっちりとできているじゃないか。この家の床柱はきっちりと長押が床柱の手前で止まっているじゃないか」と言われ、「お宅の営業さんは、こうして欲しいと言えば、やってくれたんですか」と言われたので、「やってくれましたよ」と言ったところ、「あの野郎。『できません』なんて言いやがってからに。できるじゃないか。ここの営業がやってくれることを、うちの営業はなんでやってくれないんだ」と言われた、ということでした。
その後、K野T夫さんからも、「Oさんの所をお施主さんが見に行って、困ってんだあ」と聞きました。 K野T夫さんは、知らなかったというのです。 私だって、床柱と長押は、長押を床柱の手前までくるように施工するべきなのか、長押を床柱の手前で止めるべきものなのか・・て、住宅建築業の会社に入社する前は知らなかったし、入社しても、(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所(展示場)の床の間を見て、Oさんから、「これはおかしいよ」と言われるまで気づきませんでした。K野T夫さんは私より年上でしたが、社歴は私の半分未満の人で、前職は不動産会社に少しいたようでしたが、その前は住宅・建築とは関係のない仕事についていた人で、いわき市の生まれとはいえ、床柱と長押の関係なんて、じっくりと考えたことはなかったようです。住宅建築業の会社が専門としてやることだから、間違いないようにやっているのだろう・・なんて思いこんでいたかもしれません。しかし、(株)一条工務店については、そういう認識は通じないということを理解しないといけません・・が、「実際よりも見てくれ・外面のいい会社」というのは、日本にはけっこうありまして、(株)一条工務店もそんなところがありました。
ここで、問題があるのは、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の場合、「黙って座れば浜松流」という特徴です。もしも、浜松および遠州地方で建てる人ならば、「黙って座れば浜松流」でいいと思います。 浜松および遠州地方で建てる人でも、「浜松流」でない施工をしてほしいという人はあると思いますが、そういう人は、それをきっちりと言うようにするべきです。 しかし、福島県いわき市で建てる人の場合、「黙って座れば浜松流」ではなく、「黙って座れば、いわき流」で施工されるだろう、と施主は思っているのです。〔ここで、「黙って座れば」とは「特に何も言わなければ」「特に指定しなければ」という意味です。〕「浜松流」と「いわき流」は、どちらがいいとか悪いとかいうことではないのです。しかし、いわき市においては「黙って座れば、いわき流」であるべきであって、いわき市で契約して、いわき市で建てる人なのに、「黙って座れば浜松流」というのは、それはおかしい。なおかつ、こういうことを言うと、「遠州人」は怒るのです。「浜松のやり方は、何であれ、日本全国どこでもいいに決まってるんだ。こんな常識がわからんのかあ!」と言って激怒します。あるいは、相当高そうな材質のものに「売れない営業のグチ 十箇条。 一.浜松流はここには合わない」なんて印刷したのを送りつけてきて展示場の事務所の壁に貼れとか要求してきます。
この、いわき市で建てていただいたO様宅を、K野T夫さんが担当の契約客の方が見に行かれて、「なんだ、この家はきっちりとできているじゃないか。なんで、この家はきっちりと施工して、うちの家はここの家みたいにやってくれないんだ」と言われたという件についても、
(1) いわき市および福島県浜通り地区、茨城県北部で建てる人には、長押の方を床柱の手前で止めるという施工にしていたのは、私が担当のお客様だけではなく、いわき市の展示場の営業は多くの人がそうしていた、という点。
(2) この話が、営業本部長の天野隆夫には伝われなかったらしい、という点。
この2点があったのでまだ良かったのですが、もしも、私だけがお施主様の希望をきくようにしていて、かつ、それが営業本部長の天野隆夫に伝わったとすると、呼びつけにされた上で、「おまえのおかげでK野T夫さんが迷惑しただろうが。何、考えてんだ、おまえはあ! よく気をつけろお!」と怒鳴りつけられたところでしょう。 ・・・しかし、悪いのは私ですか? 違うと思うのです。床の間・床脇といったものは、それぞれの地域によってやり方があり、それを尊重するべきもので、遠州地方においては遠州流のやり方で施工すればいいでしょうけれども、福島県および茨城県北部においては「福島県および茨城県北部」のやり方というものがあるのですから、その地域のやり方で施工されるように、きっちりと配慮した営業が悪いのではなく、配慮できなかった営業の方が「気をつけろ」と言われなければならないのと違うのですか?・・・と思うのですが、それを営業本部長の天野隆夫に言っても通じません。
1993年1月だったか2月だったかに契約してもらった千葉県市原市で建ててもらったY様は、リビングルームに実際の薪を燃やす暖炉を設けたいという希望でしたので、契約前に(株)一条工務店の各部署に「暖炉を設けることはできますか」と尋ね、「できます」という返答をもらい、それをY様に伝えた上で契約いただきました。 小堀住研(株)では、暖炉を設けたいといった希望があれば、営業担当が考えなくても、設計課・工務課の方で、あらかじめ、暖炉についての情報はあり、設計課・工務課の方で、こういうものはどうでしょうか・・と提案したのです。営業はそれを見て、お施主様の希望にそったものかどうかを確認し、もしも、希望とずれているというようなことがあれば、設計担当にそれを言えばいいが、そうでなければ、設計担当の方で提案して進めます。しかし、会社によってやり方が違うようで、(株)一条工務店の場合は、「注文住宅だから、構造上、問題がない限り、どんなことでもできる」と言いながら、こういうことをやりたいと施主の希望を言うと、「それなら、営業さんの方で、カタログを取り揃えてください」と設計担当者が言い、工事課は「そういうのは営業さんが用意してください」と言い、積算部に言うと「営業さんの方でカタログを用意して、これをつけたいと言ってもらえば、金額を出します」と言うというもので、営業が何でもやらなければいけないという会社でした。 大変だなと最初は思ったのですが、神奈川県の茅ケ崎の営業所長だったT葉さんは、二級建築士の資格を持っていて設計事務所に勤務したこともあるそうで、そういう経歴の人でしたので、自分自身でプランニングをして、設計担当には、「これで清書してCAD図面にしてくれ」と依頼するという方法を取っていたようでしたし、古手の営業には(株)一条工務店の設計なんてあてにならんと認識して、自分で図面を作成して、「これで、お願い」と言って設計担当者にまわすという人がけっこうあったようです。 T葉さんは設計事務所で設計の仕事もしていたことがある人のようでしたので、そこまでできたようですが、そこまではできない営業の方が多いと思いますが、できてもできなくても、設計担当から「暖炉をつけてほしいのなら、営業の方で、こういうものをつけてくださいとカタログを用意して言うようにしてもらわないと」と言われ、工事課は「工事課は言われたことをするだけですから」と言われ、積算部は「カタログを用意してもらって、これをつけた場合の値段を出してくださいと言われれば金額を出します」と言い、それって、「積算部」というよりも「計算部」みたい・・と思ったものでしたが、そういう会社でしたから、暖炉のメーカー何社かにカタログを請求して取り寄せました。ところが、1993年5月頃、営業本部長で松戸営業所長を兼任していた天野隆夫がそれを見て、「おい、おまえ、いったい何やってるんだ」と言うので、「リビングルームに暖炉をつけたいという希望なので、カタログを取り寄せているのです」と答えたところ、営業本部長兼松戸営業所長の天野隆夫は何と言ったかというと、「何で、そんなもの、つけるんだ」と言ったのです。「ですから、お施主様の希望です」と言うと、「だから、施主の希望だからといって何でつけなきゃならないんだ」と天野隆夫は言うのです。「施主の希望ですから、つけるものでしょう」と言うと、「誰がそんなもの、つけろと言った!」と天野隆夫は言うのです。「ですから、お施主様が言われました」と言うと、天野隆夫は「そんなもの、つけなくたっていいだろ。」と言うのです。はあ? はあ? はあ~あ?・・・それで、「ですから、契約前に、『実際の薪を燃やす暖炉をリビングルームにつけたいのですが、一条工務店では暖炉をつけることができますか』ときかれたので、それで、設計や工事などの部署に確認したところ、『できます』ということでしたので、お客様にも『できます』と答えて契約してもらったのです」と答えたのです。すると、天野隆夫は「だから、契約前に、『暖炉はつけられますか』ときかれて『つけられます』と言って契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。今はもう契約してもらったんだから、『うちでは暖炉はつけられません』と言って適当に建ててしまえばそれでいいだろうが。何、考えてんだ、お前はあ~あ!」と言って怒鳴りつけられたのです。 「そんなわけにはいきませんでしょ」と私が言いましたところ、天野隆夫は「何で、そんなわけにいかんのじゃあ。契約前に『これはできますか』とお客さんから言われて『できます』と答えて契約してもらったんだろ。それで、今はもう契約してもらって契約金の百万円を入金してもらったんだから、『うちでは暖炉はできません』と言って適当に建ててしまえばそれでいいだろうが。それで、『暖炉がつけられないのならよそで建てます』と言うのなら、契約金の百万円をそのままもらっておけばいいことだろうが。何、考えてんだ、おまえは!! よく気をつけろお!!!」と言って怒鳴りつけられたのです。・・それでは、詐欺でしょうが、詐欺!!! 違いますか? 小堀住研(株)の新卒社員研修では「世の中には、人をだますのが仕事みたいな営業もあることはあるけれども、小堀住研の営業はそういう営業とは違います。お客様から『こういうものはお宅ではできますか』と尋ねられたら、実際にできるのかどうかわからないのに勝手に『できます』と答えて契約するようなことは絶対にやってはいけません。そういう時は課長か担当部署に確認して、できるということなら『できます』と返事をし、できないものはきっちりと『それはできません』と答えた上で契約してもらうようにしないといけません。契約前には『できます』と答えて契約してもらって、契約後に『できません』と言うというようなことは絶対にやってはいけません」と言われたものでした。私は、それは小堀住研(株)ではそうだけれども、他の住宅建築業の会社では違うというようなものではなく、どこの住宅建築業の会社においてもあてはまることだ、と思いこんでいたのです。ところが、(株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫が「契約前に、『これはできますか』と尋ねられたのなら、何でも『できます』と答えて契約してもらえばいいだろうが。それで、契約して契約金の百万円を振り込んでもらったなら、『うちではできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。もし、それなら解約すると言うのなら、契約金の百万円を振り込んでもらってるんだから、その百万円をそのままもらっておけば、それでいいことだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ~あ!!!」と言うのでした。小堀住研(株)の松戸営業課の営業課長だった I さんが「あまり下の方の会社に行くと、自分の心を責められるような営業をさせられるようになることがある」と言ったことがあったのですが、天野隆夫がやれと言うことというのは、まさにそうでした。 もっとも、(株)一条工務店の営業誰もが天野隆夫のようなことをしていたというわけでもありません。1993年、福島県いわき市の営業所に転勤した時、いわき市の営業何人かにこの話をしたところ、「それでは、詐欺だっぺえ~え」と誰もが言いました。だから、その時のいわき市の営業は天野隆夫のようなことはやっていなかったのです。天野隆夫は自分のやり方を「一条工務店のやり方」と言うのでしたが、たとえ、営業本部長であっても初代社長の義理の弟であったとしても、「天野隆夫のやり方」というのは「一条工務店のやり方」と一緒というわけではなく、多数派のやり方ということでもなかったようです。
私は、決して、自分で勝手に判断したのではなく、それぞれの担当部署に問い合わせて、できるかどうか確認した上で、「できます」と答えて契約してもらったのであり、そうであるからには、契約前に「できます」と答えて契約してもらったからには、ビジネスのルールとマナーとして、「できる」と言ったものは万難を排してやらないといけません。「何、考えてんだ、おまえはあ!!!」と言われなければならないのは、私ではなく天野隆夫の方です。
K野T夫さんが担当のお宅で、床柱の手前まで長押がくる施工になったことについて、お施主様が「この家(私が担当のO様宅)はきっちりと施工できてるじゃないか。なんで、うちの家はこういうようにやってもらえないんだ。なんで、うちの営業はここの営業のようにやってくれないんだ」と言われた、という件について、もしも、営業本部長の天野隆夫がそれを耳にしていたならば、おそらく、呼びつけにされた上で、「おまえのおかげで迷惑しただろうが。なんで、お施主さんが長押の方を止めてくれと言ったからといってそんなことするんだ。『これしかできません』と言って建ててしまえばいいだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ!!!」と言って怒鳴りつけられたことでしょう。なんで、私の方が悪いの? きっちりと配慮しなかった営業ではなく、きっちりと配慮した方の営業が何で悪いの? ・・・と思いますが、天野隆夫に言ってもだめです。「だめですよ、あれに言っても。なにしろ、あれは頭が薄いんですから」とベテランの某さんが言っていましたが、そういう営業本部長でした。
まず、一番の問題として、なぜ、(株)一条工務店は、日本全国に「浜松流」を押しつけないとおれないのか? 福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『田舎の生まれ』とか『田舎の住人』とか『田舎の出身』という意味での『いなかもの』は別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、それは良くない」と語ったというのですが、浜松において「浜松流」でやるのは、まあ、「浜松は政令都市に指定された、新幹線『ひかり』号も停車する、ホンダ・ヤマハ・カワイ、それになんちゃらエレクトロニクスがある大都会だ」とか言いたがる人が「遠州人」にはけっこういらっしゃるようですが、まあ、これを言うと「遠州人」に怒られるでしょうけれども、実際問題として、都会か田舎かというと、田舎だと思いますが、福沢諭吉が「『田舎の生まれ』とか『田舎の住人』とか『田舎の出身』という意味での『いなかもの』は別に悪いことはない」と言ったように、その意味で「いなか」であっても別に悪いことはないと思います。私は「田舎」は決して嫌いではありませんしね。しかし、「浜松流」を浜松と異なる地域にまで押しつけないとおれない症候群というのは、その「イナカ根性」というのは、それは、好きではない。福沢諭吉も「『精神面がいなかもの』というのは、それは良くない」と語ったように、《遠州地方とは違ったやり方がその地域のやり方である地域にまで「浜松流」を押しつけないとおれないシンドローム》というのは、それは「精神面がイナカモノ」です。浜松が田舎であっても別に悪いと思わないし、私は田舎は嫌いではないが、日本全国に「浜松流」を押しつけないとおれない「精神面がイナカモノ」は好ましくない。
だいたいねえ・・・、「『空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは正しい。しかし、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは間違っている」と言うと、「遠州人」〔(株)一条工務店の遠州人〕は激怒するのです。名古屋南営業所の所長だった近藤路夫さんなんか、「浜松でいいものは、東京でも大阪でも日本全国どこでもいいに決まってるんだ。こんな常識もわからんのかあ!!!」と言ってひきつけ起こして叫びますから・・・( 一一)

「てんかん」のことがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版) - 中里信和
《 井の中の蛙(かわず) 大海を知らず ・・・ 考えのせまい人を嘲笑することばで、自分のせまい知識や見かたにとらわれて、ほかにもっともっと広い世界があることを知らないのをいう。
これを西洋では、「一度も村から出たことのない者は自分の村の鐘つき堂しか見たことがない」という。》
( 折井英治編『暮らしの中のことわざ辞典』1962.9.20.集英社 )
《 マルクス主義者は問題を見る際、問題の部分だけでなく、全体を見なければならない。井戸の中の蛙が「空の広さは井戸と同じだ」というなら、それはまちがっている。空の広さは井戸どころではないからだ。蛙がもし「空のある一部分の広さは井戸と同じだ」というなら、それは正しい。事実に合っているからだ。》
( 毛沢東「日本帝国主義とたたかう戦術」1935.12.27. 『毛沢東語録』〔1972.改訂2版。和田武司・市川宏訳。河出書房新社〕所収。)

毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 実, 竹内
浜松の中の蛙が「空の広さは浜松の広さと同じだ」と言うなら、それは間違っている。蛙がもし「空のある一部分は浜松の広さと同じだ」と言うならそれは正しい。事実に合っているからだ。・・・と言うと怒りよるんだわ、「遠州人」は。「浜松でいいものは日本全国どこでもいいに決まってるんだ。それが常識なんだ」と近藤路夫さんなどは叫ぶのだ。 「それは違いまっせ」と何とか教えてあげようと思っても、無理! そういう「ほとんどビョーキ」の人を「治療」してあげようと思っても、無理です。
JR只見線が全通した時、会津地方の人間は「これで、『会津の人間は、海と猪苗代湖なら猪苗代湖の方が広いと思っている』と言われずにすむ」と言って喜んだ、という記事を見たことがあるが、浜名湖の場合は海に近い・・というより、浜名湖は、一部分、海とつながっているので、いかに「遠州人」といえども、「海と浜名湖なら浜名湖の方が広いと思っている」ということはないだろう・・・と思ったのだが、「(株)一条工務店の遠州人」の場合は、もしかすると、「海と佐鳴湖(さなるこ)なら佐鳴湖の方が広いと思っている」という人間がいるのではないのか? ・・という感じすらする。

※ 《ウィキペディアー佐鳴湖(さなるこ)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%B3%B4%E6%B9%96
「いなか」そのものは別に悪くないのですが、「海と佐鳴湖なら佐鳴湖の方が広いと思っている」ような思考というのは、それは良くない・・と思うのですが、そう言うと「遠州人」は怒るのです。怒るのならその「浜松の中の蛙」的思考を改めたらどうなんだ・・と思うのですが、蛙は決してその思考を改めないし、その思考を改めるのではなく、それを指摘する人間に対して怒るのです。
K野T夫さんについては、実際にどちらなのか、よくわからないところがあります。「どちらなのか」というのは、
(1) 床柱と長押の関係なんて、何も言わなくても(株)一条工務店がしかるべく施工するだろうと思いこんでいたら、そのお施主様の家の工事が進んできて、お施主様が見たら、思っていたのと違った。これはおかしいから改めてくれと、その段階で言われたが、すでに床柱は入れられて建物の工事は進んでおり、床柱には長押を前まで持ってくるという前提で機械プレカットで床柱の前面が削られているので、そこから、何とかしようと思ってもできない・・・ということだったのか、それとも、
(2) 私が住宅展示場の床の間をOさんが見て指摘されたように、図面決定より前に、お施主様が(株)一条工務店の展示場の床の間を見て、これはおかしいから、床柱を下から上まで見せて、長押は床柱の手前で止めるように施工してくれと言ったのに、K野T夫さんが「こういうやり方しかできません」と言って、施主の希望を拒否したのか。
どうも、どちらだったのか、よくわからないところがあります。
私は、小堀住研(株)の新卒社員研修の時に、「お客様から、こういうことはできますかと質問されたなら、自分がわかっていないのに適当に『できます』とか『できません』とかあてずっぽうで答えるようなことは絶対にしてはいけません。わからないことは、『今、わかりませんので、調べて連絡します』と言って、課長にきくか、担当の部署に問い合わせるかした上で、確かめて、1週間以内くらいにきっちりとしたことを答える、というようにしてください」と言われた。そして、これは、小堀住研(株)ではあてはまるが、他の住宅建築業の会社ではあてはまらないというものではなく、どこにおいてもあてはまるもののはずだ、と理解していた。・・ところが、(株)一条工務店では、営業本部長の天野隆夫から「お客さんから、こういうものはできますかと尋ねられたのなら、何でも『できます』と答えればいいだろうが。その上で契約してもらって、契約書にサインしてもらって契約金の百万円を振り込んでもらったなら、『うちではそれはできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが! 何、考えてんだ、おまえはあ!!!」と言って怒鳴りつけられたのです。
私は「お客様から、こういうことはできますかと質問されたなら、自分がわかっていないのに適当に『できます』とか『できません』とかあてずっぽうで答えるようなことは絶対にしてはいけません。わからないことは、『今、わかりませんので、調べて連絡します』と言って、課長にきくか、担当の部署に問い合わせるかした上で、確かめて、1週間以内くらいにきっちりとしたことを答える、というようにしてください」というのは、これは、小堀住研(株)の新卒社員研修で教えられようが教えられまいが、当たり前のことだと思っていたのです。ところが、(株)一条工務店においては「当たり前」ではなかったのです。
そのあたりを考えると、K野T夫さんは(1)だったのだろう、入社してまだ社歴がそれほど古くない人にとっては、あまりきつく責めるのはそれは酷だ・・と思ったのですが、はたして、(1)だったのか、それとも、もしかして、(2)だったのか。どうも、よくわかりません。
K野T夫さんがどちらだったのかわかりませんが、実際に(2)の対応をする人というのは存在します。特に、(株)一条工務店は初代社長の大澄賢二郎が「人みたいなもん、求人広告さえ出せば、いっくらでも採用できる。求人広告にはいくらでもカネをかけろ。求人広告にはいくらでもカネをかけて、中途採用の従業員はどんどん採って、片っ端から辞めさせろお!」と叫んでいたというのですが、その「人みたいなもん、求人広告さえ出せばいっくらでも採用できる」というそういう認識をしていたのでは、生物学上の「人」は採用できても、その仕事を自分の所の会社でやってもらうのに十分適した人を採用するのは簡単ではないでしょう。 生物学上の「人」でさえあればいいというような、そんないいかげんな認識で採用をやっている会社ですから、↑の(2)のような対応をする人も入社してきているはずです。かつ、営業本部長の天野隆夫はそういう対応をする人を好むのですから、そういう対応をしている人はけっこういるはずです。
そして、
〔1〕 営業個人との契約ではなく、お客様は会社と契約するのですから、営業担当者がミスをすればそのままミスした結果の家になる・・というのではなく、たとえ、営業担当者がミスをしても、他の者がカバーして、最終的にはおかしくないものができる・・というように、会社としての体制を整えるべきです。特に、その時のK野T夫さんのようにまだ社歴が浅い人の場合には、会社としてカバーする体制をとっておかないと、その時のような事態は起こります。 ところが、(株)一条工務店は、営業担当にまかせきりで、営業担当者がミスをすればそのままミスが結果に出るし、営業担当者が新人でも「少々困った人」でも、会社として対処しようとしない・・・というのは、それはやはりおかしいのではないか。
〔2〕 又、「黙って座れば浜松流」というのは、遠州地方においてはそれでもいいでしょうけれども、遠州地方とはその地域のやり方が違うという地域においては、「黙って座れば浜松流」ではなく、「黙って座れば、その地域のやり方で」というようなシステムにしておくべきです。〔この場合、「黙って座れば」というのは「特に何も言わなければ」「特に指定しなければ」という意味です〕・・これを言うとまた、「浜松のやり方は日本全国どこでも絶対的にいいんだ。こんな常識がわからんのかあ~あ!」とひきつけ起こして叫ぶ「遠州人」が出てくるでしょうけれども、そういう人は、「不破の関・鈴鹿の関より東、箱根の関より西の地域」から外に出ないようにして、もう、その井戸から外には出てこないように、その井戸の外のことについて口出さないように、会社として対策をとってもらいたいものです。
・・・・やっぱり、ほぼ全国で建てるようになってきた会社ならば、この2つは必要なことと思います。
「空の広さは浜松の広さと同じだ」と思っている人は、不破の関・鈴鹿の関より西、箱根の関より東には出てこないように、関所の守りをきっちりとやってもらいたいものです。
もうひとつ、床柱をすでに機械プレカットで長押を組み合わせる部分を削ってしまったという場合ですが、そこまでやったなら、長押が床柱の前までこない施工にしたいと思っても、本当にどうしようもないのか?
(株)一条工務店の場合、カリン、もしくは紫檀・黒檀などの床柱は、建物の荷重は受けないように施工しているのですから、ある程度、工事が進んでからでも、引っこ抜くということは「できないこともない」ということはないか?
かつ、引っこ抜くことができたならば、その床柱に前にきた長押を組みあわせるように機械プレカットで削ってしまったとはいえ、同じように長押を前にして施工する工事現場でそれを使用すれば床柱を無駄にすることもないでしょうから、それで、全面を削っていない床柱をなんとかつっこんで入れるということができるのではないのか?
もし、引っこ抜くことができなかったとしても、「埋め木」という方法、削ってしまった部分に木を埋め込んで上から塗装してわかりにくくするという方法も考えられるのではないか。 但し、最近の大工は、「埋め木」なんてのをあまりやらない。宮大工がお寺とか神社の補修工事をする場合ならやっても、町家の大工はやる人はあまりないのではないか。
そういう場合の方法として、「ウルトラC」みたいな方法というのかがあって、「モルタルをつめる」というのがあるはずなのです。これは我が家に来たリフォーム屋がやったことなのですが、屋外に出ている木で部分的に痛んでいるものに、「モルタルをつめる」ということをやってその上から塗装すると、よほど近くまで行ってじっくりと見ないとわからないのです。 そんなやり方があるのか・・と思い、自分の家で、屋外に出ている構造材でない木材でやってみたことがあるのですが、しろうとがやると職人がやったのと同じにはならないのか、上から塗装した部分が、しばらくすると塗装が取れてきて、モルタルをつめた部分は「モルタル色」というのかが見えてきました。しかし、屋内なら濡れないので、塗装がとれてしまう可能性は低いのではないか。そういう手だって、「あることはある」はずなのです。
そのあたりも、K野T夫さんは「できません」と自分で決めて答えてしまっているようなところがあります。
(株)一条工務店という会社は、施主の方に我慢させるということが多い会社で、「『このやり方しかできません』と言って建ててしまって引き渡せばいいだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ」と天野隆夫などは言うでしょうけれども、そういう「施主の希望をできる限り満たす」という姿勢ではなく「施主に納得させろ」という方針というのは、どうなのでしょうねえ・・・・。そういうのを「営業力」だと思いますか?
「モルタルをつめる」なんてのは、リフォームの場合ならともかく、新築において床柱にそれをやると言うと、たぶん、それをお施主さんに言うと「なんで、新築の家でそんなことされなきゃならんのだ」と言われるのではないかと思います。 しかし、それでも、K野T夫さんが、そういう方法でも頭に考えたか? 考えたけれども、それはお施主さんに言っても、怒らせるだけだから、むしろ、言わない方がいい・・と判断して言わなかったか、そうではなく、そういったことを何も考えなかったから言わなかったか?
「床柱をひっこぬいて、別の床柱と入れ替える」という方法は考えられると思うのです。但し、無暗にそれを認めてしまうと、取り換えないといけない床柱だらけになってしまいますが。 引っこ抜いた床柱は、他の所で使えると思うのです。引っこ抜く時に、上下で痛む部分が出てくるというのなら、(株)一条工務店は天井高について、1階天井高275cmのタイプと250cmのタイプ(いずれも洋間での高さで、和室はそれより若干低くなりましたが)があったのですから、もしも、引っこ抜くに際して、上の部分で傷がつくとかあれば、天井高が低いタイプの方でその床柱は利用するとか、やりようはあったのではないのか。
そういう時に、「何とか、お願いできませんでしょうか」と会社に対してお願いする営業と、そういうことを考えない営業がいるのです。考えない人の方を(株)一条工務店の経営者は喜ぶのですが、そういうのを喜んでいいのでしょうか? それは喜ぶべきものでしょうか?
K野T夫さんは、1998年に私が栃木県佐野市の営業所に移った後、辞めてしまったようですが、同じ営業所にいた人間として、協力したい気持ちにもなった反面、協力したくない気持ちになることもあったのです。
私は、営業本部長の天野隆夫から、転勤してくれと頼まれたので、(1)会社のためなら協力したいと思ったことと、それから、(2)いわき市に4か所の営業所(展示場)があって私が勤務していた展示場が一番条件が悪いと誰もが言っていた展示場だったのですが、私は5年間ずっとそこにおらされた。 営業成績というのは、営業の能力だけで決まるのではなく、その場所の条件だけで決まるのでもなく、その両方で決まるものですから、一時的になら条件が悪い場所に配属されてもしかたがないとしても、いわき市の営業所に5年間いて、その間に、1人だけ移るとかではなく、全体をシャッフルするような移動が2回あったのに、私1人だけがずっと一番条件が悪い展示場に据え置かれた。
私は所長の草野さんに言ったのです。「会社というものは従業員に不公平がないようにするべきものだと思います。いわき市に展示場は4つあって、すでに、いわき地区で全体が動くような人事異動が2回あったのに、なぜ、私1人だけが、この一番条件が悪い展示場にずっとおらされるのですか。いわきにいる営業社員は、誰もがこの展示場が一番条件が悪いと言っていますでしょ。そこにずうっとおらされているのは私1人だけですね。どうしてですか。 最初、ここにいた人でも、私以外の人は他の展示場に移ってますよね。どうして、私1人だけがずう~っとここにおらされるのですか」と。
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そうすると、所長の草野さんは「ここの展示場は和風の展示場で、しかも、総合住宅展示場の入口から遠い場所にあって来場客数が少ない展示場で、和風の展示場に来る人というのは、木にうるさかったり、家相にこだわったり、なかなか難しい人が多いので新人では厳しいから、だから、経験があって実力のある人にいてもらわないといけないんだ」と。 なんか、ぼけっと聞いていると、「経験があって実力のある人にいてもらわないといけないんだ」なんて言われるとほめられたみたいな気がしてしまいそうですが・・・、要するに、なんだかんだ言って、ひとを条件の悪い場所におらそうとしているのです。そうはイカのち〇ち〇、だったか、イカのきん〇ま・・だったか。
私は言ったのです。「それなら、草野所長がここに来てくださいよ。所長が一番経験があって実力があるじゃないですか。私は所長が実力があるというのを否定したりしませんよ。草野所長が営業としての実力のある人だと心の底から思っておりますよ。経験年数も所長の方が私よりずっと長いじゃないですか。ぜひとも、所長がここに来てくださいよ。私、かわりに所長がおられる所に行きますよ。入れ替わりましょうよ」と。
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すると、草野所長さんはどう言ったかというと、「営業成績のいいもんが、一番条件のいい場所に行くんでえ~え」と。
それで、私は言いました。「なるほど。成績の悪い者が条件のいい展示場に行くのではなく成績のいい者が条件のいい展示場に行くのだ、という理屈ですね。 所長の営業成績がいわき地区の営業の中では一番ですから、だから、所長が一番条件がいい場所に勤務されるというのはわかりました。しかし、私だって一番営業成績が悪いわけではないはずです。私だって、所長よりは契約棟数が少ないとしても、いわき地区の営業の中では、通算契約棟数で見ても、前年契約棟数で見ても、過去3年間の契約棟数で見ても、最低でも真ん中より上のはずです。それで、なんで、一貫して一番条件が悪い展示場におらされなければならないんですか。私よりも営業成績が悪い人は何人もいますでしょ」と。
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すると、所長の草野さんはまたもや、「ここの展示場は、来場客数も少ないし、和風の展示場で、和風の展示場の来場客というのは、木にうるさかったり、家相にこだわったりする人が多くて、新人ではきつい展示場だから、経験があって実力がある人にいてもらわないといけないんだ」と言うのです。「ですから、所長が一番経験があって実力があるじゃないですか。所長がここに来てくださいよ。私、所長がおられる所に移りますから。今すぐ、入れ替わりましょうよ」と。
そうするとまたもや、「営業成績のいいもんが、一番、条件のいい展示場に行くんでえ~え」と。「だから、所長の営業成績が一番だということはわかりましたけれども、私だって最低じゃないはずで、いわき地区の営業の中では少なくとも真ん中より上のはずですから、ここにいなきゃならない理由はありませんでしょ」と言うと、またもや、「ここの展示場は来場客数が少なくて、和風の展示場で、和風の人というのは、木にこだわったり、家相にうるさかったりする人が多くて、新人ではきついから、経験と実力のある人にいてもらわないといけないんだ」と・・・。
はてしなく、この繰り返し・・( 一一)( 一一)
・・・、何、これ・・・( 一一)( 一一)( 一一)
さらには、1992年に江東区潮見の東京展示場に入社した時、東京展示場は、ある程度、経験のある営業は「リーダー」の宮崎さん1人だけで、他は新人ばっかりで、新人ばっかりで最大で13人も押し込められていたのだったが、『ビーイング』の求人広告には「研修制度が充実していますから、売れなくて困ることは絶対にありません」などと書かれていて、ちっとも充実してないじゃないか! 嘘ばっかし・・だった。 そういう時、やっぱり、経験のある人がいて指導してもらえれば・・・と思ったが、そういう人がいなかった。 ところが、そのうち、会社が、すべての営業社員を「応援者」と「被応援者」に分けるということをした。 それはおかしいと思うのだ、「応援者」と「被応援者」の2つではなく、「応援者」と「被応援者」とどちらでもない者の3つに分けるのならわかる。 2つに分けたのでは「被応援者」と成績の変わらない「応援者」、「応援者」と成績の変わらない「被応援者」が出てくるし、出ていた。 なんで、この人に「応援」されなきゃならないの? というケースが出ていた。
過去の営業成績をもとに、本社の人間が事務的に「応援者」と「被応援者」に分けるということをした時、私は「応援者」にされた。営業成績から考えて妥当だった。 ところが、その後、営業成績とは無関係に所長が「応援者」と「被応援者」を決めるという制度に変わったところ、私は前年契約棟数で見て私の半分も契約を取っていないKさんを「応援者」にされてしまった。前年だけではなく、過去3年間の契約棟数で見ても、いわき地区に来てからの契約棟数で見ても、入社以来の契約棟数で見ても、その人と私となら、私はその人より条件が悪い展示場か同じ展示場かにいて、すべての年において、私の方が契約棟数は多いか同じ棟数かだったのに。 会社からの通達では「営業成績を見て、応援者と被応援者に分けます」と書かれていたはずなのに、私の半分も契約とってない人を「応援者」にされた。これは失礼である。
私は、所長の草野さんに言ったのだ。
「(1) 最初、浜松の本社の人間がここしばらくの営業成績を見て事務的に『応援者』を決めた時には私が『応援者』に指定されたのに、所長が『応援者』を決めることになると、なんで、私の半分も契約とっていない人を『応援者』にして、少なくともその人の倍以上は契約とってきた私を『被応援者』にされなければならないのですか。その理由は何ですか。浜松の本社の人間が事務的に決めた時は私が『応援者』になっていたのに、所長が決めるということになると、私の半分も契約とってない人を『応援者』にするというのはおかしいでしょ。
(2) 1棟だけ私の方が契約が多いというくらいなら、Kさんの方が入社が先だからとか歳が上だからということもあるかもしれないけれども、倍以上契約とったのに、それなのに、半分未満の人間が『応援者』で、倍以上契約とった者の方を『被応援者』にするということなら、何のための制度かわからなくなりますでしょ。
(3) 今、いわき地区にいる人で、Aさん・Bさん・Cさん・Dさんは前年の契約棟数と過去3年間の契約棟数を見て私と同じか私よりわずかに少ない棟数で、かつ、いる展示場が私よりも条件がいい展示場にいた上での成績でしょ。その人たちが『応援者』になっていて、なんで、その人たちよりも条件が悪いと誰もが認めている展示場にいてその人たちと同じかその人たちよりもいい成績を残してきた私が『被応援者』にされなければならないのですか。 たとえ、わずかでも数字が上なら、条件がいい展示場にいたということがあっても、それでも、わずかでも数字が上の方が上と評価されることもあるかもしれないけれども、条件が悪い方の展示場にいた人間が同じ営業成績かわずかでも上の数字ならば、条件が悪い方の場所にいて成績がわずかでも上の者の方が上でしょ。それから考えれば私の方が上のはずです。そちらの方が『応援者』になるものでしょう。どうして、私だけ、『応援者』にならないのですか」
と言ったのだが、はぐらかされた。特に(1)の《最初、本社の人間がここしばらくの営業成績を見て事務的に『応援者』を決めた時には私が『応援者』に指定されたのに》という部分については、「そんなもの、あったかあ」などとカマトトされた。
※ 「カマトト」とは、
《 かまとと【蒲魚】 (蒲鉾を、「これは魚か」ときくことからいう)わかっているくせにわからないふりをすること。なにも知らないような顔をして上品ぶり、またおぼこらしくふるまうこと。また、その人。》
( 新村 出(しんむら いずる)編『広辞苑 第二版』1969.岩波書店 )
「そういう言い方は楠くんに失礼だぞ」などと言うのだが、「そういう言い方」されるのが嫌なら私の半分未満しか契約取らないのではなく、私より多く契約取るか、自分の倍以上契約とった者の「応援者」になろうなどということはしなければいいのだ。自分の倍以上の契約を取った者の「応援者」になってやろうという人間の方こそ、よっぽど「失礼」であろうが!!! 私の半分未満しか契約とってない人間が「失礼」もくそもあるか! 私と同じ場所か私より条件がいい場所にいて、私の半分未満しか契約とってない人間が、自分の倍以上の契約をとっている人間に対して「応援者」だとか主張することの方がよっぽど失礼であるはずだ。
入社直後の「応援」してくれる人がいると助かるという時にはひとりでさせておいて、逆にひとを応援できるくらいになると、むしろ、足手まといになるような人を「応援者」だと言ってくっつける。「バッカじゃなかろかルンバ♪」てことを(株)一条工務店はやる。
さらに、Kさんが新潟県の展示場に転勤していなくなると、今度こそ私を「応援者」にしてくれて良さそうなものだが、いわき市の他の展示場から「アルツハイマー」と言われるS藤賢二さんを私と同じ展示場に配属させて、S藤賢二さんを「応援者」にしてしまった。こんなバカな話はない。その人は私がめんどう見てきてあげた人じゃないか。その人は営業として独り立ちして仕事ができていない人で、私がずっとめんどう見てきてあげた人じゃないか! なんで、めんどう見てきてあげた人間が「被応援者」にされて、めんどう見てきてもらった人が「応援者」になるんだ! これでは、「従業員の営業成績をあげるため」とはまったく逆のことをやっている。私はこれも所長の草野さんい言った。 「S藤さんは私がめんどう見てあげてきた人じゃないですか。なんで、私がめんどう見てあげてきた人をめんどう見てきた者の『応援者』にされなきゃならないんですか」 と。
「被応援者」になった人は、契約までに「応援者」に一度は同席してもらわないといけません・・・とか言って、私の半分も契約取っていない人を「応援者」にされるとどうなるかというと・・、どうなると思いますか? Kさんは「私は本当はもっと契約とれるんだけど、わざと取らないようにしてるの」とか何とか言ってかっこつけていましたが、嘘です。だいたい、「もっと契約とれる」のなら取ればいいじゃないですか。私はKさんに契約取らないでくださいなんてお願いしたことは一度もありませんよ。 契約があがっていない人というのは、お客さんに変なこと言うのです。本人、わかっていないと思いますが、そういうことがあるのです。そういう人に同席させなきゃならないというのは迷惑なんです。それは「足手まとい」をつけられているのと同じなのです。
私の半分も契約とっていない人を「応援者」にされたり、私がめんどう見てきてあげた人を「応援者」にされたり。これも、草野所長さんに言いました。「なんで、私を『応援者』にしてくれないのですか」と。 草野所長さんは「おい、おまえ、楠くんのことをそんな言い方するのは失礼だぞ」と言うのですが、楠さんの倍以上は契約取った者に対して、その言い方こそ失礼でしょう。同じ場所にいて、人の倍の契約棟数をあげるというのが、どれだけ大変か、いわき地区で相当多くの契約をあげてきた草野所長ならわからないはずないのです。その上で、そういう失礼なことを口にしているのです。もしも、1棟だけ多いとかそのくらいならば、Kさんの方が年齢は上だとか、入社はKさんの方が先だとかいうことで、Kさんを「応援者」にするという選択もありかもしれませんが、その程度ならば、「まあ、しかたがないか」と考えることもありうるかもしれませんが、倍以上、契約とったのに、それはないだろう。倍以上、契約とるためには、それなりに努力もすれば苦労もしてきているのです。わからんのか、(株)一条工務店の経営者は?・・・というと、アホやからわからん・・のかもしれませんね・・。 又、佐藤賢二さんのめんどうを私がずっと見てきてあげたということも、草野所長さんは知っているはずなのです。めんどう見てきてあげた人間を「被応援者」にして、めんどう見てきてもらった人間を「応援者」にするなどという、そんなバカな話はないでしょう。
佐藤賢二さんは、「S藤さんはアルツハイマーだからしかたがない」と言って何をやっても免責にしてもらうことができるみたいに言う人がいましたが、それは卑怯です。勝手な時だけ「アルツハイマー」になるというその手口。その手口は相当巧妙であり、その部分については相当頭がいいはずです。
誰にだったか忘れてしまったが、私は会社に言ったことがあります。「この人は、誰か、しっかりした人と同じ展示場に配属して、おかしなことをしないか、常に見ておくようにしないと危ないですよ。私の場合は、S藤さんは自分より年下で、自分より後から入社した人間だと思ってなめていますから、私ではだめです。できれば、佐藤さんより年上で、佐藤さんより古くから会社にいる人で、佐藤さんより上の役職をもらっている人で、ある程度しっかりした人と同じ展示場に配属して、おかしなことをしないか、常に見ておくようにしないと、何かしますよ」と、私は会社のためを思って言ったのです・・・・が、人がせっかく会社のためとS藤さんのための両方のためを思って言っても、言っても言ってもきかない会社はどうしようもない。私が栃木県の営業所に移ったすぐ後、やっぱり、私では自分より年下で自分より後から入社した者だと思ってなめていたとはいえ、いくらかなりとも役に立っていたようで、私がいわきにいなくなってすぐ後、S藤賢二さんは、調整区域という家を建ててはいけない場所に建てようとして、建築指導課から注意を受けて、あやうく、いわき市では(株)一条工務店は建てられなくなってしまうところだった・・・・と。それで、S藤さんは解雇された・・・と。 だから、言ったでしょうよ。誰か、ある程度、しっかりした人で、できれば、S藤さんより年上で、S藤さんより先に入社した人で、S藤さんより上の役職を持っている人と同じ展示場に配属するようにして、おかしなことをしないか、常に見ておかなくようにしないとこの人は危ないですよ・・・と。私が会社のためとS藤さんのためと両方のためを思って、せっかく言ってあげてるのに、なんできかないんだよお!!! このボケえ!!! ボケ、ぼけ、ボケ、ぼけえ!!!・・・ということばっかり、(株)一条工務店という会社は。
私は、「慶應大学の商学部の卒業生として入社」したと思っていましたから、だから、その年その年の営業成績よりも、会社を運営するための能力を身につけるということの方を重視して考えていたし、そのためには、条件が悪い方の展示場も経験していいと思っていたし、そもそも、条件がいい場所ばっかり経験してきたというような人間にろくな人間いないし。 「会社を運営する人材」として入社したつもりでしたので、だから、「他の人間がしない苦労もして、他の人間がしない努力もして、他の人間がしない我慢もする」というのもしかたがないと思ってやってきたけれども、しかし、いくらなんでもおかしいのではないか。 そして、(株)一条工務店は、営業の場合、昇進は営業成績をもとに決めることにしていたが、そうなると、条件がいい営業所にいる人間はたいしたことない人でも昇進して、私のように一貫して条件が悪い所にばっかり配属されてきた者は昇進できないことになってしまう。 どうも、もう少しのところで、その基準に足らないということがあり、会社はそれをわかっているはずですから、わかっていて条件が悪い所に一貫しておらせるというのはどういうことなんだ、と思いました。そういう時に、栃木県の営業所に移ってもらいたいと営業本部長の天野隆夫が言ってきたので、会社のために必要なことなら協力したいということもあるけれども、(株)一条工務店の場合、規定の入社後の年数と通算契約棟数・通算引渡棟数を満たす者が会社都合での居住地変更をともなう転勤をした場合には、「特進転勤」として「副店長」に昇進という規定があったので、5年も我慢を重ねていわき市で一番条件が悪い展示場で奮闘してきたのだから、「副店長」に昇進させてもらえるのなら、他の県に行ってもいいわ・・・と考えたのです。
ところが、営業本部長の天野隆夫に「特進転勤ですね」と言うと、「今は、特進転勤という扱いにはしないんだ」と言うのです。その制度はなくなってないはずなのですが、それでも、営業本部長の天野隆夫が「前は特進転勤ということにしたけれども、今は会社都合の転勤をしても特進転勤ということにしないんだ」と言うのでしたが、それでも、「展示場リーダー」としてその展示場のアタマとして行くという話でしたから、それならば行こうということで転勤を了承しました。・・・ところが、そこでも騙された。行ってみると、なぜか、私より社歴が古い武田さん(男。当時、30代)が茨城県の営業所から私と同じ時に転勤して「リーダー」になっていた。話が違うじゃないか!〔⇒《ニコニコ-1989年11月22日 邦楽 「勇気のしるし リゲインのテーマ」(牛若丸三郎太(時任三郎))》https://www.nicovideo.jp/watch/sm35639218 〕
それだけではない。佐野展示場の営業は私と同じ時期に転勤して赴任した武田さんは、歳は私より下だったが、私より入社は前で、通算契約棟数も私より多かったので、私が「展示場リーダー」になるということでの「特進転勤」で転勤したという事実を別にすれば、武田さんとならば過去の通算契約棟数と在籍年数で見れば武田さんの方が「リーダー」になるというのはありえないことではない。しかし。 在籍営業5人のうちで、在籍年数は私の半分未満で、前年契約棟数がゼロ棟の上岡を「応援者」にして私をまたもや「被応援者」にした。 上岡が前年契約棟数がゼロ棟ということは前年契約棟数は無限大に私の方が多いし、通算契約棟数も私の方が多いし、在籍年数も私の方が長いし、会社が取得を希望している建築・住宅関連の資格も私はいくつか取得しているのに対して何ひとつ取得していないし、何より、「特進転勤」という制度により「会社都合での居住地変更をともなく転勤」を負担を払って私はしたのに対して上岡はそのようなものはしていない。どれを取っても私より格下の人間、個々に見ても全体で見ても私より格下の者で勤務態度もよくない者を「応援者」にして、「応援者」で「リーダー」として移るという話で転勤を承諾したはずの私を「被応援者」にした・・というのは、これはもう、「喧嘩売ってる」としか考えようがない。いわき市の営業所で、私の半分未満しか契約をとっていなかった楠さんは、私より入社は先で年齢も私より上だったので、もしも、私の半分未満ということではなく1棟だけ少ないというくらいならば、「年齢が上で入社が先だから」ということで楠さんが優先されるということも考えられないことはなかったとしても、倍以上とった者に対して半分未満の者が「応援者」になるのはおかしい。上岡に至っては、在籍年数は私の半分未満で年齢は同年代ですから、これは「応援者」の制度の趣旨を土足で踏みにじるものであるとともに、営業本部長の天野隆夫が私に転勤を頼んだ際の話の内容ともまったく異なるものです。
ひとつには、その時の栃木県地域の営業所長の五十嵐が自分と経歴が似た人間を評価する男で、五十嵐は上岡くんと経歴が似ていたので、それで上岡くんを「応援者」にしたかったようで、同時に私は天野と五十嵐から「なめられていた」ということがあったようだ。 どういう経歴だったかというと、「最終学歴:底辺の方の高校卒、前職:クルマ屋、建築・住宅関連の保有資格:なし」という点で五十嵐と上岡は共通していたようだった。しかし、私は会社が就業規則で定めた「特進転勤」の規定を満たしてその条件で転勤したのに、営業本部長の天野隆夫が「特進転勤には最近はしないんだ」と言って文章で規定されているものを踏みにじって「副店長」昇進にはさせなかったという点については承諾したとしても、あくまでも「展示場リーダー」で「応援者」として行くということで承諾したのであって、自分の半分も在籍していない前年契約棟数ゼロ棟で、勤務態度も良くない人を「応援者」にされて、「被応援者」にされるということで承諾したのではないのです。これは、明らかに、「喧嘩売られたとしか考えられない」のです。天野と五十嵐に罠にかけられたのです。いわき市の営業所にいた時、楠さんが私の半分未満の契約棟数でも楠さんが「応援者」にされて楠さんの倍以上の契約を取ったにもかかわらず私が「被応援者」にされたというのは、楠さんの方が社歴は長いということがあり、それから考えて、「『倍以上』ではだめだということなら、それなら『3倍以上』契約取れば文句ないのだろう」と考えるということだってできたのです。しかし、在籍年数が私の半分未満の人で前年契約棟数ゼロ棟の人を「応援者」にされたのでは、これは何倍契約とってもだめだということです。(株)一条工務店ではどんなに努力して実績残しても、どんなに苦労して実績残してもだめだということになります。話にならないのです。従業員は給料もらうために会社に勤めているのです。それをこういうことをされたのでは、これは黙っていてはだめでしょう。私は入社以来、毎日毎日、毎年毎年、(株)一条工務店のために自分を犠牲にして滅私奉公を続けてきたのに、天野隆夫と五十嵐に罠にかけられたのです。許していいことと良くないことがある。(株)一条工務店という会社は、会社のために尽くしたり我慢したりすると、普通の会社ならそういう人はその分だけ評価されると思うのだが、逆に、こいつは我慢する人間だから我慢させればいいというように解釈するようなところのある会社だった。それなら、我慢してはいけないということになる。又、五十嵐は「上岡くんは爆発力がある」などと言うのですが、たしかに、上岡くんは気にいらないことがあると爆発するという「爆発力がある」男で、そういうところを五十嵐は評価するようでしたが、私にとっては関係ないことです。
五十嵐さんと話をすると、たとえば、1993年に名古屋の八事営業所で営業成績があがっていなくて松戸に転勤してきた松下は会社が何かしようとして従業員がそれはひどいと多くの人間が思ったという時、常に会社に同調する発言をして自分だけ評価してもらおうとする人間でその精神構造が筋金入りにできていて、営業本部長の天野隆夫はそういう人間が好きだったのだが、五十嵐さんはそういう松下のようなイヌコロ根性はない人で、そのあたりを見ると、この人はそんなに悪い人じゃないようだと思ったし、福島県中通り地区の所長だった片山が五十嵐さんのことを「天野部長の腰巾着」と言っていたようだが、そんなに「腰巾着」というような感じではなく、むしろ、片山の方こそ「大澄社長の腰巾着」と従業員の間で言われており、見ていてもそんな感じで、現実に片山は「腰巾着」としての行動をとっており、その片山に比べれば五十嵐さんは””「腰巾着」度””ははるかに低い人だったと思うのだが、どうも、自分と経歴が似ている人間をそれだけで高く評価したがる傾向があり、そのあたりを見ると、「やっぱり、『高卒のおっさん』やなあ」という印象を受けた。私が佐野展示場に赴任した時、私と一緒に佐野展示場に移動した武田さんと私を別にすると、3人の営業社員がいたが上岡はお客さんとの関係が一番悪い。それは「人間性の問題」があると思うが、それとともに「考えずに仕事をしてきた」人だからだ。最初に景気がいい時期に入社した人・最初に条件がいい場所に入社した人というのはそうなる傾向があるが上岡もそういう傾向があった。私は、あくまでも、「リーダー」で「応援者」として行くということで、会社都合での居住地を変わる転勤を承諾したのですから、そうしてもらわないといけません。そうでなければ、就業規則上、「特進転勤」という制度は有効ですから、《「副店長」昇進と、2棟契約扱い》にしてもらわないといけません。
いわき地区の草野所長さんが「ここの展示場は来場者数も少ないし、和風の展示場で、和風の展示場というのは、木にうるさい人とか、家相にこだわる人とかが多く、新人では厳しい展示場なので、経験と実力のある人にいてもらわないといけないんだ」とおっしゃったわけで、そこでは「経験と実力のある人」と認定してもらったわけですが、ところが、営業本部長の天野隆夫から頼まれて転勤してあげたところ、前年契約棟数ゼロ棟で在籍年数は私の半分未満という人間より実力のない人間だと決めつけられてしまった。これは私を侮辱しているとしか考えようがない。 五十嵐は栃木県地域の「大学卒で新卒入社」した人から「『頭、悪いなあ』と思いますよお」と言われていたが、たしかに、そんな所もある人だった。だからこそ、「最終学歴:底辺の高校卒、前職:クルマ屋、建築・住宅関連の資格:なし、前年契約棟数:ゼロ棟」という人間が好きだったようなのですが、五十嵐さんがそういう人が好きだということはわかったけれども、私の方は「リーダー」で「応援者」として行くという条件で「会社都合での居住地変更をともなう転勤」を承諾して移ったのですから、それを反故にされたとなると、騙されたのであり、騙したヤツにはそれに見合う対応を考えないといけないことになります。明らかに、喧嘩売られたのです。
それだけではない。そのうち、埼玉県北部の展示場に勤務していた、1992年、私より少し後に入社した坂本さん(男。当時、40代?)が、「副店長」には「会社都合による居住地変更をともなう転勤」をする「特進転勤」により昇進するという規定があったにもかかわらず、「居住地変更をともなう転勤」をしていないのに「副店長」に昇進した。私は栃木県から埼玉県北部にかけての所長だった五十嵐に「これはルール違反でしょ。会社は自分が定めたルールを守らないといけないでしょ」と言ったのだが、五十嵐は「坂本さんは、入社してすぐの時に宇都宮(だったか)まで通ってたんだ」などと関係ないことを言ってはぐらかそうとした。私は、埼玉県北部の営業所に勤務していた坂本さんは、発言内容など聞くと、評価できる人だと思っていたが、しかし、地元にしか勤務しませんという「地域限定社員」がおり、会社のためならどこでも行きますという「全国社員」がいたわけで、会社のために負担をかぶって他地域に行くこともする人間、かつ、県民性の異なる地域を経験して学んだ認識のある人間とが、同じ扱いというのでは不公平だということで、会社が「会社都合による居住地変更をともなう転勤」をした者は「副店長」という名称にして「3副長」より上の扱いにすると規定したわけで、又、営業は短期客・中期客・長期客を追客しており、契約客・入居者から見込客を紹介してもらえることもあるが、「居住地変更をともなう転勤」をすると、それまで追客してきた中期客・長期客を失うことになり、入居者からの紹介客も担当できなくなるので、それを考えて「会社都合での居住地変更をともなう転勤」をした場合には「特進転勤」として「副店長」に昇進させるとともに「2棟契約したという扱い」にし、又、営業社員は締め日を念頭において締め日までに契約を何棟あげるということを考えて営業活動をしているので、それを締め日より前に移動させると締め日までに契約になった可能性のある追客中の見込客を失うことになるので、締め日の後に移動するようにしていたものだったわけで、それを私には、締め日の前に移動させて追客中の見込客を奪い、かつ、中期客・長期客や入居者の紹介客を失うことに対する補償としての「2棟契約扱い」も奪い、「副店長」昇進のはずなのに「今は、特進の扱いにはもうしないんだ」などと天野隆夫が言って昇進させず、坂本さんが入社以来、多くの契約をあげてきた人だということは知っているし、話す内容ももっともなことを言う人だと私は評価しているのだが、契約棟数による評価については、(株)一条工務店は、3副長⇒2副長⇒1副長 という制度を作っていて、「副店長」というのは在籍年数と通算契約棟数がある程度以上の人間で「会社都合による居住地変更をともなう転勤」をした者にならせるもので別であり、坂本さんが多くの契約をあげたからそれを評価したかったのなら、3副長⇒2副長⇒1副長 という方で評価すればいいことで、「会社都合による居住地変更をともなう転勤」をしていない人を「特進転勤」の条件を満たしていないのに「副店長」にするというのはおかしいのです。1998年に、私と同じ時期に佐野展示場に転勤した武田さんも「副店長」昇進にはなっていなかったようで、入社以来、近隣の展示場を転勤しまくってきた人らしく、「1つの展示場に継続して1年以上いたことがない」と言っていたが、会社から「この人間は、いくらでも転勤命令をきく人間だ」と思われてしまっていた人らしく、本人は近隣の展示場を移動しまくることについては承諾していたらしかったが、あくまでも、茨城県中部地域の展示場で移動しまくることは承諾していたらしいが、遠方への転勤を承諾したつもりはなかったようで、営業本部長の天野隆夫から「転勤してもらいたいんだけど、いいか」と言われて、「いいですよ」と即座に返事したけれども、それまでと同じように茨城県中部地域での移動だと思って「いいですよ」と言ったらしく、行先を聞くと、居住地変更が必要な栃木県佐野市の展示場だった・・ということで、その時点で私は入社7年目だったが、武田さんは私より1年ほど古い人だったようなので8年目の人だったようだが、「これだけ、会社のために働いてきた者に、こんなことするのかと思った」と言って辞めてしまった。(株)一条工務店の経営者というのは、私のように「会社のためなら」と思って他の人間はやらない苦労をして努力をして負担をかぶり我慢する人間がいると、この人間は苦労させてもいい人間だ、この人間は苦労させていい人間だ、この人間はいくらでも負担をかぶらせてやっていい人間だ・・とそういうように解釈するらしい。普通は、逆ではないかと思うのだ。会社のために、他の人間がしない苦労をし、他の人間がしない努力をし、他の人間がしない負担をかぶり、他の人間がしない我慢をしてきた人間というのは、そうやって会社のために尽くした人間だと評価して報いるもののはずだ。 1993年初め、東京都江東区亀戸の展示場の来場客で、「大島(おおしま)で建てられますか」ときかれた人がいたらしく、「大島(おおしま)」というのは「江東区大島(おおじま)」のことではなく「伊豆大島」のことで、営業本部長兼東京営業所長だった天野隆夫は「契約したら、建てられるようにしてやる」と言い、どういう意味か・・と思ったが、その時点では伊豆大島での施工体制はなかったが、大工で、日本全国どこでも行っていいという人がいたので、その人に行ってもらえば、他の職方は現地で調達するなり何なりすれば建てられる・・という見通しだったらしい。福島県いわき市に勤務した時、他の営業の担当の家の上棟に行った時に手伝いに来ていた大工で、この人かな? という人がいたのだが、「近くの仕事なんてやったことない」と本人が言っていたのだが、日本全国、どんな遠方でも出張して(株)一条工務店の仕事をやってきたそうで、独身の人だったが、頼まれればできることはやってあげればいい・・と思っていると、他の人間には頼まず、その人にばっかり、日本全国、遠方ばっかり行かせるということを(株)一条工務店はやったらしい。その人もそうだが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は20歳で結婚したそうで、天野隆夫は最終学歴が中卒で、学歴が低い人というのは学歴が高い人間に比べて一般に結婚が早い場合が多いのだが、自分が20歳で結婚したということから、30台で未婚の人間をいじめまくるという信念を持っていた男で、「独身だからどこ行ったっていいだろ」とかそういう無神経なことを日常的に言う人間で、さらには私は天野隆夫から「おまえ、独身だったら、暇で暇でしかたないだろ」などと言われたこともあるが、結婚しておれば2人で分担してやればいいことを未婚の人間は1人でやらないといけないのであり暇などということはないし、さらには天野隆夫は私に「おまえ、独身ならカネ要らんやろ」などという口まできいた。この人がこの会社では上役なのだからと思って我慢していると、この男は限度というものを知らない男だった。独身の人間は「婚活」して結婚して子供も作らないとないといけないのだから、すでに結婚までたどり着いた人間や結婚して子供までできた人間よりもやらないといけないことが多いのであり忙しいのだ。自分が20歳で結婚したということで、それより上の年齢でまだ結婚していない人間には無茶苦茶やってやっていいみたいに思っている男で、そういう精神的貧困な人間だった。会社は、会社のために負担をかぶった従業員にはそれに報いる必要があるはずで、いいかげんな会社だった(株)一条工務店も、1990年代、やっと、ある程度以上の在籍年数と通算契約棟数の者が「会社都合の転勤」を会社のためにやった場合に、「副店長」昇進と「2棟契約の扱い」という制度を設けたのだったが、ところが、その条件に該当した私や武田さんには「副店長」昇進させずに、その条件を満たさない坂本さんに「副店長」にならせた・・ということは、この制度自体を崩壊させる、ということになる。会社の経営者というものは、自分が定めたルールは自分も守らないといけないはずだが、会社が定めたルールを守るのは従業員で経営者は守らなくていいと考えている経営者の会社だった。
それで・・・、いわき市の営業所を出る時点では、まさか、そんな非常識な扱いにされるとは思わなかったのですが、営業は「締め日」を考えて、締め日までに何棟契約を取れるかということで営業活動をしているのですが、1998年は1996年の10月から消費税が上がって以来、戸建住宅建築業の業界は「需要の先食いをしてしまった」ような状態で大変厳しい状況にあったのですが、そういう中でも、私は、なんとか、苦労して努力して見込客を出して、次の締め日までに契約してもらえる可能性があるという見込客を2件持てていたのです。 ところが、営業本部長の天野隆夫が「できるだけ、早く移ってもらいたい」と言い、締め日より前に佐野展示場に転勤してくれと言うので、それで、せっかく、厳しい条件の所から作り上げた見込客をいわき市の営業所に置いてきたのです。
いわき市の同じ展示場にいたK野T夫さんは、契約がなかなかあがらなくて苦戦していたようでしたので、私がなんとか見込がある状態まで持ってきた人を渡せば、それを契約してもらえばと思ったのですが、人間には相性もあるし、私が、いわば、「ザリガニ獲りのように」と言っても説明しないとわからないと思いますが、小学校低学年の頃、近所の池で「ザリガニ獲り」というのをやったことがあるのですが、スルメにタコ糸をくくりつけて、池の向こうの方に投げ込むと、ザリガニがそれをハサミで掴むのですが、その時点で思いっきり引っ張ったのではザリガニは危ないと思って離してしまいます。ザリガニが掴んで引っ張っていると思っても、ザリガニが引っ張られてると思わない程度にゆっくりゆっくりと慎重に少しずつ少しずつ引っ張っていって、ザリガニが池の表面から見えるくらいの場所まで来た時、ザリガニからもこちらが見えるかと思われる所まで来た時に網をかぶせて捕獲するのです。少しずつ少しずつ引っ張らないと、急激に引っ張ったのではザリガニは離してしまいますし、逆にスルメをザリガニが掴んでいるのにザリガニが好きなように引っ張らせておいたのではスルメだけ取られてしまいます。いわば、そんな感じ。少しずつ少しずつ、細心の注意をはかって、わずかずつわずかずつ、契約して建てようという気持になってもらえるように持ってきて、締め日までに契約しましょうという気持になってもらえるかどうか・・、その時点で契約確率60%くらい、私が締め日まで担当したならば契約確率70%か75%くらいまで持っていけるか・・・という方を、K野T夫さんに渡したのです・・・が、この人は契約に持って行けないだろうなあと思いました。なぜなら、「話を聞いてないんだから」。私がせっかく締め日までに契約に持って行ける可能性がある有望な見込客を渡すということで、その内容を説明しているのに、ひとの話を真面目に聞いてないんだから・・・、だから、この人は契約できないだろうなあ・・と思ったし、せっかく、ここまで持ってきた人だけれども、それをドブに捨てるようなことをする(株)一条工務店という会社は、なかなか成長しない会社だなあとも思いました。野村のじいさんが、晩年、「阪神の監督なんてしなきゃよかった」と言っていたが、片方で、ヤクルトの監督の時はいい監督だったと思ったけれども、阪神の監督としては言い訳ばっかりで、阪神のOB会の会長の安藤が「私が野村を許せんと思うのは、最下位だからではなく、もともと、最下位のチームだったのだから、そう簡単に強くできなかったとしても、監督をそう強く責めるわけにもいかないと思うが、成績が悪い原因を選手やこれまでの監督のせいにしているところです。これまでの監督だって一生懸命やってきたんです。それを自分だけが大変みたいに言っている」と野村を批判していたが、そういうところが実際にあるように思ったし、江本は「旬を過ぎた監督の悲哀」を感じたと述べていたが、野村は筑紫哲也との対談で『功無き者を活かす』という本を出していたが阪神の監督になった時、誰よりも「功」があった者は野村だったのであり、もう、「守り」に入ってしまった監督で、年齢的に「旬を過ぎた」監督の悲哀が出ていたように思えたが、野村が書いていたのは、ヤクルトでミーティングをするとヤクルトの選手は話を聞いたのに対して、阪神の選手はミーティングをしても真面目に話を聞かないで時計ばっかり見ていた、という。せっかく、監督がわからせようと話をしても、「聞いてない」のではだめだ・・・と書いていた。阪神は野村のようなタイプの監督ではだめで、西本か星野のような、言うこときかないと殴るような監督でないとだめだ・・・と思ったと書いていた・・・が、K野T夫さんに、せっかくの有望見込客を譲ってあげて、この後、こういうように持って行けば契約してもらえる可能性があるとその内容を説明しているのに、「ひとの話を聞いていない」。せっかく、有望見込客を譲っても、これではだめだな・・と思った。
もうひとつ、K野T夫さんが接客した人で、(株)一条工務店のルールとしては、一度、追客しても契約に至らなかった人で、その後、建てようということに再度なった場合、営業ごとに見込客名簿というのを作成して10件ずつを自分が担当の見込客として、そこの記載からはずした人が再来場した場合には、過去に追客した営業ではなく、新たに接客した営業が担当できるということにしていたのだが、過去に私が追客して、けっこう話をした人が来場して、その人をK野T夫さんが接客したということがあった。その見込客は会社のルールからして、K野T夫さんが担当していいし、すでに私は栃木県佐野市の営業所に移ることが決まっていたから、私が担当することはないのだけれども、過去に商談した時の記録が私の手元に残っていたので、過去に商談をしてある程度は検討してくれたが計画は先延ばしにしたという人が再度来場したということならば、それが参考になるはずだと思われたので、過去の商談の内容を説明してあげようと思って話そうとしたのだが、ところが、私が過去の商談の内容を説明しようとしても、「俺が接客した客だ。何の文句、言われる筋合いもねえ」とか言い、「何も、K野さんが担当していけないなんて言ってないですよ。私は、もう、佐野に行くんだから、ここで見込客を持てないのだし、K野さんがやっていいですよ。そうじゃなくて、前に私が商談を進めていた時の記録があるから・・」と言ってそれを説明してあげようと思っても、「ひとの話を聞かない」。野村のじいさんが「阪神の監督なんてやらなきゃよかった」「なんで、阪神の監督なんて引き受けてしまったんだろう」と書いていたが、「せっかく話しても、ひとの話を真面目に聞いていない」というのは、K野T夫さんと共通するものだった。だから、同じ営業所にいた人だから、できるだけ、契約をあげてほしいという気持があったけれども、他方において、ひとが契約に協力しようとしてせっかく話しているのに「ひとの話を真面目にきかない」というところを見ると、「勝手にしろ」という気持にもなった。どうも、最終学歴が高卒の人で、あまり頂点ではない方の高校卒のおじさんというのは、自分より年下の人間の言うことはききたくないという人がけっこういるようなのです。K野T夫さんもそういうところがあり、私と同じ営業所に勤務するより前にも、私より少し若いHさんが「応援」しようとしても嫌がったようで、私なら、会社という所に勤務すれば、自分より年下の人間が自分より上の立場になることだって「あること」だし、自分より若い人間の言うことでもそれを聞いて自分にプラスになればいいだろうと考えるところを、どうも、最終学歴:高卒で、あまり頂点でない方の高校卒のおじさんで、40を過ぎてその業界に入ったという人というのは、自分より年下の人間の言うことは聞いてたまるかという信念みたいなものを持っている人が多いのです。そういう人に、その姿勢を改めさせようと思っても簡単ではないから、だから、会社として、そういう人が言うことをききそうな人と一緒にさせてあげるように配慮した方がいいと私は思うのですが、「まったく、人の使い方を知らない会社だ」と言われる(株)一条工務店は、そういった配慮ができない会社でした。
1998年、いわき市の私と同じ展示場にいたK野T夫さんとS藤賢二さんの2人は共通点があって、(1)当時、年齢が40代後半、(2)地元の生まれ、(3)最終学歴はあまり頂点でない方の高校卒、(4)前職は不動産屋、(5)K野T夫さんは元消防士でS藤賢二さんは元自衛隊、(6)「賢そうに見えない」と多くの人間から言われるが宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格を持っている、(7)言ってもきかない・・・と似ていたのだが、そのあたりは別に似ていてもいいけれども、あんまり似て欲しくないところで似ていたところもあって、JTいわきハウジングパークという今はなくなった総合展示場で、(株)一条工務店は入口の目の前の洋風の展示場と一番奥の和風の展示場とに2つ展示場を出していたので、総合展示場に来た人は(株)一条工務店を第一候補として来た人で和風で考えている人ですら、入口の方に先に入ってしまう展示場で、私がいわき市の展示場に赴任した時、茅ケ崎展示場にいたKさん(当時、40代)と一緒に移動したのだが、Kさんが入口に近い展示場に配属され、私が奥の展示場に配属されると、日曜日など、接客回数は、Kさんが入口横の展示場で接客した人が、その後、奥の展示場に見にきたという回数は私が奥の展示場で接客できた回数の最低でも3倍以上はあった。1996年10月から消費税が上がった後、戸建住宅建築を考える人は本当に少なくなってしまい、来場客が少ない展示場では特に苦労していたのだが、日曜日、私が展示場の外で草を抜いているふりをしながら歩いている人を見て、展示場の外で入ろうかどうしようか逡巡していた家族に、「別に、入ったら契約しないといけないというものでもありませんし、とりあえず、見るだけでもかまいませんし」と言って入場してもらったところ、会社が決めていた「接客順位」からS藤賢二さんが接客することになって接客すると、いいかげんな対応をして、それで「なんだ、あんな客は。あんな客はだめだ。だめな客だ、あれは」などと言って怒るので、この人はその程度の人だなあ、ひとが、せっかく、草ぬいているふりして外にいて入ろうかどうしようか逡巡している家族にやんわりと話しかけて入場してもらったのに、そういう努力をしていない人が「なんだ、あんな客は。あんな客はだめだ。だめな客だ、あれは」と、そういう口をきくとは・・、まあ、S藤賢二さんはその程度の人だった。うちの父親の勤め先の社長が「アホはアホなりに使ってやればいいがな」と言ったと聞いたのだが、その程度の人は「その程度の人」として使わないといけないし、同時に「その程度の人」だと思ってそれ以上の期待をしてはいけない。ところが、(株)一条工務店の経営者は「その程度の人」に過度の立場に立たせたり、身の程以上に持ち上げたりするのが大好きだった。私がいわき市の営業所から栃木県の営業所に移る時、苦労して苦労して努力して努力して、少しずつ少しずつ契約に近づけてきて、「締め日」までになんとか契約してもらえるかもしれないという可能性が出てきた見込客をK野T夫に譲ったのに、私がその内容を話して、こういうようにやってきたから、今後、こうやっていけば契約してもらえる可能性があると思うという話をしているのに「うるさがって、ひとの話を真面目に聞いていない」K野T夫さん・・、来場客・見込客が少ない時期に来場客が少ない展示場で、私が草ぬいているふりをして、外で入ろうかどうしようか逡巡していた家族に声をかけて入場してもらっても、そういう相手にいいかげんな接客をして「だめだ、あんな客は。あれはだめな客だ」などと言うS藤賢二さん・・と、そのあたり、この二人、よく似てるなあ・・と思った。
↑ の「ザリガニ獲りのように」のたとえは、(株)一条工務店で必ずしも条件がいい方ではない展示場で営業の仕事をある程度以上やった経験がある人なら、その感触がわかると思います。他の会社にいた人でも、必ずしも条件がいい方ではない場所で苦労して営業活動をした経験のある人なら、その感触はわかる人がいると思います。 そういう感触のわかる人間とわからない人間ならば、わかる人間はその分だけ営業力があるということで、わからない人間はその分だけ営業力がないとういことです・・・が、わからないやつが会社を経営している会社なので、腹立つことだらけです・・・。

↑ この額ですが、書いた人の名前、「頭山 満(とうやま みつる)」と書かれています。 「頭山 満」て、たしか、右翼のおっさんと違うんか・・・と思ったのですが、現地の説明書きにも、きっちりと書かれていました。
《 頭山 満(とうやま みつる) 1855~1944 右翼の巨頭。 国家主義を標榜。1881年、玄洋社設立。 日本の海外進出をはかり、政界にかくれた勢力をもった。》
《 玄洋社(げんようしゃ) 頭山 満(とうやま みつる)を中心とした超国家主義右翼団体。1881年創立。大隈重信の条約改正案に不満をもち、爆弾を投じて負傷させたのも玄洋社員。》
( 全国歴史教育研究協議会編『新版 日本史用語集』1975.新版。 1978.新版第15刷。 山川出版社。)
次回は、神棚について、です。
※ 大鐘家HP http://www3.tokai.or.jp/oganeke/
牧之原市HP 大鐘家 https://www.city.makinohara.shizuoka.jp/site/kanko/35075.html

(2020.10.4.)
☆ 大鐘家と相良城跡
大鐘家
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店〔今回〕
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
(6)
相良城跡
☆ 大鐘家と相良城跡(静岡県牧之原市)
大鐘家
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 〔今回〕
(6)
相良城跡
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(静岡県掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 大鐘家と相良城跡(静岡県牧之原市)
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 〔今回〕
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
(6)土蔵・資料館。大鐘家の裏の丘からの眺望。相良城跡と田沼意次。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_6.html
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(静岡県掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 東京都 狛江市立古民家園
上 旧荒井家住宅主屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_1.html
下 旧高木家住宅長屋門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_2.html
☆ 旧近藤家 長屋門(東葉学園 東葉門 )(千葉県船橋市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_3.html
☆ 旧安西家住宅(千葉県木更津市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_5.html

野村ノート (小学館文庫) - 野村 克也

阪神タイガースの黄金時代が永遠に来ない理由 (宝島社新書) - 野村 克也
大鐘家住宅(静岡県牧之原市)見学の4回目です。 「民家」というと我が家でも「民家」ですし、最近、ハウスメーカーが建てた家も「民家」なので、江戸時代に建てられたという重要文化財とかに指定されているような「民家」を言いたい場合には「古民家」と言った方がいいかとも思うのですが、「古民家」という言い方ですと、「古くさい」とか「前時代の」という印象を持たれてしまうおそれもあります。今もそういう家に住んでいる方もあるわけで、今も住める家ですから、そういう意味では「古民家」ではなく「民家」と表現した方が良さそうにも思えるのですが、「古くさい」という意味ではなく、「古典的な」という意味での「古民家」というものを、静岡県のもの、特に遠州地方の「古民家」を何軒か見てみたい、と思ってきました。
特に、床の間・床脇の造りや、神棚の造りについては、これが正しいとか間違っているとかいう性質のものではなく、それぞれの地域によって、伝統的なやり方というものがあるわけで、他の地域の人間が見ると変だと思っても、その地域の人間にとってはそれがその地域のやり方だという場合があります。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ という会社は、《何かと「浜松流」「遠州好み」を非遠州地域に押しつけないとおれないシンドローム 》の重症患者が大変多い会社でした。念のため、ここで言う「遠州好み」というのは、「古田織部が好んだ」という「織部好み」、「千利休が好んだ」という「利休好み」のように、「小堀遠州が好んだ」という意味での「遠州好み」という意味ではなく、「遠州地方(静岡県西部)の人間の好みを日本全国に押しつけないとおれない症候群」のことを言います。
床の間と床脇の造りもそんなところがあったのです。 それで、遠州地方の「古民家」、「時代遅れ」とかいう意味ではなく「古典的」という意味の「古民家」の床の間・床脇はどうなっているのか・・・、誰でも見学させてもらえるお宅が何軒かあるので、ぜひ、見せていただきたいと思ってきたのです。

大鐘家住宅では、長屋門をくぐって入った位置から見て ↑ 、一番左側の部屋に床の間があります。↓

↑ 10畳の部屋の奥、10畳の部屋の長い方、2間半分、すべてが床の間と床脇で、中央が床(床の間)で、左右に床脇があり、左側の床脇の左に付書院があります。
『新感覚の和風住宅』(1985.2.1.講談社)所収の 小林盛太「和風住宅の構成とディテール 和風のよさを見直そう」には、
《 部屋の床の間の位置によって「本勝手(ほんかって)」と「逆勝手(ぎゃくかって)」の名称があります。 本勝手は、向かって左に床の間と付け書院、右に床脇棚を設けています。逆勝手は、本勝手と反対の配置で右に床の間と書院が付きます。
また、床の間に入る光線の方向により、床の間に向かって左の書院窓から採光するものを「本床」、右から採光するものを「逆床」といいます。・・・》
と出ていますが、大鐘家住宅の床の間は、床の左右に床脇があるとはいえ、棚があるのは右側で、左に付書院がありますから、「本勝手」で、この部屋は、両側に広縁があってその外側は両側に庭園があり、部屋の採光は両側から採れますが、

( ↑ 床の間に向かって右側、「小堀遠州庭園」。)

( ↑ 床の間に向かって左側、長屋門の側の庭園。)
左側の付書院からの採光が床の間の採光としては主であると考えると「本床」ということになるでしょう。
東京都港区のJR「田町」駅から慶應大学三田キャンパスの方に向かう「慶應仲通り」という人専用の細い道があって、「田町」駅の方から慶應大学の方に向かって歩くと、途中、左側にぐいっと曲がる箇所があって、そこで左に行くと慶應大学、右に曲がる細い道を行くと戸板短大と、あとどこだったか女子大か女子短大かあったように思うのですが、女子大生らしき女性が前を歩いているのを見ると、雰囲気でどちらに行くかわかるという説があって、一説には、ブサイクなやつはみんな左に行くという話があったのですが・・・、その左に曲がった方の道の南側に、半地下と中2階とに道に面した側に通路があって、そこに面してテナントが入るビルがあって、けっこうおしゃれなビルだと思っていたのですが、その頃は建築関係の仕事につくと思っていなかったのですが、後に建築業界に勤めて、さらに愛知産業大学の通信課程の建築学科に入学させてもらい、建築図書館というのが三田の建築会館にあると愛知産業大学の先生に教えてもらって調べたところ、その慶應仲通りの南側にあったビルが建築会館でした。
( ↑ 東京都港区三田 建築会館。)
建築会館は南側から見ると、右隣が読売理工医療福祉専門学校で「一級建築士・二級建築士 最短 近道」だったか書かれた大きな垂れ幕がかかっているビルでしたが、その左のビルが建築会館で、「これはなかなか・・」と思ったのは、南側と北側の2方道路の土地に建てられたものですが、南側の外観と北側の慶應仲通りに面した側の外観とでは、外観の印象がまったく違う。2方道路の土地に建てる場合でも、角地の場合では、両方の面が見えるので、2方が見えるという前提でのデザインを考えることになりますが、南北もしくは東西の2方に道路があるという土地に建てる場合には、むしろ、「二毛作建築」とでも言いましょうか、「え? これがあの建物の裏側なの?」というデザインにするという「面白味」があり、同じ建物で別の性質を発揮させるということもできます。建築会館は名前の通り、「建築会館」だけあって、そういう工夫がされた建物で、さすがは「建築会館」だったんだなあ・・と思いました。建物で南北もしくは東西の2方道路の敷地で「二毛作建築」という手法があって、その例として三田の「建築会館」が「なかなか・・」と思ったのですが、庭にも建物の両側に異なる2種類の庭を用意した、「二毛作庭園」とでもいった方法が考えられます。庭の場合には、南北か東西かではなく、南と西・南と東とかで異なるタイプの庭にするという方法もあり、又、途中にしきりの塀を設けて異なるタイプの庭を設けることもありますが、この大鐘家住宅では主屋をはさんで南北で異なるタイプの庭園が設けられており、こういう庭の設け方もいいなあ・・と思いました。
この「本床」という言葉も2通りの意味があるようで、小林盛太「和風住宅の構成とディテール 和風のよさを見直そう」(『新感覚の和風住宅』〔1985.2.1.講談社〕所収)には、
(1) 《 本床(框床) もっとも本格的な床の間です。角柱の床柱を使用し、床框を取り付け、一段高くした床表面に畳を敷き、框は蠟色(ろいろ)(黒色)の漆塗りにします。畳の代わりに薄べりを敷いたり、板を張ったものもあります。落とし掛けは長押より一段高く、柱と同材を用いるのが本式です。》
(2) 《 ・・床の間に入る光線の方向により、床の間に向かって左の書院窓から採光するものを「本床」、右から採光するものを「逆床」といいます。》
・・・と「本床」について、2通りの意味があることが書かれています。
大鐘家住宅の床の右側の床脇棚ですが ↓ 、

上に引違の収納があり、違い棚があって、違い棚の右側の低い方の下に収納があります。 小林盛太「和風住宅の構成とディテール 和風のよさを見直そう」(『新感覚の和風住宅』〔1985.2.1.講談社〕所収)には、「床脇棚のいろいろ」として60種類の棚とその名称が出ていますが、大鐘家住宅の床脇棚は、「袋(ふくろ)」という名称のものになるようです。
インターネットで検索すると、床脇棚の種類については、
《京町家改修用語集 床脇とは》http://sugiitakunn.blog.shinobi.jp/%E3%81%A8/%E5%BA%8A%E8%84%87%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%EF%BC%88%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8F%E3%81%8D%E3%80%80%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%85%A5%20%E7%A8%AE%E9%A1%9E%EF%BC%89
にもその種類が、
「袋棚(ふくろだな)」については、《京町家改修用語集 袋棚(ふくろだな)とは?》http://sugiitakunn.blog.shinobi.jp/%E3%81%B5/%E8%A2%8B%E6%A3%9A%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%EF%BC%88%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%81%A0%E3%81%AA%EF%BC%89 に出ています。

新感覚の和風住宅 (Home life) - 講談社
床の間の左側は ↓

付書院の広縁側はどうなっているかというと、↓

付書院を床の間の横から手前まで設けるのか、床の間のすぐ横には付書院はなしで床の間の手前の部分に付書院がつくようにするべきなのか、これも、どちらが正しいのだろうか・・・と、ずいぶんと考えたのですが、有名建築物・歴史的建築物の床の間を何軒か見てきた結果、どちらが間違っているというわけではなく、両方のやり方がある・・とわかりました。
あえて言えば、付書院の外側が出窓のように屋外に出っ張っている場合ならどちらでもいいのですが、廊下・広縁に出っ張っている場合には、その廊下が広くて付書院が出っ張っても十分に通れる広さがあるか、それほど広くなくて付書院が出っ張った部分が通りにくい状態か、そこを通り抜けて別の方に行き来する場所か、それとも、そこでどん詰まりか・・といったことで、通り抜けて曲がるようになっている場所ならば、床の間のすぐ横は廊下に出っ張らさない方が通りやすく、そこで行き止まりの場合ならば、床の間のすぐ横を出っ張らさないようにしても、その部分だけ中途半端な空間が廊下側にできるので床の間のすぐ横から付書院が出るようにすることが多いように思えます。
大鐘家住宅の付書院は床のすぐ横から出ています。
床の左側は「床脇」なのか「床の間の一部」なのか、その間に床柱があるということは左側も「床脇」と考えることもできるかもしれませんが、その左に付書院があり、床柱が右側は下から上まであるのに対し、左側の床柱は途中で切れているところを見ると、「床脇」なのか、結論として、そういう造りのようです。

大鐘家住宅は、土間の部分では野物の梁が縦横に井桁のように組まれているのが見えて、その芸術的とも言える組み方に感動しますが、座敷には天井が貼られており、床の間がある部屋は竿縁天井になっていますが ↑ 、床刺しにならないよう、竿縁の「竿」は床の間と並行する方向で入れられています。
さて、床柱にどういう柱を使うかについて、基本的には3種類、考えられます。
(1) その家の通常の構造柱とは異なる、特殊な樹種の柱、もしくは、特殊な細工をした柱を使用する。
(ア) 紫檀・黒檀・鉄刀木(たがやさん)など天然木の角材を使用する、
(イ) 北山杉絞り丸太 など、飾りとしての細工がされた柱を使う、
(2) その家の通常の柱と同材だが、通常の柱よりも太いものを使う。
(3) その家の通常の柱と同材で、同寸法のものを使う。
・・・この3種類のやり方があります。最近のハウスメーカーの戸建住宅においては、(1)で(ア)か(イ)のどちらかであることが多いと思います。有名建築物・歴史的建築物においても(1)の施工はあります。 (ア)でどしっとした床柱が入っている所もありますが、茶室などでは、ひょろよろ~って感じのものが入っていることが多いように思います。
(2)のやり方の家屋としては、私が見学に行った建物では、栃木県宇都宮市の旧篠原家住宅は1階で商売をしていた家で2階に座敷があり床の間がありましたが、一般の構造柱は欅を使用していましたが、床柱は大黒柱を兼ねていて、他の柱と同じ樹種の欅だけれども、他の柱よりも太いものになっていました。
※ 《ウィキペディアー篠原家住宅》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%AF%A0%E5%8E%9F%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85
床の間の柱に、一般の柱とは異なる樹種のものを使ったり、ひと回り太いものを使ったりしないといけないと決まっているわけでもなく、(3)のやり方としては、岐阜県高山市の陣屋の床の間や、静岡県掛川市原里の加茂家の床の間は、一般の柱と同じものを床の間の柱にも使用していました。どれが正解というものでもなく、それぞれのやり方があると考えていいと思います。
※ 高山陣屋⇒[第352回]《高山陣屋(群代官所)[1]床の間。「真向き兎」の釘隠し。朝市。~高山シリーズ第3回(2)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
[第748回]《高山陣屋の長押が内側まで周る床脇とそうでない床脇。少年期の山岡鉄舟像、赤い中橋。演歌「高山の夜」は実状に合わない。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202002article_13.html
※ 加茂家住宅⇒[第777回]《加茂家住宅(掛川市)(3)床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵―加茂花鳥園【5/7】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_2.html
ここで、問題は、
(1) 床柱と長押がぶつかる部分では、
(ア) 長押は床柱の前まで来るように施工するべきなのか〔↓の図の一番上〕、
(イ) 長押は床柱の手前で止めて、床柱を下から上まで見せるように施工するべきなのか〔↓の図の中〕、
という点。 もうひとつは、
(2) 床の部分については、落しかけを長押よりも少し高い位置に設けて長押は床の上には来ないようにしますが、
(ア) 床脇棚の部分については、落しかけだけで長押は来ないように、床脇棚の手前で長押は止めるべきなのか〔↓の図の一番下〕、
(イ) 床脇棚の上まで長押がまわるように施工するべきなのか、
という点です。

↑ この図で、上が(1)(ア)、中が(1)(イ)、下が(2)(ア)の施工です。
この場合ですが、床柱にどういうものを使ったかによっても変わってくるでしょう。(3)のその部屋の他の構造柱と同樹種同寸法のものを床の柱にも使用して、床脇棚の上も長押がまわるようにしたならば、床の柱の部分だけ長押が柱の前に来ないというのは変でしょう。その場合は長押は床柱の前まで来るように施工するものでしょう。掛川市の加茂家住宅ではそうなっていましたし、岐阜県高山市の陣屋の床の間もそうなっていました。
問題は(1)と(2)の場合です。
「長押(なげし)」というのは、今は和室の装飾材になっていますが、坂本功『木造建築を見直す』(岩波新書)によると、もともとは構造材で、柱だけが立っていたのでは、地震・台風などで横方向の力が加わると簡単に倒れてしまいますから、倒れないように、柱と柱をつないで固定する方法が考えられたのですが、柱に穴をあけて木材を通して固定するのが「貫(ぬき)」で、柱の片側から長い板を押しつけて固定するのが「長押(なげし)」だったのです。

木造建築を見直す (岩波新書) - 坂本 功
そのルーツから考えると、長押は柱の前までくるのが本来のように思えますが、しかし、床柱でも、それこそ、茶室の床柱とか、京都の曼殊院の茶室とかの床柱なんてのは、ひょろよろ~お・・て感じで、およそ、建物を支えるような柱ではなく、生け花の木か草みたいなものですから、長押がどうであるかにかかわらず、建物を支える機能なんて最初からありません。 もしも、その建物の他の構造柱と同じものを床柱にも使用しているのなら、その床柱は構造材でもあるわけですから、長押を押しつけて固定して建物を支えるというのもわかりますが、飾りでしかない柱というのは、いわば、生け花の木だか草だかみたいなものですから、長押が手前で止まってもおかしくないでしょう。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では、「全国どこでも浜松流」が信念ですから、住宅展示場も「浜松流」でできてまして、床柱と長押がぶつかる部分では長押の方が床柱の前まできていたのですが、福島県浜通り地区や茨城県北部では、床柱は下から上まで見せる(魅せる)のが普通なのです。だから、私が担当させてもらった福島県いわき市で建てていただいた某さんは、(株)一条工務店の展示場の床の間を見て、「これは変だよお、いくらなんでもお」と言われたのです。「これでは、床柱がかわいそうだよ」と。 それが、いわき市や福島県浜通り地区・茨城県北部の大部分の人の感じ方だったのです。
この件については、私は相当調べたのです。住宅雑誌に掲載されている和室の写真を見ると、長押が床柱の前までくる施工の写真の方が多かったけれども、長押が床柱の手前で止まっている施工のものもありました。
地域による違いというのがあり、どうも、東北地方では床柱を下から上まで見せる施工の地域が多いようですが、東北ならどこでもということでもないようです。東京から西〔ということは、浜松およびその周囲の遠州地方も〕は長押を床柱の前まで持ってくる施工の地域が多いようでした。
そして、床の上は落しかけがあって長押はないものですが、有名建築物・歴史的建築物の床の間を見ると、床脇棚の上には落とし掛けだけの施工と、落しかけの上に長押がまわっている施工と、2通りの施工があるようでした。
(株)一条工務店の住宅展示場の施工は、もちろん、「浜松流」「遠州流」ですから、床脇棚の上まで長押がまわり、長押と床柱がぶつかる箇所では長押が床柱の前までくるという施工でした。 要するに、大鐘家住宅の床の間のような施工です。↓


大鐘家の建つ牧之原市、旧 榛原郡相良町 は昔の国の名で言うと遠江です。 要するに、(株)一条工務店は全国の住宅展示場で、遠州型の床の間と床柱を施工していたのです。そのあたりについて、都会の人間には、たいして気にしない人もいると思いますが、福島県のような「地方」にいくとそうはいきません。 たとえ、施主がよくても、親戚や近隣の人がやってきた時に見て、「なんだべえ、これはあ!」と言われます。 「地方」においては、床の間や神棚というのは相当に大事なものなのです。
私の場合は、いわき市の営業所に赴任してすぐの頃の契約客のOさんから言われて、上に述べたように住宅雑誌などを相当に調べ、工事担当に、長押を床柱の手前で止める施工ができるか尋ねたところ、(株)一条工務店の場合は床柱を工場で機械プレカットしているので、長押が前にくる施工の場合は床柱とかみあわせる部分で床柱を削るので、削ってから言われても困るが、あらかじめ、先に言ってもらえば、工場に削らないように言って、長押を床柱の手前で止めて床柱を下から上まで見せるように施工することはできる、と言われ、又、私より前からいわき市の営業所に勤務している営業何人かに尋ねたところ、福島県生まれの人、福島県でずっと営業をやってきた人は誰もが、「いわき では、床柱を下から上まで見せるようにするんだ。あらかじめ、工場に言っておけば、そういう施工にできるから、みんな、そうしてもらってるよ」ということでした。それ以来、私は、自分が担当の契約客には、床柱と長押はどちらを優先するか、「福島県や茨城県北部では床柱を下から上まで見せて、長押は床柱の手前で止める施工をすることが多いようですが、(株)一条工務店の本社がある浜松とか、地域によっては長押を床柱の前まで持ってくる地域もありますが、どちらの施工にしますか」と、必ず、尋ねて確認するようにしました。 そうすると、たいていの人は、地元のやり方である床柱の方を下から上まで見せる施工にしてもらいたいと言われ、それを設計担当に念を押し、「コーディネーター」にも念を押すようにしました。
ところが・・・、いわき市で建てていただいたO様宅が建築中に、(株)一条工務店でK野T夫さん(男。当時、40代)が担当で契約したという契約客の方が来られて、「誠に申し訳ないのだけれども、うちは一条工務店で契約して、今、建てているところなのですが、お宅の家の和室を見せていただけませんか」と言われたそうで、「いいですよ」と言って見てもらったところ、「なんだ、この家はきっちりとできているじゃないか。この家の床柱はきっちりと長押が床柱の手前で止まっているじゃないか」と言われ、「お宅の営業さんは、こうして欲しいと言えば、やってくれたんですか」と言われたので、「やってくれましたよ」と言ったところ、「あの野郎。『できません』なんて言いやがってからに。できるじゃないか。ここの営業がやってくれることを、うちの営業はなんでやってくれないんだ」と言われた、ということでした。
その後、K野T夫さんからも、「Oさんの所をお施主さんが見に行って、困ってんだあ」と聞きました。 K野T夫さんは、知らなかったというのです。 私だって、床柱と長押は、長押を床柱の手前までくるように施工するべきなのか、長押を床柱の手前で止めるべきものなのか・・て、住宅建築業の会社に入社する前は知らなかったし、入社しても、(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所(展示場)の床の間を見て、Oさんから、「これはおかしいよ」と言われるまで気づきませんでした。K野T夫さんは私より年上でしたが、社歴は私の半分未満の人で、前職は不動産会社に少しいたようでしたが、その前は住宅・建築とは関係のない仕事についていた人で、いわき市の生まれとはいえ、床柱と長押の関係なんて、じっくりと考えたことはなかったようです。住宅建築業の会社が専門としてやることだから、間違いないようにやっているのだろう・・なんて思いこんでいたかもしれません。しかし、(株)一条工務店については、そういう認識は通じないということを理解しないといけません・・が、「実際よりも見てくれ・外面のいい会社」というのは、日本にはけっこうありまして、(株)一条工務店もそんなところがありました。
ここで、問題があるのは、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の場合、「黙って座れば浜松流」という特徴です。もしも、浜松および遠州地方で建てる人ならば、「黙って座れば浜松流」でいいと思います。 浜松および遠州地方で建てる人でも、「浜松流」でない施工をしてほしいという人はあると思いますが、そういう人は、それをきっちりと言うようにするべきです。 しかし、福島県いわき市で建てる人の場合、「黙って座れば浜松流」ではなく、「黙って座れば、いわき流」で施工されるだろう、と施主は思っているのです。〔ここで、「黙って座れば」とは「特に何も言わなければ」「特に指定しなければ」という意味です。〕「浜松流」と「いわき流」は、どちらがいいとか悪いとかいうことではないのです。しかし、いわき市においては「黙って座れば、いわき流」であるべきであって、いわき市で契約して、いわき市で建てる人なのに、「黙って座れば浜松流」というのは、それはおかしい。なおかつ、こういうことを言うと、「遠州人」は怒るのです。「浜松のやり方は、何であれ、日本全国どこでもいいに決まってるんだ。こんな常識がわからんのかあ!」と言って激怒します。あるいは、相当高そうな材質のものに「売れない営業のグチ 十箇条。 一.浜松流はここには合わない」なんて印刷したのを送りつけてきて展示場の事務所の壁に貼れとか要求してきます。
この、いわき市で建てていただいたO様宅を、K野T夫さんが担当の契約客の方が見に行かれて、「なんだ、この家はきっちりとできているじゃないか。なんで、この家はきっちりと施工して、うちの家はここの家みたいにやってくれないんだ」と言われたという件についても、
(1) いわき市および福島県浜通り地区、茨城県北部で建てる人には、長押の方を床柱の手前で止めるという施工にしていたのは、私が担当のお客様だけではなく、いわき市の展示場の営業は多くの人がそうしていた、という点。
(2) この話が、営業本部長の天野隆夫には伝われなかったらしい、という点。
この2点があったのでまだ良かったのですが、もしも、私だけがお施主様の希望をきくようにしていて、かつ、それが営業本部長の天野隆夫に伝わったとすると、呼びつけにされた上で、「おまえのおかげでK野T夫さんが迷惑しただろうが。何、考えてんだ、おまえはあ! よく気をつけろお!」と怒鳴りつけられたところでしょう。 ・・・しかし、悪いのは私ですか? 違うと思うのです。床の間・床脇といったものは、それぞれの地域によってやり方があり、それを尊重するべきもので、遠州地方においては遠州流のやり方で施工すればいいでしょうけれども、福島県および茨城県北部においては「福島県および茨城県北部」のやり方というものがあるのですから、その地域のやり方で施工されるように、きっちりと配慮した営業が悪いのではなく、配慮できなかった営業の方が「気をつけろ」と言われなければならないのと違うのですか?・・・と思うのですが、それを営業本部長の天野隆夫に言っても通じません。
1993年1月だったか2月だったかに契約してもらった千葉県市原市で建ててもらったY様は、リビングルームに実際の薪を燃やす暖炉を設けたいという希望でしたので、契約前に(株)一条工務店の各部署に「暖炉を設けることはできますか」と尋ね、「できます」という返答をもらい、それをY様に伝えた上で契約いただきました。 小堀住研(株)では、暖炉を設けたいといった希望があれば、営業担当が考えなくても、設計課・工務課の方で、あらかじめ、暖炉についての情報はあり、設計課・工務課の方で、こういうものはどうでしょうか・・と提案したのです。営業はそれを見て、お施主様の希望にそったものかどうかを確認し、もしも、希望とずれているというようなことがあれば、設計担当にそれを言えばいいが、そうでなければ、設計担当の方で提案して進めます。しかし、会社によってやり方が違うようで、(株)一条工務店の場合は、「注文住宅だから、構造上、問題がない限り、どんなことでもできる」と言いながら、こういうことをやりたいと施主の希望を言うと、「それなら、営業さんの方で、カタログを取り揃えてください」と設計担当者が言い、工事課は「そういうのは営業さんが用意してください」と言い、積算部に言うと「営業さんの方でカタログを用意して、これをつけたいと言ってもらえば、金額を出します」と言うというもので、営業が何でもやらなければいけないという会社でした。 大変だなと最初は思ったのですが、神奈川県の茅ケ崎の営業所長だったT葉さんは、二級建築士の資格を持っていて設計事務所に勤務したこともあるそうで、そういう経歴の人でしたので、自分自身でプランニングをして、設計担当には、「これで清書してCAD図面にしてくれ」と依頼するという方法を取っていたようでしたし、古手の営業には(株)一条工務店の設計なんてあてにならんと認識して、自分で図面を作成して、「これで、お願い」と言って設計担当者にまわすという人がけっこうあったようです。 T葉さんは設計事務所で設計の仕事もしていたことがある人のようでしたので、そこまでできたようですが、そこまではできない営業の方が多いと思いますが、できてもできなくても、設計担当から「暖炉をつけてほしいのなら、営業の方で、こういうものをつけてくださいとカタログを用意して言うようにしてもらわないと」と言われ、工事課は「工事課は言われたことをするだけですから」と言われ、積算部は「カタログを用意してもらって、これをつけた場合の値段を出してくださいと言われれば金額を出します」と言い、それって、「積算部」というよりも「計算部」みたい・・と思ったものでしたが、そういう会社でしたから、暖炉のメーカー何社かにカタログを請求して取り寄せました。ところが、1993年5月頃、営業本部長で松戸営業所長を兼任していた天野隆夫がそれを見て、「おい、おまえ、いったい何やってるんだ」と言うので、「リビングルームに暖炉をつけたいという希望なので、カタログを取り寄せているのです」と答えたところ、営業本部長兼松戸営業所長の天野隆夫は何と言ったかというと、「何で、そんなもの、つけるんだ」と言ったのです。「ですから、お施主様の希望です」と言うと、「だから、施主の希望だからといって何でつけなきゃならないんだ」と天野隆夫は言うのです。「施主の希望ですから、つけるものでしょう」と言うと、「誰がそんなもの、つけろと言った!」と天野隆夫は言うのです。「ですから、お施主様が言われました」と言うと、天野隆夫は「そんなもの、つけなくたっていいだろ。」と言うのです。はあ? はあ? はあ~あ?・・・それで、「ですから、契約前に、『実際の薪を燃やす暖炉をリビングルームにつけたいのですが、一条工務店では暖炉をつけることができますか』ときかれたので、それで、設計や工事などの部署に確認したところ、『できます』ということでしたので、お客様にも『できます』と答えて契約してもらったのです」と答えたのです。すると、天野隆夫は「だから、契約前に、『暖炉はつけられますか』ときかれて『つけられます』と言って契約したんだろ。それはいいじゃないか。契約前なんだから。今はもう契約してもらったんだから、『うちでは暖炉はつけられません』と言って適当に建ててしまえばそれでいいだろうが。何、考えてんだ、お前はあ~あ!」と言って怒鳴りつけられたのです。 「そんなわけにはいきませんでしょ」と私が言いましたところ、天野隆夫は「何で、そんなわけにいかんのじゃあ。契約前に『これはできますか』とお客さんから言われて『できます』と答えて契約してもらったんだろ。それで、今はもう契約してもらって契約金の百万円を入金してもらったんだから、『うちでは暖炉はできません』と言って適当に建ててしまえばそれでいいだろうが。それで、『暖炉がつけられないのならよそで建てます』と言うのなら、契約金の百万円をそのままもらっておけばいいことだろうが。何、考えてんだ、おまえは!! よく気をつけろお!!!」と言って怒鳴りつけられたのです。・・それでは、詐欺でしょうが、詐欺!!! 違いますか? 小堀住研(株)の新卒社員研修では「世の中には、人をだますのが仕事みたいな営業もあることはあるけれども、小堀住研の営業はそういう営業とは違います。お客様から『こういうものはお宅ではできますか』と尋ねられたら、実際にできるのかどうかわからないのに勝手に『できます』と答えて契約するようなことは絶対にやってはいけません。そういう時は課長か担当部署に確認して、できるということなら『できます』と返事をし、できないものはきっちりと『それはできません』と答えた上で契約してもらうようにしないといけません。契約前には『できます』と答えて契約してもらって、契約後に『できません』と言うというようなことは絶対にやってはいけません」と言われたものでした。私は、それは小堀住研(株)ではそうだけれども、他の住宅建築業の会社では違うというようなものではなく、どこの住宅建築業の会社においてもあてはまることだ、と思いこんでいたのです。ところが、(株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫が「契約前に、『これはできますか』と尋ねられたのなら、何でも『できます』と答えて契約してもらえばいいだろうが。それで、契約して契約金の百万円を振り込んでもらったなら、『うちではできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。もし、それなら解約すると言うのなら、契約金の百万円を振り込んでもらってるんだから、その百万円をそのままもらっておけば、それでいいことだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ~あ!!!」と言うのでした。小堀住研(株)の松戸営業課の営業課長だった I さんが「あまり下の方の会社に行くと、自分の心を責められるような営業をさせられるようになることがある」と言ったことがあったのですが、天野隆夫がやれと言うことというのは、まさにそうでした。 もっとも、(株)一条工務店の営業誰もが天野隆夫のようなことをしていたというわけでもありません。1993年、福島県いわき市の営業所に転勤した時、いわき市の営業何人かにこの話をしたところ、「それでは、詐欺だっぺえ~え」と誰もが言いました。だから、その時のいわき市の営業は天野隆夫のようなことはやっていなかったのです。天野隆夫は自分のやり方を「一条工務店のやり方」と言うのでしたが、たとえ、営業本部長であっても初代社長の義理の弟であったとしても、「天野隆夫のやり方」というのは「一条工務店のやり方」と一緒というわけではなく、多数派のやり方ということでもなかったようです。
私は、決して、自分で勝手に判断したのではなく、それぞれの担当部署に問い合わせて、できるかどうか確認した上で、「できます」と答えて契約してもらったのであり、そうであるからには、契約前に「できます」と答えて契約してもらったからには、ビジネスのルールとマナーとして、「できる」と言ったものは万難を排してやらないといけません。「何、考えてんだ、おまえはあ!!!」と言われなければならないのは、私ではなく天野隆夫の方です。
K野T夫さんが担当のお宅で、床柱の手前まで長押がくる施工になったことについて、お施主様が「この家(私が担当のO様宅)はきっちりと施工できてるじゃないか。なんで、うちの家はこういうようにやってもらえないんだ。なんで、うちの営業はここの営業のようにやってくれないんだ」と言われた、という件について、もしも、営業本部長の天野隆夫がそれを耳にしていたならば、おそらく、呼びつけにされた上で、「おまえのおかげで迷惑しただろうが。なんで、お施主さんが長押の方を止めてくれと言ったからといってそんなことするんだ。『これしかできません』と言って建ててしまえばいいだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ!!!」と言って怒鳴りつけられたことでしょう。なんで、私の方が悪いの? きっちりと配慮しなかった営業ではなく、きっちりと配慮した方の営業が何で悪いの? ・・・と思いますが、天野隆夫に言ってもだめです。「だめですよ、あれに言っても。なにしろ、あれは頭が薄いんですから」とベテランの某さんが言っていましたが、そういう営業本部長でした。
まず、一番の問題として、なぜ、(株)一条工務店は、日本全国に「浜松流」を押しつけないとおれないのか? 福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『田舎の生まれ』とか『田舎の住人』とか『田舎の出身』という意味での『いなかもの』は別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、それは良くない」と語ったというのですが、浜松において「浜松流」でやるのは、まあ、「浜松は政令都市に指定された、新幹線『ひかり』号も停車する、ホンダ・ヤマハ・カワイ、それになんちゃらエレクトロニクスがある大都会だ」とか言いたがる人が「遠州人」にはけっこういらっしゃるようですが、まあ、これを言うと「遠州人」に怒られるでしょうけれども、実際問題として、都会か田舎かというと、田舎だと思いますが、福沢諭吉が「『田舎の生まれ』とか『田舎の住人』とか『田舎の出身』という意味での『いなかもの』は別に悪いことはない」と言ったように、その意味で「いなか」であっても別に悪いことはないと思います。私は「田舎」は決して嫌いではありませんしね。しかし、「浜松流」を浜松と異なる地域にまで押しつけないとおれない症候群というのは、その「イナカ根性」というのは、それは、好きではない。福沢諭吉も「『精神面がいなかもの』というのは、それは良くない」と語ったように、《遠州地方とは違ったやり方がその地域のやり方である地域にまで「浜松流」を押しつけないとおれないシンドローム》というのは、それは「精神面がイナカモノ」です。浜松が田舎であっても別に悪いと思わないし、私は田舎は嫌いではないが、日本全国に「浜松流」を押しつけないとおれない「精神面がイナカモノ」は好ましくない。
だいたいねえ・・・、「『空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは正しい。しかし、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは間違っている」と言うと、「遠州人」〔(株)一条工務店の遠州人〕は激怒するのです。名古屋南営業所の所長だった近藤路夫さんなんか、「浜松でいいものは、東京でも大阪でも日本全国どこでもいいに決まってるんだ。こんな常識もわからんのかあ!!!」と言ってひきつけ起こして叫びますから・・・( 一一)

「てんかん」のことがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版) - 中里信和
《 井の中の蛙(かわず) 大海を知らず ・・・ 考えのせまい人を嘲笑することばで、自分のせまい知識や見かたにとらわれて、ほかにもっともっと広い世界があることを知らないのをいう。
これを西洋では、「一度も村から出たことのない者は自分の村の鐘つき堂しか見たことがない」という。》
( 折井英治編『暮らしの中のことわざ辞典』1962.9.20.集英社 )
《 マルクス主義者は問題を見る際、問題の部分だけでなく、全体を見なければならない。井戸の中の蛙が「空の広さは井戸と同じだ」というなら、それはまちがっている。空の広さは井戸どころではないからだ。蛙がもし「空のある一部分の広さは井戸と同じだ」というなら、それは正しい。事実に合っているからだ。》
( 毛沢東「日本帝国主義とたたかう戦術」1935.12.27. 『毛沢東語録』〔1972.改訂2版。和田武司・市川宏訳。河出書房新社〕所収。)

毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 実, 竹内
浜松の中の蛙が「空の広さは浜松の広さと同じだ」と言うなら、それは間違っている。蛙がもし「空のある一部分は浜松の広さと同じだ」と言うならそれは正しい。事実に合っているからだ。・・・と言うと怒りよるんだわ、「遠州人」は。「浜松でいいものは日本全国どこでもいいに決まってるんだ。それが常識なんだ」と近藤路夫さんなどは叫ぶのだ。 「それは違いまっせ」と何とか教えてあげようと思っても、無理! そういう「ほとんどビョーキ」の人を「治療」してあげようと思っても、無理です。
JR只見線が全通した時、会津地方の人間は「これで、『会津の人間は、海と猪苗代湖なら猪苗代湖の方が広いと思っている』と言われずにすむ」と言って喜んだ、という記事を見たことがあるが、浜名湖の場合は海に近い・・というより、浜名湖は、一部分、海とつながっているので、いかに「遠州人」といえども、「海と浜名湖なら浜名湖の方が広いと思っている」ということはないだろう・・・と思ったのだが、「(株)一条工務店の遠州人」の場合は、もしかすると、「海と佐鳴湖(さなるこ)なら佐鳴湖の方が広いと思っている」という人間がいるのではないのか? ・・という感じすらする。
※ 《ウィキペディアー佐鳴湖(さなるこ)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%B3%B4%E6%B9%96
「いなか」そのものは別に悪くないのですが、「海と佐鳴湖なら佐鳴湖の方が広いと思っている」ような思考というのは、それは良くない・・と思うのですが、そう言うと「遠州人」は怒るのです。怒るのならその「浜松の中の蛙」的思考を改めたらどうなんだ・・と思うのですが、蛙は決してその思考を改めないし、その思考を改めるのではなく、それを指摘する人間に対して怒るのです。
K野T夫さんについては、実際にどちらなのか、よくわからないところがあります。「どちらなのか」というのは、
(1) 床柱と長押の関係なんて、何も言わなくても(株)一条工務店がしかるべく施工するだろうと思いこんでいたら、そのお施主様の家の工事が進んできて、お施主様が見たら、思っていたのと違った。これはおかしいから改めてくれと、その段階で言われたが、すでに床柱は入れられて建物の工事は進んでおり、床柱には長押を前まで持ってくるという前提で機械プレカットで床柱の前面が削られているので、そこから、何とかしようと思ってもできない・・・ということだったのか、それとも、
(2) 私が住宅展示場の床の間をOさんが見て指摘されたように、図面決定より前に、お施主様が(株)一条工務店の展示場の床の間を見て、これはおかしいから、床柱を下から上まで見せて、長押は床柱の手前で止めるように施工してくれと言ったのに、K野T夫さんが「こういうやり方しかできません」と言って、施主の希望を拒否したのか。
どうも、どちらだったのか、よくわからないところがあります。
私は、小堀住研(株)の新卒社員研修の時に、「お客様から、こういうことはできますかと質問されたなら、自分がわかっていないのに適当に『できます』とか『できません』とかあてずっぽうで答えるようなことは絶対にしてはいけません。わからないことは、『今、わかりませんので、調べて連絡します』と言って、課長にきくか、担当の部署に問い合わせるかした上で、確かめて、1週間以内くらいにきっちりとしたことを答える、というようにしてください」と言われた。そして、これは、小堀住研(株)ではあてはまるが、他の住宅建築業の会社ではあてはまらないというものではなく、どこにおいてもあてはまるもののはずだ、と理解していた。・・ところが、(株)一条工務店では、営業本部長の天野隆夫から「お客さんから、こういうものはできますかと尋ねられたのなら、何でも『できます』と答えればいいだろうが。その上で契約してもらって、契約書にサインしてもらって契約金の百万円を振り込んでもらったなら、『うちではそれはできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが! 何、考えてんだ、おまえはあ!!!」と言って怒鳴りつけられたのです。
私は「お客様から、こういうことはできますかと質問されたなら、自分がわかっていないのに適当に『できます』とか『できません』とかあてずっぽうで答えるようなことは絶対にしてはいけません。わからないことは、『今、わかりませんので、調べて連絡します』と言って、課長にきくか、担当の部署に問い合わせるかした上で、確かめて、1週間以内くらいにきっちりとしたことを答える、というようにしてください」というのは、これは、小堀住研(株)の新卒社員研修で教えられようが教えられまいが、当たり前のことだと思っていたのです。ところが、(株)一条工務店においては「当たり前」ではなかったのです。
そのあたりを考えると、K野T夫さんは(1)だったのだろう、入社してまだ社歴がそれほど古くない人にとっては、あまりきつく責めるのはそれは酷だ・・と思ったのですが、はたして、(1)だったのか、それとも、もしかして、(2)だったのか。どうも、よくわかりません。
K野T夫さんがどちらだったのかわかりませんが、実際に(2)の対応をする人というのは存在します。特に、(株)一条工務店は初代社長の大澄賢二郎が「人みたいなもん、求人広告さえ出せば、いっくらでも採用できる。求人広告にはいくらでもカネをかけろ。求人広告にはいくらでもカネをかけて、中途採用の従業員はどんどん採って、片っ端から辞めさせろお!」と叫んでいたというのですが、その「人みたいなもん、求人広告さえ出せばいっくらでも採用できる」というそういう認識をしていたのでは、生物学上の「人」は採用できても、その仕事を自分の所の会社でやってもらうのに十分適した人を採用するのは簡単ではないでしょう。 生物学上の「人」でさえあればいいというような、そんないいかげんな認識で採用をやっている会社ですから、↑の(2)のような対応をする人も入社してきているはずです。かつ、営業本部長の天野隆夫はそういう対応をする人を好むのですから、そういう対応をしている人はけっこういるはずです。
そして、
〔1〕 営業個人との契約ではなく、お客様は会社と契約するのですから、営業担当者がミスをすればそのままミスした結果の家になる・・というのではなく、たとえ、営業担当者がミスをしても、他の者がカバーして、最終的にはおかしくないものができる・・というように、会社としての体制を整えるべきです。特に、その時のK野T夫さんのようにまだ社歴が浅い人の場合には、会社としてカバーする体制をとっておかないと、その時のような事態は起こります。 ところが、(株)一条工務店は、営業担当にまかせきりで、営業担当者がミスをすればそのままミスが結果に出るし、営業担当者が新人でも「少々困った人」でも、会社として対処しようとしない・・・というのは、それはやはりおかしいのではないか。
〔2〕 又、「黙って座れば浜松流」というのは、遠州地方においてはそれでもいいでしょうけれども、遠州地方とはその地域のやり方が違うという地域においては、「黙って座れば浜松流」ではなく、「黙って座れば、その地域のやり方で」というようなシステムにしておくべきです。〔この場合、「黙って座れば」というのは「特に何も言わなければ」「特に指定しなければ」という意味です〕・・これを言うとまた、「浜松のやり方は日本全国どこでも絶対的にいいんだ。こんな常識がわからんのかあ~あ!」とひきつけ起こして叫ぶ「遠州人」が出てくるでしょうけれども、そういう人は、「不破の関・鈴鹿の関より東、箱根の関より西の地域」から外に出ないようにして、もう、その井戸から外には出てこないように、その井戸の外のことについて口出さないように、会社として対策をとってもらいたいものです。
・・・・やっぱり、ほぼ全国で建てるようになってきた会社ならば、この2つは必要なことと思います。
「空の広さは浜松の広さと同じだ」と思っている人は、不破の関・鈴鹿の関より西、箱根の関より東には出てこないように、関所の守りをきっちりとやってもらいたいものです。
もうひとつ、床柱をすでに機械プレカットで長押を組み合わせる部分を削ってしまったという場合ですが、そこまでやったなら、長押が床柱の前までこない施工にしたいと思っても、本当にどうしようもないのか?
(株)一条工務店の場合、カリン、もしくは紫檀・黒檀などの床柱は、建物の荷重は受けないように施工しているのですから、ある程度、工事が進んでからでも、引っこ抜くということは「できないこともない」ということはないか?
かつ、引っこ抜くことができたならば、その床柱に前にきた長押を組みあわせるように機械プレカットで削ってしまったとはいえ、同じように長押を前にして施工する工事現場でそれを使用すれば床柱を無駄にすることもないでしょうから、それで、全面を削っていない床柱をなんとかつっこんで入れるということができるのではないのか?
もし、引っこ抜くことができなかったとしても、「埋め木」という方法、削ってしまった部分に木を埋め込んで上から塗装してわかりにくくするという方法も考えられるのではないか。 但し、最近の大工は、「埋め木」なんてのをあまりやらない。宮大工がお寺とか神社の補修工事をする場合ならやっても、町家の大工はやる人はあまりないのではないか。
そういう場合の方法として、「ウルトラC」みたいな方法というのかがあって、「モルタルをつめる」というのがあるはずなのです。これは我が家に来たリフォーム屋がやったことなのですが、屋外に出ている木で部分的に痛んでいるものに、「モルタルをつめる」ということをやってその上から塗装すると、よほど近くまで行ってじっくりと見ないとわからないのです。 そんなやり方があるのか・・と思い、自分の家で、屋外に出ている構造材でない木材でやってみたことがあるのですが、しろうとがやると職人がやったのと同じにはならないのか、上から塗装した部分が、しばらくすると塗装が取れてきて、モルタルをつめた部分は「モルタル色」というのかが見えてきました。しかし、屋内なら濡れないので、塗装がとれてしまう可能性は低いのではないか。そういう手だって、「あることはある」はずなのです。
そのあたりも、K野T夫さんは「できません」と自分で決めて答えてしまっているようなところがあります。
(株)一条工務店という会社は、施主の方に我慢させるということが多い会社で、「『このやり方しかできません』と言って建ててしまって引き渡せばいいだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ」と天野隆夫などは言うでしょうけれども、そういう「施主の希望をできる限り満たす」という姿勢ではなく「施主に納得させろ」という方針というのは、どうなのでしょうねえ・・・・。そういうのを「営業力」だと思いますか?
「モルタルをつめる」なんてのは、リフォームの場合ならともかく、新築において床柱にそれをやると言うと、たぶん、それをお施主さんに言うと「なんで、新築の家でそんなことされなきゃならんのだ」と言われるのではないかと思います。 しかし、それでも、K野T夫さんが、そういう方法でも頭に考えたか? 考えたけれども、それはお施主さんに言っても、怒らせるだけだから、むしろ、言わない方がいい・・と判断して言わなかったか、そうではなく、そういったことを何も考えなかったから言わなかったか?
「床柱をひっこぬいて、別の床柱と入れ替える」という方法は考えられると思うのです。但し、無暗にそれを認めてしまうと、取り換えないといけない床柱だらけになってしまいますが。 引っこ抜いた床柱は、他の所で使えると思うのです。引っこ抜く時に、上下で痛む部分が出てくるというのなら、(株)一条工務店は天井高について、1階天井高275cmのタイプと250cmのタイプ(いずれも洋間での高さで、和室はそれより若干低くなりましたが)があったのですから、もしも、引っこ抜くに際して、上の部分で傷がつくとかあれば、天井高が低いタイプの方でその床柱は利用するとか、やりようはあったのではないのか。
そういう時に、「何とか、お願いできませんでしょうか」と会社に対してお願いする営業と、そういうことを考えない営業がいるのです。考えない人の方を(株)一条工務店の経営者は喜ぶのですが、そういうのを喜んでいいのでしょうか? それは喜ぶべきものでしょうか?
K野T夫さんは、1998年に私が栃木県佐野市の営業所に移った後、辞めてしまったようですが、同じ営業所にいた人間として、協力したい気持ちにもなった反面、協力したくない気持ちになることもあったのです。
私は、営業本部長の天野隆夫から、転勤してくれと頼まれたので、(1)会社のためなら協力したいと思ったことと、それから、(2)いわき市に4か所の営業所(展示場)があって私が勤務していた展示場が一番条件が悪いと誰もが言っていた展示場だったのですが、私は5年間ずっとそこにおらされた。 営業成績というのは、営業の能力だけで決まるのではなく、その場所の条件だけで決まるのでもなく、その両方で決まるものですから、一時的になら条件が悪い場所に配属されてもしかたがないとしても、いわき市の営業所に5年間いて、その間に、1人だけ移るとかではなく、全体をシャッフルするような移動が2回あったのに、私1人だけがずっと一番条件が悪い展示場に据え置かれた。
私は所長の草野さんに言ったのです。「会社というものは従業員に不公平がないようにするべきものだと思います。いわき市に展示場は4つあって、すでに、いわき地区で全体が動くような人事異動が2回あったのに、なぜ、私1人だけが、この一番条件が悪い展示場にずっとおらされるのですか。いわきにいる営業社員は、誰もがこの展示場が一番条件が悪いと言っていますでしょ。そこにずうっとおらされているのは私1人だけですね。どうしてですか。 最初、ここにいた人でも、私以外の人は他の展示場に移ってますよね。どうして、私1人だけがずう~っとここにおらされるのですか」と。
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そうすると、所長の草野さんは「ここの展示場は和風の展示場で、しかも、総合住宅展示場の入口から遠い場所にあって来場客数が少ない展示場で、和風の展示場に来る人というのは、木にうるさかったり、家相にこだわったり、なかなか難しい人が多いので新人では厳しいから、だから、経験があって実力のある人にいてもらわないといけないんだ」と。 なんか、ぼけっと聞いていると、「経験があって実力のある人にいてもらわないといけないんだ」なんて言われるとほめられたみたいな気がしてしまいそうですが・・・、要するに、なんだかんだ言って、ひとを条件の悪い場所におらそうとしているのです。そうはイカのち〇ち〇、だったか、イカのきん〇ま・・だったか。
私は言ったのです。「それなら、草野所長がここに来てくださいよ。所長が一番経験があって実力があるじゃないですか。私は所長が実力があるというのを否定したりしませんよ。草野所長が営業としての実力のある人だと心の底から思っておりますよ。経験年数も所長の方が私よりずっと長いじゃないですか。ぜひとも、所長がここに来てくださいよ。私、かわりに所長がおられる所に行きますよ。入れ替わりましょうよ」と。
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すると、草野所長さんはどう言ったかというと、「営業成績のいいもんが、一番条件のいい場所に行くんでえ~え」と。
それで、私は言いました。「なるほど。成績の悪い者が条件のいい展示場に行くのではなく成績のいい者が条件のいい展示場に行くのだ、という理屈ですね。 所長の営業成績がいわき地区の営業の中では一番ですから、だから、所長が一番条件がいい場所に勤務されるというのはわかりました。しかし、私だって一番営業成績が悪いわけではないはずです。私だって、所長よりは契約棟数が少ないとしても、いわき地区の営業の中では、通算契約棟数で見ても、前年契約棟数で見ても、過去3年間の契約棟数で見ても、最低でも真ん中より上のはずです。それで、なんで、一貫して一番条件が悪い展示場におらされなければならないんですか。私よりも営業成績が悪い人は何人もいますでしょ」と。
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すると、所長の草野さんはまたもや、「ここの展示場は、来場客数も少ないし、和風の展示場で、和風の展示場の来場客というのは、木にうるさかったり、家相にこだわったりする人が多くて、新人ではきつい展示場だから、経験があって実力がある人にいてもらわないといけないんだ」と言うのです。「ですから、所長が一番経験があって実力があるじゃないですか。所長がここに来てくださいよ。私、所長がおられる所に移りますから。今すぐ、入れ替わりましょうよ」と。
そうするとまたもや、「営業成績のいいもんが、一番、条件のいい展示場に行くんでえ~え」と。「だから、所長の営業成績が一番だということはわかりましたけれども、私だって最低じゃないはずで、いわき地区の営業の中では少なくとも真ん中より上のはずですから、ここにいなきゃならない理由はありませんでしょ」と言うと、またもや、「ここの展示場は来場客数が少なくて、和風の展示場で、和風の人というのは、木にこだわったり、家相にうるさかったりする人が多くて、新人ではきついから、経験と実力のある人にいてもらわないといけないんだ」と・・・。
はてしなく、この繰り返し・・( 一一)( 一一)
・・・、何、これ・・・( 一一)( 一一)( 一一)
さらには、1992年に江東区潮見の東京展示場に入社した時、東京展示場は、ある程度、経験のある営業は「リーダー」の宮崎さん1人だけで、他は新人ばっかりで、新人ばっかりで最大で13人も押し込められていたのだったが、『ビーイング』の求人広告には「研修制度が充実していますから、売れなくて困ることは絶対にありません」などと書かれていて、ちっとも充実してないじゃないか! 嘘ばっかし・・だった。 そういう時、やっぱり、経験のある人がいて指導してもらえれば・・・と思ったが、そういう人がいなかった。 ところが、そのうち、会社が、すべての営業社員を「応援者」と「被応援者」に分けるということをした。 それはおかしいと思うのだ、「応援者」と「被応援者」の2つではなく、「応援者」と「被応援者」とどちらでもない者の3つに分けるのならわかる。 2つに分けたのでは「被応援者」と成績の変わらない「応援者」、「応援者」と成績の変わらない「被応援者」が出てくるし、出ていた。 なんで、この人に「応援」されなきゃならないの? というケースが出ていた。
過去の営業成績をもとに、本社の人間が事務的に「応援者」と「被応援者」に分けるということをした時、私は「応援者」にされた。営業成績から考えて妥当だった。 ところが、その後、営業成績とは無関係に所長が「応援者」と「被応援者」を決めるという制度に変わったところ、私は前年契約棟数で見て私の半分も契約を取っていないKさんを「応援者」にされてしまった。前年だけではなく、過去3年間の契約棟数で見ても、いわき地区に来てからの契約棟数で見ても、入社以来の契約棟数で見ても、その人と私となら、私はその人より条件が悪い展示場か同じ展示場かにいて、すべての年において、私の方が契約棟数は多いか同じ棟数かだったのに。 会社からの通達では「営業成績を見て、応援者と被応援者に分けます」と書かれていたはずなのに、私の半分も契約とってない人を「応援者」にされた。これは失礼である。
私は、所長の草野さんに言ったのだ。
「(1) 最初、浜松の本社の人間がここしばらくの営業成績を見て事務的に『応援者』を決めた時には私が『応援者』に指定されたのに、所長が『応援者』を決めることになると、なんで、私の半分も契約とっていない人を『応援者』にして、少なくともその人の倍以上は契約とってきた私を『被応援者』にされなければならないのですか。その理由は何ですか。浜松の本社の人間が事務的に決めた時は私が『応援者』になっていたのに、所長が決めるということになると、私の半分も契約とってない人を『応援者』にするというのはおかしいでしょ。
(2) 1棟だけ私の方が契約が多いというくらいなら、Kさんの方が入社が先だからとか歳が上だからということもあるかもしれないけれども、倍以上契約とったのに、それなのに、半分未満の人間が『応援者』で、倍以上契約とった者の方を『被応援者』にするということなら、何のための制度かわからなくなりますでしょ。
(3) 今、いわき地区にいる人で、Aさん・Bさん・Cさん・Dさんは前年の契約棟数と過去3年間の契約棟数を見て私と同じか私よりわずかに少ない棟数で、かつ、いる展示場が私よりも条件がいい展示場にいた上での成績でしょ。その人たちが『応援者』になっていて、なんで、その人たちよりも条件が悪いと誰もが認めている展示場にいてその人たちと同じかその人たちよりもいい成績を残してきた私が『被応援者』にされなければならないのですか。 たとえ、わずかでも数字が上なら、条件がいい展示場にいたということがあっても、それでも、わずかでも数字が上の方が上と評価されることもあるかもしれないけれども、条件が悪い方の展示場にいた人間が同じ営業成績かわずかでも上の数字ならば、条件が悪い方の場所にいて成績がわずかでも上の者の方が上でしょ。それから考えれば私の方が上のはずです。そちらの方が『応援者』になるものでしょう。どうして、私だけ、『応援者』にならないのですか」
と言ったのだが、はぐらかされた。特に(1)の《最初、本社の人間がここしばらくの営業成績を見て事務的に『応援者』を決めた時には私が『応援者』に指定されたのに》という部分については、「そんなもの、あったかあ」などとカマトトされた。
※ 「カマトト」とは、
《 かまとと【蒲魚】 (蒲鉾を、「これは魚か」ときくことからいう)わかっているくせにわからないふりをすること。なにも知らないような顔をして上品ぶり、またおぼこらしくふるまうこと。また、その人。》
( 新村 出(しんむら いずる)編『広辞苑 第二版』1969.岩波書店 )
「そういう言い方は楠くんに失礼だぞ」などと言うのだが、「そういう言い方」されるのが嫌なら私の半分未満しか契約取らないのではなく、私より多く契約取るか、自分の倍以上契約とった者の「応援者」になろうなどということはしなければいいのだ。自分の倍以上の契約を取った者の「応援者」になってやろうという人間の方こそ、よっぽど「失礼」であろうが!!! 私の半分未満しか契約とってない人間が「失礼」もくそもあるか! 私と同じ場所か私より条件がいい場所にいて、私の半分未満しか契約とってない人間が、自分の倍以上の契約をとっている人間に対して「応援者」だとか主張することの方がよっぽど失礼であるはずだ。
入社直後の「応援」してくれる人がいると助かるという時にはひとりでさせておいて、逆にひとを応援できるくらいになると、むしろ、足手まといになるような人を「応援者」だと言ってくっつける。「バッカじゃなかろかルンバ♪」てことを(株)一条工務店はやる。
さらに、Kさんが新潟県の展示場に転勤していなくなると、今度こそ私を「応援者」にしてくれて良さそうなものだが、いわき市の他の展示場から「アルツハイマー」と言われるS藤賢二さんを私と同じ展示場に配属させて、S藤賢二さんを「応援者」にしてしまった。こんなバカな話はない。その人は私がめんどう見てきてあげた人じゃないか。その人は営業として独り立ちして仕事ができていない人で、私がずっとめんどう見てきてあげた人じゃないか! なんで、めんどう見てきてあげた人間が「被応援者」にされて、めんどう見てきてもらった人が「応援者」になるんだ! これでは、「従業員の営業成績をあげるため」とはまったく逆のことをやっている。私はこれも所長の草野さんい言った。 「S藤さんは私がめんどう見てあげてきた人じゃないですか。なんで、私がめんどう見てあげてきた人をめんどう見てきた者の『応援者』にされなきゃならないんですか」 と。
「被応援者」になった人は、契約までに「応援者」に一度は同席してもらわないといけません・・・とか言って、私の半分も契約取っていない人を「応援者」にされるとどうなるかというと・・、どうなると思いますか? Kさんは「私は本当はもっと契約とれるんだけど、わざと取らないようにしてるの」とか何とか言ってかっこつけていましたが、嘘です。だいたい、「もっと契約とれる」のなら取ればいいじゃないですか。私はKさんに契約取らないでくださいなんてお願いしたことは一度もありませんよ。 契約があがっていない人というのは、お客さんに変なこと言うのです。本人、わかっていないと思いますが、そういうことがあるのです。そういう人に同席させなきゃならないというのは迷惑なんです。それは「足手まとい」をつけられているのと同じなのです。
私の半分も契約とっていない人を「応援者」にされたり、私がめんどう見てきてあげた人を「応援者」にされたり。これも、草野所長さんに言いました。「なんで、私を『応援者』にしてくれないのですか」と。 草野所長さんは「おい、おまえ、楠くんのことをそんな言い方するのは失礼だぞ」と言うのですが、楠さんの倍以上は契約取った者に対して、その言い方こそ失礼でしょう。同じ場所にいて、人の倍の契約棟数をあげるというのが、どれだけ大変か、いわき地区で相当多くの契約をあげてきた草野所長ならわからないはずないのです。その上で、そういう失礼なことを口にしているのです。もしも、1棟だけ多いとかそのくらいならば、Kさんの方が年齢は上だとか、入社はKさんの方が先だとかいうことで、Kさんを「応援者」にするという選択もありかもしれませんが、その程度ならば、「まあ、しかたがないか」と考えることもありうるかもしれませんが、倍以上、契約とったのに、それはないだろう。倍以上、契約とるためには、それなりに努力もすれば苦労もしてきているのです。わからんのか、(株)一条工務店の経営者は?・・・というと、アホやからわからん・・のかもしれませんね・・。 又、佐藤賢二さんのめんどうを私がずっと見てきてあげたということも、草野所長さんは知っているはずなのです。めんどう見てきてあげた人間を「被応援者」にして、めんどう見てきてもらった人間を「応援者」にするなどという、そんなバカな話はないでしょう。
佐藤賢二さんは、「S藤さんはアルツハイマーだからしかたがない」と言って何をやっても免責にしてもらうことができるみたいに言う人がいましたが、それは卑怯です。勝手な時だけ「アルツハイマー」になるというその手口。その手口は相当巧妙であり、その部分については相当頭がいいはずです。
誰にだったか忘れてしまったが、私は会社に言ったことがあります。「この人は、誰か、しっかりした人と同じ展示場に配属して、おかしなことをしないか、常に見ておくようにしないと危ないですよ。私の場合は、S藤さんは自分より年下で、自分より後から入社した人間だと思ってなめていますから、私ではだめです。できれば、佐藤さんより年上で、佐藤さんより古くから会社にいる人で、佐藤さんより上の役職をもらっている人で、ある程度しっかりした人と同じ展示場に配属して、おかしなことをしないか、常に見ておくようにしないと、何かしますよ」と、私は会社のためを思って言ったのです・・・・が、人がせっかく会社のためとS藤さんのための両方のためを思って言っても、言っても言ってもきかない会社はどうしようもない。私が栃木県の営業所に移ったすぐ後、やっぱり、私では自分より年下で自分より後から入社した者だと思ってなめていたとはいえ、いくらかなりとも役に立っていたようで、私がいわきにいなくなってすぐ後、S藤賢二さんは、調整区域という家を建ててはいけない場所に建てようとして、建築指導課から注意を受けて、あやうく、いわき市では(株)一条工務店は建てられなくなってしまうところだった・・・・と。それで、S藤さんは解雇された・・・と。 だから、言ったでしょうよ。誰か、ある程度、しっかりした人で、できれば、S藤さんより年上で、S藤さんより先に入社した人で、S藤さんより上の役職を持っている人と同じ展示場に配属するようにして、おかしなことをしないか、常に見ておかなくようにしないとこの人は危ないですよ・・・と。私が会社のためとS藤さんのためと両方のためを思って、せっかく言ってあげてるのに、なんできかないんだよお!!! このボケえ!!! ボケ、ぼけ、ボケ、ぼけえ!!!・・・ということばっかり、(株)一条工務店という会社は。
私は、「慶應大学の商学部の卒業生として入社」したと思っていましたから、だから、その年その年の営業成績よりも、会社を運営するための能力を身につけるということの方を重視して考えていたし、そのためには、条件が悪い方の展示場も経験していいと思っていたし、そもそも、条件がいい場所ばっかり経験してきたというような人間にろくな人間いないし。 「会社を運営する人材」として入社したつもりでしたので、だから、「他の人間がしない苦労もして、他の人間がしない努力もして、他の人間がしない我慢もする」というのもしかたがないと思ってやってきたけれども、しかし、いくらなんでもおかしいのではないか。 そして、(株)一条工務店は、営業の場合、昇進は営業成績をもとに決めることにしていたが、そうなると、条件がいい営業所にいる人間はたいしたことない人でも昇進して、私のように一貫して条件が悪い所にばっかり配属されてきた者は昇進できないことになってしまう。 どうも、もう少しのところで、その基準に足らないということがあり、会社はそれをわかっているはずですから、わかっていて条件が悪い所に一貫しておらせるというのはどういうことなんだ、と思いました。そういう時に、栃木県の営業所に移ってもらいたいと営業本部長の天野隆夫が言ってきたので、会社のために必要なことなら協力したいということもあるけれども、(株)一条工務店の場合、規定の入社後の年数と通算契約棟数・通算引渡棟数を満たす者が会社都合での居住地変更をともなう転勤をした場合には、「特進転勤」として「副店長」に昇進という規定があったので、5年も我慢を重ねていわき市で一番条件が悪い展示場で奮闘してきたのだから、「副店長」に昇進させてもらえるのなら、他の県に行ってもいいわ・・・と考えたのです。
ところが、営業本部長の天野隆夫に「特進転勤ですね」と言うと、「今は、特進転勤という扱いにはしないんだ」と言うのです。その制度はなくなってないはずなのですが、それでも、営業本部長の天野隆夫が「前は特進転勤ということにしたけれども、今は会社都合の転勤をしても特進転勤ということにしないんだ」と言うのでしたが、それでも、「展示場リーダー」としてその展示場のアタマとして行くという話でしたから、それならば行こうということで転勤を了承しました。・・・ところが、そこでも騙された。行ってみると、なぜか、私より社歴が古い武田さん(男。当時、30代)が茨城県の営業所から私と同じ時に転勤して「リーダー」になっていた。話が違うじゃないか!〔⇒《ニコニコ-1989年11月22日 邦楽 「勇気のしるし リゲインのテーマ」(牛若丸三郎太(時任三郎))》https://www.nicovideo.jp/watch/sm35639218 〕
それだけではない。佐野展示場の営業は私と同じ時期に転勤して赴任した武田さんは、歳は私より下だったが、私より入社は前で、通算契約棟数も私より多かったので、私が「展示場リーダー」になるということでの「特進転勤」で転勤したという事実を別にすれば、武田さんとならば過去の通算契約棟数と在籍年数で見れば武田さんの方が「リーダー」になるというのはありえないことではない。しかし。 在籍営業5人のうちで、在籍年数は私の半分未満で、前年契約棟数がゼロ棟の上岡を「応援者」にして私をまたもや「被応援者」にした。 上岡が前年契約棟数がゼロ棟ということは前年契約棟数は無限大に私の方が多いし、通算契約棟数も私の方が多いし、在籍年数も私の方が長いし、会社が取得を希望している建築・住宅関連の資格も私はいくつか取得しているのに対して何ひとつ取得していないし、何より、「特進転勤」という制度により「会社都合での居住地変更をともなく転勤」を負担を払って私はしたのに対して上岡はそのようなものはしていない。どれを取っても私より格下の人間、個々に見ても全体で見ても私より格下の者で勤務態度もよくない者を「応援者」にして、「応援者」で「リーダー」として移るという話で転勤を承諾したはずの私を「被応援者」にした・・というのは、これはもう、「喧嘩売ってる」としか考えようがない。いわき市の営業所で、私の半分未満しか契約をとっていなかった楠さんは、私より入社は先で年齢も私より上だったので、もしも、私の半分未満ということではなく1棟だけ少ないというくらいならば、「年齢が上で入社が先だから」ということで楠さんが優先されるということも考えられないことはなかったとしても、倍以上とった者に対して半分未満の者が「応援者」になるのはおかしい。上岡に至っては、在籍年数は私の半分未満で年齢は同年代ですから、これは「応援者」の制度の趣旨を土足で踏みにじるものであるとともに、営業本部長の天野隆夫が私に転勤を頼んだ際の話の内容ともまったく異なるものです。
ひとつには、その時の栃木県地域の営業所長の五十嵐が自分と経歴が似た人間を評価する男で、五十嵐は上岡くんと経歴が似ていたので、それで上岡くんを「応援者」にしたかったようで、同時に私は天野と五十嵐から「なめられていた」ということがあったようだ。 どういう経歴だったかというと、「最終学歴:底辺の方の高校卒、前職:クルマ屋、建築・住宅関連の保有資格:なし」という点で五十嵐と上岡は共通していたようだった。しかし、私は会社が就業規則で定めた「特進転勤」の規定を満たしてその条件で転勤したのに、営業本部長の天野隆夫が「特進転勤には最近はしないんだ」と言って文章で規定されているものを踏みにじって「副店長」昇進にはさせなかったという点については承諾したとしても、あくまでも「展示場リーダー」で「応援者」として行くということで承諾したのであって、自分の半分も在籍していない前年契約棟数ゼロ棟で、勤務態度も良くない人を「応援者」にされて、「被応援者」にされるということで承諾したのではないのです。これは、明らかに、「喧嘩売られたとしか考えられない」のです。天野と五十嵐に罠にかけられたのです。いわき市の営業所にいた時、楠さんが私の半分未満の契約棟数でも楠さんが「応援者」にされて楠さんの倍以上の契約を取ったにもかかわらず私が「被応援者」にされたというのは、楠さんの方が社歴は長いということがあり、それから考えて、「『倍以上』ではだめだということなら、それなら『3倍以上』契約取れば文句ないのだろう」と考えるということだってできたのです。しかし、在籍年数が私の半分未満の人で前年契約棟数ゼロ棟の人を「応援者」にされたのでは、これは何倍契約とってもだめだということです。(株)一条工務店ではどんなに努力して実績残しても、どんなに苦労して実績残してもだめだということになります。話にならないのです。従業員は給料もらうために会社に勤めているのです。それをこういうことをされたのでは、これは黙っていてはだめでしょう。私は入社以来、毎日毎日、毎年毎年、(株)一条工務店のために自分を犠牲にして滅私奉公を続けてきたのに、天野隆夫と五十嵐に罠にかけられたのです。許していいことと良くないことがある。(株)一条工務店という会社は、会社のために尽くしたり我慢したりすると、普通の会社ならそういう人はその分だけ評価されると思うのだが、逆に、こいつは我慢する人間だから我慢させればいいというように解釈するようなところのある会社だった。それなら、我慢してはいけないということになる。又、五十嵐は「上岡くんは爆発力がある」などと言うのですが、たしかに、上岡くんは気にいらないことがあると爆発するという「爆発力がある」男で、そういうところを五十嵐は評価するようでしたが、私にとっては関係ないことです。
五十嵐さんと話をすると、たとえば、1993年に名古屋の八事営業所で営業成績があがっていなくて松戸に転勤してきた松下は会社が何かしようとして従業員がそれはひどいと多くの人間が思ったという時、常に会社に同調する発言をして自分だけ評価してもらおうとする人間でその精神構造が筋金入りにできていて、営業本部長の天野隆夫はそういう人間が好きだったのだが、五十嵐さんはそういう松下のようなイヌコロ根性はない人で、そのあたりを見ると、この人はそんなに悪い人じゃないようだと思ったし、福島県中通り地区の所長だった片山が五十嵐さんのことを「天野部長の腰巾着」と言っていたようだが、そんなに「腰巾着」というような感じではなく、むしろ、片山の方こそ「大澄社長の腰巾着」と従業員の間で言われており、見ていてもそんな感じで、現実に片山は「腰巾着」としての行動をとっており、その片山に比べれば五十嵐さんは””「腰巾着」度””ははるかに低い人だったと思うのだが、どうも、自分と経歴が似ている人間をそれだけで高く評価したがる傾向があり、そのあたりを見ると、「やっぱり、『高卒のおっさん』やなあ」という印象を受けた。私が佐野展示場に赴任した時、私と一緒に佐野展示場に移動した武田さんと私を別にすると、3人の営業社員がいたが上岡はお客さんとの関係が一番悪い。それは「人間性の問題」があると思うが、それとともに「考えずに仕事をしてきた」人だからだ。最初に景気がいい時期に入社した人・最初に条件がいい場所に入社した人というのはそうなる傾向があるが上岡もそういう傾向があった。私は、あくまでも、「リーダー」で「応援者」として行くということで、会社都合での居住地を変わる転勤を承諾したのですから、そうしてもらわないといけません。そうでなければ、就業規則上、「特進転勤」という制度は有効ですから、《「副店長」昇進と、2棟契約扱い》にしてもらわないといけません。
いわき地区の草野所長さんが「ここの展示場は来場者数も少ないし、和風の展示場で、和風の展示場というのは、木にうるさい人とか、家相にこだわる人とかが多く、新人では厳しい展示場なので、経験と実力のある人にいてもらわないといけないんだ」とおっしゃったわけで、そこでは「経験と実力のある人」と認定してもらったわけですが、ところが、営業本部長の天野隆夫から頼まれて転勤してあげたところ、前年契約棟数ゼロ棟で在籍年数は私の半分未満という人間より実力のない人間だと決めつけられてしまった。これは私を侮辱しているとしか考えようがない。 五十嵐は栃木県地域の「大学卒で新卒入社」した人から「『頭、悪いなあ』と思いますよお」と言われていたが、たしかに、そんな所もある人だった。だからこそ、「最終学歴:底辺の高校卒、前職:クルマ屋、建築・住宅関連の資格:なし、前年契約棟数:ゼロ棟」という人間が好きだったようなのですが、五十嵐さんがそういう人が好きだということはわかったけれども、私の方は「リーダー」で「応援者」として行くという条件で「会社都合での居住地変更をともなう転勤」を承諾して移ったのですから、それを反故にされたとなると、騙されたのであり、騙したヤツにはそれに見合う対応を考えないといけないことになります。明らかに、喧嘩売られたのです。
それだけではない。そのうち、埼玉県北部の展示場に勤務していた、1992年、私より少し後に入社した坂本さん(男。当時、40代?)が、「副店長」には「会社都合による居住地変更をともなう転勤」をする「特進転勤」により昇進するという規定があったにもかかわらず、「居住地変更をともなう転勤」をしていないのに「副店長」に昇進した。私は栃木県から埼玉県北部にかけての所長だった五十嵐に「これはルール違反でしょ。会社は自分が定めたルールを守らないといけないでしょ」と言ったのだが、五十嵐は「坂本さんは、入社してすぐの時に宇都宮(だったか)まで通ってたんだ」などと関係ないことを言ってはぐらかそうとした。私は、埼玉県北部の営業所に勤務していた坂本さんは、発言内容など聞くと、評価できる人だと思っていたが、しかし、地元にしか勤務しませんという「地域限定社員」がおり、会社のためならどこでも行きますという「全国社員」がいたわけで、会社のために負担をかぶって他地域に行くこともする人間、かつ、県民性の異なる地域を経験して学んだ認識のある人間とが、同じ扱いというのでは不公平だということで、会社が「会社都合による居住地変更をともなう転勤」をした者は「副店長」という名称にして「3副長」より上の扱いにすると規定したわけで、又、営業は短期客・中期客・長期客を追客しており、契約客・入居者から見込客を紹介してもらえることもあるが、「居住地変更をともなう転勤」をすると、それまで追客してきた中期客・長期客を失うことになり、入居者からの紹介客も担当できなくなるので、それを考えて「会社都合での居住地変更をともなう転勤」をした場合には「特進転勤」として「副店長」に昇進させるとともに「2棟契約したという扱い」にし、又、営業社員は締め日を念頭において締め日までに契約を何棟あげるということを考えて営業活動をしているので、それを締め日より前に移動させると締め日までに契約になった可能性のある追客中の見込客を失うことになるので、締め日の後に移動するようにしていたものだったわけで、それを私には、締め日の前に移動させて追客中の見込客を奪い、かつ、中期客・長期客や入居者の紹介客を失うことに対する補償としての「2棟契約扱い」も奪い、「副店長」昇進のはずなのに「今は、特進の扱いにはもうしないんだ」などと天野隆夫が言って昇進させず、坂本さんが入社以来、多くの契約をあげてきた人だということは知っているし、話す内容ももっともなことを言う人だと私は評価しているのだが、契約棟数による評価については、(株)一条工務店は、3副長⇒2副長⇒1副長 という制度を作っていて、「副店長」というのは在籍年数と通算契約棟数がある程度以上の人間で「会社都合による居住地変更をともなう転勤」をした者にならせるもので別であり、坂本さんが多くの契約をあげたからそれを評価したかったのなら、3副長⇒2副長⇒1副長 という方で評価すればいいことで、「会社都合による居住地変更をともなう転勤」をしていない人を「特進転勤」の条件を満たしていないのに「副店長」にするというのはおかしいのです。1998年に、私と同じ時期に佐野展示場に転勤した武田さんも「副店長」昇進にはなっていなかったようで、入社以来、近隣の展示場を転勤しまくってきた人らしく、「1つの展示場に継続して1年以上いたことがない」と言っていたが、会社から「この人間は、いくらでも転勤命令をきく人間だ」と思われてしまっていた人らしく、本人は近隣の展示場を移動しまくることについては承諾していたらしかったが、あくまでも、茨城県中部地域の展示場で移動しまくることは承諾していたらしいが、遠方への転勤を承諾したつもりはなかったようで、営業本部長の天野隆夫から「転勤してもらいたいんだけど、いいか」と言われて、「いいですよ」と即座に返事したけれども、それまでと同じように茨城県中部地域での移動だと思って「いいですよ」と言ったらしく、行先を聞くと、居住地変更が必要な栃木県佐野市の展示場だった・・ということで、その時点で私は入社7年目だったが、武田さんは私より1年ほど古い人だったようなので8年目の人だったようだが、「これだけ、会社のために働いてきた者に、こんなことするのかと思った」と言って辞めてしまった。(株)一条工務店の経営者というのは、私のように「会社のためなら」と思って他の人間はやらない苦労をして努力をして負担をかぶり我慢する人間がいると、この人間は苦労させてもいい人間だ、この人間は苦労させていい人間だ、この人間はいくらでも負担をかぶらせてやっていい人間だ・・とそういうように解釈するらしい。普通は、逆ではないかと思うのだ。会社のために、他の人間がしない苦労をし、他の人間がしない努力をし、他の人間がしない負担をかぶり、他の人間がしない我慢をしてきた人間というのは、そうやって会社のために尽くした人間だと評価して報いるもののはずだ。 1993年初め、東京都江東区亀戸の展示場の来場客で、「大島(おおしま)で建てられますか」ときかれた人がいたらしく、「大島(おおしま)」というのは「江東区大島(おおじま)」のことではなく「伊豆大島」のことで、営業本部長兼東京営業所長だった天野隆夫は「契約したら、建てられるようにしてやる」と言い、どういう意味か・・と思ったが、その時点では伊豆大島での施工体制はなかったが、大工で、日本全国どこでも行っていいという人がいたので、その人に行ってもらえば、他の職方は現地で調達するなり何なりすれば建てられる・・という見通しだったらしい。福島県いわき市に勤務した時、他の営業の担当の家の上棟に行った時に手伝いに来ていた大工で、この人かな? という人がいたのだが、「近くの仕事なんてやったことない」と本人が言っていたのだが、日本全国、どんな遠方でも出張して(株)一条工務店の仕事をやってきたそうで、独身の人だったが、頼まれればできることはやってあげればいい・・と思っていると、他の人間には頼まず、その人にばっかり、日本全国、遠方ばっかり行かせるということを(株)一条工務店はやったらしい。その人もそうだが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は20歳で結婚したそうで、天野隆夫は最終学歴が中卒で、学歴が低い人というのは学歴が高い人間に比べて一般に結婚が早い場合が多いのだが、自分が20歳で結婚したということから、30台で未婚の人間をいじめまくるという信念を持っていた男で、「独身だからどこ行ったっていいだろ」とかそういう無神経なことを日常的に言う人間で、さらには私は天野隆夫から「おまえ、独身だったら、暇で暇でしかたないだろ」などと言われたこともあるが、結婚しておれば2人で分担してやればいいことを未婚の人間は1人でやらないといけないのであり暇などということはないし、さらには天野隆夫は私に「おまえ、独身ならカネ要らんやろ」などという口まできいた。この人がこの会社では上役なのだからと思って我慢していると、この男は限度というものを知らない男だった。独身の人間は「婚活」して結婚して子供も作らないとないといけないのだから、すでに結婚までたどり着いた人間や結婚して子供までできた人間よりもやらないといけないことが多いのであり忙しいのだ。自分が20歳で結婚したということで、それより上の年齢でまだ結婚していない人間には無茶苦茶やってやっていいみたいに思っている男で、そういう精神的貧困な人間だった。会社は、会社のために負担をかぶった従業員にはそれに報いる必要があるはずで、いいかげんな会社だった(株)一条工務店も、1990年代、やっと、ある程度以上の在籍年数と通算契約棟数の者が「会社都合の転勤」を会社のためにやった場合に、「副店長」昇進と「2棟契約の扱い」という制度を設けたのだったが、ところが、その条件に該当した私や武田さんには「副店長」昇進させずに、その条件を満たさない坂本さんに「副店長」にならせた・・ということは、この制度自体を崩壊させる、ということになる。会社の経営者というものは、自分が定めたルールは自分も守らないといけないはずだが、会社が定めたルールを守るのは従業員で経営者は守らなくていいと考えている経営者の会社だった。
それで・・・、いわき市の営業所を出る時点では、まさか、そんな非常識な扱いにされるとは思わなかったのですが、営業は「締め日」を考えて、締め日までに何棟契約を取れるかということで営業活動をしているのですが、1998年は1996年の10月から消費税が上がって以来、戸建住宅建築業の業界は「需要の先食いをしてしまった」ような状態で大変厳しい状況にあったのですが、そういう中でも、私は、なんとか、苦労して努力して見込客を出して、次の締め日までに契約してもらえる可能性があるという見込客を2件持てていたのです。 ところが、営業本部長の天野隆夫が「できるだけ、早く移ってもらいたい」と言い、締め日より前に佐野展示場に転勤してくれと言うので、それで、せっかく、厳しい条件の所から作り上げた見込客をいわき市の営業所に置いてきたのです。
いわき市の同じ展示場にいたK野T夫さんは、契約がなかなかあがらなくて苦戦していたようでしたので、私がなんとか見込がある状態まで持ってきた人を渡せば、それを契約してもらえばと思ったのですが、人間には相性もあるし、私が、いわば、「ザリガニ獲りのように」と言っても説明しないとわからないと思いますが、小学校低学年の頃、近所の池で「ザリガニ獲り」というのをやったことがあるのですが、スルメにタコ糸をくくりつけて、池の向こうの方に投げ込むと、ザリガニがそれをハサミで掴むのですが、その時点で思いっきり引っ張ったのではザリガニは危ないと思って離してしまいます。ザリガニが掴んで引っ張っていると思っても、ザリガニが引っ張られてると思わない程度にゆっくりゆっくりと慎重に少しずつ少しずつ引っ張っていって、ザリガニが池の表面から見えるくらいの場所まで来た時、ザリガニからもこちらが見えるかと思われる所まで来た時に網をかぶせて捕獲するのです。少しずつ少しずつ引っ張らないと、急激に引っ張ったのではザリガニは離してしまいますし、逆にスルメをザリガニが掴んでいるのにザリガニが好きなように引っ張らせておいたのではスルメだけ取られてしまいます。いわば、そんな感じ。少しずつ少しずつ、細心の注意をはかって、わずかずつわずかずつ、契約して建てようという気持になってもらえるように持ってきて、締め日までに契約しましょうという気持になってもらえるかどうか・・、その時点で契約確率60%くらい、私が締め日まで担当したならば契約確率70%か75%くらいまで持っていけるか・・・という方を、K野T夫さんに渡したのです・・・が、この人は契約に持って行けないだろうなあと思いました。なぜなら、「話を聞いてないんだから」。私がせっかく締め日までに契約に持って行ける可能性がある有望な見込客を渡すということで、その内容を説明しているのに、ひとの話を真面目に聞いてないんだから・・・、だから、この人は契約できないだろうなあ・・と思ったし、せっかく、ここまで持ってきた人だけれども、それをドブに捨てるようなことをする(株)一条工務店という会社は、なかなか成長しない会社だなあとも思いました。野村のじいさんが、晩年、「阪神の監督なんてしなきゃよかった」と言っていたが、片方で、ヤクルトの監督の時はいい監督だったと思ったけれども、阪神の監督としては言い訳ばっかりで、阪神のOB会の会長の安藤が「私が野村を許せんと思うのは、最下位だからではなく、もともと、最下位のチームだったのだから、そう簡単に強くできなかったとしても、監督をそう強く責めるわけにもいかないと思うが、成績が悪い原因を選手やこれまでの監督のせいにしているところです。これまでの監督だって一生懸命やってきたんです。それを自分だけが大変みたいに言っている」と野村を批判していたが、そういうところが実際にあるように思ったし、江本は「旬を過ぎた監督の悲哀」を感じたと述べていたが、野村は筑紫哲也との対談で『功無き者を活かす』という本を出していたが阪神の監督になった時、誰よりも「功」があった者は野村だったのであり、もう、「守り」に入ってしまった監督で、年齢的に「旬を過ぎた」監督の悲哀が出ていたように思えたが、野村が書いていたのは、ヤクルトでミーティングをするとヤクルトの選手は話を聞いたのに対して、阪神の選手はミーティングをしても真面目に話を聞かないで時計ばっかり見ていた、という。せっかく、監督がわからせようと話をしても、「聞いてない」のではだめだ・・・と書いていた。阪神は野村のようなタイプの監督ではだめで、西本か星野のような、言うこときかないと殴るような監督でないとだめだ・・・と思ったと書いていた・・・が、K野T夫さんに、せっかくの有望見込客を譲ってあげて、この後、こういうように持って行けば契約してもらえる可能性があるとその内容を説明しているのに、「ひとの話を聞いていない」。せっかく、有望見込客を譲っても、これではだめだな・・と思った。
もうひとつ、K野T夫さんが接客した人で、(株)一条工務店のルールとしては、一度、追客しても契約に至らなかった人で、その後、建てようということに再度なった場合、営業ごとに見込客名簿というのを作成して10件ずつを自分が担当の見込客として、そこの記載からはずした人が再来場した場合には、過去に追客した営業ではなく、新たに接客した営業が担当できるということにしていたのだが、過去に私が追客して、けっこう話をした人が来場して、その人をK野T夫さんが接客したということがあった。その見込客は会社のルールからして、K野T夫さんが担当していいし、すでに私は栃木県佐野市の営業所に移ることが決まっていたから、私が担当することはないのだけれども、過去に商談した時の記録が私の手元に残っていたので、過去に商談をしてある程度は検討してくれたが計画は先延ばしにしたという人が再度来場したということならば、それが参考になるはずだと思われたので、過去の商談の内容を説明してあげようと思って話そうとしたのだが、ところが、私が過去の商談の内容を説明しようとしても、「俺が接客した客だ。何の文句、言われる筋合いもねえ」とか言い、「何も、K野さんが担当していけないなんて言ってないですよ。私は、もう、佐野に行くんだから、ここで見込客を持てないのだし、K野さんがやっていいですよ。そうじゃなくて、前に私が商談を進めていた時の記録があるから・・」と言ってそれを説明してあげようと思っても、「ひとの話を聞かない」。野村のじいさんが「阪神の監督なんてやらなきゃよかった」「なんで、阪神の監督なんて引き受けてしまったんだろう」と書いていたが、「せっかく話しても、ひとの話を真面目に聞いていない」というのは、K野T夫さんと共通するものだった。だから、同じ営業所にいた人だから、できるだけ、契約をあげてほしいという気持があったけれども、他方において、ひとが契約に協力しようとしてせっかく話しているのに「ひとの話を真面目にきかない」というところを見ると、「勝手にしろ」という気持にもなった。どうも、最終学歴が高卒の人で、あまり頂点ではない方の高校卒のおじさんというのは、自分より年下の人間の言うことはききたくないという人がけっこういるようなのです。K野T夫さんもそういうところがあり、私と同じ営業所に勤務するより前にも、私より少し若いHさんが「応援」しようとしても嫌がったようで、私なら、会社という所に勤務すれば、自分より年下の人間が自分より上の立場になることだって「あること」だし、自分より若い人間の言うことでもそれを聞いて自分にプラスになればいいだろうと考えるところを、どうも、最終学歴:高卒で、あまり頂点でない方の高校卒のおじさんで、40を過ぎてその業界に入ったという人というのは、自分より年下の人間の言うことは聞いてたまるかという信念みたいなものを持っている人が多いのです。そういう人に、その姿勢を改めさせようと思っても簡単ではないから、だから、会社として、そういう人が言うことをききそうな人と一緒にさせてあげるように配慮した方がいいと私は思うのですが、「まったく、人の使い方を知らない会社だ」と言われる(株)一条工務店は、そういった配慮ができない会社でした。
1998年、いわき市の私と同じ展示場にいたK野T夫さんとS藤賢二さんの2人は共通点があって、(1)当時、年齢が40代後半、(2)地元の生まれ、(3)最終学歴はあまり頂点でない方の高校卒、(4)前職は不動産屋、(5)K野T夫さんは元消防士でS藤賢二さんは元自衛隊、(6)「賢そうに見えない」と多くの人間から言われるが宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格を持っている、(7)言ってもきかない・・・と似ていたのだが、そのあたりは別に似ていてもいいけれども、あんまり似て欲しくないところで似ていたところもあって、JTいわきハウジングパークという今はなくなった総合展示場で、(株)一条工務店は入口の目の前の洋風の展示場と一番奥の和風の展示場とに2つ展示場を出していたので、総合展示場に来た人は(株)一条工務店を第一候補として来た人で和風で考えている人ですら、入口の方に先に入ってしまう展示場で、私がいわき市の展示場に赴任した時、茅ケ崎展示場にいたKさん(当時、40代)と一緒に移動したのだが、Kさんが入口に近い展示場に配属され、私が奥の展示場に配属されると、日曜日など、接客回数は、Kさんが入口横の展示場で接客した人が、その後、奥の展示場に見にきたという回数は私が奥の展示場で接客できた回数の最低でも3倍以上はあった。1996年10月から消費税が上がった後、戸建住宅建築を考える人は本当に少なくなってしまい、来場客が少ない展示場では特に苦労していたのだが、日曜日、私が展示場の外で草を抜いているふりをしながら歩いている人を見て、展示場の外で入ろうかどうしようか逡巡していた家族に、「別に、入ったら契約しないといけないというものでもありませんし、とりあえず、見るだけでもかまいませんし」と言って入場してもらったところ、会社が決めていた「接客順位」からS藤賢二さんが接客することになって接客すると、いいかげんな対応をして、それで「なんだ、あんな客は。あんな客はだめだ。だめな客だ、あれは」などと言って怒るので、この人はその程度の人だなあ、ひとが、せっかく、草ぬいているふりして外にいて入ろうかどうしようか逡巡している家族にやんわりと話しかけて入場してもらったのに、そういう努力をしていない人が「なんだ、あんな客は。あんな客はだめだ。だめな客だ、あれは」と、そういう口をきくとは・・、まあ、S藤賢二さんはその程度の人だった。うちの父親の勤め先の社長が「アホはアホなりに使ってやればいいがな」と言ったと聞いたのだが、その程度の人は「その程度の人」として使わないといけないし、同時に「その程度の人」だと思ってそれ以上の期待をしてはいけない。ところが、(株)一条工務店の経営者は「その程度の人」に過度の立場に立たせたり、身の程以上に持ち上げたりするのが大好きだった。私がいわき市の営業所から栃木県の営業所に移る時、苦労して苦労して努力して努力して、少しずつ少しずつ契約に近づけてきて、「締め日」までになんとか契約してもらえるかもしれないという可能性が出てきた見込客をK野T夫に譲ったのに、私がその内容を話して、こういうようにやってきたから、今後、こうやっていけば契約してもらえる可能性があると思うという話をしているのに「うるさがって、ひとの話を真面目に聞いていない」K野T夫さん・・、来場客・見込客が少ない時期に来場客が少ない展示場で、私が草ぬいているふりをして、外で入ろうかどうしようか逡巡していた家族に声をかけて入場してもらっても、そういう相手にいいかげんな接客をして「だめだ、あんな客は。あれはだめな客だ」などと言うS藤賢二さん・・と、そのあたり、この二人、よく似てるなあ・・と思った。
↑ の「ザリガニ獲りのように」のたとえは、(株)一条工務店で必ずしも条件がいい方ではない展示場で営業の仕事をある程度以上やった経験がある人なら、その感触がわかると思います。他の会社にいた人でも、必ずしも条件がいい方ではない場所で苦労して営業活動をした経験のある人なら、その感触はわかる人がいると思います。 そういう感触のわかる人間とわからない人間ならば、わかる人間はその分だけ営業力があるということで、わからない人間はその分だけ営業力がないとういことです・・・が、わからないやつが会社を経営している会社なので、腹立つことだらけです・・・。

↑ この額ですが、書いた人の名前、「頭山 満(とうやま みつる)」と書かれています。 「頭山 満」て、たしか、右翼のおっさんと違うんか・・・と思ったのですが、現地の説明書きにも、きっちりと書かれていました。
《 頭山 満(とうやま みつる) 1855~1944 右翼の巨頭。 国家主義を標榜。1881年、玄洋社設立。 日本の海外進出をはかり、政界にかくれた勢力をもった。》
《 玄洋社(げんようしゃ) 頭山 満(とうやま みつる)を中心とした超国家主義右翼団体。1881年創立。大隈重信の条約改正案に不満をもち、爆弾を投じて負傷させたのも玄洋社員。》
( 全国歴史教育研究協議会編『新版 日本史用語集』1975.新版。 1978.新版第15刷。 山川出版社。)
次回は、神棚について、です。
※ 大鐘家HP http://www3.tokai.or.jp/oganeke/
牧之原市HP 大鐘家 https://www.city.makinohara.shizuoka.jp/site/kanko/35075.html
(2020.10.4.)
☆ 大鐘家と相良城跡
大鐘家
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店〔今回〕
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
(6)
相良城跡
☆ 大鐘家と相良城跡(静岡県牧之原市)
大鐘家
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 〔今回〕
(6)
相良城跡
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(静岡県掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 大鐘家と相良城跡(静岡県牧之原市)
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 〔今回〕
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
(6)土蔵・資料館。大鐘家の裏の丘からの眺望。相良城跡と田沼意次。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_6.html
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(静岡県掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 東京都 狛江市立古民家園
上 旧荒井家住宅主屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_1.html
下 旧高木家住宅長屋門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_2.html
☆ 旧近藤家 長屋門(東葉学園 東葉門 )(千葉県船橋市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_3.html
☆ 旧安西家住宅(千葉県木更津市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_5.html

野村ノート (小学館文庫) - 野村 克也

阪神タイガースの黄金時代が永遠に来ない理由 (宝島社新書) - 野村 克也
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