就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。
[第848回] 会社と営業の話
1980年代後半、小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)・・・→(株)ヤマダエスバイエルホーム⇒(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ 〕〔「・・・」の部分は、この会社は、一度、つぶれて、つぶれた会社をヤマダ電機(株)が「いぬき」で買い取ったのでその間を「・・・」と表現して、それより前とその後を分けた〕で、新卒入社の従業員の入社式の後の立食パーティーの時、太陽神戸銀行から出向で来て、いきなり常務取締役 西部営業本部長になった大野という男性が・・といっても、銀行の仕事と戸建住宅建築業の仕事は別ですから、銀行でどうであったかにかかわらず戸建住宅建築業の仕事に携わったこともない人が、いきなり「西部営業本部長」などというものになって、その役割が果たせるか・・というと、まず無理であろうと考えられたのですが、その大野が私に「小堀住研(株)は無借金経営です。銀行から人が来ているのは、あくまで、人材が不足しているから来ているのであって、借金しているから銀行から人が来ているのではないのです」と言ったのだった。しかし、それにしては、取締役の半分・監査役の半分が銀行から出向してきて人間だというのは、それはいくらなんでも多すぎるのではないのかと思われた。「人材が不足している」という話については、社長の次の副社長の次の専務の次の常務が3人いたうちの2人は、太陽神戸銀行から出向できた大野と富士銀行(現 みずほ銀行)から出向できた増田和二で、1人だけの銀行系ではない常務だったKさんからも「うちの会社はまだまだ人材が不足していますから」と聞いたし、それは実際に入社して、特に総務・人事関係の人を見て「たしかに『人材が不足している』なあ」と実感したのだが、銀行から出向で来ていた人間が何人も来ていたというのが、それが「借金しているからではないんです。人材が不足しているから来ているんです」という部分については、「そうかあ?」・・とそのままは受け取れなかった。
まず、戸建住宅建築業の仕事と銀行の仕事は別の仕事であり、たとえ、銀行で相当優秀であった人でも、戸建住宅建築業の会社に出向して、いきなり成果を出せるというものではないはずだ。人間は若いうちは可能性があるが、年齢とともに可能性を失っていくかわりに実績・経験ができてくる。銀行の経験がある程度ある人で可能性もまだ持っている人が来るなら、しばらく後に相当の成果を出すこともあるかもしれないが、銀行の経験があって可能性は残っていない人が戸建住宅建築業の会社に来て、戸建住宅建築業の会社で即座に成果を出せる「人材」になれるのか? 今となっては10年以上前だが、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた就職支援セミナーで、講師の人が「『中高年』という言葉は、一般の用語と就職の際の用語では意味が違って、就職の場合には『中高年』というのは、男性で35歳以上・女性で28歳以上を『中高年』と言うのです」と話されたことがあったが、その「男性で35歳以上・女性で28歳以上」という年齢というのは「それまでにまったく経験していない仕事には応募しても採用されにくいという年齢」ではないか、又、逆に、それまでに経験した仕事そのまんまでなくても、それまでに経験した仕事となんらかの関係がある仕事に応募した方が採用されやすいという年齢ではないか。それまでやってきた仕事そのまんまが最適とは限らないが、それまでやってきた仕事の隣くらいの仕事の方が適性があるという場合もあるとは思うが、まったく関係のない仕事には希望しても採用されにくいし、又、まったく関係のない仕事にあえて就こうとする必要もないと思われる。世間一般にはそう見られている。それを、「銀行の男」だけは、《就職における用語としての「中高年」》ではなく《実質的に「中高年」》もしくは《実質的に「高年齢」》「新しいことに挑戦する意欲なんて明らかにない人」「認知症はじまってる体だけ元気な年寄」「デイケアセンターにお金を払って行くより小堀住研(株)にお金もらって行った方がいいという気持で来ている人」「シルバー人材センターに勤めるより小堀住研(株)に勤めた方が楽して高給もらえると思って来ている人」を他の業界にいきなり出向させて、常務取締役だの〇部営業本部長だのなんて、できるのか? 「銀行の男」だけはできるのか? ・・・結論として、1988年に富士銀行から出向できた東部営業本部長の増田和二はできていなかった。まったく、できていなかった。最初から小堀住研(株)に入社した従業員に大きな迷惑をかけていた。大きな迷惑をかけてそれで平気でいた。「銀行の男」の特権と認識していた。トマス=サズ『「精神医学」という神話』(岩崎学術研究社)で、ニューヨーク州立シラキュース大学の「精神科」教授トマス=サズがアインシュタインの言葉を引用しているのだが、その言葉「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」から判断するならば、富士銀行は自分の所に置いておいたのでは仕事の邪魔になる人間を小堀住研(株)に厄介払いで送りつけていた。
もしも、新卒入社でなかなか優秀な人間を採用できないから、だから、いったん他の会社、他の業界にでも勤めて30歳くらいになったような人を採用するとか、大卒は「2年遅れまで」ということにしている会社があるけれども、それを「3年遅れ」「4年遅れ」くらいの人はいいことにして採用するとか、そういうことなら、わかる。しかし、「人材が不足している」としても、取締役の半分・監査役の半分が銀行から出向で来た人間というのは多すぎる。
又、太陽神戸銀行から出向で来た常務で西部営業本部長になった大野の場合は、まだしも、外観の印象としてはまだこれからやっていける人かという印象を受けたが、富士銀行から来て常務で東部営業本部長にならせてもらった増田和二の方は、外観も「もう、終わった人」「もう、引退してもらった方がいい人」という外観であり、『有価証券報告書』の記載によると、東北大法学部卒で富士銀行のどこかの支店で2年ほど支店長をやったらしいけれども、対応能力も「この人、本当に銀行で支店長できたのお?」て感じであり、「この人、ほんとに旧帝大系国立大学卒なのお? この人、高卒の人と変わらんのと違うのお!」という人間であり、《一応「旧帝大系国立大卒」であっても口にする内容も「底辺の高校卒」の男と特に変わりのない男》だった。
そして、私は最初、「銀行から来た人」というのは取締役の半分・監査役の半分だけだろうと思い込んでいたのだが、実はそうではなく、それより下の役職でも何人も来ていたようだったのだ。そういう人というのは、総務部とかに所属していたのだが、なぜ、総務部かというと、「営業では使い物にならないし、戸建住宅建築業の会社の技術系の能力はない」から、だから「総務でもさせておくしかないか」もしくは「デモシカ総務デモさせておくシカないか」という「デモシカ総務」か総務でなくても同様の職種で出向で来ていた。そういう人は1人ではなく何人かいたようで、かつ、そういう人というのは、そのまま、銀行にいた場合の役職よりも高い役職をもらって小堀住研(株)に来ていた。 「横すべり」ではなく、ぴょーんと上に跳ね上がったような役職をもらって来ていたのだった。この状態は、最初から小堀住研(株)に入社した従業員にとっては「あほくさい」状況であり、従業員の間では「ま~た、銀行から来た何もわからんやつが重役になるのか」という言葉が出ていたが、取締役・監査役だけではなく、それより下にも、銀行では要らないと判断されたような人が送り込まれていて、しかも、そういう人が高い役職をもらっていたのだった。
小堀住研(株)は1960年代後半頃から「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と言いまくっていた。そういう会社だったはずで、慶應大学に小堀住研(株)が出していた求人票には「応募資格」は学歴が「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で資格として「普通自動車第一種免許」保持者か、学歴が「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」で資格として「普通自動車第一種免許」保持者だったはずだが、そして、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」か「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」の勤め先に応募して入社したはずだったが、ところが、入社してみると高卒の人がいた。なんで? なんで、その人はそこにいるの? しかも、「高卒の人間がいて、しかも、高卒の人間がえらそうにしている」と4年制大学新卒で入社した人間は誰もが怒っていた。1989年7月から千葉支店の支店長の辞令が出たにもかかわらず7月の下旬にやっと赴任した渡辺士直も熊本県の底辺の高校卒の男だったが、小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」のはずなのに、なんで、その人がそこにいるのか? なぜ、その男は当たり前みたいな大きな顔してそこにいるのか?・・マカ不思議だった。
《α》1988年に富士銀行から出向できて小堀住研(株)では何の功績も残していないにもかかわらず常務取締役・東部営業本部長にならせてもらった増田和二は、『有価証券報告書 小堀住研(株)』によると富士銀行のどこだったかの支店の支店長を2年ほどちょろっとやったという男だったようだが、見た目も人との対応もしっかりした感じではなく、「(東部営業)本部長、頭、ぼけてる」と従業員の間で言われていた。最終学歴は東北大学法学部卒ということだったが、東北大学という大学を「旧帝大」だからということで、東大・京大・阪大の仲間と思っている人がいるが、実際には、宮城県の仙台にある東北大は岩手大・福島大・山形大の仲間・・という性格の方が強い。慶應大学商学部の教授で、講義の中で、東北大学卒で国家公務員をやっている人から、「あまりにも特定の大学の出身者ばかりだと組織が膠着してしまうところがあり、特に国家公務員には国立大学卒の人間が多いが、もっと私立大学卒の人、特に慶應大学卒の人に来てもらいたい。慶應大卒の人は実によく伸びる」と言われた・・と話されたことがあったが、その教授が「旧帝大卒の人だって悪くないでしょ」と話したところ、「ところが、東北大とか旧帝大卒の人には『伸びきったパンツのゴムみたいな人』というのがいるんですよ」と言われたという。「大学に入るところか大学を卒業するところで止まってしまって、もう、そこから伸びない人というのがいる」と言われたそうだ。増田和二を見て、その教授が言われた言葉を思い出した。増田和二なんかは、「この人、ほんとに旧帝大系国立大学卒なのお?」という感じがした。富士銀行に入社した時点で「伸びきったパンツのゴム」みたいに止まってしまった男で、富士銀行で支店長を2年ほどちょろっとやったものの、富士銀行では、この人は「もう要らない人」と認定されて、それで小堀住研(株)をゴミ箱かわりとして小堀住研(株)に送りつけられた・・・みたいな感じの男だった。
私は大学4年の時に、その頃は東京駅の丸の内側の丸の内ビルの中にあった中国銀行(岡山の中国銀行ではなく北京の中国銀行)の東京支店に会社訪問に行ったことがあったが、その際に会ってもらった方は三井銀行から出向で「顧問」として中国銀行東京支店に来ていた方だったが、慶應大学経済学部卒の方で、同じ大学の出身ということで同社と関係のないことも聞かせてもらったのだが、「この人、けっこう年齢はいっているようだけれども、しっかりしてるなあ」という印象を受けた。だから、「銀行から出向できた人」と聞いた時、最初、私はその方を思い浮かべたのだったが、富士銀行から出向で小堀住研(株)で来ていた増田和二などは、その三井銀行から中国銀行に「顧問」として出向していたMさんとはまったく違った。なぜ、そこまで違ったか・・・というと、それはまず第一に「外資の銀行が日本で支店をもってやっていく上で、三井銀行にお願いして顧問として来てもらっていた人」と「富士銀行に株を持たれたことから、富士銀行から『富士銀行では要らない人』と認定された人をゴミ箱がわりとして小堀住研(株)に送りつけられた人」との大きな違いだったのではないか。「お願いして来てもらった人」と、そうではなく、「銀行から送りつけられて、高い役職をつけさせられた人」との違いというのは、これは、やはり、相当大きかったようである。
中国銀行で会ってもらったMさんは、過去にヨーロッパ系の外資系銀行に「顧問」として勤務したこともあったそうだが、外資系の銀行が日本に支店を持ってやっていくために、日本の銀行にお願いして「顧問」として来てもらった人と、銀行に株を持たれたことから有無を言わさず銀行から送りつけられた役立たずとでは、大きく違うのは当然だったようだ。佐藤優『国家の罠』(新潮文庫)および佐藤優氏がモデルの憂木護という人物の話『憂国のラスプーチン』では、外務省の西郷さんだかが「有能でやる気がある人と、有能だがやる気がない人と、無能でやる気がある人と、無能でやる気がない人と、この4種の人間で組織にとって最も害があるのはどのタイプだと思うか」と佐藤優氏に言い、佐藤優が「無能でやる気がない人でしょうか」と言ったところ、「ブー」と言い、「そうじゃないの。無能な人はやる気がない方がいいの。一番、害があるのは『無能でやる気がある人』」と言われたという話が出ている。2011年の福島第一原発事故の後、週刊誌に載っていた話では、東京電力の社長の某さんは、いつも、社長室で一日中、仕事しないで哲学書を読んでいるという話で、かつて、憲法学者だった黒田良一が大阪府知事だった時、府議会が紛糾してどうにもこうにもならないという時に、黒田さんはどこ行ったんだ・・と探したら、知事室で一人でテレビで『水戸黄門』見ていた・・という話が新聞に載っていたのを見たことがあるが、増田和二も余計なことしないでおとなしく「常務室」にでもこもってコーヒーでも飲みながら、テレビで『水戸黄門』でも『遠山の金さん』でも『大岡越前守』でも見るか、哲学書でもエロ本でも見るかしていてくれた方が従業員にとってはありがたかった。実際のところ、増田和二は「仕事の邪魔」だった。「入院療法」を受けてもらって座敷牢にでも入っていただいた方が一般従業員としてはありがたいところだった。

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―(新潮文庫) - 佐藤 優
《 α 》又、私が高校を卒業した1970年代後半あたりにおいては、法学部と経済学部・商学部・経営学部では、国立大学は法学部の方がいくらか入試の難易度が高かった。東大などは民間企業よりも公務員を目指す人が多い大学だからということもあっただろうけれども、慶應大は「慶應の経済」が看板学部だったが、国立大学の場合は法学部の方が経済学部よりいくらか難しい所が多かった・・のだが、公務員になるなら法学部の方が経済学部・商学部・経営学部よりいいかもしれないが、民間企業の場合はそうでもなく、経済学部・商学部・経営学部の方が役立つものはあると感じたし、特に商学部的発想・マーケティング的発想というものが東北大法学部卒だという増田和二にはまったく見られなかった。私は、たとえ、経済学部・商学部卒でも会社という所に勤めたなら「法学部的発想」も身に着けるべきであるし、法学部卒でも「商学部的発想」というものを身に着けるべきものであると思い込んでいたのだが、増田和二の場合は「商学部的発想」というものは微塵も感じられない男だった。
1989年に太陽神戸銀行から出向できて、小堀住研(株)ではまったく何の功績も残したわけでもないのに、いきなり、常務取締役・西部営業本部長になった大野は「銀行に借金があるからではないんです。あくまで、人材が不足しているから来てるんです」と言ったのだが、もしも、「人材が不足しているから」なら、なにゆえ、銀行からばかり来るのか? ・・・うちの父親の勤め先では、やはり、「人材が不足している」と社長は考えたようだったが、それで、けっこう大企業だったが経営がうまくいかなくて倒産した会社とかに勤務していた人とかで自社に採用すると役立ちそうな人を中途採用で採ったりしていた。そういうことならわかる。しかし、小堀住研(株)の場合は、太陽神戸銀行から出向できて、いきなり常務取締役・西部営業本部長になった大野は「銀行に借金があるから来ているのではないんです。人材が不足しているから来ているんです」と言うけれども、なんで、銀行からばっかり来るんだ? そもそも、銀行というのは、そんなに「人材」があり余っているのですか??? とりあえず、そのへんの銀行に行って見て、「有能な人材」がその辺にごろごろ転がっていると思うか? 「バッカじゃなかろかルンバ♪」みたいなおっさん、いてないか? たとえ、銀行に「有能な人材」がいたとしても、そんなに「有能な人材」なら自分の所で使わないか?
大野が「銀行に借金があるわけではないんです。小堀住研(株)は無借金経営なんです。借金があるから銀行から来てるのではないんです。人材が不足しているから来てるんです」と、私が「銀行から取締役として来られたというのは、銀行に小堀住研(株)が借金があるということでっしゃろ」なんて一言も言っていないにもかかわらず、言い訳みたいに言うのだったが、それを聞いて私が思ったのは、慶應大学商学部の「会計学総論」という講義で、教授が会計帳簿のつけ方によって、利益が出ているのにたいして利益が出ていないように見せたり、逆に利益が出ていないのに利益が出ているかのように見せたりするということは、実際問題としてできるという話をされたことがあったのだが、それを思い出した。
それとともに、「転換社債」というものを思いついた。「転換社債」というのは、会社が一般人に社債を売るのだが、社債ということは借金であり、期間が満了すると会社はそのカネを返さないといけないものであるが、「転換社債」というのは、購入者は満期時にカネで受け取るのか、その会社の株で受け取るのか選ぶことができる。株で受け取ったならば、会社はカネを返す必要はない。転換社債は社債であった時は借金だから「他人資本」だったカネが、満期に株で受け取ると、株は「自己資本」であって借金ではないので、借りたカネを返したわけでもないのに、あ~ら不思議、あっと言う間に「自己資本」・・・て、なんだか魔術みたいだが、現実にそうなるのだ。さらに、「転換社債」なんて、まわりくどいことする必要もないのではないか。最初から株を買ってもらえば、カネだけもらって「自己資本」、「無借金経営」ということになるではないか!
伊藤 真(いとう まこと)『講義再現版 伊藤 真の会社法入門』(2019.10.5.日本評論社)には次のように書かれています。
《 一番手っ取り早いお金の集め方は、会社が銀行からお金を借りる方法です。でも、この方法では、会社は、あとで銀行に利息を付けて借金を返さなければならないので、会社にとって負担が重い資金調達方法なのです。そのため、短期であれば有効といえますが、新しい工場をつくるための設備投資といった、比較的長期間で多額の資金調達には向いていないのです。
では、会社が返さなくてもいいお金の集め方はないのでしょうか。そんな調子のいい方法はあるのだろうかということですが、あるのです。新たな株主を募集して出資を募ればいいのです。集まったお金は出資金ですから、期間が経つと返還しなければならないというものではありません。株式会社の場合、このようにしてお金を集めることができます。これを新株の発行といいます。 》
《 多額かつ長期の資金調達は、普通の借入れの方法では難しいものです。そこで、会社にとって重要なのは、新株の発行・自己株式の処分と社債の発行による資金調達です。このうち、新株発行と自己株式の処分とは、その経済実態は同じものであることから、会社法では、募集株式の発行等という概念を使って一元的に規律しています。》
《 このように社債と株式とはよく似ています。しかし、会社は、社債に対して払い込まれた資金は期限には返済しなければならないのに対して、株式の割当てに応じて払い込まれた資金は返済する必要がありません。ここがもっとも大きな違いです。
また、両社は、会社に対していかなる権利を有しているかといった点においても違います。すなわち、社債は会社に対する債権にすぎないことから、社債権者は単なる債権者にすぎず、会社の経営に一切関わることができません。 これに対して、株式には、株式会社の社員たる地位に基づくさまざまな権利が含まれています。したがって、株主は、株主総会に出席して議決権を行使したり、議案を提出したりして、株式会社の経営に参加することができるのです。》

伊藤真の会社法入門 講義再現版 - 伊藤 真
その頃の小堀住研(株)の実態は、もう、ここにすべて書かれていますね。『会社四季報』(東洋経済新報社)・『会社情報』(日本経済新聞社)や『有価証券報告書 小堀住研』を見ると、はっきりと出ていたのです。上位の大株主は誰か。2代目社長で初代社長の小堀林衛の「甥っ子」と言っていたけれども実際は「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があった中島昭午の名前がありましたが、他は銀行ばっかり。そして、銀行の中で一番上に名前があった銀行、銀行の中で持株比率が最も高かったのが富士銀行だったのです。
伊藤塾長も書いていますね。《社債は会社に対する債権にすぎないことから、社債権者は単なる債権者にすぎず、会社の経営に一切関わることができません。これに対して、株式には、株式会社の社員たる地位に基づくさまざまな権利が含まれています。したがって、株主は、株主総会に出席して議決権を行使したり、議案を提出したりして、株式会社の経営に参加することができるのです。》と。 富士銀行(現 みずほ銀行)とか太陽神戸銀行とかは、《株式には、株式会社の社員たる地位に基づくさまざまな権利が含まれています。したがって、株主は、株主総会に出席して議決権を行使したり、議案を提出したりして、株式会社の経営に参加することができるのです。》ということで、役立たずを何人も小堀住研(株)に送り込んでいたのです。そうやって来た人の中に「有能な人材」も中にいたかもしれませんが、たとえ、「有能な人材」がいたとしても、その人の「忠誠心」は銀行の方を向いていて、決して小堀住研(株)の方を向いていないのです。そういう「人材」を大量に送り込まれていたのです。もしも、「借金」であったなら、《社債は会社に対する債権にすぎないことから、社債権者は単なる債権者にすぎず、会社の経営に一切関わることができません。》のに対して、《株式には、株式会社の社員たる地位に基づくさまざまな権利が含まれています。したがって、株主は、株主総会に出席して議決権を行使したり、議案を提出したりして、株式会社の経営に参加することができるのです。》ということで、「株式会社の経営」に口出すのです、銀行が。それで、銀行から「人材」が来ていたのです。大野は「ナマ言うんじゃねえ」てところです。「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」てところです。
銀行から出向で小堀住研(株)に来ていた人というのは、取締役の半分・監査役の半分・・というと、相当多いのですが、私は、最初、それだけだと思い込んでいたのでした・・・が違った。そうではなく、取締役未満の人間でも「銀行から来た人間」というのがけっこういたようなのです。かつ、そういう人というのは、その人の身の程よりも高い役職につけてもらっていたのです。 こうなると、最初から小堀住研(株)に入社して「会社のために」「滅私奉公」を繰り返した者としては面白くありません。
銀行から出向で小堀住研(株)に来た人間というのは、その銀行では他の従業員に対して特別に有利な立場ではなく、一従業員の立場であって他の従業員と対等です。しかし、銀行から小堀住研(株)に出向で来ると、小堀住研(株)においては最初から小堀住研(株)に入社した従業員に対して支配的立場になり、支配的態度、特権階級としての態度を取るのです。いわば、「上級国民」「上級従業員」の態度をはっきりと取るのです。 一般従業員は「銀行から来た男」の奴隷にされる義務があるのでしょうか? 一般従業員を「銀行から来た男」は奴婢として扱う権利があるのか・・というと、そんなものは人権侵害であるはずだが、ところが、「銀行から来た男」たちはそれが自分たちの「当然の権利」だと心の底から思っている。
銀行から出向できた従業員というのは、最初から小堀住研(株)に入社した従業員に対して、いわば「大株主のバカ息子」の態度をはっきりと取るのです。・・・こうなってくると、そんな会社、最初から小堀住研(株)に入社して、「会社のために」「滅私奉公」を続ける従業員からすると、あほくさい、やってられるか!!!・・・という会社になってきます。となると、そんな会社というのは・・・、
「おまえは、もう・・・、死んでいる」
という状態に近い会社となります。
※ 《YouTuveー【公式】北斗の拳 第1話「神か悪魔か!? 地獄にあらわれた最強の男」》https://www.youtube.com/watch?v=gplh7VWmsng
・・実際、小堀住研(株)は1989年に初代社長でその時は相談役だった小堀林衛が他界した後、1990年に「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい中島昭午が会社名から「小堀」を取り除いて「エスバイエル(株)」というよくわからん名前に名称変更した後、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」などとアホなことをあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりしまくって、そして、「高級住宅の小堀」として得た評判・評価をドブに捨てて、そのうち、富士銀行から出向できた男が破産管財人みたいな代表取締役・社長に就任して、大阪駅前の一等地の本社ビルを売り飛ばすなどして、富士銀行は「取れるだけとって去った」ようで、そうすると、「借金があるから来ているのではないんです。人材が不足しているから来てるんです」というはずだった銀行から出向で来ていた取締役はいっせいにいなくなり、その後、積水ハウス(株)から来た男が社長になったというのは、積水ハウス(株)はかつて在来木造のトーヨド建設を買収して積水ハウス木造(株)にしてそれを積水ハウス(株)に組み入れて木造部門としたように、小堀住研(株)↓エスバイエル(株)も買収することを検討して偵察要員としての社長を送り込んだのかと思ったが、積水ハウス(株)はマイナスのイメージがしみついて「エスバイエル(株)」なんか買収しても「うまみがない」と判断したのか、積水ハウス(株)から来た社長も去り、その後は松川という大阪工大卒の男が敗戦処理みたいな社長になって敗戦処理は敗戦処理としての役割を果たしたのか、きっちりと倒産して、倒産した会社をヤマダ電機が「いぬき」で買い取って、(株)ヤマダエスバイエルホームとし、その後、やはり、ヤマダ電機が「いぬき」で買い取った「リフォームのナカヤマ」と一緒にして(株)ヤマダホームズとして、いくらかなりとも評価される可能性が残っている「小堀の家」という名前は(株)ヤマダホームズは復活させて、逆にマイナスのイメージしかない「エスバイエル」という名称は会社名からも消した。ヤマダ電機は「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかよりは賢いようだ。
( γ )入社式の後、太陽神戸銀行から出向で来て、戸建住宅建築業の経験なんてまったくないにもかかわらず、いきなり「常務取締役」「西部営業本部長」にならせてもらった大野が言った「小堀住研は借金があるから銀行から人が来ているのではないんです。人材が不足しているから来ているんです」というのは、やっぱり、嘘だった。もしも、「人材が不足しているから銀行から人が来ている」のであれば、富士銀行出身の破産管財人みたいな代表取締役・社長が大阪駅前の本社ビルを売り飛ばすなどして「取るだけ取って」去った後も銀行から来た取締役・監査役は残っていいはずだったが、破産管財人みたいな富士銀行から来た社長が去ると同時に、「銀行から来た取締役」「銀行から来た監査役」は全員が瞬時に消えていなくなった・・ということは、やっぱり、「融資」でなくても「出資」を受けていたか両方かであったから、だから、「銀行から来た取締役」「銀行から来た監査役」が大量にいたということだろう。・・それにしても、太陽神戸銀行から出向で来た大野は、私の方からは「銀行から来た人」が多いということなんて一言も話していないのに、なんで、わざわざ、「小堀住研は無借金経営の会社です。銀行から人が来ているのは、あくまで、人材が不足しているから来てるんです。借金があるから来てるのではないんです」などと、嘘をつくのだろうなあ?!? 業種にもよるが、銀行という業種は、そういう嘘をつくやつというのは「信用できないやつ」という評価を受けて銀行業としてはマイナスではないのか・・と思うがなあ・・・( 一一)
「無借金経営」は必ずしもいいとは言えない。「借金だらけの会社」がいいということではないけれども、借金ならば、債権者は貸したカネを返せと言うだけであるのに対して、株を持たれてしまうと、その会社の仕事なんてちっともわかっていないだけでなく理解しようという意思もなく、その会社をよくしたいという気持なんて毛頭もっていないヤカラが銀行から大量に送り込まれてくるということになる。かつ、そういう連中は、そのまま、銀行にいた場合の役職よりもひと回りか二回り高い役職を小堀住研(株)では獲得して、小堀住研(株)に最初から入社した一般従業員を人格的に支配しようとする。いわば、「銀行から来た男」は「大株主のバカ息子」の役割を小堀住研(株)に来て一般従業員に対しておこなうのである。そういう人間というのは、一般にあまり賢くないので、自分がそういうふるまいをおこなっているということを自覚できていない人がいる。「精神医学」用語で表現するならば「病識がない」人間である。銀行に入社する時点では「普通の従業員」である者が小堀住研(株)に銀行から出向で来ると「特権階級従業員」になり、最初から小堀住研(株)に入社した従業員より働かないくせして特権を主張し行使するのです。そんな人間が、取締役未満でもいたのです。銀行に食いつかれた会社というのは、いわば、がん細胞に犯された人間みたいなものです。「無借金経営」というのは、実態としてそういうものだったのです。銀行に借金がなかうて株も持たれていないのならいいのですが、株を銀行に持たれるというのは銀行に借金があるよりも始末に悪いところがあったのです。最初、『会社四季報』『会社情報』で小堀住研(株)の上位の大株主は、二代目社長の中島昭午の他は銀行など法人であるのを見て、未上場の会社でオーナー一族が上位の株主を占めている会社よりもいいのではないかと思ったのでしたが、 「銀行からきたバカ息子」に支配される会社というのは「オーナー一族のバカ息子」とどっちもどっち・・・みたいなところがありました。
私が小堀住研(株)に入社した時、私の父親の勤め先と小堀住研(株)は共通点がいくつかありました。
(1) どちらも社長は2代目、
(2) 大阪発祥で大阪に本社があり、
(3) 大阪駅から遠くない場所に本社ビルを持っている、
(4) 知っている人は知っているが知らない人は知らないという程度の知名度、
(5) 従業員数千人少々
・・といったあたりは共通していて、違いというと、
(1) 小堀住研(株)は一応、「一部上場」だったのに対してうちの父親の勤め先の会社は未上場だったこと、
(2) うちの父親の勤め先の2代目社長は東大卒だったのに対して、小堀住研(株)の2代目社長は高卒だった。
(3) そして、小堀住研(株)は1990年にエスバイエル(株)と名称変更した後、株価はどんどこ下がり、あっという間に倒産して、ヤマダ電機に買収されたが、うちの父親の勤め先の会社は、ともかく一応、今もある。
《 A 》それで、私は小堀住研(株)の方が上場している分だけ「少しだけ上」かと思って応募して入社したのでしたが、入社してみると、私はうちの父親の勤め先の会社にアルバイトとして勤めたこともあったのですが、たとえ上場していても、小堀住研(株)の方が下みたいやなあ・・・と思うようになったのでした。うちの父親もまた、小堀住研(株)の人事部長の高田を見て、「あんな男が人事部長なのか」と言って、「小堀は上場している分だけうちの会社より少しだけ上かと思ったけれども、人事部長を見ると、そうではなく、うちの会社よりも下だな」と言ったのだが、私もそう思った。人事部長というのは、旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部で労働法・会社法などを学んできた者か、商学部・経営学部で労務管理論・労働経済学などを学んできた者か、文学部・教育学部で心理学・教育心理学などを学んできた者かが大学卒業後に、会社員としての経験を積んで、自分が専門として学んだもの以外も身に着けた上で就任する仕事のはずだと私は思っていたのだったが、高田の場合はそうではなく、「単なる下品で程度の低い高卒のおっさん」であり、曲がりなりにも「一部上場の会社」で「従業員数千人超の会社」の人事部長にこんな人間がなっているのかあ??? と疑問符が最低でも3つ以上はつくような男だったし、そもそも、「小堀住研(株)は大卒しか採らない会社」のはずなのに、なんで、「高卒のおっさん」が人事部長やってるんだ???・・・という状態だった。本来、人事部長というのは高田みたいな人間がなる職種とは違うだろお~お・・・と私は思ったのだった・・・が、その後、何社かの会社とかかわりを持ってみると、「ええ~え? こんな人が人事部長やってるのお~お?」という会社は日本にはけっこうある( 一一) ・・ということがわかったが、それにしても、小堀住研(株)は「なんか、思っていたよりもずいぶんと下の会社だなあ」という印象だった。なおかつ、その「単なる高卒のおっさん」の人事部長が意図的にえらそうにしようとするのだが、そのあたりもまた、「なんか、程度の低い人間が人事部長になってる程度の低い会社やなあ」という印象だった。
《 B 》1990年3月31日、千葉県松戸営業課にいた私に、東京支店自由が丘営業課に転勤してくれと小堀住研(株)は言ってきた。会社員として「総合職」「全国社員」として入社したはずだったし、慶應大学商学部卒の卒業証書を取得した時から、「一般職」「地域限定社員」というものは希望してもありえない、「総合職」「全国社員」として採用か不採用かどちらかだと思っていたので、転勤してくれと言われれば転勤するけれども、千葉県松戸市は東京都葛飾区との境目にある市であり、東京支店でも、葛飾区あたりにある展示場の営業課に勤務してくれという話なら、「きょう言って明日から」という転勤も「好ましいことはないが可能」であろうけれども、自由が丘営業課というのは、住居表示としては東京都目黒区大岡山、電車の駅では東急東横線「都立大学」「自由が丘」・東急大井町線「緑ヶ丘」・東急大井町線目蒲線「大岡山」の中間くらいの場所の総合住宅展示場の中にあった。だから、私は松戸営業課長の石井(男。当時、30代なかば)に「いつからですか」と尋ねたのだが、石井は「明日から」と言うのだが、「それは無理ですね。松戸展示場から千葉支店内の柏展示場に移るとかであれば、『きょう言って、あしたから』ということも可能かもしれませんけれども、流山市に住んでいて松戸市の展示場に勤務している者に、きょう言ってあしたから東京都目黒区の展示場に勤務しろと言っても無理でしょ。いつから行けばいいのですか」と私は言ったのだ。居住地変更を必要としない転勤ならば、その頃、たとえば、葛飾区の金町に総合住宅展示場があったが、小堀住研(株)は金町の総合住宅展示場には出展していなかったが、もしも、金町の総合住宅展示場に出展していて、松戸展示場から金町展示場に転勤ということならば、居住地を変更することなく勤務することは可能なので、転勤はあらかじめ前もって伝えるのが好ましいけれども、「あしたから」でも勤務できないことはない。しかし、居住地変更を必要とする転勤を「あしたから」とはそれは非常識である。
《 C 》又、1989年7月1日からの辞令で千葉支店長に赴任した渡辺士直は、実際には7月の下旬になってやっと千葉支店に赴任した。会社員というものは、転勤してくれと言われればさっさと移るべきものであり、辞令から長々と移らなかった渡辺士直は、その点においてペナルティーを課されてもおかしくないものであった・・が、渡邊士直がいつ転勤を伝えられたのかはわからないが、もしも、7月1日からという辞令を7月1日に受けたのであるならば、「きょう言われてあしたから」は無理ですというのはわかる。それでも、7月の下旬になってやっと赴任したというのは遅いが、居住地変更をともなう転勤の場合に少々日程が必要というのは当然のことである。
私も、もしも、1990年4月1日から自由が丘営業課に勤務してもらいたいということならば、2月の終わりくらいに「内示」ででも伝えておくべきであり、それをしないで3月31日に伝えて「あしたから」と言うのは、それは非常識であるとともに、そういった転勤をしろと言うのは人権侵害である。法律論としては、民法第1条 の 第2項に《権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。》とあり、会社・使用者は従業員に人事権があるといえども、その《権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に》おこなうことが必要であり、居住地変更を必要とする転勤を3月31日の午後に言って、「あしたから」というのはそれは許されない。 「信義則違反」と評価される。 又、会社は従業員に対して公平でないといけない。1989年7月1日からという辞令を受けておきながら、7月の終わりまで千葉支店に赴任しなかった渡辺士直にはそれを認めておいて、私に対して3月31日の午後に言って「あしたから」などというものは認められない。「公平性の欠如」と評価される。
会社の人事・総務関係の従業員は、それぞれの従業員が、こういった人権侵害の転勤、信義則違反の転勤、公平性の欠如の転勤をさせられることがないように、きっちりと配慮しなければならない。そういったことをきっちりと配慮するのが、それが人事・総務関係の従業員の仕事であるはずだ。
《 B 》私は、千葉支店松戸営業課の課長の石井に、居住地変更を必要としない転勤ならば「きょう言ってあしたから」というのも不可能ではないが、「居住地変更を必要とする転勤」であるにもかかわらず、3月31日の午後に言って「あしたから」というのは非常識であり、妥当な日程を示してもらいたいと言ったのだが、それでも、石井は「あしたから」と言ってきかなかったのだ。私は石井に「石井さんは松戸営業課の課長ですよね。課長ならば、自分が課長の営業課の従業員に辞令が出されたのであれば、松戸営業課から柏営業課への辞令とかなら、きょう言ってあしたからということも可能としても、千葉支店の松戸営業課から東京支店の自由が丘営業課へきょう言ってあしたからというのは非常識だというくらいわかりますよね。課長として『それは無理でしょ』と言われないのですか」と言ったのだが、「言わない」と石井がいい、「なぜですか」と私が言っても、石井は「なんでも」などと言うのだった。それで、営業課長というのでは課長として情けない。石井は最終学歴は高卒の人で、小堀住研(株)は「営業系」(営業・人事・総務・経理など)は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というのが応募条件だったはずだが、「技術系」(設計・工務・工事・アフターサービスなど)は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」が応募条件で、建築学科卒でも営業をやりたいという希望で「営業系」に入社した人も現実にあって、石井の場合は最終学歴は高卒でも一級建築士の資格を取得していた人だったので、それで、《「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」に準ずる》という評価で入社した人だったのではないかと思われたが、たしかに、設計事務所に勤めて設計の仕事についていたこともあったそうで、小堀住研(株)の営業課長の中では建築の技術系的なことについてはわかっている方の人で、又、「人に教えしぶることなく親切に教えてくれる人」で、私もいろいろと教えてもらったのだったが、しかし、やっぱり、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」とは同じではなく、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」なら持っているであろう・持っていなければならないとされる知識・認識に欠ける人だった。私が石井に「石井課長は、それを、いつ言われたのですか」と言ったところ、「きょう、言われた」と言うので、「それで、石井課長は、課長として『居住地変更を必要としない転勤ならば、きょう言ってあしたからということも可能であっても、居住地変更を必要とする転勤を、きょう言ってあしたからというのは非常識で、もうちょっと日程を考えてください』とは言われなかったのですか」と言ったのだが、石井は「言わない」と言い、「どうして言われないのですか。石井さんは松戸営業課の課長ですよね。課長なのに、どうして言われないのですか」と言ったのだが、それでも石井は「言わない」と言い、「どうしてですか」と言っても、「なんでも」と言い、前々から石井はそういった態度であり、たしかに一級建築士で設計事務所に勤めて設計をやっていたこともある人だけに建築・住宅の仕事についてはよく知っている・わかっていて、又、人に教えることを嫌がらないで教えてくれる人だったけれども、こういった法学部的発想・商学部経営学部的発想を期待しても無理な人であり、「会社としての常識」を期待しても、「課長であるならば」というものを期待しても無理な人だとうんざりしていたところがあったので、それ以上は言っても無理だとあきらめた。
《 D 》小堀住研(株)では、本社には人事部・総務部があったが、各支店には人事部・総務部はないかわりに「業務課」という課があって、課長の役職をもらっている従業員がいたが、業務課とはどういう業務なのかというと、各支店における人事・総務・経理はすべて業務課が担当で、業務課長というのは人事・総務についてのその支店での責任者のはずだった・・・ので、それで、千葉支店の業務課長の越智(おち)に言ったのだったが、越智もまた「あしたからと言われたのならあしたから」と、それではおまえはいったい何のためにそこにいるんだ? おまえは何のために業務課長の役職手当をもらってるんだ??? という発言しかできなかった。石井は営業課長だったから、人事・総務関係の認識が十分になくても、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の能力を発揮できなかったとしても、戸建住宅建築業の営業や設計の能力があるからということで、又、小堀住研(株)の場合は「主任」とか「係長」といった役職は存在せず、「課長」というのは「ヒラの上」でしかない役職だったので、石井の場合は営業や設計の能力があるからということで課長の役職手当をもらっているのだという言い訳もできたかもしれないが、越智(おち)の場合は業務課長であり、業務課長というのは人事・総務・経理の仕事をまとめて業務課として担当していた部署の課長であり、そういう部署の課長が、居住地変更を必要とする転勤を「きょう言ってあしたから」やってくれと言ってきた人がいたとすると、「支店が違ってもすぐ近くの展示場に勤務ということなら、『きょう言ってあしたから』でも可能かもしれませんけれども、居住地変更を必要とする転勤に『きょう言ってあしたから』というのはそれは無理ですし、会社としてそうならないようにしないといけません」と言わないといけない問題であり、言えないのでは業務課長としての仕事をしていないことになるはずであった・・・が、それでも、言えない言わないで、それで越智(おち)は業務課長の役職手当を盗っていた。
《 E 》私は、東京支店長の高倉にも、自由が丘営業課長の高橋賢一郎にも、東京支店業務課長の江間(えま)にも同様のことを言った。高橋賢一郎は福島県喜多方市出身で東京電機大学工学部建築学科卒だそうだった。私が高校生の時にはうちの父親は「東大にでも行くのなら、東京で下宿してでも行くべきやし、東大でなくても慶應か早稲田なら東京で下宿してでも行く値打ちはあるし、下宿は嫌やなんて甘ったれたこと言うておってはいかんけれども、そんなもん、法政やたら東洋大やたら専修やたら明治やたら国士館やたらポン大やたらいうようなそんなアホ大学に行くのに下宿してまで行くことあらへん。甘ったれとってはいかん、甘ったれとては。アホ大学は大阪にもあるんや。アホ大学に行くようなやつなんて、下宿して大学に行くことない。家から通える所に行くべきやし、そもそも、法政やたら東洋大やたら専修やたら明治やたらポン大やたら、そんな大学に行くようなやつなんて、なんも、大学、行く必要ないはずや。自衛隊に入れたったらええ、自衛隊に。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と言っていて、そういうのを聞いて私もそんなものだろうと思っていた。又、うちの父親は私に「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うのだった。私は「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と言ったのだったが、母は「何を甘ったれたこと言ってますのん、あんたはあ。国立大学を百パーセント絶対に通るとは限らんでしょうがあ。たとえ、0.1パーセントでも落ちる可能性があったら工学部なんか受けたらいかんでしょうがあ」と言うのだった。工学部に進学させてもらう人間がうらやましかった。1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのが何よりも自慢の女で、「私は両親が離婚したから」「私は家が貧乏だったから」と言うのだったが、うちの父親は私に「うちは文学部なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。うちは学校の先生になんかならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われ、「たとえ、学校の先生になるにしても英語か数学の先生でなかったらなってはいかん。英語か数学でなかったら家庭教師のアルバイトはできません。そやから、たとえ、学校の先生になるにしても国語とか社会科とか理科とかの先生は絶対になってはいかん」と言われたものでしたが、旧制作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」「私は家が貧乏だったから」とか言って自慢しまくりでありながら、なんで、神戸大の文学部しか行けないくせしてからに文学部なんか行ったのだ?
?
? なんで、「家が貧乏だったから」とか言いながら私なら「うちは高校の先生になんかならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われた高校の教諭になったのだ?
?
? それも、英語でも数学でもなく国語の教諭みたいなものになったのだ?
?
? ・・旧制作野礼子のやっていること言っていることは矛盾しまくりだったのだが、旧制作野礼子の言い分によると「私は両親が離婚したから」ということで「家が貧乏だったから」ということだったが、しかし、離婚した人が常に貧乏とは限らないわけで、離婚したけれどもけっこう稼いでいる人だっているので、一概に言えないのではないかとも思うのだったが、旧制作野礼子説によると、「両親が離婚した」人間というのは「家が貧乏」ということらしかった・・・が、よくわからないのは小堀住研(株)の営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎は「両親が離婚した」そうで、父親の方に育てられたそうだったが、父親は「ラーメン屋の親父」だったそうだが、喜多方市でラーメン屋というと「喜多方ラーメン」、おっ、名門、ラーメン界のブランドもん♪・・と思いそうだが、高橋賢一郎が子供だった頃は喜多方はまだ「ラーメンの街」として全国に売り出していなかった、私は「高校までエリート」だったから喜多方市の地名は知っていたが、高橋賢一郎が東京電機大に行った頃は「喜多方ラーメン」は地元以外では知られておらず、喜多方という街の存在自体を知らない人だっていたはずだった。で、その「ラーメン屋の親父」というのは大金持ちだったらしく、旧制作野礼子は「私は両親が離婚したから」「貧乏だったから」と言うのだったが、「両親が離婚した」人でも高橋賢一郎の場合はそうではなく、「東大か、早稲田か慶應に行くのなら東京で下宿してでも行けばいいけれども」東京電機大学なんてどこの馬の骨かわからんような私立大学しか行けないくせしてからに、福島県の会津地方の人間なのに、東京圏の私立大学に下宿してまで行って、国公立の大学ならともかく、東京電機大学やなんて、よっぽど大金持ちやってんなあ。 私はそんな「大学」なんて行きたいと思わなかったけれども、たとえもしも私が行くなんて行っても「ふざけんな」と言われただけだったと思われるし、うちの父親は「わけのわからん私立のアホ大学なんか行くようなやつが大学に行くのが間違ってる。自衛隊に入れてやるべきや、自衛隊に。甘ったれとってはいかん、甘ったれとっては。とってちってたあ~あ!」と言っていたものだったが、高橋賢一郎の「ラーメン屋の親父」やってた父親というのは大金持ちであって、東京電機大学やなんてわけのわからん私立大学に福島県の人間が東京圏で下宿までさせて行かせてからに、しかも、私立大学は工学部は法学部・経済学部・文学部よりもずっと高いにもかかわらず、工学部建築学科みたいなもんに行かせてからに、それでいて、そうやってまで私立アホ大学に行かせてもらったにもかかわらず、すでにその頃、高橋賢一郎は30代の後半になっていたにもかかわらず、一級建築士はおろか二級建築士も取得できていなかった・・というあたりは、やっぱり、東京電機大みたいなもんに行くようなやつというのはあかんなあ・・・、建築学科の大学を卒業すると卒業と同時に二級建築士の受験資格を得ることができるが、東京電機大学の工学部建築学科卒やなんて「カネで買ったような学歴」「カネで買ったような受験資格」の男というのは、「受験資格」があっても試験には通らんようであった・・・が、小堀住研(株)は会社案内に書かれていたものだったように記憶しているのだが、「採用実績校」として「神戸大学、新潟大学、同志社大学、関西大学、甲南大学」だったかそのように書かれていたはずで、「東大・京大以外の十大国立大学」から1校、「地方国立大学」から1校、「関関同立」から2校、「関関同立の次くらいの関西の私立大学」で1校が「採用実績校」だったはずだが、なぜ、東京電機大学卒の人がそこにいるの? 東京電機大学やなんてそんな「大学」の人の勤め先やなんて夢にも思わんかったし、そんな「大学」卒の人の勤め先やなんて思って入社したのではなかったはずだが、なんで、東京電機大学工学部建築学科卒(で一級建築士も二級建築士も30代の後半になっても通らん人)がそこにいるのん??? なんでやの~ん??? 「採用実績校」に東京電機大学なんてなかったよねえ。なんで、「採用実績校」は「十大国立大学」から1校・「地方国立大学」から1校・「関関同立」から2校・「関関同立の下くらいの関西の私立大学」から1校という会社に東京電機大学卒の人がそこにおるのん? な~んでえ~え??? なんででんのお~ん???・・・と思ったものだったが、高橋賢一郎の方はそうは思わず、「ぼくのことを『うちの課長は建築士の資格は持ってませんけれども建築学科を出てますから』とお客さんに言えばいいよ」と私に言うので、はあ? そんなこと言うのん? 「ほんとに言うのですか?」と思ったものだった。1989年6月まで松戸展示場に営業が2課あった時の松戸営業一課の課長だったUさんは「私、土木学科でてますから、擁壁とかには詳しいですから、何でもきいてください」とお客さんに言い、「なにしろ、日本一の大学でてますから」と言って、「日本一て、いったいどこですのお?」ときかれて、「日大ですよ、日大♪ 学生の数が日本一なんです。日大ですけれども、土木学科でてますから擁壁とかには詳しいですから」と言って、笑いをとるとともに、土木学科でていて擁壁とかには詳しい人なんだとアピールしていたのだが、そういう話し方ならいいけれども、高橋賢一郎のように「うちの課長は建築士の資格は持ってませんけれども、建築学科出てますから」なんてそんなことをお客様に言ったならば、小堀住研(株)というのは「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と何十年も前から言いまくってきた会社で「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言いまくってきた会社なので、そういう会社で「建築学科でてますから」と自分から言ったからには、言われたお客さんが「どこの大学なんですか」と、東大・京大でなくても最低でも国立大学か早稲田大の建築学科あたりでも出ているからそういうことを言うのだろうと思ってきいたら、なんと、「東京電機大学という私立大学が、昔は小川町のあたりにあったように思うのですが、今は埼玉県の方に引越したみたいですけれどもあるみたいなんです。そこですよ」なんて言わされるとなると、「な~んや。自分から『建築学科でてますから』とそこまで言うからには、せめて国立大学か早稲田大の建築学科くらい出ているのかと思ったら、東京電機大学やなんてどこの馬の骨かわからんような、「バカでも入れる私大の建築学科」出ました出ました・・・て、なんか、レベル低いなあ~あ・・・と思われることになるのがオチであろう。そういうことを人に言わせたがる男だったのだが、高橋賢一郎としては、無試験で入れるような私立大学卒という「カネで買ったような学歴」「カネで買ったような建築士の受験資格」が自慢になるように思っていたらしかった。私なら、東京電機大学なんてそんな大学なんて、絶対に受けさせてもらえなかったところだし、ましてや、そんな私立大学に行くのに下宿してなんて行かせてもらえるわけなかったところだけれども、ラーメン屋て、もうかるんだねえ・・( 一一) で、高橋賢一郎は「(バカでも入れる私大の)建築学科出てますから」と言えばお客さんは喜ぶと信じているようだったが、小堀住研(株)では営業は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でやるという方針にしていたはずで、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の能力も認識も持たない男が、「(バカでも入れる私大の)建築学科卒」は「法学部・経済学部・商学部卒」よりも上だと人は思ってくれると思い込んでいたらしかったけれども、私が周囲を見てきたかぎり、設計や工事課の場合は別として、営業の場合は建築学科卒よりも社会科学系学部卒の人の方がお客様にとっていい営業の人が多いのではないかと思っている。・・で、「ラーメン屋の親父」というのは、東京電機大学みたいなもんしか行かれへんやつでも下宿して私立大学に行かせるくらいに大金持ちで、工学部に行かすくらいに大金持ちらしく、又、「両親が離婚した」にもかかわらず大金持ちだったようで、旧制作野礼子の言うことというのは、今となっては嘘だったのではないのか、実際はそうでもなかったのに「うちは貧乏だったから」とかギャースカギャースカ言う人というのはけっこういるし、1981年、私が20代前半の時に会った、東大病院に医者屋として勤務していたF(当時、30歳)なんかは「この僕は東京大学理科三類に現役でゆうゆうと通ったんだぞお」と叫びまくっていたが実際は帝京大学医学部裏口入学卒の男だったが、「僕は学生時代、貧乏だったから」とか言っていたのだが、アホか! 帝京大学医学部裏口入学が貧乏なわけないだろうが!!! ふざけんな!!! というものであった・・が、旧制作野礼子も実際は大金持ちだったのではないのか・・という感じがしてくるし、現実にうちなら行かせてもらえない文学部に行かせてもらっていたし、うちならならせてもらえない「学校の先生」になっていたし、うちなら「たとえ、学校の先生になるにしても英語か数学の先生でなかったらなってはいかん。国語とか社会科とか理科とかの先生はなってはいかん」ということになっていた国語の先生になっていたわけだから、私なら行かせてもらえない所にふんぞり返って行き、私ならつかせてもらえない職業にふんぞりかえってついた上で入学式の日に有休休暇とって海外旅行に行っていた。それだけでもウルトラの超金持ちだったと見做していいはずだった。「推定する」ではなく「見做す(みなす)」という判断をしていいはずであった。今から考えると、北野高校の教諭というのは勝手なこと言うやつが多かった・・と思う。それで、「バカでも入れる私大の建築学科」卒で、「バカでも入れる私大」だけに、建築士について「カネで買ったような受験資格」を取得しても、「やっぱりあかんなあ」て感じで30代の後半になっても二級建築士すらも合格することができない男だった・・のだが、ましてや、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と同じような能力・認識は持っているわけがない男だった・・・が、それでも、営業課長の役職手当を受け取っていたのであるから、「居住地変更をともなう転勤の場合は、『きょう言ってあしたから』というのは、それはだめですよ。そういう転勤は日本の社会で通じるものではありませんよ」と会社に言わないといけないし、言えないのでは営業課長と言えないし、課長の役職手当を受け取っている価値はないことになり、課長の役職手当の分の働きをしていないことになる・・・が、そういう男だった。
《 F 》松戸営業課長の石井が「とりあえず、あした、東京支店に朝、行って話して」と言うので、東京支店長の高倉にも「いつから赴任するようにすればいいですか」と言ったのだが、高倉は「だから、きょうから」と言うので、「ですから、居住地を変わらなくても勤務できる場所への転勤なら、『きょうから』でもいいとして、居住地を転居しないと勤務できない場所への転勤ですから、いつから赴任するようにすればいいのですか」と再度言ったのだが、「だから、きょうから」と高倉は言い、「いったい、どうやって、きょうから勤めればいいのですか」と言っても、「だから、きょうから勤めるようにしてくれ」と言うのだった。高倉は営業としては、服装はきっちりとした格好をしていて、格好を見ると支店長みたいに見える男だったが、話せば話すほど、つきあえばつきあうほど、「やっぱり、高卒の支店長やなあ」というのがわかってくる人、だんだんと「お里が知れてくる」男だった。
《 G 》東京支店の業務課長になっていた江間(えま)にも話した。江間(えま)は業務課長であり、業務課というのは各支店における人事・総務・経理の仕事であり、千葉支店の業務課長の越智(おち)とともに、業務課長というのは支店における人事・総務・経理の課長であるから、従業員が転勤する場合には支障なく転勤できるように配慮するのが仕事であるはずであり、又、江間は1989年6月まで千葉支店の業務課長だったのが、1989年7月から東京支店業務課長に転勤したのだが、江間自身、「きょう言われてあしたから」というような移動はしていなかったのだ。自分は「きょう言われてあしたから」というような転勤はしていないにもかかわらず、私が「4月1日から東京支店自由が丘営業課勤務という辞令ですが、実際はいつから赴任するようにすればいいですか」と言っても、「きょうから」と言い、私が「ですから、できるだけ早く移るようにしたいとは思いますが、居住地を変わる必要がない転勤なら『きょうから』でも可能でしょうけれども、住居を移らないと勤務できない場所への転勤ですから、ですから、いつまでに移るようにすればいいかと言っているんです」と噛んで含めるように話したのだが、それでも、江間は「きょうから」と言ってきかなかったのだ。江間は給料返した方がいい。江間は業務課長としての仕事を果たしていない! 江間は業務課長としての能力があるとは思えない。業務課長の能力はなくて、業務課長の役割を果たす意思がない男が、なぜ業務課長の役職手当を盗っているのだ?
?
? この給料泥棒は。
《 G 》江間は、私が千葉支店松戸営業一課に配属になった時、千葉支店の業務課長で、新宿のセンタービルまで迎えにきたのだったが、その際、私ともうひとり、千葉支店船橋営業課に配属されたMとに、「ぼくは法政大学法学部」と、きかれもしないのに自分から「ちょっと自慢」みたいな感じで口にしたのだった・・が、「法政大学法学部」なんて自慢しようと思っても誰も自慢だなんて思わないし、そんなもの、自慢する人間なんてないだろうと思ったのだったが、その後、小堀住研(株)の千葉支店に所属の人が「ぼくは、大学は◇◇大学の☆☆学部を出たんですけれども」と自己紹介してくれた際の話し方と比べると、江間の話し方には、やっぱり、「ちょっと自慢」みたいなニュアンスがあった。法政の法学部なんて「ちょっと」でも「たんと」でも自慢するような人間なんておんのんかい?・・・と思ったけれども、「世の中いろいろ、人間いろいろ」でおるみたいやった。しかし、「ちょっと自慢」するのなら、たとえ、法政大でも法学部卒ならば、法的思考というものがあっていいはずだ。法的に考えるならば、居住地変更を必要とする転勤をしてくれと言うのに「きょう言ってあしたから」というのは無茶であり無理であり、法律論としては民法第1条第2項「信義則違反」に該当するものであり、又、1989年7月に千葉支店長に渡辺士直が赴任した時と比較しても、同時期に江間が東京支店業務課長に赴任した時と比較しても明らかに「公平性に欠ける」ものであり、会社は従業員に対して公平でないといけないものであり、そのような不公平な扱いというのは支店における人事・総務に該当する業務課の課長として是正しなければならないはずであり、是正できないのであれば業務課長としての役割を果たしているとは言えない、業務課長としての役職手当の分の働きをしていると言えないことになる、ということくらいわかっていいはずである・・・が、放精の呆学部卒の男には、その程度のことも理解できなかったようであった。江間は「大卒」を名乗るのはやめた方がいいと思う。江間は「法学士」を名乗るのはやめた方がいいと思う。「法学士」の能力もないくせしてからに「法学士」を名乗るのはあつかましい。又、小堀住研(株)では職能級位として、最終学歴が大卒の人には最終学歴が高卒の人より月何千円か高い基本給を支払っていたはずだが、江間は大卒に値する知識・認識・対応能力を持たない人間であるのだから、高卒と大卒の職能級位の差額分を過去にさかのぼって返上するようにした方がいいだろう。
《 H 》本社の人事部の課長の賀満さんにも話したのだが、特に、住宅建築業の営業は労基法違反なんて当たり前みたいな状態で、長時間、かつ相当遅い時刻まで働く仕事で、終電が無くなるくらいまで働くことはよくあることで、又、入社直後の合宿研修の時に来た神戸支店の営業の某さんが「お客様宅に行って話をして、遅くまででも話せば契約になると思ったら、とことんやります」と話し、「今まででは、夜2時まで話したことあります」と言い、「それ、翌日、三井ホームの営業が夜3時まで話してやられたんですけどね」と話したこともありましたし、お客様宅に行って商談して、もしも、どんなに深夜まででも商談を勧めれば契約になるという状況ならば深夜まででも翌朝まででも商談するという仕事であり、その為には自分のクルマで行くようにしないといけない仕事で、その時の私の場合は自動車の運転免許はかなり前に取得していたが自家用車の運転は慣れていなかったので、展示場までなんとか自動車で通える場所に住んで、最初は通勤に乗って、そこから乗れる範囲を広げていくようにする必要があったが、自由が丘というのは、「この漫才で田園調布に家が建つ」という漫才があったような場所であって借家の家賃も安くない地域で、そこで家賃と駐車場代を払える所を探さないといけない、又、不動産屋からは「駐車場があるからその近くでアパートを探してくれと言われたら探せるけれども、アパートと駐車場を探してくれと言われたらなかなかない」と言われたように、月極駐車場がなかなかない場所で苦労していて、それを賀満さんにも話したのだったが、それに対して、「町田の寮に住んだらどうやあ」と賀満さんが言うので「町田の寮までは片道2時間半くらいかかりますから問題外ですよ」と言ったところ、「きょうび、2時間半くらいかけて通ってるでえ」などと賀満さんから言われたので、その一言については馬鹿にされたということがよくわかった。よく、そういう口をきくと思う。もっと、「九時五時の仕事」「毎日定時に帰れる仕事」についているのなら、「終電なくなる時間まで客宅で商談するようなことはない仕事」についていて、かつ、自宅が遠方で自宅からどうしても通いたいというような人が片道2時間程度かけて通っているというケースは中にはあるだろうけれども、小堀住研(株)の営業の仕事はそんな仕事ではない、ということくらいは人事部の課長で小堀住研(株)では営業の仕事はしていなかったとしても、そのくらいは賀満さんも理解できたはずであり、理解できていたにもかかわらず、そういったことを言うというのは、その部分については馬鹿にされたということだった、と考えるしかなかった。
実際、いったいどうしろと言うの? ・・・何も転勤しないと言っているのではないのです。転勤してくれというのなら、何日から移ってもらいたいという日をあらかじめ言っておいて、その日に移れるように準備をするものです。「きょうび、片道2時間以上かけて通勤してるでえ~え」なんて言うのなら、そう言う人がそういう通勤をすればいいでしょう。自分がそんな通勤をしているわけでもないのに、よくもそんな口をきけたものです。
《 E 》さらには、自由が丘営業課長の高橋賢一郎は、なかなか、休日と勤務時間外に必死で「駐車場+アパート」を見つけることができずに、千葉支店所属時の千葉県流山市の最寄駅「南柏」のアパートから片道2時間かけて通勤していた私に向かって、「なんで、さっさと転居しないんだ。おまえは」などと文句まで言った。高橋は営業課長ならば、問題なく転居できるように配慮するのが営業課長の仕事であって、何もやっていない高橋が何をえらそうな口をきくのか。東京電機大みたいなもんに、ふんぞり返って行くだけあって超ド級に常識が欠けている男だった。
《 I》私は、この会社は「一部上場」と言い「従業員数千人超」の会社と思って入社したが、入ってみるとそういう内容の会社ではなさそうだと思い、又、「採用実績校」は「神戸大、新潟大、同志社大、関西大、甲南大」だったか、そういう大学が書かれていたが、入社してみると、神戸大卒の人間なんかいなかった。まず、自由が丘営業課の「近藤すしいち」(仮名)(男。当時、20代前半。近畿大学経済学部卒)が「ぼく、宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)持ってますから」と見込客にギャーギャー言っていたので、「近藤さん、宅建主任もってるのでしょ」と言うと、「持ってません。宅建主任なんて持ってません」と言うので、「でも、お客さんに『持ってます』と言ってましたでしょ」と言うと、「あれは、前の所属の課長だった◇◇課長から『おまえは大学も近大しか出てないし、経済学部しか出てないし、売りにするものがないから、宅建主任もってるということにして、お客さんにそう言え』と言われたから言ってるだけで、宅建主任の試験になんて通ってません」と言うので、ええ~え? こんな「大卒」あんのお~お?・・と思ったものでした。1960年代後半、うちの親が小堀住研(株)で大阪府で在来木造の戸建住宅を建てた時から、小堀住研(株)は「小堀住研は大卒しかとらない会社なんです」と言いまくっていたし、私が入社してすぐの新卒社員研修でも「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社としてやってきました」と講師役の従業員が発言したのだったが、顧客にとって「大卒」の担当者が「高卒以下」の従業員よりもいいところというと、まず、その仕事に関係する資格があるとすると、「よし、そういう資格があるなら勉強して取得しよう」と考えるか、「勉強して取得するより、『持ってます』とギャーギャー言って詐称した方がいい」と考えるか、「大卒」と言うからには「取得しよう」と考える方の人間だろう・・と期待するものであるはず・・・だったが、又、そう思うから私自身も宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)にしても他の資格にしてもその資格を名乗るのであれば当然取得して名のるものだと認識していたが、「近藤すしいち」(仮名)はそうではなかった。こんな「大卒」あんのかあ~あ?・・・と思ったが、きょうび、そういう「大卒」がいっぱいいるようで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)にはそういう「大卒」がいっぱいいたようで、それでは「大卒」の価値はあまりない。そんな会社だということが、1年もいるとわかってきた。
《 E 》高橋賢一郎にしても、「大卒」だというのなら、大学というのは専門学校とは違って一般的な教養のもとに専門を学ぶ所であるから、卒業した大学の専門が何であるにせよ、課長になったのなら、同じ勤務場所の中での移動や居住地を変わらなくても勤務できる転勤であれば、それでも前もって話しておくのが望ましいけれども、「きょう言ってあしたから」というのも不可能なことで、会社は従業員に転勤してもらおうと思えば、きっちりと転勤できるように配慮する義務があるものであり、課長ならその義務をはたさないといけないということくらいは理解できていないといけないし、それができないようなら「大卒」と名のる資格はないはずだった。高橋賢一郎は「ぼくのことを、お客さんに『うちの課長は建築士の資格は持ってませんけれども大学の建築学科を出てますから』と言えばいい」などと言うので、「ええ? そんなこと、言うんですかあ?」と言ったところ、「ああ、そう言え」と言うので、嫌だなあ~あ・・・と思ったことがあった。松戸営業課の課長だった石井は学歴は高卒だったけれども一級建築士を持っている人だったが、千葉支店の設計課・工事課・工務課の従業員で建築士の資格を持っているのは設計課長の I さん一人だけで、他は誰も受けても通らないのを「まったく、一級建築士も二級建築士も通らないなんて、それで建築学科出てると言えるのか」と言っていたし(そういう考え方は「大学」の建築学科卒の人ではなく「建築専門学校」「卒」の人に強い考え方で、建築専門学校というのは学校自体が「学歴」にならない、最近は建築業界では「学歴に準ずる」扱いを受けることが多くなってきたとはいえ、大学・短大に比べて学歴としては弱いので、それで、「大学」の建築学科なら「建築士の資格を取っていいけれども、建築士の資格のために大学があるのではない。建築士の資格よりもどれだけ理解できていて、どれだけの能力があるかの方が大事だ」と考えるところを、「建築専門学校」では建築士の資格を何より優先する思考があり、それが石井の発言にも出ていたのだが・・しかし、国立大学か早稲田大あたりの建築学科卒の人なら、《資格試験というのは「どこかの誰か」が決めた内容の試験に合格最低点以上の点数を取ることができるかどうかのもの》で、「どこかの誰か」に決められた基準を満たすことよりも自分自身が学びたい・研究したいと思ったものを学ぶ方を優先したことで「建築士の資格の勉強より自分の専門の勉強の方を優先しましたので」と言ってもいいだろうけれども、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人の場合は「建築士の資格は持ってませんけれども」などとお客さんに言ったら「やっぱり、『バカでも入れる私大の建築学科』なんて行った人間なんて、建築学科卒の『学歴』はカネで買えて、『建築士の受験資格』はカネで買ったみたいに取得できても、やっぱり勉強せんやつは試験には通らないものだから、たとえ『受験資格』はあっても一級建築士も二級建築士も通らないということなんだな」とお客さんから思われることになるだろう。 特に、(株)一条工務店などは「いなかのおじさん」を得意とする顧客層としていたのに対して、その頃までの小堀住研(株)は都市圏のインテリ層を得意とする顧客層としていたので、そういう相手には高橋賢一郎が言うような「(すでに30代も半ばを過ぎてますけれども)建築士の資格は(一級建築士も二級建築士も)取得できてませんけれども(バカでも入れる私大の)建築学科でてますから」という文句は禁句だったはずだった)、「一級建築士も二級建築士も持たないで『設計です』なんて名のるのはお客さんに失礼だよ」と言っていたし、「『二級建築士なんか取ってもしかたないよお』なんて言うけれども、それは一級建築士か二級建築士かどちらかに通った人間が言う文句であって、一級建築士も二級建築士も通らない者が何を言ってるんだ」と言っていたがたしかにそうで、もしも、国立大学の建築学科卒の人で、建築学科の大学院に進んだ人が建築士の資格試験の学習よりも大学院の研究の方を重視していましたから建築士を持っていないということならわかるが、あるいは、安藤忠雄は建築士の資格を持っていないけれども「世界的建築家」と評価されているとかいう話があるが、そういう「世界的建築家」と評価されたり「東京大学建築学科教授」とかいう肩書でもあれば話は別だが、高橋賢一郎のように、受けさえすれば合格してカネさえあれば行ける私立大学の建築学科卒の人が「建築士の資格は持ってませんけれども建築学科でてますから」などと言っても、「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と言いまくっている会社においては、お客さんの方では、そこまで言うからには国立大学か早慶か関関同立かそこらの大学卒なのだろう・・と思うし、「建築学科でてますから」と自分の方から言ったなら、お客さんは、自分から言うからには東大・京大でなくても、国立大学か早稲田大の建築学科でも出ているのか・・と思うところで、自分から「建築学科でてますから」と言った人になら「どこの大学ですのん?」と尋ねてもいいだろうと思って、どこか国立大学か早稲田大かと思って尋ねたら、「東京電機大学」なんて言われると、「はあ?」「はあ~あ?」と思う・思われることになるだろう。しかも、「建築士の資格は持ってませんけれども」とすでに30代後半になった男から言われると、「そんな、受けさえすれば通って、カネさえあれば卒業できる『大学』の建築学科みたいなもん、卒業したような人間だけあって、30代後半になっても、一級建築士に通らないだけでなく二級建築士にも通らんということか。やっぱり、カネで買ったような学歴はそんなもんということか」と思われることになるだろう・・・と、そのくらいのこともわからんのか・・・と思ったが、高橋賢一郎はわからない男で、「ぼくのことを『建築士の資格は持ってませんけれども、大学の建築学科を出てますから』と言え」と言ってきかなかった。そんなこと言わされるの嫌だなあと思って、「はい、はい」と言ってかわしていたのだが、「ぼくのことを『建築学科でてますから』と言ってるか」としつこかった。 小堀住研(株)は昔から「大卒しか採らない会社」と言ってきて、かつ、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」が「営業系」の応募条件であり、戸建住宅建築業の設計課・工務課・工事課・アフターサービス課は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」の仕事だが、営業の仕事は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の仕事と位置付けていたはずで、その仕事についての会社の定義づけを否定するような発言もまた、課長としていただけないし、そのあたりを理解できていない人は営業担当としてはともかく、課長にならせるには問題があった。 高橋賢一郎は「大卒」だといっても、「その程度の大卒」であり、「その程度の大卒」の人だから我慢してあげないとしかたがない・・と私は思って我慢してきたのだったが、しかし、本来、課長というものは、自分の営業課に転勤してくる従業員が転勤するのに困らないように配慮するのが課長の仕事であるはずであるのに、そういった発言をしたとなると、今から考えると、高橋賢一郎に対しては我慢するのではなく、もっと厳しく高橋の不適切な態度・言動を指摘して追及するべきであった・・と今は大きく後悔している。
《 E 》高橋賢一郎は「建築士の資格は持ってませんけれども、建築学科でてますから」などと、そんなこと言って誰かいいように思ってくれるとでも思ってるのか?・・・というようなことを言わせたがったのだが、私は、一級建築士・二級建築士は建築学科卒か土木学科卒でないと受験資格がなかったので受けられなかったが、その後、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士・インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリスト・二級建築施工管理技士と取得し、高橋賢一郎とは逆に「建築学科は出てませんけれども、宅地建物取引士もインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも二級建築施工管理技士も取得しましたあ」とお客さんには言わなかったけれども、「建築士の資格は持ってませんけれども、(金持ちの息子なものだから、バカでも入れる私大の)建築学科でてますから」というような連中に対しては口に出しては言わないけれども心の中では「どうじゃ。おまえら、建築学科でてますと言っても、何も通らんじゃろうが。それみろ。おれは建築学科なんて出てなくても宅地建物取引士も通ったぞ。インテリアコーディネーターも通ったぞ。キッチンスペシャリストも通ったぞ。二級建築施工管理技士も取得したぞ。おまえら、何ひとつ通らんじゃろ。おまえらとはそれだけの差があるんじゃ。どうじゃ、わかったかあ!」と思ったものだった。「ざまあみやがれ!」と思ったものだった。もう、10年以上前に、ある週刊誌に載っていた話だが、東映⇒巨人⇒ロッテで活躍して首位打者のタイトルを何度も獲得した張本勲は在日韓国人で「朝鮮、帰れ」とかいうようなヤジを受けることもあったそうだが、そのたびに張本は闘志をわきたたせ、「そりぁ、また、ヒット打ってやったぞ」「おまえら、その相手に打たれただろうが」「そら、また、打ってやったぞ。くやしかったら抑えてみやがれ」と思ってヒットを打ちまくった・・・と出ていたのだが、私もまた「建築士の資格は持ってませんけれども、(金持ちの息子なものだから、バカでも入れる私大の)建築学科でてますから」などと言うやつを見るたびに、どうじゃ。おまえら、建築学科でてますと言っても、何も通らんじゃろうが。それみろ。おれは建築学科でてないから建築士は受験資格がなくて受けられないけれども、宅地建物取引士に通ったぞ、インテリアコーディネーターも通ったぞ。キッチンスペシャリストも通ったぞ。二級建築施工管理技士も取得したぞ。おまえら、何ひとつ通らんじゃろ!」と思って取得したものだった・・・が、ところが、弁護士の資格の場合は、法学部卒でも司法試験に通らなければ弁護士の仕事はできないが経済学部卒・商学部卒・文学部卒・工学部卒など法学部以外の学部卒でも司法試験に通れば弁護士の仕事はできるのに対して、建築業界の場合は、なぜか「建築士の資格は持ってませんけれども、(金持ちの息子なものだから、バカでも入れる私大の)建築学科でてますから」の方が「どうじゃ。おまえら、建築学科でてますと言っても、何も通らんじゃろうが。それみろ。おれは建築学科なんて出てなくても宅地建物取引士も通ったぞ。インテリアコーディネーターも通ったぞ。キッチンスペシャリストも通ったぞ。二級建築施工管理技士も取得したぞ。おまえら、何ひとつ通らんじゃろ。おまえらとはそれだけの差があるんじゃ。わかったかあ!」よりも評価されてしまう業界なので、なんか、あほくさいなあ・・と思うようになった。又、「インテリアコーディネーターでキッチンスペシャリストで二級建築施工管理技士で宅地建物取引主任者」よりも「二級建築士だけ」の方が高く評価される業界であり、つくづく、あほくさいなあ・・・と思うようになった。
建築学科卒でありながら、一級建築士も二級建築士も取得できていないというのは、20代の半ばくらいまでならば、「まだ、合格できないんですう」と正直に言っても、「頑張ってくださいねえ」と言ってもらえるところだが、高橋賢一郎のように30代の半ばを過ぎてまで「建築士の資格は持ってませんけれども」と言うと、「なんで、持ってないんですかあ?」と口に出して言われるかどうかはさておき、口に出さなくても心の中で思われるもので、もしも、国立大学の建築学科か早稲田大の建築学科にでも行った人が大学院に行ったというような場合に「建築士の資格の勉強よりも大学院での専門の研究の方に力を入れました」と言うとか、安藤忠雄は学歴としては高卒だけれども「東京大学工学部建築学科教授」なんて肩書を持っていたとか、そういうことであれば話は別だが、「バカでも入れる私大の建築学科卒」の人がすでに30代も後半になってまで「建築士の資格は持ってませんけれども」なんて言うと、法学部なら「バカでも入れる私大の法学部卒」の人なんて司法試験なんて通るわけないわなあ・・と思われ、「バカでも入れる私大の法学部卒」なんて「法学部卒」のうちに入らんだろうと思われるのと同じく、「東京電機大学工学部建築学科卒」なんて、そんなもの、「建築学科卒」のうちに入らんわなあ・・と思われることになるだろう。だから、逆に、「バカでも入れる大学の建築学科卒」の人はその「学歴」をプラスに評価してもらいたいと思うならば、石にかじりついても一級建築士か二級建築士のどちらかは取得するべきで、そのどちらかを取得しておけば、大学は評価されなくても、「あんまり聞いたことない大学だけれども、それでも、建築士の試験には通った人なんだな」と評価される可能性がある・・・が、そういう「大学」卒の人って、通らん人が多いみたい・・やな・・( 一一)
法学部の場合は、アメリカ合衆国では弁護士の資格を持って企業に勤める人はけっこうあるらしいが、日本では弁護士の資格を持って企業に勤める人というのは少なく、過去の例としては元大阪ガスの副社長に就任した岸清一くらいのもので、日本では弁護士の資格を持って企業に勤める人はあまりなかったのですが、法学部卒で「法学士」の資格を持って企業に勤めて「企業法人」として働く人はあり、最近では少々変わってきたようですが慶應大の法学部は早稲田大などに比べて司法試験合格者が多くなかったのは、ひとつには司法試験を経て裁判官・検察官・弁護士になる人よりも「法学士」「法学部卒」として会社に勤めて「企業法人」として能力を発揮しようという人が慶應大の法学部には多かったということがあり、法学部の場合は司法試験合格は裁判官・検事・弁護士になるコースで、司法試験は目指さずに「法学士」「法学部卒」で会社に勤めた人が「企業法人」として法律の知識を持ちながら会社で勤務するというコースだったのですが、それに対して、建築学科卒の場合は「建築学科卒」と一級建築士もしくは二級建築士がセットのようなものに現実になっており、30代になって「建築士の資格は持っていませんけれども建築学科でてますから」というのでは、むしろ、「二級建築士すらも通らない建築学科なんだな」と思われます。私立金権医大裏口入学卒の人が「医師国家試験は通ってませんけれども医学部でてます」と言うのに近いものです。 松戸営業課の課長の石井が言っていたように「一級建築士も二級建築士も通らないで、そんな建築学科卒なんてあるかあ」という評価をする人が多く、「まだ、建築士の試験には通らないのですが、建築学科でてます」と言ってなんとか通じるのは20代の間で、30代の後半になったらもはや通じない・・・が、高橋賢一郎はその程度のことも理解できていないようでした。
それで・・・だ。 私は、こういった人権侵害の転勤に耐えてこの会社に滅私奉公を続けたのだった・・が、「うちは一部上場ですからね」などとセールストークで言う会社ならば、もうちょっと、まともなことができんもんか・・と思うが、そういう会社だった。
「うちは一部上場ですから」と「一部上場」と言えばひとはいいように思うであろうと考えている人がおり、そういったことを言う会社がありますが、私は今はそうは思っていません。 「上場しようと思えば上場できるのに上場しない会社」には、オーナー経営者がやりたい放題やりたい人間で、上場しない方がオーナー経営者にとって都合がいいから上場しないという会社はありますが、会社を設立する基準より一回り厳しい基準が上場する際には求められるということはあるようですが、だからといって、上場しているからすばらしい会社だなどとは言えません。 「うちは上場企業ですから」とか「うちは一部上場ですから」とかギャースカギャースカ言いたくてしかたがない症候群のおっさんを見ると、むしろ、この人はこの程度の人なんだな・・と思った方がよさそうと私は今は思っています。
但し、その頃の小堀住研(株)では、営業のトークとしては、闇雲に「うちは一部上場ですから」と言えなどと指導していたわけではなく、新卒社員研修の時に言われたのは、「営業の基本姿勢」を徹底して、「さすがに小堀さんの営業は違いますね」と思ってもらえて、そういったことを言ってもらえた時に、特に、その頃、洋風の建物で競合になることが多かった三井ホームが、その頃は未上場であったことから、 《三井ホームは「三井系」「財閥系」だからいいと思う人がいるようですけれども未上場の会社》で、《小堀住研(株)は財閥系ではないけれども「一部上場ですから」》と言って、《「財閥系」という点で三井ホームは評価されるかもしれないが未上場》、《小堀住研(株)は財閥系ではないけれども「一部上場」》だということを言って、会社の評価は三井ホームに劣るものではないとアピールするということをしていた人がいたそうで、そういう言い方なら悪くはないと思います・・・が、それにしても、「一部上場ですから」というわりには、これえ~え???・・というところが多い会社でした。
《 J 》それはこの時だけではない。 小堀住研(株)は大阪市北区、JR「大阪」駅の正面のあたり、大阪メトロ谷町線「東梅田」駅の真上に本社ビルを持っていて、そこで入社式がおこなわれ、その後、2週間、本社で全体の研修がおこなわれて、その後、「営業系」は2週間、「技術系」は1か月の合宿研修がおこなわれたのだが、大阪以外の大学に行っていた者は、大阪まで行く交通費がかかったが、私は出してもらえると思っていなかったし、お金がなかったので、それで、東京駅を夜11時半くらいに出る「大垣行き夜行」の普通電車にのって大垣まで行き、大垣から西明石行に乗り換えて行ったのだが、ところが、入社式の後、「東京から来た人には新幹線代を出します」と人事部だったか総務部だったかの課長が言うので、「出してもらえるのなら新幹線に乗ればよかった」と、つい、口に出してしまったのだったが、当然、実際に何に乗ったかにかかわらず、「新幹線代を出します」と言って「新幹線の普通車指定席」の料金を払っていたからには、誰にでも「新幹線の普通車指定席」の金額を払ってくれるものと思った。ところが、その総務部だったか人事部だったかの課長のおっさんは、千葉工大のやつには新幹線の料金を渡しておきながら、私には「新幹線に乗らずに普通に乗ったんだろ。普通に乗ったのなら、普通料金しか払わんのは当たり前だ。何を新幹線代をだまし取ろうとしてるんだ。会社からカネ、だましとろうなんてしたらあかんだろうが」などと言って、私にだけ、払ってくれなかったのだ。こんなおかしな話はない。会社は従業員には公平でないといけない。千葉工大のやつには新幹線に乗せて、私にはものすごい込んでいて、一晩中、荷物を持って立ちっぱなしの普通電車の料金しか払わないというのは、それは明らかに不公平であり、不当な扱いである。なにゆえ、千葉工大のやつには新幹線代を出すのか? なにゆえ、千葉工大のやつには新幹線代を出して私には出してくれないのか?
しかも、その総務部の課長だったか人事部の課長だったかのおっさんが「新幹線に乗らずに普通に乗ったんだろ。普通に乗ったのなら、普通料金しか払わんのは当たり前だ。何を新幹線代をだまし取ろうとしてるんだ。会社からカネ、だましとろうなんてしたらあかんだろうが」などと言ったために、私はその後も、同じ時期に入社した従業員から「おい、会社からカネだましとろうとしたらいかんだろうが」などと言われることになってしまったのだ。なんで、私がそんなことを言われなければならないのだ。新幹線代を受け取った千葉工大のやつこそ「会社からカネをだましとった」のと違うのか?!?
又、私は、そんなもの、東京から大阪まで来た者には「新幹線 普通車指定席」の料金を払うということにしたのなら、当然、実際に何に乗ったかにかかわらず、「新幹線 普通車指定席」の金額を支給するものだと思い込んでいた。 うちの父親の勤め先では、大阪で勤務している者が東京支店に出張する時には新幹線の普通車の料金を支給していたが、東京で朝一番に会議があるから、朝一番の新幹線に乗って来てもらいたいというような場合、人によっては、朝一番の新幹線に乗るというのはけっこう苦痛なので、新幹線代よりも、夜行の急行「銀河」号の急行料金にB寝台の料金を合わせるとわずかに夜行の急行の方が高かったけれども、差額を自腹で出しても夜行の寝台急行で行った方が楽でいいとして乗る人がいたらしいが、その場合でも、会社が支給するのは「新幹線 普通車 指定席」の料金にしていた。 叔父の勤め先では役員にはグリーン車の料金が出たらしいが、おっさんは普通車に乗り、かつ、宿泊するホテル代もいくらと指定された金額が出たらしいが、結婚した娘の家で泊まるようにして、かわりに、会社から出たホテル代とグリーン車の料金を娘に渡してやっていたそうで、ダンナは義父が出張の時に泊まりにくるかわりに、毎回、ホテル代に該当するカネを置いていってくれるので来てもらっても歓迎こそすれ嫌がるようなことはなかったらしい。私は、会社は、普通は、ヒラ社員は「新幹線 普通車 指定席」で取締役は「新幹線 グリーン車 指定席」とか決めて、決めたなら実際に何に乗ったかにかかわらずその料金を支給するというものだと思っていた。 又、その入社式と本社での研修の時、「大垣行き夜行」なんてのに乗って行ったのは私一人だけだったようだけれども、新幹線に乗って行った者でも、指定席に乗った者と自由席に乗った者の両方は間違いなくいたはずだ。言わなかっただけで、実際には自由席に乗った者にも、チケット屋で割引券(回数券を分けて販売しているもの)を買って乗った者にも、飛行機で親が日本航空か全日空の株を持っていて株主優待券で半額で乗れて、飛行機を株主優待券で半額で乗った時、新幹線とどちらが安いかはその時によって微妙に変わったのだが、株主優待券で飛行機に乗った者もいたかもしれないが、おっさんはそれらの者に、一律に「新幹線 普通車 指定席」の金額を払ったにもかかわらず、私一人だけに普通運賃だけしか払ってくれなかったのだ。おかしいだろうが!
会社は出張などで遠距離を移動した時、実際に何に乗ったかにかかわらず会社が指定する交通手段の金額を払うものなのか、実際に利用したものの料金を払うものなのか。 私は会社があらかじめ指定した交通手段の金額を払うものだと思っていたのだが、その総務部だか人事部だったかの課長のおっさんは、実際に乗った交通手段の金額を払うことにして、そして、実際には新幹線の自由席に乗った者にも「新幹線 普通車 指定席」の料金を支給し、私にだけ普通運賃しか払ってくれなかったのだった。なんで???
会社として支給する金額は「新幹線 普通車 指定席」の料金だけれども、もしも、それより安い交通手段を使用した場合には実際に使用した交通手段の料金しか払いません・・・ということにしていたとしても、その時、JRの領収証を提示するように求めず、間違いなく「新幹線 普通車 自由席」に乗った者もいたはずだが、誰にでも「新幹線 普通車 指定席」の料金を払っておきながら、私にだけ、「アホか。新幹線に乗らずに普通にのったのに、新幹線のカネを会社からだまし取ろうとは、何を考えてんねん。普通に乗ったら普通運賃だけに決まってるやろうが」などと言って私だけに普通運賃しか払ってくれなかったのだ。
もしも、鉄道会社の領収証を提出しろと言ったとしても、実際には新幹線に乗っていないのに新幹線代の領収証を提出しようと思えばできる。新幹線に乗るという前提で切符を買って領収証を受け取り、それを払い戻しをして、新たにそれより安いものの切符を買えば、領収証だけが手元に残ることになり、やる気になれば、それで新幹線代を会社から受領することはできるのだ。又、そうすることだってできるから、だから、実際に何に乗るかにかかわらず、ヒラ社員は「新幹線 普通車 指定席」の料金、取締役は「新幹線 グリーン車 指定席」の料金とかいうように決めている会社が多いのではないか。
ましてや、その時の総務部だかの課長のおっさんは、領収証の提示なんか一切求めず、実際には「新幹線 普通車 指定席」に乗っていなかったであろう者にも「新幹線 普通車 指定席」の料金を支給して、私だけが正直に「だしてもらえるのなら新幹線に乗るのだった」と口にしてしまったことから、「あかん、あかん。普通に乗って来たのなら普通運賃だけに決まっとるやろうが。新幹線に乗ってないのに、会社から新幹線代をだましとろうやなんて、何、考えてるんんや」などと何人もの前で言って、その後も何人もから「会社からカネだましとろうとしたらあかんやろうが」などと言われることにされてしまったのだ。こんなおかしな話はない!
だいたい、なんで、その人は、先に「東京から大阪の本社に研修を受けにくる人には、『新幹線 普通車 指定席』の料金を後から支給しますが、『新幹線 普通車 指定席』を利用しなかった人には実際に利用した交通手段の料金のみを支給します」と言わなかったのだ? 先に聞いていたならば、私は、あんなしんどい思いをして「大垣行き夜行」なんて乗らなかったのだ。千葉工大みたいなものに行くようなカネ持ちには「新幹線 普通車 指定席」の料金をくれてやって、私には「大垣行き夜行」に一晩中、荷物を持ってつり革すらもない電車に一晩中、立ちっぱなしで行く金額しか払ってくれないとは、それはおかしいだろう!
!
!
ロシア民謡に「ドゥビヌーシカ(棍棒)」という歌がある。それの「日本語訳」で「イギリス人は利巧だから、水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う。それは仕事の歌・・」というくだりがあるが、そんな感じというのか何と言うのか、
「千葉工大は~金持ちだから、新幹線に乗って本社に行く~う♪
私~はあ、貧乏人だから、夜行の普通に~乗って行く~う♪」
て、なんで、小堀住研(株)は、同じ従業員なのに、千葉工大の大金持ちには「新幹線 普通車 指定席」に乗せて、私には夜行の普通にしか乗せてくれないのだ??? おかしいだろうが!!!!!
※ 《YouTuve-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY
そのあたりを見ても、その総務部だったか人事部だったかの課長のおっさんというのは、「あんまり賢くない」のであり、それも、うちの父親の勤め先でもあそこまでアホじゃない・・、うちの父親の勤め先と小堀住研(株)となら「上場している分だけ、わずかに小堀住研(株)の方が上」かと思ったら、ちっともそうじゃなかった。むしろ、逆だった。うちの父親の勤め先だった、「あんまり賢い人いない」会社だったが、そんな会社でも、その時の総務部の課長のおっさんみたいな変なことはしなかった。
《 K 》さらに。入社直後の本社での全体研修の時、滋賀県の甲西町にあった工場にバスで見学に行くことになったのだけれども、その同行に、これも総務部だったと思うのだが、課長のおっさんが同行したのだが、「この人、大丈夫か?」みたいな人だった。「普通、ここで、・・・とガイドが説明しよるはずやのに、きょうはガイドが説明しよれへんな。おかしなガイドやな」と、その課長さんがおっしゃるので、休憩でバスが停まった時に、ガイドさんの女性に私がそれを尋ねてみたところ、「研修なので観光ガイドは必要ないということで、あくまで、車掌ということで来ているのですけれども、ガイドをやれと言われるのならできますけれども、やった方がいいのでしょうか」と言われたのだった。課長のおっさんは、「なんで、このガイドは説明しよれへんねん」と酔っ払いのおっさんみたいにぼやくのだったが、会社がバス会社に「研修なので、ガイドは要りません」と言って、「あくまでも、車掌」でその女性は来ていたので観光ガイドとしての話はしなかったにもかかわらず、「なんで、このガイドは説明しよれへんねん」とか・・・、困ったおっさんやな・・と思ったものだったが、その人が、やっぱり、総務部の課長だったのだ。なんか、小堀住研(株)の総務部とか人事部の課長てそんなおっさんばっかりやなあ・・・と思ったのだった。慶應大学の商学部の教授で「東大・京大とか慶應・早稲田といった大学の卒業生ばっかりという会社に勤めるとライバルが多くて、なかなか実力を発揮する場がないのに対して、東大・京大とか慶應・早稲田といった大学の出身者をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が、むしろ、実力を発揮できる場があっていい」と言われた人があったが、もしも、「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりの会社」に勤めて、それで競争に勝っても負けても、競争に負けたのなら負けた自分が悪いと考えるしかないとして、「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者をなかなか採用できない会社」に勤めて、「下の方」の大学の出身者とか「高卒」の人とかに競争で負けたなら、いったいどうしてくれるんだよ・・とも思ったのだが、それをうちの父親に話したところ、「そんなもの、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身の人間同士での競争なら、勝つこともあれば負けることもあるやろうけれども、アホ大学しか出てないやつとか高卒のやつとかと東大・京大や慶応・早稲田の出身の人間が競争して負けることなんて、百パーセント、絶対にありえない」と言うのだった・・・が、ほんまにそうかあ・・と思っていたのだったが、小堀住研(株)に入社して、総務部の課長になっていたおっさん2人とかを見て、ああ、これはたしかに、こんなおっさんと競争して負けることなんて、百パーセント絶対にないわ・・・と思った。そして、入社式の後の立食パーティーの時に、銀行系ではない常務取締役のKさんが「うちの会社も、まだまだ人材が不足してますから」と話したのは、これか・・・とわかったし、太陽神戸銀行から出向で来て常務取締役・西部営業本部長にならせてもらった大野が大野自身は新卒社員と同じく小堀住研(株)に入社したばかりで小堀住研(株)で勤務した経験からの発言ではないはずだったのだが「人材が不足していますから」と言ったその点については、なるほど、そうかと思った。
《 β 》それで、1989年、「総務部 東京駐在」で前野和彦というおっさん(当時、40代くらい? 当時、東京都杉並区在住。フガフガした口のきき方)がいて、私はこの男もまた、小堀住研(株)にいる「まだまだ人材が不足していますから」という「総務のおっさん」の一人なのだろう・・・と思い込んでいた。彼が普段、大阪にいるのか東京にいるよかよく知らなかったが、東京の新宿センタービル内の「本社機能」部分にいたらしいが、実はこのおっさんも「銀行から出向できた人」だった。
↑ に述べたように、小堀住研(株)では、総務・人事関係の課長というのは、「なに、この人?」みたいな人がいたのだが、ひとつには「一族」の人がいて、そういう人は、営業をさせるとものにならないし、建築業の技術的な能力はないし、能力がないなら努力してその能力を身につければといっても、能力がないだけでなく努力して能力を身に着けようという気概というものもないので、そうなると、総務とかそういう所に配属すれば「ボロがでにくい」ということで「総務」あたりに配属されることがあるようで、これはけっこう多くの会社であることのようなのだが、しかし、「総務」というのはそういうことでいい部署なのかというと、違うと思うのだが。 又、「総務」と似たものとして「人事」も、「一族」でさえあればいいとか、「一族」に逆らわない人間・逆らう能力がない人間がいいとかいう思考で人が選ばれている会社というのもあるようだが、「人事」というのは会社にとって大事なものであって、そんな人選でいいものかというと、私は違うと思うのだが、こういう思考ができる人間というのは、一番気に食わないと考える経営者というのもいるようだ。
1989年の秋頃だったと思うが、この前野和彦が私がいた千葉県松戸市の松戸展示場に来たことがあったのだ・・・が、私が外から帰ってきたところ、彼が来ていたのだったが、松戸展示場があったハウジングプラザ松戸は今はもうなくなってしまったが、松戸市和名ヶ谷という所にあった。今、松戸リハビリテーション病院というものがあるが、そこだと思う。 そのハウジングプラザ松戸まで、総務の前野和彦はJR・新京成「松戸」駅の東口からバスに乗って東の方に行ったあたりのバス停で降りて東に少し歩いた所にあったのだが、前野和彦は、それを、なんと、新京成電鉄「松戸新田」駅から就業時間中にハイキングみたいに40分も歩いてきたというのだ。

( ↑ 「ハウジングプラザ松戸」が、かつてあった場所。
松戸市和名ヶ谷1009-1 )

( ↑ 新京成電鉄「松戸新田」駅。 )
あんまり、こんなことする人 ないと思うがなあ~あ・・・( 一一)
「松戸新田から歩いてきた。40分もかかった。」といかにも大変だった・・みたいに前野和彦は言うので、私は「それは大変でしたねえ」と言ったのだけれども・・・。そう言われて前野和彦はねぎらいの言葉を言われたみたいに思ったようだったが。 元外務省の佐藤優がモデルの憂木護という登場人物の漫画『憂国のラスプーチン』の中で、小渕恵三が部下に「お疲れさん」と言った時と「御苦労」と言った時は似ているようで意味は正反対だということが書いてあったのだが、「お疲れさん」というのは、言葉の通り、ねぎらいの意味だが、「御苦労」というのは、「この役立たず、おまえはもういいよ!」という意味だというのだった・・・が、前野和彦が普通にJR「松戸」駅からバスに乗れば特に苦労せずに来ることができる展示場に、わざわざ、「松戸」駅から新京成電鉄に乗って新京成電鉄「松戸新田」駅まで行き、「松戸新田」駅から就業時間中、給料が発生している時間に、物好きにハイキングみたいに「40分も」長々と歩いてきた・・というのを聞いて私が「それは大変でしたねえ」と前野に言ったのは、百パーセント、「あんた、アホちゃう~う」という意味でもなかったけれども、半分はねぎらいの意味だったけれども、半分は「アホちゃうか」という意味でもあった。
私などは、少しでも多く契約をいただけるようにと、できるだけ効率的に動けるように考えて、その日はどこにどうやって行くか考えて動いていたが、それでも、毎日、終電くらいまで働き、労基法違反の長時間労働を続けていたのだったが、「銀行から来た男」として毎日私などよりはるかに早い時刻に退社していた前野和彦が勤務時間中に新京成電鉄「松戸新田」駅から松戸市和名ヶ谷のハウジングプラザ松戸まで、「40分以上も」ハイキングしてきたのだった( 一一)
・・普通、あんまり、そんなことする人なんてないと思うがなあ~あ( 一一)・・・ということをやる男だったのだ。

会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
新京成電鉄は普通に地図を見ると線路が地図に書いてあるけれども、バスの路線は今ではインターネットで検索することもできるが、その頃はインターネットといったものはなく、市街地図とか道路地図とかを見ても、バス停が書いてある場合もあっても、そのバス停にどこからバス出ているのか、バス停は載っていても「バス路線」は載っていない場合が多いので、だから、「電車の駅」で一番近い所に行って、そこから歩いたらしいのだが、物好きに・・というのか、アホと違うか・・というのか、そんなことする人、あんまりないと思うがなあ~あ・・・ということをこの男はやったのだった。 地図を見てわからないのなら、松戸展示場に電話をして、松戸展示場の誰かに行き方をきけばいいだろうが! そのくらいのことができんのか!・・・と思うが、「そのくらいのこと」ができない男だったのだ。松戸展示場の人間でなくても、千葉支店に所属の人間で、たとえば、柏展示場の人間とかなら松戸展示場に行ったことは何度かある人が多いから行き方はしっているはずだから、電話してきけばよかったはずなのだ。そうでなくても、JR「松戸」駅についた時に、松戸駅の駅前にバスは停まっているのだから、バスの運転手にでも駅員にでも尋ねればよかったのだ。そのくらいのこともできないアホなのか?!?・・・というと、前野和彦という男はそのくらいのこともできないアホだったのだ。それで、「次長」という肩書を前野和彦はもらっていたのだが、よく、こんなので「次長」にならせてもらえるなあ・・という感じだったが、小堀住研(株)の場合は、課長は「ヒラの上の主任の上の係長の上」ではなく「ヒラの上」の役職で、「次長」というのは《「ヒラの上」の「課長」の上》でしかない役職であり、さらに言えば、 川端康成がノーベル文学賞を受賞したことに際して、なだ いなだ『娘の学校』(中公文庫)で「作家で精神科医」の なだ いなだ が「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と書いていたのだが、この言葉は賞だけではなく会社の役職にもあてはまるところがあり、「どのような役職をもらっているかでその人の値打ちが決まるのではない。どのような人がその役職についているかでその役職の値打ちが決まるのだ」という面がある。その基準から考えると、小堀住研(株)の部長とか支店長とかいうような役職なんて、あんまり値打ちのある役職ではない、「普通の会社ならせいぜい主任か副主任くらいのもの」か・・というようなものだった。だいたい、取締役だってたいした人間じゃない・・・けれども、それにしても、「松戸新田」駅から勤務時間中にわざわざ「40分も」ハイキングしてくるおっさんて・・・、なんか「ほとんどビョーキ!」て感じがする。

娘の学校 (1969年)
それで、私はこの前野和彦という男は、《本来、大阪の本社での研修を受けるために東京から来る者には「新幹線 普通車 指定席」の費用を会社で出しますということを、あらかじめ言っておくべきであり、特に、もしも、「新幹線 普通車 指定席」よりも安い交通手段で移動した場合には実際に使用した交通機関の費用しか出しませんということなら、なおさら、あらかじめ言っておくべきものであったにもかかわらず、そのくらいのことも言わずに、そして、東京から大阪までの費用は出してもらえないものと思って、「大垣普通電車」なんてものに乗って大変な思いをして行った私には普通運賃しか払ってくれず、千葉工大みたいなものに行くような大金持ちの息子には実際に乗ったかどうかもわからないのに「新幹線 普通車 指定席」の金額を支給したというアホちゃうか・・というおっさん》とか、《大阪から滋賀県の工場を見学しに行くために、会社がバスを手配して、「研修なので」ということで「運転士とガイド」ではなく「運転士と車掌」として会社はバス会社に依頼していたのに、「引率」だか「同行」だかで行って、「なんや、普通はここで説明しよんのに、きょうのガイドは説明しよれへんなあ。きょうのガイドは変わっとんなあ」とか不平を言ったりする「酒のんでない酔っ払いみたい」な変なおっさん》とか、そういう「課長」と同類のようだなあ・・・とわかった。 小堀住研(株)は私もアルバイトに行ったことがあるうちの父親の勤め先と、
1.できてからの年数としては社長は2代目で同じくらいで、
2.大阪発祥で、
3.本社は大阪駅から遠くない場所にあって、
4.従業員数は千人を超えるくらいで
・・というあたりは似たようなもので、
1.2代目の社長はうちの父親の勤め先の2代目は東大卒だが小堀住研(株)の2代目社長は高卒だが、
2.小堀住研(株)の方が上場していたので、
「上場している」という分だけ「少し上」かと思っていたら、ちっともそうじゃない、むしろ、うちの父親の勤め先みたいなたいしたことない会社よりも、小堀住研(株)の方が、ま~だまだ下・・と、総務のおっさんを見て思ったのだが、前野和彦もまた、「程度の低い小堀の総務のおっさん」のうちの1名らしかった。よくやると思う。勤務時間というのは会社はその人にお金を払っている時間であり、ハイキングしてくれと言ってカネ払ってるのとは違うはずなのだ。「新人類」とでも言ってやるべきか、普通、あんまりそんなことせんぞお~お( 一一) 又、「松戸新田から歩いてきた。40分もかかった」なんて、きかれもしないのに言わないと思うのだ。普通、そんなおかしなことやったというのは恥ずかしいことだと思うのだが、前野和彦が自分から、いかにも大変なことを私はやりとげたんですよ・・みたいな調子で口にしたというのは、恥ずかしいことだという認識がないからだろう。なんか、小堀住研(株)の「総務のおっさん」というのは、程度低いなあ~あ・・・と思ったものだった。
《 A 》小堀住研(株)においては、人事部長の高田もまた、「ええ? この人が人事部長なのお?」というような男だった。 1989年度、高田から会いたいと言われて会ったところ、高田は私に何を言ったかというと、「ちょっと、きみにききたいことがあって来たんだけどな」と言うので、「何ですか」と言ったところ、「きみはマスターベーションをやったことがあるか? それをききたいと思ってきたんだ」と言うのだ。高田は普段は大阪市北区の本社に勤務する男であったはずで、それを「ききたい」ために大阪から東京まで会社のカネで新幹線に乗ってやってきたらしい。「いったい、どういうことですか、それは」と私は言ったのだが、高田は「だから、人事部長として、きみはマスターベーションをやったことがあるか、ときいてるんだ。人事部長の質問だ」と言うのだ。はあ? はあ~あ? はあああ~あ??? しかし、それにしても、私は今までからこの人のことを「特別に賢い」とかいうようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった・・( 一一) 高田は私にそれをきくために、大阪から東京まで新幹線に乗る費用を会社に出させてやってきて、私は労基法違反の休日労働・無賃労働(労働時間制限違反・時間外賃金不払い)で休日に呼び出されたようだった・・が、小堀住研(株)の人事部長というのはそういう男だった。そういう男が小堀住研(株)では人事部長になっていた。普通、人事部長というのはそんな人間がなる仕事とは「ち~が~う~だ~ろ!」と私は思っていたが〔⇒《YouTuve-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕、実際には日本の会社では、そんな人間がなるものではないという人がなっている会社はけっこうあるようだ。
「そういう発言は私に対する人権侵害ですよ」と私は人事部長の高田に言ったのだが、高田は「なんでやねん。人事部長が、おまえはマスターベーションをやったことがあるか、ときいてるんだろうが。答えろよ」と言うのだった。「セクシュアルハラスメント」というものは女性に対してだけ発生するものではない。男性に対する「セクシュアルハラスメント」というものもある。ただ、私は「セクシュアルハラスメント」およびその略語からできた「セクハラ」という言葉が、本来、その言葉がめざした意味とは違う意味合いで使われて、その用語を使って表現することが物事の理解をかえって妨げることになると思うようになったので、それで、「セクシュアルハラスメント」という言葉はできるだけ使わないようにしていたし、「セクハラ」という略語はなおさら使わないようにしていたのだったが、この高田の私に対する行為は「セクシュアルハラスメント」に該当するものであり、そもそも、人事部長というものは、会社内においてそういったことがなされないように配慮する役目・役職のはずであるのだが、小堀住研(株)においては自分自身がそういう行為をおこなう男が人事部長になっていた。・・・だから、「どういう賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」「どういう役職をもらっているかでその人の値打ちが決まるのではない。どういう人がその役職についているかでその役職の値打ちが決まるのだ」という基準から考えると、小堀住研(株)の「課長」とか「部長」「支店長」というのは「その程度のもの」だった。そして、「その程度のもの」の「課長」と「部長」のまん中の「次長」という役職をもらっていた前野和彦もまた、「その程度のおっさん」「その程度の程度の低いおっさん」だったのだ。
・・・それで、こういう「バッカじゃなかろかルンバ♪」てことをする人というのは、小堀住研(株)に比較的古くからいる人で、無能だけれども長くいるから「ヒラの上」くらいにならせてあげようということで《「ヒラの上」の「課長」》にならせてもらったという人と、そういう人の中で「そのもうちょっとだけ上」として「次長」にならせてもらったという人がいたのだろうと思ったのだ。人事部長の高田は「一族」らしいことから課長ではなく部長にならせてもらっていたが、普通は課長だった。 ・・・ところが、なんと、「松戸新田」駅から「40分以上も」就業時間中にハイキングやった前野和彦は、「太陽神戸銀行から出向で来ていた男」だったのだ。太陽神戸銀行はそんな男を小堀住研(株)に出向で送りつけて、しかも、「次長」などという役職につかせていたのだった。あきれた。前野は、もしも、「銀行から出向で来た人」でなければ「ヒラのひとつ上」、普通の会社なら「主任」くらいのところだが、小堀住研(株)は主任・係長という役職がなくて「ヒラの上」は課長で、課長になっている人には実際に課長くらいの人もおれば、「本来なら主任か副主任」くらいの課長もいて、前野は年齢もいっていたことから無能だけれども年齢を考慮して「ヒラのひとつ上」で〔小堀住研(株)では〕課長というくらいが妥当かという人だったが、「銀行から出向できた人」ということで一階級上がって「次長」ということになっていたようだ。小堀住研(株)の部長とか次長とかいうのは「その程度のもの」だった。
※ 《YouTuve-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs
この男を見ただけでもわかると思う。入社式の後の立食パーティーにおいて、太陽神戸銀行から出向で来て、小堀住研(株)では何か功績を残したわけでもなく、戸建住宅建築業についてわかっているわけでもないのに、いきなり、常務取締役・西部営業本部長にならせてもらった大野が「小堀住研(株)は無借金経営の会社です。銀行から人が来ているのは銀行に借金があるからではなく人材が不足しているからなのです」と言ったのは、まるまる大嘘だったということが。 しかし、この大野という男も「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」
たしかに、小堀住研(株)が「人材が不足している」というのはそうだったと思う。《 J 》もしも、東京から大阪の本社での入社式や研修のために行く人には「新幹線 普通車 指定席」の料金を支給するけれども、それよりも安い交通機関を使用した人には実際に使用した交通機関の費用のみを支給するということならば、あらかじめ、そう言っておかないといけないはずで、それを言わずに、千葉工大みたいなものに息子を行かせるような金持ちの息子には「新幹線 普通車 指定席」のカネをくれてやって、私には普通運賃しか出さないというようなことをした総務の課長のおっさんとか、《 K 》滋賀県の工場に新入社員が見学に行くのに「引率」だか「同行」だかして、「普通、このあたりでガイドが説明しよんのに、きょうのガイドは説明しよれへんのお」とか「酒のんでない酔っ払いのおっさん」みたいに言う総務の課長のおっさんとか、《 D 》《 G 》居住地を変わる必要がある転勤をさせようと思えば、実際に移る日よりも最低でも2週間くらいは前に言っておかないといけないし、そうでなく辞令を出した日まで言わなかったのなら、実際に移る日はもう少し後でいいように配慮するのが業務課長の仕事であるはずであるにもかかわらず職責箒した千葉支店業務課長の越智(おち)・東京支店業務課長の江間(えま)と同類で、「人材が不足している」と大野が言った、その「不足している」という、こんな人しかいないんだという方の人だとばっかり思っていたら、《 β 》前野和彦は「人材が不足しているから来ているんです」と大野が言った、銀行から「来ている」方の人間だったらしいのだ。あきれた・・( 一一)
《 γ 》太陽神戸銀行は、小堀住研(株)を「人材が不足しているから」と言った上で、小堀住研(株)の「人材が不足している」人と同程度の人間(どっちもどっちの人間)を送りつけてきていた。かつ、その男がそのまま太陽神戸銀行にいた場合の役職よりも高い役職に、その男が最初から小堀住研(株)に入社した人間であった場合の役職よりも高い役職に小堀住研(株)につけさせていた。太陽神戸銀行が考える「優秀な人材」としてそんな人間しかいないというのなら、太陽神戸銀行の方こそ相当「人材が不足している」のではないのか??? 大野は、「勤務時間中に松戸新田駅から40分以上もハイキングするおっさん」を「優秀な人材」などと思っていたのなら、大野もまた「優秀な人材」の逆の人間ということになるであろう。
太陽神戸銀行は、その後、三井銀行と合併して「太陽神戸三井銀行」になり、「さくら銀行」に名称変更した後、住友銀行と合併して「三井住友銀行」となって「太陽」と「神戸」は名前から消えたが、そりぁ消えるだろうなあ・・て感じがした。 (太陽+神戸)+三井⇒さくら銀行 が住友銀行と合併した時、何だったか週刊誌に載っていた話では、さくら銀行の行員が「うちの頭取は何を考えてるんだ」と不満を口にしていたそうで、「住友銀行なんて相手と合併したのでは、さくら銀行が住友銀行に吸収されるようなものじゃないか」「さくら銀行を住友銀行に吸収させて、さくら銀行の行員を半分辞めさせるということか」と言っていたといい、三井住友銀行の経営者が「さくら銀行の行員に半分辞めてもらうということではありません。優秀な人に残ってもらいます」と言ったというのだが、それに対して「同じことじゃないか。『優秀な人に残ってもらう』ということなら、どう考えても、さくら銀行の行員と住友銀行の行員なら住友銀行の行員の方が優秀に決まっているのだから、優秀な人に残ってもらって両方の行員の合計の3分の1に辞めてもらうということは、住友銀行の行員に残ってもらってさくら銀行の行員の半分に辞めてもらうということと一緒だろうが」と言っていたといい、又、合併して三井住友銀行になった後、元さくら銀行の行員と元住友銀行の行員が一緒に会議をすると、元さくら銀行の行員は元住友銀行の行員から 「よう、そんなんでやってこられましたなあ」 と言われることがしばしばある・・・と出ていたのですが、太陽神戸銀行から「優秀な人材」だと言って出向してきていた前野和彦なんてのを見ると、あれが太陽神戸銀行が考える「優秀な人材」だということなら、太陽神戸銀行の行員というのは、よっぽどレベル低いということなんやなあ・・・ということになります。実際、住友銀行と合併する前の「さくら」銀行=(太陽+神戸)+三井 のうちの「(太陽+神戸)」の方にいたという前野和彦を見ると、「よう、そんなんでやってこられましたなあ」という住友銀行の行員の言葉がよくわかります。又、そんな人間を「優秀な人材」などと平気で言っている大野という男もまた、あんた、アタマ、大丈夫か?・・・て感じがします。太陽神戸銀行こそ相当「人材が不足している」のではなかったのか? 前野和彦のような男を「優秀な人材」などと言っていた大野という男も「その程度の男」だったのか・・・。 まず、普通、勤務時間中に「松戸新田」駅から松戸市和名ヶ谷のハウジングプラザ松戸まで40分以上もハイキングする人間なんて、あんまりおらんぞお~お( 一一)
「銀行の人間」て、面白いことするね( 一一)〔⇒《YouTuve-【2008】ノムさん「バッカじゃなかろかルンバ! 」》https://www.youtube.com/watch?v=ME18CeyShoc 〕
《 β 》実際には、前野和彦が「次長」にならせてもらっていたのは、小堀住研(株)に昔からいる人で、《 J 》大阪の本社での入社式や研修に参加するために東京から大阪まで行く人には「新幹線 普通車 指定席」の料金を支給するということで、もしも、それよりも安い交通機関を使用した場合には実際に使用した交通機関の料金の金額のみ支払いますということであったのなら、それならそれで先にそう言っておくべきであったにもかかわらず、その程度のこともできずに、千葉工大みたいなものに息子を行かせた金持ちの息子には「新幹線 普通車 指定席」のカネをくれてやって私には普通運賃しか払わなかった男とか、《 K 》滋賀県の工場へ新入社員を見学に連れていくのに、「普通、ここでガイドが説明しよんのに、このガイドは説明しよれへんなあ。おかしなガイドやなあ」と「酒のんでない酔っ払いのおっさん」みたいな総務の課長のおっさんと同程度の人であるが、 「銀行から来た人間」であるので「ヒラの上の課長」に元から小堀住研(株)に入社した従業員よりもひとつプラスして「次長」にならせてもらった、小堀住研(株)に最初から入社した人なら「課長」のところを「太陽神戸銀行のバカ息子」であるから「次長」というそういう「次長」だったようだ。「銀行から来た従業員」「銀行系の上級国民」にとっては「銀行の権利」みたいに思っていたかもしれないが、最初から小堀住研(株)に入社した者からすれば横暴に見える。
小堀住研(株)は、銀行という大株主がいて、2代目社長の中島昭午は中島昭午という名前で大株主になっていたが、銀行が大株主になっていたことから、「銀行から来た人」というのが、その「大株主のバカ息子」みたいなふるまいを会社でおこなっていて、最初から小堀住研(株)に入社した従業員に対して、自分たちは「上級国民」だみたいな態度を明らかに取っていたのだった。そんな状態になった会社が発展するか・・・というと、あっという間につぶれた。・・不思議なのは、銀行というのは会社に融資した場合も出資した場合も、融資したり出資したりした会社は発展した方がいいはずであって、つぶしたなら銀行が得するのかというとそうではないはずであると思うのだが、なぜか、つぶすための「人材」を大量に送り込んでいたのだが、富士銀行にとっては小堀住研(株)がつぶれても「どうってことない」というものだったのかもしれない。 「銀行から来た人」というのは、出向先の会社には忠誠心はなく、顔は銀行の方を向いており、出向先の会社を良くしたいなどという気持はさらさらない。そんな人間が、最初からその会社に入社して、その会社を良くしたいと思って滅私奉公を続けている従業員に対して自分たちは「上級国民」だというような態度を取りまくっていたのであり、小堀住研(株)に入社するのなら最初から小堀住研(株)に応募して入社するよりも、どこかの銀行から出向で行って勤めた方が絶対に得! という状況があった会社というのは・・・、先にも述べたように、「おまえは・・・、もう・・、死んでいる」という状態の会社だったのかもしれない。けっこういい家を作っていたと思うので、その点は残念なのだが、「メカケの子」なのか「メカケの娘の婿」なのかという2代目社長も「銀行のバカ息子」も、私のようなそういった意識はさらさら持っていなかったようだ。「大株主のバカ息子」「資本家のバカ息子」は一般従業員のように自分が勤める会社を良くしたいという意識なんて持たない。自分が得したい、自分たち「大株主のバカ息子」が使用人である一般従業員に対してえらそうな態度をとって、自分たちがいい思いをしたい、というのが「大株主のバカ息子」たちの意識だった。
《 β 》何年か前だが、ある週刊誌に「会社で男あさりをして遊ぶ方法」というのをOL何人かによる座談会として掲載されていたことがあったのだが、そこで、ある女性が「会社で男をひっかけて遊んで、飽きた時になんといっても便利なのが『総務の有能じゃないおじさん』よね」と発言し、「そう、そう。便利よね」と他の女性が同調していた。自分の方が男にアプローチしても、「飽きた」とか「めんどうくさくなった」とかいう時には、「総務の有能じゃないおじさん」に、あの人がしつこいんですう・・とか、あの人につきまとわれるんですう・・とか言うと、一生懸命、追い払ってくれるから便利よねえ・・という話だったが、いかにもありそうな話である。 世の中の会社には「女性に『ええかっこしい』やりたがる男」というのは世の中にけっこうおり、「総務の無能なおっさん」にそういうアホな男はけっこういる。前野和彦もその「会社で男あさりして遊ぶOLにとって、要らなくなった男を追い払うのに便利な総務の有能じゃないおじさん」タイプであろう。 ここで、「いいところを見せる」「さすがやなあというものを発揮する」と「『ええかっこしい』やる」は同じではない。大きく違う。「総務の有能じゃないおじさん」と女性社員から言われるおっさんには自覚していないと思うが「女に『ええかっこしい』やりたいシンドローム」の「病人」がけっこう多い。「精神医学」用語で表現すると「病識がない」というのがまた難儀なところである。そういうおっさん、及び、そういうおっさん予備軍みたいなおっさん・・というのはいるのだ。前野和彦にしても、この男、会社にとってはいない方がいい男だとわかった・・が、太陽神戸銀行はそういう人間を出向で送りつけて、「人材が不足しているから銀行から来ているんです」などという口をきいていたのだった。「その程度の人」を「人材が不足しているから来てるんです」などと言って送り込まれては、小堀住研(株)の本来の従業員は迷惑なのだ・・・が、最初から小堀住研(株)に入社した従業員は自分たちが「本来の小堀住研(株)の従業員」と思っていたが、「銀行から来た人」はそうではなく、個人株主の2代目社長の中島昭午と大株主の銀行から来た人間は、どちらも「大株主のバカ息子」で、最初から小堀住研(株)に入社した従業員というのは個人株主の中島昭午と銀行から来た「上級国民」にとっての使用人だという意識でいたようだ。
私が小学校3年の時、大阪市東住吉区の大阪市立の小学校で、担任の教諭Fは「気に入る生徒」と「気に入らない生徒」に生徒を2分する教諭で、なんだ、こいつは・・と私は思っていたし、同様に思う生徒は他にもいたようだったのだが、「気に入る生徒」の側になっていた生徒の中でも特別に顕著だった生徒として、たいして勉強ができるわけでもないのに担任の教諭Fにすりよることで「お気に入り」になっていたAという男がいたのだが、こいつ、嫌なやつやなあ・・と思っていたら、4年になる時、Fが他校に転勤して担任の教諭が変わると、Fの「気に入る生徒」と「気に入らない生徒」という分類は溶解して、特にクラスが2分されることはなくなったが、その際、Aだけは「嫌なやつやなあ」と私が思ってのと同様に思う生徒が他にもいたようで、旧「Fの気に入らない生徒」からだけでなく旧「Fの気に入る生徒」からもあまり好かれなくなり、幾分孤立するような立場になった。会社における「総務の無能のおっさん」にはAみたいな性格の人間というのがいるのではないかと思う。又、Aみたいな性格の人間で「総務の無能のおっさん」になりたがる人間というのがいると思う。前野和彦も子供の頃はAみたいな人間だった可能性がありそうだ。しかし、総務というのは、そういうものなのか? 人事・総務というのは、そんなくだらない人間の巣窟とすべき部署なのか?・・私はそうではないと思うし、そうであってはいけないと考える・・・が、そういうくだらない人間の巣窟にしたがる会社というのは、けっこうあるようだ。
今回、この話をここで掲載したのは、「北野天満宮へ公共交通機関で直近まで行く方法」を考えた時に、そういえば、松戸市和名ヶ谷の松戸展示場まで、松戸駅東口からバスに乗ればいいと、松戸展示場に電話してきけば誰でも教えるし、松戸展示場でなくても千葉支店に所属の人間なら知っていたであろうし、前野和彦がいた新宿センタービルの東京支店には前に千葉支店に勤務していた業務課長の江間(えま)もいたし、千葉支店長だった長谷川もいたし、工事課のなんとかになっていた松川も千葉県の松戸市近辺の住人だったらしいし、きけば知っている人間は東京支店にもいたと思われるし、そうでなくても、松戸駅で降りた時にバスのターミナルに専門の係員がいたかどうかはっきりしないけれども、いなかったとしてもバスの運転手にきいてもいいし、駅員にきいても教えてくれたと思われるのに、わざわざ、新京成電鉄にのって「松戸新田」駅まで行って、「松戸新田」駅から物好きに勤務時間中にハイキングやった「銀行から来た”新人類”」がいたなあ~あ・・・と思いだしたからである。「新人類」というのか「異星人」というのか、ああいう人を銀行から送り込まれて、最初からその会社に入社した人間の上の役職につけられるようになった会社というのは、「おまえは、もう、死んでいる」状態の会社だった・・ということか、そんな会社の為に毎日毎日滅私奉公を続けたのはアホそのものだったということなのか・・どうか、ともかく、そういう会社に入社するのなら、最初から小堀住研(株)に入社するよりもどこかの銀行に入社して銀行から「大株主のバカ息子」の役割で出向して行く方が得なのは間違いなかった。

会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
銀行に勤めた人というのは、その銀行にいる限り、その人は従業員で労働者です。しかし、いったん、小堀住研(株)に出向でやってくると、その人は「資本家」の立場なのです。 銀行から出向で来た人というのは「資本家のバカ息子」としてやってきて、「資本家のバカ息子」は小堀住研(株)に最初から入社した小堀住研(株)の労働者を「資本家」として・「資本家のバカ息子」として・「上級国民」として支配しようとするのです。そんな「人材」が「優秀な人材」だと思いますか? もし、そんな「人材」が「優秀な人材」であったなら、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)はつぶれなかったでしょう・・けれども、つぶれた、ということは大野が言う「優秀な人材」というのは、少なくとも小堀住研(株)にとっては「優秀な人材」ではなかった、ということでしょう。
《 α 》銀行から来て取締役になっていた人というのは、「人材が不足しているから来ている」のではなく「銀行に借金しているから」でもなく「銀行に出資されていたから」来ていたようでしたが、それでも、私は銀行から来て取締役になった人に期待したものがなかったわけではないのです。それは、小堀住研(株)に最初から入社して部長・支店長あたりになった人よりも、銀行から来た人の方が学歴は一般に上でしたから、ある程度以上の大学を卒業した学識のある人でないと判断できえないものというものが会社においてはあるわけで、小堀住研(株)においても底辺の方の大学しか出ていない人でそういう部分において「あかんなあ~あ」という人が現実にいましたし、又、銀行というのは会社の規模がある程度大きい会社ですから、小堀住研(株)の部長・支店長あたりになっている「高卒のおっさん」とは違って、ある程度大きい会社で伝統的にやってきたことというもの、現在の日本の企業の「相場」みたいなものに即した対応ができるのではないか ・・と考え期待したのです・・・が、そのたりも、富士銀行から1998年に来て、 いきなり、常務取締役・東部営業本部長にならせてもらった増田和二などは、そういった「ある程度以上の大学卒の人が持つ学識からくる対応能力」「大企業に勤めてきた人がそこで見につけた現在の日本の会社における相場のようなものにもとづく認識」といったものをまったく身に着けていない男でした。「人材が不足しているから」他社から人に来てもらうのならば、自社で「不足している」ものを補ってくれるような人に来てもらうべきで、自社の「人材が不足している」人と同類の人に来てもらってもしかたがない。増田和二などは、学歴は東北大学法学部卒であっても、小堀住研(株)の「高卒のおっさん」と比べてどういう違いがあるか・・といういと、な~んもあらへん( 一一) 小堀住研(株)に最初からいる「人材が不足している」「高卒のおっさん」と特に優れているものがあるわけではない男 で、「銀行から来た」ということでの「特権意識」を持っているという点でかえってたちが悪い男・・に銀行から来てもらっても小堀住研(株)に益はありません。
又、もしも、「人材が不足しているから」来てもらうのならば、自社で役立つような「人材」に来てもらわないといけません。小堀住研(株)は大学に出していた求人票に「応募資格」として「営業系(営業・人事・総務・経理など)」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」、「技術系(設計・工務・工事・アフターサービスなど)」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」として明記していたのですが、1970年代後半、私が高校を卒業する頃、法学部と経済学部では、その大学にもよるけれども、幾分、法学部の方が入試難易度が高かった。経済学部と商学部・経営学部では、経済学部は東大・京大にも名古屋大・九州大にもあるのに対して、商学部があるのは慶應・一橋・大阪市大・同志社あたりで、経営学部があるのは神戸大・大阪市大といったところで、ある大学とない大学があったことから、経済学部と商学部、経済学部と商学部がある大学では、どちらかというと経済学部の方が入試難易度が高い所が多かったのです。しかし、公務員になるのなら経済学部・商学部よりも法学部の方が関係は深いかもしれませんが、会社という所に勤める場合には、むしろ、経済学部・商学部・経営学部の方が会社に勤めて役立つ者は多いのではないかとも思われますし、経済学部と商学部では、むしろ、商学部の方が会社という所で役立つものは多いのではないかとも思われるのです。経済学部と商学部はどう違うか知らない人もいるようですが、慶應の場合は、商業学・経営学・会計学など経済学以外のものも扱うけれども経済学に比重があるのが経済学部で、経済学も扱うが商業学・経営学・会計学など経済学以外の方に比重が大きい学部が商学部ということで、一橋大も同様ではないかと思います。慶應・一橋は経済学部と商学部があるのに対して、神戸大は経済学部と経営学部があるのは、それは経済学も扱うが商業学・経営学・会計学などの方に比重があるという学部の名前を慶應・一橋は商業学を代表させて「商学部」としたのに対して、神戸大は経営学を代表させて「経営学部」と名付けたということで、大阪市大は経済学部と商学部と経営学部の3つがあるというのは、大阪市大はもともとは大阪商大だったということもあって、その分野に比重が大きい大学だからか、慶應・一橋・神戸大が2つに分けたものを3つに分けたということではないでしょうか。慶應・一橋の商学部、神戸大の経営学部はどちらも経済学も扱うが商業学・経営学・会計学などの方に比重がある学部であっても、学部名に商学部とつけている大学と経営学部とつけている大学であれば、どちらかといえば商学部とつけている大学の方が商業学に比重があるような印象があります。それで、小堀住研(株)は戸建住宅を作って売る会社だったのですが、銀行というのはモノを作って売る会社ではないのです。モノを作って売る会社においては、商学部的発想が必要です。「世界的建築家 磯崎新」設計の つくばセンタービル を見に行った時、相当カネかかってそうな同ビル内の商店街は閑古鳥がないていてシャッター閉めのスペースが多かったのに対して、向かいの「普通の人」が設計した「普通のビル」には人がいっぱい入っていた。商業ビルというのは、やっぱり、「世界的建築家」的発想で作ったら成功しない、やっぱり、商学部的発想で作らないとだめです。又、戸建住宅建築業も法学部的発想で考えるものではないし、法学部卒でも「モノを作って売る会社」に勤めてきた人ならそういう感覚を身に着けるかもしれませんが、銀行で経験がある「人材」であっても、モノを作って売る会社の経験がある「人材」ではないのです。
《 L 》《 α 》1989年秋、千葉支店の支店長になった渡邊士直が、小堀住研(株)では「新 桂」という自由設計の高級志向住宅と「高品質低価格」の「ハウス55」の2本立てになっていたうちの、「ハウス55」だけを取り上げて「大安売り」みたいなチラシを作って新聞折込に入れたことについて、私は松戸営業課長の石井(最終学歴:高卒)に、これはおかしいのではないかと話したのです。小堀住研(株)では、「小堀ならではの家」として「新 桂」を売りたいと言っているのに、「高品質低価格」の「ハウス55」だけを掲載したチラシで、しかも「大安売り」みたいなチラシを入れられたのでは、もしも、その時、その「大安売り」につられて来た見込客が「ハウス55」で契約することがあったとしても、ますます「新 桂」は売れにくくなってしまうではないか。又、一回限りならばともかく、そういったチラシを何度も入れると、会社と商品に対して、安物イメージがついてしまい、高価格帯の商品は売れにくくなるとともに、「高品質低価格」タイプのものも「大安売り」の方が基準になってそれまでより安い価格で売らされることになっていくのではないのか。営業は売れた方がいいか売れない方がいいかというと、売れた方がいいに決まっているのですが、しかし、むしり取るだけむしり取って、その後、ぺんぺん草の1本も生えなくしてしまうような契約の取り方ではいけないはずです。その時、「ハウス55」を「大安売り」と言って何棟か契約を獲得できたとしても、そのチラシが原因で会社と商品に対して安物イメージを広めてしまったなら、その後の営業活動にマイナスになることが考えられるのです。私はそれを石井さんに話したのです。ところが、石井は「悪くないよ」と言うのです。「どうしてですか」と私が言うと、「支店長(渡邊士直)が勝手にやってるのじゃなくて、東部営業本部に許可を得てやってるんだから」と言うのです。ああ、やっぱり、この人、高卒の人だなあ・・と思いました。 私は東部営業本部長からハンコついてもらったかついてもらっていないかを言っているのではないのです。「東部営業本部から支店長は許可もらってやってるんだからいいんだ」と石井は言うけれども、「東部営業本部に許可を得てやってる」というのは、だから、千葉支店長の渡邊士直は越権行為をやっているのではないという意味でしょう。しかし、その「東部営業本部の許可」て誰が許可しているのか・・というそこが問題です。東部営業本部長というのは、富士銀行でどこやらの支店の支店長を2年ほどやったという増田和二が前年の1988年に出向で来て、戸建住宅建築業の経験なんてまったくないのに、いきなり、東部営業本部長にならせてもらったというもので、戸建住宅建築業の経験なんてない人であり、卒業した大学も東北大学法学部であって、商業学などまったく学んできていない人であり、増田和二が許可してハンコついたといっても、増田和二は何を見て・何を判断してハンコをついたかというと、要するに、自分が東部営業本部長として無視されていないかどうかを見ただけであって、そのチラシを入れるのが、小堀住研(株)の会社のイメージ・商品のイメージにどういう影響を与えるのか、そういったことを考えて、そのチラシは入れるべきものなのか、入れない方がいいものなのか・・といったことを考えて判断してハンコをついたのではないのです。それではだめです。そんなことでは会社の為になりません。「銀行から来た人間」として「資本家」として「資本家のバカ息子」として、「えらい人」だと立てて欲しいということなら、「あんた、えらい。あんた、えらい。あんた、えらいエライえらいエライえら~い! あんた、天皇へーか。あんた、天皇へーか。あんた、えらいエライえらエライえら~い! あんた、天皇へーか!」と言ってほしいのなら言ってあげてもいいですよ。西川きよし と 横山やすしの漫才のように。しかし、会社と商品のイメージをどうしていくかといったことは、私のように、そういったことをある程度以上長期的に考えることができる人間が判断しようという人間が考えて判断しないといけないはずなのです。 慶應大学の商学部の先生で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の卒業生ばかりという会社に勤めるよりも、そういった大学の卒業生をなかなか採用できないという会社に勤めた方が実力を発揮する場があっていいところがある」と言われた方があったのですが、そんな話を聞いて「下の会社」に勤めて、「底辺の大学」や高卒の人と競争して勝てばいいけれども負けたらどうしてくれるんだ・・とも思ったのですが、この話をうちの父親に話したところ、うちの父親は「そんなもの、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の卒業生が、アホ大学卒のやつとか高卒の人間とかと競争して負けることなんて、天地がひっくり返っても絶対にありえない」と言うのでした・・が、あったらどうしてくれるんだよ・・とも思ったのでした・・・が、小堀住研(株)に勤めて、東部営業本部長の増田和二や千葉支店長の渡辺士直を見て、そりぁ、こんなおっさんと競争して負けることなんて、「天地がひっくり返っても絶対にない」だろうなあと思った。
《 C 》《 α 》もしも、自分の会社と自分の会社の商品の現在のコンセプト・イメージはどういうもので、そのチラシを入れるとどういう影響がでるか・・といったことを考えて、それで、そのチラシ入れるべきものか、やめた方がいいか、入れるのなら別の内容にした方がいいのか・・とそういったことを考えて判断する者同士での競争であれば、競争に勝つこともあれば負けることもあるでしょう。しかし、東北大学法学部卒で、商学部的発想なんてみじんも持たない男で、銀行から「資本家のバカ息子」の立場で小堀住研(株)に出向できた増田和二や、底辺の高校卒の渡邊士直とかには、そういう思考はもとよりどこにもないのですから、そういった思考のもとに判断する人間と、増田和二のように自分の顔を立ててくれたかどうかしか判断しない男や、渡辺士直のように、その時、売れることしか考えない男、それも営業社員全般にとって売りやすいかどうかではなく自分自身にとってどうかという思考の男との競争であれば、そんな競争に負けるなどということは「天地がひっくり返っても絶対にない」。
《 α 》折込チラシを入れていいかどうかというのは、単にその時、そのチラシで契約があがるかどうかだけを考えて入れるものではなく、そのチラシを入れることで自分の所の会社のイメージ・商品のイメージがどういう影響を受けるかと、そういったことを考えてやるものであって、「銀行から来た人」にはそういう思考がない。そもそも、銀行という業種はそういうことをやってきた業種ではないのであり、増田和二の場合は小堀住研(株)の従業員から「アタマ、ぼけてる」と言われたりしていたように、「老後のおつとめ」みたいなもの、シルバー人材センターみたいな勤め方で来ていた人、デイケアセンターにカネ払って行くよりも小堀住研(株)にカネもらって来た方がいいという人でしたが、たとえ、銀行の人間の中で相当優秀な人で、年齢的にも全盛期の人が来たとしても、銀行にはそういう発想はないわけで、東部営業本部長という役職の能力がない人に「銀行から来た人」だからということで就かれて、自分の顔を立ててくれたかどうかだけを見てハンをつく・・という作業をされたとして、それが小堀住研(株)にとってプラスになるか・・というと、ならない・・・・と思っていたら、あっという間に、つぶれた( 一一)
《 γ 》1989年、太陽神戸銀行から出向で小堀住研(株)に来たばかりの大野は「小堀住研(株)は無借金経営です。銀行から人が来ているのは借金があるからではないんです。人材が不足しているから来てるんです」と入社式の後の立食パーティーの時に、私は「銀行から人が来ているのは借金があるということですか」なんて一言も言っていないのに大野の方から言ってきたのだったが、しかし、この時点で、大野は太陽神戸銀行から小堀住研(株)に「出向」として入社して1年目、新卒入社社員と小堀住研(株)に入社してからの年数・月数は何ら変わらなかったはずで、どのような入社のしかたをしたとしても、まだ、小堀住研(株)ではまったく勤務していなかったはずであり、そこの会社でまだ働いたことがない男が「人材が不足していますから」という発言は、それまでからその会社に勤めてきた人間に対して失礼であろう。そういった発言は自分自身がその会社で「優秀な人材」と自分で言うだけの働きをしてから口にするべきもののはずだ。大野は太陽神戸銀行から出向で小堀住研(株)に来て、来たその日から「常務取締役」「西部営業本部長」に戸建住宅建築業の経験などまったくないにもかかわらず就任させてもらい、それに該当する給料ももらっていたのだが、大野の1年前から小堀住研(株)に富士銀行から出向で来て、戸建住宅建築業の経験などまったくないにもかかわらず、いきなり「常務取締役」「東部営業本部長」にならせてもらった増田和二は役に立たないだけでなく、最初から小堀住研(株)に入社した従業員に迷惑をかけていたのであり、最初からその会社に入社した従業員に迷惑かける「人材」が「優秀な人材」であるわけないのであるが、大野もまた、その会社でまだ働いたことがない男が「小堀住研は人材が不足していますから」といった文句を無神経に口にするというあたりは、あまり「優秀な人材」がやることではない。私なら、一般入社で入社する場合でも、何らかの事情で「出向」で入社する場合でも、その会社で自分がまだ働いていない時点において、「◇◇は人材が不足していますから」などという口はきかない。無神経にそういう口をきく男というのは、他の部分でどうかはさておき、そういった口をきくという部分において、あまり「優秀な人材」ではないと判断した方がいいだろう。
《 L 》 最後、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかの2代目社長 中島昭午が社長を退いて、富士銀行から来た男が破産管財人のように社長になって大阪駅前の本社ビルを売り飛ばすなどして「取れるだけとって去った」後、積水ハウス(株)から来た男が社長になったのは積水ハウス(株)がエスバイエル(株)〔←小堀住研(株)〕を買収して得るものが多いかどうか見るための偵察要員だったのか?・・という感じだったが、積水ハウス(株)はマイナスのイメージだけのエスバイエル(株)など買収しても「うまみがない」と判断したのかその男も去り、最後、敗戦処理として松川という大阪工大卒の工事部出身の男が社長になったが、エスバイエル(株)の状況が良くないと言われることについて、インターネット上で「同業他社から誹謗中傷を受けたことにより」などとアホなことを言っていたが、この男は本当にそんなこと思っているのか? やっぱり、あんまり賢くないなあ・・と思った。そんなもの、同業他社の営業で他の会社の悪口を言うやつなんて、前からいくらでもいたはずだ。それを跳ね返すことができるかできないかの問題だ。
《 M 》そうではなく、エスバイエル(株)の会社と商品に安物イメージを植え付けたのは「同業他社」ではなく2代目社長の中島昭午だろうが! 同業他社の営業から少々悪口を言われても反論すればいいことだが、自社の社長が言いまくり書きまくりしたものはダメージが大きい。中島昭午が、あっちやらこっちやらで「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とか言いまくり書きまくりして、エスバイエル(株)に安物イメージを強烈に植えつけたのだろうが。 《 L 》松川はそんなこともわからんのか。
《 C 》《 B 》又、↑ でも述べたように、1989年秋、千葉支店で支店長の渡邊士直が、小堀住研(株)は自由設計の高級志向の「新 桂」と「高品質低価格」の「ハウス55」の2本立てになっていたのを、「高品質低価格」の「ハウス55」の方のみをとりあげ、かつ、「高品質低価格」であって「ともかく安い」ではない商品で、なおかつ「小堀は(大きな)値引きをしない」というのを「売り」にしてそこからブランドイメージを出す作戦を取ってきていたのに、それを「大安売り」という調子でのチラシを入れたのは、それはこれまで売り込んできたイメージに反するもので適切なチラシではないのではないかと私は松戸営業課長の石井に指摘したのですが、石井は一級建築士の資格を持っていた人でしたが高卒の人だけあって理解できなかったようで、そのあたりを見ると、一級建築士だと言ってもやっぱりこの人は高卒の人だなあという印象を受けたし、やっぱり、商学部・経済学部卒の人間なら当たり前のこととして考えることを、「一級建築士」というのは考えることができないんだなあ・・と実感した。そういった、その時に契約があがることだけ考えたそれが商品のイメージにどういう影響を与えてるかを考えない適切でないチラシも、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)がマイナスのイメージを持つに至ったことに影響しています。
《 E 》1990年、東京都目黒区大岡山の自由が丘展示場は、比較的高価格帯の見込客が多い展示場でしたが、ところが、営業課長の高橋賢一郎は、高価格帯の見込客を「ろくな客が来ない」と言い、たまに「ハウス55」の見込客が来ると「やっと、いい客が来た」と言うのでしたが、要するに、高橋賢一郎は「ハウス55」の契約は取れても高価格帯の「新 桂」の契約は取れない営業だったのですが、そういう人をわざわざ、高価格帯の見込客が多い展示場に配属していたというあたりは、東京支店長の高倉にはそのあたりにおいて「人を見る目がない」というのか、やっぱり、高卒の支店長やなあ・・という感じがしましたが、粗利益(あらり)としてはそれなりの金額を稼いでいた人でも、高橋のように比較的安い価格帯の契約なら取れても高価格帯の見込客を相手にする能力はない人というのがいたのですが、そういう低価格帯の契約しか取れない人でも、これからそういう能力を身に着ける可能性がある人と今後もだめであろう人とがいたはずですが、展示場によって高価格帯の見込客が多い展示場と低価格帯の見込客が多い展示場があったのですから、高橋のような低価格帯の契約しか取れないタイプの人は低価格帯の見込客が多い方の展示場に配属してあげるようにした方がいい。
《 F 》《 α 》そういった判断を支店長はできないといけないし、支店長ができないならば営業本部長がやるかできるように指導しないといけない。ところが、東部営業本部長はそういう能力がある人がなっているのではなく、そんな能力もなければそういった判断をしようという意思も意欲も微塵もない人が銀行から送り込まれてなっていた。(富士銀行は小堀住研(株)をつぶすための「人材」を送り込んでいた。)東部営業本部長はどういう人間だったかというと、富士銀行で支店長を2年ほどやっただけの人で、小堀住研(株)に来ても小堀住研(株)を良くしようなどという意欲も気概も微塵もない男で、もとより、そんな能力があるから東部営業本部長になった人ではない。
《 M》松川は「同業他社からの誹謗中傷を受けて」などと述べていたが、同業他社の営業が他社の悪口を言うことくらいは「あること」であり、同業他社よりも自分の所の人間が自分の会社のイメージと商品のイメージを下げていたという事実に気づいてもいない・・というあたりは、工事課の仕事でどうだったかはさておき、小堀住研(株)には課長にしてあげる必要ないのに課長になっていた人とか次長にしてあげる必要ないのに次長になっていた人とかいたが、松川も本来は社長になるような人ではないし「敗戦処理の社長」だから社長になった人なんだな・・という感じだった。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)がつぶれた原因は他にもあるし私はいくつかわかっており、何より、会社をよくしたいと思いそういったものを改善したいと思って滅私奉公を続けていた私を大事にしなかったということも小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)がつぶれた原因のひとつであろう。
《 L 》「同業他社」の営業が少々、何かしょーもないこと言ったとしても、同業他社の営業で他社の悪口を言うやつなんて前からいくらでもいたはずだ。むしろ、論理的でない・科学的でない誹謗中傷悪口雑言は、考えようによってはカウンターパンチを撃ち込むチャンスでもあるし、又、同業他社への論理的・科学的でない悪口雑言はカウンターパンチを受ける危険がある。 (株)一条工務店の営業でも、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)について、論理的でない・科学的でない誹謗中傷を言うのが三度の飯より好きというヤカラがけっこういたが、もしも、私が小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業なら、競合相手がこんな無茶苦茶な攻撃をしてきてくれたら、ボクシングで言うところのカウンターパンチを撃ち込むチャンスだがなあと思うことは何度もあった。 ボクシングでもカウンターのパンチというのは通常のパンチよりも効き目が大きいのと同様、論理的・科学的な批判ではなく見当はずれな悪口雑言を他社の営業が加えてきたのならそれに対してカウンターパンチのように反論すれば、むしろ、見当はずれな悪口を言った側がダメージを受けることになるはずであった・・・が、エスバイエル(株)は「メカケ思考」の社長などがアホばっかり大事にして、営業のレベルも下がって、私なら反撃できる・私ならカウンターパンチを撃ち込むチャンス♪・・・と思うところで、レベルの低い営業は反撃できず、見当はずれな攻撃のエジキになっていたのではないか。
《 L 》松川の場合は、大阪工大卒で工事部の仕事をしてきた人で営業の仕事についてきた人ではないということもあるかもしれないが、「同業他社に誹謗中傷を受けたことが・・」などというのは言い訳にならないし、そんなことを言っているようではだめだ・・と思ったら、エスバイエル(株)は倒産して、ヤマダ電機が「いぬき」で買い取った上、同じように買い取ったリフォーム部門の「リフォームのナカヤマ」と合わせて(株)ヤマダホームズとなり、ヤマダ電機はマイナスのイメージしかない「エスバイエル」の名前は消した。そのあたりはヤマダ電機の方がアホではなかったということかな。松川は「同業他社から誹謗中傷を受けたことにより・・」なんて、本気でそんなこと思っていたのか?・・アホと違うか・・・と思うようなことをインターネット上で発言していたが、この程度の人しかいない会社だったのか。もしくは、あほくさいから、まともな人は出て行ったということか。・・その前に、その人は、もともと、敗戦処理の人だったから、もとから「その程度の人」だったか。
《 L 》《 M 》又、特定の「同業他社」の特定の営業が小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) に「誹謗中傷」を加えたことがあったというのではなく、何社もの人間が、特定の営業ではなく何人もが「誹謗中傷」を加えたのであれば、松川が「誹謗中傷」だと思っていたものは実は「誹謗中傷」というものではなく、その発言をした者が持つようになっていたエスバイエル(株)と商品についてのイメージで、そのイメージを話していた、世間一般にそういうイメージを持たれるに至っていた可能性が考えられる。モノから考えると「誹謗中傷」であっても、世間のイメージがどうかという点からすると「誹謗中傷」ではないという場合がある。 2代目社長の中島昭午が「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」などとあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりされたおかげで、小堀住研(株)で建てた入居者は、自分の家の財産価値が下がってしまって迷惑しているんだ。 我が家にしても、1960年代後半、建てた時点においては小堀住研(株)の営業担当者は「小堀住研はミサワホームなんかと違ってきっちりとした木造の家を建てている会社なんですう」と言い、実際、その頃の小堀住研(株)の建物とミサワホームの建物なら小堀住研(株)の建物の方がカネもかかった建物で「きっちりとした」建物で、我が家の近所で我が家の翌年くらいにミサワホームが建てた家なんか、とうになくなっていても我が家はその後も十分に住める家だったし、買い替えを考えた時に、不動産屋も「建物の値打ちというのは築年数だけで決まるのではありません。この家なら建物の値打ちも算定できるでしょう」と言ったものだった・・・が、不動産屋にもいろいろあって、その後、貸すことを考えて見に来てもらったある不動産屋の担当者は、私が「この家は築年数はそれなりに建っていますが、小堀住研で建てた家で、建てた時点ではけっこうしっかり建てた家なんです」と説明すると、「◇◇の家も、ミサワの家でして」と言うので、こいつ、アホやな・・と思ったことがあったのだが、先の「建物の値打ちというのは築年数だけで決まるのではありません。この家なら建物の値打ちも算定できるでしょう」と言った担当者は実物を見て判断していたのに対して「◇◇の家も、ミサワの家でして」と言ったその比較的若い担当者としては、会社の名前で小堀住研(株)とミサワホームならミサワの方が上だから、「ミサワの家」と言えば「小堀の家」より上の評価を受ける、「小堀の家」は「ミサワの家」の下の評価だと思ったようだったが、そういう評価をする人間が現実にいるのです。だから、 「高級住宅の小堀」で建てた入居者としては、2代目社長の中島に「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とか、あっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりされたのでは、あるいは「胡散臭そうな不動産屋」と組んでの建売住宅のチラシを大量に入れられたのでは、「小堀の家」「エスバイエルの家」というものが、モノとしていいものかどうかと別の問題として、商品価値が下がってしまうことになり、入居者としては財産価値を低下させられたのと同じなのです。株の値段というのは、その会社の内容が実際にそれほど良くなくても良さそうと思われると上がることがあり逆もあります。土地の値段というのは、安い価格で売りにだす土地があると、その土地の条件が変わったわけでなくても周囲の土地の値段も下がってしまうことがあるのですが、同様に建物の価値というものも、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」だのとアホなことを社長に言いまくられると、又、「胡散臭そうな不動産屋」と組んでのレベルの低そうな建売住宅のチラシを大量に入れられると、「高級住宅の小堀」で建てた家の評価まで下がってしまい、入居者としては迷惑もいいところなのです。松川は「同業他社」から「誹謗中傷を受けた」と思ったかもしれないが、その「誹謗中傷」と松川が言う発言をした者としては「誹謗中傷」したつもりはなくて、その言った人間の頭の中にあるその時点でのエスバイエル(株)とエスバイエル(株)の商品のイメージを言ったのであり、エスバイエル(株)の経営者が自社と自社の商品をそんなイメージにしてしまっていた・・という可能性を考えないといけないはずだったが、「敗戦処理の社長」とはいえ「工事部出身の社長」とはいえ松川は社長でありながら、そのあたりについて理解できていないようだった。
《 L 》《 M 》「高級住宅の小堀」で建てた人というのは、その家というのは「住むための道具」であるとともに財産でもあるのですが、中島昭午に「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とかあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりされたおかげで、その財産価値を下げられてしまったのです。そういう人は、それから何十年か経ち、息子の代になり、家族構成も変わり、建て替えようかと考える人もあれば、独立した息子が家を新たに建てようという人も出てきます・・が、中島のおかげで財産価値を下げられて迷惑した人が、次に建てる時に、そんな会社で建てると思いますか? うちの知りあいの人で1960年代後半くらいに「高級住宅の小堀」で建てた入居者の人で、リフォーム工事を頼んだりした際の対応を見て「エスバイエルは、もう、前のような会社ではなくなりました」と言い、そして、「もう、エスバイエルに頼むことはありません」と言われた方があったのですが、そういう人は別に「同業他社」の人間ではないけれども、誰かに頼まれたわけでもなくても、そういったことを口にされたのです。そういう発言というのは「誹謗中傷」ですか? 違いますでしょ。「誹謗中傷」ではないし、「同業他社による」ものでもないのです。一度は、小堀住研(株)を評価して何千万円の契約をして建ててくれた人じゃないですか。松川は「反戦処理の社長」とはいえ、それでも社長なのにこのくらいのこともわからんのか。中島昭午が「見るからに胡散臭い」不動産屋と組んで安っぽい建売住宅を大量に始めて、建売住宅のいかにも安っぽい折込チラシを大量に入れた時、「高級住宅の小堀」で建ててくれた入居者と「高級住宅の小堀」に魅力を感じた見込客をすべてドブに捨てたのです。又、「高級住宅の小堀」の客層をドブに捨てたのとともに、「最低価格帯のカテゴリーキラーをめざす」などと中島昭午が言い出した時、「高級住宅の小堀」の客層だけでなく「高品質低価格」の「小堀ハウス55」の客層も自分でドブに捨てたのです。 「高品質低価格」の「小堀ハウス55」の客層と《「うわあ~あ。こんなんと関わったらあかんわあ」と見るからに思える胡散臭い不動産屋の建物》とは客層は違います。中島昭午は、千葉支店長の渡邊士直が「俺は中島社長から、会社の女である限り、いつでも、誰にでも、好きなだけ、尻を撫でまわしてもかまわんと許可されとるんじゃあ」と何度も言いまくっていたように、そういった人間が好きであり、中島昭午自身がそういった人間と同類の男だったようで、「高級住宅の小堀」の客層や《「高品質低価格」の「小堀ハウス55」》の客層とつきあうよりも、《「うわあ~あ。こんなんと関わったらあかんわあ」と見るからに思える胡散臭い不動産屋》とつきあう方が中島自身が性に合っていたようで、中島が性に合う相手とつきあうために、そのために「高級住宅の小堀」の客層も《「高品質低価格」の「小堀ハウス55」》の客層も自らドブに捨てたのです。一流企業ではない会社のオーナー経営者には、オーナー経営者の好みと会社の立場とを混同している人というのは、時々いるようで、「会社の為」と称して自分の趣向に合わせて会社の為にはならないことをやる人というのはいるようですが、中島昭午は、「高級住宅の小堀」も「高品質低価格の国家商品の小堀ハウス55」も「大卒しか採らない会社」というのもそれは初代の小堀林栄が小堀住研(株)につけた仮面であったかもしれないけれども、たとえ、仮面であっても、プラスの内容の仮面なら会社にとって役立ち、うかつにその仮面をはずそうとすると顔の皮膚まではがれてしまうような状態になると、仮面が必ずしも仮面でなくなってくるし、「嘘でも百回言えば真実」みたいになってくることもあるし、「嘘でも百回言えば真実」みたいになった会社というのはあると思うのだが、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい中島昭午にとっては「俺は中島社長から、会社の女である限り、いつでも、誰にでも、好きなだけ、尻を撫でまわしてもかまわんと許可されとるんじゃあ」というような人間や、《「うわあ~あ。こんなんと関わったらあかんわあ」と見るからに思える胡散臭い不動産屋》とつきあう方が性にあっていて、「高級住宅の小堀」の客層や《「高品質低価格」の「小堀ハウス55」》の客層とつきあうのは苦痛だったようで、「高級住宅の小堀」の客層や《「高品質低価格」の「小堀ハウス55」》の客層を自ら積極的にドブに捨てたのであり、そのかわりに《「うわあ~あ。こんなんと関わったらあかんわあ」と見るからに思える胡散臭い不動産屋》とつきあうようにしたものの、だからといって、そういう不動産屋の建売に適した商品を持っていたわけでもなく、「クローズド構法」の「木質パネル構法」は一定の品質よりも内容を下げにくいというのも《「うわあ~あ。こんなんと関わったらあかんわあ」と見るからに思える胡散臭い不動産屋》の建売には不向きでもあり、自分の品性に合わせるために、それまでの会社の歴史や商品に合わないことをやろうとして・・・、つぶした。「つぶれた」というよりも中島昭午が積極的に「つぶした」・・と考えるべきではないか。自分でそうやっておいて、「同業他社による誹謗中傷のために」などとは、松川はよく言うなあ・・と思います。アタマ、大丈夫か?
時々、「会社員は品行方正でなくても仕事ができればいいんだ」とか言う人がいますけれども、「俺は中島社長から、会社の女である限り、いつでも好きな時に、誰にでも、好きなだけ、尻を撫でまわしてもかまわんと許可されとるんじゃあ」とかいう人とか、そういう人が好きな人とかいうのは、「その程度のもの」ですよ。別の表現をするなら、そんな会社というのは「長い目で見るならばハリコの虎」ということになります。それがわからん中島昭午というのは、やっぱり「メカケの子」やなあ・・て感じ、「メカケ根性の男」やなあて感じがしますね。
《 L 》むしろ、松川は、私と会ったこともないのに私に誹謗中傷を加えていた男であり、自分が人に誹謗中傷を加えておきながら、「同業他社から誹謗中傷をうけたことが原因で・・」などと、あつかましくもよく言うものだとあきれます。たとえ、「敗戦処理の社長」であっても、こんな男が社長になるようでは、この会社は・・と思うとつぶれたわけで、つぶれる会社には「敗戦処理の社長」を務めるのもその程度の男しかいなかった・・ということか・・。
《 M 》滋賀県長浜市の県立長浜北高校http://www.n-nagakita-h.shiga-ec.ed.jp/ の応援部のホームページのコメント欄に、中島昭午 のことを「そうそうたるメンバー」などと書き込んでいた人がいたが、「会社をつぶしたアホの二代目」を「そうそうたるメンバー」とは「バッカじゃなかろかルンバ♪」て感じがする。中島による私に対する人権侵害を考えることもなく「そうそうたるメンバー」などと書き込んだ人はおのれの反社会的行動について反省してもらいたいものである。松戸営業課長の石井から聞いた話によると、小堀住研(株)は私が入社するより前から「客の女に手を出したらいけないけれども、会社の女にはいくら手を出してもかまわない会社」と言われてきたそうである。ある支店においては、社員旅行において、宴会で女性社員を下半身丸裸にして舞台の上で引きずり回すということをおこない、された女性社員がわんわん泣きわめき、ある男性社員があまりにもひどすぎると支店長に抗議したところ、支店長は「人が酒のんで楽しんどるんじゃ。がたがたぬかすなアホンダラ」とそう言ったそうだ。私は、《 L 》千葉支店長の渡邊士直から「この俺は、会社の女の尻をなでまわしてけれども、会社からはいっこうにいかんと言われとらんのじゃ。おれは中島社長から渡邊は会社の女である限り、いつでも誰にでも好きなだけ尻を撫でまわしてもかまわんと許可されとるんじゃ。俺は中島社長から許可されて会社の女の尻を撫でまわしておるんじゃ。中島社長がかまわんと許可されておることを、それをいかんと言ったおまえは、社長に逆らっておるんじゃ。社長に逆らうやつは会社やめろ、ごらあ~あ! おまえは中島社長から俺が認められた『会社の女の尻を撫でまわす権利』というものを侵害したんじゃ。おまえは『女性社員の尻を撫でまわす』という俺の人権を侵害したんじゃ。支店長の人権を侵害するやつは会社やめろ、ごらあ!」と増田和二・石井と3人で1人を取り囲んで長時間にわたって至近距離から大声で怒鳴り続けたのだったが、これは刑法上、暴行罪に該当するものである。増田和二と渡邊士直は共同正犯であり、石井は従犯であろう。中島昭午と富士銀行(現 みずほ銀行https://www.mizuhobank.co.jp/index.html )の頭取には使用者責任がある。渡邊士直は「俺は、中島社長から、いつでも好きなだけ、おまえに土下座させる権利というものを与えられとるんじゃ、ごらあ。おまえは俺が会社の女の尻を撫でまわすという中島社長から認められた俺の人権を侵害したんじゃ。土下座して謝れ、ごらあ! 土下座してこの俺に『支店長様が女性社員の尻を撫でまわしたのをいかんなどと言って申し訳ございませんでした。今後は絶対にそのようなことは申しませんから、どうかお許しくださいませ』と土下座して泣いて謝れ、ごらあ。俺が女性社員の尻を撫でまわしたのをいかんと言ったことを、この俺に土下座して謝れ、ごらあ! おまえは『支店長が女性社員の尻を撫でまわしたのをいかんと申しまして、誠に申し訳ございませんでした。今後は二度とそのようなことは申しませんから、どうかお許しくださいませ』と土下座して謝れという支店長の業務命令がきけんのかあ~あ! 俺は中島社長から、いつでもどれだけでも好きなだけおまえに土下座させる権利というものを認められとるんじゃ、ごらあ! 土下座せんかあ! 土下座して『今後は支店長が女性社員の尻を撫でまわすのをいかんとは決して申しません』と誓え! 業務命令がきけんのかあ~あ!」と、長時間にわたって密室で3人で取り囲まれた上で至近距離から怒鳴り続けられた・・が、これは刑法上、暴行罪に該当するものであり、代表者 代表取締役の中島昭午には使用者責任があるだけではなく、渡邊士直の発言によると、「俺は、中島社長から認められてやっとるんじゃあ」ということであるから、中島昭午自身に責任がある。中島昭午は、とりあえず、この増田和二・渡邊士直・石井の3名による暴行について、使用者責任があるだけではなく、渡邊の発言によると「中島社長から、いつでも好きなだけどれだけでも、おまえに土下座させる権利というものを認められておるんじゃ」ということであるから、もとより、私は中島昭午にそのような「権利」を認めた覚えはないのであり、もとより、中島昭午にありもしない「権利」を中島昭午は渡邊士直に認めていたのであるが、中島もまた、渡邊士直・増田和二らによる暴行について、共犯なのか教唆犯なのか共同正犯なのか、そのあたりは刑法上の問題、「刑法総論」の方での問題だが、いずれにせよ、中島昭午もまた、この件において犯罪者であるのは間違いないのであり、県立長浜北高校http://www.n-nagakita-h.shiga-ec.ed.jp/ の応援部のホームページにコメントを入れていた同校のOBの人は、犯罪者であり反社会的勢力である中島昭午を「そうそうたるメンバー」などと書き込むのは私に対する人権侵害に加担する行為であり、そのような行為は慎んでいただきたいものである。
千葉支店 支店長の渡邊士直が言うには、渡邊士直は社長で代表取締役の中島昭午から「渡邊は会社の女性社員である限り、いつでも、誰にでも、好きなだけ、尻をなでまわしてかまわないと許可された」ということだが、そもそも、中島昭午にそのようなことを許可する権利などない。むしろ、中島昭午は社長として、渡邊士直に、そのようなことはいけませんと注意してやめさせる義務がある。又、渡邊士直は社長の中島昭午から、「いつでも、好きな時に、すきなだけ、おまえに土下座させる権利があるんじゃ」と「認められとるんじゃ」と言ったのだが、中島は根本的に物事の考え方を間違えているようだが、もとより、私は中島昭午にそのようなことを認めたことはないし、中島が渡邊士直にそのような「権利」を認める「権利」も「権限」もない。逆に、中島昭午は社長として、渡邊士直にそのような考えをしてはいけませんと注意し指導する義務があり、それを怠っている中島昭午と小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) は 保護義務違反 と評価される。社長としての義務を果たすことができないのであれば、中島昭午は社長の職を辞めた方がいいだろう。↓

社長よあなたがお辞めなさい―変身できないあなたこそ会社のガンだ! - 精治, 安達
( ↑ 『社長よ、あなたがお辞めなさい』 )
渡邊士直は、「支店長」にならせてもらったから、「支店長」というのは自分より役職が下の者には、誰にであれ、いつでも、好きな時に、好きなだけ、「支店長が女性社員の尻を撫でまわしたのをいかんなどと言いまして申し訳ございませんでした。今後は決して、支店長が女性社員の尻を撫でまわすのをいかんなどとは申しませんので、どうか、お許しくださいませ」と言って土下座させる「権利」があると主張していたのだが、そして、富士銀行から出向できていた東部営業本部長の増田和二がそれに同調していたのだが、そのような「権利」などというものは、誰が誰に対してでも存在しないし、決してそのようなものを認めてはならないものである。富士銀行はそのようなものを小堀住研(株)の従業員に認めさせようとする反社会的勢力の男 増田和二を小堀住研(株)に送り込んで、小堀住研(株)の従業員に迷惑をかける「権利」などというものはない。たとえ、富士銀行が小堀住研(株)の大株主であっても、そのような「権利」は存在しないし、もしも、存在すると富士銀行の頭取が主張するのであれば、その頭取もまた反社会的勢力であると断定せざるをえないであろう。
又、「いつでも、好きな時に、好きなだけ、土下座させる権利がある」などということは、これは誰が誰に対してでもそのような「権利」は存在しないし、存在してはならないものであるが、時々、そのような「権利」があると思い込んでいる人がいるようなのであるが、もしも、渡邊士直が私に対して、そのような「権利」があると思っているのなら、それは、むしろ、逆のはずだ。私は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースに応募して採用されて入社した人間であるのに対して、渡邊士直は「底辺の高校卒の人のコース」に入社した人であるのだから、もしも、どちらかがどちらかに「いつでも、好きな時に、好きなだけ、土下座させる権利がある」ということなら、私が渡邊士直に対してそのような「権利」があるということになるはずであり、逆ではない。決して渡邊士直にそのような「権利」があることにはならないはずである。もちろん、たとえ、そのような「権利」があっても、私はそのようなおかしな「権利」を行使しないし、そのような「権利」などは誰が誰に対しても存在しない。
もしも、私がここに述べたことが間違っているのなら、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) は倒産することなく今も存続し繁栄していることだろう。そうではなく、倒産してヤマダ電機に「いぬき」で買収されてリフォーム部門の「リフォームのナカヤマ」とともに(株)ヤマダホームズとなって「エスバイエル」という安もんくさい名前は消えた(ヤマダ電機は消した)ということは、ここで私が述べたことは間違っていない・・ということである。『旧約聖書 ヨナ書』では、ヨナは「このままでは、ニネヴェの街は滅びる」と預言し叫ぶが人々はヨナの言うことを聞かず、ニネヴェの街は滅びる。ヨナに限ったことではなく、『旧約聖書』に登場する預言者は人びとの為を思って、このままでは滅びることになると叫び警告するが、多くの者はきかない・・という話がいくつもある。小堀住研(株)の経営者も、もうちょっと私を大事にして私の言うことに耳を貸すようにすれば、つぶれず、むしろ、繁栄したかもしれないのに、やっぱり、「メカケの子」なのか「メカケの娘の婿」なのかと「銀行から派遣されてきた『資本家のバカ息子』」とが「上級国民」となって一般従業員を支配するような会社はあかん・・ということ・・かな・・。
会社員が仕事で住宅展示場に行くのに、行き方をそこの展示場の従業員に電話できくか近隣の展示場の従業員にきくかするか、もしくはバスの運転手なり駅員なりにきけば行き方を教えてくれたと思われるのに、わざわざ、遠回りして遠足みたいに40分以上も勤務時間中に歩いてくるおっさん・・というのは、その時間のそのおっさんの給料を会社に無駄にさせている(その時間にそのおっさんに他のことをさせるより害が少なかったかもしれないが)というものであった。
銀行から「融資を受ける」のではなく「出資を受ける」と、それは「借金」ではなく「自己資本」と評価されるので、見かけは良さそうに見えるかもしれないが、その見返りとして、銀行から「新人類」か「異星人」かみたいなおっさんを送り込まれることになる。そういう人は「資本家のバカ息子」の役割でやってきて、最初からその会社に入社して従業員を自分たちの使用人みたいに思い、自分たちはその会社の「上級国民」か何かのような意識で、本来の役職よりも高い役職につき、本来より高い給料を盗り、結果としてその会社をつぶすに至る・・ことが考えられる。 そうして、つぶしたあかつきには、銀行は、最後に、破産管財人みたいな社長を送り込み、「売れる物を売って、取れるだけ取って」そして、銀行から来ていた取締役は銀行に去って行く。
そうされないようにするのが、最初からその会社に勤めた「オリジナル従業員」とオーナー経営者の仕事ではないかと思うのだが、オーナー経営者がアホであると、銀行から来たアホと創業者一族のアホとで、「アホとアホとのコラボ」を実行して、従業員がバカを見さされる・・ということになる。
「奥さん」と「メカケ」は同じではない。 本来、「社長」というのは社長であるからいい思いをすることもあるとしても、社長であるから大変なところもあるはずで、「奥さん」というのも社長とこの点では共通しているはずだが、ところが「メカケ」というのは奥さんと同じではなく、メカケは社長から自分が利益を獲得するのがメカケ業の仕事であって、社長がその会社をよくするか悪くするかは「そんなの関係ねえ」というのがメカケである。(まあ、世の中には、メカケみたいな「奥さん」もいるかもしれないけれども。) 「奥さんの子供」と「メカケの子」とは同じではない。「メカケの子」は意識として「メカケの意識」を引き継いでいることがある。 小堀住研(株)の2代目社長の中島昭午も、「メカケの意識」を持った社長だったと、今になってみるとわかる。従業員に気持ちよく働いてもらって成果を出すことよりも、「メカケの子」の言うことに服従するかどうかを重視する男だったようで、その意識が強烈に発揮されて、「メカケの子」について甘い汁を吸おうとするような「有害人材」を周囲に抱えこむと・・・、それに銀行から来た、出向先会社には忠誠心などまったく持たないような連中とのコラボができると、もはや、その会社を良くして行こうとする人間は追い出されてしまうことになり、そういう会社は・・・・「おまえは、もう、死んでいる」状態になる。こんなことしたらいかんと思うがなあ・・と思っていると、まさに「あっ」と言う間に・・つぶれた・・( 一一)
「太陽+神戸」銀行に「出資」されたおかげで、「太陽+神戸」銀行から、銀行では別に要らんという「人材」であるから小堀住研(株)に送りつけられた前野和彦は顔みてもあんまり賢そうな顔してないし、フガフガした話し方で、「銀行の男」ならもうちょっとハキハキした話し方しろよ・・て感じの男だったが、又、太陽神戸銀行というのは「都市銀行」の1つのようでいて、実は、しょせんは「太陽+神戸」銀行であって「2流以下銀行2つが合併した銀行」だな・・という印象をこの男を見て受けた。「(太陽+神戸)+三井」=さくら と、「住友+平和相互」=住友 が合併して、名前としては、三井と住友が残って、太陽・神戸・平和相互が消えたが、名前が消えるだけあって、「太陽」も「神戸」も、しょせんは「平和相互」と同程度の銀行だったのではないか・・という印象をこの男から判断すると思えた。
この男がやったことは、会社にとって相当大きなマイナスになる非常識な行為をおこなっているのだが、この稿は、もともと、《北野天満宮への経路として「嵐山」経由はあまりにも遠い》というところから述べたので、「松戸新田駅から40分以上も勤務時間中にハイキング」という部分について述べた。他の部分も、また別の機会に述べたいと考えている。銀行から「融資」ではなく「出資」されると、「勤務時間中に40分以上ものハイキング」をふんぞり返ってやる男を高い給料払わされて雇わされることになる。 「融資」より「出資」の方がいいということはない・・・と、この男など、小堀住研(株)に銀行から来ていた連中を見るとよくわかった。
(2021.5.31.)
(元の文章作成・公開は2021.5.19.)
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビル。「西院」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。〔今回〕

銀行・証券ここまで書いたら潰される―金融業界の裏側 (カッパ・ビジネス) - 小沼 啓二
1980年代後半、小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)・・・→(株)ヤマダエスバイエルホーム⇒(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ 〕〔「・・・」の部分は、この会社は、一度、つぶれて、つぶれた会社をヤマダ電機(株)が「いぬき」で買い取ったのでその間を「・・・」と表現して、それより前とその後を分けた〕で、新卒入社の従業員の入社式の後の立食パーティーの時、太陽神戸銀行から出向で来て、いきなり常務取締役 西部営業本部長になった大野という男性が・・といっても、銀行の仕事と戸建住宅建築業の仕事は別ですから、銀行でどうであったかにかかわらず戸建住宅建築業の仕事に携わったこともない人が、いきなり「西部営業本部長」などというものになって、その役割が果たせるか・・というと、まず無理であろうと考えられたのですが、その大野が私に「小堀住研(株)は無借金経営です。銀行から人が来ているのは、あくまで、人材が不足しているから来ているのであって、借金しているから銀行から人が来ているのではないのです」と言ったのだった。しかし、それにしては、取締役の半分・監査役の半分が銀行から出向してきて人間だというのは、それはいくらなんでも多すぎるのではないのかと思われた。「人材が不足している」という話については、社長の次の副社長の次の専務の次の常務が3人いたうちの2人は、太陽神戸銀行から出向できた大野と富士銀行(現 みずほ銀行)から出向できた増田和二で、1人だけの銀行系ではない常務だったKさんからも「うちの会社はまだまだ人材が不足していますから」と聞いたし、それは実際に入社して、特に総務・人事関係の人を見て「たしかに『人材が不足している』なあ」と実感したのだが、銀行から出向で来ていた人間が何人も来ていたというのが、それが「借金しているからではないんです。人材が不足しているから来ているんです」という部分については、「そうかあ?」・・とそのままは受け取れなかった。
まず、戸建住宅建築業の仕事と銀行の仕事は別の仕事であり、たとえ、銀行で相当優秀であった人でも、戸建住宅建築業の会社に出向して、いきなり成果を出せるというものではないはずだ。人間は若いうちは可能性があるが、年齢とともに可能性を失っていくかわりに実績・経験ができてくる。銀行の経験がある程度ある人で可能性もまだ持っている人が来るなら、しばらく後に相当の成果を出すこともあるかもしれないが、銀行の経験があって可能性は残っていない人が戸建住宅建築業の会社に来て、戸建住宅建築業の会社で即座に成果を出せる「人材」になれるのか? 今となっては10年以上前だが、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた就職支援セミナーで、講師の人が「『中高年』という言葉は、一般の用語と就職の際の用語では意味が違って、就職の場合には『中高年』というのは、男性で35歳以上・女性で28歳以上を『中高年』と言うのです」と話されたことがあったが、その「男性で35歳以上・女性で28歳以上」という年齢というのは「それまでにまったく経験していない仕事には応募しても採用されにくいという年齢」ではないか、又、逆に、それまでに経験した仕事そのまんまでなくても、それまでに経験した仕事となんらかの関係がある仕事に応募した方が採用されやすいという年齢ではないか。それまでやってきた仕事そのまんまが最適とは限らないが、それまでやってきた仕事の隣くらいの仕事の方が適性があるという場合もあるとは思うが、まったく関係のない仕事には希望しても採用されにくいし、又、まったく関係のない仕事にあえて就こうとする必要もないと思われる。世間一般にはそう見られている。それを、「銀行の男」だけは、《就職における用語としての「中高年」》ではなく《実質的に「中高年」》もしくは《実質的に「高年齢」》「新しいことに挑戦する意欲なんて明らかにない人」「認知症はじまってる体だけ元気な年寄」「デイケアセンターにお金を払って行くより小堀住研(株)にお金もらって行った方がいいという気持で来ている人」「シルバー人材センターに勤めるより小堀住研(株)に勤めた方が楽して高給もらえると思って来ている人」を他の業界にいきなり出向させて、常務取締役だの〇部営業本部長だのなんて、できるのか? 「銀行の男」だけはできるのか? ・・・結論として、1988年に富士銀行から出向できた東部営業本部長の増田和二はできていなかった。まったく、できていなかった。最初から小堀住研(株)に入社した従業員に大きな迷惑をかけていた。大きな迷惑をかけてそれで平気でいた。「銀行の男」の特権と認識していた。トマス=サズ『「精神医学」という神話』(岩崎学術研究社)で、ニューヨーク州立シラキュース大学の「精神科」教授トマス=サズがアインシュタインの言葉を引用しているのだが、その言葉「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」から判断するならば、富士銀行は自分の所に置いておいたのでは仕事の邪魔になる人間を小堀住研(株)に厄介払いで送りつけていた。
もしも、新卒入社でなかなか優秀な人間を採用できないから、だから、いったん他の会社、他の業界にでも勤めて30歳くらいになったような人を採用するとか、大卒は「2年遅れまで」ということにしている会社があるけれども、それを「3年遅れ」「4年遅れ」くらいの人はいいことにして採用するとか、そういうことなら、わかる。しかし、「人材が不足している」としても、取締役の半分・監査役の半分が銀行から出向で来た人間というのは多すぎる。
又、太陽神戸銀行から出向で来た常務で西部営業本部長になった大野の場合は、まだしも、外観の印象としてはまだこれからやっていける人かという印象を受けたが、富士銀行から来て常務で東部営業本部長にならせてもらった増田和二の方は、外観も「もう、終わった人」「もう、引退してもらった方がいい人」という外観であり、『有価証券報告書』の記載によると、東北大法学部卒で富士銀行のどこかの支店で2年ほど支店長をやったらしいけれども、対応能力も「この人、本当に銀行で支店長できたのお?」て感じであり、「この人、ほんとに旧帝大系国立大学卒なのお? この人、高卒の人と変わらんのと違うのお!」という人間であり、《一応「旧帝大系国立大卒」であっても口にする内容も「底辺の高校卒」の男と特に変わりのない男》だった。
そして、私は最初、「銀行から来た人」というのは取締役の半分・監査役の半分だけだろうと思い込んでいたのだが、実はそうではなく、それより下の役職でも何人も来ていたようだったのだ。そういう人というのは、総務部とかに所属していたのだが、なぜ、総務部かというと、「営業では使い物にならないし、戸建住宅建築業の会社の技術系の能力はない」から、だから「総務でもさせておくしかないか」もしくは「デモシカ総務デモさせておくシカないか」という「デモシカ総務」か総務でなくても同様の職種で出向で来ていた。そういう人は1人ではなく何人かいたようで、かつ、そういう人というのは、そのまま、銀行にいた場合の役職よりも高い役職をもらって小堀住研(株)に来ていた。 「横すべり」ではなく、ぴょーんと上に跳ね上がったような役職をもらって来ていたのだった。この状態は、最初から小堀住研(株)に入社した従業員にとっては「あほくさい」状況であり、従業員の間では「ま~た、銀行から来た何もわからんやつが重役になるのか」という言葉が出ていたが、取締役・監査役だけではなく、それより下にも、銀行では要らないと判断されたような人が送り込まれていて、しかも、そういう人が高い役職をもらっていたのだった。
小堀住研(株)は1960年代後半頃から「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と言いまくっていた。そういう会社だったはずで、慶應大学に小堀住研(株)が出していた求人票には「応募資格」は学歴が「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で資格として「普通自動車第一種免許」保持者か、学歴が「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」で資格として「普通自動車第一種免許」保持者だったはずだが、そして、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」か「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」の勤め先に応募して入社したはずだったが、ところが、入社してみると高卒の人がいた。なんで? なんで、その人はそこにいるの? しかも、「高卒の人間がいて、しかも、高卒の人間がえらそうにしている」と4年制大学新卒で入社した人間は誰もが怒っていた。1989年7月から千葉支店の支店長の辞令が出たにもかかわらず7月の下旬にやっと赴任した渡辺士直も熊本県の底辺の高校卒の男だったが、小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」のはずなのに、なんで、その人がそこにいるのか? なぜ、その男は当たり前みたいな大きな顔してそこにいるのか?・・マカ不思議だった。
《α》1988年に富士銀行から出向できて小堀住研(株)では何の功績も残していないにもかかわらず常務取締役・東部営業本部長にならせてもらった増田和二は、『有価証券報告書 小堀住研(株)』によると富士銀行のどこだったかの支店の支店長を2年ほどちょろっとやったという男だったようだが、見た目も人との対応もしっかりした感じではなく、「(東部営業)本部長、頭、ぼけてる」と従業員の間で言われていた。最終学歴は東北大学法学部卒ということだったが、東北大学という大学を「旧帝大」だからということで、東大・京大・阪大の仲間と思っている人がいるが、実際には、宮城県の仙台にある東北大は岩手大・福島大・山形大の仲間・・という性格の方が強い。慶應大学商学部の教授で、講義の中で、東北大学卒で国家公務員をやっている人から、「あまりにも特定の大学の出身者ばかりだと組織が膠着してしまうところがあり、特に国家公務員には国立大学卒の人間が多いが、もっと私立大学卒の人、特に慶應大学卒の人に来てもらいたい。慶應大卒の人は実によく伸びる」と言われた・・と話されたことがあったが、その教授が「旧帝大卒の人だって悪くないでしょ」と話したところ、「ところが、東北大とか旧帝大卒の人には『伸びきったパンツのゴムみたいな人』というのがいるんですよ」と言われたという。「大学に入るところか大学を卒業するところで止まってしまって、もう、そこから伸びない人というのがいる」と言われたそうだ。増田和二を見て、その教授が言われた言葉を思い出した。増田和二なんかは、「この人、ほんとに旧帝大系国立大学卒なのお?」という感じがした。富士銀行に入社した時点で「伸びきったパンツのゴム」みたいに止まってしまった男で、富士銀行で支店長を2年ほどちょろっとやったものの、富士銀行では、この人は「もう要らない人」と認定されて、それで小堀住研(株)をゴミ箱かわりとして小堀住研(株)に送りつけられた・・・みたいな感じの男だった。
私は大学4年の時に、その頃は東京駅の丸の内側の丸の内ビルの中にあった中国銀行(岡山の中国銀行ではなく北京の中国銀行)の東京支店に会社訪問に行ったことがあったが、その際に会ってもらった方は三井銀行から出向で「顧問」として中国銀行東京支店に来ていた方だったが、慶應大学経済学部卒の方で、同じ大学の出身ということで同社と関係のないことも聞かせてもらったのだが、「この人、けっこう年齢はいっているようだけれども、しっかりしてるなあ」という印象を受けた。だから、「銀行から出向できた人」と聞いた時、最初、私はその方を思い浮かべたのだったが、富士銀行から出向で小堀住研(株)で来ていた増田和二などは、その三井銀行から中国銀行に「顧問」として出向していたMさんとはまったく違った。なぜ、そこまで違ったか・・・というと、それはまず第一に「外資の銀行が日本で支店をもってやっていく上で、三井銀行にお願いして顧問として来てもらっていた人」と「富士銀行に株を持たれたことから、富士銀行から『富士銀行では要らない人』と認定された人をゴミ箱がわりとして小堀住研(株)に送りつけられた人」との大きな違いだったのではないか。「お願いして来てもらった人」と、そうではなく、「銀行から送りつけられて、高い役職をつけさせられた人」との違いというのは、これは、やはり、相当大きかったようである。
中国銀行で会ってもらったMさんは、過去にヨーロッパ系の外資系銀行に「顧問」として勤務したこともあったそうだが、外資系の銀行が日本に支店を持ってやっていくために、日本の銀行にお願いして「顧問」として来てもらった人と、銀行に株を持たれたことから有無を言わさず銀行から送りつけられた役立たずとでは、大きく違うのは当然だったようだ。佐藤優『国家の罠』(新潮文庫)および佐藤優氏がモデルの憂木護という人物の話『憂国のラスプーチン』では、外務省の西郷さんだかが「有能でやる気がある人と、有能だがやる気がない人と、無能でやる気がある人と、無能でやる気がない人と、この4種の人間で組織にとって最も害があるのはどのタイプだと思うか」と佐藤優氏に言い、佐藤優が「無能でやる気がない人でしょうか」と言ったところ、「ブー」と言い、「そうじゃないの。無能な人はやる気がない方がいいの。一番、害があるのは『無能でやる気がある人』」と言われたという話が出ている。2011年の福島第一原発事故の後、週刊誌に載っていた話では、東京電力の社長の某さんは、いつも、社長室で一日中、仕事しないで哲学書を読んでいるという話で、かつて、憲法学者だった黒田良一が大阪府知事だった時、府議会が紛糾してどうにもこうにもならないという時に、黒田さんはどこ行ったんだ・・と探したら、知事室で一人でテレビで『水戸黄門』見ていた・・という話が新聞に載っていたのを見たことがあるが、増田和二も余計なことしないでおとなしく「常務室」にでもこもってコーヒーでも飲みながら、テレビで『水戸黄門』でも『遠山の金さん』でも『大岡越前守』でも見るか、哲学書でもエロ本でも見るかしていてくれた方が従業員にとってはありがたかった。実際のところ、増田和二は「仕事の邪魔」だった。「入院療法」を受けてもらって座敷牢にでも入っていただいた方が一般従業員としてはありがたいところだった。

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―(新潮文庫) - 佐藤 優
《 α 》又、私が高校を卒業した1970年代後半あたりにおいては、法学部と経済学部・商学部・経営学部では、国立大学は法学部の方がいくらか入試の難易度が高かった。東大などは民間企業よりも公務員を目指す人が多い大学だからということもあっただろうけれども、慶應大は「慶應の経済」が看板学部だったが、国立大学の場合は法学部の方が経済学部よりいくらか難しい所が多かった・・のだが、公務員になるなら法学部の方が経済学部・商学部・経営学部よりいいかもしれないが、民間企業の場合はそうでもなく、経済学部・商学部・経営学部の方が役立つものはあると感じたし、特に商学部的発想・マーケティング的発想というものが東北大法学部卒だという増田和二にはまったく見られなかった。私は、たとえ、経済学部・商学部卒でも会社という所に勤めたなら「法学部的発想」も身に着けるべきであるし、法学部卒でも「商学部的発想」というものを身に着けるべきものであると思い込んでいたのだが、増田和二の場合は「商学部的発想」というものは微塵も感じられない男だった。
1989年に太陽神戸銀行から出向できて、小堀住研(株)ではまったく何の功績も残したわけでもないのに、いきなり、常務取締役・西部営業本部長になった大野は「銀行に借金があるからではないんです。あくまで、人材が不足しているから来てるんです」と言ったのだが、もしも、「人材が不足しているから」なら、なにゆえ、銀行からばかり来るのか? ・・・うちの父親の勤め先では、やはり、「人材が不足している」と社長は考えたようだったが、それで、けっこう大企業だったが経営がうまくいかなくて倒産した会社とかに勤務していた人とかで自社に採用すると役立ちそうな人を中途採用で採ったりしていた。そういうことならわかる。しかし、小堀住研(株)の場合は、太陽神戸銀行から出向できて、いきなり常務取締役・西部営業本部長になった大野は「銀行に借金があるから来ているのではないんです。人材が不足しているから来ているんです」と言うけれども、なんで、銀行からばっかり来るんだ? そもそも、銀行というのは、そんなに「人材」があり余っているのですか??? とりあえず、そのへんの銀行に行って見て、「有能な人材」がその辺にごろごろ転がっていると思うか? 「バッカじゃなかろかルンバ♪」みたいなおっさん、いてないか? たとえ、銀行に「有能な人材」がいたとしても、そんなに「有能な人材」なら自分の所で使わないか?
大野が「銀行に借金があるわけではないんです。小堀住研(株)は無借金経営なんです。借金があるから銀行から来てるのではないんです。人材が不足しているから来てるんです」と、私が「銀行から取締役として来られたというのは、銀行に小堀住研(株)が借金があるということでっしゃろ」なんて一言も言っていないにもかかわらず、言い訳みたいに言うのだったが、それを聞いて私が思ったのは、慶應大学商学部の「会計学総論」という講義で、教授が会計帳簿のつけ方によって、利益が出ているのにたいして利益が出ていないように見せたり、逆に利益が出ていないのに利益が出ているかのように見せたりするということは、実際問題としてできるという話をされたことがあったのだが、それを思い出した。
それとともに、「転換社債」というものを思いついた。「転換社債」というのは、会社が一般人に社債を売るのだが、社債ということは借金であり、期間が満了すると会社はそのカネを返さないといけないものであるが、「転換社債」というのは、購入者は満期時にカネで受け取るのか、その会社の株で受け取るのか選ぶことができる。株で受け取ったならば、会社はカネを返す必要はない。転換社債は社債であった時は借金だから「他人資本」だったカネが、満期に株で受け取ると、株は「自己資本」であって借金ではないので、借りたカネを返したわけでもないのに、あ~ら不思議、あっと言う間に「自己資本」・・・て、なんだか魔術みたいだが、現実にそうなるのだ。さらに、「転換社債」なんて、まわりくどいことする必要もないのではないか。最初から株を買ってもらえば、カネだけもらって「自己資本」、「無借金経営」ということになるではないか!
伊藤 真(いとう まこと)『講義再現版 伊藤 真の会社法入門』(2019.10.5.日本評論社)には次のように書かれています。
《 一番手っ取り早いお金の集め方は、会社が銀行からお金を借りる方法です。でも、この方法では、会社は、あとで銀行に利息を付けて借金を返さなければならないので、会社にとって負担が重い資金調達方法なのです。そのため、短期であれば有効といえますが、新しい工場をつくるための設備投資といった、比較的長期間で多額の資金調達には向いていないのです。
では、会社が返さなくてもいいお金の集め方はないのでしょうか。そんな調子のいい方法はあるのだろうかということですが、あるのです。新たな株主を募集して出資を募ればいいのです。集まったお金は出資金ですから、期間が経つと返還しなければならないというものではありません。株式会社の場合、このようにしてお金を集めることができます。これを新株の発行といいます。 》
《 多額かつ長期の資金調達は、普通の借入れの方法では難しいものです。そこで、会社にとって重要なのは、新株の発行・自己株式の処分と社債の発行による資金調達です。このうち、新株発行と自己株式の処分とは、その経済実態は同じものであることから、会社法では、募集株式の発行等という概念を使って一元的に規律しています。》
《 このように社債と株式とはよく似ています。しかし、会社は、社債に対して払い込まれた資金は期限には返済しなければならないのに対して、株式の割当てに応じて払い込まれた資金は返済する必要がありません。ここがもっとも大きな違いです。
また、両社は、会社に対していかなる権利を有しているかといった点においても違います。すなわち、社債は会社に対する債権にすぎないことから、社債権者は単なる債権者にすぎず、会社の経営に一切関わることができません。 これに対して、株式には、株式会社の社員たる地位に基づくさまざまな権利が含まれています。したがって、株主は、株主総会に出席して議決権を行使したり、議案を提出したりして、株式会社の経営に参加することができるのです。》

伊藤真の会社法入門 講義再現版 - 伊藤 真
その頃の小堀住研(株)の実態は、もう、ここにすべて書かれていますね。『会社四季報』(東洋経済新報社)・『会社情報』(日本経済新聞社)や『有価証券報告書 小堀住研』を見ると、はっきりと出ていたのです。上位の大株主は誰か。2代目社長で初代社長の小堀林衛の「甥っ子」と言っていたけれども実際は「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があった中島昭午の名前がありましたが、他は銀行ばっかり。そして、銀行の中で一番上に名前があった銀行、銀行の中で持株比率が最も高かったのが富士銀行だったのです。
伊藤塾長も書いていますね。《社債は会社に対する債権にすぎないことから、社債権者は単なる債権者にすぎず、会社の経営に一切関わることができません。これに対して、株式には、株式会社の社員たる地位に基づくさまざまな権利が含まれています。したがって、株主は、株主総会に出席して議決権を行使したり、議案を提出したりして、株式会社の経営に参加することができるのです。》と。 富士銀行(現 みずほ銀行)とか太陽神戸銀行とかは、《株式には、株式会社の社員たる地位に基づくさまざまな権利が含まれています。したがって、株主は、株主総会に出席して議決権を行使したり、議案を提出したりして、株式会社の経営に参加することができるのです。》ということで、役立たずを何人も小堀住研(株)に送り込んでいたのです。そうやって来た人の中に「有能な人材」も中にいたかもしれませんが、たとえ、「有能な人材」がいたとしても、その人の「忠誠心」は銀行の方を向いていて、決して小堀住研(株)の方を向いていないのです。そういう「人材」を大量に送り込まれていたのです。もしも、「借金」であったなら、《社債は会社に対する債権にすぎないことから、社債権者は単なる債権者にすぎず、会社の経営に一切関わることができません。》のに対して、《株式には、株式会社の社員たる地位に基づくさまざまな権利が含まれています。したがって、株主は、株主総会に出席して議決権を行使したり、議案を提出したりして、株式会社の経営に参加することができるのです。》ということで、「株式会社の経営」に口出すのです、銀行が。それで、銀行から「人材」が来ていたのです。大野は「ナマ言うんじゃねえ」てところです。「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」てところです。
銀行から出向で小堀住研(株)に来ていた人というのは、取締役の半分・監査役の半分・・というと、相当多いのですが、私は、最初、それだけだと思い込んでいたのでした・・・が違った。そうではなく、取締役未満の人間でも「銀行から来た人間」というのがけっこういたようなのです。かつ、そういう人というのは、その人の身の程よりも高い役職につけてもらっていたのです。 こうなると、最初から小堀住研(株)に入社して「会社のために」「滅私奉公」を繰り返した者としては面白くありません。
銀行から出向で小堀住研(株)に来た人間というのは、その銀行では他の従業員に対して特別に有利な立場ではなく、一従業員の立場であって他の従業員と対等です。しかし、銀行から小堀住研(株)に出向で来ると、小堀住研(株)においては最初から小堀住研(株)に入社した従業員に対して支配的立場になり、支配的態度、特権階級としての態度を取るのです。いわば、「上級国民」「上級従業員」の態度をはっきりと取るのです。 一般従業員は「銀行から来た男」の奴隷にされる義務があるのでしょうか? 一般従業員を「銀行から来た男」は奴婢として扱う権利があるのか・・というと、そんなものは人権侵害であるはずだが、ところが、「銀行から来た男」たちはそれが自分たちの「当然の権利」だと心の底から思っている。
銀行から出向できた従業員というのは、最初から小堀住研(株)に入社した従業員に対して、いわば「大株主のバカ息子」の態度をはっきりと取るのです。・・・こうなってくると、そんな会社、最初から小堀住研(株)に入社して、「会社のために」「滅私奉公」を続ける従業員からすると、あほくさい、やってられるか!!!・・・という会社になってきます。となると、そんな会社というのは・・・、
「おまえは、もう・・・、死んでいる」
という状態に近い会社となります。
※ 《YouTuveー【公式】北斗の拳 第1話「神か悪魔か!? 地獄にあらわれた最強の男」》https://www.youtube.com/watch?v=gplh7VWmsng
・・実際、小堀住研(株)は1989年に初代社長でその時は相談役だった小堀林衛が他界した後、1990年に「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい中島昭午が会社名から「小堀」を取り除いて「エスバイエル(株)」というよくわからん名前に名称変更した後、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」などとアホなことをあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりしまくって、そして、「高級住宅の小堀」として得た評判・評価をドブに捨てて、そのうち、富士銀行から出向できた男が破産管財人みたいな代表取締役・社長に就任して、大阪駅前の一等地の本社ビルを売り飛ばすなどして、富士銀行は「取れるだけとって去った」ようで、そうすると、「借金があるから来ているのではないんです。人材が不足しているから来てるんです」というはずだった銀行から出向で来ていた取締役はいっせいにいなくなり、その後、積水ハウス(株)から来た男が社長になったというのは、積水ハウス(株)はかつて在来木造のトーヨド建設を買収して積水ハウス木造(株)にしてそれを積水ハウス(株)に組み入れて木造部門としたように、小堀住研(株)↓エスバイエル(株)も買収することを検討して偵察要員としての社長を送り込んだのかと思ったが、積水ハウス(株)はマイナスのイメージがしみついて「エスバイエル(株)」なんか買収しても「うまみがない」と判断したのか、積水ハウス(株)から来た社長も去り、その後は松川という大阪工大卒の男が敗戦処理みたいな社長になって敗戦処理は敗戦処理としての役割を果たしたのか、きっちりと倒産して、倒産した会社をヤマダ電機が「いぬき」で買い取って、(株)ヤマダエスバイエルホームとし、その後、やはり、ヤマダ電機が「いぬき」で買い取った「リフォームのナカヤマ」と一緒にして(株)ヤマダホームズとして、いくらかなりとも評価される可能性が残っている「小堀の家」という名前は(株)ヤマダホームズは復活させて、逆にマイナスのイメージしかない「エスバイエル」という名称は会社名からも消した。ヤマダ電機は「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかよりは賢いようだ。
( γ )入社式の後、太陽神戸銀行から出向で来て、戸建住宅建築業の経験なんてまったくないにもかかわらず、いきなり「常務取締役」「西部営業本部長」にならせてもらった大野が言った「小堀住研は借金があるから銀行から人が来ているのではないんです。人材が不足しているから来ているんです」というのは、やっぱり、嘘だった。もしも、「人材が不足しているから銀行から人が来ている」のであれば、富士銀行出身の破産管財人みたいな代表取締役・社長が大阪駅前の本社ビルを売り飛ばすなどして「取るだけ取って」去った後も銀行から来た取締役・監査役は残っていいはずだったが、破産管財人みたいな富士銀行から来た社長が去ると同時に、「銀行から来た取締役」「銀行から来た監査役」は全員が瞬時に消えていなくなった・・ということは、やっぱり、「融資」でなくても「出資」を受けていたか両方かであったから、だから、「銀行から来た取締役」「銀行から来た監査役」が大量にいたということだろう。・・それにしても、太陽神戸銀行から出向で来た大野は、私の方からは「銀行から来た人」が多いということなんて一言も話していないのに、なんで、わざわざ、「小堀住研は無借金経営の会社です。銀行から人が来ているのは、あくまで、人材が不足しているから来てるんです。借金があるから来てるのではないんです」などと、嘘をつくのだろうなあ?!? 業種にもよるが、銀行という業種は、そういう嘘をつくやつというのは「信用できないやつ」という評価を受けて銀行業としてはマイナスではないのか・・と思うがなあ・・・( 一一)
「無借金経営」は必ずしもいいとは言えない。「借金だらけの会社」がいいということではないけれども、借金ならば、債権者は貸したカネを返せと言うだけであるのに対して、株を持たれてしまうと、その会社の仕事なんてちっともわかっていないだけでなく理解しようという意思もなく、その会社をよくしたいという気持なんて毛頭もっていないヤカラが銀行から大量に送り込まれてくるということになる。かつ、そういう連中は、そのまま、銀行にいた場合の役職よりもひと回りか二回り高い役職を小堀住研(株)では獲得して、小堀住研(株)に最初から入社した一般従業員を人格的に支配しようとする。いわば、「銀行から来た男」は「大株主のバカ息子」の役割を小堀住研(株)に来て一般従業員に対しておこなうのである。そういう人間というのは、一般にあまり賢くないので、自分がそういうふるまいをおこなっているということを自覚できていない人がいる。「精神医学」用語で表現するならば「病識がない」人間である。銀行に入社する時点では「普通の従業員」である者が小堀住研(株)に銀行から出向で来ると「特権階級従業員」になり、最初から小堀住研(株)に入社した従業員より働かないくせして特権を主張し行使するのです。そんな人間が、取締役未満でもいたのです。銀行に食いつかれた会社というのは、いわば、がん細胞に犯された人間みたいなものです。「無借金経営」というのは、実態としてそういうものだったのです。銀行に借金がなかうて株も持たれていないのならいいのですが、株を銀行に持たれるというのは銀行に借金があるよりも始末に悪いところがあったのです。最初、『会社四季報』『会社情報』で小堀住研(株)の上位の大株主は、二代目社長の中島昭午の他は銀行など法人であるのを見て、未上場の会社でオーナー一族が上位の株主を占めている会社よりもいいのではないかと思ったのでしたが、 「銀行からきたバカ息子」に支配される会社というのは「オーナー一族のバカ息子」とどっちもどっち・・・みたいなところがありました。
私が小堀住研(株)に入社した時、私の父親の勤め先と小堀住研(株)は共通点がいくつかありました。
(1) どちらも社長は2代目、
(2) 大阪発祥で大阪に本社があり、
(3) 大阪駅から遠くない場所に本社ビルを持っている、
(4) 知っている人は知っているが知らない人は知らないという程度の知名度、
(5) 従業員数千人少々
・・といったあたりは共通していて、違いというと、
(1) 小堀住研(株)は一応、「一部上場」だったのに対してうちの父親の勤め先の会社は未上場だったこと、
(2) うちの父親の勤め先の2代目社長は東大卒だったのに対して、小堀住研(株)の2代目社長は高卒だった。
(3) そして、小堀住研(株)は1990年にエスバイエル(株)と名称変更した後、株価はどんどこ下がり、あっという間に倒産して、ヤマダ電機に買収されたが、うちの父親の勤め先の会社は、ともかく一応、今もある。
《 A 》それで、私は小堀住研(株)の方が上場している分だけ「少しだけ上」かと思って応募して入社したのでしたが、入社してみると、私はうちの父親の勤め先の会社にアルバイトとして勤めたこともあったのですが、たとえ上場していても、小堀住研(株)の方が下みたいやなあ・・・と思うようになったのでした。うちの父親もまた、小堀住研(株)の人事部長の高田を見て、「あんな男が人事部長なのか」と言って、「小堀は上場している分だけうちの会社より少しだけ上かと思ったけれども、人事部長を見ると、そうではなく、うちの会社よりも下だな」と言ったのだが、私もそう思った。人事部長というのは、旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部で労働法・会社法などを学んできた者か、商学部・経営学部で労務管理論・労働経済学などを学んできた者か、文学部・教育学部で心理学・教育心理学などを学んできた者かが大学卒業後に、会社員としての経験を積んで、自分が専門として学んだもの以外も身に着けた上で就任する仕事のはずだと私は思っていたのだったが、高田の場合はそうではなく、「単なる下品で程度の低い高卒のおっさん」であり、曲がりなりにも「一部上場の会社」で「従業員数千人超の会社」の人事部長にこんな人間がなっているのかあ??? と疑問符が最低でも3つ以上はつくような男だったし、そもそも、「小堀住研(株)は大卒しか採らない会社」のはずなのに、なんで、「高卒のおっさん」が人事部長やってるんだ???・・・という状態だった。本来、人事部長というのは高田みたいな人間がなる職種とは違うだろお~お・・・と私は思ったのだった・・・が、その後、何社かの会社とかかわりを持ってみると、「ええ~え? こんな人が人事部長やってるのお~お?」という会社は日本にはけっこうある( 一一) ・・ということがわかったが、それにしても、小堀住研(株)は「なんか、思っていたよりもずいぶんと下の会社だなあ」という印象だった。なおかつ、その「単なる高卒のおっさん」の人事部長が意図的にえらそうにしようとするのだが、そのあたりもまた、「なんか、程度の低い人間が人事部長になってる程度の低い会社やなあ」という印象だった。
《 B 》1990年3月31日、千葉県松戸営業課にいた私に、東京支店自由が丘営業課に転勤してくれと小堀住研(株)は言ってきた。会社員として「総合職」「全国社員」として入社したはずだったし、慶應大学商学部卒の卒業証書を取得した時から、「一般職」「地域限定社員」というものは希望してもありえない、「総合職」「全国社員」として採用か不採用かどちらかだと思っていたので、転勤してくれと言われれば転勤するけれども、千葉県松戸市は東京都葛飾区との境目にある市であり、東京支店でも、葛飾区あたりにある展示場の営業課に勤務してくれという話なら、「きょう言って明日から」という転勤も「好ましいことはないが可能」であろうけれども、自由が丘営業課というのは、住居表示としては東京都目黒区大岡山、電車の駅では東急東横線「都立大学」「自由が丘」・東急大井町線「緑ヶ丘」・東急大井町線目蒲線「大岡山」の中間くらいの場所の総合住宅展示場の中にあった。だから、私は松戸営業課長の石井(男。当時、30代なかば)に「いつからですか」と尋ねたのだが、石井は「明日から」と言うのだが、「それは無理ですね。松戸展示場から千葉支店内の柏展示場に移るとかであれば、『きょう言って、あしたから』ということも可能かもしれませんけれども、流山市に住んでいて松戸市の展示場に勤務している者に、きょう言ってあしたから東京都目黒区の展示場に勤務しろと言っても無理でしょ。いつから行けばいいのですか」と私は言ったのだ。居住地変更を必要としない転勤ならば、その頃、たとえば、葛飾区の金町に総合住宅展示場があったが、小堀住研(株)は金町の総合住宅展示場には出展していなかったが、もしも、金町の総合住宅展示場に出展していて、松戸展示場から金町展示場に転勤ということならば、居住地を変更することなく勤務することは可能なので、転勤はあらかじめ前もって伝えるのが好ましいけれども、「あしたから」でも勤務できないことはない。しかし、居住地変更を必要とする転勤を「あしたから」とはそれは非常識である。
《 C 》又、1989年7月1日からの辞令で千葉支店長に赴任した渡辺士直は、実際には7月の下旬になってやっと千葉支店に赴任した。会社員というものは、転勤してくれと言われればさっさと移るべきものであり、辞令から長々と移らなかった渡辺士直は、その点においてペナルティーを課されてもおかしくないものであった・・が、渡邊士直がいつ転勤を伝えられたのかはわからないが、もしも、7月1日からという辞令を7月1日に受けたのであるならば、「きょう言われてあしたから」は無理ですというのはわかる。それでも、7月の下旬になってやっと赴任したというのは遅いが、居住地変更をともなう転勤の場合に少々日程が必要というのは当然のことである。
私も、もしも、1990年4月1日から自由が丘営業課に勤務してもらいたいということならば、2月の終わりくらいに「内示」ででも伝えておくべきであり、それをしないで3月31日に伝えて「あしたから」と言うのは、それは非常識であるとともに、そういった転勤をしろと言うのは人権侵害である。法律論としては、民法第1条 の 第2項に《権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。》とあり、会社・使用者は従業員に人事権があるといえども、その《権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に》おこなうことが必要であり、居住地変更を必要とする転勤を3月31日の午後に言って、「あしたから」というのはそれは許されない。 「信義則違反」と評価される。 又、会社は従業員に対して公平でないといけない。1989年7月1日からという辞令を受けておきながら、7月の終わりまで千葉支店に赴任しなかった渡辺士直にはそれを認めておいて、私に対して3月31日の午後に言って「あしたから」などというものは認められない。「公平性の欠如」と評価される。
会社の人事・総務関係の従業員は、それぞれの従業員が、こういった人権侵害の転勤、信義則違反の転勤、公平性の欠如の転勤をさせられることがないように、きっちりと配慮しなければならない。そういったことをきっちりと配慮するのが、それが人事・総務関係の従業員の仕事であるはずだ。
《 B 》私は、千葉支店松戸営業課の課長の石井に、居住地変更を必要としない転勤ならば「きょう言ってあしたから」というのも不可能ではないが、「居住地変更を必要とする転勤」であるにもかかわらず、3月31日の午後に言って「あしたから」というのは非常識であり、妥当な日程を示してもらいたいと言ったのだが、それでも、石井は「あしたから」と言ってきかなかったのだ。私は石井に「石井さんは松戸営業課の課長ですよね。課長ならば、自分が課長の営業課の従業員に辞令が出されたのであれば、松戸営業課から柏営業課への辞令とかなら、きょう言ってあしたからということも可能としても、千葉支店の松戸営業課から東京支店の自由が丘営業課へきょう言ってあしたからというのは非常識だというくらいわかりますよね。課長として『それは無理でしょ』と言われないのですか」と言ったのだが、「言わない」と石井がいい、「なぜですか」と私が言っても、石井は「なんでも」などと言うのだった。それで、営業課長というのでは課長として情けない。石井は最終学歴は高卒の人で、小堀住研(株)は「営業系」(営業・人事・総務・経理など)は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というのが応募条件だったはずだが、「技術系」(設計・工務・工事・アフターサービスなど)は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」が応募条件で、建築学科卒でも営業をやりたいという希望で「営業系」に入社した人も現実にあって、石井の場合は最終学歴は高卒でも一級建築士の資格を取得していた人だったので、それで、《「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」に準ずる》という評価で入社した人だったのではないかと思われたが、たしかに、設計事務所に勤めて設計の仕事についていたこともあったそうで、小堀住研(株)の営業課長の中では建築の技術系的なことについてはわかっている方の人で、又、「人に教えしぶることなく親切に教えてくれる人」で、私もいろいろと教えてもらったのだったが、しかし、やっぱり、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」とは同じではなく、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」なら持っているであろう・持っていなければならないとされる知識・認識に欠ける人だった。私が石井に「石井課長は、それを、いつ言われたのですか」と言ったところ、「きょう、言われた」と言うので、「それで、石井課長は、課長として『居住地変更を必要としない転勤ならば、きょう言ってあしたからということも可能であっても、居住地変更を必要とする転勤を、きょう言ってあしたからというのは非常識で、もうちょっと日程を考えてください』とは言われなかったのですか」と言ったのだが、石井は「言わない」と言い、「どうして言われないのですか。石井さんは松戸営業課の課長ですよね。課長なのに、どうして言われないのですか」と言ったのだが、それでも石井は「言わない」と言い、「どうしてですか」と言っても、「なんでも」と言い、前々から石井はそういった態度であり、たしかに一級建築士で設計事務所に勤めて設計をやっていたこともある人だけに建築・住宅の仕事についてはよく知っている・わかっていて、又、人に教えることを嫌がらないで教えてくれる人だったけれども、こういった法学部的発想・商学部経営学部的発想を期待しても無理な人であり、「会社としての常識」を期待しても、「課長であるならば」というものを期待しても無理な人だとうんざりしていたところがあったので、それ以上は言っても無理だとあきらめた。
《 D 》小堀住研(株)では、本社には人事部・総務部があったが、各支店には人事部・総務部はないかわりに「業務課」という課があって、課長の役職をもらっている従業員がいたが、業務課とはどういう業務なのかというと、各支店における人事・総務・経理はすべて業務課が担当で、業務課長というのは人事・総務についてのその支店での責任者のはずだった・・・ので、それで、千葉支店の業務課長の越智(おち)に言ったのだったが、越智もまた「あしたからと言われたのならあしたから」と、それではおまえはいったい何のためにそこにいるんだ? おまえは何のために業務課長の役職手当をもらってるんだ??? という発言しかできなかった。石井は営業課長だったから、人事・総務関係の認識が十分になくても、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の能力を発揮できなかったとしても、戸建住宅建築業の営業や設計の能力があるからということで、又、小堀住研(株)の場合は「主任」とか「係長」といった役職は存在せず、「課長」というのは「ヒラの上」でしかない役職だったので、石井の場合は営業や設計の能力があるからということで課長の役職手当をもらっているのだという言い訳もできたかもしれないが、越智(おち)の場合は業務課長であり、業務課長というのは人事・総務・経理の仕事をまとめて業務課として担当していた部署の課長であり、そういう部署の課長が、居住地変更を必要とする転勤を「きょう言ってあしたから」やってくれと言ってきた人がいたとすると、「支店が違ってもすぐ近くの展示場に勤務ということなら、『きょう言ってあしたから』でも可能かもしれませんけれども、居住地変更を必要とする転勤に『きょう言ってあしたから』というのはそれは無理ですし、会社としてそうならないようにしないといけません」と言わないといけない問題であり、言えないのでは業務課長としての仕事をしていないことになるはずであった・・・が、それでも、言えない言わないで、それで越智(おち)は業務課長の役職手当を盗っていた。
《 E 》私は、東京支店長の高倉にも、自由が丘営業課長の高橋賢一郎にも、東京支店業務課長の江間(えま)にも同様のことを言った。高橋賢一郎は福島県喜多方市出身で東京電機大学工学部建築学科卒だそうだった。私が高校生の時にはうちの父親は「東大にでも行くのなら、東京で下宿してでも行くべきやし、東大でなくても慶應か早稲田なら東京で下宿してでも行く値打ちはあるし、下宿は嫌やなんて甘ったれたこと言うておってはいかんけれども、そんなもん、法政やたら東洋大やたら専修やたら明治やたら国士館やたらポン大やたらいうようなそんなアホ大学に行くのに下宿してまで行くことあらへん。甘ったれとってはいかん、甘ったれとては。アホ大学は大阪にもあるんや。アホ大学に行くようなやつなんて、下宿して大学に行くことない。家から通える所に行くべきやし、そもそも、法政やたら東洋大やたら専修やたら明治やたらポン大やたら、そんな大学に行くようなやつなんて、なんも、大学、行く必要ないはずや。自衛隊に入れたったらええ、自衛隊に。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と言っていて、そういうのを聞いて私もそんなものだろうと思っていた。又、うちの父親は私に「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うのだった。私は「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と言ったのだったが、母は「何を甘ったれたこと言ってますのん、あんたはあ。国立大学を百パーセント絶対に通るとは限らんでしょうがあ。たとえ、0.1パーセントでも落ちる可能性があったら工学部なんか受けたらいかんでしょうがあ」と言うのだった。工学部に進学させてもらう人間がうらやましかった。1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのが何よりも自慢の女で、「私は両親が離婚したから」「私は家が貧乏だったから」と言うのだったが、うちの父親は私に「うちは文学部なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。うちは学校の先生になんかならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われ、「たとえ、学校の先生になるにしても英語か数学の先生でなかったらなってはいかん。英語か数学でなかったら家庭教師のアルバイトはできません。そやから、たとえ、学校の先生になるにしても国語とか社会科とか理科とかの先生は絶対になってはいかん」と言われたものでしたが、旧制作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」「私は家が貧乏だったから」とか言って自慢しまくりでありながら、なんで、神戸大の文学部しか行けないくせしてからに文学部なんか行ったのだ?






《 F 》松戸営業課長の石井が「とりあえず、あした、東京支店に朝、行って話して」と言うので、東京支店長の高倉にも「いつから赴任するようにすればいいですか」と言ったのだが、高倉は「だから、きょうから」と言うので、「ですから、居住地を変わらなくても勤務できる場所への転勤なら、『きょうから』でもいいとして、居住地を転居しないと勤務できない場所への転勤ですから、いつから赴任するようにすればいいのですか」と再度言ったのだが、「だから、きょうから」と高倉は言い、「いったい、どうやって、きょうから勤めればいいのですか」と言っても、「だから、きょうから勤めるようにしてくれ」と言うのだった。高倉は営業としては、服装はきっちりとした格好をしていて、格好を見ると支店長みたいに見える男だったが、話せば話すほど、つきあえばつきあうほど、「やっぱり、高卒の支店長やなあ」というのがわかってくる人、だんだんと「お里が知れてくる」男だった。
《 G 》東京支店の業務課長になっていた江間(えま)にも話した。江間(えま)は業務課長であり、業務課というのは各支店における人事・総務・経理の仕事であり、千葉支店の業務課長の越智(おち)とともに、業務課長というのは支店における人事・総務・経理の課長であるから、従業員が転勤する場合には支障なく転勤できるように配慮するのが仕事であるはずであり、又、江間は1989年6月まで千葉支店の業務課長だったのが、1989年7月から東京支店業務課長に転勤したのだが、江間自身、「きょう言われてあしたから」というような移動はしていなかったのだ。自分は「きょう言われてあしたから」というような転勤はしていないにもかかわらず、私が「4月1日から東京支店自由が丘営業課勤務という辞令ですが、実際はいつから赴任するようにすればいいですか」と言っても、「きょうから」と言い、私が「ですから、できるだけ早く移るようにしたいとは思いますが、居住地を変わる必要がない転勤なら『きょうから』でも可能でしょうけれども、住居を移らないと勤務できない場所への転勤ですから、ですから、いつまでに移るようにすればいいかと言っているんです」と噛んで含めるように話したのだが、それでも、江間は「きょうから」と言ってきかなかったのだ。江間は給料返した方がいい。江間は業務課長としての仕事を果たしていない! 江間は業務課長としての能力があるとは思えない。業務課長の能力はなくて、業務課長の役割を果たす意思がない男が、なぜ業務課長の役職手当を盗っているのだ?


《 G 》江間は、私が千葉支店松戸営業一課に配属になった時、千葉支店の業務課長で、新宿のセンタービルまで迎えにきたのだったが、その際、私ともうひとり、千葉支店船橋営業課に配属されたMとに、「ぼくは法政大学法学部」と、きかれもしないのに自分から「ちょっと自慢」みたいな感じで口にしたのだった・・が、「法政大学法学部」なんて自慢しようと思っても誰も自慢だなんて思わないし、そんなもの、自慢する人間なんてないだろうと思ったのだったが、その後、小堀住研(株)の千葉支店に所属の人が「ぼくは、大学は◇◇大学の☆☆学部を出たんですけれども」と自己紹介してくれた際の話し方と比べると、江間の話し方には、やっぱり、「ちょっと自慢」みたいなニュアンスがあった。法政の法学部なんて「ちょっと」でも「たんと」でも自慢するような人間なんておんのんかい?・・・と思ったけれども、「世の中いろいろ、人間いろいろ」でおるみたいやった。しかし、「ちょっと自慢」するのなら、たとえ、法政大でも法学部卒ならば、法的思考というものがあっていいはずだ。法的に考えるならば、居住地変更を必要とする転勤をしてくれと言うのに「きょう言ってあしたから」というのは無茶であり無理であり、法律論としては民法第1条第2項「信義則違反」に該当するものであり、又、1989年7月に千葉支店長に渡辺士直が赴任した時と比較しても、同時期に江間が東京支店業務課長に赴任した時と比較しても明らかに「公平性に欠ける」ものであり、会社は従業員に対して公平でないといけないものであり、そのような不公平な扱いというのは支店における人事・総務に該当する業務課の課長として是正しなければならないはずであり、是正できないのであれば業務課長としての役割を果たしているとは言えない、業務課長としての役職手当の分の働きをしていると言えないことになる、ということくらいわかっていいはずである・・・が、放精の呆学部卒の男には、その程度のことも理解できなかったようであった。江間は「大卒」を名乗るのはやめた方がいいと思う。江間は「法学士」を名乗るのはやめた方がいいと思う。「法学士」の能力もないくせしてからに「法学士」を名乗るのはあつかましい。又、小堀住研(株)では職能級位として、最終学歴が大卒の人には最終学歴が高卒の人より月何千円か高い基本給を支払っていたはずだが、江間は大卒に値する知識・認識・対応能力を持たない人間であるのだから、高卒と大卒の職能級位の差額分を過去にさかのぼって返上するようにした方がいいだろう。
《 H 》本社の人事部の課長の賀満さんにも話したのだが、特に、住宅建築業の営業は労基法違反なんて当たり前みたいな状態で、長時間、かつ相当遅い時刻まで働く仕事で、終電が無くなるくらいまで働くことはよくあることで、又、入社直後の合宿研修の時に来た神戸支店の営業の某さんが「お客様宅に行って話をして、遅くまででも話せば契約になると思ったら、とことんやります」と話し、「今まででは、夜2時まで話したことあります」と言い、「それ、翌日、三井ホームの営業が夜3時まで話してやられたんですけどね」と話したこともありましたし、お客様宅に行って商談して、もしも、どんなに深夜まででも商談を勧めれば契約になるという状況ならば深夜まででも翌朝まででも商談するという仕事であり、その為には自分のクルマで行くようにしないといけない仕事で、その時の私の場合は自動車の運転免許はかなり前に取得していたが自家用車の運転は慣れていなかったので、展示場までなんとか自動車で通える場所に住んで、最初は通勤に乗って、そこから乗れる範囲を広げていくようにする必要があったが、自由が丘というのは、「この漫才で田園調布に家が建つ」という漫才があったような場所であって借家の家賃も安くない地域で、そこで家賃と駐車場代を払える所を探さないといけない、又、不動産屋からは「駐車場があるからその近くでアパートを探してくれと言われたら探せるけれども、アパートと駐車場を探してくれと言われたらなかなかない」と言われたように、月極駐車場がなかなかない場所で苦労していて、それを賀満さんにも話したのだったが、それに対して、「町田の寮に住んだらどうやあ」と賀満さんが言うので「町田の寮までは片道2時間半くらいかかりますから問題外ですよ」と言ったところ、「きょうび、2時間半くらいかけて通ってるでえ」などと賀満さんから言われたので、その一言については馬鹿にされたということがよくわかった。よく、そういう口をきくと思う。もっと、「九時五時の仕事」「毎日定時に帰れる仕事」についているのなら、「終電なくなる時間まで客宅で商談するようなことはない仕事」についていて、かつ、自宅が遠方で自宅からどうしても通いたいというような人が片道2時間程度かけて通っているというケースは中にはあるだろうけれども、小堀住研(株)の営業の仕事はそんな仕事ではない、ということくらいは人事部の課長で小堀住研(株)では営業の仕事はしていなかったとしても、そのくらいは賀満さんも理解できたはずであり、理解できていたにもかかわらず、そういったことを言うというのは、その部分については馬鹿にされたということだった、と考えるしかなかった。
実際、いったいどうしろと言うの? ・・・何も転勤しないと言っているのではないのです。転勤してくれというのなら、何日から移ってもらいたいという日をあらかじめ言っておいて、その日に移れるように準備をするものです。「きょうび、片道2時間以上かけて通勤してるでえ~え」なんて言うのなら、そう言う人がそういう通勤をすればいいでしょう。自分がそんな通勤をしているわけでもないのに、よくもそんな口をきけたものです。
《 E 》さらには、自由が丘営業課長の高橋賢一郎は、なかなか、休日と勤務時間外に必死で「駐車場+アパート」を見つけることができずに、千葉支店所属時の千葉県流山市の最寄駅「南柏」のアパートから片道2時間かけて通勤していた私に向かって、「なんで、さっさと転居しないんだ。おまえは」などと文句まで言った。高橋は営業課長ならば、問題なく転居できるように配慮するのが営業課長の仕事であって、何もやっていない高橋が何をえらそうな口をきくのか。東京電機大みたいなもんに、ふんぞり返って行くだけあって超ド級に常識が欠けている男だった。
《 I》私は、この会社は「一部上場」と言い「従業員数千人超」の会社と思って入社したが、入ってみるとそういう内容の会社ではなさそうだと思い、又、「採用実績校」は「神戸大、新潟大、同志社大、関西大、甲南大」だったか、そういう大学が書かれていたが、入社してみると、神戸大卒の人間なんかいなかった。まず、自由が丘営業課の「近藤すしいち」(仮名)(男。当時、20代前半。近畿大学経済学部卒)が「ぼく、宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)持ってますから」と見込客にギャーギャー言っていたので、「近藤さん、宅建主任もってるのでしょ」と言うと、「持ってません。宅建主任なんて持ってません」と言うので、「でも、お客さんに『持ってます』と言ってましたでしょ」と言うと、「あれは、前の所属の課長だった◇◇課長から『おまえは大学も近大しか出てないし、経済学部しか出てないし、売りにするものがないから、宅建主任もってるということにして、お客さんにそう言え』と言われたから言ってるだけで、宅建主任の試験になんて通ってません」と言うので、ええ~え? こんな「大卒」あんのお~お?・・と思ったものでした。1960年代後半、うちの親が小堀住研(株)で大阪府で在来木造の戸建住宅を建てた時から、小堀住研(株)は「小堀住研は大卒しかとらない会社なんです」と言いまくっていたし、私が入社してすぐの新卒社員研修でも「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社としてやってきました」と講師役の従業員が発言したのだったが、顧客にとって「大卒」の担当者が「高卒以下」の従業員よりもいいところというと、まず、その仕事に関係する資格があるとすると、「よし、そういう資格があるなら勉強して取得しよう」と考えるか、「勉強して取得するより、『持ってます』とギャーギャー言って詐称した方がいい」と考えるか、「大卒」と言うからには「取得しよう」と考える方の人間だろう・・と期待するものであるはず・・・だったが、又、そう思うから私自身も宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)にしても他の資格にしてもその資格を名乗るのであれば当然取得して名のるものだと認識していたが、「近藤すしいち」(仮名)はそうではなかった。こんな「大卒」あんのかあ~あ?・・・と思ったが、きょうび、そういう「大卒」がいっぱいいるようで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)にはそういう「大卒」がいっぱいいたようで、それでは「大卒」の価値はあまりない。そんな会社だということが、1年もいるとわかってきた。
《 E 》高橋賢一郎にしても、「大卒」だというのなら、大学というのは専門学校とは違って一般的な教養のもとに専門を学ぶ所であるから、卒業した大学の専門が何であるにせよ、課長になったのなら、同じ勤務場所の中での移動や居住地を変わらなくても勤務できる転勤であれば、それでも前もって話しておくのが望ましいけれども、「きょう言ってあしたから」というのも不可能なことで、会社は従業員に転勤してもらおうと思えば、きっちりと転勤できるように配慮する義務があるものであり、課長ならその義務をはたさないといけないということくらいは理解できていないといけないし、それができないようなら「大卒」と名のる資格はないはずだった。高橋賢一郎は「ぼくのことを、お客さんに『うちの課長は建築士の資格は持ってませんけれども大学の建築学科を出てますから』と言えばいい」などと言うので、「ええ? そんなこと、言うんですかあ?」と言ったところ、「ああ、そう言え」と言うので、嫌だなあ~あ・・・と思ったことがあった。松戸営業課の課長だった石井は学歴は高卒だったけれども一級建築士を持っている人だったが、千葉支店の設計課・工事課・工務課の従業員で建築士の資格を持っているのは設計課長の I さん一人だけで、他は誰も受けても通らないのを「まったく、一級建築士も二級建築士も通らないなんて、それで建築学科出てると言えるのか」と言っていたし(そういう考え方は「大学」の建築学科卒の人ではなく「建築専門学校」「卒」の人に強い考え方で、建築専門学校というのは学校自体が「学歴」にならない、最近は建築業界では「学歴に準ずる」扱いを受けることが多くなってきたとはいえ、大学・短大に比べて学歴としては弱いので、それで、「大学」の建築学科なら「建築士の資格を取っていいけれども、建築士の資格のために大学があるのではない。建築士の資格よりもどれだけ理解できていて、どれだけの能力があるかの方が大事だ」と考えるところを、「建築専門学校」では建築士の資格を何より優先する思考があり、それが石井の発言にも出ていたのだが・・しかし、国立大学か早稲田大あたりの建築学科卒の人なら、《資格試験というのは「どこかの誰か」が決めた内容の試験に合格最低点以上の点数を取ることができるかどうかのもの》で、「どこかの誰か」に決められた基準を満たすことよりも自分自身が学びたい・研究したいと思ったものを学ぶ方を優先したことで「建築士の資格の勉強より自分の専門の勉強の方を優先しましたので」と言ってもいいだろうけれども、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人の場合は「建築士の資格は持ってませんけれども」などとお客さんに言ったら「やっぱり、『バカでも入れる私大の建築学科』なんて行った人間なんて、建築学科卒の『学歴』はカネで買えて、『建築士の受験資格』はカネで買ったみたいに取得できても、やっぱり勉強せんやつは試験には通らないものだから、たとえ『受験資格』はあっても一級建築士も二級建築士も通らないということなんだな」とお客さんから思われることになるだろう。 特に、(株)一条工務店などは「いなかのおじさん」を得意とする顧客層としていたのに対して、その頃までの小堀住研(株)は都市圏のインテリ層を得意とする顧客層としていたので、そういう相手には高橋賢一郎が言うような「(すでに30代も半ばを過ぎてますけれども)建築士の資格は(一級建築士も二級建築士も)取得できてませんけれども(バカでも入れる私大の)建築学科でてますから」という文句は禁句だったはずだった)、「一級建築士も二級建築士も持たないで『設計です』なんて名のるのはお客さんに失礼だよ」と言っていたし、「『二級建築士なんか取ってもしかたないよお』なんて言うけれども、それは一級建築士か二級建築士かどちらかに通った人間が言う文句であって、一級建築士も二級建築士も通らない者が何を言ってるんだ」と言っていたがたしかにそうで、もしも、国立大学の建築学科卒の人で、建築学科の大学院に進んだ人が建築士の資格試験の学習よりも大学院の研究の方を重視していましたから建築士を持っていないということならわかるが、あるいは、安藤忠雄は建築士の資格を持っていないけれども「世界的建築家」と評価されているとかいう話があるが、そういう「世界的建築家」と評価されたり「東京大学建築学科教授」とかいう肩書でもあれば話は別だが、高橋賢一郎のように、受けさえすれば合格してカネさえあれば行ける私立大学の建築学科卒の人が「建築士の資格は持ってませんけれども建築学科でてますから」などと言っても、「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と言いまくっている会社においては、お客さんの方では、そこまで言うからには国立大学か早慶か関関同立かそこらの大学卒なのだろう・・と思うし、「建築学科でてますから」と自分の方から言ったなら、お客さんは、自分から言うからには東大・京大でなくても、国立大学か早稲田大の建築学科でも出ているのか・・と思うところで、自分から「建築学科でてますから」と言った人になら「どこの大学ですのん?」と尋ねてもいいだろうと思って、どこか国立大学か早稲田大かと思って尋ねたら、「東京電機大学」なんて言われると、「はあ?」「はあ~あ?」と思う・思われることになるだろう。しかも、「建築士の資格は持ってませんけれども」とすでに30代後半になった男から言われると、「そんな、受けさえすれば通って、カネさえあれば卒業できる『大学』の建築学科みたいなもん、卒業したような人間だけあって、30代後半になっても、一級建築士に通らないだけでなく二級建築士にも通らんということか。やっぱり、カネで買ったような学歴はそんなもんということか」と思われることになるだろう・・・と、そのくらいのこともわからんのか・・・と思ったが、高橋賢一郎はわからない男で、「ぼくのことを『建築士の資格は持ってませんけれども、大学の建築学科を出てますから』と言え」と言ってきかなかった。そんなこと言わされるの嫌だなあと思って、「はい、はい」と言ってかわしていたのだが、「ぼくのことを『建築学科でてますから』と言ってるか」としつこかった。 小堀住研(株)は昔から「大卒しか採らない会社」と言ってきて、かつ、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」が「営業系」の応募条件であり、戸建住宅建築業の設計課・工務課・工事課・アフターサービス課は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」の仕事だが、営業の仕事は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の仕事と位置付けていたはずで、その仕事についての会社の定義づけを否定するような発言もまた、課長としていただけないし、そのあたりを理解できていない人は営業担当としてはともかく、課長にならせるには問題があった。 高橋賢一郎は「大卒」だといっても、「その程度の大卒」であり、「その程度の大卒」の人だから我慢してあげないとしかたがない・・と私は思って我慢してきたのだったが、しかし、本来、課長というものは、自分の営業課に転勤してくる従業員が転勤するのに困らないように配慮するのが課長の仕事であるはずであるのに、そういった発言をしたとなると、今から考えると、高橋賢一郎に対しては我慢するのではなく、もっと厳しく高橋の不適切な態度・言動を指摘して追及するべきであった・・と今は大きく後悔している。
《 E 》高橋賢一郎は「建築士の資格は持ってませんけれども、建築学科でてますから」などと、そんなこと言って誰かいいように思ってくれるとでも思ってるのか?・・・というようなことを言わせたがったのだが、私は、一級建築士・二級建築士は建築学科卒か土木学科卒でないと受験資格がなかったので受けられなかったが、その後、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士・インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリスト・二級建築施工管理技士と取得し、高橋賢一郎とは逆に「建築学科は出てませんけれども、宅地建物取引士もインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも二級建築施工管理技士も取得しましたあ」とお客さんには言わなかったけれども、「建築士の資格は持ってませんけれども、(金持ちの息子なものだから、バカでも入れる私大の)建築学科でてますから」というような連中に対しては口に出しては言わないけれども心の中では「どうじゃ。おまえら、建築学科でてますと言っても、何も通らんじゃろうが。それみろ。おれは建築学科なんて出てなくても宅地建物取引士も通ったぞ。インテリアコーディネーターも通ったぞ。キッチンスペシャリストも通ったぞ。二級建築施工管理技士も取得したぞ。おまえら、何ひとつ通らんじゃろ。おまえらとはそれだけの差があるんじゃ。どうじゃ、わかったかあ!」と思ったものだった。「ざまあみやがれ!」と思ったものだった。もう、10年以上前に、ある週刊誌に載っていた話だが、東映⇒巨人⇒ロッテで活躍して首位打者のタイトルを何度も獲得した張本勲は在日韓国人で「朝鮮、帰れ」とかいうようなヤジを受けることもあったそうだが、そのたびに張本は闘志をわきたたせ、「そりぁ、また、ヒット打ってやったぞ」「おまえら、その相手に打たれただろうが」「そら、また、打ってやったぞ。くやしかったら抑えてみやがれ」と思ってヒットを打ちまくった・・・と出ていたのだが、私もまた「建築士の資格は持ってませんけれども、(金持ちの息子なものだから、バカでも入れる私大の)建築学科でてますから」などと言うやつを見るたびに、どうじゃ。おまえら、建築学科でてますと言っても、何も通らんじゃろうが。それみろ。おれは建築学科でてないから建築士は受験資格がなくて受けられないけれども、宅地建物取引士に通ったぞ、インテリアコーディネーターも通ったぞ。キッチンスペシャリストも通ったぞ。二級建築施工管理技士も取得したぞ。おまえら、何ひとつ通らんじゃろ!」と思って取得したものだった・・・が、ところが、弁護士の資格の場合は、法学部卒でも司法試験に通らなければ弁護士の仕事はできないが経済学部卒・商学部卒・文学部卒・工学部卒など法学部以外の学部卒でも司法試験に通れば弁護士の仕事はできるのに対して、建築業界の場合は、なぜか「建築士の資格は持ってませんけれども、(金持ちの息子なものだから、バカでも入れる私大の)建築学科でてますから」の方が「どうじゃ。おまえら、建築学科でてますと言っても、何も通らんじゃろうが。それみろ。おれは建築学科なんて出てなくても宅地建物取引士も通ったぞ。インテリアコーディネーターも通ったぞ。キッチンスペシャリストも通ったぞ。二級建築施工管理技士も取得したぞ。おまえら、何ひとつ通らんじゃろ。おまえらとはそれだけの差があるんじゃ。わかったかあ!」よりも評価されてしまう業界なので、なんか、あほくさいなあ・・と思うようになった。又、「インテリアコーディネーターでキッチンスペシャリストで二級建築施工管理技士で宅地建物取引主任者」よりも「二級建築士だけ」の方が高く評価される業界であり、つくづく、あほくさいなあ・・・と思うようになった。
建築学科卒でありながら、一級建築士も二級建築士も取得できていないというのは、20代の半ばくらいまでならば、「まだ、合格できないんですう」と正直に言っても、「頑張ってくださいねえ」と言ってもらえるところだが、高橋賢一郎のように30代の半ばを過ぎてまで「建築士の資格は持ってませんけれども」と言うと、「なんで、持ってないんですかあ?」と口に出して言われるかどうかはさておき、口に出さなくても心の中で思われるもので、もしも、国立大学の建築学科か早稲田大の建築学科にでも行った人が大学院に行ったというような場合に「建築士の資格の勉強よりも大学院での専門の研究の方に力を入れました」と言うとか、安藤忠雄は学歴としては高卒だけれども「東京大学工学部建築学科教授」なんて肩書を持っていたとか、そういうことであれば話は別だが、「バカでも入れる私大の建築学科卒」の人がすでに30代も後半になってまで「建築士の資格は持ってませんけれども」なんて言うと、法学部なら「バカでも入れる私大の法学部卒」の人なんて司法試験なんて通るわけないわなあ・・と思われ、「バカでも入れる私大の法学部卒」なんて「法学部卒」のうちに入らんだろうと思われるのと同じく、「東京電機大学工学部建築学科卒」なんて、そんなもの、「建築学科卒」のうちに入らんわなあ・・と思われることになるだろう。だから、逆に、「バカでも入れる大学の建築学科卒」の人はその「学歴」をプラスに評価してもらいたいと思うならば、石にかじりついても一級建築士か二級建築士のどちらかは取得するべきで、そのどちらかを取得しておけば、大学は評価されなくても、「あんまり聞いたことない大学だけれども、それでも、建築士の試験には通った人なんだな」と評価される可能性がある・・・が、そういう「大学」卒の人って、通らん人が多いみたい・・やな・・( 一一)
法学部の場合は、アメリカ合衆国では弁護士の資格を持って企業に勤める人はけっこうあるらしいが、日本では弁護士の資格を持って企業に勤める人というのは少なく、過去の例としては元大阪ガスの副社長に就任した岸清一くらいのもので、日本では弁護士の資格を持って企業に勤める人はあまりなかったのですが、法学部卒で「法学士」の資格を持って企業に勤めて「企業法人」として働く人はあり、最近では少々変わってきたようですが慶應大の法学部は早稲田大などに比べて司法試験合格者が多くなかったのは、ひとつには司法試験を経て裁判官・検察官・弁護士になる人よりも「法学士」「法学部卒」として会社に勤めて「企業法人」として能力を発揮しようという人が慶應大の法学部には多かったということがあり、法学部の場合は司法試験合格は裁判官・検事・弁護士になるコースで、司法試験は目指さずに「法学士」「法学部卒」で会社に勤めた人が「企業法人」として法律の知識を持ちながら会社で勤務するというコースだったのですが、それに対して、建築学科卒の場合は「建築学科卒」と一級建築士もしくは二級建築士がセットのようなものに現実になっており、30代になって「建築士の資格は持っていませんけれども建築学科でてますから」というのでは、むしろ、「二級建築士すらも通らない建築学科なんだな」と思われます。私立金権医大裏口入学卒の人が「医師国家試験は通ってませんけれども医学部でてます」と言うのに近いものです。 松戸営業課の課長の石井が言っていたように「一級建築士も二級建築士も通らないで、そんな建築学科卒なんてあるかあ」という評価をする人が多く、「まだ、建築士の試験には通らないのですが、建築学科でてます」と言ってなんとか通じるのは20代の間で、30代の後半になったらもはや通じない・・・が、高橋賢一郎はその程度のことも理解できていないようでした。
それで・・・だ。 私は、こういった人権侵害の転勤に耐えてこの会社に滅私奉公を続けたのだった・・が、「うちは一部上場ですからね」などとセールストークで言う会社ならば、もうちょっと、まともなことができんもんか・・と思うが、そういう会社だった。
「うちは一部上場ですから」と「一部上場」と言えばひとはいいように思うであろうと考えている人がおり、そういったことを言う会社がありますが、私は今はそうは思っていません。 「上場しようと思えば上場できるのに上場しない会社」には、オーナー経営者がやりたい放題やりたい人間で、上場しない方がオーナー経営者にとって都合がいいから上場しないという会社はありますが、会社を設立する基準より一回り厳しい基準が上場する際には求められるということはあるようですが、だからといって、上場しているからすばらしい会社だなどとは言えません。 「うちは上場企業ですから」とか「うちは一部上場ですから」とかギャースカギャースカ言いたくてしかたがない症候群のおっさんを見ると、むしろ、この人はこの程度の人なんだな・・と思った方がよさそうと私は今は思っています。
但し、その頃の小堀住研(株)では、営業のトークとしては、闇雲に「うちは一部上場ですから」と言えなどと指導していたわけではなく、新卒社員研修の時に言われたのは、「営業の基本姿勢」を徹底して、「さすがに小堀さんの営業は違いますね」と思ってもらえて、そういったことを言ってもらえた時に、特に、その頃、洋風の建物で競合になることが多かった三井ホームが、その頃は未上場であったことから、 《三井ホームは「三井系」「財閥系」だからいいと思う人がいるようですけれども未上場の会社》で、《小堀住研(株)は財閥系ではないけれども「一部上場ですから」》と言って、《「財閥系」という点で三井ホームは評価されるかもしれないが未上場》、《小堀住研(株)は財閥系ではないけれども「一部上場」》だということを言って、会社の評価は三井ホームに劣るものではないとアピールするということをしていた人がいたそうで、そういう言い方なら悪くはないと思います・・・が、それにしても、「一部上場ですから」というわりには、これえ~え???・・というところが多い会社でした。
《 J 》それはこの時だけではない。 小堀住研(株)は大阪市北区、JR「大阪」駅の正面のあたり、大阪メトロ谷町線「東梅田」駅の真上に本社ビルを持っていて、そこで入社式がおこなわれ、その後、2週間、本社で全体の研修がおこなわれて、その後、「営業系」は2週間、「技術系」は1か月の合宿研修がおこなわれたのだが、大阪以外の大学に行っていた者は、大阪まで行く交通費がかかったが、私は出してもらえると思っていなかったし、お金がなかったので、それで、東京駅を夜11時半くらいに出る「大垣行き夜行」の普通電車にのって大垣まで行き、大垣から西明石行に乗り換えて行ったのだが、ところが、入社式の後、「東京から来た人には新幹線代を出します」と人事部だったか総務部だったかの課長が言うので、「出してもらえるのなら新幹線に乗ればよかった」と、つい、口に出してしまったのだったが、当然、実際に何に乗ったかにかかわらず、「新幹線代を出します」と言って「新幹線の普通車指定席」の料金を払っていたからには、誰にでも「新幹線の普通車指定席」の金額を払ってくれるものと思った。ところが、その総務部だったか人事部だったかの課長のおっさんは、千葉工大のやつには新幹線の料金を渡しておきながら、私には「新幹線に乗らずに普通に乗ったんだろ。普通に乗ったのなら、普通料金しか払わんのは当たり前だ。何を新幹線代をだまし取ろうとしてるんだ。会社からカネ、だましとろうなんてしたらあかんだろうが」などと言って、私にだけ、払ってくれなかったのだ。こんなおかしな話はない。会社は従業員には公平でないといけない。千葉工大のやつには新幹線に乗せて、私にはものすごい込んでいて、一晩中、荷物を持って立ちっぱなしの普通電車の料金しか払わないというのは、それは明らかに不公平であり、不当な扱いである。なにゆえ、千葉工大のやつには新幹線代を出すのか? なにゆえ、千葉工大のやつには新幹線代を出して私には出してくれないのか?
しかも、その総務部の課長だったか人事部の課長だったかのおっさんが「新幹線に乗らずに普通に乗ったんだろ。普通に乗ったのなら、普通料金しか払わんのは当たり前だ。何を新幹線代をだまし取ろうとしてるんだ。会社からカネ、だましとろうなんてしたらあかんだろうが」などと言ったために、私はその後も、同じ時期に入社した従業員から「おい、会社からカネだましとろうとしたらいかんだろうが」などと言われることになってしまったのだ。なんで、私がそんなことを言われなければならないのだ。新幹線代を受け取った千葉工大のやつこそ「会社からカネをだましとった」のと違うのか?!?
又、私は、そんなもの、東京から大阪まで来た者には「新幹線 普通車指定席」の料金を払うということにしたのなら、当然、実際に何に乗ったかにかかわらず、「新幹線 普通車指定席」の金額を支給するものだと思い込んでいた。 うちの父親の勤め先では、大阪で勤務している者が東京支店に出張する時には新幹線の普通車の料金を支給していたが、東京で朝一番に会議があるから、朝一番の新幹線に乗って来てもらいたいというような場合、人によっては、朝一番の新幹線に乗るというのはけっこう苦痛なので、新幹線代よりも、夜行の急行「銀河」号の急行料金にB寝台の料金を合わせるとわずかに夜行の急行の方が高かったけれども、差額を自腹で出しても夜行の寝台急行で行った方が楽でいいとして乗る人がいたらしいが、その場合でも、会社が支給するのは「新幹線 普通車 指定席」の料金にしていた。 叔父の勤め先では役員にはグリーン車の料金が出たらしいが、おっさんは普通車に乗り、かつ、宿泊するホテル代もいくらと指定された金額が出たらしいが、結婚した娘の家で泊まるようにして、かわりに、会社から出たホテル代とグリーン車の料金を娘に渡してやっていたそうで、ダンナは義父が出張の時に泊まりにくるかわりに、毎回、ホテル代に該当するカネを置いていってくれるので来てもらっても歓迎こそすれ嫌がるようなことはなかったらしい。私は、会社は、普通は、ヒラ社員は「新幹線 普通車 指定席」で取締役は「新幹線 グリーン車 指定席」とか決めて、決めたなら実際に何に乗ったかにかかわらずその料金を支給するというものだと思っていた。 又、その入社式と本社での研修の時、「大垣行き夜行」なんてのに乗って行ったのは私一人だけだったようだけれども、新幹線に乗って行った者でも、指定席に乗った者と自由席に乗った者の両方は間違いなくいたはずだ。言わなかっただけで、実際には自由席に乗った者にも、チケット屋で割引券(回数券を分けて販売しているもの)を買って乗った者にも、飛行機で親が日本航空か全日空の株を持っていて株主優待券で半額で乗れて、飛行機を株主優待券で半額で乗った時、新幹線とどちらが安いかはその時によって微妙に変わったのだが、株主優待券で飛行機に乗った者もいたかもしれないが、おっさんはそれらの者に、一律に「新幹線 普通車 指定席」の金額を払ったにもかかわらず、私一人だけに普通運賃だけしか払ってくれなかったのだ。おかしいだろうが!
会社は出張などで遠距離を移動した時、実際に何に乗ったかにかかわらず会社が指定する交通手段の金額を払うものなのか、実際に利用したものの料金を払うものなのか。 私は会社があらかじめ指定した交通手段の金額を払うものだと思っていたのだが、その総務部だか人事部だったかの課長のおっさんは、実際に乗った交通手段の金額を払うことにして、そして、実際には新幹線の自由席に乗った者にも「新幹線 普通車 指定席」の料金を支給し、私にだけ普通運賃しか払ってくれなかったのだった。なんで???
会社として支給する金額は「新幹線 普通車 指定席」の料金だけれども、もしも、それより安い交通手段を使用した場合には実際に使用した交通手段の料金しか払いません・・・ということにしていたとしても、その時、JRの領収証を提示するように求めず、間違いなく「新幹線 普通車 自由席」に乗った者もいたはずだが、誰にでも「新幹線 普通車 指定席」の料金を払っておきながら、私にだけ、「アホか。新幹線に乗らずに普通にのったのに、新幹線のカネを会社からだまし取ろうとは、何を考えてんねん。普通に乗ったら普通運賃だけに決まってるやろうが」などと言って私だけに普通運賃しか払ってくれなかったのだ。
もしも、鉄道会社の領収証を提出しろと言ったとしても、実際には新幹線に乗っていないのに新幹線代の領収証を提出しようと思えばできる。新幹線に乗るという前提で切符を買って領収証を受け取り、それを払い戻しをして、新たにそれより安いものの切符を買えば、領収証だけが手元に残ることになり、やる気になれば、それで新幹線代を会社から受領することはできるのだ。又、そうすることだってできるから、だから、実際に何に乗るかにかかわらず、ヒラ社員は「新幹線 普通車 指定席」の料金、取締役は「新幹線 グリーン車 指定席」の料金とかいうように決めている会社が多いのではないか。
ましてや、その時の総務部だかの課長のおっさんは、領収証の提示なんか一切求めず、実際には「新幹線 普通車 指定席」に乗っていなかったであろう者にも「新幹線 普通車 指定席」の料金を支給して、私だけが正直に「だしてもらえるのなら新幹線に乗るのだった」と口にしてしまったことから、「あかん、あかん。普通に乗って来たのなら普通運賃だけに決まっとるやろうが。新幹線に乗ってないのに、会社から新幹線代をだましとろうやなんて、何、考えてるんんや」などと何人もの前で言って、その後も何人もから「会社からカネだましとろうとしたらあかんやろうが」などと言われることにされてしまったのだ。こんなおかしな話はない!
だいたい、なんで、その人は、先に「東京から大阪の本社に研修を受けにくる人には、『新幹線 普通車 指定席』の料金を後から支給しますが、『新幹線 普通車 指定席』を利用しなかった人には実際に利用した交通手段の料金のみを支給します」と言わなかったのだ? 先に聞いていたならば、私は、あんなしんどい思いをして「大垣行き夜行」なんて乗らなかったのだ。千葉工大みたいなものに行くようなカネ持ちには「新幹線 普通車 指定席」の料金をくれてやって、私には「大垣行き夜行」に一晩中、荷物を持ってつり革すらもない電車に一晩中、立ちっぱなしで行く金額しか払ってくれないとは、それはおかしいだろう!


ロシア民謡に「ドゥビヌーシカ(棍棒)」という歌がある。それの「日本語訳」で「イギリス人は利巧だから、水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う。それは仕事の歌・・」というくだりがあるが、そんな感じというのか何と言うのか、
「千葉工大は~金持ちだから、新幹線に乗って本社に行く~う♪
私~はあ、貧乏人だから、夜行の普通に~乗って行く~う♪」
て、なんで、小堀住研(株)は、同じ従業員なのに、千葉工大の大金持ちには「新幹線 普通車 指定席」に乗せて、私には夜行の普通にしか乗せてくれないのだ??? おかしいだろうが!!!!!
※ 《YouTuve-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY
そのあたりを見ても、その総務部だったか人事部だったかの課長のおっさんというのは、「あんまり賢くない」のであり、それも、うちの父親の勤め先でもあそこまでアホじゃない・・、うちの父親の勤め先と小堀住研(株)となら「上場している分だけ、わずかに小堀住研(株)の方が上」かと思ったら、ちっともそうじゃなかった。むしろ、逆だった。うちの父親の勤め先だった、「あんまり賢い人いない」会社だったが、そんな会社でも、その時の総務部の課長のおっさんみたいな変なことはしなかった。
《 K 》さらに。入社直後の本社での全体研修の時、滋賀県の甲西町にあった工場にバスで見学に行くことになったのだけれども、その同行に、これも総務部だったと思うのだが、課長のおっさんが同行したのだが、「この人、大丈夫か?」みたいな人だった。「普通、ここで、・・・とガイドが説明しよるはずやのに、きょうはガイドが説明しよれへんな。おかしなガイドやな」と、その課長さんがおっしゃるので、休憩でバスが停まった時に、ガイドさんの女性に私がそれを尋ねてみたところ、「研修なので観光ガイドは必要ないということで、あくまで、車掌ということで来ているのですけれども、ガイドをやれと言われるのならできますけれども、やった方がいいのでしょうか」と言われたのだった。課長のおっさんは、「なんで、このガイドは説明しよれへんねん」と酔っ払いのおっさんみたいにぼやくのだったが、会社がバス会社に「研修なので、ガイドは要りません」と言って、「あくまでも、車掌」でその女性は来ていたので観光ガイドとしての話はしなかったにもかかわらず、「なんで、このガイドは説明しよれへんねん」とか・・・、困ったおっさんやな・・と思ったものだったが、その人が、やっぱり、総務部の課長だったのだ。なんか、小堀住研(株)の総務部とか人事部の課長てそんなおっさんばっかりやなあ・・・と思ったのだった。慶應大学の商学部の教授で「東大・京大とか慶應・早稲田といった大学の卒業生ばっかりという会社に勤めるとライバルが多くて、なかなか実力を発揮する場がないのに対して、東大・京大とか慶應・早稲田といった大学の出身者をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が、むしろ、実力を発揮できる場があっていい」と言われた人があったが、もしも、「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりの会社」に勤めて、それで競争に勝っても負けても、競争に負けたのなら負けた自分が悪いと考えるしかないとして、「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者をなかなか採用できない会社」に勤めて、「下の方」の大学の出身者とか「高卒」の人とかに競争で負けたなら、いったいどうしてくれるんだよ・・とも思ったのだが、それをうちの父親に話したところ、「そんなもの、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身の人間同士での競争なら、勝つこともあれば負けることもあるやろうけれども、アホ大学しか出てないやつとか高卒のやつとかと東大・京大や慶応・早稲田の出身の人間が競争して負けることなんて、百パーセント、絶対にありえない」と言うのだった・・・が、ほんまにそうかあ・・と思っていたのだったが、小堀住研(株)に入社して、総務部の課長になっていたおっさん2人とかを見て、ああ、これはたしかに、こんなおっさんと競争して負けることなんて、百パーセント絶対にないわ・・・と思った。そして、入社式の後の立食パーティーの時に、銀行系ではない常務取締役のKさんが「うちの会社も、まだまだ人材が不足してますから」と話したのは、これか・・・とわかったし、太陽神戸銀行から出向で来て常務取締役・西部営業本部長にならせてもらった大野が大野自身は新卒社員と同じく小堀住研(株)に入社したばかりで小堀住研(株)で勤務した経験からの発言ではないはずだったのだが「人材が不足していますから」と言ったその点については、なるほど、そうかと思った。
《 β 》それで、1989年、「総務部 東京駐在」で前野和彦というおっさん(当時、40代くらい? 当時、東京都杉並区在住。フガフガした口のきき方)がいて、私はこの男もまた、小堀住研(株)にいる「まだまだ人材が不足していますから」という「総務のおっさん」の一人なのだろう・・・と思い込んでいた。彼が普段、大阪にいるのか東京にいるよかよく知らなかったが、東京の新宿センタービル内の「本社機能」部分にいたらしいが、実はこのおっさんも「銀行から出向できた人」だった。
↑ に述べたように、小堀住研(株)では、総務・人事関係の課長というのは、「なに、この人?」みたいな人がいたのだが、ひとつには「一族」の人がいて、そういう人は、営業をさせるとものにならないし、建築業の技術的な能力はないし、能力がないなら努力してその能力を身につければといっても、能力がないだけでなく努力して能力を身に着けようという気概というものもないので、そうなると、総務とかそういう所に配属すれば「ボロがでにくい」ということで「総務」あたりに配属されることがあるようで、これはけっこう多くの会社であることのようなのだが、しかし、「総務」というのはそういうことでいい部署なのかというと、違うと思うのだが。 又、「総務」と似たものとして「人事」も、「一族」でさえあればいいとか、「一族」に逆らわない人間・逆らう能力がない人間がいいとかいう思考で人が選ばれている会社というのもあるようだが、「人事」というのは会社にとって大事なものであって、そんな人選でいいものかというと、私は違うと思うのだが、こういう思考ができる人間というのは、一番気に食わないと考える経営者というのもいるようだ。
1989年の秋頃だったと思うが、この前野和彦が私がいた千葉県松戸市の松戸展示場に来たことがあったのだ・・・が、私が外から帰ってきたところ、彼が来ていたのだったが、松戸展示場があったハウジングプラザ松戸は今はもうなくなってしまったが、松戸市和名ヶ谷という所にあった。今、松戸リハビリテーション病院というものがあるが、そこだと思う。 そのハウジングプラザ松戸まで、総務の前野和彦はJR・新京成「松戸」駅の東口からバスに乗って東の方に行ったあたりのバス停で降りて東に少し歩いた所にあったのだが、前野和彦は、それを、なんと、新京成電鉄「松戸新田」駅から就業時間中にハイキングみたいに40分も歩いてきたというのだ。
( ↑ 「ハウジングプラザ松戸」が、かつてあった場所。
松戸市和名ヶ谷1009-1 )
( ↑ 新京成電鉄「松戸新田」駅。 )
あんまり、こんなことする人 ないと思うがなあ~あ・・・( 一一)
「松戸新田から歩いてきた。40分もかかった。」といかにも大変だった・・みたいに前野和彦は言うので、私は「それは大変でしたねえ」と言ったのだけれども・・・。そう言われて前野和彦はねぎらいの言葉を言われたみたいに思ったようだったが。 元外務省の佐藤優がモデルの憂木護という登場人物の漫画『憂国のラスプーチン』の中で、小渕恵三が部下に「お疲れさん」と言った時と「御苦労」と言った時は似ているようで意味は正反対だということが書いてあったのだが、「お疲れさん」というのは、言葉の通り、ねぎらいの意味だが、「御苦労」というのは、「この役立たず、おまえはもういいよ!」という意味だというのだった・・・が、前野和彦が普通にJR「松戸」駅からバスに乗れば特に苦労せずに来ることができる展示場に、わざわざ、「松戸」駅から新京成電鉄に乗って新京成電鉄「松戸新田」駅まで行き、「松戸新田」駅から就業時間中、給料が発生している時間に、物好きにハイキングみたいに「40分も」長々と歩いてきた・・というのを聞いて私が「それは大変でしたねえ」と前野に言ったのは、百パーセント、「あんた、アホちゃう~う」という意味でもなかったけれども、半分はねぎらいの意味だったけれども、半分は「アホちゃうか」という意味でもあった。
私などは、少しでも多く契約をいただけるようにと、できるだけ効率的に動けるように考えて、その日はどこにどうやって行くか考えて動いていたが、それでも、毎日、終電くらいまで働き、労基法違反の長時間労働を続けていたのだったが、「銀行から来た男」として毎日私などよりはるかに早い時刻に退社していた前野和彦が勤務時間中に新京成電鉄「松戸新田」駅から松戸市和名ヶ谷のハウジングプラザ松戸まで、「40分以上も」ハイキングしてきたのだった( 一一)
・・普通、あんまり、そんなことする人なんてないと思うがなあ~あ( 一一)・・・ということをやる男だったのだ。

会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
新京成電鉄は普通に地図を見ると線路が地図に書いてあるけれども、バスの路線は今ではインターネットで検索することもできるが、その頃はインターネットといったものはなく、市街地図とか道路地図とかを見ても、バス停が書いてある場合もあっても、そのバス停にどこからバス出ているのか、バス停は載っていても「バス路線」は載っていない場合が多いので、だから、「電車の駅」で一番近い所に行って、そこから歩いたらしいのだが、物好きに・・というのか、アホと違うか・・というのか、そんなことする人、あんまりないと思うがなあ~あ・・・ということをこの男はやったのだった。 地図を見てわからないのなら、松戸展示場に電話をして、松戸展示場の誰かに行き方をきけばいいだろうが! そのくらいのことができんのか!・・・と思うが、「そのくらいのこと」ができない男だったのだ。松戸展示場の人間でなくても、千葉支店に所属の人間で、たとえば、柏展示場の人間とかなら松戸展示場に行ったことは何度かある人が多いから行き方はしっているはずだから、電話してきけばよかったはずなのだ。そうでなくても、JR「松戸」駅についた時に、松戸駅の駅前にバスは停まっているのだから、バスの運転手にでも駅員にでも尋ねればよかったのだ。そのくらいのこともできないアホなのか?!?・・・というと、前野和彦という男はそのくらいのこともできないアホだったのだ。それで、「次長」という肩書を前野和彦はもらっていたのだが、よく、こんなので「次長」にならせてもらえるなあ・・という感じだったが、小堀住研(株)の場合は、課長は「ヒラの上の主任の上の係長の上」ではなく「ヒラの上」の役職で、「次長」というのは《「ヒラの上」の「課長」の上》でしかない役職であり、さらに言えば、 川端康成がノーベル文学賞を受賞したことに際して、なだ いなだ『娘の学校』(中公文庫)で「作家で精神科医」の なだ いなだ が「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と書いていたのだが、この言葉は賞だけではなく会社の役職にもあてはまるところがあり、「どのような役職をもらっているかでその人の値打ちが決まるのではない。どのような人がその役職についているかでその役職の値打ちが決まるのだ」という面がある。その基準から考えると、小堀住研(株)の部長とか支店長とかいうような役職なんて、あんまり値打ちのある役職ではない、「普通の会社ならせいぜい主任か副主任くらいのもの」か・・というようなものだった。だいたい、取締役だってたいした人間じゃない・・・けれども、それにしても、「松戸新田」駅から勤務時間中にわざわざ「40分も」ハイキングしてくるおっさんて・・・、なんか「ほとんどビョーキ!」て感じがする。

娘の学校 (1969年)
それで、私はこの前野和彦という男は、《本来、大阪の本社での研修を受けるために東京から来る者には「新幹線 普通車 指定席」の費用を会社で出しますということを、あらかじめ言っておくべきであり、特に、もしも、「新幹線 普通車 指定席」よりも安い交通手段で移動した場合には実際に使用した交通機関の費用しか出しませんということなら、なおさら、あらかじめ言っておくべきものであったにもかかわらず、そのくらいのことも言わずに、そして、東京から大阪までの費用は出してもらえないものと思って、「大垣普通電車」なんてものに乗って大変な思いをして行った私には普通運賃しか払ってくれず、千葉工大みたいなものに行くような大金持ちの息子には実際に乗ったかどうかもわからないのに「新幹線 普通車 指定席」の金額を支給したというアホちゃうか・・というおっさん》とか、《大阪から滋賀県の工場を見学しに行くために、会社がバスを手配して、「研修なので」ということで「運転士とガイド」ではなく「運転士と車掌」として会社はバス会社に依頼していたのに、「引率」だか「同行」だかで行って、「なんや、普通はここで説明しよんのに、きょうのガイドは説明しよれへんなあ。きょうのガイドは変わっとんなあ」とか不平を言ったりする「酒のんでない酔っ払いみたい」な変なおっさん》とか、そういう「課長」と同類のようだなあ・・・とわかった。 小堀住研(株)は私もアルバイトに行ったことがあるうちの父親の勤め先と、
1.できてからの年数としては社長は2代目で同じくらいで、
2.大阪発祥で、
3.本社は大阪駅から遠くない場所にあって、
4.従業員数は千人を超えるくらいで
・・というあたりは似たようなもので、
1.2代目の社長はうちの父親の勤め先の2代目は東大卒だが小堀住研(株)の2代目社長は高卒だが、
2.小堀住研(株)の方が上場していたので、
「上場している」という分だけ「少し上」かと思っていたら、ちっともそうじゃない、むしろ、うちの父親の勤め先みたいなたいしたことない会社よりも、小堀住研(株)の方が、ま~だまだ下・・と、総務のおっさんを見て思ったのだが、前野和彦もまた、「程度の低い小堀の総務のおっさん」のうちの1名らしかった。よくやると思う。勤務時間というのは会社はその人にお金を払っている時間であり、ハイキングしてくれと言ってカネ払ってるのとは違うはずなのだ。「新人類」とでも言ってやるべきか、普通、あんまりそんなことせんぞお~お( 一一) 又、「松戸新田から歩いてきた。40分もかかった」なんて、きかれもしないのに言わないと思うのだ。普通、そんなおかしなことやったというのは恥ずかしいことだと思うのだが、前野和彦が自分から、いかにも大変なことを私はやりとげたんですよ・・みたいな調子で口にしたというのは、恥ずかしいことだという認識がないからだろう。なんか、小堀住研(株)の「総務のおっさん」というのは、程度低いなあ~あ・・・と思ったものだった。
《 A 》小堀住研(株)においては、人事部長の高田もまた、「ええ? この人が人事部長なのお?」というような男だった。 1989年度、高田から会いたいと言われて会ったところ、高田は私に何を言ったかというと、「ちょっと、きみにききたいことがあって来たんだけどな」と言うので、「何ですか」と言ったところ、「きみはマスターベーションをやったことがあるか? それをききたいと思ってきたんだ」と言うのだ。高田は普段は大阪市北区の本社に勤務する男であったはずで、それを「ききたい」ために大阪から東京まで会社のカネで新幹線に乗ってやってきたらしい。「いったい、どういうことですか、それは」と私は言ったのだが、高田は「だから、人事部長として、きみはマスターベーションをやったことがあるか、ときいてるんだ。人事部長の質問だ」と言うのだ。はあ? はあ~あ? はあああ~あ??? しかし、それにしても、私は今までからこの人のことを「特別に賢い」とかいうようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった・・( 一一) 高田は私にそれをきくために、大阪から東京まで新幹線に乗る費用を会社に出させてやってきて、私は労基法違反の休日労働・無賃労働(労働時間制限違反・時間外賃金不払い)で休日に呼び出されたようだった・・が、小堀住研(株)の人事部長というのはそういう男だった。そういう男が小堀住研(株)では人事部長になっていた。普通、人事部長というのはそんな人間がなる仕事とは「ち~が~う~だ~ろ!」と私は思っていたが〔⇒《YouTuve-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕、実際には日本の会社では、そんな人間がなるものではないという人がなっている会社はけっこうあるようだ。
「そういう発言は私に対する人権侵害ですよ」と私は人事部長の高田に言ったのだが、高田は「なんでやねん。人事部長が、おまえはマスターベーションをやったことがあるか、ときいてるんだろうが。答えろよ」と言うのだった。「セクシュアルハラスメント」というものは女性に対してだけ発生するものではない。男性に対する「セクシュアルハラスメント」というものもある。ただ、私は「セクシュアルハラスメント」およびその略語からできた「セクハラ」という言葉が、本来、その言葉がめざした意味とは違う意味合いで使われて、その用語を使って表現することが物事の理解をかえって妨げることになると思うようになったので、それで、「セクシュアルハラスメント」という言葉はできるだけ使わないようにしていたし、「セクハラ」という略語はなおさら使わないようにしていたのだったが、この高田の私に対する行為は「セクシュアルハラスメント」に該当するものであり、そもそも、人事部長というものは、会社内においてそういったことがなされないように配慮する役目・役職のはずであるのだが、小堀住研(株)においては自分自身がそういう行為をおこなう男が人事部長になっていた。・・・だから、「どういう賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」「どういう役職をもらっているかでその人の値打ちが決まるのではない。どういう人がその役職についているかでその役職の値打ちが決まるのだ」という基準から考えると、小堀住研(株)の「課長」とか「部長」「支店長」というのは「その程度のもの」だった。そして、「その程度のもの」の「課長」と「部長」のまん中の「次長」という役職をもらっていた前野和彦もまた、「その程度のおっさん」「その程度の程度の低いおっさん」だったのだ。
・・・それで、こういう「バッカじゃなかろかルンバ♪」てことをする人というのは、小堀住研(株)に比較的古くからいる人で、無能だけれども長くいるから「ヒラの上」くらいにならせてあげようということで《「ヒラの上」の「課長」》にならせてもらったという人と、そういう人の中で「そのもうちょっとだけ上」として「次長」にならせてもらったという人がいたのだろうと思ったのだ。人事部長の高田は「一族」らしいことから課長ではなく部長にならせてもらっていたが、普通は課長だった。 ・・・ところが、なんと、「松戸新田」駅から「40分以上も」就業時間中にハイキングやった前野和彦は、「太陽神戸銀行から出向で来ていた男」だったのだ。太陽神戸銀行はそんな男を小堀住研(株)に出向で送りつけて、しかも、「次長」などという役職につかせていたのだった。あきれた。前野は、もしも、「銀行から出向で来た人」でなければ「ヒラのひとつ上」、普通の会社なら「主任」くらいのところだが、小堀住研(株)は主任・係長という役職がなくて「ヒラの上」は課長で、課長になっている人には実際に課長くらいの人もおれば、「本来なら主任か副主任」くらいの課長もいて、前野は年齢もいっていたことから無能だけれども年齢を考慮して「ヒラのひとつ上」で〔小堀住研(株)では〕課長というくらいが妥当かという人だったが、「銀行から出向できた人」ということで一階級上がって「次長」ということになっていたようだ。小堀住研(株)の部長とか次長とかいうのは「その程度のもの」だった。
※ 《YouTuve-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs
この男を見ただけでもわかると思う。入社式の後の立食パーティーにおいて、太陽神戸銀行から出向で来て、小堀住研(株)では何か功績を残したわけでもなく、戸建住宅建築業についてわかっているわけでもないのに、いきなり、常務取締役・西部営業本部長にならせてもらった大野が「小堀住研(株)は無借金経営の会社です。銀行から人が来ているのは銀行に借金があるからではなく人材が不足しているからなのです」と言ったのは、まるまる大嘘だったということが。 しかし、この大野という男も「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」
たしかに、小堀住研(株)が「人材が不足している」というのはそうだったと思う。《 J 》もしも、東京から大阪の本社での入社式や研修のために行く人には「新幹線 普通車 指定席」の料金を支給するけれども、それよりも安い交通機関を使用した人には実際に使用した交通機関の費用のみを支給するということならば、あらかじめ、そう言っておかないといけないはずで、それを言わずに、千葉工大みたいなものに息子を行かせるような金持ちの息子には「新幹線 普通車 指定席」のカネをくれてやって、私には普通運賃しか出さないというようなことをした総務の課長のおっさんとか、《 K 》滋賀県の工場に新入社員が見学に行くのに「引率」だか「同行」だかして、「普通、このあたりでガイドが説明しよんのに、きょうのガイドは説明しよれへんのお」とか「酒のんでない酔っ払いのおっさん」みたいに言う総務の課長のおっさんとか、《 D 》《 G 》居住地を変わる必要がある転勤をさせようと思えば、実際に移る日よりも最低でも2週間くらいは前に言っておかないといけないし、そうでなく辞令を出した日まで言わなかったのなら、実際に移る日はもう少し後でいいように配慮するのが業務課長の仕事であるはずであるにもかかわらず職責箒した千葉支店業務課長の越智(おち)・東京支店業務課長の江間(えま)と同類で、「人材が不足している」と大野が言った、その「不足している」という、こんな人しかいないんだという方の人だとばっかり思っていたら、《 β 》前野和彦は「人材が不足しているから来ているんです」と大野が言った、銀行から「来ている」方の人間だったらしいのだ。あきれた・・( 一一)
《 γ 》太陽神戸銀行は、小堀住研(株)を「人材が不足しているから」と言った上で、小堀住研(株)の「人材が不足している」人と同程度の人間(どっちもどっちの人間)を送りつけてきていた。かつ、その男がそのまま太陽神戸銀行にいた場合の役職よりも高い役職に、その男が最初から小堀住研(株)に入社した人間であった場合の役職よりも高い役職に小堀住研(株)につけさせていた。太陽神戸銀行が考える「優秀な人材」としてそんな人間しかいないというのなら、太陽神戸銀行の方こそ相当「人材が不足している」のではないのか??? 大野は、「勤務時間中に松戸新田駅から40分以上もハイキングするおっさん」を「優秀な人材」などと思っていたのなら、大野もまた「優秀な人材」の逆の人間ということになるであろう。
太陽神戸銀行は、その後、三井銀行と合併して「太陽神戸三井銀行」になり、「さくら銀行」に名称変更した後、住友銀行と合併して「三井住友銀行」となって「太陽」と「神戸」は名前から消えたが、そりぁ消えるだろうなあ・・て感じがした。 (太陽+神戸)+三井⇒さくら銀行 が住友銀行と合併した時、何だったか週刊誌に載っていた話では、さくら銀行の行員が「うちの頭取は何を考えてるんだ」と不満を口にしていたそうで、「住友銀行なんて相手と合併したのでは、さくら銀行が住友銀行に吸収されるようなものじゃないか」「さくら銀行を住友銀行に吸収させて、さくら銀行の行員を半分辞めさせるということか」と言っていたといい、三井住友銀行の経営者が「さくら銀行の行員に半分辞めてもらうということではありません。優秀な人に残ってもらいます」と言ったというのだが、それに対して「同じことじゃないか。『優秀な人に残ってもらう』ということなら、どう考えても、さくら銀行の行員と住友銀行の行員なら住友銀行の行員の方が優秀に決まっているのだから、優秀な人に残ってもらって両方の行員の合計の3分の1に辞めてもらうということは、住友銀行の行員に残ってもらってさくら銀行の行員の半分に辞めてもらうということと一緒だろうが」と言っていたといい、又、合併して三井住友銀行になった後、元さくら銀行の行員と元住友銀行の行員が一緒に会議をすると、元さくら銀行の行員は元住友銀行の行員から 「よう、そんなんでやってこられましたなあ」 と言われることがしばしばある・・・と出ていたのですが、太陽神戸銀行から「優秀な人材」だと言って出向してきていた前野和彦なんてのを見ると、あれが太陽神戸銀行が考える「優秀な人材」だということなら、太陽神戸銀行の行員というのは、よっぽどレベル低いということなんやなあ・・・ということになります。実際、住友銀行と合併する前の「さくら」銀行=(太陽+神戸)+三井 のうちの「(太陽+神戸)」の方にいたという前野和彦を見ると、「よう、そんなんでやってこられましたなあ」という住友銀行の行員の言葉がよくわかります。又、そんな人間を「優秀な人材」などと平気で言っている大野という男もまた、あんた、アタマ、大丈夫か?・・・て感じがします。太陽神戸銀行こそ相当「人材が不足している」のではなかったのか? 前野和彦のような男を「優秀な人材」などと言っていた大野という男も「その程度の男」だったのか・・・。 まず、普通、勤務時間中に「松戸新田」駅から松戸市和名ヶ谷のハウジングプラザ松戸まで40分以上もハイキングする人間なんて、あんまりおらんぞお~お( 一一)
「銀行の人間」て、面白いことするね( 一一)〔⇒《YouTuve-【2008】ノムさん「バッカじゃなかろかルンバ! 」》https://www.youtube.com/watch?v=ME18CeyShoc 〕
《 β 》実際には、前野和彦が「次長」にならせてもらっていたのは、小堀住研(株)に昔からいる人で、《 J 》大阪の本社での入社式や研修に参加するために東京から大阪まで行く人には「新幹線 普通車 指定席」の料金を支給するということで、もしも、それよりも安い交通機関を使用した場合には実際に使用した交通機関の料金の金額のみ支払いますということであったのなら、それならそれで先にそう言っておくべきであったにもかかわらず、その程度のこともできずに、千葉工大みたいなものに息子を行かせた金持ちの息子には「新幹線 普通車 指定席」のカネをくれてやって私には普通運賃しか払わなかった男とか、《 K 》滋賀県の工場へ新入社員を見学に連れていくのに、「普通、ここでガイドが説明しよんのに、このガイドは説明しよれへんなあ。おかしなガイドやなあ」と「酒のんでない酔っ払いのおっさん」みたいな総務の課長のおっさんと同程度の人であるが、 「銀行から来た人間」であるので「ヒラの上の課長」に元から小堀住研(株)に入社した従業員よりもひとつプラスして「次長」にならせてもらった、小堀住研(株)に最初から入社した人なら「課長」のところを「太陽神戸銀行のバカ息子」であるから「次長」というそういう「次長」だったようだ。「銀行から来た従業員」「銀行系の上級国民」にとっては「銀行の権利」みたいに思っていたかもしれないが、最初から小堀住研(株)に入社した者からすれば横暴に見える。
小堀住研(株)は、銀行という大株主がいて、2代目社長の中島昭午は中島昭午という名前で大株主になっていたが、銀行が大株主になっていたことから、「銀行から来た人」というのが、その「大株主のバカ息子」みたいなふるまいを会社でおこなっていて、最初から小堀住研(株)に入社した従業員に対して、自分たちは「上級国民」だみたいな態度を明らかに取っていたのだった。そんな状態になった会社が発展するか・・・というと、あっという間につぶれた。・・不思議なのは、銀行というのは会社に融資した場合も出資した場合も、融資したり出資したりした会社は発展した方がいいはずであって、つぶしたなら銀行が得するのかというとそうではないはずであると思うのだが、なぜか、つぶすための「人材」を大量に送り込んでいたのだが、富士銀行にとっては小堀住研(株)がつぶれても「どうってことない」というものだったのかもしれない。 「銀行から来た人」というのは、出向先の会社には忠誠心はなく、顔は銀行の方を向いており、出向先の会社を良くしたいなどという気持はさらさらない。そんな人間が、最初からその会社に入社して、その会社を良くしたいと思って滅私奉公を続けている従業員に対して自分たちは「上級国民」だというような態度を取りまくっていたのであり、小堀住研(株)に入社するのなら最初から小堀住研(株)に応募して入社するよりも、どこかの銀行から出向で行って勤めた方が絶対に得! という状況があった会社というのは・・・、先にも述べたように、「おまえは・・・、もう・・、死んでいる」という状態の会社だったのかもしれない。けっこういい家を作っていたと思うので、その点は残念なのだが、「メカケの子」なのか「メカケの娘の婿」なのかという2代目社長も「銀行のバカ息子」も、私のようなそういった意識はさらさら持っていなかったようだ。「大株主のバカ息子」「資本家のバカ息子」は一般従業員のように自分が勤める会社を良くしたいという意識なんて持たない。自分が得したい、自分たち「大株主のバカ息子」が使用人である一般従業員に対してえらそうな態度をとって、自分たちがいい思いをしたい、というのが「大株主のバカ息子」たちの意識だった。
《 β 》何年か前だが、ある週刊誌に「会社で男あさりをして遊ぶ方法」というのをOL何人かによる座談会として掲載されていたことがあったのだが、そこで、ある女性が「会社で男をひっかけて遊んで、飽きた時になんといっても便利なのが『総務の有能じゃないおじさん』よね」と発言し、「そう、そう。便利よね」と他の女性が同調していた。自分の方が男にアプローチしても、「飽きた」とか「めんどうくさくなった」とかいう時には、「総務の有能じゃないおじさん」に、あの人がしつこいんですう・・とか、あの人につきまとわれるんですう・・とか言うと、一生懸命、追い払ってくれるから便利よねえ・・という話だったが、いかにもありそうな話である。 世の中の会社には「女性に『ええかっこしい』やりたがる男」というのは世の中にけっこうおり、「総務の無能なおっさん」にそういうアホな男はけっこういる。前野和彦もその「会社で男あさりして遊ぶOLにとって、要らなくなった男を追い払うのに便利な総務の有能じゃないおじさん」タイプであろう。 ここで、「いいところを見せる」「さすがやなあというものを発揮する」と「『ええかっこしい』やる」は同じではない。大きく違う。「総務の有能じゃないおじさん」と女性社員から言われるおっさんには自覚していないと思うが「女に『ええかっこしい』やりたいシンドローム」の「病人」がけっこう多い。「精神医学」用語で表現すると「病識がない」というのがまた難儀なところである。そういうおっさん、及び、そういうおっさん予備軍みたいなおっさん・・というのはいるのだ。前野和彦にしても、この男、会社にとってはいない方がいい男だとわかった・・が、太陽神戸銀行はそういう人間を出向で送りつけて、「人材が不足しているから銀行から来ているんです」などという口をきいていたのだった。「その程度の人」を「人材が不足しているから来てるんです」などと言って送り込まれては、小堀住研(株)の本来の従業員は迷惑なのだ・・・が、最初から小堀住研(株)に入社した従業員は自分たちが「本来の小堀住研(株)の従業員」と思っていたが、「銀行から来た人」はそうではなく、個人株主の2代目社長の中島昭午と大株主の銀行から来た人間は、どちらも「大株主のバカ息子」で、最初から小堀住研(株)に入社した従業員というのは個人株主の中島昭午と銀行から来た「上級国民」にとっての使用人だという意識でいたようだ。
私が小学校3年の時、大阪市東住吉区の大阪市立の小学校で、担任の教諭Fは「気に入る生徒」と「気に入らない生徒」に生徒を2分する教諭で、なんだ、こいつは・・と私は思っていたし、同様に思う生徒は他にもいたようだったのだが、「気に入る生徒」の側になっていた生徒の中でも特別に顕著だった生徒として、たいして勉強ができるわけでもないのに担任の教諭Fにすりよることで「お気に入り」になっていたAという男がいたのだが、こいつ、嫌なやつやなあ・・と思っていたら、4年になる時、Fが他校に転勤して担任の教諭が変わると、Fの「気に入る生徒」と「気に入らない生徒」という分類は溶解して、特にクラスが2分されることはなくなったが、その際、Aだけは「嫌なやつやなあ」と私が思ってのと同様に思う生徒が他にもいたようで、旧「Fの気に入らない生徒」からだけでなく旧「Fの気に入る生徒」からもあまり好かれなくなり、幾分孤立するような立場になった。会社における「総務の無能のおっさん」にはAみたいな性格の人間というのがいるのではないかと思う。又、Aみたいな性格の人間で「総務の無能のおっさん」になりたがる人間というのがいると思う。前野和彦も子供の頃はAみたいな人間だった可能性がありそうだ。しかし、総務というのは、そういうものなのか? 人事・総務というのは、そんなくだらない人間の巣窟とすべき部署なのか?・・私はそうではないと思うし、そうであってはいけないと考える・・・が、そういうくだらない人間の巣窟にしたがる会社というのは、けっこうあるようだ。
今回、この話をここで掲載したのは、「北野天満宮へ公共交通機関で直近まで行く方法」を考えた時に、そういえば、松戸市和名ヶ谷の松戸展示場まで、松戸駅東口からバスに乗ればいいと、松戸展示場に電話してきけば誰でも教えるし、松戸展示場でなくても千葉支店に所属の人間なら知っていたであろうし、前野和彦がいた新宿センタービルの東京支店には前に千葉支店に勤務していた業務課長の江間(えま)もいたし、千葉支店長だった長谷川もいたし、工事課のなんとかになっていた松川も千葉県の松戸市近辺の住人だったらしいし、きけば知っている人間は東京支店にもいたと思われるし、そうでなくても、松戸駅で降りた時にバスのターミナルに専門の係員がいたかどうかはっきりしないけれども、いなかったとしてもバスの運転手にきいてもいいし、駅員にきいても教えてくれたと思われるのに、わざわざ、新京成電鉄にのって「松戸新田」駅まで行って、「松戸新田」駅から物好きに勤務時間中にハイキングやった「銀行から来た”新人類”」がいたなあ~あ・・・と思いだしたからである。「新人類」というのか「異星人」というのか、ああいう人を銀行から送り込まれて、最初からその会社に入社した人間の上の役職につけられるようになった会社というのは、「おまえは、もう、死んでいる」状態の会社だった・・ということか、そんな会社の為に毎日毎日滅私奉公を続けたのはアホそのものだったということなのか・・どうか、ともかく、そういう会社に入社するのなら、最初から小堀住研(株)に入社するよりもどこかの銀行に入社して銀行から「大株主のバカ息子」の役割で出向して行く方が得なのは間違いなかった。

会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
銀行に勤めた人というのは、その銀行にいる限り、その人は従業員で労働者です。しかし、いったん、小堀住研(株)に出向でやってくると、その人は「資本家」の立場なのです。 銀行から出向で来た人というのは「資本家のバカ息子」としてやってきて、「資本家のバカ息子」は小堀住研(株)に最初から入社した小堀住研(株)の労働者を「資本家」として・「資本家のバカ息子」として・「上級国民」として支配しようとするのです。そんな「人材」が「優秀な人材」だと思いますか? もし、そんな「人材」が「優秀な人材」であったなら、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)はつぶれなかったでしょう・・けれども、つぶれた、ということは大野が言う「優秀な人材」というのは、少なくとも小堀住研(株)にとっては「優秀な人材」ではなかった、ということでしょう。
《 α 》銀行から来て取締役になっていた人というのは、「人材が不足しているから来ている」のではなく「銀行に借金しているから」でもなく「銀行に出資されていたから」来ていたようでしたが、それでも、私は銀行から来て取締役になった人に期待したものがなかったわけではないのです。それは、小堀住研(株)に最初から入社して部長・支店長あたりになった人よりも、銀行から来た人の方が学歴は一般に上でしたから、ある程度以上の大学を卒業した学識のある人でないと判断できえないものというものが会社においてはあるわけで、小堀住研(株)においても底辺の方の大学しか出ていない人でそういう部分において「あかんなあ~あ」という人が現実にいましたし、又、銀行というのは会社の規模がある程度大きい会社ですから、小堀住研(株)の部長・支店長あたりになっている「高卒のおっさん」とは違って、ある程度大きい会社で伝統的にやってきたことというもの、現在の日本の企業の「相場」みたいなものに即した対応ができるのではないか ・・と考え期待したのです・・・が、そのたりも、富士銀行から1998年に来て、 いきなり、常務取締役・東部営業本部長にならせてもらった増田和二などは、そういった「ある程度以上の大学卒の人が持つ学識からくる対応能力」「大企業に勤めてきた人がそこで見につけた現在の日本の会社における相場のようなものにもとづく認識」といったものをまったく身に着けていない男でした。「人材が不足しているから」他社から人に来てもらうのならば、自社で「不足している」ものを補ってくれるような人に来てもらうべきで、自社の「人材が不足している」人と同類の人に来てもらってもしかたがない。増田和二などは、学歴は東北大学法学部卒であっても、小堀住研(株)の「高卒のおっさん」と比べてどういう違いがあるか・・といういと、な~んもあらへん( 一一) 小堀住研(株)に最初からいる「人材が不足している」「高卒のおっさん」と特に優れているものがあるわけではない男 で、「銀行から来た」ということでの「特権意識」を持っているという点でかえってたちが悪い男・・に銀行から来てもらっても小堀住研(株)に益はありません。
又、もしも、「人材が不足しているから」来てもらうのならば、自社で役立つような「人材」に来てもらわないといけません。小堀住研(株)は大学に出していた求人票に「応募資格」として「営業系(営業・人事・総務・経理など)」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」、「技術系(設計・工務・工事・アフターサービスなど)」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」として明記していたのですが、1970年代後半、私が高校を卒業する頃、法学部と経済学部では、その大学にもよるけれども、幾分、法学部の方が入試難易度が高かった。経済学部と商学部・経営学部では、経済学部は東大・京大にも名古屋大・九州大にもあるのに対して、商学部があるのは慶應・一橋・大阪市大・同志社あたりで、経営学部があるのは神戸大・大阪市大といったところで、ある大学とない大学があったことから、経済学部と商学部、経済学部と商学部がある大学では、どちらかというと経済学部の方が入試難易度が高い所が多かったのです。しかし、公務員になるのなら経済学部・商学部よりも法学部の方が関係は深いかもしれませんが、会社という所に勤める場合には、むしろ、経済学部・商学部・経営学部の方が会社に勤めて役立つ者は多いのではないかとも思われますし、経済学部と商学部では、むしろ、商学部の方が会社という所で役立つものは多いのではないかとも思われるのです。経済学部と商学部はどう違うか知らない人もいるようですが、慶應の場合は、商業学・経営学・会計学など経済学以外のものも扱うけれども経済学に比重があるのが経済学部で、経済学も扱うが商業学・経営学・会計学など経済学以外の方に比重が大きい学部が商学部ということで、一橋大も同様ではないかと思います。慶應・一橋は経済学部と商学部があるのに対して、神戸大は経済学部と経営学部があるのは、それは経済学も扱うが商業学・経営学・会計学などの方に比重があるという学部の名前を慶應・一橋は商業学を代表させて「商学部」としたのに対して、神戸大は経営学を代表させて「経営学部」と名付けたということで、大阪市大は経済学部と商学部と経営学部の3つがあるというのは、大阪市大はもともとは大阪商大だったということもあって、その分野に比重が大きい大学だからか、慶應・一橋・神戸大が2つに分けたものを3つに分けたということではないでしょうか。慶應・一橋の商学部、神戸大の経営学部はどちらも経済学も扱うが商業学・経営学・会計学などの方に比重がある学部であっても、学部名に商学部とつけている大学と経営学部とつけている大学であれば、どちらかといえば商学部とつけている大学の方が商業学に比重があるような印象があります。それで、小堀住研(株)は戸建住宅を作って売る会社だったのですが、銀行というのはモノを作って売る会社ではないのです。モノを作って売る会社においては、商学部的発想が必要です。「世界的建築家 磯崎新」設計の つくばセンタービル を見に行った時、相当カネかかってそうな同ビル内の商店街は閑古鳥がないていてシャッター閉めのスペースが多かったのに対して、向かいの「普通の人」が設計した「普通のビル」には人がいっぱい入っていた。商業ビルというのは、やっぱり、「世界的建築家」的発想で作ったら成功しない、やっぱり、商学部的発想で作らないとだめです。又、戸建住宅建築業も法学部的発想で考えるものではないし、法学部卒でも「モノを作って売る会社」に勤めてきた人ならそういう感覚を身に着けるかもしれませんが、銀行で経験がある「人材」であっても、モノを作って売る会社の経験がある「人材」ではないのです。
《 L 》《 α 》1989年秋、千葉支店の支店長になった渡邊士直が、小堀住研(株)では「新 桂」という自由設計の高級志向住宅と「高品質低価格」の「ハウス55」の2本立てになっていたうちの、「ハウス55」だけを取り上げて「大安売り」みたいなチラシを作って新聞折込に入れたことについて、私は松戸営業課長の石井(最終学歴:高卒)に、これはおかしいのではないかと話したのです。小堀住研(株)では、「小堀ならではの家」として「新 桂」を売りたいと言っているのに、「高品質低価格」の「ハウス55」だけを掲載したチラシで、しかも「大安売り」みたいなチラシを入れられたのでは、もしも、その時、その「大安売り」につられて来た見込客が「ハウス55」で契約することがあったとしても、ますます「新 桂」は売れにくくなってしまうではないか。又、一回限りならばともかく、そういったチラシを何度も入れると、会社と商品に対して、安物イメージがついてしまい、高価格帯の商品は売れにくくなるとともに、「高品質低価格」タイプのものも「大安売り」の方が基準になってそれまでより安い価格で売らされることになっていくのではないのか。営業は売れた方がいいか売れない方がいいかというと、売れた方がいいに決まっているのですが、しかし、むしり取るだけむしり取って、その後、ぺんぺん草の1本も生えなくしてしまうような契約の取り方ではいけないはずです。その時、「ハウス55」を「大安売り」と言って何棟か契約を獲得できたとしても、そのチラシが原因で会社と商品に対して安物イメージを広めてしまったなら、その後の営業活動にマイナスになることが考えられるのです。私はそれを石井さんに話したのです。ところが、石井は「悪くないよ」と言うのです。「どうしてですか」と私が言うと、「支店長(渡邊士直)が勝手にやってるのじゃなくて、東部営業本部に許可を得てやってるんだから」と言うのです。ああ、やっぱり、この人、高卒の人だなあ・・と思いました。 私は東部営業本部長からハンコついてもらったかついてもらっていないかを言っているのではないのです。「東部営業本部から支店長は許可もらってやってるんだからいいんだ」と石井は言うけれども、「東部営業本部に許可を得てやってる」というのは、だから、千葉支店長の渡邊士直は越権行為をやっているのではないという意味でしょう。しかし、その「東部営業本部の許可」て誰が許可しているのか・・というそこが問題です。東部営業本部長というのは、富士銀行でどこやらの支店の支店長を2年ほどやったという増田和二が前年の1988年に出向で来て、戸建住宅建築業の経験なんてまったくないのに、いきなり、東部営業本部長にならせてもらったというもので、戸建住宅建築業の経験なんてない人であり、卒業した大学も東北大学法学部であって、商業学などまったく学んできていない人であり、増田和二が許可してハンコついたといっても、増田和二は何を見て・何を判断してハンコをついたかというと、要するに、自分が東部営業本部長として無視されていないかどうかを見ただけであって、そのチラシを入れるのが、小堀住研(株)の会社のイメージ・商品のイメージにどういう影響を与えるのか、そういったことを考えて、そのチラシは入れるべきものなのか、入れない方がいいものなのか・・といったことを考えて判断してハンコをついたのではないのです。それではだめです。そんなことでは会社の為になりません。「銀行から来た人間」として「資本家」として「資本家のバカ息子」として、「えらい人」だと立てて欲しいということなら、「あんた、えらい。あんた、えらい。あんた、えらいエライえらいエライえら~い! あんた、天皇へーか。あんた、天皇へーか。あんた、えらいエライえらエライえら~い! あんた、天皇へーか!」と言ってほしいのなら言ってあげてもいいですよ。西川きよし と 横山やすしの漫才のように。しかし、会社と商品のイメージをどうしていくかといったことは、私のように、そういったことをある程度以上長期的に考えることができる人間が判断しようという人間が考えて判断しないといけないはずなのです。 慶應大学の商学部の先生で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の卒業生ばかりという会社に勤めるよりも、そういった大学の卒業生をなかなか採用できないという会社に勤めた方が実力を発揮する場があっていいところがある」と言われた方があったのですが、そんな話を聞いて「下の会社」に勤めて、「底辺の大学」や高卒の人と競争して勝てばいいけれども負けたらどうしてくれるんだ・・とも思ったのですが、この話をうちの父親に話したところ、うちの父親は「そんなもの、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の卒業生が、アホ大学卒のやつとか高卒の人間とかと競争して負けることなんて、天地がひっくり返っても絶対にありえない」と言うのでした・・が、あったらどうしてくれるんだよ・・とも思ったのでした・・・が、小堀住研(株)に勤めて、東部営業本部長の増田和二や千葉支店長の渡辺士直を見て、そりぁ、こんなおっさんと競争して負けることなんて、「天地がひっくり返っても絶対にない」だろうなあと思った。
《 C 》《 α 》もしも、自分の会社と自分の会社の商品の現在のコンセプト・イメージはどういうもので、そのチラシを入れるとどういう影響がでるか・・といったことを考えて、それで、そのチラシ入れるべきものか、やめた方がいいか、入れるのなら別の内容にした方がいいのか・・とそういったことを考えて判断する者同士での競争であれば、競争に勝つこともあれば負けることもあるでしょう。しかし、東北大学法学部卒で、商学部的発想なんてみじんも持たない男で、銀行から「資本家のバカ息子」の立場で小堀住研(株)に出向できた増田和二や、底辺の高校卒の渡邊士直とかには、そういう思考はもとよりどこにもないのですから、そういった思考のもとに判断する人間と、増田和二のように自分の顔を立ててくれたかどうかしか判断しない男や、渡辺士直のように、その時、売れることしか考えない男、それも営業社員全般にとって売りやすいかどうかではなく自分自身にとってどうかという思考の男との競争であれば、そんな競争に負けるなどということは「天地がひっくり返っても絶対にない」。
《 α 》折込チラシを入れていいかどうかというのは、単にその時、そのチラシで契約があがるかどうかだけを考えて入れるものではなく、そのチラシを入れることで自分の所の会社のイメージ・商品のイメージがどういう影響を受けるかと、そういったことを考えてやるものであって、「銀行から来た人」にはそういう思考がない。そもそも、銀行という業種はそういうことをやってきた業種ではないのであり、増田和二の場合は小堀住研(株)の従業員から「アタマ、ぼけてる」と言われたりしていたように、「老後のおつとめ」みたいなもの、シルバー人材センターみたいな勤め方で来ていた人、デイケアセンターにカネ払って行くよりも小堀住研(株)にカネもらって来た方がいいという人でしたが、たとえ、銀行の人間の中で相当優秀な人で、年齢的にも全盛期の人が来たとしても、銀行にはそういう発想はないわけで、東部営業本部長という役職の能力がない人に「銀行から来た人」だからということで就かれて、自分の顔を立ててくれたかどうかだけを見てハンをつく・・という作業をされたとして、それが小堀住研(株)にとってプラスになるか・・というと、ならない・・・・と思っていたら、あっという間に、つぶれた( 一一)
《 γ 》1989年、太陽神戸銀行から出向で小堀住研(株)に来たばかりの大野は「小堀住研(株)は無借金経営です。銀行から人が来ているのは借金があるからではないんです。人材が不足しているから来てるんです」と入社式の後の立食パーティーの時に、私は「銀行から人が来ているのは借金があるということですか」なんて一言も言っていないのに大野の方から言ってきたのだったが、しかし、この時点で、大野は太陽神戸銀行から小堀住研(株)に「出向」として入社して1年目、新卒入社社員と小堀住研(株)に入社してからの年数・月数は何ら変わらなかったはずで、どのような入社のしかたをしたとしても、まだ、小堀住研(株)ではまったく勤務していなかったはずであり、そこの会社でまだ働いたことがない男が「人材が不足していますから」という発言は、それまでからその会社に勤めてきた人間に対して失礼であろう。そういった発言は自分自身がその会社で「優秀な人材」と自分で言うだけの働きをしてから口にするべきもののはずだ。大野は太陽神戸銀行から出向で小堀住研(株)に来て、来たその日から「常務取締役」「西部営業本部長」に戸建住宅建築業の経験などまったくないにもかかわらず就任させてもらい、それに該当する給料ももらっていたのだが、大野の1年前から小堀住研(株)に富士銀行から出向で来て、戸建住宅建築業の経験などまったくないにもかかわらず、いきなり「常務取締役」「東部営業本部長」にならせてもらった増田和二は役に立たないだけでなく、最初から小堀住研(株)に入社した従業員に迷惑をかけていたのであり、最初からその会社に入社した従業員に迷惑かける「人材」が「優秀な人材」であるわけないのであるが、大野もまた、その会社でまだ働いたことがない男が「小堀住研は人材が不足していますから」といった文句を無神経に口にするというあたりは、あまり「優秀な人材」がやることではない。私なら、一般入社で入社する場合でも、何らかの事情で「出向」で入社する場合でも、その会社で自分がまだ働いていない時点において、「◇◇は人材が不足していますから」などという口はきかない。無神経にそういう口をきく男というのは、他の部分でどうかはさておき、そういった口をきくという部分において、あまり「優秀な人材」ではないと判断した方がいいだろう。
《 L 》 最後、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかの2代目社長 中島昭午が社長を退いて、富士銀行から来た男が破産管財人のように社長になって大阪駅前の本社ビルを売り飛ばすなどして「取れるだけとって去った」後、積水ハウス(株)から来た男が社長になったのは積水ハウス(株)がエスバイエル(株)〔←小堀住研(株)〕を買収して得るものが多いかどうか見るための偵察要員だったのか?・・という感じだったが、積水ハウス(株)はマイナスのイメージだけのエスバイエル(株)など買収しても「うまみがない」と判断したのかその男も去り、最後、敗戦処理として松川という大阪工大卒の工事部出身の男が社長になったが、エスバイエル(株)の状況が良くないと言われることについて、インターネット上で「同業他社から誹謗中傷を受けたことにより」などとアホなことを言っていたが、この男は本当にそんなこと思っているのか? やっぱり、あんまり賢くないなあ・・と思った。そんなもの、同業他社の営業で他の会社の悪口を言うやつなんて、前からいくらでもいたはずだ。それを跳ね返すことができるかできないかの問題だ。
《 M 》そうではなく、エスバイエル(株)の会社と商品に安物イメージを植え付けたのは「同業他社」ではなく2代目社長の中島昭午だろうが! 同業他社の営業から少々悪口を言われても反論すればいいことだが、自社の社長が言いまくり書きまくりしたものはダメージが大きい。中島昭午が、あっちやらこっちやらで「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とか言いまくり書きまくりして、エスバイエル(株)に安物イメージを強烈に植えつけたのだろうが。 《 L 》松川はそんなこともわからんのか。
《 C 》《 B 》又、↑ でも述べたように、1989年秋、千葉支店で支店長の渡邊士直が、小堀住研(株)は自由設計の高級志向の「新 桂」と「高品質低価格」の「ハウス55」の2本立てになっていたのを、「高品質低価格」の「ハウス55」の方のみをとりあげ、かつ、「高品質低価格」であって「ともかく安い」ではない商品で、なおかつ「小堀は(大きな)値引きをしない」というのを「売り」にしてそこからブランドイメージを出す作戦を取ってきていたのに、それを「大安売り」という調子でのチラシを入れたのは、それはこれまで売り込んできたイメージに反するもので適切なチラシではないのではないかと私は松戸営業課長の石井に指摘したのですが、石井は一級建築士の資格を持っていた人でしたが高卒の人だけあって理解できなかったようで、そのあたりを見ると、一級建築士だと言ってもやっぱりこの人は高卒の人だなあという印象を受けたし、やっぱり、商学部・経済学部卒の人間なら当たり前のこととして考えることを、「一級建築士」というのは考えることができないんだなあ・・と実感した。そういった、その時に契約があがることだけ考えたそれが商品のイメージにどういう影響を与えてるかを考えない適切でないチラシも、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)がマイナスのイメージを持つに至ったことに影響しています。
《 E 》1990年、東京都目黒区大岡山の自由が丘展示場は、比較的高価格帯の見込客が多い展示場でしたが、ところが、営業課長の高橋賢一郎は、高価格帯の見込客を「ろくな客が来ない」と言い、たまに「ハウス55」の見込客が来ると「やっと、いい客が来た」と言うのでしたが、要するに、高橋賢一郎は「ハウス55」の契約は取れても高価格帯の「新 桂」の契約は取れない営業だったのですが、そういう人をわざわざ、高価格帯の見込客が多い展示場に配属していたというあたりは、東京支店長の高倉にはそのあたりにおいて「人を見る目がない」というのか、やっぱり、高卒の支店長やなあ・・という感じがしましたが、粗利益(あらり)としてはそれなりの金額を稼いでいた人でも、高橋のように比較的安い価格帯の契約なら取れても高価格帯の見込客を相手にする能力はない人というのがいたのですが、そういう低価格帯の契約しか取れない人でも、これからそういう能力を身に着ける可能性がある人と今後もだめであろう人とがいたはずですが、展示場によって高価格帯の見込客が多い展示場と低価格帯の見込客が多い展示場があったのですから、高橋のような低価格帯の契約しか取れないタイプの人は低価格帯の見込客が多い方の展示場に配属してあげるようにした方がいい。
《 F 》《 α 》そういった判断を支店長はできないといけないし、支店長ができないならば営業本部長がやるかできるように指導しないといけない。ところが、東部営業本部長はそういう能力がある人がなっているのではなく、そんな能力もなければそういった判断をしようという意思も意欲も微塵もない人が銀行から送り込まれてなっていた。(富士銀行は小堀住研(株)をつぶすための「人材」を送り込んでいた。)東部営業本部長はどういう人間だったかというと、富士銀行で支店長を2年ほどやっただけの人で、小堀住研(株)に来ても小堀住研(株)を良くしようなどという意欲も気概も微塵もない男で、もとより、そんな能力があるから東部営業本部長になった人ではない。
《 M》松川は「同業他社からの誹謗中傷を受けて」などと述べていたが、同業他社の営業が他社の悪口を言うことくらいは「あること」であり、同業他社よりも自分の所の人間が自分の会社のイメージと商品のイメージを下げていたという事実に気づいてもいない・・というあたりは、工事課の仕事でどうだったかはさておき、小堀住研(株)には課長にしてあげる必要ないのに課長になっていた人とか次長にしてあげる必要ないのに次長になっていた人とかいたが、松川も本来は社長になるような人ではないし「敗戦処理の社長」だから社長になった人なんだな・・という感じだった。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)がつぶれた原因は他にもあるし私はいくつかわかっており、何より、会社をよくしたいと思いそういったものを改善したいと思って滅私奉公を続けていた私を大事にしなかったということも小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)がつぶれた原因のひとつであろう。
《 L 》「同業他社」の営業が少々、何かしょーもないこと言ったとしても、同業他社の営業で他社の悪口を言うやつなんて前からいくらでもいたはずだ。むしろ、論理的でない・科学的でない誹謗中傷悪口雑言は、考えようによってはカウンターパンチを撃ち込むチャンスでもあるし、又、同業他社への論理的・科学的でない悪口雑言はカウンターパンチを受ける危険がある。 (株)一条工務店の営業でも、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)について、論理的でない・科学的でない誹謗中傷を言うのが三度の飯より好きというヤカラがけっこういたが、もしも、私が小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業なら、競合相手がこんな無茶苦茶な攻撃をしてきてくれたら、ボクシングで言うところのカウンターパンチを撃ち込むチャンスだがなあと思うことは何度もあった。 ボクシングでもカウンターのパンチというのは通常のパンチよりも効き目が大きいのと同様、論理的・科学的な批判ではなく見当はずれな悪口雑言を他社の営業が加えてきたのならそれに対してカウンターパンチのように反論すれば、むしろ、見当はずれな悪口を言った側がダメージを受けることになるはずであった・・・が、エスバイエル(株)は「メカケ思考」の社長などがアホばっかり大事にして、営業のレベルも下がって、私なら反撃できる・私ならカウンターパンチを撃ち込むチャンス♪・・・と思うところで、レベルの低い営業は反撃できず、見当はずれな攻撃のエジキになっていたのではないか。
《 L 》松川の場合は、大阪工大卒で工事部の仕事をしてきた人で営業の仕事についてきた人ではないということもあるかもしれないが、「同業他社に誹謗中傷を受けたことが・・」などというのは言い訳にならないし、そんなことを言っているようではだめだ・・と思ったら、エスバイエル(株)は倒産して、ヤマダ電機が「いぬき」で買い取った上、同じように買い取ったリフォーム部門の「リフォームのナカヤマ」と合わせて(株)ヤマダホームズとなり、ヤマダ電機はマイナスのイメージしかない「エスバイエル」の名前は消した。そのあたりはヤマダ電機の方がアホではなかったということかな。松川は「同業他社から誹謗中傷を受けたことにより・・」なんて、本気でそんなこと思っていたのか?・・アホと違うか・・・と思うようなことをインターネット上で発言していたが、この程度の人しかいない会社だったのか。もしくは、あほくさいから、まともな人は出て行ったということか。・・その前に、その人は、もともと、敗戦処理の人だったから、もとから「その程度の人」だったか。
《 L 》《 M 》又、特定の「同業他社」の特定の営業が小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) に「誹謗中傷」を加えたことがあったというのではなく、何社もの人間が、特定の営業ではなく何人もが「誹謗中傷」を加えたのであれば、松川が「誹謗中傷」だと思っていたものは実は「誹謗中傷」というものではなく、その発言をした者が持つようになっていたエスバイエル(株)と商品についてのイメージで、そのイメージを話していた、世間一般にそういうイメージを持たれるに至っていた可能性が考えられる。モノから考えると「誹謗中傷」であっても、世間のイメージがどうかという点からすると「誹謗中傷」ではないという場合がある。 2代目社長の中島昭午が「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」などとあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりされたおかげで、小堀住研(株)で建てた入居者は、自分の家の財産価値が下がってしまって迷惑しているんだ。 我が家にしても、1960年代後半、建てた時点においては小堀住研(株)の営業担当者は「小堀住研はミサワホームなんかと違ってきっちりとした木造の家を建てている会社なんですう」と言い、実際、その頃の小堀住研(株)の建物とミサワホームの建物なら小堀住研(株)の建物の方がカネもかかった建物で「きっちりとした」建物で、我が家の近所で我が家の翌年くらいにミサワホームが建てた家なんか、とうになくなっていても我が家はその後も十分に住める家だったし、買い替えを考えた時に、不動産屋も「建物の値打ちというのは築年数だけで決まるのではありません。この家なら建物の値打ちも算定できるでしょう」と言ったものだった・・・が、不動産屋にもいろいろあって、その後、貸すことを考えて見に来てもらったある不動産屋の担当者は、私が「この家は築年数はそれなりに建っていますが、小堀住研で建てた家で、建てた時点ではけっこうしっかり建てた家なんです」と説明すると、「◇◇の家も、ミサワの家でして」と言うので、こいつ、アホやな・・と思ったことがあったのだが、先の「建物の値打ちというのは築年数だけで決まるのではありません。この家なら建物の値打ちも算定できるでしょう」と言った担当者は実物を見て判断していたのに対して「◇◇の家も、ミサワの家でして」と言ったその比較的若い担当者としては、会社の名前で小堀住研(株)とミサワホームならミサワの方が上だから、「ミサワの家」と言えば「小堀の家」より上の評価を受ける、「小堀の家」は「ミサワの家」の下の評価だと思ったようだったが、そういう評価をする人間が現実にいるのです。だから、 「高級住宅の小堀」で建てた入居者としては、2代目社長の中島に「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とか、あっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりされたのでは、あるいは「胡散臭そうな不動産屋」と組んでの建売住宅のチラシを大量に入れられたのでは、「小堀の家」「エスバイエルの家」というものが、モノとしていいものかどうかと別の問題として、商品価値が下がってしまうことになり、入居者としては財産価値を低下させられたのと同じなのです。株の値段というのは、その会社の内容が実際にそれほど良くなくても良さそうと思われると上がることがあり逆もあります。土地の値段というのは、安い価格で売りにだす土地があると、その土地の条件が変わったわけでなくても周囲の土地の値段も下がってしまうことがあるのですが、同様に建物の価値というものも、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」だのとアホなことを社長に言いまくられると、又、「胡散臭そうな不動産屋」と組んでのレベルの低そうな建売住宅のチラシを大量に入れられると、「高級住宅の小堀」で建てた家の評価まで下がってしまい、入居者としては迷惑もいいところなのです。松川は「同業他社」から「誹謗中傷を受けた」と思ったかもしれないが、その「誹謗中傷」と松川が言う発言をした者としては「誹謗中傷」したつもりはなくて、その言った人間の頭の中にあるその時点でのエスバイエル(株)とエスバイエル(株)の商品のイメージを言ったのであり、エスバイエル(株)の経営者が自社と自社の商品をそんなイメージにしてしまっていた・・という可能性を考えないといけないはずだったが、「敗戦処理の社長」とはいえ「工事部出身の社長」とはいえ松川は社長でありながら、そのあたりについて理解できていないようだった。
《 L 》《 M 》「高級住宅の小堀」で建てた人というのは、その家というのは「住むための道具」であるとともに財産でもあるのですが、中島昭午に「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とかあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりされたおかげで、その財産価値を下げられてしまったのです。そういう人は、それから何十年か経ち、息子の代になり、家族構成も変わり、建て替えようかと考える人もあれば、独立した息子が家を新たに建てようという人も出てきます・・が、中島のおかげで財産価値を下げられて迷惑した人が、次に建てる時に、そんな会社で建てると思いますか? うちの知りあいの人で1960年代後半くらいに「高級住宅の小堀」で建てた入居者の人で、リフォーム工事を頼んだりした際の対応を見て「エスバイエルは、もう、前のような会社ではなくなりました」と言い、そして、「もう、エスバイエルに頼むことはありません」と言われた方があったのですが、そういう人は別に「同業他社」の人間ではないけれども、誰かに頼まれたわけでもなくても、そういったことを口にされたのです。そういう発言というのは「誹謗中傷」ですか? 違いますでしょ。「誹謗中傷」ではないし、「同業他社による」ものでもないのです。一度は、小堀住研(株)を評価して何千万円の契約をして建ててくれた人じゃないですか。松川は「反戦処理の社長」とはいえ、それでも社長なのにこのくらいのこともわからんのか。中島昭午が「見るからに胡散臭い」不動産屋と組んで安っぽい建売住宅を大量に始めて、建売住宅のいかにも安っぽい折込チラシを大量に入れた時、「高級住宅の小堀」で建ててくれた入居者と「高級住宅の小堀」に魅力を感じた見込客をすべてドブに捨てたのです。又、「高級住宅の小堀」の客層をドブに捨てたのとともに、「最低価格帯のカテゴリーキラーをめざす」などと中島昭午が言い出した時、「高級住宅の小堀」の客層だけでなく「高品質低価格」の「小堀ハウス55」の客層も自分でドブに捨てたのです。 「高品質低価格」の「小堀ハウス55」の客層と《「うわあ~あ。こんなんと関わったらあかんわあ」と見るからに思える胡散臭い不動産屋の建物》とは客層は違います。中島昭午は、千葉支店長の渡邊士直が「俺は中島社長から、会社の女である限り、いつでも、誰にでも、好きなだけ、尻を撫でまわしてもかまわんと許可されとるんじゃあ」と何度も言いまくっていたように、そういった人間が好きであり、中島昭午自身がそういった人間と同類の男だったようで、「高級住宅の小堀」の客層や《「高品質低価格」の「小堀ハウス55」》の客層とつきあうよりも、《「うわあ~あ。こんなんと関わったらあかんわあ」と見るからに思える胡散臭い不動産屋》とつきあう方が中島自身が性に合っていたようで、中島が性に合う相手とつきあうために、そのために「高級住宅の小堀」の客層も《「高品質低価格」の「小堀ハウス55」》の客層も自らドブに捨てたのです。一流企業ではない会社のオーナー経営者には、オーナー経営者の好みと会社の立場とを混同している人というのは、時々いるようで、「会社の為」と称して自分の趣向に合わせて会社の為にはならないことをやる人というのはいるようですが、中島昭午は、「高級住宅の小堀」も「高品質低価格の国家商品の小堀ハウス55」も「大卒しか採らない会社」というのもそれは初代の小堀林栄が小堀住研(株)につけた仮面であったかもしれないけれども、たとえ、仮面であっても、プラスの内容の仮面なら会社にとって役立ち、うかつにその仮面をはずそうとすると顔の皮膚まではがれてしまうような状態になると、仮面が必ずしも仮面でなくなってくるし、「嘘でも百回言えば真実」みたいになってくることもあるし、「嘘でも百回言えば真実」みたいになった会社というのはあると思うのだが、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい中島昭午にとっては「俺は中島社長から、会社の女である限り、いつでも、誰にでも、好きなだけ、尻を撫でまわしてもかまわんと許可されとるんじゃあ」というような人間や、《「うわあ~あ。こんなんと関わったらあかんわあ」と見るからに思える胡散臭い不動産屋》とつきあう方が性にあっていて、「高級住宅の小堀」の客層や《「高品質低価格」の「小堀ハウス55」》の客層とつきあうのは苦痛だったようで、「高級住宅の小堀」の客層や《「高品質低価格」の「小堀ハウス55」》の客層を自ら積極的にドブに捨てたのであり、そのかわりに《「うわあ~あ。こんなんと関わったらあかんわあ」と見るからに思える胡散臭い不動産屋》とつきあうようにしたものの、だからといって、そういう不動産屋の建売に適した商品を持っていたわけでもなく、「クローズド構法」の「木質パネル構法」は一定の品質よりも内容を下げにくいというのも《「うわあ~あ。こんなんと関わったらあかんわあ」と見るからに思える胡散臭い不動産屋》の建売には不向きでもあり、自分の品性に合わせるために、それまでの会社の歴史や商品に合わないことをやろうとして・・・、つぶした。「つぶれた」というよりも中島昭午が積極的に「つぶした」・・と考えるべきではないか。自分でそうやっておいて、「同業他社による誹謗中傷のために」などとは、松川はよく言うなあ・・と思います。アタマ、大丈夫か?
時々、「会社員は品行方正でなくても仕事ができればいいんだ」とか言う人がいますけれども、「俺は中島社長から、会社の女である限り、いつでも好きな時に、誰にでも、好きなだけ、尻を撫でまわしてもかまわんと許可されとるんじゃあ」とかいう人とか、そういう人が好きな人とかいうのは、「その程度のもの」ですよ。別の表現をするなら、そんな会社というのは「長い目で見るならばハリコの虎」ということになります。それがわからん中島昭午というのは、やっぱり「メカケの子」やなあ・・て感じ、「メカケ根性の男」やなあて感じがしますね。
《 L 》むしろ、松川は、私と会ったこともないのに私に誹謗中傷を加えていた男であり、自分が人に誹謗中傷を加えておきながら、「同業他社から誹謗中傷をうけたことが原因で・・」などと、あつかましくもよく言うものだとあきれます。たとえ、「敗戦処理の社長」であっても、こんな男が社長になるようでは、この会社は・・と思うとつぶれたわけで、つぶれる会社には「敗戦処理の社長」を務めるのもその程度の男しかいなかった・・ということか・・。
《 M 》滋賀県長浜市の県立長浜北高校http://www.n-nagakita-h.shiga-ec.ed.jp/ の応援部のホームページのコメント欄に、中島昭午 のことを「そうそうたるメンバー」などと書き込んでいた人がいたが、「会社をつぶしたアホの二代目」を「そうそうたるメンバー」とは「バッカじゃなかろかルンバ♪」て感じがする。中島による私に対する人権侵害を考えることもなく「そうそうたるメンバー」などと書き込んだ人はおのれの反社会的行動について反省してもらいたいものである。松戸営業課長の石井から聞いた話によると、小堀住研(株)は私が入社するより前から「客の女に手を出したらいけないけれども、会社の女にはいくら手を出してもかまわない会社」と言われてきたそうである。ある支店においては、社員旅行において、宴会で女性社員を下半身丸裸にして舞台の上で引きずり回すということをおこない、された女性社員がわんわん泣きわめき、ある男性社員があまりにもひどすぎると支店長に抗議したところ、支店長は「人が酒のんで楽しんどるんじゃ。がたがたぬかすなアホンダラ」とそう言ったそうだ。私は、《 L 》千葉支店長の渡邊士直から「この俺は、会社の女の尻をなでまわしてけれども、会社からはいっこうにいかんと言われとらんのじゃ。おれは中島社長から渡邊は会社の女である限り、いつでも誰にでも好きなだけ尻を撫でまわしてもかまわんと許可されとるんじゃ。俺は中島社長から許可されて会社の女の尻を撫でまわしておるんじゃ。中島社長がかまわんと許可されておることを、それをいかんと言ったおまえは、社長に逆らっておるんじゃ。社長に逆らうやつは会社やめろ、ごらあ~あ! おまえは中島社長から俺が認められた『会社の女の尻を撫でまわす権利』というものを侵害したんじゃ。おまえは『女性社員の尻を撫でまわす』という俺の人権を侵害したんじゃ。支店長の人権を侵害するやつは会社やめろ、ごらあ!」と増田和二・石井と3人で1人を取り囲んで長時間にわたって至近距離から大声で怒鳴り続けたのだったが、これは刑法上、暴行罪に該当するものである。増田和二と渡邊士直は共同正犯であり、石井は従犯であろう。中島昭午と富士銀行(現 みずほ銀行https://www.mizuhobank.co.jp/index.html )の頭取には使用者責任がある。渡邊士直は「俺は、中島社長から、いつでも好きなだけ、おまえに土下座させる権利というものを与えられとるんじゃ、ごらあ。おまえは俺が会社の女の尻を撫でまわすという中島社長から認められた俺の人権を侵害したんじゃ。土下座して謝れ、ごらあ! 土下座してこの俺に『支店長様が女性社員の尻を撫でまわしたのをいかんなどと言って申し訳ございませんでした。今後は絶対にそのようなことは申しませんから、どうかお許しくださいませ』と土下座して泣いて謝れ、ごらあ。俺が女性社員の尻を撫でまわしたのをいかんと言ったことを、この俺に土下座して謝れ、ごらあ! おまえは『支店長が女性社員の尻を撫でまわしたのをいかんと申しまして、誠に申し訳ございませんでした。今後は二度とそのようなことは申しませんから、どうかお許しくださいませ』と土下座して謝れという支店長の業務命令がきけんのかあ~あ! 俺は中島社長から、いつでもどれだけでも好きなだけおまえに土下座させる権利というものを認められとるんじゃ、ごらあ! 土下座せんかあ! 土下座して『今後は支店長が女性社員の尻を撫でまわすのをいかんとは決して申しません』と誓え! 業務命令がきけんのかあ~あ!」と、長時間にわたって密室で3人で取り囲まれた上で至近距離から怒鳴り続けられた・・が、これは刑法上、暴行罪に該当するものであり、代表者 代表取締役の中島昭午には使用者責任があるだけではなく、渡邊士直の発言によると、「俺は、中島社長から認められてやっとるんじゃあ」ということであるから、中島昭午自身に責任がある。中島昭午は、とりあえず、この増田和二・渡邊士直・石井の3名による暴行について、使用者責任があるだけではなく、渡邊の発言によると「中島社長から、いつでも好きなだけどれだけでも、おまえに土下座させる権利というものを認められておるんじゃ」ということであるから、もとより、私は中島昭午にそのような「権利」を認めた覚えはないのであり、もとより、中島昭午にありもしない「権利」を中島昭午は渡邊士直に認めていたのであるが、中島もまた、渡邊士直・増田和二らによる暴行について、共犯なのか教唆犯なのか共同正犯なのか、そのあたりは刑法上の問題、「刑法総論」の方での問題だが、いずれにせよ、中島昭午もまた、この件において犯罪者であるのは間違いないのであり、県立長浜北高校http://www.n-nagakita-h.shiga-ec.ed.jp/ の応援部のホームページにコメントを入れていた同校のOBの人は、犯罪者であり反社会的勢力である中島昭午を「そうそうたるメンバー」などと書き込むのは私に対する人権侵害に加担する行為であり、そのような行為は慎んでいただきたいものである。
千葉支店 支店長の渡邊士直が言うには、渡邊士直は社長で代表取締役の中島昭午から「渡邊は会社の女性社員である限り、いつでも、誰にでも、好きなだけ、尻をなでまわしてかまわないと許可された」ということだが、そもそも、中島昭午にそのようなことを許可する権利などない。むしろ、中島昭午は社長として、渡邊士直に、そのようなことはいけませんと注意してやめさせる義務がある。又、渡邊士直は社長の中島昭午から、「いつでも、好きな時に、すきなだけ、おまえに土下座させる権利があるんじゃ」と「認められとるんじゃ」と言ったのだが、中島は根本的に物事の考え方を間違えているようだが、もとより、私は中島昭午にそのようなことを認めたことはないし、中島が渡邊士直にそのような「権利」を認める「権利」も「権限」もない。逆に、中島昭午は社長として、渡邊士直にそのような考えをしてはいけませんと注意し指導する義務があり、それを怠っている中島昭午と小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) は 保護義務違反 と評価される。社長としての義務を果たすことができないのであれば、中島昭午は社長の職を辞めた方がいいだろう。↓

社長よあなたがお辞めなさい―変身できないあなたこそ会社のガンだ! - 精治, 安達
( ↑ 『社長よ、あなたがお辞めなさい』 )
渡邊士直は、「支店長」にならせてもらったから、「支店長」というのは自分より役職が下の者には、誰にであれ、いつでも、好きな時に、好きなだけ、「支店長が女性社員の尻を撫でまわしたのをいかんなどと言いまして申し訳ございませんでした。今後は決して、支店長が女性社員の尻を撫でまわすのをいかんなどとは申しませんので、どうか、お許しくださいませ」と言って土下座させる「権利」があると主張していたのだが、そして、富士銀行から出向できていた東部営業本部長の増田和二がそれに同調していたのだが、そのような「権利」などというものは、誰が誰に対してでも存在しないし、決してそのようなものを認めてはならないものである。富士銀行はそのようなものを小堀住研(株)の従業員に認めさせようとする反社会的勢力の男 増田和二を小堀住研(株)に送り込んで、小堀住研(株)の従業員に迷惑をかける「権利」などというものはない。たとえ、富士銀行が小堀住研(株)の大株主であっても、そのような「権利」は存在しないし、もしも、存在すると富士銀行の頭取が主張するのであれば、その頭取もまた反社会的勢力であると断定せざるをえないであろう。
又、「いつでも、好きな時に、好きなだけ、土下座させる権利がある」などということは、これは誰が誰に対してでもそのような「権利」は存在しないし、存在してはならないものであるが、時々、そのような「権利」があると思い込んでいる人がいるようなのであるが、もしも、渡邊士直が私に対して、そのような「権利」があると思っているのなら、それは、むしろ、逆のはずだ。私は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースに応募して採用されて入社した人間であるのに対して、渡邊士直は「底辺の高校卒の人のコース」に入社した人であるのだから、もしも、どちらかがどちらかに「いつでも、好きな時に、好きなだけ、土下座させる権利がある」ということなら、私が渡邊士直に対してそのような「権利」があるということになるはずであり、逆ではない。決して渡邊士直にそのような「権利」があることにはならないはずである。もちろん、たとえ、そのような「権利」があっても、私はそのようなおかしな「権利」を行使しないし、そのような「権利」などは誰が誰に対しても存在しない。
もしも、私がここに述べたことが間違っているのなら、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) は倒産することなく今も存続し繁栄していることだろう。そうではなく、倒産してヤマダ電機に「いぬき」で買収されてリフォーム部門の「リフォームのナカヤマ」とともに(株)ヤマダホームズとなって「エスバイエル」という安もんくさい名前は消えた(ヤマダ電機は消した)ということは、ここで私が述べたことは間違っていない・・ということである。『旧約聖書 ヨナ書』では、ヨナは「このままでは、ニネヴェの街は滅びる」と預言し叫ぶが人々はヨナの言うことを聞かず、ニネヴェの街は滅びる。ヨナに限ったことではなく、『旧約聖書』に登場する預言者は人びとの為を思って、このままでは滅びることになると叫び警告するが、多くの者はきかない・・という話がいくつもある。小堀住研(株)の経営者も、もうちょっと私を大事にして私の言うことに耳を貸すようにすれば、つぶれず、むしろ、繁栄したかもしれないのに、やっぱり、「メカケの子」なのか「メカケの娘の婿」なのかと「銀行から派遣されてきた『資本家のバカ息子』」とが「上級国民」となって一般従業員を支配するような会社はあかん・・ということ・・かな・・。
会社員が仕事で住宅展示場に行くのに、行き方をそこの展示場の従業員に電話できくか近隣の展示場の従業員にきくかするか、もしくはバスの運転手なり駅員なりにきけば行き方を教えてくれたと思われるのに、わざわざ、遠回りして遠足みたいに40分以上も勤務時間中に歩いてくるおっさん・・というのは、その時間のそのおっさんの給料を会社に無駄にさせている(その時間にそのおっさんに他のことをさせるより害が少なかったかもしれないが)というものであった。
銀行から「融資を受ける」のではなく「出資を受ける」と、それは「借金」ではなく「自己資本」と評価されるので、見かけは良さそうに見えるかもしれないが、その見返りとして、銀行から「新人類」か「異星人」かみたいなおっさんを送り込まれることになる。そういう人は「資本家のバカ息子」の役割でやってきて、最初からその会社に入社して従業員を自分たちの使用人みたいに思い、自分たちはその会社の「上級国民」か何かのような意識で、本来の役職よりも高い役職につき、本来より高い給料を盗り、結果としてその会社をつぶすに至る・・ことが考えられる。 そうして、つぶしたあかつきには、銀行は、最後に、破産管財人みたいな社長を送り込み、「売れる物を売って、取れるだけ取って」そして、銀行から来ていた取締役は銀行に去って行く。
そうされないようにするのが、最初からその会社に勤めた「オリジナル従業員」とオーナー経営者の仕事ではないかと思うのだが、オーナー経営者がアホであると、銀行から来たアホと創業者一族のアホとで、「アホとアホとのコラボ」を実行して、従業員がバカを見さされる・・ということになる。
「奥さん」と「メカケ」は同じではない。 本来、「社長」というのは社長であるからいい思いをすることもあるとしても、社長であるから大変なところもあるはずで、「奥さん」というのも社長とこの点では共通しているはずだが、ところが「メカケ」というのは奥さんと同じではなく、メカケは社長から自分が利益を獲得するのがメカケ業の仕事であって、社長がその会社をよくするか悪くするかは「そんなの関係ねえ」というのがメカケである。(まあ、世の中には、メカケみたいな「奥さん」もいるかもしれないけれども。) 「奥さんの子供」と「メカケの子」とは同じではない。「メカケの子」は意識として「メカケの意識」を引き継いでいることがある。 小堀住研(株)の2代目社長の中島昭午も、「メカケの意識」を持った社長だったと、今になってみるとわかる。従業員に気持ちよく働いてもらって成果を出すことよりも、「メカケの子」の言うことに服従するかどうかを重視する男だったようで、その意識が強烈に発揮されて、「メカケの子」について甘い汁を吸おうとするような「有害人材」を周囲に抱えこむと・・・、それに銀行から来た、出向先会社には忠誠心などまったく持たないような連中とのコラボができると、もはや、その会社を良くして行こうとする人間は追い出されてしまうことになり、そういう会社は・・・・「おまえは、もう、死んでいる」状態になる。こんなことしたらいかんと思うがなあ・・と思っていると、まさに「あっ」と言う間に・・つぶれた・・( 一一)
「太陽+神戸」銀行に「出資」されたおかげで、「太陽+神戸」銀行から、銀行では別に要らんという「人材」であるから小堀住研(株)に送りつけられた前野和彦は顔みてもあんまり賢そうな顔してないし、フガフガした話し方で、「銀行の男」ならもうちょっとハキハキした話し方しろよ・・て感じの男だったが、又、太陽神戸銀行というのは「都市銀行」の1つのようでいて、実は、しょせんは「太陽+神戸」銀行であって「2流以下銀行2つが合併した銀行」だな・・という印象をこの男を見て受けた。「(太陽+神戸)+三井」=さくら と、「住友+平和相互」=住友 が合併して、名前としては、三井と住友が残って、太陽・神戸・平和相互が消えたが、名前が消えるだけあって、「太陽」も「神戸」も、しょせんは「平和相互」と同程度の銀行だったのではないか・・という印象をこの男から判断すると思えた。
この男がやったことは、会社にとって相当大きなマイナスになる非常識な行為をおこなっているのだが、この稿は、もともと、《北野天満宮への経路として「嵐山」経由はあまりにも遠い》というところから述べたので、「松戸新田駅から40分以上も勤務時間中にハイキング」という部分について述べた。他の部分も、また別の機会に述べたいと考えている。銀行から「融資」ではなく「出資」されると、「勤務時間中に40分以上ものハイキング」をふんぞり返ってやる男を高い給料払わされて雇わされることになる。 「融資」より「出資」の方がいいということはない・・・と、この男など、小堀住研(株)に銀行から来ていた連中を見るとよくわかった。
(2021.5.31.)
(元の文章作成・公開は2021.5.19.)
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビル。「西院」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。〔今回〕

銀行・証券ここまで書いたら潰される―金融業界の裏側 (カッパ・ビジネス) - 小沼 啓二
この記事へのコメント