中田島砂丘見学【2/9】樹木の生えた丘と土の丘が2列にある。テトラポッドが沖に。労基法違反の会社・脱税経験の会社・安全対策不備の会社から浜松市は寄付金をもらっていいのか? それが「福沢精神」なのか? それが「独立自尊」か?
[第856回]
静岡県浜松市南区中田島町(なかたじまちょう) の遠州灘海浜公園中田島中地区(風車公園)の海側の駐車場に今回は駐車して中田島砂丘に向かいました・・・が、1970年代前半、私は小学校の6年の時、鳥取砂丘に行ったことがあるのですが、中田島砂丘というのは、鳥取砂丘の小型みたいなものかな・・・と思っていくと、あれ? ・・と思うところがあります。
今回は実際に私が進んだ経路に沿って写真は掲載しましょう。



↑ 鳥取砂丘は、砂が堆積した丘が続いていたので砂丘というものはそういうものを言うのだろう・・と思っていたのですが、まず、遠州灘海浜公園中田島中地区(風車公園)の海側を東西に走る道(この道を西の方に行くと、(株)一条工務店の本社と浜松工場があった場所の裏手に至る道)を横断して海側に行くと、↑のような小山が続いていて、松とかの樹木や草が生えているのです。樹木は防風林として植えられたものなのか自然に生えたものなのか、あるいは、植えられたものが後に自然に増えていったものなのか、はっきりしませんが、砂だけが盛り上がった丘ではなく、樹木や草が生えている丘です。しかし、地面を見ると、砂のような土ですから、もしかして、これが中田島砂丘なのお? ・・・と思って登っていきますと海側が開けた高台にでます。 「体力的には20歳より歳いかない、精神的には25歳より老けない」という意識で生きてきたのですが、さすがに、もう「体力的にも精神的にも30歳より老けない」くらいでいいかな・・なんて思うようになりましたが、こういう丘を登るとなると、登ったからといってカネもらえるわけでもないしなああ~あ・・とか思い出します・・というのは、それだけ、歳いったのかな。若い頃なら「この足で登る姿勢こそ私の生き様だあ」とか思ったものでしたが、なんか、「もういいよ」みたいな気持ちになりかけ・・ということは、情けないけれども、その分だけ歳いったということか・・もしれん。

↑ 東の方。 左側(陸側)に樹木が生えている丘があって、右側(海側)に土だけの丘が見えます。
ありぁ? 遠州灘海浜公園中田島中地区(風車公園)のすぐ南側(海側)の道路の海側に樹木や草が生えている丘があったと思ったら、その丘を登っていくと、それより海側が低くなっていて、その盆地状になった所から海側に、もうひとつ、砂というのか土と言うのかの丘がある。 中田島砂丘というのは「丘」が2列あるのかあ?

↑ 南東の方。
・・その2列ある丘の陸側の方は土の質は砂系の土だけれども樹木や草が生えているのに対して、海側の丘は鳥取砂丘に行った時に見た砂と比べると「土」に近いようにも思うが「砂」みたいな土でできていて樹木や草は生えていない。この海側のものを「中田島砂丘」と言うのか、それとも、陸側の樹木や草が生えている丘と海側の樹木や草は生えていない丘と両方を中田島砂丘と言うのか?
・・・で、海側は砂系の土で盛り上がった丘だが、踏んでみると、ぼそぼそお~っと地中に引きずり込まれるような感じでもないので、又、「中田島砂丘入口」交差点の正面の入口から入ってきた続きの経路で、海側の丘を登る道が設けられているので、歩いて登ってみようと考えた。
「中田島砂丘」という横書きの石碑がある場所から入ってくると、↓ の位置に来ます。

( ↑ 正面の土の丘が、海側の丘。)
もっとも、「単に土の丘を登るだけ」というのは「コストと利益を比較考量して」考えて、あんまり利益がないような感じがしないでもないので、ここで帰ろうかともふと思ったが、やはり、太平洋をひと目、見てからでないと帰れないと思い、土の丘を登った。
すると、土の丘の上からは、↓

( ↑ 海側の土の丘の上から東の方を見たもの。 土の丘の上が平(たいら)にならされている。 右端に太平洋の海が見える。)
↑ こちらの丘からは太平洋の海が見える(^^♪ ・・・けれども、見えたからにはその海辺まで行ってみたい気もしないことはない・・というよりも、たいていの人間はそう考えるのではないかと思うが、しかし、ここまで来るだけでも、土の丘を、うんせうんせうんせうんせ・・とけっこう大変な思いをして登ってきたのであり、ここからまだ海の水がある場所まではけっこうありそうな感じで・・とか思っていると、私よりいくらか年上と思われる夫婦が、「あそこまで行こうか」「ええ、行くのお?」「そうだなあ。行くと、また、これを登って戻ってこなきゃならないからなあ」とかいう会話をしていて・・そして、その2人は海辺まで行くのを断念したようだった。
たしかに、これを降って海辺まで行ったとすると、また、これを登ってこなければならないわけで、行っても、そこにあるのは海の水と砂だけだ・・というのはここから見て十分にわかる・・と考えると、「コストと利益を比較考量して」考えて、コストを利益が上回らない・・と判断する人が多いのではないか・・な。
西の方、丘の延長上あたりに見える高い煙突は馬込川の東岸の南部清掃工場でしょう。
この丘の上に登ると、馬込川が見えて、さらにその東の天竜川まで見えるか・・と思ったら、天竜川どころか馬込川も見えません。

↑ 南西側。

南西側の一部分を拡大すると・・↓

↑ 中田島砂丘というのは、天竜川などの河川が太平洋に押し流した砂が太平洋の波で打ち上げられてできた砂丘だ・・という割には、テトラポッドが並べられているのです。 この位置から西側はこの1か所ですが、『県別マップル 静岡県道路地図』(2020.6月 4版。昭文社)を見ると、馬込川から東、天竜川から西の区域、浜松市南区江之島町・福島町(ふくしまちょう)・西島町(にしじまちょう)松島町には、テトラポッドが何か所もに設置されており、地図を見ただけでも異様な感じがします。

↑ テトラポッドが並んでいる部分とそうでない部分を交互に設けているのですが、テトラポッドの後ろの部分には砂浜があり、テトラポッドがない部分は砂浜が削られています。
かつては自然に砂丘までできた所が、今ではテトラポッドで守らないと砂浜が守れないような状態になってきているということか・・・。
ヤフー地図・グーグル地図などの航空写真のものを見ると、馬込川から東側だけではなく、↑の写真を撮影した位置より西側にも、何か所もにテトラポッドが設置されて波を防いでいる所が見られます。
中田島砂丘ほか、浜松市の太平洋岸はアカウミガメの産卵地として知られる・・・が、最近、砂浜をオフロードカーで走るヤカラがいて、そのオフロードカーのワダチを産まれた直後のアカウミガメが超えることができずに海にたどり着けず、アカウミガメの繁殖に支障がでている・・といった記事をいつだったか見た記憶があります。な~にもこんな場所でオフロードカーなんて走らさなくても・・というよりも、こういう場所はそういったオフロードカーを走らせるのではなく、おのれの足で歩くものではないのか・・・と私などは思いますけれどもねえ・・。
浜松市南区倉松町4040 の(株)一条工務店があった場所のすぐ南側にも太平洋が広がっていて、↓

↑ (株)一条工務店の本社や浜松工場には仕事で何度も行ったのですが、すぐそばが海ならば、一度くらいは、どんな感じの場所か見に行きたい、見に行かせてほしいと思ったものでしたが、泊りがけでの研修で同地に行った時も、研修が終わったなら、その後、本社と浜松工場の周囲をひと回りするくらいさせてもらっても悪くないのではないかと思ったのですが、即座にタクシーを呼ばれて相乗りさせられて浜松駅まで行かされましたが、何か見られて困るようなものでもあったのでしょうか。

↑ これはカメラの望遠機能を使って撮影したものですが、テトラポッドは西側にも設置されています。
陸側の樹木や草が生えている丘と海側の土だけの丘とがあって、海側の土だけの丘から海の方を見ると ↓

↑ 丘から海側の下の方に降りて行った人もいて、波打ち際まで行った人もいるのが見えていますが、そこまで行ってみようか・・とも思うことは思ったのですが、近くにいた比較的年配の夫婦が「あそこまで行ってみる?」「行くと、また、ここまで登ってこないといかんからなあ」と会話していたのが聞こえたように、波打ち際まで行っても、そこから今度はこの土の丘を登ってこないといけないので、「今回は、いいや」ということにしました。
(株)一条工務店 の初代社長にして、1996年にドバカ息子が女性を刃物で百カ所以上刺して殺して刑務所に入った際に、責任をとったようなふりをして社長を退任した、社長を退任して会長になったわけでもなく相談役になったわけでもなく、特に役職についたわけでもない大澄賢二郎が主唱した・・として、(株)一条工務店が300億円の寄付を浜松市にして「防潮堤」を作る・・という話がインターネット上に出ていて、それを見て「一条工務店てたいしたもんですねえ」などと言う者がおり、「一条工務店の社長てすごいですねえ」などという者もいたのだが、大澄賢二郎は「一条工務店の社長」ではないはずで、実際に仕事をしていないドバカ息子を関連会社の(株)日信 の社長にならせていたところ、その関連会社の社長が女性を刺し殺して刑務所に入りよった・・ということで責任を取ったような形で社長を退いた・・・という人であるからには、会社の運営に社長を退いた男が口出すのは理屈からいくとおかしいはずであり、インターネット上の記事で””美談””みたいに書いている人間というのは、なぜ、そのあたりを書かないのか・・マカ不思議である。「一条工務店の社長てすごいですねえ」などと言うおめでたい人がいますが、だいたい、大澄賢二郎て、その人は社長と違うでしょうが。
大澄賢二郎は『水滸伝』が好きらしく、1990年代前半から半ばまでは「梁山泊の精神」などと言っていたのだが、1996年8月に大澄賢二郎の息子で関連会社の(株)日信 の社長になっていた大澄隆史(男。当時、20代)が、かつてつきあっていて同棲していたこともある浜松市在住でピアノ講師をやっていた女性を刃物で刺し殺して官憲に追われ逃げたものの、高速道路のカメラに写っていたらしく、懲役20年の判決を受けて刑務所に入って以来、「梁山泊の精神」とは言わなくなった。・・そりぁ、言わなくなるだろう。なにしろ、『水滸伝』に登場する「梁山泊」の3代目首領の呼保義 宋江(こほうぎ そうこう)というのはどういう男かというと、「刃物で女を刺し殺し、官憲に追われ逃げる」ということをやった男であり、まさに大澄賢二郎のドバカ息子そのまんま・・・だからだ。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
《 呼保義(こほうぎ) 宋江(そうこう)
百八星の頂点に立つ三代目梁山泊首領。宋家村(そうかそん)の出身で、鄆城県(うんじょうけん)では押司(おうし)(上級書紀)を勤めていた。色黒で身長六尺(約144cm)と風采は冴えず、槍棒を好むが腕前は十人並、策を立てても敵に見破られる等々、眼を見張るようなとりえがないのだが、なぜか人望だけは高い。なにしろ「宋江」の名を出すだけで、好漢たちは水戸黄門の印籠よろしく平伏し、宋江を「兄者」と敬うのだ。しかも神仙まで宋江には協力的で、九天玄女(きゅうてんげんじょ)から三巻の天書と四句の天言を授かっている(まあ、このアイテムはあまり役立っていないのだが)。
しかし、本当に宋江が大徳の持ち主かというと、ちょっと疑問だ。梁山泊とのつながりを材料に妾の閻婆惜(えんばしゃく)に脅迫されると、かっとなって彼女を殺害。その逃亡中に散々お世話になっておきながら、清風山の頭になることや梁山泊入りを「山賊は嫌だ」とばかりに拒み、恩赦によって罪が減じられるとあっさり自首を選ぶ。好漢を仲間に入れるために悪どい策略を使っても罪の意識をそれほど見せず、晁蓋の死後に梁山泊の首領になると他の好漢の不満を押し切って朝廷への帰順を決定。この結果、梁山泊は朝廷の駒としていいように使われ、遼、田虎(でんこ)、王慶(おうけい)、方臘(ほうろう)を討伐することになる。
こんな人物が首領でいいの? と思わなくもないが、・・・》
(超音速 編『水滸伝の108人がよくわかる本』2009.4.20. ぶんか社文庫 ↓ )

水滸伝の108人がよくわかる本 (ぶんか社文庫 ち 2-1) - 超音速
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
又、1990年代半ばまでは「パブリシティ広告」という冊子を作成してお客様に渡していたのだが、それは、住宅関係の業界新聞などに(株)一条工務店に関係する記事が載った・・のか載せてもらったのかのものとか、「まんどころ」なんとかさんという女性がなんとかマラソンという長距離走るのを「応援」した、要するに、いくらかお金を出してあげるかわりに「一条工務店」と書いた服を着て走る・・というその女性を扱った「フライデー」の記事とか、パリ-ダカール ラリーというパリからダカールまで自動車で走るレースに取引があったらしいフランスの家具屋のおっさんが参加するのに「協賛」、これもいくらかお金を出すことでそのクルマの車体に「一条工務店」と入れるということをやっていた、そのパリ-ダカール ラリーの記事がやっぱり「フライデー」だったか何だったかに掲載されたものとか、そういったものを集めた冊子を作成してお客様に渡していたのだが、まるまる宣伝・広告として作成したものではないとはいえ、業界紙に載ったというのか載せたというのかの記事なんて、半分広告みたいなもの・・であったとしても、お客様よりも従業員が読むとけっこう仕事をする上に理解が深まる内容のものもあったのですが、1996年8月にドバカ息子が女性を刺し殺して以来、「パブリィティ広告」集の冊子の発行はなくなりました。そりぁ、そうだよなあ。そのまま、発行を続けたなら、ドバカ息子が女性を刺し殺した「週刊朝日」や「アサヒ芸能」の記事はなぜ載せない? ・・ということになるもんなあ。発行できないよなあ。まあ、それまででも、1993年9月に福島県いわき市草木台の(株)一条工務店の工事現場で屋根屋が墜落して頭部を打撲して死亡した・・という「いわき民報」に掲載された記事なんてのは載せずに「スルー」してたけれども・・。
それで・・・、大澄賢二郎は『水滸伝』の話が好きだというだけあって、その中に出てくる「梁山泊」の3代目首領の宋江(そうこう)などのやり口を真似ることがある。梁山泊は初代は王倫という男だったが、晁蓋(ちょうがい)らが梁山泊に入ろうとした時、林冲(りんちゅう)らによって殺されて、2代目首領にその晁蓋がなり、『水滸伝』の話はそこからなのだけれども、2代目首領は晁蓋(ちょうがい)とはいえ、実質的には宋江(そうこう)が運営していたようなもので、晁蓋が戦さの最中に矢に倒れた後には、宋江が首領になったらどうかと言われても、あえて、盧俊義(ろしゅんぎ)という男を他から呼んで来て首領にならそうとする。そうやって、自分はトップに意図的にならずに、影武者みたいのを立てて、責任を問われる時には影武者に責任をとらせて、運営は自分が実権を握っておこなう・・というやり口。そういうのをやりたいみたいだったのだ。だから、最初は、大澄賢二郎が社長であったにもかかわらず、「専務」などと名のり、1996年8月にドバカ息子が女性を刺し殺した跡は、「社長を退きました」ということにして、「竹馬の友」だというそれまで業務推進室長だった山本庄一を名目上、社長にならせ、山本庄一はそれを理解しているものだから、所長会議でも「社長」の山本庄一は議長みたいなもので譜代の所長の方がえらそうにしていたそうで、各営業所に送られてくる通達でも、「社長 山本庄一」とか「代表取締役 山本庄一」とか書かずに「業務推進室 山本庄一」なんて記名して、なんじゃこりぁ・・て感じだったが、そのうち、大澄賢二郎と同年齢の山本庄一がけっこう高齢になると、今度は銀行から人を呼んできて社長にならせて。まさに「梁山泊の精神」というのか、なんか、やることが「呼保義 宋江」そのまんま・・・( 一一) そういえば、白土三平『ワタリ』でも、伊賀と甲賀の争いで、実はトップの「ゼロの忍者」というのは二番目の音羽の城戸(おとわのじょうこ)からマインドコントロールを受けていた者で、伊賀と甲賀の両方の二番目を音羽の城戸が別の名前で勤めていて、両方の下っ端をあおって争わせることで自分の地位を守っていた・・という話だが、なんか、日本の会社でもありそうな感じの話・・・だが・・。意図的にトップにならずに、トップには「影武者」というのか「操り人形」というのかを立てて、責任を問われる時にはそいつに責任とらせて、実際には自分が支配する・・という『ワタリ』の音羽の城戸(おとわのじょうこ)かそれとも『水滸伝』の宋江か・・・、それにプラスして「ええかっこしい」やりたい時には自分が出てくる・・みたいなことをやりたいみたいだった・・・が、なんか、せこいやっちゃなあ、なんか、しみったれたやり口やなあ・・( 一一)

白土三平選集 13 ワタリ 1 (白土三平選集 新装版 13) - 白土 三平
「初代社長の大澄賢二郎氏の主唱により」「(株)一条工務店が300億円の寄付を浜松市におこなって」とかそういった記事を書いているライターというのは、まるで、大澄賢二郎が浜松市に寄付するみたいな書き方だったのだが、なんというのか、「また、『ええかっこしいやったろ』思うてはるう」というのを大澄賢二郎がやりだしたわけだが、そのカネは誰のカネなのか?
「大澄賢二郎が主唱して(株)一条工務店が寄付する」ということからしておかしいのだが、浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友が大絶賛・大喜びしていたのだが、労基法違反の札付き会社から行政が寄付をもらっていいのか? 少し前に国税局から脱税で取り締まりを受けて多額の追徴金を支払ったことのある会社から、行政が寄付金なんてもらっていいのか? 慶應大ア法学部卒の鈴木康友はそのあたりについて、少しでも考えたことあるのか??? もしかして、そんなこと、ぜ~んぜん考えない・・という態度のことを「福沢精神」とか「独立自尊」とか言うのか? もしかして「自我が確立されている」とか言うのか? そういう態度のことを「アイデンティティーを持っている」とか言うのか??? 「ギャルにもてもて」とか言うのか???
福沢諭吉は『痩せ我慢の説』という著作を書いているが(『日本の名著 福沢諭吉』中公バックス 所収)、それは、明治維新により政権をうしなった徳川家の家臣であった勝海舟と榎本武揚が、徳川家の政権を滅ぼした明治維新政府で高い役職につかせてもらっているということについて、あまりにも節操がないのではないかと批判し、この『痩せ我慢の説』という書を勝海舟と榎本武揚の2名に送りつけて返答を求めるとともに、書物として出版したというもので、勝海舟・榎本武揚の2名からは、結局、返答はなかったらしい。慶應大学ア法学部卒で浜松市長の鈴木康友は、少し前に脱税で多額の追徴金を支払ったという会社から多額の寄付を浜松市がもらっていいのか? 労基法違反の札付き会社から浜松市が多額の寄付金をもらっていいのか? そのカネは従業員・元従業員に払っておくべきものを払わずに貯め込んだカネの一部と違うのか? 1996年9月に福島県いわき市草木台の(株)一条工務店の工事現場で屋根屋が墜落して頭部を打撲して死亡したが、その時にどういう状況だったかにかかわらず、(株)一条工務店が工事現場全般において安全対策不備であったのは明らかであり、浜松市に寄付するというそのカネは安全対策にかけておくべき費用をかけずに貯め込んだカネの一部ではないのか? 浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友、そういう会社から行政が寄付をもらっていいのかどうか・・、福沢諭吉『痩せ我慢の説』でも読んで考えてみたか? 鈴木康友は福沢諭吉『痩せ我慢の説』を読んだことがあるか? おそらく、ないだろう。そんなこと、ちっとも考えないのがそれが「慶應ボーイらしいスマートさ」「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか、それが「福沢精神」とか「独立自尊」とか考えていたのではないか。

日本の名著 (33) 福沢諭吉 (中公バックス) - 福沢 諭吉, 永井 道雄
東名高速道路・新東名高速道路を夜間、走ると箱型トラックが大変多く、乗用車で走ると前が見えなくてものすごく運転しにくい。サービスエリア・パーキングエリアでは、夜間は普通乗用車のエリアはすいていて、トラックなど大型車のエリアは混んでおり、サービスエリア・パーキングエリアへ入る減速車線・サービスエリア・パーキングエリアから出る加速車線に駐車しているトラックがしばしばある。サービスエリア・パーキングエリアに入る減速車線はまだいいが、サービスエリア・パーキングエリアから高速道路の本線に出る加速車線に停められると、通ることは通れても、左側を気にして徐行して通らないといけないので、本来、そこで加速して本線に入る所で徐行したのでは十分に加速できない状態で本線に入ることになり、又、左側を気にして徐行した上で右側の本線に入るとなると、右後方のクルマを十分に見ることがしにくくなり、大変危険なのでサービスエリア・パーキングエリアから高速道路に出る加速車線に駐車するのは特に避けてほしい。加速車線に停めるくらいなら、もしも、大型のエリアが混んでいて場所がないなら、夜間は小型車のエリアなどはすいているのだから、そういう場所に停めた方がましだと思う。2002年、 (株)一条工務店の工場部門 (株)日本産業の山梨県上野原市の「西東京工場」では、そこに搬入するトラック、搬出するトラックの駐車場所を十分に確保していないために、(株)一条工務店・(株)日本産業の工場に来るトラックが路上に大量に並んでいた。上野原の工業団地に工場を持っている会社で、そのようなことをしていた会社は(株)一条工務店・(株)日本産業だけであった。他の会社の工場は自分の所の工場に来るトラックの駐車場所も含めて敷地を確保していたのに対して、(株)一条工務店・(株)日本産業だけは自社の工場に来るトラックの駐車場所は路上としていたが、たとえ、その道路に駐車禁止の標識が立っていなかったとしても、日常的に道路に駐車させるというそういうマナーに反する態度はいただけない。 又、(株)一条工務店・(株)日本産業の上野原市の「西東京工場」では、ツルンツルンの溝がまったくないタイヤのフォークリフトを使用させており、そんな車検に通らないのではないか・・という感じのフォークリフトに「ISO9001 対象車」とでっかく書かれたシールが貼られていた。「ISO」て、もしかして「いいかげんそう」の略と違うのか・・て感じやった。又、工場の入口の脇、道路上に駐車している(株)一条工務店・(株)日本産業のトラックの背後に「ISO9001 取得工場」とでっかく書かれた看板が建てられた。そんな看板、建てるカネがあるなら、そのカネで、その前のトラックを駐車させる地べたを買ったらどうなんだい?・・と私は思ったし、そう考えるのが当然だと思うのだが、(株)一条工務店・(株)日本産業の経営者は、””路上駐車のトラックの背後に「ISO9001 取得工場」とでっかく書いた看板を建てたいシンドローム”” だったようだ。その態度、そういう姿勢はもはや「病的」だった。 ””浜松市に300億円の寄付をして「ええかっこしい」やっても、片方でつるんつるんの溝がまったくないフォークリフトのタイヤを溝があるタイヤに交換するカネは絶対に出してたまるか症候群”” のビョーキの会社だった。病根は相当深く、このビョーキは簡単には治らない。
(株)一条工務店・(株)日本産業の上野原市の「西東京工場」の隣の土地は空いていた。浜松市に300億円の寄付をするカネがあるのなら、その300分の1 以下のカネで隣の土地を購入することはできたと思う。隣の土地を購入して、生えている雑草を伐根伐採して砂利入れするくらい、たいした金額はかからないと思うのだ。浜松市に寄付したという300億円の300分の1以下でできたはずだ。(株)一条工務店・(株)日本産業の上野原市の「西東京工場」に来ていたトラックをそこに停めさせて、トラックの運転手・・は依頼していた運送屋の従業員であったとしても、毎日、(株)一条工務店の荷物を「一条工務店」と記載したトラックに載せて運んでいた運転手であり、いいかげんな路上に駐車させるのではなく、安心して休める駐車スペースをそこに確保したらどうなのか・・と思ったが、「ええかっこしい」やる為ならカネだしても、そういうのにカネだすのは嫌みたいなのだ。浜松市に300億円の寄付をするカネがあるのなら、つるんつるんの溝がまったくないフォークリフトのそのタイヤくらい、溝のあるタイヤに交換したらどうなんだ。そのタイヤを溝があるタイヤに交換するのに、いったい、いくらかかるよ。浜松市に寄付した300億円の300分の1のそのまた100分の1もあれば交換できるのではないか・・と思うが、「また、『ええかっこしい』やったろ思うてはるう」てのをやるのにはカネ出しても、フォークリフトのつるんつるんの溝がないタイヤを溝があるタイヤに交換するのにカネかけるのは絶対にイヤっ! ・・・というそういう経営者の会社だった。浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友は、そんな経営者というのか、今の社長は銀行から来た人間、『水滸伝』で言うところの盧俊義(ろしゅんぎ)であって住宅建築業としての(株)一条工務店で一線の仕事なんてどの職種もやったことがない人間であり、頭の真上をレッカー車が吊っている吊荷が通る工事現場で働かされた経験もなければ、粉塵が舞う衛生状態が悪い工場で働かされたこともない男であり、何もわかっていない人間で、意図的にそういう男を社長にならせているのであり、浜松市に300億円の寄付をしようと主唱したという大澄賢二郎は(株)一条工務店の社長でなければ会長でも相談役でもない人間なのだが、路上に自社の工場に来るトラックを何台も並べている会社、工場のフォークリフトのタイヤがつるんつるんで溝がないのにそんなタイヤを交換しない会社から、浜松市が寄付をもらっていいのか、浜松市に寄付するのなら、せめて、路上に停めさせているそのトラックの駐車場を確保して、つるんつるんのタイヤのフォークリフトの溝がないタイヤを交換して、それからにしてもらうようにした方がいいということはないのか? そんなこと、ちっとも考えないというのが「思考が柔軟な慶應ボーイ」なのか、そんなことちっとも考えないのが「福沢精神」なのか? そんなことちっとも考えないのが「独立自尊」なのか?
・・・で、その(株)一条工務店の社長はとうに退任したはずの大澄賢二郎が主唱して(株)一条工務店が300億円を寄付するのかしたのかで作るという防潮堤というのは、どこにどのように作るというのだろうか? ・・・と思ってみたのだが、どうも、よくわからない。
もしかして、この海側の土の丘がその人工的に作った「防潮堤」なのか??? ・・どうも、よくわからんなあ・・・。
次回、この海側の土の丘について、及び、この「砂丘」周辺について。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_9.html
(2021.6.30.)
☆ 中田島砂丘(浜松市)見学
1.浜松インターから中田島砂丘へ。遠州灘海浜公園の風車と凧と桜。ダムで砂丘がやせて、テトラポッドで砂流出を防ぐ。「アタマが浜松」思考から抜け出せない人。ガチンコで資格試験に通った者はずるくない。カネで買ったような建築学科卒の者や医科大裏口入学の者がずるい! ダンピング坪単価とテレビ広告で売る浜松営業こそずるい! https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_7.html
2.樹木の生えた丘と土の丘が2列にある。テトラポッドが沖に。労基法違反の会社・脱税経験の会社・安全対策不備の会社から浜松市は寄付金をもらっていいのか? それが「福沢精神」なのか? それが「独立自尊」か?〔今回〕
3.2列の丘。土の丘から見た浜松駅付近。高層ビルをありがたがる精神面がイナカモン。木質系プレハブもコンクリート系プレハブも鉄骨系プレハブと一緒にして建築現場の仮設小屋だと決めつける一条浜松流営業のデタラメをありがたがって聞くのはやめてください。一条の「がばいじいちゃん」(仮名)を見捨てる無慈悲な会社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_9.html
4.海側の丘は砂丘でなく人工の「防潮堤」だった。従業員の賃金をへつったカネが「防潮堤」に化けた。法学部卒の浜松市長鈴木康友さん、それでいいのか?堆砂垣は昔はなかった。ダムで砂丘がやせた。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_1.html
5.陸側の丘に生える松は黒松か赤松か。松丸太梁に使われる松は黒松ではなく赤松の方が良いのか。松杭は今も地盤補強に使われている。条件のいい展示場にばかりいて人の契約横取りして棟数稼ぐ「金田みたいなやつ」たる自称「一条工務店の土台を築いてきた人たち」「MVPメンバー」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_2.html
6.恥知らず「一条堤」碑。従業員の給料削ったカネを寄付する労基法違反の会社を称える浜松市と浜松商工会議所。息子・関連会社社長が女性を刺し殺した件で辞任したはずの社長が平気で顔を出す「一条堤」と平気で受け入れる浜松市長と静岡県知事と浜松商工会議所。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_3.html
7.「防潮堤」は津波対策として河口付近には役に立たないのではないか。両隣の市にはむしろ津波の害を大きくすることはないか。CSG工法とは。自然に広まった名称が「通称」で誰かが決めたような名前は「通称」ではない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_4.html
8.もともと、地元向けで観光用でない中田島砂丘は観光資源としては要らないのではないか。「防潮堤」が海側と陸側に「砂丘」を分けたことの影響。砂丘は保護すべきものか撤去すべきものか。「通称」とは「一条堤」のようなものを言わず、「パリ寮」のようなものを「通称」と言う。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_5.html
9.建物はあっても閑散とした倉松町の(株)一条工務店跡? 木材は潮風にあたると傷むのか? 「当店は丹波産黒豆を使ってます」と丹波産以外も使っているのに言うラーメン屋みたいな建築屋。遠方から来る従業員は遅刻しないのに遅刻してくてふんぞり返る浜松営業。「遠州人だけ得することならどんなことでも『やらまいか』」という「やらまいか精神」による「防潮堤」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_6.html
☆ 静岡県シリーズ
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_2.html
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 大鐘家住宅と相良城跡(静岡県牧之原市〔旧 相良町〕)
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
(6)土蔵・資料館。大鐘家の裏の丘からの眺望。相良城跡と田沼意次。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_6.html

美味しんぼ(104) (ビッグコミックス) - 花咲アキラ, 雁屋哲

美味しんぼ(105) (ビッグコミックス) - 花咲アキラ, 雁屋哲

美味しんぼ (110) (ビッグコミックス) - 雁屋 哲, 花咲 アキラ

美味しんぼ(111) (ビッグコミックス) - 花咲アキラ, 雁屋哲
静岡県浜松市南区中田島町(なかたじまちょう) の遠州灘海浜公園中田島中地区(風車公園)の海側の駐車場に今回は駐車して中田島砂丘に向かいました・・・が、1970年代前半、私は小学校の6年の時、鳥取砂丘に行ったことがあるのですが、中田島砂丘というのは、鳥取砂丘の小型みたいなものかな・・・と思っていくと、あれ? ・・と思うところがあります。
今回は実際に私が進んだ経路に沿って写真は掲載しましょう。



↑ 鳥取砂丘は、砂が堆積した丘が続いていたので砂丘というものはそういうものを言うのだろう・・と思っていたのですが、まず、遠州灘海浜公園中田島中地区(風車公園)の海側を東西に走る道(この道を西の方に行くと、(株)一条工務店の本社と浜松工場があった場所の裏手に至る道)を横断して海側に行くと、↑のような小山が続いていて、松とかの樹木や草が生えているのです。樹木は防風林として植えられたものなのか自然に生えたものなのか、あるいは、植えられたものが後に自然に増えていったものなのか、はっきりしませんが、砂だけが盛り上がった丘ではなく、樹木や草が生えている丘です。しかし、地面を見ると、砂のような土ですから、もしかして、これが中田島砂丘なのお? ・・・と思って登っていきますと海側が開けた高台にでます。 「体力的には20歳より歳いかない、精神的には25歳より老けない」という意識で生きてきたのですが、さすがに、もう「体力的にも精神的にも30歳より老けない」くらいでいいかな・・なんて思うようになりましたが、こういう丘を登るとなると、登ったからといってカネもらえるわけでもないしなああ~あ・・とか思い出します・・というのは、それだけ、歳いったのかな。若い頃なら「この足で登る姿勢こそ私の生き様だあ」とか思ったものでしたが、なんか、「もういいよ」みたいな気持ちになりかけ・・ということは、情けないけれども、その分だけ歳いったということか・・もしれん。

↑ 東の方。 左側(陸側)に樹木が生えている丘があって、右側(海側)に土だけの丘が見えます。
ありぁ? 遠州灘海浜公園中田島中地区(風車公園)のすぐ南側(海側)の道路の海側に樹木や草が生えている丘があったと思ったら、その丘を登っていくと、それより海側が低くなっていて、その盆地状になった所から海側に、もうひとつ、砂というのか土と言うのかの丘がある。 中田島砂丘というのは「丘」が2列あるのかあ?

↑ 南東の方。
・・その2列ある丘の陸側の方は土の質は砂系の土だけれども樹木や草が生えているのに対して、海側の丘は鳥取砂丘に行った時に見た砂と比べると「土」に近いようにも思うが「砂」みたいな土でできていて樹木や草は生えていない。この海側のものを「中田島砂丘」と言うのか、それとも、陸側の樹木や草が生えている丘と海側の樹木や草は生えていない丘と両方を中田島砂丘と言うのか?
・・・で、海側は砂系の土で盛り上がった丘だが、踏んでみると、ぼそぼそお~っと地中に引きずり込まれるような感じでもないので、又、「中田島砂丘入口」交差点の正面の入口から入ってきた続きの経路で、海側の丘を登る道が設けられているので、歩いて登ってみようと考えた。
「中田島砂丘」という横書きの石碑がある場所から入ってくると、↓ の位置に来ます。

( ↑ 正面の土の丘が、海側の丘。)
もっとも、「単に土の丘を登るだけ」というのは「コストと利益を比較考量して」考えて、あんまり利益がないような感じがしないでもないので、ここで帰ろうかともふと思ったが、やはり、太平洋をひと目、見てからでないと帰れないと思い、土の丘を登った。
すると、土の丘の上からは、↓

( ↑ 海側の土の丘の上から東の方を見たもの。 土の丘の上が平(たいら)にならされている。 右端に太平洋の海が見える。)
↑ こちらの丘からは太平洋の海が見える(^^♪ ・・・けれども、見えたからにはその海辺まで行ってみたい気もしないことはない・・というよりも、たいていの人間はそう考えるのではないかと思うが、しかし、ここまで来るだけでも、土の丘を、うんせうんせうんせうんせ・・とけっこう大変な思いをして登ってきたのであり、ここからまだ海の水がある場所まではけっこうありそうな感じで・・とか思っていると、私よりいくらか年上と思われる夫婦が、「あそこまで行こうか」「ええ、行くのお?」「そうだなあ。行くと、また、これを登って戻ってこなきゃならないからなあ」とかいう会話をしていて・・そして、その2人は海辺まで行くのを断念したようだった。
たしかに、これを降って海辺まで行ったとすると、また、これを登ってこなければならないわけで、行っても、そこにあるのは海の水と砂だけだ・・というのはここから見て十分にわかる・・と考えると、「コストと利益を比較考量して」考えて、コストを利益が上回らない・・と判断する人が多いのではないか・・な。
西の方、丘の延長上あたりに見える高い煙突は馬込川の東岸の南部清掃工場でしょう。
この丘の上に登ると、馬込川が見えて、さらにその東の天竜川まで見えるか・・と思ったら、天竜川どころか馬込川も見えません。

↑ 南西側。
南西側の一部分を拡大すると・・↓

↑ 中田島砂丘というのは、天竜川などの河川が太平洋に押し流した砂が太平洋の波で打ち上げられてできた砂丘だ・・という割には、テトラポッドが並べられているのです。 この位置から西側はこの1か所ですが、『県別マップル 静岡県道路地図』(2020.6月 4版。昭文社)を見ると、馬込川から東、天竜川から西の区域、浜松市南区江之島町・福島町(ふくしまちょう)・西島町(にしじまちょう)松島町には、テトラポッドが何か所もに設置されており、地図を見ただけでも異様な感じがします。
↑ テトラポッドが並んでいる部分とそうでない部分を交互に設けているのですが、テトラポッドの後ろの部分には砂浜があり、テトラポッドがない部分は砂浜が削られています。
かつては自然に砂丘までできた所が、今ではテトラポッドで守らないと砂浜が守れないような状態になってきているということか・・・。
ヤフー地図・グーグル地図などの航空写真のものを見ると、馬込川から東側だけではなく、↑の写真を撮影した位置より西側にも、何か所もにテトラポッドが設置されて波を防いでいる所が見られます。
中田島砂丘ほか、浜松市の太平洋岸はアカウミガメの産卵地として知られる・・・が、最近、砂浜をオフロードカーで走るヤカラがいて、そのオフロードカーのワダチを産まれた直後のアカウミガメが超えることができずに海にたどり着けず、アカウミガメの繁殖に支障がでている・・といった記事をいつだったか見た記憶があります。な~にもこんな場所でオフロードカーなんて走らさなくても・・というよりも、こういう場所はそういったオフロードカーを走らせるのではなく、おのれの足で歩くものではないのか・・・と私などは思いますけれどもねえ・・。
浜松市南区倉松町4040 の(株)一条工務店があった場所のすぐ南側にも太平洋が広がっていて、↓
↑ (株)一条工務店の本社や浜松工場には仕事で何度も行ったのですが、すぐそばが海ならば、一度くらいは、どんな感じの場所か見に行きたい、見に行かせてほしいと思ったものでしたが、泊りがけでの研修で同地に行った時も、研修が終わったなら、その後、本社と浜松工場の周囲をひと回りするくらいさせてもらっても悪くないのではないかと思ったのですが、即座にタクシーを呼ばれて相乗りさせられて浜松駅まで行かされましたが、何か見られて困るようなものでもあったのでしょうか。

↑ これはカメラの望遠機能を使って撮影したものですが、テトラポッドは西側にも設置されています。
陸側の樹木や草が生えている丘と海側の土だけの丘とがあって、海側の土だけの丘から海の方を見ると ↓

↑ 丘から海側の下の方に降りて行った人もいて、波打ち際まで行った人もいるのが見えていますが、そこまで行ってみようか・・とも思うことは思ったのですが、近くにいた比較的年配の夫婦が「あそこまで行ってみる?」「行くと、また、ここまで登ってこないといかんからなあ」と会話していたのが聞こえたように、波打ち際まで行っても、そこから今度はこの土の丘を登ってこないといけないので、「今回は、いいや」ということにしました。
(株)一条工務店 の初代社長にして、1996年にドバカ息子が女性を刃物で百カ所以上刺して殺して刑務所に入った際に、責任をとったようなふりをして社長を退任した、社長を退任して会長になったわけでもなく相談役になったわけでもなく、特に役職についたわけでもない大澄賢二郎が主唱した・・として、(株)一条工務店が300億円の寄付を浜松市にして「防潮堤」を作る・・という話がインターネット上に出ていて、それを見て「一条工務店てたいしたもんですねえ」などと言う者がおり、「一条工務店の社長てすごいですねえ」などという者もいたのだが、大澄賢二郎は「一条工務店の社長」ではないはずで、実際に仕事をしていないドバカ息子を関連会社の(株)日信 の社長にならせていたところ、その関連会社の社長が女性を刺し殺して刑務所に入りよった・・ということで責任を取ったような形で社長を退いた・・・という人であるからには、会社の運営に社長を退いた男が口出すのは理屈からいくとおかしいはずであり、インターネット上の記事で””美談””みたいに書いている人間というのは、なぜ、そのあたりを書かないのか・・マカ不思議である。「一条工務店の社長てすごいですねえ」などと言うおめでたい人がいますが、だいたい、大澄賢二郎て、その人は社長と違うでしょうが。
大澄賢二郎は『水滸伝』が好きらしく、1990年代前半から半ばまでは「梁山泊の精神」などと言っていたのだが、1996年8月に大澄賢二郎の息子で関連会社の(株)日信 の社長になっていた大澄隆史(男。当時、20代)が、かつてつきあっていて同棲していたこともある浜松市在住でピアノ講師をやっていた女性を刃物で刺し殺して官憲に追われ逃げたものの、高速道路のカメラに写っていたらしく、懲役20年の判決を受けて刑務所に入って以来、「梁山泊の精神」とは言わなくなった。・・そりぁ、言わなくなるだろう。なにしろ、『水滸伝』に登場する「梁山泊」の3代目首領の呼保義 宋江(こほうぎ そうこう)というのはどういう男かというと、「刃物で女を刺し殺し、官憲に追われ逃げる」ということをやった男であり、まさに大澄賢二郎のドバカ息子そのまんま・・・だからだ。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
《 呼保義(こほうぎ) 宋江(そうこう)
百八星の頂点に立つ三代目梁山泊首領。宋家村(そうかそん)の出身で、鄆城県(うんじょうけん)では押司(おうし)(上級書紀)を勤めていた。色黒で身長六尺(約144cm)と風采は冴えず、槍棒を好むが腕前は十人並、策を立てても敵に見破られる等々、眼を見張るようなとりえがないのだが、なぜか人望だけは高い。なにしろ「宋江」の名を出すだけで、好漢たちは水戸黄門の印籠よろしく平伏し、宋江を「兄者」と敬うのだ。しかも神仙まで宋江には協力的で、九天玄女(きゅうてんげんじょ)から三巻の天書と四句の天言を授かっている(まあ、このアイテムはあまり役立っていないのだが)。
しかし、本当に宋江が大徳の持ち主かというと、ちょっと疑問だ。梁山泊とのつながりを材料に妾の閻婆惜(えんばしゃく)に脅迫されると、かっとなって彼女を殺害。その逃亡中に散々お世話になっておきながら、清風山の頭になることや梁山泊入りを「山賊は嫌だ」とばかりに拒み、恩赦によって罪が減じられるとあっさり自首を選ぶ。好漢を仲間に入れるために悪どい策略を使っても罪の意識をそれほど見せず、晁蓋の死後に梁山泊の首領になると他の好漢の不満を押し切って朝廷への帰順を決定。この結果、梁山泊は朝廷の駒としていいように使われ、遼、田虎(でんこ)、王慶(おうけい)、方臘(ほうろう)を討伐することになる。
こんな人物が首領でいいの? と思わなくもないが、・・・》
(超音速 編『水滸伝の108人がよくわかる本』2009.4.20. ぶんか社文庫 ↓ )

水滸伝の108人がよくわかる本 (ぶんか社文庫 ち 2-1) - 超音速
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
又、1990年代半ばまでは「パブリシティ広告」という冊子を作成してお客様に渡していたのだが、それは、住宅関係の業界新聞などに(株)一条工務店に関係する記事が載った・・のか載せてもらったのかのものとか、「まんどころ」なんとかさんという女性がなんとかマラソンという長距離走るのを「応援」した、要するに、いくらかお金を出してあげるかわりに「一条工務店」と書いた服を着て走る・・というその女性を扱った「フライデー」の記事とか、パリ-ダカール ラリーというパリからダカールまで自動車で走るレースに取引があったらしいフランスの家具屋のおっさんが参加するのに「協賛」、これもいくらかお金を出すことでそのクルマの車体に「一条工務店」と入れるということをやっていた、そのパリ-ダカール ラリーの記事がやっぱり「フライデー」だったか何だったかに掲載されたものとか、そういったものを集めた冊子を作成してお客様に渡していたのだが、まるまる宣伝・広告として作成したものではないとはいえ、業界紙に載ったというのか載せたというのかの記事なんて、半分広告みたいなもの・・であったとしても、お客様よりも従業員が読むとけっこう仕事をする上に理解が深まる内容のものもあったのですが、1996年8月にドバカ息子が女性を刺し殺して以来、「パブリィティ広告」集の冊子の発行はなくなりました。そりぁ、そうだよなあ。そのまま、発行を続けたなら、ドバカ息子が女性を刺し殺した「週刊朝日」や「アサヒ芸能」の記事はなぜ載せない? ・・ということになるもんなあ。発行できないよなあ。まあ、それまででも、1993年9月に福島県いわき市草木台の(株)一条工務店の工事現場で屋根屋が墜落して頭部を打撲して死亡した・・という「いわき民報」に掲載された記事なんてのは載せずに「スルー」してたけれども・・。
それで・・・、大澄賢二郎は『水滸伝』の話が好きだというだけあって、その中に出てくる「梁山泊」の3代目首領の宋江(そうこう)などのやり口を真似ることがある。梁山泊は初代は王倫という男だったが、晁蓋(ちょうがい)らが梁山泊に入ろうとした時、林冲(りんちゅう)らによって殺されて、2代目首領にその晁蓋がなり、『水滸伝』の話はそこからなのだけれども、2代目首領は晁蓋(ちょうがい)とはいえ、実質的には宋江(そうこう)が運営していたようなもので、晁蓋が戦さの最中に矢に倒れた後には、宋江が首領になったらどうかと言われても、あえて、盧俊義(ろしゅんぎ)という男を他から呼んで来て首領にならそうとする。そうやって、自分はトップに意図的にならずに、影武者みたいのを立てて、責任を問われる時には影武者に責任をとらせて、運営は自分が実権を握っておこなう・・というやり口。そういうのをやりたいみたいだったのだ。だから、最初は、大澄賢二郎が社長であったにもかかわらず、「専務」などと名のり、1996年8月にドバカ息子が女性を刺し殺した跡は、「社長を退きました」ということにして、「竹馬の友」だというそれまで業務推進室長だった山本庄一を名目上、社長にならせ、山本庄一はそれを理解しているものだから、所長会議でも「社長」の山本庄一は議長みたいなもので譜代の所長の方がえらそうにしていたそうで、各営業所に送られてくる通達でも、「社長 山本庄一」とか「代表取締役 山本庄一」とか書かずに「業務推進室 山本庄一」なんて記名して、なんじゃこりぁ・・て感じだったが、そのうち、大澄賢二郎と同年齢の山本庄一がけっこう高齢になると、今度は銀行から人を呼んできて社長にならせて。まさに「梁山泊の精神」というのか、なんか、やることが「呼保義 宋江」そのまんま・・・( 一一) そういえば、白土三平『ワタリ』でも、伊賀と甲賀の争いで、実はトップの「ゼロの忍者」というのは二番目の音羽の城戸(おとわのじょうこ)からマインドコントロールを受けていた者で、伊賀と甲賀の両方の二番目を音羽の城戸が別の名前で勤めていて、両方の下っ端をあおって争わせることで自分の地位を守っていた・・という話だが、なんか、日本の会社でもありそうな感じの話・・・だが・・。意図的にトップにならずに、トップには「影武者」というのか「操り人形」というのかを立てて、責任を問われる時にはそいつに責任とらせて、実際には自分が支配する・・という『ワタリ』の音羽の城戸(おとわのじょうこ)かそれとも『水滸伝』の宋江か・・・、それにプラスして「ええかっこしい」やりたい時には自分が出てくる・・みたいなことをやりたいみたいだった・・・が、なんか、せこいやっちゃなあ、なんか、しみったれたやり口やなあ・・( 一一)

白土三平選集 13 ワタリ 1 (白土三平選集 新装版 13) - 白土 三平
「初代社長の大澄賢二郎氏の主唱により」「(株)一条工務店が300億円の寄付を浜松市におこなって」とかそういった記事を書いているライターというのは、まるで、大澄賢二郎が浜松市に寄付するみたいな書き方だったのだが、なんというのか、「また、『ええかっこしいやったろ』思うてはるう」というのを大澄賢二郎がやりだしたわけだが、そのカネは誰のカネなのか?
「大澄賢二郎が主唱して(株)一条工務店が寄付する」ということからしておかしいのだが、浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友が大絶賛・大喜びしていたのだが、労基法違反の札付き会社から行政が寄付をもらっていいのか? 少し前に国税局から脱税で取り締まりを受けて多額の追徴金を支払ったことのある会社から、行政が寄付金なんてもらっていいのか? 慶應大ア法学部卒の鈴木康友はそのあたりについて、少しでも考えたことあるのか??? もしかして、そんなこと、ぜ~んぜん考えない・・という態度のことを「福沢精神」とか「独立自尊」とか言うのか? もしかして「自我が確立されている」とか言うのか? そういう態度のことを「アイデンティティーを持っている」とか言うのか??? 「ギャルにもてもて」とか言うのか???
福沢諭吉は『痩せ我慢の説』という著作を書いているが(『日本の名著 福沢諭吉』中公バックス 所収)、それは、明治維新により政権をうしなった徳川家の家臣であった勝海舟と榎本武揚が、徳川家の政権を滅ぼした明治維新政府で高い役職につかせてもらっているということについて、あまりにも節操がないのではないかと批判し、この『痩せ我慢の説』という書を勝海舟と榎本武揚の2名に送りつけて返答を求めるとともに、書物として出版したというもので、勝海舟・榎本武揚の2名からは、結局、返答はなかったらしい。慶應大学ア法学部卒で浜松市長の鈴木康友は、少し前に脱税で多額の追徴金を支払ったという会社から多額の寄付を浜松市がもらっていいのか? 労基法違反の札付き会社から浜松市が多額の寄付金をもらっていいのか? そのカネは従業員・元従業員に払っておくべきものを払わずに貯め込んだカネの一部と違うのか? 1996年9月に福島県いわき市草木台の(株)一条工務店の工事現場で屋根屋が墜落して頭部を打撲して死亡したが、その時にどういう状況だったかにかかわらず、(株)一条工務店が工事現場全般において安全対策不備であったのは明らかであり、浜松市に寄付するというそのカネは安全対策にかけておくべき費用をかけずに貯め込んだカネの一部ではないのか? 浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友、そういう会社から行政が寄付をもらっていいのかどうか・・、福沢諭吉『痩せ我慢の説』でも読んで考えてみたか? 鈴木康友は福沢諭吉『痩せ我慢の説』を読んだことがあるか? おそらく、ないだろう。そんなこと、ちっとも考えないのがそれが「慶應ボーイらしいスマートさ」「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか、それが「福沢精神」とか「独立自尊」とか考えていたのではないか。

日本の名著 (33) 福沢諭吉 (中公バックス) - 福沢 諭吉, 永井 道雄
東名高速道路・新東名高速道路を夜間、走ると箱型トラックが大変多く、乗用車で走ると前が見えなくてものすごく運転しにくい。サービスエリア・パーキングエリアでは、夜間は普通乗用車のエリアはすいていて、トラックなど大型車のエリアは混んでおり、サービスエリア・パーキングエリアへ入る減速車線・サービスエリア・パーキングエリアから出る加速車線に駐車しているトラックがしばしばある。サービスエリア・パーキングエリアに入る減速車線はまだいいが、サービスエリア・パーキングエリアから高速道路の本線に出る加速車線に停められると、通ることは通れても、左側を気にして徐行して通らないといけないので、本来、そこで加速して本線に入る所で徐行したのでは十分に加速できない状態で本線に入ることになり、又、左側を気にして徐行した上で右側の本線に入るとなると、右後方のクルマを十分に見ることがしにくくなり、大変危険なのでサービスエリア・パーキングエリアから高速道路に出る加速車線に駐車するのは特に避けてほしい。加速車線に停めるくらいなら、もしも、大型のエリアが混んでいて場所がないなら、夜間は小型車のエリアなどはすいているのだから、そういう場所に停めた方がましだと思う。2002年、 (株)一条工務店の工場部門 (株)日本産業の山梨県上野原市の「西東京工場」では、そこに搬入するトラック、搬出するトラックの駐車場所を十分に確保していないために、(株)一条工務店・(株)日本産業の工場に来るトラックが路上に大量に並んでいた。上野原の工業団地に工場を持っている会社で、そのようなことをしていた会社は(株)一条工務店・(株)日本産業だけであった。他の会社の工場は自分の所の工場に来るトラックの駐車場所も含めて敷地を確保していたのに対して、(株)一条工務店・(株)日本産業だけは自社の工場に来るトラックの駐車場所は路上としていたが、たとえ、その道路に駐車禁止の標識が立っていなかったとしても、日常的に道路に駐車させるというそういうマナーに反する態度はいただけない。 又、(株)一条工務店・(株)日本産業の上野原市の「西東京工場」では、ツルンツルンの溝がまったくないタイヤのフォークリフトを使用させており、そんな車検に通らないのではないか・・という感じのフォークリフトに「ISO9001 対象車」とでっかく書かれたシールが貼られていた。「ISO」て、もしかして「いいかげんそう」の略と違うのか・・て感じやった。又、工場の入口の脇、道路上に駐車している(株)一条工務店・(株)日本産業のトラックの背後に「ISO9001 取得工場」とでっかく書かれた看板が建てられた。そんな看板、建てるカネがあるなら、そのカネで、その前のトラックを駐車させる地べたを買ったらどうなんだい?・・と私は思ったし、そう考えるのが当然だと思うのだが、(株)一条工務店・(株)日本産業の経営者は、””路上駐車のトラックの背後に「ISO9001 取得工場」とでっかく書いた看板を建てたいシンドローム”” だったようだ。その態度、そういう姿勢はもはや「病的」だった。 ””浜松市に300億円の寄付をして「ええかっこしい」やっても、片方でつるんつるんの溝がまったくないフォークリフトのタイヤを溝があるタイヤに交換するカネは絶対に出してたまるか症候群”” のビョーキの会社だった。病根は相当深く、このビョーキは簡単には治らない。
(株)一条工務店・(株)日本産業の上野原市の「西東京工場」の隣の土地は空いていた。浜松市に300億円の寄付をするカネがあるのなら、その300分の1 以下のカネで隣の土地を購入することはできたと思う。隣の土地を購入して、生えている雑草を伐根伐採して砂利入れするくらい、たいした金額はかからないと思うのだ。浜松市に寄付したという300億円の300分の1以下でできたはずだ。(株)一条工務店・(株)日本産業の上野原市の「西東京工場」に来ていたトラックをそこに停めさせて、トラックの運転手・・は依頼していた運送屋の従業員であったとしても、毎日、(株)一条工務店の荷物を「一条工務店」と記載したトラックに載せて運んでいた運転手であり、いいかげんな路上に駐車させるのではなく、安心して休める駐車スペースをそこに確保したらどうなのか・・と思ったが、「ええかっこしい」やる為ならカネだしても、そういうのにカネだすのは嫌みたいなのだ。浜松市に300億円の寄付をするカネがあるのなら、つるんつるんの溝がまったくないフォークリフトのそのタイヤくらい、溝のあるタイヤに交換したらどうなんだ。そのタイヤを溝があるタイヤに交換するのに、いったい、いくらかかるよ。浜松市に寄付した300億円の300分の1のそのまた100分の1もあれば交換できるのではないか・・と思うが、「また、『ええかっこしい』やったろ思うてはるう」てのをやるのにはカネ出しても、フォークリフトのつるんつるんの溝がないタイヤを溝があるタイヤに交換するのにカネかけるのは絶対にイヤっ! ・・・というそういう経営者の会社だった。浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友は、そんな経営者というのか、今の社長は銀行から来た人間、『水滸伝』で言うところの盧俊義(ろしゅんぎ)であって住宅建築業としての(株)一条工務店で一線の仕事なんてどの職種もやったことがない人間であり、頭の真上をレッカー車が吊っている吊荷が通る工事現場で働かされた経験もなければ、粉塵が舞う衛生状態が悪い工場で働かされたこともない男であり、何もわかっていない人間で、意図的にそういう男を社長にならせているのであり、浜松市に300億円の寄付をしようと主唱したという大澄賢二郎は(株)一条工務店の社長でなければ会長でも相談役でもない人間なのだが、路上に自社の工場に来るトラックを何台も並べている会社、工場のフォークリフトのタイヤがつるんつるんで溝がないのにそんなタイヤを交換しない会社から、浜松市が寄付をもらっていいのか、浜松市に寄付するのなら、せめて、路上に停めさせているそのトラックの駐車場を確保して、つるんつるんのタイヤのフォークリフトの溝がないタイヤを交換して、それからにしてもらうようにした方がいいということはないのか? そんなこと、ちっとも考えないというのが「思考が柔軟な慶應ボーイ」なのか、そんなことちっとも考えないのが「福沢精神」なのか? そんなことちっとも考えないのが「独立自尊」なのか?
・・・で、その(株)一条工務店の社長はとうに退任したはずの大澄賢二郎が主唱して(株)一条工務店が300億円を寄付するのかしたのかで作るという防潮堤というのは、どこにどのように作るというのだろうか? ・・・と思ってみたのだが、どうも、よくわからない。
もしかして、この海側の土の丘がその人工的に作った「防潮堤」なのか??? ・・どうも、よくわからんなあ・・・。
次回、この海側の土の丘について、及び、この「砂丘」周辺について。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_9.html
(2021.6.30.)
☆ 中田島砂丘(浜松市)見学
1.浜松インターから中田島砂丘へ。遠州灘海浜公園の風車と凧と桜。ダムで砂丘がやせて、テトラポッドで砂流出を防ぐ。「アタマが浜松」思考から抜け出せない人。ガチンコで資格試験に通った者はずるくない。カネで買ったような建築学科卒の者や医科大裏口入学の者がずるい! ダンピング坪単価とテレビ広告で売る浜松営業こそずるい! https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_7.html
2.樹木の生えた丘と土の丘が2列にある。テトラポッドが沖に。労基法違反の会社・脱税経験の会社・安全対策不備の会社から浜松市は寄付金をもらっていいのか? それが「福沢精神」なのか? それが「独立自尊」か?〔今回〕
3.2列の丘。土の丘から見た浜松駅付近。高層ビルをありがたがる精神面がイナカモン。木質系プレハブもコンクリート系プレハブも鉄骨系プレハブと一緒にして建築現場の仮設小屋だと決めつける一条浜松流営業のデタラメをありがたがって聞くのはやめてください。一条の「がばいじいちゃん」(仮名)を見捨てる無慈悲な会社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_9.html
4.海側の丘は砂丘でなく人工の「防潮堤」だった。従業員の賃金をへつったカネが「防潮堤」に化けた。法学部卒の浜松市長鈴木康友さん、それでいいのか?堆砂垣は昔はなかった。ダムで砂丘がやせた。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_1.html
5.陸側の丘に生える松は黒松か赤松か。松丸太梁に使われる松は黒松ではなく赤松の方が良いのか。松杭は今も地盤補強に使われている。条件のいい展示場にばかりいて人の契約横取りして棟数稼ぐ「金田みたいなやつ」たる自称「一条工務店の土台を築いてきた人たち」「MVPメンバー」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_2.html
6.恥知らず「一条堤」碑。従業員の給料削ったカネを寄付する労基法違反の会社を称える浜松市と浜松商工会議所。息子・関連会社社長が女性を刺し殺した件で辞任したはずの社長が平気で顔を出す「一条堤」と平気で受け入れる浜松市長と静岡県知事と浜松商工会議所。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_3.html
7.「防潮堤」は津波対策として河口付近には役に立たないのではないか。両隣の市にはむしろ津波の害を大きくすることはないか。CSG工法とは。自然に広まった名称が「通称」で誰かが決めたような名前は「通称」ではない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_4.html
8.もともと、地元向けで観光用でない中田島砂丘は観光資源としては要らないのではないか。「防潮堤」が海側と陸側に「砂丘」を分けたことの影響。砂丘は保護すべきものか撤去すべきものか。「通称」とは「一条堤」のようなものを言わず、「パリ寮」のようなものを「通称」と言う。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_5.html
9.建物はあっても閑散とした倉松町の(株)一条工務店跡? 木材は潮風にあたると傷むのか? 「当店は丹波産黒豆を使ってます」と丹波産以外も使っているのに言うラーメン屋みたいな建築屋。遠方から来る従業員は遅刻しないのに遅刻してくてふんぞり返る浜松営業。「遠州人だけ得することならどんなことでも『やらまいか』」という「やらまいか精神」による「防潮堤」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_6.html
☆ 静岡県シリーズ
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_2.html
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 大鐘家住宅と相良城跡(静岡県牧之原市〔旧 相良町〕)
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
(6)土蔵・資料館。大鐘家の裏の丘からの眺望。相良城跡と田沼意次。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_6.html

美味しんぼ(104) (ビッグコミックス) - 花咲アキラ, 雁屋哲

美味しんぼ(105) (ビッグコミックス) - 花咲アキラ, 雁屋哲

美味しんぼ (110) (ビッグコミックス) - 雁屋 哲, 花咲 アキラ

美味しんぼ(111) (ビッグコミックス) - 花咲アキラ, 雁屋哲
この記事へのコメント