新卒社員研修で「この会社におる奴はアホばっかしや」と言う外部講師と東京海上火災の営業を「皆さんとは違ってエリートの人」と言う社員教育担当者。 「最近の若い者は甘ったれとる」のか? 「親は子から何かをしてもらった時に気持に喜ぶ」のか?
[第822回]会社と営業の話
私は自分自身が大学生であった時には、「社員教育」としておこなわれているものには「くだらんなあ」というものが多いという印象を受けていたのですが、実際はというと、実際に「くだらん」ものもあれば、役に立つものもあると思います。
ここでは、その「くだらんなあ」というものの方を述べます。
【A】(1) 1980年代の後半、木質系戸建住宅建築業の小堀住研(株)の新卒社員研修でのこと。その頃は、大阪市北区曽根崎、JR「大阪」駅の南側、大阪駅の目の前、すぐ下には地下鉄谷町線「東梅田」駅がある所、元 旭屋書店のすぐ南、お初天神のすぐ西という超一等地に小堀住研(株)の本社はありました。何でも一等地に持てばいいとは決まっていないのですが、大阪駅の南口を出てすぐの場所に立つと、目の前に本社があってその屋上に「小堀住研」と書かれた看板が載っていると、なんだか、会社も一流会社の仲間入りをしたのか・・? と一瞬思いそうになる、そういう場所にありました。戸建住宅建築業の会社は関西発祥の会社が多く、特に「プレハブ系」は大阪が本社の会社が多かったが、そういう何社かで大阪市北区に本社がある会社よりも大阪駅に近い場所に本社ビルを持っていた。
その本社で約2週間、全体の研修があり、その後、「営業系」(営業・人事・総務・経理など)(4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人のコース)は兵庫県芦屋市の施設で2週間余、合宿研修があり、「技術系」(設計・工務・工事・アフターサービスなど)(4年制大学の建築学科・土木学科卒の人のコース)は別の場所で約1ヵ月の合宿研修がありました。その本社の部屋で実施された全体での研修のことです。
「副社長のKさんと財界団体の親睦会で知り合った」という社外講師の男性が、こういうことを言ったのです。
「最近、一流大学卒で新卒社員として入社した人間には、それまで、小学校・中学校・高校・大学と只管勉強ばっかりやってきて、会社に入ると、途端にそこで、それまでとは生活が変わったことで、精神的にショックを受けてだめになるという人間がおる。その点、ここにいる人間は大丈夫や。ここには一流大学でたようなやつは一人もおらんからなあ。なにしろ、ここの会社におるようなやつは、どいつもこいつもアホばっかしや!」と。
・・・何、それ? せっかく、社外講師として呼んでもらっておきながら、その物言いはいったい何???
やっぱり、研修の「社外講師」としてその会社に呼んでもらうのならば、その会社がどういう会社かということは理解してからその会社に訪問するべきであり、又、実際にその会社の従業員が「アホばっかし」であるか否かにかかわらず、呼んでもらった会社の人間に対して、「この会社におるようなやつは、どいつもこいつもアホばっかしやからなあ」とは、それは失礼であろう。そのような口をきくのならば、「社外講師」として来るべきではない。
まず、小堀住研(株)というのは、私の親が大阪府で小堀住研(株)で在来木造の戸建住宅を建てた1960年代後半においては、「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんです」と言っていた、そういう会社であったはずなのです。1960年代後半だけではなく、それから20年ほど後の1980年代後半のその研修の時においても、本社での研修で講師役で来た社員が「小堀住研は昔から『大卒しか採らない会社』としてやってきました」と説明したし、その後の「営業系」(4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人のコース)の合宿研修においても、講師役で来ていたTQC推進本部営業部会課長のMさんが「営業でも、その会社によっていろいろな営業があって、ミサワホームあたりは高卒の営業が多いんだけれども、小堀住研は昔から『大卒しか採らない会社』で、小堀住研の営業は大卒の営業でミサワの営業は高卒の営業であって、小堀の営業とミサワの営業は営業は営業でも営業が違う」と言っていたのです。そういう会社だったはずなのです。「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言って・・といっても誰が言っていたかというと、小堀住研(株)が自分で言っていたのですが、そういう文句は「嘘でも百回言えば真実」になる面だってあるわけで、自分で言っていたにしても、その結果としてそうなっていた部分もあったのです。又、関西圏を中心として「高級住宅の小堀」として売ってきた会社であり、戸建住宅の施工棟数ではミサワホームの方が小堀住研よりも多くても、「格」としては小堀住研(株)の方が上だというイメージでやってきた会社だったはずなのです。そして、たしか、会社案内で見たものだと思うのですが、「採用実績校」としては「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか、そのような記述がされていたと記憶しています。要するに、「東大・京大以外の十大国立大学」から1校、「地方国立大学」から1校、「関関同立」から2校、「関関同立のすぐ下の関西系私立大学」から1校の5校が記載されていたはずです。
もっとも、入社してみると、入社式の後、2週間ほど本社でおこなわれた全体での研修では、「技術系」で建築系の短大卒の男性が1人いて、男性の短大てあるんだなあ・・とその時、思ったということがありました。又、女性で短大卒の人が何人かいましたが、女性で短大卒で入社した人は、仕事の内容も4年制大学卒で入社した人とは仕事の内容も違いました。男性で建築系の短大卒の人というのは、本人は言わなかったけれども、もしかすると、なんらかのコネクションでの入社だったのか? ・・とも思えますが、そうかどうかはわかりません。
又、配属されてみると、「大卒」の人でも、「大卒しか採らない会社」で、その大学は「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」くらいの大学卒の人の勤め先かと思うと、実際には、そんな大学卒の人は少なくて、「言っちゃなんだが」、「ずうう~っと下の方の大学」の人の方が多かった。千葉支店の設計課長・・・というと、当然、国立大学か早稲田大の建築学科卒くらいの人がなっているのだろうと思い込んでいたら、千葉支店の設計課長の I さんは東海大学の建築学科卒だと聞いたので(I さんに書いてもらった図面はなかなかよくできていたとは思いますが)「ええ~え? 設計課長に東海大学卒の人なんてなってるのお~お?」と思ったものでした。
又、設計課とか工事課とかの仕事をやっているような人というのは、4年制大学の建築学科か土木学科卒の人で一級建築士か二級建築士のどちらかの資格くらいは取得している人だろうと思い込んでいたら、千葉支店で一級建築士か二級建築士を取得していたのは、設計課長の I さんと松戸二課営業課長の石井さんの2名が一級建築士の資格を持っていただけで、他は設計課の人間も工務課・工事課・アフターサービス課の人間も持っていなかった。もちろん、「安藤忠雄は一級建築士も二級建築士も持っていないけれども、有名建築家として評価されている」とか言われ、「建築士の資格を持っているかどうかよりも、仕事ができるかどうかの方が大事だ」というのは間違いではないと思いますが、それにしても、「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言われているのか自分で言いまくっているのかの会社で、千葉支店で一級建築士か二級建築士のいずれかを持っている人間は設計課長と松戸二課営業課長の2名だけだったというのには驚きました。設計課には5名の者が所属していたが、新卒入社したばかりの1名、その前年に入社した1名あたりはまだ取得できていなくてもしかたがないとしても、2番目の人・3番目の人も一級建築士も二級建築士も取得できていない、工務課の3名も誰も一級建築士も二級建築士も取得できていない、工事課は千葉市の工事一課も柏の工事二課も工事課長も含めて誰一人として一級建築士も二級建築士も取得できていない、まがりなりにも工事課長が一級建築士も二級建築士も取得できていないて、そりぁいったい何だあ? 「あれええ~え」て感じがしました。千葉支店だけではない。新宿のセンタービルにあった東京支店でも、一級建築士か二級建築士を取得していたのは、設計課長と工務課長の2名だけで、ほかは誰ひとりとして一級建築士も二級建築士も取得できていなかった。
目黒区の自由が丘展示場で自由が丘営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎に至っては東京電機大学卒で、「ええ~え、東京電機大なんてそんな大学卒の人が小堀住研に勤めてるのお~お?」と驚きました。1960年代後半にうちの親が小堀住研(株)で在来木造の戸建住宅を建てた時、営業担当者は関西大法学部卒で、同行していた営業課長は神戸大卒だったと、うちの親は言っていたので、私はそのくらいの大学卒の人の勤め先である会社に就職したつもりでいたのですが、なぜか、東京電機大卒なんて男だそこにいたのです。しかも、1990年、高橋賢一郎(男。東京電機大工学部建築学科卒。福島県喜多方市出身。当時、30代後半)は「〇〇くんの担当のお客さんに、ぼくのことを『うちの課長は建築士の資格は持ってませんけれども、建築学科でてますから』と言えばいいよ」などと言うので、「ええ、そんなこと言うのですかあ」と言ったことがあったのですが、そんなこと言ったのでは、その文句を日本語に翻訳すると、「うちの課長は、できが悪いものですから、東京電機大みたいなもんしか出とらんのですよお。それでいて、ウルトラ甘ったれとる人間なもので、福島県の会津地方の出身なのに、東京電機大なんてアホ大学に行くのに東京で下宿してまで私立大学に行かせてもろとるんですよお。それも、せめて、早稲田の理工学部とかにでも行くのならまだしも、東京電機大学やなんてそんな所に行くのに、工学部なんてお金のかかる学部に行かせてもらってるんですよお。よっぽど、カネ余っとるのでしょうかねえ。親はよっぽどの大金持ちだったのでしょうかねえ。もう、30代でも後半になってるんですけども、一級建築士はおろか二級建築士すらも通らないんですよお。やっぱり、カネで『バカでも入れる私学の工学部』に行ったようなアホ大学卒だけあって、アホもアホもアホあほアホですから一級建築士も二級建築士も通らんようですねえ。『建築学科でてますう』言うても二級建築士すらも通らんような建築学科ですよ。ねえ~え、アホでしょおお~お!」と言っているようなものじゃないですか。そうでしょ。そんなことを言ってほしいのかあ?・・・と思ったのですが、又、『美味しんぼ(おいしんぼ)』で、日本ラーメン総合開発研究所所長 長井伸助から「ラーメンは地球を救う」と言えと言われて、「本当に(そんなこと)言うのですか」と栗田さんが言う場面があったが、そんな感じ・・・、「本当にそんなこと言うのですか」と思ったのだが、
※ 《ウィキペディアー美味しんぼの登場人物》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%BC%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9

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高橋賢一郎としては「すでに30代も後半になっても一級建築士はおろか二級建築士も通りませんけれども、東京電機大学なんてお客さんなんかはもちろんご存じないような学校ですが、一応、建築学科出てますんでえ」と言えば、それがプラスに評価してもらえると思い込んでいたらしく、「なんか、ずいぶんとレベル低いなあ~あ( 一一)」て感じがしました。
昔から、一級建築士の資格のことを「足の裏についたご飯粒」と言いまして、それは「取ったからといって食えるものではないが、取らなきゃ気持ちが悪い」という意味だそうで、他の学部卒の場合はかまわないのですが4年制大学の建築学科卒の人の場合は一級建築士を取得しておかないと、「なんだ、建築学科卒と言っても、一級建築士じゃないのか」と思われる、もしくは、思われるのではないかと不安になるという資格で、二級建築士はというと、戸建住宅などでは、むしろ、一級建築士よりも二級建築士の試験に出題される問題の方が戸建住宅には関係が深いくらいですが、世間一般の人は知らない人が多いので、「二級建築士もってますう♪」などとうかつに言うと、「なんだ、一級じゃないのか」と言われる、もしくは、言われるおそれがあるので、言うとしても、「一級じゃないんですけどお・・」とかお断りして言わないといけないような資格ではあるのですが、東大工学部建築学科とか京大工学部建築学科とかを出た人の場合は、「いっきゅうけんちくしい~い」とかギャースカギャースカ言うよりも、「東大工学部建築学科卒」「京大工学部建築学科卒」の方が肩書としては「威力がある」し、東大・京大の建築学科卒で「二級建築士もってますう♪」などと言ったのでは、「なんや、東大でておいて二級しか通らんのかい( 一一)」と思われるだけですから、東大・京大などの建築学科卒の人は「いっきゅうけんちくしい」なんて言わない方がいいし、「二級建築士もってますう♪」なんて言うとかえってマイナスの評価を受けますが、「カネさえあればバカでも入れる私大の建築学科卒」の人の場合は、一級建築士か二級建築士のいずれかは取得しておくと、「大学はあまり評価の高い大学ではないけれども、建築士の資格を取る勉強はした人なんだな」とプラスの評価を得ることができるのに対して、すでに30代の後半になって「建築士の資格はもってませんけれども、建築学科でてますから」などと自分の方から言ったのでは、「どちらの大学を出てられますの?」と、小堀住研(株)に勤めていて「建築学科卒」だというのなら、最低でも国公立大学か早稲田大か関関同立くらいの大学の工学部建築学科卒なのだろうと思い込んでお客様からきかれるでしょうから、そこで、「東京電機大学という学校があるらしいんですう。電気関係の学校かと思ったら建築学科もあるらしいですう」なんて言うと、「ええ? そんな大学ありますのお?」と言われるでしょうし、「あるらしいですよお。なんか、昔は小川町の南のあたりにあったみたいですけど、今は埼玉県だったかの郊外というのか田舎に引越したみたいですよお」とでも言うと、「へ~え。そんな人が小堀住研に勤めてるんですかあ」と言われて会社の評価まで下がってしまう・・・ことになるでしょう。ところが、高橋賢一郎は「うちの課長は建築士の資格は持ってませんけれども、建築学科でてますから」と「営業系」(4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人)から言ってもらえば、それで自分の評価が上がると思い込んでいたらしかったのですが、「なんか、レベル低いなあ~あ」て感じがしました。「小堀住研て、もうちょっと上の会社かと思い込んでいたが、こんな人が勤めている会社だったのかあ・・・」と思いました。
もっとも、私の親が小堀住研(株)で建てた時や、その後、アフターサービスなどで家に来た人の「学歴」が、はたして本物だったのかどうかはわからないところもあります。世の中には「京都の大学卒」のことを「京都大学卒」みたいなニュアンスで言う人がおり、「神戸の大学卒」のことを「神戸大学卒」みたいなニュアンスで言う人がいるのですが、私などは会社という所に何年か勤めて、そういう人は世の中にはゴマンといるということを知ったので、そんな感じの人がいても、「ああ、そうですか」くらいにしか思わないようになったのですが、ところが、うちの親は父親も母親も信じやすい人間で、相手側からすると「騙しやすい人間」だったようで、「神戸大卒の人だった」とかいう話は、はたして、その「学歴」は本当のものかどうかはよくわかりません。実際には、仕事を頼む場合には、「一流大学」卒の人でもそうでない人でも、自分の所の仕事をきっちりとやってもらえればいいのですが、しかし、学歴詐称する人というのは、一般にそうでない人よりも、仕事の内容もあまりよくない場合が多いように思えます。
そんな感じで、小堀住研(株)は「昔から大卒しか採らない会社」と言い、「住宅の営業でも『高卒の営業』の会社もありますが、小堀の営業は『大卒の営業』です」と言いまくり、求人票には「応募資格」として「営業系」(営業・人事・総務・経理など)は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と明記、「技術系」(設計・工務・工事・アフターサービスなど)は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人)と明記していて、「採用実績校」はというと「神戸大・新潟大・同志社大・関西大・甲南大」だったかのように記載していた会社であったはずで、『役員四季報』(東洋経済新報社)を見ると、初代社長の「甥っ子」と言っていたが実際は「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があった2代目の社長の中島昭午は高卒でしたが、副社長は神戸市立外大卒で、初代社長の弟だという専務の小堀 東は大阪工大卒ということで、3人いた常務のうち、銀行から出向できた2人以外の1人は慶應大学経済学部卒であり、社長・副社長・専務・常務の6人のうち、「一族」でなく「銀行系」でない2人は神戸市立外大卒と慶應義塾大経済学部卒とでしたから、「ここの会社に勤めているやつは、どいつもこいつも、アホばっかしや」と言われなければならないようなものではなかったはずなのです。そういう口のきき方というのは、自分を「社外講師」として呼んでくれた会社とその会社の従業員に対して失礼でしょう。よく、そういうことを言うと思います。そういった発言は、比較的評価が高い方の大学の出身者に対して失礼であるだけでなく、底辺の方の大学の出身者にも、高卒・中卒の人にも失礼で、「社外講師」が研修で口にする文句ではないでしょう。
(2) 「最近、一流大学卒で新卒社員として入社した人間には、それまで、小学校・中学校・高校・大学と只管勉強ばっかりやってきて、会社に入ると、途端にそこで、それまでとは生活が変わったことで、精神的にショックを受けてだめになるという人間がおる。」とかいう、「心理学者」とか称するイカサマが言っている「学説」自体が、そもそも、いいかげんなものなのです。
「作家で精神科医」の なだ いなだ が『パパのおくりもの』(文春文庫)で、日本には精神分析教の信者とでもいうような人と、精神分析嫌いの人がいるが、精神分析教の信者はあまり身勝手な解釈はやめた方がいいと思う、と書いているが私もそう思う。あるフロイトの弟子はこう言った、「フロイトは巨人であった。我々は小人である。しかし、巨人の肩にのった小人は巨人よりも遠くを見ることができる」と。しかし、その小人は現状を知ったならばそうは言えなかったであろう。巨人の後からついて行く小人が見たものは、巨人の大きな背中であってそれ以外の何物でもない。百歩譲って小人が巨人と同じものを見ることができたとしても、小人はしょせん、小人であり、巨人と同じものが見えても巨人と同じように考えることはできない、と。私もそう思う。いいかげんな「心理学者」「精神医学者」「精神分析家」が日本にはいっぱいにいる。害こそあれ益にならんやつらがいるのだが、それを見わけないといけないのだが、見分ける努力をすることなく、小此木啓吾独善主義などのいいかげんな本を喜んで読んで、そして、小此木啓吾独善主義が創作した「精神医学」的レッテルを、決して自分に貼ることはなく、周囲を見回して、自分が気にいらない人間に、片っ端からぺったんこぺったんこと貼ってまわる、時に「治療」と称して「人間による人間の加工」をしようとする・・そういう程度の低い人間が日本にはいるし、おそらく、外国にもいるであろう。そんな「学説」をありがたがって、そして、「社外講師」として呼んでもらって、新卒社員研修で「最近の若い者は、甘ったれと~る!」とか叫んで、それで、そういうことを言えば、その会社の経営者は喜ぶであろう・・・と思い込んでいたようだが、愚かである・・と思う。

パパのおくりもの (文春文庫 113-1) - なだ いなだ

精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー (講談社現代新書) - 小俣 和一郎
「心理学」の「学説」として、「子供の頃、『いい子で育つ』ということをした人間は大人になってから問題が出ることが多い」という「学説」を、1983年、東京のJR「目白」駅から西に行った南のあたりにあった 日本カウンセリングセンター の「世話人」という職種の吉田という男性(当時、40代前半くらいか?)が言ったのだが、「なんか、変なこと、言うなあ」と私は思ったものだった。もしも、「いい子で育つ」ということがいかんのならば、子供の頃、何か悪いことやれば良かったのなら、それなら、子供の頃にそう言ってくれればよかったのに・・・と思いませんか? あほくさいと思いませんか?
自分自身を振り返ってみると、「いい子」だった面もあればそうでなかった面もあると思う・・・というか、私だけではなくたいていの人は両方の面があるのではないかと思うのだが、「いい子で育つ」のがいかんというのならば、子供の頃に、たとえば、よその子が買ってもらっているものを自分は買ってもらえないという時に、道にねそべって「ぎゃああ~あ!」と泣き叫ぶということをする子がいたが、私は「ああいう子はみっともないでしょ」とか母親から言われ、自分でもそう思って、そういうことはやらなかったのだが、やった方がよかったのだろうか? やった方がよかったのなら、成人してから言うのではなく子供の時にそう言ってくれればよかったのに・・と思いませんか? 勝手なこと言うな!!!・・と思うのだが、「勝手なことを言う」のが「心理学」というものだったのだ。
今となっては十何年か前になると思うが、キリスト教系書店では、「入墨クリスチャン」と言って「元ヤクザのクリスチャン」を「売り」にしていた人たちがいたのだが、それも変だと思ったのだ。「元ヤクザのクリスチャン」というのは「元ヤクザでないクリスチャン」よりもえらいのだろうか? それは違うと思うのだ。 あるいは、芸能人とかで「元不良」とか「元暴走族」とかを「売り」というのかする人が時々いるが、「元不良」とか「元暴走族」とかそういうものを「売り」にするというのは、それはおかしいだろう。正直に、「実は、若い頃、・・・でした」と白状するのなら、「人間にとって大事なのは過去よりも現在だ」ということもあり、正直に「実は若い頃・・でした」と白状するのは悪くはないとしても、それは自慢するものではないし、「売り」にするものでもないと思うのだ。子供の頃に何か悪いことしたなどと自慢するのはおかしい。日本カウンセリングセンターの吉田氏の話を聞いて、「この人は要注意な人だ」と私は感知したが、参加者で感知することができなかった人は何人かいたようだったが、「子供の頃、『いい子で育つ』ということをした人間は大人になってから問題が出ることが多い」などという「心理学の学説」はおかしいと私は思っている。

裁かれる精神医学 - マルコム・レーダー, 秋元波留夫, 大木善和
日本カウンセリングセンターの「世話人」という吉田氏は、カウンセリングの入門講座で「学ぶ相手を間違えてはいけませんよ」と発言したのだったが、まさに吉田氏こそ、その「学ぶ相手」として選んではいけない相手ということはないか?・・・と感じたのだった。そして、吉田氏は、このように吉田氏について疑問を感じた者を「学ぶ相手として選んではいけない相手」と指定していた・・のではないか、としばらくして気づいた。おそらく、そうだろう。気をつけないと、こういうタイプの人と「密」に関わると、「病気」とか「××的性格」とか「△△シンドローム」とかなんとかかんとか「診断」される危険があるので要注意である。吉田氏はそのカウンセリングの入門講座を「垢落し」と言っていたのだが、最初に「垢落し」をしているように見せて、実は吉田氏の言いなりになるように誘導していたように思われる。吉田氏は、おそらく、自覚してやっていたと思うが、もしも、自覚せずにやっていたのなら、吉田氏の性格的・精神的欠点がそのような行動をさせていたものであろう・・・が、おそらく、自覚して意図的にやっていたと思われる。
「元ヤクザのクリスチャン」が「元ヤクザでないクリスチャン」よりもえらいみたいにアピールしていた人たちや、「元不良」「元暴走族」とかいうのを「売り」にする芸能人というのは、それは、ちょっと違うと思うのだが、1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。担当教科「国語(古文・現代国語)」)は、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と、両親が離婚して父親がいなかったというのを最大の自慢にしていたのだったが、それは自慢することとは違うだろうが!・・と思うようになった。北野高校の音楽の教諭だったN先生が「S野さんは、両親が離婚してお父さんがおられないだけあって、しっかりしてられるわあ」などと発言したことがあったのだが、そうかな? 「両親が離婚した」からという理由で「しっかりしてられるわあ」と言ってもらう権利があるみたいに旧姓S野礼子は考えていたようだったが、そんな「権利」なんてないと思うぞ。 結婚というものは、その後の人生を一緒に生きていきましょうということでするものであって、離婚するために結婚するのではないのであるが、それでも、結婚後、もう一緒にやっていけないということで別れる人があったとしても、それはその人にとってはしかたがなかったことなのかもしれない・・が、しかし、それは自慢することとは違うと思うぞお。「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と何度も何度も自慢されたが、そのあたり、あんた、ちょっと物事の考え方を間違えていらっしゃるのではありませんか・・・と言ってあげた方が本人のためであろうけれども、言ってあげてもきかないでしょうし、『聖書』の「福音書」には「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。おそらく、彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直って、あなたがたに噛みつくであろうから」というイエスの言葉が書かれているが、せっかく言ってあげても、おそらく、「足で踏みつけにし、向き直って噛みついてくるであろう」から、言わない方がいいであろう。そして、誰もが言わないと、おそらく、一生、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と、そんなもん、自慢することとちゃうやろうがあ・・・ということを自慢しまくりで、一生、死ぬまで通すことであろう。
私は旧姓S野礼子を、少々、性格がいがんでいるかとは思っても「しっかりしてられるわあ」などとは思っていないが、 ”” 常に「両親が離婚してお父さんがおられないから、だから、しっかりしてられるわあ」と言ってもらおう、人に言わそうという圧力を常に周囲に欠ける女症候群 "" の女であるので、その「圧力」に負けて、もしくは「逆らうとうるさいから」、「しっかりしてられるわあ」と調子を合わす人がしばしばいるようだが、そういう「圧力」を常に周囲に加えないとおれない人間症候群というのは、あんまり好ましい症状ではないように思う。又、入学式の日に有給休暇とって海外旅行に行ったりするというのも、本人はそれを得意にしているようだったが、それも違うと思う。もし、私が高校の教諭になっていたならば、入学式なんて特にやることないと思ったとしても、それでも、これから一緒に高校でやっていくという生徒および親との顔合わせの儀式であり、そのために生徒は出席しており、親も有給休暇をとって会社を休んで高校の入学式に出席している親がいるのに、あるクラスの担任をもち、担任でないクラスでも「国語」の担当をする教諭の方が有給休暇をとって海外旅行に行くというのは、私ならそんなことはしたくない。もし、最近の入学式は「君が代礼賛式」になっているからということで、有給休暇だということにして「君が代礼賛式」をボイコットするというような考えで欠席するのならば、それもひとつの考え方であろうけれども、旧姓S野礼子はそのような”反権力”の人間ではない。むしろ、「体制側」「権力側」の人間であり、””「反権力」の側で闘う””などというタイプではない。高校の教諭は一般の会社員と違って夏休み・春休みがあるし、戸建住宅建築業の営業のように「国民の祝日」は出勤日などという仕事ではなく「国民の祝日」もきっちり休める仕事なのだから、海外旅行に行きたければ入学式の日に行かなくても良さそうなものだが、あえて入学式の日に行ったというのは、4月の初めは会社員も公務員も休みにくいので海外旅行は安いからだろう。「お父さんがいないから」なのかどうかはわからないが、みみっちい女である。だから、入学式の日に有給休暇をとって海外旅行に行けば費用が安いということでそうしたのだろうけれども、旧姓S野礼子にとっては高校の入学式というものは「その程度のもの」だったようだ。教諭の方が有給休暇とって海外旅行に行っていいような入学式ならば、生徒の方も有給休暇とって海外旅行でも国内旅行でも行っていいことになるのではないか。親だって、教諭が有給休暇とって出てこないような入学式に、なんで、親が職場を有給休暇とって休んで息子・娘の入学式に出なきゃならんのだ・・ということになる。高校は担任を持つ教諭が海外旅行に行って出席しないような入学式に来てくださいと言うのは親に対しても失礼で、生徒に対しても失礼であろう。日本の労働基準法では、有給休暇は使用者はとらさないといけないというもので、労働者・従業員は特に理由がある時に有給休暇を取得してよいということではなく、有給休暇を取得するのに理由は必要ないのだが、私が勤めてきたような三流以下企業においては、(株)エイブルでは有給休暇の取得申請書なる用紙があって、そこには「取得する理由」という欄があったし、(株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫が週休日の前になったら「なんで、休みの日に休むんだ」と言ったものだった。週に1回の週休日があっても、その日は洗濯したり、クリーニングに持って行ったり持ち帰ったり、革靴を磨いたりなど、仕事をするための整備・整理をして1日終わっていたのであり、週休日を休まさないようにしても、革靴を磨くことができなくなり、クリーニングに出せなくなり、クルマの掃除・清掃をできなくなりするだけなのだが、それでも、週休日を休ませたくないというのが「『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の会社のルールだ」と公言する(株)一条工務店だった。それに比べて、府立高校の教諭というのは夏休みも春休みもあり、日曜はきっちりと休めるし、「国民の祝日」も休めるし、入学式の日に海外旅行に行かなくても、他に行ける時はいくらでもあるはずなのだ。そして、使用者は有給休暇は従業員に取得させなければならないが、どのような日にでも取得したいと言われれば無条件に認めないといけないということではなく、特に忙しい時期とかに取得したいと言われた時とか、シフト制でその人がその日のシフトに入っていたのに急に有給休暇を取得して休みたいと言われた時とかには、他の日にしてもらえないかということは言っていいはずなのだ。有給休暇を取得するにしても、何も入学式の日に取得しなくても良さそうなもので、使用者は「たとえ、有給休暇を取得するのはかまわないが、他の時にしてもらえませんか」と言っていいはずなのだが、北野高校の校長は言えない人だったのか、言ってもきかない女だったのか。可能性としては、言ってもきかない女だった・・・という可能性の方が大きいように思える・・・が、入学式の日にわざわざ有給休暇とって海外旅行に行くとは、ユニークな女だと思う。そういう態度を「お父さんがおられないだけあって、しっかりしてられますわあ」と言うのか? 違うのではないか。むしろ、「父親がいないだけあって、親の教育がよくないのと違うか」「離婚するような親の娘だけあって、物の考え方を間違っているのと違うか」と評価される方がふさわしいのではないのか。
(3) その方は、「私らが若い頃は、時計なんてものは、家に1つあるくらいのものやった。それが、最近では贅沢になってきて、一人1つずつどころか、一人でいくつも持っておったりする。それだけ、最近の若い者は贅沢で甘ったれとるいうこっちゃ」と発言なさったのですが、その発言からして、事実に照らして正しくないのです。実際、私が子供の頃でも、時計は家にそんなにいくつもはありませんでした。私が産まれるよりまだ前、うちの親が結婚してすぐの頃は、戦後すぐの時代で、父親がが腕時計をひとつ持っていただけで、父親が腕時計をはめて会社に出勤すると、時刻がわからなかったと母は言っています。その後、父親がはめて出勤した腕時計(ウオッチ)と別に掛け時計(クロック)を1つ貰い物でもらい、それを家ではみんなで見て使っていたらしい。
ですから、その頃に比べると、時計というものが、ウオッチの分野の時計にしても、クロックの分野の時計にしても、手に入りやすくなったのは事実ですが、それをもって、「最近は豊かになった」と解釈するだけでなく「最近の若い者は贅沢になった」と解釈するだけでなく「最近の若い者は甘ったれと~る!」などと叫んで、それで報酬をもらえると思い込んているのでは、むしろ、その社外講師の男性の方こそ、「甘ったれと~る」のではなかったでしょうか。
うちの両親が結婚してすぐの頃、「戦後、すぐの時代」というのは、世間一般に貧乏だったのです。1年余前に他界した野村克也のじいさんが「わしぁ、貧乏やからな」とか「わしぁ、日陰の月見草」とか言いまくっておったが、本人が書いていたが、戦後すぐの時代というのは、たいていの人間が貧乏だったのであって、「わしぁ、貧乏やからな」と言っても、特別の人間は別としてその時代は貧乏な人間の方が普通だったわけで、「わしぁ、貧乏やからな」というのは、それは受けを狙って少々誇張して言っていたと本人が告白していたが、ただ、野村のじいさんの場合は、お父さんが戦地で「戦病死」してしまい、戦後、誰もが貧乏だったとはいえ、お父さんがいる家といない家とではいる家の方が生活は楽のように見えたし、野村のお母さんは、子供を2人かかえて癌になってしまったということもあって、その点ではよそよりも貧乏だったが、しかし、貧乏だったという点については、戦後すぐの時代はたいていの人間が貧乏だったわけで、自分の所だけが貧乏だったというわけでもなかった・・・と正直にどこかで述べていた、と思う。
その「戦後すぐの時代」に比べると、「高度成長」以後や、「バブル経済」とかいった時代は、「戦後すぐの時代」よりは豊かにもなり全体的に贅沢といえば贅沢にもなったのでしょうけれども、時計については、世の中が贅沢になったから、誰もが時計を持てるようになったということではなく、セイコーが「クォーツ」と呼ばれる水晶発振式時計を発明したことで、安価で正確な時計を製造することができるようになり、それまでは「精密機械工業」として限られた会社しか時計を作れなかったのが、カシオ計算機とかシャープとか、本来は時計メーカーではないメーカーも時計を作るようにもなり、今でも「ブランド物」の時計については宝飾品に近い性格をもって高価でも、ともかく、正確な時計ということであれば、比較的安い値段で購入できるようになったのです。 「最近では、一人で時計をいくつも持っておったりする」というのは「クォーツ」と呼ばれる水晶発振式時計が発明されたことで低価格で正確な時計の生産が可能になったことが主たる理由であって、その「社外講師」のおっさんが言うような「最近の若い者は甘ったれと~る!」からということではないのです。
むしろ、そういういいかげんな話をして、それで「社外講師」として報酬を取得していた人の方こそ、「甘ったれと~る」ということになるのではないか。 「甘ったれと~る」のは、その人の方だったのではないか。
(4) さらには、その「社外講師」の男性は、私の親より年下、私の姉より年上の世代でしたから、そうなると、私の親は「終戦」か「敗戦」かという1945年の時点では23歳と21歳で、その後、結婚して、うちの姉は1950年の朝鮮戦争勃発の頃に産まれたのですが、そのうちの姉より少々年上ということは・・・・、どうなるかというと、その「社外講師」の男性というのは、まさに戦中、「撃ちてしやまん、一億火の玉」とか「欲しがりません、勝つまでは」「とってちってたあ~あ」「木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたあ」とか言っていた、まさにその時代に〔 我が家では、うちの父親は、戦後でも、1970年の大阪万博より後でも、1985年の つくば科学万博より後でも、私に、毎日毎日、「撃ちてしやまん、一億火の玉ァ!」「欲しがりません、勝つまではァ!」「とってちってたあ~あ!」「木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたあ」「ロスケどもをやっつけてや~る!」とか朝から晩まで、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに叫んでいましたけれども・・( 一一) 〕はらんで産まれた人・・ということになるわけで、 「まさに戦中、東京大空襲やとか大阪大空襲やとか言うとった時代、B29が爆撃してくるいう時に、『撃ちてしやまん、一億火の玉』とか言うとったまさにその時代、バケツリレーとか竹槍訓練とか言うとった時代、まさにその時にや・・・。そんな時に、おまえの親はいったい何をやっとったんや、何を???」・・・・と、西川きよし やったか誰やったかが漫才で言っていた文句、まさにその文句があてはまる世代の人間だったはずだ。まさに、「まさに戦中、東京大空襲やとか大阪大空襲やとか言うとった時代、B29が爆撃してくるいう時に、『撃ちてしやまん、一億火の玉』とか言うとったまさにその時代、バケツリレーとか竹槍訓練とか言うとった時代、まさにその時にや・・・。そんな時に、おまえの親はいったい何をやっとったんや、何を???」と。
〔 もしかすると、これだけ言っても、意味がわからない人も中にあるかもしれないので説明すると、要するに、「お国のために」「撃ちてしやまん、一億火の玉」とか言うとった時、「欲しがりません、勝つまでは」とか言うとった時、東京大空襲や大阪大空襲や言うてB29が爆撃してきたまさにそういう時に「おまえの親」は性交やって産まれたのがその「社外講師」の男性やった・・・ということになるわけだった・・( 一一) 〕
(5) その「社外講師」は、「社会人として勤めたら、司法試験でもいい、公認会計士でもいい、そういった資格試験の勉強をしてもらいたい」と発言したのだが、会社で司法試験や公認会計士の勉強をしている者を喜ぶ会社はあまりないだろう。これは、『司法試験受験必携』(法学書院)だったか他のものだったか忘れたが、司法試験受験案内書に書かれていたことでもあるが、いったん、勤めた後に、弁護士をめざして司法試験の学習を始める人、公認会計士や税理士をめざして学習する人というのはいるが、会社ではその人にその会社でこういう仕事をしてもらおうと考えているのに、弁護士や公認会計士・税理士として転職を考えての学習をするのを勤務時間外については干渉できないとはいえ喜ばない場合が多いはずだ。資格試験の学習でも、小堀住研(株)の最初の新卒社員研修の時に、講師役で来た従業員が「技術系」(設計・工務・工事・アフターサービスなど)(4年制大学の建築学科・土木学科卒の人)は二級建築士、「営業系」(営業・人事・総務・経理など)(4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人)の人は宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)の資格を取得してもらいたい」と発言し、持っているだけで一級建築士は月5千円、二級建築士・宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)は月2千円を持たない人よりも多く払うという規定が就業規則にあったように、建築士や宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)のように、その業界で働くにおいてプラスになる可能性が考えられる資格であれば取得するための学習を歓迎するとしても、その会社での仕事がけっこう忙しいのに、弁護士や公認会計士・税理士などになろうとして司法試験・公認会計士試験・税理士試験などの学習を入社早々やる人というのは、勤務時間外や週休日に自宅でこっそり学習するのなら自由だとしても、「社外講師」が研修でそういう勉強をしろと言うのはおかしい。
【B】(1) 私は慶應義塾大学という学校が嫌いだったので、あんな大学の「卒業生」になりたくないと思っていたのだが、なんだかんだ言ってるうちに4年生になってしまい、卒業するとどこかに就職しないわけにはいかない事態になり、「合同会社説明会」といったものをのぞきに行って見ると、「バカでも入れる私大」の人間が「同じ大学なのに、その大学によって差別するというのはおかしい」とか、踏ん反りかえって言うのを聞き、なんで、あんなのが大学生なんだ? ・・・と思うような人間がそういう口をきくのを聞いて、あんなのが「大卒」ならば、私だって「大卒」の肩書くらい取得させてもらっても悪くはあるまいと思うようにもなった・・・のだが、そういうこともあり、実は4年を2回やったのだ。それで、↑ の2回目の4年の時に採用すると言ってもらって入社した会社で、最初の4年の時に採用しますと言ってもらった会社が別にあって、その会社で、卒業しなくても来てもらってかまいませんと言ってもらったことがあり、残りの単位も少なかったので、そこの入社式にも出て、8か月ほど、週に2コマだけ出席させてもらってその会社に勤めたのだ。
その会社、東京都千代田区にあったコンピュータ関連のT社でのことだ。インターネットで見るとT社は今もあってホームページを見ることができるが、本社の場所はその頃とは別の場所に移ったらしい。
会社名がいくつもあったのだが、1人の社長が作った会社が複数あったようで、その複数の会社の従業員に対して社員教育をおこなうための部署として、いずれの会社にも所属しない部署があった。その社員教育担当部署の男性(その頃、40代後半くらい?)が、入社式のすぐ後くらいだったかに、翌日、東京海上火災の営業の男性が保険の説明に来るので聞いてもらいたいということを話し、その際だが、こう言ったのだ。
「東京海上火災の人が来て話をしていただきますから。皆さんとは違ってエリートの人が来られますから」と。
はあ? ・・はあ~あ??? 何、それ???
東京海上火災というと・・・「給料が高い」と言われていた。 だから、””人気企業””として、「一流大学」の社会科学系学部卒でも誰もが行けるというものではなかった会社・・・だった。今は、東京海上火災は、2004年に、日動火災海上保険 と合併して、東京海上日動火災保険株式会社になったらしい。〔《ウィキペディアー東京海上日動火災保険》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E6%97%A5%E5%8B%95%E7%81%AB%E7%81%BD%E4%BF%9D%E9%99%BA 〕 1980年代前半だが、宮下あきら という漫画家が『激! 極虎一家』という漫画で、およそ、学歴とは無関係のような男が、女性から「私はねえ、あなたみたいな男と結婚はしないのよ。私は、東京大学経済学部を卒業して東京海上火災に勤めている男性と結婚するのよ」と言われて、しょぼ~んとし、まわりの男から「おまえ、どないしたんや」と言われて、「わし、その東京海上火災ちゅう文句に弱いね~ん」とつぶやき、しおれ、しばらく立ち上がれなくなる、「なんや、およそ、学歴コンプレックスなんか関係ないみたいな筋肉系の顔した男がどうしたんや」と言われても、「わし、その『東京海上火災』いう言葉を言われると、弱いんや」・・・と言う場面が描かれていた。私なども、うちの父親から「東京海上火災、東京海上火災、東京海上火災・・」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われてきたので、東京海上火災だけは首をもがれても行かされてなるものか! と心に誓ったものだったが、宮下あきら の漫画には「東京海上火災養成ギプス」とか、そういうものも登場していたように思う。「あの夜空に輝く星座が、あれが東京海上火災という星座だ。飛雄馬、おまえはあの星座の中でひときわ大きく輝く星になれ」「東京海上火災養成ギプスだあ!」「月夜の千本ノックだあ!」・・・て、「とうちゃん、俺、いったい、なんだってこんなことやらなきゃならいんだよお」・・・て、そんな話が書かれていた・・ような気がする。〔⇒《YouTube-【公式】巨人の星 第1話「めざせ栄光の星」"THE STAR OF THE GIANTS" EP01(1968)》https://www.youtube.com/watch?v=btfA9kankQ4 〕
しかし、だ。だからといって、東京海上火災で損害保険の営業やってる人間誰もが「エリートの人」なのか? ・・違うと思うぞお。 「保険」には損害保険と生命保険があるが、生命保険の方の会社もけっこう「人気企業」である会社が多いが、生命保険の勧誘やってるおねーちゃんというのは、「東京大学経済学部を出て、◇◇生命に勤めているエリートの人」かというと、違うだろお。別にいかんとは言わんが、生命保険の勧誘やってるおねーちゃんというのは、学歴としては短大卒か高卒くらいの人が多いはずだ。 損害保険の方も、東京海上火災、及び、その後身の東京海上日動火災保険(株)であれ、それ以外の損害保険の会社であれ、「エリートの人」ばっかりではないはずだし、特に、勧誘やっているのは代理店の人間であって、その保険会社の社員とは別のはずだし、その保険会社の人間にしても、誰もが「エリートの人」ではないはずだ。
なによりも、もしも「東京海上火災養成ギプスと月夜の千本ノックで星一徹から鍛えられて、東京大学経済学部卒で東京海上火災という星座に上りつめた男」であっても・・・、「だから、なんやねん?」てものだし、ましてや、「皆さんとは違ってエリートの人」て、何だ、そりぁ???
そして、翌日、来社した「東京海上火災の皆さんとは違ってエリートの人」というにーちゃんは、見ただけで「エリートの人」とは違った。卒業した大学だけで人の値打ちが決まるのではないとか言う人がいるが、それはそうだろうけれども、牛丼くらいなら賭けてもいいが、あのにーちゃんが東大経済学部とか、東大でなくても「十大国立大学」か早慶かを卒業しているなんてことは天地がひっくり返っても絶対にない! あのにーちゃんがどうかはどうでもいいことなのだが、もしも、あのにーちゃんが東大・京大か早慶かでも出ていたならば、牛丼かカツ丼なら出してもいい。そんな大学、絶対に出てませんと顔に書いてあった。
いやあ、しかし、「社員教育」というのはくだらんなあ~あ・・・と思ったものだった。 「皆さんとは違ってエリートの人が来てくださって話をしていただきますから」と、社員教育担当部署に男性2人いたうちの上の方の人が言ったのだったが・・・・⇒「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」・・・て感じやった( 一一)
(2) この社員教育担当部署の男性は、ほかにも、入社式の後、新卒入社社員に対して、「親が子に何かをもらったり何かをしてもらった時と、子が親から何かをもらったり何かをしてもらった時とでは、どこが違うかわかりますか。教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか」と何度も何度も「教えてあげましょうか」と繰り返したのですが、誰一人として「教えてください」と言う者はなかったところ、誰も「教えてください」と言わないからには、「そうですか、それならやめておきましょう」と話すのをやめるか、それとも、「まあ、そう言わずに聞いてくださいよ」と言って話すかどちらかであろうと思ったのだが、ところが、「そうですか。わかりました。それでは教えてあげましょう」と言って話しだしたのだったが、それでは日本語になってないだろうが・・と思ったが、日本語になっていなくてもおかまいなしに、「わかりました。それでは教えてあげましょう」と言って話し出した。
「いいですか。子が親から何かをもらったり何かをしてもらった時には、その物に喜んだり、やってもらった行為に喜んだりするのです。それに対して、親が子に何かをもらったり何かをしてもらった時には、物に喜んだりその行為に喜んだりするのではなく、その気持ちに喜ぶのです。そこが親と子の違いなのです。子が親から何かをもらったり何かをしてもらった時には、あくまでも物や行為に喜ぶのであって気持に喜ぶのではないのです。親が子から何かをもらったり何かをしてもらった時には、あくまでも気持ちに対して喜ぶのであって、物に喜んだりその行為に喜んだりするのではないのです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・・・・、わかりましたか・・・」と何度も何度も「わかりましたか」と繰り返すのだった・・・が、わからんかった。ちっともわからんかった。
1960年代なかば、私が小学校1年の時、小学校の「算数」で、足し算・引き算・掛け算・割り算を学んだ時、担任の先生は、楽しみながら「算数」を学べるようにという工夫だったと思うのだが、足し算・引き算・掛け算・割り算のトーナメント大会というのを実施し、隣の席の者と2人に問題を出して、先に正答を答えた者が勝ちとして、勝ち抜き戦をおこない、優勝者と準優勝者には「連絡帳」に「たいへん、よくできました」としてそれを先生が書き込んでくれるということを実施した。うちの父親は「次、優勝したら、プラモデルを買ってやる」と言ったのだ。そして、次、優勝した。優勝したからには、プラモデルを買ってもらえるのだろうとは思ったが、我が家は、そういったことがあっても、幼稚園や小学校の同級生や近所の子供が買ってもらって持っていた物でも、我が家では買ってもらえないことが多い家庭だった。その頃、我が家から小学校まで行く途中にあったプラモデル屋のショーウインドウには「ゴジラ」「バラモン」のプラモデルが飾ってあって、前を通るたびに、「いいなあ」とずっつ思っていた。同級生で、別に「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」のトーナメント大会で優勝しなくても、1回戦負けでも、「ゴジラ」と「バラゴン」の両方を買ってもらって持っていた者がいたし、片方を買ってもらって持っていた者もいたが、住んでいる家にしても我が家よりずっと粗末な家に住んでいて親の年収も我が家より低い可能性が大きいと思われる同級生で買ってもらって持っていた者が何人もいた。しかし、「ゴジラ」はその頃の値段で4000円したというのだ。今の物価ならいくらくらいになるだろうか。その頃、官製葉書は5円だった。近所でアイスクリームを売っている店があって、10円のアイスクリームと20円のアイスクリームが売っていて、我が家は10円のアイスクリームは時々買ってもらえたが20円のアイスクリームは絶対に買ってもらえなかったが、幼稚園や小学校の同級生は10円のアイスクリームも20円のアイスクリームも買ってもらっていた。葉書やアイスクリームの物価により「物価スライド制」を適用して考えるならば、「ゴジラ」が4000円したというのは、今の物価なら4万円くらいということになるだろうか。 その「物価スライド制」が適切かどうかはわからないが、ともかく、今の4000円よりずっと実質的に高いのは間違いない。だから、よその子は1回戦負けでも買ってもらっていても、我が家は優勝しても無理だと思って小学校1年の時の私はあきらめていた。
ところが、うちの父親が「よっしゃ。そしたら、プラモデル、こうたろ。あんた、どういうのが欲しいか?」と言うので、「4000円のゴジラが欲しい」なんて言っても我が家は絶対に買ってもらえないと思ったけれども、ともかく、言うだけ言ってみようと思い、「ゴジラがいいけれども、4000円もするから無理やと思う」と言ったのだ。そう言えば、おそらく、「そやなあ。いくらなんでも、4000円もするものは買えんわあ。もうちょっと安いもんないのか。何百円というくらいのものなら買ってやるが、そのくらいの値段のものはないのか、一度、プラモデル屋に行ってきいてみようや」とでもうちの父親が言うのではないかと思ったのだ。ところが、うちの父親は予想に反して、「なんで、無理やねん。こうたるがな。4000円したら、なんで、無理なんや。こうたるがな、そんなもん、4000円したって。何をあほな心配しとるんじゃ、おまえは。4000円したっていくらしたって、絶対にこうたるがな。心配いりませんて。他でもない、このわしがこうたると言うとるんやぞお。他でもないこのわしが、いったん、『こうたる』と口にしたからには絶対にこうたるがな。わけのわからん心配すな。わけのわからんこと言うな、おまえは。このわしが『こうたる』言うとんねんがな、他でもないこのわしがあ! よっしゃ、これから、プラモデル屋に一緒にゴジラを買いにいこう」と言ったのだった。うれしかった。小学校の同級生は買ってもらっていても、我が家は、まさか、買ってもらえるとは夢にも思っていなかったが、それを買ってもらえるのだと思い、うきうきしてプラモデル屋に行ったのだ。そして、プラモデル屋に入り、うちの父親が「そこに出ている、ゴジラ言うのん、あれ、なんぼしますのん?」とプラモデル屋の奥さんに尋ねたところ、「ゴジラは4000円です」と、同級生で買ってもらって持っていた者から聞いた通りの値段を奥さんは答えた。すると、それを聞いたうちの父親は「ふえええ~え。ぎょえええ~え。ひいええええ~え。怪獣のプラモデルみたいなもんが、4000円もしますのんか?」と言い、プラモデル屋の奥さんは「はい。4000円します」と言うのを聞き、うちの父親は「冗談やないで、ほんまあ! 冗談やない。絶対にそんなもん、こうたらあかん! 怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円も出したらいかん! ふえええ~え、ぎょえええ~え、ひいえええ~え。冗談やない。そんなもん、絶対にこうたらいかん。そんなもん、冗談やないで、ほんま、絶対にこうたらいかん!」と言うのだった。
《1》「冗談やないで」と言いたいのはこっちだった。
《2》「ふえええ~え。ひいえええ~え。ぎょえええ~え」と言いたいのもこっちだった。あんたが「4000円したってこうたるがな」と言うたのと違うんかい? あんたが「他でもないこのわしが『こうたる』と言うとんねんがな」「このわしが、いったん、『こうたる』と口にしたからには、何があっても絶対にこうたるがな」と言うたのと違うんかい??? 「ふえええ~え、ひいえええ~え、ぎょえええ~え」と言いたいのはこっちやがな。「冗談やないで」と言いたいのもこっちやった。
《3》「絶対にそんなもん、こうたらあかん! 怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円も出したらいかん!」と思っていたのなら、小学校の1年生に「4000円したってこうたるがな。なんで、4000円したらあかんねん。4000円したっていくらしたってこうたるがな」と、なぜ言ったのだ? 子供にそう言ったのなら買ってやるべきだし、買わないのなら「4000円したっていくらしたってこうたるがな」などと言うべきではないだろう。それが父親のやることか?!? 買うか買わないかはどちらがいいとはいちがいに言えないとしても、買わないのに「こうたるがな、4000円したっていくらしたっていくらしたって絶対にこうたるがな」などと子供に言うものではないし、いったん、「4000円したっていくらしたってこうがるがな」と言ったのなら買ってやるべきだと私なら考えるが、うちの父親はそうは考えない人間だったのだ。
そして、「あんた、ゴジラでないといかんのか」とうちの父親が言うので、「バラゴンでもいい」と言ったところ、プラモデル屋の奥さんが「バラゴンはもっと高いですよ。バラゴンは4200円です」だったか言ったところ、うちの父親が「何、バラ、バルゴン?」と言うので、「バルゴンじゃない。バラゴン」と私は言ったのだが、「バルゴンか?」とうちの父親が言い、プラモデル屋の奥さんが「バルゴンなら安いです。バルゴンなら200円です」と言うと、「それがええわ、それが。バルゴンください、バルゴン。あんたが欲しいというバルゴンを買ってあげよう、バルゴン」と言うので、「バルゴンじゃない。バラゴン」と言っても、それでも「バルゴン、バルゴン。あんたが欲しいのはバルゴン。あんたが欲しい欲しいと言うバルゴンを買ってやろう。バルゴン、バルゴン、それがええ♪」と言い、プラモデル屋に行く時には「4000円のゴジラ」を買ってもらえるという話で行ったのに、帰りにはそれが「200円のバルゴン」に変わっていたのだった。そして、帰り道々、うちの父親は「あんた、怪獣のプラモデル、買ってもらって、よかったねえ~え♪ あんたが欲しい欲しいというバルゴンをお父ちゃんに買ってもらえた。あんた、ものごっつい、幸せ。あんた、ものごっついうれしいねえ。あんた、恵まれてるねえ~え。あんた、ものごっつい、うれしい。うれしいうれしいうれしいねえ! しあわせしあわせものごっつい幸せ! あんた、ものごっつい、うれしいねえ。よかったね、よかったね、よかったよかったよかったね♪」と、何度も何度も繰り返し繰り返し言うのだった。その父親の態度が嫌だった。
(1) 最初から「4000円もするものは買えないわ。200円か300円くらいのものなら買ってもいいけれども、そのくらいの値段のものはないのか、プラモデル屋に行ってきいてみようや」と言って、それで、200円のバルゴンを買ってもらったということなら、喜ぶことができただろうし、喜んだと思うし喜べたと思う。しかし、「4000円したって絶対にこうたるがな。な~にをわけのわからん心配しとんねん、何を。他でもないこのわしが、いったん、『こうたる』と言うたからには絶対にこうたるがな」と言われて、4000円のゴジラを買ってもらえるものと思ってプラモデル屋に行ったのに200円のバルゴンに変えられた。
(2) 又、「バラゴンでもいい」と言い、「バルゴンじゃなくてバラゴン」と言っているのに、「バルゴンや、バルゴン、200円のバルゴン。それがええわ、それが。あんたが欲しいのはバルゴン、バルゴン」と言われてごまかされてバルゴンを買われたというそのやり口。うちの父親のその態度が嫌だった。
だから、「子は親から何かをもらった時には、気持ちに喜ぶのではなく、あくまでも、物に喜ぶのです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・・、わかりましたか」といくら何度も何度も言われても、わかりません。まったくわかりません。もしも、「子は親から何かをもらった時に、気持ちに喜ぶのではなく物に喜ぶのです」という理論が正しいのならば、小学校1年の時の私も、その時、喜べたでしょうけれども、喜べなかった。うちの父親のその態度が嫌だった。
そして、私が20歳になった年、うちの父親が「あんたには、子供の頃から、よそとはちごうて、欲しいというものは、何でも何でも、ええもんばっかし、こうてきてやあってやって、やあってやってやあってやってやってきたから」と言うので、いったい何を言うか!?! いつでも、幼稚園の同級生や小学校の同級生、近所の子供が買ってもらっていたものでも、うちは欲しいと言っても買ってもらえないことが多かったではないか、と思った。逆はほとんどなかった。それで、「違う! 絶対にそんなことない!」と言ったのだ。
[1] うちの母親の親戚、母の叔母だと思うのだが、大阪府堺市に住んでいたその親戚の息子は私より少し年上の男2人の兄弟だったが、そこの家におじゃました時に部屋を見せてもらったら、ものすごいレーシングカーを買ってもらっていたが、私は「クリスマスのサンタさんのプレゼント」としてレーシングカーをもらったのだけれども、それはその親戚の子が買ってもらっていたものよりずっとひとつひとつの規模も小さく、全体の量的なものも少ないものだった。それでも、私は喜んでいたのだった。私は小学校の4年の前半で小学校を転校したのだが、転校前の同級生でも転向後の同級生でも、ずっと豪華なレーシングカーを買ってもらっている者が何人もいた。それでも、買ってもらえなかったのではなく、「サンタさんのプレゼント」ということで買ってもらえたのだが、それでも、「よその子よりも、ええもんばっかし、こうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってやってきたから」などとは事実と正反対であった。
[2] アイスクリームも近所でアイスクリームを売っている店があって10円のアイスクリームと20円のアイスクリームが売っていたが、幼稚園や小学校の同級生は10円のアイスクリームも20円のアイスクリームも買ってもらっていたが、私は10円のアイスクリームは買ってもらったが20円のアイスクリームは「いけません」と言われて絶対に買ってもらえなかった。それでも、そういうものだと思っていた。
[3] どこかに出かけた時、よその子は自動販売機のジュースを買ってもらっていたが、私はうちの父親から「あかん。あんなん、ばっちい」と言われて飲ませてもらえなかった。
[4] 近所の神社の夜店に行った時も、ゲームや金魚すくいを何度も何度もさせてもらっていた子供がいたが、私は「1回だけな」と言われて、金魚すくいを1回、スマートボールを1回といったように、常によその子供よりもさせてもらえる回数は少なかった。
[5] 又、姉が2人いたので、兄弟の一番上の子供なら新しく買ってもらえるところを姉の「お古」を使わされることがけっこうあったが、それはしかたがないとして、服は女物の「お古」を着せられるのはうれしくなかった。捨ててしまうのはもったいないということはわかったが、小学校のクラスでも、男の兄弟が2人いて、弟の方が兄の「お古」を着ていたのかもしれないというケースはあったのではないかと思うが、女物の「お古」の服を着ていたのはクラスで私一人だけだった。「お古」でも女物の「お古」はやっぱりうれしくなかった。しかし、それも、しかたがないことだと思っていた。
[6] そのあたりについては、それぞれの親の判断もあり、買った方がいい場合もあれば買わない方がかえっていい場合もあるかもしれないが、しかし、ゴジラもしくはバラゴンのプラモデルについては、「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」のトーナメント大会で1回戦負けでも買ってもらっていた者がクラスに何人もいたのに対して私はトーナメント大会で優勝しても買ってもらえなかった・・のはそれもしかたがないのかもしれない。
[7] しかし、「こうたるがな。たとえ、4000円したっていくらしたってこうたるがな。何をアホな心配しとんねん。他でもないこのわしが、いったん『こうたる』と口にしたあかつきには、な~にがあっても絶対にこうたるがな」と言いまくっておきながら、プラモデル屋に行ってプラモデル屋の奥さんが「4000円します」と言うのを聞くととたんに「ふええ~え。ぎょええ~え。ひいええええ~え。かなんなもう。冗談やないで、ほんまにもう。そんなもん、絶対にこうたらあかん!」と言い出し、
[8] 息子が「バラゴン」と言っているのに「バルゴン、バルゴン、あんたが欲しいのはバルゴン」と言って「200円のバルゴン」を買ったあげく、
[9] 帰り道々、「よかったねえ、あんたあ。あんた、バルゴン、お父ちゃんに買ってもらった♪ うれしいねえ~え、あんたあ。恵まれてるねえ~え、あんたあ。よかったよかったよかったね♪ うれしいうれしいうれしいね♪ あんた、ほんまにうれしいねえ。あんた、幸せ幸せ♪ あんた、うれしいねえ~え♪ あんた、ほんまにほんまにうれしいうれしい♪」と何度も何度も言いまくったのは、あんたやろうが!!! まさか、それを忘れたとは言わさんぞお!・・・と思った。
[10] 我が家は私が小学校4年の途中で引越したのだが、引越した先は大阪府北部の山の中腹の位置で、駅や小学校・中学校がある場所からは坂をかなり登らないと行けない場所だった。その坂のずっと下の方、たいした坂がない場所の団地に住んでいた同級生は10段切り替えのものすごいいいサイクリング用自転車を買ってもらっていたが、我が家は私がそんなものを欲しいなんてとても言える家庭ではなく、家に1台あった3段切り替えのいわゆる「ママチャリ」に乗っていた。相当、急な坂がある場所だったので、3段切り替えの「ママチャリ」では登るのは相当きつかったし、下りも自転車は自動車のように「エンジンブレーキ」なんて効かないし、大変だった。
[11] その家は道路より地盤面は高く作られていたが、よその家を見ると、自転車置き場は道路とたいして変わらない高さに設けられている家が多かったが、我が家の場合は、新築した家でありながら、自転車は十何段も階段を登った上にしか置き場はなかった・・というよりも、道路から1段だけ高い場所に置こうと思えば置けたのだが、そこは来客が通る場所だから自転車は置いてはいけないと言われて、十何段も自転車を持ち上げて運んだが、小学校4年生にとってはそれは相当大変だった。その後、自分自身が戸建住宅建築業の仕事につくようになり、そのような敷地であれば、自転車置き場はそれほど何段も階段を登らなくてもいい場所に設けるようにする工夫というものをするべきだと認識するようになったが、私が小学校3年の時に図面打合せなどおこなって建築工事をおこない、私が小学校4年の途中に竣工した小堀住研(株)が建てた在来木造の戸建住宅では、施主であるうちの父親は家族がどんな暮らし方をするかなんてちっとも考えなかったし、小堀住研(株)の営業担当にいしても設計担当にしても、施主が考えつかないのならば、営業担当なり設計担当なりがそのあたりを配慮するのが建築屋というものではないのかと思うのだが、ちっともそういったことは考えなかった。私が今すんでいる千葉県船橋市の家の近所でも、せいぜい、4段かそこら登ればいいような場所に自転車をおけるスペースがあるにもかかわらず、かつ、そこの家の息子・娘というと中学生か高校生かのようだったが、それでも、「階段を登らないと自転車を置けないから」といって階段を作り変えたりする家があるが、私が小学校4年の時に自転車を持って上がり降りした家のことを思えば、そんなもの、階段のうちに入らないし、小学校の4年生と体力がある中学生や高校生とでは条件が全然違うが、それでも、私の父親は、小学校4年生に自転車を持ってけっこう急な階段を十何段も登らせるのは平気だった。
[12] 小学校4年の夏休みに、夏休み前に母が「夏休みにみんなでどこかに泊りがけで行ったらどうやろ」と言い出したのだが、ところが実際に行く時になると、うちの父親と私と2人だけで1泊2日で、広島県の宮島から山口県の湯田温泉に行って泊まり、山口県の秋芳洞に言って、帰りに広島市の平和祈念公園に行くという計画になっていた。おそらく、うちの父親は「みんなで行く」ことにするとお金がかかるからもったいないと考えて、それで、自分ともう1人で行くということにして、その「もう1人」に私を選んだのだろうと思われる。親と子供と2人で旅行をしている人、両親と子供1人の3人で旅行をしている人を見ると、どの家族も電車内では子供に窓側に座らせて、親は通路側に座って子供と一緒に窓から外を見ていたが、我が家だけはそうではなく、うちの父親は行きも帰りも必ず自分が窓側に座ろうとした。かつ、窓側の席に自分が座った上で窓側の席で週刊誌を読むのだった。週刊誌を読むのなら、窓側の席に座らなくても私に窓側の席に座らせてくれたらいいのにと思ったが、断固として小学校4年の子供に通路側の席に座らせて自分が窓側の席に座って週刊誌を読むのだった。なんで、この人は窓側の席に座って週刊誌を読みたがるのかと思ったのだが、最近になって内田康夫『由布院殺人事件』の中での登場人物の会話を読んでわかった。うちの父親は「上座」に座っていたつもりだったのだ。よその親子は、小学生の子供と親とが一緒に旅行をすると、子供に窓側の席に座らせて一緒に窓から外を見ることで社会勉強をさせているつもりだったようだが、我が家の場合はそうではなく、その時点では私は気づかなかったのだが、うちの父親としては自分が「上座」に座って週刊誌を読み、小学生にずうう~っと通路側の席に座らせて、それで「社会勉強」をさせているつもりだったようだった。よその家と我が家とはそういう違いがあった。小学生の子供に窓側の席に座らせて一緒に外を見てくれる親と、小学生に通路側の席にずうう~っと座らせて、自分は窓側の関で女性の裸の写真が載っている週刊誌を読む男とでは、子供を窓側に座らせてくれるお父さんの方がいいなあ~あ・・と思ったし、子供に窓側に座らせて親が通路側に座って一緒に外を見ている親子を見ると「いいなあ」と思ったものだったが、それはよその親がすることであってうちの父親がすることではなかった。
・・・これらは「氷山の一角」というのか、一例も一例であって、毎年毎年、何度も何度もそういうことを繰り返してきたのじゃないか! だから、「絶対に違う。絶対にそんなことない!」と言ったのだが、すると、うちの父親は「こいつ、こんなこと言いよる。これは絶対に病気や。これは病気がこいつにこういうことを言わすんや。これは、薬のませたらんとあかんわ。それも、ちょっとではあかん! 相当、大量に薬のませてやらんとあかんわ。いや、薬ではあかんやろ。ロボトミーとか電気ショックとかやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんとあかん!」と。うちの父親はそう言ったのだった。「電気ショックとかロボトミーとかやって、こいつがこういう口をきけんようにしてやらんといかん!!!」と、うちの父親はそう言ったのだった。
[13] まだ、幼稚園に行く前くらいの時だったと思うのだが、家で「すき焼き」をした時のことだ。母が買ってきた肉の中に、脂肪ばっかりの塊が一切れあって、私は、それは、健康状態が悪い牛か豚の肉が紛れ込んでしまったか、もしくは、食料に適さない部位の肉が紛れ込んでしまったかだろうと思っていたのだが、うちの父親が「おまえ、何を言うとんねん。勘違いしたらあかんぞ。これがうまいんやがな、これがあ。これが最高にうまい所やがな。食え」と言うので、「ええ~え? そんなん、食うのお? それ、どこか悪いのと違うのお?」と言ったのだが、「何を言うとんねんがな。これが、一番のごちそうやがな。食え」と私に言うのだった。「そんなに、ごちそうなら、お父さん、食べたらどうですか」と言ったところ、うちの父親が「な~にを言うとんねん、何を! こういうのは、おまえみたいな若いもんが好きなもんや。これはおまえみたいな若いもんが食うところや。わしは赤身を食うんや、わしは。おまえは、これを食え! 食わんか」と言うので、「ええ~え。そんなん、食べるもんなんですかあ?」と言ったのだが、「何、言うとんのんじゃ。食べ物の好き嫌いをしてはいかんだろうが。食べ物の好き嫌いをしておっては、人間、いい人間にはなれんぞ、おまえ! 食わんか、食わんか。クエッ、クエッ、クエッ、クエッ!」と言うので、しかたなしに、口に入れたが、ものすごく、気色が悪く、口から出そうとすると、「こら! 食わんか。食べ物の好き嫌いをしてはいかんだろうが。食わんか、食わんか、クエッ、クエッ!」とうちの父親が言うので、しかたなしに、無理矢理、喉の奥まで送り込もうと必死の努力をしたが、気持ち悪くて、どんなにしても飲み込めなかった。そのうち、母が「もう、食べなくていい」と言ってくれたので、吐き出したのだが、うちの父親は「こいつ、なんで食べへんのや。おまえの好物やろうが、おまえの好物」と言うのだった。その脂肪の塊というのは何だったのかというと、それは「不良品」とか「病気の牛か豚かの肉」とかではなく「鍋に油をしくためのもの」だったのだった。それを知ったのは30過ぎてからだったが、よく、ああいうものを子供に食べさせようとするものだ、と思った。かつて、「成人病」と言ったものを最近は「生活習慣病」と言うが、「生活習慣病」であれ「成人病」であれ、それは「生活習慣病」になってからの食生活が悪いのではなく、なるまでの食生活に問題ががあって「生活習慣病」になっているのである。子供は「生活習慣病」ではないから鍋に油をしくための脂肪の塊を食べさせてもいいなどと思うなら間違いだ。そんなものを食べていたのでは、後に「生活習慣病」になる原因になる可能性がある。それ以前に、「鍋に油をしくためのもの」である脂肪の塊を食べる人間なんて、どこにいるかというと、『C級サラリーマン講座』に登場する兎田課長というテカテカのおっさんが食うらしく、それを見て周囲の人間が「おまえ、それは食うものとは違うぞお」と言って気味悪がるという話になっていた。うちの父親は幼稚園に入園するかしないかくらいの頃の年齢の私にそれを無理矢理に食べさせようとしたのだった。それから、すでに50年以上経っているが、今でも、その時の気色の悪い感触は喉のあたりに残っている。
毎度毎度、毎年毎年、そんなことばっかりやってきた男が、「こいつには、子供の頃から、いつでも何でも、よその子とはちごうて、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でも、ええもんばっかし、こうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってやってきてやってやったったから」などとは、よくもまあ、言えたものだと思う。そういう状態のことを「精神医学」用語では「病識がない」と言うのではないか。
ところが、うちの父親は、私が「違う。絶対にそんなことない!」と言うと、「はあん。こいつ、こんなこと言いよるわ。これは、絶対に病気や。こいつには、子供の頃から、よそとはちごうて、いつでも何でもどんなもんでも、欲しいというものは、何でも何でも何でも何でも、どんなもんでも、ええもんばっかし、こうてきてやあってやってやあってやって、やあってやってやってやってきてやってやってやったったのにからに、それをわかりよれへん。これは間違いなく、絶対に病気や。これは病気がこいつにこういうことを言わせてるんや。これは、薬のませて治療してやらんとあかんわ。それも、ちょっとではあかん。相当、大量に薬のませてやらんとあかん! いや、薬ではあかんやろ。ロボトミーとか電気ショックとかやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん!!!」と言うのだった。
[1]のレーシングカーは、クリスマスに「サンタさんのプレゼント」としてもらった時はうれしかった。同級生や親戚の子が持っていたものと比べるとずっと小さくて簡略なものだったがそれでもうれしかった・・が、それから十何年か後、「あんたには、子供の頃から、よその子とはちごうて、欲しいというものはどんなもんでも何でも何でも、いつでもいつでも、ええもんばっかし、こうてきてやあってやってやあってやってやあってやってやってやってきたから」などと言われ、「絶対に違う」と言うと、「こいつ、こういうことを言いよる。これは病気や。これは病気がこいつにこういうことを言わせるんや。これは治療したらんとあかん。薬飲ませて治療したらんとあかん。それもちょっとではあかん。相当大量に飲まさんとあかん。いや、薬ではあかん。ロボトミーとか電気ショックとかやってこいつに二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん」とそういう口をきかれるのなら、あんなレーシングカーなどもらうんじゃなかった。失敗した。「サンタさん」とかいうやつに突き返してやるべきだった。クリスマスイブの夜には、「サンタさん」とかいうやつが入ってこないように盛り塩置くなり、御札はるなりして結界を設けて、クリスマスイブの夜はかがり火を焚いて寝ずの番をして「サンタさん」とかいう魔物が入ってこないようにしてやるべきだった。
人間、譲っていいことと悪いことがある。イェーリング『権利のための闘争』(岩波文庫)では、カントの「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」という言葉が引用され、「権利=法」が侵害される時に、それを放置しておくのは、単にその利権が奪われるだけではなく、人間としての人格が踏みにじられるのであり、「権利=法」を守るために闘うのは人間としての権利であるとともに義務でもあるとイェーリングは語る。 キューバ革命の際、バチスタ政権から死刑を宣告されたフィデル=カストロは「私に死刑を宣告せよ。そのようなことは何ら問題ではない。歴史が私に正義を宣告する」と語る。〔フィデル=カストロ『わがキューバ革命』〕 私も同じことを思った。ロボトミーでも電気ショックでもやればいい。そのようなことは何ら問題ではない。歴史が私に正義を宣告する!

現代の医療被害 (1978年) - 青年医師連合

告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
そして、1990年代初め、うちの父親が他界する前、大阪市内の病院に入院して、病室で、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」を聴きたいと言うので、それで、私はその時に住んでいた東京都大田区のアパートから、FM放送からチャイコフスキーの「くるみ割り人形」を録音したカセットテープを持参して大阪市内、大阪環状線の駅から西に歩いた所にあった病院まで持って行ったのだった。ところが、それを見ると、「あなた、それ、ラジオから録音したもんやろ。ラジオから録音したようなものは、音、悪い。そんなもん、このわしが聴けるかあ! 持って帰ってんか、あんたあ! それはあんたが聴きなさい! そういうのは、チャンコロが聴くもんや、チャンコロが。チャンコロが聴きなさい、チャンコロがあ! んが、んが、んがァあ! 持ってかえってんかあ! そんなも~ん!!!」と言うのだった。・・なんや、話が違うやんけ! 「親というものは、子から何かをもらった時、子から何かをしてもらった時、物や行為に喜ぶのではなく、その気持ちに喜ぶのです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・・・、わかりましたか」と何度も何度も繰り返し繰り返し反復して、その社員教育担当部署の男性はおっしゃったのだったが、話が違うやんけ!!!
※ 《YouTuve-チャイコフスキー - バレエ組曲《くるみ割り人形》Op.71a カラヤン ベルリンフィル》https://www.youtube.com/watch?v=IfTSYANLPIc
「親というものは、子から何かをもらった時、子から何かをしてもらった時、物や行為に喜ぶのではなく、その気持ちに喜ぶのです。わかりましたか、わかりましたか・・・・わかりましたか」というのも嘘だったのだ。

家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原

家族の死 - デーヴィッド クーパー, Cooper,David, 嘉寿, 塚本, 嘉, 笠原
嘘を教えてどないすんねん、嘘、教えて・・・と思ったのだが、「社員教育」なんてのは「そんなもの」と考えるべきものだったのだろうか。
「社員教育」には、役に立つものもあれば、「くだらんなあ」というものもあるわけだが、役に立つかくだらないかとは別に、その会社とその会社の従業員を侮辱する発言をするために「社外講師」として研修に行く男というのは、その人は、その姿勢を反省した方がいいのではないか。
又、自分の勤めている会社、自分に給料を払ってくれている会社の従業員に向かって、「皆さんとは違ってエリートの人」などという口をきくような人間というのは、社員教育担当部署の人間として、いかがなものだろうか。
どう思われますか? そういうのが「社外講師」として適切な人だと思いますか? そういう人が「社員教育担当部署の人」として適切な人だと思いますか?
(2021.2.22.)
☆ 会社と営業の話 シリーズ
[第822回]新卒社員研修で「この会社におる奴はアホばっかしや」と言う外部講師と東京海上火災の営業を「皆さんとは違ってエリートの人」と言う社員教育担当者。 「最近の若い者は甘ったれとる」のか? 「親は子から何かをしてもらった時に気持に喜ぶ」のか?〔今回〕
[第823回]電話はいくつ鳴ったら取るべきか。ベルいくつ、何秒かけて相手が出なければ、かけるのをやめるべきか。「自分にかかってきた電話でなくても会社にかかってきた電話は取るべき」ではないのか。配偶者でもない女からひっきりなしに職場にかかってくる電話について、使用者は注意するべきではないのか。居留守使うやつに協力する必要はあるのか。サラ金の督促の電話に他の従業員が出る筋合いはあるのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_7.html
[第824回]ある日の営業会議ー「社長の腰巾着」に物言えない所長と「腰巾着」におべっか使おうとする男。世話になってきた営業の担当契約客にお茶の一杯入れて出さない郡山の営業。玄関まで行って他営業の契約客だと戻ってきて外出するいわきの営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_1.html
[第825回]会社の為に転勤する全国社員を犠牲にする会社、営業本部長の約束を平気で反故にする会社、「契約がすべて」と言いながら契約半分未満の人を「優秀者」とする会社、世話になってる人を世話している者の「応援者」にする会社、自社が作った制度を踏みにじる会社ーある日のリーダー会議【上】https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_2.html
[第826回]ある日の「リーダー会議」【下】ー勝手に歩合給部分を減額する会社、筋を通して従業員の立場を説明する者と使用者にすり寄って自分だけ好かれようとするクズ、自分だけ使用者に喜ばれようとして失敗した経験を少しも活かさない成長しない男。話のすり替えをして使用者にすり寄ろうとするアンクル=トム https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_3.html
[第827回]極端に労を惜しむ営業、割が良くない作業は人に押しつける営業と他の営業がやりたがらないことを引き受ける営業。日報ださせてもその内容を見る視力がない所長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_4.html
[第828回]住宅建築業・他の営業と「バッティング」した時に盗られない方法。「あんたのやってた客はやりにくい」という誉め言葉。盗っても自分は契約できない先輩社員の有望見込客を盗ろうとする愚か者営業。ひとの見込客を横取りしようとする者がやりにくいのは横取りしようとする者が悪いと認識できないアホ営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_5.html
私は自分自身が大学生であった時には、「社員教育」としておこなわれているものには「くだらんなあ」というものが多いという印象を受けていたのですが、実際はというと、実際に「くだらん」ものもあれば、役に立つものもあると思います。
ここでは、その「くだらんなあ」というものの方を述べます。
【A】(1) 1980年代の後半、木質系戸建住宅建築業の小堀住研(株)の新卒社員研修でのこと。その頃は、大阪市北区曽根崎、JR「大阪」駅の南側、大阪駅の目の前、すぐ下には地下鉄谷町線「東梅田」駅がある所、元 旭屋書店のすぐ南、お初天神のすぐ西という超一等地に小堀住研(株)の本社はありました。何でも一等地に持てばいいとは決まっていないのですが、大阪駅の南口を出てすぐの場所に立つと、目の前に本社があってその屋上に「小堀住研」と書かれた看板が載っていると、なんだか、会社も一流会社の仲間入りをしたのか・・? と一瞬思いそうになる、そういう場所にありました。戸建住宅建築業の会社は関西発祥の会社が多く、特に「プレハブ系」は大阪が本社の会社が多かったが、そういう何社かで大阪市北区に本社がある会社よりも大阪駅に近い場所に本社ビルを持っていた。
その本社で約2週間、全体の研修があり、その後、「営業系」(営業・人事・総務・経理など)(4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人のコース)は兵庫県芦屋市の施設で2週間余、合宿研修があり、「技術系」(設計・工務・工事・アフターサービスなど)(4年制大学の建築学科・土木学科卒の人のコース)は別の場所で約1ヵ月の合宿研修がありました。その本社の部屋で実施された全体での研修のことです。
「副社長のKさんと財界団体の親睦会で知り合った」という社外講師の男性が、こういうことを言ったのです。
「最近、一流大学卒で新卒社員として入社した人間には、それまで、小学校・中学校・高校・大学と只管勉強ばっかりやってきて、会社に入ると、途端にそこで、それまでとは生活が変わったことで、精神的にショックを受けてだめになるという人間がおる。その点、ここにいる人間は大丈夫や。ここには一流大学でたようなやつは一人もおらんからなあ。なにしろ、ここの会社におるようなやつは、どいつもこいつもアホばっかしや!」と。
・・・何、それ? せっかく、社外講師として呼んでもらっておきながら、その物言いはいったい何???
やっぱり、研修の「社外講師」としてその会社に呼んでもらうのならば、その会社がどういう会社かということは理解してからその会社に訪問するべきであり、又、実際にその会社の従業員が「アホばっかし」であるか否かにかかわらず、呼んでもらった会社の人間に対して、「この会社におるようなやつは、どいつもこいつもアホばっかしやからなあ」とは、それは失礼であろう。そのような口をきくのならば、「社外講師」として来るべきではない。
まず、小堀住研(株)というのは、私の親が大阪府で小堀住研(株)で在来木造の戸建住宅を建てた1960年代後半においては、「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんです」と言っていた、そういう会社であったはずなのです。1960年代後半だけではなく、それから20年ほど後の1980年代後半のその研修の時においても、本社での研修で講師役で来た社員が「小堀住研は昔から『大卒しか採らない会社』としてやってきました」と説明したし、その後の「営業系」(4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人のコース)の合宿研修においても、講師役で来ていたTQC推進本部営業部会課長のMさんが「営業でも、その会社によっていろいろな営業があって、ミサワホームあたりは高卒の営業が多いんだけれども、小堀住研は昔から『大卒しか採らない会社』で、小堀住研の営業は大卒の営業でミサワの営業は高卒の営業であって、小堀の営業とミサワの営業は営業は営業でも営業が違う」と言っていたのです。そういう会社だったはずなのです。「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言って・・といっても誰が言っていたかというと、小堀住研(株)が自分で言っていたのですが、そういう文句は「嘘でも百回言えば真実」になる面だってあるわけで、自分で言っていたにしても、その結果としてそうなっていた部分もあったのです。又、関西圏を中心として「高級住宅の小堀」として売ってきた会社であり、戸建住宅の施工棟数ではミサワホームの方が小堀住研よりも多くても、「格」としては小堀住研(株)の方が上だというイメージでやってきた会社だったはずなのです。そして、たしか、会社案内で見たものだと思うのですが、「採用実績校」としては「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか、そのような記述がされていたと記憶しています。要するに、「東大・京大以外の十大国立大学」から1校、「地方国立大学」から1校、「関関同立」から2校、「関関同立のすぐ下の関西系私立大学」から1校の5校が記載されていたはずです。
もっとも、入社してみると、入社式の後、2週間ほど本社でおこなわれた全体での研修では、「技術系」で建築系の短大卒の男性が1人いて、男性の短大てあるんだなあ・・とその時、思ったということがありました。又、女性で短大卒の人が何人かいましたが、女性で短大卒で入社した人は、仕事の内容も4年制大学卒で入社した人とは仕事の内容も違いました。男性で建築系の短大卒の人というのは、本人は言わなかったけれども、もしかすると、なんらかのコネクションでの入社だったのか? ・・とも思えますが、そうかどうかはわかりません。
又、配属されてみると、「大卒」の人でも、「大卒しか採らない会社」で、その大学は「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」くらいの大学卒の人の勤め先かと思うと、実際には、そんな大学卒の人は少なくて、「言っちゃなんだが」、「ずうう~っと下の方の大学」の人の方が多かった。千葉支店の設計課長・・・というと、当然、国立大学か早稲田大の建築学科卒くらいの人がなっているのだろうと思い込んでいたら、千葉支店の設計課長の I さんは東海大学の建築学科卒だと聞いたので(I さんに書いてもらった図面はなかなかよくできていたとは思いますが)「ええ~え? 設計課長に東海大学卒の人なんてなってるのお~お?」と思ったものでした。
又、設計課とか工事課とかの仕事をやっているような人というのは、4年制大学の建築学科か土木学科卒の人で一級建築士か二級建築士のどちらかの資格くらいは取得している人だろうと思い込んでいたら、千葉支店で一級建築士か二級建築士を取得していたのは、設計課長の I さんと松戸二課営業課長の石井さんの2名が一級建築士の資格を持っていただけで、他は設計課の人間も工務課・工事課・アフターサービス課の人間も持っていなかった。もちろん、「安藤忠雄は一級建築士も二級建築士も持っていないけれども、有名建築家として評価されている」とか言われ、「建築士の資格を持っているかどうかよりも、仕事ができるかどうかの方が大事だ」というのは間違いではないと思いますが、それにしても、「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言われているのか自分で言いまくっているのかの会社で、千葉支店で一級建築士か二級建築士のいずれかを持っている人間は設計課長と松戸二課営業課長の2名だけだったというのには驚きました。設計課には5名の者が所属していたが、新卒入社したばかりの1名、その前年に入社した1名あたりはまだ取得できていなくてもしかたがないとしても、2番目の人・3番目の人も一級建築士も二級建築士も取得できていない、工務課の3名も誰も一級建築士も二級建築士も取得できていない、工事課は千葉市の工事一課も柏の工事二課も工事課長も含めて誰一人として一級建築士も二級建築士も取得できていない、まがりなりにも工事課長が一級建築士も二級建築士も取得できていないて、そりぁいったい何だあ? 「あれええ~え」て感じがしました。千葉支店だけではない。新宿のセンタービルにあった東京支店でも、一級建築士か二級建築士を取得していたのは、設計課長と工務課長の2名だけで、ほかは誰ひとりとして一級建築士も二級建築士も取得できていなかった。
目黒区の自由が丘展示場で自由が丘営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎に至っては東京電機大学卒で、「ええ~え、東京電機大なんてそんな大学卒の人が小堀住研に勤めてるのお~お?」と驚きました。1960年代後半にうちの親が小堀住研(株)で在来木造の戸建住宅を建てた時、営業担当者は関西大法学部卒で、同行していた営業課長は神戸大卒だったと、うちの親は言っていたので、私はそのくらいの大学卒の人の勤め先である会社に就職したつもりでいたのですが、なぜか、東京電機大卒なんて男だそこにいたのです。しかも、1990年、高橋賢一郎(男。東京電機大工学部建築学科卒。福島県喜多方市出身。当時、30代後半)は「〇〇くんの担当のお客さんに、ぼくのことを『うちの課長は建築士の資格は持ってませんけれども、建築学科でてますから』と言えばいいよ」などと言うので、「ええ、そんなこと言うのですかあ」と言ったことがあったのですが、そんなこと言ったのでは、その文句を日本語に翻訳すると、「うちの課長は、できが悪いものですから、東京電機大みたいなもんしか出とらんのですよお。それでいて、ウルトラ甘ったれとる人間なもので、福島県の会津地方の出身なのに、東京電機大なんてアホ大学に行くのに東京で下宿してまで私立大学に行かせてもろとるんですよお。それも、せめて、早稲田の理工学部とかにでも行くのならまだしも、東京電機大学やなんてそんな所に行くのに、工学部なんてお金のかかる学部に行かせてもらってるんですよお。よっぽど、カネ余っとるのでしょうかねえ。親はよっぽどの大金持ちだったのでしょうかねえ。もう、30代でも後半になってるんですけども、一級建築士はおろか二級建築士すらも通らないんですよお。やっぱり、カネで『バカでも入れる私学の工学部』に行ったようなアホ大学卒だけあって、アホもアホもアホあほアホですから一級建築士も二級建築士も通らんようですねえ。『建築学科でてますう』言うても二級建築士すらも通らんような建築学科ですよ。ねえ~え、アホでしょおお~お!」と言っているようなものじゃないですか。そうでしょ。そんなことを言ってほしいのかあ?・・・と思ったのですが、又、『美味しんぼ(おいしんぼ)』で、日本ラーメン総合開発研究所所長 長井伸助から「ラーメンは地球を救う」と言えと言われて、「本当に(そんなこと)言うのですか」と栗田さんが言う場面があったが、そんな感じ・・・、「本当にそんなこと言うのですか」と思ったのだが、
※ 《ウィキペディアー美味しんぼの登場人物》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%BC%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9

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高橋賢一郎としては「すでに30代も後半になっても一級建築士はおろか二級建築士も通りませんけれども、東京電機大学なんてお客さんなんかはもちろんご存じないような学校ですが、一応、建築学科出てますんでえ」と言えば、それがプラスに評価してもらえると思い込んでいたらしく、「なんか、ずいぶんとレベル低いなあ~あ( 一一)」て感じがしました。
昔から、一級建築士の資格のことを「足の裏についたご飯粒」と言いまして、それは「取ったからといって食えるものではないが、取らなきゃ気持ちが悪い」という意味だそうで、他の学部卒の場合はかまわないのですが4年制大学の建築学科卒の人の場合は一級建築士を取得しておかないと、「なんだ、建築学科卒と言っても、一級建築士じゃないのか」と思われる、もしくは、思われるのではないかと不安になるという資格で、二級建築士はというと、戸建住宅などでは、むしろ、一級建築士よりも二級建築士の試験に出題される問題の方が戸建住宅には関係が深いくらいですが、世間一般の人は知らない人が多いので、「二級建築士もってますう♪」などとうかつに言うと、「なんだ、一級じゃないのか」と言われる、もしくは、言われるおそれがあるので、言うとしても、「一級じゃないんですけどお・・」とかお断りして言わないといけないような資格ではあるのですが、東大工学部建築学科とか京大工学部建築学科とかを出た人の場合は、「いっきゅうけんちくしい~い」とかギャースカギャースカ言うよりも、「東大工学部建築学科卒」「京大工学部建築学科卒」の方が肩書としては「威力がある」し、東大・京大の建築学科卒で「二級建築士もってますう♪」などと言ったのでは、「なんや、東大でておいて二級しか通らんのかい( 一一)」と思われるだけですから、東大・京大などの建築学科卒の人は「いっきゅうけんちくしい」なんて言わない方がいいし、「二級建築士もってますう♪」なんて言うとかえってマイナスの評価を受けますが、「カネさえあればバカでも入れる私大の建築学科卒」の人の場合は、一級建築士か二級建築士のいずれかは取得しておくと、「大学はあまり評価の高い大学ではないけれども、建築士の資格を取る勉強はした人なんだな」とプラスの評価を得ることができるのに対して、すでに30代の後半になって「建築士の資格はもってませんけれども、建築学科でてますから」などと自分の方から言ったのでは、「どちらの大学を出てられますの?」と、小堀住研(株)に勤めていて「建築学科卒」だというのなら、最低でも国公立大学か早稲田大か関関同立くらいの大学の工学部建築学科卒なのだろうと思い込んでお客様からきかれるでしょうから、そこで、「東京電機大学という学校があるらしいんですう。電気関係の学校かと思ったら建築学科もあるらしいですう」なんて言うと、「ええ? そんな大学ありますのお?」と言われるでしょうし、「あるらしいですよお。なんか、昔は小川町の南のあたりにあったみたいですけど、今は埼玉県だったかの郊外というのか田舎に引越したみたいですよお」とでも言うと、「へ~え。そんな人が小堀住研に勤めてるんですかあ」と言われて会社の評価まで下がってしまう・・・ことになるでしょう。ところが、高橋賢一郎は「うちの課長は建築士の資格は持ってませんけれども、建築学科でてますから」と「営業系」(4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人)から言ってもらえば、それで自分の評価が上がると思い込んでいたらしかったのですが、「なんか、レベル低いなあ~あ」て感じがしました。「小堀住研て、もうちょっと上の会社かと思い込んでいたが、こんな人が勤めている会社だったのかあ・・・」と思いました。
もっとも、私の親が小堀住研(株)で建てた時や、その後、アフターサービスなどで家に来た人の「学歴」が、はたして本物だったのかどうかはわからないところもあります。世の中には「京都の大学卒」のことを「京都大学卒」みたいなニュアンスで言う人がおり、「神戸の大学卒」のことを「神戸大学卒」みたいなニュアンスで言う人がいるのですが、私などは会社という所に何年か勤めて、そういう人は世の中にはゴマンといるということを知ったので、そんな感じの人がいても、「ああ、そうですか」くらいにしか思わないようになったのですが、ところが、うちの親は父親も母親も信じやすい人間で、相手側からすると「騙しやすい人間」だったようで、「神戸大卒の人だった」とかいう話は、はたして、その「学歴」は本当のものかどうかはよくわかりません。実際には、仕事を頼む場合には、「一流大学」卒の人でもそうでない人でも、自分の所の仕事をきっちりとやってもらえればいいのですが、しかし、学歴詐称する人というのは、一般にそうでない人よりも、仕事の内容もあまりよくない場合が多いように思えます。
そんな感じで、小堀住研(株)は「昔から大卒しか採らない会社」と言い、「住宅の営業でも『高卒の営業』の会社もありますが、小堀の営業は『大卒の営業』です」と言いまくり、求人票には「応募資格」として「営業系」(営業・人事・総務・経理など)は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と明記、「技術系」(設計・工務・工事・アフターサービスなど)は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人)と明記していて、「採用実績校」はというと「神戸大・新潟大・同志社大・関西大・甲南大」だったかのように記載していた会社であったはずで、『役員四季報』(東洋経済新報社)を見ると、初代社長の「甥っ子」と言っていたが実際は「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があった2代目の社長の中島昭午は高卒でしたが、副社長は神戸市立外大卒で、初代社長の弟だという専務の小堀 東は大阪工大卒ということで、3人いた常務のうち、銀行から出向できた2人以外の1人は慶應大学経済学部卒であり、社長・副社長・専務・常務の6人のうち、「一族」でなく「銀行系」でない2人は神戸市立外大卒と慶應義塾大経済学部卒とでしたから、「ここの会社に勤めているやつは、どいつもこいつも、アホばっかしや」と言われなければならないようなものではなかったはずなのです。そういう口のきき方というのは、自分を「社外講師」として呼んでくれた会社とその会社の従業員に対して失礼でしょう。よく、そういうことを言うと思います。そういった発言は、比較的評価が高い方の大学の出身者に対して失礼であるだけでなく、底辺の方の大学の出身者にも、高卒・中卒の人にも失礼で、「社外講師」が研修で口にする文句ではないでしょう。
(2) 「最近、一流大学卒で新卒社員として入社した人間には、それまで、小学校・中学校・高校・大学と只管勉強ばっかりやってきて、会社に入ると、途端にそこで、それまでとは生活が変わったことで、精神的にショックを受けてだめになるという人間がおる。」とかいう、「心理学者」とか称するイカサマが言っている「学説」自体が、そもそも、いいかげんなものなのです。
「作家で精神科医」の なだ いなだ が『パパのおくりもの』(文春文庫)で、日本には精神分析教の信者とでもいうような人と、精神分析嫌いの人がいるが、精神分析教の信者はあまり身勝手な解釈はやめた方がいいと思う、と書いているが私もそう思う。あるフロイトの弟子はこう言った、「フロイトは巨人であった。我々は小人である。しかし、巨人の肩にのった小人は巨人よりも遠くを見ることができる」と。しかし、その小人は現状を知ったならばそうは言えなかったであろう。巨人の後からついて行く小人が見たものは、巨人の大きな背中であってそれ以外の何物でもない。百歩譲って小人が巨人と同じものを見ることができたとしても、小人はしょせん、小人であり、巨人と同じものが見えても巨人と同じように考えることはできない、と。私もそう思う。いいかげんな「心理学者」「精神医学者」「精神分析家」が日本にはいっぱいにいる。害こそあれ益にならんやつらがいるのだが、それを見わけないといけないのだが、見分ける努力をすることなく、小此木啓吾独善主義などのいいかげんな本を喜んで読んで、そして、小此木啓吾独善主義が創作した「精神医学」的レッテルを、決して自分に貼ることはなく、周囲を見回して、自分が気にいらない人間に、片っ端からぺったんこぺったんこと貼ってまわる、時に「治療」と称して「人間による人間の加工」をしようとする・・そういう程度の低い人間が日本にはいるし、おそらく、外国にもいるであろう。そんな「学説」をありがたがって、そして、「社外講師」として呼んでもらって、新卒社員研修で「最近の若い者は、甘ったれと~る!」とか叫んで、それで、そういうことを言えば、その会社の経営者は喜ぶであろう・・・と思い込んでいたようだが、愚かである・・と思う。

パパのおくりもの (文春文庫 113-1) - なだ いなだ

精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー (講談社現代新書) - 小俣 和一郎
「心理学」の「学説」として、「子供の頃、『いい子で育つ』ということをした人間は大人になってから問題が出ることが多い」という「学説」を、1983年、東京のJR「目白」駅から西に行った南のあたりにあった 日本カウンセリングセンター の「世話人」という職種の吉田という男性(当時、40代前半くらいか?)が言ったのだが、「なんか、変なこと、言うなあ」と私は思ったものだった。もしも、「いい子で育つ」ということがいかんのならば、子供の頃、何か悪いことやれば良かったのなら、それなら、子供の頃にそう言ってくれればよかったのに・・・と思いませんか? あほくさいと思いませんか?
自分自身を振り返ってみると、「いい子」だった面もあればそうでなかった面もあると思う・・・というか、私だけではなくたいていの人は両方の面があるのではないかと思うのだが、「いい子で育つ」のがいかんというのならば、子供の頃に、たとえば、よその子が買ってもらっているものを自分は買ってもらえないという時に、道にねそべって「ぎゃああ~あ!」と泣き叫ぶということをする子がいたが、私は「ああいう子はみっともないでしょ」とか母親から言われ、自分でもそう思って、そういうことはやらなかったのだが、やった方がよかったのだろうか? やった方がよかったのなら、成人してから言うのではなく子供の時にそう言ってくれればよかったのに・・と思いませんか? 勝手なこと言うな!!!・・と思うのだが、「勝手なことを言う」のが「心理学」というものだったのだ。
今となっては十何年か前になると思うが、キリスト教系書店では、「入墨クリスチャン」と言って「元ヤクザのクリスチャン」を「売り」にしていた人たちがいたのだが、それも変だと思ったのだ。「元ヤクザのクリスチャン」というのは「元ヤクザでないクリスチャン」よりもえらいのだろうか? それは違うと思うのだ。 あるいは、芸能人とかで「元不良」とか「元暴走族」とかを「売り」というのかする人が時々いるが、「元不良」とか「元暴走族」とかそういうものを「売り」にするというのは、それはおかしいだろう。正直に、「実は、若い頃、・・・でした」と白状するのなら、「人間にとって大事なのは過去よりも現在だ」ということもあり、正直に「実は若い頃・・でした」と白状するのは悪くはないとしても、それは自慢するものではないし、「売り」にするものでもないと思うのだ。子供の頃に何か悪いことしたなどと自慢するのはおかしい。日本カウンセリングセンターの吉田氏の話を聞いて、「この人は要注意な人だ」と私は感知したが、参加者で感知することができなかった人は何人かいたようだったが、「子供の頃、『いい子で育つ』ということをした人間は大人になってから問題が出ることが多い」などという「心理学の学説」はおかしいと私は思っている。

裁かれる精神医学 - マルコム・レーダー, 秋元波留夫, 大木善和
日本カウンセリングセンターの「世話人」という吉田氏は、カウンセリングの入門講座で「学ぶ相手を間違えてはいけませんよ」と発言したのだったが、まさに吉田氏こそ、その「学ぶ相手」として選んではいけない相手ということはないか?・・・と感じたのだった。そして、吉田氏は、このように吉田氏について疑問を感じた者を「学ぶ相手として選んではいけない相手」と指定していた・・のではないか、としばらくして気づいた。おそらく、そうだろう。気をつけないと、こういうタイプの人と「密」に関わると、「病気」とか「××的性格」とか「△△シンドローム」とかなんとかかんとか「診断」される危険があるので要注意である。吉田氏はそのカウンセリングの入門講座を「垢落し」と言っていたのだが、最初に「垢落し」をしているように見せて、実は吉田氏の言いなりになるように誘導していたように思われる。吉田氏は、おそらく、自覚してやっていたと思うが、もしも、自覚せずにやっていたのなら、吉田氏の性格的・精神的欠点がそのような行動をさせていたものであろう・・・が、おそらく、自覚して意図的にやっていたと思われる。
「元ヤクザのクリスチャン」が「元ヤクザでないクリスチャン」よりもえらいみたいにアピールしていた人たちや、「元不良」「元暴走族」とかいうのを「売り」にする芸能人というのは、それは、ちょっと違うと思うのだが、1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。担当教科「国語(古文・現代国語)」)は、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と、両親が離婚して父親がいなかったというのを最大の自慢にしていたのだったが、それは自慢することとは違うだろうが!・・と思うようになった。北野高校の音楽の教諭だったN先生が「S野さんは、両親が離婚してお父さんがおられないだけあって、しっかりしてられるわあ」などと発言したことがあったのだが、そうかな? 「両親が離婚した」からという理由で「しっかりしてられるわあ」と言ってもらう権利があるみたいに旧姓S野礼子は考えていたようだったが、そんな「権利」なんてないと思うぞ。 結婚というものは、その後の人生を一緒に生きていきましょうということでするものであって、離婚するために結婚するのではないのであるが、それでも、結婚後、もう一緒にやっていけないということで別れる人があったとしても、それはその人にとってはしかたがなかったことなのかもしれない・・が、しかし、それは自慢することとは違うと思うぞお。「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と何度も何度も自慢されたが、そのあたり、あんた、ちょっと物事の考え方を間違えていらっしゃるのではありませんか・・・と言ってあげた方が本人のためであろうけれども、言ってあげてもきかないでしょうし、『聖書』の「福音書」には「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。おそらく、彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直って、あなたがたに噛みつくであろうから」というイエスの言葉が書かれているが、せっかく言ってあげても、おそらく、「足で踏みつけにし、向き直って噛みついてくるであろう」から、言わない方がいいであろう。そして、誰もが言わないと、おそらく、一生、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と、そんなもん、自慢することとちゃうやろうがあ・・・ということを自慢しまくりで、一生、死ぬまで通すことであろう。
私は旧姓S野礼子を、少々、性格がいがんでいるかとは思っても「しっかりしてられるわあ」などとは思っていないが、 ”” 常に「両親が離婚してお父さんがおられないから、だから、しっかりしてられるわあ」と言ってもらおう、人に言わそうという圧力を常に周囲に欠ける女症候群 "" の女であるので、その「圧力」に負けて、もしくは「逆らうとうるさいから」、「しっかりしてられるわあ」と調子を合わす人がしばしばいるようだが、そういう「圧力」を常に周囲に加えないとおれない人間症候群というのは、あんまり好ましい症状ではないように思う。又、入学式の日に有給休暇とって海外旅行に行ったりするというのも、本人はそれを得意にしているようだったが、それも違うと思う。もし、私が高校の教諭になっていたならば、入学式なんて特にやることないと思ったとしても、それでも、これから一緒に高校でやっていくという生徒および親との顔合わせの儀式であり、そのために生徒は出席しており、親も有給休暇をとって会社を休んで高校の入学式に出席している親がいるのに、あるクラスの担任をもち、担任でないクラスでも「国語」の担当をする教諭の方が有給休暇をとって海外旅行に行くというのは、私ならそんなことはしたくない。もし、最近の入学式は「君が代礼賛式」になっているからということで、有給休暇だということにして「君が代礼賛式」をボイコットするというような考えで欠席するのならば、それもひとつの考え方であろうけれども、旧姓S野礼子はそのような”反権力”の人間ではない。むしろ、「体制側」「権力側」の人間であり、””「反権力」の側で闘う””などというタイプではない。高校の教諭は一般の会社員と違って夏休み・春休みがあるし、戸建住宅建築業の営業のように「国民の祝日」は出勤日などという仕事ではなく「国民の祝日」もきっちり休める仕事なのだから、海外旅行に行きたければ入学式の日に行かなくても良さそうなものだが、あえて入学式の日に行ったというのは、4月の初めは会社員も公務員も休みにくいので海外旅行は安いからだろう。「お父さんがいないから」なのかどうかはわからないが、みみっちい女である。だから、入学式の日に有給休暇をとって海外旅行に行けば費用が安いということでそうしたのだろうけれども、旧姓S野礼子にとっては高校の入学式というものは「その程度のもの」だったようだ。教諭の方が有給休暇とって海外旅行に行っていいような入学式ならば、生徒の方も有給休暇とって海外旅行でも国内旅行でも行っていいことになるのではないか。親だって、教諭が有給休暇とって出てこないような入学式に、なんで、親が職場を有給休暇とって休んで息子・娘の入学式に出なきゃならんのだ・・ということになる。高校は担任を持つ教諭が海外旅行に行って出席しないような入学式に来てくださいと言うのは親に対しても失礼で、生徒に対しても失礼であろう。日本の労働基準法では、有給休暇は使用者はとらさないといけないというもので、労働者・従業員は特に理由がある時に有給休暇を取得してよいということではなく、有給休暇を取得するのに理由は必要ないのだが、私が勤めてきたような三流以下企業においては、(株)エイブルでは有給休暇の取得申請書なる用紙があって、そこには「取得する理由」という欄があったし、(株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫が週休日の前になったら「なんで、休みの日に休むんだ」と言ったものだった。週に1回の週休日があっても、その日は洗濯したり、クリーニングに持って行ったり持ち帰ったり、革靴を磨いたりなど、仕事をするための整備・整理をして1日終わっていたのであり、週休日を休まさないようにしても、革靴を磨くことができなくなり、クリーニングに出せなくなり、クルマの掃除・清掃をできなくなりするだけなのだが、それでも、週休日を休ませたくないというのが「『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の会社のルールだ」と公言する(株)一条工務店だった。それに比べて、府立高校の教諭というのは夏休みも春休みもあり、日曜はきっちりと休めるし、「国民の祝日」も休めるし、入学式の日に海外旅行に行かなくても、他に行ける時はいくらでもあるはずなのだ。そして、使用者は有給休暇は従業員に取得させなければならないが、どのような日にでも取得したいと言われれば無条件に認めないといけないということではなく、特に忙しい時期とかに取得したいと言われた時とか、シフト制でその人がその日のシフトに入っていたのに急に有給休暇を取得して休みたいと言われた時とかには、他の日にしてもらえないかということは言っていいはずなのだ。有給休暇を取得するにしても、何も入学式の日に取得しなくても良さそうなもので、使用者は「たとえ、有給休暇を取得するのはかまわないが、他の時にしてもらえませんか」と言っていいはずなのだが、北野高校の校長は言えない人だったのか、言ってもきかない女だったのか。可能性としては、言ってもきかない女だった・・・という可能性の方が大きいように思える・・・が、入学式の日にわざわざ有給休暇とって海外旅行に行くとは、ユニークな女だと思う。そういう態度を「お父さんがおられないだけあって、しっかりしてられますわあ」と言うのか? 違うのではないか。むしろ、「父親がいないだけあって、親の教育がよくないのと違うか」「離婚するような親の娘だけあって、物の考え方を間違っているのと違うか」と評価される方がふさわしいのではないのか。
(3) その方は、「私らが若い頃は、時計なんてものは、家に1つあるくらいのものやった。それが、最近では贅沢になってきて、一人1つずつどころか、一人でいくつも持っておったりする。それだけ、最近の若い者は贅沢で甘ったれとるいうこっちゃ」と発言なさったのですが、その発言からして、事実に照らして正しくないのです。実際、私が子供の頃でも、時計は家にそんなにいくつもはありませんでした。私が産まれるよりまだ前、うちの親が結婚してすぐの頃は、戦後すぐの時代で、父親がが腕時計をひとつ持っていただけで、父親が腕時計をはめて会社に出勤すると、時刻がわからなかったと母は言っています。その後、父親がはめて出勤した腕時計(ウオッチ)と別に掛け時計(クロック)を1つ貰い物でもらい、それを家ではみんなで見て使っていたらしい。
ですから、その頃に比べると、時計というものが、ウオッチの分野の時計にしても、クロックの分野の時計にしても、手に入りやすくなったのは事実ですが、それをもって、「最近は豊かになった」と解釈するだけでなく「最近の若い者は贅沢になった」と解釈するだけでなく「最近の若い者は甘ったれと~る!」などと叫んで、それで報酬をもらえると思い込んているのでは、むしろ、その社外講師の男性の方こそ、「甘ったれと~る」のではなかったでしょうか。
うちの両親が結婚してすぐの頃、「戦後、すぐの時代」というのは、世間一般に貧乏だったのです。1年余前に他界した野村克也のじいさんが「わしぁ、貧乏やからな」とか「わしぁ、日陰の月見草」とか言いまくっておったが、本人が書いていたが、戦後すぐの時代というのは、たいていの人間が貧乏だったのであって、「わしぁ、貧乏やからな」と言っても、特別の人間は別としてその時代は貧乏な人間の方が普通だったわけで、「わしぁ、貧乏やからな」というのは、それは受けを狙って少々誇張して言っていたと本人が告白していたが、ただ、野村のじいさんの場合は、お父さんが戦地で「戦病死」してしまい、戦後、誰もが貧乏だったとはいえ、お父さんがいる家といない家とではいる家の方が生活は楽のように見えたし、野村のお母さんは、子供を2人かかえて癌になってしまったということもあって、その点ではよそよりも貧乏だったが、しかし、貧乏だったという点については、戦後すぐの時代はたいていの人間が貧乏だったわけで、自分の所だけが貧乏だったというわけでもなかった・・・と正直にどこかで述べていた、と思う。
その「戦後すぐの時代」に比べると、「高度成長」以後や、「バブル経済」とかいった時代は、「戦後すぐの時代」よりは豊かにもなり全体的に贅沢といえば贅沢にもなったのでしょうけれども、時計については、世の中が贅沢になったから、誰もが時計を持てるようになったということではなく、セイコーが「クォーツ」と呼ばれる水晶発振式時計を発明したことで、安価で正確な時計を製造することができるようになり、それまでは「精密機械工業」として限られた会社しか時計を作れなかったのが、カシオ計算機とかシャープとか、本来は時計メーカーではないメーカーも時計を作るようにもなり、今でも「ブランド物」の時計については宝飾品に近い性格をもって高価でも、ともかく、正確な時計ということであれば、比較的安い値段で購入できるようになったのです。 「最近では、一人で時計をいくつも持っておったりする」というのは「クォーツ」と呼ばれる水晶発振式時計が発明されたことで低価格で正確な時計の生産が可能になったことが主たる理由であって、その「社外講師」のおっさんが言うような「最近の若い者は甘ったれと~る!」からということではないのです。
むしろ、そういういいかげんな話をして、それで「社外講師」として報酬を取得していた人の方こそ、「甘ったれと~る」ということになるのではないか。 「甘ったれと~る」のは、その人の方だったのではないか。
(4) さらには、その「社外講師」の男性は、私の親より年下、私の姉より年上の世代でしたから、そうなると、私の親は「終戦」か「敗戦」かという1945年の時点では23歳と21歳で、その後、結婚して、うちの姉は1950年の朝鮮戦争勃発の頃に産まれたのですが、そのうちの姉より少々年上ということは・・・・、どうなるかというと、その「社外講師」の男性というのは、まさに戦中、「撃ちてしやまん、一億火の玉」とか「欲しがりません、勝つまでは」「とってちってたあ~あ」「木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたあ」とか言っていた、まさにその時代に〔 我が家では、うちの父親は、戦後でも、1970年の大阪万博より後でも、1985年の つくば科学万博より後でも、私に、毎日毎日、「撃ちてしやまん、一億火の玉ァ!」「欲しがりません、勝つまではァ!」「とってちってたあ~あ!」「木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたあ」「ロスケどもをやっつけてや~る!」とか朝から晩まで、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに叫んでいましたけれども・・( 一一) 〕はらんで産まれた人・・ということになるわけで、 「まさに戦中、東京大空襲やとか大阪大空襲やとか言うとった時代、B29が爆撃してくるいう時に、『撃ちてしやまん、一億火の玉』とか言うとったまさにその時代、バケツリレーとか竹槍訓練とか言うとった時代、まさにその時にや・・・。そんな時に、おまえの親はいったい何をやっとったんや、何を???」・・・・と、西川きよし やったか誰やったかが漫才で言っていた文句、まさにその文句があてはまる世代の人間だったはずだ。まさに、「まさに戦中、東京大空襲やとか大阪大空襲やとか言うとった時代、B29が爆撃してくるいう時に、『撃ちてしやまん、一億火の玉』とか言うとったまさにその時代、バケツリレーとか竹槍訓練とか言うとった時代、まさにその時にや・・・。そんな時に、おまえの親はいったい何をやっとったんや、何を???」と。
〔 もしかすると、これだけ言っても、意味がわからない人も中にあるかもしれないので説明すると、要するに、「お国のために」「撃ちてしやまん、一億火の玉」とか言うとった時、「欲しがりません、勝つまでは」とか言うとった時、東京大空襲や大阪大空襲や言うてB29が爆撃してきたまさにそういう時に「おまえの親」は性交やって産まれたのがその「社外講師」の男性やった・・・ということになるわけだった・・( 一一) 〕
(5) その「社外講師」は、「社会人として勤めたら、司法試験でもいい、公認会計士でもいい、そういった資格試験の勉強をしてもらいたい」と発言したのだが、会社で司法試験や公認会計士の勉強をしている者を喜ぶ会社はあまりないだろう。これは、『司法試験受験必携』(法学書院)だったか他のものだったか忘れたが、司法試験受験案内書に書かれていたことでもあるが、いったん、勤めた後に、弁護士をめざして司法試験の学習を始める人、公認会計士や税理士をめざして学習する人というのはいるが、会社ではその人にその会社でこういう仕事をしてもらおうと考えているのに、弁護士や公認会計士・税理士として転職を考えての学習をするのを勤務時間外については干渉できないとはいえ喜ばない場合が多いはずだ。資格試験の学習でも、小堀住研(株)の最初の新卒社員研修の時に、講師役で来た従業員が「技術系」(設計・工務・工事・アフターサービスなど)(4年制大学の建築学科・土木学科卒の人)は二級建築士、「営業系」(営業・人事・総務・経理など)(4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人)の人は宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)の資格を取得してもらいたい」と発言し、持っているだけで一級建築士は月5千円、二級建築士・宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)は月2千円を持たない人よりも多く払うという規定が就業規則にあったように、建築士や宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)のように、その業界で働くにおいてプラスになる可能性が考えられる資格であれば取得するための学習を歓迎するとしても、その会社での仕事がけっこう忙しいのに、弁護士や公認会計士・税理士などになろうとして司法試験・公認会計士試験・税理士試験などの学習を入社早々やる人というのは、勤務時間外や週休日に自宅でこっそり学習するのなら自由だとしても、「社外講師」が研修でそういう勉強をしろと言うのはおかしい。
【B】(1) 私は慶應義塾大学という学校が嫌いだったので、あんな大学の「卒業生」になりたくないと思っていたのだが、なんだかんだ言ってるうちに4年生になってしまい、卒業するとどこかに就職しないわけにはいかない事態になり、「合同会社説明会」といったものをのぞきに行って見ると、「バカでも入れる私大」の人間が「同じ大学なのに、その大学によって差別するというのはおかしい」とか、踏ん反りかえって言うのを聞き、なんで、あんなのが大学生なんだ? ・・・と思うような人間がそういう口をきくのを聞いて、あんなのが「大卒」ならば、私だって「大卒」の肩書くらい取得させてもらっても悪くはあるまいと思うようにもなった・・・のだが、そういうこともあり、実は4年を2回やったのだ。それで、↑ の2回目の4年の時に採用すると言ってもらって入社した会社で、最初の4年の時に採用しますと言ってもらった会社が別にあって、その会社で、卒業しなくても来てもらってかまいませんと言ってもらったことがあり、残りの単位も少なかったので、そこの入社式にも出て、8か月ほど、週に2コマだけ出席させてもらってその会社に勤めたのだ。
その会社、東京都千代田区にあったコンピュータ関連のT社でのことだ。インターネットで見るとT社は今もあってホームページを見ることができるが、本社の場所はその頃とは別の場所に移ったらしい。
会社名がいくつもあったのだが、1人の社長が作った会社が複数あったようで、その複数の会社の従業員に対して社員教育をおこなうための部署として、いずれの会社にも所属しない部署があった。その社員教育担当部署の男性(その頃、40代後半くらい?)が、入社式のすぐ後くらいだったかに、翌日、東京海上火災の営業の男性が保険の説明に来るので聞いてもらいたいということを話し、その際だが、こう言ったのだ。
「東京海上火災の人が来て話をしていただきますから。皆さんとは違ってエリートの人が来られますから」と。
はあ? ・・はあ~あ??? 何、それ???
東京海上火災というと・・・「給料が高い」と言われていた。 だから、””人気企業””として、「一流大学」の社会科学系学部卒でも誰もが行けるというものではなかった会社・・・だった。今は、東京海上火災は、2004年に、日動火災海上保険 と合併して、東京海上日動火災保険株式会社になったらしい。〔《ウィキペディアー東京海上日動火災保険》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E6%97%A5%E5%8B%95%E7%81%AB%E7%81%BD%E4%BF%9D%E9%99%BA 〕 1980年代前半だが、宮下あきら という漫画家が『激! 極虎一家』という漫画で、およそ、学歴とは無関係のような男が、女性から「私はねえ、あなたみたいな男と結婚はしないのよ。私は、東京大学経済学部を卒業して東京海上火災に勤めている男性と結婚するのよ」と言われて、しょぼ~んとし、まわりの男から「おまえ、どないしたんや」と言われて、「わし、その東京海上火災ちゅう文句に弱いね~ん」とつぶやき、しおれ、しばらく立ち上がれなくなる、「なんや、およそ、学歴コンプレックスなんか関係ないみたいな筋肉系の顔した男がどうしたんや」と言われても、「わし、その『東京海上火災』いう言葉を言われると、弱いんや」・・・と言う場面が描かれていた。私なども、うちの父親から「東京海上火災、東京海上火災、東京海上火災・・」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われてきたので、東京海上火災だけは首をもがれても行かされてなるものか! と心に誓ったものだったが、宮下あきら の漫画には「東京海上火災養成ギプス」とか、そういうものも登場していたように思う。「あの夜空に輝く星座が、あれが東京海上火災という星座だ。飛雄馬、おまえはあの星座の中でひときわ大きく輝く星になれ」「東京海上火災養成ギプスだあ!」「月夜の千本ノックだあ!」・・・て、「とうちゃん、俺、いったい、なんだってこんなことやらなきゃならいんだよお」・・・て、そんな話が書かれていた・・ような気がする。〔⇒《YouTube-【公式】巨人の星 第1話「めざせ栄光の星」"THE STAR OF THE GIANTS" EP01(1968)》https://www.youtube.com/watch?v=btfA9kankQ4 〕
しかし、だ。だからといって、東京海上火災で損害保険の営業やってる人間誰もが「エリートの人」なのか? ・・違うと思うぞお。 「保険」には損害保険と生命保険があるが、生命保険の方の会社もけっこう「人気企業」である会社が多いが、生命保険の勧誘やってるおねーちゃんというのは、「東京大学経済学部を出て、◇◇生命に勤めているエリートの人」かというと、違うだろお。別にいかんとは言わんが、生命保険の勧誘やってるおねーちゃんというのは、学歴としては短大卒か高卒くらいの人が多いはずだ。 損害保険の方も、東京海上火災、及び、その後身の東京海上日動火災保険(株)であれ、それ以外の損害保険の会社であれ、「エリートの人」ばっかりではないはずだし、特に、勧誘やっているのは代理店の人間であって、その保険会社の社員とは別のはずだし、その保険会社の人間にしても、誰もが「エリートの人」ではないはずだ。
なによりも、もしも「東京海上火災養成ギプスと月夜の千本ノックで星一徹から鍛えられて、東京大学経済学部卒で東京海上火災という星座に上りつめた男」であっても・・・、「だから、なんやねん?」てものだし、ましてや、「皆さんとは違ってエリートの人」て、何だ、そりぁ???
そして、翌日、来社した「東京海上火災の皆さんとは違ってエリートの人」というにーちゃんは、見ただけで「エリートの人」とは違った。卒業した大学だけで人の値打ちが決まるのではないとか言う人がいるが、それはそうだろうけれども、牛丼くらいなら賭けてもいいが、あのにーちゃんが東大経済学部とか、東大でなくても「十大国立大学」か早慶かを卒業しているなんてことは天地がひっくり返っても絶対にない! あのにーちゃんがどうかはどうでもいいことなのだが、もしも、あのにーちゃんが東大・京大か早慶かでも出ていたならば、牛丼かカツ丼なら出してもいい。そんな大学、絶対に出てませんと顔に書いてあった。
いやあ、しかし、「社員教育」というのはくだらんなあ~あ・・・と思ったものだった。 「皆さんとは違ってエリートの人が来てくださって話をしていただきますから」と、社員教育担当部署に男性2人いたうちの上の方の人が言ったのだったが・・・・⇒「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」・・・て感じやった( 一一)
(2) この社員教育担当部署の男性は、ほかにも、入社式の後、新卒入社社員に対して、「親が子に何かをもらったり何かをしてもらった時と、子が親から何かをもらったり何かをしてもらった時とでは、どこが違うかわかりますか。教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか」と何度も何度も「教えてあげましょうか」と繰り返したのですが、誰一人として「教えてください」と言う者はなかったところ、誰も「教えてください」と言わないからには、「そうですか、それならやめておきましょう」と話すのをやめるか、それとも、「まあ、そう言わずに聞いてくださいよ」と言って話すかどちらかであろうと思ったのだが、ところが、「そうですか。わかりました。それでは教えてあげましょう」と言って話しだしたのだったが、それでは日本語になってないだろうが・・と思ったが、日本語になっていなくてもおかまいなしに、「わかりました。それでは教えてあげましょう」と言って話し出した。
「いいですか。子が親から何かをもらったり何かをしてもらった時には、その物に喜んだり、やってもらった行為に喜んだりするのです。それに対して、親が子に何かをもらったり何かをしてもらった時には、物に喜んだりその行為に喜んだりするのではなく、その気持ちに喜ぶのです。そこが親と子の違いなのです。子が親から何かをもらったり何かをしてもらった時には、あくまでも物や行為に喜ぶのであって気持に喜ぶのではないのです。親が子から何かをもらったり何かをしてもらった時には、あくまでも気持ちに対して喜ぶのであって、物に喜んだりその行為に喜んだりするのではないのです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・・・・、わかりましたか・・・」と何度も何度も「わかりましたか」と繰り返すのだった・・・が、わからんかった。ちっともわからんかった。
1960年代なかば、私が小学校1年の時、小学校の「算数」で、足し算・引き算・掛け算・割り算を学んだ時、担任の先生は、楽しみながら「算数」を学べるようにという工夫だったと思うのだが、足し算・引き算・掛け算・割り算のトーナメント大会というのを実施し、隣の席の者と2人に問題を出して、先に正答を答えた者が勝ちとして、勝ち抜き戦をおこない、優勝者と準優勝者には「連絡帳」に「たいへん、よくできました」としてそれを先生が書き込んでくれるということを実施した。うちの父親は「次、優勝したら、プラモデルを買ってやる」と言ったのだ。そして、次、優勝した。優勝したからには、プラモデルを買ってもらえるのだろうとは思ったが、我が家は、そういったことがあっても、幼稚園や小学校の同級生や近所の子供が買ってもらって持っていた物でも、我が家では買ってもらえないことが多い家庭だった。その頃、我が家から小学校まで行く途中にあったプラモデル屋のショーウインドウには「ゴジラ」「バラモン」のプラモデルが飾ってあって、前を通るたびに、「いいなあ」とずっつ思っていた。同級生で、別に「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」のトーナメント大会で優勝しなくても、1回戦負けでも、「ゴジラ」と「バラゴン」の両方を買ってもらって持っていた者がいたし、片方を買ってもらって持っていた者もいたが、住んでいる家にしても我が家よりずっと粗末な家に住んでいて親の年収も我が家より低い可能性が大きいと思われる同級生で買ってもらって持っていた者が何人もいた。しかし、「ゴジラ」はその頃の値段で4000円したというのだ。今の物価ならいくらくらいになるだろうか。その頃、官製葉書は5円だった。近所でアイスクリームを売っている店があって、10円のアイスクリームと20円のアイスクリームが売っていて、我が家は10円のアイスクリームは時々買ってもらえたが20円のアイスクリームは絶対に買ってもらえなかったが、幼稚園や小学校の同級生は10円のアイスクリームも20円のアイスクリームも買ってもらっていた。葉書やアイスクリームの物価により「物価スライド制」を適用して考えるならば、「ゴジラ」が4000円したというのは、今の物価なら4万円くらいということになるだろうか。 その「物価スライド制」が適切かどうかはわからないが、ともかく、今の4000円よりずっと実質的に高いのは間違いない。だから、よその子は1回戦負けでも買ってもらっていても、我が家は優勝しても無理だと思って小学校1年の時の私はあきらめていた。
ところが、うちの父親が「よっしゃ。そしたら、プラモデル、こうたろ。あんた、どういうのが欲しいか?」と言うので、「4000円のゴジラが欲しい」なんて言っても我が家は絶対に買ってもらえないと思ったけれども、ともかく、言うだけ言ってみようと思い、「ゴジラがいいけれども、4000円もするから無理やと思う」と言ったのだ。そう言えば、おそらく、「そやなあ。いくらなんでも、4000円もするものは買えんわあ。もうちょっと安いもんないのか。何百円というくらいのものなら買ってやるが、そのくらいの値段のものはないのか、一度、プラモデル屋に行ってきいてみようや」とでもうちの父親が言うのではないかと思ったのだ。ところが、うちの父親は予想に反して、「なんで、無理やねん。こうたるがな。4000円したら、なんで、無理なんや。こうたるがな、そんなもん、4000円したって。何をあほな心配しとるんじゃ、おまえは。4000円したっていくらしたって、絶対にこうたるがな。心配いりませんて。他でもない、このわしがこうたると言うとるんやぞお。他でもないこのわしが、いったん、『こうたる』と口にしたからには絶対にこうたるがな。わけのわからん心配すな。わけのわからんこと言うな、おまえは。このわしが『こうたる』言うとんねんがな、他でもないこのわしがあ! よっしゃ、これから、プラモデル屋に一緒にゴジラを買いにいこう」と言ったのだった。うれしかった。小学校の同級生は買ってもらっていても、我が家は、まさか、買ってもらえるとは夢にも思っていなかったが、それを買ってもらえるのだと思い、うきうきしてプラモデル屋に行ったのだ。そして、プラモデル屋に入り、うちの父親が「そこに出ている、ゴジラ言うのん、あれ、なんぼしますのん?」とプラモデル屋の奥さんに尋ねたところ、「ゴジラは4000円です」と、同級生で買ってもらって持っていた者から聞いた通りの値段を奥さんは答えた。すると、それを聞いたうちの父親は「ふえええ~え。ぎょえええ~え。ひいええええ~え。怪獣のプラモデルみたいなもんが、4000円もしますのんか?」と言い、プラモデル屋の奥さんは「はい。4000円します」と言うのを聞き、うちの父親は「冗談やないで、ほんまあ! 冗談やない。絶対にそんなもん、こうたらあかん! 怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円も出したらいかん! ふえええ~え、ぎょえええ~え、ひいえええ~え。冗談やない。そんなもん、絶対にこうたらいかん。そんなもん、冗談やないで、ほんま、絶対にこうたらいかん!」と言うのだった。
《1》「冗談やないで」と言いたいのはこっちだった。
《2》「ふえええ~え。ひいえええ~え。ぎょえええ~え」と言いたいのもこっちだった。あんたが「4000円したってこうたるがな」と言うたのと違うんかい? あんたが「他でもないこのわしが『こうたる』と言うとんねんがな」「このわしが、いったん、『こうたる』と口にしたからには、何があっても絶対にこうたるがな」と言うたのと違うんかい??? 「ふえええ~え、ひいえええ~え、ぎょえええ~え」と言いたいのはこっちやがな。「冗談やないで」と言いたいのもこっちやった。
《3》「絶対にそんなもん、こうたらあかん! 怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円も出したらいかん!」と思っていたのなら、小学校の1年生に「4000円したってこうたるがな。なんで、4000円したらあかんねん。4000円したっていくらしたってこうたるがな」と、なぜ言ったのだ? 子供にそう言ったのなら買ってやるべきだし、買わないのなら「4000円したっていくらしたってこうたるがな」などと言うべきではないだろう。それが父親のやることか?!? 買うか買わないかはどちらがいいとはいちがいに言えないとしても、買わないのに「こうたるがな、4000円したっていくらしたっていくらしたって絶対にこうたるがな」などと子供に言うものではないし、いったん、「4000円したっていくらしたってこうがるがな」と言ったのなら買ってやるべきだと私なら考えるが、うちの父親はそうは考えない人間だったのだ。
そして、「あんた、ゴジラでないといかんのか」とうちの父親が言うので、「バラゴンでもいい」と言ったところ、プラモデル屋の奥さんが「バラゴンはもっと高いですよ。バラゴンは4200円です」だったか言ったところ、うちの父親が「何、バラ、バルゴン?」と言うので、「バルゴンじゃない。バラゴン」と私は言ったのだが、「バルゴンか?」とうちの父親が言い、プラモデル屋の奥さんが「バルゴンなら安いです。バルゴンなら200円です」と言うと、「それがええわ、それが。バルゴンください、バルゴン。あんたが欲しいというバルゴンを買ってあげよう、バルゴン」と言うので、「バルゴンじゃない。バラゴン」と言っても、それでも「バルゴン、バルゴン。あんたが欲しいのはバルゴン。あんたが欲しい欲しいと言うバルゴンを買ってやろう。バルゴン、バルゴン、それがええ♪」と言い、プラモデル屋に行く時には「4000円のゴジラ」を買ってもらえるという話で行ったのに、帰りにはそれが「200円のバルゴン」に変わっていたのだった。そして、帰り道々、うちの父親は「あんた、怪獣のプラモデル、買ってもらって、よかったねえ~え♪ あんたが欲しい欲しいというバルゴンをお父ちゃんに買ってもらえた。あんた、ものごっつい、幸せ。あんた、ものごっついうれしいねえ。あんた、恵まれてるねえ~え。あんた、ものごっつい、うれしい。うれしいうれしいうれしいねえ! しあわせしあわせものごっつい幸せ! あんた、ものごっつい、うれしいねえ。よかったね、よかったね、よかったよかったよかったね♪」と、何度も何度も繰り返し繰り返し言うのだった。その父親の態度が嫌だった。
(1) 最初から「4000円もするものは買えないわ。200円か300円くらいのものなら買ってもいいけれども、そのくらいの値段のものはないのか、プラモデル屋に行ってきいてみようや」と言って、それで、200円のバルゴンを買ってもらったということなら、喜ぶことができただろうし、喜んだと思うし喜べたと思う。しかし、「4000円したって絶対にこうたるがな。な~にをわけのわからん心配しとんねん、何を。他でもないこのわしが、いったん、『こうたる』と言うたからには絶対にこうたるがな」と言われて、4000円のゴジラを買ってもらえるものと思ってプラモデル屋に行ったのに200円のバルゴンに変えられた。
(2) 又、「バラゴンでもいい」と言い、「バルゴンじゃなくてバラゴン」と言っているのに、「バルゴンや、バルゴン、200円のバルゴン。それがええわ、それが。あんたが欲しいのはバルゴン、バルゴン」と言われてごまかされてバルゴンを買われたというそのやり口。うちの父親のその態度が嫌だった。
だから、「子は親から何かをもらった時には、気持ちに喜ぶのではなく、あくまでも、物に喜ぶのです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・・、わかりましたか」といくら何度も何度も言われても、わかりません。まったくわかりません。もしも、「子は親から何かをもらった時に、気持ちに喜ぶのではなく物に喜ぶのです」という理論が正しいのならば、小学校1年の時の私も、その時、喜べたでしょうけれども、喜べなかった。うちの父親のその態度が嫌だった。
そして、私が20歳になった年、うちの父親が「あんたには、子供の頃から、よそとはちごうて、欲しいというものは、何でも何でも、ええもんばっかし、こうてきてやあってやって、やあってやってやあってやってやってきたから」と言うので、いったい何を言うか!?! いつでも、幼稚園の同級生や小学校の同級生、近所の子供が買ってもらっていたものでも、うちは欲しいと言っても買ってもらえないことが多かったではないか、と思った。逆はほとんどなかった。それで、「違う! 絶対にそんなことない!」と言ったのだ。
[1] うちの母親の親戚、母の叔母だと思うのだが、大阪府堺市に住んでいたその親戚の息子は私より少し年上の男2人の兄弟だったが、そこの家におじゃました時に部屋を見せてもらったら、ものすごいレーシングカーを買ってもらっていたが、私は「クリスマスのサンタさんのプレゼント」としてレーシングカーをもらったのだけれども、それはその親戚の子が買ってもらっていたものよりずっとひとつひとつの規模も小さく、全体の量的なものも少ないものだった。それでも、私は喜んでいたのだった。私は小学校の4年の前半で小学校を転校したのだが、転校前の同級生でも転向後の同級生でも、ずっと豪華なレーシングカーを買ってもらっている者が何人もいた。それでも、買ってもらえなかったのではなく、「サンタさんのプレゼント」ということで買ってもらえたのだが、それでも、「よその子よりも、ええもんばっかし、こうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってやってきたから」などとは事実と正反対であった。
[2] アイスクリームも近所でアイスクリームを売っている店があって10円のアイスクリームと20円のアイスクリームが売っていたが、幼稚園や小学校の同級生は10円のアイスクリームも20円のアイスクリームも買ってもらっていたが、私は10円のアイスクリームは買ってもらったが20円のアイスクリームは「いけません」と言われて絶対に買ってもらえなかった。それでも、そういうものだと思っていた。
[3] どこかに出かけた時、よその子は自動販売機のジュースを買ってもらっていたが、私はうちの父親から「あかん。あんなん、ばっちい」と言われて飲ませてもらえなかった。
[4] 近所の神社の夜店に行った時も、ゲームや金魚すくいを何度も何度もさせてもらっていた子供がいたが、私は「1回だけな」と言われて、金魚すくいを1回、スマートボールを1回といったように、常によその子供よりもさせてもらえる回数は少なかった。
[5] 又、姉が2人いたので、兄弟の一番上の子供なら新しく買ってもらえるところを姉の「お古」を使わされることがけっこうあったが、それはしかたがないとして、服は女物の「お古」を着せられるのはうれしくなかった。捨ててしまうのはもったいないということはわかったが、小学校のクラスでも、男の兄弟が2人いて、弟の方が兄の「お古」を着ていたのかもしれないというケースはあったのではないかと思うが、女物の「お古」の服を着ていたのはクラスで私一人だけだった。「お古」でも女物の「お古」はやっぱりうれしくなかった。しかし、それも、しかたがないことだと思っていた。
[6] そのあたりについては、それぞれの親の判断もあり、買った方がいい場合もあれば買わない方がかえっていい場合もあるかもしれないが、しかし、ゴジラもしくはバラゴンのプラモデルについては、「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」のトーナメント大会で1回戦負けでも買ってもらっていた者がクラスに何人もいたのに対して私はトーナメント大会で優勝しても買ってもらえなかった・・のはそれもしかたがないのかもしれない。
[7] しかし、「こうたるがな。たとえ、4000円したっていくらしたってこうたるがな。何をアホな心配しとんねん。他でもないこのわしが、いったん『こうたる』と口にしたあかつきには、な~にがあっても絶対にこうたるがな」と言いまくっておきながら、プラモデル屋に行ってプラモデル屋の奥さんが「4000円します」と言うのを聞くととたんに「ふええ~え。ぎょええ~え。ひいええええ~え。かなんなもう。冗談やないで、ほんまにもう。そんなもん、絶対にこうたらあかん!」と言い出し、
[8] 息子が「バラゴン」と言っているのに「バルゴン、バルゴン、あんたが欲しいのはバルゴン」と言って「200円のバルゴン」を買ったあげく、
[9] 帰り道々、「よかったねえ、あんたあ。あんた、バルゴン、お父ちゃんに買ってもらった♪ うれしいねえ~え、あんたあ。恵まれてるねえ~え、あんたあ。よかったよかったよかったね♪ うれしいうれしいうれしいね♪ あんた、ほんまにうれしいねえ。あんた、幸せ幸せ♪ あんた、うれしいねえ~え♪ あんた、ほんまにほんまにうれしいうれしい♪」と何度も何度も言いまくったのは、あんたやろうが!!! まさか、それを忘れたとは言わさんぞお!・・・と思った。
[10] 我が家は私が小学校4年の途中で引越したのだが、引越した先は大阪府北部の山の中腹の位置で、駅や小学校・中学校がある場所からは坂をかなり登らないと行けない場所だった。その坂のずっと下の方、たいした坂がない場所の団地に住んでいた同級生は10段切り替えのものすごいいいサイクリング用自転車を買ってもらっていたが、我が家は私がそんなものを欲しいなんてとても言える家庭ではなく、家に1台あった3段切り替えのいわゆる「ママチャリ」に乗っていた。相当、急な坂がある場所だったので、3段切り替えの「ママチャリ」では登るのは相当きつかったし、下りも自転車は自動車のように「エンジンブレーキ」なんて効かないし、大変だった。
[11] その家は道路より地盤面は高く作られていたが、よその家を見ると、自転車置き場は道路とたいして変わらない高さに設けられている家が多かったが、我が家の場合は、新築した家でありながら、自転車は十何段も階段を登った上にしか置き場はなかった・・というよりも、道路から1段だけ高い場所に置こうと思えば置けたのだが、そこは来客が通る場所だから自転車は置いてはいけないと言われて、十何段も自転車を持ち上げて運んだが、小学校4年生にとってはそれは相当大変だった。その後、自分自身が戸建住宅建築業の仕事につくようになり、そのような敷地であれば、自転車置き場はそれほど何段も階段を登らなくてもいい場所に設けるようにする工夫というものをするべきだと認識するようになったが、私が小学校3年の時に図面打合せなどおこなって建築工事をおこない、私が小学校4年の途中に竣工した小堀住研(株)が建てた在来木造の戸建住宅では、施主であるうちの父親は家族がどんな暮らし方をするかなんてちっとも考えなかったし、小堀住研(株)の営業担当にいしても設計担当にしても、施主が考えつかないのならば、営業担当なり設計担当なりがそのあたりを配慮するのが建築屋というものではないのかと思うのだが、ちっともそういったことは考えなかった。私が今すんでいる千葉県船橋市の家の近所でも、せいぜい、4段かそこら登ればいいような場所に自転車をおけるスペースがあるにもかかわらず、かつ、そこの家の息子・娘というと中学生か高校生かのようだったが、それでも、「階段を登らないと自転車を置けないから」といって階段を作り変えたりする家があるが、私が小学校4年の時に自転車を持って上がり降りした家のことを思えば、そんなもの、階段のうちに入らないし、小学校の4年生と体力がある中学生や高校生とでは条件が全然違うが、それでも、私の父親は、小学校4年生に自転車を持ってけっこう急な階段を十何段も登らせるのは平気だった。
[12] 小学校4年の夏休みに、夏休み前に母が「夏休みにみんなでどこかに泊りがけで行ったらどうやろ」と言い出したのだが、ところが実際に行く時になると、うちの父親と私と2人だけで1泊2日で、広島県の宮島から山口県の湯田温泉に行って泊まり、山口県の秋芳洞に言って、帰りに広島市の平和祈念公園に行くという計画になっていた。おそらく、うちの父親は「みんなで行く」ことにするとお金がかかるからもったいないと考えて、それで、自分ともう1人で行くということにして、その「もう1人」に私を選んだのだろうと思われる。親と子供と2人で旅行をしている人、両親と子供1人の3人で旅行をしている人を見ると、どの家族も電車内では子供に窓側に座らせて、親は通路側に座って子供と一緒に窓から外を見ていたが、我が家だけはそうではなく、うちの父親は行きも帰りも必ず自分が窓側に座ろうとした。かつ、窓側の席に自分が座った上で窓側の席で週刊誌を読むのだった。週刊誌を読むのなら、窓側の席に座らなくても私に窓側の席に座らせてくれたらいいのにと思ったが、断固として小学校4年の子供に通路側の席に座らせて自分が窓側の席に座って週刊誌を読むのだった。なんで、この人は窓側の席に座って週刊誌を読みたがるのかと思ったのだが、最近になって内田康夫『由布院殺人事件』の中での登場人物の会話を読んでわかった。うちの父親は「上座」に座っていたつもりだったのだ。よその親子は、小学生の子供と親とが一緒に旅行をすると、子供に窓側の席に座らせて一緒に窓から外を見ることで社会勉強をさせているつもりだったようだが、我が家の場合はそうではなく、その時点では私は気づかなかったのだが、うちの父親としては自分が「上座」に座って週刊誌を読み、小学生にずうう~っと通路側の席に座らせて、それで「社会勉強」をさせているつもりだったようだった。よその家と我が家とはそういう違いがあった。小学生の子供に窓側の席に座らせて一緒に外を見てくれる親と、小学生に通路側の席にずうう~っと座らせて、自分は窓側の関で女性の裸の写真が載っている週刊誌を読む男とでは、子供を窓側に座らせてくれるお父さんの方がいいなあ~あ・・と思ったし、子供に窓側に座らせて親が通路側に座って一緒に外を見ている親子を見ると「いいなあ」と思ったものだったが、それはよその親がすることであってうちの父親がすることではなかった。
・・・これらは「氷山の一角」というのか、一例も一例であって、毎年毎年、何度も何度もそういうことを繰り返してきたのじゃないか! だから、「絶対に違う。絶対にそんなことない!」と言ったのだが、すると、うちの父親は「こいつ、こんなこと言いよる。これは絶対に病気や。これは病気がこいつにこういうことを言わすんや。これは、薬のませたらんとあかんわ。それも、ちょっとではあかん! 相当、大量に薬のませてやらんとあかんわ。いや、薬ではあかんやろ。ロボトミーとか電気ショックとかやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんとあかん!」と。うちの父親はそう言ったのだった。「電気ショックとかロボトミーとかやって、こいつがこういう口をきけんようにしてやらんといかん!!!」と、うちの父親はそう言ったのだった。
[13] まだ、幼稚園に行く前くらいの時だったと思うのだが、家で「すき焼き」をした時のことだ。母が買ってきた肉の中に、脂肪ばっかりの塊が一切れあって、私は、それは、健康状態が悪い牛か豚の肉が紛れ込んでしまったか、もしくは、食料に適さない部位の肉が紛れ込んでしまったかだろうと思っていたのだが、うちの父親が「おまえ、何を言うとんねん。勘違いしたらあかんぞ。これがうまいんやがな、これがあ。これが最高にうまい所やがな。食え」と言うので、「ええ~え? そんなん、食うのお? それ、どこか悪いのと違うのお?」と言ったのだが、「何を言うとんねんがな。これが、一番のごちそうやがな。食え」と私に言うのだった。「そんなに、ごちそうなら、お父さん、食べたらどうですか」と言ったところ、うちの父親が「な~にを言うとんねん、何を! こういうのは、おまえみたいな若いもんが好きなもんや。これはおまえみたいな若いもんが食うところや。わしは赤身を食うんや、わしは。おまえは、これを食え! 食わんか」と言うので、「ええ~え。そんなん、食べるもんなんですかあ?」と言ったのだが、「何、言うとんのんじゃ。食べ物の好き嫌いをしてはいかんだろうが。食べ物の好き嫌いをしておっては、人間、いい人間にはなれんぞ、おまえ! 食わんか、食わんか。クエッ、クエッ、クエッ、クエッ!」と言うので、しかたなしに、口に入れたが、ものすごく、気色が悪く、口から出そうとすると、「こら! 食わんか。食べ物の好き嫌いをしてはいかんだろうが。食わんか、食わんか、クエッ、クエッ!」とうちの父親が言うので、しかたなしに、無理矢理、喉の奥まで送り込もうと必死の努力をしたが、気持ち悪くて、どんなにしても飲み込めなかった。そのうち、母が「もう、食べなくていい」と言ってくれたので、吐き出したのだが、うちの父親は「こいつ、なんで食べへんのや。おまえの好物やろうが、おまえの好物」と言うのだった。その脂肪の塊というのは何だったのかというと、それは「不良品」とか「病気の牛か豚かの肉」とかではなく「鍋に油をしくためのもの」だったのだった。それを知ったのは30過ぎてからだったが、よく、ああいうものを子供に食べさせようとするものだ、と思った。かつて、「成人病」と言ったものを最近は「生活習慣病」と言うが、「生活習慣病」であれ「成人病」であれ、それは「生活習慣病」になってからの食生活が悪いのではなく、なるまでの食生活に問題ががあって「生活習慣病」になっているのである。子供は「生活習慣病」ではないから鍋に油をしくための脂肪の塊を食べさせてもいいなどと思うなら間違いだ。そんなものを食べていたのでは、後に「生活習慣病」になる原因になる可能性がある。それ以前に、「鍋に油をしくためのもの」である脂肪の塊を食べる人間なんて、どこにいるかというと、『C級サラリーマン講座』に登場する兎田課長というテカテカのおっさんが食うらしく、それを見て周囲の人間が「おまえ、それは食うものとは違うぞお」と言って気味悪がるという話になっていた。うちの父親は幼稚園に入園するかしないかくらいの頃の年齢の私にそれを無理矢理に食べさせようとしたのだった。それから、すでに50年以上経っているが、今でも、その時の気色の悪い感触は喉のあたりに残っている。
毎度毎度、毎年毎年、そんなことばっかりやってきた男が、「こいつには、子供の頃から、いつでも何でも、よその子とはちごうて、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でも、ええもんばっかし、こうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってやってきてやってやったったから」などとは、よくもまあ、言えたものだと思う。そういう状態のことを「精神医学」用語では「病識がない」と言うのではないか。
ところが、うちの父親は、私が「違う。絶対にそんなことない!」と言うと、「はあん。こいつ、こんなこと言いよるわ。これは、絶対に病気や。こいつには、子供の頃から、よそとはちごうて、いつでも何でもどんなもんでも、欲しいというものは、何でも何でも何でも何でも、どんなもんでも、ええもんばっかし、こうてきてやあってやってやあってやって、やあってやってやってやってきてやってやってやったったのにからに、それをわかりよれへん。これは間違いなく、絶対に病気や。これは病気がこいつにこういうことを言わせてるんや。これは、薬のませて治療してやらんとあかんわ。それも、ちょっとではあかん。相当、大量に薬のませてやらんとあかん! いや、薬ではあかんやろ。ロボトミーとか電気ショックとかやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん!!!」と言うのだった。
[1]のレーシングカーは、クリスマスに「サンタさんのプレゼント」としてもらった時はうれしかった。同級生や親戚の子が持っていたものと比べるとずっと小さくて簡略なものだったがそれでもうれしかった・・が、それから十何年か後、「あんたには、子供の頃から、よその子とはちごうて、欲しいというものはどんなもんでも何でも何でも、いつでもいつでも、ええもんばっかし、こうてきてやあってやってやあってやってやあってやってやってやってきたから」などと言われ、「絶対に違う」と言うと、「こいつ、こういうことを言いよる。これは病気や。これは病気がこいつにこういうことを言わせるんや。これは治療したらんとあかん。薬飲ませて治療したらんとあかん。それもちょっとではあかん。相当大量に飲まさんとあかん。いや、薬ではあかん。ロボトミーとか電気ショックとかやってこいつに二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん」とそういう口をきかれるのなら、あんなレーシングカーなどもらうんじゃなかった。失敗した。「サンタさん」とかいうやつに突き返してやるべきだった。クリスマスイブの夜には、「サンタさん」とかいうやつが入ってこないように盛り塩置くなり、御札はるなりして結界を設けて、クリスマスイブの夜はかがり火を焚いて寝ずの番をして「サンタさん」とかいう魔物が入ってこないようにしてやるべきだった。
人間、譲っていいことと悪いことがある。イェーリング『権利のための闘争』(岩波文庫)では、カントの「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」という言葉が引用され、「権利=法」が侵害される時に、それを放置しておくのは、単にその利権が奪われるだけではなく、人間としての人格が踏みにじられるのであり、「権利=法」を守るために闘うのは人間としての権利であるとともに義務でもあるとイェーリングは語る。 キューバ革命の際、バチスタ政権から死刑を宣告されたフィデル=カストロは「私に死刑を宣告せよ。そのようなことは何ら問題ではない。歴史が私に正義を宣告する」と語る。〔フィデル=カストロ『わがキューバ革命』〕 私も同じことを思った。ロボトミーでも電気ショックでもやればいい。そのようなことは何ら問題ではない。歴史が私に正義を宣告する!

現代の医療被害 (1978年) - 青年医師連合

告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
そして、1990年代初め、うちの父親が他界する前、大阪市内の病院に入院して、病室で、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」を聴きたいと言うので、それで、私はその時に住んでいた東京都大田区のアパートから、FM放送からチャイコフスキーの「くるみ割り人形」を録音したカセットテープを持参して大阪市内、大阪環状線の駅から西に歩いた所にあった病院まで持って行ったのだった。ところが、それを見ると、「あなた、それ、ラジオから録音したもんやろ。ラジオから録音したようなものは、音、悪い。そんなもん、このわしが聴けるかあ! 持って帰ってんか、あんたあ! それはあんたが聴きなさい! そういうのは、チャンコロが聴くもんや、チャンコロが。チャンコロが聴きなさい、チャンコロがあ! んが、んが、んがァあ! 持ってかえってんかあ! そんなも~ん!!!」と言うのだった。・・なんや、話が違うやんけ! 「親というものは、子から何かをもらった時、子から何かをしてもらった時、物や行為に喜ぶのではなく、その気持ちに喜ぶのです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・・・、わかりましたか」と何度も何度も繰り返し繰り返し反復して、その社員教育担当部署の男性はおっしゃったのだったが、話が違うやんけ!!!
※ 《YouTuve-チャイコフスキー - バレエ組曲《くるみ割り人形》Op.71a カラヤン ベルリンフィル》https://www.youtube.com/watch?v=IfTSYANLPIc
「親というものは、子から何かをもらった時、子から何かをしてもらった時、物や行為に喜ぶのではなく、その気持ちに喜ぶのです。わかりましたか、わかりましたか・・・・わかりましたか」というのも嘘だったのだ。

家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原

家族の死 - デーヴィッド クーパー, Cooper,David, 嘉寿, 塚本, 嘉, 笠原
嘘を教えてどないすんねん、嘘、教えて・・・と思ったのだが、「社員教育」なんてのは「そんなもの」と考えるべきものだったのだろうか。
「社員教育」には、役に立つものもあれば、「くだらんなあ」というものもあるわけだが、役に立つかくだらないかとは別に、その会社とその会社の従業員を侮辱する発言をするために「社外講師」として研修に行く男というのは、その人は、その姿勢を反省した方がいいのではないか。
又、自分の勤めている会社、自分に給料を払ってくれている会社の従業員に向かって、「皆さんとは違ってエリートの人」などという口をきくような人間というのは、社員教育担当部署の人間として、いかがなものだろうか。
どう思われますか? そういうのが「社外講師」として適切な人だと思いますか? そういう人が「社員教育担当部署の人」として適切な人だと思いますか?
(2021.2.22.)
☆ 会社と営業の話 シリーズ
[第822回]新卒社員研修で「この会社におる奴はアホばっかしや」と言う外部講師と東京海上火災の営業を「皆さんとは違ってエリートの人」と言う社員教育担当者。 「最近の若い者は甘ったれとる」のか? 「親は子から何かをしてもらった時に気持に喜ぶ」のか?〔今回〕
[第823回]電話はいくつ鳴ったら取るべきか。ベルいくつ、何秒かけて相手が出なければ、かけるのをやめるべきか。「自分にかかってきた電話でなくても会社にかかってきた電話は取るべき」ではないのか。配偶者でもない女からひっきりなしに職場にかかってくる電話について、使用者は注意するべきではないのか。居留守使うやつに協力する必要はあるのか。サラ金の督促の電話に他の従業員が出る筋合いはあるのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_7.html
[第824回]ある日の営業会議ー「社長の腰巾着」に物言えない所長と「腰巾着」におべっか使おうとする男。世話になってきた営業の担当契約客にお茶の一杯入れて出さない郡山の営業。玄関まで行って他営業の契約客だと戻ってきて外出するいわきの営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_1.html
[第825回]会社の為に転勤する全国社員を犠牲にする会社、営業本部長の約束を平気で反故にする会社、「契約がすべて」と言いながら契約半分未満の人を「優秀者」とする会社、世話になってる人を世話している者の「応援者」にする会社、自社が作った制度を踏みにじる会社ーある日のリーダー会議【上】https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_2.html
[第826回]ある日の「リーダー会議」【下】ー勝手に歩合給部分を減額する会社、筋を通して従業員の立場を説明する者と使用者にすり寄って自分だけ好かれようとするクズ、自分だけ使用者に喜ばれようとして失敗した経験を少しも活かさない成長しない男。話のすり替えをして使用者にすり寄ろうとするアンクル=トム https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_3.html
[第827回]極端に労を惜しむ営業、割が良くない作業は人に押しつける営業と他の営業がやりたがらないことを引き受ける営業。日報ださせてもその内容を見る視力がない所長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_4.html
[第828回]住宅建築業・他の営業と「バッティング」した時に盗られない方法。「あんたのやってた客はやりにくい」という誉め言葉。盗っても自分は契約できない先輩社員の有望見込客を盗ろうとする愚か者営業。ひとの見込客を横取りしようとする者がやりにくいのは横取りしようとする者が悪いと認識できないアホ営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_5.html
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