年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。
[第847回]
天野太郎『阪急沿線の不思議と謎』(2015.4.16.実業之日本社 じっぴコンパクト新書)によると、
《 現在、嵐山線は単線であるが、じつは開業当初は複線だった。現在も多くの観光客を集める路線だけに、なぜ単線になってしまったのか、気になるところだ。
その原因は、1941年(昭和16)年に勃発した太平洋戦争にあった。
嵐山線 桂~嵐山間が開通したのは、新京阪鉄道時代の1928(昭和3)年11月9日のことである。多くの観光客の輸送を見込んでいたことから、当初は複線が敷かれ、嵐山駅も六面五線を誇る一大ターミナルとしてつくられた。
ところが、予想していた以上に売上はびなかった。行楽シーズン中はそれなりの人が利用したが、シーズンオフともなると、乗客は激減。1930(昭和5)年には、閑散期の運行を単線で行う始末だった。それでも戦前は、まだ複線として運行が続けられた。
その嵐山線に最大の危機が訪れたのは、1944(昭和19)年のことだった。
太平洋戦争最中の1942(昭和17)年5月9日、資源不足を補うために国内には金属回収令が出され、様々な金属の供出が強要された。寺院の仏具や梵鐘をはじめ、火鉢やヤカンといった日用品までが取り上げられるほどの徹底したものだった。
その影響は嵐山線にまで及んだ。1944年、複線だった嵐山線は、時の政府から「不要不急路線」であると位置づけられてしまう。軍需物資の輸送に鉄道は欠かせなかったが、嵐山線はその役割を果たせない「お荷物路線」だと見なされたのだ。そのため、レールははがされ、鉄材として軍に供出された。そして嵐山線は、むなしくも単線に成り下がってしまったのである。嵐山線の近くにあった嵐山から愛宕山に至る愛宕山電気鉄道のように、同様の背景から廃線となり、現在は存在していない路線もある。・・・ 》

阪急沿線の不思議と謎 (じっぴコンパクト新書) - 天野 太郎
ここで気になるのは、《 1944年、複線だった嵐山線は、時の政府から「不要不急路線」だと見なされたのだ。そのため、レールははがされ、鉄材として供出された。そして嵐山線は、むなしくも単線に成り下がってしまったのである。》という部分。
「不要不急」て、なんか、最近、よく耳にする・目にする文句ですよね。
新型コロナウイルスに対する「緊急事態宣言」というもの、大変、気にかかるのです。 「緊急事態宣言」というものは、一時的に出して、それで収束したならそれでもいいとして、「緊急事態宣言」を何度も何度も出すのなら、それは「緊急事態」ではなくなるのではないか。 何度も何度も出すのなら、それが「普通のこと」になってしまい、「緊急事態」とは言えなくなるのではないか。
それから、「三密」を避けるために・・というのですが、「緊急事態宣言」を一時だして、それで収束したということなら意味がありますが、そうではなく、 「緊急事態宣言」の期間とそうでない期間を交互にするという現状では、むしろ、「緊急事態宣言」の期間の方が「密」になっていなくて、「緊急事態宣言」でない期間に集中させて「密」にしてしまうことになる、「緊急事態宣言」がなければ全期間に分散されるものが「緊急事態宣言」でない期間に集中して「密」にすることが考えられるのではないでしょうか。
最初に「緊急事態宣言」と言った時、簡易郵便局に行ったら普段なら営業時間中なのに「緊急事態宣言」の為に閉店していたことから本局に行くと、誰もが考えることが同じなのか本局に普段よりも人が集中して込んでいたということがありました。 営業時間が長ければ「密」の状態になっての利用が増える業種もあるかもしれませんが、郵便局などは営業時間を短くしたり、本局のみ営業して簡易郵便局は早く閉めるようにすれば利用が少なくなるような業種ではないので、簡易郵便局の営業時間を短くしたのでは、結果として、かえって本局が「密」になることになり、何をやってるのやらわからん・・ように思えました。
さらには、「緊急事態宣言」と「GoTo トラベル」「GoToイート」を交互に出すというのはそれはおかしいのではないか。旅行関係・飲食関係業者から、これでは営業に困ると苦情を言われてそれで「GoTo トラベル」「GoToイート」を出すが、出してまたすぐに「緊急事態宣言」を出すというのは、それは政策としておかしい。どちらでもない期間が間にあってこその政策でしょう。主体性のなさを感じます。
又、「自粛」を「お願いします」といったことを政府は言っているのですが、「自粛」で「お願い」であるからには、「お願い」はきいてもいいけれども、ききたくない人に強制はできないはずなのです。強制するならそれは「自粛」ではないし、「お願い」でもないはずです。 「自粛」というのは、あくまでも、「粛」をやろうと考えた人が自分自身の判断でやることであって、「自粛」したくない人にまで強制したら「自粛」ではないし、「お願い」はきいてもいいしきかなくてもいいというのが「お願い」のはずですから、「お願い」はきいてもいいけれども、きかない人を、まるで「非国民」か何かみたいに報道したり、多数の人間で非難したりするというのはおかしい。
それから、この点を認識できていない人がいるのではないかと思うのですが、「・・・・はしてはいけない」という規定を設けるのなら、それは立法機関が設けるべきことであって行政機関が「自粛をお願いします」と言って実質的には強制的なものとしてそうしないわけにいかないようにしむける、報道機関もそれに加担するというのは、これは三権分立の考え方に反します。 「・・・はしてはいけない」ということにしたいのならば、立法機関、国会によりそういう法律を設けるべきです。 国会で法律を設けることなく、行政・政府が「自粛をお願いします」という表現で実質的に国民に強制するような今の状態というのは、これは民主主義の否定につながります。
そして・・・、天野太郎『阪急沿線の不思議と謎』(2015.4.16.実業之日本社 じっぴコンパクト新書)の文章をもう一度見てください。《 1944年、複線だった嵐山線は、時の政府から「不要不急路線」であると位置づけられてしまう。軍需物資の輸送に鉄道は欠かせなかったが、嵐山線はその役割を果たせない「お荷物路線」だと見なされたのだ。そのため、レールははがされ、鉄材として軍に供出された。そして嵐山線は、むなしくも単線に成り下がってしまったのである。嵐山線の近くにあった嵐山から愛宕山に至る愛宕山電気鉄道のように、同様の背景から廃線となり、現在は存在していない路線もある。》
「不要不急」という言葉、最近、よく使われますが、戦中にも「不要不急」の路線と指定された鉄道は複線を単線にされたり廃止されたりしたのです。「この道~はあ~、いつか来たみ~ち~♪」・・・て歌がありましたよね。 「不要不急」のものはできるだけ控えてくださいというのはわからないことありませんよ。 しかし、それでも、この「不要不急」という言葉、かつて戦中に使われた言葉だということを、国民は思い出す必要があると思います。
かつ、何が「不要」なのか、何が「不急」なのか、というのは人によって考え方・感じ方は違うと思うのです・・・が、どうも、うかつな行動をすると、《「体だけ元気な年寄」症候群のじいさん》とかから糾弾されそうで、怖い! 実際、怖いのです。
「不要不急の外出」「不要不急の県外への移動」は避けてくれと言われても、避けるわけにいかない場合はあるのですが、ある程度離れた場所へ移動する場合、自家用車で移動した方が「密」とか「接触」を少なくすることができるのではないか・・・と思っても、高速道路やサービスエリアは自分のクルマ以外にも「他県ナンバー」のクルマは走っているし停まっていますが、一般道や地域の人が利用するスーパーやホームセンターの駐車場になると「他県ナンバー」は少なくなります。クルマを離れている間に、《「体だけ元気な年寄」症候群のじいさんたち》にクルマがボコボコにされてるなんてことないか? あるいは、「なんで、他県に移動するんだ」と話したって通じない《「体だけ元気な年寄」症候群のじいさん》から詰め寄られるなんてことないか?・・・と思うと怖いのです。ほんとに怖い。 クルマのナンバーについては、もともと、生活の拠点が2か所以上ある人もいるはずで、その片方で自動車の登録をして他方でそのクルマを使用すると、結果として他県ナンバーのクルマに乗ることになります。
公共交通機関での移動でも、実際のところ、県外への移動は控えてくださいなんて言っても、新幹線とかはそれほど「密」になってませんよ。夜行バスなどは、もしも相当の乗車率になれば「密」になるかもしれません。飛行機も「わしぁ貧乏やからな」の「日陰の月見草」のじいさんのようにファーストクラスに乗るなら(どこが「貧乏」なんじゃい、ロレックスの腕輪はめて、「わしぁ貧乏やから」とか書きまくった本の印税でもうけまくってファーストクラスに乗ってるじいさんの、どこが「貧乏」なんじゃい! )「密」ではないけれども、私が乗る場合のようにエコノミークラスに乗ると新幹線よりも座席の間隔が狭いので「密」になるかもしれません・・・が、誰もがそう思って乗らないガラガラの飛行機でも飛んでいるからには、案外、現状は「反密」かもしれませんね。
ともかく、法律で禁止されたわけでもなく、あくまで《「自粛」を「お願い」》なのに、それを強制する動き。 何を「不要」「不急」と考えるかは人それぞれであるはずなのに、何が「不要」で何が「不急」か自分が考える認識を他人に強制しようという動き。 規制を設ける場合、法律は立法機関が決めるべきものであるのに、行政・政府が「自粛」の「お願い」を決めた上で、それに従わない者は「非国民」か何かみたいにしてしまおうとする状態、及びマスコミの動き・・これらは何とも気色の悪い動きであり、要注意です。
大阪市北区のJR「大阪」駅で、大阪環状線に乗車中の乗客の男性に「降りてください」とJR職員が言い、その男性は「法的論拠を示せ」と言い、「法的論拠」を示したなら降りるけれども、そうでなければ降りる筋合いはないと拒否した動画がインターネット上に出ていて、その男性にJR職員が「降りてください」と言った理由は何なのか、結局、わからないままであり、 「法的論拠を示したなら」降りるけれどもどうでなければ降りないと言っている、その男性のその部分の主張は何らおかしなものではないのに、周囲の乗客何人もで「降~り~ろ! 降~り~ろ♪」とコールして、さらにはテレビ局は、実際にその男性が何を理由に降りてくれとJR職員から言われていたのかも調べず報道せず、「マスクもしないで」と、マスクをしてくれと言われて拒否したということでもなさそうであるにもかかわらず、正規の利用法で鉄道を利用していた人をけしからんと攻撃していたのですが、なんとも質の低い放送局ですが、そもそも、マスクをしてくれと言われて拒否したという話でもないようなのに、「マスクもしないで」とかアナウンサーが放送する。そもそも、マスクをしないで話をしてはいかんと言いたいなら、話をする時にはマスクをしなければならないという法律を作るべきです。政府が「できるだけ」「お願い」しているだけのものをしていないからといって、放送局が極悪人みたいに言いまくるというのは、どう考えてもおかしい。
そのコメント欄も、そういった不適切な報道があると、それに気づくことなく、うわあ~っと押し流されたようなコメントがあまりにも多すぎます。
「不要不急の・・」という表現、この表現は戦中にも使われて、阪急嵐山線は複線だったものが単線にされ、愛宕山電気鉄道は廃線にされ、大阪市天王寺区の四天王寺の鐘は「金属供出」により失われた・・・、「不要不急の・・」という表現は戦中にも使われた表現であるという事実をきっちりと認識する必要があると思います。

昭和時代 (1957年) (岩波新書) - 中島 健蔵

ファシズムの大衆心理 (上) - ヴィルヘルム・ライヒ, 武靖, 平田

ファシズムの大衆心理 下 - ヴィルヘルム・ライヒ, 平田 武靖

サラリーマン―ワイマル共和国の黄昏 (りぶらりあ選書) - ジークフリート・クラカウアー, 神崎 巌
(2021.5.31.)
(元の文章作成・公開は2021.5.19.)
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビル。「西院」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。〔今回〕
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
天野太郎『阪急沿線の不思議と謎』(2015.4.16.実業之日本社 じっぴコンパクト新書)によると、
《 現在、嵐山線は単線であるが、じつは開業当初は複線だった。現在も多くの観光客を集める路線だけに、なぜ単線になってしまったのか、気になるところだ。
その原因は、1941年(昭和16)年に勃発した太平洋戦争にあった。
嵐山線 桂~嵐山間が開通したのは、新京阪鉄道時代の1928(昭和3)年11月9日のことである。多くの観光客の輸送を見込んでいたことから、当初は複線が敷かれ、嵐山駅も六面五線を誇る一大ターミナルとしてつくられた。
ところが、予想していた以上に売上はびなかった。行楽シーズン中はそれなりの人が利用したが、シーズンオフともなると、乗客は激減。1930(昭和5)年には、閑散期の運行を単線で行う始末だった。それでも戦前は、まだ複線として運行が続けられた。
その嵐山線に最大の危機が訪れたのは、1944(昭和19)年のことだった。
太平洋戦争最中の1942(昭和17)年5月9日、資源不足を補うために国内には金属回収令が出され、様々な金属の供出が強要された。寺院の仏具や梵鐘をはじめ、火鉢やヤカンといった日用品までが取り上げられるほどの徹底したものだった。
その影響は嵐山線にまで及んだ。1944年、複線だった嵐山線は、時の政府から「不要不急路線」であると位置づけられてしまう。軍需物資の輸送に鉄道は欠かせなかったが、嵐山線はその役割を果たせない「お荷物路線」だと見なされたのだ。そのため、レールははがされ、鉄材として軍に供出された。そして嵐山線は、むなしくも単線に成り下がってしまったのである。嵐山線の近くにあった嵐山から愛宕山に至る愛宕山電気鉄道のように、同様の背景から廃線となり、現在は存在していない路線もある。・・・ 》

阪急沿線の不思議と謎 (じっぴコンパクト新書) - 天野 太郎
ここで気になるのは、《 1944年、複線だった嵐山線は、時の政府から「不要不急路線」だと見なされたのだ。そのため、レールははがされ、鉄材として供出された。そして嵐山線は、むなしくも単線に成り下がってしまったのである。》という部分。
「不要不急」て、なんか、最近、よく耳にする・目にする文句ですよね。
新型コロナウイルスに対する「緊急事態宣言」というもの、大変、気にかかるのです。 「緊急事態宣言」というものは、一時的に出して、それで収束したならそれでもいいとして、「緊急事態宣言」を何度も何度も出すのなら、それは「緊急事態」ではなくなるのではないか。 何度も何度も出すのなら、それが「普通のこと」になってしまい、「緊急事態」とは言えなくなるのではないか。
それから、「三密」を避けるために・・というのですが、「緊急事態宣言」を一時だして、それで収束したということなら意味がありますが、そうではなく、 「緊急事態宣言」の期間とそうでない期間を交互にするという現状では、むしろ、「緊急事態宣言」の期間の方が「密」になっていなくて、「緊急事態宣言」でない期間に集中させて「密」にしてしまうことになる、「緊急事態宣言」がなければ全期間に分散されるものが「緊急事態宣言」でない期間に集中して「密」にすることが考えられるのではないでしょうか。
最初に「緊急事態宣言」と言った時、簡易郵便局に行ったら普段なら営業時間中なのに「緊急事態宣言」の為に閉店していたことから本局に行くと、誰もが考えることが同じなのか本局に普段よりも人が集中して込んでいたということがありました。 営業時間が長ければ「密」の状態になっての利用が増える業種もあるかもしれませんが、郵便局などは営業時間を短くしたり、本局のみ営業して簡易郵便局は早く閉めるようにすれば利用が少なくなるような業種ではないので、簡易郵便局の営業時間を短くしたのでは、結果として、かえって本局が「密」になることになり、何をやってるのやらわからん・・ように思えました。
さらには、「緊急事態宣言」と「GoTo トラベル」「GoToイート」を交互に出すというのはそれはおかしいのではないか。旅行関係・飲食関係業者から、これでは営業に困ると苦情を言われてそれで「GoTo トラベル」「GoToイート」を出すが、出してまたすぐに「緊急事態宣言」を出すというのは、それは政策としておかしい。どちらでもない期間が間にあってこその政策でしょう。主体性のなさを感じます。
又、「自粛」を「お願いします」といったことを政府は言っているのですが、「自粛」で「お願い」であるからには、「お願い」はきいてもいいけれども、ききたくない人に強制はできないはずなのです。強制するならそれは「自粛」ではないし、「お願い」でもないはずです。 「自粛」というのは、あくまでも、「粛」をやろうと考えた人が自分自身の判断でやることであって、「自粛」したくない人にまで強制したら「自粛」ではないし、「お願い」はきいてもいいしきかなくてもいいというのが「お願い」のはずですから、「お願い」はきいてもいいけれども、きかない人を、まるで「非国民」か何かみたいに報道したり、多数の人間で非難したりするというのはおかしい。
それから、この点を認識できていない人がいるのではないかと思うのですが、「・・・・はしてはいけない」という規定を設けるのなら、それは立法機関が設けるべきことであって行政機関が「自粛をお願いします」と言って実質的には強制的なものとしてそうしないわけにいかないようにしむける、報道機関もそれに加担するというのは、これは三権分立の考え方に反します。 「・・・はしてはいけない」ということにしたいのならば、立法機関、国会によりそういう法律を設けるべきです。 国会で法律を設けることなく、行政・政府が「自粛をお願いします」という表現で実質的に国民に強制するような今の状態というのは、これは民主主義の否定につながります。
そして・・・、天野太郎『阪急沿線の不思議と謎』(2015.4.16.実業之日本社 じっぴコンパクト新書)の文章をもう一度見てください。《 1944年、複線だった嵐山線は、時の政府から「不要不急路線」であると位置づけられてしまう。軍需物資の輸送に鉄道は欠かせなかったが、嵐山線はその役割を果たせない「お荷物路線」だと見なされたのだ。そのため、レールははがされ、鉄材として軍に供出された。そして嵐山線は、むなしくも単線に成り下がってしまったのである。嵐山線の近くにあった嵐山から愛宕山に至る愛宕山電気鉄道のように、同様の背景から廃線となり、現在は存在していない路線もある。》
「不要不急」という言葉、最近、よく使われますが、戦中にも「不要不急」の路線と指定された鉄道は複線を単線にされたり廃止されたりしたのです。「この道~はあ~、いつか来たみ~ち~♪」・・・て歌がありましたよね。 「不要不急」のものはできるだけ控えてくださいというのはわからないことありませんよ。 しかし、それでも、この「不要不急」という言葉、かつて戦中に使われた言葉だということを、国民は思い出す必要があると思います。
かつ、何が「不要」なのか、何が「不急」なのか、というのは人によって考え方・感じ方は違うと思うのです・・・が、どうも、うかつな行動をすると、《「体だけ元気な年寄」症候群のじいさん》とかから糾弾されそうで、怖い! 実際、怖いのです。
「不要不急の外出」「不要不急の県外への移動」は避けてくれと言われても、避けるわけにいかない場合はあるのですが、ある程度離れた場所へ移動する場合、自家用車で移動した方が「密」とか「接触」を少なくすることができるのではないか・・・と思っても、高速道路やサービスエリアは自分のクルマ以外にも「他県ナンバー」のクルマは走っているし停まっていますが、一般道や地域の人が利用するスーパーやホームセンターの駐車場になると「他県ナンバー」は少なくなります。クルマを離れている間に、《「体だけ元気な年寄」症候群のじいさんたち》にクルマがボコボコにされてるなんてことないか? あるいは、「なんで、他県に移動するんだ」と話したって通じない《「体だけ元気な年寄」症候群のじいさん》から詰め寄られるなんてことないか?・・・と思うと怖いのです。ほんとに怖い。 クルマのナンバーについては、もともと、生活の拠点が2か所以上ある人もいるはずで、その片方で自動車の登録をして他方でそのクルマを使用すると、結果として他県ナンバーのクルマに乗ることになります。
公共交通機関での移動でも、実際のところ、県外への移動は控えてくださいなんて言っても、新幹線とかはそれほど「密」になってませんよ。夜行バスなどは、もしも相当の乗車率になれば「密」になるかもしれません。飛行機も「わしぁ貧乏やからな」の「日陰の月見草」のじいさんのようにファーストクラスに乗るなら(どこが「貧乏」なんじゃい、ロレックスの腕輪はめて、「わしぁ貧乏やから」とか書きまくった本の印税でもうけまくってファーストクラスに乗ってるじいさんの、どこが「貧乏」なんじゃい! )「密」ではないけれども、私が乗る場合のようにエコノミークラスに乗ると新幹線よりも座席の間隔が狭いので「密」になるかもしれません・・・が、誰もがそう思って乗らないガラガラの飛行機でも飛んでいるからには、案外、現状は「反密」かもしれませんね。
ともかく、法律で禁止されたわけでもなく、あくまで《「自粛」を「お願い」》なのに、それを強制する動き。 何を「不要」「不急」と考えるかは人それぞれであるはずなのに、何が「不要」で何が「不急」か自分が考える認識を他人に強制しようという動き。 規制を設ける場合、法律は立法機関が決めるべきものであるのに、行政・政府が「自粛」の「お願い」を決めた上で、それに従わない者は「非国民」か何かみたいにしてしまおうとする状態、及びマスコミの動き・・これらは何とも気色の悪い動きであり、要注意です。
大阪市北区のJR「大阪」駅で、大阪環状線に乗車中の乗客の男性に「降りてください」とJR職員が言い、その男性は「法的論拠を示せ」と言い、「法的論拠」を示したなら降りるけれども、そうでなければ降りる筋合いはないと拒否した動画がインターネット上に出ていて、その男性にJR職員が「降りてください」と言った理由は何なのか、結局、わからないままであり、 「法的論拠を示したなら」降りるけれどもどうでなければ降りないと言っている、その男性のその部分の主張は何らおかしなものではないのに、周囲の乗客何人もで「降~り~ろ! 降~り~ろ♪」とコールして、さらにはテレビ局は、実際にその男性が何を理由に降りてくれとJR職員から言われていたのかも調べず報道せず、「マスクもしないで」と、マスクをしてくれと言われて拒否したということでもなさそうであるにもかかわらず、正規の利用法で鉄道を利用していた人をけしからんと攻撃していたのですが、なんとも質の低い放送局ですが、そもそも、マスクをしてくれと言われて拒否したという話でもないようなのに、「マスクもしないで」とかアナウンサーが放送する。そもそも、マスクをしないで話をしてはいかんと言いたいなら、話をする時にはマスクをしなければならないという法律を作るべきです。政府が「できるだけ」「お願い」しているだけのものをしていないからといって、放送局が極悪人みたいに言いまくるというのは、どう考えてもおかしい。
そのコメント欄も、そういった不適切な報道があると、それに気づくことなく、うわあ~っと押し流されたようなコメントがあまりにも多すぎます。
「不要不急の・・」という表現、この表現は戦中にも使われて、阪急嵐山線は複線だったものが単線にされ、愛宕山電気鉄道は廃線にされ、大阪市天王寺区の四天王寺の鐘は「金属供出」により失われた・・・、「不要不急の・・」という表現は戦中にも使われた表現であるという事実をきっちりと認識する必要があると思います。

昭和時代 (1957年) (岩波新書) - 中島 健蔵

ファシズムの大衆心理 (上) - ヴィルヘルム・ライヒ, 武靖, 平田

ファシズムの大衆心理 下 - ヴィルヘルム・ライヒ, 平田 武靖

サラリーマン―ワイマル共和国の黄昏 (りぶらりあ選書) - ジークフリート・クラカウアー, 神崎 巌
(2021.5.31.)
(元の文章作成・公開は2021.5.19.)
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビル。「西院」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。〔今回〕
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
この記事へのコメント