夏目漱石『門』で学ぶ「『唐紙(からかみ)』とは何か」。私が肉体労働していた時に図書館で法律の本を読んで司法試験に通った男。私なら行かせてもらえない神学大に行った「家が貧乏やった」と称する牧師屋。私なら行かせてもらえない工学部に行ったラーメン屋の息子と中学校の校長先生の息子。
[第817回]
「唐紙(からかみ)」て何か知ってますか?
「唐(とう)」というのは中国の隋(ずい)の次の王朝の名前が「唐(とう)」で、朝鮮の新羅が百済を攻めた時に、普通に考えれば日本にとっては新羅と百済とでは、どっちが勝とうが日本には関係ないみたいな感じ、トランプが勝とうがバイデンが勝とうがそれはアメリカ合衆国の話・・・みたいな感じのものなのだが、『古事記』など見ると、大和朝廷は新羅を攻撃することが多いのだが、新羅が百済を攻めた時も大和朝廷の中大兄が滅亡直前の百済を救援するために軍を派遣して、新羅+唐 の連合軍に百済+大和朝廷の連合軍が白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)で大敗した・・ということがあったその「唐」なのか? 中国由来のものでも、唐(とう)の時代の様式のものということか?・・とすると「とうがみ」ではなく「からかみ」と読むのはな~んでだ? それとも、江戸時代後半では、ともかく欧米の国はすべて「オランダ」と言ったごとく、中国方面は何でも「唐(から)」だったのか?
《ウィキペディアー唐紙》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E7%B4%99
《 唐紙(からかみ)とは、中国から渡来した紙、もしくはそれを模して作られた紙のこと。平安時代には書道や消息(手紙)で装飾性の高い料紙として用いられた。中世ごろからは、主に襖に貼る加工紙の一種として用いられた。産地・特徴において、京から紙と江戸から紙の2系統に分かれる。 》
要するに、襖紙(ふすまがみ)のことか・・・と言うと怒られるかもしれんが、間違いではない。
《京からかみ 株式会社丸二》https://maruni-kyoto.co.jp/karakami/ には、
《 唐紙は、もともと中国から輸入した紙のことです。外国産のものを唐物というように、外国の紙という意味になりますが、一般的には中国渡来の紙のことをさします。
唐紙は、遣唐使時代に輸入されていて、和紙がまだない時代から使われていました。
天平時代には遣唐使廃止により輸入されなくなった唐紙に代わって、国内で生産した和製の唐紙ができていたようです。
やがて貴族たちが詩や和歌を書き、写経をする料紙として愛用した唐紙の中に文様を施したものが出てきました。紋唐紙と呼ばれるもので、襖紙として使用される唐紙は、この紋唐紙が原型となっています。
輸入がストップした後、国内でまず美術料紙として作り始められ、生産量の確保と共に襖障子用に進出したと推測されます。
そして、唐紙は襖より先に障子紙として使われることが多かったようです。 》
と書かれている。 襖紙(ふすまがみ)で間違いではないが、「唐紙(からかみ)」と言うと安物の襖紙(ふすまがみ)ではなく、襖紙(ふすまがみ)でも比較的高級なもののようだ。
もっとも。 「白紙(894)に戻す遣唐使」、遣唐使の廃止は894年、平安時代、菅原道真の建言で廃止されたことになっていたはずで(菅原道真がどうということではなく、菅原道真がどうこう言う前から廃止は決まっていたという説もあるらしいが)、「天平時代」はそれより前なので、その部分についての記述は少々「?」なところがあるが。
戸建住宅建築業の会社に長く勤めてきたので、今は「唐紙(からかみ)」とは何か知っているが、最初は知らなかった。 1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ でお客様から「唐紙(からかみ)」と言われて、何のことだろうと思ったのだが、又、なんで、「襖紙(ふすまがみ)」と言わずに「唐紙(からかみ)」なんてまわりくどい言い方するんだ・・とも思ったが、「唐紙(からかみ)」と「襖紙(ふすまがみ)」はまったく同じ意味というわけでもなく、「唐紙(からかみ)」と言った方が手がこんだ高級品のイメージが言葉にある。 安もんの襖紙(ふすまがみ)を「唐紙(からかみ)」とは言わないのではないか。
・・もっとも、言葉の使用法は人それぞれなので、安もんの襖紙でも「唐紙(からかみ)」と言う人もいるかもしれないし、そうやって使われていくと、いつしか、「襖紙(ふすまがみ)」が「唐紙(からかみ)」になるかもしれない。
「じゅらく壁」「京壁」だって、笠井一子(かさい かずこ)『京の大工棟梁と七人の職人衆』(1999.7.19.草思社)によると、もともとは、京都の「聚楽(じゅらく)」と言われる地域で採れた土(京都で「聚楽土(じゅらくつち)」、大阪で「京土(きょうつち)」と言った土)を使って塗った土壁のことを京都では「じゅらく壁」、大阪では「京壁」と言ったらしいが、「聚楽(じゅらく)」と言われる場所というと京都の二条城のあたりで街中であって土なんて採れる場所ではなく、それにもかかわらず、最近では「聚楽(じゅらく)土」を使っていないのに、単に塗壁のことを「じゅらく壁」とか「京壁」なんて言っているし〔(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の展示場で、営業のおっさんに、「『じゅらく壁』て、どういう意味ですか」とお客さんが質問すると、「『じゅらく』つったら、塗壁のこと」とか、おっさん、かなりいいかげんなこと言うとるし・・実際、「塗壁のこと」を(株)一条工務店はカタログに「京壁」とか「じゅらく壁」とか書いとったし・・・。「珪藻じゅらく」なんてようわからん名称の商品も出ていて、「珪藻土」なのか「じゅらく土」なのかというと、「珪藻土」を使用した「『じゅらく壁』風の塗壁」という意味だと思うが・・〕、「唐紙(からかみ)」という用語も意味が変わっていくかもしれない。

京の大工棟梁と七人の職人衆 - 一子, 笠井
戸建住宅建築業の業界に勤めるまで、「唐紙(からかみ)」という言葉は聞いたことがないような気がしていたのだったが、実はそうではなかった。 夏目漱石『門』に「唐紙(からかみ)」という言葉が出ていて、読んでいた。
《 「小六さん、茶の間から始めて。それとも座敷の方から先にして」と御米が聞いた。
小六は四五日前とうとう兄の所へ引き移った結果として、今日の障子の張替を手伝わなければならない事となった。彼は昔し叔父の家に居た時、安之助と一所になって、自分の部屋の唐紙を張り替えた経験がある。その時は糊(のり)を盆に溶いたり、箆(へら)を使ってみたり、大分本式に遣り出したが、首尾好く乾かして、いざ元の所へ建てるという段になると、二枚とも反(そ)っ繰り返って敷居の溝へ嵌(は)まらなかった。それからこれも安之助と共同して失敗した仕事であるが、叔母の云付けで、障子を張らされたときには、水道でざぶざぶ枠を洗ったため、やっぱり乾いた後で、惣体(そうたい)に歪(ゆがみ)が出来て非常に困難した。・・・ 》
( 夏目漱石『門』 新潮文庫。)

門 (新潮文庫) - 漱石, 夏目
「唐紙(からかみ)」という言葉は、戸建住宅建築業の会社に勤めて、お客さんから言われて知ったように思ったが、実はそれよりずっと前に、夏目漱石『門』の中に登場していたのを読んでいたのだった。
《 小六の云うところによると、ニ三日前彼が上総から帰った晩、彼の学資はこの暮限り気の毒ながら出して遣れないと叔母から申し渡されたのだそうである。小六は父が死んで、すぐと叔父に引き取られて以来、学校へも行けるし、着物も自然(ひとりで)に出来るし、小遣も適宜に貰えるので、父の存生(ぞんしょう)中と同じ様に、何不足なく暮らせて来た惰性から、その日その晩までも、ついぞ学資と云う問題を頭に思い浮かべた事がなかったため、叔母の宣告を受けた時は、茫然(ぼんやり)してとかくの挨拶さえ出来なかったのだと云う。
叔母は気の毒そうに、何故小六の世話が出来なくなったかを、女だけに、一時間も掛かって委しく(くわしく)説明してくれたそうである。それには叔父の亡くなった事やら、継いで起る経済上の変化やら、又安之助の卒業やら、卒業後に控えている結婚問題やらが這入っていたのだと云う。
「出来るならば、責めて高等学校を卒業するまでと思って、今日まで色々骨を折ったんだけれども」
叔母はこう云ったと小六はその時不図(ふと)兄が先年父の葬式の時に出京して、万事を片付けた後、広島へ帰るとき、小六に、お前の学資は叔父さんに預けてあるからと云った事があるのを思い出して、叔母に始めて聞いてみると、叔母は案外な顔をして、
「そりぁ、あの時、宗さんが若干(いくら)か置いて行きなすった事は、それはもう有りゃしないよ。叔父さんの未だ生きて御出(おいで)の時分から、御前の学資は融通して来たんだから」と答えた。
小六は兄から自分の学資がどれ程あって、何年分の勘定で、叔父に預けられたかを、聞いて置かなかったから、叔母からこう云われて見ると、一言も返し様がなかった。・・・ 》
《 小六は実際こんな用をするのを、内心では大いに軽蔑していた。ことに昨今自分が已むなく置かれた境遇からして、この際多少自己を侮辱しているかの観を抱いて雑巾を手にしていた。昔し叔父の家で、これと同じ事を遣らせられた時は、暇潰し(ひまつぶし)の慰みとして、不愉快どころか却って面白かった記憶さえあるのに、今じゃこの位な仕事より外にする能力がないものと、強いて周囲から諦めさせられた様な気がして、縁側の寒いのが猶のこと癪に(しゃくに)触った。
そで嫂(あによめ)には快い返事さえ碌にしなかった。そうして頭の中で、自分の下宿にいた法科大学生が、一寸散歩に出る序に、資生堂へ寄って、三つ入りの石鹸(シャボン)と歯磨を買うのにさえ、五円近くの金を払う華奢(かしゃ)を思い浮かべた。するとどうしても自分一人がこんな境遇に陥るべき理由がない様に感ぜられた。・・・・ 》
私が「大学生」だった時、同じ「大学」の学生で下宿して行っている者に仕送りの金額をきくと、私より少ない人間は一人もなかった。仕送りの金額が少なくても、なんとか生活できるならかまわなかったが、うちの父親は「いらいらっとしたから、仕送り送るのやめたってん」と言って送金しないことがあり、その時は、1週間ほど、食べるものもなく、水だけ飲んで過ごした。自動販売機の下に硬貨でも落ちてないかと思って日吉の街を歩き、ある自動販売機の下に50円玉が落ちているのを見つけ、道路に腹ばいになって手を伸ばして引っ張り出し、残っていた10円玉とその50円玉を合わせて買って食べたメロンパンの美味しかったこと美味しかったこと・・。その時、同じ日吉台学生ハイツの同じ階に住んでいた、兵庫県の甲陽学院高校から1浪で東大文科一類⇒法学部 に行った加藤という男が、不二家という日吉でもけっこう高いレストランから出てきたのを目撃した。加藤は私立の高校から浪人みたいなもんをしてまで下宿して東大に行き、東大の学生であった間はアルバイトなど何ひとつせず、家庭教師や塾の講師のアルバイトもせず、食事は私がおカネがなくて自動販売機の下にあった50円玉を道路に腹ばいになって引っ張り出してメロンパンを買って食べた時、不二家なんてレストランで友人とにこやかに食事していたのだった。うちの父親は、毎日毎日、私の目を指で突き刺すようにして「民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と言い続けたのだが、たしかに、加藤と私とは「民族の違い」があり「階級の違い」というものがあったようだ。
2浪もしてしまって東大を受けた時、もう何度も行ったことがあるけれども、それでも試験前日に「下見」として駒場キャンパスに行き、京王帝都電鉄井の頭線「駒場東大前」駅から「渋谷」駅まで乗った時、渋谷駅に着くころ、同じ車両に私より1つ年下で同じ中学校から同じ北野高校に行き、私より先に、現役で東大の文科三類に合格して行ったUくんがいた。「来てもらえたらうれしいです。頑張って通ってください」と言ってくれたけれども、私は合格できなかった。Uくんは、渋谷で降りた後、渋谷でコントラバスを習っていると話していた。大学生の生活というものはそういうものか・・と、実は高校生の時には思っていたのだった・・が、私の場合は違った。慶應みたいなもんに行かされてしまい、その最初の夏休みに家に帰ると、そのすぐ後、うちの父親は「あんた、あしたからうちの会社の工場にアルバイトに行くことに、決めてきたっ♪」と言うのでびっくりした。「決めてきたっ!」て、それはいったい何だ? うちの母親が市が企画していた趣味のサークルで知り合った人で、娘が私より2つ下だったかで北野高校から大阪大薬学部に行き、その弟は箕面高校から関西大だったかに行ったという人があり、そのおばさんが母に「あらあ。アルバイトを決めてこられたら、お宅の息子さんは嫌がられるんですかあ~あ? 変わってますねえ。うちの息子なら喜ぶところですけどねえ」などとのたまいやがった。「殺してやりたいくらい」であっても殺すわけにもいかない・・と思っていたら、そのうち、そのおばさんは乳がんで亡くなった。やっとこ関西大に通ったやつとなんか一緒にされたくないということもあったが、それよりも、その息子が「アルバイトを決めてきてもらったらうちの息子なら喜ぶのに」というのは、それは、「こういうアルバイトがあって、行きたいなら頼めるけれども行くか?」という話をもらえるのなら、その上で行くにしても行かないにしても、そういう話をもらえるということを喜ぶということであろう。うちの父親の場合はそうではなく、「決めてきたっ!」と言って私に断りもなく決めてくるのであり、その相手はうちの父親の勤め先であるから断れないのだった。私は言ったのだ。「大学とか学校は夏休みは学校は休みであっても、勉強は休みではないんです」と。そして、「年にいくら、自分で用意してもらいたいのか、その金額を言ってもらえませんか」と。ところが、うちの父親は「わしはな。わしは聖人でキリストで聖徳太子でヒットラー総統で英雄の人間で、世界一のすばらしいエライえらいエライえらいお父さんであってやなあ、わしは、あんたにいくら稼いでくれなんてことは一切言うたことはないねん」と言って言わないのだった。それでいて、「決めてきたっ!」と言って、父親の勤め先の工場に働きに行くことに「決めて」くるのだった。Uくんと私とは、「大学生」という点は同じでもその生活が全然違った。北野高校卒で佐伯祐三という画家がおり、「郵便配達夫」という絵が有名だが、

世界の名画 佐伯祐三 郵便配達夫 ジークレー技法 高級ポスター (B1/728ミリ×1030ミリ)
佐伯祐三のように誰もがなれるわけではないとしても、大学生の時に絵の一枚でも描きたいと思っていたのだったが、我が家においてはそういうことは夢のまた夢だった。私立の甲陽学院から浪人して下宿して東大に行った加藤は、アルバイトなんて何一つせずに、国家公務員1種試験に合格して外務省に勤めた。私とは「民族の違い」があり「階級の違い」があった。
無理矢理、父親の勤め先の工場にアルバイトに行かされて、安い時給で肉体労働をしての帰り、阪急 宝塚線・箕面線「石橋」駅(現「石橋 阪大前」駅)で、同じ中学校から同じ北野高校に行き、現役で大阪大法学部に行ったK村と会った。K村が「どこ、行ってきたん?」と尋ねるので、特別深く考えずに「うちの父親の勤め先の化粧品会社の工場で肉体労働のアルバイトをやってきた」と話したところ、K村はバカにしたように「へえ~え、そんなもん、やってんのお~ん!」と言ったのだ。川村が私に「どこ、行ってきたん?」と言ったので私も川村に「どこ、行ってきたん?」と同じように尋ねたところ、「阪大の図書館で法律の本を読んできた」と言うのだった。それだけの違いがあった。「家庭の違い」というのはいかんともしがたいものだった。「民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな」とうちの父親は、毎日毎日、私の目を指で突き刺すようにして叫び続けるのだった。「わしはドイツ人の民族で慶應の階級。おまえはチャンコロの民族で浪商の階級。ゆめゆめ、同じやと思うてはならぬぞ、チャンコロ! わかっとんのか、ロスケ! イタコ! プエルトリコ! おまえはロスケでイタコでチャンコロでプエルトリコで浪商じゃ! わかっとんのか、浪商! 高校は義務教育とは違うねんぞ、浪商! 浪商は高校行くな、浪商! 浪商のくせして、のぼせあがって高校行くなちゅうんじゃ、浪商! おまえはなあ、おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれどもなあ。たとえ、北野高校に行っても、それでもおまえは浪商やねんぞ、浪商! 浪商のくせして北野高校に行くな! この浪商めがあ、このチャンコロ、この浪商!」と言うのだった。うちの父親は私が子供の頃から「わしは天高(天王寺高校)やねんぞお、天高」と何度も言っていたので、そうかと思っていたのだが、そのわりに明星高校から同窓会の案内状が何度も来ていたので、なんでだろうなあ・・と思ったのだったが、実際に卒業した高校は明星高校らしく、「ほんまは天高」だったようだ。「わしは慶應やねんぞお、わしはあ」というのも、実際に行った大学は同志社だったはずで、同志社の「推薦入学」だったらしいが、「ほんまは慶應」らしかった。それに対して、私は「ほんまは浪商」だそうだった。「浪商のくせしやがってからに、天高のこのわしと一緒やなんぞと思うてはいかんぞ、この浪商めが、チャンコロっ!」「浪商のくせしやがってからに、北野高校に行くなちゅうんじゃ、この浪商めが、浪商!」と毎日毎日言っていた。うちの父親が他界した時、どういう病気で他界したかというと、白血病で、どうも、日本人では東北地方北部と九州南部の住民および出身者だけがもっているウイルスだか病原菌だかがあって、昔むかしその昔、大化の改新よりもまだまだ前の昔、朝鮮半島から日本列島に渡ってきた人があって、それより前に日本列島に住んでいた人は東北地方北部と九州南部に移動したということがあったらしく、その子孫が遺伝により持っているウイルスらしく、そのウイルスはなかなか死滅しないが発症することはほとんどないらしく、発症するのはたいていが男性で女性が発症することはまずないと言われるものだったが、それを発症したらしかった。だから、うちの父親は日本人は日本人でも、昔むかしその昔、タケミカヅチとタケミナカタが対決したとかいう頃から日本列島に住んでいた日本人の子孫、「日本人の中でも古来からの純粋日本人」のようだった。ところが、「わしはドイツ人やねんぞお、わしはドイツ人!」と毎日毎日、叫ぶのだった。おっさんはドイツ人らしかった。それならうちの母親はというと日本人らしかった。子供が3人いたのだが、父が一番気に入っていた上の姉もまたドイツ人だそうで、下の姉は日本人で、私は何人かというと、「おまえはチャンコロじゃ、このチャンコロ! 民族の違いをゆめゆめ忘れてはならぬぞ、チャンコロ!」と毎日毎日言うのであった。「ちゃんちゃんコロコロ、ちゃんこ~ろころ♪ ちゃんちゃんコロコロ、ちゃんこ~ろころ♪」と言っていた。「わしのような優秀で聖人の子供にあんたあのようなカスが産まれるということは普通はないことなんやけど、それをおまえが産まれてきたっということは、これは生物学上の突然変異学説によるものや」と言うのであった。だから、私とうちの父親とはDNAはつながっていないのだ。良かった、あのおっさんとDNAがつながってなくて。それで、うちの父親はドイツ人だが私はチャンコロ人だそうだった。だから、「民族の違いを忘れるな、階級の違いを忘れるな」ということになるようだった。
同じ中学校から同じ北野高校に行き、私より先に現役で慶應大経済学部に入学したS本という「パチモンのビスコみたいな顔」した男がいて、ついでに「生卵(なまたまご)」を「なまなまこ」と発音する男だったが、阪本は私よりひとまわり多い金額の仕送りをしてもらっていて、そして、私みたいにアルバイト漬けの生活なんてしない、アルバイトなんてまったくしないで卒業した。阪本の友人で、大阪府の桃山学院高校から慶應大商学部に行った井上という男がいて、日吉台学生ハイツの食堂で食事をしていた時、井上とその同類の男2人、計3人が向うの方のテーブルにいたことがあり、井上は何を言っていたかというと、「慶應の名前さえ出せば女なんか、いくらでも手に入る」とそういう口をきいていたのだった。それに他の2人が同調し、その3人の誰が行ったか、たしか、井上が言ったように思ったのだが、「電車に乗って、女子大生がいたら、慶應の学生証を見せて『この紋所が目に入らぬかあ』とやってやろうか」などと言っていた。なんて、思いあがった男だ。慶應みたいなもんしか行けない落ちこぼれのくせしやがってからに、何て思いあがった男だ・・と思った。 私が北野高校の3年の時、うちの母親が「こいつ、現役で東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落してやらんといかん。こいつ、絶対に落したるう! 落ちろお、こいつう~う!」と叫んで、毎夜、私が部屋で学習していると、服をつかんで背後にひっくり返し、箒を持ってきてボコボコ殴る。私が学習していた部屋の電気の洗面所にあったブレーカーを落として照明がつかないようにして「こいつ、勉強すんなあ~あ、こいつう~う!」と叫ぶ。さらには、出ていってくれと腕をつかんで部屋の外まで引っ張り出すと、「うわあ、うわあ、怖い怖い。こいつに階段から突き落とされたあ~あ。こいつ、母親を階段から突き落としよるう、こいつう~う」と叫ぶ。うちの母親はそういう母親だった。さらに、高校から帰宅すると、家の照明を消し、インタホンのソケットを抜いて鳴らないようにして、雨戸はすべて閉めて入れないようにして締め出し、「あ~あ、またやられた」と思って、電車の駅まで行って駅のベンチで時間を過ごしていると、その間に高校に電話をして、自分が締め出して入れないようにしたくせに「うちの息子が帰ってきませんね~ん」と言う。翌日、高校の教諭というのは、まがりなりにも高校の教諭ならば、そういう普通ではない家庭の息子には力になってくれてもいいのではないかとその頃の私は甘い期待をしていたが、そのような期待は甘すぎるのであり、高校の教諭というのはどいつもこいつもフランスも、親の味方をすることで親に喜ばれるのが高校教諭の処世術と考えていたようで、私が高校の教諭から怒られることになるのだったが、いったい何を怒られているのやらさっぱりわからんかった。インタホンを鳴らないようにして、戸を閉め切って入れないようにして、高校から帰った息子を締め出した上で、高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん」と母親に言われたとして、それは息子が悪いのか? 息子はいったいどうすればよかったのだ? どうすることができたというのだ?・・と思うのだが、北野高校は行きたいと思って行った学校だったから合格発表の時はうれしかったが、実際に行ってみると、あんまりいい学校ではなかったように思うし、特に北野高校の教諭というのは、あいつら、どいつもこいつもフランスも、無能のくせして何をえらそうにしているのかという感じの人間ばっかりだった。うちの母親の説では「東大に行った人間⇒思いあがった人間 になる。ゆえに、女を泣かせよる」ということになるそうで、又、「現役で大学に通った人間⇒思いあがった人間 になる。ゆえに、女を泣かせよる」ということになるらしかったが、高校生の時の私の認識では、どう考えてもそうは思えなかった。東大の学生よりも、むしろ、「慶應ボーイ」とかいう「なんや、鼻の下の長いにやけた」という感じの慶應の人間の方がよっぽど「女を泣かせよる」という印象があったし、真面目に努力して現役で大学に通った人間が、浪人した人間よりも思いあがっているというのはおかしいと思ったし、なぜ、現役で大学に通った人間が「女を泣かせよる」で浪人した人間はそうではないのか、理解できなかった。そして、日吉台学生ハイツでは、桃山学院高校から慶應大商学部に行った井上とその同類が、「慶應の名前さえ出せば女なんか、いくらでも手に入る」だの「電車に乗って、女子大生がいたら、慶應の学生証を見せて『この紋所が目に入らぬかあ』とやってやろうか」などと言うのを聞いて、そうだなあ、やっぱり、こういう口をきくような思いあがったやつは東大の学生よりも慶應の学生に多いよなあ・・と思ったのだ。それで、母に井上とその同類、計3人の話をしたのだ。すると、母はどう言ったかというと、「わたし、そういう人、好き。わたし、そういう人、ものすごい好き♪ だ~いすきい~い♪ べ~ろべ~ろべえ~え!」と、そう私に言ったのだった。
ちなみに、「慶應心理学」では↑の井上のような男のことを「独立自尊の精神がある」とか「自我が確立されている」とか「診断」するらしいのだが、なんで、大学の名前しか取り柄がない男が「独立自尊の精神がある」なんだ? なんで、大学の名前しか取り柄がない男が「自我が確立されている」なんだ? 逆と違うのか?・・と思ったのだが、こういうことを言うと、「慶應心理学」から「自我が確立されていないから、そういうことを言うわけですね」とか「独立自尊の精神があればそういうことは言わないはずです」とか「わざわざ無理して逆らっているというのは、自我が確立されていないからですね」とか「診断」されることになる。「診断」の上、「治療」されるおそれもある。怖い、こわい、怖い、こわい。本当に怖い! 日吉台学生ハイツでは、慶應の名前が入ったトレーナーとか着ているやつを何度も見たが、大学の名前の入ったトレーナーを着たがる大学生というと、何と言っても慶應と早稲田。この2つの大学の学生は何かと大学の名前の入ったトレーナーを着たがる症候群が多い。そういうのを「慶應心理学」は「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「診断」し、ええ~え? 逆でしょお~お・・などと言うと「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らっている」とか「独立自尊の精神がないからですね」とか「診断」する。なんでやねん? どう考えても逆やろお~お・・と思うが、「心理学」に逆らうと怖い、こわい、怖い、コワイ! もう、電気ショックとか、ロボトミーとか、薬漬けとか、逮捕監禁療法(「入院療法」)とか、何をされるやらわからん。まず、「心理学」「カウンセリング」というもの自体が「言いくるめ」「マインドコントロール」「精神支配」であり、悪質な新興宗教よりもまだ悪質である。
私は、1970年代後半、浪人中、うちの父親とその親友の医者屋のM川(当時50代前半。当時、大阪府豊中市在住)から、「おまえは本来は高校には行ってはいかん人間やねんぞ。高校は義務教育ではないんやから、高校には行ってはいかんねんぞ。わかっとんのんか。それをおまえが北野高校に行ったというのは、おまえが甘ったれておるからであって、おまえがのぼせあがっておるからやねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ! わかっとんのか、浪商!」と毎日毎日言われてきたものだった。それならば、桃山学院高校なんか行くようなやつなんて、ましてや、高校にはウルトラ行ってはいかんはずである。それなのに、なぜ、井上は私立の桃山学院高校みたいなもんに、ウルトラ甘ったれて・ウルトラのぼせあがって行ってるんだあ? なんでえ~え? な~んでええ~え??? 「自我が確立されている」からかあ??? 「独立自尊の精神というものを持っている」からなのかあ???
日吉台学生ハイツには大浴場があって、入居者は毎日入ることができたのだが、銭湯や健康センターの風呂と違って管理がいいかげんなのか、日吉台学生ハイツの風呂で、インキンだかを移されて日吉の皮膚科にかかったことがあった。「インキン」なんて漫才でしか出てこない話かと思っていたらそうではなかった。 それとともに、腕に湿疹がでたことがあり、日吉に慶應の健康センターという小学校・中学校・高校なら「保健室」に該当するような施設だけれども医師が勤務している所があり、そこに行ったところ、日吉の健康センターの女医さんは、慶應大学卒の人なのか、同じ大学の学生だからと思ったのかけっこう親切で、「あなた、下宿して1年目なの? 食べるものはきっちりと食べてるの?」と言い、「きょうの昼は何を食べたの?」と言うので「生協食堂の140円のカレーライスです」と言うと、「朝は?」と言うので「メロンパンと牛乳です」と言い、「きのうの夜は?」と言うので「日吉台学生ハイツの300円のカレーライスです」と言うと、「じゃあ、きのうの昼は?」と言うので「生協食堂の140円のカレーライスです」と答えると、「あんた、何やってんのよ。もうちょっと、いいものを食べなさい。140円のカレーライスばっかり食べてるから、だから、こういうものになるのよ。皮膚には直接は関係ないかもしれないけれども、そんないいかげんな食事しているから、こういうものになるのよ」と言ってくれたのだった。この話をうちの父親にしたところ、「おまえ、140円のカレーライスなんて、そんな贅沢なもん、食うたらいかんやろ、チャンコロっ! チャンコロが140円のカレーライスみたいなもん、食うたらいかんだろうが! 甘ったれるなあ! もっと安いもんにしなさい」と言うのだった。それで、慶應の生協食堂の140円のカレーライスよりも安い食事を捜したのだが、どんなに捜しても生協食堂の140円の何も入ってないカレーライスよりも安いものはなかった。昼食は2日に1回にして2日に1回は昼食なしにしようかとも考えたが、どうしても、お腹がすいて食べてしまった。「おまえなんか、140円のカレーライスなんて贅沢なもん、食うな。もっと安いもんにしろ、チャンコロ! チャンコロはもっと安いもんにせえ、チャンコロ!」と、うちの父親は私の目を指で突くようにして毎日毎日叫ぶのだった。「ちゃんこ~ろ、ちゃんこ~ろ、チャンコロ、ちゃんころ、チャンコロ、ちゃんころ♪」と。
私がうちの父親の勤め先の化粧品屋の工場で安い時給で肉体労働させられていた時、阪大の図書館で冷房の効いた部屋で椅子に座って法律の本を読んでいた川村は、週に2回・1回2時間の家庭教師のアルバイトをしていただけで、それ以外にはアルバイトといったものは一切していなかった。「民族の違いを忘れるな」とうちの父親は毎日言うのだったが、言われなくても「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」と心の底から思った。川村とは私は民族と階級が違ったのだ。「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と毎日思い続けてきた。「世の中はな。人に命令する人間ばっかしでもあかんし、人に命令されてせっせせっせと働く人間ばっかしでもあかんわけや。『天の神さま』というお方は大変賢明なお方であって、それで、世の中に『自分ではやらずに人に命令し号令かけるのが向いている民族・階級』と『常に人に命令され号令かけられるのが向いていて、号令かけられるのが何よりうれしい民族・階級』とを人間をはっきりと2つに分けて御造りになったわけや。わしいとかM川先生とかはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で階級なんや。わしとかM川先生はドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で階級でやなあ、自分ではやらずに人に命令したり号令かけたりするのが向いている人間で、そうしなければならないと『天の神さま』というお方から命じられてこの世に産まれてきた人間なんや。それにたいして、おまえは『常にひとから命令され、常にひとから号令かけられてせっせせっせと働くのが向いている民族で階級』なんや。おまえは号令かけられるのが何よりもうれしい人間なんや。おまえは、号令かけられることに快感を感じる人間なんや」と言うのだった。「私、号令かけられるのに快感なんて感じませんよ」と言ったところ、うちの父親は「何、言うとんのじゃ、チャンコロ! おまえはチャンコロやねんぞ。チャンコロ! チャンコロはひとから号令かけられることが何よりもうれしい♪ おまえが号令かけられると喜ぶもんやから、そやから、このわしが、只管、おまえを喜ばせてあげてやってあげようという優しい気持ちで号令かけてやってあげてやってあげてやったっとんねんやろうが。そ~れ、てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ、てってこっこ、てっててってらったらったらったらあ~あ♪ 撃ちてしやまん! い~ちおく、火の玉あ! とってちってたあ~あじゃあ♪ 欲しがりません、勝つまでは! 木口小平は死んでもラッパをはなちまちぇんでちたあ! どんがんどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃつやああ~あんじゃああ! どうじゃ、うれしいじゃろ、チャンコロ! うれしいじゃろ、『うれしいです』『ありがとうございます』と言わんか、チャンコロ! ちゃんちゃんコロコロ、ちゃんコロコロ、ちゃんちゃんコロコロ、ちゃんコロコロ! それ、喜べ、チャンコロ、喜べチャンコロ、喜べ喜べ喜べチャンコロ! 喜ばんか、チャンコロ! チャンコロが号令かけられると喜ぶもんやから、そやからやな、ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で階級のこのわしが、チャンコロで浪商のおまえに号令をかけてあげてやってあげてやったっとんねんぞ。喜ばんとバチあたるぞ、チャンコロ。それ、喜べチャンコロ、喜べチャンコロ、喜べ喜べ喜べチャンコロ♪」と何度も何度も叫ぶのであった。我が家はそういう家庭だった。「『ひとに命令し号令かける民族・階級』と『常に号令かけられる民族・階級』とは、これは『天の神さま』というお方がお決めになったことであって、それを変えようと思うても変えることは絶対にできないものであるし、また、変えようなどと考えるような思いあがった人間を『天の神さま』というお方は決して決してお許しにはならんねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ。わかっとんのか、チャンコロ。わかっとんのか、浪商! チャンコロ、ちゃんころ、チャンコロ、チャンコロ~お♪」と、私の目を指で突きさすようにして、毎日毎日叫び続けるのであったが、言われた側としては、「造反有理」(反逆には理由がある。反逆は正しく、抑圧は間違っている)・「革命無罪」(革命は無罪である)と思ったものだった。「造反有理」(反逆は正しく抑圧は間違っている)である。
うちの母親が行っていた大阪府北部の日本基督教団のM教会の牧師屋のS田さんは、「家が貧乏やったから、慶應には行かせてもらえんかったから、だから、大阪経大に行ったんや」と、毎週、「牧師説教」で言う人だった。S田さんのおかげで、私は毎日のように「大阪経大に行った人の爪の垢を飲みなさい」と言われ続けた。S田さんは私より少し年上だったが、奨学金の制度は今は私が高校を卒業した頃と変わっているようだが、私が高校を卒業した頃と沢田さんが高校を卒業した頃は制度は同じだったはずで、「家が貧乏やった」のならば、日本育英会奨学金を受給して大学に行けばよかったはずで、日本育英会奨学金は、学業成績と親の年収の2つをもとに受給できるかどうか判断されたが、「家が貧乏やったから慶應には行かせてもらえんかったから大阪経大に行った」なんてことしなくても、「家が貧乏やった」けれども慶應大学に行きたかったのならば、日本育英会奨学金を受給できた場合に支給してもらえる金額というのは「学資分」で大学に支払う額を出してもらえたのであり、私立金権医学部の寄付金なんてのは出してもらえないが、通常の入学金・年間の授業料は国立・公立・私立を問わず、学部を問わず、ともかく、大学に支払う分を出してもらえたのだから、慶應大学は私立大学の中では学費は安い方の大学、「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の大学で、「早稲田大と慶應大なら慶應大の方が安い」という大学だったが、日本育英会奨学金を受給できたならば、実際に大学に行く人間にとっては、国立大学より高くても早稲田大学より安くても関係なかった。そして、慶應には慶應義塾奨学金という他の大学にはない制度があって、日本育英会奨学金を受給して入学金・授業料を出してもらった人には自動的に生活費を支給するという制度があった。さらに、今はどうなったかわからないが、私が大学生だった頃は日吉に、朝夕2食つきで風呂は週に2回入れて月に1万2千円という寮があった。だから、沢田さんは「家が貧乏やったから慶應には行かれへんかったから大阪経大に行ったんや」などと言わなくても、慶應大学に行きたかったのなら行けたはずだし、行けばよかったのだ。 又、日本育英会奨学金を受給できる基準よりは親の年収は多いものの、決して裕福ではないという家庭だったのならば、私立の大阪経大なんて行かずに国立か公立の大学に行けば、その方が学費は安かったはずだ。それで、私は「家が貧乏やったのなら、私立の大阪経大なんて行かずに国立の東大に行けばよかったのと違うのですか。なんで、沢田さんは東大に行かずに大阪経大に行かれたのですか? どうしてですか?」とうちの母親に行ったのだったが、母は「何を言ってますのん。東大なんて言ったら、東京に行く交通費がいるし、下宿しないといかんでしょうがあ。何をあんたは甘ったれたこと言ってますのん」と言うので、「東大に行くには交通費と下宿代がかかるというのなら、阪大(大阪大学)に行けばよかったのと違うのですか。どうして、大阪大学に行かずに大阪経大にお行きになったのですか? なんでですか?」と言ったのだが、そうするとうちの母親は「それは、阪大よりも大阪経大の方がいいからでしょうがあ」と言うのだった・・・が、阪大よりも大阪経大の方がいいかあ??? それで、言ったのだ。「ええ~え? 阪大よりも大阪経大の方がいいですか~あ? ええ~え?」と。だいたい、S田牧師さんは「大阪経大卒の牧師」と言っていたが、大阪経大卒では牧師になれないはずなのだ。東大でようが京大でようが、牧師にはなれない。牧師になりたいと思えば、同志社の神学部とか関学の神学部とかを出ないとなれないはずなのだ。沢田さんは「大阪経大卒」で牧師になれたのかというとそうではなく、大阪経大を卒業した後、トーシンダイ(東京神学大学)に行って卒業して牧師屋になったらしいのだ。だから、「家が貧乏やったから慶應には行かせてもらえないから大阪経大に行った」と毎週毎週言いまくってきた男のくせしやがってからに、実は大阪経大と東京神学大学という私立大学を2つも行っておったのだ、「家が貧乏やった」くせしてからに。私ら、トーシンダイなんて行きたいと思っても、そんなもの、絶対に行かせてもらえんかったわ。そんなもん! で、沢田牧師さんは、M教会の会員の息子で私立大学を卒業して就職したけれどもうまくいかないので、牧師屋に転職したいという男がいた時に、「皆さんで特別献金をして学費を出してあげてトーシンダイに行かせてあげてください」などと言って「特別献金」をつのったのだ。そして、うちの親はその「特別献金」を払ったのだ。私になら絶対に出さないようなカネを。「子供たちのパンをとりあげて子犬に与えるのはよろしくない」というイエスの言葉が『新約聖書』には書かれているが、私なら、自分の息子になら出さないようなカネをよその息子に出してはいけないと思うのだが、うちの親は私になら絶対に出さないカネをよその息子に「特別献金」したのだった。そして、うちの父親は言うのだった。「わしは聖人やね~ん」と。「特別献金」というのは“”「わしは聖人やね~ん」と思いたい症候群””のおっさんを喜ばせるため、そのニーズを満たすために作られたもののようだった。
うちの親は私になら、「何でもカネを出す者に決める権利があるんや。あんたが自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行くというのなら新聞配達やって自分でお金を稼いで行きなさい」と言うので、「それなら、そうします」と言ったところ、「何をのぼせあがった口をきいとるんじゃ何を」とうちの父親は言うのだった。うちの母親が言うには「息子の所有権は親にあるんや」と言うのだった。「あんたの体はあんたが産んだものと違うやろ。所有権は産んだ者にあるんや」と言うのだった。俺って、う〇こ みたいやな・・と思った。息子というのは う〇こ と一緒でひりだした者に所有権という権利があるらしく、どこに行くとか行かんとかいうことを決める権利というものがあるらしかった。私になら「行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行くとかぬかすのなら、新聞配達して自分で働いていきなさい」と、うちの親は言ったのだが、ところが、よその息子になら私立バカ大学でて就職したがうまくいかないので牧師屋に転職したいというやつがトーシンダイ(東京神学大学)に行くためのカネを「特別献金」したのだった。そいつこそ、2つめの大学に行きたいのなら新聞配達でもして行けばいいだろうが・・と思うのだが、よその息子の場合はそうではないようだった。沢田さんはそういうやつにくれてやる「特別献金」のカネを集めるのが神とキリストのためとか思っていたようだが、そのカネだすのに「どれだけ、きついか、きついか、きついかあ~あ♪ あーめん、そーめん、ほっかいど~お♪ あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪」・・て、なんで、そいつなやつにカネやらんといかんのか・・と思う。〔⇒《ニコニコ-ヤーレンソーラン北海道》https://www.nicovideo.jp/watch/sm11119575 〕
だいたい、大阪経大しか行かれへんようなやつが、大阪経大とトーシンダイ(東京神学大学)と私立大学を2つも行きやがってからに、何が「家が貧乏やった」じゃ。勝手なことぬかすな!!!
さらに、うちの父親の勤め先のうちの父親の部下にあたるおっさんの息子は、大阪の人間やのにからに、東京の大東文化大みたいなもんに下宿してまで行きよった。そうすると、うちの父親は「◇◇さんの息子さんは、おまえとは違って大東文化大学やねんぞお~お。おまえとは違うねんぞ、チャンコロとは。おまえとは違うねんぞ、チャンコロとは。チャンコロみたいに慶應みたいなもん、行かせてもろとれへんえんぞ。大東文化大学やねんぞ、大東文化大。おまえみたいに慶應なんか行かせてもろとれへんねんぞ。チャンコロみたいに」「大東文化大に行った人の爪の垢を飲みなさい」と言うのだった。それで、「なんで、大東文化大みたいなもんに行ったらエライんですかあ~あ?」と言ったのだ。「わからんのか、おまえは、そんなことも、このチャンコロ!」と父が言うので、「はあ~あ、どうも、ぼく、頭が悪いからなんか、ようわかりませんねえ。なんで、大東文化大みたいなもんに、大阪の人間が下宿してまで行くのがエライんですかあ。そんな大学にしか行けんようなやつが、なんで、大学に行かんといかんのですかあ。たとえ、大学に行くにしても、そんな大学しか行けんようなやつが下宿してまで東京の大学に行かんでも、大阪にも私立のアホ大学はいっぱいあるんやから、家から通える大学にすればええことと違うんですかあ~あ」と言ったのだ。うちの父親は「な~にを言うとるんじゃ、このチャンコロめが、チャンコロ! ◇◇さんの息子さんはおまえとは違って大東文化大なんじゃ、大東文化大! おまえみたいに慶應のようなカネのかかる大学なんて行かせてもろとれへんねんぞ、慶應みたいなカネのかかる大学はあ」と言うので、「なんで、『慶應がカネのかかる大学』なんですかあ? 慶應は昔から『国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方』の大学ですし、特に、法学部・経済学部・商学部・文学部は理工学部や医学部より安いし、なんで、慶應が『カネのかかる大学』なんですかあ。大東文化大て安いんですかあ? 普通に考えて、慶應のような歴史のある大学は、昔からあるから、新設の大学と違って、敷地を買う費用も要らないし、建物もあるし、慶應の講師ならタダでもやりたいという人があるらしいし、大学の先生を集めるのも無名の私立大学よりも集めやすいでしょうし、なんで、慶應に行くカネがないから大東文化大なんですかあ? 普通に考えると、大東文化大の方が慶應よりも高そうに思えるのですが、大東文化大て安いんですかあ? だいたい、その人が慶應に行かずに大東文化大に行ったというのは、慶應と大東文化大の学費を比べて安い方に行ったのですかあ? それなら、大阪経大に行った方が学費は安いのと違うんですかあ? なんで、大阪経大に行かずに大東文化大なんて行くんですかあ? 大東文化大よりも大阪経大の方が安いんちゃいますのん?」と言ったのだ。それでも、うちの父親は「何を甘ったれたこと言うとるんじゃ。甘ったれるなああああああ! ◇◇さんの息子さんは、慶應みたいなカネのかかる大学には行かせてもらえんから、そやから、慶應に行かずに大東文化大学に行かはったんじゃあ。甘ったれるなああああ!」と叫ぶのだった。それで、「それなら、慶應みたいなもん、やめますわ。慶應みたいなもん、行きたいと思ったことは一度もありませんから。辞めます。辞めますよ。慶應みたいなアホ大学なんて。辞めます。行きたくないですから、あんなもん。それで、いいでしょ、それで」と言ったのだが、そうすると、「何を言うとるんじゃ、チャンコロめが、このチャンコロ! おまえは、このわしのおかげで慶應みたいなカネのかかる大学に行かせてもらってあげてもらってやってやってあげてもらっていただいてくださってもらっておるんじゃろうが」と言うので、「だから、あげてもらってやってやっていただいてくださってもらってやってあげて、要りませんと言うとるんでしょうが」と言ったのだが、「何を言うとるんじゃ、このチャンコロめが。大東文化大学に行った人の爪の垢を飲みなさい!」と言うのだった。
この話はなんで出てきたか。うちの父親は私が高校生の時には「東大に行くのなら下宿してでも行くべきや。下宿は嫌やなんて甘ったれたこと言うておってはいかん。京大に行くのに京都で下宿するのも東大に行くのに東京で下宿するのも一緒や。東大でなくても慶應か早稲田に行くのなら下宿してでも行く値打ちはあるし、下宿してでも行くべきや。そやけど、法政やたら明治やたら専修やたらポン大やたら東洋大やたら何やたらいうようなわけのわからん私立大学に行くようなやつ、下宿してまで行く必要あらへん。だいたい、そんなやつ、大学に行くのが間違っている。自衛隊に入れたるべきや、自衛隊に。たとえ、大学に行くにしても、法政やたら明治やたらポン大やたら青山やたら専修やたら東洋大やたら亜細亜大やたら大東文化大やたらなんて行くようなやつ、東京で下宿までして行くことあらへん。私立のアホ大学は大阪にもあるんやから、そんなやつは家から通える大学に行けばええことや」と言っていたはずだったのだ。それを聞いて私も、そういうものだと思ったのだった。ところが、会社の部下のなんとかさんがドバカ息子を大東文化大に下宿してまで行かせたとなると、突然、変わったのだ。おそらく、そのなんとかさんから言われたのであろう。 「うちらは貧乏でっさかいに、慶應みたいなカネのかかる大学なんて行かせられまへんさかいに、そやから、大東文化大ですねん」とかなんとか、そんなことを言いよったのであろう。よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪ 黙っておれば、「大東文化大なんてそんな大学に行くのに下宿してまで行かすなんて、お金持ちですねえ」と言われそうなので、それで、機先を制して先に「うちらは貧乏でっさかいに、慶應みたいなカネのかかる大学なんて行かせられまへんさかいに、そやから、大東文化大ですねん」などと「しょーもないこと」言いよったんだろう。そして、そんな所にドバカ息子が行くような親は、慶應大学の学費が他の私立大学と比べて高いか安いかなんて知らないから、だから、そういうことを言いよったんだろう。
慶應は学費は高いのか安いのか・・というと、大学に関しては「国立大学よりは高いけれども、私立大学の中では安い方」の学費で、「早稲田と慶應なら慶應の方がずっと安い」という学費の大学である。しかし、なんか、慶應て「カネのかかる学校」みたいに思っている人があるらしいが、それは、小学校から高校までの話であろう。私は慶應は大学だけしか行っていないから、慶應の小学校から高校までについてはそれほどよく知らないが、聞くところによると、慶應は大学については昔から「国立大学よりは高いけれども、私立大学の中では安い方」の学費だけれども、小学校から高校までは「私立の学校の中でも高い方」らしい。なんで、そうなってるのかというと、何代か前の塾長が、どこかで「日本の学校を調べてみると、小学校は生徒の数で見ても学校の数で見ても、国公立と私立では国公立の割合が圧倒的に多いので、私立の小学校の学費を高めに設定しても、金持ちでない人は公立の小学校に行けばいいのだから、学ぶ権利を奪うことにはならないが、大学についてはその逆で、学生の数で見ても大学の数で見ても私立の大学の方が圧倒的に多いので、大学については私立だからということであまり高い学費に設定したのでは、学ぶ権利を奪うことになる」とかお話しになっていたことがあった・・が、小学校は誰もが行く所であるのに対して、大学は基本的には小学校から高校まで勉強してきた者が行く所であるはずだから、国立大学で一番易しい所にも入れない人は無理に行くことないだろうという考え方もあるのだが、最近では私立の大学に行く人が多くなってきたのだが、そういった考え方で、慶應は大学については学費を高く設定するべきではないと考えたのか・・・というと、そういうことも少しくらいはあるのかもしれないが、それよりも、大学については、あまり学費を高くして、「金持ちの息子・娘なら誰でも入れるアホ大学」になっては困るので、それで、大学については値打ちを下げないように「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費に設定して、逆に小学校から高校までは誰でもは入れないように高めの学費に設定した・・ということと違うんかいなあ・・と思う。たぶん、そうだと思うよ、たぶん。それで、小学校から高校までは「私立の学校の中でも高い方」らしい話を「国立大学よりは高いけれども、私立大学の中では安い方」の大学にまで及ぼして、「うちらは貧乏でっさかいに、慶應みたいなカネのかかる大学なんて行かせられまへんさかいに、そやから、大東文化大ですねん」などと、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪ てことを言い出すおっさん症候群が出現する・・・ということだろう。 私が親ならば、「また、しょーもないこと言うやつが出てきたか( 一一)」くらいに思っておしまいのところが、うちの父親というのはそうではなく、「◇◇さんの息子さんは、おまえとは違って大東文化大学やねんぞお~お。おまえとは違うねんぞ、チャンコロとは。おまえとは違うねんぞ、チャンコロとは。チャンコロみたいに慶應みたいなもん、行かせてもろとれへんえんぞ」という反応をいちいちするおっさんだった。 そもそも、私が親ならば、自分の息子が「いい大学」に行こうが「ろくでもない大学」に行こうが、どこに行ったなどということを、会社の人間にいちいち言わない。言う必要はないことだ。きかれる筋合いもないし、答える理由もない。ところが、うちの父親というのは「わしほどえらい人間はおらんねんぞお。わしはヒットラー総統やぞお、わしはあ」とか言い、「わしは、世の中のことというものは、何でも何でも何でも知ってる人間やねん、わしはあ」とか毎日毎日言いながら、実は何も知らん男で、「世間知」がない男、「処世術」を見に着けていない男であり、会社の人間に、いちいち言う必要がないことを言いまくるから、だから、「うちらは貧乏でっさかいに、慶應みたいなカネのかかる大学なんて行かせられまへんさかいに、そやから、大東文化大ですね~ん」などと、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪・・・てことを言い出すおっさんが出現することになるのだった。・・疲れるわ・・。
私がうちの父親の勤め先の会社の工場で安い時給で、冷房なんて効かない暑い所で汗を流しながらアルバイトをしていた時に、冷房の効いた図書館で机に向かって法律の本を読んでいた川村は、大阪大学の法学部に入学して5年目に司法試験に合格して弁護士になった。「大阪新聞」だかに司法試験合格者の氏名が掲載されたようで、うちの父親はそれを切り取って、「川村くんの爪の垢を飲みなさい」と書いて私の所に送りつけてきて、さらに電話をしてきて「郵便送ったん、読んだかあ~あ? 川村くんの爪の垢を飲めよお。わかったなあ」と言い、「川村くんの家に行って、『すいません。爪の垢をわけてください』と言ってきなさい」と言うのだった。実際、私としては、川村の爪の垢を飲みたかった。川村の爪の垢を飲めば川村と同じようなけっこうな生活をさせてもらえるのなら、爪の垢でも ち〇ぽ の垢でも喜んで飲むわ! 私が安い時給で汗ながして肉体労働していたまさにその時、冷房の効いた図書館で机に向かって法律の本を読んでいた男は、そりぁ通るわ。あれで落ちたらウルトラのバカだ!
そもそも、私が「そんなにアルバイトばっかりやっていたのでは勉強できません」と言ったら、「ええかげんにせえよ、チャンコロ。大学は勉強する所とは違うねんぞ、チャンコロ! わかっとんのか、チャンコロ! 大学は勉強みたいなもんする所とは違うねんぞ。うちの会社に来ているぴ~ん大(桃山学院大)のやつとか、き~ん大(近畿大学)のやつとか、大阪経大のやつとか、みんなアルバイトやっとる。おまえも、ぴ~ん大のやつとか、き~ん大のやつとかとおんなじようにせえ、チャンコロ!」と言ったはずだったのだ。その「ぴ~ん大のやつ」とか「き~ん大のやつ」にしても、朝から晩までアルバイトばっかりやっているわけでもなかったのだが、うちの父親は父親の勤め先にアルバイトに来ている時の「ぴ~ん大のやつ」「き~ん大のやつ」しか見ていないから、だから、「大学生」というのは、うちの父親の勤め先の工場にアルバイトに来ている時の「ぴ~ん大のやつ」とか「き~ん大のやつ」のようにいつでもアルバイトしているものだと思ったようだったのだ。
「あんた、わしが月に1回ある会議の時と、あんたの時間割で一番授業が少ない人比べてみ。あんた、ものごっつい暇」と言うのだが、「ですから、会社員は、会社に行っている時に働くものですけれども、大学生というのは講義の時間だけ行けばいいというものではなく、そのために自習しないといけないんです」と言っても、「何、言うとるんじゃ。何を甘ったれたこと言うとるんじゃ。大学生みたいなもん、暇や。大学みたいなもん、な~んもやることなんて、あらへん。甘ったれるなあ!」と言ってきかないのだった。川村の爪の垢なりちん〇の垢なりを飲めば、川村みたいなけっこうな生活さえてもらえるのなら、爪の垢でもちん〇の垢でも飲んだわ。あれだけのけっこうな生活させてもらって、それでも通らんようなら、ウルトラのアホだ。
将棋でも「飛車角落ち」とか「飛車香車桂馬落ち」とかならば、工夫して努力してやればなんとか挽回できる可能性はあるとしても、「王さん1枚」で勝てと言われてもどうもできない。川村哲二と私との違いはいわば、すべてのコマがそろった状態で将棋させてもらう川村に対して、私は””「王さん1枚」で戦って勝てえ””と言われていたようなものだった。「王さん1枚」ではどんなに涙ぐましい努力をしても勝てない。
川村のお母さんというのは、「近所になんだかんだ言ってまわる人」であり、私が浪人中も「うちの子は現役で大学に通りました」と言い、それはそうだろうけれども、「京大でも通ると北野高校の先生から言われました」とか「阪大ならば絶対に通ると北野高校の先生に言われました」とか言ってまわっていたのだが、「京大でも通る」のなら京大に行けばよかったのじゃないのか? 私は川村に「お願いですから、京大に行かないでください」などと言ったことは一度もないはずで、京大に行きたかったのなら行けばよかったのと違うのか? 自分が阪大にしたのだろうが。自分が阪大を選んで阪大に行ったくせに、何をわけのわからんこと言うとるんじゃ・・というお母さんだった。「阪大ならば絶対に通ると北野高校の先生が言われました」などと言ってまわっていたらしいが、「北野高校の先生」は普通はそんなことは言わないと思うが、もしも、言ったのなら、その先生はあまり良心的な人ではないと思う。私は彼が模擬試験などで何点くらい取っていたのか知らないが、もし、「京大でも合格圏」という成績を取っていたとしても、それなら「阪大なら絶対に通る」かというと、阪大はそこまで無茶苦茶易しくはない! もし、私が北野高校の教諭だったならば、そんなことは言わない。むしろ、「最後の最後まで何があるかわからない」と言うと思うし、「最後の最後まで何があるかわからない」という認識で取り組んだ方が合格する可能性は1%でも2%でも高いと思うし、もしも、「絶対に通る」などそんなことを勝手に思い込んでいるならば、その意識は「落ちる方の要素」だと思う。実際のところ、入学試験というのは、模擬試験で「A」の「判定」が出ていても落ちることはあるし、「A」の中でも上の方の成績でも本番の試験で落ちることはあるもので、「ないない。そんなことない」などと言う人がいても、私はびくともしない。何より、私自身が「A」の中でも上の方の「A」の「判定」だった所を落ちたことがあるのだから。「あんなとこ、落ちたら、眼かんで死なんといかん」なんて言うやつが時々いるが、そういうことを言っていると、その「眼かんで死なんといかん」所を落ちてみたりするのだ。川村のお母さんには、「まあ、お母さんというのは、そんなものかな」と最初は思っていたのだが、そのうち、「もう、ええかげん、うるさいなあ、ほんまにい」と思うようになった。私が高校3年の時の北野高校の担任のOですらも「京大なら微妙だという成績で、それなら阪大なら絶対に通るかというと、そんなものではありませんよ」と言っていたのだ。実際、京大と阪大なら、京大の方がいくらか難易度は高いとしても、それなら阪大は無茶苦茶易しいかというとそうではないのだ。だから、川村のお母さんが言ってまわっていたことは無茶苦茶なのだ。無茶苦茶なのだが、それを聞いて、「また、しょーもないこと言いやがってからに」と無視しておけばいいものを、いちいち反応するのが、うちの母親だった。だから、そういう母親の息子としては、川村のお母さんは実に迷惑だった。
そして、K村のお母さんのそのビョーキは簡単には治らないようで、川村が阪大法学部に入学して5年目・・・に、なんで、まだ阪大法学部におるんや? 法学部ちゅうもんは4年のもんと違うんかい? ・・・てところを、たぶん、意図的に4年で留年して「大学生」という身分を確保した上で司法試験を受けたのではないかと思うが、5年目に司法試験に通った時もまた、「司法試験も現役で通りました」と、ま~たまた、近所に言ってまわったらしいのだが・・・。 あんたなあ、「司法試験に現役で通った」というのは、大学の4年間のうちに通ったということを言うのであって、司法試験は1次試験は4年制大学の教養課程を修了すれば免除されるので、普通、大学に行った人間で司法試験を目指した者は3年から受けたのだが、3年の時か4年の時に通ったというものを「現役で通った」と言うのであって、5年目に通ったというものは「現役で通った」とは言わんもんやでえ。よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪・・・というものだがあのおばはん、ええかげんうるさい! 他の仕事ならば、実際には5年目に通ったものを、4年目に通ったみたいに言いまくったとしてもばれにくいのだが、弁護士の場合は、『弁護士名簿』というものが出版されていて、出身大学名と司法試験の合格年というのが記載されているのだ。けっこう高い本なので、弁護士を仕事としているわけでもない者で買う人はあまりないが大きな図書館にはたいていあるので、見ればすぐにわかるのだ。今ではインターネットというもので、所属の弁護士事務所のホームページにも合格年をK村は自分で記載しており、それにも、阪大に入学して4年目ではなく5年目に合格した旨が記載されている。俺からすれば、K村が4年目に通っても5年目に通ってもどちらでもかまわないのだが、””実際には「現役で通った」わけではないのに、いちいち「司法試験も現役で通りました」と近所中に行ってまわらないとおれないシンドローム””のおばはん、もう、ええかげん、うるさい! あのおばはんのビョーキ、精神安定剤の大量投与でもして「治療」してやるわけにいかんもんか・・・。ええかげん、迷惑や。 ・・・会社という所には、「座敷牢に入れてやりたい」という気持になるような爺さんが時々いるものだが、あのおばはんも、なんとかしてもらいたかった。
甲陽学院から1浪で東大に行って外務省に勤めた加藤がアルバイトなんて何もしないで高いレストランで食事をしていた時、私は食事のカネがなくて自販機の底から腹ばいになって硬貨を引っ張り出していた。桃山学院から慶應大の商学部に行った井上もアルバイトなんて何もしないで、「女なんて慶應の名前さえ出せばいくらでも手に入る」などと口にしていた。 川村は私が化粧品屋の工場で汗だくになって安い時給で働いていた時、冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んで司法試験に通った。まさに「民族の違い」「階級の違い」がそこにあった。「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」とうちの父親は毎日言うのだったが、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と毎日思ってきた。 加藤が高いレストランから出てきた時、私の耳元では「ドビヌーシカ」の歌が鳴っていた。加藤とか井上とか川村とかいった連中は、「ドイツ人でアメリカ人の民族」で「慶應の階級」だったのであろう。
※ 《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
《YouTube-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY
まさに、「民族の恨みを忘れるな」「階級の苦しみを忘れるな」というものであった。
うちの父親の親友で医者屋のM川(男。1980年頃現在、50代前半。当時、大阪府豊中市在住)は、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで、私より少し年上のドバカ息子を私立金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させた、というのを自慢にしていた。普通、裏口入学というのは、たとえやるにしても、「恥ずかしそうに」「こそっと」やるものと違うのかあ? 裏口入学なんて自慢するものかあ? ・・と思ったが、そのあたりが「医者屋の民族」は私などとは「民族が違う」ようで、自慢するのだった。うちの父親は私に「裏口入学した人の爪の垢を飲みなさい」と言うのだった。「なんで、裏口入学したらエライんですかあ?」と言うと、「わからんのか、おまえは、そんなことも」と言うのだ。「裏口入学ちゅうことは、思考が柔軟なんや。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは違うねんぞ、おまえとは」と言うのだ。「はあ? 思考が柔軟なら、その柔軟な思考力を活かして狂徒大学医学部でも頭狂大学理科三類でもさっさと実力で現役で通って行ったらいいのと違うのですかあ? なんで、思考が柔軟な人が、私立金権関西医大やなんて、そんなどこの馬の骨からわからんような所に裏口入学やなんて汚らわしいことして行かんといかんのですかあ~あ? なんでですかあ~あ? なんで、京大の医学部とか東大の理科三類とかに行かないんですかあ~あ?」と、そう言ったのだが、うちの父親は「そういうことを言うあたりが、おまえは思考が硬いんじゃ。そのあたりが、おまえが柔軟な思考が欠けているというところなんじゃ、チャンコロ! 裏口入学した人の爪の垢を飲みなさい。いっらいっらいっらいっら♪」と言うのだった。
「医者屋の民族」のM川のドバカ息子は、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで私立金権関西医大に裏口入学しただけでなく、大学生の時に、やはり、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りで父親が稼いだカネでゴルフバッグを買ってもらい、ゴルフやって遊んでいた。なるほど、そのあたりが「民族の違い」「階級の違い」というものだったようだ。

現代の医療被害 (1978年) - 青年医師連合

医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
私のイトコで、東京のある私立大学のラグビー部にスポーツ入学で入った男がいた。野球と違ってラグビーにはもともとプロはなく、ゴルファーなどと違ってラグビー選手は選手としての寿命が短い。彼はラグビーに関係のする仕事にはついていないが、スポーツ入学で入学して卒業して勤めたようだ。大学生の時、その「体育会ラグビー部」の縁でだと思うが、ゴルフ場のキャディーをアルバイトでやったらしい。それを聞いて、うちの父親が、「Tがキャディーやったそうや。おまえもキャディーやれ」と言うのだった。「なんで、そんなもの、やらなきゃならないんですか」と言ったのだ。
実際、K村が冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいる時に私は冷房なんて効かない暑い工場で汗を流して肉体労働をしていたし、同じ中学校・高校から京大の法学部に行ったN口という男がいて(なんと言うのか、シェイクハンドラケットみたいな顔した男だが)、自分は京都で下宿して国立大学に行ったから東京圏で下宿して私立大学に行った私よりエライと思っていたらしいが、東京で下宿するのと京都で下宿するのとでは東京圏で下宿する方がカネがかかるとN口は言いたいらしかったが、実際はそうでもなく、東京圏でも安い所は安いし、関西圏では常に東京圏より安いわけではなく、そもそも、京都というのは「ブランド地名」であり、舞妓さんがこっぽりはいて「おこしやすう」とか言うておるような所が安いわけないのであり、そんな所でN口は下宿して、さらに、東京ー大阪間の交通費と京都ー大阪間の交通費なら東京ー大阪間の交通費の方が高いと野口は言いたいらしかったが、実際はそうではなく、東京圏の大学に行った者は、大阪に帰省するとしても、年に2回か3回であるのに対して、野口は毎週、京都と大阪の間を往復していたのであり、京都と大阪の間の交通費というのは、毎週、往復するとそれなりの金額になるのであり、計算してみれば、東京ー大阪の間を夜行バスで年に2回か3回往復するよりも、京都と大阪の間を毎週往復する方が交通費はよっぽどかかるのだった。かつ、自宅から交通費をかけて京都の大学に行くか、京都で下宿して年に2回か3回しか帰省しないかなら、かかるのは下宿代か交通費かいずれかだが、野口のように京都で下宿した上で毎週帰省していたのでは、それが一番カネのかかることをやっていたのであり、野口という男は自分が一番カネのかかることをやっていたにもかかわらず、自分が一番エライみたいに思っていた男で、また、口にする男だった。N口は、大阪府豊中市の曽根の学習塾の講師をアルバイトでやっていたが、アルバイトはそれだけで、それ以外は学習時間にあてることができた。あのウルトラ甘ったれたぺったんこの顔のN口 要はそれ以外にはアルバイトはやっていなかった。私はうちの父親から「肉体労働、肉体労働♪ 肉体労働、肉体労働♪ てってこっこてっててって、らったらったらったらあ~あ♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉! 欲しがりません、勝つまでは! とってちってたあ~あ!」「ど~んが~ん、どんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃああ~あん♪」〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕と毎日言われ続けてきてアルバイト漬けにされたが、川村やN口要とアルバイト漬けの私とはまさに「民族の違い」「階級の違い」があった。
私はうちの父親に言ったのだ。「年にいくら、自分で稼いで用意してほしいというのを言ってもらえませんか」と。それを言ってもらえば、それだけの金額を、一番、ダメージが少ない時間帯に工夫をして計画を立てて稼いで学習することだってできる。それに対して、うちの父親のように、いきなり、「あんた、あしたからうちの会社の工場にアルバイトに行くことに、決めてきたっ!」というようなことをされたのでは、学業に支障がでる。うちの父親は私の学業に支障がでるようにと思ってやっていたのだろうけれども、それをなんとかしたかったが、なんともできなかった。最近、大学生がアルバイト先の使用者に試験前にはシフトを入れないでもらいたいと約束して勤めたのに試験前にシフトを増やされたり残業させられるという「ブラックバイト」という問題がインターネット上に出ていたが、我が家の場合は、「ブラックバイト」というよりも「ブラックファーザー」というのか、そこで入れられたのでは学業に支障がでるというところを狙って「アルバイトに行くことに、決めてきたっ♪」と決めてくる父親が家にいた。実際、うちの父親というのは、私をつぶすためなら、どんなに悪質なことでも平気でやる男であり、私をつぶすためなら悪魔とでも手を組む男だった。
うちの父親は私にこう言うのだった。「キャディーをやるのを嫌がるというのは、それはモラトリアム人間病という病気にかかっているからです。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる。病気は治さんといけません。キャディーやれ、キャディーを。甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ! キャディーやれ、キャディー!」と・・・・が、それならば、キャディーなんかやらずに、逆に、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして取得したカネでゴルフバックを買って、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネでゴルフやって遊んでいたM川のドバカ息子、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで私立金権関西医大に裏口入学したM川の息子は、あれはモラトリアム人間病とは違うのか?・・・というと、違うらしいのだ。

現代精神医学解体の論理 (1975年) - 森山 公夫
うちの父親は、M川の息子が、「患者」を薬漬けにして取得したカネで買ったゴルフバッグで「患者」を薬漬けにして取得したカネでゴルフをするのに、私にそのキャディーをやれと言うのだった。「甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ! 増長するなよ、チャンコロ! キャディーやるのを嫌がる人間というのはモラトリアム人間病という病気やねんぞ、チャンコロ! 慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらいエライえら~い♪ というそういう先生がおっしゃっておるんやぞ、チャンコロ!」と言うのだった。そして、言うのだった。「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と。 言われなくても、ひしひしと感じた。 「医者屋の民族」「裏口民族」の息子は「患者」を薬漬けにして取得したカネで私立金権医大に裏口入学をしてゴルフバッグを買い、「ガチンコ民族」の私にキャディーをさせてそのゴルフバッグをかつがせようということだ。まさに、そこに「民族の違い」「階級の違い」というものがあったのだ。
※ 《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
それから、キャディーのアルバイトというのは、もしも、やりたいと思ったとして、必ず雇ってもらえるというものでもないはずだ。イトコはスポーツ入学でラグビー部にいたから、だから、ラグビー部の関係でキャディーのアルバイトの口が来たらしかったが、私はスポーツ入学ではないし、それぞれの仕事で採用する側も、こういう仕事ならこういう人が向いているのではないかという構想があるはずで、ゴルフ場も、キャディーをアルバイトであれ採用する場合には、どういう人が向いているかを考えて採用しているはずで、「体育会ラグビー部」の人間に話があったからといって、文治派の私がやりたいともしも言ったとして採用してもらえるとは限らない。
うちの父親は言うのだった。「M川先生は神様やぞお。M川先生はキリストやねんぞお、キリストのおっしゃることには絶対服従、絶対服従」と。 その「キリスト」だか「神様」だかいうおっさんは、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで、ドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させて、そして、薬漬けで稼いだカネで息子にゴルフバッグを買い、薬漬けで稼いだカネで息子は大学生なのにアルバイトなんてしないでゴルフやって遊んでいたのだが、それでも、M川の息子はモラトリアム人間病ではないのだった。逆に、私は、ガチンコなのに、アルバイト漬けにされて、「大学ちゅう所は勉強する所とは違うねんぞ、チャンコロ! 心得違いを起こすなよ、チャンコロ」と言われ、キャディーやってM川のドバカ息子のゴルフバッグをかつがせてもらえ・・・と、こう言うのだった。そして、「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と言うのであった。「民族の恨みを忘れるな」「階級の苦しみを忘れるな」と毎日常に思うようになった。「民族の違い」「階級の違い」というものがそれだけあり、「医者屋民族」の息子は、私がアルバイト漬けにされていたまさにその時に、「患者」を薬漬けにして取得したカネで買ったゴルフバッグを、「ガチンコ民族」にかつがせて、ゴルフやって遊んどったのだった。
「ゴルフバッグをガチンコ人間にかつがせる民族・階級」と「八百長・裏口民族のゴルフバッグをかつがされる民族・階級」というものがあるようだった。もしくは、「ゴルフバッグを人にかつがせる側の論理」と「ゴルフバッグをかつがされる側の論理」とでもいうものか。

殺す側の論理 (朝日文庫) - 本多 勝一

殺される側の論理 (朝日文庫 ほ) - 本多 勝一
ー・-・-・-・-・-・-・-
《 高等小学校へ入学したころの悲惨な思い出については、毛沢東もその談話や著作のなかで何度も語っている。韶山村では人にも知られ、人気もあった彼だが、ここではまったくの無名で、みんなから白い目でみられた。父は月謝はだしてくれただけで、あとの送金はなかった。同級生は大半が金持の子弟で、服装も食事も派手、なかには召使がついている者もいた。同級生のひとりは笑いながら、召使にやとってやってもよいと毛沢東にいった。ちょっとした雑用をするだけで、毎月、なにがしかの手当をはずんでやる、と。毛は憤然となって拒絶した。》
( ロバート=ペイン『毛沢東』宇野輝雄訳 1967.初版。1971.五版。角川文庫)
「心理学」や「小此木啓吾先生」によれば、毛沢東もまた、「召使をするのを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。治療したらんといかん」という「診断」になったことだろう・・・。まあ、「慶應心理学」というのは内部進学の人の世界観でできているし、内部進学小此木啓吾というのは、《召使にやとってやってもよい・・。ちょっとした雑用をするだけで、毎月、なにがしかの手当をはずんでやる》と「毛沢東」に笑いながら言う側の人間であり、そういう態度のことを「慶應らしいスマートさ」とか「よっ、慶應ボーイ♪」「企業はそういう人間を喜ぶ」「ギャルにもてもて♪」と言ってもらう側・そう言って称賛するよう人に強制する側の人間であるから、なるほど、そういう「診断」になるのはわかる。
![毛沢東 (角川文庫―名著コレクション) - ロバート・ペイン, 宇野 輝雄]()
毛沢東 (角川文庫―名著コレクション) - ロバート・ペイン, 宇野 輝雄
ー・-・-・-・-・-・-・-
「朕思うに、我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにわしにいいい~い!」と、うちの父親は毎日、言うておった。 「産まれてこなければよかったのに、産まれてきたっという罪をつぐなうために、すべて王、すべて央、わしのために。すべて翁、すべて応、わしのために、わしのために、わしにわしにい。わしにわしにわしにわしに。てってこっこ、てっててって、らったらったらったら♪ てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ♪ ちゃんちゃんころころちゃんころころ、いっらいっらいっらいっら♪」と叫んでおった。うちの姉が「あの人、自分の親が生きている間は、そんなこと、ちっとも言わないで、自分の親が2人とも死んだ、息子はいると思ったら、とたんに、ああいうことを言い出すというのは、あれはずるいと思う」と言っていたが、私もそう思う。
M川の息子のような「医者屋民族」に生まれてくれば、小学校から高校までちっとも勉強せんで、それで、「患者」を薬漬けにしたカネで、私立医大に裏口入学して入り、「患者」を薬漬けにしたカネで、ゴルフバッグを買い、ゴルフをして、私のような「ガチンコ民族」をキャディーとして安いカネで雇ってゴルフバッグをかつがせるという「当然の権利」ちゅうもんがある! ・・ということらしかった。それが「キリスト」「神さま」のすることらしかった。
まだ、何年か前、金田や野村が生きていた時、「週刊ポスト」に金田・長嶋・王の3人の対談が掲載されていたのだが、そこで、金田と長嶋の2人が野村と森の悪口をさかんに言いまくっていたことがあり、「月見草」は「ひまわり」が嫌いかと思ったら、「ひまわり」も「月見草」が嫌いなんだな・・と思ったことがあった。それと似ているかもしれんが、「ガチンコ民族」は「八百長・裏口民族」を好きでないのは当然として、「八百長・裏口民族」は自分たちが裏口やってるのだから、「問題行動」やっているのは「八百長・裏口民族」の側であるから、「八百長・裏口民族」が「ガチンコ民族」を憎む理由はないだろうと思っていたのだが、実はそうでもなくて、「八百長・裏口民族」は「ガチンコ民族」が憎いということがあるらしい。 だから、 「八百長・裏口医者屋民族」としては「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りやって裏口入学した上で、薬漬け・検査漬け・毒盛りで取得したカネでゴルフバッグ買って、薬漬け・検査漬け・毒盛りで稼いだカネで大学生がゴルフやって遊ぶのに、「ガチンコ民族」の大学生をキャディーに雇って「八百長・裏口民族」のゴルフバッグをかつがせるというのは、彼らにとっては快感を覚える行為だったようだ・・し、彼らにとっては彼らのそういう思考・行動こそ「正常」で「常識」で「思考が柔軟」で「自我が確立されている」と「診断」されるべきものだったようだ・・・と今はきっちりと理解している。
「いいかげんなこと言い」は世の中にはいっぱいいる。東大病院というのが東京都文京区本郷にある。正式には「東京大学医学部付属病院」と言い、東大の本郷キャンパスの中にあり、「東大病院」と言うからには東大医学部卒の医者が診察しているのだろうと思い、私立金権裏口医大卒のやつなんかに診られるよりも東大医学部卒の医者に診てもらった方がいいだろうと思ってかかる人がいるようだが、実際には東大医学部帝国主義の植民地である私立大医学部卒の医者屋が診ており、あれはどう考えても不当表示であると思われる。「事実と違う。間際らしいなどなど・・」ということで、ジャロに言うてやった方が良さそうに思う。1980年代初め、そこに勤務していたF山(男。当時、30歳)が「このぼくは東京大学の理科三類に現役でゆうゆうと余裕をもって通ったんだぞお。きみは2年も浪人して東大に合格できなかったんだろうが。慶應にしか行けない人間のカスだろうが。東京大学理科三類に現役でゆうゆうと通ったこのぼくと、慶應にしか行けない人間のカスのおまえとは能力も違えば人格も違うんだ。このぼくは能力的に優秀で人格が優れていて、何より謙虚なんだ」とか言うておった。しかし、最初は、本人が「東京大学理科三類に現役で通ったんだぞお」と言い、東大病院に勤務しているからにはそうなのだろうと思っていたのだが、しかし、
(1) 私が卒業した北野高校からは京大医学部・阪大医学部に行く人は毎年あるが東大理科三類に行った人というと、我が家の近所のボーズで私よりいくつか年下の男で、私と同じ中学校から同じ北野高校に行って3浪で理科三類に行ったやつが1人いるくらいで、東大の理科三類に行く人はあまりない高校だったのだが、理科三類以外の東大に行く人は毎年あり、「友達の友達はみな友達だ」というわけでもないが、本物の東大理科三類の学生と会ったこともあるわけだが、そういう人とF山は感じが違った。
(2) F山は「まさか、このぼくが理科三類にぎりぎり通ったなどとは思ってないだろうなあ。このぼくは理科三類にゆうゆうと合格最低点よりもずっと高い点数で通ったんだからなあ。このぼくときみとは能力が違うし人格も違うんだ。わかってんのかあ。自分はカスだ、2浪しても慶應にしか行けなかったどうしようもない最低のカスだと認めなさい」と何度も何度も私に言ったのだが、しかし、2浪して学んだものとして、大学の入試というものは「ともかく、合格最低点を上回ればそれでええんや」という点がある。山田久志『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)で山田久志が述べていたが、1971年の阪急 対 巨人の日本シリーズで、1勝1敗での3戦目。阪急 山田は8回まで0点に抑える好投。9回裏、走者を出すものの。2死1・3類から巨人の4番、王と勝負。2ストライクから、山田が投げた球は内角低めぎりぎり、「これで終わりじゃあ」と山田が終わったまさにその瞬間、山田が投げた会心の球を王は見事にとらえて、サヨナラスリーランホームラン。失投を打たれたのではない、球威も十分、コースも内角低めぎりぎり、なぜ打たれたんだ・・と考えて考えてしたが、敗因はいくつか考えられたが、なにより、あの場面、塁は開いていた、「野球はともかく勝てばええんや」ということから考えると、あの場面、セリーグ最強打者の王と勝負する必要はなかった・・と。同じことで、大学入試というのはハードルであって棒高跳びではない。大学入試は合格最低点を1点でも上回る点数を取れるかどうかの問題であり、それ以上いくら高い点数をとっても意味はない。むしろ、「ゆうゆうと通ったんだぞお」などと言うようではそれは「勝負弱さ」を示している。そのあたりから、「なんか、変なことを言うなあ」と私は思ったのだ。

プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
(3) そして、何より、F山が受けた頃も私が高校を卒業した頃も、京大・阪大・神戸大は合格の場合も不合格の場合も出身高校に何点だったかを通知していたので、3年の時の担任の教諭にきけば何点だったか教えてもらえたのだが、東大は合格か不合格かの発表だけで何点だったかは教えてもらえなかったので、「ゆうゆうと通った」のかぎりぎり通ったのかはわからないはずだった。それなのに、F山が「このぼくは東京大学の理科三類に合格したのは、ぎりぎり通ったんじゃないんだぞお。ゆうゆうと相当上の点数で通ったんだぞお。きみとは違うんだぞお。わかってんのかあ~あ!」と何度も何度も怒鳴りつけられたのだが、「ゆうゆうと相当上野点数で通った」のか「ぎりぎり通った」のかなんて、いったいどうやってわかったのか、ということだ。わかるわけないのだ。
・・・だから、この(1)~(3)の理由で、なんか変だなあ・・と思ったのだが、後からわかった。F山はT京大学医学部卒で東京大学医学部付属病院で医者屋として勤務していたけれども、卒業した大学はT京大学医学部でも東京大学医学部ではなく帝京大学医学部だったのだ。実際には帝京大学医学部裏口入学のくせしやがってからに、「このぼくは東京大学理科三類に現役でゆうゆうと余裕をもって通ったんだぞお。このぼくは能力が優秀で、人格が優れていて、何より謙虚なこのボク♪」などと言っていたのだ。「このボクときみとは能力も違えば人格も違うんだ。わかってんのかあ~あ。このぼくは現役で東京大学理科三類にゆうゆうと通ったエリート中のエリートで、おまえは2浪しても東大に通れずに慶應にしか行けなかった人間のカスだろうが。自分は人間のカスだ、最低のカスだと心の底から思いなさい!」と何度も何度も言いまくってきたのだった。帝京大医学部裏口入学のくせしやがってからに、「おまえはカスだ、カスだ。慶應にしか合格できない最低のカスだ」と何度も何度も私に言いまくってきたのだが、「ぼくは能力的に優秀で人格がすばらしくて、なにより謙虚なこのボク」と何度も言っていたF山という男はそういう男だった。わかってから考えてみると、いかにも、帝京大学医学部裏口入学が言いそうなことだった。
京大・阪大・神戸大は通った場合も落ちた場合も何点だったか点数を出身高校に教えてくれたが、東大は通った場合も落ちた場合も入試の得点を教えてくれないので、わかるのは合格か不合格かだけで、通った場合もぎりぎり通ったのか余裕をもった点数を取れていたのかはわからないはずだったが、受けたことがある私はそれを知っていたが実際に東大を受けたことがないF山はそれを知らなかったのだ。
・・・で、その「東京大学理科三類に現役でゆうゆうと通った」と詐称していた帝京大学医学部裏口入学が、こう言いやがったのだ。「ぼくは、学生の頃、貧乏だったから」・・・と。はあ? はあ~あ? 帝京大学医学部裏口入学が貧乏なわけないだろうが!
!
!
!
! ・・・まあ、そんなもんだ。 「ぼくは学生の頃、貧乏だったから」などと、まあ、私立金権医学部裏口入学が、まあ、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪ ・・・F山については、うちの父親は「帝京大学医学部裏口入学の人の爪の垢を飲みなさい」とは言ったことはなかったように思うが、おそらく、言い忘れたのであろう。本来なら言うところだったであろう。どうも、私は世界中の人間の爪の垢を飲まされなければならないと「天の神さま」というやつが「お決めになった」らしい。私は「天の神さま」というヤカラがそうお決めになっ生まれてきた人間らしい。・・しかし、考えてみれば、↑のF山が言った文句、いかにも、私立金権医学部裏口入学が言いそうな文句であった。
あの「東大病院」「東京大学医学部付属病院」という病院だが、「事実と違う。紛らわしい、などなど」に病院名が該当すると思うのだ。ジャロに言うてやった方がいいだろうか・・・。〔⇒《YouTube-JARO 白雪姫篇》https://www.youtube.com/watch?v=OyGtVTySYEo 〕

アブない大学病院―“白い巨塔”で行なわれていること これじゃ患者はたまらない! (ベストセラーシリーズ・ワニの本) - 寺岡 元邦
「東京大学医学部付属病院」、略称「東大病院」はその名前を名のるのはやめた方がいい。 多くの人間はその名前を名のっているからには「東大病院」では大部分の医師は東大医学部卒の医師であろうと考えて、それで、私立金権裏口医学部卒の医者屋ではなく国立大学の医学部卒の医師に診察を受けたいという気持から「東大病院」まで診察を受けに行くのだ。ところが、実際に「診察」している医者屋には私立金権裏口医学部卒の人間がいる。これは、どう考えても「不当表示」であろう。こういう「看板に偽りあり」を国立の病院がおこなうべきではない。
なお、「東大病院」という略称は正式名称ではないようだが、多くの人間が「東大病院」と言っており、私だけが使用しているなどというものではない。又、都バスには「東大病院前」というバス停があるようで〔⇒《乗換案内NEXT 東大病院前 都バス23区》https://mb.jorudan.co.jp/os/bus/1301/stop/41493.html 〕 、多くの人間が「東京大学医学部付属病院」のことを「東大病院」と考えており、医師全員が東京大学医学部卒とは決まっていないかもしれないが、大半は東大医学部卒で、そうでない医師でも最低でも国立大学の医学部卒であろうと思い込んでいる。T京大学はT京大学でも帝京大学医学部卒の医者屋が実際には「このぼくは東京大学理科三類に現役でゆうゆうと通ったんだぞお」と詐称して「診察」しているとは多くの人間は考えていない。「事実と違う。紛らわしい、などなど」の名称を国立の病院が名のるのは認められるべきではない。
私は夏目漱石『門』を読んで、登場人物の小六の気持ちがわかった。なんで、俺だけがこんなことしなきゃならないんだ・・と思った。ほかに、山本有三『路傍の石』で、吾一が、東京で印刷工場で働きながら、夜学の商業学校に通った際、小学生の頃、同じクラスだった大商店の娘が、学業だけで女子大に行っているのを見て、昼間、仕事をして、夜、学校に行くのと、学業だけやっておればいいのとでは、ずいぶんと違いがあると感じたという話を読んで、本当にその通りだと思った。 私が化粧品屋の工場で汗を流して肉体労働していた時に、川村は冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んで司法試験に通ったのだ。ちん〇の垢を飲めば川村みたいな生活させてもらえるのなら、ちん〇の垢でも飲んだるわ! 弁護士屋が役に立たないのは、そんなやつが弁護士になったケースが多いからということが、ひとつの理由としてあると思う。そういう連中なのだ。

路傍の石 (新潮文庫) - 有三, 山本
ほかに、ロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)では、学校に行って学びたいという毛沢東に、父親が「おまえがいなくなったら、おまえが働く分をほかの人間を雇って働かせないといけなくなる」と言って学校に行かさないようにした話がでている。うちの親と似ていると思った。うちの親も、ロバート=ペイン『毛沢東』に出ている毛沢東の父親が言った文句とそっくりの文句を私に言った。 もっとも、エドガー=スノー『中国の赤い星』(筑摩書房)によると、毛沢東は自分の生い立ちなどについて語ったのはエドガー=スノーにだけであって、それ以外の誰かに語ったことはないということで、そうなると、ロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)に書かれている内容というのは、そのネタ元はどこなんだ?・・・ということになり、エドガー=スノーもロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)のことを、「論拠不明確な本」だったか述べていたようだが、現実に生きた毛沢東という人がどうだったかではなく、小説だと考えると、ロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)に出てくる毛沢東の父親というのは、うちの父親とそっくりな親だったようだ。
「唐紙(からかみ)」の話から、ほかに話が移ってしまったが、夏目漱石『門』(新潮文庫)では、「唐紙(からかみ)」という言葉がそこで使われていることとともに、小六という学生が、自分の同級生などがずっと贅沢な暮らしをしているのに、なんで、自分だけが・・と思った話が出ており、まさに私自身の大学進学の時、および、大学生の時の状況に重なり、身につまされる思いがした。
夏目漱石『門』は「朝日新聞」に連載された小説らしく、書いていくうちに、話の内容が「門」にならなくて夏目漱石は困ったらしく、結局、鎌倉の禅寺に籠ることになり、そこで寺の「門」が登場する。 『門』には鎌倉の寺と出ていても、どの寺とは書かれていないが、夏目漱石は実際に鎌倉の円覚寺の塔頭に籠ったことがあったらしく、円覚寺を想定しての話らしい。

週刊 古寺を巡る 35 円覚寺 北条時宗が開いた北鎌倉の座禅道場 (小学館ウイークリーブック) - 小学館
「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」という文句は今も私の耳元でわんわんうなっている。そして、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」という文句も常に心にある。「医者屋民族」の息子は、「患者」を薬漬けにして取得したカネで裏口入学し、ゴルフバッグを買い、ゴルフをして遊び、ガチンコの私にキャディーをさせてゴルフバッグをかつがせる。「天の神さまというお方」は、「産まれる時点でそのようにお決めになった」そうだった。
1990年、小堀住研(株)の東京支店自由が丘展示場(東京都目黒区)で、営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎(男。当時、30代後半)は、福島県喜多方市の住人だったのに、東京電機大学なんて私立大学しか行けないくせしてからに、東京で下宿してまで東京電機大の工学部建築学科みたいなもんに行かせてもらっていた。親は相当の金持ちなのかというと、父親はラーメン屋の親爺だったそうで、ラーメン屋というのは、ずいぶんと儲かるらしい。
1993年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた春田靖(男。当時、20代前半)は、静岡県の出身だったにもかかわらず、東京大学ならわかるが「東大」でも東京大学ではなく東洋大学などという私立大学しか行かれへんくせしやがってからに、工学部建築学科なんてカネのかかる学部に行かせてもらい、卒業後、(株)一条工務店に勤めていたのだが、高そうなばかでかいオフロードカーに乗っていた。 20代前半の若造が乗るようなクルマではないはずだったが、そういうものに乗っていた。親は相当の資産家なのか?・・というと、中学校の校長先生だということだった。私などは、うちの父親から「うちは、学校の先生になんか、ならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われたものだったが、春田靖の父親は中学校の先生になっていたらしいから、金持ちの息子だったのだろう。 私はうちの父親から「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と毎日言われたもので、「国立大学ならどの学部でも学費は一緒のはずや」と私は訴えたのだったが、母は「100パーセント、絶対に国立大学に通るとは決まってないでしょうが。たとえ、0.1パーセントでも、0.01パーセントでも落ちる可能性があったら、国立大学でも工学部なんて受けたらいかんでしょうが」と言うのだった。私は、京大の工学部建築学科に通ったか、東大の理科一類・理科二類に通ったかということならそれはわからないが、国立大学でどこかというくらいなら、工学部建築学科で通る所はあったと思うが、それでも、「何を甘ったれとるんじゃ、チャンコロ、ロスケ! うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われたものだった。中学校の校長先生というのは、相当の金持ちらしい。
まさに、「民族の違い」「階級の違い」というものを感じる人たちだった。
1980年代後半、小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)・・・→(株)ヤマダエスバイエルホーム⇒(株)ヤマダホームズ〕に入社した時、新卒社員の研修が大阪市北区のJR大阪駅のすぐ前の本社で開催されたが、東京圏に住んでいた者が大阪まで行く際には交通費が支給されたが、千葉工大のやつには小堀住研(株)は新幹線代を支給したのに対して、私には普通運賃しか払ってくれなかった。会社は従業員には公平であるべきである。小堀住研(株)は千葉工大のやつに新幹線代を支給するなら私にも支給するべきで、私に普通運賃しか払わないならば千葉工大のやつにも普通運賃のみ支払うべきであろう。これもまた、「民族の違い」「階級の違い」というものだったのか・・・? うちの父親が言うには私は「チャンコロ人で浪商の民族で階級」だそうだが、あの千葉工大の男もうちの父親と一緒で「ドイツ人で慶應の民族で階級」だったのかもしれない・・・か? 「ちゃんこ~ろ、ちゃんこ~ろ、ちゃんころチャンコロちゃんころチャンコロ、ちゃんこ~ろ、ちゃんこ~ろ♪」と、毎日、私の耳元で大きな声で叫んでいたうちの父親の文句が今も耳元でわんわんとうなっている・・。
(2021.1.22.)
《 天気の勝れて(すぐれて)美しいある日の午前、御米は何時もの通り宗助を送り出してから直に(じきに)、表へ出た。もう女は日傘を差して外を行くべき時節であった。急いで日向(ひなた)を歩くと額の辺(あたり)が少し汗ばんだ。御米は歩き歩き、着物を着換える時、箪笥を開けたら、思わず一番目の抽出の底にしまってあった、新しい位牌に手が触れた事を思いつづけて、とうとうある易者の門を潜った(くぐった)。
・・・御米はその時真面目な態度と真面目な心を有って、易者の前に坐って、自分が将来子を生むべき、又子を育てるべき運命を天から与えられるだろうかを確かめた。易者は大道に店を出して、往来の人の身の上を一二銭で占う人と、少しも違った様子もなく、算木を色々に並べてみたり、筮竹(ぜいちく)を揉んだり数えたりした後で、仔細らしく腮(あご)の下の髯(ひげ)を握って何か考えたが、終りに御米の顔をつくづく眺めた末、
「貴方には子供は出来ません」と落ち付き払って宣告した。御米は無言のまま、しばらく易者の言葉を頭の中で噛んだり砕いたりした。それから顔を上げて、
「何故でしょう」と聞き返した。その時御米は易者が返事をする前に、又考えるだろうと思った。ところが彼はまともに御米の眼の間を見詰めたまま、すぐ
「貴方は人に対して済まない事をした覚がある。その罪が祟っているから、子供は決して育たない」と言い切った。御米はこの一言(いちげん)に心臓を射抜かれる思があった。くしゃりと首を折ったなり家へ帰って、その夜は夫の顔さえ碌々見上げなかった。
御米の宗助に打ち明けないで、今まで過ごしたというのは、この易者の判断であった。宗助は床の間に乗せた細い洋燈の灯が、夜の中に沈んで行きそうな静かな晩に、始めて御米の口からその話を聞いたとき、さすがに好い気味はしなかった。
「神経の起った時、わざわざそんな馬鹿な所へ出掛けるからさ。銭を出して下らない事を云われてつまらないじゃないか。その後もその占(うらない)の宅(うち)へ行くのかい」
「恐ろしいから、もう決して行かないわ」
「行かないが可い。馬鹿気ている」
宗助はわざと鷹揚な答をして又寐てしまった。 》
( 夏目漱石『門』 新潮文庫 )
↑ 私も、これと似た経験がある。慶應大学に「学生相談室」という所があって、私は、もともと、フロイト『精神分析入門』などの読者で、「心理学」や「カウンセリング」というものをかつては相当好意的に見ていたので、それで、行ってみたことがあったのだが、どうも、言われることがおかしい・・・。 易者とか拝み屋とか霊能者とか新興宗教とかそういった人なら、いいかげんなことを言って人を惑わす者がいるであろうと思っていたが、「心理学者」というのは学者の中でももっともまともな人たちであろうと見当違いな信頼をしていた。その結果、↑ の御米と同じく、かえって、心を混乱させられてしまい、「もう決して行かないわ」「行かないが可い。馬鹿気ている」と思うに至った。「学生相談室」というのは多くの大学にあるが、それを「困ったことがあった時に相談する所」と思っている学生がいるが、実はそうではなく、大学生の中で型にはめられるのを嫌がるような学生を「心理学」の技術を駆使して加工しようという機関、大学に疑問を感じるような学生があれば大学の方に問題があるのではなくその学生に心理的な欠陥があるということにして加工しようという機関であり、慶應の場合であれば、内部進学の人間に合わせて「外部の連中」を加工しようというものであり、いわば「慶CIA」とでもいった機関だった。何か困ったことがあった時に、「わざわざそんな馬鹿な所へ出掛ける」のは愚かである。
弁護士というのも、「火事場泥棒」みたいなところがある。困った問題をかかえて、その解決のために依頼すると、「〇日までに◇◇万円売り込んでください」と言うので、ないカネを無理して大急ぎで振り込むと働かない。まさに「振込め詐欺」である。かつ、役立たずの「着手金泥棒」である。菓子折りなんて持っていくと、もらってあたりまえみたいに思っている。役立たずの「着手金泥棒」の「振込め詐欺」にそんなものをくれてやるのは「盗人に追い銭(ぬすっとにおいぜに)」というものだ。 「クソして死にやがれ!」というところから「便後死(べんごし)」という言葉が出来て、それに美しい漢字を当てて「弁護士」になったのではないか・・という感じがする。・・なんというのか、世の中、お金というのは、努力したり苦労したりするともうからんけれども、悪いことするとようもうかるみたい・・・て感じがする。
まず、「カウンセリング屋」とか「心理学屋」とかにはかかわらん方がええと思う・・。特に、何か困ったことがあったというような時には関わらんようにするべきだ。
(2021.1.24.)
JR山手線「目白」駅から西に進む都道8号(目白通り)を西に進んで南に入ったあたりにあった 日本カウンセリングセンター という所に、「入門コース」だけ受講したことがあったが、「どうも、怪しい」と感じて、最初はその後のコースも受講したいと考えていたが、それ以上は関わらない方がいいと判断してやめたが、あれも、「関わらない方がいい団体」だったと思う。そんなものに、「入門コース」だけとはいえ、カネを払って行ってしまったのは愚かだったかもしれないが、そこで私はやめたが、やめずにそのまま深みにはまった人もいたようなので、はまらなかったという点は良かったと思う。もっとも、深みにはまった人がいて、私が「入門コース」だけで怪しいと気づくことができたのは、それまでから、その類の怪しいものに関わって相当被害にあってきていたからだった。その時、深みにはまってしまった人より私の方がえらいというものでもないが、その時、深みにはまってしまった人が、今、脱出できているかどうかはわからない。「ミイラとりがミイラになった」可能性も可能性としてはないことはない。
(2021.1.25.)
「唐紙(からかみ)」て何か知ってますか?
「唐(とう)」というのは中国の隋(ずい)の次の王朝の名前が「唐(とう)」で、朝鮮の新羅が百済を攻めた時に、普通に考えれば日本にとっては新羅と百済とでは、どっちが勝とうが日本には関係ないみたいな感じ、トランプが勝とうがバイデンが勝とうがそれはアメリカ合衆国の話・・・みたいな感じのものなのだが、『古事記』など見ると、大和朝廷は新羅を攻撃することが多いのだが、新羅が百済を攻めた時も大和朝廷の中大兄が滅亡直前の百済を救援するために軍を派遣して、新羅+唐 の連合軍に百済+大和朝廷の連合軍が白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)で大敗した・・ということがあったその「唐」なのか? 中国由来のものでも、唐(とう)の時代の様式のものということか?・・とすると「とうがみ」ではなく「からかみ」と読むのはな~んでだ? それとも、江戸時代後半では、ともかく欧米の国はすべて「オランダ」と言ったごとく、中国方面は何でも「唐(から)」だったのか?
《ウィキペディアー唐紙》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E7%B4%99
《 唐紙(からかみ)とは、中国から渡来した紙、もしくはそれを模して作られた紙のこと。平安時代には書道や消息(手紙)で装飾性の高い料紙として用いられた。中世ごろからは、主に襖に貼る加工紙の一種として用いられた。産地・特徴において、京から紙と江戸から紙の2系統に分かれる。 》
要するに、襖紙(ふすまがみ)のことか・・・と言うと怒られるかもしれんが、間違いではない。
《京からかみ 株式会社丸二》https://maruni-kyoto.co.jp/karakami/ には、
《 唐紙は、もともと中国から輸入した紙のことです。外国産のものを唐物というように、外国の紙という意味になりますが、一般的には中国渡来の紙のことをさします。
唐紙は、遣唐使時代に輸入されていて、和紙がまだない時代から使われていました。
天平時代には遣唐使廃止により輸入されなくなった唐紙に代わって、国内で生産した和製の唐紙ができていたようです。
やがて貴族たちが詩や和歌を書き、写経をする料紙として愛用した唐紙の中に文様を施したものが出てきました。紋唐紙と呼ばれるもので、襖紙として使用される唐紙は、この紋唐紙が原型となっています。
輸入がストップした後、国内でまず美術料紙として作り始められ、生産量の確保と共に襖障子用に進出したと推測されます。
そして、唐紙は襖より先に障子紙として使われることが多かったようです。 》
と書かれている。 襖紙(ふすまがみ)で間違いではないが、「唐紙(からかみ)」と言うと安物の襖紙(ふすまがみ)ではなく、襖紙(ふすまがみ)でも比較的高級なもののようだ。
もっとも。 「白紙(894)に戻す遣唐使」、遣唐使の廃止は894年、平安時代、菅原道真の建言で廃止されたことになっていたはずで(菅原道真がどうということではなく、菅原道真がどうこう言う前から廃止は決まっていたという説もあるらしいが)、「天平時代」はそれより前なので、その部分についての記述は少々「?」なところがあるが。
戸建住宅建築業の会社に長く勤めてきたので、今は「唐紙(からかみ)」とは何か知っているが、最初は知らなかった。 1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ でお客様から「唐紙(からかみ)」と言われて、何のことだろうと思ったのだが、又、なんで、「襖紙(ふすまがみ)」と言わずに「唐紙(からかみ)」なんてまわりくどい言い方するんだ・・とも思ったが、「唐紙(からかみ)」と「襖紙(ふすまがみ)」はまったく同じ意味というわけでもなく、「唐紙(からかみ)」と言った方が手がこんだ高級品のイメージが言葉にある。 安もんの襖紙(ふすまがみ)を「唐紙(からかみ)」とは言わないのではないか。
・・もっとも、言葉の使用法は人それぞれなので、安もんの襖紙でも「唐紙(からかみ)」と言う人もいるかもしれないし、そうやって使われていくと、いつしか、「襖紙(ふすまがみ)」が「唐紙(からかみ)」になるかもしれない。
「じゅらく壁」「京壁」だって、笠井一子(かさい かずこ)『京の大工棟梁と七人の職人衆』(1999.7.19.草思社)によると、もともとは、京都の「聚楽(じゅらく)」と言われる地域で採れた土(京都で「聚楽土(じゅらくつち)」、大阪で「京土(きょうつち)」と言った土)を使って塗った土壁のことを京都では「じゅらく壁」、大阪では「京壁」と言ったらしいが、「聚楽(じゅらく)」と言われる場所というと京都の二条城のあたりで街中であって土なんて採れる場所ではなく、それにもかかわらず、最近では「聚楽(じゅらく)土」を使っていないのに、単に塗壁のことを「じゅらく壁」とか「京壁」なんて言っているし〔(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の展示場で、営業のおっさんに、「『じゅらく壁』て、どういう意味ですか」とお客さんが質問すると、「『じゅらく』つったら、塗壁のこと」とか、おっさん、かなりいいかげんなこと言うとるし・・実際、「塗壁のこと」を(株)一条工務店はカタログに「京壁」とか「じゅらく壁」とか書いとったし・・・。「珪藻じゅらく」なんてようわからん名称の商品も出ていて、「珪藻土」なのか「じゅらく土」なのかというと、「珪藻土」を使用した「『じゅらく壁』風の塗壁」という意味だと思うが・・〕、「唐紙(からかみ)」という用語も意味が変わっていくかもしれない。

京の大工棟梁と七人の職人衆 - 一子, 笠井
戸建住宅建築業の業界に勤めるまで、「唐紙(からかみ)」という言葉は聞いたことがないような気がしていたのだったが、実はそうではなかった。 夏目漱石『門』に「唐紙(からかみ)」という言葉が出ていて、読んでいた。
《 「小六さん、茶の間から始めて。それとも座敷の方から先にして」と御米が聞いた。
小六は四五日前とうとう兄の所へ引き移った結果として、今日の障子の張替を手伝わなければならない事となった。彼は昔し叔父の家に居た時、安之助と一所になって、自分の部屋の唐紙を張り替えた経験がある。その時は糊(のり)を盆に溶いたり、箆(へら)を使ってみたり、大分本式に遣り出したが、首尾好く乾かして、いざ元の所へ建てるという段になると、二枚とも反(そ)っ繰り返って敷居の溝へ嵌(は)まらなかった。それからこれも安之助と共同して失敗した仕事であるが、叔母の云付けで、障子を張らされたときには、水道でざぶざぶ枠を洗ったため、やっぱり乾いた後で、惣体(そうたい)に歪(ゆがみ)が出来て非常に困難した。・・・ 》
( 夏目漱石『門』 新潮文庫。)

門 (新潮文庫) - 漱石, 夏目
「唐紙(からかみ)」という言葉は、戸建住宅建築業の会社に勤めて、お客さんから言われて知ったように思ったが、実はそれよりずっと前に、夏目漱石『門』の中に登場していたのを読んでいたのだった。
《 小六の云うところによると、ニ三日前彼が上総から帰った晩、彼の学資はこの暮限り気の毒ながら出して遣れないと叔母から申し渡されたのだそうである。小六は父が死んで、すぐと叔父に引き取られて以来、学校へも行けるし、着物も自然(ひとりで)に出来るし、小遣も適宜に貰えるので、父の存生(ぞんしょう)中と同じ様に、何不足なく暮らせて来た惰性から、その日その晩までも、ついぞ学資と云う問題を頭に思い浮かべた事がなかったため、叔母の宣告を受けた時は、茫然(ぼんやり)してとかくの挨拶さえ出来なかったのだと云う。
叔母は気の毒そうに、何故小六の世話が出来なくなったかを、女だけに、一時間も掛かって委しく(くわしく)説明してくれたそうである。それには叔父の亡くなった事やら、継いで起る経済上の変化やら、又安之助の卒業やら、卒業後に控えている結婚問題やらが這入っていたのだと云う。
「出来るならば、責めて高等学校を卒業するまでと思って、今日まで色々骨を折ったんだけれども」
叔母はこう云ったと小六はその時不図(ふと)兄が先年父の葬式の時に出京して、万事を片付けた後、広島へ帰るとき、小六に、お前の学資は叔父さんに預けてあるからと云った事があるのを思い出して、叔母に始めて聞いてみると、叔母は案外な顔をして、
「そりぁ、あの時、宗さんが若干(いくら)か置いて行きなすった事は、それはもう有りゃしないよ。叔父さんの未だ生きて御出(おいで)の時分から、御前の学資は融通して来たんだから」と答えた。
小六は兄から自分の学資がどれ程あって、何年分の勘定で、叔父に預けられたかを、聞いて置かなかったから、叔母からこう云われて見ると、一言も返し様がなかった。・・・ 》
《 小六は実際こんな用をするのを、内心では大いに軽蔑していた。ことに昨今自分が已むなく置かれた境遇からして、この際多少自己を侮辱しているかの観を抱いて雑巾を手にしていた。昔し叔父の家で、これと同じ事を遣らせられた時は、暇潰し(ひまつぶし)の慰みとして、不愉快どころか却って面白かった記憶さえあるのに、今じゃこの位な仕事より外にする能力がないものと、強いて周囲から諦めさせられた様な気がして、縁側の寒いのが猶のこと癪に(しゃくに)触った。
そで嫂(あによめ)には快い返事さえ碌にしなかった。そうして頭の中で、自分の下宿にいた法科大学生が、一寸散歩に出る序に、資生堂へ寄って、三つ入りの石鹸(シャボン)と歯磨を買うのにさえ、五円近くの金を払う華奢(かしゃ)を思い浮かべた。するとどうしても自分一人がこんな境遇に陥るべき理由がない様に感ぜられた。・・・・ 》
私が「大学生」だった時、同じ「大学」の学生で下宿して行っている者に仕送りの金額をきくと、私より少ない人間は一人もなかった。仕送りの金額が少なくても、なんとか生活できるならかまわなかったが、うちの父親は「いらいらっとしたから、仕送り送るのやめたってん」と言って送金しないことがあり、その時は、1週間ほど、食べるものもなく、水だけ飲んで過ごした。自動販売機の下に硬貨でも落ちてないかと思って日吉の街を歩き、ある自動販売機の下に50円玉が落ちているのを見つけ、道路に腹ばいになって手を伸ばして引っ張り出し、残っていた10円玉とその50円玉を合わせて買って食べたメロンパンの美味しかったこと美味しかったこと・・。その時、同じ日吉台学生ハイツの同じ階に住んでいた、兵庫県の甲陽学院高校から1浪で東大文科一類⇒法学部 に行った加藤という男が、不二家という日吉でもけっこう高いレストランから出てきたのを目撃した。加藤は私立の高校から浪人みたいなもんをしてまで下宿して東大に行き、東大の学生であった間はアルバイトなど何ひとつせず、家庭教師や塾の講師のアルバイトもせず、食事は私がおカネがなくて自動販売機の下にあった50円玉を道路に腹ばいになって引っ張り出してメロンパンを買って食べた時、不二家なんてレストランで友人とにこやかに食事していたのだった。うちの父親は、毎日毎日、私の目を指で突き刺すようにして「民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と言い続けたのだが、たしかに、加藤と私とは「民族の違い」があり「階級の違い」というものがあったようだ。
2浪もしてしまって東大を受けた時、もう何度も行ったことがあるけれども、それでも試験前日に「下見」として駒場キャンパスに行き、京王帝都電鉄井の頭線「駒場東大前」駅から「渋谷」駅まで乗った時、渋谷駅に着くころ、同じ車両に私より1つ年下で同じ中学校から同じ北野高校に行き、私より先に、現役で東大の文科三類に合格して行ったUくんがいた。「来てもらえたらうれしいです。頑張って通ってください」と言ってくれたけれども、私は合格できなかった。Uくんは、渋谷で降りた後、渋谷でコントラバスを習っていると話していた。大学生の生活というものはそういうものか・・と、実は高校生の時には思っていたのだった・・が、私の場合は違った。慶應みたいなもんに行かされてしまい、その最初の夏休みに家に帰ると、そのすぐ後、うちの父親は「あんた、あしたからうちの会社の工場にアルバイトに行くことに、決めてきたっ♪」と言うのでびっくりした。「決めてきたっ!」て、それはいったい何だ? うちの母親が市が企画していた趣味のサークルで知り合った人で、娘が私より2つ下だったかで北野高校から大阪大薬学部に行き、その弟は箕面高校から関西大だったかに行ったという人があり、そのおばさんが母に「あらあ。アルバイトを決めてこられたら、お宅の息子さんは嫌がられるんですかあ~あ? 変わってますねえ。うちの息子なら喜ぶところですけどねえ」などとのたまいやがった。「殺してやりたいくらい」であっても殺すわけにもいかない・・と思っていたら、そのうち、そのおばさんは乳がんで亡くなった。やっとこ関西大に通ったやつとなんか一緒にされたくないということもあったが、それよりも、その息子が「アルバイトを決めてきてもらったらうちの息子なら喜ぶのに」というのは、それは、「こういうアルバイトがあって、行きたいなら頼めるけれども行くか?」という話をもらえるのなら、その上で行くにしても行かないにしても、そういう話をもらえるということを喜ぶということであろう。うちの父親の場合はそうではなく、「決めてきたっ!」と言って私に断りもなく決めてくるのであり、その相手はうちの父親の勤め先であるから断れないのだった。私は言ったのだ。「大学とか学校は夏休みは学校は休みであっても、勉強は休みではないんです」と。そして、「年にいくら、自分で用意してもらいたいのか、その金額を言ってもらえませんか」と。ところが、うちの父親は「わしはな。わしは聖人でキリストで聖徳太子でヒットラー総統で英雄の人間で、世界一のすばらしいエライえらいエライえらいお父さんであってやなあ、わしは、あんたにいくら稼いでくれなんてことは一切言うたことはないねん」と言って言わないのだった。それでいて、「決めてきたっ!」と言って、父親の勤め先の工場に働きに行くことに「決めて」くるのだった。Uくんと私とは、「大学生」という点は同じでもその生活が全然違った。北野高校卒で佐伯祐三という画家がおり、「郵便配達夫」という絵が有名だが、

世界の名画 佐伯祐三 郵便配達夫 ジークレー技法 高級ポスター (B1/728ミリ×1030ミリ)
佐伯祐三のように誰もがなれるわけではないとしても、大学生の時に絵の一枚でも描きたいと思っていたのだったが、我が家においてはそういうことは夢のまた夢だった。私立の甲陽学院から浪人して下宿して東大に行った加藤は、アルバイトなんて何一つせずに、国家公務員1種試験に合格して外務省に勤めた。私とは「民族の違い」があり「階級の違い」があった。
無理矢理、父親の勤め先の工場にアルバイトに行かされて、安い時給で肉体労働をしての帰り、阪急 宝塚線・箕面線「石橋」駅(現「石橋 阪大前」駅)で、同じ中学校から同じ北野高校に行き、現役で大阪大法学部に行ったK村と会った。K村が「どこ、行ってきたん?」と尋ねるので、特別深く考えずに「うちの父親の勤め先の化粧品会社の工場で肉体労働のアルバイトをやってきた」と話したところ、K村はバカにしたように「へえ~え、そんなもん、やってんのお~ん!」と言ったのだ。川村が私に「どこ、行ってきたん?」と言ったので私も川村に「どこ、行ってきたん?」と同じように尋ねたところ、「阪大の図書館で法律の本を読んできた」と言うのだった。それだけの違いがあった。「家庭の違い」というのはいかんともしがたいものだった。「民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな」とうちの父親は、毎日毎日、私の目を指で突き刺すようにして叫び続けるのだった。「わしはドイツ人の民族で慶應の階級。おまえはチャンコロの民族で浪商の階級。ゆめゆめ、同じやと思うてはならぬぞ、チャンコロ! わかっとんのか、ロスケ! イタコ! プエルトリコ! おまえはロスケでイタコでチャンコロでプエルトリコで浪商じゃ! わかっとんのか、浪商! 高校は義務教育とは違うねんぞ、浪商! 浪商は高校行くな、浪商! 浪商のくせして、のぼせあがって高校行くなちゅうんじゃ、浪商! おまえはなあ、おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれどもなあ。たとえ、北野高校に行っても、それでもおまえは浪商やねんぞ、浪商! 浪商のくせして北野高校に行くな! この浪商めがあ、このチャンコロ、この浪商!」と言うのだった。うちの父親は私が子供の頃から「わしは天高(天王寺高校)やねんぞお、天高」と何度も言っていたので、そうかと思っていたのだが、そのわりに明星高校から同窓会の案内状が何度も来ていたので、なんでだろうなあ・・と思ったのだったが、実際に卒業した高校は明星高校らしく、「ほんまは天高」だったようだ。「わしは慶應やねんぞお、わしはあ」というのも、実際に行った大学は同志社だったはずで、同志社の「推薦入学」だったらしいが、「ほんまは慶應」らしかった。それに対して、私は「ほんまは浪商」だそうだった。「浪商のくせしやがってからに、天高のこのわしと一緒やなんぞと思うてはいかんぞ、この浪商めが、チャンコロっ!」「浪商のくせしやがってからに、北野高校に行くなちゅうんじゃ、この浪商めが、浪商!」と毎日毎日言っていた。うちの父親が他界した時、どういう病気で他界したかというと、白血病で、どうも、日本人では東北地方北部と九州南部の住民および出身者だけがもっているウイルスだか病原菌だかがあって、昔むかしその昔、大化の改新よりもまだまだ前の昔、朝鮮半島から日本列島に渡ってきた人があって、それより前に日本列島に住んでいた人は東北地方北部と九州南部に移動したということがあったらしく、その子孫が遺伝により持っているウイルスらしく、そのウイルスはなかなか死滅しないが発症することはほとんどないらしく、発症するのはたいていが男性で女性が発症することはまずないと言われるものだったが、それを発症したらしかった。だから、うちの父親は日本人は日本人でも、昔むかしその昔、タケミカヅチとタケミナカタが対決したとかいう頃から日本列島に住んでいた日本人の子孫、「日本人の中でも古来からの純粋日本人」のようだった。ところが、「わしはドイツ人やねんぞお、わしはドイツ人!」と毎日毎日、叫ぶのだった。おっさんはドイツ人らしかった。それならうちの母親はというと日本人らしかった。子供が3人いたのだが、父が一番気に入っていた上の姉もまたドイツ人だそうで、下の姉は日本人で、私は何人かというと、「おまえはチャンコロじゃ、このチャンコロ! 民族の違いをゆめゆめ忘れてはならぬぞ、チャンコロ!」と毎日毎日言うのであった。「ちゃんちゃんコロコロ、ちゃんこ~ろころ♪ ちゃんちゃんコロコロ、ちゃんこ~ろころ♪」と言っていた。「わしのような優秀で聖人の子供にあんたあのようなカスが産まれるということは普通はないことなんやけど、それをおまえが産まれてきたっということは、これは生物学上の突然変異学説によるものや」と言うのであった。だから、私とうちの父親とはDNAはつながっていないのだ。良かった、あのおっさんとDNAがつながってなくて。それで、うちの父親はドイツ人だが私はチャンコロ人だそうだった。だから、「民族の違いを忘れるな、階級の違いを忘れるな」ということになるようだった。
同じ中学校から同じ北野高校に行き、私より先に現役で慶應大経済学部に入学したS本という「パチモンのビスコみたいな顔」した男がいて、ついでに「生卵(なまたまご)」を「なまなまこ」と発音する男だったが、阪本は私よりひとまわり多い金額の仕送りをしてもらっていて、そして、私みたいにアルバイト漬けの生活なんてしない、アルバイトなんてまったくしないで卒業した。阪本の友人で、大阪府の桃山学院高校から慶應大商学部に行った井上という男がいて、日吉台学生ハイツの食堂で食事をしていた時、井上とその同類の男2人、計3人が向うの方のテーブルにいたことがあり、井上は何を言っていたかというと、「慶應の名前さえ出せば女なんか、いくらでも手に入る」とそういう口をきいていたのだった。それに他の2人が同調し、その3人の誰が行ったか、たしか、井上が言ったように思ったのだが、「電車に乗って、女子大生がいたら、慶應の学生証を見せて『この紋所が目に入らぬかあ』とやってやろうか」などと言っていた。なんて、思いあがった男だ。慶應みたいなもんしか行けない落ちこぼれのくせしやがってからに、何て思いあがった男だ・・と思った。 私が北野高校の3年の時、うちの母親が「こいつ、現役で東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落してやらんといかん。こいつ、絶対に落したるう! 落ちろお、こいつう~う!」と叫んで、毎夜、私が部屋で学習していると、服をつかんで背後にひっくり返し、箒を持ってきてボコボコ殴る。私が学習していた部屋の電気の洗面所にあったブレーカーを落として照明がつかないようにして「こいつ、勉強すんなあ~あ、こいつう~う!」と叫ぶ。さらには、出ていってくれと腕をつかんで部屋の外まで引っ張り出すと、「うわあ、うわあ、怖い怖い。こいつに階段から突き落とされたあ~あ。こいつ、母親を階段から突き落としよるう、こいつう~う」と叫ぶ。うちの母親はそういう母親だった。さらに、高校から帰宅すると、家の照明を消し、インタホンのソケットを抜いて鳴らないようにして、雨戸はすべて閉めて入れないようにして締め出し、「あ~あ、またやられた」と思って、電車の駅まで行って駅のベンチで時間を過ごしていると、その間に高校に電話をして、自分が締め出して入れないようにしたくせに「うちの息子が帰ってきませんね~ん」と言う。翌日、高校の教諭というのは、まがりなりにも高校の教諭ならば、そういう普通ではない家庭の息子には力になってくれてもいいのではないかとその頃の私は甘い期待をしていたが、そのような期待は甘すぎるのであり、高校の教諭というのはどいつもこいつもフランスも、親の味方をすることで親に喜ばれるのが高校教諭の処世術と考えていたようで、私が高校の教諭から怒られることになるのだったが、いったい何を怒られているのやらさっぱりわからんかった。インタホンを鳴らないようにして、戸を閉め切って入れないようにして、高校から帰った息子を締め出した上で、高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん」と母親に言われたとして、それは息子が悪いのか? 息子はいったいどうすればよかったのだ? どうすることができたというのだ?・・と思うのだが、北野高校は行きたいと思って行った学校だったから合格発表の時はうれしかったが、実際に行ってみると、あんまりいい学校ではなかったように思うし、特に北野高校の教諭というのは、あいつら、どいつもこいつもフランスも、無能のくせして何をえらそうにしているのかという感じの人間ばっかりだった。うちの母親の説では「東大に行った人間⇒思いあがった人間 になる。ゆえに、女を泣かせよる」ということになるそうで、又、「現役で大学に通った人間⇒思いあがった人間 になる。ゆえに、女を泣かせよる」ということになるらしかったが、高校生の時の私の認識では、どう考えてもそうは思えなかった。東大の学生よりも、むしろ、「慶應ボーイ」とかいう「なんや、鼻の下の長いにやけた」という感じの慶應の人間の方がよっぽど「女を泣かせよる」という印象があったし、真面目に努力して現役で大学に通った人間が、浪人した人間よりも思いあがっているというのはおかしいと思ったし、なぜ、現役で大学に通った人間が「女を泣かせよる」で浪人した人間はそうではないのか、理解できなかった。そして、日吉台学生ハイツでは、桃山学院高校から慶應大商学部に行った井上とその同類が、「慶應の名前さえ出せば女なんか、いくらでも手に入る」だの「電車に乗って、女子大生がいたら、慶應の学生証を見せて『この紋所が目に入らぬかあ』とやってやろうか」などと言うのを聞いて、そうだなあ、やっぱり、こういう口をきくような思いあがったやつは東大の学生よりも慶應の学生に多いよなあ・・と思ったのだ。それで、母に井上とその同類、計3人の話をしたのだ。すると、母はどう言ったかというと、「わたし、そういう人、好き。わたし、そういう人、ものすごい好き♪ だ~いすきい~い♪ べ~ろべ~ろべえ~え!」と、そう私に言ったのだった。
ちなみに、「慶應心理学」では↑の井上のような男のことを「独立自尊の精神がある」とか「自我が確立されている」とか「診断」するらしいのだが、なんで、大学の名前しか取り柄がない男が「独立自尊の精神がある」なんだ? なんで、大学の名前しか取り柄がない男が「自我が確立されている」なんだ? 逆と違うのか?・・と思ったのだが、こういうことを言うと、「慶應心理学」から「自我が確立されていないから、そういうことを言うわけですね」とか「独立自尊の精神があればそういうことは言わないはずです」とか「わざわざ無理して逆らっているというのは、自我が確立されていないからですね」とか「診断」されることになる。「診断」の上、「治療」されるおそれもある。怖い、こわい、怖い、こわい。本当に怖い! 日吉台学生ハイツでは、慶應の名前が入ったトレーナーとか着ているやつを何度も見たが、大学の名前の入ったトレーナーを着たがる大学生というと、何と言っても慶應と早稲田。この2つの大学の学生は何かと大学の名前の入ったトレーナーを着たがる症候群が多い。そういうのを「慶應心理学」は「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「診断」し、ええ~え? 逆でしょお~お・・などと言うと「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らっている」とか「独立自尊の精神がないからですね」とか「診断」する。なんでやねん? どう考えても逆やろお~お・・と思うが、「心理学」に逆らうと怖い、こわい、怖い、コワイ! もう、電気ショックとか、ロボトミーとか、薬漬けとか、逮捕監禁療法(「入院療法」)とか、何をされるやらわからん。まず、「心理学」「カウンセリング」というもの自体が「言いくるめ」「マインドコントロール」「精神支配」であり、悪質な新興宗教よりもまだ悪質である。
私は、1970年代後半、浪人中、うちの父親とその親友の医者屋のM川(当時50代前半。当時、大阪府豊中市在住)から、「おまえは本来は高校には行ってはいかん人間やねんぞ。高校は義務教育ではないんやから、高校には行ってはいかんねんぞ。わかっとんのんか。それをおまえが北野高校に行ったというのは、おまえが甘ったれておるからであって、おまえがのぼせあがっておるからやねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ! わかっとんのか、浪商!」と毎日毎日言われてきたものだった。それならば、桃山学院高校なんか行くようなやつなんて、ましてや、高校にはウルトラ行ってはいかんはずである。それなのに、なぜ、井上は私立の桃山学院高校みたいなもんに、ウルトラ甘ったれて・ウルトラのぼせあがって行ってるんだあ? なんでえ~え? な~んでええ~え??? 「自我が確立されている」からかあ??? 「独立自尊の精神というものを持っている」からなのかあ???
日吉台学生ハイツには大浴場があって、入居者は毎日入ることができたのだが、銭湯や健康センターの風呂と違って管理がいいかげんなのか、日吉台学生ハイツの風呂で、インキンだかを移されて日吉の皮膚科にかかったことがあった。「インキン」なんて漫才でしか出てこない話かと思っていたらそうではなかった。 それとともに、腕に湿疹がでたことがあり、日吉に慶應の健康センターという小学校・中学校・高校なら「保健室」に該当するような施設だけれども医師が勤務している所があり、そこに行ったところ、日吉の健康センターの女医さんは、慶應大学卒の人なのか、同じ大学の学生だからと思ったのかけっこう親切で、「あなた、下宿して1年目なの? 食べるものはきっちりと食べてるの?」と言い、「きょうの昼は何を食べたの?」と言うので「生協食堂の140円のカレーライスです」と言うと、「朝は?」と言うので「メロンパンと牛乳です」と言い、「きのうの夜は?」と言うので「日吉台学生ハイツの300円のカレーライスです」と言うと、「じゃあ、きのうの昼は?」と言うので「生協食堂の140円のカレーライスです」と答えると、「あんた、何やってんのよ。もうちょっと、いいものを食べなさい。140円のカレーライスばっかり食べてるから、だから、こういうものになるのよ。皮膚には直接は関係ないかもしれないけれども、そんないいかげんな食事しているから、こういうものになるのよ」と言ってくれたのだった。この話をうちの父親にしたところ、「おまえ、140円のカレーライスなんて、そんな贅沢なもん、食うたらいかんやろ、チャンコロっ! チャンコロが140円のカレーライスみたいなもん、食うたらいかんだろうが! 甘ったれるなあ! もっと安いもんにしなさい」と言うのだった。それで、慶應の生協食堂の140円のカレーライスよりも安い食事を捜したのだが、どんなに捜しても生協食堂の140円の何も入ってないカレーライスよりも安いものはなかった。昼食は2日に1回にして2日に1回は昼食なしにしようかとも考えたが、どうしても、お腹がすいて食べてしまった。「おまえなんか、140円のカレーライスなんて贅沢なもん、食うな。もっと安いもんにしろ、チャンコロ! チャンコロはもっと安いもんにせえ、チャンコロ!」と、うちの父親は私の目を指で突くようにして毎日毎日叫ぶのだった。「ちゃんこ~ろ、ちゃんこ~ろ、チャンコロ、ちゃんころ、チャンコロ、ちゃんころ♪」と。
私がうちの父親の勤め先の化粧品屋の工場で安い時給で肉体労働させられていた時、阪大の図書館で冷房の効いた部屋で椅子に座って法律の本を読んでいた川村は、週に2回・1回2時間の家庭教師のアルバイトをしていただけで、それ以外にはアルバイトといったものは一切していなかった。「民族の違いを忘れるな」とうちの父親は毎日言うのだったが、言われなくても「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」と心の底から思った。川村とは私は民族と階級が違ったのだ。「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と毎日思い続けてきた。「世の中はな。人に命令する人間ばっかしでもあかんし、人に命令されてせっせせっせと働く人間ばっかしでもあかんわけや。『天の神さま』というお方は大変賢明なお方であって、それで、世の中に『自分ではやらずに人に命令し号令かけるのが向いている民族・階級』と『常に人に命令され号令かけられるのが向いていて、号令かけられるのが何よりうれしい民族・階級』とを人間をはっきりと2つに分けて御造りになったわけや。わしいとかM川先生とかはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で階級なんや。わしとかM川先生はドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で階級でやなあ、自分ではやらずに人に命令したり号令かけたりするのが向いている人間で、そうしなければならないと『天の神さま』というお方から命じられてこの世に産まれてきた人間なんや。それにたいして、おまえは『常にひとから命令され、常にひとから号令かけられてせっせせっせと働くのが向いている民族で階級』なんや。おまえは号令かけられるのが何よりもうれしい人間なんや。おまえは、号令かけられることに快感を感じる人間なんや」と言うのだった。「私、号令かけられるのに快感なんて感じませんよ」と言ったところ、うちの父親は「何、言うとんのじゃ、チャンコロ! おまえはチャンコロやねんぞ。チャンコロ! チャンコロはひとから号令かけられることが何よりもうれしい♪ おまえが号令かけられると喜ぶもんやから、そやから、このわしが、只管、おまえを喜ばせてあげてやってあげようという優しい気持ちで号令かけてやってあげてやってあげてやったっとんねんやろうが。そ~れ、てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ、てってこっこ、てっててってらったらったらったらあ~あ♪ 撃ちてしやまん! い~ちおく、火の玉あ! とってちってたあ~あじゃあ♪ 欲しがりません、勝つまでは! 木口小平は死んでもラッパをはなちまちぇんでちたあ! どんがんどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃつやああ~あんじゃああ! どうじゃ、うれしいじゃろ、チャンコロ! うれしいじゃろ、『うれしいです』『ありがとうございます』と言わんか、チャンコロ! ちゃんちゃんコロコロ、ちゃんコロコロ、ちゃんちゃんコロコロ、ちゃんコロコロ! それ、喜べ、チャンコロ、喜べチャンコロ、喜べ喜べ喜べチャンコロ! 喜ばんか、チャンコロ! チャンコロが号令かけられると喜ぶもんやから、そやからやな、ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で階級のこのわしが、チャンコロで浪商のおまえに号令をかけてあげてやってあげてやったっとんねんぞ。喜ばんとバチあたるぞ、チャンコロ。それ、喜べチャンコロ、喜べチャンコロ、喜べ喜べ喜べチャンコロ♪」と何度も何度も叫ぶのであった。我が家はそういう家庭だった。「『ひとに命令し号令かける民族・階級』と『常に号令かけられる民族・階級』とは、これは『天の神さま』というお方がお決めになったことであって、それを変えようと思うても変えることは絶対にできないものであるし、また、変えようなどと考えるような思いあがった人間を『天の神さま』というお方は決して決してお許しにはならんねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ。わかっとんのか、チャンコロ。わかっとんのか、浪商! チャンコロ、ちゃんころ、チャンコロ、チャンコロ~お♪」と、私の目を指で突きさすようにして、毎日毎日叫び続けるのであったが、言われた側としては、「造反有理」(反逆には理由がある。反逆は正しく、抑圧は間違っている)・「革命無罪」(革命は無罪である)と思ったものだった。「造反有理」(反逆は正しく抑圧は間違っている)である。
うちの母親が行っていた大阪府北部の日本基督教団のM教会の牧師屋のS田さんは、「家が貧乏やったから、慶應には行かせてもらえんかったから、だから、大阪経大に行ったんや」と、毎週、「牧師説教」で言う人だった。S田さんのおかげで、私は毎日のように「大阪経大に行った人の爪の垢を飲みなさい」と言われ続けた。S田さんは私より少し年上だったが、奨学金の制度は今は私が高校を卒業した頃と変わっているようだが、私が高校を卒業した頃と沢田さんが高校を卒業した頃は制度は同じだったはずで、「家が貧乏やった」のならば、日本育英会奨学金を受給して大学に行けばよかったはずで、日本育英会奨学金は、学業成績と親の年収の2つをもとに受給できるかどうか判断されたが、「家が貧乏やったから慶應には行かせてもらえんかったから大阪経大に行った」なんてことしなくても、「家が貧乏やった」けれども慶應大学に行きたかったのならば、日本育英会奨学金を受給できた場合に支給してもらえる金額というのは「学資分」で大学に支払う額を出してもらえたのであり、私立金権医学部の寄付金なんてのは出してもらえないが、通常の入学金・年間の授業料は国立・公立・私立を問わず、学部を問わず、ともかく、大学に支払う分を出してもらえたのだから、慶應大学は私立大学の中では学費は安い方の大学、「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の大学で、「早稲田大と慶應大なら慶應大の方が安い」という大学だったが、日本育英会奨学金を受給できたならば、実際に大学に行く人間にとっては、国立大学より高くても早稲田大学より安くても関係なかった。そして、慶應には慶應義塾奨学金という他の大学にはない制度があって、日本育英会奨学金を受給して入学金・授業料を出してもらった人には自動的に生活費を支給するという制度があった。さらに、今はどうなったかわからないが、私が大学生だった頃は日吉に、朝夕2食つきで風呂は週に2回入れて月に1万2千円という寮があった。だから、沢田さんは「家が貧乏やったから慶應には行かれへんかったから大阪経大に行ったんや」などと言わなくても、慶應大学に行きたかったのなら行けたはずだし、行けばよかったのだ。 又、日本育英会奨学金を受給できる基準よりは親の年収は多いものの、決して裕福ではないという家庭だったのならば、私立の大阪経大なんて行かずに国立か公立の大学に行けば、その方が学費は安かったはずだ。それで、私は「家が貧乏やったのなら、私立の大阪経大なんて行かずに国立の東大に行けばよかったのと違うのですか。なんで、沢田さんは東大に行かずに大阪経大に行かれたのですか? どうしてですか?」とうちの母親に行ったのだったが、母は「何を言ってますのん。東大なんて言ったら、東京に行く交通費がいるし、下宿しないといかんでしょうがあ。何をあんたは甘ったれたこと言ってますのん」と言うので、「東大に行くには交通費と下宿代がかかるというのなら、阪大(大阪大学)に行けばよかったのと違うのですか。どうして、大阪大学に行かずに大阪経大にお行きになったのですか? なんでですか?」と言ったのだが、そうするとうちの母親は「それは、阪大よりも大阪経大の方がいいからでしょうがあ」と言うのだった・・・が、阪大よりも大阪経大の方がいいかあ??? それで、言ったのだ。「ええ~え? 阪大よりも大阪経大の方がいいですか~あ? ええ~え?」と。だいたい、S田牧師さんは「大阪経大卒の牧師」と言っていたが、大阪経大卒では牧師になれないはずなのだ。東大でようが京大でようが、牧師にはなれない。牧師になりたいと思えば、同志社の神学部とか関学の神学部とかを出ないとなれないはずなのだ。沢田さんは「大阪経大卒」で牧師になれたのかというとそうではなく、大阪経大を卒業した後、トーシンダイ(東京神学大学)に行って卒業して牧師屋になったらしいのだ。だから、「家が貧乏やったから慶應には行かせてもらえないから大阪経大に行った」と毎週毎週言いまくってきた男のくせしやがってからに、実は大阪経大と東京神学大学という私立大学を2つも行っておったのだ、「家が貧乏やった」くせしてからに。私ら、トーシンダイなんて行きたいと思っても、そんなもの、絶対に行かせてもらえんかったわ。そんなもん! で、沢田牧師さんは、M教会の会員の息子で私立大学を卒業して就職したけれどもうまくいかないので、牧師屋に転職したいという男がいた時に、「皆さんで特別献金をして学費を出してあげてトーシンダイに行かせてあげてください」などと言って「特別献金」をつのったのだ。そして、うちの親はその「特別献金」を払ったのだ。私になら絶対に出さないようなカネを。「子供たちのパンをとりあげて子犬に与えるのはよろしくない」というイエスの言葉が『新約聖書』には書かれているが、私なら、自分の息子になら出さないようなカネをよその息子に出してはいけないと思うのだが、うちの親は私になら絶対に出さないカネをよその息子に「特別献金」したのだった。そして、うちの父親は言うのだった。「わしは聖人やね~ん」と。「特別献金」というのは“”「わしは聖人やね~ん」と思いたい症候群””のおっさんを喜ばせるため、そのニーズを満たすために作られたもののようだった。
うちの親は私になら、「何でもカネを出す者に決める権利があるんや。あんたが自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行くというのなら新聞配達やって自分でお金を稼いで行きなさい」と言うので、「それなら、そうします」と言ったところ、「何をのぼせあがった口をきいとるんじゃ何を」とうちの父親は言うのだった。うちの母親が言うには「息子の所有権は親にあるんや」と言うのだった。「あんたの体はあんたが産んだものと違うやろ。所有権は産んだ者にあるんや」と言うのだった。俺って、う〇こ みたいやな・・と思った。息子というのは う〇こ と一緒でひりだした者に所有権という権利があるらしく、どこに行くとか行かんとかいうことを決める権利というものがあるらしかった。私になら「行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行くとかぬかすのなら、新聞配達して自分で働いていきなさい」と、うちの親は言ったのだが、ところが、よその息子になら私立バカ大学でて就職したがうまくいかないので牧師屋に転職したいというやつがトーシンダイ(東京神学大学)に行くためのカネを「特別献金」したのだった。そいつこそ、2つめの大学に行きたいのなら新聞配達でもして行けばいいだろうが・・と思うのだが、よその息子の場合はそうではないようだった。沢田さんはそういうやつにくれてやる「特別献金」のカネを集めるのが神とキリストのためとか思っていたようだが、そのカネだすのに「どれだけ、きついか、きついか、きついかあ~あ♪ あーめん、そーめん、ほっかいど~お♪ あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪」・・て、なんで、そいつなやつにカネやらんといかんのか・・と思う。〔⇒《ニコニコ-ヤーレンソーラン北海道》https://www.nicovideo.jp/watch/sm11119575 〕
だいたい、大阪経大しか行かれへんようなやつが、大阪経大とトーシンダイ(東京神学大学)と私立大学を2つも行きやがってからに、何が「家が貧乏やった」じゃ。勝手なことぬかすな!!!
さらに、うちの父親の勤め先のうちの父親の部下にあたるおっさんの息子は、大阪の人間やのにからに、東京の大東文化大みたいなもんに下宿してまで行きよった。そうすると、うちの父親は「◇◇さんの息子さんは、おまえとは違って大東文化大学やねんぞお~お。おまえとは違うねんぞ、チャンコロとは。おまえとは違うねんぞ、チャンコロとは。チャンコロみたいに慶應みたいなもん、行かせてもろとれへんえんぞ。大東文化大学やねんぞ、大東文化大。おまえみたいに慶應なんか行かせてもろとれへんねんぞ。チャンコロみたいに」「大東文化大に行った人の爪の垢を飲みなさい」と言うのだった。それで、「なんで、大東文化大みたいなもんに行ったらエライんですかあ~あ?」と言ったのだ。「わからんのか、おまえは、そんなことも、このチャンコロ!」と父が言うので、「はあ~あ、どうも、ぼく、頭が悪いからなんか、ようわかりませんねえ。なんで、大東文化大みたいなもんに、大阪の人間が下宿してまで行くのがエライんですかあ。そんな大学にしか行けんようなやつが、なんで、大学に行かんといかんのですかあ。たとえ、大学に行くにしても、そんな大学しか行けんようなやつが下宿してまで東京の大学に行かんでも、大阪にも私立のアホ大学はいっぱいあるんやから、家から通える大学にすればええことと違うんですかあ~あ」と言ったのだ。うちの父親は「な~にを言うとるんじゃ、このチャンコロめが、チャンコロ! ◇◇さんの息子さんはおまえとは違って大東文化大なんじゃ、大東文化大! おまえみたいに慶應のようなカネのかかる大学なんて行かせてもろとれへんねんぞ、慶應みたいなカネのかかる大学はあ」と言うので、「なんで、『慶應がカネのかかる大学』なんですかあ? 慶應は昔から『国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方』の大学ですし、特に、法学部・経済学部・商学部・文学部は理工学部や医学部より安いし、なんで、慶應が『カネのかかる大学』なんですかあ。大東文化大て安いんですかあ? 普通に考えて、慶應のような歴史のある大学は、昔からあるから、新設の大学と違って、敷地を買う費用も要らないし、建物もあるし、慶應の講師ならタダでもやりたいという人があるらしいし、大学の先生を集めるのも無名の私立大学よりも集めやすいでしょうし、なんで、慶應に行くカネがないから大東文化大なんですかあ? 普通に考えると、大東文化大の方が慶應よりも高そうに思えるのですが、大東文化大て安いんですかあ? だいたい、その人が慶應に行かずに大東文化大に行ったというのは、慶應と大東文化大の学費を比べて安い方に行ったのですかあ? それなら、大阪経大に行った方が学費は安いのと違うんですかあ? なんで、大阪経大に行かずに大東文化大なんて行くんですかあ? 大東文化大よりも大阪経大の方が安いんちゃいますのん?」と言ったのだ。それでも、うちの父親は「何を甘ったれたこと言うとるんじゃ。甘ったれるなああああああ! ◇◇さんの息子さんは、慶應みたいなカネのかかる大学には行かせてもらえんから、そやから、慶應に行かずに大東文化大学に行かはったんじゃあ。甘ったれるなああああ!」と叫ぶのだった。それで、「それなら、慶應みたいなもん、やめますわ。慶應みたいなもん、行きたいと思ったことは一度もありませんから。辞めます。辞めますよ。慶應みたいなアホ大学なんて。辞めます。行きたくないですから、あんなもん。それで、いいでしょ、それで」と言ったのだが、そうすると、「何を言うとるんじゃ、チャンコロめが、このチャンコロ! おまえは、このわしのおかげで慶應みたいなカネのかかる大学に行かせてもらってあげてもらってやってやってあげてもらっていただいてくださってもらっておるんじゃろうが」と言うので、「だから、あげてもらってやってやっていただいてくださってもらってやってあげて、要りませんと言うとるんでしょうが」と言ったのだが、「何を言うとるんじゃ、このチャンコロめが。大東文化大学に行った人の爪の垢を飲みなさい!」と言うのだった。
この話はなんで出てきたか。うちの父親は私が高校生の時には「東大に行くのなら下宿してでも行くべきや。下宿は嫌やなんて甘ったれたこと言うておってはいかん。京大に行くのに京都で下宿するのも東大に行くのに東京で下宿するのも一緒や。東大でなくても慶應か早稲田に行くのなら下宿してでも行く値打ちはあるし、下宿してでも行くべきや。そやけど、法政やたら明治やたら専修やたらポン大やたら東洋大やたら何やたらいうようなわけのわからん私立大学に行くようなやつ、下宿してまで行く必要あらへん。だいたい、そんなやつ、大学に行くのが間違っている。自衛隊に入れたるべきや、自衛隊に。たとえ、大学に行くにしても、法政やたら明治やたらポン大やたら青山やたら専修やたら東洋大やたら亜細亜大やたら大東文化大やたらなんて行くようなやつ、東京で下宿までして行くことあらへん。私立のアホ大学は大阪にもあるんやから、そんなやつは家から通える大学に行けばええことや」と言っていたはずだったのだ。それを聞いて私も、そういうものだと思ったのだった。ところが、会社の部下のなんとかさんがドバカ息子を大東文化大に下宿してまで行かせたとなると、突然、変わったのだ。おそらく、そのなんとかさんから言われたのであろう。 「うちらは貧乏でっさかいに、慶應みたいなカネのかかる大学なんて行かせられまへんさかいに、そやから、大東文化大ですねん」とかなんとか、そんなことを言いよったのであろう。よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪ 黙っておれば、「大東文化大なんてそんな大学に行くのに下宿してまで行かすなんて、お金持ちですねえ」と言われそうなので、それで、機先を制して先に「うちらは貧乏でっさかいに、慶應みたいなカネのかかる大学なんて行かせられまへんさかいに、そやから、大東文化大ですねん」などと「しょーもないこと」言いよったんだろう。そして、そんな所にドバカ息子が行くような親は、慶應大学の学費が他の私立大学と比べて高いか安いかなんて知らないから、だから、そういうことを言いよったんだろう。
慶應は学費は高いのか安いのか・・というと、大学に関しては「国立大学よりは高いけれども、私立大学の中では安い方」の学費で、「早稲田と慶應なら慶應の方がずっと安い」という学費の大学である。しかし、なんか、慶應て「カネのかかる学校」みたいに思っている人があるらしいが、それは、小学校から高校までの話であろう。私は慶應は大学だけしか行っていないから、慶應の小学校から高校までについてはそれほどよく知らないが、聞くところによると、慶應は大学については昔から「国立大学よりは高いけれども、私立大学の中では安い方」の学費だけれども、小学校から高校までは「私立の学校の中でも高い方」らしい。なんで、そうなってるのかというと、何代か前の塾長が、どこかで「日本の学校を調べてみると、小学校は生徒の数で見ても学校の数で見ても、国公立と私立では国公立の割合が圧倒的に多いので、私立の小学校の学費を高めに設定しても、金持ちでない人は公立の小学校に行けばいいのだから、学ぶ権利を奪うことにはならないが、大学についてはその逆で、学生の数で見ても大学の数で見ても私立の大学の方が圧倒的に多いので、大学については私立だからということであまり高い学費に設定したのでは、学ぶ権利を奪うことになる」とかお話しになっていたことがあった・・が、小学校は誰もが行く所であるのに対して、大学は基本的には小学校から高校まで勉強してきた者が行く所であるはずだから、国立大学で一番易しい所にも入れない人は無理に行くことないだろうという考え方もあるのだが、最近では私立の大学に行く人が多くなってきたのだが、そういった考え方で、慶應は大学については学費を高く設定するべきではないと考えたのか・・・というと、そういうことも少しくらいはあるのかもしれないが、それよりも、大学については、あまり学費を高くして、「金持ちの息子・娘なら誰でも入れるアホ大学」になっては困るので、それで、大学については値打ちを下げないように「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費に設定して、逆に小学校から高校までは誰でもは入れないように高めの学費に設定した・・ということと違うんかいなあ・・と思う。たぶん、そうだと思うよ、たぶん。それで、小学校から高校までは「私立の学校の中でも高い方」らしい話を「国立大学よりは高いけれども、私立大学の中では安い方」の大学にまで及ぼして、「うちらは貧乏でっさかいに、慶應みたいなカネのかかる大学なんて行かせられまへんさかいに、そやから、大東文化大ですねん」などと、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪ てことを言い出すおっさん症候群が出現する・・・ということだろう。 私が親ならば、「また、しょーもないこと言うやつが出てきたか( 一一)」くらいに思っておしまいのところが、うちの父親というのはそうではなく、「◇◇さんの息子さんは、おまえとは違って大東文化大学やねんぞお~お。おまえとは違うねんぞ、チャンコロとは。おまえとは違うねんぞ、チャンコロとは。チャンコロみたいに慶應みたいなもん、行かせてもろとれへんえんぞ」という反応をいちいちするおっさんだった。 そもそも、私が親ならば、自分の息子が「いい大学」に行こうが「ろくでもない大学」に行こうが、どこに行ったなどということを、会社の人間にいちいち言わない。言う必要はないことだ。きかれる筋合いもないし、答える理由もない。ところが、うちの父親というのは「わしほどえらい人間はおらんねんぞお。わしはヒットラー総統やぞお、わしはあ」とか言い、「わしは、世の中のことというものは、何でも何でも何でも知ってる人間やねん、わしはあ」とか毎日毎日言いながら、実は何も知らん男で、「世間知」がない男、「処世術」を見に着けていない男であり、会社の人間に、いちいち言う必要がないことを言いまくるから、だから、「うちらは貧乏でっさかいに、慶應みたいなカネのかかる大学なんて行かせられまへんさかいに、そやから、大東文化大ですね~ん」などと、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪・・・てことを言い出すおっさんが出現することになるのだった。・・疲れるわ・・。
私がうちの父親の勤め先の会社の工場で安い時給で、冷房なんて効かない暑い所で汗を流しながらアルバイトをしていた時に、冷房の効いた図書館で机に向かって法律の本を読んでいた川村は、大阪大学の法学部に入学して5年目に司法試験に合格して弁護士になった。「大阪新聞」だかに司法試験合格者の氏名が掲載されたようで、うちの父親はそれを切り取って、「川村くんの爪の垢を飲みなさい」と書いて私の所に送りつけてきて、さらに電話をしてきて「郵便送ったん、読んだかあ~あ? 川村くんの爪の垢を飲めよお。わかったなあ」と言い、「川村くんの家に行って、『すいません。爪の垢をわけてください』と言ってきなさい」と言うのだった。実際、私としては、川村の爪の垢を飲みたかった。川村の爪の垢を飲めば川村と同じようなけっこうな生活をさせてもらえるのなら、爪の垢でも ち〇ぽ の垢でも喜んで飲むわ! 私が安い時給で汗ながして肉体労働していたまさにその時、冷房の効いた図書館で机に向かって法律の本を読んでいた男は、そりぁ通るわ。あれで落ちたらウルトラのバカだ!
そもそも、私が「そんなにアルバイトばっかりやっていたのでは勉強できません」と言ったら、「ええかげんにせえよ、チャンコロ。大学は勉強する所とは違うねんぞ、チャンコロ! わかっとんのか、チャンコロ! 大学は勉強みたいなもんする所とは違うねんぞ。うちの会社に来ているぴ~ん大(桃山学院大)のやつとか、き~ん大(近畿大学)のやつとか、大阪経大のやつとか、みんなアルバイトやっとる。おまえも、ぴ~ん大のやつとか、き~ん大のやつとかとおんなじようにせえ、チャンコロ!」と言ったはずだったのだ。その「ぴ~ん大のやつ」とか「き~ん大のやつ」にしても、朝から晩までアルバイトばっかりやっているわけでもなかったのだが、うちの父親は父親の勤め先にアルバイトに来ている時の「ぴ~ん大のやつ」「き~ん大のやつ」しか見ていないから、だから、「大学生」というのは、うちの父親の勤め先の工場にアルバイトに来ている時の「ぴ~ん大のやつ」とか「き~ん大のやつ」のようにいつでもアルバイトしているものだと思ったようだったのだ。
「あんた、わしが月に1回ある会議の時と、あんたの時間割で一番授業が少ない人比べてみ。あんた、ものごっつい暇」と言うのだが、「ですから、会社員は、会社に行っている時に働くものですけれども、大学生というのは講義の時間だけ行けばいいというものではなく、そのために自習しないといけないんです」と言っても、「何、言うとるんじゃ。何を甘ったれたこと言うとるんじゃ。大学生みたいなもん、暇や。大学みたいなもん、な~んもやることなんて、あらへん。甘ったれるなあ!」と言ってきかないのだった。川村の爪の垢なりちん〇の垢なりを飲めば、川村みたいなけっこうな生活さえてもらえるのなら、爪の垢でもちん〇の垢でも飲んだわ。あれだけのけっこうな生活させてもらって、それでも通らんようなら、ウルトラのアホだ。
将棋でも「飛車角落ち」とか「飛車香車桂馬落ち」とかならば、工夫して努力してやればなんとか挽回できる可能性はあるとしても、「王さん1枚」で勝てと言われてもどうもできない。川村哲二と私との違いはいわば、すべてのコマがそろった状態で将棋させてもらう川村に対して、私は””「王さん1枚」で戦って勝てえ””と言われていたようなものだった。「王さん1枚」ではどんなに涙ぐましい努力をしても勝てない。
川村のお母さんというのは、「近所になんだかんだ言ってまわる人」であり、私が浪人中も「うちの子は現役で大学に通りました」と言い、それはそうだろうけれども、「京大でも通ると北野高校の先生から言われました」とか「阪大ならば絶対に通ると北野高校の先生に言われました」とか言ってまわっていたのだが、「京大でも通る」のなら京大に行けばよかったのじゃないのか? 私は川村に「お願いですから、京大に行かないでください」などと言ったことは一度もないはずで、京大に行きたかったのなら行けばよかったのと違うのか? 自分が阪大にしたのだろうが。自分が阪大を選んで阪大に行ったくせに、何をわけのわからんこと言うとるんじゃ・・というお母さんだった。「阪大ならば絶対に通ると北野高校の先生が言われました」などと言ってまわっていたらしいが、「北野高校の先生」は普通はそんなことは言わないと思うが、もしも、言ったのなら、その先生はあまり良心的な人ではないと思う。私は彼が模擬試験などで何点くらい取っていたのか知らないが、もし、「京大でも合格圏」という成績を取っていたとしても、それなら「阪大なら絶対に通る」かというと、阪大はそこまで無茶苦茶易しくはない! もし、私が北野高校の教諭だったならば、そんなことは言わない。むしろ、「最後の最後まで何があるかわからない」と言うと思うし、「最後の最後まで何があるかわからない」という認識で取り組んだ方が合格する可能性は1%でも2%でも高いと思うし、もしも、「絶対に通る」などそんなことを勝手に思い込んでいるならば、その意識は「落ちる方の要素」だと思う。実際のところ、入学試験というのは、模擬試験で「A」の「判定」が出ていても落ちることはあるし、「A」の中でも上の方の成績でも本番の試験で落ちることはあるもので、「ないない。そんなことない」などと言う人がいても、私はびくともしない。何より、私自身が「A」の中でも上の方の「A」の「判定」だった所を落ちたことがあるのだから。「あんなとこ、落ちたら、眼かんで死なんといかん」なんて言うやつが時々いるが、そういうことを言っていると、その「眼かんで死なんといかん」所を落ちてみたりするのだ。川村のお母さんには、「まあ、お母さんというのは、そんなものかな」と最初は思っていたのだが、そのうち、「もう、ええかげん、うるさいなあ、ほんまにい」と思うようになった。私が高校3年の時の北野高校の担任のOですらも「京大なら微妙だという成績で、それなら阪大なら絶対に通るかというと、そんなものではありませんよ」と言っていたのだ。実際、京大と阪大なら、京大の方がいくらか難易度は高いとしても、それなら阪大は無茶苦茶易しいかというとそうではないのだ。だから、川村のお母さんが言ってまわっていたことは無茶苦茶なのだ。無茶苦茶なのだが、それを聞いて、「また、しょーもないこと言いやがってからに」と無視しておけばいいものを、いちいち反応するのが、うちの母親だった。だから、そういう母親の息子としては、川村のお母さんは実に迷惑だった。
そして、K村のお母さんのそのビョーキは簡単には治らないようで、川村が阪大法学部に入学して5年目・・・に、なんで、まだ阪大法学部におるんや? 法学部ちゅうもんは4年のもんと違うんかい? ・・・てところを、たぶん、意図的に4年で留年して「大学生」という身分を確保した上で司法試験を受けたのではないかと思うが、5年目に司法試験に通った時もまた、「司法試験も現役で通りました」と、ま~たまた、近所に言ってまわったらしいのだが・・・。 あんたなあ、「司法試験に現役で通った」というのは、大学の4年間のうちに通ったということを言うのであって、司法試験は1次試験は4年制大学の教養課程を修了すれば免除されるので、普通、大学に行った人間で司法試験を目指した者は3年から受けたのだが、3年の時か4年の時に通ったというものを「現役で通った」と言うのであって、5年目に通ったというものは「現役で通った」とは言わんもんやでえ。よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪・・・というものだがあのおばはん、ええかげんうるさい! 他の仕事ならば、実際には5年目に通ったものを、4年目に通ったみたいに言いまくったとしてもばれにくいのだが、弁護士の場合は、『弁護士名簿』というものが出版されていて、出身大学名と司法試験の合格年というのが記載されているのだ。けっこう高い本なので、弁護士を仕事としているわけでもない者で買う人はあまりないが大きな図書館にはたいていあるので、見ればすぐにわかるのだ。今ではインターネットというもので、所属の弁護士事務所のホームページにも合格年をK村は自分で記載しており、それにも、阪大に入学して4年目ではなく5年目に合格した旨が記載されている。俺からすれば、K村が4年目に通っても5年目に通ってもどちらでもかまわないのだが、””実際には「現役で通った」わけではないのに、いちいち「司法試験も現役で通りました」と近所中に行ってまわらないとおれないシンドローム””のおばはん、もう、ええかげん、うるさい! あのおばはんのビョーキ、精神安定剤の大量投与でもして「治療」してやるわけにいかんもんか・・・。ええかげん、迷惑や。 ・・・会社という所には、「座敷牢に入れてやりたい」という気持になるような爺さんが時々いるものだが、あのおばはんも、なんとかしてもらいたかった。
甲陽学院から1浪で東大に行って外務省に勤めた加藤がアルバイトなんて何もしないで高いレストランで食事をしていた時、私は食事のカネがなくて自販機の底から腹ばいになって硬貨を引っ張り出していた。桃山学院から慶應大の商学部に行った井上もアルバイトなんて何もしないで、「女なんて慶應の名前さえ出せばいくらでも手に入る」などと口にしていた。 川村は私が化粧品屋の工場で汗だくになって安い時給で働いていた時、冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んで司法試験に通った。まさに「民族の違い」「階級の違い」がそこにあった。「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」とうちの父親は毎日言うのだったが、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と毎日思ってきた。 加藤が高いレストランから出てきた時、私の耳元では「ドビヌーシカ」の歌が鳴っていた。加藤とか井上とか川村とかいった連中は、「ドイツ人でアメリカ人の民族」で「慶應の階級」だったのであろう。
※ 《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
《YouTube-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY
まさに、「民族の恨みを忘れるな」「階級の苦しみを忘れるな」というものであった。
うちの父親の親友で医者屋のM川(男。1980年頃現在、50代前半。当時、大阪府豊中市在住)は、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで、私より少し年上のドバカ息子を私立金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させた、というのを自慢にしていた。普通、裏口入学というのは、たとえやるにしても、「恥ずかしそうに」「こそっと」やるものと違うのかあ? 裏口入学なんて自慢するものかあ? ・・と思ったが、そのあたりが「医者屋の民族」は私などとは「民族が違う」ようで、自慢するのだった。うちの父親は私に「裏口入学した人の爪の垢を飲みなさい」と言うのだった。「なんで、裏口入学したらエライんですかあ?」と言うと、「わからんのか、おまえは、そんなことも」と言うのだ。「裏口入学ちゅうことは、思考が柔軟なんや。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは違うねんぞ、おまえとは」と言うのだ。「はあ? 思考が柔軟なら、その柔軟な思考力を活かして狂徒大学医学部でも頭狂大学理科三類でもさっさと実力で現役で通って行ったらいいのと違うのですかあ? なんで、思考が柔軟な人が、私立金権関西医大やなんて、そんなどこの馬の骨からわからんような所に裏口入学やなんて汚らわしいことして行かんといかんのですかあ~あ? なんでですかあ~あ? なんで、京大の医学部とか東大の理科三類とかに行かないんですかあ~あ?」と、そう言ったのだが、うちの父親は「そういうことを言うあたりが、おまえは思考が硬いんじゃ。そのあたりが、おまえが柔軟な思考が欠けているというところなんじゃ、チャンコロ! 裏口入学した人の爪の垢を飲みなさい。いっらいっらいっらいっら♪」と言うのだった。
「医者屋の民族」のM川のドバカ息子は、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで私立金権関西医大に裏口入学しただけでなく、大学生の時に、やはり、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りで父親が稼いだカネでゴルフバッグを買ってもらい、ゴルフやって遊んでいた。なるほど、そのあたりが「民族の違い」「階級の違い」というものだったようだ。

現代の医療被害 (1978年) - 青年医師連合

医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
私のイトコで、東京のある私立大学のラグビー部にスポーツ入学で入った男がいた。野球と違ってラグビーにはもともとプロはなく、ゴルファーなどと違ってラグビー選手は選手としての寿命が短い。彼はラグビーに関係のする仕事にはついていないが、スポーツ入学で入学して卒業して勤めたようだ。大学生の時、その「体育会ラグビー部」の縁でだと思うが、ゴルフ場のキャディーをアルバイトでやったらしい。それを聞いて、うちの父親が、「Tがキャディーやったそうや。おまえもキャディーやれ」と言うのだった。「なんで、そんなもの、やらなきゃならないんですか」と言ったのだ。
実際、K村が冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいる時に私は冷房なんて効かない暑い工場で汗を流して肉体労働をしていたし、同じ中学校・高校から京大の法学部に行ったN口という男がいて(なんと言うのか、シェイクハンドラケットみたいな顔した男だが)、自分は京都で下宿して国立大学に行ったから東京圏で下宿して私立大学に行った私よりエライと思っていたらしいが、東京で下宿するのと京都で下宿するのとでは東京圏で下宿する方がカネがかかるとN口は言いたいらしかったが、実際はそうでもなく、東京圏でも安い所は安いし、関西圏では常に東京圏より安いわけではなく、そもそも、京都というのは「ブランド地名」であり、舞妓さんがこっぽりはいて「おこしやすう」とか言うておるような所が安いわけないのであり、そんな所でN口は下宿して、さらに、東京ー大阪間の交通費と京都ー大阪間の交通費なら東京ー大阪間の交通費の方が高いと野口は言いたいらしかったが、実際はそうではなく、東京圏の大学に行った者は、大阪に帰省するとしても、年に2回か3回であるのに対して、野口は毎週、京都と大阪の間を往復していたのであり、京都と大阪の間の交通費というのは、毎週、往復するとそれなりの金額になるのであり、計算してみれば、東京ー大阪の間を夜行バスで年に2回か3回往復するよりも、京都と大阪の間を毎週往復する方が交通費はよっぽどかかるのだった。かつ、自宅から交通費をかけて京都の大学に行くか、京都で下宿して年に2回か3回しか帰省しないかなら、かかるのは下宿代か交通費かいずれかだが、野口のように京都で下宿した上で毎週帰省していたのでは、それが一番カネのかかることをやっていたのであり、野口という男は自分が一番カネのかかることをやっていたにもかかわらず、自分が一番エライみたいに思っていた男で、また、口にする男だった。N口は、大阪府豊中市の曽根の学習塾の講師をアルバイトでやっていたが、アルバイトはそれだけで、それ以外は学習時間にあてることができた。あのウルトラ甘ったれたぺったんこの顔のN口 要はそれ以外にはアルバイトはやっていなかった。私はうちの父親から「肉体労働、肉体労働♪ 肉体労働、肉体労働♪ てってこっこてっててって、らったらったらったらあ~あ♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉! 欲しがりません、勝つまでは! とってちってたあ~あ!」「ど~んが~ん、どんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃああ~あん♪」〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕と毎日言われ続けてきてアルバイト漬けにされたが、川村やN口要とアルバイト漬けの私とはまさに「民族の違い」「階級の違い」があった。
私はうちの父親に言ったのだ。「年にいくら、自分で稼いで用意してほしいというのを言ってもらえませんか」と。それを言ってもらえば、それだけの金額を、一番、ダメージが少ない時間帯に工夫をして計画を立てて稼いで学習することだってできる。それに対して、うちの父親のように、いきなり、「あんた、あしたからうちの会社の工場にアルバイトに行くことに、決めてきたっ!」というようなことをされたのでは、学業に支障がでる。うちの父親は私の学業に支障がでるようにと思ってやっていたのだろうけれども、それをなんとかしたかったが、なんともできなかった。最近、大学生がアルバイト先の使用者に試験前にはシフトを入れないでもらいたいと約束して勤めたのに試験前にシフトを増やされたり残業させられるという「ブラックバイト」という問題がインターネット上に出ていたが、我が家の場合は、「ブラックバイト」というよりも「ブラックファーザー」というのか、そこで入れられたのでは学業に支障がでるというところを狙って「アルバイトに行くことに、決めてきたっ♪」と決めてくる父親が家にいた。実際、うちの父親というのは、私をつぶすためなら、どんなに悪質なことでも平気でやる男であり、私をつぶすためなら悪魔とでも手を組む男だった。
うちの父親は私にこう言うのだった。「キャディーをやるのを嫌がるというのは、それはモラトリアム人間病という病気にかかっているからです。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる。病気は治さんといけません。キャディーやれ、キャディーを。甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ! キャディーやれ、キャディー!」と・・・・が、それならば、キャディーなんかやらずに、逆に、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして取得したカネでゴルフバックを買って、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネでゴルフやって遊んでいたM川のドバカ息子、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで私立金権関西医大に裏口入学したM川の息子は、あれはモラトリアム人間病とは違うのか?・・・というと、違うらしいのだ。

現代精神医学解体の論理 (1975年) - 森山 公夫
うちの父親は、M川の息子が、「患者」を薬漬けにして取得したカネで買ったゴルフバッグで「患者」を薬漬けにして取得したカネでゴルフをするのに、私にそのキャディーをやれと言うのだった。「甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ! 増長するなよ、チャンコロ! キャディーやるのを嫌がる人間というのはモラトリアム人間病という病気やねんぞ、チャンコロ! 慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらいエライえら~い♪ というそういう先生がおっしゃっておるんやぞ、チャンコロ!」と言うのだった。そして、言うのだった。「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と。 言われなくても、ひしひしと感じた。 「医者屋の民族」「裏口民族」の息子は「患者」を薬漬けにして取得したカネで私立金権医大に裏口入学をしてゴルフバッグを買い、「ガチンコ民族」の私にキャディーをさせてそのゴルフバッグをかつがせようということだ。まさに、そこに「民族の違い」「階級の違い」というものがあったのだ。
※ 《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
それから、キャディーのアルバイトというのは、もしも、やりたいと思ったとして、必ず雇ってもらえるというものでもないはずだ。イトコはスポーツ入学でラグビー部にいたから、だから、ラグビー部の関係でキャディーのアルバイトの口が来たらしかったが、私はスポーツ入学ではないし、それぞれの仕事で採用する側も、こういう仕事ならこういう人が向いているのではないかという構想があるはずで、ゴルフ場も、キャディーをアルバイトであれ採用する場合には、どういう人が向いているかを考えて採用しているはずで、「体育会ラグビー部」の人間に話があったからといって、文治派の私がやりたいともしも言ったとして採用してもらえるとは限らない。
うちの父親は言うのだった。「M川先生は神様やぞお。M川先生はキリストやねんぞお、キリストのおっしゃることには絶対服従、絶対服従」と。 その「キリスト」だか「神様」だかいうおっさんは、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで、ドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させて、そして、薬漬けで稼いだカネで息子にゴルフバッグを買い、薬漬けで稼いだカネで息子は大学生なのにアルバイトなんてしないでゴルフやって遊んでいたのだが、それでも、M川の息子はモラトリアム人間病ではないのだった。逆に、私は、ガチンコなのに、アルバイト漬けにされて、「大学ちゅう所は勉強する所とは違うねんぞ、チャンコロ! 心得違いを起こすなよ、チャンコロ」と言われ、キャディーやってM川のドバカ息子のゴルフバッグをかつがせてもらえ・・・と、こう言うのだった。そして、「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と言うのであった。「民族の恨みを忘れるな」「階級の苦しみを忘れるな」と毎日常に思うようになった。「民族の違い」「階級の違い」というものがそれだけあり、「医者屋民族」の息子は、私がアルバイト漬けにされていたまさにその時に、「患者」を薬漬けにして取得したカネで買ったゴルフバッグを、「ガチンコ民族」にかつがせて、ゴルフやって遊んどったのだった。
「ゴルフバッグをガチンコ人間にかつがせる民族・階級」と「八百長・裏口民族のゴルフバッグをかつがされる民族・階級」というものがあるようだった。もしくは、「ゴルフバッグを人にかつがせる側の論理」と「ゴルフバッグをかつがされる側の論理」とでもいうものか。

殺す側の論理 (朝日文庫) - 本多 勝一

殺される側の論理 (朝日文庫 ほ) - 本多 勝一
ー・-・-・-・-・-・-・-
《 高等小学校へ入学したころの悲惨な思い出については、毛沢東もその談話や著作のなかで何度も語っている。韶山村では人にも知られ、人気もあった彼だが、ここではまったくの無名で、みんなから白い目でみられた。父は月謝はだしてくれただけで、あとの送金はなかった。同級生は大半が金持の子弟で、服装も食事も派手、なかには召使がついている者もいた。同級生のひとりは笑いながら、召使にやとってやってもよいと毛沢東にいった。ちょっとした雑用をするだけで、毎月、なにがしかの手当をはずんでやる、と。毛は憤然となって拒絶した。》
( ロバート=ペイン『毛沢東』宇野輝雄訳 1967.初版。1971.五版。角川文庫)
「心理学」や「小此木啓吾先生」によれば、毛沢東もまた、「召使をするのを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。治療したらんといかん」という「診断」になったことだろう・・・。まあ、「慶應心理学」というのは内部進学の人の世界観でできているし、内部進学小此木啓吾というのは、《召使にやとってやってもよい・・。ちょっとした雑用をするだけで、毎月、なにがしかの手当をはずんでやる》と「毛沢東」に笑いながら言う側の人間であり、そういう態度のことを「慶應らしいスマートさ」とか「よっ、慶應ボーイ♪」「企業はそういう人間を喜ぶ」「ギャルにもてもて♪」と言ってもらう側・そう言って称賛するよう人に強制する側の人間であるから、なるほど、そういう「診断」になるのはわかる。
毛沢東 (角川文庫―名著コレクション) - ロバート・ペイン, 宇野 輝雄
ー・-・-・-・-・-・-・-
「朕思うに、我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにわしにいいい~い!」と、うちの父親は毎日、言うておった。 「産まれてこなければよかったのに、産まれてきたっという罪をつぐなうために、すべて王、すべて央、わしのために。すべて翁、すべて応、わしのために、わしのために、わしにわしにい。わしにわしにわしにわしに。てってこっこ、てっててって、らったらったらったら♪ てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ♪ ちゃんちゃんころころちゃんころころ、いっらいっらいっらいっら♪」と叫んでおった。うちの姉が「あの人、自分の親が生きている間は、そんなこと、ちっとも言わないで、自分の親が2人とも死んだ、息子はいると思ったら、とたんに、ああいうことを言い出すというのは、あれはずるいと思う」と言っていたが、私もそう思う。
M川の息子のような「医者屋民族」に生まれてくれば、小学校から高校までちっとも勉強せんで、それで、「患者」を薬漬けにしたカネで、私立医大に裏口入学して入り、「患者」を薬漬けにしたカネで、ゴルフバッグを買い、ゴルフをして、私のような「ガチンコ民族」をキャディーとして安いカネで雇ってゴルフバッグをかつがせるという「当然の権利」ちゅうもんがある! ・・ということらしかった。それが「キリスト」「神さま」のすることらしかった。
まだ、何年か前、金田や野村が生きていた時、「週刊ポスト」に金田・長嶋・王の3人の対談が掲載されていたのだが、そこで、金田と長嶋の2人が野村と森の悪口をさかんに言いまくっていたことがあり、「月見草」は「ひまわり」が嫌いかと思ったら、「ひまわり」も「月見草」が嫌いなんだな・・と思ったことがあった。それと似ているかもしれんが、「ガチンコ民族」は「八百長・裏口民族」を好きでないのは当然として、「八百長・裏口民族」は自分たちが裏口やってるのだから、「問題行動」やっているのは「八百長・裏口民族」の側であるから、「八百長・裏口民族」が「ガチンコ民族」を憎む理由はないだろうと思っていたのだが、実はそうでもなくて、「八百長・裏口民族」は「ガチンコ民族」が憎いということがあるらしい。 だから、 「八百長・裏口医者屋民族」としては「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りやって裏口入学した上で、薬漬け・検査漬け・毒盛りで取得したカネでゴルフバッグ買って、薬漬け・検査漬け・毒盛りで稼いだカネで大学生がゴルフやって遊ぶのに、「ガチンコ民族」の大学生をキャディーに雇って「八百長・裏口民族」のゴルフバッグをかつがせるというのは、彼らにとっては快感を覚える行為だったようだ・・し、彼らにとっては彼らのそういう思考・行動こそ「正常」で「常識」で「思考が柔軟」で「自我が確立されている」と「診断」されるべきものだったようだ・・・と今はきっちりと理解している。
「いいかげんなこと言い」は世の中にはいっぱいいる。東大病院というのが東京都文京区本郷にある。正式には「東京大学医学部付属病院」と言い、東大の本郷キャンパスの中にあり、「東大病院」と言うからには東大医学部卒の医者が診察しているのだろうと思い、私立金権裏口医大卒のやつなんかに診られるよりも東大医学部卒の医者に診てもらった方がいいだろうと思ってかかる人がいるようだが、実際には東大医学部帝国主義の植民地である私立大医学部卒の医者屋が診ており、あれはどう考えても不当表示であると思われる。「事実と違う。間際らしいなどなど・・」ということで、ジャロに言うてやった方が良さそうに思う。1980年代初め、そこに勤務していたF山(男。当時、30歳)が「このぼくは東京大学の理科三類に現役でゆうゆうと余裕をもって通ったんだぞお。きみは2年も浪人して東大に合格できなかったんだろうが。慶應にしか行けない人間のカスだろうが。東京大学理科三類に現役でゆうゆうと通ったこのぼくと、慶應にしか行けない人間のカスのおまえとは能力も違えば人格も違うんだ。このぼくは能力的に優秀で人格が優れていて、何より謙虚なんだ」とか言うておった。しかし、最初は、本人が「東京大学理科三類に現役で通ったんだぞお」と言い、東大病院に勤務しているからにはそうなのだろうと思っていたのだが、しかし、
(1) 私が卒業した北野高校からは京大医学部・阪大医学部に行く人は毎年あるが東大理科三類に行った人というと、我が家の近所のボーズで私よりいくつか年下の男で、私と同じ中学校から同じ北野高校に行って3浪で理科三類に行ったやつが1人いるくらいで、東大の理科三類に行く人はあまりない高校だったのだが、理科三類以外の東大に行く人は毎年あり、「友達の友達はみな友達だ」というわけでもないが、本物の東大理科三類の学生と会ったこともあるわけだが、そういう人とF山は感じが違った。
(2) F山は「まさか、このぼくが理科三類にぎりぎり通ったなどとは思ってないだろうなあ。このぼくは理科三類にゆうゆうと合格最低点よりもずっと高い点数で通ったんだからなあ。このぼくときみとは能力が違うし人格も違うんだ。わかってんのかあ。自分はカスだ、2浪しても慶應にしか行けなかったどうしようもない最低のカスだと認めなさい」と何度も何度も私に言ったのだが、しかし、2浪して学んだものとして、大学の入試というものは「ともかく、合格最低点を上回ればそれでええんや」という点がある。山田久志『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)で山田久志が述べていたが、1971年の阪急 対 巨人の日本シリーズで、1勝1敗での3戦目。阪急 山田は8回まで0点に抑える好投。9回裏、走者を出すものの。2死1・3類から巨人の4番、王と勝負。2ストライクから、山田が投げた球は内角低めぎりぎり、「これで終わりじゃあ」と山田が終わったまさにその瞬間、山田が投げた会心の球を王は見事にとらえて、サヨナラスリーランホームラン。失投を打たれたのではない、球威も十分、コースも内角低めぎりぎり、なぜ打たれたんだ・・と考えて考えてしたが、敗因はいくつか考えられたが、なにより、あの場面、塁は開いていた、「野球はともかく勝てばええんや」ということから考えると、あの場面、セリーグ最強打者の王と勝負する必要はなかった・・と。同じことで、大学入試というのはハードルであって棒高跳びではない。大学入試は合格最低点を1点でも上回る点数を取れるかどうかの問題であり、それ以上いくら高い点数をとっても意味はない。むしろ、「ゆうゆうと通ったんだぞお」などと言うようではそれは「勝負弱さ」を示している。そのあたりから、「なんか、変なことを言うなあ」と私は思ったのだ。

プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
(3) そして、何より、F山が受けた頃も私が高校を卒業した頃も、京大・阪大・神戸大は合格の場合も不合格の場合も出身高校に何点だったかを通知していたので、3年の時の担任の教諭にきけば何点だったか教えてもらえたのだが、東大は合格か不合格かの発表だけで何点だったかは教えてもらえなかったので、「ゆうゆうと通った」のかぎりぎり通ったのかはわからないはずだった。それなのに、F山が「このぼくは東京大学の理科三類に合格したのは、ぎりぎり通ったんじゃないんだぞお。ゆうゆうと相当上の点数で通ったんだぞお。きみとは違うんだぞお。わかってんのかあ~あ!」と何度も何度も怒鳴りつけられたのだが、「ゆうゆうと相当上野点数で通った」のか「ぎりぎり通った」のかなんて、いったいどうやってわかったのか、ということだ。わかるわけないのだ。
・・・だから、この(1)~(3)の理由で、なんか変だなあ・・と思ったのだが、後からわかった。F山はT京大学医学部卒で東京大学医学部付属病院で医者屋として勤務していたけれども、卒業した大学はT京大学医学部でも東京大学医学部ではなく帝京大学医学部だったのだ。実際には帝京大学医学部裏口入学のくせしやがってからに、「このぼくは東京大学理科三類に現役でゆうゆうと余裕をもって通ったんだぞお。このぼくは能力が優秀で、人格が優れていて、何より謙虚なこのボク♪」などと言っていたのだ。「このボクときみとは能力も違えば人格も違うんだ。わかってんのかあ~あ。このぼくは現役で東京大学理科三類にゆうゆうと通ったエリート中のエリートで、おまえは2浪しても東大に通れずに慶應にしか行けなかった人間のカスだろうが。自分は人間のカスだ、最低のカスだと心の底から思いなさい!」と何度も何度も言いまくってきたのだった。帝京大医学部裏口入学のくせしやがってからに、「おまえはカスだ、カスだ。慶應にしか合格できない最低のカスだ」と何度も何度も私に言いまくってきたのだが、「ぼくは能力的に優秀で人格がすばらしくて、なにより謙虚なこのボク」と何度も言っていたF山という男はそういう男だった。わかってから考えてみると、いかにも、帝京大学医学部裏口入学が言いそうなことだった。
京大・阪大・神戸大は通った場合も落ちた場合も何点だったか点数を出身高校に教えてくれたが、東大は通った場合も落ちた場合も入試の得点を教えてくれないので、わかるのは合格か不合格かだけで、通った場合もぎりぎり通ったのか余裕をもった点数を取れていたのかはわからないはずだったが、受けたことがある私はそれを知っていたが実際に東大を受けたことがないF山はそれを知らなかったのだ。
・・・で、その「東京大学理科三類に現役でゆうゆうと通った」と詐称していた帝京大学医学部裏口入学が、こう言いやがったのだ。「ぼくは、学生の頃、貧乏だったから」・・・と。はあ? はあ~あ? 帝京大学医学部裏口入学が貧乏なわけないだろうが!




あの「東大病院」「東京大学医学部付属病院」という病院だが、「事実と違う。紛らわしい、などなど」に病院名が該当すると思うのだ。ジャロに言うてやった方がいいだろうか・・・。〔⇒《YouTube-JARO 白雪姫篇》https://www.youtube.com/watch?v=OyGtVTySYEo 〕

アブない大学病院―“白い巨塔”で行なわれていること これじゃ患者はたまらない! (ベストセラーシリーズ・ワニの本) - 寺岡 元邦
「東京大学医学部付属病院」、略称「東大病院」はその名前を名のるのはやめた方がいい。 多くの人間はその名前を名のっているからには「東大病院」では大部分の医師は東大医学部卒の医師であろうと考えて、それで、私立金権裏口医学部卒の医者屋ではなく国立大学の医学部卒の医師に診察を受けたいという気持から「東大病院」まで診察を受けに行くのだ。ところが、実際に「診察」している医者屋には私立金権裏口医学部卒の人間がいる。これは、どう考えても「不当表示」であろう。こういう「看板に偽りあり」を国立の病院がおこなうべきではない。
なお、「東大病院」という略称は正式名称ではないようだが、多くの人間が「東大病院」と言っており、私だけが使用しているなどというものではない。又、都バスには「東大病院前」というバス停があるようで〔⇒《乗換案内NEXT 東大病院前 都バス23区》https://mb.jorudan.co.jp/os/bus/1301/stop/41493.html 〕 、多くの人間が「東京大学医学部付属病院」のことを「東大病院」と考えており、医師全員が東京大学医学部卒とは決まっていないかもしれないが、大半は東大医学部卒で、そうでない医師でも最低でも国立大学の医学部卒であろうと思い込んでいる。T京大学はT京大学でも帝京大学医学部卒の医者屋が実際には「このぼくは東京大学理科三類に現役でゆうゆうと通ったんだぞお」と詐称して「診察」しているとは多くの人間は考えていない。「事実と違う。紛らわしい、などなど」の名称を国立の病院が名のるのは認められるべきではない。
私は夏目漱石『門』を読んで、登場人物の小六の気持ちがわかった。なんで、俺だけがこんなことしなきゃならないんだ・・と思った。ほかに、山本有三『路傍の石』で、吾一が、東京で印刷工場で働きながら、夜学の商業学校に通った際、小学生の頃、同じクラスだった大商店の娘が、学業だけで女子大に行っているのを見て、昼間、仕事をして、夜、学校に行くのと、学業だけやっておればいいのとでは、ずいぶんと違いがあると感じたという話を読んで、本当にその通りだと思った。 私が化粧品屋の工場で汗を流して肉体労働していた時に、川村は冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んで司法試験に通ったのだ。ちん〇の垢を飲めば川村みたいな生活させてもらえるのなら、ちん〇の垢でも飲んだるわ! 弁護士屋が役に立たないのは、そんなやつが弁護士になったケースが多いからということが、ひとつの理由としてあると思う。そういう連中なのだ。

路傍の石 (新潮文庫) - 有三, 山本
ほかに、ロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)では、学校に行って学びたいという毛沢東に、父親が「おまえがいなくなったら、おまえが働く分をほかの人間を雇って働かせないといけなくなる」と言って学校に行かさないようにした話がでている。うちの親と似ていると思った。うちの親も、ロバート=ペイン『毛沢東』に出ている毛沢東の父親が言った文句とそっくりの文句を私に言った。 もっとも、エドガー=スノー『中国の赤い星』(筑摩書房)によると、毛沢東は自分の生い立ちなどについて語ったのはエドガー=スノーにだけであって、それ以外の誰かに語ったことはないということで、そうなると、ロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)に書かれている内容というのは、そのネタ元はどこなんだ?・・・ということになり、エドガー=スノーもロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)のことを、「論拠不明確な本」だったか述べていたようだが、現実に生きた毛沢東という人がどうだったかではなく、小説だと考えると、ロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)に出てくる毛沢東の父親というのは、うちの父親とそっくりな親だったようだ。
「唐紙(からかみ)」の話から、ほかに話が移ってしまったが、夏目漱石『門』(新潮文庫)では、「唐紙(からかみ)」という言葉がそこで使われていることとともに、小六という学生が、自分の同級生などがずっと贅沢な暮らしをしているのに、なんで、自分だけが・・と思った話が出ており、まさに私自身の大学進学の時、および、大学生の時の状況に重なり、身につまされる思いがした。
夏目漱石『門』は「朝日新聞」に連載された小説らしく、書いていくうちに、話の内容が「門」にならなくて夏目漱石は困ったらしく、結局、鎌倉の禅寺に籠ることになり、そこで寺の「門」が登場する。 『門』には鎌倉の寺と出ていても、どの寺とは書かれていないが、夏目漱石は実際に鎌倉の円覚寺の塔頭に籠ったことがあったらしく、円覚寺を想定しての話らしい。

週刊 古寺を巡る 35 円覚寺 北条時宗が開いた北鎌倉の座禅道場 (小学館ウイークリーブック) - 小学館
「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」という文句は今も私の耳元でわんわんうなっている。そして、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」という文句も常に心にある。「医者屋民族」の息子は、「患者」を薬漬けにして取得したカネで裏口入学し、ゴルフバッグを買い、ゴルフをして遊び、ガチンコの私にキャディーをさせてゴルフバッグをかつがせる。「天の神さまというお方」は、「産まれる時点でそのようにお決めになった」そうだった。
1990年、小堀住研(株)の東京支店自由が丘展示場(東京都目黒区)で、営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎(男。当時、30代後半)は、福島県喜多方市の住人だったのに、東京電機大学なんて私立大学しか行けないくせしてからに、東京で下宿してまで東京電機大の工学部建築学科みたいなもんに行かせてもらっていた。親は相当の金持ちなのかというと、父親はラーメン屋の親爺だったそうで、ラーメン屋というのは、ずいぶんと儲かるらしい。
1993年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた春田靖(男。当時、20代前半)は、静岡県の出身だったにもかかわらず、東京大学ならわかるが「東大」でも東京大学ではなく東洋大学などという私立大学しか行かれへんくせしやがってからに、工学部建築学科なんてカネのかかる学部に行かせてもらい、卒業後、(株)一条工務店に勤めていたのだが、高そうなばかでかいオフロードカーに乗っていた。 20代前半の若造が乗るようなクルマではないはずだったが、そういうものに乗っていた。親は相当の資産家なのか?・・というと、中学校の校長先生だということだった。私などは、うちの父親から「うちは、学校の先生になんか、ならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われたものだったが、春田靖の父親は中学校の先生になっていたらしいから、金持ちの息子だったのだろう。 私はうちの父親から「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と毎日言われたもので、「国立大学ならどの学部でも学費は一緒のはずや」と私は訴えたのだったが、母は「100パーセント、絶対に国立大学に通るとは決まってないでしょうが。たとえ、0.1パーセントでも、0.01パーセントでも落ちる可能性があったら、国立大学でも工学部なんて受けたらいかんでしょうが」と言うのだった。私は、京大の工学部建築学科に通ったか、東大の理科一類・理科二類に通ったかということならそれはわからないが、国立大学でどこかというくらいなら、工学部建築学科で通る所はあったと思うが、それでも、「何を甘ったれとるんじゃ、チャンコロ、ロスケ! うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われたものだった。中学校の校長先生というのは、相当の金持ちらしい。
まさに、「民族の違い」「階級の違い」というものを感じる人たちだった。
1980年代後半、小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)・・・→(株)ヤマダエスバイエルホーム⇒(株)ヤマダホームズ〕に入社した時、新卒社員の研修が大阪市北区のJR大阪駅のすぐ前の本社で開催されたが、東京圏に住んでいた者が大阪まで行く際には交通費が支給されたが、千葉工大のやつには小堀住研(株)は新幹線代を支給したのに対して、私には普通運賃しか払ってくれなかった。会社は従業員には公平であるべきである。小堀住研(株)は千葉工大のやつに新幹線代を支給するなら私にも支給するべきで、私に普通運賃しか払わないならば千葉工大のやつにも普通運賃のみ支払うべきであろう。これもまた、「民族の違い」「階級の違い」というものだったのか・・・? うちの父親が言うには私は「チャンコロ人で浪商の民族で階級」だそうだが、あの千葉工大の男もうちの父親と一緒で「ドイツ人で慶應の民族で階級」だったのかもしれない・・・か? 「ちゃんこ~ろ、ちゃんこ~ろ、ちゃんころチャンコロちゃんころチャンコロ、ちゃんこ~ろ、ちゃんこ~ろ♪」と、毎日、私の耳元で大きな声で叫んでいたうちの父親の文句が今も耳元でわんわんとうなっている・・。
(2021.1.22.)
《 天気の勝れて(すぐれて)美しいある日の午前、御米は何時もの通り宗助を送り出してから直に(じきに)、表へ出た。もう女は日傘を差して外を行くべき時節であった。急いで日向(ひなた)を歩くと額の辺(あたり)が少し汗ばんだ。御米は歩き歩き、着物を着換える時、箪笥を開けたら、思わず一番目の抽出の底にしまってあった、新しい位牌に手が触れた事を思いつづけて、とうとうある易者の門を潜った(くぐった)。
・・・御米はその時真面目な態度と真面目な心を有って、易者の前に坐って、自分が将来子を生むべき、又子を育てるべき運命を天から与えられるだろうかを確かめた。易者は大道に店を出して、往来の人の身の上を一二銭で占う人と、少しも違った様子もなく、算木を色々に並べてみたり、筮竹(ぜいちく)を揉んだり数えたりした後で、仔細らしく腮(あご)の下の髯(ひげ)を握って何か考えたが、終りに御米の顔をつくづく眺めた末、
「貴方には子供は出来ません」と落ち付き払って宣告した。御米は無言のまま、しばらく易者の言葉を頭の中で噛んだり砕いたりした。それから顔を上げて、
「何故でしょう」と聞き返した。その時御米は易者が返事をする前に、又考えるだろうと思った。ところが彼はまともに御米の眼の間を見詰めたまま、すぐ
「貴方は人に対して済まない事をした覚がある。その罪が祟っているから、子供は決して育たない」と言い切った。御米はこの一言(いちげん)に心臓を射抜かれる思があった。くしゃりと首を折ったなり家へ帰って、その夜は夫の顔さえ碌々見上げなかった。
御米の宗助に打ち明けないで、今まで過ごしたというのは、この易者の判断であった。宗助は床の間に乗せた細い洋燈の灯が、夜の中に沈んで行きそうな静かな晩に、始めて御米の口からその話を聞いたとき、さすがに好い気味はしなかった。
「神経の起った時、わざわざそんな馬鹿な所へ出掛けるからさ。銭を出して下らない事を云われてつまらないじゃないか。その後もその占(うらない)の宅(うち)へ行くのかい」
「恐ろしいから、もう決して行かないわ」
「行かないが可い。馬鹿気ている」
宗助はわざと鷹揚な答をして又寐てしまった。 》
( 夏目漱石『門』 新潮文庫 )
↑ 私も、これと似た経験がある。慶應大学に「学生相談室」という所があって、私は、もともと、フロイト『精神分析入門』などの読者で、「心理学」や「カウンセリング」というものをかつては相当好意的に見ていたので、それで、行ってみたことがあったのだが、どうも、言われることがおかしい・・・。 易者とか拝み屋とか霊能者とか新興宗教とかそういった人なら、いいかげんなことを言って人を惑わす者がいるであろうと思っていたが、「心理学者」というのは学者の中でももっともまともな人たちであろうと見当違いな信頼をしていた。その結果、↑ の御米と同じく、かえって、心を混乱させられてしまい、「もう決して行かないわ」「行かないが可い。馬鹿気ている」と思うに至った。「学生相談室」というのは多くの大学にあるが、それを「困ったことがあった時に相談する所」と思っている学生がいるが、実はそうではなく、大学生の中で型にはめられるのを嫌がるような学生を「心理学」の技術を駆使して加工しようという機関、大学に疑問を感じるような学生があれば大学の方に問題があるのではなくその学生に心理的な欠陥があるということにして加工しようという機関であり、慶應の場合であれば、内部進学の人間に合わせて「外部の連中」を加工しようというものであり、いわば「慶CIA」とでもいった機関だった。何か困ったことがあった時に、「わざわざそんな馬鹿な所へ出掛ける」のは愚かである。
弁護士というのも、「火事場泥棒」みたいなところがある。困った問題をかかえて、その解決のために依頼すると、「〇日までに◇◇万円売り込んでください」と言うので、ないカネを無理して大急ぎで振り込むと働かない。まさに「振込め詐欺」である。かつ、役立たずの「着手金泥棒」である。菓子折りなんて持っていくと、もらってあたりまえみたいに思っている。役立たずの「着手金泥棒」の「振込め詐欺」にそんなものをくれてやるのは「盗人に追い銭(ぬすっとにおいぜに)」というものだ。 「クソして死にやがれ!」というところから「便後死(べんごし)」という言葉が出来て、それに美しい漢字を当てて「弁護士」になったのではないか・・という感じがする。・・なんというのか、世の中、お金というのは、努力したり苦労したりするともうからんけれども、悪いことするとようもうかるみたい・・・て感じがする。
まず、「カウンセリング屋」とか「心理学屋」とかにはかかわらん方がええと思う・・。特に、何か困ったことがあったというような時には関わらんようにするべきだ。
(2021.1.24.)
JR山手線「目白」駅から西に進む都道8号(目白通り)を西に進んで南に入ったあたりにあった 日本カウンセリングセンター という所に、「入門コース」だけ受講したことがあったが、「どうも、怪しい」と感じて、最初はその後のコースも受講したいと考えていたが、それ以上は関わらない方がいいと判断してやめたが、あれも、「関わらない方がいい団体」だったと思う。そんなものに、「入門コース」だけとはいえ、カネを払って行ってしまったのは愚かだったかもしれないが、そこで私はやめたが、やめずにそのまま深みにはまった人もいたようなので、はまらなかったという点は良かったと思う。もっとも、深みにはまった人がいて、私が「入門コース」だけで怪しいと気づくことができたのは、それまでから、その類の怪しいものに関わって相当被害にあってきていたからだった。その時、深みにはまってしまった人より私の方がえらいというものでもないが、その時、深みにはまってしまった人が、今、脱出できているかどうかはわからない。「ミイラとりがミイラになった」可能性も可能性としてはないことはない。
(2021.1.25.)
この記事へのコメント