梅の花咲く 本町田 菅原神社(町田市)参拝[上]鳥居、梅の木、弁天社、社殿。黒のクルマ、軽自動車は住宅建築業に向いているか向いていないか、考察する頭のある人間とない人間。「スマート」な人間と「みみっちい」「しみったれ」の人間。菅原神社の歴史。

[第819回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第57念-1
  東京都町田市の「町田三天神」、町田天満宮・南大谷天神社ともうひとつの 本町田 菅原神社に参拝しました。
  都道47号(町田街道)(八王子町田線)を北上して小田急線の線路を高架で超えると、5差路があり、斜め右前の道、都道3号を行ければいいのですが、一方通行の逆向きで行けないので、もう少し直進し、町田一中の向こうあたりとか、適当なところで右折して進み、町田高校の前あたりで、そのあたりでは一方通行ではない都道3号にぶつかり、左折して進むと、広い通りにぶつかります。これが都道52号(鎌倉街道)で、これを右折。少し進むと、左手に菅原神社かなあ・・てのが見えてきます。赤い鳥居より手前に、なんというのか、黒っぽい周囲に同化したデザインの建物があり、それが交番らしいのですが、その交番の手前に本町田 菅原神社の参拝者用駐車場があります。
  行きすぎてしまうと・・というか、私は行き過ぎてしまったので、引き返そうとしても交通量が多い広い道をバックするわけにもいかないので、菅原神社の北の道を左(西)に入り、神社のまわりを一周するようにして、もう一度、都道52号に出て、今度はゆっくりと進んで交番の手前で参拝者用駐車場に入りました。

  私は、1980年代に普通自動車運転免許を取得した後、しばらく、自動車は運転せず、原動機付自転車(原付)をけっこう運転したのですが、原付から普通自動車に変わった時に思ったのは、
[1] 原付だと、道を間違えたあ~あ・・と言う時、「よっこいしょ」と持ち上げて向きを変えて戻るということができるのに対して自動車はそうはいかない。
[2] 原付だと一方通行の逆向きだけれども、逆向きはほんのちょっとという時、その区間だけエンジンを切って押して進んで、逆向きが終わったところでエンジンをかけて進めばいいが、自動車はそうはいかない、
という点でした。
  原付は
(1) 雨の日も雪の日も屋根がないし、
(2) 冷暖房なんてないし、
(3) 背もたれもないのに対して、
自動車は屋根があって冷暖房が効いて背もたれがあるという点はいいのですが、
(4) もうひとつ、国道などで制限速度が40㎞とか50㎞とかの所を走りたい場合、普通乗用車なら制限速度内のスピードで走っても原付は現実に時速40㎞とか50㎞のスピードは出るのだけれども、前後のクルマと同じスピードで走ると原付だけがスピード違反になってしまうという問題があります。
[1] [2]の2点、原付ならできる「よっこいしょ」と持ち上げて向きを変えるということができない、一方通行の逆向きの所をエンジン切って押して進むということができない、という点では自動車は原付に比べて不便やなあ・・・と思ったものでした。 その中間みたいのが軽自動車で、1993年、(株)一条工務店の千葉県松戸市の営業所(展示場)にいた時、設計事務所の人の軽自動車に乗せてもらったことがあり、その際、普通乗用車なら方向転換にそれなりの場所が必要とされるところを、軽自動車なら狭い範囲でひょいと向きを変えられるというのを知り、軽自動車て案外便利なものだなあ・・と思ったものでした。
  もうひとつ、原付の場合、自分が相手のクルマを見えるかどうかは考えても、自分が乗る原付が他のクルマの運転者から見えやすいかどうかなんて考えることはなかったのですが、乗用車の場合はそうではない。乗用車の運転席に座って見ると、黒および濃紺のクルマというのは見えにくい。夜は白および白っぽいクルマは見えやすいのに対して、黒および濃紺のクルマというのは暗闇に同化して本当に見えにくい。昼間はそうではないかというと、昼間も黒および濃紺のクルマは見えにくい。道路の舗装はコンクリートの舗装とアスファルト舗装がありますが、今はアスファルト舗装の道の方が圧倒的に多く、昼間でもアスファルト舗装の道および駐車場では黒および濃紺のクルマというのは本当に見えにくいのです。 実は大規模な駐車場で車庫入れの時に、クルマの後ろをぶつけてしまったことがあるのですが、それらはすべて黒もしくは濃紺のクルマでした。見えにくいのです。見えにくかったとしても、停まっているクルマにぶつけたならば、ぶつけた方が悪い・・ということになるとしても、それなら、こちらは見えやすい色のクルマに乗っていて、こちらが駐車中には、黒もしくは濃紺のクルマに載っているドライバーが私のクルマにぶつけなかったのは、それはこちらが見えやすい色のクルマだったということがあるはずですから、こちらがぶつけてしまった時に、見えやすい色のクルマか見えにくい色のクルマかをまったく考慮されないというのは、なんか損みたいな感じがします。だから、クルマを買いかえる時、あほくさいから、こっちも見えにくい色のクルマにしてやろうか・・という思いをすることもありましたが、クルマ対クルマの事故で、こちらが見えやすい色合いのクルマで相手が見えにくい色合いのクルマなのに、その点をまったく配慮されることなく負担割合が決められるというのは、なんか納得いかないような気もするのですが、相手がクルマではなく歩行者か自転車の場合、こちらが見えやすい色合いのクルマに乗っていたならば、たとえ、こちらが運転ミスをしてしまうことがあったとしても、見えやすい色合いのクルマに乗っていたならば相手がよけてくれる可能性もあるのに対して、こちらが見えにくい色合いのクルマに乗っていたならば、相手がよけてくれる可能性がその分だけ小さくなると思われるので、それで、クルマ対クルマの自己の負担割合で「なんか、あほくさいなあ」と思うことがあったとしても、相手が歩行者か自転車の時の事故の確率がいくらかなりとも低下するならば、見えやすい色合いのクルマに乗るようにした方がいいのではないか、と考えて、それで、今、乗っている乗用車は3台目ですが、私は見えやすい色合いのクルマに一貫して乗っています。
  住宅建築業の仕事は、営業・工事担当の場合、クルマで移動することが多い仕事です。2010~2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも、2013年に正式に倒産〕で、自称「工事責任者」の植草A二(男。当時、30代なかば)が、「ぼく、営業やったことないですけど、営業で~きま~すもお~おん!」とふてぶてしい文句を何度も何度も大きな声で叫んでいましたが、まず、植草は過去に事故を起こしたことがあったということでか、運転免許を持っていないか、取得できないか、クルマを運転しないのかできないのかの人間であり、営業能力がどうこう以前に、クルマで移動することが必要な住宅建築業の営業の仕事は、その点で厳しいはずだったのです。その程度のこともわからないで「ぼく、営業やったことないですけど、営業で~きま~すもお~おん♪」などと、ぬけぬけとでぶでぶと叫んでいたとなると、その無神経さはますます「営業できない要素」と判定できるでしょう。 「工事責任者」と自称していたものの、自分でクルマを運転しない男ですから、工事現場を見に行けないし見に行かない。それで、どうやって「工事責任者」なんてやってられるんだ・・というと、実質、できていなかった。そういう人間がやりもしないで、「で~きま~すもお~おん」などと叫ぶというのは、無神経であるとともに、「アホと違うか」・・というもので、私が採用担当ならば、住宅建築業の営業の募集にこういう人が応募してきても、採用はしません。
  2011年4月に新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)に社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人だということで縁故入社したT口 恵(女。当時、30代前半)は黒のばかでかいクルマに乗っていたのですが、
1.黒のクルマは見えにくいので、その分だけ、事故をおこしやすい、事故にあいやすい。
2.建築業の仕事をやると、細い道の所を入って行かないといけない場合があり、狭い場所に停めざるをえない場合があり、ばかでかいクルマは適さない。
3.他の業界ならともかく、建築業の会社の場合、「ドケン屋」の一種と考えられ、外車とかナンバーのそろったクルマとか窓にスモークの入ったクルマとかは、他の業種以上に避けないといけない業界であり、それとともに、「黒のクルマ」というのも似たように見られる危険があることから避けた方がいい。

・・・この1~3を理解できていない人間だったのです。黒のクルマに乗っている人はすべての人がということではありませんが、
(1) 黒のクルマは見えにくいので、歩行者・自転車を傷つけないようにするには、見えやすいクルマの方がいいということから考えると、できるだけ避けた方がいい。
(2)建築業の場合は、「ヤクザ関係」の会社ではないかと疑われる危険があることは少しでも避けるべきであり、それを考えると、外車、それにスポーツカー・羽根のついたクルマ・ツードアのクルマ、それに黒色のクルマは避けた方がいい・・ということが考えられるのですが、
黒のクルマに乗っている人というのは、この(1)(2)について、考慮しようという姿勢が欠落しているという人が多い傾向があるというのは、これは事実です。そのあたりに無配慮・無神経な人というのは、他の点においても無神経である場合があります。(もちろん、例外はあり、黒のクルマにのっているすべての人がということではありませんが。)
  2005年、千葉県などのリフォーム会社 (株)ウッディホームhttps://www.woodyhome.com/ の船橋店にいた古田部(男。当時、50代)はリフォーム屋の仕事で使うということで、そのために軽自動車に乗っていましたが、それはいいけれども、黒のクルマに乗っていた。なんで、黒のクルマに乗るんだと思いませんか。私が ↑ に述べたようなことを考えていないからでしょう。 住宅建築業でも新築屋の場合は、お客さんを乗せて案内することがあるので軽自動車は不向きですが、リフォーム屋の場合はお客さんを乗せることはあまりなく、
《1》 すでに建物が建っているお宅に訪問する場合、駐車スペースがないか、あっても広くない場合が多いので、その点では比較的狭いスペースでも停められる軽自動車は便利です。しかし、
《2》 建築屋はたとえお客さんを乗せなくても物を運ぶことだってありますから、その時には軽自動車は普通乗用車に比べて不便です。
  1995年、TOTOの船橋のショールームを使わせてもらって、リフォーム説明会を実施した際、新聞折込のチラシを作製して新聞屋に折込を依頼したとともに、何百部か船橋店でポスティングをするように社長が船橋店に送ってきたのです。船橋店には古田部・遠藤とリフォームの業界で長くやってきたという50代のおっさんが2人いました。私は新築屋ではベテランでしたがリフォームの経験はあまりなく、同社では新人でした。それで、リフォームが長く同社でも1年越えて在籍しているらしい古田部に、「3人で、どこにポスティングするか地域割を決めましょう」と言ったのですが、ところが、古田部は「まあ、そのうちやるから」と言って、誰がどの地域に入れるか打ち合わせを拒否するのでした。古田部は年末にカレンダーを過去にリフォームをしてもらったお客様宅に持参するのも、「誰がどの地域を担当するか決めましょう」と私が再三言っても、「まだ、いいから」「まだ、いいから」と言い続けて、結局、年末に配布できずにいるカレンダーを残してしまった。そういう男でした。 リフォーム説明会の前夜、私が帰宅しようとしてふと見ると、そのチラシが大量に床の上に積み上げられているのです。それで、古田部と遠藤は同年代で入社も近かったようですが、古田部の方が微妙に先に入社していたようなので、古田部に電話を入れて、「大変です。ポスティングする予定のチラシがそのまま床に積みあがっています」と言ったのです。そう言えば、私にいくらか入れてくれないかと言い、そして、古田部と遠藤は、戻ってきてポスティングするか、そうでなければ、翌朝、早めに来ていくらか入れるかすると古田部は言うであろうと思ったのです。ところが、古田部という男は何と言ったかというと、「それ、社長にわからないように、どこかに隠しておいてえ」と、そう言いやがったのです。社長に見つかるか見つからないかの問題じゃないでしょう。古田部はそういう男でした。
  私は、そういうのはどうしても嫌だったので、それで、すべてをすでに夜遅くなった時刻から1人でポスティングするのは無理としても、いくらかは入れるようにしたいと考えて、それで、量が多いので戸建住宅に入れてまわったのでは残るものが相当多いと考えられ、マンションでもドアポストに入れると時間がかかるとともに、真夜中にドアポストに入れられたのでは、その部屋の住人は気色が悪いと思われることから、船橋店の近隣のマンションの集合ポストに片っ端から1人で入れてまわったのです。古田部は、私が「誰がどの地域に入れるか分担を決めましょう」と何度も言っていたにもかかわらず、「うん、まあ、そのうち」とか言って拒否し、その結果、前日の夜、床の上に大量にチラシが積み上げられた状態になるに至ったのですから、「あ、ごめん」くらいは言うものですが、それも言わない。そういうおっさんでした。
  今なら体力的に無理ですが、その頃は今よりも若かったので、ほとんど1晩かけて、床の上に大量に積み上げられていたチラシを、かなりの部分、ポスティングしました。・・ところが、翌朝、古田部が出勤してきた時にそれを話したところ、普通なら、「一人でそれだけ入れてくれたの。ごめん。申し訳ない」くらい言うのが常識ですが、ところが、この男はなんと言ったかというと、「ほう。感心感心♪」・・て。アホか! おまえは日本語を知らんのか?!? ・・・
  そして、その「日本語を知らない古田部」が便器だったかを古田部の軽自動車に積もうとしたら、軽自動車には載りにくいようだったのです。それを見て、私が「それじゃあ、それは私が私のクルマに積んで行くことにしますよ」と言って、私のクルマに載せようとしたのです。それならば、特別、何も言わなかったとしても、そのかわりに、最初、私が載せていく予定だった、ひとつひとつの体積は小さいけれども、全体としてはそれなりの量になるカタログなどを古田部がそれならば古田部のクルマにでも載りますから、そちらを積んでいくものだ・・と思いませんか。・・・ところが、この男はどうしたかというと、あきれたことに、「そう。じゃあ、積んでいってねえ~え」と言って、おのれは手ぶらでクルマを発進させて会場に行ったのです。あきれました。この男、本当に住宅建築業の仕事をこれまでからやってきた人間なのか? それ、嘘と違うのか?
  そのあたりの無神経なところというのは、古田部が黒いクルマに乗っているという点と相関関係があるように思えます。断っておきますが、その点において、住宅建築業の仕事についている人間では、黒いクルマに乗っている人というのは、その点で無神経な人が多いという傾向があるというのは間違っていないと自信がありますが、あくまでも、「傾向がある」ということであって、黒いクルマに乗っている人はすべての人が無神経だという意味ではありません。
  それだけではないのです。 「スマート」という言葉 は、デブではないとしても、本来、「やせている」という意味ではない。やることが「スマート」の人間とそうでない人間というのがいるのです。1960年代なかば、私が小学校1年の夏休みの時、父親の会社の社員旅行で小豆島に行くのに一緒に連れて行ってもらったことがあるのですが、帰りのフェリーボートの中で、うちの父親が小学校1年生が持っていた水筒を「ちょっと、それ、貸してんかあ」と言ってとりあげて、会社の人間、大人に「配給、配給、お茶の配給です♪ 配給、配給♪」と言って、お茶を欲しいと言っていない人にまで配ってまわった。小学校1年生が持っている小さな水筒ですから、すぐになくなってしまいます。小学校1年生が「お茶、欲しい」と言った時には、「ないねん。お茶、もうないねん」と「会社の人」が言うのです。「ないねん」と言われても、それは小学校1年生が持っていたものであり、小学校1年生が持っているものを大人が取り上げてみんなよって飲んでしまって、「もう、ないねん」はないだろうが! もし、私が「会社の人」であったなら、上役が子供が持っているものを取り上げて、「配給、配給、お茶の配給です♪ 配給、配給♪」などということをやりよったとしても、「私はけっこうです」と言って断ります。 特に、営業の仕事をしている人間は、子供が持っている物を「それ、ちょうだい」などとは言ってはならないのですもし、上役が自分の子供が持っている小さな水筒をとりあげて、「配給、配給、お茶の配給です♪ 配給、配給♪」などということをやったなら、口に出して言うかどうかはさておき、「この人、あんまり、賢くないなあ( 一一)」と思います。 うちの父親は子供が持っている物を取り上げて「配給、配給♪ お茶の配給です♪ 配給、配給♪」ということをやって、それで「ええかっこしい」やっているつもりだったようですが、それは「ええかっこしい」のつもりであっても、ちっとも「ええかっこ」ではなかった、ちっとも「スマート」ではなかったのです。
  それに対して、「出すべきところでは出す」という方が「スマート」ということがあります。 その時、リフォーム相談会に(株)ウッディホームhttps://www.woodyhome.com/ から行っていたのは、船橋店の古田部と遠藤の50代のおっさん2人と私、それに建築業の仕事の経験はそれほどないらしい、30代のにーちゃんと、船橋店で事務として勤務していたパートタイマー扱いで普段は日曜日は休日である30過ぎの女性の某さん。某さんは、本来は休みの日だけれども、社長がリフォーム相談会だから出勤してほしいと言って来させたらしかったのですが、パートタイマーだから、残業と休日出勤はないということで勤務していたはずの人で、残業と休日出勤はないかわりに、給与はパートタイマーの扱い・・ということは正社員の扱いよりも条件は悪いということだったのだろうと思います。 某さんに本来は日曜日は休みで休日出勤はないというパートタイマーの扱いで来てもらっているのに、そういう条件の人にあえて休日出勤で来てもらったのですから、社長は「申し訳ない」の一言くらいは言った方がいいでしょうけれども、正社員の扱いで入社している営業社員もまた、なんらかの誠意を見せるべきでしょう。 ・・それで、昼前、リフォームの経験は十分にあると自称している50代のおっさんの古田部は私たちにこういったのです。「〇〇くん(私)と、△△くん(私と同時期に中途入社した30代のにーちゃん)と某さん(30過ぎのパートタイマー扱いで勤務している女性)と3人で一緒に先に食事に行ってきてえ。俺と遠藤さんとは後から2人で食事に行くから」・・・と。普通に考えて、なんで、このおっさん、そういうことを言うか?・・・と疑問に思いますでしょ。私はそれを聞いた時は「え?」と思っただけでしたが、しばらくしてわかりました。なんとも、みみっちいオヤジだこと( 一一) 「スマート」さのないオヤジだこと( 一一)( 一一)( 一一)
  私は新築屋の仕事ではベテランでしたがリフォームの経験はそれほどない人間で、(株)ウッディホームには入社して1ヵ月少しの人間でした。もう1人の30代のにーちゃんも入社して1ヵ月くらいでした。それに対して、古田部と遠藤は入社はパートタイマーの某さんより後らしかったけれども、正社員の扱いで入社していた人でした。古田部と遠藤は新築屋ならどうかという面のある人でしたが、リフォームの仕事は長くやってきた人だそうでした。 ですから、もし、2手に分かれて食事に行くのなら、リフォームの経験がある古田部と遠藤は分かれて、私ともう1人のにーちゃんが、分かれて、古田部と遠藤のどちらかにどちらかが一緒に食事に行き、パートタイマーの某さんはそのどちらかと一緒に食事に行くというのが妥当だったはずなのです。それを、なぜ、古田部と遠藤がくっついて、パートタイマーの某さんを(株)ウッディホームでは新人の私たち2人の方にくっつけたか? ・・・わかった。あのオヤジがどれだけ「しみったれ」で「みみっちい」人間で、「スマート」でない人間かがよくよくわかった。
  もしも、私が(株)ウッディホームで相当のベテランであったなら、パートタイマー扱いの某と誰かと3人で一緒に食事に行ったなら、「某さん、某さんは休日出勤はないというパートタイマーの扱いなのに、きょうは無理を言って休日に出てきてもらって申し訳ありません。ほんの気持ちとして、某さんの昼食代、私に出させてください」と、そう言います。でも、その時、私は新築屋の経験は他の会社でベテランでしたが、リフォーム屋の経験は浅く、(株)ウッディホームでは入社して1ヵ月少しでしかない人間でしたので、入社して1ヵ月少しの人間がそのようなことを言うわけにはいきませんでしょ。 それに対して、古田部か遠藤が某さんと一緒に食事に行ったならば、古田部か遠藤が「某さん、某さんは休日出勤はないというパートタイマーの扱いなのに、きょうは無理を言って休日に出てきてもらって申し訳ありません。ほんの気持ちとして、某さんの昼食代、私に出させてください」と言うものだ・・という雰囲気になりますでしょ。だから、古田部か遠藤は、そうすればよかったのです。そういうところで、某さんに、昼食くらい営業の正社員として出してあげればよかったのです。そのくらい出すのを「スマート」と言うと思います。ところがどっこい! 古田部はそうは考えなかった。古田部はそうではなく、某さんと自分が一緒に食事に行ったならば、自分が「某さん、某さんは休日出勤はないというパートタイマーの扱いなのに、きょうは無理を言って休日に出てきてもらって申し訳ありません。ほんの気持ちとして、某さんの昼食代、私に出させてください」と言わなきゃならないような雰囲気になってしまう・・と考えた。だから、それを出したくないので、それで、パートタイマーの扱いの某さんを私と30代の入社して1ヵ月くらいのにーちゃんの方にくっつけたのです。まったく、どうしようもない「しみったれ」の男だなあ・・・と、あきれました。 出すか出さないかの問題ではなく、どういうところでは出すべきか、どういうところでは出さない方がいいか、どのくらいは出さないといけないか、どのくらいは出さない方がいいかということを、きっちりと判断できる能力というものを「スマート」と言うと思うのです。古田部は自分は「スマート」の逆の人間ですと自分で表明したのです。そのあたり、黒のクルマに乗っていて、自分が軽自動車に乗っているものだから、少々体積が大きいものは載せられないとなると、私の方から「それじゃ、それは私が載せて行くことにしますよ」と言う前に、「申し訳ないけれども、これ、載せて行ってもらえない? そのかわりに、〇〇さんが載せて行く予定だったものを俺のクルマに載せて行くから」と言って、当初は私が載せて行く予定にしていたものを古田部が古田部の軽自動車に載せて行くようにするべきものです・・・が、それを、体積があるものを私が私のクルマに載せて行くと私が言うと、「そう。それじゃあ、お願いね」と言って、この頭の薄いオヤジはおのれは手ぶらで行ったのですが、それと、黒の軽自動車に乗っているということと、パートタイマーの扱いで休日出勤はないという前提の人に休日出勤してもらった時に、昼食に行く時に、そのパートタイマーの人を自分の方にくっつけるのではなく新入社員の方にくっつけたという、なんともセコイやり口とは、共通点があるものです。
  何度も言いますが、黒のクルマに乗っている人は例外なく「セコイ」とか「スマートじゃない」とか「無神経だ」とか言うつもりはありませんからね。例外なく「セコイ」とか「スマートじゃない」とか「無神経だ」とか言うつもりはないけれども、そういう傾向がある人が少なからずいる、ということは事実です。もし、黒のクルマに乗っている人で、これを読んで不愉快に思われる方があったら申し訳ないと思いますが、決して黒のクルマに乗っている人はすべての人が「セコイ」とか「スマートじゃない」とか「無神経」とは言ってません。そういう傾向がある人が現実に少なからずいる、ということを言っています。
  そして、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕の社長の長谷川新二(当時、40代)もまた、黒のツードアのベンツと黒のハリアーだったかオフロードカーに乗っていたのです。 2010年、千葉県東金市の工事現場で、建築工事現場見学会を開催した時、長谷川新二は嫁と子供を連れて、アイスクリームをかじりながら、黒のベンツでやってきたのですが、社長が、建築現場説明会にジーパンはいて、アイスクリームかじりながら、黒のベンツでやってくる・・・というのが、それが工務店の社長の行動としてふさわしいものかどうか?・・・そのあたり、考える頭があるかないかはその会社が発展するか衰退するかに影響します。建築屋の社長に建築現場説明会に黒のベンツで来られたのでは、実際問題として営業妨害でしょう。 遊びのためのオフロードカーと仕事で乗れない黒のベンツと、2台もクルマを持っても、どっちも建築屋に不向きなクルマ、どっちも黒のクルマ・・というあたり、長谷川は無神経で、仕事に対する姿勢に真面目さが不足しています。

  町田市本町田の菅原神社(本町田 菅原神社)は、都道から西に入りますが、赤い鳥居があります。↓
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「菅原神社」と書かれています。
  鳥居の右手前、都道に沿った位置に、紅梅 ↓ 。
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  鳥居の右手前、紅梅より内側に、 「村社 菅原神社」と書かれた石柱。↓
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  赤い鳥居をくぐって進むと、向うの丘に社殿が見えてきますが、その手前は谷地になっています。 ↓
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  平地に街が開けていて、それよりいくらか高い丘に神社が設けられた所というのはよくありますが、この本町田の菅原神社の場合は、鳥居をくぐると、そこから坂を下るように低い場所を通って、そして、階段を何段も登って丘の上に行き、その丘の上に社殿があるという、少々変わった配置になっています。
  なぜ、こういう配置になったのだろうか。谷保天満宮のように、もともとの参道とは異なる方から入るように進入路が変わったのだろうか? しかし・・、
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・・・階段を登っていった正面に拝殿の正面があるようです。
  本町田 菅原神社のホームページの「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html には《当神社は東京都旧跡「井手の沢古戦場」に建っています。》と出ています。 「井手の沢古戦場」とはどういう戦いがあったかというと、「一味、散々(1333)、北条氏」、1333年に鎌倉幕府が亡んだ後、最後の執権 北条高時の息子の北条時行の軍と足利直義の軍が戦い、北条時行軍が勝ったという戦いがおこなわれたのが、この「井手の沢」のあたりだったらしい。 勝った北条時行は鎌倉を奪還したものの、足利尊氏・足利直義に鎌倉を攻められ、20日にして滅ぼされ、それを「中先代の乱」と言った。
※ 《 中先代の乱 なかせんだいのらん 1335年、北条高時の子 時行が鎌倉幕府の再興を計っておこした兵乱。一時鎌倉将軍府を陥れたが、尊氏に鎮定される。》
 ( 全国歴史教育研究協議会編『新版 日本史用語集』1966.1版。1974.新訂版。1975.新版。山川出版社)

  なぜ、本町田 菅原神社は、その「井手の沢」のすぐ上の丘に建っているのか。 本町田 菅原神社 のホームページの「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html には、
《 室町期の永享年間、近在の大沢左近正次は、先祖の大沢七郎正純が鎌倉期元応年間に京都北野天神へ詣でた折に得た天神像(大沢家の守り本尊だったと言われます。)を、当地井手の沢の山上に奉安いたしました
  先述の中先代の乱で戦死者累々としたであろう当地に奉安されたということは、想像の域ながら、鎮魂という動機もあったと思われます。
  また足利将軍家が京都北野社を信仰していたこと、室町期には天神様は冤罪を晴らす神なる御性格が広まっていたこと等も関係しているのかもしれません。 》
と出ています。
  「井手の沢」古戦場のすぐ上の丘に菅原神社が設けられたというのは、「想像の域ながら」鎮魂という動機もあった・・ということは、十分、考えられるように思われる立地です。

  『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』(1994.初版)には、
《 町田天満宮の歴史は天正年間、北野神社の仏師が御神像を彫刻し、町田威徳天神として祭祀したのが創建と伝えられている。その時、三躯の御神像が同時に一本の木より彫刻され三つの神社に祭祀された。それが町田三天神の由緒であり、町田天満宮はその中の一社である。町田市本町田南大谷の天神様とともにこの地方の崇敬をあつめ親しまれている。》
と出ているが、「天正」というと、16世紀後半の後半。
  本町田 菅原神社のホームページの「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html には、《 昔の本町田村はとても広い地域でしたが、天正10年(1582)分村が施行されました。本町田村から原町田村、大谷村が分かれ、新たなそれぞれの村は元の本町田村と同じ菅公を鎮守として祀ったのです。村民統治の必要性からであると共に、それ以前より村全体の人々から親しまれていたことを示すものと思います。》と出ており、それが、《三躯の御神像が同時に一本の木より彫刻され三つの神社に祭祀された》というものか。

  「永享」というと、15世紀前半の後半。
  14世紀前半の「井手の沢」での戦いの後、
  15世紀前半に、「井手の沢」の上の丘に本町田の菅原神社の祠が設けられて天神象を祀ったが、
  16世紀後半に、天神像を1本の木から3躯作って、本町田菅原神社・町田天満宮・南大谷天神社の3社に納めたということがあった・・ということか。
  さらに、本町田 菅原神社のホームページの「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html には、《 時は下ってその子孫大沢玄蕃(げんば)は、江戸期初頭の寛永7年(1630)新たに渡唐の天神像を刻ませてここに奉安いたし、この地を寄進して本町田の鎮守としたのが当社の縁起であります。 》とある。
  17世紀前半に、渡唐天神像を刻ませて奉安し、本町田の鎮守とした・・らしい。

  低くなった、湿気が多そうな谷地、階段より左側(南側)に小さい祠が見えるが、本町田 菅原神社のホームページの「境内案内」https://www.sugawarajinja.com/walk.html によると、弁天社 らしい。
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  本町田 菅原神社のホームページの「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html には、
《 水の神、弁財天(習合神)を祀る。平成二十六年(2014年)今井地区より境内に遷座 》と出ています。
↑ クリックすると大きくなるので、拡大して見ていただくとわかると思いますが、谷地にある小さい祠が、2014年に《今井地区より境内に遷座》したという弁天社で、その後ろの崖地に造られているでっかい建物は、「神楽殿」のようです。

  階段を上がった正面に配置されているのが、本町田 菅原神社の社殿
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けっこう大きな社殿です。
  本町田 菅原神社のホームページの「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html に《 享保7年(1722)御本殿が再建され、天明5年(1785)社殿が造られました。》と書かれていますが、18世紀の建物にしては、現在の社殿は新しそうに見えます。
本町田 菅原神社のホームページの「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html に「新社殿」「旧社殿」の写真が掲載されており、現在の社殿は「新社殿」の方ですから、1722年に御本殿が再建され、1785年に社殿が造られたという社殿は「旧社殿」の方で、現在の社殿は少なくともそれより後で造られたものなのでしょう。
  《 明治35年(1902)国の施策により、千眼天神社、大六天社、七面社、稲荷社、白山社の五社を合祀し、その後も菅公のご神徳と氏子崇敬者の篤い信仰により発展してまいりました。》と出ていますが、1902年というと、「日暮れに(1902)結ぶ、日英同盟」、日英同盟が結ばれた年、「ロシアに行くを知ってか(1904)、兵隊さん」の日露戦争の1904年の2年前の年。
  しかし、1902年に造られた建物と考えても、今の社殿は新しすぎるように見えます。もっと、後に造営されたものではないのでしょうか・・・と思ったら、本町田 菅原神社HPの「境内案内」https://www.sugawarajinja.com/walk.html を見ると、《 平成24年(2012年)8月社殿改修工事が竣工し、江戸天明期以来237年ぶりに、新拝殿となりました。》と書かれています。なるほど、築8年半ですから、新しいですね。

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html は、御本社、梅鉢の紋、参集殿、神楽殿・・

  (2021.2.12.)

☆ 本町田 菅原神社(東京都町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。〔今回〕
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
☆ 町田天満宮(東京都町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html

★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html

千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html 
新町天満宮(千葉市中央区) 
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)参拝。拝殿・幣殿・本殿の3部形式の社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html

神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅。出入の厳重そうな東芝小向工場と管理不十分な(株)一条工務店・(株)日本産業の「いいかげんそう」工場 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html

静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html 

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