ある日の営業会議ー「社長の腰巾着」に物言えない所長と「腰巾着」におべっか使おうとする男。世話になってきた営業の担当契約客にお茶の一杯入れて出さない郡山の営業。玄関まで行って他営業の契約客だと戻ってきて外出するいわきの営業。

[第824回]会社と営業の話
  1990年代半ば頃のことです。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では、福島県は、浜通り地区と中通り・会津地区とで所長に別の人がなっていました。浜通り地区は、元々、いわき市の材木会社の猪野建材との共同出資会社の(株)一条工務店南福島 として営業していた地域で、浜松の(株)一条工務店がロイヤルティー料ばっかり取ってもうからないと猪野建材の方が不満を持ったという話を聞きましたが、そういうことだったのか、共同出資会社が解消された後に、浜松の(株)一条工務店が福島県にも出店して展示場を持ったという場所で、浜通り地区の所長の草野さん(男。当時、50代)は、元々が材木会社の猪野建材にいた人だったので、従業員の間では(株)一条工務店の所長の中では「外様(とざま)の所長」と言われていました。それに対して、中通り地区の所長の片山(男。当時、40代)は「譜代」であるだけでなく、「大澄社長の腰巾着」と従業員の間で言われていた男で、「大澄社長のお気に入り」だとされ、それだけに横暴な態度の男でした。最初、1993年後半に片山がいわき市の展示場に来たのを見た時、こんな程度の低い男が「所長」なのか?・・と、びっくりしました。1993年前半、最初に名古屋南営業所の所長になっていた近藤路夫(男。当時、50くらい?)を見た時、「へえ~え? こんな程度の低い男が(株)一条工務店では『所長』なのか。こんな人間を所長にならせてはいかんなあ」と思ったのですが、それと同様でもあり、又、別種でもあり、「こんな程度の低い男を所長にならせているのか」と驚きましたが、それが「大澄(初代)社長のお気に入り」で「大澄(初代)社長の腰巾着」だったのです。
  栃木県地域の所長だった五十嵐さん(男。当時、40代?)を片山は「天野部長(営業本部長)の腰巾着」と言っていたようですが、私は五十嵐さんはそんなに腰巾着というような感じの人でもないと思っていた。これは特別にほめているのでもけなしているのでもない。実物を見てそう思ったのです。「天野部長の腰巾着」と言うのならもっと他に該当する人がいるし、むしろ、片山の方こそ「大澄社長の腰巾着」と言われて文句の言えない態度を取っていたし、実際、片山こそ「大澄社長の腰巾着」だったでしょう。片山は、自分が””「腰巾着」人間シンドローム””であるという「病識がない」という男だったようで、自分こそ ””「腰巾着」人間シンドローム”” なものだから、それで、自分以外の人間に「腰巾着」とか罵る傾向があったのかもしれません

  私は「会社人間」の父親の息子でしたし、もともとは「歩合給の営業」をやるつもりはない人間だったので、又、(株)一条工務店に入社した時も、最初は一線の営業をやってもいいけれども、いつまでも一線の営業をやっているつもりはなかった人間でしたので、営業成績はいいにこしたことはないけれども、たとえ、自分の営業成績につながらないものでも、自分が勤務する会社のためなら尽力するのが会社員というものだ・・・と思っていたのです。 巨人の土井というと「長嶋の腰巾着」と言われ、「一茂の喧嘩相手」でもあり、これはいわば「社長の息子が社長の腰巾着をいいように思わないようなもの」と新聞のスポーツ欄だったかスポーツ新聞だったかに載っていたのですが、その「長嶋の腰巾着」と言われた土井を、なんで、関西の球団のオリックスの監督にならせるのか・・と思ったら、オリックスという球団はそんなことやってるから人気を失いました・・・が、監督としての土井はともかく、選手としての土井について、野村のじいさんはけっこう高く評価していたようで、打者としてのタイトルなどはひとつも獲得していないが2番打者として走者を進める打撃というのがすばらしいという評価だったらしく、YouTuveに入っていた日本シリーズの動画を見ると、1塁に走者がいる場面で打者の土井が空振りをして走者が二盗に成功という場面が出ていて、解説者が「すごいですね。今の気づきましたか。あれ、盗塁を成功させるためにわざと空振りしてるんですよ」と話しているのを見ましたが、ランナーを進めるために自分のストライクカウントが1つ増えてもわざと空振りをするといった姿勢を野村のじいさんなども高く評価していたようでした。会社員でも、営業の仕事でも、たとえ、自分自身の営業成績としてカウントされなくても、それが会社のためであれば尽力するのは当然であろう・・・と、私は最初思っていたのです。そして、当然、会社の経営者というものは、そういった姿勢がある者は高く評価し、自分の営業成績さえあがれば他の者の営業成績が上がらなくてもいいというような姿勢の者は会社としては評価しない、評価できないはずだと思っていたのです・・・が、ところが、(株)一条工務店では、自分の営業成績につながらなくても会社のためならと思って尽力しても、それを評価しないのです。アホ見さされるだけです。 又、所長といった役職についた人間というのは、そのあたりを管理し指導するのが「所長」の仕事のはずであり、自分自身がそれに逆行するようなことはしてはならないはずなのです・・・・が、そうではない人が「所長」になっていたのです。福島県郡山市の展示場にいた福島県中通り地区の所長になっていた「大澄(初代)社長のお気に入り」だという片山などは典型的でした。
  戸建住宅建築業の会社における「所長」「店長」には、管理する職種である場合と、「プレーイングマネージャー」として自分自身も営業担当として営業活動をする場合とがありますが、1990年代の(株)一条工務店の「所長」は、営業本部長兼任の天野隆夫以外の「所長」は誰もが「プレーイングマネージャー」の所長でした。それは、いいとも悪いともいちがいに言えません。自分自身が営業担当としても仕事をすることから、その地域の営業が困らないように配慮するという結果になる場合もあります。しかし、自分自身が営業担当として仕事をするという立場で、さらに、自分が所長になっている地域の営業成績よりも所長の個人としての営業成績の方を会社が重視するようでは、所長の立場を悪用して、他の営業の追客中客を横取りするとか、営業担当としての自分に都合がいいようにその地域を運営するとかいった姿勢につながります。そして、企画室課長⇒総務部長の天野雅弘が「一条工務店の所長は売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」と明言していたので、そうなると、「管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」ということなら、「管理したり指導したりする」のは誰の仕事なんだ? ・・ということになるのです。あるいは、勝手な時だけ「所長」としての権限をふるい、都合が悪くなると「管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」と主張する・・ということにもなります。

  森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、学識者とそうでない者とでは、一線の仕事ではともかく、管理する立場の仕事の場合は、学識者とそうでない者とで差が出ることが指摘されていますが、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の「高卒の所長」を見ていると、「だめだなあ~あ」という人が大変多かった。
日本経営史 (日経文庫 519 経営学入門シリーズ) - 森川 英正
日本経営史 (日経文庫 519 経営学入門シリーズ) - 森川 英正
  もうひとつ、 「人間性の問題」というものもあります。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は「ぼくなんかは、学校でてないから(最終学歴:中卒)、だから、気さくで人間味があって、人間性が優れていて、誰からも好かれるんだ。そう思うだろ」と何度も私に言い、「ええ~え?」と思っていると、「おい、『はい、そう思います』と言えよ。どうして、言わないんだ。『そう、思います』と言え」と言って、無理矢理、「思います」と言わされてしまったのですが、そんなことを無理矢理「はい、そう思います」と言わせてやろうというそういう人間性の男だったのです。この天野隆夫から「ぼくなんかは、学校でてないから(最終学歴:中卒)、だから、気さくで人間性が優れていて、誰からも好かれるんだ」と言われた話を、(株)一条工務店に相当古くからいる某所長(男。最終学歴:高卒)に話したところ、「はあ? あの人のいったいどこが『気さく』で、いったいどこが『人間味がある』だの『人間性が優れている』んだあ? はあ? いったい、どこの誰がそんなわけのわからんアホなことを言ってるんだ、どこの誰があ???」と言われたのだが、どこの誰が言っているかというと、御本人であって御本人以外に言っている人間は一人もいなかった。

  自分が担当でない見込客・契約客であっても、「会社のお客様」なのだ・・というのは間違いないのですが、しかし、他方において、そういう自分が担当でない客でも「会社のお客様」なのだという姿勢でやっていると、「契約だけしてもらった上で、他展示場にそのお客様を送り込んで、他展示場の営業に接客・説明させ、自分はその間に他の新たな見込客に営業活動をやって契約をあげてやろう」と考える不心得者営業のエジキになってしまうことになるのです。 やっぱり、自分が担当のお客様が他展示場を見に行って、他の展示場の営業に接客してもらったならば、「どうも、すいません」「どうも、ありがとうございます」といった一言は言わないといけないし、それをきっちりと言うのは戸建住宅建築業の営業のマナーです。営業所長というのは、そのあたりを自分が所長になっている地域の営業担当者にきっちりと指導しないといけない。
  ところが・・・・。 それを逆する男がいたのです。福島県中通り地区の所長の片山です。まず、(株)一条工務店は、その頃、世間一般としては「一般風」の外観の「セゾン」を「洋風」と言っていたのですが、まあ、「一般風」でしょう。それに対して、和風の「百年」というタイプと2タイプを用意していて、それぞれに、柱の太さはオール4寸角で1階天井高275cmのSタイプ(「スタンダード」タイプのつもりか?)と柱の太さは通し柱のみ4寸角で管柱は3寸5分角で1階天井高250cmのMタイプ(「ミディアム」タイプか、「ミニマム」タイプのつもりか?)がありました。服のサイズだと、S⇒M⇒L と、SよりMの方が大きく、私もお客様から「服のサイズの発想で、SよりMの方が大きいみたいな感じがする」と言われたことがありましたが、同業他社でどこだったか、服のサイズと同じくSよりもMの方が上のグレードにしていた会社がありましたが、(株)一条工務店は「マゾ(M)」より「サド(S)」が上位?・・という意味でもないのでしょうけれども、通し柱のみ4寸角が「Mタイプ」でオール4寸角が「Sタイプ」でした。
  住宅展示場は、たいていの展示場が柱オール4寸角の「Sタイプ」でしたが、東京圏などの都市部では和風でも「百年」という(株)一条工務店の和風は「いなかの和風」「和風でも農家風の和風」であることから好まれませんでしたが、地域による好みの違いというものがあり、たとえば、都市圏ではけっこう評価が高かった小堀住研(株)の「新 桂」「和のかたち」のような「現代和風」「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に、といった『わび』『さび』を活かした和風」「和風でも農家風の和風ではなく、武家風の和風・公家風の和風」などは「地方」ではむしろ敬遠され、「農家風の和風に部分的に現代のものを取り入れた」という(株)一条工務店の「百年」はけっこう好まれたのです。 実際、これは、その場所に行ってみるとわかります。都市圏で「いなかくさい」と思うものでも、地方に行ってみると「ちょうどいい」ものだったりするのです。
  かつて、福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなかの出身』とかいう意味での『いなかもの』は別に悪くない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これはいけない」と語ったというのですが、「いなかに合った家」というのは悪くないのです。問題は「いなか向けの家」を都市圏の住人に押しつけようという「一条浜松流」の態度・信念・精神構造、「精神面がいなかもの」の態度であって、それはいけないのです。 福島県に5年間住んで、福島県の人間というのは浜松および遠州地方の人間に比べると精神的に都会ではないか・・と私は思ったのです。浜松の人間というのは ””「浜松は政令都市になった。新幹線『ひかり』号が停車する東京・大阪と並ぶ大都会だ」「浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ、それになんちゃらエレクトロニクスがある大都会だ」とか言いたがってしかたない人間シンドローム”” の患者(要するに「精神面がイナカモノ」)が大変多い・・、要するに「イナカモンが多い」街なのです。そんなこと言わなきゃ、そんなに悪い所でもないのになあ~あ・・と私などは思うのですが、な~んか、そういうことを言いたがってしかたがない人間シンドローム の人間が大変多い。私は今でも浜松市に住んだことはないけれども、(株)一条工務店という浜松市発祥の会社に勤めて何度も浜松に行ったことから浜松には親しみを感じている人間なのですが、しかし、私が浜松を「浜松が都会なわけないだろうが。いなかに決まってるじゃないか」とか言うと「遠州人」は怒るのですが、私は「いなか」というのを否定的意味では使っておらず、むしろ、親しみをこめて言っているのですが、「都会ぶりたい人間シンドローム」の「遠州人」としてはそれでも面白くないようです。浜松は嫌いではないのですがそのあたりは好きではありません。 それに対して、福島県人は浜通りの人間にしても、中通りの人間でも、会津地方の人間でも、浜松みたいに「都会だ、都会だ」と言いたがるようなことはない。「ここは、田舎だっぺえ。田舎に決まってるだろお。都会のわけねえべえ~え」と、いわき市に住んでいた時、いわき市の住人誰もから言われたものでした。 「都会でもないのに都会ぶりたい人間症候群」というの、浜松に多いそういう人間を「精神面が『いなかもの』」と言うのです。浜松に限らず、「都会でもないのに都会ぶりたい人間症候群」の人が多い地域というのは、日本に他にもあるのではないでしょうか。「都会でもないのに都会ぶりたい人間症候群」が多い地域と、「ここは田舎だっぺえ。田舎に決まってるだろうが」と言う人が多い地域とでは、むしろ、後者の方が「都会」みたいなところもあるように思います。それで、福島県というのは「イナカモン」ではないが、都会か田舎かというと、住民がはっきりと言うように「田舎」の方でしたので(念のため、お断りしておきますが、「精神面がいなかもの」は良くないけれども「田舎」というのは別に悪いことではありませんし、私は「田舎」は決して嫌いではありません。)、(株)一条工務店の「農家風の和風」である「百年」は福島県ではけっこう人気があったのです。ところが、浜通り地区には、いわき市に4展示場・原町市(現 南相馬市)に1展示場あって、いわき市に4展示場あったうち、和風「百年」の展示場を2展示場設けていたのに、中通り地区は福島・郡山・白河・会津若松などに展示場を設けていたものの、特に郡山市には3展示場設けていたにもかかわらず、すべて、(株)一条工務店が言うところの「ヨーフー」、他のハウスメーカーの基準からすると「一般風」の「セゾン」の展示場だったのです。なぜ、そうしたのか? 中通り地区でも和風「百年」で建てる方はけっこうあったのに、なぜ、中通り地区に和風「百年」の展示場を建てないのか。

  それを中通り地区の所長で「社長の腰巾着」と従業員に言われていた片山が悪用していたのです。 2010年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕(2013年に正式に倒産)にいたS井(男。当時、40代前半)が「俺は田舎ものだから、人がいいんだ」などと言うので、「はあ? おまえのいったいどこが『ひとがいい』の? バカ言ってんじゃないわ♪ よく言うわ♪」とあきれたことがありましたが(又、そんな文句を俺に言って俺が騙されるとでも思っているのかとも思ったのですが)、時々、そういう変なことを言う人がいます。「いなかもの」がなんで「人がいい」ことになるのか? 「俺は田舎ものだから、人がいいんだ」などと言うとそんな文句を信じて騙される人間がいるとS井さんは思っていたのでしょうけれども、実際問題として、「いなかもの」特に「精神面がいなかもの」は、決して「ひとがいい」なんてことありませんし、「人柄が言い」ということもありません。なにしろ、「遠州人」は東京都では「セゾン275S1」を坪55万円で売らせておきながら、浜松・掛川では坪48万円で自分たちはダンピング販売しますし、静岡県中西部・愛知県のみテレビ広告をドカンと一発やりますし、自分たちの所にだけテレビ広告をドカンと一発♪ やりまくっておいて、それで「研修」では「一条工務店は昔から、広告に費用をかけるのではなく、そんなお金があればいいものを作って、いい物を安く売るようにした方がいい、という考え方でやってきました」などと言って、実際には静岡県中西部・愛知県ではドカンと一発♪ テレビ広告やりまくってきたくせしやがってからに「研修」で従業員に嘘を教えまくってきた会社です。(株)一条工務店の「遠州人」を見る限り、「遠州人」が言うことは信用できません。「見せるための工場」も浜松に作りますし、火災実験も耐震実験も浜松でやりますし、インテリア館も浜松に作りますし、なにかと「遠州人」はやることが汚い、「遠州人」は根性ババなのです。「遠州人」の根性は う〇こ でできています。 「遠州人」は自分たちの所は都会だと言いたい時には「浜松は政令都市に指定された都市で、新幹線も『ひかり』号が停車する駅で東京・大阪と並ぶ大都会だ。浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ、それになんちゃらエレクトロニクスがある大都市だ」とか何とかかんとか言いまくりながら、坪単価を設定する時になると「物価が違う」と言って浜松は日本で一番物価が安いどいなかだと主張するのです。まったくもって、この「二刀流」というのかは、ほんと、根性ババです。宇都宮が始めた「餃子の街」というのをパクリやったりするあたりも、根性がう〇こ です。「遠州人」はほんとに根性が汚い! 浜松は大都会だと言いたいのか、日本一物価が安いどいなかだと言いたいのか、「二刀流」もたいがいにせえ!!! てもので、その論法はほんとにほんとに根性ババ、やり口が汚い。・・まったく、「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」てものです。しかし、「精神面がいなかもの」や、「農家の息子」でも都市圏の農家の息子は会社員の息子とつきあって生きているので、会社員の息子と特別に違いはないとしても、地方の人間の場合、東京圏の人間に比べて、東京圏の人間ほど「すれてない」ような人もいます。福島県いわき市の営業所で5年間、仕事をして、これ、東京の人間なら通じないだろうなあ・・ということを許容してくれる人もおられたのです。(株)一条工務店は、契約時には「施工面積」という(株)一条工務店が独自に考えた延べ床面積よりも面積が広めになるように設定した計算法で「坪あたり、いくら」で契約して、契約後にどういう内容のものにしていくか決めていく・・ということにしていたのですが、これは建設業法違反のはずなのですが、東京圏や関西圏の人間は、なかなか、それでは契約してくれないことが多いのに対して、地方の人間はそれで契約してくれる場合がけっこうあったようなのです。それで、福島県では「一条工務店では、坪いくらで契約して、契約後に、どういう家を作るかを打ち合わせをしていくという方法です。もし、契約前に図面を作っていたならば、契約いただけなかった方の図面作成料も契約いただいた方に負担していただくことになるからです」とか言って、それが通じたのです。いわき地区の所長の草野さんは「なんでそんなもの、図面1枚書いたら20万円だの30万円だのかかるんだ。バカか。昼間、パチンコやってる営業が図面書いて、なんで、余計にカネかかるんだ。パチンコ屋にカネ取られなくて助かるくらいのものだろうが」と言うのですが、私はパチンコはやりませんが、(株)一条工務店では1992年、浜松の展示場から東京展示場に本人の希望で転勤してきた小野田くん(男。当時、20代前半)が「図面1枚、書くと、20万円から30万円かかるんです」などと言っていたのですが、なんで、そんなもの、20万だの30万だのなんてかかるんだ? そもそも、(株)一条工務店は設計担当者に図面1枚あたり20万円だの30万円だの払ってるのか? バカ言ってんじゃないわ♪ そんなもの、払うわけないだろうが! ・・アホか、何をしょーもないこと言うとんねん・・てものでしたが(小野田くんは、その頃、まだ20代前半の人間だったのに、そんな若い頃からそういう「嘘を客に言う営業」をやって、あんまりいいことないと思うがなあ・・と思ったが、彼が信じている嘘を「それは違うと思うよ」と教えてあげると怒るので、人がせっかく親切で教えてあげると怒る人にはどうしようもないので黙っていたが、若い頃から「嘘をつく営業」をやるというのは、その人の人生にとっても、あんまりいいことないと今も思う・・なあ・・)、そういう「しょーもないこと」を東京圏の人間はなかなかきいてくれませんが、福島県人はきいてくれる人が多いようでした。
   片山は「牛若丸」なんて従業員から言われることがあったようで、この場合、「牛若丸」というのは、むしり取るだけむしり取るように契約とって、その後、「ぴよーん」と八艘飛びで他の場所に移り、また、むしり取るだけむしり取るように契約とって、また、「ぴよーん」と八艘飛びで条件が良さそうな展示場に飛んでいく・・・と言われていたのです。但し、この話については、自分自身はちっとも転勤しないで、比較的条件が悪くない営業所に同じ場所にずうう~っと居続けている所長が言っている場合があり、たとえ、比較的条件が良さそうな所に移動する場合でも、転勤してそれまでとは異なる所に行って契約とるというのは大変なところもあり、自分が移動しない人間が移動する人間を罵る文句として言うことについては、肯定できかねるところもあります。
   それで。片山は、福島県中通り地区の郡山市の展示場にいて、どういうことをやっていたかというと、契約だけしてもらって、「和風の展示場は、いわき市の平尼子町のJTいわきハウジングパークという総合展示場にありますから、そこに行って見てきてください。そこに営業がいますから、いわきの営業に説明してもらってきてください」と、そう言って、次から次へと、いわき市平尼子町のJTいわきハウジングパーク(今は総合展示場はなくなって、スーパーの「マルト」になった)の私がいた和風「百年」の展示場に既契約客を大量に送り込んだのです。ふざけんな!!! 本来、まがりなりにも、所長ならば、「そういうことはやってはいけません」と、自分が所長になっている地域の営業担当者に指導するべきものです。「指導するのは所長の仕事とは違いますから」と企画室課長⇒総務部長の天野雅弘が片山のやってることを支持するでしょうけれども、本来、そんなことをやっている人間を「所長」とは言わないはず、「所長」ならそんなことをしてはいけないはずなのです。
   いわき市平尼子町にあった JTいわきハウジングパークは、「JT」と頭につくのは、日本たばこ産業(株)の土地だった所に設けられたものだからで、クルマでの入口は2か所ありましたが、その主要な方の入口を入ってすぐの場所に駐車場があり、その横の管理事務所の隣に「セゾン」の展示場があり、その隣の積水ハウス(後に撤退して、住友林業)の展示場の奥、一番、奥まった場所に私がいた和風「百年」の展示場があったのです。そうなると、(株)一条工務店を検討対象として考えている人が総合住宅展示場に来場すると、まず、駐車した場所に近い場所の方の展示場に入りますよね。そちらにいる営業がツバつけた見込客が奥の展示場に来て、先に入口に近い場所の展示場の営業が「ツバつけた」人の接客させられることになるのです。自分が担当の見込客として持てる客数が大きく差が出るのです。そういう展示場に、郡山の片山は契約だけしてもらったお客さんを「いわき市の平尼子町のJTいわきハウジングパークに和風の展示場ありますから、そこに見に行って、いわき の営業に説明してもらってきてください」と言って片っ端から何人も何人も行かせたのでした。 そして、私は、それらの人を何人も何人も接客して応対して説明してあげて、そのたびに、郡山市の片山が在籍した展示場に「◇◇さんという方が来場されました」と連絡してあげたのですが、普通、戸建住宅建築業の会社においては、自分が担当の既契約客が他展示場を見に行って、他の展示場の営業に接客してもらったならば、「どうも、すいません」「どうも、ありがとうございました」と電話をして礼を言うというのは、営業としてのマナーであり常識です。ところが、この片山という男は、私が何度も何度も接客してあげて、その度に郡山の展示場に電話をして連絡してあげてきたにもかかわらず、「ありがとう」の一言を言ったことがない! こんな営業所長があるか!!!
  お客様でも、中には、片山のそういった態度に不信感を持つ人もあったようで、「私は、郡山の展示場で、片山という人が担当で契約したけれども失敗した。あの片山という男は、いったん、契約したが最後、何もしない男だ。あんなやつと契約して失敗した。いわき の展示場に行った時に接客してくれた人(私のこと)なら、あの人なら、きっちりとやってくれると思うので、担当をあの人に変えてもらいたい」と電話してきた人もあったようです。
  片山だけではないのです。普通、営業所長というのは、「契約だけしてもらって、他の展示場に契約客をお客さんだけ送り込んでというのはいけません。お客さんに他の展示場を見に行ってもらおうという場合には、営業も一緒に行くものです。それで、もしも、お客さんが営業担当者に言わずに、お客さんだけで他の展示場に行って他の展示場の営業に接客してもらったならば、接客してくらた他の展示場の営業に電話を入れて『どうも、ありがとうございました』と、きっちりとお礼を言わないといけません。それがマナーです。そうでないと、『あんなやつの担当の客なんて、二度と接客してやるものか』という気持に相手がなってしまいます」と教えるものです。もっとも、こういうことを言うと、企画室課長⇒総務部長の天野雅弘から「一条工務店では指導したり管理したりするのは所長の仕事とは違いますから」と言われることになるのですが、それなら、誰の仕事なんだ?!? 「所長の仕事とは違います」のなら、いったい誰の仕事なんだよ?!?
  片山が、本来、所長ならば「契約だけしてもらって、他の展示場に契約客をお客さんだけ送り込んでというのはいけません。お客さんに他の展示場を見に行ってもらおうという場合には、営業も一緒に行くものです。それで、もしも、お客さんが営業担当者に言わずに、お客さんだけで他の展示場に行って他の展示場の営業に接客してもらったならば、接客してくらた他の展示場の営業に電話を入れて『どうも、ありがとうございました』と、きっちりとお礼を言わないといけません。それがマナーです。そうでないと、『あんなやつの担当の客なんて、二度と接客してやるものか』という気持に相手がなってしまいます」と指導するべきところを指導せず、逆に、片山自身がその逆をおこなっていた為、それを見た比較的社歴が浅い郡山市など中通り地区の営業が片山のやることを真似したようでした。片山だけではなく、入社して2か月目とかそこらの営業までもんが、片山と同じことをやったのです。たとえ、それでも、「会社のお客様」だろうと考えていたのですが、いくらなんでも、片山と中通り地区の営業はひどすぎます。前回、登場した馬上正一ですら、私に「〇〇ちゃん。片山所長はまだ所長だからしかたがないかもしれないけれども、〇〇ちゃんだって入社して3年目だろ。なんで、入社して2か月目のやつなんかに所長と同じことやられなければならないんだ。黙ってることないよ。言ってやればいいよ」と言ったのですが、そんな感じで郡山市など中通り地区の営業は片山のやることを真似ていたのです。おまえら、こういうことをやって、ただですむと思うなよ!!! 覚えとけよ、そのうち、しまいに血い見るどお!!!・・・という状況が続きましたが、どうも、(株)一条工務店では「◇◇の腰巾着」とか「イヌ」とか「草」とか「ひまわり」とかいった人たちというのは、自分たちはそういったことをやっても、この会社ではまかり通るという絶対の自信を持っていることが多いようです。
「イヌ」というのは、真面目に努力をして会社のために働く従業員を陥れ、自分だけオーナー経営者一族に気にいられようとして、他の従業員に「わん、わん、わん、わん」と率先して吠えかかるやつのことで、たとえば、2011年、生産事業部にいた石川とか、1993年に、名古屋の八事営業所で営業成績が悪くて千葉県の松戸営業所に転勤してきた松下とかはそれです。
「草」とは、普段はそれぞれの地域にいて一般従業員として勤務しながら、営業本部長に「情報」を送る役割を果たしている者のことで、私が入社して以来、私の周囲には必ず「草」がいました。そういうの、わからないと思っている人がいるようですが、常に百パーセント間違いなくわかるわけではないとしても、全体として、「ははあん、今度はこいつが『草』かあ」とだいたいわかるのです。2001年、栃木県佐野市の展示場では「創価学会員の高木のおっさん」(男。当時、50代)が「草」でした。野村のじいさんが、『負けに不思議の負けなし(上・下)』(朝日文庫)で書いていたが、南海ホークスの選手兼任監督をやっていた時、近鉄バファローズの神部投手の牽制に苦しんだが、それを見破ることができたのだが、ところがそれを選手に通知すると即座に神部は牽制のしかたを変えた。誰かが教えたとしか考えられないが、野村は思いあたる人間がいたと言うのです。YouTuveで元阪神監督の岡田と元阪神のピッチングコーチの中西の対談の動画を見ていたら、今と違って先発投手について予告先発といったものをやらなかった時代、巨人戦で左腕投手の先発だと右打者が並び、右投手だと左打者がずら~っと並んでいたということがあり、こんちくしょう、誰か裏切者が教えやがったなと思い、それが誰かもわかったが、とっちめてやろうかと思ったら監督の岡田が「泳がせておけ」と言って、実際は右投手の安藤が先発なのに左投手の下柳が先発だとコーチ会議で発表してホワイトボードにも下柳と明記しておいたところ、巨人は左投手向けに右打者ばっかりずらずら並べたということがあり、巨人の監督の原から「岡田さん、もっと正々堂々とやりましょうよ」と言われたが、正々堂々とやってないのはそっちだろうがと思ったと話していたが、巨人に先発投手が誰か教えた裏切者は誰なのかは、本人はわからないと思っていたかもしれないが、わかったというのだ。だいたい、わかるのです。「高木のおっさん」にしても、このおっさんが「草」なのかとわかったが、おっさんは「草」の役させてもらって喜んでいたようで、かつ、わかってないと思っていたようだが、わかるのだ、そのくらいは。そして、 「草」と所長なら「草」の方が権力持っているのですが、そんなことなら、最初から「草」を所長にならせておけば良さそうですが、そうしないあたり、(株)一条工務店のオーナー経営者は変わっています。「草」やるような恥知らずは「その程度の人」であって所長など管理者としての適性がある人ではない、ということはあるでしょうけれども。「草」やっていた人でも、自分では好まないものの「草」の役割をさせられていた人もあれば、無意識のうちに何気なく話したことが結果として「草」やったことになっていたというケースだってあるでしょうけれども、自分が「草」であることを喜び、「草」だから自分は優遇してもらえると思っていた人もいたようですが、あまり調子に乗ると「ハシゴをはずされる」ことになる場合もあります。辞めた人の中に「あの人は、部長のイヌだったのですが、むしろ、部長にとってイヌがわずらわしくなっちゃったみたいなんですよ」と言われた人もいました。
「ひまわり」というのは、オーナー経営者の好みのタイプとか、所長の好みのタイプとかそいういうやつのこと、いわば、「長嶋みたいなやつ」です。なにしろ、「わしぁ、日陰の月見草」ですからね。「ひまわり」はたいてい条件がいい展示場に配属されますし、「ひまわり」とバッティングすると会社の規定によるルールならこちらの担当の客でも「ひまわり」に取り上げられます。
※ 《YouTuve-氷川きよしさんと阪神ファンのコラボによる東京音頭!》https://www.youtube.com/watch?v=Vt2yXzBWMiA
※ 《YouTuve-大合唱「〇ね〇ね!くたばれ!ロッテのパクり!!」【商魂込めて】2018/8/7 巨人対阪神》https://www.youtube.com/watch?v=S6cxu6DEYjY
1998年から2000年にかけて栃木県佐野市の展示場にいた上岡くん(男。当時、40代前半)は「五十嵐所長のひまわり」でした。五十嵐さんは福島県中通り地区の所長で「大澄(初代)社長の腰巾着」と従業員の間で言われていた片山が「天野部長の腰巾着」と罵っていたけれども、片山こそ「腰巾着」であり、私は五十嵐さんはそんな「腰巾着」というような感じの人ではないと思ったのですが、困ったところがあって、自分と経歴が似た人間を異常に高く評価したがる人という特徴があり、上岡くんは「最終学歴:底辺の高校卒(「自分の名前を書くことができれば合格」と言われる私立高校のスポーツ入学)、建築・住宅関連の保有資格:なし。 前職:クルマ屋」という点が五十嵐さんと共通していたことから、勤務態度も悪く実力もない営業を五十嵐さんは異常に優遇しようとしていましたが、実力がなく勤務態度も良くない人はたとえ所長が「ひまわり」にしてくれても、そういう人は長い目で見るとだめです。かつ、「ひまわり」といっても、1993年前半に松戸展示場に来た松下のような「天野営業本部長のひまわり」と違って「五十嵐所長のひまわり」では、オーナー経営者も所長と同じく「ひまわり」にしてくれるわけではない。「所長のひまわり」は「社長や営業本部長にとってもひまわり」であるとは限らないので、そのあたりを理解できない「ひまわり」はじり貧になることが十分考えられる・・はずですが、考える頭がないのが「ひまわり」の「ひまわり」であるところなのでしょう。
(株)一条工務店という会社には、そのように「腰巾着」「イヌ」「草」「ひまわり」といったのがいっぱいいました。今も(株)一条工務店に勤務している人でこのブログを読んでくださっている方があれば、あなたの周囲を見回してください。きっといますよ。「腰巾着」「イヌ」「草」「ひまわり」といった人間が。
そういうやつを相手にする場合には、(株)一条工務店の経営者を相手にする覚悟で闘わないといけませんが、自分が勤めた会社の経営者を相手に闘いたくないのですが、そんなこと言っても、黙っているわけにはいかない状況・事態が続き、言わなければ、会社は何もしてくれないのですから、たとえ、会社の経営者が不心得者の方に加担することが十分に予想されても、闘わないといけない時は来ます。
「ファイト♪ 闘うきみの歌を、闘わないやつらが笑うだろう。ファイト♪・・」

  月に1回、福島県浜通り地区の営業が、いわき市のどこかの展示場の「二間続きの和室」で営業会議をやったのですが、その時に、私は所長の草野さんに言ったのです。「郡山の片山所長が、お客さんに契約だけさせて、それで、『いわき の平尼子町のJTいわきハウジングパークに和風の展示場がありますから、言って見てきてください』と言って私がいる展示場に既契約客を次から次へと送り込んできますが、私がいる展示場は、ただでさえ入口の展示場に来場客が多く入って、奥にある展示場には新規の来場客が少ない展示場なのに、既に契約したお客さんばっかり大量に送りつけられて、そんな人の接客ばっかりさせられている日もあるのです。営業は、自分が担当のお客さんに他の展示場を見に行かせたい時には営業担当者もついていくのが基本のはずです。それを片山さんは、営業担当の片山さんがついてきたことは一度もない。又、私が来場されたことを連絡しても、『すいません』も『ありがとう』も一言として言ったことが一度もない。これは住宅建築業の営業としておかしいはずです。草野所長から片山所長に言っていただけませんか」と言ったのです。
  草野さんは浜通り地区の所長とはいえ、「外様の所長」であるから、「譜代の所長」であるだけではなく「大澄(初代)社長のお気に入り」で「大澄(初代)社長の腰巾着」の片山には言いたくないらしかった。又、力関係として「外様の所長」は「譜代の所長」「腰巾着の所長」に対して弱い立場だったらしいしかし、そんなことは関係ないはずなのです。 こちらは、もっともなことを言っているのだから、もっともなことを言うのに、「譜代」も「腰巾着」もへちまもありません。あえて言うならば、戸建住宅建築業の営業としての常識が欠ける男を福島県中通り地区の所長にならせているオーナー経営者、戸建住宅建築業の営業としての常識が欠ける男を「腰巾着」にして「腰巾着」に注意しない(初代)社長の大澄賢二郎が間違っているのです。社長が間違っているのなら、別に喧嘩しなくてもいいけれども、それは違いますよと言うのが従業員の仕事のはずです。
  「外様の所長」であれ「譜代の所長」であれ、親藩・御三家であれ譜代であれ外様であれ何であれ、所長として言わないといけないものは言わないといけないはずですし、それを言えないのでは所長の仕事をしていないことになります。もっとも、ここでまた、企画室課長⇒総務部長の天野雅弘が言う「所長の仕事は売ることであって、管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」という屁理屈がでてきます。ですから、私は所長の草野さんに言ったのです。「草野所長から片山さんに言ってもらえませんか。もしも、直接、言っても片山さんがきかないのならば、営業本部長に話してもらえませんか」と言いました。しかし、所長の草野さんは「そりぁ、他の営業が担当の契約客が来ることだってあるだろ」などと寝言を言ってごまかそうとするのです。
  「いわき市内の他の展示場とか原町の展示場で契約した人が来場された場合に接客するのはいいと思いますよ。逆だってあるのですから、お互い様か、お互い様よりもこちらの方が接客してあげる量が多かったとしても、そのくらいはかまわないと思います。実際、私は草野所長が営業担当のお客様の接客をけっこうやってきました(かつ、それに対して「ありがとう」の一言を言ってもらったことは一度もないけれども)けれども、やっていいと思いますよ。しかし、中通り地区には和風「百年」の展示場はなくて「セゾン」の展示場ばっかりで、浜通り地区には和風「百年」の展示場も「セゾン」の展示場もあるという状況があるので、私たちは契約客に他の展示場も見てもらおうという場合、たいてい、いわき市内の他の展示場に見に行かれることになり、郡山や中通りの展示場に見に行かれることはあまりないのに対して、中通りには「セゾン」の展示場ばっかりで和風「百年」の展示場がないので、中通りと浜通りの関係では、こちらは中通り地区の営業の既契約客の接客をさせられるばっかりで、こちらがやってもらうことはほとんどないのです。なおかつ、中通り地区の所長の片山さんから、それに対して『申し訳ない』といった意思表示がまったくない。これはおかしいでしょ」と言いました。しかし、浜通り地区の所長の草野さんは、「譜代」「大澄(初代)社長の腰巾着」「大澄(初代)社長のお気に入り」のやることに異議を口にするこのが嫌だったようで、かつ、その頃、いわき市内には、いわき市平尼子町のJTいわきハウジングパークに2展示場、いわき市鹿島町の総合展示場に2展示場あって、片山らが既契約客を送り込んでくるのは中通りから近い側のJTいわきハウジングパークの方、私がいた展示場であって、草野さんがいたいわき市鹿島町の方の展示場にはそれほどは送り込まなかったので、草野さんが片山に苦情を言わなくても、草野さんは営業担当として特に困ることはなかったのです。自分が営業担当として困ることはなく、困るのは自分が所長になっている地区の他の営業であれば、「譜代」「腰巾着」「お気に入り」には文句を言わないでおいた方がいい、というのが草野さんの意識だったようですが、それでは所長と言えないではありませんか。所長であるならば、自分自身が営業担当者として困っていなくても、自分が所長になっている地域の営業が困っているものに対処しないといけないし、対処してこそ所長でしょう。違いますか。
  その際、JTいわきハウジングパークの入口に近い方の展示場、「セゾン」の展示場に勤務していたSさんが「郡山とかの営業が契約した和風で建てるお客さんが、奥の百年の展示場を見に来て、ついでにうちの方の展示場を見に来るから、うちの方の展示場も郡山の営業の契約客の接客させられたりもする」ということを言いました。実際、そういうことはあるでしょう。
  私は、浜通り地区の所長の草野さんが、自分が片山など中通り地区の営業が、契約だけしてもらって「和風の展示場はいわき市平尼子町のJTいわきハウジングパークにありますから、行って、いわきの営業に説明してもらってきてください」と言って送りつけるいわき市の展示場ではなく、それほど送りつけられることはない方の展示場にいるものだから、だから、「そんなこと言わなくても、接客すればいいだろうが」とか勝手なこと言ってはぐらかそうとするので、「もし、所長が言うのが嫌だということなら、私が言ってもいいですか。所長のかわりに私が言わせてもらっていいですか。いいなら、そう言っていただけませんか。私が言いますよ」と。 (株)一条工務店という会社は「目立たず、騒がず」「見ても見ざる、聞こえても聞かざる、言うべきことでも言わざる」にするべきだと従業員の間で言われていた会社であり、私だって、別に言いたいわけではないけれども、所長が言うべきことを言わない言えないのならば、私が言わないと言える人間はいないのなら、しかたがない。
  ・・・もうひとつ、(株)一条工務店には「腰巾着」と「イヌ」「草」「ひまわり」というものがあるのと別に「お目通り」というのもあったのです。「お目通り」というのは、これは「陪臣でありながら、将軍と直接会って話ができる者」のことを「お目通り」と言うのです。・・この会社、けっこう、いろいろな生物が生息してますでしょ・・。
 私が福島県いわき市の営業所にいた時、営業本部長の天野隆夫が私に電話してきたことがあり、それで、いわき市の営業は「おまえ、天野部長のスパイじゃないのか」「おまえ、天野部長からいいつかって、いわき の営業をスパイしに来たのじゃないのか」なんて思った人がいたらしくそう言われたのですが、そのうち、実はその役は私ではなく私と一緒の時にいわき地区に赴任した「木南さん」(仮名)の方だとわかり、誤解は解けたのでした・・・が、営業本部長の天野隆夫は私がいわき市の営業所に赴任する前に在籍した東京展示場・松戸展示場の営業所長を兼任していたので、「お目通り」というほどでもないけれども、面識のない人間とは違って「直接、口をきくことが許された」、要するに「お目通り」だったのです。もっとも、「お目通り」といっても、何か言ったとしても、話した内容をきいてくれるわけでもなく、なんだかんだ言われるだけで、こっちが何か言ってもちっともきいてもらえませんから、意味ないのですが、しかし、言うことが気にいらないとは言われないのです。だから、そこはやっぱり、「お目通り」としての立場は活用して、「郡山の片山所長は、いくらなんでも、ひどいのと違いますか」と言わせてもらってもいいはずなのです。言ってもきかないと思いますが、それでも、そのくらい、言えないのでは「お目通り」の意味がないでしょう。言ってもきかないでしょうけれども、これは私が個人的に何か優遇してくれと言うのではなく、会社の為を思って理屈の通ることを言うのだから、たとえきかなくても言うだけでも言わせてもらっていいはずであり、言うべきことであるはずだ。・・しかし、そんなことよりも、やっぱり、草野さんは浜通り地区の所長であるならば、営業担当としての自分が特に困っていなくても、自分が所長になっている地域の営業が困っていることについては、その原因を作っている中通り地区の所長に対して、「ちょっと、なんとかしてもらえませんか」と言うべきですし、言えないのでは所長と言えないでしょう。 しかし、それでも、草野さんは、口元をもぞもぞさせて、なんとか自分が言わなくていいようにしようとしたのでした。草野さんは営業担当としては、たいしたものだなあと感心させられるようなところもあったのですが、こういったところでは、言うべきものを言えない所長でした。・・もっとも、言うと、オーナー経営者から退けられるのではないかと恐れて言わなかったのかもしれませんし、それを言えないのでは会社員として情けないのではないか、言えないようでは社会人と言えないではないかと思う私のような人間は気にいらないという経営者の会社では「見ても見ざる、聞こえても聞かざる、言うべきことでも言わざる」「目立たず、騒がず」で生きるのが正しい処世術だったのかもしれませんが、そんな人間ばっかり大事にしているようでは、そんな会社は長い目で見て繁栄していく会社と言えるのか・・・、むしろ、そんなオーナー経営者によって支配されている会社は、早いか遅いかはともかく、「生産力と生産関係の矛盾によって」オーナー経営者一族とその取り巻きが会社から引きちぎられることになる可能性・・というものも考えられるかもしれません。

  (株)一条工務店という会社は営業所(展示場)による力関係が大きく違います。1992年に私が入社した年、私が入社した東京都江東区潮見のウッディランド東京 内にあった東京展示場は、2階ホールは端から端まで床鳴りがする展示場で、来場客から「あれ、これ、何の音かしら。ほら、こっちも音がする。こっちも音するわ。何の音かしら。あ、こっちもまた音するわ。一条工務店さんは他の会社よりも根太の厚みがあって根太の間隔が狭いから床鳴りがしないんですよね。この音、いったい何の音かしら。こっちも音するわ、これいったい何の音かしら」などと言われたものだが・・・、床鳴りの音に決まっとるやろうが! 他に何あんねん! さらに、外壁はベランダの側面の網の所から黒い筋がだらあ~っとついていて、「展示場ってきれいなものを見せるものですよねえ。ここの展示場って、なんで、汚いのですか」と来場客から言われ、「まあ、この展示場は展示場としては比較的古い方の展示場ですから」と私が言うと、「でも、古い方の展示場といっても三十年とか四十年とか経ってるわけではないでしょう。いくらなんでも、10年も経ってないですよね。何年経ってるんですか」と言われ、「たしか、5年ほど経ってたかと思いますが」と言うと、「なんで、5年しか経ってないのに、外壁があんなに汚いのですか。ほら、あそこ、筋入ってるでしょ。ほら。普通、展示場であんなふうに汚れた展示場ないでしょ。普通、展示場というのはきれいなものを見せるものと違うのですか」と言われる・・そういう展示場だった。床鳴りとか外壁に筋が入っているというのは、それはその展示場に勤務している営業が頑張って掃除してもそれでどうなるものではない。それに対して、浜松の展示場はどこもが新しくてきれいだったのだ。(株)一条工務店という会社は、それだけ差別していたのだった。営業本部長で東京営業所長を兼任していた「浜松・掛川・名古屋のまわしもの」の東京営業所長だった天野隆夫は「売ったらきれいにしてやる」などとナマ言っていたが、浜松の展示場の人間は「売った」からきれいな展示場を作ってもらったのかというとそうではなく、新しいきれいな展示場を作ってもらったから売れた・・はずだ逆立ちした主張をしてはいけない。
   東京都で「施工面積」という(株)一条工務店が独自に設定した計算方法で「坪55万円」で売らされていた「セゾン275S1」を浜松・掛川では「坪48万円」でダンピング販売していた。名古屋南営業所では「坪49万5千円」でダンピング販売していた。東京都では「ピンコロ」という小さい束石で施工していたのに、浜松・掛川・名古屋では「マンホールの蓋みたいなでっかい束石」をサービスしていた。しかも、浜松の営業所の古橋は研修の講師役に来て構造についてのアルバム帳で、浜松地域で施工していた「でっかいマンホールの蓋みたいな束石」と「小さいピンコロの束石」の写真を比較して、「『ほら、こんな小さな束石では地震で揺れた時に床束が束石からはずれて落ちてしまって大変危険ですね』とお客さんに話してください」などと教えて東京都の営業に対する営業妨害を教えていた。静岡県中西部・愛知県のみテレビ広告をドカンと一発♪ やりまくり、テレビ番組のスポンサーもやっていた・・にもかかわらず、研修では講師役にきた従業員が「一条工務店は、昔から、テレビ広告などに費用をかけるのではなく、いいものを作れば売れるという考え方で、いいものを安く提供するという姿勢でテレビ広告は一切やらずにやってきた会社なのです」などと嘘を教えていた。 工場見学会というものが、(株)一条工務店の営業にとっては重要だったが、その工場見学というものを東京都の営業は浜松まで連れていかなければならず、「ええ? 浜松町なんてあんな所に工場があるんですかあ?」と言われ、「浜松町ではなく、静岡県の浜松市です」と言うと、「静岡県のは~まあまあつう~う」などと言われたものだった。浜松の営業は、そんなこと言われることはなく、「すぐそこ」の浜松市内に「営業活動の一環としての、見せるための工場」があったのだ。その上で、JR東海道本線「天竜川」駅の南側にあった総合住宅展示場には、(株)一条工務店の展示場は異なる外観のものが3店舗あって、それぞれが新しくてきれいだったのだ。この場合、「きれい」というのは「掃除がいき届いている」という意味ではない。東京展示場でも掃除は丁寧にやっていたが、掃除したからといって床鳴りが直るわけではないし、外壁に黒い筋がついているのをなんとかしようと思っても日常の掃除でなんとかなるものではなかった。
  東京の展示場では「一条工務店という会社は、東京では知っている人は知っているけれども知らない人は知らないというくらいの知名度の会社かと思います」と言うと、「そうかしら。知ってる人なんていないでしょ。知らない人は知らないけれども、知ってる人なんてぜんぜんないという会社でしょ。浜松でならともかく東京では知ってる人なんてどこにもないでしょ」と言われまくったが、ところが、私が浜松市倉松町の本社の研修に行く時に、JR「浜松」駅からタクシーに乗ると、まず、浜松のタクシーの運転手で「倉松町の一条工務店」と言って知らない人は誰もなかったし、浜松駅からタクシーに乗ると、タクシーの運転手が「一条工務店」という名前を聞いただけで、「お客さんは家を作る仕事の人だと思うんですけども、ちょっと教えて欲しいんだけれども、私は今、◇歳で年収は☆☆万円なんだけれども、このくらいの年収の者でも家を建てることはできるもんでしょうか」と相談されたり・・・、そういう違いがあった。東京では「一条工務店」は「浜松のよくわからん工務店」であり「西武でもないのに『セゾン』なんて名のっている西武のパチモンみたいな怪しい会社」であったのに対して、浜松では「一条工務店」は「ブランド」だったのだ。こういうことを言うと、浜松・掛川・名古屋の人間というのは、「そんなもの、関係ない。一条工務店の知名度・認知度が低くっても売れるはずだ」などと勝手なことを言いまくるのだったが、そんなことを言うのなら、そういうことを言う人間が「一条工務店」の知名度・認知度が低い場所に赴任して売ってみせて、「ほら、こういうようにやれば売れるんですよ」というところを見せるべきであろう・・・と思うのだったが、ところが、そういったことをえらそうに言う人間というのは、どいつもこいつもフランスも、「一条工務店」が「ブランド」である地域の展示場から一歩でも動こうとはしないで、勝手なことを言いまくるのだった。「そんなこと言うのなら、それなら、浜松に来て売って見たらどうだ」とか言うやつもいたが、それは言うことが逆であろう。浜松の営業こそ、東京都に来て売ってみせてからえらそうな口をきくべきであろう。えらそうな口をきくのは東京都に来て売ってみせてからにするべきであったであろう。彼ら、静岡県中西部・愛知県の営業どもは、言うことが逆立ちしていた。
  1992年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の東京営業所(展示場)では、東京圏に「見せるための工場」はなかったので、「工場見学会」に東京駅から新幹線で浜松まで行き、浜松駅前で食事をした後、タクシーで浜松市倉松町の工場まで行って工場見学会に参加していたが、工場見学が終了した後に、JR「天竜川」駅の南側の総合住宅展示場に(株)一条工務店が3棟の展示場を出展していた所に移動して、3棟の展示場をお客様に見てもらって帰京していた。ところが、ある時、浜松の営業が工場見学会に天竜川駅の南側の展示場3棟に見学に来るなと言ってきたのだ。それで、東京展示場の「リーダー」だった宮崎さん(男。当時、30代前半)が「浜松から、来ちゃだめだと言われたから、今後は浜松の展示場の見学はなしね」と言うので、「それはおかしいのと違いますか」と私は宮崎さんに言ったのだ。 「何も、浜松の営業から『来ちゃだめ』と言われたからといって、『はい、そうですか』と従わないといけないことありませんでしょ。ここの展示場でも、他の展示場の営業が追客中のお客様とか契約客とかが見学に来ることありますよね。私たちは、東京圏に工場がないから、だから、浜松の営業よりも負担を払ってお客様を浜松まで連れて行ってるのじゃないですか。それに、浜松の展示場はこことは違ってどれも新しくてきれいですよね。そうやって、何でも優遇されている浜松の人間が、何でも言えば自分たちの思い通りになると思って言ってきたからといって、そのまま従わないといけないということはありませんでしょ。工場見学会は月に1回だけのことで、その帰りに天竜川駅南総合住宅展示場の3棟の展示場に寄ったとしても、朝から晩までいるわけでもなく、1展示場30分いたとしても3つ合わせても1時間半のことでしょ。その程度の時間、他の展示場の営業がお客さんを連れて見学に来たとして、何を文句言うことがあるのですか。浜松の営業は東京の営業よりもずっときれいで新しい展示場を作ってもらっていて、ずっと安い値段でテレビ広告付きで売らせてもらっているのじゃないですか。工場だって浜松の展示場から遠くない場所にあるのじゃないですか。浜松の営業は、それだけ、東京などの営業よりも恵まれた条件があるのだから、東京展示場の営業が東京展示場のお客さんを連れてくるくらい認めるべきでしょ。そのくらいのことも認められないというのは、浜松の営業はいくらなんでもあつかましすぎるでしょ」と言ったのですが、宮崎さんは「そんなこと言っても、もう、来るなと言われたから」と言うのです。それで、 「『もう、来るな』と言われたからといって、『はい、わかりました』と言うことないでしょ。宮崎さんは東京展示場のリーダーでしょ。東京展示場のリーダーなら、『そのくらいのことをだめなんて言わなくてもいいじゃないですか』と言うべきでしょ。『もう、来るな』と言われたからといって、なんで、即座に『はい、わかりました』と言うのですか。浜松の人間から言われたからといって、なんでも、『はい、わかりました』と従うことないでしょう」と言いました・・が、「そんなこと言っても、もう、来ちゃだめだと言われたから」と言うのでした。
  宮崎さんは東京展示場の「リーダー」ということになっていたのですが、「リーダー」で「主任」だったのです。それに対して、浜松の展示場には「リーダー」で「所長」で「課長」という人がいて、「リーダー」で「係長」とか、「リーダー」ではない「係長」とかそういった人が何人もいたのです。本来、「所長」とは◇◇営業所の所長のこと、「課長」とは△△課の長のことを言うもののはずですが、ところが、(株)一条工務店では「課長の仕事をしていないのに課長」がおり、「課長」より「係長」より「役職」は下のはずなのに「リーダー」の人がいたのです。いわば、(株)一条工務店の「課長」「係長」「主任」というのは職能級位みたいなもので、それまでにある程度以上の契約をあげた営業社員に与えられる称号のようなものだったようですが、 「◇◇課」の長の仕事をするわけでもないのに「課長」というのはおかしいし、もしも、課長になりたいのならば、課長がいない営業所に転勤してそこの長になってそこの長としての役割を果たすべきです。ところが、浜松・掛川・名古屋といった条件がいい場所から一歩たりとも動いてなるものかという男が「課長」「係長」といった役職名だけ窃取して、そして、東京展示場の「リーダー」が「主任」だから、自分の方が上だと勝手な言い分を主張して「言うことをきかす」ようにしていたのです。
  自分の職能級位が「主任」で相手の職能級位が「課長」であったとしても、両方とも「リーダー」であるならば、「主任」の「リーダー」でも「課長」の「リーダー」と対等に話をしないといけません・・・し、できないようでは何のための「リーダー」なんだ・・ということになります・・・が、東京展示場の「リーダー」の宮崎さんは浜松の命令に逆らえない人間でした。
  
  浜松の営業の言い分には何でもかんでも従わないといけないというのはおかしい! ・・・のですが、ともかく、浜松の人間が自分たちが思うことを発言して悪いということはありません。それに対して、東京の営業もまた、発言させてもらえばいいのです。問題は、東京の従業員は浜松・掛川・名古屋の営業にはどんなことでも従えみたいな態度を(株)一条工務店は取っていたのであり、そんなものに従っていたのでは、無茶苦茶されるのは目に見えていたのであり、実際、無茶苦茶されていたのです。
  「黙っていたらなめられる」。 同様に、福島県浜通り地区の営業は、福島県中通り地区の営業と中通り地区の所長の片山に対して、言うべきことは言わないといけません。 勝手なことをやっているのは片山と中通り地区の営業の方なのですから。・・・ところが、浜通り地区の営業所長の草野さんは、中通り地区の営業と片山の被害にあっているのは私などであって、草野さんが自分を配属した展示場ではそれほどは影響を受けなかったことから、「そんなこと言わなくてもいいだろう」とかなんとかかんとか言ってごまかそうとしたのですが、そういう態度でごまかせると思ったというのは、それだけ、私がなめられていたということでしょう。
  
   この営業会議における所長の草野さんの態度は卑怯です。 しかし、それ以上に卑怯な男がいたのです。営業会議において、私が所長の草野さんに ↑ のようなことを話すと、横から「あんた、何言ってんの。片山所長がいったいどれだけ契約取ってると思ってんの。片山所長はあんたの何倍も契約とってるんでしょ。片山所長の担当の契約客の接客をさせられたというのは、それ以上に契約取らないあんたが悪いんでしょうが」と、自称「暴力団関係者」の馬上正一(もうえ まさかず)はそういう口をきいたのです。あきれました。月に始業時刻より前に出社することは5日以上ある月はないという男が、午前10時の始業時刻より前に出社することがあっても、その時にはタイムカードを押すと同時に「急がなきゃあ~あ」と言ってパチンコ屋の改装オープンに走っていく男がそういう口をきいたのです。
〔 馬上はいわき市 平 田町(たいら たまち)の「クラブ シェルルーム」という店のホステスの女と同棲していて、《毎日送迎していた(「アッシー」やっていた)》と言われていて、実際、店が終了後にクルマで迎えに行きJTいわきハウジングパークから遠くない場所のアパートまでクルマで連れ帰っていたが(客の仕事は雑でもホステスの送迎にはマメ・・というのは不思議)、戸建住宅建築業の(株)一条工務店の営業というのは「5時から男」とか言って、一般の仕事が終わった後の時間帯にお客様宅に訪問して商談することが多い仕事で、工事の仕事の者が昼型であるのに対して「夜型の仕事」と言われたりするが、しかし、勤務時間が午後7時から午前1時というクラブのホステスと比べたらよっぽど””昼型””であり、午後7時から午前1時までが勤務時間というクラブのホステスに生活時間帯を合わせて生活している男が、朝10時の(株)一条工務店の始業時刻に出社するのはどれだけ大変か・・と考えると、馬上が(株)一条工務店の始業時刻の午前10時00分に出社できないというのはわかる・・・と言う人もいて、たしかに、言われてみると「そうかな」と思いそうになるのだが、そのわりには、パチンコ屋の改装オープンの日になると午前10時より前に出社してタイムカードだけ押して、「急がなきゃあ」と言って怒涛のごとくパチンコ屋にかけつけて行く・・ということができる・・というのは、何ともマカ不思議なことだった・・( 一一) 〕
   職場においては、ある問題について他の人間よりも尽力してきた者はその問題については他の人間より多く尽力してきたその分だけ発言も多く発言する権利があります。私は、いわき地区の営業の中で、片山らが契約だけしてもらって「いわきに和風の展示場ありますから、いわき に行って見てきて、いわき の営業に説明してもらってきてください」と言って送り込んできた既契約客の接客を大量におこなってきた人間であり、いわき地区の営業の他の誰よりも多くやってきた者ですから、その問題については他の人間よりも発言する権利があり義務があります。それに対して、馬上さんは午前10時の始業時刻より前に出勤することといえば月に5日未満で、たとえ、10時の始業時刻より前に出勤することがあっても、タイムカードだけ押して「『6号線』(パチンコ屋の名前。国道6号から名づけられたか)、早く行かなきゃ」とか言って出て行く人、他展示場の営業の既契約客の応対などやらない人ですから、そういう人間がえらそうな口をきくのは不適切であり、いわき地区の営業でも馬上さんの勤務状況についてはすべて完全にでなくても半分以上の人はある程度はわかっていたはずです。1990年代、1993年に私と同じ時期に神奈川県の茅ケ崎市の展示場からいわき市の営業所に赴任した「木南さん」(仮名)(男。当時、40代前半)は営業として契約を多く獲得しようという姿勢には消極的な人でしたが、工場見学会の実施については毎回尽力してくれる人でしたから、工場見学会については「木南さん」(仮名)が他の営業より多く発言しても悪くないでしょう。2001年、栃木県南部の「副所長」という名目で所長の役割で就任した木下(男。当時、40代前半)は、その前くらいから地盤調査をスウェーデン式サウンディング試験などを営業が実施するようになったのですが、3名でおこなう必要があったのですが、木下は「副所長」でありながら毎回それに参加し、参加するだけではなく、「『副所長』だからとえらそうにそこにいる」のではなく、実によく動く、スウェーデン式サウンディング試験の作業について実によく働く。「ぼくは地盤調査については、人の何倍もやってきたんだけど」と木下が最初に言った時には、「そんなに他の人間よりやってるのか?」と思ったが実際にやっていた。実際に他の人間よりもその問題について労力をはらった人はその問題について他の人間よりも発言してもいい。それに対して、私は、いわき市平尼子町 のJTいわきハウジングパーク内で、一番奥まった場所にあって新規客の来場者が少ない展示場であった和風「百年」の展示場にいて、中通り地区の片山らが契約だけ中通りでやって「いわき に和風の展示場がありますから、いわきに言っていわきの営業に説明してもらってきてください」と言って片っ端から送りつけてきた既契約客の接客・応対を、片山など中通り地区の営業の人間、おまえらいいかげんにしろよ・・と何度も思いながらも、その客は「片山の客」であっても「(株)一条工務店の会社の客」でもあると思って我慢を続けて応対してきたのであり、同じ展示場に在籍していたK井やS藤賢二よりも私の方が多く接客・応対した。だから、私はいわき地区の他の営業よりもその問題について発言させてもらう権利があり義務がある。それに対して、馬上は私と同じ展示場にいても、中通り地区の営業が送りつけてきた既契約客の接客・応対などほとんどしていない人間であり、やっていない者にやっている人間に対してえらそうな口をきくというのは会社という所において許されてはならないはずである。
   私は、もちろん、馬上正一は自分が非常識なことを言っているということについて自覚はあると思っていたし、所長の草野さんもわかっていると思っていたので、遠回しの表現・婉曲話法で穏やかに話をしたのですが、「実際に、何軒も片山さんの契約客を接客させられてきた私が言っているのです」と言いました。そう言えば、馬上は黙ると思って言ったのですが、馬上は片山にへつらうためなら何でもするという姿勢で、「だから、あんただけじゃないでしょ。悔しければ、あんたも片山所長ほどの契約とればいいことでしょ」などと言うので、「それなら、馬上さんも片山所長の契約客の接客やったらどうですか」と言ったのですが、馬上は「何を言ってんの。そんなもの、みんな一緒でしょうが」と言うので、私は「そうではありませんでしょ。相当接客している者もおればそうでない人も中にはいますでしょ」と言ったのです。遠回しの言い方であっても、これだけ、言えば、さすがの馬上もわかると思ったのですが、わからないようでした。
  これ以上言うと、馬上は暴れますし、私は馬上から暴力を何度もふるわれて何度も怪我させられてきましたし、それを警察に言っても いわき中央警察署https://www.police.pref.fukushima.jp/police/chuuou/index.html の警察官は「それは会社が対処するものであって警察が対処するものとは違うから、会社に言いな」と言い、「どうしてですか。私は何度も怪我させられているんですよ。暴力団関係者だという男に脅されているんですよ」と言っても、「そんなこと言っても、それは警察が対処するものとは違うから会社に言いな」と警察官が言い、(株)一条工務店という会社は「男ちゅうもんは、何かあったらおのれの腕でやりあって勝負つけるもんなんじゃあ。それが大澄賢二郎社長の言うところの『梁山泊の精神』ちゅうもんなんじゃあ。次、警察に言ったら、おまえ、会社やめてもらうからなあ」と私に言ったのであり、馬上はそれを聞いて「こらあ、わかったかあ。一条工務店はそう言っておるんじゃあ。俺のようなヤクザもんを警察に言ったらどうなるか、わかってんのか、こらあ。指つめろお~お!」と言って私は脅されたのです。毎日毎日、そうやって恐怖に震えて生きていたのです。その自称「ヤクザ者」・自称「暴力団関係者」がそういったことを言ったのです。
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松川事件と平事件のナゾ (歴春ふくしま文庫) - 正之, 伊部
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   その頃、JTいわきハウジングパーク では、入口脇に1展示場あって、その隣の積水ハウスの展示場(後に、積水ハウスはそこを撤退して住友林業の展示場)の奥、総合住宅展示場としては一番奥の突っ込み道路の奥みたいな場所に私がいた和風「百年」の展示場があったのです。そこに、私と、「副所長」の役職名をもらったK井(男。当時、30代後半)・「副長」の役職名をもらったS藤賢二(男。当時、40代前半)と馬上(男。20代後半)とがいました。平日は交替に当番を決めていたので、平日に中通り地区の片山などから中通り地区での契約客を送り込まれると、平日の当番の営業が接客することになります。他の営業がいた場合には、接客中に、たとえ、他の展示場の契約客でも、お茶を出したりします。しかし、馬上はどうかというと、馬上が登板の日に来客があって、玄関の所のセンサーが感知して事務所で「キンコン、キンコン♪ キンコン、キンコン♪」と鳴ると、馬上は玄関の所に出て行くのですが、出て行って会った相手が片山など中通り地区の営業が担当の既契約客だとわかったなら、即座に事務所に戻ってくるのです。事務所に戻ってきて、私に「〇〇ちゃん、どうしたらいい? 俺、◇時に☆☆さんの所に行かなきゃならないんだけど、片山所長の契約客の人が来ちゃった。どうしたらいい? いったいどうしたらいいと思う?」と私に何度も何度も言うのです。「しかたがないですね。それじゃあ、その契約客は私が接客しましょう」と言って、私こそ出かける予定が入っていたのに予定を変更してその既契約客を私が接客するだろうと馬上は思って、それでそういうことを言うのです。いくらなんでも、同様の手口を何度も何度もやられて、そういつもいつも同じ手にひっかかるか・・と思い、「どうしたらいいと思う? 〇〇ちゃんよお、俺、出かけなきゃならないんだけど、いったいどうしたらいいと思う? なあ、どうすればいいと思う? きいてんだよ、〇〇ちゃんよお」と執拗に言うので、「さあ、どうでしょうねえ」と言って、そうは簡単にあんたの罠にひっかからんぞ・・という意思表示をすると、そうすると、「俺、もう、行かなきゃ」と言って、来場中の既契約客を放置して事務所の出入口から出かけていくのです。おそらく、出かけて行った先はパチンコ屋か何かでしょう。そうやって、片山など中通り地区の営業が担当の既契約客だとわかると馬上は出かけて行き、その結果、私が自分が当番の日だけでなく馬上が登板の日まで、自分の営業活動の予定を変更して既契約客の接客をさせられることになったのです。決して、営業が同じ展示場にいたら同じ条件ということはないのです。
  K井とS藤賢二は馬上より年上であるとともに、入社も馬上と同じくらいか馬上より先らしかったのに対して、私は年齢は馬上より上でしたが入社が馬上より後で、(株)一条工務店は前職の経歴を無視して入社の順番の扱いにしていたので、馬上は私に対して自分より下の立場だと思って、そうやって、玄関まで出て行って、新規見込客であれば自分で接客し、中通り地区の営業が担当の既契約客や中通り地区ではなく浜通り地区の他の営業の既契約客の場合、すぐに戻ってきて、私に「おい、〇〇ちゃんよお、俺、◇時に~に行かなきゃいけないんだよなあ。それなのに、片山所長の契約客が来ちゃった。いったい、どうしたらいいと思う? なあ、どうしたらいいと思うかときいてんだよ。おい、どうしたらいいと思う? 俺、もう、行かなきゃ。どうしたらいい?」と何度も何度も言うのです。だから、片山など中通り地区の営業が私や馬上が在籍していた展示場に「いわきに和風の展示場ありますから、いわきに行っていわきの営業に説明してもらってきてください」などと勝手なことを言って既契約客を何軒も何軒も送りつけてきたとしても、馬上はいっこうに応えないのです。馬上は新規客だとわかると接客するけれども、中通り地区の営業が担当の既契約客だとわかると接客せずに事務所に戻ってきて私に接客させるのですから。そして、言うことをきかないと暴れるのですから。「梁山泊の精神」と言って。馬上は自分が気に入るように言うことを聞いてもらえないと、「俺、暴れちゃうよ」と言うのですが、自分のことを「俺は暴力団関係者だと言ったよなあ」「うちの親は小名浜一家の組長だと言ったよなあ。わかってんのかよ、〇〇ちゃんよお」と言い、 「俺、暴れちゃうよ」「俺、暴れちゃっていい?」とか職場で言って人を脅すような人間のことを いわき中央警察署の警察官は「ヤクザとは違う」と言うのですが、そんな人間を「カタギ」と言うか? ・・というと、通常の日本語ではそんな人間を「カタギ」とは言わないはずです。警察の用語と一般人の用語は少々違いがあるようですが、そんな「カタギ」はありません。
桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫) - 潔, 清水
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫) - 潔, 清水
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  しかし、それにしても、そこまでするかなあ~あ・・・とも思いました。展示場の玄関まで行って来場者と会ったら、新規客の場合にはそのまま接客するけれども、他の展示場の営業が担当の既契約客だったとわかると即座に事務所に戻ってきて、「〇〇ちゃん、どうしたらいい? 俺、◇時に☆☆さんの所に行かなきゃならないんだけど、片山所長の契約客の人が来ちゃった。どうしたらいい? いったいどうしたらいいと思う?」と私に言って、そして、馬上がその日の当番であるにもかかわらずおかまいなしに出かけて行ってしまう。普通、いくらなんでも、そこまでやるかなあ~あ・・と思うのだが、もとより、「普通」ではない人だったのでしょう。
会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
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馬上さんは、仕事で出かけたのではないと思いますよ。パチンコに行ったのかそれ以外かはわかりませんが、馬上さんのことですから、仕事で出かけたのとは違うと思いますよ。

  又、本来、所長というのは「展示場の玄関まで行って来場客と会って、新規客だと思ったら接客して、中通り地区とか他の展示場の営業が担当の契約客だったら事務所に戻って、『俺、出かけなきゃならないんだあ。どうしたらいい?』などとナマ言って他の営業に接客させるなどというおかしなマネはするな!」と注意するのが所長の仕事のはずなのです。それを言うのが所長と違うのですか?!? ・・と思うのだが、所長の草野さんも、自称「暴力団関係者」に言うのが嫌なものだから、馬上を自分とは違う展示場の配属にして、そして、私を馬上と同じ展示場の配属にしてさらに私を馬上のすぐ隣の席に指定したのです。自称「暴力団関係者」・自称「ヤクザの組長の息子」で、しばしば、「俺、暴れちゃうよ」とか言って「言うことをきかす」ようにしようとする男の隣の席に座らされて、毎日毎日、恐怖に震えて勤めてきましたが、どう考えてもこれは人権侵害です。
企業と人権 (日本労働法学会誌 (78号)) - 日本労働法学会
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そして、そこでまた、企画室課長⇒総務部長の天野雅弘の「所長は売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違いますから」という見解が出てくるのです。それじゃあ、いったい誰の仕事なんだよ、誰の仕事?!?
  それにしても、よくやるよなあ~あ・・・と思いました。普通、いくらなんでも、そこまでやるかあ~あ? ・・・と思ったのですが、馬上さんはやるのでした。

  さらに言うと、締め日前になると、多くの営業が、自分は締め日までに〇棟契約もらえそうだといった話をするものですが、「◇棟は契約してもらえると思うけれども、△△邸はどうなるか微妙だな」とかそういった話をしていますでしょ。そうすると、それまで、ほとんど会社に出社してこなかった馬上さんは、「俺、きょう、◇◇で契約予定のお客さん所に行かなきゃならないから」と、それまで、営業活動なんてやってきてないはずなのに有望見込客があるみたいなふりをして出かけるのです。そして、しばらくして外から展示場の事務所に電話してくるのですが、社歴が古い人が多かった展示場だったので、私がその中では社歴が一番新しい方だったので私が電話をとることが多く、私が電話をとると「今あ、◇◇にいるんだけどお、きょう、会うことになってたお客さん、まだ帰ってないみたいなんだあ。どうしたらいいか、K井さんにきいてみたいんだけどお」と言うので、その「K井さん」にそのように伝言すると、「自分で判断してすきなようにやれと言ってやれ」と言うので、そのように伝えると、「K井さんに変わってもらえないかなあ」と馬上が言い、それで変わると、又、私に話したことと同じような演技をするようで、電話を切った後、K井が「まったく役者だなあ。それにしても、こいつも変わってるよなあ。他の営業が何棟契約があがるとか言っていると、自分も契約があがるということにしたいもんだから、演技してありもしない見込客の家に訪問したふりしてるんだが、丸わかりだよなあ。こいつ、変わってるなあ。そんなものすごい演技するくらいなら、前から真面目に営業やってればいいのに、変わったやつだ」と電話切ってから言っていたのですが、K井から言われなくても、電話の話しぶりを聞いただけでも十分わかったわ。なんで、そんなことするかなあ~あと思うのだが、そういうことをする人でした。

  1990年、小堀住研(株)の自由が丘展示場(東京都目黒区)・東京支店自由が丘営業課にいた「近藤すしいち」(仮名)(男。当時、20代前半。近畿大学経済学部卒)は「ぼく、宅建もってますから」とお客様に大声で言いまくっていたが、本人が言うには「宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)なんか持ってません。◇◇課長から『おまえは大学も近畿大学しか出ていないし、卒業した学部も経済学部しか出ていなくて、《売り》にするものがないから、だから、宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)の資格を持っているということにしろ』と言われたから、だから、『ぼく、宅建主任もってますう~う』と言ってるだけで、そんなもの、持ってませ~ん」と言っていたのだった・・・が、そういう国家資格の詐称は軽犯罪法第1条に抵触するのではないのか・・と思うのだが、そういう「指導」をする課長というのも程度の低い男である。小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」と長く言いまくってきた会社だったが、その「大卒しか採らない会社」という場合、「大卒」というのは「大卒だけれども、実質高卒以下の大卒」の意味ではなく、まず第一に「建築・住宅関連の資格については、取得してもいないのに『ぼく、◇◇持ってますう』と詐称するか、努力してその資格を取得しようとするかといえば、努力してその資格を取得しようとする人間」であり「取得しようと思えば取得できる可能性がある人間」のことを意味するはずであるが、それを新卒入社して早々に資格詐称を始めるとは・・、レベル低いな~あ・・・という印象を受けたが、それでは「大卒」の意味がない、宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)程度の資格を努力して合格して取得しようとするのではなく、取得してもいないのに「ぼく、宅建主任もってますう」と叫びまくるというのでは、それでは「大卒」の意味がないではないか。 又、資格試験でも司法試験とか公認会計士試験とかは合格するのはけっこう難関であるのに対して、宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)というのは「受ければ通る」というほど易しい試験ではなく落ちる人はいるし私も一度落ちたのだが、ある程度の努力をすれば合格できる試験ですから、何も詐称しなくても、新卒入社したばっかりでまだ20代の前半という人ならば、「ぼく、宅建主任もってますう」と詐称するのではなく、実際に宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の試験を受けて通り、登録して主任者証(現 宅地建物取引士証)を取得して「僕、宅建主任もってます」と名のればいいはずだ、なんで、受けて通らないのかと思ったのです。自動車を運転したいと思ったならば、何も「普通自動車第一種免許をもってますう」と運転免許を取得していないのに詐称しなくても運転免許を取得すればいいでしょ。それと同じく、「ぼく、宅建主任もってますう」と言いたいのならば、実際に宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格試験を受けて通って登録して言えばいいと思うのです。1991年、テレビでワシントン条約で輸出入が禁止されている熱帯魚を密輸した人が捕まったというニュースが流れていたのを見たのですが、見ていると、密輸するために、ものすごい工夫をして努力をしてものすごいテクニックを使っているのです。その際、筑紫哲也が「これだけ、ものすごい努力をしてものすごい技術を使って密輸するのなら、その能力でこの魚を養殖する技術を開発したらどうかと思うのですが」と話していたが私もそう思った。それと同様に、小堀住研(株)の「近藤すしいち」(仮名)にしても、宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格を持っていないのに「持ってますう」と詐称するためにそれだけの努力をするのなら、それほど無茶苦茶難しい試験でもないのだから、試験に通る方の努力をすればいいのと違うのか・・・と思ったのだった。もっとも、 「詐称するための努力」ならばものすごい努力を厭わないが、「試験に通るための努力」ならば絶対にやってなるものかという信念もってるような人というのが世の中にはいらっしゃるようなので、そういう人は「詐称する努力」はものすごい努力・涙ぐましい努力をすることができても「試験にガチンコで通るための努力」は少しのものでもできないのかもしれませんが。
  その「近藤すしいち」(仮名)と同様に、馬上もまた、実際に契約につながる可能性が大きい見込客を持っているわけでもないのにあるように見せかけ、「本当なら、◇◇さん、家に帰ってきていたところなのに会えなかったって。おれって運悪いよね」と私に言い、(何をしょーもないこと言うとんねんと思っても)「はい、そうですね」と言ってあげないとこの自称「暴力団関係者」は暴れるのですが、実際に契約につながる見込客を持っているわけでもないのにあるように見せようと涙ぐましいものすごい努力と工夫をするのなら、もっと、実際に契約につながる営業活動の努力をすれば良さそうなものでしたが、「近藤すしいち」(仮名)が「持ってもいない資格を『ぼく、宅建主任もってますからあ』と大声で叫ぶ努力」はできても、「それほど難易度が高いわけでもない資格試験に合格するための努力」はできない人だったのと同じく、馬上もまた「実際に持ってもいない有望見込客を持っているかのように見せかける努力」はものすごいことができても、「契約をいただくために地道に営業活動をおこなう努力」はできない人だったのかもしれません。

  片山など福島県中通り地区の営業の既契約客の接客は私が一番多くやったと思いますが、国井・佐藤賢二の2名も接客していたと思います。馬上さんだけは、玄関まで出て行って他の営業の契約客だとわかると即座に戻ってきて「〇〇ちゃんよお。俺、これから◇◇に行かなきゃならないんだ。それなのに、片山所長の契約客来ちゃった。いったいどうしたらいいと思う? なあ、どうしたらいいと思うってきいてんだよ、どうしたらいい?」と何度も何度も言って、そして、「行かなきゃ」と言って出て行ってしまう・・ということをするので、接客することはほとんどありませんでした。そして、私の十分の一でも既契約客の接客をしようものなら、「きょう、片山所長の担当の契約客の接客させられちまったあ。えらいめにあっちゃった」と大騒ぎするのでした。この人はそういう人なんだな・・と思い、あきれました。どうも、その自称「ヤクザ者」・自称「暴力団関係者」が私がいわき地区にいた前半の「天野部長(営業本部長)の草」だったようなのです。 たとえ、「草」にするにしても、どういう人間を「草」にするか、もうちょっと人柄を見て人選してはどうかと思うのですが、そんな人間を「草」にするのが営業本部長の天野隆夫でした。

  馬上さんが退職してすぐ後、またもや、個人名で「馬上さん、おられますか」と言って電話がかかってきたのですが、ええかげんにしてくれよ、サラ金の督促の電話を退職したような会社にかけるのはやめてくれよ・・・と思ったのでしたが、「馬上は先月末で退職いたしましたが、お住まいについてのご相談であれば私がお話をうかがわせていただきますが、お住まいについてのご相談でしょうか、それとも個人的なお知り合いの方でしょうか」と、そんなもの、馬上に住まいの相談での電話なんかかかってくるわけないだろうが、サラ金に決まってるだろうがと思いながらもカマトト言ってみたところ、「そうですか。あ、けっこうです」と言って電話を相手の男は切りました。その時は、サラ金の督促の電話なのだろうと思い、借りた人間が辞めた会社に電話してくるとは、勘弁してほしいもんだ・・・と思ったのでしたが、後から考えてみるとその日は給料日頃ではなかったし、もしかすると、サラ金の督促ではなく、サラ金で新たに借りようとした時の「在籍確認」のための電話だったのかもしれません。
   今となってはそのどちらなのかわかりませんが、馬上は、自分は片山が契約だけさせて いわき市の展示場に送りつけてきた契約客の接客はせずに私にさせておいて、それで、私が、浜通り地区の所長の草野さんに「草野所長から、中通りの片山所長にちょっと言っていただけませんか」と言うと、「それは、あんたが片山所長ほど契約とらないからいかんのでしょうが。片山所長はそれだけ契約とってるんだから」などとナマ言って片山にへつらう発言をおこなったのでした。馬上は、いわき市生まれで馬上と同年齢で同じ平工業高校卒で福島市の展示場に片山に頼んで転勤させてもらった佐藤賢一(男。当時、20代後半)に、「賢一、もう、俺の味方は賢一のほか、誰もいなくなっちゃったあ」などと言って泣きついて味方につけようとしたものの、佐藤の方では馬上が考えていることはわかったようで「俺はお前の『唯一の味方』なんかじゃねえぞ」みたいな冷ややかな顔をしていた。しかし、馬上は心配しなくても、営業本部長の天野隆夫と総務部長の天野雅弘、それに福島県中通り地区の所長で「譜代」で「大澄(初代)社長の腰巾着」で「大澄(初代)社長のお気に入り」の片山の3名が馬上の味方だったはずですから、その3名に頼れば、おそらく、どこか他の場所の営業所長とかに「栄転」させてもらえたのではないか。
  何も「もう、賢一しか味方なくなっちゃったよ」などと演技力を発揮して情けなそうな声を細工して出さなくても、馬上は一般従業員からは誰もから嫌われていても、(株)一条工務店では社長の次の立場らしい営業本部長の天野隆夫と、その下の役職の総務部長の天野雅弘と、所長になっている人の中の「譜代」の所長の中でも「大澄社長の腰巾着」で「大澄(初代)社長の最大のお気に入り」の片山の3名に好かれていたのだから、その3名に頼れば(株)一条工務店では怖いものなしだったはずです。
  ・・・まあ、自分が当番の日に展示場に来場者があって玄関まで出て行ったら、新規客なら接客するが、他展示場の営業が担当の既契約客なら即座に事務所に戻ってきて、「おれ、〇時に◇◇に行かなきゃならないのに片山所長の客が来ちゃった。どうしたらいい? 〇〇ちゃんよお、いったい、どうしたらいいってきいてんだよ。〇〇ちゃんよ、いったいどうしたらいいのかなあ?」と何度も何度も言って、それで当番であるにもかかわらず出かけてしまうとか、自分はそうやって他展示場の営業の既契約客の接客をしないものだから、中通り地区の営業が契約だけして和風「百年」の展示場はいわき市平尼子町にありますから行っていわきの営業に説明してもらってきてくださいと言って送り込むというのは、いくらなんでもやめてもらいたい、お客さんに見に来させるのなら営業も一緒に来るのが基本でしょと中通り地区の所長の片山に浜通り地区の所長から行ってもらいたいと私が訴えるのを妨害して、そうやって中通り地区の「腰巾着」の所長にへつらおうとする男・・というそういうのを気にいる人間が営業本部長とか総務部長とかになっている会社というのは・・・、なんとも情けない会社だなあ~あ・・・・と思えます。『会社四季報 未上場会社版 2021年版』(東洋経済新報社)を見ると、(株)一条工務店は《 戸建て住宅業界で2位。・・》などと書いてあります。同書では「注目会社(149社)」の中に書かれていますが、あんな会社が《戸建て住宅業界で2位。》とは、なんだか「勝ちに不思議の勝ちあり」という印象を受けます。
会社四季報 未上場会社版2021年版 (別冊臨増) - 会社四季報未上場版編集部
会社四季報 未上場会社版2021年版 (別冊臨増) - 会社四季報未上場版編集部
  ・・ひとつには、「大手ハウスメーカー」と言われる会社は実際問題として都市圏中心会社が多く、そういう会社は「地方」では地方の人間の好みと合わないので弱い、「地方都市中心会社」で「ハウスメーカー」のようになっているのは(株)一条工務店くらいなので、《戸建住宅業界で2位》と考えるのではなく、「地方中心の戸建住宅業界で1位」と考えると、そうかな・・とも思えます。又、在来木造で建てたいという客層は一定以上存在するのに対し、在来木造で建てる業者というのは、ツーバイフォー工法(枠組壁工法)の会社・「プレハブ」系の会社と比べて、小規模な会社が多く、又、戸建住宅建築業の業界全般に「未成熟な会社」が多い業界であるが、中でも在来木造の会社には「前時代的」な会社が多い。1980年代後半、小堀住研(株)の入社式の後の新卒社員研修で副社長のKさんが「戸建住宅建築業の業界は、業界としては成熟している、会社としては未成熟という業界だ」と話したことがありましたが、戸建住宅を2軒も3軒も建てて住む人というのはそれほど多くなく、需要の方はそれほど急激に増えるとは考えにくく、かつ、なくなることもない、供給の方もすでに一定量以上の供給ができる建築業者が存在しており、需要と供給は両方がそれほど大きくは増減しないのではないかと見られており、その点で「業界としては成熟している」業界であるが、「会社は未成熟」というのは、日本の会社というのは実際問題として「未成熟な会社」というのがけっこう多いのだが、戸建住宅建築業の業界の会社というのは他の業界と比較しても「未成熟な会社」が多い業界である・・ということをKさんはそこで言ったのだと思います。しかし、それからすでに30年以上経っていますから、30年経てば30年分、全体的に「戸建住宅建築業の会社」は成熟して良さそうにも思えるのですが、30年経っても、やっぱり、「未成熟な会社」である会社が多い業界のように思えるのです。その「未成熟な会社」が多い戸建住宅建築業の業界の会社の中でも在来木造で建てる会社というのは「未成熟な会社」が多い業界なのです。ですから、(株)一条工務店が「前時代的」であっても他も””似たようなもの””である・・ということが(株)一条工務店なんてあんな程度の低い会社が《戸建住宅業界で2位》と、それだけ聞くと「ええ~え、あんな会社があ~あ?」と””びっくらこっこ、びっくらこっこ””するような事態を招いたと考えることができるかもしれません。 その点で「勝つべくして勝った」のではなく「勝ちに不思議の勝ちあり」の勝ちだった、「地方都市中心住宅建築会社」の同業他社のレベルが低い、「在来木造の戸建住宅建築業の会社」の同業他社のレベルが低い・・ということから、「対戦相手がエラーしまくりの結果、なんか勝ってしまった」みたいな勝ちとして「勝ち組」にとりあえず入っている・・みたいな感じ・・と捉えることができるかもしれない。 2011年、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕〔2013年11月に正式に倒産〕の社長の長谷川新二が「千葉県では、新昭和がダントツの1位なんだ」と言うので、(株)新昭和https://www.shinshowa.co.jp/ はけっこう多く建てるようにはなったとはいえ、あの程度の会社が他のハウスメーカーと比べてそんなに千葉県で多く建てていたかなあ?・・と思ったが、「千葉県では新昭和がダントツ1位」というのは「千葉県での施工棟数」がダントツ1位という意味ではなく、あくまでも、千葉県に商業登記簿の上での「本店」を置いている会社の中では「ダントツの1位」ということだった。長谷川の言い方では「千葉県での施工棟数がダントツ1位」かのように聞こえるがそうではなく「千葉県に商業登記簿上の「本店」を置いている会社の中では他にたいした会社がないからダントツ1位」「レベルの低い集団の中では1位」だったのだ。東京都に「本店」を置いている会社なら大きな会社は他にもあるが、千葉県に「本店」を置いている会社である程度大きな所というと(株)新昭和 くらいしかなかったということだった。それと少々似ているところがあるかもしれない。(株)一条工務店というのは、「地方中心のハウスメーカー」という他にあまりない会社の中で1位で、「在来木造の会社」という小規模な所・地域限定会社や「前時代的な会社」が多い業界の中で1位であり、それが都市圏でもある程度は建ててもらえるようになり、結果として、構法別で考えると、ある程度以上の客層を持つ在来木造の業界において上の方に上昇することができた。又、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) なんてのは、木質パネル構法という洋風でも和風でも対応できて、売り方によってはけっこう評価されて良さそうな商品を持っていたにもかかわらず、二代目社長の中島昭午が「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」などとアホなことをあっちやらこっちやらで言いまくって自社の商品の価値を貶めてだめにしてしまい(私は今までからこの人のことを特別に賢いとかいうようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった)市場から消えただけでなく「木質パネル構法」という構法自体の価値まで卑しめたことから、木質系は在来木造かツーバイフォー工法(枠組壁工法)かどちらかというようになったということもあったでしょう。だから、(株)新昭和が「千葉県に商業登記簿の上で本店を置いている会社の中ではダントツ1位」といっても「千葉県に商業登記簿の上で本店を置いている会社にはたいして大きな会社が他にないから」であって、(株)新昭和なんてそれほどたいした会社でもないのと同じく、(株)一条工務店が《戸建住宅業界で2位》といっても、「地方中心のハウスメーカーで他に大きな所がない」「前時代的な体質の会社が多い在来木造の会社では他の会社もたいした会社ではない所が多い」ということから、「勝ちに不思議の勝ちあり」になった・・・のであって、「勝つべくして勝った」のではなさそうである。

  このブログを打ち込んでいて気づいた。1990年代前半、(株)一条工務店の福島県いわき市 の営業所にいた自称「暴力団関係者」馬上正一(男。当時、20代後半)と営業本部長の天野隆夫(男。当時、40代)とは似ている。どこがか・・。
  馬上は、展示場の事務所で私にいきなり、「俺って・・・、かっこいいよね」などと言うので、「はあ?」と思っていると、「おい、〇〇ちゃんよお。『俺って、かっこいいよね』て言ってるんだよ。聞こえないの」と言い、さらに「はあ~あ?」と思っていると、「俺って、かっこいいよね、と言ってんだよ」と言うのです。「はい、そう思います」と言わないと怒りだして、鋼製の椅子を振り回して殴りかかってきますし、そうやって何度も何度も怪我させられてきましたが、(株)一条工務店の会社に言っても「男っちゅうもんは、何かあった時にはおのれの腕でやりあって勝負つけるもんなんじゃあ。それが大澄社長が言うところの『梁山泊の精神』ちゅうもんなんじゃあ」と言われますし、いわき中央警察署に言っても「馬上はヤクザとは違う」と言われ、ヤクザであるかないかが問題であるのではなく、毎日のように職場で暴力を振るわれてこちらは何度も何度も怪我させられてきているのであり、ヤクザでなかったらいいというものとは違うのですが、いわき中央警察署の警察官は「それは会社が対処するべきもので、警察が対処するものとは違うから、会社に言いな」と言うのでしたが、しかし、馬上がやってきたことは明らかに犯罪であり、「警察が対処するものとは違う」というのは違うはずですが、警察は言っても言っても対処してくれず、労働基準監督署に言うと「それは警察が対処するべきもので、労基署が扱うものとは違いますから」と言われ、法務局の人権相談に言うと「それは会社に言うか警察に言うものです」と言われ、「ですから、会社に言っても対処してくれないだけでなく、『男っちゅうもんは何かあった時にはおのれの腕でやりあって勝負つけるもんなんじゃあ。それが大澄社長が言うところの””梁山泊の精神””ちゅうもんなんじゃあ』と言われ『次、警察に言ったら会社辞めてもらうからなあ』と会社から私の方が脅されているのです。そして、馬上からは『そうじゃ。一条工務店はそういう会社なんじゃあ。警察に言いやがって、こらあ。俺のようなヤクザもんを警察に言うとどうなるかわかってんのかあ。指つめろお』と言われて脅されているんです」と訴えても、人権擁護委員なのか法務局職員なのか、おそらく法務局職員だったのではないかと思われるのですが、「そんなもの、知ったことじゃない!」などと言われ、警察も労基署も法務局の人権擁護担当部署も対処してくれず、毎日毎日、恐怖に怯えながら勤めていたのですが、そこでもまた、「『俺って、かっこいいよね』て言ってるだろ。そう思わないのかよお」と馬上が言うので、「はい、思います」と言わないと、またもや、つかみかかってきたり、鋼製の椅子で殴られたりしますし、「指つめろお」とか言われ脅されますから、しかたなしに「かっこいいですね」と言ったのだが、そうすると、「そうだよなあ。俺って、かっこいいよなあ♪」などと言うのでした。今、考えると「天野隆夫みたいや」と思います。
  (株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は「ぼくなんかは学校でてないから(最終学歴:中卒)、だから、きさくで、人間性が優れていて、人間味があって誰からも好かれるんだ。そう思うだろ」と私に言うのでしたが、「そうかな」と思って黙っていると、「おい、そう思わないのか。ぼくは学校でてないから、だから、きさくで、人間性が優れていて、人間味があって誰からも好かれるんだよ、そう思うだろと言ってるんだ。思わないのか。思うんだろ。思いますと言えよ。思いますと言え」と命令して、営業本部長という立場を利用して、無理矢理、「はい、思います」と言わせるのです。・・・似てますでしょ。今、思うと、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫はその部分において「馬上正一みたいや」「馬上と一緒や」「馬上とあんまり変わらん」「馬上とそっくりや」・・て感じです。 この二人はその部分について似た者同士だったようだ・・( 一一)

  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の福島県中通り地区の所長の片山という男は「社長の腰巾着」になるだけあって、つくづく腐った男です。1994年に、私が福島県いわき市在住で福島県会津若松市で建築されたO様宅の契約をいただいた後、「仕様打ち合わせ」を居住地の「コーディネーター」ではなく建築地が担当のコーディネーターが担当しておこなうことになり、建築地の会津若松市が担当の「コーディネーター」は郡山の展示場に在籍していて、居住地のいわき市まで行くのではなく施主に郡山市の展示場まで来てもらいたいと言うので、しかたなしに私が施主を郡山市の展示場まで連れて行きました。
  その「仕様打ち合わせ」の1週間ほど前、私はあらかじめ、郡山の展示場に行き、展示場の事務所に行って、それまで、郡山の営業の既契約客がいわき市の和風「百年」の展示場に来場した時に何度も何度も接客してあげてきた私が「私はいわき市のいわき東展示場の〇〇です。今度、◇日に、会津若松市で建てられるお客様の仕様打ち合わせをこちらの展示場でおこなわせていただくことになりましたので、よろしくお願いします」と挨拶をしたのですが、ところが、私が自分の所属と名前を名のって挨拶をしているのに、それまで私にずいぶんと世話になってきた郡山の営業は誰ひとりとして、名前すら名のらない。こいつら、いったい何なんだ!?! こいつら、これでも営業か?!? 中通り地区の所長の片山は自分が所長になっている地域の営業にどういう指導をしているんだ!?!・・ということになります・・・が、ここでまた出てくるのが企画室課長⇒総務部長の天野雅弘が言う「所長は売るのが仕事であって、指導したり管理したりするのは所長の仕事とは違いますから」という文句です・・が、それなら、所長ヅラすんな! てことです。「所長とは肩書だけであって所長の仕事をするのは所長の仕事と違う」と総務部長が明言しているのですから、そんな「所長」が所長ヅラすんな!!! てことです。
  そして、 「仕様打ち合わせ」の日、1日かけておこなったにもかかわらず、郡山の営業は、それまで、片山など郡山の営業がいわき市の展示場に送り込んできた既契約客の接客をはてしなく大量におこなってきてあげた、そして、国井・佐藤賢二といういわき市の展示場の他の営業が片山など郡山の営業が担当の既契約客の接客している時にお茶やコーヒーを入れて出すという作業を相当おこなってきた私と私の担当の契約客に対して、お茶の一杯入れて持って来なかった。こいつら、いったい何?!?  それまで、世話になりまくってきた相手に対して、その態度はいったい何?!?
  そこでこの話は終わりではないのです。 いわき市生まれで、もともとはいわき市の展示場で営業をやっていた佐藤賢一(男。当時、20代後半)は浜通り地区の所長の草野さんと仲が良くなかったようで、中通り地区の所長の片山に頼んで福島県福島市の展示場に転勤していったのですが、浜通り地区の所長としてはそういう転勤のしかたは面白くなかったようですが、もしも合わないのならば合わない人間が一緒にやっているよりも、比較的合う人と一緒にやった方がいいでしょうから、中通り地区の所長の片山との方が合うということならそちらに行った方が良かったのかもしれません・・・・が、佐藤賢一は何かと「所長、所長」と言って片山にすりよっている・・・ように見えたので、中通り地区の営業から「片山所長のイヌ」と見られたらしい。誰から聞いたかというと本人から聞いた。「俺、『片山所長のイヌ』と見られてるみたいなんだ。『俺、《片山所長のイヌ》じゃねえぞお』と言ってるんだ」と話していましたので、そう言うからには、本人は「イヌ」になったつもりはなかったのでしょう・・けれども、そう思われるということは本人が「イヌ」になったつもりはなかったとしても、「イヌ」と見られるような部分があったのでしょう。その佐藤賢一さんがいわき市の展示場に来た時に「中通りの展示場だと、お客様が来場したら遅くとも5分以内にはお茶を入れて持って行かないと片山所長が承知しない」などと大嘘を言っていたので、な~んで、わざわざ、そんな嘘をつくかなあ~あ・・と思ったものでした。
  「中通りの展示場では、お客様が来場したら、遅くとも5分以内にはお茶を入れて持って行かないと片山所長が承知しない」だと? はあ~あ???  はあ~あ???  どこからそんなわけのわからん話が出てきたのか。 いったい、どうすれば、そういう嘘八百を言えるのか。私はいわき市の展示場において片山など郡山など中通り地区の営業が担当の既契約客の接客を相当大量にやってきてあげた人間であり、又、私が在籍したいわき市の展示場で、他の営業が片山など郡山など中通り地区の営業が担当の既契約客を接客していた時に、何度も何度もお茶やコーヒーを入れて出してきた人間なのです。そうやって世話になってきた相手とその担当の契約客に対して、郡山の展示場の営業は、どいつもこいつもフランスも、ごく短時間いたというものではなく一日かけての「仕様打ち合わせ」を「コーディネーター」の希望によりいわき市の展示場でではなく郡山のそこの展示場でおこなったにもかかわらず、お茶の一杯入れて持って来なかったのです。何が「片山所長は、お客様が来場されたら遅くとも5分以内にはお茶を入れて持って行かないと承知しない」じゃ、何が!!  「本人はそのつもりはなかったとしても『片山所長のイヌ』と言われていた人」は事実と正反対のことを吹きまくるのはやめた方がいいだろう。福島県中通り地区の所長で「大澄(初代)社長の腰巾着」「大澄社長のお気に入り」と言われていた「譜代」の所長の片山は、事実と正反対のことを「本人はそのつもりはなかったとしても『片山所長のイヌ』と言われていた人」に他の所長が担当の営業所に行って言わせるというのはやめた方がいいだろう。まったくづくづく、「社長のお気に入り」「社長の腰巾着」の片山という男はつくづくあきれた男である。
  実際、「社長の腰巾着の片山」に自称「暴力団関係者」・自称「暴力団組長の息子」・自称「ヤクザもの」の馬上を片山らに背後から支持されて、こちらは迷惑しているんだ。馬上に暴力ふるわれて何度も怪我させられた私に対して、片山は「申し訳ありませんでした」の一言くらいは言うべきものであろう。自分が担当の契約客が他の所長が担当の地域の展示場に行って、他の所長が担当の地域の営業に接客してもらって、「◇◇様が来場されました」という伝言をもらっておきながら、接客してくれた営業に対して「ありがとう」「どうも、すいません」といった一言を一度として言ったことがないとともに、自分が自称「ヤクザ者」・自称「暴力団関係者」の後ろ盾になってひとに被害を加えたからには、「申し訳ありませんでした」の一言があっていいはずだが、一言としてそういう言葉がないというのは、片山という男は戸建住宅建築業の営業としてのマナーが欠落しているとともに、この片山という男は「親の教育が悪い」「相当育ちが悪い」のではないか。

  それだけではないのだ。さらに、1996年に契約いただいた いわき市勿来で建てていただいたS様が、契約後、図面打合せが終わり、「仕様打ち合わせ」をおこなう前という時期に、たまたま、郡山市に行かれることがあった際、クルマで走っていると住宅展示場があったので立ち寄ってみると、(株)一条工務店の展示場があり、見たところ、郡山市のその展示場の瓦がなかなか良さそうに思え、自分の家にもその瓦を使うようにしてはどうかと思い、それで、その展示場に入って郡山市のその展示場の営業に、「私はいわき市のいわき東展示場の〇〇さんという営業が担当で契約したいわき市の勿来で建てるSと言います。今、図面を決定して、近いうちに仕様打ち合わせを行う予定にしているのですが、ここの展示場の瓦がなかなかいいと思ったので、どういうものか教えていただきたい」と話したそうなのです。・・すると、郡山の営業はどう言ったか。どう言ったと思いますか?・・・
  郡山の営業は、それまで世話になりまくってきた私の担当の契約客が「この展示場で使っている屋根材は何という瓦ですか」と質問されたのに対して、「瓦です」と、そう言ったというのです。 瓦だというのは、おまえに言われなくてもわかってんだよお! 見れば、瓦だというのは誰でもわかるんだよお!!! その瓦の品番をきいてるのだろうが! 「瓦です」とは何だ、その口のきき方は!!! ・・・ということです。その契約客のS様は相当頭にきたと言われていたのですが、それでも我慢していただけたけれども、誰だったのかその郡山の営業の態度は、それまで郡山地区の営業が世話になりまくってきた相手が担当の契約客に対して、いったい何という態度なのか・・・と思いました・・・が、最初、その郡山の営業というのは、入社したばっかりで、その瓦の品番が何かわからず、何か調べることもできない人だったのか・・・と思ったのですが、今になって考えてみると、そうではなく、これはあくまでも可能性としてのことですが、その営業こそ、中通り地区の営業の片山だったのではないか?!? 自分が担当の仕事はひとにさせるが、世話かけた相手・世話になった相手が担当の契約客が自分の所に来るとそういう態度をとる・・というのは、そういう自分さえ良ければそれでいいという態度は「いかにも片山がやりそうなこと」です。いかにも「『社長の腰巾着』がやりそうなこと」です。 実際には自分たちが世話になりまくってきた他地域の営業が契約客を連れてきてもお茶の一杯出さないのが片山が所長になっている展示場の態度なのに「片山所長はお客様が来場したら、遅くとも5分以内にはお茶を持っていかないと承知しない」などと本人はそのつもりはなくても「片山所長のイヌ」と言われていた人に他の所長が担当の地域の営業所で言わせる・・という片山がやりそうなことです。 片山が「お客様が来場したら、遅くとも5分以内にお茶を入れてもっていかないと承知しない」というのは、それはあくまでも片山が営業担当として接客していた場合のことであって、私が営業担当のお客様には一日かけて仕様打ち合わせやっても茶の一杯出さないというのがそれが「片山所長の指導」だったのかもしれませんね。「指導したり管理したりするのは所長の仕事とは違います」と企画室課長⇒総務部長の天野雅弘が明言したのですが、なんで総務部長の天野雅弘が「指導したり管理したりするのは所長の仕事とは違いますから」と言っているのに、片山は「お客様が来場したら、遅くとも5分以内にお茶を入れてもっていかないと承知しない」と、あくまでも片山が営業担当として接客していた場合のこととして「指導」し、私が営業担当のお客様には一日かけて仕様打ち合わせやっても茶の一杯出さないという「指導」をしていたというのは、それはどういうことなのか? 「指導するのは所長の仕事とは違う」のだから、そんな勝手な「指導」をするのは越権行為と違うのか?
  アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学の「精神科」教授トマス=サズの『「精神医学」という神話』(岩崎学術研究社)で、トマス=サズは「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用していますが、(株)一条工務店の福島県中通り地区の所長の片山の「言うこと」というのは「お客様が来場したら、遅くとも5分以内にはお茶を入れて持って行かないと承知しない」というものだったのですが片山が「やっていること」はというと「さんざん世話になりまくってきた他地域の営業が、中通り地区の『コーディネーター』の都合で中通り地区の展示場で一日かけて仕様打ち合わせをやっても、お茶の一杯入れて出さない」というのが片山と中通り地区の営業の「やっていること」だったのです。かつ、そういうことをやっておいて、その上で「片山所長はお客様が来場すると、遅くとも5分以内にはお茶を入れて持って行かないと承知しない」と事実と正反対の大嘘を他地域の展示場で言いまくるというのが、それが片山が「やっていること」だったのです。

  ・・・今回、「ある日の営業会議」として、1990年代、(株)一条工務店 における福島県いわき市での営業会議について述べました。 ・・読んでくださった方が、もっといい会社に勤めておられたならば、「なんだ、この会社は」と思われるかもしれません。同程度の会社に勤めている人ならば、うちの会社でもこんなことあるわあ・・・と思われるかもしれません。
  ・・自称「暴力団関係者」の隣の席に座らされて仕事させられるのには本当に疲れました。又、自分がサラ金からカネ借りたわけでもないのに、朝から晩までひっきりなしにサラ金の督促の電話を取らされたのには精神的に本当にまいりました。会社経営者は、(株)一条工務店のようにそういった事態に対して何ら対処しないというのは、それは労働法の上では「保護義務違反」と評価されるはずです。 自称「暴力団関係者」が職場で暴れて怪我させられた、という点については、(株)一条工務店の経営者には使用者責任があるはずです。

  (2021.3.2.)

  次は、今回の姉妹版ともいえる「ある日のリーダー会議」について述べようと考えています。

☆ 会社と営業の話 シリーズ
 [第822回]新卒社員研修で「この会社におる奴はアホばっかしや」と言う外部講師と東京海上火災の営業を「皆さんとは違ってエリートの人」と言う社員教育担当者。 「最近の若い者は甘ったれとる」のか? 「親は子から何かをしてもらった時に気持に喜ぶ」のか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_6.html
 [第823回]電話はいくつ鳴ったら取るべきか。ベルいくつ、何秒かけて相手が出なければ、かけるのをやめるべきか。「自分にかかってきた電話でなくても会社にかかってきた電話は取るべき」ではないのか。配偶者でもない女からひっきりなしに職場にかかってくる電話について、使用者は注意するべきではないのか。居留守使うやつに協力する必要はあるのか。サラ金の督促の電話に他の従業員が出る筋合いはあるのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_7.html
 [第824回]ある日の営業会議ー「社長の腰巾着」に物言えない所長と「腰巾着」におべっか使おうとする男。世話になってきた営業の担当契約客にお茶の一杯入れて出さない郡山の営業。玄関まで行って他営業の契約客だと戻ってきて外出するいわきの営業。〔今回〕
 [第825回]会社の為に転勤する全国社員を犠牲にする会社、営業本部長の約束を平気で反故にする会社、「契約がすべて」と言いながら契約半分未満の人を「優秀者」とする会社、世話になってる人を世話している者の「応援者」にする会社、自社が作った制度を踏みにじる会社ーある日のリーダー会議【上】https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_2.html
 [第826回]ある日の「リーダー会議」【下】ー勝手に歩合給部分を減額する会社、筋を通して従業員の立場を説明する者と使用者にすり寄って自分だけ好かれようとするクズ、自分だけ使用者に喜ばれようとして失敗した経験を少しも活かさない成長しない男。話のすり替えをして使用者にすり寄ろうとするアンクル=トム https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_3.html 
 [第827回]極端に労を惜しむ営業、割が良くない作業は人に押しつける営業と他の営業がやりたがらないことを引き受ける営業。日報ださせてもその内容を見る視力がない所長  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_4.html
 [第828回]住宅建築業・他の営業と「バッティング」した時に盗られない方法。「あんたのやってた客はやりにくい」という誉め言葉。盗っても自分は契約できない先輩社員の有望見込客を盗ろうとする愚か者営業。ひとの見込客を横取りしようとする者がやりにくいのは横取りしようとする者が悪いと認識できないアホ営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_5.html  

この記事へのコメント

王島将春
2021年03月06日 20:56
はじめまして。福井市在住の王島将春(おうしままさはる)と言います。聖書預言を伝える活動をしています。

間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イラン・スーダン・リビアが、イスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前に、キリストに悔い改めて下さい。ヨハネの黙示録6章から19章を読めば分かりますが、携挙に取り残された後の7年間の患難時代は、苦痛と迫害の時代です。患難時代を経験しなくても良いように、携挙が起きる前に救われてください。

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