高速道路のインターチェンジ・パーキングエリア・ジャンクションのいいかげんな命名とJRの駅名のいいかげんな命名と住宅展示場の営業所名のいいかげんな命名の会社。三大帝国主義のひとつ””「体だけ元気な爺さん」帝国主義””は恐ろしい。
[第836回]
《1》 東京圏と関西圏の間を乗用車で行き来するには・・、及び、コロナウイルスが世間で話題になっている昨今、「不要不急」ではなく必要があって東京圏と関西圏を行き来するにはマイカーで往復した方が人と「近接」する機会は少なく移される可能性も移す可能性も小さそうだが、天下無敵””「体だけ元気な爺さん」帝国主義””に「他県ナンバー」はボコボコにされないか不安
・・という話。
ここしばらく、何度か千葉県と大阪府を自家用車で往復することがあった。最初は、そんなもの、東京と大阪をひとりで自動車を運転して行くなんてできるわけないだろうが・・と思ったが、何度かやってみるとできるものだとわかった・・・が、何度かやってみても、できることはできるがやっぱり疲れる・・というのもわかった。
費用はちっとも安くはならない。新幹線に往復とも乗った場合よりも高くかかるが、新幹線に乗って往復した上でレンタカーを借りて使用するよりは安い。かつ、レンタカーよりも自分のクルマなので気兼ねなく使えるし「車両感覚」があるクルマなのでぶつける可能性はその分だけ小さい。
タクシーというのは、私が貧乏性なのか頻繁に使用することに罪悪感を感じてしまうのだが、東京圏と関西圏を自家用車で往復して、ガソリン代と高速道路代を出すことを考えれば、新幹線で往復して何度もタクシーを利用する方がむしろ費用は安い。
経路だが、御殿場ジャンクションから豊田ジャンクション まで、東名高速道路と新東名高速道路の2通りがあり、新東名ルートの方が若干距離が短い。 そのかわり、トンネルが多い。 トンネルが多いとそうでない場合に比べて微妙に疲れやすいような気がする。 しかし、どういう理由かわからないが、東名高速の方が新東名に比べて、箱型トラックの割合がいくらか少ないような気がする。
作成者は福島県いわき市に5年間、住んだ「何割か福島県人」であるが、東京都・千葉県から福島県浜通り地区までの常磐自動車道はすいていて走りやすいし、特に夜間は前は向こうの方に尾灯が見えて、後ろは後ろで向うの方に前照灯が見える・・て感じで、夜は特にすいていて走りやすかった・・が、ところが、東名・新東名はそうではない。常磐道みたいな気持ちで東名・新東名を走るととんでもない。夜もちっともすいていないばかりか、昼間は箱型トラックも走っておればそうでないトラックもバスも走っていて、普通乗用車もワゴン車も走っているのだが、それが夜になると箱型トラックの割合が無茶苦茶大きくなる。普通乗用車を運転していて前を箱型トラックに走られると、ものすごく前方が見えにくい。それが、箱型トラックも走っているがそうでないクルマもいっぱい走っているという場合ならば、箱型トラックの後ろについた時には、さっさと追い越し車線を走って追い抜くか、もしくは逆に減速して車間距離を長めに取ることで前方を見えやすくすることができるのだが、夜間、箱型トラックばっかり走っている状態ではそれはできない。車間距離を長めに取るとそこにまた箱型トラックに入られてしまうことになる。
さらに、夜間、サービスエリアへ入る減速車線にトラックに駐車されるのはまだいいとして、サービスエリアから本線に出る加速車線に駐車するトラックがあって、あれは怖い。 一般の道路でなら、徐行して通れば接触しないで通れる幅であっても、加速車線というのはそこで加速して本線に入る経路であるにもかかわらず徐行しなければ通れないわけで、十分に加速できない状態で本線に入らなければならなくなるし、左側に駐車しているクルマに接触しないように気を配って運転すると右側の本線に背後から来るクルマに対する備えが不十分になる。加速車線に駐車するのはやめてほしい・・がそういうトラックがけっこう多い。
だから、常磐自動車道などは夜間は昼間よりすいているので運転しやすいのだが、東名・新東名は夜間でもちっともすいておらず、箱型トラックの割合が夜間は昼間より大きくなって乗用車を運転する場合は自分も箱型トラックを運転する場合よりも運転席の高さが低いので前方が見えにくくて運転しずらい。又、一般の道路を走っている時には、箱型トラックでもそうでないトラックでも、一般に運転すること自体を仕事にしている人の運転はそうでないドライバーと比べて運転が丁寧である場合が多いという印象を受けていたのだが、ところが東名・新東名においては箱型トラックの運転手の運転は決して一般ドライバーより丁寧な運転などということはない。
何度か走ってみて、東京圏から関西圏まで乗用車で走る場合は、
1.夜間は走りにくい。だから、できるだけ日没までに目的地に着くように、せめて高速道路は日没までに降りれるように計画した方がいい。
2.雨天の日は走りにくい。だから、天気予報を見て、日程を選べる場合は晴天の日に走るようにした方がいい。
3.渋滞するとどれだけかかるかわからないから、できれば渋滞が始まる前の早朝に東京都内は抜けたい。
4.東名と新東名なら微妙に新東名の方が距離が短いが、東名の方がトンネルが少なく、箱型トラックの割合は新東名の方が大きいように思えた。
5.東名の方がトンネルが少ないので晴天の日は東名の方がその分だけ走りやすいが、雨天の時は、むしろ、トンネル内は晴天も雨天もほとんど関係ないのでトンネルが多い新東名の方が走りやすい場合もある。
6.電車で行く場合以上に体調を整える必要がある。新幹線なら乗っている間に寝ていても電車は走るが自家用車を運転する場合は、パーキングエリアに停めて寝ているとその時間はクルマは前に進まない。当たり前のようだが、その時間の分だけ多く時間がかかることになる。電車や夜行バスに乗客として乗って行く場合と違って、眠気がしだしてパーキングエリアで何時間も寝ていたのでは、いつまで経っても目的地につかないことになる。
7.新幹線では、今では東京ー新大阪間を2時間40分ほどだったかで行けるが、自宅から東京駅までの時間と、新大阪駅から目的地までの時間がかかり、切符を買ったり新幹線の中で食べるお弁当を買ったりする時間がかかるので、合計約5時間と考え、自家用車で行く場合は比較的問題なく走れた場合で「実際に運転する時間が6時間少々、途中の食事休憩1か所・それ以外の休憩2か所で2時間と考えて、合計8時間少々」として、自家用車で行くと新幹線で行った場合より3時間余計にかかり、往復で約6時間余計にかかることになるが、行った先でクルマがあるので行った先で動きやすいというメリットがある。 しかし、「せっかく自家用車で東京ー大阪間を行き来するなら、途中でどこか寄ってみようか」なんて考えて「どこか」に行くと、インターチェンジの目の前にあるような所に行くのならまだいいが、インターチェンジから片道30分かかる所に往復してそこで2時間費やすと、それだけで3時間余計にかかることになり、結果として新幹線で行った場合よりも6時間余計にかかることになる、片道30分の所ならまだいいが片道1時間かかる所に行って行った先で3時間費やしたなら5時間余計にかかることになり新幹線で行ったなら5時間で行ける所に13時間もかかったことになり、何しに行っているのかわからなくなる。だから、「せっかく東京ー大阪間をクルマで走るのだから途中でどこか1カ所くらい寄ってみようか」という誘惑はくせものである。
・・・ということがわかった。理屈では最初からわかっていたものもあるが、実感としてわかった。
中央自動車道ー名神高速道路経由での往復も一度やったが、「もう、二度とやりたくない」と思った。東京から西に向かって中央自動車道を走ると、すでに相当走っているはずなのに、「え、まだ、山梨県なの・・」て感じ。中央自動車道は東名・新東名に比べてカーブとアップダウンが多いと言われるが、走っているとそうも思わないが実際に時間がかかることから判断するとそうなのだろう。諏訪湖サービスエリアより西、岡谷ジャンクションで長野自動車道と分かれてからはけっこう走りやすいのだが、ところが、走っても走っても南に進むばっかりでちっとも西に進まない。東京ー大阪間の夜行バスで、もともと東名・名神経由だったはずのバスが「本日は東名高速道路が工事をおこなうため、中央自動車道経由で走ります」ということになった時があり、「へえ、中央自動車道経由で東京から名古屋や関西に行けるんだあ」と思ったことがあり、又、内田康夫『皇女の霊柩』で名古屋から中央自動車道経由で東京まで帰る話が出ていたので、中央自動車道経由でも行けるものかと思ったが、もう二度とやらん。箱型トラックの割合は中央自動車道の方が新東名よりも小さいと思ったが、なにしろ、所要時間が東名・新東名よりずっとかかってしまう。もうやらない。岐阜県あたりに用事がある人なら、中央自動車道ルートというのも選択肢として考えられるかもしれないが、名古屋・関西に用事がある者には東名・新東名の方がいいだろう。

( ↑ 中央自動車道「神坂(みさか)」パーキングエリア。 )

皇女の霊柩 「浅見光彦」シリーズ (角川文庫) - 内田 康夫
名古屋付近から関西までのルートだが、最近では、伊勢湾岸自動車道と新名神高速道路の草津ジャンクションまでができたことで、かつての名神高速道路経由よりも距離が短縮できた。 伊勢湾岸自動車道は地図で見ると海べりでこんな海に近い場所を走って、もしも、高潮・津波などあったら大丈夫か・・と不安になるが実際に走ってみると、相当高い位置に作られており、かつ相当頑丈に作られているように思われるので、高潮・津波などあってもまず伊勢湾岸自動車道は大丈夫ではないか。 むしろ、伊勢湾岸自動車道の足元のあたりの工場に勤務している人は、突然、大地震が発生して相当の津波が来るかもしれない・・となった時には、大急ぎで伊勢湾岸自動車道のインターチェンジから伊勢湾岸自動車道にかけあがれば、ともかく命は助かるのではないか。 但し、それだけ高い位置に作られているだけあって、普段から相当風が強い。日によっても違いがあるが、相当風が強く、かつ、もし、吹き飛ばされて落下したなら、その下は「川」ということに地図ではなっていても「実質、海」みたいな川であるから、落下したら命はないだろう・・・と思うと、風の強い日は伊勢湾岸自動車道を走るのは相当緊張する。
距離が短いのは伊勢湾岸自動車道+新名神 で、名神高速道路経由ではまだ走ってみたことはないのだが、それほど無茶苦茶遠いわけでもないのではないか。
もうひとつ、亀山インターチェンジから「名阪国道」(国道25号)というルートがある。「名阪国道」は高速道路としての料金は要らないが自動車専用の高速道路で、西側は奈良県の天理インターチェンジまで無料。天理インターチェンジから西は有料になり、大阪府の松原ジャンクションで近畿自動車道と接続し、近畿自動車道は北は吹田ジャンクションで名神高速道路・中国自動車道と接続する。一度、この経路で走ってみたが、天理ー亀山間が無料といっても、亀山から東の部分だけでも高速道路料金はけっこうするし、「無料の高速道路」というのはタダだからかどうかわからないが、どうも、東名・新東名・名神・新名神に比べて道路が十分に整備されていないような印象を受けた。又、タダだから、インターチェンジで何度出たり入ったりしても料金が増すわけではないからか、サービスエリア・パーキングエリアが少ない。天理インターチェンジから東は柘植町の「いが」サービスエリアというのかまでない。

( ↑ 「名阪国道」(国道25号)「いが」パーキング。 )
料金が亀山から天理までかからないという点を別にすれば、大阪府北部に用事がある場合には新名神・名神ルートの方が走りやすくていいと思うが、奈良県や大阪府南部に用事がある場合にはこの「名阪国道」(国道25号)ルートというのもありかと思う。
最近、大阪府高槻市の高槻ジャンクションから新名神高速道路ができた。「箕面とどろみ」インターチェンジは箕面グリーンロードと直結していて、箕面グリーンロードで南下すると箕面市白島(はくのしま)に出て新御堂筋に直結し、千里中央方面までもすぐに行ける。大阪府・兵庫県での行先によれば高槻ジャンクションから新名神に移った方が早く行ける場合もあるだろう。
コロナウイルスの問題で、県をまたぐ移動はできるだけ避けてもらいたいと政府は言っているようだが、用事がある者はしかたがない。移動せざるをえない場合だが、飛行機と新幹線では、飛行機のエコノミークラスよりも新幹線の方が座席の間隔が広いので、その分だけ感染しにくいような気がするが、どうかわからない。
夜行バスの場合だが、2000年代、横4列の夜行バスに乗った時、横の席が亀田オヤジみたいなガラの悪そうなおっさんで、かつ、相当太ったおっさんで、それが自分の席の中央に自分の体の中央を合わせて座ってくれればまだいいのだが、そうではなく、自分の席の私の席と逆側に自分の体の片方を合わせて座るものだから、私の席は半分ほどはそのおっさんに占拠されてしまい、私が座る場所はほとんどなくなってしまったということがあった。乗務員が運転手を含めて2人乗っていたがマイクで「廊下に物を置かれたり廊下に座ったりしないようにお願いします」と言いながら、座る場所がない私に何の配慮もしなかった。亀田オヤジみたいな見るからにガラの悪いのに文句を言ってどうかなっても嫌なので「安全第一」と思って黙って一晩我慢したのだが一睡もできなかった。そのかわり、その時に乗車したバスは京成バスの西船橋ー京都間だったのだが、夜行の京成バスと夜行の横4列のバスはそれに乗らないと他に交通機関がない場合以外は決して乗車しないことにした。東京圏と関西圏の間の夜行バスでは、最近は横3列のバスがけっこう走っており、横3列のバスは座席が1席ごとに独立しているので、太った亀田オヤジが横の席でも関係ない。だから、夜行バスに乗る時には横4列のバスが値段では安いが絶対に載らないことにして、横3列のバスに乗ることにした。自分の座席と隣の座席の半分以上を占拠して座る亀田オヤジには自分の座席の区画に座るようにしてくださいとは言わず、通路にはみださないようにしてくださいとだけ言う京成バスの乗務員の発言はおかしい。料金を返してもらいたいくらいである。そんなバスには二度と乗らないし乗るべきではない。横2列のバスというのもあって相当ゴージャスなのだが値段は新幹線の普通席と同程度なので夜行バスに乗る意味がない。横2列の夜行バスに乗るくらいなら、新幹線に乗ると夜行バスの発車時刻を待っている間に同程度の値段で目的地に着く。だから、横2列の夜行バスはいいと思う人もいるのかもしれないが少なくとも私にとっては意味がない。
コロナウイルスの問題を考えると、東京圏と関西圏の行き来には飛行機より新幹線、夜行バスより新幹線かな・・と思う・・が、自家用車で行き来すると、自宅から目的地まで間違いなく「座っていける」が、運転している時は快調に走っても目的地につくと「疲れたあ~あ」と実感する。翌日まで疲労が残るのは、それだけ歳いってしまったのかとも思うが、たとえ、もっと若くても東京圏と関西圏をひとりで運転して行けば疲れると思う。 用事でしかたなしにでなく、観光で自家用車で行くのなら、東京都・千葉県からなら浜松あたりまでかな・・と思う。
浜松という市は(株)一条工務店のおかげで「全国一のどいなか」みたいなイメージが広まってしまったが(少なくとも私の周囲では)、しかし、地理的には東京と大阪の真ん中あたりで、東京圏にも関西圏にも新幹線で行くにも自家用車で行くにも遠くない場所であり、けっこう立地に恵まれた場所なのだ。 「東海大地震が来るぞお、浜松に東海大地震が来るぞお」と(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は狼少年みたいに叫びまくって家を建てさせてきたわりに、私が(株)一条工務店に入社した1992年から現在に至るまでの約30年間、大きな被害が出た地震というと、奥尻島・釧路・八戸、そして阪神淡路、中越、東北、熊本といった所で、浜松にはそれほど大きな地震は来ていない。これから来る可能性はあるかもしれない・・けれども、それはどこでもだ。狼少年みたいに叫びまくってきた会社の経営者、何か一言くらい言ったらどうかと思うのだが・・・。そう思いませんか?

大地動乱の時代―地震学者は警告する (岩波新書) - 石橋 克彦

平気でウソをつく地震予知 - 武田邦彦
コロナウイルスの問題を考えると、たとえ、県をまたぐ移動をする場合でも、自家用車で移動した方が人と近接する機会は少なくなるはずで、移される可能性も移す可能性も小さくなるはずなのだが、怖いのは「体だけ元気な年寄」。 他県ナンバーのクルマを駐車させておくと、””「体だけ元気なじいさん」帝国主義”” にこちらがクルマから離れた間にクルマがボコボコにされてる・・なんてことないか?・・と思うと不安で不安でしかたがない。 ほんと、””「体だけ元気なじいさん」帝国主義”” は恐ろしい。 又、1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所(展示場)にいた時、 ””「勝手な時だけアルツハイマーになるおっさん」帝国主義”” のS藤賢二さん(男。当時、40代前半)がいたが、これも困ったものだ。あれはどう考えても、意識してわざとやっているとしか思えない。会社はそういった人にはきっちりと注意するべきであるはずだが、「保護義務違反の(株)一条工務店」はそういった人を放置して、私が被害にあってもやられ損であった。 ””「体だけ元気なじいさん」帝国主義”” と ””「勝手な時だけアルツハイマーになるおっさん」帝国主義”” は嫌いだ!!! かつて、中国の毛沢東主席は「すべての帝国主義と反動派は張り子の虎である。見かけは恐ろしいがその実力はたかがしれている。ヒトラーは張り子の虎ではなかったか。日本軍国主義は張り子の虎ではなかったか。アメリカ帝国主義は今も存在し原子爆弾という恐ろしい武器を持っているがこれもまた張り子の虎であってやがて打倒される」・・とおっしゃったのだが、しかし、””オバサン帝国主義”” およびその変形の ””「子供」を大義名分にすれば何でもまかり通ると思い込んでいるオバハン・オッサン帝国主義”” ・ ””「体だけ元気なじいさん」帝国主義”” ・ ””「勝手な時だけアルツハイマーになるおっさん」帝国主義”” のこの世界三大帝国主義だけは今も存在するとともに「永遠に不滅」であり、天下無敵であり「牙をもった怖ろしい本物の虎」であって決して「張り子の虎」ではない。原子爆弾も人民義勇軍もこの三大帝国主義には歯が立たない。ほんま、かないまへんでえ、ほんま・・・。

帝国主義論 (光文社古典新訳文庫) - レーニン, 角田 安正
””オバサン帝国主義”” およびその変形の ””「子供」を大義名分にすれば何でもまかり通ると思い込んでいるオバハン・オッサン帝国主義”” ・ ””「体だけ元気なじいさん」帝国主義”” ・ ””「勝手な時だけアルツハイマーになるおっさん」帝国主義”” のこの世界三大帝国主義は今も存在し、実に強大であり「善良な市民」にとって大変な脅威である。
《2》 高速道路のインターチェンジ・パーキングエリア・サービスエリア・ジャンクションの名称のいいかげんな名付け方とJR駅名のいいかげんな命名のしかた。
東名高速道路と新東名高速道路との間は、東の御殿場ジャンクションから西の豊田ジャンクションまでの間で、行き来する経路が静岡市清水区の東名「清水」ジャンクションと新東名「新清水」ジャンクションの間と、浜松市北区の東名「三ケ日」ジャンクションと新東名「浜松いなさ」ジャンクションの間でつながっており、その部分の高速道路としての名称は新東名高速道路となっているようです。 他に、静岡県沼津市の東名「沼津」インターチェンジと沼津市と駿東郡長泉町の境目付近の長泉町にある新東名「長泉沼津」の2つは近い場所にあり、伊豆縦貫自動車道という無料の自動車専用道でつながっているのでいったん高速道路の外にでる形にはなりますが行き来する気になればできます。もうひとつ、富士市に東名「富士」インターチェンジと新東名「新富士」インターチェンジがあってそう離れておらず、「西藤道路」(国道139号)という自動車専用道で結ばれているので、これもいったん高速道路の外に出ることになりますが行き来する気になればできます。誤解しそうになるのは、東海道本線に「富士」駅があって東海道新幹線に「新富士」駅がありますが、東海道新幹線の「新富士」駅と新東名高速道路「新富士」インターチェンジは別に近い場所にあるわけではなく、東海道本線「富士」駅より東海道新幹線「新富士」駅は海側にあるのに対して、新東名高速道路「新富士」インターチェンジは東名高速道路「富士」インターチェンジよりも山側にあります。「新富士」駅に近い場所だから「新富士」インターチェンジと名付けられたのではなく、その部分、誤解してしまう人もあるかもしれません。
それで、浜松市北区の東名「三ケ日」ジャンクションと新東名「浜松いなさ」ジャンクションは命名法として問題はないと思います。「平成の大合併」で全国で「え? いくらなんでもそんな所まで?」というような合併がなされ、浜松市も無茶苦茶広い面積の市になり、私などの感覚では三ヶ日は浜松とは別だったのですが、今では三ヶ日も浜松市の一部分になりました。
この付近ですが、東名高速道路では、東から「浜松」インターチェンジ・「三方が原」パーキングエリア・スマートインターチェンジ・「浜松西」インターチェンジ・「舘山寺」スマートインターチェンジ・「浜名湖」サービスエリアがあって(↓)

( ↑ 東名高速道路「浜名湖」サービスエリアにて。 浜松市北区。)
「三ケ日」インターチェンジ・「三ケ日」ジャンクションと続き、新東名高速道路は「浜松浜北」インターチェンジ・「浜松」サービスエリア・スマートインターチェンジ・「浜松いなさ」ジャンクションと続き、東名と新東名を結ぶ路線の途中、「浜松いなさ」ジャンクションに近い場所に「浜松いなさ」インターチェンジがあります。「浜北」はかつて今は浜松市の一部になったけれどもかつては浜北町だった所、「いなさ」はかつては引佐郡(いなさぐん)だった場所で、わかりにくいと言えば、「浜松」サービスエリアが東名にあるのか新東名にあるのかという点と、「浜松」スマートインターチェンジが新東名の「浜松」サービスエリアに付随してあって、片方で東名にも「浜松」インターチェンジがあるので、その2つを人によっては混同する可能性があるかもしれませんが、他は、何の因果か浜松市に本社がある会社に10年を超えて勤めてそういう経験がない人よりも浜松を知っている者の感覚として名前に違和感はないように思います。
巨大になった浜松市の西の方で東名と新東名を結ぶ経路ができたあたりでのインターチェンジ・スマートインターチェンジ・ジャンクション・サービスエリア・パーキングエリアの名称についてはそれほどややこしいことはないのですが、なんともわかりにくいのが静岡市清水区の方あたりです。
東名高速道路で東から行くと、富士市の富士川のほとりの観覧車がある「富士川」サービスエリア・スマートインターチェンジ(↓)

( ↑ 東名高速道路「富士川」サービスエリア。 静岡県富士市岩淵。)
を過ぎて静岡市清水区に入ると、「由比」パーキングエリア・「清水」ジャンクション・「清水」インターチェンジがあり静岡県駿河区に入って「日本平」パーキングエリア・「日本平」スマートインターチェンジと続きます。新東名は富士市の「新富士」インターチェンジを過ぎて静岡市清水区に入ると「新清水」インターチェンジ・「清水」パーキングエリア・「新清水」ジャンクションと続いて静岡市葵区に入ります。東名「清水」ジャンクションと新東名「新清水」ジャンクションを結ぶ経路の途中に「清水いはら」インターチェンジがあります。
清水区内にあるインターチェンジ・スマートインターチェンジ・ジャンクション・サービスエリア・パーキングエリアが東名に「由比」「清水」「清水」、新東名に「新清水」「清水」「新清水」とあり、東名と新東名を結ぶ経路(名称は「新東名高速道路」らしいが)に「清水いはら」があり、清水区内にインターチェンジ・スマートインターチェンジ・ジャンクション・サービスエリア・パーキングエリアが7つあってそのうち6つに「清水」と名前がつき、何よりややこしいのは、東名にあるのが「清水」で新東名にあるのが「新清水」というわけでもなくて、「清水」パーキングエリアは新東名にあるのです。

( 緑文字がインターチェンジ、青文字がジャンクション、赤文字がパーキングエリアです。)
「由比」は全国的に比較的知名度がある地名ですから、名前を聞いて「ああ、あのあたりか」と思い浮かびますが、他はみんな「清水」ですから清水区のどのあたりなのかわかりにくい。 せめて、「清水」パーキングエリアは東名高速道路ではなく新東名高速道路にあるのだから新東名高速道路にあるパーキングエリアはその東のインターチェンジも西のジャンクションも「清水」であることでもあり、たとえ東名に「清水」パーキングエリアがなくても新東名のパーキングエリアの名称は「新清水」パーキングエリアにしたらどうか・・という気がします。 そうでなければ、清水区内にもそれぞれの地名があるわけですから「清水◇◇」と名付けるか、どちらかにしてもらった方がわかりやすい。このネーミングセンスのなさは何でしょうね。

( ↑ 新東名高速道路「清水」パーキングエリア )
なんだか、浦和セブンみたい・・て感じ。JRの浦和市の駅名は東北本線・京浜東北線に「浦和」に「北浦和」「南浦和」くらいまではまだわかった。ところが、武蔵野線が開通して「東浦和」「西浦和」ができて、もうちょっと名前のつけかたないのかい? ・・と思っていたら、東西南北そろっただけではあきたらず、埼京線が通ると「中浦和」「武蔵浦和」なんてのまでできた。なんじゃ、こりぁ!?!
そこまでいかないのが船橋ファイブ。JR総武線「船橋」に東武野田線「新船橋」があったところに、かつて、船橋町・葛飾村とどこだっけが合併して船橋市になる前は葛飾村で、京成の駅は「葛飾(かつしか」だったあたりに「西船橋」駅ができて地名まで「西船(にしふな)」に変わり、事大主義の京成は駅名を「西船(にしふな)」に変えたと思ったら、さらに「船橋」と「津田沼」の間にできた駅の名前が「東船橋」、海側に通った京葉線の駅名が「南船橋」・・・て、「船橋」「西船橋」「東船橋」「南船橋」「新船橋」て、なんともネーミングセンスがないというのか、昔からの地名を粗末にするというのか何というのか。JR武蔵野線の駅で「船橋法典」があるが、せめてそんな感じで「船橋◇◇」といった名前にでもできなかったのか・・と思う。
さらに下品なのが船橋市の東隣の習志野市の京葉線の駅「新習志野」。もともと、習志野市は津田沼の北のあたり、現在の船橋市の東部が船橋市とくっつくのではなく津田沼あたりとくっつく計画があったといい、それで、船橋市の東部の地名だった内陸部の地名である「習志野」、なだらかな野原だったから「ならしの」と名付けられたという話があり、今も自衛隊の駐屯地があるがかつて陸軍の演習をおこなっていた時に明治天皇が見てなんとかさんの動きが優れているのでなんとかさんを「見習え」とおっしゃったということから「みならえ」が「ならしの」になったというお話もあるらしいが、おそらくそっちは人為的創作だろうと思うが、そのもともとは船橋市東部の地名である「習志野」が市名になってしまった市である。「習志野」は名前からいっても「野原」「丘陵地」につく名前であるはずで、それを海側の埋め立て地を走る京葉線の駅名に「新習志野」はないだろうが・・と思うのだが、そういう変な名前がつけられてしまった。京葉線「新習志野」駅の北側にある総武線の駅名は「津田沼」であり、これは3つの町村が合併してそれぞれの町名から1字をとって作った合成地名らしいが、今では「津田沼」という地名は人口に膾炙しており、京葉線の駅も「新津田沼」でも良さそうだが、新京成電鉄に「新津田沼」駅がすでにあることから京葉線の駅に「新津田沼」を使うわけにはいかなかったとしても、それならそれで「浜津田沼」「海津田沼」とか東隣の「海浜幕張」みたいに「海浜津田沼」とかにすることもできたのではないか。「野原」「丘陵」ではなく海に近い埋め立て地にできた駅に「新習志野」は違和感がある。
ついでに、新京成電鉄「習志野」駅の北に「北習志野」駅があり、もともとは小さい駅だったが東葉高速鉄道が通り、東葉高速鉄道と新京成電鉄の乗換駅になって本家「習志野」駅よりも駅前は開けて”繁華街”になった・・・が、駅名をひらがなで表記すると「きたならしいの」だが・・、まあ・・いいか・・・。
・・・で、 ””浦和セブン””(「浦和」「北浦和」「南浦和」「東浦和」「西浦和」「中浦和」「武蔵浦和」)とか ””船橋ファイブ””(「船橋」「新船橋」「西船橋」「東船橋」「南船橋」)と同様、「もうちょっと、名前のつけかた、考えられんかったんか~い?」て感じがするのが、東名「清水」ジャンクション・「清水」インターチェンジ、新東名「新清水」インターチェンジ・「清水」パーキングエリア・「新清水」ジャンクションの ””清水ファイブ”” である。電車の場合は自分が運転するわけではないので乗りながら考えることもできるがクルマは自分で運転しながらなので、電車以上にややこしくてわかりにくい。 新東名「浜松」サービスエリアもスマートインターチェンジ併設であることも考えれば、東名に「浜松」サービスエリアはないとしても、新東名にあるものは「新浜松」サービスエリア・スマートインターチェンジにしておいた方がわかりやすいのではないかとも思うが、又、静岡市も東名に「静岡」インターチェンジがあって、新東名に「新静岡」インターチェンジがあり「静岡」サービスエリア・スマートインターチェンジがある

( ↑ 新東名高速道路「静岡」サービスエリア。 静岡市葵区。)
というのは混乱するところがあり、新東名のものは東名にその名称のものがない場合も「新◇◇」にして統一したらどうかと思うのだが、清水は浜松や静岡よりもはるかにややこしい。

県別マップル 静岡県 道路地図 (ドライブ 地図 | マップル) - 昭文社 地図 編集部
《3》 住宅展示場(営業所)の名前をいいかげん、不適切な命名をする会社。――会社と営業の話
それで、JRはもともとは「国鉄」だった。今ではJRとなって「民間会社」ということになり、JR西日本は最初に社長に就任した方が「饅頭の切り方と羊羹の切り方は切り方が違う。うちの饅頭は餡(あん)が少ない。誰だ、こんな切り方をしたのは」とおっしゃったそうで、JR西日本はJR東海やJR東日本と比べて、路線距離は長いわりに「餡(あん)」(黒字路線)が少ないということから、それまで黒字路線ではなかった部分を黒字路線に変えてやろうとして、福知山線の複線電化は国鉄時代から計画があったが、それを実行するとともに大事故が発生するのもおかまいなしの高速運転で阪急伊丹線・宝塚線の客をぶんどり、山陰本線の京都よりも複線電化して通勤路線にするとともに「嵯峨(さが)」駅を「嵯峨嵐山」駅に駅名変更、京福電鉄に広隆寺のすぐ前に「太秦(うずまさ)」駅があったのに、京福電鉄の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅の近くに新駅を作って「太秦(うずまさ)」駅と命名して、嵐山方面への観光客も阪急嵐山線・京福電鉄嵐山線からぶんどろうと、まさに「仁義なき戦い」とでもいった「抗争」を続け、京都ー大阪ー神戸間も、かつては阪急・京阪・阪神の方が安くて速かったのが、阪急・京阪・阪神は複線であるのに対してJRは複々線にして新快速は高速運転で阪急・京阪・阪神の特急との速さ競争に勝ち抜く・・と、部分的に私鉄以上に私鉄化してきたみたいなところがあるが、駅名のつけかたについては、今もなんだか「親方日の丸的センスのなさ」て感じがする。
国鉄⇒JR とともに、高速道路も「民営化」された部分があるようだが、それでもJRと同じく「半官半民的」なところがあったとしても、それはわかる。しかし、百パーセント民間企業の場合には、会社名とか営業所名というのは、それは顧客を引き付けて契約してもらうための道具であり、顧客に好感をもってもらい、来てもらって契約してもらえるような名称にしないといけないはずである・・・にもかかわらず、それができていない会社、あるいは、せっかくプラスになる名称を捨ててしまう会社というのがある。
1990年くらいまでは小堀住研(株)は関西地方を中心に「高級木質系住宅の小堀」として評価を得ていたはずだったが、1989年に初代社長でその時点では相談役だった小堀林衛が他界した後、1990年に2代目社長で「初代社長小堀林衛の甥っ子」と言っていたが実際は「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があってそのどちらからしい2代目社長の中島昭午が会社名から初代の苗字である「小堀」を取り除きたかったらしく、エスバイエル(株)に会社名を変更して、そのあたりから安物くさくなって衰退し、あっと言う間に・・つぶれた。「エスバイエル」というのは「エス(S)」(スペース)と「エル(L)」(ライフ)を「かけあわせる」(バイ)で「S×L」で「エスバイエル」だというのだが、わかりにくい名称であるとともに、もともと、在来木造で始めた会社でその時点では木質パネル構法に重心があった会社であり、ツーバイフォー工法(枠組壁工法)の会社ではないにもかかわらず「ツーバイフォー(2×4)」を連想する名前である「エスバイエル(S×L)」というのも変な名前であった。「小堀住研」の「住研」の方は「住宅を建築するのではなく研究する」という意味で「研究して建てる」会社は単に「建築する」だけの会社より上だと言いたい名前であったが、最初に小堀住研(株)が名のった時点では他に「住研」と名のる会社はなかったのだが、1990年頃になると不動産屋で「▽▽住研」と名のる会社がいくつか出てきて、今では「▽▽住研」というと「不動産屋の名前」みたいになってしまったので、会社名を改めるのならば「小堀」よりも「住研」の方を改めた方が良さそうだったが、2代目社長の中島昭午としては「小堀」の方を取り除きたかったようだった。しかし、「小堀」という名称は初代社長の苗字からつけた名前であったかもしれないが、それは「中島」とか「高田」「渡邊」「増田」「大野」といったようなどこにでもあるような名前とは違うはずなのだ。住宅建築業においては、「小堀」という名前は黙っていても客の側で安土桃山時代から江戸時代初期にかけての茶道家で建築家・作庭家の小堀遠州と関係があるのか?・・・と勝手に思ってくれる名前なのだ。

小堀遠州 綺麗さびの極み (とんぼの本) - 小堀 宗実, 熊倉 功夫, 磯崎 新
だから、「小堀」は会社名から取り除くべきではなかったはずなのだ・・・が、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかはそれを何としても取り除きたかったようだ。そのあたりが「メカケの発想」だったのではないか。似ているようでも「奥さん」と「メカケ」は違うのだ。社長というのは社長だから得する時はもちろんあるはずだが、片方で社長だから大変な時もあるのではないかと思う(ええ思いだけやってる社長というのもいるかもしれんけど)。千葉県などのリフォームの会社の(株)ウッディホームで入社時に見せられた「研修ビデオ」で、なんだか花登筺(はなと こばこ)のテレビドラマみたいな話で滋賀県の大店(おおだな)の息子の話を見せられたのだが、そこで、滋賀県の大店のまだ小学生の跡取り息子に叔父が話す場面があったのだが、「おまえ。大店(おおだな)の後を継ぐということを、自分だけが楽してええ思いをする立場を継ぐみたいに思っておりぁせんか」と叔父は言うのだった。「そうじゃないんだぞ。大店の後を継ぐということは、他の者がやらんような努力をして、他の者がやらんような苦労をして、他の者がやらんような我慢をするというそういう意味なんやぞ」と。それを聞いて小学生の息子は「なんや。それなら、ええことなんか何もないやないか」と言うのだったが、「ええこと」は間違いなくあるはずだが、片方で社長には「他の者がやらんような努力をして、他の者がやらんような苦労をして、他の者がやらんような我慢をするというそういう意味なんやぞ」という面もあるのではないか、そういった努力をして苦労をして我慢をしてやらないで自分だけええ思いをするだけの経営者の会社というのは、長い目で見ると「張り子の虎」になる可能性はあるかもしれない。その社長と似ているのが「奥さん」であり、「社長の奥さん」というのは「社長の奥さん」だからいい思いをする時もあるかもしれないが、片方で「社長の奥さん」だから大変な時もあるのではないか。従業員に対してでも、えらそうにすればいいというものではなく、気持ちよく働いてもらって会社に利益をもたらしてもらわないといけないのであり、「こんな会社、誰が勤めるものか」と誰もが辞めて出ていかれたのでは会社は成り立たない。だから、社長も「社長の奥さん」もいい思いをする時もあるかもしれないが大変な面もあるはずなのだ。私はそんな感じの「社長の奥さん」を見たことがある。それに対して、「メカケ」はそうではなく社長からカネを引き出すのが「仕事」であって会社のために「他の者がやらんような努力をして、他の者がやらんような苦労をして、他の者がやらんような我慢をする」なんてことはしないし、そんなものは「メカケ業」の対象ではない。「メカケ業」は財産のある男からカネを引き出すのが「仕事」なのだから。そして、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかもその「メカケの発想」を身に着けていたのではないか。会社のためになる名前を残すのか、それとも「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかのために会社のためになる名前でも先代の名字は取り除くのか・・・、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかは会社のために役立つ名前でも取り除く方を選び・・・、そして、株価はどんどこ下がっていって、そして、あっと言う間につぶれた・・。エスバイエル(株)は、富士銀行(現 みずほ銀行)から来た人が破産管財人みたいな社長に就任して大阪駅前の本社ビルなど売却して「取れるだけ取って去った」ようで、それまで取締役の半分・監査役の半分を占めていた「銀行から来た人」はいなくなり、一時、「積水ハウス(株)から来た人」が社長になったようだが、積水ハウス(株)はかつて在来木造のトーヨド建設を買収したようにエスバイエル(株)も買収するつもりなのか?・・・と思ったら積水ハウス(株)としてはマイナスのイメージがしみついたエスバイエル(株)を買収しても「うまみがない」と判断したのか、「積水ハウス(株)から来た人」は社長から退き、その後、敗戦処理みたいに松川という大阪工大卒のしょーもない男が社長になった後、倒産し、ヤマダ電機が「いぬき」で買収して(株)ヤマダエスバイエルホームとなり、さらに、同様にヤマダ電機に買収された「リフォームのナカヤマ」とともに(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ となって「エスバイエル」という名称は消えた。ヤマダ電機の子会社の(株)ヤマダホームズとしてはマイナスのイメージしかない「エスバイエル」という名前は「要らない名前」だが「小堀」の方は小堀遠州を発想する名前であるとともに、1960年代から1980年代にかけては関西地方を中心に「小堀の家」というと「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言い、木構造で特にデザインに優れた高級住宅を建ててきたというイメージが今でも年配層には残っていることから「小堀の家」という名称の方をヤマダ電機は復活させた。ヤマダ電機の方が「メカケの子」か「メカケの娘の婿」かよりも賢かったということだ。中島昭午は従業員の間で「天婦羅ばっかりの高卒昭午」と言われていたのだが、中島昭午は最終学歴は「長浜北高校卒」だったが、小堀住研(株)が発行していた月刊の社内誌で「『一国一城の主(あるじ)になるんや』という叔父の言葉に動かされて、大学進学の志をあきらめた」とかなんとかかんとか書いていたのだったが、考えてみれば変な話であり、叔父が会社を作って独立するので一緒にやろうと誘ったのであれば、それならなおのこと、慶應の経済学部・商学部とか一橋の経済学部・商学部もしくは神戸大の経済学部・経営学部、そのあたりに行けないなら、滋賀大の経済学部でも同志社の経済学部・商学部にでも行くか、それとも、どこか国公立大学の建築学科か早稲田大の建築学科か行けないのなら同志社か立命かそこらの建築学科にでも行っておいた方がいいはずで、「一国一城の主になる」叔父のために大学進学をやめる必要はなく、逆のはずなのだ。又、父親から言われたのならともかく、叔父が会社を作って独立するからといって甥が大学進学をなんでやめるのかも不明、わけわかんないよお~お・・て感じなのだが、要するに、 ””でき悪いものだから行ける大学がなかったから大学には行かなかったのを、なんかええかっこしたいものやから「『一国一城の主(あるじ)になるんや』という叔父の言葉に動かされて、大学進学の志をあきらめた」とかなんとかかんとか言いまくり書きまくりしないとおれないシンドローム”” のようだ・・・というのが従業員の間での通説であった。あったのは「通説」だけで「有力対抗説」といったものは、ない。インターネットで検索したところ、長浜北高校の応援部のホームページなのかブログなのかのコメント欄に、中島昭午のことを「そうそうたるメンバー」などと書き込んでいた人がいたのだが、「会社をつぶしたアホの二代目」を「そうそうたるメンバー」とは笑止である。「バッカじゃなかろかルンバ♪」て感じがする。つくづく、とんだお笑いである。「笑ってやってください」・・てところだろう。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は「木造住宅ひとすじ」の「ひとすじ」で「一条」だと言っていたが、実際はそうではなく、かつて、浜松市で電気工事業をやっていた初代社長の大澄賢二郎が信陽住宅・東陽住宅という会社名で在来木造の戸建住宅建築業に手を出したが、「税金対策」で京都の三条通りに幽霊会社を作った時があり、その時、会社名を何にするか、「三条通りにあるから三条工務店でいいのじゃないか」「三条工務店なら一条工務店の方がいいてことないか」・・・ということで「(株)一条工務店」という会社名ができて、その後、会社名ばっかりいっぱいあってもしかたがないということで、「会社」を整理して1つにしようとなって、名前としてどの名前がいいかと思案したところ、信陽住宅・東陽住宅よりも「一条工務店」の方がいいのじゃないかということで、晴れて「(株)一条工務店」になった・・・というのが従業員の間における「通説」だった。たぶん、そんなところだろう・・・と思う。「そんなところ」の会社である。
(株)一条工務店の場合、その会社名はどういう経緯でついたかは別として悪い名称ではないが、私が入社した1992年頃においては、東京圏では「工務店」は見込客の印象として良くなかった。「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」「◇◇林業」「△△建設」といった名前と比べて、「◇◇工務店」は、いかにも「いなかの工務店」という印象があって、静岡県や愛知県においてはそれでも良かったかもしれないが東京圏においては「◇◇工務店」という会社名は「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」「◇◇林業」「△△建設」に比べて営業上、不利になる名称だった・・・が、都市圏ではなく「地方」において、「家は木造で建てるもの」かつ「構造材は国産材・ムク材で建てるもの」という観念が強いような地域においては、「ハウスメーカー」ではなく「大工」「工務店」に頼んで建てるものという意識が強い地域でもあり、 (株)一条工務店が得意とした地域は、「地方」であるが筋金入りの「地方」ではなく最近のものもいくらかは取り入れたい意識があって、地縁血縁の大工・工務店に頼まなくてもいいという人というのが(株)一条工務店で契約してくれる可能性が小さくない人だったので、静岡県・愛知県でそういう人に対しては「◇◇工務店」という名称の方が「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」よりも受け入れてもらえたようだったのだ。だから、(株)一条工務店が「◇◇工務店」という会社名にしていたのは、それは静岡県・愛知県などで売りやすい・売れやすいようにと考えての会社名であって、そのためには東京圏で売れにくくてもかまわないという前提での会社名だった。
商品名として「セゾン」なんて、東京圏においては「西武でもないのに西武みたいな名前を名のっている西武のパチモンみたいな怪しい工務店」と思われやすい名前を使用していたのだが、「セゾン」はフランス語で英語では「シーズン(season)」であり、いわば「フランス語の名前にでもしておけば、イナカモノはおしゃれみたいに、ハイカラみたいに思うだろう」という発想、「イナカモンの発想」だったのだ。静岡県・愛知県においてはそれは効果はあったようだが、東京圏においては「西武でもないのに西武みたいな名前を名のっている西武のパチモンみたいな怪しい工務店」と思われてマイナスになる名前だったが、静岡県・愛知県で有利になる名前なら東京圏でやりにくくてもかまわないという発想。遠州地方には《「やらまいか」精神》というものが伝統的にある・・と(株)一条工務店では言っていたのだが、「やらまいか」というのは遠州弁で「やってみよう」という意味で、(株)一条工務店においては「遠州人」および静岡県・愛知県の者が箱根の関より東、鈴鹿の関・不破の関より西の地域の人間よりも得することならどんなことでも「やらまいか」という精神のことだった。この会社は伝統的に徹底してそういう「精神」があった。2011年に東日本大震災があった後、全国でいただいた「利益」から、全国の従業員の給料をへつって貯め込んだカネから「お世話になった浜松に恩返しをしたい」と初代社長で今は社長でも会長でもないはずの大澄賢二郎が言い出して、浜松市にのみ300億円の「寄付」をしたが、これなども「遠州人」だけ得することならどんなことでも「やらまいか」という「やらまいか」精神の発揮だったと考えてよいだろう。
私が(株)一条工務店に入社するより前、「セゾン」には何種類かあって、「セゾンリヴェール」「セゾンエスポワール」といった「アパートみたいな名前」が商品名としてついていた時期があった。東京圏・関西圏の住人からすると「アパートみたいな名前」でも「遠州人」ほか静岡県・愛知県の住人にとってはフランス語の名前だから「おしゃれ」で「ハイカラ」に思える名称だったのだろう。(株)一条工務店はそういう命名をする会社だった。
(株)一条工務店の営業書名のつけ方は首を傾げさせられるものが多かった。 1993年に福島県いわき市の展示場に私が赴任した時、いわき市にはいわき市平(たいら)尼子町のJTいわきハウジングパークという総合住宅展示場(今は総合住宅展示場はなくなって、スーパーの「マルト」がある)に2つ出展していたが、入口の前、駐車場のすぐ前、管理事務所の隣の位置に洋風の「セゾン」の展示場があってそれが「いわき営業所」、その隣ではなく、「いわき営業所」の隣の積水ハウス(株)の展示場のさらに隣、奥まった場所に建てられた和風「百年」の展示場があって「いわき東営業所」と名付けられていた。
「いわき営業所」はわかるが、「いわき東営業所」には疑問を感じた。なぜなら、その場所はいわき市の中で東部ではなかったからだ。そのうち、いわき市鹿島町飯田に新しく別の総合住宅展示場ができて、そこに洋風の「セゾン」の展示場ができてそれを「いわき西営業所」、和風「百年」の展示場を作ってそれを「いわき南営業所」と(株)一条工務店は名付けたのだったが、奇妙な営業所名だった。
もし、私が命名するならば、JTいわきハウジングパークにあった展示場2つは、「いわき平(たいら)第一」「いわき平(たいら)第二」で、鹿島町飯田の2つは「いわき鹿島第一」「いわき鹿島第二」とするか、「いわき平(たいら)セゾン」「いわき平(たいら)百年」「いわき鹿島 セゾン」「いわき鹿島 百年」と商品名を後につけるかどちらかにしただろう。
いわき市および福島県浜通り地区の住人と話をすると、誰もが「なんで、『いわき東』なんですか」と言う。 「いわき営業所」「いわき東営業所」があったJTいわきハウジングパークから遠くない場所にあった警察署は「いわき中央警察署」で、「いわき西営業所」「いわき南営業所」があった いわき市鹿島町飯田の総合住宅展示場から比較的近い場所にあった警察署は「いわき東警察署」で、いわき市にはもっと南のいわき市勿来のあたりに「いわき南警察署」があった。いわき市内に3か所あった警察署の命名は妥当ではないかと思う。 「いわき中央警察署」があった いわき市平(たいら)と いわき市内郷の境目付近というのは、いわき市では地理的に中央部で、「いわき東警察署」があった いわき市鹿島町といわき市の小名浜地区との境目付近というのは、いわき市では東部で、「いわき南警察署」があった いわき市の勿来地区は いわき市の南部だった。それに対して、(株)一条工務店の「いわき東営業所」は、地理的に いわき市の中央部にあったのに「いわき東営業所」、「いわき西営業所」は いわき市の西部ではなく東部にあったのに「いわき西営業所」、「いわき南営業所」は いわき市の住民の感覚では「いわき南」というともっと南の方を考え、そのあたりは「いわき南」ではなく、あえていえば「いわき東」である場所なのに「いわき南営業所」と命名したのだった。なぜ、実際の地理的な東西南北に反する命名をするのだろうか。
JTいわきハウジングパーク の入口入ってすぐの場所に、日本都市開発という いわき市泉が丘という分譲地を開発した不動産会社の住宅展示場があったが、住宅展示場はその1か所しか持たない会社だったが、その展示場の名称は「平(たいら)展示場」だった。(株)一条工務店の命名に比べたら日本都市開発の展示場の名称の方が いわき市の住人にとってしっくりくるもので、まともな名称だった。
いわき市の住人からすると、「いわき西」はいわき市好間(よしま)という常磐自動車道「いわき中央」インターチェンジや好間(よしま)工業団地があるあたりか、さらに西、平田村との境目付近の いわき市三和町のあたりを思い浮かべる。「いわき西営業所」があったいわき市鹿島町飯田のあたりを「いわき西」と考える人はいない。 「いわき東」というと、いわき市小名浜のあたりか、いわき市の江名漁港のあたりか、塩屋崎灯台のあたりか、そのあたりを思い浮かべる。「いわき東営業所」があった いわき市平尼子町を「いわき東」と考える人はいない。「いわき南」というと、いわき市の勿来か植田のあたりを考え、「いわき南営業所」があった いわき市鹿島町飯田のあたりを「いわき南」と考える人はいない。 もしも、どうしても、東西南北をつけたいのなら、いわき市鹿島町飯田の方の2つを「いわき東 第一」「いわき東 第二」と名付け、いわき市平尼子町の2つは「いわき中央 第一」「いわき中央 第二」か「いわき平 第一」「いわき平 第二」とするか、そのあたりが妥当ではないか。
同じ展示場に2棟以上出展する場合、総合住宅展示場に入ってすぐの場所の展示場に「いわき展示場」「いわき営業所」と名付けられると、たいていの来場客は先にそちらに入ってしまい、奥まった位置にある「いわき東展示場」「いわき東営業所」には入口の展示場に先に入って入口の展示場の営業が「ツバつけた」状態にした客が入場することになり営業社員にとっては不公平である。会社は従業員に公平であるべきであるが、ただでさえ、ひとつの総合住宅展示場に2か所の展示場を持つ場合に入口はいってすぐの場所の展示場と奥まった位置の展示場と設置したならば、入口すぐの展示場に来場客が多くなって奥まった場所は少なくなりがちであるが、まだしも、両方に「◇◇第一」「◇◇第二」と名付けたならば、「2つ展示場があるんだなあ」と思って、とりあえず、両方の外観を総合住宅展示場の通路から見て自分たちが考えているものに近そうな方の展示場に入ろうとする人も中にいるかもしれないところを、入口すぐの所を「◇◇展示場」・「◇◇営業所」として奥まった場所を「◇◇東展示場」・「◇◇営業所」名付け、入口すぐの展示場がメインで奥まった場所の展示場はサブみたいな名称をつけられたのでは、なおさら、入口すぐの展示場の方に先に入られてしまい、入口すぐの展示場の営業が「先にツバつける」ことになる。
「一条工務店の場合、配属された営業所(展示場)による条件の差が甚だしい」と比較的良心的な営業社員は口にしていたのだったが、会社は従業員には公平であるべきで、営業所(展示場)による条件の差は小さくする努力をするのが当然であろうと私は思っていたのだったし、又、慶應大学商学部卒の従業員としてそういったことを考えるのが私の仕事だと認識していたのだった・・・が、(株)一条工務店の経営者は、むしろ、意図的に展示場による条件の差をつけて、「気にいる従業員」を条件がいい展示場に配属して「売れる営業」にならせて、「気にいらない従業員」を条件が悪い展示場に意図的に配属して嫌がらせをしていたのではないのか・・・といったことも従業員の間で言われていた。・・しかし、それなら、入社以来、毎日毎日、毎年毎年、滅私奉公を繰り返してきた私は、なんで、いつもいつも条件の悪い展示場にばかり配属されなければならないんだ、「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」してきたのであって嫌われることなんてやっていないはずなのに・・ということになるのだったが、まず、「慶應大学卒だというその点だけでも学歴コンプレックスの塊の(株)一条工務店の経営者からすれば面白くないはずだ」と比較的古手の人から言われたがそれはあったようだ。 又、(株)一条工務店の経営者と「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している人たちというのは「同業他社に少しでもいた人間」というのを目の仇にしていた、ということもあった。 野村のじいさんが、ヤクルトスワローズにいた広沢が巨人にフリーエージェントで行くと言った時に、「巨人なんてやめとけ」「巨人なんて外様が行っていいことないぞ」と言ったとどこかで書いていたが、それと似たところがある。同業他社に少しでもいた人間というのは、会社はそういう人間の能力を活かせばいいはずと思うのだが(株)一条工務店のオーナー経営者は少しでも同業他社にいたことがある従業員は「親の仇」みたいに思うらしかった。たとえ、過去に同業他社にいたことがあっても今は自分の会社の従業員だという当たり前のことを理解できない人間だった。1972年の終わり、南海ホークスの三塁手 富田と巨人の投手で前年勝利数ゼロ勝の山内新一と通算勝利数ゼロ勝の松原の1対2のトレードがおこなわれたが、富田は田渕・山本浩治とともに「法政三羽ガラス」と言われドラフト1位で入団して南海では野村の前の3番を打った選手だったが、巨人は富田を獲得すると「ドラフト1位」入団で他球団では「3番打者」を控え選手にしてしまった。特に、富田が移籍して3年目に監督になった長嶋はプロ入団以来、長嶋より優れた成績を残した年もあった富田を嫌ったらしく4年目には日本ハムに「高橋一三+富田」と張本とのトレードで移籍したが、「ドラフト1位」の「3番打者」をトレードで獲得しておいてあの扱いは何だ・・と野村のじいさんも思ったようで、広沢とかFAで巨人に行くという選手がいると「巨人になんて行っていいことないぞ」と言って止めるようになったらしい・・・が、どうも、巨人は他の球団から来た選手を冷遇する傾向があったようだが、(株)一条工務店のオーナー経営者と創業の頃からいたような連中というのも、同業他社に少しでもいた人間というのを嫌い苛める傾向があるようだった。ひとつには、他社をいくらかなりとも知っている人間は、(株)一条工務店が「研修」で教えることの嘘を見抜ける人間が多いから面白くないということもあったようだし、前にいた会社に比べて(株)一条工務店は給料が安いということに気づくことができる人間が多いから面白くないということもあったのではないか。
小堀住研(株)は(株)一条工務店に比べると1つの総合住宅展示場に2つ以上出展することは多くなかったように思うが、大阪府吹田市の大阪万博の跡地に設けられていた千里総合住宅展示場には、1980年代終わり頃、完全自由設計の「新 桂」の「洋のかたち」と「和のかたち」の展示場と「高品質低価格」の「ハウス55」の展示場の3棟出展していて、私の記憶違いでなければ「千里第一営業所」「千里第二営業所」「千里第三営業所」となづけていたように思うのだが、こういったことを(株)一条工務店で口にすると営業本部長の天野隆夫から「そんなこと言うならエスバイエルに行けよお」と怒鳴りつけられるので言えなかったのだが、同業他社がやっていることで自社に取り入れたなら自社にとってプラスになることなら取り入れればいいと思うのだが、そうしてなるものかあ~あ!・・という強固な信念を持っているアマノジャクの営業本部長でありそういう人が営業本部長になっている会社だった。 いわき市の平尼子町のJTいわきハウジングパークの入口付近にあった日本都市開発の「平(たいら)展示場」は、「いわき展示場」ではあまりにも「いわき」が指す範囲が広すぎて、いわき市の住民にとってはどこかわからない、いわき のどこなのかを示すための営業所名なのに「いわき展示場」では意味がないので、いわき市平(たいら)尼子町にあるということで「平(たいら)展示場」と名付けていたようだったが、こういうことを言ったからといって、なんで、「そんなこと言うならエスバイエルに行け」だの何だの言われなければならないのか理解に苦しむ。
福島県いわき市は1966年に5市9町村が合併してできた市で、「平成の大合併」より前においては全国で一番面積が広い市であったが「平成の大合併」では新たな合併はなく、まず、「平成の大合併」より前に面積2位だった静岡市が清水市と合併したことで新しい静岡市に抜かれた後、岐阜県高山市とか他にも いわき市より面積の広い市が「平成の大合併」でいくつも出現し、静岡県でも浜松市は周囲の町村を合併して静岡市よりも面積の広い市になり、いわき市よりも広くなった。 警察署は公共機関なので「いわき市」となったからには旧市町村の名称を警察署の名前に名のるのではなく「いわき中央」「いわき東」「いわき南」と名のったようだが、旧町村の名称が消えてなくなったわけではないので、民間企業では、よそから来る観光客を相手にするのではなく地元の住民を主として相手にする業種の場合は、「いわき市◇◇町▽▽」という場所にある場合は「◇◇町」の方か「▽▽」の方かを営業所名にする所が多く、「いわき」と入れた方が全国的に通じる場合でも「いわき◇◇」営業所か「いわき▽▽」営業所とする場合があった。 「いわき東」の位置でもないのに「いわき東営業所」、「いわき西」「いわき南」でもないのに「いわき西営業所」「いわき南営業所」と名付けていた会社なんて(株)一条工務店くらいではないか。 そういったその場所の住民の感覚に合わない営業所名のつけ方は、浜松の人間にとってはそれでよくても、その営業所の人間にとっては、その地域の住民の感覚に合わない営業所名を営業所がつけているというのは、その分だけ「営業しにくい」要素だった・・のだが、「遠州人」は「そんなこと知ったことじゃない」という意識だったようだ。その地域の住民にとって、その地域のどこにあるのかわかりやすい営業所名をつけた方が営業しやすく契約につながりやすいはずなのに、(株)一条工務店という会社は浜松近辺の人間にわかりやすくてもその地域の住民からすると違和感がある名称を常につけないと気がすまないという浜松独善主義の会社だった。静岡県中西部および愛知県が「本国」で箱根の関より東、鈴鹿の関・不破の関より西は「植民地」みたいな意識の経営をやらないと気がすまないという会社、いわば、東京圏の住人から見ると「浜松という《後進国の外資系企業》」だった。
まず、営業所名をつける際に、なぜ、「浜松の人間」が名前を決めるのか。その地域の地元の人間になぜ意見をきかないのか? そこで営業する人間に「どういう営業所名にすると営業しやすいと思うか」と、なぜきかないのか? 理解に苦しむ所がある会社だった。
1992年、私が(株)一条工務店に入社した時、(株)一条工務店は浜松にはきれいな新しい展示場を設けておきながら、東京都江東区潮見にあった展示場は、林野庁が運営する「国産材の使用を促進する施設」であって「売るための展示場ではない」ウッディランド東京という一般の総合住宅展示場よりも出展費用が安い場所に出展していて、展示場の建物は外壁も汚れて黒い筋が入っていて、2階のホールは端から端まで床鳴りがする展示場だった。 そうやって「遠州人」は自分たちの所と東京圏とで「営業ツール」としての展示場に差をつけて自分たちの所が他の地域と比較して営業しやすいようにしてやろうとしていたのであり、まったくつくづく、「遠州人」が他の地域の人間よりも得することならどんなことでも「やらまいか」という「遠州人」の「やらまいか」精神には不愉快に思ったものだった。
どうも、「遠州人」は「東京都」というものを、静岡県の磐田市・掛川市・島田市などと同じくらいかそれよりも小さい市みたいに認識していると思えるところがあったのだが、東京都23区は面積でも人口でも磐田市・掛川市・島田市などよりもずっと多く広いのだが、それを「遠州人」にわからせようと思っても極めて難しい。
(株)一条工務店は、1993年1月に江東区亀戸、JR総武線の北側、「亀戸」駅と「錦糸町」駅の中間付近に新しく展示場をオープンさせたのだが、そこを「東京営業所」「東京展示場」と命名して、それまで「東京営業所」「東京展示場」としていた江東区潮見の展示場を「東京東営業所」「東京東展示場」と名称変更した。なんで、そんな名前にするのか? ・・と思ったし、なんで、私に意見をきいてくれないのか? ・・とも思った。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は私が応募した時に「うちの会社に慶應大学卒の人が来てくれるのかと思ってびっくりした」と言って喜んでくれたはずだったのだが、慶應大学商学部卒の人間を採用したなら、そういう人間を活かすべきであり、そうでなければ何のために採用したのかわからなくなるはずだったが、活かしてなるものか!・・みたいな態度を取る人であり会社だった。
なんで、私に意見をきいてくれないのか? 意見をきいても、その意見が気にいらないなら採用しなくてもいいけれども、なんで、きかないのか? もし、私なら、江東区亀戸の展示場を「東京亀戸」展示場・「東京亀戸」営業所、江東区潮見の展示場を「東京潮見」展示場・「東京潮見」営業所か「東京臨海展示場」「東京臨海営業所」と命名することを提言したと思う。 もしも、どうしても、東西南北を入れたくて亀戸を「東京」営業所にしたいなら、潮見は東京圏の住民からすると「東京東」ではなく「東京南」という感覚なので、潮見の展示場を「東京南展示場」「東京南営業所」としたと思う。なぜ、その地域の人間の感覚と一致しない名称にしたがるのか、「遠州人」の発想には毎度のことながら疑問を感じた。(株)一条工務店は営業所の名称を決める際に、なぜ、その営業所がある地域の人間の意識をもとに決めずに「遠州人」の感覚・浜松の人間の感覚で決めるのか?
東京には「ハウスメーカー」という所は何社もが存在して出展している。「浜松のよくわからない工務店」が東京を代表するような場所でもない亀戸に1展示場を持って「東京営業所」としたのでは、「東京に1店舗出展しただけの浜松の工務店にわざわざ頼まなくても」と思われてしまう可能性が大きいので、亀戸と潮見だけだと思われにくいように「東京営業所」「東京展示場」とするのではなく「亀戸営業所」「亀戸展示場」か浜松の人間にもわかるように「東京」と入れたいのなら「東京亀戸営業所」「東京亀戸展示場」とするべきだったはずだ。亀戸の総合住宅展示場は「城東マイホームセンター」という総合住宅展示場(今はない。今は複合商業施設になっていたと思う)にあったのだが「城東」という言葉もあまりしっくりしない言葉で、電車の駅では「錦糸町」と「亀戸」の中間付近で、亀戸は各停しか停まらない駅であるのに対して錦糸町の方が快速が停まる駅で特急も何本か停まる駅だったが、住居表示では亀戸〇丁目で、山本有三『路傍の石』にも登場する亀戸天神が少し北にある場所なので「錦糸町営業所」「錦糸町展示場」よりも「亀戸営業所」「亀戸展示場」か「東京亀戸営業所」「東京亀戸展示場」の方が良かったのではないかと思う。
潮見は、もともとは「8号地」といった埋め立て地で「潮見」というのは埋め立て地につけられることが多い地名で、あまり風情のある名前でもないのだが、JR京葉線に「潮見」駅があることから考えて「東京潮見営業所」「東京潮見展示場」でいいのではないかと考えた。東西南北を入れたいなら、東京の人間の感覚としては、亀戸あたりは「東京東」でいいが、潮見になると「東京南」ではあっても「東京東」ではないはずである。 その地域の住民、そこで契約してくれる可能性がある人の感覚に合わせた営業所名をつけるようにした方が、その分だけ営業しやすくなるはずで、その分だけ多く契約が上がれば、その分だけ会社の利益は多くなるはずだったが、「東京南」か「東京臨海」かではあっても「東京東」ではない場所に「東京東営業所」「東京東展示場」と名付けたがり、東京都を代表するような地名・場所ではない亀戸の展示場に「東京営業所」「東京展示場」と名付けたがる会社だった。亀戸の展示場は「東京東営業所」「東京東展示場」か「東京亀戸営業所」「東京亀戸展示場」と名付ければ普通だが、新宿とか有楽町とか銀座とかそういう場所に「東京営業所」と名付けた営業所を設けるならいいが、亀戸のような場所の展示場に「東京営業所」「東京展示場」と名付けると、「ここしか展示場はない浜松の工務店なのか」という印象を客は強く持つことになる。だから、新宿とか有楽町とか銀座とかそういった場所なら「東京営業所」「東京展示場」でもいいが、亀戸なら「東京東営業所」「東京東展示場」か「東京亀戸営業所」「東京亀戸展示場」は良くても「東京営業所」「東京展示場」は営業上ふさわしくない。
なぜ、こういう意見を私にきいてくれないのか? (株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は、1993年前半、千葉県松戸市の展示場の事務所で「渋谷といったら小岩の東の方だら~。新宿といったら平井の北の方だら。そうだら。ぼく、東京はよく知ってるんだから。そう思うだら」と何度も何度も言うので、「ちゃいまんがな、ちゃいまんがな。全然違いまんがな。何をわけのわからんこと言うてはりまんねん」と言ってやりたいところだったが、私だけがいる場所で言うなら「それは違いますよ」と教えてあげたのだが、中途入社1年目・2年目の従業員が何人もいる前でおっしゃることだったので、何人もがいる前で営業本部長に恥をかかせてもよくないと考えてその場では言わずに黙っていたのだが、そうすると、またもや「渋谷といったら小岩の東の方だら~。新宿といったら平井の北の方だら。そうだら。ぼく、東京はよく知ってるんだから。そう思うだら」と何度も何度も大きな声でおっしゃるのだった・・・が、そういう人が(株)一条工務店では営業本部長で、そういう人が(株)一条工務店では東京営業所長だったのだ。それはそれでしかたがないとしても、それならそれで、営業所名を決める前に、私に意見をきいてくれればと思ったのだが、逆に、きいてなるものか! という意識があったのかもしれない。「最終学歴:中卒」の営業本部長というのは、慶應大学商学部卒の人間が応募すると「うちの会社に慶應大学卒の人が来てくれるのか」と喜ぶようだが、そういう人間の能力を活かしてなるものか!・・とそれ以上に思うらしかった。『巨人の星』では、野球の才能が優れた星 飛雄馬が青雲高校に入学すると、「柔道の英雄」だった伴宙太は、星飛雄馬 に野球の才能を発揮させてなるものかと、上級生より野球の能力ははるかに優れた星 飛雄馬は新入生だから球拾いをさせて、内野への返球も「星の剛速球」を見せてまるものかと「ゴロで転がして返せ」と命令する。星 飛雄馬は「この野郎」と思いながらも、内野へ返球する際に、ボールを地面に転がして返しながら、そのボールで内野にボールのピラミッドを作ってみせ、伴 宙太はそれを見て、「つくづく、怖ろしい能力だ」と思うという場面があったが、まるでその時の伴宙太みたいなもの、「能力を発揮させてなるものか」みたいな態度を取られたのだが、なんで、そんなことするかなあ、せっかく採用したからには採用した人間に能力を発揮させた方が会社にとって利益になると思うのだがなあ・・・と何度も思ったものだった。
(株)一条工務店の無茶苦茶・支離滅裂な営業所名のつけ方から考えると、東名高速道路・新東名高速道路の ””清水ファイブ”” は「まだ、マシな方」かもしれない・・・かな・・。
””浦和セブン”” にしても ”” 船橋ファイブ ”” にしても、「西浦和」と「東浦和」、「西船橋」と「東船橋」ならば、「西浦和」の方が「東浦和」よりも西にあり、「西船橋」は「東船橋」よりも西にあり、「北浦和」と「南浦和」では「南浦和」の方が南側にあるが、(株)一条工務店の営業所名は「いわき東営業所」(「いわき東展示場」)と「いわき西営業所」(「いわき西展示場」)では「いわき東」の方が「いわき西」よりも西にあった、「いわき西」の方が「いわき東」よりも東にあったわけで、そんな名前のつけ方する会社、あんまりないと思うがなあ・・、せめて、「いわき西」と「いわき東」なら、「いわき西」が「いわき東」よりも西になるような名称のつけかたをした方がいいと思うがなあ~あ・・と思ったが、こういうことを言うと「そんなこと言うならエスバイエルに行け、おまえはあ」と営業本部長の天野隆夫から怒鳴りつけられるので言えなかった。天野隆夫は「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。うちの会社に慶應大学卒の人が来てくれるのかと思った」と言って喜んでくれたはずだったが、この男は「慶應大学卒」の肩書を持った中卒か高卒の人間が欲しかったのではないか、せっかくそういう人間を採用してもそういう人間を活かすのだけは絶対に嫌だという信念もっていたのではないのか・・という感じだった。せめて「いわき西」営業所と「いわき東」営業所なら「いわき西」営業所の方が「いわき東」営業所よりも西側になるように命名した方がいいということはありませんか・・・とその程度のことも口にすると気に食わない・・というそういうオーナー経営者の会社・・て、難儀でんなあ、ほんまあ。往生しまっせえ、ほんまあ~あ・・・( 一一)
(株)一条工務店の従業員の間では、従業員の間で広がっていた「都市伝説」みたいな話として、その市町村に最初に作られる展示場の名称が東西南北が入らない「◇◇展示場」「◇◇営業所」で、「◇◇北展示場」「◇◇北営業所」というのは「北」は「敗北」の「北」だからということでなくて、「◇◇」「◇◇東」「◇◇西」「◇◇南」と4つの名前をつけたが、このうち「◇◇東営業所」「◇◇東展示場」は「意図的に売れなくする展示場」であって、(株)一条工務店のオーナー経営者か所長が「気にいらないやつ」を配属するのが「◇◇東展示場」「◇◇東営業所」で、かつて、お寺が戸籍係を兼ねていた頃、被差別部落出身者の戒名には意図的に獣を意味する字を入れて被差別部落出身者だとわかるようにしたとかいう話があるがその獣の文字が入った戒名と同様(実際にお寺が被差別部落出身者に獣の文字を戒名に入れるということをしていたのかどうか私はよく知らないが、そういう話を聞いたことがある。又、それが理由かどうかわからないが、戒名にはどんなに動物好きな人であった場合でも獣を意味する文字は入れない方がいいと言われる)、あるいは百貨店などでは万引きしようとしていると店員が感知した人のことを隠語を使って「社内連絡です。☆☆さんが××売り場に来場されています」と放送して警備係に知らせることがあるがその「☆☆さん」と同様に、(株)一条工務店では「◇◇東営業所」というのは同じ意味合いで、本人はわかっていないが、浜松の本社に電話でもした時に「◇◇東営業所の何何です」と名のったことから、電話を取った者は「◇◇東」という営業所名を聞いた時点で「この人間は要注意の人間である」と認識するようにできていた・・・という話があった。なるほど~、それで私は「東京東営業所」(「東京東展示場」)から「いわき東営業所」(「いわき東展示場」)と「◇◇東」にばっかり配属されたということかあ、なるほどなるほどなるほど~お・・・と思いそうにもなるのだが、会社員として問題があると判断される行為をしばしばおこなっている従業員がけっこういた会社で、毎日毎日毎年毎年自分の生活を犠牲にして滅私奉公を続けてきて「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」してきた私がなんでそんな扱いを受けなければならないのかとも思ったものだった。・・で、実は、私にその話をしたおっさんも「◇◇東営業所」にその時いたのだった・・・( 一一)
又、たとえ、一時的に「嫌いなやつ」扱いされたとしても、冷遇されて条件が悪い場所に配属されたにもかかわらず、条件が悪い場所で「なにくそお」と思って条件がいい場所のやつに劣らない成績を残した者というのは、それはその成績とともにその精神面が高く評価されていいはずであり、私が経営者ならば、条件がいい場所にばっかり配属されて条件がいい場所にいたからということである程度の成績を残した「長嶋みたいなやつ」よりも、「わしぁ日陰の月見草やあ」とでもいうのか条件が悪い場所でも「なにくそお」と思って「長嶋みたいなやつ」に泣けないように努力して成果を出した者は、その点において高く評価するものだが・・・、まあ、世の中には「長嶋みたいなやつ」が好きなオーナー経営者というのもいるのかもしれないが、私なら「なにくそお」と思って条件が悪い場所でも踏ん張って成果を出した者はその点を高く評価する・・・・が、評価したくない人というのもいるのかもしれない・・・。
※ 《YouTuve-氷川きよしさんと阪神ファンのコラボによる東京音頭!》https://www.youtube.com/watch?v=Vt2yXzBWMiA
(2021.4.27.)

やっぱり変だよ 日本の営業 - 宋 文洲

レビットのマーケティング思考法―本質・戦略・実践 - セオドア レビット, Levitt,Theodore, 坤, 土岐, DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部

野村の遺言 (小学館文庫) - 克也, 野村
《1》 東京圏と関西圏の間を乗用車で行き来するには・・、及び、コロナウイルスが世間で話題になっている昨今、「不要不急」ではなく必要があって東京圏と関西圏を行き来するにはマイカーで往復した方が人と「近接」する機会は少なく移される可能性も移す可能性も小さそうだが、天下無敵””「体だけ元気な爺さん」帝国主義””に「他県ナンバー」はボコボコにされないか不安
・・という話。
ここしばらく、何度か千葉県と大阪府を自家用車で往復することがあった。最初は、そんなもの、東京と大阪をひとりで自動車を運転して行くなんてできるわけないだろうが・・と思ったが、何度かやってみるとできるものだとわかった・・・が、何度かやってみても、できることはできるがやっぱり疲れる・・というのもわかった。
費用はちっとも安くはならない。新幹線に往復とも乗った場合よりも高くかかるが、新幹線に乗って往復した上でレンタカーを借りて使用するよりは安い。かつ、レンタカーよりも自分のクルマなので気兼ねなく使えるし「車両感覚」があるクルマなのでぶつける可能性はその分だけ小さい。
タクシーというのは、私が貧乏性なのか頻繁に使用することに罪悪感を感じてしまうのだが、東京圏と関西圏を自家用車で往復して、ガソリン代と高速道路代を出すことを考えれば、新幹線で往復して何度もタクシーを利用する方がむしろ費用は安い。
経路だが、御殿場ジャンクションから豊田ジャンクション まで、東名高速道路と新東名高速道路の2通りがあり、新東名ルートの方が若干距離が短い。 そのかわり、トンネルが多い。 トンネルが多いとそうでない場合に比べて微妙に疲れやすいような気がする。 しかし、どういう理由かわからないが、東名高速の方が新東名に比べて、箱型トラックの割合がいくらか少ないような気がする。
作成者は福島県いわき市に5年間、住んだ「何割か福島県人」であるが、東京都・千葉県から福島県浜通り地区までの常磐自動車道はすいていて走りやすいし、特に夜間は前は向こうの方に尾灯が見えて、後ろは後ろで向うの方に前照灯が見える・・て感じで、夜は特にすいていて走りやすかった・・が、ところが、東名・新東名はそうではない。常磐道みたいな気持ちで東名・新東名を走るととんでもない。夜もちっともすいていないばかりか、昼間は箱型トラックも走っておればそうでないトラックもバスも走っていて、普通乗用車もワゴン車も走っているのだが、それが夜になると箱型トラックの割合が無茶苦茶大きくなる。普通乗用車を運転していて前を箱型トラックに走られると、ものすごく前方が見えにくい。それが、箱型トラックも走っているがそうでないクルマもいっぱい走っているという場合ならば、箱型トラックの後ろについた時には、さっさと追い越し車線を走って追い抜くか、もしくは逆に減速して車間距離を長めに取ることで前方を見えやすくすることができるのだが、夜間、箱型トラックばっかり走っている状態ではそれはできない。車間距離を長めに取るとそこにまた箱型トラックに入られてしまうことになる。
さらに、夜間、サービスエリアへ入る減速車線にトラックに駐車されるのはまだいいとして、サービスエリアから本線に出る加速車線に駐車するトラックがあって、あれは怖い。 一般の道路でなら、徐行して通れば接触しないで通れる幅であっても、加速車線というのはそこで加速して本線に入る経路であるにもかかわらず徐行しなければ通れないわけで、十分に加速できない状態で本線に入らなければならなくなるし、左側に駐車しているクルマに接触しないように気を配って運転すると右側の本線に背後から来るクルマに対する備えが不十分になる。加速車線に駐車するのはやめてほしい・・がそういうトラックがけっこう多い。
だから、常磐自動車道などは夜間は昼間よりすいているので運転しやすいのだが、東名・新東名は夜間でもちっともすいておらず、箱型トラックの割合が夜間は昼間より大きくなって乗用車を運転する場合は自分も箱型トラックを運転する場合よりも運転席の高さが低いので前方が見えにくくて運転しずらい。又、一般の道路を走っている時には、箱型トラックでもそうでないトラックでも、一般に運転すること自体を仕事にしている人の運転はそうでないドライバーと比べて運転が丁寧である場合が多いという印象を受けていたのだが、ところが東名・新東名においては箱型トラックの運転手の運転は決して一般ドライバーより丁寧な運転などということはない。
何度か走ってみて、東京圏から関西圏まで乗用車で走る場合は、
1.夜間は走りにくい。だから、できるだけ日没までに目的地に着くように、せめて高速道路は日没までに降りれるように計画した方がいい。
2.雨天の日は走りにくい。だから、天気予報を見て、日程を選べる場合は晴天の日に走るようにした方がいい。
3.渋滞するとどれだけかかるかわからないから、できれば渋滞が始まる前の早朝に東京都内は抜けたい。
4.東名と新東名なら微妙に新東名の方が距離が短いが、東名の方がトンネルが少なく、箱型トラックの割合は新東名の方が大きいように思えた。
5.東名の方がトンネルが少ないので晴天の日は東名の方がその分だけ走りやすいが、雨天の時は、むしろ、トンネル内は晴天も雨天もほとんど関係ないのでトンネルが多い新東名の方が走りやすい場合もある。
6.電車で行く場合以上に体調を整える必要がある。新幹線なら乗っている間に寝ていても電車は走るが自家用車を運転する場合は、パーキングエリアに停めて寝ているとその時間はクルマは前に進まない。当たり前のようだが、その時間の分だけ多く時間がかかることになる。電車や夜行バスに乗客として乗って行く場合と違って、眠気がしだしてパーキングエリアで何時間も寝ていたのでは、いつまで経っても目的地につかないことになる。
7.新幹線では、今では東京ー新大阪間を2時間40分ほどだったかで行けるが、自宅から東京駅までの時間と、新大阪駅から目的地までの時間がかかり、切符を買ったり新幹線の中で食べるお弁当を買ったりする時間がかかるので、合計約5時間と考え、自家用車で行く場合は比較的問題なく走れた場合で「実際に運転する時間が6時間少々、途中の食事休憩1か所・それ以外の休憩2か所で2時間と考えて、合計8時間少々」として、自家用車で行くと新幹線で行った場合より3時間余計にかかり、往復で約6時間余計にかかることになるが、行った先でクルマがあるので行った先で動きやすいというメリットがある。 しかし、「せっかく自家用車で東京ー大阪間を行き来するなら、途中でどこか寄ってみようか」なんて考えて「どこか」に行くと、インターチェンジの目の前にあるような所に行くのならまだいいが、インターチェンジから片道30分かかる所に往復してそこで2時間費やすと、それだけで3時間余計にかかることになり、結果として新幹線で行った場合よりも6時間余計にかかることになる、片道30分の所ならまだいいが片道1時間かかる所に行って行った先で3時間費やしたなら5時間余計にかかることになり新幹線で行ったなら5時間で行ける所に13時間もかかったことになり、何しに行っているのかわからなくなる。だから、「せっかく東京ー大阪間をクルマで走るのだから途中でどこか1カ所くらい寄ってみようか」という誘惑はくせものである。
・・・ということがわかった。理屈では最初からわかっていたものもあるが、実感としてわかった。
中央自動車道ー名神高速道路経由での往復も一度やったが、「もう、二度とやりたくない」と思った。東京から西に向かって中央自動車道を走ると、すでに相当走っているはずなのに、「え、まだ、山梨県なの・・」て感じ。中央自動車道は東名・新東名に比べてカーブとアップダウンが多いと言われるが、走っているとそうも思わないが実際に時間がかかることから判断するとそうなのだろう。諏訪湖サービスエリアより西、岡谷ジャンクションで長野自動車道と分かれてからはけっこう走りやすいのだが、ところが、走っても走っても南に進むばっかりでちっとも西に進まない。東京ー大阪間の夜行バスで、もともと東名・名神経由だったはずのバスが「本日は東名高速道路が工事をおこなうため、中央自動車道経由で走ります」ということになった時があり、「へえ、中央自動車道経由で東京から名古屋や関西に行けるんだあ」と思ったことがあり、又、内田康夫『皇女の霊柩』で名古屋から中央自動車道経由で東京まで帰る話が出ていたので、中央自動車道経由でも行けるものかと思ったが、もう二度とやらん。箱型トラックの割合は中央自動車道の方が新東名よりも小さいと思ったが、なにしろ、所要時間が東名・新東名よりずっとかかってしまう。もうやらない。岐阜県あたりに用事がある人なら、中央自動車道ルートというのも選択肢として考えられるかもしれないが、名古屋・関西に用事がある者には東名・新東名の方がいいだろう。

( ↑ 中央自動車道「神坂(みさか)」パーキングエリア。 )

皇女の霊柩 「浅見光彦」シリーズ (角川文庫) - 内田 康夫
名古屋付近から関西までのルートだが、最近では、伊勢湾岸自動車道と新名神高速道路の草津ジャンクションまでができたことで、かつての名神高速道路経由よりも距離が短縮できた。 伊勢湾岸自動車道は地図で見ると海べりでこんな海に近い場所を走って、もしも、高潮・津波などあったら大丈夫か・・と不安になるが実際に走ってみると、相当高い位置に作られており、かつ相当頑丈に作られているように思われるので、高潮・津波などあってもまず伊勢湾岸自動車道は大丈夫ではないか。 むしろ、伊勢湾岸自動車道の足元のあたりの工場に勤務している人は、突然、大地震が発生して相当の津波が来るかもしれない・・となった時には、大急ぎで伊勢湾岸自動車道のインターチェンジから伊勢湾岸自動車道にかけあがれば、ともかく命は助かるのではないか。 但し、それだけ高い位置に作られているだけあって、普段から相当風が強い。日によっても違いがあるが、相当風が強く、かつ、もし、吹き飛ばされて落下したなら、その下は「川」ということに地図ではなっていても「実質、海」みたいな川であるから、落下したら命はないだろう・・・と思うと、風の強い日は伊勢湾岸自動車道を走るのは相当緊張する。
距離が短いのは伊勢湾岸自動車道+新名神 で、名神高速道路経由ではまだ走ってみたことはないのだが、それほど無茶苦茶遠いわけでもないのではないか。
もうひとつ、亀山インターチェンジから「名阪国道」(国道25号)というルートがある。「名阪国道」は高速道路としての料金は要らないが自動車専用の高速道路で、西側は奈良県の天理インターチェンジまで無料。天理インターチェンジから西は有料になり、大阪府の松原ジャンクションで近畿自動車道と接続し、近畿自動車道は北は吹田ジャンクションで名神高速道路・中国自動車道と接続する。一度、この経路で走ってみたが、天理ー亀山間が無料といっても、亀山から東の部分だけでも高速道路料金はけっこうするし、「無料の高速道路」というのはタダだからかどうかわからないが、どうも、東名・新東名・名神・新名神に比べて道路が十分に整備されていないような印象を受けた。又、タダだから、インターチェンジで何度出たり入ったりしても料金が増すわけではないからか、サービスエリア・パーキングエリアが少ない。天理インターチェンジから東は柘植町の「いが」サービスエリアというのかまでない。

( ↑ 「名阪国道」(国道25号)「いが」パーキング。 )
料金が亀山から天理までかからないという点を別にすれば、大阪府北部に用事がある場合には新名神・名神ルートの方が走りやすくていいと思うが、奈良県や大阪府南部に用事がある場合にはこの「名阪国道」(国道25号)ルートというのもありかと思う。
最近、大阪府高槻市の高槻ジャンクションから新名神高速道路ができた。「箕面とどろみ」インターチェンジは箕面グリーンロードと直結していて、箕面グリーンロードで南下すると箕面市白島(はくのしま)に出て新御堂筋に直結し、千里中央方面までもすぐに行ける。大阪府・兵庫県での行先によれば高槻ジャンクションから新名神に移った方が早く行ける場合もあるだろう。
コロナウイルスの問題で、県をまたぐ移動はできるだけ避けてもらいたいと政府は言っているようだが、用事がある者はしかたがない。移動せざるをえない場合だが、飛行機と新幹線では、飛行機のエコノミークラスよりも新幹線の方が座席の間隔が広いので、その分だけ感染しにくいような気がするが、どうかわからない。
夜行バスの場合だが、2000年代、横4列の夜行バスに乗った時、横の席が亀田オヤジみたいなガラの悪そうなおっさんで、かつ、相当太ったおっさんで、それが自分の席の中央に自分の体の中央を合わせて座ってくれればまだいいのだが、そうではなく、自分の席の私の席と逆側に自分の体の片方を合わせて座るものだから、私の席は半分ほどはそのおっさんに占拠されてしまい、私が座る場所はほとんどなくなってしまったということがあった。乗務員が運転手を含めて2人乗っていたがマイクで「廊下に物を置かれたり廊下に座ったりしないようにお願いします」と言いながら、座る場所がない私に何の配慮もしなかった。亀田オヤジみたいな見るからにガラの悪いのに文句を言ってどうかなっても嫌なので「安全第一」と思って黙って一晩我慢したのだが一睡もできなかった。そのかわり、その時に乗車したバスは京成バスの西船橋ー京都間だったのだが、夜行の京成バスと夜行の横4列のバスはそれに乗らないと他に交通機関がない場合以外は決して乗車しないことにした。東京圏と関西圏の間の夜行バスでは、最近は横3列のバスがけっこう走っており、横3列のバスは座席が1席ごとに独立しているので、太った亀田オヤジが横の席でも関係ない。だから、夜行バスに乗る時には横4列のバスが値段では安いが絶対に載らないことにして、横3列のバスに乗ることにした。自分の座席と隣の座席の半分以上を占拠して座る亀田オヤジには自分の座席の区画に座るようにしてくださいとは言わず、通路にはみださないようにしてくださいとだけ言う京成バスの乗務員の発言はおかしい。料金を返してもらいたいくらいである。そんなバスには二度と乗らないし乗るべきではない。横2列のバスというのもあって相当ゴージャスなのだが値段は新幹線の普通席と同程度なので夜行バスに乗る意味がない。横2列の夜行バスに乗るくらいなら、新幹線に乗ると夜行バスの発車時刻を待っている間に同程度の値段で目的地に着く。だから、横2列の夜行バスはいいと思う人もいるのかもしれないが少なくとも私にとっては意味がない。
コロナウイルスの問題を考えると、東京圏と関西圏の行き来には飛行機より新幹線、夜行バスより新幹線かな・・と思う・・が、自家用車で行き来すると、自宅から目的地まで間違いなく「座っていける」が、運転している時は快調に走っても目的地につくと「疲れたあ~あ」と実感する。翌日まで疲労が残るのは、それだけ歳いってしまったのかとも思うが、たとえ、もっと若くても東京圏と関西圏をひとりで運転して行けば疲れると思う。 用事でしかたなしにでなく、観光で自家用車で行くのなら、東京都・千葉県からなら浜松あたりまでかな・・と思う。
浜松という市は(株)一条工務店のおかげで「全国一のどいなか」みたいなイメージが広まってしまったが(少なくとも私の周囲では)、しかし、地理的には東京と大阪の真ん中あたりで、東京圏にも関西圏にも新幹線で行くにも自家用車で行くにも遠くない場所であり、けっこう立地に恵まれた場所なのだ。 「東海大地震が来るぞお、浜松に東海大地震が来るぞお」と(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は狼少年みたいに叫びまくって家を建てさせてきたわりに、私が(株)一条工務店に入社した1992年から現在に至るまでの約30年間、大きな被害が出た地震というと、奥尻島・釧路・八戸、そして阪神淡路、中越、東北、熊本といった所で、浜松にはそれほど大きな地震は来ていない。これから来る可能性はあるかもしれない・・けれども、それはどこでもだ。狼少年みたいに叫びまくってきた会社の経営者、何か一言くらい言ったらどうかと思うのだが・・・。そう思いませんか?

大地動乱の時代―地震学者は警告する (岩波新書) - 石橋 克彦

平気でウソをつく地震予知 - 武田邦彦
コロナウイルスの問題を考えると、たとえ、県をまたぐ移動をする場合でも、自家用車で移動した方が人と近接する機会は少なくなるはずで、移される可能性も移す可能性も小さくなるはずなのだが、怖いのは「体だけ元気な年寄」。 他県ナンバーのクルマを駐車させておくと、””「体だけ元気なじいさん」帝国主義”” にこちらがクルマから離れた間にクルマがボコボコにされてる・・なんてことないか?・・と思うと不安で不安でしかたがない。 ほんと、””「体だけ元気なじいさん」帝国主義”” は恐ろしい。 又、1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所(展示場)にいた時、 ””「勝手な時だけアルツハイマーになるおっさん」帝国主義”” のS藤賢二さん(男。当時、40代前半)がいたが、これも困ったものだ。あれはどう考えても、意識してわざとやっているとしか思えない。会社はそういった人にはきっちりと注意するべきであるはずだが、「保護義務違反の(株)一条工務店」はそういった人を放置して、私が被害にあってもやられ損であった。 ””「体だけ元気なじいさん」帝国主義”” と ””「勝手な時だけアルツハイマーになるおっさん」帝国主義”” は嫌いだ!!! かつて、中国の毛沢東主席は「すべての帝国主義と反動派は張り子の虎である。見かけは恐ろしいがその実力はたかがしれている。ヒトラーは張り子の虎ではなかったか。日本軍国主義は張り子の虎ではなかったか。アメリカ帝国主義は今も存在し原子爆弾という恐ろしい武器を持っているがこれもまた張り子の虎であってやがて打倒される」・・とおっしゃったのだが、しかし、””オバサン帝国主義”” およびその変形の ””「子供」を大義名分にすれば何でもまかり通ると思い込んでいるオバハン・オッサン帝国主義”” ・ ””「体だけ元気なじいさん」帝国主義”” ・ ””「勝手な時だけアルツハイマーになるおっさん」帝国主義”” のこの世界三大帝国主義だけは今も存在するとともに「永遠に不滅」であり、天下無敵であり「牙をもった怖ろしい本物の虎」であって決して「張り子の虎」ではない。原子爆弾も人民義勇軍もこの三大帝国主義には歯が立たない。ほんま、かないまへんでえ、ほんま・・・。

帝国主義論 (光文社古典新訳文庫) - レーニン, 角田 安正
””オバサン帝国主義”” およびその変形の ””「子供」を大義名分にすれば何でもまかり通ると思い込んでいるオバハン・オッサン帝国主義”” ・ ””「体だけ元気なじいさん」帝国主義”” ・ ””「勝手な時だけアルツハイマーになるおっさん」帝国主義”” のこの世界三大帝国主義は今も存在し、実に強大であり「善良な市民」にとって大変な脅威である。
《2》 高速道路のインターチェンジ・パーキングエリア・サービスエリア・ジャンクションの名称のいいかげんな名付け方とJR駅名のいいかげんな命名のしかた。
東名高速道路と新東名高速道路との間は、東の御殿場ジャンクションから西の豊田ジャンクションまでの間で、行き来する経路が静岡市清水区の東名「清水」ジャンクションと新東名「新清水」ジャンクションの間と、浜松市北区の東名「三ケ日」ジャンクションと新東名「浜松いなさ」ジャンクションの間でつながっており、その部分の高速道路としての名称は新東名高速道路となっているようです。 他に、静岡県沼津市の東名「沼津」インターチェンジと沼津市と駿東郡長泉町の境目付近の長泉町にある新東名「長泉沼津」の2つは近い場所にあり、伊豆縦貫自動車道という無料の自動車専用道でつながっているのでいったん高速道路の外にでる形にはなりますが行き来する気になればできます。もうひとつ、富士市に東名「富士」インターチェンジと新東名「新富士」インターチェンジがあってそう離れておらず、「西藤道路」(国道139号)という自動車専用道で結ばれているので、これもいったん高速道路の外に出ることになりますが行き来する気になればできます。誤解しそうになるのは、東海道本線に「富士」駅があって東海道新幹線に「新富士」駅がありますが、東海道新幹線の「新富士」駅と新東名高速道路「新富士」インターチェンジは別に近い場所にあるわけではなく、東海道本線「富士」駅より東海道新幹線「新富士」駅は海側にあるのに対して、新東名高速道路「新富士」インターチェンジは東名高速道路「富士」インターチェンジよりも山側にあります。「新富士」駅に近い場所だから「新富士」インターチェンジと名付けられたのではなく、その部分、誤解してしまう人もあるかもしれません。
それで、浜松市北区の東名「三ケ日」ジャンクションと新東名「浜松いなさ」ジャンクションは命名法として問題はないと思います。「平成の大合併」で全国で「え? いくらなんでもそんな所まで?」というような合併がなされ、浜松市も無茶苦茶広い面積の市になり、私などの感覚では三ヶ日は浜松とは別だったのですが、今では三ヶ日も浜松市の一部分になりました。
この付近ですが、東名高速道路では、東から「浜松」インターチェンジ・「三方が原」パーキングエリア・スマートインターチェンジ・「浜松西」インターチェンジ・「舘山寺」スマートインターチェンジ・「浜名湖」サービスエリアがあって(↓)

( ↑ 東名高速道路「浜名湖」サービスエリアにて。 浜松市北区。)
「三ケ日」インターチェンジ・「三ケ日」ジャンクションと続き、新東名高速道路は「浜松浜北」インターチェンジ・「浜松」サービスエリア・スマートインターチェンジ・「浜松いなさ」ジャンクションと続き、東名と新東名を結ぶ路線の途中、「浜松いなさ」ジャンクションに近い場所に「浜松いなさ」インターチェンジがあります。「浜北」はかつて今は浜松市の一部になったけれどもかつては浜北町だった所、「いなさ」はかつては引佐郡(いなさぐん)だった場所で、わかりにくいと言えば、「浜松」サービスエリアが東名にあるのか新東名にあるのかという点と、「浜松」スマートインターチェンジが新東名の「浜松」サービスエリアに付随してあって、片方で東名にも「浜松」インターチェンジがあるので、その2つを人によっては混同する可能性があるかもしれませんが、他は、何の因果か浜松市に本社がある会社に10年を超えて勤めてそういう経験がない人よりも浜松を知っている者の感覚として名前に違和感はないように思います。
巨大になった浜松市の西の方で東名と新東名を結ぶ経路ができたあたりでのインターチェンジ・スマートインターチェンジ・ジャンクション・サービスエリア・パーキングエリアの名称についてはそれほどややこしいことはないのですが、なんともわかりにくいのが静岡市清水区の方あたりです。
東名高速道路で東から行くと、富士市の富士川のほとりの観覧車がある「富士川」サービスエリア・スマートインターチェンジ(↓)

( ↑ 東名高速道路「富士川」サービスエリア。 静岡県富士市岩淵。)
を過ぎて静岡市清水区に入ると、「由比」パーキングエリア・「清水」ジャンクション・「清水」インターチェンジがあり静岡県駿河区に入って「日本平」パーキングエリア・「日本平」スマートインターチェンジと続きます。新東名は富士市の「新富士」インターチェンジを過ぎて静岡市清水区に入ると「新清水」インターチェンジ・「清水」パーキングエリア・「新清水」ジャンクションと続いて静岡市葵区に入ります。東名「清水」ジャンクションと新東名「新清水」ジャンクションを結ぶ経路の途中に「清水いはら」インターチェンジがあります。
清水区内にあるインターチェンジ・スマートインターチェンジ・ジャンクション・サービスエリア・パーキングエリアが東名に「由比」「清水」「清水」、新東名に「新清水」「清水」「新清水」とあり、東名と新東名を結ぶ経路(名称は「新東名高速道路」らしいが)に「清水いはら」があり、清水区内にインターチェンジ・スマートインターチェンジ・ジャンクション・サービスエリア・パーキングエリアが7つあってそのうち6つに「清水」と名前がつき、何よりややこしいのは、東名にあるのが「清水」で新東名にあるのが「新清水」というわけでもなくて、「清水」パーキングエリアは新東名にあるのです。

( 緑文字がインターチェンジ、青文字がジャンクション、赤文字がパーキングエリアです。)
「由比」は全国的に比較的知名度がある地名ですから、名前を聞いて「ああ、あのあたりか」と思い浮かびますが、他はみんな「清水」ですから清水区のどのあたりなのかわかりにくい。 せめて、「清水」パーキングエリアは東名高速道路ではなく新東名高速道路にあるのだから新東名高速道路にあるパーキングエリアはその東のインターチェンジも西のジャンクションも「清水」であることでもあり、たとえ東名に「清水」パーキングエリアがなくても新東名のパーキングエリアの名称は「新清水」パーキングエリアにしたらどうか・・という気がします。 そうでなければ、清水区内にもそれぞれの地名があるわけですから「清水◇◇」と名付けるか、どちらかにしてもらった方がわかりやすい。このネーミングセンスのなさは何でしょうね。
( ↑ 新東名高速道路「清水」パーキングエリア )
なんだか、浦和セブンみたい・・て感じ。JRの浦和市の駅名は東北本線・京浜東北線に「浦和」に「北浦和」「南浦和」くらいまではまだわかった。ところが、武蔵野線が開通して「東浦和」「西浦和」ができて、もうちょっと名前のつけかたないのかい? ・・と思っていたら、東西南北そろっただけではあきたらず、埼京線が通ると「中浦和」「武蔵浦和」なんてのまでできた。なんじゃ、こりぁ!?!
そこまでいかないのが船橋ファイブ。JR総武線「船橋」に東武野田線「新船橋」があったところに、かつて、船橋町・葛飾村とどこだっけが合併して船橋市になる前は葛飾村で、京成の駅は「葛飾(かつしか」だったあたりに「西船橋」駅ができて地名まで「西船(にしふな)」に変わり、事大主義の京成は駅名を「西船(にしふな)」に変えたと思ったら、さらに「船橋」と「津田沼」の間にできた駅の名前が「東船橋」、海側に通った京葉線の駅名が「南船橋」・・・て、「船橋」「西船橋」「東船橋」「南船橋」「新船橋」て、なんともネーミングセンスがないというのか、昔からの地名を粗末にするというのか何というのか。JR武蔵野線の駅で「船橋法典」があるが、せめてそんな感じで「船橋◇◇」といった名前にでもできなかったのか・・と思う。
さらに下品なのが船橋市の東隣の習志野市の京葉線の駅「新習志野」。もともと、習志野市は津田沼の北のあたり、現在の船橋市の東部が船橋市とくっつくのではなく津田沼あたりとくっつく計画があったといい、それで、船橋市の東部の地名だった内陸部の地名である「習志野」、なだらかな野原だったから「ならしの」と名付けられたという話があり、今も自衛隊の駐屯地があるがかつて陸軍の演習をおこなっていた時に明治天皇が見てなんとかさんの動きが優れているのでなんとかさんを「見習え」とおっしゃったということから「みならえ」が「ならしの」になったというお話もあるらしいが、おそらくそっちは人為的創作だろうと思うが、そのもともとは船橋市東部の地名である「習志野」が市名になってしまった市である。「習志野」は名前からいっても「野原」「丘陵地」につく名前であるはずで、それを海側の埋め立て地を走る京葉線の駅名に「新習志野」はないだろうが・・と思うのだが、そういう変な名前がつけられてしまった。京葉線「新習志野」駅の北側にある総武線の駅名は「津田沼」であり、これは3つの町村が合併してそれぞれの町名から1字をとって作った合成地名らしいが、今では「津田沼」という地名は人口に膾炙しており、京葉線の駅も「新津田沼」でも良さそうだが、新京成電鉄に「新津田沼」駅がすでにあることから京葉線の駅に「新津田沼」を使うわけにはいかなかったとしても、それならそれで「浜津田沼」「海津田沼」とか東隣の「海浜幕張」みたいに「海浜津田沼」とかにすることもできたのではないか。「野原」「丘陵」ではなく海に近い埋め立て地にできた駅に「新習志野」は違和感がある。
ついでに、新京成電鉄「習志野」駅の北に「北習志野」駅があり、もともとは小さい駅だったが東葉高速鉄道が通り、東葉高速鉄道と新京成電鉄の乗換駅になって本家「習志野」駅よりも駅前は開けて”繁華街”になった・・・が、駅名をひらがなで表記すると「きたならしいの」だが・・、まあ・・いいか・・・。
・・・で、 ””浦和セブン””(「浦和」「北浦和」「南浦和」「東浦和」「西浦和」「中浦和」「武蔵浦和」)とか ””船橋ファイブ””(「船橋」「新船橋」「西船橋」「東船橋」「南船橋」)と同様、「もうちょっと、名前のつけかた、考えられんかったんか~い?」て感じがするのが、東名「清水」ジャンクション・「清水」インターチェンジ、新東名「新清水」インターチェンジ・「清水」パーキングエリア・「新清水」ジャンクションの ””清水ファイブ”” である。電車の場合は自分が運転するわけではないので乗りながら考えることもできるがクルマは自分で運転しながらなので、電車以上にややこしくてわかりにくい。 新東名「浜松」サービスエリアもスマートインターチェンジ併設であることも考えれば、東名に「浜松」サービスエリアはないとしても、新東名にあるものは「新浜松」サービスエリア・スマートインターチェンジにしておいた方がわかりやすいのではないかとも思うが、又、静岡市も東名に「静岡」インターチェンジがあって、新東名に「新静岡」インターチェンジがあり「静岡」サービスエリア・スマートインターチェンジがある

( ↑ 新東名高速道路「静岡」サービスエリア。 静岡市葵区。)
というのは混乱するところがあり、新東名のものは東名にその名称のものがない場合も「新◇◇」にして統一したらどうかと思うのだが、清水は浜松や静岡よりもはるかにややこしい。

県別マップル 静岡県 道路地図 (ドライブ 地図 | マップル) - 昭文社 地図 編集部
《3》 住宅展示場(営業所)の名前をいいかげん、不適切な命名をする会社。――会社と営業の話
それで、JRはもともとは「国鉄」だった。今ではJRとなって「民間会社」ということになり、JR西日本は最初に社長に就任した方が「饅頭の切り方と羊羹の切り方は切り方が違う。うちの饅頭は餡(あん)が少ない。誰だ、こんな切り方をしたのは」とおっしゃったそうで、JR西日本はJR東海やJR東日本と比べて、路線距離は長いわりに「餡(あん)」(黒字路線)が少ないということから、それまで黒字路線ではなかった部分を黒字路線に変えてやろうとして、福知山線の複線電化は国鉄時代から計画があったが、それを実行するとともに大事故が発生するのもおかまいなしの高速運転で阪急伊丹線・宝塚線の客をぶんどり、山陰本線の京都よりも複線電化して通勤路線にするとともに「嵯峨(さが)」駅を「嵯峨嵐山」駅に駅名変更、京福電鉄に広隆寺のすぐ前に「太秦(うずまさ)」駅があったのに、京福電鉄の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅の近くに新駅を作って「太秦(うずまさ)」駅と命名して、嵐山方面への観光客も阪急嵐山線・京福電鉄嵐山線からぶんどろうと、まさに「仁義なき戦い」とでもいった「抗争」を続け、京都ー大阪ー神戸間も、かつては阪急・京阪・阪神の方が安くて速かったのが、阪急・京阪・阪神は複線であるのに対してJRは複々線にして新快速は高速運転で阪急・京阪・阪神の特急との速さ競争に勝ち抜く・・と、部分的に私鉄以上に私鉄化してきたみたいなところがあるが、駅名のつけかたについては、今もなんだか「親方日の丸的センスのなさ」て感じがする。
国鉄⇒JR とともに、高速道路も「民営化」された部分があるようだが、それでもJRと同じく「半官半民的」なところがあったとしても、それはわかる。しかし、百パーセント民間企業の場合には、会社名とか営業所名というのは、それは顧客を引き付けて契約してもらうための道具であり、顧客に好感をもってもらい、来てもらって契約してもらえるような名称にしないといけないはずである・・・にもかかわらず、それができていない会社、あるいは、せっかくプラスになる名称を捨ててしまう会社というのがある。
1990年くらいまでは小堀住研(株)は関西地方を中心に「高級木質系住宅の小堀」として評価を得ていたはずだったが、1989年に初代社長でその時点では相談役だった小堀林衛が他界した後、1990年に2代目社長で「初代社長小堀林衛の甥っ子」と言っていたが実際は「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があってそのどちらからしい2代目社長の中島昭午が会社名から初代の苗字である「小堀」を取り除きたかったらしく、エスバイエル(株)に会社名を変更して、そのあたりから安物くさくなって衰退し、あっと言う間に・・つぶれた。「エスバイエル」というのは「エス(S)」(スペース)と「エル(L)」(ライフ)を「かけあわせる」(バイ)で「S×L」で「エスバイエル」だというのだが、わかりにくい名称であるとともに、もともと、在来木造で始めた会社でその時点では木質パネル構法に重心があった会社であり、ツーバイフォー工法(枠組壁工法)の会社ではないにもかかわらず「ツーバイフォー(2×4)」を連想する名前である「エスバイエル(S×L)」というのも変な名前であった。「小堀住研」の「住研」の方は「住宅を建築するのではなく研究する」という意味で「研究して建てる」会社は単に「建築する」だけの会社より上だと言いたい名前であったが、最初に小堀住研(株)が名のった時点では他に「住研」と名のる会社はなかったのだが、1990年頃になると不動産屋で「▽▽住研」と名のる会社がいくつか出てきて、今では「▽▽住研」というと「不動産屋の名前」みたいになってしまったので、会社名を改めるのならば「小堀」よりも「住研」の方を改めた方が良さそうだったが、2代目社長の中島昭午としては「小堀」の方を取り除きたかったようだった。しかし、「小堀」という名称は初代社長の苗字からつけた名前であったかもしれないが、それは「中島」とか「高田」「渡邊」「増田」「大野」といったようなどこにでもあるような名前とは違うはずなのだ。住宅建築業においては、「小堀」という名前は黙っていても客の側で安土桃山時代から江戸時代初期にかけての茶道家で建築家・作庭家の小堀遠州と関係があるのか?・・・と勝手に思ってくれる名前なのだ。

小堀遠州 綺麗さびの極み (とんぼの本) - 小堀 宗実, 熊倉 功夫, 磯崎 新
だから、「小堀」は会社名から取り除くべきではなかったはずなのだ・・・が、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかはそれを何としても取り除きたかったようだ。そのあたりが「メカケの発想」だったのではないか。似ているようでも「奥さん」と「メカケ」は違うのだ。社長というのは社長だから得する時はもちろんあるはずだが、片方で社長だから大変な時もあるのではないかと思う(ええ思いだけやってる社長というのもいるかもしれんけど)。千葉県などのリフォームの会社の(株)ウッディホームで入社時に見せられた「研修ビデオ」で、なんだか花登筺(はなと こばこ)のテレビドラマみたいな話で滋賀県の大店(おおだな)の息子の話を見せられたのだが、そこで、滋賀県の大店のまだ小学生の跡取り息子に叔父が話す場面があったのだが、「おまえ。大店(おおだな)の後を継ぐということを、自分だけが楽してええ思いをする立場を継ぐみたいに思っておりぁせんか」と叔父は言うのだった。「そうじゃないんだぞ。大店の後を継ぐということは、他の者がやらんような努力をして、他の者がやらんような苦労をして、他の者がやらんような我慢をするというそういう意味なんやぞ」と。それを聞いて小学生の息子は「なんや。それなら、ええことなんか何もないやないか」と言うのだったが、「ええこと」は間違いなくあるはずだが、片方で社長には「他の者がやらんような努力をして、他の者がやらんような苦労をして、他の者がやらんような我慢をするというそういう意味なんやぞ」という面もあるのではないか、そういった努力をして苦労をして我慢をしてやらないで自分だけええ思いをするだけの経営者の会社というのは、長い目で見ると「張り子の虎」になる可能性はあるかもしれない。その社長と似ているのが「奥さん」であり、「社長の奥さん」というのは「社長の奥さん」だからいい思いをする時もあるかもしれないが、片方で「社長の奥さん」だから大変な時もあるのではないか。従業員に対してでも、えらそうにすればいいというものではなく、気持ちよく働いてもらって会社に利益をもたらしてもらわないといけないのであり、「こんな会社、誰が勤めるものか」と誰もが辞めて出ていかれたのでは会社は成り立たない。だから、社長も「社長の奥さん」もいい思いをする時もあるかもしれないが大変な面もあるはずなのだ。私はそんな感じの「社長の奥さん」を見たことがある。それに対して、「メカケ」はそうではなく社長からカネを引き出すのが「仕事」であって会社のために「他の者がやらんような努力をして、他の者がやらんような苦労をして、他の者がやらんような我慢をする」なんてことはしないし、そんなものは「メカケ業」の対象ではない。「メカケ業」は財産のある男からカネを引き出すのが「仕事」なのだから。そして、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかもその「メカケの発想」を身に着けていたのではないか。会社のためになる名前を残すのか、それとも「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかのために会社のためになる名前でも先代の名字は取り除くのか・・・、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかは会社のために役立つ名前でも取り除く方を選び・・・、そして、株価はどんどこ下がっていって、そして、あっと言う間につぶれた・・。エスバイエル(株)は、富士銀行(現 みずほ銀行)から来た人が破産管財人みたいな社長に就任して大阪駅前の本社ビルなど売却して「取れるだけ取って去った」ようで、それまで取締役の半分・監査役の半分を占めていた「銀行から来た人」はいなくなり、一時、「積水ハウス(株)から来た人」が社長になったようだが、積水ハウス(株)はかつて在来木造のトーヨド建設を買収したようにエスバイエル(株)も買収するつもりなのか?・・・と思ったら積水ハウス(株)としてはマイナスのイメージがしみついたエスバイエル(株)を買収しても「うまみがない」と判断したのか、「積水ハウス(株)から来た人」は社長から退き、その後、敗戦処理みたいに松川という大阪工大卒のしょーもない男が社長になった後、倒産し、ヤマダ電機が「いぬき」で買収して(株)ヤマダエスバイエルホームとなり、さらに、同様にヤマダ電機に買収された「リフォームのナカヤマ」とともに(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ となって「エスバイエル」という名称は消えた。ヤマダ電機の子会社の(株)ヤマダホームズとしてはマイナスのイメージしかない「エスバイエル」という名前は「要らない名前」だが「小堀」の方は小堀遠州を発想する名前であるとともに、1960年代から1980年代にかけては関西地方を中心に「小堀の家」というと「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言い、木構造で特にデザインに優れた高級住宅を建ててきたというイメージが今でも年配層には残っていることから「小堀の家」という名称の方をヤマダ電機は復活させた。ヤマダ電機の方が「メカケの子」か「メカケの娘の婿」かよりも賢かったということだ。中島昭午は従業員の間で「天婦羅ばっかりの高卒昭午」と言われていたのだが、中島昭午は最終学歴は「長浜北高校卒」だったが、小堀住研(株)が発行していた月刊の社内誌で「『一国一城の主(あるじ)になるんや』という叔父の言葉に動かされて、大学進学の志をあきらめた」とかなんとかかんとか書いていたのだったが、考えてみれば変な話であり、叔父が会社を作って独立するので一緒にやろうと誘ったのであれば、それならなおのこと、慶應の経済学部・商学部とか一橋の経済学部・商学部もしくは神戸大の経済学部・経営学部、そのあたりに行けないなら、滋賀大の経済学部でも同志社の経済学部・商学部にでも行くか、それとも、どこか国公立大学の建築学科か早稲田大の建築学科か行けないのなら同志社か立命かそこらの建築学科にでも行っておいた方がいいはずで、「一国一城の主になる」叔父のために大学進学をやめる必要はなく、逆のはずなのだ。又、父親から言われたのならともかく、叔父が会社を作って独立するからといって甥が大学進学をなんでやめるのかも不明、わけわかんないよお~お・・て感じなのだが、要するに、 ””でき悪いものだから行ける大学がなかったから大学には行かなかったのを、なんかええかっこしたいものやから「『一国一城の主(あるじ)になるんや』という叔父の言葉に動かされて、大学進学の志をあきらめた」とかなんとかかんとか言いまくり書きまくりしないとおれないシンドローム”” のようだ・・・というのが従業員の間での通説であった。あったのは「通説」だけで「有力対抗説」といったものは、ない。インターネットで検索したところ、長浜北高校の応援部のホームページなのかブログなのかのコメント欄に、中島昭午のことを「そうそうたるメンバー」などと書き込んでいた人がいたのだが、「会社をつぶしたアホの二代目」を「そうそうたるメンバー」とは笑止である。「バッカじゃなかろかルンバ♪」て感じがする。つくづく、とんだお笑いである。「笑ってやってください」・・てところだろう。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は「木造住宅ひとすじ」の「ひとすじ」で「一条」だと言っていたが、実際はそうではなく、かつて、浜松市で電気工事業をやっていた初代社長の大澄賢二郎が信陽住宅・東陽住宅という会社名で在来木造の戸建住宅建築業に手を出したが、「税金対策」で京都の三条通りに幽霊会社を作った時があり、その時、会社名を何にするか、「三条通りにあるから三条工務店でいいのじゃないか」「三条工務店なら一条工務店の方がいいてことないか」・・・ということで「(株)一条工務店」という会社名ができて、その後、会社名ばっかりいっぱいあってもしかたがないということで、「会社」を整理して1つにしようとなって、名前としてどの名前がいいかと思案したところ、信陽住宅・東陽住宅よりも「一条工務店」の方がいいのじゃないかということで、晴れて「(株)一条工務店」になった・・・というのが従業員の間における「通説」だった。たぶん、そんなところだろう・・・と思う。「そんなところ」の会社である。
(株)一条工務店の場合、その会社名はどういう経緯でついたかは別として悪い名称ではないが、私が入社した1992年頃においては、東京圏では「工務店」は見込客の印象として良くなかった。「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」「◇◇林業」「△△建設」といった名前と比べて、「◇◇工務店」は、いかにも「いなかの工務店」という印象があって、静岡県や愛知県においてはそれでも良かったかもしれないが東京圏においては「◇◇工務店」という会社名は「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」「◇◇林業」「△△建設」に比べて営業上、不利になる名称だった・・・が、都市圏ではなく「地方」において、「家は木造で建てるもの」かつ「構造材は国産材・ムク材で建てるもの」という観念が強いような地域においては、「ハウスメーカー」ではなく「大工」「工務店」に頼んで建てるものという意識が強い地域でもあり、 (株)一条工務店が得意とした地域は、「地方」であるが筋金入りの「地方」ではなく最近のものもいくらかは取り入れたい意識があって、地縁血縁の大工・工務店に頼まなくてもいいという人というのが(株)一条工務店で契約してくれる可能性が小さくない人だったので、静岡県・愛知県でそういう人に対しては「◇◇工務店」という名称の方が「☆☆ハウス」「▽▽ホーム」よりも受け入れてもらえたようだったのだ。だから、(株)一条工務店が「◇◇工務店」という会社名にしていたのは、それは静岡県・愛知県などで売りやすい・売れやすいようにと考えての会社名であって、そのためには東京圏で売れにくくてもかまわないという前提での会社名だった。
商品名として「セゾン」なんて、東京圏においては「西武でもないのに西武みたいな名前を名のっている西武のパチモンみたいな怪しい工務店」と思われやすい名前を使用していたのだが、「セゾン」はフランス語で英語では「シーズン(season)」であり、いわば「フランス語の名前にでもしておけば、イナカモノはおしゃれみたいに、ハイカラみたいに思うだろう」という発想、「イナカモンの発想」だったのだ。静岡県・愛知県においてはそれは効果はあったようだが、東京圏においては「西武でもないのに西武みたいな名前を名のっている西武のパチモンみたいな怪しい工務店」と思われてマイナスになる名前だったが、静岡県・愛知県で有利になる名前なら東京圏でやりにくくてもかまわないという発想。遠州地方には《「やらまいか」精神》というものが伝統的にある・・と(株)一条工務店では言っていたのだが、「やらまいか」というのは遠州弁で「やってみよう」という意味で、(株)一条工務店においては「遠州人」および静岡県・愛知県の者が箱根の関より東、鈴鹿の関・不破の関より西の地域の人間よりも得することならどんなことでも「やらまいか」という精神のことだった。この会社は伝統的に徹底してそういう「精神」があった。2011年に東日本大震災があった後、全国でいただいた「利益」から、全国の従業員の給料をへつって貯め込んだカネから「お世話になった浜松に恩返しをしたい」と初代社長で今は社長でも会長でもないはずの大澄賢二郎が言い出して、浜松市にのみ300億円の「寄付」をしたが、これなども「遠州人」だけ得することならどんなことでも「やらまいか」という「やらまいか」精神の発揮だったと考えてよいだろう。
私が(株)一条工務店に入社するより前、「セゾン」には何種類かあって、「セゾンリヴェール」「セゾンエスポワール」といった「アパートみたいな名前」が商品名としてついていた時期があった。東京圏・関西圏の住人からすると「アパートみたいな名前」でも「遠州人」ほか静岡県・愛知県の住人にとってはフランス語の名前だから「おしゃれ」で「ハイカラ」に思える名称だったのだろう。(株)一条工務店はそういう命名をする会社だった。
(株)一条工務店の営業書名のつけ方は首を傾げさせられるものが多かった。 1993年に福島県いわき市の展示場に私が赴任した時、いわき市にはいわき市平(たいら)尼子町のJTいわきハウジングパークという総合住宅展示場(今は総合住宅展示場はなくなって、スーパーの「マルト」がある)に2つ出展していたが、入口の前、駐車場のすぐ前、管理事務所の隣の位置に洋風の「セゾン」の展示場があってそれが「いわき営業所」、その隣ではなく、「いわき営業所」の隣の積水ハウス(株)の展示場のさらに隣、奥まった場所に建てられた和風「百年」の展示場があって「いわき東営業所」と名付けられていた。
「いわき営業所」はわかるが、「いわき東営業所」には疑問を感じた。なぜなら、その場所はいわき市の中で東部ではなかったからだ。そのうち、いわき市鹿島町飯田に新しく別の総合住宅展示場ができて、そこに洋風の「セゾン」の展示場ができてそれを「いわき西営業所」、和風「百年」の展示場を作ってそれを「いわき南営業所」と(株)一条工務店は名付けたのだったが、奇妙な営業所名だった。
もし、私が命名するならば、JTいわきハウジングパークにあった展示場2つは、「いわき平(たいら)第一」「いわき平(たいら)第二」で、鹿島町飯田の2つは「いわき鹿島第一」「いわき鹿島第二」とするか、「いわき平(たいら)セゾン」「いわき平(たいら)百年」「いわき鹿島 セゾン」「いわき鹿島 百年」と商品名を後につけるかどちらかにしただろう。
いわき市および福島県浜通り地区の住人と話をすると、誰もが「なんで、『いわき東』なんですか」と言う。 「いわき営業所」「いわき東営業所」があったJTいわきハウジングパークから遠くない場所にあった警察署は「いわき中央警察署」で、「いわき西営業所」「いわき南営業所」があった いわき市鹿島町飯田の総合住宅展示場から比較的近い場所にあった警察署は「いわき東警察署」で、いわき市にはもっと南のいわき市勿来のあたりに「いわき南警察署」があった。いわき市内に3か所あった警察署の命名は妥当ではないかと思う。 「いわき中央警察署」があった いわき市平(たいら)と いわき市内郷の境目付近というのは、いわき市では地理的に中央部で、「いわき東警察署」があった いわき市鹿島町といわき市の小名浜地区との境目付近というのは、いわき市では東部で、「いわき南警察署」があった いわき市の勿来地区は いわき市の南部だった。それに対して、(株)一条工務店の「いわき東営業所」は、地理的に いわき市の中央部にあったのに「いわき東営業所」、「いわき西営業所」は いわき市の西部ではなく東部にあったのに「いわき西営業所」、「いわき南営業所」は いわき市の住民の感覚では「いわき南」というともっと南の方を考え、そのあたりは「いわき南」ではなく、あえていえば「いわき東」である場所なのに「いわき南営業所」と命名したのだった。なぜ、実際の地理的な東西南北に反する命名をするのだろうか。
JTいわきハウジングパーク の入口入ってすぐの場所に、日本都市開発という いわき市泉が丘という分譲地を開発した不動産会社の住宅展示場があったが、住宅展示場はその1か所しか持たない会社だったが、その展示場の名称は「平(たいら)展示場」だった。(株)一条工務店の命名に比べたら日本都市開発の展示場の名称の方が いわき市の住人にとってしっくりくるもので、まともな名称だった。
いわき市の住人からすると、「いわき西」はいわき市好間(よしま)という常磐自動車道「いわき中央」インターチェンジや好間(よしま)工業団地があるあたりか、さらに西、平田村との境目付近の いわき市三和町のあたりを思い浮かべる。「いわき西営業所」があったいわき市鹿島町飯田のあたりを「いわき西」と考える人はいない。 「いわき東」というと、いわき市小名浜のあたりか、いわき市の江名漁港のあたりか、塩屋崎灯台のあたりか、そのあたりを思い浮かべる。「いわき東営業所」があった いわき市平尼子町を「いわき東」と考える人はいない。「いわき南」というと、いわき市の勿来か植田のあたりを考え、「いわき南営業所」があった いわき市鹿島町飯田のあたりを「いわき南」と考える人はいない。 もしも、どうしても、東西南北をつけたいのなら、いわき市鹿島町飯田の方の2つを「いわき東 第一」「いわき東 第二」と名付け、いわき市平尼子町の2つは「いわき中央 第一」「いわき中央 第二」か「いわき平 第一」「いわき平 第二」とするか、そのあたりが妥当ではないか。
同じ展示場に2棟以上出展する場合、総合住宅展示場に入ってすぐの場所の展示場に「いわき展示場」「いわき営業所」と名付けられると、たいていの来場客は先にそちらに入ってしまい、奥まった位置にある「いわき東展示場」「いわき東営業所」には入口の展示場に先に入って入口の展示場の営業が「ツバつけた」状態にした客が入場することになり営業社員にとっては不公平である。会社は従業員に公平であるべきであるが、ただでさえ、ひとつの総合住宅展示場に2か所の展示場を持つ場合に入口はいってすぐの場所の展示場と奥まった位置の展示場と設置したならば、入口すぐの展示場に来場客が多くなって奥まった場所は少なくなりがちであるが、まだしも、両方に「◇◇第一」「◇◇第二」と名付けたならば、「2つ展示場があるんだなあ」と思って、とりあえず、両方の外観を総合住宅展示場の通路から見て自分たちが考えているものに近そうな方の展示場に入ろうとする人も中にいるかもしれないところを、入口すぐの所を「◇◇展示場」・「◇◇営業所」として奥まった場所を「◇◇東展示場」・「◇◇営業所」名付け、入口すぐの展示場がメインで奥まった場所の展示場はサブみたいな名称をつけられたのでは、なおさら、入口すぐの展示場の方に先に入られてしまい、入口すぐの展示場の営業が「先にツバつける」ことになる。
「一条工務店の場合、配属された営業所(展示場)による条件の差が甚だしい」と比較的良心的な営業社員は口にしていたのだったが、会社は従業員には公平であるべきで、営業所(展示場)による条件の差は小さくする努力をするのが当然であろうと私は思っていたのだったし、又、慶應大学商学部卒の従業員としてそういったことを考えるのが私の仕事だと認識していたのだった・・・が、(株)一条工務店の経営者は、むしろ、意図的に展示場による条件の差をつけて、「気にいる従業員」を条件がいい展示場に配属して「売れる営業」にならせて、「気にいらない従業員」を条件が悪い展示場に意図的に配属して嫌がらせをしていたのではないのか・・・といったことも従業員の間で言われていた。・・しかし、それなら、入社以来、毎日毎日、毎年毎年、滅私奉公を繰り返してきた私は、なんで、いつもいつも条件の悪い展示場にばかり配属されなければならないんだ、「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」してきたのであって嫌われることなんてやっていないはずなのに・・ということになるのだったが、まず、「慶應大学卒だというその点だけでも学歴コンプレックスの塊の(株)一条工務店の経営者からすれば面白くないはずだ」と比較的古手の人から言われたがそれはあったようだ。 又、(株)一条工務店の経営者と「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称している人たちというのは「同業他社に少しでもいた人間」というのを目の仇にしていた、ということもあった。 野村のじいさんが、ヤクルトスワローズにいた広沢が巨人にフリーエージェントで行くと言った時に、「巨人なんてやめとけ」「巨人なんて外様が行っていいことないぞ」と言ったとどこかで書いていたが、それと似たところがある。同業他社に少しでもいた人間というのは、会社はそういう人間の能力を活かせばいいはずと思うのだが(株)一条工務店のオーナー経営者は少しでも同業他社にいたことがある従業員は「親の仇」みたいに思うらしかった。たとえ、過去に同業他社にいたことがあっても今は自分の会社の従業員だという当たり前のことを理解できない人間だった。1972年の終わり、南海ホークスの三塁手 富田と巨人の投手で前年勝利数ゼロ勝の山内新一と通算勝利数ゼロ勝の松原の1対2のトレードがおこなわれたが、富田は田渕・山本浩治とともに「法政三羽ガラス」と言われドラフト1位で入団して南海では野村の前の3番を打った選手だったが、巨人は富田を獲得すると「ドラフト1位」入団で他球団では「3番打者」を控え選手にしてしまった。特に、富田が移籍して3年目に監督になった長嶋はプロ入団以来、長嶋より優れた成績を残した年もあった富田を嫌ったらしく4年目には日本ハムに「高橋一三+富田」と張本とのトレードで移籍したが、「ドラフト1位」の「3番打者」をトレードで獲得しておいてあの扱いは何だ・・と野村のじいさんも思ったようで、広沢とかFAで巨人に行くという選手がいると「巨人になんて行っていいことないぞ」と言って止めるようになったらしい・・・が、どうも、巨人は他の球団から来た選手を冷遇する傾向があったようだが、(株)一条工務店のオーナー経営者と創業の頃からいたような連中というのも、同業他社に少しでもいた人間というのを嫌い苛める傾向があるようだった。ひとつには、他社をいくらかなりとも知っている人間は、(株)一条工務店が「研修」で教えることの嘘を見抜ける人間が多いから面白くないということもあったようだし、前にいた会社に比べて(株)一条工務店は給料が安いということに気づくことができる人間が多いから面白くないということもあったのではないか。
小堀住研(株)は(株)一条工務店に比べると1つの総合住宅展示場に2つ以上出展することは多くなかったように思うが、大阪府吹田市の大阪万博の跡地に設けられていた千里総合住宅展示場には、1980年代終わり頃、完全自由設計の「新 桂」の「洋のかたち」と「和のかたち」の展示場と「高品質低価格」の「ハウス55」の展示場の3棟出展していて、私の記憶違いでなければ「千里第一営業所」「千里第二営業所」「千里第三営業所」となづけていたように思うのだが、こういったことを(株)一条工務店で口にすると営業本部長の天野隆夫から「そんなこと言うならエスバイエルに行けよお」と怒鳴りつけられるので言えなかったのだが、同業他社がやっていることで自社に取り入れたなら自社にとってプラスになることなら取り入れればいいと思うのだが、そうしてなるものかあ~あ!・・という強固な信念を持っているアマノジャクの営業本部長でありそういう人が営業本部長になっている会社だった。 いわき市の平尼子町のJTいわきハウジングパークの入口付近にあった日本都市開発の「平(たいら)展示場」は、「いわき展示場」ではあまりにも「いわき」が指す範囲が広すぎて、いわき市の住民にとってはどこかわからない、いわき のどこなのかを示すための営業所名なのに「いわき展示場」では意味がないので、いわき市平(たいら)尼子町にあるということで「平(たいら)展示場」と名付けていたようだったが、こういうことを言ったからといって、なんで、「そんなこと言うならエスバイエルに行け」だの何だの言われなければならないのか理解に苦しむ。
福島県いわき市は1966年に5市9町村が合併してできた市で、「平成の大合併」より前においては全国で一番面積が広い市であったが「平成の大合併」では新たな合併はなく、まず、「平成の大合併」より前に面積2位だった静岡市が清水市と合併したことで新しい静岡市に抜かれた後、岐阜県高山市とか他にも いわき市より面積の広い市が「平成の大合併」でいくつも出現し、静岡県でも浜松市は周囲の町村を合併して静岡市よりも面積の広い市になり、いわき市よりも広くなった。 警察署は公共機関なので「いわき市」となったからには旧市町村の名称を警察署の名前に名のるのではなく「いわき中央」「いわき東」「いわき南」と名のったようだが、旧町村の名称が消えてなくなったわけではないので、民間企業では、よそから来る観光客を相手にするのではなく地元の住民を主として相手にする業種の場合は、「いわき市◇◇町▽▽」という場所にある場合は「◇◇町」の方か「▽▽」の方かを営業所名にする所が多く、「いわき」と入れた方が全国的に通じる場合でも「いわき◇◇」営業所か「いわき▽▽」営業所とする場合があった。 「いわき東」の位置でもないのに「いわき東営業所」、「いわき西」「いわき南」でもないのに「いわき西営業所」「いわき南営業所」と名付けていた会社なんて(株)一条工務店くらいではないか。 そういったその場所の住民の感覚に合わない営業所名のつけ方は、浜松の人間にとってはそれでよくても、その営業所の人間にとっては、その地域の住民の感覚に合わない営業所名を営業所がつけているというのは、その分だけ「営業しにくい」要素だった・・のだが、「遠州人」は「そんなこと知ったことじゃない」という意識だったようだ。その地域の住民にとって、その地域のどこにあるのかわかりやすい営業所名をつけた方が営業しやすく契約につながりやすいはずなのに、(株)一条工務店という会社は浜松近辺の人間にわかりやすくてもその地域の住民からすると違和感がある名称を常につけないと気がすまないという浜松独善主義の会社だった。静岡県中西部および愛知県が「本国」で箱根の関より東、鈴鹿の関・不破の関より西は「植民地」みたいな意識の経営をやらないと気がすまないという会社、いわば、東京圏の住人から見ると「浜松という《後進国の外資系企業》」だった。
まず、営業所名をつける際に、なぜ、「浜松の人間」が名前を決めるのか。その地域の地元の人間になぜ意見をきかないのか? そこで営業する人間に「どういう営業所名にすると営業しやすいと思うか」と、なぜきかないのか? 理解に苦しむ所がある会社だった。
1992年、私が(株)一条工務店に入社した時、(株)一条工務店は浜松にはきれいな新しい展示場を設けておきながら、東京都江東区潮見にあった展示場は、林野庁が運営する「国産材の使用を促進する施設」であって「売るための展示場ではない」ウッディランド東京という一般の総合住宅展示場よりも出展費用が安い場所に出展していて、展示場の建物は外壁も汚れて黒い筋が入っていて、2階のホールは端から端まで床鳴りがする展示場だった。 そうやって「遠州人」は自分たちの所と東京圏とで「営業ツール」としての展示場に差をつけて自分たちの所が他の地域と比較して営業しやすいようにしてやろうとしていたのであり、まったくつくづく、「遠州人」が他の地域の人間よりも得することならどんなことでも「やらまいか」という「遠州人」の「やらまいか」精神には不愉快に思ったものだった。
どうも、「遠州人」は「東京都」というものを、静岡県の磐田市・掛川市・島田市などと同じくらいかそれよりも小さい市みたいに認識していると思えるところがあったのだが、東京都23区は面積でも人口でも磐田市・掛川市・島田市などよりもずっと多く広いのだが、それを「遠州人」にわからせようと思っても極めて難しい。
(株)一条工務店は、1993年1月に江東区亀戸、JR総武線の北側、「亀戸」駅と「錦糸町」駅の中間付近に新しく展示場をオープンさせたのだが、そこを「東京営業所」「東京展示場」と命名して、それまで「東京営業所」「東京展示場」としていた江東区潮見の展示場を「東京東営業所」「東京東展示場」と名称変更した。なんで、そんな名前にするのか? ・・と思ったし、なんで、私に意見をきいてくれないのか? ・・とも思った。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は私が応募した時に「うちの会社に慶應大学卒の人が来てくれるのかと思ってびっくりした」と言って喜んでくれたはずだったのだが、慶應大学商学部卒の人間を採用したなら、そういう人間を活かすべきであり、そうでなければ何のために採用したのかわからなくなるはずだったが、活かしてなるものか!・・みたいな態度を取る人であり会社だった。
なんで、私に意見をきいてくれないのか? 意見をきいても、その意見が気にいらないなら採用しなくてもいいけれども、なんで、きかないのか? もし、私なら、江東区亀戸の展示場を「東京亀戸」展示場・「東京亀戸」営業所、江東区潮見の展示場を「東京潮見」展示場・「東京潮見」営業所か「東京臨海展示場」「東京臨海営業所」と命名することを提言したと思う。 もしも、どうしても、東西南北を入れたくて亀戸を「東京」営業所にしたいなら、潮見は東京圏の住民からすると「東京東」ではなく「東京南」という感覚なので、潮見の展示場を「東京南展示場」「東京南営業所」としたと思う。なぜ、その地域の人間の感覚と一致しない名称にしたがるのか、「遠州人」の発想には毎度のことながら疑問を感じた。(株)一条工務店は営業所の名称を決める際に、なぜ、その営業所がある地域の人間の意識をもとに決めずに「遠州人」の感覚・浜松の人間の感覚で決めるのか?
東京には「ハウスメーカー」という所は何社もが存在して出展している。「浜松のよくわからない工務店」が東京を代表するような場所でもない亀戸に1展示場を持って「東京営業所」としたのでは、「東京に1店舗出展しただけの浜松の工務店にわざわざ頼まなくても」と思われてしまう可能性が大きいので、亀戸と潮見だけだと思われにくいように「東京営業所」「東京展示場」とするのではなく「亀戸営業所」「亀戸展示場」か浜松の人間にもわかるように「東京」と入れたいのなら「東京亀戸営業所」「東京亀戸展示場」とするべきだったはずだ。亀戸の総合住宅展示場は「城東マイホームセンター」という総合住宅展示場(今はない。今は複合商業施設になっていたと思う)にあったのだが「城東」という言葉もあまりしっくりしない言葉で、電車の駅では「錦糸町」と「亀戸」の中間付近で、亀戸は各停しか停まらない駅であるのに対して錦糸町の方が快速が停まる駅で特急も何本か停まる駅だったが、住居表示では亀戸〇丁目で、山本有三『路傍の石』にも登場する亀戸天神が少し北にある場所なので「錦糸町営業所」「錦糸町展示場」よりも「亀戸営業所」「亀戸展示場」か「東京亀戸営業所」「東京亀戸展示場」の方が良かったのではないかと思う。
潮見は、もともとは「8号地」といった埋め立て地で「潮見」というのは埋め立て地につけられることが多い地名で、あまり風情のある名前でもないのだが、JR京葉線に「潮見」駅があることから考えて「東京潮見営業所」「東京潮見展示場」でいいのではないかと考えた。東西南北を入れたいなら、東京の人間の感覚としては、亀戸あたりは「東京東」でいいが、潮見になると「東京南」ではあっても「東京東」ではないはずである。 その地域の住民、そこで契約してくれる可能性がある人の感覚に合わせた営業所名をつけるようにした方が、その分だけ営業しやすくなるはずで、その分だけ多く契約が上がれば、その分だけ会社の利益は多くなるはずだったが、「東京南」か「東京臨海」かではあっても「東京東」ではない場所に「東京東営業所」「東京東展示場」と名付けたがり、東京都を代表するような地名・場所ではない亀戸の展示場に「東京営業所」「東京展示場」と名付けたがる会社だった。亀戸の展示場は「東京東営業所」「東京東展示場」か「東京亀戸営業所」「東京亀戸展示場」と名付ければ普通だが、新宿とか有楽町とか銀座とかそういう場所に「東京営業所」と名付けた営業所を設けるならいいが、亀戸のような場所の展示場に「東京営業所」「東京展示場」と名付けると、「ここしか展示場はない浜松の工務店なのか」という印象を客は強く持つことになる。だから、新宿とか有楽町とか銀座とかそういった場所なら「東京営業所」「東京展示場」でもいいが、亀戸なら「東京東営業所」「東京東展示場」か「東京亀戸営業所」「東京亀戸展示場」は良くても「東京営業所」「東京展示場」は営業上ふさわしくない。
なぜ、こういう意見を私にきいてくれないのか? (株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は、1993年前半、千葉県松戸市の展示場の事務所で「渋谷といったら小岩の東の方だら~。新宿といったら平井の北の方だら。そうだら。ぼく、東京はよく知ってるんだから。そう思うだら」と何度も何度も言うので、「ちゃいまんがな、ちゃいまんがな。全然違いまんがな。何をわけのわからんこと言うてはりまんねん」と言ってやりたいところだったが、私だけがいる場所で言うなら「それは違いますよ」と教えてあげたのだが、中途入社1年目・2年目の従業員が何人もいる前でおっしゃることだったので、何人もがいる前で営業本部長に恥をかかせてもよくないと考えてその場では言わずに黙っていたのだが、そうすると、またもや「渋谷といったら小岩の東の方だら~。新宿といったら平井の北の方だら。そうだら。ぼく、東京はよく知ってるんだから。そう思うだら」と何度も何度も大きな声でおっしゃるのだった・・・が、そういう人が(株)一条工務店では営業本部長で、そういう人が(株)一条工務店では東京営業所長だったのだ。それはそれでしかたがないとしても、それならそれで、営業所名を決める前に、私に意見をきいてくれればと思ったのだが、逆に、きいてなるものか! という意識があったのかもしれない。「最終学歴:中卒」の営業本部長というのは、慶應大学商学部卒の人間が応募すると「うちの会社に慶應大学卒の人が来てくれるのか」と喜ぶようだが、そういう人間の能力を活かしてなるものか!・・とそれ以上に思うらしかった。『巨人の星』では、野球の才能が優れた星 飛雄馬が青雲高校に入学すると、「柔道の英雄」だった伴宙太は、星飛雄馬 に野球の才能を発揮させてなるものかと、上級生より野球の能力ははるかに優れた星 飛雄馬は新入生だから球拾いをさせて、内野への返球も「星の剛速球」を見せてまるものかと「ゴロで転がして返せ」と命令する。星 飛雄馬は「この野郎」と思いながらも、内野へ返球する際に、ボールを地面に転がして返しながら、そのボールで内野にボールのピラミッドを作ってみせ、伴 宙太はそれを見て、「つくづく、怖ろしい能力だ」と思うという場面があったが、まるでその時の伴宙太みたいなもの、「能力を発揮させてなるものか」みたいな態度を取られたのだが、なんで、そんなことするかなあ、せっかく採用したからには採用した人間に能力を発揮させた方が会社にとって利益になると思うのだがなあ・・・と何度も思ったものだった。
(株)一条工務店の無茶苦茶・支離滅裂な営業所名のつけ方から考えると、東名高速道路・新東名高速道路の ””清水ファイブ”” は「まだ、マシな方」かもしれない・・・かな・・。
””浦和セブン”” にしても ”” 船橋ファイブ ”” にしても、「西浦和」と「東浦和」、「西船橋」と「東船橋」ならば、「西浦和」の方が「東浦和」よりも西にあり、「西船橋」は「東船橋」よりも西にあり、「北浦和」と「南浦和」では「南浦和」の方が南側にあるが、(株)一条工務店の営業所名は「いわき東営業所」(「いわき東展示場」)と「いわき西営業所」(「いわき西展示場」)では「いわき東」の方が「いわき西」よりも西にあった、「いわき西」の方が「いわき東」よりも東にあったわけで、そんな名前のつけ方する会社、あんまりないと思うがなあ・・、せめて、「いわき西」と「いわき東」なら、「いわき西」が「いわき東」よりも西になるような名称のつけかたをした方がいいと思うがなあ~あ・・と思ったが、こういうことを言うと「そんなこと言うならエスバイエルに行け、おまえはあ」と営業本部長の天野隆夫から怒鳴りつけられるので言えなかった。天野隆夫は「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。うちの会社に慶應大学卒の人が来てくれるのかと思った」と言って喜んでくれたはずだったが、この男は「慶應大学卒」の肩書を持った中卒か高卒の人間が欲しかったのではないか、せっかくそういう人間を採用してもそういう人間を活かすのだけは絶対に嫌だという信念もっていたのではないのか・・という感じだった。せめて「いわき西」営業所と「いわき東」営業所なら「いわき西」営業所の方が「いわき東」営業所よりも西側になるように命名した方がいいということはありませんか・・・とその程度のことも口にすると気に食わない・・というそういうオーナー経営者の会社・・て、難儀でんなあ、ほんまあ。往生しまっせえ、ほんまあ~あ・・・( 一一)
(株)一条工務店の従業員の間では、従業員の間で広がっていた「都市伝説」みたいな話として、その市町村に最初に作られる展示場の名称が東西南北が入らない「◇◇展示場」「◇◇営業所」で、「◇◇北展示場」「◇◇北営業所」というのは「北」は「敗北」の「北」だからということでなくて、「◇◇」「◇◇東」「◇◇西」「◇◇南」と4つの名前をつけたが、このうち「◇◇東営業所」「◇◇東展示場」は「意図的に売れなくする展示場」であって、(株)一条工務店のオーナー経営者か所長が「気にいらないやつ」を配属するのが「◇◇東展示場」「◇◇東営業所」で、かつて、お寺が戸籍係を兼ねていた頃、被差別部落出身者の戒名には意図的に獣を意味する字を入れて被差別部落出身者だとわかるようにしたとかいう話があるがその獣の文字が入った戒名と同様(実際にお寺が被差別部落出身者に獣の文字を戒名に入れるということをしていたのかどうか私はよく知らないが、そういう話を聞いたことがある。又、それが理由かどうかわからないが、戒名にはどんなに動物好きな人であった場合でも獣を意味する文字は入れない方がいいと言われる)、あるいは百貨店などでは万引きしようとしていると店員が感知した人のことを隠語を使って「社内連絡です。☆☆さんが××売り場に来場されています」と放送して警備係に知らせることがあるがその「☆☆さん」と同様に、(株)一条工務店では「◇◇東営業所」というのは同じ意味合いで、本人はわかっていないが、浜松の本社に電話でもした時に「◇◇東営業所の何何です」と名のったことから、電話を取った者は「◇◇東」という営業所名を聞いた時点で「この人間は要注意の人間である」と認識するようにできていた・・・という話があった。なるほど~、それで私は「東京東営業所」(「東京東展示場」)から「いわき東営業所」(「いわき東展示場」)と「◇◇東」にばっかり配属されたということかあ、なるほどなるほどなるほど~お・・・と思いそうにもなるのだが、会社員として問題があると判断される行為をしばしばおこなっている従業員がけっこういた会社で、毎日毎日毎年毎年自分の生活を犠牲にして滅私奉公を続けてきて「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」してきた私がなんでそんな扱いを受けなければならないのかとも思ったものだった。・・で、実は、私にその話をしたおっさんも「◇◇東営業所」にその時いたのだった・・・( 一一)
又、たとえ、一時的に「嫌いなやつ」扱いされたとしても、冷遇されて条件が悪い場所に配属されたにもかかわらず、条件が悪い場所で「なにくそお」と思って条件がいい場所のやつに劣らない成績を残した者というのは、それはその成績とともにその精神面が高く評価されていいはずであり、私が経営者ならば、条件がいい場所にばっかり配属されて条件がいい場所にいたからということである程度の成績を残した「長嶋みたいなやつ」よりも、「わしぁ日陰の月見草やあ」とでもいうのか条件が悪い場所でも「なにくそお」と思って「長嶋みたいなやつ」に泣けないように努力して成果を出した者は、その点において高く評価するものだが・・・、まあ、世の中には「長嶋みたいなやつ」が好きなオーナー経営者というのもいるのかもしれないが、私なら「なにくそお」と思って条件が悪い場所でも踏ん張って成果を出した者はその点を高く評価する・・・・が、評価したくない人というのもいるのかもしれない・・・。
※ 《YouTuve-氷川きよしさんと阪神ファンのコラボによる東京音頭!》https://www.youtube.com/watch?v=Vt2yXzBWMiA
(2021.4.27.)

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