中村家住宅【3/6】「押板」・畳敷きの部屋の囲炉裏・女性的な造りの和室。茶室。「浜松に『浜松流』、他の場所にはその場所流」と考えることができない浜松中心主義は困りもの。
[第832回]
静岡県浜松市西区雄踏町(ゆうとうちょう)宇布見(うぶみ) の中村家住宅見学の3回目です。
私が気づいた所から順番に見ていきます。 まず、床の間です。↓

↑ 板床です。南側中央の「ヒロマ」という18畳の畳敷きの部屋にあります。全国的かつ一般的には、現在では畳床と板床では畳床の方が正式のような意識が広まっているように思いますが、中村家住宅は立派な家屋ですが、板床です。床脇棚もありません。
《 押板(おしいた)
一般的には床の間の原形と言われるが、中村家住宅では神棚・位牌棚としての用途が考えられる。》
と現地の説明書きに書かれています。浜松市西区役所まちづくり推進課・浜松市市民部文化財課編集『【国指定】重要文化財 中村家住宅 2021年1月版』。浜松市西区役所まちづくり推進課発行)には、
《 【押板】
書院造(しょいんづくり)の「床の間」の原型とも考えられていますが、「床の間」より奥行は遥かに狭く、地板も高い位置に入れてあります。神仏の名前を書いた軸物(じくもの)を掛けたり、祈祷札を貼るなど、宗教的な使われ方をする場所とされており、中村家では祖先を祀る場所として使われていたようです。》
と書かれています。かけられている掛軸にも「南無妙見大菩薩」と書かれています。
静岡県の民家では、牧之原市の大鐘家住宅の神棚も背面は板で、床面も短い奥行の板で構成されていましたが、それに似ているといえば似ています。床の間といえば床の間、神棚といえば神棚・・なのでしょうか。
※ [第796回]《 大鐘家住宅【5/6】神棚の造りについて。地域のやり方を無視する一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長。「浜松流」を全国に押しつけないとおれない症候群の人。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
床の間と仏壇・神棚の作り方はその地域によって異なります。浜松中心主義・浜松独善主義の(株)一条工務店は、「なにかと浜松流」「なにがなんでも浜松流」の会社ですが、そのおかげで「黙って座れば浜松流」に施工されてしまう傾向がありました。 浜松および遠州地方において「黙って座れば浜松流」で悪いことはないのですが、浜松および遠州地方とは異なる地域においては、やはり、「黙って座れば」その地域のやり方での施工になるようにするべきです。これを「(株)一条工務店の遠州人」「一条オリジナル人間症候群」にわからせようとすると、大変難しい。彼らは「浜松でいいものは東京でも大阪でも日本全国どこでもいいに決まってるんだ」「浜松でいいものは日本全国どこでも通じるに決まってるんだ」と、実際にそうであるかないか調べもしないで決めつけて譲りません。実に頑固ですから、信念持って非浜松地域に「浜松流」を押しつけますから、難儀ですわあ、往生しまっせえ、ほんまあ~あ・・・。
念のため、断っておきますが、ここで言う「遠州人」はあくまでも「(株)一条工務店の遠州人」のことであって、「遠州人一般」がどうかという話ではありませんが、「(株)一条工務店の遠州人」というのは、ほんま、頑固で困りますわあ、ほんまあ・・( 一一) 難儀ですでえ~え・・・。
どっちでもいいようなものなら、浜松流でも何流でもそれほど問題でないかもしれませんが、床の間と仏壇・神棚の作り方というのは、これは都会の人間はそれほど気にしないかもしれませんが、「地方」の人間は相当気にしますし、施主が気にしなくても親戚や近所の人たちがその家に行った時に見て、「なんだべ、これはあ」となります。 1990年代後半、福島県いわき市の(株)一条工務店の私がいた展示場の向かいの位置に東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)の展示場ができて、そこに来た店長のおっさんとガソリンスタンドで会った時に、「いわき に来る前はどこにおられたのですか」と私にきくので「東京と松戸にいましたが、一条工務店の建物は東京近郊ではきつかったですね」と言うと、東日本ハウスの店長のおっさんは「そうでしょ。うちもそうですよ」と言うので、「そうですか。一条工務店と東日本ハウスなら、東日本ハウスの方が都会型の建物なので東日本ハウスさんの方が東京あたりでは有利かと思いましたが、そうではありませんか」と言うと、「いや、そんなことありません。同じですよ。うちも東京とか都市圏ではきついですよ。木造はどうしても都市圏ではきついです」とおっさんは言うのだった。それが逆に「地方」に行くと、ツーバイフォー工法なんてのは東京圏や関西圏で建てる人はあっても「地方」でツーバイフォー工法で建てる人というのはなかなかないのだ。「家というものは木で建てるものなんだ」「家というものは柱があって梁があってという在来木造で建てるものなんだ」という固定観念が相当に強固な地域においては、在来木造はそれ以外の構法に対して相当に強く、だから、「浜松流総本舗の(株)一条工務店」の「構造アルバム」では在来木造での構造の話ばっかり掲載されていて、他構法との比較の話はほとんど掲載されておらず、(株)一条工務店の浜松での「研修」においても、在来木造同士での比較の話ばっかりだったのだ。ところが、東京圏・関西圏ではそうではない。在来木造以外の構法で建てる人もある。
そして、「地方」においては「家というものは木で建てるものなんだ」「家というものは柱があって梁があるという造りで建てるものなんだ」という意識が相当に強いとともに、「家というものは、木で建てるとともに、国産材でムク材で建てるものなんだ」という意識が強い。これは理屈ではないのだ。一時期は「プレハブ住宅」と言っていたハウスメーカーが「プレハブ」という言葉の印象が良くないので「工業化住宅」と言っても「プレハブ」とはあまり言わなくなったが、「プレハブ」というのは英語の prefabrication プレファブリケイション、 prefabricate プレファブリケイト の略で「あらかじめ、形作る」という意味であり、prevabricated house プレファブリケイテッド ハウスは工事現場より前に工場という所で造る割合が比較的大きい住宅という意味であり、工場生産の度合いが大きいからいいと決まったものでもなければ現場施工の割合が大きければいいというものでもない。 そもそも、今日では在来木造からして工場生産の度合いが相当大きくなっていますから、「工業化住宅」という意味合いがあまりないのですが、それでも、在来木造以外の構法は「地方」においては戸建住宅においてはなかなか受け入れられにくいようです。又、集成材とムク材はどちらが強いかといった議論は「地方」においてはそれほど関係なく、「家というものはムク材で建てるものなんだ」という意識が相当に強い地域においては「構造材はムク材の(株)一条工務店」は「通し柱は集成材の住友林業(株)」よりもその点において有利だったのです。住友林業(株)は在来木造の会社の中では都市型の会社であり(あくまでも「在来木造の会社の中では」ですが)、「住友林業は日本の森林の何割を所有しています」とか大きくカタログに書いていても、実際に「住友林業の家」で使用している構造材は集成材や輸入材が多い会社であり、その点で、「構造材はムク材・国産材の(株)一条工務店」は「地方」においては有利だったのです。
しかし、「地方」においては、都市部よりも床の間の作り方や仏壇・神棚の設け方というものについても、それぞれの地域の作り方というものがあって、都市圏の住人よりもそういった問題は重視されるのです。ところが、(株)一条工務店は「何につけても浜松流」「日本全国浜松流」で押し通したい会社だったのです。 そのあたりのところをきっちりとやらないと、「一条工務店で建てたら変な神棚にされた」とか「一条工務店で建てた家を見せてもらったら変な床の間になっていた」ということになると、それは大きくマイナスになります。ところがところが、「浜松こそ宇宙の中心」「太陽・月・星といった宇宙の天体は浜松を中心としてまわっている」と心の底から信じている人にそれをわからせようとしても、わからせるのは難しいのです。「それでも地球はまわっている」なんてことをうかつに言うと火あぶりとかにされそうな感じです。彼らは「浜松中心天動説」の信者で「空の広さは浜松の広さと同じだ」と心の底から信じているのです。「空の一部分の広さは浜松の広さと同じだというのならそれは正しい。しかし、空の広さは浜松の広さと同じだと言うのならそれは間違っている」とか「浜松のまわりを太陽・月・星といった天体がまわっているのではなく、太陽のまわりを地球がまわっていて、その地球にある日本の一部に浜松がある」などと言おうものなら、彼らは激しくひきつけおこすのです。彼らはそういうビョーキなのです。

増補改訂版 知っておきたい「てんかんの発作」 - 久保田 有一, 小国 弘量, 加藤 昌明
実際に、(株)一条工務店において、床の間の施工と神棚の施工について問題が発生したケースについて、
● 床の間について・・・[第678回]《「じゅらく壁」・「京壁」とは何か? 「珪藻じゅらく」て何? きっちりと対応する従業員を嫌う営業本部長。床柱と長押がぶつかる箇所はどちらが前にくるべきか。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_8.html の後半。
[第795回]《大鐘家【4/6】床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域に押しつける一条工務店。会社の為に協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
● 神棚について・・・[第796回]《 大鐘家住宅【5/6】神棚の造りについて。地域のやり方を無視する一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長。「浜松流」を全国に押しつけないとおれない症候群の人。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
で述べましたので、同じことをもう一度述べなくても、過去に述べた部分を見ていただければいいかと思いますので、そちらをご覧いただきたいと思います。
[第796回]《 大鐘家住宅【5/6】神棚の造りについて。地域のやり方を無視する一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長。「浜松流」を全国に押しつけないとおれない症候群の人。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html でも述べましたが、1980年代後半、小堀住研(株)に在籍した時、お施主様と一緒に訪ねた東京都内の「家相と気学の専門家」の方が、神棚というのは人間が立った時の眼の高さより少し高いくらいの位置に設けるのがよく、上の方に神棚をあげている家があるけれども、それは「邪魔だから上の方にあげている」のだと言われたのでしたが、そういう考え方もあるのでしょうけれども、キリスト教でも「みだりに神の名を唱えてはならない」という言葉があるのと同様かどうかわかりませんが、日本の「神様」でも、普段は「神様」に頼らずに生活して、本当に困った時や、いざという時にのみ、「神様、よろしくお願いします」と上の方の神棚に向かって柏手を打つという考え方もあるのではないか。又、福島県浜通り地方では、その地区によっては「仏様」が昇進というのか出世というのか上の段階に進んで「神様」になるという考え方がある地域があるようで、それゆえ、仏壇の右上の位置、もしくは、仏壇の真上から右上にかけての位置に神棚を設けることになっている、という地区があるらしい。だから、神棚の設け方といったものは、それぞれの地域によっても考え方が異なり、いろいろな考え方があるようで、ひとつの地域のやり方を他の地域に押しつけるようなことはするべきではないでしょう。
中村家住宅で最初に見た時には、床の間なのだろうと思ったのですが、《中村家住宅では神棚・位牌棚としての用途が考えられる》という現地の説明書きを見て、牧之原市の大鐘家住宅の神棚を思い出し、これは神棚・・かな・・と思ったのです。神棚というのは長押の上の位置と決まっているわけではなく、むしろ、普通の人間が立った時の眼の高さより少し上とか、あるいは普通の人間が座った時の位置で考えて低くない場所に・・という考え方もあるのかもしれません。
中村家住宅においては、床の間の床柱と長押との取り合いの部分はどうなっているか・・というのを見たかったのですが、中村家住宅においては、もとよりそういった床の間ではなかったようです。
次に、これは現地に行って気づいたものですが、これまで、私が見てきた「民家」においては(「古民家」と表現するべきか「民家」と表現するべきか、いつも迷うのですが、「古民家」と表現すると今もそういう家に住んでいる方に失礼ではないかとも思うし、「古民家」という表現だと「いい所は相当あるけれども現役で使えない家」みたいなニュアンスが出てきそうなので今も住んでいる人はあるのだという意味で「民家」と表現した方がいいかとも思うのですが、「民家」と表現してしまうと、昨年今年建てられたハウスメーカーの家も「民家」ですから、それから考えると「古民家」の方が意味を伝えるかと思ってみたりもしますが、ここでは江戸時代か明治の初めあたりに建てられた民家、もしくはそれより前に建てられた民家をさします。)「囲炉裏(いろり)」というのは板敷きの部屋にあったのです・・・が、この中村家住宅においては、囲炉裏(いろり)が畳敷きの部屋にあるのです。 ↓

この囲炉裏は北側の18畳の部屋にあります。浜松市西区役所まちづくり推進課・浜松市市民部文化財課編集『【国指定】重要文化財 中村家住宅 2021年1月版』。浜松市西区役所まちづくり推進課発行)には、
《 ・・囲炉裏の上には自在鉤(じざいかぎ)を吊るす梁が無く、梁に煤(すす)が見当たらないこと、また囲炉裏周辺が板敷でなく畳敷(たたみじき)であることから、農家の土間にみられるように薪(たきぎ)を燃やすようなことはせず、炭を燃やし、五徳(ごとく)に鉄瓶(てつびん)などを置いて湯を沸かしたり、ちょっとした暖をとるなどに使用していたと考えられます。》
と出ています。
吉澤政己『日本列島民家の旅(6)中部1 東海・中央高地の住まい』(1996.4.30.INAX出版)に掲載されている平面図は、現在のもの、及び、中村家住宅でもらったリーフレットに掲載されている平面図とは少々異なるところがあり、中村さんが居住しているうちに変更されたものが吉澤政己『日本列島民家の旅(6)中部1 東海・中央高地の住まい』に掲載されているのではないかと思いますが、そちらの平面図では、南側中央の「ヒロマ」は「ゲンカン」と表記されてこの部屋から入る入口が設けられ、押板がある場所はその奥側の納戸の一部分とともに仏間とされて、南側の一番西よりの「ザシキ」の左奥、今では一番きれいな色合いの壁が塗られている4畳半の部屋の手前部分の左より(西より)に神棚、その右に床の間が設けられていたように書かれています。

東海・中央高地の住まい―日本列島民家の旅〈6〉中部 1 (INAX ALBUM) - 吉澤 政己, 入澤企画制作事務所
南側の一番西の「ザシキ」の左奥の位置に「四畳半」の部屋があるのですが、北側の位置で広さも四畳半ですが、大変きれいな造りになっています。↓


↑ 現地の説明書きには、
《 四畳半
この部屋は主屋の中で最も上等に造られている。
中村家住宅は柱の角の加工(面取り)が規則的で、面取りは中心線より南側の部屋に対しておこなっている。しかし、この四畳半は北側であるが、柱に面取りを施してある。また、この部屋だけは天井があり、壁も色土を使って仕上げてある。》
と書かれています。
どうも、壁の色合いが写真にきれいに出ていないのですが、赤っぽい色の壁で、窓は西側にしかない部屋で広さも4畳半しかない部屋ですが、丁寧であるとともに、おしゃれな仕上げになっています。「みやび」とでもいうのか、美しい仕上げですが茶室という感じではありません。

↑ 西よりの「ザシキ」から左奥の「四畳半」の方を見た写真ですが、手前の「ザシキ」と左奥の「四畳半」で壁の色が違うのがわかります。肉眼で見たものと同じように写真に写っていないのですが、手前の「ザシキ」は一般的な色合いですが左奥の「四畳半」は「女性的」というのか「女性が好みそうな色合い」というのかで構成されています。
吉澤政己『日本列島民家の旅(6)中部1 東海・中央高地の住まい』(1996.4.30.INAX出版)に掲載されている平面図では、この部分は南の「ザシキ」に接した部分はザシキからの神棚と床の間になっていて、その奥が3畳弱の東西に長い部屋になっているのですが、公開される時点でかつてのものに戻されたのではないかと思います。
丁寧で・おしゃれな造りですが、「女性的」という印象、「高貴な立場の女性」が使用した部屋なのか?・・という印象を受けたのですが、どうだったのでしょうか。 徳川家康の側室の「お万の方」が家康の次男の結城秀康を出産して結城秀康が3歳まで過ごしたという場所は主屋の南西に設けられた現在は存在しない建物だったらしいので、「お万の方」が使用した部屋ということでもないとすると、中村家の当主の妻の専用の部屋だったのか。
浜松市西区役所まちづくり推進課・浜松市市民部文化財課編集『【国指定】重要文化財 中村家住宅 2021年1月版』。浜松市西区役所まちづくり推進課発行)には、
《 残っていた天井枠や長押などから、この部屋があったことがわかりました。この部屋は非常に変わっており、その特徴は薄い赤褐色の色壁で上塗りがしてあるということ、竿縁天井がついていること、全ての柱に面取りがしてあるということなどで、非常に丁寧な造りになっています。ここは部屋伝いには入れず、外の西縁から入るように作られています。このため、特別な者が内々に来訪された際、密談した部屋かもしれません。あるいは家康が密かに訪れた際にも使ったのでしょうか。》
と書かれています。
「特別な者が内々に来訪された詩、密談した部屋」「家康が密かに訪れた際にも使った」にしては、もし、襲撃を受けた際に逃げにくいのではないかとも思えます。それよりも、部屋の印象が男性用ではなく「女性的」というのか、「女性の好みに合わせた造り」という印象を受けます。どういう使い方をされていた部屋だったのでしょうか。
この四畳半の部屋の北西の位置に「茶室」があります。↓

( ↑ 茶室。 北西側から見たもの。)
家康なのか誰なのかわからないが、「高貴な方」が茶室で「密談」でもしている間に、「高貴な方」の縁者である「高貴な女性」が待機していた部屋・・・という可能性というのはどうでしょうか。 もっとも、主屋は国重要文化財、現在は東側にあるがかつては南側にあったらしい長屋門と胞衣(えな)塚と西側の屋敷林は浜松市指定文化財に指定されていても、茶室は無指定であり、いつからあったものかわからないが、今の建物ではなくても、茶室の付近に「密談」用の部屋があって、家康なのか誰なのか、そこに来訪している人の縁者の女性の待機場所だった・・・という可能性は・・ありそうな感じがしないでもないような・・・。 それとも、「高貴な方」のために、どこやらからさらってきた美形の女を軟禁した部屋だった? ・・とか・・・?
その後、中村家の住人が使いやすいように部分的に作り変えられたが、17世紀に建てられた頃においては、土間に面した板敷きの「ヒロシキ」、南側中央の「ヒロマ」が人を迎え入れる部屋で、「ヒロマ」の北側、「ヒロシキ」の西側にあたる「十八畳」が中村家の当主や家族がいる場所で、西寄の「ザシキ」は家康なのか誰なのか「高貴な方」が来訪した時に通す部屋で、その奥(北側)の「四畳半」は「高貴な方」の奥方か側室かそういう女性用の部屋だったか・・?

※ 浜松市HP 中村家住宅 https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/bunkazai/shitei/yuto/yuto/nakamurake.html
ウィキペディアー中村家住宅(静岡県) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85_(%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C)
YAHOO!ロコ 中村家住宅 https://loco.yahoo.co.jp/place/g-UjOVGKKqIWQ/?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spt_slo_p_ttl&lsbe=1
浜松・浜名湖大好きネット 中村家住宅 https://hamamatsu-daisuki.net/search/area/are-west/post-396.html
じゃらん 中村家住宅 https://www.jalan.net/kankou/spt_22505ae2180022423/
次回、中村家住宅について、続く・・・
(2021.4.13.)
☆ 中村家住宅(浜松市西区雄踏町宇布見)
1.浜松IC・浜松西ICから中村家住宅まで。長屋門。茅葺と瓦葺のミックスの屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_2.html
2.「和小屋組と扠首(さす)組が合わさった小屋組」、「浜松なのにイナカくさくない」、元 梁材を「柱」にするのではなく上り口に使用。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_3.html
3.「押板」・畳敷きの部屋の囲炉裏・女性的な造りの和室。茶室。「浜松に『浜松流』、他の場所にはその場所流」と考えることができない浜松中心主義は困りもの。〔今回〕
4.「鏡戸」「板戸」。内側の雨戸、縦桟の格子。「面取り」した柱とそうでない柱。噛み合わせを設けて継いだ木材。細くない「貫」。飲食店なのに不衛生なしつらえの「花の舞」。嫌がらせの配置をされて学ぶ者と去る者。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_5.html
5.胞衣塚・天神社跡地・茶室・屋敷神祠・井戸屋形、満開の桜。中家住宅(大阪府熊取町)・大国家住宅(岡山県和気町)について。3月下旬、中村家住宅の桜はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_6.html
6.中村家 北西の天神社。元 中村家の氏神だった天神社。岩長姫は長寿の神? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
☆ 大鐘家と相良城跡(静岡県牧之原市)
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
(6)土蔵・資料館。大鐘家の裏の丘からの眺望。相良城跡と田沼意次。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_6.html
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 東京都 狛江市立古民家園
上 旧荒井家住宅主屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_1.html
下 旧高木家住宅長屋門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_2.html
☆ 旧近藤家 長屋門(東葉学園 東葉門 )(千葉県船橋市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_3.html
☆ 旧安西家住宅(千葉県木更津市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_5.html

新感覚の和風住宅 (Home life) - 講談社

新感覚の木造住宅―日本の気候・風土に最もふさわしい健康的な住まい (HOME LIFE) - 講談社

やすらぎの「新和風」特選―伝統的・民家調・現代風のデザインを楽しむ (ホームメイク) - ニューハウス出版
静岡県浜松市西区雄踏町(ゆうとうちょう)宇布見(うぶみ) の中村家住宅見学の3回目です。
私が気づいた所から順番に見ていきます。 まず、床の間です。↓

↑ 板床です。南側中央の「ヒロマ」という18畳の畳敷きの部屋にあります。全国的かつ一般的には、現在では畳床と板床では畳床の方が正式のような意識が広まっているように思いますが、中村家住宅は立派な家屋ですが、板床です。床脇棚もありません。
《 押板(おしいた)
一般的には床の間の原形と言われるが、中村家住宅では神棚・位牌棚としての用途が考えられる。》
と現地の説明書きに書かれています。浜松市西区役所まちづくり推進課・浜松市市民部文化財課編集『【国指定】重要文化財 中村家住宅 2021年1月版』。浜松市西区役所まちづくり推進課発行)には、
《 【押板】
書院造(しょいんづくり)の「床の間」の原型とも考えられていますが、「床の間」より奥行は遥かに狭く、地板も高い位置に入れてあります。神仏の名前を書いた軸物(じくもの)を掛けたり、祈祷札を貼るなど、宗教的な使われ方をする場所とされており、中村家では祖先を祀る場所として使われていたようです。》
と書かれています。かけられている掛軸にも「南無妙見大菩薩」と書かれています。
静岡県の民家では、牧之原市の大鐘家住宅の神棚も背面は板で、床面も短い奥行の板で構成されていましたが、それに似ているといえば似ています。床の間といえば床の間、神棚といえば神棚・・なのでしょうか。
※ [第796回]《 大鐘家住宅【5/6】神棚の造りについて。地域のやり方を無視する一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長。「浜松流」を全国に押しつけないとおれない症候群の人。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
床の間と仏壇・神棚の作り方はその地域によって異なります。浜松中心主義・浜松独善主義の(株)一条工務店は、「なにかと浜松流」「なにがなんでも浜松流」の会社ですが、そのおかげで「黙って座れば浜松流」に施工されてしまう傾向がありました。 浜松および遠州地方において「黙って座れば浜松流」で悪いことはないのですが、浜松および遠州地方とは異なる地域においては、やはり、「黙って座れば」その地域のやり方での施工になるようにするべきです。これを「(株)一条工務店の遠州人」「一条オリジナル人間症候群」にわからせようとすると、大変難しい。彼らは「浜松でいいものは東京でも大阪でも日本全国どこでもいいに決まってるんだ」「浜松でいいものは日本全国どこでも通じるに決まってるんだ」と、実際にそうであるかないか調べもしないで決めつけて譲りません。実に頑固ですから、信念持って非浜松地域に「浜松流」を押しつけますから、難儀ですわあ、往生しまっせえ、ほんまあ~あ・・・。
念のため、断っておきますが、ここで言う「遠州人」はあくまでも「(株)一条工務店の遠州人」のことであって、「遠州人一般」がどうかという話ではありませんが、「(株)一条工務店の遠州人」というのは、ほんま、頑固で困りますわあ、ほんまあ・・( 一一) 難儀ですでえ~え・・・。
どっちでもいいようなものなら、浜松流でも何流でもそれほど問題でないかもしれませんが、床の間と仏壇・神棚の作り方というのは、これは都会の人間はそれほど気にしないかもしれませんが、「地方」の人間は相当気にしますし、施主が気にしなくても親戚や近所の人たちがその家に行った時に見て、「なんだべ、これはあ」となります。 1990年代後半、福島県いわき市の(株)一条工務店の私がいた展示場の向かいの位置に東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)の展示場ができて、そこに来た店長のおっさんとガソリンスタンドで会った時に、「いわき に来る前はどこにおられたのですか」と私にきくので「東京と松戸にいましたが、一条工務店の建物は東京近郊ではきつかったですね」と言うと、東日本ハウスの店長のおっさんは「そうでしょ。うちもそうですよ」と言うので、「そうですか。一条工務店と東日本ハウスなら、東日本ハウスの方が都会型の建物なので東日本ハウスさんの方が東京あたりでは有利かと思いましたが、そうではありませんか」と言うと、「いや、そんなことありません。同じですよ。うちも東京とか都市圏ではきついですよ。木造はどうしても都市圏ではきついです」とおっさんは言うのだった。それが逆に「地方」に行くと、ツーバイフォー工法なんてのは東京圏や関西圏で建てる人はあっても「地方」でツーバイフォー工法で建てる人というのはなかなかないのだ。「家というものは木で建てるものなんだ」「家というものは柱があって梁があってという在来木造で建てるものなんだ」という固定観念が相当に強固な地域においては、在来木造はそれ以外の構法に対して相当に強く、だから、「浜松流総本舗の(株)一条工務店」の「構造アルバム」では在来木造での構造の話ばっかり掲載されていて、他構法との比較の話はほとんど掲載されておらず、(株)一条工務店の浜松での「研修」においても、在来木造同士での比較の話ばっかりだったのだ。ところが、東京圏・関西圏ではそうではない。在来木造以外の構法で建てる人もある。
そして、「地方」においては「家というものは木で建てるものなんだ」「家というものは柱があって梁があるという造りで建てるものなんだ」という意識が相当に強いとともに、「家というものは、木で建てるとともに、国産材でムク材で建てるものなんだ」という意識が強い。これは理屈ではないのだ。一時期は「プレハブ住宅」と言っていたハウスメーカーが「プレハブ」という言葉の印象が良くないので「工業化住宅」と言っても「プレハブ」とはあまり言わなくなったが、「プレハブ」というのは英語の prefabrication プレファブリケイション、 prefabricate プレファブリケイト の略で「あらかじめ、形作る」という意味であり、prevabricated house プレファブリケイテッド ハウスは工事現場より前に工場という所で造る割合が比較的大きい住宅という意味であり、工場生産の度合いが大きいからいいと決まったものでもなければ現場施工の割合が大きければいいというものでもない。 そもそも、今日では在来木造からして工場生産の度合いが相当大きくなっていますから、「工業化住宅」という意味合いがあまりないのですが、それでも、在来木造以外の構法は「地方」においては戸建住宅においてはなかなか受け入れられにくいようです。又、集成材とムク材はどちらが強いかといった議論は「地方」においてはそれほど関係なく、「家というものはムク材で建てるものなんだ」という意識が相当に強い地域においては「構造材はムク材の(株)一条工務店」は「通し柱は集成材の住友林業(株)」よりもその点において有利だったのです。住友林業(株)は在来木造の会社の中では都市型の会社であり(あくまでも「在来木造の会社の中では」ですが)、「住友林業は日本の森林の何割を所有しています」とか大きくカタログに書いていても、実際に「住友林業の家」で使用している構造材は集成材や輸入材が多い会社であり、その点で、「構造材はムク材・国産材の(株)一条工務店」は「地方」においては有利だったのです。
しかし、「地方」においては、都市部よりも床の間の作り方や仏壇・神棚の設け方というものについても、それぞれの地域の作り方というものがあって、都市圏の住人よりもそういった問題は重視されるのです。ところが、(株)一条工務店は「何につけても浜松流」「日本全国浜松流」で押し通したい会社だったのです。 そのあたりのところをきっちりとやらないと、「一条工務店で建てたら変な神棚にされた」とか「一条工務店で建てた家を見せてもらったら変な床の間になっていた」ということになると、それは大きくマイナスになります。ところがところが、「浜松こそ宇宙の中心」「太陽・月・星といった宇宙の天体は浜松を中心としてまわっている」と心の底から信じている人にそれをわからせようとしても、わからせるのは難しいのです。「それでも地球はまわっている」なんてことをうかつに言うと火あぶりとかにされそうな感じです。彼らは「浜松中心天動説」の信者で「空の広さは浜松の広さと同じだ」と心の底から信じているのです。「空の一部分の広さは浜松の広さと同じだというのならそれは正しい。しかし、空の広さは浜松の広さと同じだと言うのならそれは間違っている」とか「浜松のまわりを太陽・月・星といった天体がまわっているのではなく、太陽のまわりを地球がまわっていて、その地球にある日本の一部に浜松がある」などと言おうものなら、彼らは激しくひきつけおこすのです。彼らはそういうビョーキなのです。

増補改訂版 知っておきたい「てんかんの発作」 - 久保田 有一, 小国 弘量, 加藤 昌明
実際に、(株)一条工務店において、床の間の施工と神棚の施工について問題が発生したケースについて、
● 床の間について・・・[第678回]《「じゅらく壁」・「京壁」とは何か? 「珪藻じゅらく」て何? きっちりと対応する従業員を嫌う営業本部長。床柱と長押がぶつかる箇所はどちらが前にくるべきか。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201902article_8.html の後半。
[第795回]《大鐘家【4/6】床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域に押しつける一条工務店。会社の為に協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
● 神棚について・・・[第796回]《 大鐘家住宅【5/6】神棚の造りについて。地域のやり方を無視する一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長。「浜松流」を全国に押しつけないとおれない症候群の人。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
で述べましたので、同じことをもう一度述べなくても、過去に述べた部分を見ていただければいいかと思いますので、そちらをご覧いただきたいと思います。
[第796回]《 大鐘家住宅【5/6】神棚の造りについて。地域のやり方を無視する一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長。「浜松流」を全国に押しつけないとおれない症候群の人。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html でも述べましたが、1980年代後半、小堀住研(株)に在籍した時、お施主様と一緒に訪ねた東京都内の「家相と気学の専門家」の方が、神棚というのは人間が立った時の眼の高さより少し高いくらいの位置に設けるのがよく、上の方に神棚をあげている家があるけれども、それは「邪魔だから上の方にあげている」のだと言われたのでしたが、そういう考え方もあるのでしょうけれども、キリスト教でも「みだりに神の名を唱えてはならない」という言葉があるのと同様かどうかわかりませんが、日本の「神様」でも、普段は「神様」に頼らずに生活して、本当に困った時や、いざという時にのみ、「神様、よろしくお願いします」と上の方の神棚に向かって柏手を打つという考え方もあるのではないか。又、福島県浜通り地方では、その地区によっては「仏様」が昇進というのか出世というのか上の段階に進んで「神様」になるという考え方がある地域があるようで、それゆえ、仏壇の右上の位置、もしくは、仏壇の真上から右上にかけての位置に神棚を設けることになっている、という地区があるらしい。だから、神棚の設け方といったものは、それぞれの地域によっても考え方が異なり、いろいろな考え方があるようで、ひとつの地域のやり方を他の地域に押しつけるようなことはするべきではないでしょう。
中村家住宅で最初に見た時には、床の間なのだろうと思ったのですが、《中村家住宅では神棚・位牌棚としての用途が考えられる》という現地の説明書きを見て、牧之原市の大鐘家住宅の神棚を思い出し、これは神棚・・かな・・と思ったのです。神棚というのは長押の上の位置と決まっているわけではなく、むしろ、普通の人間が立った時の眼の高さより少し上とか、あるいは普通の人間が座った時の位置で考えて低くない場所に・・という考え方もあるのかもしれません。
中村家住宅においては、床の間の床柱と長押との取り合いの部分はどうなっているか・・というのを見たかったのですが、中村家住宅においては、もとよりそういった床の間ではなかったようです。
次に、これは現地に行って気づいたものですが、これまで、私が見てきた「民家」においては(「古民家」と表現するべきか「民家」と表現するべきか、いつも迷うのですが、「古民家」と表現すると今もそういう家に住んでいる方に失礼ではないかとも思うし、「古民家」という表現だと「いい所は相当あるけれども現役で使えない家」みたいなニュアンスが出てきそうなので今も住んでいる人はあるのだという意味で「民家」と表現した方がいいかとも思うのですが、「民家」と表現してしまうと、昨年今年建てられたハウスメーカーの家も「民家」ですから、それから考えると「古民家」の方が意味を伝えるかと思ってみたりもしますが、ここでは江戸時代か明治の初めあたりに建てられた民家、もしくはそれより前に建てられた民家をさします。)「囲炉裏(いろり)」というのは板敷きの部屋にあったのです・・・が、この中村家住宅においては、囲炉裏(いろり)が畳敷きの部屋にあるのです。 ↓

この囲炉裏は北側の18畳の部屋にあります。浜松市西区役所まちづくり推進課・浜松市市民部文化財課編集『【国指定】重要文化財 中村家住宅 2021年1月版』。浜松市西区役所まちづくり推進課発行)には、
《 ・・囲炉裏の上には自在鉤(じざいかぎ)を吊るす梁が無く、梁に煤(すす)が見当たらないこと、また囲炉裏周辺が板敷でなく畳敷(たたみじき)であることから、農家の土間にみられるように薪(たきぎ)を燃やすようなことはせず、炭を燃やし、五徳(ごとく)に鉄瓶(てつびん)などを置いて湯を沸かしたり、ちょっとした暖をとるなどに使用していたと考えられます。》
と出ています。
吉澤政己『日本列島民家の旅(6)中部1 東海・中央高地の住まい』(1996.4.30.INAX出版)に掲載されている平面図は、現在のもの、及び、中村家住宅でもらったリーフレットに掲載されている平面図とは少々異なるところがあり、中村さんが居住しているうちに変更されたものが吉澤政己『日本列島民家の旅(6)中部1 東海・中央高地の住まい』に掲載されているのではないかと思いますが、そちらの平面図では、南側中央の「ヒロマ」は「ゲンカン」と表記されてこの部屋から入る入口が設けられ、押板がある場所はその奥側の納戸の一部分とともに仏間とされて、南側の一番西よりの「ザシキ」の左奥、今では一番きれいな色合いの壁が塗られている4畳半の部屋の手前部分の左より(西より)に神棚、その右に床の間が設けられていたように書かれています。

東海・中央高地の住まい―日本列島民家の旅〈6〉中部 1 (INAX ALBUM) - 吉澤 政己, 入澤企画制作事務所
南側の一番西の「ザシキ」の左奥の位置に「四畳半」の部屋があるのですが、北側の位置で広さも四畳半ですが、大変きれいな造りになっています。↓


↑ 現地の説明書きには、
《 四畳半
この部屋は主屋の中で最も上等に造られている。
中村家住宅は柱の角の加工(面取り)が規則的で、面取りは中心線より南側の部屋に対しておこなっている。しかし、この四畳半は北側であるが、柱に面取りを施してある。また、この部屋だけは天井があり、壁も色土を使って仕上げてある。》
と書かれています。
どうも、壁の色合いが写真にきれいに出ていないのですが、赤っぽい色の壁で、窓は西側にしかない部屋で広さも4畳半しかない部屋ですが、丁寧であるとともに、おしゃれな仕上げになっています。「みやび」とでもいうのか、美しい仕上げですが茶室という感じではありません。

↑ 西よりの「ザシキ」から左奥の「四畳半」の方を見た写真ですが、手前の「ザシキ」と左奥の「四畳半」で壁の色が違うのがわかります。肉眼で見たものと同じように写真に写っていないのですが、手前の「ザシキ」は一般的な色合いですが左奥の「四畳半」は「女性的」というのか「女性が好みそうな色合い」というのかで構成されています。
吉澤政己『日本列島民家の旅(6)中部1 東海・中央高地の住まい』(1996.4.30.INAX出版)に掲載されている平面図では、この部分は南の「ザシキ」に接した部分はザシキからの神棚と床の間になっていて、その奥が3畳弱の東西に長い部屋になっているのですが、公開される時点でかつてのものに戻されたのではないかと思います。
丁寧で・おしゃれな造りですが、「女性的」という印象、「高貴な立場の女性」が使用した部屋なのか?・・という印象を受けたのですが、どうだったのでしょうか。 徳川家康の側室の「お万の方」が家康の次男の結城秀康を出産して結城秀康が3歳まで過ごしたという場所は主屋の南西に設けられた現在は存在しない建物だったらしいので、「お万の方」が使用した部屋ということでもないとすると、中村家の当主の妻の専用の部屋だったのか。
浜松市西区役所まちづくり推進課・浜松市市民部文化財課編集『【国指定】重要文化財 中村家住宅 2021年1月版』。浜松市西区役所まちづくり推進課発行)には、
《 残っていた天井枠や長押などから、この部屋があったことがわかりました。この部屋は非常に変わっており、その特徴は薄い赤褐色の色壁で上塗りがしてあるということ、竿縁天井がついていること、全ての柱に面取りがしてあるということなどで、非常に丁寧な造りになっています。ここは部屋伝いには入れず、外の西縁から入るように作られています。このため、特別な者が内々に来訪された際、密談した部屋かもしれません。あるいは家康が密かに訪れた際にも使ったのでしょうか。》
と書かれています。
「特別な者が内々に来訪された詩、密談した部屋」「家康が密かに訪れた際にも使った」にしては、もし、襲撃を受けた際に逃げにくいのではないかとも思えます。それよりも、部屋の印象が男性用ではなく「女性的」というのか、「女性の好みに合わせた造り」という印象を受けます。どういう使い方をされていた部屋だったのでしょうか。
この四畳半の部屋の北西の位置に「茶室」があります。↓

( ↑ 茶室。 北西側から見たもの。)
家康なのか誰なのかわからないが、「高貴な方」が茶室で「密談」でもしている間に、「高貴な方」の縁者である「高貴な女性」が待機していた部屋・・・という可能性というのはどうでしょうか。 もっとも、主屋は国重要文化財、現在は東側にあるがかつては南側にあったらしい長屋門と胞衣(えな)塚と西側の屋敷林は浜松市指定文化財に指定されていても、茶室は無指定であり、いつからあったものかわからないが、今の建物ではなくても、茶室の付近に「密談」用の部屋があって、家康なのか誰なのか、そこに来訪している人の縁者の女性の待機場所だった・・・という可能性は・・ありそうな感じがしないでもないような・・・。 それとも、「高貴な方」のために、どこやらからさらってきた美形の女を軟禁した部屋だった? ・・とか・・・?
その後、中村家の住人が使いやすいように部分的に作り変えられたが、17世紀に建てられた頃においては、土間に面した板敷きの「ヒロシキ」、南側中央の「ヒロマ」が人を迎え入れる部屋で、「ヒロマ」の北側、「ヒロシキ」の西側にあたる「十八畳」が中村家の当主や家族がいる場所で、西寄の「ザシキ」は家康なのか誰なのか「高貴な方」が来訪した時に通す部屋で、その奥(北側)の「四畳半」は「高貴な方」の奥方か側室かそういう女性用の部屋だったか・・?
※ 浜松市HP 中村家住宅 https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/bunkazai/shitei/yuto/yuto/nakamurake.html
ウィキペディアー中村家住宅(静岡県) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85_(%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C)
YAHOO!ロコ 中村家住宅 https://loco.yahoo.co.jp/place/g-UjOVGKKqIWQ/?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spt_slo_p_ttl&lsbe=1
浜松・浜名湖大好きネット 中村家住宅 https://hamamatsu-daisuki.net/search/area/are-west/post-396.html
じゃらん 中村家住宅 https://www.jalan.net/kankou/spt_22505ae2180022423/
次回、中村家住宅について、続く・・・
(2021.4.13.)
☆ 中村家住宅(浜松市西区雄踏町宇布見)
1.浜松IC・浜松西ICから中村家住宅まで。長屋門。茅葺と瓦葺のミックスの屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_2.html
2.「和小屋組と扠首(さす)組が合わさった小屋組」、「浜松なのにイナカくさくない」、元 梁材を「柱」にするのではなく上り口に使用。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_3.html
3.「押板」・畳敷きの部屋の囲炉裏・女性的な造りの和室。茶室。「浜松に『浜松流』、他の場所にはその場所流」と考えることができない浜松中心主義は困りもの。〔今回〕
4.「鏡戸」「板戸」。内側の雨戸、縦桟の格子。「面取り」した柱とそうでない柱。噛み合わせを設けて継いだ木材。細くない「貫」。飲食店なのに不衛生なしつらえの「花の舞」。嫌がらせの配置をされて学ぶ者と去る者。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_5.html
5.胞衣塚・天神社跡地・茶室・屋敷神祠・井戸屋形、満開の桜。中家住宅(大阪府熊取町)・大国家住宅(岡山県和気町)について。3月下旬、中村家住宅の桜はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_6.html
6.中村家 北西の天神社。元 中村家の氏神だった天神社。岩長姫は長寿の神? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
☆ 大鐘家と相良城跡(静岡県牧之原市)
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
(6)土蔵・資料館。大鐘家の裏の丘からの眺望。相良城跡と田沼意次。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_6.html
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 東京都 狛江市立古民家園
上 旧荒井家住宅主屋 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_1.html
下 旧高木家住宅長屋門 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201509article_2.html
☆ 旧近藤家 長屋門(東葉学園 東葉門 )(千葉県船橋市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_3.html
☆ 旧安西家住宅(千葉県木更津市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_5.html

新感覚の和風住宅 (Home life) - 講談社

新感覚の木造住宅―日本の気候・風土に最もふさわしい健康的な住まい (HOME LIFE) - 講談社

やすらぎの「新和風」特選―伝統的・民家調・現代風のデザインを楽しむ (ホームメイク) - ニューハウス出版
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