大鐘家住宅【5/6】神棚の造りについて。地域のやり方を無視する一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長。「浜松流」を全国に押しつけないとおれない症候群の人。
[第796回]
大鐘家住宅(牧之原市)の5回目です。
静岡県、特に遠州地方の昔からの民家、「古民家」という言葉を使ってしまうと、「古い」という文字が入ることで、「前時代の」という意味に理解されてしまうおそれがあるので「民家」という方の表現をとっていますが、「古典となる」という方の意味での「古民家」を何軒か見学したいと思って来たのですが、その理由として、特に、神棚と床の間の作りがどうなっているのか見たいと思ってきたのです。
神棚とか床の間の作りというのは、これが正しいとか正しくないとかいうものではなく、それぞれの地域によって造り方があり、神棚の場合にはその家によっても違うと思うのですが、どうも、(株)一条工務店 という会社は、「浜松流」「遠州好み」〔すでに何度も書いてきましたが、この場合の「遠州好み」の意味は、「小堀遠州が好んだ」という意味ではなく、「遠州人の好みを全国に無理矢理押しつける」という意味です〕でやらないと気がすまないという「オリジナル従業員」「『遠州人』従業員」が大変多い会社でした。 遠州地方で「遠州流」をやるのは悪くない、浜松で「浜松流」をやるのは悪くないでしょうけれども、他の地域には他の地域のやり方があるはずで、それもまた尊重するべきもののはずなのですが、「浜松流」「遠州好み」を全国に押しつけないとおれない、という会社でした。
その「浜松流」も、浜松でなくても、磐田とか掛川とかそういう場所ならば、施工の内容も、営業のやり方も浜松とそう変わらないやり方で通じるのではないかと思うのですが、「東海を制するものは天下を制する」などとアホなことを言う会社でして、その「浜松流」は、基本的には箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西では通じないと考えるべきで、””静岡県中西部・愛知県では通じるというものを、他の地域にも押しつけないとおれない症候群””の重症患者には困ったものでした。そのうち、「売れない営業のグチ 10箇条」などというものをけっこう高そうな材質のものに印刷して全国の展示場に「展示場の事務所の壁に貼りだしてください」と言って送りつけてきましたが、そこに「浜松流はここには合わない」という条があったのですが、正面から逆らうとうるさいので言わない人が多かったのですが、「これって、『売れない営業のグチ 10箇条』というよりも『一条工務店の特徴 10箇条』て感じだよね」と、ぼそっと言う人はありました。
営業のやり方について、「浜松流」でやったのでは売れませんから、「浜松流」は東海地方では通じても東海地方以外では通じないやり方ですから、「浜松流」ではなくその地域にあったやり方でやらなきゃだめだと思うに至った人に向かって「浜松流」で売れる地域に勤務させてもらってきた者が《「浜松流はここには合わない」というのは「売れない営業のグチ」だから、「浜松流」でやってのでは売れない地域でも「浜松流」でやれ》と言っているのがその「売れない営業のグチ10箇条」というもので、そんなものを真面目に聞いて「浜松流」でやってのではますます売れませんから、そういう「売れない営業のグチ10箇条」というポスターみたいなものは「祀り上げの大技」というもので「上の方に上げておく」という方法で「上の方」に貼っておいて、もしも、「浜松流」「オリジナル従業員」が東海地方からやってきた時には、「そこに貼ってますよお」と言うようにして、普段は「浜松流」でないやり方で営業やって契約をいただくようにしないと仕事になりません。
(1)(ア) 1993年、千葉県松戸市の松戸展示場に、東京都では坪55万円・千葉県では坪52万円で売らされていたものを坪49万5千円でテレビ広告付きでダンピング販売やっていた名古屋の八事(やごと)展示場にいて営業成績があがっていなかった松下という男(当時、30代前半)が転勤してきて、来るなり「こんなに営業しやすい場所はない。ここなら最低でも浜松の倍は売れる」と、それまで東京営業所・松戸営業所で仕事をしてきた者に向かって喧嘩売るような発言をし、その場にいたSくんが「へっ、そんなこと言って、半年くらい経ったら、売れなくて『なんで売れねえんだ』とか言って頭かかえたりしてからに」と言ったのですが、結果はどうなったかというと、Sくんが言った通りになりました。松下は松戸展示用に8か月ほどいて、その間、契約はゼロ。それが「浜松流」だったのです。その「口だけの人間」「口から産まれてきた男」、「ここなら最低でも浜松の倍は売れる」などとそれまでその地域で苦労して営業やってきた人間に向かってそこでは1棟として契約取ったことがない男が発言して、結果は契約ゼロ・・というのがそれが「浜松流」なのです。
(1)(イ) 1993年5月、浜松での「研修」で、名古屋南営業所の所長だった近藤路夫が「住友林業なんかと競合になったら、そんなもん、『ごちそうさん』てなもんだ」と発言し、「何か、きいてみたいことはないか」と言うので、東京営業所・松戸営業所においては住友林業は強敵であり、それも、同格の相手が強敵であるのではなく、「浜松のえたいの知れない工務店」が「有名企業の住友林業」を相手にして、まるで、幕下以下が横綱に立ち向かうみたいな感じだったのですが、その「強敵」「幕下以下が横綱に立ち向かうみたいな相手」をどうすれば「ごちそうさん」に変えることができるのか、教えてもらえるものなら、ここは低姿勢でお願いして、ぜひとも教えてもらいたいものだ・・と思ってお願いしたのです。ところが、近藤路夫はどう言ったかというと、「そんなもん、住友林業が競合なら、『住友林業はプレカットやってますか』『やってませんでしょ』、『住友林業はムクですか』『集成材でしょ』で、それだけで簡単に契約取れる。楽なもんだ」などと言ったのです。その時期、住友林業は機械プレカットをやってましたからね。住友林業は機械プレカットをやっていて、しかも、千葉県においては、「住友林業の家」の機械プレカットは、(株)一条工務店千葉 という浜松の(株)一条工務店と共同出資会社を作っていた千葉県の(株)ひらいhttp://www.hirai-gnet.co.jp/ という木材加工業者が機械プレカットをやっていて、そのことを住友林業の営業は「一条工務店は住友林業の下請けだ」とか言っていたのです。東京都・千葉県において、「住友林業はムクですか? 違いますでしょ。集成材でしょ」などと言おうものなら、「集成材の方がいいんでしょ。住友林業の人が言ってたよ。あんた、そんなことも知らないの」と言われます。「地方」にいくと、家は木造で建てるものだ、家の構造材はムク材で国産材であるべきものだ、という考え方が理屈ではなく観念として強い地域があり、それに対して、東京都から千葉県にかけては、そのような観念はなく、又、「住友」などの「財閥系企業」「大手企業」と言っても実際には「都市圏企業」もしくは「東京圏および関西圏企業」である場合があり、都市部の住人は都市銀行と地方銀行なら都市銀行の方が一流銀行みたいに思っているかもしれないが、「地方」にいくと都市銀行というのは「県庁所在地にしか支店がない銀行」であり、「財閥系企業」「大手企業」というものにありがたみを感じる度合いは都市圏に比べて「地方」では弱く、住宅建築業の場合には「東京の会社」「大阪の会社」がやってきても、地元のことを知らないのではないかという感覚もあり、そのうち撤退するかもしれないという意識もあるわけで、東京圏・関西圏における場合よりも「財閥系企業」「大手企業」をもともとそれほど高く評価していない人が多いし、東京圏・関西圏の人間は通勤・通学に電車を使用し、電車の駅には「住友林業の家」というポスターがあっちやらこっちやらに貼られていたが、そもそも、「地方」の人間は通勤に電車を使うことが少ないし、駅に「住友林業の家」というポスターもあまり貼られていない。結局、近藤路夫は、住友林業は機械プレカットをやって建てていたのに、「住友林業はプレカットやってませんでしょ」などとデタラメを言っても契約してもらえるような場所で営業させてもらってきた男で、(株)一条工務店と住友林業(株)との違いとして、(株)一条工務店は構造材はムク材で国産材を使っているという点について、それを高く評価してくれる人が多い地域で営業させてもらってきたのであって、(株)一条工務店と住友林業(株)では住友林業(株)の評価の方がずっと高くて、(株)一条工務店というと「えたいの知れない浜松の工務店」という評価で「なんで、東京で家を建てるのに、浜松のわけのわからん工務店で建てないといけないの」と思う人が多い場所で、強敵の住友林業を「ごちそうさん」に変えて契約を取っていたのではなかったのです。自分が、「構造材はムク材で国産材で建てている」というものを高く評価する人が多い地域で営業させてもらってきた、「住友林業はプレカットやってませんでしょ」などと実際には住友林業(株)は機械プレカットをやって建てていたのに嘘を言っても契約してもらえるようなそんな地域でのみ営業させてもらってきた男が、ムク材というものに特にこだわらない地域、「集成材の方がいいんでしょ」と言う人が多い地域、会社の認知度、会社の評価が住友林業(株)の方が圧倒的に強い地域において苦労して営業やってきた者に向かって、「そ~んなもん、住友林業なんて競合になったら、『ごちそうさん』てなもんだ、そんなも~ん♪」などとふんぞり返って叫ぶというのが、それが「浜松流」もしくは「静岡県中西部および愛知県流」だったのです。
(1)(ウ) 1992年8月に、浜松の展示場から江東区潮見の東京展示場に、新卒入社1年目でその時点で通算契約棟数ゼロ棟の小野田くん(当時、20代前半)が転勤してきた。小野田くんが「エスバイエルなんかは一条工務店と違って耐力壁の配置が無茶苦茶だから」と事務所で他の営業に言い、来客にも話していたので、私は親切心から「それは違うよ」と教えてあげたのだが、ところが、私がせっかく親切で教えてあげたのに、バカ大学卒業して新卒入社して半年も経っていない通算契約棟数ゼロ棟の男が「〇〇さん、そんなこと言うならエスバイエルに行けばいいでしょう。エスバイエルは耐力壁の配置が無茶苦茶なんですから、わかんないんですか」とえらそうな口をきくので、こんなアホには教えるものじゃないなと思ったが、 (株)一条工務店という会社としては、そのアホのおかげで、同業他社に対して科学的論理的に正しくない悪口雑言を言いまくる下品な会社という評価を見込客から受けることになることが考えられるのであり、困った男だなと思ったものでした。 [第305回]《木質パネル構法と在来木造の木の使用量、筋交いは削っていいか?―教える気がなくなる新人(1)-2》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_4.html でも述べたが、建物の構法には、法律上、オープン構法と言って誰が建ててもいいことになっている構法と、クローズド構法と言って、建設省⇒国土交通省 に「システム認定」という認定を受けて、その認定を受けた者だけが建てることができるという構法があり、在来木造は古くから建てられてきた構法なのでオープン構法とされているが、枠組壁工法(ツーバイフォー工法)は日本で最初に建てられた頃はクローズド構法だったが、後にオープン構法になった。ミサワホームや小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)・・・(株)ヤマダエスバイエルホーム⇒(株)ヤマダホームズ の木質パネル構法というのはクローズド構法で、その認定を受けた者しか建てることはできない。在来木造は法律上の規制が緩いと言われているが、木質パネル構法はクローズド構法なので、「システム認定」を受ける時点で相当厳しい基準で耐力壁の配置について規定される。枠組壁工法(ツーバイフォー工法)の場合にはクローズド構法からオープン構法に変わる時点で、建設省告示として枠組壁工法(ツーバイフォー工法)はこのように建てないといけないという指針が出されたことにより、それに従って建てるなら、耐力壁の配置も在来木造よりずっと厳しい基準が適用されることになる。木構造の研究者の杉山英男も、『木造の詳細1 構造編』1981.第2版 彰国社 所収〕で、
《・・木質プレハブ構法は建設省認定を通じ、枠組壁構法は建設省告示を通じそれぞれ耐力壁配置が厳しく規定されているのに、在来構法の木造はこの点で野放しになっている。 ・・・》
(杉山英男「木構造の考え方」〔 『木造の詳細1 構造編』1981.第2版 彰国社 所収〕)
と述べている。
木造の詳細 1 構造編 - 彰国社
小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)など木質パネル構法の会社にとっては、この「木質パネル構法はクローズド構法なので、システム認定を受ける過程で耐力壁の配置について相当厳しい規定を設けられており、そういったものがない在来木造よりもはるかに厳しく的確な耐力壁の配置がされています」というのが「売り」のひとつ、特に、対在来木造での見込客へのアピールポイントであったわけです。それに対して、私や小野田くんが入社した頃の(株)一条工務店というのは、筋交いの向きについても、いいかげんに入れており、研修では浜松の営業所の古橋が「筋交いというのは片方からの力にしか役に立ちませんが、実際には片方の向きのものばっかり入れるということはなく、両方の向きのものをバランス良く入れますから、全体としては両方からの力に役立つことになります」と説明したが、この人、(株)一条工務店の工事現場を見たことないのだろうか?・・と思ったもので、その頃の(株)一条工務店の工事現場を見ると、決して、バランスよく配置はされていなかった。木質パネル構法の耐力壁についての長所としては、
[1]システム認定を受ける過程で耐力壁の配置について厳しい規定が設けられているということと、
[2]木質パネル構法で耐力壁として使用している合板には向きがない、右側からの力にも左側からの力にも対応できるという点があり、筋交いと違って、どちら向きに入れるかということを考えなくても問題がない、という点がある。但し、筋交いの方が面ではなく線なので力の伝わり方を考える際に考えやすいということはあるかもしれない。それから、
[3]在来木造の場合、換気扇の穴、水道管・ガス管とが筋交いとぶつかった場合、大工は平気で筋交いを削ったり切断したりするので、もしくは、(株)一条工務店は平気で筋交いを削らせたり切断させたりしていたので、その部分の筋交いは図面には入っていても、建築確認申請の際には耐力壁として入れられていても、建物が竣工した時には切断された筋交いというのは何の役にも立たないことになるのに対して、木質パネル構法で使用している合板の場合は、筋交いなら電気のコードなどは筋交いを避けて通すことができるが、木質パネル構法の合板は合板を避けて通すことができないので合板に穴を開けて通すことになるが、構造計算の上では「換気扇の穴程度のもの」までは開けても耐力壁としての力があると考えて良いことになっており、それでも、穴がある合板とない合板を比較すれば穴はない合板の方がいくらかなりとも強いであろうけれども、在来木造の筋交いは換気扇の穴とぶつかった場合、筋交いを切断すればその筋交いはまったく何の役にも立たないのに対して、「換気扇の穴程度のもの」までならば、合板は役に立たなくなるわけではないという点がある。
そして、その頃、(株)一条工務店は「間違いのない家づくり」というアルバム帳を展示場に置いていて、正しい施工と間違った施工という比較の写真を掲載して、間違った施工の例として、換気扇の穴と筋交いがぶつかった箇所で筋交いを切断した家の写真を掲載していたのだが、実は一条工務店の工事現場でその「間違った施工」をやっていたのだ。私はそれを自分自身の眼で見ているのだ。私はそれを営業本部長で松戸営業所長だった天野隆夫に報告して怒られたのだ。なんで、俺が怒られるんだ? 「間違った施工」をした人間が怒られなきゃならないのと違うのか? 会社のためを思って報告した人間がなんで怒られなければならないんだ? ・・と思ったのだが、名古屋南営業所の所長の近藤路夫さんがおっしゃるには「一条工務店の建築現場に行って、問題点があったならば、見なかったことにする。なかったことにする。それに対して、他社の工事現場に行ったら、悪い所ばっかり見る。そうすると、一条の建物はこのうえもなくすばらしいということになる」と・・・( 一一)( 一一)( 一一)・・そういう見方をすると、(株)一条工務店の建物はすばらしい建物だということになるそうだった・・が、そんな見方をしないと「すばらしい建物」にならないというのは、なんか、情けない建物だということになってしまう。その頃の(株)一条工務店の建物というのは、いい所がないわけではないが、問題点もあったのだ。又、普通、図面を作成する時は、平面図だけ考えて作成するのではなく、最低でも、「平面図と立面図」もしくは「平面図と展開図」を同時に書いていくか、書かないとしても頭の中で立面図・展開図を思い描きながら平面図を作成するもので、そうしておれば、平面図を作成する際にも、筋交いと換気扇の穴の位置関係というものが頭に思い浮かび、筋交いの穴とぶつかる所に筋交いを入れようという発想は出てこないはずだが、なにしろ、(株)一条工務店のヘボ設計というのは平面図だけ考えて図面を作成して、決まった平面図を立面図にするということをしているので、その結果、筋交いと換気扇の穴はぶつかることになり、工事現場では、換気扇の穴の枠をつける段階で平気で筋交いを切断することになる。そういうのが「間違いのない家づくり」かというと違うように思うのだが、(株)一条工務店はそういうことをやっていた。その頃の(株)一条工務店の建物は、「使っている木の量が多いでしょ」「太いでしょ」と言った、「太いのが好きっ♪」という人にはアピールできたけれども、必ずしも科学的論理的ではない建物で、耐力壁の配置という点においては、法的に木質系の3つの構法では在来木造が最も甘く、木質パネル構法が最も厳しいということとともに、在来木造の中で(株)一条工務店の建物はそれほどきっちりしていたかというと、いい点はないわけではないけれども、耐力壁の配置という点では必ずしも素晴らしいとは言えない状態だったのだ。その後、私が11年余在籍した在籍後半においては、入社した頃に比べると、筋交いの配置と向きについては、相当良くなったと思っている。在来木造の建物で、(株)一条工務店よりも、耐力壁の配置という点で、もっとなっていない業者はあったわけで、そういった所を相手にして、耐力壁の配置について、(株)一条工務店の方がきっちりしていますと言うのならいいけれども、耐力壁の配置という点において、クローズド構法としてシステム認定の過程において在来木造よりもはるかに厳しい基準が適用されている木質パネル構法に対して、そういった見当はずれな誹謗中傷を加えるならば、どうなるかというと・・・、おそらく、攻撃された相手としては、もしも、私が小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業だったならば、「一条工務店の営業は何をわけのわからんことを言っているんですか。木質パネル構法は、クローズド構法としてシステム認定を受ける過程で在来木造よりはるかに厳しい基準が規定されていて、耐力壁の配置についても、在来木造よりはるかに厳しい基準が適用されている構法ですよ。一条工務店の営業というのは何にもわかってないんですね。一条工務店の営業は、もうちょっと勉強した方がいいでしょうね。在来木造の場合は、耐力壁の配置について、木質パネル構法やツーバイフォー工法よりも法律上の規制が甘いというだけではなく、筋交いが換気扇の穴とぶつかった所で筋交いを切断して効果がなくなるとか、片方の向きの筋交いばっかり入れて片方からの力には強くても他方からの力に弱いとか、そういったことがあるんですよ。その一条工務店の営業は何にもわかってない人ですね。私が家を建てる立場なら、たとえ、一条工務店で建てるにしても、その営業さんには頼まないですね」とでもいってやりますね。私でなくても、よほど、マヌケな営業でなければ、小野田くんみたいなことを在来木造の営業が言ってきたならば、これほどありがたいことはない。その話をしたいしたいと思っているところだったが、あまりにもモロに在来木造を攻撃したのでは「他社を批判する下品な営業」とか見られても困る・・と思って言いにくいところですが、在来木造の営業の側から攻撃してくれたなら、遠慮なく反撃することができるのですから、これほどありがたいことはないのです。木質パネル構法の会社の営業にとっては、在来木造の会社の営業の方から耐力壁の配置の話をしてくれるのなら、特に、耐力壁の配置について見当はずれな攻撃をしかけてくれるなら、これほどありがたいことはなかったのです。まさに、「いただき」「ごちそうさん」てものだったのです。又、『あしたのジョー』で丹下段平のおっさんが、「カウンターのパンチは普通のパンチの倍の効果がある。それが、クロスカウンターになれば、それ以上」と語る場面があったが、ボクシングでも、相手がパンチを打ち込んできたところに打ち返すカウンターのパンチはそうでないパンチよりも効果はあるのと同じく、同業他社の営業が誹謗中傷を加えてきたところに、カウンターで反撃したものは、そうでないものより効果は大きいのです。『あしたのジョー』の矢吹丈は相手が左ストレートを打ってきた時にそれにクロスさせて打つクロスカウンターを得意技にしていたが、相手が左ストレートを打ってくれないと、右クロスカウンターは出せないわけで、「左ストレートを打ってこい」と矢吹丈が思って待っているところに、まさにその左ストレートを打ったのではアホです。小野田くんがやりたがっていた、「エスバイエルなんかは一条工務店とは違って耐力壁の配置が無茶苦茶ですから」という中傷は、それはエスバイエル(株)の営業にとっては大喜び♪、大歓迎♪ のもので、左ストレートを打ってくれば、それにクロスさせて右クロスカウンターを打ってやろうと待っているところに、まさにその左ストレートを打ちにいくようなものなのです。競合相手の営業としては、「よお~し、きたあ~あ♪」てなものです。 野村のじいさんが、選手として晩年の清原が「男ならストレートを投げてこんかい。き〇たまついとんかあ」とか言っていたことについて、清原は何か野球を勘違いしていないか、と書いていた。直球が正々堂々とした態度で変化球は卑怯者だという発想は理解できないし、そもそも、相手チームとしては得点圏にランナーがいるピンチで清原のような強打者にストレートなんて投げるわけないじゃないか・・と。清原が「ストレート投げてこんか~い」と言ってストレートを待っているところにストレートを投げるバカはないだろうが、と。野村のじいさんが選手だった時、オールスター戦で、田淵がバッターボックスに入った時、投手に「田淵はストレートを狙っているから、ストレートでさえあればどんな球でも手を出すから、ホームベース上でワンバウンドするストレートを投げてみろ」と言い、投手が、まさか、そんなクソボールを振らんだろうと思って、わざとホームベース上でワンバンドするストレートを投げたところ、そのクソボールを田淵は振って三振したそうで、まさに、してやったり・・・とじいさん、にんまり・・ということだったようだが、相手がストレートを待っているとわかったなら、変化球を投げるか、もしくは、ホームベース上でワンバウンドするようなストレートを投げてやるか、どっちかするもので、「男ならストレートで勝負せんか~い」とか思っている相手にストレートを投げることないわけで、それと同様・・というのか、耐力壁の配置の話をしたい、特に、在来木造よりも木質パネル構法は耐力壁の配置という点ですぐれているという話をしたいしたいと競合相手の営業が思っているまさにそこに、見当はずれの中傷でその耐力壁の配置の話をするという小野田流は、明らかに利敵行為です。 自分がそういう見当はずれなことを客に言うだけではなく他の営業にも言わそうとする小野田くんというのは、もしかして「エスバイエルのまわしもの」と違うのか???・・・という感じがした。・・在来木造よりも耐力壁の配置という点において法的に規制がずっと厳しい木質パネル構法に向かって、「耐力壁の配置が無茶苦茶ですから」と中傷を加えて、「どうぞ、カウンターパンチを打ち込んでください」と競合相手にお願いするような態度。アホと違うか・・と思うのだが、私が、それを教えてあげようと思って言うと、「そんなこと言うなら、〇〇さん、エスバイエルに行けばいいでしょうよ。エスバイエルは耐力壁の配置が無茶苦茶なんですから」と言ってきかない。ひとがせっかく教えてあげているのに、新卒入社で20代前半の若さなのに素直さがない男だなあと思った。テレビで、王貞治についての番組で、高校時代の監督は「大変素直な子でした」と言い、プロに入ってからのコーチは「大変、頑固でした」と言い、なんか、逆のこと言っとるなと思ったことがあったが、高校くらいまでは指導者の言うことを素直に聞いていたが、プロに入って自分自身の考えというものを持ってからは、コーチから何か言われても自分の考えと違うと簡単には受け入れないようになった、ということなのかな? と思ったのですが、そうかどうかはわからないが、新卒入社1年目で通算契約棟数ゼロ棟でありながら頑固な男というのは、この男はなぜ頑固なのかと思ったが、「平松所長の直弟子」だという意識があったようでしたが、浜松の所長だった平松さんはその時点で通算契約棟数2位の人だったが、しかし、通算契約棟数2位の人間の隣の席に何か月か座っていたとしても、通算契約棟数2位の人間とその隣に座っていた人間とは違うのだ・・という事実を彼は認識できないようだった。私はこの通算契約棟数ゼロ棟の男が「営業のやり方を教えてやる」と叫ぶのをいったい何回聞いたことか。平松さんは、営業所長であったのなら、個々の問題についてよりも、「通算契約棟数ゼロ棟の入社して1年未満の男が『営業のやり方を教えてやる』などと叫ぶのはやめなさい」と、まず、それを教えてあげるべきだったのではないかと思うのだが、それを教えられないということでは、営業所長として、その点は評価できない。小野田くんは、素直さがない人間だったが、それとともに、「浜松流」を浜松で教えられてきて、「『浜松流』の物真似を学んだものは、それを実行すれば売れる権利がある」みたいに思っている男だったが、そんな「権利」なんかない。そんな「権利」なんかないはずだが、それを理解できない人だった。その「エスバイエルは耐力壁の配置が無茶苦茶ですから」という見当はずれな誹謗中傷は、もしかして、浜松の営業所で小野田くんよりも古手の営業から教えられたことだったのかもしれない。浜松では、そんないいかげんな営業をしていても、それなりに売れたのだろう。しかし、浜松よりも市場が厳しく、「家は在来木造で建てるもの」「構造材はムク材で国産材で建てるのが好ましい」という意識が浜松などと違って強くない東京圏においては、小野田くんがマスターしたと思っている「『浜松流』はここには合わない」という結果になることが考えられる。あんなアホに何で親切に教えてやったのかと、つくづく お人好し だったと自分にあきれる。いずれにしても、何で、嘘を言わなきゃならんのかなあ! 耐力壁の配置という問題については、在来木造で(株)一条工務店よりももっといいかげんな業者はあったのだから、その話はそういう相手に対して言うべきものだと思うのだが、自分の所よりもその点についてはきっちりしている所に向かっては、むしろ、あまり話題にしない方がいいはずなのに、何でわざわざ嘘を言わなきゃならんのか・・と思うのだが、それが「浜松流」だった。
野村の遺言 - 克也, 野村
(2)(ア) 1993年、営業本部長兼東京営業所長兼松戸営業所長の天野隆夫が、松戸展示場の事務所で、「渋谷っていったら、小岩の東の方だら。新宿というと平井の北の方だらあ。そうだら。ぼく、東京はよく知ってるんだから」と何度もおっしゃるので、「違いまんがな、違いまんがな」と教えてあげようかとも思ったが、教えると怒るだろうなあ・・・と思い、怒られてまで教えることないわなあ、と思い、「誰か、教えてやれよお~お」・・・と思うと、誰もが同じことを思ったのか誰も教えないので、その後も何度も何度も繰り返し繰り返し「渋谷ていったら小岩の東の方だらあ。新宿というと平井の北の方だらあ。そうだら、ぼく、東京はよく知ってるんだから」とその後も何度も何度も言いまくっていた。今も言っているかどうかはわからないが、「こういう人が(株)一条工務店では営業本部長で東京営業所長やってるんだ」と思ったものだった。そういうのが「浜松流」である。
(2)(イ) 1992年、静岡県の営業所長だった石橋さんだったと思うが、東京都江東区潮見の東京展示場に電話をかけてきて、東京都江東区木場の(株)一条工務店の東京事務所(後に商業登記簿の上でだけ「本社」)への行き方を教えてほしいと言うので、「新幹線で東京駅で降りていただきましたら、八重洲口の方、新幹線の進行方向に向かって右側に出てもらいまして、左に進んでいただくと、東京メトロ東西線の大手町の駅がありますから、そこで東向き、西船橋行に乗っていただくと、『門前仲町』の次に『木場』という駅がありますから、『木場』で降りていただくと、出てすぐの北側に1階に三和銀行のATMがある細長いビルがありますから、その〇階と◇階です」と説明したところ、「その大手町駅というのには、東京駅からどう行けばいいらあ」とおっしゃるので、「東京駅の八重洲口、新幹線の進行方向に向かって右側に出ていただいて左に進むとすぐです」と言ったところ、「じゃあ、タクシーに乗ればいいら」とおっしゃるので、「タクシーに乗るほどの距離はありませんから、東京駅を出ていただけば大手町駅までは歩いていただけばいいと思います」と言うと、「なんでら。タクシーに乗るのが一番いいら。なんで、タクシーに乗ったらいかんら」と不満そうにおっしゃるので、こちらとしては親切で教えてあげているのであって、そんなにタクシーに乗りたいのなら、もう、「乗りたきゃのれば♪」て感じだった・・・が、そういう思考・そういう世界観が「浜松流」なのだ。
その頃、(株)一条工務店は「図面は契約してから書く」ということにしていて、それを「木造のやり方」と言っていたのですが、都市圏においては木造の会社も契約前に図面を作成して、こういう内容で契約というようにしていましたし、そもそも、内容を決めずに契約するという(株)一条工務店のやり方というのは、それは建設業法違反ですからね。建設業法違反だけれども、「地方」にいくと、「木造のやり方」ではなく「大工のやり方」として個人大工もしくは個人大工と変わらないような工務店がそういうやり方をやっていたのではないか。だから、個人大工と競合になるような「地方」においてはそういうやり方でも違和感はそれほどなかったのですが、都市圏においてハウスメーカーとの競合においては、「どういうものを建てるかも決めずに、何を契約するんですか?」と言われるのでした。そんなもの、契約じゃないんですよ。それ、建設業法違反ですからね。
営業のやり方ではなく、建物の内容についても、東京圏においても、ムク材で建てたいと言う人はあるし、国産材で建てたいという人はあるし、柱は4寸角にしたいという人はあるのですが、それは、どちらかと言えば、ある程度、高級住宅を志向している人で、少なくとも、「地方」におけるよりは、ムク材志向はないし、ともかく、間違いのないものを建てることができるのなら、ムク材でも集成材でも、国産材でも集成材でも、木質系でも鉄骨系でもいいよ・・という人の方が多いのです。そういう場所においては、営業のやり方も「浜松流」とは異なるやり方でやらないといけないし、そして、建てる内容だって静岡県中西部・愛知県とは異なるものになるはずなのです。私は、東京展示場で「4寸角の柱なんて使ったら、家が狭くなりますなあ」と何度言われたか。亀戸の展示場で「八寸角の大黒柱」を見て「はあ~あ、田舎の家ではこういうものが入るんですね」と言われたし、潮見の展示場で「二間続きの和室」を見て「ほお~お、浜松の家というのはこんな具合にできているんですかあ」と言われたし・・というより、二間続きの和室を見て「うわっ、田舎の家みたい!」と言われたし。たとえば、パナホームは東京圏の展示場には「二間続きの和室」なんてないが、1993年、私が福島県いわき市の展示場に赴任すると、目の前にあったパナホームのいわき市の展示場には、きっちりと「二間続きの和室」があったのです。パナホームは東京圏・関西圏の展示場には「二間続きの和室」なんて作らないが、いわき市の展示場には「二間続きの和室」をきっちりと作っていたのです。それに対して、(株)一条工務店は東京展示場にも「浜松の家」を作っていたのです。そして、来場客から「ほお~お。『浜松の家』というのは、こんな具合にできておるわけですかあ」と、登呂遺跡https://www.shizuoka-toromuseum.jp/ でも見に来た人みたいに言われていたのです。浜松で「浜松の家」を建てるのはいいけれども、東京では構造は「浜松の家」と一緒でも間取などは「東京の家」を建てるべきでしょう・・と言うと「遠州人」は怒るのです。近藤路夫はこう言ったのです。「浜松でいいものは、東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。『二間続きの和室』は東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。『二間続きの和室』は東京でも大阪でも絶対に必要なんだ。『二間続きの和室』は敷地面積20坪の家でも延べ床面積30坪の家でも絶対に必要なんだ。八寸角の大黒柱は東京でも大阪でも絶対にいいんだ。八寸角の大黒柱は敷地面積20坪の家でも絶対にいいんだ。こんな常識もわからんおかあ~あ!」とお叫びになったのです。この話を東京圏在住の友人・知人何人かに話してみましたが、「その人、酔っ払いか何かなのお?」「その人、頭おかしいのと違うのお?」と全員から言われました。東京圏の住人から「その人、酔っ払いか何かなのお?」「その人、頭、おかしいのと違うのお?」と言われるのが、それが「浜松流」なのです。浜松で「浜松の家」を建てるのはいいけれども、東京では「東京の家」を建てるべきです・・・が、そう言うと「浜松流」は激怒するのです。「東京でも浜松の家がいいに決まってるんだあ。こんな常識もおまえはわからんおかあ~あ!!!」と。「ほとんどビョーキ」というのか、もはや、「浜松流」は精神病理学の対象ではないかという感じがします。かかわるとうるさいから、かかわらん方が良さそう・・というのが「浜松流」なのです。彼ら「アタマが浜松」の人間というのは「ほとのどビョーキ」なのですから。「『空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ』というのなら、それは正しいが、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うなら、それは間違っている」と言うと怒りよるのですよ、「浜松流」は。なにしろ、あいつらは「宇宙の天体はすべて、浜松を中心として回転している」と心の底から信じとるのであって、「そうじゃないと思いますよ。太陽を中心として地球や火星・金星・木星といった惑星がまわっているのであって、浜松はその地球の一部分にあるのですよ」などと言うと怒るのです。「遠州人」というのは、今でも天動説、「浜松を中心として太陽・月・星といった天体が回転している」という説を心の底から信じとるんですよ、彼らは。逆らったら怖いですよ、逆らったら。
それで・・・、「静岡県中西部および愛知県」においては、営業のやり方も建物の仕様も「浜松流」が通じたのですが、東京圏・関西圏においては、「地方」と都市圏の違いというものがあり、その違いを踏まえた営業のやり方をやり、建築する際にもそれを認識してやらないといけません・・・が、それを言うと「浜松流」「一条オリジナル」は激怒しますから、彼らには言わないように、「黙ってよなあ」ということでやるしかなかったのですが、多くの「大手ハウスメーカー」というのは、東京発祥か大阪発祥かで、東京圏か関西圏にいると「大手」のように思えるかもしれないけれども、実は「都市圏中心会社」なのに対して、(株)一条工務店は「地方」中心の会社で、「地方」でも地縁血縁が強く、家を建てるなら知り合いの「大工さま」に頼むしかない・・という地域では苦しくても、県庁所在地とか「地方」でもある程度以上の市で地縁血縁がそれほどないという地域に強い会社でしたから、たとえば、私が赴任した福島県いわき市および福島県浜通り地区・茨城県北部などでは、「静岡県中西部および愛知県」と共通するものはけっこうあったのです。しかし、都市圏と「地方」という違いという点では、どちらも「地方」だからということで共通するものがある地域には、(株)一条工務店はけっこう受け入れられたようですが、「地方」という点では共通しても、「地方」でもそれぞれの地域によって異なるものというものもあるのです。「地方」なら何でも一緒ということではないのです。都市圏でも、東京圏と関西圏では同じではありません。たとえば、最近では三井ホームは関西でも建てていますが、何年か前、大阪の住宅地で三井ホームが建てた家を見て、どうも、合わないような印象を受けたのですが、やはり、三井ホームは「都市圏向け」でも基本的には「東京向け」で作られた商品ではないかと思います。大阪で三井ホームの建物を見ると、どうも、「なんや、東京もんの建てたすかした家」みたいな印象があります。私はそこの家を見てそう感じたのです。(株)一条工務店の建物というのは「地方」型ですから、「地方」では受け入れられやすいのですが、「地方」でも何から何まで「浜松流」と一緒というわけではなく、その「地方」によって違うものというのがあるのです・・が、「浜松流」「一条オリジナル」はそれを絶対に理解しようとしない。「浜松でいいものは日本全国どこでもいいに決まってるんだ」と言って「病的」に譲らない。それを、今回、述べます。・・・もう、実際のところ、「浜松流」というのは「ほとんどビョーキ」ですよ、ほんと。往生しまっせ、ほんまあ・・・。
福沢諭吉が、「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある」と語ったというのです。 「『田舎の生まれ』とか『田舎の住人』とか『田舎の出身』とかいう意味での『いなかもの』というのは別に悪くはない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのは、これは良くない」と言うのです。私もそう思います。 「いなかのやり方」をその地方でやるのは悪くないのですが、都市部でも「いなかのやり方」をやらそうとする、「地方」でもそれぞれの地域によって違うのに「浜松流」を非浜松地域に押しつけないとおれないという根性というのは、それは「精神面がイナカモノ」の態度であり、そういう態度は良くないと思うのですが、(株)一条工務店という会社においては、そう言うと、「遠州人」が激怒するのです。難儀でっせえからえ、ほんまあ~あ・・・・。
一度、「あなたが営業をやるにおいて、気をつけているものを述べてください」という本社からのアンケートが来たので、そこに「浜松流はここには合わない」と書いて送り返してやろうか・・・と、ふと思ったということがありましたが、本当に書いてやれば良かったかな・・・。「浜松流はここには合わない」と。
それで、神棚ですが・・・、
人さまのお宅の仏壇と神棚なので、見せていただけたとしても、写真に撮っていいのか、又、ブログで公開していいのか迷いましたが、神棚について説明させていただくために必要なので、掲載させていただきたいと思います。 重要文化財にも指定されている「古典的な民家」という意味での「古民家」での造りですから、最高かどうかはともかく、おかしな造りのものではないと考えていいと思います。そうは言っても、人さまのお宅の仏壇と神棚ですから、細部を撮影するのではなくその部屋の一番離れた位置から全体を撮影するように撮りました。大鐘家の御先祖さま、どうぞ、よろしくお願いいたします。
このお宅では、長屋門から入ってきた位置から見て、一番左(南南西)の部屋に床の間があり、その右の部屋(土間から入って2番目の部屋)に仏壇と神棚が配置されています。
仏壇というのは、その部屋の左寄りに配置するものか、右寄りに配置するものか、中央に配置するものか・・・、家相の本を読んでも、「仏壇のあり方」のような題名の本を読んでも、それは出ていない。住宅建築業の会社に勤めてきた人でも、「敷居と鴨居の違いもわからないで売っている」みたいな人(器用なことするなあ・・と思います)(さすがに敷居と鴨居の違いくらいはわかるかもしれませんが)もいますが、私は住宅建築業の会社に勤めたなら、特に営業は住宅についてのコンサルタントでカウンセラーとして報酬をもらうものですから、ある程度以上のことは知っていないといけないと思い、たとえば、ひろ さちや『お墓・仏壇のまつり方』(1986.6.25.ごまブックス)とか 芦辺鎌禅『仏壇供養のわかる本』(1988.5.15.廣済堂ブックス)他、読んで学習しましたが、仏壇を部屋の左寄りに配置するのはいいが右寄りに配置してはいけないといったことは書かれていません。しかし、何軒かの「古民家」を見せてもらってきますと、左寄りに配置されているお宅と中央にある家とがあったように思いますが右寄りに配置されたお宅はこれまで見たことがありません。
中央にある場合というのは、その部屋はほぼ仏間専用の部屋となっているようです。右寄りに配置してはいけないと書かれたものは見たことがなく、又、家相の本を読むと、仏壇とか神棚というのは、こういう方位にこういう祀り方をするのがよりいいということはあっても、その家の事情により、最適な方位に配置できないのなら設けない方がいいのかというとそうではなく、どのような設け方であっても、設けたことで凶相になるというものではないと書かれているのですが、実際のところ、仏壇はその部屋の中央でない場合には左寄りにある家が多いように思います。私は小学校の4年の時に転居したのですが、小学生の前半まで住んだ家では、仏壇は茶の間に配置されていて、神棚は台所にありましたが、仏壇は茶の間の西側で左寄り、神棚は台所の北側の壁にありました。
大鐘家住宅では、仏壇が左側で、その右側が神棚になっています。又、神棚の高さは、長押の上ではなく、長押のすぐ下に中に入るように設けられていて、その手前下に、祭壇なのかのように棚があります。
神棚の設け方としては、どういう設け方が正しいとか間違っているとか言えるものではなく、それぞれの地域によって違うし、その家の信仰のあり方によっても違うのですが、1990年、私が(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所に勤務した時に見せていただいた昔からの家の神棚や、建てていただいた方のお宅に施工した神棚というのは、たいてい、長押より上、天袋の位置に設けて、天袋の部分、奥行き2尺ほどとその手前に桧のムク板を1尺ほど出すか、もしくは、天袋の部分奥行3尺を神棚にするか、壁の前に桧のムク板を2尺もしくは3尺だすか。 その場所は、仏壇の真上から右上にかけてか、真上ではなく右上の部分に設けるかで、幅は1間半くらい、狭い場合で幅1間・・・というのが、庄屋さんとか「大庄屋」の家でということでではなく、普通の家でそういう神棚を設けていたのです。 実際、地域整備公団の分譲地を買って建てるといったような場合など、敷地面積も延べ床面積もそう広いわけではないという家で、そこまで大きい神棚を設けることができないという場合もあり、それより幅の狭い神棚を設けたお宅もありましたが、一般に、福島県および茨城県北部の神棚というのは「でっかい」のです。
福島県浜通り地区および茨城県北部においては、神棚の高さは長押より上に設けることが一般的だったのですが、それより低い位置ならいかんのかというと、家相を見る人の意見では、長押より上でないといけないということはないらしい。 1980年代後半、小堀住研(株)に在籍した時、千葉県で建てていただいた方が、東京都内のある「家相と気学の専門家」の方の所に一緒に行ってもらいたいと言われて行ったことがありましたが、その際、神棚というのは、人間が立った時の眼の高さより少し高いくらいの場所に設けるのが良い、という話で、上の方に神棚が設けられているのは、それは「邪魔だから上に上げているんだ」と言われたのです。そういう考え方もあるかもしれません。しかし、福島県浜通りおよび茨城県北部で神棚を長押より上の位置に設けているお宅というのは「邪魔だから上に上げている」のかというと、そういうつもりはないと思います。何より、幅1間半もあると、上の方に上げても存在感がありますから、決して邪魔者にしているわけではないでしょう。しかし、普通の人間が立った時の眼の高さより少し高いくらいの高さがいい、という考え方もまたあるようです。
「邪魔だから上の方に上げる」というのは、それは、銅像とかの場合であるのではないか・・と思います。東京都港区三田の慶応大学の構内に、かつて、「普通の人間と同じ大きさで」「普通の人間と同じ高さで」「誰もがすぐそばまで行くことができる位置に」設けられた福沢諭吉の胸像がありました。 それは「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずと言えり」と『学問のすすめ』で述べた福沢諭吉の像であるから、だから、「普通の人間と同じ大きさで」「普通の人間と同じ高さで」「誰もがすぐそばまで行くことができる位置に」設けられているという話だったはずでした・・・が、10年ほど前、三田の慶應義塾に行ってみますと、大きさは「普通の人間と同じ大きさ」でしたが、「一般の学生などが歩く通路よりも高い場所で」、「普通の人間が歩く通路との間に生垣が設けられてすぐそばに行くことができない場所に」移動されていました。 「創立者の像」というものはそうあるべきだという思想の人が移動させたのでしょう。昔から慶應という学校は福沢諭吉の著作や伝記を1冊も読まずに「福沢精神」「福沢精神」と叫ぶ人が多い学校でしたが、「一般の学生などが歩く通路よりも高い場所で」、「普通の人間が歩く通路との間に生垣が設けられてすぐそばに行くことができない場所に」移動させた人にとってはそれが「福沢精神」で「独立自尊」なのでしょう。
現代語訳 学問のすすめ (岩波現代文庫) - 伊藤 正雄
・・・それで、京都大学という大学は、昔から「アカデミックな伝統」「反骨の学風」と言われ、それに魅力を感じる人もあれば、うちの父親なんぞは「京大はアカやから行ってはいか~ん!」などと私が高校3年になった時に言い出しましたが、そう思う人もある大学で、慶應大学などは「ふにゃふにゃした大学」というのか、「サラリーマン養成所」などと言われ、もしくは「財界の御用大学」と言われる大学で、あんまり「反骨の学風」とは言われない大学ですが、他方で京都大学というのは「教員養成所」などという悪口があって、「学校の先生みたいな人間ばっかり養成している大学」という評価もあり、言われてみると、たとえば、マック=赤坂さんなんかにしても、バカやってるみたいに見えても、「なんか、学校の先生みたい」な雰囲気、「学校の先生が授業中にギャグやってるみたいな雰囲気」がありますでしょ(^^♪ 漫画家の楳図かずお は「怖い本」というのを書いてきた漫画家だったはずが、ある時、突然、はじけてしまって『まことちゃん』に変わってしまったのだが、マック=赤坂さんてのは、どこではじけてしまったのか?(^^)/?(^^)/? そんなもので、京大は、「アカデミック」は悪いことないのだけれども、あんまり実務的ではないのかもしれない・・・というイメージのある大学ですが、行ってみますと、正門から入って正面、今は時計台記念館といって一般に公開されている建物の前に、人間の身長よりはるかに高い台座の上に乗った胸像が何体も並んでいるのですが、これ、誰やのん? ・・と思って見ようと思っても、相当高いので首が苦しくてなかなかよく見えない。 要するに、歴代の総長の像らしいのですが・・・、それ見た時に思いました。「邪魔だから上の方に上げている」というのは、こういうものを言うんだな・・・と。よく、「祀り上げの大技」なんて言いますでしょ。邪魔だけれども、持ち上げておかないとうるさいという人を名誉職か何かにつけて尊重しているふりしながら口出しさせないようにするというのを「祀り上げの大技」なんて言いますでしょ。「邪魔だから上の方に上げる」というのは、それなのでしょうね。実際、京大の歴代総長の胸像てのは、あそこまで高い位置だと、見ようと思っても見上げるのに首が苦しくて見れないですよ。ああいうのはどうかと思いますね・・・。
元外務省の佐藤優氏がモデルの『憂国のラスプーチン』という漫画で、登場人物の西郷さんが
「組織において、最も害がある人間というのは、どういう人間か。
(1)有能でやる気がある人、
(2)有能だがやる気がない人、
(3)無能だがやる気がある人、
(4)無能でやる気がない人。
このうちのどれか?」
と言い、憂木護という佐藤優がモデルの男が「無能でやる気がない人でしょうか」と言うと、「ブー。無能な人はやる気がない方がいいの。無能でやる気がある人が一番困るの」と言う場面がありましたが、最初は無能でもやる気がある人は少しずつ能力を身に着けていくという場合もあると思いますが、たしかに、何もしないでおいてもらった方がよっぽどいい・・という人もいますね。
国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―(新潮文庫) - 佐藤 優
1990年前後、小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)・・→(株)ヤマダエスバイエルホーム→(株)ヤマダホームズ〕は、取締役の半分・監査役の半分が銀行出身だっただけでなく、もっと下にも銀行出身の人間というのが来ていて、そういう人というのは何になるかというと、「技術系の能力はなく営業としては使い物にならない」人ですから、「総務の無能のおっさん」とかになるわけですが、そういう銀行から送り込まれてきた人・・というのか、銀行が小堀住研(株)をゴミ箱かわりにして投げ込んだ人というのは、「座敷牢に入れてやりたい」ような人で、何もしてくれない方がいい人がいたように思います。銀行から小堀住研(株)がゴミ箱がわりにされて投げ込まれたそういう人間が相当多かった・・・という時点で、すでに小堀住研(株)は会社の状態が危ない状態だったのではないかと、今、思います。そういう銀行から小堀住研(株)をゴミ箱がわりにして投げ込まれた人というのは、「銀行から来ている」ということで無能のくせしてえらそうにしているわけですが、そういう人の場合、「西郷さん」が言うように「無能だがやる気がある人」ではなく「無能でやる気がない人」になってもらった方が一般従業員は助かったのです。「祀り上げ」ということで、「役員室」か何かに入れて出てこないように、実質、「座敷牢」に入れたようにしておいた方が会社のためだったでしょう。職安の関連の「早期就職支援センター」の職員にも企業が要らないとゴミ箱がわりにして投げ込んだ人がいるように思います。それにしても、銀行というのは、自分の所が融資したのか出資したのかの会社をゴミ箱かわりにして要らない人間を投げ込んでつぶす・・というのは、銀行にとってメリットがあるのか? ・・なんか、ようわからんことをします。そういうケースで、「祀り上げ」という言葉が出てくることがありますね。「上の方にあげてしまって、出てこないようにする」という手法ですが、それが、出てこない方がいいのに出てきたり・・。会社で役員室て、たいてい上の方の階にありますが、あれも「祀り上げの大技」というやつで、「邪魔だから上の方にあげている」というものなのか??? ・・・実際、下の方の階の方が出入りしやすいので、出入りの多い営業系の職種の場合、上の方の階より下の方の階の方がいいから、だから、別に出入りしやすい場所でなくてもいい役員室を上の方の階にしているんだ、という場合もあり、そう言われた社長さんもいましたが・・・。 しかし、役員室が上の方の階にあるというのは・・「祀り上げ」で「邪魔だから上の方に上げている」というケースも・・なんかありそうな・・・。
大鐘家住宅の場合は、もしかすると、部屋中で刀や槍を使えないようにあえて天井を低めにして作られたということで、付鴨居から天井までがそれほどないからということもあるのかもしれませんが、神棚は「普通の人間が立った場合の眼の高さより低くない」というくらいかな・・という高さに配置されています。
もうひとつ、福島県浜通りおよび茨城県北部においては、その地域・その家によって、「ほとけさま」が出世というのか上位に昇進して「神さま」になるという考え方がある地域・家があるらしく、だから、「神さま」の方が「仏さま」より高い位置にあるという考え方の地域・家があるらしいのです。大鐘家住宅では、「ほとけさま」と「神さま」は高さとしては同じ高さですから、福島県浜通り地区とは違って、「ほとけさま」と「神さま」は同格なのかもしれません。
静岡県の遠江地域では、掛川市原里の加茂家住宅も見学させてもらったのですが、加茂家住宅では、床の間が2か所あり、仏壇は設置されていたのですが、「神さん」については「竈(かまど)の神」が土間に祀られていたのは見ましたが、そうでない「神棚」は見ることができませんでした。
大鐘家住宅においても、「竈(かまど)の神」は土間に祀られています。↓
↑ 「竈(かまど)三柱大神」 と書かれています。
土間の竈の上に「竈の神さん」が祀られていて、そして、主屋の背後に土蔵が2つ並んでいますが、右側の土蔵の右手から裏山というのか丘というのかに登ることができますが、その途中に、お稲荷さんが祀られています。大鐘家の「氏神さん」でもあるのでしょうか。今は、見学者で参拝していく人もあるようです。
「稲荷」という神は、
1.稲霊(いなたま)、穀霊。
2.ウカノミタマノカミ〔『古事記』『日本書紀』〕
3.ダキニ天 〔仏教〕
4.秦 氏の氏神。
・・・が習合した神さんだったはずですが、それぞれの家の「氏神さん」が「お稲荷さん」でもある場合がけっこうあるようです。
道塚元嘉(みちづか もとよし)『民家のこころ』(1999.1.25.鹿島出版会)では、
《 ・・気がいそぐそんな季節。わが家の庭すみに、屋敷神として祀られてあるお稲荷さんに、母はよく油揚げや榊(さかき)を供えていた。それは私が子供のころから、ずっとつづけられてきている。わが家の大切な行事。
・・・
この稲荷といえば、京都の伏見稲荷大社を思いうかべるほど、その影響力は大きく、「神社明細帳」にのっている文霊社だけでも三万余にのぼるといわれる。屋敷神としては、全国的にみてもお稲荷さんが優勢であるにちがいない。
この伏見大社の影響が比較的濃いと思われるのが、二月の初午を祭日とする屋敷稲荷である。赤飯、油揚げを供えて祀る習わしとして、古くから伝承されてきている。
山の神と田の神が交替するといわれる十月にも、わが家のお稲荷さんは、お供えものもうけてあつい信仰をうけてきた。
庶民の守り神である屋敷神だから、質素で小さな祠(ほこら)である。切妻屋根に重いカワラがのせられ、奥まで明かりがとどかない。板壁でかこまれた正面の両開き板戸。格子がとりつけられてあるが、それでもせまい内部はまだ薄暗い。
・・・
お稲荷さんの清楚なおすまいは、虚空に生きつづけてくれた。草木が消えるころ、わが家のお稲荷さんの周辺にも、新しい自然がしのばれ心がゆれる。》
と書かれており、千葉県の東金町の生まれという道塚氏の家の「屋敷神」は「お稲荷さん」であったことが書かれている。
民家のこころ - 道塚 元嘉
その地域による違いもあるかもしれないが、「氏神さん」が「お稲荷さん」である家があるようだが、「氏神さん」は「氏神さん」で「お稲荷さん」は「お稲荷さん」だという家もあるように思う。
なぜ、「お稲荷さん」が家の敷地の一角にあるかというと、稲荷社というのは「稲の霊」「穀霊」だから、農家で祀られることが多いということと、もとは「稲の霊」「穀霊」だったが、そのうち、「商売繁盛の神さん」にもなったことから、商家でも祀られるようになった・・ということか・・? 農業の神で商売の神で、「えらい人を守る神」ではなく庶民的な「神さん」で、それほど特化した神ではないので「氏神さん」と一体になりやすかった・・ということか?・・
↑ 雁屋 哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ』「お稲荷さんの気持ち」(『美味しんぼ [日本人にはやっぱりこれ! 究極のご飯編]』2008.10.22.小学館 My First BIG )にも、「料亭 やすな」で先祖が建てたお稲荷さんが庭にある話が出ています。
美味しんぼ 日本人にはやっぱりこれ!究極の (My First Big) - 雁屋 哲, 花咲 アキラ
1989年に小堀住研(株)で建てていただいた方と一緒に行った「家相と気学の専門家」の方が、神棚は普通の人間が立った時の眼の高さより少し高いくらいの位置が良くて、長押より上に神棚を上げているのは「邪魔だから上の方に上げているのです」と言われ、そういう考え方があるのか・・と思ったのですが、しかし、現実に神棚は上の方にある家が多かった。 これまで、「普通の人間が立った眼の高さより少し上くらい」の高さにある神棚というのは見たことがなかったのだが・・・、それがこの大鐘家住宅にあった。
神棚というものは、どういうように作るべきなのか・・・といっても、それぞれの地域による違いがあり、又、その家によっても違いがあるようですから、いちがいにこうあるべきだとは言えないでしょうけれども、その地域のやり方というものは尊重した方がいいと思います。
静岡県西部・遠江地方の神棚が、どこでも大鐘家住宅のような神棚なのかどうかはわかりません。 加茂家住宅では「竈の神様」は見せていただいたのですが、そうではない方の「神さん」は見ることができませんでした。 できれば、他の所も見学させていただきたいと思います。
しかし、「(株)一条工務店の遠江地方出身の人」と話をしても、都会か「地方」かといえば、浜松は明らかに「地方」であり、名古屋南営業所の所長だった近藤路夫さんは「浜松でいいものは東京でも大阪でも日本全国どこでもいいに決まってるんだ。20坪の土地でも30坪の家でも二間続きの和室は絶対に必要なんだ。八寸角の大黒柱は東京でも大阪でもいいに決まってるんだ」とおっしゃるわけで、それを東京圏の友人・知人何人かに話したところ、全員から、「その人、酔っ払いか何かなのお?」「その人、頭、おかしいのと違うのお?」と言われたのだが、まず、都市圏か「地方」かという問題があり、福島県浜通り地区や茨城県北部、あるいは福島県中通り地区や福島県会津地方においては、都市圏か「地方」かという問題においては、「地方」であり、浜松の人間と いわきの人間の違いは、浜松の人間というのは、《「浜松は政令都市に指定された大都市である。新幹線『ひかり』号も停車する街で、ホンダ・ヤマハ・カワイ、それに何ちゃらエレクトロニクスがある大都会である」とか言いたがる人シンドローム》の「患者」が大変多い市であるのに対して、いわき市および浜通りはそうではなく、都会ぶろうとはしない街で、「いわき市って、福島県では一番人口が多い市で、東北地方でも仙台に次いで人口が多い中核市に指定されている大都市なんですよね」なんて言うと、「どこが大都市だ、どこが? おめえ、いわき が大都市だなんて思ってんのか? 大都市のわけあるめえ。いわき は田舎だろうが、い、な、か。どう考えたって、い、な、か♪ いっぱい合併したから人口で見ると福島県で一番多くて東北地方でも仙台の次に多いかもしれないけれども、どこが大都市なんだ、大都市のわけあるめえ」と、いわき市の地元生まれの人間が誰もが大喜びして言う街であり、都会ぶろうとしない土地柄だった、という点が、浜松市と いわき市の大きな違いと言っていいと思う〔いなかなのに都会ぶろうとする街と都会ぶろうなどとはしない所とでは、前者の方が「精神面がイナカモノ」だと思うのが、そう言うと「遠州人」は怒るので、怒ったって実際そうだろうが・・と思うのだが、うるさいから逆らわない方がよさそうだ・・〕・・・が、いわき人は「いなか」と言っても「そりぁあ、いなか だっぺえ。都会のわけねえべえ」と言い、「いなか」と言っても怒るなどということはないのに対して、遠州人は「いなか」と言うと怒るので(私は「いなか」は嫌いではないし、福沢諭吉が「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなか出身』という意味での『いなかもの』というのは別に悪いことはない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのはこれは良くない」と語ったというように、『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなか出身』という意味での『いなかもの』というのは別に悪いことはないと私も思っているのだが)「地方」と言うとして、東京や大阪と浜松など遠州地方とでは、都市圏か「地方」かという違いがあり、「地方」である浜松など遠州地方では通じても都市圏では通じないものがあるのに対し、福島県浜通り地区や茨城県北部などにおいては、都市圏か「地方」かという点においては、遠州地方と共通して「地方」であるので、遠州地方において通じるものが福島県浜通り地区および茨城県北部においても通じるものが多いのだけれども、神棚の造りなどにおいては、「地方」であってもその地域によって造り方は相当違うようなのだ。しかし、それでも、「遠州人」〔(株)一条工務店の遠州人〕は《「浜松流」を他地域に押しつけたがる症候群》をやはり発揮する。「浜松流はここには合わない」と言うと怒りよるのだ。その傲慢な態度、「遠州人根性」〔「(株)一条工務店の遠州人」根性だが〕は、毎度のことながら、あきれる。
1998年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の営業本部長の天野隆夫から頼まれて「会社都合での居住地変更をともなう転勤」をして福島県いわき市の営業所(展示場)から栃木県佐野市の営業所(展示場)に移ったが、契約後、まだ着工に至っていない契約客について、会社の規定では200㎞以内の場合は、転勤後も担当しておこなう、200㎞を超える場合は元いた営業所の営業に引き継ぎ担当を依頼するということになったいた。 いわき市から佐野市までは、それなりに距離はあり、片道150㎞は超えるが200㎞以内である。実際には、200㎞というのは目安であって、200㎞を超えるか超えないかくらいの距離の場合、担当者が転勤後も自分でやった方がいいか、引継ぎを頼んだ方がいいか考えてどちらか選んでいたというのが実状だった。 私は、会社の規定通りにやるつもりでいたが、営業本部長の天野隆夫が、いわき での契約はすべて、引継ぎを頼んでいけと言うので、その指示に従ったが、いわき市から佐野市までと同じくらいの距離である栃木県の石橋町にあった栃木工場まで工場見学会にバスで行っており、バスでの工場見学会に日程が合わない人を個人で乗用車に乗せて栃木工場まで行ったこともあり、やろうと思えば引継ぎを頼まないでやることもできる距離で、それまで持っていた見込客をすべて失うことを考えると、継続してそれまでいた所のお客様の仕事をしながら、転勤先の方の仕事を徐々に増やしていくようにした方が、その年の契約数を確保するという点では安心ではあったが、天野隆夫が引継ぎを頼めというのでその指示に従った。
ところが、私が担当で契約いただいた契約客がいわき市で建築・入居後、その契約客を建築現場見学に案内した時に一緒に来られた人だと思うのだが、親戚の人で自分も(株)一条工務店で建てたいと考えられ、その入居者の方に、「どうすればいい」と尋ねられたそうだが、私がそのまま、いわき市の営業所におれば、私の方に連絡をもらい、契約いただければ、入居者の紹介の方にはわずかながらのサービスをおこない、紹介者にも「寸志」程度のお礼をして、営業担当者の私には1棟契約の実績がつくことになったのだが、いわき市で契約いただいた方でも引き渡しまですんでいた方の場合は営業担当者は私が栃木県に転勤しても担当は私だが、引き渡しまでいっていない方で、いわき市の他の営業が引継ぎを担当した場合には、引継ぎ担当者が担当になることになる。 その方の場合は、K野T夫さん(男。当時、50前後)が引き継いだ後、K野T夫さんが退職したので、K井さん(男。当時、40代)が再引継ぎした。 入居者の方は誰を担当としていいかわからず、誰に言うべきかわからなかったので、それで、親戚の方から「どうしたらいい?」ときかれて、「カタログに載っている所にでも電話してみたら」と言ったらしい。なぜ、親戚の方が(株)一条工務店のカタログを持っていたかというと、おそらく、私がその入居者の方に渡したものを、完成後、その親戚の方に渡されたのではないか。 「カタログに載っている所に電話してみたら」と言われた親戚の方は、東京の「本社」に電話されたらしい。「本社」に電話したそうだ。 (株)一条工務店は「浜松生まれ」であり、静岡県浜松市に「本社」があったが、1995年、名古屋の国税局から脱税で100億円の追徴金を取られたということがあり、その際、その時の社長だった大澄賢二郎は「一条工務店にはカネみたいなもん、有り余ってる。100億円なんて何ともない。100億円なんていくらでもある」と発言したというのだが、なんか、すごいこと言うもんだと思ったが、「カネみたいなもん、有り余ってる」のなら、それなら従業員にもうちょっと給料払えば良さそうなものだが、給料払う時になると、「そんなこと言っても、ないもの払えんだろうがあ」とか言いながら、おのれが追徴金とられるようなことした時には「カネみたいなもん、有り余ってる」とは、まあ、よく言ったもんだ・・と思ったものだが、そういうことがあって、「浜松に本社を置いていると、浜松なんてたいした会社がないから目立つ」ということで、商業登記簿の上での「本店」の所在地を東京都に変更し、カタログなどに掲載される「本社」も東京都江東区木場 の東京メトロ東西線「木場」駅のすぐ北側のビルの東京事務所の住所になっていた。そこに電話されたようだ。
「本社」に電話されたのだから、東京の展示場に電話されたのではなく「本社」に電話されたのだから、電話を取った者は、そのお客様の最寄の展示場の所長しもしくは「リーダー」に連絡をして、所長もしくは「リーダー」が担当するか、所長もしくは「リーダー」が担当者を指名して行かせるか、もしくは、その電話でどういう経緯で電話してもらったか尋ね、入居者から電話するように言われたと聞いた場合に、入居者の紹介という扱いにするのなら、営業担当は入居者の営業担当ということになるから、私・・・にしてほしいところだが、引継ぎを頼んだからには、引継ぎ担当者ということになるのかもしれない。気持ちとしては、私が担当になりたいところだが、入居者宅の仕事を引き継ぎを依頼しておいて、紹介はこちらにというわけにもいかないだろうが、契約客を他の営業に頼んで転勤するというのは、後ろ髪ひかれる思いで我が子を人に託してきたようなものだから、託してきた人が担当とはいえ、やっぱり、後ろ髪ひかれる思いがするものだが、それでも、引き継いだ人だって努力して仕事をしたはずなので、その人が担当、この場合にはK井さんが担当ということになる・・のだろう・・が、紹介をもらえたということは私が真面目に仕事をしたからということもあるはずだから、K井さんが担当で契約に至ったあかつきにはK井さんから「超豪華な昼飯」でもごちそうしてもらい、その方の仕事は間違いないようにこなしてもらうようにする・・と、そんなところ・・かな・・・。
ところが、東京の「本社」に電話されたところ、「一条工務店で建てたいのですが、どうすればいいでしょうか」という電話を受けた「本社」の人間は、あろうことか、最寄りの展示場であるいわき市の展示場にではなく東京の営業に伝えて、東京の営業が、急遽、いわき市の小川といういわき市でも山の中までやってきて契約したらしい。 そういうことをやっていいのか? それは、(株)一条工務店の従業員としては「掟破り」のはずだ。 私が、いわき市で契約いただいた方で引き渡しまでいっていない方の仕事を、200㎞以内ならばそのまま自分でやるという会社の規定になっているのに、営業本部長の天野隆夫が、引継ぎを依頼しろと命令して手放させたのだった。いわき市から栃木県佐野市までは片道200㎞に近いが片道200㎞以内であるのに対し、東京都江東区の「本社」までは片道200㎞を超えるはずだ。だいたい、同じくらいの距離なのだが、わずかに江東区の「本社」の方が遠いはずなのだ。もともとの営業担当には、「いわき に置いていけ」と営業本部長が命令しておいて、もとの営業の転勤先よりも遠い場所の営業に担当させるのか??? そんなおかしな話があるか!!!
又、「本社」の人間は、「一条工務店で家を建てたいのですがどうすればいいでしょうか」という電話を受けたなら、その方の居住地か建築地に最寄りの営業所(展示場)の所長もしくは「リーダー」に連絡するのが基本のはずで、居住地に最寄の営業所と建築地に最寄りの営業所とどちらがいいかという問題があるが、その方の場合は居住地も建築地も福島県いわき市であるから、いわき市の営業所(展示場)の所長もしくは「リーダー」に連絡するべきものであったはずである。 私がいわき市から佐野市の展示場に移った時点では、いわき市および浜通り地区の所長は草野さんだったが、その後、退職して、その入居者宅の引継ぎを担当してもらったK井さんが「リーダー」になっていたはずだ。だから、「リーダー」のK井さんに電話をして、こういう方が「一条工務店で建てたいと言って電話してこられました」と言うべきであったはずである。そうすれば、K井さんが訪問して話を進めて契約いただき、その際には私にも「何何さんの親戚の人に契約してもらった」という話もしてくれたと思う。「あ~あ・・」と思うことになったと思うが、その後、いわきに行くことがあった際には、K井さんに昼飯ぐらいおごってもらっても悪くはないだろうし、K井さんはそのくらいおごってもばちあたらんだろう・・・と思う。
「東京の営業」は、本来、何の関係もないはずなのだ。東京にある展示場に電話されたのならまだしも、東京の「本社」に電話されたはずで、「本社」に電話した人を、「本社」の人間が最寄の営業所の人間に言わずに東京の営業所の人間に言って福島県いわき市の山の中まではるばる常磐道走って行かせるというのはおかしいのだ。可能性として考えられるのは、
(1) 電話を取った東京の「本社」の人間の対応がおかしいのか、
(2) 東京都江東区木場 の「東京事務所」が「本社」とカタログには記載されていても、実質、本社の機能は浜松市にあり、「本社」と記載されている住所には、東京の工事課とCAD担当とインテリア担当がいただけだったはずなので、もしかすると、東京の展示所に勤務する営業が「本社」に来ていて電話を取り、「一条工務店で家を建てたいのですがどうすればいいでしょうか」という、まさに「鴨がネギしょってきたような話」なので、自分がそのまま、いわき市までかけつけていって契約した。
(3) 電話を取ったものは、最寄りの営業所、この場合、福島県いわき市の営業所の所長もしくは「リーダー」に連絡するものだが、それでいいのか、確認のために、そのあたりにいた上役、考えられるのは東京営業所長兼任の営業本部長の天野隆夫あたりに相談したところ、「何何くん、いわき市の人で一条工務店で建てたいと言っている人がいるから、今すぐ行って契約してもらってくるといいらあ」と言って行かせて契約させた・・・か。
この3通りが考えられる・・が、いずれであっても、対応がおかしい。
(1)ならば、「本社」と称していた東京事務所の工事課の人間か「コーディネーター」かインテリア担当かは、福島県いわき市に居住で福島県いわき市で建てる人を「東京の営業」に話をするというのは不適切であり、
(2)の可能性は十分あるが、もし、私が東京都の江東区潮見の展示場にいたか、江東区亀戸の展示場にいたか、松戸市の展示場にいたかで、用事で江東区木場の東京事務所に行っていて、東京事務所に普段からいる人間が他の用事をしていたことから電話を取った時にそういう電話だったとすると、その契約は喉から手が出るほど欲しいけれども、そうであっても、会社という所においては、会社のルールは守らないといけないと私は考えるので、上役に話した上で最寄りの営業所である福島県いわき市の営業所の所長か「リーダー」かに連絡して、いわき市の営業に担当してもらうことにする。 それが会社員としてのルールであり、「渇しても盗泉の水を飲まず」という言葉があるが、「喉から手が出るほど欲しい」ものでもそれでも、会社のルールというものは会社員として守らないといけないと考える。 ・・・ところが、(株)一条工務店の場合、初代社長の大澄賢二郎が「人みたいなもん、求人広告さえ出せば、いっくらでも採用できる。求人広告の費用はいくらでもかけて、求人広告はどんどんだせ。求人広告をどんどん出して、中途入社の社員はどんどん採って片っ端から辞めさせろお!」と叫んでいたそうで、日本の労働法はそういう解雇を認めていないはずなのだが、「『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の会社の方針だ」と営業本部長の天野隆夫が明言する会社だったので、そういうことをしていたのだが、「人みたいなもん、求人広告さえ出せば、いっくらでも採用できる」などという思いあがった認識で人を採用している会社だったので、その結果、「生物学上の『人』」でさえあれば「いっくらでも採用できる」という採用をしていたので、会社のルールを破っても自分が契約もらえればいい、という思考の人が入社してきていた。 なおかつ、私は「渇しても盗泉の水は飲まじ」という私のような姿勢で勤務してきた従業員というのは、会社の経営者はそれを評価してくれるものだと最初は思いこんでいたのだが、ところが、(株)一条工務店の経営者はそうではなかったのだ。だから、自分は何の関係もないものでも、「一条工務店で契約して建てたいんですが、どうしたらいいですか」という電話を受けると東京から福島県いわき市の山の中まででも行くという人間がいた、ということは十分考えられる。
(3) そして、営業本部長というものは、本来、「本社」にかかってきた電話であるからには、「本社」が「本社」に近い場所の営業に担当させて遠方まで行かせるのではなく、最寄りの営業所(展示場)の所長もしくは「リーダー」に連絡して最寄りの営業所から行かせるものだ、と指導するのが営業本部長のはずであるが、ところがどっこい、(株)一条工務店の営業本部長というのはそういう常識が通じない男であり、営業本部長が「掟破り」を指示した・・・という可能性は十分ありうることだった。
もともとの担当の私に、いわき市での契約客はすべて引き継ぎを頼んでいけ・・と営業本部長が指示して、いわき市にいる人に引継ぎをさせた以上は、もともとの担当の私の転勤先よりもまだ遠い場所にいる営業がいわき市まで行って契約してはいかんはずだ。そうでしょ。私の転勤先よりも遠い場所にいる営業が、私が担当で契約してくれたお客さんの親戚の家で私が担当で契約してもらった方を建築現場案内に案内した時に一緒に見に行かれた方を、東京からはるばる福島県いわき市の山の中まで訪ねていって契約するなどということはやってはいけないはずなのだ。やっていいのなら、私が契約する。 少なくとも、全然、関係がない「東京の営業」よりは私の方が関係が深い。
(株)一条工務店の経営者は、そうならないように、「本社」にかかってきた電話に、「東京の営業」がまるで「巾着切り」のように福島県いわき市の山の中まで行って契約してくる・・といったことがないように管理するのが経営者の仕事のはずで、それを怠っている(株)一条工務店の経営者は職務怠慢である。
それで・・・、その親戚の方は、「東京の営業」が担当で契約されたけれども、神棚を設けるに際して、(株)一条工務店の「東京の営業」は、「これしかできません」と言って、幅3尺の板1枚の神棚を施工したというのだ。 「これしかできません」わけないだろうが! 私が担当の入居者宅で、福島県型というのか東北型というのか、いわき型というのかの浜通り型というのか、「福島県浜通り及び茨城県北部型」というのかの「でっかい神棚」を何軒も施工しているし、もとの入居者宅にも、いわき型の神棚を施工しているのだ。なんで、「これしかできません」なのだ?!? できるのに、なんで、「これしかできません」などと嘘をつくのだ?!
ひとつの可能性として、同業他社から転職できた人には、もといた同業他社が「規格住宅」しか扱っていない会社の場合、カタログに「標準」「オプション」と書かれたものが掲載されていると、その「標準」のものか「オプション」のものか、どちらかしかできません・・という会社があり、そういう会社にいた人は、転職して他の会社に行っても、同じようなものと思いこんで、(株)一条工務店のカタログに「オプション」として掲載されていた幅3尺の板1枚の神棚しか「これしかできません」と言ってそれをつけさせた・・という可能性がある。
もしくは、元クルマ屋という人の場合、クルマは、あらかじめ、オプションとして用意されているものはつけられるが、そうでないものを装備しようと思ってもつけられないので、それと同様に考えたか。 もしくは、「めんどうくさがり」の人、「労を惜しむ営業」というのがいて、施主がこういうようにしたいと言っても、その要望をきくよりも、「これしかできません」と言って「適当なもの」(この場合、「適当な」というのは「しかるべき」「ふさわしい」という意味ではなく「いいかげんな」の方の意味)をつけて建てさせた方がいいと考える人間がいて、そういう人間だったか。
あるいは、元マンション販売の営業というのは、マンション販売というのは「建築の住宅の営業」か「不動産の住宅の営業」化と言うと、結論として不動産屋であり、「そのまんま」で売るというのが基本なので施主の要望を聞いて建てるという姿勢がない人が少なくない。できるものでも、「できません」と言ってやらずに数をこなした方が営業成績につながると考えるようなヤカラもいる。そういう人間だったか?
それにしても、いわき市で建てる人にとって、神棚というのは大事なものであり、幅3尺の板の神棚を設ける人も、分譲地を購入して70坪くらいの面積の土地(いわき市の住人の言い方だと「うちは、土地が狭いから」という土地、東京圏・関西圏で70坪なら「広いじゃないか」てところだが、いわき市の住人の言い方では「うちは、100坪もないんですよお」という土地)に建てる人の場合、幅3尺の板の神棚くらいしか設けられないので、そういうものを設ける人もあるけれども、昔むかしから住んできた土地で建て替えるような人にとっては、神棚というのは、普通は、仏壇の真上から右にかけてか、仏壇の真上は避けてその右かの天袋の位置に、幅は1間か1間半とかで設けるのが普通であり、それは「大庄屋」の家とかではなく普通の家でそういう神棚を設けていたのであり、「こんなおかしな神棚ないよお」とお施主様は言われたらしいが、それでも、「これしかできません」とその「東京の営業」は強引に言い張って幅3尺の板1枚の神棚を施工させた・・というのだ。
なんで、そんなことするのかなあ・・と思う。私が担当したか、もしくは、引継ぎを担当してもらったK井さんが担当したかであれば、間違いなく、いわき型の神棚を施工したはずだ。なんで、その「東京の営業」は、そういう非常識なことをするのか?!?
その「東京の営業」は東北型の「でっかい神棚」というものを見たことがないのかもしれない。もしくは、たとえ、本の写真か何かで見ても、それは「伊達の殿様のお城」か何かの場合で「普通の家」ではそんな「でっかい神棚」は設けないものと勝手に決めつけていたのかもしれない・・・が、福島県では「普通の家」で幅1間半とかの神棚を設けるのだ。
その「東京の営業」だが、いったい誰なんだ? ・・新人なら、もうちょっと謙虚さが必要であろう。経験者ならその対応は非常識であろう。 可能性としては、「東京の営業」と言っても、実際には東京の人間が東京で入社した「東京の営業」ではなく、「遠州人」で東京に勤務していた人間の可能性というのが考えられる。どうも、「遠州人」根性というのがそこに出ているような感じがする。《「浜松流」を福島県の人間にも押しつけないとおれない症候群》の「患者」ではないか? ・・まあ、この点はどっちか、わからないけどね・・・。
又、営業担当が、契約客がいわき型の神棚を設けたいと言っているのに、「浜松流」神棚にさせようとしたとしても、設計担当者や「コーディネーター」も図面決定までに関与しているはずであり、いわき市の営業所の設計担当のH田は静岡県出身だったがいわき市で長く設計の仕事をしてきた人間だから、いわき市でも山の中で昔から住んできた先祖代々の土地で建てる人が、幅3尺の板1枚の神棚だと、「これで、いいのですか」と一言くらいは言いそうなものだし、設計担当は言うべきです。又、「コーディネーター」のWはいわき市の生まれで、それも、いわき市でも「分譲地みたいな所」ではなく、いわき市の中でも山の中みたいな所から通ってきていた人間だから、「いわき市でも、小川で建てるのに3尺幅の板1枚の神棚でいいのですか」と言いそうなものだ・・・し、一言くらいは言うべきであり、それを言ってこそ、設計担当であり「コーディネーター」である。言えなくてどうする! それを言えないのでは仕事をしていることにならない。
ひとつの可能性として、その「東京の営業」は、「巾着切り」みたいに本来は自分は関係ないのに他地域のお客さんの契約を横取りしたものだから、いわき市の設計や「コーディネーター」を使うと、それがいわき市の営業にばれるということを考えて、お客さんに東京までいわき市から来させて東京の設計と東京の「コーディネーター」を担当させて進めたのではないか。その可能性があると思う。
都会の人間にはわからない人間がいるかもしれないが、「地方」の人間にとっては、神棚というのは相当大事なものである。「これしかできません」と言ったというのだが、「できない」わけないだろうが!!! なぜ、嘘をつく??? 特に、私が担当で契約いただいた親戚の家で、いわき型の神棚を施工していてそれを見ている人に向かって、なぜ、嘘をつく???
普通、会社というものは、誰が担当しても、そうおかしなものができないように会社として配慮するものではないかと思うのだが、(株)一条工務店という会社は、「担当者によって差が大きい」と言われる会社・・というよりも、「担当者が個人的に必死になってやらないとできない会社」だった。 それにしても、なぜ、いわき市で建てる人で、いわき型の神棚を施工したいと希望している人、かつ、すでに親戚の家が(株)一条工務店で建てていて、そこではいわき型の神棚が施工されていてそれを見ている人に、「これしかできません」と、東京近郊でならおかしくなくても、いわき市の先祖代々の土地に建てる人にとってはおかしいと思うような神棚を施工しないと気がすまないのか? そんな仕事しかできないような人間なら、住宅建築業の仕事はやめてしまえ!
私が1993年に、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の松戸展示場から福島県いわき市の展示場に転勤した時、契約客で引き渡しまで至っていない人が4件あったのだが、東京都町田市の方と千葉県市原市の方は、いわき市から建築地まで200㎞を少し超えていたと思うが、千葉県市川市での建築予定だった家は200㎞以内で、しかも、私の親戚の家だったのだ。それも、義理の関係の家であり、私が担当するからということで契約してもらった家だった。営業本部長兼松戸営業所長の天野隆夫が、4件とも引き継いでもらえと言うのだったが、「他のお宅はしかたがないとして、親戚の家は私に担当させてもらえませんか。親戚でも、義理の関係ですから、私が担当するからということで契約して、他の人に担当させたのでは具合が悪いんですよ」と言ったのだが、そうすると、天野隆夫は「具合が悪いというのなら、解約してもらえば、それでいいらあ」などと言うのだった。 どうも、(株)一条工務店で親戚に契約してもらうと、親戚関係まで(株)一条工務店と天野隆夫に破壊されてしまうようである。 「会社の規定では、200㎞以内なら転勤後も自分で担当するということになっているはずですから、いわき市から市川市までは200㎞以内ですから、私が引き続いて担当することになるはずです」と言ったのだが、そうすると、天野隆夫は「それなら、転勤先を いわき ではなく原町にする」と言うのだった。この名前の通り、アマノジャク(天野邪鬼)のこの根性はいったい何??? ひとに嫌がらせをするために会社を経営しているみたいな、そういう態度である。
私に、私が東京展示場(江東区潮見)に在籍していた時に契約してもらった千葉県市川市の親戚の家を、私が福島県いわき市の展示場に勤務した時に担当してはいけないと言っておきながら、いわき市まで直線距離でもクルマで移動する場合の実際に走行する距離で見ても市川市からよりも遠い「東京の営業」に、いわき市の私が担当で契約いただいた方の親戚の方の契約をさせているというのは、それは、会社の対応として、どう考えてもおかしいではないか!!! ・・・もっとも、こういうことを天野隆夫に言うと、「おかしかったら笑え」とか言うかもしれないし、それよりも、「気にいらないなら会社やめろ」とか言いだすだろうが、しかし、私が不適切なことを言っているのなら、「気にいらないなら会社やめろ」とか言ってもいいが、そうではなく、私はもっともなことを言っているはずであり、どっちがおかしなことをやっているのか、ということを考えるべきであろう。
私の親戚の家で、いわき市から200㎞以内の家を担当するなと営業本部長の天野隆夫が言って担当からはずさせて、そして、親戚の家には、住宅建築業の営業の仕事が初めてという男を引き継ぎ担当とし〔(株)一条工務店は新人に引継ぎ担当をさせると新人の練習になると思っているようだったが、自分自身が担当で契約をいただいて引き渡しまで担当した経験がない人間に「引継ぎ担当」をさせるというのは、その契約客に対して失礼だと思う。又、自分自身が担当で契約をいただいて引き渡しまで担当した経験が1件もない人間に「引継ぎ担当」をする資格はないと考えるべきだ、と思う。〕、設計担当は(株)一条工務店で1年目の男を担当とし、大工は「一条工務店の仕事は初めてという大工」を担当させ、ボード屋は「ボード屋野の仕事は初めてというボード屋」を担当させ、なんだかんだ無茶苦茶やった。(株)一条工務店のお客様相談室の「責任者」の田中義昭が「一条工務店は、昔から従業員や従業員の親戚の家には新人の職人をまわすということをやってきましたから」と入居者に話していたが、そのわりに、いわき・浜通り地区の所長のK野さんの家は、いわき・浜通り地区では、この人なら確かだろうとされている大工が担当していたのだが、「従業員や従業員の親戚の家に新人の職人をまわす」とかそういう話での「従業員」というのは社長とか社長の一族とかそういう「従業員」の場合のことだろうと思っていたら、一族でも何でもない私の親戚の家に、
(1)住宅建築業の会社は初めてで入社1年未満を引き継ぎ担当、
(2)同業他社で少しだけ経験があるとはいえ、(株)一条工務店では入社1年未満の設計担当、
(3)(株)一条工務店の仕事は初めての大工、
(4)ボード屋の仕事が初めてのボード屋
・・・と新人ばっかりを私の親戚の家の担当にまわし、片っ端から失敗しまくった。
そして、最後、引き渡しの時には、建築確認図面も「なくしました」と言って渡さなかった。普通、「建築確認書」なんて、建築屋が、そんなもの、なくすかあ??? (株)一条工務店よりも、もっと零細な工務店でもそんなもの、普通はなくさんぞお~お!!! まったく、よくやると思う。
(株)一条工務店で親戚の家を契約させると、そういう目に合わされる。それで、営業本部長兼東京営業所長・松戸営業所長の天野隆夫から、その件について、「申し訳なかった」の一言もなかった。
(1) 私が東京展示場(江東区潮見)に在籍した時に契約してもらった千葉県市川市の親戚の家を、私が福島県いわき市の営業所に赴任した時に、担当するのはだめだと言って担当させず、他方で、「本社」に電話してきた福島県いわき市に居住でいわき市で建てる人を「東京の営業」に契約させるのはかまわない、というのはおかしい。
(2) 福島県いわき市から栃木県佐野市までと、福島県いわき市から東京都江東区木場までとでは、佐野市までの方が近いにもかかわらず、私が、いわき市から佐野市に転勤した時には、いわき市の契約客は引継ぎ担当に担当させておいて、その契約客の完成後の家を見た人で、その契約客が契約されるまでに建築現場見学に一緒に行かれた方を、いわき市から佐野市よりも遠い場所にいる「東京の営業」が押しかけて行って契約するというのは、どう考えてもおかしい。
こういうことを言うと、営業本部長の天野隆夫は「気にいらないなら会社やめろ」とか言い出すのだが、その「東京の営業」にこそ、「それはあなたが担当するべきものではありませんでしょ」と注意して、それが「気にいらないなら会社やめろ」と言うべきもので、正しいことを言っている者に「会社やめろ」とか言う者こそ、営業本部長をやめるべきであろう。 営業本部長として適切な対応をできない営業本部長こそ、営業本部長をやめるべきであろう。
(株)一条工務店が施工している、床の間の横の床脇棚の上まで長押がまわり、床柱と長押がぶつかる所では、長押が床柱の前までくるという施工を大鐘家住宅でもおこなわれているのを見て、(株)一条工務店の床の間と床脇というのは、やっぱり、「遠州流」のものだったのだな、とわかったが、神棚については、大鐘家住宅の神棚のような造りが「遠州流」なのかどうかはわからない。 他にも、見学させてもらえる「民家」があるようなので、今後も、民家探訪団を続けて解明していきたいと思う。
全然、関係ないのに、東京から福島県いわき市の山の中まで飛んでいく男というのは、「熱心でよろしい」と考えていい性質のものではないはずである。 「会社のルール」は守らないといけないし、営業担当なら、お施主様の希望を実現できるように真面目に努力しないといけない。お客様を騙すのが営業だとか営業力だとか考えている人というのが(株)一条工務店の営業にもいたようだが、そうではないはずだ。お客様の希望を実現することで評価してもらおうとするのが営業のはずだ。 (株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は、そのケースの「東京の営業」のような、自分は関係ないのに「巾着切り」みたいに駆けつけていって自分の成績にするような男とか、「これしかできません」などと嘘をついて施主の希望に沿わない家を建ててしまう営業というのが好きなようだったが、その感覚は住宅建築業の会社の営業本部長として、本来、おかしいはずである。「気にいらないならやめろ」と天野隆夫は言うであろうけれども、やめるべきは、あんただろう、あ、ん、た!!! ・・ということである。営業本部長として取るべき態度・対応を取りたくない者こそ、営業本部長として取るべき態度・対応を取るのが嫌なら営業本部長をやめろ! と言われるべきものであろう。
社長よあなたがお辞めなさい―変身できないあなたこそ会社のガンだ! - 精治, 安達
↑「あなたこそ、会社のガンだ」↑
※ 大鐘家HP http://www3.tokai.or.jp/oganeke/
(2020.10.6.)
☆ 大鐘家と相良城跡(静岡県牧之原市)
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 〔今回〕
(6)土蔵・資料館。大鐘家の裏の丘からの眺望。相良城跡と田沼意次。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_6.html
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(静岡県掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 東京都 狛江市立古民家園
上 旧荒井家住宅主屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_1.html
下 旧高木家住宅長屋門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_2.html
☆ 旧近藤家 長屋門(東葉学園 東葉門 )(千葉県船橋市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_3.html
☆ 旧安西家住宅(千葉県木更津市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_5.html
大鐘家住宅(牧之原市)の5回目です。
静岡県、特に遠州地方の昔からの民家、「古民家」という言葉を使ってしまうと、「古い」という文字が入ることで、「前時代の」という意味に理解されてしまうおそれがあるので「民家」という方の表現をとっていますが、「古典となる」という方の意味での「古民家」を何軒か見学したいと思って来たのですが、その理由として、特に、神棚と床の間の作りがどうなっているのか見たいと思ってきたのです。
神棚とか床の間の作りというのは、これが正しいとか正しくないとかいうものではなく、それぞれの地域によって造り方があり、神棚の場合にはその家によっても違うと思うのですが、どうも、(株)一条工務店 という会社は、「浜松流」「遠州好み」〔すでに何度も書いてきましたが、この場合の「遠州好み」の意味は、「小堀遠州が好んだ」という意味ではなく、「遠州人の好みを全国に無理矢理押しつける」という意味です〕でやらないと気がすまないという「オリジナル従業員」「『遠州人』従業員」が大変多い会社でした。 遠州地方で「遠州流」をやるのは悪くない、浜松で「浜松流」をやるのは悪くないでしょうけれども、他の地域には他の地域のやり方があるはずで、それもまた尊重するべきもののはずなのですが、「浜松流」「遠州好み」を全国に押しつけないとおれない、という会社でした。
その「浜松流」も、浜松でなくても、磐田とか掛川とかそういう場所ならば、施工の内容も、営業のやり方も浜松とそう変わらないやり方で通じるのではないかと思うのですが、「東海を制するものは天下を制する」などとアホなことを言う会社でして、その「浜松流」は、基本的には箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西では通じないと考えるべきで、””静岡県中西部・愛知県では通じるというものを、他の地域にも押しつけないとおれない症候群””の重症患者には困ったものでした。そのうち、「売れない営業のグチ 10箇条」などというものをけっこう高そうな材質のものに印刷して全国の展示場に「展示場の事務所の壁に貼りだしてください」と言って送りつけてきましたが、そこに「浜松流はここには合わない」という条があったのですが、正面から逆らうとうるさいので言わない人が多かったのですが、「これって、『売れない営業のグチ 10箇条』というよりも『一条工務店の特徴 10箇条』て感じだよね」と、ぼそっと言う人はありました。
営業のやり方について、「浜松流」でやったのでは売れませんから、「浜松流」は東海地方では通じても東海地方以外では通じないやり方ですから、「浜松流」ではなくその地域にあったやり方でやらなきゃだめだと思うに至った人に向かって「浜松流」で売れる地域に勤務させてもらってきた者が《「浜松流はここには合わない」というのは「売れない営業のグチ」だから、「浜松流」でやってのでは売れない地域でも「浜松流」でやれ》と言っているのがその「売れない営業のグチ10箇条」というもので、そんなものを真面目に聞いて「浜松流」でやってのではますます売れませんから、そういう「売れない営業のグチ10箇条」というポスターみたいなものは「祀り上げの大技」というもので「上の方に上げておく」という方法で「上の方」に貼っておいて、もしも、「浜松流」「オリジナル従業員」が東海地方からやってきた時には、「そこに貼ってますよお」と言うようにして、普段は「浜松流」でないやり方で営業やって契約をいただくようにしないと仕事になりません。
(1)(ア) 1993年、千葉県松戸市の松戸展示場に、東京都では坪55万円・千葉県では坪52万円で売らされていたものを坪49万5千円でテレビ広告付きでダンピング販売やっていた名古屋の八事(やごと)展示場にいて営業成績があがっていなかった松下という男(当時、30代前半)が転勤してきて、来るなり「こんなに営業しやすい場所はない。ここなら最低でも浜松の倍は売れる」と、それまで東京営業所・松戸営業所で仕事をしてきた者に向かって喧嘩売るような発言をし、その場にいたSくんが「へっ、そんなこと言って、半年くらい経ったら、売れなくて『なんで売れねえんだ』とか言って頭かかえたりしてからに」と言ったのですが、結果はどうなったかというと、Sくんが言った通りになりました。松下は松戸展示用に8か月ほどいて、その間、契約はゼロ。それが「浜松流」だったのです。その「口だけの人間」「口から産まれてきた男」、「ここなら最低でも浜松の倍は売れる」などとそれまでその地域で苦労して営業やってきた人間に向かってそこでは1棟として契約取ったことがない男が発言して、結果は契約ゼロ・・というのがそれが「浜松流」なのです。
(1)(イ) 1993年5月、浜松での「研修」で、名古屋南営業所の所長だった近藤路夫が「住友林業なんかと競合になったら、そんなもん、『ごちそうさん』てなもんだ」と発言し、「何か、きいてみたいことはないか」と言うので、東京営業所・松戸営業所においては住友林業は強敵であり、それも、同格の相手が強敵であるのではなく、「浜松のえたいの知れない工務店」が「有名企業の住友林業」を相手にして、まるで、幕下以下が横綱に立ち向かうみたいな感じだったのですが、その「強敵」「幕下以下が横綱に立ち向かうみたいな相手」をどうすれば「ごちそうさん」に変えることができるのか、教えてもらえるものなら、ここは低姿勢でお願いして、ぜひとも教えてもらいたいものだ・・と思ってお願いしたのです。ところが、近藤路夫はどう言ったかというと、「そんなもん、住友林業が競合なら、『住友林業はプレカットやってますか』『やってませんでしょ』、『住友林業はムクですか』『集成材でしょ』で、それだけで簡単に契約取れる。楽なもんだ」などと言ったのです。その時期、住友林業は機械プレカットをやってましたからね。住友林業は機械プレカットをやっていて、しかも、千葉県においては、「住友林業の家」の機械プレカットは、(株)一条工務店千葉 という浜松の(株)一条工務店と共同出資会社を作っていた千葉県の(株)ひらいhttp://www.hirai-gnet.co.jp/ という木材加工業者が機械プレカットをやっていて、そのことを住友林業の営業は「一条工務店は住友林業の下請けだ」とか言っていたのです。東京都・千葉県において、「住友林業はムクですか? 違いますでしょ。集成材でしょ」などと言おうものなら、「集成材の方がいいんでしょ。住友林業の人が言ってたよ。あんた、そんなことも知らないの」と言われます。「地方」にいくと、家は木造で建てるものだ、家の構造材はムク材で国産材であるべきものだ、という考え方が理屈ではなく観念として強い地域があり、それに対して、東京都から千葉県にかけては、そのような観念はなく、又、「住友」などの「財閥系企業」「大手企業」と言っても実際には「都市圏企業」もしくは「東京圏および関西圏企業」である場合があり、都市部の住人は都市銀行と地方銀行なら都市銀行の方が一流銀行みたいに思っているかもしれないが、「地方」にいくと都市銀行というのは「県庁所在地にしか支店がない銀行」であり、「財閥系企業」「大手企業」というものにありがたみを感じる度合いは都市圏に比べて「地方」では弱く、住宅建築業の場合には「東京の会社」「大阪の会社」がやってきても、地元のことを知らないのではないかという感覚もあり、そのうち撤退するかもしれないという意識もあるわけで、東京圏・関西圏における場合よりも「財閥系企業」「大手企業」をもともとそれほど高く評価していない人が多いし、東京圏・関西圏の人間は通勤・通学に電車を使用し、電車の駅には「住友林業の家」というポスターがあっちやらこっちやらに貼られていたが、そもそも、「地方」の人間は通勤に電車を使うことが少ないし、駅に「住友林業の家」というポスターもあまり貼られていない。結局、近藤路夫は、住友林業は機械プレカットをやって建てていたのに、「住友林業はプレカットやってませんでしょ」などとデタラメを言っても契約してもらえるような場所で営業させてもらってきた男で、(株)一条工務店と住友林業(株)との違いとして、(株)一条工務店は構造材はムク材で国産材を使っているという点について、それを高く評価してくれる人が多い地域で営業させてもらってきたのであって、(株)一条工務店と住友林業(株)では住友林業(株)の評価の方がずっと高くて、(株)一条工務店というと「えたいの知れない浜松の工務店」という評価で「なんで、東京で家を建てるのに、浜松のわけのわからん工務店で建てないといけないの」と思う人が多い場所で、強敵の住友林業を「ごちそうさん」に変えて契約を取っていたのではなかったのです。自分が、「構造材はムク材で国産材で建てている」というものを高く評価する人が多い地域で営業させてもらってきた、「住友林業はプレカットやってませんでしょ」などと実際には住友林業(株)は機械プレカットをやって建てていたのに嘘を言っても契約してもらえるようなそんな地域でのみ営業させてもらってきた男が、ムク材というものに特にこだわらない地域、「集成材の方がいいんでしょ」と言う人が多い地域、会社の認知度、会社の評価が住友林業(株)の方が圧倒的に強い地域において苦労して営業やってきた者に向かって、「そ~んなもん、住友林業なんて競合になったら、『ごちそうさん』てなもんだ、そんなも~ん♪」などとふんぞり返って叫ぶというのが、それが「浜松流」もしくは「静岡県中西部および愛知県流」だったのです。
(1)(ウ) 1992年8月に、浜松の展示場から江東区潮見の東京展示場に、新卒入社1年目でその時点で通算契約棟数ゼロ棟の小野田くん(当時、20代前半)が転勤してきた。小野田くんが「エスバイエルなんかは一条工務店と違って耐力壁の配置が無茶苦茶だから」と事務所で他の営業に言い、来客にも話していたので、私は親切心から「それは違うよ」と教えてあげたのだが、ところが、私がせっかく親切で教えてあげたのに、バカ大学卒業して新卒入社して半年も経っていない通算契約棟数ゼロ棟の男が「〇〇さん、そんなこと言うならエスバイエルに行けばいいでしょう。エスバイエルは耐力壁の配置が無茶苦茶なんですから、わかんないんですか」とえらそうな口をきくので、こんなアホには教えるものじゃないなと思ったが、 (株)一条工務店という会社としては、そのアホのおかげで、同業他社に対して科学的論理的に正しくない悪口雑言を言いまくる下品な会社という評価を見込客から受けることになることが考えられるのであり、困った男だなと思ったものでした。 [第305回]《木質パネル構法と在来木造の木の使用量、筋交いは削っていいか?―教える気がなくなる新人(1)-2》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201412article_4.html でも述べたが、建物の構法には、法律上、オープン構法と言って誰が建ててもいいことになっている構法と、クローズド構法と言って、建設省⇒国土交通省 に「システム認定」という認定を受けて、その認定を受けた者だけが建てることができるという構法があり、在来木造は古くから建てられてきた構法なのでオープン構法とされているが、枠組壁工法(ツーバイフォー工法)は日本で最初に建てられた頃はクローズド構法だったが、後にオープン構法になった。ミサワホームや小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)・・・(株)ヤマダエスバイエルホーム⇒(株)ヤマダホームズ の木質パネル構法というのはクローズド構法で、その認定を受けた者しか建てることはできない。在来木造は法律上の規制が緩いと言われているが、木質パネル構法はクローズド構法なので、「システム認定」を受ける時点で相当厳しい基準で耐力壁の配置について規定される。枠組壁工法(ツーバイフォー工法)の場合にはクローズド構法からオープン構法に変わる時点で、建設省告示として枠組壁工法(ツーバイフォー工法)はこのように建てないといけないという指針が出されたことにより、それに従って建てるなら、耐力壁の配置も在来木造よりずっと厳しい基準が適用されることになる。木構造の研究者の杉山英男も、『木造の詳細1 構造編』1981.第2版 彰国社 所収〕で、
《・・木質プレハブ構法は建設省認定を通じ、枠組壁構法は建設省告示を通じそれぞれ耐力壁配置が厳しく規定されているのに、在来構法の木造はこの点で野放しになっている。 ・・・》
(杉山英男「木構造の考え方」〔 『木造の詳細1 構造編』1981.第2版 彰国社 所収〕)
と述べている。
木造の詳細 1 構造編 - 彰国社
小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)など木質パネル構法の会社にとっては、この「木質パネル構法はクローズド構法なので、システム認定を受ける過程で耐力壁の配置について相当厳しい規定を設けられており、そういったものがない在来木造よりもはるかに厳しく的確な耐力壁の配置がされています」というのが「売り」のひとつ、特に、対在来木造での見込客へのアピールポイントであったわけです。それに対して、私や小野田くんが入社した頃の(株)一条工務店というのは、筋交いの向きについても、いいかげんに入れており、研修では浜松の営業所の古橋が「筋交いというのは片方からの力にしか役に立ちませんが、実際には片方の向きのものばっかり入れるということはなく、両方の向きのものをバランス良く入れますから、全体としては両方からの力に役立つことになります」と説明したが、この人、(株)一条工務店の工事現場を見たことないのだろうか?・・と思ったもので、その頃の(株)一条工務店の工事現場を見ると、決して、バランスよく配置はされていなかった。木質パネル構法の耐力壁についての長所としては、
[1]システム認定を受ける過程で耐力壁の配置について厳しい規定が設けられているということと、
[2]木質パネル構法で耐力壁として使用している合板には向きがない、右側からの力にも左側からの力にも対応できるという点があり、筋交いと違って、どちら向きに入れるかということを考えなくても問題がない、という点がある。但し、筋交いの方が面ではなく線なので力の伝わり方を考える際に考えやすいということはあるかもしれない。それから、
[3]在来木造の場合、換気扇の穴、水道管・ガス管とが筋交いとぶつかった場合、大工は平気で筋交いを削ったり切断したりするので、もしくは、(株)一条工務店は平気で筋交いを削らせたり切断させたりしていたので、その部分の筋交いは図面には入っていても、建築確認申請の際には耐力壁として入れられていても、建物が竣工した時には切断された筋交いというのは何の役にも立たないことになるのに対して、木質パネル構法で使用している合板の場合は、筋交いなら電気のコードなどは筋交いを避けて通すことができるが、木質パネル構法の合板は合板を避けて通すことができないので合板に穴を開けて通すことになるが、構造計算の上では「換気扇の穴程度のもの」までは開けても耐力壁としての力があると考えて良いことになっており、それでも、穴がある合板とない合板を比較すれば穴はない合板の方がいくらかなりとも強いであろうけれども、在来木造の筋交いは換気扇の穴とぶつかった場合、筋交いを切断すればその筋交いはまったく何の役にも立たないのに対して、「換気扇の穴程度のもの」までならば、合板は役に立たなくなるわけではないという点がある。
そして、その頃、(株)一条工務店は「間違いのない家づくり」というアルバム帳を展示場に置いていて、正しい施工と間違った施工という比較の写真を掲載して、間違った施工の例として、換気扇の穴と筋交いがぶつかった箇所で筋交いを切断した家の写真を掲載していたのだが、実は一条工務店の工事現場でその「間違った施工」をやっていたのだ。私はそれを自分自身の眼で見ているのだ。私はそれを営業本部長で松戸営業所長だった天野隆夫に報告して怒られたのだ。なんで、俺が怒られるんだ? 「間違った施工」をした人間が怒られなきゃならないのと違うのか? 会社のためを思って報告した人間がなんで怒られなければならないんだ? ・・と思ったのだが、名古屋南営業所の所長の近藤路夫さんがおっしゃるには「一条工務店の建築現場に行って、問題点があったならば、見なかったことにする。なかったことにする。それに対して、他社の工事現場に行ったら、悪い所ばっかり見る。そうすると、一条の建物はこのうえもなくすばらしいということになる」と・・・( 一一)( 一一)( 一一)・・そういう見方をすると、(株)一条工務店の建物はすばらしい建物だということになるそうだった・・が、そんな見方をしないと「すばらしい建物」にならないというのは、なんか、情けない建物だということになってしまう。その頃の(株)一条工務店の建物というのは、いい所がないわけではないが、問題点もあったのだ。又、普通、図面を作成する時は、平面図だけ考えて作成するのではなく、最低でも、「平面図と立面図」もしくは「平面図と展開図」を同時に書いていくか、書かないとしても頭の中で立面図・展開図を思い描きながら平面図を作成するもので、そうしておれば、平面図を作成する際にも、筋交いと換気扇の穴の位置関係というものが頭に思い浮かび、筋交いの穴とぶつかる所に筋交いを入れようという発想は出てこないはずだが、なにしろ、(株)一条工務店のヘボ設計というのは平面図だけ考えて図面を作成して、決まった平面図を立面図にするということをしているので、その結果、筋交いと換気扇の穴はぶつかることになり、工事現場では、換気扇の穴の枠をつける段階で平気で筋交いを切断することになる。そういうのが「間違いのない家づくり」かというと違うように思うのだが、(株)一条工務店はそういうことをやっていた。その頃の(株)一条工務店の建物は、「使っている木の量が多いでしょ」「太いでしょ」と言った、「太いのが好きっ♪」という人にはアピールできたけれども、必ずしも科学的論理的ではない建物で、耐力壁の配置という点においては、法的に木質系の3つの構法では在来木造が最も甘く、木質パネル構法が最も厳しいということとともに、在来木造の中で(株)一条工務店の建物はそれほどきっちりしていたかというと、いい点はないわけではないけれども、耐力壁の配置という点では必ずしも素晴らしいとは言えない状態だったのだ。その後、私が11年余在籍した在籍後半においては、入社した頃に比べると、筋交いの配置と向きについては、相当良くなったと思っている。在来木造の建物で、(株)一条工務店よりも、耐力壁の配置という点で、もっとなっていない業者はあったわけで、そういった所を相手にして、耐力壁の配置について、(株)一条工務店の方がきっちりしていますと言うのならいいけれども、耐力壁の配置という点において、クローズド構法としてシステム認定の過程において在来木造よりもはるかに厳しい基準が適用されている木質パネル構法に対して、そういった見当はずれな誹謗中傷を加えるならば、どうなるかというと・・・、おそらく、攻撃された相手としては、もしも、私が小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業だったならば、「一条工務店の営業は何をわけのわからんことを言っているんですか。木質パネル構法は、クローズド構法としてシステム認定を受ける過程で在来木造よりはるかに厳しい基準が規定されていて、耐力壁の配置についても、在来木造よりはるかに厳しい基準が適用されている構法ですよ。一条工務店の営業というのは何にもわかってないんですね。一条工務店の営業は、もうちょっと勉強した方がいいでしょうね。在来木造の場合は、耐力壁の配置について、木質パネル構法やツーバイフォー工法よりも法律上の規制が甘いというだけではなく、筋交いが換気扇の穴とぶつかった所で筋交いを切断して効果がなくなるとか、片方の向きの筋交いばっかり入れて片方からの力には強くても他方からの力に弱いとか、そういったことがあるんですよ。その一条工務店の営業は何にもわかってない人ですね。私が家を建てる立場なら、たとえ、一条工務店で建てるにしても、その営業さんには頼まないですね」とでもいってやりますね。私でなくても、よほど、マヌケな営業でなければ、小野田くんみたいなことを在来木造の営業が言ってきたならば、これほどありがたいことはない。その話をしたいしたいと思っているところだったが、あまりにもモロに在来木造を攻撃したのでは「他社を批判する下品な営業」とか見られても困る・・と思って言いにくいところですが、在来木造の営業の側から攻撃してくれたなら、遠慮なく反撃することができるのですから、これほどありがたいことはないのです。木質パネル構法の会社の営業にとっては、在来木造の会社の営業の方から耐力壁の配置の話をしてくれるのなら、特に、耐力壁の配置について見当はずれな攻撃をしかけてくれるなら、これほどありがたいことはなかったのです。まさに、「いただき」「ごちそうさん」てものだったのです。又、『あしたのジョー』で丹下段平のおっさんが、「カウンターのパンチは普通のパンチの倍の効果がある。それが、クロスカウンターになれば、それ以上」と語る場面があったが、ボクシングでも、相手がパンチを打ち込んできたところに打ち返すカウンターのパンチはそうでないパンチよりも効果はあるのと同じく、同業他社の営業が誹謗中傷を加えてきたところに、カウンターで反撃したものは、そうでないものより効果は大きいのです。『あしたのジョー』の矢吹丈は相手が左ストレートを打ってきた時にそれにクロスさせて打つクロスカウンターを得意技にしていたが、相手が左ストレートを打ってくれないと、右クロスカウンターは出せないわけで、「左ストレートを打ってこい」と矢吹丈が思って待っているところに、まさにその左ストレートを打ったのではアホです。小野田くんがやりたがっていた、「エスバイエルなんかは一条工務店とは違って耐力壁の配置が無茶苦茶ですから」という中傷は、それはエスバイエル(株)の営業にとっては大喜び♪、大歓迎♪ のもので、左ストレートを打ってくれば、それにクロスさせて右クロスカウンターを打ってやろうと待っているところに、まさにその左ストレートを打ちにいくようなものなのです。競合相手の営業としては、「よお~し、きたあ~あ♪」てなものです。 野村のじいさんが、選手として晩年の清原が「男ならストレートを投げてこんかい。き〇たまついとんかあ」とか言っていたことについて、清原は何か野球を勘違いしていないか、と書いていた。直球が正々堂々とした態度で変化球は卑怯者だという発想は理解できないし、そもそも、相手チームとしては得点圏にランナーがいるピンチで清原のような強打者にストレートなんて投げるわけないじゃないか・・と。清原が「ストレート投げてこんか~い」と言ってストレートを待っているところにストレートを投げるバカはないだろうが、と。野村のじいさんが選手だった時、オールスター戦で、田淵がバッターボックスに入った時、投手に「田淵はストレートを狙っているから、ストレートでさえあればどんな球でも手を出すから、ホームベース上でワンバウンドするストレートを投げてみろ」と言い、投手が、まさか、そんなクソボールを振らんだろうと思って、わざとホームベース上でワンバンドするストレートを投げたところ、そのクソボールを田淵は振って三振したそうで、まさに、してやったり・・・とじいさん、にんまり・・ということだったようだが、相手がストレートを待っているとわかったなら、変化球を投げるか、もしくは、ホームベース上でワンバウンドするようなストレートを投げてやるか、どっちかするもので、「男ならストレートで勝負せんか~い」とか思っている相手にストレートを投げることないわけで、それと同様・・というのか、耐力壁の配置の話をしたい、特に、在来木造よりも木質パネル構法は耐力壁の配置という点ですぐれているという話をしたいしたいと競合相手の営業が思っているまさにそこに、見当はずれの中傷でその耐力壁の配置の話をするという小野田流は、明らかに利敵行為です。 自分がそういう見当はずれなことを客に言うだけではなく他の営業にも言わそうとする小野田くんというのは、もしかして「エスバイエルのまわしもの」と違うのか???・・・という感じがした。・・在来木造よりも耐力壁の配置という点において法的に規制がずっと厳しい木質パネル構法に向かって、「耐力壁の配置が無茶苦茶ですから」と中傷を加えて、「どうぞ、カウンターパンチを打ち込んでください」と競合相手にお願いするような態度。アホと違うか・・と思うのだが、私が、それを教えてあげようと思って言うと、「そんなこと言うなら、〇〇さん、エスバイエルに行けばいいでしょうよ。エスバイエルは耐力壁の配置が無茶苦茶なんですから」と言ってきかない。ひとがせっかく教えてあげているのに、新卒入社で20代前半の若さなのに素直さがない男だなあと思った。テレビで、王貞治についての番組で、高校時代の監督は「大変素直な子でした」と言い、プロに入ってからのコーチは「大変、頑固でした」と言い、なんか、逆のこと言っとるなと思ったことがあったが、高校くらいまでは指導者の言うことを素直に聞いていたが、プロに入って自分自身の考えというものを持ってからは、コーチから何か言われても自分の考えと違うと簡単には受け入れないようになった、ということなのかな? と思ったのですが、そうかどうかはわからないが、新卒入社1年目で通算契約棟数ゼロ棟でありながら頑固な男というのは、この男はなぜ頑固なのかと思ったが、「平松所長の直弟子」だという意識があったようでしたが、浜松の所長だった平松さんはその時点で通算契約棟数2位の人だったが、しかし、通算契約棟数2位の人間の隣の席に何か月か座っていたとしても、通算契約棟数2位の人間とその隣に座っていた人間とは違うのだ・・という事実を彼は認識できないようだった。私はこの通算契約棟数ゼロ棟の男が「営業のやり方を教えてやる」と叫ぶのをいったい何回聞いたことか。平松さんは、営業所長であったのなら、個々の問題についてよりも、「通算契約棟数ゼロ棟の入社して1年未満の男が『営業のやり方を教えてやる』などと叫ぶのはやめなさい」と、まず、それを教えてあげるべきだったのではないかと思うのだが、それを教えられないということでは、営業所長として、その点は評価できない。小野田くんは、素直さがない人間だったが、それとともに、「浜松流」を浜松で教えられてきて、「『浜松流』の物真似を学んだものは、それを実行すれば売れる権利がある」みたいに思っている男だったが、そんな「権利」なんかない。そんな「権利」なんかないはずだが、それを理解できない人だった。その「エスバイエルは耐力壁の配置が無茶苦茶ですから」という見当はずれな誹謗中傷は、もしかして、浜松の営業所で小野田くんよりも古手の営業から教えられたことだったのかもしれない。浜松では、そんないいかげんな営業をしていても、それなりに売れたのだろう。しかし、浜松よりも市場が厳しく、「家は在来木造で建てるもの」「構造材はムク材で国産材で建てるのが好ましい」という意識が浜松などと違って強くない東京圏においては、小野田くんがマスターしたと思っている「『浜松流』はここには合わない」という結果になることが考えられる。あんなアホに何で親切に教えてやったのかと、つくづく お人好し だったと自分にあきれる。いずれにしても、何で、嘘を言わなきゃならんのかなあ! 耐力壁の配置という問題については、在来木造で(株)一条工務店よりももっといいかげんな業者はあったのだから、その話はそういう相手に対して言うべきものだと思うのだが、自分の所よりもその点についてはきっちりしている所に向かっては、むしろ、あまり話題にしない方がいいはずなのに、何でわざわざ嘘を言わなきゃならんのか・・と思うのだが、それが「浜松流」だった。
野村の遺言 - 克也, 野村
(2)(ア) 1993年、営業本部長兼東京営業所長兼松戸営業所長の天野隆夫が、松戸展示場の事務所で、「渋谷っていったら、小岩の東の方だら。新宿というと平井の北の方だらあ。そうだら。ぼく、東京はよく知ってるんだから」と何度もおっしゃるので、「違いまんがな、違いまんがな」と教えてあげようかとも思ったが、教えると怒るだろうなあ・・・と思い、怒られてまで教えることないわなあ、と思い、「誰か、教えてやれよお~お」・・・と思うと、誰もが同じことを思ったのか誰も教えないので、その後も何度も何度も繰り返し繰り返し「渋谷ていったら小岩の東の方だらあ。新宿というと平井の北の方だらあ。そうだら、ぼく、東京はよく知ってるんだから」とその後も何度も何度も言いまくっていた。今も言っているかどうかはわからないが、「こういう人が(株)一条工務店では営業本部長で東京営業所長やってるんだ」と思ったものだった。そういうのが「浜松流」である。
(2)(イ) 1992年、静岡県の営業所長だった石橋さんだったと思うが、東京都江東区潮見の東京展示場に電話をかけてきて、東京都江東区木場の(株)一条工務店の東京事務所(後に商業登記簿の上でだけ「本社」)への行き方を教えてほしいと言うので、「新幹線で東京駅で降りていただきましたら、八重洲口の方、新幹線の進行方向に向かって右側に出てもらいまして、左に進んでいただくと、東京メトロ東西線の大手町の駅がありますから、そこで東向き、西船橋行に乗っていただくと、『門前仲町』の次に『木場』という駅がありますから、『木場』で降りていただくと、出てすぐの北側に1階に三和銀行のATMがある細長いビルがありますから、その〇階と◇階です」と説明したところ、「その大手町駅というのには、東京駅からどう行けばいいらあ」とおっしゃるので、「東京駅の八重洲口、新幹線の進行方向に向かって右側に出ていただいて左に進むとすぐです」と言ったところ、「じゃあ、タクシーに乗ればいいら」とおっしゃるので、「タクシーに乗るほどの距離はありませんから、東京駅を出ていただけば大手町駅までは歩いていただけばいいと思います」と言うと、「なんでら。タクシーに乗るのが一番いいら。なんで、タクシーに乗ったらいかんら」と不満そうにおっしゃるので、こちらとしては親切で教えてあげているのであって、そんなにタクシーに乗りたいのなら、もう、「乗りたきゃのれば♪」て感じだった・・・が、そういう思考・そういう世界観が「浜松流」なのだ。
その頃、(株)一条工務店は「図面は契約してから書く」ということにしていて、それを「木造のやり方」と言っていたのですが、都市圏においては木造の会社も契約前に図面を作成して、こういう内容で契約というようにしていましたし、そもそも、内容を決めずに契約するという(株)一条工務店のやり方というのは、それは建設業法違反ですからね。建設業法違反だけれども、「地方」にいくと、「木造のやり方」ではなく「大工のやり方」として個人大工もしくは個人大工と変わらないような工務店がそういうやり方をやっていたのではないか。だから、個人大工と競合になるような「地方」においてはそういうやり方でも違和感はそれほどなかったのですが、都市圏においてハウスメーカーとの競合においては、「どういうものを建てるかも決めずに、何を契約するんですか?」と言われるのでした。そんなもの、契約じゃないんですよ。それ、建設業法違反ですからね。
営業のやり方ではなく、建物の内容についても、東京圏においても、ムク材で建てたいと言う人はあるし、国産材で建てたいという人はあるし、柱は4寸角にしたいという人はあるのですが、それは、どちらかと言えば、ある程度、高級住宅を志向している人で、少なくとも、「地方」におけるよりは、ムク材志向はないし、ともかく、間違いのないものを建てることができるのなら、ムク材でも集成材でも、国産材でも集成材でも、木質系でも鉄骨系でもいいよ・・という人の方が多いのです。そういう場所においては、営業のやり方も「浜松流」とは異なるやり方でやらないといけないし、そして、建てる内容だって静岡県中西部・愛知県とは異なるものになるはずなのです。私は、東京展示場で「4寸角の柱なんて使ったら、家が狭くなりますなあ」と何度言われたか。亀戸の展示場で「八寸角の大黒柱」を見て「はあ~あ、田舎の家ではこういうものが入るんですね」と言われたし、潮見の展示場で「二間続きの和室」を見て「ほお~お、浜松の家というのはこんな具合にできているんですかあ」と言われたし・・というより、二間続きの和室を見て「うわっ、田舎の家みたい!」と言われたし。たとえば、パナホームは東京圏の展示場には「二間続きの和室」なんてないが、1993年、私が福島県いわき市の展示場に赴任すると、目の前にあったパナホームのいわき市の展示場には、きっちりと「二間続きの和室」があったのです。パナホームは東京圏・関西圏の展示場には「二間続きの和室」なんて作らないが、いわき市の展示場には「二間続きの和室」をきっちりと作っていたのです。それに対して、(株)一条工務店は東京展示場にも「浜松の家」を作っていたのです。そして、来場客から「ほお~お。『浜松の家』というのは、こんな具合にできておるわけですかあ」と、登呂遺跡https://www.shizuoka-toromuseum.jp/ でも見に来た人みたいに言われていたのです。浜松で「浜松の家」を建てるのはいいけれども、東京では構造は「浜松の家」と一緒でも間取などは「東京の家」を建てるべきでしょう・・と言うと「遠州人」は怒るのです。近藤路夫はこう言ったのです。「浜松でいいものは、東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。『二間続きの和室』は東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。『二間続きの和室』は東京でも大阪でも絶対に必要なんだ。『二間続きの和室』は敷地面積20坪の家でも延べ床面積30坪の家でも絶対に必要なんだ。八寸角の大黒柱は東京でも大阪でも絶対にいいんだ。八寸角の大黒柱は敷地面積20坪の家でも絶対にいいんだ。こんな常識もわからんおかあ~あ!」とお叫びになったのです。この話を東京圏在住の友人・知人何人かに話してみましたが、「その人、酔っ払いか何かなのお?」「その人、頭おかしいのと違うのお?」と全員から言われました。東京圏の住人から「その人、酔っ払いか何かなのお?」「その人、頭、おかしいのと違うのお?」と言われるのが、それが「浜松流」なのです。浜松で「浜松の家」を建てるのはいいけれども、東京では「東京の家」を建てるべきです・・・が、そう言うと「浜松流」は激怒するのです。「東京でも浜松の家がいいに決まってるんだあ。こんな常識もおまえはわからんおかあ~あ!!!」と。「ほとんどビョーキ」というのか、もはや、「浜松流」は精神病理学の対象ではないかという感じがします。かかわるとうるさいから、かかわらん方が良さそう・・というのが「浜松流」なのです。彼ら「アタマが浜松」の人間というのは「ほとのどビョーキ」なのですから。「『空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ』というのなら、それは正しいが、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うなら、それは間違っている」と言うと怒りよるのですよ、「浜松流」は。なにしろ、あいつらは「宇宙の天体はすべて、浜松を中心として回転している」と心の底から信じとるのであって、「そうじゃないと思いますよ。太陽を中心として地球や火星・金星・木星といった惑星がまわっているのであって、浜松はその地球の一部分にあるのですよ」などと言うと怒るのです。「遠州人」というのは、今でも天動説、「浜松を中心として太陽・月・星といった天体が回転している」という説を心の底から信じとるんですよ、彼らは。逆らったら怖いですよ、逆らったら。
それで・・・、「静岡県中西部および愛知県」においては、営業のやり方も建物の仕様も「浜松流」が通じたのですが、東京圏・関西圏においては、「地方」と都市圏の違いというものがあり、その違いを踏まえた営業のやり方をやり、建築する際にもそれを認識してやらないといけません・・・が、それを言うと「浜松流」「一条オリジナル」は激怒しますから、彼らには言わないように、「黙ってよなあ」ということでやるしかなかったのですが、多くの「大手ハウスメーカー」というのは、東京発祥か大阪発祥かで、東京圏か関西圏にいると「大手」のように思えるかもしれないけれども、実は「都市圏中心会社」なのに対して、(株)一条工務店は「地方」中心の会社で、「地方」でも地縁血縁が強く、家を建てるなら知り合いの「大工さま」に頼むしかない・・という地域では苦しくても、県庁所在地とか「地方」でもある程度以上の市で地縁血縁がそれほどないという地域に強い会社でしたから、たとえば、私が赴任した福島県いわき市および福島県浜通り地区・茨城県北部などでは、「静岡県中西部および愛知県」と共通するものはけっこうあったのです。しかし、都市圏と「地方」という違いという点では、どちらも「地方」だからということで共通するものがある地域には、(株)一条工務店はけっこう受け入れられたようですが、「地方」という点では共通しても、「地方」でもそれぞれの地域によって異なるものというものもあるのです。「地方」なら何でも一緒ということではないのです。都市圏でも、東京圏と関西圏では同じではありません。たとえば、最近では三井ホームは関西でも建てていますが、何年か前、大阪の住宅地で三井ホームが建てた家を見て、どうも、合わないような印象を受けたのですが、やはり、三井ホームは「都市圏向け」でも基本的には「東京向け」で作られた商品ではないかと思います。大阪で三井ホームの建物を見ると、どうも、「なんや、東京もんの建てたすかした家」みたいな印象があります。私はそこの家を見てそう感じたのです。(株)一条工務店の建物というのは「地方」型ですから、「地方」では受け入れられやすいのですが、「地方」でも何から何まで「浜松流」と一緒というわけではなく、その「地方」によって違うものというのがあるのです・・が、「浜松流」「一条オリジナル」はそれを絶対に理解しようとしない。「浜松でいいものは日本全国どこでもいいに決まってるんだ」と言って「病的」に譲らない。それを、今回、述べます。・・・もう、実際のところ、「浜松流」というのは「ほとんどビョーキ」ですよ、ほんと。往生しまっせ、ほんまあ・・・。
福沢諭吉が、「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある」と語ったというのです。 「『田舎の生まれ』とか『田舎の住人』とか『田舎の出身』とかいう意味での『いなかもの』というのは別に悪くはない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのは、これは良くない」と言うのです。私もそう思います。 「いなかのやり方」をその地方でやるのは悪くないのですが、都市部でも「いなかのやり方」をやらそうとする、「地方」でもそれぞれの地域によって違うのに「浜松流」を非浜松地域に押しつけないとおれないという根性というのは、それは「精神面がイナカモノ」の態度であり、そういう態度は良くないと思うのですが、(株)一条工務店という会社においては、そう言うと、「遠州人」が激怒するのです。難儀でっせえからえ、ほんまあ~あ・・・・。
一度、「あなたが営業をやるにおいて、気をつけているものを述べてください」という本社からのアンケートが来たので、そこに「浜松流はここには合わない」と書いて送り返してやろうか・・・と、ふと思ったということがありましたが、本当に書いてやれば良かったかな・・・。「浜松流はここには合わない」と。
それで、神棚ですが・・・、
人さまのお宅の仏壇と神棚なので、見せていただけたとしても、写真に撮っていいのか、又、ブログで公開していいのか迷いましたが、神棚について説明させていただくために必要なので、掲載させていただきたいと思います。 重要文化財にも指定されている「古典的な民家」という意味での「古民家」での造りですから、最高かどうかはともかく、おかしな造りのものではないと考えていいと思います。そうは言っても、人さまのお宅の仏壇と神棚ですから、細部を撮影するのではなくその部屋の一番離れた位置から全体を撮影するように撮りました。大鐘家の御先祖さま、どうぞ、よろしくお願いいたします。
このお宅では、長屋門から入ってきた位置から見て、一番左(南南西)の部屋に床の間があり、その右の部屋(土間から入って2番目の部屋)に仏壇と神棚が配置されています。
仏壇というのは、その部屋の左寄りに配置するものか、右寄りに配置するものか、中央に配置するものか・・・、家相の本を読んでも、「仏壇のあり方」のような題名の本を読んでも、それは出ていない。住宅建築業の会社に勤めてきた人でも、「敷居と鴨居の違いもわからないで売っている」みたいな人(器用なことするなあ・・と思います)(さすがに敷居と鴨居の違いくらいはわかるかもしれませんが)もいますが、私は住宅建築業の会社に勤めたなら、特に営業は住宅についてのコンサルタントでカウンセラーとして報酬をもらうものですから、ある程度以上のことは知っていないといけないと思い、たとえば、ひろ さちや『お墓・仏壇のまつり方』(1986.6.25.ごまブックス)とか 芦辺鎌禅『仏壇供養のわかる本』(1988.5.15.廣済堂ブックス)他、読んで学習しましたが、仏壇を部屋の左寄りに配置するのはいいが右寄りに配置してはいけないといったことは書かれていません。しかし、何軒かの「古民家」を見せてもらってきますと、左寄りに配置されているお宅と中央にある家とがあったように思いますが右寄りに配置されたお宅はこれまで見たことがありません。
中央にある場合というのは、その部屋はほぼ仏間専用の部屋となっているようです。右寄りに配置してはいけないと書かれたものは見たことがなく、又、家相の本を読むと、仏壇とか神棚というのは、こういう方位にこういう祀り方をするのがよりいいということはあっても、その家の事情により、最適な方位に配置できないのなら設けない方がいいのかというとそうではなく、どのような設け方であっても、設けたことで凶相になるというものではないと書かれているのですが、実際のところ、仏壇はその部屋の中央でない場合には左寄りにある家が多いように思います。私は小学校の4年の時に転居したのですが、小学生の前半まで住んだ家では、仏壇は茶の間に配置されていて、神棚は台所にありましたが、仏壇は茶の間の西側で左寄り、神棚は台所の北側の壁にありました。
大鐘家住宅では、仏壇が左側で、その右側が神棚になっています。又、神棚の高さは、長押の上ではなく、長押のすぐ下に中に入るように設けられていて、その手前下に、祭壇なのかのように棚があります。
神棚の設け方としては、どういう設け方が正しいとか間違っているとか言えるものではなく、それぞれの地域によって違うし、その家の信仰のあり方によっても違うのですが、1990年、私が(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所に勤務した時に見せていただいた昔からの家の神棚や、建てていただいた方のお宅に施工した神棚というのは、たいてい、長押より上、天袋の位置に設けて、天袋の部分、奥行き2尺ほどとその手前に桧のムク板を1尺ほど出すか、もしくは、天袋の部分奥行3尺を神棚にするか、壁の前に桧のムク板を2尺もしくは3尺だすか。 その場所は、仏壇の真上から右上にかけてか、真上ではなく右上の部分に設けるかで、幅は1間半くらい、狭い場合で幅1間・・・というのが、庄屋さんとか「大庄屋」の家でということでではなく、普通の家でそういう神棚を設けていたのです。 実際、地域整備公団の分譲地を買って建てるといったような場合など、敷地面積も延べ床面積もそう広いわけではないという家で、そこまで大きい神棚を設けることができないという場合もあり、それより幅の狭い神棚を設けたお宅もありましたが、一般に、福島県および茨城県北部の神棚というのは「でっかい」のです。
福島県浜通り地区および茨城県北部においては、神棚の高さは長押より上に設けることが一般的だったのですが、それより低い位置ならいかんのかというと、家相を見る人の意見では、長押より上でないといけないということはないらしい。 1980年代後半、小堀住研(株)に在籍した時、千葉県で建てていただいた方が、東京都内のある「家相と気学の専門家」の方の所に一緒に行ってもらいたいと言われて行ったことがありましたが、その際、神棚というのは、人間が立った時の眼の高さより少し高いくらいの場所に設けるのが良い、という話で、上の方に神棚が設けられているのは、それは「邪魔だから上に上げているんだ」と言われたのです。そういう考え方もあるかもしれません。しかし、福島県浜通りおよび茨城県北部で神棚を長押より上の位置に設けているお宅というのは「邪魔だから上に上げている」のかというと、そういうつもりはないと思います。何より、幅1間半もあると、上の方に上げても存在感がありますから、決して邪魔者にしているわけではないでしょう。しかし、普通の人間が立った時の眼の高さより少し高いくらいの高さがいい、という考え方もまたあるようです。
「邪魔だから上の方に上げる」というのは、それは、銅像とかの場合であるのではないか・・と思います。東京都港区三田の慶応大学の構内に、かつて、「普通の人間と同じ大きさで」「普通の人間と同じ高さで」「誰もがすぐそばまで行くことができる位置に」設けられた福沢諭吉の胸像がありました。 それは「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずと言えり」と『学問のすすめ』で述べた福沢諭吉の像であるから、だから、「普通の人間と同じ大きさで」「普通の人間と同じ高さで」「誰もがすぐそばまで行くことができる位置に」設けられているという話だったはずでした・・・が、10年ほど前、三田の慶應義塾に行ってみますと、大きさは「普通の人間と同じ大きさ」でしたが、「一般の学生などが歩く通路よりも高い場所で」、「普通の人間が歩く通路との間に生垣が設けられてすぐそばに行くことができない場所に」移動されていました。 「創立者の像」というものはそうあるべきだという思想の人が移動させたのでしょう。昔から慶應という学校は福沢諭吉の著作や伝記を1冊も読まずに「福沢精神」「福沢精神」と叫ぶ人が多い学校でしたが、「一般の学生などが歩く通路よりも高い場所で」、「普通の人間が歩く通路との間に生垣が設けられてすぐそばに行くことができない場所に」移動させた人にとってはそれが「福沢精神」で「独立自尊」なのでしょう。
現代語訳 学問のすすめ (岩波現代文庫) - 伊藤 正雄
・・・それで、京都大学という大学は、昔から「アカデミックな伝統」「反骨の学風」と言われ、それに魅力を感じる人もあれば、うちの父親なんぞは「京大はアカやから行ってはいか~ん!」などと私が高校3年になった時に言い出しましたが、そう思う人もある大学で、慶應大学などは「ふにゃふにゃした大学」というのか、「サラリーマン養成所」などと言われ、もしくは「財界の御用大学」と言われる大学で、あんまり「反骨の学風」とは言われない大学ですが、他方で京都大学というのは「教員養成所」などという悪口があって、「学校の先生みたいな人間ばっかり養成している大学」という評価もあり、言われてみると、たとえば、マック=赤坂さんなんかにしても、バカやってるみたいに見えても、「なんか、学校の先生みたい」な雰囲気、「学校の先生が授業中にギャグやってるみたいな雰囲気」がありますでしょ(^^♪ 漫画家の楳図かずお は「怖い本」というのを書いてきた漫画家だったはずが、ある時、突然、はじけてしまって『まことちゃん』に変わってしまったのだが、マック=赤坂さんてのは、どこではじけてしまったのか?(^^)/?(^^)/? そんなもので、京大は、「アカデミック」は悪いことないのだけれども、あんまり実務的ではないのかもしれない・・・というイメージのある大学ですが、行ってみますと、正門から入って正面、今は時計台記念館といって一般に公開されている建物の前に、人間の身長よりはるかに高い台座の上に乗った胸像が何体も並んでいるのですが、これ、誰やのん? ・・と思って見ようと思っても、相当高いので首が苦しくてなかなかよく見えない。 要するに、歴代の総長の像らしいのですが・・・、それ見た時に思いました。「邪魔だから上の方に上げている」というのは、こういうものを言うんだな・・・と。よく、「祀り上げの大技」なんて言いますでしょ。邪魔だけれども、持ち上げておかないとうるさいという人を名誉職か何かにつけて尊重しているふりしながら口出しさせないようにするというのを「祀り上げの大技」なんて言いますでしょ。「邪魔だから上の方に上げる」というのは、それなのでしょうね。実際、京大の歴代総長の胸像てのは、あそこまで高い位置だと、見ようと思っても見上げるのに首が苦しくて見れないですよ。ああいうのはどうかと思いますね・・・。
元外務省の佐藤優氏がモデルの『憂国のラスプーチン』という漫画で、登場人物の西郷さんが
「組織において、最も害がある人間というのは、どういう人間か。
(1)有能でやる気がある人、
(2)有能だがやる気がない人、
(3)無能だがやる気がある人、
(4)無能でやる気がない人。
このうちのどれか?」
と言い、憂木護という佐藤優がモデルの男が「無能でやる気がない人でしょうか」と言うと、「ブー。無能な人はやる気がない方がいいの。無能でやる気がある人が一番困るの」と言う場面がありましたが、最初は無能でもやる気がある人は少しずつ能力を身に着けていくという場合もあると思いますが、たしかに、何もしないでおいてもらった方がよっぽどいい・・という人もいますね。
国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―(新潮文庫) - 佐藤 優
1990年前後、小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)・・→(株)ヤマダエスバイエルホーム→(株)ヤマダホームズ〕は、取締役の半分・監査役の半分が銀行出身だっただけでなく、もっと下にも銀行出身の人間というのが来ていて、そういう人というのは何になるかというと、「技術系の能力はなく営業としては使い物にならない」人ですから、「総務の無能のおっさん」とかになるわけですが、そういう銀行から送り込まれてきた人・・というのか、銀行が小堀住研(株)をゴミ箱かわりにして投げ込んだ人というのは、「座敷牢に入れてやりたい」ような人で、何もしてくれない方がいい人がいたように思います。銀行から小堀住研(株)がゴミ箱がわりにされて投げ込まれたそういう人間が相当多かった・・・という時点で、すでに小堀住研(株)は会社の状態が危ない状態だったのではないかと、今、思います。そういう銀行から小堀住研(株)をゴミ箱がわりにして投げ込まれた人というのは、「銀行から来ている」ということで無能のくせしてえらそうにしているわけですが、そういう人の場合、「西郷さん」が言うように「無能だがやる気がある人」ではなく「無能でやる気がない人」になってもらった方が一般従業員は助かったのです。「祀り上げ」ということで、「役員室」か何かに入れて出てこないように、実質、「座敷牢」に入れたようにしておいた方が会社のためだったでしょう。職安の関連の「早期就職支援センター」の職員にも企業が要らないとゴミ箱がわりにして投げ込んだ人がいるように思います。それにしても、銀行というのは、自分の所が融資したのか出資したのかの会社をゴミ箱かわりにして要らない人間を投げ込んでつぶす・・というのは、銀行にとってメリットがあるのか? ・・なんか、ようわからんことをします。そういうケースで、「祀り上げ」という言葉が出てくることがありますね。「上の方にあげてしまって、出てこないようにする」という手法ですが、それが、出てこない方がいいのに出てきたり・・。会社で役員室て、たいてい上の方の階にありますが、あれも「祀り上げの大技」というやつで、「邪魔だから上の方にあげている」というものなのか??? ・・・実際、下の方の階の方が出入りしやすいので、出入りの多い営業系の職種の場合、上の方の階より下の方の階の方がいいから、だから、別に出入りしやすい場所でなくてもいい役員室を上の方の階にしているんだ、という場合もあり、そう言われた社長さんもいましたが・・・。 しかし、役員室が上の方の階にあるというのは・・「祀り上げ」で「邪魔だから上の方に上げている」というケースも・・なんかありそうな・・・。
大鐘家住宅の場合は、もしかすると、部屋中で刀や槍を使えないようにあえて天井を低めにして作られたということで、付鴨居から天井までがそれほどないからということもあるのかもしれませんが、神棚は「普通の人間が立った場合の眼の高さより低くない」というくらいかな・・という高さに配置されています。
もうひとつ、福島県浜通りおよび茨城県北部においては、その地域・その家によって、「ほとけさま」が出世というのか上位に昇進して「神さま」になるという考え方がある地域・家があるらしく、だから、「神さま」の方が「仏さま」より高い位置にあるという考え方の地域・家があるらしいのです。大鐘家住宅では、「ほとけさま」と「神さま」は高さとしては同じ高さですから、福島県浜通り地区とは違って、「ほとけさま」と「神さま」は同格なのかもしれません。
静岡県の遠江地域では、掛川市原里の加茂家住宅も見学させてもらったのですが、加茂家住宅では、床の間が2か所あり、仏壇は設置されていたのですが、「神さん」については「竈(かまど)の神」が土間に祀られていたのは見ましたが、そうでない「神棚」は見ることができませんでした。
大鐘家住宅においても、「竈(かまど)の神」は土間に祀られています。↓
↑ 「竈(かまど)三柱大神」 と書かれています。
土間の竈の上に「竈の神さん」が祀られていて、そして、主屋の背後に土蔵が2つ並んでいますが、右側の土蔵の右手から裏山というのか丘というのかに登ることができますが、その途中に、お稲荷さんが祀られています。大鐘家の「氏神さん」でもあるのでしょうか。今は、見学者で参拝していく人もあるようです。
「稲荷」という神は、
1.稲霊(いなたま)、穀霊。
2.ウカノミタマノカミ〔『古事記』『日本書紀』〕
3.ダキニ天 〔仏教〕
4.秦 氏の氏神。
・・・が習合した神さんだったはずですが、それぞれの家の「氏神さん」が「お稲荷さん」でもある場合がけっこうあるようです。
道塚元嘉(みちづか もとよし)『民家のこころ』(1999.1.25.鹿島出版会)では、
《 ・・気がいそぐそんな季節。わが家の庭すみに、屋敷神として祀られてあるお稲荷さんに、母はよく油揚げや榊(さかき)を供えていた。それは私が子供のころから、ずっとつづけられてきている。わが家の大切な行事。
・・・
この稲荷といえば、京都の伏見稲荷大社を思いうかべるほど、その影響力は大きく、「神社明細帳」にのっている文霊社だけでも三万余にのぼるといわれる。屋敷神としては、全国的にみてもお稲荷さんが優勢であるにちがいない。
この伏見大社の影響が比較的濃いと思われるのが、二月の初午を祭日とする屋敷稲荷である。赤飯、油揚げを供えて祀る習わしとして、古くから伝承されてきている。
山の神と田の神が交替するといわれる十月にも、わが家のお稲荷さんは、お供えものもうけてあつい信仰をうけてきた。
庶民の守り神である屋敷神だから、質素で小さな祠(ほこら)である。切妻屋根に重いカワラがのせられ、奥まで明かりがとどかない。板壁でかこまれた正面の両開き板戸。格子がとりつけられてあるが、それでもせまい内部はまだ薄暗い。
・・・
お稲荷さんの清楚なおすまいは、虚空に生きつづけてくれた。草木が消えるころ、わが家のお稲荷さんの周辺にも、新しい自然がしのばれ心がゆれる。》
と書かれており、千葉県の東金町の生まれという道塚氏の家の「屋敷神」は「お稲荷さん」であったことが書かれている。
民家のこころ - 道塚 元嘉
その地域による違いもあるかもしれないが、「氏神さん」が「お稲荷さん」である家があるようだが、「氏神さん」は「氏神さん」で「お稲荷さん」は「お稲荷さん」だという家もあるように思う。
なぜ、「お稲荷さん」が家の敷地の一角にあるかというと、稲荷社というのは「稲の霊」「穀霊」だから、農家で祀られることが多いということと、もとは「稲の霊」「穀霊」だったが、そのうち、「商売繁盛の神さん」にもなったことから、商家でも祀られるようになった・・ということか・・? 農業の神で商売の神で、「えらい人を守る神」ではなく庶民的な「神さん」で、それほど特化した神ではないので「氏神さん」と一体になりやすかった・・ということか?・・
↑ 雁屋 哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ』「お稲荷さんの気持ち」(『美味しんぼ [日本人にはやっぱりこれ! 究極のご飯編]』2008.10.22.小学館 My First BIG )にも、「料亭 やすな」で先祖が建てたお稲荷さんが庭にある話が出ています。
美味しんぼ 日本人にはやっぱりこれ!究極の (My First Big) - 雁屋 哲, 花咲 アキラ
1989年に小堀住研(株)で建てていただいた方と一緒に行った「家相と気学の専門家」の方が、神棚は普通の人間が立った時の眼の高さより少し高いくらいの位置が良くて、長押より上に神棚を上げているのは「邪魔だから上の方に上げているのです」と言われ、そういう考え方があるのか・・と思ったのですが、しかし、現実に神棚は上の方にある家が多かった。 これまで、「普通の人間が立った眼の高さより少し上くらい」の高さにある神棚というのは見たことがなかったのだが・・・、それがこの大鐘家住宅にあった。
神棚というものは、どういうように作るべきなのか・・・といっても、それぞれの地域による違いがあり、又、その家によっても違いがあるようですから、いちがいにこうあるべきだとは言えないでしょうけれども、その地域のやり方というものは尊重した方がいいと思います。
静岡県西部・遠江地方の神棚が、どこでも大鐘家住宅のような神棚なのかどうかはわかりません。 加茂家住宅では「竈の神様」は見せていただいたのですが、そうではない方の「神さん」は見ることができませんでした。 できれば、他の所も見学させていただきたいと思います。
しかし、「(株)一条工務店の遠江地方出身の人」と話をしても、都会か「地方」かといえば、浜松は明らかに「地方」であり、名古屋南営業所の所長だった近藤路夫さんは「浜松でいいものは東京でも大阪でも日本全国どこでもいいに決まってるんだ。20坪の土地でも30坪の家でも二間続きの和室は絶対に必要なんだ。八寸角の大黒柱は東京でも大阪でもいいに決まってるんだ」とおっしゃるわけで、それを東京圏の友人・知人何人かに話したところ、全員から、「その人、酔っ払いか何かなのお?」「その人、頭、おかしいのと違うのお?」と言われたのだが、まず、都市圏か「地方」かという問題があり、福島県浜通り地区や茨城県北部、あるいは福島県中通り地区や福島県会津地方においては、都市圏か「地方」かという問題においては、「地方」であり、浜松の人間と いわきの人間の違いは、浜松の人間というのは、《「浜松は政令都市に指定された大都市である。新幹線『ひかり』号も停車する街で、ホンダ・ヤマハ・カワイ、それに何ちゃらエレクトロニクスがある大都会である」とか言いたがる人シンドローム》の「患者」が大変多い市であるのに対して、いわき市および浜通りはそうではなく、都会ぶろうとはしない街で、「いわき市って、福島県では一番人口が多い市で、東北地方でも仙台に次いで人口が多い中核市に指定されている大都市なんですよね」なんて言うと、「どこが大都市だ、どこが? おめえ、いわき が大都市だなんて思ってんのか? 大都市のわけあるめえ。いわき は田舎だろうが、い、な、か。どう考えたって、い、な、か♪ いっぱい合併したから人口で見ると福島県で一番多くて東北地方でも仙台の次に多いかもしれないけれども、どこが大都市なんだ、大都市のわけあるめえ」と、いわき市の地元生まれの人間が誰もが大喜びして言う街であり、都会ぶろうとしない土地柄だった、という点が、浜松市と いわき市の大きな違いと言っていいと思う〔いなかなのに都会ぶろうとする街と都会ぶろうなどとはしない所とでは、前者の方が「精神面がイナカモノ」だと思うのが、そう言うと「遠州人」は怒るので、怒ったって実際そうだろうが・・と思うのだが、うるさいから逆らわない方がよさそうだ・・〕・・・が、いわき人は「いなか」と言っても「そりぁあ、いなか だっぺえ。都会のわけねえべえ」と言い、「いなか」と言っても怒るなどということはないのに対して、遠州人は「いなか」と言うと怒るので(私は「いなか」は嫌いではないし、福沢諭吉が「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなか出身』という意味での『いなかもの』というのは別に悪いことはない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのはこれは良くない」と語ったというように、『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなか出身』という意味での『いなかもの』というのは別に悪いことはないと私も思っているのだが)「地方」と言うとして、東京や大阪と浜松など遠州地方とでは、都市圏か「地方」かという違いがあり、「地方」である浜松など遠州地方では通じても都市圏では通じないものがあるのに対し、福島県浜通り地区や茨城県北部などにおいては、都市圏か「地方」かという点においては、遠州地方と共通して「地方」であるので、遠州地方において通じるものが福島県浜通り地区および茨城県北部においても通じるものが多いのだけれども、神棚の造りなどにおいては、「地方」であってもその地域によって造り方は相当違うようなのだ。しかし、それでも、「遠州人」〔(株)一条工務店の遠州人〕は《「浜松流」を他地域に押しつけたがる症候群》をやはり発揮する。「浜松流はここには合わない」と言うと怒りよるのだ。その傲慢な態度、「遠州人根性」〔「(株)一条工務店の遠州人」根性だが〕は、毎度のことながら、あきれる。
1998年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の営業本部長の天野隆夫から頼まれて「会社都合での居住地変更をともなう転勤」をして福島県いわき市の営業所(展示場)から栃木県佐野市の営業所(展示場)に移ったが、契約後、まだ着工に至っていない契約客について、会社の規定では200㎞以内の場合は、転勤後も担当しておこなう、200㎞を超える場合は元いた営業所の営業に引き継ぎ担当を依頼するということになったいた。 いわき市から佐野市までは、それなりに距離はあり、片道150㎞は超えるが200㎞以内である。実際には、200㎞というのは目安であって、200㎞を超えるか超えないかくらいの距離の場合、担当者が転勤後も自分でやった方がいいか、引継ぎを頼んだ方がいいか考えてどちらか選んでいたというのが実状だった。 私は、会社の規定通りにやるつもりでいたが、営業本部長の天野隆夫が、いわき での契約はすべて、引継ぎを頼んでいけと言うので、その指示に従ったが、いわき市から佐野市までと同じくらいの距離である栃木県の石橋町にあった栃木工場まで工場見学会にバスで行っており、バスでの工場見学会に日程が合わない人を個人で乗用車に乗せて栃木工場まで行ったこともあり、やろうと思えば引継ぎを頼まないでやることもできる距離で、それまで持っていた見込客をすべて失うことを考えると、継続してそれまでいた所のお客様の仕事をしながら、転勤先の方の仕事を徐々に増やしていくようにした方が、その年の契約数を確保するという点では安心ではあったが、天野隆夫が引継ぎを頼めというのでその指示に従った。
ところが、私が担当で契約いただいた契約客がいわき市で建築・入居後、その契約客を建築現場見学に案内した時に一緒に来られた人だと思うのだが、親戚の人で自分も(株)一条工務店で建てたいと考えられ、その入居者の方に、「どうすればいい」と尋ねられたそうだが、私がそのまま、いわき市の営業所におれば、私の方に連絡をもらい、契約いただければ、入居者の紹介の方にはわずかながらのサービスをおこない、紹介者にも「寸志」程度のお礼をして、営業担当者の私には1棟契約の実績がつくことになったのだが、いわき市で契約いただいた方でも引き渡しまですんでいた方の場合は営業担当者は私が栃木県に転勤しても担当は私だが、引き渡しまでいっていない方で、いわき市の他の営業が引継ぎを担当した場合には、引継ぎ担当者が担当になることになる。 その方の場合は、K野T夫さん(男。当時、50前後)が引き継いだ後、K野T夫さんが退職したので、K井さん(男。当時、40代)が再引継ぎした。 入居者の方は誰を担当としていいかわからず、誰に言うべきかわからなかったので、それで、親戚の方から「どうしたらいい?」ときかれて、「カタログに載っている所にでも電話してみたら」と言ったらしい。なぜ、親戚の方が(株)一条工務店のカタログを持っていたかというと、おそらく、私がその入居者の方に渡したものを、完成後、その親戚の方に渡されたのではないか。 「カタログに載っている所に電話してみたら」と言われた親戚の方は、東京の「本社」に電話されたらしい。「本社」に電話したそうだ。 (株)一条工務店は「浜松生まれ」であり、静岡県浜松市に「本社」があったが、1995年、名古屋の国税局から脱税で100億円の追徴金を取られたということがあり、その際、その時の社長だった大澄賢二郎は「一条工務店にはカネみたいなもん、有り余ってる。100億円なんて何ともない。100億円なんていくらでもある」と発言したというのだが、なんか、すごいこと言うもんだと思ったが、「カネみたいなもん、有り余ってる」のなら、それなら従業員にもうちょっと給料払えば良さそうなものだが、給料払う時になると、「そんなこと言っても、ないもの払えんだろうがあ」とか言いながら、おのれが追徴金とられるようなことした時には「カネみたいなもん、有り余ってる」とは、まあ、よく言ったもんだ・・と思ったものだが、そういうことがあって、「浜松に本社を置いていると、浜松なんてたいした会社がないから目立つ」ということで、商業登記簿の上での「本店」の所在地を東京都に変更し、カタログなどに掲載される「本社」も東京都江東区木場 の東京メトロ東西線「木場」駅のすぐ北側のビルの東京事務所の住所になっていた。そこに電話されたようだ。
「本社」に電話されたのだから、東京の展示場に電話されたのではなく「本社」に電話されたのだから、電話を取った者は、そのお客様の最寄の展示場の所長しもしくは「リーダー」に連絡をして、所長もしくは「リーダー」が担当するか、所長もしくは「リーダー」が担当者を指名して行かせるか、もしくは、その電話でどういう経緯で電話してもらったか尋ね、入居者から電話するように言われたと聞いた場合に、入居者の紹介という扱いにするのなら、営業担当は入居者の営業担当ということになるから、私・・・にしてほしいところだが、引継ぎを頼んだからには、引継ぎ担当者ということになるのかもしれない。気持ちとしては、私が担当になりたいところだが、入居者宅の仕事を引き継ぎを依頼しておいて、紹介はこちらにというわけにもいかないだろうが、契約客を他の営業に頼んで転勤するというのは、後ろ髪ひかれる思いで我が子を人に託してきたようなものだから、託してきた人が担当とはいえ、やっぱり、後ろ髪ひかれる思いがするものだが、それでも、引き継いだ人だって努力して仕事をしたはずなので、その人が担当、この場合にはK井さんが担当ということになる・・のだろう・・が、紹介をもらえたということは私が真面目に仕事をしたからということもあるはずだから、K井さんが担当で契約に至ったあかつきにはK井さんから「超豪華な昼飯」でもごちそうしてもらい、その方の仕事は間違いないようにこなしてもらうようにする・・と、そんなところ・・かな・・・。
ところが、東京の「本社」に電話されたところ、「一条工務店で建てたいのですが、どうすればいいでしょうか」という電話を受けた「本社」の人間は、あろうことか、最寄りの展示場であるいわき市の展示場にではなく東京の営業に伝えて、東京の営業が、急遽、いわき市の小川といういわき市でも山の中までやってきて契約したらしい。 そういうことをやっていいのか? それは、(株)一条工務店の従業員としては「掟破り」のはずだ。 私が、いわき市で契約いただいた方で引き渡しまでいっていない方の仕事を、200㎞以内ならばそのまま自分でやるという会社の規定になっているのに、営業本部長の天野隆夫が、引継ぎを依頼しろと命令して手放させたのだった。いわき市から栃木県佐野市までは片道200㎞に近いが片道200㎞以内であるのに対し、東京都江東区の「本社」までは片道200㎞を超えるはずだ。だいたい、同じくらいの距離なのだが、わずかに江東区の「本社」の方が遠いはずなのだ。もともとの営業担当には、「いわき に置いていけ」と営業本部長が命令しておいて、もとの営業の転勤先よりも遠い場所の営業に担当させるのか??? そんなおかしな話があるか!!!
又、「本社」の人間は、「一条工務店で家を建てたいのですがどうすればいいでしょうか」という電話を受けたなら、その方の居住地か建築地に最寄りの営業所(展示場)の所長もしくは「リーダー」に連絡するのが基本のはずで、居住地に最寄の営業所と建築地に最寄りの営業所とどちらがいいかという問題があるが、その方の場合は居住地も建築地も福島県いわき市であるから、いわき市の営業所(展示場)の所長もしくは「リーダー」に連絡するべきものであったはずである。 私がいわき市から佐野市の展示場に移った時点では、いわき市および浜通り地区の所長は草野さんだったが、その後、退職して、その入居者宅の引継ぎを担当してもらったK井さんが「リーダー」になっていたはずだ。だから、「リーダー」のK井さんに電話をして、こういう方が「一条工務店で建てたいと言って電話してこられました」と言うべきであったはずである。そうすれば、K井さんが訪問して話を進めて契約いただき、その際には私にも「何何さんの親戚の人に契約してもらった」という話もしてくれたと思う。「あ~あ・・」と思うことになったと思うが、その後、いわきに行くことがあった際には、K井さんに昼飯ぐらいおごってもらっても悪くはないだろうし、K井さんはそのくらいおごってもばちあたらんだろう・・・と思う。
「東京の営業」は、本来、何の関係もないはずなのだ。東京にある展示場に電話されたのならまだしも、東京の「本社」に電話されたはずで、「本社」に電話した人を、「本社」の人間が最寄の営業所の人間に言わずに東京の営業所の人間に言って福島県いわき市の山の中まではるばる常磐道走って行かせるというのはおかしいのだ。可能性として考えられるのは、
(1) 電話を取った東京の「本社」の人間の対応がおかしいのか、
(2) 東京都江東区木場 の「東京事務所」が「本社」とカタログには記載されていても、実質、本社の機能は浜松市にあり、「本社」と記載されている住所には、東京の工事課とCAD担当とインテリア担当がいただけだったはずなので、もしかすると、東京の展示所に勤務する営業が「本社」に来ていて電話を取り、「一条工務店で家を建てたいのですがどうすればいいでしょうか」という、まさに「鴨がネギしょってきたような話」なので、自分がそのまま、いわき市までかけつけていって契約した。
(3) 電話を取ったものは、最寄りの営業所、この場合、福島県いわき市の営業所の所長もしくは「リーダー」に連絡するものだが、それでいいのか、確認のために、そのあたりにいた上役、考えられるのは東京営業所長兼任の営業本部長の天野隆夫あたりに相談したところ、「何何くん、いわき市の人で一条工務店で建てたいと言っている人がいるから、今すぐ行って契約してもらってくるといいらあ」と言って行かせて契約させた・・・か。
この3通りが考えられる・・が、いずれであっても、対応がおかしい。
(1)ならば、「本社」と称していた東京事務所の工事課の人間か「コーディネーター」かインテリア担当かは、福島県いわき市に居住で福島県いわき市で建てる人を「東京の営業」に話をするというのは不適切であり、
(2)の可能性は十分あるが、もし、私が東京都の江東区潮見の展示場にいたか、江東区亀戸の展示場にいたか、松戸市の展示場にいたかで、用事で江東区木場の東京事務所に行っていて、東京事務所に普段からいる人間が他の用事をしていたことから電話を取った時にそういう電話だったとすると、その契約は喉から手が出るほど欲しいけれども、そうであっても、会社という所においては、会社のルールは守らないといけないと私は考えるので、上役に話した上で最寄りの営業所である福島県いわき市の営業所の所長か「リーダー」かに連絡して、いわき市の営業に担当してもらうことにする。 それが会社員としてのルールであり、「渇しても盗泉の水を飲まず」という言葉があるが、「喉から手が出るほど欲しい」ものでもそれでも、会社のルールというものは会社員として守らないといけないと考える。 ・・・ところが、(株)一条工務店の場合、初代社長の大澄賢二郎が「人みたいなもん、求人広告さえ出せば、いっくらでも採用できる。求人広告の費用はいくらでもかけて、求人広告はどんどんだせ。求人広告をどんどん出して、中途入社の社員はどんどん採って片っ端から辞めさせろお!」と叫んでいたそうで、日本の労働法はそういう解雇を認めていないはずなのだが、「『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の会社の方針だ」と営業本部長の天野隆夫が明言する会社だったので、そういうことをしていたのだが、「人みたいなもん、求人広告さえ出せば、いっくらでも採用できる」などという思いあがった認識で人を採用している会社だったので、その結果、「生物学上の『人』」でさえあれば「いっくらでも採用できる」という採用をしていたので、会社のルールを破っても自分が契約もらえればいい、という思考の人が入社してきていた。 なおかつ、私は「渇しても盗泉の水は飲まじ」という私のような姿勢で勤務してきた従業員というのは、会社の経営者はそれを評価してくれるものだと最初は思いこんでいたのだが、ところが、(株)一条工務店の経営者はそうではなかったのだ。だから、自分は何の関係もないものでも、「一条工務店で契約して建てたいんですが、どうしたらいいですか」という電話を受けると東京から福島県いわき市の山の中まででも行くという人間がいた、ということは十分考えられる。
(3) そして、営業本部長というものは、本来、「本社」にかかってきた電話であるからには、「本社」が「本社」に近い場所の営業に担当させて遠方まで行かせるのではなく、最寄りの営業所(展示場)の所長もしくは「リーダー」に連絡して最寄りの営業所から行かせるものだ、と指導するのが営業本部長のはずであるが、ところがどっこい、(株)一条工務店の営業本部長というのはそういう常識が通じない男であり、営業本部長が「掟破り」を指示した・・・という可能性は十分ありうることだった。
もともとの担当の私に、いわき市での契約客はすべて引き継ぎを頼んでいけ・・と営業本部長が指示して、いわき市にいる人に引継ぎをさせた以上は、もともとの担当の私の転勤先よりもまだ遠い場所にいる営業がいわき市まで行って契約してはいかんはずだ。そうでしょ。私の転勤先よりも遠い場所にいる営業が、私が担当で契約してくれたお客さんの親戚の家で私が担当で契約してもらった方を建築現場案内に案内した時に一緒に見に行かれた方を、東京からはるばる福島県いわき市の山の中まで訪ねていって契約するなどということはやってはいけないはずなのだ。やっていいのなら、私が契約する。 少なくとも、全然、関係がない「東京の営業」よりは私の方が関係が深い。
(株)一条工務店の経営者は、そうならないように、「本社」にかかってきた電話に、「東京の営業」がまるで「巾着切り」のように福島県いわき市の山の中まで行って契約してくる・・といったことがないように管理するのが経営者の仕事のはずで、それを怠っている(株)一条工務店の経営者は職務怠慢である。
それで・・・、その親戚の方は、「東京の営業」が担当で契約されたけれども、神棚を設けるに際して、(株)一条工務店の「東京の営業」は、「これしかできません」と言って、幅3尺の板1枚の神棚を施工したというのだ。 「これしかできません」わけないだろうが! 私が担当の入居者宅で、福島県型というのか東北型というのか、いわき型というのかの浜通り型というのか、「福島県浜通り及び茨城県北部型」というのかの「でっかい神棚」を何軒も施工しているし、もとの入居者宅にも、いわき型の神棚を施工しているのだ。なんで、「これしかできません」なのだ?!? できるのに、なんで、「これしかできません」などと嘘をつくのだ?!
ひとつの可能性として、同業他社から転職できた人には、もといた同業他社が「規格住宅」しか扱っていない会社の場合、カタログに「標準」「オプション」と書かれたものが掲載されていると、その「標準」のものか「オプション」のものか、どちらかしかできません・・という会社があり、そういう会社にいた人は、転職して他の会社に行っても、同じようなものと思いこんで、(株)一条工務店のカタログに「オプション」として掲載されていた幅3尺の板1枚の神棚しか「これしかできません」と言ってそれをつけさせた・・という可能性がある。
もしくは、元クルマ屋という人の場合、クルマは、あらかじめ、オプションとして用意されているものはつけられるが、そうでないものを装備しようと思ってもつけられないので、それと同様に考えたか。 もしくは、「めんどうくさがり」の人、「労を惜しむ営業」というのがいて、施主がこういうようにしたいと言っても、その要望をきくよりも、「これしかできません」と言って「適当なもの」(この場合、「適当な」というのは「しかるべき」「ふさわしい」という意味ではなく「いいかげんな」の方の意味)をつけて建てさせた方がいいと考える人間がいて、そういう人間だったか。
あるいは、元マンション販売の営業というのは、マンション販売というのは「建築の住宅の営業」か「不動産の住宅の営業」化と言うと、結論として不動産屋であり、「そのまんま」で売るというのが基本なので施主の要望を聞いて建てるという姿勢がない人が少なくない。できるものでも、「できません」と言ってやらずに数をこなした方が営業成績につながると考えるようなヤカラもいる。そういう人間だったか?
それにしても、いわき市で建てる人にとって、神棚というのは大事なものであり、幅3尺の板の神棚を設ける人も、分譲地を購入して70坪くらいの面積の土地(いわき市の住人の言い方だと「うちは、土地が狭いから」という土地、東京圏・関西圏で70坪なら「広いじゃないか」てところだが、いわき市の住人の言い方では「うちは、100坪もないんですよお」という土地)に建てる人の場合、幅3尺の板の神棚くらいしか設けられないので、そういうものを設ける人もあるけれども、昔むかしから住んできた土地で建て替えるような人にとっては、神棚というのは、普通は、仏壇の真上から右にかけてか、仏壇の真上は避けてその右かの天袋の位置に、幅は1間か1間半とかで設けるのが普通であり、それは「大庄屋」の家とかではなく普通の家でそういう神棚を設けていたのであり、「こんなおかしな神棚ないよお」とお施主様は言われたらしいが、それでも、「これしかできません」とその「東京の営業」は強引に言い張って幅3尺の板1枚の神棚を施工させた・・というのだ。
なんで、そんなことするのかなあ・・と思う。私が担当したか、もしくは、引継ぎを担当してもらったK井さんが担当したかであれば、間違いなく、いわき型の神棚を施工したはずだ。なんで、その「東京の営業」は、そういう非常識なことをするのか?!?
その「東京の営業」は東北型の「でっかい神棚」というものを見たことがないのかもしれない。もしくは、たとえ、本の写真か何かで見ても、それは「伊達の殿様のお城」か何かの場合で「普通の家」ではそんな「でっかい神棚」は設けないものと勝手に決めつけていたのかもしれない・・・が、福島県では「普通の家」で幅1間半とかの神棚を設けるのだ。
その「東京の営業」だが、いったい誰なんだ? ・・新人なら、もうちょっと謙虚さが必要であろう。経験者ならその対応は非常識であろう。 可能性としては、「東京の営業」と言っても、実際には東京の人間が東京で入社した「東京の営業」ではなく、「遠州人」で東京に勤務していた人間の可能性というのが考えられる。どうも、「遠州人」根性というのがそこに出ているような感じがする。《「浜松流」を福島県の人間にも押しつけないとおれない症候群》の「患者」ではないか? ・・まあ、この点はどっちか、わからないけどね・・・。
又、営業担当が、契約客がいわき型の神棚を設けたいと言っているのに、「浜松流」神棚にさせようとしたとしても、設計担当者や「コーディネーター」も図面決定までに関与しているはずであり、いわき市の営業所の設計担当のH田は静岡県出身だったがいわき市で長く設計の仕事をしてきた人間だから、いわき市でも山の中で昔から住んできた先祖代々の土地で建てる人が、幅3尺の板1枚の神棚だと、「これで、いいのですか」と一言くらいは言いそうなものだし、設計担当は言うべきです。又、「コーディネーター」のWはいわき市の生まれで、それも、いわき市でも「分譲地みたいな所」ではなく、いわき市の中でも山の中みたいな所から通ってきていた人間だから、「いわき市でも、小川で建てるのに3尺幅の板1枚の神棚でいいのですか」と言いそうなものだ・・・し、一言くらいは言うべきであり、それを言ってこそ、設計担当であり「コーディネーター」である。言えなくてどうする! それを言えないのでは仕事をしていることにならない。
ひとつの可能性として、その「東京の営業」は、「巾着切り」みたいに本来は自分は関係ないのに他地域のお客さんの契約を横取りしたものだから、いわき市の設計や「コーディネーター」を使うと、それがいわき市の営業にばれるということを考えて、お客さんに東京までいわき市から来させて東京の設計と東京の「コーディネーター」を担当させて進めたのではないか。その可能性があると思う。
都会の人間にはわからない人間がいるかもしれないが、「地方」の人間にとっては、神棚というのは相当大事なものである。「これしかできません」と言ったというのだが、「できない」わけないだろうが!!! なぜ、嘘をつく??? 特に、私が担当で契約いただいた親戚の家で、いわき型の神棚を施工していてそれを見ている人に向かって、なぜ、嘘をつく???
普通、会社というものは、誰が担当しても、そうおかしなものができないように会社として配慮するものではないかと思うのだが、(株)一条工務店という会社は、「担当者によって差が大きい」と言われる会社・・というよりも、「担当者が個人的に必死になってやらないとできない会社」だった。 それにしても、なぜ、いわき市で建てる人で、いわき型の神棚を施工したいと希望している人、かつ、すでに親戚の家が(株)一条工務店で建てていて、そこではいわき型の神棚が施工されていてそれを見ている人に、「これしかできません」と、東京近郊でならおかしくなくても、いわき市の先祖代々の土地に建てる人にとってはおかしいと思うような神棚を施工しないと気がすまないのか? そんな仕事しかできないような人間なら、住宅建築業の仕事はやめてしまえ!
私が1993年に、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の松戸展示場から福島県いわき市の展示場に転勤した時、契約客で引き渡しまで至っていない人が4件あったのだが、東京都町田市の方と千葉県市原市の方は、いわき市から建築地まで200㎞を少し超えていたと思うが、千葉県市川市での建築予定だった家は200㎞以内で、しかも、私の親戚の家だったのだ。それも、義理の関係の家であり、私が担当するからということで契約してもらった家だった。営業本部長兼松戸営業所長の天野隆夫が、4件とも引き継いでもらえと言うのだったが、「他のお宅はしかたがないとして、親戚の家は私に担当させてもらえませんか。親戚でも、義理の関係ですから、私が担当するからということで契約して、他の人に担当させたのでは具合が悪いんですよ」と言ったのだが、そうすると、天野隆夫は「具合が悪いというのなら、解約してもらえば、それでいいらあ」などと言うのだった。 どうも、(株)一条工務店で親戚に契約してもらうと、親戚関係まで(株)一条工務店と天野隆夫に破壊されてしまうようである。 「会社の規定では、200㎞以内なら転勤後も自分で担当するということになっているはずですから、いわき市から市川市までは200㎞以内ですから、私が引き続いて担当することになるはずです」と言ったのだが、そうすると、天野隆夫は「それなら、転勤先を いわき ではなく原町にする」と言うのだった。この名前の通り、アマノジャク(天野邪鬼)のこの根性はいったい何??? ひとに嫌がらせをするために会社を経営しているみたいな、そういう態度である。
私に、私が東京展示場(江東区潮見)に在籍していた時に契約してもらった千葉県市川市の親戚の家を、私が福島県いわき市の展示場に勤務した時に担当してはいけないと言っておきながら、いわき市まで直線距離でもクルマで移動する場合の実際に走行する距離で見ても市川市からよりも遠い「東京の営業」に、いわき市の私が担当で契約いただいた方の親戚の方の契約をさせているというのは、それは、会社の対応として、どう考えてもおかしいではないか!!! ・・・もっとも、こういうことを天野隆夫に言うと、「おかしかったら笑え」とか言うかもしれないし、それよりも、「気にいらないなら会社やめろ」とか言いだすだろうが、しかし、私が不適切なことを言っているのなら、「気にいらないなら会社やめろ」とか言ってもいいが、そうではなく、私はもっともなことを言っているはずであり、どっちがおかしなことをやっているのか、ということを考えるべきであろう。
私の親戚の家で、いわき市から200㎞以内の家を担当するなと営業本部長の天野隆夫が言って担当からはずさせて、そして、親戚の家には、住宅建築業の営業の仕事が初めてという男を引き継ぎ担当とし〔(株)一条工務店は新人に引継ぎ担当をさせると新人の練習になると思っているようだったが、自分自身が担当で契約をいただいて引き渡しまで担当した経験がない人間に「引継ぎ担当」をさせるというのは、その契約客に対して失礼だと思う。又、自分自身が担当で契約をいただいて引き渡しまで担当した経験が1件もない人間に「引継ぎ担当」をする資格はないと考えるべきだ、と思う。〕、設計担当は(株)一条工務店で1年目の男を担当とし、大工は「一条工務店の仕事は初めてという大工」を担当させ、ボード屋は「ボード屋野の仕事は初めてというボード屋」を担当させ、なんだかんだ無茶苦茶やった。(株)一条工務店のお客様相談室の「責任者」の田中義昭が「一条工務店は、昔から従業員や従業員の親戚の家には新人の職人をまわすということをやってきましたから」と入居者に話していたが、そのわりに、いわき・浜通り地区の所長のK野さんの家は、いわき・浜通り地区では、この人なら確かだろうとされている大工が担当していたのだが、「従業員や従業員の親戚の家に新人の職人をまわす」とかそういう話での「従業員」というのは社長とか社長の一族とかそういう「従業員」の場合のことだろうと思っていたら、一族でも何でもない私の親戚の家に、
(1)住宅建築業の会社は初めてで入社1年未満を引き継ぎ担当、
(2)同業他社で少しだけ経験があるとはいえ、(株)一条工務店では入社1年未満の設計担当、
(3)(株)一条工務店の仕事は初めての大工、
(4)ボード屋の仕事が初めてのボード屋
・・・と新人ばっかりを私の親戚の家の担当にまわし、片っ端から失敗しまくった。
そして、最後、引き渡しの時には、建築確認図面も「なくしました」と言って渡さなかった。普通、「建築確認書」なんて、建築屋が、そんなもの、なくすかあ??? (株)一条工務店よりも、もっと零細な工務店でもそんなもの、普通はなくさんぞお~お!!! まったく、よくやると思う。
(株)一条工務店で親戚の家を契約させると、そういう目に合わされる。それで、営業本部長兼東京営業所長・松戸営業所長の天野隆夫から、その件について、「申し訳なかった」の一言もなかった。
(1) 私が東京展示場(江東区潮見)に在籍した時に契約してもらった千葉県市川市の親戚の家を、私が福島県いわき市の営業所に赴任した時に、担当するのはだめだと言って担当させず、他方で、「本社」に電話してきた福島県いわき市に居住でいわき市で建てる人を「東京の営業」に契約させるのはかまわない、というのはおかしい。
(2) 福島県いわき市から栃木県佐野市までと、福島県いわき市から東京都江東区木場までとでは、佐野市までの方が近いにもかかわらず、私が、いわき市から佐野市に転勤した時には、いわき市の契約客は引継ぎ担当に担当させておいて、その契約客の完成後の家を見た人で、その契約客が契約されるまでに建築現場見学に一緒に行かれた方を、いわき市から佐野市よりも遠い場所にいる「東京の営業」が押しかけて行って契約するというのは、どう考えてもおかしい。
こういうことを言うと、営業本部長の天野隆夫は「気にいらないなら会社やめろ」とか言い出すのだが、その「東京の営業」にこそ、「それはあなたが担当するべきものではありませんでしょ」と注意して、それが「気にいらないなら会社やめろ」と言うべきもので、正しいことを言っている者に「会社やめろ」とか言う者こそ、営業本部長をやめるべきであろう。 営業本部長として適切な対応をできない営業本部長こそ、営業本部長をやめるべきであろう。
(株)一条工務店が施工している、床の間の横の床脇棚の上まで長押がまわり、床柱と長押がぶつかる所では、長押が床柱の前までくるという施工を大鐘家住宅でもおこなわれているのを見て、(株)一条工務店の床の間と床脇というのは、やっぱり、「遠州流」のものだったのだな、とわかったが、神棚については、大鐘家住宅の神棚のような造りが「遠州流」なのかどうかはわからない。 他にも、見学させてもらえる「民家」があるようなので、今後も、民家探訪団を続けて解明していきたいと思う。
全然、関係ないのに、東京から福島県いわき市の山の中まで飛んでいく男というのは、「熱心でよろしい」と考えていい性質のものではないはずである。 「会社のルール」は守らないといけないし、営業担当なら、お施主様の希望を実現できるように真面目に努力しないといけない。お客様を騙すのが営業だとか営業力だとか考えている人というのが(株)一条工務店の営業にもいたようだが、そうではないはずだ。お客様の希望を実現することで評価してもらおうとするのが営業のはずだ。 (株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は、そのケースの「東京の営業」のような、自分は関係ないのに「巾着切り」みたいに駆けつけていって自分の成績にするような男とか、「これしかできません」などと嘘をついて施主の希望に沿わない家を建ててしまう営業というのが好きなようだったが、その感覚は住宅建築業の会社の営業本部長として、本来、おかしいはずである。「気にいらないならやめろ」と天野隆夫は言うであろうけれども、やめるべきは、あんただろう、あ、ん、た!!! ・・ということである。営業本部長として取るべき態度・対応を取りたくない者こそ、営業本部長として取るべき態度・対応を取るのが嫌なら営業本部長をやめろ! と言われるべきものであろう。
社長よあなたがお辞めなさい―変身できないあなたこそ会社のガンだ! - 精治, 安達
↑「あなたこそ、会社のガンだ」↑
※ 大鐘家HP http://www3.tokai.or.jp/oganeke/
(2020.10.6.)
☆ 大鐘家と相良城跡(静岡県牧之原市)
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 〔今回〕
(6)土蔵・資料館。大鐘家の裏の丘からの眺望。相良城跡と田沼意次。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_6.html
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(静岡県掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 東京都 狛江市立古民家園
上 旧荒井家住宅主屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_1.html
下 旧高木家住宅長屋門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_2.html
☆ 旧近藤家 長屋門(東葉学園 東葉門 )(千葉県船橋市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_3.html
☆ 旧安西家住宅(千葉県木更津市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_5.html
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