奈良女子大学正門および記念館 ””外観の見学””、小学校1年の弟が「落とした」らしい奈良女子大学――東大寺二月堂三月堂他見学とともに

[第841回] 東大寺二月堂・三月堂他見学【5/5】
  前回まで、東大寺の二月堂・三月堂・四月堂、それに鐘楼・念仏堂・俊乗堂・行基堂と転害門などを参拝・見学してきましたが、今回は、東大寺より少し西にある「奈良女子大学・・の正門の前」まで行ってきました。
  「奈良女子大学」ではなく「奈良女子大学・・の正門の前」とはどういうことかというと、女子大というのは男性は中には入れないからだ。大学でも、東大・京大とか慶應・早稲田とかそういう所は誰でも普通に入ることができる。慶應の日吉キャンパスなんて「構内をご通行の皆さまへ。植木を折らないでください」とか看板が立っている。東大の本郷キャンパスは構内に東大医学部付属病院(通称「東大病院」なので、東大医学部卒の医者屋が診察していると思い込んで、私立金権裏口医大卒の医者屋に診察されるよりも東大医学部卒の医者屋に診察される方がいいだろうと思って行く人もいるようだが、( ↓ の書物によると)関東地方の医学部には東大医学部帝国主義と慶應医学部帝国主義の2つの帝国主義医学部(と千葉県限定で千葉大医学部)とその植民地医学部と植民地病院があるそうだ。 「東大病院」というのは東大医学部卒の医者屋が診察しているというわけではなく、実は東大医学部帝国主義の植民地医学部である私立金権裏口医大卒の医者屋、帝京大医学部卒とかの医者屋が東大医学部卒をかたって「診察」したりしている。実際には帝京大医学部卒とかの医者屋が診察しているのに「東大病院」と名のって営業しているのはあれは不当表示ではないか、ジャロに言うてやった方がいいのではないかと思うのだが、そういうのが「東大病院」である)があって、「東大病院前」という都バスのバス停が東大本郷キャンパスの中にあるので、一般人に入るななんて言いようがないのだが、女子大の場合は事情が違い、男性は入れないのだ。
大学医学部―80大学医学部・医科大学の実態 (1981年) - 保阪 正康
大学医学部―80大学医学部・医科大学の実態 (1981年) - 保阪 正康
大学医学部〈続〉 (1982年) - 保阪 正康
大学医学部〈続〉 (1982年) - 保阪 正康
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
  建築探偵団としては「あれは何だ?」と思った建物は火の中でも水の中でも見学に行きたいところなのですが、なかなか困難なものとして、女子大・女子高の建物というのは、これは、うかつ近づけない極めて難易度が高いものだ。『ドクタースランプ』の登場人物 則巻千兵衛みたいに「あのう、誠に申し訳ございませんが、わたくし、決して悪いこといたしませんのでえ」なんて言おうものなら、ま~すます怪しい・・と思われるかもしれんし、
※ 《YouTuve-Dr スランプ アラレちゃん OP ED》https://www.youtube.com/watch?v=uv0oV2_2zJA
「わたくし、建築の仕事をやってきたもので、建築を学んでいる者ですのでえ」なんて言おうものなら、いかにも、言い訳というのか屁理屈をつけて入り込もうとでもしているのではないかと思われそうで危ない。 「君子、危うきに近寄らず」「瓜田に靴を入れず、李下に冠を正さず」、やっぱり、建築屋は「安全第一」である。
  東京建築探偵団+増田彰久『スーパーガイド 建築探偵術入門』(1986.9.25.文春文庫ビジュアル版)の《建築探偵「九つの心得」》には、
《 六、 服装は平均的をもって旨とす
  どうもわが国では、年代ものの建物を立ったりしゃがんだり、近づいたり離れたりしながら観察していると、怪しい人物と思われる傾向が強い。住み主や管理人から必ずといっていいほど、「何か?」ときかれる。もちろん、「西洋館が大好きなもんですから、ハイ!」と快活に、無邪気に答えるわけだが、その際、服装がモノを言う。あまりにラフだとFF誌のカメラマンかと疑われるし、きっちりすぎのなりでは新手のサラリーマンとまちがえられる。ごく普通の服装をベースとし、そこにチョッピリ趣味人風のくずしを入れれば最上。》
などと書いてあるのだが、それは一般的な建物の場合であり、女子大・女子高の建物の場合は、その程度ではすまない。難易度ははるかに高いのだ。同書には、
《 九、 犬が来たら逃げるべし(解説不要)》
なんて書いてあるが、これについては、おそらく、この文章の作者はあまり犬が得意ではない方の人ではないか。私はけっこう犬とは仲よしになる方で、その犬にもよるけれども、犬と仲よしになることから飼主にもいい方向に思ってもらえる可能性がある。
《 八、 門があったら入るべし
  門というものは、閉じている時以外は””入ってもよい””という意思表示をしていると考えたい。といっても、門から玄関までのアプローチに限られているわけだが、これだけでも結構ためになる。ウロウロしているとやがて、どこから見ていたのか「どなた様でしょうか?」と声がかかる。この問いを素直に受けて、小学生みたいにハキハキと自分の名を名乗るのも面白いが、相手の本意は「帰れ!」だから、軽く会釈して引き返せばいいのだ。 》
とも書いてあるのだが、これも「一般的な建築物」の場合であって、女子大・女子高の建物というのは、その程度の「心得」ではいけない。女子大・女子高の建物は門が開いているからといって入ってはいけない。「西洋館が大好きなもんですから、ハイ!」なんて言おうものなら、ますます怪しい、いかにも怪しい・・と思われそうである。
スーパーガイド 建築探偵術入門 東京、横浜の西洋館230を追跡する (文春文庫) - 東京建築探偵団
スーパーガイド 建築探偵術入門 東京、横浜の西洋館230を追跡する (文春文庫) - 東京建築探偵団
  ついでに、宝塚少女歌劇というの、あれ、何度も見たいとは思わないけれども、一度、どんなものか見てみたい・・なんて思ったのだが、どう考えても男が一人で見にいけるようなものではないように思うのだ。それで、うちの姉が姪を産んだので、「そうだ。こいつを連れていってやるということにして行けば見にいける」と思ったら、ところが、子供というのは「あっ」と言う間に大きくなってしまうのだ。そして、もう「連れて行く」ような年齢ではなくなってしまった。ついで、その姪が娘を産んだので、よし、今度は、そいつを「連れて行ってあげる」ということにして見にいくことができるのではないか・・・と考えたのだが、ところが、やっぱり、子供というのはすぐに大きくなってしまうのだ。だから、宝塚少女歌劇というのは、別に何度も何度も見たいとは思わないけれども、いったいどういうものなのか、一度、見てみたい・・と思うのだが、これは男性が見に行くというのは大変難易度が高い。
  女子大・女子高の建築を見学というのは、うかつに近づいていくと「や~い、へんた~い♪」とか大喜びで言われそうで恐ろしい。女子大・女子高の中でも、奈良女子大というのは、前に南門の前を通った時、大学祭の案内看板だかで「芋の極み乙女の祭典」なんて書いてあって、それを見た後、YouTuve に奈良女子大の入学式の様子が出ていたので見てみたところ、な~んか、奈良女子大の女の子というのは、ほんと、芋娘みたいのばっかりやな・・ぶふふ・・(^^)/・・と思ったのだが、案外、そのあたり、波長が合うかもしれないので、逆側の女子大よりはいいかもしれないが、それにしても女子大・女子高の建築を見学・・なんて、正直に言っても、言えば言うほど「怪しい」と思われそうな感じがする。
  ロバート=ペイン『毛沢東』(宇野輝雄訳 1967.角川文庫)には、
《 以上の軍紀にあわせて、毛沢東は赤軍ゲリラ戦術四行の文章で謳った格調高いスローガンを発表した。
  敵進めば我退き(敵進我退)
  敵駐れば(とどまれば)我擾す(じょうす)(敵止我擾)
  敵退けば我進み(敵避我進)
  敵疲れれば我これを撃つ(敵疲我撃) 》
《 敵が火をつければ、その火を消せ
  敵が略奪すれば、攻撃せよ
  敵が進めば、待避せよ
  敵が退けば、戦場に復帰せよ  》
《「革命は適当な地点で彷徨し、優勢な敵の前では後退し、前進する余地があれば前進し、つねに大いなる忍耐という条件を有しているのである」。陝西省に到着した赤軍ゲリラ隊も、これまでの戦闘に勝ちぬいてきたのは革命的な忍耐のなせるわざであることを痛感した。》
・・といったことが書かれている。 いわば、そんな感じだ。やみくもに突き進むのは危険であり、冒険主義は慎まなければならぬ(^^)/
毛沢東 (角川文庫―名著コレクション) - ロバート・ペイン, 宇野 輝雄
毛沢東 (角川文庫―名著コレクション) - ロバート・ペイン, 宇野 輝雄

  東大寺の西、転害門などのすぐ前を南北に通る国道369号を、近鉄奈良線「奈良」駅を出てまっすぐ東に進んでぶつかったあたり、北側に県庁がある所から北に進んで、県庁と県警本部の間の信号を通り過ぎ、その次の信号の所を西に入るそれほど広くない道を進むと、右側(北側)にNHKがあり、その前を西に進み、右側(北側)に曲がる最初の道を北に行くと、↓
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↑ 左(西側)の「林歯科」の向こうが奈良女子大学だ。


( ↑ マーカーが奈良女子大学 正門。 )

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  ↑ この由緒ありげな門が奈良女子大学の「正門」である。
  2018年に奈良に来た時、一般に正門というのは南側にあることが多いのではないかと考えて南側の道を東から西へ行ってみたのだが、奈良女子大の場合は「南門」はあるけれども大きな門ではなく、又、東大の本郷でも正門や赤門は本郷通りという広い通りに面しているように、それなら比較的広い道に面している門が正門ではないかと考えて、西側の南北の通りに面した門が正門かと思って行ってみたのだが、西門もあるものの西門は正門ではなく、この東側のたいして広くない通り、両側も住宅が並んでいるような通りに奈良女子大の場合は「正門」があり、正門の北側に「東門」も別にある。
DSC00146.JPG
奈良女子大学のホームページhttp://www.nara-wu.ac.jp/ ⇒大学案内⇒キャンパスマップhttp://www.nara-wu.ac.jp/nwu/intro/access/campusmap/index.html を見ると、
手前の由緒ありげな門が「正門」で重要文化財指定、その向こうのこれまた由緒ありげな建物が「記念館」でこれも重要文化財指定。
世間にある「由緒ありげな建物」でも、中には「リプロダクション品」もあるが、これはそうではなく本物である。リプロダクション品ではなく、ましてや偽物ではない。
  《ウィキペディアー奈良女子大学》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E5%AD%A6 によると、
《 1909年(明治42年)竣工の旧本館及び守衛室(附 正門)が重要文化財として指定されている。旧本館は大学本部と講堂として使用されていたが、1980年(昭和55年)に本部管理棟が、1983年(昭和58年)に講堂が別に新築されたため、1990年(平成2年)に「奈良女子大学記念館」と名称を改め、保存されることとなった。》
ということらしく、「記念館」はもともとは《大学本部と講堂》だった建物らしい。

  「正門」の少し北に別に「東門」もある。↓
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  《 八、 門があったら入るべし  門というものは、閉じている時以外は””入ってもよい””という意思表示をしていると考えたい。といっても、門から玄関までのアプローチに限られているわけだが、これだけでも・・・》などと、東京建築探偵団+増田彰久『スーパーガイド 建築探偵術入門』(1986.9.25.文春文庫ビジュアル版)には書いてあるのだが、女子大の場合は門が開いているからといって入るのは危険である。右の方に、
《 一  学外者は、本学の許可なく構内に立ち入ることは出来ません。》
と書いてる・・けれども、たとえ、同様のことが書いてあっても、共学の大規模大学の場合は別に構内に入って、ここの大学はこんな感じかあ~あ・・と雰囲気を味わうというのは特別に問題はないことが多く、1980年代、慶應大学の学生だった某は東京の大岡山の東京工大の近所に住んでいて、昼は慶應の生協食堂で食事をして、夕食は東京工大の生協食堂で食べるということをやっておったらしく、日曜日になると東大に行って東大の食堂で食ってきたとか言うておったように、共学である程度以上大規模な大学の場合は、入口に何が書いてあっても、構内を散策してとがめられるということはあまりないし、阪大(大阪大学)の豊中キャンパス(最寄駅は阪急宝塚線の「豊中」ではなく「石橋」だったが「石橋阪大前」なんて長ったらしい名前に最近変更したみたい)なんてのは、普通に道を歩いているといつの間にか阪大の豊中キャンパスの中に入ってるて感じで、どこまでが公道でどこからが阪大構内なのかよくわからないし、共学の大学ならせっかく来たのだから大学の食堂で何か食って帰ろうかなんてことも考えられるが女子大の場合はせっかくだから奈良女子大の食堂で・・というわけにはいかない・・と思う。そこは「君子、危うきに近寄らず」「瓜田に靴を入れず」「李下に冠を正さず」「安全第一」であり、冒険主義は慎まなければならない。
  奈良女子大の北東側に、奈良女子大の飛び地かいなあ・・みたいな建物があるが、奈良女子大ではなく放送大学らしい。↓
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  なお、奈良女子大学の「南門」と「西門」については、
[第648回]《奈良女子大学の想い出。お年玉は「親がもらったもの」か?―東大寺【10/10】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_21.html に写真を掲載しているので見ていただければと思うが、東側の「正門」は重要文化財様だけあって由緒ありげな門だが、南門は「勝手口みたいな出入口」で、西門は「どこにでもあるような入口」である。

  この南北の通りを北に歩いて東の方を見ると、↓
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↑ 向うに東大寺の大仏殿の屋根が見える(^^♪

  さらに北に進むと比較的広い東西の通りに出る。↓
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↑ これは転害門の前の「一条通り」(県道104号)ではなく、それよりも南の通りで東に行くと、地図で見ると「焼門前」という交差点で国道369号にぶつかるようだ。

  1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で福島県いわき市の営業所に勤めていた時だが、クルマで いわき市平(たいら) のJR常磐線「いわき」駅の北西のあたりを走っていたところ、擬洋風建築の建物が見えたので「あれは、何だ?」と思い、行って見たところ、磐城女子高校の建物だったので、これはやめておいた方がいい、明治の擬洋風建築の建物としては、杉山英男『木造建築は地震に強いか』(講談社 ブルーバックス)・『地震と木造住宅』(丸善)に、今も残っているものとしていくつか掲載されていて、そのひとつとして、福島県郡山市の 安積(あさか)高校の建物があげられていたので、郡山市に行くことがあった時に見に行き、写真も撮ってきたことがあったのだが、安積高校は男子校だったので、高校生のガキどもがおろうが建築探偵団にとっては関係あるか・・とか思って見てきたのだけれども、女子高はまずい。うかつに近づいて、「何の御用でしょうか」とかきかれて、「すいませ~ん。建物に関心がありましてえ」なんて言うと、余計に怪しい・・と思われる危険がある。だから、近づかん方がええ・・と考えて退散して、そのかわり、(株)一条工務店の いわき市の営業所に磐城女子高卒の従業員Wがいたので、Wに「磐城女子高に擬洋風建築らしい建物があるのが見えたのだけれども、あれは何の建物なの?」ときいてみたのだが、尋ねてもどうも要領をえないみたいだったので、この人にきいてもあかんみたいやなあ・・と思ってあきらめた・・ということがあった。たぶん、磐城女子高(現 県立磐城桜が丘高等学校)〔その頃は、福島県浜通り地区で一番の進学校だった磐城高校は男子校で、磐城女子高は文字通り、女子高だったが、その後、男子校だった磐城高校は共学になり、磐城女子高も共学になって今は「県立磐城桜が丘高校」になったらしい〕にも明治からの擬洋風建築の建物が1つ残っていたということではないかと思うが、明治期に、簡単にヨーロッパに行くことはできない時代に、その時代の大工棟梁がとぼしい洋風建築についての知識をもとに一生懸命作った擬洋風建築の建物というのは、別に女子校に見に行かなくても、他にもあるし、学校の建物でというのなら安積高校とか男子校の建物でもあるので、無理に女子校に見に行く必要もなかったのだ。
〔  磐城桜が丘高校(元 磐城女子高校)のホームページの「学校紹介」「施設」《「桜が丘会館」が登録文化財に》https://iwakisakuragaoka-h.fcs.ed.jp/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%B4%B9%E4%BB%8B-1/%E6%96%BD%E8%A8%AD/%E6%A1%9C%E4%B8%98%E4%BC%9A%E9%A4%A8 に、昭和13年(1938年)〔「いくさ長引く(1937)日中戦争」盧溝橋事件、日中戦争開始の1937年の翌年〕に竣工した桜が丘会館(旧磐城女子高校の図書館兼同窓会館)が国登録有形文化財に認定された旨、書かれているので、私が「あれは何だろうか」と思って見たのは、その桜が丘会館(旧磐城女子高校の図書館兼同窓会館)だったかもしれない。 〕
地震と木造住宅 - 杉山 英男
地震と木造住宅 - 杉山 英男
  それに対して、奈良女子大はなぜ見に行きたかったかというと、今となっては50年以上前、ここに来たことがあったのだ。うちのお姉さんが奈良女子大を受ける時に、下見に来る時に一緒に連れてこられたことがあった。小学校の1年の時だったのだが、受験生と受験生の両親は父親の方は男でも受験生の付き添いということなら構内に入れてもらえたようで、弟は小学校の1年生だったから特に問題とされなかったのだろうと思う。その場所に行ってみたかったのだ。
  しかし、実際に行ってみると、少々印象は違った。その時は、今はJRになった当時は国鉄の天王寺駅から、その頃はまだ電化されていなかった関西本線の気動車の快速に乗って国鉄「奈良」駅まで行き、奈良女子大に行った後、奈良公園で鹿に鹿煎餅をあげて、それから、近鉄奈良線に乗って、「小坂」だったか「永和」だったかで降りて樟蔭女子大に行き、もう一度、近鉄奈良線に乗って「鶴橋」で大阪環状線に乗り換えて帰ったのだったが、それが、何十年か経つうちに、私の頭の中にあった奈良女子大の印象と樟蔭女子大の印象がこんがらがっていて、樟蔭女子大の風景を奈良女子大と思っていたようなところがあったようだ。

  私にとっては奈良女子大というのは、それだけではない。 うちの上のお姉さんが奈良女子大を落ちたというのは、私が落としたらしいのだ。うちの父親から、眼を指で突きさすようにして何度も何度も言われたものだ。
「T子さんはわしと一緒で優秀な優秀な人間であって、おまえとは違うねんぞ、おまえとは」「T子さんは、おまえとは違ってドイツ人やねんぞ、ドイツ人。わかっとんのか、わしとかT子さんとかM川先生(うちの父親の親友の医者屋)とかはドイツ人で慶應の民族やねんぞ、ドイツ人で慶應の民族。おまえはチャンコロで浪商の民族で階級やねんぞ。わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのか、浪商! わかっとんのか浪商、このチャンコロめが、よくも産まれやがってからに、産まれなければよかったのに産まれやがってからに、浪商、チャンコロ!!!」と。「T子さんはチャンコロで浪商のおまえとは違ってドイツ人で慶應の民族で階級の人間であって、ほんまやったら天地がひっくり返っても絶対に奈良女子大に通ってる人やのにからに、それを落ちた・・ということは、おまえが悪いねんぞ、おまえが!!! おまえが大事な大事なT子さんを奈良女子大を落としてんぞ! 人のせいにすんなよ、人のせいに!!! 人間、ひとの所為にするようになったらおしまいやぞ。わかっとんのか、チャンコロ浪商! おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれども、たとえ、北野高校に行ってもそれでもおまえは浪商やねんぞ。おまえは『天の神さま』というお方が『この人間は浪商!』とお決めになってこの世に産まれてきた人間やねんぞ、わかっとんのか浪商! 義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育とは違うんやから、浪商は高校には行ってはいかんねんぞ、浪商! 浪商のくせして高校行くな、浪商。浪商の分際で北野高校に行くなちゅうとんのんじゃ、このチャンコロ浪商めが、よくも産まれやがってからに、チャンコロ浪商!!! よくも大事なT子さんを奈良女子大落しやがったなあ、こいつめえ! よくも産まれやがってからにい、このチャンコロめが、この浪商めがああ! んが、んが、んがあ~あ!!!」と、毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきた。今も、その文句が耳元でわんわんうなっている。
  その「優秀な優秀なドイツ人でアメリカ人のT子さん」は、なぜ、奈良女子大に落ちたのか・・・というと、結論を言うと入学試験で合格最低点を上回る点数を取ることができなかったから・・であろう。・・で、なんで、俺のせいやねん??? ・・・俺がいったい何をやった言うねん???・・・そもそも、小学校1年の弟が何をできたと言うねん??? ・・と思ったのが、「いた」というのが悪いらしかった。「よくも、産まれやがったなあ、このチャンコロろすけイタコめがあ~あ、この浪商!!!」と言うのだった。
  なんで、そういう話になるんだ? ・・というと、1980年前後頃、うちの父親の親友で医者屋のM川(男。当時、50代。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。実際は、ドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたというのを自慢にしていたが、M川自身も関西医大裏口入学でドバカ息子は「母校」に裏口入学させたのか、そうでなければ、「かわいいキンタマ」くらいのところではないか。「かわいいキンタマ」とは似たような大学を集めた名称「大学群」として、崎医大・知医大・沢医大・埼医大の4つを「かわいいキンタマ」と言うそうだ。そこらではないか。ガチンコで入学試験に通ってみせる能力についてはろくなものではないが、学歴詐称したりする能力については相当のものがある人間てのはけっこう存在する。うちの親なんかは簡単に騙される)から「お父さんのような優秀で百戦錬磨の苦労人で人格者は失敗するということは絶対にありえないことで」と言われて「そうです、そうです」と、おっさんは思ったらしく、それに続いて「それでも、『なんでこんなことを失敗するんやろ』と思うようなことを失敗してしまったいうことがおますやろ」とうちの父親は医者屋のM川から言われたのだ。「わしなんかは、医者であって医者というのは普通の人間よりもエライ人間であって特にわしは名医じゃし、苦労人で人格者で百戦錬磨の人間で世の中のことは何でも何でも知ってる人間で、およそ、失敗するなんてことは絶対にありえない人間やのにからに、そやのにからに、なぜか失敗するということがあるわけじゃけれども、それはうちのドラ息子のせいですわ。お父さんもそうでっしゃろ。お父さんもわしと同じように、苦労人で人格者で百戦錬磨の人間で世の中のことは何でも何でも知ってる人間で、およそ失敗するなんてことは絶対にありえない人間やのにからに、そやのにからに、失敗するということがおまっしゃろ。それは〇〇くんのせいですわ」と言われよったのだ。なにしろ、「医者の診断」なものだから、うちの父親が思うようにならなかったなら、すべて、「〇〇くん」即ち私のせいだということになったのだ。それで、
「よくも、産まれやがってからに! よくもよくも、産まれやがってからに、産まれやがってからに、産まれやがってからにチャンコロ! 浪商! 浪商のくせしやがってからに、浪商の分際で奈良女子大のT子さんを落しやがって。浪商は産まれてくるな浪商!!!」と、何度も何度も言われ続けたものだった。
  うちの姉は2人とも、「弟なんて要らなかった。お兄ちゃんが欲しかった」と2人よって何度も何度も言いまくりよったのだが、お兄ちゃんがおったなら、妹はさっさと結婚して出て行かないと、お嫁さんから出ていってちょうだいと言われることになるかもしれんし、結婚する時のことを考えると、女性にとっては弟がいるというのが一番有利なはずなのだが、2人よって「弟なんて要らなかった」と何度も言いまくってきよったのだった。勝手なこと言いよると思う。そんなこと言うのなら、弟だって、少なくとも大学受験に関しては、東大・京大あたりに行くような兄が欲しかった。たとえ、姉でも、京大・阪大か東大かそこらに行くかような姉がいてくれたら、自分が大学受験の際にやりやすかったと思う。 下の姉は私が中学生や高校生の時、「あんたは最初から勉強できた子やから、勉強のしかたというものを知らんでしょう。私は勉強でけへんかった子やから、どうしたら勉強できるようになって、どうしたら勉強でけへんようになるかということを知ってるんやからねえ。なんで、あんた、私の命令きけへんの。私の命令ききなさいよお。私は勉強でけへんかった子やから勉強のしかたというものを知ってるんやからねえ」と言って命令するのだったが、「勉強でけへんかった子」の勉強法を教えられるというのは苦痛だった。野村克也のじいさんがどこかで書いていたのだが、落合がロッテオリオンズに入団した年、バッティングコーチは山内で「カッパえびせん」と言われて打撃指導を始めると「やめられない、とまらない」というくらい指導熱心なコーチと言われていたが、話し方に独特な言い回しがあって、それがよくわからないという選手もいたらしく、落合は「黙っててもらえませんか」と新人が高い評価を得ているバッティングコーチに向かって言ったそうで、山内はそう言われても怒らず見捨てず黙った上で見守ってくれたと落合は後に感謝していた・・と野村のじいさんは書いていたのだが、実際のところ、「勉強でけへんかった子」の勉強法を命令しようとしないで、「勉強でけへんかった子」は、せめて黙っておいてほしかった。
  上の姉のT子さんが奈良女子大を受けた高校3年の時、私は小学校1年だったのだが、小学校1年生がいったい何をしたからいけなかったのかというと、「いた」のが悪いらしかった。もしも、私がいなかったなら、私を育てるためにかかった費用で、「大事な大事な優秀な優秀なドイツ人のT子さん」の為に、全科目、毎日、家庭教師をつけてやれば「優秀なドイツ人のT子さん」は間違いなく絶対に奈良女子大に通ったのにからに、「産まれてこなければよかったのに産まれてきた」という「チャンコロで浪商の民族で階級」の私が産まれてきてしまったために、「大事なドイツ人のT子さん」に全科目、毎日、家庭教師をつけてやることができなかったから、その為に「大事なドイツ人のT子さん」は「本来なら天地がひっくり返っても絶対に通っているはずの奈良女子大」を落ちてしまったらしいのだ。だから、私が悪いらしかった。「T子さんに、地面に頭すりつけて謝らんかあ! 産まれてきて申し訳ございませんでしたと言うてT子さんに謝らんかあ!」と何度も何度も言われたものだった。「産まなかったらよかったのと違うのですか」と言ったのだが、「何を言うとるんじゃ、このチャンコロはあ! おまえが産まれたんじゃろうが、おまえがあ! 産まれなかったら良かったのにおまえが産まれたんじゃろうがあ!」と言うのだった。産まれてからのことはともかく、産まれたということについては、これは産まれた人間の問題ではなく、産んだ人間の方の問題ではないのかと思っていたのだったが、そうではないらしく、「産まれた者が悪い」らしかった。「産まれたという点については、産んだ方の問題と違うのですか」なんてことを言うと「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されることになるようだ。それをもとに「治療」される可能性もあるから、「産まれたという点については、産んだ方の問題と違うのですか」などとはうかつに言えない。「心理学」は本当に怖い!
告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫

  「T子さんは優秀な優秀なドイツ人であって、おまえさえ、産まれてこなかったなら、絶対に奈良女子大に通っていたお方やのにからに」と、うちの父親は毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言い続けてきたし、さらに「たとえ、奈良女子大に落ちても、おまえさえ産まれてこなかったら、私立の4年制大学に行かせてやることができたのにからに、おまえが産まれてこなければ良かったのに産まれよったために、おまえを育てるカネがかかったが為に大事なお方であるドイツ人のT子さんを4年制大学に行かせてやることができずに短大にしか行かせてやれんかったんや。よくも産まれきやがったな、このチャンコロめが、この浪商!!!」と、うちの父親は何度も何度も言っていたのだった・・・が、私が高校を卒業した1978年までは、国公立大学は一期校・二期校の制度があって、「大事なドイツ人のT子さん」が高校を卒業した1960年代なかばにおいても、国公立大学には一期校・二期校の制度があったはずだから、一期校の奈良女子大を落ちてしまったとしても、二期校で奈良女子大よりもいくらか入試の難易度が低い大学、具体的には、その頃、住んでいた場所から通える可能性が考えられる大学としては、大阪教育大・和歌山大・大阪府立大・神戸市立外大のどこかでも受けていたならば、私さえいなかったなら「天地がひっくり返っても奈良女子大に絶対に通った人」なら、私がいてもそのどこかに通ったのではないのか・・と思ったのだ。なんで、二期校を受けなかったのだろうか・・・と長く不思議に思い続けてきた。
  ところが、女性の兄弟が2人いると、片方が他方の嘘をばらす・・ということがある。下の姉が教えてくれたのだ。「あの人、おカネがないから私立の4年制大学は受けさせてもらえなかったのじゃないよお。私立の4年制大学もいくつか受けてはるよお~お」と。それを聞いて思い出した。うちの父親は、小学校1年生の時のことなんて覚えていないと思い込んでいたようだが、実は覚えているのだ。思い出したのだ。「優秀なドイツ人のT子さん」は、私立大学の4年制の所もいくつか検討対象にしていて、その名前がいくつか出ていたのだ。そのどれを受けてどこは受けなかったのかはすべてはわからないが、そもそも、奈良女子大の下見に行った帰りに樟蔭女子大にも立ち寄ったわけだし、武庫川女子大は絶対に通るすべり止めのように言っていたはずだったのにそれも落ちたと聞いて、なんで? と思ってのも覚えている。「特別にえらいお方であるT子さん」が二期校は受けなかったのかというとそうではなく、「学大を受けた時に」といったことを話していたので、「学大」てどこのことなんだ? と思ったのだが、私が中学生や高校生くらいの時には大阪教育大学と言った大学を1960年代半ばまでは「大阪学芸大学」と言っていたらしいのだ。だから、二期校でその大阪学芸大学も受けていてそれも落ちた、正確に言うと、私が落としたらしかった。
  私が落としたのは奈良女子大だけかと思っていたらそうではなく、大阪学芸大学(現 大阪教育大学)も私が落としたようで、それだけではなく、武庫川女子大とか樟蔭女子大の4年の方とかも私が落としたらしかった。武庫川女子大なんて、言うたらなんやけど、いったいどないしたら落ちることができるのか・・という気がするのだが、それも私が落としたらしかった。「よくも、産まれやがったなあ。大事な大事なT子さんを落しやがってからにい。こいつめ、産まれてこなければ良かったのに産まれやがってからにい~い!」と、「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」らしいうちの父親は、毎日毎日、私の眼を指で突きさすようにして叫び続けたのだったが、「いかにも慶應」て感じがする。私なんかとは「人種が違う」「民族が違う」という感じがする。「階級の違いを忘れるな」「民族の違いを忘れるな」と、うちの父親から毎日毎日言われ続けたものだったが――「民族の違いを忘れるな」と言われるとそれに対して「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」、「階級の違いを忘れるな」と言われると「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と思ったものだったが――たしかに、「民族」と「階級」が違うように思う。
中国の旅 (朝日文庫) - 本多 勝一
中国の旅 (朝日文庫) - 本多 勝一
  おっさんはどうなのかというと、「わしはほんまは慶應やぞお、わしは慶應! おまえと一緒やと思うなよ! わかっとんのかチャンコロ! おまえは浪商で拓殖じゃ、この亜細亜大めがあ! 慶應のわしと一緒やなどと思うてはいかんぞ、浪商拓殖亜細亜大!!!」と言うのだった。「ほんまは慶應」ということは実際は違うのかというと、実際に行った大学は同志社であったが、おっさんは慶應に行きたかったらしいのだ。うちの母親が言うには、うちの父親が大学に進学した戦中の頃は、大学生というのは今と違って制服・制帽を着ていて、特に慶應の帽子は丸帽で、慶應の学生は金持ちの息子が多いと思って、「慶應の制服を着ている男がいると追いかけまわす女の子がいた」そうだ。昔も今もアホな女がおるようだ。だから、うちの父親はそういう慶應に行きたかったらしいが、受けても落ちたそうだ。同志社の場合は、同志社に顔がきく牧師屋のおっさんを見つけてきて、それで、家の宗教を浄土真宗からキリスト教に改宗して「特別献金」払うことと引き換えに『聖書』なんて1ぺーじも読んだことがない教会なんて一度も行ったことがない男を同志社に「推薦入学」で入れてもらう話をつけたらしい。それで同志社に入れたらしいが、慶應の場合は「推薦入学」というのか「裏口入学」というのかもけっこうレベルが高いようで、祖父は同志社に口をきいてくれる牧師屋を見つけてくることはできたが慶應に口をきいてくれる人を見つけることはできなかったらしい。うちの父親が「推薦入学」で行きたかったのは慶應であって同志社では不満だったらしい。それで「わしはほんまは慶應やねんぞ、わしはほんまは慶應。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえはほんまは浪商で拓殖で亜細亜大やねんぞ、この浪商拓殖亜細亜大! 慶應のわしと一緒やと思うたらいかんぞ、浪商拓殖亜細亜大!!! わしはドイツ人でアメリカ人で慶應やねんぞ、民族の違いを忘れるなよ、階級の違いを忘れるな、この浪商拓殖亜細亜大チャンコロろすけイタコ!!!」と毎日毎日言うのだった。
  「わしはドイツ人やねんぞ、ドイツ人。おまえとは違うねんぞ、おまえとは!」と言うのだったが〔⇒《YouTuve-Wagner(ワグナー) "Ride of The Valkyrie" Karajan Bph カラヤン ワルキューレの騎行》https://www.youtube.com/watch?v=ZOTdIhaGEuw フリードリヒ==ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』で、リヒャルト=ワグナーを悪趣味だと述べていたが、「ワルキューレの騎行」など聴くと、たしかに悪趣味だ・・と私も思う〕、私からすれば、「ヒットラーの国」「ナチスの国のドイツ人」になんてなりたくなかった・・が、おっさんは「世界に冠たるドイツ人」であるということに誇りを持っていたようだった。「天の神さまという方は大変賢明なお方であった、この世の中というものは、ひとに命令をして号令かける人間と、常に命令されて号令かけられてせっせせっせ、せっせせっせと働く人間と両方の人間がおらんといかんのであって、天の神さまはそれをよくご存じで、それで、ドイツ人とかアメリカ人という命令するための民族をお造りになるとともに、チャンコロという服従し号令かけられるのがふさわしい民族もまたお造りになったわけや。わしとかM川先生とかT子さんとかはドイツ人でアメリカ人であって号令かけなければならないという民族で階級で、おまえは天の神さまからチャンコロと指定されてこの世に産まれてきた人間であって、おまえは号令かけられることがなによりうれしいわけや。おまえにとっては号令かけられることが何よりも好物なんや。わかっとんのか、チャンコロ! わかっとんのか浪商!!!」と言うのだった。その「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で階級」のおっさんと「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで浪商で拓殖で亜細亜大の民族で階級」の私とは、たしかに「民族」と「階級」が違うようだった。「民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな。てってこっこ、てっててえって、らったらったらったら♪ てってこっこてっててって、らったらったらったらあ~あ!!!」と毎日毎日言われ続けてきて、「忘れるな」と言われなくてもその文句、耳元で今もわんわん唸っていて、たとえ忘れようと思っても忘れることなど絶対にない。
彼らは自由だと思っていた: 元ナチ党員十人の思想と行動 - M・マイヤー, 田中 浩, 金井 和子
彼らは自由だと思っていた: 元ナチ党員十人の思想と行動 - M・マイヤー, 田中 浩, 金井 和子

  その奈良女子大が ↑ だ。「おまえさえ産まれてこなかったなら、優秀なドイツ人のT子さんに全科目、毎日、家庭教師をつけてやることができて、そうしたならば絶対にT子さんは奈良女性大に通ったのにからに、おまえが産まれなければ良かったのにからに産まれてきおったがために、そうできんかったから、優秀な優秀なT子さんは奈良女子大に落ちたんや」とおっさんは言うのだったが、私自身の経験から言うと、「全科目、毎日、家庭教師をつける」なんて、そんなことやってもらわなくてもいいし、そんなことされたらかえって迷惑だ。 そもそも、その家庭教師のおっさんかおばはんかが、京大・東大あたりに行こうとするような受験生よりも大学受験についてわかっているかいないかわからんではないか。 家庭教師なんてやる人にも、役に立つ人と、かえって害がある人がいる。私なら、そんなもの、つけて要らんけどなあ・・と思ったものだが、「大事なドイツ人のT子さん」の場合は、「全科目、毎日、家庭教師をつけてやれば奈良女子大に通ったのにからに、それができんかったから落された」らしいのだった。まったくつくづく、けしからん弟である。「産まれなければ良かったのに、産まれなければ良かったのに」と、毎日毎日、指で眼を突き刺すようにしてうちの父親は私に言い続けたものだったが、そこまで嫌な子供なら産まなかったら良かったのにと思うのだが、産まれてしまったらしい。もしかすると、私は人工中絶に失敗して産まれてしまった子供だったのかもしれない。だから、私の場合は、うちの父親が「産まれてきたっということが、おまえは罪であって、産まれなければ良かったのに産まれてきたという大変な罪を犯した人間であると自覚して、すべて王すべて央、わしのために! すべて翁すべて欧、わしのために! てってこっこてっててってらったらったらったら、てってこっこてっててってらったらったらったらあ♪ 朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝にわしに孝にわしに孝にわしに孝に、わしにわしにわしにわしにわしにじゃわしに。すべてをすべてをわしの為に、すべてをすべてをわしの為に。とってちってたあ~あ!!!」と言うておったが、私は、そういう「産まれてきたっということが、何よりも罪である」というそういう人間だったらしい。
天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ) - 菅 孝行
天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ) - 菅 孝行

  私が中学校2年の時に、下の姉のA子さんがお見合いをして、いったんその人と結婚すると言ったけれども、そのうち、あんな人は嫌だと言い出したということがあった。「私は面食いやのにからに、なんで、あんなブサイクな男と結婚しなきゃならんのやろうか」とか言うのだったが、その文句だけ聞くと、「おまえ、いったい何様じゃ。おまえはそこまで美人か! 勝手なこと言うな」と男の立場に立つと言いたくなるところがけれども、「顔が気にいらない」というのは、それはその人の顔が実際にどうであるかという問題ではなく、実際、私はその人の顔は別に「特別にブサイク」ではなく普通の顔だと思ったけれども、そういう問題ではなく、「顔が嫌い」というのは「どこが嫌というのではなく、もう、どうしたって絶対に嫌。顔を見るのも嫌」ということだと思う。 実際にその人がどうなのかといっても、男女の関係というのは、「あんな男、どこがいいんだ」と思っても、その女がいいと思うのならいいのだろうし、「あんな女、どこがいいんだ」と思っても、その男がいいと思うのならいいのであって、他の人間がどうこう言ってもしかたがない。野村のじいさんも「男女の関係というのは当事者が良かったらそれでいいんです」と言うておったと思うが、あのじいさんに言われると説得力あるというのか、『女房はドーベルマン』なんて本まで書いて、「うちの嫁さんというのは、どこかよその家を訪ねた時に、インタホンを押したら奥の方から犬が飛び出してきて『わん、わん、わん、わん』と吠えかかってくるという、そんな感じ」とか言って、それでいて、その女性が自分には一番いいのだと言っていたが、そういうものだ。だから、「合わない」のなら無理に「合わない」相手と結婚しても互いにいいことはないから、「合う」相手と結婚するように考えた方がいい。
  ところが、うちの父親は下の姉に「相手は関西大学やぞ。おまえは短大しか出とらんじゃろうが。いったい、どっちが上かあ、下かあ」と言うのだった。そういうのを見ていたので、それで私は自分が大学に進学する時には、首をもがれても経済学部・商学部・経営学部には絶対に行かされたくないと思うようになったのだ。「上かあ、下かあ」という学部なんて行きたくないし、行っても価値はないと思ったのだ。そのうち、うちの父親は私に「あんたは、どう思うか」と私に言うので、このおっさん、中学生にきかないと判断できない男なのか、情けない男やなあと思ったが、「本人が嫌だというものなら、しかたがないのと違いますか」と言ったのだ。「そやけど、相手は関西大学やで。A子は短大やで。相手の方が上やで」と言うので、「上とか下とか関係ない。上でも下でも、本人が嫌だというものはだめです」と私は言ったのだ。しかし、うちの父親は私がそう言っても、「無理矢理やるとええと思うねんけど、無理矢理。無理矢理、結婚させるとええと思うねんけど、無理矢理。そう思えへんか」と言うので、「だめです。絶対にだめです。本人が嫌だと言っているものを、無理矢理、結婚させるなんてことは絶対にだめです」と私は言ったのだ。「そやろか。無理矢理やるとええと思うねんけど、無理矢理、無理矢理」と、おっさんは言うのだった。この「無理矢理やるのが好きなタイプ」のおっさんというのは、その考え方を変えさせようと思っても、なかなか変わらんようだ。私にも「無理矢理やるとええと思うねんけど、無理矢理」と思っていたようで、ひとにそういうことを言ってまわると、このおっさんはそれに同調してあげると喜ぶと思うと同調する人が出てくるようで、そういう人間はおっさんから「ドイツ人」と認定してもらって称賛してもらえるようになるようだった。
  私は「本人が嫌だと言っている相手に無理矢理結婚させるなんて、絶対にだめです」と私ははっきりと言ったのだ。それで、わかっただろうと思い込んでしまったのだが、甘かった。「そやけど、いったん、あの人と結婚するとA子が言いよったんやで」と言うので、「一時は、あの人と結婚しようと思ったけれども、その後、嫌だと思うようになったということでしょう」と私が言うと、うちの父親は「いったん、結婚する言うたのにからに、後から嫌やて勝手やと思えへんか」と言うので、「それはそうでしょうけれども、それでも、結婚するより前に嫌だと思ったのなら、結婚してから別れるよりもまだいいでしょう」と私は言ったのだ。「それで、この人と結婚しようと思ってつきあうと、つきあう前は見えなかったアラが見えたりすることもあるでしょうけれども、それで、本人は、はっきりと断りたいと言っているのか、それとも、嫌な部分もあるのでその点は改めてほしいけれども、結婚を取りやめるとまでは言っていないのか、どちらなのですか」と私が言うと、うちの父親は「それが、どっちなのか、はっきりと言いよれへんねん」と言うので、「それなら、どっちなのか、はっきりしろと言ったらどうですか」と私は言ったのですが、「きいても、どっちかはっきりと言いよれへんねん」と、うちの父親は言うのだった・・・が、今から考えると、うちの父親は「どっちなのか、はっきりと言いよれへんねん」と言うけれども、少なくとも下の姉としては、断りたいとはっきりと意思表示していたつもりだったのではないか。そのあたり、中学校2年の時の私はうちの父親について、見誤っていた。「はっきりと、どっちか言いよれへんのやけど、どうしたらええと思うか?」ときくので、「どっちか決めかねているのなら、それなら、決心できるまで結婚式は延期してもらうようにしたらどうですか」と言ったところ、うちの父親は「そんなん、延期してもらえるやろうか」と言うので、「もし、延期してほしいというのをきいてもらえないということなら、この話はなかったことにしてもらうしかありませんね」と言ったのだ。「そんなん、ここまで進めて、やめるなんて言うてきいてもらえるやろうか」と言うので、「ですから、なんだかんだ言っても、いったん、その人と結婚すると言っておきながらお断りしたいと言うわけですから、そこは、申し訳ありませんがと頭を下げて謝るしかありませんね」と言ったのだ。そこまで言えば、いくらなんでもわかるだろう・・・と私は思った・・のだが、その見通しは甘すぎた。そういうおっさんではなかった。そもそも、「申し訳ありませんがと頭を下げて謝るしかありませんね」なんて言っても、1ミリでも頭を下げるのは絶対に嫌だというおっさんが「頭を下げて謝る」なんてするわけなかったのだ。うちの父親の勤め先の会社の社長が「わしが頭下げたらそれで納まるものなら、いくらでも頭さげたるから言ってくれよ」と言っていたというのだが、うちの父親はそれを聞いて「さすが、社長やな」とか言っていたのだが、そういう文句を耳で聞いても、自分はというとここは頭を下げるべきだという時に1ミリでも下げることができない男だった。
  それで、延期してほしいと言いにいったところ、「そんなん、結婚式を早めるのならともかく延期するなんてできませんわ。もう、会社の人にも言ってあるし、男の人は結婚を延期なんてしたら出世に差し支えますし、そんなん、できませんわ」と言われて、「そうでんなあ~あ」と帰ってきたらしい。アホか! 「そんなん、結婚式を早めるのならともかく延期するなんてできませんわ。もう、会社の人にも言ってあるし、男の人は結婚を延期なんてしたら出世に差し支えますし、そんなん、できませんわ」というのは、たしかにそういう面もあるだろう。しかし、それでも、このまま進めるわけにはいかないから言ってるのではないか。「延期するなんて、きいてもらえるやろうか」と言うから、「もし、延期なんてできないと言われたなら、その時は、この話はなかったことにしてもらうしかありませんね」と、私はそこまできっちりと言ったのだから、いくらなんでもわかったであろうと思ったのだった・・・が、その観測は甘かった。甘すぎた。それで、「そんなん、結婚式を早めるのならともかく延期するなんてできませんわ。もう、会社の人にも言ってあるし、男の人は結婚を延期なんてしたら出世に差し支えますし、そんなん、できませんわ」と言われて、うちの父親は「A子、ええかげんにせんかあ。なんで、わしがこんなことで悩まされんといかんのじゃあ、なんで、わしがこんなことで苦労せんといかんのじゃあ。ほんまにい」と言いだしたのだ。なんか、情けない男やなあ、まがりなりにも父親ならば、そういう時にこそ、なんとかしようとするものと違うのか。情けない男やなあ・・と思った。それで、「そんなこと、言わないで」と言おうとしたところ、まさにその時、当人のA子さんが「もうええねん。私が犠牲になったんねん、私が犠牲になればそれでええねん」とヤケクソみたいに言いよったのだ。それで、それを言わなかったなら、「そんなこと言わないで」と私は言ったところだったが、私がせっかく心配してあげているのに、そんなヤケクソみたいなこと言うのなら、それならもう、勝手にしろ! と思って言うのをやめたのだった。
  ・・・しかし、「私が犠牲になったんねん」と言ったからには、嫌だと思った相手とでも結婚して何があっても一緒にやっていくのかというとそうではなく、新婚旅行から帰ってくると同時に別れると言いだし、そして、離婚した。なんや、「私が犠牲になったんねん」て、誰も犠牲になってくれなんて言ってないのに、「犠牲になったんねん」て嘘か・・・。
  それで、どうなったかというと、私が悪いことになった。「おまえが悪いねんぞ、おまえが」と。なんでやねん???
  なぜ、私が悪いのかというと、A子さんはこう言ったのだ。「〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれと言われたから、だから、あんな男とでも結婚して犠牲になったろかと思ったから失敗した」と。だから、私が産まれてこなかったなら「〇〇が高校に行くまでに」ということにはならなかったはずで、私が産まれてきたがために、「わしのようなエライえらいエライえらい、ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で階級で、キリストで聖徳太子でヒットラー総統のお父さんの娘が離婚するというようなことは、天地がひっくり返ってもおよそありえないことやのにからに、それを離婚したっ! ということは、おまえがが悪いねんぞ、おまえが! ひとのせいにすんなよ、チャンコロ! ひとのせいにしたらあかんぞ、人間、ひとのせいにするやつというのは最低の人間やぞ、チャンコロ浪商! チャンコロで浪商のおまえが産まれてきたがために、わしのような百戦錬磨で英雄でドイツ人のお父さんの娘は本来離婚なんて絶対にするわけないのにからに離婚することになってんぞ。反省しろよ。産まれてきたことを反省しろよ! おまえがA子さんを離婚させてんぞ。A子さんが離婚したのは百パーセント、おまえのせいやねんぞ。おまえがA子さんを離婚させたおかげでわしは迷惑しとるんじゃ、わしは。おまえがA子さんを離婚させたがために人格者で英雄でドイツ人で慶應でヒットラー総統のこのわしが迷惑しとるんじゃ、このチャンコロ浪商めがチャンコロ! よくも産まれやがってからにチャンコロ浪商亜細亜大!!! おまえが悪いねんぞ、おまえが! おまえのおかげでA子さんは離婚させられてんぞ。地面に頭すりつけてA子さんに申し訳ございませんでしたと言うて謝らんか、このチャンコロ浪商!!!」と言うのだった。どうも、そういう結論になるらしいのだ。私は私が高校に行くまでに結婚してくれなんて、一言として言ったことなんてなく、誰が言ったかというと、母が言ったか父親が言ったか、両方が言ったかだと思うが、それは、最近はけっこう高齢で結婚する人が増えてきたが、その頃は「女はクリスマスケーキ」とかいう言い方があって、それは「24までに売らないと、25になると、途端に売れ行きが悪くなる」という意味で、A子さんは私が高校1年の5月に25の誕生日を迎えることになったので、それで、25の誕生日より前に結婚するように考えてくれということを言ったのだと思うのだが、その25になる年に高校1年になる息子がいたということが離婚させる原因になったそうで、「ひとのせいにしたらいかんぞ、チャンコロ。人間ちゅうもんは、ひとのせいにするようになったらおしまいやぞ、チャンコロ浪商」と言うのだった。いったい、どうすれば良かったのか。「私が犠牲になったんねん。それでええねん」とか、ヤケクソみたいに言いよったのを聞いて、私がせっかく心配して気を配ってあげているのに、そんなヤケクソみたいなこと言うのなら勝手にしろ! と思って、それで、うちの父親に「そんなこと、言わないで」と言おうと思ったのをやめたというのが失敗だった、やっぱり、あそこで言ってあげるべきだったと思ったのだったが、その程度ではだめだったようだ。そうではなく、「おまえが産まれてきたっということが、何よりも許されない罪であって、おまえが産まれてきたがために、英雄でドイツ人でキリストで聖徳太子でヒットラー総統で慶應のこのわしの娘が離婚することはありえないのにからに、そのありえないことが発生したんや」ということになるようだった。「産まれてきてはならない人間であるのにからに産まれてきたっという罪を心の底から謝罪しろお! このチャンコロ浪商ろすけイタコ!!!」と言うのだった。・・・で、やっぱり、産まれてからのことはともかく、「産まれてきたっ」というそれについては産んだ方の問題ではないのかというと、そうではなく、「産まれてきたっ」というやつが悪いそうだった。「心理学」によるとそうなるらしかった。「なんでやねん」なんてことを言うと「外罰的性格」と「心理学」に「診断」されるようだった。つくづく、「心理学」は恐ろしい!

  姉は「お兄ちゃんが欲しかった。弟なんて要らなかった」と何度も言っていたが、もし、私が弟ではなく兄であったなら、下の姉にはもうちょっと何とかできたのではないかとも思う・・・が、それでも、中学校2年の弟は姉を守ろうとずいぶんと努力したつもりだったのだが、そんなこと言うのか・・とも思った・・が、弟ではなく兄であったならもうちょっと何とかできたかもしれない。
  下の姉の結婚について、「無理矢理やるとええと思うねん、無理矢理、無理矢理」と言ったおっさんは、そのうち、私にも「あんたの結婚相手はわしが決めたるわあ」と言い出した。「けっこうです」「決めていりません」と言ったのだが、「何言うとんのんじゃ、このチャンコロ! 結婚ちゅうのんは大事なことやねんぞ。そういう大事なことは、おまえなんかが決めることとは違うねんぞ、おまえなんかが。のぼせあがるのもたいがいにせえよ、チャンコロ! そういうやなあ、そういう大事なことは、わしとかM川先生とかいった特別にえらい人間が決めることであって、あんたのようなチャンコロはわしとかM川先生とかのドイツ人に決めてもらうのがそれが幸せちゅうもんなんや。わかっとんのか、チャンコロろすけ! わかっとんのかイタコ浪商! のぼせあがるなよ、謙虚になれよ、チャンコロ」と言うのだったが、これを下の姉A子さんに話したところ、A子さんは「あんた、あの人に、そんなもの、あんたの結婚相手なんて捜して来れるわけないでしょうが。結婚相手を人に紹介する人というのは、その人に紹介するといいことあるだろうと思って紹介するのであって、あんな人に紹介なんてしてもいいことなんて何もないでしょ。あの人に紹介しようなんて人なんてどこにもないでしょ。それに、たとえば、××さんとかなら、初対面の女の子にでも、『うちの親戚の誰誰に会ってみない』とか言ってみたりする能力があるけれども、うちのお父さんなんてそんな能力なんてない人でしょ」と言うのだったが、うちのお姉さんもまた、実態を理解できていないようだった。うちの父親は何も自分が私の結婚相手に良さそうな女性を探してくるなんてことは一言も言っていないし、そんなこと夢にも考えていないのであった。うちの父親が私に言ったのは、「とりあえず、わしのお眼鏡にかないそうな女を十人ほど用意して、わしの所に連れてこ~い。そしたら、その中で、どれが一番ええか、わしが吟味して決めたるわあ。ええか、つきあう前に連れてくんねんぞ。わしに無断で女とつきあうようなのぼせあがった真似をしてはならんぞ、チャンコロ。ええか、わしがええと思うような女をとりあえず十人ほど用意して連れてこい。そしたら、その中でどれが一番わしがええと思うか見て決めたるわあ。その中にええのんがどれもなかったら『みんな、あか~ん』言うたるから、そしたら、また、新たに十人ほどわしがええと思いそうな女を用意して連れてこ~い。そうやって決めたらええ」と、おっさんはそう言いよったのであって、おっさんが結婚相手に良さそうな女性を探してくるなどとは一言も言っていないし、そんなもの、あのおっさんに探してくる能力もなければ意思もないのであった。それでいて、「要りません」「けっこうです」と言うと、「ええかげんにせんか、このチャンコロろすけイタコ! よもや、このわしのことを普通の人間なんぞと思うてはおらんやろうなあ。わしは特別に特別にえらい人間やねんぞ。わしはスーパーマンやねんぞ。わしは超能力者やねんぞ、このチャンコロ! おまえとは違うねんぞ、チャンコロ! おまえとは違ってわしはドイツ人で慶應やねんぞ、わしは」と言うのだったが、そういうおっさんだった。「ドイツ人で慶應の民族で階級」のおっさんとつきあうのは・・疲れる・・。
  「あんたの結婚相手は学校もそれなりの所を出てるような女でないとあかんから」とおっさんが言うので、「いや、別にそんなことないですよ。それよりも、『慶應の内部進学』みたいなああいうのだけは絶対にお断りしたいですね。ああいうのだけは首をもがれても絶対に嫌ですね」と言ったところ、「なんでやねん。ええやないか。慶應の内部進学て、ええがな」と言うので、「私が嫌やと言うておるんです」と言うと、「何を言うとるんじゃ、チャンコロろすけ! のぼせあがるのもたいがいにせえよ、甘ったれるなよ、つっけあがるなよ浪商! 他でもないこのわしがええと言うておるんやぞ、このわしが。ドイツ人で慶應のこのわしがええ言うとんねんぞ。そういうことは、おまえが決めることとは違うねんぞ、おまえが決めることとは。わかっとんのかチャンコロ! わかっとんのかロスケ! おまえが決めることとは違うねんぞ、おまえが決めることとは。そういうことはこのわしと神さまであるM川先生とで決めることやねんぞ! わかっとんのかイタコ、浪商!!!」と言うのだった。まあ、『慶應の内部進学の女』なんてのは、「慶應義塾カースト」で上の方に自分たちは位置していると認識している女は、私みたいな、公立小学校⇒公立中学校⇒公立高校⇒国立大学・・に行く予定だったのがちょっと予定が狂ってしまって・・なんてそういう男というのは、自分たち内部進学の下男か何かだと思っているのであり、「慶應の内部進学の女」なんてのがが、いわば「慶應義塾カースト」では最底辺になる男なんて結婚相手として相手にするわけないから、そういうのは間違いなく「向うが断ってくれる」と思ったので、「慶應の内部進学の女」なんてのと結婚させられるなんてのは、それだけはまず心配ないと思ったが、それにしても、このおっさん、趣味悪いな・・・と思ったものだった。

  私にとっては奈良女子大というのは、そういう思い入れがある場所だった。だから、正門と記念館は重要文化財に指定される由緒ある建物であっても、他にも由緒ある建物はあるわけで、男性が無理に見に行かないといけないというほど重要性が高いわけでもないが、今となっては50年以上前、小学校1年の時に、たしか、ここに来たという思いから、来てみたかったのだ。 子供の頃、行った所で、また、行くことがあるだろうと思っていた場所で、ふと気づくとそれなら何十年も行くことがなく年数が経ったという場所がある。奈良女性大の場合、行くことがなかっただけでなく、門の内側には小学校1年の子供なら男でも入れてもらえたようだが、今となっては門の内側は入れない場所になってしまった。 奈良女子大のホームページを見ると、記念館は年に一度、公開されることがあるらしいので、そういう日に訪ねると中に入らせてもらえるかもしれないが、そこまでして入りたいとも思わない。
  女子大でも私立の女子大の場合は男でも入らせてもらえる場合がある。1993年、その頃はまだ国家資格だったインテリアコーディネーターhttps://www.interior.or.jp/examination-ic/ の1次試験(学科)の会場は東京は九段下の大妻女子大だったのだが、インテリア産業協会に電話して「私は男性ですが、女子大なんて入らせてもらえるのでしょうか」ときくと、入らせてもらえるということで、さらに「大妻女子大て、男性用トイレはあるのでしょうか」と尋ねると、あるという返事で、そして、実際、受けに行ってみると、なんと、大妻女子大には女子大なのに男性用トイレがあったのだ。すげえ~え♪・・なんてアホなこと思っていたからということでもないかもしれないが、その年はインテリアコーディネーター試験は1次(学科)で落ちた。私立大学の場合は女子大でも、日曜・休日に資格試験や模擬試験の会場として場所を貸すことがあるようなので、そういった際に入れることもあるかもしれないが、国立の女子大の場合はそういう機会はないだろう。ここが、私が「落とした」という奈良女子大だったんだという感慨を持って眺めてきた。

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  ↑ これは、平城宮跡歴史公園の中の「朱雀門」だが、「リプロダクション品」だろう。 阪奈道路を地べたに降りて東に奈良公園の方に向かうと左手(北側)に見える。近鉄奈良線の電車の窓からも見えるらしいが、今は近鉄奈良線は平城宮跡を突っ切って走っているが、平城宮跡をよけて地下か高架かを走らせる計画があるらしいので、電車の窓から見えるのは今のうちかもしれない。 全体的に少々色がかかったように見えるのは、自家用車を運転中、信号で停車中に窓ガラス越しに撮影したものなので、ガラスが1枚間に入っていることによるものです。
※ 平城宮歴史公園 https://www.heijo-park.go.jp/area/suzakumon/



  (2021.5.6.)

☆ 東大寺 二月堂・三月堂他参拝
1.三月堂(法華堂)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_9.html
2.二月堂・四月堂(三昧堂) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_10.html
3.鐘楼・念仏堂・俊乗堂・行基堂・水子地蔵 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_1.html
4.転害門と手貝町・押上町。大仏池を越えて見る大仏殿と桜 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_2.html
5.奈良女子大学 正門・記念館 〔今回〕

☆ 「飛鳥・白鳳・天平の建築」シリーズ
東大寺
1.南大門〔1〕 近鉄奈良駅から南大門へ。知識で物を見ないで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_12.html
2.南大門〔2〕 挿し肘木・通し肘木。鉄骨の貫は見えない。背割りはない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_13.html
3.大仏殿〔1〕 中門・西楽門・廻廊・大仏殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_14.html
4.大仏殿〔2〕 鉄釘と銅輪で締めた柱。鉄骨製トラスは見えない。大仏殿は「伝統構法による木造建築で世界最大級」  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_15.html
5.大仏殿〔3〕 花頭窓と観相窓。優婆塞を体制にとりこんだか反体制が手を組んだのか。「東大の日本史」と「京大・阪大の日本史」の問題 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_16.html
6.大仏殿〔4〕 横方向の太い材が多い大仏殿。 東大の入試の科目を知らなかった進学校の3年担任の教諭 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_17.html
7.正倉院  校倉造の原理と言われていたものは実は・・なんて今さら言われてもなあ・・https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_18.html 
8.転害門  「木は生育の方位のままに使え」を実践した南西の柱 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_19.html 
9.奈良公園の加圧注入材。注入直後の木材にさわるのは非健康的。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_20.html
10.奈良女子大学の想い出。お年玉は「親がもらったもの」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_21.html 

法興寺〔飛鳥寺〕〔安居院〕
上 本堂、塔跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_9.html
下 思惟殿、鐘楼、蘇我入鹿首塚、西門跡 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_10.html
山田寺跡・飛鳥資料館 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_11.html
飛鳥坐神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_12.html
「孝元天皇陵」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_13.html
飛鳥の街並み https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_14.html  

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