千葉県大網白里市大竹の天満宮 参拝。細い階段を登るとそこは見晴らしのいい高台。何か知りたいがわからないトンネル様の構造物。
[第806回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第53念
菅原道真は、京都から福岡県の太宰府まで左遷された・・というものの、陸路を通ったのか、瀬戸内海を船で通ったのか、どうも、そのあたりもはっきりしないらしい。 菅原道真が太宰府に流される際に、この地に来て何何をやった・・といったお話がある土地は京都から福岡県までの間にいっぱいあるようだけれども、それらのお話をすべて本当だとすると、菅原道真は、「罪人扱い」であったわりにずいぶんといろいろな所に立ち寄ったことになる。 だから、それらのお話は、「何かあった」かもしれないけれども、すべて、そのまま真実とは限らないと考えた方が良さそうに思う。
東日本においては、さすがに、菅原道真が京都から太宰府に流される途中に、当地においてなんちゃらかんちゃら・・という話のある神社は見当たらないが、菅原道真の子とか孫とかがそこに流されて・・・という話の神社とか、子とか孫とかのさらにその子孫が道真の像を祀ったとかそういうお話のある神社はあるようだ。 「それって本当ですか?」なんて尋ねても、宮司さんが常駐している神社で宮司さんに尋ねたとしても、宮司さんだって、「そう聞いておるのですけれどもねえ」というくらいで、本当かどうかなんて、たいてい知らないと思う。
千葉県には、天神・天満・北野・菅原系の神社で全国的に有名な神社というのは、あまりない。 市川市の白幡天神社が規模としてはまあまあ大きいか。 山本博文監修『あなたの知らない千葉県の歴史』(2012.7.20.洋泉社 歴史新書)、それに千葉高等学校教育研究会歴史部会編『千葉県の歴史散歩』(2006.5.31.山川出版社)には、南房総市平久里中(へぐりなか)の平群(へぐり)天神社は、足利尊氏の嫡男 義詮(よしあきら)の執事だった細川清氏(きようじ)が北野天満宮から勧請したもので、『平群天神縁起絵巻』と呼ばれる中世の絵巻物が保存されていると出ている。こういった本に記載されている天神・天満・菅原・北野系神社というと、この南房総市平久里中の平群天神社くらいか。南房総市・・なんて言われても、房総半島の南の方だろうけれども、千倉なのか白浜なのか富山なのか冨浦なのか・・・なんか、いっぱいくっついて、どこやらようわからんが、平群中は、合併前の市町村としては富山になるようで、鋸南町に近い、南房総市の中では北の方のようだ。
千葉県では、全国的知名度の高い天神・天満・菅原・北野系神社は少ないが、地図を見ると、天満宮・菅原神社・・という名称の神社はけっこうある。 『県別マップル 千葉県道路地図』2020.7.5版(昭文社)を見ても、大網白里市でも、何か所も見える。
大網白里市大竹の天満宮に行ってみよう・・・と考えたのだが、『県別マップル 千葉県道路地図』2020.7.5版(昭文社)を見ると、赤色の国道ではなく、緑色の「主要地方道」ではなく、その次の黄色の「一般府県道」で、「主要地方道」の県道83号 山田台大網白里線の「大竹橋」という交差点と「主要地方道」の県道20号 千葉大網線(大網街道)とを結ぶ道路の北西側の山地にあるようだった。 それを、ヤフー地図で見ると、その黄色の「一般府県道」から階段でずいぶんと何段も上がるように見える。
なんか、かなわんなあ・・・、「若い頃」やったら、「なんだ、坂、こんな、坂♪ なんだ、こんな階段♪」と登るところでも、今まで頑張って生きてきたんだから、もう、しんどい思いはええわ・・・て気もするが、とりあえず、行ってみるとして、はたして、クルマを停める場所があるかどうか・・・。その「一般府県道」てクルマを停められるような場所あるだろうか。
そう思って行ってみたのだが・・・、ない! クルマを停められるような場所なんて見当たらない。
あきらめるか・・・と思って県道20号 千葉大網線(大網街道)を東に向かって走ると、左手に時間パーキングがあった。ここから歩くとけっこうありそうだな・・と思ったが、だからといって、「どこかの不動産屋のおばさん」みたいにコンビニの駐車場に長時間とめて行くというのも・・・、いいかどうかの前に、そんな「根性」ないもんなあ・・・。
※ [第76回]《建築屋のクルマの運転・停め方と不動産屋のクルマの運転・停め方~営業と会社の話(20)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201111article_3.html
「八千代市の建築もやってはいるけれども売買の不動産業が中心というP社にいた時、H店の「店長」をやっていたおばさん」の話、
[第192回]《クルマで移動する営業の心掛け、建築の住宅・不動産の住宅の営業の常識。 営業と言えない「女性営業」の話》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_2.html 〔3〕の「Oさん」の話
なんというのか、昔から言いますわなあ・・。
「女は弱し、されど、おばさんは強し」て。
ほんま、世の中、何が強いて、おばさんほど強いものはないわ!!! ほんと、男なんて、絶対に勝てるわけがない。
池波正太郎の『仕掛人 藤枝梅安』で、梅安と彦次郎とつきあうようになった剣客 小杉十五郎が仕掛人として生きようとするのに対して、梅安は「おやめなさい」と言い、「小杉さん、あなたは女を殺すことができますか」と尋ねる場面があった。「殺せないでしょう。たいていの男は、男を殺すことはできても、どんなに極悪人の女でも女を殺すことはできないものなんです。あなたは、女を殺せますか。できないでしょう。私は女を殺しましたよ。私はこの手で実の妹を殺しました。仕掛人というのは普通の人間ではないのです。あなたは、まだ、仕掛人ではなく普通の人間の側で生きていくことができる人です。だから、おやめなさい。仕掛人になろうとするなどは」と語る。なるほど・・・と思ったが、その前に、おばさん てのは、殺そうと思ったとしても、おばさん の方が強いのじゃないか。なおかつ、おばさん て、殺しても死なないのじゃないか??? ・・・て感じがする。
〔 1996年8月、浜松市のピアノ教師の女性を東京からクルマで高速道路をぶっとばして浜松まで行って、刃物で百カ所以上刺して殺した・・という(株)一条工務店の初代社長の息子で関連会社の(株)日信の社長になっていたという大澄隆史(男。当時、20代)というのは、池波正太郎『仕掛人 藤枝梅安』で梅安が「たいていの男は、男を殺すことはできてもどんなに極悪人の女でも女を殺すことはできないものなんです。それを殺す仕掛人というのは、普通の人間ではないのです」と語るその基準をもとに考えるならば、「普通の人間ではない」ということか・・。〕
それで、JR外房線より西、県道20号 千葉大網線(大網街道)の北側の時間パーキングに駐車して、歩いて行きました。
まず、水路を超える所に信号があり、そのまま西に行くと、北東のカドに「中華料理 鉄人」https://tetsujin-ooami.owst.jp/ という店がある信号がある交差点がある。ここを右折します(北側に行く)。 ここからが、『県別マップル 千葉県道路地図』2020.7.5版(昭文社)では黄色で書かれている「一般府県道」。
けっこうクルマが多い道で、歩道なんてなく歩きにくい道を道なりに進むと、向うの方にJR外房線の高架が見え、その右、外房線の右手前に変電所の鉄塔が見えてきます。↓

そのまま、JR外房線の線路をくぐって進みます。 ・・そういえば、昔の国鉄の電車・列車って、トイレで う〇こ しようとすると、下に線路の砂利が見えましたよね。 う〇こ すると、走行中に線路の上に撒き散らすことになったわけで、「停車中はトイレを使用しないでください」なんて表示があって、そんなこと言われても、我慢できるものなら電車中のトイレでやらずに下車して駅のトイレでやりまんがな、指定席買って乗った急行で、降りてしまうわけにいかんから列車のトイレに入ったのに、走り出すまで待て・・なんて言われても、出物腫物ところかまわず・・て言いまっしゃろが・・・というのはトイレを使用している側の論理。 旧国鉄の鉄橋の下をうかつに通ると、上から何やら降ってくる・・・・というおそれが、かつてはあった。
今から考えると、なんかすごいことやっていたように思う・・・・が、このJR外房線の「大網」駅の西の高架は、もとより、鉄橋がスケスケになって隙間があるわけではないし、きょうび、う〇こ すると線路に落下するトイレの電車というのは見かけなくなったから、下を通っても大丈夫だと思う・・・たぶん・・・。
逆に、同じ写真を撮るのなら、上を電車が走っている時に・・・なんて思っても、外房線はそれほど本数が多くないので、うまい具合に電車は来ない。↓

↑ これは、変電所と逆側、JR外房線をくぐった後、北東側から見たもの。
県道20号 千葉大網線(大網街道)より南側が みずほ台、北側が大網白里市池田、その北が大網白里市南玉(みなみだま)で、JR外房線の線路より北が大網白里市大竹(おおたけ)。
クルマがいっぱい走ってくる歩きにくい道を歩いていくと、向うの方に「そば」て幟、その向こうの山手にお墓が見える。↓

そのまま、道なりに進むと、今度は道の右側に「そば」て幟。↓

↑ この左の建物は、大竹公民館。 公民館の左手にも後ろの山に登る階段があるが・・・↓

↑ その階段は、お墓に上がる階段で、天満宮に行く階段ではない。

↑ 大竹公民館の横、紅葉がきれい・・だけれども、ここは天満宮に行く階段ではない。
大竹公民館の東側に分岐する道があるが、無視して「一般府県道」を進むとすぐ左手に、民家と民家の間、せま~い所に階段がある。↓

↑ クルマで走行中に横をチラッ、チラッと見るのでは見落とすが、歩いてならすぐにわかる。大網白里市駒込の天満宮には「天神」「天満」といった表示が見当たらなかったが、こちらの大網白里市大竹の天満宮は鳥居の中央に「天満宮」と札が出ている。↓


↑ 鳥居に比べて、「天満宮」と書かれた石の札はきれいで新しそうだ。
村上重良『国家神道』(1970.11.27.岩波新書)には、
《 こうして、神社は、官社(官弊社、国弊社)、府県社、郷社、村社および無格社と、五段階に序列化され、中央集権的に再編成された。地縁的な小神社では、もともと特定の祭神の神名をさだめていない神社が多かったが、この格づけの過程で、適宜、神明社としたり、復古神道系の祭神を官僚にえらんでもらったりした。 多元的な源流をもつ全国の神社を、津々浦々にいたるまで一元的に統制支配するこの措置は、神道の歴史をつうじて、前例のない徹底した神社制度であった。》
とあるが、「天満宮」という札だけ新しいということは、天満宮になったのはそう古くからではない・・という可能性が、可能性としては考えられる。 「商工民の神」を祀るような商工民の場所ではなく、「武士の神」を祀るような武士の場所でもなさそうで、「天候の神さん」を祀っていたのが菅原道真と習合して「天満宮」になった・・・という可能性の方が大きそうな感じがする・・・が、このあたりは大網白里市でも西より、千葉市緑区土気町(とけちょう)との境目に近い場所で、千葉市緑区土気町と大網白里市との境目付近の緑区土気町には「土気城跡」があり、その東側に、天満宮が4つほど(大網白里市金屋郷に2つ、大竹に1つ、池田に1つ)あるのが地図に見え、かつ、この付近限定では、他の神社よりも天満宮が多い・・ということは、「武士の神」としての天満宮だった可能性もないとはいえないか・・・・。


↑ 岩山切り落とし の横の階段を登ると、正面に祠。↓


しかし、2軒の民家の間の細長い土地を、片側は岩肌が出た山を切り落とした所を急な階段を登って行った山の上に祠がある神社とは・・。 もしかして、旧家の氏神さんだったものを、分家してどの家のものとしてではなく、独立した祠にしたので、それで、民家の背後の山の上にあって、そこに至る経路は細長い階段を登るものになっているのだろうか・・・。 それとも、逆に、このあたり一帯がこの神社だったのが、神社とそれ以外との境界が不明確だったところに、両側に民家が建ってきて、この細長い所が残ったのか・・・。
階段を登っていった山の上だけあって、見晴らしはいい♪

・・・で、これ ↓ は何だろうか・・・?



昭文社編集部編『千葉のトリセツ』(2020.1.1.昭文社)を見ると、国鉄→JRの大網駅は、かつては東金方面に向かうようにできていて、今の大網駅より少し北に駅があって、茂原・上総一ノ宮方面には、いったん、東金方面に向かって、スイッチバックで引き返すようになっていたそうで、又、土気駅ー大網駅間は、かつては急勾配で難所だったのが、1954年(昭和29年)にトンネルだった所を切通しにして、1972年(昭和47年)に外房線複線電化の際に、線路が改良されて土気ー大網間の急勾配もそれまでより緩やかになったそうで、経路もわずかに変更されたらしい・・・・が、もしかして、その跡? ・・・なんてことも考えたが、同書に掲載の地図を見ると、その場所はここではない・・・が、鉄道のトンネルか道路のトンネルか・・みたいな感じだが、何だろうなあ・・・。
大網白里市大竹の天満宮は、建物の中にもうひとつ祠がある。↓


↑ これが、菅原道真の像だということなのだろう。
内部に祠があるということは、外側の建物は、覆屋と考えることができるか・・・。
なんか、書状が貼られているので、なんだろう・・・と思って見ると、↓

↑ 「 国防資材ノ献納ヲ〇ウシ
感謝ニ耐ヘス茲ニ深厚ナル
謝意ヲ表ス
昭和十六年五月二十七日
陸軍大臣 東条英機
石井粂治殿
題目講連中 」
と書かれている。 昭和16年というと、1941年。
「行くよ、勇んで(1941)真珠湾」、真珠湾攻撃、太平洋戦争開始がこの1941年の12月。 その年の5月下旬。
日中戦争開始、盧溝橋事件が
「戦さ長引く(1937)、日中戦争」で1937年(昭和12年)。その4年後。
戦争の最中だが、「感謝ニ耐ヘス」と陸軍大臣 東条英機が言う「国防資材」とは何だったのだろう?
↑ のトンネルみたいのと関係あるのだろうか・・・。

↑ 社殿の左側(南側)も岩肌が見える絶壁。
南東を見て、階段を降りようとすると、


↑ 花がきれい。

↑ こちらの見晴らしもいい(^^♪

県道20号 千葉大網線(大網街道)から大網白里市大竹の天満宮の方へ曲がる北東側の角に「中華料理 鉄人」があり、その北あたりのお宅は店舗併用とされているようですが、昔ながらの家屋は玄関の部分だけ3尺出した作りの家になっている。(写真も撮らせてもらったが、店舗併用とはいえ個人の家なのでここでは公開しないことにしますが)
1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、設計担当のH田 靖(男。当時、20代。東洋大学工学部建築学科卒)が契約客に「玄関だけ出すというのは変だ」と言ってしかたがなかった。デザインについては「好みの問題」というのがあるわけで、その人間がいいと思ってもお施主さんがいいと思わないこともあり、設計担当者や営業担当者がいいと思わない場合でもお施主さんがいいと思う場合だってあるはずだ。 H田は静岡県出身だったはずだが(私なんかは、高校の時、親から「東大にでも行くのなら東京で下宿してでも行けばいいし行くべきやけれども、しょーもないアホでも行けるような私立大学に行くようなヤツが下宿して大学に行くことあらへん」と言われたもので、又、「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います」と言われ、「国立大学なら何学部でも学費は一緒や」と言っても、「100%絶対に国立大学に合格するとは決まってないでしょうが。落ちる可能性がたとえ0.1%でもあったら工学部なんて受けたらいかんでしょうがあ」と親から言われたものだったが、H田は東洋大なんて私立大学に行くのに東京で下宿してまで行かせてもらえる、東洋大なんて私立大学の工学部にでも行かせてもらえる・・なんて、よっぽど金持ちの親だったのだろうなあ・・・と思ったら、H田 靖の親は何やってる人間かというと、「中学校の校長先生」だということだった。中学校の校長先生というのは、相当給料高いらしい・・・)、東京や大阪で生まれ育ち、仕事も東京や大阪で勤務してきた人間ならともかく、静岡県の生まれで、福島県いわき市で勤務したのなら、玄関だけ前に出した家というのもけっこう見てきているはずで、家相の上で玄関が前に出るのがいいと言う人もいるということだって知っているはずだ。それをかっこいいと思うか思わないかは、それは「好みの問題」だが、「地方」で建てる人にはそうしてほしいと思う人はいるわけで、それを「玄関だけ前に出すのは変だ」と決めつけてしまう認識はどうかと思う。
玄関部分だけ前に出すと、その前に出した部分について、横方向に耐力壁が入れにくいということがあるのかもしれないが、それなら、片側に3尺だけ壁を取るか、もしくは、玄関扉の両側に2尺ずつ壁をとり、筋交いを耐力壁とするのなら幅3尺は必要だが、合板を耐力壁にするなら幅2尺でも耐力壁になるはずだから、玄関扉の両側に2尺ずつ壁を取ってそれぞれに合板を耐力壁として入れる・・という方法があるはずだ。
又、造作で出窓を造ることがあり、出窓状に出っ張った部分を基礎付きにすることもある。それを考えれば、玄関部分を相当長く出っ張らせるならともかく、3尺までなら前に出しても、横方向の耐力壁線は3尺までの範囲は同じ耐力壁線と考え、出っ張った部分については、基礎を鉄筋入りべた基礎とし、梁桁の部分に水平方向に合板を貼って固定するなどすれば持ちこたえるのではないか。もし、3尺の出なら無理ということなら、2尺とか1尺5寸の出とかいったやり方もあるのではないか。
そのあたりを考えずに、「玄関だけ前に出すのは変だ」と個人的な思いこみをお施主様に押しつけないとおれないという姿勢はどうかと思う。
ひとつには、営業の仕事をすると、その地域をおのれのクルマで走り、おのれの足で歩きして見てまわることになり、お施主様がそれまで住まれてきた家も見せてもらう機会を持つのに対して、設計の仕事をしていると会社の展示場の事務所にいるばかりで外を出歩く場合は遊びに行く時だけ・・・ということになるので、営業の仕事をやってきた者に比べて、その地域の家を見る機会がない・・ということはあるかもしれないが――この点において、設計が一番知らないという場合はけっこう多いのだが、ところが、見込客・契約客には「設計士さま」などと言って「設計」という職種名をつけている人間をありがたがる人がいるが、ばかばかしいことだ――、それにしても、その部分において、おのれの思いこみを客に押しつけ過ぎ・・・だったと思う。
又、本来、そのあたりを営業が言うべきなのだが、ところが難儀なことに、(株)一条工務店という会社では、営業本部長の天野隆夫が「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」などと命令するという会社だった。
「営業は(バカでも入れる私大の建築学科でたばかりに)設計にはどんなことでも服従しろ」とは、それは人権侵害である・・が、人権侵害をやりたがるのが営業本部長の天野隆夫だった。「設計はアホ大学の建築学科出て新卒入社したその日からお殿様」という(株)一条工務店の状態では、そんなことでは、いい家はできない! そのあたりを理解して、「営業の言うことに耳を傾け、工事担当の言うことに耳を傾け、職人や業者の言うことに耳を傾け、何よりお施主様の言うことに耳を傾けるのが設計が必要とされる第一の姿勢ですよ」と教えるべき立場の人間がその逆を命令していたのであるから、「貴闘力チャンネル」https://www.youtube.com/channel/UCNxyWUfEIBTV4I1C9E4OyCg で貴闘力が十両に昇進した息子に「勘違いしないこと。十両になれば付け人がつくけれども、自分のことは自分でやった方がいい。付け人をあごで使うなんてことはやってはだめ。」と語っていたが、その逆を「バカでも入れる私大の建築学科でたばかり」の人間にさせよう・・というのが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫だった。この男のその根性はその後もそう簡単には変わらないであろうし、(株)一条工務店のアホ設計もそう簡単に変わらないであろう。そんなことでは、(株)一条工務店は「その程度の会社」であり続けるであろう・・・と思っていたら、『会社四季報 未上場会社版 2021年版』(2020.11.10.東洋経済新報社)を見ると、《 戸建住宅業界で2位。沖縄除く約430拠点展開。高気密・好悪断熱などの省エネと太陽光による創エネを実現した住宅が特徴。省エネと快適性を両立する環境配備型の戸建住宅を供給。国が推進するZEHを上回るエネルギー削減・創出効果も。》などと書いてある。へえ~え・・・、驚いた。びっくらこっこした。あんないいかげんなろくでもない会社が「戸建住宅業界で2位」とは、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」と野村のじいさんも言うとったが、住宅建築業の他の会社はいったい何やっとるんや!!! ・・・
(株)一条工務店では、「大量仕入れでコストダウンをはかっています」とか工場見学会の時に説明係がマイク持って話していたのだが・・・「コストダウンの手段として『大量仕入れ』と別にもうひとつ、従業員の給料が安い! というのもあるのではないでしょうか」とベテランの某さんに話したところ・・・→「御名答。まさに、その通り~!!!」という返事だった。そういう会社である。一族だけ儲けとる会社が「戸建住宅業界で2位」なんてものになりよったんか・・。一族と浜松市だけが儲けとる会社がなあ~あ・・( 一一)( 一一)( 一一)
※ 《 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
負ける試合だとあきらめていたのに、相手投手が勝手に自滅してくれたり、野手が凡フライを落としてタイムリーエラーになったりして、勝利が勝手に転がり込むことがある。勝ちには「不思議な勝ち」があるものだ。一方で、負けには必ず理由があり、不運だけによる負けはない。負けに、「不思議の負け」はないのである。
だから、勝ったときには謙虚な気持ちを忘れてはいけないし、負けたときは常に「なぜ負けたのか」を分析して反省し、次の戦いに向けて対策を練らなければならない。その繰り返しが、常勝チームへ導く道となる。敗因は、徹底的に分析するのだ。・・・》
( 野村克也『野村の結論』2020.11.4.プレジデント社 )




( 山科けいすけ『C級サラリーマン講座』第721回 〔「ビッグコミック」2020.12.10号 小学館 ↓ 所収〕
![ビッグコミック 2020年 12/10 号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/51HUJhQvEdL.jpg)
ビッグコミック 2020年 12/10 号 [雑誌]
(2020.12.4.)
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 〔今回〕
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅。出入の厳重そうな東芝小向工場と管理不十分な(株)一条工務店・(株)日本産業の「いいかげんそう」工場 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html

千葉のトリセツ - 昭文社 旅行ガイドブック 編集部

あなたの知らない千葉県の歴史 (歴史新書) - 山本 博文

冤罪はこうして作られる (講談社現代新書) - 小田中 聰樹

無罪請負人 刑事弁護とは何か? (角川oneテーマ21) - 弘中 惇一郎
菅原道真は、京都から福岡県の太宰府まで左遷された・・というものの、陸路を通ったのか、瀬戸内海を船で通ったのか、どうも、そのあたりもはっきりしないらしい。 菅原道真が太宰府に流される際に、この地に来て何何をやった・・といったお話がある土地は京都から福岡県までの間にいっぱいあるようだけれども、それらのお話をすべて本当だとすると、菅原道真は、「罪人扱い」であったわりにずいぶんといろいろな所に立ち寄ったことになる。 だから、それらのお話は、「何かあった」かもしれないけれども、すべて、そのまま真実とは限らないと考えた方が良さそうに思う。
東日本においては、さすがに、菅原道真が京都から太宰府に流される途中に、当地においてなんちゃらかんちゃら・・という話のある神社は見当たらないが、菅原道真の子とか孫とかがそこに流されて・・・という話の神社とか、子とか孫とかのさらにその子孫が道真の像を祀ったとかそういうお話のある神社はあるようだ。 「それって本当ですか?」なんて尋ねても、宮司さんが常駐している神社で宮司さんに尋ねたとしても、宮司さんだって、「そう聞いておるのですけれどもねえ」というくらいで、本当かどうかなんて、たいてい知らないと思う。
千葉県には、天神・天満・北野・菅原系の神社で全国的に有名な神社というのは、あまりない。 市川市の白幡天神社が規模としてはまあまあ大きいか。 山本博文監修『あなたの知らない千葉県の歴史』(2012.7.20.洋泉社 歴史新書)、それに千葉高等学校教育研究会歴史部会編『千葉県の歴史散歩』(2006.5.31.山川出版社)には、南房総市平久里中(へぐりなか)の平群(へぐり)天神社は、足利尊氏の嫡男 義詮(よしあきら)の執事だった細川清氏(きようじ)が北野天満宮から勧請したもので、『平群天神縁起絵巻』と呼ばれる中世の絵巻物が保存されていると出ている。こういった本に記載されている天神・天満・菅原・北野系神社というと、この南房総市平久里中の平群天神社くらいか。南房総市・・なんて言われても、房総半島の南の方だろうけれども、千倉なのか白浜なのか富山なのか冨浦なのか・・・なんか、いっぱいくっついて、どこやらようわからんが、平群中は、合併前の市町村としては富山になるようで、鋸南町に近い、南房総市の中では北の方のようだ。
千葉県では、全国的知名度の高い天神・天満・菅原・北野系神社は少ないが、地図を見ると、天満宮・菅原神社・・という名称の神社はけっこうある。 『県別マップル 千葉県道路地図』2020.7.5版(昭文社)を見ても、大網白里市でも、何か所も見える。
大網白里市大竹の天満宮に行ってみよう・・・と考えたのだが、『県別マップル 千葉県道路地図』2020.7.5版(昭文社)を見ると、赤色の国道ではなく、緑色の「主要地方道」ではなく、その次の黄色の「一般府県道」で、「主要地方道」の県道83号 山田台大網白里線の「大竹橋」という交差点と「主要地方道」の県道20号 千葉大網線(大網街道)とを結ぶ道路の北西側の山地にあるようだった。 それを、ヤフー地図で見ると、その黄色の「一般府県道」から階段でずいぶんと何段も上がるように見える。
なんか、かなわんなあ・・・、「若い頃」やったら、「なんだ、坂、こんな、坂♪ なんだ、こんな階段♪」と登るところでも、今まで頑張って生きてきたんだから、もう、しんどい思いはええわ・・・て気もするが、とりあえず、行ってみるとして、はたして、クルマを停める場所があるかどうか・・・。その「一般府県道」てクルマを停められるような場所あるだろうか。
そう思って行ってみたのだが・・・、ない! クルマを停められるような場所なんて見当たらない。
あきらめるか・・・と思って県道20号 千葉大網線(大網街道)を東に向かって走ると、左手に時間パーキングがあった。ここから歩くとけっこうありそうだな・・と思ったが、だからといって、「どこかの不動産屋のおばさん」みたいにコンビニの駐車場に長時間とめて行くというのも・・・、いいかどうかの前に、そんな「根性」ないもんなあ・・・。
※ [第76回]《建築屋のクルマの運転・停め方と不動産屋のクルマの運転・停め方~営業と会社の話(20)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201111article_3.html
「八千代市の建築もやってはいるけれども売買の不動産業が中心というP社にいた時、H店の「店長」をやっていたおばさん」の話、
[第192回]《クルマで移動する営業の心掛け、建築の住宅・不動産の住宅の営業の常識。 営業と言えない「女性営業」の話》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_2.html 〔3〕の「Oさん」の話
なんというのか、昔から言いますわなあ・・。
「女は弱し、されど、おばさんは強し」て。
ほんま、世の中、何が強いて、おばさんほど強いものはないわ!!! ほんと、男なんて、絶対に勝てるわけがない。
池波正太郎の『仕掛人 藤枝梅安』で、梅安と彦次郎とつきあうようになった剣客 小杉十五郎が仕掛人として生きようとするのに対して、梅安は「おやめなさい」と言い、「小杉さん、あなたは女を殺すことができますか」と尋ねる場面があった。「殺せないでしょう。たいていの男は、男を殺すことはできても、どんなに極悪人の女でも女を殺すことはできないものなんです。あなたは、女を殺せますか。できないでしょう。私は女を殺しましたよ。私はこの手で実の妹を殺しました。仕掛人というのは普通の人間ではないのです。あなたは、まだ、仕掛人ではなく普通の人間の側で生きていくことができる人です。だから、おやめなさい。仕掛人になろうとするなどは」と語る。なるほど・・・と思ったが、その前に、おばさん てのは、殺そうと思ったとしても、おばさん の方が強いのじゃないか。なおかつ、おばさん て、殺しても死なないのじゃないか??? ・・・て感じがする。
〔 1996年8月、浜松市のピアノ教師の女性を東京からクルマで高速道路をぶっとばして浜松まで行って、刃物で百カ所以上刺して殺した・・という(株)一条工務店の初代社長の息子で関連会社の(株)日信の社長になっていたという大澄隆史(男。当時、20代)というのは、池波正太郎『仕掛人 藤枝梅安』で梅安が「たいていの男は、男を殺すことはできてもどんなに極悪人の女でも女を殺すことはできないものなんです。それを殺す仕掛人というのは、普通の人間ではないのです」と語るその基準をもとに考えるならば、「普通の人間ではない」ということか・・。〕
それで、JR外房線より西、県道20号 千葉大網線(大網街道)の北側の時間パーキングに駐車して、歩いて行きました。
まず、水路を超える所に信号があり、そのまま西に行くと、北東のカドに「中華料理 鉄人」https://tetsujin-ooami.owst.jp/ という店がある信号がある交差点がある。ここを右折します(北側に行く)。 ここからが、『県別マップル 千葉県道路地図』2020.7.5版(昭文社)では黄色で書かれている「一般府県道」。
けっこうクルマが多い道で、歩道なんてなく歩きにくい道を道なりに進むと、向うの方にJR外房線の高架が見え、その右、外房線の右手前に変電所の鉄塔が見えてきます。↓

そのまま、JR外房線の線路をくぐって進みます。 ・・そういえば、昔の国鉄の電車・列車って、トイレで う〇こ しようとすると、下に線路の砂利が見えましたよね。 う〇こ すると、走行中に線路の上に撒き散らすことになったわけで、「停車中はトイレを使用しないでください」なんて表示があって、そんなこと言われても、我慢できるものなら電車中のトイレでやらずに下車して駅のトイレでやりまんがな、指定席買って乗った急行で、降りてしまうわけにいかんから列車のトイレに入ったのに、走り出すまで待て・・なんて言われても、出物腫物ところかまわず・・て言いまっしゃろが・・・というのはトイレを使用している側の論理。 旧国鉄の鉄橋の下をうかつに通ると、上から何やら降ってくる・・・・というおそれが、かつてはあった。
今から考えると、なんかすごいことやっていたように思う・・・・が、このJR外房線の「大網」駅の西の高架は、もとより、鉄橋がスケスケになって隙間があるわけではないし、きょうび、う〇こ すると線路に落下するトイレの電車というのは見かけなくなったから、下を通っても大丈夫だと思う・・・たぶん・・・。
逆に、同じ写真を撮るのなら、上を電車が走っている時に・・・なんて思っても、外房線はそれほど本数が多くないので、うまい具合に電車は来ない。↓

↑ これは、変電所と逆側、JR外房線をくぐった後、北東側から見たもの。
県道20号 千葉大網線(大網街道)より南側が みずほ台、北側が大網白里市池田、その北が大網白里市南玉(みなみだま)で、JR外房線の線路より北が大網白里市大竹(おおたけ)。
クルマがいっぱい走ってくる歩きにくい道を歩いていくと、向うの方に「そば」て幟、その向こうの山手にお墓が見える。↓

そのまま、道なりに進むと、今度は道の右側に「そば」て幟。↓

↑ この左の建物は、大竹公民館。 公民館の左手にも後ろの山に登る階段があるが・・・↓

↑ その階段は、お墓に上がる階段で、天満宮に行く階段ではない。

↑ 大竹公民館の横、紅葉がきれい・・だけれども、ここは天満宮に行く階段ではない。
大竹公民館の東側に分岐する道があるが、無視して「一般府県道」を進むとすぐ左手に、民家と民家の間、せま~い所に階段がある。↓

↑ クルマで走行中に横をチラッ、チラッと見るのでは見落とすが、歩いてならすぐにわかる。大網白里市駒込の天満宮には「天神」「天満」といった表示が見当たらなかったが、こちらの大網白里市大竹の天満宮は鳥居の中央に「天満宮」と札が出ている。↓


↑ 鳥居に比べて、「天満宮」と書かれた石の札はきれいで新しそうだ。
村上重良『国家神道』(1970.11.27.岩波新書)には、
《 こうして、神社は、官社(官弊社、国弊社)、府県社、郷社、村社および無格社と、五段階に序列化され、中央集権的に再編成された。地縁的な小神社では、もともと特定の祭神の神名をさだめていない神社が多かったが、この格づけの過程で、適宜、神明社としたり、復古神道系の祭神を官僚にえらんでもらったりした。 多元的な源流をもつ全国の神社を、津々浦々にいたるまで一元的に統制支配するこの措置は、神道の歴史をつうじて、前例のない徹底した神社制度であった。》
とあるが、「天満宮」という札だけ新しいということは、天満宮になったのはそう古くからではない・・という可能性が、可能性としては考えられる。 「商工民の神」を祀るような商工民の場所ではなく、「武士の神」を祀るような武士の場所でもなさそうで、「天候の神さん」を祀っていたのが菅原道真と習合して「天満宮」になった・・・という可能性の方が大きそうな感じがする・・・が、このあたりは大網白里市でも西より、千葉市緑区土気町(とけちょう)との境目に近い場所で、千葉市緑区土気町と大網白里市との境目付近の緑区土気町には「土気城跡」があり、その東側に、天満宮が4つほど(大網白里市金屋郷に2つ、大竹に1つ、池田に1つ)あるのが地図に見え、かつ、この付近限定では、他の神社よりも天満宮が多い・・ということは、「武士の神」としての天満宮だった可能性もないとはいえないか・・・・。


↑ 岩山切り落とし の横の階段を登ると、正面に祠。↓


しかし、2軒の民家の間の細長い土地を、片側は岩肌が出た山を切り落とした所を急な階段を登って行った山の上に祠がある神社とは・・。 もしかして、旧家の氏神さんだったものを、分家してどの家のものとしてではなく、独立した祠にしたので、それで、民家の背後の山の上にあって、そこに至る経路は細長い階段を登るものになっているのだろうか・・・。 それとも、逆に、このあたり一帯がこの神社だったのが、神社とそれ以外との境界が不明確だったところに、両側に民家が建ってきて、この細長い所が残ったのか・・・。
階段を登っていった山の上だけあって、見晴らしはいい♪

・・・で、これ ↓ は何だろうか・・・?

昭文社編集部編『千葉のトリセツ』(2020.1.1.昭文社)を見ると、国鉄→JRの大網駅は、かつては東金方面に向かうようにできていて、今の大網駅より少し北に駅があって、茂原・上総一ノ宮方面には、いったん、東金方面に向かって、スイッチバックで引き返すようになっていたそうで、又、土気駅ー大網駅間は、かつては急勾配で難所だったのが、1954年(昭和29年)にトンネルだった所を切通しにして、1972年(昭和47年)に外房線複線電化の際に、線路が改良されて土気ー大網間の急勾配もそれまでより緩やかになったそうで、経路もわずかに変更されたらしい・・・・が、もしかして、その跡? ・・・なんてことも考えたが、同書に掲載の地図を見ると、その場所はここではない・・・が、鉄道のトンネルか道路のトンネルか・・みたいな感じだが、何だろうなあ・・・。
大網白里市大竹の天満宮は、建物の中にもうひとつ祠がある。↓


↑ これが、菅原道真の像だということなのだろう。
内部に祠があるということは、外側の建物は、覆屋と考えることができるか・・・。
なんか、書状が貼られているので、なんだろう・・・と思って見ると、↓

↑ 「 国防資材ノ献納ヲ〇ウシ
感謝ニ耐ヘス茲ニ深厚ナル
謝意ヲ表ス
昭和十六年五月二十七日
陸軍大臣 東条英機
石井粂治殿
題目講連中 」
と書かれている。 昭和16年というと、1941年。
「行くよ、勇んで(1941)真珠湾」、真珠湾攻撃、太平洋戦争開始がこの1941年の12月。 その年の5月下旬。
日中戦争開始、盧溝橋事件が
「戦さ長引く(1937)、日中戦争」で1937年(昭和12年)。その4年後。
戦争の最中だが、「感謝ニ耐ヘス」と陸軍大臣 東条英機が言う「国防資材」とは何だったのだろう?
↑ のトンネルみたいのと関係あるのだろうか・・・。

↑ 社殿の左側(南側)も岩肌が見える絶壁。
南東を見て、階段を降りようとすると、


↑ 花がきれい。

↑ こちらの見晴らしもいい(^^♪

県道20号 千葉大網線(大網街道)から大網白里市大竹の天満宮の方へ曲がる北東側の角に「中華料理 鉄人」があり、その北あたりのお宅は店舗併用とされているようですが、昔ながらの家屋は玄関の部分だけ3尺出した作りの家になっている。(写真も撮らせてもらったが、店舗併用とはいえ個人の家なのでここでは公開しないことにしますが)
1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、設計担当のH田 靖(男。当時、20代。東洋大学工学部建築学科卒)が契約客に「玄関だけ出すというのは変だ」と言ってしかたがなかった。デザインについては「好みの問題」というのがあるわけで、その人間がいいと思ってもお施主さんがいいと思わないこともあり、設計担当者や営業担当者がいいと思わない場合でもお施主さんがいいと思う場合だってあるはずだ。 H田は静岡県出身だったはずだが(私なんかは、高校の時、親から「東大にでも行くのなら東京で下宿してでも行けばいいし行くべきやけれども、しょーもないアホでも行けるような私立大学に行くようなヤツが下宿して大学に行くことあらへん」と言われたもので、又、「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います」と言われ、「国立大学なら何学部でも学費は一緒や」と言っても、「100%絶対に国立大学に合格するとは決まってないでしょうが。落ちる可能性がたとえ0.1%でもあったら工学部なんて受けたらいかんでしょうがあ」と親から言われたものだったが、H田は東洋大なんて私立大学に行くのに東京で下宿してまで行かせてもらえる、東洋大なんて私立大学の工学部にでも行かせてもらえる・・なんて、よっぽど金持ちの親だったのだろうなあ・・・と思ったら、H田 靖の親は何やってる人間かというと、「中学校の校長先生」だということだった。中学校の校長先生というのは、相当給料高いらしい・・・)、東京や大阪で生まれ育ち、仕事も東京や大阪で勤務してきた人間ならともかく、静岡県の生まれで、福島県いわき市で勤務したのなら、玄関だけ前に出した家というのもけっこう見てきているはずで、家相の上で玄関が前に出るのがいいと言う人もいるということだって知っているはずだ。それをかっこいいと思うか思わないかは、それは「好みの問題」だが、「地方」で建てる人にはそうしてほしいと思う人はいるわけで、それを「玄関だけ前に出すのは変だ」と決めつけてしまう認識はどうかと思う。
玄関部分だけ前に出すと、その前に出した部分について、横方向に耐力壁が入れにくいということがあるのかもしれないが、それなら、片側に3尺だけ壁を取るか、もしくは、玄関扉の両側に2尺ずつ壁をとり、筋交いを耐力壁とするのなら幅3尺は必要だが、合板を耐力壁にするなら幅2尺でも耐力壁になるはずだから、玄関扉の両側に2尺ずつ壁を取ってそれぞれに合板を耐力壁として入れる・・という方法があるはずだ。
又、造作で出窓を造ることがあり、出窓状に出っ張った部分を基礎付きにすることもある。それを考えれば、玄関部分を相当長く出っ張らせるならともかく、3尺までなら前に出しても、横方向の耐力壁線は3尺までの範囲は同じ耐力壁線と考え、出っ張った部分については、基礎を鉄筋入りべた基礎とし、梁桁の部分に水平方向に合板を貼って固定するなどすれば持ちこたえるのではないか。もし、3尺の出なら無理ということなら、2尺とか1尺5寸の出とかいったやり方もあるのではないか。
そのあたりを考えずに、「玄関だけ前に出すのは変だ」と個人的な思いこみをお施主様に押しつけないとおれないという姿勢はどうかと思う。
ひとつには、営業の仕事をすると、その地域をおのれのクルマで走り、おのれの足で歩きして見てまわることになり、お施主様がそれまで住まれてきた家も見せてもらう機会を持つのに対して、設計の仕事をしていると会社の展示場の事務所にいるばかりで外を出歩く場合は遊びに行く時だけ・・・ということになるので、営業の仕事をやってきた者に比べて、その地域の家を見る機会がない・・ということはあるかもしれないが――この点において、設計が一番知らないという場合はけっこう多いのだが、ところが、見込客・契約客には「設計士さま」などと言って「設計」という職種名をつけている人間をありがたがる人がいるが、ばかばかしいことだ――、それにしても、その部分において、おのれの思いこみを客に押しつけ過ぎ・・・だったと思う。
又、本来、そのあたりを営業が言うべきなのだが、ところが難儀なことに、(株)一条工務店という会社では、営業本部長の天野隆夫が「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」などと命令するという会社だった。
「営業は(バカでも入れる私大の建築学科でたばかりに)設計にはどんなことでも服従しろ」とは、それは人権侵害である・・が、人権侵害をやりたがるのが営業本部長の天野隆夫だった。「設計はアホ大学の建築学科出て新卒入社したその日からお殿様」という(株)一条工務店の状態では、そんなことでは、いい家はできない! そのあたりを理解して、「営業の言うことに耳を傾け、工事担当の言うことに耳を傾け、職人や業者の言うことに耳を傾け、何よりお施主様の言うことに耳を傾けるのが設計が必要とされる第一の姿勢ですよ」と教えるべき立場の人間がその逆を命令していたのであるから、「貴闘力チャンネル」https://www.youtube.com/channel/UCNxyWUfEIBTV4I1C9E4OyCg で貴闘力が十両に昇進した息子に「勘違いしないこと。十両になれば付け人がつくけれども、自分のことは自分でやった方がいい。付け人をあごで使うなんてことはやってはだめ。」と語っていたが、その逆を「バカでも入れる私大の建築学科でたばかり」の人間にさせよう・・というのが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫だった。この男のその根性はその後もそう簡単には変わらないであろうし、(株)一条工務店のアホ設計もそう簡単に変わらないであろう。そんなことでは、(株)一条工務店は「その程度の会社」であり続けるであろう・・・と思っていたら、『会社四季報 未上場会社版 2021年版』(2020.11.10.東洋経済新報社)を見ると、《 戸建住宅業界で2位。沖縄除く約430拠点展開。高気密・好悪断熱などの省エネと太陽光による創エネを実現した住宅が特徴。省エネと快適性を両立する環境配備型の戸建住宅を供給。国が推進するZEHを上回るエネルギー削減・創出効果も。》などと書いてある。へえ~え・・・、驚いた。びっくらこっこした。あんないいかげんなろくでもない会社が「戸建住宅業界で2位」とは、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」と野村のじいさんも言うとったが、住宅建築業の他の会社はいったい何やっとるんや!!! ・・・
(株)一条工務店では、「大量仕入れでコストダウンをはかっています」とか工場見学会の時に説明係がマイク持って話していたのだが・・・「コストダウンの手段として『大量仕入れ』と別にもうひとつ、従業員の給料が安い! というのもあるのではないでしょうか」とベテランの某さんに話したところ・・・→「御名答。まさに、その通り~!!!」という返事だった。そういう会社である。一族だけ儲けとる会社が「戸建住宅業界で2位」なんてものになりよったんか・・。一族と浜松市だけが儲けとる会社がなあ~あ・・( 一一)( 一一)( 一一)
※ 《 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
負ける試合だとあきらめていたのに、相手投手が勝手に自滅してくれたり、野手が凡フライを落としてタイムリーエラーになったりして、勝利が勝手に転がり込むことがある。勝ちには「不思議な勝ち」があるものだ。一方で、負けには必ず理由があり、不運だけによる負けはない。負けに、「不思議の負け」はないのである。
だから、勝ったときには謙虚な気持ちを忘れてはいけないし、負けたときは常に「なぜ負けたのか」を分析して反省し、次の戦いに向けて対策を練らなければならない。その繰り返しが、常勝チームへ導く道となる。敗因は、徹底的に分析するのだ。・・・》
( 野村克也『野村の結論』2020.11.4.プレジデント社 )




( 山科けいすけ『C級サラリーマン講座』第721回 〔「ビッグコミック」2020.12.10号 小学館 ↓ 所収〕
![ビッグコミック 2020年 12/10 号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/51HUJhQvEdL.jpg)
ビッグコミック 2020年 12/10 号 [雑誌]
(2020.12.4.)
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 〔今回〕
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅。出入の厳重そうな東芝小向工場と管理不十分な(株)一条工務店・(株)日本産業の「いいかげんそう」工場 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html

千葉のトリセツ - 昭文社 旅行ガイドブック 編集部

あなたの知らない千葉県の歴史 (歴史新書) - 山本 博文

冤罪はこうして作られる (講談社現代新書) - 小田中 聰樹

無罪請負人 刑事弁護とは何か? (角川oneテーマ21) - 弘中 惇一郎
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