中田島砂丘【7/9】「防潮堤」は津波対策として河口付近には役に立たないのではないか。両隣の市にはむしろ津波の害を大きくすることはないか。CSG工法とは。自然に広まった名称が「通称」で誰かが決めたような名前は「通称」ではない。

[第861回]
  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ が「防潮堤」の費用だといって浜松市に300億円の「寄付」を申し出た・・・というが、「初代社長」「創業者」の大澄賢次郎が個人として「寄付」したいというのなら大澄賢二郎が「主唱して」でもいいが、「(株)一条工務店が」であれば「寄付」を申し出るにしても現 社長・・というより代表者である代表取締役が「主唱して」言うべきものであって、「寄付を申し出る」時点においては、社長ではなく会長でもなく相談役でも何でもない人で、(株)一条工務店の大株主でもないという立場の大澄賢次郎が申し出るというのは、それはどう考えてもおかしい!
  (株)一条工務店の社長でも会長でも相談役でもなく、代表者である代表取締役ではない人で「(株)一条工務店の大株主」ですらない人から「(株)一条工務店が300億円の寄付をしたい」と申し出を受けたとして大喜びした浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友、大絶賛した静岡家知事の川勝平太の2名、それを変だとも思わずに大喜び・大絶賛して受けるというその自分たちの態度をおかしいと思わないというのは、これは市長・知事の態度として絶対におかしい!!!  川勝平太は熱海市の「土石流」による被害について、「盛土」した業者やその時の土地の所有者の責任を問うようなことを言っているけれども、そういったことをさせていて防止できなかった静岡県の責任というものもきっちりと問うようにした方がいいと思う。
   (株)一条工務店の「初代社長」の大澄賢次郎という人は1996年の9月頃に「社長を辞任した」はずの人であり、社長を辞任して会長とか相談役とかいった役職に変わったのではなく、「社長を退いた」だけで他の役職にはつかなかった人である。それも、単に「退いた」のではなく、バカ息子で(株)一条工務店の「関連会社」というのか「グループ会社」というのかの(株)日信 の社長になっていた大澄隆史(男。当時、20代)が同棲していたこともある浜松市在住の女性を刃物で刺し殺して懲役20年の実刑判決を受けたということについて、自分にペナルティーを課すという形で「社長を退いた」はずであり、実際にはその後も会社に顔を出して、社長でも会長でも相談役でも何でもない人間のはずなのに、ヒラの上くらいの一般従業員に向かって「〇日までに▽棟は契約取ってもらわないと困る」とかそういった発言をしていたらしく、「社長を退いた」人間が口にすることではないはずの文句を口にしていたらしいが、それにしても、ともかく「今後は表には出ない」ということを自分に対するペナルティーとして課したはずであった・・にもかかわらず、それから15年ほどしか経っていない、バカ息子はまだ刑務所にいるはずの時期に、「(株)一条工務店の初代社長の大澄賢次郎氏の主唱により(株)一条工務店が防潮堤の費用として浜松市に300億円の寄付を申し出た」などと言い出し、それを浜松市長の鈴木康友と静岡県知事の川勝平太が大絶賛した記事がインターネット上にも大量に出たが、自分自身にペナルティーを課したはずの男が、そのペナルティーを平気で反故にするような態度・行為を取ったわけであり、浜松市長の鈴木康友と静岡県知事の川勝平太がそれに同調したというのは、その態度は市長や知事の態度としてはおかしい!
  さらには「大澄賢次郎は男でござる」なんて文句までインターネット上に出ていたが、「大澄賢次郎は男でござる」などという文句をインターネット上に入れた人というのは「やらせ」の可能性が十分考えられるけれども、そのカネは大澄賢二郎が昼も夜も滅私奉公して働いて貯めたカネではなく(株)一条工務店の従業員・元従業員に安月給で労基法違反の長時間労働・時間外無賃労働をさせて貯め込んだカネの一部分であり、そんなカネを行政が受け取るということが何よりおかしいはず!! ・・であり、「男でござる」というのは大澄賢二郎ではないはずであり、よくもまあ、そんな恥知らずな文句をインターネット上に入れることができるもんだとあきれた( 一一)
  (株)一条工務店が浜松市に300億円の「寄付」をしたというのを大澄賢二郎は「お世話になった浜松市に恩返しをしたい」などと言ったようだが、その言い方では浜松市以外の市町村・都道府県には世話になっていないみたいな言い方だ。「神のものは神に返せ。カイザル(皇帝)のものはカイザル(皇帝)に返せ」というイエスの言葉が『新約聖書』「福音書」にもあるが、「浜松のものは浜松に返せ、浜松以外のものは浜松以外に返せ」と考えるべきで、浜松市から得た利益からの「恩返し」なら浜松市に、浜松市以外から得た利益の「恩返し」なら浜松市以外にするべきものであろう。ほとんど浜松市だけから利益を得ている企業が浜松市にだけ「恩返し」をするのならわかるが、全国から利益を得ている会社が浜松市にのみ「恩返し」をするというのは理屈が通らない。 浜松市以外から得た利益から浜松市に「恩返し」をさせる浜松市というのは、いったい何者なんだ。浜松市というのは泥棒か!?!
  もし、上場している会社ならば、浜松市に300億円も寄付をするカネがあるなら、配当金として支払え・・という話になるところだとインターネット上で書いていた人がいたが実際そうだろう。それとともに、労働組合がある会社なら、そんなカネがあるならもうちょっとまともな給料を払え!・・ということになるはずだ。 そもそも、(株)一条工務店は片方で求人広告を出しながら片方で従業員を辞めさせてきた会社であり、日本の労働法では整理解雇として、従業員の数を減らさないと会社を運営できないという場合に解雇することは認められているが、片方で求人募集を出している会社が片方で従業員を解雇するということは認められていないことであり、そういう違法なことをやることで、従業員の給与基準を引き下げることにより「利益」を得て、その結果、1995年、脱税で100億円の追徴金を国税局から取られた時には、大澄賢次郎が「100億円なんて何ともない。一条工務店にはカネみたいなもん、あり余ってる」などと発言したような状況になっていたのであり(「カネみたいなもん、あり余ってる」のならもうちょっと給料払えば良さそうなものだが、給料払う時になると「そんなこと言っても、カネないのに払えるわけないだろうが」などと言い出す不思議!)、そうやって労働法上違法なことをやって貯め込んだカネを浜松市「寄付」などして良いのか。浜松市はそんな「寄付」を受けて良いのか? 従業員を辞めさせている会社に行政に「寄付」する権利などないはずではないか! それほど前でもない時期に脱税で多額の追徴金を支払ったことがある会社から行政が多額の寄付をもらうなどということをして良いのか?・・なぜ、行政はそんな「寄付」を受けるのか!?! おかしいではないか・・・ということを(株)一条工務店と浜松市はやっていたのである。

  それだけではなく、そもそも、この「防潮堤」というものだが、役に立つのか???
・・・どう思いますか? 役に立つと思いますか???

  まず、観光資源として役に立つのか? ・・という点。
本当に大地震が発生して津波がこの地域に押し寄せたという場合に役に立つのか?・・・という点。
自然環境保護という点から考えて、プラスになるのかマイナスになるのか?・・という点を考えてみたい。
現地の看板を見ると、浜松市の企業で(株)一条工務店の他にも「寄付」をした企業があるようで、それと別に自治会でも「寄付」をした自治会があるらしいのだが、大澄賢次郎としては「愛と知と力のパフォーマンス」をやりたかった♪ 「また『ええかっこしい』やったろ思うてはるう( 一一)」てのをやりたかった・・のであって、「ええかっこしい」に役立てば、「防潮堤」が津波に役立たなくても、この少し西の浜松市南区倉松町4040 にあった(株)一条工務店の浜松工場と「本社」は浜松市でも内陸部に引越したのだから、別にこの地域に津波の被害があってもいっこうにかまわない・・という立場だから、津波対策として役立たなくてもいっこうにかまわんはずだが、自治会の会員としては役に立たないようなものにカネ払わさせられるのはたまったものではないはずだ・・・が、どうも、役立ちそうに思えないものに出しているように思えてしかたがない。
  大澄賢二郎のドバカ息子は浜松市在住の女性を刃物で刺し殺し、父親の方の大澄賢次郎は安全対策不備で建築現場の作業員を殺しているのだが、今度は役に立ちもしない「防潮堤」を作ることで、そんなものができたから安全だとこの地域の住民を誤解させることで、この地域の住民を殺す・・・ということにならないか・・・、どうも、不安を感じる。
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↑ これが「中田島砂丘」なのか、1970年代初め、私が小学生の時に行った鳥取砂丘に比べると、「砂丘」というわりには砂の丘ではなく土の丘みたいな感じがするが・・・と思っていたら、どうも、これは「中田島砂丘」ではなく(株)一条工務店が従業員・元従業員に払っておくべきカネを払わずに貯め込んだものの一部を浜松市に「寄付」をして、浜松市がそんなものを受け取って作ったという「防潮堤」らしいのだ。
  そして、この「防潮堤」の海側の↓
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↑ この砂の広場と、「防潮堤」の陸側の ↓
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↑ この砂の広場がもともとの「中田島砂丘」であって、「防潮堤」によってもともとの「中田島砂丘」が2つに分断されたらしい。

( ↑ 中田島砂丘と馬込川河口。 )

  その「防潮堤」の構造だが、北東側にある遠州灘海浜公園中田島中地区(風車公園)の南西のカドに公園側を向けてではなく南西側(交差点側)を向けて「一条堤」と彫られた横書きの石碑が設置されていて、その両側に、(株)一条工務店の他に寄附したらしい会社の名称と自治会の名前がずらずらと書き連ねられていて、↓
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どうも、よくわからんところだが、(株)一条工務店は浜松市に「寄付」したはずなのに、「一条堤」と横書きにされた石碑は裏面を見ると、↓
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↑ 「浜松商工会議所」と彫られており、(株)一条工務店が従業員・元従業員に払っておくべきカネを払わずに貯め込んだものから300億円を「寄付」した相手はあくまでも「浜松市」であって「浜松商工会議所」ではないはずであったにもかかわらず、なぜか、「浜松商工会議所」がこの「一条堤」と彫られた石碑を、「浜松商工会議所」の敷地にではなく登記簿で所有者を調べたわけではないが、おそらく「浜松市」の所有地ではないのかと思われる浜松市が管理している遠州灘海浜公園中田島中地区(風車公園)の敷地内に設置されているのである。なんか、わけわからんな・・・・( 一一)

  この石碑の左右の掲示板だが、寄付した会社の名称が書かれているだけではなく、左側のものには、(株)一条工務店が寄付を申し出たのであれば、(株)一条工務店の申し出た時点での代表者・代表取締役が申し出るのでないとおかしいはずであるにもかかわらず、↓
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↑ 《(株)一条工務店創業者の大澄賢次郎氏が・・・》などと書かれてた文章が記載されている。 「大澄賢二郎氏」は「(株)一条工務店創業者」であったとしても、「寄付」を申し出たという時点においては、(株)一条工務店の社長でも会長でも相談役でもなく、何よりも代表者・代表取締役ではないのであり、(株)一条工務店の大株主ですらないのであり、(株)一条工務店の代表者の立場ではない人間が300億円もの「寄付」を申し出るというのはおかしいし、そのようなものを浜松市が受けるというのもおかしいはずであるが、そのおかしい内容の文章がそこに書かれているのである。『会社四季報 未上場会社版 2021年版』(東洋経済新報社)によると、(株)一条工務店の代表取締役は岩田直樹であって大澄賢二郎ではないのであり、(株)一条工務店の代表者である岩田直樹ではなく、代表取締役ではなく取締役でもない大澄賢二郎が(株)一条工務店からの寄付の申し出をするということがおかしいし、この掲示板にも《(株)一条工務店創業者の大澄賢次郎氏が・・・》などと書かれているこの文章はおかしい。この掲示板を作った人間はその程度のこともわからないのか!?!
  (株)一条工務店にも4年制大学の法学部卒の従業員だって1人や2人はいるはずであり、会社の代表者というものは誰なのか・・ということは会社法で規定されており、代表者でもない者が300億円もの「寄付」を申し出るというのはおかしい・・ということくらいわかるはずであるし、浜松市長の鈴木康友は慶應大学法学部卒のはずであり、法学部卒の者がこの程度のことも理解できないということならば、鈴木康友は慶應大学の法学部でいったい何を勉強していたんだ!?!
・・ということになる。そんなおかしな「法学士」があるか!!!・
・といってもあるようなのだが、そういうおかしなことをやったわけであり、おかしな文章がそこに書かれているのである。
伊藤真の会社法入門---講義再現版 伊藤真の法律入門シリーズ - 伊藤 真
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 《 防潮堤整備の竣工にあたり地域に多大なる貢献をした企業を後世にまで称えるため、この防潮堤の通称を『一条堤(いちじょうづつみ)』とした。》などと書かれているのだが、これも変な文章だ。「通称」というのは誰かが決めるものではなく、人々が呼んでいくうちに定着したようなもののことを「通称」と言うのであって、浜松商工会議所が決めたという名称ならそれは「通称」ではない。浜松商工会議所の人間というのは、中学校の「国語」、高校の「現代国語」もまともに勉強してきていないのか? もしかして、小学校の「国語」もまともに学習していない者が浜松商工会議所やってるのか? 千葉県の船橋市と我孫子市を結ぶ県道8号(県道船橋我孫子線)のことを、多くの人間が「ふなとり線」と呼んでいるのだが、道路地図を見ても「県道船橋我孫子線」「県道8号」と書かれていて、「ふなとり線」「船取線」と書かれたものは見たことがないのだが、船橋と我孫子を結ぶということでの「県道船橋我孫子線」を我孫子のさらに北の茨城県取手市まで我孫子から国道6号で行けることから、船橋と取手を結ぶということで「ふなとり線」と呼ぶ人が多い。これは「通称」だろう。 国鉄が「分割民営化」した時に「国電」とそれまで呼んできたものを、「国鉄」ではなくなるからということで別の名称を募集したが、「国鉄」でなくなっても「国民の電車」という意味で「国電」でいいのではないかと言う人もいたようだが、小林亜星だかが「E電」がいいと主張して「『E電』に決まりました」と発表したが、結局、小林亜星以外は誰も「E電」なんて呼ぶ者はなく、今では「『E電』に決まりました」ということがあったということも忘れている人・知らない人が多いのではないか。結局、「E電」は「通称」にならなかった。「一条堤」もそんなものだ。
  「カール=マルクスの『搾取説』」というものだが、その理論をどう評価するかとは別に、この「搾取説」という言い方、「搾取」という言葉が適切かどうか・・ということを私なども大学生の頃は考えたりもした・・のだが、(株)一条工務店なんて三流以下企業に勤めると大変よくわかる。「搾取」という言葉を使うのは正しい。「搾取説」という言葉は的確な言葉であるこの「防潮堤」というのは(株)一条工務店のオーナー経営者一族が従業員・元従業員から「搾取」したカネの一部を浜松市に「おすそわけ」したいと申し出て、(株)スズキの鈴木修という男が仲介して浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友が大喜び、静岡県知事の川勝平太が大絶賛して浜松市が受け取り、そして、西は浜名湖が太平洋とつながっている今切口の東側から東は、途中で馬込川の河口の部分で一部途切れて、天竜川の河口の西側まで、行政区画としては浜松市の南側を、(株)一条工務店の浜松工場と本社がかつてあった南区倉松町4040 の東西を守るようにして設置した・・・ということで、「搾取堤」と呼ぶ人が出た・・・、そして、いつしか、人々の間ではこの「防潮堤」を「搾取堤」もしくは「一条搾取堤」と呼ぶようになった・・・とするならば、それは「通称」であろう。
資本論の世界 (岩波新書) - 内田 義彦
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  ・・まあ、それにしても、(株)一条工務店なんて会社に勤めると、「資本家が労働者を搾取しておのれの腹だけ肥やして・・」というカール=マルクスが描いた「資本制経済の原理」というものが本当によくわかる。慶應大学の教授先生には「資本制経済でも、マルクスが描いたような資本制の社会とは異なった社会になってきている」といったことを言う人がいたが、中にはそういう会社もあるのかもしれないが,、絶望的な「古典的資本主義そのまんま」の会社 もある。「寄付」したという会社一覧に自分の所の会社名も入れておかないとまずいとか思って「寄付」した会社もあるのかもしれないが、そういう会社の仲間になると、その会社もそのタイプの会社なのか?・・と思われることになるだろう。

  (株)一条工務店の「一族」か”イヌ”、”草”、”ひまわり”、あるいは”アンクル=トム”・・等でない従業員・元従業員からすれば、本来なら自分が受け取っているはずの給料が支給されずに化けた「一条堤」などというものは、けったくその悪いもの でしかないはずなのだ。
いわば、⇒《YouTuve-VKFエンターテインメント 大阪プロレス 2003 .11.23 くいしんぼう仮面&石川美津穂&スペルデルフィンvs村浜武洋&ひものウ~メン&えべっさん》https://www.youtube.com/watch?v=9nc9ueDomzc の 19:30~21:00 までの「えべっさん」の文句みたいなものだ。
「こら、起きろ、ボケ、こら、クソ社長!」
「よっしゃ、行くぞお~お、恵比寿落し~い♪」
「まだまだ、物足りんぞ、こらあ
「お~い! 給料上げろ、こらあ
「給料上げろちゅうんじゃ、こらあ。お~い
「もうすぐ、何の季節ですか。冬のボーナスやろうが、こらあ!」
「こらあ。この会社には誠意がないんだ、こらあ~あ
「かくなる上は死んでもらいます。死ね!!」
・・・(株)一条工務店の「一族」・”イヌ”・”草”・”ひまわり”・”アンクル=トム”ではない多くの従業員・元従業員はこの「えべっさん」の文句のように思っているはずだ。口に出すかどうかはさておき、多くの者は思っているはずである。「浜松市」と「浜松商工会議所」は本来なら従業員・元従業員が受け取っていたはずのカネを横取りしたのである。 浜松市長の鈴木康友・浜松商工会議所の大須賀正孝・「仲介した」という(株)スズキの鈴木修、こいつらには恵比寿落し・・でもお見舞いしてやりたいところである。いや、恵比寿落しくらいでは「まだまだ、物足りんぞ、こらあ!」・・というものである。
〔 最初、「えべっさん」は、なぜ、レスラーの「スペルドルフィン」に言うのかと思ったが、《ウィキペディアー大阪プロレス》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9 によると、大阪プロレスは「スペルドルフィン」が始めたプロレス興行団体だったらしい。〕

  又、どう考えても、この「防潮堤」は倉松町4040あたりについては多少は効果はあるとしても、全体としては効果はないのではないかと思われてならないのだ。もし、本当に大地震が発生して津波が押し寄せた時に、この「防潮堤」があるから大丈夫だなどと楽天的なことを思って避難しなかった人が何人も死亡するに至った・・ということから「殺人堤」と呼ぶ人が出てそれが定着した・・となるとそれは「通称」だ。そういう呼び名が定着するかどうかは知らんけどな。それに対して、《 防潮堤整備の竣工にあたり地域に多大なる貢献をした企業を後世にまで称えるため、この防潮堤の通称を『一条堤(いちじょうづつみ)』とした。》などと「浜松市」だか「浜松商工会議所」だか鈴木康友だかが決めたとしても、それをここに記載して看板と石碑を建てたとしても・・・、誰もそんなもの、呼ばねえって・・・「E電」みたいなものだ。石碑は石だから簡単にはなくならないだろうから、先に両側のボードが痛み、そのうちなくなり、石碑の文字も誰も気にしないようになって、そのうち、腰かけに使われるようになるのではないか・・・。 パリのパレロワイヤルの中庭になんとかいう「建築家」だか芸術家だかが考えた造形物が設置されたのだが、造られてみると、どうも、あまり人気が良くないので、それで撤去してはどうかという話が出たが、撤去するにも費用がかかるし・・ということでしばらくそのままになっていたところ、そのうち、人々はそれをベンチ代わりにして座るようになった・・ので、ベンチ代わりに使えるのなら撤去しなくてもこのままでもいいか・・ということになった・・というのだが、この「一条堤」と横書きに掘られた石もいつしかそうなるかもしれん・・・と思う。・・そんな感じ・・しませんか? ともかく「一条堤」などというのは(株)一条工務店の一族経営者が会社のカネを使ってあっちやらこっちやらで言いまくって書きまくってするかもしれないけれども、そういうもの以外では、「E電」と一緒で誰も「一条堤」なんて呼ばないと思うよ。「一条搾取堤」か「大澄搾取堤」となら呼ぶかもしれないけれども。本当に津波が来た時にこの「防潮堤」が原因で人が死ぬことになったなら、その時には「殺人堤」と通称として呼ばれるようになる・・ということは可能性として十分ありそうに思う。理屈から考えて、これは倉松町4040あたりとその周辺にとっては、もしも津波の程度が小さければいくらかなりとも役立つかもしれないが、今切口より西・天竜川より東にはむしろ害があり、今切口付近・馬込川河口付近・天竜川河口付近にはあまり役に立たないのではないかな・・・?

  それで・・・そのおかしな筋の通らん話が書かれたその下に、「防潮堤」の構造についての説明が書かれている。↓
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  まず、「防潮堤」の構造ですが、本体をCSG構法で作られて、その周囲を、
(1)国道1号並走区間・・・上部はコンクリートで覆い、下部は「砂」で覆う。
(2)防災林区間・・・土で被覆し、防災林を植樹する。
(3)中田島砂丘区間・・・「砂」のような土で被覆するが、てっぺんは平にして土で覆う厚さは薄い。
というものらしい。 この場所に来て、これが「中田島砂丘」なのか? ↓
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↑ ・・と思ったものは実はもともとの中田島砂丘ではなく、「防潮堤」の(3)中田島砂丘区間 のものだったらしい。
  私が小学生の時に見に行った鳥取砂丘の砂の丘に比べると、「砂丘」と言うわりには「土の丘」みたいという印象を受けたのは、これは人工的に「CSG」の両側に土をくっつけて、てっぺんにも土を薄く載せたというもので、鳥取砂丘は放っておくと砂が堆積して丘になるものだったが、これはそうではなく砂を両側にくっつけたのでは放っておくと砂がはがれてしまうから、だから、はがれないように「砂」ではなく、砂よりも土に近いようなものを「CSG」の両側にくっつけたものだったらしい

  CSGて何なんだ?・・というと、Cemented Sand and Gravel の略らしいのだが、Cement はセメント、Sand は砂だろう・・で、Gravel て何何か? 英和辞典を引いてみると、
gravel (名詞)[集合的に]じゃり、バラス(ballast);砂礫(しゃれき)層《特に砂金を含む》
sand (名詞)1.砂 2.[複数]砂浜、砂原;さばく、砂地;[しばしば複数]州(す)、砂州(さす)。
cement (名詞)セメント;接合剤;結合、きずな;セメント質。
  (他動詞)・・・にセメントを塗る;(セメントで)固める、固く結びつける、強固にする。
 ( 岩崎民平・小稲義男 監修『新英和中辞典 第三版』研究社 )
・・ということは、Cemented Sand and Gravel だと、「セメントで固められた砂と砂利」といったところでしょうか。
コンクリートとは違うのか? モルタルとコンクリートはどう違うかというと、このくらいは知っているのが建築業界で何年か勤めてきた者としては常識だと思うが、(株)一条工務店の所長とかになっているようなやつは知らんかもしれん。
モルタル・・・セメントと水と細骨材(砂)を混ぜたもの、
コンクリート・・・セメントと水と細骨材(砂)と粗骨材(砂利)を混ぜたもの、
・・ということは、CSG というのは、「セメントで固められた砂と砂利」だとコンクリートと同じなのか?
《施工の神様 CSG工法》https://sekokan-navi.jp/magazine/skk_words/csg%e5%b7%a5%e6%b3%95 には、
《 CSG工法とは、河床砂礫や掘削材といった現地発生材にセメントを添加・混合させたCSG(Cemented Sand and Gravel)を敷いて均し転圧させることによって、ダムの堤体などを構築する工法。川の防波堤や仮締切り堤などを建設するときにも採用される。CSG工法を用いることで、地震による堤体自体の沈下量が小さく、津波が越流しても砂のように吸い出しを受けることもないなど、粘り強い構造となる。》
と書かれている。現地発生材を使用するというあたりが、コンクリートと違うところか。
  「砂丘」が大波・津波に対して役に立つのか。浜岡原発の安全性について述べられた際、砂丘が津波を防ぐ・・といったことが言われたものを見たが、「砂丘」て波にたいして役に立つのだろうか・・と思った。砂が丘のように積もった状態のものだと、海水であれ真水であれ、水が浸透すると崩れてしまうということはないのか? 子供の頃、砂場で砂遊びというのをやった時のことなど考えてみても、砂を積み上げても、それは水が浸透すると崩れてしまうような気がしたのだが、「砂丘」というように継続的・固定的なものになると事情は違うのか・・とか考えたりもしたのだが、CSG工法によって、現地のもとからの素材にセメントを添加・混合させて転圧したものであれば、砂が堆積しただけのものよりは強そうで海水が押し寄せても流される可能性は小さそうである。
  CSGには鉄筋は入れないのだろうか? コンクリートは圧縮には強いが引っぱりに弱い・・と言われ、鉄筋コンクリート(RC レインフォースト コンクリート)は圧縮に強いコンクリートの中に引っ張りに強い鉄筋を入れることで圧縮にも引っ張りにも強くするというものだが、CSGはどうなのだろう?

  今回、残念ながら、遠州灘海浜公園中田島中地区(風車公園)の南側の部分とその周辺しか見ることができなかったので、この「砂丘もどきの丘」がずっと続くのかと思ってしまったのだが、そうではなく、防災林の部分やそうではなく国道1号(バイパス)と「並走」する部分と3つの区間によって表面の施工は違ったものにしようというものらしい。 残念ながら、今回は「中田島砂丘区間」以外のものは見ることができなかったので、その2つについてはどうこう言いにくい。

  さて、大きな問題は、浜名湖が海とつながっている今切口の東側から継続して築いて馬込川の河口に西側までと、馬込川の河口の東側から天竜川の河口の西側をほんの少しだけ陸側に入った所まで・・という2か所に「防潮堤」を設ける・・というものが、はたして役にたつものなのか、それとも害があるものなのか、軽度の津波になら役に立つが大規模なものには役に立たないものなのか。

  結論としては、
(1)(株)一条工務店の浜松工場・浜松本社があった南区倉松町4040あたりについては、軽度のものに対しては役に立つが、大規模・重度のものに対してはわからない。
(2) 今切口東側付近、馬込川河口周辺・天竜川河口西側周辺はほとんど役に立たない。
(3) 今切口西側(湖西市)、天竜川河口の東側(磐田市)にとっては、おそらく害がある。
・・というものではないだろうか。 念のため、お断りしておくが、私は津波などに対する専門家などではない。「普通の人間」が考えたことである・・・が、「普通の人間」が考えたことではあってもデマカセ・デタラメではなく理由があって推測したものであるから、もしも、違うのならどう違うか説明いただくとありがたい。

  まず、この「防潮堤」というものだが、普段よりも高い大波がやってきた時にそれを防ぐということを考えたものなのか、それとも、東日本大震災の時に東北地方の太平洋岸を襲ったような津波を想定したものなのか・・によっても変わる。

  最近、YouTuve の動画で、東日本大震災の時の津波の様子を公開している人があり、それらの動画の公開は実際の「津波」というものを体験したことがない者にとっては大変役に立ちます。それらを見るまで、私は「津波」というものを誤解していた。
  私は「津波」というのは、海辺の海水浴場のような所にいて、沖から並がやってくるのを楽しんでいたら、予想外に大きな波が来て、持ちこたえられずに沖合に連れていかれてしまうような、そんなものか・・というように思っていたのです。もし、そういうものであるならば、もしも、高台に避難することができず、頑丈な建物の高層階に避難することもできなかった場合、頑丈な建物の陸側まで逃げた上で何か固定されたものにつかまっておけば、一時的に水中につかることがあっても、それが1分以内とかいうくらいなら、その間だけ我慢して息を止めておれば、波が引いた後、次の波が来るまでの間に高台に逃げるか頑丈な建物の高層階まで逃げるかすれば助かるのではないか・・なんてことを考えたのです。
  しかし、YouTuve に公開されている動画を見ると、「津波」というのはそういうものではないのです。そうではなく、一時的にその地域一帯が海になってしまうのです。その「一時的」というのは1分とか2分とかではなく、もっと長い時間であり、我慢して息を止めておけば・・とかいうようなものが通じるような短い時間ではないのです。
〔東日本大震災の時の「津波」の侵入の状況は、YouTuve で動画をアップしている方がけっこうあるので、「津波」の経験がない人はどれか1つは視聴することをお勧めします。〕
  そういう「津波」を防ごうという「防潮堤」ということであれば、盛り上がった海水面が入ってこないような高さの堤でないといけないことになりますが、もうひとつ、大きな問題として、途切れていてはだめで、端から端まで防ぐようになっていないと、途切れた所があれば、そこから海水は入ってくることになります。

  (株)一条工務店が従業員・元従業員に払っておくべきであったカネを払わずにちょろまかしたカネから、その一部分を浜松市に「お・す・そ・わ・け♪」して300億円のカネを「寄付」して「防潮堤」を作るという話を聞いた時、「防潮堤」ということはどういうものを言うのか? 中田島砂丘がやせてきている・・というから、砂丘を人工的に復元しようというものなのか? それなら、砂丘というのは「防潮堤」として役に立つのだろうか?・・とか考えた。
  しかし、遠州灘海浜公園中田島中地区の説明看板によると、「防潮堤」は痩せた砂丘を復元するというものではなく、本体としてCSG(セメンテッド サンド アンド グラバル)で堤を作り、その両側に飾りとして土をくっつけるというものだということがわかった。

  東京の荒川というのは実は人工的に造った「荒川放水路」らしい。 利根川は関宿の所で2つに分かれ、片方が銚子と波崎の間で太平洋に注ぎ、関宿から別れた江戸川は東京都江戸川区と千葉県市川市の間で東京湾に注ぐ。 荒川はというと、上流を遡っていくと埼玉県の秩父のあたりに行くようだが、隅田川というのはどこから流れてきているのだろうか・・というと、実は隅田川の上流が荒川らしい。もともとは埼玉県の秩父のあたりから流れて東京湾に注いでいた川の上流を荒川、下流を隅田川と言っていたのだが、東京の洪水を防ぐためにバイパスとしての放水路を設けて、それを「荒川放水路」と言っていたが、そのうち、単に「荒川」と「通称」として言うようになったらしく、隅田川と「荒川放水路」の両方の上流の川が荒川らしい。
  大阪の淀川は、上流を遡っていくと、大阪府と京都府の境目付近で、嵐山の方から流れてきた桂川と琵琶湖から流れ出した瀬田川が京都府に入って宇治川と名前を変えたものと、奈良県北部から流れてきた木津川と、この3つの川が合流して淀川になるが、大阪市の毛馬の閘門の所で2股に分かれ、南に流れる方が今は地図には「大川」と書かれているが、これがもともとの淀川で、毛馬の閘門から西に直進する幅の広い「新淀川」は、これは明治初期に人工的に造られた「淀川放水路」らしい。今は、たいていの人間は「淀川放水路」と呼ばずに「新淀川」と呼び、「通称」としてこちらと大川の淀川の両方を「淀川」と言う人もいる。
  大阪市淀川区の私が通った高校は新淀川に近い場所にあって、私が通ったころは定時制があったので午後5時以降は運動場が使えないことから運動部の練習を淀川河川敷でおこなったことがあり、高校1年と2年の1月には、新淀川の河川敷を男子は片道2キロを2往復で8キロ、女子は1往復で4キロの断郊競走をやったりしたものだが、新淀川に近いからといって特に危険というようには感じなかった。それに対して、電車の窓から荒川放水路を見ると、もしも、この荒川(荒川放水路)の堤防が決壊するようなことがあったらどうなるのだろうか・・と少々不安を感じたりする。 この違いはどこにあるかというと、私が厳密に測定したわけでもないのだが、新淀川(淀川放水路)の場合は、堤防はあるけれども、普段の川の水面の高さは堤防より低いだけではなく、堤防の外側の地盤面よりも普段の水位は低いと思われ、もしも、何らかの理由で水位が上がることがあっても、その時の為に堤防があるような感じであって、普段の水位なら、たとえ、堤防がなくても周囲の人家や商店・・や高校とか中学校とか森友学園塚本幼稚園とかが水没するということはないであろう・・と思われた・・のに対して、荒川(荒川放水路)の場合はそうではなく、東京都の墨田区・江東区・江戸川区の大部分の地盤面は普段の荒川の水面よりも低く、もしも、荒川の堤防が決壊することがあったなら、荒川の水位が普段の水位であったとしても、周囲の土地は水没することになる・・ようだ。江戸川区が「ここにいてはだめ」とはっきりと言ったのが話題になったが、2階建てくらいの戸建住宅なら2階まで水没するとしても、中高層のマンションの住民ならば中層以上の階に住んでいる人は大丈夫だろう・・と思ったらそうでもないそうで、水面上に出ている階におれば、そのうち、救援隊に助けてもらえるだろうと思ったらそうではなく、東京都内のような人口が多い所では、消防署・警察・自衛隊などが救援しようとしても、救援する側の人間の数と救援される側の数では圧倒的に救援される側の数が多くて、とても救援しきれないし、携帯電話で連絡を取ろうと思っても電気は通じなくなってそのうち使えなくなるし、水もそのうち備蓄されたものはなくなる。だから、「ここにいてはだめ」と江戸川区はかなり厳しいことを言っているようで、実は良心的に事実を言っている・・らしい。

  それで・・・、荒川(荒川放水路)の堤防がもしも決壊した場合のことを考えてみて、その上で、浜松市南部の「防潮堤」を考えてみたい。
  荒川(荒川放水路)の堤防、新淀川の堤防を思い出してみて、その上でこの浜松市南部の「防潮堤」を見てみると、実によく似ている。浜松市南部の「防潮堤」は中田島砂丘を分断するように造られていることから景観に対する配慮がされていることから、荒川の堤防や新淀川の堤防に比べると「砂丘みたい」に見える土質のものが使われていて、荒川の堤防や新淀川の堤防と違って内部にCSG工法による本体が埋まっているという違いはあるようだが、それ以上に大きな違いとして、荒川の堤防は、今現在は決壊していないのだが、それに対して浜松市南部に造成されたのか、造成中なのかの「防潮堤」というのは、実は最初から決壊しているのだ。
  西側は今切口という浜名湖が太平洋とつながっている部分で決壊しているし、東の方がは馬込川の河口で決壊しており、その東の短い部分は西で馬込川の河口、東は天竜川の河口部分で最初から決壊している。


( ↑ 今切口。 )

( ↑ 馬込川河口。 マーカーは浜松市南区江之島町の南部清掃工場。)

( ↑ 天竜川河口。 マーカーは浜松市南区松島町 パラモーターグループ。)

( ↑ 天竜川河口。 マーカーは磐田市駒場 掛塚灯台。)
  堤で防ぐ対象が川であるならば、川の両側に堤を設ければ、その堤が決壊しない限り、川の水位が上がったとしても、上がった水位より高い位置まで大丈夫なように堤を設けておけばいいことになるが、相手が海の場合は厄介で、いったいどこまで堤を設ければいいのかということになるし、川が海に注ぐ部分は堤で塞いでしまうわけにはいかない。 ありうるとすると、「水門」を人工的に造って、海から陸側に川を海水が逆流してくると思われた時には水門を閉めて海水が入らないようにするか・・であろう。 そうでなければ、河口の部分と汽水湖が海とつながる部分というのは塞いでしまうわけにもいかないのだから、その部分が最初から決壊しているのと同じということになるだろう。
  もしも、「津波」ではなく「高波」「大波」であれば、汽水湖の海とつながっている部分と川の河口の部分で堤が切れていても、その部分だけ「高波」「大波」を防ぐことができなかったとしても、汽水湖や川の部分に「高波」「大波」のひとつやふたつが来ても、どうってことはない。しかし、「津波」というのは「高波」「大波」とは違うのだ。汽水湖の海とつながっている部分や川の河口の部分で堤が切れておれば、そこから「津波」は内部に侵入することが考えられる。
  楠原祐介『この地名が危ないー大地震・大津波があなたの町を襲う』2011.12.20. 幻冬舎新書)には、
《 このように考えれば、宮城県女川(おながわ)、福島県小名浜(おなはま)のオナ(ヲナ)は、「雄(男)波」のヲ・ナミを下略して津波を「ヲナ」と呼んだ名残だ、と容易に推測できる。
 今回の東北地方太平洋沖地震の大津波で、津波は海岸の堤防を乗り越える前に「まず、川から遡って来る」ことは、読者の皆さんはすでによく実感されたはず。小学生13人が犠牲になった加茂青砂海岸から直線距離で南東に約8キロの近接地、秋田県男鹿市船川港地区に女川集落があり、この地も同様の津波にしばしば襲われた地であろう。・・》
と出ているが、たとえ、河口以外の部分に「防潮堤」を強固に築いたとしても、河口部分が開いておれば、「津波」はそこから遡ってくることが考えられる。
  
浜松商工会議所の会頭の大須賀正孝さんは、(株)ハマキョウレックスの会長らしいが、その(株)ハマキョウレックスの本社ビルは、馬込川と芳川が合流した馬込川が太平洋に注ぐ河口のすぐ北側正面あたりの位置にある。〔⇒(株)ハマキョウレックス HP 「本社アクセスマップ」https://www.hamakyorex.co.jp/corporate/outline/office/ 〕自分の会社の本社ビルの正面だけが切れたような「防潮堤」を造成して、そんな「防潮堤」を浜松商工会議所は《地域に多大なる貢献をした企業を後世まで称えるため、この堤の通称を『一条堤』とした。》などと書いた掲示板と「一条堤」と彫った石碑を設置しているのだが、(株)ハマキョウレックスの本社の南側正面の位置だけ開けて他の場所を塞ぐ「防潮堤」を設けるとどうなるか? 他の場所は「防潮堤」で「津波」が乗り越えることができなかった分までも「防潮堤」が切れている馬込川河口部分から「津波」が侵入してくる・・ということは可能性として十分ありうるように思えるのだが、(株)ハマキョウレックスの会長は、こういったことを考えなかったのだろうか・・?

  東日本大震災よりも前、福島県いわき市あたりの住民は、ここは津波は大丈夫だろう・・とか言っていたのだ。どういう理由で「大丈夫だろう」と考えたかというと、岩手県の太平洋岸、三陸海岸と言われる地域の海岸は出たり引っ込んだり、凹凸が激しいのに対して、福島県の太平洋岸は凹凸があまりないので、もしも、「津波」が来たとしても、岩手県から宮城県北部にかけての海岸は凹凸が激しいことから一か所に海水が集中するのに対して、福島県の海岸は凹凸があまりないので、「津波」が来るとしても全体に来るから、それほど被害は出にくいだろう・・と言っていた・・のだが、東日本大震災では福島県の太平洋岸でも大きな被害が出た。
  そして、もうひとつ、岬があってその内側のような場所というのは、「津波」の被害は比較的出にくいのではないか・・と多くの人間は思っていた。 太平洋なり日本海なり、外海に面した海岸と、瀬戸内海とか東京湾・三河湾の内側のような場所とでは、瀬戸内海や東京湾・三河湾の内側は、外海に面した海岸に比べて「津波」の被害は出にくいのではないか・・と多くの人間は考えたのだが、それは、たしかに、千葉県でも外房側に比べて内房側は被害は少なかったようだが、内海だから絶対に大丈夫というようなことはないようだった。

  福島県いわき市の小名浜地区のことを、楠原祐介『この地名が危ないー大地震・大津波があなたの町を襲う』2011.12.20. 幻冬舎新書)では、
《 ・・・(略)・・・
 ところで、福島県いわき市の小名浜港は重要港湾・開港場に指定されており、東北地方屈指の漁港・商港・工業港である。ここも津波が襲う地だったとは、今回の被災で初めて思い知らされたことだった。
  この港(小名浜港)は、北東約13キロに美空ひばり の歌碑が建つ塩屋崎や港のすぐ東側には竜ケ崎が突き出ており、今回の地震の震源域との間に立ちはだかっているように見える。ところが、津波は進行方向前面に岬などの障壁があると、その裏側に回り込む(「回折(かいせつ)」という)ように進み、岬の裏側にも甚大な被害をもたらす、という。
と述べられているが、「防潮堤」を設けたとしても、汽水湖の海とつながった部分(「今切口」)と川の河口部分(馬込川河口・天竜川河口)で「防潮堤」が切れていることを考えると、「防潮堤」の部分は汽水湖の海とつながっている部分・川の河口部分に向けて突き出た岬のようなものであって、そこから「津波」はその裏側に回り込むように進み、岬としての「防潮堤」の裏側の地域にも甚大な被害をもたらす・・という可能性が十分考えられるのではないか。
この地名が危ない (幻冬舎新書) - 楠原 佑介
この地名が危ない (幻冬舎新書) - 楠原 佑介

  楠原祐介『この地名が危ない』(2011.12.20. 幻冬舎新書)には静岡県の海岸についても述べられている。
《 現在の静岡県一帯は、頻度だけで見れば、日本列島で最も津波の危険にさらされる地域であろう。東北から関東地方の東方沖で起きるプレート型地震による津波は、被害の大小はともかくいずれ伊豆半島東岸をほぼ必ず襲うとされている。
  駿河湾から南西に四国沖まで延びる駿河湾トラフ、東南海トラフ、南海トラフで起きた地震も、必ず静岡県沿岸に被害を及ぼすに違いない。
  先に「湘南」の項でも指摘したが、この静岡県を東日本と西日本を結ぶ交通の大幹線が横断しているのである。駿河湾トラフを震源とする東海大地震は、静岡県富士市から掛川市・袋井市・磐田市、そして浜名湖南方沖などを震源域とし、トラフのやや内陸側で発生すると想定されている。・・・ 》
《 私は数年前、先に述べた旧・福田町(ふくでちょう)〔現在は磐田市の一部〕の福田漁港でハゼ釣りをしたことがある。太田川河口左岸の地を掘りこんで新設された港だが、岸壁の背後に数メートルの高さの砂山(というより、上部が真っ平な台地状の小山)が築き上げられていた。
  「ははぁ、津波の避難用か」と得心したが、こんなものではほとんど何の役にも立たず、気休めにすぎないと思った。港にいる人たち数人が助かっても、津波がその人工の丘を越えたり、その背後に回り込めば数千人が命の危険にさらされる。
  静岡県は、大地震対策が一番進んでいる県だという。だが、この程度の対策でコト足れりとするのであれば、甘いというほかはない。
  東は御前崎から西は愛知県境まで東西70キロにわたって続く遠州灘砂丘は、所によっては海面から30メートルも高い地点もあるが、低い所は10メートル足らず、しかも天竜川や菊川・太田川など大小の河川の河口がぽっかり開口している。
  近年、顕著になった現象は、この沿岸に大量の土砂を供給していた天竜川などの中流に大規模ダムがいくつも建設され、土砂の流出が止められていることである。いわゆる”浜痩せ現象”が発生し、逆にこれまでに形成された砂丘がどんどん削られてきている。
  昔は、砂丘が防波堤になって津波被害を最小限に止めることもあったかもしれないが、もうその役目を砂丘に期待できない。 次に大地震・大津波が発生すれば、昔よりはるかに被害が拡大し、ずっと内陸まで津波が押し寄せることが大いに考えられる。
  今回の東北各地の津波被害を見ると、静岡県沿岸こそ津波被害対策が早急に講じられなくてはなるまい。
  かといって、70キロにわたって防潮堤を延々と築くなどという工事はとても無理で、現実的ではない。巨大な津波が襲ってきても、その波の力に耐えられるだけの丈夫な鉄筋コンクリート製の堅牢な避難用建造物を、少なくとも1キロ四方ごとに1,2カ所は用意しておかなくてはならないだろう。・・ 》

  私が思うには、(株)一条工務店の「創業者」「初代社長」の大澄賢次郎は何のためにこの「防潮堤」を造ろうと言い出したのか・・というと、
(1)自分の会社の浜松工場と本社があった浜松市南区倉松町4040 のあたりを守りたい・・ということから・・かと思ったが、
(2)今も倉松町4040に(株)一条工務店の関係する建物はないわけではないらしいが、浜松工場と浜松本社は浜松市でも、静岡県浜松市西区大久保町1227-6 という場所に移転しており、〔(株)一条工務店 HP「会社概要」https://www.ichijo.co.jp/corporate/outline/〕、むしろ、それまで浜松本社と工場などを置いていた浜松市南区倉松町4040 のあたりというのは「津波」を考えると危ないと判断して、内陸部で海抜もある程度高い場所であり、浜松西インターチェンジにも近い所に移る際に、自分の所だけ「津波」に対して大丈夫な場所に逃げ出したと思われたくないという意識から、その付近に「防潮堤」を造る費用を提供して免罪符にした・・ということか?
・・もしかして、最初は(1)のつもりだったが、結果として(2)になったか?

  静岡県は、遠江・駿河・伊豆の3国からなるが、遠江は滋賀県が琵琶湖がある近江であるのに対して、浜名湖がある遠江と、遠い方の湖という意味で遠江という国名がついている。その浜名湖は私が生まれた時点ですでに今切口は開いていて汽水湖で、私が生きてきた今日に至るまでずっと汽水湖のままであるが、一人の人間の人生の間というような期間ではなく、地球の歴史・日本列島の歴史といったそういう期間で見るならば、
《 ところでこの浜名湖は、室町時代の明応7年(1498)旧暦8月、推定マグニチュード8.2~8.4の東海大地震・大津波によって現・浜松市西区舞阪町と浜名郡新居町(あらいちょう)〔現 湖西市新居町新居〕の境をなす今切(いまぎれ)口がぽっかりと開口し、遠州灘と湖面が繋がって現在のような入江状の汽水湖になった。・・・
  この今切口から北西に13キロ、狭い猪鼻(いのはな)瀬戸の奥に支湖の猪鼻湖があり、その西岸に浜松市北区三ヶ日町上尾奈(かみおな)・下尾奈(しもおな)の集落がある。この地は平安時代には伊勢神宮の尾奈御厨(みくりや)だったところで、中世から江戸時代まで上・下二村合わせて尾奈郷と呼ばれていた。現在も、天竜浜名湖鉄道の尾奈駅がある。
  この尾奈の地名も、東北地方とは遠く離れているが、ヲナミ(男波)の略で、やはり津波の痕跡地名だと私は考えている。この地名は古く『万葉集』巻14ー3448に「乎那能乎(おなのお)」と読まれた山があり、猪鼻湖西岸の板築(ほうづき)山(226m)のこととされる(犬養孝『万葉の旅(中)』(教養文庫、昭和39年)。
  もっとも、『万葉集』が編纂された奈良時代には浜名湖は海から切り離された内陸の淡水湖で、津波とは関係ないではないか、という異論もあるだろう。しかし、浜名湖南岸の砂丘地帯は、遠州灘沿岸の旺盛な砂の堆積作用、砂州形成力で絶えず今切口付近の湖面が塞がれたり、それが津波で開口したり、を繰り返してきたはずである。
  古代、あるいは先史時代のいつからいつまで湖口が切れていたのかは定かではないが、その湖口が開いて津波が襲って来たころの古い記憶が、ヲナの地名を伝えてきたのだと思う。》
( 楠原祐介『この地名が危ない』2011.12.20. 幻冬舎新書)
・・・浜名湖は『万葉集』の時代においては海から隔絶された淡水湖で、15世紀末、室町時代の大地震・大津波で今切(いまぎれ)口が開いて汽水湖になったが、おそらく、長い地球の歴史・日本列島の歴史においては、太平洋とつながったり離れたりを繰り返してきたのではないか・・と考えられる。
  ・・さて、浜松市南部に人工的に造った「防潮堤」だが、大地震・大津波が発生した時に、その「防潮堤」はそのどこかで切れるということはないのか? 相当の大地震が来ても大丈夫な強度のものなのか?
《 千年に1回、発生する地震・津波高(レベル2)に耐えうる防潮堤の整備・・》
と書かれている。 それが信頼できるものだとして、西側の今切口から東側の馬込川河口までの間が切断されることがなかったとするならば・・・。 もしも、それほど大規模ではない「津波」であったなら、今切口から「津波」が侵入し、東側は馬込川河口から「津波」が侵入しても、今切口と馬込川河口のちょうど中間あたりに位置する倉松町4040 の付近までは「津波」が来ないか、たとえ、来ても倉松町付近に来た時には浸水水位が低くなっている・・という可能性はありそうだ。
  だから、そういうケースにおいては、この「防潮堤」は倉松町4040 付近についてはいくらか効果があるかもしれない。

  しかし、今切口の東側には「防潮堤」を作っても今切口が開いている以上はそこから「津波」は入ってきて「防潮堤」の西端の後ろ側は「津波」の被害を受けるのではないか。 同様に馬込川河口の西側付近もまた、馬込川河口から「津波」が入ってきて被害を受けるのではないか。
  馬込川河口から天竜川河口までの間は、今切口から馬込川河口までの距離に比べてずっと距離が短い。だから、馬込川河口から天竜川河口までの間は、両側から回り込んだ「津波」は「防潮堤」の背後まで来るのではないか。

  そして、今切口より西側、湖西市新居町と、天竜川河口より東側、磐田市に対してはどういう影響が出るかというと・・・、普通に考えて、もしも、今切口から東、天竜川河口より西の浜松市の海岸に「防潮堤」が築かれなかったならば、全体に「津波」が押し寄せたところが、浜松市南部に「防潮堤」が築かれて、片方で今切口より西側、天竜川河口より東側には「防潮堤」が築かれないことから、「防潮堤」がなければ浜松市に侵入したであろうところの海水までが湖西市・磐田市に侵入することになる・・・という可能性は十分考えられるのではないか。
・・そう思いませんか? 普通に考えて、これは考えられることでしょう。 出たり引っ込んだりの岩手県の海岸は「津波」が来た時に一か所に集中して海水が来るが、福島県の太平洋岸は凹凸が少ないので「津波」が来ても全体として来るから「津波」の被害は出にくい・・と福島県の住民の多くは東日本大震災より前は思っていたのです・・が、実際は福島県浜通り地区にも「津波」の被害は出たのですが、しかし、凹凸が多い海岸と凹凸が少ない海岸なら、凹凸が少ない海岸の方が全体に海水が押し寄せるので凹凸が多い海岸よりも「津波」の被害は出にくいのではないか・・という推測はまったく間違っているということでもないと思うのです。同様に、ある部分だけ頑丈に「防潮堤」を設けると、「防潮堤」がない部分に「防潮堤」がある部分に行ったはずに海水までもが押し寄せる・・・ということは、それは十分にありうることではないのか?
  ・・・そういったことを考えると、(株)一条工務店の代表者・代表取締役は今は岩田直樹さんという香川大経済学部卒の私よりちょっとだけ年上の男性だが、この人が代表取締役ならば、代表取締役の岩田直樹さんが申し出るべきもののはずなのに、岩田直樹さんを無視して、「創業者」「初代社長」と名のって、今現在は社長でもなく会長でも相談役でもなく取締役でもなく、(株)一条工務店の大株主でもない大澄賢二郎氏が浜松市に申し出たということで造成された「防潮堤」というのは、
(1) 今切口と馬込川河口の間の「防潮堤」のほぼ中央に位置する、(株)一条工務店の浜松工場・浜松本社がかつてあった、今も何かはあるみたいな浜松市南区倉松町4040 の付近 ↓ を守るという点では、「津波」の程度がそれほど大規模でなかったならば、いくらかなりとも効果がある可能性はあるのではないか。
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(2)今切口の東側付近、馬込川河口付近、天竜川河口の西側付近については、「防潮堤」は岬のようなものであり、今切口と馬込川河口・天竜川河口で堤が切れている、開口しているので、「津波」はそこから侵入し、「防潮堤」はほとんど役に立たないことが予想されるのではないか。
(3)今切口より西側(湖西市新居町)、天竜川河口より東側(磐田市)については、隣に「防潮堤」を築かれたことから、もしも「防潮堤」がなければ、そこに行ったことが考えられる海水までが「防潮堤」の隣に押し寄せることから、浜松市南部に「防潮堤」が築かれたことから、そうでない場合以上に被害が大きくなる・・ということが予想されるのではないか。

・・・念のため、断っておきますが、私は津波とか防潮堤とかについての専門家ではありません・・が、そもそも、「専門家」と称する人間に胡散臭い人間はけっこういるわけであり、「しろうと」は黙ってろと言うような「専門家」にろくな人間はいない。一般人が発言してこそ、民主主義的な社会が実現するし、「専門家」はその分野を専門とする者ならば一般人に説明して理解してもらえるようにするべきであるはずだ。 
権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム (有斐閣選書 (697)) - 曽良中 清司
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現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
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  1980年代のことだが、私が慶應大学の学生であった時、一般教養科目の「化学」の講義で、S野という教授が「最近、騒ぐのが好きな人が多くて困る。遺伝子組み換えがいかんとか言ってからに。もしも、遺伝子組み換えがいかんと言いたいのなら、人間と猿のあいのこができてから文句言えってんだ。それまでは口きかずに黙ってろ! まったく、やりにくくてしかたがない。しろうとは口きかずに黙ってろってんだあ!」と講義の最中に絶叫されたことがあったのだが、なんだ、慶應大学という大学はこんな人間が教授やってるのか。程度の低い大学だなあ・・と思ったものだった。「もしも、遺伝子組み換えがいかんと言いたいのなら、人間と猿のあいのこができてから文句言えってんだ。それまでは口きかずに黙ってろ!」という言い草は、これは「もしも、原子力発電がいかんと言いたいのなら、原子力発電所で大事故が発生して日本と日本人が消滅してから文句言えってんだ。それまでは黙ってろってんだ」と言っているようなものだ。「学問の自由」と「教授の身勝手」は別物だと思う。むしろ、「学問の自由」は一般の人間がそれぞれの専門分野に対しても関心を持つことによって維持され守られると考えるべきであり、「教授の身勝手」を主張するような「慶應タイプ」の教授というのは、むしろ、「学問の自由」を侵害する側の人間であろう。特にそういう人間に限って「独立自尊」とか「福沢精神」とか言いたがる傾向がある。又、そういう教授というのは内部進学の人が多く、「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」などと大学生の時からふんぞりかえって口にしていた人間のなれのはてである可能性が大きい。な~んでそんなやつに「教育」されんといかんのじゃあ・・と思ったのだが、そういう傲慢な口をきく人間のことを「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「自我が確立されている」「思考が柔軟」「人間的に成熟している」「アイデンティティーを持っている」とかなんとかかんとか「慶應心理学」は「診断」するのである。「診断」している人間自身が慶應義塾高校卒か慶應女子高卒の人間であって、内部進学の人の勝手な世界観のことを「心理学」と言っているだけであるのだが。

  それで・・・、この「防潮堤」は、(1)今切口と馬込川河口の中間あたりである倉松町4040付近は、大規模ではない「津波」なら被害を防ぐ方向に役立つかもしれない、(2)今切口の東側付近、馬込川河口付近、天竜川河口の西側付近については、ほとんど役に立たない、(3)今切口の西側(湖西市新居町)・天竜川河口の東側(磐田市)には、むしろ、害がある・・という可能性が考えられるものである・・・から、浜松市長の鈴木康友が「寄付」をもらうことで浜松市の海岸に「防潮堤」ができることに大喜びするのはまだわからないこともないのだが、静岡県知事の川勝平太が大絶賛する理由がどうもよくわからない。静岡県知事ならば、浜松市だけのことを考えるのではなく、湖西市や磐田市のことも考える必要があるはずなのだ。浜松市の南側だけに「防潮堤」を設けたならば、その両側の市に、浜松市の海岸に「防潮堤」が設けられなかった場合以上に「津波」が押し寄せることになる・・という可能性も考えられる以上は、静岡県知事ならば、大絶賛するわけにもいかないはずなのだ。 それを川勝平太は、なぜ、大絶賛したのか???
  何か理由があったのか?
  今となっては、もう何年も前になるが、神奈川県逗子市池子に池子弾薬庫といって、山の中に在日米軍が弾薬庫を設けていたのだが、その弾薬庫を撤去することになり、かわりに米軍住宅をそこに作るという話が出た時に、逗子市の市民が米軍住宅の建設に反対して、池子の森を逗子市民に返還してもらいたいと運動したのだが、その際、多くの団体に支援を求めたけれども、日本共産党は「安保条約に反対しないで、池子に米軍住宅を建設することだけに反対するのなら、もし、池子に米軍住宅ができなかったなら、かわりに他の場所に米軍住宅ができることになるだけ」だとして、協力を拒否したそうで、その後、池子米軍住宅に反対する人たちに対して「アカ」だという攻撃がされたことから、「アカ」攻撃に対しては、それは不当な攻撃だと日本共産党はそれに対しては反対に協力しようとしたが、米軍住宅反対をしていた人は、なぜ今になってと考えたということを新聞で読んだことがある。地図を見ると、今現在は、池子米軍住宅はできているようだ。これといくらか似たところがあるのではないか。日米安保条約に反対することなく池子米軍住宅にのみ反対するならば、それは逗子市池子以外の場所に米軍住宅を作ってくれと言っているだけ、日米安保条約に反対しないで「逗子市に米軍住宅は要らない」と主張するなら逗子市以外の市町村に米軍住宅を作ってくれと言っているだけだというのと同様に、 「津波」そのものが来ないようにはできないとして、浜松市の南側にだけ「防潮堤」を設けて浜松市に「津波」が来ないようにしたとしても、その分、浜松市の両側、湖西市と磐田市に浜松市に来ていた分までも「津波」が行くことになるのではないか。その「防潮堤」は浜松市に「津波」が来ないようにして、その分を湖西市や磐田市に行かそうとしているものではないのか・・そういったことを考えると、浜松市長は大喜びしたとしても、静岡県知事は浜松市長とは立場は違うはずであり、浜松市だけを「津波」から守ろうとするような「防潮堤」の建設には、必ずしも両手あげて賛成はできない立場ではないのか・・・と思うのだが、不思議なことに川勝平太は浜松市だけ守ろうとする「防潮堤」を大絶賛していたのだった( 一一)

  私ならこういったことを考えるとしても、言っちゃなんだが「香川大しか出てない銀行からきたおっさん」なんて、たぶん、何もわかってないと思う。・・そうでないと言うのなら、どう違うか聞かせてもらいたいものだ。だいたい「銀行から来た人間」なんてそんなもんだ。
  「香川大しか出てない銀行から来たおっさん」が本来なら会社の代表者なのだから、浜松市に「防潮堤」の費用として「(株)一条工務店として」寄付をしたいというのなら、代表取締役ではなく会長でも相談役でも取締役でもなく、(株)一条工務店の大株主でもない大澄賢二郎が言い出すのはおかしいとしても、(株)一条工務店が、自分の会社の浜松工場や浜松本社の場所を守りたいと考えるのは、それ自体は別におかしなことでもない。
  どこの会社だって、自分の所を守ろうとするというのは、それは当たり前のことであって、自分の所を守るために費用をかけるのはおかしなことではない。だから、倉松町4040 あたりを守るために、浜松市として対策を取ってほしいけれども、浜松市として費用をかけられないというのなら、それならその費用を(株)一条工務店が出してもいいから、(株)一条工務店がある付近の安全対策を取ってくれと浜松市に要望した・・・ということなら、それは会社として別におかしなことでもないだろう。

  しかし、その後、(株)一条工務店は浜松工場と浜松本社を内陸部に移転した・・ということは、たとえ、「防潮堤」を設けてもそれでも浜松市の海岸付近は危ないのではないか・・と考えて、「さっさと逃げた方がいい」と判断した・・ということか・・。倉松町からは逃げたけれども、いったん、寄付すると言い出したからには「やっぱり、やめ」と言うわけにもいかないから、だから、「地域に多大なる貢献をした企業」などと書いた看板を遠州灘海浜公園中田島中地区(風車公園)に建ててもらって「ええかっこしい」やることにした・・という、そんなところか・・。


↑ (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ が引越した 浜松市西区大久保町1227-6 。「浜松技術工業団地」の中にある。 浜名湖より東、佐鳴湖より西の位置で、内陸部であるとともに、少々高台になった場所で、「津波」も、さすがにこの位置までは来ないであろうと考えられる場所であり、西側を南北に走る県道65号(浜松環状線)を北に行くと東名高速道路「浜松西」インターチェンジに至る。
  もともとは、自分の会社がある所を守るために、浜松市が費用をかけてくれないのなら、その費用をうちが出すからうちの敷地があるあたりを守る「防潮堤」を作ってくれ・・という話だったのが、いつしか「地域に多大な貢献をした・・」とか何とかいうような話に変わってしまった・・ということなのか?

  熱海市で「盛土」した部分が崩れて「土石流」が発生して何人もの人が亡くなった・・という件について、静岡県知事の川勝平太は「盛土をした業者の責任を厳しく追及します」と発言していたが・・、それは追及していいし追及するべきだとは思うが、そんな不適切な工事を放置していた静岡県と熱海市の責任というのもまた「追及」してもらいたいものだ・・とも思う。「業者」が悪いのであって静岡県と静岡県知事は悪くないみたいな言い方はしないでもらいたいようにお願いしたい。静岡県にも責任はある・・と思うよ。

  世間では、『言ってはいけない』とかいうような題名の本が出ているのだが、言いにくいし、この付近に住んでいる人には誠に申し訳ないのだけれども、実際問題として、浜松市の海に近い部分というのは、もともと、あんまり条件がいい場所ではないですよね・・・。普通に考えて、「浜松」という地名は浜辺にありそう、浜辺の松が植わっているような場所につきそうな地名でありながら、浜松の市街地、JR「浜松」駅にしても、浜松城にしても、浜松市役所がある所、裁判所がある所などは、けっこう海から内陸に入った場所にありますよね浜松に限ったことではなく、東海道筋の昔から開けたある程度大きな街というのは、その多くが海からけっこう内陸に入った場所にありますよね。(株)一条工務店の少し前まで浜松本社・浜松工場があった倉松町4040のあたりは、土地の値段も浜松市でも安めの場所だったから(株)一条工務店はそこを買って工場などを建てたわけですし、「国道1号」が倉松町の(株)一条工務店の浜松本社・浜松工場があったすぐ北を東西に走っているのですが、「国道1号」といっても後から作られたバイパスであって、昔からの東海道はもっと内陸側を通っていますよね。なぜか? ・・結論として、「津波」などあった場合のことを考えると海に近い場所よりも多少は内陸に入った場所の方がいいということで、ある程度、内陸に入った場所に市街地が開けた・・ということではありませんか。
  又、『県別マップル 静岡県道路地図』(2020年6月 4版。昭文社)を見ると、中田島砂丘がある場所は、静岡県浜松市南区中田島町(なかたじまちょう)ですが、その周囲には、江之島町・福島町・西島町・松島町・・と「島」がつく地名がいっぱい、特に馬込川・芳川と天竜川の間に「島」がつく地名が多い。 そのあたりは馬込川・芳川と天竜川にはさまれた場所で、昔は、そのあたりは川の中州の島だったということ?
  倉松町の北東あたりに米津町がありますが、「津」がつくということは、かつて、船がついた港があったのか?
  東京の隅田川と江戸川の間の地域、「そこにいてはだめ」と江戸川区役所が言ったという地域にも「島」がつく地名がけっこうある。江東区には「大島(おおじま)」、亀戸はかつては「亀島」だったらしいし、向島(むこうじま)とか、けっこう北の方に「三河島」があるし。そのあたりも、かつては海に島がある場所だったらしいし。中田島・江之島・福島・西島・松島という「島」だらけの地名を見ても、そのあたりはかつては海と2つの川にはさまれた場所で島があった所・・かな・・という感じがします。

  浜松市民の皆さん、湖西市や磐田市の皆さん。 ここに私が書いたようなことを考えたことありますか?
  (株)ハマキョウレックスの従業員の皆さん、自分たちが勤める会社の本社ビルの正面だけ開口した「防潮堤」が造られているということに不気味さを感じませんか? その「防潮堤」て、自分の勤めている会社にいる人間にとって、はたして益になるのか害になるのか・・て考えたことありますか?・・・

( ↑ 浜松市南区寺脇町1701番地の1 (株)ハマキョウレックス 本社。)

  次回は、「防潮堤」の自然環境への益と害について・・・https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_5.html

  (2021.7.11.)

☆ 「中田島砂丘」(浜松市南区中田島町 ほか)見学
1.浜松インターから中田島砂丘へ。遠州灘海浜公園の風車と凧と桜。ダムで砂丘がやせて、テトラポッドで砂流出を防ぐ。「アタマが浜松」思考から抜け出せない人。ガチンコで資格試験に通った者はずるくない。カネで買ったような建築学科卒の者や医科大裏口入学の者がずるい! ダンピング坪単価とテレビ広告で売る浜松営業こそずるい! https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_7.html
2.樹木の生えた丘と土の丘が2列にある。テトラポッドが沖に。労基法違反の会社・脱税経験の会社・安全対策不備の会社から浜松市は寄付金をもらっていいのか? それが「福沢精神」なのか? それが「独立自尊」か?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_8.html
3.2列の丘。土の丘から見た浜松駅付近。高層ビルをありがたがる精神面がイナカモン。木質系プレハブもコンクリート系プレハブも鉄骨系プレハブと一緒にして建築現場の仮設小屋だと決めつける一条浜松流営業のデタラメをありがたがって聞くのはやめてください。一条の「がばいじいちゃん」(仮名)を見捨てる無慈悲な会社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_9.html
4.海側の丘は砂丘でなく人工の「防潮堤」だった。従業員の賃金をへつったカネが「防潮堤」に化けた。法学部卒の浜松市長鈴木康友さん、それでいいのか?堆砂垣は昔はなかった。ダムで砂丘がやせた。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_1.html
5.陸側の丘に生える松は黒松か赤松か。松丸太梁に使われる松は黒松ではなく赤松の方が良いのか。松杭は今も地盤補強に使われている。条件のいい展示場にばかりいて人の契約横取りして棟数稼ぐ「金田みたいなやつ」たる自称「一条工務店の土台を築いてきた人たち」「MVPメンバー」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_2.html
6.恥知らず「一条堤」碑。従業員の給料削ったカネを寄付する労基法違反の会社を称える浜松市と浜松商工会議所。息子・関連会社社長が女性を刺し殺した件で辞任したはずの社長が平気で顔を出す「一条堤」と平気で受け入れる浜松市長と静岡県知事と浜松商工会議所。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_3.html
7.「防潮堤」は津波対策として河口付近には役に立たないのではないか。両隣の市にはむしろ津波の害を大きくすることはないか。CSG工法とは。自然に広まった名称が「通称」で誰かが決めたような名前は「通称」ではない。 〔今回〕
8.もともと、地元向けで観光用でない中田島砂丘は観光資源としては要らないのではないか。「防潮堤」が海側と陸側に「砂丘」を分けたことの影響。砂丘は保護すべきものか撤去すべきものか。「通称」とは「一条堤」のようなものを言わず、「パリ寮」のようなものを「通称」と言う。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_5.html
9.建物はあっても閑散とした倉松町の(株)一条工務店跡? 木材は潮風にあたると傷むのか? 「当店は丹波産黒豆を使ってます」と丹波産以外も使っているのに言うラーメン屋みたいな建築屋。遠方から来る従業員は遅刻しないのに遅刻してくてふんぞり返る浜松営業。「遠州人だけ得することならどんなことでも『やらまいか』」という「やらまいか精神」による「防潮堤」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_6.html

☆ 浜松シリーズ
☆ 中村家住宅(浜松市西区雄踏町宇布見 〔うぶみ〕)
1.浜松IC・浜松西ICから中村家住宅まで。長屋門。茅葺と瓦葺のミックスの屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_2.html
2.「和小屋組と扠首(さす)組が合わさった小屋組」、「浜松なのにイナカくさくない」、元 梁材を「柱」にするのではなく上り口に使用。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_3.html
3.「押板」・畳敷きの部屋の囲炉裏・女性的な造りの和室。茶室。「浜松に『浜松流』、他の場所にはその場所流」と考えることができない浜松中心主義は困りもの。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_4.html
4.「鏡戸」「板戸」。内側の雨戸、縦桟の格子。「面取り」した柱とそうでない柱。噛み合わせを設けて継いだ木材。細くない「貫」。飲食店なのに不衛生なしつらえの「花の舞」。嫌がらせの配置をされて学ぶ者と去る者。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_5.html
5.胞衣塚・天神社跡地・茶室・屋敷神祠・井戸屋形、満開の桜。中家住宅(大阪府熊取町)・大国家住宅(岡山県和気町)について。3月下旬、中村家住宅の桜はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_7.html
6.中村家 北西の天神社。元 中村家の氏神だった天神社。岩長姫は長寿の神? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html

☆ 深奥山方広寺(浜松市北区引佐町奥山)と「信教の自由」を侵害する者
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_4.html
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_8.html
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_10.html
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_14.html 
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_15.html
(番外)『ゴルゴ13』と考える「信教の自由」。「信教の自由」を侵害する深奥山方広寺は宗教失格。「信教の自由」を侵害する営業は三流の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_4.html 

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