登呂遺跡見学【3/3】登呂遺跡博物館。「エスキモーの家」か「弥生時代の人の竪穴住居」みたいな「浜松の家」の展示場に勤務した経験と傲慢な「遠州人」。認知度の低い時代に苦労して尽力した従業員を「すて石」にする「一族」の会社。

[第866回]
  登呂遺跡 の西側に静岡市立登呂遺跡博物館が建っています。↓
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( ↑ 静岡市立 登呂遺跡博物館。 北面。)
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( ↑ 静岡市立 登呂遺跡博物館。 南面。)
  2面に出入口があり、特にどちらが正門側ということはないのですが、外観では北面の方が玄関側のようにも見えるので、ここでは北面の方を先に掲載しましたが、今は、コロナウイルスの問題から入口と出口を分けて、南側を入口、北側を出口としています。



  1階に「弥生体験展示室」と「ミュージアムショップ」があり、2階に「常設展示室」があって、ここに出土品が展示されており、2階から上は有料です。どういう分け方かよくわからないが、1階の「弥生体験展示室」は無料で見学できます。2階には「常設展示室」があって出土品の展示がされ、別に「企画展示室」があり、今回は「ひょっこり有度山展(うどやまてん)」が開催されていました。3階建てで、3階から2階の上の屋上に出ることができ、そこから登呂遺跡 全域を3階の高さから見ることができます。↓
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 「有度山(うどやま)」は、静岡市駿河区と清水区にまたがった海に近い場所にあり、『県別マップル 静岡県道路地図』(2020.6. 4版。 昭文社)を見ると、「有土山」という名前の山があって、これが標高306.9m。海に近い場所にあるわりにけっこう高い。 この有度山のすぐ西に、知名度がある「日本平(にほんだいら)」、有土山の海側に、やはり、知名度がある「久能山(くのうざん)」「久能山東照宮」がある。
※ ウィキペディアー久能山東照宮 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E8%83%BD%E5%B1%B1%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE
 久能山は単に東照宮の名前であるだけでなく、久能山という名前の山がある。有度山 はともかく、久能山 は海に近い場所なので、たいした標高はないのではないか・・と思いそうだが、大阪市港区の天保山 4.53m なんかとは違う。久能山は標高216mあるらしい。 一人前に山である。
  久能山から日本平にかけて、日本平ロープウェイがあるようだ。
※ 日本平ロープウェイ https://ropeway.shizutetsu.co.jp/
  今は昔、東名高速道路のトンネル内で大事故が発生して、それがきっかけで「トンネル内、車線変更禁止」のトンネルが出たというのは・・、それは日本平(にほんだいら)ではなく「日本坂(にほんざか)」トンネルで、「静岡」インターチェンジの西にある。
・・ー焼津インターチェンジー日本坂パーキングエリア日本坂トンネルー静岡インターチェンジー日本平久能山スマートインターチェンジ日本平パーキングエリアー清水インターチェンジー・・
という並びで、日本坂と日本平は直接関係はないみたい。
  「日本平(にほんだいら)」て何なんだ・・というと、《ウィキペディアー日本平》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B9%B3 によると、《日本平は駿河湾の沿岸近くにある有度山(うどやま)の山頂とその一帯で、富士山や伊豆半島が駿河湾越しに見え、北には赤石山脈(南アルプス)も望める。眼下には清水区の街並みと清水港が広がり、夜景のスポットにもなっている。 1950年(昭和25年)、毎日新聞社主催の観光地百選において、平原の部で第1位となり、 1959年(昭和34年)には国の名勝にも指定された。 》というものらしい。「・・平(だいら)」という名前があるように、丘陵地らしい。
  「ひょっこり 有度山展」は「しぞーか の平野に !ひょっこり! あらわれた不思議な山 有土山(うどやま)」がどのようにして出現したのか・・・といった展示のようだった・・が、時間がなかったので、これは入口からのぞいただけで帰った。

  1階のミュージアムショップで、竪穴式住居 に眼が書かれて足がついた「ゆるきゃら」が描かれたTシャツだったかトレーナーだったかが販売されていたが・・、しかし、竪穴式住居に眼が書かれて足がついた「ゆるきゃら」て、傘のお化けみたいで、なんだか・・と思った。
※ 静岡市立 登呂博物館 https://www.shizuoka-toromuseum.jp/

  登呂遺跡で復元された竪穴式住居には、
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↑ 1号住居のように、屋根が一体になったものと、
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↑ 屋根が2つの部分に分かれたものがある。

  屋根は中心に向かって等しく集まるように構成されているのかと思いきや、内部に入ってみると、↓
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↑ 切妻屋根のようになっていて、「妻」面の部分に明り取りが設けられている家屋がある。
上から見た平面では円形ではなく楕円形で、「妻」方向が短軸で「平(ひら)」方向が長軸と思われる。
「妻」側に明り取りがあることがあり、出入口は「妻」側に設けられている。

  高床式倉庫と祭殿は構造が似ているが、↓
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↑ 祭殿。
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↑ 高床式倉庫。
  よく見ると違いはある。 祭殿には棟持柱(むなもちばしら)がある。
祭殿には、千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)がついている。
  全体的に、祭殿の方が大きい。

  静岡市立登呂遺跡博物館の西側に「静岡市立芹沢銈介美術館」「芹沢銈介の家」があるが、今回は訪問する時間がなかったので行けなかった。
  《ウィキペディアー芹沢銈介》 によると、《芹沢 銈介せりざわ けいすけ、芹澤銈介、1895年(明治28年)5月13日 - 1984年(昭和59年)4月5日)は、日本の染色工芸家。静岡県静岡市(現:葵区)生まれで、静岡市名誉市民。文化功労者。重要無形文化財「型絵染」の保持者(人間国宝)。》らしい。
  「芹沢銈介の家」というのは、この登呂遺跡のすぐ西の場所に芹沢銈介が住んでいたのか・・というと、そういうことではないらしく、
《 もともと宮城県登米市石越町にあった板倉でした。一階には米や野菜、農具などを収納、二階は雇い人などの宿泊場所として使われていました。芹沢はこの板倉にひかれ、昭和32年(1957年)に東京・蒲田の自邸内に移築、随所に芹沢らしい工夫を施して、新しい命を与えたのでした。
  もともと倉だったといっても、この建物には古民家のような重厚感はありません。むしろ簡素で軽快な感じで、芹沢らしい小粋な感覚で貫かれています。芹沢自身、「ぼくの家は農夫のように平凡で、農夫のように健康です」と語り、愛着を持っていた建物でした。》
というもので、昭和62年(1987年)9月14日に移築され、静岡市立芹沢銈介美術館の付属施設として、日曜・祝日に公開されているらしい。
※ 芹沢銈介美術館 https://www.seribi.jp/

  さて、登呂遺跡というのは、なにしろ、「教科書に載っている」くらいの史跡ですから、相当、昔から知られていたものか・・と思っていたのですが、登呂遺跡博物館に行って、登呂遺跡の歴史の展示を見てみると、発見されたのはけっこうあたらしく、いつかというと、昭和18年(1943年)のことらしい。
太平洋戦争中の昭和18年(1943年)に軍需工場建設の際に発見されました。学界の注目度は高く、短期間ながらも調査が行われました。弥生時代の水田跡が確認されたのは日本で初めてのことでした。》
ということだったらしい。
 「終戦」だか「敗戦」だかが1945年(昭和20年)ですから、その2年前です。「終戦」「敗戦」の2年前なんて、そんな時期に遺跡の発掘をやっていたのか・・というと、そうではなく、軍需工場として住友軽金属のプロペラ工場を建設しようとしての建設工事の際に発見された・・というものだったらしい。 登呂遺跡博物館に提示されていた地図によると、東海道本線から引き込み線を南下させて、軍需工場としてのプロペラ工場まで引く図が出ていました。 その建設工事の際に発見されて、そして、
《 戦後、昭和22年(1947年)から昭和25年(1950年)にかけて本格的な発掘調査がおこなわれました。大量の土器・木製品などの出土品に加えて、住居跡・倉庫跡などの居住域が水田域と一体となって確認され、「弥生時代といえば水田稲作」というイメージが定着する契機となりました。また、この調査をきっかけに日本考古学協会が発足しており、戦後の日本考古学の出発点としても記念すべき遺跡です。昭和27年(1952年)には国の特別史跡に指定され、その後、史跡公園としての整備が進められました。・・》(静岡市立登呂遺跡博物館でもらったリーフレット「静岡市立登呂遺跡博物館 特別史跡登呂遺跡 登呂を知る」)
というものらしい。
  「教科書に載ってる」、それも小学校の教科書からして載ってるくらいのものですから、遅くとも明治の初めくらいには知られていたものかと思ったらそうではなく、「終戦」「敗戦」の直前の時期に軍需工場建設の工事の際に見つかり、戦後すぐの時代から発掘調査がおこなわれた・・というものだそうだ。


  「特別史跡 登呂遺跡」の竪穴式住居を見ると、「へえ~え。弥生時代の人間というのは、こんな家に住んでいたのかあ~あ」という感想を持ちませんか。 実は・・、私、1992年から1993年にかけて、東京都江東区潮見 にあったウッディランド東京という林野庁が運営していた「国産材の使用を促進する」ための施設にあった住宅展示場に(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ が出展していた東京展示場で、似たようなことを来場客から言われたことが何度もあるのです。
  「へえ~え。浜松の人というのは、こういう家に住んでいるのですかあ~あ・・・」と。なんだか、「エスキモーの家」とか「アラビア遊牧民の家」とか、そういう家の展示みたいに言われました。登呂遺跡に竪穴式住居を見学に来た人みたいに言われました。
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ニューギニア高地人 (朝日文庫) - 本多 勝一
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 他にも、「うわっ、田舎の家みたい」とか「田舎の家て、こんな感じですよね」とか言われました。
  (株)一条工務店の東京展示場があった江東区潮見というのは、JR京葉線で、ディズニーランドがある「舞浜」駅の東京駅側の葛西臨海公園がある「葛西臨海公園」駅の東京側の夢の島熱帯園がある「新木場」駅の東京側の「潮見(しおみ)」駅が最寄駅で、「ディズニーランドに行こうと思って舞浜に行ったら込んでいたのでやめて、葛西臨海公園に行こうと思ったらそこも混んでいたのでやめて、夢の島熱帯園に行こうと思って新木場に行ったらやっぱり混んでいたのでやめて、ウッディランド東京に行こうと思って潮見で降りてここに来たら、ここはすいていた」なんて言われたこともあり、そういう調子で来場した人が、「住宅展示場」を「見学」に来場すると、「へえ~え、『浜松の家』てこうなっておるんですかあ」 「浜松の人って、こういう家に住んでるんですかあ。東京の家とはずいぶんと違いますねえ~え」と言われることになったのでした。「そういえば、昔、田舎の家て、これに似たような感じになってましたよねえ」とかも言われました。
「田舎のおばあちゃんち、こんな感じだったよねえ~え♪」「たしかに、田舎の家ってこんな感じだよねえ♪」とか、言われて・・・
  ・・ところが、「(株)一条工務店の遠州人」は、東京人が「へえ~え、浜松の家ってこんなになってるんですかあ」と、まさに登呂遺跡の弥生人の家を見て言うようなセリフを口にして見ているのに、そういう「浜松の家」「田舎の家」「昔の田舎の家」のことを「完璧にすばらしい」とか、「浜松でいいものは、東京でも大阪でも全国どこでも絶対にいいに決まってるんだ。こんな常識がわからんのか」と大声で叫び、まさにほとんどビョーキ的浜松中心主義・浜松独善主義を主張していたのでした( 一一)  もう、「ほとんどビョーキ」ですよ、遠州人というのは。「(株)一条工務店の遠州人」は「ほとんどビョーキ」!!! 「ほとんど」じゃない。もはや、精神病理学上の問題です。
くるいきちがい考 (ちくま文庫) - なだ いなだ
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何より、彼ら「遠州人」に問題があるのは「病識がない」という点です。
  竪穴式住居とか高床式倉庫を見て、なかなかよく考えて造られているなあ・・と思っても、それを自宅の敷地に建てて住もうと考える人はありませんでしょ。(株)一条工務店の東京展示場に来場した人は、それと同じように感じていたのです。「へえ~え、浜松の人というのは今でもこんな家に住んでるのですかあ~あ」と感嘆の声をあげて見学して行かれました。〔これ、言ってる人は悪気で言ってるのじゃないですからね。本当にそう思って言ってるのですからね・・。〕
  それを、遠州人は「なんで売れんら。なんで売れんら」と言うのです。東京の住人が東京で家を建てるのに、何もわざわざ、物好きに登呂遺跡みたいな「浜松の家」を東京で建てる必要ないでしょうよ・・( 一一)  東京には「東京の家」を建てる建築会社はいくらでもあるのに、何もわざわざ「エスキモーの家」「アラビア遊牧民の家」か「弥生時代の住人の家」かを「あやしい浜松の工務店」で建てる必要なんてないでしょうよ・・て、これ、私が言っているという性質のことではなく、当時の東京圏の見込客の意識がそうだったのです。
  「うわあ~あ、田舎の家みた~い♪」「そういや、おばあちゃん所の家、こんな感じだったわねえ」・・なんて、なんだか、「う~さ~ぎ~追~いし、か~のおや~まあ~♪」て感じで郷愁を込めておっしゃるのでした。そして、ズバリ言われるのでした。「さすがに、東京ではこんな家を建てる人は誰もありませんでしょ」と。
〔 「いや、それを売ってまんねんけど」「それ、竪穴式住居の展示ではなく、その『浜松の家』を東京の住人に販売しようとしてまんねんけど」・・て、言える雰囲気ではないのだが、言わなきゃ商売になりまへん・・が言っても商売になりまへん・・ 〕
※ 《YouTuve-ふるさと (故郷)》https://www.youtube.com/watch?v=p1eZ8sIDF1A
  ・・・それらの文句を、そのまま、「こう言われました」と報告すると怒られるのです。遠州人から。「そういうことを言うからいかんのだああ~あ!!!」と。それなら、「そういうこと」を言った人にそう言って怒ってほしいのです。私が言ったのではないのですから。 「さすがに、東京でこんな家を建てる人なんてありませんでしょ」と私は言われたのであって、私が言ったのではないのだから、言った人に「そういうことを言うからいかんのだああ~ああ!!!」と怒ってほしいのです・・・が、「(株)一条工務店の遠州人」というのは、絶対に言った人間に怒らずに言われた人間に怒るのですよね。ひきつけ起こして。これ、遠州人根性とでもいうものなのでしょうか。せめて、ひきつけ起こさないように、あらかじめ、医者にかかっておいてほしいものですよねえ、ほんとに・・( 一一)
新版 ひきつけ・けいれんは小児てんかんを疑え (健康ライブラリー) - 金澤 治
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  何度も何度も、そういう文句を言われまくると、なんだか、わびしくなってきます・・・、ほんと。さらには、東京都江東区亀戸のJR総武線の線路のすぐ北側、JR「亀戸」駅と「錦糸町」駅の中間付近にかつてあった城東マイホームセンターに新展示場を建設中、日曜日に工事中現場の前に机を出して通りかかる人に声をかけるということをしたのですが、同マイホームセンターに出展していた三井ホームの展示場に勤めていたおばさんが帰り際、(株)一条工務店の展示場の前を通った時、私に「浜松からこんな遠くまで来て大変ね。頑張ってね」なんて言って帰りやがった。なんだか、格下の会社の従業員を見下したような眼つき・態度・口のきき方。なにより、俺は浜松から来てるんじゃねえよ! 俺は浜松の生まれじゃねえよ、こんちくしょう!! 自分が「三井」に勤めてたら、勤め先が「三井」であるのに自分も「三井」になったみたいに勘違いした態度。たとえ、「三井」に勤めていても、勤め先が「三井」であって、おめえが「三井」じゃねえだろうが、こんちくしょう! なんか、チョーむかつくう~う!
・・と思うのだが、三井ホームとかに勤めてる人間からすると、(株)一条工務店なんて浜松のえたいの知れない田舎の工務店とその従業員というのは、そんな感じだったのだろう。
あぶない2×4ハウス - 後藤 公司
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 ・・・なんか、わびしいのお~お・・
 こういう時に合う歌というと、やっぱり、これだな・・・⇒《YouTuve-昭和枯れすゝき - さくらと一郎》https://www.youtube.com/watch?v=iHpdxhwgJpA

  また、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の初期のネーミングはダサイ! まさに「いなかもん」的ネーミングだった。「セゾン」てどういう意味かというと、英語のシーズン(season)(四季)のフランス語が「セゾン」・・だが、浜松の人間は「セゾン」ていい名前だなあと思うらしいのだが、東京の人間はどう受け取るかというと、「なんか、西武のパチモンみたいな名前」・・と東京の人間は考える。その名前が他の地域でどう受け取られるかなんてまったく考えない、「浜松よければすべてよし」という思考でに命名だった。 港区三田の慶応義塾の三田キャンパスの近くに「慶應不動産」という不動産屋があったように思ったのだが、今もあるだろうか。あれは、別に慶應義塾が経営しているのではなく、慶應大学の近くにあるから「慶應不動産」と名のっていただけのはずだ。横浜市港北区に「慶友病院」という整形外科だったかの病院があったのだが、あれは、たぶんだが、院長だかが慶應大医学部卒で、「わしぁ、慶應大医学部卒でんねん。金権裏口私立医大卒とは違いまんねん」と言いたいから「慶應の友達」という名前をつけていたか・・と思うが、慶應病院とは違って慶應義塾が経営しているのとは違うだろう・・が、別に何か詐称しているわけでもないだろう。 慶應はまだいいのだが、早稲田大学の「早稲田」というのはもともとが地名だから、「早稲田◇◇」という店は「慶應▽▽」よりはるかに多い。 たしか、昔、「日立信販」なんて会社があったのを覚えている。うちの家にも、なんかようわからん「日立☆☆」という名前の会社から何かの勧誘の電話がかかってきたことがあって、うちの父親が、いったん電話を切った後、こちらから電話をかけ直して、「お宅の会社は日立製作所と何か関係あるのですか?」と質問したら、「別にありません」という返事だったということがあった。有名なものでは「豊田商事」なんてのがあった。「自動車のトヨタよりも有名、プロレスラーの豊田よりも狂暴」のおばさんもいた。「ち~が~う~だ~ろ! このハゲぇえ~え!」て、なんか、あんなにならないと東大に合格できないのなら、東大に行かん方がええのとちゃうか・・て感じがしてくるが、別に、あんなにならなくても、なっても、東大に通るかどうかとは関係はないと思う・・。たぶん・・。
  それで、だ。浜松においては「西武セゾングループ」というものが、それほど知られていないだろうから、「セゾン」という名前を商品名につけても特に問題はないだろうけれども、東京で「セゾン」なんて商品名を「浜松のえたいの知れない工務店」がつけるとどうなるか? 日立製作所と関係ないのに「日立◇◇」と名前を付けている会社、トヨタ自動車と関係ないのに「豊田☆☆」と名前をつけている会社と同様に、「西武と関係ないのにセゾンなんて名前をつけている会社」というのは、東京の人間からどう思われるか? 遠州人はまったくわからないらしいのだが、東京で勤めた従業員は骨身にしみて感じたものだ。まさに、おのれの骨と肉のきしみで実感した。 江東区亀戸に1993年1月にオープンした新展示場で、そこに勤務していた某くんから聞いた話だが、(株)一条工務店の亀戸の展示場の玄関から入ってきた家族連れの親父が「おい! ここ、一条工務店なんて書いてあるぞ。ここ、西武じゃねえぞ、ここ! 早く出ろ、こんな所、入っちゃだめだ! 早く、出ろ、出ろ! だめだ、こんな所、入っちゃ! 早く出ろ、ここは西武じゃねえ。一条工務店なんて書いてある。早く出ろ。こんな所、入っちゃだめだあ!!!」と、そう言って、出て行ったそうだ・・
⇒《YouTuve-昭和枯れすすき ちあきなおみ》 https://www.youtube.com/watch?v=BLiR75c0c8g

  私自身も経験した。1993年5月だったか、千葉県松戸市岩瀬 の今はなくなったハウジングギャラリー松戸 という総合住宅展示場内の(株)一条工務店の松戸展示場で。向かいの住友林業の展示場から出てきた家族連れの男の子が、(株)一条工務店の松戸展示場に入ってきて、すぐに靴を脱いで中に上がり込んだところ・・・、その母親が入口から「ちょっと。◇◇! ここは入らないの。ここは入っちゃ、だめええ~え!!! ここは入っちゃだめな所なのお。出てきなさ~い! ここは入っちゃだめな所よお、早く、出なさ~い!!! 入っちゃだめよお。ここは入っちゃだめって言ってるでしょお~お! 早く、出てきなさ~い!!! ここは入っちゃだめな所だって言ってるのにわからないのお~お!!!」と玄関入口から悲壮な声で絶叫
⇒《YouTuve-昭和枯れすすき ちあきなおみ》 https://www.youtube.com/watch?v=BLiR75c0c8g
・・なんにも、悪いことしてないのになあ~あ

  (株)一条工務店は、構造材はすべてムク材、柱材はすべて国産材のムク材を使うというのが売りでしたが、しかし、地方ではそれが「売り」になっても都市部ではそうはいきません。「(株)一条工務店の遠州人」は「ムクはともかく、いいに決まってるんだ。こんな常識もわからんのか」などと叫びますが、そう思ってくれる見込客が多い地域だといいのですが、そうではない地域もあるのです。東京圏ではそうはいきません。どう言われるかといいますと、「なに。お宅はムク材なんか使ってんの。集成材の方が強くていいんでしょ。住友林業の人がそう言ってたよ。あんた、そんなことも知らないの!!!」と。何度も言われました。「今、そこの住友林業の人に教えてもらったんだよ。集成材の方が高級品でいいんだって。お宅はムク材なんて使ってんのかい」と、何度も何度も言われました。「集成材の方が強くて高級品なんだって、向かいの住友林業の人がそう言ってたよ。あんた、そんなことも知らないの!!!」と、何度も何度も言われました。私は決してデタラメ話しているわけではありません。ある程度以上、調べた上で、そんなにおかしなことではないことを話していたはずですが、それでも、同じようなことを話しても「住友林業の人」から聞いたというのと、「浜松のわけのわからない工務店の人間」が言うことというのとで、どちらを信じてもらえるかは全然違うのです
2001年、(株)一条工務店の栃木県地域の営業全員を集めての研修が加須だったかどこだったかでおこなわれたのですが、その際、NHKの「プロジェクトX」という番組で放送されたヤマト運輸が宅急便を始めたばかりの頃の苦労話の話を見せられました。慶應大学商学部の講義の際に聞いた話では、ヤマト運輸はかつては三越の配送をやっていたのをやめて宅急便を始めたらしい。その宅急便を始めたばかりの頃、なかなか頼んでもらえなくて苦労した話を「プロジェクトX」で放映していたのでした。ヤマト運輸の「セールスドライバー」が「郵便局の前に行って、小包を出そうとしているおばあさんに『おばあちゃん、その荷物、私に運ばせてもらえませんか』と言ったところ、『これはね。孫に送る大事な荷物なんです。だから、これはあなたには頼めません。郵便局に頼みます』と、そう言われました」と涙を流しながら話していた姿が放映されていた・・というのは、あれは「やらせ」じゃないよなあ。役者が演技していたわけではないだろうなあ・・。それと同じような経験をした。同じようなことをやっていても、「住友林業の人」が言うのと「一条工務店なんて聞いたことない浜松の工務店の人間」が言うのとでは、どちらを信じてもらえるかは全然違うのだった。
  たとえ、こちらの方がまともなことを話しても、「住友林業の人はそうじゃないって言ったよ。あんた、嘘ついちゃだめだよ」と言われ、「嘘なんてついてないですよ」と言っても、「住友は絶対に嘘つかないからね。俺は嘘つくような営業は大嫌いなんだ」と言い、「ですから、嘘なんて言ってませんよ」と言っても、「いやいや、住友林業の営業から教えてもらったんだ。俺はおまえみたいな嘘言うやつが大嫌いなんだ」と言って嘘つき住林の営業を信奉して、嘘を信じてしかたがないおっさんをいったいどうすればいいのかと頭を抱えたものだったが、「一条工務店」という名前を出すと「一条工務店なんて、そんな所、入っちゃだめえ~え!」と叫ばれる所で営業してきた者に向かって、「一条工務店」という名前を出すだけで「ちょっと、相談に乗ってもらいたいんだけんども・・」と言われるような地域でばっかり営業させてもらってきた近藤路夫は、よくも勝手な口ばっかりきけたものだとつくづくあきれる。

  何にも、嘘なんてついてないのに、「俺はおまえみたいな嘘つく営業というのが大嫌いなんだ」と、住友林業の営業がついた嘘を真実だという前提から本当の事を話しているこちらを「嘘つきだ」と罵りまくるおっさん・・・というのは、どうすれば考えを変えてもらえるものかと東京展示場・松戸展示場にいた時には思ったのですがそういう人というのは、もう、住友林業教の信者ですから、宗教の信者に「あなたが信じている宗教は間違っていますよ」と教えてあげようと思っても無理であり、そういう人に考えを変えさせようとしても無理だと思って無視するようにした方が良かったのではないかと後に思うようになりました。
  2001年に栃木県佐野展示場にいた「高木のおっさん」(男。当時、50代。創価学会員。元自衛隊。元トヨタカローラ)に創価学会をやめろなんて言っても絶対にきかない・・だけでなく、職場で「聖教新聞を購読しろお」とストーカーとなって追いかけてくるのをやめさせようとしても無理であり、又、(株)一条工務店にそういうことはやめさせてくださいなんてお願いしても「保護義務違反の(株)一条工務店」は絶対に対処しませんし、「高木のおっさん」に会社の通達の間に公明党のチラシをはさんでまわすのをやめさせようとしても無理であるのと同じく・・「高木のおっさん」は「(株)一条工務店の会社の通達の間に公明党のチラシをはさんでまわすのはやめてください」と言うと「なんだと、てめえ、この野郎!」と言ってつかみかかってきますから、「高木のおっさん」にとっては会社の通達の真ん中に公明党のチラシをはさんでまわすというのは「常識」であり正しい行為であり、それをやめてくださいと言う者というのは「仏敵」とか思っていたのでしょうから・・・、住友林業教の信者というのもまたそれと同様で、住友林業の営業が言った嘘を指摘・批判する者がいたなら、そういう者は「仏敵(ぶってき)」だと考え「折伏(しゃくぶく)」してやる対象と考えるわけですから、同じ在来木造の構法で検討している人だから見込客だとは考えず、むしろ、そういう「住友林業教」の「宗教の信者」というのは、(株)一条工務店の営業としては、無視した方がいい相手と考えた方が良かったのかもしれない・・と後に思うようになりました。「高木のおっさん」は「〇〇さん、聖教新聞を購読してちょうだい。聖教新聞というのは他とは違って絶対に嘘は書かないから。本当のことだけを言う新聞だから」と言うのだったが〔 「購読してちょうだい」ですからね。「もし、よかったら、聖教新聞を購読してみませんか」ではなく、創価学会員でもない人間に向かって「購読してちょうだい」と当然のことだとして要求しますからね。 洗剤もビール券も市指定ゴミ袋もつけずに。〕、「住友林業教の信者」というのはそれと似ている。「高木のおっさん」は聖教新聞が「絶対に嘘は言わない」と言うのは、それはどういう根拠によるものかというと、「聖教新聞が言うことだから」であり創価学会・公明党・聖教新聞というものを「信じている」のです。「住友林業教の信者」が「住友林業は絶対に嘘は言わないから」というのも、その論拠はというと「住友林業の言うことだから」で「信じている」のであり、もう、そういう「宗教の信者」にその信仰を改めさせようとしても、ほとほと疲れる・・・( 一一) 実際、「創価学会のおっさん」と「住友林業教の信者」とには共通点がある。 それから「読売新聞の購読者が多い地域」と「住友林業が強い地域」とにも相関関係がある。いずれも、「権威主義的パーソナリティー」の傾向が強い人に受け入れられる傾向があるので、その結果として、「読売新聞の購読者が多い地域」は「住友林業が強い地域」とかなり重複していると思われる。
⇒《YouTuve-昭和枯れすすき 宴 八代亜紀》https://www.youtube.com/watch?v=SggY1F2xhaE
現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎

  そして、浜松の「研修」で、名古屋南営業所の「所長」の近藤路夫という男(当時、50くらい?)が、「何、言ってるんだ。そんなもの、住友林業と競合だったら、『ごちそうさん』てなもんだ。何をわけのわからんこと言ってるんだ。それは、おまえがまともな営業やってないから聞いてもらえないんだ。おまえが悪いに決まってるだろうが」と、そう言いやがった。それから約30年経つが、近藤路夫が口にした文句、決して忘れはしないし、これからさらに30年経っても、もし、生きていたなら忘れることはない。死んでも忘れはしない。
  近藤路夫は、その「研修」に参加していた者に、「どうだ。住友林業と競合になったら、住友林業の方が有名会社だから住友林業の営業の言うことの方を聞いてもらえるなんてこと、あるか」と言ったところ、どこの営業所の人間だったかが「私の場合は、『住友林業は財閥系の会社だからいいと思う人もいるかもしれないけれども、一条工務店の方が建物はいいと思う』と言ってもらえますね」と言いやがったのだ。どこの営業所の人間だったか忘れてしまった。又、その男の氏名も忘れてしまった。失敗した。どこの営業所の何というやつか、きっちりと記憶とともに記録しておくべきだった。その人格的程度の低い男の言うことを聞いて、近藤路夫は「そらみろ。わかったか」などと言ったのだった。ふざけんな。わかってたまるか!
  そうではないのだ。その男の発言の文句だけ聞くと、なんだか、その男が努力して「住友林業は財閥系だからいい」と思っている人を(株)一条工務店の方が建物はいいと説得して考えを変えさせたかのように聞こえてしまうが、「ち~が~う~だ~ろ! このボケぇ~え!!!」⇒《YouTuve-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4
そうではないのだ。地域によってその会社の評価も違えば、建物の評価も違うのだ。その時、発言した男というのは、「住友林業は財閥系の会社だからいいと思う人もいるかもしれないけれども、一条工務店の方が建物はいいと思う」と、その男が努力してその見込客の考えを変えさせたのではなく、もともと、「住友林業は財閥系の会社だからいいと思う人もいるかもしれないけれども、一条工務店の方が建物はいいと思う」と思ってくれている人が多い地域で営業させてもらっていたのだ。そして、近藤路夫もまたそうだったのだ。ふざけんな! 近藤路夫!〔⇒[第720回]《もとから「地方」にいた「住友林業は財閥系だからいいと思う人もいるだろうけれども一条工務店の方がいいとうちは思う」人。(株)一条工務店の営業が努力して見込客に考え方を変えてもらったのではない――「一条の家はすべてにおいて完璧にいい、問題点はまったくない」の反証》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201909article_6.html 〕
  近藤路夫は名古屋南営業所の「所長」であり、その時点で「通算契約棟数3位」ということになっていた人間だから、当然、こういったことは理解できていたはずである、理解できていないのならおかしいし、この程度のことも理解できていない者が「所長」にならせてもらっていたのが間違っている。理解できていない人間なら、そんな人間が「研修」の講師役で出てくるのが異常である・・はずだと思ったのだが、びっくらこっこ、びっくらこっこ・・したことに「遠州人」は理解できていないようだった。理解できていないし、理解すると自分たちが損するので理解しないようにしていたのだった。こちらが我慢して聞いていると無制限にズに乗る男だった。まったくつくづく卑怯な人間である。これは許すべきではない。
  1993年のその時点で、近藤路夫は「通算契約棟数3位」ということになっていたのだが、
(1)「通算契約棟数」というのは長くいる人は多くなるということもあり、又、
(2)バブル崩壊前とバブル崩壊後の棟数を比較してもしかたがないという面があり、又、
(3)(株)一条工務店は私が入社した1992年頃から後は「労働集約型」営業、1展示場あたりの営業を多くして、展示場あたりの契約は多くするが営業1人あたりの契約は少なくなるという方針に変えたので、それより前と後とで契約棟数を比較しても意味はないということもあるが、何よりも、近藤路夫の契約棟数は八百長である。裏口入学みたいな契約棟数である。1999年、(株)一条工務店は「会社提携」いうものを始めて、「提携会社」に勤めている人には、サービスとしていくら減額しますだったか始めたが、その「提携会社」に勤めている人の契約の場合は営業の評価は0.5棟扱いということにした。私はこのシステムは絶対に良くないと思っている。何よりも、その「提携会社」に勤めていて契約した契約客にとって絶対にいいことないと思っている。何十万円か値引きしてもらうか、もしくは何かサービスでつけてもらうかしても、そのかわりに営業の努力を半分にするというのなら、明らかにマイナスの方が大きい。施主が営業さんに何かあげたり、家に来た時に何か食べさせてあげたりするのは、営業さんにそのお施主様の家のために一生懸命やってもらおうとするからである。それを、営業の報酬は、その家は他の家の半分ですから営業の努力も半分でよろしいとされたなら、そんなもの、何十万円くらいのものを「サービス」してもらってもマイナスの方が絶対に大きいはずだ。・・それで、(株)一条工務店は「会社提携」の会社に勤めている人にはいくらか値引きするかわりに営業の評価は0.5棟扱いにしたのだから、それから考えるならば、
(1)東京都・神奈川県で坪55万円で売らされていたものを、浜松・掛川では坪48万円、近藤路夫が在籍した名古屋南営業所では坪49万5千円でウルトラのダンピング販売をしていたのだから、浜松・掛川や近藤路夫が在籍した名古屋南営業所の契約は1/3棟扱いでも評価が高すぎるはずだ。さらに、
(2)静岡県中西部・愛知県ではテレビ広告を”ドカンと一発♪” しまくり千代子やっていたのだから、その理由で0.5棟扱いにするのは当然のことである。他にも、
(3)東京都ではピンコロという小さい束石なのに浜松・掛川・名古屋では「マンホールの蓋みたいなでっかい束石」で施工を勝手にサービスしていたとか、
(4)東京都・神奈川県には設計担当者がおらず、名古屋南営業所に在籍した設計のうちの新人が東京営業所で契約した契約客の設計担当で、名古屋南営業所に在籍した経験がある設計が名古屋南営業所の営業の担当客の設計担当としていたのだから、この点でも0.5棟扱いにするべきであり、単純に計算して、名古屋南営業所の近藤路夫の契約棟数は、
0.33×0.5×0.5=0.0825 という計算になり、
1棟あたり、0.0825棟の評価・・と、これでも評価が高すぎるはずだが、まあ、泣きよってもうるさいから、きょうはこのくらいでええことにしといたろ・・・ということで、名古屋南営業所の契約棟数は、0.0825 をかけた数値とする・・というくらいにはするべきで、そのように計算したならば、近藤路夫の通算契約棟数は間違いなく「3位」ではなくなるはずだ。
(5)又、(株)一条工務店は私が入社した1992年頃は「施工面積」で60坪以上は営業の評価は2棟扱いとしていて、そのうち、70坪以上に変更したが、地方に行くと面積の広い家を建てる人はあるが、都市圏ではそれほど多くなく、逆に都市圏では面積は広くないが金額としてはある程度以上のものを建てるという人があるのだが、(株)一条工務店では広い土地を持っている人が多くて広い家を建てる人がある地方の営業に有利で、それほど広い土地ではなく広い家でもないがお金をかけた家を建てる人がある都市圏の営業に不利な計算制度だった。
(6)又、(株)一条工務店の東京展示場があった江東区から墨田区・江戸川区にかけては、狭小地に建てる人というのがけっこうあり、ハウスメーカーの建物で比較的安いものというと企画住宅(規格住宅)が多く、それらは延べ床面積30坪以上の者が多く、延べ床面積20坪くらいで建てる人には対応できず、最近ではアイダ設計などはそういった顧客に対応できる会社としてシェアを伸ばしているようだが、私が入社した1992年頃においては、対応できるハウスメーカーはなかったので、規格住宅ではない(株)一条工務店としては、そういう顧客というのは契約してもらえる可能性が考えられる見込客で、実際、(株)一条工務店で「20坪キラー」と言われていた「木南さん」(仮名)はそういう契約をいくつか取得して建ててもらっていたのだが、ところが、1992年においては(株)一条工務店では、浜松・掛川・名古屋では30坪未満の契約も可だったが東京圏では「工事が大変だから」ということで30坪未満の契約は不可とされていた。こうなると、江東区・墨田区・江戸川区あたりでの狭小地で建てるお客様の契約は取得できなくなり、東京営業所で契約してもらえる可能性がある客層の1つを失うことになる。私も江東区・墨田区・江戸川区ではなく文京区での見込客だったが、「リーダー」の宮崎さんから「30坪未満は工事課が大変だから契約とらないで」と言うので追客を断念して有望見込客を失ったことがあった。ところが、浜松・掛川・名古屋の営業は30坪未満でも追客して契約してもらっていた。会社は従業員に公平であるべきであるが、(株)一条工務店ではそうではなかった。
(7) さらに、江東区・墨田区・江戸川区では、それまで2階建ての家に住んできたが車庫が欲しいということから1階部分に車庫を作って2階・3階と1階の車庫でない部分とに住む3階建てに建て替えようと検討する人があり、その場合、ハウスメーカーでは積水ハウスとか軽量鉄骨造の会社では2階建てまでは軽量鉄骨造で建てることができても、3階建てになると軽量鉄骨造では無理で重量鉄骨造になるので価格が急に上がってしまうのに対して、木質系は3階建てでも2階建てと同じ構造材で建てることができた(1階部分の柱・壁が多くなったが)ので鉄骨系の建物に比べると比較的安い価格で3階建てを建てることができて、かつ、クローズド構法であるミサワホーム・エスバイエルの木質パネル構法は「小屋裏3階」といって屋根の勾配を大きくしてその部分に最上階の部屋を設ける方法で、3階部分は2階の半分の面積までのものが可能だったが、ツーバイフォー工法(枠組壁工法)のように総3階(1階から3階まで同じ面積での3階建て)は不可だったのに対し、(株)一条工務店の在来木造での3階建ては総3階が認められていたので、かつ、ハウスメーカーの3階建ては低価格のものは規格住宅が多いのに対して(株)一条工務店は間取りについては規格住宅ではないので、江東区・墨田区・江戸川区あたりで3階建てに建て替えようという人というのは、(株)一条工務店の東京営業所では契約してもらえる可能性が考えられる客層の1つだったのだが、ところが、1992年の東京営業所では「3階建ては工事課の管理が大変だから契約は取らないで」とされていた。それに対して、私はJR「浜松」駅の近くで3階建てを建てられたお宅を営業担当者にお願いして見せてもらったことがあり、なかなかよくできていたと思ったのだが、浜松・掛川・名古屋では3階建ての建築が認められていた。その営業所の付近に延べ床面積30坪未満の家・3階建ての家で見込客があるにもかかわらず、30坪未満と3階建ての契約は不可とされた営業所と、30坪未満の契約も3階建ての契約も可とされた営業所では、可とされた営業所の方がその分だけ契約が多くなる、不可とされた営業所はその分だけ契約が少なくなると考えられる。だから、30坪未満も3階建ても「可」とされていた営業所で営業させてもらってきた、かつ、東京営業所とは違って60坪以上で2棟扱いとなる見込客が多い地域で営業させてもらってきた近藤路夫は、その分だけ契約棟数は少なく評価されて当然のはずで、その分だけ、近藤路夫の通算契約棟数から「マイナス」して評価されなければならないはずである。
(8) 又、近藤路夫は「所長」でしたから、他の営業が苦労して努力して追客して契約になりそう・・となった見込客を横取りしたネコババ契約が相当あるでしょうから、当然、「通算契約棟数」「年間契約棟数」を評価する際にはそれらをマイナスして判断しなければいけません。
  0.0825棟扱い にして泣きよったらうるさい・・としても、いくらか負けてやって仮に0.1棟扱いとしたとしても、大負けに負けて0.2棟扱いにしてやったとしても、近藤路夫の通算契約棟数は3位には絶対にならないはずだ。(株)一条工務店は毎年1月初めに「年誌」としてけっこう分厚い冊子を従業員に配布し、そこに「(株)一条工務店の土台を築いてきた人たち」として通算契約棟数が100棟以上の人の氏名と顔写真を掲載していたが、近藤路夫の契約棟数は間違いなく八百長であり、そこに掲載するのは不適当である。
  そもそも、(株)一条工務店という会社は、条件がいい展示場には営業の数を少なくして、条件が悪い展示場には営業の数を多くする傾向があったが、どう考えても逆のはずだ。掛川営業所が、一時、営業成績が良かった時があったようだが、それならば営業の数を増やすべきであり、そうすれば営業1人あたりの契約は少なくなっても営業所としての契約は多くなったはずで会社にとってはプラスになったはずだ。それをさせないようにしてきた掛川営業所所長というのは、自分の利益を会社の利益よりも優先してきた男だということである。まず、八百長で「通算契約棟数3位」だとか言っているような程度の低い男に「研修」の講師役をさせるということからして非常識だった。(株)一条工務店には他にも八百長野郎がいっぱいいたはずだ。
   私が営業をしていた東京営業所・松戸営業所においては、「住友林業は財閥系の会社だからいいと思う人もいるかもしれないけれども、一条工務店の方が建物はいいと思う」と思ってくれている見込客なんて、まったく来ないのだ。そうではなく、同じようなことを話しても「向かいの住友林業の人は集成材の方がいいと言ってたよ。住友林業の言うことは絶対に確かだ。あんた、そんなことすらも知らないのかい。そんなことすら、知らないで仕事やってんの」と言われる場所でこちらは営業やってきたのだ。近藤路夫は自分が「住友林業は財閥系の会社だからいいと思う人もいるかもしれないけれども、一条工務店の方が建物はいいと思う」と考えてくれている人が多い地域でばかり営業させてもらってきた男であることから、「おまえが、きっちりと話さないから、だから、わかってもらえないのだろうが」などという口をききやがった。普通、会社という所で、こんな男を「研修」の講師役をさせないはずだぞ。
  「おたくみたいに加圧注入材なんて使ってたら健康に悪いと住友林業の人が教えてくれたんだ。お宅みたいに有害なものを使って建てている会社で建てたら健康に悪いって、住友林業の人が親切に教えてくれたんだよ。やっぱり、家を建てるなら、そういうことをきっちりと教えてくれる人の所で建てるようにしたいもんだと思うね。住友林業が言うことは絶対に正しいんだ。あんた、そんなことも知らないの」とも言われた。防腐防蟻の方法は、(株)一条工務店がおこなっていた加圧注入の方法と住友林業(株)が土台以外の材木にやっていた表面塗布処理の方法では、加圧注入の方法の方が薬剤の入居後の放散量はわずかで、表面塗布処理の方法の方が問題があると言われている。後に、表面塗布処理の方法で使用する薬剤がそれまでのクロルピリフォスなどとは変わったようだが、実際には表面塗布処理の方法の方が問題があっても、それでも「住友林業の営業」の方が間違ったことを言っていて、こちらの方がよっぽど正しいことを言っても、それでも「住友林業は絶対に嘘つかないから」という信仰を持っている人というのがけっこういて、それを説得して考えを変えさせようと思ってもこれは相当困難だったのだが、近藤路夫は、自分は、もとから「住友林業は財閥系の会社だからいいと思う人もいるかもしれないけれども、一条工務店の方が建物はいいと思う」と思ってくれている見込客が多い地域でばっかり営業させてもらってきた人間であることから、それで、同じように「住友林業は財閥系の会社だからいいと思う人もいるかもしれないけれども、一条工務店の方が建物はいいと思う」と考えてくれる人が多い地域で営業していた男に「あんたはどう思う?」と言って、「私の場合は、『住友林業は財閥系の会社だからいいと思う人もいるかもしれないけれども、一条工務店の方が建物はいいと思う』と言ってもらえますね」と、わざわざ、言わせるようにしむけたのだった。よくも、やりやがったな・・・。
  だいたい、近藤路夫は「そんなもん、住友林業と競合なんてなったら『ごちそうさん』てもんだ」と言うので、「どのようにすると、住友林業との競合の時に『ごちそうさん』というようになるのでしょうか」と私が言ったところ、「あほか、おまえは。そんなもの、『住友林業はムク材ですか』『違いますでしょ』、『住友林業はプレカットやってますか』『違いますでしょ』て、それだけで契約できる。おまえ、それを言ってないんだろ。何、やってんだ、おまえはあ!」と、そう言いやがったのだ。あきれた。まず、住友林業(株)と(株)一条工務店なら、機械プレカットは(株)一条工務店の方が先に取り入れたらしいが、1993年5月の時点においては、住友林業(株)もすでに機械プレカットをやって建てていたのだ。特に、千葉県では、浜松の(株)一条工務店と共同出資会社の(株)一条工務店千葉 を作っていた ひらい(株)という千葉県の材木屋が住友林業(株)の「指定工場」として「住友林業の家」の機械プレカットをおこなっており、それゆえに、千葉県では住友林業の営業は「一条工務店は住友林業の下請けだ」と見込客に言っていたのだった。住友林業(株)は機械プレカットをやって建てていたのに、それを「住友林業はプレカットやってますか」「やってませんでしょ」と言うだけで契約してもらえる・・・て、いったい、どんなものすごいやりやすい場所なんだよ、そこは。近藤路夫という男はそんな場所でばっかり営業させてもらってきた男だったのだ。
  又、「『住友林業はムクですか。違いますでしょ。集成材でしょ』と言えば、それだけで契約してもらえる」とまでいかないとしても、それに近い地域も「地方」に行くとあるのだけれども、ムク材志向・国産材志向が相当に強い地域というのが地方に行くとあって、構造材は通し柱が集成材で管柱はアメリカ合衆国産の米栂(ヘムファー)の住友林業(株)と通し柱は国産のムクの桧で管柱は国産のムクの杉を使用する(株)一条工務店ならば、その点において、ムクの桧と杉の方を志向する人が多いという地域はあるのだけれども、都市圏・東京圏においてはそうではないのだ。そうではなく、「集成材の方が強くて高級品なんでしょ。向かいの住友林業の人がそう教えてくれたよ。あんた、そんなことすらも知らないの」と、そう言われることになる。近藤路夫は(株)一条工務店から「所長」の役職手当をもらっておきながら、その程度のことすらも理解できていない人間だったのだ。
  私は、近藤路夫が「何か、質問があったら言ってくれ」と言うから、かつ、「住友林業なんかと競合になったら、そんなもん、『ごちそうさん』てなもんだ」と近藤路夫が言うから、だから、どうすれば、強敵の住友林業との競合で、それを「ごちそうさん」という状態に持っていくことができるのか、教えてもらえるものなら、ここは頭を下げて教えてもらおうではないか・・と考えたのであった・・が、近藤路夫は「強敵の住友林業」との競合で「ごちそうさん」という状態に持っていく方法というのを知っていたのではなかった。そんな技術なんか、まったく身に着けていないカスだった。そうではなく、単に、もとから、(株)一条工務店と住友林業(株)となら(株)一条工務店の建物の方をいいと思ってくれる人が多い地域でばかり営業させてもらってきた甘ったれた営業だったのだ。あきれた。そういうヤカラが「研修」の講師役に来て、勝手なことばっかり叫びまくっていたのだった。あきれた。こんな人間を(株)一条工務店は営業所長にならせているのか・・とびっくりした。 近藤路夫は「ちょっと。◇◇! ここは入らないの。ここは入っちゃ、だめええ~え!!! ここは入っちゃだめな所なのお。出てきなさ~い! ここは入っちゃだめな所よお、早く、出なさ~い!!! 入っちゃだめよお。ここは入っちゃだめって言ってるでしょお~お! 早く、出てきなさ~い!!! ここは入っちゃだめな所だって言ってるのにわからないのお~お!!!」と見込客から言われたことなんてない。近藤路夫は「おい! ここ、一条工務店なんて書いてあるぞ。ここ、西武じゃねえぞ、ここ! 早く出ろ、こんな所、入っちゃだめだ! 早く、出ろ、出ろ! だめだ、こんな所、入っちゃ! 早く出ろ、ここは西武じゃねえ。一条工務店なんて書いてある。早く出ろ。こんな所、入っちゃだめだあ!!!」と言われたこともない。「浜松からこんな遠くまで来て大変ね。頑張ってね」なんて三井ホームのおばさんから言われたこともない。ましてや、「さすがに、東京ではこんな家を建てる人は誰もありませんでしょ」などと言われた経験もない。そんな人間が、東京都・神奈川県では坪55万円で売らさらされていた商品を愛知県では坪49万5千円でウルトラのダンピング販売をして営業していたのだ。「ダンピング販売の近藤路夫」は、東京都の営業には「一条工務店は創業以来、いいものを作れば売れるという考え方で、テレビ広告は一切やらずに営業してきました」と嘘を教えて、実は静岡県中西部・愛知県ではドカンと一発、テレビ広告しまくり千代子・・で営業してきたのだった。〔この「しまくり千代子」というオヤジギャグは栃木県南部営業所の「副所長」の木下が喜んで頻繁に口にしていた文句だ〕 普通、坪55万円で売らされていた者と坪49万5千円でダンピング販売した者となら、ダンピング販売した者の1棟あたりの評価は55万円で売らされた者よりも低いはずだが、同じ1棟の評価にしていたのだ。八百長である。テレビ広告やって売った浜松・掛川・名古屋の営業とテレビ広告なんかまったくやらずに売らされていた東京圏の営業なら、テレビ広告しまくり千代子の浜松・掛川・名古屋の営業の1棟あたりの評価は低くなるはずだが、ところが「八百長の(株)一条工務店」は、テレビ広告しまくり千代子での営業の近藤路夫にテレビ広告などまったくなしで孤軍奮闘のような営業させられてきた者と1棟あたりの評価を同じにしてきたのだった。まさに八百長、まさにイカサマである。そんな人間が(株)一条工務店という会社ではのさばっていたのだ。

  かつて、電気製品の会社のシャープ(株)には「シャープ アトム隊」なるものが存在したという話を、小堀住研(株)の新卒社員研修の際に聞いたことがある。その話をした部長のSさんも、何かの本で読んだ話だったようで、その話をそのまま百パーセント信じていいのかどうかはわからないが、そういうものがあったらしい。
  「シャープ アトム隊」というのは何かというと、シャープの製品がまったく売れないという地域に出かけて行って、なんとか、シャープの製品を買ってもらえるようにしようとして組織した部隊だったというのだ。それで、飛込訪問で何とかシャープの製品を買ってもらおうと必死になって営業したところ、そこの家の親爺が「わかった」と熱意を評価して何だか買ってくれたのだが、その際に名刺をくれたのだが、その名刺を見ると、松下電器のその地域の責任者だったということで、同業者の者が、そのメーカーの商品が売れない地域で何とかして売ろうと努力しているのに対して、買ってくれた・・というお話だった。
  ・・それらの「お話」というものが、いったい、どこまで実際にあった話かもよくわからないが、ともかく、「シャープ アトム隊」という、シャープの製品をなかなか買ってもらえないという地域に出かけていって、何とか買ってもらおうとする特別の部隊というものをシャープ(株)は設けていた・・らしい。
  私が(株)一条工務店に入社した1992年頃の東京営業所の営業は、(株)一条工務店において、いわば、「シャープ アトム隊」か宅急便を始めたばかりの頃のヤマト運輸のセールスドライバーのようなことをさせられていたのだ。私はそういう大変な仕事を(株)一条工務店に入社早々やってきたのだ。そういう大変な仕事をやっていた者に対しては、会社はそれなりの対応というものがあっていいはずだし、そういう努力をしなくても売れる営業所に配属してもらっていた連中は、自分たちは売れやすい場所で営業させてもらっているのだという自覚があっていいはずであったが、「(株)一条工務店の遠州人」にはその自覚が欠落していた。 
  「シャープ アトム隊」みたいなことをしてきた従業員には会社は、そういう大変なことをしてきた者として評価するのは当然であろう・・が、そうではなく、(株)一条工務店の「一族」経営者は、「アホでも売れる」ような場所で営業させてもらってきた者をズに乗せて、「シャープ アトム隊」やってきた者を『捨て石の鉄』みたいな扱いにしやがった・・・
すて石の鉄捕物控 (My First Big SPECIAL さいとう・たかをPREMIU) - さいとう たかを, さいとう・プロ
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  地方の会社で、東京では特に仕事があるわけではないはずなのに、なぜか、東京駅に近い一等地のビルにオフィスを持っているという会社がある。社長が東京にメカケを持ってるから、社長がメカケに会いに行くための拠点?・・・というわけでもないだろうけれども、そうではなく、東京に「営業所」「支店」を持つことで「東京にも支店を持ってる会社なんですう」ということにすることで発祥の地である「地方」の県での営業をしやすいようにすることを目的に東京に「支店」「営業所」を持つ会社というのがある。そういう会社というのは、特に何もしていない「支店」「営業所」なのに、有楽町とか、なんか、東京駅からすぐの場所の一等地のビルに部屋を借りていたりする。今となっては10年以上前になるが、日本住宅(株)https://www.nihonjutaku.co.jp/ という岩手県と北海道だけで建てている戸建住宅建築業の会社〔最近は、少々、その頃とは変わっているようだが〕が有楽町のビルに、な~んもしてないのに部屋を借りて「東京営業所」としていたことがあったが、1992年頃の(株)一条工務店の「東京展示場」というのはそれと同様の性質があった。
  「東京にも展示場を持ってる会社なんですう」ということにして会社を実際よりも大きく見せることで、浜松・掛川・名古屋の営業が営業しやすいようにすることを目的にしたもの・・という性質があった。だから、江東区潮見のウッディランド東京 という林野庁が運営していた「国産材の利用促進をはかるための施設」であって「そこで営業活動をしてはならない」ということになっている住宅展示場・・て、「営業してはならない」のなら、いったい、どないせえちゅうねん・・て所に、サンフジ企画とかそういう総合住宅展示場運営会社がやっている総合住宅展示場に出展するよりも出展料が安いことから、そんな「実際に家を建てる見込客が来るのではなく観光客ばかりが来る展示場」に出展していたのだった。そして、浜松・掛川では坪48万円・名古屋では坪49万5千円で売っているものを、わざわざ、東京都・神奈川県では坪55万円と明らかに割高な値段をつけることで、「東京では坪55万円で売ってるものなんですよお」と浜松・掛川・名古屋の営業に言わせることで、浜松・掛川・名古屋の営業が営業活動をやりやすくするために、そのような「坪単価」を設定していた。 それは浜松・掛川の営業や名古屋南営業所の近藤路夫にとっては都合がいいことだったが、東京都で『すて石の鉄』させられる者にはたまったものではなかった。「(株)一条工務店の遠州人」ども、おまえら、しまいに刺されるぞお・・・という状態だった・・が、そうすると、1996年8月、(株)一条工務店の初代社長の大澄賢次郎の息子で関連会社の(株)日信の社長になっていた大澄隆史(男。当時、20代)が「刃物で女を刺し殺し、官憲に追われ逃げる」という「梁山泊の精神」を発揮しやがった( 一一) 「おまえら、しまいに刺されるぞお」ということをやっていた側の人間が刺しやがった・・( 一一)  (株)一条工務店では少しでも営業成績があがらない従業員には「赤字社員」だとか罵っていたが、社長の息子こそ最大の「赤字社員」だった( 一一)
梁山泊―水滸伝・108人の豪傑たち (中公新書) - 佐竹 靖彦
梁山泊―水滸伝・108人の豪傑たち (中公新書) - 佐竹 靖彦
  社長のドバカ息子が女性を刺し殺した後、従業員にアオキだったかアオヤマだったかどちらかの券を配りやがったが、浜松市には従業員に払っておくべきカネを払わずにちょろまかして貯めたカネの一部を300億円もくれてやっておきながら、従業員にはアオキだったかアオヤマだかの券でごまかすつもりやったようや( 一一)
  そういえば、チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ が「はなの舞」「花の舞」「炎」などの居酒屋を開店する際、最初にやることというと、最寄りの警察署に店長が行って、警察官ひとりひとりに「500円のサービス券」を配るということやったが、警察官は「500円のサービス券」で大喜びしよるらしかった・・・が、(株)一条工務店の従業員は、もともと、従業員に払うべきカネを払わずにおいたカネの一部分からアオキだかアオヤマだかの券をもらっても、「まあ、ないよりええかもしれん」とか「まあ、もらっとくか」くらいにしか思わんかった。

  会社という所において、最初に条件のいい場所で楽して契約とらせてもらったような人間はあかん・・という面はある。そういう人を私は見てきた。しかし、他方において、いくらなんでも、ここまでされることないだろう・・・というケースもある。「エスキモーの家」か「アラビア遊牧民の家」か、もしくは「弥生時代の日本人の家」かを東京の人間に建てさせようとする「遠州人」の工務店というのは、東京で「東京の家」を建てるハウスメーカーに比べて条件が悪いのは明らかだった。浜松で「浜松の家」を売っている者と東京で「浜松の家」を売らされる者とでは条件が違うのは明らかだった・・が、そういう「ハンディキャップデスマッチ」をやらないとおれないというのが、それが(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋の連中だったのだ。汚いやつらである。根性ババの人間である。根性がう〇こでできている連中である。そんなことだから、息子が女性を刺し殺して刑務所に入るのである・・が、もう、懲役20年の20年は過ぎたからドバカ息子もシャバに出てきたことだろう。『あの人は今』なんて番組があったような気がするのだが、息子、どうしているのだろうか・・・。殺された女は今も生き返ることはないが、殺した男の方が元気にやっているのだろうか・・・( 一一) (株)一条工務店は海外にもHRD(「はっきり〔H〕・利益を〔R〕・でっかく〔D〕取るぞ」の意か?)とかいった会社を作ったりしているようだし、「一条メガソーラ」なんて表に出ない会社も作っているようだし、もしかして、「偽名」と言わず「通称」もしくは「渡世名」を戸籍の名前とは異なる名前で名のって海外の会社の取締役とかになってガッポがっぽガッポと給料もらってるのだろうか・・( 一一)  六代目山口組の組長の名前というのは、通常、新聞・雑誌などに掲載される名前は本名ではないらしいのだが、しかし、芸能人ではなく歌を歌うわけでもなく俳優やるわけでもないから「芸名」ではないだろうし、小説を書くわけでもなく漫画を描くわけでもないから「ペンネーム」でもないだろうし、相撲とるのでもないから「しこ名」でもないだろうし、ボクシングとかプロレスやるのでもないから「リングネーム」でもないし、野球選手でもないから「登録名」でもないだろうし、宗教家ではないから「洗礼名」でもないだろうし、オウム真理教ではないから「ホーリーネーム」でもないだろうし、あれは何なんだろうなあ・・と思っていたら、「宝島」だったか何だったかに載っていたのだが「渡世名」と言うらしい。「刃物で女を刺し殺し官憲に追われ逃げる」という「梁山泊の精神」を実行した(株)一条工務店の初代社長のドバカ息子も、もしかして、今頃、本名とは異なる名前を、刃物で人を刺し殺した人間だけに「渡世名」として名のっておるのかな?・・( 一一)

  ヤマト運輸で、宅急便を始めたばかりの頃に、「郵便局の前に行って、小包を出そうとしているおばあさんに『おばあちゃん、その荷物、私に運ばせてもらえませんか』と言ったところ、『これはね。孫に送る大事な荷物なんです。だから、これはあなたには頼めません。郵便局に頼みます』と、そう言われました」といったそういう努力と苦労をしてきた人というのは、その後、社会に認知されて営業しやすくなった後も、会社は大事にするべきではないのか・・と思うのだが、(株)一条工務店の場合はそうではなく「すて石の鉄」みたいにしやがった。だいたい、「浜松流はここには合わない」というそれぞれの地域で、それぞれの地域の人間に苦労させてなんとか軌道に乗ると、そこの「所長」「副所長」には「遠州人」がやってきて就任する。(株)一条工務店はそういう「浜松という後進国の外資系企業」みたいな会社だったが、「すて石の鉄」の扱いにされた者が面白くないのは当然のことだわなあ・・・。
 (株)一条工務店は10年を超えて勤務した従業員に「永年勤続表彰 一条工務店」と裏面に刻印した腕時計を贈呈していたが、10年くらい勤めた従業員なんていくらでもいる会社もあるだろうけれども、「人の出入りの激しい(株)一条工務店」で10年以上勤めた人間というのは決して多くないのだが、私はその「永年勤続表彰 一条工務店」と刻印された腕時計を持っている数少ない人間のひとりである。たいしたもの・・という面もあるし、よく、それだけ頑張ったものだとも言えるが、片方で「アホちゃうか」という面もあるだろう。新卒入社して3年目だったかの男から聞いたのだが、(株)一条工務店では新卒入社した従業員には3年目に韓国か台湾へ旅行をさせ、5年目にヨーロッパ旅行に行かせるという中途入社社員を差別する扱いをおこなってきたのだったが、新卒入社した従業員の間では、その3年目の韓国もしくは台湾への旅行のことを「卒業旅行」と言い、4年目もまだいる従業員に3年で「卒業」した者が会うと「なんだ、おめえ、まだ卒業できねえのかよお」と言い、新卒入社で4年目・5年目の従業員のことを「留年」と呼ぶそうだ。「ま~だ、一条工務店にいるのかよお。おめえも、頑張って早く卒業できるようにしろよなあ」と言われる・・と。2年で辞める人間を「飛び級」、4年目いる人間のことを「留年」と言うそうだ。だから、そんな会社に10年超もいたというのは、そんな会社で本当に「よく頑張ったよなあ」と「自分で自分をほめてあげたい♪」という気持にもなる反面、「アホちゃうか」という面もあるのはこれは事実として否定できない。
  その腕時計の電池交換に近所の時計屋に持っていったところ、時計屋の親父としては、安物の時計の電池交換だってやることはやるけれども、安物の時計の電池交換させられるよりも、ヴェルサーチの腕時計の電池交換の方がうれしいらしく、「ほお。いい時計じゃないですか」と言い、裏面に「永年勤続表彰 一条工務店」と刻印されているのを見て「いい会社じゃないですかあ」などと言うので、かつて、私が東京展示場に勤務した頃には「一条工務店なんて、そんな会社、だ~れも聞いたことないわ」と言われ、松戸展示場では「ここは入っちゃだめな所よお。入っちゃだめえ。早くでてらっしゃ~い!」と悲壮な声で叫ばれた、亀戸の展示場では「おい、ここは西武じゃねえぞ。一条工務店なんて書いてあるぞ。だめだ、こんな所に入っちゃ。出ろ出ろ、早く出ろ。入っちゃだめだ、こんな所」と入口で言われたというそういう会社が、なんとも高い評価を受けるようになったものだ・・が、ボロクソに言われまくった時代にそこで苦労して努力して会社のために滅私奉公をして奮闘・尽力した者を「捨て石の鉄」にしておのれらだけ腹をふくらませる「一族」経営者の会社を「いい~い会社じゃないですかあ」なんて言う人というのは、「世の中を知らん」人なのか・・、それとも「世の中なんて、そんなもんですよ」というものなのか・・・。今後、どうなっていくのかわからないが、「正直者がバカを見る」会社が認知度・知名度が上がったとしても、その会社の体質は変わっていないはずであるはずだ・・・。
※ 《YouTuve-ヴェルディ ナブッコより 「行けわが想いよ、黄金の翼にのって」》https://www.youtube.com/watch?v=aYgyz5ptzDw

  (2021.8.2.)

☆ 登呂遺跡(静岡市駿河区登呂5丁目)見学
1.「日本平久能山」スマートI.C.から登呂遺跡へ。駿河と遠江は違う。静岡市に勝とうとする浜松市。京大・阪大の工学部を落ちて静岡大工学部に行った者で「誰がこんな所にいるもんか」と言って出て行く者の話をすると「こんな所とはなんだあ」と激怒する遠州人。片方で浜松は都会だと言い、他方で日本一のドイナカだとダブルスタンダードを主張する卑怯な「(株)一条工務店の遠州人」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_7.html
2.切妻屋根に似た竪穴式住居。高床式倉庫。棟持柱で支える祭殿。一体式屋根の竪穴住居と2つの部分に分かれた屋根の竪穴住居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202108article_1.html
3. 登呂遺跡博物館。「エスキモーの家」か「弥生時代の人の竪穴住居」みたいな「浜松の家」の展示場に勤務した経験と傲慢な「遠州人」。認知度の低い時代に苦労して尽力した従業員を「すて石」にする「一族」の会社。 〔今回〕


☆ 静岡県シリーズ
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html 
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_2.html
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html 

☆ 大鐘家住宅と相良城跡(静岡県牧之原市〔旧 相良町〕)
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
(6)土蔵・資料館。大鐘家の裏の丘からの眺望。相良城跡と田沼意次。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_6.html 

☆ 中田島砂丘(浜松市南区)
1.浜松インターから中田島砂丘へ。遠州灘海浜公園の風車と凧と桜。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_7.html
2.樹木の生えた丘と土の丘が2列にある。テトラポッドが沖に。労基法違反の会社・脱税経験の会社・安全対策不備の会社から浜松市は寄付金をもらっていいのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_8.html
3.2列の丘。土の丘から見た浜松駅付近。高層ビルをありがたがる精神面がイナカモン。一条浜松流営業のデタラメhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_9.html
4.海側の丘は砂丘でなく人工の「防潮堤」だった。従業員の賃金をへつったカネが「防潮堤」に化けた。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_1.html
5.陸側の丘に生える松は黒松か赤松か。松丸太梁に使われる松は黒松ではなく赤松の方が良いのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_2.html 
6.恥知らず「一条堤」碑。従業員の給料削ったカネを寄付する労基法違反の会社を称える浜松市と浜松商工会議所。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_3.html
7.「防潮堤」は津波対策として河口付近には役に立たないのではないか。両隣の市にはむしろ津波の害を大きくすることはないか。CSG工法とは。自然に広まった名称が「通称」で誰かが決めたような名前は「通称」ではない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_4.html
8.もともと、地元向けで観光用でない中田島砂丘は観光資源としては要らないのではないか。「防潮堤」が海側と陸側に「砂丘」を分けたことの影響。砂丘は保護すべきものか撤去すべきものか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_5.html
9.建物はあっても閑散とした倉松町の(株)一条工務店跡? 木材は潮風にあたると傷むのか? 「遠州人だけ得することならどんなことでも『やらまいか』」という「やらまいか精神」による「防潮堤」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_6.html
[第809回](株)一条工務店は創業以来、TVコマーシャルをやってきた。「借入金0」の論拠を示せ。中田島砂丘がやせる対策は防潮堤でいいのか?~インターネット上の嘘もしくは誤解を指摘する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_5.html

☆ 中村家住宅(浜松市西区雄踏町宇布見 〔うぶみ〕)
1.浜松IC・浜松西ICから中村家住宅まで。長屋門。茅葺と瓦葺のミックスの屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_2.html
2.「和小屋組と扠首(さす)組が合わさった小屋組」、「浜松なのにイナカくさくない」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_3.html
3.「押板」・畳敷きの部屋の囲炉裏・女性的な造りの和室。茶室。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_4.html
4.「鏡戸」「板戸」。内側の雨戸、縦桟の格子。「面取り」した柱とそうでない柱。噛み合わせを設けて継いだ木材。細くない「貫」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_5.html
5.胞衣塚・天神社跡地・茶室・屋敷神祠・井戸屋形、満開の桜。3月下旬、中村家住宅の桜。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_7.html
6.中村家 北西の天神社。元 中村家の氏神だった天神社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html

☆ 深奥山方広寺(浜松市北区引佐町奥山)と「信教の自由」を侵害する者
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_4.html
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_8.html
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_10.html
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_14.html 
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_15.html
(番外)『ゴルゴ13』と考える「信教の自由」。「信教の自由」を侵害する深奥山方広寺は宗教失格。「信教の自由」を侵害する営業は三流の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_4.html

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