梅の花咲く町田天満宮(町田市) 参拝。終業時刻より前にオーバー着て帰り支度していた法務局職員、あきれた全法務労働組合。自社で施工した家の外観を見に行く戸建住宅建築業従業員と見に行かない「設計」担当。通勤できない場所に家を購入させる(株)一条工務店。終業時刻より前に帰る準備している「縁故入社の女」。
[第818回] 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第56念
東京都町田市原町田 の 町田天満宮 と、町田市本町田 の 本町田 菅原神社 とに参拝してきました。 当初、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「全国 天満宮めぐり」に掲載されている 町田天満宮 に訪問するつもりでしたが、

わかりやすい天神信仰―学問の神さま
町田天満宮のホームページ https://tenmangu.newsinet.com/ の「町田天満宮の歴史」https://tenmangu.newsinet.com/history/ を見ると、町田市本町田の菅原神社 に菅原道真が祀られてきたが、本町田村から原町田村が分離した頃に、原町田村にも同じ祭神を祀る神社を造営したというのが町田天満宮の始まりらしいと出ており、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「全国 天満宮めぐり」に掲載される町田天満宮よりも前からあるらしい本町田の菅原神社にも参拝してみようか・・どうしようかと思ったところで、 「神奈川県人権啓発センター」https://www.youtube.com/channel/UCzzBHOwE9DN8zSHw_4Y5ITQ の「部落差別解消推進シリーズ(1) 本町田 部落とは何か?」https://www.youtube.com/watch?v=tlz7fjFB0us に 本町田の菅原神社 が登場しており、思っていたよりも大きな神社らしいと思ったことから、本町田の菅原神社にも行くことにしました。「神奈川県人権啓発センター」「部落差別解消推進シリーズ(1) 本町田 部落とは何か?」https://www.youtube.com/watch?v=tlz7fjFB0us をなぜ見たかと言われても、スマートフォンでYouTube を開いて上下させていたら出てきたので、何気なしに見ただけなのです。 町田天満宮の方は『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕に町田天満宮は掲載されていても、元の菅原神社はそれほど大きな神社ではないわけではなく、本町田の菅原神社もけっこう広くて社殿も大きい神社らしいので行ってみようと考えました。
町田市は、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ にいた時、1990年代前半に契約いただき建てていただいた方があったことから何度も行きました。 東名高速道路の「横浜町田」インターチェンジで出て、国道16号を北に行きかけると国道246号との交差点があり、東名高速道路を国道16号に入り、短い間で一生懸命、車線を右に右にと移動して、交差点を右折するとすぐ、左に曲がる道、都道141号(辻原町田線)(町田街道)に入り道なりに進みます。 (株)一条工務店にいた時に町田市某所で建てていただいた方のお宅に行く場合には、途中で右折してJR横浜線を越えて北に進むのですが、今回はそうではありませんのでそのまま都道141号(町田街道)を進みます。この町田街道をクルマで走ると、1992年から1993年にかけて、そのお宅の家を建てるためにこの道をクルマで走った頃のことを思いだします。一生懸命やったものですが、(株)一条工務店という会社は、真面目に仕事に取組み、お施主様のためとともに会社の為に滅私奉公する者に対して、まさに「滅私奉公」「破私奉公」して会社のために尽力する従業員に「恩を仇で返す」対応をする会社でした。よくもまあ、あんな会社のために「リゲインのように」働いたものだとあきれます。〔⇒《YouTube-24時間戦えますか?》https://www.youtube.com/watch?v=VHYFDipo5Kc 〕 私が入社した1992年においては(株)一条工務店という会社名は、浜松では「誰もが知っている名前」であったのと逆で、「そんな名前、だ~れも知らないわ! 知ってる人なんて誰もないでしょ」と、江東区亀戸になった総合住宅展示場 城東マイホームセンターで東京展示場を建設工事中に、前を通るおばさんに話しかけたところ、言われたことがありましたが、そんな会社でしたが、最近では、戸建住宅建築業の業界内における地位がずいぶんと上がったらしいのですが、野村克也のじいさんが「勝ちに不思議の勝ちあり」と言っていたが、野球選手だけでなく会社においてもそれはあてはまることで、(株)一条工務店みたいな、「『一族』よければすべてよし」「浜松よければすべてよし」の会社、最近でも、2011年の東日本大震災の後、東日本大震災で被害にあった地域の市町村や住民に寄付をするというのならまだしも、東日本大震災では被害にあっていない浜松市に300億円の寄付をしてみたり、いつまで経っても「浜松よければすべてよし」のこの会社の姿勢は変わらんもんだと思ったものでした。日夜、「会社のために」滅私奉公を続けてきた者に対して、それに報いない会社、「『一族』よければすべてよし」というそういう態度の会社が、「勝ち組」に入っていても、それは「勝ちに不思議の勝ちあり」と考えるべきものではないのか・・・という感じがします。そのうち、「負けに不思議の負けなし」になるかもしれません。安い給料でこき使いやがって、「一族」だけ大儲けしている会社、浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友はそういう会社から寄付金もらって大喜びしていたようですが、初代社長の大澄賢二郎からもらったみたいに鈴木康友は思っているようですが、実はそのカネは、本来、私など元従業員および従業員に払っておくべきカネを払わずにちょろまかして貯め込んだカネの一部分です。鈴木康友はわかっているのかわかっていないのか。わかっていないのなら、慶應大ア法学部卒だけあって「アホウ」でしょう。わかっていて大澄賢二郎からもらってみたいにしているのなら悪党です。
「遠州屋、ヌシもワルよのお。いっしっし・・」
「いえいえ、お市長様ほどではおじゃりませぬ。くっくっく・・」
てところなのでしょうか。本来、そのカネは私のカネです。・・そのあたり見ると、なんか、おカネというのは、努力したり苦労したりするとなかなか貯まらんもんやけど、悪いことうるとよう儲かるようでんなあ・・・・( 一一)
その私にとってはなつかしい道である町田街道(都道141号)を道なりに北上すると、JR横浜線の線路を「町田」駅と「成瀬」駅の間で高架で超えることになります。線路を越えて最初の交差点が「三塚」という名前の交差点ですが、ここで信号が変わる直前までどちらに行くか迷ったのですが、町田天満宮はJR横浜線より南側にあるので、もう一度、JR横浜線を越えなければならず、原町田橋という橋で超えることになりますが、原町田橋がある都道51号(町田厚木線)に進むには、都道47号(町田街道)で「原町田3丁目」交差点で左折するか、「三塚」交差点で左の方の道に行き、原町田橋のすぐ手前で左折するか。
「三塚」交差点で「道なり」の方を選んで、「原町田3丁目」で左折する方を選んだのですが、それは、橋の直前で左折しようとして左折できるかということを考えてでしたが、ところが、今回、間違えて「原町田2丁目」交差点で左折してしまい、結局、原町田橋の直前で左折して橋に入ることになってしまいました・・・が、左折して線路を超えることができました。
原町田橋でJR横浜線を超えて地面に降りると、道は右に行くか左に行くかどちらか2択で、右に行く方が道は広く都道51号線ですが、町田天満宮に行くには左の細い方の道を行きます。 進むと道はされに細くなり、こんな細い道を進んで大丈夫かいやあ・・と一瞬不安になりますが大丈夫です。細い道をクランク状に曲がるとすぐ左手に町田天満宮があり、参拝者用駐車場への入り口があります。
町田天満宮のすぐ前で、JR横浜線の線路を超える人道橋があり、町田天満宮のすぐ前の道路を超える歩道橋も兼ねています。

↑ 「町田参宮橋」と名前がついています。
この人道橋・歩道橋から町田天満宮へ直接入ることができます。↓



今回は、コロナウイルスの問題もあり、自家用車で訪問しましたが、電車で行く場合には、JR横浜線「町田」駅か、小田急「町田」駅が最寄駅です。JR横浜線「町田」駅の方が近い。
かつては、小田急は「町田」でJR横浜線の駅名は「原町田」で、「原町田」駅は今の「町田」駅よりもう少し南にあったように思うのですが、今は「原町田」ではなく「町田」駅になり、小田急と乗換もできる距離になりました。なんで、JRは町田市にある駅なのに「町田」ではなく「原町田」なのか・・と思ったのですが、「町田」はもともと「本町田」と「原町田」とその他に分かれていて、単に「町田」と言うと、どちらかと言えば「本町田」を指し、JR横浜線「原町田」駅があったあたりは町田市原町田であったことから、JRの駅名は「原町田」だったようです。 かつての「原町田」駅より今の「町田」駅はいくらか北に移動したようですが、それでも、町田市原町田に駅はありますが、「本町田」という駅があるわけではないので、小田急の駅と乗換のできる場所に駅を移動させたことから小田急の駅名と同じ「町田」駅を名のるようになったのでしょうか。地図を見ると、現在、町田市には「町田市本町田◇丁目」と「町田市原町田△丁目」があり、JRの「町田」駅は原町田4丁目にあるようですが、小田急の駅はそのすぐ北側だけれども、原町田6丁目と森野2丁目・中町1丁目の境目付近の原町田6丁目にあるようです。《ウィキペディアー町田駅》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E7%94%B0%E9%A7%85 には、《明治時代に横浜鉄道(現在の横浜線)が開業した当初、原町田の中心地は現在の町田市立図書館などのある原町田二丁目付近であり、原町田駅もここに近い位置に設置された。》とあり、町田天満宮にとってはかつての「原町田」駅の方が近かったようだ。

( ↑ 町田市立図書館。)
本町田は小田急「町田」駅より3㎞ほど北のあたりになるようです。
かつて、国鉄横浜線だった時代の「原町田」駅は、町田市にあるのに、なぜ「原町田」と言うのだろう・・と思っていたのですが、《ウィキペディアー原町田》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%BA%E7%94%B0 によると、《町田村(現在の本町田)の近隣の原野を開拓した村であったことから》で、もともとの町田である「本町田」に対して、その南の原野が開かれた町田だから「原町田」だったということか・・・。
鳥居をくぐると、左右に稲荷社があります。 ↓

↑ ご本社に向かって左側(北側)の稲荷社。

↑ ご本社に向かって右側(南側)の「出世稲荷」。
竹内秀雄『天満宮』(1973.第一版、 1996.新装版。 吉川弘文館 日本歴史叢書)の「四 天満宮の普及」「4 謡曲に現れた菅神」に、
《 室町時代に三十番神 画像が描かれ出し、その七日の結番は天満天神に当たっていた。三十番神とは、鎌倉時代から一ヵ月三十日の間、毎日交替して朝家を守り、一方では法華経を守護すると信ぜられたわが国著名の三十神で、これは両部神道で説くところで、初め天台宗、のちに日蓮宗で信仰せられた。
『渓嵐拾葉集』によると、北野天神が雷電となって内裏に乱入し障碍をなそうとしたとき、公卿の僉議(せんぎ)があって今日は三十番神は何神が当たっているかといっていると、そのとき稲荷大明神が雲に乗って来現し天神と神威を争って障碍がなかったので、北野と稲荷は仲が悪く、北野参詣の日には稲荷に参詣しないということが記されている。
『戴恩記』にも、菅丞相が百千の雷となり、朝廷を恨み本院時平公を殺し、昼夜雨風やまず、雷鳴のため御殿も裂けるばかりであったとき、天皇は今日の番神は如何なる神かと貞信公(藤原師輔の父、忠平)に問われると、太刀の柄頭に白狐の現じたのを見て、稲荷大明神の御番と答えると、程なく雷も鳴止み雨も晴れてしまったという。この太刀を小狐の太刀といって、大織冠(だいしょっかん)(藤原鎌足)の御影(みえ)と恵亮(えりょう)和尚(叡山の僧 円澄の弟子)の紺紙金泥の法華経とともに三宝として九条稙道(たねみち)の家に伝えられたと聞いて、秀吉は「いやいやさようのむづかしき藤原氏のつら葉とならんよりは、只あたらしく今もなき氏に成侍らん」といったと記してある。
また『天満神卅番神名』というものがあって、太宰府の満盛院からの印施が残っている。》

天満宮 (日本歴史叢書) - 秀雄, 竹内, 日本歴史学会
・・・のだけれども、全国の天神・天満・北野・菅原系神社を訪ねてみると、境内に摂社・末社として稲荷社がある神社はけっこうある。 京都の本家では天神・北野と稲荷は仲が良くないのかもしれないが、「地方」「末端」になるとそうでもないのかもしれない。
ご本社に向かってまず右側に牛の像。↓

続いて、ご本社に至る左右に狛犬が3組、2×3=6体。↓

↑ よく見ると、狛犬はそれぞれ微妙に表情が違います。
牛の像がもう1体。 ↓

そして、ご本社。 ↓



ご本社の右手前の梅の木は、花と蕾が混じった状態。なかなかきれい。↓


ご本社の左側に「境内社」 ↓

「境内社」の右手前に、「恵比寿」の像。

「境内社」は「境内の摂社・末社」という意味ではなく、この社殿は「境内社」という名称のようで、現地の説明書きによると、そこでは、
大物主神(おおものぬしのかみ)(金比羅宮)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)(八雲社)
恵比寿神(えびすしん)(西の宮)
聖徳太子
が祀られているらしい。
鳥居をくぐってすぐ右手の由緒書に、
《 併祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)は大津市坂本の日吉神社を総本社として、近くは赤坂日枝神社があり、俗に山王様と呼ばれています。
併祭神 宇加能御魂神(うかのみたまのかみ) は五穀の神として飯綱(いづな)様と呼ばれ、長野県飯縄(いづな)山に本社があります。》
と出ているのですが、町田天満宮では、菅原道真を祀るご本社の他には、ご本社の左手の「境内社」とその道手前の恵比寿像、それに、鳥居をくぐって右手の「出世稲荷」と左手の稲荷社しか、境内の摂社・末社は見当たりません。ご本社の左側の「境内社」に祀られているのかと思って境内社の説明書きを見ても、大山咋命(おおやまくいのみこと)と宇加能御魂神(うかのみたまのかみ)は書かれていません。
宇加能御魂神(うかのみたまのかみ)の方ですが、一般に、「稲荷」は、「稲の穀霊」であるとともに・「秦氏の氏神」で・インドの神である「ダキニテン」で、そして、『古事記』の神である「宇加能御魂神(うかのみたまのかみ)と、この4つの神が習合して祀られたのが京都の伏見大社で、その末社が日本全国にあって、「日本三大稲荷」と言われることがあるものの、どの3つかというと、京都の伏見稲荷は必ず入るものの、他は愛知県豊川市の豊川稲荷とか、茨城県の笠間稲荷とか、他にもいっぱい諸説あって、伏見稲荷以外の2つはどこを入れるか決まっていないらしいのだが、その「稲の穀霊としての稲荷」「秦氏の氏神」「ダキニテン」として「宇加能御魂神(うかのみたまのかみ)」を祀っているということならば、鳥居をくぐって右手の「出世稲荷」と左手の稲荷社と、稲荷社が2社ありますから、そのどちらかと考えることもできますが、しかし、『古事記』に登場する神である「宇加能御魂神(うかのみたまのかみ)」で「五穀の神」であっても、《飯綱(いづな)様と呼ばれ、長野県飯縄(いづな)山に本社があります》と書かれており、伏見大社の「秦氏の氏神」で「ダキニテン」の方の「ウカノミタマノカミ」とは違う可能性が考えられます。
長野県飯縄山とはどこなんだ・・・というと、《ウィキペディアー飯縄山》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%B8%84%E5%B1%B1 によると、《 飯縄山(いいづなやま、飯綱山)は、長野県北部(北信地方)、長野市・上水内郡信濃町・飯綱町にまたがる山。標高1,917メートル。飯縄山と、その支峰・霊仙寺山(れいせんじやま、1875.0m)、瑪瑙山(めのうやま、1748m)などからなる連山全体を飯縄山と呼ぶこともある》と出ており、ヤフー地図で「飯縄山」と入れて検索すると、長野県の長野市の西のあたり、JR信越本線と大糸線の間の山地に、「飯綱山」と称する山が3つ出てきた。
「飯縄山」は《 古くから山岳信仰の霊山であり、飯縄権現を祀り修験道場が開かれ、足利義満や管領細川氏、上杉謙信、武田信玄、徳川家康など武将の尊崇を得ていた。また忍術(滋賀県甲賀市の古寺の本尊は飯縄権現像と伝わる)や剣術の修業の地(神道無念流開祖の福井嘉平は飯縄権現への参篭により会得したと伝わる)としても知られる。全国に多くの分社を持つ総本山である飯綱神社だが簡素な社があり、頂上に至る登山道脇には1番の不動明王に始まる13体の石仏が点在する。》と書かれている。
「飯縄権現」とは、《ウィキペディアー飯縄権現》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%B8%84%E6%A8%A9%E7%8F%BE には、
《信濃国上水内郡(現:長野県)の飯縄山(飯綱山)に対する山岳信仰が発祥と考えられる神仏習合の神である。》
《多くの場合、白狐に乗った剣と索を持つ烏天狗形で表され、五体、あるいは白狐には蛇が巻きつくことがある。一般に戦勝の神として信仰され、足利義満、管領細川氏(特に細川政元)、上杉謙信、武田信玄など中世の武将たちの間で盛んに信仰された。》
《飯縄権現が授ける「飯縄法」は「愛宕勝軍神祇秘法」や「ダキニ天法」などとならび中世から近世にかけては「邪法」とされ、天狗や狐などを使役する外法とされつつ俗信へと浸透していった。》
《こうした俗信の域から離れ、現在でも信州の飯縄神社や東京都の高尾山薬王院、千葉県の鹿野山神野寺、千葉県いすみ市の飯縄寺、日光山輪王寺など、特に関東以北の各地で熱心に信仰されており、薬王院は江戸時代には徳川家によって庇護されていた。》
・・とある。 飯縄権現は、伏見大社が「ウカノミタマノカミ」と習合したのと共通しているようだけれども、全体としては、「ウカノミタマノカミ」でも飯綱山の飯縄権現と京都の伏見大社とは別系統のように思われる。
「飯縄権現」は「ウカノミタマノカミ」と習合し「五穀の神」で、京都の伏見大社もまた、「ウカノミタマノカミ」と習合して「稲の穀霊」を祀る神社で、その点で共通していても、性質が似ているとしても別のもののようだ。 そうなると、鳥居をくぐった右の「出世稲荷」と左の稲荷社とは別の可能性が大きいと思われる。
「大山咋命(おおやまくいのみこと)」を祀る祠は見当たらない。・・ということは、ご本社で、主祭神の菅原道真≒天神 とともに、「ウカノミタマノカミ≒飯縄権現」と「大山咋命(おおやまくいのみこと)」も「合祀」されて「副祭神」と言うのかどうか知らんが、ともに祀られているということだろうか?・・・ こういうことは、遠慮せずに社務所で尋ねてみようと思い、御朱印をいただく(ただで「いただいた」のではないぞ)時に尋ねてみたところ、やはり、「大山咋命(おおやまくいのみこと)」と「ウカノミタマノカミ≒飯縄権現」は、ご本社で主祭神の菅原道真≒天神 とともに祀られており、本殿の内部で扉があって、中央の扉の向こうに「菅原道真≒天神」が祀られ、その左右に「大山咋命(おおやまくいのみこと)」と「ウカノミタマノカミ≒飯縄権現」が祀られているということだった。 おそらく、かつて、町田市内の別の場所で祀られていたものを、いつの時かここに合祀されるようになったのではないか・・ということだった。
「いづな権現」ならば「飯縄」ではなく「飯綱」と違うんかい? 「飯縄」ならば「いなわ」とちゃうんかい?・・・と、つっこみたくなるところもあるのだが・・・、東京都墨田区の両国に「横網町」というのがあって、なんで、両国にある地名なのに「横綱(よこづな)町」やのうて「横網(よこあみ)町」やねん、まぎらわしいのお・・・てのと同様なのかというと、それは同じではなく、「飯縄」は「いなわ」ではなく「いづな」らしいのだ。
「飯綱(いづな)」というと、白土三平『カムイ伝』『カムイ外伝』で、カムイの得意とする技として、「変移抜刀霞斬り」とともに「飯綱落し(いづなおとし)」というものが登場する。
※ カムイ外伝2話 飯綱落し https://www.youtube.com/watch?v=p8wKg2HWaV8
ピクシブ百科事典 飯綱落し https://dic.pixiv.net/a/%E9%A3%AF%E7%B6%B1%E8%90%BD%E3%81%A8%E3%81%97
『カムイ伝』『カムイ外伝』の「飯綱落し」は、イタチの一種の飯綱(イイヅナ)の技をヒントとして生み出したらしく、飯縄権現の「飯縄(いいづな、いづな)」とは意味は別のようだ。
「境内社」もまた、町田市内の他の場所に祀られていた
大物主神(おおものぬしのかみ)(金比羅宮)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)(八雲社)
恵比寿神(えびすしん)(西の宮)
聖徳太子
をここで祀るようにしたものだろうか・・・・。
梅の木は境内に何本も植わっている。

鳥居の左手の稲荷社のあたりの梅の木。↑


紅梅と白梅がセットでないといけないということはないのだろうけれども、町田天満宮では紅梅と白梅の両方が見られる。 本町田の菅原神社では、しだれ柳のように枝が垂れた梅があった。そちらは本町田菅原神社の稿で掲載したい。 梅の種類は紅梅と白梅に分かれるだけではなく、他にも種類があるようだ。 写真撮影は2月8日、花と蕾が混じった状態だったので、まだ、しばらくは梅の花を見ることができるだろう。
町田天満宮の現地に出ている由緒書には
《 ・・当神社は文教の祖神 菅原道真公を主祭神とし、日枝社(ひえしゃ)、飯綱社(いいづなしゃ)を併せて奉斎し、天正年間この地に鎮座、町田三天神の内の1社で、本町田菅原神社、南大谷天神社と共に古くから崇敬されてまいりました。》
と出ており、《ウィキペディアー町田天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E7%94%B0%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE にも、
《 町田三天神のうちのひとつ(他に菅原神社・南大谷天神社)で、》
と出ている。
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「全国天満宮めぐり 東京・町田天満宮」には、
《 町田天満宮の歴史は天正年間、北野神社の仏師が御神像を彫刻し、町田威徳天神として祭祀したのが創建と伝えられている。 その時、三躯の御神像が同時に一本の木より彫刻され三つの神社に祭祀された。それが町田三天神の由緒であり、町田天満宮はその中の一社である。町田市本町田、南大谷の天神様とともにこの地方の崇敬をあつめ親しまれている。》
と出ている・・のだが、町田天満宮のホームページの「町田天満宮の歴史」https://tenmangu.newsinet.com/history/ 、本町田菅原神社のホームページの「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html に掲載されている話とは少々違うように思えるが、複数の説があるのだろうか。
町田天満宮は町田市原町田1丁目21-5、JR横浜線「町田」駅のすぐ南、線路より西側にあるが、本町田 菅原神社は、町田市本町田802番地。 小田急線より北にある。

( ↑ 本町田 菅原神社。)
南大谷 天神社は、インターネットで検索しても、ホームページは見当たらず、ウィキペディアにも掲載はないが、同神社を訪問した人などが公開しているものとして、
南大谷天神社 http://www.mrfujii.jp/walk/heritage/jinja/92minamiooya.htm
猫のあしあと 南大谷天神社 https://tesshow.jp/tama/machida/shrine_sotani_ten.html
神社人 南大谷天神社 http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=1488
その他、同神社の写真など掲載されたものが見つかる。 (本町田)菅原神社のホームページの「地域の神社」https://www.sugawarajinja.com/area.html にも 南大谷の天神社 は掲載がある。
南大谷天神社は、町田市南大谷451 にあるそうだ。

↑ 小田急線の「町田」と「玉川学園前」の中間より少し玉川学園前より、小田急線の線路のすぐ西のあたりにあるようだ。「南大谷」という交差点のすぐ東、地図で見ると「神社前」というバス停が前にあるようだ。
伊勢神宮は、かつて、落合が中日ドラゴンズに移籍した時、中日に落合英二という投手がいたが、自分はあくまでも「落合」だと主張して、落合英二投手は「落合英」と表記して、落合博満は「落合博」ではなく「落合」と表記しろと要求したということがあり、なんか、あつかましい・感じの悪いやつやなあ・・と思ったものだったが、そんな感じで、伊勢神宮は「正式名称は『伊勢神宮』ではなく『神宮』だ」とか言うておるらしいのだが、それは伊勢神宮に限ったことではなく、「本町田 菅原神社」も「正式名称」は「菅原神社」で、「南大谷 天神社」も「正式名称」は「天神社」のようだ。伊勢神宮の場合は、もう、「勝手に言ってろや」て感じだが、それぞれの地域においては「菅原神社」とか「天神社」と言っていても、他の地域の住人からすれば、「本町田の菅原神社」「南大谷の天神社」ということになるわけで、伊勢神宮だってそんなものだと思うのだ。なんか、「落合みたいや」・・てことを伊勢神宮は言うとるわけだが、「大人げない」というのか何と言うのか・・。
《ウィキペディアー天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE には、町田市の天神社では、町田天満宮と本町田の菅原神社の2社が掲載されている。
本町田菅原神社・町田天満宮・南大谷天神社の3社を「町田三天神」と言うということだが、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「主要天満宮名簿」には、町田市では、町田市原町田の町田天満宮ともう1社、町田市能ヶ谷町1097 の菅原神社 が掲載されている。「能ヶ谷」は小田急の「玉川学園前」の東の「鶴川」駅の北のあたりの地名だが、現在は、能ヶ谷1丁目~7丁目 という住居表示に変わっていて、能が谷 のどこかわからない。 地図で見たり、インターネットで検索したりしたが、能が谷の菅原神社はどこにあるのか見つからない。
町田市は、1992年に(株)一条工務店 で、私が担当させていただいて契約いただいた方で1993年に建てて住んでいただいた方があったことから何度も来た所であり、思い入れがある場所です。
町田市の建築地を見に行き、市役所などに寄り、法務局に行った時には午後5時少し前だったということがありました。公図を調べ、土地と建物の登記簿謄本を取得し、土地の測量図を複写するには時間が足らないか・・と思いつつも、ブルーマップで地番を調べるくらいはできて、できるところまででもやっておきたいと思ったのです・・・が、ブルーマップで地番を調べている間に午後5時になってしまいました。場所によっては1分、2分過ぎたくらいなら許容してくれる所もあるのですが、午後5時を過ぎてから登記簿謄本の申請をしたのでは無理かなあと思いかけた頃、「法務局のおっさん」が「ちょっと、あなた。何をやってるんですかあ、何をお! もう、5時を2分も過ぎてるじゃないですか、2分もお! あなたのおかげで、私は2分も余計に働かされてしまったじゃないですか! いったい、どうしてくれるんですか、いったい~い! 2分もですよ、2分もお! あなた、この2分をいったいどうしてくれるんですかあ、いったい~い!」とすでにオーバー着て帰り自宅をしたおっさんが、いかにも不愉快だという態度で言うのでした。
なんだ、この全法務労働組合は!!! ・・・おまえ、そんなに働くのが嫌なら辞めたらどうなんだ!!! ・・たしかに、法務局の「営業時間」は午後5時までだった。しかし、時間外に1時間以上も仕事をしろと言ったのではない。すでに、午後5時までに入館した者が見ていたのであって、「2分」がどうしたというのだ!!! 問題があるのは私ではなく、そのおっさん、全法務労働組合の方だ! おっさんは、午後5時の時点ですでにオーバー着ていたのだ。 勤務時間を過ぎての「サービス残業」などというものはしない方がいいだろう。もし、必要があって「残業」を使用者が依頼した場合にはきっちりと時間外賃金を支払ってくれと言って悪くないだろうし言うべきだろう。しかし、だ。「勤務時間」が午後5時までであれば、労働者は午後5時までは働くものであるはずだ。おっさんは、何を午後5時より前にオーバー着て帰り自宅をして帰ろうとしていたのだ。いいかげんにしろ、全法務労働組合!!! おまえらは日本国の労働者の敵だ!
むしろ、終業時刻は午後5時までなのに、午後5時より前に帰り支度をして、すでにオーバー着て帰ろう帰ろうという姿勢で待っていたおっさんの方こそ問題があるのであり、税金から不当な賃金を受領していたことになるはずだ。カネ返せ、全法務労働組合!!! 終業時刻よりも前にすでにオーバー着て帰り支度をすませて帰ろう帰ろうとしていたおっさんこそ、ペナルティーを受けなければならないはずだ。いいかげんにしろ、全法務労働組合!
実は、1992年に(株)一条工務店に入社する前、東京都千代田区霞が関の合同庁舎6号館の法務省で警備員の仕事をアルバイトでだがやったことがあったのだ。その際だが、全法務労働組合というのは「専従」といって、法務省から雇われた職員から選ばれた労働組合役員ではなく、労働組合から雇われて労働組合の仕事にもっぱら従事する人間というのが何人かいたのだ。そいつらを見て、あきれた。あれでは労働者の支持をなくすだろう。あれでは国民の支持を失うだろう・・と思ったし、あんな「専従」の労働組合なら、あった方がいいかない方がいいか微妙・・・とも思った。
法務省・検察庁の職員はマイカー通勤を認められておらず、法務大臣・政務次官・事務次官・官房長、それに大臣官房◇◇局局長となんとか課長と検察庁では検事総長になんたらかんたら・・は「庁用車」で運転手が送り迎えしていたが、一般職員は電車・バスといった公的交通機関での通勤となっていた。ところが、全法務労働組合の委員長の岩波は労働組合の委員長のくせに1人だけマイカー通勤していたのだ。そんな労働組合の委員長があるか?・・・というと、全法務労働組合にあったのだが、そんな労働組合でそんな委員長だったのだ。
労働組合の委員長がそんなことでいいのか? ロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)によると、長征の際、たとえ、馬があっても、他の兵士が歩いている時には毛沢東も馬に乗らずに歩いた、たとえ、暖かい服があっても他の兵士が粗末な綿の服しか着ていない時は毛沢東も他の兵士と同様の服しか着なかった・・というのだが、全法務労働組合の委員長の岩波は何やってんだあ??? おまえはそれでも労働組合の委員長か!?!
もしも、労働組合の仕事で自動車で移動する必要があるということならば、大臣官房会計課警備係に、あらかじめ、話をして、全法務労働組合として1台分の駐車スペースを使用させてもらうように話をしておくべきだ。「団体交渉」で駐車スペース1台分を全法務労働組合のために使用者が用意したとしても、それは労働組合の事務所用に部屋を1部屋用意したとしても、「利益供与」という違法行為にはならないだろう。そのあたりをきっちりとしてこそ、「専従」の労働組合役員としての仕事をしたことになるはずだ。ところが、岩波はそれをしない。なんだ、それで、労働組合の委員長と言えるのか?!?
又、法務省・検察庁では、入館時、職員は職員証を入口の警備員に提示して入館すること、来館者は受付で来館手続きをして入館することとされており、警備員は職員証を提示しない職員を入館させてはならないと上役から指示されていた。ところが、全法務労働組合の委員長の岩波と副委員長のなんとかは、職員証を呈示せずに入ろうとして、阻止すると、「おまえは職員に向かってなんだあ~あ!」と叫ぶ。 アホか! おまえこそ、「職員に向かって何だあ!!!」・・・。 労働組合の役員が職員に向かってそんな態度を取るのなら、おまえら、役員辞めろ!!!
私やほかの警備員は、総合ビル管理(株)という法務省の職員が退職後に勤めるための会社らしい警備・清掃・受付の派遣をしている会社から法務省・検察庁に派遣されて勤務していたのだが、派遣先においては、法務省大臣官房会計課警備係の指揮命令下に服して法務省の職員として勤務していた「職員」だったのである。 全法務労働組合に加入して組合費は支払っていなかったとしても、法務省で働き、法務省の指揮命令下で労働に従事している「職員」であり、法務省の職員のおかげでメシ食わせてもらっている「専従」の組合役員が、法務省の「職員」に向かって、「職員に向かって何だあ!」とは「何だあ!」ということだ。委員長の岩波と副委員長のなんとか、名前覚えていたが思い出せない、そのうち、思い出すだろう・・は、おまえら、そんな認識で、よう「専従」の組合役員やっとるなあ・・・。 おまえら、アホちゃうか・・。そんなことで、よう、「専従」の組合役員としての給料もらえるのお!!!
法務省・検察庁の職員は職員証を提示して入館することという規則を守らずに入館していたのは、法務大臣、それに政務次官、事務次官・・といった「エライ人」というのがいたが、もしも、「エライ人」は例外として職員証の提示なしで入館してもらえということならば、きっちりとそのように指示するべきだが、警備係長も守衛長も警備長も指示しない。だから、私は「誰は、職員証の提示なしでも入ってもらっていいというのを、きっちりと指示してもらえませんか」と警備長に言ったのだが、言っても、「あの人、事務次官」とか言うばっかりで、職員証の提示なしで入ってもらっていいのかどうか、きっちりと指示をしない。それから、公安委員会というのがあって、こういう活動はやめさせましょうなどと議論する人たちというのが時々来館したのだが、どこやらの会社の会長だか社長だかいうのが何人か来て議論するらしいのだが、なんで、そんな人にそんなことを決められなければならないんだ・・と国民としては極めて不愉快であり、それらのおっさんどもこそ、「反社会的勢力」ではないのか?!?・・・と思うのだが、そういうおっさんどもが時々来館し、そういうおっさんどもが来る時には、SPというのがついてきていたらしい・・のだが、私は、一度、その「SP」らしいおっさんに、「入館されるのならば、受付で入館手続きをして入るようにしていただけませんか」と言ったことがあったのだが、すると、警備員の古手のおっさんが「あんた、あの人はねえ、SPなんだよ。入館手続きなんてしないでさっさと入るようにしたいんだよ」などと言うので、「それなら、そのように指示してもらえませんか。私たちは、例外なく、誰であれ、職員でない人は受付で入館手続きをすることなく入館させてはならないと業務命令されて勤務しているのであり、業務命令違反をするわけにはいかないんです。 この人とこの人は例外として入館手続きなしで入館させてもらいたいということならば、そのように、業務命令としてきっちりと指示するようにしてもらえませんか」と言ったのだが、「あんた、そんなこと言っても、あれはSPなんだから」とおったんは言ってきかなかったのだ。 SPというのは「スーパー プー太郎」の略ではなく、何の略か知らんが「エライ人」に随行して「エライ人」が襲われた場合には身を挺して守る役らしいのだが、警備員の立場からすれば、「そんなもん、知るかい」てものだ。警備員に例外として受付なしで入館したいのなら、先にそのように警備係に申請して警備係から警備員にそのように業務命令を出しておくようにするべきだ。警備員の判断で、この人は受付なしで入れていい人と決めて入れて、それで、後から「何で勝手に入れたんだあ」と言われたのでは困るではないか・・・と思うのだが、もしかすると、本来は規則に反するので入館させてはならない人間をアブノーマルに入れたいが、後から問題が出た時には「警備員がやりましたあ」ということにして逃げるためにそうしていたのかもしれない。それを察知していた警備員のじいさんがいて、「俺たちの仕事は、警備員の服を着て立ってることだから」と言う人がいたのだが、それでは国民から見れば、その人は何のためにそこにいるのかわからないではないか。
外来者は受付で入館手続きをして入るという法務省の規則を破って勝手に入ったやつというのが何種類かいた。
(1) 公安委員会の委員とそれに随行していたSPらしいおっさん。
(2) 「元田中角栄の秘書」という人相の悪い、もしかして、「反社」と違うのかあ?・・みたいな風貌のおっさん。
(3) 警視庁丸の内警察署の制服の警察官。「巡査」か「巡査長」くらいかと思われる3人。
このうち、(1)(2)と違って(3)については、警備長から「あの警察官、入れちゃだめだ」と言われ、そして、私は「どちらへ行かれますか」と言い、「法務省の職員でない方は、受付で用がある部署の名称と入館される方の御名前を記入して入るようにお願いします」と言ったところ、「なにい~い!」と言って3人ですごんできたのだ。怖かった、ほんと。・・・彼ら、警察官は「公務執行妨害罪」というのは、市民に対して警察官が「転び公妨」とか言って、警察官が自分でわざと転んでみせて、「いたたた。おまわりさんを突きとばすなんて。いたたた」とか演技してみせて(「役者やの~お」)、「〇時◇分、公務執行妨害、逮捕」とかやるためのものだと思い込んでいるようだが、「公務員が公務をおこなうのを妨害すること」が公務執行妨害罪の構成要件であり、民間企業から法務省に派遣された従業員であっても、法務省の指揮命令下に服して業務をおこなっている者が法務省の規則を守ってくださいと言っているのに、それに対して、「なにい~い」とか言って3人ですごんでみせるというのは、これは公務執行妨害罪に該当するはずなのだ。何が「なにい~い」じゃ、何が!
ベテランの警備員のじいさんが言うには「我々は、派遣で来ていても法務省の職員なんだ。それに対して、あいつらは法務省と同格の自治省の下の警察庁の下の警視庁の下の丸の内警察署の職員なんだ。あいつらは、我々の下の下の下なんだ。だから、あいつらに威張られる筋合いはないんだ」と言うのだった・・・が、上か下かよりも、法務省に用事があるのなら、法務省の規則を守って受付で手続きをして入館するべきであり、制服の警察官がそのくらいの規則を守れなくてどうするんだ・・ということになるのだが、なぜ、あいつらが入館手続きをしないで入ろうとしたかというと、用事はなかったからだ。なんで、用事はないのに入りたがったのかというと、合同庁舎6号館の地下にある売店を利用したかったようなのだ。法務省の部署に用事があって入館するのは認めても、地下の職員用売店で買い物をしたいからという理由での入館は認めていなかったので、それで、あの丸の内警察署の制服の警察官は「なにい~い」とすごんで入ろうとしたようだったのだ。彼ら警察官は、警備員は警察官の下働きみたいに思っていたかもしれないが、上か下かにかかわらず・・・、まあ、2000年頃、ラジオの野球中継で、解説者の板東英二が「最近ねえ、『野球は頭でやるもんや』て言いすぎですよお。だいたい、野球みたいなもん、やっとるような人間が頭つかうのん、得意なわけないでしょうが。頭つかうのん、嫌いやから野球みたいなもん、やっとんねんがな。頭つかうのん、得意やったら野球みたいなもんやらんと、もっと他の仕事やってるわ」と発言したことがあったのだが(笑)、同様に「そんなもん、巡査みたいなもん、やっとるような人間が頭つかうのん得意なわけないでしょうが。頭つかうのん、嫌いやから、巡査みたいなもんやっとんねんがな」というような人もいるのかもしれないが・・・、たとえ、他のことについては「頭、つかうのん嫌いやから巡査みたいなもんやっとんねんがな」でもいいけれども、法務省に行って警備員から法務省の規則としてこれは守ってくださいと言われて、「なにい~い」などとすごんだのでは公務執行妨害罪になるぞ・・というそのくらいのことは理解しておかないといかんのではないか・・・と思うが、そういうことを考える頭がないから、そやから、巡査みたいなもんやっとんねんがな・・・ということだったのか?・・・(^^)/ しかし、法務省の公務をおこなう者にそういう態度をとったのでは「公務執行妨害罪」になるぞ・・・ということくらいは、丸の内警察署の「エライ人」は「巡査」に教えておくべきであろう・・・と思う・・し、いくら「頭つかうのん嫌い」であったとしても、「頭つかうのん嫌いやから巡査みたいなもんやっとんねんがな」でも、そのくらいはわきまえておいた方がいい・・はずである。
全法務労働組合の「専従」の役員というのは、「専従」で全法務労働組合の職員であって、法務省の職員ではないので、職員証を持っていないのだろうか。 それならそれで、全法務労働組合で全法務労働組合としての「専従」職員の職員証を発行して、法務省大臣官房会計課警備係に、この職員証で通してもらいたいと話を通しておくべきであろう。
ところが、特に副委員長のなんとかいう男、その後も意地になったようで、入館しようとした時、「職員!」と言ってあごをしゃくってみせるのだ。 おまえの仕事はいったい何だ? おまえの仕事は労働者の勤務状況・労働環境を向上させようというのが仕事と違うのか? 労働組合の「専従」の役員が職員に向かって、「職員!」などと言ってあごしゃくって見せて、いったいどうするんだ! それでは労働組合として自殺行為ではないのか。それでは、労働組合の役員として失格ですと自分で宣言していることと違うのか!!!
なんだか、全法務労働組合の「専従」の役員というのは程度低いなあ・・・と思ったものだった。
・・・というのか、副委員長のなんとかいうの、派遣労働者とはいえ、まがりなりにも、法務省の指揮命令下において仕事をしている警備係の職員に向かって、全法務労働組合の職員ではあっても法務省の職員ではない者が、何をあごしゃくって「職員!」とか言うておるんだ?
警備係の職員というのは法務省の他の職員の小遣いではない。しかし、東大法学部卒とかで司法試験合格で入省した人・国家公務員1種合格で入省した人からすれば、自分たちはそういう経緯で入省したんだという意識を持ったとしても不思議ではないところはあるが、もしも、「エリート」であるのならなおのこと、警備係という大事な仕事をしている者に対して、「小遣い」扱いなどしてはならないはずである・・が、全法務労働組合の「専従」の役員というのは、司法試験合格とか国家公務員1種試験合格で法務省に入省した人間でもないはずなのだ。何を、人に向かってあごしゃくっとるんだ、何を・・・・というのが、全法務労働組合の「専従」役員やってるやつらだったのだ。
町田の法務局で、終業時刻より前からオーバー着て帰り支度して、午後5時を2分過ぎたということで、「あなたのおかげで、私は帰るのが2分も遅れてしまったじゃないですか。2分もですよ、あなた、いったいどうしてくれるんですか。いったいい~い!」とか叫んだおっさんを見て、ぴんときた。こいつ、全法務労働組合だな・・・と。 こいつらは労働者の敵だ!
「私の帰る時間が2分も遅くなってしまったじゃないですか。いったい、どうしてくれるんですか」とかおっさんは言うのだが、こっちはまだ仕事中なんだよ、仕事中。おまえら、けっこうな仕事させてもろうとるのお。 おまえなんかが、2分や3分、帰るのが遅くなったところで、それがいったいどうした!?! こっちは、まだまだ帰れないんだよ、こっちは!!! なんで、こんなやつに税金からカネやらなきゃならんのだと思って不快感を覚えた。
経済学の理論・理屈でも、すべての場合にあてはまるとは言い難いものが多い。小泉信三『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)では、大企業などの労働者の給与が上がると、結果として、中小零細企業の労働者の給料が減ることになる・・という「場合がある」ことが指摘されている。 有利な立場にある大企業の労働者の給料が上がると、企業に必要とされる経費がそれだけ増えることになり、その分、下請け企業は安い金額で納入せざるをえなくなり、結果として、下請け企業の労働者の給料は減ることになる・・という「場合がある」。 ぼけっと聞いてると、「はあん、そうかいなあ」と思いそうになるが、(株)一条工務店などではその理屈はあてはまらない。もしも、ある労働者の給料が高くなったら、そうでない労働者の給料は下がるかというと下がるだろうけれども、それなら、ある労働者の給料が減ると他の労働者の給料は増えるのかというと、そうではなくその場合も減るだろう。増えるのは「一族」とその取り巻きだけである。だから、小泉信三の理論はあてはまるケースもあるけれども、あてはまらないケースもあると思う。 落合が三冠王を取った頃、年棒交渉において、相当高い金額を獲得しようとして、「銭ゲバ」のように言われた時、「底辺の選手の給料を上から引っ張り上げるんだ」と発言したことがあったが、それはどうかな? 球団が選手に払う予定にしているカネがほぼ一定しているとすれば、トッププレーヤーの年棒が上がるとその結果として底辺のプレーヤーの年棒が減るということはないかな・・・と思ったのだが。実際には、両方の面があるのではないかと思う。トップのプレーヤーの年棒が上がることで、それに比例して全体が上がるという面と、トップのプレーヤーに費やす人件費が増えることで、その分をどこかで補おうとして立場が弱い底辺のプレーヤーの年棒が下げられることになるという面と、両方の面が考えられるのではないか。 ・・・それで、だ。全法務労働組合のおかげで、終業時刻より前にオーバー着て帰る準備していて、2分でも帰りが遅れると「あなたのおかげで、私が帰る時間が2分も遅れてしまったじゃないですか、いったいどうしてくれるんですか、いったい!」などと、法務局という、考えようによっては「客商売」の「客」に向かって叫ぶおっさんの給料が上がることによって、三流以下の企業の労働者の給料は下がることになるのではないか。たとえ、給料が下がらないとしても、あいつらの給料を払うために、登記簿謄本(現在は「登記事項証明書」)の費用が上がるとか、そういったことが考えられるわけで、三流以下企業の給料は安いのに全法務労働組合が法務局職員の役立たずの給料を上げるおかげで登記簿謄本などの費用が上がれば、その分だけ、実質、給料が下がったようなものになる。
・・・なんで、全法務労働組合のやつらなんぞの給料を上げてやらなきゃならんのか? 終業時刻より前にオーバー着て帰り支度しているようなやつなんて、むしろ、ペナルティーとして給料下げるべきではないのか!・・・と思ったし、今も思っている。
客商売の店ならば、営業時間が午後5時までであっても、午後5時直前に入店した客が何かを買いたいとしている時に、「もう、2分も過ぎてしまったじゃないですか。あなた、いったいどうしてくれるんですか。2分もですよ、2分も」などと言う店はまずない・・と思うのだが、法務局の場合はその点は「親方日の丸でっさかいに」、別に買ってもらわなくてもいいという発想があったのかもしれない。しかし、だ。たとえ、役所であったとしても、法務局の場合は、登記簿謄本を取得(現在では登記事項証明書)したり、公図・測量図・建物図面を閲覧したりすると、それに対してかつては登記印紙、最近では収入印紙でお金を払うわけであり、「営業がない」わけではない。 何よりも、たとえ、2分過ぎようが3分過ぎようが、従業員は2分の時間外労働をさせられたとすれば、それに対する苦情は言うのならば使用者に言うべきことであって、法務局利用者に言うことではないはずなのだ。ところが、町田法務局のおっさんは、利用者に文句を言ったのだ。「あなたのおかげで、私は2分も帰るのが遅くなってしまったじゃないですか。2分もですよ、2分も。いったい、どうしてくれるんですか、いったい」などと言いよったのだ。全法務労働組合は! ・・・それならば、だ。
法務局利用者として、もしくは、国民として、法務局職員の勤務態度・勤務状況について苦情を言うのならば、本人に直接言うのではなく、法務局に言うべきものであろうと思っていたのだけれども、おっさんが利用者に文句を言ったのであるから、そこは「相互主義の原則」として、こちらも法務局職員らしい(そして、おそらく全法務労働組合であろうと思われる)おっさんに直接文句を言っていいことになると思うのだ。 「あなたの勤務時間は午後5時までとご自分で、今、おっしゃいましたが、なぜ、あなたはその午後5時の時点ですでにオーバーを着て帰る態勢に入っていたのですか。就業時間が午後5時までというのは午後5時までは働くという意味のはずで、あなたのように午後5時より前にオーバーを着て帰る準備をすませて、午後5時ちょうどに外に出ようというのは、それは午後5時までに就業時間だけ働いたということになりませんね。なぜ、あなたは給料をもらっているのに、終業時刻よりも前に仕事をやめて帰り支度をしているのですか。あなたは私たち国民の税金から給料をもらっているのに、労働契約と就業規則で定められた労働時間だけ働かないで帰ろうとしていたわけですが、法務局職員の雇い主は国民であり、あなたの給料は国民が払った税金から支払われているはずですが、あなたはその分だけ国民からカネを搾取していたということになりますが、そのカネをあなたは、いったいどうしてくれるんですか、いったい!」・・と、そう言ってやるべきだった・・ということになるはずだ。
それにしても、就業時間が午後5時までといったら、午後5時までは働くもののはずで、午後5時より前に仕事を終わらせて帰り支度をして、午後5時の時点ではすでにオーバーを着て帰る態勢になって待っていた・・・というのは、こんなことする人というと、2011年4月に千葉県千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも、2013年11月に正式に倒産〕に社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人だとして縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)と全法務労働組合くらいのもので、そんなことやってまかり通るのも縁故の滝口恵と全法務労働組合くらいか・・・と思ったのだが、2002年、(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業の山梨県上野原市の工場に勤務した時、派遣で来ていた人に町田の法務局のおっさんのことを話したところ、「それ、△△もそう」と言って、前にやはり派遣で勤めていた山梨県の日産だったかけっこう大きい会社で、労働組合がアブノーマルに強い所では、終業時刻よりも前に仕事を修了させて帰り支度をして、終業時刻と同時に退社していた・・・らしい。 聞き間違えでなければ日産だったと思うのだが、トップがゴーンみたいなことしておのれの腹だけ肥やすようなことをするならば、従業員の方も同様の勤め方になるということだろうか。
もっとも、その工場の労働者はひとりだけがそうして他の従業員に仕事を押しつけて先に帰っていたのではなく、自分だけが終業時刻よりも前に仕事をやめて帰り支度をして終業時刻と同時にタイムカードを押して退社し、その際、まだ仕事をしている他の従業員に、「すいません。お先に帰らせていただきます」と挨拶するのではなく、「あと、ちゃんとやっといてよお!」と、この女、頭おかしいのじゃないか・・と思われる暴言を毎度のように吐いて帰っていたのは、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の縁故の滝口恵くらいのものだったのではないか・・・と思う。 うちの父親の勤め先の工場でも、あるおっさんがそういう帰り方をしていたのを役員だったうちの父親は見ていたらしく、「某のおっさん、まだ、終業時刻になっていないのに、もう、服を着替えて帰る用意をして待っとる。あのおっさん、やる気ないようやな」と言っていたが、そういう勤め方をすると、この人はやる気がないようだな・・・と普通は評価されるもので、そういう評価を経営者から受けないのも、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の愛称「縁故のメグ」滝口恵くらいのものだったのではないか、と思う。町田の法務局のおっさん(おそらく、全法務労働組合のおっさん)でも、「あなたのおかげで、私が帰るのが2分も遅くなってしまったじゃないですか。2分もですよ。2分もお! いったいどうしてくれるんですか、2分も遅くなってしまったじゃないですかあ」などと言っても、滝口恵のように他の従業員に「あと、ちゃんとやっといてよお!」などという暴言ははかないようだった。「世の中いろいろ、会社もいろいろ」だが、三流以下会社に勤めると、「会社に異星人がやってきた」みたいな人を見ることがあるが、「もう、何が来たって驚かないぞお」という気持になっても、それでも、ま~だまだおかしな人間と出会うことがある。滝口恵は入社して2日目に、昼休みは1時間のはずだが、それを2時間ほど帰ってこなかったが、入社2日目からよくやると思うのだが、普通、経営者はたとえ「嫁の友人」だったとしても、そういう「異星人」なのか「新人類」なのか「なんとか人間シンドローム」なのかの女というのは、採用を避けるべきではないかと思うのだが、ようわからん経営者というものは世の中にいるものだ。
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会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
町田市の小田急「玉川学園前」駅の南東側のすぐ近くに、(株)一条工務店で建てていただいた入居者宅があった。1992年に(株)一条工務店に入社して、私は、同社で建てた家を調べ、近くに行くことがあれば、建築工事中の場合には、外からとともに内部にも入って見学し、入居後のものは道路から見せてもらって、どういうものを建ててきたか把握しておくようにした。 町田市で建てられる方に契約いただき、町田市に行くことがあった時に、小田急「玉川学園前」駅の南東側に入居者宅があったので、道路から見せてもらってきた。入居者には断っていないが、建築会社の人間が道路から見えるものを見せていただく分には問題はないだろう。
そのお宅では、「寄棟屋根の軒カット」ということをおこなっていた。 寄棟屋根と切妻屋根はどちらがいいか・・・といっても、外観については「好みの問題」があるが、機能的には「寄棟の方が四方に均等に強い」のに対して「切妻は強い方向・弱い方向というのがいくらかある」という面があるが、積雪地では「切妻屋根は雪が落ちる方向が2方向」であるのに対して「寄棟では四方に落ちる」ので、積雪地では切妻屋根や片流れ屋根にした家屋をよく見る。 もうひとつ、「切妻屋根では妻面に換気ガラリを設けることで小屋裏部分の熱気を排出することができるのに対して、寄棟屋根では軒裏の換気口からの排出のみなので、その点で切妻の方が優れている」と言える。寄棟屋根では、棟のてっぺんに「換気棟」を設ける方法があり、換気棟を設けてそこから小屋裏の熱気を排出する方法は相当効果があるようだが、換気棟を寄棟屋根のてっぺんに取り付けるのはデザインの上で好む人と好まない人がある。
そして、もうひとつ、切妻屋根では、軒の出が「ヒラ(平)」面と「ツマ(妻)」面とで異なるのが普通で一般に「ツマ(妻)」側の方が軒の出は短いことが多いのに対して、寄棟屋根は四方に均等に軒が出るという特徴がある。しかし、寄棟屋根で軒の出を一方向だけ他より短くする方法がないわけではない。それが「一方向だけ軒カット」というもので、下り棟の先端の部分で工夫がいるが、「一方向だけ軒カット」により軒の出が異なる面を設けることは可能である。
その場合、見た目がどうなるかという問題がある。「玉川学園前」駅の南東側のお宅では、「一方向を軒カット」の施工をされていたのだったが、「これなら悪くない」と私はそのお宅の外観を見て思ったのだった。だから、それを見た上で、私は「寄棟屋根で、一方向を他の方向より軒の出を短くする」というのは選択肢の1つとして悪くないと考えたのだった。又、それぞれの方法を取るのが可能かどうかはそれぞれの戸建住宅建築業の会社によって、又、その「商品」によって異なるが、(株)一条工務店では洋風で彩色スレートの屋根材の場合は可能とされていることを東京展示場の「リーダー」で主任で「一級建築士」の宮崎さんから聞いていた。
ところが・・・、千葉県市川市での私の姉と義兄の夫婦の家を契約してもらったところ、1993年4月に中途入社したばかりの「第一設計部」の堤(男。当時、20代なかば。明治大学工学部建築学科卒。住宅・建築関連の資格なし)が、「一方向だけ軒を短くするのは見た目が悪いからだめ」と言うので、「そんなことないと思うよ。町田市の玉川学園前駅近くの某様宅でやっているけれども、決して変じゃないよ」と私はきっちりと言ったのだ。それにもかかわらず、堤は「だめ。軒を短くするなら全部を短くしないとだめ」と言うので、会社として、一方向だけ短くするというのを可能だと認めている以上、それでいいか悪いかは施主が決めることであって、「バカでも入れる私大の建築学科卒」の堤が決めることではないはずなのだ。だから、私は「なんで、だめなの。玉川学園前駅の近くでやった家があるよ。決して変じゃないよ」と言ったのだが、ところが、堤は「見た目が悪いからだめ」と言い、「そんなに見た目は悪くないよ。決して変じゃないよ。過去にやった家があるのに、なんで、だめなのよ」と私は言ったのだが、堤は「過去にあっても、今はだめになった」と言うので、そういった設計の会社としてのルールは、設計が担当であろうから、設計担当が「今はだめになった」ということならば、営業担当が設計担当をとばしてその上の人間に言うのは良くないかと思って言わなかった。
それで、軒の出は四方に同じだけにしての寄棟屋根で検討したのだが、そのうち、私が福島県いわき市の営業所(展示場)に転勤させられてしまった。 東京営業所・松戸営業所に勤務していた期間に契約してもらった契約客はすべて、他の営業に引き継いで行けと営業本部長兼松戸営業所長兼東京営業所長の天野隆夫が言うので、市川市の姉夫婦の家は私が営業担当をやるということで義兄に契約してもらった契約であり、「実の兄弟ならまだしも、義理の兄弟が施主ですから、義理の関係の兄弟の家を私が担当するという前提で契約してもらって、引き渡しの後に転勤してもかまいませんが、建物ができるより前、図面決定より前に転勤して他の者に担当させるというのはまずいんですよ。他のお客さんはともかく、義兄の家だけはいわき市に転勤しても私に担当させてください」と言ったのだ。ところが、営業本部長の天野隆夫は「それなら、その家は解約してもらっていいよ」と言うのだ。(株)一条工務店では、営業担当者が転勤した場合にどうするか、会社としてルールを決めており、片道200㎞以内の場合は転勤後も担当すると文章になっていたのだ。それで、市川市の姉夫婦の家からいわき市の転勤先の展示場までは直線距離では間違いなく200㎞以内であり、実際にクルマで走ってみた距離でもぎりぎり200㎞以内だったので、それで、「200㎞以内なら転勤後も自分でやるという規定があるはずです」と言ったのだ。すると、営業本部長の天野隆夫は「それなら、転勤先をいわきではなく原町にする」と言うのだった。何、それ??? 嫌がらせしているとしか思えない。 契約する時には「ぜひとも、契約してもらえ」と天野隆夫が言って契約してもらった義兄宅を、契約してもらったと思うと、それを入社すぐの「しろうと」の営業に引き継がせろと言ったのです。何、それ???・・と思いませんか? 〔⇒[第713回]《 親戚の契約は(株)一条工務店でさせるわけにはいかない。――RC造の地中梁を無断で撤去。設計ミスで軒のない家を施主の承諾なく建てる。解体の際に隣家の塀も壊す。従業員の親戚の家には初めての大工・職人。「めんどうくさいですから」と施主宅に行って言うやつ・・――「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証16》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_10.html 〕
それで、私が福島県いわき市の展示場に転勤後、軒の出は四方一定になるように設計して図面決定したようでした。ところが、解体して、地縄張りをすると、「敷地に入らない」・・・て、何、それ?!? そんな設計しているような人間を「設計担当」と言うのか???
(株)一条工務店に「敷地に入らないと言うのですが、どうするのですか」と言ったところ、「軒を短くして入れます」と言ったというので、「そんなもの、設計がミスしておいて、施主に了承も得ずに『軒を短くして建てます』などと建築会社が勝手に決めていいわけない。工事は止めて、図面の打ち合わせをやり直してくれと一条に言って」と電話で姉に話したところ、「それが、『遅れますから、遅れますから』と言って、今、バリバリとやってるよ」と言うのだった。「バリバリ」というのは、基礎工事の前の「ランマー転圧」という作業で「バリバリ」と音が出ていたことを言っていたのだが、軒がほとんどない家になってもいいとは施主は了承していないにもかかわらず、「遅れますから遅れますから」と言って、(株)一条工務店は「ランマー転圧」を施主の意思に反して実行したのだった。なんだ、その不良工務店は!!!
その1992年から1993年頃、(株)一条工務店は、「施工面積」という(株)一条工務店が独自に考えた面積で、「坪あたりいくらで契約」という契約で、契約後に図面を決めていくということをしていたのだが、それは建設業法違反のはずなのだが、もしも、図面を決めてその内容に対して契約金額はいくらという契約をしていたならば、明らかに「契約違反」であるはずだ。私が松戸市の営業所(展示場)から いわき市の営業所に転勤する時、営業本部長で松戸営業所長の天野隆夫が「お姉さんの所の家は、ぼくが、間違いないように見るから」と約束したはずだったが、(株)一条工務店という会社で、誰よりも、信用できない男の「約束」というものを信用してしまった私はなんとも愚かだった。そして、入居後、その営業本部長の天野隆夫が「お姉さんの家は、特に問題はなかったか」と言うので、何をナマ言ってんだと思い、「解体する際に、前に建っていたRC造の建物の地中梁を残して解体して、それにべた基礎を緊結するということになっていたのを、基礎屋が地中梁まで取ってしまったようです。その結果、大雨・台風の時に水に漬かることがある地域だったので地盤面をいくらか上げたいと考えていたのが逆に前より低くなってしまったようです。設計ミスで解体して地縄張りをすると、建物が敷地に入らないということで、それなら図面の打ち合わせをやり直してくれと言っているのに『遅れますから』『遅れますから』と言ってランマー転圧をやって基礎工事に入り、ほとんど軒がない建売みたいな家にされてしまいました。営業の引継ぎやった松田は、住宅金融公庫の金利が下がったにもかかわらず、「申し込みやり直すのはめんどうくさいですから」と言って高い金利で借りさせようとしたようです。」と言ったのだ。すると、営業本部長の天野隆夫は「なんでも、うまくはいかないから」と言うのだったが、程度の問題というものがあるであろう。それは「なんでもうまくはいかないから」ですむ問題ではないはずだ。「めんどうくさいですから」などと施主宅に言いに行く新人営業というのを私は初めて見た。「めんどうくさい」なら辞めてしまえ!!! 親戚の家は(株)一条工務店で契約させてはならない!・・・と実感させられた。
姉夫婦の家では、敷地は南北方向は十分あったのだが、東西方向に余裕がなかった。そういう場合だが、寄棟で西・東の両面を「軒カット」するか、西か東かどちらかを「軒カット」するかという方法があった。もうひとつ、何が何でも寄棟屋根でという希望だったわけではないので、切妻屋根にするという方法があった。切妻屋根ならば、もともと、「ヒラ(平)」面にくらべて「ツマ(妻)」側の軒の出は短くできており、それでもまだはみ出るようならば、通常よりも「ツマ(妻)」側を短くしても、もとから「ヒラ(平)」側と「ツマ(妻)」側の軒の出は異なるのだから、違和感はそれほどないはずなのだ。なぜ、それをできない?!? なぜ、その程度のことをしないで、「遅れますから」「遅れますから」などと言って、施主の承諾もなく工事を進めたのだ?!? そして、ランマー転圧は「遅れますから」「遅れますから」と言って施主の承諾もなく進めて、大工工事が始まると、「(株)一条工務店の仕事は初めて」という大工に担当させて、その大工が途中でいなくなって長期に渡って工事を止めた。そっちの方がよっぽど「遅れますから」「遅れますから」だった。担当の大工は「(株)一条工務店の仕事は初めて」の大工に担当され、ボードやは「ボード屋の仕事は初めてのボード屋」に担当された。従業員の親戚の家だということで何十万か引いてもらったが、その程度では、とても割が合わない。何より、「ぼくが、間違いなく問題ないように見るから」と言った営業本部長の天野隆夫は、解体して地縄張りをしたら敷地に入らなかったとか、解体屋が地中梁まで取ってしまったとか、新人の営業が「めんどうくさいですから」と施主宅に言いに行ったとか、そういったことを「知らなかった」のだ。営業本部長の天野隆夫は嘘つきである。まったくつくづく信用できない男である。
設計担当の堤が「2つの面で軒の出を変えるというのは外観が悪いからだめ」と言った時、私は実際に町田市の玉川学園前駅近くの入居者宅を見て、その上で、おかしくないと判断して「決しておかしくないと思うよ」と言ったのだ。ところが、堤は「だめ。前はよくても今はだめ」と言いはるので、(株)一条工務店の会社としての基準・規定が変わったのかと思い込んでしまったのだったが、ところが実は違ったようだ。会社としては前も後も、軒の出をその面によって変えるというのは可としていたが、堤が個人的に「だめ」と決めたらしかったのだ。なんで、堤は堤の家ではなく施主の家なのに、勝手なことをするのだ?!? 外観がいいか悪いかは施主が判断することだ。おまえの家じゃないのに、なんで、おまえが決めるんだ?!? ・・ということを営業本部長の天野隆夫はきっちりと注意しないといけない・・はずだが、アマノジャクの天野は、むしろ、そうではなく「設計にはどんなことでも服従しろ!」と私に言うのだった。それは人権侵害だ! なにより、私は、(株)一条工務店が過去に施工した、隣接する面で軒の出を変えて施工した入居者宅を実際に見にいって実物を見た上で「決して変じゃないよ」と言っていたのに対して、堤は見に行かないで、デマカセ・思いつきで「軒の出を変えるのは見た目が悪いからだめ」と決めつけていたのだった。「四方とも軒の出がほとんどない建売みたいな家」の方がよっぽど「見た目が悪い」ということくらい、まがりなりにも設計なら考えたらどうかと思うのだが、考える頭は堤にはなかったようで、又、私のように、所属する会社が過去に建てた家で実際にそのやり方をやった家があるならば、実物を見に行ってその上で考えようとする姿勢というものが欠落していた。「バカでも入れる私大の建築学科卒」の男(および女)にはそういう人間が多い・・が、堤は性格が変わっていて特に頑固だった。天野隆夫は営業本部長ならば、堤にそのあたりを注意するべきであり、注意するのが営業本部長の仕事のはずだったが、天野隆夫はそういう能力がない男だった。
その隣接する面で軒の出を変えた入居者宅が町田市にあった。 入社したならば、その近くに行くことがあれば、入社したその会社が過去に建てた入居者宅を道路から見える外観だけでも見ておくといった努力をする人間と、そういう努力をしない人間ならば、当然、そういった努力をする人間の方が高く評価されていいはずであるのだが、ところがどっこい、そういう努力をしない人間が好き♪・・というのが営業本部長の天野隆夫という男だった( 一一) 堤は職種が「設計」で私は営業だったので、営業の方が「動ける職種」だったということも関係あると思う人もいるだろうけれども、そういう問題ではないはずだ。堤は「動きにくい職種」だったから見に行かなかったのではなく、「動ける職種」か「動けない職種」かにかかわらず見に行かなかったのであり、私は「動ける職種」だったから見に行ったのではなく見に行っておこうという努力をする人間だったから見に行ったのだ。営業の職種についていた人間でも誰もが見に行っていたわけではない。
現在、住んでいる船橋市の家は親から相続したものを買い替えて取得した家であって、(株)一条工務店の安い給料では家なんて取得できない。その家を購入したのは(株)一条工務店に入社1年目だった1992年のことだが、東京都江東区潮見にあった林野庁が国産材の利用促進のために設けたウッディランド東京という施設の中にあった東京展示場に勤務していたが、江東区亀戸のJR総武線の線路のすぐ北、「錦糸町」駅と「亀戸」駅の中間に新しい展示場を建設中で、1993年1月にオープンする予定だったので、東京展示場の「リーダー」だった宮崎さん(男。当時、30代前半)に「家を購入するのに、どちらの展示場にも通える場所でという条件で捜すのは難しいので、1月からどちらの所属になるのか天野次長(その頃の役職名としては)(その後、営業本部長)にききたいのですが、きいてもいいですか」と、すぐ上の役職の人間の顔を立てて話したのだが、すると、「リーダー」で主任の宮崎さんが「きかなくてもいい。きかなくても、間違いなく、亀戸の方」と言うので、「予想としてはそうでも、違ったらせっかく購入した家から通えなくなるので困りますから、天野次長に話しておきたいのですが」と私は言ったのだが、ところが、「きかなくても、間違いなく絶対に亀戸だから」と言うので、そこまで言うのならと思って、江東区亀戸の方の展示場にはなんとか通えるであろうけれども、江東区潮見の方の展示場に通うのは困難と思われる船橋市の現在の家を購入して転居したのだった・・が、ところが、1993年1月になると、私の所属は江東区潮見の方の展示場にされてしまったのだった。それで、「リーダー」の宮崎さんに、「話が違うじゃないですか」と言ったところ、「そ~んなの、知らねえよお~お!」と言うのだった。「知らねえよお~お」ならば、なぜ、「間違いなく絶対に亀戸だから」などと言ったのだ? 「リーダー」が所属を決めるのではなく、東京営業所長を兼任していたその頃の役職は「次長」で後に「営業本部長」になった天野隆夫が決めることだったはずなので、それで、「次長にききたい」と私は宮崎さんに話し、それに対して「きかなくてもいい。きかなくても間違いなく絶対に亀戸の方だから」と言ったにもかかわらず、「そ~んなの、知らねえよお~お」とは、それは何だ?!? それが「リーダー」のやることなのか? 「リーダー」というのは「そ~んなの、知らねえよお~お」などと言っていい立場なのか???
購入する時点・転居する時点から、江東区亀戸の展示場にならなんとか通えるであろうけれども、江東区潮見の方の展示場に通うのは困難であろうという場所に家を購入して住んだにもかかわらず、江東区潮見に通勤しろと(株)一条工務店は私に命じたのだった。それならば、江東区潮見に通える場所に会社としてアパートを借りて住ませるようにするべきであろう。 私は会社の上役に、江東区潮見に所属するのなら潮見に通える場所で、江東区亀戸に所属するのなら亀戸に通える場所で家を購入しようと考えているので、どちらに所属することになるのか教えてほしいときっちりと言ったのに対して、「リーダー」が「絶対に間違いなく亀戸の方」と答えたのであり、その返答により亀戸になら通えるが潮見に通うのは困難という場所で購入して転居したのだから、それにもかかわらず、江東区潮見の所属にするのなら、江東区潮見に通える場所で会社がアパートを用意するべきであろう・・・が、それにもかかわらず、(株)一条工務店はそれを用意しなかった。
船橋市の現住居から江東区潮見に通うのは大変なことだった。 今では、道路が拡幅されて車線が増えたり、右折レーンができたり、信号をスルーできる高架のオーバーパスができたりして船橋市内での渋滞が減ったので、その分、その頃よりは速く行けるのではないかと思うが、1992年から1993年にかけては、常識はずれの状態だった。 途中、高速道路に乗れる箇所があっても、高速道路に乗った方が速く進めるとは限らない。しかも、時々、事故が発生する。 特にひどかったのは、高速道路で2か所、高速道路に沿って走る下道で3か所、事故があったという日があり、その日は、朝は相当早く家を出たにもかかわらず、江東区潮見の展示場まで着くのに5時間以上かかった。着いた時はもうへとへとだった。
そして、その日、昼過ぎに東京都町田市の建築地で、外構業者と打合せをする予定が入っていた。船橋市から江東区潮見まで5時間以上かかって着いた時は、もうへとへとだったが、すぐに出発して町田に向かわないと約束の時刻に間に合わないので、へとへとの体に鞭打って、まさに「リゲインのごとく」町田に向かったのだった。首都高速道路から東名高速道路を経て「横浜町田」インターチェンジを出て建築地に向かって走り、たどり着いた時には少々約束の時刻に遅刻したが、外構業者の社長は「前、私が待たせましたから、お互い様ですね」と言ってくれた。そうやって、大変な思いをして尽力した場所なので、町田にはそれだけ思い入れがある。東名高速道路「横浜町田」インターチェンジから町田市を北上する町田街道は、かつて何度もクルマで走った道であり、一生懸命、よく頑張ったなあ・・と思う・・・が、同時に、そうやって努力して苦労して会社のために尽力した人間に、なんともひどいう態度をとる会社だとも思い、よくもまあ、そんなひどい会社に十年超えて尽くしたものだ・・・と、自分で自分をほめてあげたい気持ちにもなれば、「アホちゃうか!」という気持にもなる。
「キャリア」でなくても法務省・法務局でも勤めておれば、もっと楽してもっと高い給料もらえたかもしれん。全法務労働組合の「専従」でもやれば、もっと高い給料もらえたのではないか・・・と思う。あいつら、けっこうな”仕事”しとるのお・・・と思う。
20代前半の時、『ジュリスト 判例百選 憲法』(有斐閣)で見たものだが、公務員のスト権というものは認められるべきものか、否定していいものかという問題で、日本国憲法で、労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権が認められている以上は、公務員であれ何であれ認められるべきもので、もしも、それを制限する法律が制定されたとしても、その法律が違憲であって、公務員もまたスト権は認められるものだ・・という主張がある一方で、裁判所の判例は、団結権・団体交渉権については認められるとしながらも、公務員のスト権については制限されてしかるべきだとしていた。
これをどう考えるべきか。「公務員=全体の奉仕者」論とかは相当胡散臭いもので、そういう理屈によって労働者のスト権というものを狭めていこうとする動きではないか・・・と思われたが、『ジュリスト 判例百選 憲法』(有斐閣)では、もしも、公務員に無制限にストをおこなうことを認め、無制限に賃金の上昇を認めたならば、それを支払うのは国民であり、国民はストによって受けられるはずのサービスを受けられなくなるとともに、公務員に支払う賃金のためにはてしなく高い税金を支払わされることになる・・・ということを裁判所は判決で述べていた・・・ようだ。これを最初に読んだ時には、そういうことを言ってスト権を狭めようと裁判所はしているのではないか、そういうことは可能性として絶対にないとは言えないとしても、そういう理屈でスト権の制限を認めたのでは、労働者・国民の団結権・団体交渉権・団体行動権ははてしまく狭められていくことになっていくのではないか・・・と思ったのだった。しかし、だ。現実に全法務労働組合のおっさんを見ると・・・だ。その裁判所の言うことは間違いではないように思ったのだ。もしも、あいつらに無制限にスト権なんて認めたならば、あいつらは、ろくすっぽ働かないで、ストばっかりやって、国民の税金を財源としてはてしなく賃金アップを要求するようになるだろう。あいつらは実際にそれをやると思うのだ。だから、労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権(スト権)は認められなければならないものだという原則論は間違いではないのだけれども、しかし、一方で、公務員に無制限にスト権を認めたならば、あいつらは、無制限にストをやりまくって、無制限に国民の税金を財源として賃金アップを要求し続け、そのしわよせとして、三流以下企業勤務の労働者が困窮するに至っても、そんなことは知ったことじゃないという態度をとるだろう。そう思うと、なんで、あいつらなんかに「スト権」を認めなければならないんだ! ふざけんな! ・・・という気持にもなる。
福島県いわき市の営業所(展示場)に転勤する前、引継ぎやら何やらで忙しかったが、最後の最後、せっかく契約してもらったが、他の営業に引き継ぐことになった町田市で建てていただくU様と千葉県市原市で建てていただくY様宅に挨拶に顔を出した。翌日にはいわき市の営業所に行くことになっていたので、その前日くらいはゆっくりしたい気持ちもあったが、せっかく私を担当として契約してもらった方なのに、途中で他の営業に引き継いで他の場所に行ってしまうということで、挨拶に顔を出しておきたいと思ったのだった。
そういう時に、どうせ、他の場所に行くのならと顔を出さない人がいるが、私はやっぱり、顔を出しておきたいと思ったし、ともかく、自分が仕事としてやることについては誠実にやりたいと考えていたので、電話でも話はできたとしても、それでも顔を出しておきたいと考えた。私は、ともかく、顔を出して挨拶しておきたいと考える営業の方がそうでない営業よりも、会社としても高く評価するべきもので、そういう営業の方が「営業力がある」営業だと考えていいと思ったのだが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫などはそうではなく、逆に考えるようだった。 天野隆夫の大きな問題として、そのあたりについては、天野隆夫が営業本部長であったとしても、それは、あくまでも、天野隆夫の考え方・認識であり、他の営業は他の認識をしているということくらいは理解しておくべきもののはずであるが、自分が「一族」であるからには自分の考え方が「一条工務店の会社の考え」だと決めつけるところだった。その姿勢は改めた方が会社のためだ・・と思うが、あの男がその姿勢を改めることは、死ぬまでまずないだろう。
小堀住研(株)は営業担当者が退職したり転勤した場合は営業課長が引き継ぐことにしていたのに対し、(株)一条工務店は新人の営業に担当させた。これは良くないと思う。ひとつは、そのお客様は会社とその商品だけを見て契約したのではなく、その営業担当者の対応を見て、それも含めて契約していいと判断して契約したはずであり、それを他の営業に担当を会社の都合で変更するというのなら、せめて、経験がある営業に引き継がせるべきである。 もうひとつ、良くない理由は、新人に経験させたいという考えだったようだが、自分自身が営業担当として契約いただいたことがない営業に引継ぎを担当させると、お客様を軽く見てしまう、契約というものを軽く見てしまうことになる傾向があり、かえって良くないと思う。 私の姉夫婦の家の「引継ぎ担当」をやった松田にしても、自分自身が営業担当として契約したことがない男が「引継ぎ担当」になったことで、契約というものを軽く見る、契約客を軽く見る傾向を持つようになったと思う。 自分自身が営業担当として1件も契約してもらったことがない営業は、他の営業が退職したり転勤したりした時に他の営業が担当で契約したお客様の担当をやる資格はないと私は思う。
1992年12月に契約いただいた町田市で建てていただいたU様が、契約前に神奈川県藤沢市の展示場を見に行かれたということだったので、営業担当の私もその藤沢展示場を知らないというわけにはいかないと考えて、藤沢展示場を見に行き、U様が藤沢展示場を見にいかれた時に接客してくれた営業のMさんに「Mさんに接客していただいたU様にご契約いただきました。ありがとうございました」とお礼を言ったところ、藤沢展示場の所長だった千葉さんから「自分が担当だったお客さんが他の展示場を見に行かれたということで、営業担当の時分もその展示場を見ておかないといけないと思って見に行くというのは大変いいことだ。又、お客さんが他の展示場に見に行かれた時に接客してくれた営業に、そのお客さんが契約されたということで、きっちりとお礼を言うというのもそれは大変いいことだ。その姿勢を失わなければ、あなたは必ず売れるから、今後もその姿勢を失わないようにするといい」と言ってもらったということがあった。そこまでほめてもらうほどのことかなともその時は思ったのだったが、他の営業に協力してもらったお客さんに契約してもらっても、協力してもらった営業にお礼を言わない営業というのは実際に存在する。
藤沢展示場に行った時に、藤沢展示場の所長の千葉さんから、「ともかく、入社して1棟の契約をいただいた者は、その後も努力すれば1棟が2棟になり3棟になるんだ。しかし、0の人間はわからない。10から11への1棟と違って0から1への1棟目というのは大変大きなものなんだ」と言われたことがあった。実際、住宅建築業の会社に勤めて、最初に、家という大きな買い物をするのに、自分を営業担当として契約してもらえたというのは、ものすごい感動であり、契約してもらえるまでに大変な努力をして苦労をしてやっと契約してもらえた時の喜びというのはものすごいものである。そうやって、契約してもらった方とその方の家の計画は、あでやおろそかにはできないものだ・・と思うものだ・・と私は思う。その経験、その体験をしたことがない者は他の営業が担当で契約いただいたお客様の「引継ぎ担当」をする資格はないと思うのだ。 だから、「引継ぎ担当」は(株)一条工務店の1990年代前半の東京営業所・松戸営業所のようにまだ1棟も自分自身で契約していただいた経験がない新人に担当させるのではなく、「営業所長」とか「営業課長」とかでないといけないということはないが、ある程度以上、契約いただいた経験のある営業が担当するべきだと思う。 普通、こういうことは私がどうこう言うのではなく、営業本部長がそういったことを考えるべきだと思うのだが、営業本部長の天野隆夫という男は、そういうことを考えない人間であるだけでなく、むしろ、逆を考える人間だった。
神社・寺の参拝は「早立ち、早帰りの原則」で、比較的早めの時刻に出発して訪問し、早めの時刻に帰るというのを原則と考えている。これは、海外旅行に行った時にわきまえるようになったものと同じである。その国についてよく知らない者は「早立ち、早帰りの原則」で夜になる前にホテルに戻れるようにした方が安全であるということでこの原則を心がけるようになった・・・、なにしろ、1997年、最初にヨーロッパに行った時、日本からパリにエールフランスで行き、パリからローマまで別のエールフランスの便で行くことにしていたら、飛行機が遅れて予定よりもローマに着くのが遅れ、フィウミチーノ空港から国鉄に乗って、そこから地下鉄に乗り換えてテルミニ駅まで行って、そこからさらに別の地下鉄に乗って行った駅から近いホテルに予約していたものの、テルミニ駅で別の地下鉄に乗ろうと地下鉄のプラットホームにいると雰囲気がどうも違うような気がしていたら、駅員が階段を降りて来て手を×の字にして「フィニッシュ!」と言い。そこから、ローマの石畳みの道をどこどこ歩いてホテルまで行った、俺は明日の朝まで生きているのだろうかと思った・・・ということがあったのだが、何があるかわからないと考えて、「早立ち、早帰りの原則」を採用すべしと考えたのだ。 さらに、これは登山の心得とも共通しているようだ。登山においても、「早立ち、早帰りの原則」で、早めに出発して早めに目的地に着くという前提で計画を立て、途中で予期しないことがあったとしても、それでも日没までには目的地に着けるようにするという。
行った先で、「ええ~え。〇時までだったのお~お」ということがないように、「早立ち、早帰りの原則」を実行すべし・・・ということもあるが、神社・お寺というのは一般世間に比べて「早寝、早起き」であるということもある。 門があって夕方になると閉められる寺や、「拝観時間」が指定されている寺では、一般世間に比べて朝は早め、夜も早めであることが多い。 又、神社の場合、例外として東京都府中市の大国魂神社のような「暗闇系」の神社は夜に参拝することもあるようだが、基本的には昼間に参拝するもので、朝日新聞出版から発行されている「本当にあった怖い話(ほんこわ)」に連載中の霊能者 寺尾玲子さんが言うとったと思うのだが、その神社によっても違いはあるが、昼間は祈りの空間である神社が、夜になると呪いの空間になる場合がある・・・・らしい・・ので、もしも寺尾玲子さんと一緒に行くのなら、いわばウルトラマンと一緒に行くようなものだから天下無敵だろうけれども、そうでなく一人で行く場合にはそうはいかないので、その理由でも「早立ち、早帰りの原則」を守るようにした方がいい・・・と思っている。
それで、今回も「早立ち、早帰りの原則」で、早めに出たつもりだったのだ。ところが、首都高速道路を走っているうちに下痢が発生し、ともかく、サービスエリア・パーキングエリアに入ってトイレに行かないと・・・と思ったのだが、ところが・・・・、ね~んだわ、首都高速道路にはパーキングエリアが! 京葉道路から箱崎を経て江戸橋・神田橋・竹橋・三宅坂・谷町ジャンクションを経て用賀、そこから東名高速道路に進んでも、「横浜青葉」インターチェンジを過ぎて「横浜町田」インターチェンジとの間、「港北」パーキングエリアまでないのだ。 しかも、「港北」パーキングエリアは混雑。「背に腹はかえられぬ」というのか何というのか、白線部分に停めているクルマがあったので、この際、「緊急事態宣言」であるから白線部分にクルマを停めてトイレに行った・・・・が、箱崎から江戸橋・神田橋・竹橋・三宅坂・谷町・用賀から「港北」パーキングエリアまで停めてう〇こ する所がない・・・というのはきつい。もうちょっと何とかならんもんかと思った。
・・そんな所で、余計な時間を費やしたので、比較的早めに出たはずだったが、余裕はなくなった・・・が、それでも、早めに出たので、町田天満宮に行った後、本町田菅原神社まで社務所・授与所が閉められるよりも前に参拝することができた。
かつては、そんなに下痢したりなんてしなかったように思ったのだが、一昨年、2019年に胆嚢炎の手術をして胆嚢を失った、「私の胆嚢の部分」「胆嚢の部分の私」を失ったが、その後も、他の臓器も弱ってきているものがあるようだ。 うちの父親は、毎日毎日、私の眼を指でつきさすようにして、「滅私奉公」「会社のために、とってちってたあ~あ!」「撃ちてしやまん、一億火の玉!」「欲しがりません、勝つまでは! とってちってたあ~あ!」と叫び続けてきた。「何をアホなこと言うとるんじゃ」と思いながらもその影響を受けてしまった私は、何かの折につい「会社のために」「滅私奉公」というのをやってしまい、ふと気づくとそんなことやっているのは会社で私一人だけだった・・などということがよくあった。そうやって、「滅私奉公」して尽くしてきた会社は私に「恩を仇で返す」対応をした。「滅私奉公」なんてするものじゃないわ・・・と、しみじみ思うようになった。
町田市にはもうひとつ、「思い出」がある。2000年代のこと、町田市と横浜市青葉区にまたがって「子供の国」http://www.kodomonokuni.org/ という施設があるのだが、ここにイサム=ノグチの作品があるということだったので「(建築屋+建築家)÷2 」として見学しておきたいと思い〔⇒「子供の国」HP 「マニア向けガイド イサム・ノグチ作品群」http://www.kodomonokuni.org/m_guide/tanbo1.html 〕、クルマでこの近くに来る用事があった時に「子供の国」に見に行ったのだ。ところが、「子供の国」の入場口で駐車場があるかと尋ねると、入場口のはす向かいあたりの場所を教えてくれたので、そちらに行くと、「停められるわけないでしょう!」と大変強い口調で駐車場を管理していた男性職員から言われたのだ。しかし、見回しても、駐車スペースにはまだまだ余裕はあるようだったが、「停められるわけない」と言うので、私が入場口の職員に教えてもらった場所とは違う所に行ってしまったのかと思い、もう一度、入場口に行って、場所を確認したところ、私が行った場所で間違っていなかった。それで、「その場所に行ったのですが、係員の方から『停められるわけないでしょう』と言われたのですが、あそこが『子供の国』の駐車場で間違いないのですね」と念を押したところ、「はい。間違いありません」ということだったので、再度、駐車場に行ったのだが、「停められるわけないでしょう」と言うので、「どうしてですか。ここは『子供の国』の駐車場ですよね。入場口の係の方からここに停めるように言われたのですけれども」と言ったのだが、「だめに決まってるでしょ。常識で考えてくださいよ」と言うので、常識で考えたのだが、「子供の国」に入場しようとする者がそのための駐車場になぜ停めさせてもらえないのか、それも、入場口の係員がそこに停めろと言っているのに、なんで、駐車場の係員が停めさせないのか、又、なぜ、両方で正反対のことを言って、こちらは暇でもないのに、何度も行ったり来たり、行ったり来たりさせられなければならないのか、理解不能だった。「子供の国」に駐車場がないのならしかたがないので、付近に時間パーキングでもないか捜すところだったが、入場口の係員はそんなことしなくても、「子供の国」の駐車場がすぐそこにあるからそこに停めてもらえばいいと言うのでそこに何度も行ったのだったが、結局、何度も往復させられた末、駐車場の係員が「わかりました。そしたら、どうなっても知りませんからね。しかたないから、停めてください」とヤケクソみたいに言うので、何を言いたいのかわからないが、それ以上、議論していたのでは時間がなくなってしまうので、それで、そこに停めて入園して見学してきた。
あれはいったい何だったのだろう・・・と後々まで思ったのだったが、その時、背広上下を着ていたのと、大人の男性が1人での訪問だったので、駐車場の係員は「子供の国」には子供づれで入場するもので、大人の男性が1人で「子供の国」に入場するなんて「だめに決まってるでしょう」と言いたかったのではないだろうか。しかし、「子供の国」には大人が1人で入場してはいけないというような規定はない。「子供の国」は、イサム・ノグチの作品を見ておきたいと考える「(建築屋+建築家)÷2」が訪問・見学して悪いことはないはずなのだ。又、これは、最近、YouTuveに出ていたもので知ったのだが、「子供の国」は戦中は、そこで弾薬を製造・貯蔵していた場所で、戦後、米軍に接収された所であり、今は弾薬庫ではないけれども、よくよく見ると、その時の「面影」というのか「名残り」というのかを見つけることができるらしい。その頃の状況を忍びたいという人が見学に行っても悪いことはないはずだ。元弾薬庫だということは、特別のマル秘事項というわけでもなく、《ウィキペディアー子供の国(横浜市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E5%9B%BD_(%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82) にも載っているし、「子供の国」HPの「マニア向けガイド 弾薬庫跡」http://www.kodomonokuni.org/m_guide/tanbo2.html にも掲載されている。 「子供の国」は、その頃からあったかどうか記憶がはっきりしないが、今は、牛・羊の牧場・ポニー牧場などもあり〔⇒「子供の国」HP「雪印 子供の国牧場」http://www.kodomonokuni.org/bokujyo/ 〕、牛の年用の年賀状に使用するために牛の写真を撮りたいという大人が行っても悪いことはないはずだし、何よりも、「子供の国」の遊具で大人が遊んで悪いという理由も特にないはずだ・・・と思うのだが、「子供の国」の駐車場の係員は、「子供の国」であるからには子供づれで行くもので、大人が1人で行きたいからクルマを停めさせてくれと言っても「だめに決まってるでしょ。常識で考えてくださいよ」という理屈だったようだが、その理屈は「子供の国」の運営趣旨とは異なっていたはずであった。入園して帰ったきてから、なんか、不愉快な場所だったな・・・と思ったが、そういう場所だった。 子供づれでないと入場を歓迎されない施設だったようだとわかったので、イサム=ノグチの作品の見学は、一度、行ったからもういいと考え、今後は子供づれの場合も含めて、もう行きたくない場所だな・・と思うようになった。
東京より東側から東名高速道路の「横浜町田」インターチェンジ方面に行くには、京葉道路~箱崎~江戸橋~神田橋~竹橋~三宅坂~谷町~用賀・・・というルートしかないと思ってきて、最初は走りにくかったそのルートの走り方にけっこう慣れてきたのだが、最近、大橋あたりで合流があるという表示が出ているので、なんじゃらほい・・・と思って道路地図を見ると、湾岸線「大井」ジャンクションから大橋・西新宿を直結するルートができたらしい。
又、湾岸線「大井南」インターの南、「東海」ジャンクションから横羽線「昭和島」ジャンクションを経て、「生麦」ジャンクションを経て、横浜北勢線で東名高速道路の「横浜青葉」まで行き、「横浜青葉」インターから東名高速道路に入るというルートもできたらしい。どっちが速く行けるのかわからないが、一度、ためしてみたい。
※ 町田天満宮HP https://tenmangu.newsinet.com/
《ウィキペディアー町田天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E7%94%B0%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html は、本町田菅原神社(町田市本町田)に参拝します。
(2021.2.11.)
☆ 本町田 菅原神社(東京都町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
☆ 町田天満宮(東京都町田市原町田)〔今回〕
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)参拝。拝殿・幣殿・本殿の3部形式の社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅。出入の厳重そうな東芝小向工場と管理不十分な(株)一条工務店・(株)日本産業の「いいかげんそう」工場 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html

懲戒除名―“非行”弁護士を撃て - 内田 雅敏

モンダイの弁護士―弁護士って、ほんとうに「人権を守る正義の人」なのか!? (別冊宝島Real (028))

「困った」裁判官―独占公開!日弁連「問題裁判」実例アンケート (別冊宝島Real (#006))

裁判官はなぜ誤るのか (岩波新書) - 秋山 賢三
東京都町田市原町田 の 町田天満宮 と、町田市本町田 の 本町田 菅原神社 とに参拝してきました。 当初、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「全国 天満宮めぐり」に掲載されている 町田天満宮 に訪問するつもりでしたが、

わかりやすい天神信仰―学問の神さま
町田天満宮のホームページ https://tenmangu.newsinet.com/ の「町田天満宮の歴史」https://tenmangu.newsinet.com/history/ を見ると、町田市本町田の菅原神社 に菅原道真が祀られてきたが、本町田村から原町田村が分離した頃に、原町田村にも同じ祭神を祀る神社を造営したというのが町田天満宮の始まりらしいと出ており、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「全国 天満宮めぐり」に掲載される町田天満宮よりも前からあるらしい本町田の菅原神社にも参拝してみようか・・どうしようかと思ったところで、 「神奈川県人権啓発センター」https://www.youtube.com/channel/UCzzBHOwE9DN8zSHw_4Y5ITQ の「部落差別解消推進シリーズ(1) 本町田 部落とは何か?」https://www.youtube.com/watch?v=tlz7fjFB0us に 本町田の菅原神社 が登場しており、思っていたよりも大きな神社らしいと思ったことから、本町田の菅原神社にも行くことにしました。「神奈川県人権啓発センター」「部落差別解消推進シリーズ(1) 本町田 部落とは何か?」https://www.youtube.com/watch?v=tlz7fjFB0us をなぜ見たかと言われても、スマートフォンでYouTube を開いて上下させていたら出てきたので、何気なしに見ただけなのです。 町田天満宮の方は『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕に町田天満宮は掲載されていても、元の菅原神社はそれほど大きな神社ではないわけではなく、本町田の菅原神社もけっこう広くて社殿も大きい神社らしいので行ってみようと考えました。
町田市は、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ にいた時、1990年代前半に契約いただき建てていただいた方があったことから何度も行きました。 東名高速道路の「横浜町田」インターチェンジで出て、国道16号を北に行きかけると国道246号との交差点があり、東名高速道路を国道16号に入り、短い間で一生懸命、車線を右に右にと移動して、交差点を右折するとすぐ、左に曲がる道、都道141号(辻原町田線)(町田街道)に入り道なりに進みます。 (株)一条工務店にいた時に町田市某所で建てていただいた方のお宅に行く場合には、途中で右折してJR横浜線を越えて北に進むのですが、今回はそうではありませんのでそのまま都道141号(町田街道)を進みます。この町田街道をクルマで走ると、1992年から1993年にかけて、そのお宅の家を建てるためにこの道をクルマで走った頃のことを思いだします。一生懸命やったものですが、(株)一条工務店という会社は、真面目に仕事に取組み、お施主様のためとともに会社の為に滅私奉公する者に対して、まさに「滅私奉公」「破私奉公」して会社のために尽力する従業員に「恩を仇で返す」対応をする会社でした。よくもまあ、あんな会社のために「リゲインのように」働いたものだとあきれます。〔⇒《YouTube-24時間戦えますか?》https://www.youtube.com/watch?v=VHYFDipo5Kc 〕 私が入社した1992年においては(株)一条工務店という会社名は、浜松では「誰もが知っている名前」であったのと逆で、「そんな名前、だ~れも知らないわ! 知ってる人なんて誰もないでしょ」と、江東区亀戸になった総合住宅展示場 城東マイホームセンターで東京展示場を建設工事中に、前を通るおばさんに話しかけたところ、言われたことがありましたが、そんな会社でしたが、最近では、戸建住宅建築業の業界内における地位がずいぶんと上がったらしいのですが、野村克也のじいさんが「勝ちに不思議の勝ちあり」と言っていたが、野球選手だけでなく会社においてもそれはあてはまることで、(株)一条工務店みたいな、「『一族』よければすべてよし」「浜松よければすべてよし」の会社、最近でも、2011年の東日本大震災の後、東日本大震災で被害にあった地域の市町村や住民に寄付をするというのならまだしも、東日本大震災では被害にあっていない浜松市に300億円の寄付をしてみたり、いつまで経っても「浜松よければすべてよし」のこの会社の姿勢は変わらんもんだと思ったものでした。日夜、「会社のために」滅私奉公を続けてきた者に対して、それに報いない会社、「『一族』よければすべてよし」というそういう態度の会社が、「勝ち組」に入っていても、それは「勝ちに不思議の勝ちあり」と考えるべきものではないのか・・・という感じがします。そのうち、「負けに不思議の負けなし」になるかもしれません。安い給料でこき使いやがって、「一族」だけ大儲けしている会社、浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友はそういう会社から寄付金もらって大喜びしていたようですが、初代社長の大澄賢二郎からもらったみたいに鈴木康友は思っているようですが、実はそのカネは、本来、私など元従業員および従業員に払っておくべきカネを払わずにちょろまかして貯め込んだカネの一部分です。鈴木康友はわかっているのかわかっていないのか。わかっていないのなら、慶應大ア法学部卒だけあって「アホウ」でしょう。わかっていて大澄賢二郎からもらってみたいにしているのなら悪党です。
「遠州屋、ヌシもワルよのお。いっしっし・・」
「いえいえ、お市長様ほどではおじゃりませぬ。くっくっく・・」
てところなのでしょうか。本来、そのカネは私のカネです。・・そのあたり見ると、なんか、おカネというのは、努力したり苦労したりするとなかなか貯まらんもんやけど、悪いことうるとよう儲かるようでんなあ・・・・( 一一)
その私にとってはなつかしい道である町田街道(都道141号)を道なりに北上すると、JR横浜線の線路を「町田」駅と「成瀬」駅の間で高架で超えることになります。線路を越えて最初の交差点が「三塚」という名前の交差点ですが、ここで信号が変わる直前までどちらに行くか迷ったのですが、町田天満宮はJR横浜線より南側にあるので、もう一度、JR横浜線を越えなければならず、原町田橋という橋で超えることになりますが、原町田橋がある都道51号(町田厚木線)に進むには、都道47号(町田街道)で「原町田3丁目」交差点で左折するか、「三塚」交差点で左の方の道に行き、原町田橋のすぐ手前で左折するか。
「三塚」交差点で「道なり」の方を選んで、「原町田3丁目」で左折する方を選んだのですが、それは、橋の直前で左折しようとして左折できるかということを考えてでしたが、ところが、今回、間違えて「原町田2丁目」交差点で左折してしまい、結局、原町田橋の直前で左折して橋に入ることになってしまいました・・・が、左折して線路を超えることができました。
原町田橋でJR横浜線を超えて地面に降りると、道は右に行くか左に行くかどちらか2択で、右に行く方が道は広く都道51号線ですが、町田天満宮に行くには左の細い方の道を行きます。 進むと道はされに細くなり、こんな細い道を進んで大丈夫かいやあ・・と一瞬不安になりますが大丈夫です。細い道をクランク状に曲がるとすぐ左手に町田天満宮があり、参拝者用駐車場への入り口があります。
町田天満宮のすぐ前で、JR横浜線の線路を超える人道橋があり、町田天満宮のすぐ前の道路を超える歩道橋も兼ねています。

↑ 「町田参宮橋」と名前がついています。
この人道橋・歩道橋から町田天満宮へ直接入ることができます。↓

今回は、コロナウイルスの問題もあり、自家用車で訪問しましたが、電車で行く場合には、JR横浜線「町田」駅か、小田急「町田」駅が最寄駅です。JR横浜線「町田」駅の方が近い。
かつては、小田急は「町田」でJR横浜線の駅名は「原町田」で、「原町田」駅は今の「町田」駅よりもう少し南にあったように思うのですが、今は「原町田」ではなく「町田」駅になり、小田急と乗換もできる距離になりました。なんで、JRは町田市にある駅なのに「町田」ではなく「原町田」なのか・・と思ったのですが、「町田」はもともと「本町田」と「原町田」とその他に分かれていて、単に「町田」と言うと、どちらかと言えば「本町田」を指し、JR横浜線「原町田」駅があったあたりは町田市原町田であったことから、JRの駅名は「原町田」だったようです。 かつての「原町田」駅より今の「町田」駅はいくらか北に移動したようですが、それでも、町田市原町田に駅はありますが、「本町田」という駅があるわけではないので、小田急の駅と乗換のできる場所に駅を移動させたことから小田急の駅名と同じ「町田」駅を名のるようになったのでしょうか。地図を見ると、現在、町田市には「町田市本町田◇丁目」と「町田市原町田△丁目」があり、JRの「町田」駅は原町田4丁目にあるようですが、小田急の駅はそのすぐ北側だけれども、原町田6丁目と森野2丁目・中町1丁目の境目付近の原町田6丁目にあるようです。《ウィキペディアー町田駅》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E7%94%B0%E9%A7%85 には、《明治時代に横浜鉄道(現在の横浜線)が開業した当初、原町田の中心地は現在の町田市立図書館などのある原町田二丁目付近であり、原町田駅もここに近い位置に設置された。》とあり、町田天満宮にとってはかつての「原町田」駅の方が近かったようだ。
( ↑ 町田市立図書館。)
本町田は小田急「町田」駅より3㎞ほど北のあたりになるようです。
かつて、国鉄横浜線だった時代の「原町田」駅は、町田市にあるのに、なぜ「原町田」と言うのだろう・・と思っていたのですが、《ウィキペディアー原町田》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%BA%E7%94%B0 によると、《町田村(現在の本町田)の近隣の原野を開拓した村であったことから》で、もともとの町田である「本町田」に対して、その南の原野が開かれた町田だから「原町田」だったということか・・・。
鳥居をくぐると、左右に稲荷社があります。 ↓

↑ ご本社に向かって左側(北側)の稲荷社。

↑ ご本社に向かって右側(南側)の「出世稲荷」。
竹内秀雄『天満宮』(1973.第一版、 1996.新装版。 吉川弘文館 日本歴史叢書)の「四 天満宮の普及」「4 謡曲に現れた菅神」に、
《 室町時代に三十番神 画像が描かれ出し、その七日の結番は天満天神に当たっていた。三十番神とは、鎌倉時代から一ヵ月三十日の間、毎日交替して朝家を守り、一方では法華経を守護すると信ぜられたわが国著名の三十神で、これは両部神道で説くところで、初め天台宗、のちに日蓮宗で信仰せられた。
『渓嵐拾葉集』によると、北野天神が雷電となって内裏に乱入し障碍をなそうとしたとき、公卿の僉議(せんぎ)があって今日は三十番神は何神が当たっているかといっていると、そのとき稲荷大明神が雲に乗って来現し天神と神威を争って障碍がなかったので、北野と稲荷は仲が悪く、北野参詣の日には稲荷に参詣しないということが記されている。
『戴恩記』にも、菅丞相が百千の雷となり、朝廷を恨み本院時平公を殺し、昼夜雨風やまず、雷鳴のため御殿も裂けるばかりであったとき、天皇は今日の番神は如何なる神かと貞信公(藤原師輔の父、忠平)に問われると、太刀の柄頭に白狐の現じたのを見て、稲荷大明神の御番と答えると、程なく雷も鳴止み雨も晴れてしまったという。この太刀を小狐の太刀といって、大織冠(だいしょっかん)(藤原鎌足)の御影(みえ)と恵亮(えりょう)和尚(叡山の僧 円澄の弟子)の紺紙金泥の法華経とともに三宝として九条稙道(たねみち)の家に伝えられたと聞いて、秀吉は「いやいやさようのむづかしき藤原氏のつら葉とならんよりは、只あたらしく今もなき氏に成侍らん」といったと記してある。
また『天満神卅番神名』というものがあって、太宰府の満盛院からの印施が残っている。》

天満宮 (日本歴史叢書) - 秀雄, 竹内, 日本歴史学会
・・・のだけれども、全国の天神・天満・北野・菅原系神社を訪ねてみると、境内に摂社・末社として稲荷社がある神社はけっこうある。 京都の本家では天神・北野と稲荷は仲が良くないのかもしれないが、「地方」「末端」になるとそうでもないのかもしれない。
ご本社に向かってまず右側に牛の像。↓

続いて、ご本社に至る左右に狛犬が3組、2×3=6体。↓

↑ よく見ると、狛犬はそれぞれ微妙に表情が違います。
牛の像がもう1体。 ↓

そして、ご本社。 ↓



ご本社の右手前の梅の木は、花と蕾が混じった状態。なかなかきれい。↓


ご本社の左側に「境内社」 ↓

「境内社」の右手前に、「恵比寿」の像。

「境内社」は「境内の摂社・末社」という意味ではなく、この社殿は「境内社」という名称のようで、現地の説明書きによると、そこでは、
大物主神(おおものぬしのかみ)(金比羅宮)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)(八雲社)
恵比寿神(えびすしん)(西の宮)
聖徳太子
が祀られているらしい。
鳥居をくぐってすぐ右手の由緒書に、
《 併祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)は大津市坂本の日吉神社を総本社として、近くは赤坂日枝神社があり、俗に山王様と呼ばれています。
併祭神 宇加能御魂神(うかのみたまのかみ) は五穀の神として飯綱(いづな)様と呼ばれ、長野県飯縄(いづな)山に本社があります。》
と出ているのですが、町田天満宮では、菅原道真を祀るご本社の他には、ご本社の左手の「境内社」とその道手前の恵比寿像、それに、鳥居をくぐって右手の「出世稲荷」と左手の稲荷社しか、境内の摂社・末社は見当たりません。ご本社の左側の「境内社」に祀られているのかと思って境内社の説明書きを見ても、大山咋命(おおやまくいのみこと)と宇加能御魂神(うかのみたまのかみ)は書かれていません。
宇加能御魂神(うかのみたまのかみ)の方ですが、一般に、「稲荷」は、「稲の穀霊」であるとともに・「秦氏の氏神」で・インドの神である「ダキニテン」で、そして、『古事記』の神である「宇加能御魂神(うかのみたまのかみ)と、この4つの神が習合して祀られたのが京都の伏見大社で、その末社が日本全国にあって、「日本三大稲荷」と言われることがあるものの、どの3つかというと、京都の伏見稲荷は必ず入るものの、他は愛知県豊川市の豊川稲荷とか、茨城県の笠間稲荷とか、他にもいっぱい諸説あって、伏見稲荷以外の2つはどこを入れるか決まっていないらしいのだが、その「稲の穀霊としての稲荷」「秦氏の氏神」「ダキニテン」として「宇加能御魂神(うかのみたまのかみ)」を祀っているということならば、鳥居をくぐって右手の「出世稲荷」と左手の稲荷社と、稲荷社が2社ありますから、そのどちらかと考えることもできますが、しかし、『古事記』に登場する神である「宇加能御魂神(うかのみたまのかみ)」で「五穀の神」であっても、《飯綱(いづな)様と呼ばれ、長野県飯縄(いづな)山に本社があります》と書かれており、伏見大社の「秦氏の氏神」で「ダキニテン」の方の「ウカノミタマノカミ」とは違う可能性が考えられます。
長野県飯縄山とはどこなんだ・・・というと、《ウィキペディアー飯縄山》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%B8%84%E5%B1%B1 によると、《 飯縄山(いいづなやま、飯綱山)は、長野県北部(北信地方)、長野市・上水内郡信濃町・飯綱町にまたがる山。標高1,917メートル。飯縄山と、その支峰・霊仙寺山(れいせんじやま、1875.0m)、瑪瑙山(めのうやま、1748m)などからなる連山全体を飯縄山と呼ぶこともある》と出ており、ヤフー地図で「飯縄山」と入れて検索すると、長野県の長野市の西のあたり、JR信越本線と大糸線の間の山地に、「飯綱山」と称する山が3つ出てきた。
「飯縄山」は《 古くから山岳信仰の霊山であり、飯縄権現を祀り修験道場が開かれ、足利義満や管領細川氏、上杉謙信、武田信玄、徳川家康など武将の尊崇を得ていた。また忍術(滋賀県甲賀市の古寺の本尊は飯縄権現像と伝わる)や剣術の修業の地(神道無念流開祖の福井嘉平は飯縄権現への参篭により会得したと伝わる)としても知られる。全国に多くの分社を持つ総本山である飯綱神社だが簡素な社があり、頂上に至る登山道脇には1番の不動明王に始まる13体の石仏が点在する。》と書かれている。
「飯縄権現」とは、《ウィキペディアー飯縄権現》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%B8%84%E6%A8%A9%E7%8F%BE には、
《信濃国上水内郡(現:長野県)の飯縄山(飯綱山)に対する山岳信仰が発祥と考えられる神仏習合の神である。》
《多くの場合、白狐に乗った剣と索を持つ烏天狗形で表され、五体、あるいは白狐には蛇が巻きつくことがある。一般に戦勝の神として信仰され、足利義満、管領細川氏(特に細川政元)、上杉謙信、武田信玄など中世の武将たちの間で盛んに信仰された。》
《飯縄権現が授ける「飯縄法」は「愛宕勝軍神祇秘法」や「ダキニ天法」などとならび中世から近世にかけては「邪法」とされ、天狗や狐などを使役する外法とされつつ俗信へと浸透していった。》
《こうした俗信の域から離れ、現在でも信州の飯縄神社や東京都の高尾山薬王院、千葉県の鹿野山神野寺、千葉県いすみ市の飯縄寺、日光山輪王寺など、特に関東以北の各地で熱心に信仰されており、薬王院は江戸時代には徳川家によって庇護されていた。》
・・とある。 飯縄権現は、伏見大社が「ウカノミタマノカミ」と習合したのと共通しているようだけれども、全体としては、「ウカノミタマノカミ」でも飯綱山の飯縄権現と京都の伏見大社とは別系統のように思われる。
「飯縄権現」は「ウカノミタマノカミ」と習合し「五穀の神」で、京都の伏見大社もまた、「ウカノミタマノカミ」と習合して「稲の穀霊」を祀る神社で、その点で共通していても、性質が似ているとしても別のもののようだ。 そうなると、鳥居をくぐった右の「出世稲荷」と左の稲荷社とは別の可能性が大きいと思われる。
「大山咋命(おおやまくいのみこと)」を祀る祠は見当たらない。・・ということは、ご本社で、主祭神の菅原道真≒天神 とともに、「ウカノミタマノカミ≒飯縄権現」と「大山咋命(おおやまくいのみこと)」も「合祀」されて「副祭神」と言うのかどうか知らんが、ともに祀られているということだろうか?・・・ こういうことは、遠慮せずに社務所で尋ねてみようと思い、御朱印をいただく(ただで「いただいた」のではないぞ)時に尋ねてみたところ、やはり、「大山咋命(おおやまくいのみこと)」と「ウカノミタマノカミ≒飯縄権現」は、ご本社で主祭神の菅原道真≒天神 とともに祀られており、本殿の内部で扉があって、中央の扉の向こうに「菅原道真≒天神」が祀られ、その左右に「大山咋命(おおやまくいのみこと)」と「ウカノミタマノカミ≒飯縄権現」が祀られているということだった。 おそらく、かつて、町田市内の別の場所で祀られていたものを、いつの時かここに合祀されるようになったのではないか・・ということだった。
「いづな権現」ならば「飯縄」ではなく「飯綱」と違うんかい? 「飯縄」ならば「いなわ」とちゃうんかい?・・・と、つっこみたくなるところもあるのだが・・・、東京都墨田区の両国に「横網町」というのがあって、なんで、両国にある地名なのに「横綱(よこづな)町」やのうて「横網(よこあみ)町」やねん、まぎらわしいのお・・・てのと同様なのかというと、それは同じではなく、「飯縄」は「いなわ」ではなく「いづな」らしいのだ。
「飯綱(いづな)」というと、白土三平『カムイ伝』『カムイ外伝』で、カムイの得意とする技として、「変移抜刀霞斬り」とともに「飯綱落し(いづなおとし)」というものが登場する。
※ カムイ外伝2話 飯綱落し https://www.youtube.com/watch?v=p8wKg2HWaV8
ピクシブ百科事典 飯綱落し https://dic.pixiv.net/a/%E9%A3%AF%E7%B6%B1%E8%90%BD%E3%81%A8%E3%81%97
『カムイ伝』『カムイ外伝』の「飯綱落し」は、イタチの一種の飯綱(イイヅナ)の技をヒントとして生み出したらしく、飯縄権現の「飯縄(いいづな、いづな)」とは意味は別のようだ。
「境内社」もまた、町田市内の他の場所に祀られていた
大物主神(おおものぬしのかみ)(金比羅宮)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)(八雲社)
恵比寿神(えびすしん)(西の宮)
聖徳太子
をここで祀るようにしたものだろうか・・・・。
梅の木は境内に何本も植わっている。

鳥居の左手の稲荷社のあたりの梅の木。↑


紅梅と白梅がセットでないといけないということはないのだろうけれども、町田天満宮では紅梅と白梅の両方が見られる。 本町田の菅原神社では、しだれ柳のように枝が垂れた梅があった。そちらは本町田菅原神社の稿で掲載したい。 梅の種類は紅梅と白梅に分かれるだけではなく、他にも種類があるようだ。 写真撮影は2月8日、花と蕾が混じった状態だったので、まだ、しばらくは梅の花を見ることができるだろう。
町田天満宮の現地に出ている由緒書には
《 ・・当神社は文教の祖神 菅原道真公を主祭神とし、日枝社(ひえしゃ)、飯綱社(いいづなしゃ)を併せて奉斎し、天正年間この地に鎮座、町田三天神の内の1社で、本町田菅原神社、南大谷天神社と共に古くから崇敬されてまいりました。》
と出ており、《ウィキペディアー町田天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E7%94%B0%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE にも、
《 町田三天神のうちのひとつ(他に菅原神社・南大谷天神社)で、》
と出ている。
『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「全国天満宮めぐり 東京・町田天満宮」には、
《 町田天満宮の歴史は天正年間、北野神社の仏師が御神像を彫刻し、町田威徳天神として祭祀したのが創建と伝えられている。 その時、三躯の御神像が同時に一本の木より彫刻され三つの神社に祭祀された。それが町田三天神の由緒であり、町田天満宮はその中の一社である。町田市本町田、南大谷の天神様とともにこの地方の崇敬をあつめ親しまれている。》
と出ている・・のだが、町田天満宮のホームページの「町田天満宮の歴史」https://tenmangu.newsinet.com/history/ 、本町田菅原神社のホームページの「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html に掲載されている話とは少々違うように思えるが、複数の説があるのだろうか。
町田天満宮は町田市原町田1丁目21-5、JR横浜線「町田」駅のすぐ南、線路より西側にあるが、本町田 菅原神社は、町田市本町田802番地。 小田急線より北にある。
( ↑ 本町田 菅原神社。)
南大谷 天神社は、インターネットで検索しても、ホームページは見当たらず、ウィキペディアにも掲載はないが、同神社を訪問した人などが公開しているものとして、
南大谷天神社 http://www.mrfujii.jp/walk/heritage/jinja/92minamiooya.htm
猫のあしあと 南大谷天神社 https://tesshow.jp/tama/machida/shrine_sotani_ten.html
神社人 南大谷天神社 http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=1488
その他、同神社の写真など掲載されたものが見つかる。 (本町田)菅原神社のホームページの「地域の神社」https://www.sugawarajinja.com/area.html にも 南大谷の天神社 は掲載がある。
南大谷天神社は、町田市南大谷451 にあるそうだ。
↑ 小田急線の「町田」と「玉川学園前」の中間より少し玉川学園前より、小田急線の線路のすぐ西のあたりにあるようだ。「南大谷」という交差点のすぐ東、地図で見ると「神社前」というバス停が前にあるようだ。
伊勢神宮は、かつて、落合が中日ドラゴンズに移籍した時、中日に落合英二という投手がいたが、自分はあくまでも「落合」だと主張して、落合英二投手は「落合英」と表記して、落合博満は「落合博」ではなく「落合」と表記しろと要求したということがあり、なんか、あつかましい・感じの悪いやつやなあ・・と思ったものだったが、そんな感じで、伊勢神宮は「正式名称は『伊勢神宮』ではなく『神宮』だ」とか言うておるらしいのだが、それは伊勢神宮に限ったことではなく、「本町田 菅原神社」も「正式名称」は「菅原神社」で、「南大谷 天神社」も「正式名称」は「天神社」のようだ。伊勢神宮の場合は、もう、「勝手に言ってろや」て感じだが、それぞれの地域においては「菅原神社」とか「天神社」と言っていても、他の地域の住人からすれば、「本町田の菅原神社」「南大谷の天神社」ということになるわけで、伊勢神宮だってそんなものだと思うのだ。なんか、「落合みたいや」・・てことを伊勢神宮は言うとるわけだが、「大人げない」というのか何と言うのか・・。
《ウィキペディアー天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE には、町田市の天神社では、町田天満宮と本町田の菅原神社の2社が掲載されている。
本町田菅原神社・町田天満宮・南大谷天神社の3社を「町田三天神」と言うということだが、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕の「主要天満宮名簿」には、町田市では、町田市原町田の町田天満宮ともう1社、町田市能ヶ谷町1097 の菅原神社 が掲載されている。「能ヶ谷」は小田急の「玉川学園前」の東の「鶴川」駅の北のあたりの地名だが、現在は、能ヶ谷1丁目~7丁目 という住居表示に変わっていて、能が谷 のどこかわからない。 地図で見たり、インターネットで検索したりしたが、能が谷の菅原神社はどこにあるのか見つからない。
町田市は、1992年に(株)一条工務店 で、私が担当させていただいて契約いただいた方で1993年に建てて住んでいただいた方があったことから何度も来た所であり、思い入れがある場所です。
町田市の建築地を見に行き、市役所などに寄り、法務局に行った時には午後5時少し前だったということがありました。公図を調べ、土地と建物の登記簿謄本を取得し、土地の測量図を複写するには時間が足らないか・・と思いつつも、ブルーマップで地番を調べるくらいはできて、できるところまででもやっておきたいと思ったのです・・・が、ブルーマップで地番を調べている間に午後5時になってしまいました。場所によっては1分、2分過ぎたくらいなら許容してくれる所もあるのですが、午後5時を過ぎてから登記簿謄本の申請をしたのでは無理かなあと思いかけた頃、「法務局のおっさん」が「ちょっと、あなた。何をやってるんですかあ、何をお! もう、5時を2分も過ぎてるじゃないですか、2分もお! あなたのおかげで、私は2分も余計に働かされてしまったじゃないですか! いったい、どうしてくれるんですか、いったい~い! 2分もですよ、2分もお! あなた、この2分をいったいどうしてくれるんですかあ、いったい~い!」とすでにオーバー着て帰り自宅をしたおっさんが、いかにも不愉快だという態度で言うのでした。
なんだ、この全法務労働組合は!!! ・・・おまえ、そんなに働くのが嫌なら辞めたらどうなんだ!!! ・・たしかに、法務局の「営業時間」は午後5時までだった。しかし、時間外に1時間以上も仕事をしろと言ったのではない。すでに、午後5時までに入館した者が見ていたのであって、「2分」がどうしたというのだ!!! 問題があるのは私ではなく、そのおっさん、全法務労働組合の方だ! おっさんは、午後5時の時点ですでにオーバー着ていたのだ。 勤務時間を過ぎての「サービス残業」などというものはしない方がいいだろう。もし、必要があって「残業」を使用者が依頼した場合にはきっちりと時間外賃金を支払ってくれと言って悪くないだろうし言うべきだろう。しかし、だ。「勤務時間」が午後5時までであれば、労働者は午後5時までは働くものであるはずだ。おっさんは、何を午後5時より前にオーバー着て帰り自宅をして帰ろうとしていたのだ。いいかげんにしろ、全法務労働組合!!! おまえらは日本国の労働者の敵だ!
むしろ、終業時刻は午後5時までなのに、午後5時より前に帰り支度をして、すでにオーバー着て帰ろう帰ろうという姿勢で待っていたおっさんの方こそ問題があるのであり、税金から不当な賃金を受領していたことになるはずだ。カネ返せ、全法務労働組合!!! 終業時刻よりも前にすでにオーバー着て帰り支度をすませて帰ろう帰ろうとしていたおっさんこそ、ペナルティーを受けなければならないはずだ。いいかげんにしろ、全法務労働組合!
実は、1992年に(株)一条工務店に入社する前、東京都千代田区霞が関の合同庁舎6号館の法務省で警備員の仕事をアルバイトでだがやったことがあったのだ。その際だが、全法務労働組合というのは「専従」といって、法務省から雇われた職員から選ばれた労働組合役員ではなく、労働組合から雇われて労働組合の仕事にもっぱら従事する人間というのが何人かいたのだ。そいつらを見て、あきれた。あれでは労働者の支持をなくすだろう。あれでは国民の支持を失うだろう・・と思ったし、あんな「専従」の労働組合なら、あった方がいいかない方がいいか微妙・・・とも思った。
法務省・検察庁の職員はマイカー通勤を認められておらず、法務大臣・政務次官・事務次官・官房長、それに大臣官房◇◇局局長となんとか課長と検察庁では検事総長になんたらかんたら・・は「庁用車」で運転手が送り迎えしていたが、一般職員は電車・バスといった公的交通機関での通勤となっていた。ところが、全法務労働組合の委員長の岩波は労働組合の委員長のくせに1人だけマイカー通勤していたのだ。そんな労働組合の委員長があるか?・・・というと、全法務労働組合にあったのだが、そんな労働組合でそんな委員長だったのだ。
労働組合の委員長がそんなことでいいのか? ロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)によると、長征の際、たとえ、馬があっても、他の兵士が歩いている時には毛沢東も馬に乗らずに歩いた、たとえ、暖かい服があっても他の兵士が粗末な綿の服しか着ていない時は毛沢東も他の兵士と同様の服しか着なかった・・というのだが、全法務労働組合の委員長の岩波は何やってんだあ??? おまえはそれでも労働組合の委員長か!?!
もしも、労働組合の仕事で自動車で移動する必要があるということならば、大臣官房会計課警備係に、あらかじめ、話をして、全法務労働組合として1台分の駐車スペースを使用させてもらうように話をしておくべきだ。「団体交渉」で駐車スペース1台分を全法務労働組合のために使用者が用意したとしても、それは労働組合の事務所用に部屋を1部屋用意したとしても、「利益供与」という違法行為にはならないだろう。そのあたりをきっちりとしてこそ、「専従」の労働組合役員としての仕事をしたことになるはずだ。ところが、岩波はそれをしない。なんだ、それで、労働組合の委員長と言えるのか?!?
又、法務省・検察庁では、入館時、職員は職員証を入口の警備員に提示して入館すること、来館者は受付で来館手続きをして入館することとされており、警備員は職員証を提示しない職員を入館させてはならないと上役から指示されていた。ところが、全法務労働組合の委員長の岩波と副委員長のなんとかは、職員証を呈示せずに入ろうとして、阻止すると、「おまえは職員に向かってなんだあ~あ!」と叫ぶ。 アホか! おまえこそ、「職員に向かって何だあ!!!」・・・。 労働組合の役員が職員に向かってそんな態度を取るのなら、おまえら、役員辞めろ!!!
私やほかの警備員は、総合ビル管理(株)という法務省の職員が退職後に勤めるための会社らしい警備・清掃・受付の派遣をしている会社から法務省・検察庁に派遣されて勤務していたのだが、派遣先においては、法務省大臣官房会計課警備係の指揮命令下に服して法務省の職員として勤務していた「職員」だったのである。 全法務労働組合に加入して組合費は支払っていなかったとしても、法務省で働き、法務省の指揮命令下で労働に従事している「職員」であり、法務省の職員のおかげでメシ食わせてもらっている「専従」の組合役員が、法務省の「職員」に向かって、「職員に向かって何だあ!」とは「何だあ!」ということだ。委員長の岩波と副委員長のなんとか、名前覚えていたが思い出せない、そのうち、思い出すだろう・・は、おまえら、そんな認識で、よう「専従」の組合役員やっとるなあ・・・。 おまえら、アホちゃうか・・。そんなことで、よう、「専従」の組合役員としての給料もらえるのお!!!
法務省・検察庁の職員は職員証を提示して入館することという規則を守らずに入館していたのは、法務大臣、それに政務次官、事務次官・・といった「エライ人」というのがいたが、もしも、「エライ人」は例外として職員証の提示なしで入館してもらえということならば、きっちりとそのように指示するべきだが、警備係長も守衛長も警備長も指示しない。だから、私は「誰は、職員証の提示なしでも入ってもらっていいというのを、きっちりと指示してもらえませんか」と警備長に言ったのだが、言っても、「あの人、事務次官」とか言うばっかりで、職員証の提示なしで入ってもらっていいのかどうか、きっちりと指示をしない。それから、公安委員会というのがあって、こういう活動はやめさせましょうなどと議論する人たちというのが時々来館したのだが、どこやらの会社の会長だか社長だかいうのが何人か来て議論するらしいのだが、なんで、そんな人にそんなことを決められなければならないんだ・・と国民としては極めて不愉快であり、それらのおっさんどもこそ、「反社会的勢力」ではないのか?!?・・・と思うのだが、そういうおっさんどもが時々来館し、そういうおっさんどもが来る時には、SPというのがついてきていたらしい・・のだが、私は、一度、その「SP」らしいおっさんに、「入館されるのならば、受付で入館手続きをして入るようにしていただけませんか」と言ったことがあったのだが、すると、警備員の古手のおっさんが「あんた、あの人はねえ、SPなんだよ。入館手続きなんてしないでさっさと入るようにしたいんだよ」などと言うので、「それなら、そのように指示してもらえませんか。私たちは、例外なく、誰であれ、職員でない人は受付で入館手続きをすることなく入館させてはならないと業務命令されて勤務しているのであり、業務命令違反をするわけにはいかないんです。 この人とこの人は例外として入館手続きなしで入館させてもらいたいということならば、そのように、業務命令としてきっちりと指示するようにしてもらえませんか」と言ったのだが、「あんた、そんなこと言っても、あれはSPなんだから」とおったんは言ってきかなかったのだ。 SPというのは「スーパー プー太郎」の略ではなく、何の略か知らんが「エライ人」に随行して「エライ人」が襲われた場合には身を挺して守る役らしいのだが、警備員の立場からすれば、「そんなもん、知るかい」てものだ。警備員に例外として受付なしで入館したいのなら、先にそのように警備係に申請して警備係から警備員にそのように業務命令を出しておくようにするべきだ。警備員の判断で、この人は受付なしで入れていい人と決めて入れて、それで、後から「何で勝手に入れたんだあ」と言われたのでは困るではないか・・・と思うのだが、もしかすると、本来は規則に反するので入館させてはならない人間をアブノーマルに入れたいが、後から問題が出た時には「警備員がやりましたあ」ということにして逃げるためにそうしていたのかもしれない。それを察知していた警備員のじいさんがいて、「俺たちの仕事は、警備員の服を着て立ってることだから」と言う人がいたのだが、それでは国民から見れば、その人は何のためにそこにいるのかわからないではないか。
外来者は受付で入館手続きをして入るという法務省の規則を破って勝手に入ったやつというのが何種類かいた。
(1) 公安委員会の委員とそれに随行していたSPらしいおっさん。
(2) 「元田中角栄の秘書」という人相の悪い、もしかして、「反社」と違うのかあ?・・みたいな風貌のおっさん。
(3) 警視庁丸の内警察署の制服の警察官。「巡査」か「巡査長」くらいかと思われる3人。
このうち、(1)(2)と違って(3)については、警備長から「あの警察官、入れちゃだめだ」と言われ、そして、私は「どちらへ行かれますか」と言い、「法務省の職員でない方は、受付で用がある部署の名称と入館される方の御名前を記入して入るようにお願いします」と言ったところ、「なにい~い!」と言って3人ですごんできたのだ。怖かった、ほんと。・・・彼ら、警察官は「公務執行妨害罪」というのは、市民に対して警察官が「転び公妨」とか言って、警察官が自分でわざと転んでみせて、「いたたた。おまわりさんを突きとばすなんて。いたたた」とか演技してみせて(「役者やの~お」)、「〇時◇分、公務執行妨害、逮捕」とかやるためのものだと思い込んでいるようだが、「公務員が公務をおこなうのを妨害すること」が公務執行妨害罪の構成要件であり、民間企業から法務省に派遣された従業員であっても、法務省の指揮命令下に服して業務をおこなっている者が法務省の規則を守ってくださいと言っているのに、それに対して、「なにい~い」とか言って3人ですごんでみせるというのは、これは公務執行妨害罪に該当するはずなのだ。何が「なにい~い」じゃ、何が!
ベテランの警備員のじいさんが言うには「我々は、派遣で来ていても法務省の職員なんだ。それに対して、あいつらは法務省と同格の自治省の下の警察庁の下の警視庁の下の丸の内警察署の職員なんだ。あいつらは、我々の下の下の下なんだ。だから、あいつらに威張られる筋合いはないんだ」と言うのだった・・・が、上か下かよりも、法務省に用事があるのなら、法務省の規則を守って受付で手続きをして入館するべきであり、制服の警察官がそのくらいの規則を守れなくてどうするんだ・・ということになるのだが、なぜ、あいつらが入館手続きをしないで入ろうとしたかというと、用事はなかったからだ。なんで、用事はないのに入りたがったのかというと、合同庁舎6号館の地下にある売店を利用したかったようなのだ。法務省の部署に用事があって入館するのは認めても、地下の職員用売店で買い物をしたいからという理由での入館は認めていなかったので、それで、あの丸の内警察署の制服の警察官は「なにい~い」とすごんで入ろうとしたようだったのだ。彼ら警察官は、警備員は警察官の下働きみたいに思っていたかもしれないが、上か下かにかかわらず・・・、まあ、2000年頃、ラジオの野球中継で、解説者の板東英二が「最近ねえ、『野球は頭でやるもんや』て言いすぎですよお。だいたい、野球みたいなもん、やっとるような人間が頭つかうのん、得意なわけないでしょうが。頭つかうのん、嫌いやから野球みたいなもん、やっとんねんがな。頭つかうのん、得意やったら野球みたいなもんやらんと、もっと他の仕事やってるわ」と発言したことがあったのだが(笑)、同様に「そんなもん、巡査みたいなもん、やっとるような人間が頭つかうのん得意なわけないでしょうが。頭つかうのん、嫌いやから、巡査みたいなもんやっとんねんがな」というような人もいるのかもしれないが・・・、たとえ、他のことについては「頭、つかうのん嫌いやから巡査みたいなもんやっとんねんがな」でもいいけれども、法務省に行って警備員から法務省の規則としてこれは守ってくださいと言われて、「なにい~い」などとすごんだのでは公務執行妨害罪になるぞ・・というそのくらいのことは理解しておかないといかんのではないか・・・と思うが、そういうことを考える頭がないから、そやから、巡査みたいなもんやっとんねんがな・・・ということだったのか?・・・(^^)/ しかし、法務省の公務をおこなう者にそういう態度をとったのでは「公務執行妨害罪」になるぞ・・・ということくらいは、丸の内警察署の「エライ人」は「巡査」に教えておくべきであろう・・・と思う・・し、いくら「頭つかうのん嫌い」であったとしても、「頭つかうのん嫌いやから巡査みたいなもんやっとんねんがな」でも、そのくらいはわきまえておいた方がいい・・はずである。
全法務労働組合の「専従」の役員というのは、「専従」で全法務労働組合の職員であって、法務省の職員ではないので、職員証を持っていないのだろうか。 それならそれで、全法務労働組合で全法務労働組合としての「専従」職員の職員証を発行して、法務省大臣官房会計課警備係に、この職員証で通してもらいたいと話を通しておくべきであろう。
ところが、特に副委員長のなんとかいう男、その後も意地になったようで、入館しようとした時、「職員!」と言ってあごをしゃくってみせるのだ。 おまえの仕事はいったい何だ? おまえの仕事は労働者の勤務状況・労働環境を向上させようというのが仕事と違うのか? 労働組合の「専従」の役員が職員に向かって、「職員!」などと言ってあごしゃくって見せて、いったいどうするんだ! それでは労働組合として自殺行為ではないのか。それでは、労働組合の役員として失格ですと自分で宣言していることと違うのか!!!
なんだか、全法務労働組合の「専従」の役員というのは程度低いなあ・・・と思ったものだった。
・・・というのか、副委員長のなんとかいうの、派遣労働者とはいえ、まがりなりにも、法務省の指揮命令下において仕事をしている警備係の職員に向かって、全法務労働組合の職員ではあっても法務省の職員ではない者が、何をあごしゃくって「職員!」とか言うておるんだ?
警備係の職員というのは法務省の他の職員の小遣いではない。しかし、東大法学部卒とかで司法試験合格で入省した人・国家公務員1種合格で入省した人からすれば、自分たちはそういう経緯で入省したんだという意識を持ったとしても不思議ではないところはあるが、もしも、「エリート」であるのならなおのこと、警備係という大事な仕事をしている者に対して、「小遣い」扱いなどしてはならないはずである・・が、全法務労働組合の「専従」の役員というのは、司法試験合格とか国家公務員1種試験合格で法務省に入省した人間でもないはずなのだ。何を、人に向かってあごしゃくっとるんだ、何を・・・・というのが、全法務労働組合の「専従」役員やってるやつらだったのだ。
町田の法務局で、終業時刻より前からオーバー着て帰り支度して、午後5時を2分過ぎたということで、「あなたのおかげで、私は帰るのが2分も遅れてしまったじゃないですか。2分もですよ、あなた、いったいどうしてくれるんですか。いったいい~い!」とか叫んだおっさんを見て、ぴんときた。こいつ、全法務労働組合だな・・・と。 こいつらは労働者の敵だ!
「私の帰る時間が2分も遅くなってしまったじゃないですか。いったい、どうしてくれるんですか」とかおっさんは言うのだが、こっちはまだ仕事中なんだよ、仕事中。おまえら、けっこうな仕事させてもろうとるのお。 おまえなんかが、2分や3分、帰るのが遅くなったところで、それがいったいどうした!?! こっちは、まだまだ帰れないんだよ、こっちは!!! なんで、こんなやつに税金からカネやらなきゃならんのだと思って不快感を覚えた。
経済学の理論・理屈でも、すべての場合にあてはまるとは言い難いものが多い。小泉信三『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)では、大企業などの労働者の給与が上がると、結果として、中小零細企業の労働者の給料が減ることになる・・という「場合がある」ことが指摘されている。 有利な立場にある大企業の労働者の給料が上がると、企業に必要とされる経費がそれだけ増えることになり、その分、下請け企業は安い金額で納入せざるをえなくなり、結果として、下請け企業の労働者の給料は減ることになる・・という「場合がある」。 ぼけっと聞いてると、「はあん、そうかいなあ」と思いそうになるが、(株)一条工務店などではその理屈はあてはまらない。もしも、ある労働者の給料が高くなったら、そうでない労働者の給料は下がるかというと下がるだろうけれども、それなら、ある労働者の給料が減ると他の労働者の給料は増えるのかというと、そうではなくその場合も減るだろう。増えるのは「一族」とその取り巻きだけである。だから、小泉信三の理論はあてはまるケースもあるけれども、あてはまらないケースもあると思う。 落合が三冠王を取った頃、年棒交渉において、相当高い金額を獲得しようとして、「銭ゲバ」のように言われた時、「底辺の選手の給料を上から引っ張り上げるんだ」と発言したことがあったが、それはどうかな? 球団が選手に払う予定にしているカネがほぼ一定しているとすれば、トッププレーヤーの年棒が上がるとその結果として底辺のプレーヤーの年棒が減るということはないかな・・・と思ったのだが。実際には、両方の面があるのではないかと思う。トップのプレーヤーの年棒が上がることで、それに比例して全体が上がるという面と、トップのプレーヤーに費やす人件費が増えることで、その分をどこかで補おうとして立場が弱い底辺のプレーヤーの年棒が下げられることになるという面と、両方の面が考えられるのではないか。 ・・・それで、だ。全法務労働組合のおかげで、終業時刻より前にオーバー着て帰る準備していて、2分でも帰りが遅れると「あなたのおかげで、私が帰る時間が2分も遅れてしまったじゃないですか、いったいどうしてくれるんですか、いったい!」などと、法務局という、考えようによっては「客商売」の「客」に向かって叫ぶおっさんの給料が上がることによって、三流以下の企業の労働者の給料は下がることになるのではないか。たとえ、給料が下がらないとしても、あいつらの給料を払うために、登記簿謄本(現在は「登記事項証明書」)の費用が上がるとか、そういったことが考えられるわけで、三流以下企業の給料は安いのに全法務労働組合が法務局職員の役立たずの給料を上げるおかげで登記簿謄本などの費用が上がれば、その分だけ、実質、給料が下がったようなものになる。
・・・なんで、全法務労働組合のやつらなんぞの給料を上げてやらなきゃならんのか? 終業時刻より前にオーバー着て帰り支度しているようなやつなんて、むしろ、ペナルティーとして給料下げるべきではないのか!・・・と思ったし、今も思っている。
客商売の店ならば、営業時間が午後5時までであっても、午後5時直前に入店した客が何かを買いたいとしている時に、「もう、2分も過ぎてしまったじゃないですか。あなた、いったいどうしてくれるんですか。2分もですよ、2分も」などと言う店はまずない・・と思うのだが、法務局の場合はその点は「親方日の丸でっさかいに」、別に買ってもらわなくてもいいという発想があったのかもしれない。しかし、だ。たとえ、役所であったとしても、法務局の場合は、登記簿謄本を取得(現在では登記事項証明書)したり、公図・測量図・建物図面を閲覧したりすると、それに対してかつては登記印紙、最近では収入印紙でお金を払うわけであり、「営業がない」わけではない。 何よりも、たとえ、2分過ぎようが3分過ぎようが、従業員は2分の時間外労働をさせられたとすれば、それに対する苦情は言うのならば使用者に言うべきことであって、法務局利用者に言うことではないはずなのだ。ところが、町田法務局のおっさんは、利用者に文句を言ったのだ。「あなたのおかげで、私は2分も帰るのが遅くなってしまったじゃないですか。2分もですよ、2分も。いったい、どうしてくれるんですか、いったい」などと言いよったのだ。全法務労働組合は! ・・・それならば、だ。
法務局利用者として、もしくは、国民として、法務局職員の勤務態度・勤務状況について苦情を言うのならば、本人に直接言うのではなく、法務局に言うべきものであろうと思っていたのだけれども、おっさんが利用者に文句を言ったのであるから、そこは「相互主義の原則」として、こちらも法務局職員らしい(そして、おそらく全法務労働組合であろうと思われる)おっさんに直接文句を言っていいことになると思うのだ。 「あなたの勤務時間は午後5時までとご自分で、今、おっしゃいましたが、なぜ、あなたはその午後5時の時点ですでにオーバーを着て帰る態勢に入っていたのですか。就業時間が午後5時までというのは午後5時までは働くという意味のはずで、あなたのように午後5時より前にオーバーを着て帰る準備をすませて、午後5時ちょうどに外に出ようというのは、それは午後5時までに就業時間だけ働いたということになりませんね。なぜ、あなたは給料をもらっているのに、終業時刻よりも前に仕事をやめて帰り支度をしているのですか。あなたは私たち国民の税金から給料をもらっているのに、労働契約と就業規則で定められた労働時間だけ働かないで帰ろうとしていたわけですが、法務局職員の雇い主は国民であり、あなたの給料は国民が払った税金から支払われているはずですが、あなたはその分だけ国民からカネを搾取していたということになりますが、そのカネをあなたは、いったいどうしてくれるんですか、いったい!」・・と、そう言ってやるべきだった・・ということになるはずだ。
それにしても、就業時間が午後5時までといったら、午後5時までは働くもののはずで、午後5時より前に仕事を終わらせて帰り支度をして、午後5時の時点ではすでにオーバーを着て帰る態勢になって待っていた・・・というのは、こんなことする人というと、2011年4月に千葉県千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも、2013年11月に正式に倒産〕に社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人だとして縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)と全法務労働組合くらいのもので、そんなことやってまかり通るのも縁故の滝口恵と全法務労働組合くらいか・・・と思ったのだが、2002年、(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業の山梨県上野原市の工場に勤務した時、派遣で来ていた人に町田の法務局のおっさんのことを話したところ、「それ、△△もそう」と言って、前にやはり派遣で勤めていた山梨県の日産だったかけっこう大きい会社で、労働組合がアブノーマルに強い所では、終業時刻よりも前に仕事を修了させて帰り支度をして、終業時刻と同時に退社していた・・・らしい。 聞き間違えでなければ日産だったと思うのだが、トップがゴーンみたいなことしておのれの腹だけ肥やすようなことをするならば、従業員の方も同様の勤め方になるということだろうか。
もっとも、その工場の労働者はひとりだけがそうして他の従業員に仕事を押しつけて先に帰っていたのではなく、自分だけが終業時刻よりも前に仕事をやめて帰り支度をして終業時刻と同時にタイムカードを押して退社し、その際、まだ仕事をしている他の従業員に、「すいません。お先に帰らせていただきます」と挨拶するのではなく、「あと、ちゃんとやっといてよお!」と、この女、頭おかしいのじゃないか・・と思われる暴言を毎度のように吐いて帰っていたのは、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の縁故の滝口恵くらいのものだったのではないか・・・と思う。 うちの父親の勤め先の工場でも、あるおっさんがそういう帰り方をしていたのを役員だったうちの父親は見ていたらしく、「某のおっさん、まだ、終業時刻になっていないのに、もう、服を着替えて帰る用意をして待っとる。あのおっさん、やる気ないようやな」と言っていたが、そういう勤め方をすると、この人はやる気がないようだな・・・と普通は評価されるもので、そういう評価を経営者から受けないのも、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の愛称「縁故のメグ」滝口恵くらいのものだったのではないか、と思う。町田の法務局のおっさん(おそらく、全法務労働組合のおっさん)でも、「あなたのおかげで、私が帰るのが2分も遅くなってしまったじゃないですか。2分もですよ。2分もお! いったいどうしてくれるんですか、2分も遅くなってしまったじゃないですかあ」などと言っても、滝口恵のように他の従業員に「あと、ちゃんとやっといてよお!」などという暴言ははかないようだった。「世の中いろいろ、会社もいろいろ」だが、三流以下会社に勤めると、「会社に異星人がやってきた」みたいな人を見ることがあるが、「もう、何が来たって驚かないぞお」という気持になっても、それでも、ま~だまだおかしな人間と出会うことがある。滝口恵は入社して2日目に、昼休みは1時間のはずだが、それを2時間ほど帰ってこなかったが、入社2日目からよくやると思うのだが、普通、経営者はたとえ「嫁の友人」だったとしても、そういう「異星人」なのか「新人類」なのか「なんとか人間シンドローム」なのかの女というのは、採用を避けるべきではないかと思うのだが、ようわからん経営者というものは世の中にいるものだ。
会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
町田市の小田急「玉川学園前」駅の南東側のすぐ近くに、(株)一条工務店で建てていただいた入居者宅があった。1992年に(株)一条工務店に入社して、私は、同社で建てた家を調べ、近くに行くことがあれば、建築工事中の場合には、外からとともに内部にも入って見学し、入居後のものは道路から見せてもらって、どういうものを建ててきたか把握しておくようにした。 町田市で建てられる方に契約いただき、町田市に行くことがあった時に、小田急「玉川学園前」駅の南東側に入居者宅があったので、道路から見せてもらってきた。入居者には断っていないが、建築会社の人間が道路から見えるものを見せていただく分には問題はないだろう。
そのお宅では、「寄棟屋根の軒カット」ということをおこなっていた。 寄棟屋根と切妻屋根はどちらがいいか・・・といっても、外観については「好みの問題」があるが、機能的には「寄棟の方が四方に均等に強い」のに対して「切妻は強い方向・弱い方向というのがいくらかある」という面があるが、積雪地では「切妻屋根は雪が落ちる方向が2方向」であるのに対して「寄棟では四方に落ちる」ので、積雪地では切妻屋根や片流れ屋根にした家屋をよく見る。 もうひとつ、「切妻屋根では妻面に換気ガラリを設けることで小屋裏部分の熱気を排出することができるのに対して、寄棟屋根では軒裏の換気口からの排出のみなので、その点で切妻の方が優れている」と言える。寄棟屋根では、棟のてっぺんに「換気棟」を設ける方法があり、換気棟を設けてそこから小屋裏の熱気を排出する方法は相当効果があるようだが、換気棟を寄棟屋根のてっぺんに取り付けるのはデザインの上で好む人と好まない人がある。
そして、もうひとつ、切妻屋根では、軒の出が「ヒラ(平)」面と「ツマ(妻)」面とで異なるのが普通で一般に「ツマ(妻)」側の方が軒の出は短いことが多いのに対して、寄棟屋根は四方に均等に軒が出るという特徴がある。しかし、寄棟屋根で軒の出を一方向だけ他より短くする方法がないわけではない。それが「一方向だけ軒カット」というもので、下り棟の先端の部分で工夫がいるが、「一方向だけ軒カット」により軒の出が異なる面を設けることは可能である。
その場合、見た目がどうなるかという問題がある。「玉川学園前」駅の南東側のお宅では、「一方向を軒カット」の施工をされていたのだったが、「これなら悪くない」と私はそのお宅の外観を見て思ったのだった。だから、それを見た上で、私は「寄棟屋根で、一方向を他の方向より軒の出を短くする」というのは選択肢の1つとして悪くないと考えたのだった。又、それぞれの方法を取るのが可能かどうかはそれぞれの戸建住宅建築業の会社によって、又、その「商品」によって異なるが、(株)一条工務店では洋風で彩色スレートの屋根材の場合は可能とされていることを東京展示場の「リーダー」で主任で「一級建築士」の宮崎さんから聞いていた。
ところが・・・、千葉県市川市での私の姉と義兄の夫婦の家を契約してもらったところ、1993年4月に中途入社したばかりの「第一設計部」の堤(男。当時、20代なかば。明治大学工学部建築学科卒。住宅・建築関連の資格なし)が、「一方向だけ軒を短くするのは見た目が悪いからだめ」と言うので、「そんなことないと思うよ。町田市の玉川学園前駅近くの某様宅でやっているけれども、決して変じゃないよ」と私はきっちりと言ったのだ。それにもかかわらず、堤は「だめ。軒を短くするなら全部を短くしないとだめ」と言うので、会社として、一方向だけ短くするというのを可能だと認めている以上、それでいいか悪いかは施主が決めることであって、「バカでも入れる私大の建築学科卒」の堤が決めることではないはずなのだ。だから、私は「なんで、だめなの。玉川学園前駅の近くでやった家があるよ。決して変じゃないよ」と言ったのだが、ところが、堤は「見た目が悪いからだめ」と言い、「そんなに見た目は悪くないよ。決して変じゃないよ。過去にやった家があるのに、なんで、だめなのよ」と私は言ったのだが、堤は「過去にあっても、今はだめになった」と言うので、そういった設計の会社としてのルールは、設計が担当であろうから、設計担当が「今はだめになった」ということならば、営業担当が設計担当をとばしてその上の人間に言うのは良くないかと思って言わなかった。
それで、軒の出は四方に同じだけにしての寄棟屋根で検討したのだが、そのうち、私が福島県いわき市の営業所(展示場)に転勤させられてしまった。 東京営業所・松戸営業所に勤務していた期間に契約してもらった契約客はすべて、他の営業に引き継いで行けと営業本部長兼松戸営業所長兼東京営業所長の天野隆夫が言うので、市川市の姉夫婦の家は私が営業担当をやるということで義兄に契約してもらった契約であり、「実の兄弟ならまだしも、義理の兄弟が施主ですから、義理の関係の兄弟の家を私が担当するという前提で契約してもらって、引き渡しの後に転勤してもかまいませんが、建物ができるより前、図面決定より前に転勤して他の者に担当させるというのはまずいんですよ。他のお客さんはともかく、義兄の家だけはいわき市に転勤しても私に担当させてください」と言ったのだ。ところが、営業本部長の天野隆夫は「それなら、その家は解約してもらっていいよ」と言うのだ。(株)一条工務店では、営業担当者が転勤した場合にどうするか、会社としてルールを決めており、片道200㎞以内の場合は転勤後も担当すると文章になっていたのだ。それで、市川市の姉夫婦の家からいわき市の転勤先の展示場までは直線距離では間違いなく200㎞以内であり、実際にクルマで走ってみた距離でもぎりぎり200㎞以内だったので、それで、「200㎞以内なら転勤後も自分でやるという規定があるはずです」と言ったのだ。すると、営業本部長の天野隆夫は「それなら、転勤先をいわきではなく原町にする」と言うのだった。何、それ??? 嫌がらせしているとしか思えない。 契約する時には「ぜひとも、契約してもらえ」と天野隆夫が言って契約してもらった義兄宅を、契約してもらったと思うと、それを入社すぐの「しろうと」の営業に引き継がせろと言ったのです。何、それ???・・と思いませんか? 〔⇒[第713回]《 親戚の契約は(株)一条工務店でさせるわけにはいかない。――RC造の地中梁を無断で撤去。設計ミスで軒のない家を施主の承諾なく建てる。解体の際に隣家の塀も壊す。従業員の親戚の家には初めての大工・職人。「めんどうくさいですから」と施主宅に行って言うやつ・・――「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証16》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_10.html 〕
それで、私が福島県いわき市の展示場に転勤後、軒の出は四方一定になるように設計して図面決定したようでした。ところが、解体して、地縄張りをすると、「敷地に入らない」・・・て、何、それ?!? そんな設計しているような人間を「設計担当」と言うのか???
(株)一条工務店に「敷地に入らないと言うのですが、どうするのですか」と言ったところ、「軒を短くして入れます」と言ったというので、「そんなもの、設計がミスしておいて、施主に了承も得ずに『軒を短くして建てます』などと建築会社が勝手に決めていいわけない。工事は止めて、図面の打ち合わせをやり直してくれと一条に言って」と電話で姉に話したところ、「それが、『遅れますから、遅れますから』と言って、今、バリバリとやってるよ」と言うのだった。「バリバリ」というのは、基礎工事の前の「ランマー転圧」という作業で「バリバリ」と音が出ていたことを言っていたのだが、軒がほとんどない家になってもいいとは施主は了承していないにもかかわらず、「遅れますから遅れますから」と言って、(株)一条工務店は「ランマー転圧」を施主の意思に反して実行したのだった。なんだ、その不良工務店は!!!
その1992年から1993年頃、(株)一条工務店は、「施工面積」という(株)一条工務店が独自に考えた面積で、「坪あたりいくらで契約」という契約で、契約後に図面を決めていくということをしていたのだが、それは建設業法違反のはずなのだが、もしも、図面を決めてその内容に対して契約金額はいくらという契約をしていたならば、明らかに「契約違反」であるはずだ。私が松戸市の営業所(展示場)から いわき市の営業所に転勤する時、営業本部長で松戸営業所長の天野隆夫が「お姉さんの所の家は、ぼくが、間違いないように見るから」と約束したはずだったが、(株)一条工務店という会社で、誰よりも、信用できない男の「約束」というものを信用してしまった私はなんとも愚かだった。そして、入居後、その営業本部長の天野隆夫が「お姉さんの家は、特に問題はなかったか」と言うので、何をナマ言ってんだと思い、「解体する際に、前に建っていたRC造の建物の地中梁を残して解体して、それにべた基礎を緊結するということになっていたのを、基礎屋が地中梁まで取ってしまったようです。その結果、大雨・台風の時に水に漬かることがある地域だったので地盤面をいくらか上げたいと考えていたのが逆に前より低くなってしまったようです。設計ミスで解体して地縄張りをすると、建物が敷地に入らないということで、それなら図面の打ち合わせをやり直してくれと言っているのに『遅れますから』『遅れますから』と言ってランマー転圧をやって基礎工事に入り、ほとんど軒がない建売みたいな家にされてしまいました。営業の引継ぎやった松田は、住宅金融公庫の金利が下がったにもかかわらず、「申し込みやり直すのはめんどうくさいですから」と言って高い金利で借りさせようとしたようです。」と言ったのだ。すると、営業本部長の天野隆夫は「なんでも、うまくはいかないから」と言うのだったが、程度の問題というものがあるであろう。それは「なんでもうまくはいかないから」ですむ問題ではないはずだ。「めんどうくさいですから」などと施主宅に言いに行く新人営業というのを私は初めて見た。「めんどうくさい」なら辞めてしまえ!!! 親戚の家は(株)一条工務店で契約させてはならない!・・・と実感させられた。
姉夫婦の家では、敷地は南北方向は十分あったのだが、東西方向に余裕がなかった。そういう場合だが、寄棟で西・東の両面を「軒カット」するか、西か東かどちらかを「軒カット」するかという方法があった。もうひとつ、何が何でも寄棟屋根でという希望だったわけではないので、切妻屋根にするという方法があった。切妻屋根ならば、もともと、「ヒラ(平)」面にくらべて「ツマ(妻)」側の軒の出は短くできており、それでもまだはみ出るようならば、通常よりも「ツマ(妻)」側を短くしても、もとから「ヒラ(平)」側と「ツマ(妻)」側の軒の出は異なるのだから、違和感はそれほどないはずなのだ。なぜ、それをできない?!? なぜ、その程度のことをしないで、「遅れますから」「遅れますから」などと言って、施主の承諾もなく工事を進めたのだ?!? そして、ランマー転圧は「遅れますから」「遅れますから」と言って施主の承諾もなく進めて、大工工事が始まると、「(株)一条工務店の仕事は初めて」という大工に担当させて、その大工が途中でいなくなって長期に渡って工事を止めた。そっちの方がよっぽど「遅れますから」「遅れますから」だった。担当の大工は「(株)一条工務店の仕事は初めて」の大工に担当され、ボードやは「ボード屋の仕事は初めてのボード屋」に担当された。従業員の親戚の家だということで何十万か引いてもらったが、その程度では、とても割が合わない。何より、「ぼくが、間違いなく問題ないように見るから」と言った営業本部長の天野隆夫は、解体して地縄張りをしたら敷地に入らなかったとか、解体屋が地中梁まで取ってしまったとか、新人の営業が「めんどうくさいですから」と施主宅に言いに行ったとか、そういったことを「知らなかった」のだ。営業本部長の天野隆夫は嘘つきである。まったくつくづく信用できない男である。
設計担当の堤が「2つの面で軒の出を変えるというのは外観が悪いからだめ」と言った時、私は実際に町田市の玉川学園前駅近くの入居者宅を見て、その上で、おかしくないと判断して「決しておかしくないと思うよ」と言ったのだ。ところが、堤は「だめ。前はよくても今はだめ」と言いはるので、(株)一条工務店の会社としての基準・規定が変わったのかと思い込んでしまったのだったが、ところが実は違ったようだ。会社としては前も後も、軒の出をその面によって変えるというのは可としていたが、堤が個人的に「だめ」と決めたらしかったのだ。なんで、堤は堤の家ではなく施主の家なのに、勝手なことをするのだ?!? 外観がいいか悪いかは施主が判断することだ。おまえの家じゃないのに、なんで、おまえが決めるんだ?!? ・・ということを営業本部長の天野隆夫はきっちりと注意しないといけない・・はずだが、アマノジャクの天野は、むしろ、そうではなく「設計にはどんなことでも服従しろ!」と私に言うのだった。それは人権侵害だ! なにより、私は、(株)一条工務店が過去に施工した、隣接する面で軒の出を変えて施工した入居者宅を実際に見にいって実物を見た上で「決して変じゃないよ」と言っていたのに対して、堤は見に行かないで、デマカセ・思いつきで「軒の出を変えるのは見た目が悪いからだめ」と決めつけていたのだった。「四方とも軒の出がほとんどない建売みたいな家」の方がよっぽど「見た目が悪い」ということくらい、まがりなりにも設計なら考えたらどうかと思うのだが、考える頭は堤にはなかったようで、又、私のように、所属する会社が過去に建てた家で実際にそのやり方をやった家があるならば、実物を見に行ってその上で考えようとする姿勢というものが欠落していた。「バカでも入れる私大の建築学科卒」の男(および女)にはそういう人間が多い・・が、堤は性格が変わっていて特に頑固だった。天野隆夫は営業本部長ならば、堤にそのあたりを注意するべきであり、注意するのが営業本部長の仕事のはずだったが、天野隆夫はそういう能力がない男だった。
その隣接する面で軒の出を変えた入居者宅が町田市にあった。 入社したならば、その近くに行くことがあれば、入社したその会社が過去に建てた入居者宅を道路から見える外観だけでも見ておくといった努力をする人間と、そういう努力をしない人間ならば、当然、そういった努力をする人間の方が高く評価されていいはずであるのだが、ところがどっこい、そういう努力をしない人間が好き♪・・というのが営業本部長の天野隆夫という男だった( 一一) 堤は職種が「設計」で私は営業だったので、営業の方が「動ける職種」だったということも関係あると思う人もいるだろうけれども、そういう問題ではないはずだ。堤は「動きにくい職種」だったから見に行かなかったのではなく、「動ける職種」か「動けない職種」かにかかわらず見に行かなかったのであり、私は「動ける職種」だったから見に行ったのではなく見に行っておこうという努力をする人間だったから見に行ったのだ。営業の職種についていた人間でも誰もが見に行っていたわけではない。
現在、住んでいる船橋市の家は親から相続したものを買い替えて取得した家であって、(株)一条工務店の安い給料では家なんて取得できない。その家を購入したのは(株)一条工務店に入社1年目だった1992年のことだが、東京都江東区潮見にあった林野庁が国産材の利用促進のために設けたウッディランド東京という施設の中にあった東京展示場に勤務していたが、江東区亀戸のJR総武線の線路のすぐ北、「錦糸町」駅と「亀戸」駅の中間に新しい展示場を建設中で、1993年1月にオープンする予定だったので、東京展示場の「リーダー」だった宮崎さん(男。当時、30代前半)に「家を購入するのに、どちらの展示場にも通える場所でという条件で捜すのは難しいので、1月からどちらの所属になるのか天野次長(その頃の役職名としては)(その後、営業本部長)にききたいのですが、きいてもいいですか」と、すぐ上の役職の人間の顔を立てて話したのだが、すると、「リーダー」で主任の宮崎さんが「きかなくてもいい。きかなくても、間違いなく、亀戸の方」と言うので、「予想としてはそうでも、違ったらせっかく購入した家から通えなくなるので困りますから、天野次長に話しておきたいのですが」と私は言ったのだが、ところが、「きかなくても、間違いなく絶対に亀戸だから」と言うので、そこまで言うのならと思って、江東区亀戸の方の展示場にはなんとか通えるであろうけれども、江東区潮見の方の展示場に通うのは困難と思われる船橋市の現在の家を購入して転居したのだった・・が、ところが、1993年1月になると、私の所属は江東区潮見の方の展示場にされてしまったのだった。それで、「リーダー」の宮崎さんに、「話が違うじゃないですか」と言ったところ、「そ~んなの、知らねえよお~お!」と言うのだった。「知らねえよお~お」ならば、なぜ、「間違いなく絶対に亀戸だから」などと言ったのだ? 「リーダー」が所属を決めるのではなく、東京営業所長を兼任していたその頃の役職は「次長」で後に「営業本部長」になった天野隆夫が決めることだったはずなので、それで、「次長にききたい」と私は宮崎さんに話し、それに対して「きかなくてもいい。きかなくても間違いなく絶対に亀戸の方だから」と言ったにもかかわらず、「そ~んなの、知らねえよお~お」とは、それは何だ?!? それが「リーダー」のやることなのか? 「リーダー」というのは「そ~んなの、知らねえよお~お」などと言っていい立場なのか???
購入する時点・転居する時点から、江東区亀戸の展示場にならなんとか通えるであろうけれども、江東区潮見の方の展示場に通うのは困難であろうという場所に家を購入して住んだにもかかわらず、江東区潮見に通勤しろと(株)一条工務店は私に命じたのだった。それならば、江東区潮見に通える場所に会社としてアパートを借りて住ませるようにするべきであろう。 私は会社の上役に、江東区潮見に所属するのなら潮見に通える場所で、江東区亀戸に所属するのなら亀戸に通える場所で家を購入しようと考えているので、どちらに所属することになるのか教えてほしいときっちりと言ったのに対して、「リーダー」が「絶対に間違いなく亀戸の方」と答えたのであり、その返答により亀戸になら通えるが潮見に通うのは困難という場所で購入して転居したのだから、それにもかかわらず、江東区潮見の所属にするのなら、江東区潮見に通える場所で会社がアパートを用意するべきであろう・・・が、それにもかかわらず、(株)一条工務店はそれを用意しなかった。
船橋市の現住居から江東区潮見に通うのは大変なことだった。 今では、道路が拡幅されて車線が増えたり、右折レーンができたり、信号をスルーできる高架のオーバーパスができたりして船橋市内での渋滞が減ったので、その分、その頃よりは速く行けるのではないかと思うが、1992年から1993年にかけては、常識はずれの状態だった。 途中、高速道路に乗れる箇所があっても、高速道路に乗った方が速く進めるとは限らない。しかも、時々、事故が発生する。 特にひどかったのは、高速道路で2か所、高速道路に沿って走る下道で3か所、事故があったという日があり、その日は、朝は相当早く家を出たにもかかわらず、江東区潮見の展示場まで着くのに5時間以上かかった。着いた時はもうへとへとだった。
そして、その日、昼過ぎに東京都町田市の建築地で、外構業者と打合せをする予定が入っていた。船橋市から江東区潮見まで5時間以上かかって着いた時は、もうへとへとだったが、すぐに出発して町田に向かわないと約束の時刻に間に合わないので、へとへとの体に鞭打って、まさに「リゲインのごとく」町田に向かったのだった。首都高速道路から東名高速道路を経て「横浜町田」インターチェンジを出て建築地に向かって走り、たどり着いた時には少々約束の時刻に遅刻したが、外構業者の社長は「前、私が待たせましたから、お互い様ですね」と言ってくれた。そうやって、大変な思いをして尽力した場所なので、町田にはそれだけ思い入れがある。東名高速道路「横浜町田」インターチェンジから町田市を北上する町田街道は、かつて何度もクルマで走った道であり、一生懸命、よく頑張ったなあ・・と思う・・・が、同時に、そうやって努力して苦労して会社のために尽力した人間に、なんともひどいう態度をとる会社だとも思い、よくもまあ、そんなひどい会社に十年超えて尽くしたものだ・・・と、自分で自分をほめてあげたい気持ちにもなれば、「アホちゃうか!」という気持にもなる。
「キャリア」でなくても法務省・法務局でも勤めておれば、もっと楽してもっと高い給料もらえたかもしれん。全法務労働組合の「専従」でもやれば、もっと高い給料もらえたのではないか・・・と思う。あいつら、けっこうな”仕事”しとるのお・・・と思う。
20代前半の時、『ジュリスト 判例百選 憲法』(有斐閣)で見たものだが、公務員のスト権というものは認められるべきものか、否定していいものかという問題で、日本国憲法で、労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権が認められている以上は、公務員であれ何であれ認められるべきもので、もしも、それを制限する法律が制定されたとしても、その法律が違憲であって、公務員もまたスト権は認められるものだ・・という主張がある一方で、裁判所の判例は、団結権・団体交渉権については認められるとしながらも、公務員のスト権については制限されてしかるべきだとしていた。
これをどう考えるべきか。「公務員=全体の奉仕者」論とかは相当胡散臭いもので、そういう理屈によって労働者のスト権というものを狭めていこうとする動きではないか・・・と思われたが、『ジュリスト 判例百選 憲法』(有斐閣)では、もしも、公務員に無制限にストをおこなうことを認め、無制限に賃金の上昇を認めたならば、それを支払うのは国民であり、国民はストによって受けられるはずのサービスを受けられなくなるとともに、公務員に支払う賃金のためにはてしなく高い税金を支払わされることになる・・・ということを裁判所は判決で述べていた・・・ようだ。これを最初に読んだ時には、そういうことを言ってスト権を狭めようと裁判所はしているのではないか、そういうことは可能性として絶対にないとは言えないとしても、そういう理屈でスト権の制限を認めたのでは、労働者・国民の団結権・団体交渉権・団体行動権ははてしまく狭められていくことになっていくのではないか・・・と思ったのだった。しかし、だ。現実に全法務労働組合のおっさんを見ると・・・だ。その裁判所の言うことは間違いではないように思ったのだ。もしも、あいつらに無制限にスト権なんて認めたならば、あいつらは、ろくすっぽ働かないで、ストばっかりやって、国民の税金を財源としてはてしなく賃金アップを要求するようになるだろう。あいつらは実際にそれをやると思うのだ。だから、労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権(スト権)は認められなければならないものだという原則論は間違いではないのだけれども、しかし、一方で、公務員に無制限にスト権を認めたならば、あいつらは、無制限にストをやりまくって、無制限に国民の税金を財源として賃金アップを要求し続け、そのしわよせとして、三流以下企業勤務の労働者が困窮するに至っても、そんなことは知ったことじゃないという態度をとるだろう。そう思うと、なんで、あいつらなんかに「スト権」を認めなければならないんだ! ふざけんな! ・・・という気持にもなる。
福島県いわき市の営業所(展示場)に転勤する前、引継ぎやら何やらで忙しかったが、最後の最後、せっかく契約してもらったが、他の営業に引き継ぐことになった町田市で建てていただくU様と千葉県市原市で建てていただくY様宅に挨拶に顔を出した。翌日にはいわき市の営業所に行くことになっていたので、その前日くらいはゆっくりしたい気持ちもあったが、せっかく私を担当として契約してもらった方なのに、途中で他の営業に引き継いで他の場所に行ってしまうということで、挨拶に顔を出しておきたいと思ったのだった。
そういう時に、どうせ、他の場所に行くのならと顔を出さない人がいるが、私はやっぱり、顔を出しておきたいと思ったし、ともかく、自分が仕事としてやることについては誠実にやりたいと考えていたので、電話でも話はできたとしても、それでも顔を出しておきたいと考えた。私は、ともかく、顔を出して挨拶しておきたいと考える営業の方がそうでない営業よりも、会社としても高く評価するべきもので、そういう営業の方が「営業力がある」営業だと考えていいと思ったのだが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫などはそうではなく、逆に考えるようだった。 天野隆夫の大きな問題として、そのあたりについては、天野隆夫が営業本部長であったとしても、それは、あくまでも、天野隆夫の考え方・認識であり、他の営業は他の認識をしているということくらいは理解しておくべきもののはずであるが、自分が「一族」であるからには自分の考え方が「一条工務店の会社の考え」だと決めつけるところだった。その姿勢は改めた方が会社のためだ・・と思うが、あの男がその姿勢を改めることは、死ぬまでまずないだろう。
小堀住研(株)は営業担当者が退職したり転勤した場合は営業課長が引き継ぐことにしていたのに対し、(株)一条工務店は新人の営業に担当させた。これは良くないと思う。ひとつは、そのお客様は会社とその商品だけを見て契約したのではなく、その営業担当者の対応を見て、それも含めて契約していいと判断して契約したはずであり、それを他の営業に担当を会社の都合で変更するというのなら、せめて、経験がある営業に引き継がせるべきである。 もうひとつ、良くない理由は、新人に経験させたいという考えだったようだが、自分自身が営業担当として契約いただいたことがない営業に引継ぎを担当させると、お客様を軽く見てしまう、契約というものを軽く見てしまうことになる傾向があり、かえって良くないと思う。 私の姉夫婦の家の「引継ぎ担当」をやった松田にしても、自分自身が営業担当として契約したことがない男が「引継ぎ担当」になったことで、契約というものを軽く見る、契約客を軽く見る傾向を持つようになったと思う。 自分自身が営業担当として1件も契約してもらったことがない営業は、他の営業が退職したり転勤したりした時に他の営業が担当で契約したお客様の担当をやる資格はないと私は思う。
1992年12月に契約いただいた町田市で建てていただいたU様が、契約前に神奈川県藤沢市の展示場を見に行かれたということだったので、営業担当の私もその藤沢展示場を知らないというわけにはいかないと考えて、藤沢展示場を見に行き、U様が藤沢展示場を見にいかれた時に接客してくれた営業のMさんに「Mさんに接客していただいたU様にご契約いただきました。ありがとうございました」とお礼を言ったところ、藤沢展示場の所長だった千葉さんから「自分が担当だったお客さんが他の展示場を見に行かれたということで、営業担当の時分もその展示場を見ておかないといけないと思って見に行くというのは大変いいことだ。又、お客さんが他の展示場に見に行かれた時に接客してくれた営業に、そのお客さんが契約されたということで、きっちりとお礼を言うというのもそれは大変いいことだ。その姿勢を失わなければ、あなたは必ず売れるから、今後もその姿勢を失わないようにするといい」と言ってもらったということがあった。そこまでほめてもらうほどのことかなともその時は思ったのだったが、他の営業に協力してもらったお客さんに契約してもらっても、協力してもらった営業にお礼を言わない営業というのは実際に存在する。
藤沢展示場に行った時に、藤沢展示場の所長の千葉さんから、「ともかく、入社して1棟の契約をいただいた者は、その後も努力すれば1棟が2棟になり3棟になるんだ。しかし、0の人間はわからない。10から11への1棟と違って0から1への1棟目というのは大変大きなものなんだ」と言われたことがあった。実際、住宅建築業の会社に勤めて、最初に、家という大きな買い物をするのに、自分を営業担当として契約してもらえたというのは、ものすごい感動であり、契約してもらえるまでに大変な努力をして苦労をしてやっと契約してもらえた時の喜びというのはものすごいものである。そうやって、契約してもらった方とその方の家の計画は、あでやおろそかにはできないものだ・・と思うものだ・・と私は思う。その経験、その体験をしたことがない者は他の営業が担当で契約いただいたお客様の「引継ぎ担当」をする資格はないと思うのだ。 だから、「引継ぎ担当」は(株)一条工務店の1990年代前半の東京営業所・松戸営業所のようにまだ1棟も自分自身で契約していただいた経験がない新人に担当させるのではなく、「営業所長」とか「営業課長」とかでないといけないということはないが、ある程度以上、契約いただいた経験のある営業が担当するべきだと思う。 普通、こういうことは私がどうこう言うのではなく、営業本部長がそういったことを考えるべきだと思うのだが、営業本部長の天野隆夫という男は、そういうことを考えない人間であるだけでなく、むしろ、逆を考える人間だった。
神社・寺の参拝は「早立ち、早帰りの原則」で、比較的早めの時刻に出発して訪問し、早めの時刻に帰るというのを原則と考えている。これは、海外旅行に行った時にわきまえるようになったものと同じである。その国についてよく知らない者は「早立ち、早帰りの原則」で夜になる前にホテルに戻れるようにした方が安全であるということでこの原則を心がけるようになった・・・、なにしろ、1997年、最初にヨーロッパに行った時、日本からパリにエールフランスで行き、パリからローマまで別のエールフランスの便で行くことにしていたら、飛行機が遅れて予定よりもローマに着くのが遅れ、フィウミチーノ空港から国鉄に乗って、そこから地下鉄に乗り換えてテルミニ駅まで行って、そこからさらに別の地下鉄に乗って行った駅から近いホテルに予約していたものの、テルミニ駅で別の地下鉄に乗ろうと地下鉄のプラットホームにいると雰囲気がどうも違うような気がしていたら、駅員が階段を降りて来て手を×の字にして「フィニッシュ!」と言い。そこから、ローマの石畳みの道をどこどこ歩いてホテルまで行った、俺は明日の朝まで生きているのだろうかと思った・・・ということがあったのだが、何があるかわからないと考えて、「早立ち、早帰りの原則」を採用すべしと考えたのだ。 さらに、これは登山の心得とも共通しているようだ。登山においても、「早立ち、早帰りの原則」で、早めに出発して早めに目的地に着くという前提で計画を立て、途中で予期しないことがあったとしても、それでも日没までには目的地に着けるようにするという。
行った先で、「ええ~え。〇時までだったのお~お」ということがないように、「早立ち、早帰りの原則」を実行すべし・・・ということもあるが、神社・お寺というのは一般世間に比べて「早寝、早起き」であるということもある。 門があって夕方になると閉められる寺や、「拝観時間」が指定されている寺では、一般世間に比べて朝は早め、夜も早めであることが多い。 又、神社の場合、例外として東京都府中市の大国魂神社のような「暗闇系」の神社は夜に参拝することもあるようだが、基本的には昼間に参拝するもので、朝日新聞出版から発行されている「本当にあった怖い話(ほんこわ)」に連載中の霊能者 寺尾玲子さんが言うとったと思うのだが、その神社によっても違いはあるが、昼間は祈りの空間である神社が、夜になると呪いの空間になる場合がある・・・・らしい・・ので、もしも寺尾玲子さんと一緒に行くのなら、いわばウルトラマンと一緒に行くようなものだから天下無敵だろうけれども、そうでなく一人で行く場合にはそうはいかないので、その理由でも「早立ち、早帰りの原則」を守るようにした方がいい・・・と思っている。
それで、今回も「早立ち、早帰りの原則」で、早めに出たつもりだったのだ。ところが、首都高速道路を走っているうちに下痢が発生し、ともかく、サービスエリア・パーキングエリアに入ってトイレに行かないと・・・と思ったのだが、ところが・・・・、ね~んだわ、首都高速道路にはパーキングエリアが! 京葉道路から箱崎を経て江戸橋・神田橋・竹橋・三宅坂・谷町ジャンクションを経て用賀、そこから東名高速道路に進んでも、「横浜青葉」インターチェンジを過ぎて「横浜町田」インターチェンジとの間、「港北」パーキングエリアまでないのだ。 しかも、「港北」パーキングエリアは混雑。「背に腹はかえられぬ」というのか何というのか、白線部分に停めているクルマがあったので、この際、「緊急事態宣言」であるから白線部分にクルマを停めてトイレに行った・・・・が、箱崎から江戸橋・神田橋・竹橋・三宅坂・谷町・用賀から「港北」パーキングエリアまで停めてう〇こ する所がない・・・というのはきつい。もうちょっと何とかならんもんかと思った。
・・そんな所で、余計な時間を費やしたので、比較的早めに出たはずだったが、余裕はなくなった・・・が、それでも、早めに出たので、町田天満宮に行った後、本町田菅原神社まで社務所・授与所が閉められるよりも前に参拝することができた。
かつては、そんなに下痢したりなんてしなかったように思ったのだが、一昨年、2019年に胆嚢炎の手術をして胆嚢を失った、「私の胆嚢の部分」「胆嚢の部分の私」を失ったが、その後も、他の臓器も弱ってきているものがあるようだ。 うちの父親は、毎日毎日、私の眼を指でつきさすようにして、「滅私奉公」「会社のために、とってちってたあ~あ!」「撃ちてしやまん、一億火の玉!」「欲しがりません、勝つまでは! とってちってたあ~あ!」と叫び続けてきた。「何をアホなこと言うとるんじゃ」と思いながらもその影響を受けてしまった私は、何かの折につい「会社のために」「滅私奉公」というのをやってしまい、ふと気づくとそんなことやっているのは会社で私一人だけだった・・などということがよくあった。そうやって、「滅私奉公」して尽くしてきた会社は私に「恩を仇で返す」対応をした。「滅私奉公」なんてするものじゃないわ・・・と、しみじみ思うようになった。
町田市にはもうひとつ、「思い出」がある。2000年代のこと、町田市と横浜市青葉区にまたがって「子供の国」http://www.kodomonokuni.org/ という施設があるのだが、ここにイサム=ノグチの作品があるということだったので「(建築屋+建築家)÷2 」として見学しておきたいと思い〔⇒「子供の国」HP 「マニア向けガイド イサム・ノグチ作品群」http://www.kodomonokuni.org/m_guide/tanbo1.html 〕、クルマでこの近くに来る用事があった時に「子供の国」に見に行ったのだ。ところが、「子供の国」の入場口で駐車場があるかと尋ねると、入場口のはす向かいあたりの場所を教えてくれたので、そちらに行くと、「停められるわけないでしょう!」と大変強い口調で駐車場を管理していた男性職員から言われたのだ。しかし、見回しても、駐車スペースにはまだまだ余裕はあるようだったが、「停められるわけない」と言うので、私が入場口の職員に教えてもらった場所とは違う所に行ってしまったのかと思い、もう一度、入場口に行って、場所を確認したところ、私が行った場所で間違っていなかった。それで、「その場所に行ったのですが、係員の方から『停められるわけないでしょう』と言われたのですが、あそこが『子供の国』の駐車場で間違いないのですね」と念を押したところ、「はい。間違いありません」ということだったので、再度、駐車場に行ったのだが、「停められるわけないでしょう」と言うので、「どうしてですか。ここは『子供の国』の駐車場ですよね。入場口の係の方からここに停めるように言われたのですけれども」と言ったのだが、「だめに決まってるでしょ。常識で考えてくださいよ」と言うので、常識で考えたのだが、「子供の国」に入場しようとする者がそのための駐車場になぜ停めさせてもらえないのか、それも、入場口の係員がそこに停めろと言っているのに、なんで、駐車場の係員が停めさせないのか、又、なぜ、両方で正反対のことを言って、こちらは暇でもないのに、何度も行ったり来たり、行ったり来たりさせられなければならないのか、理解不能だった。「子供の国」に駐車場がないのならしかたがないので、付近に時間パーキングでもないか捜すところだったが、入場口の係員はそんなことしなくても、「子供の国」の駐車場がすぐそこにあるからそこに停めてもらえばいいと言うのでそこに何度も行ったのだったが、結局、何度も往復させられた末、駐車場の係員が「わかりました。そしたら、どうなっても知りませんからね。しかたないから、停めてください」とヤケクソみたいに言うので、何を言いたいのかわからないが、それ以上、議論していたのでは時間がなくなってしまうので、それで、そこに停めて入園して見学してきた。
あれはいったい何だったのだろう・・・と後々まで思ったのだったが、その時、背広上下を着ていたのと、大人の男性が1人での訪問だったので、駐車場の係員は「子供の国」には子供づれで入場するもので、大人の男性が1人で「子供の国」に入場するなんて「だめに決まってるでしょう」と言いたかったのではないだろうか。しかし、「子供の国」には大人が1人で入場してはいけないというような規定はない。「子供の国」は、イサム・ノグチの作品を見ておきたいと考える「(建築屋+建築家)÷2」が訪問・見学して悪いことはないはずなのだ。又、これは、最近、YouTuveに出ていたもので知ったのだが、「子供の国」は戦中は、そこで弾薬を製造・貯蔵していた場所で、戦後、米軍に接収された所であり、今は弾薬庫ではないけれども、よくよく見ると、その時の「面影」というのか「名残り」というのかを見つけることができるらしい。その頃の状況を忍びたいという人が見学に行っても悪いことはないはずだ。元弾薬庫だということは、特別のマル秘事項というわけでもなく、《ウィキペディアー子供の国(横浜市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E5%9B%BD_(%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82) にも載っているし、「子供の国」HPの「マニア向けガイド 弾薬庫跡」http://www.kodomonokuni.org/m_guide/tanbo2.html にも掲載されている。 「子供の国」は、その頃からあったかどうか記憶がはっきりしないが、今は、牛・羊の牧場・ポニー牧場などもあり〔⇒「子供の国」HP「雪印 子供の国牧場」http://www.kodomonokuni.org/bokujyo/ 〕、牛の年用の年賀状に使用するために牛の写真を撮りたいという大人が行っても悪いことはないはずだし、何よりも、「子供の国」の遊具で大人が遊んで悪いという理由も特にないはずだ・・・と思うのだが、「子供の国」の駐車場の係員は、「子供の国」であるからには子供づれで行くもので、大人が1人で行きたいからクルマを停めさせてくれと言っても「だめに決まってるでしょ。常識で考えてくださいよ」という理屈だったようだが、その理屈は「子供の国」の運営趣旨とは異なっていたはずであった。入園して帰ったきてから、なんか、不愉快な場所だったな・・・と思ったが、そういう場所だった。 子供づれでないと入場を歓迎されない施設だったようだとわかったので、イサム=ノグチの作品の見学は、一度、行ったからもういいと考え、今後は子供づれの場合も含めて、もう行きたくない場所だな・・と思うようになった。
東京より東側から東名高速道路の「横浜町田」インターチェンジ方面に行くには、京葉道路~箱崎~江戸橋~神田橋~竹橋~三宅坂~谷町~用賀・・・というルートしかないと思ってきて、最初は走りにくかったそのルートの走り方にけっこう慣れてきたのだが、最近、大橋あたりで合流があるという表示が出ているので、なんじゃらほい・・・と思って道路地図を見ると、湾岸線「大井」ジャンクションから大橋・西新宿を直結するルートができたらしい。
又、湾岸線「大井南」インターの南、「東海」ジャンクションから横羽線「昭和島」ジャンクションを経て、「生麦」ジャンクションを経て、横浜北勢線で東名高速道路の「横浜青葉」まで行き、「横浜青葉」インターから東名高速道路に入るというルートもできたらしい。どっちが速く行けるのかわからないが、一度、ためしてみたい。
※ 町田天満宮HP https://tenmangu.newsinet.com/
《ウィキペディアー町田天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E7%94%B0%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html は、本町田菅原神社(町田市本町田)に参拝します。
(2021.2.11.)
☆ 本町田 菅原神社(東京都町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
☆ 町田天満宮(東京都町田市原町田)〔今回〕
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)参拝。拝殿・幣殿・本殿の3部形式の社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅。出入の厳重そうな東芝小向工場と管理不十分な(株)一条工務店・(株)日本産業の「いいかげんそう」工場 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html

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