平群天神社(南房総市)参拝【2/3】伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。祭神:コノハナサクヤビメと菅原道真とタケミナカタ・アマテラスは・・
[第813回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第54念ー2
「平久里中」交差点のすぐ東の北側に、平群天神社 があります。


山本博文 監修『あなたの知らない 千葉県の歴史』(2012.7.20.洋泉社 歴史新書)には、
《 南房総市平群中(へぐりなか)に平群天神社(へぐりてんじんしゃ)という古社がある。 奇岩が突き出た標高336メートルの伊予が岳(いよがたけ)を背に鎮座しており、文和(ぶんな)2年(1353)、足利尊氏の嫡男・義詮(よしあきら)の執事だった細川清氏(ほそかわ きようじ)が京の北野天神を勧請したのが始まりであると伝えられている。》
と書かれている。 だから、そのまますべて史実かどうかはともかく、けっこう古くからある神社のようで、菅原道真を祀るのも、明治維新の後、「村の神さん」だった郷社に、維新政府が特定の「神さん」を指定したといったものとは違うようだ。
しかし、この平群天神社は何で知られているかというと、
《 この天神社に『平群天神縁起絵巻(へぐりてんじん えんぎえまき)』と呼ばれる中世の絵巻が保存されている。祭神である菅原道真の一代記を描いたもので、上中下の三巻からなるが、上中巻と下巻では制作者や制作時期が異なる。
上中巻は高級な雁皮紙(がんぴし)が用いられ、墨描きで輪郭を描いた上に彩色する大和(やまと)絵の技法で描かれている。松の葉に宋・元の水墨画の技法を用いるなど、鎌倉期絵画の特色を示しており、制作場所は鎌倉周辺、時期は鎌倉末期と推定されている。
注目すべきは下巻で、用紙には地元の平久里紙を使い、色彩感は上中巻より劣り技法も稚拙であるが、人物の表情など野趣(やしゅ)にあふれ、上中巻とは違った独特の魅力を放っている。
上中巻と下巻の制作時期が異なる謎を解くカギを握るのが、室町時代の中頃、同社の別当寺(べっとうじ)である神照寺(じんしょうじ)住職を務めた宥源(ゆうげん)である。 文安(ぶんあん)3年(1446年)、彼が記した下巻の跋文によると、宥源は甲州から平久里に移り住み朝夕天神社に参詣していた。ある年の熊野参詣の帰途、天竜川で船が転覆して水中に投げ出されかけたが、水底に天神社が現れて命を救われ、その後も霊験は数えきれなかったという。 宥源は鎌倉の建長寺で修業した経験もあることから、おそらく彼が鎌倉で上中巻を手に入れて上総にもたらし、欠けていた下巻を地元の無名の絵師に描かせて天神社に奉納したのだろう。東国の地方神社の天神絵が残されている例はきわめて珍しく、この絵巻も氏子によってかろうじて散逸を免れたという。人々の努力によって、中世房総の貴重な文化は守り伝えられてきたのである。 》
と書かれている、その『平群天神縁起絵巻』でこの平群天神社は知られている。
千葉県高等学校教育研究会歴史部会編『千葉県の歴史散歩』(2006.5.31.山川出版社)には、
《 ・・ここには紙本著色(しほんちゃくしょく)天神縁起(てんじんえんぎ)絵巻(県指定有形文化財)がある。 これは菅原道真の一代記を描いたもので、全3巻からなる。
上・中巻は土佐派の絵師によるもので、室町時代の作と考えられている。
下巻には、1446(文安 ぶんあん 3)年に地元の絵師 歩石 によって描かれたことが記されており、この巻だけは地元産の平久里(へぐり)和紙が使われている。・・》
と書かれており、こちらの文章によると、下巻は「無名の絵師」ではなく「歩石」という「地元の絵師」によるものらしい。
現地の説明書きを見ると、
《 明徳2年(1393年)-文安3年(1446年)の頃 神照寺 住職 宥源 によって納められた。 菅原道真の一代記で昭和37年(1962年) 県有形文化財に指定された。》
と書かれている。
何で知られる神社かというと、その『平群天神縁起絵巻(へぐりてんじん えんぎえまき)』『紙本著色(しほんちゃくしょく)天神縁起(てんじんえんぎ)絵巻』という菅原道真の一代記を描いた絵巻で知られる・・ということなので、神社の建物や境内はそれほどたいしたことない神社かな・・・と思って来たのだが・・・、そうではない。まず、背景の山が独特のものですごい!
山本博文 監修『あなたの知らない 千葉県の歴史』(2012.7.20.洋泉社 歴史新書)には、《奇岩が突き出た標高336メートルの伊予が岳(いよがたけ)を背に鎮座しており》と書かれているが、伊予が岳と平群天神社をともに見ると、聖地とでもいった感覚になる。


↑ 鋸山の「地獄のぞき」もなかなかのものだが・・、
※《朝日新聞デジタル 鋸山》https://www.asahi.com/and_travel/20190611/98671/
《ウィキペディアー鋸山》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8B%B8%E5%B1%B1_(%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C)
この伊予が岳の山頂もまた、なかなかの景観だ。富津市の金谷とその南の鋸南町との境目に鋸山があり、伊予が岳は鋸南町とその南の南房総市の旧 富山町 地区との境目付近の旧 富山町地区 にある。鋸山の北側は、かつては「房州石」と言われる石を採った所で、鋸山日本寺にも、採石場の後に像を彫ったという所がある。おそらく、鋸山と伊予が岳とはほぼ同じ房州石でできているのではないか。 鋸山の「地獄のぞき」も伊予が岳の山頂部も、おそらく、降雨で房州石の表面の土を流れ落して石というのか岩というのかの部分が残ってこの形状になったのではないだろうか。
現地の説明書きによると、
《 伊予ヶ岳(嶽)
・・・富山・御殿山とともに富山三山の一つで、”岳”と呼ばれるその山容は、高く険しく奇岩がそびえ立つ、南房総の名山である。・・
山名の由来は、阿波斎部(あわ いみべ)氏のふるさと四国の最高峰 石鎚山(いしづちやま)・別名「伊予の大岳」からでていて、頂上の小平坦地には少彦名命(すくなひこなのみこと)をまつる石祠が安置されていた。
県立自然公園の指定を受け、割れた岩峰からの眺望はすばらしく全方位におよぶ。・・・
頂上近くには、雨乞いの青龍権現(せいりゅうごんげん)がまつられ、中腹には頼朝ゆかりの「鳩穴(はとあな)」がある。 また、ふもとの天神社とともに、天狗伝説がかたりつがれている。》
と書かれている。
地図を見ると、平群天神社の西南西あたりに、富山の西南西に「八犬伝 伏媛籠穴」があるらしい。《頼朝ゆかりの「鳩穴」》に「八犬伝 布施姫 籠穴」と、「穴」があるというのは、房州石の岩から土の部分が雨水で流れてできた「穴」がある山がこの付近にあるということではないか。
山本博文 監修『あなたの知らない 千葉県の歴史』(2012.7.20.洋泉社 歴史新書)の《『南総里見八犬伝』のモデルに安房里見家がなったのはなぜ?》で、
《 ・・(滝沢)馬琴は、そんな超大作(『南総里見八犬伝』)を執筆するにあたって、里見氏ゆかりの地であう安房を取材で訪ねたことはなかった。主人公の八犬士の名前は、当時の辞書『書言字考節用集(しょげんじこうせつようしゅう)』に載っていた「里見八犬士」の名前から取り、時代背景や地理も文献資料や地図をもとに描写していったという。『八犬伝』以前からすでに売れっ子作家だったので、忙しくて安房を実地調査する時間がなかったのかもしれない。・・・》
と書かれているのだが、伏姫が妖犬 八房と富山の洞穴で同棲したといった話は、その地域の山に「穴」があるということを知らないと書けないのではないか。山にはどこの山にでも「穴」があるわけではないはずなのだ。 鎌倉市の鎌倉宮の後ろに大塔宮護良親王が幽閉されていた穴だというものがあるが、それは後から創作した話であろうと思われ、どう考えても、人が長期にわたって住めるような「穴」ではないが、鎌倉にも山に「穴」があちらこちらにある。 鋸山から富山・伊予が岳あたりにかけて、房州石と言われる岩に土が堆積した山には、部分部分において土が雨で流れ出して岩に「穴」がある所ができたのではないか。 《時代背景や地理も文献資料や地図をもとに描写していった》というが、それだけで書けたとしたらたいしたもので、本人は現地に行ったことがなかったとしても、「弟子」か「出版社の担当者」か誰かが取材に行ったとか、そういったことはなかったのだろうか。もしくは、実際に取材に行って者が書いた話に「ベストセラー作家」滝沢馬琴の名前をつけて出版した、あるいは、滝沢馬琴が手を加えて出版した、ということはないか?
この天神社のあたりから伊予が岳に登ることができるらしいが、私は天神社に参拝したものの、伊予が岳へは上らなかったが、下から見ても、たしかに、天狗が出てきそうな形容の山だ。
現地の説明書きによると、
《 祭神 菅原 道真 公
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
天照大日孁貴命(あまてるおおひるめのむちのみこと)
建御名方神(たけみなかたのかみ) 》
とあるが、この組み合わせは、どう考えたものだろう。
コノハナサクヤビメは、《大山津見神の娘で石長比売の妹。天照大御神の孫である邇邇芸命との間に火照命(海幸彦)・火須勢理命・火遠理命(山幸彦)を生んだ》という女性で、《富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られている。》(《ウィキペディアーコノハナサクヤビメ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A4%E3%83%93%E3%83%A1 )というように、山岳の神社で祀られる神であり、この平群天神社が背後の伊予が岳のふもとの神社という性格を持つことから、「山の神さん」を祀っているのではないか。
《ウィキペディアー天照大神》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%A4%A7%E7%A5%9E には、《『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)》 《「大日孁貴神」の「ムチ」とは「貴い神」を表す尊称とされ、神名に「ムチ」が附く神は大日孁貴神のほかには大己貴命(オオナムチ、大国主)、道主貴(ミチヌシノムチ、宗像大神)などわずかしか見られない。》と出ており、天照大日孁貴命(あまてるおおひるめのむちのみこと)はアマテラスの尊称ということか。
タケミナカタ(建御名方神)は、出雲系の神で、高天原系のタケミカヅチとの武闘派対決で敗れて、信濃の諏訪まで逃げて行ったと『古事記』には出ている神で、高天原系のアマテラスと出雲系のタケミナカタが一緒に祀られているということは、どういうことだろう。 現地の伊予が岳についての説明書きに《頂上の小平坦地には少彦名命(すくなひこなのみこと)をまつる石祠が安置されていた》とあり、オオクニヌシと協力した少彦名が祀られていたことから、オオクニヌシの息子のタケミナカタが祀られているのか? しかし、それなら、少彦名そのものでなし、オオクニヌシでもなし、タケミナカタなのはなぜか?
関裕二氏の本によると、出雲から日本海沿いに新潟県まで、タケミナカタを祀る神社が存在し、さらに、信濃川を遡って諏訪盆地に至るまで、タケミナカタを祀る神社が連続的に存在しているらしい。 タケミナカタは実在した人物で、高天原系の勢力に敗れた出雲系の者が、抵抗しながらも敗北を続けて日本海側を北上して信濃川を遡って諏訪まで行った、という可能性を関裕二氏は指摘しているが、もしかして、ここにも、実在したタケミナカタの関係者がやってきて、山間部に住みついたとかいったことがあったのだろうか。
しかし、それなら、高天原系のアマテラスもともに祀っているのはなぜか。 伊予が岳に陽が当たったところを念頭に、アマテラスは単に太陽の神・日光の神としてなのか。
コノハナサクヤビメは、伊予が岳から「山岳の神」として祀られたか、という感じだが、アマテラスは伊予が岳に陽が当たった情景から太陽の神としてなのか? タケミナカタはどういう経緯だろう?
室町時代に、細川清氏が菅原道真を北野天満宮から勧請して祀るようになった・・というが、それより前から、「伊予が岳のふもとの神社」として祀られてきたということはないか? その祭神がコノハナサクヤビメではなかったか。 後から菅原道真を合祀して、菅原道真の方が第一番目の祭神になったが、もとは「山岳の神」を祀る神社で、それがコノハナサクヤビメではないか。
アマテラスは権力に従順ですよおというアピールなのか、それとも、伊予が岳に太陽が当たった情景から、太陽の神を祀ったのか。
タケミナカタは、やっぱり、その子孫か関係者がこの付近に来たのか、それとも、鹿島神宮・香取神宮のあたりの勢力がタケミカヅチ・フツヌシを祀るので、安房地方ではそれに対抗して、タケミカヅチ・フツヌシの対抗する神としてタケミナカタを祀ったのか?
「天狗伝説」もあるというから、コノハナサクヤビメも天狗とともに、山岳にかかわりがある神として祀られたのではないかと思われるが、タケミナカタはどういう経緯だろう。
鳥居をくぐって参道を進みます。左手(西側)の大きな木は、「くすの木」↓


《 南房総市指定文化財 平群天神社クスノ木
昭和39年(1964年)11月5日指定
天神社参道にそびえるこのクスノキは約千年前に住民が植えたものと言い伝えられる。 手前のクスノキは幹周囲四百三十五cm、樹高十五m、神社寄りのクスノキは幹周囲四百二十五cm、樹高二十五mである。 両者を「夫婦クスノキ」と呼び手前を「女木」 神社寄りのものを「男木」といい、御神木となっている。 また、この「夫婦クスノキ」の樹霊にまつわる言い伝えには、伊予が岳に住んでいたといわれる天狗の伝説が多数ある。
南房総市教育委員会 》
と、現地の説明書きにかかれている。
これは、枝分かれしたものか、2本の木が合わさってくっついたものか、どちらだろうなあ・・と思ったのだが、説明書きの文章によると、2本の木が合わさった、ということらしい。

↑ 平群天神社 の 拝殿が見えてきました。 右は手水舎。 背後に伊予が岳が見えて、この組み合わせはいいですね。

↑ 手水舎。 手水には梅鉢の紋が入っています。
クルマが停まっているのが見えますが、この右方にかけて、伊予ヶ岳 登山者用駐車場と書かれており、道路のすぐ北の鳥居の下をクルマがくぐって通り、この狛犬の向こう側まで来れるようになっています。
神職は常駐していない神社ですが、 ↑ の狛犬の右手前にトイレとベンチがあります。

次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html 、平群天神社 社殿 と 朝日山 神照寺・・
(2021.1.4.)
☆ 平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。 〔今回〕
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
☆ 岩井市部天満神社(南房総市 市部)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
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神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅。出入の厳重そうな東芝小向工場と管理不十分な(株)一条工務店・(株)日本産業の「いいかげんそう」工場 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html

事実とは何か (朝日文庫 ほ 1-12) - 本多 勝一

裁判官はなぜ誤るのか (岩波新書) - 秋山 賢三

「困った」裁判官―独占公開!日弁連「問題裁判」実例アンケート (別冊宝島Real (#006))

消された政治家・菅原道真 (文春新書) - 平田 耿二
「平久里中」交差点のすぐ東の北側に、平群天神社 があります。


山本博文 監修『あなたの知らない 千葉県の歴史』(2012.7.20.洋泉社 歴史新書)には、
《 南房総市平群中(へぐりなか)に平群天神社(へぐりてんじんしゃ)という古社がある。 奇岩が突き出た標高336メートルの伊予が岳(いよがたけ)を背に鎮座しており、文和(ぶんな)2年(1353)、足利尊氏の嫡男・義詮(よしあきら)の執事だった細川清氏(ほそかわ きようじ)が京の北野天神を勧請したのが始まりであると伝えられている。》
と書かれている。 だから、そのまますべて史実かどうかはともかく、けっこう古くからある神社のようで、菅原道真を祀るのも、明治維新の後、「村の神さん」だった郷社に、維新政府が特定の「神さん」を指定したといったものとは違うようだ。
しかし、この平群天神社は何で知られているかというと、
《 この天神社に『平群天神縁起絵巻(へぐりてんじん えんぎえまき)』と呼ばれる中世の絵巻が保存されている。祭神である菅原道真の一代記を描いたもので、上中下の三巻からなるが、上中巻と下巻では制作者や制作時期が異なる。
上中巻は高級な雁皮紙(がんぴし)が用いられ、墨描きで輪郭を描いた上に彩色する大和(やまと)絵の技法で描かれている。松の葉に宋・元の水墨画の技法を用いるなど、鎌倉期絵画の特色を示しており、制作場所は鎌倉周辺、時期は鎌倉末期と推定されている。
注目すべきは下巻で、用紙には地元の平久里紙を使い、色彩感は上中巻より劣り技法も稚拙であるが、人物の表情など野趣(やしゅ)にあふれ、上中巻とは違った独特の魅力を放っている。
上中巻と下巻の制作時期が異なる謎を解くカギを握るのが、室町時代の中頃、同社の別当寺(べっとうじ)である神照寺(じんしょうじ)住職を務めた宥源(ゆうげん)である。 文安(ぶんあん)3年(1446年)、彼が記した下巻の跋文によると、宥源は甲州から平久里に移り住み朝夕天神社に参詣していた。ある年の熊野参詣の帰途、天竜川で船が転覆して水中に投げ出されかけたが、水底に天神社が現れて命を救われ、その後も霊験は数えきれなかったという。 宥源は鎌倉の建長寺で修業した経験もあることから、おそらく彼が鎌倉で上中巻を手に入れて上総にもたらし、欠けていた下巻を地元の無名の絵師に描かせて天神社に奉納したのだろう。東国の地方神社の天神絵が残されている例はきわめて珍しく、この絵巻も氏子によってかろうじて散逸を免れたという。人々の努力によって、中世房総の貴重な文化は守り伝えられてきたのである。 》
と書かれている、その『平群天神縁起絵巻』でこの平群天神社は知られている。
千葉県高等学校教育研究会歴史部会編『千葉県の歴史散歩』(2006.5.31.山川出版社)には、
《 ・・ここには紙本著色(しほんちゃくしょく)天神縁起(てんじんえんぎ)絵巻(県指定有形文化財)がある。 これは菅原道真の一代記を描いたもので、全3巻からなる。
上・中巻は土佐派の絵師によるもので、室町時代の作と考えられている。
下巻には、1446(文安 ぶんあん 3)年に地元の絵師 歩石 によって描かれたことが記されており、この巻だけは地元産の平久里(へぐり)和紙が使われている。・・》
と書かれており、こちらの文章によると、下巻は「無名の絵師」ではなく「歩石」という「地元の絵師」によるものらしい。
現地の説明書きを見ると、
《 明徳2年(1393年)-文安3年(1446年)の頃 神照寺 住職 宥源 によって納められた。 菅原道真の一代記で昭和37年(1962年) 県有形文化財に指定された。》
と書かれている。
何で知られる神社かというと、その『平群天神縁起絵巻(へぐりてんじん えんぎえまき)』『紙本著色(しほんちゃくしょく)天神縁起(てんじんえんぎ)絵巻』という菅原道真の一代記を描いた絵巻で知られる・・ということなので、神社の建物や境内はそれほどたいしたことない神社かな・・・と思って来たのだが・・・、そうではない。まず、背景の山が独特のものですごい!
山本博文 監修『あなたの知らない 千葉県の歴史』(2012.7.20.洋泉社 歴史新書)には、《奇岩が突き出た標高336メートルの伊予が岳(いよがたけ)を背に鎮座しており》と書かれているが、伊予が岳と平群天神社をともに見ると、聖地とでもいった感覚になる。


↑ 鋸山の「地獄のぞき」もなかなかのものだが・・、
※《朝日新聞デジタル 鋸山》https://www.asahi.com/and_travel/20190611/98671/
《ウィキペディアー鋸山》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8B%B8%E5%B1%B1_(%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C)
この伊予が岳の山頂もまた、なかなかの景観だ。富津市の金谷とその南の鋸南町との境目に鋸山があり、伊予が岳は鋸南町とその南の南房総市の旧 富山町 地区との境目付近の旧 富山町地区 にある。鋸山の北側は、かつては「房州石」と言われる石を採った所で、鋸山日本寺にも、採石場の後に像を彫ったという所がある。おそらく、鋸山と伊予が岳とはほぼ同じ房州石でできているのではないか。 鋸山の「地獄のぞき」も伊予が岳の山頂部も、おそらく、降雨で房州石の表面の土を流れ落して石というのか岩というのかの部分が残ってこの形状になったのではないだろうか。
現地の説明書きによると、
《 伊予ヶ岳(嶽)
・・・富山・御殿山とともに富山三山の一つで、”岳”と呼ばれるその山容は、高く険しく奇岩がそびえ立つ、南房総の名山である。・・
山名の由来は、阿波斎部(あわ いみべ)氏のふるさと四国の最高峰 石鎚山(いしづちやま)・別名「伊予の大岳」からでていて、頂上の小平坦地には少彦名命(すくなひこなのみこと)をまつる石祠が安置されていた。
県立自然公園の指定を受け、割れた岩峰からの眺望はすばらしく全方位におよぶ。・・・
頂上近くには、雨乞いの青龍権現(せいりゅうごんげん)がまつられ、中腹には頼朝ゆかりの「鳩穴(はとあな)」がある。 また、ふもとの天神社とともに、天狗伝説がかたりつがれている。》
と書かれている。
地図を見ると、平群天神社の西南西あたりに、富山の西南西に「八犬伝 伏媛籠穴」があるらしい。《頼朝ゆかりの「鳩穴」》に「八犬伝 布施姫 籠穴」と、「穴」があるというのは、房州石の岩から土の部分が雨水で流れてできた「穴」がある山がこの付近にあるということではないか。
山本博文 監修『あなたの知らない 千葉県の歴史』(2012.7.20.洋泉社 歴史新書)の《『南総里見八犬伝』のモデルに安房里見家がなったのはなぜ?》で、
《 ・・(滝沢)馬琴は、そんな超大作(『南総里見八犬伝』)を執筆するにあたって、里見氏ゆかりの地であう安房を取材で訪ねたことはなかった。主人公の八犬士の名前は、当時の辞書『書言字考節用集(しょげんじこうせつようしゅう)』に載っていた「里見八犬士」の名前から取り、時代背景や地理も文献資料や地図をもとに描写していったという。『八犬伝』以前からすでに売れっ子作家だったので、忙しくて安房を実地調査する時間がなかったのかもしれない。・・・》
と書かれているのだが、伏姫が妖犬 八房と富山の洞穴で同棲したといった話は、その地域の山に「穴」があるということを知らないと書けないのではないか。山にはどこの山にでも「穴」があるわけではないはずなのだ。 鎌倉市の鎌倉宮の後ろに大塔宮護良親王が幽閉されていた穴だというものがあるが、それは後から創作した話であろうと思われ、どう考えても、人が長期にわたって住めるような「穴」ではないが、鎌倉にも山に「穴」があちらこちらにある。 鋸山から富山・伊予が岳あたりにかけて、房州石と言われる岩に土が堆積した山には、部分部分において土が雨で流れ出して岩に「穴」がある所ができたのではないか。 《時代背景や地理も文献資料や地図をもとに描写していった》というが、それだけで書けたとしたらたいしたもので、本人は現地に行ったことがなかったとしても、「弟子」か「出版社の担当者」か誰かが取材に行ったとか、そういったことはなかったのだろうか。もしくは、実際に取材に行って者が書いた話に「ベストセラー作家」滝沢馬琴の名前をつけて出版した、あるいは、滝沢馬琴が手を加えて出版した、ということはないか?
この天神社のあたりから伊予が岳に登ることができるらしいが、私は天神社に参拝したものの、伊予が岳へは上らなかったが、下から見ても、たしかに、天狗が出てきそうな形容の山だ。
現地の説明書きによると、
《 祭神 菅原 道真 公
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
天照大日孁貴命(あまてるおおひるめのむちのみこと)
建御名方神(たけみなかたのかみ) 》
とあるが、この組み合わせは、どう考えたものだろう。
コノハナサクヤビメは、《大山津見神の娘で石長比売の妹。天照大御神の孫である邇邇芸命との間に火照命(海幸彦)・火須勢理命・火遠理命(山幸彦)を生んだ》という女性で、《富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られている。》(《ウィキペディアーコノハナサクヤビメ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A4%E3%83%93%E3%83%A1 )というように、山岳の神社で祀られる神であり、この平群天神社が背後の伊予が岳のふもとの神社という性格を持つことから、「山の神さん」を祀っているのではないか。
《ウィキペディアー天照大神》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%A4%A7%E7%A5%9E には、《『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)》 《「大日孁貴神」の「ムチ」とは「貴い神」を表す尊称とされ、神名に「ムチ」が附く神は大日孁貴神のほかには大己貴命(オオナムチ、大国主)、道主貴(ミチヌシノムチ、宗像大神)などわずかしか見られない。》と出ており、天照大日孁貴命(あまてるおおひるめのむちのみこと)はアマテラスの尊称ということか。
タケミナカタ(建御名方神)は、出雲系の神で、高天原系のタケミカヅチとの武闘派対決で敗れて、信濃の諏訪まで逃げて行ったと『古事記』には出ている神で、高天原系のアマテラスと出雲系のタケミナカタが一緒に祀られているということは、どういうことだろう。 現地の伊予が岳についての説明書きに《頂上の小平坦地には少彦名命(すくなひこなのみこと)をまつる石祠が安置されていた》とあり、オオクニヌシと協力した少彦名が祀られていたことから、オオクニヌシの息子のタケミナカタが祀られているのか? しかし、それなら、少彦名そのものでなし、オオクニヌシでもなし、タケミナカタなのはなぜか?
関裕二氏の本によると、出雲から日本海沿いに新潟県まで、タケミナカタを祀る神社が存在し、さらに、信濃川を遡って諏訪盆地に至るまで、タケミナカタを祀る神社が連続的に存在しているらしい。 タケミナカタは実在した人物で、高天原系の勢力に敗れた出雲系の者が、抵抗しながらも敗北を続けて日本海側を北上して信濃川を遡って諏訪まで行った、という可能性を関裕二氏は指摘しているが、もしかして、ここにも、実在したタケミナカタの関係者がやってきて、山間部に住みついたとかいったことがあったのだろうか。
しかし、それなら、高天原系のアマテラスもともに祀っているのはなぜか。 伊予が岳に陽が当たったところを念頭に、アマテラスは単に太陽の神・日光の神としてなのか。
コノハナサクヤビメは、伊予が岳から「山岳の神」として祀られたか、という感じだが、アマテラスは伊予が岳に陽が当たった情景から太陽の神としてなのか? タケミナカタはどういう経緯だろう?
室町時代に、細川清氏が菅原道真を北野天満宮から勧請して祀るようになった・・というが、それより前から、「伊予が岳のふもとの神社」として祀られてきたということはないか? その祭神がコノハナサクヤビメではなかったか。 後から菅原道真を合祀して、菅原道真の方が第一番目の祭神になったが、もとは「山岳の神」を祀る神社で、それがコノハナサクヤビメではないか。
アマテラスは権力に従順ですよおというアピールなのか、それとも、伊予が岳に太陽が当たった情景から、太陽の神を祀ったのか。
タケミナカタは、やっぱり、その子孫か関係者がこの付近に来たのか、それとも、鹿島神宮・香取神宮のあたりの勢力がタケミカヅチ・フツヌシを祀るので、安房地方ではそれに対抗して、タケミカヅチ・フツヌシの対抗する神としてタケミナカタを祀ったのか?
「天狗伝説」もあるというから、コノハナサクヤビメも天狗とともに、山岳にかかわりがある神として祀られたのではないかと思われるが、タケミナカタはどういう経緯だろう。
鳥居をくぐって参道を進みます。左手(西側)の大きな木は、「くすの木」↓


《 南房総市指定文化財 平群天神社クスノ木
昭和39年(1964年)11月5日指定
天神社参道にそびえるこのクスノキは約千年前に住民が植えたものと言い伝えられる。 手前のクスノキは幹周囲四百三十五cm、樹高十五m、神社寄りのクスノキは幹周囲四百二十五cm、樹高二十五mである。 両者を「夫婦クスノキ」と呼び手前を「女木」 神社寄りのものを「男木」といい、御神木となっている。 また、この「夫婦クスノキ」の樹霊にまつわる言い伝えには、伊予が岳に住んでいたといわれる天狗の伝説が多数ある。
南房総市教育委員会 》
と、現地の説明書きにかかれている。
これは、枝分かれしたものか、2本の木が合わさってくっついたものか、どちらだろうなあ・・と思ったのだが、説明書きの文章によると、2本の木が合わさった、ということらしい。

↑ 平群天神社 の 拝殿が見えてきました。 右は手水舎。 背後に伊予が岳が見えて、この組み合わせはいいですね。

↑ 手水舎。 手水には梅鉢の紋が入っています。
クルマが停まっているのが見えますが、この右方にかけて、伊予ヶ岳 登山者用駐車場と書かれており、道路のすぐ北の鳥居の下をクルマがくぐって通り、この狛犬の向こう側まで来れるようになっています。
神職は常駐していない神社ですが、 ↑ の狛犬の右手前にトイレとベンチがあります。

次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html 、平群天神社 社殿 と 朝日山 神照寺・・
(2021.1.4.)
☆ 平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。 〔今回〕
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
☆ 岩井市部天満神社(南房総市 市部)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
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5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅。出入の厳重そうな東芝小向工場と管理不十分な(株)一条工務店・(株)日本産業の「いいかげんそう」工場 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html

事実とは何か (朝日文庫 ほ 1-12) - 本多 勝一

裁判官はなぜ誤るのか (岩波新書) - 秋山 賢三

「困った」裁判官―独占公開!日弁連「問題裁判」実例アンケート (別冊宝島Real (#006))

消された政治家・菅原道真 (文春新書) - 平田 耿二
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