ひとのせいにする営業、せいにされた時、どうしたものか。勝手に転んで嘘泣きする子供に「申し訳なかったねえ」と言う店長。施主に原因があるものを担当営業を悪者にする男。契約客を放置して解約したいと言われた営業ではなく引き継いだ者が悪いと言う所長。
[第901回]
私は1992年に(株)一条工務店に入社した時、よもや、5年も10年も一線の仕事をさせられるとは思っていなかった。入社2年目にさしかかった時、営業本部長の天野隆夫から「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。慶應大学の出身の人がうちの会社に来てくれるのかと思った」と言ったので、その時点において未上場の会社で・歴史の浅い会社で・従業員数千人未満の会社で・創業の地の浜松近辺では知名度は高くても東京圏ではまったく知名度のない会社だが、そんなに喜んでもらえるのならば悪くないかと思ったのだ。又、その営業本部長の天野隆夫からインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言われ、又、求人広告においては「転勤はありません」と記載していた会社において入社2年目に「ほかの人と違っていろいろな場所を経験してもらおうと思いまして」と言って福島県いわき市の営業所に転勤させられたので、インテリアコーディネーター資格取得者としての知識・認識・技能と慶應大学商学部出身者としての経済学・商業学などの認識と複数地域での実際の勤務経験をもとに全国的・総合的視野のもとに会社を運営するような仕事についてもらおうということであろうと思い、それゆえ、もともとは取得する予定にしていなかったインテリアコーディネーター資格試験に片方で過酷な営業の仕事をこなしながらなんとか合格して登録した。又、会社という所においては、10のことを上役がやってくれと言った場合に、10できずに7くらいしかできない人もおれば12か13やる人もあるわけだから、10ではなく12か13のことをやろうと考えて、インテリアコーディネーターだけではなく「インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリスト」を取得して登録した。ところが、私にインテリアコーディネーターを取ってくれと言った営業本部長の天野隆夫に「インテリアコーディネーターの試験に通りました」と言っても、「通った? さっすがやなあ~あ。おめでとう」と言っただけで無視された。なんだ、これは? 営業本部長といった役職の男が、自分がこの資格を取ってくれと従業員に言って、それで大変な努力をして取得したという者に対して「通った? さっすがやなあ」で終わりというのは、それはいったい何だ!?!
※ インテリア産業協会 インテリアコーディネーターとは https://www.interior.or.jp/ic/about_ic/
インテリア産業協会 キッチンスペシャリストとは https://www.interior.or.jp/ks/about_ks/
私は、もともと、心理学関係の研究者になりたいと考えていた人間で、又、大学の社会科学系学部なら経済学部・商学部よりも法学部の方がいいと思っていた人間だったが、何の因果か慶應大学の商学部に行ってしまって卒業したので、結果として「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」のような感じで卒業した。「心理学」と表記せずに「哲学・心理学」と書いたのは、私は心理学というものを文学・哲学の延長の位置にあるものとして考えて価値があると思っていたのだったが、現在の「心理学」はそうではなく文学・哲学を否定して、「『精神医学』(=ファシズム)のテカ(手下)としての心理学」となるに至っており、私はそういったものに価値があるとは考えていない、むしろ、害があると認識しており、又、《「精神医学」(=ファシズム)のテカ(手下)としての心理学》は《人間ひとりひとりが自主権に基づいて生きることができるための手助けとなるための「哲学・文学の延長上の心理学」》とは正反対のものであると認識している、「反心理学」「反精神医学」こそ本来の心理学だと認識しているので、それで「哲学・心理学」という表現をした。(株)一条工務店に入社するよりも前に、コンピュータ関連のT社において人事総務部に所属して勤務したこともあり、(株)一条工務店に入社してみると、「人事部」というものはなくて「総務部」の責任者は初代社長の大澄賢次郎の義理の弟の天野隆夫の嫁の天野順子が役職はヒラだが「責任者」で、他にヌケタみたいな山本という男がいて、山本はヒラからその上に昇進するだけの功績を何か残したわけでもないのに「主任」にならせてもらっていたので、おそらく、「一族」だと思われた。「一族」の比較的若い人間で「技術系の能力はなく営業としては使い物にならない」という男を総務部に配属して「主任」くらいにならせるということは「あること」だから山本もそうなのだろうと思われた。(株)一条工務店は私が入社した1992年の時点において「全国企業になりかけ」の会社であり、総務部は《初代社長の義理の弟の嫁はんが総務部の責任者で、「一族」のヌケタが「主任」の役職をもらって配属されていて、他は地元の高卒の女性社員ばかり》というのは、それは「浜松の地方工務店としての(株)一条工務店」ならば、それでも通じても、全国企業になっていこうという会社においては私のように「旧帝大系国立大学か早慶」くらいの大学の社会科学系学部卒で労働法・会社法や労務管理論・労働経済学や心理学などを学んできた者を1人、そこに配属して、そして、「役立たずの山本」あたりもそれなりに使ってあげる・・というようにしないといけないはずであり、その点で私はこの会社においては役に立つ人材のはずだと思われた。2001年、総務部長の天野雅弘が私に「アホか。人事総務みたいなもの、一族でない者にさせるわけないだろうが。何、考えてんだ」などと言ったのだが、天野雅弘こそ「何、考えてんだ」。「一族」の人間で優秀な者がいるのならいいが、全国企業になっていこうという会社においては「初代社長の義理の弟の嫁はん」ではだめなのは最初からわかってているし、山本くんでは使い物にならないというのは最初からわかっていたはずだ。人事部長とか総務部長とかいった仕事は私のように「旧帝大系国立大学か早慶」あたりの社会科学系学部出身の人間でそういった方面について学んできたような者に担当させないと、「浜松の工務店」なら「初代社長の義理の弟の嫁はん」でもできても、全国規模の会社になってきたらそれではやっていけないだろう。そんなこともわからんのか、「このハゲ~え! ちがうだろ、ちがうだろ、このハゲ~え!」てものだった。〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
しかし、営業本部長の天野隆夫は私にインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言い、又、「ほかの人とは違っていろいろな場所を経験してもらおうと思いまして」ということで福島県の営業所に勤務させたりしたわけだから、人事総務関係ではなく、商品開発であったり、新規出店計画担当とかそういった仕事をさせようということなのであろうと考えられた。だから、私は、それまで学んできたものから考えると、法律関係の資格や外国語の資格などを取ってくれと言われた方がやりやすく、インテリアコーディネーターのような製図の試験がある資格試験というものは、その方面に進むことは一度やめたものなので、それを再び、やるというのはきつかったが、営業本部長が取ってくれというものであったから、だから、大変な思いをして合格・取得したのだった。2001年、栃木県南部営業所「副所長」の木下が「インテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士にしても、ぼくらはどんなにしても通らないのにあんたは簡単に通る。ズルイ」などと暴言を吐いたが、私は「簡単に」など通っていないし、もとより、製図関係の仕事についてはハタチ前後くらいの頃にその方向に進むのであればともかく、いったん、その方向に進むのはやめたのであり、それを製図が試験科目にある資格を取るというのは方面としてきつかったのだが、営業本部長がとってくれと言うものだから、それならば取得しなければと考えて相当の苦労と努力と工夫の上でやった合格して取得したものであり、それを「ズルイ」などと言う者こそ、その態度こそズルイ! というものであろう。1990年代、福島県いわき市の営業所に在籍した設計課の春田靖は(株)一条工務店の仕事よりも優先して日建学院の授業に行って一級建築士の試験に合格し、松本は「ぼく、日建学院」と言って客の仕事よりも日建学院を優先して二級建築士に落ちて、長谷川恭子は新卒入社してから12月頃まで二級建築士の学習以外ほとんど仕事なんてしないで給料もらってそれで二級建築士の試験に合格したのだが、私はそんなけっこうなことさせてもらって合格したわけではなく、(株)一条工務店の過酷な営業の仕事をこなしながらわずかな学習時間をひねりだして苦労して工夫して努力してやっと合格したのだ。総務部長の天野隆夫は私にではなく、(株)一条工務店の仕事よりも日建学院を優先して通ったり通らなかったりした春田靖・松本や(株)一条工務店に入社して何か月もろくに仕事をしないで二級建築士の学習だけやって通った長谷川恭子にこそ、「ズルイ!」と言う必要があったはずだ。私は春田靖・松本・長谷川恭子みたいなそんなけっこうな待遇にしてもらったことは一度もない。私はそうではなく(株)一条工務店の営業の過酷な仕事をこなしながら日建学院なんてものに行かずに〔(株)一条工務店の営業の仕事をこなすためにはそんなものに行くことはできない〕苦労して苦心して努力して工夫してやっと通ったのだ。天野雅弘の認識はおかしい。総務部長になっている男の頭の外側が薄いのは別に個人の自由だが頭の中が薄いのは従業員にとっては迷惑千万である。〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
私は小学校1年の時から「文理総合型」人間だった。自分で自分のことを「文武両道型文治派」と認識していて、かつ「文理総合型」と認識している。「文武両道型文治派」というのは、これは体育・スポーツについて特にできたわけではないし、運動選手になりたいと思ったことは一度もないのだが、人間として「文武両道型」だということだ。対極に「フォアグラ型文治派」という人がおり、「スポーツ専業型」みたいな人も世の中にはいるようだが私は「フォアグラ」ではないから「フォアグラ」みたいにされると体調が悪くなり頭脳の働きも悪くなる。「文理総合型」人間であり、世の中におられる「理系アタマ」とか「文系人間」とかとは違う。経済学部・商学部・経営学部といった所だけは行きたくないと思っていた人間だったが、本人が一番行きたくない所に強制と脅迫・強要によって行かされた。どこに行くのが一番いいかという判断は難しいが、自分が親の立場であれば、ともかく、本人が望まない所に行かせるというのは良くないと私は思うのだが、うちの父親などは逆で「無理矢理やるのが好きなタイプ」「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」だったから、「そこだけはイヤ!」「お願い、そこだけはやめて!」なんてことを言おうものなら、スイッチが入ってま~すますやりたくなってくる・・というそういうおっさんだった。私が中学校2年の時、下の姉がお見合いをして一度は結婚すると言ったものの、その人と結婚するのは嫌だと言い出したことがあり、その際も、うちの父親は「相手は関西大学やぞ。A子は短大しか出とらんねんで。相手の方が上やで」とか言ったのだが、中学校2年生だった私は「上とか下とか関係ない。上でも下でも本人が嫌だというものはだめです」と言ったのだが、うちの父親は「無理矢理やるとええと思うねんけども、無理矢理。無理矢理やるのがええと思うねんけども、無理矢理。無理矢理むりやりムリヤリ無理矢理むりやり♪」と言うのだった。まさに「無理矢理やるのが好きなタイプ」のおっさんだったのだ( 一一) 「本人が嫌やというものを無理にさせようと思っても絶対にうまいこといかんわけや。そやからやなあ。そやから、おまえは、どんなに嫌なことでも、どんなに気が進まんことでも、どんなに納得できんことでも、何でも何でも絶対に納得せえ! これが一番大事なことなんや。納得でけへん言うたらあかんねんぞ、チャンコロ! おまえは納得できんことでも納得せんといかんねんぞ、どんなに嫌なことでも嫌や言うたらあかんねんぞ、チャンコロ。わかっとんねんやろなあ。本人が納得できんようなことを無理にさせようと思うてもうまいことかんわけやから、そやから、おまえはどんなに納得できんようなことでも、どんなに嫌なことでも何でも何でも納得せえ! これが一番大事なことなんや」と何度も言っていた。最初の出発点の「本人が嫌やというものを無理にさせようと思っても絶対にうまいこといかんわけや」という部分を聞くと、ほお、この人でもそのくらいは理解できるのか・・と思いそうになるのだが、結論は正反対のところにたどり着くのだった。うちの父親というのはそういうおっさんやった。
私が大学に進学する際には「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」とうちの父親から言われたもので、「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と私は訴えたのだが、うちの母親は「百パーセント絶対に国立大学に通るとは限らんでしょうが。たとえ、0.1%でも落ちる可能性があったなら国立大学でも工学部なんて受けてはいかんでしょうが」と言ったものだ。もしも、京大の工学部建築学科に通ったか、東大の理科一類・理科二類に通ったかというと、それはわからないが、どこでもいいなら・・なんて言ってもどこでもいいわけないのだけれども、どこか国立大学の建築学科でというくらいならば、どこか通る所はあったと思う・・が受けさせてもらえなかった。それに対して、(株)一条工務店の東京営業所に1993年に入社してきた堤(男。当時、20代なかば)は明治大学の工学部建築学科みたいなもんに行って卒業し、1990年代、福島県いわき市の営業所にいた春田靖(男。当時、20代前半)は静岡県人のくせして東洋大学の工学部建築学科みたいなもんしか行けないのに東京で下宿みたいなもんまでやって私立大学の、しかも学費が高い工学部になんか行って卒業した。長谷川恭子(女。当時、20代前半)はポン女(日本女子大)の家政学部住居学科みたいなもんしか行けないくせに、ウルトラ糞どあつかましくも東京で下宿までしてそんなものに行った。ポン女の家政学部なんてのは「家庭の主婦養成所」か「家政婦さん養成所」みたいなものかと思っていたら、住居学科の場合は卒業すると二級建築士の受験資格を得られるらしい。しかし、どいつもこいつもフランスも、私ならそんな大学なんか行きたいなんて思わなかったけれども、もしも、受けたいなんて言おうものなら「ふざけるな」「甘ったれるな」と言われるような所に平気で行って、大威張りで卒業して(株)一条工務店に勤めると「学校でてるんだから」とか言いだすだけでなく、営業本部長の天野隆夫が「設計にはどんなことでも服従しろ」などと人権侵害になる発言を繰り返したのだが、あいつらこそ、「ズルイ!」と言われる必要がある、「ズルイ!」と言ってやる必要があるのではないだろうか。私が高校3年の時、うちの父親は「東大に行くということなら、東京で下宿してでも行くべきやし下宿は嫌やなどと甘ったれたことを言うておってはいかんし、東大でなくても慶應大学か早稲田大学に行くのならば下宿してでも行ったらいいし行く値打ちはあるけれども、そんなもん、法政やたら専修やたら明治やたらポン大やたら東洋大やたら何やらわけのわからん私立大学に行くようなやつが下宿してまで大学に行く必要あらへん。そもそも、そんなやつが大学に行くというのが間違ってる。そんなやつは自衛隊に入れてやるべきや、自衛隊に。甘ったれとてはいかん、甘ったれとっては」と言っていた。その基準を実際に適用すると自衛隊だらけになりそうだが、「自衛隊に入れたるべきや」というのは戦中世代として「学徒動員」で満洲に行ったおっさんの思考なのだろうけれども、前半部分については私もそんなものだと思っていた。実際、明治大の工学部しか行かれへんようなやつとか、東洋大の工学部建築学科しか行かれへんようなやつとかポン女の住居学科しか行かれへんようなやつとかなんて、大学行くことないと思うのだ。特に、下宿してまで行くことないと思うのだ。あいつらこそどう考えても絶対に「ズルイ」と思うのだ。又、大学というのは「高校までの学習をしてきた者が行く所」と考えるならば、私は工学部の入試科目である数学・物理・化学などについて少なくとも明治大みたいなもんに行ったようなやつよりは学習してきているはずだし、頭幼大みたいなもん、試験会場に行って受験番号と氏名さえ書けば誰でも通る大学であり落ちるわけないし、唯一、難しいのはポン女であって、これだけは男が通るのは相当難しいと思われるが、その前に、そんな大学に行かそうと思っても「誰がそんな所に行くもんか」「そんな所になんか行かされてたまるか」と思ってる者に無理に行かそうとするのは東大に合格させることよりも難しい。むしろ、「ID野球式学習法 受験は頭でやるもんや」「弱者の戦術」を使ってでも東大の理科一類・理科二類に合格する方が「明治大みたいなもんに、なんで行かされんといかんのじゃあ」とか思ってる人間を明治大みたいなもんに行かせるよりよっぽど可能性があるところだ。慶應大学の教授で「政治学」の講義の時に「私の甥っ子が東大に行きたいと言っているのだが、私は東大なんかよりも早稲田か慶應、できれば慶應に行った方がいいと思ってるのだけれども、高校の世界史の先生で慶應大卒の人がいてザマの戦いとカンネーの戦いを逆に教えたそうで『あんなものを逆に教えるようなやつの大学になんか誰が行くか』とか言うんです」と話された方がおられたのだが、「なんで、東大に行きたがるのか。慶應の方がよっぽどいいのに」などと言われるのだったが、その先生はそう思われるかもしれないが、これから東大の試験を受けて通ってやろうと考えている者が「東大よりも慶應の方がよっぽどいいのに」などと言われても、それは、いわば、これからボクシングのリングに上がって世界チャンピイオンと対戦して倒してやろうと意気込んでいるボクサーに後ろから肩をつかんで「そんなん、世界チャンピオンなんて倒してもしゃあないでえ。やめとけやあ」とか言うようなもので、「うるさいわあ!」と思われるだけだろう。〔⇒《YouTube-ロッキーのテーマ曲/Eye of the Tiger》https://www.youtube.com/watch?v=drFw1tjLsTI 〕もしも、その先生が「東大よりも慶應の方がいいのに」と思われてそう言われるのなら、これから東大の試験を受けて通ってやろうという時期になって言うのではなく、もっと早い時期に言われた方がいいと思う。これから東大の試験を受けて通ってやろうとしている者、これからボクシングのリングに登って世界チャンピオンを倒してやると意気込んでいる者に背後から「そんなん、ええと思わんでえ。やめといたらどうやあ」なんて言ってもだめだ。そういうかわいそうなことは言わない方がいいと思う。その時、私はその先生からあてられて「あなたはどう思いますか」と言われて、あいまいな返事をしたのだったが、正直に言うならば、それはかわいそうすぎると思う。大阪の家の近所に私よりいくつか年下で私と同じ公立中学校から北野高校に行って北野高校から3浪で東大理科三類に行ったやつがいたが、そいつに「東大の理科三類なんて行ってもええことないでえ~え。それより、関学行けよ、関学にい。関学に行ったら女の子にもてるぞお~お。関学どうや、関学ぅ。理科三類よりも関学の方が女の子にもててええぞお~お」とでも言ってやったとしたらどうだっただろうか・・、たぶん、冗談だと受け取られただろうけれども、うちの親ならば平気で「冗談みたいなこと」を無神経に言うが、私が親なら冗談でもそんなかわいそうなことは言わない、かわいそうで言えない。いくらなんでもかわいそうすぎる。東大の試験に合格できるか・・と奮闘している者に無理に明治大だの東洋大だのポン女だのに行かそうとするというのは、それは「ID野球式学習法 弱者の戦術 受験は頭でやるもんや」で東大に合格させるよりもよっぽど難しい・・と思う。・・で、明治やたら東洋大やたらポン女やたらにクソどあつかましくもふんぞりかえって行くやつ・・て、そいつらこそ絶対に「ズルイ!」、間違いなく絶対に「ズルイ!」と思う。天野雅弘や木下は明治やたら東洋大やたらポン女やたらに糞どあつかましくもふんぞりかえって行くやつにこそ「ズルイ!」と言うべきであろうが。言う相手を間違えている。
そもそも、「ぼくらはそんなにしても通らないのに」と木下は言うのだったが、木下は何をやったのか、何もやっていないのではないのか? もしも、「こういうことをやったけれども合格できなかったけれども、あなたはどうやって合格できたのですか?」と質問されたならば、私は何も隠していたわけではなく、私はこのようにやって合格できましたよという話をすることだってできたのだ。それを、「こういうことをやったけれども合格できなかったけれども、あなたはどうやって合格できたのですか?」ときくのでもなく、「インテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士にしても、ぼくらはどんなにしても通らないのにあんたは簡単に通る。ズルイ」などと言って居直るやつの方がズルイ!
又、インターネット上でも、ある資格を取得するのに、どのくらいの学習時間が必要かといったことが書かれているものを見ることができるが「どのくらいの学習時間が必要か」などと言っても「どの時点からか」という問題がある。慶應大学で「社会科学概論」という講義を担当された I 教授が講義の中で「私のゼミにいた人で『太宰治論をやりたい』と言った人がいて、『やってもいいけれども、しかし、卒論のテーマが太宰治論では就職の時に不利にならないか』と言ったのだけれども、『たとえ、就職の際に不利になってもいいから太宰治論を卒論のテーマとしてやりたい』と言うので、それならやればいいと言ったのだけれども、やっぱり、4年の時、就職には不利だったのだけれども、それで、公認会計士の試験を受けると言って受けたら1年で通った。それはどんな分野でも根詰めて徹底して学習した人間というのは学習の仕方というものが身について資格試験の学習もできるようになるようです」と話されたことがあったのだが、たしかに「どんな分野でも根詰めて徹底して学習した人間というのは学習の仕方というものが身について資格試験の学習もできるようになる」ということもあるでしょうけれども、それだけではなく、ともかく慶應大学の商学部を卒業したならば、卒業した時点において公認会計士試験に出題される科目について学んだものはゼロではないわけで、公認会計士の二次試験の科目というと、その頃、1980年代前半においては会計学系が簿記論・財務諸表論・原価計算論・監査論の4科目、非会計学系科目が経済学・経営学・商法の3科目だったが、慶應大学商学部を卒業すれば、ともかく、その科目についてある程度は学んできているはずで、私の場合でも関係ありそうな科目としては「会計学総論」「会計学」「会計制度論」「財務諸表論」、「経済学」「理論経済学1」「理論経済学2」「国際経済学1」「労働経済学」「政治経済学」・「経営学総論」「経営学」「労務管理論」・「会社法」「手形法・小切手法」といった科目をともかく履修しましたから、履修しても何年か経ったら忘れてしまったものが多いとしても、それでもまったく学んでいないのとは同じではない、「一度学んで忘れたもの」と「まったく学んでいないもの」は同じではないわけで、とりあえず、「借方」「貸方」はどっちが左でどっちが右かも知らんという人・公認会計士二次試験の試験科目は何かも知らない人が学習を始めて合格するまでとは同じではないでしょうし、私は「財務諸表論」の講義の際に「電卓は左で打てるように練習した方がいい」と聞いて、左手で電卓を打つように練習して、公認会計士試験は受けたことはないけれども電卓は普段から左で打つようになったので、今も左手で電卓を打ちながら右手で書くことができるのだが〔うちの母親は「それは、あんたが小さい頃からピアノの練習をさせたから左手でも打てるようになるんや」と私が努力したことによるのではなく自分の功績だと言うのでしたが、そういうこともあるかもしれませんが〕〔同様に、マウスを左手で使えないかやってみたが、中指を人差し指と同様に動かすというのは相当難しいようで、又、マウスの左クリックと右クリックを逆に設定するのはけっこうたいそうで、自分のパソコンを逆に設定できても職場などのパソコンは逆に設定できないので、マウスを左手で使うというのはあきらめたが〕〔また、手書きの場合は左手で電卓を打って右手で書くということができても、パソコンでの記入が普通になってくると、パソコンを片手で打つことは難しいので左手で電卓を打てるメリットは小さくなってしまったが〕、公認会計士二次試験に通るかどうかというところまで学習したわけではないけれども、ゼロから学習する人とは同じではないわけで、「太宰治論を卒論のテーマとしたら、やっぱり、就職には不利でうまくいかなかったから公認会計士の試験を受けたら1年で通った」という人だって、それまでに学んできたものがゼロでないだけではなく、もしかすると、もとから、太宰治論を専門として文学部の教職員になるか高校の国語の先生になるかするのでないならば、民間企業に会社員として勤めるよりは公認会計士になる方がいいと考えてある程度以上学習してきていた人が「ある程度は学習してきていた状態」から「1年で通った」のかもしれない・・という感じがします。〔結論を言うと、公認会計士二次試験というのは、いくら「どんな分野でも根詰めて徹底して学習した人間というのは学習の仕方というものが身について資格試験の学習もできるようになる」といってもゼロの状態から1年で合格は無理だと思います。 〕
木下など(株)一条工務店の所長・副所長などにならせてもらっている高卒・中卒の人たちというのは「バカでも入れる私大の建築学科卒」の人間がそんな大学でもそこで建築関係について学んできているものがあることについては「ズルイ」と言わないくせに、社会科学系学部卒の者が法律関係について学んできているものがあるから主として法律についての出題が多い宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士の試験にはそうでない者よりも通りやすいということについて「ズルイ」と言い出すのだが、それは奇妙な対応ではないか。宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 の試験で出題されるのは、権利の変動(民法)・法令上の制限(都市計画法・建築基準法・国土利用計画法・農地法など)・宅地建物取引業法の3分野が多く、民法などについて学習してきている社会科学系学部卒の者がそうでない者よりも、その分だけ合格までの所要時間が短かったとしてもあたりまえであろう。むしろ、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の者よりも、たとえ、法学部・経済学部・商学部・文学部といった学部卒の者でも旧帝大系国立大学卒の者の方が高校までの物理・化学・生物といったものについての学習はしてきているはずであるのに、私がそういった科目の学習を高校卒業までにしてきたように、高校までのそういった学習をしてきていない「バカでも入れる私大の建築学科卒」のやつに卒業と同時に二級建築士の受験資格があり、卒業して2年の実務経験で一級建築士の受験資格があるという制度の方こそ「ズルイ」と私は思う。木下と天野雅弘は「ズルイ」と言うべき相手を間違えている。木下と天野雅弘は「ズルイ」と言う必要がある相手に言わずに見当違いの相手に「ズルイ」と言っている。(株)一条工務店という会社は「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を増長させるのが趣味の男が営業本部長になっている会社だからということが関係しているのかもしれない。
私はそういう経緯で入社した人間だったので、だから、営業として、少々、条件が悪い場所に配属されても、そういう場所を経験することも仕事のうちだと思っていたのだった・・・が、それにしても、いくらなんでも条件の差がありすぎるのではないか・・ということに気づいた。会社は従業員に公平であるべきであり、又、営業に営業成績のグラフを作成して競争させるのであれば、その競争は公平な条件でやってこそ競争になるものであり、又、励みにもなるものであるはずで、明らかに八百長レースでは⇒「ふざけんな!
!
!」と不快感を持つことになるだけであり、八百長横綱みたいな人間を会社として称賛していたのでは、むしろ、そういった態度は害があるものだ。
結局、私は(株)一条工務店に入社して11年余り在籍したが、最後まで「廊下とんび」みたいな仕事しかさせてもらえなかった。「廊下とんび」というのは、1980年代初め、テレビで「今年、大蔵省に入省した皆さん」という番組が放送されていて、6人ほど、新しく国家公務員1種試験合格で大蔵省に入省していて、東大出身者が5人・慶應大出身者が1人、東大出身者のうち1人が女性で他は男性だったが、入省して最初は何をやっていたかというと「廊下とんび」と言って書類を持って廊下を「とんび」のように飛びまわるという仕事をしていたのだったが、アナウンサーがその1人に「あなた、東大卒なのにこんな仕事をさせられて嫌じゃないですか」ときくと、「そんなことありません」と答えていたが、それが「廊下とんび」だ。その職場に馴染み、その職場がどういう所か理解してからでないと、より重要な仕事をしてもらおうとしても無理だから、とりあえず、職場の状況を理解できるように「廊下とんび」をしてもらっていたということらしい。私は(株)一条工務店で「〇〇くんが応募してきた時にはびっくりしたなあ。慶應大学卒の人がうちの会社に来てくれるのかとびっくりした」と言われた上で11年以上もその「廊下とんび」をさせられたのだ。 慶應大学商学部の教授で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の卒業生ばっかりという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身の人間をなかなか採用できないという会社に勤めた方が、経験を積むこともできるし実力を発揮できる場があっていい」と言われた先生が複数おられて、ある教授は、当時、慶應大学に在籍して野球部の投手として東京六大学野球で大活躍していた志村投手を例にあげて、「志村だって法政か明治に行っていたら、他にも力のある投手がいっぱいいるから出番がそれほどないところだが、慶應に来たから、だから、出番があって活躍できたんじゃないか。それと同じことが会社においてもある。三井物産とか三菱商事とかそんな所に行くよりも、慶應あたりの卒業生をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が経験を積む場もあれば実力を発揮できる場もあるはずなんだ」と話されたことがあったが、(株)一条工務店は採用した時には「慶應大学の出身の人がうちの会社に来てくれるなんて、びっくりした」などと言っておきながら、野球にたとえるならば私にグランド整備か便所掃除みたいな仕事ばっかり11年余りさせやがったのだ。最近、YouTube に元プロ野球選手が出て、かつての話をしているものがあるが、元日本ハム⇒阪神の片岡が「むかついた話」として、一番むかついたのは、日本ハムから阪神にFA移籍したが、今一つ、打撃成績が上がらなかった時、代打を出されたのだが、誰が出てきたかと思って見たらカツノリだった。打たない俺が悪いとはいっても、なんで、こいつを代打に出されなければならないんだと、この時が一番むかついた、「カツノリは別に何も悪くないんだよ」と言い、代打を出したのは監督の星野であり、なんで、こいつを俺の代打に出されなければならないんだと怒るのなら監督の星野に怒らないといけないものだったが、聞き手が「星野さんに怒らなかったのですか」と言うと「言ったら殺されます」と話していたが、その「なんで、こいつを俺の代打に出されなきゃならないんだ」というような経験を私は(株)一条工務店で百万回ほどされてきた。
※《YouTube-あの屈辱だけは忘れられへん!!当時あの監督はホンマに怖かった…野球人生を振り返ってムカついたエピソードを語ります〜♪》https://www.youtube.com/watch?v=h_V5g4M2pi0
私は(株)一条工務店において「いくらなんでも、それはないだろ」というものを我慢に我慢を重ねてきたが、普通、会社という所においては、我慢させてきた人間には「それだけ、我慢させてきたのだから、今度は報いないといけない」とか考えるものではないかと思うし、慶應大学の「経営学総論」という講義の時、「日本の会社においては『ここは泣いてくれ。後でもうけさせるから』といった対応というものがある」と教授が話されたこともあったのだが、ところが、(株)一条工務店の経営者は私が他の人間なら我慢しないようなものを我慢してきたことから、逆に「こいつは何をやっても何をさせても我慢する人間だ」と思うようになってしまったようだった。むしろ、「黙っていたらなめられる」と考えるべきだったようだが、それに気づくのが遅かった。
『江川になれなかった男たち』(三一書房)という本に書かれていたことだが、1970年頃、プロ野球の「黒い霧」事件において、一軍の投手が何人も解雇された西鉄ライオンズの二軍にいた東尾は、これだけ一軍の投手が何人も辞めさせられたということは、野球は投手なしではできないのだから俺たち二軍の投手にとってチャンスだと思ったそうで、監督の稲尾は東尾を出してくれたが投げては負け、投げては負けしたが、それでも出してもらえて、そうやって経験を積んだ結果、シーズン後半には、時々勝てるようになった。そのシーズンの東尾の敗戦数がプロ野球ワースト記録になったが、「それで出れるようになったんだから」と東尾は話していたという話が載っていた・・・が、(株)一条工務店は「〇〇くんが応募してきた時にはびっくりしたなあ。慶應大学卒の人がうちの会社に来てくれるのかとびっくりした」と言って採用しておきながら、採用すると「便所掃除」をマウンドにあげて投げさせて、「投手として入団した」私にグランド整備か便所掃除みたいな扱いにした。グランド整備で入社した人をマウンドにあげて投げさせて投手として入社した人間に便所掃除をさせるというのが(株)一条工務店の「一族」経営者の趣味だったようで、趣味が会社の運営よりも優先するのが(株)一条工務店の「一族」の使徒信条だったようだ。

江川になれなかった男たち―ドラフト外伝 - 岡邦行
私は入社した時から、一線の営業の仕事に従事する時でも「会社の運営」という視点をもって見ていたので、こういうことではいかんなあ~あ・・・というものを見てきたし、又、見えてきた。
「ひとのせいにする」というものがある。お客さんで、実際にはその担当者が悪いわけではないのに、その担当者が悪いのだと勘違いしている人というのもおられるのだが、そうではなく、「意図的に他の従業員のせいにする」ということをするやつというのがいるのだ。その例を今回、述べたいと思う。
【1】 いわき市にて。
(株)一条工務店で、1990年代前半、福島県いわき市の山間部で建て替える契約をいただいた某さんから、竣工の予定日を過ぎても完成しないという点に苦情を受けた。少しくらいなら竣工が予定をオーバーしても特にどうと言わない人がいわき市あたりでは多いのだけれども、逆に、都市圏と違って親戚の人間が泊まりに来るということが福島県あたりにおいてはあり、4月末から5月頭にかけてのゴールデンウイークの期間に来る予定があったのに、あらかじめ、余裕をもって日程を組んでいたにもかかわらず、予定の竣工日をずっと過ぎても竣工しないということで苦情を受けたのだ。もしも、親戚の人が停まりにくるといったことがなければ「すいません」ですませてもらえたかもしれないが、そういう事情があったのだ。
それについて、「おまえが悪いんだ」と言われたのだ。「おれは、おまえみたいな嘘をつくやつは大嫌いなんだ」と言われたのだ。しかし、工事が予定をオーバーしたのは営業担当者ではなく工事課の方の問題だ。営業担当も自分が営業担当である以上、工事が予定通り進んでいない場合には工事課に指摘して善処してもらうようにするべきであろうけれども、基本的には工事課の方の問題だが、「おまえが悪いんだ。工事課の人間は悪くないんだ」と言われたのだ。だから、そのお施主様には、もう、勝手にしろ!・・という気持になってしまった。御施主様によっては、私がやってきたことは、やって当たり前と思っていた人もいるかもしれないが、そうでもない。会社がこれが営業担当者の仕事と決めたものだけやっていたのでは家は建たない・・というものがあり、「これは俺の仕事ではないんだけどなあ」とか思いながら、ずいぶんといろいろなことをやってきた。又、家1軒、建つとしても、ここはこうしてあげた方がいいだろうと思って、別に営業担当者の仕事ということではないのだろうけれども、自分を担当として契約してくれた人の為と思ってやったこともあったのだが、私が悪いわけでもないものを「おまえが悪いんだ」と言われ、「俺はおまえみたいに嘘をつく人間が大嫌いなんだ」と私が嘘ついたわけでもないのに言われたのでは、そんなに気に入らないのなら、もう、営業担当としての最低限の仕事だけはやるけれども、それ以上のことはもうやらんわ・・と思うようになり、又、その後、何年点検といったものの時も、会社としては工事担当者の仕事なのだが、営業担当も一緒に行った方がお施主様の為に役立つだろうと思って他の入居者宅には一緒に行っていたのだが、そこまで嫌われているのなら、嫌われている者が行ってもしかたがないと思って、工事担当に「お願いしますね」と言って工事担当だけで行ってもらうようにした。栃木県の営業所に転勤になった時にも、嫌われている人の所に顔を出してもしかたがないから、その方の所には挨拶に顔は出さなかった。それでも、私を担当として契約してくれたありがたい方なのだが、後期が遅れたのは営業担当ではなく工事担当の問題であり、私はそれを工事担当に指摘もして、対処しますという返事ももらったにもかかわらず、さらに遅れたのであり、それを「工事の人間は悪くないんだ。おまえが悪いんだ」と言われるのなら、もう、好きに何でも言ってください・・と考えるしかなかった。
その方の建築地は いわき市と言っても山間部で、浜通りのいわき市の中心部と中通りの郡山市の中心部の中間あたりのいわき市で、私は最初、工事が始まってからも、工事管理は基本的には工事課の仕事だが、営業には工事課の仕事だからと工事現場を見に行かない人もいるが私は自分の担当客の工事現場は工事課の担当の仕事であっても見に行っていたのだが、その方の建築地は行政区画としては東北地方では、唯一、温暖地に分類されるいわき市とはいえ、けっこう寒い場所であり、営業所の「リーダー」から「あんな場所にノーマルタイヤで冬に行ったら危ないから行かない方がいいぞ」と言われて、その指示に従って工事課にまかせて工事中にそれほど行かなかったのだが、それが気に入らなかったということもあったのかもしれない・・・が、私が担当の他の契約客と比べると工事中に見に行った回数は少なかったとはいえ、他の営業との比較であれば私よりずっと見に行かない営業はいくらでもいたわけであるし、基本的には工事管理は工事課が担当のものであったし、工程が遅れたことについても私は工事担当者に言っており、「工事課の担当は悪くないんだ。おまえが悪いんだ」と言われるのなら、それならもうそれでいいから、「悪くない」やつと一緒に話し合ってやってくれ・・ということになった。
【2】 他の営業担当客の家に行って、営業担当のせいにして自分がいい顔をする実際は下駄屋の息子のくせして「親が大工でして」と言う男。
1993年前半のことだ。千葉県松戸市岩瀬の南北に走る国道6号(水戸街道)と東西に走る道路との「岩瀬」という交差点の北東側にあったハウジングギャラリー松戸 という総合住宅展示場に出展していた(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の松戸展示場にいた時〔現在は「岩瀬」交差点の北東のハウジングギャラリー松戸 はない。ヤフー地図で見ると、ファミリーマートとカーセブン松戸中央店になっているようだ。〕、5月に契約してもらった松戸市内、展示場から遠くない場所で建築されたKさんだが、入居時期を急ぎたいという希望であり、その為に私は相当の無理をした。

( ↑ かつて、ハウジングギャラリー松戸 があった所。 マーカーは、松戸市緑が丘1-1 ファミリーマート 松戸岩瀬店。https://www.navitime.co.jp/poi?spot=01151-23714 )
ところが。1998年に栃木県佐野市で契約いただいたAさんなどは、入居時期が決まっていることから急ぎでやりたいという希望だったが、打ち合わせなどは建築屋の側が急いでやれば、御施主様のAさんの方も協力して進めてもらえたので、特に困ることなく進めることができたが、松戸市のKさんはそうではなく、「急いでるのに」と言いながら、建築屋の方が相当の無理をして図面を作成したりしても、「打合せをおこないたいのですが」と言っても、「そんなの予定がつかない」と言い、「それなら、とりあえず、図面を持って行ってお渡ししておきますから見ておいていただけますか。見ておいてもらって、しばらくしてお会いしてうかがいましょう」と言っても、「こられても困る」と言って図面を受け取ることすらも拒否する。そういうことが一度あったということではなく、毎度毎度のことであり、Kさんの都合で通常よりも急ぎで建てたいと言われているにもかかわらず、一般のお施主様なら予定を組んでもらえるものを「都合がつかない」とKさんが言いまくって、その結果、日数が経った。その上で、「一条工務店に頼んだから、だから、予定通りに進まないんだ」などと言われるので、それで、最初は、お客さんのことだからと「どうも、すいませんでした」と、こっちが悪いんじゃねえよ・・とか思いながらも言っていたのでしたが、この人の場合は、こちらが悪いわけでもないのに「すいませんでした」とは言ってはいけない人であり、たとえ、お客様であっても、それでも、Kさんの方に原因があって日程が過ぎたものについては事実を事実として言って、それを理解してもらうようにしないといけない、そうでなければ話は進まないと考えるに至ったのでした。
ところが、(株)一条工務店の静岡県・愛知県地域の従業員にはウルトラの卑怯者がいるのです。
1993年5月、名古屋市の東部、名古屋市天白区(てんぱくく)と昭和区にかけて八事(やごと)という場所があり、そこの営業所にいて営業成績が良くなかった松下という男(当時、30代前半)が千葉県松戸市の展示場に転勤してくるということになりましたが、ところが、転勤の話が決まってから、この男はな~かなか転勤してこない。会社という所においては、〇日からどこそこに行ってくれと言われたならすぐに移るものですが、この男は結局、6月の後半くらいになってでしたでしょうか、ずいぶんと経ってやっと来たのでした。
名古屋市の天白区と昭和区にかけての八事(やごと)と言われても、非名古屋人はどんなとこやらわかりませんが、《ウィキペディアー八事(やごと》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%BA%8B によると、《 広域地名としての八事(やごと)は興正寺に近い八事交差点周辺のことを指すことが多く、興正寺裏の広い雑木林は興正寺公園となり八事山の面影を残している。山手通等の幹線道路沿いはブランドショップ中心の多くの専門店、ブティックに加え、ショッピングセンターや家電量販店、ホテルに病院、かつては中京テレビ放送が社屋を構えていた商業地区でもあり、通り沿いを中心に多くの高層マンションや商業ビルが林立する。その一方で、閑静な住宅街としての一面も持っており、大通りから離れた丘陵地には低層の高級マンションや広大な敷地の邸宅地も垣間見る事ができる。周辺一帯は名古屋市の特別用途地区による文教地区に指定され中京大学、南山大学、名城大学、名古屋大学などがキャンパスを構えている。》《 八事はトヨタ自動車創業家の豊田喜一郎や中日新聞創業家の大島家などの多くの実業家たちの別宅が多数立ち並び別荘地や名所として発展した。大正時代に入ると区画整理が始まり、昭和時代に入った頃には名古屋市内有数の高級住宅街として知られるようになった。そして太平洋戦争中である昭和17年に名古屋帝国大学移転に始まり、戦後の高度成長期には次々と大学キャンパスが作られ名古屋を代表する文教地区となった。また、地下鉄鶴舞線の各駅周辺は学生街を形成し、地元のとある大学はパンフレットで「名古屋のカルチエ・ラタン」と紹介していた。》 という所らしい・・が、松下を見る限り、そういった《広大な敷地の邸宅地》《文教地区》《多くの実業家たちの別宅が立ち並び別荘地や名所》《名古屋市内有数の高級住宅地》《名古屋を代表する文教地区》の営業という感じとは程遠い男だった。

〔 ↑ 名古屋市昭和区八事本町。 八事交差点付近。 マーカーは、八事山 興正寺。
※ 八事山 興正寺 HP https://www.koushoji.or.jp/
八事山 興正寺は高野山真言宗らしい。〕
そして、松戸営業所(展示場)に赴任するなり、名古屋市八事営業所(展示場)という東京都で坪55万円・千葉県で坪52万円で売らされていたものを、名古屋ではテレビ広告付きで坪49万5円でダンピング販売していて、それでいて営業成績があがっていなかった男が松戸展示場に来るなり、「こ~んな営業やりやすい所はない。こんなやりやすい所なら、最低でも浜松や名古屋の倍は売れる」・・( 一一) そう言ったのです。それを聞いて、私より1か月ほど後での入社のS藤が「へっ、そんなこと言ってからに。半年ほどしたら『なんで売れねえんだ』とか言って頭かかえてみたりして」と誰もが思うことを口にしたのでした。私も進藤と同じことを思いました。私は、その時は口にしませんでしたが心の中で思いました。
「これは、ええこと聞いたでえ~え。これはホンマにええこと聞いたでえ~え!」と。
「見せてもらおうやないか。これまで、千葉県でも東京圏でも1棟として契約を取得したことがない男が、東京圏でまったく営業やったことない男が『最低でも浜松や名古屋の倍は売れる』とは、いったいどんなやり方で営業なさるものか、見せてもらおうやないかあ!
それで、万一、本当に『最低でも浜松や名古屋の倍は』お売りになったあかつきには、そのやり方、そっくりそのまま真似させてもらおうやないか。 予定通り売れなかった時には、その時には、人前で指さして大声で笑ってやろうやないかあ!!!」
と思ったものだった。
そして、それから8か月間、松下は松戸展示場に在籍して、松戸展示場において契約棟数はゼロ棟。かつ、解約を1棟だした。
やったあ♪ やった、やった、やったあ(^^♪
お見事でんなあ、さっすが!!!
「東海を制する者は天下を制する」と(株)一条工務店では言ってきたが、東海地方出身だけのことはある。
さっすがやなあ、さすが、さすが、さすがあ~あ♪
「ざまあ、見さらせ、豚のケツ!」
「最低でも浜松や名古屋の倍は売れる」と来るなり言うだけのこと、ありまんなあ~あ!!!
営業本部長で松戸営業所長の天野隆夫が「松下くんは十年選手なんだぞお!」と言うだけのことはある。
ほんま、さすがでんなあ、さすが、さすが、さっ、すっ、がっ(^^♪
さすがは「十年選手だぞお」と営業本部長が言うだけのことはある。
・・私なら、逆に「十年選手」ならば、自分がその地域で1棟として契約を取得したこともないのに、「ここなら最低でも浜松の倍は売れる」などと、そういう傲慢不遜な口はきかないですね。そういう口をきくというのは経験がない実力がない精神面ができていない証拠でしょう・・と思うがな( 一一)
私ならば、たとえ、自分がその会社である程度以上の実績を残してきたとしても、それまでとは異なる営業所に転勤したという場合に、そこで1棟も契約を取得していない段階で「最低でも浜松や名古屋の倍は売れる」だの何だのと、そういう傲慢不遜な口はきかない。
そのあたりが、さすがは(株)一条工務店の静岡県愛知県地域「十年選手」は私なんかとは違うようだった。
もとより、(株)一条工務店の静岡県中西部・愛知県というのは他地域よりもウントコサ安い価格でダンピング販売をおこない、静岡県中西部愛知県のみテレビ広告を””ドカンと一発””やりまくって営業やっていた地域であり、東京圏よりも同業他社ではひと回りか二回り安い価格帯の商品との競合で営業やって「売らせてもらっていた」地域だったのだ。静岡県中西部・愛知県の営業で「売った」みたいに言う人間がいたがそれは間違いで、(株)一条工務店の静岡県中西部・愛知県の営業というのは「売らせてもらった」のだった。「普通にやったら売れる地域」で《「売らせてもらってきた」地域の営業所にいて営業成績があがっていなかった松下》が「普通にやっていたら入れない東京圏」の営業所に来て、来るなりおのれはその地域で1棟でも契約いただいたことがない時点において、「こんなやりやすい所はない。ここなら最低でも浜松の倍は売れる」などと、傲慢不遜、のぼせあがった口をきいて、そして、8か月間そこに勤務して契約棟数ゼロ棟!
バッカじゃなかろかルンバ♪〔⇒《YouTube-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 〕
さすがは営業本部長の天野隆夫が「十年選手だぞお」などと言うだけのことはある( 一一)
「一条工務店の遠州人」て面白い営業やるねえ。営業は意外性の仕事?
そして、この「ここなら最低でも浜松や名古屋の倍は売れる」などと傲慢不遜な思いあがった口をきいた男、松下は実際には松戸展示場において8か月在籍して契約棟数ゼロ棟で、かつ、解約まで出しよった。
松戸展示場に赴任してきた時、松下は「主任」だったが、静岡県・愛知県で「主任」にならせてもらった人間なんて、他の地域ならば「ヒラ」より下だろうと思っていたら、やっぱり、千葉県に来たら「主任」は8か月間契約ゼロ棟だった。予定通りでんなあ、ほんま。
「降格になりやがれえ~え!
!」
と思ったら、なんと、なんと!!!
「8か月間契約ゼロだったビッグマウスの松下」
「口だけの男の松下」は、
副所長に昇進して新しくできた習志野営業所(展示場)に移っていった。
なんだ、これは!
?
!
おい、おい、おい、おい、おい、おい~い!
(株)一条工務店の役職はデマカセてことか!?!
降格になっていい人間を昇進させるのか?
なんだ、これは、いったい!!!
この松下という男は年齢は私より1つ年下だったが、(株)一条工務店には私よりずっと前からいたようで、営業本部長で松戸営業所長兼任の天野隆夫が言うには「十年選手だぞお」ということだった。「十年選手」なら、それだけのものを見せてもらいたいものだ。
1992年に在籍した東京展示場(江東区潮見)では営業社員が最大で13人いたが、ある程度以上経験があったのは「主任」で「リーダー」だった宮崎さん1人だけで、新卒入社3年目のH本、2年目のO田がいて、他は入社1年目の従業員ばかりだった。求人広告には「研修制度が充実していますから売れなくて困ることは絶対にありません」と書かれていたが、実状は正反対だった。
1993年、松戸展示場では私とS藤とG藤の3人が2年目で、他は、またもや入社1年目の人間が6人、中途入社で入ったという状況であり、千葉県・東京圏で営業やったことはなくても(株)一条工務店の営業経験がある人に来てもらえるというのは歓迎したいものだった・・・が、結果としては、こんな人間に来られるのなら来ていらんわ、こんな人間に来られるのでは迷惑だわ・・というものだった。
大きな口ばっかりきいて、8か月間契約ゼロの男というのは「その程度の男」だった。
まさに「口だけの人間」だった。「口だけの人間」でも上祐の方がましじゃないか。
ところが、営業本部長の天野隆夫がその「口だけの人間」に加担しまくるのだ。「口だけの男の松下」に。
なんなんだ、こりぁ。
その松下が、私が担当のKさんが急ぎで建てたいと言いながら、施主がまったく協力してくれないことから進まなくて困っていたところ、そのKさん宅に一緒に行くと言うので一緒に行ったのだ。
ところが・・・、あきれた( 一一)
「口だけの男の松下」は、そこで何を言ったか。
「大変申し訳ありませんでした。すべて、〇〇が悪いんです。今後はきっちりと対処するようにしますから」と、そう言って本来なんにも悪くない私のせいにしたのだ。おいおいおいおい。おまえ、いいかげんにしろよ、コラ!
もうひとり、よくわからないのは、松下が松戸展示場に来る少し前に三重県の営業所から転勤してきた工事担当の神堂(じんどう)(男。当時、20代後半)が、松戸展示場(営業所)の事務所で、なぜか、一生懸命、松下をヨイショしまくっていたのだったが、あれはいったい何だったのだろうか。
(株)一条工務店においても、お客さんが怒ってしまった・・というような時に、「いなくなった人間のせいにする」ということをする人がいる。 この場合、「いなくなった人間」とは退職した人、もしくは、転勤で他の地域に行った人が悪かったんだということにして、それで切り抜けるという「手法」をやる人というのがいるようなのだ。
それがいいかというと・・・、あんまりいいとは思わない。もしも、その「いなくなった人間」のせいにして切り抜けようとして、実はそのお客さんにとっては、その「いなくなった人間」の評価が高かったならどうするのか?・・ということもある。又、「いなくなった人間」の「せいにする」といったことをうかつにやったなら、その「いなくなった人間」をある程度以上知っているお客さんが、「あの人はそんな人じゃない」と思い、「せいにする」という行為をやろうとした人間の方が人間性を否定されることになる可能性だってないとは言えない。本当にその「いなくなった人間」のせいであったのならともかく、そうでもないのに、実際に責任がある人間でもない者の「せいにする」というやり方は、あんまりいいとは思わない。
あんまりいいとは思わないけれども、それでも、「退職した人」や「転勤して他の地域に行った人」の「せいにする」のならば、まだ、わからないことはない。「いなくなった人間」が悪かったんだということにして、「いなくなった人間」を人身御供にした上で、その後、引き継いだ人間が「白紙」みたいな状態から、そのお客さんとつきあっていく・・ということは考えられることではあるだろう。
しかし、1993年、千葉県松戸市の松戸展示場から遠くない場所で契約されたKさんの場合は、松下は実際には何にも悪くない私のせいにして、「すべて、〇〇が悪いんです」などと言って松下が「ええもん」になってしまったのだが、ところが、私はその後もKさん宅の営業担当であり、その後も担当者としてKさんとつきあっていかないといけない人間なのだ。その人間が悪いわけではないのに「いなくなった人間」の「せいにする」ことで切り抜けるという「手法」を使うのならば、その「いなくなった人間」はその後は何もしなくていいのだから、「せいにされる」という損な役回りを押しつけられても、その後は他の人間がやっていくので何とかやっていけるかもしれない。しかし、今もこれからもそこにいて、これからもその契約客の担当をやっていく人間の「せいにする」ことをして松下は自分だけ「ええもん」になってどうするんだ?!? 本来は私が悪いわけではないのに私の「せいにする」ということをされて、それから私はいったいどうしたらいいというのだ?
この松下という男(1993年当時、30代前半)はそういう人間だったのだ。自分だけ「ええもん」になりたかったのだ。
私は、この松戸市のK泉さんという契約客に対しても今も不快感を持っている。私が悪いわけではないし、急ぎで建てたいというのならば建築会社に早くやれと言うばかりで、施主の側は、図面の打ち合わせをしたいと言っても行っても、「今週は都合が悪い」「来週も都合が悪い」と言って予定を組まない。建築会社の担当者にばかり、無理に急がせて、施主は何ら協力しないで、それでいて、「一条工務店になんか頼んだから、だから、なかなか進まない」などと言いまくっていたのだが、それだけではなく、私にも言いたい放題、言いまくったのだが、客だからと言って担当者に何を言ってもいいというものではないはずなのだ。私は入社してそれほど経たない時期だったこともあって、ずっと我慢してきたけれども、我慢しなくてよかったと思うし、違うものは違うと言っていいし、あまりにも我儘な契約客には、それは指摘していいと思うのだ。それでも、契約してくれた人であり、別に喧嘩しなくてもいいけれども、私が悪いわけではなく、私が営業担当だったから、あそこまでしてあげられたのであり、それを理解できない人には、そのあたりをきっちりと話してわかってもらうようにするべきだったと思う。
ところが、「自分だけいい役やりたがる松下」は「一緒に行く」と言うから、「十年選手なんだぞお」として対処というものをやるのかと思ったらそうではなく、「すべて〇〇のせいです」などと言って、何ら悪くない私が悪いと言って自分だけ「いい役」と盗ったのだった。
おいおいおいおいおいおい・・
なんだ、こいつは! これが「浜松流」か?
私が悪いのではない。そうではなく、Kさんのお宅の仕事については、私が担当だったからあれだけできたのだ。(株)一条工務店の最低でも過半数の営業が担当の場合、Kさんは、どう考えてもあれだけやってもらえないはずだ。
Kさんからはひとつ学ばせてもらったことがある。Kさん宅は東と西・南と3方に道路があったのだが、南と西の道は敷地と同程度の高さで出入りできたのだが、東側の県道は2階建ての主屋の屋根よりまだずっと高い位置で、出入りには使えない道だった。それを話したところ、Kさんの奥さんが「そうよ。空き缶、投げ入れられるだけよ」とそう言ったのだ。
その時は、そうか、上の県道の歩道から空き缶を投げ入れようと思えば投げ入れるのにちょうどいい立地だが、本当に投げ入れる人がいるのか・・と思っただけだったのだが、それから何年か経ってわかったのだ。意味が違うことに。
たしかに、歩道を歩きながら缶コーヒーでも缶入りのウーロン茶でも緑茶でも飲んで飲み終わった時、そのへんに投げ捨てる人はいるけれども、歩道のすぐ下に投げ込もうと思えば投げ込めるような立地に人家があったとしても、歩いている歩道に空き缶を投げ捨てる人はいても、その下の人家の庭なり人家の屋根なりに空き缶を投げ込もうと思えば投げ込める位置関係にあっても、実際に投げ込む人というのはあんまりないと思うのだ。実際、このKさま宅のすぐ南の県道の少し西に「角海老」というソープランドがあって、Kさま宅の南側の県道の歩道にはその「角海老」の「入浴料無料券」なんてのが何枚も落ちているのを見たことがあるのだが、「入浴料無料サービス券」て、そんなの無料で利用されたらソープランドは商売にならんのとちゃうのか?・・と最初にそれを見た時には思ったのだが、ソープランドというのは入浴料とサービス料とで成り立っているのであり、入浴料というのは「お風呂に入る代金」のことで、ソープランドにお風呂に入るだけで「サービス」なしで帰るおっさんてのはあんまりないわけだ。だから、「入浴料+サービス料」の「入浴料」の部分を無料にしますという券を利用者には帰りに渡すことがあったらしい。それを、要らんと思ったおっさんは松戸駅まで帰る途中の道で投げ捨てて帰っていたらしい。しかし、その「無料入浴券」はKさん宅の庭とか屋根の上とかに落されることはなく、歩道とか車道と歩道の境目付近の車道とかに落ちていたのだ。
それに対してKさんの奥さんははっきりと「空き缶、投げ込まれる」と発言したのだ。ということはどういうことか・・わかった。私も実際のところ、相当気分を害したのだ。Kさんには私は私生活を犠牲にしても相当のことをしてあげたのだ。(株)一条工務店の営業担当として仕事として割り振られているもの以上のことをしてきた。「早く建てたいのに、ちっとも進まない」などとKさんの奥さんは言うのだったが私が悪いのではなく、誰に原因があったのかというと建築屋に「早くしてもらわないと」と言うばかりで打ち合わせをしたいと言ってもKさん夫婦が「そんなの時間ない」と言い、「いつなら時間を取れますか」と言っても「今週は無理だし来週も無理だし」とか言いまくり、「しかし、早くに建てたいというご希望を実現するためには、早めに打ち合わせをして進めたいのでなんとか時間を取っていただきたいのです」と言っても「そんなこと言っても今週も来週も時間がない」と実際はちっとも忙しくないくせに言いまくって、それで前に進まなかったのだ。自分たちが進まないようにしておきながら、他の営業ならそこまでやらんだろうというくらいのことをやってきてくれた相手に対して、たとえ客であったとしても、そこまで言ってはいかんだろうというようなことまで言いたい放題言いまくったのだ。営業は奴隷ではないので、相手がお客さんであれば、五分五分というわけではなく49対51くらいでお客さんの方に有利な立場があるとは思うが、だからと言って何をやってもいいというものではないであろう。〔赤星だって、「きれた」動画が出てる(^.^) ⇒《YouTube-赤星ヒーローインタビューでヤジにキレる》https://www.youtube.com/watch?v=5k8989-tXEM 「お客さんがぼくに期待してくれてるのにぼくが凡退してしまったとかいう時にボロクソに言われるのは、そういうのはいっこうにかまわないですよ」と赤星は他の動画で話しているが、「客だからって何言ってもいいてもんじゃねえだろ」と言いたかったか・・〕・・私はそれでも我慢してきたが、しかし、同様の態度を取られた人間で、「くっそお~お、火つけたろか」という””くらいの気持ち”” になる人がいたけれども、いくらなんでも「火つける」わけにもいかない・・と思った人間が、「あ、空き缶、投げ込むにはちょうどええ♪」て気持ちになって空き缶を上の歩道から投げ込んだのではないか? その可能性は十分あると思ったのだ。
私だって、「あ、空き缶、投げ込むにはちょうどええ立地やなあ」とは思ったけれども、そんなことしてもしかたないよなあ・・と思って私はやらなかった。だから、私はやっていない。今でもむかついている。特に、松下が私を悪者にして自分が「ええもん」になるという行為を働いた後、私がその後もKさん宅の担当なのでKさん宅に行くと、「あの人は来ないの」とおのれは何にも貢献していないくせに私に「悪もん」の役を押しつけて自分が「ええもん」の役を取った卑怯者の松下に来てもらいたがったのを見て、「火、つけたろか」という「くらいの気持ち」になる人がいても不思議はないと思ったし、さすがに「火、つける」わけにはいかないわなあ・・・と考えた時、北側の県道の歩道を歩いていると、「あ、空き缶、投げ込むにはちょうどええ♪」て思うのだ。思ってそれを実行する人と思っても実行しない人がいると思う。私は実行しなかったが、相当世話になってきた相手に対して、他の営業ならここまでやらんぞというくらいのことをやってもらってきた相手に対して、そういう口を平気できく人間というのは、その相手から「《『火、つけたろか』という「くらいの気持ち」》だがそんなことするわけにいかんわなあ。しかし、気分悪いな」と思われて、そんな気持ちで上の県道の歩道を歩いていると、「あ、空き缶、投げ込むにはちょうどええ♪」と思われて、また、昼間なら他の歩行者から見えても日没後になると、たとえ投げ込んでもよく見えないからまさに「ちょうどええ」状況になり、そして「空き缶くらい投げ込まれたからといってなんじゃあ」と思われて投げ込まれた・・ということは十分過ぎるくらいにありうることだろう・・と思う。・・念のため、断っておくが私は投げ込んでないからな。あくまで、「空き缶、投げ込まれる」という話をKさんの奥さんから聞いて、「あ、そういうことか」とわかったということだ。 Kさんには今でも相当気分を害しているのだが、わざわざ、埼玉県三郷市・東京都葛飾区などとともに放射能のホットスポットになった松戸市にまで行って空き缶投げ込もうという気持ちになるかというと、何よりもめんどくさいからもうええわ・・と思うが、空き缶、投げ込んだろか(^^♪・・と思った人間がいたとしたら、その気持ちはわかるし、おそらく、Kさんは何人もの人間に「空き缶、投げ込んだろか」という気持にならせてきた人だったのではないか。
たぶん、そんなところだと思うよ。 誰しも、立地が「空き缶、投げ込むにはちょうどええ」という立地でさえあれば、空き缶、投げ込むということはあまりないと思うのだ。精神異常者とかそういう人は知らんよ。そうでない人間が空き缶、投げ込むとなると、投げ込むにはちょうどいい立地であったとしても、それだけで投げ込む人は少ない。だから、Kさんの奥さんは「空き缶、投げ込まれるだけよ」と言い、立地に原因があると思っていたようだったが、それだけが原因ではなかったはずだ。
そういうことがあるんだなあ・・と、そのあたりをKさんのおかげで私は学習させていただいた。
「何事も勉強や」とか言う人もいるが・・、若くない年齢になって考えると、別にそんな「勉強」しなくても良かったのじゃないかて気もする。
Kさん宅の仕事の際、(株)一条工務店というのは大変だなあ・・と思いました。(株)一条工務店より前、小堀住研(株)にいたのですが、小堀住研(株)なら工事課なり設計課なりが対処して普通に進めるものを(株)一条工務店では東京圏の設計課は名古屋にいましたし、工事課は経験が浅い男が「主任」で、普通ならこのくらいわかるだろうがということがわかりませんでしたので、営業がやらないといけないものが並外れて多かった。但し、それは東京事務所の工事課の「主任」の能力が高くなかったからということもあったと思われ、その後、転勤した福島県いわき地区の工事課の人間は東京事務所の工事課の「主任」よりはずっと対応力があった。
そういうことがあったとしても、(株)一条工務店としては、それらを補うために営業担当の私が相当の努力と労力を払い、私生活を犠牲にしてもKさん宅のために尽くしてきて、ある程度以上の対応はしていたのです。Kさんが不満に思ったのは「『住友林業みたいの』を建てたいと思ったけれども、『一条工務店』という無名の工務店なら、それより安い値段でできるかと思ったらそうではないみたいだ」と契約してから思ったということがひとつにはあったみたいでしたが〔今から考えてみると、そんなに「住友林業みたいの」がいいと思うのなら住友林業で建てろや、あんなのがいいと思うのなら・・と思わないこともありませんけれども〕、(株)一条工務店は私の相当の努力にもより、Kさん宅に関しては決して悪い対応はしていなかったのです。Kさんは「早く建てたいのに、ちっとも進まない。一条工務店なんかに頼んだからいけないんだ」などと言うのでしたが、それは違います。(株)一条工務店はKさんの希望に沿うように特別扱いで優先的に進めていたのです。そうであるにもかかわらず、「できるだけ早い時期に図面の打ち合わせをおこないたいのですが、今週のご予定はいかがですか」と言っても、Kさんが「今週は予定はつかない」、「それでは来週の前半にでも」と言っても「来週も予定はつかないから」と言い、「それなら、とりあえず、今、図面をお持ちしてお渡ししますから見ておいていただけますか。その上で、打ち合わせをしましょう」と言っても「来られても困る」と言い、そんなもの、普通の家に玄関先で渡すのに「来られても困る」と言う方がおかしいのであり、そんなこと言われていたら何もできなくなってしまうので、松戸市岩瀬の展示場のすぐ近くの家であり、直接持って行くと、「来られても困る」と言って玄関扉も開けない。「ですから、とりあえず、図面をお渡しするだけお渡しして、打ち合わせは後日、おこないたいと思いますから」と言っても扉も開けなかったのです。
その頃の東京圏の(株)一条工務店は大手ハウスメーカーと比べて工事課や設計課の対応力が劣っていた部分は間違いなくありますが、私の献身的な努力により他社と比べても決して劣らない対応をKさん宅にはしていたのです。ところが、↑ のように施主のKさんの方が急ぎでやりたいと言いながら、まったく真面目に対応しようとせず、その結果、なかなか進まずに私も困っていたのです。
早く建てたいと言いながら自分の方が遅らせておいて、それで「なかなか進まない」などと言う人に対しては、「そうではありませんでしょ」と、きっちりと言わないといけません。営業というのは言いなりになるのが営業というわけではありません。
ところが、松下は、そういう契約客の家に行って、「誠に申し訳ありませんでした。すべて、〇〇が悪いんです」と言って、何ら悪くない私が「すべて悪い」などと言って私のせいにしたのです。そうすると、Kさんは喜ぶのです。おまえら、いいかげんにしろよ!・・てものです。
Kさん宅は私が営業担当だったからあれだけできたんですよ。松下が担当ならあそこまでやりませんよ。(株)一条工務店は「営業担当者によって差が大きい」と言われる会社でしたが、Kさん宅は私が担当だったからあれだけできたんですよ。私は自分が担当のお客様の為にはいい家ができるようにと思った自分の生活を犠牲にしてでもKさんの為に尽くしてきたのです。その相手に対して、Kさんの態度は、たとえ、客であっても相当問題があります・・が、それ以上に問題があるのが松下です。
もしも、建築会社がその契約客に対しての対応にミスがあった、間違った対応をした、怠慢だったとかいったことがあったならば、「申し訳ありませんでした」と言うべきですが、そうではないにもかかわらず、松下は自分だけが「ええもん」になろうとして私を「悪者」にしたてあげたのです。
その後、1999年前半だったと思いますが、栃木県地域の「リーダー会議」に松下は栃木県地域の従業員ではないにもかかわらず、参加していたことがあり、その際にも、自分だけ、経営者に喜ばれようという相も変らぬ卑劣な態度・言動を取り、「この男は変わらんなあ」「この男は人間的に成長しないなあ」とがっかりさせられたということがありましたが、営業本部長の天野隆夫が松下くんのことを「十年選手だぞお」などと1993年に言っていたのですが、そういうやり口を「十年」やってきた「選手」ということだったのでしょう。
建築会社の対応にミスがあったとかそういう場合は「申し訳ありませんでした」と言うべきですが、そうではなく、契約客の方に問題があるのであって建築会社の担当者は人並みを越えた対応をしているにもかかわらず、契約客の方が我儘を言っているというようなケースにおいては松下のように「〇〇がすべて悪いんです」などと言ってはいけません。松下は営業本部長の天野隆夫が「十年選手だぞお」と言っていたわけですから、1993年の時点ですでに在籍10年になる従業員だったということですから、それまでに、この男がそういう勤務態度を取ってきた、実際には悪くない他の営業を悪者にしたてあげることで自分だけが「ええもん」になってやろうというそういう営業態度を取ってきた、ということを天野隆夫は営業本部長ならば把握できていないといけないはずです・・・が、それができないのが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫という男だった。・・やっぱり、「中卒の営業本部長」なんてそんなもの!・・・てことか・・( 一一)
Kさん宅に行った時の松下の態度から、私はこの男が「十年選手」であろうが何であろうが、こいつは害がある人間だと実感した。
イソップの寓話に、カエルたちが「王さまをください」と神さまにお願いしたところ、神さまはカエルたちを治めるための「王さま」として、ある鳥をカエルたちに送った。ところが、王さまとしてやってきたその鳥は、カエルたちを片っ端から食ってしまい、残ったカエルたちは神さまに「こんな王さまはまっぴらです」と言った・・・という話がある。
東京圏での(株)一条工務店は新人の営業ばかりで、工事担当も年齢が若いだけでなく社歴が浅く経験が浅い人間しかおらず、たとえ、他の地域ででも(株)一条工務店の仕事をある程度以上の期間、こなしてきた人に来てもらえればなあ・・と私も他の従業員も思っていたのでしたが、そこに「十年選手だぞお」という松下くんが来たのでしたが、「神さま、こんな『十年選手』はまっぴらです」てものでした。
その「まっぴら」な「十年選手」は松戸展示場に赴任するなり「こ~んな営業やりやすい所はない。ここなら最低でも浜松の倍以上は売れる」などと傲慢な口をきき、そして、おのれはそこに8か月在籍して、結局、1棟も契約取れなかったのです。・・さすがは「十年選手」でんなあ( 一一)
そして、その「口だけの男」は8か月契約ゼロなら、他の営業社員ならば「成績不振」と言われて転勤させられたりすることがあったにもかかわらず、松下くんの場合は逆に、新しく作った習志野市の展示場に「副所長」に昇進して行ったのだった。なんで昇進するの? 降格になるのが妥当と思われるような男がなんで昇進するのお? (株)一条工務店の経営者て何を考えてんの? もしかして、なんも考えてないのお?
それから、松下はKさん宅で「私は親が大工でして」などと言い、そう言われてK泉さんは「そうだったんですかあ」などと言っていたが、後に、相当古くから在籍している人から聞いた話では、松下は「大工の息子」ではなく「下駄屋の息子」らしい。「下駄屋の息子」のくせしやがってからに、「私は親が大工でして」などと、「しょうもないこと言い」やりよったようだ。
なんで、そんなこと言うのかねえ~え・・。
又、普通、営業の職種の人間ならば、お客様宅に行って框を上がる際には、前に向って框を上がり、向き直って自分の靴をそろえて中に入るものだが、ところが、この松下という男は「十年選手だぞお」のわりには、後ろ向きになって框を上がってそのまま進んだのだ。そんな営業あんのか・・と思ったし、私が客の立場ならば、「この男、営業だというわりに、そんな框の上がり方をするのか?」と思うところだが、松下は非営業型の框の上がり方をした。
・・もしかして、「大工の息子でして」と嘘を言うだけでなく、「大工みたいな框の上がり方」をやって見せていたのか? ・・とも思ったが、もし、松下がそんなことを思っていたのならば、それは大工に対して失礼だと思う。建築現場で、履物を履き替えないといけない場合、大工は後ろ向きで靴を脱いで上がったりしているけれども、それは資材を持って上がる際に、いったん下に降ろして履き替えるわけにいかないから、だから、後ろ向きで上がっているのであって、ほとんど手ぶらでお施主様宅に打合せで行くような場合には、(株)一条工務店で仕事をしている人でも、私が個人的に自宅の工事を頼んだ時に来てもらった人でも、大工でもきっちりとした人は前から上がって向き直って自分の靴をそろえて中に入るということをしています。大工というものは後ろ向きで框を上がるものだと松下は思っていたのならば、それは大工に対して失礼だろう。松下は「大工の息子」ではなく「下駄屋の息子」だったらしいが、その下駄屋の親父は人の家に訪問した時に後ろ向きで框を上がるのだろうか・・。
松下は、千葉県松戸市岩瀬の松戸展示場から、(株)一条工務店が出店を予定していた千葉県船橋市夏見 の船橋総合住宅展示場に行くのに、今は県道180号となって無料で通行できる道になったがその頃は市川松戸有料道路と言って有料道路だった道をわざわざ遠回りして行くという奇妙なことをした。

〔 ↑ 船橋市夏見1-3 日経社ハビタ 船橋総合住宅展示場。https://www.habita21.com/showroom/funabashi/
私が、過去に勤務したり関わった総合住宅展示場は今ではなくなってしまった所が多いのですが、この船橋総合住宅展示場は今もあります。〕
私などは会社にできるだけ費用をかけさせないようにしようと思って、有料道路と無料で通行できる道とがあれば、有料道路を通った方が速く行けてもその差がそれほど大きくないような場合は無料の道を通るようにしたりしていたのに対して、この男は無料の一般道を通って行った方が近くて速いのにわざわざ有料道路を通って行くという奇妙なことをする習癖がある男だった。福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。田舎の生まれとか、田舎の住人とか、田舎の出身とかいう意味での『いなかもの』というのは、これは別に悪くはない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのはこれは良くない」と語ったようだが、松下のやることを見ると「精神面がイナカモノ」だった。だいたい、市川松戸有料道路(現 県道180号)というのは名前の通り、松戸から市川、市川から松戸に行く時に便利な道であって松戸から船橋、船橋から松戸に行く時に便利な道ではないのであり、”” 必要もないのにわざわざ有料道路を使いたくてしかたがない人間シンドローム”” というのは、それは「精神面がイナカモノ」の特徴のひとつである。
業務上、必要があるから有料道路を使うというのなら会社が費用を出していいだろうけれども、業務上、必要もないのに有料道路を走ってみたいということならば、松下は自分でその費用を払えよ、この「精神面がイナカモノ」( 一一)・・と思うが、この男はそういうものを会社に出費させる男だった。
それにしても、卑怯な男である。「十年選手」として「主任」として「一緒に客宅に行く」と言って行って、担当営業を悪者にして自分だけ「ええもん」になりやがった。この男は十年間、そういうやり口をやってきたのか。
営業本部長で松戸営業所長を兼任していた天野隆夫は、この男のそのあたりのやり口に気づいていなかったとしたならば、それは営業本部長として松戸営業所長として《「職務怠慢」もしくは「無能」もしくはその両方》ということになる。
・・「両方」かもしれんな( 一一)
【3】 東海住宅(株)、子供が走り回るべきでない場所で走り回るのを放置する親とその担当営業。ひとを悪者にする「ヤクザ顔の男」の店長。
2008年、東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/〔本社:千葉県八千代市〕の千葉市花見川区の花見川ショールームにいた時のことだ。
東海住宅(株)は「建築もやっているけれども売買の不動産業が中心で、建築は建築条件付きの土地を買ってくれた人の家を建てるとか、建築条件がない土地を仲介した人に建物も建てさせてもらうとか、土地付き建物を購入して住んでもらった人が建て替える時に依頼してもらうといった『土地がらみ』が中心」という会社だった。その打合せを花見川ショールームという、家1軒の建物で日曜日などにおこなっていた。

( ↑ 千葉市花見川区柏井町1595-60 東海住宅(株) 花見川ショールーム。)
私は普段から建築の営業として花見川ショールームに勤務していた。花見川ショールームはショールームの部分と事務所の部分とからなっていたが、ある時、そのショールームの和室で図面の打ち合わせをおこなっていた既契約客の子供が走ってきて、私のすぐ横で転んだということがあった。もちろん、私が足ひっかけて転ばせたのではない。そんなことするわけない。ところが、その子供は変な知恵がついた子供で、転ぶと同時に大声で「えええ~えん」と泣きだしたのだ。私が子供の頃、もしも、同様に私が転んだならば、うちの母親は「泣きなさんな。男の子が泣きなさんな」と言ったもので、そう言われると泣き止むしかなかったし、その次からは泣くわけにはいかなかった。泣いても同情してもらえるわけでもないのだから、たとえ、少々痛くても泣くわけにはいかなかった。しかし、私が子供の頃は道で転んで膝をすりむいて少々血が出ても、それでも私は泣かなかったのだが、ところが、泣くと同情してもらえるというくせがついた子供というのは、屋内で転んだだけで別に怪我したわけでもなくても大声で泣いてみせるのだ。
私は住宅建築業の会社の営業を長くやったが、お客さんで子連れの人がいた時、最初、男の子というのが苦手だったのだ。どう苦手かというと、女の子が「ええ~ん」と泣きだしたならば、「泣かないの。いい子だから泣かないの」と言ってあげると、たいていの女の子は泣きやんでくれるのだが、ところが、男の子が「ええ~ん」と泣きだしたとなると、「泣くな! うるさ~い! 張り倒すぞお~お!」と言いたくなるのだ・・・が、又、何年か前、船橋京成バスに乗っていたところ、乗客の母親で自分の子供に「泣くな、うるさ~い、張り倒すぞお~お!」と言っている人がいたのを見たこともあるのだが、自分の子供にならともかく、お客さんの子供に「泣くな! うるさ~い! 張り倒すぞお~お!」と言うわけにはいかない・・し、そうであっても、自分のポリシーを曲げて、女の子に対するのと同じように男の子に「泣かないの。いい子だから泣かないの」と言うというのは、そういう信義にもとることはできかねたのだ。だから、お客さんの子供でも男の子というのが苦手だったのだ。但し、たいていの親は営業社員に子供を見てもらうのが当たり前と思っているわけではなく、たとえ、営業社員が子供の相手をしても親も子供を見ており、「泣く男の子」がいても親がなんとかする場合が少なくない。
それで、お客さんにもいろいろな人がおり、お客さんの子供にもいろいろな子供がいる。だから、そういう子供がいても、それはしかたがない。しかし・・・だ。いてもらいたくない従業員というのがいるのだ。
ところが、だ。花見川ショールームの店長になっていた「人相が悪く眼つきが悪いヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳)がそれを見てやってきて「ごめんねえ。悪かったねえ。申し訳なかったねえ」などと言ったのだ。なんだ、こいつは!
そういう言い方をされたのでは、なんだか、私が足をひっかけて転ばせたみたいではないか
ふざけんなよ、コラ、このヤクザ顔!
その子供の親は、親として不注意です。まず、ショールームに子供を連れて行ったならば、親が打ち合わせをおこなっていても、親は1人ではないわけだし、子供が何をしているか見ていないといけない。又、子供にそういった場所に行った時、親から離れて走り回るようなことはしないようにしつけておかないといけない。 私が小学校3年の時に、うちの親が大阪府北部で小堀住研(株)で在来木造の家を建てたのだが、その際に打ち合わせに小堀住研(株)の営業や設計が家に来たこともあったが、サンプルを見ながら打ち合わせをする必要があるからということで、その頃は阪急神戸線「西宮北口」駅のすぐ北東のあたりにあった小堀住研(株)の本社に行った時でも、私はその時の子供みたいに走り回ったりしないで、親と一緒に家造りについて考えていた。
2008年、東海住宅(株)の花見川ショールームに来ていた契約客の子供は、うちの親が小堀住研(株)で家を建てた時の私よりも小さい子供だったけれども、私はその子供くらいの年齢だった時に、その子供みたいに親を無視して走り回ったりはしなかった。その子供の親は、自分の子供にそのあたりの教育をきっちりとしていない親だったのだ。そういう子供を「元気でいい」とか言う人が時としてあるが、それは間違いだ。元気がいいのならば、そんな場所で走り回るのではなく、学校か幼稚園の運動場ででも走り回ればいいことだ。走り回る場所を間違えているのであり、親はそういったことをきっちりと子供にしつけないといけない。それができていない親だったのだ。
そして、もうひとつ。営業担当者が子供を無視していたのではないか。これは、けっこう難しいのだが、私も住宅建築業の営業を始めた頃、小堀住研(株)の最初の研修で「住まいというものは男性だけが住むものではないので、施主は御主人だと思って御主人の話ばかり聞いていたのでは、奥さんに嫌われて契約してもらえなくなります」と言われたし、「むしろ、男性の気持ちとして、その家ができて自分が喜べても嫁さんが喜んでくれないような家を建てたいとは思わないでしょう」とも言われた。だから、だんなの顔を見てだんなに話をすると、次は嫁さんの顔を見て嫁さんに話すとか、夫婦交互に話したり、あるいは二世帯住宅ならば、親夫婦と若夫婦の両方に交互に話をするとか、そういったことを考えてやったものだ。しかし、子供はどうしたものか。そこが難しい。子供に意見をきく親は少ないのだが、だから、子供は無視していいのか? 展示場に「営業補助」として女性社員が配置されている会社もあったのだが、そういう所ではその「営業補助」の女性社員が子供の相手をしてくれるという場合もあったが、そういう人員がいない場合はどうするのか。
最初、私はそれに困ったのだ。契約客ならば、親がなんとかしようとする場合もあるが、住宅展示場にいて来場客が子供づれの場合、親は話を聞きたいと思っていても、子供が「次、行こう。次、行こう」と言ってむずがって親の手を引っ張ると、親は子供に引っ張られて出て行ってしまうのだ。それに対して、子供がその場所を気に入ってそこにずっといると、子供がそこにいる限り親もいるのだ。
それで、私は、住宅展示場で子供づれ客の新規客が来場した時には、だんなの顔を見て話して嫁さんの顔を見て話したら、次は子供の顔を見て子供に話しかけてというようにやるように考えた。子供は自分も相手にされている、自分にも意見をきかれていると思うと、わかってもわからなくても、家造りについて親と一緒に考えるようになり、出ていこうとしなくなることがあるのだ。これは、それこそ、私が「十年選手」だから身に着けた認識だ。2008年、東海住宅(株)の花見川ショールームで契約客の図面打ち合わせをおこなっていた営業担当者にはそういう姿勢が欠けていたのだ。
それにしても、ばたばたばたと走ってきて、私の横に来て勝手に転んでおいて大声で「えええ~ん」と叫んで、そういう時だけ親の所に行こうとする子供というのは、その親はあんまりいい教育をしていない・・・が、それ以上に、そこにやってきて「悪かったねえ。申し訳なかったねえ~え。ごめんねえ、許してねえ」などと「ヤクザ顔の田中」が言ったことで、なんだか、横にいた私が悪いみたいにされてしまったのだが、ええかげんにせえよ、この「ヤクザ顔の田中」
〔 最初、東海住宅(株)に応募した際、面接で取締役だった大澤(男。当時、50代後半くらい?)と会った際、こんなヤクザみたいな人相の悪い顔の男が取締役になってる会社に勤めて大丈夫だろうか・・と心配になったのだが、入社後、またもや、ヤクザ顔がいたというのが田中だった。田中は、韓国に「女の友達(有料)」に会いに行くのと、韓国に銃を撃ちに行くのが趣味というなんか怖そうな趣味を持っている男で、かつて、賃貸マンションでポスティングをしていた時、「ヤクザが来ている」と110番通報されたということを自慢気に話していたこともある男だったが、田中・大澤の東海住宅(株)のヤクザ顔コンビを見ると、初めて来場した人なら「危ない。この会社の店には入らない方がいい」と思って帰る人もいるのではないか。〕
そういう場合だが、親はどうすべきなのか。親は「こっちは客なんだから、従業員が悪いんだろうが」という態度を取るべきなのか?
違うだろ。違うだろ、ち~が~う~だろ~お!〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所に勤務していた時のことだ。毎月、1回、栃木県の石橋町にある栃木工場に工場見学会というものを催し、常磐交通の観光バスでお客さんを案内していた。営業は自分が担当の契約前見込客で参加する人がある場合は同行したが、自分の担当のお客様がない場合や自分が担当の契約客は参加されても契約前見込客はないという場合は同行しないという場合が多かったが、いわき地区から栃木工場はけっこう遠かったので、契約前に工場見学会に参加する人よりも契約後に行く人の方が多く、私は自分の担当の見込客が複数行かれる場合には契約前見込客で参加される人がなくても同行した時がある。会社として、担当営業が行かなくてもいいとされているものでも、自分を担当として契約してくれた人の家造りの為に、他の部署の者がいいかげんだということではなかったとしても、それでも自分がそこに行った方がそのお客様の為になるのではないかと思うと、行った方がいいと私は考えることが比較的多かったが、そういった感覚がまったくない営業もいた。たとえ、営業担当者が行かなくてもまともな家はできたとしても、営業担当者がそこに行ったからといって特にやることはなかったとしても、それでも、自分がそこに行った方が行かない場合よりもほんの少しでもいい家ができるのではないかという気持になる営業が担当の場合と、そんなことちっとも考えない営業が担当の場合ならば、前者の営業が担当の場合の方がいい家はできると私は思う。
それで、他の営業が担当のお客様でも、担当営業が同行していない場合には私はお世話させてもらってきたのだ。しかし、ある時のこと、栃木工場で、子供づれの客で、その子供が工場に置かれていた木材の上に登ったところ、その角材が転び、子供がそこから落ちたということがあった。「落ちた」と言っても、梁桁材だったかから「落ちた」というものだから、たいした高さでもなく、特に大怪我したわけでもないのだが、そうすると、その子供の父親はどうしたかというと、「おい、ここは工場なんだから、そういう物に登るんじゃない。通路をおとなしく歩くもんだ」と子供にたしなめる・・というのが私が親である場合だが、その子供の父親は空に向かって「こらあ! 気をつけろお!」と叫んだのだ。テーマパークなどで、子供がよじ登っても転ばないように配慮されているのと同等に工場に置かれている角材も気をつけて置かれているべきものだとその男性は思ったらしい。それで、「こらあ、気をつけろお!」と空に向かって叫んだのだ。その前に、子供に「おい、ここは工場なんだから、置かれている物によじ登るんじゃない」と注意する・・ということはまったくしなかった。
それを見て、私はこの人はそういう人なんだ・・と思い、この人は私とは合わない人だと判断して、自分が営業担当ではないお客様でも対応させてもらってきたし、営業担当が同行してきていないお客様には、立場が逆になることだってあるし、私が営業担当のお客様が他の展示場を見に行って他の営業の世話になることだってあるのだからと思い、お世話させてもらってきたが、自分の子供に注意することなく「こらあ、気をつけろお」と空に向かって叫ぶ人は、(株)一条工務店は工場見学会を開催するなら、そういう子供がいても問題ないようにもっと安全対策を気をつけるべきなのだろうけれども、もともと、(株)一条工務店なんていいかげんな会社で、「工事現場で怪我したらだめなんて言ったら家なんんて建たないよお~お」と私が入社した1992年には東京営業所の一級建築士が言っていた会社であり〔一級建築士なんてそんなもの!〕、1993年には福島県いわき市の建築中の家の屋根から屋根屋が墜落して頭部打撲で死亡する事故が発生し、それだけではなく、いわき労働基準監督署からその時点での社長の大澄賢次郎(男。当時、50代くらい?)が呼ばれると、あろうことか、大澄賢次郎は「なんで俺が呼ばれなければならないんだ」と怒ったというのだから、まさに1996年に初代社長の大澄賢次郎の息子で(株)日信という関連会社の社長になっていた大澄隆史(男。当時、20代)が東京から浜松までクルマで高速道路をぶっとばして往復し、つきあっていた女性、同棲していたこともある女性を刃物で刺し殺し、「官憲に追われ逃げる」ということをしたが有罪判決を受けた際には「相手が悪い」などと言ったというだけのことある態度だった、そういう男が社長になっている会社であり、「人みたいなもん、求人広告さえ出せばいっくらでも採用できる。求人広告にはいくらでもカネかけろ。求人広告はどんどん出して中途入社の社員はどんどん採って片っ端から辞めさせろお」と叫んでいるという男が社長の会社であり、安全対策不備で職人を死なせても「なんで、俺が労基署に呼ばれなければならないんだ」などと文句を言い、ドバカ息子が女性を殺しても「相手が悪い」などと言うようなそんな男が経営者の会社の工場がそんなに安全対策が十分行き届いていると思う方がどうかしている・・のだが、私が新帝国警備保障で交通誘導警備の仕事をやった時には新帝国警備保障の研修では、レッカー車で吊荷を運んでいる時には吊荷の下に入ってはだめであるだけでなく、レッカー車から吊荷までの作業半径内に立ち入ってはいけません。立ち入っている人がいたならば注意してくださいと言われたものだったが、(株)一条工務店では上棟作業に参加した際、吊荷の真下で作業させられて、せめて、自分の真上を吊荷が通る時だけでも、吊荷の状況を見ておいて、いざという時にはできるだけ避けて致命傷は避けられるようにと思って吊荷を見ていたところ、先輩社員から「こらあ! 吊荷なんか見るなあ。吊荷が上から落ちて来てもおまえが死ぬか半身不随になるかするだけじゃあ。おまえが死んでも会社はいっこうにかまわんのじゃあ。吊荷なんか見るなあ」と言われた・・というそういう会社であり、そんな会社の工場が安全対策万全だと思う方がどうかしているのだが、自分の子供でありながら、自分の子供がどうしているかも関知していない父親、自分の子供に対する教育が行き届いておらず、工場でも子供が何しているか見ていない父親が「こらあ。気をつけろお」と空に向かって叫ぶ・・というのは、それは誰に言っているのか、自分には言わないのか・・と思い、この人には関わりたくないと思って、自分が営業担当でないお客様でも対応させてもらっていたが、その人にはできるだけ関わらないようにした・・・ということがあった。
同様に、東海住宅(株)の花見川ショールームで図面打ち合わせをやっていた契約客の親というのは、自分の子供が何をしているのか、見ていない親というのは、親としてどうなのだろうか。足利事件でパチンコ屋から連れ去られて殺された女の子のお父さんに、「父親が不注意なのが悪い」と責める人があったらしいが、ジャーナリストがそのお父さんにそれを話したところ、「パパが悪いんだあ。パパが悪いんだあ」と言ってお父さんは泣きだしたそうだ。その場合でも、その女の子のお父さんは子供をまったく見ていなかったわけではなく、いつも行くパチンコ屋で、その女の子もパチンコ屋の店員や常連客や景品交換所の店員などと顔見知りになっており、そして、お父さんはパチンコをやりながら子供の方をちらちらと見ていたらしいのだ。しかし、「あ、そこにいるな」と思いながらパチンコをやっていて、ふと見て「あ、どこに行った?」と思って捜したらいなかった・・というものだったらしく、まったく子供を見ていなかったわけではなかったらしい。足利事件の被害者の女の子のお父さんを責める人はいるようだが、子供に対して、このくらいなら大丈夫だろうと同程度の見方しかしていない親はけっこうあるのではないかと思うのだ。だから、お父さんはもっと気をつけておいた方が良かったというならそうかもしれないが、それでも、その女の子を殺したのはやっぱりお父さんではなく犯人であるし、そのお父さんと同程度、もしくはもっと子供に気を配っていないにもかかわらず、子供が誘拐されたり殺されたりしていないケースはいくらでもあるのだ。実際問題として、私は21歳の時に子供用通信教育の教材の訪問販売の仕事をしたことがあったのだが、ある家では小学校1年の女の子が家の前にいて、「お母さんは?」ときくと、「もうすぐ帰ってくる」と言うので、子供に教材をさせながらお母さんを待ったところ、しゃがんだ私の足の上に腰かけてうれしそうに教材をやるので、子供がこちらの足の上に乗っているからにはお母さんは帰ってきた時に話を聞いてくれるだろうと思っていたら、母親は帰ってきたのはいいが、「その子、どうしたって勉強しない子だから」と言って、子供を私の足の上に乗せたまま、さっさと行ってしまったのだった。「おい~い、私が子取りだったらどうするんだよお」と思ったが、平気で行ってしまったのだ。私は子取りではないし、「変質者」でもないので誘拐したりしなかったが、足利事件のお父さんを責めるのならば、他にも、危なっかしい親はいっぱいいるのではないかと思う。

足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本) (講談社文庫) - 小林篤

殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―(新潮文庫) - 清水 潔
東海住宅(株)の花見川ショールームで子供が走り回っているのを注意もせずに放置していた親というのは、どうなのか? 子供を連れてパチンコしていた足利事件のお父さんを責める人がいるようだが、お父さんは子供をまったく見ないでパチンコにふけっていたというわけではなく、パチンコ屋の店員や常連客とはその女の子は馴染で、むしろ、他の場所よりもその女の子を見ている人はいるくらいの場所だったらしく、お父さんはパチンコをやりながらでも、「あ、そこにいるな」と子供をちらちらと見ながらパチンコをやっていたらしいのだ。 それに比べて、東海住宅(株)の花見川ショールームで打ち合わせをやっていた契約客の親というのは、本来、走り回るべき場所ではない所でおのれの子供が走り回っているのを注意もしなかったわけであり、子供を見ていなかったのだが、その親は親としてどうなのか?
もしも、その子供が店から外に出て行き、東海住宅(株)の従業員も気づかず、ふと気づくとどこかに行って見つからなかった・・となったなら、その親は、(株)一条工務店の工場見学会に栃木工場に行って「こらあ、気をつけろお」と叫んだ父親みたいに「こらあ、気をつけろお」と文句言うのか? 誰に文句言うのか?
似たような経験があります。
ある郵便局で椅子に座って順番を待っていた時のことです。小さい女の子が私が座っていた場所の逆側にいる母親の所に行こうとして、私の席と前の席との間の狭い所を走りぬけようとして、「おいおい、そんな狭い所を通るのかよ」と思っていたら、座っている私の足にひっかかって転び、「ええ~ん」と泣きだしたところ、母親が来て「はい、はい。泣かないの」と言ってなだめるとともに、私に「すいません」と言ったのだ。・・なるほどなあと思った。私が足をひっかけて転ばせたのではないのははっきりしているけれども、前で転ばれたのでは私が転ばせたみたいに見えかねないということを、その母親は理解して、そう言ったのだ。なるほど。
さらに、船橋駅前の東武百貨店で、エレベーターに乗りこんだところ、私よりも後から乗ろうとした子供が閉まろうとするドアにぶつかっった。たとえ、エレベーターのドアが閉まろうとして、それに挟まれても、人に扉が当たれば、そこで扉は制止して一度開くようになっているので特に危険はないが、それでも、子供に当たらないようにと思ってエレベーターの操作盤の「開」を押してあげたのだが、ところが、「開」ボタンを押しても即座には反応しないらしく、入ろうとした子供に一度、扉がぶつかったのだ。
せっかく、親切で「開」を押してあげたのに、これでは私が「閉」を押して子供に扉をぶつからせたみたいに見えてしまうなあ・・かなわんなあ・・、「子供」帝国主義みたいな親が多いから、文句でも言ってくるのではないか・・と思ったら、その母親はそうではなく、私が「開」ボタンを押して子供に当たらないようにしてくれたと理解したようで、扉にぶつかってむずがる子供に「どうしたの。はい、はい」と言ってなだめるとともに、私に「どうも、すいません」と言ったのだ。
最近、「子供」帝国主義みたいな親が多いけれども、すべての親が「子供」帝国主義者、「子供」を大義名分に掲げれば何でもまかり通ると考えるバカママ・アホ父症候群というわけではないようだった。
それで、思ったのだ。東海住宅(株)の花見川ショールームで、本来、走り回るような場所ではない場所で走り回ったあげく、自分で転んでおきながら私のすぐ横で、まるで私に倒されたみたいに「ええええ~ん」と泣きだした男児の親。子供に「おい、お前、何やってるんだ。おとなしく静かにしてなさい」と注意するべきで、かつ、横で転ばれて「ええ~えん」と泣かれた(「嘘無き」ではないかという感じだったが)だけでなく、「ヤクザ顔の田中」から「悪かったねえ。ごめんねえ。本当に申し訳なかったねえ」などと言われて、まるで私が転ばせたみたいに言われた・・ということに対して、親ならば「すいません」の一言くらい言うものではないか。
これから、家1軒建てて住もうというくらいの親ならば、そのくらい言えないといけないのではないか。それを言えないようなバカママ・アホ父が家1軒建てなくてもいいのではないのか・・・。
そして何よりも。「ヤクザ顔の田中」は、子供が嘘泣きして、自分で転んでおきながら同情を買ってなぐさめてもらおうとしているのを見ると寄ってきて、「ごめんねえ。悪かったねえ。申し訳なかったねえ」などと言ってはだめだろうが! アホか、この男は。
その2008年の時点で、私は「建築の住宅」の営業としてはベテランだったが、「不動産の住宅」については初心者で、「ヤクザ顔の田中」は「不動産の住宅」の仕事を東海住宅(株)で長くやってきた人間だそうで、その少し前までは東海住宅(株)の福島県の営業所にいたのを千葉市花見川区(最寄駅は京成本線「八千代台」駅)の花見川ショールームに転勤してきたのだが、「建築の住宅」の営業にしても「不動産の住宅」の営業にしても、その時の田中みたいな態度を取ってはいかんだろうが。そして、そんな態度を取ったならば、その後で私に「さっきは申し訳なかった」の一言くらいは言うものだろうが! それを言わずに・言えずに平気でいる男というのは、やっぱり、「不動産屋の営業」というのはレベル低いのか? やっぱり「ヤクザ顔の男」というのは営業としてレベル低いのか?・・ということになる。
「ヤクザ顔」とか言うと、時々、「おまえ、ヤクザを知ってるのか?」とか言う人が出てくるのだが、「よく知ってる」人間なんてそんなにいないだろうし、私だって「よく知ってる」わけではない。「ヤクザみたいな人」がいたとしても、実際にその人が「警察認定 暴力団構成員」かどうかなんてわからないし、ヤクザさんにも「いかにもヤクザみたいなヤクザ」と「ヤクザみたいではないヤクザ」がいて、後者の人はちょっと見ただけではわからないし、一時の清原なんてまさに「ヤクザみたい」だったが公式にはヤクザではなかったようで、「ヤクザみたいだがヤクザではない」人もいるわけだ。まったく見たことはないかというと、そうではない。1991年頃、法務省の警備員の仕事をしたことがあり、検察庁に来るヤクザさんを見かけることは何度もあった。本人が自分で「私はヤクザです」と名のるわけではないが、見ただけでわかる。 よくわからんのは、刑事なのにヤクザみたいな刑事というのが時々いるらしく、最近、YouTubeで「どっちがヤクザかわかりません」と称して、警察による暴力団事務所への捜査なんて動画が出ているが、ああいうのを見ると、「いやあ、怖いなあ。刑事てほんまに怖いなあ」て感じがする
で、その暴力団員さんというのが何をしたのかというと、暴力団員であることを隠してホテルに宿泊したのが詐欺罪だとか、なんか、そういうので警察官が何十人もで事務所に押しかけて「開けんかあ、ゴラア」とか叫んでいるのを見ると、「どっちがヤクザかわかりませ~ん
」て感じ・・というか、そりぁ、詐欺罪に該当するのなら良くないのだろうけれども、しかし、そもそも、ホテルに宿泊しようとする際に「すいませ~ん、ぼく、ヤクザですけど泊めてくださ~い」なんて、普通、言うかあ? ・・て感じもするのだが。
検察庁に来ていたヤクザさんというのは、正真正銘のヤクザさんなのだろうけれども、しかし、「見るからにヤクザ」のヤクザさんと、「ちょっと見ただけではわからないヤクザさん」というのがいらっしゃるらしく、後者はよくわからん。Poco さんという女性漫画家が、かつて、お水の仕事をしていた時に「闇カジノ」に連れていってもらったことがあって、その闇カジノの経営者の男性が実に素敵な感じで、「あの人はいったい何者?」て感じがして、連れてくれた人にそう尋ねたところ、「闇カジノの経営者なんだから、ヤクザに決まっとるだろうが」と言われて、「え、あの素敵な男性がヤクザなの?」と驚いたなんて話を書いていたが、「ヤクザみたいでないヤクザさん」というのもおられるらしく、同時に他方で「ヤクザみたい」でありながら、正式に警察の暴力団構成員のリストには名前は入っておらず、かつ、どこの暴力団にも属していないらしいが、だからと言って「あんなカタギあるわけないだろうが」みたいな人というのも実在している。
それで、正式には「ヤクザ」ではないらしいが「ヤクザみたいな顔」しているおっさんが多い職業というと、これは、警察と不動産屋というのが双璧ではないだろうか。(株)エイブルにいた時のことだが、不思議なもので、入口から人が入って来るその時点で、その人は借り手か貸し手’(家主)か、ひと目、見ただけでほぼわかった。但し、どちらでもないケースとして、
「うわっヤクザみたいの来たっ。こわっ

」
なんて感じの人が来ることが時としてあり、それは警察だった。ちょっと入居者について教えてほしいと警察官が来ることがあったのだが、
「うわあ、人相悪いの、来たあ
」
と思ったものだったが、東海住宅(株)の花見川店の店長の田中の「友達」の不動産屋も人相悪いのが多かった。
警察の場合は、《「うわっ、ヤクザみたいの来たっ」て感じの顔の人》と、そうではなく《「普通の顔」の人》がいて、たまに、交番にいるよりもサーティーワンアイスクリームにいた方が似合ってそうなおねえちゃんとかいたり、そういう相手だと、つい気を許してしまったりとか(^^♪・・・。 あの「普通の顔の警察官」と「見るからにヤクザて顔の警察官」というのは、どういう経緯であの違いが出てくるのだろう? 「なんで、あんた、ヤクザみたいな顔してはりますのん?」なんて尋ねたら怖そうだからきけないけれども。 そして、「不動産屋のおっさん」てのは、なんで、「ヤクザみたいな顔」になるのだろうか? もともと「ヤクザみたいな顔のおっさん」が不動産屋になるのか、不動産屋やってると「ヤクザみたいな顔」になるのか?
東海住宅(株)にいた時、取締役で後に社長になって社長になったらすぐに社長を別の人間にかわった大澤と、福島県の店から転勤してきて花見川ショールーム店の店長になった田中の2人、東海住宅(株)のヤクザ顔コンビにきいてみればよかったなあ・・と、この点についてだけは後悔している。「なんで、あんたら、『ヤクザみたいな顔』してはりますのおん?」て。 きけばよかった、失敗した。
それで、花見川ショールームで走る場所ではないのに走り回って、それだけでなく、私の横で転んで大声で嘘無きしたやつの親の担当営業。 誰だったか、後からでも私の所に来て、「先ほどはすいませんでした」という一言くらい言うものだろうが。
それを言えなくて、営業と言えるか!・・と思うが、「不動産屋の住宅の営業」というのは、そのあたりが「建築の住宅の営業」に比べて「レベルが低い」のか、「すいませんでした」の一言がなかった。
東海住宅(株)の営業というのはそういう連中だったのだから、そういう時には私の方から、その営業の店に行って、「言っておくべき言葉がないのと違いますか」と言ってやるべきだったと思う。失敗した。そういうものは黙っていてもわかるもののはずだが、東海住宅(株)のレベルの低い営業は黙っていたらわからないようだ。黙っていたらわからないやつには言ってきかせてやらないとだめだった。
※ 東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕https://www.10kai.co.jp/ については、
[第619回]《平塚神社社殿の裏の岡。猫の死骸をかわいそうと思うか気持悪いと考えるか―平塚神社と浅見光彦【7/15】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
[第903回]《転職した場合「その会社では先輩」社員にどこまで遠慮すべきか。同僚が困っているところを女を助手席に乗せて見物に来る男。警察がやるなということを自分はやらずに従業員にやれと言う店長。男性に雪かきさせて自分は部屋中に入って座ってコーヒー飲む女症候群。男性が掃除と準備をした所に遅刻してやって来て下駄箱の上をひと撫でして「私がここまでやった」と宣言する女。ほか・・》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_3.html
でも述べました。御覧ください。
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あれは1962年のことですから、今(東郷正延『ロシア語のすすめ』(講談社現代新書)の第1刷が発行された1966年)からではもう4年もまえのことになります。その年の秋から冬にかけてたまたま私(東郷正延)はソ連に滞在していたのですが、11月7日の早朝、私はけたたましい電話のベルに眠りを破られました。ねむい目をこすりながら受話器をとると、「自分は科学アカデミーの者だが、貴君を本日の革命記念式典にご案内のためお迎えに参上した。これから5分以内に支度をしてホテルのロビーまでおりてきてほしい」とのことでした。ホテルはこの日のためにアメリカから招待された三名の学者も泊まっていましたので、その人たちと連れだって「赤い広場」にかけつけると、そこはもう一杯の人でごったがえしておりました。人ごみをかきわけ、何か所に検問所を通過して、クレムリンの城壁を背にした来賓席についたときは、キューバ人の一団がおりからのキューバ危機を反映して、盛んな気勢をあげて人々の注意を釘づけにしているところでした。
やがてその騒ぎも静まったとき、あたりを見わたすと、すこし離れたところに、あるロシア人が十歳ほどの男の子をつれて、式のはじまるのを待っているのが目にとまりました。でも式がはじまるまでにはまだ一時間以上あります。やがてその子供は暇をもてあましたのでしょうか、自分の席をはなれて広場に遊びに行きたいと父親にねだりはじめました。はじめ父親はあれこれなだめていたようでしたが、子供の方は相かわらず鼻を鳴らして父親をこまらせています。ちょうどその時でした。その近くにいたあかの他人のロシア人が私のところまで聞こえるような声でいいました。
「もしお前が男(ムシチーナ)なら、がまんしなさい。これくらいのがまんが出来なくてどうするんだ!」
とつぜんのお目玉に、その子はすっかりおとなしくなりましたが、私にとってはこれは大変な驚きでした。私は思わず「ソ連を見つけた!」と心のなかでさけびました。子供は国の宝であり、これを育成するのは国民全体の責任と考えるソヴエト人にしてみれば、これは至極あたりまえなことなのでしょうが、私はこの光景に深く打たれ、今でも事あるごとにそれを思いだすのです。・・・・
東郷 正延『ロシア語のすすめ』1966.11.16.講談社現代新書
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東郷正延さんは、モスクワにて、ロシア人が他人の子供でも叱るのを見て「ソ連を見つけた」と心の中で思ったというのですが、それならば、日本ならば、本来、走り回るような場所ではない所で走り回り、自分が転んでおきながら、嘘泣きして人に同情買おうとする男の子がいたならば、東海住宅(株)の花見川店の店長だった田中(男。2008年当時、60歳)のように、「ごめんねえ。悪かったねえ。申し訳なかったねえ」などと言って嘘無きする男の子の機嫌をとるのか? それが日本なのか? 違うだろ。
ロシアならば他人の子供でも叱るところを、日本ならば「ごめんねえ。悪かったねえ。申し訳なかったねえ」などとアホなことを言って私のせいにするのか? 田中は、せめて誰かのせいにするのならば私のせいにするのではなく田中自身のせいにしたらどうなのか? 日本でもやっぱり、住宅展示場の中で走り回る子供がいたならば、田中みたいに、走り回って自分で転んでおきながら嘘無きして同情買おうとする男の子の機嫌をとるのではなく、「ぼく、ここでは走り回らないで」と住宅展示場の従業員は言うべきものであろう。違うか?

ロシア語のすすめ (講談社現代新書 95) - 東郷 正延
※ 嘘泣き⇒《YouTube-アジャコング VS 救世忍者乱丸&ハイビスカスみぃ 2/2【乱丸フェスタVOL.17】》https://www.youtube.com/watch?v=-SyIYTC13GQ 2:00~
【4】 (株)一条工務店。 引継ぎ担当なんか引き受けない方がいいかと思った経験。
1998年前半だったか。(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所(展示場)にいた時のことだ。 1997年に新卒入社したSくんが1年で退職した後、Sくんが唯一、契約いただいた茨城県北部、北茨城市だったか高萩市だったかのS様邸の契約後の引継ぎ担当を私と同じ営業所(展示場)にいたベテランのKさん(男。当時、40代)が担当していたのだが、そのKさんが新潟県上越市の展示場に転勤することになり、私が再引継ぎすることになった。
御施主様のSさんは勤め先も確かな所で年収もこの地域の住人としては悪い方ではなく、人柄も真面目な人で特に難しいところもなく、土地も十分な広さのいい土地を持っておられた方だったが、建築予定地の前面道路に下水が通る予定があったということだったか、上水道が通る予定になっていたということだったか、ともかく、退職したSくんが1997年に契約いただいた時点では、前面道路の上水道だったか下水道だったかがまだ通っていなかったので、それが通ってから建てるという予定だったが、新卒入社1年目のSくんが契約だけ先にしてほしいと訴えるので、それならと契約してくださったらしかった。
但し、ここで問題は、Sくんは「もしも、解約される時には契約金の百万円はお返ししますから」と言って契約してもらったらしく、契約客のSさんとしては前面道路の上水道だったか下水道だったかが開通すれば(株)一条工務店で建てるつもりで契約されたのだが、もしも、契約後に他社の方がいいと思ったならば解約することだってできると理解して契約書に署名捺印して、着手金として100万円を振り込んでいただいたようだった。
問題は2つある。ひとつは、まだ、建築予定は少し先だが営業担当者が契約だけ先にしてほしいと訴えて契約してくれたお施主様というのは、そこで営業の都合をきいてくれたありがたい人なのだ。だから、営業担当者は、営業担当の都合をきいて契約してくれたありがたいお客様には礼儀を尽くさないといけない。ところが、Sくんは退職してしまった。契約だけしてもらって担当者が退職してしまうというのは、そのお客様に申し訳ないことである。そう思うからか、Sくんは退職するとは話さず、転勤になったと話したらしい。
その契約客Sさんの引継ぎ担当を「私は本当はもっと売れるのだけれども、わざと取らないようにしているの」などとおっしゃるベテランのKさん(男。当時、40代)がなった。これは人選ミスだと思う。Kさんは普段から「攻め手が遅い営業」だった。本人はその意識がないようだった。それより前に退職した1995年にだったか退職したMさん(男。当時、20代後半)はKさんと逆で展示場で有望見込客を接客すると、「来たあ、有望客♪ 一発で決めてやる!」と毎度、強打・KOを売りにするボクサーみたいなことを言う人だった。私は最初にMさんと会った時点ではまだ入社2年目だったのでよくわからなかったのだが、そのうち、「なんで、この人は強打・KOを売りにするボクサーみたいなことを毎度言うのだろうか?」と疑問を感じるようになった。 「啐啄同時(そったくどうじ)」という禅宗の言葉〔『碧巌録』という書物に載っている言葉らしいのだが〕 があるが、住宅建築業の営業もそれと似ていて、お客様が契約しようという気持になる時に営業が「クロージング」をおこなうと自然と契約してもらえることになるが、お客様がまだ契約しようという気持になっていないのに営業の都合だけで「クロージング」をかけて契約してもらおうとすると、それが原因で話がつぶれることもあり、又、逆にお客様が契約したいという気持になっているのに営業が「クロージング」をおこなわないようだと、この人は契約してもらいたくないのか? うちはカネがないと思われているのか? とお客様の方で不審感を持つようになってしまい、それが原因でおかしくなって契約にならなくなることがある。 Mさんの場合、ボクシングにたとえるならば、ワン・ツー・スリーで決めに行けば喜んで「KOされてくれる」(契約してくれる)のに、それを「一発で決めてやる」と,ワンの段階で契約してもらおうと無謀なことを毎度やりたがるというのは、なぜなのだろうか・・と疑問に思うようになったのだ。それについて、Kさんが「なぜか、わかりますか」と言うので、「極端にモノグサだからでしょ」と私が言ったところ、「それもあるでしょうけれども、それだけじゃないですよ」と言うのだ。「人間にもいろいろありましてね。初対面だとつきあいにくそうに見えてもつきあっていくと、いい人じゃないかという気持になる人もいますが逆の人もいますでしょ。初対面だとそんなに悪い印象ではないけれども、長くつきあえばつきあうほど印象が悪くなる人というのがいますでしょ。Mさんはそれなんですよ。精神面が卑しいものだから、しかも自分でそれを自覚しているから、お客さんにそれを見抜かれる前に契約書に署名捺印してもらおうとするんです。だから、『一発で決めてやる』と言うことになるんです」と言うのでした。「あ、そうかもしれませんね」と私は答えたのでした。「そうかもしれません」ではなく、そうでしょう。間違いなくそうでしょう。「極端にモノグサだから」ということもあるけれども。
※ 《goo 辞書――啐啄同時(そったくどうじ)の解説 - 学研 四字熟語辞典》https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%95%90%E5%95%84%E5%90%8C%E6%99%82/
それに対して、Kさんは「私なんか、お客さんから『この後、どうしたら契約させてもらえるの』と言われたことがありますよ」と、「ちょっと得意」みたいな言い方で言ったのでしたが、それは「ちょっと得意」にしてはいかんでしょうが。Kさんの場合はMさんと逆で「攻め手が遅い」のです。見込客が契約しようかなという気持になってきた時点でもまだ「クロージング」に入らないものだから、だから、「この後、何をしたら契約させてもらえるの?」という言葉が見込客の口から出たのでしょう。自分の人間性が卑しいということを自覚しているから、だから、見込客がそれに気づかないうちに契約させてしまおうと「一発で決めてやる」などと強打・KOを得意とするボクサーみたいなことを毎度言う人よりはいいかもしれませんが、Kさんの「攻め手が遅い」というのは、消極的な営業・熱心さがない営業ということを意味しているものでもあり、Kさんは「ちょっと自慢」みたいな言い方をしていましたが、「ちょっと自慢」できるものではなかったのです。
土地の状況が1年後なり2年後なりに前面道路に上水道なり下水道なりが通るから、通ったら建築したいと考えている方に、その条件が整うよりも前に契約だけしてもらうとか、あるいはお施主様の年回りから今年は建てるわけにはいかないという事情がある人や、家族で亡くなった人があることから一周忌が過ぎてから建てたいとか、三回忌が過ぎてから建てたいとかいう事情がある方に契約だけ先にしていただくという営業の側の都合をきいてもらった場合には〔もしも、その間に値上がりがあった場合には契約時の価格で建てることができるという施主にとってのメリットがあるとしても〕、そのお施主様は営業の方の都合をきいてくれて協力してくれたありがたい方なのですから、決して他のお客様よりも不利になることがないように、決して他のお客様よりも粗末な扱いをすることがないように気をつけなければいけません。
又、実際に建築するのは先だけれども契約だけ先にしたという御客様がいた場合、その御客様は実際に計画を進めるまでの間に同業他社の展示場を見に行かれる場合もあり、そういう際に同業他社の営業でなんだかんだ言うやつが出てくる可能性もあります。私が担当させていただいた契約客でも、たしか、もう工事が始まっているのに、同業他社の営業から「一条さんですかあ。いいですねえ~え。でも、高いでしょう。社長さんでもなければ一条工務店では建てられないですよねえ」などと言われたという方があり、私とお会いした時に「☆☆の人がこんなこと言ったんですけれども、うち、社長なんかじゃないですけれども大丈夫でしょうか」などと言われたのですが、「大丈夫ですよ。きちんと資金計画を立てて進めましたよね。社長さんでなくても一条工務店で建てていただいて住んでいただいている方はいくらでもおられますよ」と話したところ、「そうですよね」と納得された、ということがありました。
又、他に、やはり、実際に建てて住むのは少し先なのだが契約を先にしてくれたという御施主様がいわき地区でのみ建てている建築会社の独立の展示場を見に行って「うちは、もう、一条工務店で契約してるんですけれども」と話されたところ、「一条さんですかあ。この間、そこの一条工務店で問題があったんですよねえ~え」と言われたそうで、「何があったんですか?」と問い返したところ、「それはちょっと・・」などと言いやがったらしい。それで、その契約客の方は私と会った時に、この話をそのままされて、「一条工務店の鹿島町飯田の展示場で何かあったように言われたのですが、何があったんですか」と言われ、「さあ。私はそういう話は聞いていませんけれどもね。▽▽ハウジングの人は何を言ってるのでしょうね。むしろ、私が▽▽ハウジングの人に、何があったのか尋ねてみたいところです」と話したところ、契約客の方は「そうですか。それなら、いいです」と言われて、その話はそれですみました。
この2例でも、私の場合は実際に建てるのが先の方に契約いただいた場合でも、特に用事があってもなくても定期的に会いに行っていますから、同業他社の営業で「しょーもないこと言い」が何か言いよったという場合でも、そういう際に、↑ のように契約客の方がそれを話してくれるのです。それを聞いた時にきっちりと対処さえすれば、むしろ、同業他社の営業の「しょーもないこと言い」攻撃は空を切る、もしくは、かえってその攻撃はマイナスになることになります。ところが、Kさんみたいに「あの人、建てるのは先だから連絡してもしかたがない」などと言って放置すると、その間に他社の営業から集中攻撃を浴びることになり、(株)一条工務店で契約してくれた契約客の方は最初は自分が契約した(株)一条工務店の方の味方であったものの、自分がまだ建築は先なのに契約してあげた(株)一条工務店を自分が弁護しているのに、(株)一条工務店の営業担当は契約だけさせておいて、いったん契約したが最後、完全に無視して放置する!・・・ということは、何もそんな会社で建ててあげる必要はないのじゃないか・・・と思いだすのです。
まだ先なのに契約してくれたSさんは茨城県北部の住人でしたので契約は福島県いわき市の営業所で契約されたものの、茨城県の展示場を見学に行かれることもあったようです。そして、茨城県の水戸市の展示場だったと思うのですが、そこの営業に言われたらしい。「うちはまだ建てるのは少し先なんだけれども、いわき市の展示場の営業が契約だけ先にしてほしいと言うから契約したら、契約したが最後、完全に放置された。工場見学会だってあるのに、いっこうにうちには連絡がない。近所で一条工務店で建てているお宅があるのに、それだって教えてくれない。一条工務店で契約して失敗した。建築するのはまだ先でも契約だけ先にしてほしいと営業の人が言うから契約だけ先にしてあげたのに、一条工務店に裏切られた」・・と、そう話されたらしい。なるほど、Kさんが担当ならそうなるだろうなあ・・と思いました。
元阪急ブレーブスの山田久志投手が『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)という本を書いているのですが、そこで「日本に来る元大リーガー」について、元大リーガーというものを山田はあまり高く評価していないそうで、自分は元大リーガーだというプライドばっかり高くて日本と日本のプロ野球をバカにしてろくに働かず、えらそうな口ばっかりきくやつが多いという印象があり、そして、近鉄バファローズにオグリビーが入団した時にも「どうせ、そんなもんだろ」と思っていたらしいが、ところが、来日したオグリビーは違った、という。すでにプロ野球選手としては高齢の方の年齢になっていたにもかかわらず、そんなことは何の関係もない、いついかなる時も常に全力疾走・全力プレーであり、「全力疾走・全力プレーこそ一流の証(あかし)」という考え・姿勢で手を抜くようなことがまったくない。その姿を見て、オグリビーはかっこいいと思った。さらに、その年、近鉄が最後の最後まで西武と優勝を争い、近鉄が最後のロッテとのダブルヘッダーの2連戦に連勝すれば近鉄の優勝、1つ負けるか引き分ければ西武の優勝という試合で、第一試合は近鉄が勝ったが、第二試合、近鉄はロッテと延長戦の末、引き分けて惜しくも優勝を逃した後の残念会の時、こっそりと席を抜け出したオグリビーはトイレでひとり泣いていたそうで、その話を知り合いの記者から聞いて山田はオグリビーは本当にかっこいいと思った・・と書いていた。Kさんはオグリビーと逆の人なのだ。「私は本当はもっと売れるんだけど、わざと契約取らないようにしてんの」と常に言う人で、そんなこと言われても、私はKさんに「お願いですから契約取らないようにしていただけませんか」なんて頼んだことないのであり、何も「わざと売らないように」なんてしなくても売ればいいでしょうが! そんなこと言わなくても契約取ればいいだろうが・・と思ったものだったが、Kさんはそういう人だったのだ。

プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
Kさんはそのように「積極性のない営業」でしたので、営業の方からいろいろとアプローチしてほしいお客様には向かない営業でしたが、お客様の方からいろいろと求める人の場合には、Kさんはけっこう長く(株)一条工務店に在籍している人で、いわき地区の従業員の間でも「困った時はKさん」という言葉があって、「これ、どうすればいいのかなあ」と困った時にはKさんに尋ねると、たいてい、何らかの対処法を親切に教えてくれる、それも、Kさんよりも多く契約を取っている営業にでも嫌がらずに教えてくれる人で、かつて、西武ライオンズに工藤公康投手が入団した時に先輩投手の東尾に何だったか変化球の投げ方を教えてくださいと言ったら「なんで、そんなもん、教えんといかんねん」と言われたそうで、ライバルに教えるということは自分の飯の種を失うということを意味しているわけで、なんで、ライバルにそんなもん、教えんといかんねん・・というのがその時の東尾の考えだったらしいのだが、その逆がKさんで、ライバルにでもお構いなしに何でも教えてくれる人で、「なかなか、便利でしょお~お♪」なんて本人が言っていた(笑)というそういう人で、(株)一条工務店の営業でも「熱意はあります」という人でも熱意だけしかなくて、少しでも難しいものには対処できない人がいたのですが、Kさんはそうではなくたいていのことに対処できる人でしたので、御施主様の方から、こうしてほしい、ああしてほしいと要求するという人にとっては悪くない営業だったかもしれません。但し、「20坪キラー」と言われて小さい家を得意とする営業で、いわき地区の他の営業や設計・工事担当や大工ほかの職人から「あの人、東京の街中とかで20坪の契約取るならともかく、いわき みたいな300坪もあるような土地に建てる人がいっぱいいるような場所で営業やって、いったいどうやって20坪のお客さんを捜してくるんだろう? ・・と不思議がられていたという人で、ある程度以上の広さで建てようという御施主様はKさんに営業担当をされると、延べ床面積50坪の家なのに「20坪の家みたいな50坪の家」ができてしまう・・というところはありましたが、そういうことはあっても、それでも、御施主様の方から、これをこうしたい、あれをこうしたいと要求してくれる人には悪くない営業だったのではないかと思います。
しかし、Sさんのように、まだ建てるのは少し先だという人に、建築時期は先であるにもかかわらず先に契約してもらったという場合には、私ならば、たとえ、建てるのが先であっても定期的に訪問もすれば郵便も出し、電話もして連絡を取って、御施主様がどうしておられるかご機嫌伺いをして、又、同業他社の営業が何か「しょーもないこと」を吹き込んだりしていないか把握するようにしたものですが、Kさんはそういうことは一切しない。なにしろ、「本当はもっと売れるんだけど、わざと売らないの」と公言するような人ですから。 普段の営業活動からして「契約したいんだったら言ってちょうだい。そうでなかったら別に契約してもらわなくたっていいじゃないですか。契約なんか取ったら仕事が増えてしまうでしょうが」みたいな人ですから〔本当にそう言うんですからね〕、ですから、Sさんに対してもそんな態度だったのでしょう。 Sさんとしては、自分はまだ建てるのは先だとはっきりと言っているにもかかわらず、(株)一条工務店の営業が契約だけ先にしてほしいと訴えるから、だから、契約だけ先にしてあげたのに、契約したと思ったら担当営業が転勤になって(実際は退職していたが)、引継ぎ担当だという人は何にもしない! よその未契約客には住宅建築業の営業が契約してもらおうとなんだかんだアプローチして、(株)一条工務店の営業も建築現場見学会に行きませんか、工場見学会に行きませんかと頻繁に誘っているのに契約した自分の所には一切、誘いが来ない。馬鹿にされた!・・と思うようになられたようでした。
ですから、建築時期が少し先だが先に契約してくださったというそういう御施主様の仕事の引継ぎ担当をKさんみたいな「やる気がない営業」に担当させたのが間違いの元です。「私は本当はもっと多く売れるんだけど、わざと売らないの」とか言ってる人って、本当に売ろうと思ったら「もっと売れる」と自分では思っているかもしれませんが、もしも本当に「もっと売ろう」としたならば、その時に売れるかというと、売れない可能性が低くないと思われますし、それ以前に、「本当にもっと売ろう」という気持になることができるかというと、なれないでしょう。なれないと思いますよ。
1970年代後半、我が家の近所で私と同じ中学校から同じ北野高校に進学して、大阪大学法学部に現役で通って行ったK村哲二という男がいて、そいつのお母さんが「京大でも通ると北野高校の先生が言われました」だの「阪大なら絶対に通ると北野高校の先生が言われました」だのと近所中にラッパを吹き鳴らしてぎゃーすか叫びまくったのでしたが、ええかげんうるさいなあ、このおばはんは! と思ったものでしたが、「京大でも通る」のならば実際に京大を受けて通って行けばいいだろうが! 京大を受けずに阪大を受けて行ったのは自分だろうが! 誤解せんといてほしいねんけども、わし、K村に「お願いですからどうか京大は受けんといてください」なんてお願いしたことなんて、いっぺんもないでえ。それとちょっと似ているのだが、Kさんも「私は本当はもっと売れるんだけど、わざと売らないようにしてるの」なんて言わなくても、「本当はもっと売れる」のならば、本当に「もっと」売ればいいだろうが!
だから、(株)一条工務店のひとつの失敗は引継ぎ担当の人選ミスです。・・「だいたい、契約みたいなもん、するから仕事が増えるんでしょ」とか言ってる人に引継ぎ担当させると、その人は新たな契約獲得のための活動には消極的でも引継ぎ担当なら滞りなくやるだろうと(株)一条工務店の経営者は考えたのかもしれませんが、「契約みたいなもんするから仕事が増えるんでしょうが」とか言ってる人というのは引継ぎ担当でもその姿勢でやりますからね。お客さんはそれに気づきますからね。
そして、新卒入社1年目のSくんがSさんに契約してもらう時、Sくんは「契約を取りやめられる場合とか他社で契約される場合には契約金の百万円はそのままお返ししますから」と言って契約してもらったらしいのですが、ところが、(株)一条工務店の契約約款には小さい字で、「3年以内に同業他社と類似の契約を結ぶことがないと判明した時には」という文章が入っているのであり、Sさんのように(株)一条工務店の営業の引継ぎ担当から放置された、何もそんな営業の会社で建てる必要はない! と憤慨されて他社で契約して建てたいというそういう場合には、契約金の百万円はお返ししませんと書かれているのです。
(株)一条工務店の契約書は「契約書」と「契約約款」と「仕様書」からなり、「契約書」の文章は比較的大きい字で書かれているのですが、「契約約款」の文字は小さく、読みにくい大きさの字で書かれているのです。 しかし、これは気をつけて見ないといけません。
又、今は違うでしょうけれども、その頃くらいまでは(株)一条工務店は「坪◇◇万円」で契約ということをして、契約後にプラン打合せをおこなって図面を決めるというようにしていて、これは建設業法違反のはずなのですが、「坪◇◇万円」で契約というやり方をしていた時、私は契約後にもめることがないようにと考えて、その「坪◇◇万円」には何が入っているか、どこまで入っていて何は含まれていないかということを明確に説明して契約してもらおうと努力したのですが、ところが、1993年の末、「通達」が浜松の本社から来て、それまで「施工面積」に含まれていなかったベイウインドウの部分の面積も「施工面積」に参入することとしますと言ってきたのでしたが、そこで、「今回は、これから契約される新規客に対してですが、今後、既契約客に対しても適用していく予定です」などと書面に書いてきたのです。なんだ、これは?!?
それで、(株)一条工務店の福島県浜通り地区の所長だった草野次男さんに私は「これから契約される方に対して、これまでは施工面積に参入していなかったベイウインドウの部分の面積も参入することにするというのはいいと思いますが、既に、ベイウインドウは1か所サービスです、施工面積には入りませんということで契約いただいた方に、やっぱり参入してその分、余計にお金をもらいますなんて言うのは、それはいけませんでしょう」と言ったのです。当たり前のことを私は言っているはずです。ところが、所長の草野次男さんはこう言ったのです。「おまえ、契約してもらう時に、施工面積にどこが入ってどこは入らないか、いちいち説明しているのか?」と。「もちろん、説明しています」と私は言いましたが、そうすると、浜通り地区の所長の草野次男さんはこう言ったのです。「馬鹿か、おまえは! そんなもの、説明しているおまえが悪いんだろうが。施工面積にどこが入るか、どこは入らないかなんて説明するからいかんのだろうが。そんなもの、話さずに契約してもらえば、契約後にいっくらでも面積を広げることができる。馬鹿か、おまえは!」と、そう言われたのです。・・それでは詐欺だっぺえ!!!
私は契約していただく前に、契約書の文面をお客様と一緒に読み、そして、小さい字で書かれている契約約款も一通り読んで、そしてその後、「3年以内に同業他社と類似の契約を結ぶことがないと判明した時には契約金は返金する」と書かれている部分については、特に念を押して、「建築とりやめになったという場合はお返ししますが、同業他社で建てたいから解約したいという場合は返金いたしませんという意味です。よろしいでしょうか」と念を押して、その上で契約していただくようにしてきました。ですから、私が担当の契約客の方からは、「それは聞いていない」という話は出てこなかったのです・・・が、逆に、その部分は説明せずに、大きな活字で書かれている「契約書」の文章だけ見せて、小さい活字で書かれている「契約約款」については「これはもういいですね」みたいに言ってすませて契約書に署名捺印させてしまう営業がいたみたいなのです。・・そして、どうも、(株)一条工務店の「一族」経営者は私のようにきっちりと説明して契約していただくようにしていた営業に対しては「おまえ、何やってんだ」と怒り、きっちりと説明せずに署名捺印させるような営業を「営業力がある」とか言って称賛していたのです。「施工面積」についても、既に契約した契約客に対して、契約後に「施工面積」に入る範囲を広げようと言い出したりする会社です。・・そういうのを「営業力」と言うのでしょうか。私はそういうのを「営業力」と言うのは間違いだと思います。
私は、契約時には、きっちりとそういう重要な部分は説明した上で契約していただくようにしないといけないと思っています。但し、新人などでなかなか契約をもらえないという人が、なんとか契約が欲しいと思い、建築予定は少し先だという人に「他の会社で建てたいと考えられた時には返金しますから」と言って契約させて、後から解約したいと言うと「ほら、契約約款のここに書いてありますでしょ」と言い出すというヤカラもいたみたいです。
S様宅の担当だったSくんはどうだったのか。Sさんが解約したいと言われた時、Sくんはすでに退職して会社にいなかったので、Sくんは、同業他社で建てたいので解約したいという場合でも返金するものだとSくん自身が誤解していたのか、それとも知っていて、その部分を説明せずに契約してもらったのか、そのあたりはわかりません。私としてはSくんはよくわかっていなかったからだったと考えたいのですが、わかりません。
契約客のSさんは聞かれていなかったようでした。しかし、それでも約款には書かれているのです。困ったものです。
もしも、Sくんが退職ではなく本当に転勤して他地域の営業所にいたのならば、Sくんに連絡を取って、契約時にどうだったのか問い合わせることもできましたが、退職して会社にいませんでしたので問い合わせることができません。
又、Sくんがどうであったかにかかわらず、住宅建築業の会社は新卒新人でまだ20代前半の人の最初の1棟目の契約くらいは所長か所長でなくても誰かある程度以上経験がある営業が同行・同席して問題がないように配慮するべきですが、Sくんが契約した時に誰か同席していなかったか、めぼしい営業にひとりひとり、「Sくんが契約する時に同席していませんでしたか」と尋ねてまわったのですが、誰にきいても「俺は同席していない」と言うばかりでした。ある程度以上経験のある営業ならともかく、新卒新人の入社1棟目くらいは所長か所長でなくても誰かある程度以上経験がある営業が同行・同席して契約していただくというように会社としてするべきです・・・が、それをしないのが(株)一条工務店でした。
また、Sくんが新卒入社した1997年、いわき地区には営業系として新卒社員が3人、所長の草野次男さんと同じ展示場に配属されたのですが、「所長がいる展示場に配属する」というのがいいのかという問題もあったのです。いわき地区の所長の草野次男さんは年間契約棟数全国1位の成績を残したこともある人でしたが、そういう人のいる展示場に勤務して、そういう人の動き方・営業のやり方を見て参考になるのは新人ではなく、むしろ、ある程度は契約を取れるようになった人であって、新人は、むしろ、全国1位くらいに契約を取る人ではなく、「ある程度契約を取れるようになった人」くらいに指導してもらった方がいいのではないかと思われるようなところもあるのです。所長の立場になってみても、1人ならともかく3人もいっぺんにくっつけられたのでは指導もできないのではないか、むしろ、自分が契約獲得の活動をするのに「足手まとい」になるみたいで草野次男さんは嫌がっていたふうにも見えたのです。そして、合うか合わないかという問題もあり、所長の草野さんはどちらかというと比較的年配の人が契約客に多く、新人を営業担当として契約してもらおうとしたら「所長が担当というならともかく、俺の息子よりも若いようなやつと契約しろと言われても」と言われたとこぼしていたこともあったのです。むしろ、その「俺の息子くらいのやつ」で営業やってきた人とくっつけた方がその人のやり方を学べたかもしれない。ともかく、3人、営業系の新卒新人を配属したならば、3人とも所長にくっつけるのではなく、ひとりひとり、別の営業にくっつけるようにすれば、マンツーマンで見ることだってできたのではないか。・・で、なんで俺に見させてくれないんだとも思ったのですが、アマノジャクの会社ですから( 一一) 私に新人を見させるのが嫌ならそれならそれでもいいから、所長に3人もくっつけて見させるのではなく、1人を所長にくっつけたのなら、他の2人は誰か「ある程度以上の通算契約棟数で・ある程度以上の在籍年数」の人に別々にくっつけて見てもらうようにした方が良かったでしょう。
私が、その時、新卒新人をつけられて「この人を見てあげてください」と言われていたならば、きっちりと教えてあげることができたでしょう。ところが、(株)一条工務店はそういう者にはつけないのです。
ひとつには、私につければ、「お客様を騙すようなやり方で契約してはいけない。契約後に問題が発生しないように、説明するべきことはきっちりと説明した上で契約してもらうようにするべきです」と話したでしょうから、そうなると、営業本部長の天野隆夫は気に入らないのです。1993年初めに私が担当で契約いただいた千葉県市原市で建てていただいたY様はリビングルームで実際の薪を燃やす暖炉を設置したいという希望で、契約前に「一条工務店では実際に薪を燃やす暖炉を設置できますか」と質問されて、私は(株)一条工務店の設計から積算から各部署に問い合わせて「できます」という返事をもらって、それを伝えた上で契約してもらったのですが、ところが、契約後にプランニングの際に薪を燃やす暖炉を取りつけるようにしようとすると、(株)一条工務店より前に勤務していた小堀住研(株)などでは営業がどういう暖炉を設置してと考えなくても、設計課・工務課に暖炉のカタログもあり、設計課・工務課が考えてこういうものでどうでしょうかと提案したのですが、ところが(株)一条工務店ではそうではなく、設計担当は「暖炉をつけてもらいたいなら営業がカタログをそろえて、こういうものをつけてくれと言ってもらわないとつけられない」と言うし、積算部は「カタログを用意してもらって、これをつけたいと言ってもらえば、それに対しての金額を計算して出します」と言う〔(株)一条工務店の積算部というのは、実際のところ「計算部」でした〕しで、そこまで営業がやらなきゃならないのか・・というのが(株)一条工務店でした・・が、(株)一条工務店の営業をやってきた人にはそういったことをいろいろとできるから(株)一条工務店の営業は他の会社の営業よりもおもしろいと言う人もいました。それで、私が暖炉のカタログを取り寄せていたところ、松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫が「おい、おまえ、いったい何やってるんだ」と言うので「Y様が暖炉を設けたいと言われるのでそのカタログを取り寄せているんです」と言ったところ、営業本部長の天野隆夫は「なんで、そんなものつけるんだ」と言い、「ですから、お客様の希望ですから」と言ったところ、天野隆夫は「客の希望ならつけなくてもいいだろう」などと言うのでした。はあ? はあ~あ? と思いました。思いませんか? 私は営業本部長の天野隆夫に「契約前に一条工務店では実際に薪を燃やす暖炉を取り付けることはできますかときかれて、それで『できます』と答えて契約していただいたのです」と説明したのですが、そうすると天野隆夫は「だから、契約前につけられるかときかれて『つけられます』と答えて契約してもらったんだろ。それはいいじゃないか。しかし、今はもう契約してもらったんだから、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったからには『うちでは暖炉はつけられませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ!」と言って怒鳴りつけられたのです。それでは詐欺だっぺえ! 私は驚いて「そんなわけにはいきませんでしょう」と言ったのですが、天野隆夫は「なんで、そんなわけにいかんのじゃあ。もう、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。それなら解約すると言うなら契約金の百万円をもらっておけばいいだけのことだろう。やってまええ~え!」と言うのです。ショックでした。なんだか、えらい会社に入社してしまったもんだ・・と思いました。1993年、松戸展示場に在籍した時、天野隆夫からこういうことを言われ、その後、見込客宅にアポなし訪問に行ったものの、天野隆夫が言ったような詐欺の営業をやるということに心が責められて訪問できずに見込客宅の前まで行って、訪問せずに帰ってきたということもありました。〔市原市のY様邸には私が体を張ってお施主様の家を営業本部長の天野隆夫から守ったことで、希望通り予定通り、リビングルームに暖炉がとりつけられましたが、営業担当者によっては「契約したからには、うちではできませんからと言って適当に建ててしまえ」という営業本部長の「指示」に従って一条流「施主の要望に沿わない家造り」を実践した人もあったでしょう。〕
さて、「新人に指導する」という場合、「見込客から『・・ということはできますか』と質問された場合、できるかどうかわからないものをいいかげんに『できます』と言ってはいけません。そういう場合には信頼できる先輩社員に質問するか、会社の専門の部署に問い合わせるかして、できるかどうかを確認してきっちりとしたものを答えて、その上で契約してもらうようにして、契約前に『できます』と答えたものについては契約後は万難を排して実現するようにしないといけません」と「指導する」べきものなのか〔これは1980年代後半に小堀住研(株)に入社した時の新卒社員研修で言われたことでもあるのですが、別に「小堀住研のやり方」というようなものではなく、住宅建築業において、どこの会社においても当たり前のやり方だと私は思い込んでいたのです〕、それとも、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫が私に言ったように「契約前につけられるかときかれて『つけられます』と答えて契約してもらったんだろ。それはいいじゃないか。しかし、今はもう契約してもらったんだから、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったからには『うちでは暖炉はつけられませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが」「もう、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。それなら解約すると言うなら契約金の百万円をもらっておけばいいだけのことだろう。やってまええ~え!」「一条工務店には一条工務店のやり方があるんだから」と「指導する」べきなのか? 天野隆夫が私に言ったように、「契約前につけられるかときかれて『つけられます』と答えて契約してもらったんだろ。それはいいじゃないか。しかし、今はもう契約してもらったんだから、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったからには『うちでは暖炉はつけられませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが」「もう、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。それなら解約すると言うなら契約金の百万円をもらっておけばいいだけのことだろう。やってまええ~え!」というのが、それが「一条工務店のやり方」なのか?
実際には、(株)一条工務店の営業誰もが天野隆夫みたいなことをやっていたわけではないのですが、天野隆夫は初代社長の義理の弟であり、「そうであっても自分も従業員の一人である」という意識は完全にない人で、「天野隆夫のやり方」と「一条工務店のやり方」とを一緒にしている人で、20代の頃に浜松で「特別扱いの営業」をちょろっとやっただけの男のやり方を「一条工務店のやり方」と主張する男でした。
はたして、「新人に指導する」という場合、「契約していただく際には、契約書と契約約款に何が書かれているかをきっちりと説明して、特に、契約後に解約される場合、3年以内に同業他社と類似の契約をすることはないと判明した場合には契約金の百万円はお返ししますが、他社で建てたいから解約したいという場合には返金しませんということは念を押して説明しておかないといけません」と「指導する」べきなのか、それとも、「『契約書』の活字は大きいけれども『契約約款』の活字は小さくて読みにくいので、『契約書』の方だけ読んで、『契約約款の方は字が小さくて読みにくいですから、後で適当に見ておいてください』とでも言って契約書に署名捺印して契約金の百万円を振り込んでもらえばいいから。解約したいと言われたら、その時になって契約約款を見せて『ほら、ここに書いてありますでしょ』と言って百万円もらえばいいから」と「指導する」べきなのか?
営業と詐欺は同じではないのであり、私は詐欺の仕事をするという労働契約を(株)一条工務店と結んだ覚えはないのであり、後者のようなことはやりたくないとずっと思ってきたのであり、それゆえ、それが気に入らない営業本部長の天野隆夫から何度も怒鳴りつけられたのでしたが、どうも、(株)一条工務店には後者だと思っている人が少なからずいたようなのです。
(株)一条工務店という会社の特徴として「従業員に対する公平性の欠如」という点があります。1997年に新卒入社した人間で いわき地区に配属された従業員でも、営業として配属された者には中途入社で入った者よりはずっと緩やかではあったものの、契約棟数というものが要求されることになったのですが、他方でSくんなどと同じ時期に新卒入社して設計課に配属された長谷川恭子は配属されてから1997年の12月くらいまで、ほとんと仕事らしいことをせず、二級建築士のお勉強だけやって二級建築士に通った。私は営業本部長の天野隆夫からインテリアコーディネーターを取ってくれと言われて上役から取ってくれと言われたからには取らなきゃいかんだろうと思って、過酷な営業の仕事をこなしながら苦労して工夫して努力してやっと通ったのに対して、長谷川恭子は仕事らしい仕事なんてやらずに二級建築士のお勉強だけ据え膳みたいにしてさせてもらって通った。入社して約9か月間、二級建築士の勉強だけやって給料もらってきた長谷川恭子はどう考えても「ズルイ!」であろう。そんなやり口で二級建築士に通ったやつというのは、片方で過酷な営業の仕事をこなしながら、ない学習時間を工夫して学習してインテリアコーディネーターやキッチンスペシャリストに合格した私からすれば、そんなやり口で合格した長谷川恭子というのは八百長もいいところである。2001年、総務部長の天野雅弘から「俺らは高卒なんじゃい。おまえはインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも宅地建物取引主任者〔⇒宅地建物取引士〕も通るが、おれらはどんなにしても通らんのんじゃ。おまえはズルイ!」と言われたのだが、私はちっともずるくない。長谷川恭子こそズルイ! 総務部長の天野雅弘は長谷川恭子に「ズルイ!」と言う必要があったはずで、私に「ズルイ!」などと言うのは言う相手を間違えている。「ち~が~う~だ~ろ。このハゲぇ~え!」と天野雅弘に言ってやるべきだった。〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
そして、営業として配属されたSくんには、ポン女の家政学部みたいなもんに行きやがってからに、そんなものを卒業して入社して設計課に配属されると「設計は新卒入社したその日からお殿さま」という(株)一条工務店の会社の方針によって殿様になっていた長谷川恭子とは違って、中途入社で入った営業社員よりはずっと緩やかとはいえ、営業として契約があがるか、あがらないのかというプレッシャーがかかったはずなのです。同期に入社した人間でも、誰は契約があがった、誰はどうだといった話も出てくるはずです。Sくんの場合にどうだったかはわからないけれども、そういう中で「建築時期が先の人でも、『解約される場合は契約金の百万円はお返ししますから』と言って契約書に署名捺印だけしてもらえば契約したということにできるから。『契約約款に他社で契約した場合には返金しない』と書いてあるのなんて読む必要ないから。そんなのは話さずに契約してもらえばいいから」とか「知恵をつける」者がいた・・ということは「可能性としてないとはいえない」と思われます。あくまでも、「可能性としてないとはいえない」ですが、実際、そういうことを「教える」やつはいると思います。Sくんがそれに乗ったのかどうかはわかりません。契約客のSさんは新人営業だったSくんに対しては悪く言われなかったところを考えると、新卒入社1年目のSくんは、契約約款の内容をSくん自身がよくわからずに契約してもらった可能性が大きいようにも思えますが、今となってはわかりません・・が、どちらにしても、新人の契約1棟目くらいは誰か「ある程度以上の契約棟数・ある程度以上の在籍年数」の営業社員が同行・同席して進めるというようにするべきです・・が、会社の体質として、「契約前につけられるかときかれて『つけられます』と答えて契約してもらったんだろ。それはいいじゃないか。しかし、今はもう契約してもらったんだから、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったからには『うちでは暖炉はつけられませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが」「もう、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。それなら解約すると言うなら契約金の百万円をもらっておけばいいだけのことだろう。やってまええ~え!」「一条工務店には一条工務店のやり方があるんだから」と言うような人が営業本部長になっていた会社、そういう体質を持つ会社ですから・・・。
契約客が実際には契約時に話を聞いていたにもかかわらず、「そんなの聞いてない」と言っているのか、そうではなく本当に説明を受けていなかったのかは、ある程度以上わかります。私は契約客のSさんは本当に説明を受けていなかったのだと思いました。但し、客の側だって、そこに「契約約款」というものがついているからには、契約前に営業担当者がそれを読まなかったとしても、契約書に署名捺印する前に眼を通すべきであり、御自分でも言われましたがその点で契約客のSさんにも落ち度がないわけではありません。それでも、営業がきっちりと説明していなかったならば、あるいは意図的にいいかげんにはしょった説明で署名捺印させたならば、建築会社の側にも責任はあると考えるべきでしょう。
私は契約客のSさんに対しては引継ぎ担当のKさんを弁護しましたが、事務所に戻ってからKさんに、何の連絡もしてもらえなかった、工場見学会の案内ももらえなかったと苦情を受けたことを話しましたところ、Kさんは「あの人、建てるのは先だから連絡してもしかたがない」と言い、「あの人、工場見学会の案内なんてしても、どうせ行かないから連絡してもしかたがない」と言うのでした。
そうではないはずです。その人は営業担当者がなんとか契約してほしいと言うものだから、その熱意を買って、自分の所はまだ建てるのは先の予定だから契約は実際に建てる時になってからでいいと思っていたものを、それを営業さんの気持ちを汲んで先に契約してくれて、契約金も先に振り込んでくれた人なのです。営業さんの熱意を買ってそうしてくれたのに、それを契約したら、「あの人、建てるのは先だから連絡なんてしてもしかたない」という態度を取られたなら、それはまだ先なのに契約してくれた人の気持ちを踏みにじるものではありませんか。「あの人、工場見学会の案内なんかしても、どうせ、行かないから連絡なんかする必要ない」とKさんは言うのでしたが、それも違うと思います。案内して行くか行かないかにかかわらず案内するものでしょう。仮に実際に行かなかったとしても、それでもそういった案内は欲しいもののはずですし、未契約客の所になら(株)一条工務店の営業は案内して行くか行かないかにかかわらず案内しまくっているのに、契約した自分の所には「案内してもしかたがない」という態度を取られた・・となると、なんで、うちは契約したのだろう・・ということになるではありませんか。
そして、建築時期はまだ先なのに契約だけしてくれた人というのは、実際に計画を進めるまでの間に、どういうように建てるか参考にするために他社の展示場を見に行ったりもするのです。Sさんは真面目な人で、他社の展示場を見に行った時には「うちは、もう、一条工務店で契約してるんですけれども」と他社の営業に余計な手間をかけさせないようにと思って正直に話されたのですが、そうすると他社の営業は「かまいません」「いっこうにかまいません」と言って、既に(株)一条工務店で契約している人間の所にでも足を運んできたそうなのです。「うちは、もう一条工務店で契約していますから」と言っても、それでも足を運んでくる他社の営業がいて、他方で、建てるのはまだ先なのだけれども、担当営業の若い人が熱心に契約してほしいと言うものだから、その営業さんの気持ちをくんで契約したのに、その営業さんが転勤した(実際には退職した)となると、引き継いだ営業は「何かあったら言ってくださいね」とだけ言って、何にも連絡してこない、訪問もしてこないし郵便も出してこないし電話もしてこない、なんで、うちはそんな会社で契約してしまったんだろう・・という気持になるではありませんか。何もそんな会社で建てなくても、「もう、うちは一条工務店で契約していますから」と言っても、それでも訪ねてくる人の所で建てた方がいいのではないのか・・・と契約者の人は思い出すのです。契約金の百万円を振り込んでもらってるといっても、その百万円がどうなるかにかかわらず「契約したが最後、何にもしない(株)一条工務店」なんかで建てたくない、(株)一条工務店の建物がいいか悪いかなんて何の関係もない・・と思うに至った人に対しては、百万円を預かってるなんてことは「への突っ張り」にもなりませんからね。
あんないい人を、なんで怒らせるのかなあ~あ・・と思いました。「あんないい人」であるのかどうかというと、まだ建てるのは先なのに、それなのに営業担当が契約だけしてほしいと言ってその希望をきいて契約だけ先にしてくれた人でしょう。私がSさんの立場なら、契約だけ先にしてくれなんて言われても、しませんよ! それをしてくれた人じゃないですか。いい人じゃないですか。なんで、そんな人を怒らせるようなことをするの。
「『何かあったら連絡してくださいね』と言ってるんだから、用事があったらSさんが連絡してくればいいじゃないですか。それを連絡してこない方が悪い」とKさんは言うのでしたが、その文句を聞いた時には「あんた、営業やめたらどうや」と正直なところ思いました。
私は同僚のKさんを悪くは言いたくなかったけれども、言わなきゃしかたがないので、所長の草野次男さんに ↑ の経緯を話して「どうも、Kさんが放置していたようで、なんで、そんな会社で建てなきゃいけないんだと思われたようです」と説明しました・・・が、そうすると、どう言われたかというと、「引継ぎ担当が気に入らないから解約したいと言うなら楠くんじゃなくて、おまえだろうが。おまえが気に入らないから解約すると言われてるんだろうが。楠くんは悪くないだろう。おまえが悪いんだろうが」と、そう言われたのです。
ふざけんなよ、この野郎! ・・・
私は、解約したいと言われる人の引継ぎ担当やっても1円の収入にもならない、なんら私にプラスにならないけれども、その仕事をやっているのです。それを「引継ぎ担当が気に入らないから解約したいと言うなら楠くんじゃなくて、おまえだろうが。おまえが気に入らないから解約すると言われてるんだろうが。楠くんは悪くないだろう。おまえが悪いんだろうが」とは、よくも言ってくれたもんだ。ウエスタンラリアートでもお見舞いしたろか、こんちくしょう! 〔⇒《YouTube-Stan Hansen "Lariat" collection. スタン ハンセン ウェスタン ラリアット》https://www.youtube.com/watch?v=o18HucZx6as 〕
もう、Kさんがやっていた契約客の引継ぎ担当はやりたくない・・と思いました。その後も、(株)一条工務店で引継ぎ担当はやりましたが、もしも、もう一度、同じようなことがあったなら、どんなに頼まれても引継ぎ担当はお断りすることにしたでしょう。ウエスタンラリア―トでもお見舞いしたろか、アックスボンバーでもお見舞いしたろかスピニングトゥホールドでもお見舞いしたろか、こんちくしょう。〔⇒《YouTube-【プロレス入場曲 AJPW Entrance Themes】The Funks/Spinning Toe-Hold【ザ・ファンクス/スピニング・トーホールド】》https://www.youtube.com/watch?v=gkP-AUucjI0 〕
むしろ、
[1]新人のSくんが契約する際にきっちりとした契約のしかたをしているかどうかを所長がよく見ていなかった、
[2]Sくんが退職する時に誰を引き継ぎ担当にするのが適切か、人選を間違った、
という点に責任があるのだろうが。
そもそも、新人のSくんが、解約の場合「3年以内に同業他社と類似の契約を結ぶことはなかったと判明した場合には」契約金は返金するという文面をきっちりと説明せずに契約していたという点に責任があるのは所長の草野さんと違うのか? この点で悪いのはあんただろうが、あんた! 会社は所長が新卒新人を指導するようにということで所長がいる展示場に新卒新人を配属したのではなかったのか?・・総務部長の天野雅弘は「所長は売るのが仕事であって管理したり指導したりするのは仕事と違いますから」と言うのだが、それなら所長の役職手当というのはいったい何なんだ? タダ取りか?
三番目の問題として、会社が従業員を信頼していない、という点があります。その契約客が実際には契約時に説明を聞いていたにもかかわらず「聞いてない」と言っているのか、本当に聞いていなかったのかというのは、会って話を聞くと、ある程度はわかるのです。しかし、そこで問題があるのは、(株)一条工務店という会社は従業員を信頼しない会社だという点です。もしも、信頼されないようなことをした人間ならば、信頼されなくてもしかたがないでしょう。しかし、私は入社以来、(株)一条工務店の為に滅私奉公を続けてきた人間であり、信頼してもらっていい勤務態度を続けてきた人間のはずなのです。その従業員が信頼できる人間かどうかという点と、その従業員のお客様を見る眼が信頼できるかどうかという点と2つの点があるでしょうけれども、そのどちらについても、もしも、私が信頼できないのなら、別にそんな会社に信頼してもらわなくてもいいから、(株)一条工務店の「一族」経営者が好む「こんな人間がいいのか」とあきれるようなやつをお客様宅に使わせて判断させればいいでしょう。
(株)一条工務店の経営者が人を見る目がない、という点があります。あきれるくらい「人を見る眼がない」経営者です。「ベンチがアホやから野球ができん」と私は言わなかったけれども、言ってあげた方が良かったのではないかと思うくらいです。そして、これは私だけが思ったことではなく、少なくない従業員から「人の使い方を知らない会社だ」「人を見る眼がない会社だ」と言われていたのです。
【5】 個客の要望を満たそうとする営業と20坪の契約ばかり取得する営業はどっちが迷惑か。
そういえば、Kさんは私に「お客さんに、オプションのある家を建てて迷惑です。大工さんが迷惑しています」と文句言ってきたことがあったのだ。それで、(株)一条工務店で仕事をしている大工何人かに尋ねてみた。「私が担当の家にはお客さんの要望をきいていろいろとオプションがついているから大工さんが迷惑していると言う人がいるのですが、そうですか」と。そうすると、すべての大工が「そんなことないよお。このくらいの広さの家で、この程度のこともやってはいけないなんて言ったら、家、建たないよ。やっていいよ、このくらい」と言うのでした。そして、「それより、Kさんの担当の家がかなわんよ。Kさんて、あの人、なんで、20坪の家ばっかり契約取ってくるのお? そりぁ、東京の街中とかなら20坪くらいで建てる人もあるだろうけれども、いわき みたいな300坪の土地に建てるような人がいっぱいいるような場所で営業やっていて、いったいどうやって、あの人、20坪の契約ばっかり捜し出してくるのお? あの人も変わってるねえ」と、そう言われたのだ。 延べ床面積20坪の家でも、キッチンも風呂もトイレも玄関も1か所はあるのに対して、60坪の家でも2つくらいある場合はあるが、60坪の家は20坪の家の3倍だから3つあるというものではない。又、小さい家というのは延べ床面積は小さくても、延べ壁面積はけっこう広くて、小さい割に手間がかかるのだ。だから、大工としては「やらないということはないけれども、広い家をやらせてもらった方が実際のところ、うれしい」そうで、その点から見ると、Kさんの担当の家というのは小さくて細かい家が多いので、大工としては、あまり手間のいい仕事ではないようだった・・が、Kさんはそれを自慢していて、それだけではなく、平均すると1軒あたりの面積がKさんの担当の家の倍くらいはあったと思われる私に「迷惑ですからやめてください」と文句言ってきたのだった。Kさんこそが、大工から「あの人の担当の家はかなわんなあ」と言われていたにもかかわらず、「大工さんが迷惑してますから、お客さんのためにいろいろやるのはやめてください」などと文句言ってきたのだった。
Kさんは「棟数」で見て私の半分も契約取っていなかったが、それは「棟数」で見た場合のことで、本来、会社にどれだけ貢献したかは「棟数」ではなく「粗利益(あらり)」の方で見るべきもので、Kさんが得意とする「20坪の家」というのは、60坪の家の3分の1の広さだから「粗利益」も3分の1か、40坪の家の半分かというとそうではなく、建築会社にとっては大きい家の方が面積あたりの利益は大きいのであり、Kさんが得意とする「20坪の家」は建築会社にとっては坪当たりの利益は小さいのであり、それから考えると「棟数」で見て私の半分未満だったKさんは「粗利益」で見たならば「半分未満」ではなく、少なめに見ても、3分の1未満だったはずだ。「棟数」で見ると半分未満だが「粗利益(あらり)」で見ると私の3分の1未満しか契約取ってない人が、なんで、そんな人が私に文句言うの? この人、なんで自分の3倍以上の「粗利益」あげてる営業に向って文句言うの?・・・と思ったが、それが(株)一条工務店だったのだ。(株)一条工務店の「一族」経営者はそういうのが好きだったのだ。
(株)一条工務店で仕事をしていた大工は、多くの人間が「面積が広くてオプションのない家の契約とってきて俺にまわして」なんて言うのだったが、「オプションのある家でもやるけどね。面積の小さい家でもやるよ」と言いながら、「やるけども、できたら、オプションがなくて面積が広い家がいい」と笑いながら言うのだった。大工に対する報酬は面積によって決められていたようで、オプション工事は(株)一条工務店はタダでやっているわけではなくお客様から代金をもらってやっていたのだが、大工に対しての報酬としてはオプションについて払われているのかいないのか、どうもよくわからんような状態だったらしく、面積の狭い家というのは狭いわりに手間がかかるし、床面積が小さい家というのは壁面積で見るとけっこう広かったりもするので、大工は生活のために働いているということを考えると「面積が広くて、オプションはあんまりない家」の方が割がいいらしかった。そうすると、営業はKさんのように、オプションがつかないような家の契約を取得するようにすればいいのかというとそうではない。そういうことをすると、オプションなんてつけようがない、いくらかなりとも独自のことをやろうと思ってもやりようがないような小さい家しか契約してもらえないようになる。逆に、お客様の要望は何でもきくように心がけると比較的面積の広い家の契約をしてもらえるようになり、「このくらいの広さの家なら、この程度のことをやるのは当たり前だよ。この程度のこともやったらだめだなんて言ったら、家 建たないよ」ということになるのだった。
Kさんは「オプションの何もつかない『標準仕様』だけの家」というものにこだわりがあって、それを実現するために、一生懸命、20坪の家を建てる人を捜し出していた・・みたいな感じだったのだ。
たぶん、本人は「違いますよ」と言うと思うが、本人は違うと思っていても、やっていることを見ると、違わなかった。私とKさんが福島県の いわき地区にいた時、Kさんは「草」の役割をしていた。(株)一条工務店の経営者というのは「草」が言うことは信じる経営者であり、「草」が事実に反することを言っても「草」が「草」の世界観で見たもの、「草」の眼鏡を通して見えたものを言っても、「草」の言うことを信じる経営者だった。(株)一条工務店で仕事をしていた大工は「このくらいの広さの家で、この程度のこともやってはいけないなんて言ったら、家、建たないよ。いいよ、このくらい」と言ってくれたのだが、「草」のKさんが「〇〇さんは、なんだかんだ、標準仕様でないものを取りつけた家を建てて迷惑です」と「報告」すると、(株)一条工務店の経営者は「草」の「報告」を事実と認定したようだ。(株)一条工務店の経営者の「自由心証主義」にも困ったものだった。
(2022.2.10.)

やっぱり変だよ 日本の営業 - 宋 文洲
私は1992年に(株)一条工務店に入社した時、よもや、5年も10年も一線の仕事をさせられるとは思っていなかった。入社2年目にさしかかった時、営業本部長の天野隆夫から「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。慶應大学の出身の人がうちの会社に来てくれるのかと思った」と言ったので、その時点において未上場の会社で・歴史の浅い会社で・従業員数千人未満の会社で・創業の地の浜松近辺では知名度は高くても東京圏ではまったく知名度のない会社だが、そんなに喜んでもらえるのならば悪くないかと思ったのだ。又、その営業本部長の天野隆夫からインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言われ、又、求人広告においては「転勤はありません」と記載していた会社において入社2年目に「ほかの人と違っていろいろな場所を経験してもらおうと思いまして」と言って福島県いわき市の営業所に転勤させられたので、インテリアコーディネーター資格取得者としての知識・認識・技能と慶應大学商学部出身者としての経済学・商業学などの認識と複数地域での実際の勤務経験をもとに全国的・総合的視野のもとに会社を運営するような仕事についてもらおうということであろうと思い、それゆえ、もともとは取得する予定にしていなかったインテリアコーディネーター資格試験に片方で過酷な営業の仕事をこなしながらなんとか合格して登録した。又、会社という所においては、10のことを上役がやってくれと言った場合に、10できずに7くらいしかできない人もおれば12か13やる人もあるわけだから、10ではなく12か13のことをやろうと考えて、インテリアコーディネーターだけではなく「インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリスト」を取得して登録した。ところが、私にインテリアコーディネーターを取ってくれと言った営業本部長の天野隆夫に「インテリアコーディネーターの試験に通りました」と言っても、「通った? さっすがやなあ~あ。おめでとう」と言っただけで無視された。なんだ、これは? 営業本部長といった役職の男が、自分がこの資格を取ってくれと従業員に言って、それで大変な努力をして取得したという者に対して「通った? さっすがやなあ」で終わりというのは、それはいったい何だ!?!
※ インテリア産業協会 インテリアコーディネーターとは https://www.interior.or.jp/ic/about_ic/
インテリア産業協会 キッチンスペシャリストとは https://www.interior.or.jp/ks/about_ks/
私は、もともと、心理学関係の研究者になりたいと考えていた人間で、又、大学の社会科学系学部なら経済学部・商学部よりも法学部の方がいいと思っていた人間だったが、何の因果か慶應大学の商学部に行ってしまって卒業したので、結果として「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」のような感じで卒業した。「心理学」と表記せずに「哲学・心理学」と書いたのは、私は心理学というものを文学・哲学の延長の位置にあるものとして考えて価値があると思っていたのだったが、現在の「心理学」はそうではなく文学・哲学を否定して、「『精神医学』(=ファシズム)のテカ(手下)としての心理学」となるに至っており、私はそういったものに価値があるとは考えていない、むしろ、害があると認識しており、又、《「精神医学」(=ファシズム)のテカ(手下)としての心理学》は《人間ひとりひとりが自主権に基づいて生きることができるための手助けとなるための「哲学・文学の延長上の心理学」》とは正反対のものであると認識している、「反心理学」「反精神医学」こそ本来の心理学だと認識しているので、それで「哲学・心理学」という表現をした。(株)一条工務店に入社するよりも前に、コンピュータ関連のT社において人事総務部に所属して勤務したこともあり、(株)一条工務店に入社してみると、「人事部」というものはなくて「総務部」の責任者は初代社長の大澄賢次郎の義理の弟の天野隆夫の嫁の天野順子が役職はヒラだが「責任者」で、他にヌケタみたいな山本という男がいて、山本はヒラからその上に昇進するだけの功績を何か残したわけでもないのに「主任」にならせてもらっていたので、おそらく、「一族」だと思われた。「一族」の比較的若い人間で「技術系の能力はなく営業としては使い物にならない」という男を総務部に配属して「主任」くらいにならせるということは「あること」だから山本もそうなのだろうと思われた。(株)一条工務店は私が入社した1992年の時点において「全国企業になりかけ」の会社であり、総務部は《初代社長の義理の弟の嫁はんが総務部の責任者で、「一族」のヌケタが「主任」の役職をもらって配属されていて、他は地元の高卒の女性社員ばかり》というのは、それは「浜松の地方工務店としての(株)一条工務店」ならば、それでも通じても、全国企業になっていこうという会社においては私のように「旧帝大系国立大学か早慶」くらいの大学の社会科学系学部卒で労働法・会社法や労務管理論・労働経済学や心理学などを学んできた者を1人、そこに配属して、そして、「役立たずの山本」あたりもそれなりに使ってあげる・・というようにしないといけないはずであり、その点で私はこの会社においては役に立つ人材のはずだと思われた。2001年、総務部長の天野雅弘が私に「アホか。人事総務みたいなもの、一族でない者にさせるわけないだろうが。何、考えてんだ」などと言ったのだが、天野雅弘こそ「何、考えてんだ」。「一族」の人間で優秀な者がいるのならいいが、全国企業になっていこうという会社においては「初代社長の義理の弟の嫁はん」ではだめなのは最初からわかってているし、山本くんでは使い物にならないというのは最初からわかっていたはずだ。人事部長とか総務部長とかいった仕事は私のように「旧帝大系国立大学か早慶」あたりの社会科学系学部出身の人間でそういった方面について学んできたような者に担当させないと、「浜松の工務店」なら「初代社長の義理の弟の嫁はん」でもできても、全国規模の会社になってきたらそれではやっていけないだろう。そんなこともわからんのか、「このハゲ~え! ちがうだろ、ちがうだろ、このハゲ~え!」てものだった。〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
しかし、営業本部長の天野隆夫は私にインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言い、又、「ほかの人とは違っていろいろな場所を経験してもらおうと思いまして」ということで福島県の営業所に勤務させたりしたわけだから、人事総務関係ではなく、商品開発であったり、新規出店計画担当とかそういった仕事をさせようということなのであろうと考えられた。だから、私は、それまで学んできたものから考えると、法律関係の資格や外国語の資格などを取ってくれと言われた方がやりやすく、インテリアコーディネーターのような製図の試験がある資格試験というものは、その方面に進むことは一度やめたものなので、それを再び、やるというのはきつかったが、営業本部長が取ってくれというものであったから、だから、大変な思いをして合格・取得したのだった。2001年、栃木県南部営業所「副所長」の木下が「インテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士にしても、ぼくらはどんなにしても通らないのにあんたは簡単に通る。ズルイ」などと暴言を吐いたが、私は「簡単に」など通っていないし、もとより、製図関係の仕事についてはハタチ前後くらいの頃にその方向に進むのであればともかく、いったん、その方向に進むのはやめたのであり、それを製図が試験科目にある資格を取るというのは方面としてきつかったのだが、営業本部長がとってくれと言うものだから、それならば取得しなければと考えて相当の苦労と努力と工夫の上でやった合格して取得したものであり、それを「ズルイ」などと言う者こそ、その態度こそズルイ! というものであろう。1990年代、福島県いわき市の営業所に在籍した設計課の春田靖は(株)一条工務店の仕事よりも優先して日建学院の授業に行って一級建築士の試験に合格し、松本は「ぼく、日建学院」と言って客の仕事よりも日建学院を優先して二級建築士に落ちて、長谷川恭子は新卒入社してから12月頃まで二級建築士の学習以外ほとんど仕事なんてしないで給料もらってそれで二級建築士の試験に合格したのだが、私はそんなけっこうなことさせてもらって合格したわけではなく、(株)一条工務店の過酷な営業の仕事をこなしながらわずかな学習時間をひねりだして苦労して工夫して努力してやっと合格したのだ。総務部長の天野隆夫は私にではなく、(株)一条工務店の仕事よりも日建学院を優先して通ったり通らなかったりした春田靖・松本や(株)一条工務店に入社して何か月もろくに仕事をしないで二級建築士の学習だけやって通った長谷川恭子にこそ、「ズルイ!」と言う必要があったはずだ。私は春田靖・松本・長谷川恭子みたいなそんなけっこうな待遇にしてもらったことは一度もない。私はそうではなく(株)一条工務店の営業の過酷な仕事をこなしながら日建学院なんてものに行かずに〔(株)一条工務店の営業の仕事をこなすためにはそんなものに行くことはできない〕苦労して苦心して努力して工夫してやっと通ったのだ。天野雅弘の認識はおかしい。総務部長になっている男の頭の外側が薄いのは別に個人の自由だが頭の中が薄いのは従業員にとっては迷惑千万である。〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
私は小学校1年の時から「文理総合型」人間だった。自分で自分のことを「文武両道型文治派」と認識していて、かつ「文理総合型」と認識している。「文武両道型文治派」というのは、これは体育・スポーツについて特にできたわけではないし、運動選手になりたいと思ったことは一度もないのだが、人間として「文武両道型」だということだ。対極に「フォアグラ型文治派」という人がおり、「スポーツ専業型」みたいな人も世の中にはいるようだが私は「フォアグラ」ではないから「フォアグラ」みたいにされると体調が悪くなり頭脳の働きも悪くなる。「文理総合型」人間であり、世の中におられる「理系アタマ」とか「文系人間」とかとは違う。経済学部・商学部・経営学部といった所だけは行きたくないと思っていた人間だったが、本人が一番行きたくない所に強制と脅迫・強要によって行かされた。どこに行くのが一番いいかという判断は難しいが、自分が親の立場であれば、ともかく、本人が望まない所に行かせるというのは良くないと私は思うのだが、うちの父親などは逆で「無理矢理やるのが好きなタイプ」「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」だったから、「そこだけはイヤ!」「お願い、そこだけはやめて!」なんてことを言おうものなら、スイッチが入ってま~すますやりたくなってくる・・というそういうおっさんだった。私が中学校2年の時、下の姉がお見合いをして一度は結婚すると言ったものの、その人と結婚するのは嫌だと言い出したことがあり、その際も、うちの父親は「相手は関西大学やぞ。A子は短大しか出とらんねんで。相手の方が上やで」とか言ったのだが、中学校2年生だった私は「上とか下とか関係ない。上でも下でも本人が嫌だというものはだめです」と言ったのだが、うちの父親は「無理矢理やるとええと思うねんけども、無理矢理。無理矢理やるのがええと思うねんけども、無理矢理。無理矢理むりやりムリヤリ無理矢理むりやり♪」と言うのだった。まさに「無理矢理やるのが好きなタイプ」のおっさんだったのだ( 一一) 「本人が嫌やというものを無理にさせようと思っても絶対にうまいこといかんわけや。そやからやなあ。そやから、おまえは、どんなに嫌なことでも、どんなに気が進まんことでも、どんなに納得できんことでも、何でも何でも絶対に納得せえ! これが一番大事なことなんや。納得でけへん言うたらあかんねんぞ、チャンコロ! おまえは納得できんことでも納得せんといかんねんぞ、どんなに嫌なことでも嫌や言うたらあかんねんぞ、チャンコロ。わかっとんねんやろなあ。本人が納得できんようなことを無理にさせようと思うてもうまいことかんわけやから、そやから、おまえはどんなに納得できんようなことでも、どんなに嫌なことでも何でも何でも納得せえ! これが一番大事なことなんや」と何度も言っていた。最初の出発点の「本人が嫌やというものを無理にさせようと思っても絶対にうまいこといかんわけや」という部分を聞くと、ほお、この人でもそのくらいは理解できるのか・・と思いそうになるのだが、結論は正反対のところにたどり着くのだった。うちの父親というのはそういうおっさんやった。
私が大学に進学する際には「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」とうちの父親から言われたもので、「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と私は訴えたのだが、うちの母親は「百パーセント絶対に国立大学に通るとは限らんでしょうが。たとえ、0.1%でも落ちる可能性があったなら国立大学でも工学部なんて受けてはいかんでしょうが」と言ったものだ。もしも、京大の工学部建築学科に通ったか、東大の理科一類・理科二類に通ったかというと、それはわからないが、どこでもいいなら・・なんて言ってもどこでもいいわけないのだけれども、どこか国立大学の建築学科でというくらいならば、どこか通る所はあったと思う・・が受けさせてもらえなかった。それに対して、(株)一条工務店の東京営業所に1993年に入社してきた堤(男。当時、20代なかば)は明治大学の工学部建築学科みたいなもんに行って卒業し、1990年代、福島県いわき市の営業所にいた春田靖(男。当時、20代前半)は静岡県人のくせして東洋大学の工学部建築学科みたいなもんしか行けないのに東京で下宿みたいなもんまでやって私立大学の、しかも学費が高い工学部になんか行って卒業した。長谷川恭子(女。当時、20代前半)はポン女(日本女子大)の家政学部住居学科みたいなもんしか行けないくせに、ウルトラ糞どあつかましくも東京で下宿までしてそんなものに行った。ポン女の家政学部なんてのは「家庭の主婦養成所」か「家政婦さん養成所」みたいなものかと思っていたら、住居学科の場合は卒業すると二級建築士の受験資格を得られるらしい。しかし、どいつもこいつもフランスも、私ならそんな大学なんか行きたいなんて思わなかったけれども、もしも、受けたいなんて言おうものなら「ふざけるな」「甘ったれるな」と言われるような所に平気で行って、大威張りで卒業して(株)一条工務店に勤めると「学校でてるんだから」とか言いだすだけでなく、営業本部長の天野隆夫が「設計にはどんなことでも服従しろ」などと人権侵害になる発言を繰り返したのだが、あいつらこそ、「ズルイ!」と言われる必要がある、「ズルイ!」と言ってやる必要があるのではないだろうか。私が高校3年の時、うちの父親は「東大に行くということなら、東京で下宿してでも行くべきやし下宿は嫌やなどと甘ったれたことを言うておってはいかんし、東大でなくても慶應大学か早稲田大学に行くのならば下宿してでも行ったらいいし行く値打ちはあるけれども、そんなもん、法政やたら専修やたら明治やたらポン大やたら東洋大やたら何やらわけのわからん私立大学に行くようなやつが下宿してまで大学に行く必要あらへん。そもそも、そんなやつが大学に行くというのが間違ってる。そんなやつは自衛隊に入れてやるべきや、自衛隊に。甘ったれとてはいかん、甘ったれとっては」と言っていた。その基準を実際に適用すると自衛隊だらけになりそうだが、「自衛隊に入れたるべきや」というのは戦中世代として「学徒動員」で満洲に行ったおっさんの思考なのだろうけれども、前半部分については私もそんなものだと思っていた。実際、明治大の工学部しか行かれへんようなやつとか、東洋大の工学部建築学科しか行かれへんようなやつとかポン女の住居学科しか行かれへんようなやつとかなんて、大学行くことないと思うのだ。特に、下宿してまで行くことないと思うのだ。あいつらこそどう考えても絶対に「ズルイ」と思うのだ。又、大学というのは「高校までの学習をしてきた者が行く所」と考えるならば、私は工学部の入試科目である数学・物理・化学などについて少なくとも明治大みたいなもんに行ったようなやつよりは学習してきているはずだし、頭幼大みたいなもん、試験会場に行って受験番号と氏名さえ書けば誰でも通る大学であり落ちるわけないし、唯一、難しいのはポン女であって、これだけは男が通るのは相当難しいと思われるが、その前に、そんな大学に行かそうと思っても「誰がそんな所に行くもんか」「そんな所になんか行かされてたまるか」と思ってる者に無理に行かそうとするのは東大に合格させることよりも難しい。むしろ、「ID野球式学習法 受験は頭でやるもんや」「弱者の戦術」を使ってでも東大の理科一類・理科二類に合格する方が「明治大みたいなもんに、なんで行かされんといかんのじゃあ」とか思ってる人間を明治大みたいなもんに行かせるよりよっぽど可能性があるところだ。慶應大学の教授で「政治学」の講義の時に「私の甥っ子が東大に行きたいと言っているのだが、私は東大なんかよりも早稲田か慶應、できれば慶應に行った方がいいと思ってるのだけれども、高校の世界史の先生で慶應大卒の人がいてザマの戦いとカンネーの戦いを逆に教えたそうで『あんなものを逆に教えるようなやつの大学になんか誰が行くか』とか言うんです」と話された方がおられたのだが、「なんで、東大に行きたがるのか。慶應の方がよっぽどいいのに」などと言われるのだったが、その先生はそう思われるかもしれないが、これから東大の試験を受けて通ってやろうと考えている者が「東大よりも慶應の方がよっぽどいいのに」などと言われても、それは、いわば、これからボクシングのリングに上がって世界チャンピイオンと対戦して倒してやろうと意気込んでいるボクサーに後ろから肩をつかんで「そんなん、世界チャンピオンなんて倒してもしゃあないでえ。やめとけやあ」とか言うようなもので、「うるさいわあ!」と思われるだけだろう。〔⇒《YouTube-ロッキーのテーマ曲/Eye of the Tiger》https://www.youtube.com/watch?v=drFw1tjLsTI 〕もしも、その先生が「東大よりも慶應の方がいいのに」と思われてそう言われるのなら、これから東大の試験を受けて通ってやろうという時期になって言うのではなく、もっと早い時期に言われた方がいいと思う。これから東大の試験を受けて通ってやろうとしている者、これからボクシングのリングに登って世界チャンピオンを倒してやると意気込んでいる者に背後から「そんなん、ええと思わんでえ。やめといたらどうやあ」なんて言ってもだめだ。そういうかわいそうなことは言わない方がいいと思う。その時、私はその先生からあてられて「あなたはどう思いますか」と言われて、あいまいな返事をしたのだったが、正直に言うならば、それはかわいそうすぎると思う。大阪の家の近所に私よりいくつか年下で私と同じ公立中学校から北野高校に行って北野高校から3浪で東大理科三類に行ったやつがいたが、そいつに「東大の理科三類なんて行ってもええことないでえ~え。それより、関学行けよ、関学にい。関学に行ったら女の子にもてるぞお~お。関学どうや、関学ぅ。理科三類よりも関学の方が女の子にもててええぞお~お」とでも言ってやったとしたらどうだっただろうか・・、たぶん、冗談だと受け取られただろうけれども、うちの親ならば平気で「冗談みたいなこと」を無神経に言うが、私が親なら冗談でもそんなかわいそうなことは言わない、かわいそうで言えない。いくらなんでもかわいそうすぎる。東大の試験に合格できるか・・と奮闘している者に無理に明治大だの東洋大だのポン女だのに行かそうとするというのは、それは「ID野球式学習法 弱者の戦術 受験は頭でやるもんや」で東大に合格させるよりもよっぽど難しい・・と思う。・・で、明治やたら東洋大やたらポン女やたらにクソどあつかましくもふんぞりかえって行くやつ・・て、そいつらこそ絶対に「ズルイ!」、間違いなく絶対に「ズルイ!」と思う。天野雅弘や木下は明治やたら東洋大やたらポン女やたらに糞どあつかましくもふんぞりかえって行くやつにこそ「ズルイ!」と言うべきであろうが。言う相手を間違えている。
そもそも、「ぼくらはそんなにしても通らないのに」と木下は言うのだったが、木下は何をやったのか、何もやっていないのではないのか? もしも、「こういうことをやったけれども合格できなかったけれども、あなたはどうやって合格できたのですか?」と質問されたならば、私は何も隠していたわけではなく、私はこのようにやって合格できましたよという話をすることだってできたのだ。それを、「こういうことをやったけれども合格できなかったけれども、あなたはどうやって合格できたのですか?」ときくのでもなく、「インテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士にしても、ぼくらはどんなにしても通らないのにあんたは簡単に通る。ズルイ」などと言って居直るやつの方がズルイ!
又、インターネット上でも、ある資格を取得するのに、どのくらいの学習時間が必要かといったことが書かれているものを見ることができるが「どのくらいの学習時間が必要か」などと言っても「どの時点からか」という問題がある。慶應大学で「社会科学概論」という講義を担当された I 教授が講義の中で「私のゼミにいた人で『太宰治論をやりたい』と言った人がいて、『やってもいいけれども、しかし、卒論のテーマが太宰治論では就職の時に不利にならないか』と言ったのだけれども、『たとえ、就職の際に不利になってもいいから太宰治論を卒論のテーマとしてやりたい』と言うので、それならやればいいと言ったのだけれども、やっぱり、4年の時、就職には不利だったのだけれども、それで、公認会計士の試験を受けると言って受けたら1年で通った。それはどんな分野でも根詰めて徹底して学習した人間というのは学習の仕方というものが身について資格試験の学習もできるようになるようです」と話されたことがあったのだが、たしかに「どんな分野でも根詰めて徹底して学習した人間というのは学習の仕方というものが身について資格試験の学習もできるようになる」ということもあるでしょうけれども、それだけではなく、ともかく慶應大学の商学部を卒業したならば、卒業した時点において公認会計士試験に出題される科目について学んだものはゼロではないわけで、公認会計士の二次試験の科目というと、その頃、1980年代前半においては会計学系が簿記論・財務諸表論・原価計算論・監査論の4科目、非会計学系科目が経済学・経営学・商法の3科目だったが、慶應大学商学部を卒業すれば、ともかく、その科目についてある程度は学んできているはずで、私の場合でも関係ありそうな科目としては「会計学総論」「会計学」「会計制度論」「財務諸表論」、「経済学」「理論経済学1」「理論経済学2」「国際経済学1」「労働経済学」「政治経済学」・「経営学総論」「経営学」「労務管理論」・「会社法」「手形法・小切手法」といった科目をともかく履修しましたから、履修しても何年か経ったら忘れてしまったものが多いとしても、それでもまったく学んでいないのとは同じではない、「一度学んで忘れたもの」と「まったく学んでいないもの」は同じではないわけで、とりあえず、「借方」「貸方」はどっちが左でどっちが右かも知らんという人・公認会計士二次試験の試験科目は何かも知らない人が学習を始めて合格するまでとは同じではないでしょうし、私は「財務諸表論」の講義の際に「電卓は左で打てるように練習した方がいい」と聞いて、左手で電卓を打つように練習して、公認会計士試験は受けたことはないけれども電卓は普段から左で打つようになったので、今も左手で電卓を打ちながら右手で書くことができるのだが〔うちの母親は「それは、あんたが小さい頃からピアノの練習をさせたから左手でも打てるようになるんや」と私が努力したことによるのではなく自分の功績だと言うのでしたが、そういうこともあるかもしれませんが〕〔同様に、マウスを左手で使えないかやってみたが、中指を人差し指と同様に動かすというのは相当難しいようで、又、マウスの左クリックと右クリックを逆に設定するのはけっこうたいそうで、自分のパソコンを逆に設定できても職場などのパソコンは逆に設定できないので、マウスを左手で使うというのはあきらめたが〕〔また、手書きの場合は左手で電卓を打って右手で書くということができても、パソコンでの記入が普通になってくると、パソコンを片手で打つことは難しいので左手で電卓を打てるメリットは小さくなってしまったが〕、公認会計士二次試験に通るかどうかというところまで学習したわけではないけれども、ゼロから学習する人とは同じではないわけで、「太宰治論を卒論のテーマとしたら、やっぱり、就職には不利でうまくいかなかったから公認会計士の試験を受けたら1年で通った」という人だって、それまでに学んできたものがゼロでないだけではなく、もしかすると、もとから、太宰治論を専門として文学部の教職員になるか高校の国語の先生になるかするのでないならば、民間企業に会社員として勤めるよりは公認会計士になる方がいいと考えてある程度以上学習してきていた人が「ある程度は学習してきていた状態」から「1年で通った」のかもしれない・・という感じがします。〔結論を言うと、公認会計士二次試験というのは、いくら「どんな分野でも根詰めて徹底して学習した人間というのは学習の仕方というものが身について資格試験の学習もできるようになる」といってもゼロの状態から1年で合格は無理だと思います。 〕
木下など(株)一条工務店の所長・副所長などにならせてもらっている高卒・中卒の人たちというのは「バカでも入れる私大の建築学科卒」の人間がそんな大学でもそこで建築関係について学んできているものがあることについては「ズルイ」と言わないくせに、社会科学系学部卒の者が法律関係について学んできているものがあるから主として法律についての出題が多い宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士の試験にはそうでない者よりも通りやすいということについて「ズルイ」と言い出すのだが、それは奇妙な対応ではないか。宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 の試験で出題されるのは、権利の変動(民法)・法令上の制限(都市計画法・建築基準法・国土利用計画法・農地法など)・宅地建物取引業法の3分野が多く、民法などについて学習してきている社会科学系学部卒の者がそうでない者よりも、その分だけ合格までの所要時間が短かったとしてもあたりまえであろう。むしろ、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の者よりも、たとえ、法学部・経済学部・商学部・文学部といった学部卒の者でも旧帝大系国立大学卒の者の方が高校までの物理・化学・生物といったものについての学習はしてきているはずであるのに、私がそういった科目の学習を高校卒業までにしてきたように、高校までのそういった学習をしてきていない「バカでも入れる私大の建築学科卒」のやつに卒業と同時に二級建築士の受験資格があり、卒業して2年の実務経験で一級建築士の受験資格があるという制度の方こそ「ズルイ」と私は思う。木下と天野雅弘は「ズルイ」と言うべき相手を間違えている。木下と天野雅弘は「ズルイ」と言う必要がある相手に言わずに見当違いの相手に「ズルイ」と言っている。(株)一条工務店という会社は「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を増長させるのが趣味の男が営業本部長になっている会社だからということが関係しているのかもしれない。
私はそういう経緯で入社した人間だったので、だから、営業として、少々、条件が悪い場所に配属されても、そういう場所を経験することも仕事のうちだと思っていたのだった・・・が、それにしても、いくらなんでも条件の差がありすぎるのではないか・・ということに気づいた。会社は従業員に公平であるべきであり、又、営業に営業成績のグラフを作成して競争させるのであれば、その競争は公平な条件でやってこそ競争になるものであり、又、励みにもなるものであるはずで、明らかに八百長レースでは⇒「ふざけんな!


結局、私は(株)一条工務店に入社して11年余り在籍したが、最後まで「廊下とんび」みたいな仕事しかさせてもらえなかった。「廊下とんび」というのは、1980年代初め、テレビで「今年、大蔵省に入省した皆さん」という番組が放送されていて、6人ほど、新しく国家公務員1種試験合格で大蔵省に入省していて、東大出身者が5人・慶應大出身者が1人、東大出身者のうち1人が女性で他は男性だったが、入省して最初は何をやっていたかというと「廊下とんび」と言って書類を持って廊下を「とんび」のように飛びまわるという仕事をしていたのだったが、アナウンサーがその1人に「あなた、東大卒なのにこんな仕事をさせられて嫌じゃないですか」ときくと、「そんなことありません」と答えていたが、それが「廊下とんび」だ。その職場に馴染み、その職場がどういう所か理解してからでないと、より重要な仕事をしてもらおうとしても無理だから、とりあえず、職場の状況を理解できるように「廊下とんび」をしてもらっていたということらしい。私は(株)一条工務店で「〇〇くんが応募してきた時にはびっくりしたなあ。慶應大学卒の人がうちの会社に来てくれるのかとびっくりした」と言われた上で11年以上もその「廊下とんび」をさせられたのだ。 慶應大学商学部の教授で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の卒業生ばっかりという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身の人間をなかなか採用できないという会社に勤めた方が、経験を積むこともできるし実力を発揮できる場があっていい」と言われた先生が複数おられて、ある教授は、当時、慶應大学に在籍して野球部の投手として東京六大学野球で大活躍していた志村投手を例にあげて、「志村だって法政か明治に行っていたら、他にも力のある投手がいっぱいいるから出番がそれほどないところだが、慶應に来たから、だから、出番があって活躍できたんじゃないか。それと同じことが会社においてもある。三井物産とか三菱商事とかそんな所に行くよりも、慶應あたりの卒業生をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が経験を積む場もあれば実力を発揮できる場もあるはずなんだ」と話されたことがあったが、(株)一条工務店は採用した時には「慶應大学の出身の人がうちの会社に来てくれるなんて、びっくりした」などと言っておきながら、野球にたとえるならば私にグランド整備か便所掃除みたいな仕事ばっかり11年余りさせやがったのだ。最近、YouTube に元プロ野球選手が出て、かつての話をしているものがあるが、元日本ハム⇒阪神の片岡が「むかついた話」として、一番むかついたのは、日本ハムから阪神にFA移籍したが、今一つ、打撃成績が上がらなかった時、代打を出されたのだが、誰が出てきたかと思って見たらカツノリだった。打たない俺が悪いとはいっても、なんで、こいつを代打に出されなければならないんだと、この時が一番むかついた、「カツノリは別に何も悪くないんだよ」と言い、代打を出したのは監督の星野であり、なんで、こいつを俺の代打に出されなければならないんだと怒るのなら監督の星野に怒らないといけないものだったが、聞き手が「星野さんに怒らなかったのですか」と言うと「言ったら殺されます」と話していたが、その「なんで、こいつを俺の代打に出されなきゃならないんだ」というような経験を私は(株)一条工務店で百万回ほどされてきた。
※《YouTube-あの屈辱だけは忘れられへん!!当時あの監督はホンマに怖かった…野球人生を振り返ってムカついたエピソードを語ります〜♪》https://www.youtube.com/watch?v=h_V5g4M2pi0
私は(株)一条工務店において「いくらなんでも、それはないだろ」というものを我慢に我慢を重ねてきたが、普通、会社という所においては、我慢させてきた人間には「それだけ、我慢させてきたのだから、今度は報いないといけない」とか考えるものではないかと思うし、慶應大学の「経営学総論」という講義の時、「日本の会社においては『ここは泣いてくれ。後でもうけさせるから』といった対応というものがある」と教授が話されたこともあったのだが、ところが、(株)一条工務店の経営者は私が他の人間なら我慢しないようなものを我慢してきたことから、逆に「こいつは何をやっても何をさせても我慢する人間だ」と思うようになってしまったようだった。むしろ、「黙っていたらなめられる」と考えるべきだったようだが、それに気づくのが遅かった。
『江川になれなかった男たち』(三一書房)という本に書かれていたことだが、1970年頃、プロ野球の「黒い霧」事件において、一軍の投手が何人も解雇された西鉄ライオンズの二軍にいた東尾は、これだけ一軍の投手が何人も辞めさせられたということは、野球は投手なしではできないのだから俺たち二軍の投手にとってチャンスだと思ったそうで、監督の稲尾は東尾を出してくれたが投げては負け、投げては負けしたが、それでも出してもらえて、そうやって経験を積んだ結果、シーズン後半には、時々勝てるようになった。そのシーズンの東尾の敗戦数がプロ野球ワースト記録になったが、「それで出れるようになったんだから」と東尾は話していたという話が載っていた・・・が、(株)一条工務店は「〇〇くんが応募してきた時にはびっくりしたなあ。慶應大学卒の人がうちの会社に来てくれるのかとびっくりした」と言って採用しておきながら、採用すると「便所掃除」をマウンドにあげて投げさせて、「投手として入団した」私にグランド整備か便所掃除みたいな扱いにした。グランド整備で入社した人をマウンドにあげて投げさせて投手として入社した人間に便所掃除をさせるというのが(株)一条工務店の「一族」経営者の趣味だったようで、趣味が会社の運営よりも優先するのが(株)一条工務店の「一族」の使徒信条だったようだ。

江川になれなかった男たち―ドラフト外伝 - 岡邦行
私は入社した時から、一線の営業の仕事に従事する時でも「会社の運営」という視点をもって見ていたので、こういうことではいかんなあ~あ・・・というものを見てきたし、又、見えてきた。
「ひとのせいにする」というものがある。お客さんで、実際にはその担当者が悪いわけではないのに、その担当者が悪いのだと勘違いしている人というのもおられるのだが、そうではなく、「意図的に他の従業員のせいにする」ということをするやつというのがいるのだ。その例を今回、述べたいと思う。
【1】 いわき市にて。
(株)一条工務店で、1990年代前半、福島県いわき市の山間部で建て替える契約をいただいた某さんから、竣工の予定日を過ぎても完成しないという点に苦情を受けた。少しくらいなら竣工が予定をオーバーしても特にどうと言わない人がいわき市あたりでは多いのだけれども、逆に、都市圏と違って親戚の人間が泊まりに来るということが福島県あたりにおいてはあり、4月末から5月頭にかけてのゴールデンウイークの期間に来る予定があったのに、あらかじめ、余裕をもって日程を組んでいたにもかかわらず、予定の竣工日をずっと過ぎても竣工しないということで苦情を受けたのだ。もしも、親戚の人が停まりにくるといったことがなければ「すいません」ですませてもらえたかもしれないが、そういう事情があったのだ。
それについて、「おまえが悪いんだ」と言われたのだ。「おれは、おまえみたいな嘘をつくやつは大嫌いなんだ」と言われたのだ。しかし、工事が予定をオーバーしたのは営業担当者ではなく工事課の方の問題だ。営業担当も自分が営業担当である以上、工事が予定通り進んでいない場合には工事課に指摘して善処してもらうようにするべきであろうけれども、基本的には工事課の方の問題だが、「おまえが悪いんだ。工事課の人間は悪くないんだ」と言われたのだ。だから、そのお施主様には、もう、勝手にしろ!・・という気持になってしまった。御施主様によっては、私がやってきたことは、やって当たり前と思っていた人もいるかもしれないが、そうでもない。会社がこれが営業担当者の仕事と決めたものだけやっていたのでは家は建たない・・というものがあり、「これは俺の仕事ではないんだけどなあ」とか思いながら、ずいぶんといろいろなことをやってきた。又、家1軒、建つとしても、ここはこうしてあげた方がいいだろうと思って、別に営業担当者の仕事ということではないのだろうけれども、自分を担当として契約してくれた人の為と思ってやったこともあったのだが、私が悪いわけでもないものを「おまえが悪いんだ」と言われ、「俺はおまえみたいに嘘をつく人間が大嫌いなんだ」と私が嘘ついたわけでもないのに言われたのでは、そんなに気に入らないのなら、もう、営業担当としての最低限の仕事だけはやるけれども、それ以上のことはもうやらんわ・・と思うようになり、又、その後、何年点検といったものの時も、会社としては工事担当者の仕事なのだが、営業担当も一緒に行った方がお施主様の為に役立つだろうと思って他の入居者宅には一緒に行っていたのだが、そこまで嫌われているのなら、嫌われている者が行ってもしかたがないと思って、工事担当に「お願いしますね」と言って工事担当だけで行ってもらうようにした。栃木県の営業所に転勤になった時にも、嫌われている人の所に顔を出してもしかたがないから、その方の所には挨拶に顔は出さなかった。それでも、私を担当として契約してくれたありがたい方なのだが、後期が遅れたのは営業担当ではなく工事担当の問題であり、私はそれを工事担当に指摘もして、対処しますという返事ももらったにもかかわらず、さらに遅れたのであり、それを「工事の人間は悪くないんだ。おまえが悪いんだ」と言われるのなら、もう、好きに何でも言ってください・・と考えるしかなかった。
その方の建築地は いわき市と言っても山間部で、浜通りのいわき市の中心部と中通りの郡山市の中心部の中間あたりのいわき市で、私は最初、工事が始まってからも、工事管理は基本的には工事課の仕事だが、営業には工事課の仕事だからと工事現場を見に行かない人もいるが私は自分の担当客の工事現場は工事課の担当の仕事であっても見に行っていたのだが、その方の建築地は行政区画としては東北地方では、唯一、温暖地に分類されるいわき市とはいえ、けっこう寒い場所であり、営業所の「リーダー」から「あんな場所にノーマルタイヤで冬に行ったら危ないから行かない方がいいぞ」と言われて、その指示に従って工事課にまかせて工事中にそれほど行かなかったのだが、それが気に入らなかったということもあったのかもしれない・・・が、私が担当の他の契約客と比べると工事中に見に行った回数は少なかったとはいえ、他の営業との比較であれば私よりずっと見に行かない営業はいくらでもいたわけであるし、基本的には工事管理は工事課が担当のものであったし、工程が遅れたことについても私は工事担当者に言っており、「工事課の担当は悪くないんだ。おまえが悪いんだ」と言われるのなら、それならもうそれでいいから、「悪くない」やつと一緒に話し合ってやってくれ・・ということになった。
【2】 他の営業担当客の家に行って、営業担当のせいにして自分がいい顔をする実際は下駄屋の息子のくせして「親が大工でして」と言う男。
1993年前半のことだ。千葉県松戸市岩瀬の南北に走る国道6号(水戸街道)と東西に走る道路との「岩瀬」という交差点の北東側にあったハウジングギャラリー松戸 という総合住宅展示場に出展していた(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の松戸展示場にいた時〔現在は「岩瀬」交差点の北東のハウジングギャラリー松戸 はない。ヤフー地図で見ると、ファミリーマートとカーセブン松戸中央店になっているようだ。〕、5月に契約してもらった松戸市内、展示場から遠くない場所で建築されたKさんだが、入居時期を急ぎたいという希望であり、その為に私は相当の無理をした。
( ↑ かつて、ハウジングギャラリー松戸 があった所。 マーカーは、松戸市緑が丘1-1 ファミリーマート 松戸岩瀬店。https://www.navitime.co.jp/poi?spot=01151-23714 )
ところが。1998年に栃木県佐野市で契約いただいたAさんなどは、入居時期が決まっていることから急ぎでやりたいという希望だったが、打ち合わせなどは建築屋の側が急いでやれば、御施主様のAさんの方も協力して進めてもらえたので、特に困ることなく進めることができたが、松戸市のKさんはそうではなく、「急いでるのに」と言いながら、建築屋の方が相当の無理をして図面を作成したりしても、「打合せをおこないたいのですが」と言っても、「そんなの予定がつかない」と言い、「それなら、とりあえず、図面を持って行ってお渡ししておきますから見ておいていただけますか。見ておいてもらって、しばらくしてお会いしてうかがいましょう」と言っても、「こられても困る」と言って図面を受け取ることすらも拒否する。そういうことが一度あったということではなく、毎度毎度のことであり、Kさんの都合で通常よりも急ぎで建てたいと言われているにもかかわらず、一般のお施主様なら予定を組んでもらえるものを「都合がつかない」とKさんが言いまくって、その結果、日数が経った。その上で、「一条工務店に頼んだから、だから、予定通りに進まないんだ」などと言われるので、それで、最初は、お客さんのことだからと「どうも、すいませんでした」と、こっちが悪いんじゃねえよ・・とか思いながらも言っていたのでしたが、この人の場合は、こちらが悪いわけでもないのに「すいませんでした」とは言ってはいけない人であり、たとえ、お客様であっても、それでも、Kさんの方に原因があって日程が過ぎたものについては事実を事実として言って、それを理解してもらうようにしないといけない、そうでなければ話は進まないと考えるに至ったのでした。
ところが、(株)一条工務店の静岡県・愛知県地域の従業員にはウルトラの卑怯者がいるのです。
1993年5月、名古屋市の東部、名古屋市天白区(てんぱくく)と昭和区にかけて八事(やごと)という場所があり、そこの営業所にいて営業成績が良くなかった松下という男(当時、30代前半)が千葉県松戸市の展示場に転勤してくるということになりましたが、ところが、転勤の話が決まってから、この男はな~かなか転勤してこない。会社という所においては、〇日からどこそこに行ってくれと言われたならすぐに移るものですが、この男は結局、6月の後半くらいになってでしたでしょうか、ずいぶんと経ってやっと来たのでした。
名古屋市の天白区と昭和区にかけての八事(やごと)と言われても、非名古屋人はどんなとこやらわかりませんが、《ウィキペディアー八事(やごと》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%BA%8B によると、《 広域地名としての八事(やごと)は興正寺に近い八事交差点周辺のことを指すことが多く、興正寺裏の広い雑木林は興正寺公園となり八事山の面影を残している。山手通等の幹線道路沿いはブランドショップ中心の多くの専門店、ブティックに加え、ショッピングセンターや家電量販店、ホテルに病院、かつては中京テレビ放送が社屋を構えていた商業地区でもあり、通り沿いを中心に多くの高層マンションや商業ビルが林立する。その一方で、閑静な住宅街としての一面も持っており、大通りから離れた丘陵地には低層の高級マンションや広大な敷地の邸宅地も垣間見る事ができる。周辺一帯は名古屋市の特別用途地区による文教地区に指定され中京大学、南山大学、名城大学、名古屋大学などがキャンパスを構えている。》《 八事はトヨタ自動車創業家の豊田喜一郎や中日新聞創業家の大島家などの多くの実業家たちの別宅が多数立ち並び別荘地や名所として発展した。大正時代に入ると区画整理が始まり、昭和時代に入った頃には名古屋市内有数の高級住宅街として知られるようになった。そして太平洋戦争中である昭和17年に名古屋帝国大学移転に始まり、戦後の高度成長期には次々と大学キャンパスが作られ名古屋を代表する文教地区となった。また、地下鉄鶴舞線の各駅周辺は学生街を形成し、地元のとある大学はパンフレットで「名古屋のカルチエ・ラタン」と紹介していた。》 という所らしい・・が、松下を見る限り、そういった《広大な敷地の邸宅地》《文教地区》《多くの実業家たちの別宅が立ち並び別荘地や名所》《名古屋市内有数の高級住宅地》《名古屋を代表する文教地区》の営業という感じとは程遠い男だった。
〔 ↑ 名古屋市昭和区八事本町。 八事交差点付近。 マーカーは、八事山 興正寺。
※ 八事山 興正寺 HP https://www.koushoji.or.jp/
八事山 興正寺は高野山真言宗らしい。〕
そして、松戸営業所(展示場)に赴任するなり、名古屋市八事営業所(展示場)という東京都で坪55万円・千葉県で坪52万円で売らされていたものを、名古屋ではテレビ広告付きで坪49万5円でダンピング販売していて、それでいて営業成績があがっていなかった男が松戸展示場に来るなり、「こ~んな営業やりやすい所はない。こんなやりやすい所なら、最低でも浜松や名古屋の倍は売れる」・・( 一一) そう言ったのです。それを聞いて、私より1か月ほど後での入社のS藤が「へっ、そんなこと言ってからに。半年ほどしたら『なんで売れねえんだ』とか言って頭かかえてみたりして」と誰もが思うことを口にしたのでした。私も進藤と同じことを思いました。私は、その時は口にしませんでしたが心の中で思いました。
「これは、ええこと聞いたでえ~え。これはホンマにええこと聞いたでえ~え!」と。
「見せてもらおうやないか。これまで、千葉県でも東京圏でも1棟として契約を取得したことがない男が、東京圏でまったく営業やったことない男が『最低でも浜松や名古屋の倍は売れる』とは、いったいどんなやり方で営業なさるものか、見せてもらおうやないかあ!
それで、万一、本当に『最低でも浜松や名古屋の倍は』お売りになったあかつきには、そのやり方、そっくりそのまま真似させてもらおうやないか。 予定通り売れなかった時には、その時には、人前で指さして大声で笑ってやろうやないかあ!!!」
と思ったものだった。
そして、それから8か月間、松下は松戸展示場に在籍して、松戸展示場において契約棟数はゼロ棟。かつ、解約を1棟だした。
やったあ♪ やった、やった、やったあ(^^♪
お見事でんなあ、さっすが!!!
「東海を制する者は天下を制する」と(株)一条工務店では言ってきたが、東海地方出身だけのことはある。
さっすがやなあ、さすが、さすが、さすがあ~あ♪
「ざまあ、見さらせ、豚のケツ!」
「最低でも浜松や名古屋の倍は売れる」と来るなり言うだけのこと、ありまんなあ~あ!!!
営業本部長で松戸営業所長の天野隆夫が「松下くんは十年選手なんだぞお!」と言うだけのことはある。
ほんま、さすがでんなあ、さすが、さすが、さっ、すっ、がっ(^^♪
さすがは「十年選手だぞお」と営業本部長が言うだけのことはある。
・・私なら、逆に「十年選手」ならば、自分がその地域で1棟として契約を取得したこともないのに、「ここなら最低でも浜松の倍は売れる」などと、そういう傲慢不遜な口はきかないですね。そういう口をきくというのは経験がない実力がない精神面ができていない証拠でしょう・・と思うがな( 一一)
私ならば、たとえ、自分がその会社である程度以上の実績を残してきたとしても、それまでとは異なる営業所に転勤したという場合に、そこで1棟も契約を取得していない段階で「最低でも浜松や名古屋の倍は売れる」だの何だのと、そういう傲慢不遜な口はきかない。
そのあたりが、さすがは(株)一条工務店の静岡県愛知県地域「十年選手」は私なんかとは違うようだった。
もとより、(株)一条工務店の静岡県中西部・愛知県というのは他地域よりもウントコサ安い価格でダンピング販売をおこない、静岡県中西部愛知県のみテレビ広告を””ドカンと一発””やりまくって営業やっていた地域であり、東京圏よりも同業他社ではひと回りか二回り安い価格帯の商品との競合で営業やって「売らせてもらっていた」地域だったのだ。静岡県中西部・愛知県の営業で「売った」みたいに言う人間がいたがそれは間違いで、(株)一条工務店の静岡県中西部・愛知県の営業というのは「売らせてもらった」のだった。「普通にやったら売れる地域」で《「売らせてもらってきた」地域の営業所にいて営業成績があがっていなかった松下》が「普通にやっていたら入れない東京圏」の営業所に来て、来るなりおのれはその地域で1棟でも契約いただいたことがない時点において、「こんなやりやすい所はない。ここなら最低でも浜松の倍は売れる」などと、傲慢不遜、のぼせあがった口をきいて、そして、8か月間そこに勤務して契約棟数ゼロ棟!
バッカじゃなかろかルンバ♪〔⇒《YouTube-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 〕
さすがは営業本部長の天野隆夫が「十年選手だぞお」などと言うだけのことはある( 一一)
「一条工務店の遠州人」て面白い営業やるねえ。営業は意外性の仕事?
そして、この「ここなら最低でも浜松や名古屋の倍は売れる」などと傲慢不遜な思いあがった口をきいた男、松下は実際には松戸展示場において8か月在籍して契約棟数ゼロ棟で、かつ、解約まで出しよった。
松戸展示場に赴任してきた時、松下は「主任」だったが、静岡県・愛知県で「主任」にならせてもらった人間なんて、他の地域ならば「ヒラ」より下だろうと思っていたら、やっぱり、千葉県に来たら「主任」は8か月間契約ゼロ棟だった。予定通りでんなあ、ほんま。
「降格になりやがれえ~え!

と思ったら、なんと、なんと!!!
「8か月間契約ゼロだったビッグマウスの松下」
「口だけの男の松下」は、
副所長に昇進して新しくできた習志野営業所(展示場)に移っていった。
なんだ、これは!


おい、おい、おい、おい、おい、おい~い!
(株)一条工務店の役職はデマカセてことか!?!
降格になっていい人間を昇進させるのか?
なんだ、これは、いったい!!!
この松下という男は年齢は私より1つ年下だったが、(株)一条工務店には私よりずっと前からいたようで、営業本部長で松戸営業所長兼任の天野隆夫が言うには「十年選手だぞお」ということだった。「十年選手」なら、それだけのものを見せてもらいたいものだ。
1992年に在籍した東京展示場(江東区潮見)では営業社員が最大で13人いたが、ある程度以上経験があったのは「主任」で「リーダー」だった宮崎さん1人だけで、新卒入社3年目のH本、2年目のO田がいて、他は入社1年目の従業員ばかりだった。求人広告には「研修制度が充実していますから売れなくて困ることは絶対にありません」と書かれていたが、実状は正反対だった。
1993年、松戸展示場では私とS藤とG藤の3人が2年目で、他は、またもや入社1年目の人間が6人、中途入社で入ったという状況であり、千葉県・東京圏で営業やったことはなくても(株)一条工務店の営業経験がある人に来てもらえるというのは歓迎したいものだった・・・が、結果としては、こんな人間に来られるのなら来ていらんわ、こんな人間に来られるのでは迷惑だわ・・というものだった。
大きな口ばっかりきいて、8か月間契約ゼロの男というのは「その程度の男」だった。
まさに「口だけの人間」だった。「口だけの人間」でも上祐の方がましじゃないか。
ところが、営業本部長の天野隆夫がその「口だけの人間」に加担しまくるのだ。「口だけの男の松下」に。
なんなんだ、こりぁ。
その松下が、私が担当のKさんが急ぎで建てたいと言いながら、施主がまったく協力してくれないことから進まなくて困っていたところ、そのKさん宅に一緒に行くと言うので一緒に行ったのだ。
ところが・・・、あきれた( 一一)
「口だけの男の松下」は、そこで何を言ったか。
「大変申し訳ありませんでした。すべて、〇〇が悪いんです。今後はきっちりと対処するようにしますから」と、そう言って本来なんにも悪くない私のせいにしたのだ。おいおいおいおい。おまえ、いいかげんにしろよ、コラ!
もうひとり、よくわからないのは、松下が松戸展示場に来る少し前に三重県の営業所から転勤してきた工事担当の神堂(じんどう)(男。当時、20代後半)が、松戸展示場(営業所)の事務所で、なぜか、一生懸命、松下をヨイショしまくっていたのだったが、あれはいったい何だったのだろうか。
(株)一条工務店においても、お客さんが怒ってしまった・・というような時に、「いなくなった人間のせいにする」ということをする人がいる。 この場合、「いなくなった人間」とは退職した人、もしくは、転勤で他の地域に行った人が悪かったんだということにして、それで切り抜けるという「手法」をやる人というのがいるようなのだ。
それがいいかというと・・・、あんまりいいとは思わない。もしも、その「いなくなった人間」のせいにして切り抜けようとして、実はそのお客さんにとっては、その「いなくなった人間」の評価が高かったならどうするのか?・・ということもある。又、「いなくなった人間」の「せいにする」といったことをうかつにやったなら、その「いなくなった人間」をある程度以上知っているお客さんが、「あの人はそんな人じゃない」と思い、「せいにする」という行為をやろうとした人間の方が人間性を否定されることになる可能性だってないとは言えない。本当にその「いなくなった人間」のせいであったのならともかく、そうでもないのに、実際に責任がある人間でもない者の「せいにする」というやり方は、あんまりいいとは思わない。
あんまりいいとは思わないけれども、それでも、「退職した人」や「転勤して他の地域に行った人」の「せいにする」のならば、まだ、わからないことはない。「いなくなった人間」が悪かったんだということにして、「いなくなった人間」を人身御供にした上で、その後、引き継いだ人間が「白紙」みたいな状態から、そのお客さんとつきあっていく・・ということは考えられることではあるだろう。
しかし、1993年、千葉県松戸市の松戸展示場から遠くない場所で契約されたKさんの場合は、松下は実際には何にも悪くない私のせいにして、「すべて、〇〇が悪いんです」などと言って松下が「ええもん」になってしまったのだが、ところが、私はその後もKさん宅の営業担当であり、その後も担当者としてKさんとつきあっていかないといけない人間なのだ。その人間が悪いわけではないのに「いなくなった人間」の「せいにする」ことで切り抜けるという「手法」を使うのならば、その「いなくなった人間」はその後は何もしなくていいのだから、「せいにされる」という損な役回りを押しつけられても、その後は他の人間がやっていくので何とかやっていけるかもしれない。しかし、今もこれからもそこにいて、これからもその契約客の担当をやっていく人間の「せいにする」ことをして松下は自分だけ「ええもん」になってどうするんだ?!? 本来は私が悪いわけではないのに私の「せいにする」ということをされて、それから私はいったいどうしたらいいというのだ?
この松下という男(1993年当時、30代前半)はそういう人間だったのだ。自分だけ「ええもん」になりたかったのだ。
私は、この松戸市のK泉さんという契約客に対しても今も不快感を持っている。私が悪いわけではないし、急ぎで建てたいというのならば建築会社に早くやれと言うばかりで、施主の側は、図面の打ち合わせをしたいと言っても行っても、「今週は都合が悪い」「来週も都合が悪い」と言って予定を組まない。建築会社の担当者にばかり、無理に急がせて、施主は何ら協力しないで、それでいて、「一条工務店になんか頼んだから、だから、なかなか進まない」などと言いまくっていたのだが、それだけではなく、私にも言いたい放題、言いまくったのだが、客だからと言って担当者に何を言ってもいいというものではないはずなのだ。私は入社してそれほど経たない時期だったこともあって、ずっと我慢してきたけれども、我慢しなくてよかったと思うし、違うものは違うと言っていいし、あまりにも我儘な契約客には、それは指摘していいと思うのだ。それでも、契約してくれた人であり、別に喧嘩しなくてもいいけれども、私が悪いわけではなく、私が営業担当だったから、あそこまでしてあげられたのであり、それを理解できない人には、そのあたりをきっちりと話してわかってもらうようにするべきだったと思う。
ところが、「自分だけいい役やりたがる松下」は「一緒に行く」と言うから、「十年選手なんだぞお」として対処というものをやるのかと思ったらそうではなく、「すべて〇〇のせいです」などと言って、何ら悪くない私が悪いと言って自分だけ「いい役」と盗ったのだった。
おいおいおいおいおいおい・・

なんだ、こいつは! これが「浜松流」か?
私が悪いのではない。そうではなく、Kさんのお宅の仕事については、私が担当だったからあれだけできたのだ。(株)一条工務店の最低でも過半数の営業が担当の場合、Kさんは、どう考えてもあれだけやってもらえないはずだ。
Kさんからはひとつ学ばせてもらったことがある。Kさん宅は東と西・南と3方に道路があったのだが、南と西の道は敷地と同程度の高さで出入りできたのだが、東側の県道は2階建ての主屋の屋根よりまだずっと高い位置で、出入りには使えない道だった。それを話したところ、Kさんの奥さんが「そうよ。空き缶、投げ入れられるだけよ」とそう言ったのだ。
その時は、そうか、上の県道の歩道から空き缶を投げ入れようと思えば投げ入れるのにちょうどいい立地だが、本当に投げ入れる人がいるのか・・と思っただけだったのだが、それから何年か経ってわかったのだ。意味が違うことに。
たしかに、歩道を歩きながら缶コーヒーでも缶入りのウーロン茶でも緑茶でも飲んで飲み終わった時、そのへんに投げ捨てる人はいるけれども、歩道のすぐ下に投げ込もうと思えば投げ込めるような立地に人家があったとしても、歩いている歩道に空き缶を投げ捨てる人はいても、その下の人家の庭なり人家の屋根なりに空き缶を投げ込もうと思えば投げ込める位置関係にあっても、実際に投げ込む人というのはあんまりないと思うのだ。実際、このKさま宅のすぐ南の県道の少し西に「角海老」というソープランドがあって、Kさま宅の南側の県道の歩道にはその「角海老」の「入浴料無料券」なんてのが何枚も落ちているのを見たことがあるのだが、「入浴料無料サービス券」て、そんなの無料で利用されたらソープランドは商売にならんのとちゃうのか?・・と最初にそれを見た時には思ったのだが、ソープランドというのは入浴料とサービス料とで成り立っているのであり、入浴料というのは「お風呂に入る代金」のことで、ソープランドにお風呂に入るだけで「サービス」なしで帰るおっさんてのはあんまりないわけだ。だから、「入浴料+サービス料」の「入浴料」の部分を無料にしますという券を利用者には帰りに渡すことがあったらしい。それを、要らんと思ったおっさんは松戸駅まで帰る途中の道で投げ捨てて帰っていたらしい。しかし、その「無料入浴券」はKさん宅の庭とか屋根の上とかに落されることはなく、歩道とか車道と歩道の境目付近の車道とかに落ちていたのだ。
それに対してKさんの奥さんははっきりと「空き缶、投げ込まれる」と発言したのだ。ということはどういうことか・・わかった。私も実際のところ、相当気分を害したのだ。Kさんには私は私生活を犠牲にしても相当のことをしてあげたのだ。(株)一条工務店の営業担当として仕事として割り振られているもの以上のことをしてきた。「早く建てたいのに、ちっとも進まない」などとKさんの奥さんは言うのだったが私が悪いのではなく、誰に原因があったのかというと建築屋に「早くしてもらわないと」と言うばかりで打ち合わせをしたいと言ってもKさん夫婦が「そんなの時間ない」と言い、「いつなら時間を取れますか」と言っても「今週は無理だし来週も無理だし」とか言いまくり、「しかし、早くに建てたいというご希望を実現するためには、早めに打ち合わせをして進めたいのでなんとか時間を取っていただきたいのです」と言っても「そんなこと言っても今週も来週も時間がない」と実際はちっとも忙しくないくせに言いまくって、それで前に進まなかったのだ。自分たちが進まないようにしておきながら、他の営業ならそこまでやらんだろうというくらいのことをやってきてくれた相手に対して、たとえ客であったとしても、そこまで言ってはいかんだろうというようなことまで言いたい放題言いまくったのだ。営業は奴隷ではないので、相手がお客さんであれば、五分五分というわけではなく49対51くらいでお客さんの方に有利な立場があるとは思うが、だからと言って何をやってもいいというものではないであろう。〔赤星だって、「きれた」動画が出てる(^.^) ⇒《YouTube-赤星ヒーローインタビューでヤジにキレる》https://www.youtube.com/watch?v=5k8989-tXEM 「お客さんがぼくに期待してくれてるのにぼくが凡退してしまったとかいう時にボロクソに言われるのは、そういうのはいっこうにかまわないですよ」と赤星は他の動画で話しているが、「客だからって何言ってもいいてもんじゃねえだろ」と言いたかったか・・〕・・私はそれでも我慢してきたが、しかし、同様の態度を取られた人間で、「くっそお~お、火つけたろか」という””くらいの気持ち”” になる人がいたけれども、いくらなんでも「火つける」わけにもいかない・・と思った人間が、「あ、空き缶、投げ込むにはちょうどええ♪」て気持ちになって空き缶を上の歩道から投げ込んだのではないか? その可能性は十分あると思ったのだ。
私だって、「あ、空き缶、投げ込むにはちょうどええ立地やなあ」とは思ったけれども、そんなことしてもしかたないよなあ・・と思って私はやらなかった。だから、私はやっていない。今でもむかついている。特に、松下が私を悪者にして自分が「ええもん」になるという行為を働いた後、私がその後もKさん宅の担当なのでKさん宅に行くと、「あの人は来ないの」とおのれは何にも貢献していないくせに私に「悪もん」の役を押しつけて自分が「ええもん」の役を取った卑怯者の松下に来てもらいたがったのを見て、「火、つけたろか」という「くらいの気持ち」になる人がいても不思議はないと思ったし、さすがに「火、つける」わけにはいかないわなあ・・・と考えた時、北側の県道の歩道を歩いていると、「あ、空き缶、投げ込むにはちょうどええ♪」て思うのだ。思ってそれを実行する人と思っても実行しない人がいると思う。私は実行しなかったが、相当世話になってきた相手に対して、他の営業ならここまでやらんぞというくらいのことをやってもらってきた相手に対して、そういう口を平気できく人間というのは、その相手から「《『火、つけたろか』という「くらいの気持ち」》だがそんなことするわけにいかんわなあ。しかし、気分悪いな」と思われて、そんな気持ちで上の県道の歩道を歩いていると、「あ、空き缶、投げ込むにはちょうどええ♪」と思われて、また、昼間なら他の歩行者から見えても日没後になると、たとえ投げ込んでもよく見えないからまさに「ちょうどええ」状況になり、そして「空き缶くらい投げ込まれたからといってなんじゃあ」と思われて投げ込まれた・・ということは十分過ぎるくらいにありうることだろう・・と思う。・・念のため、断っておくが私は投げ込んでないからな。あくまで、「空き缶、投げ込まれる」という話をKさんの奥さんから聞いて、「あ、そういうことか」とわかったということだ。 Kさんには今でも相当気分を害しているのだが、わざわざ、埼玉県三郷市・東京都葛飾区などとともに放射能のホットスポットになった松戸市にまで行って空き缶投げ込もうという気持ちになるかというと、何よりもめんどくさいからもうええわ・・と思うが、空き缶、投げ込んだろか(^^♪・・と思った人間がいたとしたら、その気持ちはわかるし、おそらく、Kさんは何人もの人間に「空き缶、投げ込んだろか」という気持にならせてきた人だったのではないか。
たぶん、そんなところだと思うよ。 誰しも、立地が「空き缶、投げ込むにはちょうどええ」という立地でさえあれば、空き缶、投げ込むということはあまりないと思うのだ。精神異常者とかそういう人は知らんよ。そうでない人間が空き缶、投げ込むとなると、投げ込むにはちょうどいい立地であったとしても、それだけで投げ込む人は少ない。だから、Kさんの奥さんは「空き缶、投げ込まれるだけよ」と言い、立地に原因があると思っていたようだったが、それだけが原因ではなかったはずだ。
そういうことがあるんだなあ・・と、そのあたりをKさんのおかげで私は学習させていただいた。
「何事も勉強や」とか言う人もいるが・・、若くない年齢になって考えると、別にそんな「勉強」しなくても良かったのじゃないかて気もする。
Kさん宅の仕事の際、(株)一条工務店というのは大変だなあ・・と思いました。(株)一条工務店より前、小堀住研(株)にいたのですが、小堀住研(株)なら工事課なり設計課なりが対処して普通に進めるものを(株)一条工務店では東京圏の設計課は名古屋にいましたし、工事課は経験が浅い男が「主任」で、普通ならこのくらいわかるだろうがということがわかりませんでしたので、営業がやらないといけないものが並外れて多かった。但し、それは東京事務所の工事課の「主任」の能力が高くなかったからということもあったと思われ、その後、転勤した福島県いわき地区の工事課の人間は東京事務所の工事課の「主任」よりはずっと対応力があった。
そういうことがあったとしても、(株)一条工務店としては、それらを補うために営業担当の私が相当の努力と労力を払い、私生活を犠牲にしてもKさん宅のために尽くしてきて、ある程度以上の対応はしていたのです。Kさんが不満に思ったのは「『住友林業みたいの』を建てたいと思ったけれども、『一条工務店』という無名の工務店なら、それより安い値段でできるかと思ったらそうではないみたいだ」と契約してから思ったということがひとつにはあったみたいでしたが〔今から考えてみると、そんなに「住友林業みたいの」がいいと思うのなら住友林業で建てろや、あんなのがいいと思うのなら・・と思わないこともありませんけれども〕、(株)一条工務店は私の相当の努力にもより、Kさん宅に関しては決して悪い対応はしていなかったのです。Kさんは「早く建てたいのに、ちっとも進まない。一条工務店なんかに頼んだからいけないんだ」などと言うのでしたが、それは違います。(株)一条工務店はKさんの希望に沿うように特別扱いで優先的に進めていたのです。そうであるにもかかわらず、「できるだけ早い時期に図面の打ち合わせをおこないたいのですが、今週のご予定はいかがですか」と言っても、Kさんが「今週は予定はつかない」、「それでは来週の前半にでも」と言っても「来週も予定はつかないから」と言い、「それなら、とりあえず、今、図面をお持ちしてお渡ししますから見ておいていただけますか。その上で、打ち合わせをしましょう」と言っても「来られても困る」と言い、そんなもの、普通の家に玄関先で渡すのに「来られても困る」と言う方がおかしいのであり、そんなこと言われていたら何もできなくなってしまうので、松戸市岩瀬の展示場のすぐ近くの家であり、直接持って行くと、「来られても困る」と言って玄関扉も開けない。「ですから、とりあえず、図面をお渡しするだけお渡しして、打ち合わせは後日、おこないたいと思いますから」と言っても扉も開けなかったのです。
その頃の東京圏の(株)一条工務店は大手ハウスメーカーと比べて工事課や設計課の対応力が劣っていた部分は間違いなくありますが、私の献身的な努力により他社と比べても決して劣らない対応をKさん宅にはしていたのです。ところが、↑ のように施主のKさんの方が急ぎでやりたいと言いながら、まったく真面目に対応しようとせず、その結果、なかなか進まずに私も困っていたのです。
早く建てたいと言いながら自分の方が遅らせておいて、それで「なかなか進まない」などと言う人に対しては、「そうではありませんでしょ」と、きっちりと言わないといけません。営業というのは言いなりになるのが営業というわけではありません。
ところが、松下は、そういう契約客の家に行って、「誠に申し訳ありませんでした。すべて、〇〇が悪いんです」と言って、何ら悪くない私が「すべて悪い」などと言って私のせいにしたのです。そうすると、Kさんは喜ぶのです。おまえら、いいかげんにしろよ!・・てものです。
Kさん宅は私が営業担当だったからあれだけできたんですよ。松下が担当ならあそこまでやりませんよ。(株)一条工務店は「営業担当者によって差が大きい」と言われる会社でしたが、Kさん宅は私が担当だったからあれだけできたんですよ。私は自分が担当のお客様の為にはいい家ができるようにと思った自分の生活を犠牲にしてでもKさんの為に尽くしてきたのです。その相手に対して、Kさんの態度は、たとえ、客であっても相当問題があります・・が、それ以上に問題があるのが松下です。
もしも、建築会社がその契約客に対しての対応にミスがあった、間違った対応をした、怠慢だったとかいったことがあったならば、「申し訳ありませんでした」と言うべきですが、そうではないにもかかわらず、松下は自分だけが「ええもん」になろうとして私を「悪者」にしたてあげたのです。
その後、1999年前半だったと思いますが、栃木県地域の「リーダー会議」に松下は栃木県地域の従業員ではないにもかかわらず、参加していたことがあり、その際にも、自分だけ、経営者に喜ばれようという相も変らぬ卑劣な態度・言動を取り、「この男は変わらんなあ」「この男は人間的に成長しないなあ」とがっかりさせられたということがありましたが、営業本部長の天野隆夫が松下くんのことを「十年選手だぞお」などと1993年に言っていたのですが、そういうやり口を「十年」やってきた「選手」ということだったのでしょう。
建築会社の対応にミスがあったとかそういう場合は「申し訳ありませんでした」と言うべきですが、そうではなく、契約客の方に問題があるのであって建築会社の担当者は人並みを越えた対応をしているにもかかわらず、契約客の方が我儘を言っているというようなケースにおいては松下のように「〇〇がすべて悪いんです」などと言ってはいけません。松下は営業本部長の天野隆夫が「十年選手だぞお」と言っていたわけですから、1993年の時点ですでに在籍10年になる従業員だったということですから、それまでに、この男がそういう勤務態度を取ってきた、実際には悪くない他の営業を悪者にしたてあげることで自分だけが「ええもん」になってやろうというそういう営業態度を取ってきた、ということを天野隆夫は営業本部長ならば把握できていないといけないはずです・・・が、それができないのが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫という男だった。・・やっぱり、「中卒の営業本部長」なんてそんなもの!・・・てことか・・( 一一)
Kさん宅に行った時の松下の態度から、私はこの男が「十年選手」であろうが何であろうが、こいつは害がある人間だと実感した。
イソップの寓話に、カエルたちが「王さまをください」と神さまにお願いしたところ、神さまはカエルたちを治めるための「王さま」として、ある鳥をカエルたちに送った。ところが、王さまとしてやってきたその鳥は、カエルたちを片っ端から食ってしまい、残ったカエルたちは神さまに「こんな王さまはまっぴらです」と言った・・・という話がある。
東京圏での(株)一条工務店は新人の営業ばかりで、工事担当も年齢が若いだけでなく社歴が浅く経験が浅い人間しかおらず、たとえ、他の地域ででも(株)一条工務店の仕事をある程度以上の期間、こなしてきた人に来てもらえればなあ・・と私も他の従業員も思っていたのでしたが、そこに「十年選手だぞお」という松下くんが来たのでしたが、「神さま、こんな『十年選手』はまっぴらです」てものでした。
その「まっぴら」な「十年選手」は松戸展示場に赴任するなり「こ~んな営業やりやすい所はない。ここなら最低でも浜松の倍以上は売れる」などと傲慢な口をきき、そして、おのれはそこに8か月在籍して、結局、1棟も契約取れなかったのです。・・さすがは「十年選手」でんなあ( 一一)
そして、その「口だけの男」は8か月契約ゼロなら、他の営業社員ならば「成績不振」と言われて転勤させられたりすることがあったにもかかわらず、松下くんの場合は逆に、新しく作った習志野市の展示場に「副所長」に昇進して行ったのだった。なんで昇進するの? 降格になるのが妥当と思われるような男がなんで昇進するのお? (株)一条工務店の経営者て何を考えてんの? もしかして、なんも考えてないのお?
それから、松下はKさん宅で「私は親が大工でして」などと言い、そう言われてK泉さんは「そうだったんですかあ」などと言っていたが、後に、相当古くから在籍している人から聞いた話では、松下は「大工の息子」ではなく「下駄屋の息子」らしい。「下駄屋の息子」のくせしやがってからに、「私は親が大工でして」などと、「しょうもないこと言い」やりよったようだ。
なんで、そんなこと言うのかねえ~え・・。
又、普通、営業の職種の人間ならば、お客様宅に行って框を上がる際には、前に向って框を上がり、向き直って自分の靴をそろえて中に入るものだが、ところが、この松下という男は「十年選手だぞお」のわりには、後ろ向きになって框を上がってそのまま進んだのだ。そんな営業あんのか・・と思ったし、私が客の立場ならば、「この男、営業だというわりに、そんな框の上がり方をするのか?」と思うところだが、松下は非営業型の框の上がり方をした。
・・もしかして、「大工の息子でして」と嘘を言うだけでなく、「大工みたいな框の上がり方」をやって見せていたのか? ・・とも思ったが、もし、松下がそんなことを思っていたのならば、それは大工に対して失礼だと思う。建築現場で、履物を履き替えないといけない場合、大工は後ろ向きで靴を脱いで上がったりしているけれども、それは資材を持って上がる際に、いったん下に降ろして履き替えるわけにいかないから、だから、後ろ向きで上がっているのであって、ほとんど手ぶらでお施主様宅に打合せで行くような場合には、(株)一条工務店で仕事をしている人でも、私が個人的に自宅の工事を頼んだ時に来てもらった人でも、大工でもきっちりとした人は前から上がって向き直って自分の靴をそろえて中に入るということをしています。大工というものは後ろ向きで框を上がるものだと松下は思っていたのならば、それは大工に対して失礼だろう。松下は「大工の息子」ではなく「下駄屋の息子」だったらしいが、その下駄屋の親父は人の家に訪問した時に後ろ向きで框を上がるのだろうか・・。
松下は、千葉県松戸市岩瀬の松戸展示場から、(株)一条工務店が出店を予定していた千葉県船橋市夏見 の船橋総合住宅展示場に行くのに、今は県道180号となって無料で通行できる道になったがその頃は市川松戸有料道路と言って有料道路だった道をわざわざ遠回りして行くという奇妙なことをした。
〔 ↑ 船橋市夏見1-3 日経社ハビタ 船橋総合住宅展示場。https://www.habita21.com/showroom/funabashi/
私が、過去に勤務したり関わった総合住宅展示場は今ではなくなってしまった所が多いのですが、この船橋総合住宅展示場は今もあります。〕
私などは会社にできるだけ費用をかけさせないようにしようと思って、有料道路と無料で通行できる道とがあれば、有料道路を通った方が速く行けてもその差がそれほど大きくないような場合は無料の道を通るようにしたりしていたのに対して、この男は無料の一般道を通って行った方が近くて速いのにわざわざ有料道路を通って行くという奇妙なことをする習癖がある男だった。福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。田舎の生まれとか、田舎の住人とか、田舎の出身とかいう意味での『いなかもの』というのは、これは別に悪くはない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのはこれは良くない」と語ったようだが、松下のやることを見ると「精神面がイナカモノ」だった。だいたい、市川松戸有料道路(現 県道180号)というのは名前の通り、松戸から市川、市川から松戸に行く時に便利な道であって松戸から船橋、船橋から松戸に行く時に便利な道ではないのであり、”” 必要もないのにわざわざ有料道路を使いたくてしかたがない人間シンドローム”” というのは、それは「精神面がイナカモノ」の特徴のひとつである。
業務上、必要があるから有料道路を使うというのなら会社が費用を出していいだろうけれども、業務上、必要もないのに有料道路を走ってみたいということならば、松下は自分でその費用を払えよ、この「精神面がイナカモノ」( 一一)・・と思うが、この男はそういうものを会社に出費させる男だった。
それにしても、卑怯な男である。「十年選手」として「主任」として「一緒に客宅に行く」と言って行って、担当営業を悪者にして自分だけ「ええもん」になりやがった。この男は十年間、そういうやり口をやってきたのか。
営業本部長で松戸営業所長を兼任していた天野隆夫は、この男のそのあたりのやり口に気づいていなかったとしたならば、それは営業本部長として松戸営業所長として《「職務怠慢」もしくは「無能」もしくはその両方》ということになる。
・・「両方」かもしれんな( 一一)
【3】 東海住宅(株)、子供が走り回るべきでない場所で走り回るのを放置する親とその担当営業。ひとを悪者にする「ヤクザ顔の男」の店長。
2008年、東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/〔本社:千葉県八千代市〕の千葉市花見川区の花見川ショールームにいた時のことだ。
東海住宅(株)は「建築もやっているけれども売買の不動産業が中心で、建築は建築条件付きの土地を買ってくれた人の家を建てるとか、建築条件がない土地を仲介した人に建物も建てさせてもらうとか、土地付き建物を購入して住んでもらった人が建て替える時に依頼してもらうといった『土地がらみ』が中心」という会社だった。その打合せを花見川ショールームという、家1軒の建物で日曜日などにおこなっていた。
( ↑ 千葉市花見川区柏井町1595-60 東海住宅(株) 花見川ショールーム。)
私は普段から建築の営業として花見川ショールームに勤務していた。花見川ショールームはショールームの部分と事務所の部分とからなっていたが、ある時、そのショールームの和室で図面の打ち合わせをおこなっていた既契約客の子供が走ってきて、私のすぐ横で転んだということがあった。もちろん、私が足ひっかけて転ばせたのではない。そんなことするわけない。ところが、その子供は変な知恵がついた子供で、転ぶと同時に大声で「えええ~えん」と泣きだしたのだ。私が子供の頃、もしも、同様に私が転んだならば、うちの母親は「泣きなさんな。男の子が泣きなさんな」と言ったもので、そう言われると泣き止むしかなかったし、その次からは泣くわけにはいかなかった。泣いても同情してもらえるわけでもないのだから、たとえ、少々痛くても泣くわけにはいかなかった。しかし、私が子供の頃は道で転んで膝をすりむいて少々血が出ても、それでも私は泣かなかったのだが、ところが、泣くと同情してもらえるというくせがついた子供というのは、屋内で転んだだけで別に怪我したわけでもなくても大声で泣いてみせるのだ。
私は住宅建築業の会社の営業を長くやったが、お客さんで子連れの人がいた時、最初、男の子というのが苦手だったのだ。どう苦手かというと、女の子が「ええ~ん」と泣きだしたならば、「泣かないの。いい子だから泣かないの」と言ってあげると、たいていの女の子は泣きやんでくれるのだが、ところが、男の子が「ええ~ん」と泣きだしたとなると、「泣くな! うるさ~い! 張り倒すぞお~お!」と言いたくなるのだ・・・が、又、何年か前、船橋京成バスに乗っていたところ、乗客の母親で自分の子供に「泣くな、うるさ~い、張り倒すぞお~お!」と言っている人がいたのを見たこともあるのだが、自分の子供にならともかく、お客さんの子供に「泣くな! うるさ~い! 張り倒すぞお~お!」と言うわけにはいかない・・し、そうであっても、自分のポリシーを曲げて、女の子に対するのと同じように男の子に「泣かないの。いい子だから泣かないの」と言うというのは、そういう信義にもとることはできかねたのだ。だから、お客さんの子供でも男の子というのが苦手だったのだ。但し、たいていの親は営業社員に子供を見てもらうのが当たり前と思っているわけではなく、たとえ、営業社員が子供の相手をしても親も子供を見ており、「泣く男の子」がいても親がなんとかする場合が少なくない。
それで、お客さんにもいろいろな人がおり、お客さんの子供にもいろいろな子供がいる。だから、そういう子供がいても、それはしかたがない。しかし・・・だ。いてもらいたくない従業員というのがいるのだ。
ところが、だ。花見川ショールームの店長になっていた「人相が悪く眼つきが悪いヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳)がそれを見てやってきて「ごめんねえ。悪かったねえ。申し訳なかったねえ」などと言ったのだ。なんだ、こいつは!
そういう言い方をされたのでは、なんだか、私が足をひっかけて転ばせたみたいではないか

その子供の親は、親として不注意です。まず、ショールームに子供を連れて行ったならば、親が打ち合わせをおこなっていても、親は1人ではないわけだし、子供が何をしているか見ていないといけない。又、子供にそういった場所に行った時、親から離れて走り回るようなことはしないようにしつけておかないといけない。 私が小学校3年の時に、うちの親が大阪府北部で小堀住研(株)で在来木造の家を建てたのだが、その際に打ち合わせに小堀住研(株)の営業や設計が家に来たこともあったが、サンプルを見ながら打ち合わせをする必要があるからということで、その頃は阪急神戸線「西宮北口」駅のすぐ北東のあたりにあった小堀住研(株)の本社に行った時でも、私はその時の子供みたいに走り回ったりしないで、親と一緒に家造りについて考えていた。
2008年、東海住宅(株)の花見川ショールームに来ていた契約客の子供は、うちの親が小堀住研(株)で家を建てた時の私よりも小さい子供だったけれども、私はその子供くらいの年齢だった時に、その子供みたいに親を無視して走り回ったりはしなかった。その子供の親は、自分の子供にそのあたりの教育をきっちりとしていない親だったのだ。そういう子供を「元気でいい」とか言う人が時としてあるが、それは間違いだ。元気がいいのならば、そんな場所で走り回るのではなく、学校か幼稚園の運動場ででも走り回ればいいことだ。走り回る場所を間違えているのであり、親はそういったことをきっちりと子供にしつけないといけない。それができていない親だったのだ。
そして、もうひとつ。営業担当者が子供を無視していたのではないか。これは、けっこう難しいのだが、私も住宅建築業の営業を始めた頃、小堀住研(株)の最初の研修で「住まいというものは男性だけが住むものではないので、施主は御主人だと思って御主人の話ばかり聞いていたのでは、奥さんに嫌われて契約してもらえなくなります」と言われたし、「むしろ、男性の気持ちとして、その家ができて自分が喜べても嫁さんが喜んでくれないような家を建てたいとは思わないでしょう」とも言われた。だから、だんなの顔を見てだんなに話をすると、次は嫁さんの顔を見て嫁さんに話すとか、夫婦交互に話したり、あるいは二世帯住宅ならば、親夫婦と若夫婦の両方に交互に話をするとか、そういったことを考えてやったものだ。しかし、子供はどうしたものか。そこが難しい。子供に意見をきく親は少ないのだが、だから、子供は無視していいのか? 展示場に「営業補助」として女性社員が配置されている会社もあったのだが、そういう所ではその「営業補助」の女性社員が子供の相手をしてくれるという場合もあったが、そういう人員がいない場合はどうするのか。
最初、私はそれに困ったのだ。契約客ならば、親がなんとかしようとする場合もあるが、住宅展示場にいて来場客が子供づれの場合、親は話を聞きたいと思っていても、子供が「次、行こう。次、行こう」と言ってむずがって親の手を引っ張ると、親は子供に引っ張られて出て行ってしまうのだ。それに対して、子供がその場所を気に入ってそこにずっといると、子供がそこにいる限り親もいるのだ。
それで、私は、住宅展示場で子供づれ客の新規客が来場した時には、だんなの顔を見て話して嫁さんの顔を見て話したら、次は子供の顔を見て子供に話しかけてというようにやるように考えた。子供は自分も相手にされている、自分にも意見をきかれていると思うと、わかってもわからなくても、家造りについて親と一緒に考えるようになり、出ていこうとしなくなることがあるのだ。これは、それこそ、私が「十年選手」だから身に着けた認識だ。2008年、東海住宅(株)の花見川ショールームで契約客の図面打ち合わせをおこなっていた営業担当者にはそういう姿勢が欠けていたのだ。
それにしても、ばたばたばたと走ってきて、私の横に来て勝手に転んでおいて大声で「えええ~ん」と叫んで、そういう時だけ親の所に行こうとする子供というのは、その親はあんまりいい教育をしていない・・・が、それ以上に、そこにやってきて「悪かったねえ。申し訳なかったねえ~え。ごめんねえ、許してねえ」などと「ヤクザ顔の田中」が言ったことで、なんだか、横にいた私が悪いみたいにされてしまったのだが、ええかげんにせえよ、この「ヤクザ顔の田中」

〔 最初、東海住宅(株)に応募した際、面接で取締役だった大澤(男。当時、50代後半くらい?)と会った際、こんなヤクザみたいな人相の悪い顔の男が取締役になってる会社に勤めて大丈夫だろうか・・と心配になったのだが、入社後、またもや、ヤクザ顔がいたというのが田中だった。田中は、韓国に「女の友達(有料)」に会いに行くのと、韓国に銃を撃ちに行くのが趣味というなんか怖そうな趣味を持っている男で、かつて、賃貸マンションでポスティングをしていた時、「ヤクザが来ている」と110番通報されたということを自慢気に話していたこともある男だったが、田中・大澤の東海住宅(株)のヤクザ顔コンビを見ると、初めて来場した人なら「危ない。この会社の店には入らない方がいい」と思って帰る人もいるのではないか。〕
そういう場合だが、親はどうすべきなのか。親は「こっちは客なんだから、従業員が悪いんだろうが」という態度を取るべきなのか?
違うだろ。違うだろ、ち~が~う~だろ~お!〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所に勤務していた時のことだ。毎月、1回、栃木県の石橋町にある栃木工場に工場見学会というものを催し、常磐交通の観光バスでお客さんを案内していた。営業は自分が担当の契約前見込客で参加する人がある場合は同行したが、自分の担当のお客様がない場合や自分が担当の契約客は参加されても契約前見込客はないという場合は同行しないという場合が多かったが、いわき地区から栃木工場はけっこう遠かったので、契約前に工場見学会に参加する人よりも契約後に行く人の方が多く、私は自分の担当の見込客が複数行かれる場合には契約前見込客で参加される人がなくても同行した時がある。会社として、担当営業が行かなくてもいいとされているものでも、自分を担当として契約してくれた人の家造りの為に、他の部署の者がいいかげんだということではなかったとしても、それでも自分がそこに行った方がそのお客様の為になるのではないかと思うと、行った方がいいと私は考えることが比較的多かったが、そういった感覚がまったくない営業もいた。たとえ、営業担当者が行かなくてもまともな家はできたとしても、営業担当者がそこに行ったからといって特にやることはなかったとしても、それでも、自分がそこに行った方が行かない場合よりもほんの少しでもいい家ができるのではないかという気持になる営業が担当の場合と、そんなことちっとも考えない営業が担当の場合ならば、前者の営業が担当の場合の方がいい家はできると私は思う。
それで、他の営業が担当のお客様でも、担当営業が同行していない場合には私はお世話させてもらってきたのだ。しかし、ある時のこと、栃木工場で、子供づれの客で、その子供が工場に置かれていた木材の上に登ったところ、その角材が転び、子供がそこから落ちたということがあった。「落ちた」と言っても、梁桁材だったかから「落ちた」というものだから、たいした高さでもなく、特に大怪我したわけでもないのだが、そうすると、その子供の父親はどうしたかというと、「おい、ここは工場なんだから、そういう物に登るんじゃない。通路をおとなしく歩くもんだ」と子供にたしなめる・・というのが私が親である場合だが、その子供の父親は空に向かって「こらあ! 気をつけろお!」と叫んだのだ。テーマパークなどで、子供がよじ登っても転ばないように配慮されているのと同等に工場に置かれている角材も気をつけて置かれているべきものだとその男性は思ったらしい。それで、「こらあ、気をつけろお!」と空に向かって叫んだのだ。その前に、子供に「おい、ここは工場なんだから、置かれている物によじ登るんじゃない」と注意する・・ということはまったくしなかった。
それを見て、私はこの人はそういう人なんだ・・と思い、この人は私とは合わない人だと判断して、自分が営業担当ではないお客様でも対応させてもらってきたし、営業担当が同行してきていないお客様には、立場が逆になることだってあるし、私が営業担当のお客様が他の展示場を見に行って他の営業の世話になることだってあるのだからと思い、お世話させてもらってきたが、自分の子供に注意することなく「こらあ、気をつけろお」と空に向かって叫ぶ人は、(株)一条工務店は工場見学会を開催するなら、そういう子供がいても問題ないようにもっと安全対策を気をつけるべきなのだろうけれども、もともと、(株)一条工務店なんていいかげんな会社で、「工事現場で怪我したらだめなんて言ったら家なんんて建たないよお~お」と私が入社した1992年には東京営業所の一級建築士が言っていた会社であり〔一級建築士なんてそんなもの!〕、1993年には福島県いわき市の建築中の家の屋根から屋根屋が墜落して頭部打撲で死亡する事故が発生し、それだけではなく、いわき労働基準監督署からその時点での社長の大澄賢次郎(男。当時、50代くらい?)が呼ばれると、あろうことか、大澄賢次郎は「なんで俺が呼ばれなければならないんだ」と怒ったというのだから、まさに1996年に初代社長の大澄賢次郎の息子で(株)日信という関連会社の社長になっていた大澄隆史(男。当時、20代)が東京から浜松までクルマで高速道路をぶっとばして往復し、つきあっていた女性、同棲していたこともある女性を刃物で刺し殺し、「官憲に追われ逃げる」ということをしたが有罪判決を受けた際には「相手が悪い」などと言ったというだけのことある態度だった、そういう男が社長になっている会社であり、「人みたいなもん、求人広告さえ出せばいっくらでも採用できる。求人広告にはいくらでもカネかけろ。求人広告はどんどん出して中途入社の社員はどんどん採って片っ端から辞めさせろお」と叫んでいるという男が社長の会社であり、安全対策不備で職人を死なせても「なんで、俺が労基署に呼ばれなければならないんだ」などと文句を言い、ドバカ息子が女性を殺しても「相手が悪い」などと言うようなそんな男が経営者の会社の工場がそんなに安全対策が十分行き届いていると思う方がどうかしている・・のだが、私が新帝国警備保障で交通誘導警備の仕事をやった時には新帝国警備保障の研修では、レッカー車で吊荷を運んでいる時には吊荷の下に入ってはだめであるだけでなく、レッカー車から吊荷までの作業半径内に立ち入ってはいけません。立ち入っている人がいたならば注意してくださいと言われたものだったが、(株)一条工務店では上棟作業に参加した際、吊荷の真下で作業させられて、せめて、自分の真上を吊荷が通る時だけでも、吊荷の状況を見ておいて、いざという時にはできるだけ避けて致命傷は避けられるようにと思って吊荷を見ていたところ、先輩社員から「こらあ! 吊荷なんか見るなあ。吊荷が上から落ちて来てもおまえが死ぬか半身不随になるかするだけじゃあ。おまえが死んでも会社はいっこうにかまわんのじゃあ。吊荷なんか見るなあ」と言われた・・というそういう会社であり、そんな会社の工場が安全対策万全だと思う方がどうかしているのだが、自分の子供でありながら、自分の子供がどうしているかも関知していない父親、自分の子供に対する教育が行き届いておらず、工場でも子供が何しているか見ていない父親が「こらあ。気をつけろお」と空に向かって叫ぶ・・というのは、それは誰に言っているのか、自分には言わないのか・・と思い、この人には関わりたくないと思って、自分が営業担当でないお客様でも対応させてもらっていたが、その人にはできるだけ関わらないようにした・・・ということがあった。
同様に、東海住宅(株)の花見川ショールームで図面打ち合わせをやっていた契約客の親というのは、自分の子供が何をしているのか、見ていない親というのは、親としてどうなのだろうか。足利事件でパチンコ屋から連れ去られて殺された女の子のお父さんに、「父親が不注意なのが悪い」と責める人があったらしいが、ジャーナリストがそのお父さんにそれを話したところ、「パパが悪いんだあ。パパが悪いんだあ」と言ってお父さんは泣きだしたそうだ。その場合でも、その女の子のお父さんは子供をまったく見ていなかったわけではなく、いつも行くパチンコ屋で、その女の子もパチンコ屋の店員や常連客や景品交換所の店員などと顔見知りになっており、そして、お父さんはパチンコをやりながら子供の方をちらちらと見ていたらしいのだ。しかし、「あ、そこにいるな」と思いながらパチンコをやっていて、ふと見て「あ、どこに行った?」と思って捜したらいなかった・・というものだったらしく、まったく子供を見ていなかったわけではなかったらしい。足利事件の被害者の女の子のお父さんを責める人はいるようだが、子供に対して、このくらいなら大丈夫だろうと同程度の見方しかしていない親はけっこうあるのではないかと思うのだ。だから、お父さんはもっと気をつけておいた方が良かったというならそうかもしれないが、それでも、その女の子を殺したのはやっぱりお父さんではなく犯人であるし、そのお父さんと同程度、もしくはもっと子供に気を配っていないにもかかわらず、子供が誘拐されたり殺されたりしていないケースはいくらでもあるのだ。実際問題として、私は21歳の時に子供用通信教育の教材の訪問販売の仕事をしたことがあったのだが、ある家では小学校1年の女の子が家の前にいて、「お母さんは?」ときくと、「もうすぐ帰ってくる」と言うので、子供に教材をさせながらお母さんを待ったところ、しゃがんだ私の足の上に腰かけてうれしそうに教材をやるので、子供がこちらの足の上に乗っているからにはお母さんは帰ってきた時に話を聞いてくれるだろうと思っていたら、母親は帰ってきたのはいいが、「その子、どうしたって勉強しない子だから」と言って、子供を私の足の上に乗せたまま、さっさと行ってしまったのだった。「おい~い、私が子取りだったらどうするんだよお」と思ったが、平気で行ってしまったのだ。私は子取りではないし、「変質者」でもないので誘拐したりしなかったが、足利事件のお父さんを責めるのならば、他にも、危なっかしい親はいっぱいいるのではないかと思う。

足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本) (講談社文庫) - 小林篤

殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―(新潮文庫) - 清水 潔
東海住宅(株)の花見川ショールームで子供が走り回っているのを注意もせずに放置していた親というのは、どうなのか? 子供を連れてパチンコしていた足利事件のお父さんを責める人がいるようだが、お父さんは子供をまったく見ないでパチンコにふけっていたというわけではなく、パチンコ屋の店員や常連客とはその女の子は馴染で、むしろ、他の場所よりもその女の子を見ている人はいるくらいの場所だったらしく、お父さんはパチンコをやりながらでも、「あ、そこにいるな」と子供をちらちらと見ながらパチンコをやっていたらしいのだ。 それに比べて、東海住宅(株)の花見川ショールームで打ち合わせをやっていた契約客の親というのは、本来、走り回るべき場所ではない所でおのれの子供が走り回っているのを注意もしなかったわけであり、子供を見ていなかったのだが、その親は親としてどうなのか?
もしも、その子供が店から外に出て行き、東海住宅(株)の従業員も気づかず、ふと気づくとどこかに行って見つからなかった・・となったなら、その親は、(株)一条工務店の工場見学会に栃木工場に行って「こらあ、気をつけろお」と叫んだ父親みたいに「こらあ、気をつけろお」と文句言うのか? 誰に文句言うのか?
似たような経験があります。
ある郵便局で椅子に座って順番を待っていた時のことです。小さい女の子が私が座っていた場所の逆側にいる母親の所に行こうとして、私の席と前の席との間の狭い所を走りぬけようとして、「おいおい、そんな狭い所を通るのかよ」と思っていたら、座っている私の足にひっかかって転び、「ええ~ん」と泣きだしたところ、母親が来て「はい、はい。泣かないの」と言ってなだめるとともに、私に「すいません」と言ったのだ。・・なるほどなあと思った。私が足をひっかけて転ばせたのではないのははっきりしているけれども、前で転ばれたのでは私が転ばせたみたいに見えかねないということを、その母親は理解して、そう言ったのだ。なるほど。
さらに、船橋駅前の東武百貨店で、エレベーターに乗りこんだところ、私よりも後から乗ろうとした子供が閉まろうとするドアにぶつかっった。たとえ、エレベーターのドアが閉まろうとして、それに挟まれても、人に扉が当たれば、そこで扉は制止して一度開くようになっているので特に危険はないが、それでも、子供に当たらないようにと思ってエレベーターの操作盤の「開」を押してあげたのだが、ところが、「開」ボタンを押しても即座には反応しないらしく、入ろうとした子供に一度、扉がぶつかったのだ。
せっかく、親切で「開」を押してあげたのに、これでは私が「閉」を押して子供に扉をぶつからせたみたいに見えてしまうなあ・・かなわんなあ・・、「子供」帝国主義みたいな親が多いから、文句でも言ってくるのではないか・・と思ったら、その母親はそうではなく、私が「開」ボタンを押して子供に当たらないようにしてくれたと理解したようで、扉にぶつかってむずがる子供に「どうしたの。はい、はい」と言ってなだめるとともに、私に「どうも、すいません」と言ったのだ。
最近、「子供」帝国主義みたいな親が多いけれども、すべての親が「子供」帝国主義者、「子供」を大義名分に掲げれば何でもまかり通ると考えるバカママ・アホ父症候群というわけではないようだった。
それで、思ったのだ。東海住宅(株)の花見川ショールームで、本来、走り回るような場所ではない場所で走り回ったあげく、自分で転んでおきながら私のすぐ横で、まるで私に倒されたみたいに「ええええ~ん」と泣きだした男児の親。子供に「おい、お前、何やってるんだ。おとなしく静かにしてなさい」と注意するべきで、かつ、横で転ばれて「ええ~えん」と泣かれた(「嘘無き」ではないかという感じだったが)だけでなく、「ヤクザ顔の田中」から「悪かったねえ。ごめんねえ。本当に申し訳なかったねえ」などと言われて、まるで私が転ばせたみたいに言われた・・ということに対して、親ならば「すいません」の一言くらい言うものではないか。
これから、家1軒建てて住もうというくらいの親ならば、そのくらい言えないといけないのではないか。それを言えないようなバカママ・アホ父が家1軒建てなくてもいいのではないのか・・・。
そして何よりも。「ヤクザ顔の田中」は、子供が嘘泣きして、自分で転んでおきながら同情を買ってなぐさめてもらおうとしているのを見ると寄ってきて、「ごめんねえ。悪かったねえ。申し訳なかったねえ」などと言ってはだめだろうが! アホか、この男は。
その2008年の時点で、私は「建築の住宅」の営業としてはベテランだったが、「不動産の住宅」については初心者で、「ヤクザ顔の田中」は「不動産の住宅」の仕事を東海住宅(株)で長くやってきた人間だそうで、その少し前までは東海住宅(株)の福島県の営業所にいたのを千葉市花見川区(最寄駅は京成本線「八千代台」駅)の花見川ショールームに転勤してきたのだが、「建築の住宅」の営業にしても「不動産の住宅」の営業にしても、その時の田中みたいな態度を取ってはいかんだろうが。そして、そんな態度を取ったならば、その後で私に「さっきは申し訳なかった」の一言くらいは言うものだろうが! それを言わずに・言えずに平気でいる男というのは、やっぱり、「不動産屋の営業」というのはレベル低いのか? やっぱり「ヤクザ顔の男」というのは営業としてレベル低いのか?・・ということになる。
「ヤクザ顔」とか言うと、時々、「おまえ、ヤクザを知ってるのか?」とか言う人が出てくるのだが、「よく知ってる」人間なんてそんなにいないだろうし、私だって「よく知ってる」わけではない。「ヤクザみたいな人」がいたとしても、実際にその人が「警察認定 暴力団構成員」かどうかなんてわからないし、ヤクザさんにも「いかにもヤクザみたいなヤクザ」と「ヤクザみたいではないヤクザ」がいて、後者の人はちょっと見ただけではわからないし、一時の清原なんてまさに「ヤクザみたい」だったが公式にはヤクザではなかったようで、「ヤクザみたいだがヤクザではない」人もいるわけだ。まったく見たことはないかというと、そうではない。1991年頃、法務省の警備員の仕事をしたことがあり、検察庁に来るヤクザさんを見かけることは何度もあった。本人が自分で「私はヤクザです」と名のるわけではないが、見ただけでわかる。 よくわからんのは、刑事なのにヤクザみたいな刑事というのが時々いるらしく、最近、YouTubeで「どっちがヤクザかわかりません」と称して、警察による暴力団事務所への捜査なんて動画が出ているが、ああいうのを見ると、「いやあ、怖いなあ。刑事てほんまに怖いなあ」て感じがする


検察庁に来ていたヤクザさんというのは、正真正銘のヤクザさんなのだろうけれども、しかし、「見るからにヤクザ」のヤクザさんと、「ちょっと見ただけではわからないヤクザさん」というのがいらっしゃるらしく、後者はよくわからん。Poco さんという女性漫画家が、かつて、お水の仕事をしていた時に「闇カジノ」に連れていってもらったことがあって、その闇カジノの経営者の男性が実に素敵な感じで、「あの人はいったい何者?」て感じがして、連れてくれた人にそう尋ねたところ、「闇カジノの経営者なんだから、ヤクザに決まっとるだろうが」と言われて、「え、あの素敵な男性がヤクザなの?」と驚いたなんて話を書いていたが、「ヤクザみたいでないヤクザさん」というのもおられるらしく、同時に他方で「ヤクザみたい」でありながら、正式に警察の暴力団構成員のリストには名前は入っておらず、かつ、どこの暴力団にも属していないらしいが、だからと言って「あんなカタギあるわけないだろうが」みたいな人というのも実在している。
それで、正式には「ヤクザ」ではないらしいが「ヤクザみたいな顔」しているおっさんが多い職業というと、これは、警察と不動産屋というのが双璧ではないだろうか。(株)エイブルにいた時のことだが、不思議なもので、入口から人が入って来るその時点で、その人は借り手か貸し手’(家主)か、ひと目、見ただけでほぼわかった。但し、どちらでもないケースとして、
「うわっヤクザみたいの来たっ。こわっ



なんて感じの人が来ることが時としてあり、それは警察だった。ちょっと入居者について教えてほしいと警察官が来ることがあったのだが、
「うわあ、人相悪いの、来たあ

と思ったものだったが、東海住宅(株)の花見川店の店長の田中の「友達」の不動産屋も人相悪いのが多かった。
警察の場合は、《「うわっ、ヤクザみたいの来たっ」て感じの顔の人》と、そうではなく《「普通の顔」の人》がいて、たまに、交番にいるよりもサーティーワンアイスクリームにいた方が似合ってそうなおねえちゃんとかいたり、そういう相手だと、つい気を許してしまったりとか(^^♪・・・。 あの「普通の顔の警察官」と「見るからにヤクザて顔の警察官」というのは、どういう経緯であの違いが出てくるのだろう? 「なんで、あんた、ヤクザみたいな顔してはりますのん?」なんて尋ねたら怖そうだからきけないけれども。 そして、「不動産屋のおっさん」てのは、なんで、「ヤクザみたいな顔」になるのだろうか? もともと「ヤクザみたいな顔のおっさん」が不動産屋になるのか、不動産屋やってると「ヤクザみたいな顔」になるのか?
東海住宅(株)にいた時、取締役で後に社長になって社長になったらすぐに社長を別の人間にかわった大澤と、福島県の店から転勤してきて花見川ショールーム店の店長になった田中の2人、東海住宅(株)のヤクザ顔コンビにきいてみればよかったなあ・・と、この点についてだけは後悔している。「なんで、あんたら、『ヤクザみたいな顔』してはりますのおん?」て。 きけばよかった、失敗した。
それで、花見川ショールームで走る場所ではないのに走り回って、それだけでなく、私の横で転んで大声で嘘無きしたやつの親の担当営業。 誰だったか、後からでも私の所に来て、「先ほどはすいませんでした」という一言くらい言うものだろうが。
それを言えなくて、営業と言えるか!・・と思うが、「不動産屋の住宅の営業」というのは、そのあたりが「建築の住宅の営業」に比べて「レベルが低い」のか、「すいませんでした」の一言がなかった。
東海住宅(株)の営業というのはそういう連中だったのだから、そういう時には私の方から、その営業の店に行って、「言っておくべき言葉がないのと違いますか」と言ってやるべきだったと思う。失敗した。そういうものは黙っていてもわかるもののはずだが、東海住宅(株)のレベルの低い営業は黙っていたらわからないようだ。黙っていたらわからないやつには言ってきかせてやらないとだめだった。
※ 東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕https://www.10kai.co.jp/ については、
[第619回]《平塚神社社殿の裏の岡。猫の死骸をかわいそうと思うか気持悪いと考えるか―平塚神社と浅見光彦【7/15】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
[第903回]《転職した場合「その会社では先輩」社員にどこまで遠慮すべきか。同僚が困っているところを女を助手席に乗せて見物に来る男。警察がやるなということを自分はやらずに従業員にやれと言う店長。男性に雪かきさせて自分は部屋中に入って座ってコーヒー飲む女症候群。男性が掃除と準備をした所に遅刻してやって来て下駄箱の上をひと撫でして「私がここまでやった」と宣言する女。ほか・・》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_3.html
でも述べました。御覧ください。
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あれは1962年のことですから、今(東郷正延『ロシア語のすすめ』(講談社現代新書)の第1刷が発行された1966年)からではもう4年もまえのことになります。その年の秋から冬にかけてたまたま私(東郷正延)はソ連に滞在していたのですが、11月7日の早朝、私はけたたましい電話のベルに眠りを破られました。ねむい目をこすりながら受話器をとると、「自分は科学アカデミーの者だが、貴君を本日の革命記念式典にご案内のためお迎えに参上した。これから5分以内に支度をしてホテルのロビーまでおりてきてほしい」とのことでした。ホテルはこの日のためにアメリカから招待された三名の学者も泊まっていましたので、その人たちと連れだって「赤い広場」にかけつけると、そこはもう一杯の人でごったがえしておりました。人ごみをかきわけ、何か所に検問所を通過して、クレムリンの城壁を背にした来賓席についたときは、キューバ人の一団がおりからのキューバ危機を反映して、盛んな気勢をあげて人々の注意を釘づけにしているところでした。
やがてその騒ぎも静まったとき、あたりを見わたすと、すこし離れたところに、あるロシア人が十歳ほどの男の子をつれて、式のはじまるのを待っているのが目にとまりました。でも式がはじまるまでにはまだ一時間以上あります。やがてその子供は暇をもてあましたのでしょうか、自分の席をはなれて広場に遊びに行きたいと父親にねだりはじめました。はじめ父親はあれこれなだめていたようでしたが、子供の方は相かわらず鼻を鳴らして父親をこまらせています。ちょうどその時でした。その近くにいたあかの他人のロシア人が私のところまで聞こえるような声でいいました。
「もしお前が男(ムシチーナ)なら、がまんしなさい。これくらいのがまんが出来なくてどうするんだ!」
とつぜんのお目玉に、その子はすっかりおとなしくなりましたが、私にとってはこれは大変な驚きでした。私は思わず「ソ連を見つけた!」と心のなかでさけびました。子供は国の宝であり、これを育成するのは国民全体の責任と考えるソヴエト人にしてみれば、これは至極あたりまえなことなのでしょうが、私はこの光景に深く打たれ、今でも事あるごとにそれを思いだすのです。・・・・
東郷 正延『ロシア語のすすめ』1966.11.16.講談社現代新書
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東郷正延さんは、モスクワにて、ロシア人が他人の子供でも叱るのを見て「ソ連を見つけた」と心の中で思ったというのですが、それならば、日本ならば、本来、走り回るような場所ではない所で走り回り、自分が転んでおきながら、嘘泣きして人に同情買おうとする男の子がいたならば、東海住宅(株)の花見川店の店長だった田中(男。2008年当時、60歳)のように、「ごめんねえ。悪かったねえ。申し訳なかったねえ」などと言って嘘無きする男の子の機嫌をとるのか? それが日本なのか? 違うだろ。
ロシアならば他人の子供でも叱るところを、日本ならば「ごめんねえ。悪かったねえ。申し訳なかったねえ」などとアホなことを言って私のせいにするのか? 田中は、せめて誰かのせいにするのならば私のせいにするのではなく田中自身のせいにしたらどうなのか? 日本でもやっぱり、住宅展示場の中で走り回る子供がいたならば、田中みたいに、走り回って自分で転んでおきながら嘘無きして同情買おうとする男の子の機嫌をとるのではなく、「ぼく、ここでは走り回らないで」と住宅展示場の従業員は言うべきものであろう。違うか?

ロシア語のすすめ (講談社現代新書 95) - 東郷 正延
※ 嘘泣き⇒《YouTube-アジャコング VS 救世忍者乱丸&ハイビスカスみぃ 2/2【乱丸フェスタVOL.17】》https://www.youtube.com/watch?v=-SyIYTC13GQ 2:00~
【4】 (株)一条工務店。 引継ぎ担当なんか引き受けない方がいいかと思った経験。
1998年前半だったか。(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所(展示場)にいた時のことだ。 1997年に新卒入社したSくんが1年で退職した後、Sくんが唯一、契約いただいた茨城県北部、北茨城市だったか高萩市だったかのS様邸の契約後の引継ぎ担当を私と同じ営業所(展示場)にいたベテランのKさん(男。当時、40代)が担当していたのだが、そのKさんが新潟県上越市の展示場に転勤することになり、私が再引継ぎすることになった。
御施主様のSさんは勤め先も確かな所で年収もこの地域の住人としては悪い方ではなく、人柄も真面目な人で特に難しいところもなく、土地も十分な広さのいい土地を持っておられた方だったが、建築予定地の前面道路に下水が通る予定があったということだったか、上水道が通る予定になっていたということだったか、ともかく、退職したSくんが1997年に契約いただいた時点では、前面道路の上水道だったか下水道だったかがまだ通っていなかったので、それが通ってから建てるという予定だったが、新卒入社1年目のSくんが契約だけ先にしてほしいと訴えるので、それならと契約してくださったらしかった。
但し、ここで問題は、Sくんは「もしも、解約される時には契約金の百万円はお返ししますから」と言って契約してもらったらしく、契約客のSさんとしては前面道路の上水道だったか下水道だったかが開通すれば(株)一条工務店で建てるつもりで契約されたのだが、もしも、契約後に他社の方がいいと思ったならば解約することだってできると理解して契約書に署名捺印して、着手金として100万円を振り込んでいただいたようだった。
問題は2つある。ひとつは、まだ、建築予定は少し先だが営業担当者が契約だけ先にしてほしいと訴えて契約してくれたお施主様というのは、そこで営業の都合をきいてくれたありがたい人なのだ。だから、営業担当者は、営業担当の都合をきいて契約してくれたありがたいお客様には礼儀を尽くさないといけない。ところが、Sくんは退職してしまった。契約だけしてもらって担当者が退職してしまうというのは、そのお客様に申し訳ないことである。そう思うからか、Sくんは退職するとは話さず、転勤になったと話したらしい。
その契約客Sさんの引継ぎ担当を「私は本当はもっと売れるのだけれども、わざと取らないようにしているの」などとおっしゃるベテランのKさん(男。当時、40代)がなった。これは人選ミスだと思う。Kさんは普段から「攻め手が遅い営業」だった。本人はその意識がないようだった。それより前に退職した1995年にだったか退職したMさん(男。当時、20代後半)はKさんと逆で展示場で有望見込客を接客すると、「来たあ、有望客♪ 一発で決めてやる!」と毎度、強打・KOを売りにするボクサーみたいなことを言う人だった。私は最初にMさんと会った時点ではまだ入社2年目だったのでよくわからなかったのだが、そのうち、「なんで、この人は強打・KOを売りにするボクサーみたいなことを毎度言うのだろうか?」と疑問を感じるようになった。 「啐啄同時(そったくどうじ)」という禅宗の言葉〔『碧巌録』という書物に載っている言葉らしいのだが〕 があるが、住宅建築業の営業もそれと似ていて、お客様が契約しようという気持になる時に営業が「クロージング」をおこなうと自然と契約してもらえることになるが、お客様がまだ契約しようという気持になっていないのに営業の都合だけで「クロージング」をかけて契約してもらおうとすると、それが原因で話がつぶれることもあり、又、逆にお客様が契約したいという気持になっているのに営業が「クロージング」をおこなわないようだと、この人は契約してもらいたくないのか? うちはカネがないと思われているのか? とお客様の方で不審感を持つようになってしまい、それが原因でおかしくなって契約にならなくなることがある。 Mさんの場合、ボクシングにたとえるならば、ワン・ツー・スリーで決めに行けば喜んで「KOされてくれる」(契約してくれる)のに、それを「一発で決めてやる」と,ワンの段階で契約してもらおうと無謀なことを毎度やりたがるというのは、なぜなのだろうか・・と疑問に思うようになったのだ。それについて、Kさんが「なぜか、わかりますか」と言うので、「極端にモノグサだからでしょ」と私が言ったところ、「それもあるでしょうけれども、それだけじゃないですよ」と言うのだ。「人間にもいろいろありましてね。初対面だとつきあいにくそうに見えてもつきあっていくと、いい人じゃないかという気持になる人もいますが逆の人もいますでしょ。初対面だとそんなに悪い印象ではないけれども、長くつきあえばつきあうほど印象が悪くなる人というのがいますでしょ。Mさんはそれなんですよ。精神面が卑しいものだから、しかも自分でそれを自覚しているから、お客さんにそれを見抜かれる前に契約書に署名捺印してもらおうとするんです。だから、『一発で決めてやる』と言うことになるんです」と言うのでした。「あ、そうかもしれませんね」と私は答えたのでした。「そうかもしれません」ではなく、そうでしょう。間違いなくそうでしょう。「極端にモノグサだから」ということもあるけれども。
※ 《goo 辞書――啐啄同時(そったくどうじ)の解説 - 学研 四字熟語辞典》https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%95%90%E5%95%84%E5%90%8C%E6%99%82/
それに対して、Kさんは「私なんか、お客さんから『この後、どうしたら契約させてもらえるの』と言われたことがありますよ」と、「ちょっと得意」みたいな言い方で言ったのでしたが、それは「ちょっと得意」にしてはいかんでしょうが。Kさんの場合はMさんと逆で「攻め手が遅い」のです。見込客が契約しようかなという気持になってきた時点でもまだ「クロージング」に入らないものだから、だから、「この後、何をしたら契約させてもらえるの?」という言葉が見込客の口から出たのでしょう。自分の人間性が卑しいということを自覚しているから、だから、見込客がそれに気づかないうちに契約させてしまおうと「一発で決めてやる」などと強打・KOを得意とするボクサーみたいなことを毎度言う人よりはいいかもしれませんが、Kさんの「攻め手が遅い」というのは、消極的な営業・熱心さがない営業ということを意味しているものでもあり、Kさんは「ちょっと自慢」みたいな言い方をしていましたが、「ちょっと自慢」できるものではなかったのです。
土地の状況が1年後なり2年後なりに前面道路に上水道なり下水道なりが通るから、通ったら建築したいと考えている方に、その条件が整うよりも前に契約だけしてもらうとか、あるいはお施主様の年回りから今年は建てるわけにはいかないという事情がある人や、家族で亡くなった人があることから一周忌が過ぎてから建てたいとか、三回忌が過ぎてから建てたいとかいう事情がある方に契約だけ先にしていただくという営業の側の都合をきいてもらった場合には〔もしも、その間に値上がりがあった場合には契約時の価格で建てることができるという施主にとってのメリットがあるとしても〕、そのお施主様は営業の方の都合をきいてくれて協力してくれたありがたい方なのですから、決して他のお客様よりも不利になることがないように、決して他のお客様よりも粗末な扱いをすることがないように気をつけなければいけません。
又、実際に建築するのは先だけれども契約だけ先にしたという御客様がいた場合、その御客様は実際に計画を進めるまでの間に同業他社の展示場を見に行かれる場合もあり、そういう際に同業他社の営業でなんだかんだ言うやつが出てくる可能性もあります。私が担当させていただいた契約客でも、たしか、もう工事が始まっているのに、同業他社の営業から「一条さんですかあ。いいですねえ~え。でも、高いでしょう。社長さんでもなければ一条工務店では建てられないですよねえ」などと言われたという方があり、私とお会いした時に「☆☆の人がこんなこと言ったんですけれども、うち、社長なんかじゃないですけれども大丈夫でしょうか」などと言われたのですが、「大丈夫ですよ。きちんと資金計画を立てて進めましたよね。社長さんでなくても一条工務店で建てていただいて住んでいただいている方はいくらでもおられますよ」と話したところ、「そうですよね」と納得された、ということがありました。
又、他に、やはり、実際に建てて住むのは少し先なのだが契約を先にしてくれたという御施主様がいわき地区でのみ建てている建築会社の独立の展示場を見に行って「うちは、もう、一条工務店で契約してるんですけれども」と話されたところ、「一条さんですかあ。この間、そこの一条工務店で問題があったんですよねえ~え」と言われたそうで、「何があったんですか?」と問い返したところ、「それはちょっと・・」などと言いやがったらしい。それで、その契約客の方は私と会った時に、この話をそのままされて、「一条工務店の鹿島町飯田の展示場で何かあったように言われたのですが、何があったんですか」と言われ、「さあ。私はそういう話は聞いていませんけれどもね。▽▽ハウジングの人は何を言ってるのでしょうね。むしろ、私が▽▽ハウジングの人に、何があったのか尋ねてみたいところです」と話したところ、契約客の方は「そうですか。それなら、いいです」と言われて、その話はそれですみました。
この2例でも、私の場合は実際に建てるのが先の方に契約いただいた場合でも、特に用事があってもなくても定期的に会いに行っていますから、同業他社の営業で「しょーもないこと言い」が何か言いよったという場合でも、そういう際に、↑ のように契約客の方がそれを話してくれるのです。それを聞いた時にきっちりと対処さえすれば、むしろ、同業他社の営業の「しょーもないこと言い」攻撃は空を切る、もしくは、かえってその攻撃はマイナスになることになります。ところが、Kさんみたいに「あの人、建てるのは先だから連絡してもしかたがない」などと言って放置すると、その間に他社の営業から集中攻撃を浴びることになり、(株)一条工務店で契約してくれた契約客の方は最初は自分が契約した(株)一条工務店の方の味方であったものの、自分がまだ建築は先なのに契約してあげた(株)一条工務店を自分が弁護しているのに、(株)一条工務店の営業担当は契約だけさせておいて、いったん契約したが最後、完全に無視して放置する!・・・ということは、何もそんな会社で建ててあげる必要はないのじゃないか・・・と思いだすのです。
まだ先なのに契約してくれたSさんは茨城県北部の住人でしたので契約は福島県いわき市の営業所で契約されたものの、茨城県の展示場を見学に行かれることもあったようです。そして、茨城県の水戸市の展示場だったと思うのですが、そこの営業に言われたらしい。「うちはまだ建てるのは少し先なんだけれども、いわき市の展示場の営業が契約だけ先にしてほしいと言うから契約したら、契約したが最後、完全に放置された。工場見学会だってあるのに、いっこうにうちには連絡がない。近所で一条工務店で建てているお宅があるのに、それだって教えてくれない。一条工務店で契約して失敗した。建築するのはまだ先でも契約だけ先にしてほしいと営業の人が言うから契約だけ先にしてあげたのに、一条工務店に裏切られた」・・と、そう話されたらしい。なるほど、Kさんが担当ならそうなるだろうなあ・・と思いました。
元阪急ブレーブスの山田久志投手が『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)という本を書いているのですが、そこで「日本に来る元大リーガー」について、元大リーガーというものを山田はあまり高く評価していないそうで、自分は元大リーガーだというプライドばっかり高くて日本と日本のプロ野球をバカにしてろくに働かず、えらそうな口ばっかりきくやつが多いという印象があり、そして、近鉄バファローズにオグリビーが入団した時にも「どうせ、そんなもんだろ」と思っていたらしいが、ところが、来日したオグリビーは違った、という。すでにプロ野球選手としては高齢の方の年齢になっていたにもかかわらず、そんなことは何の関係もない、いついかなる時も常に全力疾走・全力プレーであり、「全力疾走・全力プレーこそ一流の証(あかし)」という考え・姿勢で手を抜くようなことがまったくない。その姿を見て、オグリビーはかっこいいと思った。さらに、その年、近鉄が最後の最後まで西武と優勝を争い、近鉄が最後のロッテとのダブルヘッダーの2連戦に連勝すれば近鉄の優勝、1つ負けるか引き分ければ西武の優勝という試合で、第一試合は近鉄が勝ったが、第二試合、近鉄はロッテと延長戦の末、引き分けて惜しくも優勝を逃した後の残念会の時、こっそりと席を抜け出したオグリビーはトイレでひとり泣いていたそうで、その話を知り合いの記者から聞いて山田はオグリビーは本当にかっこいいと思った・・と書いていた。Kさんはオグリビーと逆の人なのだ。「私は本当はもっと売れるんだけど、わざと契約取らないようにしてんの」と常に言う人で、そんなこと言われても、私はKさんに「お願いですから契約取らないようにしていただけませんか」なんて頼んだことないのであり、何も「わざと売らないように」なんてしなくても売ればいいでしょうが! そんなこと言わなくても契約取ればいいだろうが・・と思ったものだったが、Kさんはそういう人だったのだ。

プロ野球 勝負強さの育て方 (PHP文庫) - 山田 久志
Kさんはそのように「積極性のない営業」でしたので、営業の方からいろいろとアプローチしてほしいお客様には向かない営業でしたが、お客様の方からいろいろと求める人の場合には、Kさんはけっこう長く(株)一条工務店に在籍している人で、いわき地区の従業員の間でも「困った時はKさん」という言葉があって、「これ、どうすればいいのかなあ」と困った時にはKさんに尋ねると、たいてい、何らかの対処法を親切に教えてくれる、それも、Kさんよりも多く契約を取っている営業にでも嫌がらずに教えてくれる人で、かつて、西武ライオンズに工藤公康投手が入団した時に先輩投手の東尾に何だったか変化球の投げ方を教えてくださいと言ったら「なんで、そんなもん、教えんといかんねん」と言われたそうで、ライバルに教えるということは自分の飯の種を失うということを意味しているわけで、なんで、ライバルにそんなもん、教えんといかんねん・・というのがその時の東尾の考えだったらしいのだが、その逆がKさんで、ライバルにでもお構いなしに何でも教えてくれる人で、「なかなか、便利でしょお~お♪」なんて本人が言っていた(笑)というそういう人で、(株)一条工務店の営業でも「熱意はあります」という人でも熱意だけしかなくて、少しでも難しいものには対処できない人がいたのですが、Kさんはそうではなくたいていのことに対処できる人でしたので、御施主様の方から、こうしてほしい、ああしてほしいと要求するという人にとっては悪くない営業だったかもしれません。但し、「20坪キラー」と言われて小さい家を得意とする営業で、いわき地区の他の営業や設計・工事担当や大工ほかの職人から「あの人、東京の街中とかで20坪の契約取るならともかく、いわき みたいな300坪もあるような土地に建てる人がいっぱいいるような場所で営業やって、いったいどうやって20坪のお客さんを捜してくるんだろう? ・・と不思議がられていたという人で、ある程度以上の広さで建てようという御施主様はKさんに営業担当をされると、延べ床面積50坪の家なのに「20坪の家みたいな50坪の家」ができてしまう・・というところはありましたが、そういうことはあっても、それでも、御施主様の方から、これをこうしたい、あれをこうしたいと要求してくれる人には悪くない営業だったのではないかと思います。
しかし、Sさんのように、まだ建てるのは少し先だという人に、建築時期は先であるにもかかわらず先に契約してもらったという場合には、私ならば、たとえ、建てるのが先であっても定期的に訪問もすれば郵便も出し、電話もして連絡を取って、御施主様がどうしておられるかご機嫌伺いをして、又、同業他社の営業が何か「しょーもないこと」を吹き込んだりしていないか把握するようにしたものですが、Kさんはそういうことは一切しない。なにしろ、「本当はもっと売れるんだけど、わざと売らないの」と公言するような人ですから。 普段の営業活動からして「契約したいんだったら言ってちょうだい。そうでなかったら別に契約してもらわなくたっていいじゃないですか。契約なんか取ったら仕事が増えてしまうでしょうが」みたいな人ですから〔本当にそう言うんですからね〕、ですから、Sさんに対してもそんな態度だったのでしょう。 Sさんとしては、自分はまだ建てるのは先だとはっきりと言っているにもかかわらず、(株)一条工務店の営業が契約だけ先にしてほしいと訴えるから、だから、契約だけ先にしてあげたのに、契約したと思ったら担当営業が転勤になって(実際は退職していたが)、引継ぎ担当だという人は何にもしない! よその未契約客には住宅建築業の営業が契約してもらおうとなんだかんだアプローチして、(株)一条工務店の営業も建築現場見学会に行きませんか、工場見学会に行きませんかと頻繁に誘っているのに契約した自分の所には一切、誘いが来ない。馬鹿にされた!・・と思うようになられたようでした。
ですから、建築時期が少し先だが先に契約してくださったというそういう御施主様の仕事の引継ぎ担当をKさんみたいな「やる気がない営業」に担当させたのが間違いの元です。「私は本当はもっと多く売れるんだけど、わざと売らないの」とか言ってる人って、本当に売ろうと思ったら「もっと売れる」と自分では思っているかもしれませんが、もしも本当に「もっと売ろう」としたならば、その時に売れるかというと、売れない可能性が低くないと思われますし、それ以前に、「本当にもっと売ろう」という気持になることができるかというと、なれないでしょう。なれないと思いますよ。
1970年代後半、我が家の近所で私と同じ中学校から同じ北野高校に進学して、大阪大学法学部に現役で通って行ったK村哲二という男がいて、そいつのお母さんが「京大でも通ると北野高校の先生が言われました」だの「阪大なら絶対に通ると北野高校の先生が言われました」だのと近所中にラッパを吹き鳴らしてぎゃーすか叫びまくったのでしたが、ええかげんうるさいなあ、このおばはんは! と思ったものでしたが、「京大でも通る」のならば実際に京大を受けて通って行けばいいだろうが! 京大を受けずに阪大を受けて行ったのは自分だろうが! 誤解せんといてほしいねんけども、わし、K村に「お願いですからどうか京大は受けんといてください」なんてお願いしたことなんて、いっぺんもないでえ。それとちょっと似ているのだが、Kさんも「私は本当はもっと売れるんだけど、わざと売らないようにしてるの」なんて言わなくても、「本当はもっと売れる」のならば、本当に「もっと」売ればいいだろうが!
だから、(株)一条工務店のひとつの失敗は引継ぎ担当の人選ミスです。・・「だいたい、契約みたいなもん、するから仕事が増えるんでしょ」とか言ってる人に引継ぎ担当させると、その人は新たな契約獲得のための活動には消極的でも引継ぎ担当なら滞りなくやるだろうと(株)一条工務店の経営者は考えたのかもしれませんが、「契約みたいなもんするから仕事が増えるんでしょうが」とか言ってる人というのは引継ぎ担当でもその姿勢でやりますからね。お客さんはそれに気づきますからね。
そして、新卒入社1年目のSくんがSさんに契約してもらう時、Sくんは「契約を取りやめられる場合とか他社で契約される場合には契約金の百万円はそのままお返ししますから」と言って契約してもらったらしいのですが、ところが、(株)一条工務店の契約約款には小さい字で、「3年以内に同業他社と類似の契約を結ぶことがないと判明した時には」という文章が入っているのであり、Sさんのように(株)一条工務店の営業の引継ぎ担当から放置された、何もそんな営業の会社で建てる必要はない! と憤慨されて他社で契約して建てたいというそういう場合には、契約金の百万円はお返ししませんと書かれているのです。
(株)一条工務店の契約書は「契約書」と「契約約款」と「仕様書」からなり、「契約書」の文章は比較的大きい字で書かれているのですが、「契約約款」の文字は小さく、読みにくい大きさの字で書かれているのです。 しかし、これは気をつけて見ないといけません。
又、今は違うでしょうけれども、その頃くらいまでは(株)一条工務店は「坪◇◇万円」で契約ということをして、契約後にプラン打合せをおこなって図面を決めるというようにしていて、これは建設業法違反のはずなのですが、「坪◇◇万円」で契約というやり方をしていた時、私は契約後にもめることがないようにと考えて、その「坪◇◇万円」には何が入っているか、どこまで入っていて何は含まれていないかということを明確に説明して契約してもらおうと努力したのですが、ところが、1993年の末、「通達」が浜松の本社から来て、それまで「施工面積」に含まれていなかったベイウインドウの部分の面積も「施工面積」に参入することとしますと言ってきたのでしたが、そこで、「今回は、これから契約される新規客に対してですが、今後、既契約客に対しても適用していく予定です」などと書面に書いてきたのです。なんだ、これは?!?
それで、(株)一条工務店の福島県浜通り地区の所長だった草野次男さんに私は「これから契約される方に対して、これまでは施工面積に参入していなかったベイウインドウの部分の面積も参入することにするというのはいいと思いますが、既に、ベイウインドウは1か所サービスです、施工面積には入りませんということで契約いただいた方に、やっぱり参入してその分、余計にお金をもらいますなんて言うのは、それはいけませんでしょう」と言ったのです。当たり前のことを私は言っているはずです。ところが、所長の草野次男さんはこう言ったのです。「おまえ、契約してもらう時に、施工面積にどこが入ってどこは入らないか、いちいち説明しているのか?」と。「もちろん、説明しています」と私は言いましたが、そうすると、浜通り地区の所長の草野次男さんはこう言ったのです。「馬鹿か、おまえは! そんなもの、説明しているおまえが悪いんだろうが。施工面積にどこが入るか、どこは入らないかなんて説明するからいかんのだろうが。そんなもの、話さずに契約してもらえば、契約後にいっくらでも面積を広げることができる。馬鹿か、おまえは!」と、そう言われたのです。・・それでは詐欺だっぺえ!!!
私は契約していただく前に、契約書の文面をお客様と一緒に読み、そして、小さい字で書かれている契約約款も一通り読んで、そしてその後、「3年以内に同業他社と類似の契約を結ぶことがないと判明した時には契約金は返金する」と書かれている部分については、特に念を押して、「建築とりやめになったという場合はお返ししますが、同業他社で建てたいから解約したいという場合は返金いたしませんという意味です。よろしいでしょうか」と念を押して、その上で契約していただくようにしてきました。ですから、私が担当の契約客の方からは、「それは聞いていない」という話は出てこなかったのです・・・が、逆に、その部分は説明せずに、大きな活字で書かれている「契約書」の文章だけ見せて、小さい活字で書かれている「契約約款」については「これはもういいですね」みたいに言ってすませて契約書に署名捺印させてしまう営業がいたみたいなのです。・・そして、どうも、(株)一条工務店の「一族」経営者は私のようにきっちりと説明して契約していただくようにしていた営業に対しては「おまえ、何やってんだ」と怒り、きっちりと説明せずに署名捺印させるような営業を「営業力がある」とか言って称賛していたのです。「施工面積」についても、既に契約した契約客に対して、契約後に「施工面積」に入る範囲を広げようと言い出したりする会社です。・・そういうのを「営業力」と言うのでしょうか。私はそういうのを「営業力」と言うのは間違いだと思います。
私は、契約時には、きっちりとそういう重要な部分は説明した上で契約していただくようにしないといけないと思っています。但し、新人などでなかなか契約をもらえないという人が、なんとか契約が欲しいと思い、建築予定は少し先だという人に「他の会社で建てたいと考えられた時には返金しますから」と言って契約させて、後から解約したいと言うと「ほら、契約約款のここに書いてありますでしょ」と言い出すというヤカラもいたみたいです。
S様宅の担当だったSくんはどうだったのか。Sさんが解約したいと言われた時、Sくんはすでに退職して会社にいなかったので、Sくんは、同業他社で建てたいので解約したいという場合でも返金するものだとSくん自身が誤解していたのか、それとも知っていて、その部分を説明せずに契約してもらったのか、そのあたりはわかりません。私としてはSくんはよくわかっていなかったからだったと考えたいのですが、わかりません。
契約客のSさんは聞かれていなかったようでした。しかし、それでも約款には書かれているのです。困ったものです。
もしも、Sくんが退職ではなく本当に転勤して他地域の営業所にいたのならば、Sくんに連絡を取って、契約時にどうだったのか問い合わせることもできましたが、退職して会社にいませんでしたので問い合わせることができません。
又、Sくんがどうであったかにかかわらず、住宅建築業の会社は新卒新人でまだ20代前半の人の最初の1棟目の契約くらいは所長か所長でなくても誰かある程度以上経験がある営業が同行・同席して問題がないように配慮するべきですが、Sくんが契約した時に誰か同席していなかったか、めぼしい営業にひとりひとり、「Sくんが契約する時に同席していませんでしたか」と尋ねてまわったのですが、誰にきいても「俺は同席していない」と言うばかりでした。ある程度以上経験のある営業ならともかく、新卒新人の入社1棟目くらいは所長か所長でなくても誰かある程度以上経験がある営業が同行・同席して契約していただくというように会社としてするべきです・・・が、それをしないのが(株)一条工務店でした。
また、Sくんが新卒入社した1997年、いわき地区には営業系として新卒社員が3人、所長の草野次男さんと同じ展示場に配属されたのですが、「所長がいる展示場に配属する」というのがいいのかという問題もあったのです。いわき地区の所長の草野次男さんは年間契約棟数全国1位の成績を残したこともある人でしたが、そういう人のいる展示場に勤務して、そういう人の動き方・営業のやり方を見て参考になるのは新人ではなく、むしろ、ある程度は契約を取れるようになった人であって、新人は、むしろ、全国1位くらいに契約を取る人ではなく、「ある程度契約を取れるようになった人」くらいに指導してもらった方がいいのではないかと思われるようなところもあるのです。所長の立場になってみても、1人ならともかく3人もいっぺんにくっつけられたのでは指導もできないのではないか、むしろ、自分が契約獲得の活動をするのに「足手まとい」になるみたいで草野次男さんは嫌がっていたふうにも見えたのです。そして、合うか合わないかという問題もあり、所長の草野さんはどちらかというと比較的年配の人が契約客に多く、新人を営業担当として契約してもらおうとしたら「所長が担当というならともかく、俺の息子よりも若いようなやつと契約しろと言われても」と言われたとこぼしていたこともあったのです。むしろ、その「俺の息子くらいのやつ」で営業やってきた人とくっつけた方がその人のやり方を学べたかもしれない。ともかく、3人、営業系の新卒新人を配属したならば、3人とも所長にくっつけるのではなく、ひとりひとり、別の営業にくっつけるようにすれば、マンツーマンで見ることだってできたのではないか。・・で、なんで俺に見させてくれないんだとも思ったのですが、アマノジャクの会社ですから( 一一) 私に新人を見させるのが嫌ならそれならそれでもいいから、所長に3人もくっつけて見させるのではなく、1人を所長にくっつけたのなら、他の2人は誰か「ある程度以上の通算契約棟数で・ある程度以上の在籍年数」の人に別々にくっつけて見てもらうようにした方が良かったでしょう。
私が、その時、新卒新人をつけられて「この人を見てあげてください」と言われていたならば、きっちりと教えてあげることができたでしょう。ところが、(株)一条工務店はそういう者にはつけないのです。
ひとつには、私につければ、「お客様を騙すようなやり方で契約してはいけない。契約後に問題が発生しないように、説明するべきことはきっちりと説明した上で契約してもらうようにするべきです」と話したでしょうから、そうなると、営業本部長の天野隆夫は気に入らないのです。1993年初めに私が担当で契約いただいた千葉県市原市で建てていただいたY様はリビングルームで実際の薪を燃やす暖炉を設置したいという希望で、契約前に「一条工務店では実際に薪を燃やす暖炉を設置できますか」と質問されて、私は(株)一条工務店の設計から積算から各部署に問い合わせて「できます」という返事をもらって、それを伝えた上で契約してもらったのですが、ところが、契約後にプランニングの際に薪を燃やす暖炉を取りつけるようにしようとすると、(株)一条工務店より前に勤務していた小堀住研(株)などでは営業がどういう暖炉を設置してと考えなくても、設計課・工務課に暖炉のカタログもあり、設計課・工務課が考えてこういうものでどうでしょうかと提案したのですが、ところが(株)一条工務店ではそうではなく、設計担当は「暖炉をつけてもらいたいなら営業がカタログをそろえて、こういうものをつけてくれと言ってもらわないとつけられない」と言うし、積算部は「カタログを用意してもらって、これをつけたいと言ってもらえば、それに対しての金額を計算して出します」と言う〔(株)一条工務店の積算部というのは、実際のところ「計算部」でした〕しで、そこまで営業がやらなきゃならないのか・・というのが(株)一条工務店でした・・が、(株)一条工務店の営業をやってきた人にはそういったことをいろいろとできるから(株)一条工務店の営業は他の会社の営業よりもおもしろいと言う人もいました。それで、私が暖炉のカタログを取り寄せていたところ、松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫が「おい、おまえ、いったい何やってるんだ」と言うので「Y様が暖炉を設けたいと言われるのでそのカタログを取り寄せているんです」と言ったところ、営業本部長の天野隆夫は「なんで、そんなものつけるんだ」と言い、「ですから、お客様の希望ですから」と言ったところ、天野隆夫は「客の希望ならつけなくてもいいだろう」などと言うのでした。はあ? はあ~あ? と思いました。思いませんか? 私は営業本部長の天野隆夫に「契約前に一条工務店では実際に薪を燃やす暖炉を取り付けることはできますかときかれて、それで『できます』と答えて契約していただいたのです」と説明したのですが、そうすると天野隆夫は「だから、契約前につけられるかときかれて『つけられます』と答えて契約してもらったんだろ。それはいいじゃないか。しかし、今はもう契約してもらったんだから、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったからには『うちでは暖炉はつけられませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ!」と言って怒鳴りつけられたのです。それでは詐欺だっぺえ! 私は驚いて「そんなわけにはいきませんでしょう」と言ったのですが、天野隆夫は「なんで、そんなわけにいかんのじゃあ。もう、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。それなら解約すると言うなら契約金の百万円をもらっておけばいいだけのことだろう。やってまええ~え!」と言うのです。ショックでした。なんだか、えらい会社に入社してしまったもんだ・・と思いました。1993年、松戸展示場に在籍した時、天野隆夫からこういうことを言われ、その後、見込客宅にアポなし訪問に行ったものの、天野隆夫が言ったような詐欺の営業をやるということに心が責められて訪問できずに見込客宅の前まで行って、訪問せずに帰ってきたということもありました。〔市原市のY様邸には私が体を張ってお施主様の家を営業本部長の天野隆夫から守ったことで、希望通り予定通り、リビングルームに暖炉がとりつけられましたが、営業担当者によっては「契約したからには、うちではできませんからと言って適当に建ててしまえ」という営業本部長の「指示」に従って一条流「施主の要望に沿わない家造り」を実践した人もあったでしょう。〕
さて、「新人に指導する」という場合、「見込客から『・・ということはできますか』と質問された場合、できるかどうかわからないものをいいかげんに『できます』と言ってはいけません。そういう場合には信頼できる先輩社員に質問するか、会社の専門の部署に問い合わせるかして、できるかどうかを確認してきっちりとしたものを答えて、その上で契約してもらうようにして、契約前に『できます』と答えたものについては契約後は万難を排して実現するようにしないといけません」と「指導する」べきものなのか〔これは1980年代後半に小堀住研(株)に入社した時の新卒社員研修で言われたことでもあるのですが、別に「小堀住研のやり方」というようなものではなく、住宅建築業において、どこの会社においても当たり前のやり方だと私は思い込んでいたのです〕、それとも、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫が私に言ったように「契約前につけられるかときかれて『つけられます』と答えて契約してもらったんだろ。それはいいじゃないか。しかし、今はもう契約してもらったんだから、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったからには『うちでは暖炉はつけられませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが」「もう、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。それなら解約すると言うなら契約金の百万円をもらっておけばいいだけのことだろう。やってまええ~え!」「一条工務店には一条工務店のやり方があるんだから」と「指導する」べきなのか? 天野隆夫が私に言ったように、「契約前につけられるかときかれて『つけられます』と答えて契約してもらったんだろ。それはいいじゃないか。しかし、今はもう契約してもらったんだから、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったからには『うちでは暖炉はつけられませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが」「もう、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。それなら解約すると言うなら契約金の百万円をもらっておけばいいだけのことだろう。やってまええ~え!」というのが、それが「一条工務店のやり方」なのか?
実際には、(株)一条工務店の営業誰もが天野隆夫みたいなことをやっていたわけではないのですが、天野隆夫は初代社長の義理の弟であり、「そうであっても自分も従業員の一人である」という意識は完全にない人で、「天野隆夫のやり方」と「一条工務店のやり方」とを一緒にしている人で、20代の頃に浜松で「特別扱いの営業」をちょろっとやっただけの男のやり方を「一条工務店のやり方」と主張する男でした。
はたして、「新人に指導する」という場合、「契約していただく際には、契約書と契約約款に何が書かれているかをきっちりと説明して、特に、契約後に解約される場合、3年以内に同業他社と類似の契約をすることはないと判明した場合には契約金の百万円はお返ししますが、他社で建てたいから解約したいという場合には返金しませんということは念を押して説明しておかないといけません」と「指導する」べきなのか、それとも、「『契約書』の活字は大きいけれども『契約約款』の活字は小さくて読みにくいので、『契約書』の方だけ読んで、『契約約款の方は字が小さくて読みにくいですから、後で適当に見ておいてください』とでも言って契約書に署名捺印して契約金の百万円を振り込んでもらえばいいから。解約したいと言われたら、その時になって契約約款を見せて『ほら、ここに書いてありますでしょ』と言って百万円もらえばいいから」と「指導する」べきなのか?
営業と詐欺は同じではないのであり、私は詐欺の仕事をするという労働契約を(株)一条工務店と結んだ覚えはないのであり、後者のようなことはやりたくないとずっと思ってきたのであり、それゆえ、それが気に入らない営業本部長の天野隆夫から何度も怒鳴りつけられたのでしたが、どうも、(株)一条工務店には後者だと思っている人が少なからずいたようなのです。
(株)一条工務店という会社の特徴として「従業員に対する公平性の欠如」という点があります。1997年に新卒入社した人間で いわき地区に配属された従業員でも、営業として配属された者には中途入社で入った者よりはずっと緩やかではあったものの、契約棟数というものが要求されることになったのですが、他方でSくんなどと同じ時期に新卒入社して設計課に配属された長谷川恭子は配属されてから1997年の12月くらいまで、ほとんと仕事らしいことをせず、二級建築士のお勉強だけやって二級建築士に通った。私は営業本部長の天野隆夫からインテリアコーディネーターを取ってくれと言われて上役から取ってくれと言われたからには取らなきゃいかんだろうと思って、過酷な営業の仕事をこなしながら苦労して工夫して努力してやっと通ったのに対して、長谷川恭子は仕事らしい仕事なんてやらずに二級建築士のお勉強だけ据え膳みたいにしてさせてもらって通った。入社して約9か月間、二級建築士の勉強だけやって給料もらってきた長谷川恭子はどう考えても「ズルイ!」であろう。そんなやり口で二級建築士に通ったやつというのは、片方で過酷な営業の仕事をこなしながら、ない学習時間を工夫して学習してインテリアコーディネーターやキッチンスペシャリストに合格した私からすれば、そんなやり口で合格した長谷川恭子というのは八百長もいいところである。2001年、総務部長の天野雅弘から「俺らは高卒なんじゃい。おまえはインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも宅地建物取引主任者〔⇒宅地建物取引士〕も通るが、おれらはどんなにしても通らんのんじゃ。おまえはズルイ!」と言われたのだが、私はちっともずるくない。長谷川恭子こそズルイ! 総務部長の天野雅弘は長谷川恭子に「ズルイ!」と言う必要があったはずで、私に「ズルイ!」などと言うのは言う相手を間違えている。「ち~が~う~だ~ろ。このハゲぇ~え!」と天野雅弘に言ってやるべきだった。〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
そして、営業として配属されたSくんには、ポン女の家政学部みたいなもんに行きやがってからに、そんなものを卒業して入社して設計課に配属されると「設計は新卒入社したその日からお殿さま」という(株)一条工務店の会社の方針によって殿様になっていた長谷川恭子とは違って、中途入社で入った営業社員よりはずっと緩やかとはいえ、営業として契約があがるか、あがらないのかというプレッシャーがかかったはずなのです。同期に入社した人間でも、誰は契約があがった、誰はどうだといった話も出てくるはずです。Sくんの場合にどうだったかはわからないけれども、そういう中で「建築時期が先の人でも、『解約される場合は契約金の百万円はお返ししますから』と言って契約書に署名捺印だけしてもらえば契約したということにできるから。『契約約款に他社で契約した場合には返金しない』と書いてあるのなんて読む必要ないから。そんなのは話さずに契約してもらえばいいから」とか「知恵をつける」者がいた・・ということは「可能性としてないとはいえない」と思われます。あくまでも、「可能性としてないとはいえない」ですが、実際、そういうことを「教える」やつはいると思います。Sくんがそれに乗ったのかどうかはわかりません。契約客のSさんは新人営業だったSくんに対しては悪く言われなかったところを考えると、新卒入社1年目のSくんは、契約約款の内容をSくん自身がよくわからずに契約してもらった可能性が大きいようにも思えますが、今となってはわかりません・・が、どちらにしても、新人の契約1棟目くらいは誰か「ある程度以上の契約棟数・ある程度以上の在籍年数」の営業社員が同行・同席して進めるというようにするべきです・・が、会社の体質として、「契約前につけられるかときかれて『つけられます』と答えて契約してもらったんだろ。それはいいじゃないか。しかし、今はもう契約してもらったんだから、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったからには『うちでは暖炉はつけられませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが」「もう、契約書に署名捺印してもらって契約金の百万円を振り込んでもらったんだから、『うちでは暖炉はできませんから』と言って適当に建ててしまえばいいだろうが。それなら解約すると言うなら契約金の百万円をもらっておけばいいだけのことだろう。やってまええ~え!」「一条工務店には一条工務店のやり方があるんだから」と言うような人が営業本部長になっていた会社、そういう体質を持つ会社ですから・・・。
契約客が実際には契約時に話を聞いていたにもかかわらず、「そんなの聞いてない」と言っているのか、そうではなく本当に説明を受けていなかったのかは、ある程度以上わかります。私は契約客のSさんは本当に説明を受けていなかったのだと思いました。但し、客の側だって、そこに「契約約款」というものがついているからには、契約前に営業担当者がそれを読まなかったとしても、契約書に署名捺印する前に眼を通すべきであり、御自分でも言われましたがその点で契約客のSさんにも落ち度がないわけではありません。それでも、営業がきっちりと説明していなかったならば、あるいは意図的にいいかげんにはしょった説明で署名捺印させたならば、建築会社の側にも責任はあると考えるべきでしょう。
私は契約客のSさんに対しては引継ぎ担当のKさんを弁護しましたが、事務所に戻ってからKさんに、何の連絡もしてもらえなかった、工場見学会の案内ももらえなかったと苦情を受けたことを話しましたところ、Kさんは「あの人、建てるのは先だから連絡してもしかたがない」と言い、「あの人、工場見学会の案内なんてしても、どうせ行かないから連絡してもしかたがない」と言うのでした。
そうではないはずです。その人は営業担当者がなんとか契約してほしいと言うものだから、その熱意を買って、自分の所はまだ建てるのは先の予定だから契約は実際に建てる時になってからでいいと思っていたものを、それを営業さんの気持ちを汲んで先に契約してくれて、契約金も先に振り込んでくれた人なのです。営業さんの熱意を買ってそうしてくれたのに、それを契約したら、「あの人、建てるのは先だから連絡なんてしてもしかたない」という態度を取られたなら、それはまだ先なのに契約してくれた人の気持ちを踏みにじるものではありませんか。「あの人、工場見学会の案内なんかしても、どうせ、行かないから連絡なんかする必要ない」とKさんは言うのでしたが、それも違うと思います。案内して行くか行かないかにかかわらず案内するものでしょう。仮に実際に行かなかったとしても、それでもそういった案内は欲しいもののはずですし、未契約客の所になら(株)一条工務店の営業は案内して行くか行かないかにかかわらず案内しまくっているのに、契約した自分の所には「案内してもしかたがない」という態度を取られた・・となると、なんで、うちは契約したのだろう・・ということになるではありませんか。
そして、建築時期はまだ先なのに契約だけしてくれた人というのは、実際に計画を進めるまでの間に、どういうように建てるか参考にするために他社の展示場を見に行ったりもするのです。Sさんは真面目な人で、他社の展示場を見に行った時には「うちは、もう、一条工務店で契約してるんですけれども」と他社の営業に余計な手間をかけさせないようにと思って正直に話されたのですが、そうすると他社の営業は「かまいません」「いっこうにかまいません」と言って、既に(株)一条工務店で契約している人間の所にでも足を運んできたそうなのです。「うちは、もう一条工務店で契約していますから」と言っても、それでも足を運んでくる他社の営業がいて、他方で、建てるのはまだ先なのだけれども、担当営業の若い人が熱心に契約してほしいと言うものだから、その営業さんの気持ちをくんで契約したのに、その営業さんが転勤した(実際には退職した)となると、引き継いだ営業は「何かあったら言ってくださいね」とだけ言って、何にも連絡してこない、訪問もしてこないし郵便も出してこないし電話もしてこない、なんで、うちはそんな会社で契約してしまったんだろう・・という気持になるではありませんか。何もそんな会社で建てなくても、「もう、うちは一条工務店で契約していますから」と言っても、それでも訪ねてくる人の所で建てた方がいいのではないのか・・・と契約者の人は思い出すのです。契約金の百万円を振り込んでもらってるといっても、その百万円がどうなるかにかかわらず「契約したが最後、何にもしない(株)一条工務店」なんかで建てたくない、(株)一条工務店の建物がいいか悪いかなんて何の関係もない・・と思うに至った人に対しては、百万円を預かってるなんてことは「への突っ張り」にもなりませんからね。
あんないい人を、なんで怒らせるのかなあ~あ・・と思いました。「あんないい人」であるのかどうかというと、まだ建てるのは先なのに、それなのに営業担当が契約だけしてほしいと言ってその希望をきいて契約だけ先にしてくれた人でしょう。私がSさんの立場なら、契約だけ先にしてくれなんて言われても、しませんよ! それをしてくれた人じゃないですか。いい人じゃないですか。なんで、そんな人を怒らせるようなことをするの。
「『何かあったら連絡してくださいね』と言ってるんだから、用事があったらSさんが連絡してくればいいじゃないですか。それを連絡してこない方が悪い」とKさんは言うのでしたが、その文句を聞いた時には「あんた、営業やめたらどうや」と正直なところ思いました。
私は同僚のKさんを悪くは言いたくなかったけれども、言わなきゃしかたがないので、所長の草野次男さんに ↑ の経緯を話して「どうも、Kさんが放置していたようで、なんで、そんな会社で建てなきゃいけないんだと思われたようです」と説明しました・・・が、そうすると、どう言われたかというと、「引継ぎ担当が気に入らないから解約したいと言うなら楠くんじゃなくて、おまえだろうが。おまえが気に入らないから解約すると言われてるんだろうが。楠くんは悪くないだろう。おまえが悪いんだろうが」と、そう言われたのです。
ふざけんなよ、この野郎! ・・・
私は、解約したいと言われる人の引継ぎ担当やっても1円の収入にもならない、なんら私にプラスにならないけれども、その仕事をやっているのです。それを「引継ぎ担当が気に入らないから解約したいと言うなら楠くんじゃなくて、おまえだろうが。おまえが気に入らないから解約すると言われてるんだろうが。楠くんは悪くないだろう。おまえが悪いんだろうが」とは、よくも言ってくれたもんだ。ウエスタンラリアートでもお見舞いしたろか、こんちくしょう! 〔⇒《YouTube-Stan Hansen "Lariat" collection. スタン ハンセン ウェスタン ラリアット》https://www.youtube.com/watch?v=o18HucZx6as 〕
もう、Kさんがやっていた契約客の引継ぎ担当はやりたくない・・と思いました。その後も、(株)一条工務店で引継ぎ担当はやりましたが、もしも、もう一度、同じようなことがあったなら、どんなに頼まれても引継ぎ担当はお断りすることにしたでしょう。ウエスタンラリア―トでもお見舞いしたろか、アックスボンバーでもお見舞いしたろかスピニングトゥホールドでもお見舞いしたろか、こんちくしょう。〔⇒《YouTube-【プロレス入場曲 AJPW Entrance Themes】The Funks/Spinning Toe-Hold【ザ・ファンクス/スピニング・トーホールド】》https://www.youtube.com/watch?v=gkP-AUucjI0 〕
むしろ、
[1]新人のSくんが契約する際にきっちりとした契約のしかたをしているかどうかを所長がよく見ていなかった、
[2]Sくんが退職する時に誰を引き継ぎ担当にするのが適切か、人選を間違った、
という点に責任があるのだろうが。
そもそも、新人のSくんが、解約の場合「3年以内に同業他社と類似の契約を結ぶことはなかったと判明した場合には」契約金は返金するという文面をきっちりと説明せずに契約していたという点に責任があるのは所長の草野さんと違うのか? この点で悪いのはあんただろうが、あんた! 会社は所長が新卒新人を指導するようにということで所長がいる展示場に新卒新人を配属したのではなかったのか?・・総務部長の天野雅弘は「所長は売るのが仕事であって管理したり指導したりするのは仕事と違いますから」と言うのだが、それなら所長の役職手当というのはいったい何なんだ? タダ取りか?
三番目の問題として、会社が従業員を信頼していない、という点があります。その契約客が実際には契約時に説明を聞いていたにもかかわらず「聞いてない」と言っているのか、本当に聞いていなかったのかというのは、会って話を聞くと、ある程度はわかるのです。しかし、そこで問題があるのは、(株)一条工務店という会社は従業員を信頼しない会社だという点です。もしも、信頼されないようなことをした人間ならば、信頼されなくてもしかたがないでしょう。しかし、私は入社以来、(株)一条工務店の為に滅私奉公を続けてきた人間であり、信頼してもらっていい勤務態度を続けてきた人間のはずなのです。その従業員が信頼できる人間かどうかという点と、その従業員のお客様を見る眼が信頼できるかどうかという点と2つの点があるでしょうけれども、そのどちらについても、もしも、私が信頼できないのなら、別にそんな会社に信頼してもらわなくてもいいから、(株)一条工務店の「一族」経営者が好む「こんな人間がいいのか」とあきれるようなやつをお客様宅に使わせて判断させればいいでしょう。
(株)一条工務店の経営者が人を見る目がない、という点があります。あきれるくらい「人を見る眼がない」経営者です。「ベンチがアホやから野球ができん」と私は言わなかったけれども、言ってあげた方が良かったのではないかと思うくらいです。そして、これは私だけが思ったことではなく、少なくない従業員から「人の使い方を知らない会社だ」「人を見る眼がない会社だ」と言われていたのです。
【5】 個客の要望を満たそうとする営業と20坪の契約ばかり取得する営業はどっちが迷惑か。
そういえば、Kさんは私に「お客さんに、オプションのある家を建てて迷惑です。大工さんが迷惑しています」と文句言ってきたことがあったのだ。それで、(株)一条工務店で仕事をしている大工何人かに尋ねてみた。「私が担当の家にはお客さんの要望をきいていろいろとオプションがついているから大工さんが迷惑していると言う人がいるのですが、そうですか」と。そうすると、すべての大工が「そんなことないよお。このくらいの広さの家で、この程度のこともやってはいけないなんて言ったら、家、建たないよ。やっていいよ、このくらい」と言うのでした。そして、「それより、Kさんの担当の家がかなわんよ。Kさんて、あの人、なんで、20坪の家ばっかり契約取ってくるのお? そりぁ、東京の街中とかなら20坪くらいで建てる人もあるだろうけれども、いわき みたいな300坪の土地に建てるような人がいっぱいいるような場所で営業やっていて、いったいどうやって、あの人、20坪の契約ばっかり捜し出してくるのお? あの人も変わってるねえ」と、そう言われたのだ。 延べ床面積20坪の家でも、キッチンも風呂もトイレも玄関も1か所はあるのに対して、60坪の家でも2つくらいある場合はあるが、60坪の家は20坪の家の3倍だから3つあるというものではない。又、小さい家というのは延べ床面積は小さくても、延べ壁面積はけっこう広くて、小さい割に手間がかかるのだ。だから、大工としては「やらないということはないけれども、広い家をやらせてもらった方が実際のところ、うれしい」そうで、その点から見ると、Kさんの担当の家というのは小さくて細かい家が多いので、大工としては、あまり手間のいい仕事ではないようだった・・が、Kさんはそれを自慢していて、それだけではなく、平均すると1軒あたりの面積がKさんの担当の家の倍くらいはあったと思われる私に「迷惑ですからやめてください」と文句言ってきたのだった。Kさんこそが、大工から「あの人の担当の家はかなわんなあ」と言われていたにもかかわらず、「大工さんが迷惑してますから、お客さんのためにいろいろやるのはやめてください」などと文句言ってきたのだった。
Kさんは「棟数」で見て私の半分も契約取っていなかったが、それは「棟数」で見た場合のことで、本来、会社にどれだけ貢献したかは「棟数」ではなく「粗利益(あらり)」の方で見るべきもので、Kさんが得意とする「20坪の家」というのは、60坪の家の3分の1の広さだから「粗利益」も3分の1か、40坪の家の半分かというとそうではなく、建築会社にとっては大きい家の方が面積あたりの利益は大きいのであり、Kさんが得意とする「20坪の家」は建築会社にとっては坪当たりの利益は小さいのであり、それから考えると「棟数」で見て私の半分未満だったKさんは「粗利益」で見たならば「半分未満」ではなく、少なめに見ても、3分の1未満だったはずだ。「棟数」で見ると半分未満だが「粗利益(あらり)」で見ると私の3分の1未満しか契約取ってない人が、なんで、そんな人が私に文句言うの? この人、なんで自分の3倍以上の「粗利益」あげてる営業に向って文句言うの?・・・と思ったが、それが(株)一条工務店だったのだ。(株)一条工務店の「一族」経営者はそういうのが好きだったのだ。
(株)一条工務店で仕事をしていた大工は、多くの人間が「面積が広くてオプションのない家の契約とってきて俺にまわして」なんて言うのだったが、「オプションのある家でもやるけどね。面積の小さい家でもやるよ」と言いながら、「やるけども、できたら、オプションがなくて面積が広い家がいい」と笑いながら言うのだった。大工に対する報酬は面積によって決められていたようで、オプション工事は(株)一条工務店はタダでやっているわけではなくお客様から代金をもらってやっていたのだが、大工に対しての報酬としてはオプションについて払われているのかいないのか、どうもよくわからんような状態だったらしく、面積の狭い家というのは狭いわりに手間がかかるし、床面積が小さい家というのは壁面積で見るとけっこう広かったりもするので、大工は生活のために働いているということを考えると「面積が広くて、オプションはあんまりない家」の方が割がいいらしかった。そうすると、営業はKさんのように、オプションがつかないような家の契約を取得するようにすればいいのかというとそうではない。そういうことをすると、オプションなんてつけようがない、いくらかなりとも独自のことをやろうと思ってもやりようがないような小さい家しか契約してもらえないようになる。逆に、お客様の要望は何でもきくように心がけると比較的面積の広い家の契約をしてもらえるようになり、「このくらいの広さの家なら、この程度のことをやるのは当たり前だよ。この程度のこともやったらだめだなんて言ったら、家 建たないよ」ということになるのだった。
Kさんは「オプションの何もつかない『標準仕様』だけの家」というものにこだわりがあって、それを実現するために、一生懸命、20坪の家を建てる人を捜し出していた・・みたいな感じだったのだ。
たぶん、本人は「違いますよ」と言うと思うが、本人は違うと思っていても、やっていることを見ると、違わなかった。私とKさんが福島県の いわき地区にいた時、Kさんは「草」の役割をしていた。(株)一条工務店の経営者というのは「草」が言うことは信じる経営者であり、「草」が事実に反することを言っても「草」が「草」の世界観で見たもの、「草」の眼鏡を通して見えたものを言っても、「草」の言うことを信じる経営者だった。(株)一条工務店で仕事をしていた大工は「このくらいの広さの家で、この程度のこともやってはいけないなんて言ったら、家、建たないよ。いいよ、このくらい」と言ってくれたのだが、「草」のKさんが「〇〇さんは、なんだかんだ、標準仕様でないものを取りつけた家を建てて迷惑です」と「報告」すると、(株)一条工務店の経営者は「草」の「報告」を事実と認定したようだ。(株)一条工務店の経営者の「自由心証主義」にも困ったものだった。
(2022.2.10.)

やっぱり変だよ 日本の営業 - 宋 文洲
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