小休本陣常盤家主屋 【5/5】静岡県型神棚。本来の営業担当を退け関係ない「浜松流」に遠方まで契約に行かせて「静岡県型」神棚を福島県に押しつける一条工務店と営業本部長。
[第874回]
小休本陣常盤家主屋(静岡県富士市岩淵 ) 見学の5回目。



今回は神棚です。

神棚が座敷と土間とにある「民家」があります。土間にあるのは「竈(かまど)の神さま」もしくは「台所の神さま」で、それと別に居間もしくは座敷に神棚が設けられていることがけっこうある。 小休本陣 常盤家主屋 では、正面から見て左寄り(南より)に東から西への通り土間があって、通り土間の奥(西)に「だいどころ」があります。
↑ の神棚は通り土間の右側(北側)に「みせ」「いろりのへや」と2部屋続き、さらにその奥にもう1部屋、畳敷の部屋がありますが、「いろりのへや」に、正面から見て右(北)の「なかい」という四方を他の和室で囲まれた部屋に向いて設置されています。
現地でもらったリーフレットの表紙には「国登録有形文化財 小休本陣(こやすみほんじん) 常盤家(ときわけ)住宅主屋(じゅうたくおもや)」と書かれているのですが、今現在は富士市が常盤家から借りて、土日祝日のみ無料公開しているようですが、江戸時代は「小休本陣(こやすみほんじん)」という、東海道を行き来する「えらい人」、もしくは身延山へ行き来する「えらい人」が休憩する場所であって宿泊はしないという「本陣」だったらしいのですが、「えらい人」専用の宿屋だったのか、「常盤家住宅主屋」と書かれているように住宅でもあったのか。後ろにもう1棟建っているのが見えましたが、現在は常盤さんはこの建物ではなく他の建物に住まれているようですが、かつては宿屋専用だったのか、それとも「住宅主屋(じゅうたくおもや)」だったのか。どうだったのでしょうね。
「えらい人」にしても、いついかなる時も床の間を背にして一段高い場所に鎮座しているのも疲れるのではないのか・・と思います。この「いろりのへや」に神棚が設けられているというのは、その前の「みせ」という部屋が比較的誰もが出入りする部屋で、「いろりのへや」は文字通り、「いろり」があって、その前の通り土間とともに、食事をしたり団欒をしたりする部屋で、そこに神棚があったということでしょうか。
ここの「小休本陣 常盤家住宅」の床の間の床柱と長押の位置関係は(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ が住宅展示場に施工していたやり方でカタログに写真を掲載していたやり方であり、それから神棚については(株)一条工務店がカタログに掲載していた写真の神棚と同じやり方です。(株)一条工務店のカタログにはここの ↑ の神棚より幅が少し狭いくらいのものでいろりの煤がついていない白っぽい木の一枚板の神棚の写真が掲載されていました。・・・なるほど、やっぱり、(株)一条工務店は「静岡県型」の床の間と神棚をカタログに掲載していたんだな、とよくわかりました。(株)一条工務店は「静岡県・愛知県地域を母国とする外資系企業」みたいな会社であり、「母国」のやり方を「外国」に押しつけるところがあった。その神棚がこれなんだな・・・とはっきりとわかりました。
(株)一条工務店で、営業本部長から頼まれて1998年に福島県いわき市 の営業所から栃木県佐野市の営業所に転勤しましたが、(株)一条工務店では一定以上の在籍年数と一定以上の通算契約棟数の営業社員が会社都合での転勤をした場合には「副店長」昇進という規定が就業規則に設けられていまして、それを「特進転勤」と言っており、私はそれに該当する転勤として佐野営業所(展示場)に赴任しました。
営業本部長の天野隆夫から頼まれた際に「副店長としての特進転勤ですね」と言いましたところ、天野隆夫は「前は特進転勤で副店長にならせるということをやっていたのだけれども、今は副店長にならせるというのはやってないんだ」と言うので、え?・・と思いましたが、それでも「展示場リーダー」「応援者」として赴任するという話でしたから、それならと承諾して転勤しました。
それまで、いわき地区で5年間在籍して、いわき地区の4展示場の中で一番条件が悪いと同地区の営業社員誰もが言う展示場に一人だけずうう~っとおらされた、しかも、会社が営業社員を「応援者」と「被応援者」に2分するということをした時、本社にいる事務的作業をしている従業員が過去の通算棟数・在籍年数・前年前々年契約棟数・引き渡し棟数などから事務的に「応援者」と「被応援者」を事務的に分類した時には私は「応援者」に指定されたのに、その後、そういった通算契約棟数・在籍年数・引き渡し棟数などを無視して所長が決めるのか誰かが決めるのかに変更したところ、私の半分未満の契約棟数の人「木南さん」(仮名)(男。当時、40代)を私の「応援者」にして私は私の半分未満の契約棟数の人の「被応援者」にされてしまった。いわば、八百長である。 「八百長」もしくは「裏口入学」である。
いわき市・浜通り地区の所長だった草野次男さんに「《営業成績を残した者を『応援者』にしますから、頑張って『応援者』になれるように努力してください》と本社が「通達」に書いてきているのに、「木南さん」(仮名)の倍以上の契約を私は取ってきているのに、それも「木南さん」(仮名)よりも条件がいい展示場でではなく、入社以来、私は「木南さん」(仮名)よりも条件が悪い展示場か同じ展示場のどちらかにいて、「木南さん」(仮名)よりも多い契約棟数か同じ契約棟数の年はあっても「木南さん」(仮名)よりも少ない年は1年もなかったはずですよ。入社直後は別として、直近3年間については、私は『木南さん』(仮名)よりも条件が悪い展示場にいて『木南さん』(仮名)の倍以上の契約棟数をあげているはずですよ。所長と私となら所長の方が多く契約あげてられるでしょうから、所長とどちらか片方を『応援者』にするというのなら所長が『応援者』になるというのならまだわからないこともありませんけれども、なんで、私の半分未満しか契約取っていない『木南さん』(仮名)に私の『応援者』になられなければならないんですか」と抗議したが、所長の草野次男(つぎお)さんはぐらかした。
会社が契約棟数で見て優秀な人間を「応援者」にしてそうではない人を「被応援者」と営業社員を2分すると「通達」で言い、しかも、「応援者になれるよう努力してください」とも言ったわけですから、やはり、実績を残した私は「応援者」にしてもらわないといけません。「木南さん」(仮名)はその時点で10年くらいは在籍していた人のはずで、それだけ在籍した人の「倍を超える契約棟数」をあげるというのは、それだけの努力をしてこそのものです。それだけの努力をして成績を残した者にそれを認めないというのは、それでは会社の秩序を乱すことになります。
「木南さん」(仮名)は「私は本当はもっと売れるんだけど、わざと契約取らないようにしてんの」などと言っていましたが、しかし、私は「木南さん」(仮名)に「わざと契約取らないように」してくださいなんて頼んだことは一度もないと思いますねんけどねえ( 一一) 取ればいいじゃないですか、「本当はもっと契約取れる」のなら。違いますか? ・・山田久志『勝負強さの育て方』(PHP文庫)で、元阪急ブレーブス投手の山田が、「大リーグの一流選手」なんてものはちっとも評価しなかった、プライドばっかり高くて日本と日本の野球をバカにしてろくに働かない・・そんなやつらだ・・と思っていたそうで、私も、具体的には元ヤクルトのホーナーなんて、えらそうな口ばっかりきいて日本と日本の野球をバカにしまくって、高級取りながら、腰が痛いわ、どこが痛いわ言いまくって休みまくって1年でアメリカ合衆国に帰ってあげくのはてに『地球の裏側に別のベースボールがあった』などと本まで書きやがってからに、そんなに日本が嫌なら来るなちゅうんじゃい!・・てそんな連中という印象があったが、山田が言うには、ところが、近鉄に入団したオグリビーは違った・・というのだ。オグリビーは元大リーガーだったが近鉄に入団した時点ではすでに野球選手としては高齢の方の選手だったが、ところが、いかなる時も全力疾走・全力プレーであり、若手選手でも内野ゴロでアウトだと思うと一塁まで走らずに途中で帰ってくるような選手がいるがオグリビーは正反対。野球選手としてはもう高齢の方の年齢であったがそんなことは全然関係ない。“”全力疾走・全力プレーこそ一流の証し”” というものだった。そして、近鉄バファローズが最後の最後まで優勝を争い、最後の試合に近鉄が勝てば優勝、負けか引き分けだと西武の優勝という最後のロッテ戦で近鉄は延長の末、引き分けて優勝を逃した後、残念会の会場をオグリビーはひとり抜け出してトイレで泣いていた・・という話を知り合いの記者から聞き、「オグリビーはかっこいい」と山田は思った・・・と書いていた。「私は本当はもっと売れるんだけど、わざと売らないの」・・て、なんだ、そりぁ!!! そういう口をきく人間を成績もあがっていないのに「応援者」になんかするな! このクソドアホ!!!

プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
※ 必死のプレーというのは野球でもそのチームを応援しているか否かにかかわらず、「すごいなあ!」「すばらしい♪」と感動するものだ。
《YouTube-そこは中野【さよなら阻止】》https://www.youtube.com/watch?v=E2bUHnEdxtY
《YouTube-ヤクルトスワローズ 村上 宗隆 ヘッスラ!》https://www.youtube.com/watch?v=yWo9tJxWEHo
「私は本当はもっと打てるんだけど、わざと打たないの」などと言われたあかつきには、あんた、出なくていいよ・・と言いたくなるだろう。
しかも、所長の草野次男さんに、本社にいる人間が過去の契約棟数・引き渡し棟数・在籍年数から自動的・事務的に「応援者」「被応援者」を分けた時には私が「応援者」に指定されたのに、その後、理由もなく「応援者」から降ろされて私の半分未満も契約取っていない人を「応援者」にならせるというのは、これはおかしいではないかと話をした時、会社の「通達」のファイルからなぜか、私が「応援者」の名簿に記載されたものが見当たらなくなっていた(誰かが持ち去った?)ので、本社の総務部に電話を入れて、その部分をファックスで流してほしいと言ったところ、電話に出た男が「ありません」と言い張り、「ないわけないでしょう」と言っても「ありません」と言い張り、「所長と変わってください」と言うので所長の草野次男さんと変わったところ、その男は所長に「転勤させてやりましょうか」と言ったらしく、所長の草野さんが「そんなことしなくてもいいよ。彼は売れるから」と言ってくれたので助かったのだが、「あなたはどなたですか?」ときいても名のらない・答えないその無礼な男のおかげであやうく、理由もなく転勤させられるところだった。あの無礼な男はいったい誰なのか・・と思ったが、総務部長の天野雅弘であった可能性が高いようだ。会社が営業成績により営業社員を「応援者」と「被応援者」に分けます、「応援者」になれるように頑張ってくださいと言ってきたのであり、その条件で私は「被応援者」みたいなものにならされてたまるかと努力して、そして「木南さん」(仮名)の倍以上の契約を獲得したのだった・・にもかかわらず、本社の係の人間が過去の契約棟数・引き渡し棟数・在籍年数から事務的・自動的に「応援者」「被応援者」を分類した時には私が「応援者」に分類されたにもかかわらず、その後、理由もなく私の半分未満の契約の人を「応援者」にして、その人の倍以上の契約をあげている、より正確に言うと「木南さん」(仮名)は「20坪キラー」であって延べ床面積の小さい・契約金額の小さい家を得意とする人であり、かつ(普通、面積の広い契約金額の大きい家の契約を取得した方を得意がるのならわかるが、「木南さん」(仮名)の場合は逆に)延べ床面積の小さい家ばっかり契約とってくることを得意がっていた人で、「棟数」で見ると私の半分未満だけれども、「粗利益額」(あらり)で見たならば3分の1未満か4分の1未満であったと思われる人を「応援者」にしてその人の「棟数」で見て倍以上・「粗利益額」で見たならば3倍以上の契約を取ってきた私をそんな人の「被応援者」にしてしまうというのは不当でしょうと話すと、単に過去の「通達」の1頁をファックスで送ってくださいと言っただけのことで不当に「応援者」になった者をではなく、不当に「被応援者」にならされた者の方を「転勤させてやりましょうか」などと総務部長が言ってきたのであり、もとより、そういう態度・そういう行為は総務部長としてあるべき態度ではないはずであった。天野雅弘の態度は「ち~が~う~だ~ろ! このハゲ~え!」という態度であった。〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ! 》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
もちろんのこと、そのような「転勤」は「人事権の濫用」と評価されるものであり法的に無効である。
その「木南さん」(仮名)が新潟県上越市の展示場に転勤していった後、今度こそ私を「応援者」で「リーダー」にしてくれるであろうと思うと、今度は「(株)一条工務店のがばいじいちゃん」S藤賢二さん(男。当時、40代)をいわき市の他の展示場から移して「リーダー」で「応援者」にしてしまった。私よりも契約棟数は少ないのに。それだけではない。「木南さん」(仮名)は契約棟数は少なくても自立して営業の仕事をしていた人だったが、S藤賢二さんは自立して営業の仕事をこなせていない人であり、私が助けてきてあげていた人だったはずだ。私に助けてもらってきた人がなんで私の「応援者」に会社から指定されるの? バカにしてんの? ・・というよりも、バカにしてるとしか言いようがない。ふざけてんのか!
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※ 「がばいじいちゃん」⇒《YouTube-衝撃の3WAYマッチ!夏すみれvsバッファローvsがばいじいちゃん 2018.2.25》https://www.youtube.com/watch?v=6twCjUYpnTs
(株)一条工務店 は営業成績によって「応援者」を決めますと「通達」で言いながら、私の半分も契約とっていない「木南さん」(仮名)を「応援者」にして、次は私より営業成績が劣っていて、そんなことよりも私に助けてもらってなんとか仕事していたS藤さんを私の「応援者」だと言いだした。そして、なおかつ、私に自立して仕事できていないS藤さんの世話をさせたのだ。「ふざけんな!」
かつ、私が1993年に、いわき市の営業所に赴任して以後、いわき市に4ヵ所あった展示場の中で、営業社員全体の移動が2回あり、それ以外にも、人数が少なくなった所へ多い所から1人移る、2人移るという移動があったにもかかわらず、私1人だけ、いわき地区の営業誰もが「どう考えても、ここだけ絶対的に条件悪いですよ」と言っていた展示場に5年間おらされたのだ。私はそれは不当だといわき地区の所長の草野次男さんに言ったのだ。すると、草野次男さんは何と言ったかというと「営業成績があがっている者が条件のいい営業所に行くんでえ~え」とそう言ったのだ。それで、私は「なるほど。いわきにいる営業の中で所長が一番いい営業成績を残しておられるというのはわかります。ですから、営業成績があがっている者が条件がいい営業所に行くんだということで所長が条件がいい営業所に行くというのならわかります。しかし、私だって少なくともいわき地区の営業の中で真ん中より上の営業成績を残していますでしょ。なんで、私が一番条件が悪い展示場にいなければならないのですか」と言いました。そうすると草野次男さんは「ここの展示場は総合住宅展示場の奥にあって来場者数が少ないし、和風の展示場で和風の展示場というのは家相にこだわったり木にうるさかったりする人が多くて新人ではきびしいから、だから経験と実力がある人にいてもらわないといけないんだ」と言うのです。なんだか、ぼけ~っと聞いているとほめられたみたいに思いそうですが、そうはイカのき〇たま だか ち〇ち〇だか・・。「それなら、所長が一番経験があって実力があるじゃないですか。所長がここに来てくださいよ。私、所長がおられる展示場にきょうから移りますから、所長がここに来てくださいよ。そうしましょう」と言いました。すると、草野次男さんは「営業成績の出ているものが条件のいい展示場に行くんでえ~え」とおっしゃるのです。「それなら、私はここにいる理由はありませんね。ここより条件がいい展示場に行かせてもらっていいですね」と言いましたが、今度はまた「ここの展示場は総合住宅展示場の奥にあって来場者数が少なくて、和風の展示場で和風の展示場というのは家相にこだわったり木にうるさかったりする人が多くて新人ではきびしいから、だから、経験と実力がある人にいてもらわないといけないんだ」と言うのです。「だから、所長、ここに来てくださいよ。所長が一番経験があって実力があるじゃないですか。私、所長が経験がないとか実力がないなんて言うつもりは毛頭ありませんよ。所長ほど経験があって実力がある人はないと心の底から思っていますよ。草野所長ほど経験と実力がある人はないと心の底から思って尊敬しておりますよ。ぜひとも、所長がここの展示場に来てくださいよ。それが一番いいじゃないですか。私、今すぐ所長がおられる展示場に行きますから、所長がここに来てください。入れ替わりましょう」と言うとまたもや「成績を残した者が条件がいい展示場に行くんでえ~え」と言い、「ですから、それなら私がここにいないといけない理由はありませんよね。そうでしょ。違いますか」と言うとまたもや「ここの展示場は総合住宅展示場の奥の方にあって来場客数が少ないし、和風の展示場で和風の展示場というのは家相にこだわったり木にうるさかったりする人が多くて新人では厳しいから、だから経験と実力がある人にいてもらわないといけないんだ」・・と、はてしなくこの繰り返し。これ、いったい何なの?
1998年、そういう時に営業本部長の天野隆夫から、他の展示場に「会社都合での転勤」で行ってもらえないかという話がされ、会社の就業規則では一定以上の在籍年数と一定以上の通算契約棟数の人間が「会社都合での転勤」をすると「特進転勤」として「副店長」昇進で、かつ転勤した時点で「2棟契約したという扱い」にするという規定が明記されていたので、「特進転勤ですね」と私は言ったのだが、営業本部長の天野隆夫が「前は会社都合での転勤だと特進転勤で副店長にしていたんだけれども、今はそういうのはしないんだ」と言うので、あれ? それはおかしいのではないか・・と思ったが、それでも「展示場リーダー」としての赴任という話だったので、又、「展示場リーダー」として赴任であるからには当然「応援者」としてであるはずであるから、それならば、いわき地区で所長の次くらいの営業成績を残したのに、又、営業本部長の天野隆夫がインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言うから、だから、片方で営業の過酷な仕事をこなしながら苦労して努力して工夫してインテリアコーディネーターの資格も取得したが、いわき地区で「インテリアコーディネーター 兼 宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)」と住宅・建築・不動産・インテリア関係の資格を2つ取得しているのは私だけであったし、私と同じくらいの契約棟数を残していた人は誰もが私よりも条件がいい展示場に勤務させてもらってのものであって、他の人よりも条件が悪い展示場でそれ以上の営業成績を残したにもかかわらず、「リーダー」にしてもらえずに、「応援者」になって当然なのに私よりも営業成績がずっと悪い人や自立して営業の仕事をこなせていなくて私に世話になっていた人とかを「応援者」にならせるということをされてきたので、そんな条件の場所にいるよりも、「リーダー」で「応援者」にならせてくれるということならば、本来なら「特進転勤」で「副店長」昇進のはずだがそうではないとしても「リーダー」で「応援者」としての赴任なら「会社都合での転勤」に協力しようと考えて1998年に栃木県佐野展示場に転勤したのだった。就業規則でこの条件を満たした者にはこうすると規定したならば、その規定は従業員にだけ適用されるのではなく、規定した使用者をも拘束するものであり、この従業員には適用して、こちらの従業員には適用しないといったことをしていいものではないのだが、私は「特進転勤」として「副店長」昇進と「2棟契約したという扱い」としてもらえるはずのものをしてもらえなかった・・けれども、「展示場リーダー」「応援者」として転勤するという話ではあったので、ともかく「展示場リーダー」「応援者」にならせてもらえるのならと考えて栃木県佐野展示場に転勤した。
ところが・・・。栃木県地域の営業所長だった五十嵐は変わった男で、最初はもうちょっとマシかと思っていたがそうではなかった。会ってしばらくつきあってみると「この人は栃木県で自分自身で営業の仕事をやってきた人だけあって、『浜松流』営業とは違って『空の広さは浜松の広さと同じだ』とは思っていない人だと思っていたが、その点はたしかにそうだけれども、片方でつきあえばつきあうほどやっぱり『高卒の営業所長』だなあ( 一一) 」と思うようになった。「あっかんなあ~あ・・( 一一) 」と思うようになった。 森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、学識者とそうでない者とを比較して見た時、学識者と比べて現場の一線の経験しかない人というのは一線の仕事はできても管理者としては無理な人が多いということが述べられているが、五十嵐にもそういうところが見られた。


日本経営史 (1981年) (日経文庫―経営学入門シリーズ) - 森川 英正
人を採用する場合などでも、自分と経歴が似ている人間に対しての評価というものが無条件に高いのだ。五十嵐さんが(株)一条工務店で営業として努力して成果を出したというのは、それはわかった。それを否定するつもりはない。数字として記録に残っているものが多いというだけではなく、話をしても、それだけの営業経験をしてきた人だけのことはあるということを五十嵐さんは話すし、そのあたりについては「さすが」というものはあると私は思っている。しかし、前職などの経験が五十嵐さんと共通するものがあっても、五十嵐さんと同じだけの努力をしていない人もいるし、五十嵐さんと同等の勤務態度で勤めてきていない人もいるし、とうてい同じ能力などない人もいるのだが、ところが、「高卒の営業所長」の哀しい性質のなのか、自分と似た経歴の人間の評価が高すぎるのだ。
他にも「高卒の営業所長」だなあ・・というところはあり、栃木工場の従業員用駐車場にクルマを停める時などは常に断固として一番条件がいい場所に停めようとする・・のだが、別に一番条件がいい場所に停めて悪いということはないのだけれども・・・私なら、そんなのどうでもいいよ・・と思うところ、あるいは、あえてそうではない場所に停めてほかの人間がどういう反応をするか見てやろう・・とか考えるところを、断固として一番条件がいい場所に停めて「俺は所長だぞお」という態度を取らないとおれない症候群・・というのは、「やっぱり、高卒の所長だなあ」と思わせるものがあった。
私は営業本部長の天野隆夫から「展示場リーダー」で「応援者」として赴任するということで頼まれて、それに協力して佐野展示場に赴任してあげたのであったが、ところが、私より少し前に入社した茨城県の展示場から武田(男。当時、30代)が同時に佐野展示場に転勤していて武田が「リーダー」になったのはまだしも、私の半分未満の在籍年数で前年契約棟数がゼロ棟の上岡を「応援者」にして、営業本部長から頼まれて転勤してあげた私を「被応援者」にしてしまったのだ。私は五十嵐に「いくらなんでも、おかしいでしょ」と抗議した。ところが、五十嵐は「上岡くんの方が爆発力がある」などと言ったのだが、これは通じない。たしかに、上岡くん(男。当時、40代前半。最終学歴:佐野市の「自分の名前を書くことができれば合格」と言われた私立高校のスポーツ入学卒)は気に入らないことがあると暴れる人間であり、「爆発力がある」というのはわかった・・し、(株)一条工務店は「梁山泊の精神」と言って初代社長の大澄賢次郎がそういう人間が好きだという会社だということもわかった。上岡が「前職:クルマ屋。住宅・建築・不動産・インテリア関係の取得資格:なし。最終学歴:底辺の高校卒」という点で五十嵐と共通しているということで五十嵐は自分と経歴が共通している人間を高く評価したいシンドロームの人間だということもわかった。・・しかし、私は「会社都合の転勤」で本来なら就業規則で「特進転勤」として「副店長」昇進の条件のものを「リーダー」で「応援者」としての赴任であるならばという条件で「副店長」昇進を譲歩して佐野展示場に転勤してあげた人間であり、「単なる転勤」とは違うのだ。就業規則に定められている「特進転勤」の条件を満たして「リーダー」で「応援者」として赴任した者を「被応援者」にして半分未満の在籍年数で通算契約棟数もそれに対応したもので、前年契約棟数はゼロ棟という者を「応援者」にする権利など五十嵐にないのだ! 五十嵐のやったことは越権行為であり、就業規則の規定にも反するものだ。就業規則というものは使用者側が一方的に規定するものであるが、しかし、使用者側が規定したものであっても、いったん、作成された就業規則の規定は使用者側もまた守らないといけないものであり、従業員側にだけではなく使用者側にも就業規則の規定は及ぶものである。「特進転勤」の規定を満たして「リーダー」で「応援者」という条件で転勤した私をそうではない扱いにするということは五十嵐にそのような勝手なことをする権利も権限もないはずなのだ。

労働法入門 第7版 (有斐閣双書) - 外尾 健一
だいたい、そこまで格下の営業社員を「応援者」にして、在籍年数も長く通算契約棟数も通算引き渡し棟数も一定以上の数字になり、会社が従業員に求めている住宅・建築・不動産・インテリア関係の資格も取得している私をそれらの条件を踏みにじって「被応援者」にして格下を「応援者」にしたがる理由はいったい何なのだ? ・・・何が理由であったとしても、私は「リーダー」で「応援者」として赴任するのであればということで転勤を承諾して佐野展示場に転勤してあげたのだから、五十嵐にそういう身勝手なことをする権利はないし、五十嵐のやったことは越権行為であり、会社の指示に反する行為であるはずだ。いくら「爆発力」があっても五十嵐にそういう勝手なことをする権利も権限もないはずだったのだ。
また、私は大学4年の時、人よりも年齢をいって卒業することになったので、その分、条件が悪かったが、それで慶應大学の就職部に相談に行った時、「条件は良くないけれども、採用される場合には『慶應大学の卒業生として採用』ということになる」ということを聞いた。それは当然であろうし、「慶應大学商学部卒」と記載した履歴書を提出して応募したならば、あるのは「総合職」「全国社員」としての採用か不採用かどちらかで、「一般職」「地域限定社員」としての採用というのは希望しても存在しないと思っていた。だから、(株)一条工務店に応募した時も、その際に見た「ビーイング」の求人募集には「転勤はありません」と記載されていたけれども、「慶應大学の卒業生として」採用されたからには「転勤はありません」というわけにはいかないだろうと思ったので、それで福島県いわき市の営業所に行ってもらいたいと言われた時にも転勤したし、栃木県佐野市の展示場に行ってもらいたいと言われた時も協力した。又、営業本部長の天野隆夫からインテリアコーディネーターの資格を取ってもらいたいと言われた時も、もともとはその資格は取得しようとは考えていなかった資格だったし、特に製図が試験にある資格を取得するくらいなら、フランス語なりドイツ語なりイタリア語なりロシア語なりを習得してくれとか、法律関係の資格を取得してくれと言われたりする方が、大学卒業までに学んできたものから考えると取得しやすかったくらいだったが、自分を雇ってくれた会社の上役が取得してくれと言う資格なのだから取らないわけにはいかないと考えて片方で過酷な営業の仕事をこなしながら努力して苦労して工夫してインテリアコーディネーターの資格試験に合格して登録もした。又、いわき市の営業所に転勤した際も、同じ時期に転勤した「木南さん」(仮名)は総合住宅展示場の入口の前の来場客数が多い洋風の展示場に配属されたのに対して、私は総合住宅展示場の奥の方の来場客数の少ない和風の展示場に配属されたが、それも「慶應大学商学部の卒業生として採用」された者であるからには、営業担当者として契約を取ること自体よりも「いろいろな営業所を経験すること」が目的であるということから、それでもいいだろうと思って奥の来場客数の少ない展示場に勤務もした。1993年10月にいわき市の展示場に勤務して、12月だったか、いわき地区の所長の草野次男さんが「木南くんは1棟、契約とってきたぞお。おめえはどうなんだ」などと言うので、よく言うわと思ったものだった。総合住宅展示場の入口の前の展示場と比べて奥の展示場の来場者数は3分の1未満であり、それでいて営業社員の数はたいして変わらない数が配属されていたのだ。「木南さん」(仮名)は私の最低でも3倍以上の来場客の接客をしており、入口の展示場で「木南さん」(仮名)が接客してツバつけた見込客の接客を私は大量にしてきてあげていたのだった。その状態で、よくそういう文句を口にできるものだ・・とあきれた。
私は「慶應大学商学部の卒業生として採用」されたと思っていたので、だから、「高卒のおっさん」とは違って「会社都合の転勤」もしたし、インテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言われれば本来の自分の得意分野ではない資格でも努力して苦労して工夫して取得もした。
※ インテリア産業協会 インテリアコーディネーターとは https://www.interior.or.jp/ic/about_ic/
条件がよくない展示場にも勤務したし、そして、「高卒のおっさん」とか「私立五流大学卒のにーちゃん」とかがしょーもないこと言ったり、しょーもないことやったりしても我慢に我慢を重ねてきた。 やっぱり、会社というのは、そういったところで会社のために我慢もすれば協力もしてきた者に対しては、そうでない者よりも、その点について評価もするべきであるはずであろう。私は「高卒のおっさん」が多い会社に「慶應大学商学部の卒業生として入社」して、それで何の努力もしてこなかったのではない。「高卒のおっさん」が多い会社で、「慶應大学商学部の卒業生として入社」した者だけのことはある・・・ということをやってきたはずであり、当然、それは認められないとおかしいはずである。 (株)一条工務店を辞めた後、千葉市のリフォーム会社の(株)ウッディホーム で入社直後に見せられた「研修用ビデオ」で、花登 筺(はなと こばこ)のテレビドラマみたいな話を見せられたのだが、滋賀県の大店(おおだな)の息子でまだ小学生くらいの者に親戚の叔父さんが語る場面があって「おまえは、大店(おおだな)の跡を継ぐということを、自分だけ楽してええ思いをする立場を継ぐみたいに思っておりぁせんか。そうではないんだぞ。大店(おおだな)の跡を継ぐということは、他の者がやらんような努力をして、他の者がやらんような苦労をして、他の者がやらんような我慢をするということなんやぞ。わかっとるか」と言うのだったが、言われた子供は「なんや。それでは、ええこと何もないやないか」と言うのであった・・・が、実際には「ええこと何もない」ということはないはずで、これは会社の社長にもあてはまることのはずで、社長というのは「自分だけ楽してええ思いをする立場」なのか?・・・というと、(株)一条工務店のオーナー社長とか営業本部長とかはそうかもしれんが、本来はそうではなく「他の者がやらんような努力をして、他の者がやらんような苦労をして、他の者がやらんような我慢をする」立場であるはずだった・・のだが、私は「慶應大学商学部の卒業生として入社」した者として「高卒のおっさん」とか「私立五流大学卒のにーちゃん」とかはやらないような努力も苦労も我慢もしてきたはずであり、私にそういった負担をかけてきた会社が、それを認めないということであれば、それは「やらずぶったくり」であり、「ふざけんな!」ということになるものであった。
それで・・だ。(株)一条工務店では、営業社員が転勤した場合には、その時点での契約客で引き渡しまで住んでいないお客様については、片道200km以内の場合には転勤後も担当する、200kmを超える場合には元いた営業所の営業に引継ぎを頼むというように就業規則に規定されていたのだ・・・が、実際には200kmを超えるか越えないかというくらいの場合には、担当者の判断でその後も担当して引き渡しまで持って行った方がいいと考えた場合は担当して、引継ぎ担当を頼んだ方がいいと考えた場合には頼むということにしていて、200km以内か200kmを超えるかというのは、事実上、それほど絶対的なものとはされていなかった。又、直線距離で200kmなのか、実際にクルマで走った距離で200kmなのかという問題もあった。
千葉県松戸市の展示場から福島県いわき市の展示場に転勤する際にも、東京展示場・松戸展示場で契約してもらった契約客はすべて、他の営業に引き継いでもらえと営業本部長の天野隆夫が言うので、千葉県市川市で契約してもらった義兄の家だけは転勤後も担当させてもらいたいと言ったのだ。「実の兄弟ならまだいいのですが、義理の兄弟なので、私が担当するということで契約してもらったのに他の営業にさせるというのでは具合悪いのです。親戚関係にも影響しますから、義兄の家だけは私に担当させてください」と言ったのだ。そして、何よりも、いわき市の営業所から測っても、いわき市で私が居住したアパートから測っても、義兄の家の建築地は直線距離で200km以内であるのはもちろんのこと、実際にクルマで走った距離でもぎりぎり200km以内だったのだ。だから、「規定に沿って転勤後も担当させてください」と言ったのだ。そうすると、アマノジャクの天野隆夫は「それなら、いわき展示場ではなく原町展示場にする。原町展示場なら200km超えるはずだ」と言うのだった。何、それ?
そして、義兄の家を「(株)一条工務店に入社して1年未満」の男に担当させて、そして、天野隆夫は「ぼくが問題ないようにきっちりとやらせるから」と言った上で無茶苦茶したのだ。
まず、営業社員が転勤したり退職したりした場合の引継ぎ担当を、小堀住研(株)はそういう場合の引継ぎは営業課長が担当するということにしていたのに対して、(株)一条工務店では新人に担当させていたが、あれは良くないと思う。(株)一条工務店としては「新人の勉強になるから」と考えていたようだったが、それは良くない。まず、これは神奈川県の藤沢展示場の所長だった千葉さんから「最初の1棟というのは、ものすごい大変なことだ。10棟契約取った人間の11棟目と0棟から1棟への最初の1棟目とは全然意味が違う」と言われたことがあったが、私もそう思う。 最初の1棟を契約してもらえた時というのは、これはものすごい感動であり、自分を担当として契約してくれた人の家は、なんとしてもいい家ができるようにして引き渡せるようにしないといけないと思ったものだった。その感動を味わったことがない者が他の営業が担当で契約したお客様の仕事をするなどとは畏れ多いことであり、自分自身が担当で1棟も契約してもらったことがない者に他の営業が担当で契約したお客様の引継ぎ担当をする資格なんてない!!! ・・と考えるべきだ。
又、(株)一条工務店は「新人の経験になるから」「新人の勉強になるから」などと新人が引継ぎ担当をやる理由をあげていたが、それもおかしい。2000年頃だったか、ラジオの野球中継で解説者のデーブ大久保が「よく、『◇◇選手、これで、いい勉強になりましたでしょう』とか言う人がいますけれどもねえ。おカネもらって勉強しないでほしいと思うんですよねえ。勉強するのならおカネ払って勉強してもらいたいもんですよ」と話していたのを聞いたが、その文句、野球選手だけにあてはまることではないと思うのですよ。ある営業社員を担当で契約した契約客の立場からすれば、新人に勉強させるために契約したのじゃないんですよ。ただでさえ、この人が担当ならと思って契約した人間に転勤されたり退職されたりした契約客の担当を、さらに右も左もわからん新人に担当させて「勉強させる」というのは、それは契約客に失礼でしょう。「おカネもらって勉強しないでもらいたいと思うんですよね」というのが契約客の立場です! (株)一条工務店はおカネもらって新人に勉強させないでもらいたいと思うのですよ。
そして、1998年、福島県いわき市の営業所から栃木県佐野市の営業所に転勤した時も、片道200km以内だったのだ・・・が、営業本部長の天野隆夫が「すべて、引き継いでもらえ」と言ったのだった。片道200km以内ではあったがそんなに近くではなかったので、他の営業は引き継いでもらうかどうか微妙なものとして、営業担当者がどちらか選んで決めていたケースだったのだが、営業本部長の天野隆夫が「引き継いでもらえ」と言うので引継ぎを頼んだのだった・・が、そのうちの1軒の方からは親戚の家の「紹介」が出て、親戚の方も(株)一条工務店で契約して建てられることになった。
ところが・・・・だ。 (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では見込客の担当を誰が担当するかについて、会社としていくつかの基準を設けていた。
(1) 1992年に私が入社した当初、「展示場来場時、90分以上の接客、最低でも30分以上の接客時間」と言っていて、その後、訪問してはいけない・・などと言っていたのだ。お客様の方から頼みに来るのを待つのだ・・と殿様みたいなことを言っていた。「『よそ』みたいに短い接客で、訪問ばっかりする営業とは違う」とか言うので、小堀住研(株)では「短い接客で訪問ばっかりする営業」なんてやっていないし、そんな営業をしてはいけないと小堀住研(株)の研修では言われたので、「そういう会社も中にはあるのかもしれないけれども、『よそ』の会社はどこもが『短い接客で、訪問ばっかりする営業』なんてやってないと思いますよ」と事実に即して言ったのだが、(株)一条工務店の「オリジナル営業」としてはそういう事実を聞かされるのは不愉快だったらしい。
・・で、そんなこと言っていたかと思うとそれから1年も経たないうちに「来場から3日以内に必ず訪問」とそれまでと正反対のことを言いだした。何、それ?・・( 一一)
そして、「展示場来場から3日以内に訪問」をしたかどうか・・というのが基準になった。
(2) その後、月に1回、営業担当者1人あたり10人の「追客中名簿」というのを作成して会社に提出し、そこに名前が入っている見込客はその営業が担当、そこに見込客の名前が入っているかどうか・・ということになった。10人というと多いようで少ないようで・・という数だ。1990年代半ば過ぎ、新卒入社した新人が担当して契約した いわき市内のある会社の社長はそれよりも前に私が展示所で接客した上で訪問してけっこう長く話もしていた人だった・・が、なかなか進展しないので「10人枠」からはずしたところ、その後、いわき市内の他の展示場に訪問されて接客した新人が担当で契約されるに至った。「しまったあ~」と思ったが、まあ、しかたがない・・と考えるしかない。担当者が新人ではなく前からいる馴染みの営業なら「昼飯、おごれえ」くらい言ってもいいかもしれないが。そういうものは「お互い様」と考えるしかないだろう。逆のケースだってありうることだ。
(3) 「紹介客」として、その営業が担当して契約客・入居者の紹介のお客様はその営業の担当であるが、営業担当者が「紹介してもらった」と口で言うだけではだめで、それを認めたなら、その地域の住人は入居者・契約客の「友達の友達は皆、友達だ」になり、その地域の住人は誰もが前から在籍している営業の「紹介客」になってしまい、社歴の浅い営業はどんなに努力しても絶対に契約取れないということになってしまうので、会社が指定して書式に契約客・入居者に記載してもらって会社に提出しておくことというのが条件で、又、提出した場合も、すでに他の展示場に訪問されて他の営業が接客して追客中というのは後から「紹介票」を提出してもだめ・・ということであった。紹介客が契約につながった場合は、紹介客にはわずかなサービスと紹介者にはわずかなお礼を進呈することになっていた。
1992年、私が東京展示場(江東区潮見)で接客した東京都在住で静岡県浜松市で建築予定だった某さんは、林野庁に勤務していた方で、東京展示場があったウッディランド東京 は林野庁が運営する「国産材の利用促進をはかる施設」であり、ウッディランド東京にも仕事で来られることがあったという方であったが、ところが、その時点では茨城県の土浦展示場の所長になっていて、それよりも前に東京営業所の所長になっていた田中義一が東京展示場の所長であった時に、東京営林局に勤務していた方、一人に契約してもらったことがあった・・ということから、「林野庁と東京営林局に勤めている人はすべて土浦営業所の担当にさせてもらいます」と無茶苦茶な主張をして、そして、私は有望見込客を土浦営業所と田中義一に強奪された。・・それだけではない。田中義一は私から私が展示場で尽力して前に勧めた有望見込客を強奪しただけではなく、強奪した有望見込客を半月以上も放置した。そして、放置された見込客はさっさと計画を進めたいのに何ら連絡がないということで私の所に電話してきて怒られたのだ。そして、はっきりと言われたのだ。「うちは、田中さんなんてそんな人に担当してくださいなんて、一言も頼んでません。その田中さんという人にうちの家には絶対に一切関わらないでくださいとはっきりと言っておいてください」と。そういって私は怒鳴りつけられたのだ。東京展示場の「リーダー」であった宮崎さん(男。当時、30代前半)にそのまま話し、土浦営業所の所長の田中義一にそれを話して抗議しようとしたのだが、ところが宮崎さんは「言わなくていいから、言わなくていいから。田中所長に逆らっちゃだめだから。あの男には何を言ってもだめだから、あの男には逆らっちゃだめだから。悔しいと思うけれども我慢して。田中所長には絶対に逆らっちゃだめだから。会社のルールでは田中所長の担当ではないといっても、ルールなんか田中所長には関係ないから。あの男には何を言ってもだめだから」と言ってきかず、「しかし、お客さんは東京に居住中だから東京展示場で話を進めようということで私と折衝していたのですが、それを《土浦営業所の所長が『東京都に在住で、建築地は浜松で、土浦も茨城県もまったく何の関係もない人』でも、ともかく林野庁と東京営林局に勤めている人は、田中さんが前に東京営林局に勤めている人を一人、契約したということがあったという理由ですべて土浦営業所の担当にすることにしています》と言っても、『うちはそんなもの、知りません。うちは土浦営業所の田中さんなんて、そんな人知りません。うちはそんな人に担当してくださいなんて一言も言ってません』と言われているんです。そして、『もう、けっこうですから、浜松に行って浜松の営業さんと話をしますから、田中さんという人には関わらないようにきっちりと言ってください』と言われているんです。このままでは浜松に行って浜松の営業と話をして浜松で契約されてしまいます」と言ったところ、宮崎さんは「いい、いい。浜松で契約してもらえばいい。それでいいから」と言うのです。それで私は「なんで『いい』のですか。私になら、東京展示場が出展しているウッディランド東京や林野庁・東京営林局に勤めている人は土浦営業所の担当だからと言って私から見込客を盗って土浦営業所に渡しておきながら、なんで、浜松の営業は土浦営業所に渡さなくていいのですか。おかしいじゃないですか。なんで、浜松の営業は土浦営業所の担当と田中所長が決めたものを契約できるのですか。浜松の営業が契約していいのなら、なんで東京営業所の営業は契約してはいけないのですか」と言ったのです・・が、「リーダー」の宮崎さんは「気持ちはわかるけど、我慢して。逆らえないから、絶対逆らえないから。田中所長には絶対に逆らえないから」と言うので、「それなら、なんで、浜松の営業は逆らえるんですか」と言ったのだが、「リーダー」の宮崎さんは「なんでも、逆らえないから。田中所長は絶対だから。あの人には絶対に逆らえないから。我慢して。お願いだから耐えて。なんでもともかく我慢して耐えて。田中所長には何があっても絶対に逆らえないから。理不尽なのはわかるけど、田中所長に逆らっても通じないから。耐えて、我慢して。お願いだから我慢して。田中所長は絶対だから。あの人には何を言っても絶対に通じないから。あの男はまともじゃないから。」と言うのでした。その後、東京営業所(展示場)の「所長」を兼任している営業本部長(当時の肩書は「次長」)の天野隆夫が東京展示場に来場した時にこの話をして、東京展示場があるウッディランド東京を運営している林野庁に勤めている人を東京営業所が担当するのか建築地の営業所の営業が担当するのかどちらかならわかるが、まったく何の関係もない、東京営業所よりも建築地とは逆方向の営業所が担当するというのはおかしいし、ましてや、「それはこちらでやらせてもらいます」と理由もなく人の追客中の有望見込客を強奪した上で、半月以上も放置して、さらには放置されたことに見込客が激怒して私は怒鳴りつけられたのに、それに対して田中義一が謝罪もしないというのはこれは会社としてどう考えてもおかしい!・・・ということを話したのでした・・が、そうすると営業本部長で東京営業所長兼任の天野隆夫は、普通なら東京営業所長として土浦営業所に抗議するもの、営業所長として土浦営業所長の田中義一に注意するものであるはずであるが、そうではなく、田中義一の被害にあった私の方に「そんなもの、田中所長が担当して契約になったかどうかわからんだろうが」と言い、私が「ですから、普通にやったら契約してもらえるお客さんを半月以上も放置して、その結果、私が田中所長のかわりに怒鳴りつけられたのですよ。それについて、田中所長は『申し訳ない』も『すいません』も一言もないのです。いくらなんでもおかしいでしょう」と言ったのだが、そうすると営業所長の天野隆夫は「田中所長にだって事情はあるに決まってるだろうが」と言うので「何の事情があるんですか。本来なら自分は何の関係もないのに、有望見込客を強奪した上で半月以上も放置してお客さんを怒らせて、それで田中所長のかわりに怒鳴りつけられた私に謝罪の一言もなくて、いったい何の事情があるんですか?
!
?」と言ったのです・・が、ところが東京営業所長のくせに・営業本部長(当時の肩書は「次長」)のくせに天野隆夫は「そんなもの、田中所長には所長としての事情があるんだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ!」と逆に私が天野隆夫から怒鳴りつけられた。なんだ、この人は?!?・・・( 一一) と思った。 (株)一条工務店は毎年、年始に「年誌」として分厚い冊子を全従業員に配布し、そこに「一条工務店の土台を築いてきた人たち」として何人かのおっさんどもの顔写真と氏名を掲載していたのだが、「(株)一条工務店の土台を築いてきた人たち」というのはどういう「人たち」かというと土浦営業所の所長の田中義一のように、自分は全然何の関係もないのに、過去に東京営林局に勤めていた人に1人契約してもらったということがあるというただそれだけで、東京営林局と林野庁と東京展示場が出展していたウッディランド東京に勤めている人はすべて、その見込客が「うちは田中さんなんて人に担当してくださいなんて一言も言ってません」とはっきり言われていても、それでもすべて土浦営業所の担当だと主張してかかえこんだ上で、さっさと計画を進めたいと考えている見込客を半月以上も放置した上で、放置されたことを激怒して電話で怒鳴りつけられた東京展示場の営業に「申し訳ない」も「すいません」も一言も言わずに「一条工務店の土台を築いてきた」などとあつかましい文句を言いたてるヤカラ!・・というのが、それが「(株)一条工務店の土台を築いてきたと自称している人たち」であった。
天野隆夫は東京営業所長であっても営業本部長(当時の肩書は「次長」)でるから、だから、「所長」の田中義一と入社1年目の私となら「所長」の田中義一の方が勝ち♪・・というそういう判断しかできない男だったようだ。だから、東京営業所とか松戸営業所というのは、土浦営業所のような「所長」がそこにいる営業所と「バッティング」するとすべて負け、理由がないものでもどんなに理不尽なものでもことごとく奪われる・・・というのが(株)一条工務店だったようだ。1993年、その天野隆夫が私に「『ここの営業所は所長がいない営業所だから』と言ったそうじゃないか」と文句を言ってきた。営業所内で話をしているとそれを営業本部長に「御注進」「報告」するやつというのが(株)一条工務店にはいて、営業本部長はそういう「御注進」「報告」するやつというのが大好き♪ であり、そして、私に文句言ってきたのだ。「おい! 『ここの営業所には所長がいないから損だ』と言ったそうじゃないか。何、言ってんだ、おまえはあ。この営業所の所長はこの僕だぞ。僕が所長なんだぞ。わからないのか、そんなことも!」と私に怒鳴りつけたのだ。はあ~あ??? 「何、言ってんだ、おまえはあ」と言われなければならないのは天野隆夫の方であろう。東京営業所長・松戸営業所長なら所長らしいことやれよ、所長なら! 土浦営業所の所長が勝手なことやって、会社のルールに反することやって土浦営業所はまったく何の関係もない見込客を「そのお客さんは土浦営業所でやらせてもらいます」と言って強奪した上で、有望見込客を半月以上も放置して、その上で東京営業所にお客さんが怒って電話されてきて私が怒鳴りつけられたのだから、東京営業所長・松戸営業所長ならば土浦営業所長に抗議するべきであり、土浦営業所長に抗議するのが東京営業所長の仕事で任務であろうが!
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! それをやらずに、「田中所長には事情もあったんだろうが。わからないのか、おまえは」とか何とか勝手なことばっかり言って、東京営業所長のくせして土浦営業所に加担しまくったのは天野隆夫であろうが!
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! 土浦営業所のテカのくせしやがってからに、な~にが「この僕がここの営業所の所長なんだぞ。わからないのか」だ、なにがあ!!! わかっていないのは、あんたやろうが、あ、ん、た!!! だいたい、「浜松・掛川・名古屋のまわしもの」みたいにいつでも常に浜松・掛川・名古屋の利益ばっかりはかる「浜松・掛川・名古屋のまわしもの」の男が何が「この僕が東京営業所長で松戸営業所長なんだぞ」だ。東京営業所長で松戸営業所長なら、東京営業所長・松戸営業所長としての任務を果たしてから言え! この浜松野郎!!! (株)一条工務店では契約客・入居者の「紹介客」とするには、その見込客が展示場に訪問して営業社員が接客して折衝を始めるよりも前に「紹介票」を契約客・入居者に書いてもらい会社に提出しておくことというのが条件だと(株)一条工務店は就業規則に明記していたはずで、それを土足で踏みにじるのが「所長」の仕事かというと、本来は「所長」はそういう会社のルールを守らせるのが「所長」の仕事のはずであったが、土浦営業所の「所長」の田中義一は「所長」の仕事と正反対のことを自分は実行しした上で「一条工務店の土台を築いてきた人たちと自称している人たち」のメンバーにはいってブサイクな顔写真を「年誌」にふてぶてしく掲載していたのだった。それを営業本部長で東京営業所長・松戸営業所長の天野隆夫が持ち上げていたのだった。
※ [第709回]《ひとの追客中有望客を横取りして放置する「一条の土台を築いてきた人たち」、それに加担する営業本部長ー「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証12》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_7.html
(4) それで、「紹介客」は契約客・入居者の紹介と営業自身の親戚関係に限るとされていて、営業担当者の親兄弟の場合は、これは先に「紹介票」を会社に提出するよりも前に他の展示場に立ち寄ることがあって他の営業が接客するということがあったとしても、営業担当者の親兄弟を他の者がやるわけにもいかないであろうから、その場合はその場合でも他の営業にがっかりさせないように配慮するのが望ましいであろうから「紹介票」は早めに会社に提出した上で、近隣展示場にも「見に行くかもしれない」ということは言っておいた方が良心的であろうけれども、営業担当者の親兄弟の場合は「紹介票」の有無にかかわらずその営業の担当ということでいいのではないかと思うし、そうしていたと思う。
「業者の紹介」は「所長の担当とする」ということになっていた。しかし、「業者」でも、その業者が親しい営業とそうでない営業があって、所長とはそれほど親しくなくて、所長以外の他の営業と親しいという「業者」もある。福島県いわき市の営業所にいた時、不動産屋の担当者で展示場に「こういう物件があります」と不動産情報をしばしば持ってきてくれた人がいたのだけれども、その人が自宅を建てられた時、その人は「業者の紹介は所長の担当とする」という(株)一条工務店の事情なんか知らないものだから、それで私にも「〇〇さんにもお世話になっているのですけれども、◇◇さんの担当のお客さんに土地を買ってもらったということがありましたので、それで◇◇さんに担当として契約させてもらいました。どうもすいません」と言われたのだが、「けっこうです」と私も言ったし、やっぱり、その営業が担当のお客様に不動産の契約を決めてもらったということがあったなら、不動産屋の営業さんとしては、そういったことがない所長ではなくその営業さんが担当のお客さんに土地を買ってもらったということがあった営業さんに担当として契約するというのが筋だと考えられたようだった。私はそれでいいと思う。何が何でも所長の担当というのは、それは「一条工務店の土台を築いてきた人たちと自称している人たち」が自分たちの契約棟数と収入を増やそうとして決めたものであり、必ずしも合理的とは言えないものだった・・と思う。
さらには、営業が職種ではない従業員の家とか営業が職種ではない従業員の親兄弟の家というのは、これは誰の担当になるのか・・というと(株)一条工務店では「所長の担当とする」ということにしていたのだが、いわき市の営業所で「工務課」と称する工事担当をやっていた女性社員Wの親がいわき市で建てた時、「所長の担当とする」ということで営業担当は所長の草野さんだったのだが、Wは私などに「・・はどうすればいいの?」とかきくので、「それ、所長は説明してないのお?」と言うと、「ぜ~んぜん」とWが言い、他の女性社員某は「所長がそんなもの、説明するわけないでしょうよ」と言うので、別に同僚からきかれて答えてもいいけれども、所長が担当なのになんで所長にきかずに俺にきくのだろうなあ・・・と思い、家造りについての施主の娘の質問に俺が答えているのになんで営業担当としての報酬は所長に支払われているのだろうなあ・・とか思ったりもしたものだった。(株)一条工務店の「所長」というのはそういう人が多いようだった。
(5) もうひとつ、基準があって、「お客様が営業担当者を指定した場合」というのがあり、↑ の「ルール」というのはあくまでも(株)一条工務店の「会社の都合」であり、見込客としてあの人に担当してもらいたいというものがはっきりとある、あるいは、当然、自分の担当はあの人のはずだというものがある場合がある。そういう場合は、「お客様が指定した営業担当者が担当」となることになっていた。
しかし、これはもっとものようで、実際には「所長」にならせてもらっている人にはいかにも都合がいい論理です。「所長」はいつでも好きな時に好きなだけ、自分が「所長」になっている営業所の営業担当者の折衝中の見込客を「あの客、あんな営業ではだめだと言ってたぞ」といちゃもんをつければ横取りできるし、片方で「所長」が見込客から「所長の誰それはだめだから営業担当を変えてほしい」と言われても「そんなこと言うわけねえ」とか「それは客が考え違いしてんだ」とか言えば、「所長」は取りあげられなくてすむのです。実際、1990年代、福島県いわき市の営業所にいた時、福島県中通り地区の「所長」だった片山は中通り地区のお客様を契約だけして「いわき市に和風の展示場ありますから、いわき市の展示場を見に行って、いわき の営業に説明してもらってきてください」と言って、いわき市の私がいた展示場に契約客を送り込むというのを得意技にしていたのですが、ある契約客の方が電話してきて「私は郡山の展示場で所長の片山という男が担当で契約したんだけれども、あの片山というやつは、いったん契約したが最後、まったく何もしないやつだ。あいつを担当として契約して失敗した。いわき の展示場に見にいった時に説明してくれた人(私のこと)なら、あの人ならきっちりと対応してくれると思うから担当をあの人に変わってもらってほしい」と電話してきた人があったようだ・・・が、あってもどうもならない。「所長」は無敵であり、そう言ってくる契約客があっても絶対に「所長」は見込客でも契約客でも取り上げられるということは絶対にない。逆はいくらでもありうる。
(3)で例をあげたように土浦営業所の「所長」の田中義一は自分は全然何の関係もないのに、東京都に居住していて浜松で建てるという見込客を「その人は土浦営業所で担当することにします」と言い張って横取りした上で長期に渡って放置するということをやったし、普通、そういうことをすると営業本部長は「何をやってるんだ」と苦情を言うものだ・・と思うのだが、ところがどっこい、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫はそういう非常識なことをする土浦営業所と土浦営業所長に全面的に加担するというのが(株)一条工務店という会社だった。
(3)であげた例の時には東京展示場の「リーダー」の宮崎さんは自分が奪われる営業ではないということもあったからだと思うが、「田中所長には逆らえないから、あの人にはこの会社では絶対に逆らえないから。理不尽だと思うけど我慢して。おかしいと思うけど、あの人にはおかしなことでも逆らえないから。嫌だろうけど腹も立つだろうけど耐えて。我慢して」と言いまくったけれども、誰もがそういう態度を取るわけでもなく、福島県いわき市平尼子町(たいらあまこまち)のJTいわきハウジングパークの奥の方の私がいた展示場に勤務していたK井さんは、福島県双葉郡で建てる見込客が、いわき市鹿島町飯田 の所長の草野次男さんから「JTいわきハウジングパークの展示場の営業と話をしているけども、愛想もくそもない図面を持ってきやがった。あんな愛想のない営業ではだめだとお客さんが言ってたぞ」と言われて、所長の草野さんとしては客がそう言うからには営業担当者を変更して自分がやると言いたかったようだが、そんなに簡単に見込客を奪われてたまるか・・とK井さんは頑張った。その方は自分の土地の図面を持ってきて「ここに建てたいんだ」と言われたが、その場所の図面を見ても実際の土地を見ても、そこに建てるからにはせいいっぱい頑張っても他にやりようがなかったということだった。自分はそんなにおかしなことをやったわけではないと考えたK井さんは所長の草野さんに「それなら、所長として同行してくださいよ。所長として私に同行して一緒にお客さんの所に行って話を聞いてくださいよ」と「所長に協力をお願い」するということにした。たしかに、所長は「あんな営業ではだめだ」と見込客から言われれば、「お客さんがあんな営業ではだめだと言ってるぞ」ということで見込客を取り上げることもできるが、片方で「所長なら部下の営業に同行して助けてくれたっていいでしょう」と言われればそれもそうなのだ。それで、同行してもらったらしい。行くと、見込客が「ここに建てたいんだ」と言われる場所に建てようとすると、K井さんが作成した図面のようにしかやりようがなかった。他の建築会社の人間が持ってきた図面も見せられたが同様のものだった。どんなに無理しても、そこに建てようとする限り、それしかやりようがないのに、なんで、このお客さんはわかってくれないのか・・とどこのハウスメーカーの人間も思ったようだった・・・が、過去に年間全国1位の営業成績を残したこともある浜通り地区の所長の草野さんだけは違った。草野さんは周囲を見回して、そして、そのお客さんにこう言ったらしい。「◇◇さ~ん。ここにあるこの納屋なんだけんども、見たところ、まだ新しくて取り壊すのはなんとももったいないように思うんだけども。もし、この納屋を取り壊して、この納屋が建っている場所とここの土地と合わせて両方の土地を使って家を建てたとすると、けっこういい家ができると思うんだけんども、どんなものだろうねえ~え」・・と。まさに「眼からうろこ」だった。誰もがそのお客さんが「ここに建てたい」という土地を見て、そこに建てるという前提で図面を考えて、それでそのお客様から「愛想もくそもない図面ばっかり作りやがって」と言われたが、所長の草野さんひとりだけは土地から考えるのではなく、そのお客さんが建てたいと思っているものから考えて方法を提案した。「今までここに何社もの会社の何人もの人間が来たけれども、それを言ってくれたのは草野さん、あんたひとりだけだ」と、お客さんはそう言われたそうだ。そうなったらもう競合なんかない。たいしたもんだ・・と思った。浜通り地区の所長の草野さんの年間全国1位はだてじゃなかった・・・が、K井さんとしては「所長の協力のもとに契約につながった」ということになったのだ。「そんなもの、簡単に所長に取られてたまるか」と言うのだったが、実際、そうだ。所長にであれ、中通り地区の所長の片山にであれ、茨城県地区の所長の田中義一にであれ「簡単に取られてたまるか!」というものであり、そのあたり、東京展示場の「リーダー」の宮崎さんは、土浦営業所の田中義一がかつて東京営業所の「所長」だった時にいじめられまくったそうで、東京営業所長だった時代の田中義一に苛められてノイローゼ状態になったこともあり、それが「トラウマ」もしくはPTSDになっていたと従業員の間で言われていたが、
〔「トラウマ」・・・心的外傷(しんてきがいしょう、英語: psychological trauma、トラウマ)とは、外的内的要因による肉体的及び精神的な衝撃(外傷的出来事)を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。(《ウィキペディアー心的外傷》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7 )
「 P T S D 」・・・心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい、Post Traumatic Stress Disorder、PTSD)は、命の安全が脅かされるような出来事(戦争、天災、事故、犯罪、虐待など)によって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害である[1]。症状がまだ1か月を経ていないものは急性ストレス障害として区別する。(《ウィキペディアー心的外傷後ストレス障害》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7%E5%BE%8C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E9%9A%9C%E5%AE%B3 〕、
そこから「あの人には逆らえないから。あの男はまともな人間じゃないから。この会社ではあの男の言うことはきくしかないから」「あの男はまともな人間じゃないから」と言うようになってしまっていたようだった・・が、だからといって黙って奪われていたのでは営業にならなくなる。「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」である。
そういえば、『ラーメン才遊記』で芹沢が、気が弱くて横暴な客に何も言えないで我儘を許してしまうラーメン店 店主に「たとえ、あなたがどんなに気が弱くても腕力がなくても、自分の命を奪われそうになったら必死で闘いませんか」と言う。「あなたの店というのはあなたにとって自分の命のようなものと違うのですか」「自分の店を無茶苦茶にされそうになったなら、どんなに気が弱くても腕力がなくても自分の店を守ろうと必死で闘うものと違うのですか」と。営業にとって見込客というのは「メシの種」であり簡単に奪われてはならないものであり、東京展示場において田中義一に奪われた時、私は入社1年目だったので「リーダー」の宮崎さんの言うことをきくしかなかったが、そういう経験を経て、宮崎さんにはいろいろと教えてもらって世話にはなったけれども、「この人の言うことを聞いていたら、何でも奪われてしまう」という認識も持つようになり、「この人の言うことに従っていたら契約なんか取れなくなってしまい仕事にならなくなってしまう」とも認識するようになった。「簡単に奪われてたまるかあ!」というK井さんの認識の方が営業の仕事についている者としては正しい。

権利のための闘争 (岩波文庫) - イェーリング, Jhering,Rudolf Von, 淳一, 村上
片方が「所長」とかいう場合には、田中義一のように「所長」の横暴で全然関係のないものを強奪してやろうという「所長」もいるわけだ。そして、本来、営業本部長というのは「そういうことをしてもらっては困ります」とその「所長」に注意するものではないかと思うのだが、ところが(株)一条工務店の営業本部長というのは、「所長」と単なる営業となら「所長」の勝ち♪・・・という対応しかできないアホであるから、だから、営業担当者は営業本部長というのは役に立たない・あてにならないときっちりと認識して「おのれのメシの種」はおのれで守らないといけない・・ということになる。
田中義一に全く何の関係もないのに有望見込客を強奪されただけでなく、会社にとって大事な見込客を放置して怒らせるということを田中にされたその少し後のこと、東京都葛飾区水元の方で建て替えを検討されていた方と折衝させていただいた時のことだが、その方の住居の近所で、(株)一条工務店が建築して引き渡したお宅が1軒あったのだがその家の営業担当者が東京営業所長だった時代の土浦営業所長 田中義一だったということがあったのだが、営業本部長で松戸営業所長兼任の天野隆夫は私に「その家も、田中所長に一声かけたらどうだ」などと言ってきたので、東京営林局・林野庁・ウッディランド東京に勤めている人は過去に田中義一が担当で東京営林局に勤務の人に一人、契約してもらったことがあったということから、その後は田中義一が土浦営業所に転勤した後も、東京営林局・林野庁・ウッディランド東京に勤務している人は土浦営業所が担当という主張を田中義一はしたのだが、それだけではなく、葛飾区水元など、田中義一が担当の家が建った近所の人はすべて、土浦営業所が担当というようにしろ!・・ということか? そういう意味と断定していいのかどうかわからなかったが、そんなもの、田中に言ったら、またもや、「その人は土浦営業所の方でやらせていただきます」と言い出すというのは目に見えていたのであり、「ふざけんな!」てものだ。天野隆夫のそのような発言をきいて田中義一と土浦営業所に片っ端から東京展示場・松戸展示場の来場客を渡したのでは、東京展示場・松戸展示場の営業は仕事にならない! ・・また、その葛飾区水元の見込客の方は近所で(田中義一が営業担当だった)(株)一条工務店が建てた家のことは知っておられて、「あそこの家の工事では近所は迷惑して問題になったのですよ」と言われていたものだった。 ””「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称する人たち”” というのは、契約とればそれでいい・・みたいな人間が多いので、工事中に近所に迷惑をかけても、知ったことか・・という態度を田中も取ったのか、近所でのその家の工事についての評判は良くないようだった。営業本部長の天野隆夫はそんなこと、全然知らないようで、知っても知らないことにする・見ても見なかったことにする・聞いても聞かなかったことにする・・というそんな営業本部長だったようだ。
「バッティング」した場合というのは(株)一条工務店だけの問題ではない。1989年、小堀住研(株)に入社1年目だが、千葉県松戸展示場に来場した松戸展示場のすぐ近くの消防署に勤務していた人が「小堀ハウス55」で建てることを検討され、入社1年目の私が担当して話をして、話が進み、松戸展示場は完全自由設計で高級志向の「新 桂(しん かつら)」「和のかたち」の展示場で、「小堀ハウス55 ブラウン」の展示場が柏市にあったのでそれを紹介して「一度、一緒に見に行きましょう」という話をしたのだった・・が、私は住宅建築の営業を始めたばかりだったのでまだ考えが甘かった。「一緒に柏展示場に見に行きましょう」と言ったのだけれども、しばらくすると「柏展示場のパックマン」と言われていた犀川(男。当時、30代後半)から電話がかかってきて、「俺の追客中のお客さんがそっちに行ったって、接客してくれてありがとう」と言って電話がかかってきた。ええ~え??? ・・・柏展示場に「ハウス55」の展示場があるというのは私が教えたことであり、柏展示場に行ったことがあるなんてその見込客は一言も言わなかったし、柏展示場で折衝中だなんてましてや一言も言わないし、又、私が接客中に、営業補助の女性のMさんはそのお客さんの子供の相手をしてくれていたのだったが、Mさんもそんなことは一切聞かなかったと言ってくれたし、ありえないことだった・・・が、松戸営業課長の石井が言うには「たぶん、犀川にやられたんだろう」ということだった。「だから、犀川には気をつけろと言っただろう」と。追客中のお客さんにお客さんだけで柏展示場に行かれたら、犀川に「パックマン」やられるぞ・・という話だったのだ。「パックマン」というのは他の展示場に先に行って他の展示場の営業が折衝中のお客さんが柏展示場にお客さんだけで行くと、「パックマン」がパクッと横取りする・・という意味である。その頃は、私はいくらなんでもそんなことする従業員がいるとは信じられなかったのだ。同じ会社に勤めていて、同じ会社の仲間なのにそんなことをしたのでは、その後、やっていきにくくなるであろうと思い、私ならそんなことはしないで、先に折衝していた営業に協力してあげるところだった・・が、その認識は甘いと実感させられるようになった。おそらく・・だが、その見込客の方、松戸展示場のすぐ近くの消防署に勤めておられて、住所も松戸市で柏市の住人でもなく建築地も柏市ではないという人だったのだが、柏に「ハウス55」の展示場があると私から聞いて、それで、営業と一緒に見に行ったなら話を進められるので、その前に自分だけで「ハウス55」の実物を見ておきたいと考えて柏展示場に行かれたのだろう。そこで出会ったのが「パックマン」犀川だった。「松戸展示場に行って松戸の営業さんから説明してもらったのですけれども、入社1年目の人だったようで」とでも言われたのだろう。そうなると「パックマン」としてはパクッといきたくなる。「どうですか。入社1年目の新人だと頼りないとかいうことはありませんでしたか」とでも言ったのではないか。「そうですね。真面目そうな人だったのですけれども、やっぱり1年目の人だというところはありましたね」とでも言われたのではないか。「何なら私が担当させていただくということもできますよ。心配されなくても松戸の営業には私から言っておきますから」とでも「パックマン」は言いよったのではないか。「そうですか、いいのですか」とでも言われたところを「大丈夫ですよ。そういうことはよくあることですから。私なら慣れてますから。私が担当としてやらせていただきますよ。松戸の営業には私から話しておきますから、お客様からは松戸の営業には連絡しないでください」とでも言って横取りしたのだろう。「それ、やられてそのままなのですか」と私は松戸営業課長の石井に言ったのだった・・が、この時も入社1年目だったので営業課長の石井が「しかたがない」と言えばあきらめるしかなかった・・が、もう少し経ってからならば、そんなもの、簡単に犀川に横取りなんかされてたまるか!・・として営業課長なんかあてにしないで自分で闘ったであろうけれども、入社1年目だったので営業課長が「しかたがない」と言うのであきらめることになってしまった。「やりやがったな」と今も思っている。「パックマン」がそういうことをするのなら、こちらだって「相互主義の原則」を適用することだってできる・・し、何よりも、小堀住研(株)に入社1年目の時の私は入社1年目の自分よりも何年か経験がある営業が担当した方がお客さんにとっていいのかもしれないというひけめのようなものを感じていた・・・が、それから何年か経ってみると、「犀川みたいなもんに担当されていいとは思わんな」と思うようになった。犀川は千葉支店では粗利益額で見て営業成績1位の営業だったけれども、たとえ入社1年目でも「入社1年目だった時の私」の方が「全国10位以内の犀川」よりもお客さんにとってはずっと良かったのではないか・・と今は思う。だから、あんなやつなんかに遠慮したり気兼ねしたりする必要なんかまったくなかった・・・のに失敗したと今は思っている。但し、お客様によっては、犀川タイプの男が「私が担当させてもらうようにしましょうか。私なら慣れていますから」とかなんとか言って横取りしようとした時に、逆に「慣れてるか何か知らんが、こいつ、感じの悪い営業だな」と思う人もあると思うのだ。自営業の経営者の人には「経営者としてこういう営業を認めてはいかん」と考える人も中にあるだろうし、自分自身が営業の仕事をしている人なら「この野郎、横取りしようとしてやがるな」と自分が営業の立場で横取りされる場合を想定してかえってむかつくという人もいるのではないか・・と思うが、その見込客の人は消防士で経営者だったり営業だったりする仕事の人とは事情は違った。だから、「パックマン」にとってはパクッといきやすいお客さんだったのではないか・・と思う。
※ パックマン ⇒《YouTube- 【AC】パックマン【20面クリアまで】》https://www.youtube.com/watch?v=bfnDj6Biq-A
(株)一条工務店でも「ええ根性してるなあ」というのか、「困った男だなあ」という男はいる。ひとの担当のお客さんを横取りしたとしても、「もしも、自分が横取りしたとして、自分が担当としてやっていけるかどうか」ということを考えるべきで、その営業が担当してやれば契約に結びつきやすいけれども自分が担当したなら契約にならない・・という見通しがつけば、あえて横取りなどしないで、その営業に協力してあげることで、逆の立場になった時に自分が協力してもらえるようにする・・というのもひとつの判断なのだ。その判断ができないやつというのがいるのだ。なぜ、そういう判断力がないのか・・というと「アホやから」というのか、営業力がないから・実力がないからでしょう。
住宅展示場では来場客に住所・氏名・電話番号を記入してもらうようにお願いしていたのだが、「アンケート」としていた会社と「記名帳」としていた会社があって、小堀住研(株)は「アンケート」としていて、入場時に書いてもらうのがいいか、中ほどがいいか、帰られる時に書いてもらうのがいいか・・というと、新卒入社の研修においては「中ほど」が一番いいと言われたのだが、それは入場時に書いてもらおうとすると「書かなきゃ見せてもらえないの」と言われて帰られてしまう可能性があり、帰られる時に書いてもらおうとすると「いいから、いいから」と言って書かずに帰られてしまう可能性があるのに対して、話をしている途中で書いてもらうようにするのが一番いい・・というのだけれども、なかなかそういうタイミングがないというケースもあった。入場時に書いてもらうようにすると、いいかげんな内容のものを書く人もある。(株)一条工務店は「アンケート」ではなく「記名帳」で住所・氏名・電話番号のみ、記載欄があったのだが、それは住宅展示場に入場して見学するのであればどこの誰かというくらいは記帳して入ってもらっていいのではありませんか・・という姿勢であるから入場時に書いてもらうようにしていたのであり、「記名帳」だったのだ。
入場時に書いてもらうようにした方が、帰りに書いてもらうよりも書いてもらえる可能性が高いということはあるが、ある程度以上、きっちりと話をした上で帰りに書いてもらうようにすれば、これだけ話をしたのだから住所・氏名くらいは書かないとということで正確なものを書いてもらえるという場合があるし、又、ひととおり、一緒に展示場をまわりながら話をしてある程度以上の人間関係ができれば、「この人になら」と正しい氏名と住所・電話番号を書いてくれる人が、入場時に書いてもらおうとすると、どんな人かわからないからということで、不正確なものをあえて記入する人が出る場合もある・・のでどちらがいいかはいちがいに言えない。
(株)一条工務店は1990年代の後半から土日祝日にアルバイトの女性を雇って「受付」として記帳してもらうようにお願いする役をやってもらうようにしたのだが、これは、女性の方が客は気を許して氏名・住所・電話番号を書くだろうと(株)一条工務店の経営者のおっさんどもは考えたらしいが、しかし、そうとも限らない。男か女かの問題ではなく、そもそも、受付が女性でも担当者は男も女もいたわけだ。むしろ、佐野展示場にて私が担当したある見込客は住所・氏名だけ記載して電話番号を記入されず、訪問して話を進めた上で「お電話番号を教えていただくことはできますでしょうか」と言うと、「ああ、そうえいえば書かなかったですね。展示場でどんな人が出てくるかわからないから電話番号は書かなかったんですよ。〇〇さんになら教えますよ」と言って教えてもらったということがありました。そういう場合もあります。
そして、1990年代末、やはり、佐野展示場に来場された群馬県館林市のお客様だったのだが、(株)一条工務店の「浜松流」は「木造はいいんだ。木造なら一条工務店が一番いいんだ」という「構造アプローチ」「地震に強い、白蟻に強い」というのを悪く言えば「アホの一つ覚え」みたいに言いまくるという営業を教えていたのだった・・が、それはまったくだめということはなく、それが効果がある見込客もあるのだけれども、それではだめで他の切り口からいかないと打ち解けてもらえない、他の切り口からいかないと話が進まないという人もある。「浜松流」はまったくだめだということではないのだけれども、人によっては他の切り口から進めた方がうまくいく場合もある。「引出し」がどれだけあるか・・という点でその営業が見込客をつかめるかどうかは変わってくる。又、プラグマティズムの哲学者 ウィリアム=ジェイムズが「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」と言ったらしいが、顧客が契約するかどうかについても、「いいと思うから契約する」とは限らないわけで「契約したいと考えるから、いいと思うのだ」という面もあるのだ。実際のところ「理屈は後から貨車でくる」という面もあるのだ。「嫌です」と思われたら、「地震に強いですよお。白蟻に強いですよお」と言いまくっても、「嫌なものは嫌です」となるということはあるのだ。逆に、いいと思われたなら、そこからは「構造アプローチ」も「悪くないみたい」くらいで契約に進む場合はある。「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」「いいと思うから契約するのではない。契約したいという気持になるから、いいと思うのだ」という面がある!・・ということは営業は認識する必要がある・・と思う。
(株)一条工務店では(1)の「来場から3日以内訪問」というのをその営業が担当となって追客するための条件としていたが、ところが、来場時に不正確な住所を書いていかれた場合には訪問のしようがない。不正確な住所を記載していく人には「スパイ大作戦」で同業他社の営業が見に来ていたというケースもあるだろうし、「名前は矢田亜希子。職業はジョモのサービス調査員。あ~、これは秘密だわあ~あ」というのも、もしかすると中にあるかもしれない・・か(^^)/ 個人大工や個人大工と変わらない工務店の嫁さんとかが「偵察」に来るというケースもある。
そうではなく、実際に建築予定がある人だけれども、最初、とりあえず、何社かの展示場を見てまわり、その上で自分たちの考えるものに近いものができそうな会社と、この人なら折衝してもいいかもしれないと思う営業担当者を見つけることを目的として、自宅に帰ってからしばらく家族で話し合う期間をもち、その後、どこに話すか、あるいはどことどこに話をするか決めるまでは訪問されたくない・・ということであえて不正確な住所を書いていくという人もある。又、入場時に「記名帳にご記入お願いします」と言うのが営業担当者であれば、その担当者の顔を見て正確なものを書くべきかどうか判断するけれども、「受付」の女性である場合には営業担当者としてどんな人間が出てくるかわからないから、どういう人かわかるまでは正確な住所や電話番号は教えたくないという人もある。
それで、もらった名刺を持っていて後から訪ねてきて「この人に接客してもらったんだけど」と言う人もあり、名刺をどこかにやってしまって、あの人の名前は何だっけ・・と思いだせずに「こんな感じの人に接客してもらったんだけど」と言う人がある。来場時に正確な住所・氏名・電話番号を記載していったけれども、その時は進展せず、1年くらい経ってから再来場して、「こんな感じの人」という言い方で営業担当者のことを言う人もある。そういう場合だけれども、はたして、それは営業担当者を指名したということになるのか、という問題があるのだが、たとえ、営業担当者の名前を思い出すことができなかったとしても、その見込客の意識として自分の担当はその人だという意識があって「・・な感じの人」とかいう言い方をされたならば、それはその営業の担当客と考えるべきだろう。又、その見込客がその営業が自分の担当だと思っているのに他の人間が担当して進めようと思っても進まない場合が多い。
又、(株)一条工務店では「長時間アプローチ」といって展示場来場時に長い時間、話をするということを強く言っていたのだけれども、話が進んで長く展示場にいてもらえたということならばいいのですが、時間と印象が常に比例関係にあるとは言えない場合もある。それほど長くなくても「気持ちよく帰ってもらう」ことができれば次につながるし、長くいてもらったけれども「しつこい人だったなあ~あ」となったらかえってよくないという場合もある。
その方は館林市在住で館林市で建てようという方だったが、奥様がイタリアに旅行に行って帰ってこられたばかりだという話で感動がさめやらないみたいな感じで、「イタリアに行ってこられたんですかあ。いいですね。イタリアのどこに行かれたんですかあ」といった話をして、そして、帰りがけには「なんだか、一条さんとは話が合うわねえ」と言って帰られたのだ。だから、記名帳の住所が虚偽のものだとは思わず、訪問しても家がどんなに捜しても見当たらないので変だなあと思ったのだ。「スパイ大作戦」ではないはずだし「ジョモのサービス調査員」でもないはずだが、記載された住所にその方の家はなかったのだ。 だから、一時はあきらめたのだった・・が、その後しばらくして、他のお客様を一日かけて「構造現場見学」に案内して夕方に佐野展示場に戻ってきたところ、佐野展示場の玄関からそのご夫婦が出てこられて私の顔を見て「あ~っ、〇〇さんだったあ」と私の顔を見て私の名前を思い出されたのだった。「名刺もらったんだけどどこに直したのかわからなくなってしまって、名前を思い出せなくて、今、思い出した。〇〇さんだった。」と言われたのだ。「一条さんの相談に乗ってもらおうと思って、きょう、来たの」「うちの土地の図面を見て提案してもらおうと思って来たのよ。〇〇さんに意見をききたいと思ってきたのよ。今、あの人に土地の図面を預けてきたから、あの人から聞いてちょうだい。あの人に聞いて、それで教えてちょうだい」と言われたのだ。だから、この人は私の担当なのだ。「一条さんに相談に乗ってもらおうと思って来た」という「一条さん」というのは(株)一条工務店のことではなく私のことだ。もしも、(株)一条工務店の営業なら誰でもいいということで「一条さん」という言葉を言っているのなら、(株)一条工務店の他の営業がやることだって可能かもしれないが、私のことを「一条さん」と言って私に相談に乗ってもらいたい・私に意見を言ってもらいたいと言って来られたのだから、そういう見込客を他の営業が横からやろうと思ってもやれるものではない。再来場時に営業担当者の名前を思い出せなかった、名刺をもらったけれどもどこに直したかわからなくなってしまったといっても、「〇日くらいに展示場に来場して、接客してくれたのは、いくつくらいでこんな感じの人で・・」と言えば、展示場にそんなに何人もの営業がいるわけではないから、「◇◇ですか」「☆☆ですか」・・と営業の名前を言っていけば、「あ、その人だと思う」ということになるはずなのだ。そうなったら、営業担当者を見込客が指名したのと同じなのだ。
ところが、私が他の見込客を「構造現場見学」に案内していた間に展示場に来場された時に接客した営業が悪かった。営業所長の五十嵐の「お気に入り」の上岡がその見込客と会ってしまったのだった。私は立場がまったく逆のケースで、来場客からはっきりと営業担当者の名前が出ない・思い出せないという場合でも「◇◇ですか」「☆☆ですか」とこちらから営業担当者の名前を出して尋ねたり、あるいは、いつ頃来場されたかを聞いて、過去の芳名帳を調べて担当営業を見つけて、それで上岡くんに渡してあげたこともあったのだ。ところが、この男もよくやるなあ・・とあきれたのだが、私は上岡くんの倍以上も在籍している営業であり、「副店長」待遇での「特進転勤」で佐野展示場に赴任した営業であり、上岡くんとは違って「全国社員」「総合職」の営業であり、上岡くんと同格の営業ではなく私からすれば上岡くんは格下の営業であり、上岡くんからすれば私は格上の営業であるはずだったが、その「副店長」の見込客が私に「相談に乗ってもらいたい」「意見を言ってもらいたい」と言って土地の図面を持参して展示場に再来場すると、私が「▽▽さんから土地の図面を預かりましたか」と言っても「ああ」と言って渡さないし、お客さんは「あの人(上岡)に〇〇さんに伝えてくださいと頼んだから」と言われているにもかかわらず、それを私に渡さないし、どういう話を聞いたかも伝えない。おまえ、自分より格上の営業の見込客を横取りするつもりか、このアホは・・と思ったが、私にとっては契約につながる可能性が高い見込客を1軒失ったことになり、その見込客としてはこの営業さんと一緒に家造りを進めようと思って時間をとって佐野展示場に再来場したにもかかわらず、横から他のわけのわからん男に阻止された・・ということになった。他の営業ならば「◇◇さん、その人は私の担当でしょう」と言うことができるのですが、上岡くんの場合は営業所長の五十嵐が「爆発力がある」と評価するように「ちょっとでも気に食わないことがあるとすぐに暴れる」という特徴のある人間で、かつ「自分の名前を書くことができれば合格と言われる私立高校のスポーツ入学」という「体育会系」「武断派」なので、文治派の私からすれば手がつけられないのです。「武闘派」か「武断派」か知らんが、(株)一条工務店という会社は初代社長の大澄賢次郎が『水滸伝』が好きで「梁山泊の精神」と言って「暴れる」人間が好きという伝統があるのですが、文治派の者からすれば迷惑です。
私は上岡くんについて「この男、実力がない男だなあ」と思ったのだ。自分が横から手を出しても、私が担当して契約にもっていける可能性が高い見込客をつぶすことはできても、上岡くんが契約に持って行ける可能性はまずない! という人を、なんでやりたがるのか?・・というと、「アホやから」であり「営業力がないから」「営業としての実力がないから」だろう。よく、江戸時代あたりの剣豪漫画で「実力の違いがわからぬかあ」と剣客・剣豪のおっさんが叫ぶ場面があるが、それです。
その奥さんがイタリアに旅行されてきたという話に相槌を打って「いいですねえ。イタリアのどこに行かれたんですかあ」て、これ、誰でも言えそうに思うかもしれませんが、そうではないのですよ。私は住宅建築業の営業の仕事をするからにはヨーロッパには足を運んでヨーロッパの建築を自分自身で見てこないといけないと思って身銭切って見学に行ってきたんですよ。海外旅行に行くといっても全然性質の違う所に行く人とは意味が違うのですよ。
いわき市にいた時、いわき市の私より(株)一条工務店には少し前から在籍していた営業の某さんが、「・・は最初から設計が同行すると言うよ」とか「・・は所長が2回目から同行すると言うよ」とか言うので、この人は何を言うとるんだろうか・・と思ったことがあった。その人は「主任」の役職をつけてもらっていた人であり、「同行してもらう」側の人間ではなく「同行してあげる」側の人間だろうが! 何を言うとるんだ、何を! そして、「・・は最初から設計が同行する」て、アホか! 「設計」て、要するに《「バカでも入れる私大の建築学科」出てたいして経っていないヤンキーみたいなにーちゃん》のことだろうが! そんなのが来たからといって何なんだよ! (株)一条工務店の方が最初から「インテリアコーディネーターで二級建築施工管理技士で宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)」の私が顔出すんだよ。(株)一条工務店の方が上だろうが! 少なくとも「バカでも入れる私大の建築学科卒のヤンキー」みたいなもんよりも私の方がよっぽど上だろうが!・・と思ったものだった。 ・・で「バカでも入れる私大の建築学科卒のヤンキー」よりも下の上岡くんに私と同等のことができると思うか? そんなもの、できるわけないだろうが!!!
小堀住研(株)では、会社説明・商品説明と営業担当者の自分自身についての説明をする・・と言っていた。これは会社によって・客層によって・商品によって・場所によって多少は違うだろうけれども、もしも、会社と商品とで気持ちをつかめないのなら、切り口にならないのなら、自分自身の能力で気持ちを掴んで引っ張り、そこから会社と商品の魅力をアピールするというように持って行くということも考えられる。私にはできるが上岡くんにはそれはできない。だいたい、グラフに掲載されている上岡くんの通算契約棟数というのは当人の実力から考えて多すぎるのだ。なんでか? ・・・と考えてみたら、上岡くんが(株)一条工務店に入社した時というのは消費税が上がるという住宅建築業の業界にとっては稼ぎ時の時で、その時に「新築出展したばかり」の佐野展示場に入社したのだ。そういう人というのは、その条件が普通みたいに思ってしまう人がいる・・・のだが、そして、それで、その時のやり方で売れるものだと思ってしまう人がいるのだが、そんなもので「売れる」と思ってしまった人に、そうではないのだと認識させるのは相当難しい。
しかし、この男、よくやるなあ・・・と思った。自分がまったく立場が逆の場合には私に接客してもらって見込客を渡してもらっていたのに、「副店長」の見込客を横取りしても自分には契約に持っていけるわけないとわかっていながら、つぶすためにだけ横取りするとは・・( 一一)
営業所長の五十嵐はそのあたりを見ていないのか、所長のくせして見ていないのか?・・というと「見ても見えず・聞いても悟らない」というのが「高卒の所長やなあ」という五十嵐だったのだ( 一一) やあっぱり、この人は「高卒のおっさん」やなあ、やあっぱり、この人は「高卒の所長」やなあ・・・と実感した。
(6) そして、もうひとつ。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では「構造現場見学会」というものを重視していて、「構造現場見学会」をやった営業が担当という決まりがあったのだ。 これをやった営業は他の条件が少々満たしていなくても、その営業の担当というのが(株)一条工務店の決まりだったのだ。
私は、いわき市の4展示場で所長の次の営業成績を残した年もあったのです。所長の次くらいの営業成績を残した人が私と他に5人ほどいましたが、私の他の5人はいずれも私がいた展示場よりも間違いなく条件はいいといわき地区の誰もが言っていた展示場にいた人ですから、同じ契約棟数なら条件が悪い展示場であげた契約の方が高く評価されていいはずですから、その年については所長の次は私だと評価してもらえても良かったと思います。ところが、私だけ「応援者」にしてもらえないのです。私だけが「全国社員」で「総合職」として入社した従業員ですし、その5人のうち、K井さんは二級建築士、元不動産屋のS藤のじいさんは宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)を持っていましたが、後の3人は無資格で、インテリアコーディネーターと宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)と(株)一条工務店が会社として取得を推奨していた資格を2つ取得していたのは私ひとりだけでしたが、それでも私ひとりだけが「応援者」にならせてもらえず、私の半分未満しか契約を取っていない「木南さん」(仮名)を「応援者」にしてお客さんからも「あれはひどいよ」と言われたりもしました。さらには私が面倒を見てあげていた「がばいじいちゃん」S藤賢二さんを私が勤務していた展示場の「応援者」「リーダー」にならせるためにいわき市の他の展示場から移動させて、私が面倒見てあげていた人を私の「応援者」にして、私が面倒見てあげていた人の「被応援者」に私はならされてしまいました。
「これはいったいどういうことですか」と浜通り地区の所長の草野さんに抗議したのですが、はぐらかされてしまった。そもそも、S藤賢二さんは私にやってもらえるものだと思って何でもやってもらおうとしてからみついてくるようなところがあって、私の方から「あの人と同じ展示場にしないでください」と私の方から所長の草野さんに求めていたところ、逆にその人を私と同じ展示場に配属させてきたのでした。嫌がらせをやっているとしか思えない人事でした。
私は入社以来、(株)一条工務店の為に会社の為を思って「滅私奉公」「夜討ち朝駆け」を繰り返してきたはずなのに、なんで、そこまで嫌がらせをされなきゃならないのか。 「一条工務店はトップの学歴コンプレックスが甚だしいから、慶應大学でて一条工務店に長くいてもいいことないと思よ」と言ってくれる人がありましたが、それは間違いなくあるようでした。それとともに、(株)一条工務店の「オリジナル営業」、「(株)一条工務店の遠州人」というのは同業他社に少しでもいた人間というものに対して敵意をもっており、たとえ同業他社にいたことがある従業員であっても今は(株)一条工務店の従業員のはずであり、同業他社にいた者ならばその会社のこともある程度は知っているはずですから、同業他社のいいところは取り入れればいいわけですから、その為に使うことだってできるでしょうし、又、自分の会社の位置から見るという視点だけではなく他社から見た視点というものもまた持って物事は考えてみるべきであり、自社の位置からしか物事を見れない、天動説思考の人間ばっかりで会社を運営したのではあまりいいことはないはずです・・・が、「同業他社にいたことがある(同業他社の従業員ではなく)自社の従業員」に対してオーナー経営者が敵意を持っている会社でした。
いわき市の展示場から栃木県佐野市の展示場に転勤する際、就業規則で「特進転勤」として「副店長」に昇進、かつ、「2棟契約したという扱い」となると規定されていた転勤をして佐野展示場に赴任したのですが、ところが営業本部長の天野隆夫から「前は副店長にならせたんだけれども、今は副店長にならせるということはやってないんだ」と言われて「副店長」昇進の条件を満たしているにもかかわらずならせてもらえないという不当な扱いを受けました。(株)一条工務店では営業は、営業担当⇒主任(3副長)⇒係長(2副長)⇒課長(1副長) と契約棟数に従って昇進するということにしていましたが、条件のいい場所にいた場合と条件が悪い場所にばっかり配属された場合とで昇進できるかどうかが変わってきます。 野球の投手でも、毎試合、1点か2点に抑える投手がいても、味方が1点も取ってくれなければ勝ち投手にはなれません。勝ち投手になれない場所でばっかり登板させられたなら、貢献しているにもかかわらず勝ち星はつきません。時としてはそういうこともあるだろうと思っても、損な役回りばっかりさせられているということに気づいて、なんで、そこまで私に嫌がらせをしないと気がすまないの・・と思うようになりました。 それなら、転勤すれば「副店長」昇進で「リーダー」「応援者」にならせてくれるというのなら転勤しようと判断して、佐野展示場に転勤してくれという話を承諾したのです。 会社としては営業棟数をあげることも必要ですが、会社を運営する人材を育成するためには「浜松の中のカエル」ばっかりでは困りますから、だから、複数地域に勤務して複合的視野・総合的視野・全国的視野を持って考えることができる人材も必要であり、又、会社の為に転勤する労を払う人間にはその労に対して報いる必要もあります。いわき市にいた時に、たしか、三菱樹脂だったと思うのですが、勤務されていた方から聞いた話ですが、「全国社員」と「地域限定社員」を選ぶことができて、「全国社員」は日本全国どこにでも転勤させられ、それを拒否することはできないのに対して、「地域限定社員」は転勤はないことはないけれども福島県内だったか隣接県までとかだったか、転勤はあるけれども一定地域内での転勤に限られるというもので、そのかわり、「全国社員」の人の方が昇進は早く、給与もそれに応じて全国社員の方が多い・・というようになっているということでした。(株)一条工務店はそこまで会社の制度はできていない会社でしたが、会社のために転勤に応じて移動する従業員と一定地域内から動かない従業員ならば、会社のために転勤に応じる従業員の方がその分だけ多く報いてもらっていいはずで、同じ扱いなら不当でしょう。(株)一条工務店の経営者もそれを理解したのか、契約棟数・引き渡し棟数と在籍年数から昇進が決まる
主任(3副長)⇒係長(2副長)⇒課長(1副長) 後に、
副主任(3副長)⇒主任(2副長)⇒係長(1副長) になったと思いますが、
「副長」て何なんだ、土方歳三か? ・・というと、20代なら「主任」でもいいけれども、30代以上の者が「主任」なんて肩書が名刺に書かれていたらかえってマイナスの評価を受けるということで、27だったか28だったかまでは「主任」「副主任」とされるものをそれ以上の年齢の者は「3副長」「2副長」という表記にすることにしたようでした。
会社都合での転勤に協力する従業員にその労に報いる必要もあることから、そういう契約棟数・引き渡し棟数と在籍年数から決まるものと別に、一定数以上の通算契約棟数と一定数以上の通算引き渡し棟数と在籍年数を満たした従業員が「会社都合の転勤」をした場合には、↑ の役職とは別系統の役職として「副店長」に昇進させるという規定を設けたのです。 「副店長」は「3副長」よりも上、3副長と2副長の間ということでした。だから、いわき地区で私ひとりだけが誰もが間違いなく条件が悪いと言う展示場に一貫しておらされて、所長の次の営業成績を残しても「応援者」にも「リーダー」にもしれもらえないのなら、それなら「会社都合の転勤」をすれば「副店長」昇進で「3副長よりも上」になれるのですから、だから「会社都合の転勤」に応じて佐野展示場に移ったのです。ところが、「副店長」にならせてもらえないだけではなく、「リーダー」「応援者」になっての転勤という話だったはずなのに、赴任してみると私より少し前から在籍していた武田さんが同じ時期に茨城県の展示場から転勤してきて「リーダー」になり、そこまでならまだしも、在籍年数で見ても私の半分未満で前年契約棟数はゼロ棟で、それまでから佐野展示場にいた営業の中では最もお客様の評判が悪い、私との比較でなら間違いなく格下の上岡くんを「応援者」にするという無茶苦茶なことまでしたのです。私は「リーダー」「応援者」として赴任することは承諾しましたが会社の為に労力と費用をかけて転勤してあげて降格にされる筋合いはないし、「応援者」になるという条件だから転勤したのであり、それを私を「応援者」にならせずに、いかに所長の五十嵐と経歴が似ているとはいえ、格下の営業で勤務態度も良くない営業としての実力もない人間を「応援者」にならせるというのは、これは五十嵐にそのようなことをする権利も権限もないはずであり、(株)一条工務店の「所長」には身勝手な人間が多いとはいえ、認められることではありませんでした。
それはそれとして、上岡くんもまた、「副店長」昇進の条件で佐野展示場に赴任した自分の倍以上も在籍している従業員に対して、その営業社員の見込客を、横取りしても自分には契約に持って行く能力はないと最初からわかっているにもかかわらず、つぶすためだけを目的に横取りするというのは、この男も変わった男だ・・と思いました・・が、上岡くんがそういった態度を取るというのは、それは会社が私に対してそういった態度を取らそうという姿勢を取っていたからではないか。この場合、「会社が」といっても(株)一条工務店という会社の従業員の「全体意志」ではなく、(株)一条工務店の「一般意志」でもない。オーナー経営者の「一族」の誰か、もしくは「遠州人」「オリジナル営業」の「特殊意志」です。
そのうち、埼玉県の展示場にいた坂本さんという私より何か月か後で入社した人だけれども、年齢は私より上で、入社以来、相当多くの契約を獲得してきた人が「会社都合の転勤」をしていないにもかかわらず「副店長」に昇進してしまいました。私は五十嵐に「おかしいでしょ」と言ったのだが、五十嵐は「坂本さんは入社してすぐの時に、遠くの営業所まで通っていたんだ」などと意味不明なことを言いました。そんなことを言うのなら、私自身こそ、入社直後、相当時間がかかる営業所に通わされましたし、1993年1月に東京都江東区亀戸に新しく展示場ができて、亀戸とそれまでの潮見とに営業が分かれる時には、「間違いなく亀戸の勤務になる」と「リーダー」の宮崎さんが言うから、亀戸にはなんとか通えるが潮見に通うのは無理だろうと思われる現住居を購入したにもかかわらず、1月になったら潮見の勤務にさせられて、宮崎さんに「話が違うじゃないですか」と言うと、「そんなの、知らねえよお~お」などという口をきかれてしまった、ということがあった。もしも、入社した直後に比較的遠い展示場まで通ったということがあるというのなら、坂本さんよりも私の方がそれに該当する・・し、そもそも、「副店長」昇進の条件は、あくまでも、一定以上の契約棟数・一定以上の引き渡し棟数と一定以上の在籍年数の営業社員が「会社都合での転勤」をした場合についてのことであって、坂本さんが入社直後に比較的遠い営業所まで通ったとしても、その条件とは関係ないはずでした。五十嵐は何を無茶苦茶なこと言ってるんだ!!! 会社は、営業成績をもとに、3副長⇒2副長⇒1副長 という称号を付与するとしたけれども、他方で一定以上の通算契約棟数・一定以上の引き渡し棟数・一定以上の在籍年数の者が「会社都合の転勤」をした場合には「副店長」にならせるという規定を就業規則に設けたならば、就業規則の規定は会社側も守らないといけないものであり、私には《一定以上の通算契約棟数・一定以上の引き渡し棟数・一定以上の在籍年数の者が「会社都合の転勤」をした場合》に該当する者を「副店長」に昇進させず、他方で《一定以上の通算契約棟数・一定以上の引き渡し棟数・一定以上の在籍年数の者が「会社都合の転勤」をした場合》に該当しない坂本さんを「副店長」に昇進させたのでは会社の秩序を乱すことになります。それは会社・使用者はやってはならないことであり、そんなことをするのなら「副店長」とか「特進転勤」といった制度を作った意味がないことになります。片方で五十嵐さんは栃木県地域で営業としては努力してある程度以上の数字を残した人で、話をしても実際に努力して営業の仕事に従事した人だと思われることを話す人でしたが・・片方で「その程度の人」だった面もありました。
そして、松戸展示場から福島県いわき市の展示場に転勤した時も、義兄の家の契約を、会社の就業規則に規定されているルールからいけば、片道200km以内という規定からいくと引継ぎ担当を頼まないで転勤後も自分でやることになるはずでしたが、「それなら、いわき ではなく原町展示場にする」などとわけのわからないことを営業本部長の天野隆夫が言いだして、「実の兄弟の家ならまだいいのですが、義理の兄弟の家ですから、私が担当するということで契約してもらったのに私が担当しないというのでは具合が悪いのです。親戚関係にも支障がでてきますから」と言って訴えたにもかかわらず新人に引継ぎをされることになってしまい、そして、無茶苦茶されてしまいました。
※ [第713回]《親戚の契約は(株)一条工務店でさせるわけにはいかない。――RC造の地中梁を無断で撤去。設計ミスで軒のない家を施主の承諾なく建てる。解体の際に隣家の塀も壊す。従業員の親戚の家には初めての大工・職人。「めんどうくさいですから」と施主宅に行って言うやつ・・――「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証16》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_10.html
今度、1998年、いわき市の展示場から栃木県佐野市の展示場に移る時もまた、片道200km以内だったのですが、それを他の営業に引継ぎ担当をやってもらえと営業本部長の天野隆夫は指示したのです。会社が就業規則で目安を指定したからには営業本部長といえども、就業規則に規定された数字は尊重しないといけないはずですが、ところが、営業本部長の天野隆夫は「労働基準法は守らないというのが(株)一条工務店の会社のルールで方針だ」と明言する男(反社会的勢力)であり、「会社のルールは守らない」というのもこの男の方針だったようです。
それで、片道200km以内ですから、いわき市の展示場に勤務していた時に担当していた契約客で引き渡しまでいっていないお客さまはその後も私がいわき市まで来て担当していいはずでした。 特に、いわき市小川で建てていただいた某さんの場合、「構造現場見学」に案内する際に親戚の方が一緒に来られて、一緒に話を聞かれた、ということがあったのです。その時は、どういう関係の人なのかな・・と思っていたのですが、親戚の方で、自分の所も(株)一条工務店で建てようかなと検討されていた方だったようなのですが、(株)一条工務店の展示場に見に行ったのでは営業かけられるので、親戚の者が(株)一条工務店で契約しようかどうしようか検討中だということなので、どういう立場なのかはっきりとは言わずに一緒に見にこられたようでした。 2000年代初め、どうも、その方が私が佐野展示場に転勤した後で契約されたらしいのです。
問題は誰が営業担当をするかという点です。私が担当で契約いただいた方のお宅が竣工した後も訪問してできた家を見せてもらった上で自分の所も(株)一条工務店で頼もうと考えられたようです。たいていのお客さまは、住宅建築業の会社がどういうことをしているのか、ある程度以上知っておられます。親戚が(株)一条工務店で建てた場合にはその親戚の紹介としてもらうといくらかのサービスがあるということも知っている人が多い。都市圏の住人にとっては総合住宅展示場というのは一般的なもので普通のものですが、「地方」の住人にとっては必ずしも一般的なものとは決まっていない。それで、「うちも一条工務店で建てたいと思うのだけれども、どうしたらいい?」と入居者の方に尋ねられたらしいのです。
もし、私がそのまま、いわき市の展示所におれば入居者の方は私に連絡をいただけたでしょうし、私は契約前にはせっせと通うけれども入居後には一切知らんみたいな態度は取っていませんし、入居者宅には定期的に顔を出したり年賀状を出したりもしてきましたし、年始の挨拶には最初はすべての契約客の所に顔を出していましたが、そのうち、入居者の数が多くなって全ての方の所に年始に顔を出すことはできなくなったので、それで、2年に1回にさせてもらうようにしましたけれども、それでも、何らかの形で連絡はさせてもらうようにしていましたので、だから、「うちも一条工務店で建てたいのだけれども、どうしたらいい?」と親戚の方から言われたならば、「それじゃ、営業さんに言ってみるわ」ということで連絡をもらえたと思います。担当営業として私がお話をさせてもらって契約いただければ、入居者の紹介として紹介していただいた方にはいくらかのサービスと紹介者へわずかなお礼をさせていただくということになったでしょう。
私が栃木県の営業所に転勤したとしても、それでも無茶苦茶遠い場所に移ったわけではありませんし、「何割かいわき人」になっていた者としては時々は福島県に戻って福島県の空気を吸うことで活力を得ていましたし、契約客の契約後の仕事を私がそのままやっても良かったし、契約客の親戚の方の仕事も私がやることはできたのですが、ところが、会社が就業規則で規定していたものでは片道200km以内のものは引継ぎ担当を頼まないで転勤後も自分でやることになっていたにもかかわらず、営業本部長の天野隆夫が引継ぎ担当を頼めと指示したことから、同じ営業所のK野T夫さんに引継ぎ担当を頼んだものの、そのK野T夫さんが引き渡しよりも前に退職してしまったので、さらにK井さん(男。当時、40代)がさらに引き継ぐことになり、引き渡しの時点ではK井さんが営業の引継ぎ担当者だったのです。だから、御施主様としては自分の所の担当者が誰なのかわからなくなってしまっていたようなので、親戚の方から「うちも一条工務店で建てたいのだけれども、どうしたらいい?」と言われた時に誰に言えばいいのかわからなかったらしい。
それで、自分が持っていた(株)一条工務店のカタログをその親戚の方に渡して「カタログに載っている所に電話でもしてみたら」と言ったらしく、それで、その親戚の方は(株)一条工務店の「本社」に電話をして「一条工務店で建てたいのですが、どうしたらいいですか」と言われたらしい。
その時、「本社」はどこにあったのかというと、もともとは(株)一条工務店の「本社」は浜松にあったのですが、1995年に脱税で100億円の追徴金を名古屋の国税局に取られてから、「浜松に『本社』を置いていたら『目立つ』」と考えたらしく、浜松に「本社」「本店」があると(株)一条工務店程度の会社でも「大企業」になるのに対して東京都に「本社」「本店」を置けば、東京都にはもっと大企業はいくらでもある・・ということから、実際の本社機能は依然として浜松市倉松町4040にあったものの、「本店」を名目上、東京都江東区木場の「一条ビル」という小さなビルに移し、カタログにも「本社」としては東京都江東区木場の住所と電話番号が記載されていたのです。
それで、土地あり・計画ありというよりも、建てると決めた人で・予算も入居者からどのくらいかかるかも聞いて計画も立っていた方で・カタログも入居者の方からもらい、完成した家も入居者宅を見せてもらっていて、工事中の構造現場も私が入居者の方を案内して説明した時に一緒に見に来られて一緒に説明を聞かれた方が「一条工務店で建てたいのですけれども、どうしたらいいでしょうか」と言って電話してこられたので、普通ならば、「本社」の人間はその地域の所長に連絡して適切な営業担当者を選定して連絡させるということになるでしょう。
「適切な営業担当者」は誰なのかという問題が出てきますが、私がそのまま、いわき市の営業所にいたならば私ですが、引継ぎを頼んできたからには、入居者宅を引き渡した時の担当者でしょうから、K井さんということになってしまうでしょう。↑ の(6)の基準、構造現場見学会をやった営業の担当とするというものがあり、そこからいくと私がその方には構造現場見学に案内して説明していたのですから担当させてもらってもいいことになりますが、(3)の基準からいくと引き渡し時の担当者ということになりますからK井さんが担当となるのでしょう。
もうひとつ、
(7) (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では「契約になるものなら、どこまででも行って契約してよい」という基準があったのです。
そうなると、その基準からすると、私は栃木県佐野市に勤務しても、福島県の契約をしてもらえるものならしても良かったのです。5年間も福島県に住んでいますと、何割か福島県人になっていますしね。「契約になるものなら、日本全国、施工エリアである限りどこまででも行って契約してよい」とはいえ、青森県とか福岡県とかまで行って契約していただくというのは大変ですが、その場合でも、もしも、今、行ったら契約してもらえるということならば行って契約だけしてもらって引継ぎ担当を現地の営業に頼むということだってできたのです。小山市の住人だったWさんが佐野展示場に勤務していたけれども、Wさんが小山展示場だったか結城展示場だったかで接客して契約してもらった茨城県南部の某さん宅をWさんが退職する時点で私が引き継いだけれども、某さん宅までは片道1時間以上かかりましたから、いわきまで2時間少々かかっても契約してもらえるものなら、いわきまで行くのはそんなに大変でもありませんし、「何割か福島県人」としては福島県の空気を吸うと活力を得ることができましたし。佐野藤岡インターチェンジから東北自動車道に乗ると、白河インターチェンジまでそんなにかからないし、白河市からいわき市まで一続きの福島県ですし。
入社した1992年の時から、東京展示場の「リーダー」だった宮崎さんから「契約してもらえるものなら、日本全国、施工エリア内である限り、どこまででも行って契約していい」と基準を教えられたのです。たとえば、東京展示場に相当遠方の人が来場したという場合、遠方の人だから契約してはいけないということはない、というのです。しかし、契約後、いくらなんでもそこまで遠い場所の作業はできないというケースもあるので、その場合も200kmというのが目安になっていて、相当遠方の場合には契約だけして、契約後の作業をその地域の営業に頼むということもできたのです。
ひとつには転勤直後というのは、移った先に見込客を持っていないことと、それまでいた場所とは勝手が違うということがあって、しばらくは前いた場所と両属みたいにして勤務した方が営業としてはやりやすいところもあったにもかかわらず、たとえば、私がいわき市の展示場に赴任して1年目に、同じ展示場にいたSさんが福島市の展示場に転勤した後も いわき市で契約したお客様の担当は自分でやっていたように、会社が規定したルールからすると私が佐野展示場に移った後も契約客の担当は私がやるのが本来の会社のルールだったのであり、それなら何の問題もなかったはずだったのですが、それを営業本部長の天野隆夫が引継ぎを頼めと会社が規定したルールに反することをやるからおかしくなった、という面があります。
郡山市の所長になっていた片山は、牛若丸の八艘飛びのごとく、売れる場所を移っていく・・と(株)一条工務店で「所長」になっていた人から悪口を言われていたらしいのですが、そうはいっても、一か所にずうう~っといる人と、新規に出展する所に移って行く人とでは移動するというのはけっこう大変ですから、一か所にずうう~っといる人間があんまりえらそうなことを言えるものでもないと思います・・が、片山の場合は、それまでいた場所の隣の場所というように移っていっており、それまでいた場所と市場がそれほどは変わらない場所に行けたということと、それまで持っていた見込客を失うことなく次の場所に移ることができたという条件があったのです。私だって、いわき市でのお客さまを契約客の紹介客くらいはそのまま担当させてもらいながら、移動した場所のお客様を開拓していくというようにさせてもらって悪くないはずだったのです・・が、それを引きちぎられたのです。
それでも、引継ぎ担当を頼んでしまったからには、引継ぎ担当をやって引き渡しの時点で担当だった人に親戚の方の家を担当してもらうというのは、しかたがないか・・・ということだったのかもしれません。「超豪華な昼飯か晩飯」でもおごってもらうというくらいと私が担当で契約してくれたお客様の親戚の方の家ですから「間違いのないように対応してもらう」ということで「手を打つ」しかないか・・ということでしょう。・・しかし、「副店長」昇進と「2棟契約の扱い」という「特進転勤」の制度というのは、この例のように、転勤することでそうでなければ契約してもらえたお客様を他の営業が契約することになるというものがある・・ということからできた制度なのです。だから、転勤だけさせられて、「副店長」昇進と「2棟契約した扱い」がないというのは「やらずぶったくり」状態だったのです。
その入居者の方の引き渡し時の引継ぎ担当になっていたK井さんが担当として契約したということならば、「ありがとう」くらい言ってもらって、昼飯か晩飯でもおごってもらえば、もうそのくらいで我慢するしかどうしようもないか・・というものだったのですが、電話を受けた「本社」の人間はどうしたと思いますか?
その方が電話されたのは、「東京の営業所」ではなく「本社」に電話されたのです。「本社」に電話して「一条工務店で建てたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と言われたらしいのです。「本社」の人間が電話を取ったからには、福島県いわき市に居住していて福島県いわき市で建てる方からの電話ならば、いわき市の営業所に連絡していわき市の営業に行かせるものでしょ。いわき市の営業に担当させるものでしょ。もしくは、入居者の紹介だということを電話で聞いたならば、その入居者の営業担当は誰なのか調べるものでしょ。
ところが、江東区木場の「一条ビル」の「本社」で電話を取った者は、東京の営業所の営業に伝えて、東京営業所から福島県いわき市まで行かせて契約させたようなのです。いわき市でも山間部のいわき市小川まででも、契約してもらえると思えば行くでしょう。なにしろ、「一条工務店で建てたいと思うのですが、どうすればいいでしょうか」と言って電話してこられたのですから。「タナボタ」みたいなものです。但し、「タナボタ」という言葉にも2通りの意味がある。1989年、小堀住研(株)で新卒社員研修の時に講師役を担当した営業課長のMさんが言ったのは、「タナボタ客をよくつかむ」と言われている営業というのは、契約してもらえるかどうかという見込客とつかず離れずの位置にいて、いわば、棚の下で口を開けて待っていたという人が多い・・棚から牡丹餅が落ちてきそうでなかなか落ちてこない・・という棚から眼を離さないで、牡丹餅が落ちてきそうな棚の下で口を開けて待つという行為をしていたという人がいる・・・ということだったのですが、この東京都江東区木場の「一条ビル」の「本社」で電話を取った者から「情報」をもらっていわき市まで東京から行って契約した者というのは、「棚の下で牡丹餅が落ちてくるのを口を開けて待つ」という労力を払っていたわけですらないのです。「本社」にどうしたらいいですかと言って電話にかけてきた人を、本来ならばその地域の営業所の所長に電話をして、こういう電話がありましたから対処してくださいと言うべきものを、その地域の営業所に言わずに東京の営業所の人間に行かせたのであり、いわき市小川まで行って契約してもらったという東京の営業所の人間というのは、「棚の下で口を開けて待つ」という労力すらもかけていたわけではなく、本来ならばいわき市の営業所に連絡していわき市の営業に行かせるべきものを「横取り」「ネコババ」したのです。「タナボタ」と「ネコババ」は似ているように思う人もいるかもしれませんが違います。これは「ネコババ」です。本来、「タナボタ」というのは棚の下で牡丹餅が落ちてこないかなあと思って口を開けて待つという工夫と労力を払ったもののところに「牡丹餅」が落ちてきてパクッと食うというのが「タナボタ」であり、この時の東京の営業所の営業がやった行為、本来、自分が担当して契約してはならないものを「ネコババ」するのはそれは「タナボタ」ではありません。
もしも、相当離れた場所の方が来場されたという場合でも、そこで商談をして話が進んだということならば、相当離れた場所の方の契約をしてもいいでしょう。しかし、その方は東京の展示場に行かれたのではないし、東京の展示場に電話で問い合わせられたのでもなく、「本社」に電話されたらしいのです。「本社」に電話があったものを、なんで、東京の営業所の人間が「一条工務店で契約して建てたいんだけれども」と言われたからといっていわき市まで行って契約するのですか? それは「掟破り」であり「ネコババ」であり、営業として「仁義に反する」行為です。当然、(株)一条工務店の「本社」の人間はそういう対応をした従業員に注意しないといけないし、何らかのペナルティーを課すべきです。営業本部長は何をやってるんだ・・というと、何もやっていないか、もしくは、むしろ、営業本部長がそれをさせたという可能性も考えられます。
(株)一条工務店では「契約してもらえるものなら、施工エリアで建てる人である限り、日本全国どこまででも行って契約してよい」という「ルール」があったとしても、片方で、私は担当契約客の契約後の仕事をいわき市の営業に引継ぎを頼めと営業本部長から指示されて、それで就業規則の規定に反していわき市の営業に引継ぎ担当を依頼したのです。 いわき市近辺で、あそこに行ったら契約になるかな・・という所があっても、「いわきのお客さんは追客するな」と営業本部長から言われたのです。ですから、佐野展示場から・佐野市からいわき市小川までと東京営業所からいわき市小川までとなら、佐野市からの方が近いのですが、佐野市から行って契約させてもらうことはできなかった。それにもかかわらず、佐野市よりも遠い営業所にいる営業に関係ないのに行かれて契約されてしまったのです。契約客の方の家に来て熱心に見ている親戚の方で、その方も住宅建築を考えているという方があるケース、構造現場見学に誰なのか一緒に来られた方があって、その方も住宅建築を考えておられるというケースがあるということはわかっていましたし、もしかして、あの方は・・・といったことも考えていましたが、営業本部長の天野隆夫からいわき市の見込客は追客するなと言われたので、それで追客しなかったのですが、そうしたら、私の転勤先よりもまだ遠い場所の営業所にいる全然何の関係もない営業がいわき市まで行って契約してしまったのです。(株)一条工務店という会社はそんなことをした、そんなことをさせたのです。
いわき市に住んでいた時、生命保険に入っていた会社のいわき市の営業のおばさんがアパートにやってきて、「入った担当の人ってどんな人? 若い人?」ときき、「わりと若いのじゃないですか」と言うと、「やめるわ、その人。若い人はやめるから私に担当を変わった方がいいわ」と言って、努力して何度も電話してきていわきまで東京から来て契約した人から自分に担当を変えろと言ってきたということがあったのですが、このおばさん、いったい何?・・て感じでした。あんた、関係ないでしょうが。それまで努力して契約につなげた人がいるのに、その努力をしていない人が横からネコババする気なの? ・・と思いましたが、どうも、生命保険のセールスやってるおばさんて、そういうことをする人がいるみたいですね。(株)一条工務店の「本社」の人間から「情報」をもらって、「一条工務店で契約して建てたいんだけれども」という電話だからといわき市小川まで行って契約した東京の営業所の営業というのは、その生命保険のおばさんと似ている。自分で努力したわけでもないものを「ネコババ」で自分の営業成績にしてしまった・・( 一一) (株)一条工務店という会社は「営業は数字がすべてだ」とか言って、数字の上で営業成績が残っている者が評価されるのが当然だということをよく言うのですが、そうでしょうか。こういう「ネコババ」営業というのは、それで1棟契約があがったからといって、1棟分評価すべきでしょうか。
花登 筺『鮎のうた』という朝のテレビドラマが1979年に放映されたが、大阪船場の糸問屋 糸原商店で、新しく「おなごし」として入った「おゆう どん」(あゆ)はなまじ他の古手の「おなごし」よりも教養があり、若いと言うこともあって、他の「おなごし」から苛められることが多かったが、「ごりょんさん」は「おゆう どん」(あゆ)に、船場の商店では月に1日と15日の2日だけ、休みになって奉公人も自由に出かけることができるが、一番下と下から二番目の「おなごし」だけはお留守番で店から出ることができないようになっていたが、「あんた、今度、おついたちの日になあ、お咲どん(下から二番目のおなごし)に『お咲さん、わてが見ておきますから、少しだけ、そのへんまで出てこられたらどうですか』と言って機嫌取ってみたらどうや」と知恵をつけるが、お咲は言われて「あんたもしおらしいとこ、あるやないの」と言って喜んで少しだけ外を歩いてくるが、戻ってくると、今度は「ごりょんさん」の部屋に入って「ごりょんさん」が持っていた「おかき」を部屋から持ち出して食べ、その容器を「おゆう どん」(あゆ)がいた部屋の「おゆう どん」(あゆ)の近くに置いていく。「ごりょんさん」が帰ってきて部屋においていた「おかき」がなくなっているということに気づいたら、「おゆう どん」(あゆ)が「ごりょんさん」の部屋に入り込んで「おかき」を持ち出して食べた・・と「ごりょんさん」に思わせてやろうと考えたらしい。「ごりょんさん」は帰ってきて部屋から「おかき」の容器がなくなっていることに気づき、「おゆう どん」(あゆ)に、「おゆうどん、わての部屋からおかきを持ち出して食べたのは、あんたか」ときき、「おゆう どん」(あゆ)が納得いかないままに「へえ・・」と言うのを聞いて、「嘘つきなさんな」と言う。「わてが帰ってきた時に飛んできて出迎えたお咲どんの口からおかきのにおいがぷ~んとした。あんたの口からはおかきのにおいは一切せん。わての部屋からおかきを持ち出して食べたのはお咲どんやろ。あんたとは違う。あんたはわてがそのくらいのこともわからんとでも思ってるのか」と。そして、「ええか。わては、あんたに、お咲どんに少々機嫌をとるようなことをやってみたらどうや・・と知恵をつけた。そやけども、自分がやってもおらんことを濡れ衣を着せられて『やりました』と言えとは一言も言うてまへんで。自分がやってもおらんことを『やりました』なんて言わんでもよろしい」と。口には出さなかったが「ごりょんさん」としては「主人が留守中に主人の部屋に無断で入って部屋の中の物を持ち出すようなそんな女をかばわなくてよろしい」という意識もあったのではないか。
※ 《NHK連続テレビ小説 鮎のうた》https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010240_00000

鮎のうた〈上〉 (1979年)

鮎のうた〈下〉 (1980年) - 花登 筐
私の母の実家は私が産まれた頃は「普通の家」で特別の金持ちでも大店でもなんでもなかったが、母が言うには母が子供の頃はそれなりの商店だったというのだ。いなか から女中奉公にくる女の子がいたらしいのだが、新しく女の子が来ると、母の母(祖母)は「あんた、ちょっと悪いけども、この部屋を掃除してくれるか」と言って、1部屋の掃除をその女の子に頼むのだそうだ。その際、部屋の中の机の脚元に意図的に小銭を何枚か落しておくそうだ。そうすると、部屋の掃除をした後、「奥さん、これ、落ちてました」と言って持ってくる子と、そうではなくおのれの懐に入れる子があったそうだ。それを見て、「ほお~お。この子はそういう子か」ということを判断したそうだ。
私は(株)一条工務店に入社以来、一貫して「机の脚元に落ちていた小銭があったら『奥さん、これ、落ちてました』と言って届けるという勤務態度」をとってきたはずだ。いくらなんでも、経営者はわかったはずだ・・・と思ったのだが、思うのだが・・、アホな会社のアホ経営者はわからんようだった。むしろ、机の脚元に小銭があったら懐に入れるというのが「営業力」みたいに思っているのではないのか? ・・というのが(株)一条工務店のオーナー経営者一族だった( 一一)
1990年代前半だったと思うが、(株)一条工務店の浜松の本社の若造がいわき の私がいた営業所に電話をしてきたことがあり、給与の金額の話だったか何を話していた時だったか忘れてしまったが、私に「他にも、業者からのバックとかもらってるでしょうから」などと言うので、ええ?・・と思ったことがあった。(株)一条工務店の営業の中には、自分を信頼して契約してくれたお客様に外構業者とかを紹介してバックをもらう営業がいたらしく、中には(株)一条工務店の給料と同じかそれ以上の額を「バック」で稼ぐ営業までいたと聞くのだが、私はそんなことやっていない。「人は見てないからいい」という発想なんかしていない。「天知る、地知る、我知る、汝知る」と考えてやってきた。そういう者に対して、何の論拠もなく、「業者からのバックとかも相当もらってるでしょうから」とは、その言い草はいったい何だあ!
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但し、「バック」ではなくお礼として昼飯おごってもらったとかその程度のことはあるが、「バック」として(株)一条工務店の給料と同額もしくはそれ以上も稼ぐという人間というのは、それはいったいどんなことやっているのか。私は自分を信頼して契約してくれたお客様の仕事を通じて、そこまでやろうという気持にはとうていなれない。契約客で「〇〇さん、これ、どうぞ」と言って何かくれる人とかあるけれども、それはホテルで枕元におくチップ(枕銭)みたいなものだと思う。「どうぞ、これはお持ちください。そのかわり、他の荷物には手をつけないでください」という意味がそこにあると思うのだ。上棟の際に「御祝儀」としてお施主様がくださるものを、(株)一条工務店は大工はもらっていいけれども営業課・工務課の従業員は会社が没収して「一条会」という会社が設けるように指示した「親睦会」の経費にしろとしていたが、あれはおかしいのだ。御施主様が営業担当者・工事担当者にあげようと思って用意してくださったものを会社が横から取り上げるというのは言語同断なのだ。それはお施主様が営業さんに、工事担当さんにとして用意してくださったものだから、いただいていいのだ。それに対して、そうやって気を使ってくださった方の工事を通じて、話が決まった時に業者から気持ちとしての少々の「お礼」くらいならもらってもいいかもしれないが、わけのわからん「バック」を取るならば、「業者からもらった」と思っているかもしれないけれども「業者」はそのカネをどこから調達したかというとお客様の費用の中から調達しているはずだから、業者はお客様からもらっているのであり、「気持ち」くらいもらうならともかく、(株)一条工務店の給料と同額程度とかそれを上回るような金額をもらっているという営業というのは、それは営業ではなく何なのか、泥棒か詐欺師か何かではないのか。・・私はそんなことはしていないし、そんなことはしていないということ、そんなことはしない人間だということは、経営者・使用者ははっきりとわかる勤務態度を一貫してとってきたはずだ。それにもかかわらず、何ら理由もなくひとにそういったことを言ってくる若造はあまりにも失礼・無礼であり非常識であるが、それが「(株)一条工務店の本社の人間」だったのだ。(株)一条工務店はよくあんなアタマの薄い節操のない思いあがった若造を「本社」で電話に出させて苦労して実績を残したその男よりも年齢も上の営業社員に向かって生意気な口をきかせているものです・・が(株)一条工務店という会社はそういう会社だった。
あらかじめ、机の脚元に小銭を落としておいて、「あんた、この部屋の掃除してくれるか」と言って来たばっかりの女の子に頼んで、正直に「奥さん、これ、落ちてました」と言って持ってくる子がいたという場合、見られているのは掃除した女の子だけではなく、その家の奥さんの方も見られている。正直に届けるという勤務態度を取るものがそれに見合った評価を受けるのか、そうではなく逆なのか。会社という所においても、逆の態度を取る経営者の会社というのは、経営者が「この人はそういう人間か」と見られることになり、「この会社はそういう会社か」と見られることになる場合もある。その点で(株)一条工務店という会社は「ろくな会社じゃない」ということになる。ここのオーナー経営者一族はどうしようもないアホ集団だな・・と思うようになった。
いわき市小川で私が担当で契約いただいた方の親戚の方が(株)一条工務店の「本社」に電話された時、電話にでた人間は「本社」の人間だったのか、それとも、東京地区の近隣の営業所の営業が江東区木場の「一条ビル」に来ていて電話をとったのか・・という問題もあるが、もしも、かつては「東京事務所」と呼んでいた江東区木場の「一条ビル」の「本社」に近隣の営業所の営業が来ていて電話を取って、「一条工務店で建てたいのですが、どうすればいいでしょうか」と言われたとしても、私ならば、「本社」の責任者に伝えて、いわき市の営業所の所長に伝えてもらい、いわき市の所長からしかるべき営業に行かせるようにしてもらうだろう。但し、その場合も、「所長」が自分の契約にしてしまう可能性が高い・・・のだが、いわき地区では、「所長」だった草野さんが退職して、私がその契約客宅の引継ぎ担当を頼んだ「副所長」だったK井さんが「所長」にはなっていなかったが「所長」に準ずる立場になっていたようにも思うので、その場合は引継ぎを頼んだK井さんが担当してやることになっただろう。
どちらにしても、私が「本社」で電話を取ったならば、たとえ、自分自身が営業の仕事をしていても、「本社」で電話を取ったならば、その時は電話交換手の役割で電話を取ったのであるから、自分自身が営業の仕事についていても、「一条工務店で契約して建てたいのですが、どうすればいいでしょうか」と電話で言われても、だからといって自分がかけつけていって契約するということは私ならばやらない・・・のだが、やる人間がいるようだった。
(1)「本社」で電話をとった非営業職の人間が、いわき の営業所に連絡すべきものをそうしないで、東京の近隣の営業に行くようにさせたのか。
(2)その時、「本社」に来ていた東京の近隣の営業が勝手に自分の見込客にしてしまっていわき市まで行って契約してしまったのか。
(3)それとも、普通ならば営業本部長というのはそういうことをしてはいけませんと注意すべき立場であるにもかかわらず、逆に、営業本部長の天野隆夫がそうしろと指示したのか・・。
この(1)~(3)のどれだったのかは、結局、よくわからない。
そして・・・だ。本来、自分は何の関係もないのに いわき市小川まで東京からかけつけて契約した営業は、いわき市で建てる人の家に「浜松流」「静岡県型」の神棚 ↓

↑ の小休本陣 常盤家主屋 の神棚のもうちょっと横幅が狭いようなものを取り付けたらしい。な~んで、そんなことするかなあ~あ・・・と思う。そうではなく、いわき型の神棚を取り付けてほしいと何度も言ったけれども「これしかできません」と言ってきいてもらえなかったというのです。
神棚とかそういったものは、いわき市とか福島県・東北地方においては東京など都市圏においてとは比べ物にならないくらい大事なものだ。神棚とかそういったものは、それぞれの地域によって施工法がある。その東京の営業は、自分は本来何の関係もないのに契約だけもらいに行って ””「浜松流」「静岡県型」の神棚を日本全国に押しつけないとおれない「ほとんどビョーキ」シンドローム”” を実行したらしい。
「これしかできません」て、何だ、それは!!! できないわけないだろうが! 私が担当した いわき地区の家には いわき型の神棚がついているだろうが! 私でなくても、引継ぎ担当のK井さんや所長の草野さんが担当した家には いわき型の神棚がついているだろうが!!! なんで、「これしかできません」なんだ?!?
ひとつには、そいつは「いわき型の神棚」を知らんのではないか。神棚というと「浜松流」「静岡県型」の神棚だと思っている人間だったのではないか。「遠州人」だったのかもしれない。「遠州人」といっても「遠州人一般」と「(株)一条工務店の遠州人」はまったく同じということはないのだけれども、「(株)一条工務店の遠州人」というのは大変思考が硬い、大変頑固であり、「浜松でいいものは日本全国どこでもいいに決まってるんだ。こんな常識がわからんのかあ~あ!」と叫びまくる。「そんなことありませんよ。浜松でいいもの、静岡県・愛知県でいいものと福島県でいいものは違いますよ」と言うと激怒してひきつけを起こして「そういうことを言うからいかんのだあ~あ。浜松でいいものは日本全国どこでもいいに決まってるんだあ~あ!」と叫びまくる。ああいう「ひきつけ」おこすビョーキの人というのは、「遠州人」には多いようだけれども、ああいうのは精神病理学上の問題ではないのか?・・という感じすらする。

新版 ひきつけ・けいれんは小児てんかんを疑え (健康ライブラリー) - 金澤 治
一般に、いわき市・浜通り地区、および福島県や茨城県中北部から東北地方にかけての神棚というのは、でっかいのだ。 それも、伊達家の殿様の家とかそういう所の神棚がでっかい ということではなく、東北地方では「普通の人」の家の神棚がでっかいのだ。
だから、「浜松流」「静岡県型」の神棚を見ると、福島県人、あるいは多くの東北人は「なんだべ、これは」と思うのだ。
神棚というのはどの高さに設けるのがいいか。長押の上の位置に設けられている家が多いのですが、そうではなく「普通の人間が立った時の眼の高さより少し上くらい」がいいという人もあります。そういう神棚もあるようですが、いわき市および浜通り地区、および、茨城県中北部においては、神棚は高さとしては長押の上の高さで、天袋の場所に設けるか、もしくは、天袋の場所に奥行3尺ではなく2尺にして、その手前に長押の上の高さに棚を1尺ほどだして設けるか、棚だけの場合であれば長押の上に3尺くらいの出幅で設けてます。
神棚の幅は、(株)一条工務店のカタログに写真が掲載されていた神棚は幅3尺のものでしたが、いわき市および浜通り地区、茨城県中北部においては、幅3尺の神棚というのは変則的なものと見られ、幅は1間(6尺)なら狭い方で、幅1間(6尺)の神棚もありますが、幅1間半(9尺)の神棚は普通です。天袋に設けるやり方と、壁の前に長押の上の高さに棚を設けるやり方と、天袋の部分にプラスしてその手前に1尺ほどの棚を設けるやり方がありますが、棚を設けた場合には棚の端の部分には、棚の下ではなく棚の上側に「持ち送り」を設ける場合が多い。インターネット上で検索すると、「持ち送り」というと棚を下から支えるものを言うことが多いようで、上から支えるものを「腕木」と言うことがあるようですが、腕木というのは腕を伸ばしたような形状、一本のものを横に伸ばしたものを言うことが多く、棚の上側から支えるものでも形状からいくと、やっぱり、「持ち送り」ではないでしょうか。
幅1間半の神棚て、そりぁ、伊達家の殿様の家とかかい?・・とか東京や大阪の人間は思うかもしれませんが、福島県ではそうではなく「普通の人」の「普通の家」でそういう神棚があるのです。
私が担当するか、引き渡し時に引継ぎ担当だったK井さんが担当するかすれば、問題なく「いわき型」の神棚を取り付けることができたのに、全然関係のない東京の「本社」の近隣の営業に福島県いわき市小川まで、栃木県佐野市よりも遠い場所からわざわざ行かせたために、いわき市の住民からすると「おかしな神棚」をとりつけられてしまうことになったようです。
(株)一条工務店の経営者というのは、おかしなことをするよなあ・・( 一一)
真面目に努力した従業員を苛めまくって、ろくでもないのを大事にする。 その結果として、普通に私が担当してやるか、引継ぎ担当としてやったK井さんが担当するかすれば、普通に「いわき型」の神棚が取りつけられたのに・・、「ネコババ」か「巾着切り」みたいなやつに契約させるから、だから、いわき型の神棚にしてほしいと何度も何度も言われたらしいのに、「これしかできません」と嘘を言って「静岡県型」の神棚を施工した。
又、会社は営業だけでやっているわけではないのだから、どういうものを建てるか、最終決定までには設計担当・「コーディネーター」が関わっており、工事担当が顔を出す場合もあるのですから、営業担当が「静岡県型」の神棚を押しつけようとしたとしても、いわき市にいる設計担当者ならば「いわき型」の神棚を知っているはずですし、「コーディネーター」もいわき市の生まれの人間であったはずですから「いわき型」の神棚を知らないはずはないのです。・・・もしかして、本来なら「本社」に「一条工務店で契約して建てたいのですが、どうすればいいでしょうか」と電話してきた方のお宅に東京からいわき市まで行って契約するというのは「邪道」だと認識していたので、又、その方は いわき市で建てて入居された入居者の親戚の人だということも認識していたので、それで、いわき市の設計・いわき市の「コーディネーター」を使うとばれて「あぶない」と思って、「いわき型」の神棚を知らない東京の設計・東京の「コーディネーター」に担当させるといった「知恵」を働かせたか・・( 一一)
しかし、(株)一条工務店て、何でそんなことするのでしょうね。(株)一条工務店の経営者て、何でそんなことさせるのでしょうね。神棚というのは「地方」の住人にとっては相当大事なものなのです。東京や大阪の人間にとってよりもはるかに大事なものなのです。浜松の人間てわからんのかなあ・・? 静岡県の人間てわからんのかなあ?
静岡県で「静岡県型」の神棚を設置するのはいいと思いますよ。しかし、福島県では「福島県型」の神棚を設けるべきでしょう・・・と言うと「遠州人」は激怒するのですが、なんで怒るの?
「遠州人」という民族は、「空の広さは浜松の広さと同じだ」と言いたい人たちだというのはよくわかりました。「宇宙の天体は浜松を中心として回転しているんだ」と言いたいというのは、それはよくわかりました・・・が、「それでも、地球はまわっている」とつぶやくと怒るというのもよくわかりました。しかし、いわき市で建てる人に「いわき型」の神棚を作ったとしたら「遠州人」は1万円でも損するのかあ? しないでしょうよ。むしろ、「いわき型」のでっかい神棚の方が「静岡県型」の板1枚載せるだけの神棚よりも見積もり金額は高くて建築会社は多くの利益を得ることができて得するはずなのです。
戸建て住宅建築業の会社でも、いろいろな会社があり、「商品」という形になっているものでも、さまざまなシステムのものがあります。
(1)例・・かつての 小堀「新 桂(しん かつら)」「小堀の木造」・・「完全自由設計」と言っていたように、構造上、問題がない限り、費用を出してもらえればどのようなものでも実現する、というもの。
(2)例・・フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/・・構造は無茶苦茶で、設計センスもあきれるくらい悪い担当者が多いけれども、設計事務所なので「細かいことをするのは好き」であり、そのタイプの御施主様にはいいのかもしれない。
(3)例・・かつての 「小堀ハウス55」・・「高品質 低価格」というタイプで「企画住宅」と行っており、プラン集から比較的希望に近いものを選び、それに間取りについて多少の変化を加えることができる。使用する部材は標準仕様のものが決まっていて、オプション(オーダーエントリー)として差額を出してグレードアップすることができるものもあるが、そこに指定されていないものを使うということはできない。あらかじめ、いくつか決められた中から選ぶという条件のもとに「高品質 低価格」なので、なかなかうまくできてはいるし「規格住宅」ではなく「企画住宅」と言っているように「このような住まい方はどうでしょうか」という提案があり、なかなかいい提案があるけれども、自由度という点では制約はある。都市型の会社なので「地方」の人が見ると合わないと思う人も中にあるかもしれない。
(4)例・・かつての 「小堀ハウス55 システムフリー」・・「ハウス55」と同じく、使用する部材はあらかじめ決まっているけれども、間取りについてはプラン集から選ぶのではなく、新たに設計していくというもので、その点で「ハウス55」よりいくらか値段は高いが、間取りの自由度は高い。こういうシステムのもののことを小堀住研(株)では「システムフリー」と言っていた。
(5)例・・(株)一条工務店「セゾン」「百年」・・小堀住研(株)では「ハウス55 システムフリー」のようなタイプのものを「システムフリー」と言い、「新 桂」のように構造以外の部分はすべて自由にできるというもの、「小堀の木造」のような構造からして危険なものを作ってくれというのでなければ完全に自由設計という「完全自由設計」のものとは異なり、使用する物についてはある程度決まっていて「システムにのっとってフリー」である。(株)一条工務店では「注文住宅」「完全自由設計」と言っていたが、使用する部材は決まっているものの中から選ぶというもので、システムとしては小堀住研(株)の名称では「システムフリー」の方になる。 「小堀ハウス55」のようにプラン集があってそこから選んで変化させるというシステムではなく、「小堀ハウス55 システムフリー」のようにプラン(間取)は新たに作っていくものなので、構造上、危険なものを作れというのでなければ自由にできる・・けれども、会社の体質として、あまり設計上、細かいものをやるのは得意ではない。営業担当によって(「設計担当によって」ではなく営業担当によって)対応力は変わる。 自由設計か「システムフリー」かというと、(株)一条工務店では「自由設計」「完全注文住宅」と言っているが、キッチンはオリジナルシステムキッチン、巾木・廻り縁はマトアムク材とか決められており、その点で使用する部材は決められているが間取りについてはシステムは「システムにのっとってフリー」という「ハウス55 システムフリー」に似ている・・が、「ハウス55 システムフリー」の場合は指定されている部材の中から選んで建てるということで「高品質 低価格」を実現しているという「商品」としての制約があるので、そこにないものを使うということはできないが、「一条 セゾン」「一条 百年」の場合は、カタログに載っているものはあくまでも例であって、システムキッチンなどは「オリジナル」システムキッチンを使うという前提になっていて、どうしてもそうでないものを使いたいという場合は、システムキッチンメーカーに勤務している人がお施主様とかこれまでに住んできた家に相当いいシステムキッチンを入れたばかりでそれを使いたいとかいう場合でなければ、「オリジナル」のものから選んでもらうのが基本になっているが、「神棚」などはカタログに掲載されているものでも、それは「施工例」でしかなく、そうでないやり方でやってもらいたいといえばできる・・というもの。
(6)例・・「規格住宅」とされるものでも、「小堀ハウス55」などはプラン集に入っているプランの数が多く、又、変化させることができる度合いもけっこう多く、オプション(オーダーエントリー)として用意されているものもいろいろあったので、「規格住宅」でないことはないけれども、けっこう希望を実現することはできたのに対して、自由度が少なく、本当に「規格」の通りしかできないというもの。
ハウスメーカーと言われる所が建てている戸建住宅というものは、この(1)~(6)のどれかのタイプ、もしくはそのいずれかに近いタイプのものに分類されると考えていいと思います。
「小堀ハウス55」は構造が木質パネル構法で壁面を見ると枠組壁工法(ツーバイフォー工法)の方に似ているが、1階と2階の間に在来木造と同様に太い梁がはいっており、その点では在来木造の方に近い構造のものなので、在来木造と同じような間取りの自由性を確保できる構法だが、枠組壁工法(ツーバイフォー工法)の場合は1階と2階の壁の位置をほとんど一致させないと作れない構法なので、枠組壁工法(ツーバイフォー工法)の会社の「企画住宅」の場合は「小堀ハウス55」よりも「規格住宅」の度合いが大きいものが多かったようだ。
・・・このように分類することができると思う。「例」としてあげたものは私が在籍したことがある会社のものを例としてあげたが、「小堀」〔小堀住研究(株)〕は二代目社長の中島昭午が初代の苗字である「小堀」を会社名から取り除こうとしてエスバイエル(株)というツーバイフォー工法で建てているわけでもないのにツーバイフォー工法を思わせるヘンテコな名前に名称変更した後、「何を考えとるのか」と思われる安物路線に走り、「そんなことしたら会社はつぶれるぞ」と思ったら、あっという間につぶれて、ヤマダ電機に買収されて(株)ヤマダエスバイエルホーム になり、その後、同様にヤマダ電機に買収された「リフォームのナカヤマ」のリフォーム部門と合わせて(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ となり、「エスバイエル」という安物くさい名前は消えた。「バッカじゃなかろかルンバ♪」ということをやる二代目社長やった( 一一) 「小堀ハウス55」「小堀ハウス55 システムフリー」は1990年頃においてはなかなかよくできた商品だったが、時代とともに消えていった。・・・まあ、「バッカじゃなかろかルンバ♪」てことをする社長の会社というのは、日本にはけっこうあるのかもしれんけども・・( 一一)
※ 《YouTube-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs
可能性としては・・だが、(株)一条工務店という会社は「人の出入りの多い会社」であり「従業員を大事にしない会社」で初代社長の大澄賢次郎が「人みたいなもん、求人広告さえ出せばいくらでも採用できる。求人広告にはいくらでもカネをかけて中途入社の社員はどんどん採用しろ。どんどん採用して片っ端からやめさせろお!」と叫んでいたという会社・「ええかげんにさらさんと、おんどれ、しまいに血い見るどお~お!」という会社だったのだが、それだけによくわからない人が次々と入ってくる会社であり、同業他社にいた人で、前職としていた会社の商品が(3)(4)(6)のタイプの商品だったという人だと、中にどこでもそうだろうと思い込む人がいて、(株)一条工務店に入社しても(株)一条工務店の場合は(5)であるのに、(4)だと思い込んでカタログに掲載されていないものは「これしかできません」と言ってしまう人というのがいた・・という可能性はある。実際はできるのに。
もうひとつの可能性として、1993年、千葉県市原市で建てていただいたY様邸の契約をいただいたが、Y様はリビングルームに実際に薪を燃やす暖炉を設けたいという希望で、「一条工務店では実際に薪を燃やす暖炉を施工することはできますか」ときかれて、私は(株)一条工務店の設計担当・工事担当から本社まで確認して「できます」という返事をもらい、それを見込客だった時のY様に伝えて契約してもらい、契約後、(株)一条工務店では設計担当とか工事担当とか積算担当とかではなく営業担当がそういったもののカタログを取り寄せてこういうものを設置してもらいたいというようにもっていけば、設計担当者が図面に落して積算部が見積もりを出すというシステムだということだったので、それで暖炉のメーカーからカタログをとりよせていたところ、営業本部長(その時点での肩書は「次長」)で松戸営業所長・東京営業所長を兼任していた天野隆夫から「何、やってるんだ」と言われ、「御施主様が暖炉を取り付けたいと言われるので、暖炉のカタログを取り寄せています」と話したところ、「何でそんなものやるんだ」と言われ、「御施主様の希望ですから」と答えたところ、「だから、なんで、御施主さんの希望ならやるんだ?」と天野隆夫は言い、「御施主様が希望されていますから希望に沿えるようにやっています」と答えたところ、「だから、そんなものやらなくていいだろうと言ってるんだ」と天野隆夫が言うので、「ですから、契約前から暖炉を取り付けたいと希望されていて、『一条工務店では暖炉は施工できますか』ときかれて、『できます』と答えて契約してもらったのです」と答えたところ、営業本部長の天野隆夫は「だ~から、契約前に『暖炉はできますか』ときかれて『できます』と答えて契約してもらったんだろ。それはいいじゃないか。契約前にきかれたら、何でも『できます』と答えて契約してもらえばいいだろう。しかし、今はもう契約してもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが! 何、考えてんだ、おまえはあ!」と言うのです。はあ? 何、この人? それでは詐欺だろうが! と思い、「そんなわけにはいきませんでしょう」と言ったのだが、そうすると天野隆夫は「なんで、そんなわけにいかんのじゃあ! もう契約してもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。それなら解約すると言うのなら解約してもらって契約金として振り込んでもらった100万円をそのままもらっておけばいいだろうが。何を考えてんだ、おまえはあ~あ!」と言って怒鳴りつけられたのだ。「『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえ」と天野隆夫は言い、そして「やってまええ~え!」と叫ぶのだった・・・が、怖ろしい会社に勤めたものだ・・と思った。しかし、私は「怖ろしい会社に勤めてしまったものだ」と思ったし、「そんなわけにはいきませんでしょう」と言って体を張って自分を営業担当として契約してくれたお施主様の家を営業本部長から守ったのだが、ところがそうではなく、営業本部長から「やってまええ~え!」と言われると、「ようし、やったるぞお~お!」と思う人も中にいるみたいなのだ。
1992年に(株)一条工務店で契約した私の義兄の家にしても、片道200km以内なら転勤後も担当するという(株)一条工務店が就業規則に明記していたルールに反して、営業担当をはずされて中途入社したばかりの松田(男。当時、20代後半)に引継ぎ担当をされた後、松田がいわき市の営業所に電話してきて、「住宅金融公庫の金利が下がりましたけれども、申込をやり直した方が金利が低いのでお施主様にとっては申し込みをやり直した方が有利ですが、めんどうくさいですから、前の申込のままで進めたいと思うのですがいいでしょうか」などと言ってきたので、「何を言ってるの。住宅金融公庫の申込なんてそれほど手間がかかるものでもないのだから、低い金利で申し込んで建てた方が有利なら低い金利の申込でやるものでしょ。そんなわけのわからないこと言わないで、申込をやり直してちょうだい」と言ったのだ・・が、松田は私からそう言われて「そうですか。わかりました」と返事したので、そう返事したからにはわかったのかと思ったらそうではなく、うちの姉に聞いた話では、姉夫婦の所に訪ねてきて「住宅金融公庫の申込をやり直すのは『めんどくさいですから』、前の申込の方が金利は高いですけれども前の申込で建てましょう」と、そういいやがったらしいのだ。あきれた・・( 一一)
「めんどくさい」ならやめてしまえ! 「めんどくさい」などとヌケヌケと言うようなやつが人の契約客の引継ぎ担当なんか、やるな!
・・それで、私が 松戸市の営業所からいわき市の営業所に転勤する時、営業本部長で兼任で松戸営業所長だった天野隆夫に「松田くんが引継ぎ担当でもいいですけれども、新人ですから、問題がないように営業所長として見ていただくようにお願いします」と話し、天野隆夫から「わかった」と返事をもらって転勤したのだった・・・が、天野隆夫は問題がないように見るということをちっともしていないじゃないか・・と思ったのだった・・・が、さらに、そうではなく、天野隆夫こそが松田に「めんどくさいですから、金利が高い方の前の申込で建てましょうと言ってこい」と指示したという可能性が十分に考えられる・・ということに気づいた。
だから、いわき市の私の担当の契約客の方の親戚の方のお宅も、私から担当を奪っただけでなく、いわき市の引継ぎ担当のK井さんでもなく、全然関係のない東京の「本社」の近くの営業に「行って契約してもらってこい」と指示して、さらには「やってまええ~え!」と言って、「うちではこれしかできませんから」と強弁して「浜松流」「静岡県型」の神棚を福島県に設置させたのは営業本部長の天野隆夫だった・・という可能性は十分に考えられる・・という点に気づいた。「やってまええ~え!」と言ったのかもしれない。そして、松戸展示場にいた時の私が「そんなわけにはいきませんでしょう」と言ったのと逆に、「やってまええ~え!」と言われて、「ようし、やったるぞお~お!」と思って「やった」やつがいたのかもしれない。
「遠州人」(あくまで「(株)一条工務店の遠州人」だが)というのは、思考がおかしい。「浜松流」「静岡県型」の神棚を福島県に無理矢理作らせて何か得するのか? 得するものはないと思うのだが、「やってまえ~!」というのをやりたがる営業本部長と、「そんなわけにはいきませんでしょう」と言えない・言わないで「やったるぞお!」という気持になるやつというのが(株)一条工務店にはいるようなのだ。
その「静岡県型」の神棚が、この小休本陣 常盤家住宅 にあった・・・。
なお、「人の眼の高さより少し高い位置にある神棚」は牧之原市の大鐘家住宅で見ることができます。〔⇒大鐘家住宅(牧之原市) 神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html 〕
※ 富士山かぐや姫ミュージアム 小休本陣常盤家住宅 https://museum.city.fuji.shizuoka.jp/index.php/annex/tokiwa
富士市商工会 観光ガイド 小休本陣常盤家住宅 http://fuji-s.or.jp/kankou/archives/spots/tokiwatei
しずおか近代和風建築さんぽ 小休本陣 常盤邸 https://kindaiwafu.eshizuoka.jp/e1020531.html

(2021.10.6.)
☆ 小休本陣 常盤家主屋(静岡県富士市岩淵) 見学。
1.富士川サービスエリアから富士川橋まで。富士川と富士山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202109article_2.html
2.富士川橋付近から小休本陣まで。「あいの宿」「小休(こやすみ)」とは。薬医門。門前から見える富士山は絶景。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202109article_3.html
3.座敷の前の土間、高くなった上段の間、上段の間から富士山が見える配置。槇の大木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202109article_4.html
4.床柱と長押がぶつかる部分で長押を前に持ってくるか手前で止めるか。静岡県では長押を前まで持ってくる例。「浜松流」独善主義の会社。ダンピングとテレビ広告で売る静岡県・愛知県の営業 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_1.html
5. 静岡県型神棚。本来の営業担当を退け関係ない「浜松流」に遠方まで契約に行かせて「静岡県型」神棚を福島県に押しつける一条工務店と営業本部長。〔今回〕
◎ 静岡県シリーズ
★ 駿河地域
☆ 登呂遺跡(静岡市駿河区登呂5丁目)
1.「日本平久能山」スマートI.C.から登呂遺跡へ。駿河と遠江は違う。静岡市に勝とうとする浜松市。京大・阪大の工学部を落ちて静岡大工学部に行った者で「誰がこんな所にいるもんか」と言って出て行く者の話をすると「こんな所とはなんだあ」と激怒する遠州人。片方で浜松は都会だと言い、他方で日本一のドイナカだとダブルスタンダードを主張する卑怯な「(株)一条工務店の遠州人」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_7.html
2.切妻屋根に似た竪穴式住居。高床式倉庫。棟持柱で支える祭殿。一体式屋根の竪穴住居と2つの部分に分かれた屋根の竪穴住居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202108article_1.html
3. 登呂遺跡博物館。「エスキモーの家」か「弥生時代の人の竪穴住居」みたいな「浜松の家」の展示場に勤務した経験と傲慢な「遠州人」。認知度の低い時代に苦労して尽力した従業員を「すて石」にする「一族」の会社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202108article_2.html
★ 遠江地域
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_2.html
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 大鐘家住宅と相良城跡(静岡県牧之原市〔旧 相良町〕)
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
(6)土蔵・資料館。大鐘家の裏の丘からの眺望。相良城跡と田沼意次。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_6.html
☆ 中田島砂丘(浜松市南区)
1.浜松インターから中田島砂丘へ。遠州灘海浜公園の風車と凧と桜。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_7.html
2.樹木の生えた丘と土の丘が2列にある。テトラポッドが沖に。労基法違反の会社・脱税経験の会社・安全対策不備の会社から浜松市は寄付金をもらっていいのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_8.html
3.2列の丘。土の丘から見た浜松駅付近。高層ビルをありがたがる精神面がイナカモン。一条浜松流営業のデタラメhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_9.html
4.海側の丘は砂丘でなく人工の「防潮堤」だった。従業員の賃金をへつったカネが「防潮堤」に化けた。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_1.html
5.陸側の丘に生える松は黒松か赤松か。松丸太梁に使われる松は黒松ではなく赤松の方が良いのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_2.html
6.恥知らず「一条堤」碑。従業員の給料削ったカネを寄付する労基法違反の会社を称える浜松市と浜松商工会議所。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_3.html
7.「防潮堤」は津波対策として河口付近には役に立たないのではないか。両隣の市にはむしろ津波の害を大きくすることはないか。CSG工法とは。自然に広まった名称が「通称」で誰かが決めたような名前は「通称」ではない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_4.html
8.もともと、地元向けで観光用でない中田島砂丘は観光資源としては要らないのではないか。「防潮堤」が海側と陸側に「砂丘」を分けたことの影響。砂丘は保護すべきものか撤去すべきものか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_5.html
9.建物はあっても閑散とした倉松町の(株)一条工務店跡? 木材は潮風にあたると傷むのか? 「遠州人だけ得することならどんなことでも『やらまいか』」という「やらまいか精神」による「防潮堤」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_6.html
[第809回](株)一条工務店は創業以来、TVコマーシャルをやってきた。「借入金0」の論拠を示せ。中田島砂丘がやせる対策は防潮堤でいいのか?~インターネット上の嘘もしくは誤解を指摘する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_5.html
☆ 中村家住宅(浜松市西区雄踏町宇布見 〔うぶみ〕)
1.浜松IC・浜松西ICから中村家住宅まで。長屋門。茅葺と瓦葺のミックスの屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_2.html
2.「和小屋組と扠首(さす)組が合わさった小屋組」、「浜松なのにイナカくさくない」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_3.html
3.「押板」・畳敷きの部屋の囲炉裏・女性的な造りの和室。茶室。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_4.html
4.「鏡戸」「板戸」。内側の雨戸、縦桟の格子。「面取り」した柱とそうでない柱。噛み合わせを設けて継いだ木材。細くない「貫」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_5.html
5.胞衣塚・天神社跡地・茶室・屋敷神祠・井戸屋形、満開の桜。3月下旬、中村家住宅の桜。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_7.html
6.中村家 北西の天神社。元 中村家の氏神だった天神社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
☆ 深奥山方広寺(浜松市北区引佐町奥山)と「信教の自由」を侵害する者
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_4.html
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_8.html
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_10.html
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_14.html
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_15.html
(番外)『ゴルゴ13』と考える「信教の自由」。「信教の自由」を侵害する深奥山方広寺は宗教失格。「信教の自由」を侵害する営業は三流の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_4.html
小休本陣常盤家主屋(静岡県富士市岩淵 ) 見学の5回目。

今回は神棚です。

神棚が座敷と土間とにある「民家」があります。土間にあるのは「竈(かまど)の神さま」もしくは「台所の神さま」で、それと別に居間もしくは座敷に神棚が設けられていることがけっこうある。 小休本陣 常盤家主屋 では、正面から見て左寄り(南より)に東から西への通り土間があって、通り土間の奥(西)に「だいどころ」があります。
↑ の神棚は通り土間の右側(北側)に「みせ」「いろりのへや」と2部屋続き、さらにその奥にもう1部屋、畳敷の部屋がありますが、「いろりのへや」に、正面から見て右(北)の「なかい」という四方を他の和室で囲まれた部屋に向いて設置されています。
現地でもらったリーフレットの表紙には「国登録有形文化財 小休本陣(こやすみほんじん) 常盤家(ときわけ)住宅主屋(じゅうたくおもや)」と書かれているのですが、今現在は富士市が常盤家から借りて、土日祝日のみ無料公開しているようですが、江戸時代は「小休本陣(こやすみほんじん)」という、東海道を行き来する「えらい人」、もしくは身延山へ行き来する「えらい人」が休憩する場所であって宿泊はしないという「本陣」だったらしいのですが、「えらい人」専用の宿屋だったのか、「常盤家住宅主屋」と書かれているように住宅でもあったのか。後ろにもう1棟建っているのが見えましたが、現在は常盤さんはこの建物ではなく他の建物に住まれているようですが、かつては宿屋専用だったのか、それとも「住宅主屋(じゅうたくおもや)」だったのか。どうだったのでしょうね。
「えらい人」にしても、いついかなる時も床の間を背にして一段高い場所に鎮座しているのも疲れるのではないのか・・と思います。この「いろりのへや」に神棚が設けられているというのは、その前の「みせ」という部屋が比較的誰もが出入りする部屋で、「いろりのへや」は文字通り、「いろり」があって、その前の通り土間とともに、食事をしたり団欒をしたりする部屋で、そこに神棚があったということでしょうか。
ここの「小休本陣 常盤家住宅」の床の間の床柱と長押の位置関係は(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ が住宅展示場に施工していたやり方でカタログに写真を掲載していたやり方であり、それから神棚については(株)一条工務店がカタログに掲載していた写真の神棚と同じやり方です。(株)一条工務店のカタログにはここの ↑ の神棚より幅が少し狭いくらいのものでいろりの煤がついていない白っぽい木の一枚板の神棚の写真が掲載されていました。・・・なるほど、やっぱり、(株)一条工務店は「静岡県型」の床の間と神棚をカタログに掲載していたんだな、とよくわかりました。(株)一条工務店は「静岡県・愛知県地域を母国とする外資系企業」みたいな会社であり、「母国」のやり方を「外国」に押しつけるところがあった。その神棚がこれなんだな・・・とはっきりとわかりました。
(株)一条工務店で、営業本部長から頼まれて1998年に福島県いわき市 の営業所から栃木県佐野市の営業所に転勤しましたが、(株)一条工務店では一定以上の在籍年数と一定以上の通算契約棟数の営業社員が会社都合での転勤をした場合には「副店長」昇進という規定が就業規則に設けられていまして、それを「特進転勤」と言っており、私はそれに該当する転勤として佐野営業所(展示場)に赴任しました。
営業本部長の天野隆夫から頼まれた際に「副店長としての特進転勤ですね」と言いましたところ、天野隆夫は「前は特進転勤で副店長にならせるということをやっていたのだけれども、今は副店長にならせるというのはやってないんだ」と言うので、え?・・と思いましたが、それでも「展示場リーダー」「応援者」として赴任するという話でしたから、それならと承諾して転勤しました。
それまで、いわき地区で5年間在籍して、いわき地区の4展示場の中で一番条件が悪いと同地区の営業社員誰もが言う展示場に一人だけずうう~っとおらされた、しかも、会社が営業社員を「応援者」と「被応援者」に2分するということをした時、本社にいる事務的作業をしている従業員が過去の通算棟数・在籍年数・前年前々年契約棟数・引き渡し棟数などから事務的に「応援者」と「被応援者」を事務的に分類した時には私は「応援者」に指定されたのに、その後、そういった通算契約棟数・在籍年数・引き渡し棟数などを無視して所長が決めるのか誰かが決めるのかに変更したところ、私の半分未満の契約棟数の人「木南さん」(仮名)(男。当時、40代)を私の「応援者」にして私は私の半分未満の契約棟数の人の「被応援者」にされてしまった。いわば、八百長である。 「八百長」もしくは「裏口入学」である。
いわき市・浜通り地区の所長だった草野次男さんに「《営業成績を残した者を『応援者』にしますから、頑張って『応援者』になれるように努力してください》と本社が「通達」に書いてきているのに、「木南さん」(仮名)の倍以上の契約を私は取ってきているのに、それも「木南さん」(仮名)よりも条件がいい展示場でではなく、入社以来、私は「木南さん」(仮名)よりも条件が悪い展示場か同じ展示場のどちらかにいて、「木南さん」(仮名)よりも多い契約棟数か同じ契約棟数の年はあっても「木南さん」(仮名)よりも少ない年は1年もなかったはずですよ。入社直後は別として、直近3年間については、私は『木南さん』(仮名)よりも条件が悪い展示場にいて『木南さん』(仮名)の倍以上の契約棟数をあげているはずですよ。所長と私となら所長の方が多く契約あげてられるでしょうから、所長とどちらか片方を『応援者』にするというのなら所長が『応援者』になるというのならまだわからないこともありませんけれども、なんで、私の半分未満しか契約取っていない『木南さん』(仮名)に私の『応援者』になられなければならないんですか」と抗議したが、所長の草野次男(つぎお)さんはぐらかした。
会社が契約棟数で見て優秀な人間を「応援者」にしてそうではない人を「被応援者」と営業社員を2分すると「通達」で言い、しかも、「応援者になれるよう努力してください」とも言ったわけですから、やはり、実績を残した私は「応援者」にしてもらわないといけません。「木南さん」(仮名)はその時点で10年くらいは在籍していた人のはずで、それだけ在籍した人の「倍を超える契約棟数」をあげるというのは、それだけの努力をしてこそのものです。それだけの努力をして成績を残した者にそれを認めないというのは、それでは会社の秩序を乱すことになります。
「木南さん」(仮名)は「私は本当はもっと売れるんだけど、わざと契約取らないようにしてんの」などと言っていましたが、しかし、私は「木南さん」(仮名)に「わざと契約取らないように」してくださいなんて頼んだことは一度もないと思いますねんけどねえ( 一一) 取ればいいじゃないですか、「本当はもっと契約取れる」のなら。違いますか? ・・山田久志『勝負強さの育て方』(PHP文庫)で、元阪急ブレーブス投手の山田が、「大リーグの一流選手」なんてものはちっとも評価しなかった、プライドばっかり高くて日本と日本の野球をバカにしてろくに働かない・・そんなやつらだ・・と思っていたそうで、私も、具体的には元ヤクルトのホーナーなんて、えらそうな口ばっかりきいて日本と日本の野球をバカにしまくって、高級取りながら、腰が痛いわ、どこが痛いわ言いまくって休みまくって1年でアメリカ合衆国に帰ってあげくのはてに『地球の裏側に別のベースボールがあった』などと本まで書きやがってからに、そんなに日本が嫌なら来るなちゅうんじゃい!・・てそんな連中という印象があったが、山田が言うには、ところが、近鉄に入団したオグリビーは違った・・というのだ。オグリビーは元大リーガーだったが近鉄に入団した時点ではすでに野球選手としては高齢の方の選手だったが、ところが、いかなる時も全力疾走・全力プレーであり、若手選手でも内野ゴロでアウトだと思うと一塁まで走らずに途中で帰ってくるような選手がいるがオグリビーは正反対。野球選手としてはもう高齢の方の年齢であったがそんなことは全然関係ない。“”全力疾走・全力プレーこそ一流の証し”” というものだった。そして、近鉄バファローズが最後の最後まで優勝を争い、最後の試合に近鉄が勝てば優勝、負けか引き分けだと西武の優勝という最後のロッテ戦で近鉄は延長の末、引き分けて優勝を逃した後、残念会の会場をオグリビーはひとり抜け出してトイレで泣いていた・・という話を知り合いの記者から聞き、「オグリビーはかっこいい」と山田は思った・・・と書いていた。「私は本当はもっと売れるんだけど、わざと売らないの」・・て、なんだ、そりぁ!!! そういう口をきく人間を成績もあがっていないのに「応援者」になんかするな! このクソドアホ!!!

プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
※ 必死のプレーというのは野球でもそのチームを応援しているか否かにかかわらず、「すごいなあ!」「すばらしい♪」と感動するものだ。
《YouTube-そこは中野【さよなら阻止】》https://www.youtube.com/watch?v=E2bUHnEdxtY
《YouTube-ヤクルトスワローズ 村上 宗隆 ヘッスラ!》https://www.youtube.com/watch?v=yWo9tJxWEHo
「私は本当はもっと打てるんだけど、わざと打たないの」などと言われたあかつきには、あんた、出なくていいよ・・と言いたくなるだろう。
しかも、所長の草野次男さんに、本社にいる人間が過去の契約棟数・引き渡し棟数・在籍年数から自動的・事務的に「応援者」「被応援者」を分けた時には私が「応援者」に指定されたのに、その後、理由もなく「応援者」から降ろされて私の半分未満も契約取っていない人を「応援者」にならせるというのは、これはおかしいではないかと話をした時、会社の「通達」のファイルからなぜか、私が「応援者」の名簿に記載されたものが見当たらなくなっていた(誰かが持ち去った?)ので、本社の総務部に電話を入れて、その部分をファックスで流してほしいと言ったところ、電話に出た男が「ありません」と言い張り、「ないわけないでしょう」と言っても「ありません」と言い張り、「所長と変わってください」と言うので所長の草野次男さんと変わったところ、その男は所長に「転勤させてやりましょうか」と言ったらしく、所長の草野さんが「そんなことしなくてもいいよ。彼は売れるから」と言ってくれたので助かったのだが、「あなたはどなたですか?」ときいても名のらない・答えないその無礼な男のおかげであやうく、理由もなく転勤させられるところだった。あの無礼な男はいったい誰なのか・・と思ったが、総務部長の天野雅弘であった可能性が高いようだ。会社が営業成績により営業社員を「応援者」と「被応援者」に分けます、「応援者」になれるように頑張ってくださいと言ってきたのであり、その条件で私は「被応援者」みたいなものにならされてたまるかと努力して、そして「木南さん」(仮名)の倍以上の契約を獲得したのだった・・にもかかわらず、本社の係の人間が過去の契約棟数・引き渡し棟数・在籍年数から事務的・自動的に「応援者」「被応援者」を分類した時には私が「応援者」に分類されたにもかかわらず、その後、理由もなく私の半分未満の契約の人を「応援者」にして、その人の倍以上の契約をあげている、より正確に言うと「木南さん」(仮名)は「20坪キラー」であって延べ床面積の小さい・契約金額の小さい家を得意とする人であり、かつ(普通、面積の広い契約金額の大きい家の契約を取得した方を得意がるのならわかるが、「木南さん」(仮名)の場合は逆に)延べ床面積の小さい家ばっかり契約とってくることを得意がっていた人で、「棟数」で見ると私の半分未満だけれども、「粗利益額」(あらり)で見たならば3分の1未満か4分の1未満であったと思われる人を「応援者」にしてその人の「棟数」で見て倍以上・「粗利益額」で見たならば3倍以上の契約を取ってきた私をそんな人の「被応援者」にしてしまうというのは不当でしょうと話すと、単に過去の「通達」の1頁をファックスで送ってくださいと言っただけのことで不当に「応援者」になった者をではなく、不当に「被応援者」にならされた者の方を「転勤させてやりましょうか」などと総務部長が言ってきたのであり、もとより、そういう態度・そういう行為は総務部長としてあるべき態度ではないはずであった。天野雅弘の態度は「ち~が~う~だ~ろ! このハゲ~え!」という態度であった。〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ! 》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
もちろんのこと、そのような「転勤」は「人事権の濫用」と評価されるものであり法的に無効である。
その「木南さん」(仮名)が新潟県上越市の展示場に転勤していった後、今度こそ私を「応援者」で「リーダー」にしてくれるであろうと思うと、今度は「(株)一条工務店のがばいじいちゃん」S藤賢二さん(男。当時、40代)をいわき市の他の展示場から移して「リーダー」で「応援者」にしてしまった。私よりも契約棟数は少ないのに。それだけではない。「木南さん」(仮名)は契約棟数は少なくても自立して営業の仕事をしていた人だったが、S藤賢二さんは自立して営業の仕事をこなせていない人であり、私が助けてきてあげていた人だったはずだ。私に助けてもらってきた人がなんで私の「応援者」に会社から指定されるの? バカにしてんの? ・・というよりも、バカにしてるとしか言いようがない。ふざけてんのか!


※ 「がばいじいちゃん」⇒《YouTube-衝撃の3WAYマッチ!夏すみれvsバッファローvsがばいじいちゃん 2018.2.25》https://www.youtube.com/watch?v=6twCjUYpnTs
(株)一条工務店 は営業成績によって「応援者」を決めますと「通達」で言いながら、私の半分も契約とっていない「木南さん」(仮名)を「応援者」にして、次は私より営業成績が劣っていて、そんなことよりも私に助けてもらってなんとか仕事していたS藤さんを私の「応援者」だと言いだした。そして、なおかつ、私に自立して仕事できていないS藤さんの世話をさせたのだ。「ふざけんな!」
かつ、私が1993年に、いわき市の営業所に赴任して以後、いわき市に4ヵ所あった展示場の中で、営業社員全体の移動が2回あり、それ以外にも、人数が少なくなった所へ多い所から1人移る、2人移るという移動があったにもかかわらず、私1人だけ、いわき地区の営業誰もが「どう考えても、ここだけ絶対的に条件悪いですよ」と言っていた展示場に5年間おらされたのだ。私はそれは不当だといわき地区の所長の草野次男さんに言ったのだ。すると、草野次男さんは何と言ったかというと「営業成績があがっている者が条件のいい営業所に行くんでえ~え」とそう言ったのだ。それで、私は「なるほど。いわきにいる営業の中で所長が一番いい営業成績を残しておられるというのはわかります。ですから、営業成績があがっている者が条件がいい営業所に行くんだということで所長が条件がいい営業所に行くというのならわかります。しかし、私だって少なくともいわき地区の営業の中で真ん中より上の営業成績を残していますでしょ。なんで、私が一番条件が悪い展示場にいなければならないのですか」と言いました。そうすると草野次男さんは「ここの展示場は総合住宅展示場の奥にあって来場者数が少ないし、和風の展示場で和風の展示場というのは家相にこだわったり木にうるさかったりする人が多くて新人ではきびしいから、だから経験と実力がある人にいてもらわないといけないんだ」と言うのです。なんだか、ぼけ~っと聞いているとほめられたみたいに思いそうですが、そうはイカのき〇たま だか ち〇ち〇だか・・。「それなら、所長が一番経験があって実力があるじゃないですか。所長がここに来てくださいよ。私、所長がおられる展示場にきょうから移りますから、所長がここに来てくださいよ。そうしましょう」と言いました。すると、草野次男さんは「営業成績の出ているものが条件のいい展示場に行くんでえ~え」とおっしゃるのです。「それなら、私はここにいる理由はありませんね。ここより条件がいい展示場に行かせてもらっていいですね」と言いましたが、今度はまた「ここの展示場は総合住宅展示場の奥にあって来場者数が少なくて、和風の展示場で和風の展示場というのは家相にこだわったり木にうるさかったりする人が多くて新人ではきびしいから、だから、経験と実力がある人にいてもらわないといけないんだ」と言うのです。「だから、所長、ここに来てくださいよ。所長が一番経験があって実力があるじゃないですか。私、所長が経験がないとか実力がないなんて言うつもりは毛頭ありませんよ。所長ほど経験があって実力がある人はないと心の底から思っていますよ。草野所長ほど経験と実力がある人はないと心の底から思って尊敬しておりますよ。ぜひとも、所長がここの展示場に来てくださいよ。それが一番いいじゃないですか。私、今すぐ所長がおられる展示場に行きますから、所長がここに来てください。入れ替わりましょう」と言うとまたもや「成績を残した者が条件がいい展示場に行くんでえ~え」と言い、「ですから、それなら私がここにいないといけない理由はありませんよね。そうでしょ。違いますか」と言うとまたもや「ここの展示場は総合住宅展示場の奥の方にあって来場客数が少ないし、和風の展示場で和風の展示場というのは家相にこだわったり木にうるさかったりする人が多くて新人では厳しいから、だから経験と実力がある人にいてもらわないといけないんだ」・・と、はてしなくこの繰り返し。これ、いったい何なの?
1998年、そういう時に営業本部長の天野隆夫から、他の展示場に「会社都合での転勤」で行ってもらえないかという話がされ、会社の就業規則では一定以上の在籍年数と一定以上の通算契約棟数の人間が「会社都合での転勤」をすると「特進転勤」として「副店長」昇進で、かつ転勤した時点で「2棟契約したという扱い」にするという規定が明記されていたので、「特進転勤ですね」と私は言ったのだが、営業本部長の天野隆夫が「前は会社都合での転勤だと特進転勤で副店長にしていたんだけれども、今はそういうのはしないんだ」と言うので、あれ? それはおかしいのではないか・・と思ったが、それでも「展示場リーダー」としての赴任という話だったので、又、「展示場リーダー」として赴任であるからには当然「応援者」としてであるはずであるから、それならば、いわき地区で所長の次くらいの営業成績を残したのに、又、営業本部長の天野隆夫がインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言うから、だから、片方で営業の過酷な仕事をこなしながら苦労して努力して工夫してインテリアコーディネーターの資格も取得したが、いわき地区で「インテリアコーディネーター 兼 宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)」と住宅・建築・不動産・インテリア関係の資格を2つ取得しているのは私だけであったし、私と同じくらいの契約棟数を残していた人は誰もが私よりも条件がいい展示場に勤務させてもらってのものであって、他の人よりも条件が悪い展示場でそれ以上の営業成績を残したにもかかわらず、「リーダー」にしてもらえずに、「応援者」になって当然なのに私よりも営業成績がずっと悪い人や自立して営業の仕事をこなせていなくて私に世話になっていた人とかを「応援者」にならせるということをされてきたので、そんな条件の場所にいるよりも、「リーダー」で「応援者」にならせてくれるということならば、本来なら「特進転勤」で「副店長」昇進のはずだがそうではないとしても「リーダー」で「応援者」としての赴任なら「会社都合での転勤」に協力しようと考えて1998年に栃木県佐野展示場に転勤したのだった。就業規則でこの条件を満たした者にはこうすると規定したならば、その規定は従業員にだけ適用されるのではなく、規定した使用者をも拘束するものであり、この従業員には適用して、こちらの従業員には適用しないといったことをしていいものではないのだが、私は「特進転勤」として「副店長」昇進と「2棟契約したという扱い」としてもらえるはずのものをしてもらえなかった・・けれども、「展示場リーダー」「応援者」として転勤するという話ではあったので、ともかく「展示場リーダー」「応援者」にならせてもらえるのならと考えて栃木県佐野展示場に転勤した。
ところが・・・。栃木県地域の営業所長だった五十嵐は変わった男で、最初はもうちょっとマシかと思っていたがそうではなかった。会ってしばらくつきあってみると「この人は栃木県で自分自身で営業の仕事をやってきた人だけあって、『浜松流』営業とは違って『空の広さは浜松の広さと同じだ』とは思っていない人だと思っていたが、その点はたしかにそうだけれども、片方でつきあえばつきあうほどやっぱり『高卒の営業所長』だなあ( 一一) 」と思うようになった。「あっかんなあ~あ・・( 一一) 」と思うようになった。 森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、学識者とそうでない者とを比較して見た時、学識者と比べて現場の一線の経験しかない人というのは一線の仕事はできても管理者としては無理な人が多いということが述べられているが、五十嵐にもそういうところが見られた。


日本経営史 (1981年) (日経文庫―経営学入門シリーズ) - 森川 英正
人を採用する場合などでも、自分と経歴が似ている人間に対しての評価というものが無条件に高いのだ。五十嵐さんが(株)一条工務店で営業として努力して成果を出したというのは、それはわかった。それを否定するつもりはない。数字として記録に残っているものが多いというだけではなく、話をしても、それだけの営業経験をしてきた人だけのことはあるということを五十嵐さんは話すし、そのあたりについては「さすが」というものはあると私は思っている。しかし、前職などの経験が五十嵐さんと共通するものがあっても、五十嵐さんと同じだけの努力をしていない人もいるし、五十嵐さんと同等の勤務態度で勤めてきていない人もいるし、とうてい同じ能力などない人もいるのだが、ところが、「高卒の営業所長」の哀しい性質のなのか、自分と似た経歴の人間の評価が高すぎるのだ。
他にも「高卒の営業所長」だなあ・・というところはあり、栃木工場の従業員用駐車場にクルマを停める時などは常に断固として一番条件がいい場所に停めようとする・・のだが、別に一番条件がいい場所に停めて悪いということはないのだけれども・・・私なら、そんなのどうでもいいよ・・と思うところ、あるいは、あえてそうではない場所に停めてほかの人間がどういう反応をするか見てやろう・・とか考えるところを、断固として一番条件がいい場所に停めて「俺は所長だぞお」という態度を取らないとおれない症候群・・というのは、「やっぱり、高卒の所長だなあ」と思わせるものがあった。
私は営業本部長の天野隆夫から「展示場リーダー」で「応援者」として赴任するということで頼まれて、それに協力して佐野展示場に赴任してあげたのであったが、ところが、私より少し前に入社した茨城県の展示場から武田(男。当時、30代)が同時に佐野展示場に転勤していて武田が「リーダー」になったのはまだしも、私の半分未満の在籍年数で前年契約棟数がゼロ棟の上岡を「応援者」にして、営業本部長から頼まれて転勤してあげた私を「被応援者」にしてしまったのだ。私は五十嵐に「いくらなんでも、おかしいでしょ」と抗議した。ところが、五十嵐は「上岡くんの方が爆発力がある」などと言ったのだが、これは通じない。たしかに、上岡くん(男。当時、40代前半。最終学歴:佐野市の「自分の名前を書くことができれば合格」と言われた私立高校のスポーツ入学卒)は気に入らないことがあると暴れる人間であり、「爆発力がある」というのはわかった・・し、(株)一条工務店は「梁山泊の精神」と言って初代社長の大澄賢次郎がそういう人間が好きだという会社だということもわかった。上岡が「前職:クルマ屋。住宅・建築・不動産・インテリア関係の取得資格:なし。最終学歴:底辺の高校卒」という点で五十嵐と共通しているということで五十嵐は自分と経歴が共通している人間を高く評価したいシンドロームの人間だということもわかった。・・しかし、私は「会社都合の転勤」で本来なら就業規則で「特進転勤」として「副店長」昇進の条件のものを「リーダー」で「応援者」としての赴任であるならばという条件で「副店長」昇進を譲歩して佐野展示場に転勤してあげた人間であり、「単なる転勤」とは違うのだ。就業規則に定められている「特進転勤」の条件を満たして「リーダー」で「応援者」として赴任した者を「被応援者」にして半分未満の在籍年数で通算契約棟数もそれに対応したもので、前年契約棟数はゼロ棟という者を「応援者」にする権利など五十嵐にないのだ! 五十嵐のやったことは越権行為であり、就業規則の規定にも反するものだ。就業規則というものは使用者側が一方的に規定するものであるが、しかし、使用者側が規定したものであっても、いったん、作成された就業規則の規定は使用者側もまた守らないといけないものであり、従業員側にだけではなく使用者側にも就業規則の規定は及ぶものである。「特進転勤」の規定を満たして「リーダー」で「応援者」という条件で転勤した私をそうではない扱いにするということは五十嵐にそのような勝手なことをする権利も権限もないはずなのだ。

労働法入門 第7版 (有斐閣双書) - 外尾 健一
だいたい、そこまで格下の営業社員を「応援者」にして、在籍年数も長く通算契約棟数も通算引き渡し棟数も一定以上の数字になり、会社が従業員に求めている住宅・建築・不動産・インテリア関係の資格も取得している私をそれらの条件を踏みにじって「被応援者」にして格下を「応援者」にしたがる理由はいったい何なのだ? ・・・何が理由であったとしても、私は「リーダー」で「応援者」として赴任するのであればということで転勤を承諾して佐野展示場に転勤してあげたのだから、五十嵐にそういう身勝手なことをする権利はないし、五十嵐のやったことは越権行為であり、会社の指示に反する行為であるはずだ。いくら「爆発力」があっても五十嵐にそういう勝手なことをする権利も権限もないはずだったのだ。
また、私は大学4年の時、人よりも年齢をいって卒業することになったので、その分、条件が悪かったが、それで慶應大学の就職部に相談に行った時、「条件は良くないけれども、採用される場合には『慶應大学の卒業生として採用』ということになる」ということを聞いた。それは当然であろうし、「慶應大学商学部卒」と記載した履歴書を提出して応募したならば、あるのは「総合職」「全国社員」としての採用か不採用かどちらかで、「一般職」「地域限定社員」としての採用というのは希望しても存在しないと思っていた。だから、(株)一条工務店に応募した時も、その際に見た「ビーイング」の求人募集には「転勤はありません」と記載されていたけれども、「慶應大学の卒業生として」採用されたからには「転勤はありません」というわけにはいかないだろうと思ったので、それで福島県いわき市の営業所に行ってもらいたいと言われた時にも転勤したし、栃木県佐野市の展示場に行ってもらいたいと言われた時も協力した。又、営業本部長の天野隆夫からインテリアコーディネーターの資格を取ってもらいたいと言われた時も、もともとはその資格は取得しようとは考えていなかった資格だったし、特に製図が試験にある資格を取得するくらいなら、フランス語なりドイツ語なりイタリア語なりロシア語なりを習得してくれとか、法律関係の資格を取得してくれと言われたりする方が、大学卒業までに学んできたものから考えると取得しやすかったくらいだったが、自分を雇ってくれた会社の上役が取得してくれと言う資格なのだから取らないわけにはいかないと考えて片方で過酷な営業の仕事をこなしながら努力して苦労して工夫してインテリアコーディネーターの資格試験に合格して登録もした。又、いわき市の営業所に転勤した際も、同じ時期に転勤した「木南さん」(仮名)は総合住宅展示場の入口の前の来場客数が多い洋風の展示場に配属されたのに対して、私は総合住宅展示場の奥の方の来場客数の少ない和風の展示場に配属されたが、それも「慶應大学商学部の卒業生として採用」された者であるからには、営業担当者として契約を取ること自体よりも「いろいろな営業所を経験すること」が目的であるということから、それでもいいだろうと思って奥の来場客数の少ない展示場に勤務もした。1993年10月にいわき市の展示場に勤務して、12月だったか、いわき地区の所長の草野次男さんが「木南くんは1棟、契約とってきたぞお。おめえはどうなんだ」などと言うので、よく言うわと思ったものだった。総合住宅展示場の入口の前の展示場と比べて奥の展示場の来場者数は3分の1未満であり、それでいて営業社員の数はたいして変わらない数が配属されていたのだ。「木南さん」(仮名)は私の最低でも3倍以上の来場客の接客をしており、入口の展示場で「木南さん」(仮名)が接客してツバつけた見込客の接客を私は大量にしてきてあげていたのだった。その状態で、よくそういう文句を口にできるものだ・・とあきれた。
私は「慶應大学商学部の卒業生として採用」されたと思っていたので、だから、「高卒のおっさん」とは違って「会社都合の転勤」もしたし、インテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言われれば本来の自分の得意分野ではない資格でも努力して苦労して工夫して取得もした。
※ インテリア産業協会 インテリアコーディネーターとは https://www.interior.or.jp/ic/about_ic/
条件がよくない展示場にも勤務したし、そして、「高卒のおっさん」とか「私立五流大学卒のにーちゃん」とかがしょーもないこと言ったり、しょーもないことやったりしても我慢に我慢を重ねてきた。 やっぱり、会社というのは、そういったところで会社のために我慢もすれば協力もしてきた者に対しては、そうでない者よりも、その点について評価もするべきであるはずであろう。私は「高卒のおっさん」が多い会社に「慶應大学商学部の卒業生として入社」して、それで何の努力もしてこなかったのではない。「高卒のおっさん」が多い会社で、「慶應大学商学部の卒業生として入社」した者だけのことはある・・・ということをやってきたはずであり、当然、それは認められないとおかしいはずである。 (株)一条工務店を辞めた後、千葉市のリフォーム会社の(株)ウッディホーム で入社直後に見せられた「研修用ビデオ」で、花登 筺(はなと こばこ)のテレビドラマみたいな話を見せられたのだが、滋賀県の大店(おおだな)の息子でまだ小学生くらいの者に親戚の叔父さんが語る場面があって「おまえは、大店(おおだな)の跡を継ぐということを、自分だけ楽してええ思いをする立場を継ぐみたいに思っておりぁせんか。そうではないんだぞ。大店(おおだな)の跡を継ぐということは、他の者がやらんような努力をして、他の者がやらんような苦労をして、他の者がやらんような我慢をするということなんやぞ。わかっとるか」と言うのだったが、言われた子供は「なんや。それでは、ええこと何もないやないか」と言うのであった・・・が、実際には「ええこと何もない」ということはないはずで、これは会社の社長にもあてはまることのはずで、社長というのは「自分だけ楽してええ思いをする立場」なのか?・・・というと、(株)一条工務店のオーナー社長とか営業本部長とかはそうかもしれんが、本来はそうではなく「他の者がやらんような努力をして、他の者がやらんような苦労をして、他の者がやらんような我慢をする」立場であるはずだった・・のだが、私は「慶應大学商学部の卒業生として入社」した者として「高卒のおっさん」とか「私立五流大学卒のにーちゃん」とかはやらないような努力も苦労も我慢もしてきたはずであり、私にそういった負担をかけてきた会社が、それを認めないということであれば、それは「やらずぶったくり」であり、「ふざけんな!」ということになるものであった。
それで・・だ。(株)一条工務店では、営業社員が転勤した場合には、その時点での契約客で引き渡しまで住んでいないお客様については、片道200km以内の場合には転勤後も担当する、200kmを超える場合には元いた営業所の営業に引継ぎを頼むというように就業規則に規定されていたのだ・・・が、実際には200kmを超えるか越えないかというくらいの場合には、担当者の判断でその後も担当して引き渡しまで持って行った方がいいと考えた場合は担当して、引継ぎ担当を頼んだ方がいいと考えた場合には頼むということにしていて、200km以内か200kmを超えるかというのは、事実上、それほど絶対的なものとはされていなかった。又、直線距離で200kmなのか、実際にクルマで走った距離で200kmなのかという問題もあった。
千葉県松戸市の展示場から福島県いわき市の展示場に転勤する際にも、東京展示場・松戸展示場で契約してもらった契約客はすべて、他の営業に引き継いでもらえと営業本部長の天野隆夫が言うので、千葉県市川市で契約してもらった義兄の家だけは転勤後も担当させてもらいたいと言ったのだ。「実の兄弟ならまだいいのですが、義理の兄弟なので、私が担当するということで契約してもらったのに他の営業にさせるというのでは具合悪いのです。親戚関係にも影響しますから、義兄の家だけは私に担当させてください」と言ったのだ。そして、何よりも、いわき市の営業所から測っても、いわき市で私が居住したアパートから測っても、義兄の家の建築地は直線距離で200km以内であるのはもちろんのこと、実際にクルマで走った距離でもぎりぎり200km以内だったのだ。だから、「規定に沿って転勤後も担当させてください」と言ったのだ。そうすると、アマノジャクの天野隆夫は「それなら、いわき展示場ではなく原町展示場にする。原町展示場なら200km超えるはずだ」と言うのだった。何、それ?
そして、義兄の家を「(株)一条工務店に入社して1年未満」の男に担当させて、そして、天野隆夫は「ぼくが問題ないようにきっちりとやらせるから」と言った上で無茶苦茶したのだ。
まず、営業社員が転勤したり退職したりした場合の引継ぎ担当を、小堀住研(株)はそういう場合の引継ぎは営業課長が担当するということにしていたのに対して、(株)一条工務店では新人に担当させていたが、あれは良くないと思う。(株)一条工務店としては「新人の勉強になるから」と考えていたようだったが、それは良くない。まず、これは神奈川県の藤沢展示場の所長だった千葉さんから「最初の1棟というのは、ものすごい大変なことだ。10棟契約取った人間の11棟目と0棟から1棟への最初の1棟目とは全然意味が違う」と言われたことがあったが、私もそう思う。 最初の1棟を契約してもらえた時というのは、これはものすごい感動であり、自分を担当として契約してくれた人の家は、なんとしてもいい家ができるようにして引き渡せるようにしないといけないと思ったものだった。その感動を味わったことがない者が他の営業が担当で契約したお客様の仕事をするなどとは畏れ多いことであり、自分自身が担当で1棟も契約してもらったことがない者に他の営業が担当で契約したお客様の引継ぎ担当をする資格なんてない!!! ・・と考えるべきだ。
又、(株)一条工務店は「新人の経験になるから」「新人の勉強になるから」などと新人が引継ぎ担当をやる理由をあげていたが、それもおかしい。2000年頃だったか、ラジオの野球中継で解説者のデーブ大久保が「よく、『◇◇選手、これで、いい勉強になりましたでしょう』とか言う人がいますけれどもねえ。おカネもらって勉強しないでほしいと思うんですよねえ。勉強するのならおカネ払って勉強してもらいたいもんですよ」と話していたのを聞いたが、その文句、野球選手だけにあてはまることではないと思うのですよ。ある営業社員を担当で契約した契約客の立場からすれば、新人に勉強させるために契約したのじゃないんですよ。ただでさえ、この人が担当ならと思って契約した人間に転勤されたり退職されたりした契約客の担当を、さらに右も左もわからん新人に担当させて「勉強させる」というのは、それは契約客に失礼でしょう。「おカネもらって勉強しないでもらいたいと思うんですよね」というのが契約客の立場です! (株)一条工務店はおカネもらって新人に勉強させないでもらいたいと思うのですよ。
そして、1998年、福島県いわき市の営業所から栃木県佐野市の営業所に転勤した時も、片道200km以内だったのだ・・・が、営業本部長の天野隆夫が「すべて、引き継いでもらえ」と言ったのだった。片道200km以内ではあったがそんなに近くではなかったので、他の営業は引き継いでもらうかどうか微妙なものとして、営業担当者がどちらか選んで決めていたケースだったのだが、営業本部長の天野隆夫が「引き継いでもらえ」と言うので引継ぎを頼んだのだった・・が、そのうちの1軒の方からは親戚の家の「紹介」が出て、親戚の方も(株)一条工務店で契約して建てられることになった。
ところが・・・・だ。 (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では見込客の担当を誰が担当するかについて、会社としていくつかの基準を設けていた。
(1) 1992年に私が入社した当初、「展示場来場時、90分以上の接客、最低でも30分以上の接客時間」と言っていて、その後、訪問してはいけない・・などと言っていたのだ。お客様の方から頼みに来るのを待つのだ・・と殿様みたいなことを言っていた。「『よそ』みたいに短い接客で、訪問ばっかりする営業とは違う」とか言うので、小堀住研(株)では「短い接客で訪問ばっかりする営業」なんてやっていないし、そんな営業をしてはいけないと小堀住研(株)の研修では言われたので、「そういう会社も中にはあるのかもしれないけれども、『よそ』の会社はどこもが『短い接客で、訪問ばっかりする営業』なんてやってないと思いますよ」と事実に即して言ったのだが、(株)一条工務店の「オリジナル営業」としてはそういう事実を聞かされるのは不愉快だったらしい。
・・で、そんなこと言っていたかと思うとそれから1年も経たないうちに「来場から3日以内に必ず訪問」とそれまでと正反対のことを言いだした。何、それ?・・( 一一)
そして、「展示場来場から3日以内に訪問」をしたかどうか・・というのが基準になった。
(2) その後、月に1回、営業担当者1人あたり10人の「追客中名簿」というのを作成して会社に提出し、そこに名前が入っている見込客はその営業が担当、そこに見込客の名前が入っているかどうか・・ということになった。10人というと多いようで少ないようで・・という数だ。1990年代半ば過ぎ、新卒入社した新人が担当して契約した いわき市内のある会社の社長はそれよりも前に私が展示所で接客した上で訪問してけっこう長く話もしていた人だった・・が、なかなか進展しないので「10人枠」からはずしたところ、その後、いわき市内の他の展示場に訪問されて接客した新人が担当で契約されるに至った。「しまったあ~」と思ったが、まあ、しかたがない・・と考えるしかない。担当者が新人ではなく前からいる馴染みの営業なら「昼飯、おごれえ」くらい言ってもいいかもしれないが。そういうものは「お互い様」と考えるしかないだろう。逆のケースだってありうることだ。
(3) 「紹介客」として、その営業が担当して契約客・入居者の紹介のお客様はその営業の担当であるが、営業担当者が「紹介してもらった」と口で言うだけではだめで、それを認めたなら、その地域の住人は入居者・契約客の「友達の友達は皆、友達だ」になり、その地域の住人は誰もが前から在籍している営業の「紹介客」になってしまい、社歴の浅い営業はどんなに努力しても絶対に契約取れないということになってしまうので、会社が指定して書式に契約客・入居者に記載してもらって会社に提出しておくことというのが条件で、又、提出した場合も、すでに他の展示場に訪問されて他の営業が接客して追客中というのは後から「紹介票」を提出してもだめ・・ということであった。紹介客が契約につながった場合は、紹介客にはわずかなサービスと紹介者にはわずかなお礼を進呈することになっていた。
1992年、私が東京展示場(江東区潮見)で接客した東京都在住で静岡県浜松市で建築予定だった某さんは、林野庁に勤務していた方で、東京展示場があったウッディランド東京 は林野庁が運営する「国産材の利用促進をはかる施設」であり、ウッディランド東京にも仕事で来られることがあったという方であったが、ところが、その時点では茨城県の土浦展示場の所長になっていて、それよりも前に東京営業所の所長になっていた田中義一が東京展示場の所長であった時に、東京営林局に勤務していた方、一人に契約してもらったことがあった・・ということから、「林野庁と東京営林局に勤めている人はすべて土浦営業所の担当にさせてもらいます」と無茶苦茶な主張をして、そして、私は有望見込客を土浦営業所と田中義一に強奪された。・・それだけではない。田中義一は私から私が展示場で尽力して前に勧めた有望見込客を強奪しただけではなく、強奪した有望見込客を半月以上も放置した。そして、放置された見込客はさっさと計画を進めたいのに何ら連絡がないということで私の所に電話してきて怒られたのだ。そして、はっきりと言われたのだ。「うちは、田中さんなんてそんな人に担当してくださいなんて、一言も頼んでません。その田中さんという人にうちの家には絶対に一切関わらないでくださいとはっきりと言っておいてください」と。そういって私は怒鳴りつけられたのだ。東京展示場の「リーダー」であった宮崎さん(男。当時、30代前半)にそのまま話し、土浦営業所の所長の田中義一にそれを話して抗議しようとしたのだが、ところが宮崎さんは「言わなくていいから、言わなくていいから。田中所長に逆らっちゃだめだから。あの男には何を言ってもだめだから、あの男には逆らっちゃだめだから。悔しいと思うけれども我慢して。田中所長には絶対に逆らっちゃだめだから。会社のルールでは田中所長の担当ではないといっても、ルールなんか田中所長には関係ないから。あの男には何を言ってもだめだから」と言ってきかず、「しかし、お客さんは東京に居住中だから東京展示場で話を進めようということで私と折衝していたのですが、それを《土浦営業所の所長が『東京都に在住で、建築地は浜松で、土浦も茨城県もまったく何の関係もない人』でも、ともかく林野庁と東京営林局に勤めている人は、田中さんが前に東京営林局に勤めている人を一人、契約したということがあったという理由ですべて土浦営業所の担当にすることにしています》と言っても、『うちはそんなもの、知りません。うちは土浦営業所の田中さんなんて、そんな人知りません。うちはそんな人に担当してくださいなんて一言も言ってません』と言われているんです。そして、『もう、けっこうですから、浜松に行って浜松の営業さんと話をしますから、田中さんという人には関わらないようにきっちりと言ってください』と言われているんです。このままでは浜松に行って浜松の営業と話をして浜松で契約されてしまいます」と言ったところ、宮崎さんは「いい、いい。浜松で契約してもらえばいい。それでいいから」と言うのです。それで私は「なんで『いい』のですか。私になら、東京展示場が出展しているウッディランド東京や林野庁・東京営林局に勤めている人は土浦営業所の担当だからと言って私から見込客を盗って土浦営業所に渡しておきながら、なんで、浜松の営業は土浦営業所に渡さなくていいのですか。おかしいじゃないですか。なんで、浜松の営業は土浦営業所の担当と田中所長が決めたものを契約できるのですか。浜松の営業が契約していいのなら、なんで東京営業所の営業は契約してはいけないのですか」と言ったのです・・が、「リーダー」の宮崎さんは「気持ちはわかるけど、我慢して。逆らえないから、絶対逆らえないから。田中所長には絶対に逆らえないから」と言うので、「それなら、なんで、浜松の営業は逆らえるんですか」と言ったのだが、「リーダー」の宮崎さんは「なんでも、逆らえないから。田中所長は絶対だから。あの人には絶対に逆らえないから。我慢して。お願いだから耐えて。なんでもともかく我慢して耐えて。田中所長には何があっても絶対に逆らえないから。理不尽なのはわかるけど、田中所長に逆らっても通じないから。耐えて、我慢して。お願いだから我慢して。田中所長は絶対だから。あの人には何を言っても絶対に通じないから。あの男はまともじゃないから。」と言うのでした。その後、東京営業所(展示場)の「所長」を兼任している営業本部長(当時の肩書は「次長」)の天野隆夫が東京展示場に来場した時にこの話をして、東京展示場があるウッディランド東京を運営している林野庁に勤めている人を東京営業所が担当するのか建築地の営業所の営業が担当するのかどちらかならわかるが、まったく何の関係もない、東京営業所よりも建築地とは逆方向の営業所が担当するというのはおかしいし、ましてや、「それはこちらでやらせてもらいます」と理由もなく人の追客中の有望見込客を強奪した上で、半月以上も放置して、さらには放置されたことに見込客が激怒して私は怒鳴りつけられたのに、それに対して田中義一が謝罪もしないというのはこれは会社としてどう考えてもおかしい!・・・ということを話したのでした・・が、そうすると営業本部長で東京営業所長兼任の天野隆夫は、普通なら東京営業所長として土浦営業所に抗議するもの、営業所長として土浦営業所長の田中義一に注意するものであるはずであるが、そうではなく、田中義一の被害にあった私の方に「そんなもの、田中所長が担当して契約になったかどうかわからんだろうが」と言い、私が「ですから、普通にやったら契約してもらえるお客さんを半月以上も放置して、その結果、私が田中所長のかわりに怒鳴りつけられたのですよ。それについて、田中所長は『申し訳ない』も『すいません』も一言もないのです。いくらなんでもおかしいでしょう」と言ったのだが、そうすると営業所長の天野隆夫は「田中所長にだって事情はあるに決まってるだろうが」と言うので「何の事情があるんですか。本来なら自分は何の関係もないのに、有望見込客を強奪した上で半月以上も放置してお客さんを怒らせて、それで田中所長のかわりに怒鳴りつけられた私に謝罪の一言もなくて、いったい何の事情があるんですか?


天野隆夫は東京営業所長であっても営業本部長(当時の肩書は「次長」)でるから、だから、「所長」の田中義一と入社1年目の私となら「所長」の田中義一の方が勝ち♪・・というそういう判断しかできない男だったようだ。だから、東京営業所とか松戸営業所というのは、土浦営業所のような「所長」がそこにいる営業所と「バッティング」するとすべて負け、理由がないものでもどんなに理不尽なものでもことごとく奪われる・・・というのが(株)一条工務店だったようだ。1993年、その天野隆夫が私に「『ここの営業所は所長がいない営業所だから』と言ったそうじゃないか」と文句を言ってきた。営業所内で話をしているとそれを営業本部長に「御注進」「報告」するやつというのが(株)一条工務店にはいて、営業本部長はそういう「御注進」「報告」するやつというのが大好き♪ であり、そして、私に文句言ってきたのだ。「おい! 『ここの営業所には所長がいないから損だ』と言ったそうじゃないか。何、言ってんだ、おまえはあ。この営業所の所長はこの僕だぞ。僕が所長なんだぞ。わからないのか、そんなことも!」と私に怒鳴りつけたのだ。はあ~あ??? 「何、言ってんだ、おまえはあ」と言われなければならないのは天野隆夫の方であろう。東京営業所長・松戸営業所長なら所長らしいことやれよ、所長なら! 土浦営業所の所長が勝手なことやって、会社のルールに反することやって土浦営業所はまったく何の関係もない見込客を「そのお客さんは土浦営業所でやらせてもらいます」と言って強奪した上で、有望見込客を半月以上も放置して、その上で東京営業所にお客さんが怒って電話されてきて私が怒鳴りつけられたのだから、東京営業所長・松戸営業所長ならば土浦営業所長に抗議するべきであり、土浦営業所長に抗議するのが東京営業所長の仕事で任務であろうが!




※ [第709回]《ひとの追客中有望客を横取りして放置する「一条の土台を築いてきた人たち」、それに加担する営業本部長ー「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証12》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_7.html
(4) それで、「紹介客」は契約客・入居者の紹介と営業自身の親戚関係に限るとされていて、営業担当者の親兄弟の場合は、これは先に「紹介票」を会社に提出するよりも前に他の展示場に立ち寄ることがあって他の営業が接客するということがあったとしても、営業担当者の親兄弟を他の者がやるわけにもいかないであろうから、その場合はその場合でも他の営業にがっかりさせないように配慮するのが望ましいであろうから「紹介票」は早めに会社に提出した上で、近隣展示場にも「見に行くかもしれない」ということは言っておいた方が良心的であろうけれども、営業担当者の親兄弟の場合は「紹介票」の有無にかかわらずその営業の担当ということでいいのではないかと思うし、そうしていたと思う。
「業者の紹介」は「所長の担当とする」ということになっていた。しかし、「業者」でも、その業者が親しい営業とそうでない営業があって、所長とはそれほど親しくなくて、所長以外の他の営業と親しいという「業者」もある。福島県いわき市の営業所にいた時、不動産屋の担当者で展示場に「こういう物件があります」と不動産情報をしばしば持ってきてくれた人がいたのだけれども、その人が自宅を建てられた時、その人は「業者の紹介は所長の担当とする」という(株)一条工務店の事情なんか知らないものだから、それで私にも「〇〇さんにもお世話になっているのですけれども、◇◇さんの担当のお客さんに土地を買ってもらったということがありましたので、それで◇◇さんに担当として契約させてもらいました。どうもすいません」と言われたのだが、「けっこうです」と私も言ったし、やっぱり、その営業が担当のお客様に不動産の契約を決めてもらったということがあったなら、不動産屋の営業さんとしては、そういったことがない所長ではなくその営業さんが担当のお客さんに土地を買ってもらったということがあった営業さんに担当として契約するというのが筋だと考えられたようだった。私はそれでいいと思う。何が何でも所長の担当というのは、それは「一条工務店の土台を築いてきた人たちと自称している人たち」が自分たちの契約棟数と収入を増やそうとして決めたものであり、必ずしも合理的とは言えないものだった・・と思う。
さらには、営業が職種ではない従業員の家とか営業が職種ではない従業員の親兄弟の家というのは、これは誰の担当になるのか・・というと(株)一条工務店では「所長の担当とする」ということにしていたのだが、いわき市の営業所で「工務課」と称する工事担当をやっていた女性社員Wの親がいわき市で建てた時、「所長の担当とする」ということで営業担当は所長の草野さんだったのだが、Wは私などに「・・はどうすればいいの?」とかきくので、「それ、所長は説明してないのお?」と言うと、「ぜ~んぜん」とWが言い、他の女性社員某は「所長がそんなもの、説明するわけないでしょうよ」と言うので、別に同僚からきかれて答えてもいいけれども、所長が担当なのになんで所長にきかずに俺にきくのだろうなあ・・・と思い、家造りについての施主の娘の質問に俺が答えているのになんで営業担当としての報酬は所長に支払われているのだろうなあ・・とか思ったりもしたものだった。(株)一条工務店の「所長」というのはそういう人が多いようだった。
(5) もうひとつ、基準があって、「お客様が営業担当者を指定した場合」というのがあり、↑ の「ルール」というのはあくまでも(株)一条工務店の「会社の都合」であり、見込客としてあの人に担当してもらいたいというものがはっきりとある、あるいは、当然、自分の担当はあの人のはずだというものがある場合がある。そういう場合は、「お客様が指定した営業担当者が担当」となることになっていた。
しかし、これはもっとものようで、実際には「所長」にならせてもらっている人にはいかにも都合がいい論理です。「所長」はいつでも好きな時に好きなだけ、自分が「所長」になっている営業所の営業担当者の折衝中の見込客を「あの客、あんな営業ではだめだと言ってたぞ」といちゃもんをつければ横取りできるし、片方で「所長」が見込客から「所長の誰それはだめだから営業担当を変えてほしい」と言われても「そんなこと言うわけねえ」とか「それは客が考え違いしてんだ」とか言えば、「所長」は取りあげられなくてすむのです。実際、1990年代、福島県いわき市の営業所にいた時、福島県中通り地区の「所長」だった片山は中通り地区のお客様を契約だけして「いわき市に和風の展示場ありますから、いわき市の展示場を見に行って、いわき の営業に説明してもらってきてください」と言って、いわき市の私がいた展示場に契約客を送り込むというのを得意技にしていたのですが、ある契約客の方が電話してきて「私は郡山の展示場で所長の片山という男が担当で契約したんだけれども、あの片山というやつは、いったん契約したが最後、まったく何もしないやつだ。あいつを担当として契約して失敗した。いわき の展示場に見にいった時に説明してくれた人(私のこと)なら、あの人ならきっちりと対応してくれると思うから担当をあの人に変わってもらってほしい」と電話してきた人があったようだ・・・が、あってもどうもならない。「所長」は無敵であり、そう言ってくる契約客があっても絶対に「所長」は見込客でも契約客でも取り上げられるということは絶対にない。逆はいくらでもありうる。
(3)で例をあげたように土浦営業所の「所長」の田中義一は自分は全然何の関係もないのに、東京都に居住していて浜松で建てるという見込客を「その人は土浦営業所で担当することにします」と言い張って横取りした上で長期に渡って放置するということをやったし、普通、そういうことをすると営業本部長は「何をやってるんだ」と苦情を言うものだ・・と思うのだが、ところがどっこい、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫はそういう非常識なことをする土浦営業所と土浦営業所長に全面的に加担するというのが(株)一条工務店という会社だった。
(3)であげた例の時には東京展示場の「リーダー」の宮崎さんは自分が奪われる営業ではないということもあったからだと思うが、「田中所長には逆らえないから、あの人にはこの会社では絶対に逆らえないから。理不尽だと思うけど我慢して。おかしいと思うけど、あの人にはおかしなことでも逆らえないから。嫌だろうけど腹も立つだろうけど耐えて。我慢して」と言いまくったけれども、誰もがそういう態度を取るわけでもなく、福島県いわき市平尼子町(たいらあまこまち)のJTいわきハウジングパークの奥の方の私がいた展示場に勤務していたK井さんは、福島県双葉郡で建てる見込客が、いわき市鹿島町飯田 の所長の草野次男さんから「JTいわきハウジングパークの展示場の営業と話をしているけども、愛想もくそもない図面を持ってきやがった。あんな愛想のない営業ではだめだとお客さんが言ってたぞ」と言われて、所長の草野さんとしては客がそう言うからには営業担当者を変更して自分がやると言いたかったようだが、そんなに簡単に見込客を奪われてたまるか・・とK井さんは頑張った。その方は自分の土地の図面を持ってきて「ここに建てたいんだ」と言われたが、その場所の図面を見ても実際の土地を見ても、そこに建てるからにはせいいっぱい頑張っても他にやりようがなかったということだった。自分はそんなにおかしなことをやったわけではないと考えたK井さんは所長の草野さんに「それなら、所長として同行してくださいよ。所長として私に同行して一緒にお客さんの所に行って話を聞いてくださいよ」と「所長に協力をお願い」するということにした。たしかに、所長は「あんな営業ではだめだ」と見込客から言われれば、「お客さんがあんな営業ではだめだと言ってるぞ」ということで見込客を取り上げることもできるが、片方で「所長なら部下の営業に同行して助けてくれたっていいでしょう」と言われればそれもそうなのだ。それで、同行してもらったらしい。行くと、見込客が「ここに建てたいんだ」と言われる場所に建てようとすると、K井さんが作成した図面のようにしかやりようがなかった。他の建築会社の人間が持ってきた図面も見せられたが同様のものだった。どんなに無理しても、そこに建てようとする限り、それしかやりようがないのに、なんで、このお客さんはわかってくれないのか・・とどこのハウスメーカーの人間も思ったようだった・・・が、過去に年間全国1位の営業成績を残したこともある浜通り地区の所長の草野さんだけは違った。草野さんは周囲を見回して、そして、そのお客さんにこう言ったらしい。「◇◇さ~ん。ここにあるこの納屋なんだけんども、見たところ、まだ新しくて取り壊すのはなんとももったいないように思うんだけども。もし、この納屋を取り壊して、この納屋が建っている場所とここの土地と合わせて両方の土地を使って家を建てたとすると、けっこういい家ができると思うんだけんども、どんなものだろうねえ~え」・・と。まさに「眼からうろこ」だった。誰もがそのお客さんが「ここに建てたい」という土地を見て、そこに建てるという前提で図面を考えて、それでそのお客様から「愛想もくそもない図面ばっかり作りやがって」と言われたが、所長の草野さんひとりだけは土地から考えるのではなく、そのお客さんが建てたいと思っているものから考えて方法を提案した。「今までここに何社もの会社の何人もの人間が来たけれども、それを言ってくれたのは草野さん、あんたひとりだけだ」と、お客さんはそう言われたそうだ。そうなったらもう競合なんかない。たいしたもんだ・・と思った。浜通り地区の所長の草野さんの年間全国1位はだてじゃなかった・・・が、K井さんとしては「所長の協力のもとに契約につながった」ということになったのだ。「そんなもの、簡単に所長に取られてたまるか」と言うのだったが、実際、そうだ。所長にであれ、中通り地区の所長の片山にであれ、茨城県地区の所長の田中義一にであれ「簡単に取られてたまるか!」というものであり、そのあたり、東京展示場の「リーダー」の宮崎さんは、土浦営業所の田中義一がかつて東京営業所の「所長」だった時にいじめられまくったそうで、東京営業所長だった時代の田中義一に苛められてノイローゼ状態になったこともあり、それが「トラウマ」もしくはPTSDになっていたと従業員の間で言われていたが、
〔「トラウマ」・・・心的外傷(しんてきがいしょう、英語: psychological trauma、トラウマ)とは、外的内的要因による肉体的及び精神的な衝撃(外傷的出来事)を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。(《ウィキペディアー心的外傷》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7 )
「 P T S D 」・・・心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい、Post Traumatic Stress Disorder、PTSD)は、命の安全が脅かされるような出来事(戦争、天災、事故、犯罪、虐待など)によって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害である[1]。症状がまだ1か月を経ていないものは急性ストレス障害として区別する。(《ウィキペディアー心的外傷後ストレス障害》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7%E5%BE%8C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E9%9A%9C%E5%AE%B3 〕、
そこから「あの人には逆らえないから。あの男はまともな人間じゃないから。この会社ではあの男の言うことはきくしかないから」「あの男はまともな人間じゃないから」と言うようになってしまっていたようだった・・が、だからといって黙って奪われていたのでは営業にならなくなる。「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」である。
そういえば、『ラーメン才遊記』で芹沢が、気が弱くて横暴な客に何も言えないで我儘を許してしまうラーメン店 店主に「たとえ、あなたがどんなに気が弱くても腕力がなくても、自分の命を奪われそうになったら必死で闘いませんか」と言う。「あなたの店というのはあなたにとって自分の命のようなものと違うのですか」「自分の店を無茶苦茶にされそうになったなら、どんなに気が弱くても腕力がなくても自分の店を守ろうと必死で闘うものと違うのですか」と。営業にとって見込客というのは「メシの種」であり簡単に奪われてはならないものであり、東京展示場において田中義一に奪われた時、私は入社1年目だったので「リーダー」の宮崎さんの言うことをきくしかなかったが、そういう経験を経て、宮崎さんにはいろいろと教えてもらって世話にはなったけれども、「この人の言うことを聞いていたら、何でも奪われてしまう」という認識も持つようになり、「この人の言うことに従っていたら契約なんか取れなくなってしまい仕事にならなくなってしまう」とも認識するようになった。「簡単に奪われてたまるかあ!」というK井さんの認識の方が営業の仕事についている者としては正しい。

権利のための闘争 (岩波文庫) - イェーリング, Jhering,Rudolf Von, 淳一, 村上
片方が「所長」とかいう場合には、田中義一のように「所長」の横暴で全然関係のないものを強奪してやろうという「所長」もいるわけだ。そして、本来、営業本部長というのは「そういうことをしてもらっては困ります」とその「所長」に注意するものではないかと思うのだが、ところが(株)一条工務店の営業本部長というのは、「所長」と単なる営業となら「所長」の勝ち♪・・・という対応しかできないアホであるから、だから、営業担当者は営業本部長というのは役に立たない・あてにならないときっちりと認識して「おのれのメシの種」はおのれで守らないといけない・・ということになる。
田中義一に全く何の関係もないのに有望見込客を強奪されただけでなく、会社にとって大事な見込客を放置して怒らせるということを田中にされたその少し後のこと、東京都葛飾区水元の方で建て替えを検討されていた方と折衝させていただいた時のことだが、その方の住居の近所で、(株)一条工務店が建築して引き渡したお宅が1軒あったのだがその家の営業担当者が東京営業所長だった時代の土浦営業所長 田中義一だったということがあったのだが、営業本部長で松戸営業所長兼任の天野隆夫は私に「その家も、田中所長に一声かけたらどうだ」などと言ってきたので、東京営林局・林野庁・ウッディランド東京に勤めている人は過去に田中義一が担当で東京営林局に勤務の人に一人、契約してもらったことがあったということから、その後は田中義一が土浦営業所に転勤した後も、東京営林局・林野庁・ウッディランド東京に勤務している人は土浦営業所が担当という主張を田中義一はしたのだが、それだけではなく、葛飾区水元など、田中義一が担当の家が建った近所の人はすべて、土浦営業所が担当というようにしろ!・・ということか? そういう意味と断定していいのかどうかわからなかったが、そんなもの、田中に言ったら、またもや、「その人は土浦営業所の方でやらせていただきます」と言い出すというのは目に見えていたのであり、「ふざけんな!」てものだ。天野隆夫のそのような発言をきいて田中義一と土浦営業所に片っ端から東京展示場・松戸展示場の来場客を渡したのでは、東京展示場・松戸展示場の営業は仕事にならない! ・・また、その葛飾区水元の見込客の方は近所で(田中義一が営業担当だった)(株)一条工務店が建てた家のことは知っておられて、「あそこの家の工事では近所は迷惑して問題になったのですよ」と言われていたものだった。 ””「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称する人たち”” というのは、契約とればそれでいい・・みたいな人間が多いので、工事中に近所に迷惑をかけても、知ったことか・・という態度を田中も取ったのか、近所でのその家の工事についての評判は良くないようだった。営業本部長の天野隆夫はそんなこと、全然知らないようで、知っても知らないことにする・見ても見なかったことにする・聞いても聞かなかったことにする・・というそんな営業本部長だったようだ。
「バッティング」した場合というのは(株)一条工務店だけの問題ではない。1989年、小堀住研(株)に入社1年目だが、千葉県松戸展示場に来場した松戸展示場のすぐ近くの消防署に勤務していた人が「小堀ハウス55」で建てることを検討され、入社1年目の私が担当して話をして、話が進み、松戸展示場は完全自由設計で高級志向の「新 桂(しん かつら)」「和のかたち」の展示場で、「小堀ハウス55 ブラウン」の展示場が柏市にあったのでそれを紹介して「一度、一緒に見に行きましょう」という話をしたのだった・・が、私は住宅建築の営業を始めたばかりだったのでまだ考えが甘かった。「一緒に柏展示場に見に行きましょう」と言ったのだけれども、しばらくすると「柏展示場のパックマン」と言われていた犀川(男。当時、30代後半)から電話がかかってきて、「俺の追客中のお客さんがそっちに行ったって、接客してくれてありがとう」と言って電話がかかってきた。ええ~え??? ・・・柏展示場に「ハウス55」の展示場があるというのは私が教えたことであり、柏展示場に行ったことがあるなんてその見込客は一言も言わなかったし、柏展示場で折衝中だなんてましてや一言も言わないし、又、私が接客中に、営業補助の女性のMさんはそのお客さんの子供の相手をしてくれていたのだったが、Mさんもそんなことは一切聞かなかったと言ってくれたし、ありえないことだった・・・が、松戸営業課長の石井が言うには「たぶん、犀川にやられたんだろう」ということだった。「だから、犀川には気をつけろと言っただろう」と。追客中のお客さんにお客さんだけで柏展示場に行かれたら、犀川に「パックマン」やられるぞ・・という話だったのだ。「パックマン」というのは他の展示場に先に行って他の展示場の営業が折衝中のお客さんが柏展示場にお客さんだけで行くと、「パックマン」がパクッと横取りする・・という意味である。その頃は、私はいくらなんでもそんなことする従業員がいるとは信じられなかったのだ。同じ会社に勤めていて、同じ会社の仲間なのにそんなことをしたのでは、その後、やっていきにくくなるであろうと思い、私ならそんなことはしないで、先に折衝していた営業に協力してあげるところだった・・が、その認識は甘いと実感させられるようになった。おそらく・・だが、その見込客の方、松戸展示場のすぐ近くの消防署に勤めておられて、住所も松戸市で柏市の住人でもなく建築地も柏市ではないという人だったのだが、柏に「ハウス55」の展示場があると私から聞いて、それで、営業と一緒に見に行ったなら話を進められるので、その前に自分だけで「ハウス55」の実物を見ておきたいと考えて柏展示場に行かれたのだろう。そこで出会ったのが「パックマン」犀川だった。「松戸展示場に行って松戸の営業さんから説明してもらったのですけれども、入社1年目の人だったようで」とでも言われたのだろう。そうなると「パックマン」としてはパクッといきたくなる。「どうですか。入社1年目の新人だと頼りないとかいうことはありませんでしたか」とでも言ったのではないか。「そうですね。真面目そうな人だったのですけれども、やっぱり1年目の人だというところはありましたね」とでも言われたのではないか。「何なら私が担当させていただくということもできますよ。心配されなくても松戸の営業には私から言っておきますから」とでも「パックマン」は言いよったのではないか。「そうですか、いいのですか」とでも言われたところを「大丈夫ですよ。そういうことはよくあることですから。私なら慣れてますから。私が担当としてやらせていただきますよ。松戸の営業には私から話しておきますから、お客様からは松戸の営業には連絡しないでください」とでも言って横取りしたのだろう。「それ、やられてそのままなのですか」と私は松戸営業課長の石井に言ったのだった・・が、この時も入社1年目だったので営業課長の石井が「しかたがない」と言えばあきらめるしかなかった・・が、もう少し経ってからならば、そんなもの、簡単に犀川に横取りなんかされてたまるか!・・として営業課長なんかあてにしないで自分で闘ったであろうけれども、入社1年目だったので営業課長が「しかたがない」と言うのであきらめることになってしまった。「やりやがったな」と今も思っている。「パックマン」がそういうことをするのなら、こちらだって「相互主義の原則」を適用することだってできる・・し、何よりも、小堀住研(株)に入社1年目の時の私は入社1年目の自分よりも何年か経験がある営業が担当した方がお客さんにとっていいのかもしれないというひけめのようなものを感じていた・・・が、それから何年か経ってみると、「犀川みたいなもんに担当されていいとは思わんな」と思うようになった。犀川は千葉支店では粗利益額で見て営業成績1位の営業だったけれども、たとえ入社1年目でも「入社1年目だった時の私」の方が「全国10位以内の犀川」よりもお客さんにとってはずっと良かったのではないか・・と今は思う。だから、あんなやつなんかに遠慮したり気兼ねしたりする必要なんかまったくなかった・・・のに失敗したと今は思っている。但し、お客様によっては、犀川タイプの男が「私が担当させてもらうようにしましょうか。私なら慣れていますから」とかなんとか言って横取りしようとした時に、逆に「慣れてるか何か知らんが、こいつ、感じの悪い営業だな」と思う人もあると思うのだ。自営業の経営者の人には「経営者としてこういう営業を認めてはいかん」と考える人も中にあるだろうし、自分自身が営業の仕事をしている人なら「この野郎、横取りしようとしてやがるな」と自分が営業の立場で横取りされる場合を想定してかえってむかつくという人もいるのではないか・・と思うが、その見込客の人は消防士で経営者だったり営業だったりする仕事の人とは事情は違った。だから、「パックマン」にとってはパクッといきやすいお客さんだったのではないか・・と思う。
※ パックマン ⇒《YouTube- 【AC】パックマン【20面クリアまで】》https://www.youtube.com/watch?v=bfnDj6Biq-A
(株)一条工務店でも「ええ根性してるなあ」というのか、「困った男だなあ」という男はいる。ひとの担当のお客さんを横取りしたとしても、「もしも、自分が横取りしたとして、自分が担当としてやっていけるかどうか」ということを考えるべきで、その営業が担当してやれば契約に結びつきやすいけれども自分が担当したなら契約にならない・・という見通しがつけば、あえて横取りなどしないで、その営業に協力してあげることで、逆の立場になった時に自分が協力してもらえるようにする・・というのもひとつの判断なのだ。その判断ができないやつというのがいるのだ。なぜ、そういう判断力がないのか・・というと「アホやから」というのか、営業力がないから・実力がないからでしょう。
住宅展示場では来場客に住所・氏名・電話番号を記入してもらうようにお願いしていたのだが、「アンケート」としていた会社と「記名帳」としていた会社があって、小堀住研(株)は「アンケート」としていて、入場時に書いてもらうのがいいか、中ほどがいいか、帰られる時に書いてもらうのがいいか・・というと、新卒入社の研修においては「中ほど」が一番いいと言われたのだが、それは入場時に書いてもらおうとすると「書かなきゃ見せてもらえないの」と言われて帰られてしまう可能性があり、帰られる時に書いてもらおうとすると「いいから、いいから」と言って書かずに帰られてしまう可能性があるのに対して、話をしている途中で書いてもらうようにするのが一番いい・・というのだけれども、なかなかそういうタイミングがないというケースもあった。入場時に書いてもらうようにすると、いいかげんな内容のものを書く人もある。(株)一条工務店は「アンケート」ではなく「記名帳」で住所・氏名・電話番号のみ、記載欄があったのだが、それは住宅展示場に入場して見学するのであればどこの誰かというくらいは記帳して入ってもらっていいのではありませんか・・という姿勢であるから入場時に書いてもらうようにしていたのであり、「記名帳」だったのだ。
入場時に書いてもらうようにした方が、帰りに書いてもらうよりも書いてもらえる可能性が高いということはあるが、ある程度以上、きっちりと話をした上で帰りに書いてもらうようにすれば、これだけ話をしたのだから住所・氏名くらいは書かないとということで正確なものを書いてもらえるという場合があるし、又、ひととおり、一緒に展示場をまわりながら話をしてある程度以上の人間関係ができれば、「この人になら」と正しい氏名と住所・電話番号を書いてくれる人が、入場時に書いてもらおうとすると、どんな人かわからないからということで、不正確なものをあえて記入する人が出る場合もある・・のでどちらがいいかはいちがいに言えない。
(株)一条工務店は1990年代の後半から土日祝日にアルバイトの女性を雇って「受付」として記帳してもらうようにお願いする役をやってもらうようにしたのだが、これは、女性の方が客は気を許して氏名・住所・電話番号を書くだろうと(株)一条工務店の経営者のおっさんどもは考えたらしいが、しかし、そうとも限らない。男か女かの問題ではなく、そもそも、受付が女性でも担当者は男も女もいたわけだ。むしろ、佐野展示場にて私が担当したある見込客は住所・氏名だけ記載して電話番号を記入されず、訪問して話を進めた上で「お電話番号を教えていただくことはできますでしょうか」と言うと、「ああ、そうえいえば書かなかったですね。展示場でどんな人が出てくるかわからないから電話番号は書かなかったんですよ。〇〇さんになら教えますよ」と言って教えてもらったということがありました。そういう場合もあります。
そして、1990年代末、やはり、佐野展示場に来場された群馬県館林市のお客様だったのだが、(株)一条工務店の「浜松流」は「木造はいいんだ。木造なら一条工務店が一番いいんだ」という「構造アプローチ」「地震に強い、白蟻に強い」というのを悪く言えば「アホの一つ覚え」みたいに言いまくるという営業を教えていたのだった・・が、それはまったくだめということはなく、それが効果がある見込客もあるのだけれども、それではだめで他の切り口からいかないと打ち解けてもらえない、他の切り口からいかないと話が進まないという人もある。「浜松流」はまったくだめだということではないのだけれども、人によっては他の切り口から進めた方がうまくいく場合もある。「引出し」がどれだけあるか・・という点でその営業が見込客をつかめるかどうかは変わってくる。又、プラグマティズムの哲学者 ウィリアム=ジェイムズが「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」と言ったらしいが、顧客が契約するかどうかについても、「いいと思うから契約する」とは限らないわけで「契約したいと考えるから、いいと思うのだ」という面もあるのだ。実際のところ「理屈は後から貨車でくる」という面もあるのだ。「嫌です」と思われたら、「地震に強いですよお。白蟻に強いですよお」と言いまくっても、「嫌なものは嫌です」となるということはあるのだ。逆に、いいと思われたなら、そこからは「構造アプローチ」も「悪くないみたい」くらいで契約に進む場合はある。「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」「いいと思うから契約するのではない。契約したいという気持になるから、いいと思うのだ」という面がある!・・ということは営業は認識する必要がある・・と思う。
(株)一条工務店では(1)の「来場から3日以内訪問」というのをその営業が担当となって追客するための条件としていたが、ところが、来場時に不正確な住所を書いていかれた場合には訪問のしようがない。不正確な住所を記載していく人には「スパイ大作戦」で同業他社の営業が見に来ていたというケースもあるだろうし、「名前は矢田亜希子。職業はジョモのサービス調査員。あ~、これは秘密だわあ~あ」というのも、もしかすると中にあるかもしれない・・か(^^)/ 個人大工や個人大工と変わらない工務店の嫁さんとかが「偵察」に来るというケースもある。
そうではなく、実際に建築予定がある人だけれども、最初、とりあえず、何社かの展示場を見てまわり、その上で自分たちの考えるものに近いものができそうな会社と、この人なら折衝してもいいかもしれないと思う営業担当者を見つけることを目的として、自宅に帰ってからしばらく家族で話し合う期間をもち、その後、どこに話すか、あるいはどことどこに話をするか決めるまでは訪問されたくない・・ということであえて不正確な住所を書いていくという人もある。又、入場時に「記名帳にご記入お願いします」と言うのが営業担当者であれば、その担当者の顔を見て正確なものを書くべきかどうか判断するけれども、「受付」の女性である場合には営業担当者としてどんな人間が出てくるかわからないから、どういう人かわかるまでは正確な住所や電話番号は教えたくないという人もある。
それで、もらった名刺を持っていて後から訪ねてきて「この人に接客してもらったんだけど」と言う人もあり、名刺をどこかにやってしまって、あの人の名前は何だっけ・・と思いだせずに「こんな感じの人に接客してもらったんだけど」と言う人がある。来場時に正確な住所・氏名・電話番号を記載していったけれども、その時は進展せず、1年くらい経ってから再来場して、「こんな感じの人」という言い方で営業担当者のことを言う人もある。そういう場合だけれども、はたして、それは営業担当者を指名したということになるのか、という問題があるのだが、たとえ、営業担当者の名前を思い出すことができなかったとしても、その見込客の意識として自分の担当はその人だという意識があって「・・な感じの人」とかいう言い方をされたならば、それはその営業の担当客と考えるべきだろう。又、その見込客がその営業が自分の担当だと思っているのに他の人間が担当して進めようと思っても進まない場合が多い。
又、(株)一条工務店では「長時間アプローチ」といって展示場来場時に長い時間、話をするということを強く言っていたのだけれども、話が進んで長く展示場にいてもらえたということならばいいのですが、時間と印象が常に比例関係にあるとは言えない場合もある。それほど長くなくても「気持ちよく帰ってもらう」ことができれば次につながるし、長くいてもらったけれども「しつこい人だったなあ~あ」となったらかえってよくないという場合もある。
その方は館林市在住で館林市で建てようという方だったが、奥様がイタリアに旅行に行って帰ってこられたばかりだという話で感動がさめやらないみたいな感じで、「イタリアに行ってこられたんですかあ。いいですね。イタリアのどこに行かれたんですかあ」といった話をして、そして、帰りがけには「なんだか、一条さんとは話が合うわねえ」と言って帰られたのだ。だから、記名帳の住所が虚偽のものだとは思わず、訪問しても家がどんなに捜しても見当たらないので変だなあと思ったのだ。「スパイ大作戦」ではないはずだし「ジョモのサービス調査員」でもないはずだが、記載された住所にその方の家はなかったのだ。 だから、一時はあきらめたのだった・・が、その後しばらくして、他のお客様を一日かけて「構造現場見学」に案内して夕方に佐野展示場に戻ってきたところ、佐野展示場の玄関からそのご夫婦が出てこられて私の顔を見て「あ~っ、〇〇さんだったあ」と私の顔を見て私の名前を思い出されたのだった。「名刺もらったんだけどどこに直したのかわからなくなってしまって、名前を思い出せなくて、今、思い出した。〇〇さんだった。」と言われたのだ。「一条さんの相談に乗ってもらおうと思って、きょう、来たの」「うちの土地の図面を見て提案してもらおうと思って来たのよ。〇〇さんに意見をききたいと思ってきたのよ。今、あの人に土地の図面を預けてきたから、あの人から聞いてちょうだい。あの人に聞いて、それで教えてちょうだい」と言われたのだ。だから、この人は私の担当なのだ。「一条さんに相談に乗ってもらおうと思って来た」という「一条さん」というのは(株)一条工務店のことではなく私のことだ。もしも、(株)一条工務店の営業なら誰でもいいということで「一条さん」という言葉を言っているのなら、(株)一条工務店の他の営業がやることだって可能かもしれないが、私のことを「一条さん」と言って私に相談に乗ってもらいたい・私に意見を言ってもらいたいと言って来られたのだから、そういう見込客を他の営業が横からやろうと思ってもやれるものではない。再来場時に営業担当者の名前を思い出せなかった、名刺をもらったけれどもどこに直したかわからなくなってしまったといっても、「〇日くらいに展示場に来場して、接客してくれたのは、いくつくらいでこんな感じの人で・・」と言えば、展示場にそんなに何人もの営業がいるわけではないから、「◇◇ですか」「☆☆ですか」・・と営業の名前を言っていけば、「あ、その人だと思う」ということになるはずなのだ。そうなったら、営業担当者を見込客が指名したのと同じなのだ。
ところが、私が他の見込客を「構造現場見学」に案内していた間に展示場に来場された時に接客した営業が悪かった。営業所長の五十嵐の「お気に入り」の上岡がその見込客と会ってしまったのだった。私は立場がまったく逆のケースで、来場客からはっきりと営業担当者の名前が出ない・思い出せないという場合でも「◇◇ですか」「☆☆ですか」とこちらから営業担当者の名前を出して尋ねたり、あるいは、いつ頃来場されたかを聞いて、過去の芳名帳を調べて担当営業を見つけて、それで上岡くんに渡してあげたこともあったのだ。ところが、この男もよくやるなあ・・とあきれたのだが、私は上岡くんの倍以上も在籍している営業であり、「副店長」待遇での「特進転勤」で佐野展示場に赴任した営業であり、上岡くんとは違って「全国社員」「総合職」の営業であり、上岡くんと同格の営業ではなく私からすれば上岡くんは格下の営業であり、上岡くんからすれば私は格上の営業であるはずだったが、その「副店長」の見込客が私に「相談に乗ってもらいたい」「意見を言ってもらいたい」と言って土地の図面を持参して展示場に再来場すると、私が「▽▽さんから土地の図面を預かりましたか」と言っても「ああ」と言って渡さないし、お客さんは「あの人(上岡)に〇〇さんに伝えてくださいと頼んだから」と言われているにもかかわらず、それを私に渡さないし、どういう話を聞いたかも伝えない。おまえ、自分より格上の営業の見込客を横取りするつもりか、このアホは・・と思ったが、私にとっては契約につながる可能性が高い見込客を1軒失ったことになり、その見込客としてはこの営業さんと一緒に家造りを進めようと思って時間をとって佐野展示場に再来場したにもかかわらず、横から他のわけのわからん男に阻止された・・ということになった。他の営業ならば「◇◇さん、その人は私の担当でしょう」と言うことができるのですが、上岡くんの場合は営業所長の五十嵐が「爆発力がある」と評価するように「ちょっとでも気に食わないことがあるとすぐに暴れる」という特徴のある人間で、かつ「自分の名前を書くことができれば合格と言われる私立高校のスポーツ入学」という「体育会系」「武断派」なので、文治派の私からすれば手がつけられないのです。「武闘派」か「武断派」か知らんが、(株)一条工務店という会社は初代社長の大澄賢次郎が『水滸伝』が好きで「梁山泊の精神」と言って「暴れる」人間が好きという伝統があるのですが、文治派の者からすれば迷惑です。
私は上岡くんについて「この男、実力がない男だなあ」と思ったのだ。自分が横から手を出しても、私が担当して契約にもっていける可能性が高い見込客をつぶすことはできても、上岡くんが契約に持って行ける可能性はまずない! という人を、なんでやりたがるのか?・・というと、「アホやから」であり「営業力がないから」「営業としての実力がないから」だろう。よく、江戸時代あたりの剣豪漫画で「実力の違いがわからぬかあ」と剣客・剣豪のおっさんが叫ぶ場面があるが、それです。
その奥さんがイタリアに旅行されてきたという話に相槌を打って「いいですねえ。イタリアのどこに行かれたんですかあ」て、これ、誰でも言えそうに思うかもしれませんが、そうではないのですよ。私は住宅建築業の営業の仕事をするからにはヨーロッパには足を運んでヨーロッパの建築を自分自身で見てこないといけないと思って身銭切って見学に行ってきたんですよ。海外旅行に行くといっても全然性質の違う所に行く人とは意味が違うのですよ。
いわき市にいた時、いわき市の私より(株)一条工務店には少し前から在籍していた営業の某さんが、「・・は最初から設計が同行すると言うよ」とか「・・は所長が2回目から同行すると言うよ」とか言うので、この人は何を言うとるんだろうか・・と思ったことがあった。その人は「主任」の役職をつけてもらっていた人であり、「同行してもらう」側の人間ではなく「同行してあげる」側の人間だろうが! 何を言うとるんだ、何を! そして、「・・は最初から設計が同行する」て、アホか! 「設計」て、要するに《「バカでも入れる私大の建築学科」出てたいして経っていないヤンキーみたいなにーちゃん》のことだろうが! そんなのが来たからといって何なんだよ! (株)一条工務店の方が最初から「インテリアコーディネーターで二級建築施工管理技士で宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)」の私が顔出すんだよ。(株)一条工務店の方が上だろうが! 少なくとも「バカでも入れる私大の建築学科卒のヤンキー」みたいなもんよりも私の方がよっぽど上だろうが!・・と思ったものだった。 ・・で「バカでも入れる私大の建築学科卒のヤンキー」よりも下の上岡くんに私と同等のことができると思うか? そんなもの、できるわけないだろうが!!!
小堀住研(株)では、会社説明・商品説明と営業担当者の自分自身についての説明をする・・と言っていた。これは会社によって・客層によって・商品によって・場所によって多少は違うだろうけれども、もしも、会社と商品とで気持ちをつかめないのなら、切り口にならないのなら、自分自身の能力で気持ちを掴んで引っ張り、そこから会社と商品の魅力をアピールするというように持って行くということも考えられる。私にはできるが上岡くんにはそれはできない。だいたい、グラフに掲載されている上岡くんの通算契約棟数というのは当人の実力から考えて多すぎるのだ。なんでか? ・・・と考えてみたら、上岡くんが(株)一条工務店に入社した時というのは消費税が上がるという住宅建築業の業界にとっては稼ぎ時の時で、その時に「新築出展したばかり」の佐野展示場に入社したのだ。そういう人というのは、その条件が普通みたいに思ってしまう人がいる・・・のだが、そして、それで、その時のやり方で売れるものだと思ってしまう人がいるのだが、そんなもので「売れる」と思ってしまった人に、そうではないのだと認識させるのは相当難しい。
しかし、この男、よくやるなあ・・・と思った。自分がまったく立場が逆の場合には私に接客してもらって見込客を渡してもらっていたのに、「副店長」の見込客を横取りしても自分には契約に持っていけるわけないとわかっていながら、つぶすためにだけ横取りするとは・・( 一一)
営業所長の五十嵐はそのあたりを見ていないのか、所長のくせして見ていないのか?・・というと「見ても見えず・聞いても悟らない」というのが「高卒の所長やなあ」という五十嵐だったのだ( 一一) やあっぱり、この人は「高卒のおっさん」やなあ、やあっぱり、この人は「高卒の所長」やなあ・・・と実感した。
(6) そして、もうひとつ。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では「構造現場見学会」というものを重視していて、「構造現場見学会」をやった営業が担当という決まりがあったのだ。 これをやった営業は他の条件が少々満たしていなくても、その営業の担当というのが(株)一条工務店の決まりだったのだ。
私は、いわき市の4展示場で所長の次の営業成績を残した年もあったのです。所長の次くらいの営業成績を残した人が私と他に5人ほどいましたが、私の他の5人はいずれも私がいた展示場よりも間違いなく条件はいいといわき地区の誰もが言っていた展示場にいた人ですから、同じ契約棟数なら条件が悪い展示場であげた契約の方が高く評価されていいはずですから、その年については所長の次は私だと評価してもらえても良かったと思います。ところが、私だけ「応援者」にしてもらえないのです。私だけが「全国社員」で「総合職」として入社した従業員ですし、その5人のうち、K井さんは二級建築士、元不動産屋のS藤のじいさんは宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)を持っていましたが、後の3人は無資格で、インテリアコーディネーターと宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)と(株)一条工務店が会社として取得を推奨していた資格を2つ取得していたのは私ひとりだけでしたが、それでも私ひとりだけが「応援者」にならせてもらえず、私の半分未満しか契約を取っていない「木南さん」(仮名)を「応援者」にしてお客さんからも「あれはひどいよ」と言われたりもしました。さらには私が面倒を見てあげていた「がばいじいちゃん」S藤賢二さんを私が勤務していた展示場の「応援者」「リーダー」にならせるためにいわき市の他の展示場から移動させて、私が面倒見てあげていた人を私の「応援者」にして、私が面倒見てあげていた人の「被応援者」に私はならされてしまいました。
「これはいったいどういうことですか」と浜通り地区の所長の草野さんに抗議したのですが、はぐらかされてしまった。そもそも、S藤賢二さんは私にやってもらえるものだと思って何でもやってもらおうとしてからみついてくるようなところがあって、私の方から「あの人と同じ展示場にしないでください」と私の方から所長の草野さんに求めていたところ、逆にその人を私と同じ展示場に配属させてきたのでした。嫌がらせをやっているとしか思えない人事でした。
私は入社以来、(株)一条工務店の為に会社の為を思って「滅私奉公」「夜討ち朝駆け」を繰り返してきたはずなのに、なんで、そこまで嫌がらせをされなきゃならないのか。 「一条工務店はトップの学歴コンプレックスが甚だしいから、慶應大学でて一条工務店に長くいてもいいことないと思よ」と言ってくれる人がありましたが、それは間違いなくあるようでした。それとともに、(株)一条工務店の「オリジナル営業」、「(株)一条工務店の遠州人」というのは同業他社に少しでもいた人間というものに対して敵意をもっており、たとえ同業他社にいたことがある従業員であっても今は(株)一条工務店の従業員のはずであり、同業他社にいた者ならばその会社のこともある程度は知っているはずですから、同業他社のいいところは取り入れればいいわけですから、その為に使うことだってできるでしょうし、又、自分の会社の位置から見るという視点だけではなく他社から見た視点というものもまた持って物事は考えてみるべきであり、自社の位置からしか物事を見れない、天動説思考の人間ばっかりで会社を運営したのではあまりいいことはないはずです・・・が、「同業他社にいたことがある(同業他社の従業員ではなく)自社の従業員」に対してオーナー経営者が敵意を持っている会社でした。
いわき市の展示場から栃木県佐野市の展示場に転勤する際、就業規則で「特進転勤」として「副店長」に昇進、かつ、「2棟契約したという扱い」となると規定されていた転勤をして佐野展示場に赴任したのですが、ところが営業本部長の天野隆夫から「前は副店長にならせたんだけれども、今は副店長にならせるということはやってないんだ」と言われて「副店長」昇進の条件を満たしているにもかかわらずならせてもらえないという不当な扱いを受けました。(株)一条工務店では営業は、営業担当⇒主任(3副長)⇒係長(2副長)⇒課長(1副長) と契約棟数に従って昇進するということにしていましたが、条件のいい場所にいた場合と条件が悪い場所にばっかり配属された場合とで昇進できるかどうかが変わってきます。 野球の投手でも、毎試合、1点か2点に抑える投手がいても、味方が1点も取ってくれなければ勝ち投手にはなれません。勝ち投手になれない場所でばっかり登板させられたなら、貢献しているにもかかわらず勝ち星はつきません。時としてはそういうこともあるだろうと思っても、損な役回りばっかりさせられているということに気づいて、なんで、そこまで私に嫌がらせをしないと気がすまないの・・と思うようになりました。 それなら、転勤すれば「副店長」昇進で「リーダー」「応援者」にならせてくれるというのなら転勤しようと判断して、佐野展示場に転勤してくれという話を承諾したのです。 会社としては営業棟数をあげることも必要ですが、会社を運営する人材を育成するためには「浜松の中のカエル」ばっかりでは困りますから、だから、複数地域に勤務して複合的視野・総合的視野・全国的視野を持って考えることができる人材も必要であり、又、会社の為に転勤する労を払う人間にはその労に対して報いる必要もあります。いわき市にいた時に、たしか、三菱樹脂だったと思うのですが、勤務されていた方から聞いた話ですが、「全国社員」と「地域限定社員」を選ぶことができて、「全国社員」は日本全国どこにでも転勤させられ、それを拒否することはできないのに対して、「地域限定社員」は転勤はないことはないけれども福島県内だったか隣接県までとかだったか、転勤はあるけれども一定地域内での転勤に限られるというもので、そのかわり、「全国社員」の人の方が昇進は早く、給与もそれに応じて全国社員の方が多い・・というようになっているということでした。(株)一条工務店はそこまで会社の制度はできていない会社でしたが、会社のために転勤に応じて移動する従業員と一定地域内から動かない従業員ならば、会社のために転勤に応じる従業員の方がその分だけ多く報いてもらっていいはずで、同じ扱いなら不当でしょう。(株)一条工務店の経営者もそれを理解したのか、契約棟数・引き渡し棟数と在籍年数から昇進が決まる
主任(3副長)⇒係長(2副長)⇒課長(1副長) 後に、
副主任(3副長)⇒主任(2副長)⇒係長(1副長) になったと思いますが、
「副長」て何なんだ、土方歳三か? ・・というと、20代なら「主任」でもいいけれども、30代以上の者が「主任」なんて肩書が名刺に書かれていたらかえってマイナスの評価を受けるということで、27だったか28だったかまでは「主任」「副主任」とされるものをそれ以上の年齢の者は「3副長」「2副長」という表記にすることにしたようでした。
会社都合での転勤に協力する従業員にその労に報いる必要もあることから、そういう契約棟数・引き渡し棟数と在籍年数から決まるものと別に、一定数以上の通算契約棟数と一定数以上の通算引き渡し棟数と在籍年数を満たした従業員が「会社都合の転勤」をした場合には、↑ の役職とは別系統の役職として「副店長」に昇進させるという規定を設けたのです。 「副店長」は「3副長」よりも上、3副長と2副長の間ということでした。だから、いわき地区で私ひとりだけが誰もが間違いなく条件が悪いと言う展示場に一貫しておらされて、所長の次の営業成績を残しても「応援者」にも「リーダー」にもしれもらえないのなら、それなら「会社都合の転勤」をすれば「副店長」昇進で「3副長よりも上」になれるのですから、だから「会社都合の転勤」に応じて佐野展示場に移ったのです。ところが、「副店長」にならせてもらえないだけではなく、「リーダー」「応援者」になっての転勤という話だったはずなのに、赴任してみると私より少し前から在籍していた武田さんが同じ時期に茨城県の展示場から転勤してきて「リーダー」になり、そこまでならまだしも、在籍年数で見ても私の半分未満で前年契約棟数はゼロ棟で、それまでから佐野展示場にいた営業の中では最もお客様の評判が悪い、私との比較でなら間違いなく格下の上岡くんを「応援者」にするという無茶苦茶なことまでしたのです。私は「リーダー」「応援者」として赴任することは承諾しましたが会社の為に労力と費用をかけて転勤してあげて降格にされる筋合いはないし、「応援者」になるという条件だから転勤したのであり、それを私を「応援者」にならせずに、いかに所長の五十嵐と経歴が似ているとはいえ、格下の営業で勤務態度も良くない営業としての実力もない人間を「応援者」にならせるというのは、これは五十嵐にそのようなことをする権利も権限もないはずであり、(株)一条工務店の「所長」には身勝手な人間が多いとはいえ、認められることではありませんでした。
それはそれとして、上岡くんもまた、「副店長」昇進の条件で佐野展示場に赴任した自分の倍以上も在籍している従業員に対して、その営業社員の見込客を、横取りしても自分には契約に持って行く能力はないと最初からわかっているにもかかわらず、つぶすためだけを目的に横取りするというのは、この男も変わった男だ・・と思いました・・が、上岡くんがそういった態度を取るというのは、それは会社が私に対してそういった態度を取らそうという姿勢を取っていたからではないか。この場合、「会社が」といっても(株)一条工務店という会社の従業員の「全体意志」ではなく、(株)一条工務店の「一般意志」でもない。オーナー経営者の「一族」の誰か、もしくは「遠州人」「オリジナル営業」の「特殊意志」です。
そのうち、埼玉県の展示場にいた坂本さんという私より何か月か後で入社した人だけれども、年齢は私より上で、入社以来、相当多くの契約を獲得してきた人が「会社都合の転勤」をしていないにもかかわらず「副店長」に昇進してしまいました。私は五十嵐に「おかしいでしょ」と言ったのだが、五十嵐は「坂本さんは入社してすぐの時に、遠くの営業所まで通っていたんだ」などと意味不明なことを言いました。そんなことを言うのなら、私自身こそ、入社直後、相当時間がかかる営業所に通わされましたし、1993年1月に東京都江東区亀戸に新しく展示場ができて、亀戸とそれまでの潮見とに営業が分かれる時には、「間違いなく亀戸の勤務になる」と「リーダー」の宮崎さんが言うから、亀戸にはなんとか通えるが潮見に通うのは無理だろうと思われる現住居を購入したにもかかわらず、1月になったら潮見の勤務にさせられて、宮崎さんに「話が違うじゃないですか」と言うと、「そんなの、知らねえよお~お」などという口をきかれてしまった、ということがあった。もしも、入社した直後に比較的遠い展示場まで通ったということがあるというのなら、坂本さんよりも私の方がそれに該当する・・し、そもそも、「副店長」昇進の条件は、あくまでも、一定以上の契約棟数・一定以上の引き渡し棟数と一定以上の在籍年数の営業社員が「会社都合での転勤」をした場合についてのことであって、坂本さんが入社直後に比較的遠い営業所まで通ったとしても、その条件とは関係ないはずでした。五十嵐は何を無茶苦茶なこと言ってるんだ!!! 会社は、営業成績をもとに、3副長⇒2副長⇒1副長 という称号を付与するとしたけれども、他方で一定以上の通算契約棟数・一定以上の引き渡し棟数・一定以上の在籍年数の者が「会社都合の転勤」をした場合には「副店長」にならせるという規定を就業規則に設けたならば、就業規則の規定は会社側も守らないといけないものであり、私には《一定以上の通算契約棟数・一定以上の引き渡し棟数・一定以上の在籍年数の者が「会社都合の転勤」をした場合》に該当する者を「副店長」に昇進させず、他方で《一定以上の通算契約棟数・一定以上の引き渡し棟数・一定以上の在籍年数の者が「会社都合の転勤」をした場合》に該当しない坂本さんを「副店長」に昇進させたのでは会社の秩序を乱すことになります。それは会社・使用者はやってはならないことであり、そんなことをするのなら「副店長」とか「特進転勤」といった制度を作った意味がないことになります。片方で五十嵐さんは栃木県地域で営業としては努力してある程度以上の数字を残した人で、話をしても実際に努力して営業の仕事に従事した人だと思われることを話す人でしたが・・片方で「その程度の人」だった面もありました。
そして、松戸展示場から福島県いわき市の展示場に転勤した時も、義兄の家の契約を、会社の就業規則に規定されているルールからいけば、片道200km以内という規定からいくと引継ぎ担当を頼まないで転勤後も自分でやることになるはずでしたが、「それなら、いわき ではなく原町展示場にする」などとわけのわからないことを営業本部長の天野隆夫が言いだして、「実の兄弟の家ならまだいいのですが、義理の兄弟の家ですから、私が担当するということで契約してもらったのに私が担当しないというのでは具合が悪いのです。親戚関係にも支障がでてきますから」と言って訴えたにもかかわらず新人に引継ぎをされることになってしまい、そして、無茶苦茶されてしまいました。
※ [第713回]《親戚の契約は(株)一条工務店でさせるわけにはいかない。――RC造の地中梁を無断で撤去。設計ミスで軒のない家を施主の承諾なく建てる。解体の際に隣家の塀も壊す。従業員の親戚の家には初めての大工・職人。「めんどうくさいですから」と施主宅に行って言うやつ・・――「一条工務店の家は完璧にすばらしい」の反証16》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201907article_10.html
今度、1998年、いわき市の展示場から栃木県佐野市の展示場に移る時もまた、片道200km以内だったのですが、それを他の営業に引継ぎ担当をやってもらえと営業本部長の天野隆夫は指示したのです。会社が就業規則で目安を指定したからには営業本部長といえども、就業規則に規定された数字は尊重しないといけないはずですが、ところが、営業本部長の天野隆夫は「労働基準法は守らないというのが(株)一条工務店の会社のルールで方針だ」と明言する男(反社会的勢力)であり、「会社のルールは守らない」というのもこの男の方針だったようです。
それで、片道200km以内ですから、いわき市の展示場に勤務していた時に担当していた契約客で引き渡しまでいっていないお客さまはその後も私がいわき市まで来て担当していいはずでした。 特に、いわき市小川で建てていただいた某さんの場合、「構造現場見学」に案内する際に親戚の方が一緒に来られて、一緒に話を聞かれた、ということがあったのです。その時は、どういう関係の人なのかな・・と思っていたのですが、親戚の方で、自分の所も(株)一条工務店で建てようかなと検討されていた方だったようなのですが、(株)一条工務店の展示場に見に行ったのでは営業かけられるので、親戚の者が(株)一条工務店で契約しようかどうしようか検討中だということなので、どういう立場なのかはっきりとは言わずに一緒に見にこられたようでした。 2000年代初め、どうも、その方が私が佐野展示場に転勤した後で契約されたらしいのです。
問題は誰が営業担当をするかという点です。私が担当で契約いただいた方のお宅が竣工した後も訪問してできた家を見せてもらった上で自分の所も(株)一条工務店で頼もうと考えられたようです。たいていのお客さまは、住宅建築業の会社がどういうことをしているのか、ある程度以上知っておられます。親戚が(株)一条工務店で建てた場合にはその親戚の紹介としてもらうといくらかのサービスがあるということも知っている人が多い。都市圏の住人にとっては総合住宅展示場というのは一般的なもので普通のものですが、「地方」の住人にとっては必ずしも一般的なものとは決まっていない。それで、「うちも一条工務店で建てたいと思うのだけれども、どうしたらいい?」と入居者の方に尋ねられたらしいのです。
もし、私がそのまま、いわき市の展示所におれば入居者の方は私に連絡をいただけたでしょうし、私は契約前にはせっせと通うけれども入居後には一切知らんみたいな態度は取っていませんし、入居者宅には定期的に顔を出したり年賀状を出したりもしてきましたし、年始の挨拶には最初はすべての契約客の所に顔を出していましたが、そのうち、入居者の数が多くなって全ての方の所に年始に顔を出すことはできなくなったので、それで、2年に1回にさせてもらうようにしましたけれども、それでも、何らかの形で連絡はさせてもらうようにしていましたので、だから、「うちも一条工務店で建てたいのだけれども、どうしたらいい?」と親戚の方から言われたならば、「それじゃ、営業さんに言ってみるわ」ということで連絡をもらえたと思います。担当営業として私がお話をさせてもらって契約いただければ、入居者の紹介として紹介していただいた方にはいくらかのサービスと紹介者へわずかなお礼をさせていただくということになったでしょう。
私が栃木県の営業所に転勤したとしても、それでも無茶苦茶遠い場所に移ったわけではありませんし、「何割かいわき人」になっていた者としては時々は福島県に戻って福島県の空気を吸うことで活力を得ていましたし、契約客の契約後の仕事を私がそのままやっても良かったし、契約客の親戚の方の仕事も私がやることはできたのですが、ところが、会社が就業規則で規定していたものでは片道200km以内のものは引継ぎ担当を頼まないで転勤後も自分でやることになっていたにもかかわらず、営業本部長の天野隆夫が引継ぎ担当を頼めと指示したことから、同じ営業所のK野T夫さんに引継ぎ担当を頼んだものの、そのK野T夫さんが引き渡しよりも前に退職してしまったので、さらにK井さん(男。当時、40代)がさらに引き継ぐことになり、引き渡しの時点ではK井さんが営業の引継ぎ担当者だったのです。だから、御施主様としては自分の所の担当者が誰なのかわからなくなってしまっていたようなので、親戚の方から「うちも一条工務店で建てたいのだけれども、どうしたらいい?」と言われた時に誰に言えばいいのかわからなかったらしい。
それで、自分が持っていた(株)一条工務店のカタログをその親戚の方に渡して「カタログに載っている所に電話でもしてみたら」と言ったらしく、それで、その親戚の方は(株)一条工務店の「本社」に電話をして「一条工務店で建てたいのですが、どうしたらいいですか」と言われたらしい。
その時、「本社」はどこにあったのかというと、もともとは(株)一条工務店の「本社」は浜松にあったのですが、1995年に脱税で100億円の追徴金を名古屋の国税局に取られてから、「浜松に『本社』を置いていたら『目立つ』」と考えたらしく、浜松に「本社」「本店」があると(株)一条工務店程度の会社でも「大企業」になるのに対して東京都に「本社」「本店」を置けば、東京都にはもっと大企業はいくらでもある・・ということから、実際の本社機能は依然として浜松市倉松町4040にあったものの、「本店」を名目上、東京都江東区木場の「一条ビル」という小さなビルに移し、カタログにも「本社」としては東京都江東区木場の住所と電話番号が記載されていたのです。
それで、土地あり・計画ありというよりも、建てると決めた人で・予算も入居者からどのくらいかかるかも聞いて計画も立っていた方で・カタログも入居者の方からもらい、完成した家も入居者宅を見せてもらっていて、工事中の構造現場も私が入居者の方を案内して説明した時に一緒に見に来られて一緒に説明を聞かれた方が「一条工務店で建てたいのですけれども、どうしたらいいでしょうか」と言って電話してこられたので、普通ならば、「本社」の人間はその地域の所長に連絡して適切な営業担当者を選定して連絡させるということになるでしょう。
「適切な営業担当者」は誰なのかという問題が出てきますが、私がそのまま、いわき市の営業所にいたならば私ですが、引継ぎを頼んできたからには、入居者宅を引き渡した時の担当者でしょうから、K井さんということになってしまうでしょう。↑ の(6)の基準、構造現場見学会をやった営業の担当とするというものがあり、そこからいくと私がその方には構造現場見学に案内して説明していたのですから担当させてもらってもいいことになりますが、(3)の基準からいくと引き渡し時の担当者ということになりますからK井さんが担当となるのでしょう。
もうひとつ、
(7) (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では「契約になるものなら、どこまででも行って契約してよい」という基準があったのです。
そうなると、その基準からすると、私は栃木県佐野市に勤務しても、福島県の契約をしてもらえるものならしても良かったのです。5年間も福島県に住んでいますと、何割か福島県人になっていますしね。「契約になるものなら、日本全国、施工エリアである限りどこまででも行って契約してよい」とはいえ、青森県とか福岡県とかまで行って契約していただくというのは大変ですが、その場合でも、もしも、今、行ったら契約してもらえるということならば行って契約だけしてもらって引継ぎ担当を現地の営業に頼むということだってできたのです。小山市の住人だったWさんが佐野展示場に勤務していたけれども、Wさんが小山展示場だったか結城展示場だったかで接客して契約してもらった茨城県南部の某さん宅をWさんが退職する時点で私が引き継いだけれども、某さん宅までは片道1時間以上かかりましたから、いわきまで2時間少々かかっても契約してもらえるものなら、いわきまで行くのはそんなに大変でもありませんし、「何割か福島県人」としては福島県の空気を吸うと活力を得ることができましたし。佐野藤岡インターチェンジから東北自動車道に乗ると、白河インターチェンジまでそんなにかからないし、白河市からいわき市まで一続きの福島県ですし。
入社した1992年の時から、東京展示場の「リーダー」だった宮崎さんから「契約してもらえるものなら、日本全国、施工エリア内である限り、どこまででも行って契約していい」と基準を教えられたのです。たとえば、東京展示場に相当遠方の人が来場したという場合、遠方の人だから契約してはいけないということはない、というのです。しかし、契約後、いくらなんでもそこまで遠い場所の作業はできないというケースもあるので、その場合も200kmというのが目安になっていて、相当遠方の場合には契約だけして、契約後の作業をその地域の営業に頼むということもできたのです。
ひとつには転勤直後というのは、移った先に見込客を持っていないことと、それまでいた場所とは勝手が違うということがあって、しばらくは前いた場所と両属みたいにして勤務した方が営業としてはやりやすいところもあったにもかかわらず、たとえば、私がいわき市の展示場に赴任して1年目に、同じ展示場にいたSさんが福島市の展示場に転勤した後も いわき市で契約したお客様の担当は自分でやっていたように、会社が規定したルールからすると私が佐野展示場に移った後も契約客の担当は私がやるのが本来の会社のルールだったのであり、それなら何の問題もなかったはずだったのですが、それを営業本部長の天野隆夫が引継ぎを頼めと会社が規定したルールに反することをやるからおかしくなった、という面があります。
郡山市の所長になっていた片山は、牛若丸の八艘飛びのごとく、売れる場所を移っていく・・と(株)一条工務店で「所長」になっていた人から悪口を言われていたらしいのですが、そうはいっても、一か所にずうう~っといる人と、新規に出展する所に移って行く人とでは移動するというのはけっこう大変ですから、一か所にずうう~っといる人間があんまりえらそうなことを言えるものでもないと思います・・が、片山の場合は、それまでいた場所の隣の場所というように移っていっており、それまでいた場所と市場がそれほどは変わらない場所に行けたということと、それまで持っていた見込客を失うことなく次の場所に移ることができたという条件があったのです。私だって、いわき市でのお客さまを契約客の紹介客くらいはそのまま担当させてもらいながら、移動した場所のお客様を開拓していくというようにさせてもらって悪くないはずだったのです・・が、それを引きちぎられたのです。
それでも、引継ぎ担当を頼んでしまったからには、引継ぎ担当をやって引き渡しの時点で担当だった人に親戚の方の家を担当してもらうというのは、しかたがないか・・・ということだったのかもしれません。「超豪華な昼飯か晩飯」でもおごってもらうというくらいと私が担当で契約してくれたお客様の親戚の方の家ですから「間違いのないように対応してもらう」ということで「手を打つ」しかないか・・ということでしょう。・・しかし、「副店長」昇進と「2棟契約の扱い」という「特進転勤」の制度というのは、この例のように、転勤することでそうでなければ契約してもらえたお客様を他の営業が契約することになるというものがある・・ということからできた制度なのです。だから、転勤だけさせられて、「副店長」昇進と「2棟契約した扱い」がないというのは「やらずぶったくり」状態だったのです。
その入居者の方の引き渡し時の引継ぎ担当になっていたK井さんが担当として契約したということならば、「ありがとう」くらい言ってもらって、昼飯か晩飯でもおごってもらえば、もうそのくらいで我慢するしかどうしようもないか・・というものだったのですが、電話を受けた「本社」の人間はどうしたと思いますか?
その方が電話されたのは、「東京の営業所」ではなく「本社」に電話されたのです。「本社」に電話して「一条工務店で建てたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と言われたらしいのです。「本社」の人間が電話を取ったからには、福島県いわき市に居住していて福島県いわき市で建てる方からの電話ならば、いわき市の営業所に連絡していわき市の営業に行かせるものでしょ。いわき市の営業に担当させるものでしょ。もしくは、入居者の紹介だということを電話で聞いたならば、その入居者の営業担当は誰なのか調べるものでしょ。
ところが、江東区木場の「一条ビル」の「本社」で電話を取った者は、東京の営業所の営業に伝えて、東京営業所から福島県いわき市まで行かせて契約させたようなのです。いわき市でも山間部のいわき市小川まででも、契約してもらえると思えば行くでしょう。なにしろ、「一条工務店で建てたいと思うのですが、どうすればいいでしょうか」と言って電話してこられたのですから。「タナボタ」みたいなものです。但し、「タナボタ」という言葉にも2通りの意味がある。1989年、小堀住研(株)で新卒社員研修の時に講師役を担当した営業課長のMさんが言ったのは、「タナボタ客をよくつかむ」と言われている営業というのは、契約してもらえるかどうかという見込客とつかず離れずの位置にいて、いわば、棚の下で口を開けて待っていたという人が多い・・棚から牡丹餅が落ちてきそうでなかなか落ちてこない・・という棚から眼を離さないで、牡丹餅が落ちてきそうな棚の下で口を開けて待つという行為をしていたという人がいる・・・ということだったのですが、この東京都江東区木場の「一条ビル」の「本社」で電話を取った者から「情報」をもらっていわき市まで東京から行って契約した者というのは、「棚の下で牡丹餅が落ちてくるのを口を開けて待つ」という労力を払っていたわけですらないのです。「本社」にどうしたらいいですかと言って電話にかけてきた人を、本来ならばその地域の営業所の所長に電話をして、こういう電話がありましたから対処してくださいと言うべきものを、その地域の営業所に言わずに東京の営業所の人間に行かせたのであり、いわき市小川まで行って契約してもらったという東京の営業所の人間というのは、「棚の下で口を開けて待つ」という労力すらもかけていたわけではなく、本来ならばいわき市の営業所に連絡していわき市の営業に行かせるべきものを「横取り」「ネコババ」したのです。「タナボタ」と「ネコババ」は似ているように思う人もいるかもしれませんが違います。これは「ネコババ」です。本来、「タナボタ」というのは棚の下で牡丹餅が落ちてこないかなあと思って口を開けて待つという工夫と労力を払ったもののところに「牡丹餅」が落ちてきてパクッと食うというのが「タナボタ」であり、この時の東京の営業所の営業がやった行為、本来、自分が担当して契約してはならないものを「ネコババ」するのはそれは「タナボタ」ではありません。
もしも、相当離れた場所の方が来場されたという場合でも、そこで商談をして話が進んだということならば、相当離れた場所の方の契約をしてもいいでしょう。しかし、その方は東京の展示場に行かれたのではないし、東京の展示場に電話で問い合わせられたのでもなく、「本社」に電話されたらしいのです。「本社」に電話があったものを、なんで、東京の営業所の人間が「一条工務店で契約して建てたいんだけれども」と言われたからといっていわき市まで行って契約するのですか? それは「掟破り」であり「ネコババ」であり、営業として「仁義に反する」行為です。当然、(株)一条工務店の「本社」の人間はそういう対応をした従業員に注意しないといけないし、何らかのペナルティーを課すべきです。営業本部長は何をやってるんだ・・というと、何もやっていないか、もしくは、むしろ、営業本部長がそれをさせたという可能性も考えられます。
(株)一条工務店では「契約してもらえるものなら、施工エリアで建てる人である限り、日本全国どこまででも行って契約してよい」という「ルール」があったとしても、片方で、私は担当契約客の契約後の仕事をいわき市の営業に引継ぎを頼めと営業本部長から指示されて、それで就業規則の規定に反していわき市の営業に引継ぎ担当を依頼したのです。 いわき市近辺で、あそこに行ったら契約になるかな・・という所があっても、「いわきのお客さんは追客するな」と営業本部長から言われたのです。ですから、佐野展示場から・佐野市からいわき市小川までと東京営業所からいわき市小川までとなら、佐野市からの方が近いのですが、佐野市から行って契約させてもらうことはできなかった。それにもかかわらず、佐野市よりも遠い営業所にいる営業に関係ないのに行かれて契約されてしまったのです。契約客の方の家に来て熱心に見ている親戚の方で、その方も住宅建築を考えているという方があるケース、構造現場見学に誰なのか一緒に来られた方があって、その方も住宅建築を考えておられるというケースがあるということはわかっていましたし、もしかして、あの方は・・・といったことも考えていましたが、営業本部長の天野隆夫からいわき市の見込客は追客するなと言われたので、それで追客しなかったのですが、そうしたら、私の転勤先よりもまだ遠い場所の営業所にいる全然何の関係もない営業がいわき市まで行って契約してしまったのです。(株)一条工務店という会社はそんなことをした、そんなことをさせたのです。
いわき市に住んでいた時、生命保険に入っていた会社のいわき市の営業のおばさんがアパートにやってきて、「入った担当の人ってどんな人? 若い人?」ときき、「わりと若いのじゃないですか」と言うと、「やめるわ、その人。若い人はやめるから私に担当を変わった方がいいわ」と言って、努力して何度も電話してきていわきまで東京から来て契約した人から自分に担当を変えろと言ってきたということがあったのですが、このおばさん、いったい何?・・て感じでした。あんた、関係ないでしょうが。それまで努力して契約につなげた人がいるのに、その努力をしていない人が横からネコババする気なの? ・・と思いましたが、どうも、生命保険のセールスやってるおばさんて、そういうことをする人がいるみたいですね。(株)一条工務店の「本社」の人間から「情報」をもらって、「一条工務店で契約して建てたいんだけれども」という電話だからといわき市小川まで行って契約した東京の営業所の営業というのは、その生命保険のおばさんと似ている。自分で努力したわけでもないものを「ネコババ」で自分の営業成績にしてしまった・・( 一一) (株)一条工務店という会社は「営業は数字がすべてだ」とか言って、数字の上で営業成績が残っている者が評価されるのが当然だということをよく言うのですが、そうでしょうか。こういう「ネコババ」営業というのは、それで1棟契約があがったからといって、1棟分評価すべきでしょうか。
花登 筺『鮎のうた』という朝のテレビドラマが1979年に放映されたが、大阪船場の糸問屋 糸原商店で、新しく「おなごし」として入った「おゆう どん」(あゆ)はなまじ他の古手の「おなごし」よりも教養があり、若いと言うこともあって、他の「おなごし」から苛められることが多かったが、「ごりょんさん」は「おゆう どん」(あゆ)に、船場の商店では月に1日と15日の2日だけ、休みになって奉公人も自由に出かけることができるが、一番下と下から二番目の「おなごし」だけはお留守番で店から出ることができないようになっていたが、「あんた、今度、おついたちの日になあ、お咲どん(下から二番目のおなごし)に『お咲さん、わてが見ておきますから、少しだけ、そのへんまで出てこられたらどうですか』と言って機嫌取ってみたらどうや」と知恵をつけるが、お咲は言われて「あんたもしおらしいとこ、あるやないの」と言って喜んで少しだけ外を歩いてくるが、戻ってくると、今度は「ごりょんさん」の部屋に入って「ごりょんさん」が持っていた「おかき」を部屋から持ち出して食べ、その容器を「おゆう どん」(あゆ)がいた部屋の「おゆう どん」(あゆ)の近くに置いていく。「ごりょんさん」が帰ってきて部屋においていた「おかき」がなくなっているということに気づいたら、「おゆう どん」(あゆ)が「ごりょんさん」の部屋に入り込んで「おかき」を持ち出して食べた・・と「ごりょんさん」に思わせてやろうと考えたらしい。「ごりょんさん」は帰ってきて部屋から「おかき」の容器がなくなっていることに気づき、「おゆう どん」(あゆ)に、「おゆうどん、わての部屋からおかきを持ち出して食べたのは、あんたか」ときき、「おゆう どん」(あゆ)が納得いかないままに「へえ・・」と言うのを聞いて、「嘘つきなさんな」と言う。「わてが帰ってきた時に飛んできて出迎えたお咲どんの口からおかきのにおいがぷ~んとした。あんたの口からはおかきのにおいは一切せん。わての部屋からおかきを持ち出して食べたのはお咲どんやろ。あんたとは違う。あんたはわてがそのくらいのこともわからんとでも思ってるのか」と。そして、「ええか。わては、あんたに、お咲どんに少々機嫌をとるようなことをやってみたらどうや・・と知恵をつけた。そやけども、自分がやってもおらんことを濡れ衣を着せられて『やりました』と言えとは一言も言うてまへんで。自分がやってもおらんことを『やりました』なんて言わんでもよろしい」と。口には出さなかったが「ごりょんさん」としては「主人が留守中に主人の部屋に無断で入って部屋の中の物を持ち出すようなそんな女をかばわなくてよろしい」という意識もあったのではないか。
※ 《NHK連続テレビ小説 鮎のうた》https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010240_00000

鮎のうた〈上〉 (1979年)

鮎のうた〈下〉 (1980年) - 花登 筐
私の母の実家は私が産まれた頃は「普通の家」で特別の金持ちでも大店でもなんでもなかったが、母が言うには母が子供の頃はそれなりの商店だったというのだ。いなか から女中奉公にくる女の子がいたらしいのだが、新しく女の子が来ると、母の母(祖母)は「あんた、ちょっと悪いけども、この部屋を掃除してくれるか」と言って、1部屋の掃除をその女の子に頼むのだそうだ。その際、部屋の中の机の脚元に意図的に小銭を何枚か落しておくそうだ。そうすると、部屋の掃除をした後、「奥さん、これ、落ちてました」と言って持ってくる子と、そうではなくおのれの懐に入れる子があったそうだ。それを見て、「ほお~お。この子はそういう子か」ということを判断したそうだ。
私は(株)一条工務店に入社以来、一貫して「机の脚元に落ちていた小銭があったら『奥さん、これ、落ちてました』と言って届けるという勤務態度」をとってきたはずだ。いくらなんでも、経営者はわかったはずだ・・・と思ったのだが、思うのだが・・、アホな会社のアホ経営者はわからんようだった。むしろ、机の脚元に小銭があったら懐に入れるというのが「営業力」みたいに思っているのではないのか? ・・というのが(株)一条工務店のオーナー経営者一族だった( 一一)
1990年代前半だったと思うが、(株)一条工務店の浜松の本社の若造がいわき の私がいた営業所に電話をしてきたことがあり、給与の金額の話だったか何を話していた時だったか忘れてしまったが、私に「他にも、業者からのバックとかもらってるでしょうから」などと言うので、ええ?・・と思ったことがあった。(株)一条工務店の営業の中には、自分を信頼して契約してくれたお客様に外構業者とかを紹介してバックをもらう営業がいたらしく、中には(株)一条工務店の給料と同じかそれ以上の額を「バック」で稼ぐ営業までいたと聞くのだが、私はそんなことやっていない。「人は見てないからいい」という発想なんかしていない。「天知る、地知る、我知る、汝知る」と考えてやってきた。そういう者に対して、何の論拠もなく、「業者からのバックとかも相当もらってるでしょうから」とは、その言い草はいったい何だあ!


但し、「バック」ではなくお礼として昼飯おごってもらったとかその程度のことはあるが、「バック」として(株)一条工務店の給料と同額もしくはそれ以上も稼ぐという人間というのは、それはいったいどんなことやっているのか。私は自分を信頼して契約してくれたお客様の仕事を通じて、そこまでやろうという気持にはとうていなれない。契約客で「〇〇さん、これ、どうぞ」と言って何かくれる人とかあるけれども、それはホテルで枕元におくチップ(枕銭)みたいなものだと思う。「どうぞ、これはお持ちください。そのかわり、他の荷物には手をつけないでください」という意味がそこにあると思うのだ。上棟の際に「御祝儀」としてお施主様がくださるものを、(株)一条工務店は大工はもらっていいけれども営業課・工務課の従業員は会社が没収して「一条会」という会社が設けるように指示した「親睦会」の経費にしろとしていたが、あれはおかしいのだ。御施主様が営業担当者・工事担当者にあげようと思って用意してくださったものを会社が横から取り上げるというのは言語同断なのだ。それはお施主様が営業さんに、工事担当さんにとして用意してくださったものだから、いただいていいのだ。それに対して、そうやって気を使ってくださった方の工事を通じて、話が決まった時に業者から気持ちとしての少々の「お礼」くらいならもらってもいいかもしれないが、わけのわからん「バック」を取るならば、「業者からもらった」と思っているかもしれないけれども「業者」はそのカネをどこから調達したかというとお客様の費用の中から調達しているはずだから、業者はお客様からもらっているのであり、「気持ち」くらいもらうならともかく、(株)一条工務店の給料と同額程度とかそれを上回るような金額をもらっているという営業というのは、それは営業ではなく何なのか、泥棒か詐欺師か何かではないのか。・・私はそんなことはしていないし、そんなことはしていないということ、そんなことはしない人間だということは、経営者・使用者ははっきりとわかる勤務態度を一貫してとってきたはずだ。それにもかかわらず、何ら理由もなくひとにそういったことを言ってくる若造はあまりにも失礼・無礼であり非常識であるが、それが「(株)一条工務店の本社の人間」だったのだ。(株)一条工務店はよくあんなアタマの薄い節操のない思いあがった若造を「本社」で電話に出させて苦労して実績を残したその男よりも年齢も上の営業社員に向かって生意気な口をきかせているものです・・が(株)一条工務店という会社はそういう会社だった。
あらかじめ、机の脚元に小銭を落としておいて、「あんた、この部屋の掃除してくれるか」と言って来たばっかりの女の子に頼んで、正直に「奥さん、これ、落ちてました」と言って持ってくる子がいたという場合、見られているのは掃除した女の子だけではなく、その家の奥さんの方も見られている。正直に届けるという勤務態度を取るものがそれに見合った評価を受けるのか、そうではなく逆なのか。会社という所においても、逆の態度を取る経営者の会社というのは、経営者が「この人はそういう人間か」と見られることになり、「この会社はそういう会社か」と見られることになる場合もある。その点で(株)一条工務店という会社は「ろくな会社じゃない」ということになる。ここのオーナー経営者一族はどうしようもないアホ集団だな・・と思うようになった。
いわき市小川で私が担当で契約いただいた方の親戚の方が(株)一条工務店の「本社」に電話された時、電話にでた人間は「本社」の人間だったのか、それとも、東京地区の近隣の営業所の営業が江東区木場の「一条ビル」に来ていて電話をとったのか・・という問題もあるが、もしも、かつては「東京事務所」と呼んでいた江東区木場の「一条ビル」の「本社」に近隣の営業所の営業が来ていて電話を取って、「一条工務店で建てたいのですが、どうすればいいでしょうか」と言われたとしても、私ならば、「本社」の責任者に伝えて、いわき市の営業所の所長に伝えてもらい、いわき市の所長からしかるべき営業に行かせるようにしてもらうだろう。但し、その場合も、「所長」が自分の契約にしてしまう可能性が高い・・・のだが、いわき地区では、「所長」だった草野さんが退職して、私がその契約客宅の引継ぎ担当を頼んだ「副所長」だったK井さんが「所長」にはなっていなかったが「所長」に準ずる立場になっていたようにも思うので、その場合は引継ぎを頼んだK井さんが担当してやることになっただろう。
どちらにしても、私が「本社」で電話を取ったならば、たとえ、自分自身が営業の仕事をしていても、「本社」で電話を取ったならば、その時は電話交換手の役割で電話を取ったのであるから、自分自身が営業の仕事についていても、「一条工務店で契約して建てたいのですが、どうすればいいでしょうか」と電話で言われても、だからといって自分がかけつけていって契約するということは私ならばやらない・・・のだが、やる人間がいるようだった。
(1)「本社」で電話をとった非営業職の人間が、いわき の営業所に連絡すべきものをそうしないで、東京の近隣の営業に行くようにさせたのか。
(2)その時、「本社」に来ていた東京の近隣の営業が勝手に自分の見込客にしてしまっていわき市まで行って契約してしまったのか。
(3)それとも、普通ならば営業本部長というのはそういうことをしてはいけませんと注意すべき立場であるにもかかわらず、逆に、営業本部長の天野隆夫がそうしろと指示したのか・・。
この(1)~(3)のどれだったのかは、結局、よくわからない。
そして・・・だ。本来、自分は何の関係もないのに いわき市小川まで東京からかけつけて契約した営業は、いわき市で建てる人の家に「浜松流」「静岡県型」の神棚 ↓

↑ の小休本陣 常盤家主屋 の神棚のもうちょっと横幅が狭いようなものを取り付けたらしい。な~んで、そんなことするかなあ~あ・・・と思う。そうではなく、いわき型の神棚を取り付けてほしいと何度も言ったけれども「これしかできません」と言ってきいてもらえなかったというのです。
神棚とかそういったものは、いわき市とか福島県・東北地方においては東京など都市圏においてとは比べ物にならないくらい大事なものだ。神棚とかそういったものは、それぞれの地域によって施工法がある。その東京の営業は、自分は本来何の関係もないのに契約だけもらいに行って ””「浜松流」「静岡県型」の神棚を日本全国に押しつけないとおれない「ほとんどビョーキ」シンドローム”” を実行したらしい。
「これしかできません」て、何だ、それは!!! できないわけないだろうが! 私が担当した いわき地区の家には いわき型の神棚がついているだろうが! 私でなくても、引継ぎ担当のK井さんや所長の草野さんが担当した家には いわき型の神棚がついているだろうが!!! なんで、「これしかできません」なんだ?!?
ひとつには、そいつは「いわき型の神棚」を知らんのではないか。神棚というと「浜松流」「静岡県型」の神棚だと思っている人間だったのではないか。「遠州人」だったのかもしれない。「遠州人」といっても「遠州人一般」と「(株)一条工務店の遠州人」はまったく同じということはないのだけれども、「(株)一条工務店の遠州人」というのは大変思考が硬い、大変頑固であり、「浜松でいいものは日本全国どこでもいいに決まってるんだ。こんな常識がわからんのかあ~あ!」と叫びまくる。「そんなことありませんよ。浜松でいいもの、静岡県・愛知県でいいものと福島県でいいものは違いますよ」と言うと激怒してひきつけを起こして「そういうことを言うからいかんのだあ~あ。浜松でいいものは日本全国どこでもいいに決まってるんだあ~あ!」と叫びまくる。ああいう「ひきつけ」おこすビョーキの人というのは、「遠州人」には多いようだけれども、ああいうのは精神病理学上の問題ではないのか?・・という感じすらする。

新版 ひきつけ・けいれんは小児てんかんを疑え (健康ライブラリー) - 金澤 治
一般に、いわき市・浜通り地区、および福島県や茨城県中北部から東北地方にかけての神棚というのは、でっかいのだ。 それも、伊達家の殿様の家とかそういう所の神棚がでっかい ということではなく、東北地方では「普通の人」の家の神棚がでっかいのだ。
だから、「浜松流」「静岡県型」の神棚を見ると、福島県人、あるいは多くの東北人は「なんだべ、これは」と思うのだ。
神棚というのはどの高さに設けるのがいいか。長押の上の位置に設けられている家が多いのですが、そうではなく「普通の人間が立った時の眼の高さより少し上くらい」がいいという人もあります。そういう神棚もあるようですが、いわき市および浜通り地区、および、茨城県中北部においては、神棚は高さとしては長押の上の高さで、天袋の場所に設けるか、もしくは、天袋の場所に奥行3尺ではなく2尺にして、その手前に長押の上の高さに棚を1尺ほどだして設けるか、棚だけの場合であれば長押の上に3尺くらいの出幅で設けてます。
神棚の幅は、(株)一条工務店のカタログに写真が掲載されていた神棚は幅3尺のものでしたが、いわき市および浜通り地区、茨城県中北部においては、幅3尺の神棚というのは変則的なものと見られ、幅は1間(6尺)なら狭い方で、幅1間(6尺)の神棚もありますが、幅1間半(9尺)の神棚は普通です。天袋に設けるやり方と、壁の前に長押の上の高さに棚を設けるやり方と、天袋の部分にプラスしてその手前に1尺ほどの棚を設けるやり方がありますが、棚を設けた場合には棚の端の部分には、棚の下ではなく棚の上側に「持ち送り」を設ける場合が多い。インターネット上で検索すると、「持ち送り」というと棚を下から支えるものを言うことが多いようで、上から支えるものを「腕木」と言うことがあるようですが、腕木というのは腕を伸ばしたような形状、一本のものを横に伸ばしたものを言うことが多く、棚の上側から支えるものでも形状からいくと、やっぱり、「持ち送り」ではないでしょうか。
幅1間半の神棚て、そりぁ、伊達家の殿様の家とかかい?・・とか東京や大阪の人間は思うかもしれませんが、福島県ではそうではなく「普通の人」の「普通の家」でそういう神棚があるのです。
私が担当するか、引き渡し時に引継ぎ担当だったK井さんが担当するかすれば、問題なく「いわき型」の神棚を取り付けることができたのに、全然関係のない東京の「本社」の近隣の営業に福島県いわき市小川まで、栃木県佐野市よりも遠い場所からわざわざ行かせたために、いわき市の住民からすると「おかしな神棚」をとりつけられてしまうことになったようです。
(株)一条工務店の経営者というのは、おかしなことをするよなあ・・( 一一)
真面目に努力した従業員を苛めまくって、ろくでもないのを大事にする。 その結果として、普通に私が担当してやるか、引継ぎ担当としてやったK井さんが担当するかすれば、普通に「いわき型」の神棚が取りつけられたのに・・、「ネコババ」か「巾着切り」みたいなやつに契約させるから、だから、いわき型の神棚にしてほしいと何度も何度も言われたらしいのに、「これしかできません」と嘘を言って「静岡県型」の神棚を施工した。
又、会社は営業だけでやっているわけではないのだから、どういうものを建てるか、最終決定までには設計担当・「コーディネーター」が関わっており、工事担当が顔を出す場合もあるのですから、営業担当が「静岡県型」の神棚を押しつけようとしたとしても、いわき市にいる設計担当者ならば「いわき型」の神棚を知っているはずですし、「コーディネーター」もいわき市の生まれの人間であったはずですから「いわき型」の神棚を知らないはずはないのです。・・・もしかして、本来なら「本社」に「一条工務店で契約して建てたいのですが、どうすればいいでしょうか」と電話してきた方のお宅に東京からいわき市まで行って契約するというのは「邪道」だと認識していたので、又、その方は いわき市で建てて入居された入居者の親戚の人だということも認識していたので、それで、いわき市の設計・いわき市の「コーディネーター」を使うとばれて「あぶない」と思って、「いわき型」の神棚を知らない東京の設計・東京の「コーディネーター」に担当させるといった「知恵」を働かせたか・・( 一一)
しかし、(株)一条工務店て、何でそんなことするのでしょうね。(株)一条工務店の経営者て、何でそんなことさせるのでしょうね。神棚というのは「地方」の住人にとっては相当大事なものなのです。東京や大阪の人間にとってよりもはるかに大事なものなのです。浜松の人間てわからんのかなあ・・? 静岡県の人間てわからんのかなあ?
静岡県で「静岡県型」の神棚を設置するのはいいと思いますよ。しかし、福島県では「福島県型」の神棚を設けるべきでしょう・・・と言うと「遠州人」は激怒するのですが、なんで怒るの?
「遠州人」という民族は、「空の広さは浜松の広さと同じだ」と言いたい人たちだというのはよくわかりました。「宇宙の天体は浜松を中心として回転しているんだ」と言いたいというのは、それはよくわかりました・・・が、「それでも、地球はまわっている」とつぶやくと怒るというのもよくわかりました。しかし、いわき市で建てる人に「いわき型」の神棚を作ったとしたら「遠州人」は1万円でも損するのかあ? しないでしょうよ。むしろ、「いわき型」のでっかい神棚の方が「静岡県型」の板1枚載せるだけの神棚よりも見積もり金額は高くて建築会社は多くの利益を得ることができて得するはずなのです。
戸建て住宅建築業の会社でも、いろいろな会社があり、「商品」という形になっているものでも、さまざまなシステムのものがあります。
(1)例・・かつての 小堀「新 桂(しん かつら)」「小堀の木造」・・「完全自由設計」と言っていたように、構造上、問題がない限り、費用を出してもらえればどのようなものでも実現する、というもの。
(2)例・・フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/・・構造は無茶苦茶で、設計センスもあきれるくらい悪い担当者が多いけれども、設計事務所なので「細かいことをするのは好き」であり、そのタイプの御施主様にはいいのかもしれない。
(3)例・・かつての 「小堀ハウス55」・・「高品質 低価格」というタイプで「企画住宅」と行っており、プラン集から比較的希望に近いものを選び、それに間取りについて多少の変化を加えることができる。使用する部材は標準仕様のものが決まっていて、オプション(オーダーエントリー)として差額を出してグレードアップすることができるものもあるが、そこに指定されていないものを使うということはできない。あらかじめ、いくつか決められた中から選ぶという条件のもとに「高品質 低価格」なので、なかなかうまくできてはいるし「規格住宅」ではなく「企画住宅」と言っているように「このような住まい方はどうでしょうか」という提案があり、なかなかいい提案があるけれども、自由度という点では制約はある。都市型の会社なので「地方」の人が見ると合わないと思う人も中にあるかもしれない。
(4)例・・かつての 「小堀ハウス55 システムフリー」・・「ハウス55」と同じく、使用する部材はあらかじめ決まっているけれども、間取りについてはプラン集から選ぶのではなく、新たに設計していくというもので、その点で「ハウス55」よりいくらか値段は高いが、間取りの自由度は高い。こういうシステムのもののことを小堀住研(株)では「システムフリー」と言っていた。
(5)例・・(株)一条工務店「セゾン」「百年」・・小堀住研(株)では「ハウス55 システムフリー」のようなタイプのものを「システムフリー」と言い、「新 桂」のように構造以外の部分はすべて自由にできるというもの、「小堀の木造」のような構造からして危険なものを作ってくれというのでなければ完全に自由設計という「完全自由設計」のものとは異なり、使用する物についてはある程度決まっていて「システムにのっとってフリー」である。(株)一条工務店では「注文住宅」「完全自由設計」と言っていたが、使用する部材は決まっているものの中から選ぶというもので、システムとしては小堀住研(株)の名称では「システムフリー」の方になる。 「小堀ハウス55」のようにプラン集があってそこから選んで変化させるというシステムではなく、「小堀ハウス55 システムフリー」のようにプラン(間取)は新たに作っていくものなので、構造上、危険なものを作れというのでなければ自由にできる・・けれども、会社の体質として、あまり設計上、細かいものをやるのは得意ではない。営業担当によって(「設計担当によって」ではなく営業担当によって)対応力は変わる。 自由設計か「システムフリー」かというと、(株)一条工務店では「自由設計」「完全注文住宅」と言っているが、キッチンはオリジナルシステムキッチン、巾木・廻り縁はマトアムク材とか決められており、その点で使用する部材は決められているが間取りについてはシステムは「システムにのっとってフリー」という「ハウス55 システムフリー」に似ている・・が、「ハウス55 システムフリー」の場合は指定されている部材の中から選んで建てるということで「高品質 低価格」を実現しているという「商品」としての制約があるので、そこにないものを使うということはできないが、「一条 セゾン」「一条 百年」の場合は、カタログに載っているものはあくまでも例であって、システムキッチンなどは「オリジナル」システムキッチンを使うという前提になっていて、どうしてもそうでないものを使いたいという場合は、システムキッチンメーカーに勤務している人がお施主様とかこれまでに住んできた家に相当いいシステムキッチンを入れたばかりでそれを使いたいとかいう場合でなければ、「オリジナル」のものから選んでもらうのが基本になっているが、「神棚」などはカタログに掲載されているものでも、それは「施工例」でしかなく、そうでないやり方でやってもらいたいといえばできる・・というもの。
(6)例・・「規格住宅」とされるものでも、「小堀ハウス55」などはプラン集に入っているプランの数が多く、又、変化させることができる度合いもけっこう多く、オプション(オーダーエントリー)として用意されているものもいろいろあったので、「規格住宅」でないことはないけれども、けっこう希望を実現することはできたのに対して、自由度が少なく、本当に「規格」の通りしかできないというもの。
ハウスメーカーと言われる所が建てている戸建住宅というものは、この(1)~(6)のどれかのタイプ、もしくはそのいずれかに近いタイプのものに分類されると考えていいと思います。
「小堀ハウス55」は構造が木質パネル構法で壁面を見ると枠組壁工法(ツーバイフォー工法)の方に似ているが、1階と2階の間に在来木造と同様に太い梁がはいっており、その点では在来木造の方に近い構造のものなので、在来木造と同じような間取りの自由性を確保できる構法だが、枠組壁工法(ツーバイフォー工法)の場合は1階と2階の壁の位置をほとんど一致させないと作れない構法なので、枠組壁工法(ツーバイフォー工法)の会社の「企画住宅」の場合は「小堀ハウス55」よりも「規格住宅」の度合いが大きいものが多かったようだ。
・・・このように分類することができると思う。「例」としてあげたものは私が在籍したことがある会社のものを例としてあげたが、「小堀」〔小堀住研究(株)〕は二代目社長の中島昭午が初代の苗字である「小堀」を会社名から取り除こうとしてエスバイエル(株)というツーバイフォー工法で建てているわけでもないのにツーバイフォー工法を思わせるヘンテコな名前に名称変更した後、「何を考えとるのか」と思われる安物路線に走り、「そんなことしたら会社はつぶれるぞ」と思ったら、あっという間につぶれて、ヤマダ電機に買収されて(株)ヤマダエスバイエルホーム になり、その後、同様にヤマダ電機に買収された「リフォームのナカヤマ」のリフォーム部門と合わせて(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ となり、「エスバイエル」という安物くさい名前は消えた。「バッカじゃなかろかルンバ♪」ということをやる二代目社長やった( 一一) 「小堀ハウス55」「小堀ハウス55 システムフリー」は1990年頃においてはなかなかよくできた商品だったが、時代とともに消えていった。・・・まあ、「バッカじゃなかろかルンバ♪」てことをする社長の会社というのは、日本にはけっこうあるのかもしれんけども・・( 一一)
※ 《YouTube-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs
可能性としては・・だが、(株)一条工務店という会社は「人の出入りの多い会社」であり「従業員を大事にしない会社」で初代社長の大澄賢次郎が「人みたいなもん、求人広告さえ出せばいくらでも採用できる。求人広告にはいくらでもカネをかけて中途入社の社員はどんどん採用しろ。どんどん採用して片っ端からやめさせろお!」と叫んでいたという会社・「ええかげんにさらさんと、おんどれ、しまいに血い見るどお~お!」という会社だったのだが、それだけによくわからない人が次々と入ってくる会社であり、同業他社にいた人で、前職としていた会社の商品が(3)(4)(6)のタイプの商品だったという人だと、中にどこでもそうだろうと思い込む人がいて、(株)一条工務店に入社しても(株)一条工務店の場合は(5)であるのに、(4)だと思い込んでカタログに掲載されていないものは「これしかできません」と言ってしまう人というのがいた・・という可能性はある。実際はできるのに。
もうひとつの可能性として、1993年、千葉県市原市で建てていただいたY様邸の契約をいただいたが、Y様はリビングルームに実際に薪を燃やす暖炉を設けたいという希望で、「一条工務店では実際に薪を燃やす暖炉を施工することはできますか」ときかれて、私は(株)一条工務店の設計担当・工事担当から本社まで確認して「できます」という返事をもらい、それを見込客だった時のY様に伝えて契約してもらい、契約後、(株)一条工務店では設計担当とか工事担当とか積算担当とかではなく営業担当がそういったもののカタログを取り寄せてこういうものを設置してもらいたいというようにもっていけば、設計担当者が図面に落して積算部が見積もりを出すというシステムだということだったので、それで暖炉のメーカーからカタログをとりよせていたところ、営業本部長(その時点での肩書は「次長」)で松戸営業所長・東京営業所長を兼任していた天野隆夫から「何、やってるんだ」と言われ、「御施主様が暖炉を取り付けたいと言われるので、暖炉のカタログを取り寄せています」と話したところ、「何でそんなものやるんだ」と言われ、「御施主様の希望ですから」と答えたところ、「だから、なんで、御施主さんの希望ならやるんだ?」と天野隆夫は言い、「御施主様が希望されていますから希望に沿えるようにやっています」と答えたところ、「だから、そんなものやらなくていいだろうと言ってるんだ」と天野隆夫が言うので、「ですから、契約前から暖炉を取り付けたいと希望されていて、『一条工務店では暖炉は施工できますか』ときかれて、『できます』と答えて契約してもらったのです」と答えたところ、営業本部長の天野隆夫は「だ~から、契約前に『暖炉はできますか』ときかれて『できます』と答えて契約してもらったんだろ。それはいいじゃないか。契約前にきかれたら、何でも『できます』と答えて契約してもらえばいいだろう。しかし、今はもう契約してもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが! 何、考えてんだ、おまえはあ!」と言うのです。はあ? 何、この人? それでは詐欺だろうが! と思い、「そんなわけにはいきませんでしょう」と言ったのだが、そうすると天野隆夫は「なんで、そんなわけにいかんのじゃあ! もう契約してもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。それなら解約すると言うのなら解約してもらって契約金として振り込んでもらった100万円をそのままもらっておけばいいだろうが。何を考えてんだ、おまえはあ~あ!」と言って怒鳴りつけられたのだ。「『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえ」と天野隆夫は言い、そして「やってまええ~え!」と叫ぶのだった・・・が、怖ろしい会社に勤めたものだ・・と思った。しかし、私は「怖ろしい会社に勤めてしまったものだ」と思ったし、「そんなわけにはいきませんでしょう」と言って体を張って自分を営業担当として契約してくれたお施主様の家を営業本部長から守ったのだが、ところがそうではなく、営業本部長から「やってまええ~え!」と言われると、「ようし、やったるぞお~お!」と思う人も中にいるみたいなのだ。
1992年に(株)一条工務店で契約した私の義兄の家にしても、片道200km以内なら転勤後も担当するという(株)一条工務店が就業規則に明記していたルールに反して、営業担当をはずされて中途入社したばかりの松田(男。当時、20代後半)に引継ぎ担当をされた後、松田がいわき市の営業所に電話してきて、「住宅金融公庫の金利が下がりましたけれども、申込をやり直した方が金利が低いのでお施主様にとっては申し込みをやり直した方が有利ですが、めんどうくさいですから、前の申込のままで進めたいと思うのですがいいでしょうか」などと言ってきたので、「何を言ってるの。住宅金融公庫の申込なんてそれほど手間がかかるものでもないのだから、低い金利で申し込んで建てた方が有利なら低い金利の申込でやるものでしょ。そんなわけのわからないこと言わないで、申込をやり直してちょうだい」と言ったのだ・・が、松田は私からそう言われて「そうですか。わかりました」と返事したので、そう返事したからにはわかったのかと思ったらそうではなく、うちの姉に聞いた話では、姉夫婦の所に訪ねてきて「住宅金融公庫の申込をやり直すのは『めんどくさいですから』、前の申込の方が金利は高いですけれども前の申込で建てましょう」と、そういいやがったらしいのだ。あきれた・・( 一一)
「めんどくさい」ならやめてしまえ! 「めんどくさい」などとヌケヌケと言うようなやつが人の契約客の引継ぎ担当なんか、やるな!
・・それで、私が 松戸市の営業所からいわき市の営業所に転勤する時、営業本部長で兼任で松戸営業所長だった天野隆夫に「松田くんが引継ぎ担当でもいいですけれども、新人ですから、問題がないように営業所長として見ていただくようにお願いします」と話し、天野隆夫から「わかった」と返事をもらって転勤したのだった・・・が、天野隆夫は問題がないように見るということをちっともしていないじゃないか・・と思ったのだった・・・が、さらに、そうではなく、天野隆夫こそが松田に「めんどくさいですから、金利が高い方の前の申込で建てましょうと言ってこい」と指示したという可能性が十分に考えられる・・ということに気づいた。
だから、いわき市の私の担当の契約客の方の親戚の方のお宅も、私から担当を奪っただけでなく、いわき市の引継ぎ担当のK井さんでもなく、全然関係のない東京の「本社」の近くの営業に「行って契約してもらってこい」と指示して、さらには「やってまええ~え!」と言って、「うちではこれしかできませんから」と強弁して「浜松流」「静岡県型」の神棚を福島県に設置させたのは営業本部長の天野隆夫だった・・という可能性は十分に考えられる・・という点に気づいた。「やってまええ~え!」と言ったのかもしれない。そして、松戸展示場にいた時の私が「そんなわけにはいきませんでしょう」と言ったのと逆に、「やってまええ~え!」と言われて、「ようし、やったるぞお~お!」と思って「やった」やつがいたのかもしれない。
「遠州人」(あくまで「(株)一条工務店の遠州人」だが)というのは、思考がおかしい。「浜松流」「静岡県型」の神棚を福島県に無理矢理作らせて何か得するのか? 得するものはないと思うのだが、「やってまえ~!」というのをやりたがる営業本部長と、「そんなわけにはいきませんでしょう」と言えない・言わないで「やったるぞお!」という気持になるやつというのが(株)一条工務店にはいるようなのだ。
その「静岡県型」の神棚が、この小休本陣 常盤家住宅 にあった・・・。
なお、「人の眼の高さより少し高い位置にある神棚」は牧之原市の大鐘家住宅で見ることができます。〔⇒大鐘家住宅(牧之原市) 神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html 〕
※ 富士山かぐや姫ミュージアム 小休本陣常盤家住宅 https://museum.city.fuji.shizuoka.jp/index.php/annex/tokiwa
富士市商工会 観光ガイド 小休本陣常盤家住宅 http://fuji-s.or.jp/kankou/archives/spots/tokiwatei
しずおか近代和風建築さんぽ 小休本陣 常盤邸 https://kindaiwafu.eshizuoka.jp/e1020531.html

(2021.10.6.)
☆ 小休本陣 常盤家主屋(静岡県富士市岩淵) 見学。
1.富士川サービスエリアから富士川橋まで。富士川と富士山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202109article_2.html
2.富士川橋付近から小休本陣まで。「あいの宿」「小休(こやすみ)」とは。薬医門。門前から見える富士山は絶景。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202109article_3.html
3.座敷の前の土間、高くなった上段の間、上段の間から富士山が見える配置。槇の大木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202109article_4.html
4.床柱と長押がぶつかる部分で長押を前に持ってくるか手前で止めるか。静岡県では長押を前まで持ってくる例。「浜松流」独善主義の会社。ダンピングとテレビ広告で売る静岡県・愛知県の営業 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_1.html
5. 静岡県型神棚。本来の営業担当を退け関係ない「浜松流」に遠方まで契約に行かせて「静岡県型」神棚を福島県に押しつける一条工務店と営業本部長。〔今回〕
◎ 静岡県シリーズ
★ 駿河地域
☆ 登呂遺跡(静岡市駿河区登呂5丁目)
1.「日本平久能山」スマートI.C.から登呂遺跡へ。駿河と遠江は違う。静岡市に勝とうとする浜松市。京大・阪大の工学部を落ちて静岡大工学部に行った者で「誰がこんな所にいるもんか」と言って出て行く者の話をすると「こんな所とはなんだあ」と激怒する遠州人。片方で浜松は都会だと言い、他方で日本一のドイナカだとダブルスタンダードを主張する卑怯な「(株)一条工務店の遠州人」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_7.html
2.切妻屋根に似た竪穴式住居。高床式倉庫。棟持柱で支える祭殿。一体式屋根の竪穴住居と2つの部分に分かれた屋根の竪穴住居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202108article_1.html
3. 登呂遺跡博物館。「エスキモーの家」か「弥生時代の人の竪穴住居」みたいな「浜松の家」の展示場に勤務した経験と傲慢な「遠州人」。認知度の低い時代に苦労して尽力した従業員を「すて石」にする「一族」の会社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202108article_2.html
★ 遠江地域
☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202006article_4.html
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_2.html
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_4.html
☆ 大鐘家住宅と相良城跡(静岡県牧之原市〔旧 相良町〕)
(1)田沼意次の城下町相良の牧之原市片浜にある大鐘家住宅 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202009article_7.html
(2)井桁に組んだ梁・千木の載る長屋門・酔芙蓉。なぜ川勝平太は事故を起こした原子力発電を製造した会社の責任を問わずに、放射線量検査の方を拒否するのか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_1.html
(3)地形に合わせた建物の配置。「母屋」「上屋」と「庇」「下屋」。表側の庭と裏側の「小堀遠州庭園」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_2.html
(4)床の間と床脇。床柱と長押の位置関係。遠州流を他の地域の人に押しつける(株)一条工務店。会社のために協力する従業員を罠にかける(株)一条工務店 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_3.html
(5)神棚の造りについて。その地域のやり方を無視する(株)一条工務店の営業。会社のルールを無視する営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_4.html
(6)土蔵・資料館。大鐘家の裏の丘からの眺望。相良城跡と田沼意次。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_6.html
☆ 中田島砂丘(浜松市南区)
1.浜松インターから中田島砂丘へ。遠州灘海浜公園の風車と凧と桜。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_7.html
2.樹木の生えた丘と土の丘が2列にある。テトラポッドが沖に。労基法違反の会社・脱税経験の会社・安全対策不備の会社から浜松市は寄付金をもらっていいのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_8.html
3.2列の丘。土の丘から見た浜松駅付近。高層ビルをありがたがる精神面がイナカモン。一条浜松流営業のデタラメhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_9.html
4.海側の丘は砂丘でなく人工の「防潮堤」だった。従業員の賃金をへつったカネが「防潮堤」に化けた。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_1.html
5.陸側の丘に生える松は黒松か赤松か。松丸太梁に使われる松は黒松ではなく赤松の方が良いのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_2.html
6.恥知らず「一条堤」碑。従業員の給料削ったカネを寄付する労基法違反の会社を称える浜松市と浜松商工会議所。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_3.html
7.「防潮堤」は津波対策として河口付近には役に立たないのではないか。両隣の市にはむしろ津波の害を大きくすることはないか。CSG工法とは。自然に広まった名称が「通称」で誰かが決めたような名前は「通称」ではない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_4.html
8.もともと、地元向けで観光用でない中田島砂丘は観光資源としては要らないのではないか。「防潮堤」が海側と陸側に「砂丘」を分けたことの影響。砂丘は保護すべきものか撤去すべきものか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_5.html
9.建物はあっても閑散とした倉松町の(株)一条工務店跡? 木材は潮風にあたると傷むのか? 「遠州人だけ得することならどんなことでも『やらまいか』」という「やらまいか精神」による「防潮堤」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202107article_6.html
[第809回](株)一条工務店は創業以来、TVコマーシャルをやってきた。「借入金0」の論拠を示せ。中田島砂丘がやせる対策は防潮堤でいいのか?~インターネット上の嘘もしくは誤解を指摘する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_5.html
☆ 中村家住宅(浜松市西区雄踏町宇布見 〔うぶみ〕)
1.浜松IC・浜松西ICから中村家住宅まで。長屋門。茅葺と瓦葺のミックスの屋根。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_2.html
2.「和小屋組と扠首(さす)組が合わさった小屋組」、「浜松なのにイナカくさくない」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_3.html
3.「押板」・畳敷きの部屋の囲炉裏・女性的な造りの和室。茶室。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_4.html
4.「鏡戸」「板戸」。内側の雨戸、縦桟の格子。「面取り」した柱とそうでない柱。噛み合わせを設けて継いだ木材。細くない「貫」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_5.html
5.胞衣塚・天神社跡地・茶室・屋敷神祠・井戸屋形、満開の桜。3月下旬、中村家住宅の桜。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202106article_7.html
6.中村家 北西の天神社。元 中村家の氏神だった天神社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
☆ 深奥山方広寺(浜松市北区引佐町奥山)と「信教の自由」を侵害する者
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_4.html
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_8.html
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_10.html
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_14.html
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_15.html
(番外)『ゴルゴ13』と考える「信教の自由」。「信教の自由」を侵害する深奥山方広寺は宗教失格。「信教の自由」を侵害する営業は三流の営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202001article_4.html
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