会社の為に転勤する全国社員を犠牲にする会社、営業本部長の約束を平気で反故にする会社、「契約がすべて」と言いながら契約半分未満の人を「優秀者」とする会社、世話になってる人を世話している者の「応援者」にする会社、自社が作った制度を踏みにじる会社ーある日のリーダー会議【上】
[第825回]営業と会社の話
前回、「ある日の営業会議」について述べました。今度は「ある日のリーダー会議」について述べます。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ という会社は奇妙なことをする会社で、営業の職種で「課長」「係長」「副長」「主任」という役職名をもらっている人がいながら、それらの人は、課長でも「△△課」の長ではなく、係長は「◇◇係」の長ではないのです。「副長」ていったい何なんだ? 「副長」というと多くの人間が思い浮かべるのは、「新選組 副長 土方歳三」だが、土方歳三てのは、あの「副長」てのはどういう役職だったのか・・どうもよくわからない。 (株)一条工務店では、「副長」というのは「主任」と一緒、20代なら名刺に「主任」と書かれておれば、「ああ、この人は主任なのか」といくらかなりともプラスの評価を受けるが30代の後半になって「主任」なんて名刺に入っていたら、「この人、この年齢になってまだ主任なのお」とかえってマイナスの評価になる可能性が考えられるので、それで、はっきりいくつからだったか忘れたが、おおむね、30代の半ばから上の年齢の人間は「主任」と言わずに「副長」と言うことにした・・ようだ。「副長」なんてそんな役職名をつけている会社はあんまりないだろうと思ったのだが、契約客の方に役職を尋ねたところ、「副長」という役職の方があったので、「副長」という役職名があるのは(株)一条工務店だけということではないようだ。しかし、「△△課」の長でもないのに課長、「◇◇係」の長でもないのに係長とはいったい何なんだ・・というと、相撲の大関とか関脇・小結とかみたいなもので、それまで、ある程度以上の契約棟数を獲得してきた人に与える称号で、その称号をもらえば、給料がいくらかあがるということと、「えらそうにする」ことができるようだ。だから、「しょーもないやつ」がえらそうにしていることがある。
それなら、各展示場の責任者というのはないのかというと、「所長」という人がいて、1992年に私が入社した時からしばらく、「所長」は同時に「課長」とかでもあり、「所長」は自分自身でも営業活動をおこなっていたが、自分自身が在籍している展示場の長であるだけでなく、ある地域の長だった。但し、その地域の長といっても、その地域の営業の長なのか、それとも、設計・工事なども含めた長なのかは不明確で、1994年9月に福島県いわき市草木台 のK様邸で屋根屋が屋根から墜落して頭部を打撲して死亡した時も、福島県浜通り地区の所長だったKさんは「俺は営業だから知らない」と言ったというのを「逃げた」と言う人がいたようだが、Kさんとしては、もともと、(株)一条工務店から工事についても管理しろとは言われていないし、各展示場に工事課の人間がいても、工事課の人間は浜松の「本社」の工事部の人間の指示で動いていて、営業からなった所長の指示で動いていたわけではないので、工事課の担当者の上役は誰なのかというと、各地域にいる「所長」ではなく浜松の「本社」にいる工事部の人間のはずだから、Kさんが言ったらしいことは間違いというわけでもない。「所長」は課長・係長・副長・主任のどの役職の人間なのかというと、「課長」の役職を賦与されていた人がなっていた場合が多かったが、福島県浜通り地区の所長だったK野さんは、課長でも係長でも副長でも主任でも何でもない「所長」だった。なんか変なの・・と思うが、(株)一条工務店はそういう会社だった。
もうひとつ、1990年代半ば過ぎくらいに「副店長」というのを創設した。これは、通算契約棟数が一定以上に達し、在籍年数も一定以上に達した人で、会社都合での転勤に応じた人を「副店長」とするというもので、「副店長」は「副長」「主任」より上ということだった。当然だと思う。大企業においては、「全国社員」と「地域限定社員」と分けて採用している会社がある。「総合職」と「一般職」を分けている会社もある。「全国社員」「総合職」は日本全国、及び海外でも転勤してもらいたいと言われれば拒否できないのに対して、「地域限定社員」は転勤はないか、もしくは転勤があっても一定の地域内、「一般職」は転勤はない、という場合が多い。(株)一条工務店は私が応募した際に見た1991年後半の「ビーイング」の求人広告には「転勤はありません」と明記していたが、私の場合は、慶應大学商学部卒の卒業証書を取得した時から、「全国社員」「総合職」として採用されるか不採用にされるかどちらかであって、「地域限定社員」「一般職」としての採用は希望してもないものと思っていたし、戸建住宅建築業の会社に応募する場合も、一時的に一線の営業の仕事をやってもいいけれども、いつまでも一線の営業をやるつもりはなかったし、又、そんな人の使い方をする会社なんてないだろうと思っていたので、入社する際に見た求人募集にどう書かれていても、実質「全国社員」「総合職」で入社したつもりでいた。だから、入社2年目に福島県いわき市の営業所に転勤してくれと言われた時も、入社から少々早いのではないかとは思ったし、又、(株)一条工務店が1993年1月に東京都江東区亀戸にオープンさせた(新)東京展示場に勤務することになると「リーダー」の宮崎さんから言われたので、それで、亀戸に通える所ということで船橋市に住居を購入した直後であり、営業本部長もそれは知っていたはずであり、従業員が会社の業務に合わせた場所に住居を購入したなら、その直後に転勤させるというそのやり口については、それは不適切であろうとは思ったが、転勤そのものは拒むつもりはなく、いわき市に転勤した。しかし、そうやって会社の為を思って転勤して負担を払う人間と、転勤せずに自分が気に入る場所にずうう~っといる人間とで評価が同じというのでは、それでは会社の為に負担を払って転勤する人間は馬鹿らしい。 私が営業担当として接した方でも、たしか、三菱樹脂だったと思ったのだが、「全国社員」と「地域限定社員」に分かれていて、これは入社する際にどちらかを選択するもので、能力が優れているか劣っているかの問題ではなく、「全国社員」となった場合は転勤は拒否できない、「地域限定社員」の場合は転勤はないわけではないが一定地域内に限られ、そのかわり、「全国社員」は「地域限定社員」よりも昇進が速く、それに見合って給料も高くなる・・と聞いた。やっぱり、会社の為に尽くした者には会社はそれに報いるべきであり、片方で会社のために転勤してくれる人も必要であるが、福島県あたりだと「田んぼ」がある兼業農家は少なくないし、一定地域内から動きたくない・動けない事情がある人もいるわけで、それでそうしていたのでしょう。

人事・労務管理の知識 (日経文庫) - 森 五郎

労務管理入門 (有斐閣新書―経営学基本シリーズ) - 康司, 奥林, 修二, 石井, 博, 岩出, 一雄, 菊野, 武久, 平尾
ところが、(株)一条工務店では、同じ所にずうう~っといて動かない「浜松の中のカエル」がえらそうにしていたわけで、その人たちは「空の広さは浜松の広さと同じだ」と日夜、叫んでいたのだが、会社にとってはそれではいけないのであり、それで、営業として一定以上の通算契約棟数と一定以上の在籍年数の人間が本人希望ではなく会社都合での転勤をした場合には「副店長」として、役職手当を支給してその分だけそうでない人より給与を多く支払い、「副長」「主任」より上の扱いとする・・ということにしたのだ。「課長」「係長」「副長」「主任」と同じく、「副店長」というのも、大関・関脇みたいなもので、大関に昇進したとしても土俵の上でやることは平幕と一緒で「副店長」でもヒラとやることは一緒であって、職能級位みたいなもので、特に権限があるわけでもなかったが。しかし、いったん、会社のためなら転勤にも応じますとして、「全国社員」の対応をした者に「副店長」とするという制度を作っても、そのうち、それも無効化してしまうのが(株)一条工務店だった。
私は会社都合で、1998年9月から栃木県佐野市の展示場に転勤したが、当然、「副店長」昇進のはずだった。又、転勤すれば、それまで追客していた見込客を失い、契約客からの紹介客ももらえなくなり、場所を変わることでそれまでとは事情が違うという場面に出くわすこともあるので、転勤時に「2棟契約」の扱いにされることになっていた。そして、締め日に移動するのが普通であったのだが、私の場合は、締め日までにこの見込客とこの見込客に契約いただけるか・・と思って営業活動をおこなっていたにもかかわらず、締め日より前に移ってくれと営業本部長の天野隆夫から頼まれて、締め日までに契約にもっていきたいと考えていた有望見込客を失った。 かつ、本来ならば「副店長」昇進で転勤時に「2棟契約」なのにそれをつけてもらえず、営業本部長の天野隆夫は「副店長昇進というのは、前はやっていたけれども、今はやらなくなったんだ」と言って、私には「副店長」昇進にしなかったのだ。しかし、会社の規定には依然として記載されていた。私が栃木県佐野市の展示場に転勤してからそれほど経たない時期に、埼玉県の営業所でけっこう契約をあげていた坂本さん(男。当時、40代後半?)が転勤なんてしていないのに「特進転勤」だとして「副店長」昇進した。私は栃木県地域の所長であった五十嵐さんに、おかしいではないかと言ったのだ。私は会社のためを思って「特進転勤」の条件を満たす転勤をして、その分、負担を払っているのに「副店長」にならさずに、「特進転勤」に該当する転勤をしていない坂本さんが「副店長」昇進というのは規定に反するではないか、と。そうすると、栃木県地域の所長だった五十嵐さんはどう言ったかというと、謝るのかと思ったらそうではなく居直って、「何、言ってんだ。坂本さんは入社してすぐの時に、研修のために遠くの展示場まで通ったんだ」とそう言ったのだが、入社してすぐの時に遠くの展示場まで研修に通ったというのなら、私は入社してすぐの時に遠くの展示場に勤務したし、1993年1月にオープンする江東区亀戸の展示場とそれまでからある江東区潮見の展示場のどちらの配属になるかと「リーダー」の宮崎さんに尋ねたら、「間違いなく絶対に亀戸」と言われたので亀戸には通えるであろうけれども潮見に通勤するのは無理だと思われる場所に住居を購入したら亀戸ではなく潮見の配属にされて、通勤は無理だと思われる場所に長く通わされたのではないか。坂本さんよりも私の方がよっぽど「入社してすぐの頃に」負担を払っているはずだ。 何よりも、 「副店長」昇進のための「特進転勤」の条件としての会社都合での転勤は坂本さんが遠くの展示場まで通ったという「入社してすぐの頃」のことではだめで、一定以上の通算契約棟数と一定年以上の在籍年数を経た後のことでないといけないという規定だったはずである。 「入社してすぐの頃」でも「遠くの展示場まで通った」というのは転勤ではないし、転勤していても「入社してすぐの頃」では「副店長」昇進のための「特進転勤」の条件は満たさないのである。何を寝言を言うとるか、何をお!!! こういうことをやっていたのでは、せっかく、「会社のためなら」と思って負担を払って転勤した者に対して、いわば、「やらずぶったくり」の態度を取っていることになる。おかしいではないかと指摘されて居直るとは何だ! ふざけんな!!!・・ということだが、そういう ”””「ふざけんな!!!」ということをやるのが大大大好きシンドローム””” というのが(株)一条工務店の経営者だった。
その職能級位みたいな課長・係長・副長・主任と副店長とは別に、「リーダー」というのがいたのだ。「リーダー」というのは、これは辞令が出るわけでもなく、「俺、リーダーなの? リーダーになってくれとか言われたことないんだけど」とか言っていた人もいたように、辞令が出るわけでもない。又、日常用語としてのリーダーとしての適性がありそうな人もおればそうでない人もいた。「リーダー」て何なんだというと、「グラフで、その展示場に常駐していない所長を別として、一番上に名前が載っている人」だそうだ。グラフに名前が掲載される順番というのはどのように決まっていたかというと、課長・係長・副長・主任・・という「役職」をもらっている人間はそうでない者よりも上、副長と主任は、30代の半ばくらいから上の場合に「副長」と言って20代なら「主任」と言ったという違いだが「副長」と「主任」なら「副長」の方が上で、「副店長」は「係長」より下で「副長」「主任」よりも上、同じ「役職」の場合は年齢が上の者の方が上で、課長・係長・副長・主任・副店長といった「役職」がない者の場合は年齢ではなく入社の順番・・ということで記載されていた。
しかし、私が入社した時に配属された江東区潮見の展示場で「主任」で「リーダー」だった宮崎さんは、なぜか営業本部長の天野隆夫に「嫌われた」そうで、茨城県の展示場に転勤させられた上で、ヒラに降格されたが、営業成績が上がらなければ相撲の大関が陥落して関脇以下になることがあるのと同様に「主任」からヒラになることはあるとしても、宮崎さんはその時の(株)一条工務店の従業員の中では間違いなく在籍年数は古い方で、通算契約棟数もある程度以上のものがあり、年齢も30代半ばでそれより若い人はいたはずで、(株)一条工務店が大好きな「いっきゅうけんちくしい(一級建築士)」でもあり、私が東京展示場にいて宮崎さんからいろいろと教えてもらっていた頃、埼玉県川口市だったか「東京都に近い埼玉県」に住んでいた人が茨城県に転勤になっていたが、相撲の小錦・霧島が大関から陥落しても平幕下位との比較ならまだまだ強かったのと同じくヒラに陥落したとしても社歴が浅い人との比較ならまだまだ実力はあったのではないかと思うし、転勤はあることとはいえ、ヒラの中ではそう下の方ではないはずだったが、グラフを見るとその展示場の営業の中で一番下に名前が記載されていたので、何で???・・・と思ったことがあったが、(株)一条工務店の経営者というのはそういうことをするようだった。
茨城県の展示場で宮崎さんと同じ展示場にいた人に聞いた話では、営業本部長の天野隆夫から「おい、宮崎くんのことを『さんづけ』で呼んだりしてないだろうなあ。呼び捨てで呼べよ」などと「命令」されたというのだ。 「『<さんづけ>で呼んだりしてないだろうなあ。呼び捨てで呼べよ』なんて言われても、自分より前からいる人で自分より歳も上の人を『呼び捨てで呼べ』なんて、そんなこと言われても困りますよ」と言っていたが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫はそういうことを言う人間らしい。しかし、いくらなんでも、そんなことするかなあ~あ・・と思うのだが、営業本部長の天野隆夫という男はそういう人間で、人によってはそれを「大人げない」と言う人もいた。実際、「大人げない」と思う。
私は、基本的には誰にでも「さんづけ」で呼んでいたが、但し、(株)一条工務店では年齢や前職の経歴は無視して、入社の順番で他社での経験がある人間でも年齢が上の人間にでも「くんづけ」で呼ぶ会社で、私も時分より年下の人間で前職の同業の会社に入社した時期より後で(株)一条工務店に入社した人間から「くんづけ」で呼ばれてきたが、私の方は、そんなことにこだわることないと思って、誰でも「くんづけ」で私に呼びたいのならその人はそういう人か・・と思って放っておき、私の方は基本的には誰にでも「さんづけ」で呼んできたのだった。
しかし、唯一、栃木県佐野市の展示場にいた私の半分以下の在籍年数で契約もそれに見合ったものであった上岡くんだけは、営業所長の五十嵐さんが「上岡くんには、さんづけで呼べ。上岡くんの方が入社は後でも年上のはずだ。さんづけで呼べ」などと言ってきたので、その人だけは「くん」づけにしないといけないと判断した。慶應大学の商学部の「社会保障論」「労働問題」だかの講義で教授が「日本の会社では転職すると、前職の経歴については一般に8割見てもらえばいい方か」と話されたことがあったが、中途入社の場合に、それまでの「職歴」をどう評価するかという問題があり、私などは「大学生」の時にずいぶんと色々な仕事をしたものだが、その間、「大学生」という立場が片方にあるとそれは「職歴」に評価してもらえないようだ。実際には「職業経験」としてそこで学んだものというのはあるわけだが、それでも、「職歴」とは考えてもらえないようだ。だから、私がアルバイトばっかりさせられていた時に、アルバイトなんかちっともしないで私などから見ればかなり贅沢な暮らしをしていた大学生が私がアルバイトをしていた時間に勉強をして比較的いい成績を取ったり、英検1級とったりすれば大学新卒の時にそれは評価されるが、アルバイト漬けにされた私はそれは評価してもらえないことになった。慶應は行きたくない大学で、卒業もしたくなかったのだが、4年までなってしまってしかたなしに新聞社が開催する企業説明会に行ってみたところ、そこに出展していた会社の人から電話をもらって採用すると言ってもらったのだが、あの大学を卒業したくなかったので試験を受けなかったところ留年したのだが、残っている単位が少ないなら卒業しなくても来てもらっていいと言ってもらい、どこか勤めないといけないならそこに行くかと思って行きかけたが、そこの会社の人事総務部長から「いくつも単位が残っているのならともかく、あと少しなら、慶應大学を卒業しているというのと中退とでは人の見方が違いますよ」と言われ、「行きたくない大学だったかもしれないけれども、ともかく、卒業しておいた方がいいですよ」と言われ、週に2コマだけだったので勤めながら2コマだけ行かせてもらって卒業した。そこでは人事総務部にいて採用に関する仕事をしていた。そこで学んだものはあると思うが、その時も「大学生」の立場があったので履歴書に記載することはなく、「職業経験」として学んだものはあっても「職歴」とは評価してもらえない。バブル経済と言われる時代でこんな大学、大学と言えるのかみたいな大学生がえらそうにしているんを見ると、もうちょっといい所で採用してもらえるのではないかとも思って応募しなおして採用してもらったのが戸建住宅建築業の小堀住研(株)だったが、ここからは履歴書に記載することになる。同社で学んだものはあるが、そう長く勤めたわけではないので、それほどの「職歴」ではない。しかし、そうはいっても「中途入社」として(株)一条工務店に入ったからにはいくらかは評価されていいのではないかとは思ったが、小堀住研(株)の場合は私は新卒入社で入ったが中途入社で入った人は住宅建築業と関係のない会社に勤めていた人でも職能級位として前職の経歴をいくらか評価していたようだが、(株)一条工務店ではそれまでの職歴は無視してすべて同じ扱いとし、「入社の順番」にしていた。会社がそういう扱いにするのならそれならそれでいいわと思って勤めてきたが、営業の職種の場合は、契約をあげれば相撲の番付みたいな「役職」が上がり、又、「全国社員」を「地域限定社員」より高く評価するのと同じくある程度以上の在籍年数とある程度以上の通算契約棟数の者が会社都合での転勤をすると「副店長」になるという扱いをして、又、グラフでの名前の表記においてはヒラは入社の順番だが主任以上は年齢の順番ということにしていた。片方で、この会社は私を中卒や高卒のおっさんと同じ扱いにするのかとも思ったが、ともかく、一線の営業の仕事で実績を残せば文句ないのなら実績を残せばいいと考えて実績を残した。そして、「副店長」昇進の条件を満たして「会社都合の転勤」をして栃木県佐野市の展示場に移った。それで、自分の半分も在籍していない実力のない人を「さんづけで呼べ」などと言われる筋合いはない。そう言われなかったなら、私は入社以来、「あんまり賢くないのにプライドばっかり高いおじさん」とかもいるし、そういうことでもめてもしかたがないので、誰にでも「さん」づけで呼んできたのだが、会社の規定により「地域限定社員」よりも負担をかぶりその分を会社に貢献する「全国社員」を評価するための制度である「特進転勤」の基準を満たした上で「副店長昇進の条件を満たして会社都合での転勤」をした者に対して、「所長」から半分未満の在籍年数の男を「さんづけで呼べ」などと言われたのでは、それは認めてはならないことになる。「頭の悪いおじさん」を自分より後から入った人でもそれまで誰にでも「さんづけ」で呼んできたのとはまったく事情が違う。五十嵐は自分が「リーダー」になる人間を育てることができずに自分の方が頼んで私に4自分が所長になっている営業所に来てもらっておきながら、勤務態度が悪い格下の従業員を「さんづけで呼べ」と私が赴任するなり口にしたのだが、この五十嵐の文句は私は決して忘れはしないし、そのまますませていいとは思っていない。
今まで入社以来、(株)一条工務店は年齢も前職の経験も無視して、(株)一条工務店への入社の順番で、(株)一条工務店での在籍年数が古い者は新しい者に「くんづけ」で呼んできたのであり、私は自分より年下の人間で同業他社に入社した時期より後で(株)一条工務店に入社した者から「くんづけ」で呼ばれてきてそれを我慢してきたのではないか。それを、私は営業本部長から頼まれて「特進転勤」の条件で「副店長」昇進の転勤をして赴任した者だ。私の半分未満しか在籍していない前年契約棟数ゼロ棟の勤務態度の悪い男を「さんづけで呼べ」とはそれは何だ。 それならば、五十嵐さんにこそ、私に「さんづけで呼べ」と言ってやった方が良さそうだし、五十嵐さんにも呼び捨てで呼んでやった方がよさそうだ。だいたい、(株)一条工務店の「所長」というのは、どいうつもこいつも、何でこの人間が所長なんだという人間が多すぎるのだ。
おい、五十嵐さんよ、おまえこそ、ヒラに降格になった方が適切ではないのか?!?・・・そう思った。五十嵐さんからそういう口をきかれた以上は、上岡くんだけは絶対に「さんづけ」で呼んではいけないと認識した。 但し、上岡くんは気にいらないことがあると暴れるし、実際、上岡くんに暴れられて私は何度も怪我させられたし、(株)一条工務店は「保護義務違反」の会社であり、会社に言っても何もしてくれないし、(株)一条工務店は「男ちゅうもんは何かあった時にはおのれの腕でやりあって勝負つけるもんなんじゃあ。それが大澄(初代)社長の考えるところの『梁山泊の精神』ちゅうもんなんじゃあ」と言う会社で、上岡くんは《「自分の名前を書くことができると合格」と言われた私立高校のスポーツ入学》でこちらは文治派ですから、そんなスポーツ入学の武断派に暴れられて怪我させられたのではかなわん・・と思って本人には「さんづけ」で呼んできたが、栃木県地域の所長だった五十嵐さんは上岡くんのことを「爆発力がある」などと言っていたのだが、たしかに気にいらないことがあると突然暴れるという「爆発力がある」男だったのだが、営業所長の五十嵐さんは、それまで、年齢も前職での経歴も無視して、(株)一条工務店に入社の順番で、年齢が若い人間で他社での経歴がない人間でも私に「くんづけ」で呼ばせてきた会社において、「副店長」での赴任したはずの私に私の半分も在籍していない通算契約棟数もそれに見合ったもので前年契約棟数ゼロ棟の勤務態度の悪い人間を「さんづけで呼べ」とはよくもまあ言ったものだ。五十嵐の方こそ、ヒラ以下に降格になった方が似合っているのではないか。そう思ったので、五十嵐と話す時には、上岡くんについては絶対に「さんづけ」では呼んではならないと考えて、五十嵐さんと話す時には上岡君についてだけは必ず「くんづけ」で呼ぶようにした。
森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、学識者とそうでない者とを比較してみると、一線の仕事なら学識のない者でもできても、管理する仕事になると、学識者とそうでない者との違いがでてくるということが指摘されているが、実際、(株)一条工務店の中卒・高卒の「所長」「副所長」を見ると「だめだなあ~あ」という人が大変多い。 宮崎さんは何があったのか誰にきいても明確に答えてくれる人がいなかったのだが、どうも、営業本部長の天野隆夫から「嫌われた」ということらしかったが、人間、誰しも好かれることもあれば嫌われることもあるだろうが、会社の運営においては、たとえ、気にいらない人間であっても、「さんづけで呼んでないだろうなあ。呼び捨てで呼べよ」なんて、そんなことする人なんて、あんまりないと思うがなあ~あ・・・と思ったのだが、そのあたりが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫はやっぱり「中卒のおっさん」だったのかもしれない。
「リーダー」というのは、「天野(営業本)部長に嫌われた」とかだと会社が決めた「グラフに名前を記載する順番の決まり」を踏みにじって最下位に記載され、「グラフに名前を記載する順番の決まり」に従えば一番上に記載されていい人でも一番下に記載されることがあるらしかったが、「天野(営業本)部長に嫌われた」のでなければ、「課長」・「係長」・「副長」・「主任」という「役職」をもらっておればその順番、「副長」と「主任」は「副長」の方が上、「副店長」は「係長」より下で「副長」「主任」より上、課長・係長・副長・主任・副店長の「役職」をもらった者で同じ「役職」の者では年齢の順番、ヒラの場合は年齢ではなく入社の順番・・ということで、その決まりに従って一番上に名前が載っている者が「リーダー」ということになっていた。そして、その「リーダー」は、栃木県の場合は、だいたい1ヵ月に1回くらい、一か所に集まって「リーダー」会議をおこなっていた。・・その「リーダー」会議における話を述べようと思う。
ある時から気づいたのだ。どうも、(株)一条工務店の経営者は私を「リーダー」にならせたくないらしい・・と。それまでの在籍年数や契約棟数などを参考にして自動的に展示場をわりふって、会社が決めた「グラフに名前を記載する順番」に従って「リーダー」が選ばれる・・という決め方ではなく、私が在籍する展示場だけは、意図的に私が「リーダー」にならないように、「役職」をもらっている人を意図的に配属したり、私より入社が古い人を意図的に配属したりしているとしか思えない・・ということに気づいたのだ。なんで、そんなことされなきゃならないの?
結局、11年余りもあの程度の低い会社にいて、「永年勤続表彰」と記載された腕時計をもらったが、よく頑張った・・と自分で自分をほめてあげたい気持ちと、あんな会社のために尽くすなんて「アホちゃうか」・・という面と両方の面がある。 入社10年目、栃木県地域の営業が集まる「会議と研修」があって、その時、座席が入社の順番で決められていたのだが、60人ほどいた営業社員の中で、私は、栃木県南部の「副所長」の木下さん、北部の「副所長」の金原さんを別にすると、古い方から5番目で、私より古い4人のうち3人が私と同じ佐野展示場にいたのだ。そうやって、意図的に在籍年数の古い人間を私と同じ展示場に配属することで、「会社が決めたグラフに名前が記載される順番」で私の名前がグラフの一番上に載らないようにしていたらしい。なんで、そんなことされなきゃならないのか。それまで、入社以来、毎日毎日、毎年毎年、会社の為に滅私奉公を続けてきて、会社のために尽力してきたのに、なんでそんなことれなきゃならないのか・・と思う。 もっとも、2001年、総務部長の天野雅弘が言うには「何が気にいらんか、おまえはそんなこともわからんのか。おまえが慶應大学を出ているというのが、それが何より気に入らんのじゃあ。俺らはみんな高卒なんじゃあ。俺らはおまえとは違ってどんなに努力しても慶應大学なんか通らんのじゃあ。この野郎! それが何よりも気にいらんのじゃあ! 俺は正直だからこういうことを口に出して言うが、口に出して言わない人間だってみんなそう思ってるんだからなあ。俺らはどんなにしても慶應大学なんか絶対に通らんのじゃあ。おまえはインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)も何の努力もしなくても通るけれども、俺らはひとつも通らんのじゃあ。それが気に食わんのじゃあ」と言われたのだが・・・、そういうのって、「正直でよろしい」とほめてあげるものだろうか( 一一) ・・・。
総務部長の天野雅弘が言うところの「・・おまえはインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)も何の努力もしないでも通るけれども、俺らはひとつも通らんのじゃあ。それが気に食わんのじゃあ」という発言ですが、こういうことを言う人というのは大変ずるいと私は思うのです。柴田孝之『司法試験機械的合格法』(2004.最新3版)で、柴田は
《 しかし、成績が上がらないのには、きちんと原因があります。
その一つは、単に勉強をしていないだけの場合です。本人は「勉強した」と言っていても、話を聞いてみると、” そんなのやったうちに入らないよ” ということが多々ありました。
私は無理を押しつけたくはないのですが、成績を上げたければ、やはりやらなければならない絶対量というものがあります。頭に入れていないものは出てくるわけありません。その絶対量すらクリアーしていないで成績を上げようというのは、虫がよ過ぎます。
ちなみに絶対量とは、その人がこれまでにやってきた勉強量の1.3倍ぐらいでしょう。それができない人は、努力する才能が欠けているのです。
しかし私は、努力する才能は後天的に身につくものだと思います。・・・》
と述べている。

<法科大学院&新司法試験対応>司法試験機械的合格法 - 柴田 孝之
会社という所にはいろいろな人がいるから、そういう人がいてもおかしくはないが、総務部長がそういう思考をしてはいかんのではないか・・と思うが、その程度の人だったのかもしれない。(株)一条工務店では、営業本部長の天野隆夫と総務部長の天野雅弘と「天野」が2人いて(厳密には天野隆夫の嫁で私が入社した頃は「総務の責任者」だった天野順子と3人いて)、ダブル天野はいずれも「一族」らしかったが、天野雅弘は禿ていたので「髪の薄い天野」と言われ、「アタマの薄い天野」と「髪の薄い天野」と呼び分けられていたが、どっちもどっちみたいな感じがする。
それで、1998年9月に栃木県佐野市の展示場に「特進転勤」で「副店長」昇進の条件で転勤した時だが、営業本部長の天野隆夫からは「副店長昇進というのは、前はやったけれども、最近はやらないんだ」と言われて、「ええ?」と思ったが、それでも、「リーダー」として展示場のアタマで赴任する話だったはずだった。ところが、実際に佐野展示場に赴任すると、茨城県の展示場にいた武田さん(男。当時、30代)が一緒に佐野展示場に赴任して「リーダー」になった。武田さんは私より年齢は下だったが私よりも(株)一条工務店への入社は先で通算契約棟数も私より少し多かったと思う。だから、「グラフに名前を記載する順番の決まり」に従えば武田さんが一番上になり「リーダー」になるというのはわかる。しかし、私が「居住地変更をともなう転勤」を承諾したのは、それは「その展示場のアタマとして赴任する」ということ、「リーダー」として赴任するということで承諾したはずであって、在籍年数・通算契約棟数・過去3年間の契約棟数や住宅・建築関連の保有資格などから考えれば、私は「リーダー」にならせてもらっていいはずだったのだが、いわき市の展示場にいたのでは、すでに「リーダー」になっている人がいるのでなれないので、それで、他の地域の展示場に転勤するということを承諾したのであって、「リーダー」でない立場での転勤に承諾した覚えはないはずだった。
それだけではない。(株)一条工務店は、1992年に私が入社した時には求人広告には「研修制度が充実していますから、売れなくて困るということは絶対にありません」と明記していたはずだったが、入社してみると「研修制度が充実」なんてしてなかったし、私が入社した東京都江東区潮見の東京展示場では、「リーダー」の宮崎さんが「主任」である程度は経験があったようだが、他は新卒入社3年目の人が1人、新卒入社2年目の人が1人いただけで、他は入社1年目の人間ばっかりで、最大で13人も有望な見込客が少ない展示場に押し込められた。入社してすぐの頃は、誰か指導してくれる人が欲しかった。「リーダー」の宮崎さんはきくと嫌がらずに教えてくれる人だったが、なにしろ、新人ばっかり大量にくっつけられていたし、本人が「ぼくの経験なんてたいしたもんじゃない」と言っていたが、そんなに無茶苦茶ものすごい実績があるわけでもない人に新人ばっかり大量にくっつけるということをして、片方で静岡県中西部・愛知県では課長・係長とかいった「役職」をつけてもらっている人間が、その展示場で2番目・3番目・4番目でいて、そういう人たちというのは「リーダー」として新人の世話なんて何一つしないで、何で課長だの係長だのといった役職を名のることが許されるのか、課長だの係長だのの仕事をしていないのになんで課長だの係長だのの役職手当を搾取しているのか・・と思ったものでした。
(株)一条工務店では会社としての指導としてはろくなものがなかったが、福島県いわき市の展示場に転勤してからは、個人的に教えてくれる人もあったが、しかし、個人的に教えてもらえるというのはありがたいが、会社であるからにはある程度以上「会社としての指導」として的確なものがあっても良さそうなものだが、そういうものはなかった。そのうち、ふと気づくと営業社員の中で真ん中より古い方になり、通算契約棟数で見ても前年契約棟数で見ても過去3年間の契約棟数で見ても、真ん中より上になり、どう考えても、教えてもらう側か教える側かというと「教える側」の方になった。又、意識の上での問題もあり、戸建住宅建築業の会社では、社歴が新しい営業には経験のある営業が同行して契約に結びつけるということをやっている会社があり、又、「設計」が営業に同行する会社もあったが、いわき市の営業で私よりも入社が古い人で「住友林業は最初から設計がついていくらしいけど、どうしたもんだろうねえ」「◇◇は所長が同行するそうじゃないの。どうしよう」などと言う人がいたので、「あんた、何言ってんの。あんた、『同行してもらう側』じゃないでしょ。あんた、『同行してあげる側』の人でしょ。何を言ってんの」と思い、又、「『設計が同行する』なんて言われて『びびる』人がいるらしいが、 『設計』ったって要するに『バカでも入れる私大の建築学科』出たばっかりのヤンキーみたいなにーちゃんだろうが。一条工務店なんて、インテリアコーディネーターで二級建築施工管理技士で宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の私が顔出すんじゃないの。私の方が『バカでも入れる私大の建築学科』出たばっかりのヤンキーより絶対に上だっての。何をアホなこと言ってんの」と思ったものだったが、現実に社歴がある程度以上古い人でも、意識の上で「助けてもらう側」みたいな気持ちでいる人がいた。それに対して、私はそうではなかった。だから、私は「応援される側」か「応援する側」かというと「応援する側」になったと自覚した。 ・・ところが、(株)一条工務店は、””どう考えても「応援される側」の人を「応援者」に指定して、「応援する側」の人間を「被応援者」に指定したがる症候群”” みたいなところがあった。
1990年代前半の途中、(株)一条工務店では全営業社員を「応援者」「被応援者」「どちらでもない営業社員」の3つに分けて、「応援者」は「被応援者」を応援するということにした。最初、私は「どちらでもない」に分類された。
たしかに、入社して間がない人はある程度以上の経験と実力がある人に指導してもらった方がいいだろうし、又、契約が獲得できればいいというものでもなく、契約時に契約書の内容をきっちりと説明した上で契約してもらっているかどうかという問題がある。私が福島県いわき市に在籍した時、新卒入社1年目のSくん(男)が契約してもらった唯一の契約客をS君が1年いたかいないかくらいで退職した後、ベテランの「木南さん」(仮名)が引き継いだ後、「木南さん」(仮名)が新潟県の展示場に転勤した後で私が引き継いだのだが、引き継ぐと同時に「住友林業で契約して建てたいので解約したい」と言われたのだ。正直な人で人間的にも問題のない方で、仕事も堅い仕事についている人で土地もきっちりとした土地があり年収も十分家を建てられる年収がある人だったが、「木南さん」(仮名)は経験が長い人なのでお客様の方から何やってくれこれはどうかと言ってくる人には対応する人だが、ところが、計画が何年か先だという人だと「あの人、言ってもどうせ先だから」と放置する人で、そうなるとお客様としては、「うちはまだ先だからと言っているのに、それなのに契約だけしてくれと熱心に言うものだから契約だけしたのに、いったん契約したが最後、ほっぽらかしにする」という気持になられたようだ。それで、そんなことする会社で建てることないと思われたらしい。私が引き継いだ時にはなんとか挽回しようとしてももうどうしようもない状態だった。それで、解約したいと言われたのだが、同業他社で契約する場合には契約金として振り込まれた100万円は返金できませんという文言が契約書の裏面の契約約款に細かい字で書かれていたのだが、そんなもの知らなかった、「解約はいつでもできますから」と言われて契約した・・そうだった。
浜通り地区の所長のK野さんは「そんなもの、誰でも、聞いてなかったと言うだろ」と言うのだが、たしかにそうだろうけれども、しかし、私だって住宅建築業の営業の仕事を始めたばっかりではなく、その人が本当に聞いてなかったのか、実際は聞いていたのに聞いてなかったと言っているのかは、百パーセントではないとしてもある程度はわかる。おそらく、その方は「同業他社で類似の契約をするために解約するという場合には契約金の100万円は返金しません」という文言についての説明は契約時に聞かず、「解約はいつでもできますから」と言われて契約されたのだろう。そんな契約のしかたであっても、その方の好みからすれば(株)一条工務店の建物は向いているので、そのまま、普通に対処しておれば・・この場合、どういうものが「普通に」かというと、私が営業担当ならば、まだ実際に建てるのが先だという方に契約だけ先にしてもらったという場合には、特別に用事がなくても定期的に手紙を出したり電話をしたり、近くまで行った時に用もなくても「こんにちわあ」と挨拶だけ顔を出したり、年賀状を出したり、年始にタオル持って挨拶に顔だしたりということをやったであろうから、そのくらいのことをしておけば、特別につむじを曲げられることもなかった・・と思うのだが、なにしろ、「木南さん」(仮名)の場合はお客さんの方から何か言ってくれば対応する人だがお客さんの方から言われなければ何もしない人なので、「契約だけさせられて、契約したと思ったら放置された」という意識になるようだった。なるほどなあ・・と思ったが、本来、そのあたりについては、もしも、退職する営業社員がいたならば、契約客を誰に引き継がせるのがいいか、そのあたりの相性を考えて引継ぎ担当を決めるものだが、言われたら対応するがそうでなければ何もしない「木南さん」(仮名)というのはそのお客様としてはものすごく馬鹿にされたという気持になられたようだった。
それで、私が引き継いだ時には挽回しようとしてももうどうしようもない状態だったが、それを所長のKさんに言うと、「前の引継ぎ担当が良くなかったから解約したいというのは、それは楠くんのことじゃなくて、あんただろうがあ!」などと言われた。それを聞いて、もう、木南さん(仮名)がやっていた契約客の引継ぎはやりたくないと思った・・というよりも、そんな口をきかれるのならば、もう、引継ぎ担当などするものか!・・と思ったがそう思うと余計にさせてやろうという気持になるのが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫で、そのあたり、うちの父親と似ていて「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」「無理矢理やるのが好きなタイプ」だった( 変態や( 一一)、そういう「お店」にでも行ってやるようにすればどうかて感じがする)・・・が、ともかく、な~んで俺が悪いんじゃ、なんでえ、ふざけんな!・・と思い、もう、引継担当はやりたくない・・と思ったものだったが、「木南さん」(仮名)が「あまり熱心でない人」であることだけが問題点だったわけではなく、新卒入社1年目のSくんの唯一の契約客だったのだが、何人かの古手の営業に「Sくんは契約書に署名捺印してもらう時に所長か誰か経験のある営業と一緒にやってないのでしょうか」と尋ねたのだが、誰もが自分は一緒に行っていないということで(もうひとつ、「そんなもん、所長がやるわけないでしょうが」と言う人もいたのだが)、Sくんが新卒入社した年、(株)一条工務店は福島県浜通り地区にSくんを含めて男性3人を営業として配属して、いわき地区に4展示場あったが、4展示場あれば3人を別々の展示場に配属して、1人ずつを経験がある別々の営業をくっつけて指導するようにさせればいいのではないかと思ったのだが、3人とも所長のいる展示場に配属して、そして、所長は新人を3人も一度にくっつけられて指導できたのかというと、私はその時に所長のKさんと同じ展示場にいたわけではないので見ていないが、「そんなもの、所長が見るわけないでしょうが。何、言ってんの」と言われたことがあったが、もともと、企画室課長⇒総務部長の天野雅弘が「所長は売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」と言っていたがK野さんがそこまで徹底して思っていたかどうかはわからないが、私のようにある程度以上の力がついた営業になら、時としてぼそっとアドバイスをくれることもある人だったが、まったくの新人を3人もくっつけられたのでは自分自身の営業活動に支障がでるし、実際、新卒新人と同行した行くと「所長と契約するのならともかく、俺の息子よりも若いようなやつと契約なんてできんよなあ」と言われたと言って所長のK野さんは嫌がっていたことがあった。
だから、K野さんの話を聞いていると、「所長の仕事は売るのが仕事であって管理したり指導したりするのは所長の仕事と違いますから」とは思っていなかったらしく、新人3人に何もしないということではなかったようだが、もともと、自分自身が売る方が得意の人だと言われており、(株)一条工務店の会社の扱いが「所長は管理したり指導したりするのが仕事であって、自分自身が売るのはほどほどでいい」という扱いであれば新人のめんどうも見れるが、「所長は売るのが仕事ですから」と言われたら、そうもできないということがあったらしい。そして、何人かの古手の営業に聞いた話では、「Sくんは、あんまり、他の営業に助けてもらわずに自分でやっていたみたいだった」ということだった。新卒新人には、やっぱり、少なくとも最初の1棟目くらいは所長か所長でなくてもある程度以上経験がある営業がついて契約の場くらいは一緒に在籍しておこなうようにするべきで、そうでないと、ここはきっちりと言っておかないと後で問題が発生するという点を言わないで契約してもらってしまった・・ということが起る可能性がある。私は、自分自身が担当の時には、契約書の裏面の契約約款については、特に、同業他社で類似の契約をするということで解約したいという場合には契約金の100万円は返金いたしませんという文言の部分については念を押した上で書名捺印してもらうようにしていたが、(株)一条工務店の営業にはいいかげんな営業がおり、そうではなく、むしろ、逆にそういうことをきっちりと言うと契約をためらったり取りやめたりする人がいるので、そのあたりについては言わないようにして契約書に署名捺印させるという人もいたと思われる。しかし、それを説明せずに契約させるというのでは「それでは、詐欺だっぺえ!」ということになる。だから、契約約款の同業他社で類似の契約をすることで解約したいという場合は契約金の100万円は返金しませんという部分については、それを説明することで、言わなければ署名捺印してくれる人が署名捺印してくれないという場合も中にはあるかもしれないが、それでも、その点については念を押して説明するようにすべきであり、むしろ、この人はそういう所はきっちりと説明してくれる人なんだという点を評価してもらうようにするべきである。Sくんが、契約約款に同業他社で類似の契約をするために解約する場合は契約金の100万円は返金しませんという文言をSくん自身が知らずに、きっちりと説明せずに書名捺印してもらったのか、それとも、誰かよからぬ営業が「そんなもの、契約約款なんて読むことないよ。読まないようにするためにわざと小さい字で書いてあるんだから。裏面の契約約款なんて読まずに表の契約書の文面だけ見せて署名捺印してもらって契約金の100万円を振り込んでもらえばいいんだよ」と教えたのか?・・そのあたりはわからないが、もしも、私が同じ展示場にいて私を「応援者」「指導係」に指定してくれていたならば、少なくともそのあたりについてはきっちりと教えてあげることができたし、後から「聞いてなかった」という話になることもなかった。だから、営業の仕事の場合は、中には入社1日目から「行ってきま~す」て調子で売りにいこうというようなタイプの人もいるかもしれないが、たとえ、そうでも、最初の1棟目くらいは所長か所長でなくてもある程度以上経験がある人が同行して契約書に署名捺印してもらう作業においては同席して一緒に進めるべきだ・・と思う。だから、「応援者」「どちらでもない」「被応援者」に営業社員を3分類した、というのはそれは正しいと私は思った。
ところが、それからたいして経たないうちに、「応援者」「どちらでもない」「被応援者」との3分類ではなく、すべての営業社員を「応援者」と「被応援者」の2つに分けるということを(株)一条工務店はやった。それは良くないのではないかと思ったのだ。「どちらでもない」に該当する人がいると思うのだ。「応援」するほどの力はないが「応援」される必要はないという人がいると思ったのだ。その時、展示場ごとに「応援者」と「被応援者」が指定され、私は「応援者」になった。それまでの在籍年数・通算契約棟数・過去3年間の契約棟数・前年の契約棟数などで判断すればそうなるずで、浜松の本社にいる人間が事務的に決めるとそうなったのだ。
ところが、その後、在籍年数・通算契約棟数・過去3年間の契約棟数・前年契約棟数などから事務的に決めるという決め方ならば私が「応援者」になったのだが、そうではなく、それらの数字は無視して、所長が決めるのか営業本部長か「本社」の誰かが決めるのか、それらの数字とは無関係にデマカセで決めるというシステムに変わると、過去3年間の契約棟数で見ても前年契約棟数で見ても私の半分も契約とっていない「木南さん」(仮名)が「応援者」に指定されて私は「被応援者」にされてしまったのだ。こんなバカな話はない。 その頃においては、もしも、その人に契約してもらうのにどうすればいいか、どうしても考えつかない、誰誰ならいい方法を思いつくかもしれないというような相手があった場合に、その人に意見をきくということならお願いしたいという時もあるが、普段は誰かに「応援」なんてしてもらいたくないし、むしろ、そんな「足手まとい」をつけられたのでは迷惑だ・・という状態になっていた私としては迷惑千万なことだった。かつ、たとえ、それでも「応援者」をつけて私を「被応援者」にしたいのならば、通算契約棟数全国1位とかそういう人が私の「応援者」になるというのならば、それなら「お手並み拝見」しようではないか・・とでも考えるが、私の半分も契約とっていない人に「応援者」になられたのでは迷惑だ。これは「応援者」の制度ではない。
実際問題として、気づかない人も中にはいるかもしれないが、「木南さん」(仮名)のように在籍年数は長いものの、ここしばらく契約が多くあがっていないという人というのは、見ていると、変なことやったり、変なこと言ったりすることがあるのだ。それを自分自身が担当のお客さんを相手にやるのならまだしも、「応援者」だと言って「木南さん」(仮名)の倍以上契約取っている私の担当の客にやられたのでは迷惑なのだ。
それだけではない。営業会議の時に、所長の草野次男さんが私に「〇〇くんは、応援者の楠くんに、どういう応援をしてもらいたいか」などと言うので、私は「私は別に何もやって要りませんけれども」と言ったところ、草野次男さんは「おい。それでは楠くんに失礼だぞ」などと後で言うので、「どういうことですか。どこが失礼ですか。楠さんの倍以上の契約を取っている私に『楠くんに、どういう応援をしてもらいたい』などと言う方が失礼でしょ。私の半分も契約とっていない人に『応援』してもらえとはどこからそういう発想が出てくるのですか。それを、『楠くんにどういう応援をしてもらいたいのか言ってみろ』だの『別に応援してもらいたいとは思っていませんとは楠くんに失礼だぞ』だのとは、そういう発言こそ私に対して失礼でしょ」と言いました。
そこまで言われるのであれば、私の方も言わせてもらおうではないかと思った。それで、所長の草野次男さんに言ったのだ。「もともと、過去の契約棟数などをもとに事務的に『応援者』と『被応援者』を決めるということになっていた時には私は『応援者』になっていましたでしょ。それなのに、なんで、所長が決めるのか他の誰が決めるのか、過去の成績とは無関係に『応援者』と『被応援者』に営業社員を2分することになると、私が『被応援者』にされなければならないのですか。 それも、年間全国1位の成績をとったこともある草野所長と私とでどっちかが『応援者』でどっちかが『被応援者』だということで草野所長に『応援者』になられたということならば、悔しかったら草野所長より多く契約とってみろということになるかもしれませんが、なんで、私の半分も契約とってない人に『応援者』になられなければならないのですか。ましてや、なんで、私の半分も契約とっていない人に『どういう応援をしてもらいたいのか行ってみろ』などと言われなければならないのですか。いくらなんでも失礼でしょ。(株)一条工務店は『契約棟数がすべてだ』とか言っていた会社ですよね。それなのに、なんで私の半分も契約とってない人に『応援者』になられなければならないのか、きっちり説明していただけませんか」と言いました。
実際のところ、楠さんの契約棟数が少ないといっても、もっと少ない人もいたのです。楠さんは会社が指定するぎりぎりの契約棟数を常に獲得するということをしていた人でしたが、その「ぎりぎりの棟数」を取れない人はいっぱいいたのです。ですから、ある程度以上の経験がある営業だった楠さんの倍以上の契約棟数を獲得するためには、私は相当の努力をし、相当の工夫をし、相当の労力を払って契約してもらってきたのです。ある程度以上在籍している人の契約棟数の「倍以上」の契約を取るというのは、これはけっこう大変なことなのです。 「被応援者」にされて変な「応援者」をつけられないようにと思って努力してきたのです。そうやって、楠さんの倍以上の契約を継続的に取得してきたのです。それなのに、「おい、楠くんにどういう応援してもらいたいんだ。言ってみろ」とは、これは喧嘩売ってるとしか思えない発言なのです。 実際、ええかげんにせええよ、てものです。
問題点として、同じ営業所にいた草野富夫さん(男。当時、40代前半)が自分より年下の人間に「応援」されるということを極端に嫌がる人で、プライドなんてなさそうな顔しておきながら、自分より年下の人間に「応援」されるということに強い拒否反応を示す人であり〔そういう人というのは、その点において精神構造に脆弱さがあることになりますが〕、そのために、それより前にも「応援者」に指定された30前のH田さんが協力しようとすると嫌がったということがあり、H田さんよりは年上の私でも嫌らしかったので、実際のところ、草野富夫さんのために会社やってるわけではないのであり、嫌なら私より多くとってみやがれということで、まず取れないでしょうけれども、そうはいっても、(株)一条工務店はそういうタイプの人も採用しているからには、そういう人はその人よりも年上の人が「応援者」になる展示場に配属してあげるようにすればいいことで、そういう人がいるからという理由で努力をして苦労をして労力を払って楠さんの倍以上の契約を獲得した私を「被応援者」にならせる理由はないはずでした。
よく、「学歴のある人間はそれだけで出世させてもらっている」とかのたまう人がいますがそれは嘘ですからね。 2005年、千葉県のリフォーム会社の(株)ウッディホームで千葉市稲毛区の本社での研修で見せられたビデオで、滋賀県の大店(おおだな)の息子が、試練として鍋蓋を行商に行かされる話というのを見せられたのだが、そこで、まだ小学生くらいの息子に親戚のおっさんが「おまえは、大店(おおだな)の後を継ぐということを、自分だけ楽してええ思いをする立場を継ぐみたいに思っておらんか。そうじゃないんだぞ。大店(おおだな)の後を継ぐということは、自分だけ他の人間がやらんような努力をし、他の人間がやらんような苦労をし、他の人間がやらんような我慢をするという、そういうことなんやぞ。わかっとるのか」と話す場面があった。私は、「高卒のおっさんばっかりの会社」で他の人間がやらんような努力をし、他の人間がやらんような苦労をし、他の人間がやらんような我慢をしてきたはずだ。ところが、この会社の経営者は草野富夫さんなどが自分より年下の人間に「応援」されるのは嫌だと言うとそうだそうだと認め、私が「他の人間がやらないような努力をし、他の人間がやらないような苦労をし、他の人間がやらないような我慢をして」きたところ、そこから私ならどんな我慢でもする人間だと思ってはてしなく我慢させようという態度に出るのだった。 ええかげんにせえよ、たいがいにせえよ・・ということになる。ともかく、私が「足手まとい」を「応援者」だと称してつけられる筋合いはないはずだった。そういう「足手まとい」をつけられたくないから、そのために楠さんの倍以上の契約を取ったのではないか。実績を残した者を犠牲にしてはいけないはずである。
そうすると、所長の草野次男さんは「そんなもの、前、おまえが応援者になっていた時なんてあったかあ」とカマトト言うので、それで、書類を捜したのだが、おそらく、私がそう言うと踏んで私が在籍した営業所の書類のファイルから誰かが削除したようで見つからなかった。それで、浜松の本社に電話を入れて、その書類をファックスで送ってもらうように依頼したのだ。ところが、電話に出た男が「ありません」と言うのだ。「ないはずありませんでしょ」と言い、「あなた、どなたですか。あなた、お名前はなんとおっしゃるのですか」と言っても時分の名前を名のらない。「そこは会社の総務部のはずですから、他に誰かいますでしょ。あなたではだめだから、誰か他の人と変わってください」と言うと、「他に誰もいません」ととぼける。「いないはずありませんでしょう。誰でもいいから、あなた以外の人と変わってください」と言っても、「いませんから」ととぼける。「いいかげんにしてもらえませんか。私は暇ではないのです。忙しい中で電話しているんです。私から無駄に時間を奪うということは、その分、営業活動の時間を奪うということで、会社にとってマイナスになるんです。あなたに会社にマイナスの影響を与える権利なんてないでしょ。今すぐ、他の人に変わってください」と言ったのだが、「他は誰もいません」と言う。「もしも、本当に総務の人間がいないのなら、経理でもどこでもいいから、本社にいる誰か他の人を呼んできてください」と言うと、「他は誰もいません」と言う。「おい、あなた、いいかげんにしなさいよ。さっさと誰か呼んできなさい。あなた、会社から給料もらっているのでしょ。あなたが電話に出ている間だけ、私は無駄に時間を奪われるし、電話代もあなたのおかげで会社は無駄に使わされるのです。さっさと誰か呼びにいきなさい」と言ったのですが、結局、そのまま誰も呼びにいかなかった。そのうち、その電話にでたアホが「所長とかわってください」と言うので、所長の草野次男さんと変わると、所長の草野次男さんには自分の名前を名のったらしく、話をしていたが、結局、あのアホは誰だったのか。会社は「本社」にはきっちりと対応できる人間を置いておかないといけないはずで、電話の応対もまともにできないような人間に電話を取らせたのでは、会社にとって損失である。
・・・それで、後から考えてみて、又、他の人から意見を言われたのだが、「それは天野部長(総務部長の天野雅弘)だったのではないか」と言われたのだ。たしかに、所長の草野次男さんが電話に出ると、その男が「転勤させてやりましょうか」と言ったらしく、所長の草野次男さんが「そんなことしなくてもいいよ。彼(私のこと)は売れるから。転勤なんてさせることないよ」と言ってくれたようでしたが、(株)一条工務店という会社は、経営者一族の虫の居所が悪いと、こいつ、気にいらないと思うと、東日本の人間なら福岡県とか山口県とかに転勤、西日本の人間ならば青森県とかに転勤、それもその地域の展示場の中で一番条件が悪い所に転勤・・ということをさせる会社で、それは「人事権の濫用」と評価されるものと考えらえるが、過去3年間の契約棟数で見ても前年契約棟数で見ても楠さんの倍以上の契約を取っていて、所属の展示場にいる営業の中では一番多い契約棟数を取っていた私でも、単に、所長と話をするために、会社が通達として送付したもので少し前のものをファックスで送ってほしいと言っただけで、「そんなものはありません」とカマトト言って長い時間を無駄にさせただけではなく、「転勤させてやりましょうか」と言ったらしく、総務部長の天野雅弘というハゲはそういう男であり、(株)一条工務店はそういう男を総務部長にならせている会社だったのだった。
「ハゲ天野」「髪の薄い天野」と言われる総務部長の天野雅弘がそんなことで「転勤させてやりましょうか」などと言ったらしいが、もちろん、それは法的には「人事権の濫用」と評価されるものですが、法律は守らないというのが「会社のルール」と考える「反社会的勢力」の会社ですから、「それは人事権の濫用になりますよ」なんて言ってもきかないでしょうから、転勤辞令を出されてから何らかの抵抗をするということになるでしょう。たとえば、「3か月おきに転勤」とか「青森県に転勤させて、2か月後に山口県に転勤させて、次にまた2か月後に新潟県に転勤させて・・」とかやってくるかもしれません。 何より、私の場合は、入社以来、条件が悪い展示場にばっかり配属されて仕事をしてきましたので、少々条件が悪い場所に転勤させられてもなんとかやっていく、やっていけるという自負がありましたので、そうなると、(株)一条工務店のずるいばっかりで誠意がない経営者が考えるのは、工場に転勤させて、朝から晩まで何十キログラムもあるものを運ばせて健康を害させてやろうという作戦というのがあり、2002年、実際に私はそれをされたのです。腰と肘を傷め、今も治りません。これは、こういうことをさせれば体を傷めるということを意図してさせたものであり、「労災」というよりも刑法上「傷害罪」に該当する行為です。
それだけではない。その少し後、福島県白河市で、福島県の浜通り地区と中通り地区・会津地方との営業の合同での研修会があって、そこには「被応援者」にされていた者が参加させられたのだが、研修の最後に講師役で来た九州の方の所長になっていた木田さんが、「営業は売るのが仕事です。応援者になった人は優秀な営業成績を残した人で、皆さんは応援者になれなかった人です。営業であるならばもっと努力して応援者になれるようにしてください。会社から給料もらっている以上、被応援者になっているということを恥ずかしいと自覚してください」と発言したのだ。これは、話しぶりからすると、木田さんが自分自身で考えて発言したものではなく、誰かからこう言えと言われて来たもののようだった。しかし、それでも、まがりなりにも「所長」になっている人が発言したことであるからには、「私は言えと言われたから言っただけ」というのは通じません。それで、その後、木田さんが「何か、質問などありますか」と言った時に、私は浜通り地区での工事についてと、それとその点について言いたいと思ったのです。 「今、『営業は売るのが仕事です。応援者になった人は優秀な営業成績を残した人で、皆さんは応援者になれなかった人です。営業であるならばもっと努力して応援者になれるようにしてください。会社から給料もらっている以上、被応援者になっているということを恥ずかしいと自覚してください』とおっしゃいましたが、私は私が在籍している展示場で『応援者』にされた人の倍以上の契約を獲得してきたのです。その人は十分な在籍年数を経ている人で、そういう人の倍以上の契約棟数を残すというのは、これはそれだけの努力をして、それだけの苦労をして、それだけの労力をはらってきたから、だから、その人の倍以上の契約をあげることができたのです。それなのに、(株)一条工務店は私の半分も契約とっていない人を『応援者』にして、少なくともその人の倍以上の契約をあげた私を『被応援者』にしたのです。今、営業は売るのが仕事です。応援者になった人は優秀な営業成績を残した人で、皆さんは応援者になれなかった人です。営業であるならばもっと努力して応援者になれるようにしてください。会社から給料もらっている以上、被応援者になっているということを恥ずかしいと自覚してください』とおっしゃいましたが、もしもそうであるならば、私は『被応援者』にされる筋合いはなく『応援者』にしてもらう権利があります。私は『応援者』にしてもらわないといけません。私の半分未満の人が『応援者になっている人は成績が優秀だから応援者になっている人です』などと事実と正反対のことを言われ、私がいる展示場で『応援者』にならせてもらった人の倍以上の契約を取ってきた私が『被応援者になっているということは応援者になった人よりもあなたが努力が足らないからです』などと罵られる筋合いはありません。もしも、今の『応援者』『被応援者』を変えることがないのなら、今の発言は取り消してください。今の発言を取り消した上で、謝罪するのが嫌ならしなくてもかまいませんが、『遺憾の意思表示』くらいしてください。今の御発言を取り消されないのであれば、私は『応援者』になっている人の倍以上の契約を努力して苦労して労力を払って獲得してきたのですから、私をいますぐ『応援者』にしてください。どちらか、してください。 もしも、そうではなく、『倍以上』ではだめだと言われるのなら、それなら、どれだけ取ったら『応援者』にしてもらえるのか明示してください。たとえば、《『楠さんの倍以上』ではだめで『楠さんの3倍以上』の契約を取れば『応援者』にする》とか約束していただけませんか」とでも言いたかったのです。しかし、先に工事の問題の方を話したところ、「ぼくから、それは言ってみるわ」と返事してもらったものの、「それじゃあ、きょうはここまで」と言って席を立たれてしまい、より大事なことの方を言えなくなってしまったのです。失敗しました。先にどちらを言うかの順番を間違えてしまった。今から思えば、たとえ、席を立たれても、個人的に木田さんに「今の御発言はおかしいでしょ」と言うべきだった、と後悔しました。実際には「倍以上」契約とっている人間を「被応援者」に指定して「足手まとい」をつけて、他方で「半分未満」の人を「応援者」に指定しているにもかかわらず、「応援者になっている人は営業成績が優秀な人で、皆さんは応援者になれなかった人で営業成績が劣っている人です。深く反省して応援者になれるように努力してください」などという暴言は許しがたい。
それだけではない。さらに、2001年にもまた、私より「高木のおっさん」の方が契約棟数が少なかったのに「高木のおっさん」を「応援者」にして、栃木県地域の営業の集まりの時に「高木のおっさん」は契約棟数は少なかったのに「売れる人」グループに入れて勝手な口をきかせた。
それだけではないのです。その後、楠さんが新潟県の展示場に転勤した後、今度こそ私が「応援者」にならせてもらえると思うと、今度はいわき市の別の展示場にいて、楠さんよりは契約棟数は多いけれども私よりは少ない佐藤賢二さん(男。当時、40代)を私がいた展示場に配属させて、佐藤賢二さんを「応援者」にして、またもや私を「被応援者」にした。楠さんの場合は、前年契約棟数で見ても私より条件がいい展示場か私と同じ展示場にいて私の半分未満、過去3年間の契約棟数で見ても私より条件がいい展示場か私と同じ展示場にいて私の半分未満であり、私が入社以来、どの年で見ても、私と同じ契約棟数か私より少ない契約棟数の人だったけれども、在籍年数が長い人で、年齢も私より年上であり、在籍年数と年齢を考慮してここは楠さんの方になってもらおうと考えた・・という言い訳だってできるかもしれません。実際は違うでしょうけれども。しかし、佐藤賢二さんは年齢は楠さんと同じくらいであったけれども、佐藤賢二さんは自分自身で自立して営業の仕事ができていない人であり、いつも、私がめんどう見てきてあげた人じゃないですか。私にめんどう見てもらってきた人を「応援者」にして、めんどう見てきてあげた私をその人の「被応援者」に指定するというのは、いったいどういうことか。 「おい、失礼だぞ」というのは、それは私の方が言うべき文句であり、いくらなんでも失礼です。
実際、私が栃木県佐野市の展示場に移ってすぐ後、佐藤賢二さんは、市街化調整区域という住宅を建ててはならないことになっている所に家を建てようとして建築指導課から指摘され、あやうく、いわき地区では(株)一条工務店は家を建てられなくなるところだったということで、それで、佐藤さんは解雇されたということだったが、私がいた時ならば、私が気づけば「佐藤さん、それはだめじゃないの」と一言くらいは言うところであり、私がいなくなったらすぐにそういうことをやったということは、やっぱり、私がいて苦労しても助けてあげた価値はあったということか・・ということかもしれませんが、私が負担をかぶって世話してきてあげた人を私の「応援者」にして、めんどうみてきてあげた人間の方を「被応援者」にするというのは、いくらなんでも、人を馬鹿にし過ぎています。
誰に言ったかという記憶が曖昧になってしまったのですが、私は会社にきっちりと言ったことがあるのです。「佐藤(賢二)さんは、この人は、誰かある程度しっかりしている人と同じ展示場に配置するようにして、その人が常に見ておくようにしないと危ないですよ。この人は必ず何かやりますよ」と。「私の場合は、佐藤(賢二)さんよりも年齢が年下で、入社が佐藤(賢二)さんよりも後だということから、どうも、私をなめてしまっていて、何でもやってもらえるもの、何でも世話してもらえるものと思い込んでいて、私が言ってもききませんから私ではだめです。そうではなく、佐藤(賢二)さんよりも年齢が上で、入社が佐藤(賢二)さんより古く、佐藤(賢二)さんより上の役職をもらっている人で、ある程度しっかりしている人と同じ展示場に配属して、おかしなことをしないか常に見ておくようにしないと、危ないですよ」と会社のためを思い、又、佐藤賢二さんのためも思って言ったのです・・・が、せっかく私が会社のためを思い佐藤さんのためも思って言っても、(株)一条工務店はそれを無駄にしてしまう会社ですから、だから、その結果、私がいわき市の展示場からいなくなったらすぐに、市街化調整区域で家を建てようとして(株)一条工務店はあやうくいわき市で家を建てられなくなるところ・・になってしまった。私がいた時にはやらなかったということは、私は佐藤賢二さんから、年齢が年下で入社が佐藤賢二さんより後だということからなめられてしまっていて、何でもやってもらえるもの、何でも世話してもらえるものと思われてしまって、私が言ってもきかない・・と思っていたけれども、それでも私がおればそれなりに「抑止力」になっていた・・ということだったのかもしれません。だからといって負担が重い人とくっつけられるというのはうれしくないのですが、ちょっとは役に立ったかと思います。
そういう時に、営業本部長の天野隆夫から栃木県佐野市の展示用に転勤してもらいたいという話がきました。いわき市に約5年いて、ここはいい所だなあ・・と思い、浜通り地区の住人から「〇〇さんもこのへんで土地買って家建てて住めばいいよ。このへんの女の人、お嫁さんにもらって住めばいい。このへんの女の人は嫌かい」とか言われたりして、そうしようかな・・とか一瞬思ったりもしたし、実際、福島県は原発事故さえなければ、浜通りも中通りも会津地方もいい所だと思ったし、もしも、仕事関係なしに考えて、生まれ育った大阪以外の所に住むのなら、いわき がいいと思ったのだけれども、しかし、いわき市にいる限り、わたしはいわき市の4展示場のうちで一番条件が悪い展示場にずうううううっとおらされて、その後もそういう扱いを受けそうだった。
いわき市の営業所で、副長・主任になっていた人、及び、なっていたが不景気で契約があがらずにヒラに降格になった人というのが何人かいたが、直近の契約棟数で見ると、私はそれらの人よりも条件が悪い展示場にずううう~ううううっとおらされて、その上で、それらの人、何人かと同じくらいの契約棟数でしたから、もしも、わずかでも上回っているのなら条件がいい場所にいた人でもわずかでも上回っているから上ということはあっても、同じ数であるなら条件が悪い場所で契約をあげた者の方が上と考えていいはずであり、それを考えれば、私は所長の草野次男さんを別にすれば、直近についてはいわき市・浜通り地区の営業の中では一番上の成績を残したという自負を持っていた。
1993年にいわき市に赴任した時、同じ時にいわき市に赴任した木南さん(仮名)は総合住宅展示場の入口の前の一般風の「セゾン」の展示場に配属され、私は展示場の奥の和風「百年」の展示場に配属されたのだが、普通に考えて入口に近い駐車場の目の前、管理事務所の隣の場所の展示場と、奥まった場所とでは入口に近い場所の展示場の方が条件がいいに決まっているのですが、それでも、私は和風「百年」の展示場というものも経験してみたいとも思ったし、又、いつまでも一線の営業をやるつもりはなかったので、又、条件がいい所ばっかり経験したような人間にろくな人間いないということもあり、経験として条件が少々悪い所を経験してもかまわないとも考えたのでした・・が、いくらなんでも差があり過ぎるということもあるし、又、和風の展示場というのは常に絶対的に条件が悪いというわけでもなく、実は「地方」においては、(株)一条工務店の和風「百年」というのは相当人気があって、「地方」で和風で建てる人というと、競合になるのは在来木造の会社しかないわけで、在来木造の会社でも、住友林業は東京などの大都市圏では(株)一条工務店より強いけれども、「地方」に行くと住友林業と一条工務店ならばムク材で・国産材で・ぶっといのが好き♪・・という(株)一条工務店の方を志向する人が圧倒的に多く、他の競合会社といっても、東日本ハウス(⇒日本ハウスホールディングス)くらいで、これも「地方」では(株)一条工務店の方が評価は高いし、地元の大工・工務店が競合という場合は、これは地縁血縁が切れるか切れないかの問題であって商品力がどうという問題ではなく、「競合が少ない」かつ「住林・東日本ハウスとでは一条の方が有利」という土地柄においては、和風「百年」というのはそこを間違えなければ「取れるものは取れる」のでした。但し、それでも、入口に近い場所の展示場の方が有利であるのは間違いないし、和風を志向する人でも入口に近い場所に外観が洋風の展示場があれ入るし、そこで接客した営業がツバつけることになるので入口に近い場所にいた方が有利であるのですが、「地方」において和風の展示場というのは「競合が少ない」という点でやりやすいところもあったのです。しかし、当然のことながら、いつまでも一線の営業をやるつもりで入社したのではないので、すでに5年にかけて和風「百年」の展示場にずううう~っといたわけで、このまま同じ場所にいるよりも他の場所をもっと知った方がいいとも思っていたのです。
私が1993年に いわき市の展示場に赴任してから、浜通り地区内の展示場で、誰か1人だけ移るとかいうことではなく、全体をシャッフルするような移動が2度あって、その結果、多くの人間が2か所以上の展示場に移っていたのですが、私1人だけが、誰もがそこがいわき市の展示場の中でどう考えても絶対に一番条件が悪い。それも差が大きいと言う展示場に、ずううううっとおらされたのです。それで、私は所長の草野次男さんに言ったのです。「いわき の展示場4ヵ所で、私がいわき に来てから全体を動かす移動が2回あって誰もが動いていますよね。どうして、私ひとりだけが、ずうううっとこの一番条件が悪いと誰もが言う展示場にいるのですか」と。すると、所長の草野次男さんは「ここの展示場は和風の展示場で、来場者数も少なくて、和風の展示場というのは木にうるさかったり、家相にこだわったりする人が多くて、新人ではきついから、経験と実力のある人にいてもらわないといけないんだ」と言うのです。そう言われるとなんかほめられたみたいに思いそうですが・・、ところが、そうはイカのち〇ち〇 ・・だったか き〇たま だったか・・。私は言ったのです。「それなら、所長、ここに来て下さいよ。所長が一番経験があって一番実力があるじゃないですか。私、草野所長が実力がないなんてそんな畏れ多いこと言うつもりなんて毛頭ありませんよ。私は、草野所長が経験と実力を誰よりもお持ちの方だと心の底から思って尊敬しております。所長、きょうからここに来て下さいよ。私と入れ替わりましょうよ。私、所長がおられる所にきょうから行きますよ。私と入れ替わりましょう」と。すると、所長の草野次男さんは「営業は契約を多く取ったもんが一番条件がいい場所に行くんでえ~え」とおっしゃるのです。それで、「なるほど。たしかに所長は他の営業よりも多くの契約を取られています。しかし、私だって最低ではないはずです。私だって、どういう見方をしても、今、いわき の展示場にいる営業の中では真ん中より上のはずです。真ん中より上なのにこの一番条件が悪い展示場にずううううっとおらされる理由はありませんね。私、どこか他の場所に行かせてもらいますから、私より営業成績の悪い人にここに来てもらってください」と言いました。すると、またもや「ここの展示場は来場者数が少なくて、和風の展示場で和風の展示場というのは木にうるさかったり家相にこだわったりする人が多くて、新人ではきびしいから、経験と実力がある人にいてもらわないといけないんだ」と、そうおっしゃるので、それで私もまたもや「それなら、所長がここに来てくださいよ。所長こそ誰よりも経験と実力があるじゃないですか。所長こそここの展示場に適任でしょ。私、今、所長がおられる所に移りますから、所長、きょうからここに来てくださいよ」と言ったのです。そうすると、またもや、「営業は営業成績残したもんが条件のいい所に行くんでえ」と。それでまたもや、「それなら・・・」・・と、はてしなく、この繰り返し・・・。何なの、これはいったい? そして、(株)一条工務店の場合、昇進は契約棟数で決められていたので、条件がいい場所にいても条件が悪い場所にいてもその基準は同じであるので、条件が悪い場所にいたのでは昇進しにくいのは明らかだったのです。
そういう状況でしたので、それで、「特進転勤」の条件に該当する会社都合での転勤をしてくれという話をされた時には「いいですよ」と言ったのです。しかし、私が「特進転勤ですね」と念を押したところ、営業本部長の天野隆夫は「前は特進転勤として副店長にならせてたんだけど、最近はそういうことはしなくなったんだ」と言うので、それは変だと思ったのです。しかし、会社都合での転勤というのは、これは「全国社員」「総合職」として入社した者としては、断ることはないし、そのまま、いわき市にいても、一番条件が悪い所にずううううっとおらされて、私がめんどう見てきてあげた人を「応援者」にされたりで、もう、いいかげんにしろという感じでしたので、「特進転勤」の条件での転勤であるにもかかわらず「副店長」にならせてもらえないというのは、片方でならせてもらった人がいるのに私がならせてもらえないというのは不公平であり、それはおかしいと思ったものの、会社のためならばと思って転勤したのです。
営業本部長の天野隆夫から話をされた時点では、展示場のアタマとして「リーダー」になって赴任するという話だったはずなのです。だから、「特進転勤」で「副店長」昇進については「最近はそれはやらないんだ」と言われたものの、あくまでも展示場のアタマとして「リーダー」になっての赴任ということで承諾したのです。ところが、赴任してみると、同じ時期に茨城県の展示場から、私より前に入社していた武田(男。当時、30代)が佐野展示場に赴任して「リーダー」になり、私は「リーダー」の扱いにされなかった。話が違うのです。私はあくまでも「リーダー」で赴任するということで転勤を承諾したのであり、2番目以降での赴任を承諾はしていないのです。
たとえ、承諾したとしても、会社の規定として、(1)在籍年数が一定以上・(2)通算契約棟数が一定以上の者が(3)会社都合で(4)居住地変更をともなう転勤をした場合には、転勤した時点で「2棟契約」として計上し、「副店長」の肩書を付与する、「副店長」は「係長」より下だが「副長」「主任」より上と文章で規定されたものがあるからには、それを適用させないのは不当です。
しかし、それよりも、私はあくまでも「展示場のアタマでの赴任」「リーダーとして赴任すること」を承諾したのであって、2番目以下の扱いでの赴任は承諾した覚えはないのです。
もっとも、茨城県の展示場から佐野展示場に同じ時期に転勤した武田さんの場合は、(株)一条工務店の基準では、私より入社は先で通算契約棟数も私より多かったので、私が転勤する際の営業本部長の天野隆夫との話からすれば「話が違うじゃないか」ということになるけれども、武田さんと同じ展示場になれば、会社の基準からすれば武田さんの方が「リーダー」になることになります。
しかし、私と武田さんが佐野展示場に赴任する前、佐野展示場には、所長の五十嵐さんの「お気に入り」らしい上岡くんと、他に渡邊さん(男。当時、40代前半)と佐藤さん(男、30代後半)がいましたが、その3人の営業成績は大差なく、その3人の中では上岡くんがくらか古かったらしいものの、お客様の評判は一番悪く、契約客との関係の作り方も拙劣でした。
私は営業社員の実力を見るのに、通算契約棟数や前年契約棟数・直近の契約棟数といった数字だけで判断するのではなく、どういう動き方をするか・どういうことを言うかといったことと両方を合わせて判断しています。なぜなら、数字だけで判断するならば、要するに条件がいい場所におらせてもらっただけとか、景気がいい時期に入社しただけという人が高い評価を受けることになってしまいますし、又、どういう動き方をするか、どういうことを言うかといったことで相当のことがわかりますが、それだけで見て数字を無視してしまいますと、「いったいどうやって契約とってきおったんじゃ~い」て感じがしても実は数字を残す人というのもいないわけではない、片方で実力があるように見えなくても、それにこちらが気づいていないだけであって、別の面でいい所があるという人を見落とす危険もあるからです。
その基準で上岡くんを見ると、どう考えてもグラフに記載されている通算契約棟数が多すぎるのでした。実力のない人のわりに通算契約棟数が多いと思いましたが、要するに、消費税が上がる直前の時期に入社した人で、戸建住宅建築業界では全般に契約があがる時期に入った人が「売れる展示場」に入社してしまうと実力がなくても売れてしまうということになったようです。又、消費税が上がる直前の時期に佐野展示場はオープンしたようで、その地域に(株)一条工務店の展示場があれば建てたいという客層がありながら展示場がなかったという場所にオープンしたての展示場では契約が上がりやすい傾向があり、そういう場所に入社した人は入社してすぐの時期に契約があがった。しかし、その後、消費税が上がった後では、私などは地道に忍耐強くその条件のもとで営業活動をするところが、条件がいい時期に条件が一時的に良かった場所に入った人は、それで売れるものと思い込んで生活が乱れてしまった・・ということだったようです。五十嵐さんは所長ならそのあたりを見ないといけませんが、それが見えないのかなあ・・と思うのですが、(株)一条工務店の「高卒の所長さんたち」には見えないようです。
ここで、2つの点について理解しておく必要があります。
[1] 戸建て住宅建築業の営業では、その営業所で契約状況が沈滞しているというような時、「ぶうわあ~あっとなってやるんじゃあ」とか言う人というのが時々います。 又、「◇◇の家はいいんだ、いいんだ。なんとしても、このいい家を売るんだ」と呪文を唱えて売ろうとする人というのがいます。 「ぶうわあ~あっとなってやるんじゃあ」という文句は、1989年7月に小堀住研(株)の千葉支店に支店長にならせてもらって赴任した渡邊士直が(男。当時、40代。熊本県の底辺の方の高校卒)口にした文句ですが、その「ぶうわあ~あっとなって」て、それ、いったい何じゃあ?・・・と私などは思ったのです。いったい何だと思いますか。「ぶうわああっと」なったら何かいいことあると思いますか? ありませんでしょ。ところが、どうも、そういうことを言いたがる人というのがいるのです。「ぶうわああっと」なってもしかたありません。売るためには、そうではなく、「なぜ売れないのか」「なぜ売れるのか」「どうしたら売れるのか」といったことを科学的に・論理的に考えないといけません。

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「ぶうわああっとなって」と言いたがる人というのは小堀住研(株)の渡邊さん以外にもいます。(株)一条工務店で2001年、1泊ホテルに泊まっての決起集会をやろうと言い出した人がいて、その「通達」を見ると、決起集会の後、飲み会に突入してぶうわあっとなるのがいいと思う・・・とか、細かい文章は忘れましたが、そういうことが書かれていた。文章から考えて、静岡県地域の課長だった石橋さんあたりが考えた文章かと思います。決起集会が絶対に悪いとは言いませんし、絶対に悪いとも思っていません。しかし、「ぶうわあっとなって」てのは、「絶対に悪いとまでは言わないが、あんまりいいとは思わない」。なぜかというと、言ってしまいますが、「あなた、ほかに思いつくものないの?」・・・てことです。1990年、小堀住研(株)の東京支店で営業会議の最後、ある営業課長(展示場の長)だった某さんが「さあ。『小堀の家はいいんだ』『小堀の家は絶対にいいんだ』『絶対にいい小堀の家を売るんだ』と呪文というのか掛け声というのかを叫んだのです。某さんはけっこう親切な人で、自分が課長になっている営業課(展示場)の所属でもなかった私にも親切に某さんの方から声をかけてくれたりした人でしたし、某さんよりも社歴が若い人間が頼れば力になってあげようという気持がある人だったようです・・・が、「さあ。『小堀の家はいいんだ』『小堀の家は絶対にいいんだ』『絶対にいい小堀の家を売るんだ』と呪文というのか掛け声を唱えるというのは、それは、絶対に悪いとまでは言わないけれども、あんまりいいとは思わない。 最近、プロ野球のキャンプ風景なんてのがYouTuve に出ていて、それを見ると、練習の前に当番の選手が「声かけ」として何か叫んで、「さあ、頑張ってきょうも練習にはげもう」ということをやっているらしいものを見ることがあります。、「さあ。『小堀の家はいいんだ』『小堀の家は絶対にいいんだ』『絶対にいい小堀の家を売るんだ』と呪文というのか掛け声を唱えるというのも、それと似たようなところがあって、絶対に悪いということはないと思いますが、絶対にいいとも思えないのです。まず、自分が勤めている会社の商品がいい物なのか、そうでもないのか、それは実物を良く見て自分自身でよく考えてみるべきで、「いいんだ、いいんだ」と何度も叫ぶことで自己暗示にかけるというのは、それはあんまり効果はありません。1993年5月に(株)一条工務店の「研修」で名古屋南展示場の「所長」だった近藤路夫もまた、「一条工務店の家はすべての面にわたって同業他社よりも絶対的にいい」と言い、私に「そう思うか」と言うので首を傾げたところ、「そこがいかんのだあ~あ!」と絶叫したということがありましたが、いかんのは近藤路夫の方です。その頃の(株)一条工務店の家は問題がいっぱいあったのであり、虚心な気持ちで実物を見たならば問題点は見えたはずなのです。それでも売るのが仕事であれば、いい所はどういう所かということを把握して、いい所はどういう所がどのようにいいのかときっちりと見込客に伝えると共に、問題点はできる限りでないように努めないといけません。ところが、近藤路夫はどう言ったかというと、「一条工務店の工事現場を見に行ったならば、いいところばっかり見る。もしも、問題点があったなら、なかったことにする。他社の工事現場を見に行ったら、悪い所ばっかり見る。そうすれば、一条工務店の家は同業他社と比べて絶対的にいいということになる。そういうように見ないといけない」などと言ったのです。このおっさん、アホか!?!・・てものです。そんな見方をしたならば、どこの建物でも「絶対的にいい」ということになるではないか。そんな見方をしないといい所が見えないのならば、(株)一条工務店の建物というのはいい所がないということになってしまうではないか。結局、近藤路夫は愛社精神の塊みたいなふりをして「すべてにわたって絶対的にいい」とか叫んでいて実際はそうではなく、(株)一条工務店の建物のどこがいいのかということがちっともわかっていなかった、ということです。それではだめです。近藤路夫はその時点で通算契約棟数3位ということになっていたけれども、「ええ、この人があ?」て感じがしました。「通算契約棟数」という「率」ではなく「数」で見ると古くからいる人が多くなるということ、(株)一条工務店は1992年に私が入社した頃から労働集約型の営業にして会社全体での契約棟数を増やすけれども、営業1人あたりの契約棟数は減ってもいいという姿勢でやるようになったが、それより前、バブル経済と言われた時期くらいまではそうではなかったのえ、バブル経済崩壊より前とそれより後とを比較しても意味がないということがあり、バブル経済までにいた人の棟数というのは多く見えるということがあった、「ひまわり」や「一族」や「一族の縁故」とかは条件がいい場所に配属されることが多いこと、何より、静岡県中西部・愛知県の営業所は箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西の営業所とは条件が全然違う、静岡県中西部・愛知県は坪あたりの値段がドカンと低いし、静岡県中西部・愛知県は箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西と違ってドカンと一発テレビ広告やりまくっていた・・など、条件が違いすぎるので、近藤路夫の契約棟数などまったくあてにならない、アメリカ合衆国のメジャーリーグの出場記録を持つピートローズだったかがイチローのアメリカ合衆国のメジャーリーグと日本のプロ野球との出場記録を合算した数字を自分のメジャーリーグの数字と比較されて、「ファームでの数字を合わせて比較するのはおかしい」と不満を口にしたことがあったと思うが、静岡県中西部・愛知県の営業の営業成績を箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西の営業の営業成績と比較するのはおかしい! というのは明らかです。近藤路夫の契約などは、プロ野球にたとえるならば、いわば「力の落ちた二線級投手から打ったヒット」みたいなものです。・・ともかく、「売らせてもらった」くせしてからに自分が「売った」みたいに言いたがる症候群の人というのはけっこういるのですが、私がここで言いたいのは、「自分が苦労して売った」人と「売らせてもらった」人とは違うということで、「売らせてもらった」人には、なぜ売れないのか・なぜ売れるのか・どうしたら売れるのかといったことがわからないままに売れてしまった・・という人がおり、そういう人には、景気が悪くなったり、条件が悪い場所の営業に対してだったりすると、どういうようにやれば売れるようになるかという見解を持たないために、それで「ぶうわああっとなって売るんじゃあ」とか言ってみたり、「いいんだいいんだ、◇◇の家はいいんだいいんだ」と呪文を唱えたり「いいと思わんといかん、一条工務店の家は同業他社と比べてものすごくダントツにいいんだと思わないといけない。一条工務店の家を見て問題点があったら、見なかったことにする。同業他社の家を見たら悪い所ばっかり見るというようにするんだ」とか、そういうアホなことを言いたがる・・・ということになりやすいのです。それは「営業としての引出しが少ない」からそうなるのです。別名「苦労が足らん」と言うことができるかもしれません。その人だって何の努力もしていないということではないのかもしれませんよ。野村のじいさんが「長嶋だって何の努力もしていないとは思っていない。しかし、長嶋は入団した時から一流選手だった。わしは入団した時はテスト生で、入団して1年経った時に解雇と言われ、『クビにされるんやったら南海電車に飛び込みます』と言ってもう1年置いてもらった」という違いがある、最初から一流選手だったものがそこから努力したという努力と、二流以下だった者が努力して一流選手の仲間入りした者の努力とは質が違う・・と、あっちやらこっちやらで書きまくり言いまくりしておったのだが、条件がいい場所で、「普通にやったら」売れる場所で「売らせてもらった」人の努力と、「普通にやったら」売れない場所でなんとか売ろうとした者の努力とは努力の室が違うのだ。・・一般に「長嶋みたいなやつ」というのは「ぶうわああっとなって売る」とか言いたがる傾向がある、「いいんだ、いいんだ」と呪文を唱えたがる傾向がある。もちろん、プロ野球選手のキャンプでの「声かけ」みたいに景気づけでそういう呪文を唱えるというのも、時としては悪くないかもしれないし、その人だって悪気でやっているのではないのでしょうけれども、それでも、そういうものの占める割合があまりにも大きいという人というのは、「営業としての引出が少ない」という人が多いように思います。
[2] そして、入社してすぐの時期に「普通にやったら」売れたという人には2通りの結果の人がある。
<「高木のおっさん」タイプ>と<「上岡くん」タイプ>です。
まず、<高木のおっさん」タイプ>
1990年代半ば過ぎくらいの時、(株)一条工務店で自宅を建てたWさんが入社してきました。Wさんの家は「副所長」の肩書をもらっていたK井さんが営業担当で、WさんはK井さんと同じ高校のK井さんより年上の卒業生だったらしく、K井さんはWさんがなんとか売れるようにと思ったようですが、Wさんが入社して2か月目くらいに1棟の契約をあげた時にK井さんは「いかんなあ」と口にしたことがありました。「いかんなあ」というのは、入社するより前に同業他社などで相当の経験がある人で本当に実力がある人が入社してすぐに売れたのなら悪くはないのですが、特に実力があるわけでもない人が入社してすぐに売れてしまうと、それで「売れる」ものだという意識を持ってしまう人が多いのです。そうなってしまわないかとK井さんは心配したのでした。(株)一条工務店はその頃までは入社して1か月目くらいに2泊3日の研修を浜松でおこない、その1か月後か1か月半後くらいに2回目の研修を2泊3日でおこなっていたのですが、私が入社した頃は、1回目の研修も2回目の研修も同じメンバーで実施されたのですが、Wさんが入社した頃はそうではなく、2回目の研修は1棟以上売れた人とまだ契約が出ていない人に分けて実施されたようで、2回目の研修から帰ってきたWさんが「『皆さんは売れる人ですから』と言われたんだけど」とうれしそうに口にしていたので、誰だ、そんなアホなことを言ったのは!?!・・と思ったということがありました。Wさんは、1棟売れたからといって特に思いあがっていたつもりはなかったと思いますが、それでも、そういう口を講師役の人から言われてしまうと、人間はどうしても「売れる人」になったような錯覚を起こしてしまう危険があります。たとえ、1棟でも売れた方がいいか売れない方がいいかというと売れた方がいいに決まっているのですが、1棟売れたとしても、本当に実力があって売れるべくして売れたのか、それとも、たまたま買いにきた契約してもらえやすい見込客と出会って「売れた」のか、そこが問題で、「売れた」のであって相当の努力をして苦労して「売った」のではない人に「皆さんは売れる人ですから」なんて言ってはいけないはずなのですが、どうも、(株)一条工務店という会社は、一生懸命、売ろうと努力をしても売れずにいる人を苛めまくり、片方で「売れた」だけであって「売った」のではない人に「皆さんは売れる人ですから」などと言って、それで「売れる」ものと勘違いさせてしまうということをやってしまう。「いかんなあ」というのはWさんのことではなく、(株)一条工務店の経営者のそういう態度・対応の方でしょう。
もう、10年以上前ですが、テレビの野球中継で巨人ー阪神の試合を見ていたら、巨人の若手内野手がショートを守り、タイムリーヒットを打った時、アナウンサーは「若手の△△選手、タイムリーを打って一軍デビューを果たしましたね」だか言うと、解説者の星野仙一が「いや。たしかにタイムリーヒットは打ちましたけれども、はたして打つべくして打ったのか、それともバットを出した所にボールが来て当たってヒットになったのか。そこが問題です」と言い、その後、ショートへの打球を処理できずにヒットにした時、アナウンサーが「今のはエラーではありませんから」とかばうと星野は「エラーじゃないと言ってもプロのショートならあれは捕らないとだめです。あれを捕れないショートは一軍の試合に出ないでもらいたい」と言い、その次の打席での空振りを見て、「今の振り方を見てわかりました。さっきのヒットはたまたまバットを出した所に球がきて当たってヒットになったというヒットです。この人はまだ一軍の試合に出るべき人ではありませんね」と。その選手が誰だったかはもう忘れてしまいましたが、プロ野球の打者でも、打つべくして打ったヒットと、たまたまバットを出したらそこにボールが来て結果としてヒットになったというヒットなのか、という違いがあるらしい。住宅建築業の営業でも、契約は出た方がいいのは間違いないのですが、野球の打者と同じで、たまたまバットを出した所にボールが来て当たってヒットになったみたいな契約・・とまで言うと言いすぎかもしれないけれども、それほど実力があるわけでもない人に契約が出たというところで、「皆さんは売れる人ですから」というのは、それはいくらなんでも言い過ぎであり、そんなこと言ってはいいことないと思うがなあ・・・と思ったのだけれども、どうも、そういうことを言いたがる人というのがいるようでした。
そうやって、特別に売る能力があるわけでもないのに「売れた」・・「売れてしまった」人には、その後どうなるかは3通りあるように思います。
<Wさんの場合>は、結局、Wさんは入社1棟目は比較的早い時期に「売れた」ものの、その後が続かず、比較的短い間で辞めてしまうことになった。Wさんは比較的早い時期に1棟目が売れたとしても、それで「思いあがった」とかいうつもりはなかったと思います。しかし、特別に「思いあがった」とかいうつもりはなかったとしても、人間というのは入社して比較的早い時期に特別に努力したわけでもないのに「売れた」となると、どうしても、それでいいような気持になってしまうということがあります。Wさんが特別に悪いということではないのですが、「皆さんは売れる人ですから」という文句、それ言った人間、誰なのかわからないが、そういう文句はうかつに言わない方がいいと思います・・・が言いたがる人間というの、アホがいるようです。相手のためを思えば、そんな文句は言うべきではありません・・が言いたがるやつというのは、どういう人間性をしているのかと思いますが、そういう人がいます。
<「高木のおっさん」タイプ>とは、最初に「売った」のではなく「売れた」ことから大喜びして、調子に乗る人で、この「調子に乗る」という言葉は2通りの意味があるが、「調子に乗る」ことで一生懸命、営業の仕事をするようになる人のことだ。「高木のおっさん」は「売った」のではなく「売れた」ことから、自分は営業ができると思い込んで「調子に乗る」ことになり、せっせとやるようになった。そういうタイプの人は他にもいるのではないか。但し、そのやり方でできるものだと思い込んだので、たいした「引出し」は持っていないし、それほどたいした実力はない。1980年代後半、小堀住研(株)で新卒社員の「営業系」合宿研修の時、TQC推進本部営業部会部長のSさんが、「契約取ってきた日は、その日限定で契約あげた者が一番えらいんや。そやから、その日だけは、契約取ってきた者には『先生』『先生』言うておだてたるんや。そうすると、アホやから調子に乗ってまた契約取ってこようという気になりよる」と「3割か4割冗談みたいな感じ」で話したことがあったが、そういうケースはある。「高木のおっさん」は入社して比較的早い時期に「売った」のではなく「売れた」ことで「調子に乗りよって、又、契約とってこようという気持になりよった」というケースだ。だから、契約とってこようという気持はあるおっさんだ。しかし、「売れた」ことで「また、契約とってこようという気持になりよった」というだけの状態でそのまま十年以上も勤めてきた人なので、そこから上達はしていない。だから、まったくだめではないが、それほど優秀でもないという状態で、それを自覚させようと思っても極めて難しい。
私が入社した1992年に「高木のおっさん」は神奈川県藤沢市の展示場にいたが、藤沢展示場の所長の千葉さんから「うちのトップセールスの高木くんというのがいるんだけど」と聞いたので「トップセールス」なのかと思ったところ、ベテランの某さんにそれを話したところ、「はあ、あの人のどこが『トップセールス』でしょうか」と言うので「違うのですか。千葉さんはそう言ってましたけれども。藤沢展示場にいた4人の中では一番多く契約取ってましたでしょ」と言うと、「まあ、あの中ではね。まあ、レベルの低い集団の中でのトップですよ」と言われたということがあったのだが、2000年だったか2001年だったか、「高木のおっさん」が佐野展示場に来て「高木のおっさん」の動き方や言うこと・態度を見て、「え? この人、本当にこの会社の営業を5年以上やってきた人なのお?」と思ったが、そういうおっさんだった。入社して比較的早い時期に契約が取れた「売れた」ことから「調子に乗った」ことで「また契約とってこようという気持になった」人でそれがそのまま続いているので「契約とってこようという気持」はある人だが、それで契約取れるものだと思い込んでいるので、それ以上の努力をするわけでもなく、そのやり方で「ぶうわああっとなる」だけの人であり、たいした営業ではないので、「あれがトップセールスのわけないでしょうが」という某さんの感想は正しかった。そういうタイプの人というのは他にもいると思う。
続いて、
<上岡くんタイプ> 上岡くんが入社した頃は、消費税が上がる直前で、佐野展示場が新しくオープンした時だ。だから、展示場の条件が良く、全国的に戸建住宅建築業の景気がいい時だった。そういう時に入社して「売れた」。その結果、自分は売れるものだと思ってしまった。その結果、どうしたか。1998年に私が佐野展示場に行ったら、佐野展示場の事務所は他の展示場の事務所と比べても広くない方の事務所だったが、そこにゴルフバッグが置いてあった。自分のクルマのトランクにゴルフバッグを積んでいる人というのはいるが、展示場の事務所に遊びの道具を置いている、それも通行に妨げになる状態で置いてあった。 さらに、事務所の壁に板がたてかけてある所があり、なぜ、そんな所にたてかけてあるのかと思ってよけて見ると、下地は石膏ボードでビニルクロス貼りの壁に、上岡くんがよくやる膝蹴りの後らしく、穴が開けられていた。 前年契約棟数ゼロ棟の男が、展示場の事務所にゴルフバッグを置いているということからして不謹慎であり、それでも自分は契約を取れると勝手に思い込んでいたようだった。その後、展示場の受付の仕事にS藤(女。当時、20代半ば過ぎ)が入社した時、S藤は私に「〇〇さん(私)と I 田さんは、入口で記名した人もしなかった人も変わらず熱心に話をしているけれども、上岡さんとG藤さんの2人は名前を書かなかった人だととたんにいいかげんな対応をする。あんな対応したら、私が前にいたネッツトヨタならものすごい怒られますよ」と、なるほど、S藤は元クルマ屋にいて営業の仕事をしていただけあって、そのあたりが「見えた」のだ。そういう不真面目な接客態度が「調子に乗る」ことで上岡くんは身に着いたのだった。S藤に「見える」ものが所長の五十嵐さんはその程度のものも見えないのか? ・・と思ったが「見えない」らしかった。そして、上岡くんは私に「まったく、去年はよお、しつこいうるさい客のおかげで契約とれなかったよ、なってない客のおかげで」などと言うのだった。お客様をそんなにしてしまったのは、おまえだろうが!!! アホか! そんな口をきいてるから前年契約棟数ゼロになるんだよ! わからんのか、おまえは!!! ・・ということだ。
(株)一条工務店では、
(1) 「営業が客を・・・にしている」ということがあると言われていた。「あの客はうるさい客だ」とか「あの客は本当に扱いにくい人間だ」とか言っているケースで、お客様にもいろいろな人がいるというのはたしかだけれども、もともとは「うるさい」人だったわけでもなく、「扱いにくい」人だったわけでもないのに営業がそうならせてしまったというケースがある。
(2) いわき市にいた時にある営業がS藤賢二さんの契約客を見て、「S藤さんの担当のお客さんというのは、『類は友を呼ぶ』なのか、なんか『S藤さんみたい』な人ばっかりだ」と話したのを聞いたことがあったが、実際、「類は友を呼ぶ」というケースはある。 そして、
(3)もうひとつ、「朱に交われば赤くなる」というケースもある。
「しつこい」「うるさい」「扱いにくい」と思うお客様と出会ったなら、それはお客様にもいろいろな人がおられるということはあるとしても、他の営業の担当のお客様より自分が担当のお客様にそういう人が多いと感じたならば、この3つのどれかにあてはまらないかを考えてみる必要がある。上岡くんの場合は、その3つのすべての融合型だった。 言うと怒って殴りかかってくるから言えないから言わなかったが、景気がいい時期に、新しくできて来場客が多い展示場に入社して「売れた」ことから「調子に乗った」が、その乗り方が「高木のおっさん」とは違って、本来、別段、実力があるわけでもないのに自分は「売れる」ものと思い込んでしまった。だから、前年契約棟数ゼロ棟の男が展示場の事務所にゴルフバッグなんてものを置いている。気にいらないことがあると壁でも膝蹴りくらわせるし人間に膝蹴りくらわせる。こちらは文治派なので、「『自分の名前を書くことができれば合格』と言われる私立高校のスポーツ入学」にいきなり膝蹴りやってこられたのではたまったものではないのだが、そういう男だった。又、展示場から近い場所に住んでいながら遅刻が多い。週休日には嫁には休日出勤だと言ってスナックのホステスと旅行に行くらしい。週休日の翌日に遅刻してくるというのは、それが原因の可能性もありそうだ。 元阪急ブレーブスの投手 山田久志が『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)で書いていたが、かつて、近鉄バファローズに来たオグリビーという外国人選手はアメリカ合衆国のメジャーリーグで実績を残した選手で、近鉄に来た時にはすでにプロ野球選手としては高齢になっていたが、山田は最初、アメリカ合衆国のメジャーリーガーとして成績を残したような選手なら、どうせ、日本と日本の野球をなめてかかっているような人間だろうと思っていたら、オグリビーは違った。「全力疾走、全力プレーこそ一流の証し」と考えていたようで、いついかなる時も手を抜かない。プロ野球選手としてはすでに高齢になっていた選手であってもそんなことは何の関係もない。若手の選手で内野ゴロを打ってだめだと思ったら全力で走らないで途中でベンチに帰ってくる方がかっこいいみたいに思っている人間がいるがオグリビーは違う。そうではなく、いかなる時も全力プレー・全力疾走で、それこそが一流の証しだという姿勢だった。そして、近鉄バファローズが最後まで優勝争いをして、最後の試合で勝てば近鉄の優勝だが、負けるか引き分けると西武の優勝という試合で近鉄は延長の末、引き分けた後、山田が知り合いの記者から聞いた話では「オグリビーは残念会の会場を抜け出して、ひとり、トイレで泣いていたという」と。その話を聞いて、「オグリビーはかっこいい」と思った、と山田は書いていた。

プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
前年契約棟数ゼロ棟の男が展示場の事務所にゴルフバッグを置いている。展示場の入口で記名しなかったお客様だととたんにいいかげんな接客をする。気にいらないことがあれば人にでも壁にでも膝蹴りくらわせる。扱いにくい契約客があったなら、自分の対応に問題がなかったかと考えずにすべて客の方が悪いと決めつける。前年契約棟数ゼロ棟の男が平気で週休日に嫁に休日出勤だと言ってスナックのホステスと旅行に行っている。そういうことをやっているから近くに住んでいるのに遅刻が多い。・・まだまだいっぱいあるが、そういった態度・そういう姿勢になったというのは、それは「調子に乗った」からである。「高木のおっさん」が「調子に乗った」のはたいして実力はないが「売れた」ことで大喜びして「アホやから調子に乗って、また、売ってこようという気持になる」という方の「調子に乗った」だったが、上岡くんの方の「調子にのった」はそれとは異なり、いいかげんな姿勢でも自分は「売れる」と勘違いしてしまった。こうなると、気づかせるのは難しい。五十嵐さんは、所長なのに、そのあたりを指導できなかったという点について責任を感じるべきだ。五十嵐さんは自分自身は真面目に努力して営業の仕事に取り組んだ人だと私は思っている。五十嵐さんが話すことを聞いていてももっともだと思うものがあるし、それは実際に自分自身で努力して営業の仕事に取り組んだことで身に着けたものだと思っている。五十嵐さんは佐野展示場に来場した時でも、絶対に展示場の玄関の目の前などに自分のクルマを停めたりはしない。それは自分の会社の展示場に少しでも多くの人に来場してほしいという姿勢が体に身についている。そんなことは当たり前のことだとか言う人がいるかもしれないが、その「当たり前のこと」ができない人間がいるのだ。「浜松流」とは違って五十嵐さんは、それぞれの地域によって事情は違うということを理解できている。それも、「浜松流」とは異なる所もある栃木県で自分自身で売ってきた経験がある人だからだ。しかし、困ったことに、どうも、””自分と経歴に共通点がある人を過大に評価したがる症候群”” みたいなところがあって、その点は困ったものだ。 「最終学歴:下の方の高校卒、建築・住宅に関する保有資格:なし、前職:クルマ屋」という点で五十嵐さんと上岡くんは共通するところがあったようだ・・・が、五十嵐さんは私が入社するより前、私が知らない時期においても(株)一条工務店の営業の仕事には精進して真面目に努力した人ではないかという印象を私は受けているのだが、上岡くんはそうではない。自分と経歴で共通点があっても、仕事に対する姿勢に大きな違いがあるという点に五十嵐さんは気づかないのか? 元クルマ屋でもS藤は「あんな態度なら、私が前にいたネッツトヨタならもんのすごい怒られますよ」と気づいたのだが、五十嵐さんは気づかんのか? ・・と思ったのだが、気づかないらしかった。
私は、営業本部長の天野隆夫から頼まれて「特進転勤」で「副店長」昇進していい条件のものを、「副店長というのは昇進は最近はしていないんだ」と言われて、本来なら妥協しなくてもいいものを妥協して、会社のためならと思って、「展示場のアタマとして」「『リーダー』として赴任する」という話で栃木県佐野展示場への転勤を承諾し、協力したのだ。しかし、行ってみたら、私と同時期に茨城県から(株)一条工務店のグラフの記載の決まりからいくと私より上に記載されることになる武田さんが赴任していて、武田さんが「リーダー」になっていた。話が違うのだが、グラフの記載の決まりからいけば武田さんの方が「リーダー」になることになる。
しかし、「応援者」と「被応援者」の2分としては、私は当然「応援者」になるはずであるし、そうでなければ転勤は承諾していないし、営業本部長の天野隆夫は「最近は副店長昇進というのはやってないんだ」とは言ったけれども、私が「特進転勤」としての条件としての在籍年数・通算契約棟数などを満たしている人間だったのは間違いないし、営業本部長から頼まれて佐野展示場に行ったのであり、過去の営業成績で見ても、私より前から在籍していた武田さんは別として他の3人との比較で考えても「被応援者」にされる理由はまったくなかった。
ところが、栃木県地域の営業所長の五十嵐(男。当時、50前くらいか?)は、私より在籍年数では半分未満で通算契約棟数もそれに応じたもので、どう見ても実力がない格下の上岡くんを「応援者」にして営業本部長から頼まれて佐野展示場に赴任した私を「被応援者」にしたのだった。これは、五十嵐にそういった横暴をする権利はないはずだ。私を「応援者」にして佐野展示用に行ってもらうということに決めたのは営業本部長であり、営業所長の五十嵐はそれを認識した上で栃木県の佐野展示場に入れたのであり、そういうことで栃木県地域に転勤してきた者を五十嵐の一存で勝手に格下の下にする権利はないし、そういうことをされたのでは、私としては営業本部長から頼まれたから、会社のためと思って負担を払って転勤したのに、そのおかげで降格にされたようなものだ。これは、いくらなんでも認めてはならないものであるし、五十嵐はいくらなんでもこういうことをしてはならないし、五十嵐にそのような横暴を働く権利はないはずだ。
実際には、実力のない・勤務態度の悪い人を所長が横暴を働いて優遇しようとしても、「長い目で見れば張り子の虎」みたいなところはあるわけで、実力のない・勤務態度の悪い男が継続的に成績を伸ばせるかというと、そうはいかない・・という面はあるのです・・・が、そうであったとしても、これは許されることではないし、許していいことではない。

権利のための闘争 (岩波文庫) - イェーリング, Jhering,Rudolf Von, 淳一, 村上
2005年、千葉県のリフォーム会社の(株)ウッディホーム で研修用のビデオを見せられたのだが、社長はそのビデオをどこから手に入れたのかわからんが、花登筺の小説みたいな話だったが、滋賀県のある大店(おおだな)の息子、まだ、小学生くらいの息子が修行のために鍋蓋の行商に行かされる話だったのだが、そこで、親戚のおっさんがその息子に「おまえは、大店(おおだな)の後を継ぐということを、何か、自分だけ楽してええ思いをさせてもらえる立場を継ぐみたいに思ってはおらんか」と言う場面があった。「そうじゃないんだぞ。大店(おおだな)の後を継ぐということは、自分だけ他の人間がやらんような努力をして、他の人間がやらんような苦労をして、他の人間がやらんような我慢をするという、そういうことなんだぞ」と言うのだった。「なんや、それやったら、ええこと何もないやないか」と子供は言うのだったが、大変な面もあるとしても、そういう努力をして苦労をして我慢をすることで成果を出せるという面もあるということだろう。私は(株)一条工務店に入って、高卒のおっさんばっかりの会社に慶應大学商学部卒の人間として入社したわけだから、他の人間がやらんような努力をして・他の人間がやらんような苦労をして・他の人間がやらんような我慢をするものだと認識して勤めて、そうやって他の人間がやらんような努力もしたし・他の人間がやらんような苦労もしたし・他の人間がやらんような我慢もしてきたのだが、ところが、そうやってきたところ、(株)一条工務店の経営者や所長というのは、逆に、こいつはどんな我慢でもする人間や、もっと我慢させてやれと考えるようになってしまったようだった。それでは、何のために、他の人間がやらんような努力をし・他の人間がやらんような苦労をし・他の人間がやらんような我慢をしてきたのかわからないことになる。 (株)一条工務店の「応援者」「被応援者」に営業社員を2分するという制度は五十嵐らによって悪意用されて、本来、目指したものとは別のもの、実力がない勤務態度の悪い社員に「応援者」ということで「下駄をはかせる」目的のものになってしまった。そういうものは明らかに害があるし、それは、会社のためを思って、管理者ならばこうすべきだということを考えて所長をやる者ならまずやらないことだった。
世の中には「学歴で人を差別するのはおかしい」といったことを言う人がいるのだが、そういう人というのは中卒・高卒の人間を工学部卒の人間とか医学部卒の人間と同じ扱いにしろとはまず言わない、そうではなく法学部・経済学部・商学部といった社会科学系学部卒の人間と同じ扱いにしろと要求するのだが、それなら、「十大国立大学(旧帝大+神戸大・一橋大)+早慶」くらいの社会科学系学部卒の人間と同じことを(株)一条工務店の中卒・高卒のおっさんができるのか?・・というと、まったくできない。 森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、一線の仕事ならともかく、管理する立場の仕事になると学識者とそうでない人との差が出てくるということが指摘されており、末広厳太郎『法学入門』(日本評論社)では、法学は大学の法学部の教員や裁判官・検事・弁護士といった法律そのものを職業とする仕事ではない、会社や役所などに勤めた場合に役に立つのかどうかという点で、法学は役に立つが、「大学の法学部で学んだことなんて忘れてしまった頃になって役に立つ」などと言われるのだが、それはどういうことかというと、裁判官・検事・弁護士などの法律そのものの仕事ではない仕事についた場合には、そこで役立つのは「法学的の考え方」であると述べられている。実際、法学部や経済学部・商学部といった所で学んだことというのは、卒業してしばらくしてからの方が役に立つということがあるのではないかと思う。そして、(株)一条工務店に入社以来、(株)一条工務店の中卒高卒の営業所長どもを見てきて、「あっかんなあ~あ・・・」と何度も何度も思わされた。「何なんだ、こいつらは」と何度も何度も思わされた。森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、学識者とそうでない者ならば、管理する仕事の場合には学識者の能力を活用すべきであるし、学識者とそうでない者では大きく差が出るようであるが、もしも、学識がない者で管理者としての実力を持つ人がいるのであれば、学識者でないからという理由で退けないと言うことはないと述べられているけれども、実際問題として、(株)一条工務店の中卒高卒のおっさんどもを見ると、「あっかんなあ~あ」という人が多かった。

日本経営史 (日経文庫 519 経営学入門シリーズ) - 森川 英正

新装版 法学入門 - 末弘 嚴太郎
それで・・、私が栃木県の佐野展示場に赴任してそれほど経たない時期に、栃木県および埼玉県北部地域(五十嵐さんが所長になっていた地域)の展示場の「リーダー」が集まる「リーダー会議」があったのだが、佐野展示場で「リーダー」になっていた武田さんが私用で出れないということで私に代わりに出て欲しいと言い、武田さんから所長の五十嵐さんにあらかじめ承諾を得た上で私が代わりに出席した、ということがあった。「リーダー」というのは、営業社員のグラフで各展示場で所長の五十嵐さんを別にして一番上に名前が掲載されている人で、課長・係長・副長・主任・副店長といった「役職」をもらっている人は役職の順、同じ役職なら年齢の順、ヒラの場合は年齢ではなく入社の順ということになっていたが、課長・係長・副長・主任といったものに昇進できるかどうかは営業成績によるので、そうなると条件がいい展示場に配属してもらった者は条件が悪い展示場に配属されていた者よりもずっとなりやすいことになるので、(株)一条工務店の場合、その「役職」というのはたいして意味はないことになる。
その後、2001年だったと思うのだが、戸建住宅建築業の会社の「トップセールス」とか支店長・営業所長の話をビデオにして販売している会社があるようで、栃木県地域の営業を集めての研修で、(株)一条工務店が購入したらしいビデオで、東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)の「トップセールス」というおっさんの話と積水ハウス(株)の営業部長の話というのを見せてもらったのだが、そこで、東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)の「トップセールス」というおっさんが、
その営業所の市場性 × 営業力 = 営業成績
という話をした。そのおっさんはわかっていたのだ。営業成績というのは、営業力だけで決まるものではないし、同時に営業所の市場性だけで決まるものでもなく、両方で決まるということを。
但し、「かける(×)」というのは比喩であり、「かける(×)」と考えるのが妥当か「たす(+)」と考えるのが妥当かは何とも言えない。
「普通にやったらこのくらいの契約をいただける」というものに、営業の能力でどれだけ「たす(+)」ことができるか、もしくは、営業が優秀でないか怠慢の場合に「普通にやったらこのくらいは契約いただける」というものを契約いただけない分を「ひく(-)」かと考えるならば、
その営業所の市場性 + 営業力 = 営業成績
と考えることもできる。しかし、本当にその場所にその会社の商品が合わないという場合には、「たそうにもたせない」場合もあるから、それを考えると「かける(×)」の方がふさわしいかもしれない。
実際には、「かける(×)」の方がふさわしい面と「たす(+)」と考えた方がふさわしい面と両方あると思う。
そして、本来、会社の経営者たるもの、従業員には公平であるべきで、営業所による条件の差は小さくするべきもののはずだが、(株)一条工務店はそうではなく、「一条工務店の場合、営業所(展示場)による条件の差が甚だしい」と言われていた。 どうも、(株)一条工務店のオーナー経営者一族とその取り巻きは、同業他社で少しでも経験がある人間を嫌い苛める傾向があるのだが、それは、ひとつにはそのあたりについて気づく人間が多いからであろう。 中途入社の人で、入社前に、同業他社でなくても他の業界でも営業の仕事をある程度経験してきた人で比較的人間的に誠実な人には、「一条工務店の場合、営業所(展示場)による条件の差が甚だしい」という事実に気づく人がいる。そういう人を見ると、この人は良心的な人だなあ・・・と思う反面、気の毒になあ、この人は、もうそろそろ追い出される時期が近づいたということかなあ・・などと思うようになったのだ。
そういう事実に気づいた人間というのは、本来、気づかない人間の方が問題があるはずなのだが、(株)一条工務店のオーナー経営者一族とその取り巻きというのは、気づかない人間を称賛して優遇し、気づくことのできる人間を苛めまくるという傾向が継続的にあったのだ。なんで、そういう対応をするかなあ~あ・・と思うのだが、そういうオーナー経営者の会社、その程度の人間が経営する会社だった。「その程度の経営者にはその程度の従業員、この程度の従業員にはこの程度の経営者」とでもいうのか、この会社のオーナー経営者一族とその取り巻きに喜ばれる人間にはろくな人間がいなかった。
私は、入社以来、条件がいい展示場なんて配属してもらったことは一度もなかった。条件のいい展示場で、「なにくそお」と思って「ひまわり」「長嶋みたいなやつ」に負けてなるものか! と思って奮闘してきた。
だから、「長嶋みたいなやつ」「巨人みたいなやつ」で私よりも契約棟数がいくらか多いという人間がいても、
その営業所の市場性×営業力=営業成績
その営業所の市場性+営業力=営業成績
のどちらの見方で見ても、「営業成績」で私より少々上回っていても、「営業力」の部分では私の方が上だという場合は少なくなかったはずである。
だから、「リーダー会議」には私は代理での出席だったが、代理でなかった人間と比べても、私の方が上だという人が最低でも過半数だったと思っている。中には私よりも営業能力では上の人もいたであろうけれども、私は代理での出席であっても、代理でなかったら出席するのは適さない者が代理で出席したのではなく、在籍年数でも通算契約棟数でも会社都合での転勤の経験でも他の出席者全般と比べて劣っていなかったはずである。
その時の話を述べるつもりでその前段を今回の稿を打ち込みだしたのだが、前段が長くなったので2回に分けて、その「リーダー会議」ででのことは次回にまわすことにしたい。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_3.html 、「リーダー」会議にて。
(2021.3.6.)
☆ 会社と営業の話 シリーズ
[第822回]新卒社員研修で「この会社におる奴はアホばっかしや」と言う外部講師と東京海上火災の営業を「皆さんとは違ってエリートの人」と言う社員教育担当者。 「最近の若い者は甘ったれとる」のか? 「親は子から何かをしてもらった時に気持に喜ぶ」のか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_6.html
[第823回]電話はいくつ鳴ったら取るべきか。ベルいくつ、何秒かけて相手が出なければ、かけるのをやめるべきか。「自分にかかってきた電話でなくても会社にかかってきた電話は取るべき」ではないのか。配偶者でもない女からひっきりなしに職場にかかってくる電話について、使用者は注意するべきではないのか。居留守使うやつに協力する必要はあるのか。サラ金の督促の電話に他の従業員が出る筋合いはあるのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_7.html
[第824回]ある日の営業会議ー「社長の腰巾着」に物言えない所長と「腰巾着」におべっか使おうとする男。世話になってきた営業の担当契約客にお茶の一杯入れて出さない郡山の営業。玄関まで行って他営業の契約客だと戻ってきて外出するいわきの営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_1.html
[第825回]会社の為に転勤する全国社員を犠牲にする会社、営業本部長の約束を平気で反故にする会社、「契約がすべて」と言いながら契約半分未満の人を「優秀者」とする会社、世話になってる人を世話している者の「応援者」にする会社、自社が作った制度を踏みにじる会社ーある日のリーダー会議【上】〔今回〕
[第826回]ある日の「リーダー会議」【下】ー勝手に歩合給部分を減額する会社、筋を通して従業員の立場を説明する者と使用者にすり寄って自分だけ好かれようとするクズ、自分だけ使用者に喜ばれようとして失敗した経験を少しも活かさない成長しない男。話のすり替えをして使用者にすり寄ろうとするアンクル=トム https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_3.html
[第827回]極端に労を惜しむ営業、割が良くない作業は人に押しつける営業と他の営業がやりたがらないことを引き受ける営業。日報ださせてもその内容を見る視力がない所長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_4.html
[第828回]住宅建築業・他の営業と「バッティング」した時に盗られない方法。「あんたのやってた客はやりにくい」という誉め言葉。盗っても自分は契約できない先輩社員の有望見込客を盗ろうとする愚か者営業。ひとの見込客を横取りしようとする者がやりにくいのは横取りしようとする者が悪いと認識できないアホ営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_5.html
前回、「ある日の営業会議」について述べました。今度は「ある日のリーダー会議」について述べます。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ という会社は奇妙なことをする会社で、営業の職種で「課長」「係長」「副長」「主任」という役職名をもらっている人がいながら、それらの人は、課長でも「△△課」の長ではなく、係長は「◇◇係」の長ではないのです。「副長」ていったい何なんだ? 「副長」というと多くの人間が思い浮かべるのは、「新選組 副長 土方歳三」だが、土方歳三てのは、あの「副長」てのはどういう役職だったのか・・どうもよくわからない。 (株)一条工務店では、「副長」というのは「主任」と一緒、20代なら名刺に「主任」と書かれておれば、「ああ、この人は主任なのか」といくらかなりともプラスの評価を受けるが30代の後半になって「主任」なんて名刺に入っていたら、「この人、この年齢になってまだ主任なのお」とかえってマイナスの評価になる可能性が考えられるので、それで、はっきりいくつからだったか忘れたが、おおむね、30代の半ばから上の年齢の人間は「主任」と言わずに「副長」と言うことにした・・ようだ。「副長」なんてそんな役職名をつけている会社はあんまりないだろうと思ったのだが、契約客の方に役職を尋ねたところ、「副長」という役職の方があったので、「副長」という役職名があるのは(株)一条工務店だけということではないようだ。しかし、「△△課」の長でもないのに課長、「◇◇係」の長でもないのに係長とはいったい何なんだ・・というと、相撲の大関とか関脇・小結とかみたいなもので、それまで、ある程度以上の契約棟数を獲得してきた人に与える称号で、その称号をもらえば、給料がいくらかあがるということと、「えらそうにする」ことができるようだ。だから、「しょーもないやつ」がえらそうにしていることがある。
それなら、各展示場の責任者というのはないのかというと、「所長」という人がいて、1992年に私が入社した時からしばらく、「所長」は同時に「課長」とかでもあり、「所長」は自分自身でも営業活動をおこなっていたが、自分自身が在籍している展示場の長であるだけでなく、ある地域の長だった。但し、その地域の長といっても、その地域の営業の長なのか、それとも、設計・工事なども含めた長なのかは不明確で、1994年9月に福島県いわき市草木台 のK様邸で屋根屋が屋根から墜落して頭部を打撲して死亡した時も、福島県浜通り地区の所長だったKさんは「俺は営業だから知らない」と言ったというのを「逃げた」と言う人がいたようだが、Kさんとしては、もともと、(株)一条工務店から工事についても管理しろとは言われていないし、各展示場に工事課の人間がいても、工事課の人間は浜松の「本社」の工事部の人間の指示で動いていて、営業からなった所長の指示で動いていたわけではないので、工事課の担当者の上役は誰なのかというと、各地域にいる「所長」ではなく浜松の「本社」にいる工事部の人間のはずだから、Kさんが言ったらしいことは間違いというわけでもない。「所長」は課長・係長・副長・主任のどの役職の人間なのかというと、「課長」の役職を賦与されていた人がなっていた場合が多かったが、福島県浜通り地区の所長だったK野さんは、課長でも係長でも副長でも主任でも何でもない「所長」だった。なんか変なの・・と思うが、(株)一条工務店はそういう会社だった。
もうひとつ、1990年代半ば過ぎくらいに「副店長」というのを創設した。これは、通算契約棟数が一定以上に達し、在籍年数も一定以上に達した人で、会社都合での転勤に応じた人を「副店長」とするというもので、「副店長」は「副長」「主任」より上ということだった。当然だと思う。大企業においては、「全国社員」と「地域限定社員」と分けて採用している会社がある。「総合職」と「一般職」を分けている会社もある。「全国社員」「総合職」は日本全国、及び海外でも転勤してもらいたいと言われれば拒否できないのに対して、「地域限定社員」は転勤はないか、もしくは転勤があっても一定の地域内、「一般職」は転勤はない、という場合が多い。(株)一条工務店は私が応募した際に見た1991年後半の「ビーイング」の求人広告には「転勤はありません」と明記していたが、私の場合は、慶應大学商学部卒の卒業証書を取得した時から、「全国社員」「総合職」として採用されるか不採用にされるかどちらかであって、「地域限定社員」「一般職」としての採用は希望してもないものと思っていたし、戸建住宅建築業の会社に応募する場合も、一時的に一線の営業の仕事をやってもいいけれども、いつまでも一線の営業をやるつもりはなかったし、又、そんな人の使い方をする会社なんてないだろうと思っていたので、入社する際に見た求人募集にどう書かれていても、実質「全国社員」「総合職」で入社したつもりでいた。だから、入社2年目に福島県いわき市の営業所に転勤してくれと言われた時も、入社から少々早いのではないかとは思ったし、又、(株)一条工務店が1993年1月に東京都江東区亀戸にオープンさせた(新)東京展示場に勤務することになると「リーダー」の宮崎さんから言われたので、それで、亀戸に通える所ということで船橋市に住居を購入した直後であり、営業本部長もそれは知っていたはずであり、従業員が会社の業務に合わせた場所に住居を購入したなら、その直後に転勤させるというそのやり口については、それは不適切であろうとは思ったが、転勤そのものは拒むつもりはなく、いわき市に転勤した。しかし、そうやって会社の為を思って転勤して負担を払う人間と、転勤せずに自分が気に入る場所にずうう~っといる人間とで評価が同じというのでは、それでは会社の為に負担を払って転勤する人間は馬鹿らしい。 私が営業担当として接した方でも、たしか、三菱樹脂だったと思ったのだが、「全国社員」と「地域限定社員」に分かれていて、これは入社する際にどちらかを選択するもので、能力が優れているか劣っているかの問題ではなく、「全国社員」となった場合は転勤は拒否できない、「地域限定社員」の場合は転勤はないわけではないが一定地域内に限られ、そのかわり、「全国社員」は「地域限定社員」よりも昇進が速く、それに見合って給料も高くなる・・と聞いた。やっぱり、会社の為に尽くした者には会社はそれに報いるべきであり、片方で会社のために転勤してくれる人も必要であるが、福島県あたりだと「田んぼ」がある兼業農家は少なくないし、一定地域内から動きたくない・動けない事情がある人もいるわけで、それでそうしていたのでしょう。

人事・労務管理の知識 (日経文庫) - 森 五郎

労務管理入門 (有斐閣新書―経営学基本シリーズ) - 康司, 奥林, 修二, 石井, 博, 岩出, 一雄, 菊野, 武久, 平尾
ところが、(株)一条工務店では、同じ所にずうう~っといて動かない「浜松の中のカエル」がえらそうにしていたわけで、その人たちは「空の広さは浜松の広さと同じだ」と日夜、叫んでいたのだが、会社にとってはそれではいけないのであり、それで、営業として一定以上の通算契約棟数と一定以上の在籍年数の人間が本人希望ではなく会社都合での転勤をした場合には「副店長」として、役職手当を支給してその分だけそうでない人より給与を多く支払い、「副長」「主任」より上の扱いとする・・ということにしたのだ。「課長」「係長」「副長」「主任」と同じく、「副店長」というのも、大関・関脇みたいなもので、大関に昇進したとしても土俵の上でやることは平幕と一緒で「副店長」でもヒラとやることは一緒であって、職能級位みたいなもので、特に権限があるわけでもなかったが。しかし、いったん、会社のためなら転勤にも応じますとして、「全国社員」の対応をした者に「副店長」とするという制度を作っても、そのうち、それも無効化してしまうのが(株)一条工務店だった。
私は会社都合で、1998年9月から栃木県佐野市の展示場に転勤したが、当然、「副店長」昇進のはずだった。又、転勤すれば、それまで追客していた見込客を失い、契約客からの紹介客ももらえなくなり、場所を変わることでそれまでとは事情が違うという場面に出くわすこともあるので、転勤時に「2棟契約」の扱いにされることになっていた。そして、締め日に移動するのが普通であったのだが、私の場合は、締め日までにこの見込客とこの見込客に契約いただけるか・・と思って営業活動をおこなっていたにもかかわらず、締め日より前に移ってくれと営業本部長の天野隆夫から頼まれて、締め日までに契約にもっていきたいと考えていた有望見込客を失った。 かつ、本来ならば「副店長」昇進で転勤時に「2棟契約」なのにそれをつけてもらえず、営業本部長の天野隆夫は「副店長昇進というのは、前はやっていたけれども、今はやらなくなったんだ」と言って、私には「副店長」昇進にしなかったのだ。しかし、会社の規定には依然として記載されていた。私が栃木県佐野市の展示場に転勤してからそれほど経たない時期に、埼玉県の営業所でけっこう契約をあげていた坂本さん(男。当時、40代後半?)が転勤なんてしていないのに「特進転勤」だとして「副店長」昇進した。私は栃木県地域の所長であった五十嵐さんに、おかしいではないかと言ったのだ。私は会社のためを思って「特進転勤」の条件を満たす転勤をして、その分、負担を払っているのに「副店長」にならさずに、「特進転勤」に該当する転勤をしていない坂本さんが「副店長」昇進というのは規定に反するではないか、と。そうすると、栃木県地域の所長だった五十嵐さんはどう言ったかというと、謝るのかと思ったらそうではなく居直って、「何、言ってんだ。坂本さんは入社してすぐの時に、研修のために遠くの展示場まで通ったんだ」とそう言ったのだが、入社してすぐの時に遠くの展示場まで研修に通ったというのなら、私は入社してすぐの時に遠くの展示場に勤務したし、1993年1月にオープンする江東区亀戸の展示場とそれまでからある江東区潮見の展示場のどちらの配属になるかと「リーダー」の宮崎さんに尋ねたら、「間違いなく絶対に亀戸」と言われたので亀戸には通えるであろうけれども潮見に通勤するのは無理だと思われる場所に住居を購入したら亀戸ではなく潮見の配属にされて、通勤は無理だと思われる場所に長く通わされたのではないか。坂本さんよりも私の方がよっぽど「入社してすぐの頃に」負担を払っているはずだ。 何よりも、 「副店長」昇進のための「特進転勤」の条件としての会社都合での転勤は坂本さんが遠くの展示場まで通ったという「入社してすぐの頃」のことではだめで、一定以上の通算契約棟数と一定年以上の在籍年数を経た後のことでないといけないという規定だったはずである。 「入社してすぐの頃」でも「遠くの展示場まで通った」というのは転勤ではないし、転勤していても「入社してすぐの頃」では「副店長」昇進のための「特進転勤」の条件は満たさないのである。何を寝言を言うとるか、何をお!!! こういうことをやっていたのでは、せっかく、「会社のためなら」と思って負担を払って転勤した者に対して、いわば、「やらずぶったくり」の態度を取っていることになる。おかしいではないかと指摘されて居直るとは何だ! ふざけんな!!!・・ということだが、そういう ”””「ふざけんな!!!」ということをやるのが大大大好きシンドローム””” というのが(株)一条工務店の経営者だった。
その職能級位みたいな課長・係長・副長・主任と副店長とは別に、「リーダー」というのがいたのだ。「リーダー」というのは、これは辞令が出るわけでもなく、「俺、リーダーなの? リーダーになってくれとか言われたことないんだけど」とか言っていた人もいたように、辞令が出るわけでもない。又、日常用語としてのリーダーとしての適性がありそうな人もおればそうでない人もいた。「リーダー」て何なんだというと、「グラフで、その展示場に常駐していない所長を別として、一番上に名前が載っている人」だそうだ。グラフに名前が掲載される順番というのはどのように決まっていたかというと、課長・係長・副長・主任・・という「役職」をもらっている人間はそうでない者よりも上、副長と主任は、30代の半ばくらいから上の場合に「副長」と言って20代なら「主任」と言ったという違いだが「副長」と「主任」なら「副長」の方が上で、「副店長」は「係長」より下で「副長」「主任」よりも上、同じ「役職」の場合は年齢が上の者の方が上で、課長・係長・副長・主任・副店長といった「役職」がない者の場合は年齢ではなく入社の順番・・ということで記載されていた。
しかし、私が入社した時に配属された江東区潮見の展示場で「主任」で「リーダー」だった宮崎さんは、なぜか営業本部長の天野隆夫に「嫌われた」そうで、茨城県の展示場に転勤させられた上で、ヒラに降格されたが、営業成績が上がらなければ相撲の大関が陥落して関脇以下になることがあるのと同様に「主任」からヒラになることはあるとしても、宮崎さんはその時の(株)一条工務店の従業員の中では間違いなく在籍年数は古い方で、通算契約棟数もある程度以上のものがあり、年齢も30代半ばでそれより若い人はいたはずで、(株)一条工務店が大好きな「いっきゅうけんちくしい(一級建築士)」でもあり、私が東京展示場にいて宮崎さんからいろいろと教えてもらっていた頃、埼玉県川口市だったか「東京都に近い埼玉県」に住んでいた人が茨城県に転勤になっていたが、相撲の小錦・霧島が大関から陥落しても平幕下位との比較ならまだまだ強かったのと同じくヒラに陥落したとしても社歴が浅い人との比較ならまだまだ実力はあったのではないかと思うし、転勤はあることとはいえ、ヒラの中ではそう下の方ではないはずだったが、グラフを見るとその展示場の営業の中で一番下に名前が記載されていたので、何で???・・・と思ったことがあったが、(株)一条工務店の経営者というのはそういうことをするようだった。
茨城県の展示場で宮崎さんと同じ展示場にいた人に聞いた話では、営業本部長の天野隆夫から「おい、宮崎くんのことを『さんづけ』で呼んだりしてないだろうなあ。呼び捨てで呼べよ」などと「命令」されたというのだ。 「『<さんづけ>で呼んだりしてないだろうなあ。呼び捨てで呼べよ』なんて言われても、自分より前からいる人で自分より歳も上の人を『呼び捨てで呼べ』なんて、そんなこと言われても困りますよ」と言っていたが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫はそういうことを言う人間らしい。しかし、いくらなんでも、そんなことするかなあ~あ・・と思うのだが、営業本部長の天野隆夫という男はそういう人間で、人によってはそれを「大人げない」と言う人もいた。実際、「大人げない」と思う。
私は、基本的には誰にでも「さんづけ」で呼んでいたが、但し、(株)一条工務店では年齢や前職の経歴は無視して、入社の順番で他社での経験がある人間でも年齢が上の人間にでも「くんづけ」で呼ぶ会社で、私も時分より年下の人間で前職の同業の会社に入社した時期より後で(株)一条工務店に入社した人間から「くんづけ」で呼ばれてきたが、私の方は、そんなことにこだわることないと思って、誰でも「くんづけ」で私に呼びたいのならその人はそういう人か・・と思って放っておき、私の方は基本的には誰にでも「さんづけ」で呼んできたのだった。
しかし、唯一、栃木県佐野市の展示場にいた私の半分以下の在籍年数で契約もそれに見合ったものであった上岡くんだけは、営業所長の五十嵐さんが「上岡くんには、さんづけで呼べ。上岡くんの方が入社は後でも年上のはずだ。さんづけで呼べ」などと言ってきたので、その人だけは「くん」づけにしないといけないと判断した。慶應大学の商学部の「社会保障論」「労働問題」だかの講義で教授が「日本の会社では転職すると、前職の経歴については一般に8割見てもらえばいい方か」と話されたことがあったが、中途入社の場合に、それまでの「職歴」をどう評価するかという問題があり、私などは「大学生」の時にずいぶんと色々な仕事をしたものだが、その間、「大学生」という立場が片方にあるとそれは「職歴」に評価してもらえないようだ。実際には「職業経験」としてそこで学んだものというのはあるわけだが、それでも、「職歴」とは考えてもらえないようだ。だから、私がアルバイトばっかりさせられていた時に、アルバイトなんかちっともしないで私などから見ればかなり贅沢な暮らしをしていた大学生が私がアルバイトをしていた時間に勉強をして比較的いい成績を取ったり、英検1級とったりすれば大学新卒の時にそれは評価されるが、アルバイト漬けにされた私はそれは評価してもらえないことになった。慶應は行きたくない大学で、卒業もしたくなかったのだが、4年までなってしまってしかたなしに新聞社が開催する企業説明会に行ってみたところ、そこに出展していた会社の人から電話をもらって採用すると言ってもらったのだが、あの大学を卒業したくなかったので試験を受けなかったところ留年したのだが、残っている単位が少ないなら卒業しなくても来てもらっていいと言ってもらい、どこか勤めないといけないならそこに行くかと思って行きかけたが、そこの会社の人事総務部長から「いくつも単位が残っているのならともかく、あと少しなら、慶應大学を卒業しているというのと中退とでは人の見方が違いますよ」と言われ、「行きたくない大学だったかもしれないけれども、ともかく、卒業しておいた方がいいですよ」と言われ、週に2コマだけだったので勤めながら2コマだけ行かせてもらって卒業した。そこでは人事総務部にいて採用に関する仕事をしていた。そこで学んだものはあると思うが、その時も「大学生」の立場があったので履歴書に記載することはなく、「職業経験」として学んだものはあっても「職歴」とは評価してもらえない。バブル経済と言われる時代でこんな大学、大学と言えるのかみたいな大学生がえらそうにしているんを見ると、もうちょっといい所で採用してもらえるのではないかとも思って応募しなおして採用してもらったのが戸建住宅建築業の小堀住研(株)だったが、ここからは履歴書に記載することになる。同社で学んだものはあるが、そう長く勤めたわけではないので、それほどの「職歴」ではない。しかし、そうはいっても「中途入社」として(株)一条工務店に入ったからにはいくらかは評価されていいのではないかとは思ったが、小堀住研(株)の場合は私は新卒入社で入ったが中途入社で入った人は住宅建築業と関係のない会社に勤めていた人でも職能級位として前職の経歴をいくらか評価していたようだが、(株)一条工務店ではそれまでの職歴は無視してすべて同じ扱いとし、「入社の順番」にしていた。会社がそういう扱いにするのならそれならそれでいいわと思って勤めてきたが、営業の職種の場合は、契約をあげれば相撲の番付みたいな「役職」が上がり、又、「全国社員」を「地域限定社員」より高く評価するのと同じくある程度以上の在籍年数とある程度以上の通算契約棟数の者が会社都合での転勤をすると「副店長」になるという扱いをして、又、グラフでの名前の表記においてはヒラは入社の順番だが主任以上は年齢の順番ということにしていた。片方で、この会社は私を中卒や高卒のおっさんと同じ扱いにするのかとも思ったが、ともかく、一線の営業の仕事で実績を残せば文句ないのなら実績を残せばいいと考えて実績を残した。そして、「副店長」昇進の条件を満たして「会社都合の転勤」をして栃木県佐野市の展示場に移った。それで、自分の半分も在籍していない実力のない人を「さんづけで呼べ」などと言われる筋合いはない。そう言われなかったなら、私は入社以来、「あんまり賢くないのにプライドばっかり高いおじさん」とかもいるし、そういうことでもめてもしかたがないので、誰にでも「さん」づけで呼んできたのだが、会社の規定により「地域限定社員」よりも負担をかぶりその分を会社に貢献する「全国社員」を評価するための制度である「特進転勤」の基準を満たした上で「副店長昇進の条件を満たして会社都合での転勤」をした者に対して、「所長」から半分未満の在籍年数の男を「さんづけで呼べ」などと言われたのでは、それは認めてはならないことになる。「頭の悪いおじさん」を自分より後から入った人でもそれまで誰にでも「さんづけ」で呼んできたのとはまったく事情が違う。五十嵐は自分が「リーダー」になる人間を育てることができずに自分の方が頼んで私に4自分が所長になっている営業所に来てもらっておきながら、勤務態度が悪い格下の従業員を「さんづけで呼べ」と私が赴任するなり口にしたのだが、この五十嵐の文句は私は決して忘れはしないし、そのまますませていいとは思っていない。
今まで入社以来、(株)一条工務店は年齢も前職の経験も無視して、(株)一条工務店への入社の順番で、(株)一条工務店での在籍年数が古い者は新しい者に「くんづけ」で呼んできたのであり、私は自分より年下の人間で同業他社に入社した時期より後で(株)一条工務店に入社した者から「くんづけ」で呼ばれてきてそれを我慢してきたのではないか。それを、私は営業本部長から頼まれて「特進転勤」の条件で「副店長」昇進の転勤をして赴任した者だ。私の半分未満しか在籍していない前年契約棟数ゼロ棟の勤務態度の悪い男を「さんづけで呼べ」とはそれは何だ。 それならば、五十嵐さんにこそ、私に「さんづけで呼べ」と言ってやった方が良さそうだし、五十嵐さんにも呼び捨てで呼んでやった方がよさそうだ。だいたい、(株)一条工務店の「所長」というのは、どいうつもこいつも、何でこの人間が所長なんだという人間が多すぎるのだ。
おい、五十嵐さんよ、おまえこそ、ヒラに降格になった方が適切ではないのか?!?・・・そう思った。五十嵐さんからそういう口をきかれた以上は、上岡くんだけは絶対に「さんづけ」で呼んではいけないと認識した。 但し、上岡くんは気にいらないことがあると暴れるし、実際、上岡くんに暴れられて私は何度も怪我させられたし、(株)一条工務店は「保護義務違反」の会社であり、会社に言っても何もしてくれないし、(株)一条工務店は「男ちゅうもんは何かあった時にはおのれの腕でやりあって勝負つけるもんなんじゃあ。それが大澄(初代)社長の考えるところの『梁山泊の精神』ちゅうもんなんじゃあ」と言う会社で、上岡くんは《「自分の名前を書くことができると合格」と言われた私立高校のスポーツ入学》でこちらは文治派ですから、そんなスポーツ入学の武断派に暴れられて怪我させられたのではかなわん・・と思って本人には「さんづけ」で呼んできたが、栃木県地域の所長だった五十嵐さんは上岡くんのことを「爆発力がある」などと言っていたのだが、たしかに気にいらないことがあると突然暴れるという「爆発力がある」男だったのだが、営業所長の五十嵐さんは、それまで、年齢も前職での経歴も無視して、(株)一条工務店に入社の順番で、年齢が若い人間で他社での経歴がない人間でも私に「くんづけ」で呼ばせてきた会社において、「副店長」での赴任したはずの私に私の半分も在籍していない通算契約棟数もそれに見合ったもので前年契約棟数ゼロ棟の勤務態度の悪い人間を「さんづけで呼べ」とはよくもまあ言ったものだ。五十嵐の方こそ、ヒラ以下に降格になった方が似合っているのではないか。そう思ったので、五十嵐と話す時には、上岡くんについては絶対に「さんづけ」では呼んではならないと考えて、五十嵐さんと話す時には上岡君についてだけは必ず「くんづけ」で呼ぶようにした。
森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、学識者とそうでない者とを比較してみると、一線の仕事なら学識のない者でもできても、管理する仕事になると、学識者とそうでない者との違いがでてくるということが指摘されているが、実際、(株)一条工務店の中卒・高卒の「所長」「副所長」を見ると「だめだなあ~あ」という人が大変多い。 宮崎さんは何があったのか誰にきいても明確に答えてくれる人がいなかったのだが、どうも、営業本部長の天野隆夫から「嫌われた」ということらしかったが、人間、誰しも好かれることもあれば嫌われることもあるだろうが、会社の運営においては、たとえ、気にいらない人間であっても、「さんづけで呼んでないだろうなあ。呼び捨てで呼べよ」なんて、そんなことする人なんて、あんまりないと思うがなあ~あ・・・と思ったのだが、そのあたりが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫はやっぱり「中卒のおっさん」だったのかもしれない。
「リーダー」というのは、「天野(営業本)部長に嫌われた」とかだと会社が決めた「グラフに名前を記載する順番の決まり」を踏みにじって最下位に記載され、「グラフに名前を記載する順番の決まり」に従えば一番上に記載されていい人でも一番下に記載されることがあるらしかったが、「天野(営業本)部長に嫌われた」のでなければ、「課長」・「係長」・「副長」・「主任」という「役職」をもらっておればその順番、「副長」と「主任」は「副長」の方が上、「副店長」は「係長」より下で「副長」「主任」より上、課長・係長・副長・主任・副店長の「役職」をもらった者で同じ「役職」の者では年齢の順番、ヒラの場合は年齢ではなく入社の順番・・ということで、その決まりに従って一番上に名前が載っている者が「リーダー」ということになっていた。そして、その「リーダー」は、栃木県の場合は、だいたい1ヵ月に1回くらい、一か所に集まって「リーダー」会議をおこなっていた。・・その「リーダー」会議における話を述べようと思う。
ある時から気づいたのだ。どうも、(株)一条工務店の経営者は私を「リーダー」にならせたくないらしい・・と。それまでの在籍年数や契約棟数などを参考にして自動的に展示場をわりふって、会社が決めた「グラフに名前を記載する順番」に従って「リーダー」が選ばれる・・という決め方ではなく、私が在籍する展示場だけは、意図的に私が「リーダー」にならないように、「役職」をもらっている人を意図的に配属したり、私より入社が古い人を意図的に配属したりしているとしか思えない・・ということに気づいたのだ。なんで、そんなことされなきゃならないの?
結局、11年余りもあの程度の低い会社にいて、「永年勤続表彰」と記載された腕時計をもらったが、よく頑張った・・と自分で自分をほめてあげたい気持ちと、あんな会社のために尽くすなんて「アホちゃうか」・・という面と両方の面がある。 入社10年目、栃木県地域の営業が集まる「会議と研修」があって、その時、座席が入社の順番で決められていたのだが、60人ほどいた営業社員の中で、私は、栃木県南部の「副所長」の木下さん、北部の「副所長」の金原さんを別にすると、古い方から5番目で、私より古い4人のうち3人が私と同じ佐野展示場にいたのだ。そうやって、意図的に在籍年数の古い人間を私と同じ展示場に配属することで、「会社が決めたグラフに名前が記載される順番」で私の名前がグラフの一番上に載らないようにしていたらしい。なんで、そんなことされなきゃならないのか。それまで、入社以来、毎日毎日、毎年毎年、会社の為に滅私奉公を続けてきて、会社のために尽力してきたのに、なんでそんなことれなきゃならないのか・・と思う。 もっとも、2001年、総務部長の天野雅弘が言うには「何が気にいらんか、おまえはそんなこともわからんのか。おまえが慶應大学を出ているというのが、それが何より気に入らんのじゃあ。俺らはみんな高卒なんじゃあ。俺らはおまえとは違ってどんなに努力しても慶應大学なんか通らんのじゃあ。この野郎! それが何よりも気にいらんのじゃあ! 俺は正直だからこういうことを口に出して言うが、口に出して言わない人間だってみんなそう思ってるんだからなあ。俺らはどんなにしても慶應大学なんか絶対に通らんのじゃあ。おまえはインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)も何の努力もしなくても通るけれども、俺らはひとつも通らんのじゃあ。それが気に食わんのじゃあ」と言われたのだが・・・、そういうのって、「正直でよろしい」とほめてあげるものだろうか( 一一) ・・・。
総務部長の天野雅弘が言うところの「・・おまえはインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)も何の努力もしないでも通るけれども、俺らはひとつも通らんのじゃあ。それが気に食わんのじゃあ」という発言ですが、こういうことを言う人というのは大変ずるいと私は思うのです。柴田孝之『司法試験機械的合格法』(2004.最新3版)で、柴田は
《 しかし、成績が上がらないのには、きちんと原因があります。
その一つは、単に勉強をしていないだけの場合です。本人は「勉強した」と言っていても、話を聞いてみると、” そんなのやったうちに入らないよ” ということが多々ありました。
私は無理を押しつけたくはないのですが、成績を上げたければ、やはりやらなければならない絶対量というものがあります。頭に入れていないものは出てくるわけありません。その絶対量すらクリアーしていないで成績を上げようというのは、虫がよ過ぎます。
ちなみに絶対量とは、その人がこれまでにやってきた勉強量の1.3倍ぐらいでしょう。それができない人は、努力する才能が欠けているのです。
しかし私は、努力する才能は後天的に身につくものだと思います。・・・》
と述べている。

<法科大学院&新司法試験対応>司法試験機械的合格法 - 柴田 孝之
会社という所にはいろいろな人がいるから、そういう人がいてもおかしくはないが、総務部長がそういう思考をしてはいかんのではないか・・と思うが、その程度の人だったのかもしれない。(株)一条工務店では、営業本部長の天野隆夫と総務部長の天野雅弘と「天野」が2人いて(厳密には天野隆夫の嫁で私が入社した頃は「総務の責任者」だった天野順子と3人いて)、ダブル天野はいずれも「一族」らしかったが、天野雅弘は禿ていたので「髪の薄い天野」と言われ、「アタマの薄い天野」と「髪の薄い天野」と呼び分けられていたが、どっちもどっちみたいな感じがする。
それで、1998年9月に栃木県佐野市の展示場に「特進転勤」で「副店長」昇進の条件で転勤した時だが、営業本部長の天野隆夫からは「副店長昇進というのは、前はやったけれども、最近はやらないんだ」と言われて、「ええ?」と思ったが、それでも、「リーダー」として展示場のアタマで赴任する話だったはずだった。ところが、実際に佐野展示場に赴任すると、茨城県の展示場にいた武田さん(男。当時、30代)が一緒に佐野展示場に赴任して「リーダー」になった。武田さんは私より年齢は下だったが私よりも(株)一条工務店への入社は先で通算契約棟数も私より少し多かったと思う。だから、「グラフに名前を記載する順番の決まり」に従えば武田さんが一番上になり「リーダー」になるというのはわかる。しかし、私が「居住地変更をともなう転勤」を承諾したのは、それは「その展示場のアタマとして赴任する」ということ、「リーダー」として赴任するということで承諾したはずであって、在籍年数・通算契約棟数・過去3年間の契約棟数や住宅・建築関連の保有資格などから考えれば、私は「リーダー」にならせてもらっていいはずだったのだが、いわき市の展示場にいたのでは、すでに「リーダー」になっている人がいるのでなれないので、それで、他の地域の展示場に転勤するということを承諾したのであって、「リーダー」でない立場での転勤に承諾した覚えはないはずだった。
それだけではない。(株)一条工務店は、1992年に私が入社した時には求人広告には「研修制度が充実していますから、売れなくて困るということは絶対にありません」と明記していたはずだったが、入社してみると「研修制度が充実」なんてしてなかったし、私が入社した東京都江東区潮見の東京展示場では、「リーダー」の宮崎さんが「主任」である程度は経験があったようだが、他は新卒入社3年目の人が1人、新卒入社2年目の人が1人いただけで、他は入社1年目の人間ばっかりで、最大で13人も有望な見込客が少ない展示場に押し込められた。入社してすぐの頃は、誰か指導してくれる人が欲しかった。「リーダー」の宮崎さんはきくと嫌がらずに教えてくれる人だったが、なにしろ、新人ばっかり大量にくっつけられていたし、本人が「ぼくの経験なんてたいしたもんじゃない」と言っていたが、そんなに無茶苦茶ものすごい実績があるわけでもない人に新人ばっかり大量にくっつけるということをして、片方で静岡県中西部・愛知県では課長・係長とかいった「役職」をつけてもらっている人間が、その展示場で2番目・3番目・4番目でいて、そういう人たちというのは「リーダー」として新人の世話なんて何一つしないで、何で課長だの係長だのといった役職を名のることが許されるのか、課長だの係長だのの仕事をしていないのになんで課長だの係長だのの役職手当を搾取しているのか・・と思ったものでした。
(株)一条工務店では会社としての指導としてはろくなものがなかったが、福島県いわき市の展示場に転勤してからは、個人的に教えてくれる人もあったが、しかし、個人的に教えてもらえるというのはありがたいが、会社であるからにはある程度以上「会社としての指導」として的確なものがあっても良さそうなものだが、そういうものはなかった。そのうち、ふと気づくと営業社員の中で真ん中より古い方になり、通算契約棟数で見ても前年契約棟数で見ても過去3年間の契約棟数で見ても、真ん中より上になり、どう考えても、教えてもらう側か教える側かというと「教える側」の方になった。又、意識の上での問題もあり、戸建住宅建築業の会社では、社歴が新しい営業には経験のある営業が同行して契約に結びつけるということをやっている会社があり、又、「設計」が営業に同行する会社もあったが、いわき市の営業で私よりも入社が古い人で「住友林業は最初から設計がついていくらしいけど、どうしたもんだろうねえ」「◇◇は所長が同行するそうじゃないの。どうしよう」などと言う人がいたので、「あんた、何言ってんの。あんた、『同行してもらう側』じゃないでしょ。あんた、『同行してあげる側』の人でしょ。何を言ってんの」と思い、又、「『設計が同行する』なんて言われて『びびる』人がいるらしいが、 『設計』ったって要するに『バカでも入れる私大の建築学科』出たばっかりのヤンキーみたいなにーちゃんだろうが。一条工務店なんて、インテリアコーディネーターで二級建築施工管理技士で宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の私が顔出すんじゃないの。私の方が『バカでも入れる私大の建築学科』出たばっかりのヤンキーより絶対に上だっての。何をアホなこと言ってんの」と思ったものだったが、現実に社歴がある程度以上古い人でも、意識の上で「助けてもらう側」みたいな気持ちでいる人がいた。それに対して、私はそうではなかった。だから、私は「応援される側」か「応援する側」かというと「応援する側」になったと自覚した。 ・・ところが、(株)一条工務店は、””どう考えても「応援される側」の人を「応援者」に指定して、「応援する側」の人間を「被応援者」に指定したがる症候群”” みたいなところがあった。
1990年代前半の途中、(株)一条工務店では全営業社員を「応援者」「被応援者」「どちらでもない営業社員」の3つに分けて、「応援者」は「被応援者」を応援するということにした。最初、私は「どちらでもない」に分類された。
たしかに、入社して間がない人はある程度以上の経験と実力がある人に指導してもらった方がいいだろうし、又、契約が獲得できればいいというものでもなく、契約時に契約書の内容をきっちりと説明した上で契約してもらっているかどうかという問題がある。私が福島県いわき市に在籍した時、新卒入社1年目のSくん(男)が契約してもらった唯一の契約客をS君が1年いたかいないかくらいで退職した後、ベテランの「木南さん」(仮名)が引き継いだ後、「木南さん」(仮名)が新潟県の展示場に転勤した後で私が引き継いだのだが、引き継ぐと同時に「住友林業で契約して建てたいので解約したい」と言われたのだ。正直な人で人間的にも問題のない方で、仕事も堅い仕事についている人で土地もきっちりとした土地があり年収も十分家を建てられる年収がある人だったが、「木南さん」(仮名)は経験が長い人なのでお客様の方から何やってくれこれはどうかと言ってくる人には対応する人だが、ところが、計画が何年か先だという人だと「あの人、言ってもどうせ先だから」と放置する人で、そうなるとお客様としては、「うちはまだ先だからと言っているのに、それなのに契約だけしてくれと熱心に言うものだから契約だけしたのに、いったん契約したが最後、ほっぽらかしにする」という気持になられたようだ。それで、そんなことする会社で建てることないと思われたらしい。私が引き継いだ時にはなんとか挽回しようとしてももうどうしようもない状態だった。それで、解約したいと言われたのだが、同業他社で契約する場合には契約金として振り込まれた100万円は返金できませんという文言が契約書の裏面の契約約款に細かい字で書かれていたのだが、そんなもの知らなかった、「解約はいつでもできますから」と言われて契約した・・そうだった。
浜通り地区の所長のK野さんは「そんなもの、誰でも、聞いてなかったと言うだろ」と言うのだが、たしかにそうだろうけれども、しかし、私だって住宅建築業の営業の仕事を始めたばっかりではなく、その人が本当に聞いてなかったのか、実際は聞いていたのに聞いてなかったと言っているのかは、百パーセントではないとしてもある程度はわかる。おそらく、その方は「同業他社で類似の契約をするために解約するという場合には契約金の100万円は返金しません」という文言についての説明は契約時に聞かず、「解約はいつでもできますから」と言われて契約されたのだろう。そんな契約のしかたであっても、その方の好みからすれば(株)一条工務店の建物は向いているので、そのまま、普通に対処しておれば・・この場合、どういうものが「普通に」かというと、私が営業担当ならば、まだ実際に建てるのが先だという方に契約だけ先にしてもらったという場合には、特別に用事がなくても定期的に手紙を出したり電話をしたり、近くまで行った時に用もなくても「こんにちわあ」と挨拶だけ顔を出したり、年賀状を出したり、年始にタオル持って挨拶に顔だしたりということをやったであろうから、そのくらいのことをしておけば、特別につむじを曲げられることもなかった・・と思うのだが、なにしろ、「木南さん」(仮名)の場合はお客さんの方から何か言ってくれば対応する人だがお客さんの方から言われなければ何もしない人なので、「契約だけさせられて、契約したと思ったら放置された」という意識になるようだった。なるほどなあ・・と思ったが、本来、そのあたりについては、もしも、退職する営業社員がいたならば、契約客を誰に引き継がせるのがいいか、そのあたりの相性を考えて引継ぎ担当を決めるものだが、言われたら対応するがそうでなければ何もしない「木南さん」(仮名)というのはそのお客様としてはものすごく馬鹿にされたという気持になられたようだった。
それで、私が引き継いだ時には挽回しようとしてももうどうしようもない状態だったが、それを所長のKさんに言うと、「前の引継ぎ担当が良くなかったから解約したいというのは、それは楠くんのことじゃなくて、あんただろうがあ!」などと言われた。それを聞いて、もう、木南さん(仮名)がやっていた契約客の引継ぎはやりたくないと思った・・というよりも、そんな口をきかれるのならば、もう、引継ぎ担当などするものか!・・と思ったがそう思うと余計にさせてやろうという気持になるのが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫で、そのあたり、うちの父親と似ていて「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」「無理矢理やるのが好きなタイプ」だった( 変態や( 一一)、そういう「お店」にでも行ってやるようにすればどうかて感じがする)・・・が、ともかく、な~んで俺が悪いんじゃ、なんでえ、ふざけんな!・・と思い、もう、引継担当はやりたくない・・と思ったものだったが、「木南さん」(仮名)が「あまり熱心でない人」であることだけが問題点だったわけではなく、新卒入社1年目のSくんの唯一の契約客だったのだが、何人かの古手の営業に「Sくんは契約書に署名捺印してもらう時に所長か誰か経験のある営業と一緒にやってないのでしょうか」と尋ねたのだが、誰もが自分は一緒に行っていないということで(もうひとつ、「そんなもん、所長がやるわけないでしょうが」と言う人もいたのだが)、Sくんが新卒入社した年、(株)一条工務店は福島県浜通り地区にSくんを含めて男性3人を営業として配属して、いわき地区に4展示場あったが、4展示場あれば3人を別々の展示場に配属して、1人ずつを経験がある別々の営業をくっつけて指導するようにさせればいいのではないかと思ったのだが、3人とも所長のいる展示場に配属して、そして、所長は新人を3人も一度にくっつけられて指導できたのかというと、私はその時に所長のKさんと同じ展示場にいたわけではないので見ていないが、「そんなもの、所長が見るわけないでしょうが。何、言ってんの」と言われたことがあったが、もともと、企画室課長⇒総務部長の天野雅弘が「所長は売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」と言っていたがK野さんがそこまで徹底して思っていたかどうかはわからないが、私のようにある程度以上の力がついた営業になら、時としてぼそっとアドバイスをくれることもある人だったが、まったくの新人を3人もくっつけられたのでは自分自身の営業活動に支障がでるし、実際、新卒新人と同行した行くと「所長と契約するのならともかく、俺の息子よりも若いようなやつと契約なんてできんよなあ」と言われたと言って所長のK野さんは嫌がっていたことがあった。
だから、K野さんの話を聞いていると、「所長の仕事は売るのが仕事であって管理したり指導したりするのは所長の仕事と違いますから」とは思っていなかったらしく、新人3人に何もしないということではなかったようだが、もともと、自分自身が売る方が得意の人だと言われており、(株)一条工務店の会社の扱いが「所長は管理したり指導したりするのが仕事であって、自分自身が売るのはほどほどでいい」という扱いであれば新人のめんどうも見れるが、「所長は売るのが仕事ですから」と言われたら、そうもできないということがあったらしい。そして、何人かの古手の営業に聞いた話では、「Sくんは、あんまり、他の営業に助けてもらわずに自分でやっていたみたいだった」ということだった。新卒新人には、やっぱり、少なくとも最初の1棟目くらいは所長か所長でなくてもある程度以上経験がある営業がついて契約の場くらいは一緒に在籍しておこなうようにするべきで、そうでないと、ここはきっちりと言っておかないと後で問題が発生するという点を言わないで契約してもらってしまった・・ということが起る可能性がある。私は、自分自身が担当の時には、契約書の裏面の契約約款については、特に、同業他社で類似の契約をするということで解約したいという場合には契約金の100万円は返金いたしませんという文言の部分については念を押した上で書名捺印してもらうようにしていたが、(株)一条工務店の営業にはいいかげんな営業がおり、そうではなく、むしろ、逆にそういうことをきっちりと言うと契約をためらったり取りやめたりする人がいるので、そのあたりについては言わないようにして契約書に署名捺印させるという人もいたと思われる。しかし、それを説明せずに契約させるというのでは「それでは、詐欺だっぺえ!」ということになる。だから、契約約款の同業他社で類似の契約をすることで解約したいという場合は契約金の100万円は返金しませんという部分については、それを説明することで、言わなければ署名捺印してくれる人が署名捺印してくれないという場合も中にはあるかもしれないが、それでも、その点については念を押して説明するようにすべきであり、むしろ、この人はそういう所はきっちりと説明してくれる人なんだという点を評価してもらうようにするべきである。Sくんが、契約約款に同業他社で類似の契約をするために解約する場合は契約金の100万円は返金しませんという文言をSくん自身が知らずに、きっちりと説明せずに書名捺印してもらったのか、それとも、誰かよからぬ営業が「そんなもの、契約約款なんて読むことないよ。読まないようにするためにわざと小さい字で書いてあるんだから。裏面の契約約款なんて読まずに表の契約書の文面だけ見せて署名捺印してもらって契約金の100万円を振り込んでもらえばいいんだよ」と教えたのか?・・そのあたりはわからないが、もしも、私が同じ展示場にいて私を「応援者」「指導係」に指定してくれていたならば、少なくともそのあたりについてはきっちりと教えてあげることができたし、後から「聞いてなかった」という話になることもなかった。だから、営業の仕事の場合は、中には入社1日目から「行ってきま~す」て調子で売りにいこうというようなタイプの人もいるかもしれないが、たとえ、そうでも、最初の1棟目くらいは所長か所長でなくてもある程度以上経験がある人が同行して契約書に署名捺印してもらう作業においては同席して一緒に進めるべきだ・・と思う。だから、「応援者」「どちらでもない」「被応援者」に営業社員を3分類した、というのはそれは正しいと私は思った。
ところが、それからたいして経たないうちに、「応援者」「どちらでもない」「被応援者」との3分類ではなく、すべての営業社員を「応援者」と「被応援者」の2つに分けるということを(株)一条工務店はやった。それは良くないのではないかと思ったのだ。「どちらでもない」に該当する人がいると思うのだ。「応援」するほどの力はないが「応援」される必要はないという人がいると思ったのだ。その時、展示場ごとに「応援者」と「被応援者」が指定され、私は「応援者」になった。それまでの在籍年数・通算契約棟数・過去3年間の契約棟数・前年の契約棟数などで判断すればそうなるずで、浜松の本社にいる人間が事務的に決めるとそうなったのだ。
ところが、その後、在籍年数・通算契約棟数・過去3年間の契約棟数・前年契約棟数などから事務的に決めるという決め方ならば私が「応援者」になったのだが、そうではなく、それらの数字は無視して、所長が決めるのか営業本部長か「本社」の誰かが決めるのか、それらの数字とは無関係にデマカセで決めるというシステムに変わると、過去3年間の契約棟数で見ても前年契約棟数で見ても私の半分も契約とっていない「木南さん」(仮名)が「応援者」に指定されて私は「被応援者」にされてしまったのだ。こんなバカな話はない。 その頃においては、もしも、その人に契約してもらうのにどうすればいいか、どうしても考えつかない、誰誰ならいい方法を思いつくかもしれないというような相手があった場合に、その人に意見をきくということならお願いしたいという時もあるが、普段は誰かに「応援」なんてしてもらいたくないし、むしろ、そんな「足手まとい」をつけられたのでは迷惑だ・・という状態になっていた私としては迷惑千万なことだった。かつ、たとえ、それでも「応援者」をつけて私を「被応援者」にしたいのならば、通算契約棟数全国1位とかそういう人が私の「応援者」になるというのならば、それなら「お手並み拝見」しようではないか・・とでも考えるが、私の半分も契約とっていない人に「応援者」になられたのでは迷惑だ。これは「応援者」の制度ではない。
実際問題として、気づかない人も中にはいるかもしれないが、「木南さん」(仮名)のように在籍年数は長いものの、ここしばらく契約が多くあがっていないという人というのは、見ていると、変なことやったり、変なこと言ったりすることがあるのだ。それを自分自身が担当のお客さんを相手にやるのならまだしも、「応援者」だと言って「木南さん」(仮名)の倍以上契約取っている私の担当の客にやられたのでは迷惑なのだ。
それだけではない。営業会議の時に、所長の草野次男さんが私に「〇〇くんは、応援者の楠くんに、どういう応援をしてもらいたいか」などと言うので、私は「私は別に何もやって要りませんけれども」と言ったところ、草野次男さんは「おい。それでは楠くんに失礼だぞ」などと後で言うので、「どういうことですか。どこが失礼ですか。楠さんの倍以上の契約を取っている私に『楠くんに、どういう応援をしてもらいたい』などと言う方が失礼でしょ。私の半分も契約とっていない人に『応援』してもらえとはどこからそういう発想が出てくるのですか。それを、『楠くんにどういう応援をしてもらいたいのか言ってみろ』だの『別に応援してもらいたいとは思っていませんとは楠くんに失礼だぞ』だのとは、そういう発言こそ私に対して失礼でしょ」と言いました。
そこまで言われるのであれば、私の方も言わせてもらおうではないかと思った。それで、所長の草野次男さんに言ったのだ。「もともと、過去の契約棟数などをもとに事務的に『応援者』と『被応援者』を決めるということになっていた時には私は『応援者』になっていましたでしょ。それなのに、なんで、所長が決めるのか他の誰が決めるのか、過去の成績とは無関係に『応援者』と『被応援者』に営業社員を2分することになると、私が『被応援者』にされなければならないのですか。 それも、年間全国1位の成績をとったこともある草野所長と私とでどっちかが『応援者』でどっちかが『被応援者』だということで草野所長に『応援者』になられたということならば、悔しかったら草野所長より多く契約とってみろということになるかもしれませんが、なんで、私の半分も契約とってない人に『応援者』になられなければならないのですか。ましてや、なんで、私の半分も契約とっていない人に『どういう応援をしてもらいたいのか行ってみろ』などと言われなければならないのですか。いくらなんでも失礼でしょ。(株)一条工務店は『契約棟数がすべてだ』とか言っていた会社ですよね。それなのに、なんで私の半分も契約とってない人に『応援者』になられなければならないのか、きっちり説明していただけませんか」と言いました。
実際のところ、楠さんの契約棟数が少ないといっても、もっと少ない人もいたのです。楠さんは会社が指定するぎりぎりの契約棟数を常に獲得するということをしていた人でしたが、その「ぎりぎりの棟数」を取れない人はいっぱいいたのです。ですから、ある程度以上の経験がある営業だった楠さんの倍以上の契約棟数を獲得するためには、私は相当の努力をし、相当の工夫をし、相当の労力を払って契約してもらってきたのです。ある程度以上在籍している人の契約棟数の「倍以上」の契約を取るというのは、これはけっこう大変なことなのです。 「被応援者」にされて変な「応援者」をつけられないようにと思って努力してきたのです。そうやって、楠さんの倍以上の契約を継続的に取得してきたのです。それなのに、「おい、楠くんにどういう応援してもらいたいんだ。言ってみろ」とは、これは喧嘩売ってるとしか思えない発言なのです。 実際、ええかげんにせええよ、てものです。
問題点として、同じ営業所にいた草野富夫さん(男。当時、40代前半)が自分より年下の人間に「応援」されるということを極端に嫌がる人で、プライドなんてなさそうな顔しておきながら、自分より年下の人間に「応援」されるということに強い拒否反応を示す人であり〔そういう人というのは、その点において精神構造に脆弱さがあることになりますが〕、そのために、それより前にも「応援者」に指定された30前のH田さんが協力しようとすると嫌がったということがあり、H田さんよりは年上の私でも嫌らしかったので、実際のところ、草野富夫さんのために会社やってるわけではないのであり、嫌なら私より多くとってみやがれということで、まず取れないでしょうけれども、そうはいっても、(株)一条工務店はそういうタイプの人も採用しているからには、そういう人はその人よりも年上の人が「応援者」になる展示場に配属してあげるようにすればいいことで、そういう人がいるからという理由で努力をして苦労をして労力を払って楠さんの倍以上の契約を獲得した私を「被応援者」にならせる理由はないはずでした。
よく、「学歴のある人間はそれだけで出世させてもらっている」とかのたまう人がいますがそれは嘘ですからね。 2005年、千葉県のリフォーム会社の(株)ウッディホームで千葉市稲毛区の本社での研修で見せられたビデオで、滋賀県の大店(おおだな)の息子が、試練として鍋蓋を行商に行かされる話というのを見せられたのだが、そこで、まだ小学生くらいの息子に親戚のおっさんが「おまえは、大店(おおだな)の後を継ぐということを、自分だけ楽してええ思いをする立場を継ぐみたいに思っておらんか。そうじゃないんだぞ。大店(おおだな)の後を継ぐということは、自分だけ他の人間がやらんような努力をし、他の人間がやらんような苦労をし、他の人間がやらんような我慢をするという、そういうことなんやぞ。わかっとるのか」と話す場面があった。私は、「高卒のおっさんばっかりの会社」で他の人間がやらんような努力をし、他の人間がやらんような苦労をし、他の人間がやらんような我慢をしてきたはずだ。ところが、この会社の経営者は草野富夫さんなどが自分より年下の人間に「応援」されるのは嫌だと言うとそうだそうだと認め、私が「他の人間がやらないような努力をし、他の人間がやらないような苦労をし、他の人間がやらないような我慢をして」きたところ、そこから私ならどんな我慢でもする人間だと思ってはてしなく我慢させようという態度に出るのだった。 ええかげんにせえよ、たいがいにせえよ・・ということになる。ともかく、私が「足手まとい」を「応援者」だと称してつけられる筋合いはないはずだった。そういう「足手まとい」をつけられたくないから、そのために楠さんの倍以上の契約を取ったのではないか。実績を残した者を犠牲にしてはいけないはずである。
そうすると、所長の草野次男さんは「そんなもの、前、おまえが応援者になっていた時なんてあったかあ」とカマトト言うので、それで、書類を捜したのだが、おそらく、私がそう言うと踏んで私が在籍した営業所の書類のファイルから誰かが削除したようで見つからなかった。それで、浜松の本社に電話を入れて、その書類をファックスで送ってもらうように依頼したのだ。ところが、電話に出た男が「ありません」と言うのだ。「ないはずありませんでしょ」と言い、「あなた、どなたですか。あなた、お名前はなんとおっしゃるのですか」と言っても時分の名前を名のらない。「そこは会社の総務部のはずですから、他に誰かいますでしょ。あなたではだめだから、誰か他の人と変わってください」と言うと、「他に誰もいません」ととぼける。「いないはずありませんでしょう。誰でもいいから、あなた以外の人と変わってください」と言っても、「いませんから」ととぼける。「いいかげんにしてもらえませんか。私は暇ではないのです。忙しい中で電話しているんです。私から無駄に時間を奪うということは、その分、営業活動の時間を奪うということで、会社にとってマイナスになるんです。あなたに会社にマイナスの影響を与える権利なんてないでしょ。今すぐ、他の人に変わってください」と言ったのだが、「他は誰もいません」と言う。「もしも、本当に総務の人間がいないのなら、経理でもどこでもいいから、本社にいる誰か他の人を呼んできてください」と言うと、「他は誰もいません」と言う。「おい、あなた、いいかげんにしなさいよ。さっさと誰か呼んできなさい。あなた、会社から給料もらっているのでしょ。あなたが電話に出ている間だけ、私は無駄に時間を奪われるし、電話代もあなたのおかげで会社は無駄に使わされるのです。さっさと誰か呼びにいきなさい」と言ったのですが、結局、そのまま誰も呼びにいかなかった。そのうち、その電話にでたアホが「所長とかわってください」と言うので、所長の草野次男さんと変わると、所長の草野次男さんには自分の名前を名のったらしく、話をしていたが、結局、あのアホは誰だったのか。会社は「本社」にはきっちりと対応できる人間を置いておかないといけないはずで、電話の応対もまともにできないような人間に電話を取らせたのでは、会社にとって損失である。
・・・それで、後から考えてみて、又、他の人から意見を言われたのだが、「それは天野部長(総務部長の天野雅弘)だったのではないか」と言われたのだ。たしかに、所長の草野次男さんが電話に出ると、その男が「転勤させてやりましょうか」と言ったらしく、所長の草野次男さんが「そんなことしなくてもいいよ。彼(私のこと)は売れるから。転勤なんてさせることないよ」と言ってくれたようでしたが、(株)一条工務店という会社は、経営者一族の虫の居所が悪いと、こいつ、気にいらないと思うと、東日本の人間なら福岡県とか山口県とかに転勤、西日本の人間ならば青森県とかに転勤、それもその地域の展示場の中で一番条件が悪い所に転勤・・ということをさせる会社で、それは「人事権の濫用」と評価されるものと考えらえるが、過去3年間の契約棟数で見ても前年契約棟数で見ても楠さんの倍以上の契約を取っていて、所属の展示場にいる営業の中では一番多い契約棟数を取っていた私でも、単に、所長と話をするために、会社が通達として送付したもので少し前のものをファックスで送ってほしいと言っただけで、「そんなものはありません」とカマトト言って長い時間を無駄にさせただけではなく、「転勤させてやりましょうか」と言ったらしく、総務部長の天野雅弘というハゲはそういう男であり、(株)一条工務店はそういう男を総務部長にならせている会社だったのだった。
「ハゲ天野」「髪の薄い天野」と言われる総務部長の天野雅弘がそんなことで「転勤させてやりましょうか」などと言ったらしいが、もちろん、それは法的には「人事権の濫用」と評価されるものですが、法律は守らないというのが「会社のルール」と考える「反社会的勢力」の会社ですから、「それは人事権の濫用になりますよ」なんて言ってもきかないでしょうから、転勤辞令を出されてから何らかの抵抗をするということになるでしょう。たとえば、「3か月おきに転勤」とか「青森県に転勤させて、2か月後に山口県に転勤させて、次にまた2か月後に新潟県に転勤させて・・」とかやってくるかもしれません。 何より、私の場合は、入社以来、条件が悪い展示場にばっかり配属されて仕事をしてきましたので、少々条件が悪い場所に転勤させられてもなんとかやっていく、やっていけるという自負がありましたので、そうなると、(株)一条工務店のずるいばっかりで誠意がない経営者が考えるのは、工場に転勤させて、朝から晩まで何十キログラムもあるものを運ばせて健康を害させてやろうという作戦というのがあり、2002年、実際に私はそれをされたのです。腰と肘を傷め、今も治りません。これは、こういうことをさせれば体を傷めるということを意図してさせたものであり、「労災」というよりも刑法上「傷害罪」に該当する行為です。
それだけではない。その少し後、福島県白河市で、福島県の浜通り地区と中通り地区・会津地方との営業の合同での研修会があって、そこには「被応援者」にされていた者が参加させられたのだが、研修の最後に講師役で来た九州の方の所長になっていた木田さんが、「営業は売るのが仕事です。応援者になった人は優秀な営業成績を残した人で、皆さんは応援者になれなかった人です。営業であるならばもっと努力して応援者になれるようにしてください。会社から給料もらっている以上、被応援者になっているということを恥ずかしいと自覚してください」と発言したのだ。これは、話しぶりからすると、木田さんが自分自身で考えて発言したものではなく、誰かからこう言えと言われて来たもののようだった。しかし、それでも、まがりなりにも「所長」になっている人が発言したことであるからには、「私は言えと言われたから言っただけ」というのは通じません。それで、その後、木田さんが「何か、質問などありますか」と言った時に、私は浜通り地区での工事についてと、それとその点について言いたいと思ったのです。 「今、『営業は売るのが仕事です。応援者になった人は優秀な営業成績を残した人で、皆さんは応援者になれなかった人です。営業であるならばもっと努力して応援者になれるようにしてください。会社から給料もらっている以上、被応援者になっているということを恥ずかしいと自覚してください』とおっしゃいましたが、私は私が在籍している展示場で『応援者』にされた人の倍以上の契約を獲得してきたのです。その人は十分な在籍年数を経ている人で、そういう人の倍以上の契約棟数を残すというのは、これはそれだけの努力をして、それだけの苦労をして、それだけの労力をはらってきたから、だから、その人の倍以上の契約をあげることができたのです。それなのに、(株)一条工務店は私の半分も契約とっていない人を『応援者』にして、少なくともその人の倍以上の契約をあげた私を『被応援者』にしたのです。今、営業は売るのが仕事です。応援者になった人は優秀な営業成績を残した人で、皆さんは応援者になれなかった人です。営業であるならばもっと努力して応援者になれるようにしてください。会社から給料もらっている以上、被応援者になっているということを恥ずかしいと自覚してください』とおっしゃいましたが、もしもそうであるならば、私は『被応援者』にされる筋合いはなく『応援者』にしてもらう権利があります。私は『応援者』にしてもらわないといけません。私の半分未満の人が『応援者になっている人は成績が優秀だから応援者になっている人です』などと事実と正反対のことを言われ、私がいる展示場で『応援者』にならせてもらった人の倍以上の契約を取ってきた私が『被応援者になっているということは応援者になった人よりもあなたが努力が足らないからです』などと罵られる筋合いはありません。もしも、今の『応援者』『被応援者』を変えることがないのなら、今の発言は取り消してください。今の発言を取り消した上で、謝罪するのが嫌ならしなくてもかまいませんが、『遺憾の意思表示』くらいしてください。今の御発言を取り消されないのであれば、私は『応援者』になっている人の倍以上の契約を努力して苦労して労力を払って獲得してきたのですから、私をいますぐ『応援者』にしてください。どちらか、してください。 もしも、そうではなく、『倍以上』ではだめだと言われるのなら、それなら、どれだけ取ったら『応援者』にしてもらえるのか明示してください。たとえば、《『楠さんの倍以上』ではだめで『楠さんの3倍以上』の契約を取れば『応援者』にする》とか約束していただけませんか」とでも言いたかったのです。しかし、先に工事の問題の方を話したところ、「ぼくから、それは言ってみるわ」と返事してもらったものの、「それじゃあ、きょうはここまで」と言って席を立たれてしまい、より大事なことの方を言えなくなってしまったのです。失敗しました。先にどちらを言うかの順番を間違えてしまった。今から思えば、たとえ、席を立たれても、個人的に木田さんに「今の御発言はおかしいでしょ」と言うべきだった、と後悔しました。実際には「倍以上」契約とっている人間を「被応援者」に指定して「足手まとい」をつけて、他方で「半分未満」の人を「応援者」に指定しているにもかかわらず、「応援者になっている人は営業成績が優秀な人で、皆さんは応援者になれなかった人で営業成績が劣っている人です。深く反省して応援者になれるように努力してください」などという暴言は許しがたい。
それだけではない。さらに、2001年にもまた、私より「高木のおっさん」の方が契約棟数が少なかったのに「高木のおっさん」を「応援者」にして、栃木県地域の営業の集まりの時に「高木のおっさん」は契約棟数は少なかったのに「売れる人」グループに入れて勝手な口をきかせた。
それだけではないのです。その後、楠さんが新潟県の展示場に転勤した後、今度こそ私が「応援者」にならせてもらえると思うと、今度はいわき市の別の展示場にいて、楠さんよりは契約棟数は多いけれども私よりは少ない佐藤賢二さん(男。当時、40代)を私がいた展示場に配属させて、佐藤賢二さんを「応援者」にして、またもや私を「被応援者」にした。楠さんの場合は、前年契約棟数で見ても私より条件がいい展示場か私と同じ展示場にいて私の半分未満、過去3年間の契約棟数で見ても私より条件がいい展示場か私と同じ展示場にいて私の半分未満であり、私が入社以来、どの年で見ても、私と同じ契約棟数か私より少ない契約棟数の人だったけれども、在籍年数が長い人で、年齢も私より年上であり、在籍年数と年齢を考慮してここは楠さんの方になってもらおうと考えた・・という言い訳だってできるかもしれません。実際は違うでしょうけれども。しかし、佐藤賢二さんは年齢は楠さんと同じくらいであったけれども、佐藤賢二さんは自分自身で自立して営業の仕事ができていない人であり、いつも、私がめんどう見てきてあげた人じゃないですか。私にめんどう見てもらってきた人を「応援者」にして、めんどう見てきてあげた私をその人の「被応援者」に指定するというのは、いったいどういうことか。 「おい、失礼だぞ」というのは、それは私の方が言うべき文句であり、いくらなんでも失礼です。
実際、私が栃木県佐野市の展示場に移ってすぐ後、佐藤賢二さんは、市街化調整区域という住宅を建ててはならないことになっている所に家を建てようとして建築指導課から指摘され、あやうく、いわき地区では(株)一条工務店は家を建てられなくなるところだったということで、それで、佐藤さんは解雇されたということだったが、私がいた時ならば、私が気づけば「佐藤さん、それはだめじゃないの」と一言くらいは言うところであり、私がいなくなったらすぐにそういうことをやったということは、やっぱり、私がいて苦労しても助けてあげた価値はあったということか・・ということかもしれませんが、私が負担をかぶって世話してきてあげた人を私の「応援者」にして、めんどうみてきてあげた人間の方を「被応援者」にするというのは、いくらなんでも、人を馬鹿にし過ぎています。
誰に言ったかという記憶が曖昧になってしまったのですが、私は会社にきっちりと言ったことがあるのです。「佐藤(賢二)さんは、この人は、誰かある程度しっかりしている人と同じ展示場に配置するようにして、その人が常に見ておくようにしないと危ないですよ。この人は必ず何かやりますよ」と。「私の場合は、佐藤(賢二)さんよりも年齢が年下で、入社が佐藤(賢二)さんよりも後だということから、どうも、私をなめてしまっていて、何でもやってもらえるもの、何でも世話してもらえるものと思い込んでいて、私が言ってもききませんから私ではだめです。そうではなく、佐藤(賢二)さんよりも年齢が上で、入社が佐藤(賢二)さんより古く、佐藤(賢二)さんより上の役職をもらっている人で、ある程度しっかりしている人と同じ展示場に配属して、おかしなことをしないか常に見ておくようにしないと、危ないですよ」と会社のためを思い、又、佐藤賢二さんのためも思って言ったのです・・・が、せっかく私が会社のためを思い佐藤さんのためも思って言っても、(株)一条工務店はそれを無駄にしてしまう会社ですから、だから、その結果、私がいわき市の展示場からいなくなったらすぐに、市街化調整区域で家を建てようとして(株)一条工務店はあやうくいわき市で家を建てられなくなるところ・・になってしまった。私がいた時にはやらなかったということは、私は佐藤賢二さんから、年齢が年下で入社が佐藤賢二さんより後だということからなめられてしまっていて、何でもやってもらえるもの、何でも世話してもらえるものと思われてしまって、私が言ってもきかない・・と思っていたけれども、それでも私がおればそれなりに「抑止力」になっていた・・ということだったのかもしれません。だからといって負担が重い人とくっつけられるというのはうれしくないのですが、ちょっとは役に立ったかと思います。
そういう時に、営業本部長の天野隆夫から栃木県佐野市の展示用に転勤してもらいたいという話がきました。いわき市に約5年いて、ここはいい所だなあ・・と思い、浜通り地区の住人から「〇〇さんもこのへんで土地買って家建てて住めばいいよ。このへんの女の人、お嫁さんにもらって住めばいい。このへんの女の人は嫌かい」とか言われたりして、そうしようかな・・とか一瞬思ったりもしたし、実際、福島県は原発事故さえなければ、浜通りも中通りも会津地方もいい所だと思ったし、もしも、仕事関係なしに考えて、生まれ育った大阪以外の所に住むのなら、いわき がいいと思ったのだけれども、しかし、いわき市にいる限り、わたしはいわき市の4展示場のうちで一番条件が悪い展示場にずうううううっとおらされて、その後もそういう扱いを受けそうだった。
いわき市の営業所で、副長・主任になっていた人、及び、なっていたが不景気で契約があがらずにヒラに降格になった人というのが何人かいたが、直近の契約棟数で見ると、私はそれらの人よりも条件が悪い展示場にずううう~ううううっとおらされて、その上で、それらの人、何人かと同じくらいの契約棟数でしたから、もしも、わずかでも上回っているのなら条件がいい場所にいた人でもわずかでも上回っているから上ということはあっても、同じ数であるなら条件が悪い場所で契約をあげた者の方が上と考えていいはずであり、それを考えれば、私は所長の草野次男さんを別にすれば、直近についてはいわき市・浜通り地区の営業の中では一番上の成績を残したという自負を持っていた。
1993年にいわき市に赴任した時、同じ時にいわき市に赴任した木南さん(仮名)は総合住宅展示場の入口の前の一般風の「セゾン」の展示場に配属され、私は展示場の奥の和風「百年」の展示場に配属されたのだが、普通に考えて入口に近い駐車場の目の前、管理事務所の隣の場所の展示場と、奥まった場所とでは入口に近い場所の展示場の方が条件がいいに決まっているのですが、それでも、私は和風「百年」の展示場というものも経験してみたいとも思ったし、又、いつまでも一線の営業をやるつもりはなかったので、又、条件がいい所ばっかり経験したような人間にろくな人間いないということもあり、経験として条件が少々悪い所を経験してもかまわないとも考えたのでした・・が、いくらなんでも差があり過ぎるということもあるし、又、和風の展示場というのは常に絶対的に条件が悪いというわけでもなく、実は「地方」においては、(株)一条工務店の和風「百年」というのは相当人気があって、「地方」で和風で建てる人というと、競合になるのは在来木造の会社しかないわけで、在来木造の会社でも、住友林業は東京などの大都市圏では(株)一条工務店より強いけれども、「地方」に行くと住友林業と一条工務店ならばムク材で・国産材で・ぶっといのが好き♪・・という(株)一条工務店の方を志向する人が圧倒的に多く、他の競合会社といっても、東日本ハウス(⇒日本ハウスホールディングス)くらいで、これも「地方」では(株)一条工務店の方が評価は高いし、地元の大工・工務店が競合という場合は、これは地縁血縁が切れるか切れないかの問題であって商品力がどうという問題ではなく、「競合が少ない」かつ「住林・東日本ハウスとでは一条の方が有利」という土地柄においては、和風「百年」というのはそこを間違えなければ「取れるものは取れる」のでした。但し、それでも、入口に近い場所の展示場の方が有利であるのは間違いないし、和風を志向する人でも入口に近い場所に外観が洋風の展示場があれ入るし、そこで接客した営業がツバつけることになるので入口に近い場所にいた方が有利であるのですが、「地方」において和風の展示場というのは「競合が少ない」という点でやりやすいところもあったのです。しかし、当然のことながら、いつまでも一線の営業をやるつもりで入社したのではないので、すでに5年にかけて和風「百年」の展示場にずううう~っといたわけで、このまま同じ場所にいるよりも他の場所をもっと知った方がいいとも思っていたのです。
私が1993年に いわき市の展示場に赴任してから、浜通り地区内の展示場で、誰か1人だけ移るとかいうことではなく、全体をシャッフルするような移動が2度あって、その結果、多くの人間が2か所以上の展示場に移っていたのですが、私1人だけが、誰もがそこがいわき市の展示場の中でどう考えても絶対に一番条件が悪い。それも差が大きいと言う展示場に、ずううううっとおらされたのです。それで、私は所長の草野次男さんに言ったのです。「いわき の展示場4ヵ所で、私がいわき に来てから全体を動かす移動が2回あって誰もが動いていますよね。どうして、私ひとりだけが、ずうううっとこの一番条件が悪いと誰もが言う展示場にいるのですか」と。すると、所長の草野次男さんは「ここの展示場は和風の展示場で、来場者数も少なくて、和風の展示場というのは木にうるさかったり、家相にこだわったりする人が多くて、新人ではきついから、経験と実力のある人にいてもらわないといけないんだ」と言うのです。そう言われるとなんかほめられたみたいに思いそうですが・・、ところが、そうはイカのち〇ち〇 ・・だったか き〇たま だったか・・。私は言ったのです。「それなら、所長、ここに来て下さいよ。所長が一番経験があって一番実力があるじゃないですか。私、草野所長が実力がないなんてそんな畏れ多いこと言うつもりなんて毛頭ありませんよ。私は、草野所長が経験と実力を誰よりもお持ちの方だと心の底から思って尊敬しております。所長、きょうからここに来て下さいよ。私と入れ替わりましょうよ。私、所長がおられる所にきょうから行きますよ。私と入れ替わりましょう」と。すると、所長の草野次男さんは「営業は契約を多く取ったもんが一番条件がいい場所に行くんでえ~え」とおっしゃるのです。それで、「なるほど。たしかに所長は他の営業よりも多くの契約を取られています。しかし、私だって最低ではないはずです。私だって、どういう見方をしても、今、いわき の展示場にいる営業の中では真ん中より上のはずです。真ん中より上なのにこの一番条件が悪い展示場にずううううっとおらされる理由はありませんね。私、どこか他の場所に行かせてもらいますから、私より営業成績の悪い人にここに来てもらってください」と言いました。すると、またもや「ここの展示場は来場者数が少なくて、和風の展示場で和風の展示場というのは木にうるさかったり家相にこだわったりする人が多くて、新人ではきびしいから、経験と実力がある人にいてもらわないといけないんだ」と、そうおっしゃるので、それで私もまたもや「それなら、所長がここに来てくださいよ。所長こそ誰よりも経験と実力があるじゃないですか。所長こそここの展示場に適任でしょ。私、今、所長がおられる所に移りますから、所長、きょうからここに来てくださいよ」と言ったのです。そうすると、またもや、「営業は営業成績残したもんが条件のいい所に行くんでえ」と。それでまたもや、「それなら・・・」・・と、はてしなく、この繰り返し・・・。何なの、これはいったい? そして、(株)一条工務店の場合、昇進は契約棟数で決められていたので、条件がいい場所にいても条件が悪い場所にいてもその基準は同じであるので、条件が悪い場所にいたのでは昇進しにくいのは明らかだったのです。
そういう状況でしたので、それで、「特進転勤」の条件に該当する会社都合での転勤をしてくれという話をされた時には「いいですよ」と言ったのです。しかし、私が「特進転勤ですね」と念を押したところ、営業本部長の天野隆夫は「前は特進転勤として副店長にならせてたんだけど、最近はそういうことはしなくなったんだ」と言うので、それは変だと思ったのです。しかし、会社都合での転勤というのは、これは「全国社員」「総合職」として入社した者としては、断ることはないし、そのまま、いわき市にいても、一番条件が悪い所にずううううっとおらされて、私がめんどう見てきてあげた人を「応援者」にされたりで、もう、いいかげんにしろという感じでしたので、「特進転勤」の条件での転勤であるにもかかわらず「副店長」にならせてもらえないというのは、片方でならせてもらった人がいるのに私がならせてもらえないというのは不公平であり、それはおかしいと思ったものの、会社のためならばと思って転勤したのです。
営業本部長の天野隆夫から話をされた時点では、展示場のアタマとして「リーダー」になって赴任するという話だったはずなのです。だから、「特進転勤」で「副店長」昇進については「最近はそれはやらないんだ」と言われたものの、あくまでも展示場のアタマとして「リーダー」になっての赴任ということで承諾したのです。ところが、赴任してみると、同じ時期に茨城県の展示場から、私より前に入社していた武田(男。当時、30代)が佐野展示場に赴任して「リーダー」になり、私は「リーダー」の扱いにされなかった。話が違うのです。私はあくまでも「リーダー」で赴任するということで転勤を承諾したのであり、2番目以降での赴任を承諾はしていないのです。
たとえ、承諾したとしても、会社の規定として、(1)在籍年数が一定以上・(2)通算契約棟数が一定以上の者が(3)会社都合で(4)居住地変更をともなう転勤をした場合には、転勤した時点で「2棟契約」として計上し、「副店長」の肩書を付与する、「副店長」は「係長」より下だが「副長」「主任」より上と文章で規定されたものがあるからには、それを適用させないのは不当です。
しかし、それよりも、私はあくまでも「展示場のアタマでの赴任」「リーダーとして赴任すること」を承諾したのであって、2番目以下の扱いでの赴任は承諾した覚えはないのです。
もっとも、茨城県の展示場から佐野展示場に同じ時期に転勤した武田さんの場合は、(株)一条工務店の基準では、私より入社は先で通算契約棟数も私より多かったので、私が転勤する際の営業本部長の天野隆夫との話からすれば「話が違うじゃないか」ということになるけれども、武田さんと同じ展示場になれば、会社の基準からすれば武田さんの方が「リーダー」になることになります。
しかし、私と武田さんが佐野展示場に赴任する前、佐野展示場には、所長の五十嵐さんの「お気に入り」らしい上岡くんと、他に渡邊さん(男。当時、40代前半)と佐藤さん(男、30代後半)がいましたが、その3人の営業成績は大差なく、その3人の中では上岡くんがくらか古かったらしいものの、お客様の評判は一番悪く、契約客との関係の作り方も拙劣でした。
私は営業社員の実力を見るのに、通算契約棟数や前年契約棟数・直近の契約棟数といった数字だけで判断するのではなく、どういう動き方をするか・どういうことを言うかといったことと両方を合わせて判断しています。なぜなら、数字だけで判断するならば、要するに条件がいい場所におらせてもらっただけとか、景気がいい時期に入社しただけという人が高い評価を受けることになってしまいますし、又、どういう動き方をするか、どういうことを言うかといったことで相当のことがわかりますが、それだけで見て数字を無視してしまいますと、「いったいどうやって契約とってきおったんじゃ~い」て感じがしても実は数字を残す人というのもいないわけではない、片方で実力があるように見えなくても、それにこちらが気づいていないだけであって、別の面でいい所があるという人を見落とす危険もあるからです。
その基準で上岡くんを見ると、どう考えてもグラフに記載されている通算契約棟数が多すぎるのでした。実力のない人のわりに通算契約棟数が多いと思いましたが、要するに、消費税が上がる直前の時期に入社した人で、戸建住宅建築業界では全般に契約があがる時期に入った人が「売れる展示場」に入社してしまうと実力がなくても売れてしまうということになったようです。又、消費税が上がる直前の時期に佐野展示場はオープンしたようで、その地域に(株)一条工務店の展示場があれば建てたいという客層がありながら展示場がなかったという場所にオープンしたての展示場では契約が上がりやすい傾向があり、そういう場所に入社した人は入社してすぐの時期に契約があがった。しかし、その後、消費税が上がった後では、私などは地道に忍耐強くその条件のもとで営業活動をするところが、条件がいい時期に条件が一時的に良かった場所に入った人は、それで売れるものと思い込んで生活が乱れてしまった・・ということだったようです。五十嵐さんは所長ならそのあたりを見ないといけませんが、それが見えないのかなあ・・と思うのですが、(株)一条工務店の「高卒の所長さんたち」には見えないようです。
ここで、2つの点について理解しておく必要があります。
[1] 戸建て住宅建築業の営業では、その営業所で契約状況が沈滞しているというような時、「ぶうわあ~あっとなってやるんじゃあ」とか言う人というのが時々います。 又、「◇◇の家はいいんだ、いいんだ。なんとしても、このいい家を売るんだ」と呪文を唱えて売ろうとする人というのがいます。 「ぶうわあ~あっとなってやるんじゃあ」という文句は、1989年7月に小堀住研(株)の千葉支店に支店長にならせてもらって赴任した渡邊士直が(男。当時、40代。熊本県の底辺の方の高校卒)口にした文句ですが、その「ぶうわあ~あっとなって」て、それ、いったい何じゃあ?・・・と私などは思ったのです。いったい何だと思いますか。「ぶうわああっと」なったら何かいいことあると思いますか? ありませんでしょ。ところが、どうも、そういうことを言いたがる人というのがいるのです。「ぶうわああっと」なってもしかたありません。売るためには、そうではなく、「なぜ売れないのか」「なぜ売れるのか」「どうしたら売れるのか」といったことを科学的に・論理的に考えないといけません。

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「ぶうわああっとなって」と言いたがる人というのは小堀住研(株)の渡邊さん以外にもいます。(株)一条工務店で2001年、1泊ホテルに泊まっての決起集会をやろうと言い出した人がいて、その「通達」を見ると、決起集会の後、飲み会に突入してぶうわあっとなるのがいいと思う・・・とか、細かい文章は忘れましたが、そういうことが書かれていた。文章から考えて、静岡県地域の課長だった石橋さんあたりが考えた文章かと思います。決起集会が絶対に悪いとは言いませんし、絶対に悪いとも思っていません。しかし、「ぶうわあっとなって」てのは、「絶対に悪いとまでは言わないが、あんまりいいとは思わない」。なぜかというと、言ってしまいますが、「あなた、ほかに思いつくものないの?」・・・てことです。1990年、小堀住研(株)の東京支店で営業会議の最後、ある営業課長(展示場の長)だった某さんが「さあ。『小堀の家はいいんだ』『小堀の家は絶対にいいんだ』『絶対にいい小堀の家を売るんだ』と呪文というのか掛け声というのかを叫んだのです。某さんはけっこう親切な人で、自分が課長になっている営業課(展示場)の所属でもなかった私にも親切に某さんの方から声をかけてくれたりした人でしたし、某さんよりも社歴が若い人間が頼れば力になってあげようという気持がある人だったようです・・・が、「さあ。『小堀の家はいいんだ』『小堀の家は絶対にいいんだ』『絶対にいい小堀の家を売るんだ』と呪文というのか掛け声を唱えるというのは、それは、絶対に悪いとまでは言わないけれども、あんまりいいとは思わない。 最近、プロ野球のキャンプ風景なんてのがYouTuve に出ていて、それを見ると、練習の前に当番の選手が「声かけ」として何か叫んで、「さあ、頑張ってきょうも練習にはげもう」ということをやっているらしいものを見ることがあります。、「さあ。『小堀の家はいいんだ』『小堀の家は絶対にいいんだ』『絶対にいい小堀の家を売るんだ』と呪文というのか掛け声を唱えるというのも、それと似たようなところがあって、絶対に悪いということはないと思いますが、絶対にいいとも思えないのです。まず、自分が勤めている会社の商品がいい物なのか、そうでもないのか、それは実物を良く見て自分自身でよく考えてみるべきで、「いいんだ、いいんだ」と何度も叫ぶことで自己暗示にかけるというのは、それはあんまり効果はありません。1993年5月に(株)一条工務店の「研修」で名古屋南展示場の「所長」だった近藤路夫もまた、「一条工務店の家はすべての面にわたって同業他社よりも絶対的にいい」と言い、私に「そう思うか」と言うので首を傾げたところ、「そこがいかんのだあ~あ!」と絶叫したということがありましたが、いかんのは近藤路夫の方です。その頃の(株)一条工務店の家は問題がいっぱいあったのであり、虚心な気持ちで実物を見たならば問題点は見えたはずなのです。それでも売るのが仕事であれば、いい所はどういう所かということを把握して、いい所はどういう所がどのようにいいのかときっちりと見込客に伝えると共に、問題点はできる限りでないように努めないといけません。ところが、近藤路夫はどう言ったかというと、「一条工務店の工事現場を見に行ったならば、いいところばっかり見る。もしも、問題点があったなら、なかったことにする。他社の工事現場を見に行ったら、悪い所ばっかり見る。そうすれば、一条工務店の家は同業他社と比べて絶対的にいいということになる。そういうように見ないといけない」などと言ったのです。このおっさん、アホか!?!・・てものです。そんな見方をしたならば、どこの建物でも「絶対的にいい」ということになるではないか。そんな見方をしないといい所が見えないのならば、(株)一条工務店の建物というのはいい所がないということになってしまうではないか。結局、近藤路夫は愛社精神の塊みたいなふりをして「すべてにわたって絶対的にいい」とか叫んでいて実際はそうではなく、(株)一条工務店の建物のどこがいいのかということがちっともわかっていなかった、ということです。それではだめです。近藤路夫はその時点で通算契約棟数3位ということになっていたけれども、「ええ、この人があ?」て感じがしました。「通算契約棟数」という「率」ではなく「数」で見ると古くからいる人が多くなるということ、(株)一条工務店は1992年に私が入社した頃から労働集約型の営業にして会社全体での契約棟数を増やすけれども、営業1人あたりの契約棟数は減ってもいいという姿勢でやるようになったが、それより前、バブル経済と言われた時期くらいまではそうではなかったのえ、バブル経済崩壊より前とそれより後とを比較しても意味がないということがあり、バブル経済までにいた人の棟数というのは多く見えるということがあった、「ひまわり」や「一族」や「一族の縁故」とかは条件がいい場所に配属されることが多いこと、何より、静岡県中西部・愛知県の営業所は箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西の営業所とは条件が全然違う、静岡県中西部・愛知県は坪あたりの値段がドカンと低いし、静岡県中西部・愛知県は箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西と違ってドカンと一発テレビ広告やりまくっていた・・など、条件が違いすぎるので、近藤路夫の契約棟数などまったくあてにならない、アメリカ合衆国のメジャーリーグの出場記録を持つピートローズだったかがイチローのアメリカ合衆国のメジャーリーグと日本のプロ野球との出場記録を合算した数字を自分のメジャーリーグの数字と比較されて、「ファームでの数字を合わせて比較するのはおかしい」と不満を口にしたことがあったと思うが、静岡県中西部・愛知県の営業の営業成績を箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西の営業の営業成績と比較するのはおかしい! というのは明らかです。近藤路夫の契約などは、プロ野球にたとえるならば、いわば「力の落ちた二線級投手から打ったヒット」みたいなものです。・・ともかく、「売らせてもらった」くせしてからに自分が「売った」みたいに言いたがる症候群の人というのはけっこういるのですが、私がここで言いたいのは、「自分が苦労して売った」人と「売らせてもらった」人とは違うということで、「売らせてもらった」人には、なぜ売れないのか・なぜ売れるのか・どうしたら売れるのかといったことがわからないままに売れてしまった・・という人がおり、そういう人には、景気が悪くなったり、条件が悪い場所の営業に対してだったりすると、どういうようにやれば売れるようになるかという見解を持たないために、それで「ぶうわああっとなって売るんじゃあ」とか言ってみたり、「いいんだいいんだ、◇◇の家はいいんだいいんだ」と呪文を唱えたり「いいと思わんといかん、一条工務店の家は同業他社と比べてものすごくダントツにいいんだと思わないといけない。一条工務店の家を見て問題点があったら、見なかったことにする。同業他社の家を見たら悪い所ばっかり見るというようにするんだ」とか、そういうアホなことを言いたがる・・・ということになりやすいのです。それは「営業としての引出しが少ない」からそうなるのです。別名「苦労が足らん」と言うことができるかもしれません。その人だって何の努力もしていないということではないのかもしれませんよ。野村のじいさんが「長嶋だって何の努力もしていないとは思っていない。しかし、長嶋は入団した時から一流選手だった。わしは入団した時はテスト生で、入団して1年経った時に解雇と言われ、『クビにされるんやったら南海電車に飛び込みます』と言ってもう1年置いてもらった」という違いがある、最初から一流選手だったものがそこから努力したという努力と、二流以下だった者が努力して一流選手の仲間入りした者の努力とは質が違う・・と、あっちやらこっちやらで書きまくり言いまくりしておったのだが、条件がいい場所で、「普通にやったら」売れる場所で「売らせてもらった」人の努力と、「普通にやったら」売れない場所でなんとか売ろうとした者の努力とは努力の室が違うのだ。・・一般に「長嶋みたいなやつ」というのは「ぶうわああっとなって売る」とか言いたがる傾向がある、「いいんだ、いいんだ」と呪文を唱えたがる傾向がある。もちろん、プロ野球選手のキャンプでの「声かけ」みたいに景気づけでそういう呪文を唱えるというのも、時としては悪くないかもしれないし、その人だって悪気でやっているのではないのでしょうけれども、それでも、そういうものの占める割合があまりにも大きいという人というのは、「営業としての引出が少ない」という人が多いように思います。
[2] そして、入社してすぐの時期に「普通にやったら」売れたという人には2通りの結果の人がある。
<「高木のおっさん」タイプ>と<「上岡くん」タイプ>です。
まず、<高木のおっさん」タイプ>
1990年代半ば過ぎくらいの時、(株)一条工務店で自宅を建てたWさんが入社してきました。Wさんの家は「副所長」の肩書をもらっていたK井さんが営業担当で、WさんはK井さんと同じ高校のK井さんより年上の卒業生だったらしく、K井さんはWさんがなんとか売れるようにと思ったようですが、Wさんが入社して2か月目くらいに1棟の契約をあげた時にK井さんは「いかんなあ」と口にしたことがありました。「いかんなあ」というのは、入社するより前に同業他社などで相当の経験がある人で本当に実力がある人が入社してすぐに売れたのなら悪くはないのですが、特に実力があるわけでもない人が入社してすぐに売れてしまうと、それで「売れる」ものだという意識を持ってしまう人が多いのです。そうなってしまわないかとK井さんは心配したのでした。(株)一条工務店はその頃までは入社して1か月目くらいに2泊3日の研修を浜松でおこない、その1か月後か1か月半後くらいに2回目の研修を2泊3日でおこなっていたのですが、私が入社した頃は、1回目の研修も2回目の研修も同じメンバーで実施されたのですが、Wさんが入社した頃はそうではなく、2回目の研修は1棟以上売れた人とまだ契約が出ていない人に分けて実施されたようで、2回目の研修から帰ってきたWさんが「『皆さんは売れる人ですから』と言われたんだけど」とうれしそうに口にしていたので、誰だ、そんなアホなことを言ったのは!?!・・と思ったということがありました。Wさんは、1棟売れたからといって特に思いあがっていたつもりはなかったと思いますが、それでも、そういう口を講師役の人から言われてしまうと、人間はどうしても「売れる人」になったような錯覚を起こしてしまう危険があります。たとえ、1棟でも売れた方がいいか売れない方がいいかというと売れた方がいいに決まっているのですが、1棟売れたとしても、本当に実力があって売れるべくして売れたのか、それとも、たまたま買いにきた契約してもらえやすい見込客と出会って「売れた」のか、そこが問題で、「売れた」のであって相当の努力をして苦労して「売った」のではない人に「皆さんは売れる人ですから」なんて言ってはいけないはずなのですが、どうも、(株)一条工務店という会社は、一生懸命、売ろうと努力をしても売れずにいる人を苛めまくり、片方で「売れた」だけであって「売った」のではない人に「皆さんは売れる人ですから」などと言って、それで「売れる」ものと勘違いさせてしまうということをやってしまう。「いかんなあ」というのはWさんのことではなく、(株)一条工務店の経営者のそういう態度・対応の方でしょう。
もう、10年以上前ですが、テレビの野球中継で巨人ー阪神の試合を見ていたら、巨人の若手内野手がショートを守り、タイムリーヒットを打った時、アナウンサーは「若手の△△選手、タイムリーを打って一軍デビューを果たしましたね」だか言うと、解説者の星野仙一が「いや。たしかにタイムリーヒットは打ちましたけれども、はたして打つべくして打ったのか、それともバットを出した所にボールが来て当たってヒットになったのか。そこが問題です」と言い、その後、ショートへの打球を処理できずにヒットにした時、アナウンサーが「今のはエラーではありませんから」とかばうと星野は「エラーじゃないと言ってもプロのショートならあれは捕らないとだめです。あれを捕れないショートは一軍の試合に出ないでもらいたい」と言い、その次の打席での空振りを見て、「今の振り方を見てわかりました。さっきのヒットはたまたまバットを出した所に球がきて当たってヒットになったというヒットです。この人はまだ一軍の試合に出るべき人ではありませんね」と。その選手が誰だったかはもう忘れてしまいましたが、プロ野球の打者でも、打つべくして打ったヒットと、たまたまバットを出したらそこにボールが来て結果としてヒットになったというヒットなのか、という違いがあるらしい。住宅建築業の営業でも、契約は出た方がいいのは間違いないのですが、野球の打者と同じで、たまたまバットを出した所にボールが来て当たってヒットになったみたいな契約・・とまで言うと言いすぎかもしれないけれども、それほど実力があるわけでもない人に契約が出たというところで、「皆さんは売れる人ですから」というのは、それはいくらなんでも言い過ぎであり、そんなこと言ってはいいことないと思うがなあ・・・と思ったのだけれども、どうも、そういうことを言いたがる人というのがいるようでした。
そうやって、特別に売る能力があるわけでもないのに「売れた」・・「売れてしまった」人には、その後どうなるかは3通りあるように思います。
<Wさんの場合>は、結局、Wさんは入社1棟目は比較的早い時期に「売れた」ものの、その後が続かず、比較的短い間で辞めてしまうことになった。Wさんは比較的早い時期に1棟目が売れたとしても、それで「思いあがった」とかいうつもりはなかったと思います。しかし、特別に「思いあがった」とかいうつもりはなかったとしても、人間というのは入社して比較的早い時期に特別に努力したわけでもないのに「売れた」となると、どうしても、それでいいような気持になってしまうということがあります。Wさんが特別に悪いということではないのですが、「皆さんは売れる人ですから」という文句、それ言った人間、誰なのかわからないが、そういう文句はうかつに言わない方がいいと思います・・・が言いたがる人間というの、アホがいるようです。相手のためを思えば、そんな文句は言うべきではありません・・が言いたがるやつというのは、どういう人間性をしているのかと思いますが、そういう人がいます。
<「高木のおっさん」タイプ>とは、最初に「売った」のではなく「売れた」ことから大喜びして、調子に乗る人で、この「調子に乗る」という言葉は2通りの意味があるが、「調子に乗る」ことで一生懸命、営業の仕事をするようになる人のことだ。「高木のおっさん」は「売った」のではなく「売れた」ことから、自分は営業ができると思い込んで「調子に乗る」ことになり、せっせとやるようになった。そういうタイプの人は他にもいるのではないか。但し、そのやり方でできるものだと思い込んだので、たいした「引出し」は持っていないし、それほどたいした実力はない。1980年代後半、小堀住研(株)で新卒社員の「営業系」合宿研修の時、TQC推進本部営業部会部長のSさんが、「契約取ってきた日は、その日限定で契約あげた者が一番えらいんや。そやから、その日だけは、契約取ってきた者には『先生』『先生』言うておだてたるんや。そうすると、アホやから調子に乗ってまた契約取ってこようという気になりよる」と「3割か4割冗談みたいな感じ」で話したことがあったが、そういうケースはある。「高木のおっさん」は入社して比較的早い時期に「売った」のではなく「売れた」ことで「調子に乗りよって、又、契約とってこようという気持になりよった」というケースだ。だから、契約とってこようという気持はあるおっさんだ。しかし、「売れた」ことで「また、契約とってこようという気持になりよった」というだけの状態でそのまま十年以上も勤めてきた人なので、そこから上達はしていない。だから、まったくだめではないが、それほど優秀でもないという状態で、それを自覚させようと思っても極めて難しい。
私が入社した1992年に「高木のおっさん」は神奈川県藤沢市の展示場にいたが、藤沢展示場の所長の千葉さんから「うちのトップセールスの高木くんというのがいるんだけど」と聞いたので「トップセールス」なのかと思ったところ、ベテランの某さんにそれを話したところ、「はあ、あの人のどこが『トップセールス』でしょうか」と言うので「違うのですか。千葉さんはそう言ってましたけれども。藤沢展示場にいた4人の中では一番多く契約取ってましたでしょ」と言うと、「まあ、あの中ではね。まあ、レベルの低い集団の中でのトップですよ」と言われたということがあったのだが、2000年だったか2001年だったか、「高木のおっさん」が佐野展示場に来て「高木のおっさん」の動き方や言うこと・態度を見て、「え? この人、本当にこの会社の営業を5年以上やってきた人なのお?」と思ったが、そういうおっさんだった。入社して比較的早い時期に契約が取れた「売れた」ことから「調子に乗った」ことで「また契約とってこようという気持になった」人でそれがそのまま続いているので「契約とってこようという気持」はある人だが、それで契約取れるものだと思い込んでいるので、それ以上の努力をするわけでもなく、そのやり方で「ぶうわああっとなる」だけの人であり、たいした営業ではないので、「あれがトップセールスのわけないでしょうが」という某さんの感想は正しかった。そういうタイプの人というのは他にもいると思う。
続いて、
<上岡くんタイプ> 上岡くんが入社した頃は、消費税が上がる直前で、佐野展示場が新しくオープンした時だ。だから、展示場の条件が良く、全国的に戸建住宅建築業の景気がいい時だった。そういう時に入社して「売れた」。その結果、自分は売れるものだと思ってしまった。その結果、どうしたか。1998年に私が佐野展示場に行ったら、佐野展示場の事務所は他の展示場の事務所と比べても広くない方の事務所だったが、そこにゴルフバッグが置いてあった。自分のクルマのトランクにゴルフバッグを積んでいる人というのはいるが、展示場の事務所に遊びの道具を置いている、それも通行に妨げになる状態で置いてあった。 さらに、事務所の壁に板がたてかけてある所があり、なぜ、そんな所にたてかけてあるのかと思ってよけて見ると、下地は石膏ボードでビニルクロス貼りの壁に、上岡くんがよくやる膝蹴りの後らしく、穴が開けられていた。 前年契約棟数ゼロ棟の男が、展示場の事務所にゴルフバッグを置いているということからして不謹慎であり、それでも自分は契約を取れると勝手に思い込んでいたようだった。その後、展示場の受付の仕事にS藤(女。当時、20代半ば過ぎ)が入社した時、S藤は私に「〇〇さん(私)と I 田さんは、入口で記名した人もしなかった人も変わらず熱心に話をしているけれども、上岡さんとG藤さんの2人は名前を書かなかった人だととたんにいいかげんな対応をする。あんな対応したら、私が前にいたネッツトヨタならものすごい怒られますよ」と、なるほど、S藤は元クルマ屋にいて営業の仕事をしていただけあって、そのあたりが「見えた」のだ。そういう不真面目な接客態度が「調子に乗る」ことで上岡くんは身に着いたのだった。S藤に「見える」ものが所長の五十嵐さんはその程度のものも見えないのか? ・・と思ったが「見えない」らしかった。そして、上岡くんは私に「まったく、去年はよお、しつこいうるさい客のおかげで契約とれなかったよ、なってない客のおかげで」などと言うのだった。お客様をそんなにしてしまったのは、おまえだろうが!!! アホか! そんな口をきいてるから前年契約棟数ゼロになるんだよ! わからんのか、おまえは!!! ・・ということだ。
(株)一条工務店では、
(1) 「営業が客を・・・にしている」ということがあると言われていた。「あの客はうるさい客だ」とか「あの客は本当に扱いにくい人間だ」とか言っているケースで、お客様にもいろいろな人がいるというのはたしかだけれども、もともとは「うるさい」人だったわけでもなく、「扱いにくい」人だったわけでもないのに営業がそうならせてしまったというケースがある。
(2) いわき市にいた時にある営業がS藤賢二さんの契約客を見て、「S藤さんの担当のお客さんというのは、『類は友を呼ぶ』なのか、なんか『S藤さんみたい』な人ばっかりだ」と話したのを聞いたことがあったが、実際、「類は友を呼ぶ」というケースはある。 そして、
(3)もうひとつ、「朱に交われば赤くなる」というケースもある。
「しつこい」「うるさい」「扱いにくい」と思うお客様と出会ったなら、それはお客様にもいろいろな人がおられるということはあるとしても、他の営業の担当のお客様より自分が担当のお客様にそういう人が多いと感じたならば、この3つのどれかにあてはまらないかを考えてみる必要がある。上岡くんの場合は、その3つのすべての融合型だった。 言うと怒って殴りかかってくるから言えないから言わなかったが、景気がいい時期に、新しくできて来場客が多い展示場に入社して「売れた」ことから「調子に乗った」が、その乗り方が「高木のおっさん」とは違って、本来、別段、実力があるわけでもないのに自分は「売れる」ものと思い込んでしまった。だから、前年契約棟数ゼロ棟の男が展示場の事務所にゴルフバッグなんてものを置いている。気にいらないことがあると壁でも膝蹴りくらわせるし人間に膝蹴りくらわせる。こちらは文治派なので、「『自分の名前を書くことができれば合格』と言われる私立高校のスポーツ入学」にいきなり膝蹴りやってこられたのではたまったものではないのだが、そういう男だった。又、展示場から近い場所に住んでいながら遅刻が多い。週休日には嫁には休日出勤だと言ってスナックのホステスと旅行に行くらしい。週休日の翌日に遅刻してくるというのは、それが原因の可能性もありそうだ。 元阪急ブレーブスの投手 山田久志が『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)で書いていたが、かつて、近鉄バファローズに来たオグリビーという外国人選手はアメリカ合衆国のメジャーリーグで実績を残した選手で、近鉄に来た時にはすでにプロ野球選手としては高齢になっていたが、山田は最初、アメリカ合衆国のメジャーリーガーとして成績を残したような選手なら、どうせ、日本と日本の野球をなめてかかっているような人間だろうと思っていたら、オグリビーは違った。「全力疾走、全力プレーこそ一流の証し」と考えていたようで、いついかなる時も手を抜かない。プロ野球選手としてはすでに高齢になっていた選手であってもそんなことは何の関係もない。若手の選手で内野ゴロを打ってだめだと思ったら全力で走らないで途中でベンチに帰ってくる方がかっこいいみたいに思っている人間がいるがオグリビーは違う。そうではなく、いかなる時も全力プレー・全力疾走で、それこそが一流の証しだという姿勢だった。そして、近鉄バファローズが最後まで優勝争いをして、最後の試合で勝てば近鉄の優勝だが、負けるか引き分けると西武の優勝という試合で近鉄は延長の末、引き分けた後、山田が知り合いの記者から聞いた話では「オグリビーは残念会の会場を抜け出して、ひとり、トイレで泣いていたという」と。その話を聞いて、「オグリビーはかっこいい」と思った、と山田は書いていた。

プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
前年契約棟数ゼロ棟の男が展示場の事務所にゴルフバッグを置いている。展示場の入口で記名しなかったお客様だととたんにいいかげんな接客をする。気にいらないことがあれば人にでも壁にでも膝蹴りくらわせる。扱いにくい契約客があったなら、自分の対応に問題がなかったかと考えずにすべて客の方が悪いと決めつける。前年契約棟数ゼロ棟の男が平気で週休日に嫁に休日出勤だと言ってスナックのホステスと旅行に行っている。そういうことをやっているから近くに住んでいるのに遅刻が多い。・・まだまだいっぱいあるが、そういった態度・そういう姿勢になったというのは、それは「調子に乗った」からである。「高木のおっさん」が「調子に乗った」のはたいして実力はないが「売れた」ことで大喜びして「アホやから調子に乗って、また、売ってこようという気持になる」という方の「調子に乗った」だったが、上岡くんの方の「調子にのった」はそれとは異なり、いいかげんな姿勢でも自分は「売れる」と勘違いしてしまった。こうなると、気づかせるのは難しい。五十嵐さんは、所長なのに、そのあたりを指導できなかったという点について責任を感じるべきだ。五十嵐さんは自分自身は真面目に努力して営業の仕事に取り組んだ人だと私は思っている。五十嵐さんが話すことを聞いていてももっともだと思うものがあるし、それは実際に自分自身で努力して営業の仕事に取り組んだことで身に着けたものだと思っている。五十嵐さんは佐野展示場に来場した時でも、絶対に展示場の玄関の目の前などに自分のクルマを停めたりはしない。それは自分の会社の展示場に少しでも多くの人に来場してほしいという姿勢が体に身についている。そんなことは当たり前のことだとか言う人がいるかもしれないが、その「当たり前のこと」ができない人間がいるのだ。「浜松流」とは違って五十嵐さんは、それぞれの地域によって事情は違うということを理解できている。それも、「浜松流」とは異なる所もある栃木県で自分自身で売ってきた経験がある人だからだ。しかし、困ったことに、どうも、””自分と経歴に共通点がある人を過大に評価したがる症候群”” みたいなところがあって、その点は困ったものだ。 「最終学歴:下の方の高校卒、建築・住宅に関する保有資格:なし、前職:クルマ屋」という点で五十嵐さんと上岡くんは共通するところがあったようだ・・・が、五十嵐さんは私が入社するより前、私が知らない時期においても(株)一条工務店の営業の仕事には精進して真面目に努力した人ではないかという印象を私は受けているのだが、上岡くんはそうではない。自分と経歴で共通点があっても、仕事に対する姿勢に大きな違いがあるという点に五十嵐さんは気づかないのか? 元クルマ屋でもS藤は「あんな態度なら、私が前にいたネッツトヨタならもんのすごい怒られますよ」と気づいたのだが、五十嵐さんは気づかんのか? ・・と思ったのだが、気づかないらしかった。
私は、営業本部長の天野隆夫から頼まれて「特進転勤」で「副店長」昇進していい条件のものを、「副店長というのは昇進は最近はしていないんだ」と言われて、本来なら妥協しなくてもいいものを妥協して、会社のためならと思って、「展示場のアタマとして」「『リーダー』として赴任する」という話で栃木県佐野展示場への転勤を承諾し、協力したのだ。しかし、行ってみたら、私と同時期に茨城県から(株)一条工務店のグラフの記載の決まりからいくと私より上に記載されることになる武田さんが赴任していて、武田さんが「リーダー」になっていた。話が違うのだが、グラフの記載の決まりからいけば武田さんの方が「リーダー」になることになる。
しかし、「応援者」と「被応援者」の2分としては、私は当然「応援者」になるはずであるし、そうでなければ転勤は承諾していないし、営業本部長の天野隆夫は「最近は副店長昇進というのはやってないんだ」とは言ったけれども、私が「特進転勤」としての条件としての在籍年数・通算契約棟数などを満たしている人間だったのは間違いないし、営業本部長から頼まれて佐野展示場に行ったのであり、過去の営業成績で見ても、私より前から在籍していた武田さんは別として他の3人との比較で考えても「被応援者」にされる理由はまったくなかった。
ところが、栃木県地域の営業所長の五十嵐(男。当時、50前くらいか?)は、私より在籍年数では半分未満で通算契約棟数もそれに応じたもので、どう見ても実力がない格下の上岡くんを「応援者」にして営業本部長から頼まれて佐野展示場に赴任した私を「被応援者」にしたのだった。これは、五十嵐にそういった横暴をする権利はないはずだ。私を「応援者」にして佐野展示用に行ってもらうということに決めたのは営業本部長であり、営業所長の五十嵐はそれを認識した上で栃木県の佐野展示場に入れたのであり、そういうことで栃木県地域に転勤してきた者を五十嵐の一存で勝手に格下の下にする権利はないし、そういうことをされたのでは、私としては営業本部長から頼まれたから、会社のためと思って負担を払って転勤したのに、そのおかげで降格にされたようなものだ。これは、いくらなんでも認めてはならないものであるし、五十嵐はいくらなんでもこういうことをしてはならないし、五十嵐にそのような横暴を働く権利はないはずだ。
実際には、実力のない・勤務態度の悪い人を所長が横暴を働いて優遇しようとしても、「長い目で見れば張り子の虎」みたいなところはあるわけで、実力のない・勤務態度の悪い男が継続的に成績を伸ばせるかというと、そうはいかない・・という面はあるのです・・・が、そうであったとしても、これは許されることではないし、許していいことではない。

権利のための闘争 (岩波文庫) - イェーリング, Jhering,Rudolf Von, 淳一, 村上
2005年、千葉県のリフォーム会社の(株)ウッディホーム で研修用のビデオを見せられたのだが、社長はそのビデオをどこから手に入れたのかわからんが、花登筺の小説みたいな話だったが、滋賀県のある大店(おおだな)の息子、まだ、小学生くらいの息子が修行のために鍋蓋の行商に行かされる話だったのだが、そこで、親戚のおっさんがその息子に「おまえは、大店(おおだな)の後を継ぐということを、何か、自分だけ楽してええ思いをさせてもらえる立場を継ぐみたいに思ってはおらんか」と言う場面があった。「そうじゃないんだぞ。大店(おおだな)の後を継ぐということは、自分だけ他の人間がやらんような努力をして、他の人間がやらんような苦労をして、他の人間がやらんような我慢をするという、そういうことなんだぞ」と言うのだった。「なんや、それやったら、ええこと何もないやないか」と子供は言うのだったが、大変な面もあるとしても、そういう努力をして苦労をして我慢をすることで成果を出せるという面もあるということだろう。私は(株)一条工務店に入って、高卒のおっさんばっかりの会社に慶應大学商学部卒の人間として入社したわけだから、他の人間がやらんような努力をして・他の人間がやらんような苦労をして・他の人間がやらんような我慢をするものだと認識して勤めて、そうやって他の人間がやらんような努力もしたし・他の人間がやらんような苦労もしたし・他の人間がやらんような我慢もしてきたのだが、ところが、そうやってきたところ、(株)一条工務店の経営者や所長というのは、逆に、こいつはどんな我慢でもする人間や、もっと我慢させてやれと考えるようになってしまったようだった。それでは、何のために、他の人間がやらんような努力をし・他の人間がやらんような苦労をし・他の人間がやらんような我慢をしてきたのかわからないことになる。 (株)一条工務店の「応援者」「被応援者」に営業社員を2分するという制度は五十嵐らによって悪意用されて、本来、目指したものとは別のもの、実力がない勤務態度の悪い社員に「応援者」ということで「下駄をはかせる」目的のものになってしまった。そういうものは明らかに害があるし、それは、会社のためを思って、管理者ならばこうすべきだということを考えて所長をやる者ならまずやらないことだった。
世の中には「学歴で人を差別するのはおかしい」といったことを言う人がいるのだが、そういう人というのは中卒・高卒の人間を工学部卒の人間とか医学部卒の人間と同じ扱いにしろとはまず言わない、そうではなく法学部・経済学部・商学部といった社会科学系学部卒の人間と同じ扱いにしろと要求するのだが、それなら、「十大国立大学(旧帝大+神戸大・一橋大)+早慶」くらいの社会科学系学部卒の人間と同じことを(株)一条工務店の中卒・高卒のおっさんができるのか?・・というと、まったくできない。 森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、一線の仕事ならともかく、管理する立場の仕事になると学識者とそうでない人との差が出てくるということが指摘されており、末広厳太郎『法学入門』(日本評論社)では、法学は大学の法学部の教員や裁判官・検事・弁護士といった法律そのものを職業とする仕事ではない、会社や役所などに勤めた場合に役に立つのかどうかという点で、法学は役に立つが、「大学の法学部で学んだことなんて忘れてしまった頃になって役に立つ」などと言われるのだが、それはどういうことかというと、裁判官・検事・弁護士などの法律そのものの仕事ではない仕事についた場合には、そこで役立つのは「法学的の考え方」であると述べられている。実際、法学部や経済学部・商学部といった所で学んだことというのは、卒業してしばらくしてからの方が役に立つということがあるのではないかと思う。そして、(株)一条工務店に入社以来、(株)一条工務店の中卒高卒の営業所長どもを見てきて、「あっかんなあ~あ・・・」と何度も何度も思わされた。「何なんだ、こいつらは」と何度も何度も思わされた。森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、学識者とそうでない者ならば、管理する仕事の場合には学識者の能力を活用すべきであるし、学識者とそうでない者では大きく差が出るようであるが、もしも、学識がない者で管理者としての実力を持つ人がいるのであれば、学識者でないからという理由で退けないと言うことはないと述べられているけれども、実際問題として、(株)一条工務店の中卒高卒のおっさんどもを見ると、「あっかんなあ~あ」という人が多かった。

日本経営史 (日経文庫 519 経営学入門シリーズ) - 森川 英正

新装版 法学入門 - 末弘 嚴太郎
それで・・、私が栃木県の佐野展示場に赴任してそれほど経たない時期に、栃木県および埼玉県北部地域(五十嵐さんが所長になっていた地域)の展示場の「リーダー」が集まる「リーダー会議」があったのだが、佐野展示場で「リーダー」になっていた武田さんが私用で出れないということで私に代わりに出て欲しいと言い、武田さんから所長の五十嵐さんにあらかじめ承諾を得た上で私が代わりに出席した、ということがあった。「リーダー」というのは、営業社員のグラフで各展示場で所長の五十嵐さんを別にして一番上に名前が掲載されている人で、課長・係長・副長・主任・副店長といった「役職」をもらっている人は役職の順、同じ役職なら年齢の順、ヒラの場合は年齢ではなく入社の順ということになっていたが、課長・係長・副長・主任といったものに昇進できるかどうかは営業成績によるので、そうなると条件がいい展示場に配属してもらった者は条件が悪い展示場に配属されていた者よりもずっとなりやすいことになるので、(株)一条工務店の場合、その「役職」というのはたいして意味はないことになる。
その後、2001年だったと思うのだが、戸建住宅建築業の会社の「トップセールス」とか支店長・営業所長の話をビデオにして販売している会社があるようで、栃木県地域の営業を集めての研修で、(株)一条工務店が購入したらしいビデオで、東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)の「トップセールス」というおっさんの話と積水ハウス(株)の営業部長の話というのを見せてもらったのだが、そこで、東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)の「トップセールス」というおっさんが、
その営業所の市場性 × 営業力 = 営業成績
という話をした。そのおっさんはわかっていたのだ。営業成績というのは、営業力だけで決まるものではないし、同時に営業所の市場性だけで決まるものでもなく、両方で決まるということを。
但し、「かける(×)」というのは比喩であり、「かける(×)」と考えるのが妥当か「たす(+)」と考えるのが妥当かは何とも言えない。
「普通にやったらこのくらいの契約をいただける」というものに、営業の能力でどれだけ「たす(+)」ことができるか、もしくは、営業が優秀でないか怠慢の場合に「普通にやったらこのくらいは契約いただける」というものを契約いただけない分を「ひく(-)」かと考えるならば、
その営業所の市場性 + 営業力 = 営業成績
と考えることもできる。しかし、本当にその場所にその会社の商品が合わないという場合には、「たそうにもたせない」場合もあるから、それを考えると「かける(×)」の方がふさわしいかもしれない。
実際には、「かける(×)」の方がふさわしい面と「たす(+)」と考えた方がふさわしい面と両方あると思う。
そして、本来、会社の経営者たるもの、従業員には公平であるべきで、営業所による条件の差は小さくするべきもののはずだが、(株)一条工務店はそうではなく、「一条工務店の場合、営業所(展示場)による条件の差が甚だしい」と言われていた。 どうも、(株)一条工務店のオーナー経営者一族とその取り巻きは、同業他社で少しでも経験がある人間を嫌い苛める傾向があるのだが、それは、ひとつにはそのあたりについて気づく人間が多いからであろう。 中途入社の人で、入社前に、同業他社でなくても他の業界でも営業の仕事をある程度経験してきた人で比較的人間的に誠実な人には、「一条工務店の場合、営業所(展示場)による条件の差が甚だしい」という事実に気づく人がいる。そういう人を見ると、この人は良心的な人だなあ・・・と思う反面、気の毒になあ、この人は、もうそろそろ追い出される時期が近づいたということかなあ・・などと思うようになったのだ。
そういう事実に気づいた人間というのは、本来、気づかない人間の方が問題があるはずなのだが、(株)一条工務店のオーナー経営者一族とその取り巻きというのは、気づかない人間を称賛して優遇し、気づくことのできる人間を苛めまくるという傾向が継続的にあったのだ。なんで、そういう対応をするかなあ~あ・・と思うのだが、そういうオーナー経営者の会社、その程度の人間が経営する会社だった。「その程度の経営者にはその程度の従業員、この程度の従業員にはこの程度の経営者」とでもいうのか、この会社のオーナー経営者一族とその取り巻きに喜ばれる人間にはろくな人間がいなかった。
私は、入社以来、条件がいい展示場なんて配属してもらったことは一度もなかった。条件のいい展示場で、「なにくそお」と思って「ひまわり」「長嶋みたいなやつ」に負けてなるものか! と思って奮闘してきた。
だから、「長嶋みたいなやつ」「巨人みたいなやつ」で私よりも契約棟数がいくらか多いという人間がいても、
その営業所の市場性×営業力=営業成績
その営業所の市場性+営業力=営業成績
のどちらの見方で見ても、「営業成績」で私より少々上回っていても、「営業力」の部分では私の方が上だという場合は少なくなかったはずである。
だから、「リーダー会議」には私は代理での出席だったが、代理でなかった人間と比べても、私の方が上だという人が最低でも過半数だったと思っている。中には私よりも営業能力では上の人もいたであろうけれども、私は代理での出席であっても、代理でなかったら出席するのは適さない者が代理で出席したのではなく、在籍年数でも通算契約棟数でも会社都合での転勤の経験でも他の出席者全般と比べて劣っていなかったはずである。
その時の話を述べるつもりでその前段を今回の稿を打ち込みだしたのだが、前段が長くなったので2回に分けて、その「リーダー会議」ででのことは次回にまわすことにしたい。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_3.html 、「リーダー」会議にて。
(2021.3.6.)
☆ 会社と営業の話 シリーズ
[第822回]新卒社員研修で「この会社におる奴はアホばっかしや」と言う外部講師と東京海上火災の営業を「皆さんとは違ってエリートの人」と言う社員教育担当者。 「最近の若い者は甘ったれとる」のか? 「親は子から何かをしてもらった時に気持に喜ぶ」のか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_6.html
[第823回]電話はいくつ鳴ったら取るべきか。ベルいくつ、何秒かけて相手が出なければ、かけるのをやめるべきか。「自分にかかってきた電話でなくても会社にかかってきた電話は取るべき」ではないのか。配偶者でもない女からひっきりなしに職場にかかってくる電話について、使用者は注意するべきではないのか。居留守使うやつに協力する必要はあるのか。サラ金の督促の電話に他の従業員が出る筋合いはあるのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_7.html
[第824回]ある日の営業会議ー「社長の腰巾着」に物言えない所長と「腰巾着」におべっか使おうとする男。世話になってきた営業の担当契約客にお茶の一杯入れて出さない郡山の営業。玄関まで行って他営業の契約客だと戻ってきて外出するいわきの営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_1.html
[第825回]会社の為に転勤する全国社員を犠牲にする会社、営業本部長の約束を平気で反故にする会社、「契約がすべて」と言いながら契約半分未満の人を「優秀者」とする会社、世話になってる人を世話している者の「応援者」にする会社、自社が作った制度を踏みにじる会社ーある日のリーダー会議【上】〔今回〕
[第826回]ある日の「リーダー会議」【下】ー勝手に歩合給部分を減額する会社、筋を通して従業員の立場を説明する者と使用者にすり寄って自分だけ好かれようとするクズ、自分だけ使用者に喜ばれようとして失敗した経験を少しも活かさない成長しない男。話のすり替えをして使用者にすり寄ろうとするアンクル=トム https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_3.html
[第827回]極端に労を惜しむ営業、割が良くない作業は人に押しつける営業と他の営業がやりたがらないことを引き受ける営業。日報ださせてもその内容を見る視力がない所長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_4.html
[第828回]住宅建築業・他の営業と「バッティング」した時に盗られない方法。「あんたのやってた客はやりにくい」という誉め言葉。盗っても自分は契約できない先輩社員の有望見込客を盗ろうとする愚か者営業。ひとの見込客を横取りしようとする者がやりにくいのは横取りしようとする者が悪いと認識できないアホ営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202103article_5.html
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